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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第九章 「地下闘技場 団体戦」 編


595話 ー 605話




595話 「何でもありの真髄 その1『準備された強さ』」


「すでに崖っぷちにまで追い込まれたラングラスですが、まもなく最終戦であるハングラスとの戦いが始まります。イケダさん、ここまで見た感想はどうでしょう?」

「そうですね。結果としては例年通りではありますが、中身がまるで違います」

「やはり注目は、黒姫選手ですね」

「はい。彼女はジングラス戦を棄権して体力の回復に努めました。あれだけの怪我がすぐに治るかはわかりませんが、ハングラス戦にかける意気込みを感じます」

「そのハングラスですが、陣営からの発表によると、どうやらキングが黒姫選手を迎え撃つことになりそうです」

「そのようですね。しかも先鋒同士での激突となります。いきなり最重要カードが見られることに興奮を隠しきれません」

「しかし、ジュンユウ選手も苦戦した相手です。セクトアンク選手とはいえ簡単にはいかないのでは?」

「ハングラスの他の二人も将来のキングと目される猛者たちですが、今の黒姫選手の勢いを殺せるとしたらセクトアンク選手しかいないでしょう」

「セクトアンク選手が彼女に勝てると?」

「おや、どうやら懐疑的なようですね」

「いえいえ、そのようなつもりはありませんが…素人目からしても、黒姫選手のほうが有利に思えてしまいまして」

「なるほど。それは試合のルール形式のことですね。今回は『無制限』のルールで行われます。そこが気になるのですね」

「さすがイケダさん。すべてお見通しでしたか」

「そのお気持ちも理解できます。何でもありとなれば、レイオン選手との戦いで見せたすべての力を出せるわけですからね。身体能力では黒姫選手のほうが上だと思うのも当然でしょう」

「その口ぶりですと、イケダさんの意見は違うのでしょうか?」

「いえ、その点に関しましては同意見です。彼女が力を解放した場合、身体能力は二倍近い差が出ると思います。ただ…」

「ただ?」

「私はセクトアンク選手を他人よりも少し知っています。同じハングラスですからね」

「なるほどなるほど。そのイケダさんから見て、セクトアンク選手のほうが上だと?」

「少なくとも成熟度という意味では、大人と子供以上の差があるでしょう。実際に黒姫選手はまだ幼い。成長率は素晴らしいものの、まだまだ学ぶべきことは多いはずです。その点から私はセクトアンク選手を推します」

「なんと! これはまた楽しみになってまいりました!! いったいどちらが勝つのでしょう! まもなく試合開始となります!!」





「それでは選手入場です!! まずはラングラスの注目株にして、キング・ジュンユウと死闘を演じた―――くろぉおおおおおおひめえええええええええええええええええええええええええええええ!!」





―――ワァアアアアアアアア!!!



 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!!!

 サナが登場したと同時に観客全員の視線が一気に集中し、地鳴りのような足踏みが起こる。


「黒姫ぇええええええええええええええ!!」

「黒姫ちゃーーーーーんっ!!!!」


 野太い声援も健在である。

 そして、それを受けるサナの姿も万全。

 歓声に片手を上げて応える姿に、前の戦いでのダメージはまったく見られない。

 たっぷりと時間をかけて命気を吸ったため、怪我はもちろん体力も回復している。

 もともと身体が丈夫なのか、頭を打たれた後遺症もない。いつもの彼女がいた。

 武装についても変化はない。ジュンユウ戦と同じく鉄陣羽織を着込み、日本刀を手にしている。(陣羽織は予備のものを使用)

 サナはリングに上がると、静かに向かいの入場口を見つめる。



「続きましてハングラスからは―――キング・セクトぉおおおおおおおおアンクウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!」



―――ワァアアアアアア!



 対する向こう側からは、相変わらず忍者のような黒装束に身を包んだセクトアンクが歩いてきた。

 猫背で背丈の小さな男。

 こうして改めて見てもまるで強そうには見えないが、ハングラス最強の男であり、無敗のキングである。



 両者が、対峙。



「今回のルールは、『無制限の何でもあり』です。爆破物、術具、それ以外の道具もすべて使用可能となります。私も危険が伴うため、簡単に止めに入ることはできません。何かあっても自己責任でお願いします」



 今回のルールは、『何でもあり』。

 文字通り、何をやっても何を使ってもいい、という実戦のルール。言い換えれば荒野のルールである。

 よって、この試合においては、サナは全力で挑むことができる。ジュエルの力をすべて扱うことができるのだ。

 実のところ普段の試合において、完全に何でもありの試合は存在しない。

 あくまで試合であるため、本当にそれをやってしまうと危険だし、互いに馴れ合う地下闘技場には相応しくなかったのだ。

 しかし、サナが現れたことで空気が変わった。

 観客たちもそれを知っているからこそ、この試合に注目しているといえる。



「では、両者離れて!!」




 二人が離れ―――





「試合開始だぁぁああああああああああああああああああ!!」





―――カーーーーーンッ!!




 試合開始のゴングが鳴る。



「…ぐっ!!」


 まず仕掛けたのは、サナだった。

 刀を抜くと同時に猛ダッシュ。一気に間合いを詰める。

 それに対してセクトアンクは―――


 ぴょんっ


 後方に逃げた。

 サナがさらに間合いを詰めて追いかけるが、それ以上に間合いを広げてセクトアンクは逃げていく。

 いきなりキングが逃げるという手段を選ぶとは、なかなかに珍しい光景だろう。

 しかし、ここは外ではない。限られた狭いリングの上だ。

 すぐに端に到達し、サナがセクトアンクを捉えて刀を振る。

 ここでようやくセクトアンクは、一本の剣を取り出した。

 刀身は六十センチ程度で短いが、幅は厚く、柄の周囲を大きく保護した剣、地球ではマン・ゴーシュと呼ばれるものに近い形状をしていた。

 これは攻撃よりも防御に向いた武器だ。

 ガキンッ

 それを使ってサナの強力な一撃を受け流す。

 サナの追撃。かまわずに強引に刀を振る。

 セクトアンクは防御。再び攻撃を受け流したと同時に体勢を入れ替える。

 ドンッ

 一転して、今度はサナが壁を背負う側となった。

 どうやらセクトアンクは暗殺者タイプの武人らしい。直線の動きではサナに分があるようだが、左右に回り込む動きでは勝っている。


 が、攻撃はしない。


 セクトアンクは、広がった後方にバックステップで距離を取った。

 サナは体勢を崩していたため、攻撃するには最適なタイミングだったが、あえてそれをしなかったのだ。

 くるくる くるくる

 癖なのだろうか。セクトアンクは剣を手で回し、サナをじっと観察していた。


「…ぐっ!」


 攻撃してこないのならば、こちらから攻撃するだけ。

 サナは刀を強く握ると攻撃に移行する。

 しかし、再びセクトアンクは間合いを取って逃げた。

 サナが追う。セクトアンクが逃げる。サナが追う。セクトアンクが逃げる。

 追い詰められたら巧みに体勢を入れ替え、またやり直し。


 まともにサナと戦うつもりはない。


 そう表明しているような動きであった。




―――シィイイイインッ




 それに対して観客からのブーイングはない。

 なぜならばセクトアンクに求めているのは、そういったガチの殴り合いではないからだ。

 今まで彼を見てきた『玄人』たちが期待することは、また違った側面にあるのだ。

 その期待に応えるように―――



 サナが―――ジュエルを解放!!



 バチンッ! バチバチバチッ!!!

 体表の至る所から青白い光が激しく明滅し、サナの中に「獣」が宿る。

 目が細く鋭くなり、明らかに野生が持つ殺気が宿ったのが見えた。

 魔石は生きている。ジュエリストの能力とは、意思ある魔石と融合することで「力を合わせる」ことにある。


 突進。


 雷の速度でセクトアンクに突っ込む。

 セクトアンクは回避。

 簡単な突進だけならば回避は難しくない。ジュンユウもそれはできていたため、さして不思議ではないだろう。

 ただし、サナもそのままではない。


 ギュギュンッ!!


 ジュンユウ戦でやったように、速度を維持したまま角度を変える荒業を披露。

 勢いそのままに逃げたセクトアンクを追撃。

 セクトアンクもそれは予期していたのか、かろうじてかわすも―――雷撃。


 バチーーーンッ!!


 すれ違いざまにセクトアンクが雷に打たれた。ジュエルが持つ力、『雷迎撃』のスキルである。

 レイオンもくらったが、これを受けると熟練の戦士でも感電して動きが止まる。

 殺傷力はさほどでもないのだが、武人の高速戦闘中に動きが止まることは死を意味する。

 やはり力を完全に解放したサナの力は怖い。世界中で魔石持ちが重用されるだけの理由があるのだ。

 サナは完全にセクトアンクを捉え、刀を振るう。


 ブーーーンッ!


 これはよけられない。誰もがそう思った。

 しかし、動けないはずのセクトアンクの手には、すでに術符が握られていた。

 水刃砲の術符が発動。鋭い水圧がサナに襲いかかる。

 バチュンッ!!

 サナは咄嗟に顔をガード。強化された肉体と張り巡らされた雷気によって、水刃砲を受けても軽い切り傷程度のダメージしかなかった。

 が、さらに術符が発動。


 足元から―――水


 バシャーーーンッ


 噴水のように湧き上がった水が、サナの身体を宙に押し上げた。

 術の基本技の一つ、水流波と呼ばれるもので、アンシュラオンがサリータに使った水流波動の術版と思えばいいだろう。

 セクトアンクの魔力が低いこともあり、威力はほとんどなく、サナを押し上げるだけの効果しかない。

 されど、ここで重要なのは、これが『水』であることだ。


 サナの雷気が―――漏電


 バチンバチンバチンッ!!

 水に雷気が流れ、サナの身体から雷のガードが消える。

 黒雷狼がアンシュラオンの水流波動を『雷迎撃』で防いだこともあり、今回も防げなかったのかと勘繰るかもしれないが、事前に放った水刃砲に雷気が集中していたため、足元が疎かになってしまった。

 これは相手が一枚上手。

 二枚目の術符を置いたところにサナを誘導したのだ。最初から計画された行動であった。

 セクトアンクは、取り出した短銃で貫通弾を発射。


「っ!!」


 サナは魔石からさらに力を引き出してガード。銃弾は爆散。

 続けてセクトアンクの二射目。それもガードによって爆散する。

 バチンバチンッ

 されどその間も漏電は続いているため、サナからは力が逃げている。

 それをすぐさま理解した彼女は距離を取った。

 セクトアンクは銃を投げ捨て、再び短剣を取り出して回し始める。追撃はしないようだ。



 ここで気になるのは、なぜセクトアンクは感電しないのか、ということだろう。

 レイオンでさえ感電するのだ。身体能力で劣る彼が感電しないのはおかしい。もしかしたら雷耐性でも持っているのだろうか。

 その推測は正解である。

 彼は雷耐性を持っている。ただし、彼自身が持っているわけではなく、彼の装備が『雷耐性に特化』したものなのだ。

 見た目は単なる黒装束であるが、その中には『雷地強装《らいちきょうそう》の術衣』と呼ばれるものを着込んでいる。

 これはグランハムが使っていた『反靭強装の術衣』と同系統のもので、あれが物理・銃・術耐性を与えるものに対して、こちらは強力な雷耐性を与えるものである。

 雷地と名が付くように、腰から垂れ下がった数多くの紐からは雷撃が地面に逃げるアースの役割も果たすのだから、対雷という意味では非常に心強い。

 さらに彼は身体中に何枚もの護符、『雷消紋』と『若癒』の術符を貼り付けている。

 術衣にも耐久力があるので磨耗するが、それを術符の力によって補っているのだ。

 多少流れた雷くらいは彼の戦気で耐えられるし、ダメージも若癒で回復することができる。それによってサナの雷迎撃に耐えたのである。

 そして、対策はこれだけではない。



 モクモクモク



 煤けた灰色の煙が上がる。

 気づくとそれは、リングの至る所から上がっていた。

 どうやらセクトアンクが戦闘中に仕掛けたものらしいが、問題はそれよりも―――


「―――っ!!?!?」


 サナが突然、顔をしかめて目を瞑った。

 驚くべきことに涙さえ流している。

 その理由は―――



―――強烈な刺激臭



 理科室等で塩酸を嗅いだことがある人は、彼女の気持ちがわかるだろうか。反射で顔を背けたくなるほどの強い臭いがする。

 しかもサナは現在、魔石を発動中である。さきほども述べたが、これはサンダーカジュミロンの性質を強く受け継ぐことを意味する。

 ミャンメイを追跡した際も、彼女はこの『嗅覚』によってそれを可能とした。まさに人外の力が成せる業だ。


 では、犬の嗅覚でこれを嗅いだらどうなるか?


 正直、パニックだろう。あまりの痛みと不快さで逃げてしまうに違いない。

 それも当然。この煙玉は獣系の魔獣を撃退するためのハンター専用の道具である。

 命がかかった外界で生き延びるためのものなのだから、臭いも強烈でなければ意味がない。


「―――っ!?!??」


 サナは突然の異常に完全に動きが止まっていた。

 それをセクトアンクは見逃さない。新しい銃を取り出すと銃撃を開始。

 パン パンッ!! ボンッ!!

 弾丸は着弾すると同時に爆炎。術式弾だ。

 ついでに火痰煩《かたんはん》の術符を三つ取り出し、同時起動。

 嗅覚が麻痺して混乱しているサナは、それをよけられない。炎に包まれる。

 これはまずいと判断したサナが、さらに魔石の力を引き出す。

 バチンバチン! ボシュッ!

 強烈な雷気によって炎が吹き飛び、サナは窮地を脱出。


 したかのように見えて、これは罠。


 セクトアンクが取り出した水流波の術符によって、再びサナに大量の水がぶつかり―――漏電。

 魔石の力が流出を始める。


「…はぁはぁ!!」


 しかしながら水を受けたことが幸いしたのか、ここでサナの意識が復帰。

 涙に加えて鼻水も出ているが、臭いが薄まった結果、薄目を開けてセクトアンクの姿を捉えることに成功。

 突進

 サナにできることは、接近して攻撃することだけだ。

 だから愚直に前に出る。


 サクッ


「―――っ!?!」


 だが次の瞬間、痺れるような感覚が走った。

 彼女にはそれが何か具体的にはわからなかったが、これこそ【死の予感】であった。

 獣の本能がそうさせたのか、サナは咄嗟に腕を伸ばし、自身の首をガードする。

 ガリガリガリガリッ

 腕に何かが強く食い込み、篭手が削れていく音がする。



―――ピアノ線



 物凄く細い線が、そこにあった。

 セクトアンクが張ったものは魔獣の素材から作り出した【剛糸】であるが、だからこそ鋼鉄以上の強度を誇る。

 それがサナの首の位置に張られていたのだから、極めて恐ろしいことだ。

 彼女が雷光の速さで突進するのならば、自らの力によって首が落ちる。相手は何もする必要はない。

 張ったのは間違いなく、サナが刺激臭で目を瞑っている間だろう。

 その隙に接着剤の効果がある『接留止《せつりゅうし》』の術符を使い、リングの両側にくっつけた。

 ただしサナがガードしたことと、勢いが強すぎたために接留止の術式では耐えきれず、糸は外れてしまった。

 が、ほっとする暇はない。

 彼女が両手に意識を集中させている間に、すでにセクトアンクは距離を詰めていた。


 おでこに、ぽんっ。


 サナの額に術符を貼り付けると、すぐさま距離を取った。



 直後―――爆発



「―――!!!」


 小規模の爆発が発生したことで頭が後方に飛ばされ、床に後頭部を強打してしまう。

 ブスブスブス

 サナの額から煙が上がる。付けていた鉢金がなければ、もっと大きな怪我を負っていたかもしれない。

 大納魔射津ほどの威力はないが、張ってからすぐ爆発する特性がここでは有用であったのだろう。

 そして、セクトアンクが狙ったのは致命傷ではない。


 キーーーーンッ ぐわんぐわんぐわんっ


 激しい耳鳴りがして視界が揺らぐ。

 獣は嗅覚だけが優れているのではない。強化された五感の一つである『聴覚』も鋭敏で、この「音響爆発」は耳に強いダメージを与えるものだった。

 鼓膜が破れたのだろう。ツツッと、サナが耳から出血。

 三半規管にダメージを負ったため、すぐに立ち上がることができない。

 当然ながら、それを黙って見ているセクトアンクではない。

 新しい銃を取り出すと離れた位置から銃撃。そのどれもが術式弾で、魔石を解放していても簡単には防げないものばかりであった。


 撃たれる、撃たれる、撃たれる。


 この連続攻撃を雷迎撃で防ぎつつ、なんとか転がりながら立ち上がったものの、足元に転がってきたものがあった。


 再び―――モクモク


「―――!!??!!」


 わかっていても防げない。

 凄まじい刺激臭が周囲を覆い、サナがむせ返る。

 ここが開けた空間ならば換気も可能だが、密閉された空間では逃げることはできない。戦気を練るにも呼吸が必須だからだ。

 もちろんセクトアンク自身も逃げられないが、彼は装束の中でマスクを付けている。

 狐面が被っていたものと似た性能を持ったもので、毒ガス類を防ぐ暗殺者用の術具である。

 もうおわかりだろう。



―――準備されていた



 相手をよく知り、よく対策を練り、効率的に相手を封じ込める。

 それを実践しているにすぎない。

 これぞキングの力。セクトアンクの実力である。




596話 「何でもありの真髄 その2『人、獣より強し』」


 刺激臭によって、サナはまったく動けない。

 このままでは危険だと移動するも、行動を読んだように剛糸が張られており、動きを阻害してくる。

 そこに銃撃。

 セクトアンクは新しい短銃を取り出すと、離れた距離から攻撃を続ける。

 サナは雷撃で防ぐも、力を使った瞬間には水流波の術符が発動。水浸しにされて雷気が外に逃げていく。

 魔石のエネルギーも無尽蔵ではない。こうして少しずつ力を削がれていけば、そのうち燃料が枯渇して使えなくなる。

 しかし、劣勢を覆すには力を使うしかなく、使えばこうして対策をしっかりと取られてしまう。

 八方塞がりとは、まさにこのことであった。



「こ、これは!! 黒姫選手が手も足も出ません!! イケダさん、この状況はいったい!? 」

「さすがですね」

「その口ぶりですと、この展開を予想していたと!? たしか試合前はセクトアンク選手を推していましたね!!」

「ここまでの予測はしていませんが、薄々はこうなるのではないかと思っていました。なにせセクトアンク選手は、グランハム氏が指導を仰ぐほどの人物ですからね」

「グランハム!? まさかあの第一警備商隊の?」

「はい、あのグランハム氏です。彼がこの都市に来て間もない頃の話ですが、そうした現場を見かけたことがあるのです」

「で、では、セクトアンク選手はグランハム氏よりも強いと?」

「いえいえ、そんなことはありません。グランハム氏の実力は突出していました。総合的な武人としての実力では、間違いなくハングラスで一番だったはずです。ただし『護身術』という意味では、セクトアンク選手のほうが上です」

「護身術…ですか?」

「戦いの目的はそれぞれ違うでしょう。相手を倒すための技もたしかに重要です。しかし、多くの戦いは『防衛』を目的としているのです。失わないために戦っています」

「なるほど。グラス・ギースが城壁を張っているのも、外敵からの進入を拒むためのもの。リスクもありますから、よほどの理由がなければ他の場所に攻め込むことはしませんね」

「はい。私たちは日々魔獣に怯えています。それに対抗するための力を求めているのです。セクトアンク選手は、その道のプロフェッショナルといえるでしょう。ハンターの経験もあるそうですし、これが年季の違いというものです」

「もとより道具の扱いに優れているキングですからね。それも頷けます。ですが黒姫選手も、このままでは終わらないのではないでしょうか?」

「その通りです。そこはぜひ期待したいポイントです!」

「さあ、試合はどうなっていくのか!! ここから挽回なるか!!」



 サナは完全にセクトアンクの術中にはまった。

 普通の相手ならば、ここで終了となる。もう手の打ちようがない。

 しかし、相手は魔人の寵愛を受けた少女。


 魔石が―――激しく明滅


 バチバチッ!! バババババババッ!!

 いっそう激しい雷が放出され、あまりの出力でサナの身体が浮き上がる。

 サナはまだ刺激臭によって目を開けられない。そんな状況ではない。


 であればこれは、【魔石が自発的に行っている】のである。


 そして、サナの身体を覆うように、うっすらと青い狼の姿が見えた。



―――「グルルルルルルルッ!!!」



 バチバチッ! ドーーーーーーーンッ!!

 青雷狼の出現と同時に、周囲に今まで以上の落雷が発生。

 あまりのエネルギーの強さに、煙は一瞬にして消失し、剛糸も簡単に破砕していく。

 それを観客席から見ていたマザー・エンジャミナは、ため息をつく。


(相性が良すぎるのも問題ね。私が施した『封印』を強引に捻じ伏せようとしているわ。そんな弱いものではないのだけれど…なんて力なのかしら。彼の思惑もわかるけど、これ以上追い込むのは危険ではないかしら?)


 サナの魔石は、エンジャミナが迂回ルートを作って力を封じている状態にある。だからこそ暴走しないで運用が可能なのだ。

 しかし、彼女と魔石との融合が強まってくれば、そこに境目がなくなっていく。

 こうして防衛本能が刺激された場合、魔石自身が生き残るために力を捻出してしまう場合もあるのだ。

 普通はこんなことは起きないのだが、注いだアンシュラオンの思念が強すぎるので仕方がない。


「…ふー、ふーーっ!」


 とはいえリミッターが外れたのは、この一瞬だけだった。カーリスの封印術は伊達ではなかったようだ。

 それでもサナの目には、さらに強い「獣性」が見て取れた。

 非常に激しい攻撃本能が彼女を刺激しているのだ。


 その証拠に、手には―――雷爪


 爪は、魔獣や動物だけが持つ生まれ持った攻撃手段の一つであり、人間には無いものだ。


 ぐぐぐっ バンッ!!


 突進。

 今までとは加速力が違う。本物のサンダーカジュミロンが走ったように、一瞬で間合いを詰める。

 その途中には剛糸も張られていたが、獣化した彼女には関係ない。強引に引きちぎってしまう。

 セクトアンクも銃撃を放つが、それも簡単に『雷迎撃』で破砕。

 そこから雷爪一閃。


 ズバッ!!


 セクトアンクは回避するが、あまりの速さによけきれない。装束が破れ、爪は体内にまで侵入する。


 バチーーーンッ!!


 続けて雷の衝撃。

 凝縮された雷は、もはや雷にして雷にあらず。それ以上の破壊力となって襲いかかる。

 肉が焼け焦げ、噴き出す血液すら一瞬で蒸発させる。体内に雷を直接流すのだから凄まじい破壊力である。

 常人ならこの段階で即死なので、セクトアンクはかなりのダメージを負ったと見るべきだろう。

 人間とライオンが向かい合ったらどうなるか。

 その答えがここにある。最初の爪の一撃で、ほぼ致命傷となってしまうのだ。


 がしかし、それが【普通の人間】であったら、と注釈が必要だ。


「人は獣にあらず」


 とてもとても珍しいことが起きた。

 セクトアンクが、しゃべったのだ。

 普段ほとんど口を開かない男が、サナを見て思わず言葉を紡いだ。

 ただし、その言葉には畏怖や恐怖、感嘆の念はまるでなかった。ただ獣となった相手を下に見るだけの言葉だ。

 セクトアンクが術式を発動。

 床に大量に貼られた術符同士が共鳴し、一つの術式を生み出す。

 それが完成したと同時に、大きな針が大量に出現。たとえるならば、直径五メートルくらいはある大きな【剣山】であろうか。

 貼られていたのは下だけではない。上の天井部分にも貼られていた術符が発動し、大きな二つの剣山がサナの上下に出現。


―――結合


 ガシャンッ!! ブスブスッ!!


「―――っ!?」


 一本一本の針が、剣士が使う剣と同じ。

 それが上下から押し潰すように迫ってくるのだから、なんとも恐ろしいものだ。

 サナは咄嗟に身体を回転させ、雷爪で頭部と胸の部分に迫った針だけは切り裂いた。

 が、全部に対応はできない。太ももにぶっすりと針が突き刺さってしまう。


「―――!!」


 慌てて抜け出そうとするが、仕掛けられた罠はこれだけではない。

 ブーーーンッ! ぐるぐるっ

 セクトアンクが、先端にジュエルが付いた剛糸をいくつも投げつけてきた。

 これが銃弾ならばたやすく爆散させられたが、単に身体に巻きつけるだけのものだったため、簡単に破壊することはできなかった。

 ジジジジジッ

 そして、糸を通じてサナの雷気がジュエルに吸収されていく。

 あまりの出力の強さにいくつものジュエルが壊れていったが、それはもう何十何百といった数を投げつけてきたため、数によって脆さを補っていた。


「…ぐいぐい!! ぐいぐいっ!!」


 逃げようとしても、剣山が足に突き刺さっているので逃げられない。

 魔石からもどんどん雷が逃げていき、力が湧いてこない。


 その姿は―――トラバサミに食いつかれた獣


 それもそのはず。これは『対重刺縛陣《たいじゅうしばくじん》』と呼ばれる対魔獣用の術式罠の一つで、ソブカが使った『破仰無罫陣《はぎょうむけいじん》』と同じ系統に属する強力な封印術式である。

 討滅級魔獣でも、一度引っかかれば十秒は動きが束縛される代物なのだから、人間がかかれば身動きなど取れないに決まっている。

 しかも、黙って見ているハンターはいない。その間に攻撃を仕掛けて仕留めるためのものである。


「…ふー! ふーーー!!」


 じたばた じたばた

 もがけばもがくほど弱っていく。疲弊していく。抵抗する力がなくなっていく。

 野生動物は強い。魔獣も強い。人間とは素の力が違う。

 だがしかし、彼らによって星が制圧されたことが一度でもあっただろうか?

 少なくとも人間が出現してからは、無い。ありえない。不可能だ。


 なぜならば人間のほうが強いからだ。


 人はその数と【知恵】と【道具】によって、自分たちよりも能力に優れた存在に打ち勝ってきたのである。

 ただ真正面からぶつかるだけが戦いではない。闘争とは、正真正銘の【生存競争】である。生き残るためならば何だってやる。

 それこそが何でもあり。

 荒野の日常であり、強い者が弱い者を踏みにじる世界なのだ。

 それが今、サナに襲いかかっているだけにすぎない。




(セクトアンク、よくぞここまでやってくれた!!)


