欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第九章 「地下闘技場 団体戦」 編


586話 ー 594話




586話 「その者、因果応報 その1」


「さあ、本日より地下闘技場における【団体戦】が始まります!! 今年はいったいどこの派閥が優勝するのでしょうか!! 本日も賭け日和、賭け日和でございます! みなさん、ジャンジャンバリバリ賭けていってください!!」



―――ざわざわざわざわ



「おお、ちゃんと開催されたんだな。よかったぜ」

「なんで延期されたんだ?」

「ほら、あれだよ、あれ。リングがぶっ壊れただろう? 先日の試合でさ」

「ああ、あれか。あれは凄かったな。リングが壊れるなんて初めて見たぜ。まあ、試合会場自体が壊れちまったみたいだが…」

「それで何か不調が出たらしいぜ。武器のほうの試合会場も、一時的に封鎖されたしな」

「今年はあの子も出るんだろう? じゃあ、まさか…ってこともあるのか?」

「さあ、どうだろうな。一人で戦うわけじゃないしな。ただ、今回の目玉になるのは間違いないぜ」

「荒れるなら大歓迎だ。楽しくなってきたぞ」



 地下闘技場は、いつも以上に賑わっていた。

 普段よりも出店が多く並び、音楽を演奏し、大道芸を披露している者たちまでいる。

 まさに【お祭り騒ぎ】。

 いや、本当にお祭りなのである。

 今日は一年に一度、各派閥の序列を決める団体戦が行われる日なのだ。



 さて、この団体戦であるが、予定より二日ばかり延びていた。

 その理由は、サナが黒雷狼を生み出してしまった結果、無手の試合会場が滅茶苦茶になったからである。

 それに呼応して地下遺跡が警戒モードに入ったのか、地上部の機能を停止してしまっていた。

 扉の開閉も上手くいかない箇所もあり、物資の運搬にも支障が出て、さらには自分たちのエリアに戻れない者たちも続出した。

 団体戦は苛烈な戦いが発生するため、リングに張ってある結界がなければ安全に観戦ができない。観戦ができなければ賭けも行えない。

 いくら序列を決める戦いであっても、賭けが成立しなければ面白くない。

 さすがにこの状況では開催することはできず、延期となっていたのである。

 また、外部の事情を考えるならば、地上部で『ホワイト商会制裁』の動きもあった。

 地下の者たちは元筋者が大半を占めるため、最低限の情報は入ってくる。

 地上の情勢は地下にも影響を与えることからも、呑気にお祭り騒ぎとはいかないのが現状だ。

 その後、無事ホワイト商会の壊滅が確認されたことで、地下闘技場も本来の姿に戻りつつある、というわけである。

 ただし当然ながら、そのホワイト商会という存在は「表向き」のものだ。

 その首魁であった男は、いまだここにいる。




「試合は『総当たり』だったな?」


 ラングラスの控え室にいるアンシュラオンが、トットに問いかける。


「ああ、そうだよ。えと、うちらの最初の相手はマングラスかな?」

「キング・ジュンユウがいるところか。なかなか面白い男だったな。できればサナと対戦させたいが…」

「なぁ、本当にあんたは出ないのかよ」

「くどいな。オレが出ると面倒になるんだ。大人の事情というやつだ。諦めろ」

「ちぇ、せっかく勝てると思ったのによ」


 トットは、アンシュラオンが試合に出ないことを心から残念がっていた。

 人間的に問題はあれど、ここまで強大な戦力がラングラスに来たことは幸運だった。

 今年こそは勝てる、という期待を持つのも無理はないだろう。

 それにはこんなルールも影響している。


(『キング同士の戦いは禁止』…か。お互いの面子を潰さないための談合だな)


 団体戦には、この都市の派閥らしいルールが組み込まれていた。

 キング同士の戦いは禁止。

 この目的は、日々賭け試合を行っている手前、キングが負けてしまうといろいろと問題が生じるからである。

 キング同士で潰し合うと互いに戦力を維持するのが難しくなり、星取り勘定にも影響を及ぼす。

 逆に激突を封じれば、お互いに一勝は間違いなく与えられるため、弱小勢力でもキングの面子を保つことができるという「やらせ」でもあった。

 かつてはキング同士の戦いも認められていたが、普通に考えれば武器あり術符ありのほうが有利なので、結局無手のキングが不利になりやすいことも理由の一つであった。(武人の弱体化も影響している)

 そして、ラングラスには無手のキングがいる。

 彼の場合は無手でも十分戦えるのだが、とりあえずキングがいるだけで一勝は間違いないだろう。

 では、そのキングを擁していながら、なぜトットが不安を感じているのか。

 その理由は一目瞭然であった。


「レイオン、本当にやれるのか?」

「…俺のことは気にするな。試合には絶対に出なければならない」

「それはわかっているが、お前のコンディションの問題だ」

「やれるに決まっている!!」

「…そうか。それならば何も言わないが……」

「はぁはぁ…俺は…戦わないといけないんだ。ミャンメイを取り戻さないと…。あいつだけは…あいつだけは……なんとしても……」


 レイオンは血走った目で壁を睨みつけては、浮かぶ幻影に対してぶつぶつと何かを呟いている。

 かなり危ない精神状態であるのは明白かつ、体調面に関してもよろしくはない。


(心臓は復活している。怪我も治った。だが、【毒素】が抜けていない。あの龍人の血を受けたことが原因だな)


 レイオンが死にそうになった際、グマシカの命令でコウリュウの血が分け与えられた。

 たしかに龍人には強い再生能力があるのだが、種族のカテゴリーとしては多少離れた場所にいる者たちである。人間と猿は違う、といえばわかりやすいだろうか。

 遺伝子配合が可能な種族間ではあるものの、まったく違うものが身体に入るのは危険性を伴う。

 特にコウリュウの血は「炎」である。

 そのせいかレイオンはあれ以来、高熱にうなされるようになっていた。今も身体には強い倦怠感があり、ふらふらの状態だ。

 アンシュラオンも治療したが完治には至らなかった。


(因子そのものが汚染されてしまったんだ。すでに吸収同化してしまったものはオレでも治せない。改造人間のグマシカたちにとっては普通のことでも、一般の武人からすれば毒素と同じだからな。価値観が違うんだろう)


 ようやく心臓が治ったと思えばこの状況。まったくもって不運な男である。

 彼を突き動かすのはセイリュウたちへの怒りと、ミャンメイ奪還の意気込みだけだ。今はそれだけで動いているのが実情であった。


(逆にキング同士の戦いが禁止されているのは助かった。実力伯仲の相手にこのコンディションでは、勝てるものも勝てない。それにミャンメイについては、オレにも責任がある。彼女だけは必ず助け出す)


 ミャンメイは気に入っているし、何よりも希少な能力を持った人材だ。

 といっても今現在は居場所がわからず、助けたくても助けられないのが口惜しい。


(ここでグマシカの良心に期待せねばならないとは、なんとも因果なものだな。やつが額面通りの男だと信じるしかない。仮に処女を失っていても我慢するしかないな。本当に口惜しいが…仕方ない。仕方ない…のか? くそっ! 最近は、いろいろと不都合が生じるな。詰め込みすぎたか?)


 ホワイト商会壊滅が上手く進んだことは朗報であるのだが、その過程でいくつかのつまずきがあったのは事実だ。

 そのもっとも顕著たるものは、彼の右腕に残っている。


―――火傷の痕


 服で隠れて見えないが、アンシュラオンには火傷が残っていた。

 そう、これは先日、【姉】と遭遇した時に付けられたものだ。

 あれは夢でも幻でもなく、現実に起こったことなのである。

 ではなぜ、アンシュラオンがこうも落ち着いているのかといえば、それにも理由がある。


 あれは―――【ドッキリ】


 だったのだ。


(冷静に考えれば、ラブヘイアのやつを支配下に置いていたんだ。オレの情報なんてすぐに漏れる。それを知っていながら、あんな仕掛けをしたんだ!!)


 そもそもラブヘイアと接触した段階で、自分がグラス・ギースにいることは知っていたはずだ。

 そのうえで撒き餌を施し、アンシュラオンにあえて食いつかせた。

 なぜそんなことをするかといえば、自分の【優位性】を示すためにほかならない。


「アーシュ、私はいつもあなたを見ているわ。あなたは常に私の掌の上にいるのよ」


 というプレッシャーをかけるためである。

 実際に会うよりも、こうした演出をすることで、さらに強い支配力を行使するやり方もある。

 たとえばストーカーが、メールで「今家の前にいるよ」「今、近くから見ているよ」とか言ってくるようなものだ。

 実際に会うよりも強い恐怖心を煽ることができる、実にいやらしいやり口だ。

 しかし、解せないこともある。


(オレの知っている姉ちゃんの性格からすれば、すぐに会いに来ないわけがない。居場所を知ったならば、すべての障害を力で排除してでも捕まえに来るはずだ。…どうして来ないんだ?)


 火怨山での姉の所業を思えば、この状況は明らかにおかしかった。

 彼女の邪魔をする者は撃滅級魔獣であれ、ゼブラエスであれ、あまつさえ覇王でさえ排除するはずだ。

 そんな姉が、こんな回りくどいやり方をするとは思えなかった。


(しかもラブヘイアのやつに力を与えるとは…どういうつもりだ? 尋問しても口を割らない…というか割れないしな。オレの術士の力じゃ、やつにかかっている術式は解読不能だ。レベルが違いすぎる)


 あの炎の幻影が生まれてメッセージを伝えた直後、炎が膨張し、一瞬で周囲を完全に焼き尽くした。

 もしアンシュラオン以外の人物が見た場合、証拠一つ残さず消し去るためである。

 そのせいで残っていたホテルの残骸はもちろん、森に隠れていた裏スレイブまでもすべて呑まれて地上から消し飛んだ。

 アンシュラオンも本気で防御したが、完全には防げずに重度の火傷を負った始末だ。普通の人間に耐えられるわけがない。

 おそらくJBがいても、賢者の石ごと消滅させたに違いない威力である。

 逆にいえば、ラブヘイアが失敗した際の後始末のための処置ともいえるだろう。

 下僕をまったく信用しておらず自爆装置までつける。さすが自分の姉だ。やることがまったく同じである。


 そしてその炎は、ラブヘイアをも一瞬で蘇らせた。


 まったく何事もなかったかのように、ぽつんと彼は【復元】されたのだ。

 獣魔の状態は解けていたものの、傷一つない元通りの状態だった。

 それは命気でさえ不可能な完全修復であり、紛れもなく【最高術式】であった。


(あれは肉体の修復じゃなかった。そんな次元じゃない。何かこう…上手く言えないが【時間を巻き戻した】ような印象を受けた。そんなことができるのか? いや、姉ちゃんならできるのかもしれない)


 その後、復元されたラブヘイアを尋問したのだが、当然彼は何も語れない。

 より上位の魔人に支配された下僕は、下位の魔人にさえ抵抗する力を持っているのだ。

 これこそラブヘイアが、アンシュラオンに戦意を向けられた理由の一つだ。

 これらの事実は、姉の実力が自分を遥かに上回っていることを示していた。


(思えば、姉ちゃんの技のすべてを知っているわけじゃないんだ。オレ程度にすべて見せる必要性もなかったしな)


 姉は竜界出身の野良神機でさえ、素手で殴り倒した存在だ。

 『災厄障壁』なる魔人の力を使えば、あの強大な神機でさえ技が必要ないのだ。

 まったくもって怖ろしい。改めて彼女と自分の実力差を感じる。

 それをわかりやすく述べれば、自分とサリータくらいの差があるはずだ。あまりに強さの次元が違う。

 だが、そんなことは最初からわかっていることなので驚きはない。

 問題は、彼女の謎の行動である。


(なぜラブヘイアを選んだ? オレと関わりがあったからか? ならば、どうしてここに来ない? あんなやつよりオレに会いに来るのが道理じゃないか。姉ちゃんにとって、オレより大切なものがあるのかよ!! いや、あるわけがない!! オレと姉ちゃんの結びつき以上に強いものなんて、この世に存在しない!)


 ここで少し矛盾した感情が垣間見える。

 姉は怖い、姉を避けたいと思う一方、姉に愛されたい感情もあるのだ。

 常に姉のことを考えるということは、それだけ関わりが深いことを示してもいる。

 彼女の愛の深さ(痛さ)を知るからこそ、すぐに駆けつけないことに強く激しい違和感を覚えている。同時に寂しくもある。

 なかなか人間の感情は複雑だ。愛憎入り混じるとは、このことだろうか。

 さらに去り際に残したラブヘイアの一言も気になる。



「あの御方は、今すぐにあなたにお会いするつもりはないとのことです。私には思いもしない深遠なるお考えがあるのでしょう。ですが、必ず…いつか必ず、御二方が出会う日がやってくるはずです。今の私にはそれしかわかりません。では、私は与えられた使命がありますので、これにて去ります。あなたの恩義に報いられるよう、さらに強くなってみせます」



 そう言い残し、ラブヘイアは消えていった。

 どこに行くのかもわからないが、少なくとも都市からは姿を消したことはわかった。

 彼が食べたのはアンシュラオンの髪の毛ではなく、姉の毛だったのだ。

 何よりも長さが違う。質も微妙に違う。

 その一方で、アンシュラオンの髪の毛はお守りとして持ち歩き、憧れの象徴としているようだ。(髪の毛が修復されたことも、さきほどの考察の理由になっている)


 だが、【敵】だ。


 アンシュラオンへの敬愛の念がいくら強かろうが、姉の支配下にいる以上は敵なのだ。

 彼をあえて逃したのは、姉への恐怖が蘇ってきたからである。

 手を出せば、またあの炎が襲いかかってくるのではないかと怯えたのだ。


(オレが怯える…だと? …いつだってそうだった。姉ちゃんに勝てたことなんて一度もないんだ。姉ちゃんが本気になれば、オレなんて何もできない。どうすれば、どうすればいいんだ…オレはここにいていいのか? 今すぐに逃げるべきなんじゃないのか? あいつの言葉を信用していいのか?)


 姉の恐怖を思い出し、震える。

 姉の言葉を信用したわけではない。本当ならば逃げたほうが得策だろう。

 だが、どこに? いったいどこに行けばいい?

 あの姉が見逃してくれるのだろうか?

 どこに行っても同じではないだろうか?

 こうしてついついネガティブなことを考えてしまい、身動きが取れなかったのが実情なのだ。


「…じー」


 そんな自分を見つめる瞳があった。

 迷いがまったくない純粋で清らかな視線だ。


「…サナ」


 彼女は、何一つ疑うことなく自分に向いている。

 そこには恐怖などは何もない。逆に信頼があるのかもわからない。

 しかし、すべてを委ねる完全なる受容がそこにあった。

 心無き者がいれば、彼女をいくらでも傷つけることができる。そんな闇さえ呑み込んでしまう無垢な存在だ。


(なんて綺麗な目をしているんだ。サナ…オレのサナ。そうだ。サナはオレがいなければ何もできない。オレが心折れてどうする。姉ちゃんが付きまとうのは、いつものことだ。それから逃れることはできない。でも、オレは自分で選んだものは絶対に見捨てない。絶対に守ってみせる!)


