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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第十章 「下克上 完結」 編


606話 ー 614話




606話 「新たな手駒」


「何か異常があったらここを押すんだぞ」

「なんだこれ?」

「警報装置みたいなものだ。危ないと思ったら押せばいい」

「…? よくわからないけど、わかったよ」

「いいか、お前を男と見込んで頼んでいるんだぞ。みんなを守れるのはお前だけなんだ。わかるな?」

「お、おう! 任せてくれよな! おいらだって男だ。やるときはやるぜ!」

「さすがオレの見込んだやつだ。頼んだぞ!!」

「でも、意外だな。あんたがおいらをここまで信頼しているなんて思わなかったよ」

「中にいるのは老人と女子供だけだ。レイオンも動けないし、お前が守るしかないだろう。安全は確保しているつもりだが、警戒を解かないほうがいいに決まっている。朝になったら移動する予定だから、それまで寝ずに見張っていろよ」

「わかった。任せておいてくれ!」

「うむ。任せたぞ。次にサナとサリータ、こっちに来なさい」

「…こくり」

「はい、師匠!」


 サナとサリータを少し離れた場所に呼びつける。

 トットには聴こえないように、二人には小声で話す。


「今晩はこの穴倉で過ごしてもらうが、それまでの警備をサリータに命じる」

「はい! お任せください!」

「もし敵がやってきたら、あいつを盾にしろ。あそこの土壁は壊れやすいようにしてあるから、爆破一つで簡単に埋められるはずだ」

「ホテルから脱出する際に使ったやつですね!」

「そうだ。あれと同じものだ。ほかにもいくつか作ってあるから、遠慮なく爆破してかまわないぞ。それで時間を稼いでいる間に外に出ればいい。穴の出口は複数あるから、間違えないように地図を記憶しておくんだぞ」

「はい!」

「わかっていると思うが、最優先で守るのはホロロさんたち身内だからな。序列に従って助ける優先順位を決めろ。それ以外で何かわからないことがあったらホロロさんかマザーに訊くんだ。負傷者が出たらバイラルに言えばいいからな」

「わかりました!」

「そうそう、マザーの序列はホロロさんと同列だからな。忘れるなよ」

「了解です!!」


 サリータは警備を任されたのが嬉しいのか、目を輝かせて威勢の良い返事を繰り返す。

 このあたりはさすが『サリータン・ハスキー(番犬)』なのだろうが、飼い主としては心配だ。


(本当に大丈夫か? ホテルではちゃんと動けたが、まだ若干不安だな…。ようやくサナが最低限使えるくらいに成長して嬉しいものの、他の課題は多いんだよな。サリータも鍛えないと安心して使えないよな。今晩くらいは大丈夫だと思いたいけどね)


 武器や道具を使ってギリギリ一般の裏スレイブと渡り合える程度では、実力としてはまだまだ物足りない。

 最低でも今のサナくらいになってもらわねば、安心して任せることはできない。これも今後の課題といえるだろう。


「サナはオレと一緒に少し外に出るぞ。体調は戻ったな?」

「…こくり。…ぐっ!」


 サナは拳を握ってやる気を見せた。

 セクトアンク戦での怪我はすでに癒えているので、能力面ではほぼ万全のようだ。


「よし、いい返事だ。行くぞ」




 アンシュラオンはサナと一緒に、薄暗い穴の中を移動する。

 この穴はホテル脱出時に使った抜け道と同じく、アンシュラオンがラングラスエリアの壁を破壊して地中に掘ったものである。

 仮に敵が侵入してもいいように複雑に絡み合うように道を配置しており、各所には罠も仕掛けてある。

 ここまでやってくる敵がいるかはわからないが、偶然見つける可能性も否めないため警戒レベルは下げないでいた。


(グマシカたちが動けない以上、余計な心配かもしれないがな。とりあえずサリータの鍛錬になればいいか)


 もちろんサリータだけでは不安なので、自動操作のモグマウスたちを配置している徹底ぶりだ。

 それでも形式的に任せているのは、できるだけ実践の機会を与えるためである。

 ホテル同様、彼女たちの行動を試しつつ鍛錬も兼ねる、といった具合だ。

 トットは使い道があまりないので、警備員として使えれば上等だろう。

 簡単にいえば『自爆要員』であるが、人間が自爆すれば誘導式爆弾と変わらないので、それなりに役立つに違いない。


(老人も多いからつらいとは思うが、夜の間はここで我慢してもらうか。地下生活が長かったから特に問題はないかな。しかし、予定より大所帯になったもんだよ。人数が増えると面倒も多くなるんだよな…)


 地下から脱出したのは、ソーター(ニーニアの祖父)を含めて二十七人。

 少し数が多くなったのは、バイラルが面倒を見ていた患者が加わったからだ。

 多くは高齢で行き場のない弱者であり、見捨てておくわけにもいかないので連れてきたというわけだ。

 ラングラスエリアは、やはり生活環境があまり良くはなかった。そのうえ地下は一種の「姥《うば》捨て山」でもあるため、社会的弱者が集まるのだから困ったものである。

 それをギリギリ支えてきたのが、ミャンメイの存在だ。

 特殊な能力を持つ彼女が炊き出しをしていたおかげで、子供や老人たちも最低限の栄養を摂れていたのである。

 それがいなくなった今、放っておけば体調を崩すのは明白であろう。


(ミャンメイの件はオレが招いたミスでもあるからな。そこは自分のためにも責任を取らないといけないよな。後味が悪いのも嫌だしさ。でも、地下全体の損害はオレのせいじゃないし、復興は自力でがんばってもらうしかないよね)


 自分が責任を負うのは、深く関わったラングラスエリアのみである。

 (原因を作った当人ではあるが)クロスライルの来襲に関しては何の責任もない。あるとすればグマシカであるし、都市に連れてきたラングラス本家の責任だ。

 ただし、今現在はハングラスが物資を提供して立て直しているようだ。

 ハングラスもかなりダメージを負ってはいるものの、地下では最大勢力である。ここで動かないわけにもいかないのだろう。

 そしてこんなことがあれば、闘技場が今後も継続するかは不明だ。

 もしそうなれば、地下の勢力が『ハングラスに統一』される可能性さえ出てくるだろう。それを見越しての援助なのかもしれない。

 この都市では常に派閥争いが関わってくるのだ。


(やれやれ、よく飽きないものだよ。派閥争いなんてお遊びはソブカに任せておくのが一番だね。オレは美味いところだけ吸えればいいや)


 隣には、サナがいる。

 自分は早足で歩いているが、彼女は小走りでしっかりとついてきていた。

 その姿は、実に愛らしい。

 自分の意思で見い出し、手塩にかけて育ている妹であり、娘ともいえる存在だ。


(サナが無事ならばいい。サナが成長すればいい。すべてはそのためにある)


 サナを穴倉に置いていく選択肢もあったが、ここ最近は予想外のことも多かったため、今回は一緒に動くことにしたのである。

 クロスライルの無頼を否定した以上、サナの面倒を最後まで見るのが筋というものだろう。

 サナだけいればいい。

 初志貫徹。最初に抱いた志を忘れないように、黒い少女に深い愛情を注ぐのであった。




 それから少し移動。

 遠隔操作で張っていた罠を解除して外に出ると、周囲は岩山だった。

 その隙間から北東を覗き見れば、城壁に覆われた都市の姿が陽炎のように映る。

 アンシュラオンの視力でそうなのだから、ここはすでにグラス・ギースより何キロも離れている場所である。


 つまりは―――【完全なる外】


 すでに城壁を越えて荒野に出ていた。

 城壁とはいったい何なのか、と問いたくなる惨状であるが、地下対策が甘いほうが悪い。

 時刻はすでに夜になっているため完全に暗闇。一般人が自分たちを見つけることは不可能だろう。

 では、なぜこんな場所にわざわざやってきたかといえば、都市を見捨てるためではない。

 たしかにこうして改めて見れば、荒野にぽつんと存在する小さな存在だ。こだわる理由はまったく見当たらない。

 ただ、一応はサナと出会った『思い出の場所』ではある。そういった意味では感慨深いものもあるだろうか。


(領主は最低だけど、まだ利用価値がある場所だ。もう少し関わってもいいかな。さて、あまり悠長にしている余裕はないな。さっさと行くか)


「サナ、少し飛ばすぞ。魔石を使ってもいいから走ってついてくるんだ。ついでに耐久テストもするからな。本当に全力を出してみな」

「…こくり」


 アンシュラオンが走り出すと同時に、サナも駆ける。

 時速百キロくらいまでは自力でなんとかついてきたが、さらに時速が上がると難しくなり、潔く魔石を解放。

 雷光の速度で走れば、時速三百キロ程度で走れることも確認する。

 が、欠点も把握した。


(光ってる! すごい光ってるよぉぉおおおおお!)


 走るたびに雷が発生するので、この暗闇では非常に目立つ。

 これでは隠密行動は難しい。使いどころは見極めねばならないだろう。

 ただし、その雷を「やばい魔獣」と勘違いした荒野の魔獣たちは逆に遠ざかっていったので、場合によっては虫除けにも使えるかもしれない。


 あとは持続力の問題だ。


 幸いながら目的地は一時間もかからずに到着したが―――


「…ふぅ、ふぅ」


 サナが息切れしていた。

 賦気を施していない状態だと、三十分程度が限界らしい。

 かなり速く走ったことを考えれば十分な数字だが、戦闘時はもっと消耗が激しい。これでは不足である。


(継続戦闘能力に関しては、かなり問題があるな。そもそもサナ自体が子供で体力も低いし、今後の課題はそのあたりかな。オレの命気補助がなくても最低二時間は戦えないと話にならない)


 荒野の戦いでは休憩時間など存在しない。

 これからは強度の高い戦いを連続して与えることも必要だろう。

 それによって持久力を養えれば、さらに魔石の力を引き出すことができるに違いない。

 サナを連れてきた価値を実感しつつ、「それ」に視線を移す。



―――クレーター



 そこには全長五百メートル以上はありそうな、大きなクレーターが存在した。

 強力な力で強引に大地が抉られた痕跡が、ありありと残っている。

 この惨状から想像するに、近辺では相当な衝撃が発生したものと思われる。その証拠に周囲には魔獣の気配は皆無であった。

 こんなものが空から落ちてくれば、野生動物は即座に逃げ出すだろう。あえてやってくるような物好きは人間くらいだ。


 そして、抉れた中心部には『人』がいた。


 倒れたまま、ぴくりとも動いていない。

 アンシュラオンは近づき、ここに来た最大の目的であるその男、クロスライルを調べる。


「やはりな。まだ生きている」


 衣服はかなりボロボロになっているが、まだ死んでいなかった。



 より正確にいえば―――【時間を止めている】



 彼は自身の時間を止めることで仮死状態を維持。

 それによって『死ぬ時間を遅らせている』のである。


「ふむ、戦っているときから感じていた違和感はこれか。どうりで打たれ強いわけだ」


 覇王彗星掌を受けて死なない段階で異常であるし、戦いの途中でも妙なタフさを発揮していたものだ。

 その理由はクロスライルの特異能力にある。

 彼の『時間操作』は戦いの時に説明した通りであり、操作できるものは手や戦気で干渉している部分に限られる。

 これを拡大解釈すると、戦気で覆っている自分自身もその対象とすることが可能、というわけだ。

 これだけの闘争を百五十年続けても肉体が若いのは、このスキルが大きな影響を与えているからだろう。あるいは『空間加減速』も併用しているのかもしれない。

 しかしながら、これを意図的に行っているわけではなかった。

 ほとんどは無意識なので発動もまちまちで、今やっているような仮死状態などは試したこともない。(試す段階で危ない)

 であればこそ、彼も戦いながら『進化』しているのだ。

 アンシュラオンとの戦いによって生死の境目をさまよった結果、能力がより強く発現したと考えるべきだろう。


―――――――――――――――――――――――
名前 :クロスライル

レベル:99/150
HP :320/6200
BP :120/1460

統率:E   体力: A
知力:C   精神: AA
魔力:A   攻撃: AA
魅力:B   防御: B
工作:A   命中: S
隠密:A   回避: A

【覚醒値】
戦士:6/8 剣士:3/5 術士:3/5

☆総合: 第四階級 魔戯《まぎ》級 銃戦士

異名:転生無頼者
種族:人間
属性:火、炎、時、夢、虚、滅
異能:クロスアブリシオ〈交錯せし撃鉄〉、銃剣の女神に愛された者、時間操作、空間加減速、高速装填、火耐性、即死無効、毒無効、精神耐性、無頼、記憶混濁
―――――――――――――――――――――――


(強いな。武人として全体的に申し分がない能力だ)


 タイプとしては、命中が高い攻撃型戦士、であろうか。数値的にはバランスタイプともいえるかもしれない。

 覚醒値も三種ともに高い数値を誇っているので、さまざまな戦況に柔軟に対応できることも強みだ。

 ただし、クラスが『銃戦士』となっていることからも基本は戦士タイプであり、剣王技を自在に操るマルチな戦い方はできないようだ。

 むしろ下手に剣気を出して戦うと、バランスが崩れてしまうかもしれない。

 当人もそれを自覚していたのか、アンシュラオンとの戦いでは剣技はほぼ使っていなかった。

 それだけを見てもクロスライルは、極めて高い戦闘センスがあることがわかる。


(もっとも重要な点は、これでまだ発展途上ということだ。こいつはまだまだ強くなるぞ)


 クロスライルは単純に強いが、さらに伸びしろがあることが驚異的である。

 おそらくこれが『異邦人』の特徴でもあるのだろう。

 女神が地球から魂を呼ぶのは、『人の可能性』を示すためでもある。

 貪欲なまでの闘争本能を持つ彼らは、この星の魂よりも自我が強く、その分だけ肉体的な可能性も高く設定されているようだ。

 魔戯級といえば支配者〈マスター〉たちとも戦えるレベルにあるので、十分に超人の仲間入りを果たしていた。

 たまたまアンシュラオンのほうが、より強い超人だったにすぎない。

 忘れられていそうなので改めて自分のステータスを出すと、こうなる。


―――――――――――――――――――――――
名前 :アンシュラオン

レベル:122/255
HP :8300/8300
BP :2230/2230

統率:F        体力: S
知力:C        精神: SSS
魔力:S        攻撃: AA
魅力:A(※SSS)  防御: SS
工作:C        命中: S
隠密:A        回避: S

※姉に対してのみ、魅了効果発動

【覚醒値】
戦士:8/10 剣士:6/10 術士:5/10

☆総合:第三階級 聖璽《せいじ》級 戦士

異名:転生災難者
種族:人間
属性:光、火、水、凍、命、王
異能:デルタ・ブライト〈完全なる光〉、女神盟約、情報公開、記憶継承、対属性修得、物理耐性、銃耐性、術耐性、即死無効、毒無効、精神耐性、扇動者、年下殺し(恋愛)、妹過保護習性、姉の愛情独り占め
―――――――――――――――――――――――


(まったく変わっていないな。…レベルってどうやって上がったっけ? 必要経験値とか表示されないから、わからないんだよな…)


 何も変わってはいないが、明らかに強い。強すぎる。

 が、それは下界での話であり、火怨山の中にいるとあまり目立たなくなる。

 レベルも100を超えると一気に上がりにくくなるため、クロスライルがあれだけ戦闘していても100の壁を超えられないことも頷けるものだ。

 また、ステータスは戦闘では常時大幅に変化するため、単純に数値では測れないものがある。あくまで目安で考えたほうがいいだろう。


(オレの修行はまた考えればいいや。それよりサナは―――)


 自分はいいのだ。サナさえいればいい。

 ということでサナも見てみると―――


―――――――――――――――――――――――
名前 :サナ・パム

レベル:27/99
HP :690/690
BP :280/280

統率:E   体力:E
知力:E   精神:E
魔力:E   攻撃:E
魅力:A   防御:E
工作:E   命中:D
隠密:E   回避:E

【覚醒値】
戦士:2/5 剣士:2/5 術士:1/5

☆総合:第八階級 上堵《じょうど》級 剣士

異名:白き魔人に愛された意思無き闇の少女
種族:人間
属性:闇
異能:トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉、エル・ジュエラー、観察眼、天才、早熟、即死無効、闇に咲く麗しき黒花
―――――――――――――――――――――――



「上がってるぅううううううううううう!!」



 もはや定番といっては失礼だが、サナがまた超進化を遂げていた。

 今回は単純にレベルが15から27に、12も上昇していることが判明。

 それに伴い、階級が中鳴級を飛ばして『上堵級』にまで変化。魔石無しでこの段階にまで至ったことは非常に重要かつ朗報である。

 覚醒値も上昇し、戦士と剣士因子もさらに上昇。

 地下闘技場の戦いは無駄ではなかった。セクトアンクは死んでしまったが、キングたちとの激闘が彼女の才能を引き上げたのだ。

 そのことには大いに感謝するのだが、依然として変わらぬ『問題』があるのも事実だ。


(ううむ、レベルは上がっているが、やはり上昇率が悪い。戦士因子があるから上堵級になっているのだろうが、出会った頃のラブヘイアと同レベルってところかな)


 こうして見比べると、ラブヘイアが優れた武人であったことが証明される。

 彼はサナより低いレベルの段階で、能力値は彼女を超えていた。剣技のキレも上だろうし、素で見ればラブヘイアのほうが強い。

 そして今は『獣魔化』という謎の進化も遂げているので、戦闘力はクロスライルと同等と考えてよいかもしれない。

 だが、サナにも『魔石』がある。これも強力な武器の一つだ。


(それだけでも幸いと思うべきかな。魔石を使えばマキさんを超えられるんだし、ひとまず満足しておこう。武器を新調したり技術を上げていったりすれば、まだまだ伸びるだろう。なにせ『天才』で『早熟』だしな。いいぞ、楽しくなってきた! 着実に成長しているじゃないか!)


 サナが強くなるのはいつものことなので驚かず、今ではもっと強くするにはどうすればいいのか、に関心が移っていた。

 人間、慣れとは恐ろしいものである。

 これがあまりに異常であることには、やはり気づいていない。

 火怨山が異常すぎた。周りにいた人間が本当におかしかったので、小さな数字の変化に鈍感になっているのだ。

 一億円の貯金がある人間が、数万円のお年玉をもらって騒いでいる子供たちを見て、「ははは、可愛いもんだな」と思うことに似ている。

 そして、地味に術士因子も1上昇しているが、これは魔石を操るようになったからだろう。

 属性系の技を使う際には、術士因子があったほうがより強化されるため、こちらも高いほうがよい。




「おっと、あまり放っておいたら死ぬか。さっさと助けてやろう」


 アンシュラオンが急いでここにやってきたのは、クロスライルを『助ける』ためだ。

 あの闘人は相手をホールドするためでもあったが、実際は『保護』する目的もあったのだ。

 覇王彗星掌をまともに放てば死ぬ可能性が高かったので、闘人をクッションにしようと考えていた。

 しかし、彼が闘人を吸収してしまったために『予定』が狂ってしまった。


「相手の戦気を吸収して弾丸にする、か。あれも面白い力だな。さすがに自分の力だったから足が痺れたよ」


 アンシュラオンも勢いで蹴り返したが、少し驚いたものだ。

 『時間操作』と『空間加減速』に加え、奥の手まで持っている。

 戦闘系のスキルを三つも保有していることからも、ここで殺すには惜しい人物だ。

 アンシュラオンは命気を放出し、クロスライルを包む。


「能力を解除していいぞ。オレが回復させてやる」


 声が聴こえたのかどうかは不明だが、クロスライルは本能的に助かると感じたのだろう。能力を解く。

 その瞬間から彼の身体が軋み、崩壊を始めた。

 が、それ以上の力で修復が開始されたため、肉体は蘇生もされていく。

 破壊と再生。

 両者は相反するものでありながら同一。


 およそ三十分かけて、クロスライルの身体は元通りになった。


 同じ異邦人のせいか相性も良く、命気の吸収率もかなり高かったようだ。左腕の再生も一時間もかからずに終了する。


(今まで命気を使ってきて思ったが、どれだけ自分と『肉体的相性』が良いかが重要なんだな。相手の能力はあまり関係がないらしい)


 命気も戦気の進化系であるため、自身の生体磁気によって生み出される。

 その吸収率は、肉体を構成する要素の類似性によって決まることが、少しずつわかってきた。

 サナは受容性が極めて高いので言わずもがなであり、クロスライルはアンシュラオンと気質が似ているのでこちらも良好だ。

 他方、ビッグの再生には思ったより時間がかかったことを考えると、かなり相性が悪いのだろう。(相手も相性が良くありたいとは思っていないだろうが)


「………」

「おい、起きているんだろう?」

「………」

「狸寝入りはやめろ。そのまま押し潰してやってもいいんだぞ」


 呼びかけても応えないため、命気水槽を圧縮して肉体に負荷をかける。

 その気になれば水覇・渦鉋《うずかんな》を発動させ、細かくすり下ろすことも可能だ。

 そうして脅しをかけると、ぱちっとクロスライルの目が開いた。

 やはり起きていたようだ。


「…ったく、少しくらいは油断しろよ。可愛げがないぜ」

「男に好かれたい理由もないからな。かまわないさ。で、どうする? まだ続けるか? 望むなら、とことん痛みを与えてやってもいいぞ」

「わかった、わかった。降参だ。負けたよ。あんたには勝てねぇ」

「本心か?」

「ああ、本当だ。全力を出して負けた。悔いはないし、殺されても文句は言えねえよ。…が、こうやって生かしたところをみると、まだオレに用事がありそうだね」

「簡単な話だ。オレに従え」

「ストレートだね」

「お前は使えるやつだ。こっちは手駒が少ないからな。強い武人はいくらでも欲しい」

「一応オレ、殺し屋組織の人間だけど?」

「いまさら言うことか? 裏切る気満々だっただろうに」

「カカッ、わかった? そりゃわかるよな」

「その組織についても知りたいもんだな。どんな連中だ?」

「オレも全部を知っているわけじゃない。所属していたのは末端の実働組織だからな」

「知っていることだけでいいさ。普通の組織じゃないことはもうわかっているからな」

「あとでまとめて資料を提出してやるよ。治療の礼としちゃ安いもんだ」

「はは、学校を思い出すな」

「このへんは性分でね」

「もう一度言うぞ。オレに従え。そうすれば、まだまだ強くなれる。満足はしていないんだろう? 上を見たなら、そこに到達したいと思うのが武人の心情だ」

「…なるほどね。そういう勧誘の仕方か」

「べつに部下になれと言っているわけじゃない。無頼者のお前にそんなことは不可能だ。だからギブアンドテイクでいいさ。利益があると思ったら案件ごとに契約して動けばいい。それなら今までとそう変わらないだろう? 『首輪』を付けられるよりはましだと思うけどね」

「………」


 この首輪とは、JBのこと。

 正しくは、JBの核として存在していた『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』のことを指す。

 クロスライルのこの反応を見れば、その仮定が正しかったことがわかる。

 何かしらの波動を出して構成員を監視していたのだ。

 それがなくなった今、クロスライルはまさに自由である。


「…ま、しょうがねぇわな。負けた以上、勝ったやつの言うことを聞くのがルールだ。大将に協力するさ」

「いい心がけだ。それが一週間でももつことを祈るよ」

「さすがのオレも、もう少しはもつぜ。つーか、オレの得物が壊れちまったんだけど…どうしよう?」

「自分で稼いで買え。金払いの良い雇い主を紹介してやるよ」

「やれやれ、またやり直しか。カカッ、それもいい。こんな化け物がいるなら、まだまだ楽しめそうだしな。あー、負けた、負けた。すっきりしたよ」


 クロスライルは、裸で寝転がりながら空を眺める。

 晴れ晴れとした顔なので、今は全力を出して戦えたことに満足している様子がうかがえる。

 が、あくまで無頼者で流れ者。いつどうなるかはわからない。


(いつ裏切るかわからないリスキーな男だが、それくらいでいい。駒が増える分には大歓迎だな)


 当然ながらクロスライルを信じているわけではない。

 同じ異邦人だからという仲間意識もない。

 しかし、強くて『利己主義者』だ。

 利益があると思ったらファルネシオの組織に入るくらいの男である。

 アンシュラオンに利用価値があると思えば、少しは思い通りに動いてくれるだろう。

 仮に邪魔になるようならば消せばいい。それだけのことだ。




607話 「太陽の子犬は、太陽の下でこそ輝く」


 クロスライルとは、荒野で別れた。

 服も破れてほぼ裸だったが、適当に追い剥ぎでもすれば物資は手に入るだろうし、武人なので飲まず食わずでもしばらくは問題ない。

 あの男ともソブカと同じような関係と思えばいい。

 敵の敵は味方。されど、その味方もいつ敵になるかわからない不安定なものだ。

 日和見に慣れてしまった日本人には理解しづらい感覚かもしれないが、政治や外交では一般的な関係性といえる。

 その国の政権が変われば情勢も変わるので、表面上は仲良くしつつも裏で軍事力を強化したり、自国に有利な状況を生み出そうと積極的に工作を仕掛けて揺さぶったりする。

 国益のみが重要視される世界において、「あの国は仲良しだから裏切らないだろう」と、のほほんとしているほうが狂っている。

 常に戦場。常に弱肉強食。

 油断する者から喰い物にされていくルールは、まさに荒野の在り方に酷似していた。

 そしてクロスライルを助けたのは、なにも手駒を増やすことだけが目的ではない。


(クロスライルを生かしたことで、姉ちゃん側の動きも把握しやすくなるだろう。あいつの組織がこのまま黙っているとも思えないしな)