 アンシュラオンは、この光景を見て驚いていた。

 サナが負けている現状は面白くないが、それ以上にセクトアンクの戦い方があまりに見事だったため、称賛の言葉しか出てこない。

 もし自分がセクトアンクの立場だったならば、同じような戦術を取るだろう。

 それと同じ、いや、それ以上のことをしているのだから、手放しで褒めるしかない。


(あの男には勝算があった。だからこそ、このルールを【提案】してきたんだ)


 実は今回のルールは、アンシュラオンが提案したものではない。

 対戦を受ける代わりにと、セクトアンク自身が言い出したことである。

 普通に考えれば、魔石を完全解放したサナと戦うのは自殺行為だ。が、勝てないかといえばそうではない。

 戦いに絶対はなく、その場の状況によって戦況は常に変化する。人類史においては、絶対に有利と言われていたほうが負けた戦いも数多くあるだろう。

 それにこれは時間制限のある『試合』だ。【負けなければよい】のならば、いくらでも対策はある。

 そのためにセクトアンクは、しっかりとサナを研究していた。

 今までの試合をすべて見て特徴を把握し、レイオン戦では魔石の性質も理解した。

 ジュンユウ戦も一時間以上前の出来事なので、サナの新しい動きを見ることもできた。これは極めて大きな収穫といえる。

 試合順が後ろであることは、それだけ相手の手の内を見るチャンスに恵まれることを意味する。


(荒野で敵対する武人が出会えば、互いが死ぬまで戦いをやめない。自分の情報が漏れる危険性が思った以上に大きいからだ。こうして対策を練られると何もできなくなるからな)


 どんな強者でも、対策を練られてしまえば不利となる。

 しかも特性が何か一つに傾いている場合は、その傾向がさらに強くなるのは道理だろう。

 物理攻撃が主体なら、物理を封じてしまえばいい。属性攻撃が強いのならば、耐性を整えてしまえばいい。

 戦罪者たちがやられたことと同じだ。しっかりと準備すれば、圧倒的に差がない限りは対応できてしまうのだ。

 アンシュラオンも陽禅公に最初に教わったのが、相手の裏をかくことであった。

 自分は水系がもっとも得意だが、それだけにこだわらずに火も使えるし、雷神掌や風神掌といった多様な技も扱うようにしていることからも、いかに柔軟に対応する姿勢が重要かがわかるだろう。


(そして、それを可能にしているのは『ハングラスの物流』だ。あいつが使っているのは第一警備商隊のものと同じ道具で、どれもがグラス・ギースでは高級品だ。それを大量に『複数のポケット倉庫』にしまっているんだから、相当な金額になっているだろうな)


 セクトアンクは、あらかじめ術式弾を装填した銃をいくつもポケット倉庫に入れ、使い捨てにすることで銃の連射を可能としていた。

 これはアンシュラオンがサナに教えたものと同じだった。

 頭の良い人間なら誰だって思いつくことだが、実際にそれをやられると脅威であることを再認識する。

 これには莫大な財力が必要なのも重要な点である。ハングラスという物を扱う派閥だからこそ、これだけのものを平然と扱えるわけだ。

 何でもありのルールならば、あらゆる道具を使っていいのならば、ジュエリストにだって対抗できる。それをセクトアンクは証明している。


 ハングラスは―――強い


 物がなければ戦いは始められない。物量は巨大な力である。

 ソブカがゼイシル・ハングラスを高く評価しているのは、ハングラスの力をよく知っているからだろう。

 また、ハングラス側にしても本気で戦う理由があった。

 ここでサナを叩けば、ハングラスの力を周囲に認めさせることができる。地上が劣勢だからこそ、大金を注ぎ込む価値があるのだ。

 そしてこの展開は、アンシュラオンが望むものでもあった。それがサナのためになるからだ。


(サナは確実に強くなっている。魔石という強力な武器を手にした今、ますます顕著になっていくだろう。でも、それだけじゃ駄目なんだ。今のままではすぐに限界がやってくる。だからこそのセクトアンクという駒だったが…期待以上だったよ)


 サナが短期間で、ここまで強くなったことは素晴らしいことだ。

 しかし、強くなればなるほど違う問題が生じてくるものである。

 それは彼女の【戦い方】にあった。


(サナ、オレはお前に何を教えた? それを思い出せ。戦いとは何のためにあるのか。どんな力がもっとも優れているか、すでに伝えたはずだ。サナ、オレは信じる。お前の中にも『その輝き』があることを信じる。そのための『試練』なんだ。乗り越えてくれ!)






 もがく。もがく。もがく。

 罠にかかった獣が必死にあがく。噛み付く、引っ掻く。

 だが、人間はそれ以上の力を使って獣の力を削いでくる。

 牙を折り、爪を剥いで、足を縛り、首輪を付ける。



―――「アオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!」



 魔石の中で、かつてサンダーカジュミロンであった『本能』が鳴いている。自由を奪われて叫んでいる。

 その感情がサナに伝わってくる。漆黒の世界に共鳴していく。


「………」


 サナと呼ばれている意識がある。

 それは全体の中の一部であり、とても小さなものだ。

 この黒い世界にいると自分がわからなくなる。知覚できず、何も聴こえない。

 ただ、魔石を通じて強い感情が伝わってきたことで、彼女の中にも『怒り』が芽生える。

 怒りは爆発する。呻き声となり、喚き声となり、暴力的な衝動となる。

 されど、それによって現状は何も変わらなかった。



 だから―――【考えて】みた



 考える。

 考えるという行為。

 今までも考えたことはたくさんある。目の前で起こったことを見て、原因と結果を予測してきた。

 だからこそアーブスラットを出し抜くこともできた。チンピラに勝つこともできたし、地下闘技場でも勝つことができた。

 しかしながら、これは考えることとは少し違う。

 計算機のように物事を計測したにすぎず、本当の意味で考えることとは違う。


 思考とは、【自分を見つめなければ】生まれてこない。


 自分という存在を知覚し、認識し、その比較対象として他者を見なければ、本当の意味で考えるとは言わないのだ。


 ゆえに、考えた。



「―――?」



 初めて、自分を見た。

 黒髪で肌は浅黒く、まだ子供の自分。

 鏡では見たことがある。【彼】の瞳を介して見たこともある。

 しかしながら、自分自身で自分を見たことがなかった。

 犬猫が、鏡に映った自分を他者だと誤認してしまうように、それが自分であるとは認識していなかった。



―――小さい



 そう、思った。


 なんて小さいのだろう。

 周囲の観客たちのほうが、よほど大きいではないか。

 もちろん大きさだけがすべてではない。小さい中にも力を感じる。

 自分を愛してくれる人の、強い強い想いの力が宿っている。

 この宝石に宿った力も、すべては【彼】が与えてくれたものだ。


 それが通じない。


 彼が与えてくれたものは、どれも他者を圧倒していた。

 強引にごり押しても勝ててしまっていた。特に宝石が力を放ち始めてからは、その力をずっと利用していた。

 でも、小さかった。

 まだ自分は幼く、小さい。か細く、弱い。

 こんな小さな自分が、大の大人のように戦うほうがおかしいのだ。



―――「考えるんだ」



 【彼】の声がする。



―――「考えろ。生き延びるためにどうすればいいのか、常に考えろ。生き延びたら勝ちだ。守ったら勝ちだ。殺されなければ勝ちだ」



 彼は自分を大切にしてくれる存在だ。

 その彼がいつも言っていたことがある。



―――「死ぬな」



 ああ、なんという率直で実直な言葉なのだろう。

 シンプルでストレートで、これ以上はない【愛の言葉】だ。

 そうだった。

 サナという存在が戦うのは、けっして勝つことが目的ではない。


 強くなる最大の目的は―――負けないこと


 自分を守ることにあるのだ。

 この瞬間、サナは自分を自分として理解した。

 これによって世界がまた一つ輝きを増した。

 視野が広がり、視界が明確になり、意識が鮮明になった。




597話 「何でもありの真髄 その3『そのすべてが力』」


 黒い世界で、自分を見つけた。

 自分という存在を認識し、こういうものなのだと理解した。

 彼の目に映った自分。自分から見た自分。


 それを強く意識した瞬間―――


 カッ!!


 サナの目が見開かれると同時に、身体が今まで以上の青い雷に包まれた。

 青く、碧く、とても力強い。

 まるで生命の輝きが具現化したような鮮烈な光であった。

 これに比べれば従来のものは、古ぼけたセピア色の写真。


 グルグルッ! ブチブチブチッ!


 そのまま身体を回転させ、雷爪で剣山を抉り、巻きつく剛糸を切断しながら強引に罠から脱出。

 相変わらず思いきりがよいものだ。まったく何も怖れずに行動に移すことは長所だが、長所は短所の側面も映し出す。

 足からは大量出血。肉も抉れ、かなりの重傷を負ってしまう。


「…ぎゅっ」


 だが、即座に布と紐を使って傷口の保護と止血を開始。

 ポケット倉庫から高級傷薬を取り出すのも忘れない。

 武人とはいえ人間である。抵抗力が落ちれば病気にだってなる。こういう処置は早ければ早いほど化膿や感染リスクを減らすことにつながるものだ。

 その間も視線はセクトアンクから外さない。何か仕掛けても対応できるように、じっと観察している。

 そうしてじりじりと間合いを広げると、刀を拾って構える。

 が、自ら攻撃には出ない。

 静かに傷の回復を待ちながら、自身の周りを慎重に見回す。


「…ごそごそ」


 そしてポケット倉庫から木製銃を取り出すと、発砲。

 パスパスッ パスパスッ

 リボルバー式の銃なので連射が利き、多少の間隔はあるが銃弾を連続して発射。

 こちらの中身は爆炎弾。当たった箇所を燃やす効果がある術式弾だ。

 ただし、狙いはセクトアンクではない。


 壁と床を―――燃やす


 ボォオオオ ボロボロッ

 そこにはセクトアンクが隠していた術符があった。

 サナがこうも簡単に彼の戦術に引っかかったのは、術符に偽装が施されていたからである。

 白い床に貼る術符は、あらかじめ表面を白い紙で覆ったものを使ったり、術式が崩れない場合は白く着色したものを使っている。

 透明の壁に貼る場合は、逃げながら壁を汚すことで、それが術符だとわかりにくくするといった工作も施していた。(実は壁自体は汚れないので、そこから数センチ離した場所に『汚れを設置』する念の入れようである)

 また、ジュンユウもやったことだが、剣をくるくる回す仕草も相手の視線を自分に向ける効果がある。

 人も動物も、目は自然と動くものに引き寄せられる。そうした習性を利用しているのだ。

 しかし、それらは注意深く見れば看破できること。

 怒りに囚われず慎重に相手を観察し、動向を注視し、自分と相手の特性を考えれば推測することだってできる。

 今現在そうしているように『同心』で周囲をうかがう癖をつけていれば、そう簡単に目の前で偽装はできない。

 サナの行動の変化は、これだけに終わらない。


 魔石を―――切った


 バチバチッ プシュウ

 雷気が消え、逆立った髪の毛が重力に引かれて垂れ下がる。

 それから【狐面】を取り出し、顔に被った。

 文字通り、狐面から奪った『黒狐神《くろきつねがみ》のお面』という術具である。

 これは毒煙を無効にするものだが、人間にとって有害な成分を無効化する強力なものなので、刺激臭に対しても効果がある優れものだ。


「…ふー、ふー。すー、はーーー! すーー、はーーーーーー!」


 五感が平常時に戻ったこともあり、かなり呼吸が楽になった。

 目はまだ痛むが、新しい刺激による痛みはない。これならば視界の確保も十分といえる。

 唯一の難点は魔石の恩恵が受けられないことであるも、動けなくなるよりましだ。

 これでいい。今はこれがいい。このほうがいい。

 体内に酸素が供給されることによって、生体磁気が一気に活性化。体表の戦気に張りが戻ってくるのを感じた。




(目の色が―――変わった)


 セクトアンクは、サナの異変に気づいていた。

 今までの彼女とは明らかに違う種類の輝きが、その瞳に宿ったのだ。

 色素の話ではない。たまにサナの瞳が赤になることもあるが、今は美しいエメラルドのままだ。

 だからこそ、そこに価値がある。


 彼女は、【人】として戦うことを選んだのだ。


 人は獣とは違う。獣も人とは違う。

 人足らしめるものがなければ、人とは呼ばない。

 では、それは何か。


 目に満ちたものは―――【知性】


 自分を自分と認め、他を他と認め、困難な状況を打開するために【選択する能力】である。

 知性は正しい状況判断に必須のものでありながら、もっとも鍛えることが難しい要素の一つだ。もしかしたら身体を鍛えることより難しいかもしれない。

 だからこそ重要。

 強者と戦ううえで最大の味方になるのが、人が持つ知性なのである。


(これからは手ごわくなる)


 セクトアンクは、身を引き締める。

 今までの獣ならば簡単に退けることができたが、一番厄介な『人』だとそうはいかない。

 ここでようやくサナは、敵と同じ土俵に立ったといえる。



 こうなればセクトアンクも、そのまま黙って見ているわけにはいかない。

 銃で妨害を開始。

 ポケット倉庫から素早く短銃を取り出すと、連続射撃を行う。

 取り回しを考えて二発入りの短銃を使っているため、いちいち取り出す手間が必要だが、それでもさすがに回転が早い。

 大道芸人のお手玉でも見ているかのように、彼の手の平でいくつもの短銃が回っては、次々と銃弾が発射されていく。

 さすが道具の扱いにかけては一流。アンシュラオンやサナ以上にポケット倉庫の扱いに慣れていることがわかる。

 今のサナは魔石を使っていない。術式弾なので、くらえば大ダメージは必至だ。

 サナは転がるようにリングを移動しながら回避しつつ、お返しとばかりに木製銃で反撃。

 無理に狙いをつけず、手当たり次第に装填された術式弾を撃っていく。

 また、得物にもこだわらない。撃ち尽くした銃は即座に投げ捨て、矢を装填済みのクロスボウを取り出して発射。

 こちらもすべて使い捨て。

 一発撃ったらリングに放り投げ、また新しいものを出すことで連射を可能にしている。

 さすがに矢が簡単に当たる相手ではない。ほとんどは回避される。


 ただ、その中には―――爆発矢


 ドーーーーーーンッ!!


 こちらは正真正銘、大納魔射津を使ったものであるため、大きな爆発が起こる。

 狭いリング上、およそ二十五メートル四方(無制限のリングは、他の会場より少し大きい)では、直撃を受けなくても爆風でダメージが発生する。

 セクトアンクも身体を丸めて飛び退くが、衝撃でリングの端にまで吹き飛ばされ、透明の壁に激突して止まる。

 これだけの爆発だ。

 サナも余波の影響を受け、ごろごろと床の上を転がっていた。

 爆発で一番恐ろしいのは爆風だといわれるが、まさにその通りの光景である。こんな閉じられた空間で使うものではないだろう。

 ただ、やはり先に立ち上がったのは距離があったサナである。

 すでに鼓膜が破れているため、聴覚が麻痺していたことも大きかったかもしれない。

 彼女は『邪魔な刀』を捨てると『ナイフ』を取り出し、倒れているセクトアンクに接近。


―――と見せかけての術符攻撃


 風鎌牙の術式が発動。

 いきなり突風が襲いかかったため、体勢を整えようとしていたセクトアンクは、再び倒れて床を転がる羽目になった。

 雷爪でのダメージが大きかったことも要因だと思われる。まだ完全に身体のキレが戻っていないようだ。

 そこに改めて接近戦を挑むサナ。

 真上から襲いかかり、ナイフを突き立てようとする。

 セクトアンクは寝転がりながら剣でガード。


 カンカンッ! キンキンッ!


 そのまま両者は斬り合いに入った。

 サナは相手に起き上がる隙を与えないように上から圧力をかけ、一方のセクトアンクは防御優先で捌くことに集中している。

 こうして見るとセクトアンクの剣術はかなりのものだ。倒れた状態にもかかわらず、サナの素早い攻撃にも見事に対応している。

 一撃の攻撃力は高くはないが、その正確さは爆弾を解体した時に実証済み。得物がナイフでは勝ち目がなさそうだ。

 が、サナの特性を忘れてはいけない。


 ナイフで切ると見せかけて―――虎破


 ドゴンッ!!! ビシィイイッ!!


 力の入った拳が炸裂する。

 サナは単なる剣士ではない。こういうときのために戦士としての鍛錬も行っているのだ。

 セクトアンクはギリギリで回避したが、床に当たった拳の威力を肌で感じることになる。

 明らかに子供が放つ拳ではない。人を殺すための本物の武人の拳だ。

 だが、それ以上に恐ろしいことがわかった。



―――拳の威力が戦士と変わらない



 足が傷ついても走れるだけの耐久力。忍耐力。身体の強さと回復力。それに加えて剣技まで普通に操れる器用さ。

 これではまるで【モザイク〈複合因子〉】ではないか。

 ハイブリッド〈混血因子〉の上位であり、二つの因子を同時に完全に扱える存在をそう呼ぶ。

 「デルタ・ブライト〈完全なる光〉」は、アンシュラオンとパミエルキだけが持つ究極の因子であるが、もし彼女がその力をも吸収していたとしたら、どうだろうか。

 モザイクくらいは当たり前。サナにとって戦士や剣士といった区別は存在しないことになる。


 このままではまずい。


 危機感を抱いたセクトアンクは、まずはこの状況を切り抜けることを優先。

 水流波の術符を三つ同時に発動させると、自分もろとも水圧で吹き飛ばして距離を取る。これによってサナも一時後退。

 だが、こうして距離を取るということは、相手が嫌がっている証拠でもある。



―――「常に相手の嫌がることをしろ」



 耳元でアンシュラオンの声が聴こえた気がした。

 今まではそれを素直に受け入れていただけであったが、そこに『自ら考える』ことを加える。

 考えることで意識がよりハッキリして、よりクリアになっていく。

 サナという存在が、どんな生き物なのか。どれだけの力があって、どんなことができるのか。

 セクトアンクという存在が、どんな生き物なのか。どれだけの力があって、どんなことができるのか。


 そして、どうすれば優位に立てるのかを考える。


 全体が見える。

 意識がリング一杯に広がって、埋め尽くすような感覚に包まれる。

 セクトアンクが見える。手の位置、足の位置。首の角度、視線の方向。筋肉の動きがわかる。

 床に転がっているもの、それが背後のものでさえ場所が特定できる。どこに何があって、どういう状態であるのかもわかる。


 意識があるって、すごい!!!


 もしサナが普通の女の子だったならば、そう叫ぶに違いないが、その代わりに彼女は深く頷いて『感情』を示す。


「…こくり」


 【勝ちたい意思】が、サナに満ちた瞬間であった。



 近づかれたくないセクトアンクは、水刃砲の術符を使って攻撃を繰り返す。

 それに対してサナは、雷貫惇の術符で対抗。


 両者が激突し―――雷が打ち勝つ


 同じ放出系の術式であり、相性も良いため相殺の可能性もあったが、雷貫惇のほうが因子レベルが高い術のために水刃砲を一蹴。

 セクトアンクはよけるも、肩に被弾。

 彼は『雷地強装《らいちきょうそう》の術衣』を着込んでいるため、雷ダメージは受けないと思いきや、強い衝撃とともに肩が焼かれている。

 見れば装束にはいくつもの裂け目が入っており、雷防御の特性を完全には発揮できていないようである。

 さきほど受けた風鎌牙が原因だろう。あれで装束が裂けてしまったのだ。

 この点に関しては、サナに思惑があったのかどうかはわからない。たまたまそうなっただけかもしれない。

 ただし、ここで一つだけセクトアンクに誤算があったことがわかる。


 雷に特化させすぎた。


 サナの魔石があまりに強いがゆえに、雷耐性を重視するしかなかった。

 だからこそ術符の大半も水属性のものが多い。あるいは雷を誘発させるための火もあるが、強力な術符はもともと数が少ないため万全の用意が難しい。

 むしろ、やや寂れた都市であるグラス・ギースの物流かつ、しかも地下において、これだけの術符を用意できるだけ凄いのだ。

 では、それらが無駄だったのかといえば、けっしてそうではない。


 サナが―――急加速


 一瞬だけだが、体表に雷気が走ったのが見えた。

 それによって一気にセクトアンクに接近し、今度は刀を振る。

 術符を起動させると同時に足で刀を蹴り上げ、掴んだ瞬間に加速したのだ。なかなかの芸当を見せてくれる。

 実はこれ、アーブスラットがやった、大納魔射津を蹴り上げる小技を真似たものだ。

 身体は前に向いて相手に集中しながら、足を動かして同時にノールック動作を行う。地味だが、やれるとやれないとでは行動に大きな差が生まれる。


 ガキィンッ!!


 セクトアンクはガードに専念。受け流す。

 しかし、サナは刀を振ったままの勢いで回転し、回し蹴りを放った。

 ルアン戦でも見せた、ガンプドルフから盗んだ技である。さすがに本家の技のキレには及ばないが、ここに【魔石の力】を乗せる。

 ギュンッ!! チッッ!!

 雷気で加速した足が、セクトアンクの頭部を掠めた。

 それだけで頭を覆っていた頭巾が破れ、こげ茶色の髪が一部露出する。

 まともに一撃を受ければ、今頃はノックアウトされていたかもしれない威力だ。


 ここでもう一つの変化があった。


 サナは魔石の力を完全には切っていない。ただし、今までのように雷撃といった攻撃は控えている。

 一方で【魔石から力を引き出して】もいる。

 雷の部分ではなく、身体能力の部分だけを少しだけ上乗せしているのだ。それによって傷を負ったハンデを埋めていた。

 これは『魔石の段階使用』という高等技術の一つである。

 魔石の力をすべて出せば、戦える時間には限りが出てくる。強敵相手ならば致し方ないが、それでは消耗も激しい。

 ということで普通に考えれば小出しにするのが一番だが、それが簡単にできれば苦労はない。

 サナがエル・ジュエラーという上位のジュエリストであること。そして魔石との相性が良いことが最大の要因だろう。

 これが意味することは、魔石の制御が上手くなった。

 もっといえば―――



 魔石を【支配下】に置きつつある。



 ということである。

 サナは自意識というものが希薄だった。だから魔石の獣性に支配され、黒雷狼が暴走するような結果に陥った。

 だがしかし、今は【知性】が宿った。

 理解し、考え、思考し、行動をはっきりと決めること。

 そこには【意思】がある。

 ただの闘争本能だけではない、明確な人間としての知恵がある。それが魔石を少しずつ侵食していっているのだ。

 馬に振り回されていた少女が、何かをきっかけに突然上手く乗り始める。

 すると、どうだろうか。

 馬のほうも少女のことを認め始めるのである。

 動物なんてそんなものだ。たいした知性があるわけでもない。その代わり、感覚で相手を理解する力に長けている。


 ペンダントが青く輝く。


 サナの意識に呼応して、適切な力を配分していく。

 魔石が焦りそうになれば、彼女の知性が「まだだ」と抑える。必要ならば「もっと」と要求する。

 その気になれば雷撃も扱えるため、セクトアンクは雷への警戒を解くわけにはいかないのだ。

 それによってだんだんセクトアンクは、サナを引き離せなくなっていく。

 サナの動きが、どんどん良くなっているからだ。


 なんというデジャブであろうか。


 ほんの一時間ちょっと前に見たあの感動が、再び観客たちを襲う!!


 人々の視線は、完全にサナに釘付けだ。

 胸がドキドキする。ワクワクする。

 人生の落伍者であるヤクザ崩れの連中が、心をときめかせながら十歳の少女から目が離せない。

 これを見ていたソヨコ・スズキは、一瞬にして【本物】との格の違いを知ったという。

 本物にショーは必要ない。

 ただその行動によって、他者を自然と引き寄せるのだ。




598話 「何でもありの真髄 その4『初々しい自我の欠点』」


 サナは、少し離れたところで再びクロスボウを構えると、矢を発射。

 セクトアンクは切り払おうとするが、矢の先端を見た直後、大きく飛び退いた。

 また爆弾矢か?

 否、そうではなかった。


 矢の先端には―――術符


 術符は矢によって運ばれ、近距離で風鎌牙が発動。

 セクトアンクは咄嗟に剣を放り投げ、矢に当てて方向を変えることで、カマイタチもあさっての方に飛んでいく。

 もしあのまま切り払っていたら、発動した術式に巻き込まれてダメージを負っていただろう。

 それをかわしたセクトアンクもすごいが、実はサナもすごいことをやっていた。

 まず、術符を普通に発動させると即座に効果が発生するが、矢で運ぶ時間だけ発動を遅らせている。これがすごいのだ。

 これをどこかで見たことがないだろうか?


 そう、アンシュラオンがやっている『停滞反応発動』という高等技術である。


 この技は遠隔操作の資質がないと絶対にできないもので、なおかつあれだけ長期間に渡って維持することは『超人』でなければ不可能だ。

 では、一方の術符ではどうかといえば、ほんの少しだけ発動を遅らせることは誰にでもできたりする。

 自ら術を生み出す場合は難しいのだが、紙という媒体に術式が描かれた状態になっているため、『よれ』を作ったり、少し破いてみたりすることで意図的に発動時間をずらすことが可能である。

 言ってしまえば、わざと『接触不良』を起こすことで発動までの時間を稼ぐのだ。

 それを使ってセクトアンクは、試合中にいろいろなタイミングで術符を起動させ、サナを窮地に陥れてきた。


 しかしながら、簡単にできることではない。


 あくまで『可能』なだけであり、実戦でそれをやるには相当なテクニックが必要となるだろう。

 術符の破損が大きければ、術式自体が発動しないこともある。下手をすれば暴発して、自分を巻き添えにする可能性だってあるはずだ。

 セクトアンクがこの技術を体得するのに、うん十年という月日を費やしているのだ。その中で幾度も失敗して命の危機に瀕したこともある。

 グランハムが彼に教えを請うたことを思えば、いかに優れた技術かがわかるだろう。

 ただし、それもまた普通の人間の場合だ。


 サナはそれを『コピー』できる!!


 ジュンユウからも戦気術を奪ったように、セクトアンクからは術符の技術を奪っている。

 実際に見ただけではなく、受けた側に立てば立つほど、彼女のコピー能力が際立っていくことがよくわかる。

 その証拠にサナは、すでに術符の同時起動までも体得していた。


 二枚の水刃砲を―――起動


 両手で発動した術符が、交差するようにセクトアンクに迫る。

 セクトアンクの逃げ道は、もう上にしかなかった。

 ジャンプして回避。

 が、当然ながらそれは誘導。

 大きく跳躍したセクトアンクをサナが追撃。

 着地際を狙って、いくつかのフェイントを交えてから繰り出された拳が、ヒット。


 ゴンッ!


 この間合いはかわせない。

 セクトアンクは両手でガードするしかなかった。

 ミシミシと骨に強い力がかかり、あまりの衝撃に腕が麻痺する。

 下がりながら受けていなければ、今頃は腕の骨をへし折られていただろう。

 されど、攻撃は一撃では終わらない。


 ドガドガドガドガッ!!


 サナのラッシュ。

 小刻みな動きで相手を押し込むように拳を連打する。

 その圧力のかけ方も見事で、脱出しようとするセクトアンクを右に左に揺さぶって逃がさない。

 これもどこかで見たことがあると思ったら、レイオンがよくやるラッシュに似ていた。

 生粋の戦士から奪った技なので、本場仕込みともいうべき上手さがある。

 ただし、これにはちょっとだけ『落とし穴』もあった。

 サナとレイオンでは体格差が違うため、そのままコピーしてしまうと必ず差異が生じてしまうのだ。

 まだ子供のサナの細い腕では、セクトアンクを強引に止めることはできなかった。


 一瞬の隙をつかれて抜け出される。


 が、サナもレイオンとは違う要素を持っている。

 サナは無理に追いかけず、それを見越したように『火鞭膨《かべんぼう》』の術符を取り出すと、前方一帯を炎で薙ぎ払う。

 セクトアンクは水流波の術符を三枚出し、必死に火消しを試みるが、火の勢いは強く、身体全体が簡単に呑み込まれた。

 火鞭膨は広域を焼き払う強力な術式だ。こんな閉鎖空間での回避は不可能である。


 ジュウウウッ ごろごろっ


 火の中からセクトアンクが転がり出てきた。

 装束は所々が焦げているが、見たところ致命傷は負っていないようだ。

 水流波の術符は、自身を水浸しにすることも計算してのことだったのだろう。このあたりはさすがである。


 それを見たサナは、接近して攻撃を再開。

 時には魔石の力を解放しながら追い込み、刀・術符・クロスボウ・銃の、近中遠距離、どこからでも攻撃を仕掛けていく。

 自ら積極的に攻撃を仕掛けることで、相手に考える余裕を与えなかった。

 セクトアンクは捌くのがやっと。少しずつ手傷が増えていく現状に陥る。

 彼は『試合巧者』であるため、こうした攻撃的な相手にも慣れているはずだが、ほとんど仕事らしい仕事をさせてもらえない。


 間合いが―――【絶妙】


 サナは抜群のバランス感覚で間合いを測り、さまざまな道具とフェイントを使って翻弄していた。

 事前の準備で策を弄するタイプのセクトアンクは、これをやられると厳しい。

 ここで完全に彼のプランが狂ったことを意味している。

 だが問題は、それができる彼女のほうにある。

 これを解説者はこう評した。



「まるでグランハム氏のようだ!!」



 イケダの目には、それがグランハムとダブって見えた。

 当人を知っているからこその発言であり、その言葉は非常に適切だった。


 サナはここでも、グランハムを【コピー】したのである。


 目の前で戦いを見ていたのだから、彼女にできないわけがない。

 いや、彼女だからこそ可能なのだ。




(そうだ、サナ。それでいい。持っている力をすべて利用しろ。お前には無限の可能性があるんだ。生き延びるために何でも真似ればいい。そのすべてがお前の魂を輝かせる)


 躍動し、急激に【進化】していくサナに、アンシュラオンは強い感動を覚えていた。

 サナには、さまざまなものを見せてきた。

 感情はもとより、実際の戦いを見せることで技術を与えてきた。

 荒野に赴かせて、生死を肌で感じさせたこともある。



 そのすべてが―――力!!