「サナはオレが守る。そう約束したもんな」

「…こくり」

「ありがとう、サナ。お前はオレの希望だ。弱気になったお兄ちゃんを許してくれ」

「…むぎゅ」


 サナをぎゅっと抱きしめる。

 この温もりを守るためならば何でもする。そう誓ったではないか。


「ああ、サナ…オレのサナ……」

「あのさ、盛り上がっているところ悪いんだけど…」

「ゲイのくせに感動の場面に口を挟むな!!」

「ゲイはやめろよぉおおおおおおおお!」

「なんだ、うるさいやつだな。まだ何かあるのか?」

「いや、そのさ…【三人目】はどうするのかなって…」

「三人目?」

「うん。大会は三人制だからさ…三人いないと駄目なんだよな」

「今まではどうしていた?」

「グリモフスキーが部下の連中を回して、一応体裁を保っていたんだ」

「ふむ、あの男か」


 グリモフスキーもミャンメイと同じく、聖域に取り残されてしまった。

 なぜ彼が残されたのかは不明だが、今までの状況を整理すれば、そう考えるしかない。

 そして、まとめ役を失った奥の連中に動揺が走り、彼らもまた身動きが取れない状態になっているという。

 彼にリーダーとしてそれなりに能力と人望があった証拠であろうか。


「今までグリモフスキーが回していた男も、たいしたことはなかったんだろう?」

「レイオンを嫌っているからね。弱いやつを回していたよ。そもそも、うちには強いやつは少ないからしょうがないんだよ。グリモフスキー自身が出ても、そう結果は変わらなかったはずなんだ」

「だろうな。練習と本番は違うからな」


 さすがにどの派閥も団体戦には強い武人を派遣してくる。

 グリモフスキーが多少強かろうが、アンシュラオンが用意した戦罪者ほどではない。

 であれば、誰が出ても同じである。どうせ負けるのならば誰でもいいのだ。

 その意味において、アンシュラオンには秘策があった。


「安心しろ。三人目はちゃんと用意してある。とっておきの実力者だ」

「そんな強いやつ、いたっけ?」

「ああ、任せておけ。オレのとっておきだ。ついにやつの出番が来たぞ。くくく…」

「心配だなぁ…」







 こうして団体戦が始まるのだが、ラングラスの先鋒には―――






「ラングラス先鋒―――」






「カスオォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」






 カスオ(シャイナの父)が、リング上にいた。




587話 「その者、因果応報 その2」


「ついに年に一度のビッグイベント、地下闘技場、派閥対抗戦が始まります!! 今回も解説のイケダさんとともに、試合を盛り上げていきたいと思います! イケダさん、よろしくお願いいたします!」

「はい、よろしくお願いいたします」

「さっそくですが、初戦はマングラス対ラングラスとなります。どういう戦いになるのでしょう?」

「例年ならば、特に話題にもならない対戦ですが…」

「今年は違うと?」

「ええ、キング・レイオンだけならば、いつも通りに一勝だけ確保して終わりでしょう。しかし今年は『彼女』がおります」

「もう言わずもがな、あの噂の美少女ですね」

「彼女には期待せざるをえません。ようやくラングラスにも、まともな戦力が整ってきたことを印象付けます。話は脱線しますが、先日の『騒動』でもラングラスが担った役割は大きいと聞き及んでおります。新しい時代がやってきたのかもしれません」

「なんと! 元ハングラス第二警備商隊出身の『キレたフォーナドッグ(狂犬的な意味)』と呼ばれたイケダさんの発言ならば間違いありませんね」

「いえいえ、それほどでも。しかし、だからといってラングラスが勝ち抜けるとは思いませんね」

「ほぅほぅ、それはいったい?」

「ご存知の通り、団体戦は【三人】で行われます。各勢力も最高戦力を出してくるでしょうから、そう簡単には勝てません。キング同士の戦いは禁止となっておりますし、そのあたりでどう戦略を立てるかが重要です」

「なるほど。組み合わせが重要ということですね。ちょうど対戦表が発表されましたので、ここでご紹介させていただきます」



―――対戦表―――


□第一試合

マングラス 先鋒:ギニー・アルバレン

ラングラス 先鋒:カスオ


□第二試合

マングラス 中堅:オチアン

ラングラス 中堅:キング・レイオン


□第三試合

マングラス 大将:キング・ジュンユウ

ラングラス 大将:黒姫



「―――となっております。これをどう見ますか?」

「ふむ…こうなりましたか」

「何か気になることでも?」

「マングラス陣営は、いつもの『マングラス三銃士』となっています。どれも安定した実力者ですし、キング・レイオンに対して、三人の中で一番劣るであろうオチアン選手を当てるのもいつもの光景です」

「あえてキングに挑む必要はありませんからね。昨年と同じですね」

「そうです。さて、そうなると他の組み合わせが重要です」

「気になるのは大将戦でしょうか?」

「それがみなさん、一番気になっているところでしょうね。キング・ジュンユウと黒姫、非常に興味深い対戦です。彼女に対抗できるのはジュンユウ選手しかいないでしょう」

「なるほど、なるほど。では、どこが気になっているのでしょう?」

「私が気になるのは先鋒です」

「先鋒ですか。今イケダさんがおっしゃったように、マングラス三銃士のアルバレン選手の実力はすでに周知の通りですね。しかし、カスオ選手という人物はご存知ですか? 私は初耳なのですが…」

「長年解説をやっている私も初めて耳にします。ラングラスは今まで、たいした人材を輩出してきませんでした。勧誘活動も活発ではありませんし、たまに出る戦力もどんどん他に流れていく始末。すでに残されためぼしい人材はいないと考えてきました」

「その状況で出てきたのが、あの黒姫選手ということですね?」

「その通りです。あれだけの逸材をどこで手に入れたのか気になりますが、そのラングラスがあえて先鋒に謎の人物を持ってきた。これにはマングラスも警戒しているはずですが、どうしてもキングの対戦相手は決まってしまいます」

「黒姫選手を無視することはできませんからね」

「その通りです。そこで消去法でこうなったわけですが…【罠】かもしれません」

「罠!? それはいったい!」

「ええ、黒姫選手を大将にもってきてキング・ジュンユウの注意を向けつつ、実は『先手を取って逃げきる』つもりではないかと」

「逃げきる? 先鋒と中堅で勝負を決めてしまう、ということでしょうか?」

「はい。団体戦は勝ち抜きではありません。先に二勝したほうが勝ちます。このルールならば、キングを大将には置きたくないのです。どの派閥も先に一勝しておきたいですからね」

「流れに乗れば中堅で勝負が決まってしまいますからね。たしかに今まででは、キングの出番は先鋒か中堅が多かったと記憶しております」

「そうなのです。しかし今回は、どうしても大将に引っ張られる形となりました。無視できない相手ですからね。もし先手必勝が決まってしまえば、キング戦は負けてもよいのです。そもそも勝ちにくい相手ですから、大半の派閥は捨てています」

「これが本当ならば、まさにラングラスの奇襲大成功といったところですが…イケダさんは、カスオ選手を相当評価しておられるようですね。なぜでしょう?」

「誰が対戦するかは、互いの派閥同士の話し合いで決められます。その段階から勝負は始まっているのです。さきほど私がマングラス陣営にインタビューした際、彼らはカスオ選手から強い圧力を感じたと述べております。また、私のところにもラングラス陣営から彼に対する『通り名』が伝わってきました」

「通り名! 異名ですね! それはどのようなものでしょう!?」

「はい。彼、カスオ選手の異名は…『不死身の男』です」

「それは!! なんとも刺激的な異名ですね」

「他の派閥が言うのならば、はったりの線が有力なので一笑に付すだけなのですが、ことラングラスにおいては、あながち嘘ではないかもしれないという危惧があります」

「私はそちらには疎いのですが、各派閥の伝承というものでしょうか?」

「ええ。ですから気になるのです。もしカスオ選手の実力が予想以上ならば、中堅で勝負が決まってしまうかもしれないのです。勝敗はともかく、今年のラングラスは面白いといえるでしょうね」

「これはこれは! ものすごい情報がイケダさんからもたらされました!! この情報は賭けに影響を及ぼすのでしょうか!! 試合開始まで、あとわずか! ぜひとも予想をお楽しみください!! では、今回も特別リングアナウンサーである、ユーノさんに現場をお任せいたします!」



 今回は特別な試合ということで、普段とはまったく違う大きなイベントとなっていた。

 特別解説のイケダとともに、リングアナウンサーも女性を採用している。

 場を盛り上げるための軽快な音楽が演奏される中、ユーノと呼ばれた愛らしい女性がリングサイドを駆け回る。


「はい、現場のユーノです! まもなく選手入場となりますが、その前に両陣営の直前コメントをいただきたいと思います! まずはラングラスのセコンド、白我《はくが》さん。今回の意気込みをお願いいたします!」

「当然、勝ちにいきますよ。そのための布陣です」

「なんと力強いコメントでしょうか! では、黒姫選手については? 相手はキング・ジュンユウです! 勝機はあると?」

「面白い戦いになると思います。五分五分でしょうか」

「これは自信満々ですね!! キング相手に五分五分とは!」

「いえいえ、事実を申し上げただけです。それだけ面白い試合になるのは保証しますよ」

「楽しみにしております! 先鋒のカスオ選手に対しては? 闘技場自体の参加が初めてのようですので詳細を!」

「ふふふ、それは見てのお楽しみです」

「こ、これは! なんとも不敵な笑みが出ました!! といっても布で覆われているので素顔は見えませんが!! ところで白我さんは試合に出ないのでしょうか?」

「私が? なぜでしょう?」

「それはその…ものすごい実力者という噂が…」

「噂は噂です。私はただの敏腕マネージャーですよ」

「そ、そうですか。失礼いたしました」

「せっかくのイベントです。楽しみましょう」

「はい! 期待しております! 以上ラングラス陣営より、余裕のコメントをいただきました!」


 この白我という人物は、仮面を脱いだアンシュラオンのことである。

 表向きにはホワイトは死んだという扱いになっているため、こうしてサナと同じく布を覆って顔を隠しているだけだ。

 知っている人間は当然知っているものの、あえて知らないふりをするのがマナーであろうか。



「次にマングラスのセコンドに話を伺います。今回の意気込みは?」

「負けるつもりはありません。毎年勝つつもりで出ています。前回はハングラスに遅れをとりましたが、常に優勝することを目標にしています」

「すでにラングラスは眼中にないと?」

「そんなことはありません。敬意は払っていますよ。しかし、総合力で負けることはないでしょう」

「なるほど、冷静に分析したうえでの余裕なのですね。では、見所は? キングはどうでしょう?」

「巷ではどこぞの小娘が騒がれているようですが、ジュンユウの勝ちは間違いありません」

「そのジュンユウ選手のコメントは?」

「特にありません。彼は今、精神統一を行っているところです。個別のインタビューはお控えください」

「それは黒姫選手を強敵とみなしている、ということでしょうか?」

「馬鹿を言わないでもらいたい。キングの勝利は間違いない。そろそろ試合開始でしょう。コメントは終わりにしていただく」

「あ、ありがとうございました! これは面白くなってきました! まもなく選手入場となります!!」




(マングラスのやつら、やはりサナを無視できなかったか)


 そのインタビューを見ていたアンシュラオンが、ほくそ笑む。

 この団体戦は、誰と誰が対戦するかは事前に互いの勢力同士で話し合うシステムとなっている。

 これも八百長やら談合がありそうなものだが、序列は地上からの支援に影響するため、わざと負けることはあまり多くない。

 その中でマングラスは、比較的調整に応じるタイプの派閥であった。

 これも以前述べたが、地下マングラスは地上部からあまり重要視されていないため(もともと地上では人材が豊富なため)、地下の序列はあまり意味がなく、例年三位が定位置となっていた。

 言ってしまえば、ラングラスに負けなければそれでよかった。最低三位になれれば威厳は保たれるので、それだけで十分だったのである。

 だがしかし、インタビューでセコンドがカリカリしていたことからも、今回は事情が異なる。

 サナが現れたこともあるが、その最大の要因は、天井横に設けられた『特別観戦席』にあるようだ。


(どうやらマングラスの幹部がいるらしいな。やつらも負けは許されないか)


 地上の人間が試合を見るための観戦席に、どうやらマングラスの幹部がいるらしい。

 視線から強さは感じられないためセイリュウたちではない。おそらくはワカマツたちだと思われた。

 彼らがどのような圧力をかけたかは不明であるも、マングラス陣営はかなりの意気込みで試合に臨むようだ。

 その結果として、サナ対ジュンユウが実現した。


(サナを大将にしてジュンユウを食いつかせる。そのためにはカスオという存在が必要だった。わざわざキングが危ない戦いをする必要はないからな)


 マングラスにとっては二勝できればいい。なおかつキングが負けなければいい。

 この条件を満たすのは簡単だ。先鋒にキングを配置して一勝。次でレイオンに負けてタイにして、最後で締めるだけだ。

 これが例年の配置だったのだが、サナの登場によって勝敗が読めなくなった。三銃士と呼ばれていても、他の面子ではサナに負ける可能性があるからだ。

 だがこれは、マングラスにとっても不安要素である。

 仮にジュンユウが負けることがあっては困るため、最悪はサナを避ける選択肢も残されていた。

 その場合、アンシュラオンがわざわざ団体戦にサナを参加させた意味が薄れてしまう。目的はキングとの対戦なのだ。

 そこで怪しげなニューフェイスである『カスオ』なる人物を用意した。

 カスオの情報は謎であり、どこの誰かもわからない。なにせ彼自身、目立たないように生きてきたのでラングラス内部でも存在感がないくらいだ。

 それだけでは餌にならないため、事前協議中には彼が装備している鎧にアンシュラオンの戦気をまとわせ、いかにも強者アピールをしておいた。

 その気配を悟った三銃士たちは、さぞやカスオを警戒したことだろう。

 突如として黒姫なる危険な少女を送り込んできたラングラスだ。ここにきて謎の戦力投入となれば、それもまた無視することはできないのだ。

 結果として三銃士で一番弱いオチアンを、ほぼ絶対負けるであろうレイオン戦に投入して戦力を温存。(これはいつものこと)

 その次に、すでに実力が判明しているサナに対し、キング・ジュンユウを当てる。

 これは正体不明のカスオに万一の敗北を喫しては困るのと、『サナと戦っても勝てる自信』がジュンユウにあることを示している。

 そして消去法かつ安全策として、二番目の実力者であるアルバレンをカスオにぶつけてきた、というわけだ。

 最初からカスオはこのために使う予定であったので、すべて既定路線といえる。


(予想通りに事が進んでよかった。これでサナとキングの対戦が実現できる。さて、その前にカスオの出番か)




―――ざわざわざわ




 場内が騒がしくなってきた。

 一度光が落とされた暗い空間に、浮き上がるように光の道が生まれた。

 よく格闘技で見られるような照明ジュエルによる演出である。




「お待たせいたしました! 選手の入場です!! まずはラングラス先鋒、カスオぉォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!」




―――ワァアアアアアア!!




 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!!