 JBは賢者の石を使っていたことからも、間違いなく組織において重要な構成員の一人だ。

 彼の組織内の立場やスタンスがどれくらいのものかにかかわらず、長期間戻ってこなければ調査を始めるはずだ。

 そうなれば今度は、もっと多くの戦力を送ってくる可能性もある。

 そこでクロスライルが役立つわけだ。

 組織の目は当然ながら生き残った構成員に向くだろうし、それに伴ってまたラブヘイアあるいは姉が動くかもしれない。

 目立つ標的を意図的に据えることで、自分たちは余裕をもって対応することができるようになるのだ。

 もし手に負えそうもなければ都市を捨てて逃げればいい。その時間稼ぎにも使えるだろう。


「そろそろ戻ろう。帰りもちゃんと全力で走るんだぞ。これも鍛錬だからな」

「…こくり」


 アンシュラオンとサナは、行きと同じように走りながらグラス・ギースへの岐路に着くが、その途中に少し寄り道をする。

 グラス・ギースの南と東には『交通ルート』がある。

 このルートは交易にも使われる比較的安全な道路であり、行商人たちも数多く利用する区間だ。

 そういった場所の中継地には、必ず『貸し馬車屋』があるものだ。

 駅前にタクシーが並んでいるのと同じであろうか。

 人が集まる場所には必ず交通の便が用意されている。商売人の考えることはどこの星でも同じというわけだ。

 そこで大型馬車を四台ほどレンタル。

 本当はソブカ経由で入手してもよいのだが、これくらいのことは自分でやったほうが早いし楽である。

 また、あまり見栄えするものだと困るので、こういう場所で借りたほうが目立たなくて済む。


 それから穴倉に戻る。


 四時間ほど留守にしていたが、穴倉に変化はなかった。

 サリータもやる気だけはあるので、そのまま番犬をさせておく。

 多少「褒めてアピール」をしてきたから胸と股間を触ってやった。これもまた飼い主の責務である。



 翌朝。


 数時間もしないうちに日が昇り始めた。

 城壁の外は遮るものがないため、あっという間に明るくなっていく。

 そのタイミングで穴倉から移動を開始。

 老人や子供が多いため、足腰が弱っている者は荷台に乗せるなどの工夫をしつつも、昼前には無事外に出ることに成功。

 多少時間はかかったが、できる限り自分の足で歩かせることに意味があった。


(歳を取っても自力で動くことが重要だ。介護は最後の最後でいい)


 痴呆症を見ればわかるが、人がボケるのは活動を停止するからだ。

 まだ元気なのに強制的に介護されることで弱っていく。

 人間の身体は極めて高い適応力を持っているため、緩い環境に慣れれば慣れるほど身体も心も緩くなっていく。

 もし重力のない宇宙で暮らせば、足腰は見る見る間に衰えていくだろう。

 宇宙飛行士が地球に戻ってくると、車椅子に乗ってインタビューするのはそのためだ。

 幸いながらこの都市は文明があまり発達していないため、人々の多くは肉体的にタフな傾向にある。

 老人で弱っているとはいえ、根本的な強さは今の日本人よりも数段上。これくらいは無理なくこなせるはずだ。


 もっとも重要なのは『自らの力で勝ち取る』ことを学ぶことだ。


 どんな環境にいても最後に頼るべきは己の力である。

 自分で闘争し、自分で勝ち取るからこそ、勝利には価値が出る。

 地下にいた者たちが、自らの足で地上に出る。

 脱走だろうが混乱に乗じてだろうが、理由や経緯はどうだっていい。

 やる気になれば何でもできるのだと、その身に刻む必要があった。



 そしてついに―――お日様の下に出る



「…明るい」


 ニーニアが、その明るさに思わず目を覆う。

 久しぶりに浴びる太陽は、肌を突き刺すような強い熱を放っていた。

 熱とは、エネルギーである。

 太陽が放つ恐るべき力の波動を直に感じ、自分が今生きていると知る。


「おめでとう。外だよ」

「外…こんなに明るいなんて」

「みんなもどんどん出るんだ。子供は外に出るもんだぞ」

「おそと?」

「おひさま?」


 アンシュラオンに促され、子供たちが次々と出てくる。

 五年前にやってきた子供たちは、すでに太陽の光を忘れていたが、本能は光を求めている。

 最初は戸惑っていたものの徐々に興味が湧き始め、そこらにある石を投げたり走り回ったりしていた。子供とは元気なものである。


「もう少し歩くぞ。馬車を用意したから、それで移動しよう」

「これからどこに行くつもりだ?」


 老人たちを外に誘導していたバイラルがやってきた。

 彼も久々の外に多少心が揺れ動いたようだが、責任ある立場なので表情は硬いままだ。


「前に言った通りだ。グラス・ギースに戻る」

「大丈夫なのか?」

「こんな大所帯だ。今から違う都市に行くほうがリスクが高いだろう。高齢者も多いし、違う環境に適応できるかも心配だ。それならば慣れた気候のほうがいいはずだ。あんたが気にしているのはグマシカたちだろうが、あいつらは動かないさ」

「確信があるようじゃな」

「そのための布石も打っておいたしね」


 クロスライルとの戦いにおいて、わざわざ覇王彗星掌まで使ったことには意味がある。

 あれもマングラスに対する威圧が目的だ。いざとなれば都市に覇王彗星掌(あるいは覇王流星掌)を叩き込むことだってできるぞ、という脅しである。

 少なくともグマシカは、地上部の都市についても維持したいと考えているようだ。そうでなければ青劉隊のような治安維持部隊を作ったりはしない。

 そこには「愛郷心」が関係している。

 グマシカの言葉を信じるのならば、彼は都市と人々を愛しているようだ。

 簡単にアンシュラオンの脅しに屈するとは思えないが、『地上における戦い』で無理をするとも思えない。


「グマシカの性格は、あんたのほうが理解しやすいんじゃないのか? 一応は同じマングラスだし、どう出るかは予測できるはずだ」

「やつらは表に出ることを嫌う。こちらから刺激しなければ迂闊には動かんか。夜道は怖いがな」

「夜道が怖いのは向こうも同じかもしれないぞ。敵はオレだけじゃないしな」

「やつらに対抗できる者が、おぬしのほかにおるのか?」

「少なくとも一人は確保した。まあ、気まぐれだからちゃんと動くかは不明だけどね。強さはセイリュウと互角以上だと保証できるよ」

「それなりの手は打っているということか」

「まあね。やつらも好きで地上に干渉してきたわけじゃない。手間が増えれば隙も生まれるもんだ。それを警戒すればするほど、やつら自身の動きも鈍くなるってことだ。守るものが増えるってのは大変なのさ。オレが都市にいたほうが圧力にもなるだろう」

「うむ…道理ではあるな」

「少し見回ってみたけど、治安維持部隊の連中は都市外にはいないようだ。第三城壁内部には一人もいなかった。そのあたりについては何か知っているか?」

「遺跡の範囲外だからかもしれんな」

「収監砦の地下も遺跡だろう?」

「あそこはやつらのテリトリーではない。だからわしも隠れることができた。遺跡の『正式な入り口』は領主城にあるようじゃからな。そこから徐々に重要度は下がっていくのかもしれんな」

「なるほどな。城塞都市の形状とリンクしているってことか」


 城壁は守るためにあるのだから、一番大切なものを中心部に配置するのが一般的だ。

 グラス・ギースの中心部には、領主城がある。

 単に一番偉いから一番安全な場所にいるのかもしれないが、大切なものを守る役割があるから領主になったのかもしれない。


(どうやら五つの派閥には、それぞれ『役割』があるようだな。ディングラスとマングラスが比較的近い間柄にあるのは、それも影響しているのかもしれない。遺跡の入り口を守る者と内部を守る者、というわけだ。ということは『マングラスの勢力圏は都市内部に限られる』ってことだ)


「それならば予定通りだ。オレたちがこれから行くのは【第三城壁内部】だからね。やつらの勢力圏外になる」

「ううむ、たしかにあそこならば比較的安全かもしれんが、時間の問題かもしれんぞ。やつらが準備を整えれば壁を越えてくることもあろう」

「そのときはそのときさ。先のことを気にしても仕方ないってことだ。楽しもうよ」

「危険を楽しむ趣味はないんじゃがな…」


 アンシュラオンのような人種が怖いのは、危険を楽しむ癖があるからだ。

 彼らは合理的であっても合理主義者ではない。そこに大きな違いがある。

 すぐに敵を全部潰したら面白くない。そんなふうに考えている節があるのだ。



 アンシュラオンたちは、荒野を移動。

 数時間かけて歩き、少しずつ日が傾き始めた頃にようやく馬車との合流を果たす。

 大型馬車といってもホテルで使っていたような箱型の高級馬車ではなく、ファンタジーでよく見る一般的な荷台馬車に近い造りをしている安物だ。

 そこに薄汚れた幌《ほろ》を被せているだけなので、老人や女子供が乗れば単なる移民にしか映らないだろう。

 御者たちも慣れているのか、特に質問もせずに老人や子供を乗せていく。

 グラス・ギースでは毎日五千人以上の出入りがあるため、いちいち気にしていたら商売などやっていられないのだろう。

 彼らも許可を受けてやっているわけではないし、お互いに詮索しないのも荒野のルールである。

 全員が乗った馬車は動き出し、グラス・ギースの南門から内部に入る。

 南門での検問は無いので、何事もなく素通りだ。

 この頃には日が落ちて、一行は宵闇の中を進んでいく。


(久々にじっくり見たが、上級街とはまったく違うな)


 暇なアンシュラオンは、馬車の上から城壁内部を観察していた。

 周囲を見回せば薄暗い中に、いくつもの焚き火の明かりが見える。

 自分が初めて都市に来たときのように、第三城壁内部では勝手に野営したり、旅人同士で集まって交流を図ったりしているのだ。

 城壁に囲まれているものの地面は剥き出しの土なので、ほとんど荒野の一部といえる。

 すれ違う衛士たちも咎めることはしないし、荷物のチェックもしない。そういった検査は東門で厳重にやるから問題ないのだ。

 ここにいる衛士たちは治安維持が目的ではない。あくまで外部からやってくる『魔獣』に対する備えとして存在している。

 殺人や過度な暴力事件があれば最低限の対応はするが、仮に死人が出ても遺体を焼き払うくらいのことしかしないだろう。

 治安維持に積極的に衛士たちが関わる上級街や中級街とは、もはや別世界だといえる。だからこそ市民権に価値が出るというわけだ。

 ただし、すねに傷を持つ者たちからすれば、ここはなかなか快適な場所である。

 完全な荒野ではないので魔獣のリスクは減るし、人々の通り道でもあるため商売を始める連中も出てくる。

 都市側も、それを容認していることが面白い。

 都市に入れるには問題があるような人々でも、第三城壁内部の活力になるのならば利益になるからだ。

 もし魔獣が入り込んでも自衛のために戦うかもしれないし、衛士たちもいるので普段は大きな悪事もできない。

 衛士たちは衛士で簡単に都市内部には行けないため、外部から入ってくる品々を近場で調達できるメリットが生まれる。


(このカオスな感じ、嫌いじゃないな。上級街よりは好きだね)


 先進国から一気に発展途上国に来たような気分になる。

 まったく洗練されていないが、だからこそ人々の飾らないダイレクトな感情を味わうことができる。

 善人より悪人たちの中のほうが落ち着く自分にとっては、こちらのほうが過ごしやすいかもしれない。


「日も暮れたし、今日はここで休もう。焦ることはないさ」


 長旅になると老人や子供の体調に影響が出るため、アンシュラオンたちもここで野営をして朝方まで休息を取ることにした。

 その間も警戒を緩めはしないが、マングラス側からの干渉はまったくなかった。

 もともと彼らの仕事は都市内部に入る人間の調査と管理なので、よほどマークしている者でない限りは、第三城壁内部までは管轄外なのだろう。



 朝になり、再び移動を開始。


 そこから馬車は【西】へ向かった。


 南門から入って城壁内部を東に行くのが、都市内部に入るための一般ルートだ。

 一方、それとは違って西に行くルートが存在する。

 こちらは物資搬送用の『北西門』に繋がるルートのため、都市とはあまり関わりがないエリアで、主に『耕作地』が広がる一帯となっている。

 ビッグたちが経営するコシシケ畑は利便性を考慮して東ルート側にあるが、西側にある畑は普通の田畑が多く、砦の衛士たちが農業に勤しんでいる姿をよく見かけることができるだろう。

 すでにアンシュラオンの視界には、たくさんの実をつけた小麦畑が一面に広がっている。

 ビッグも言っていたように、これから収穫期が始まるのだ。


(西側は派閥間の影響があまりない地域と聞いている。まあ、単に農業を行う場所だしな。半分荒野みたいなものだから、あえて欲しがる派閥もいないのかな)


 食料に関係しているので強いて言えばジングラスの影響力が強いが、たまに魔獣も入り込むような場所だ。他の派閥には魅力的ではないのだろう。


「うわー、懐かしいなー」


 馬車からシャイナが顔を出すと、ブロンドの髪の毛が太陽の光を反射して輝きだす。

 特に記載はしていなかったが、しっかりとシャイナもいたのだ。

 文句を言ったり愚痴を吐いたりしていたが、そのたびにサリータに殴られていたものである。

 しかし、ここにきて急に元気が出てきたことには理由があった。


「売人をやる前は農民だったんだよな?」

「農民って言い方が気になりますけど、そうですね。【叔母さん】と一緒に畑仕事をしていた時期もありましたよ」

「ここまで来た以上は戻るわけにもいかないが、任せて大丈夫か? 少しばかり増えてしまったが…いや、少しってレベルじゃないけどな」

「大丈夫ですよ。収穫期ですから人手も必要ですし、叔母さんは細かいことは気にしないはずです」

「お前の叔母と聞くと心配だな。不安になってくる」

「少しは信じてくださいよ! 大丈夫ですって! それよりお父さんが全然起きないんですけど…」

「麻薬中毒者なんだ。しょうがない」

「お父さんも大変だったんですね…」

「そのうち目を覚ますさ。オレを信じろ」

「はい、ありがとうございます! 助けてくれただけで感謝しています!」

「お前の感謝はしっかりと伝わっているぞ。もう十分なくらいだ」

「そうですか? それならいいんですけど…」

「うむ、身体は正直だからな。いやいや、そんなにいいって。わかったわかった。ちょっと落ち着けよ」

「…?」


 馬車が揺れるたびに、おっぱいモンスターもぶるんぶるん揺れている。

 それが感謝のおじぎに見えるあたり、この男の思考回路はかなり危ない。

 ちなみにこちらもまったく記述がないが、カスオもしっかりといる。

 ただ、またクズっぷりを発揮して邪魔になると困るので、薬で眠らせているだけだ。

 むしろ薬漬けにしたのはアンシュラオンなのだが、嘘はついていない。自分がやったとは伝えていないだけだ。

 というわけでカスオは、同じく戦闘不能でお荷物となっているルアンやレイオンと一緒に並べて寝かせられている有様だ。

 レイオンもあんな状態で放っておくわけにもいかないので連れてきたが、龍の血の発現が堪えたようで、ほとんど寝ている状態であった。(レイオンに至ってはスペースが足りないので、袋に入れて引きずっていたりする)

 ルアンも今は戦闘力を失っている状態なので、いてもうるさいだけということで眠らせていた。(こちらは副作用があり、まだ意識が混濁していることも理由である)


(やれやれ、オールスターって感じだな)


 今まで関わった人物が勢揃いである。

 イタ嬢たちやモヒカンが加われば完璧だが、そんなことになったら本当にカオスなので、これで済んでいるだけでもありがたいのかもしれない。


(シャイナの言葉を真に受けるつもりはないが、これだけの人数を全部養うわけにもいかない。拠点を見つける時間も欲しいし、とりあえず仮宿くらいになればいいかな)


 このたび一番の問題となったのが、これからどこに行くか、である。

 グラス・ギースにとどまることは決定していたが、どこに住むかが重要だ。

 バイラルとの話でも出たが、都市内部は利便性には優れているものの、マングラスの勢力下にあるので安全とは言いがたい。

 グマシカたちが動かずとも、地上部隊との連携が上手くいかずにトラブルになる可能性もある。

 自分がいるときならばよいが、老人たちだけで対応するのは難しいし危険だ。

 そこで候補に挙がったのが、『シャイナの叔母の家』である。

 ホテル脱出後にシャイナが提案したため早馬で手紙を送ったが、その段階ではここまで人数が増える予定ではなかった。

 地下からの脱出にしても、まずは自分たちが出て準備を整えてからと思っていたので、少しばかり予想外の展開である。

 が、こういうときは流れに身を任せたほうが上手くいくものだ。

 グマシカたちが動かないのであれば焦る必要はない。



 しばらく進むと、大きな建物が見えた。

 どうやら小麦を管理する納屋で、製粉工場も兼ねているような造りである。

 その納屋の前には、小麦を運んでいる一人の女性がいた。

 麦わら帽子からシャイナによく似たブロンドの髪が出ている、四十代後半あたりの女性であった。


「あ、叔母さんだ! おばさーーん!」


 シャイナが手を振って駆け寄る。

 馬車が完全に止まる前に下りたため躓いて転んだが、またすぐに起き上がって走っていった。


(見える。オレには尻尾が見えるぞ!)


 その姿はまさに、はしゃぐ犬。

 アンシュラオンには、シャイナの尻から尾が出ているように見えた。

 しかし、今までのことを思えば奇跡に等しい光景である。

 少し前までは麻薬の売人をやっていて、いつ売春婦に転じるかもわからない暗闇の人生だった。

 それがようやく太陽の下に解放され、はちきれんばかりの笑顔を見せているではないか。


(やっぱり女の子は笑顔が似合う。あいつには作り物じゃない本物の笑顔こそが相応しい)


 シャイナ本来の笑顔を見たようで、いつもより数倍可愛く見える。

 もともと素材は良いのだ。もう少し熟せば、さらにいい女になるだろう。


(しかしまあ、シャイナから始まった騒動も一区切りかな。こいつのために随分と大ごとになったもんだよ。それも楽しかったけどね)


 裏社会との繋がりはシャイナから始まったようなものだ。

 それがなければ適当に金をもらって、なぁなぁで済ませていたかもしれない。

 そう思えば、たった一人の女性から多大な犠牲が出たものである。

 だが、それもすでに終局を迎えようとしている。


 その結末こそが、この笑顔。


 太陽の子犬は、太陽の下でこそ輝くのだ。




608話 「それぞれの生活と『ほほーい!』」


「オレも挨拶しようかな」


 アンシュラオンも馬車から降りて挨拶に向かう。


「初めまして、シャイナの飼い主です。こいつの尻は白くしておきましたので、どうぞよろしくお願いいたします」

「尻ーーー!? ここでお尻の話はおかしいですよ!」

「大事なことだから伝えておこうと思って…」

「頭おかしいですよ! よろしくの意味がわからない!?」

「あらあら! いい男じゃない! シャイナのアレ? アレなの!?」

「お、叔母さん!! 何言ってるの! やめてよ、恥ずかしい!」

「いいのよ、何も言わなくて! ずっと相手がいないから心配していたのよ。でも、お尻を洗ってもらうくらいなのだから親しい仲なのね。よかったわ!」

「だから尻とか言わないでぇえええ!」


 今日もシャイナの尻は輝かんばかりに白い。

 これで掴みはOKである。


「突然やってきて申し訳ないけど、受け入れてもらえるのかな?」

「ああ、手紙に書いてあった話ね。もちろん大丈夫よ」

「予定より多くなっちゃったんだけど…迷惑じゃない?」

「細かいことは気にしないで。場所は有り余っているもの」

「雨風をしのげればいいよ。人間なんてどこでだって生きていけるからね。お礼に相応の金は出すつもりだから安心してよ」

「シャイナの男にお金をせびるなんて恥ずかしいことはしないわ。ほらほら、入って入って」


(シャイナの言っていた通りの人だったな。珍しいこともあるもんだ)


 叔母に促され、アンシュラオンたちは家に通される。

 都市の中にある建築様式とは異なり、木で組み立てただけの普通の家屋だが、城壁内部なのでこれで十分な造りなのだろう。

 服装も普通。良いわけでも悪いわけでもない。農家ならば身綺麗なほうだろうか。特に生活に不自由はしていなさそうだ。


 家の中で改めて自己紹介。


 彼女の名前は、ルセーナ・ノウハット。

 実はルセーナとシャイナに血縁関係はない。髪の毛の色は似ているが単なる偶然らしい。

 シャイナの母親とルセーナは他の都市からやってきた移民で、たまたま同じ馬車に乗っていた同年代だったために意気投合し、友達になった。

 グラス・ギースに到着後は二人とも農業に従事したようだが、それだけでは困窮するため、我慢できなくなったシャイナの母親が都市内部にてホステスの仕事を始めることになる。

 その際に麻薬の売人であったカスオと出会い、シャイナが産まれた。

 シャイナが幼い間はルセーナが母親の代わりに面倒を見たこともあるため、実の娘に近い愛情を抱いているとのことだ。

 同様にシャイナ自身も彼女を叔母と呼ぶほどに慕っている。この二人の関係はかなり良好らしい。

 ただし、『これ』は例外だ。


「ああ、こいつもいるのね」


 ぎゅぅっ

 ルセーナが、眠っているカスオの首に足を乗せると体重をかける。

 これは冗談や脅しの類ではなく、本気で押し込もうとしていた。


「叔母さん! お父さんが死んじゃうよ!」

「死んだほうがいい人間ってのもいるのよ?」

「目が怖い! 怖いから!」


 ルセーナは、カスオのことは大嫌いらしい。

 そのことに関してはまったくの同意見である。誰がこんな男を好きになるのだろうか。


「この男は正真正銘のクズでね。こんな男に関わるもんじゃないって何度もシャンテに言っていたんだけど…」

「シャンテって…シャイナの母親?」

「そうそう。シャイナに良く似ているわ。胸が大きいところもね。ホステスになれるくらいだもの。顔だって悪くなかったわよ」

「ずっと疑問だったんだけど、そんないい女がどうしてカスオとくっつくの?」

「さぁね、こっちが聞きたいくらいよ。たぶん、お金が目的ね」

「そんな金、カスオが持って……たか。その頃からすでに薬の横流しをしていたんだろうね。しかしまあ、母親も金目当てとは…たしかに似ているな」

「そんな目でこっちを見ないでください! 少しくらいは愛情もあったはずですよ!」

「なかったわよ」

「断言された!!」


 叔母にも断定されたことから、横流しで得た金目当てが確定である。

 シャイナも半分以上は金目的でアンシュラオンに近づいたので、似た者親子といったところだろうか。

 そうしてずるずると繋がっている間に身ごもり、見事にシャイナが産まれることになったというわけだ。

 なんとも破廉恥で品性がないが、これが労働者の現実なのかもしれない。シャイナもそうなっていた可能性があると思うと世知辛いものだ。


「で、シャイナの母親は今どこに?」

「それもわからないわ。こっちには来ないまま消えたの。変に私を関わらせたら悪いと思ったのでしょうね」

「相手がマフィアじゃ仕方ない。賢明な判断だったかもしれないね」

「それもこれも、あんなクズと付き合ったせいだわ。ほんと、最悪な男よね」


(相当嫌いらしいな。だからオレからの金を受け取らなかったのか)


 金の提供を断ったのは、カスオへの嫌悪があったからだと思われる。

 カスオも最初は金払いがよかったものの、もともとはクズである。母親から金をせびるようになって亀裂が入ったのだろう。

 金の切れ目が縁の切れ目、とはよく言ったものだ。

 当然シャンテは娘を連れていこうとしたが、シャイナの変な思考回路が発動し、どうしても見捨てておけなかったという。

 その後もルセーナは心配して手紙を送っていたが、効果なし。現在に至る。


(ルセーナさんはすべて正しい。やっぱりシャイナがおかしいよな。そのくせ最後は頼ろうとするんだから、甘いにも程があるってもんだ。だが、それが家族というものなのかもしれないな)


 シャイナの今までの行動は、すべて『愚かさ』からきている。

 こればかりは誰にも直せない。もしこの世で何が一番難しいかと問われれば、「愚者を賢者にすること」と答えるだろう。

 愚か。まったくもって愚かしい。

 それでもシャイナを受け入れるあたり、馬鹿ほど可愛い、という言葉も真実なのだろう。

 しかし、世話になる以上は何かしら還元しないと気が済まない。


「ここの畑の手伝いは喜んでするよ。もう少ししたら男連中も起きるだろうから、いくらでもこき使ってくれればいい。家屋も傷んでいるようだから、あとで補強しておこうかな。それくらいはしてもいいよね?」

「ええ、ありがとう」

「それじゃ少しの間、お世話になるね。オレは外でこれからの予定を話し合ってくるから、シャイナはしばらく叔母さんと話していればいい。積もる話もあるだろう」

「はい! ありがとうございます!」




 アンシュラオンが外に出ると、ホロロとマザーとバイラルの姿が見えた。

 この三人が各班のリーダーといえるため、三人を守るようにサナとサリータも周囲にいる。


「お帰りなさいませ」


 最初に出迎えるのはホロロだ。

 メイド長という立場は、ホテルを失ったあとも変わらない。

 自分が一番信頼すべき相手ともいえるだろう。


「迷惑じゃなかったかしら?」


 次にマザーが話しかけてきた。

 彼女も自分の身内ではあるものの、ひとまずはラングラスエリアから脱出した子供たちの責任者という立場になっている。


「大丈夫そうかな。お金は断られたけど労働で恩を返すことになったよ。マザーたちにも働いてもらうかもしれない」

「ええ、それに関しては何でもするつもりよ。家事や炊事はそれなりに得意だもの。先方の邪魔にならないようにやらせてもらうわ」

「頼むよ。ホロロさんも料理はそこそこできるらしいから、手伝ってもらおうかな」

「はい、お任せください」

「それ以前に、わしらが傍にいたら危険ではないのか?」


 最後にバイラル。

 彼はソーターを含む老人たちのまとめ役になってもらっている。歳が近いほうがやりやすいし、医者という肩書きに高齢者は安心するものである。


「心配性だな。どうしても気になるようなら、レイオンに夜回りをさせればいいさ」

「妹が気になって地下に行きそうだが…」

「どうだろうな。あいつも自分の実力の無さは痛感しているだろう。戻ったところで手がかりはないし、また思い悩むだけさ。ならば用心棒代わりに使ったほうが有益だ。どうしても帰りたいのならば好きにさせるしかないけどね」

「ふむ…」

「それよりバイラル、あんたには医者として活動してもらうぞ」

「わしがか?」

「オレと違って本物の医者だからな。手に職がある人間は活用しないともったいない。このあたりの人間は貧しい人も多いから、医者に通う余裕なんてないだろう。十分役立つさ」