 生きるという意思が、渇望が、怒りが、思考が、行動となって力となって体現されていく奇跡。

 生きるとは何か。


 魂を輝かせ、燃やすこと!!


 無限に成長するからこそ、人は偉大なのである。

 闘争とは、進化を促すから尊い。

 ただ物が壊れるだけの物質的現象ではない。そこに魂を活性化させる要素があるからこそ意味がある。


 そのためには『意思』が必要だ。


 意思とは、知性であり思考であり、自分を見つめる能力でもある。

 サナが今までやってきたことは、人が生まれるプロセスと同じものであった。

 そんな彼女の姿に、かつての『故郷』を思い出す。


(古来より日本人は、さまざまな文化を取り入れてきた。そうでありながらも他文化に侵食されることなく、むしろ自分で都合よく作り直してきた。和製英語なんかがそうだな。これは恐るべき力なんだ)


 日本は欧米を筆頭にさまざまな影響を受けてきた。どこの国だろうが、大航海時代を経れば何かしらの影響を受けるのは仕方がない。

 しかし、多くの国が他文化に呑まれる中、日本だけは独自の進化を遂げてきた。

 たとえば火縄銃も、それを分解して刀鍛冶の技術を使って日本流にアレンジしてしまった。そうなるとオリジナルよりも優れた物ができるから不思議だ。

 食文化にしてもそのまま使うのではなく、日本流に作り変えてしまう。前述したように言葉にしてもそうだろう。

 どこの国でもそうではあるが、とりわけ日本は吸収率が高いのだ。

 それこそ素の力、ポテンシャルの違いなのかもしれない。


 そして、サナのポテンシャルも―――無限大


 もともと赤子以上の柔軟性と吸収力を持っているうえに、アンシュラオンの『光』によって【自我】が生まれた。

 無限の因子を持つ女神の光から生まれた人間が、同じく無限大の可能性を持つように、魔人の愛から生まれた少女は潜在能力までも同じだと想像できる。

 となればコピーした技も、少しずつ自分流に改変してしまうに違いない。

 今は拙くとも、いつかはオリジナルすら超える力となるだろう。


(すべての力をもって戦うんだ! サナ、今お前は闘争をしているぞ!! 魂を燃やして戦え!! あらゆるものを吸収して、自分のものにしてしまえ! すべてがお前の【糧】だ!!)


 目の前にいるのは、ハングラスのキング。

 何でもありのルールだからこそ、サナにとっては今までの集大成となる!



 その目論見通り、魔人に愛された少女は加速度的に進化していく。

 魔石の力が少しずつ安定していく。黒い力の支配下に入っていく。

 同時にアンシュラオンから与えられた光が活性化し、知性と意思が生まれていく。

 それによってサナの動きにもメリハリがつき、よりリズミカルなものとなっていった。

 特に『前後の動き』が秀逸。

 グランハムが得意としていたバランス感覚が、この試合ではもっとも輝いている。

 前に出ると見せかけて術符を使ったり、離れると見せかけて接近したり、駆け引きでセクトアンクを圧倒する。


 ハングラス相手にグランハムが立ち塞がる。


 なんとも奇妙で因縁じみた光景といえるだろう。

 この状況では、さすがのセクトアンクも小細工は弄せない。

 サナが本来持っている『観察眼』が知性によって制御されているため、そんな暇がないのだ。

 やはり魔石込みでの単純な戦闘力は、現段階でも彼女のほうが上のようだ。

 ただし、不安要素もあった。


 そろそろ物資が尽きる。


 ポケット倉庫にそれなりの量の道具を用意しているが、ここまで激しい戦いになるとは思っていなかった。

 クロスボウは、もうない。

 術符も残り二枚。

 サナが圧倒できているのは、道具を併用しているからである。それが尽きれば勝負の行方はわからなくなる。

 相手はジュンユウではない。セクトアンクなのだ。


 ここが勝負所!


 サナが攻勢に出る。

 風鎌牙の術符を起動させ、相手の動きを牽制する。

 そのまま魔石の力を解放。一気に詰め寄る。

 セクトアンクも勝負所だと判断したのだろう。数少ない風鎌牙と火痰煩の術符を同時起動。

 混ざり合い爆炎となった火風が、サナが放ったカマイタチと激突。

 両者はリング中央で絡み合い、熱風を撒き散らす。


 その光景はまるで、火の竜巻。


 この狭いリングの大半を呑み込んでしまう。

 サナは自身がダメージを負うことも気にせず、爆炎の中に突っ込む。

 一気に接近して仕留めようという考えだろう。

 しかしセクトアンクは、それを見越したうえで術符を使ったと同時に、かなり細かい意匠が施されている『短筒』を取り出していた。

 もとより今やったことは目くらまし。本命はこちらだ。


 バチバチ ドンッ!! ばきゃんっ


 発射された瞬間、それが普通の銃弾でないことがわかった。

 なぜならば一発撃っただけで、短筒が砕け散ってしまったからだ。

 発射されたのは『呪力弾《じゅりょくだん》』と呼ばれるもので、対武人用に調整された強力な弾丸である。

 『人間特効』が付いた弾丸、といえばわかりやすいだろうか。

 特効の恐ろしさは、戦罪者たちによって証明されている。あのアーブスラットでさえ苦戦するほどである。

 当たれば、魔石で強化されたサナであっても致命傷を受けるだろう。

 そんな便利なものがあるのならば最初から使えばいい、と思うかもしれないが、これはあくまで『保険』。

 なにせこれ一発で一千万円近い値段がするのだ。

 六十発入り大納魔射津の二倍以上の出費だ。できれば使いたくないのが本音だろう。

 だが、サナを倒すにはもうこれしかない。

 セクトアンクも覚悟を決めた証であった。



 銃弾が迫る。



 サナは視界が覆われた爆炎の中を突っ切っているので、弾筋は見えない。


 弾丸がサナに―――命中!!


 胸を狙って放たれた一撃が、ペンダントを貫いた!!


 貫いた!!


 貫いた!!


 つらぬ―――いた!!?


 サナを【撃ち貫いた弾丸】は、そのまま向こう側の壁に衝突。


 バリンッ


 外部への影響を遮断する壁の術式を喰らおうとするも、あえなく失敗。そのまま砕ける。

 こんなものが一千万とは、なんとも泣けてくるものだ。

 ロケット打ち上げが失敗して、何十億という金が一瞬で失われた気持ちが少しだけわかる気がする。

 と、それよりも問題は、サナを貫通したことだ。

 サナに弾丸が当たったならば、その段階で術式が発動していたはずだ。

 ならば当たっていないのだ。


 これは―――『分身』


 サナが最後に取っておいた術符は、分身符であった。

 直後、床を這うほど低い態勢になったサナが突っ込んできた。

 ここでも荒野の特訓が生きた形だ。分身符の扱いに迷いがまったくない。

 そのまま爆炎を突っ切り、接近すると刀を振るう!!


 ブーーーンッ!


 完全な間合い。渾身の一撃。

 これを受ければセクトアンクは、真っ二つ。

 がしかし、ここで簡単に斬られるキングではない。


 【磁力球】が―――発動


 アンシュラオンが観戦した試合で使った、磁力を生み出す術具である。

 それによってサナの動きが一瞬だけ止まる。

 刀が引っ張られるだけでなく、まとった鉄陣羽織も反応しているのだ。

 その一瞬でセクトアンクは短い刺突剣を取り出すと、サナに突き出す。


 先端には怪しい『ぬめり』。


 ラーバンサーも使っていたが、武器に毒を塗るのは狩りの常套手段だ。

 これは何でもありの戦い。相手を打ち倒したほうが勝ちなのである。

 万一のために磁力球を置いておく慎重さと、それに左右されない魔獣素材の刺突剣を用意する周到さは、さすがキングといえる。


 だがしかし、サナを侮ってはならない。


 ずるりっ

 サナから陣羽織がずり落ちていく。

 彼女も最初からこの可能性を考慮し、いつでも防具を脱ぎ捨てるようにしておいたのだ。

 なぜならば、これが最後という『気迫』を込めたからだ。

 最後に立っているのは一人だけ。これで決めてしまえば陣羽織も必要なくなる。

 当然、道具の一つである刀も、引っ張られた瞬間には手放していた。

 これは剣の意地の張り合いではないので、簡単に投げ捨てられる。


 サナはギリギリの間合いで、攻撃を回避。


 刺突剣が陣羽織を貫くが、その場に彼女はもういない。

 すでにセクトアンクの左横に移動していた。


「…ぎろり」


 サナの目に、赤い輝き。

 殺気。相手を殺すための力が宿る。

 ここで魔石を全力解放!!

 身体に力が漲り、生み出した雷爪でセクトアンクを貫く!!!


 ズブウウウッ! グチャッ!!


 雷爪がヒット。

 左腕を抉り、貫通し、肋骨を破壊しながら体内に侵入。


 バチーーーーンッ!!


 さらに、とどめとばかりに雷を流し込む。

 体内に雷を流すのは、これで二回目だ。

 しかも今回は最初の時よりも傷が深い。臓器そのものにもダメージを与えたのは間違いない。


 スゥゥウッ


 一瞬だけ交錯した視線で、セクトアンクの瞳から光が消えたのが見えた。

 レイオンでさえ、まともにくらえば死ぬかもしれない一撃だ。

 それが直撃したのならば、こうなっても仕方ないだろう。

 がくっ ずるる

 セクトアンクから力が抜ける。首からも力が抜け、うな垂れる。

 仕留めた。


 相手は死んだ!!



「…ふっ! ふーー!!」



 サナの激しい息遣いが聴こえる。


 ドクンッ ドクンッ ドクンッ!!


 闘争の末に目覚めた激情が、その結果に強く反応している。

 その時ふと、心拍数が変化する。


 ドクンドクンッ―――とくんっ


 不思議なことに興奮すればするほど、一瞬だけ平静になる瞬間があるものだ。

 たとえるのならば、怒りに任せて誰かを殴った瞬間、「あっ、しまった」と思うことに似ているかもしれない。

 直前までは激情に支配されていたのに、なぜかふと冷静さを取り戻す『刹那』が存在する。

 人間が思考し、常に正しい選択を求められるのは、種としての宿命である。

 神は人に選択肢を与えることで、すべての責任が当人にあることを示す。

 これは経験によって慣らすことが可能だ。アンシュラオンならば、いちいち殺すときにそんな反応はしない。



 だからこれは、サナの自我が強くなったことによる―――【弊害】



 この瞬間だけ、サナの動きが止まった。


 スゥウウッ カッ!!


 それを見計らったように、セクトアンクの瞳に生命の輝きが戻る。



 そこからは本当に一瞬の出来事だった。

 セクトアンクが、「体内に仕込んでいた術符」を起動させる。


 ドドドンッ!!


 サナの眼前で爆発が発生。

 大納魔射津よりは弱いものだが、いかんせん爆発の回数が多かった。

 突き刺したサナの右手が焼け焦げ、一部肉が破損する。

 魔石の力を使っていても、この至近距離で連続した爆発には耐えきれなかったようだ。

 この術符は、試合中でも使った額に貼り付けた爆発符である。それを数十枚、自身の体内に潜ませておいたのだ。

 この術符は扱いがデリケートなので、体内に入れておくだけでは発動しない。

 こうして強い衝撃を与えて術式を崩壊させることで、無理やり起爆させて使うことを想定している。このあたりは大納魔射津と使い方が似ている。

 体内に爆弾を仕込むのは、そう珍しいことではない。よくやる手口だ。

 だが当然、こんなことをすればセクトアンクも無事では済まないはずである。

 本来ならば彼も身体の半分くらいが吹っ飛ぶのだが、そこは策士。


 彼の体内は、金属プレートのようなもので覆われていた。


 それによって爆発ダメージを最小限にとどめたようである。

 また、サナの雷爪の効果を半減させたのも、これが最大の要因となっている。

 磁力球に反応しないところをみると、これも刺突剣と同じく何かしらの魔獣素材なのだろう。

 その一部を体外および装束から出すことで、『避雷針』としての効果もあるらしい。

 まったくもって、とことん雷対策。

 ここまでやれば恐れ入る。それゆえに準備の大切さを思い知るものだろう。


 サナは刹那のタイミングを制されたため、まったく身動きが取れなかった。

 何が起こったのか理解できず、目を見開いている。

 その間にセクトアンクは、サナの首に剛糸を巻きつけると、首を絞める。

 サナは反射で手を首にやる。が、これは罠。

 注意が上に向いたところで、太ももに刺突剣を突き刺す。


 ブスッ!!


 狙ったのは、『対重刺縛陣《たいじゅうしばくじん》』で傷ついた箇所。

 まだ傷が完全に癒えていない弱点の一つだ。


「―――っ!!」


 サナは慌てて魔石を解放し、雷撃で迎撃しようとするも、時すでに遅し。

 セクトアンクの拳が、【仮面】を吹き飛ばす。


 カラン ゴロゴロッ


 そこに至近距離からの―――モクモク



「…―――っ!?!?!!!」



 うっかり忘れていたが魔石を全力で使うということは、再び嗅覚も復活することを意味する。

 強烈な刺激臭が脳を突き抜ける。

 ただし、サナがむせ返る暇もなく、その隙に膝裏に蹴りをくらい、そのままうつ伏せに押し倒されてしまう。

 セクトアンクは、ここで油断しない。

 剛糸を取り出すと手当たり次第に手足に絡ませ、ぐるぐる巻きにする。



 サナは動け―――ない!



「…!! …っ!!」


 身体に力が入らない。徐々に感覚がなくなっていく。

 さきほど注入された『神経毒』の作用である。

 サナのステータスを見ればわかるが、彼女に『毒無効』は存在しない。

 せめて『毒耐性』でもあれば話は変わったが、それがあったならば刺激臭にも抵抗できただろうから、いまさら言っても仕方がない。


 あとは簡単だ。


 ありったけの武器を動けないサナに向けて突きつける。

 相手が倒れているのならば、生殺与奪の権利はすべてセクトアンクにある。

 銃で撃ち殺そうが、また魔獣用の罠にはめようが(もう無いが)、術符で攻撃しようが自由自在だ。




 これによって、勝負あり。





「勝者、キング・セクトアンクゥウウウウウウウウウウ!!!」





 セクトアンクの勝利が決まった。





599話 「団体戦をぶち壊す者」


 リングの上では、サナが簀巻《すま》きにされて寝転がっている。

 当然死んではいない。神経毒が回って身動きが取れないだけだ。


「…ふぃ。はぁ…はぁ……」


 その傍らでセクトアンクが腰を下ろす。

 身体中は傷だらけ。左腕もだらりと垂れ下がり、脇腹はほとんど吹っ飛んでしまっている。

 それでも生きているのだから、武人の生命力というものは恐ろしい。

 セクトアンクは頭巾に手をかけると、そのままずらして素顔を現す。


「やれやれ、そろそろ引退かな」


 そこにいたのは初老の男。

 髪の毛こそこげ茶色ではあったが、顔には深いシワがいくつも刻まれている。

 才能がなくても知恵だけで戦い抜いた男の苦悩が垣間見えるようだ。


「この歳で若い子の相手はつらいな。それが才能豊かな子だとね」


 セクトアンクが、リングに上がってきたアンシュラオンを見て苦笑する。

 試合中はまったくしゃべらないことで有名な男だが、それは単に思考の海に埋没しているだけで、平時は普通に接しているらしい。


「それに勝ったんだ。あんたも強いさ」

「明日にはもう勝てないね。あまりに成長が早すぎる」

「かもしれないな。だが、結果は結果だ。実戦なら終わっていた。あんた、元ハンターか?」

「昔はね。ブルーハンターにも届かないレベルだったよ。才能がないからね」

「あんたがキングでよかった。手加減してくれたんだろう?」

「さあ? そんな余裕はなかったね」

「そういうことにしておくよ。怪我、治そうか?」

「お願いしよう。もう無理はできんよ」


 ジュンユウとは違い、セクトアンクはアンシュラオンの治療を受け入れた。

 戦い方にこだわりがない以上、こういうことにも遠慮しないのだろう。思っていたより清々しい男である。

 そんな男だからこそ、サナにとどめを刺さなかった。

 当人ははぐらかしていたが、最後に温情をかけたのは事実である。


(これだけの戦いだ。衝動で最後の詰めをしても無理はない。だが、この男は最後まで理性を保っていた。簡単にできることではないよ。そこはオレも見習わないとな)


 毒が回って動けないとはいえ、あのサナである。魔石の力が暴走すればどうなるかわからない。

 自己の安全を優先するのならば、とどめの一撃を加えておくべきだっただろう。

 それをしなかったのはこれが試合であることと同時に、自負があったからだ。

 言葉にはしづらい「長年の経験」というものが、セクトアンクを支えていた。


(心臓の位置が変わっている。肉体操作で動かしたのか。体内もいろいろと改造しているな。恐れ入る)


 命気で治療すると、相手の身体のことがよくわかる。

 セクトアンクは自分の欠点を知性と準備で補っていた。

 雷爪を耐えたことも偶然ではない。魔石の消耗度を冷静に観察し、一撃ならば耐えきれると判断したのだろう。

 だから『死んだふり』までしたのだ。

 心臓の位置を動かして致命傷を避けつつ、意図的に仮死状態を生み出した。

 擬態、偽装、なんと呼んでもかまわないが、猫に捕まったネズミが死んだふりをして油断させるのと同じである。

 これもサナの自我や知性の発達度を観察して、心臓を止める時間を決めていた。

 彼もあらゆる努力をして勝ち取った勝利なのだ。簡単に得たものではない。



「サナ、大丈夫か?」


 セクトアンクを治療しながら、アンシュラオンが剛糸を取り除いてサナを救出。

 彼女も身体中が傷だらけ。正真正銘のボロボロだ。

 すぐさま彼女にも命気を発動させ、毒を取り除く。

 やはり身体が頑丈なのか、あるいは魔石の力が彼女を癒すのか、それ以外で命に関わる大きな外傷はなかった。


「………」

「よくがんばったな」

「…ふるふる」

「今やれることは全部やった。その結果だ」

「…ふるふる」


 サナを労うが、下を俯いたまま顔を向けてくれない。

 ぽた ぽた

 見ると、目から涙が零れていた。

 表情はそこまで変わっているわけではなかったが、明らかに『感情』を表現していた。



―――悔しい



 彼女はそう言っている。

 言葉ではなく、心がそう響いている。



(―――サナ!!)



 その姿に心打たれ、思わず抱きしめた。

 妹に明らかな変化が生まれている。今までよりも強い感情の波が見て取れる。

 知性が生まれたことで感情にも刺激が与えられたのだろう。

 一般人と比べれば、たとえば感情を押し殺すタイプのセノアと比べても、まだまだ圧倒的に弱いものである。

 焚き火にする前の種火、それ以下のものかもしれない。

 されど、サナにとっては貴重で重要な一歩といえた。


「ごめんな。お兄ちゃんを許してくれ!」

「…ふるふる」

「勝たせてあげたかった。本当に…本当に勝たせてあげたかった! いつだって勝つために戦わせてやりたい!」

「…ふるふる」

「だが、これが戦いなんだ。いつだって思い通りになるわけじゃない」

「…ふるふる」

「サナ…サナ…! ごめんな…! ごめんな…!」


 サナ自身が己の感情に戸惑っているようで、首を横に振り続ける。

 兄との会話がまったく成立していないが、これもまた大きな変化だろう。

 ここでアンシュラオンは確信した。



(サナは―――【健全】だ!!)



 成人向けとの対比で『健全』が使われてしまう昨今、健全の意味が定義しづらいが、ここでは『正しい人間としての機能を備えている』という意味である。

 幼い子供の頃は誰だって不安定だ。自分を表現するのが難しいことも多い。

 場合によっては、自閉症やら精神疾患だと決め付ける大人もいるだろう。

 だがしかし才能ある者は、総じて子供の頃に正当な評価を受けていないものだ。

 ピカソ然り、天才は天才にしか理解できない。子供の頃の評価など意味はないし、まったくあてにはできないことは立証済みである。

 サナという巨大な器を満たすには、アンシュラオンという強大な力が必要なのだ。


 二人は出会う【宿命】にあった。


 ただそれだけのことである。

 そして、サナにとってこの地下での戦いは大きな意味があった。

 武人としての成長もそうだし、彼女自身の感情の発露にも大いに役立ったのだ。



 その後の試合結果は、いつもと同じ。


 中堅のレイオンは勝ったが、大将のカスオが負けて敗北。

 結果、ラングラスの【三連敗と最下位】が決定した。


「イケダさん、ラングラスにとっては残念な結果になってしまいましたね」

「そうですね。今年は期待が大きかった分、ショックも大きいでしょう」

「戦力不足だったのでしょうか?」

「難しい質問ですね。しかし、結果を見ればそうだったのかもしれません」

「カスオ選手が全敗でしたが、そこが誤算でしたか?」

「たしかに誤算でしたが、あの耐久力は脅威です。対戦カードを難しくさせるという意味では悪くなかったでしょう。私としては調整が間に合っていない印象も受けました」

「試合に出るのも初めてでしたしね。そこは無理もありませんか」

「そして、全敗したのは黒姫選手も同じです。相手が悪かったので単純に比べるわけにはいきませんがね」

「ずっとイケダさんがおっしゃっていたように、キングは強かった、ということですね」

「そういうことになります。キングの名は伊達ではありません。才能だけではなく努力と経験でもぎ取った勝利だといえるでしょう」

「さて、これでラングラスの最下位が決定してしまいましたので、見所は他派閥となります。これからの展望はどうでしょう?」

「やはりキング・ジュンユウ次第だと思われます。彼の怪我は相当酷かったものですから心配です」

「たしかに心配ですね。キングに万一のことがあれば、マングラスも例年通りの結果になりかねません。賭けのほうも低調になりそうですね」

「盛り上がるための要素が欲しいところです。それがなければ、このままハングラスの独走が予想されます」

「なるほど。マングラスの出方に注目ですね!! では、休憩が終わりましたら、マングラス対ジングラス戦が始まります! どうぞご期待ください!!」





 ラングラス控え室。


「ちくしょう、負けちまったじゃないかーーーー!! うう、おぇええ! おぇええええ!」

「おい、汚いだろうが。こんな場所で吐くなよ」

「だってよ! これじゃおいらたち、ずっと貧乏生活じゃないか!! それを考えると…おぇえええ!」


 全敗が決まり、あまりのショックでトットが嗚咽を漏らす。

 わずかな期待があったからこそ、失敗した時のダメージは大きいものだ。

 だが、何もしていないトットが言うことではない。


「まったく、何もしないくせに文句ばかり言いやがって。お前の評価は現状だとカスオ以下だぞ」

「そこまで酷くないだろう!?」

「カスオはそれなりに役立ったからな。まあ、それなりだけど」

「あいつ、ずっと寝てるけど…死んでるわけじゃないよな?」

「治療はしておいたぞ。サナほどまともに治療したわけじゃないから傷は残ったが…男だし、べつにかまわないだろう」


 カスオは適当に治療したため、引きちぎられた腕の箇所は治ったには治ったが、かなり目立つデコボコになってしまっている。

 それもまた彼にトラウマを与えるだろうから、すべて計算ずくだ。

 むしろ自分に逆らって、それくらいで済んだことを感謝してほしいくらいだ。


「ところでお前、この地下に残るつもりか?」

「そりゃ、おいらたちはここしか行き場がないからね。それとも、あんたが何とかしてくれるのか?」

「甘えるな。男のお前を養うつもりなんてない。だが、オレはここから出ていくぞ。もう用事は済んだからな」

「なんだよ! 掻き回すだけ掻き回してさ! 責任取れよ!」

「男に言われると気持ち悪いだけだな。ちなみにマザーとニーニアも連れていく予定になっている。他の子供たちとソーターさんたちもだ。弱い人たちを地下に残してはおけないしな」

「え? そうなのか!? どうやって出るんだよ!?」

「べつに普通に出ていくだけだぞ。そのへんは気にするな。もう根回しはしてある。だからお前はお前でがんばれよ」

「がんばれ…って? おいら、何をがんばるんだ?」

「がんばって地下で暮らしていけよ。お前ならやれる!! オレは信じているからな!! きっとたぶんおそらく、絶対に万に一でも独りでも生きていけるはずだ!!」

「…え? お、おいら…は? 地下? おいらだけ?」

「そうだ。お前は地下のままだ!!」


 アンシュラオンがマザー・エンジャミナを手に入れた以上、外に連れていくのは自然なことである。

 彼女がいればサナの魔石はもとより、スレイブ・ギアスの安定供給も可能となるのだ。これほど優れた人材はいない。

 が、彼女は子供たちを守るために地下にやってきた。彼らを置いていくわけにはいかない。

 よって、ニーニアの祖父であるソーターを含めて、世話になったグループのメンバーは全員外に送り届ける予定になっていた。

 すでに運営側であるハングラスへの根回しは終わっているので、安全が確保されている状況にある。

 これに関しては地上の情勢もかなり影響しているらしく、ソブカがゼイシルにコンタクトを取っていることも一つの要因といえる。

 ハングラスも物流を回すには資金が必要となる。アンシュラオンによって多大な負債を背負った彼らにとって、ソブカの資金力は魅力的だろう。

 表向きには「ホワイト」は死んだことになっているため、ここではラングラスとハングラスの関係で話が進んでいる。

 また、地下にとってもアンシュラオンは魅力的だが、かなり危うい存在ではあるため、無理にとどまってほしいとはいえない状況であった。

 そこに目を瞑ればハングラス側のメリットは大きい。

 今回セクトアンクがサナに勝ったことで、事実上の優位性を示すことにもつながり、彼らの面子も保たれた。

 商人気質の強いハングラスとはいえ、マフィアはマフィアだ。なめられたら終わりの世界で面子は重要である。

 べつに負けるつもりはなかったが、どちらに転んでも利益になるように調整したアンシュラオンは、さすがに小賢しいものである。


(問題は外に出てからだが…これもソブカに丸投げでいいか。ただ、あまりあいつに任せるのも不安だな。こっちは違う伝手で保護したほうがいいかもしれない。それはオレたちの今後にも関係することだけどな)