 人々の熱気が渦巻き、視線がラングラス側の入場口に集中する。

 どの観客の目にも期待しか浮かばない。

 ラングラスが用意してきた新戦力なのだ。期待しないわけがない。

 その視線を浴びながら出てきたのは―――


 がしゃん がしゃん がしゃん


 手にハンマーを持った、真っ赤な全身鎧の人物であった。


 背は小柄。フルフェイスガードのため顔は見えない。

 その人物は、ゆっくりとした足取りでリングにたどり着くと、じっと静かに立ち止まった。

 さっそくカスオを見た感想が観客から漏れる。


「あれがカスオってやつか。背は小さいが…大丈夫か?」

「おいおい、もう忘れたのか? 黒姫ちゃんの事例があるじゃねえかよ。背なんて関係ないさ」

「おお、そうだったな。子供の女の子だと思っていたら…だもんな」

「きっとすげぇやつに違いない。不死身だって言ってたしな」

「おい、カスオ!! てめぇに賭けたんだ! 絶対に勝てよ!!」

「一発かましてやれや!!」




「続きまして、マングラスの先鋒―――ギニー・アルバレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエンッ!!」




 ドスン ドスンッ ドスンッ!


 マングラス側の入場口からは、大柄な体躯の男が現れた。

 急所や関節をプロテクターで守った軽鎧を着ており、手には大きなバトルアックスを握っている。

 顔は傷痕だらけで凄みがあり、人を何人も殺したような鋭い目をしている。

 実際に彼はこう呼ばれていた。


「きたきたきたぁああああ! 『道端の処刑人』が来たぞおおおおおおお!」


 アルバレンの異名『道端の処刑人』。

 抗争の際にはヒットマンとして使われていた元裏スレイブの男である。

 彼は夜の道端で待ち伏せ、標的が通りがかると確実に殺したことから、道端の処刑人という異名が付いた。

 地下に送られてからは普通の試合には出てこないが、団体戦になると出てくる本物の危険人物の一人として認識されている。

 これも団体戦ならではの楽しみである。


 アルバレンがリングにたどり着くと、両者が睨み合う。



「この一戦は、武器ありの試合形式となっております! 術具を除きまして、五つまで何でも使用可能です!」



 何でもありが基本である団体戦においては、当事者同士が納得すれば一定のルールを設けることもできる。

 外とは違ってリング内部は狭いため、互いの実力が一番発揮できる環境を整えるためである。

 忘れてはならない。これは賭け試合なのだ。できるだけ面白くしないと成り立たない。

 そこで今回は、武器ありの試合形式をそのまま使うことにした。

 武器ありのルールは、五つまでの武具の持ち込みの許可である。(格闘は当然問題なし)

 ただし、術具といったものの使用は禁止となっているため、核剛金程度ならば問題はないが、ソブカやベ・ヴェルが使っているような術式武具は使用禁止とされている。



「では両者、前へ!!」



 がしゃん がしゃん

 どすん どすんっ


 両者が対峙。


 こうして改めて見比べると身長差はかなりあった。

 もともとカスオは猫背で小柄なため、大柄なアルバレンと比べると半分程度しかない。

 だが、そんなカスオに対してアルバレンは気を抜かない。


(ラングラスの新顔。あの小娘の例もある。本気でいくぞ)


 すでにアルバレンは戦気を放出し、やる気を見せていた。

 上では幹部も見ているのだ。ここで活躍すれば、もしかしたら地上に戻れるかもしれないという期待もあった。




「それでは、試合開始だぁあああああああああああああああ!!」




 カーーーーーーーーンッ!!



 ゴングが鳴らされ、試合が開始。



「うおおおおおおおおおおおおお!」


 それと同時にアルバレンが一気に突進。

 両手で持ったバトルアックスを思いきり振り下ろす!!

 刃が迫る。

 カスオは動かない。

 このバトルアックスは魔獣の素材で作られた、刃がある本物の武器だ。


 それが―――



 どがしゃっ! ブシャッーーーーー!!



「ぎぃいやああああああああああああ!」



 鎧を破壊し、肩口からめり込んだ刃が、胸まで一気に押し潰すように通り抜けた。


 がくがくがく ごとん


 そして、カスオは倒れて動かなくなった。


「………」

「………」

「………」


 観客は黙る。

 レフェリーも黙る。

 何よりもアルバレン当人が一番黙って、じっとカスオを見ていた。

 あまりに手ごたえがありすぎて呆気にとられているのだ。

 だがその後、カスオが立ち上がってくる様子はなかった。




588話 「その者、因果応報 その3」


 カスオが倒れて、およそ十秒。

 一向に起き上がってくる様子がない彼を、誰もが見つめていた。


「…だ、ダウン! カスオ選手、ダウン!!」


 その中でレフェリーだけは、反射的にダウンを宣告していた。

 ちなみに大会のルールでは、ダウン中の攻撃は禁じられている。このあたりは立ち技格闘技と同じだ。(寝技はありだが、武人同士の戦いでは基本使われない)

 どくどくと鎧の中から血が流れていることもあり、このダウンは正当なものと認められたようだ。


 これには解説席も困惑する。


「い、イケダさん、これはいったい…何が起きたのでしょう?」

「完全に無防備でくらってしまいましたね。アルバレン選手の攻撃力は高いですから、まともにくらっては普通の鎧では防げません」

「アルバレン選手の奇襲成功…なのでしょうか?」

「いえ、彼は対面したときから戦気を放出していました。カスオ選手にもそれはすぐにわかるはずです」

「では、どうして?」

「わかりません。わかりませんが…もしかしたら…」

「何かお気づきに?」

「私にはどうにも、あえてくらったように見えて仕方がないのです」

「あえてくらう!? 意味がわかりませんが?」

「ええ、それは私も同じです。まったく意味がわかりません。ですが、妙な不気味さを覚えるのも事実です。カスオ選手自身もそうですが…【彼】が気になります」

「彼? 彼とはまさか…」

「はい。あそこにいる彼はまったく動じていません」


 イケダの目が、セコンドにいるアンシュラオンに向けられる。

 満を持して送り出した先鋒が倒れたのに、ぴくりとも動かない。ただじっと見つめているだけだ。


「あの余裕っぷり。これも作戦ということなのでしょうか?」

「わかりません。ですが、これで終わるとは思えないのです」

「ルール上では、ここでメディカルチェックが入りますね。それでアウトならば負けとなります。はたしてカスオ選手は、立ち上がってこられるのでしょうか!!」




 レフェリーが倒れたカスオに近寄る。


「カスオ選手、まだやれるか!?」

「………」

「カスオ選手? 聴こえるか!?」

「………」

「これは…まずいな」

「レフェリー! もう戦闘不能だろう!!」


 ここですかさずマングラス側から試合終了が叫ばれる。

 彼らにしてみれば早く一勝が欲しいのだから、カスオが期待外れであろうがどうでもいいことだ。

 だが、観客にしてみればそうもいかない。


「おい! まだ止めるなよ! 始まったばかりじゃねえか!!」

「こっちはカスオに賭けてんだよ!! 早く立ち上がれ!!」

「アルバレン、てめー、空気読めや!!」

「スリップだ、スリップ!! ダウンじゃねえよ!!」


 カスオに賭けた観客は、野次を飛ばしてレフェリーを邪魔する。

 そう、これはあくまで賭け試合である。

 接戦ならば納得もいくが、いきなりこうやって終わっては困るのだ。かつてのレイオンがわざわざ試合を引き伸ばしていたのは、そのためだ。


(これは戦闘不能だ。すぐに担架で運ばなければ…だが、いきなりこれでは団体戦の盛り上がりが…いやしかし、選手の生命が最優先のはずだ…。私はどうすれば…)


 そうしてレフェリーが葛藤していると―――




―――パチパチパチッ




 突然、セコンドにいたアンシュラオンが拍手を送った。

 何の拍手か誰もが理解できなかったが、彼は拍手を続ける。



―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ




「イケダさん、この拍手はいったい!?」

「自分の選手が倒れているのに拍手とは、おかしなことです。相手を賞賛しているようではありませんし―――!? あ、あれを見てください!!」

「え!? おお、おおおおおお!! か、カスオ選手が…動いた!! し、失礼! カスオ選手が起き上がってきましたぁああああああああああ!!」


 がしゃん むくり

 拍手に反応したのか、倒れたカスオが起き上がってくるではないか。

 しかも、やっとのこと起き上がったのではなく、いきなりむくりと立ち上がったのだ。


「い、イケダさん、これは何が起こったのでしょう!?」

「わ、わかりません。単に気絶していたのかもしれませんが…それにしては動きが機敏です! これはまさか…演技だった?」

「演技!? 試合を盛り上げるためにでしょうか!?」

「だとしたら怖ろしいものです。まずは我々も試合に集中しましょう! ますます見逃せなくなりました!」

「は、はい! カスオ選手、反撃開始となるか!!」




 カスオは起き上がる。

 鎧から血をどばどば出しながらも、ただただ無言で立ち上がる。


(なんだこいつ? 気味が悪いが…次で仕留める!!)


 気を取り直したアルバレンが、再度攻撃を仕掛ける。


 ブーーーンッ


 大きなバトルアックスが振り払われ―――


 どがしゃっ!!


 カスオを横薙ぎにした。


「ごばあああああ!!」


 ばたんっ

 無防備で受けたため、駒のようにぐるぐる回転しながらリングの床に倒れ込む。

 だが、その直後にアンシュラオンが拍手をする。



―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ



 すると、どうだろうか。

 むくり

 再びカスオは立ち上がったではないか。


「はーーー、はーーーー」


 息遣いは荒く、身体からは相変わらず出血を伴っているものの立ち上がる。


「なんだ…こいつ!? なんで立ち上がれる!?」

「はーー、はーーー」

「この野郎!!」


 その気味悪さに引いたのか、アルバレンが全力の一撃をカスオにお見舞いする。

 カスオはよけず―――


 ズガシャッ!!


 直撃。


「ぎゃああああああああ!」


 ばたんっ

 断末魔を上げながら床に転げ落ちる。

 しかし、すでに予想していた者も多いだろう。



―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ



 むくり

 拍手とともに彼は立ち上がった。


「ふーーー、ふーーーー」

「なんなんだ、こいつは!?」

「アルバレン、怖れるな!! こうなったら殺してもいい! 遠慮なくやれ!! 我々に負けは許されない!」

「わ、わかった!!」


 上層部の人間が見ている手前、負けは絶対に許されないマングラス陣営は、初戦からいきなり死者を出すことを容認する。

 これは通常の闘技場では珍しいことであり、いかに団体戦が特別かを示してもいた。

 賭け試合でもありながら真剣勝負でもあるという、地下ならではの奇妙な状況も見所なのだろう。

 そしてアルバレンが、かつて裏スレイブだった頃に得意とした技を繰り出す。


(首を撥ねてしまえばいい!! それなら立ってはいられない!)


 彼は持ち前のバトルアックスを駆使して、相手の首を狩るのが得意だった。

 斧を水平にして構え、走りながら身体を捻り、全体重をかけて首に叩き込む。

 実戦でこれをやるのは難しいため、待ち伏せ状態ならではの奇襲方法だが、今のカスオのような無防備な相手ならば十分可能だ。

 アルバレンはカスオの反撃に注意しつつも間合いに入ると、斧を振り払った。


 ズバンッ!


 斧は何事もなくカスオの首に入り込むと、そのまま頭を―――撥ね飛ばす。


 ボトッ ごろごろ


 そして、カスオの頭部(兜付き)が床に転がった。



「ひぇーーー! やりやがった!!!」

「これだこれ! これが本当の団体戦だぜ!! 昔の迫力が戻ってきた!」



 観客からも悲鳴やら歓声が轟く。

 地下闘技場での戦いは久しく生ぬるかったが、サナの登場によって人々は本物の刺激を求めるようになっていた。

 戦いで死ぬことは珍しくはない。よくあること。当然のこと。

 それを思い出した彼らは、凄惨な状況を楽しむことができるのだ。



(久々にやっちまったが…どうだ? こんなやつに全力を出すまでもなかったな)


 アルバレンにしても、こうして人を殺すのは久々だ。

 カスオがそこまでの相手でないと思ったからこそ、若干の後味の悪さも感じたが、これも彼の仕事である。

 仕方ない。

 そう思っていた時だ。



―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ

―――パチパチパチッ



 またもや拍手が聴こえた。

 不思議なことに、拍手からでも相手の感情は伝わるものである。

 その拍手の主は、極めて冷静かつ、非常に【愉しんでいる】ことがわかる。

 愉快、痛快、爽快。

 この状況をもっとも愉しんでいるのは、ほかならぬ拍手の主なのだ。

 それを証明するかのように、誰もが期待していたことが起きた。


 ずる ずる ずる


 身体が、動いた。

 頭を撥ね飛ばされた胴体が、床を這いずるようにひとりでに動き出し、自らの手で頭を掴む。

 がしゃんっ ぐちゃっ

 それを自らの胴体に押し付けると、再び彼は立ち上がった。


「…ばか…な」


 あまりの光景にアルバレンも立ち尽くす。

 いくら武人が首を撥ねられただけでは死なないとはいっても、それは強力な武人に限ってのことであるし、あくまで即死しないという意味だ。

 そこから即座に回復できる者など、まず存在しえない。

 『何かしらの特殊な力』がなければ不可能だ。


「ちぇ、チェック! レフェリー! チェックだ!!」

「め、メディカルか?」

「【不正干渉】もだ!!」


 ここでマングラス側セコンドからの『要請』が入ったので、改めて団体戦のルールを確認してみよう。



○大会基本ルール○


1、制限時間は一試合、六十分。勝負がつかない場合は、それまでの戦況の優劣によって決められる。(意図的に時間を引き延ばす行為の防止)

2、具体的なルールは、対戦者同士が同意すれば何を採用しても問題はない。

3、ダウン中の攻撃は禁止。違反した場合は減点となる。

4、ダウンした場合はメディカルチェックが行われ、明らかな戦闘不能状態、あるいは死亡すれば負けとなる。

5、選手以外の者、あるいは物によってリング内部に干渉することは禁止。

6、第五項の違反が判明すれば、減点対象になる。



 となっている。


 マングラス側が要請したのは、この第四項目と第五項目に関してである。

 まず、メディカルチェックが行われる。


「か、カスオ選手、その…傷を見てもいいかな?」

「………」

「ちらり」


 カスオは答えなかったので、代わりにセコンドのアンシュラオンを見る。


「かまわない。好きなだけ見るといい」

「で、では、失礼して」


 許可を得たレフェリーが、恐る恐る鎧の隙間からカスオの傷口を見る。(許可を得る必要はないので、彼が動揺していることがうかがえる)

 今まで数度攻撃されているため大きな裂傷が残っているが、切断されたはずの首が一番気になるのは仕方ない。

 案の定レフェリーは、じーっと首を凝視していた。


「カスオ選手、首を動かしてもらえるか?」


 ガシャ

 カスオが頷いてみせる。


「落ちない…? つながっている…のか? 本当にか?」


 ガシャ

 再びカスオが頷いてみせる。

 かなり大雑把に切断されたので傷口は痛々しいが、それも徐々に塞がっているように見えた。

 にわかには信じがたいが、実際に見た以上は信じるしかない。


「問題はなさそうだ」

「馬鹿な! そんなことはありえない! 不正干渉じゃないのか!?」

「チェック班、どうか?」

「異常は感知できませんでした。外部からは干渉されていません」

「術具の使用は?」

「その鎧からも術式は検出できませんでした。事前に調べています」

「そ、そうか。結界にも異常はないし……その、言いにくいが……問題はない。試合続行だ」

「ふざけるな! そんなわけがない! 首が飛ばされて死なないやつがいるものか!! その男が何かしているに違いない!」


 マングラスのセコンドが、アンシュラオンを睨む。

 が、彼は微動だにしないどころか、人差し指を軽く立ててクイクイ動かしながら、公然と言い放つ。


「証拠はあるのか?」

「なっ…」

「証拠がなければ不正ではあるまい。言いがかりも甚だしいぞ」

「このようなことが起こるわけがない!」

「お前に武人の何がわかる。勉強不足だな。用が終わったのならば引っ込んでもらおう。戦いの邪魔になる。それとも時間を引き伸ばしているのか? それこそルール違反じゃないのか?」

「くっ…!」


 証拠がない。

 不正を証明するのは訴える側であり、訴えられた側にはない。極めて当然のことだ。

 それができないマングラスの主張は、あっけなく論破されて終わる。




 その後、戦いは泥仕合の様相を呈した。



 アルバレンがカスオを【痛めつける】も、彼は死なないで何度も立ち上がる。


 そうこうして六十分間の不思議な時間が経過し―――





―――カンカンカンッ!!!