「おぬしが治せばよかろう」

「オレがいつまでこの都市にいるかはわからないぞ。所詮は流れ者だからな。…そうだ。シャイナに医療を教えてやってくれないか? そんな簡単に教えられるものじゃないのはわかっているが、少しは才能があるのは保証しよう」

「あの娘を? 本気か?」

「オレがあんたに求める対価はそれだけだ。安いものだろう?」

「随分と破格になったものだな」

「足りない分はグマシカに請求するよ。どうだ、やってみないか?」

「…仕方があるまい。お前さんがいなければ、いまだに地下で何の対抗策もなく震えていただけじゃった。たまには外に出るのもいいかもしれぬな」

「ありがとう。助かるよ」


 断られると思ったが、意外にもバイラルは快諾。

 彼も久々に太陽を浴びて、かつての栄光を思い出したのかもしれない。

 誰だって名前を隠し、姿を消して生きるのはつらいものだ。人間には太陽が必要なのである。


「すべてが手探りだから問題が発生するかもしれないが、そこは協力してやっていこう。何かあったらオレに報告すること。頼むよ」


 アンシュラオンの言葉に三人が頷く。

 何もしなくても腹は減るし、眠くなる。

 食べる物と寝る場所は必須なのだ。そのためならば人は必ず動く。

 これも長々と歩かせた効果といえるだろう。魂の奥底に眠っていた生への渇望を思い出させるのだ。





 こうしておよそ二週間、アンシュラオンたちは「ルセーナ農場」で生活をすることになった。


 子供たちの面倒はニーニアやトットたちが見ながらも、彼らはルセーナと一緒に収穫や製粉を手伝っていた。

 地下暮らしが長かった子供たちにとっては、すべてのものが目新しかった。大地の恵みを肌で感じるだけでも大喜びだ。

 日焼けという現象も知らなかったため、中には泣き叫ぶ子供もいたが、それもまた人生経験である。誰もが痛みを知りながら大人になっていくのだ。

 他の農民との出会いも新鮮だったに違いない。誰もが子供好きなので、お菓子をもらったり、木を組み合わせて作る簡単な玩具の作り方を教えてもらったりしていたものだ。

 子供たちは、ここで初めて【自由】を知る。

 そして、自由とは勝ち取るものであることも知ったのだ。

 地下とは違い、がんばった人間の努力がそのまま報われることは、大いなる救いといえるだろう。

 時に理不尽な暴力で失われることはあれど、植物は手をかけた分だけ恵みを与えてくれるのだ。


 料理に関しては、ホロロとマザーが彩りを与えた。

 マザーはミャンメイという料理の達人がいたからこそ黙っていたが、カーリスの司祭らしく料理の知識も一般人以上である。いかんなく料理の腕を発揮する。

 そこにホロロがホテルのメニューの知識を加えたことで、見栄えはまさにディナーのような品目が並んだものである。

 もちろんプロではないので味は並だが、こんな場所で食べるにしては豪華である。

 ルセーナも普段は独り身なので、その変化を楽しんでくれていたようだ。

 ホロロもマザーに対しては礼節を重んじ、敬意を払っているので関係も良好だ。

 実力がある人間は素直に認め、主の意に心から賛同する。まさにメイドの鑑である。これならば今後も上手くやっていけそうだ。


 バイラルも医者として活動を開始。

 アンシュラオンが適当に建てた医者用のプレハブの中で、シャイナを助手にして怪我人たちを無償で治療する。

 シャイナの手際が悪いのでプレハブ前を通ると、よくバイラルに怒鳴られている様子を目撃できる。

 アンシュラオンの助手の時は正直言って何もやることがなかったが、本物の医者の助手をするにはさまざまな知識が必要となる。

 特にバイラルは生粋の医者で、完璧な処置にこだわる。ほとんど素人であるシャイナに上手く対応できるはずはない。


 が、ここでシャイナが『覚醒』。


 必死に【勉強】を始める。

 バイラルから借りた医療本を読むために、ホロロに頼んで文字の読み書きを教えてもらったりもしていたくらいだ。その本気度がうかがえる。

 グラス・ギースの識字率はかなり低い。労働者ならば文字も読めない人も多いが、シャイナはルセーナによって教育されたので最低限はできるようだ。これだけでも実はすごいのである。

 そういった努力の成果もあり少しずつ怒られる回数は減ってきたが、重症度が増すに伴ってさらなる知識も求められるため、この努力に終わりはないのだろう。


 薬に関してはバイラルが地下から持ち出したものに加え、外部ルートで手に入れた医療品で間に合わせることにした。

 ソブカから手に入れることもできたが、バイラルをあまり目立たせるわけにもいかなかったため、一般ルートで手に入れられるもので我慢している。

 ただし腕は一級品なので、瞬く間に噂になってしまった。

 近場の農民たちの来訪が多いが、噂を聞きつけた衛士たちもこぞってやってきたものだ。

 衛士といっても西側砦の者たちは、ほぼ農民と変わりがない。有事の際には衛士になる農兵とまったく同じであるから、彼らも無料で治療を受けられた。

 一方で外からやってきた旅人や行商人からは少量の金を取ることで、最低限の収益とすることにした。

 もっと金を取ってもいいのだが、バイラル自身のリハビリも兼ねていたので、これくらいでよいとのことだ。

 ちなみにリハビリとは医療の腕のほうではなく、『人間と付き合う練習』のことだ。

 三年間地下にいたため、他人と接することが億劫になっていたのを改善しているのだ。悪い意味で環境に馴染んでしまった例といえるだろう。

 ただし、こんな慈善みたいなことをやっていたからか、中には「ホワイト」と間違える患者もおり、そのたびにバイラルは嫌な顔をしていたものである。

 そんなに嫌がらなくてもいいのにとアンシュラオンは思ったが、ホワイトは悪名でしかないので当然の反応といえる。

 いったいどれだけの悪事を働いてきたのか、自分の胸に聞いてみるといいだろう。


 次に警備、防衛面の話だ。

 ルセーナ農場は、彼女がまさに身一つで勝ち取った憩いの場である。

 違法な金儲けも考えず、苦しい日々に耐えながら作業に勤しんだ結果なのだ。

 そんな素晴らしい場所を悪人に踏み荒らさせるわけにはいかない。マングラス勢力はもちろん、そこらのならず者の侵入は絶対阻止する必要がある。

 これには当然、レイオンが適任者であった。

 意識を取り戻したレイオンは、あまりのふがいなさにさすがに落胆していた。

 今のままではセイリュウには絶対勝てないと身にしみたのだろう。今度修行をつけることを条件に用心棒兼警備員になってもらった。

 ついでにルアンもやることがないので警備員として採用する。

 やたらガリガリになってしまったが、カカシよりはましだ。

 今は強くなることより、ホテルでの出来事が夢だったのではないかと自問自答している最中らしいので、気を紛らわせるのにもよいだろう。(記憶の混濁が見られる)

 ただし、現実逃避したい気持ちはわかるが、一度血に染まった手は元には戻らないと知る日がやってくるはずだ。そのときにまた煽ってやればいい。

 こうしてレイオンたちが農場全体の警備を担当してくれたので、サナとサリータはバイラルを集中的に守ることができた。

 といっても相手側からのアクションはまるでないため、退屈だったようであるが。



 そして、こうした平凡な生活が続けばハプニングも起こる。




「働かねぇ! おれは働かねぇぞぉおおおお!」

「お父さん、降りてよ! 危ないって!」

「うるせぇ! 降りてほしければ金を持ってこい!! 金と酒だ! 早くしろ!」

「お金なんてないわよ!」

「お前が身体で稼いで持ってこい! 無駄にでかい乳しやがって! いくらでも客が取れるだろうが!」


 カスオが納屋の屋根に上り、なにやら喚いている。

 発言は相変わらずのクズだ。何も変わっていない。

 意識を回復させるために身体を浄化してやったのはよいのだが、ついでに他に投与したものまで抜けてしまい、すっかり元に戻ってしまったようだ。


「どうしよう、叔母さん!」

「なに、簡単よ。ああいうやつはね、こうすればいいの」

「お、おい、何をするつもりだ!」

「死にな!」


 ルセーナが銃を取り出し、カスオに発砲。

 銃弾は上に逸れたので被害は出なかったが、明らかに当てるつもりで放ったものである。


「ぎええええ! て、てめぇ! 本気で殺すつもりだったな!」

「当たり前よ、このクソ野郎! シャンテの仇討ちをしてやるわ!」

「あいつは死んでねぇだろう!」

「あんたのせいで人生を駄目にされたなら同じよ! このクズ!!」

「ぎゃー! 撃つな!」


 ルセーナは装填を繰り返して銃を撃ち続ける。

 どうやら魔獣や畑荒らし対策に、懇意にしている衛士や商人から銃を仕入れているようである。

 独りで生きている女性はたくましいものだ。


「なんだか賑やかだな」


 面白そうな匂いを嗅ぎつけたのだろう。

 そんなときにアンシュラオンがやってきた。


「先生! 大変なんです! お父さんが屋根に上って…!」

「見ていたから知っている。相変わらずのクズだな。おっ、今のは掠ったな。ははは、慌ててるぞ」

「笑い事じゃないですよ! 死んじゃいます!」

「見た通りのクズだぞ。お前もそろそろわかったんじゃないのか? オレはルセーナさんの意見に賛成だ。ここで死んだほうが人類のためになる」

「それじゃ今までの苦労が水の泡じゃないですか!」


(あいつのクズっぷりを見せつければ、こいつも少しは心変わりすると思ったが、人間ってのは簡単には変われないものかな。発想がもうおかしいんだよな。しょうがない、これがシャイナという女だ)


 カスオを放置していたのはシャイナが呆れると思ってのことだったが、意外というか真性の馬鹿というべきか、彼女自身もまったく懲りていない。

 思い起こせば、どうせ薬物中毒になるのならば上等な麻薬のほうがいいだろうと、なぜかコシノシンを買ってまで売っていたような女だ。

 ツッコミどころ満載なのは仕方ない。そもそもがそういう女なのだから、性格を変えることは諦めるしかない。


「先生、なんとかなりませんか?」

「昔から馬鹿は死んでも治らないといわれているしな…」

「職を与えるって言ってませんでした?」

「たしかに言ったが…」

「お願いします! ちゃんとした職に就けば、もう少しまともになると思うんです! 約束しましたよね!?」


 あざとい女だ。

 そういうところだけはよく覚えているものである。

 が、その時はシャイナがスレイブになる話も出ていた気がするが、そのあたりをすっ飛ばすあたりやり方が汚い。

 だが、約束した以上は守る。それも自分のポリシーである。


(カスオなんて完全なトラブルメーカーだよな。トラブルの根源ともいえる。あいつに適した職なんて『囮』しかないぞ。かといって狩りに連れていくだけでも面倒で不快だしな。できれば遠慮したい。…駄目だ。何も思いつかない。クズって何の役に立つんだ?)


 何度考えても、クズはクズ以外にはなれない。

 シャイナにその話をした当時は、まさかここまでのクズとは思っていなかった。

 キング・オブ・クズに相応しい職など、はたしてこの世にあるのだろうか。

 と、思っていたときである。


「うわわっ」


 カスオがバランスを崩し、屋根から落ちそうになる。

 ここはかろうじて踏ん張ったが、銃弾が飛んでくるたびに不安定さは増していく。


「おっ、よよい!」

「くそ、しぶといね! 当たりな!」

「へへん、このアバズレが! てめぇなんぞに好きにやられるかよ! ほらほら、当ててみやがれ!」


 よけるのが上手いのか、あるいはルセーナの射撃の腕前が下手なのかはわからないが、なかなかしぶといものである。

 こうなると調子に乗るのが、クズという生き物。

 相手を挑発してマウントを取りたがる謎の行動を取りだす。


「ほほーい!」


 ついには変な掛け声まで出し、小躍りを始める。


「ほほーい、ほほーい! どうした、どうした! おれはここだぞ!」

「………」

「もういっちょ最後に、ほほ―――」


 ピキキッ

 この時、カスオの足元が凍った。

 たまたま凍るわけがないので、当然ながらこれはアンシュラオンがやったことだ。

 特に意味はなく、なんとなく余裕ぶった顔がムカついたから滑らしてやろうと思っただけだ。


「うおっ、うおっ!?」

「チャンス!」


 足を滑らしたのを見て、ルセーナがとどめの銃撃を放つ。

 それでもカスオはかろうじて回避するも、バランスを崩して屋根から落下。


 ヒューーーンッ 



「ほほーーーーいっ!!」



 しかしなんと、ここでカスオはクズならではのしぶとさを発揮。

 空中で体勢を立て直そうとするではないか!

 この男、まさかこんな芸当ができるとは思わなかった。

 低い重心が幸いしたのか、両足をついて見事に着地。



 できるわけもない。



 ボキンッ



「ぎゃあぁあああああああああああああああ!!!」



 なまじ体勢を直そうとしたので、変な角度で着地。

 両足は衝撃に耐えきれず、へし折れた。


「おとうさーーーーーーんっ!!」


 娘は健気にも父親を心配して駆け寄ろうとする。

 一般の良心的な人々ならば、誰もが怪我人を心配するに違いない。

 が、この男は違う。



「―――ぶっ!! ぶははははははははっ!!!」



 大笑い。


「あはははははははははっ!!!」


 しかも腹を抱えて笑い出す。


「せ、先生! なに笑ってるんですか!!」

「いやだって…そうなると思ったけど、本当にそうなって…ゲラゲラゲラゲラッ!! あー、腹痛ぇえええ! じわじわくるわーーー! あいつ、両足折りやがった!! ゲラゲラゲラゲラッ!!」

「笑っている場合じゃないですよ! ああ、叔母さんも殴らないで!!」

「この、このクズ!! クズ野郎!」

「ひー、すみません! すびばぜん!! ひーーっ!」

「ゲラゲラゲラッ! 足折ったうえに殴られてやがる!! ぶははははっ!! さっき『ほほーい』とか言っていたやつが何やってんだ!! ゲラゲラゲラッ!!」


 両足が折れて動けない相手に銃床で殴りかかるルセーナ。

 さっきまで調子に乗っていたクズがボコボコにされていくさまは、とても面白い。

 ピキーンッ!!

 そして、この喜劇だか悲劇だかわからない謎の現象を見て、あることを思いついた。


「こいつ、これで食っていけるぞ!!」

「え?」

「こんな面白いもの、普通はできないって。違うか!?」

「ま、まあ…珍しい状況だとは思いますけど…」

「ちょっと待て、もう一度確認してみる!」

「か、確認って、何するんですか?」

「おい、カスオ! もう一度上れ!」

「ひーー、ひーーっ! へ? 上る?」

「さっさと上れ!! また魔獣に食われたいのか!!」

「は、はひぃいいい! の、上ります!! のぼりますううう!」


 シャイナが困惑した表情を浮かべる中、アンシュラオンはカスオを再度屋根に上げてみた。

 ちなみに両足は治してやったので自分の足で立つことはできる。

 あれだけ殴られたのだから反省したと思いきや、ここで信じられない現象が起きる。


「おれは働かねぇぞ! このアバズレ、金を持ってこい!!」


 なんという既視感。

 さきほどとまったく同じ言葉を吐くではないか!

 なぜ今犯した失敗を反省しないのだろう。だが、これがクズである。

 嘘のようだが本当なのだ。ぜひ身近なクズで試してみてほしい。


「あんたね! いいかげんにしなさい!!」


 こうしてルセーナをまた罵倒するものだから、激怒した彼女が再び銃撃。

 それからまた「ほほーい」という謎の声を出しながらよけるが、アンシュラオンが足元を凍らせたので、また落下。



 ひゅーーん ボキンッ



「ぎゃぁあああああああ!! ごめん、ごめんなさい!! ゆるぢでぐだざいいいいいい!」



 今度も既視感。

 骨を折ったカスオにルセーナが殴りかかり、ボコボコにする。


「ぶはははははははっ!! おかしいだろう!! なんで同じことをするんだよ!! ゲラゲラゲラゲラッ!! 腹いてーー!! やめろよ!!」


 やめろよ、と言いながら、やらせたのは自分である。


「ちょっと先生! なんなんですか、これ!?」

「はぁはぁ、え? 何って…【芸】だろう?」

「ゲイッ!?」


 その言葉に反応し、ちょっと離れた場所にいたトットがこちらを向いた。

 と、それはともかく、これは紛れもなく『芸』だ。


「お前も見ただろう? クズってのは、同じ馬鹿なことを何度も繰り返すんだ。しかも何も反省せずにまったく同じようにやるから新鮮さが失われないんだよ。やっぱり芸は鮮度が命だって思い知る」

「ちょっと何言ってるかわからないんですけど!? お父さんで遊ばないでくださいよ!」

「人を笑わせられることも立派な才能だぞ。これはいける。確信した。こいつは今日から『芸人』にする!!」

「げいにんっ?!?」


 その言葉にもトットが若干振り向いたが、もう気にしないでおこう。

 ちなみにその場合の意味は「ゲイ人」である。


「ゲラゲラゲラゲラッ! あーー、さいこう!! おいカスオ、興行に出るぞ!! どれくらい反応があるか試してみるんだ!」

「ひぃいぃいい、おたすけ!! だずげでええええええ!」

「あ、ルセーナさんも一緒に行こう! 好きなだけ撃たせてあげるよ」

「本当かい!? こいつをぶっ殺せるなら喜んでやらせてもらうわ!」

「せ、先生! 本気ですか!?」

「いける、これはいけるぞおおおおお!」

「せんせーーーーーーいっ!!」



 その後、砦にいる衛士たちの前でこの芸をやったところ、見事に大うけ。

 第三城壁内部では娯楽が少ないためか、一緒に見ていた旅人や商人も爆笑である。

 しかも鮮度が落ちないで何度も同じネタをやる面白みを理解してくれた人からは、かなりのおひねりを頂戴するに至った。

 カスオの才能は、通用する。


 ここに新たなる芸人が誕生!!


 毎日のように芸を披露したところ、彼を目当てに固定客がやってくるまでになった。

 たまにルセーナも芸に参加し、心ゆくまでカスオを殴ってストレス発散をしている姿も見受けられる。

 クズはクズなりに役に立つということだろうか。クズにも最低一つは才能を与える女神様は、やはり偉大である。

 だが、娘にとってはなんとも言えない状況だ。

 見かねたシャイナがカスオにやめるように懇願したところ、「たまに足を折るだけで金がもらえるならボロい商売」と言い放ったらしい。

 たしかに日本でも、自分で足を折って保険金をもらう詐欺があったような気がするが、それを芸にする者は少ないだろう。

 当人がそれでいいのならば、娘にはどうすることもできない。

 そのせいか、ますますシャイナは医学の勉強に精を出すようになったとかならないとか。

 こうしてあっという間に二週間という日は過ぎていくのであった。



 ほほーーーーいっ!!





609話 「下克上 その1『世代交代の波』」


 アンシュラオンがルセーナ農場に居候して、約二週間が過ぎた。

 この間、グラス・ギースの都市内部は、何事もなかったかのように静かであった。

 マングラスの治安維持部隊によって治安が回復し、前のように街中でドンパチやる光景も見なくなった。

 安全が確保されれば物流も回復するものだ。毎日のように不足していた物資が運び込まれ、経済もかなり立て直したといえるだろう。

 ただし、その内情はかなりギリギリのバランスで成り立っていた。

 『ホワイト商会』と呼ばれた「ならず者」たちによって、派閥のパワーバランスが大きく崩れていたのだ。

 おそらくこの中で一番被害を受けたのが『ジングラス』だ。

 戦獣乙女という象徴を失った影響はあまりに大きく、いまだに派閥内で大きな混乱が続いている。

 もともとジングラスは、少人数による封建社会に似たシステムを構築していた。

 トップの戦獣乙女を頂点として、その下に各商会のトップ(古参の相談役)がおり、商会それぞれが与えられた耕作地を管理する形態だ。

 商会がジングラス家を支える義務を負う一方、彼らには各自で商材や人員を増やす権限(報告は必要)があり、臣下間で競い合うことで活力を維持している。

 ジングラスは仲間意識が強いため、他派閥のように各商会でバチバチやりあうといった光景は見られないが、自分こそが戦獣乙女の忠臣であるという自負が強く、発言力や影響力の大きさがステータスになっていた。

 今まではプライリーラおよびアーブスラットが彼らを抑えていたが、江戸時代でいえば将軍が消えるようなものだ。トップがいなくなれば荒れるのは必定であった。

 現在はプライリーラを捜索しつつ、今まで築いた貿易ルートで食料を仕入れてはいるものの、会長自らが赴かねば成立しない商談がすべてストップしているため、現状維持さえままならない状況である。

 もしハングラスの援助がなければ、まともに機能していない可能性さえあっただろう。

 当然ながら物流を管理しているのはハングラスである。彼らのがんばりによって都市の経済は持ち直したといえる。

 が、そのハングラスもまた万全とは言いがたく、特に防衛面では力を失ってしまっていた。

 警備商隊はアンシュラオンからすれば、さしたる戦力ではなかったが、一般的な商隊としては極めて能力の高い戦闘集団だったのだ。

 今では戦力の大半を輸送警備に当てねばならないため、こちらも都市内部での影響力が半減している状態にある。

 そして、領主のディングラス家は都市運営に関与しないため、グラス・ギースで残された勢力は残り『二つ』。




 上級街のホテル街に、八人の人影が見えた。

 ついこの前までは、ここに大きなホテルが存在していたのだが、今では何も残っていない。

 残されているものといえば、大きく抉れて結晶化した地面のみ。

 ここで核爆発でも起きたのではないかと思えるほど、大地は完全に焼き尽くされていた。

 その影響は城壁にも及んでおり、第一城壁の内側一部がプラスチックを溶かしたように歪《いびつ》に変形してしまっている。


「どうですか?」

「………」

「オビトメ」

「っ! は、はい! 申し訳ありません!」

「謝罪は必要ありません。何かわかりましたか?」


 金刺繍で龍が装飾された青い武術服を着た美青年、セイリュウが、黒いフードを被った女性、オビトメに声をかける。

 オビトメの顔はフードで覆われているのでまったく見えないが、その隙間からひときわ大きな「青い瞳」が輝いていた。

 さきほどから彼女はその目で周囲を見ては、何度も怯えたように竦み上がっていたのだ。

 セイリュウが声をかけねば、それがずっと続いていたに違いない。


「あなたの目で何か見えましたか?」

「…は、はい」

「あなたが見たものを正直にすべて言いなさい。それがあなたの存在意義です」

「わ、わかりました。ですがその…わ、わたしが見えたのは……はぁはぁ…うううっ」

「落ち着きなさい。ここにあなたを害する者はおりません」

「…は、はい。も、もうしわけ…ありません」


 明らかにオビトメの様子がおかしい。

 生来臆病な性格だったのか、または因子改造を受けた結果そうなったのかはわからないが、彼女は精神的に不安定な側面があった。

 おそらくは生まれつき強い「目」を持っていたことが災いしているのだろう。

 見えないものが見えてしまう力は有益だが、当人が幸せとは限らない。そのあたりはマザー・エンジャミナに似ているだろうか。

 だが、これほど怯えた様子を見せたことはなかった。さすがにここまで普段から怯えていると、日常生活にも支障が出るだろう。

 ならばその理由は、彼女が見た【術式】にあるのだ。


「こ、こんなもの…今まで見たことは…あ、ありません。空間の座標が歪んで…計測が不可能です。も、もしかしたらここで時間が逆転して……いえ、でもそんなことは物理的に不可能で……これに似た転移術式はとても難しく…ありえないことではありませんが…一時的に情報を保存して再生させるには、極めて大きな保存領域と高度な演算処理が必要で……」

「オビトメ、簡潔でかまいません」

「は、はい。も、もうしわけ…」

「ここで起こったことは、とても珍しいこと。その認識でかまいませんか?」

「は、はい。珍しく、危険です。と、とても大きな力が干渉しています。こんなことは……に、人間には実現不可能です」

「人間には…ですか。では、人間でなければできるのですか?」

「し、支配者…上位の支配者か……もっと上の…鬼神ならば。魔王に匹敵する存在ならば……可能かと思われます」

「理《ことわり》を制する者、魔術士の王、【魔王】ですか。三王の一人が干渉するとは常識的ではありませんね」

「も、申し訳ありません!」

「いえ、あなたを責めたわけではありません。ここで起きたことが予想以上だった、というだけのことです。他に気になることはありますか?」

「さまざまな術式が、こ、混線した痕跡が…あ、あります。それによって解析が、む、難しく……」

「複数の術式…ですか」


 オビトメの青い目は、あらゆる術式を見抜くといわれている特殊なものだ。

 彼女が青劉隊のメンバーに入っているのも、優れた目で外部からの『見えない攻撃』を防ぐことを最大の目的としている。

 都市防衛は最重要課題の一つであるため、マングラス随一の『術式探知能力』を買われてのことだ。

 実際、彼女は世界のすべてが一般人とは異なって見えている。

 都市に張られている防護結界も視認できるし、人それぞれの特徴も肉体ではなく、周囲に展開されている術式を通して見ている。


 その彼女がある時、【激しい錯乱状態】に陥った。


 ホテル街が一瞬で蒸発した夜、身の毛がよだつほどの邪悪な気配を感じる。

 その段階で全身に汗を掻いていて気が進まなかったが、自分には状況を確認する義務が与えられているため、嫌々ながらも外に出た。

 そこで彼女は見たのだ。


 巨大な炎で出来た妖艶な女性の影が、都市を覆い尽くす姿を。


 物理現象としては上級街の一角で起きた小さなものだったが、術式が見える彼女は世界の終わりがやってきたのかと錯覚したほどである。

 オビトメは錯乱中に自害しようとしたところを、間一髪仲間に止められて失神するに至る。

 その一報は即座にセイリュウに伝えられ、最大警戒態勢に移行。制裁後の後始末も放り出し、地下に潜って息を潜めることになる。

 まさにアンシュラオンの予想通りのことが起きていたのだ。

 そして今ようやく警戒態勢が解除されたため、改めて調査に乗り出しているというわけだ。

 しかし、調べれば調べるほど最悪の状況だとわかるので、さすがのセイリュウの顔にも余裕はない。


「これと同じことが今後、再び起きる可能性はありますか?」

「防護結界に干渉された形跡はありませんでした。で、ですので、何かの媒体で持ち込んだ可能性が、た、高いと思います」

「そのことに関しては、おおよその予測はできています。仮にそれが『人』だった場合、探知は可能ですか?」

「生物の場合は…巧妙に隠されていますから…む、難しいです。で、でも、注意深く見れば…違和感は見つけられると思います」

「探知する時間は、どれくらい必要ですか?」

「す、数十分ほどもあれば…」

「わかりました。あなた以上の目は誰も持ち合わせていませんからね。信頼しますよ」

「あ、あと、防護結界の一部に大きな破損が…あ、あります。第一城壁内部と…第三城壁のほうですが…」

「再度結界を張る必要がありそうですね。ただし、第一城壁を最優先とします。この任には、マショウケツとヤマビコがあたりなさい」

「はっ」


 マショウケツは結界術を得意とする隊員で、ヤマビコは『術写増幅』という術式コピーの特異能力を扱うことができるサポート要員だ。

 ドクリンが毒の浄化能力を持っていたことを考えると、青劉隊のメンバーの大半が『都市防衛』を意識した力を与えられていることがわかる。

 たとえるならば、治安維持部隊は警察、青劉隊は機動隊、といったところだろうか。

 実際の軍隊にあたる戦力は、グマシカ率いる戦闘人形隊と、コウリュウが率いる戦闘用改造人間部隊が該当する。


「カラス、オビトメは東門に配置します。人の出入りがあった際は、必ず彼女の目を通すように。護衛として他の青劉隊のメンバーも同行させてください。彼女を守ることが最優先命令です」