 グラス・ギースの情勢はすっかり変わってしまった。

 これから先は自分が表立って関わることは少なくなるだろうから、できるだけ距離を置きたいと考えている。

 そして、そのための【拠点】が必要なのも事実。

 ホテルが潰れた以上、新しい住処を見つけねばならない。それも次の課題であろうか。

 ただ、まずは外に出ることが重要だ。

 予定では、団体戦が終わる今夜にでも外に出る手筈となっている。

 今頃はマザーが中心となって、ラングラスエリアでは荷造りが行われているはずだ。

 ということで、トットは地下である。


「なんでだよおおおおおおおお!! おいらも連れてってくれよおおおおおお!」

「地下でやる気満々だったじゃないか。よかったな。ここにはゲイ仲間もいるぞ」

「そんなの欲しくないよおおおおおお!!」

「大丈夫だ。奥の連中はそのまま残しておくからさ」

「そっちのほうが危ないだろう!! 子供一人を残していくなんて、おかしいだろう!」

「ったく、うるさいやつだな」

「…先生はどうするんだ?」


 ここで話を聞いていたレイオンが重要な話題に触れる。

 外に出るのは悪いことではないが、なかなか複雑な問題がついて回るのだ。

 その最たる例が、地下に逃げ込んだバイラル・マングラス。

 マングラス本家の最後の生き残りであり、グマシカたちにも狙われている最重要人物の一人だ。


「もちろん連れていく。今回の一件で、すでに場所が割れてしまったからな。残るのは危険だろうさ」

「連れ出して身の安全は保障できるのか? やつらが来たらどうする?」

「オレがセイリュウごときに負けると思うか?」

「俺の前でよく言ってくれる」

「そこは認めろよ。セイリュウってやつの実力は知らないが、双子のほうと同じ程度だろう。その程度ならば守りながらでも問題はないさ」

「………」

「そうへこむなって。…しょうがないな。安心させてやるよ。オレだって無意味な戦いはしたくない。今動く理由があるんだよ」

「その根拠は何だ?」

「マングラスが今、動けないからだ」

「動けない? なぜだ?」

「正しくいえば、セイリュウたちは動けないんだ。だからその間に連れ出す」

「その理由を答えていないぞ。もしかして、お前がグマシカを叩きのめしたからか?」

「多少は関連があるかもしれないが、それとは別件だ。ちょっといろいろあったからな。あいつらも警戒して動けないようだぞ」

「警戒だと? また何かやらかしたのか?」

「今回ばかりはオレのせいじゃないよ。オレよりもっと怖い人のせいだな」

「お前より悪いやつがいるのか?」

「おいおい、オレなんてあの人と比べれば仏様みたいなもんだ。世の中には『人間の理屈』が通じない相手もいるってことさ。ああ、恐ろしい」

「よくわからんが、外には安全に出られるんだな?」

「そうだ。今すぐにも出られる」

「…そうか。それならばそちらのほうが…いいか」

「お前はどうする?」

「ミャンメイを助けるまでは外には出ないつもりだ。お前たちがマザーたちの面倒を見てくれるのならば話は早い。俺は地下でミャンメイを捜す。やつらの本拠地が地下にあるとわかった以上、まだそこにいると思っていいはずだ」

「だが、道は閉ざされた。あれはやつらにとっても想定外だったようだ。また戻すとは到底思えないな」

「そんなことはわかっている。しかし、地下に誰かいなければ、万一の場合に対応できないだろう。それに奥の連中だけを野放しにするわけにはいかない。ラングラス側に流れてくる弱者もいるだろうし、俺がいなければまた荒れる」

「わかった。お前がそこまで覚悟しているのならば何も言わないさ。オレは地上から捜索してみる。地下はお前に任せる。それでいいな?」

「ああ、頼む」


 ミャンメイのことなので、レイオンは素直に頭を下げた。

 もともとは面倒見の良い裏表のない男である。さまざまな不幸がなければ、兄妹そろって静かに暮らせていただろう。

 こうして団体戦を終えたアンシュラオンたちは、静かに地上に出られる―――




―――わけがない




 アンシュラオンたちが控え室でそんな会話をしている間、団体戦はとんでもないことになっていたのだ。

 リング上には、何かが大量に散乱している。

 一つ一つの大きさは、子供ががんばれば投げられるような庭石程度だが、それは石よりも遥かに生々しいものであった。


「―――っ!! …っ!!!」


 その光景を見ていたソヨコ・スズキは、半ばショック状態で声も出ない。

 無理もない。

 目の前で大切な魔獣が【バラバラ】にされれば、誰だってそうなる。

 そうである。


 ここで散乱しているものは、『かつてレプラゴッコ1号であったもの』だ。


 彼らの皮一枚にしても人間のものとは異なり、銃弾くらいならば簡単に弾いてしまう代物だ。

 筋繊維も人間とは違うので、普通の包丁で切ろうにも何度も刃こぼれするだろう。

 それがすべてバラバラにされてしまった。


 そして驚くべきことに、これをやったのは【一人の男】。




「なんだい。魔獣っていうからさ、もっと強いのかと思ったじゃんよ。素手で引きちぎれるなんて随分とやわいんだねぇ。カカッ!!」




 ライダースーツに身を包み、タバコを吹かした人物。

 彼はどこにいても誰と会っていても態度を変えない。

 荒野だろうがオフィスの一室だろうが、果ては一国の元首と面会中だろうが、いつだって自分を貫く。

 なぜならば、彼は【無頼者】。

 すべてが力だけで成り立つ世界で暮らしている無頼の男だからだ。


「さあ、どんどんこいよ。ウォーミングアップにはちょうどいいからさ。全部まとめてやっちまおうぜ」

「じょ、冗談じゃ…! なんなのこいつは!! そ、それに団体戦のルールじゃ、一回しか戦えないのよ!」

「ルール? ははっ、結局ルールなんてもんは強いやつが作るもんだろう? なら、問題はねぇよ」

「な、何を…! 審判! 試合は終わったわ! 早くそいつを下げてよ!」

「い、いえ…それが…」

「何をしているの!! それが仕事でしょう!!」

「ちょっとお待ちを…!!」


 慌ててレフェリーがリングを降りて、運営側の人間と話し込む。


「これはどうなっているのですか!? 彼が『キングの代理』なのはわかりますが、ルールは変えられませんよ」

「しかし、上からの命令なんだ。そのまま続けさせるしかない」

「上からって、ハングラス本家ですか?」

「いや…本家ではない。マングラスのほうだ」

「マングラス? 地上の?」

「そうだ」

「いくら上のマングラスだからって、ここは地下ですよ! こっちにはこっちのルールがあるはずです! 好き勝手させていたら示しが…」

「こっちだって好きでやっているわけじゃない! …かなり圧力がかかっているんだ。今、地上はマングラスが牛耳っている状況だ。こちらとしては迂闊に逆らえん」

「そんなこと―――」


 どうやら運営側も状況を理解していないようで、かなり困惑している様子が見て取れた。

 まずライダースーツの男、クロスライルがどうしてここにいるかといえば、彼が【ジュンユウの代理】だからだ。

 あれだけの激闘である。ジュンユウの回復は間に合わなかった。

 そこでマングラスは代理を申請しようとしたのだが、『上のマングラス』側から干渉があった。

 この上のマングラスとは、クロスライルの背後にいるワカマツたちのことである。

 すでに地上はマングラスの天下になっていることもあり、地下に対してそれなりの影響力があることは間違いないだろう。

 その証拠にクロスライルは、堂々と地下への扉を通ってやってきたのだ。

 ただしいくら資金があるとはいえ、一介の若頭程度に大会ルールを変える権限などはない。

 であれば、それだけの力が動いていることを意味する。



「【グマシカ様からの書状】があるんだ。従うしかない」



 グマシカ・マングラス。

 マングラスの長にして、領主すら超える都市の最高権力者である。

 そんな人物から圧力が加えられれば、ハングラスが牛耳る地下であっても屈するしかないのだ。


 よって、突然のルール変更が発表される。


「えー、大変申し訳ありませんが、これより先は【勝ち抜き戦】ということになります。お客様の皆様にはご不便をおかけいたしますが、どうかご了承ください」

「おいおい、なんだよそれは!!」

「どうなってんだ! そんなの聞いたことないぜ!!」

「ちゃんと説明しろよ!」

「いえ、その…こちらとしましても突然のことでありまして…」

「賭けはどうなるんだよ!?」

「そちらも急ぎ対応させていただきますので…」

「カカッ!! どうやら揉めてんな。面倒くさいからよ、そこんとこスッキリさせようぜ。なに、簡単な話さ」


 ドンッ

 その話を聞いていたクロスライルが、リングの上にアタッシュケースを置いた。

 ドンドンドンッ ドンドンドンッ

 さらにそれを積み重ね、計十個のケースが置かれることになった。



「ここに十億ある。オレに勝てたら全部くれてやるよ」



 一個一億のケースで、十億円である。

 クロスライルがワカマツからもらった前金の額は十五億なので、そこから五億引いた額だ。

 さりげなく五億は確保しておく点が抜け目ないが、デアンカ・ギースの懸賞金が三億だと考えれば、四大悪獣三匹分以上という破格の額となる。

 これを考えるとデアンカ・ギースの懸賞金が安く思えるが、あれはあくまで全世界に支部があるハローワークが決めた額にすぎない。

 全世界規模で見れば、軍隊を動員すれば倒せないこともない魔獣のため、それくらいが妥当という意味である。

 それよりは悪獣を倒した名声のほうが大きいだろう。タレントが売れれば数多くのCMで儲かるのと同じで、そちらのほうがメリットが大きいはずだ。

 と、話は逸れたが、十億は大金だ。

 それが地下ともなれば、価値はぐっと上がる。

 だが、これは単に額だけの問題ではなかった。


「オレはあんたらのことはよく知らねぇが、地下送りってこたぁ、それなりのことをやってきたんだろう? おたくらのプライドってやつを見せてくれよ。オレはたった独りでいい。【外からきた敵】を全員で打ち負かしてみな」


 クロスライルは口端を上げ、ニヒルに『嗤った』。

 彼が地上、それも外から来た人間であることは、ここにいる者たちならばすぐにわかる。

 明らかに空気が違う。都市に対する愛情も感じない。

 この男は意図的にそれを強調することで【挑発】しているのだ。

 煽っている。けしかけている。焚きつけている。


 舐め腐って―――いる!!!



 ドスンッ ドスンッ!!



 その挑発に乗ったのは、意外にもレプラゴッコ二号であった。

 普段は争いを好まない彼らであるも、身内がやられたら黙っている種族ではない。

 目には、強い強い怒りの感情が宿っていた。


「ま、待ちなさい!! こら、言うことを聞け!!」


 ソヨコが必死に止めるも、怒りが勝ったのだろう。

 レプラゴッコがクロスライルに向かっていく!!


「はっ、いいねぇ。ここじゃ魔獣のほうが気概があるってか? 荒れた北部の都市らしくなってきたじゃねぇか」

「ガオオオオオオオオオッ!!」


 レプラゴッコが突進。

 その勢いは、今まで見せたものより数段上の速度であった。

 やはり彼らは手加減していたのだ。人間に合わせて試合用に調整されていたことがうかがえる。

 だからこれは、人間を遥かに凌駕する本気の魔獣の力。


 ドンッ がしっ!


 それを―――片手で受け止める


 しっかりと床を噛み締めた足。膨れ上がった右腕。

 たったそれだけのことで、三メートル近い大きさのレプラゴッコの動きが止まってしまう。


「おたく、けっこう毛深いね。これ、ちゃんと洗ってんのか? 汚くないよな? 寄生虫とかいないよな?」

「っ!! っ!?!」

「どうした。その大きな口は飾りかい?」

「ガオオオオオオッ!!」


 レプラゴッコが口を開き、自慢の牙でクロスライルに襲いかかる!

 クロスライルはさすがに頭から食われるのは嫌だったので、代わりに左腕を突き出した。

 ガブッ!

 巨木の幹さえ噛みちぎる一撃だ。

 本気で噛まれれば腕くらいもっていかれるのは、カスオで実験済みだ。

 が、もはや言うまでもないだろう。

 ガブガブッ ガジガジッ

 何度噛んでもクロスライルの表情は変わらなかった。


「顎の力が足りんねぇ。今からそんなんじゃ老後に苦労するぜ。まっ、もう食べることもないだろうがな」


 噛まれても『無傷』であった左手が、ひときわ大きい犬歯をがしっと握り締め―――引っこ抜く!!


 メキメキィッ バキンッ


「ギャオオオオオオオッ!!?!!??」


 歯医者で歯を抜く音を覚えているだろうか?

 あのときと同じく嫌な音がして、強引に歯がへし折られる。


「虫歯がないか調べてやるよ」


 さらにクロスライルは開いた口に足をかけ、手を使って口を開かせていく。

 ぐぐぐぐぐっ

 レプラゴッコはまったく抵抗ができない。力づくで無理やり口が開かされていく。

 ワニという存在は、噛む力が極めて強い。人間だってそうだ。本気で噛めば、相手の肉を引きちぎることくらいできる。

 ゆえに、それだけ強い力を力づくで開かせるのは極めて難しい。

 それには普通の何倍、何十倍もの力が必要になるのだ。

 つまりこの段階で、クロスライルの腕力がレプラゴッコの噛む力、咬合力《こうごうりょく》を何倍も上回っていることを意味する。

 レプラゴッコの口が九十度に開き、クロスライルが中を覗く。


「うーん、虫歯はないようだが…魔獣の口の中を見ても楽しくねえな」


 もう飽きたのだろう。


 ぐぐぐっと、そのまま力を込めて―――ゴキンッ


 顎の関節を外す。


「ガッッッッ!?!? ガッッ!!」


 レプラゴッコは開いた口を上を向けたまま、身動きが取れない。

 彼らにとって大きな口は命と同じく大切なものだ。顎が外れたまま動けなくなって死んでしまう個体さえいるほどである。

 ただ、それはあくまで事故であり、意図的にそんなことをする者はそうそういない。

 人間という凶悪な存在を除いては。


「じゃ、さようなら」


 クロスライルは、開いた口の中に発気。

 掌から発射された戦気弾が、レプラゴッコの口から体内を貫き、直後爆発。


 ドーーーーンッ バラバラッ


 一号と同じく二号もバラバラになってリング上に散乱。

 クロスライルに血肉が降りかかるも、発せられた戦気によって蒸発していくので綺麗なままであることも憎らしい。


「オレだって無慈悲じゃない。お前も仲良く送ってやるよ」


 そして、怒りと恐怖で動きが止まっていたレプラゴッコ三号に近寄ると、貫手。

 覇王技、羅刹。


 ブスッ!! バンッ!


 高速の貫手が胸を貫き、心臓を破壊。

 あまりの威力に胸に大きな穴があいた。

 続いて手刀。


 ブゥンンッ ズバッ!


 生み出された戦刃が二メートルほど伸び、三号の首を刎ね飛ばす。

 びくんびくんと残された身体が痙攣したのは、ほんの数秒。


 ぶしゃーーーーっ


 大量の濁った血が首から噴出し、身体が床に倒れて絶命した。


「飼い慣らされた魔獣は弱いね。荒野の連中のほうが活きがよかったぜ。そこは天然もののほうがいいってことかねぇ」


 新しく出したタバコを吹かしながら、クロスライルはつまらなそうに一瞥。

 たしかにレプラゴッコは、そこまで強力な魔獣とはいえない。

 いえないのだが、これだけ体力に優れた魔獣を、まったく無傷で危なげなく瞬殺することは普通の武人ではできない。

 それこそ超一流の武人でなければ不可能であった。


「あ、ああぁぁ……こ、こんな……こと……ぁぁぁあ…!! わ、私の……ぷ、プライリーラ様から与えられた…子供たちが……ぁああ…!! なんてこと…!!」


 大切な魔獣が惨殺され、ショックを隠せないソヨコが崩れ落ちる。

 サナにアイドルとしての資質の差を見せ付けられた直後に魔獣まで失う。

 あまりの悲劇に、まさにかける言葉が見当たらない。


 地下闘技場に、一番来てはいけない人物が現れた。


 その男は、とてもアンシュラオンに似ていた。

 もしアンシュラオンが独りで生きていたら、こうなっていただろうという良い見本でもある。

 そんな男が来れば、破壊と殺戮しか起こらないのは当然であろう。




600話 「無頼者、強襲 その1『キングの死』」


「さあ、どうしたよ。大の武人どもが雁首そろえて突っ立ってよ。いくらでも何人でもかまわないんだぜ。オレは一向に構わん!!ってやつかな。カカッ!!」


 クロスライルが挑発を続けるも、誰もが動けなかった。

 この場にいる者たちはレプラゴッコの力をよく知っているがゆえに、彼らを惨殺したクロスライルの力量がわかるのだ。

 ただ、こちらが黙っていれば相手は何もしない、などという甘い世界ではない。


「ノリの悪いやつらだね。それじゃ、こっちから火を付けてやるかな。手頃なやつはっと…ああ、いたいた。あれでいいか」


 クロスライルの視線が『観客席』に向けられる。

 ちょうどそこには試合観戦に来ていたブローザーがいた。

 すでにお忘れかと思うが、最初にレイオンと戦ったハングラス所属の戦士タイプの武人だ。

 彼は試合には出ていない予備人員として、選手の代わりにマングラスの情報を得ようとしていたサポーターの一人。

 スタメンから外れてもチームのために尽力する献身性は、実に見事である。

 こうした協調性こそハングラス最大の力であり、魅力であるといえるだろう。

 だが、ここではそれが最大の不運。

 クロスライルが跳躍し、一気に彼のもとまで到着。

 呆気に取られているブローザーの手を握る。


「初対面だからな。握手しようぜ」

「あ、あくしゅ―――ぐあっ!」


 クロスライルの手がぐぐぐと締まり、掌を圧迫していく。

 ブローザーはレイオンに惨敗したものの、黒拳の呼び名があるほどには腕力に定評があり、石くらいなら簡単に片手で握り潰せる男である。

 その右手が―――


 ぐぐぐっ バキボキッ


 いとも簡単に潰される。


「うぐうううっ!!」

「ちゃんと力を入れてたか? 油断しちゃいけないな」

「こいつ…!!」

「おっと」


 右手を潰されて激怒したブローザーが左手で殴りかかるが、クロスライルは簡単にかわし、逆に拳を叩き込む。

 拳は顎にクリーンヒット。

 沈みながら放ったアッパーカットだったので、あまり体重が乗っていない軽い一撃にもかかわらず―――


 ぼんっ


 ブローザーの頭部が消えた。

 これには何のトリックも仕掛けもない。

 文字通り、衝撃で頭が粉々に吹き飛んでしまったのだ。

 ただし、これにはクロスライルのほうが驚く。


「おおーーーい!! 死んじゃったよ!! これくらいで死ぬか、普通!? なんか罪の意識を感じるぜ!!」


 これだけのレベル差になると手加減も難しいらしい。

 アンシュラオンがいかに普段から過剰に手加減をしているかが、これによってわかるだろう。

 虫を殺さないように押さえつけることは、とても繊細な作業なのである。

 また、それができることが力のコントロールという意味合いでも重要なのだ。

 クロスライルに関しては、もともとそんな気が毛頭なかったことが大きな要因であろう。



「貴様、そこで何をしている!!」


 ハングラスの観客席側から、一人の男が飛び出てきた。

 長剣とカイトシールドを装備したニットローである。

 サナに敗戦したショックで試合には出ていないが、ハングラスを代表とする剣士の一人であり、今回は会場警備の任に就いていた。

 その彼が騒ぎを聞きつけてやってくるのは当然のことであろうか。

 そして、そこでブローザーの死体を発見。


「この服は…ブローザーか!? なんとむごいことを!! 試合にも出ていない者を襲うとは卑劣な輩め!」

「いやぁ、卑劣って言われてもなぁ。こういう場合、防げないほうが悪くね?」

「なんたる言い草!! ルール違反は厳罰だ!! どうなるかわかっているだろうな!!」

「さあ、どうなるんだろうな? あんたが教えてくれるのかい?」

「痴れ者が!! 取り押さえてやる!!」


 ニットローが、クロスライルに盾を向けたまま突進。

 試合会場を荒らし、仲間を殺した者に対して手加減をするわけもなく、全力で突っ込む。

 彼はアンシュラオンによって治療されているので、肉体的な怪我はほぼ完治している。その点は問題ない。

 だがしかし、大きな勘違いをしている。

 これだけの相手に「取り押さえる」などと言ってしまうあたり、彼もまったく空気が読めていないことがうかがえる。

 もともとそういうタイプの人間だが、今回ばかりは相手が悪すぎた。


 結果―――ずずっ


 ニットローが構えた盾の裏側に何かが侵入してきた。

 盾を持つ者にとって、その裏側はこの世でもっとも安全な場所に感じるはずだ。何度見ていても飽きないに違いない。

 ならば、この違和感たるや相当なものであろう。


(…指?)


 それに気づいた瞬間には、もうすべてが遅かった。

 指が手となり、手が腕となり、そのまま腹を―――貫く!


「っ―――! がっ…がぁあぁぁ…!!! なっ…これ……は!?」

「なんだい、これ? ベニヤ板で出来ているわけじゃないよな? もうちょっと硬くしようぜ」

「ば、馬鹿…な…! た、たて…たてたて……たて!! これは盾だぞおおおおおおお!!」

「そんなに『縦』が好きなのかい? じゃあ、お望み通りにしてやろうかな」

「ま、まて…! まままっ…まって―――」


 クロスライルの突き刺さった手刀が、ゆっくりと真上に押し上げられる。

 戦刃となった腕は貫いた盾を切り裂きながら、同時にニットローの胸に到達し、喉、頭を突き進んで真上に突き抜けた。


 ブシャーーーッ ごとん


 上半身が真っ二つに裂けたニットローが倒れ、絶命。

 あの当時は魔石がなかったとはいえ、サナでさえ彼の盾を破壊することはできなかったのだ。

 それを簡単に破壊するクロスライルの力は、明らかに想像を絶したものであった。




「こりゃ困った。マジでウォーミングアップもできないのかよ! どんだけー!!」


 クロスライルが周囲を見回すが、彼の御眼鏡に適うような武人はいない。

 それも仕方がない。地下のレベルなんてそんなものだ。

 グラス・ギースの武人の実力など、一部を除いてその程度である。

 が、多少ましな連中もいるのは事実だ。


「ほいっと」


 クロスライルが身体を捻ると同時に、背後から迫ってきた水の刃が通り過ぎる。

 水刃砲の術符だ。

 振り返ると、そこにはセクトアンクの姿があった。

 このあたりは省略したが、カスオの試合が長引いたため、サナとの戦闘から一時間以上は経っている。

 彼の傷も完全に癒え、なおかつ命気によって身体の調子も全盛期に近いレベルにまで回復していた。

 そうして気分良く、ブローザーたちの様子を見にやってきたのだが―――



「馬鹿たれがぁあああああ!! 若いもんを殺しおって!!」



 彼の目には、怒りと悔恨の感情が宿っていた。

 この惨状を目の当たりにしたのならば、誰だってそう思うに違いない。

 特にセクトアンクは引退が近いと実感しているため、若い者たちの成長を楽しみにしている面が強かった。

 だからこそ若い武人たちを殺されたことが許せない。


「あんた、キングとか呼ばれていたやつだっけ? 試合、見てたぜ。『ショー』としてはなかなか面白かった―――よっと!!」


 パンパンッ!

 セクトアンクはクロスライルの言葉が終わる前に、すでに銃を抜いて撃ち放っていた。


「客たちの避難誘導を急げ! もう試合ができる状況ではない!」

「は、はい!!」


 セクトアンクが、ハングラス派閥の警備員に観客たちの避難を呼びかける。

 相手が凶暴な獣であることは一目瞭然。

 元ハンターとして、あるいは武人として、本能的に話し合いなどは通じないと理解していた。


「いいね。あんたはオレを楽しませてくれるのかな?」


 そんなセクトアンクたちを見て、クロスライルは笑っていた。

 彼からすれば蟻の巣に水を注入して、慌てふためく姿を観察しているようなものなのだろう。


「………」


 セクトアンクは余計な問答はしなかった。

 すでに戦闘モードに入り、思考を巡らせているからだ。

 経験豊かな彼だからこそ、対峙した瞬間に相手の実力がわかる。

 そうして導き出された結果が、これ。


(二秒すら、もたぬ!)


 まともに戦えば、自分も目の前で死んでいる二人と同じ末路を辿るだろう。

 さきほどクロスライルをサナと比べてしまったが、それは彼に対して極めて非礼である。

 次元が違いすぎた。

 行動からして性格が危ないのはわかるが、それ以上に単純に強すぎる。

 セクトアンク自身、これだけの力量を持った相手と対峙するのは初めてのことだ。

 本当ならば今すぐにでも逃げたいところだが、まだ観客の多くは完全に状況を把握しておらず、逃げ遅れるどころか呆然と突っ立っている者さえいる。

 地下でも派閥争いはあるので、他派閥の人間に余計な気遣いはできないが、ここで死んでいいとも思わない。

 同じ地下送りになった人間として、同胞としての愛情があるのだ。


 なればこそ、なりふりを構ってなどいられない。

 さきほど補充したばかりの術符を大量に取り出すと、周囲にばらまく。


 ボボボボボボンッ


 完全に計算されたタイミングで、術符がコンマ一秒ごとに起動を開始。

 その光景は、まるで爆竹。

 連なった術符がその中心部にいるクロスライルに向かって、水の刃やら風の刃やら、火の塊となって飛んでいく。

 『連結術符起動』とも呼ぶべきだろうか。

 繊細でデリケートな術符をこれだけ自在に操れるのは、極めて優れた技術である。

 サナ戦でも使わなかったことを見ると、おそらくはこれがセクトアンクの奥の手なのだろう。


「器用なことするね」


 クロスライルは見事な術符の扱いに感嘆しつつ、戦気壁を生み出しながら後方に跳躍。

 これだけの量だ。さすがに多少被弾したが、すべてを戦気壁で防いでしまった。

 『対術三倍防御の法則』でいえばあの戦気壁は、最低でもセクトアンクの魔力の三倍以上の防御力を誇っていることになる。


(相手も本気ではない。これで時間が稼げるか?)


 セクトアンクはサナとの試合でそうしたように距離を維持しながら、あらゆる武器を使ってクロスライルを牽制する。

 そのすべては軽々とかわされてしまうが、そんなことでいちいち驚きはしない。

 重要なことは一秒でも長く時間を稼ぐことなのだ。

 アンシュラオンも常々そうだが、あまりに実力差がありすぎるため、クロスライルは積極的に攻撃を仕掛けてこない。

 それによって、客が退避する時間を稼ぐことに成功する。



「おや、援軍が来たかな? 遅いお出ましだね」


 そうして時間を稼いでいると、ハングラス側から援軍がやってきた。

 選手として参加しているツァシャド(戦士タイプ)が、警備部隊を引き連れてやってきたのだ。

 ハングラスが実権を握る地下では、各派閥専用の地域を除き、彼らが治安を維持する責任があった。


「キング!! 無事か!!」

「迂闊に近寄るでないぞ! とんだ化け物よ!」

「人を化け物呼ばわりたぁ、酷いね。傷ついちゃうよ? こう見えてもまともな部類なんだぜ。まだ人型を保っている段階でな。カカッ!」

「なめおって!! 上のマングラスなどを信用するから、こうなるのだ!! 撃て!」


 警備隊が銃を発射。雨のように銃弾が注がれる。

 今回ハングラスはかなり本気で試合に臨んでいたようで、警備商隊レベルの武装を用意していたようだ。

 銃の型は木造式で古いが、中身はしっかりと貫通弾が装填されている。


「ほっと、よっと、ほほいっと」


 それをクロスライルはステップを踏みながら、ひょいひょいとかわしていった。

 彼の目には銃弾がスローモーションに見えているのかもしれない。

 それどころか、デコピンで跳ね返す。

 弾かれた弾丸は、撃った当人に真っ直ぐ向かっていき―――


「ぶへっ!?」


 見事顔面に命中。

 鼻に当たり、さらに貫通して後頭部を突き抜けて死亡。

 撃った時よりも強い威力で跳ね返る弾丸とは、なんとも皮肉なものである。

 その芸当を何度も行い、次々と警備隊は倒れていった。


「なっ!! 何者なのだ、こいつは!!」

「そんなんじゃ、いつまで経っても変わらないぜ。何か面白いことをしてくれよ」

「ツァシャド、通常弾でよい! 援護せい! こっちが合わせる!」

「はっ、はい!!」


 どうやらセクトアンクは、派閥内でかなり信頼されているようだ。

 自身に才能がないことがわかっているからこそ、キングになっても驕り高ぶらない姿勢が慕われるのだろう。

 ツァシャドたちが指示通り、通常弾を放つ。

 その間を縫うように走りながら、セクトアンクは煙玉と同時に大量のカプセルを放り投げた。


「ははは、忍者っぽいね」


 クロスライルは、見た瞬間にそれが大納魔射津であることを察知。

 さきほどやったようにステップを踏んで、銃弾をよけながら遠ざかる。

 だが、これだけで終わるのならば、セクトアンクはキングと呼ばれていない。

 セクトアンクは、足元に転がったカプセルを次々と蹴る。

 蹴られたカプセルは―――


 ガッ ゴンッ ガッ ごろんっ


 放たれた銃弾の側面に当たって弾かれ、右に左にと方向を変えながらクロスライルが逃げた方角に飛んで―――爆発!