「勝者、アルバレン!!」



 判定の結果、勝者はアルバレンとなった。


 まったく攻撃らしい攻撃をしなかったカスオに対し、終始攻めていたアルバレンの構図であったため、判定の結果は妥当といえるだろう。

 そしてアンシュラオンは、ぐったりとしたカスオを一度控え室にまで連れ帰るために入場口に消えていった。


 その間に総評が行われる。


「イケダさん…この試合はどうでしたか?」

「……衝撃的でした。あまりに衝撃的すぎて言葉が出ません。我ながらよく六十分もの間、あのような光景を見続けられたと感心するほどです」

「…ですよね。私も同じ気持ちです」

「見てください、あのアルバレン選手の表情を。まるで彼のほうが死人ですよ。切っても切っても死なないのですから、彼のほうこそ生きた心地がしなかったのではないでしょうか」

「血の気が引いていますね。あれが『道端の処刑人』とは到底思えません。しかし、一勝は一勝。これは大きいのではないでしょうか?」

「そうですね。マングラスとしては大きいでしょう。ですが、『試合に勝って勝負に負けた』のかもしれません」

「ほぅほぅ、それはいったい?」

「あの自信を失った顔を見てください。アルバレン選手が、次の試合で同等のパフォーマンスを出せるでしょうか? 私にはそうは思えません」

「攻め疲れもありますし、何よりも精神的ダメージが大きいということですね」

「その通りです。マングラスもあと二戦しなくてはなりません。勝ち星候補の彼があの様子では、上位浮上は難しくなってきたかもしれませんね」

「なるほどなるほど。そういうことですか。ですが、ラングラス側が負けてしまいました。これは痛いのでは?」

「まだ注目の試合が残っていますからね。十分チャンスはあります。それに、カスオ選手と対戦する次の相手は嫌なはずです。ジングラスはともかくハングラス陣営は、今頃戦々恐々としているでしょうね」

「それも次への布石ということですね」

「しかし、驚きました。『不死身の男』とは言われておりましたが、本当に信じてしまいそうです」

「そうでした! あれについてはどのようにお考えでしょうか?」

「正直、わかりません。強力な回復術式でも使えば可能でしょうが…まずグラス・ギースで手に入るとは思えませんし、あの鎧も普通のものだったようです。唯一わかったのは、あの鎧の赤色は『彼自身の血』の色だったことです」

「それは…あまりにショッキングですね」

「ええ、怖ろしいことです。いったいどれだけこんなことを続けたのか…想像するだけで失神しそうです。それでもまた見たいと思ってしまうことが、我々人間の怖さなのかもしれませんね。私からは以上です」

「ご解説、ありがとうございました。マングラス対ラングラスの先鋒戦は、マングラスのアルバレン選手の勝利となりました。次の試合もまもなく始まりますので、ぜひ賭けていってください!!」



 カスオの戦いによって、闘技場は摩訶不思議な空気に包まれていた。

 死なない人間。

 極めて奇妙で怖い存在であるが、どこか憧れてしまう。

 そんな人々の願望を体現したためか、結果に文句を言う者は誰もいなかった。

 だがしかし、この世に奇跡などは存在しない。結果があれば原因があるのである。




 アンシュラオンがラングラスの控え室に戻ると、カスオを放り投げる。


 ぽいっ ごしゃっ


「うう……」

「どうだ? 楽しかったか?」

「はぁはぁ…ううう……」

「楽しくて声も出ないか。どれ、兜を取ってやろう」


 アンシュラオンが兜を取ると、そこには紛れもなくカスオの顔があった。

 あれだけの出血である。顔色は悪く、目も虚ろで、身体は傷だらけだ。

 ただ、彼は死んではいないし、死ぬことは許されない。


「ふむ、ルアンに投入した薬の量を二倍にすると、耐久力はさらに上がるようだな。その代わり判断能力が皆無になるから使えないがな」


 普通に考えて、常人のカスオがあんな攻撃に耐えられるわけがない。

 最初の一撃で死亡確定だ。ましてや首が飛ばされても生き残ることなど不可能である。

 であれば、それを可能にしたのがルアンと同等の強化処理だ。

 ミャンメイを失った日から、カスオは薬漬けにされていた。しかも二倍の量を投入されているため、強い副作用も出ている可能性があるが、死ななければ問題はない。

 アンシュラオンもカスオを殺すつもりはなかった。どんなクズであれシャイナの父親である。彼を殺しては苦労が台無しだ。

 かといって『許す』つもりもない。


「お前はオレに逆らった。逆らったらどうなるかは事前に通告していたな? それでもオレに逆らったならば、とことん痛みを与えてやる。おい、聞いているか?」

「はぁはぁ……お、おゆるし……を…」

「おいおい、お楽しみはこれからだぞ。次の試合は、まさにオレが言っていたことをそのまま実現させてやろう」

「ううう…」

「やれやれ、悪趣味なやつだ。そんな雑魚をいたぶって楽しいのか?」


 その様子を見ていたレイオンが、呆れたように呟く。


「オレは自分を裏切ったやつは絶対に許さん。見せしめは必要だ。こいつのせいでミャンメイを失ったんだ。当然の罰だろう?」

「その点に関してはいっさい同情はしない。お前がいなければ俺が殺していた」

「そんなことより、お前は大丈夫なのか? もうすぐ試合だぞ」

「…ふん、こんな状態は慣れっこだ。年季が違う」

「カスオの時みたいに援助してやろうか?」

「断る」

「バレなければイカサマじゃないんだぜ?」

「お前の手は借りない。すぐに終わらせる」



 そう言うと、レイオンは出て行った。



「無愛想なやつだ。結界が緩んでいるから不正し放題なのにな」


 カスオの異常な状態は、ただ薬だけが原因ではない。

 アンシュラオンが、命気を付与したことが最大の要因である。


(三つの会場を見て思ったが、会場それぞれの結界は同一ではない。無手の会場が一番強くて、武器、無制限と弱くなっていくんだ)


 無手の試合会場では、サナに付与した命気が完全に消えていた。

 これは宿された封印術式が相当強固なものであり、遠隔操作するのが困難だったせいだ。

 一方、武器の試合会場では、武具の持ち込みが可能なためか、どうしても無手のものより結界が甘くなるらしい。

 たとえばイベント会場にいく場合における「持ち込み完全不可」と「飲み物持参可能」との違いに似ている。

 完全不可の場合はチェックも厳しくなるが、飲み物持参となれば、その中身を入れ替えるくらいはできないことではないだろう。

 仮に「酒類禁止」となっていようと、多少混ぜた程度では見た目ではわからない。

 それ以前の問題として、アンシュラオンの遠隔操作を見極めることができる者など、この場には誰一人としていないのだ。

 事実ホテルでの一件において、ラブヘイアほどの実力者であってもモグマウスには気付かなかった。さらに完全警戒中の彼の背後を、いとも簡単に取ったのだ。

 アンシュラオンの技術は相当高い。最初から注意して隠蔽すれば、アーブスラット級の探知能力がなければ発見は不可能だろう。

 加えて今回の会場は「無制限」の会場である。

 ここにかけられている結界は、あくまで内部の攻撃が外に届かないようにするものであって、外から持ち込ませないようにするものではない。


(この抜け道は運営側も理解していたはずだ。そうでなければ第六項目の意味がない)


 さきほど紹介した大会規約の中に、不正干渉がバレたら『減点』と表記されている項目がある。

 なぜ減点なのか? 失格ではないのか?

 誰もがそう思うだろう。

 これは不正が【公認】されていることを意味している。


(やるならバレないようにしろ、ってことだ。それも工夫次第、強さの証明ってわけだ。考えたやつは頭がいいな)


 これも大会を盛り上げるためのルールの一つであり、弱い相手でも勝てる可能性があるからこそ賭けが成立する。

 アンシュラオンの正体に気づいている人間は、彼が何かしたと思っているだろうが、それはそれでいいのだ。

 もし対抗したければ、不正を暴いてみせればいいだけなのだから。

 それができないのならば自分たちもやればいい。それだけのことである。




 そして、しばらくして中堅戦が始まり―――




―――カンカンカンッ!!




「勝者、キング・レイオン!!」



 レイオンの勝利が決まった。


 これで一勝一敗。


 勝負の行方は大将戦に持ち越されることになる。




589話 「ジュンユウの壁 その1」


「イケダさん、さきほどの試合についての総評をお願いいたします」

「そうですね。結果は想定通りでした。試合内容としても、さほど見所もなかったと思います」

「順当ということですね。両者ともに問題はない、と」

「結果はそうですね。ただ、個別に見れば気になる点もあります」

「それはどこでしょう?」

「レイオン選手のコンディションです」

「キングの? 調子は良かったように思えましたが?」

「ええ、動き自体は悪くありませんでした。かつてのレイオン選手は常時体調が悪そうでしたが、先日の無手試合で大幅な改善がなされたようです」

「あれは衝撃的でしたね。武人の底力を知った気持ちです」

「はい。私も驚きました。しかしそうでありながら、また体調面で不安を抱えているようですね」

「あれでですか?」

「むやみに試合を引き伸ばせとは言いませんが、試合時間も平均と比べてかなり早かったですし、いきなり全開といった様相でした。あれでは以前からやっていたことと同じです。余裕がないから最初に勝負を決めるのです」

「それでも勝利できるのはキングの実力では?」

「その通りです。そこは評価しています。実力があるからこそ魅せる戦いも期待してしまうのです。ワガママだとは理解しておりますがね」

「それもファンとしては当然の心理ですね」

「オチアン選手の力量が劣っていたことと、彼自身に勝つ気持ちがあまり見られなかったことが圧勝の要因だと考えています。本日中に次の試合がありますからね。ここで無理をしては次に差し支えます」

「なるほど。あえて負けたのですね。それは逆にレイオン選手にとっても良かったのではないでしょうか? 体調が悪いのならばなおさらです」

「そうですね。ただ、次からはどうでしょうか。もしキングの調子が悪いと思えば、ハングラスが金星を狙ってくるかもしれません」

「金星! キングに勝つことですね! 金星が出ればオッズが大荒れとなります!」

「いやいや、我ながら少し言いすぎましたね。たしかにそのほうが盛り上がりますが、私の立場から言わせていただければ、キングに勝つのはやはり簡単ではないと明言しておきましょう」

「おっと、それはもしや大将戦にも関わる話でしょうか!? ややフライングですが、大将戦についてはどうでしょう? ついに期待の新人が出ますね」

「黒姫選手のポテンシャルは底が見えません。まだまだ成長するでしょう。その意味では見所です。しかしながら、キングにはキングである所以があるのです」

「キングである所以! それはいったい?」

「彼らにも背負っているものがあります。そういった精神性も力になりますし、何よりも自身の武器を極限まで磨いた者たちなのです。結局無手試合において、あれだけ期待された黒姫選手もキング・レイオンに負けてしまいました。あの試合では、判定がやや黒姫選手有利であったにもかかわらず、です。そこにはまだ超えられない差があったのです」

「なるほどなるほど。やはりキングは強いと」

「しかし、もしここで何かが起これば、ラングラスの最下位脱出も現実味を帯びてきますね。現状のマングラスの戦力では、他の二勢力に勝ち越すのは難しいでしょう。そうなれば直接対決の内容と結果によって順位が決まりますから、ポイントの動きも重要となるでしょう」

「すべてが見所ということですね! ますます楽しくなってまいりました! さて、まもなく大将戦が始まります!!」



 解説者たちが言っているように、引き分けなし、勝ち点なしの四チーム総当りとなると、同列順位が生まれてしまう可能性が多々ある。

 その際は直接対決の結果や、試合でのポイントが重要視されて順位が決定される。

 大会ルールにもあった「減点」は、当事者同士の勝敗にも影響するが、チーム全体の順位にも影響を及ぼすのである。

 その中で『金星』は、極めて大きいポイントが与えられる。

 たとえば今しがた終わったレイオン戦は、レイオンのオッズは「1.1倍」、オチアンのオッズは「38倍」となっている。

 キングが勝つのが当然の試合なので、逆に1.1倍もつけば良いほうであろう。

 だが、そこで番狂わせが起これば大儲けでもあるため、オチアンに賭ける者たちが出てくるのである。金星も同じような扱いになっているため、ポイントも大きいといえる。


 そして、次もキングが登場する大一番である。





「いよいよ注目の試合が始まります!! まず登場するのは、みなさんお待ちかねぇええええええ!! 漆黒の美少女、期待の大型新人!!! 今回のダークホースとなるか!!」




「ラングラス大将!!! くろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお―――ひめぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」






―――ワァアアアアアアアアア!!!





 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!!!


 会場全体が、足踏みで揺れている。

 熱気が渦巻き、人々が再び熱狂の中に取り込まれる。

 照明が落とされた闇の中、その闇よりもさらに黒い少女、黒姫ことサナが出てきた。

 着ているのは今日のために用意した準装仕立ての鎧である。

 準装という言葉がたびたび出てくるが、単純に軽装備と重装備の中間に位置するものと考えればいいだろう。

 軽装備が厚手の服や皮鎧であれば、重装備はガチガチに身を固めた重装甲であり、準装備はその中間にあたる。

 たとえれば、侍や武士の甲冑がそれに該当するだろうか。防御力を維持しつつ、ある程度の機動性を重視した造りとなっているものだ。

 サナが着込んでいるのは、黒を基調としながら赤のラインが入っている陣羽織風のデザインで、中には鎖(魔獣素材)が編み込んである。

 最初に出会った頃のラブヘイアが装備していたロングコートと同種のものである。

 さらに日本刀を持っているため今までの中国拳法風ではなく、より日本らしさが出ているものといえる。(この世界では、『ダマスカス様式』あるいは『レマール様式』と呼ばれる)

 まだまだ幼く、小学校に通っていそうな十歳前後の少女がコスプレしたような姿であるが、彼女の実力を知っているがゆえに周囲は熱視線を送る。



「黒姫ぇええええええ!! 全財産かけたぞおおおおおおおお!!」

「黒姫ちゃーーーんっ! がんばれええええええ!」

「絶対に勝つって信じてる! 俺たちに希望を見せてくれえええええ!」

「ラブラブ、クロヒメ!!!」



 もう完全に地下闘技場のアイドルである。

 だいたいは独身のオッサン連中が叫んでいるので、彼らを見つめる若干数の女性たちの視線が非常に冷徹だが、いつの時代も可愛くて強い者に人気が集まるのは自然なことだ。

 渦巻く熱気に呑まれるように、サナは中央のリングに降り立つ。




「続きましてマングラスの大将にして、キングになってから無敗の王者!! キぃいいいいいいいいング・ジュンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンユウ!!!!!!」




―――ワァアアアアアアアアア!!!