「お任せください」

「あなたはまだ完全に修復されておりませんから、無理をしないように。大御所様は新しい玩具に夢中のようで、こちらのことにまで手が回らないご様子ですからね。その代わりにグマシカ様が新しい力をくださるでしょう」

「もったいなきお言葉。ありがたき幸せでございます」

「グマシカ様は、この都市を心から愛しておられます。あなたたちも、その御心を理解して注意深く動くように。人々に対しては常に寛容と慈愛をもって臨み、生活に苦がないように配慮すること。また、地上の一般治安部隊が暴走しないように歯止めをかけてください。武力介入は最後の手段です。マングラスこそが市民の味方であることを示すのです」

「かしこまりました。…『ホワイト』に関しては、いかがいたしましょう?」

「ホワイトは死にました。それは公式発表の通りです。我々が干渉することは二度とないでしょう」

「では、それに比肩する何者かが仕掛けてきた場合の対応は、いかがいたしましょう?」

「いかなる場合においても自衛はかまいません。しかしながら、できる限り穏便に対処するように。害がなければ都市内部での活動も認めます。それは市民としての当然の権利です。どのみち、あなたたちが勝てる相手ではないでしょう。無駄に刺激しないことです」

「かしこまりました」

「それよりは衛士隊と揉めないように配慮してください。彼らも自分たちの権利を侵害されて気が立っていることでしょうからね。領主様の面子を潰さないように穏便に対応してください」

「はっ」

「そう…あとは【ラングラスに注意】してください」

「ラングラス…ですか?」

「我々の使命を忘れてはなりません」

「現在のラングラスに、それほどの力があるようには思えませんが…」

「火は、火種であっても注意すべきです。油断して出火を許すようなことになれば家々に延焼し、そのまま都市を呑み込んでしまいます。私はコウリュウの再生のため、しばらくは地下に潜らねばなりません。グマシカ様から預かった大切な都市に万一のことがあってはなりませんよ」

「はっ! お任せください!」


(現状では戦力が乏しいですね)


 セイリュウは焼け焦げて何もない空間を見つめながら、珍しく空虚感のような情を抱いた。

 片割れであるコウリュウが瀕死に陥ったことも大きな要因だが、地上に派遣されている戦力があまりに少ないからだ。

 青劉隊は強い。強いが、アンシュラオンたちには遠く及ばない。

 幸いながら魔人は都市の覇権に興味がないため積極的に干渉はしてこないが、喉元にナイフを突きつけられるのは誰だって気分が良くない。

 さらに魔人以外にも注意すべき存在がいる。

 制裁時において強烈な印象を残した『荒々しい不死鳥』である。

 力強く猛々しく、残酷で恐ろしく、人々を惹きつけてやまない魅力を放つ者。

 セイリュウには、その存在がのちに大きな壁になるかもしれないという予感があった。




 そしてセイリュウの予感はこの夜、現実のものとなる。




「ビッグよ、そろそろ世代交代の時期かな」

「…え?」

「俺はもう歳だ。この組をお前に託す時が来たのかもしれん」

「ダディー、何を言っているんだよ。まだまだ若いだろう?」

「お前は立派に成長した。制裁での勇姿を見れば誰も文句は言えないさ」

「今日はそういう話の日じゃないだろう」

「お前の【結婚式】だ。ちょうどいい話題じゃないか」


 ソイドファミリーの本拠地である倉庫区は、今までにないほどの盛り上がりを見せていた。

 なぜならば今日は、ソイドビッグとリンダの【結婚式】があったからだ。

 彼らは他の商会とは関わらない閉鎖的な組織なので、身内だけでのパーティーであったが、昼間から盛大に祝ったものである。

 今はその余韻が残る夕方。

 それぞれが自由な時間を過ごしている中、ダディーが父親として息子に話しかけているのだ。これぞ結婚式の醍醐味であろうか。


「お前がホワイトを殺したんだ。これほどの実績はないだろうに」

「そ、そうだよな。俺が…倒したんだ。けじめをつけた」

「そうだ。もっと自信を持て。お前ならやれるさ。名前通り、もっとビッグな男になれる」

「なぁ、ダディー。夢じゃないんだよね? 本当に俺、今日結婚したんだよな?」

「当たり前だ。夢であるもんかよ。全部お前自身で勝ち取ったもんだ」

「そ、そうか…夢じゃないんだな……本当に…」


 制裁によってホワイト商会が潰され、首魁であるホワイトをビッグが倒した。

 マングラスが公式発表した通知にも、しっかりとソイドビッグの名前が記されている。

 そう、表向きは彼が倒したことになっているのだ。

 偽の死体はワカマツも持ち帰ったが、あれは裏側の噂話になっているだけで、公式記録では上記の通りである。

 ホワイトが倒れたことで都市に平穏が戻り、以前約束していたリンダとの結婚が実現したというわけだ。

 マフィアなのであまり騒ぐこともできないが、彼らなりに大いに賑わい、久々の幸せを心から喜んだものだ。

 ビッグの結婚は組の存続も意味するので、これで安泰と誰もが安堵していた。


「だがビッグよ。男たるもの、自分の女を幸せにできなければ一人前じゃない。これよりお前たちは、二人だけで旅に出るんだ。その旅の完了をもって、お前に組を任せるつもりだ」

「ダディー…」

「さらに強くなって戻ってこい。外の世界はお前にいろいろなことを教えてくれるはずだ。見知らぬ土地、見知らぬ人間、見知らぬ文化に触れてこい。人間として一回りも二回りも大きくなってこい!」


 地球にも新婚旅行という文化があるが、この都市でも似たような習慣があった。

 アンシュラオンの覇王流星掌(彗星掌)を見たカップルなども結婚後、他の都市に旅に出ていたことからも一般的な習慣といえる。

 ただし一般人が二ヶ月程度なのに対して、ソイドファミリーは【半年】という期間を設けていた。

 もともとソイドダディー自体が外から来た人間であるため、旅が男を強くすることを知っているのだ。

 ビッグは、ダディーの言葉に強く頷く。

 男として、これほど燃える激励もないだろう。


「ああ、わかったよ! リンダは俺が守ってみせる!! いつかダディーを超える男になってやるよ!」

「こいつ、大きく出やがって」

「はは、ごめんごめん。でも俺は今回のことで、自分が本当に弱いってことを知ったんだ。改めて鍛え直してくるよ」

「あら、女を満足させることも男の義務よ。リンダのことも忘れないようにね」

「マミー、わかってるよ。そ、その…あまり自信はないけど、がんばってみる」

「子作りも立派な仕事だからな。そこはリンダの体調のことも考えてやる必要があるが…」

「それを癒す旅にもなるさ。大丈夫。俺が守ってみせるから」

「ああ、あの子も俺らの家族の一員になった。本当の身内だ。心から歓迎するぜ」

「それじゃ、さっさと行っておいで。馬車は用意しておいたからね」

「ダディー、マミー、本当にありがとう」

「ビッグ…頭を下げられるようになりやがって…くそ、泣いちまうぜ」

「リトルはどこに行ったんだい? 見送りくらいしてもいいのにねぇ」

「いいよ、マミー。あいつはあいつなりに思うこともあるんだろうさ。帰ってから二人で話すよ」

「そうかい? …強くなったね。なんだい、泣いちまうじゃないか…」

「それじゃ…また。お土産でも送るよ」

「ああ、またな」


 名残惜しそうにしながらも、ビッグとリンダは馬車に乗る。

 ビッグは大きな身体を窓から乗り出して、姿が見えなくなるまで手を振っていた。

 どれだけ大きくなっても子供は子供。親は親。

 成長した息子の姿に感動し、両親は涙を流す。


「半年は長いね…」

「あっという間さ。すぐに大きく成長して戻ってくる」

「そうだね。…でも、ビッグに組を任せるってのは本気かい?」

「悪いか?」

「そうじゃないけど…最近体調が悪そうじゃないか。そっちが気になってね」

「あのイカれ女にやられた傷が痛むだけさ。俺もがんばりすぎたってことだ。そろそろ引退だよ」

「まだまだ稼いでもらわないと困るよ」

「ははは、そうだな。ただ、あいつがホワイトを倒したことは事実だ。裏ではいろいろ言われているが、マングラスが認めたならそれが事実なんだよ。これほどの実績があれば新しい組だって作れる」

「新しい組を作るつもりかい?」

「俺らは汚れすぎてる。麻薬が悪いとは思わないが、あいつはもっと上に行ける男だと思うのさ。ビッグが羽ばたけるような土台を作ってやりたいんだよ。親父さんの許可が必要になるけどな」

「あの人なら反対しないと思うけど…時代は変わっていくのね」

「ああ、そうだ。変わるんだろうな。見送りも済んだし、俺は【会議】に行ってくる」

「こんな時期に会議とはね」

「こんな時期だからだろうよ。都市内部は落ち着いているが、まだまだ問題は多いからな」

「私が気になっているのは『主催者』よ。わざわざビッグの結婚式にあてがってくるなんてイヤらしい子ね」


 今晩、ラングラス本家本邸にて【会議】が行われることになった。

 主催者は、ソブカ・キブカラン。

 彼の呼びかけによって急遽会議がセッティングされたため、日程調整ができずに結婚式と被ってしまったのだ。

 マミーはそれを嫌がらせと考えているようだ。母親ならではの感情だが、あながち間違っていないかもしれない。


「あいつも制裁の功労者だ。金を出している以上、無視できねぇよ」

「たかが分家筋に好きにさせていていいのかい? おじいさんが泣くよ」

「気持ちはわかるが、あいつ抜きでラングラスは維持できねぇんだ。ビッグが大きくなるまでの辛抱だ。我慢しろ」

「まったく、せっかくのお祝いの日に気分が悪いよ。顔だけ出して、さっさと戻ってきな」

「そうしたいもんだぜ」


(ソブカのやつが会議を招集するなんて初めてのことだ。各組長には一応権限があるにはあるが、本低でやるってのも気になる。ってことは、親父さんも了承済みってわけか。…ソブカか。度量は並外れていやがるが、どうにも好きになれねぇな。せっかく安定してきたんだ。荒れないといいが…)


 ソイドダディーは、妙な胸騒ぎを感じていた。

 あの計算高い男が会議を開くのだから、何かしら『勝算』があってのことだろう。

 何かが起きる。そんな予感がする。


 そうなのだ。

 ソイドダディーはまだ、その程度の考えしか持ち合わせていなかった。

 マミーは言った。時代は変わる、と。

 その言葉は正しいが、正確ではない。


 すでに【時代は変わっている】


 それに気づいていないことが、ここで改めて露呈された。


 だからだろうか。



 この後に起きることに対して、彼らは何の抵抗もできなかった。



 ぴちゃ ぴちゃっ


 倉庫街の入り口、その建物の影。

 液体が滴る音が、何度か響く。


「ん? ああ、なんだ。それ、持ってきちゃったのか?」

「…こくり」

「汚いし、そこらへんに捨てておきな」

「…こくり」


 ぽいっ ごすっ ごろごろ

 『それ』を地面に投げ捨てると、妙に生々しい音を立てて転がっていった。

 硬くありながらも柔らかい、相反する属性をもった『何か』だ。

 この暗闇ではそれが何かを判断することはできないだろうが、もし暗視ゴーグルを持っていれば、『人の首』であることがわかるだろう。

 闇よりも黒い少女が投げ捨てたのは、人間の生首。

 それ自体は珍しいことではないが、問題は【誰の首】か、である。

 安心してほしい。これはビッグの首ではないし、リンダの首でもない。

 彼らは何も知らずにハネムーンに旅立っている。

 では、誰の首かといえば―――


「ようやく訪れた平穏だ。またトラブルがあったら困るし、全部掃除しておくかな。『工場の始末』は終わったし、あとはここか」


 生首の見開いた目は【斜視】。

 覚えているだろうか。売人のまとめ役だったシャイナの上司は、斜視だった。

 斜視の男などそうそういるわけではないので、間違いなく当人のものだ。

 これが意味するところは、もうおわかりだろう。



 すでに工場の人間は―――全員殺した



 男も女も関係なく、皆殺しである。

 彼らは麻薬の売人たちであり、シャイナの顔を知っている。

 そんな人間が残っていたら、せっかく本物の笑顔を取り戻した子犬に災いが降りかかるかもしれない。


 そして次の標的は―――ソイドファミリー


 末端の売人であるシャイナの顔を知っている可能性は低いが、安全のために皆殺しにするつもりだった。

 たまたま金儲けを絡めたために生かしておいたが、もはやその必要性はなくなった。


「さぁ、『初級最終試験』を始めよう。独りでここにいる構成員を全員殺してみな。工場でやったようにね」

「…こくり」


 しかも、これをサナの鍛錬に利用する冷徹ぶりである。

 否。

 最初からそのつもりだったのだ。

 なぜ今まで彼らを生かしていたのか。

 サナに武人としての才能があると気づいた日から、ソイドファミリーを単独で殺せるまでに成長させることを一つの目標にしていたからだ。

 どうせ殺すのならば、最大限に有効利用しなければもったいない。

 地下闘技場の経験を得て、今ようやくその時がやってきただけのことである。

 ビッグの記念すべき結婚式の日に、彼らは殺害されるのだ。




610話 「下克上 その2『初級最終試験、開始』」


 アンシュラオンの目的は、ソイドファミリーの壊滅。

 もともとシャイナの一件に首を突っ込むと決めた段階で、彼らは殺すつもりでいた。

 それがソブカと組んだことによって壊滅は先延ばしにされ、金儲けの道具として利用されることになった。


(思えば十二分に役立ってくれた。こいつらがいなければ何も始まらなかったし、今のような潤沢な資金も得られなかっただろう)


 各派閥の倉庫や輸送船を襲い現金や物資を奪いながら、ソイドファミリーに責任を押し付けてきた。

 ソイドファミリーが武闘派であったことと、弱小派閥とはいえ五英雄の一角相手では手荒な真似もしづらかったため他派閥の動きも鈍く、制裁に至るまで相当な時間を稼ぐことができた。

 その間にサナも鍛えられたし、今後の活動資金も得ることに成功。これでしばらくはゆっくり暮らすことができるだろう。ありがたいことである。

 何事も「タダ」とはいかない。もちろん見返りも与えている。

 最後はラングラス自身にホワイトを殺させることで【英雄を作り上げた】。


 英雄は二人生まれた。


 一人は、のほほんと何も知らずにハネムーンに飛び立った者。

 正直言って馬鹿で愚鈍な凡夫だが、なぜか人を惹きつける魅力があるようだ。(たまにミラクルも起こす)

 もう一人は誰が見ても才覚溢れる者だが、どうあがいても現状では上には行けなかった『翼をもがれた猛禽類』。

 その両者はホワイト商会という存在のおかげで、大いなる躍進を果たした。

 他派閥が疲弊した今、この二人を主軸にすればラングラスが成長するのは難しくはないだろう。

 だがしかし、ラングラスの旗頭はソイドファミリーではない。その必要性はもうないし、力不足である。

 とりあえず名目上の英雄がいればいいだけで、他の者は―――



―――不要



 シャイナの枷を外す意味でも消えてもらうのが一番だ。

 そして、どうせ殺すのならばサナの成長に役立ったほうがいいに決まっている。

 最後の最後まで彼らは利用される運命にある。哀れにも思えるが、彼らから手を出してきた以上は責任を取らねばならない。



 アンシュラオンとサナの二人は、闇に紛れつつ静かに移動を開始。

 しばらく進んでいくと、中央通路に一人の男を発見する。

 男はタバコを吹かしながら周囲を見回すようにして立っていた。

 ソイドファミリーの見張りだと思われるが、敵が来ることなど知る由もないので、ただ突っ立っている状態といえる。


―――――――――――――――――――――――
名前 :ムド・サルカン

レベル:23/30
HP :320/320
BP :115/115

統率:F   体力: E
知力:F   精神: E
魔力:E   攻撃: E
魅力:F   防御: D
工作:E   命中: E
隠密:E   回避: E

【覚醒値】
戦士:0/1 剣士:0/0 術士:0/0

☆総合:第十階級 下扇《かせん》級 戦士

異名:ソイドファミリーの舎弟分、なごみのムド
種族:人間
属性:
異能:家族想い、なごませトーク、裏社会の心得
―――――――――――――――――――――――


(ムド・サルカン、顔写真とも一致だな)


 リンダからもらった構成員のデータと照合。

 ここで改めてソイドファミリーの構成を説明しよう。

 まずはソイドダディーを頂点とする『幹部四人』がいる。

 次に武闘派である『中級構成員』が十五人ほどおり、その中の三人がまとめ役をやっているので、区別すれば『上級構成員』と呼んでもよいかもしれない。

 最後にムドやリンダのような『下級構成員』が十二人おり、全体で計三十一人いることになる。

 詳細なリストがこれだ。

―――――――――――――――――――――――
幹部 四名
・ソイドダディー 組長
・ソイドマミー  流通責任者
・ソイドビッグ  若頭(組長補佐)
・ソイドリトル  生産責任者

上級構成員 三名
×バッジョー 生産補佐
×ジェイ   若頭補佐
・マホト   部隊責任者

中級構成員 十二名
×四名(マサゴロウ戦闘で死亡)
×二名(病院送りにした者)

下級構成員 十二名
・リンダその他、ムド等
―――――――――――――――――――――――

 となっている。

 これを見て、いくつか気になる点があっただろうか。

 バッジョーはファテロナに殺されたので「×印」が付いているが、ビッグの側近であるジェイにも「×」が付いている。

 ジェイは結婚式に少し出て祝福したあと、すぐに仕事に戻っている。

 現在のビッグの仕事は畑での収穫であるため、その補佐をする彼は第三城壁内部の管理のために早々と戻ったのだ。

 稲刈りは雇った労働者がやるので、彼らが不正を働かないか常に監視する必要があり、まれに野犬や魔獣が入り込んで荒らすこともあるから用心は怠れない。

 ジェイは結婚式で涙を流すほど、ビッグの成長を心から喜んでいた。自分の上司であり、若い頃から面倒を見てきた『家族』なのだから感慨深いのだろう。


 が、死んだ。


 帰り道にサナに待ち伏せされ、あっけなく死亡。

 若頭補佐をするほどだ。腕には多少自信があったが、警戒が緩んでいるときに奇襲されれば満足な抵抗はできない。

 彼の死体は馬車の御者たちと一緒に森に投げ捨てられたので、そのうち発見されるだろうが、損傷が激しくて人物特定には時間がかかるかもしれない。

 また、死んだのは彼だけではない。

 前に眉毛じいさんの飲み屋で絡まれて病院送りにした二人も殺害済みだ。

 彼らはアンシュラオンにこっぴどくやられたため、スラウキンが管理する精神病院に入院していた。

 そこで毒物を投与され、死亡。

 彼らもチンピラにしては上等だったが、薬で眠っている間に毒物を注入されれば抵抗はできない。

 ソイドファミリーは『家族想い』だ。ビッグも昼間に面会に行くなどの配慮を見せていたが、それが最期の対面になるとは思ってもいなかっただろう。

 制裁時にマサゴロウに殺された者もいるので、中級構成員は七人までに減っている。



(ふむ、中級に比べて下級構成員は雑魚だな。まあ、一般の人間からすればそれなりに脅威か。武装すれば衛士たちよりは強いし、ソブカの連れている傭兵くらいにはなるかな。だが、どちらにしても必要な人材ではない)


 仮にマングラスと戦争をした場合、ソイドファミリー程度では役に立たないだろう。

 彼らはあくまで一般人には脅威であっても、優れた武人や改造人間、あるいは人形には及ばないのだ。

 これくらいならばソブカが外部から連れてくる傭兵で代用可能だ。無理に生かす必要はない。


「組長のソイドダディーは会議に行っていて不在だから遭遇の心配はない。幹部二人は生け捕りにしてから考えよう。使えそうならば生かすし、駄目そうなら消せばいい。それ以外の人間は全員殺す。わかったかい?」

「…こくり」

「じゃ、まずはあいつからだ。一応は敵の本拠地だ。数はそこそこいるから注意してやるんだぞ。やり方はすべて任せる」

「…こくり」


 サナは『同心』を発動。

 周囲の状況に意識を向けながら、ムドの視線をしっかりと観察する。

 同心と波動円の違いは、戦気を放出するかどうかである。

 波動円のほうが探知能力は数段上だが、直接戦気に触れるため相手の感度が高いと、ガンプドルフやアーブスラットのように逆探知される可能性がある。

 その意味では、単純に周囲に気を配る同心のほうが役立つ場合も多い。

 今日の彼女の装備は、軽鎧に刀とナイフだけを身に付けた『軽装』である。

 鎧は黒に染められ、隙間ができないように各所を黒布で覆った姿は、セクトアンクの忍者姿を彷彿させる。

 それも当然。


 今回の目的は―――【暗殺】


 真正面からぶつかる戦いを想定していないので、動きやすいほうが利点が多い。

 サナはポケット倉庫からクロスボウを取り出すと、ムドの背後から狙いをつける。


「………」


 意識を集中。

 それに伴って、矢にうっすらと赤い光が宿る。

 慎重に周囲を警戒しながら、発射。

 矢はまっすぐにムドに向かっていき―――

 ドスッ

 背中に突き刺さる。


「…え?」


 違和感に気づいたムドが、自身の胸から出ている何かに気づく。

 矢は背中から入り込み、見事に心臓を貫いていた。

 彼も皮鎧を着ただけの軽装に見えるが、鉄板を仕込んだ対刃・対銃仕様なので、通常の矢程度ならば心臓に到達することはない。

 だが、矢は【戦気】で覆われていた。

 戦気で強化されたものは、すべからく威力を増す。


「…こ…れ……は? え…?」

「…しゅっ」


 もう遅い。

 次の瞬間には素早く近寄ったサナが、ナイフで喉を掻っ切っていた。

 さらに切り払ったナイフを再度、顎から脳天に向けて突き刺し、叫ばれる可能性をゼロにする。

 この段階でほぼ即死に近かったが、最後にとどめとばかりに首をへし折る。

 ボギンッ がくっ

 崩れ落ちたムドの意識は闇に呑まれ、二度と浮上してくることはなかった。

 サナは死体を引きずり、素早く通路裏の闇の中に隠す。


 一人目、抹殺完了。



(いいぞ。周囲に気を配りながらも矢に戦気をまとわせることができた。『集中維持』も実戦で使えるほどになってきたな。…まあ、射程距離はまだ短いけどね)


 サナの弱点であった戦気の集中と維持は、ジュンユウによって鍛えられた。

 維持できる距離はせいぜい二十メートル程度であるも、遠隔操作系でないことを考えると十分な長さといえる。


(武器の選択も悪くない。銃はそれなりに発砲音がするし、相手を考えれば大きな刀を使う必要性もない。いきなり接近したら気づかれる可能性もあるから、妥当な判断といえるだろう)


 サナは刀だけにこだわらない。

 彼女の持っている能力すべてが力となることを知っている。

 相手をいかに効率的に倒すかの判断ができている証拠だ。



 ここから本格的な暗殺が始まった。



 次に犠牲になったのは倉庫の前にいた、ムドと同じような格好をしていた下級構成員の男だ。実力もほぼ同等だろう。

 その男は特に何をしているわけでもなく、酔い覚ましで外に出てきただけのようである。

 この倉庫区は彼らの居住区でもあるため、気軽な気持ちで出歩いてもおかしくはない。

 ただ、ムドの場合と異なるところがあるとすれば、背中を壁に押し付けてタバコを吸っている点だ。

 背後から矢で撃つ、といったことができないため、どうしても敵の視界に入ってしまう。

 アンシュラオンならば遠距離から一瞬で倒すことができるが、サナはその手段が乏しい。


 ただし、彼女には『身軽で小さい』という利点がある。


 サナは音を立てずに倉庫の屋根に登ると、静かに静かに忍び寄る。

 このあたりは収監砦に入ってから行っていた足運びの練習が生きている。

 相手が警戒しているのならばともかく、祝賀ムードで完全に油断しているマフィア程度ならば十二分に通用する。

 サナは男の近くまで忍び寄ると、懐から「ワタ」を取り出して放り投げる。

 このワタは文字通りの『綿』であり、ふわふわ宙を漂いながら雪のように男の視界に入る。


「…ん?」


 男は宙から落ちてきた綿に意識を集中させる。

 だが、ただのワタだ。

 危険がないことがすぐにわかり、落ちてくる様子をぼんやりと見つめていた。


「…ふー」


 そんな他愛もない光景に、タバコの煙とともに息を吐き出した瞬間。


 とんっ ブスッ


 男の喉に、ナイフが突き刺さる。

 ワタに注意が向いている間に反対側から降り立ったサナが、躊躇なく攻撃を仕掛けたのだ。

 身体の小さな子供が地面すれすれに這ってきたので、まったく視界に入らなかったことも無防備だった原因であった。


「かっっ!! はっ―――」


 喉を潰されたため男は叫ぶこともできない。

 ようやく現状を把握し、自分を刺した子供を視認するが、時すでに遅し。

 サナはもう一本のナイフを取り出し、心臓に突き立てる。


「っ…っ!! …かっ…はっ!!」


 さすがソイドファミリーというべきか。

 まだ男は生きていたため、二度三度とナイフを突き刺して、ようやく絶命。

 崩れるように倒れた男を受け止め、ずるずると引きずって、こちらも倉庫の影に死体を隠す。


 二人目、抹殺完了。



(こんなゲーム、あったな)