 ドドーーーーンッ ドンドンッ!!


 これはまさに神業。

 誰がどのタイミングで銃を撃つかを把握していなければ、こんな芸当は絶対にできない。

 これも長年地下におり、周囲の人々を観察して特徴を把握している努力の賜物である。

 日々の生活の小さなことにも気を配る。それこそが正しい武人の在り方であろう

 がしかし、そんなものさえ簡単に凌駕してしまうものが、この世にはあった。


「ふー、やるねぇ。驚いたよ」


 煙の中からクロスライルの姿が浮かび上がる。

 服には汚れ一つない。咥えたタバコもそのままだ。

 大納魔射津の爆風を受けても、この男は無傷であった。


(なんという気質なのだ)


 セクトアンクは、クロスライルが身にまとっている戦気の質に驚く。

 今の奇策は、あえて意表をついて戦気を乱れさせる目的もあったが、一切影響を受けていない。

 こんなことがあってもまったくブレない。まったく動じない。

 この男は誰も頼っていない。自分しか信じていない。だからこそ強い。

 溢れ出るエネルギーのすべてが、余すことなく力となり、自負となって身を守っているのだ。



(死ぬしかないか)


 ここでセクトアンクは、命を捨てることを覚悟した。


「ツァシャド、お前たちは逃げろ!」


 取り出した術符を身体に貼り付けると、一直線にクロスライルに接近。

 クロスライルは逃げない。逃げる意味がないからだ。

 それは彼が発する戦気の強さによってわかっていたことである。

 だからこそ、それが最初で最後の油断となる。

 セクトアンクが抱きつくようにクロスライルにタックルした瞬間、術符が発動。上下に大きな剣山が出現した。

 サナにも使った『対重刺縛陣《たいじゅうしばくじん》』である。

 ただし、これだと簡単に逃げられてしまうため、ここでまた工夫が必要となる。

 セクトアンクは移動する際に剛糸を放っており、自身とリングを固定していた。

 そして、自分ごと罠にかかる。


 ガッシャーンッ! ザクザクザクッ!!


 大きな針が二人を突き刺し、トラバサミのように挟み込む。

 サナは上半身の針を破壊することで致命傷を避けたが、普通にかかれば全身が串刺しとなる恐ろしい術式だ。

 強力な魔獣用の罠のため、武人であっても挟まれれば死ぬ可能性が極めて高い。

 彼は命を捨ててまでクロスライルを足止めしようとしたのだ。その心意気は立派である。


 しかし、ここでも二つの不運があった。


 一つはクロスライルが、通常の武人とは規格がまったく違うこと。

 もう一つは、この術式を一度見ていたことだ。


「罠ってのは、あくまで相手をはめるもんだ。自分から強引に仕掛けても効果は半減する。いつもとは違う戦場で焦っちまったようだね」


 クロスライルは罠にかかっておらず、リングの上に座りながら、タバコを吹かしていた。

 実力的に多大な余裕があったクロスライルは、セクトアンクの動きを冷静に観察することができていた。

 術式が発動した瞬間、身体から剛糸を切り離し、セクトアンクを蹴り飛ばした反動を使ってリングにまで退避。

 それがあまりに一瞬だったので、誰の目にも理解できなかっただけだ。

 よって、哀しいかな、セクトアンクは自爆しただけとなる。


「ぐう…ぐうう……あの間合いで…かわすとは……」

「悪いね。育ってきた環境が違ったのさ。それじゃこれ、返すよ」


 クロスライルは、ポケットからカプセルを二つ取り出し、罠にかかって動けないセクトアンクに放り投げた。

 いつくすねたのか、それはセクトアンク自身がさきほど投げた大納魔射津のうちの二つであった。


「な…ぜ―――」


 セクトアンクの言葉は、「なぜ爆発しなかった?」と続いたのかもしれないが、それが最後まで紡がれることはなかった。

 大納魔射津が至近距離で爆発。


 ドドーーーーーンッ!!


 セクトアンクの身体は吹っ飛び、頭部も半壊して絶命した。

 もともと身体能力の高い武人ではなく、罠にかかったことで十分な戦気を張ることもできなかったようだ。


「これがキングか。悪くはなかったが、こんなもんかね。事前に準備できる戦いが実戦でいくつあるよ? 国家間の大きな戦争なら作戦も練れるがよ、個人間じゃ突発的な戦闘のほうが多いんだぜ。所詮はお遊びだね」


 奇しくもクロスライルは、アンシュラオンと同じことを呟いた。

 いや、これが荒野に生きる人間の共通理解なのかもしれない。

 いつ襲われるかわからない敵だらけの状況で生き抜いてきた者たちの自負がある。

 常に戦闘態勢。常に臨戦態勢。

 クロスライルはここにいながら、ここではない『刻《とき》』を生きているのだ。




601話 「無頼者、強襲 その2『混じり合う嫌悪の血』」


 地下闘技場のキングであるセクトアンクでさえ、あっけなく死亡。

 サナが苦戦したのが何だったのかと言わんばかりに、圧倒的なまでの差があった。

 だからこの男が来ても何も変わりはしないのだが、見過ごしておけるような性格もしていない。


「貴様…!! やつらの手の者だな!!」


 突如現れたのは、怒りの形相のレイオンであった。

 初対面にもかかわらず、荒々しい激情のオーラを放ちながらクロスライルに迫ってくる。


「ん? どこかで会ったか? 身に覚えはないんだけどな」


 たしかに地下闘技場を荒らしている相手に怒りを覚えるのは当然だろうが、そういった義憤とは違う個人の怨念のようなものを感じる。

 殺し屋をやっているクロスライルは、こういった感情をよく知っているため、すぐにわかるのだ。


「お前たちは、いつだって好き勝手やる!! いいかげんにしろ! ふざけるな!!」

「この兄さん、何に怒ってんだ?」

「うるさい!! 耳障りだ!! 俺はお前たちには屈しない!!」


 レイオンがクロスライルに向かっていく。

 最初から全力の突進と全力の拳を、全力の気迫で叩きつける正真正銘の全力攻撃だ。

 だが、クロスライルにはすべてが遅い。

 拳に合わせて強烈な蹴りを叩き込む。


 バギンッ!!


 カウンターで入った一撃が首に直撃。


 首が―――へし折れる


 折れた首が九十度以上曲がって、見るも無残な姿になる。

 それだけで終わらない。

 とどめとばかりにクロスライルの拳が、レイオンの胸に叩きつけられた。

 こちらも強烈な一撃。

 厚い胸板をあっさりと陥没させ、突き抜けた衝撃で巨体が吹っ飛んだ。

 拳圧が強すぎるがゆえに吹っ飛んだだけであり、ダメージはすべて内部に伝わっている。

 殺し屋なのだから当然だが、完全に殺しにきている攻撃である。


「………」


 倒れたレイオンは、ぴくりともしない。もう死んでいるのだ。


「そういえば、こいつもキングだったかな? あまり印象が強くなかったから忘れていたよ」


 クロスライルは地上部の観戦席から試合を見ていたが、今回のレイオンはキレが悪かったのであまり記憶に残っていなかった。

 低調な試合が退屈なのは、どこの誰が見ても同じなのだろう。

 それよりはやはり、サナの試合が印象的だった。

 キッズの大会でも才能豊かな者の試合は面白いものである。

 よって、レイオンなど眼中にはない。


 そう思っていたのだが―――


 ぴくり


 クロスライルの視界に何か動くものがあった。


 ぴく ぴく ぴくっ


 レイオンの指が、動いていた。

 見間違いかと思って何度か見直すが、依然として動いている。

 指の鼓動が手に伝わり、腕を動かすようになり、ついには自身の頭を掴む。


 力を入れて―――ごきんっ


 へし折れた首を強引に戻すと、ゆっくりとではあるが立ち上がる。


「はーーー、はーーーーっ! ごぼっ!! ぺっ!」


 口から血を数度吐き出し、何度か頭を回して調子を確かめる。

 それと同時に、ぼこんと陥没した胸も戻った。

 胸骨が折れているので簡単に戻すことはできないはずだが、それが一気に戻ったことには違和感がある。

 ただし彼は以前、超回復によって身体を作り変えたこともあるので、もしかしたらそれがまた発動したのかもしれない。

 多くの武人を殺してきたクロスライルも、そういった光景を何度も見たきたことから、起こった現象を見たまま受け入れる。


「へぇ、殺したと思ったんだけどな。タフだね、あんた」

「俺は…俺は……! お前たちには…負けん!!」

「気迫は立派よ。でも、これが現実なのよね」


 クロスライルが掌を向け、発気。

 黒い炎のようなものが生まれると、凄まじい勢いで飛んでいき、レイオンに直撃。

 黒炎は当たった瞬間には消えたが、直後に異変。


「っ!! ぐううう…うがああああああああ!! がっ!! があああああ!!」


 突如としてレイオンが激しく痙攣を始めた。

 身体の中に何か別の生き物が入ったかのように、がっくんがっくんと揺れ動いている。

 その理由はひどく簡単なものだった。



(なんだこの痛みは!! 耐え…られん!!)



―――痛い!!



 ただただ痛いのだ。

 その激痛たるや、全身が痛風になって悶えるがごとく。

 レイオンも最低限の肉体操作で痛みを軽減できるが、そういった鎮痛がまるで通じないレベルの痛みが襲ってくる。

 あまりの痛みで立っていることもできず、再び床に倒れると動かなくなった。


 ジュウウウウッ もくもく


 レイオンの身体から煙が出ている。

 体表からはわからないが、内部が「こんがり焼けた」ことを示すものである。

 覇王技、焼滅狷挫衝《しょうめつけんざしょう》。

 生み出した『滅属性の戦気』を凝縮して叩きつけることで、身体の外部ではなく内部を破壊する因子レベル4の技である。

 炎のような形態は、相手が鎧を着ていても内部に浸透することで防げなくすることが目的であり、肌に触れれば体内を焼き尽くす。

 防ぐには同程度以上の戦気で相殺するしかないが、クロスライルとレイオンのレベルはあまりに違いすぎる。

 すべての破壊エネルギーが身体に吸収され、内臓やら血管やらが完全に蒸発してしまったはずだ。


 レイオンはすでに死んでいる。


 身体の中を焼き尽くされて絶命したのだ。

 その証拠に焼き魚と同じく目は白濁し、輝きが消えていた。


「ちぃとばかりムキになっちまったかな? いやぁ、オレだって銃剣にばかり頼っているわけじゃないって思いたいからよ。意地はあるわな」


 すでに気づいていると思うが、クロスライルはお得意の銃剣を使っていない。

 優れた武人ほど自分の力は隠すものだ。使わなくてよいのならば使わないほうがいい。

 また、肉体派のJBに隠れてはいるものの、クロスライルも素手だけでマキを数段上回る実力者である。

 この程度のレベルならば、わざわざ得物を使うまでもない。

 そのことからもわかるように、彼にとって一連の惨殺は遊びにすぎない。

 ジングラスの魔獣を惨殺したことも、ハングラスの武人やセクトアンクを殺したことも、すべてすべて『顧客サービス』だっただけのこと。

 今この瞬間、天井近くに設置された特別観戦席で見ている【依頼主】が、より楽しめるようにと配慮しただけのことだ。

 これはあくまで前菜。オードブル。

 ただそれだけのこと。


 だが、この娯楽によって予想していないことが起きた。



「……はぁ……はぁ!!」



 ぐぐ ぐぐぐっ

 死んだはずのレイオンが、動き出す。

 その姿は、ゾンビが何度でも蘇る光景に似ている。


「嘘だろう? 殺したはずだけどな」


 クロスライルは殺し屋だ。

 相手を殺した感覚を間違えることはない。

 今のは確実に仕留めた感触があった。

 だが、事実は事実。


「ううう…うううううっ!!!」


 レイオンが、立つ!

 身体の内部を焼かれているのに、激痛に悶えながらも立ち上がった!


「身体が…熱い!!! 焼かれるようだ!!」


 血流すべてがマグマになったかのように、レイオンの身体の温度が上昇していく。

 熱い、熱い、熱い!!

 呼吸するだけで大量の蒸気が発生するほどに、熱い!!

 この熱量は、体内で急速に肉体が再構築されているために発生しているものだ。

 しかしながら、これはさすがに異常。武人の超回復で説明できるレベルではない。


「そりゃ熱いだろうな。そういう技だ。ただ、あんたのそれは普通じゃないな。雰囲気的にオーバーロード〈血の沸騰〉でもなさそうだ」


 武人の防衛本能が極限まで高まると発生するオーバーロードは、命を対価として能力を飛躍的に上昇させる禁忌の技だ。

 一瞬クロスライルもそれを疑ったが、今は確信を持って違うと言い切れる。

 なぜならば『そういった連中』を、もっとも間近で見てきた人間だからだ。


「なるほどねぇ。あんたも兄さんたちの【同類】ってわけか」

「はぁはぁ…何を…言っている? 同類? 誰のだ?」

「気づいていないのかい? ふーん、自覚はなさそうだね。ほれ、頬のあたりを触ってみなよ」

「頬?」


 レイオンが自らの頬に触れると、妙にざらついた感触がした。

 皮膚が傷つけばこうなることもあるが、裂傷とは違う「硬さ」がある。


「なんだ…これは?」

「さあね。何かの魔獣の皮膚じゃないか? 外から見ると【鱗】っぽいけどな」

「うろこ…?」

「この都市の連中は、身体を改造するのが流行ってるみたいだね。そりゃ、うちらも似たようなもんだから他人様のことは言えないがね。カカッ、結構結構。大いに結構だ。強くなるためなら何でもしないとな」

「何を…言っている! 何を…何を…!!」

「ん? おたくは仲間じゃないのかい? 『セイリュウ兄さんの同類』なんだろう?」

「―――っ!!!」


 その単語に身体の中の血が激しくざわついた。

 激しく、とても激しく、燃えるような怒り。

 殺しても殺しても殺しても殺しても満たされないほどの、圧倒的な怒り!!



「うううっ…ううううううううう!!! セイリュウぅうううううううううううううううう!!」



 レイオンの頬に浮かび上がったのは、『龍鱗』。

 まだまだ彼らのものと比べれば、生まれたばかりの小さな変化だ。

 しかし、わかってしまう。

 コウリュウの血を受けたレイオンは、自身と彼らが『同類』になったことが本能的に理解できてしまったのだ。


 その瞬間―――目覚める


「ううううっ!! ガガガアガガガッガガガガガッ!!!」


 ギラリッ

 レイオンの眼が爬虫類のように変化。

 瞳孔が蛇のように縦に伸び、瞼もぎょろりと大きな一重になる。

 サナも魔石によって獣化した際、瞳孔に変化が見られるが、それと同じ現象が起こっているのだ。


 ただし、彼の場合はよりレアな―――【龍化】


 武人の血と『龍の血』が混じり合い、彼を龍人へと変化させる。

 筋肉が盛り上がり、身体を根本的に変質させてしまう。


「ぐうううっ!! うああああああああああ!! 熱い熱い熱い!!!」


 人間にとって龍化は極めて危険な現象である。

 サナのように魔石を媒介にすれば話は異なるが、直接体内に取り入れることは命に関わる。

 実際地球でも、間違った血液型を輸血されると拒絶反応(輸血反応)が起こり、激しい痛みや風邪に似た倦怠感や悪寒を常時感じるようになる。

 今までレイオンが苦しんでいたのは、まさにこの症状だ。

 なぜ彼がそれでも死ななかったのかといえば、三年間『生命の石』を心臓に貼り付けていたことで『マングラスへの耐性』ができたことが大きな要因だ。

 水は融和の力の象徴。

 セイリュウやコウリュウもまた、マングラスの水の力によって因子と結合しているのだから、擬似的とはいえ同じ環境にいたレイオンにも適性があってもおかしくはない。

 さらにアンシュラオンの命気による治療も影響したのか、ついにそれは龍人として目覚めるまでに昇華された。

 だがやはり、未完成の欠陥品。


「イタイイタイ痛い!!! 痛いぃいいいいいい!!」


 どうしても痛みが取り除けず、錯乱して暴れだす。

 ブンッ!!

 激情のまま振り抜いた拳が空気を押し出し、凄まじい威力の衝撃波となって周囲に襲いかかる。

 狙いは滅茶苦茶。まったくのでたらめ。

 クロスライルは軽々と回避するも、拳衝を受けたリングに大きな亀裂が入った。


「ひゅー、やるね。JBのやつより威力あるんじゃね? それがあんたの本気か」

「ウウウウッ!! 本気…! 本気だと!! それを俺に向かって本気で言っているのか!!」

「なんだかよくわからない兄さんだね。あんたもお仲間なんだろう?」

「誰が、誰が!!! 誰が…やつと!!」

「あれ、違うの? この都市もいろいろと複雑みたいね」

「この痛みもすべて…やつのせいだ! やつは、セイリュウはどこだ!!」

「さあ、知らないね。最初の日に会ったきりさ」

「貴様…貴様、貴様らはぁあああ!! いつも俺を見下して!!!」

「おいおい、俺は関係ないだろう。八つ当たりはよくないぜ」

「うるさい!!! うるさいうるさいうるさいうるさいぃいいいい!!!」


 レイオンは、この段階で半ば理性を失っていた。

 瀕死になって強制的に発動した龍の血の圧力に呑まれ、頭の中には暴力的衝動だけが強く刻み込まれている。

 もともとコウリュウ自体が、『災厄魔獣』の因子を使って生み出した禁忌の改造人間である。

 その血を受けるということは、同じように災厄の因子を受け継ぐことであり、「ヒト」への強烈な敵意が自然と湧き上がるようになる。


「ウオオオオオオ!」


 そして、目の前にいるクロスライルに憎悪を叩きつける。

 望むのは、破壊、破壊、破壊。

 ただただ人間の破壊である。

 今のレイオンの殺意を見れば、災厄時の悪獣たちがいかに凶悪だったかわかるだろう。

 されど、そんな危険な存在を前にしてもクロスライルの余裕は崩れない。

 向かってきたレイオンの攻撃をかわすと、再度胸に拳を叩き込む。

 さすがに拳圧でタバコは吹っ飛んでしまったが、この豪腕を前にしても動じない胆力はさすがだ。


「ごふっ…!! うぐううっ…」

「さすがに硬くなったね」


 龍化したことで体表の強度も格段に上がっている。さきほどのように胸が陥没することはなかった。


「おおおおお!」


 レイオンのラッシュ。がむしゃらに拳を繰り出す。

 一発一発の威力はどんどん上がっていき、風圧で床が軋むような音を上げる。

 たしかにこれはJBの連打より上かもしれない。当たれば武人だろうが即死だろう。

 しかしながら、明らかに身体の動きと意思が噛み合っていない。

 龍化するだけで身体中に激痛が走っているのだ。その一瞬の意識の剥離が致命的な隙を生み出している。

 こんなバラバラな攻撃では、このレベル帯の武人に当たることは永遠にないだろう。

 だから、滅多打ち。

 まるで無料のパンチングマシンを好きなだけ遊ぶように、クロスライルが楽しそうに拳を叩き込む。

 一発では致命傷にならずとも、同じ箇所に正確に打ち込まれた拳打によって、再度陥没。


 ドガドガドガッ!! ぼごんっ!


「ぐぐうっ―――ぶはっ!!」


 レイオンが吐血。

 その血は【赤紫】。

 人間と龍の血が入り混じり、人外のものへと成り下がっている。

 だが同時に、レイオンの中に奇妙な感覚が生まれていた。


―――喜び


 自身の中で急速に力が生まれていく不思議な感触。

 自己の、いや、人間の限界を突破したことによる優越感が湧き出る。


(これが…セイリュウたちの余裕の源泉か!!)


 彼らはいつも人を見下すような視線を向ける。自分たちが特別だと考えている。

 レイオンがセイリュウを死ぬほど嫌っているのは、ただ単に殺されたからだけではなく、そうした傲慢さに苛立ったからだ。

 だが今、自分の中に彼らと同じ傲慢さが宿った。


 そこに妙な嬉しさを感じている自分が―――苛立たしい!!


 相手を心底憎むということは、それだけ相手のことを考えることでもある。

 さすがに嫌いの反対は好きとは言わないが、そうした執着が羨望になるのも仕方ないだろう。


「くそ―――がぁあああああああああ!!」

「ははは、今度こそ本当の準備運動になりそうだ」


 龍化したレイオンは苛立ちもあり、その身体能力を使って暴れまくる。

 もはや自分で自分を制御できないのだ。

 そして、それをいなしながら的確にクロスライルが攻撃を叩き込む。


 この攻防は、およそ八分間続いた。


 何百発という拳や蹴りを叩き込まれ、レイオンの身体はボロボロだった。

 超回復が間に合わないほどに攻撃されれば、龍人であっても人間と変わらない。

 とはいえセクトアンクが数秒稼ぐのに命がけだったことを思えば、龍化レイオンの耐久力がどれだけ高いかがわかるはずだ。

 また、クロスライルも本気ではなかった。

 彼の目的は地下闘技場の破壊でもなければ、キングたちの抹殺でもない。

 目的は、ただ一つ。



「レイオン、そのへんにしておけ。そのままやっても絶対に勝てないぞ」



 満を持して、アンシュラオンがやってきた。




602話 「廻り合う異邦人」


 レイオンには悪いが、ここで格の違いが如実に出てしまう。

 入ってきた瞬間に空気が変わった。

 その場にいたすべての者たちの視線が、彼一人に集中する。

 それだけの魅力と鍛え抜かれた生粋の武人の気配が場を支配したのだ。


「くうううっ…うううっ!! 俺…は…!!」

「自分じゃどうにもできないようだな」


 ジュボンッ

 アンシュラオンが巨大な命気球を生み出すと、レイオンを包み込む。

 命気が身体の中に浸透すると同時に、痛みが身体から消えていく。


「っ!! はぁはぁ……ぅう……っ……」


 その安心感からか、レイオンは気を失った。

 龍の血も抑えられ、龍化も解けていき人間の姿に戻っていく。


「あとはオレに任せろ。お前は外で寝ていればいい」


 レイオンは邪魔なので、命気球に包んだまま外の通路まで流しておく。

 これだけ見るとなんとも滑稽な光景だが、すでに彼は自己を制御できない状況に陥っていたので妥当な措置だろう。

 それにしてもこの男は、いつも痛みに悩まされている気がする。哀れなものだ。


(ふむ。可能性としては変異もあったが…正直言って予想外だな。普通はこんなことはないはずだから、何かしらの要因が重なったのかもしれない。まあ、未完成なのは間違いないけどね)


 レイオンの龍化は、鱗が軽く体表に出現する程度のものである。

 身体全部が龍人となるコウリュウとは、完成度も力の顕現具合もまるで違う。悪く言えば『粗悪品』といったところだろう。

 ただ、普通の武人からすれば限界を突破できる段階で、喉から手が出るほど貴重な力である。

 もし彼が龍化を上手く扱えるようになれば、それなりの戦力として期待はできるに違いない。

 また、偶発的な事象であっても、アンシュラオンにとっては朗報だ。


(マングラスの力か。やはり面白いな。オレがこの力を奪えば、男のスレイブたちを改造して兵隊を生み出すこともできるってことだ。ますます欲しくなったよ。これでグマシカたちが動けないことが立証されたし、付け入る隙は十分ある)


 なぜアンシュラオンが八分間も遅れてやってきたのか。

 武人の戦いで八分はかなり長い時間である。

 とすれば、何かしらの悪巧みをしてきたのだ。

 まず、レイオンが怒りの形相でクロスライルに向かったのは、アンシュラオンが焚き付けたからだ。

 「セイリュウに雇われた殺し屋がきたぞ」とレイオンに教えれば、彼がどんな行動を取るかなど火を見るより明らかである。

 本当はワカマツに雇われたわけだが、あながち嘘でもない。

 運営に届いた『グマシカの書状』こそが、その証拠だ。

 アンシュラオンも運営とつながっているので、この情報はいち早くゲットしている。


(ただし、送ったのはグマシカ当人ではないだろう。あいつの性格はストレートなものだったし、そこまで余裕があるとは思えない。それを考えれば、今回書状を送ったのは地上部を担当しているセイリュウだろうな。偽者のグマシカに書かせたものと考えるのが妥当だ。非常事態だから、ワカマツの動きを容認する代わりに様子見の捨て駒にしたんだ)


 この八分間、アンシュラオンは周囲の状況を探っていたが、グマシカたちが干渉してくる様子はまったくなかった。

 もしグマシカたちが動くとすれば、このタイミングしかなかったはずだ。

 ワカマツを見ればわかるように、制裁の勢いで一気にホワイトを潰す、という流れである。

 しかし、ミャンメイの一件で偶然にも聖域を強襲する形となったため、彼らにも余裕がないことがうかがえる。

 彼らの大きな戦力の一つであるコウリュウを倒したのだ。傀儡士はともかく、グマシカにとっては痛いだろう。


 そこにきて『最強の魔人』まで干渉してきた。


 これが決め手である。

 姉の術式は、ホテル周辺を一瞬で消滅させた。あんなものを見せられれば、誰だって逃げたくなる。

 同じ魔人であるアンシュラオンでさえ逃げたくなったのだ。普通の人間にとっては神の天罰に匹敵する脅威だ。

 このような非常事態が重なった結果、現在セイリュウたちは【巣穴】に閉じこもって身を潜めていると思われる。

 もともと何百年も我慢して地下に潜伏してきた連中だ。慎重を期して最低でも数日は動かないだろう。

 これはグマシカという男を実際に見て感じた印象も加味してのことだ。


(グマシカ…か。まだいろいろわからない部分はあるが、グマシカ当人がオレを知っていたことの理由はわかった。やつはずっとオレを監視していたんだ。時折感じていた視線はやつのものだったということだ。それが消えたことも、やつが動けない根拠にはなるな)


 この地下闘技場に初めて来たときも、グマシカはアンシュラオンを見ていた。

 天井近くの観戦席から感じた視線も彼のものである。

 だが、おそらく当人ではない。『違う身体』を使って見ていたのだろう。

 レイオンから聞いた傀儡士の力は、まさに文字通りのものである。

 彼らは地下に潜伏している都合上、地上では『傀儡』を使って活動している。

 カラスたちが所属する青劉隊は改造人間が主力になっているが、それ以外の戦力の大半は『人形』だと思われる。

 限定的だとしても、その力をグマシカが使えてもおかしくはない。

 が、それが今は消えている。聖域で叩きのめしてから、彼の視線は完全に途絶えていた。


(グマシカはオレを敵視していたが、オレ個人というより『災厄の魔人』を怖がっていたように思える。そこに『本物の魔人』が出てくれば混乱もするだろうさ。全部あいつの勘違いなんだよな。悪いのは姉ちゃんであってオレじゃない。そこんところを改めて理解してもらいたいもんだ。まあ、どのみち潰すけどね。姉ちゃんが何か仕掛けてくる前に、奪えるものは奪っておかないとな)


 姉が出てきた以上、こちらも安穏とはしていられない。

 まずはいつでも都市を脱出できる準備を整えつつ、金目のものは早めに奪っておく必要がある。

 その準備はしっかり進んでおり、サナたちはすでに地下から脱出させている。

 何事もなければ正門から出てもいいのだが、万一のために脱出用の穴を掘っていたため、そちらから脱出済みであった。

 遺跡の壁は硬いがアンシュラオンなら壊せなくはないし、まだ地表部に近いこのエリアは、一つ壁を壊せば外側は普通の土といった場所も多くて苦労はなかった。

 トットにあえてああ言ったのは、盗聴される可能性を考慮してのことだ。

 遺跡の存在が判明した以上、何が仕込まれているのかわかったものではない。

 そろそろモグラ生活も飽きたし、こんな場所はさっさとおさらばするに限る。


 ということで、これで地下での用事はすべて終わった。




 最後の【詰め】を残して。




 アンシュラオンが、クロスライルのほうを向く。

 クロスライルも、じっとアンシュラオンを見つめる。


「よぉ」

「おう」


 アンシュラオンが声をかけると、相手も気さくに手を上げる。

 それはまるで数十年来の友のように、互いのことがわかりあった自然な動作だった。


「待たせたな」

「気にするなよ。そういうときもあるさ」

「不思議だな。初めて出会ったはずなのに、お前のことがよくわかるよ」

「だねぇ。オレもまさかとは思ったが、こういうもんなのかね。カカッ!」

「言っておくが、オレはノーマルだぞ? 男に興味なんてないからな」

「こっちだってそうさ。といっても、兄さんほど女に興味があるわけでもないがね」

「いつ『こっち』に来た?」

「んん…百五十年くらい前か?」

「けっこう前だな。長生きしてるな」

「らしいね。武人ってやつは便利だ」

「同感だ。便利すぎて困ることが多いよ」

「違いない。簡単に死ねないのも困る。そのぶん楽しむがね」

「自分が『誰だったか』覚えているか?」

「さてね。あんまり記憶はないんだ。うっすらと…ぼんやりと、かすかに覚えているだけさ。ただ、この都市に来てから少し思い出したよ。かつてオレは『教師』だった。何の教師かは知らないがね」

「ビッグのお守りは大変だったみたいだな。こっちは助かったけどね」

「カカカッ!! あの兄さんは面白かったさ。いいねぇ、青春って感じでさ。オレが言っても説得力はないが、ああいうのはあまりからかってやるもんじゃないぜ。誰もがオレたちみたいな悪もんじゃない」

「仕掛けてきたのは向こうだよ。こっちは悪くない。それにヤクザもんだろう? どうなってもいいはずだ」

「だとしてもモノが違いすぎる。オレらとは規格が違うんだ。『普通の連中』には酷だろうよ」

「お前、教師っぽいよ」

「そうか? 久々に『同類』と出会って興奮してるのかもしれないな」

「久々ってことは、やっぱりほかにもいるのか?」

「たまに感じることはある。多くは権力者や有力者になるか、変わりもんの中には一般人の生活を好き好んで送るやつもいるみたいだな。ただ、ほとんどの連中に記憶は残ってねえな」

「【日本人】が多いのか?」

「感覚的にはな。理由は知らんよ」

「理由は簡単だ。日本人だけが『悪』と戦えるからだ。あくまで傾向性であり、全体の話ではないけどな。日本人でもクズはクズさ。どちらにせよオレたちはレアケースであり、それを女神様が利用しているようだ。地球の守護神との間で協定でもあるのかもしれないな」

「詳しいね。そんなことを考えたことはなかった」

「それなりに修行したからな」

「どうやら兄さんのほうが、オレよりも年上っぽい感じはするな。リスペクトするぜ」

「やめろよ。気持ち悪い。女以外からの好意はいらないよ」

「ははは、そう言うなよ。で、あんたはここで何をしているんだ?」

「特に何も。ただオレは、オレがオレであるために生きている。誰かに利用されることもなく自分のためだけに生きる。その気持ちは、お前にはわかるだろう?」

「そうだな。オレらはいつだって束縛されてきた。その鬱憤が溜まっていたんだろうな。今ならわかる。オレらがここにいる理由ってやつがな」

「なら、やることは一つだな」



「そうだ―――」



「オレたちは―――」






「「   闘うために―――生きている!!  」」






 互いが戦気を一気に解放。

 溢れ出る戦気は今までとは違い、激しく燃え盛りながらも振動し、両者が共鳴するように絡まっていく。

 たった一瞬で会場全体が赤に染まり、熱量がぐんぐん上昇していく。


 燃える、燃える、燃える。


 会場にいたすべての者が、燃えて消えていく。

 セクトアンクやニットローたちの死体も、この熱気によって蒸発し、消滅していく。



 甘ったれたことを抜かすなぁああああああああああああ!!!