 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!!!


 こちらもサナに負けじと大きな足踏みが発生。

 ただここで、多少今までと違うことが起こった。



「ジュンユウ様!! 勝ってーーー!!」

「あんな小娘に負けないでーーーー!」



 歓声の中に女性の声が交じるのだ。

 ジュンユウの支持層の大半は、実は数少ない女性たちであったりする。

 なぜかといえば、キングの試合方式が挑戦者有利になることが多いので、普段賭けているオッサン連中には人気がないのだ。(これはキング全般にいえる)

 ジュンユウ自身は、おそらく四十近い年齢かつ、見た目も痩せて頬がこけた独特な容貌をしている。世間一般では、あまり好まれない容姿だろう。

 がしかし、寡黙で実直な性格はマングラス内部にとどまらず、他派閥にまで人気となっているため隠れファンが多いという。



「ちっ! ジュンユウのやつ、うざぇな! だが、同じマングラスだ! 今回は応援してやるよ!!」

「ジュンユウ、かましたれ!!! キングの意地を見せろ!!」

「今回はオッズもいい! 絶対に勝てよ!!」



 レイオン戦しかり、キング戦はオッズが極めて不均衡になる傾向にあるが、今回は違った。

 キングのオッズは、なんと「2.2倍」。

 キング戦としては、まずありえない数字となっている。

 これはある種、キングへの冒涜ともいえるほどであり、もし血気盛んな者ならば怒り心頭で入場してくるだろう。

 が、ジュンユウは応援の声さえも聴こえていない様子で、静かに、とても静かにリングだけを見て―――


 否、サナだけを見て歩いてきた。


 そして、リングに降り立つと、光が彼に浴びせられる。

 武器の試合では服一枚という軽装であったが、今はしっかりと装備を整えて軽鎧の姿になっている。

 相変わらず剣は一本であるも、腰には予備の小刀も見られるため、彼の本気度がうかがえた。

 彼はサナを本当の敵として認識している。対等の相手として考えている。だから慢心もしない。浮かれたりもしない。



 両者が、対峙。


 最初に口を開いたのは、ジュンユウだった。


「偉大なる者に誓って、この戦いで全力を尽くす」


 剣の柄に手をかけ、祈るようなポーズで宣誓する。

 自分よりも小さな少女にそのような行いをすることは、一種のパフォーマンスに思われるかもしれないが、彼が見ているのはサナの中にある『光』である。

 【グランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉】を起こした者に対する敬意。剣士としての誇りが彼にはあった。


「………」


 サナはその言葉を受けても、ただ黙って相手を見ていた。

 この大舞台でも物怖じしないのが彼女の長所である。

 彼女もすでに臨戦態勢であった。



「今回のルールは、武器のルール! 五つまでの武具の持ち込みが可能です! そしてエクストラルールとして『三つまで身体強化のジュエル』が使用可能となっております!!」



 基本ルール自体は、初戦のカスオとほぼ同じだ。

 それとは別に互いの協議の結果、特殊ジュエルの持ち込みを三つまでよしとした点に違いがある。

 これはジュンユウからの申し出がきっかけであるが、アンシュラオン側も提案しようと思っていたことである。


(サナの魔石がルール上、やや微妙だったしな。はっきりさせておこうと思ったが、まさか相手から言ってくるとは意外だったよ)


 キングであるジュンユウは、場合によってはサナのジュエルを禁止させるように圧力をかけることもできた。

 無手の試合会場では封印術式を素通りしたものの、明らかな強化である。金と命がかかっているのだから嫌がるのが普通だ。

 それをジュンユウは素直に受け入れるどころか、サナが力を発揮しやすいようにと配慮したのだ。

 こうしておけば何の気兼ねもなくジュエルを使うことができるため、サナにとっては朗報といえた。


(だが逆にいえば、魔石込みで勝てる自信があるということだ。さて、どうなるかな。オレの予想では―――)




 両者が離れる。




 そして大将戦の―――





「試合開始だぁああああああああああああああ!!」





―――カーーーーーーンッ!!





 両者が合図と同時に得物を抜く。


 サナは日本刀を。

 ジュンユウは刺突剣、レイピアを。


 そして、駆ける。


 互いが間合いに入った瞬間に戦いは始まるのだろう。

 剣士同士の戦いは攻撃力が高いため、初手を制した者が圧倒的に有利になる。

 この勝負は、どちらが先に攻撃を当てるかも極めて重要な要素となっていた。


 では、初手の勝負でどちらが勝ったかといえば―――



「―――っ!!」



 ガギィイインッ!!


 サナが日本刀を振ろうとした瞬間、凄まじい速度の一撃が飛んできた。

 狙われたのは、日本刀の【柄】。

 この武器は斬る能力が長けている反面、振るという動作が必要になる。

 そのもっとも重要な力を込める瞬間、刀を振り上げた瞬間に、柄に向かって【突き】が放たれたのだ。

 サナは振り下ろせない。刀が飛ばされないようにするのが精一杯。

 そこにジュンユウが戻す刀で、横一閃。


 ズバッ


 サナの手首を切り裂く。

 幸いながら篭手があったので切断はされなかったが、ばっさりと防具が切られている。

 サナは仕切り直そうと、背後に跳躍。

 だが、ジュンユウはそこを逃さない。

 すかさず前に出て、突きを放った。

 サナは防御。刀の腹で突きを受け流そうとする。

 刃は流れに逆らわない。

 流されたまま加速し、今度はサナの足を切り裂く。


 ズバッ!


 脛を覆っていた具足が切り裂かれた。

 動きやすさを優先するために薄く造られた防具とはいえ、普通の刃物ならば完全に止めるだけの防御力がある。

 それをたいして力も入れていない状態で切り裂かれるとなると、まともにくらったら非常に危険である。

 ここでサナは、恐れることなく前に出た。

 多少の被弾は覚悟の上。傷ついても強烈な一撃を入れればいい。近づけば格闘も選択肢にある。

 だが―――


 ズガガガッ!!


「―――っ!?!?」


 閃光のような突きが襲いかかってきた。

 サナが前に出た瞬間には、ジュンユウもバックステップを踏んで間合いを広げていたのだ。

 そして冷静にサナの肩と膝を狙って攻撃を仕掛け、動きを完全に止めてしまった。

 刃は戦気によって強化された鎧によって止められたが、もしさらに前に出ていたら突き抜けていた可能性もある。


 シュンシュンッ


 ジュンユウは剣を戻すと、フェンシングのように刃先をくるくると回転させて構える。

 サナも一度下がって観察。


「…じー」

「………」

「…じー」

「………」


 しかし、サナは動けなかった。

 ジュンユウに隙がないかと観察するも、弱点が見い出せないのか攻撃に移行できない。

 なぜならば見ているのは相手も同じだからだ。

 サナが動けば、ジュンユウは一番弱いところを狙って攻撃を仕掛けてくるだろう。

 それがわかっていて、あえて突っ込む馬鹿はいない。




 こうして、先手を取ったのはジュンユウであった。

 これはアンシュラオンの予想通りである。


(さすがだな。攻撃に対して迷いがない。そして正確だ。自分の長所を完全に把握している)


 ジュンユウは、おそらく防御型の剣士だと思われる。

 防御型といっても、ただ守るのではなく、自ら攻撃しながら相手を封じ込める剣術を得意とする。


(こうした戦い方は、屋外よりも狭い室内で効果を発揮する。それが結界のあるリングの上でならば、さらに有用だろう。やはり【二割】といったところかな)


 この二割とは、『現状でサナが勝つ確率』である。

 ユーノには五分五分と言ったが、あれは挑発で言ったこと。本心からではない。

 リングの上。制限時間。ポイント制。

 こうした条件は、すべてジュンユウに味方していた。


 サナの前に、本気のキングの壁が立ち塞がる。




590話 「ジュンユウの壁 その2『戦気の揺らぎ』」


 わずかの間、サナとジュンユウは睨み合っていた。

 しかし、すでに先手はジュンユウが取った。

 制限時間がある『試合』において、何もしなければ追い込まれる一方である。

 それを知っているからこそ、ジュンユウは自ら攻めないのだ。


「…!!」


 バチバチバチッ

 サナの胸元のジュエルが青く輝くと同時に、魔石の力が肉体に宿る。

 『ジュエル解放』。

 グラサナ・カジュミライト〈庇護せし黒き雷狼の閃断〉の力が顕現したのだ。

 多少早い判断であるが、それだけサナが力量差を感じ取った証拠なのだろう。

 この状況を打開する最善策が魔石だと考えるのは自然なことである。


「青き狼。相手に不足はない。来られるがよい」


 ジュンユウも、サナが魔石を使うことを知っていたため驚きはない。

 ギリギリまで距離を取って、改めて剣を構える。


「…ぎゅっ」


 サナが刀を握り締め、駆ける。

 雷光。

 足が何の摩擦もなく、すっと前に出ると同時に急加速。

 一瞬でジュンユウにまで到達すると、その勢いのまま刀を振り抜く。

 サナは、いつだって全力だ。

 すべてを一刀にかけた攻撃力は、相当な威力となって襲いかかるに違いない。

 この一撃をレイオンは横にステップすることでかわした。まともに対応するのが難しかったからだ。

 では、ジュンユウはどう対処するのか?


 その答えは―――



 まったく動かなかった。



 サナが急加速してくるのにもかかわらず、横にかわすことも下がることもなく、真正面から受け止めようとしていた。

 この状況を一般人で再現すると、新幹線に取り付けられた刃が高速で向かってくるようなものだろうか。

 その圧力の前に立つだけでも苦労するのに、怖れないどころか彼の【集中力】はさらに高まっていた。

 目が、サナの動き全体を捉える。

 身体の動き、手の動き、足の動き、剣の軌道、すべてを感覚で捉える。

 その次に、彼女の中でもっとも動きが少なく、ブレていない軸を見つけ出す。

 これらの動作が一瞬で流れるように行われた結果。


「そこっ!!」


 刀よりも一瞬だけ早く突き出した剣が、サナの左脇腹に―――


 ズブウウウウッ!!


 突き刺さる。


「っ―――!!」


 鎖陣羽織の装甲を貫き、肉と臓器を抉り、ほぼ貫通するに到る。

 無駄な力を入れる必要はない。剣気で強化するだけで十分。

 高速で突っ込むということは、その質量を自ら用意することと同じである。

 サナは自分で発したエネルギーによって、自らの身体に穴をあけたのだ。

 しかし、彼女は止まらない。

 脇腹を突かれても、そのままの勢いで刀を振ろうとする。


 ぶしゃーーー ドババ


 肉と皮が裂け、傷口から血が噴き出しても止まらない。

 身体ごとぶつかるように、ジュンユウを刀の軌道に巻き込もうとする。

 それに対してジュンユウは、即座に剣を身体から引き抜きつつ、あらかじめ用意していた腰の小刀でガード。

 刃と刃が激突。

 サナは日本刀なので威力が高い。片手一本で扱う小刀で防げるはずもない。

 それはジュンユウも承知の上。完全にガードできずとも衝撃を緩和できればよい。


 ガギィインッ バシュッ


 ガードされて流されながらも力で押した刀の一撃が、ジュンユウの肩を抉る。

 刃は肩当を切り裂き、彼の肉にまで到達。赤い血がリングに舞う。

 されど致命傷には至らない。

 傷口を見ることもなく、彼は再び間合いを取って剣を構えた。

 サナは追えない。傷が深すぎたからだ。


 この勝負でどちらが勝ったかは、アンシュラオンでなくても一目瞭然である。


 ジュンユウの被害は利き腕でない左肩だけ。

 一方のサナは左脇腹という急所を貫通された。

 ここは刀を振る際に必ず力の通り道となるため、抉られると攻撃の速度が落ちるという最悪の場所だ。

 明らかな有効打をくらってしまったのだ。


「…はぁはぁ、ふー、ふー」


 彼女自身は、常人よりは痛みを感じていないかもしれないが、身体に強い異変が起こったことは理解しているだろう。

 練気で生体磁気を捻出して回復を図っているが、そう簡単に治るものではない。


「…ぎゅっ!」


 サナが再度、雷光の速度で切りかかる。

 しかし、対するジュンユウは、すでに迎撃態勢を整えていた。


 シュンッ ドガッ


「…ごぶっ」


 ジュンユウの剣先が、突っ込んできたサナの胸骨にぶつかる。

 その衝撃でサナが浮き上がり、止まった。

 剣王技、剣応打《けんおうだ》。

 基礎技の一つで、刃の先端に剣気で丸い保護膜を生み出し、突き刺すのではなく「打撃」を与える技である。

 よく修行中の練習試合で相手を殺さないために使ったり、剣気の制御を学ぶためにもちいられることが多い。

 だが、突き刺すものと違って衝撃を与える性質によって、サナの身体が止まってしまう。

 ただ突き刺すだけでは、さきほどのように身体ごと向かってきてしまう。それを封じる作戦だ。


 そして、これは彼女には極めて効果的。


 ミシミシミシッ

 当然ジュンユウの腕や肩にも強い負荷がかかるが、まだ小さく軽い彼女の身体は、彼の腕力でも十分受け止めることが可能であった。

 その結果、自らの突進の威力がそのまま跳ね返ったせいで、サナが吐血。

 骨に亀裂が入り、衝撃で傷ついた肺から呼吸とともに血を吐き出す。

 どうやら内部にまでダメージが浸透したようだ。それだけ彼女の突進が速かったことを意味する。


 されど、これは序の口。


 ジュンユウは剣を素早く引くと、迷いなく突きを放った。

 狙いは急所の一つである心臓だ。


「…っ!!」


 シュンッ!! ブスッ!!


 心臓への一撃は、咄嗟に左腕を犠牲にして防御。

 防具と肉を貫いてきたものの、骨で決死のガードを見せる。

 アンシュラオンに心臓は絶対に守れと言われているので、それが生きた形だ。

 が、攻撃は一度とは限らない。

 剣が素早く引き抜かれると、今度はさきほど貫通した脇腹に向かう。

 まだ回復していない箇所を攻撃されれば、本当の致命傷になってしまう。

 ここは絶対死守。

 サナは大きく身体を捻ることで、かろうじて回避に成功する。

 だがしかし、ジュンユウの狙いはそこではない。

 サナの意識が左に偏った結果、右側の防御の戦気に【揺らぎ】が見えた。

 そこに一撃。


 ブシャッ!


 右肩に剣が突き刺さる。

 刃は貫通までは到らないが、肉をごっそりと抉る。


「…っ!!」


 サナは足に力を入れて、ジュンユウに体当たりを仕掛けようとするも、すでにジュンユウは横にステップして射線をずらす。

 それによってサナは動けない。

 その間に横手に回り込んだジュンユウが、素早い剣撃を放ってきた。


 シュンッ ブスッ!

 シュンッ ブスッ!

 シュンッ ブスッ!