 それを見ていたアンシュラオンは、こういう隠密ゲームが流行ったことを思い出す。

 相手に見つかってしまうと、さすがに多勢に無勢。完全武装されれば、今のサナでも多少厳しい戦いを強いられるだろう。

 だからこうして一人ひとり、安全に抹殺していくのだ。

 自分がやってもスリルを楽しめそうだが、サナがやるのを見るのも違う意味でドキドキする。

 こうして同じような手段をもちいて、その後も三人ばかり始末完了。



 これで下級構成員を五人殺したので、残りは六人となる(リンダを除くと全十一名)



 近場で外に出ている者はいないため、倉庫の屋根の上を移動しながら敵を探す。

 ここで人がいる倉庫を見つけるのは簡単だ。

 彼らは倉庫内で暮らしているため、誰かがいれば窓に明かりがついているのだ。仮に寝ているのでもなければ、それですぐにわかる。

 この界隈でソイドファミリーに喧嘩を売る者はいないため、防犯意識はあまり高くないようだ。これもまた油断といえる。

 サナは光が灯った倉庫にたどり着く。

 そこで聞き耳を立てると、中で話し声が聴こえた。どうやら何人かいるらしい。


「…すぅ」


 ここで初めて、サナは『波動円』を使用した。

 同心だけでは倉庫内部のことまではわからない。感覚が鋭敏すぎるアンシュラオンならばできるとしても、サナには難しいだろう。

 サナは地下闘技場の戦いで、およそ一メートルから二メートルまで波動円を展開することに成功している。セクトアンク戦では、さらに伸ばしていた節もある。

 それで才能が開花したのか、この二週間で二十メートル近くまで伸ばせるようになっていた。(物質への戦気の集中維持と同じ長さ)

 日々努力を重ねているラーバンサーで三十メートル程度だったことを思えば、この歳でこれだけ扱えれば合格といえるだろう。

 倉庫はあまり広くなく、波動円は無事成功。


 『三人の男』の気配を探知。


 アンシュラオンも探ってみたが、どれもあまり強そうではない。今まで倒した相手と同レベル帯だろうか。

 どうやら入り口付近の倉庫は、下級構成員が暮らす生活倉庫のようだ。


(まとまってくれていて楽でいいな。害虫駆除がはかどるよ)


 結婚式の日を襲撃日に選んだのは、相手が一箇所に集まるからだ。

 普段はジェイのように各担当エリアで仕事をしているため、全員が集まることは極めて稀である。

 各人がバラバラのほうが抹殺しやすいと思うかもしれないが、逆に他派閥の人間に悟られる可能性も大きくなるため、倉庫区といった小さな場所にまとまっていてくれたほうが狩りやすいのだ。

 当然、ソブカと連携してのことである。

 ビッグを見逃すこともソブカからの要請だ。それを受け入れる代わりに日程を呑んでもらったというわけだ。


(せっかく作った英雄君を殺すのも忍びないから、オレはかまわないが…高い値が付くようになったもんだね。育てた甲斐があったよ)


 ソブカからの要請は、ビッグとリンダへの不干渉のみ。

 ああ見えてもラングラス本家の嫡男であり、彼が子供を残すかどうかは派閥の存亡に関わるほどだ。

 たとえソブカが実権を握ったとしても血を遺すという意味では重要な存在だ。ソブカが庇うのは当然だろう。

 ただし、それ以外については何もなかったので、遠慮もなく組織を潰すことができるのだ。

 つまり、その段階で「ソイドファミリーは売られた」のである。


 さて、ここは少し難関だ。

 倉庫には木箱なども積まれているので、屋根の上から貫通射撃しても上手く当たるかどうかはわからない。

 仮に一人に当てたとしても、他の二人が生き残ってしまう状況は少し厄介だ。その間に仲間を呼ばれると面倒になる。

 改めて遠隔操作ができないことは不便だと知る。

 だがしかし、こういったことも『知恵』と『技術』によって克服できるのだ。

 サナは掌を屋根に当てると、ゆっくりと静かに戦気を放出。

 静かに静かに、それでいて集中を維持。

 ジュウウウッと屋根が溶け、掌サイズの穴が生まれる。

 時間をかけて溶かしたため、音はほとんどしない。よほど注意深く聴いていなければわからないだろう。


「…じー」


 その穴から中を観察。

 サナの目に、酒を飲みながらカードで賭け事をしている三人の姿が映る。

 やはり油断しているのでまったくの無防備だ。

 それを確認すると、サナは水刃砲の符を三枚取り出した。


(おっ、これはまさか…)


 サナは穴に入れた片手で、器用に三枚の術符を広げ、狙いを澄ましてから―――発動。


 ブシューッ ザクザクザクッ


 放たれた水鉄砲は、三人の頭を的確に捉えた。


「………」

「………」

「………」


 どさっ ガタンッ

 三人は言葉も発さず、机に突っ伏して絶命。

 手に持っていたカードが散らばり、頭から流れ出た血で赤く染まる。


(術符の同時起動か。出力を抑えれば三つ同時まで可能とは、やるじゃないか)


 術符は常に最高威力で放つわけではない。与える魔力を絞れば威力を低くすることができる。

 この場合、威力が低くなる代わりに命中率が上がる。術自体の命中率は変わらないのだが、術者が扱いやすくなるのだ。

 これもセクトアンクから学んだ技術が生きている。



 下級構成員を新たに三人殺したので、残りは三人。

 その三人も麻薬が貯蔵された各倉庫の番をしていたので、個別に排除して下級構成員は全員排除に成功。

 リンダの裏切りによる血の代償は、ますます増えていくばかりだ。

 だが、すでに彼女は罪の意識すら感じていないだろう。


 逆に魔人に逆らうこと自体が罪。


 それに気づいた瞬間、彼女の心は晴れ晴れとした。

 ソイドファミリーは罪を犯したのだ。だから罰せられるだけのこと。

 自分という矮小な存在には最初から決定権も拒否権もない。ならば何も考えずに従うことが幸せだと気づいた。

 だからビッグの隣にいる彼女は、花嫁らしい素敵な笑顔を浮かべている。

 その笑顔があまりに美しいので、ビッグは何一つ疑うことはなかった。




611話 「下克上 その3『重なる血肉、修練の結果』」


 サナは首尾よく立ち回り、下級構成員十一名を殺害。

 相手が雑魚とはいえ、ここまで一度も気づかれていない点は見事だ。


(思ったより隠密行動もできるんだな。もともと言葉を発しないから静かだし、無駄な緊張で身体が萎縮することもない。暗殺稼業に向いているかもしれないぞ)


 ファテロナのような生粋のアサシンと比べるのは失礼だが、剣士の中では資質があるほうだろう。

 髪の毛も肌も黒く、視覚的にも闇に溶け込めることも利点だ。

 これくらいの能力があれば領主城くらいならば、ほぼ問題なく潜入が可能と思われる。



 アンシュラオンたちがさらに奥に進むと、ひときわ大きな倉庫を発見した。

 壁は鉄板のような魔獣素材で厳重に覆われ、戦車砲すら防ぎそうなほど強固な造りになっている。

 それだけでも普通の倉庫ではないとわかるのだが、周囲には五人の男たちがたむろしていた。


(さっきの連中よりも強いな。中級構成員だろう。最低限の武装もしているようだし、明らかに他の倉庫とは警備体制が違う)


 見た瞬間にわかる。彼らは紛れもない『武人』であった。

 中級構成員はハンターや傭兵崩れがスカウトされてファミリーに加入するため、最低でもレッドハンター級の強さを誇っている。

 レッドハンター級といっても各人の能力幅が大きいため一概に評価は難しいのだが、ライアジンズのメンバーと同程度と考えても問題ない。

 彼らはチームで動けば、一般裏スレイブたちを蹴散らすくらいは簡単にできるし、個人の能力もけっして低いわけではない。

 あくまでアンシュラオンから見れば雑魚なのであって、世間一般からすればレッドハンターは評価に値する存在である。なめてはいけない。

 また、バッジョーのような上級構成員ともなれば、実力はブルーハンターに匹敵する。

 バッジョーがどれほど強かったかといえば、地下闘技場では団体戦に出られるくらい、といったほうがわかりやすいだろうか。

 さすがにキングには及ばないが、マングラスならば代表入りできるレベルにあったはずだ。

 その配下の中級構成員たちも、サナが闘技場で戦った異名持ちの選手に匹敵するだろう。

 目の前には、五人のニットローやブローザーがいると思えばいい。


「…じー」


 サナは離れた位置から、じっと敵を観察。

 敵意や殺気を出さない自然と同調した視線のため、相手はまだ気づいていない。

 それからしばらく思案。彼我の戦力状況を計算しているのだろう。


(オレの見立てでは強引に突破も可能だとは思うが、どういう選択をするかな)


 彼女が取れる選択肢はいくつかある。

 まず一つ目は『強行突破』。

 奇襲を仕掛ければ一人か二人は難なく倒せるだろうし、魔石を使えばさらに安全であろう。

 初期のラブヘイアと同レベルである今のサナならば、それくらいのことは可能だ。

 ただし、確実に相手に見つかってしまうマイナス面もある。


 二つ目は最初と同じように、おびき出して一人ひとり排除することだ。

 こちらの場合は安全ではあるも、どうやっておびき出すのかが問題となる。ああやってまとまっていられると分散は難しいだろう。

 この作戦に厳密な時間制限はないが、今頃ソブカが会議を開いているはずなので、それが終わるまでには片付けたいところだ。

 あまり長引かせると他派閥、特にマングラスの監視に引っかかる可能性もある。できれば、あと一時間以内には終わらせておくべきだろう。



 どうするのかと思ってサナを見ていると、彼女はくるりと身体の向きを変え、来た道を戻り始めた。

 そのままいくつもの倉庫を通り過ぎ、『とある倉庫』の前で止まり、中に入っていく。


「…ごそごそ」


 サナが倉庫内にあった木箱を一箇所に集め、火痰煩の術符を取り出し、発動。


 ボオオオオッ もくもくもく


 木箱は勢いよく燃え始め、盛大な煙が発生する。

 サナは外に出ると、近くにあったもう一つの倉庫内でも同じように木箱を燃やす。

 そして再び外に出て、倉庫の影に身を潜めた。


 およそ一分後。


 煙に気づき、三人の男たちがやってきた。


「ちっ、火事かよ」

「下のやつらは何をやってやがった! ヘマしやがって!」

「くそ、商品が燃えちまう! 文句を言う前に消火するぞ!」

「おう! せっかくの若の記念日に出火なんて笑えないからな。さっさと消しちまおう!」

「あっちからも煙が出てるぞ」

「こっちは任せて、お前はあっちを消してこい」

「わかった」

「俺はほかに燃えてないか調べてくる」


 サナが燃やしたのは、麻薬。

 ここには大量の麻薬が保管されているので燃やす物には困らない。

 精製して粉になった麻薬も燃えるし、工場に送る前の乾燥コシシケも保管されているので、なかなか盛大な煙を出してくれるものだ。

 サナにとっては何の執着もないが、彼らにとっては大切な商品である。燃えているとわかれば消火しないわけにはいかない。

 結果、一人ずつが二つの倉庫に入って鎮火を試み、もう一人が見回りに出ることになった。

 全員がばらけた。まさに望んだ通りの結果だ。

 すらり

 サナが刀を抜いた。

 最初に標的にしたのが、外の見回りに出た構成員だ。

 静かに気配を消しながら待ち伏せし、近づくのを待ってから―――


 ズバンッ!!


 躊躇なく振り抜かれた真横の一撃が通り過ぎ、サナと構成員の視線が交錯。

 ここでようやく相手は気づいたが、その瞬間には首と胴体が離れていた。


「っ…てめ……」


 首が飛んでもすぐに死なないのが武人。さすがにしぶとい。

 が、サナに慢心はない。

 すぐに次の動作に移っていた。

 今度は縦に振り抜いた刀が、宙に浮いたままの頭部を真っ二つに切り裂く。

 ごとんっ ぶちゃっ

 完全に切断された二つの物体が地面に着地。鈍い音とともに血を撒き散らす。

 中級構成員は絶命。

 不意打ちのため戦気を放出する暇もなく、あっけなく死亡する。


(数値上では、相手の能力はサナと大差がない。だが、最初から臨戦態勢の相手から奇襲を受ければ、ほぼ即死だろう)


 奇襲が成功すれば、相手は戦気を張る時間がないため防御力は激減する。逆に言えば、素の防御のまま対応しなくてはならない。

 その状態で剣気を放出したサナの一撃には、到底耐えられない。ほぼ即死である。

 現実のダメージ計算はRPGのように簡単にはいかない。不意打ちや当たる箇所によって複雑に変わっていくのだ。


 サナは同じように倉庫で鎮火している構成員二人にも奇襲を仕掛け、ほぼ苦戦することなく排除に成功する。

 彼女は見事に陽動による分断と各個撃破をやってのけたのだ。


(魔石を使えば強行突破もできたが、あえてそれをしなかった。まだ何が起こるかわからない状況下だからな。奥の手は残しておいたほうがいい。その我慢ができることが重要なんだ)


 力に酔っている者に、これと同じことはできない。どうしても力を示したくなるのだ。

 地下闘技場での初期のサナがその状態であったが、現在は「力」が何であるかを理解しつつある。

 アンシュラオンが必死になって伝えた「死なないこと」「死ぬリスクを減らすこと」を重要視している。



 こうして中級構成員を三人抹殺。



 極めて順調である。順調すぎる結果だ。

 ただし、ここまでやってしまえば、さすがに相手も警戒するものだ。

 再び大きな倉庫に戻ったサナが見たものは、武装を整えた四人の男たちの姿である。

 さきほどまでは五人おり、そのうちの三人が消えたのだから、残りは二人のはずだ。

 それが四人になっているということは、おそらく中にいた二人が合流した形になったのだろう。

 そのうちの一人は、他の者とは違う気配をまとっている。


(あれが上級構成員のマホトか。部隊のまとめ役なだけあって、少しは強そうだな)


 まさに武闘派、というような無骨な顔つきをした男がいる。彼が最後に残った上級構成員のマホトだ。

 バッジョーも強かったが、マホトのほうが個人戦闘能力は上のようだ。

 彼は主にダディー不在時における、倉庫区内の警備と幹部の護衛を担当しているので、強いのは当然である。

 実力的には、成長した今のビッグとほぼ同じ程度といえるだろうか。

 ビッグもかなり成長したので武人としては悪くはない。たとえるならば、イタ嬢の七騎士、二人か三人分くらいの実力がある。(けっこうすごい)

 そのマホトは全身を重鎧で包み、その鎧に見合った大剣を持っていた。大剣は年季が入っているので実際に普段から使っているものと思われる。

 他の構成員も、制裁時にビッグが使用していたような戦闘用のプロテクターを身に付け、アームガードやハンマーを装備している者もいる。

 見た目的には世紀末に出てきそうな悪党連中そのものなので、一般人が見たら恐怖で声も出ないかもしれない。


(敵の襲撃の可能性を考慮して、すぐに警戒態勢を取れるのは優秀な証拠だな。他のやつらもびびってはいないようだ。なるほど、たしかに武闘派だ。戦い慣れている雰囲気はあるな)


 アンシュラオンのせいでソイドファミリーの評価が相当下がったが、腐っても武闘派だ。

 もしソイドダディーが加われば、間違いなくラングラス最強の勢力となるのだろう。

 そんな相手にどうするのか、サナの実力が試される。



 サナは、じっと倉庫を観察。

 いくら見ても彼らが移動を開始することはなかった。

 倉庫に向かった仲間が戻ってこなくても、様子を見に行くそぶりはない。

 だからこそ逆に中に幹部、ソイドマミーたちがいることを証明してもいる。仲間の命よりも優先すべきことがあるのだ。

 サナもそれがわかったのだろう。

 倉庫の屋根に登ると、一枚の術符を取り出した。


 火鞭膨の術符を―――発動


 大きな横凪ぎの炎が倉庫に襲いかかる。


「―――!」


 マホトはそれを素早く察知すると、術式の前に出て大剣を構えた。

 大剣にはしっかりと剣気が放出されており、勢いよく振り払う。

 炎は剣に斬られ、倉庫に到達する前に霧散。

 術式を破壊するには、その三倍以上の力によって粉砕するしかない。

 この段階でマホトの剣気込みの攻撃力が、サナの魔力値よりも高いことがうかがえる。(火鞭膨の魔力倍率は等倍。範囲重視の術式)

 その間にサナは倉庫から飛び降りると、入り口のほうに向かって逃げる。


「やはり敵襲か」


 マホトが大剣を地面から引き抜きながら、サナが逃げていった方角を見つめる。


「ちっ、ふざけた真似をしやがって! ぶっ殺してやる!」

「慌てるな。三人で固まって追え。それなりの相手だぞ」

「はい! 任せてください!」

「罠には気をつけろ。倉庫に火を付けられても無視していい」

「了解でさ!」


 三人をサナの追っ手に差し向ける。

 武闘派組織はなめられたら終わりである。罠とわかっていても追うしかない弱みがあった。

 マホト当人は、そのまま倉庫前に残って警備を続けている。

 見つかったとはいえ、こうして両者を分断することに成功したので、サナは今頃三人と戦っている―――



「うちの組に喧嘩を売るとは、どこの馬鹿だ! さっさと出てこい!」



 マホトが倉庫の上に向かって言い放つ。

 すると、黒い小さな影が屋根から飛び降りてきた。

 すとんっ

 倉庫はそこそこの高さがあったが、衝撃をすべて吸収して音もなく着地。

 そこには、刀を抜いたサナがいた。


「ふん、小細工をしやがる。見破れないとでも思ったのか」


 そう、さきほど逃げていったサナは、分身符で生み出した『偽者』だ。

 この分身符も扱いに慣れると、自身が動かずとも多少なりとも操作することができるので、こういった陽動には非常に重宝する。

 それを見破るとはマホトはかなりの凄腕、と思いきや、彼の言葉には嘘が含まれていた。


(わかっているなら三人も移動させないだろうに)


 アンシュラオンでも分身を見分けるのは難しいのだ。術式で生み出したものなので術士の因子が必要なのである。

 しかもこの暗闇だ。普通の武人に見破るのは不可能だろう。

 あくまでマホトの「駆け引き」であり、謎の襲撃者に対して少しでも圧力をかけるためのハッタリである。

 ただし、この状況でハッタリをかますのも戦いにとっては重要なことだ。それだけでも場慣れしていることがわかる。


「………」


 しかし黒い少女は一切動じず、刀を持って近寄っていく。

 勘違いしてはいけない。彼女の狙いは最初からマホトなのだ。

 彼がなんと弁明しようが、まんまとおびき出された【獲物】でしかない。

 迷いなく、駆ける。


(ちっ、速い!)


 サナがいくつかのフェイントを交えながら迫り、刀を振る。

 マホトは大剣で応戦。

 素早い動きに見事対応し、大きな剣で刀を切り払う。


 ガギィイインッ! ぶわっ


 威力は向こうのほうが上。刀が大きく弾かれ、サナの身体が浮く。

 が、それを見越していたサナは回転しながら着地すると同時に、今度は低い体勢で足元を狙った。

 マホトは剣を地面に突き立てて防ぎつつ、拳を使って殴りかかってきた。

 サナは足元にまとわりつくように動き、回避。

 逆にタイミング良く跳ね飛んで、蹴りをマホトに叩き込む。

 蹴りは腹に当たったが、相手は重鎧を着込んでいるのでダメージは浅い。


「うおおおおおお!」


 マホトは地面に突き刺さった大剣を、力ずくで振り払う。

 あまりに強い力が発生したため石畳が破砕。

 石つぶてがサナの顔に向かってきたが、腕でガードしながら間合いを取った。


(すばしっこいやつだ。かなりいい動きする! あの背丈、子供の暗殺者なのか?)


 マホトはこの一瞬の攻防で、サナが只者ではないことを見抜く。

 どう見ても子供の体躯でありながら、さきほどの蹴りは異様に重かった。

 もし重鎧を装備していなければ、内臓にまでダメージが通っていただろう。

 斬撃も迷いがなく鋭い。それでいながらフェイントも交えてくる。

 基本に忠実でありながら変則的で―――【怖い】

 人を殺すことにまったく躊躇がない。すべての攻撃にそうした怖さが宿っているので、実際のダメージ以上に迫力がある。

 だが、それに対応するマホトもいい腕をしている。

 初めて見る動きにもかかわらず、こうして対応できることは優れた戦闘経験がある証拠だ。

 さすが幹部の身辺警護をするだけあり、組織内部での実力はソイドダディーに次ぐナンバー2という話も頷ける。


 しかしながら、サナの武器はこれだけではない。


 術符を取り出すと、時間差起動。

 マホトは最初に襲ってきた風鎌牙を耐えるも、次に放たれた水刃砲が鎧を貫通。

 身体を庇った左腕にダメージを負う。


(水刃砲が貫通した!? さきほどの火鞭膨は出力を落としていたのか!)


 火鞭膨を防いだマホトが水刃砲を防げない。

 両者の魔力倍率は同じなので、ここでサナが「魔力の微調整」をしていたことが判明する。

 最初に放った火鞭膨は相手を分断させるための布石。

 あえて出力を低くしてマホトに防がせておいて、「これくらいの相手ならば単独でも倒せる」と思わせるための行動だ。


「なめるなよ! 死ね!!」


 マホトが剣衝を放つ。

 大剣から放たれた一撃は、さすがに強い。

 大きな剣気が、石畳を抉りながら唸りを上げて突き進む。

 サナは回避。

 威力の高い剣衝だが、風衝ではないので速度は並。これだけ距離があれば避けるのは容易である。


「…じー」


 サナは中距離の間合いを維持しながら、次々と術符を撃つ戦術に徹した。

 これにマホトは苦戦を強いられる。

 イケダに「まるでグランハムのようだ!」と絶賛された絶妙な動きに、まったく対応ができなかったのだ。

 これにはサナの動きの良さのほかに、もう一つの理由がある。


(倉庫から離れられないのを知ってやがる!)


 マホトは護衛が任務のため、倉庫から離れるわけにはいかない。

 彼からすれば、敵があと何人いるかわからない状況なのだ。迂闊な行動には出られない。

 それをサナは観察して知っているからこそ、こうしてチクチク攻めているわけだ。


(攻められないと思ってるのか!? 当たれば一撃で倒せるんだよ!!)


 このままでは危ないと判断したマホトが、サナの思惑を逆手に取ろうと一気に接近を試みるが―――

 先にサナが急接近。


「なっ!!」

「…しゅっ」


 ガギィイイイ!! メキョッ

 逆にサナの強烈な剛斬を受け、鎧の肩が破損する。

 こちらも重鎧でなければ肩を砕かれていただろう衝撃である。


(まずい! 制された!!)


 相手に先手を取られた以上、マホトは下がって防御を固めるしかない。

 しかし、サナのいやらしいところは、そのままラッシュを仕掛けないことだ。

 また中距離に戻ると、絶妙な間合いを維持しながら術符で攻撃してくる。

 これにもマホトはまったく対応できず、傷がどんどん増えていった。


(なんてやつだ!! どこまで慎重に戦う!!)


 優れた剣技を持っているのに、けっして前一辺倒にはならない。

 確実に、極めて堅実に「安全に殺すため」の攻撃を続けてくる。

 その徹底した戦い方に寒気すら覚える。



 そんな時である。



「兄貴!! すいやせん! 逃しちまった!!」



 偽者のサナを追いかけていた構成員三人が戻ってきた。

 彼らは仲間の死体も見つけたので、その報告にやってきたのだ。


「…じー」

「っ!! 逃げろ! 狙われているぞ!!」

「え?」


 なぜマホトが三人一緒に行動させたかといえば、この三人は衛士隊との衝突の際に怪我を負っていたからだ。

 衛士隊が最新型の武器を使っていたこともあり、中にはかなり重傷を負った構成員もいたのだ。

 よって、彼らはすでに手負い。


 そこに―――爆弾矢


 矢が爆発し、三人が吹き飛ぶ。

 サナはマホトと戦いながらも波動円を展開しており、すでに彼らの動きを把握。この無防備な決定的瞬間を狙っていたのだ。

 とはいえ、それでも中級構成員。

 一人は今の一撃で意識を失うほどのダメージを負ったが、二人は瞬時に戦気を放出して生き残っていた。

 だがそれも一瞬だけ寿命が延びただけのこと。

 サナが術符を取り出し、発動。

 バジィイインッ


「っ!!」

「か…は!」


 直後に雷貫惇の術符によって貫かれて、二人が絶命。

 二人の位置が直線状に並ぶことも計算に入れていたサナの勝ちである。



「きさまあああああああああああ!! 絶対に許さん!!」



 これにマホトが激怒。

 ソイドファミリーは全員が『家族想い』を持っているため、さすがに怒りが頂点に達したのだろう。

 燃え上がる戦気に包まれ、大剣を振り上げてサナに猛突進してきた。

 ダメージを受けるのも覚悟の上で、必殺の一撃を入れようと思ったのだろう。

 がしかし、それは悪手。


「…ぎろり」


 バチバチバチッ!