 いいのだ。これでいいのだ。

 武人の戦いに後腐れは一切ない! 存在しえない!!

 闘うために生まれ、死ぬために闘う彼らに墓などは必要ない。

 人間の魂が無限大に上昇し、永遠の生命に死がないことは証明されている!!


「すげぇ!! あんた、すげぇえな!! 思っていた通りだ!! いや、それ以上だ!!」


 最初からアンシュラオンは全力の戦気を展開しているが、驚くに値しない。

 この戦気の熱量の中にあって、クロスライルもそれを苦にしていない。

 それどころか押し返すように向かってくる「負けん気」を出していた。


「全力でこい。叩きのめしてやる」

「言われずとも!!」


 クロスライルが駆ける。

 その速度は、レイオンと戦っていた時とは比べ物にならない。

 一気に間合いを詰めると、鋭い拳を繰り出す。

 アンシュラオンはいつも通り、だらりと両手を下げたままの自然体。

 だが、これこそが自分にとっては最強の構えであった。



―――ドーーーーーンッ!!



 次の瞬間、クロスライルが床に叩きつけられていた。

 遺跡の謎の素材で造られている床が砕け、大きな窪みを生み出すほどの衝撃であった。

 アンシュラオンは拳をかわすと同時に、肩上で腕を挟み込み、そのまま回転して投げ飛ばしたのだ。

 何度も述べているように、武人の高速戦闘で投げ技を使うことは極めて難しい。

 もしやれるとしても、完全に相手の動きを見切っていなければ不可能である。

 それができるのも全力の臨戦態勢があってこそだ。


「おおっと、効くねええええええ!!」


 クロスライルは即座に立ち上がると、今度は身体を揺らしながらジャブを放ってきた。

 それはボクシングの動き。

 アーブスラットを彷彿とさせるが、こちらは正真正銘のボクシングのものだった。

 足技無しでは最強とも呼ばれる体術だ。

 すでに技術体系としては完成されているものだけあって、武人の身体能力で扱えれば相当な戦力となるだろう。

 これにはアンシュラオンもボクシングの動きで対応。

 足でフットワークを取りながら、クロスライルのジャブを受け流していく。

 クロスライルはすらりとした長身で、中肉中背の均整の取れた肉付きをしている。

 一方のアンシュラオンは、体格としては中学生に上がったばかりの少年と大差ない。

 これだけの体格差ならば、リーチの長いクロスライルが有利ではあるが―――


 ドドドゴンッ!!


 スピードで圧倒的に勝るアンシュラオンが、懐に入ってボディーブローを叩き込む。

 それは一発ではない。

 この一瞬で同じ箇所に三発は叩き込んでいた。

 思わずクロスライルが、くの字に曲がる。


「ごほっ!! これやべっ!! その体躯でこのパワーかよ!! 腹消し飛ぶわ!! 詐欺だろう、これ!!」


 しかもアンシュラオンの攻撃は「S]なので、見かけとはまったく違うパワーを誇っている。

 人間でたとえれば、子供の皮の中身は「大熊」だったのと同じだ。とんだ詐欺である。


「おっしゃ、これならどうだ!!」


 ボクシングでは勝ち目がないと思ったのか、クロスライルは今度は蹴りも交えた戦闘スタイルに切り替えてきた。

 言ってしまえば、立ち技メインの総合格闘技のスタイルである。

 ジャブと下蹴りを中心にしながら間合いをうかがい、隙ができれば一気に攻め立てる戦い方だ。

 アンシュラオンは、それに対して自分も同じ構えを見せる。

 クロスライルのジャブ。軽くステップでかわす。

 クロスライルのストレート。軽くはたいていなす。

 クロスライルの蹴り。同じく蹴りで相殺する。


 これらを数秒間で、五十回ほど繰り返した結果。



 打つ手なし。



 すべての攻撃がアンシュラオンに迎撃されるため、どうしようもなくなる。

 そこで強引に攻め立てようとするのならば、カウンター、一閃。

 クロスライルの顎にアンシュラオンの、少し背伸びしたアッパーカットが炸裂。

 がくんと首が伸びて脳が揺れるが、そこはクロスライルもたいしたもの。

 肉体操作で脳を保護し、脳震盪を防いで後方に退避。防御を固める。

 だが、防御を固めていれば身を守れるとは限らない。

 アンシュラオンが接近すると、ガード越しにかまわず拳を叩き込む。


 ドドドンッ!! ミシミシミシッ!!!


(なんだよ、この拳!! 反則だろうが…!! 鉄かよ!!)


 少年の身体の質が、あまりに違う。

 同じ拳でも構成されている素材が普通ではないため、常人からすれば鉄で殴られている気分だ。

 そんな状況でも困るのに、この男には技術がある。

 ぱしんっ


「おおうっ!?」


 上段と見せかけて、クロスライルの足を払う。

 単純なフェイントだが、防御で手一杯のクロスライルには極めて有効。

 体勢が崩れたところに、身体を目一杯伸ばして放たれた拳が―――直撃!


 ド―――スンッ!!


 ガードを突き抜け、クロスライルの胸にヒット。

 こちらも力がすべて乗った「殺すための一撃」である。


「ごぼっ! ちょっ、やべええええ! げぼっげほっ!!」


 クロスライルは、軽く吐血しながら後退。

 どうやら肺にダメージを受けたようで、何度か咳き込んでいた。




 ひとまずの攻防を終えて、両者が対峙。



「どうした、そんなものか?」

「兄さん、前世は格闘技の世界チャンプじゃないよな?」

「いや? ボクシングなんて初めて使ったぞ。見よう見まねだ」

「ほんとかよ…」

「戦いの本質はいつだって同じだ。相手を殺すために力を叩き込む。力の流れを意識すれば、スタイルの差は微々たるものだ。というか、殺し屋のお前なら当たり前のことだろうに」

「いやいや、そう簡単にできるもんじゃねえだろう。やばいね、兄さん。オレも相当殺してきたと思ったけど、殺しの場数が違う。殺し屋より殺すことに躊躇いがないっておかしくないか?」

「生存競争だからな。当然のことだ」

「はははは!! カカカカカカカカカッ!! いいねぇ!! 最高だ!! これこそ、『ザ・闘争』だな!!!」

「カーリングみたいに言うな」

「はははは、楽しくなってきたってことだ。そっちもだろう?」

「そうだな。少し身体が温まってきたところだ」

「そりゃなによりだね」

「倒す前に訊いておいてやるが、ラブヘイアとはどういう関係だ?」

「べつに。ただの同僚ってだけさ。仲良くもないが嫌いでもねえよ」

「一応教えておく。もう一人のお仲間、あの触手男は死んだぞ」

「ああ、知ってるよ」

「オレがやったわけじゃないぞ」

「それも知ってる。あいつのことも嫌いじゃなかったが、死んだらしょうがねえ。オレだけの責任でもないしな。まあ、そういうことだ」

「なるほど」


 クロスライルは、JBが死んだことを知っていた。

 仲間が死んでも淡々としているのは、彼が無頼者だからである。

 ただし、そこには「そのほうがいい」といったニュアンスがあることを見逃さない。


(ラブヘイアから情報は得られなかったが、姉ちゃんが動いているくらいだ。こいつらの組織は特殊な存在なのかもしれないな。ということは情報漏洩は致命的なはずだ。関係者には何かしらの『枷』がかけられていると考えたほうがいいだろう)


 組織を運営するにあたり、一番重要かつ問題となるが構成員の忠誠度だ。

 この段階でアンシュラオンは知らないが、賢者の石を使っているような組織である。スパイや裏切りがいては大いに問題となる。

 だからこそJBは、しつこいほどに何度もラブヘイアを詰問していた。

 では、なぜJBがそんな行動を続けていたかといえば、それが【監視行動】だからである。

 彼が保有していた『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』は、【本体】から分かれた枝葉のようなものであるらしい。

 ラブヘイアいわく、彼が狂信者となった原因がエバーマインドにあるのならば、石自体に強力な洗脳(教化)作用があると考えるのが自然だ。

 そして次の段階として、石の所有者が『監視者』となるシステムがあると考えるべきだろう。

 JBが意識していたかはともかく、周囲の構成員を束縛する何らかの力を発していた可能性がある。



 たとえば―――【スレイブ・ギアス】のような



 だからこそラブヘイアは、わざわざ結界を生み出して、その中でJBを殺したのだ。

 単に外に被害が出ないためだけではなく、その影響を消し、『本体』に悟られないために。

 そう考えれば、いろいろと辻褄が合うのだ。


(あの触手の男が死んだことで、まとわりついていた何かが消えた感覚はある。そして、それをこいつは好ましいと思っているってことだ)


 考えてみれば、護衛のクロスライルがJBの傍を離れることなど、そうそうあるものではない。

 であれば、そこには彼独自の狙いがあったと見るべきだ。

 それは当人に訊いてみないとわからないので、まずはこの戦いに関してである。

 さきほどまで不思議な攻防をしていたが、あれらは「じゃれあっていた」にすぎない。

 実際に戦ってみて、アンシュラオンはこうクロスライルを評価した。


(アーブスラットより速く、プライリーラより強い。間違いなく今までで最強の武人だろう)


 火怨山を下りてからは、アーブスラットが『下界最強の武人』として認定されていたが、クロスライルは彼を上回る存在だ。(コウリュウは普通の武人ではないので除外)

 仮にアーブスラットが全盛期であったとしても、クロスライルには勝てないだろう。

 攻撃速度はアーブスラットに匹敵する。

 肉体の強度、身体能力はプライリーラを超える。

 格闘技術も百五十年の積み重ねで、相当なレベルに達している。

 自分が全力の戦気を出していることを忘れてはいけない。

 それを受けて致命傷を負っていない段階で、この都市の武人とは明らかに次元の違う場所に立っている。

 また、戦気の質が良い。


 彼が放つ気質は、まさに【荒野の香り】。


 ワイルドでデンジャラスで、リスキー。

 この世界に降り立った時から、自己が個であり、絶対の【独り】であることを知っている者の気概が見て取れる。

 一般的には、守るものがあれば人は強くなれる、といわれる。

 たしかにそれは否定できないが、アーブスラットがサナを狙ったように、それだけ弱点を抱えることも事実だ。

 そうした面を持たないことは、やはり強いのである。

 彼にとってはJBだろうがラブヘイアだろうが、その時々に使えれば問題ないのであって、突然消えてもそれはそれで利になればよいのだ。


(まるでもう一人のオレだな。毎度のことながら恐れ入る。今回はここまできたか、ってのが正直な感想だ)


 アンシュラオンとクロスライルが似ているのは、なにも性格だけではない。



 彼もまた―――【転生者】



 地球から転生した者、いわゆる『異邦人』である。




603話 「オレは女神様も背負ってやる!!」


 クロスライルは『転生者』である。

 何らかの事情で地球という惑星から離れ、違う惑星の霊のグループに参加した者たちの総称だ。

 霊の進化は各惑星ごとで行われるが、これだけ巨大な宇宙である。個人単位での『移籍』は珍しいことではない。

 魂は、常に同じ傾向性のグループを求めるものだ。

 似た魂が集まり集団となり、それがまた集まってさらに大きな集合体を生み出していく。

 この星の管理者であり神霊である女神は、特定の人間を意図的に集めている。その星に足りない要素を持つ者が、進化に必要不可欠だと知っているからだ。

 だからこそ、二人はよく似ていた。

 アンシュラオンが『死と炎の星』に惹かれたように、クロスライルも同じような傾向性を持っていたからこそ選ばれた。


 この星に足りないもの。



 未成熟な生命が求めるのは―――うねり!!!



 熱く熱く、もっともっと熱く、燃え盛るような激動の力!!


 生物の進化は、闘争によって強化される!!

 それは肉体に限ったことだけではない。魂の進化も闘争によって成し得る!

 争いであり、戦いであり、その中で発生する怒りや悲しみ、喜びや笑い、憎悪や愛情によって生まれる巨大な螺旋によって、星の霊が上昇の気流に乗るのである。

 宇宙は対比によって生まれ、激突し、進化する。

 異邦人同士が出会えば、闘わねばならない。これは【宿命】だ。

 どちらが上か。どちらがより女神の道具として相応しいかが試される。

 まるで蟲毒《こどく》。

 蟲同士を争わせ、共食いをさせ、最後の一匹を決めるための修羅の道。




「ここからが本番だぜ!!」


 クロスライルの格闘技術もたいしたものだが、これだけで生き残れるほど甘い世界ではない。

 彼より肉体が何倍も強い相手など、この荒野にはごろごろいる。


 その中で生き残るための武器が―――銃剣!!


 クロスライルは『二挺銃剣』を抜くと、高速射撃。


 ババババババンッ!! ババババババンッ!!


 リボルバータイプにもかかわらず、一瞬で十二発の弾丸を放つ。

 目にも留まらぬ射撃とは、まさにこのこと。

 この撃ち方を見れば、ヤキチ戦でいかに手を抜いていたかがわかるだろう。

 一応依頼なので得物は見せたが、実際は二割程度の力しか見せていなかったのだ。

 だが、今回は本気。全力の攻撃である。


「中二っぽい武器だが、格好いいな。嫌いじゃないぞ」


 まともに受ける理由はないので、アンシュラオンは弾丸よりも素早い速度で回避。

 通り過ぎた弾丸は会場の壁に当たると、なんと貫通。

 全力の戦気を乗せた銃弾は、遺跡の壁すらぶち壊せる威力を持っていた。

 遺跡の壁にもいくつか種類があり、会場を隔てる壁は比較的薄いものの、それを貫通するのは尋常ではない威力だ。

 クロスライルは移動しながらリロードができるので、さらに牽制の銃撃を放ち続け、そのまま接近すると銃剣を振り回す。

 アンシュラオンは、両手に戦刃を展開して対応。

 ガンプドルフ戦でも見せた双剣スタイルだ。


 ガキンッ ガキィンンッ!


 刃が激突。

 互いに双剣なので、その攻撃速度も攻撃回数も普通の剣よりも数倍上だ。

 ぶつかるたびに無数の戦気が舞い散り、美しくも激しい炎が周囲を焦がす。

 クロスライルの出方をうかがうために、まずは様子見で受け続けることにした。


(剣技では、剣士のおっさんのほうが上だな。やっぱりあのおっさんは強かったな。出会った剣士の中では最強だろう)


 アンシュラオンが比較対象としたのは、生粋の剣士であるガンプドルフである。

 最初に戦った強敵だが、実力的にも抜きん出ていたのは間違いない。

 今まで下界で出会った強者の大半が戦士だったので、剣士としての強さを改めて感じることにもなった。

 ガンプドルフと比べれば、ラブヘイアの剣技ですら『道場の練習生』程度だと思われる。

 西大陸で大規模侵略を続けているルシア帝国とドンパチやっていたガチの猛将だ。そこは場数が違うのだろう。比べるのはかわいそうだ。

 そしてクロスライルの剣術もまた、おおよそ剣技と呼ぶには我流すぎた。

 おそらくこれでは剣王技は発動しないだろう。

 ただし、剣先にまとっているのは『滅属性の戦気』であり、ファテロナが使っていた『滅刃』と同じものである。

 さすが殺し屋。人を殺すことに特化した技を持っている。

 さらにクロスライルの武器は、これだけではない。

 最初から剣技だけで勝負しようなどとは思っていない。


 ババババババンッ!!


 剣撃をしながらの射撃。

 これこそが銃剣の最大の特徴といえる。

 銃弾の威力は今見た通り。くらえば遺跡の壁さえ貫通する。

 この荒々しい攻撃を受けながら銃弾まで襲いかかれば、強い武人であろうとも簡単にはかわせない。

 ただし、アンシュラオンも全力の臨戦態勢である。

 戦刃で銃剣を切り払うことで射線をずらしながら、恐るべき反応速度で銃弾をすべて回避していた。


(遠隔操作タイプではないな。ならば銃口だけ見ていれば問題はない)


 どうやらクロスライルは、遠隔操作型の武人ではないようだ。

 これでもし銃弾が曲がったりドライブしたりすれば厄介だが、そうでないのならば回避は難しくない。

 ここで一つ補足しておくが、遠隔操作だから強いわけではない。

 無理に軌道を変化させても威力の低減を招くため、逆に長所を殺すことになりかねないし、無駄に戦気を消耗してしまう。

 遠隔操作はあくまで、相手の虚をつくためのものであることを忘れてはいけない。


(すげぇ!! まるで当たる気配がねぇ!! 戦闘技術がやばいくらい高いぜ!! だがよ、オレだってこいつで生き抜いてきたんだよ!! 意地があるぜ!)


 クロスライルもこれで終わらない。

 よけられるのは織り込み済み。すでに跳躍しており、蹴りを放っていた。

 絶妙のタイミングで放たれた一撃は、覇王技、鷲蹴斬《わしゅうざん》。

 文字通り、鷲が上空から獲物に爪を突き立てるような鋭い蹴り技である。

 因子レベル2の技であるも出が速く隙が少ないため、コンビネーションに組み込むのに最適の技であった。

 アンシュラオンは銃弾をよけた瞬間なので、回避は難しい。


 このタイミングは当たった。


 クロスライルはそう思った。


 が、直後―――アンシュラオンの身体が『ぬるり』と動いた。


 ブンッ スカッ!


 そこに蹴りが素通り。当たらずに終わる。

 否、回避したのだ。

 見ればアンシュラオンの背中からは命気が出て、床と接着されており、身体を強引に引っ張っているではないか。

 遠隔操作は敵の虚をつくためのもの、とはすでに述べた。

 これで隙を晒したのは、クロスライルである。

 予想していない動きで完全に無防備になったところにアンシュラオンの掌底、覇王技、雷神掌が炸裂。


 バチーーーンッ!!


 掌底をまともに受けたクロスライルは、吹き飛ばされ感電しながらも退避。

 バババンッと銃弾の反動を使って強制的に軌道修正。

 そして、着地すると一言。


「いってぇええ!」


 腹には激痛。

 デアンカ・ギースでさえ感電する威力だ。

 あまりの痛みに叫ばずにはいられなかったのだろう。

 ただし、感電しても動けなくなることはなかった。


(事前に神経や筋肉を戦気でガードし、いざというときに退避行動を取るようにプログラムしていたんだ。かなりの場数を踏んでいなければできない芸当だ)


 動けなくなることは、武人にとって死を意味する。

 脳震盪や気絶はもちろん、感電も避けねばならないバッドステータスだ。

 JBが感電を使っていたせいかもしれないが、そういった対策も十分練っているらしい。


 強い。


 クロスライルは、強い。

 さすが異邦人であり、『ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉』の戦闘構成員なだけはある。

 やはり彼らは普通の武人ではない。




「ああ、いてぇな! いてぇ!!」

「なんだ、痛みを消していないのか?」

「ははは!! こっちのほうが楽しいじゃないか」

「気持ちはわかる。そのほうが昂ぶるよな」

「そうだ。これがいいんだ。オレたちは『痛みを求めている』からよ!!」


 クロスライルは動きが阻害されない程度に鎮痛はしているが、痛みを完全には消していなかった。

 なぜならば、楽しいから。

 武人全般に闘争を楽しむ傾向があるものの、『異邦人』は特にその傾向が強いことがわかる。

 痛みこそが人を強くし、進化させることを知っているからだ。


「兄さん、どうしてオレらはここにいると思う?」

「急に哲学か?」

「そういうわけじゃねえが、気になるだろう?」

「さてな。自分で望んだ面もあるからな。ただの欲望だろうよ」

「結局は【罪人】さ。溢れ出る闘争心が抑えきれない!! 闘うことがやめられないクレイジーなやつだからだよ! オレらが地球にいたら、どのみち最後は大量殺人者になって終わるだけさ!」


 クロスライルにも、抑えきれない『怒り』が常にあった。

 教師という立場も影響したのだろうが、抑圧されることに対する激しい暴力的衝動があったのだ。

 もはや自分自身の理性では抑えきれない。このままでは暴発してしまう。

 一般的な地球人が想像する「天国」は霊界の第四階層に存在するが、そんな中にあっても怒りを消しきれない狂気の魂たちが異邦人となる。

 言ってしまえば他の惑星への転生は、霊界のお荷物の【追放】ともいえる。

 手に負えなくなったので他の星に管理を任せたのだ。更生施設に送られる落伍者と同じだ。


「抑えきれない欲求があるから、ここにいる。兄さんもそうだろう?」

「それを罪と呼ぶあたり、お前はまだまともだよ」

「あんたは違うのか?」

「オレに迷いはない」


 予想外のことが起きて驚くこともある。文化の違いに戸惑うこともある。

 地球とは違う星に降り立ったのだから、異邦人は誰もがそうだろう。

 元日本人だからこそ、良識が刷り込まれているからこそ、その落差に愕然とする者が大半だ。

 だが、アンシュラオンに迷いはなかった。

 自分が自分であるために、誰かを殺すことに迷いはないのだ。



「争うことを怖れるな。悪をもって悪を殺せ。女神様に媚びたいのなら堂々とやればいい。オレはそうする。女神様もストライクゾーンだからな。あの胸を好きにできるのならば、地獄の鬼だろうが悪魔だろうが全員ぶちのめす!!」




「オレは―――【愛】のために生きている!!!!」




※訂正 『愛 = おっぱい』



「男手が足りなくて困っている女神様の幸せも背負ってやるさ。それが男の甲斐性だろう?」


 ここはあながち嘘ではない。

 女神は女性がゆえに『愛』や『知性』が強い傾向性にある。

 その反面、物事を強引に進める男性的な【力】が足りないのだ。

 女神が異邦人を求めるのは、そうした荒事を担当させるためでもある。

 だが、それを堂々と宣言できる『気概』に、クロスライルは震えた。


「カカカカカッ!! 器が違うね、兄さん!!」

「アンシュラオンだ。覚えておけ、クロスライル」

「アンシュラオンの大将、オレが求めていたのはあんただ!! ずっとあんたみたいなやつを探していた!! オレら転生者の象徴みたいにふてぶてしく、とびっきり強いやつをな!! 間違いない! ファルネシオなんざ目じゃねえ! あんたのほうが何倍も上だ!!」

「男に好かれても嬉しくはないが、同郷のよしみだ。ありがたく受け取っておくよ。それにしても強いな。攻撃のスピード、パワー、コンビネーション。どれもバランスが取れている。肉体の強度もいい。しなやかで力強く、硬さもある。その身長は少し羨ましいな」

「兄さんほどじゃねえよ。その身体は卑怯だろう」

「仕方ない。勝手にこの身体になったんだ」

「いいや、違うね!! 身体にはランクがあるんだぜ」

「ランクだと?」

「魂の強さによって選べる身体が違うんだよ。オレがいくら望んでも大将の身体は選べないし、どうせ使いこなせねぇ。それに見合うだけの『箔《はく》』ってのがないからだ」

「ふむ、道理ではあるな。どんな道具も使いこなせなければ意味がない。…ってことは、姉ちゃんとオレは何かしらの縁があるのか?」


 仮にクロスライルが魔人の肉体を手に入れても、力を完全に出しきれないだろう。

 肉体とは魂の写し身であり、完全に個人によるオリジナルのカスタムメイドだからだ。

 これは転生者に限った話ではない。世界中に生きている人間全般にいえることだ。

 姉もまた何かしらの条件をクリアしたから魔人になったと思われる。

 あの姉にして、この弟。

 この世に二人しかいない魔人の間に、何かしらの共通点があってしかるべきであろう。

 どちらにせよ魔人になれるほどの魂を目の当たりにすれば、こう思う。



(速い、強い、怖ぇ!! 手が痺れる! 足が震える!! 心臓が押し潰されそうだ! ガキだった頃、大人を見て怖かった気持ちを思い出すぜ!!)



 身体の質は最高。力は強く、技術は飛び抜けている。

 そして、その魂から発せられる超ド級の迫力が、こうして向かい合うだけで恐怖を与えるのだ。

 魔人の特殊能力だけではなく、根本的にアンシュラオン自身が怖い。

 だが、それが良い。


(いつかファルネシオを殺して力を奪おうと思ってきたが、こっちのほうが凄ぇ!! 予定変更だ!!)


「オレは、とことん強くなるぜ!!! あんたを喰らってな!!」

「全力を出せ! お前のすべてを吐き出せ! そのうえで潰す!!」

「上等だぁあああああああ!」


 ババババババンッ! ボシュンッ!!