 素早く、それでいて鋭い攻撃が、サナの鎧に突き刺さる。

 一撃一撃が軽いため、それだけで致命傷にはならないのだが、的確にサナの弱い場所を狙って突いてくるのがいやらしい。


 彼が狙っているのは、【戦気の揺らぎ】である。


 頭や心臓といった箇所はサナも防御を固めているため、それ以外の箇所を狙っているのだ。

 ここで彼女の【弱点】が露呈する。

 すでにアンシュラオンが何度も指摘していることだが、彼女は戦気を持続させるための集中力が欠如している。

 そのため均一に戦気を集中させることが苦手で、どうしても防御に穴が生まれてしまうのだ。

 意識が集中している箇所の防御力が、仮に「500(B相当)」だとしても、反対側の部分はおそらく「200」にも達していないだろう。(ジュエル込みの数値)

 ジュンユウの攻撃力はさほど高くはないが、サナの未熟さゆえに穴が多数生まれている状況を突かれているのだ。

 否。

 これはジュンユウが自ら生み出した状況なのである。

 彼の攻撃は正確で、すべての一撃に意図がある。サナの気を逸らすように剣を揺らすことも、巧みに集中力を乱そうとしているのだ。


「…ふーー! ふーーー!」


 そして、すべてが上手くいかないことに、サナが【怒り】を覚える。

 彼女が唯一発露した感情、怒り。すがるべきもの。

 感情は力だ。怒りはパワーだ。

 がしかし、荒い力だ。

 ますます戦気に揺らぎが生まれ、わずかに開いた戦気の穴に剣が容赦なく―――突き入れられる。



 ブスウウッ ブチブチッ!



「―――!?!!?」


 サナの右手の甲に剣先が突き刺さった。

 手の骨が砕け、腱が切れ、人差し指と中指が動かなくなる。

 利き手への深刻なダメージ。剣士にとって、これは非常に痛い。

 その結果に満足したジュンユウは、一度下がってまた剣を構えた。

 一気呵成に攻め立ててもよさそうな戦況だが、あえて下がって万全を期したのだ。



 固唾を呑んで見ていた観客も、この美技に歓声を上げる。






―――ワァアアアアアアアアアア!!






 強い。


 キングは強い。


 彼の剣には、紛れもなく強い意思が宿っている。


 それはアンシュラオンも認めるところである。


(強いな。どのレベル帯であろうが王者は王者。勝つ意味をよく知っている。やつの強さは慢心しない心と集中力、そして勇気だ)


 キングとは、勝ち続けることで得られる称号だ。

 まぐれで勝ってもキングにはなれない。名に応じた風格が必要だ。

 たしかに自分から見ればまだまだだが、王者の名に恥じない心の強さを持っている。

 けっして油断せず、小さな攻撃を積み重ねる大切さを知っているし、それを続ける継続力と集中力は見事だ。

 アンシュラオンから見ても、ジュンユウの練気に無駄は少ない。状況に合わせて戦気を見事に操っている。

 これは圧倒的にサナには足りない要素である。その差が如実に出ているのだ。


(サナの突進は速いし危険だ。レイオンでさえよけたくらいだからな。まともにくらえば一撃KOもありえる。それでも怖れない勇気は見事だ。自分の力を知るからこそ対応できる自信があるのだろう)


 速いものが迫ってくると、人間は反射的に目を瞑ってしまう習慣がある。

 だが、それではボールは取れないし打てない。

 当たる瞬間まで軌道を見極める集中力と勇気がどうしても必要になる。

 その点においてもジュンユウはサナを上回っている。観察眼があってもサナが優位に立てないのはそのためだ。

 サナは才能で、ジュンユウは努力で。

 どちらも同じ力であり、そこに優劣は存在しない。ただただ力があるだけだ。


 そしてもう一つの要素。【ジュエルの制限】も大きな影響を及ぼしている。


(今回のルールは、『身体強化』に関してのみジュエルの使用が可能になっている。サナのジュエルにある『雷迎撃』スキルは使えない。だが、それはそれでいいんだ。封じられた際の練習になる)


 このルールのミソは、身体強化に使用を限っていることだ。

 実はこれ、アンシュラオンが意図的に明記した条件である。

 そのせいでジュエルを経由した雷撃や、雷爪といった雷を主体とした攻撃方法は使えない。

 レイオン戦で主体となっていた攻撃手段なので、これらが封じられたこともサナの劣勢の要因となっていた。


 だが、それでいい。


 仮に相手がガンプドルフであった場合、おそらく雷系の技は通じないと思われる。

 同じ属性は、より上位で強い属性に従う性質がある。現状の青雷狼では、雷に特化した歴戦の勇士であるガンプドルフには及ばないはずだ。

 そんな敵と出会ったら逃げるしかないのか?

 それができればいいが、できなければ死ぬしかない。だからこそ打開策も考えねばならないし、基礎能力を上げる必要性が出てくるのだ。

 ちなみにこの戦いにおいて、アンシュラオンは何の援助もしていない。

 命気も抜いてあるし、外部から遠隔操作でジュンユウを邪魔立てするつもりもない。


(これはサナ自身で乗り越える壁なんだ。お兄ちゃんは手助けできない。すまない…サナ。お前に強くなってもらいたいんだ。だが、ああ…胸が苦しい。オレのサナがあんなに苦しんでいるのに、手助けできないなんて…!)


 可愛いからこそ、手助けしない。

 期待しているからこそ、強い壁を用意する。

 血の涙をひっそりと心で流し、兄は妹の成長を願う。


(サナ、よく見ていろ。その男はお前のためになる存在だ。学べ。目で見て、身体で受けて覚えるんだ!!)


 人は緩い環境では育たない。若者は苦しい状況でこそ成長を果たすのだ。




「い、イケダさん、これはすごいことになってきましたね!!」

「はい!! ジュンユウ選手の技のキレ、今までで最高かもしれません!! 失礼ながら、これほどとは思っていませんでした!」

「今まで本気ではなかったと!?」

「敵がいなかったことは確かです。彼は強すぎました」

「それは逆に、黒姫選手の実力が本気を引き出させた、ということでしょうか?」

「そうでしょうね。私には見えます。彼の武人としての血が滾っています。燃えています。戦うことに喜びを感じているはずです!」

「なんと! ついにキングが目覚めてしまったのですね!! では、このまま黒姫選手は負けてしまうのでしょうか!? すでに利き腕に傷まで…」

「ふ、ふふふ…」

「い、イケダさん? どうしました!?」


「終わるわけがない。終わるわけが―――ない!!」


「っ!!」

「彼女はいつだって何かを見せてきたんです!! 我々が思ってもみなかったこと、すっかりと忘れてしまった感覚を思い出させてくれました! そんな彼女が、この程度で終わるわけがないんです!!」

「い、イケダさん、まさか!! あなたが黒姫ファンだったとは!!」

「だからなんだっていうんですか! ロリコンだって言われようが何と言われようが、私は信じていますよ!! こんなもんじゃ終わらないんです!! 彼女は普通ではない!! そんなことはわかりきっているんですから!!!」




―――ワァアアアアアアアアアア!!




「そうだぜ! 黒姫ちゃん!! 俺らは信じてるぜえええええええ!」

「ジュンユウなんて、やっちまええええええええええええええ!!」

「K・U・R・O・H・I・M・E!!! クロヒメ!!」




―――ワァアアアアアアアアアア!!




 観客は期待している。

 サナがこんなものでは終わらないと知っている。

 その声に応えるように、サナは再び刀を握る。


「…がぶっ! …ぎゅっぎゅっ!!」


 陣羽織に付いていた紐を引きちぎると、右手と刀の柄を離れないように縛り付ける。

 彼女はアンシュラオンに「刀は道具だ。捨ててもいい」と言われてきたし、ニットロー戦でもしっかりと生かした。

 だが、ここで彼女はあえて刀で戦う意思を示す。

 剣でやられたのだ。剣で返さねば気が済まない、といったところだろうか。

 サナの目にはまだ赤い輝き、強い闘志が宿っていた。




591話 「ジュンユウの壁 その3『教える剣』」


 サナは闘争を放棄しなかった。

 彼女の瞳には、敵と対峙しても怯まない『何か』が宿っていた。

 これが明確な意思かはわからない。怒りを基盤にした生存本能なのかもしれない。

 だが、それでも決死に立ち向かおうとする姿勢は―――【意思】となる。

 ボオオオッ

 サナの体表を強い戦気が覆う。

 アンシュラオンからは何も与えられていない。今は素の彼女とジュエルの力しかない。

 なればこそ紛れもなく、彼女が生み出した【戦う意思】であった。


(まだまだ身体は子供。生体磁気にも限りがある。受けたダメージを思えば戦闘不能になってもおかしくない。それでも立ち向かうのか。彼女の生い立ちなどは知らぬが、この恐ろしいまでの純朴さが偉大なる因子を呼び起こしたのだ)


 その光景を見たジュンユウの心に、熱いものが込み上げる。

 初めは粗野な少女かと思った。戦い方も荒く、冷徹で残忍だ。あまり興味はなかった。

 しかし、そんな彼女は『剣の因子』に愛された。

 グランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉は、そう簡単に起こることではないのだ。それだけで彼女が特別であることを示している。


(やはり剣はいい。剣だけが私を満たしてくれる。だからこそ手は抜かない。すべてを出しきる!!)


 ギギギッ ボゴンッ

 ジュンユウの筋肉が盛り上がる。

 腕に力が漲り、ふくらはぎが大きくなり、フル稼働した心臓から大量の血液が全身に送られる。

 レイオンでさえやっと回避したサナの速度に対応できたのは、彼自身だけの力ではない。ルールに則り、彼も身体強化のジュエルを使っているおかげだ。

 当然ジュエリストではなく、使っているジュエルもせいぜいC級どまりのものだが、彼の身体能力を二割り増しにはできる代物だ。

 それを予備を含めて三つ持参しており、交互に使用している状態にある。(特異能力者を除き、ジュエルの同時発動は通常できない)



 互いが、再び睨み合った。


 ゆらゆら

 ジュンユウが剣を揺らして挑発する。

 が、サナは動かなかった。

 傷の修復に時間をかける腹積もりだろう。


(まだ時間はたっぷり残っている。彼女の一発の怖さを考えれば、そのほうが得策であろうか。それに彼女の突進はすでに見切った。これだけ叩きのめせば学習もしよう。戦いはよほどの差がなければ、あとから攻撃するほうが有利となるものだからな)


 防御側が有利なのは今も昔も変わらない。完璧な防備を固めた砦を落とすのに苦難するのと同じだ。

 また、『攻撃パターン』が読まれていることも痛かった。

 サナはジュエルの力を完全に使いこなしていない。怖いのは突進くらいであり、それも直進しかしないのならば怖くはない。

 打つ手がない以上、今はこうして回復するのがベストの判断である。

 が、それを黙って見ているジュンユウではない。

 ジュンユウがすっと前に出ると、突きを放った。


「…っ!」


 サナは刀を盾にしつつ、後方に回避。

 かろうじて直撃を免れたが、問題はそこではなかった。

 シュンッ!

 剣先が渦を巻くようにしなると、瞬時に加速してサナに襲いかかる。


 シュンッ! シュンッ! シュンッ!


 うなる、うなる、うなる。

 小刻みに放たれた突きは、一撃こそ軽いが―――


 スパッ スパッ!!


 戦気を貫通し、防具を切り裂いていく。

 サナは防御に必死で反撃できない。ずるずると後退していく。


 ここで明らかな変化が起きた。


 ジュンユウが防御主体から【攻撃主体に転化】したのだ。

 彼はたしかに普段から防御主体の戦い方をしているが、攻撃ができないわけではない。

 あくまで試合でのパフォーマンス、賭けの一環としてあのような真似をしているのであり、相手を仕留める技も持ち併せている。

 そして、彼の攻撃がサナの防御を貫いているのは、相変わらず『戦気の揺らぎ』を狙って攻めているからだ。


 シュンッ!! ズブッ!!


 ジュンユウの一撃が、サナの左肩に直撃。

 防御を貫き、骨にまでダメージが浸透する。

 サナは下がるが、ジュンユウはさらに間合いを詰めて突きのラッシュ。


 シュンッ!! ズブッ!!

 シュンッ!! ズブッ!!

 シュンッ!! ズブッ!!


 剣が唸るたびに、確実にサナに手傷を負わせていく。

 すでに彼女の身体は傷だらけ。

 胸骨、左脇腹、右肩、左肩、右手の甲と、満身創痍に近い状態にある。


 シュンッ!! ズブッ!!

 シュンッ!! ズブッ!!

 シュンッ!! ズブッ!!


 さらに腕、胸、太もも。

 少しでも戦気に揺らぎがあれば、そこを徹底的に攻められる。

 もともとサナは戦気の集中と維持が苦手だ。揺らぎが生まれるのは仕方がない。

 それでも彼女は耐え続けた。

 何度攻撃されてもギリギリのところで踏ん張り、驚異の粘りを見せる。

 それどころか「目で反撃」さえする。


「…じー」

「っ…!」


 サナの視線にジュンユウが気圧され、思わず数歩下がった。


(これが怖い。彼女の瞳は、常に私を倒そうと狙っているのだ。だからあと一歩が踏み出せない)


 ジュンユウが仕留めきれない理由の一つが、これである。

 一方的に攻めているように見えても、実は『あと一歩』が足りていない。

 本当の致命傷を与えるには、もう一歩踏み出して必殺の一撃を繰り出す必要があるのだが、相手もそれを狙っているような視線を見せる。

 ここでジュンユウにも弱点があることがわかった。

 彼の本質は、やはり防御主体なのだ。いや、それを強要されてきたから、そうするしかなかった。勝つことしか許されなかったからだ。


(地下に自由などは存在しない。どんなに物が送られてきても、所詮は監獄にすぎない。そして今は、この狭いリングが私の世界そのもの。そこで勝ち続けるためには、この戦い方が一番なのだ。それは正しい。間違ってはいない。間違っては…いない。いない…が、それは私にとっての望みだったのか? こんな私は剣に愛されているのだろうか?)


 彼にとって剣に愛されるとは、剣の因子が覚醒することを示している。

 地下に来てから無敗のキングにはなったが、それで何か変化があったのだろうか。


(なぜ、私にグランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉が起こらない? あんな刀の握りさえ知らないような彼女に舞い降りて、日々剣を振るっている私には、どうして偉大なる剣聖は微笑んでくださらない? なぜだ。なぜだ。なぜだ)


 サナにグランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉が発生した時、彼の心の中は驚愕と羨望で一杯だった。

 ずっと忘れていた不満の感情と欲求が、急激に刺激されていく。

 何のために生きているのか。何のために剣を振るうのか。武人として完成することを願っていたのではないのか。

 剣を愛している。だから剣にも愛されたいのだ。


 対戦してみたい。


 その時に、決めていた。

 アンシュラオンの思惑など彼にはどうでもよかった。単純にジュンユウは、サナとの戦いを望んでいたのだ。


(知りたい。あなたに何があるのか! あなたの何が偉大なる因子を引き寄せるのか!! それを知りたい!!!)



―――ザッ!!!



 一歩、出る。


(彼女は自らを追い込んで因子に愛された!! そこに秘訣があるのか! ならば私も!!)


 答えを知りたくて、ジュンユウが必殺の間合いに踏み込む。

 ぼおおっ ゆらっ

 サナの戦気には、やはり揺らぎがある。隠そうとしているが、鍛錬を重ねた自分にはどうしても見えてしまう。

 見えてしまうのだから、相手の弱い場所を攻めるのが道理。反射。習慣。


 シュンッ ズブウウウウッ!!