 ここでサナが魔石を発動。身体が雷気に包まれる。



―――雷が疾《はし》った



 雷光の速度で一瞬にしてマホトの眼前に出現。


「っ!!」


 驚いたマホトが剣を振り下ろす。

 このあたりは完全に反射。狙ったものではない。

 彼の戦闘経験によって無意識のうちにカウンターを放ったのだ。

 振り下ろされた剣の威力は凄まじく、地面が大きく割れるほどのものだった。

 もし当たっていれば、サナといえど無事では済まなかっただろう。

 もし当たるような奇跡が起こっていれば、の話であるが。

 サナの姿はすでにそこにはなかった。



 マホトの―――背後



 サナの動きは一直線ではない。

 雷のように一瞬にして角度を変えることができる。

 ジュンユウ戦では初めてやったので加減できなかったが、この二週間の練習の成果もあり、これくらいならば使いこなせるようになっていた。

 何よりもこの男は、ジュンユウほど強くない。

 気の抜けたカウンターなど、今のサナなら軽いステップ程度でかわせるものだ。

 完全に無防備な背後から、雷爪一閃。


 ズバッ! バチィイイインッ


 雷爪で腕を跳ね飛ばし、武器を奪い、感電させてから―――


 ズパン!!


 刀で首を刎ね飛ばす。



(馬鹿…な。俺は…夢でも……)



 ドサッ

 マホトが地面に崩れ落ち、絶命。

 雷人となったサナにとって、真正面から向かってくる相手は獲物でしかないことが証明される。

 ここまで一瞬で勝負がついたことには理由があった。

 最初にサナが通常状態で戦っていたのは、相手の目を慣らすためである。

 そして、十分慣らしたあとにジュエル解放。

 圧倒的なスピード差に加え、剣士の間合いから突然戦士の間合いに変わったため、まったく対応できなかったのだ。

 これによって無傷。

 サナは一撃も相手の攻撃を受けることがなかった。


「…とことこ、ざくっ」


 これでも彼女は油断しない。

 爆発矢で気絶した相手だけではなく、すでに死んでいる相手にも刀を突き刺して、完全なるとどめを刺す。


「これで全員かな?」


 戦いを見届けたアンシュラオンが、サナの隣に降り立つ。

 リストにあった構成員は、全員殺したはずだ。

 あくまでこのリストが正しいと仮定した場合なのだが、リンダが嘘をつくはずもない。

 ただし、彼女が知らない存在がいるかもしれないので、あとで見回るつもりでいる。


 ともあれ―――




「初級最終試験、合格!!」




 おめでとうございます!!



 ありがとうございます!!





612話 「下克上 その4『火の道』」


 上級街の東、上級住宅街のさらに東にラングラス本邸がある。

 ある意味において、領主城よりも安全なグラス・ギース最奥の地、といっても差し支えないだろう。

 なぜ彼らがそんな場所を与えられているかといえば、以前説明したようにラングラスが薬師《やくし》の家系だからだ。

 薬師。

 言ってしまえば、単なる医者だ。

 たかが医者。所詮は医者。どうあがいても医者。

 ずっとそう思われていたがゆえに、ラングラスは常に五派閥間の中で最下位に甘んじていた。

 しかしながら時代は変わる。

 いや、もっと正しく述べれば『時代は戻る』のだ。

 あの時代、ラングラスという【火】がもっとも燃え盛っていた過去。

 【不死鳥】と呼ばれ、誰からも尊敬されながらも畏怖されていた、あの頃。



「てめぇ…今、なんつった?」


 ラングラス本邸の会議室、その上座にいたイニジャーンが目を細める。

 彼はマフィアの大幹部の一人だ。一般人ならば、ひと睨みされただけで縮み上がる迫力があるが、その視線に晒された男は平然としていた。

 それから改めて、もう一度同じ言葉を発する。


「『その席』を譲ってもらえませんか?」

「どういう意味で言ってやがる?」

「言葉通りの意味です。その席に宿るすべての『権力』を私に譲ってください」

「………」


 イニジャーンは葉巻を灰皿に押し付けながら、自身と対峙している若い男を見る。

 もはや彼のことをいちいち説明する必要はないだろう。

 この会議を主催したソブカ・キブカラン、その人である。

 ソイドビッグと同い年にもかかわらず組長の立場にあり、極めて商才に長ける男だ。

 頭が切れるが仁義や礼節を知らない若造。他の組長たちからはビジネスヤクザのような扱いを受けていたし、実際にイニジャーンもそう思っていた。

 いつもならば安い挑発だと笑うか、軽く怒ったふりをして終わらすのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 イニジャーンの視線は、ソブカの【服】に集中する。


「その服…どうやら偽物みたいだが、それがどういう意味を持っているのか知らないわけじゃねえだろうな」

「そこまで愚か者に見えますか。当然知っています」

「そのほうが笑えないな」

「私も笑いに来たわけではありません。ましてや小道具の自慢に来たわけでもありません」


 ソブカが着ているものはいつものスーツではなく、臙脂色の生地に赤と金で見事な鳳凰が刺繍された『鳳薬師《ほうやくし》の天衣』と呼ばれるものだ。

 もちろん、これはレプリカ。ラングラスの秘法の模倣品でしかない。

 されど、ソブカがこのローブを羽織っていることには大きな意味がある。

 このローブを着ていいのは本家の人間かつ、その派閥のリーダーだけである。

 つまりは現状ではツーバ・ラングラスのみが着ることが許されるものなのだ。

 いくらレプリカとはいえ、分家のソブカが着ていいものではない。


「じゃあ、本気ってわけだな? 俺が座っているこの椅子は、ムーバの兄貴から預かっているもんだ。それをてめぇが欲しいってんだな?」

「その解釈で間違いありません。しかし、より正確に述べるのならば、その席はツーバさんのものであり、ムーバさんのものではありません」

「いちいち細かい野郎だな。んなこたぁ言われなくても知ってんだよ。…で、俺がどう答えるかなんぞ、言うまでもねえよな? 頭のいいてめぇなら、わかりきっていることだよな?」

「ええ、わかっていますよ。それと同時に、あなたには大きすぎて座り心地が悪いということも理解しているつもりです」

「…ほぉ、言ってくれるな」

「事実ですからねぇ」


 ソブカが飄々としているのはいつものことだとしても、今日の彼には『妙な迫力』があった。

 凄み、あるいは覚悟のような強い意思が、目つきだけではなく身体全体から発せられているのだ。

 そのことに困惑しているのは、なにもイニジャーンだけではない。

 会議に出席している他の五人、ムーバ、ソイドダディー、スラウキン、モゴナオンガ、ストレアもそうだ。


「おいおい、ソブカよ。ちょっと待ってくれよ」

「モゴナオンガさん、あなたも反対なのですか?」

「賛成とか反対とか、それ以前の問題だろうが。俺にはお前が言っていることが理解できねぇよ」

「すでに我々を取り巻く状況は説明したはずです。この派閥が生き残っていくためには、私が『ラングラス』になるしかありません」

「状況はわかったが、解決策がおかしいんだよ。それは本家の役目だろう? ムーバのオジキもいるんだし…ねえ、オジキ?」

「あっ…う、うむ。そのだな……」

「オジキ、そこははっきり言ってくださいよ。まあ、ムーバのオジキはこういう人だから甘く見られるのかもしれねぇけど、本家は本家だ。そこはわかっているだろう?」

「私が【分家】だから。そうおっしゃりたいのでしょう?」

「ああ、そうだよ。こんなことは言いたくはないが…しょうがねえよ。こればかりはお前のせいじゃないんだからよ。な? 冗談だったんだろう? ちょっと言ってみたかっただけだよな? そう言えば丸く収まる話だぜ。俺も一緒に頭下げてやるからよ」

「…相変わらず、あなたは『いい人』ですね」


 モゴナオンガは、ソブカを買っていた。

 ソブカ無しではラングラスが立ち行かないことも理由だが、本家と分家の理不尽な立場の違いも理解していたことが大きい。

 その点では両者は似ている。

 がしかし、それ以上に両者には決定的な差があった。

 圧倒的な才能の差だけではなく、精神の心持ちそのものが違ったのだ。

 だから譲らない。


「では誤解がなきように、はっきりと申し上げます。今日この日より私はラングラスとなり、派閥を率いる者となります。皆様には、それに従っていただきたい」

「ソブカ!!」

「落ち着け、モゴナオンガ。てめぇが騒いでるようじゃ世話がねえ」

「オジキ…だが……」

「このガキと話しているのは俺だ。一度抜いちまったんだ。すぐに収まりがつくわけがねえ。なぁソブカよ、遊びで言っているわけじゃねえよな?」

「はい、本気です」

「理由くらいは聞いてやる。言ってみろ」

「私がラングラスを率いねば、再び栄光を取り戻す日は永劫に来ないからです」

「そいつは言いすぎだな。未来のことなんぞ誰にもわかるわけがない。いつか俺らがトップになる日が来るかもしれねえぞ」

「それはありえません。問題は現派閥の他力本願な点です。良い結果を得る努力を放棄しているのならば、結果も最初から火を見るより明らかでしょう」

「てめぇならやれるってか? 随分と自信がありそうだが、具体的に何をするつもりだ?」

「このグラス・ギースを支配するのはマングラスではありません。我々ラングラスです」

「今になって戦争を仕掛けるつもりか? 馬鹿げているぜ。ようやく制裁が終わったばかりだろうに」

「現状が平和とでも勘違いされているのではありませんか? 治安は改善されたものの、所詮はマングラスの支配下に入っているだけです。市民がそれを良しとするのは仕方ありませんが、五英雄の旗を掲げる者…とりわけ不死鳥の旗を掲げるのならば見過ごすわけにはいきません。マングラスの軍門に下ることは許されないのです」

「俺らがトップでなくてもいいだろう。都市はこれで維持されている。無駄に争うことはねえ」

「ありえない。その言葉は火の英霊に対して、極めて不敬と申し上げましょう。まがりなりにもラングラスの名代を背負っている者の発言ではありません」

「俺からすりゃ、お前のほうが粋がったガキにしか見えないぜ。理想と現実は違うんだよ。俺らは派閥の命運を背負ってんだ。軽々しい真似はできねえし、実現できない言葉も発せられねぇんだ。わかるだろう?」

「ええ、わかりますよ。あなたにはできないということがね」

「…ソブカ、若気の至りにしてもやりすぎだ。どこで狂った?」

「狂ってなどいません。私は正統な火を受け継ぐ者に相応しい態度を示しているだけです」

「それが狂ってんだよ!! 何に魅入られた!! 力か! 金か! 地位か!」

「愚かしいことです。ラングラスが求めるは、火のみ。弱き者を勇気付け、邪悪な者を焼き尽くし、都市に活力を与えることが使命のはずです」

「…そうか。わかったよ。…てめぇは【火にあてられちまった】んだな。若いときはどうしようもねえが……才能がありすぎるってのは不幸だな」


 才能がありすぎる。

 これはソブカを見た誰もが思うことだろう。

 だから怖い。だから不憫。だから哀れ。

 分家として生まれてしまったからこそ、彼は強く【火】を欲するしかなかったのだ。

 五英雄という火に憧れた少年は、その時に時間が止まったのである。


「私がラングラスになれば、ハングラスとジングラスを味方に引き入れてみせましょう。マングラスと対等以上に戦ってみせます」

「勝てない戦いには意味がない。マングラスには勝てねぇ」

「いいえ、私は勝ちます。マングラスは必ず打ち倒します」

「倒してどうする? マングラスがいなければ都市運営だって維持できねぇ。共倒れになるだけだ」

「五英雄である以上、マングラスは必要です。ですが、グマシカ・マングラスである必要はありません。ましてやその裏側にいる者の好きにさせてしまえば、グラス・ギースは本当の意味で終わります」

「裏側…?」

「今のグマシカは偽者です。本物はすでに死んでおります」

「っ!!」


 驚いたのはイニジャーンだけではない。

 この場にいたすべての人間の表情に変化があった。

 されど、驚愕の事実を知ったにしては反応が薄い。

 その理由は簡単だ。


「…そうか。偽者…か」

「あまり驚かれないのですね」

「現実は変わらねぇ。誰が支配しているにせよ、マングラスが強大であることは同じだ」

「そこまで負け犬根性が染み付いているとは…呆れを通り越して尊敬しますよ」

「皮肉を言われても何も感じねえよ。そして、それ以前の問題だってことを理解しろ。てめぇは分家だ。それ以上でも以下でもねぇ。これが不満なら組の序列を上げてやるから辛抱しろ」

「太っ腹ですねぇ。首を差し出せと言われると思っていましたよ」

「わかっていやがったくせに白々しいぜ。博打はそっちの勝ちだ。今は内輪揉めをしている場合じゃねえ。少しでも力を蓄えるべきだ。兄貴、それでいいですか?」

「う、うん? どういうことだ?」

「ソブカを…キブカ商会を序列一位にしてやるってことです」

「一位? それではお前の組が下がることになるぞ?」

「かまいません。売り上げじゃキブカ商会の半分もありませんからね。それで若いやつが満足するなら安いもんでしょう」

「うむ、お前がいいのならかまわないぞ。ソブカは【うちの家族】の中で一番頭がいいからな。前々から任せてもいいと思っていたよ!」

「…まあ、そこは否定しませんがね」

「うむうむ、みんなが仲良くあれば、それでよし!」


 場の剣呑とした空気に気圧されていたムーバの顔が、一気に明るくなる。

 彼は正直に言えばおとなしすぎて、代理とはいえ組織のトップには向かない人物だ。

 だが、それでも最低限の求心力があるのは、すべての者たちに対して『素直な好意』を向けられるからだ。

 組長たちに嫌われているソブカに対しても、可愛い親戚の子供のように接する。


「若い時にはいろいろとあるもんだ。大目に見てやってくれ。なぁ、ソブカ。お前は本当に出来る子だ。これからもラングラスのために尽力してくれ。今は大変だと思うが、必ずいい時代がやってくる。その時まで我慢してくれ」

「ムーバさん、あなたはとても『いい人』ですね」

「ん? そうか?」

「ええ、みんな『いい人』ばかりです。だからこそ、たまにこう思います。私はこの派閥に生まれるべきではなかったのかもしれない、と」

「そんなことを言うもんじゃないぞ! お前は必要な子だ。ほら、固い話は無しにしよう。せっかく家族が集まったのだ。酒宴でも開こうではないか」


 あらかじめ用意していたワインを注ぐと、ソブカに杯を勧める。

 このようにムーバは、人としては好意的な人物だ。

 もし彼が本家の人間でなければ、このまま平和に生きていけたかもしれない。

 だが、時代はすでに変わってしまったのだ。


「ムーバさん…」

「ん? どうした? 何かあるなら遠慮なく言うといい」

「では、遠慮なく申し上げます。実は…」

「うん、なんだ?」





「あなたには―――死んでいただかねばなりません」





「…は? いつっ…」


 ソブカの手が杯を通り越し、ムーバの首筋に触れる。

 プスッ

 その瞬間、鋭い痛みが走った。

 ムーバは杯を置いて、その箇所をさする。


「ん、なんだ? 何か刺さっ―――うっ!? ……うぐっ…うううっ!!」

「兄貴!! どうしたんですか!?」

「いや…なにか……きもちが……悪くて……うぐっ、げぼっ!!」


 妙な吐き気を感じたムーバが我慢できずに嘔吐。


 バチャッ バチャチャッ


 だが、彼の口から吐き出されたのは吐瀉物の類ではなく―――真っ赤な塊。

 それが何か上手く形容できないが、肉と血が混ざり合ったもの、という表現が一番正しいだろう。


「げぼっ! げおおおっ!!」


 ドシャドシャッ


 しかも、それは一回や二回で収まることはなく、吐き続けるたびに同じような塊がとめどなく出てくる。



 そして―――ドスンッ



 崩れ落ちるようにムーバが床に倒れた。


「兄貴!! 兄貴!!」


 吐き始めて数秒程度の出来事だったため、まったく対応できなかったイニジャーンが慌てて駆け寄る。

 しかし、ムーバを抱えた瞬間に、もう手遅れだと悟った。

 なぜならば肥満体だった彼の身体は一気に痩せ細り、まるで別人のようになっていたからだ。

 さきほど彼が吐き出していたのは、自らの血肉。

 ソブカが注入した【強毒】によって、介抱する暇もなく【死亡】してしまっていた。


「お、オジキ…おい、冗談だろう?」

「………」

「ま、マジ…かよ」


 モゴナオンガもイニジャーンの表情を見て、嘘や冗談ではないと悟った。

 ストレアも、あまりのことに固まって動けないでいる。

 唯一スラウキンだけは近寄って冷静に診察をしているようだが、診断結果に変更はないだろう。


 ムーバ・ラングラスは―――死んだ


 このことに何も変わりはない。




「…ソブカ……まさかここまでやるとは…」


 ソブカを強く睨み付けたのはイニジャーンではなく、ソイドダディーだった。

 完全に油断していた自分が許せないと言わんばかりに、犬歯が見えるくらい強く噛み締めている。

 おそらくこの場で唯一ソブカの動きに対応できる人間がいたとすれば、武人である彼だけだったはずだ。

 しかし、まさか【身内】を殺すとまでは想像していなかった。

 家族想いのソイドファミリーを基準にして考えたがゆえの過ちである。


「あっという間に死んでしまいましたね。さすが戦罪者の毒です」


 これはハンベエが精製した『特殊毒』。

 アンシュラオンがソブカからさまざまな薬物を提供してもらった代わりに、彼も対価を受け取っていたというわけだ。

 その効果は絶大。ソイドダディーが対応していても、どのみち助けることはできなかっただろう。


「何を他人事みたいに言ってやがる!! 殺しちまったんだぞ!! お前が、その手で!! その意味がわかっているのか!!」

「本家といっても人間です。簡単に死んでしまうものです」


 ソブカは毒針のついた指輪をはずすと、ムーバが注いだワインの中に入れる。

 針にはまだムーバの血が付いていたが、赤いワインと混じり合い、もはや見分けはつかない。


「血は混じり合います。そこに境目などありません。本家と分家の違いも同じことです」

「御託を抜かしやがって!! てめぇが殺した事実は変わらねえ!」

「ムーバさんは死んではいません。私とともに生き続けます」

「お、おいっ! それを飲んだら…!!」


 ソブカが指輪を入れた杯を一気に飲み干す。

 だが、数秒経ってもソブカに変化は見られなかった。


「心配はご無用です。毒を扱うのですから解毒剤くらいは持ち合わせています。間違って自分を刺したら本当に笑いものですからね。フフ…」

「くっ!! 身内を殺して…笑えるのかよ!! 完全に歪んでやがる!! 本家を守るのが俺らの役目だろうが!! それを放棄したてめぇは、もうラングラスじゃねえええええ!」

「そうそう、ソイドビッグですが、今日ご結婚なされたようですね。無事だといいですね」

「まさかお前―――っ!!」


 言葉もまた力なり。

 怒りの形相でソブカに掴みかかろうとしたダディーの動きが、一瞬だけ静止。

 そして、その一瞬だけあれば【彼】にとっては十分な時間である。


 バンバンッ


 廊下から放たれた銃弾が壁を貫通し、ソイドダディーの足に命中。

 銃弾はアキレス腱を破壊。思わず、つんのめる。


(しまった! 足が! だが、これは…!!)


 不意をつかれたとはいえ、ラングラス最強の武人であるダディーの足を封じるのだ。

 瞬時に防御の戦気を出したものの、それを貫通する威力を持っている。

 こんなことができる者は、この都市では極めて少数。


 バンッ ドタドタドタッ


 それを合図に会議室の扉が開き、何人もの武装した者たちが入ってきた。

 彼らは迷うことなく動き、組長たちを取り囲む。

 その中には当然、ファレアスティとベ・ヴェルもいた。


「ソブカ様、館の制圧は完了しました」

「ご苦労様です。いいタイミングでしたよ」

「危ない真似をなさらないでください。最初からこうしていれば、御身を危険に晒すこともありませんでした」

「対話をするのが、せめてもの礼節です。といっても【反逆者】には最初から礼節など存在しないのかもしれませんがね」

「ソブカ様を認めない者たちに礼節など必要ありません」

「あなたは厳しいですね。ですが、その気持ちはありがたく受け取っておきましょう。それで、【彼】はどうですか?」

「…気に入りません」

「でしょうね」


 ソブカの視線が、ソイドダディーの後ろにいる男に向けられる。

 そこには黒いライダースーツを着て、二挺の拳銃を持っている男がいた。


「まだまだ馴染まないが、贅沢は言えないからな。使えるだけありがたいってね」


 ただのリボルバー式の拳銃なので【銃剣】は付いていない。これでは彼の能力を十全に発揮はできないだろう。

 それでもこれくらいの仕事はできる、と言わんばかりに笑顔を向けるその男に、ファレアスティは侮蔑の視線を返している。

 彼女はどうやら彼が嫌いらしいが、それも頷ける話だ。

 ようやく『あの男』と別れられたと思ったら、人格的に大差がない者がやってきたのだ。

 好きになれるわけがないどころか、さらに嫌気が差すに違いない。

 しかし、強い。

 こうして後ろにいるだけでダディーは動けない。


「てめぇ…ソブカに付きやがったってのか」


 もともとホワイト商会を倒すために自分が呼んだ男である。

 それが今は敵になるとは、まったくもって世の中は皮肉だ。

 だがその男、クロスライルは、さも当然と言わんばかりにタバコを吹かす。


「傭兵だからね。高く買ってくれる雇い主がいれば、そっちにいくのは当然じゃね? つーか、あんたらとの契約はもう終わってるし、あいつもラングラスなんだろう? なら、いいじゃんか」

「あいつは分家だ!」

「ふーん。その分家に好き放題されている本家ってのも笑えるね。カカッ、弱いなら諦めなよ」

「くそが!!! てめぇ、ソブカ!! ビッグに手を出すつもりじゃねえだろうな!! もしそうならここで…!!」

「刺し違えますか? そんなことは御免こうむります。安心してください。彼は無事ですよ。これからのラングラスには必要な人材ですからねぇ」

「それを信じろってのか!! 親父さんを殺した人間を信じられるかよ!!」

「ちょっとちょっと、この状況じゃ無理じゃね? 素直にあいつに従ったら?」

「武人の戦いが能力だけで決まると思うなよ!!」


 ソイドダディーから激しい戦気が放出される。

 あまりの熱量によって机が一瞬で炭化し、崩れ去る。

 アーブスラットもそうだったが、ソイドダディーも守るためには命を投げ出すつもりでいた。

 が、アーブスラットと彼の場合には、大きな違いがある。

 それをソブカはすでに知っていた。


「ソイドさん、やめておいたほうがいいですねぇ。さすがに二回目は本当に死にますよ。あなたが使っている【朱毘禰屍《しゅぴねかばね》】も万能ではありません」

「―――っ!! な、なんで…それを……」

「秘法については誰よりも知識があると自負しております。あなたがファテロナさんとの戦いで死んだことも、ね。本当は戦気を出すのもやっとなのでしょう? その状態では我々に勝つことはできません。ここで死ぬのは犬死にだと思いませんか」

「ソブカ…お前、何者だ? どこでその知識を…」

「言ったでしょう? 私こそラングラスなのです。ラングラスがなぜラングラスなのか、その意味を一番よく知っているだけにすぎません。しかし、このような形のまま終わることだけは嫌なのです。このチャンスを逃せば、ラングラスは二度と表舞台には立てないでしょうからね」


 英雄に憧れたコスプレ少年。

 それ自体は微笑ましく、そのまま終わっていれば自己満足に浸れる良い人生だったといえるだろう。

 だが、だがしかし。

 少年には、強い欲求が残っていた。

 火はくすぶり続け、いつまで経っても熱量は下がらない。

 それどころかますます胸を焦がし、自分でも抑えることができなくなっていく。



 その結末が―――【下克上】



 これは反逆ではない。

 強き者が弱き者を淘汰するという自然界の掟にすぎない。

 誰であっても自然法則には従わねばならない。永劫に重力に逆らえる者はいない。

 ここは荒野の世界。

 血を流さずに成立するものなど、何一つない!!

 そして、流す血が多ければ多いほど、それは凝り固まって大きなものとなっていく。



「ソブカ…これで終わったと思っているわけじゃねえよな?」


 イニジャーンが、立ち上がる。


「兄貴を殺《や》っちまったんだ。本家である兄貴を…! いい人だった…本当にいい人だった…」

「ええ、同意します。しかし、いい人だけでは駄目なのです。本家の血だけでも駄目なのです。彼には覚悟がなかった。力もなかった」

「てめぇにはあるってのか?」

「そうです。私にしかできません」

「…そうか。俺はてめぇが大嫌いだったが、実力だけは認めていた。そんなお前が言うんだ。できるんだろうよ。だがな、こんな真似をされて素直に俺らが従うとでも思ってんのか!! ああ!?」

「従うしかありません。それしか道はないのです。もしあなた方が本家に縛られているのだとすれば、力づくで断ち切るまでのことです。すでに一人殺したのですから、二人になろうが三人になろうが同じことです」

「縛られてんのは、てめぇのほうだろうが!! 身内殺して、誰がてめぇを信頼するってんだ!!」

「力ある者が統治する。これが正しい姿です」

「理屈じゃねえ! 俺らにはケジメや筋ってものがある。てめぇから見れば馬鹿らしいのかもしれねえがな、それを信条に今まで生きてきたんだ! その筋を曲げたてめぇには、死んでも従わねぇからな!!」

「イニジャーンさん、あなたには組織のまとめ役をやってもらいたいのです。ここで死ぬのは、あまりにもったいない」

「命乞いはしねぇ! やるならやれ!! てめぇの覚悟はそんなもんかよ!!」

「………」

「どうした!! 本当に本家をやっちまって足が震えたのか!! 後悔したのか!? いまさらビビってんじゃねぇ!! 俺も殺してみろ!!」

「………」

「お前はもう戻れねぇ!! その火の道を歩むしかねえんだよ!! さあ、殺せ!!」

「…残念です」


 ソブカは無表情のまま腰に下げていた火聯を抜き―――


 ブスッッ


 イニジャーンの胸を貫く。


「ぐっ…!! ふ、ふはははは!! そ、そうだ…!! てめぇは…そうやって……全部を……燃やすしか……できねぇんだ……! ここまでやったなら…最後まで……責任……とれ…よ」


 ボオオオッ


 刺されたイニジャーンが燃えていく。

 ソブカの炎に焼かれていく。


「ソイド…てめぇは……まだ死ぬな。俺よりは…役に立つ……」

「イニジャーン!!」

「兄貴…おれは……筋を……通した……ぜ」


 バタンッ ぼしゅうう

 倒れたイニジャーンは、あっという間に炭化して燃え尽きる。

 最後まで筋を曲げなかったという意味では、まさにマフィアの組長に相応しい最期であった。


「………」


 ソブカは数秒だけイニジャーンの死体を見つめたあと、改めてこの場にいる者たちを見据える。


「さあ、あなたたちはどうしますか? 従うか、ここで死ぬか。どちらかを選んでください」

「従わないやつは殺す…か。うちらもマフィアらしくなってきたじゃないか。久々に血が熱くなるぜ」

「モゴナオンガさん、あなたはどうしますか?」

「俺か? 俺はお前を評価してるし、べつにトップでもかまわないと思うぜ。…だが、お前は身内を手にかけた。それだけはやっちゃならなかった!! それでほいほいついていったら筋が通らねぇ!!」

「あなたも感情だけで動きますか」

「お前がどう思おうが、俺たちは【血】で生きてるんだよ!! 派閥ってのはそういうもんだろうが!!」

「血も新しくしなければ濁り、淀みます」

「ソブカ、悪びれもせず―――」


 ブスッ!!