 再びクロスライルが銃弾を発射。

 これも今までとは違う、本気中の本気の銃撃だ。

 その証拠に撃った瞬間には音速を軽く超え、空気の壁が破壊されて衝撃波が発生するほどである。

 大きさは小粒の弾丸でも、巡洋艦のミサイル攻撃に匹敵するエネルギーを秘めていると思えばわかりやすい。

 それが六発も同時に襲いかかるのだから脅威でしかないだろう。

 が、アンシュラオンにとってはさしたるものではない。

 当たらなければどうということはない、と言わんばかりに軽々とかわす。


 のだが、ここで異変が発生。



 銃弾が―――停止



 アンシュラオンの数メートル手前で、銃弾が空中で止まっていた。


(なんだ…これは?)


 突然のことに大きな違和感を覚える。

 いくら凝視しても、それらが動き出すことはなかった。

 しかし、その間もクロスライルは銃弾を撃ち続けており、それらの銃弾も停止していた。

 気づけばアンシュラオンの周囲には、二百発の銃弾が空中で停止するという奇怪な光景が広がっている。



「爆《は》ぜろぉおおおおお!」



―――加速


 今度は急加速した銃弾が、一斉にアンシュラオンに襲いかかる。

 しかもそれぞれが異なる速度で向かってくるため、対応が極めて難しい。

 アンシュラオンは発気。

 戦気掌で百発は消滅させるも、残りの百発は排除できなかった。


(しょうがない。受けるしかないか)


 さすがにこれはかわせないので、水泥壁を生み出して防御。

 されど一撃一撃がミサイルと同じならば、これだけで防げるわけではない。

 水泥壁を破壊し、貫通して迫ってきた銃弾に被弾。


 ボゴンッ! ボボボボボンッ!!


 アンシュラオンの身体に銃弾が当たると同時に、弾丸自体が威力に耐えきれずに自壊することで、さらに強力な衝撃を引き起こす。

 これが人間ならば、即座に消滅。

 仮にデアンカ・ギースほどの大型魔獣であっても、身体の三割程度が吹き飛ぶ大きな損害を負っていたはずだ。


 それがこの魔人は、軽い裂傷程度。


 腕や頬に切り傷が生まれて血が滲むが、それだけにとどまっている。

 水泥壁は、衝撃吸収のための捨て駒。

 逆にあえて水を拡散することで、周囲の銃弾の威力を軽減させてもいる。


(初めて見る技に対して、この対応力かよ! どんだけ戦闘経験値が高いのよ!!)


 アンシュラオンの怖さは、恐るべき戦闘経験量にある。

 クロスライルが百五十年かけて積み重ねたものなど、彼にとっては一年にも満たないのだろう。

 ただ、それもクロスライルはすでに承知の上。

 その間に接近すると、銃剣によるコンビネーションを繰り出す。


 ブンッ!!


 『氷聖剣ヴァルナーク』による攻撃。

 アンシュラオンは、最初と同じく戦刃でガードを試みるが―――


 ブスッ!!


 肩に剣が突き立てられた。


(なっ…防いだはずだぞ)


 完全に見切った一撃だったが、気づけば肩に剣が刺さっている。

 これには違和感より不快感が勝るが、相手の攻撃は続く。


「おらあああ!」


 クロスライルの蹴りのコンビネーション。

 アンシュラオンは防ごうとするが、氷聖剣ヴァルナークの能力が発動。

 こちらもヤキチ戦と比べると数倍の凍気が放出され、ビキビキッと肩が凍りつく。

 こうして動きが阻害された結果―――


 ドゴンッ!!


 クロスライルの蹴りが、アンシュラオンの顔面に炸裂。

 覇王技、赤覇・煌琥炎漠蹴《おうがえんばくしゅう》。

 蹴りの衝撃と同時に炎気が爆発し、当たった箇所の周囲をさらに抉りながら破壊していく因子レベル5の蹴り技である。

 爆発集気を使わないで出せる蹴り技の中では、かなり威力の高い技で、クロスライルがコンビネーションに組み込める最高のものである。


 それによって―――砕ける


 ビシビシッと嫌な音がして、頬骨に亀裂が入った。

 亀裂骨折とはいえアンシュラオンの骨を砕いた人間は、下界ではガンプドルフ一人しかいない。


(かったいねぇ!! 全力で当ててこれかよ!)


 が、クリーンヒットしたのに、クロスライルが舌打ちする。

 普通なら頭を中心に上半身が吹っ飛んでもおかしくはない威力がある。

 これだけで済んでいるほうがおかしいのだ。


「やっぱりよ!! とことんやらないといけないよなああ!!」


 クロスライルの攻撃はまだ終わっていない。

 そこに必殺の『炎聖剣アグニス』の一撃が繰り出される。

 アンシュラオンは、残ったもう一本の腕を使って防御しようとするも―――


 ブスッ!!


 気づいた瞬間には、刃が胸に刺さっていた。

 こちらも防げない間合いではなかったが、なぜか急所に突き刺さる。


「ふっとべぇえええええええ!!」


 クロスライルがアグニスに力を吸収させ、術式の威力を強化する。

 この二つの聖剣は、そのまま使ってもノーリスクで術式が発動できるが、自身が同じ属性の力を分け与えることで強化できるのも利点だ。

 クロスライルは炎気が扱えるので、彼の力を上乗せすれば、アグニスの力はヤキチ戦の十倍に膨れ上がる。



―――爆発



 激しい爆音を残しながら、アンシュラオンの胸が弾ける。


 ボタタタッ


 床に血が舞い落ち、破れた服の白地が赤に染まる。

 傷口を見れば、胸の部分から肋骨が垣間見えた。

 骨が露出するほどの傷。間違いなく致命傷である。



「オレはどんな敵だって倒してきた!! 倒すために独りで努力してきた!! これがオレの意地だぁあああああ!!」





604話 「異邦人対決、完全決着!!」


 アンシュラオンが急所を抉られ、大ダメージを負う。

 これは下界に来てから初めてのことであり、実現させたクロスライルを褒めるべきだろう。

 まさに意地。

 異邦人として知らない惑星に降り立ち、あらゆるものを犠牲にしてまで生きていかねばならなかった者の矜持である。


(あと、ひと押し! 完全に殺す!!)


 クロスライルは甘い男ではない。

 相手を殺すときは完全に殺しきるのが荒野の鉄則だ。

 アンシュラオンはダメージを負っているので簡単には動けない。

 圧倒的に有利な瞬間を見過ごすことなく、アグニスに力を込めるが―――


 ズザザザザザッ!!


 アンシュラオンを中心にして、床から鋭利な『ツララ』が大量に発生。


「ちっ!!」


 クロスライルは跳躍してかわすも、それを見越していたようにツララが曲がって、足を突き刺す。

 攻撃に転じていて防御の戦気も薄くなっていたため、一本一本が軽々と貫通する威力を持っていた。

 このままでは串刺し確定。

 銃撃でツララを破壊しながら距離を取るしかなかった。

 当然ながらこれは、アンシュラオンが事前に床に仕込んだ仕掛けである。

 銃弾を防御した時から、相手が必殺の間合いに入ったら起動するようにしていたのだ。

 技自体は、以前リンダに使った水槍凍穴を大量に発生させる因子レベル4の氷苑地垂突《ひょうえんちすいとつ》という上位版なのだが、アンシュラオンが使うと凶悪な技に変貌する。


(さすがに一気にやらせてはくれんかよ! だが、このダメージならまだチャンスは…)


 最後の詰めは防がれたが、致命傷は与えたはずである。

 いくら技量に差があるとはいえ、もう一度くらいチャンスはあるだろう。

 と、考えてしまうのも仕方ないが、この超人にこれだけの時間を与えてしまうと―――



「クククッ…あははははははははっ!!!」



 ブチュウウウウッ ジュウウウッ


 少年の身体から大量の『水』が溢れると同時に、傷が急速に塞がっていく。

 その光景は、3Dプリンターの造形動画を数百倍速で再生したものに似ていた。

 砕けた骨がくっつき、血管や神経、筋肉や皮膚が再生を始めて一秒も経たずに元通りの身体になった。

 元に戻らないといえば、服くらいだろう。胸元は破れ、美しい白い肌が露わになっているので夢ではない。

 いつもサナにばかり使っている命気だが、もともとはアンシュラオンが自分のために生成したものである。

 ということはサナ以上に吸収率が高く、より強い効果を得られるのは当たり前のことといえる。

 これも事前に身体の中を命気で満たしていたため発動も素早く、クロスライルが何もできないまま完全回復。

 そして、叫ぶ。



「あーーーー!! 久々に―――きもちいいいいいい!!」



 身体が生まれ変わる瞬間は、いつだって気持ちいいものだ。

 風呂に入って垢すりをして、身体中の汚れを落とせば誰でもさっぱりするだろう。

 出来たばかりの身体は少しばかり『むず痒い』のが難点であるも、じんわりと残った『痛み』が実に良いスパイスになっている。


「いいぞ、いいぞ!! クロスライル!! オレに痛みを与えてくれたな!! 適度は痛みは、とても気持ちいい!! ふーー、ふーーー!! ははははははははははっ!! 悶えるぅうううううう!! こそばゆいいいいい!!」


 急所である胸を破壊されて喜ぶ人間が、いったいどこにいるのか?


 ここに―――いた!!!


 パンパンと身体を叩き、再生された身体の感触を確かめる少年の顔は、満面の笑みではないか!!!

 喜んでいる。楽しんでいる。感謝さえしている。

 なかなか自分を破壊するほどの相手はいないため、身体の再生など久しぶりである。

 誰かが遊びに来ることが決まって、先延ばしにしていた大掃除を敢行したら思ったより爽快だったような気分だ。

 これにはクロスライルの顔も歪む。

 いつも余裕の顔を崩さない彼にしては、極めて珍しい表情である。


「もしかして『所有者』なのか? あんたも石を…」

「石? 何の話だ? 命気による回復じゃないか。ただの技だよ」

「これが…か? この回復力はJBのやつと変わらないぜ!? いや、オレの一撃なら石だって破損させられるはずなのに!! これが単なる技だってのかよ!!」

「オレを殺したいなら、これと同じ攻撃を二千回以上叩き込め。それなら少しは死にそうになるかもな」

「冗談だろう!?」

「本気だよ。駆け引きでもなんでもない事実だ。お前ほどの武人ならば理解できるだろう? これが嘘じゃないってな。ほれ、命気なんていくらでも出せるぞ」


 そう言って、命気を使って猫を作ってみる。

 この世界ではあまり見かけない普通の猫だが、元日本人にとっては馴染みのある愛らしい造形だ。


「マジで…ただの命気かよ」

「下の世界では命気は珍しいのか?」

「いや、うちの組織にも最上位属性を使えるやつはいる。いるが…次元が違う。本当に同じ技なのかと疑うぜ。こんなにすぐ再生はできないはずだ」

「単に修行不足だな。よくそれで生きていけるもんだ。こんなの毎日使っていれば慣れるだろうに」

「そう簡単に使えないから最上位なんだぜ」

「そういうものか? オレにとっては必需品だけどな」


 ただ命気を生み出すだけでも伝説級と言われるのに、それを自在に操る。

 あらかじめ細胞内に充満させておけば、今のように一瞬で再生も可能となるのだが、それはごくごく一部の人間にだけ許された特権である。

 あまりの力の差に、さすがのクロスライルも動揺を隠せない。


「…オレは…オレは…!! 生き残るために闘ってきた!! 殺してきた!! どうしてあんたはそこまで上回れる!! 何が違う!! あんたとオレの何が違う!」

「さてな。人の魂が永遠に上昇し続ける宿命にあるのならば、歩んだ道のりが少しばかり違っただけだろうさ」

「これが少しかよ!!」

「少しさ。本当にたった少しの違いだよ。逆にいえば、それだけ宇宙は広いのさ」


 自分とクロスライルの違いは宇宙から見れば、ほんの一ミリ程度のものだろう。

 しかし、天体望遠鏡で見える一ミリの溝が、近づいてみれば数万キロに及ぶように、それは果てしない差であるともいえる。

 そして、その一ミリを埋めようと努力する人間を、アンシュラオンはけっして馬鹿にしたりしない。


「見事だよ、クロスライル。本当に見事だ。よくぞここまで鍛えた。お前がいかに独りで努力し、叫び、憎しみ、あがき、悶え、欲してきたかがよくわかる闘い方だ。同じ転生者だからこそ、どれだけの死闘を経験してきたかなんて、見ればすぐにわかる。お前の傷が、血が、痛みが、すべて力になっているんだ。その力は誇るべきものだ」


 クロスライルの身体は、傷だらけだ。

 賢者の石といった『偽りの力』に頼らず、ひたすら自身を鍛え、時にはファルネシオの軍門にも下り、ただただ独りで闘ってきた。

 生き残るために。闘争本能を満たすために。

 それがどれだけの苦労か、同じ異邦人の自分にはわかる。

 たった独りで言葉も文化も違う異国に放り出されるようなものだ。

 いくら自分が望んだこととはいえ、この荒野で生きていくのはつらかっただろう。

 ただし、同じくアンシュラオンも苦労してきたが、クロスライルとは決定的に違うことが一つだけあった。



 アンシュラオンは、【独り】ではなかったのだ。



「オレはお前と違って寂しがり屋でな。独りで生きてきたわけじゃない。その点はお前のほうが自立しているといえる。心から尊敬するよ。だが、だからこそ『比較』ができた。独りは強いが、独りの限界があることをオレは知っているんだ」


 独りで何でもできることは素晴らしいことだ。誰にも頼らずに生きていければ、そのほうがいいに決まっている。

 されど、神は【家族】というものを作った。他者を生み出した。

 その理由は簡単だ。

 自分に足りない要素を必ず家族は持っている。良い面を見習い、悪い面を反面教師とするためである。

 独りでは、それができない。弱点を知ることも長所を知ることもできなくなる。

 クロスライルは無頼者として生きることで強くなったが、逆にそうだからこそ自ら限界を生み出してしまったのだ。

 それに気づいたアーブスラットは、プライリーラという弱点をあえて背負った。

 たしかに能力的にクロスライルはアーブスラットを超えているが、人生としての深みは老執事のほうが上であり、同様に充実もしているだろう。

 どうせいつか死ぬのならば、人生は豊かであったほうがいいに決まっている。

 どちらが本当の勝ち組かは、言うまでもないだろう。


「お前の中には【渇き】がある。それこそが強さの源泉でありながらも、永遠に満たされない欲求となって自身を苦しめている。お前が強者を求めるのは『負けたい』からだ。自分ではもう止まれないんだ。麻薬中毒者と同じさ。闘争は麻薬みたいなものだからな」

「…そうだ!! それくらいわかっている! だからあんたみたいなやつを探していた!! とんでもない化け物をな!」

「あまり買いかぶるなよ。お前はオレの強さに驚いているようだが、これでもオレは【最弱】だぞ」

「おいおい、それはさすがに悪い冗談だろう?」

「それが冗談でないから困るのさ。特に肉体能力では魔獣込みで、あの山の生態系では下から数えたほうが早かったからな。ほんと、いつもいじめられていたんだ。『本物の化け物』たちに毎日殴られてさ。あの人たち、笑いながらボコボコにするんだぜ? やばいだろう、そんなやつら。何が楽しいのかわからないよ。そんなこったで闘うのが嫌で嫌で逃げ回っていたから、逃げ足の速さだけは自慢できるようになったよ」

「あんたが…ボコボコ? 逃げ回っていた?」

「そうだ。腕も折られて足も砕かれて、腹や内臓が吹っ飛ぶなんて日常茶飯事だ。顔の形が変わることなんて当たり前。頭部が潰されても誰も助けてくれないからな。しょうがないから、いつしか自分で治す癖がついちまったんだ…。そんなことがあった次の日も、また笑顔で殴りかかってくるんだぜ? あの人たちの人間性を疑うね」

「…いじめのレベルが違いすぎて笑えねぇ」

「うっ、思い出しただけで吐き気がする……トラウマだよ、まったく。他人の痛みがわからないやつってのは怖いよな。ああはなりたくないよ」


 アンシュラオンに人間性を疑われるとは、ガチでやばいやつらといえる。

 その話は置いておくとしても、姉、ゼブラエス、陽禅公の三人組の中でアンシュラオンが最弱なのは事実である。しかも相当の差を広げられての最下位だ。

 肉体能力も下界では化け物に見えても、最低HPが五万を超える撃滅級魔獣がうようよいる火怨山においては、自分よりも硬い相手など山ほどいる。

 忘れてはいけないのが、この都市で怖れられている四大悪獣など所詮、第二階級の殲滅級でしかないことだ。

 その上に鎮座する火怨山の撃滅級魔獣がやってくれば、彼らなど捕食対象にすぎない【雑魚】と化す。

 魔獣同士でさえこれである。【人類最強三人組】たちに毎日フルボッコにされていたアンシュラオンが勘違いなど起こすわけがない。

 もしうっかり「今日は体調がいいなー」などと言ってしまった日には、姉が「それなら私とたっぷり遊びましょうねぇええええ!」と襲いかかってくるし、ゼブラエスは「じゃあ、今日は本気出していいよな?」とか言ってくる。

 当然、半殺し。

 場合によっては本当に死ぬんじゃないかと思ったことも百回や二百回では済まない。

 彼らは最高位の神狼級の武人でもあるので、一週間くらいは普通にぶっ通しで殺しにやってくるのだ。その恐怖は確実に刻み込まれている。

 そんな環境で肉体能力を自慢したことなど一度もない。するわけがない。



 であれば、【アンシュラオンの強み】とは何だろうか。




「今度はこちらからいくぞ」

「っ!!」


 アンシュラオンがクロスライルに急接近。

 その速度も鋭いが、もっと鋭いのは―――


 ゴンッ メキッ!!!


「ぶはっ…!」


 鋭く抉るような一撃が、クロスライルの脇腹に叩き込まれる。

 それで重心が崩れたところに、反対側の脇腹に拳が炸裂。

 ドゴンッ メィイイッ!

 骨が悲鳴を上げて泣き叫ぶ。

 これで折れなかったのはクロスライルの肉体が強いのと、最低限の防御態勢を取ったからだ。

 だが、これはほんの挨拶程度。ここからアンシュラオンの体術が唸る。

 クロスライルの顎、鎖骨、胸、鳩尾、下腹部、膝、足首。

 そういった人間の急所に向かって、次々と拳や蹴りが叩き込まれる。

 クロスライルは防御で手一杯。

 否、すぐに防御すら間に合わなくなっていき、打撃痕が刻まれていく。


(質が変わった!!)


 明らかにアンシュラオンの攻撃の質が変わった。

 今までも殺しにいく本当の攻撃だったが、今はそこに「相手の弱点を狙って」が加わっている。

 簡単にいえばこれまでの攻撃は、「相手が防ぎやすい場所」を意図的に狙ったものだった。

 たとえるならば、ボクサーがボクシングのルールに則って拳を放つのと同じだ。

 されど殺し合いならばルールは存在しない。相手を殺すためにどこでも狙うし、どんな角度から何をやっても許される。

 戦いにおいては普通のことなのだが、アンシュラオンがこれをやり始めると、まずいのだ。

 ただでさえ対応するのが難しい速度なのに、フェイントまで交えれば―――

 ズブッ

 視線のフェイントに引っかかったクロスライルの鳩尾に、貫手が突き刺さる。

 腹を庇おうと防御を下げれば、即座に目を抉りにやってくる。

 首を捻ってかわすものの、すでに攻撃目標は変わっており軌道が変化。

 今度は無防備な首を狙って手刀が叩き込まれる。

 こちらも戦刃を使っているので、首を刎ね飛ばすつもりだ。

 クロスライルは必死に回避。

 ヴァルナークで凍気を発動させ、手刀の動きを少しばかり遅らせたが、完全にはよけきれずに頚動脈を切り裂かれる。

 優れた肉体操作で大量出血は免れたが、正直生きた心地がしない。


(なんだよ、これは!!!)


 たまらずクロスライルが、アグニスをアンシュラオンに突き刺す。

 今回も気づけば突き刺さっていたが―――


 バキバキバキッ


 すでに展開されていた凍気によって、アグニスの刀身が凍りつく。

 凍気を使えるのはクロスライルだけではない。アンシュラオンもお得意としている気質である。


(炎の聖剣が凍るっておかしいだろうが!!)


 アグニスは自身の熱によって凍気を溶かしたものの、これだけ時間がかかってしまうと、再度アンシュラオンの急所を捉えるのは極めて困難となる。

 仕方なくクロスライルは蹴りを選択。

 蹴りもまた見事にアンシュラオンの顔面にヒット。直撃だ。


「くくく…はははは!!」


 だが、それをくらった相手は『笑って』いた。

 痛みを愉しんでいる。闘争を心から愉しんでいる。

 ぞくりっ

 その姿に背筋が凍りつくような恐怖を感じる。


(オレからすれば、あんたも同類だぜ!! どっちも化け物だろうに!! ああ、オレって案外まともだったのかもな)


 アンシュラオンは散々姉たちを非難していたが、クロスライルから見れば同じ穴のむじな。同様にやばい連中の一人だ。

 彼らと比べれば、殺し屋なんて可愛いものである。

 殺しが当たり前にある世界において、わざわざ殺し屋など存在しない。

 差別がない国では、わざわざ平等を訴えないのと同じだ。

 ただただ生と死が生活の一部として存在し、その中で生きてきた者とは価値観が違う。まったく相容れない。


 クロスライルは打つ手がなく、一度後退するしかなかった。


 しかし、これはまだ序の口。



「『お前の力』は見せてもらった。次はオレが得た力を見せよう」



 次の瞬間―――アンシュラオンが【増えた】



 まったく同じ姿の存在が一人、身体から分かれて出てきたのだ。

 ご丁寧に破れた服まで完全にコピーしているので見分けがつかない。

 闘人操術、奥義『鏡体《きょうたい》』。

 闘人操術をそのまま使うと戦気で出来た大雑把な闘人が出現するが、それを極めると鏡体にまで至る。

 普通に手駒として扱う分には前者でよいが、高度な戦闘を行う際はこちらのほうが便利である。


(―――やべぇ!!)


 思わずクロスライルが戦慄。

 敵がこういう技を出してきたということは、すでに『自分の力』がどんなものであるかを見抜かれている証拠だ。

 バババンッ!!

 クロスライルは、すかさず銃撃で妨害しようとする。

 この弾丸も途中で速度が変化。

 止まったと思ったら急加速したり、また突然止まったりして間合いをずらしてくる。


「見れば見るほど面白い技だ。だが、もう通用しない」


 アンシュラオンは、これを回避することは諦めた。

 その代わり生み出した闘人を使って壁にする。

 闘人は銃弾に当たれば損壊するが、すぐさま復元して元通りになる。

 モグマウス二百匹程度の力は与えたので、いくらクロスライルの銃弾がミサイル並みとはいえ、削りきることは難しかった。

 その間にアンシュラオンは接近。肉薄する。


「くそっ!!」


 クロスライルはヴァルナークを使って迎撃。

 凍気をまとった銃剣が振り払われる。


 ズブッ!!


 その剣先が、アンシュラオンに突き刺さる。


(見切っているのによけられない。これもやつの力だな)


 さきほどからクロスライルの攻撃は、すべて当たっていた。

 完全にかわせるタイミングだったにもかかわらず、なぜか避けられないのだ。

 この正体がわからずにいささかダメージを負ってしまったが、これだけもらえば推察も容易であった。


(おそらくクロスライルの能力は、最低でも『二つ』ある。『止める能力』と『加速させる能力』だ。同じ能力の違う側面かもしれないが、使い分けているところを見ると別の能力の可能性が高いな。どちらも使用条件があるはずだ)


 実はクロスライルには異能、【特異能力】がある。

 これも考えてみれば当然のことである。

 アンシュラオンにも『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』や『情報公開』といったチート級の特異能力が存在している。

 『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』は姉にもあるため、『情報公開』の部分がアンシュラオンのユニークスキルであろうか。

 加えて効果は不明瞭だが『女神盟約』なるものも存在しているので、計二つあるといえる。(『記憶継承』は異邦人ならば共通して持っていそうなので除外)

 ならば同じ異邦人であるクロスライルも、何かしらのユニークスキルを持っていてしかるべきであろう。



―――『時間操作』および『空間加減速』



 この二つが、クロスライルが保有している特異能力だ。

 『時間操作』は、自身が干渉している物質の時間を操作するもので、たとえば銃弾を止めているのもこの能力の効果である。

 使用条件は、自身が手の平で触っている『物体』および、戦気で干渉している状態のものにのみ効果を発動できる。

 セクトアンクが投げた大納魔射津が爆発しなかったことも、この能力で説明が可能だ。

 また、質量の保存も行われているため、止まった弾丸にはミサイルと同じだけのパワーがしっかりと維持されている。

 現実で予測されるように時間停止中の物質は簡単には動かせないので、展開されるだけで逃げ道が塞がれてしまう厄介な技といえるだろう。

 ただし、それ以上の質量で破壊および相殺すれば、ただ止まっているだけの物体でしかない。

 生み出した闘人のパワーは桁違いなので、力づくで突破が可能となる。


 そしてもう一つの『空間加減速』は、文字通りに一定範囲内の空間の速度を操るものだ。

 気づいたら剣が突き刺さっているのは、この力で途中の空間の時間を加速させているからであろう。

 この能力があれば敵のガードを掻い潜って、いつでも好きなときに必殺の一撃を入れられることになる。

 武人の高速戦闘では、一瞬の判断ミスが命取りになる。

 それを考えれば極めて凶悪な能力であり、アンシュラオン並みにチート級スキルといえる。

 だが、これもすでに通用しない。


(恐ろしい能力だ。正直怖いな。ただし、こうして実際に受けてみるとわかるが、効果はかなり限定的だ。加速できる時間はせいぜいコンマ一秒程度だろうし、範囲も銃弾の射線上と剣の間合いを含むごくごく小さなものだ。これくらいならば十分『予測』できる)


 武人の世界ではコンマ一秒でも長い時間ではあるが、わかってしまえば対応は可能だ。

 コンマ一秒先を予測して戦えばいい。それだけのことである。

 突き刺さったヴァルナークが凍気を放出して、再びアンシュラオンを凍らせようとするが―――


 ビシビシビシッ!!


 凍ったのは、ヴァルナークのほうだった。

 自身よりも何倍も強い凍気に襲われ、氷の聖剣が凍ってしまったのだ。

 アンシュラオンはすでに攻撃を予測し、そのポイントに力を集中させていた。

 これは聖剣自体も驚いたに違いない。『彼女』が造られて何千年経ったかは知らないが、きっと初めての体験だったことだろう。

 そのまま力を入れてやれば、たやすく折れる。


 バキィンンッ!!! ハラハラハラ


 折れたヴァルナークは、粉々に砕け散って役目を終えた。

 まるで氷のように冷たく見えた女が、処女を奪われてあっけなく服従する光景に似ている。


「聖剣を折るかよ!!! オレの給料半分だぞ!!」

「ヤキモチか? オレの前では、どんな女も屈するものだ。仕方ない」

「ちくしょう! こっちも好き勝手できると思うなよ!!」


 続いてアグニスを使っての攻撃。

 これも『空間加減速』によって軌道が見えない。

 このままだったならば、刃はアンシュラオンに突き刺さるだろう。

 がしかし、クロスライルもまた見えていない。


 背後に―――闘人


 銃弾を潜り抜けてきた闘人が背後に回り、クロスライルを蹴り飛ばす。


 ドゴーーーンッ!!


「がはっっ!!」


 クロスライルは吹き飛ばされながらも体勢を整えるが、すでにアンシュラオンは攻撃態勢に入っており、水覇・硫槽波《りゅうそうは》を放つ。

 硫酸の濁流が、クロスライルに直撃。

 戦気でガードするも、本気のアンシュラオンの技は恐ろしい威力である。必死で防御していても身体が焼けていく。

 これを耐えて反撃。

 などと考える余裕もない。

 闘人が濁流の中に突っ込み、追撃。

 もともと同じ戦気で生み出した闘人である。自身もダメージを受けるが痛みはないし、失っても惜しくはないので平然と入ってくる。

 接近した闘人は、クロスライルに殴りかかった。

 水圧があるので闘人の動きも制限されるが、硫酸で肉が焼け焦げた箇所を狙って抉ろうとしてくる。


(こりゃひでぇええ!! 傷口に塩を塗り込むようなもんだぜ! どんな性格してやがる!! このままじゃ、なぶり殺しだ!)