 ジュンユウの鋭い一撃が、サナの右腕に突き刺さった。

 重傷を負った左側に戦気を集中させるのは致し方のないことだ。そこを攻められれば致命傷である。

 かといってそうすれば、右側がおろそかになって攻撃力を削がれる。

 肩と利き手に引き続き、腕までも失えば完全に無力化されて勝負は終わる。


(勝ってしまう!! 私はそれでいいのか!?)


 『勝ってしまう』とは、なかなか不思議な感情であるが、彼が求めているのは勝利以上の何かである。

 そうした感情が思わず浮かんでしまうことも、人間の面白さというものだろう。




 がしかし、それはあまりに『なめすぎ』だ。




 サナの赤い目に―――殺気


 ぐっ!!

 剣が右腕に突き刺さるのを待っていたかのように、サナが左手で日本刀の棟を押し出す。

 日本刀の柄はサナの右手に固定されているため、梃子の原理でジュンユウの剣を押しのけながら―――加速。


「なっ!!」


 ガリリリッ! ぐらっ!


 それによって剣が外側に流され、押し出される形で完全に体勢が崩れてしまう。

 もしここでジュンユウが剣を手放していれば、かろうじて回避が可能だっただろう。

 が、生粋の剣士である彼にそのような習慣はなかった。



―――激突



 ドーーーーーンッ!! ごろごろごろっ



 とりあえず当たればいいと突っ込んだため、頭部ごとジュンユウの身体に激突。

 その衝撃によって両者はリングの中央にまで吹っ飛び、床に崩れ落ちる。

 これはサナ自身にも大きなダメージがあった。

 腕に剣が突き刺さっていたところを強引に動いたため、右腕がぱっくりと引き裂かれて骨が露出するほどの大怪我となった。

 左肩も砕け、首にも強い圧力がかかって頚椎捻挫を負ってしまう。

 相変わらず、まっすぐ全力である。遠慮などまったくない。

 がしかし、不意打ちを受けた相手のほうがダメージは大きかった。


「ぐううっ!!」


 右脇に突っ込まれたジュンユウの肋骨が、粉々に砕けた。

 呼吸が苦しく、若干の眩暈もする。

 防御主体だからといって防御力が高いわけではない。

 むしろ身体的に防御が脆いからこそ、防御主体で戦うしかないのである。

 そこにジュエルの力で強化された人間が突っ込んでくれば、重傷を負うのは至極当然だろう。


(馬鹿な…あそこから玉砕覚悟で…! いや、これはわかっていたことだ。私はどこかで期待していた。彼女ならば何かやってくると。何かをしてくれると。ふふ、おかしなものだ。床に転がりながら、こんなことを考えるとはな)


 思わず、ジュンユウは笑っていた。

 この少女ならば何かやる。そんな期待感があった。

 そして、実際にやってのけた。


(私が戦気の揺らぎを狙っていることに気づいた。だから意図的に攻撃を誘発させたのだ。こんな初歩的な罠にかかるとはな。ふふふっ…)


 わざと隙を見せて相手の攻撃を誘発し、反撃の一撃を与える。

 戦いでは常套手段であり、さして珍しいものではない。

 だが、それをここまで劣勢に陥った少女がやるとは思わなかった。その点は完全になめきっていたのだ。


 彼女はこの戦い方を、【戦闘中に覚えた】のだから。


 戦気の集中さえ満足にできない少女が、それを逆手に取る戦法を選んだ。

 逆に考えれば、意図的に弱い箇所を生み出すすべを身に付けたことを意味する。




「ダウン!!! 両者、ダウン!!」


 二人が完全に倒れたため、レフェリーが割って入ろうとするも―――


「来るな!!」


 砕けた右脇を押さえながら、ジュンユウがレフェリーを一喝。


「え…?」

「下がっていろ!!」

「い、いや、だが…ダウン……」

「この勝負に、そんなものはない!! 互いの剣をかけた勝負の結末は、我々自身が決める!!」

「あ……え?」

「聞こえなかったのか! 下がれ!」

「は、はい!!」


 むくりとジュンユウが立ち上がって睨みつけるものだから、怖がったレフェリーは下がってしまった。

 彼は単に職務に忠実であろうとしただけなので、本当にただのとばっちりだ。

 キングだからといって審判を退ける権力はない。あくまで選手の一人でしかない。

 しかし、この戦いを誰にも邪魔されたくなかったのだ。


「さあ、立ちなさい。あなたもまだ戦う意思があるはずだ!」


 ぐぐ むくり

 ゆっくり、ゆっくり、それでも最速でサナが立ち上がってくる。

 ぎろり

 目には、まだあの鋭い輝きが残っていた。


「…ふーー、ふーーー!」


 サナは練気で回復に努めているが、ダメージは大きい。

 発せられる戦気も揺らぎが多く、満身創痍の状況は変わっていない。

 されど、そんな中でも微細な変化をジュンユウは見て取った。


(戦気の質が…上がっている?)


 ゆらゆらといまだ不安定であるが、それが時折ぎゅっと引き締まることがあるのだ。


「…じー」


(私の戦気の動きを見ている? 真似をしようというのか?)


 こうしてダメージを負った際、ジュンユウも練気によって回復を図っている。

 その時の戦気の動き、収縮度、密度といったものを、じっと観察して真似ようとしているらしい。

 普通ならば簡単に真似などできないが、彼女は【特別】だった。


 ゆらゆら ぎゅぎゅっ!! ボシュッ!!


 戦気が一段、濃縮されたように濃くなった。

 戦気の段階は無数にあり、天にまで続く頂のわずか一歩を上がったにすぎないが、その速度があまりに異常であった。


 サナは―――ジュンユウの能力をコピーしている


 彼女の特異な体質は、魔人であるアンシュラオンと接触して生まれたものである。

 初めて生まれた自我、まっさらな赤ん坊が、周囲のものを手当たり次第に認識し、知覚し、受け入れようとする習性と同じだ。



(この少女は―――【天才】だ)



 そこで初めてジュンユウは理解した。


(間違いない。戦いのセンスが違う。まだまだ粗ばかりが目立つが…なんという原石なのだ。剣の女神よ。今この瞬間、あなたの意思を感じました。『私が』彼女に会ったのではない。彼女が『私に』出会ったのだ)


 自分の視点から見れば、サナが現れたように見える。

 しかし、違うのだ。そうではない。

 彼女の前に、自分という存在が【置かれた】のである。

 それに気づいた瞬間、すべての霧が晴れた気がした。



「…いくぞ!」


 ジュンユウがすっと剣を構え、戦気が弱い場所を狙って突きを放つ。

 サナは戦気を集中させて攻撃を防ぐ。

 ジュンユウは、それを見越して素早く剣を切り返すと、さらに弱い場所を狙って攻撃。

 サナはそれに対応。即座に戦気を集中させると攻撃を防ぐ。

 それを数度繰り返すうちに、サナにも少し余裕が出てきたのか、刀を動かして切り払うようになっていった。

 右腕はボロボロなので、両手で柄を握って懸命に剣を振る。


 シュンッ キンッ!!

 シュンッ キンッ!!

 シュンッ キンッ!!


 ジュンユウも肋骨が砕けているので剣の振りは数段遅くなっていた。

 それによって、かろうじて均衡が生まれているにすぎない。

 ただし、ここで明らかな変化が生まれたことに気づいた者が、はたしてどれだけいるのだろうか。

 ジュンユウは依然として的確に攻撃を続けている。常にサナの弱い部分を狙っている。

 そこに遠慮も手加減もない。全力で叩こうとしている。


 されど同時に【導こう】としている。


 執拗に攻めながらも殺意はまったくない。むしろ剣筋からは愛情さえ感じさせる。

 まるで彼女に弱点を教えるために、あえてそうしている【教師】のように。

 サナは傷つきながらも、徐々に戦気の動きが滑らかになっていく。

 一つの実戦は万の練習に勝る。

 それを体現するごとく、彼女は急速に戦気の集中力が増していった。




―――シィイイイインッ




 それに対して観客は、とても静かだった。

 足音一つ、叫び声一つしない。

 しらけているのではない。

 その光景に、すべての観客が【魅了】されているのだ。


 シュンッ キンッ!!

 シュンッ キンッ!!

 シュンッ キンッ!!


 鳴るのは、互いの剣がぶつかる音だけ。

 そして、そのたびに急激に成長していく少女。

 満身創痍なのに、なぜか動きだけが良くなっていく彼女に、誰もが視線を外せないのだ。




592話 「ジュンユウの壁 その4『最後の差』」


 サナの動きが良くなっていく。

 特に戦気の動きが滑らかになり、集中すべきところに迅速に集まり、一つ一つの精度が劇的に高まる。

 戦気はすべての能力を向上させ、補佐し、保護する重要な要素だ。

 身体的ダメージは相当なものにもかかわらず、それによって足捌きも機敏となり、ジュンユウの細かい動きにも対応ができるようになっていた。

 しっかりと振らねばならない日本刀で、レイピアのような細剣に対応できている現状を考えれば、よほどの集中力がなければできないことである。


(なんと…美しい)


 そのサナの姿に、ジュンユウの心が熱く奮える。

 自分が教えようとしていたことを次々と理解し、一切の拒絶なくすべてを受容して己のものとしてしまう。

 教師としては、これほど嬉しいことはないだろう。


(今にして理解した。なぜ『彼』が、この少女に執着しているのか。楽しいからだ。心から与えたいと思ってしまうからだ。この原石は、あれだけの存在すら魅了してしまうのか)


 彼女の成長を見ているだけで楽しくなっていく。自分のすべてを与えても何ら後悔しないと思えてくる。

 こうしてサナと対峙することで、アンシュラオンの気持ちが理解できた。


(おそらく数年後…いや、数ヵ月後には、私程度ではけっして手の届かない存在になっているだろう。それでいい。私はそれで十分だ。今この瞬間、彼女のためになるのならば、私の人生はそれだけで価値があったのだ)


 今まで自分のために戦い、打ち勝ち、強くなることに熱中していた男が、今初めて相手の成長を心から願っていた。

 自分より遥かに優れた逸材の存在を認めたからこそ、心からそう思えるのである。


「で、あれば!!」


 ジュンユウは攻撃をやめると、大きく間合いを取る。

 そして、万全の態勢で構えた。



「最大の力で打ち砕いてみよ!!」



 彼女はまだ打ち勝っていない。防御主体の武人である自分の本領を打ち倒していない。

 本気で戦えるのは、これが最初で最後。成長率を考えれば、すぐに対等ではなくなる。

 その前に最大の敵の一人として立ち塞がりたい。

 今後本当の強敵と出会った時、この体験が役に立つために全力で立ち塞がるのだ。


「…こくり」


 サナにもジュンユウの熱い感情が伝わったのか、刀を構えて攻撃の機会をうかがう。

 このまま時間が過ぎれば敗北は必至。判定でも負けるし、体力が尽きて自滅して終わりだろう。

 その前に戦いを決めねばならない。

 現状では、全力の攻撃ができるのは一回か二回が限界だろう。

 これが最後の勝負である。



 ぐっ!



 サナが刀を強く握り、足に力を入れる。


(くる!)


 戦気術に関してはジュンユウが上。

 成長しているとはいえ、まだまだ練度の低いサナでは隠蔽することはできない。

 動くタイミングまで完全に把握される。



―――加速



 予想通り、サナが雷光の速度で突っ込んできた。

 彼女にできることは、急加速からの攻撃。

 身体能力で劣る子供が頼るのは、やはりジュエルの力であった。


(今までの彼女の戦い方を見れば、このまま突っ込むほど無能ではない。で、あれば―――)



―――ピタ



 サナが途中で急ブレーキ。

 一度完全に止まる。

 レイオン戦でもやったタイミングを外す技だ。

 ここから急加速されると、たいていの人間は対応することが不可能となる。


(それは一度見ている! タイミングは外さぬ!!)


 しかしながら、ジュンユウはレイオン戦を見ていた。

 彼女がこれをやってくることを予期していたため、騙されずに体勢は崩していない。

 簡単にやっているように見えて、これはかなりの高等技術だ。

 剛速球のあるピッチャーに対して、チェンジアップを意識しながら実際に対応するのと同じくらい難しい。

 これもジュンユウの努力の賜物といえる。


 ぐぐぐっ!!


 サナの足に再び力が入り、急加速の準備。


(やはりな!! そこだ!!)


 ジュンユウがタイミングを合わせて剣を突き出す。

 ここでも遠慮はしない。狙うは眉間だ。

 本気で相手を殺すつもりで戦わねば、けっして彼女のためにはならない。

 武人の本能に従い、本気で一撃を繰り出した。


 ぎゅんっ!!


 サナが加速。


 シュンッ!


 ジュンユウが剣を突き出す。


 互いがぶつかれば、どちらかが砕けるような状況。

 その一瞬に誰もが注目していたが―――



 スカッ



 ジュンユウの剣が、空を切った。

 剣は、サナには当たらなかった。

 否。

 正しく述べれば、サナが【違う方向】に突っ込んでいったのだ。

 そして、激突。


 ドーーーンッ!


 突然斜めに軌道を変えたサナは、リングの端にまで突っ込んで障壁に激突。

 一瞬ぐらりと傾くが、気を取り直して再度こちらに向いた。


「…じー」


 視線はジュンユウではなく、軌道を変えた地点、床に向けられている。

 何かが気に入らなかったのか、サナは何度か足を動かして首を傾げていた。

 見方によれば、策を見破られたサナが『逃げた』ように見える。

 外部からは咄嗟に緊急回避をして壁に当たったと見えるだろうし、実際に観客もそう思っているに違いない。

 だが、対峙しているジュンユウの表情は、明らかに凍り付いていた。


(今、何をしようとしていた? あの動き方、ただのストップアンドゴーではない。まさか…彼女がやろうとしていることは…)


 ジュンユウは意図に気づいたが、すでに相手は再突進の準備に入っていた。

 考える間もなく、サナが突っ込んでくる。



 ギュンッ!!

 サナが加速。


 ピタッ

 止まる。


 ギュンッ!!

 再度加速。


 シュン!

 ジュンユウがタイミングを合わせて、剣を突き出す。


 スカッ

 サナが違う方向に行ったため剣は空を切る。



 ギュンッ!!

 ピタッ

 ギュンッ!!

 シュン!

 スカッ


 ギュンッ!!

 ピタッ

 ギュンッ!!

 シュン!

 スカッ



 このやり取りが数度繰り返されるわけだが、そのたびに少しずつ変化が起きていた。

 サナが徐々に、ジュンユウに近づいてきているのだ。

 一度ストップしてから加速する。これは今までできていたが、タイミングを外せなければ恰好の的になるだけだ。

 そして、ジュンユウはそれができる武人である。

 防御特化でカウンターが得意な、言ってしまえば彼女の天敵のような相手である。

 その彼を打開するためにはどうするか。

 戦気術では劣っている。いくらがんばってもすぐには追いつけない。

 剣技、技量においても負けている以上、同じ土俵では勝ち目がない。

 となれば、答えは一つしかなかった。


 ギュンッ ぴたっ


 真っ直ぐに加速したサナが一度止まる。


 ギュンッ!


 それから再加速したサナは、一度斜めに軌道を変えると同時に―――


 ギュギュンッ!!


 さらに角度を変えて【ジグザクに移動しながら】突進。


 ギュギュンッ!!

 ギュギュンッ!!


 高速で軌道を変えて襲いかかってきた。

 さらに途中、何度か障壁にぶち当たりながらも、ピンボールのように跳ね返り、一切速度を落とさずにリングの上を駆け回っている。


(この動きは…読めん!!)