 その言葉が終わる前に、モゴナオンガの背中に剣が突き立てられた。


「…ぐふっ……ちくしょうっ……祝いの席じゃなかったのか…よ。ったく、ついてねぇ…」


 ゴトンッ

 倒れたモゴナオンガは、その数秒後に意識を失い、そのまま死亡。

 ソブカは彼の眼前にいたので、刺したのは彼ではない。

 刺した当人は、水色の剣を死体の背中から引き抜いていた。


「ファレアスティ、まだ会話の途中でしたよ」

「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」

「いえ、どうせ彼は私の味方にはなれなかったでしょう。『いい人』でしたからね。さて、あなたはどうなさいますか?」

「ひ、ひぃいっ…」


 視線を向けられたストレアの目に怯えの感情が宿った。啖呵を切る余裕もない。

 女組長としてそれなりの修羅場を潜ってきた彼女だ。殺しの現場くらいには耐性がある。

 そんなストレアでさえ怖れたのは、身内でもあっさりと殺す非情さであり、『格』を完全に無視する純粋な『暴力』である。

 アンシュラオンも常々言っているが、純粋な暴力の前ではいかなる権威も無意味である。

 多くの者はそれを実行しない理性と恐怖を持っているが、目の前の男は違う。

 目的のためならば、すべてを焼き尽くしてもかまわない、と思っている。

 人でなし、狂人、恩知らず。なんと罵ろうが、彼が歩みを止めることはない。

 ストレアはひざまずき、あっさりと陥落。ソブカに屈する。


「スラウキンさんは、どうされますか?」

「私たちは荒事には関わりません。ラングラス側の統治に関してはお任せいたしますよ」

「見返りは何か必要ですか?」

「従来通りに付き合ってくだされば問題ありません。ラングラスが発展することは医師連合の発展ですからね。…ああ、そうでした。【医療麻薬の売買】に関しては【医師連合が独占する】ことを認めてくだされば、それで十分です」

「なっ!! どういうつもりだ!! うちのシマを荒らす気か!」


 これに噛み付いたのはソイドダディー。

 今までは医師連合にも卸していたが、権益はソイドファミリー側にあったのだ。怒るのは当然である。

 だがこれは、最初から決められていた『契約』でもあるため、抗うすべはない。


「麻薬の管理は医師がすべきだと思います。自然な流れに戻すだけのことです」

「スラウキン…てめぇ! 最初から裏切るつもりだったな!!」

「裏切るもなにも、医師連合は独立した組織です。より医療の発展に役立っていただけるのならば、どちらが派閥を率いても関係ありません。今までの体制では医療は発展しない。そう思っただけです」

「それを裏切りってんだよ!!」

「ソイドさん、もう勝敗は決したのですよ。潔く事実を認めましょう」

「ふざけるな…!! 俺はまだ認めちゃ―――」




―――「いいかげんにしろ!!」




 バタンッ


 入り口とは反対側、奥にあった扉が開くと【一人の男】が入ってきた。

 年齢は四十後半だろうか。赤みがかった黒い髪の毛に、鋭い目つき。身体も引き締まっていて、まさにエネルギーが凝縮したような快活さと力強さを感じさせる。

 それだけでも並の人物ではないことがわかるが、ラングラスの各組長にこのような人物はいない。

 では、若頭の類か。あるいはどこぞの傭兵隊長か。

 否。

 ここにいてよいのは、ラングラスを冠する者だけ。

 その人物は倒れているムーバを見つけると、近寄って顔に手を置く。


「ムーバ、なんてなさけねぇ姿だよ。だからずっと言っていただろうが。仲良しごっこじゃ、この世界は生きてはいけねぇってよ。お前は優しすぎたんだ…。より強い者が誰かを見誤った。しょうがねえ。しょうがねえよな…」


 ドバドバと涙を流しながらも、男に哀しみの情は宿っていなかった。

 たとえるならば、密林の中で動物の死骸を見つけた時に感じる、生死への純粋な慈しみに似ているだろうか。

 大自然の中において生死は当たり前に存在するもの。それをそのまま受け入れると、大地や星、宇宙の大きさを感じて感謝の念すら浮かぶ独特の感情が芽生える。


―――悟り


 人が生きること。死ぬこと。

 そのすべてを熱い情熱とともに受け入れている。

 これは簡単にできることではない。普通の人生を生きていては得られない深みが、男から強く感じられる。


「っ……なっ……」


 ソイドダディーが思わず固まり、その人物の顔を凝視する。

 忘れたくても忘れられない。忘れてはいけない顔だった。


 なぜならばその人物こそ―――




「オヤジぃいいいいいいいいいいいい!!」




 ツーバ・ラングラス。


 現ラングラス派閥の長であり、本家の序列最上位にいる人物なのだから。




613話 「火の通過儀礼 その1『火の洗礼』」


「父さんの具合は?」

「また少し症状が進んでいるようですが、命に別状はありません」

「このままだと、どうなるんだ? 死ぬのか?」

「事例がないのでわかりません。前医師連合代表の記録から、いくつか似た症例を発見しましたが、どれも早々に命を落としています」

「でも、父さんは死んでいない」

「はい。ですから、とても貴重なサンプル…」

「………」

「失礼いたしました。珍しい症例ですので慎重に対応したいと考えています」

「はぁ、頭がおかしくなりそうだ…。どうしてこんなことになっているんだ。もう治せないのか?」

「我々も全力を尽くしております。諦めてはなりません」

「私にリーダーは向かない。父さんのようには…なれないんだ……」


 ガチャッ バタン

 ムーバ・ラングラスはベッドで寝ている父親、ツーバ・ラングラスを一瞥し、落ち込んだ様子で無言で部屋から出て行った。

 この場にスラウキンがいるのは、いつものことだ。

 彼はツーバの主治医でもあるため、定期診察ができる立場にある。

 こうやって絶望しながらムーバが出て行くことも、もはや見慣れてしまった光景の一つである。

 ただしこの日だけは、いつもと違うことが起きていた。


 そこには―――【一人の少年】


 真っ白い髪の毛、白い武術服を着たアンシュラオンが、扉の前に立っていた。


「ムーバ・ラングラス、案内してくれてありがとう」


 アンシュラオンは瞬間移動したわけではない。ムーバが扉を開けてから閉めるまでの間に普通に入ってきただけだ。

 ムーバは武人ではないため、出し抜くのは極めて容易であった。

 ここはラングラスが所有する秘密の地下室。

 ツーバは派閥の長でもあり、暗殺の可能性があるので常時居場所を変えていた。

 普段はどこにいるのかわからない彼らであるも、スラウキンが診察する際はどうしても接触する必要がある。

 その時を狙えば、こうやってツーバと会うことは難しくはなかった。


「この男がツーバか。いい面構えをしているね」

「ラングラスでは稀に見る優秀な人物です」

「ソブカくらいに?」

「それを述べる立場ではありませんが、同程度の資質は感じています」

「へぇ、面白いね。ところでツーバを目覚めさせたら、ソブカは困らないかな?」

「ツーバ様は長年ラングラスを支えてきた御仁です。時勢を読む能力にも長けております」

「それなら大丈夫かな。まぁ、あっちのことはあっちで片付けてもらうとしよう。そうそう、麻薬についての話だけは伝えておいてね」

「アンシュラオンさんが麻薬関連の利権を掌握し、販売は私どもに一任する、でよろしいでしょうか?」

「それで問題ない。ソイドファミリーはこれから潰すから、工場をそのまま乗っ取るつもりでいるよ。そのための人員も確保しているからね。それと、作る麻薬はコシノシンだけでお願いね」

「わかりました。もともと麻薬といえばコシノシンだったのです。それをソイドファミリーが儲けを出すために、本来廃棄すべきものまで売ったのが始まりです。医師連合としてはアンシュラオンさんに賛同いたします」

「よかった。スラウキンさんとはいい付き合いをしたいからね。できれば揉めたくない」

「こちらこそ今後とも良い付き合いをしたいと考えております。協力できることは何でもおっしゃってください。全面的に協力させていただきます」


(オレやソブカよりも、この人のほうが怖いよな。自分の欲求のためならば躊躇いなんてないんだ。研究者ってのは潔いよ。おかげで計画は順調だけどね)


 もうすっかり忘れていると思うが、工場の人員とはホワイト商会として暴れ回っている間に確保した麻薬中毒やホステスの女性たちである。

 麻薬中毒者はそのまま麻薬を与えればいいし、上質のコシノシンを使うので症状も多少は緩和されるだろう。

 ホステスも売人を兼ねないので、より安全な生活が保障されることになるはずだ。夜の店で働くよりは健全といえる。

 麻薬という言葉が嫌ならば『製薬会社』で働いている、と言い換えてもいいだろう。

 痛み止めは人間には必要なものだ。頭痛薬や消毒液を作って恥らう者はいない。


(父親を助け、医療麻薬を正式なルートで販売させ、あいつの売人の記録も消す。至れり尽くせりじゃないか)


 こうして考えるとシャイナのために相当な労力を使っている。

 それを知らないでギャーギャー喚けばいいのだから、駄犬とは楽なものである。

 ただ、シャイナも最近は医者の助手としてがんばっているので、これからに期待であろうか。



「さっそく始めていいかな?」

「お願いします」


 アンシュラオンがツーバに近づくと、スラウキンが食い入るように凝視する。

 多少やりにくいが、これもまた医師連合の信頼を勝ち取るためである。


(若返り…か。人体は不思議で未知な部分が多いが、今回は明らかに【人為的】なものだろう。おそらくは改造人間たちと同じ技術が使われているに違いない)


 アンシュラオンはツーバの胸に手を置き、命気を放出。

 身体全体を包み、体内に浸透させていく。

 皮膚、肉、骨、血管、すべてに命気が行き渡り、細胞の中にまで侵入。


(異常はない。正常な肉体だ。しかし、変なエネルギーの波動を感じる。これが若返りのための力を与えているんだな。どこだ? どこにある?)


 今のところ身体は正常である。

 ただし若返るという性質上、違うエネルギーが加わっているはずだ。

 それを探すために命気を浸透させて探すこと、三十秒。

 力の痕跡を発見。

 それは特定の場所ではなく、全身に広がっている『何か』であった。

 熱くて冷たく、硬くて軟らかい不思議なイメージを受ける。

 たとえば相反するものが激突し、混じり合っているような複雑な感覚だ。


(これは…【熱量】として存在している? バイラルの話では『石』と聞いていたが、その段階を超えてしまっているようだな。すでに石という形態を取っていないぞ。液体に近いか? …ふむ、どうやら【拒絶反応】が起きているようだ。昏睡状態の原因はこれだろう)


 元々は石だったのかもしれないが、何かしらの要因で溶けてしまい、身体全身の細胞と混じり合ってしまっている。

 逆に言えば、これこそプライリーラの父親であるログラス・ジングラスとの大きな違いである。

 ツーバの肉体が思った以上に強いため、石を受け入れているのだ。同時に彼の免疫機能が拒絶反応を起こし、石を攻撃してもいる。

 ウィルスが入ると人体は熱を出して殺そうとするが、それによって当人も苦しむ光景に似ている。


(完全に混じり合った部分は排除できないかもな。だが、それ以外の淀み、あるいは『不純物』の部分は集めることができそうだ。やってみるか)


 マングラスが作った石は完全ではない。

 それも当然だ。本物の賢者の石ではないのだ。作れるのは紛い物であろう。

 ログラスや他の被験者が死んでしまったのは、不純物が全身に回った結果と思われる。

 ツーバほど身体が強くなかった彼らには、それを『濾過』または『浄化』する体力がなかったのだ。


 ジュワワワワッ ズゴゴゴゴゴゴッ


 アンシュラオンが命気使って、強制的に細胞内にある不純物を吸い出していく。

 命気は汚れを取る作用もあるので、特定の物質を狙って吸着することもできる。


(けっこうな塊になりそうだな)


 そのままだと外に出せないので、細かいまま命気と一緒に引きずり出してから、手の平の上で再構築してみる。

 ギュギュッ ガキガキンッ

 そうして固めると、やや青が強めのエメラルドグリーンの石が生まれた。

 大きさは、およそ『ビー玉』程度。

 見た感じでは小さなものではあるが、身体中の細胞に少しずつこれが溜まっていたと思うと、なんとも怖いものである。


「おお、それが噂の!!」

「マングラスが要人に埋め込んだ石の欠片ってところかな。これの正体は―――」


 ドクンッ


 と、アンシュラオンが観察しようとした瞬間、石が膨張した。


 ドクンドクンッ!

 ドクンドクンッ! ドクンドクンッ!


 石は膨張を続け、あっという間に二倍の大きさになった。

 どうやら命気を吸収して元の状態に戻ろうとしているようだ。

 しかも石は変形を始め、大量の触手状に変化。

 アンシュラオンの腕に絡み付いて内部に入ろうとしてくる。


 この石は―――生きている


 知性ある生物とは異なるが、単細胞生物のような反射に近い感覚はあるのだろう。

 そして、一番怖いところは【寄生型】である点だ。

 一度使用されれば宿主の中でしか生きていけないため、自身を生かすために近くにいる者に寄生する性質がある。


「おい、オレに触れるな」


 だが、相手が悪すぎた。

 不快感を感じたアンシュラオンは、再び命気で触手を絡め取ると、力づくで押さえつけ、ねじ伏せ、再度一箇所に集めていく。

 ギギギギッ ガチガヂッ

 強引に集めて固めたので、やや不恰好な形となったが、触手は無事に石状の物体へと戻っていった。


「なんだこいつは。危ないから固めておこう」


 また触手になると困るので、命気を浸透させてから結晶化。

 今度は青と白が混じった美しい原石のようなものが出来上がる。


「お、終わったのですか?」

「ああ、体内にあった不純物はこれで全部だよ」

「これで不純物とは…興味深い。しかし、今の現象は?」

「よくわからないけど寄生虫みたいな感じ? どうやら命気の生命力に反応して食いついたみたいだね」

「体内に入ろうとしたように見えましたが?」

「体内にいないと生存できないのかもね。ツーバが若返っていたことから考えるに、宿主の生体磁気を強制的に増やそうとしているのかな? そのおこぼれをもらってこいつも生き延びているのかも。でも、普通の人間にそんなことをしたら耐えられないよね」

「なるほど。まさに寄生虫ですね。これの本質は何だと思われますか?」

「うーん、構成要素は命気に似ているけど…ちょっと違うね。グマシカたちが後ろにいるのなら魔獣絡みか、あそこにあった水あたりが関係していそうだね。…これ、欲しい?」

「ぜひに!」

「はい、どうぞ。命気で固めたから大丈夫だろうけど、気をつけてね」

「いやぁ、興味深いですねぇえええ!! とても面白いです!!」


 物欲しそうな目で見てきたので、この石はスラウキンにあげることにした。

 現在は安定しているので問題ないだろうが、少しは怖れを知ってほしいものである。


(これがバイラルの言っていた生命の石ってやつか。エネルギー源としては悪くないから、改造人間たちが長生きしている理由はこれだろうな。だが…あそこで見た女は、もっと強い生命力を宿していた。あれを手に入れるまでの間に合わせの可能性が高いな)


 傀儡士がマングラスの聖域で手に入れた本物の賢者の石の力は、こんな紛い物を遥かに凌駕するものであった。

 あの力を自在に操れるのならば、これより何百倍も優れた石を生成できるに違いない。


(あれだけの力だ。すべてを完全に掌握することは簡単じゃないと思うが、時間を与えると面倒かもしれないな。ちっ、あのやろう。次は絶対に殺さないと気が収まらないね)


 自分が本気で殴っても何事もなく耐えきったのだ。傀儡士の顔を思い出すたびに苛立ちが募る。

 それ以上に『情報公開』が通用しなかったことが腹立たしい。

 アンシュラオンがマングラスを敵に指定するのは、そのことも大きな要因である。不確定要素は排除しなければ安全な生活は送れないものだ。


「…うっ」

「っ!! 今、動きましたよ!」


 アンシュラオンが思考を巡らせていると、ツーバが少し動いた。

 不純物が血栓のように生体磁気の流れを滞らせていたせいで昏睡状態になっていたが、それを取り除けば意識が戻るのは当然である。

 しかし、今目覚めさせるのは面倒だ。


「ソブカが会議を開くのは明後日で間違いないよね?」

「はい。日が暮れてから開始するはずです」

「じゃあ、それまで寝かしておくよ。オレの仕事は治療することだけだし、特に会話をする必要もないからね。あとは領主の奥さんを治せば終わりでいい?」

「よろしくお願いいたします。また婦人の診察の際にご連絡いたします」

「わかった。時期は任せるよ」


 アンシュラオンが命気をツーバの身体に浸透させ、意図的に意識を奪う。

 ただ、そのかすかに開いた瞳は少年の姿を映していた。


(とんでもねぇ…やつがいる。地獄か、ここは?)


 一目見れば、【コレ】がどんなに危ないものかがすぐにわかる。

 わからないとすれば、それこそ本当に愚か者。危機感を失ってしまった家畜だけだろう。


「ツーバ・ラングラス。あんたが少しでも賢明な判断を下すことを祈るよ。それじゃ、おやすみ」


 その言葉を脳裏に焼き付けながら、ツーバの意識は完全に眠りに落ちた。




 ツーバがここにいる理由は、これがすべて。

 アンシュラオンによって助けられた彼は会議前に目覚め、スラウキンから話を聞く。

 まだ病み上がりということもあり、会議の成り行きをじっと見守っていたのだが、あまりの『ふがいなさ』に居ても立ってもいられず出てきたのだ。

 ムーバの亡骸を背に、ツーバはソイドダディーに顔を向ける。


「ソイド、久しいな」

「お、オヤジ……なのか? 本当に!? だ、だが…その姿は…!?」

「幻でも偽者でもねえぞ。俺は俺だ。ちっとばかり若返っちまったがな。気合と根性だけは昔と変わっていないつもりだ!!」

「見間違えるわけがない。間違いなくオヤジだ!」

「それよりソイド、しばらく見ない間に随分とひ弱になっちまったなぁ。引退を決め込んだようなツラしやがって。そんなんだから大事なことを忘れちまうのさ」

「大事なこと…?」

「俺たちはどうあがいても、切った張ったの世界で生きるしかねぇんだ。各派閥にゃそれぞれ存在意義があるが、最後に物を言うのは『どっちが強いか』ってだけの話だ。弱いやつが強いやつに従う。逆らっても無意味だ。負けても逆らっても、ここで倒れているやつらのように死ぬだけだ。思い出せよ、お前の両親はどうして死んだ?」

「っ…!!」

「義理人情だけじゃ生きていけねぇんだ。そこんところ、よく思い出しておきな」

「オヤジは…ムーバの親父さんが殺されても割り切れるのか? 大切な息子だろう? 大事な子供じゃないか!」

「哀しくないわけがねえ!!!!」

「―――っ!!」

「哀しい! 悔しい! そんなことは当たり前だ!! そいつを失くしたら、もう人間とは呼ばねぇよ。愛する息子が死んで、哀しくないわけがないだろうよおおおおおおお!! うぉおおおおおおおお!!」


 ツーバは盛大に涙を流しながらムーバの死を悼む。

 ただし、そこには平和な時代で生きる人間とは違う死生観が存在している。


「こいつはよ…自分が信じた道を歩んで死んだ。立派だったよ。その人生を認めてやらなきゃよ、親父じゃねえよな。お前にだってわかるだろう?」

「…俺には…情を捨てきれねぇ……」

「それもまたお前さんの道だ。だったら貫けばいい。息子を守るためにやれることをやればいい。違うか? 今この状況で、どういう決断をすれば息子を守れる? 答えは一つしかねぇだろうよ」

「くううっ…なさけねぇ!! 俺は俺がなさけねぇえええ!」

「なさけないなら強くなれ。そうやってお前は生きてきたはずだ!! 引退なんて腑抜けたこと言ってんじゃねえよ!! まだまだ気合入れて生きろや!!」

「オヤジ…!」

「死ぬ間際だった俺が、こうしてまだ生きてるだろうよ。人生なんて何が起こるかわからんもんだ。最後まで諦めるな」

「…はい」


 ツーバは、非常に明快に意思を語る。

 ソブカのように激しすぎず、ムーバのように弱すぎず、ソイドダディーのように過保護でもない。

 まったく湿気がないカラッとした夏の日を思い出させる男は、熱い魅力に溢れている。

 これがツーバ・ラングラス。

 ラングラスが最弱と呼ばれながらも一定の存在感を出せたのは、間違いなくこの男によるものである。

 そして次に、この舞台の主役であるソブカと対する。


「ソブカ、久しいな」

「お久しぶりです、ツーバ様」

「随分と険しい顔つきになっちまったな。まあ、少し力を抜けや」


 ぽんっとソブカの肩に手を置く。

 その肩が、微妙にこわばっていることを見逃さない。


「そりゃ、刺すほうが痛ぇよな」

「その程度の覚悟でやってきたわけではありません」

「意地を張るなよ。独りで何でもやれるわけじゃねえ。どんなに優秀でも俺から見ればまだガキさ」

「………」

「で、ラングラスをどうしたいって?」

「最大派閥としての地位を『取り戻したい』と考えています」

「取り戻す…か。いったい何百年前の話だ?」

「かつてラングラスはグラス・ギース…いや、グラス・タウンにおいて最大勢力でした。その時代を取り戻すのです」

「大災厄前の草原時代か。古いな」

「古いものの中にこそ真実はあると考えます。偽りと捏造によって歪められ、貶められたラングラスは名誉を挽回しなければなりません」

「やれるのか?」

「オヤジさんが戻った今、必ずやれます」

「へんっ、ゴマすりはよせよ。…いいだろう。お前にラングラスをくれてやる。好きにやってみろ」

「オヤジ!! ソブカを認めるのか!?」

「ソイド、こいつはこの若さでここまでやった。若さゆえかもしれねぇが、それだけじゃない何かがある。それによ、マングラスが幅を利かせているって話じゃねえか。表に出てくるとは想像以上に弱ってやがるぞ」


 ツーバの目が鋭く光る。

 水のマングラスと火のマングラスは、相性としては最悪。昔から犬猿の仲である。

 マングラスが弱っていると知れば、そこに付け込もうとするのはラングラスの本能なのだ。


「まるで力が漲るようだ。本当に俺は生まれ変わったんだな」


 ツーバの肉体は単純に若返っただけではない。

 アンシュラオンの命気が全身に染み込んだおかげか、石の力をほぼ完全に吸収することに成功している。

 今のツーバならば、一流の武人に匹敵する力を出すことも可能だろう。そういった懐かしい力強さが彼を後押ししていた。


「ついてこい。【本物】をくれてやる。そんなナリじゃ締まらねぇからな」

「本物とは…まさか」

「はは、初めて素の感情を見せたな。そうだ。それでいい。ガキってのは、欲しいものを正直に欲しいと言えばいいのさ。それをくれてやるのが大人の役目でもある」

「ファレアスティたちは、ここで待っていなさい」

「ソブカ様、護衛は必要です!」

「馬鹿を言ってはいけません。【家主】が戻ってきたのならば、ここが一番安全な場所ですよ。今目の前にいるのはラングラスの長です。立場をわきまえなさい」

「…も、申し訳ありません!」

「安心しな。お前さんの男を本物にしてやるってんだ。信じて待つのも女の役割だぜ。んじゃ、いってくらぁ!!」




 突然の来訪に呆気に取られた者たちを残し、ツーバはソブカを連れて本邸の地下に赴く。

 いくつもの隠し扉を抜け、地下に地下にと潜っていく。

 そうやってかなり進んだ先にはプライリーラの別邸同様、【礼拝堂】のような施設があった。

 これより先には結界が張られており、ラングラスの血を引いていなければ入れない仕様になっている。

 もしファレアスティがついてきても、どのみちここで足止めであっただろう。

 礼拝堂の先にあった通路の壁には、いくつもの【赤い火】が灯っていた。


「ここに来るのは初めてか?」

「はい。礼拝堂の存在は知っていましたが、ラングラスのものを見るのは初めてです」

「そうかそうか。存分に見るといい。時間に追われる必要もない。もうここは【聖域】の一部だからな」

「聖域…ここがラングラスの…」

「この火はな、初代様が灯してから一度も消えたことがないって聞くぜ」

「術式によるものでしょうか?」

「さぁな。細けぇことは知らねえよ。縁起のいい、ありがたい火ってことだけわかればいいのさ」

「なるほど…」


 ソブカは興味深く周囲を見回す。

 プライリーラの一件でジングラスのものはすでに見ているが、まったく違う感情が芽生えてくるから不思議だ。

 ラングラス。

 ただその言葉だけで胸が熱くなり、涙が出そうになる。

 けっして他人の前では見せないソブカの純粋な子供の眼差し。

 ツーバと二人きり。互いにラングラスの血族だからこそ見せる珍しい姿であった。

 そんな若き男を、ツーバは愛情深く見つめていた。

 ムーバが言っていたようにラングラスの血筋全員が家族なのだ。その気持ちはツーバも同じだ。

 しかしながら有事の際はみんなで仲良しとはいかない。


「イニジャーンはよ、最初から死ぬ気だったな。あいつはあいつなりにお前を認めていた。だからこそ死を選んだんだ。イニジャーンでさえ殺されると知れば、他の連中もお前さんが本気だってわかるからな。ムーバや俺への義理もあるんだろうが…昔からああいうやつだよ。一度決めた道は譲れねぇ不器用な男だった」

「………」

「気にするな、とは言わねぇ。逆に忘れるな。あいつの肝っ玉をな」

「わかっています。忘れることはありません」


 分家のソブカがトップに立てば反発が強くなる。通常のやり方で不満を抑えるのは、特にこのグラス・ギースにおいては不可能である。

 ならば、血を流さねばならない。

 イニジャーンは制裁時にソブカの気迫を見た時には、すでに死を覚悟していた。

 古い権力の象徴である自分が残っていれば害悪にしかならない、と。


「恐怖だけじゃ人は付いてこない。だからお前は、この先にあるものを手に入れねばならねぇのさ」

「…なぜ私を認める気になったのですか?」

「ん?」

「これだけのことをしたのです。すぐに認められるとは思いませんでした」

「そんなの決まっているだろうよ。【アレ】を見たら誰でも認めるしかねえ」

「やはり【アレ】ですか」

「お前さんが覚悟を決めた理由ってのが、すぐにわかったぜ。あんなもんを見せられたら欲が出るわな。出ないほうがおかしい」

「ビッグは出なかったようですが」

「ああ、あいつは馬鹿だからな。しょうがねえ」

「ふふ、私とあなたは似た者同士というわけですか」

「そういうことだ。どうせ俺らの祖先は初代様に行き着く。本家も分家も関係なくラングラスの血が色濃く出ることがあるのは当然だ。ビッグはソイドの血が強すぎたな」

「いい育ち方をしていますよ。今回は残酷な結果になりましたが…」

「お前たちを足して割ればちょうどよくなるのにな。まあ、人間なんてそんなもんよ。さて、ここから一度『跳ぶ』ぞ」


 通路の先には女神像があり、そこにジングラス同様に宝珠が収められていた。

 二人は転移。



 次に見た光景は―――【火の海】



 自分がいる陸地の先に広がるのは、地面から火が噴き出た異様な空間である。

 火は人間の背丈を越えた数メートルにも及び、まさに大規模な火災現場を彷彿とさせる。

 しかし、火の色は実に鮮やかで、生命力に満ちた美しいものであった。


「ここは…?」

「ここからが本当の聖域だ」

「侵入防止の罠…? いや、違う。これは……」

「ソブカ、身で示すんだ。お前さんがラングラスに相応しいってことをな」


 ツーバは躊躇いなく、炎の中に足を踏み入れる。

 火は万遍なく身体を包み込み、あっという間に火達磨になる。

 常人ならば即座に焼き尽くされてしまうだろうが、ラングラスの血脈は違う。

 まったく同一の火を外部に放出することで、火と同化する。


「ラングラスは、火だ。いつだって火とともにある!!」


 ツーバは火の中でも平然としている。

 これだ。これこそラングラスである証明なのだ。


(私もラングラスの血脈。怖れることは…ない!)