 クロスライルは戦気を爆発させて緊急回避。

 なんとか脱出に成功するが―――


「やあ、お帰り。次はオレが相手だ」


 そこにはまたもやアンシュラオンが構えており、六震圧硝を叩き込む。

 JBも使っていた技をここで披露する皮肉付きだ。

 ドドドドドドッ!! ミシミシッ!!

 クロスライルはガードで精一杯。殴られるたびに骨にダメージが入る。

 だが、それで油断してはいけない。


 背後に―――闘人


 前方にガードが集中している状態で手薄になった背中に、拳を叩き込む!!


「げぼっ!!」


 強烈な一撃を受けて、呼吸が一瞬止まる。

 身体を捻って背骨は守ったが、完全に脊髄を狙ってきた攻撃であった。

 だが次の瞬間には、前方にいた本体が再び攻撃を仕掛ける。

 それを防いでも背後から攻撃されれば、いつかは耐えきれなくなる。


 常に前後から挟み撃ち。


 しかも当人が操っているためコンビネーションも完璧である。



(肉体の強さなんてオマケだぜ!! まったく頼ろうともしちゃいない!! どんな環境で生きてきたんだよ!!)



 拳や蹴りが叩き込まれるたびに、【アンシュラオンの武】を痛感する。

 アンシュラオンの強さは、肉体能力を前面に出したものではない。

 そんなものはゼブラエスのようなガチムチの十八番であって、わざわざ小柄な者がやることではない。

 そもそも普通に戦ったら殴り負けてしまうため、アンシュラオンは自分なりの戦い方を編み出した。

 格上に対してまともに打ち合うなど自殺行為だ。まずはこうして闘人を生み出して囮や壁にして損害を防ぐのがセオリーとなる。


 真骨頂は、今やっているような【超高速の連携戦闘】だ。


 相手が狙いをつけたら、素早く動いて射線をずらす。

 けっして正面を向かず相手の死角に入り込み、攻撃できそうならば隙を見て攻撃して注意を逸らし、その間に闘人を使って背後から攻める。

 それで駄目そうならば闘人を犠牲にして間合いを広げ、さらに駄目そうならば罠を張りつつ逃げて様子をうかがう。

 なんとも姑息であるが、ガチでやばいやつらと戦うにはこの方法が一番だ。

 そして、これを実行するには圧倒的なスピードと敏捷性が必要なのである。


 まったくの誤算かつ正反対の実情。


 クロスライルが賞賛して怖れた肉体の強さなど、アンシュラオンはまったく気にもしていない。むしろ褒められると、こそばゆくて嫌になるほどだ。

 また、クロスライルのような格下の場合は、そのまま闘人を武器として使うだけで脅威となる。

 間断なく攻める続けることで、ひたすら反撃を許さない。

 攻撃型の武人の戦いのようだが、被害を好まないアンシュラオンにとって攻撃が最大の防御になるのならば、それも選択肢のうちとなる。

 アンシュラオンの本当の武器とは、あらゆる状況にその場で対応できる柔軟性と分析力にある。

 だからこそ彼が望んだユニークスキルが『情報公開』だったのだ。

 相手の能力がわかれば、少なくとも負けることはない。



(これは無理だ。万に一つも勝ち目がないぜ!! よし、逃げよう!!)


 アンシュラオンが本来のスタイルに切り替えたことで、勝ち目が完全になくなった。

 自分よりも何倍も強い相手が、防御重視の安全策を採用するのだ。最悪である。

 よって、逃げることにした。

 勝ち目がないのならば逃げる。これも生存競争の激しい荒野の鉄則である。


(狙うのならば偽者だ。なんとか切り崩して逃げるしかない)


 このあたりはクロスライルも経験豊かな猛者である。

 狙うのならば本体ではなく、生み出された闘人であると理解していた。

 なぜならば闘人は【技】が使えない。

 戦気で生み出されたものなので、それ単体では格闘しかできないのだ。

 そうした知識も百五十年の積み重ねによって得たものだ。

 クロスライルはアグニスを構えると方向転換。闘人のほうに突きを放った。

 もうなりふりを構ってはいられない。ここで打破しなければ負けるため、全力の攻撃である。

 だが次の瞬間、目を疑った。


 闘人が、【技の構え】に入った。


 闘人が掌を突き出す。

 クロスライルもアグニスを突き出す。

 両者が激突。

 アグニスは爆破能力を使って闘人の胸を吹き飛ばすが、戦気が吹き飛んだくらいで臓器がなくなるわけではない。

 そのうえで闘人が放ったのは、水覇・波紋掌。

 掌から水気が振動し、クロスライルの身体に浸透。


「んなっ…馬鹿な!!」


 驚いている暇はない。

 距離を詰めてきた本体であるアンシュラオンも水覇・波紋掌。

 前から水覇・波紋掌。

 背後からも水覇・波紋掌。


 波紋が―――共鳴


 二つの覇王技の合体戦技、共振波紋掌。

 水覇・波紋掌は因子レベル3の技だが、共振することで因子レベル6に匹敵する技となる。

 前後から放たれた波紋がうねりとなり、波となり、激突し、飛沫を上げる。

 それが体内で発生するのだから、まさに激震!!


 ビィイイイイイインッ!!



「ご―――ぼっ!!」



 クロスライルの身体の中が蹂躙され、内臓が破壊される。

 水覇・波紋掌は生物に対して特効を持っているので、これは効いた。

 しかしながら、ここで終わりではなかった。

 アンシュラオンの戦い方は、こうした技を連続して叩き込むことだ。

 これはまだコンボの一つ。

 動けなくなったクロスライルを、本体と闘人が一緒に蹴り上げる。


 ドガガガガガガッッ!!


 蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る!!


 赤覇・昇陽連脚《しょうようれんきゃく》。

 風龍馬にも使ったが、相手を連続して蹴ることで空中に放り上げる技である。

 これも二人分の蹴りなので、クロスライルはまったく対応できず、天井に叩きつけられる。

 それでもまだ蹴りが収まらない。


 蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る!!



 とことん―――蹴る!!!



 メキバキバキッ!! ボゴーーーーーーンッ!!



 あまりの衝撃と圧力に、ついに天井が破壊!!


 ドドドドドドドドドッ!!


 そのままさらに蹴り上げ、地中を突き抜けて、地上部分の収監砦にまで到達。

 地上部に達しても蹴りは止まらない。

 収監砦を破壊し続け、屋上さえ貫き続け、ついに【空】が見えた。


 いつしか空は、赤に染まっていた。


 アンシュラオンがだらだら試合を延ばしていたため、夕刻になっていたようだ。

 ただし、収監砦の周囲に人はいないため、ここで戦っても問題はない。

 どのみち空だ。わざわざ見上げる物好きも少ないだろう。

 がしっ

 ここで闘人が、両腕でがっしりとクロスライルをホールドする。

 相手を固定し、逃がさないための措置だ。


(こいつはまずい! 大技がくる!!)


 少し古いが、合体ロボット物の定番といえば「相手を動けなくしてからの大技」である。

 正義の味方にしてはやり方がえぐいが、大技を出してよけられるほうが問題だ。

 当然アンシュラオンは正義の味方ではないので、平然と汚い手を使う。


「はぁあああああ!!」


 アンシュラオンが爆発集気。

 身体中が赤白く燃え上がり、強大な戦気を練る。

 こんなものを受けたら、どうなるかわかったものではない。

 しかもクロスライルには、もう逃げ場がない。絶体絶命のピンチだ。



「オレは…オレはぁああああ!! ここで終わらねぇえええええええええ!」



 がしかし、ここでクロスライルは驚異の粘りを見せた。

 今まで必死に生きてきた。這いつくばってでも強くなってきた。

 どんな困難も自分自身の力だけで切り抜けてきた。

 こんなところで負けられない! 死ねない!!


 クロスライルは上腕だけを使って、なんとか右手を闘人に突き刺すと―――


 【吸収】!!


 あまりの戦気量のためにすべてを吸収することはできなかったが、六割程度は奪い取る。

 それによって赤白く輝く美しい【弾丸】を生み出し、銃剣に装填して発射。

 これぞクロスライルの【奥の手】。


 彼が持つユニークスキル『クロスアブリシオ〈交錯せし撃鉄〉』の能力だ。


 クロスライルの能力は、なにも『時間操作』と『空間加減速』だけではない。

 相手の戦気を吸収し、そこに自分の戦気を上乗せした特殊な銃弾を生み出す能力があった。

 アンシュラオンの力を吸収したため、その銃弾の威力は恐ろしいものとなる。


 まるで、ぶっといレーザービーム。


 今までに感じたこともない威力のエネルギーが放たれ、下にいるアンシュラオンに向かっていく。

 下手をしたら収監砦自体が吹き飛び、地下にも甚大な被害が出るかもしれないほどのパワーである。


 バリンッ ボンッ


 ただし、これは奥の手。

 放った瞬間に、アグニスが粉々に砕けた。

 銃剣自体が吹き飛んだだけにとどまらず、クロスライルの左手も弾ける。

 レイオンが輸血を受けた段階であれだけのリスクがあったのだ。相手の戦気を吸収することにも同様の危険性がある。

 これだけ強大な戦気ならば、相応の対価を支払うのは当たり前だ。

 だが、たかが左手一本。それがなんだというのだ。



「どうだよ!! 勝つためだ!! これがオレの―――」




「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」




 アンシュラオンは飛んできた白い閃光を―――蹴り返す!!!


 力が反転し、再び上昇する力となった。


「それは…ないよ」


 うっかり本音が出てしまったクロスライルが、光の渦に飲み込まれ、天に舞い上がる。

 上がる、上がる、上がる!!

 上がれ、上がれ、もっと上がれ!!


 上がって―――しまえ!!!



 バリンバリンバリンッ!!



 激しい光の奔流に呑まれたクロスライルは、グラス・ギースに展開されていた防護結界すら貫通し、上空五百メートルにまで飛ばされた。

 ただ、まだクロスライルは死んでいなかった。

 ここで幸いだったのが、アンシュラオンが蹴り飛ばした段階で、銃弾の威力が大幅に軽減されていたことだ。

 といっても弾けて拡散した残りカスでさえ、これだけの威力を保持しているのだ。

 放たれた弾丸の威力が、いかに強かったかがうかがい知れる。


 だが、だが、だが!!!


 本気になったアンシュラオンが、ここで終わらせるわけがない。

 最後にやってきた『それ』を見たクロスライルは、こう呟いた。



「オレ……ようやく死ねる…かな?」




 その日、夕闇に一つの星が流れ落ちた。

 広大な『空の海』からこぼれ落ちた、小さな小さな流れ星だ。


「ああ、また流れ星か。すごいね。この前もたくさん降ったのに。女神様が僕たちの結婚を祝福してくれているのかな?」


 それを見た旅人の男女二人は、美しい景色に思わず祈った。

 どうか旅路が安全でありますように。家族が健康でありますように。

 彼はちょっと前にも【流星】を見たことがあった。

 隣にいる女性はそのときにプロポーズをして、見事伴侶になってくれた相手だ。今は新婚旅行から戻ってきたところである。

 こうした流星に祈りを捧げる習慣はこの星にはなかったので、かつて転生した異邦人が教えたものだと思われる。

 しかし、その異邦人自体が流れ星になったなど、誰も思いもしなかっただろう。


 覇王彗星掌。


 アンシュラオンがコンボの最後に使った技こそ、デアンカ・ギースをあっさりと葬り去った覇王流星掌の対となるもの。

 流星がばらけるのに対し、彗星は一つの大きな力となってクロスライルに直撃。



 そのまま数百キロ先の荒野にまで吹き飛ばし―――激突!!



 激しい衝撃で大地が揺れ、巨大なクレーターがまた一つ増えたのであった。


 これにて決着。


 アンシュラオンの完全勝利である!!!




605話 「ホワイト完全消失」


「うん、だいぶ身体のキレも戻ってきたかな」


 覇王彗星掌を放ったアンシュラオンは、自身の身体を確認。

 多少の疲労感はあるものの、まだまだ力は漲っている。ちょっと腕立て伏せをして疲れた程度、といえば常人にもわかりやすいだろうか。

 むしろウォーミングアップが終わって、身体がピークの状態に近づいている感覚があった。

 覇王彗星掌は因子レベル8で放てる超必殺技なので、使えばかなりの戦気を消費する。もし普通の武人ならば、一発撃てばすべてのBPを失うほどである。

 もちろんアンシュラオンも相応のBPを消費するわけだが、超一流の武人とそれ以外を分けるものがあるとすれば『継戦能力』が挙げられるだろう。

 洗練された練気によって、生体磁気から急速に戦気を捻出して補充し、すぐさま戦える状態を維持する。

 これができなければ、いくら強くても生き残ることはできないのだ。


「あの山と比べると、こっちは生温いからな。どんどん弱くなっていく気がするけど…しょうがないか。その意味ではクロスライルには感謝だな。いい練習になった。鏡体を出すのも久々だしね」


 激闘に見えたかもしれないが、はっきり言ってこんなことは自分にとっては日常的な戦闘にすぎない。

 火怨山での生活は文字通り二十四時間、生き残るために必死だった。これほど強くても気が抜けないような場所だったのである。

 それと比べればここは天国のような場所だが、だからこそ心配になる。運動を三日サボれば筋肉は衰えていくものだ。


(周囲の環境は重要だよな。こんな状態じゃ姉ちゃんに襲われたら終わりだ。それとも姉ちゃんも弱くなってる…わけがないな。あの人を普通の価値基準で考えたら駄目だ。一度どこかで鍛え直さないといけないかもな)


 姉の気配が色濃くなってきたことによって、危機感が芽生えてきたことも大きな変化だ。

 今後はサナの育成だけではなく、自身のコンディションにも気を配らねばならないだろう。

 そして、『転生者』も気になる。


(クロスライルの話によると、転生者もかなりいるようだな。全員が戦闘に特化しているわけではないと思うが、それでもあれだけ特殊な力を持っていたんだ。あいつより強いやつもいるんだろうな)


 自分がクロスライルに勝てたのは、もともとの『魂の強さ』と『恵まれた環境』があったからだ。

 クロスライルは百五十年前に来たそうだが、元教師ということもあり、本来は温和な人物だった可能性も否めない。

 では、もし自分と同じような生来的に「危ない人間」かつ、同様に苛烈な環境で育った異邦人がいたら、どうだろうか?

 当然ながら彼らにも特殊な能力が付与されているだろう。それを扱いこなせるほどに鍛錬していたらどうなるか。


(ふーむ、気を緩めてはいけないな。敵は姉ちゃんだけじゃないぞ。出会う転生者も大半が敵だと思ったほうがよさそうだ)


 異邦人同士は、出会ったら闘う宿命にある。

 「同郷なんですね! 仲良くしましょう!」などという寝ぼけた話をするわけがない。

 戦闘能力がなければ闘いを放棄するかもしれないが、最初は対立が基本姿勢であることを忘れてはいけない。

 これからは初心に戻って、より強度の高い防衛策を練るべきだろう。


 と、それはこれからの課題なので、まずは【後始末】が先だ。



 アンシュラオンは、穴があいた収監砦に戻る。

 屋上から入り、地上部を抜けて、再び地下闘技場にまで到達。

 闘技場は激しい戦いによってズタボロになっていた。

 地球でも東欧などでは、紛争の爪痕が色濃く残っている場所もあるが、あれと同じように壁は穴だらけで半壊し、床も抉れて溶けている部分も見受けられる。

 恐ろしいのは、これらはすべて遺跡の素材であることだ。

 本当の武人同士が戦えば、旧文明の技術さえ簡単に上回ることを、あっさりと証明してしまったのだ。

 この遺跡が「人間の可能性」を怖れた理由が、まさに目に見える形で示されたといえるだろう。


「さて、まだ生きているかな?」


 アンシュラオンは命気で足を固定しながら壁を歩き、天井端に設置されている特別観戦席にまで行くと―――


 ドンッ!!


 壁を叩いた。

 この壁は地球で言うところのマジックミラーになっており、こちら側から見れば壁だが、向こう側からは見通せる仕組みになっている。


 ドンッ!!

 ドンッ!!


 そこに向かって拳が叩きつけられるたびに―――


 ビシッ!!

 ビシッ!!


 亀裂が入っていく。



「はっ、はっ、はっ!!」



 観戦席なのだから、中には『ヒト』がいた。

 彼らの眼が映し出すのは、壁に張り付いて拳を叩きつけている『何か』。

 見た目は少年だが、赤い瞳は血のように真っ赤に燃え盛り、口元は歪んだ笑みを浮かべてニタニタしている。

 知能は極めて高く、ずる賢くて狡猾。

 常に弱者の弱みを握って操ることで『闘争の舞台』を生み出し、自身は笑いながら高みの見物を決め込む。

 彼も『役者』として登場するが、あくまで自身が愉しむためのものにすぎず、危険はけっして冒さない。

 基本は手駒を使って状況を動かし、自身の思い通りの結果を導き出す。

 そして本質は、凶悪にして凶暴。

 こうして遺跡の壁さえも簡単に壊せる強さを持ち、血に飢えた化け物。

 人間の世界で怖れられる殺し屋さえ、ほとんど苦戦もせずに打ち倒す戦闘能力を有する。

 さらに最悪なことに、この存在は相手を苦しめることを『喜悦』としている。

 今も一気に破壊できるにもかかわらず、ゆっくりと破壊することで中の『ヒト』に恐怖を与えて笑っているのだ。


 ビシビシッ バゴンッ!!


 ついに壁が破壊。

 これで彼らの身を守るものは何もなくなった。

 なんという肌寒さなのだろう。温度がマイナスになってしまったかのように、突き刺すような『こごえ』を感じる。


「ふーん、競馬場を思い出すな」


 剥き出しになった観戦席を覗き見ると、競馬場の馬主席に似た豪華な造りになっていた。

 ここでは地下の賭けにも参加できる仕組みがあり、まさに地上の一部の特権階級の人間の娯楽場になっていることがうかがえる。

 地下の人間は生活のために必死に戦っているのに、なんともいいご身分である。

 だが正直、彼らを羨む者は極めて少数だろう。

 その末路が、こんな化け物との遭遇であるのならば、金を払ってでも貧民でいたいと思うに違いない。


 トンッ


 少年がゆっくりと中に入り、周りを見る。

 そこにいたのは、六人の男たち。

 もともと十数人はいたのだろうが、その半数以上はすでにバラバラにされて、入り口あたりに『物体』として散乱している。


「チュキッ!!チュッキィイー!(偉大なる指導者様に敬礼!!)

「チュキーッ!!(敬礼!!)」


 扉の前にいたモグマウス隊長の号令とともに、モグマウスの兵隊たちが偉大なる主に対して敬礼をしてみせる。

 あまりの激しい戦いに恐れをなした一部の男たちが逃げ出そうとしたが、待ち伏せていたモグマウスたちに惨殺され、見せしめとして晒されたのだ。

 逃げ道を塞がれた彼らは、ただただ『審判の時』を待つしかなかった、というわけだ。


「サナたちのほうはどうだ?」

「チュキッ!!(異常なしであります!)」

「ご苦労。そのまま警戒を維持しろ。近づく者は全員殺せ」

「チュッキッ!!(了解!!)」


 レイオンに稼がせた八分間は、極めて有意義な時間であった。

 その間にモグマウスを生み出して周囲に放ち、グマシカたちの干渉がないか調べさせつつ、この観戦席の通路をあぶり出していたのだ。

 その数、およそ百匹。

 アンシュラオンの最大操作数が五百なので、その五分の一を使っていたことになる。

 ここで重要なのが、これだけのモグマウスを維持しながらクロスライルと戦っていたことだ。

 加えて鏡体で二百匹分の力を割いたため、実質半分の力でクロスライルを圧倒したのだ。その事実はまさに驚異的である。



「やぁ、久しぶりだな。元気にしてたか?」


 そして、くるりと向き直り、『その男』を見る。

 頭に包帯を巻いた、眼球が剥き出しになった異形の男。

 自分のことが憎くて憎くてたまらず、ホテル襲撃さえ企んだ陰湿な復讐者だ。

 彼は目を見開きながら、こちらを凝視していた。

 さすがの彼もクロスライルが簡単に負けるとは思っていなかったのかもしれないし、アンシュラオンの力が想像を超えていて仰天したのかもしれない。

 どちらの理由にせよ、彼は完全に追い詰められていた。

 背後にはモグマウス、前にはアンシュラオン当人。

 逃げ場などは、もうない。


「はっ、はっ、はっ!!」

「どうした? オレに会いたかったんじゃないのか?」

「はーー、はーーっ!!!」

「そう遠慮するなよ。もっと近寄れよ。なぁ?」


 アンシュラオンが近寄り、その男、ワカマツの眼球に指を伸ばす。

 ワカマツは荒い呼吸を繰り返しながらも、微動だにしなかった。

 否。動くことができなかったのだ。

 一歩たりとも動けず、眼球はただ迫り来る指に向けられる。


 つつ ぴた


 その指は、優しく優しく黒目に触れた。

 指先を命気で覆っているので痛みはない。

 むしろそれによって目の乾きが潤い、痛みが和らいでいく。


「はーー!! はーーーっ!! ううう、ぐうううっ!! ああああ!!」


 アンシュラオンは、いつでも黒目を焼くことができる。

 またあの炎を焼き付けることができる。

 ワカマツの脳裏に、頭部を焼かれた時の映像が何度もフラッシュバックしては、当時の痛みが蘇ってくる。

 だが一方で、触れられて感じる『心地よさ』に相反する感情が交錯もする。

 完全に頭はパニック状態だ。

 そのうえで優しい言葉をかける。


「お前は本当に役立ってくれた。お前のような人材をずっと求めていた。そして、予想通りに動いてくれた。感謝しかないよ」


 多少の邪魔が入ったとはいえ、ワカマツがいたからこそホテルを捨てることができた。

 彼というパーツは、「ホワイト死亡」にとって重要な要素だったのだ。

 だからこそ、まだ使い道はある。


「お前に頼みがあるんだ。いやいや、なんてことはない。たいしたことじゃないよ。組織に戻ったら、普通に『ホワイトは死んだ』と言ってくれればいい。それと、オレの命令があったら内部情報を流してくれるだけでいい。な、簡単だろう?」


 なんと、ここに及んでさらに搾り取る腹積もりである。

 彼の両足も重度の火傷も、すべてこの男がやったにもかかわらず、意図的に復讐者に仕立て上げたにもかかわらず、まだ利用しようというのか。


 『ヒト』のことなんて、なんとも思っていない。


 その赤い瞳の中に、人権保護やら思いやりといったものがまったく感じられない。

 当然だ。

 この存在からすれば、ヒトなど道具にすぎないのだ。

 ただ生かしてやっているだけの下等生物であり、娯楽でたまに潰すか、ペットの餌であるゴキブリと同程度の価値しか見い出していないのだ。

 自分に従わない人間は、すべてゴミ。

 その価値基準にまったくブレがない。


「はーー、はーーーっ!! かっかっ…かかっ!! かっーー!!」


 ワカマツは、もう声が出ない。

 あまりの圧迫感に喉が絞まって、ニワトリが死ぬ時のような声を出すだけだ。

 呼吸困難もあいまって、どんどん顔色が悪くなっていった。(包帯でよく見えないが)


「なぁ、オレのお願いだ。聞いてくれるよな?」

「う、うぁああああああ!!」


 その時、ワカマツの背後にいた男が、入り口に向かって走り出した。

 人間、極限状態に陥ると思考が完全に失われるらしい。

 こんなことは何度も見てきたので、いまさら言うことでもないだろうか。

 結果もいつも通り。


 ザクザクザクッ バラバラバラッ


 即座にモグマウスたちにバラされ、細切れの物体に早変わり。

 人間とは、思考するから価値がある。思考しない肉片になれば、もう価値はない。


「ん? 何をやってんだよ。もったいない。まあ、畑の肥料にするからいいけど、せっかく人間として生きているなら、もっと役立つ死に方をしてくれよな。くだらない犯罪で死ぬくらいなら、悪党を殺す道具になれって話だよ」


 物は有効利用しなければ資源の無駄になる。

 常々言っているように、悪で悪を殺すためには『鉄砲玉』が必要なのだ。

 たとえば無関係な人々に対する放火や殺人をするくらいなら、社会に潜む悪を殺すために命を投げ打ってもらいたいものである。

 狙うのならば一般家庭ではなく、あくどい商売をして儲けている外資系の会長を狙ったほうがいい、という話だ。

 あるいはそれを操っている金融街の一部の民族を狙えば、少しは世の中も良くなるに違いない。

 それならば同時に駄目な人間を排斥できるので、まさに一石二鳥。合理的で無駄がない美しい手法となる。

 ただし、そこにあるのは人間を人間と思わない『冷徹』さだ。


 その視線に長時間晒されてしまえば―――



「はひっ、はひっ! ひっひっひっ!! ―――ヒグッ!!」



 突然ワカマツがびくんと跳ね上がると、しばし停止。

 何事かと思って見ていたら再度動き出し、笑う。



「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!! ヒャヒャヒャヒャッ!! アーーー、アーーーー!!」



 瞳孔が常に上下左右に動き焦点が定まらず、よだれを垂らしながら床に這いつくばる。

 自ら頭を床に打ちつけ、アンシュラオンの靴よりも下の位置に赴こうと試みる。


 精神が、完全に破壊。


 残念ながら人間の心には限界、リミッターが存在する。

 極限までの恐怖と圧力から身を守るために、彼が選択したのは『自己破壊』であった。

 生存本能は、命を生かすための最善の方法を選択した。

 現実からの完全なる逃避および、ヒトを上回る存在に対する完全なる服従。

 それを示すために、自ら精神を崩壊してみせたのだ。


「まったく、壊れたら役に立たないだろうに。まあいい。肩書きさえあれば十分だ。ほら、一応これを持っていけ」


 どさっとアンシュラオンが投げ捨てたのは、小柄な『死体』だった。

 これも制裁の時に仕入れた少年の死体の一つであり、ホテルで使ったものの予備である。

 姉の術式によって死体まで消えてしまったため、せっかくの工作が無駄になるところだったが、ワカマツに与えるのが一番良い始末の方法だろう。

 顔は潰してあるが、それなりに整えて似せてあるので、精度としては十分だろう。


「アーーー! アーーー!!」


 ワカマツは謎の奇声を発しながら、死体を大切そうに抱きしめる。

 彼からすれば、服従する相手からもらった大切な贈り物に思えたのかもしれない。


「次はお前たちの番だな」

「ひぃっ……」


 アンシュラオンに視線を向けられた男たちが、全員失禁。

 股間を濡らすだけではない。目からは涙が零れ、汗が噴き出し、ついでに嘔吐もする。

 まったくもって不快な生物たちだが、駒がないよりはましだろう。


 この後、全員がアンシュラオンの威圧と折檻を受けて精神が崩壊。


 彼らは解放されて元の組織に戻っていったものの、半狂乱になって支離滅裂な言動を繰り返す者が続出し、正常な社会生活を送れた者は一人もいなかったという。

 ワカマツに至っては、あの死体が腐乱しても抱きしめることをやめず、それを見たジャグ・モザートも体調不良を訴えて隠居を考える等々、組織自体が存亡の危機に陥ったとも聞く。


 死は、魂の解放である。


 この言葉をより物理的に実感できる良い見本であろうか。

 彼らは肉体が壊れたのではない。強烈な恐怖を受けて【魂が破損】してしまったのだ。

 こうなれば修復は簡単ではない。死んだのちも長い療養が必要になるだろう。

 ともあれ、これによって『ホワイト』という人物は、完全に消失することになる。

 その名は一部で語り継がれ、時折アンシュラオンが偽名として使うことがあるものの、公でこの名が表舞台に立つことは二度となかった。




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