 わずかな躊躇を見せながらも、ソブカは足を踏み入れる。

 この少しの逡巡は、自身が分家であることへの負い目が影響している。

 炎が身体を包み込む。当然ながら熱い。

 がしかし、それ以上に熱いのが―――心

 炎によって強制的に引き上げられた温度によって、自身の中にある火が活性化するようだった。



(ああ、私はラングラスだ!! キブカラン―――ではない!!)



 この時、まさにこの時だ!!

 ソブカは自身がラングラスであることを自覚した!!

 強く強く、はっきりと!!

 言葉で鼓舞しても、分家として育てられた彼の中の劣等感は簡単には消えない。

 それがどうだろうか。この炎は初めて自分を認めてくれた。

 他の誰が自身を罵っても、ラングラスの火だけは認めてくれるのだ!!




614話 「火の通過儀礼 その2『死と再生、不死鳥となって』」



 ソブカの身体が、魂が、満たされる。

 他者がなんと言おうが、自分はラングラスだと教えられたのだ。


―――活力が


―――燃え盛る火炎が


―――魂の奥底から


―――湧き出て


―――戦う勇気をくれる



「ああ…女神よ……」


 ソブカは火の海の中でひざまずき、思わず祈った。

 彼が祈ったところなど誰も見たことがない。見せたこともない。

 女神の存在は知っているが特段の思い入れもない。

 そんな男が祈ったのだ。

 ただただ感謝したくて。祈りを捧げたくて。

 涙は一瞬で蒸発してしまっても、奮える魂の波動で恩返ししたいと。


「なんで女神像があるのか、俺もここに来て初めて知ったよ。人間ってやつは、どうあがいても女神様のガキなのさ。感謝したら自然に祈っちまう」


 祈るソブカを見たツーバは、若かりし頃を思い出す。

 人が本当に満たされた時、無性に感謝したくなる。生きていることが貴重に感じられる。

 祈るとは、人間の自然な魂の発露なのである。

 その波動は女神にも届くし、自身を強化してもいく。


「俺たちグラス・ギースに暮らす者は、絶対に女神を否定しちゃいけない。だから初代様はあえて像を作ったんだろうよ」


 地下にある遺跡には、人の可能性を否定する文明の面影があった。

 初代五英雄がこの地を開拓するにあたり、まず最初に行ったのが【信仰の回復】であった。

 技術だけでは人は滅んでしまう。正しい信仰がなければ道を誤る。

 厳しい環境で暮らすために人は自然と信仰を求めるものだ。それが拠り所となる。



「申し訳ありません。取り乱しました」

「どうだ、さっぱりしただろう?」

「はい。心洗われた気持ちです。まるで魂の奥底から生きる希望が満ち溢れてくるようです」


 立ち上がったソブカの顔からは『険』が取れていた。

 陰惨な権力闘争を続けていた彼にとって、この火はまさに浄化の炎であった。


「私にこのような気持ちを味わう資格があるとは…」

「お前さんは真面目なんだよ。だから思い詰める。だが、それが経験だ。そうやって誰もが『火の洗礼』を受けてラングラスのリーダーになっていくもんさ」

「禊《みそぎ》、ですね。これでようやくプライリーラと同じ立場になったというわけですか」

「ログラスの娘か?」

「あなたが眠っている間に立派な戦獣乙女になりましたよ。…今はもう離脱しておりますが」

「ソブカ、はっきり言っておくぜ。俺はお前さんに『賭けた』。その意味じゃ運命共同体だ。お前が死ぬときは俺も死ぬときだ。だから、どんなときだって味方になってやる。どんな悪行を働いてもだ」

「同じラングラスだから、ですか?」

「そうだ。今のお前なら、上辺だけじゃない身内の感覚がわかるだろう? 俺たちは火で繋がっている。魂の奥底で引っ張り合っている。五英雄の血ってのは、そう簡単には消えないもんさ。どんなに叩いても潰そうとしてもグラス・ギースにいる限りは加護があるんだ」

「それは感じます。まさに英霊の加護です」

「逆に言えば、それだけマングラスもしぶといのさ。こっちもガチで準備しないと勝負にならねぇよ。んじゃ、次行くぞ、次!」


(これが血族の絆。血だけにこだわることは愚かですが、近しい存在であることは揺るぎのない事実。今は素直に感謝しましょう)


 ツーバは、ソブカにとって大きな存在だった。

 いや、今この時、そうなったのだ。

 その意味ではアンシュラオンにも感謝せねばならない。

 もし彼がツーバを救わなければ、このような気持ちになることは絶対になかったのだから。

 ちなみにアンシュラオンからは【契約】が切れたあとも、毎月二億円の「みかじめ料」を請求されている。

 個人に払う額としてはかなり高額だが、それで彼との関係が継続できるのならば安いものだろうか。



 二人は、さらに歩を進める。

 炎の道は一本道だが、かなりの長さがあり、その道程は数時間に及んだ気がした。

 実際の時間はわからない。本当は数分程度だったのかもしれないし、一時間だったのかもしれない。

 この火に包まれていると他のことが考えられなくなる。ただただ強い感動と情熱だけが湧き上がってくるので俗世のことを忘れるのだ。

 これは【通過儀礼】。

 ソブカが言ったように防犯対策でもあるのだが、いかにラングラスに相応しいかを試す場でもある。


(やはりこいつには強い【火】がある。俺でさえしんどいのによ。平然と歩きやがって)


 ツーバも普通に歩いているように見えて、実際はかなりの負荷がかかっている。

 肉体は若返り、パワーアップすらしているので体力は問題ないはずだ。

 このことから明らかにソブカのほうがラングラスとしての資質は上。

 火は素直に実直に、当人を反映する。

 誰よりもラングラスに相応しいと証明する。


 火の海を超えると大きな空間に行き着いた。



 その中央には―――『大樹』



 それが普通の大樹と違うのは【葉が燃えている】ことだ。

 幹には赤い筋が血管のように巡り、葉に到達した段階で燃え盛る。

 誰が見ても特殊な木であるが、これを見たソブカは驚く。


「【炎霊凛天樹《えんれいりんてんじゅ》】! やはり現存していたのですね!」

「なんでぇ、知ってるのか?」

「凛倣過《りんほうか》のオリジナルは、これの樹液より生み出されたと聞き及んでいます」

「ああ、あの薬か。原液ならあっちの倉庫に山ほどあるぞ」

「それが本当ならば、すごいことです。さらに強力な戦力が手に入ります」

「へっ、お前が求めているものは、もっとすげぇぞ。こっちだ」


 二人が炎樹を超え、さらに奥に進む。

 その間にも伝記でしか見たことがない伝説級の秘法がいくつもあったが、ツーバはあっさりと素通りする。

 この先にあるものが、これらの秘法より遥かに価値があるからだ。


「質問をしても?」

「なんだ?」

「ソイドさんに朱毘禰屍《しゅぴねかばね》を植えたのは、秘法を守るためですか?」

「ムーバはここの炎には耐えられなかった。それが答えさ。『守り手』が必要だったんだ。頼れるのはソイドしかいなかったからな」

「やはりそうでしたか」

「秘法は使い方を誤ると危険だ。ラングラスの長以外に渡すわけにはいかねえのさ」

「もう一つ。いつマングラスの干渉を受けたのですか?」

「ん? ああ、若返りのやつか?」

「彼らが日々裏で工作活動をしているのは知っていますが、どのタイミングで干渉したのかと…」

「勘違いするなよ。あれは俺が自分の意思で植えたんだよ」

「は?」

「バイラルに頼んで植えてもらったのさ。あいつはいくつかサンプルを持っていたからな。一番大きなやつを選んで、ぶっ込んでもらったってわけさ」

「…理由を伺っても?」

「どうせ俺は長くなかった。ムーバもあてにならねぇ。放っておいてもマングラスに好きにやられちまう。だから最後の賭けに出たのさ」


 ツーバの場合、ログラスとはだいぶ事情が異なっていた。

 バイラルが逃げる前、話を無理やり訊き出して石の存在を知る。

 彼がサンプルをいくつか持っていたため、頼み込んで植えてもらったのである。


「なるほど。自分からそうすれば、相手は様子を見るしかないというわけですか。
それによって逆にマングラス側の動きを封じることができます。妙案ですね」


 事実ツーバの代理をしていたムーバは、会議においてもマングラスにいいように操られていた。

 彼らはいくらでもムーバを誘導尋問し、内情を訊き出せる立場にあっただろう。

 しかし、自ら石を植えたツーバの思惑を見極めるために、迂闊に動くことはできなくなる。


「とはいえ、かなり危険な賭けでは?」

「しょうがねぇ。賭けってのは最初からそういうもんだ。保険として秘法の増強剤を飲んでおいたから、それがよかったんだろうよ。どっちにしても勝負は俺の勝ちだ。逆に力を奪ってやったぜ」

「あなたという人は…さすがですね」

「俺の人生は俺が決める。やつらの好きにはさせねぇ」

「あの石の出所は掴んでおりましたが、目的まではわかりませんでした。心当たりはありますか?」

「目的…か。そりゃ目的がなければやらないわな」

「長年ラングラスの長であったあなたならば、何かわかるかと思いまして」

「それについてはいろいろと考えていたが…おそらくだが、もう一度災厄が起こったら【逃げる】つもりかもしれねぇな」

「逃げる? マングラスが? ですが、彼らは災厄に立ち向かうために戦力を整えているのでは?」

「その様子だと、やつらの隠し玉には気づいているようだな」

「地下にある『箱舟』を管理していることは知っています」

「ほほぅ、そこまで知ってやがるか。都市の超極秘事項をどうやって知った?」

「古いものに興味がありましてね。独自に調べておりました」

「そうか。俺も知ったのはたまたまだからな。詮索はしねぇよ。で、石の話だが、バイラルの話じゃ、やつらは植えた石を回収しているみてぇだ。死体ごとな。…どう思う?」

「普通の人間のものならば人体改造に利用しているのでしょうが、その中に各派閥の長が含まれていることが問題です。彼らが集めたものはいわば【五英雄の血肉】。扱いも他と違うでしょう」

「箱舟についてはよく知らねぇが、すでに滅んだ生物や植物の情報を蓄積できるらしい。箱舟とはよく言ったもんだな」

「…なるほど。これでマングラスの妙な動きの理由がわかりました。ログラス様が狙われた理由もね。しかし、傲慢な振る舞いです。彼らは自分たちだけがすべてを背負っていると思い込んでいます」

「それだけ【都市の管理者】を気取っているのさ。お前さんとは違う意味で五英雄に首ったけなんだろうよ。やつらの性根はよくわかる。最初から守りの態勢なのさ。俺たちラングラスとは正反対だ」


 水を司るマングラスの動きは、同じく水の特性が強いアンシュラオンによく似ていた。

 まずは防御。少しでも損害を減らすこと。回復重視。安全運転。

 だからこそ危険な勝負には出ないし、何かあっても巣穴に逃げ込むのだ。

 一方のラングラスは、ソブカを見ればわかるように激しい攻めの姿勢が特徴だ。

 炎がくすぶっていたからこそ弱っていたが、本来は猛々しく燃え上がり、ハイリスクハイリターンを好む。

 これだけ正反対なのだから、仲良くないのも当然といえるだろう。


「最後の質問ですが、ここにある秘法があれば、もっと早くラングラスは力を取り戻せたのではありませんか?」

「ふん、秘法なんてご大層な名前で呼ばれてもよ、結局は誰かがこしらえたもんだ。使う人間次第で善にも悪にもなるし、身の程に合わない道具は身を滅ぼす。俺には過ぎたもんだよ」




 二人が最後にたどり着いた場所には―――【不死鳥】




 火の草木に覆われた荘厳な部屋の中央に、炎で出来た鳳凰が鎮座していた。

 生物のように動くわけではない。生きているわけではない。

 炎に包まれた一枚の法衣が、すべての源として君臨していた。

 あまりに強すぎる力で自壊しないために、持ち主がいない状態ではこのように力を外部に放出しないと存在を維持できないのだ。



「これが本物の―――【鳳薬師の天衣】!!」



 ずっと求めてきたものが、そこにある。

 子供の頃から憧れ、恋焦がれ、誰よりも愛してきたもの。

 永遠に手に入らないと思っていた幻の秘法が、そこにはあった。

 それと比べると今自分が着ているものが、陳腐な紛い物に見えて恥ずかしくなる。


「こいつに認められれば、お前も晴れてラングラスだ。だが、気をつけろ。俺はしくじった」

「その背中の傷は…」

「俺は秘法を使わなかったんじゃない。使えなかったんだ」


 ツーバが上着を脱ぐと、背中には酷い火傷の傷跡があった。

 筋肉や神経まで焼かれて変形し、凝固した痛々しいものである。

 これはアンシュラオンの命気でさえ治すことができない【術痕】であり、それだけ強い力によって刻まれた「脱落者」の証といえた。


「ラングラスの直系でさえ、この有様だ。もしかしたら最初から着れないのかもしれねぇ」

「いいえ、これは紛れもない本物。初代ラングラスがまとっていたものです」

「わかるのか?」

「私には火の声が聴こえるのです」

「お前ほどの資質があればもしや、とは思って連れてきたが…死ぬなよ。死んだら終わりなんだぜ」

「死を怖れて何が掴めるのでしょう。ラングラスにならなければ、この生に意味などないのです」

「…だよな。お前さんならそう言うと思っていたさ」

「では、参ります」


 ソブカは初代ラングラスが着ていた天衣に近づくと、躊躇なく手に取り、羽織った。


 案外、普通に着れた。


 熱いが、思っていたほどではない。

 ツーバよりも資質の高いソブカならば、これくらいは大丈夫ということだろうか。

 がしかし、本番はこれからだ。

 鳳凰が一度翼を広げると服に吸い込まれていく。

 それと同時に爆発的に天衣の温度が上昇。



「―――っ!!!」



 その瞬間から、今まで感じたこともない激しい熱量を感じる。

 身体の表面よりも内部から、ラングラスの血が燃えるように熱い。

 見れば、法衣に描かれた不死鳥が色鮮やかに燃えている。

 外に放出されていたエネルギーが天衣に戻ったのだ。

 不死鳥が輝きを増すごとに熱量は際限なく上昇していった。


(これほど…とは!!)


 火の海などとは比べ物にならない。

 あれは活力を与えるものだったが、こちらは自身を焼き尽くそうとしてくる。

 激しく雄々しく厳しく、徹底的に痛めつける。

 燃やす、妬《や》く、焚きつける。



 その痛みは―――壮絶!!



「ぐっ…うっ!」


 がくっ

 ソブカは感動ではなく、痛みによって強制的に地に伏せられた。

 重い。

 重力が何十倍にもなったように立つことすら不可能。


(私が今まで殺してきた者たちの【憤怒】が形になったようだ!!)


 普段は人を殺しても表情も変えないソブカの顔が、苦痛で歪む。

 火の道を歩むのならば多くの血を流さねばならない。

 だが、流した血の因果は廻り、巡りめぐって必ず自身に戻る。

 ついさきほどもイニジャーンたちを殺した。身内を殺した。

 その痛みがさらに倍増されて襲いかかってくるようだ。


 ジュオオオオッ


「ぐうううううっ!!!」


 ツーバ同様、背中が焼かれていく。

 罪を犯した人間に焼印が押されるかの如く。

 ここでもまた自身が否定され、圧迫される不快感を味わう。



(それでも私は…!! 私はラングラスになる!! ラングラスになって…!! うぐうううううっ!!!! 憎い、憎い、憎い!!! この都市の人間が憎い!! それを是とする者たちも憎い!!)



 痛みは人の本性を露わにする。

 炎に焼かれるたびにソブカの中の『本音』が表面化してきた。

 都市を発展させるためだと嘯《うそぶ》いても、心の奥底にあるのは【復讐心】だ。

 自分を認めなかった者。母を犠牲にした者。それを見過ごした者。

 能力もないのに、ぬくぬくと生きている者。

 誇りも覚悟もないのに、権益だけ主張する者。

 彼らへの怒りだけが自身を動かすエネルギーだった。

 そのためだけに親友も手にかけた。

 プライリーラの正義を踏みにじった。

 ソイドビッグも売り渡した。

 その他多くの人々を利用し、人生をぶち壊した。

 そのすべては【破壊】のため。

 自身の怒りを叩きつけるためだけに犠牲にしたのだ。



(なんと醜い…!! これでは―――【獣】だ!!)



 打ちひしがれたソブカに対しても不死鳥は攻撃をやめず、すべてを焼き尽くそうとしてくる。


「ソブカ! もう無理だ!」


 空間すべてが灼熱。

 同じ場所にいるツーバも、離れているのに全身が焼けそうに熱い。

 当時はこの男でさえも羽織った段階で背中が焼け焦げ、転げ回りながら逃げ出したほどの熱量だ。

 ツーバが十秒ももたずに断念したものを、ソブカは羽織ってから数分以上も耐えている。


「もういい! もう十分示した!!」

「ぐっ…ううう!! いいえ!!! 私はラングラスになるのです!! ならねばならない!! そうでなければ…何のために……これだけの犠牲を…!!」

「意地を張っていたら死ぬぞ!!」

「死など…死など!! 私は死など―――ウォオオオオオオオオオオオオッ!!」


 ソブカの中に眠っていた獣が、目を覚ます。

 束縛と停滞を憎む獣。彼の本質。

 敵対する者を破壊し、切り刻み、自身の飢えを満たすために喰らう存在。

 プライリーラにそうしたように、不死鳥すら喰らおうと逆に襲いかかる。



 獣は―――火を出す


 不死鳥も―――火を押し付ける




「ウオオオオオオオオオオオオオ!! グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」




 ソブカの獣は激しかった。強かった。

 憎しみによって生まれた獣は、強大な破壊の力を宿していた。

 今までこれで破壊できなかったものはなかった。


 だがしかし、不死鳥には通用しない。


 どんなに攻撃しても火は燃え広がるだけで、結局は自分に跳ね返ってくる。

 自身への痛みとなって戻ってくる。

 獣は抵抗した。何度も立ち上がって戦った。

 爪で引っ掻き、牙を突き立てた。



 が―――屈する



 不死の存在と戦えば、いつかはこうなるのが道理であろう。


「うっ…あっ……!」


 ばたんと大の字に倒れたソブカは、火に包まれる。

 髪が焼ける。皮膚が焼ける。肉が焼ける。

 容赦なく身体が焼かれていく。


 死を予感した。


 されど、そこに恐怖はなかった。

 むしろ妙な幸福感だけがあった。

 そこで気づく。


(ああ、私は…死にたかったのだ。復讐を成し遂げて、すべてを破壊して死にたかった。あの人に言われた通りだ)


 アンシュラオンと初めて出会った時、彼は忠告を残していった。

 自身の中の獣を見透かされた。

 その炎はいつか自分自身を焼き、他を巻き込んで破壊するものだと。

 そんなことはわかっている。ずっと死にたかったのだ。

 ただただ戦い、燃え尽きて死にたかった。


(死んでもかまわない。やり残したことなど…ない)


 ここで自分が死ねば、事はラングラス内部だけで終わるだろう。

 内乱でソブカが死んで終わりだ。

 キブカ商会に損害を与えるが、商売で稼げばまた必要とされるはずだ。

 ラングラスは弱小で最下位。金があればやり直せる。


 金、金、金。


 地位、地位、地位。


 妥協、妥協、妥協。




(―――違う!!!)




(私が望んだ世界は、そんなものではない!! このような不浄な世界を許してはおけない!! 理想? 違う!! これは当然の理《ことわり》なのだ!! 人が人として生きることを恥らう世界であってはならない!!)



 人々は弱い。弱いから抵抗できずに流される。

 それ自体も罪だが、それを放っておくのも罪だ。

 なぜそう思うのか。なぜそれが正しいのか。根拠は簡単だ。


 魂が。


 霊が。


 叫び、訴えるからである!!!


 このようなものは違うと、過っていると教えるのだ。


(私は生きねばならない!! 生きる!! 生きて、血肉を分け合って!! 私のために命をかけてくれる者たちとともに!! この都市を解放しなければならない!! 傀儡士のような狂人に命運を握らせるわけにはいかない!!!)


 初めてソブカは、生きたいと思った。

 死ねば楽になる。責任を負わなくて済む。

 そんな気持ちが一瞬でも芽生えたことに怒りを覚える。

 生きて、この身を炎で焼かれながらでも生きて、自身が求めたもののために働かねばならない。

 身体がなければ、生きていなければ、この仕事はけっして完遂することはないのだ。



「【アレ】を見れば、ほかに何を怖れる!! 私に力を―――よこせぇえええええええええええ!!」



 ボオオオオオオオオオオオオオッ!!!


 今までの何倍もの炎がソブカを焼く。

 これによってソブカの身体は完全に消失。

 消し炭すら残らない『無』となる。


 しかし、しかし!!!


 身体がなくなっても魂は消えない!!

 彼の燃え滾る熱い霊魂は、どんな形になっても消失などしない!


 炎が―――凝縮


 丸い球体に変質し、力の集合体になる。

 そこにはいくつもの『想い』が込められていた。

 かつてラングラスの火に想いを託し、死んでいった者たちの気高い志。

 苦しんでいる者たちを助けたい。施しを与えたい。

 人が求める純粋な愛。女神が残した人間の可能性、光であり熱。


 しかし、それだけでは駄目だ。


 もっともっと、もっともっともっと強い【力】が必要だ!!!




「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」




 魂が、叫ぶ。


 一度燃えて焼かれても、けっして消えることはなかった魂が炎を吸収。



―――【火の身体】が生まれた



 心臓が生まれ、血が生まれる。

 血は火で出来ていた。燃え滾っていた。

 次に脳や臓器が生み出され、今度はその火血を血管が運んで神経が生まれた。



―――創造の火



 神だけに許された造化の極地が、そこに顕現している。

 女神は子らに、自らを作る力を与えた。

 その本当の意味を理解している者は、そう多くはない。

 女神の子らは、女神にもなれるのだ、と。


 ボオオオオオオオオオオオオッ!!!


 火が人を生み出していく。

 なぜこの星が、『死と炎の星』と呼ばれるのだろう。

 火は、再生の象徴。

 何度死んでも蘇る不屈の炎の象徴。

 神がいなくなった星では、人そのものが神になるしかなかったのだ。




「私は…私は―――!!!」





「ソブカ・ラングラス―――だぁ嗚呼あああああああああああああああ!!」





 火で死に、火で再生した男は、初代ラングラスしか着れなかった天衣をまとっていた。

 天衣の背からは、余りある力の放出によって炎の翼が生えていた。

 彼自身が不死鳥となり、その力を受け入れた証拠。

 今この瞬間、ソブカは天衣に認められたのだ。

 ただ破壊と死を望んでいた男が、初めて生を願い、正しいことのために生きようとした。


 獣という力が反転し、不死鳥に転化したのである!!



「おお…ソブカ……ついに…!! 勝てる!! 俺たちは…勝てる!!!」



 ツーバは思わず膝をつき、ソブカを仰ぎ見ていた。

 もう自分はリーダーではない。

 新たな長がここに生まれたのだ。



 下克上、ここに完結!!



 まだラングラスという小さな枠組みであるが、時代は確実に変わっていく。廻っていく。

 旧きものと新しいものが交錯し、混じり合い、昇華される日は近づいていた。





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