 これにはジュンユウも困惑。

 サナの動きが未熟ゆえに軌道が一定ではなく、完全に無秩序に変化して向かってくるのだ。

 これではカウンターどころではない。逃げるのが精一杯。

 ジュンユウは迎撃を諦めて回避。


 ギュンッッ! ブワッ!!


 次の瞬間、サナが雷光の速度で通り過ぎていった。

 その風圧でジュンユウの髪の毛が舞い上がる。


 じわり


 額に汗が滲んだ。

 もし彼女が今、通り際に刀を振るっていたら、そのまま自分は真っ二つにされていただろう。

 サナがやろうとしていることは、高速直線攻撃であることには変わらない。


 だが、一番の違いは―――【高速で角度を変えて攻撃】する点にある。


 ただ真っ直ぐでは簡単に対応されてしまうため、角度を変えながら相手の死角に回り込むという【移動術】を模索しているのだ。

 明らかに事前に用意されたプランではない。この戦闘中に思いついたものであろう。

 それをぶっつけ本番で【練習】するあたり、実にサナらしいといえる。



「ふふ…ふふふ」


 ジュンユウは笑う。

 とんでもないことを考える少女だ、と。

 それができるのならば誰でもやっている。できないからこそ高等技術なのだ、と。

 されど目の前の少女は、何の迷いもなく実行しようとしている。

 正で勝てぬのならば、奇をもって勝つ。秩序には圧倒的な無秩序で対抗する。

 まさにアンシュラオンの妹に相応しい戦い方である。


「それがあなたが出した答えか。よかろう!! 全力で迎えさせてもらう!!」


 ボオオオッ

 サナの狙いを察したジュンユウは、残っていた力を戦気に変え、すべてを身体強化に回した。

 あの動きについていくためには、もはや後先を考えている余裕はない。


「…ぐっ」


 ボオオッ バチバチバチッ

 サナもここが勝負所だと理解したのだろう。

 身体中に満ちた雷気で髪の毛が逆立つほど、すべての力を集めている。



 最初に動いたのは、サナだった。



 受動的な精神性とは正反対に、彼女は能動的な戦いを好む。

 刀の性質も踏まえ、それが自分の最大の持ち味だと理解しているのだろう。

 サナが雷光の速度で突進。ジュンユウの眼前に迫る。


 ぐぐぐっ バンッ!!


 だがしかし、そこから速度を変えずに―――急旋回


 加速、旋回。

 加速、旋回。

 加速、旋回。


 ぐぐぐっ バンッ!!

 ぐぐぐっ バンッ!!

 ぐぐぐっ バンッ!!


 サナがリングの上を縦横無尽に駆け回っていく。

 常人では目で追うこともできないし、レイオンでさえ速度が一瞬だけ落ちる瞬間しか捉えることはできないほどだった。

 外から見てこれなのだ。対峙している人間ならばパニックに陥るはずである。

 がしかし、ジュンユウは落ち着いていた。


 ブオオオンッ


 彼の身体の周囲には、剣気による結界が張られていた。

 『心眼』と呼ばれる防御系の技で、アンシュラオンが使う無限抱擁に近いものだ。

 まだまだジュンユウのものは未熟であるが、実戦で鍛えられたため練度が高い。

 これならば結界内に入った、あらゆるものを探知することができるに違いない。


 グググバンっ!! グググバンッ!!


 サナは角度を変えつつ、高速でジュンユウに迫っていく。

 そしてついに、彼の間合いにまで侵入。


(まだまだ甘い! 付け焼刃では通じぬ!)


 ジュンユウの目がカッと見開かれ、完全に標的を捉える。

 サナの動きには『弱点』があった。

 これだけの速度で一気に方向を変えるのだ。

 F1のレーシングマシンが時速三百キロで走っても、ヘアピンでは急減速するように、どうしても角度を変える際は動きが鈍る。

 むしろ余計な移動が多くなれば体力の消耗が著しくなるし、動きを何度も見せれば嫌でも目が慣れてしまう。

 それを見逃すほどジュンユウは甘くはなかった。


「そこっ!!」


 完璧なタイミングでサナの眉間に剣を伸ばす。

 サナは加速状態に陥っているので、もうかわすことはできない。


 ズンッ!!!


 右脇が壊れていても、日々の鍛錬は嘘をつかない。

 流れるような一撃が炸裂する。

 ジュンユウも、目では結果をしっかりと確認していた。

 あくまで肉眼においては。


(入った!! だが、これは―――軽い!?)


 ジュンユウの剣が、サナの眉間に突き刺さっている―――ように見える。

 しかし、剣はたしかに刺さっているはずなのに、手応えがまるでない。

 それもそのはず。



 これは―――【残像】



 サナはすでに、その場にはいなかったのだ。

 残像が消えると同時に、左下から音が聴こえた。

 ブチブチブチッ

 何かが千切れる音。弾け飛ぶ音。

 サナが高速突進中に【突如直角に急移動】したため、足の靭帯が耐えきれなくなって切断された音である。

 そう、彼女は左足を犠牲にして、衝突する瞬間に軌道を変化させていたのだ。

 そうしてジュンユウの死角に回り込んでいた。


(この速度で…!!! この『距離間』でそれをやるのか!!)


 軽いジャブならば、軌道を変えるくらいは簡単だろう。

 だが、渾身のストレートパンチを放っている時に違う力をかけることは、極めて危険である。

 実際にサナの左足首は、急激な軌道変化によって骨折している。

 そしてさらに右足も犠牲にして、ジュンユウの眼前で急加速。



 その動きは―――まさに【雷】!!!



 斜めに真横に垂直に、一瞬で無限に変化する稲光。

 それを同レベル帯の人間の反射神経で対応することは、事実上不可能である。


 ブンッ!!!


 完全に自分の間合いに入ったサナが、刀を振るう。

 ジュンユウも強引に剣を動かそうとして対応しようとするが、間に合わない。




 ドバーーーンッ!!




「―――っ!!!」



 サナの一刀が振り払われ、ジュンユウが弾き飛ばされる。

 左腕は完全にへし折れ、衝撃が胸にまで到達。肋骨が粉々に砕け散る。

 右脇に引き続き、左脇まで駄目になるという深刻なダメージを負ってしまう。


「ごぼっ…げぼっ…」


 激しく内臓を損傷したためか床に倒れたジュンユウは、大量の血液を吐き出す。

 だが、まだ目は死んでいなかった。


(あと一歩…ずれていれば……真っ二つだった。命拾い…したのか)


 ジュンユウのダメージは衝撃によるものが大半であり、斬撃による裂傷や切断はなかった。

 これはサナが刀身の根元の部分を強打したからだが、べつに手加減をしたわけではない。単純に近距離で急加速したので、間合いが狂ったせいである。

 もし『刀の芯』の部分で斬られていたら、今頃は完全にお陀仏だったに違いない。


「がはっ…はーーはーーー!! ふふ、はははは!! 楽しい…なあああ!! そうだ。私はこれを求めていたのだ…! この戦いを…! 魂が焦げ付くような戦いを!!」


 ジュンユウは立ち上がる。

 練気さえまともにできない状況でも、武人としての闘争本能が刺激されていく。

 逆に力が漲るような不思議な現象を感じていた。


「…ふーー、ふーー!」


 サナも足を引きずりながらも、まだ刀を構えていた。

 互いに闘争本能は衰えていない。

 これが武人。これが武人同士の戦い。



「これが本当に…最後だ」


 ジュンユウが剣を構える。

 もう右手がぶるぶると震え、身体も曲がって老人のような姿勢だが、それでも戦う意思はめげない。


「…ふーー!! ふーーー!!!」


 サナは当然、靭帯が切れていようが、全力で突っ込む。

 へし折れた足でさえ、地面に叩きつけて加速!!!


 ドンッ!! ギュンッ!!


 ダメージも深刻で今までのキレはないが、ジュンユウにしてみれば高速であることは変わらない。

 そこにジュンユウは、カウンターで剣を突き出す。


 ググッバンッ!! スカッ!


 サナは軌道を変化させて間合いを外すと、その一撃を回避。

 次の瞬間には、逆にカウンターで刀を振るう。


 ブーーーンッ!! ガギイイッ!!


 サナの一撃が、ジュンユウの剣に食い込み―――


 バキンッ!!


 へし折った。


(剣が…!! 私の誇りが…!!)


 死に体に加えて武器の重さが違うため、真正面から当たればこうなるのは道理である。

 今まではジュンユウが剣気で強化し、上手く捌いていたからこそ渡り合えたのだ。

 だが今、もう彼にその力はなかった。攻撃を捌くだけの腕力がない。

 ここで差が出たのは、ジュエルの質が違いすぎたからだ。

 サナのためにアンシュラオンが用意した極上ジュエルと、そこらのジュエルとではあまりに違いすぎる。

 かわいそうだが与えられたものが違うのだ。才能も道具も。だからこれは仕方がない。


「…!」


 サナもここが勝機と悟ったようだ。

 最後の力を振り絞って、ジュンユウに刀を振るう。


(私の…負けか。全力を尽くした。後悔はない)


 サナという逸材に出会い、そのために尽力できたことが幸せだった。

 自分と戦ったことで彼女の戦気術の向上も見られた。試合前と比べれば別人である。

 もうそれだけで満足。ここで死んでもいい。役割は終わった。

 そう思った瞬間、心の中に【静寂】が生まれた。



―――シィイイインッ



 静かな場所だった。

 意識が朦朧としているため、よく周りは見えなかった。

 ただただ黒い空間だけが満ちており、自分と他の区別がつかないほどだ。



―――〈剣を伸ばして〉



 声がした。

 目は見えないので、誰が語っているのかわからない。

 だがおそらく、若い男性の声だろう。



―――〈あなたがやってきたことを貫きなさい〉



 女性の声がした。

 凛としていて、聴くだけで背筋が伸びそうな強い声だ。



―――〈流した汗と涙はけっして無駄にはならぬ〉



 年老いた男性の声がした。

 長い年月で培った深みが宿った、とても力強く優しい声だ。



―――〈さあ、愛するのです。愛すれば剣が応えます〉



 男性か女性かわからない中性的な声がした。

 聴くだけで感涙してしまいそうな偉大な愛が、そこには宿っていた。



(ああ、そうだ。私は…剣を…振らねば。愛している…から)


 ジュンユウは、いつもそうしているように剣を伸ばした。

 私利私欲はまったくなかった。

 高校球児が、目標に向かって必死に素振りをするように。

 世間ではまったく評価されないレベルであっても、大会で良い結果が得られるように。

 自分が自分であるために。

 ただただ剣士が剣士であるがために。



 折れた剣を―――伸ばす



 当然、折れているので剣はサナには届かない。

 だが、彼の意思だけは暗闇の中に『白い道筋』を生み出した。


 剣が―――伸びる


 折れた箇所から剣気によって生み出された『剣硬気』が、足りない五十センチという隙間を埋める。



 ゴーーーーンッ!!



「―――っ!?」



 サナの頭の中に鐘を叩いたような音が響いた。

 同時に、視界が揺らぐ。

 脳が揺られ、急速に意識が遠のいていく。

 これが普段の状態ならば耐えることができたかもしれない。

 だが今、彼女は満身創痍。

 ジュエルの力を使っても立っていることすらやっと。剣を一回振るのが精一杯。

 そんな状態で頭に一撃を受ければ―――



―――ぶちんっ



 意識が、切れた。


 ドンッ ずるる


 そして、ジュンユウに身体からぶつかると、そのまま力なく床に倒れ込んだ。



 彼女がこの試合中、立ち上がってくることはもうなかった。



 ただただ時間だけが過ぎる。



「………」


 ジュンユウは折れた剣先を支えにしながら、かろうじて立ち、倒れたサナを見つめていた。

 その目は、まだ状況を理解していないようでもあった。



 が、決着は決着。





「勝者、キング・ジュンユウ!!!!」





 ジュンユウが勝ち、サナの負けが決まった。





593話 「大会の仕様」


「………」


 少女の傍には、一人の剣士がいた。

 剣を折られ、絶体絶命にまで追い詰められた彼は、奇跡的に勝つことができた。

 だがおそらく、そのことには何の喜びも感じていないはずだ。

 剣士はかしずき、倒れた少女を静かに仰向けにすると、自身の折れた剣を胸に押し当て、祈るような仕草を取った。

 多くの者たちは何かわからなかったが、これは【騎士の宣誓】だった。

 各国各地方によってさまざまなやり方が存在するが、その内容はどれも同じ。

 『自らの剣を捧げる』ことを誓う儀式である。

 騎士が主君に捧げる忠誠であり、何があってもその人物に対して剣を向けることなく、命ある限り守る存在となることを誓う神聖な振る舞いだ。

 なぜ彼がこのようなことをしたのかはわからないが、ここが地下であることを忘れさせるほどに厳かであった。




 誰もが動けなかった。




 胸がドキドキする。締め付けられるように痛む。

 つらい気持ちではない。哀しい気分ではない。

 心の奥底から何かが込み上げるような、湧き出るような強い感情の波が人々に迫っているのだ。


「うう…」


 何人かはその感情の波に耐えきれず、呻き、涙を流してもいる。

 自分の胸に手を押し当て、なぜ自分が泣いているのかを考える。

 そして、知る。



 これは―――【感動】



 なのだと。

 ここにいる者たちの多くは闘技場の戦いを見慣れている。今まで何百といった戦いを見ているし、批評することも大好きだ。

 金がかかっている以上、負けたらボロクソに野次ることも珍しくはない。

 そんな彼らが、ただただ純粋に起こった出来事を食い入るように見つめ、心が揺さぶられている。

 苦しい。

 たまらない。

 感情が高ぶり、身体を揺さぶり、そのエネルギーが自然と手に伝達する。


 バチンッ!!!


 誰かが自らの手と手を、強くぶつけた。

 あまりに強く叩いたので、ジーーンと手が痺れてしまったが、それでもこの感情を止めることはできなかった。


 バチンッ! バチンッ!!


 手を、叩く。

 その音は、周囲の者たちを刺激し、伝播していく。



 バチンッ! バチンッ! バチンッ!!

 バチバチ バチバチ バチバチッ!!!

 バチバチバチ! バチバチバチッ!!!


 バチバチバチ! バチバチバチッ!!!

 バチバチバチ! バチバチバチッ!!!

 バチバチバチ! バチバチバチッ!!!


 バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!! バチバチバチ! バチバチバチッ!!!



 人によっては、なんとも汚い音に聴こえるかもしれない。

 それもそのはず。

 いい歳をしたオッサンたちが涙を流しながら、ただ夢中になって手を叩いているのだ。

 猿山の何十匹の猿たちが、一斉に手を叩く光景を想像してみるといい。今起こっていることも、それと大差はない。


 がしかし―――美しい


 人には心がある。心があるから美しい。

 人生の敗残者、落伍者と言われた者たちでさえ、心からの拍手は美しいのだ。

 それが波となって、渦となって、輝きとなって、【一人の少女】に注がれている。

 彼女の戦いが、懸命な戦いが、この場にいる人間を魅了したのだ。



 バチバチと強い拍手が鳴り響く中、アンシュラオンはサナのもとに向かう。

 自分が近づいても、ジュンユウはかしずいたままだった。頭を垂れたままサナの傍にいる。

 まるで動けないサナを守るかのように。


「あとはオレが引き継ぐよ」

「………」


 その言葉に、ようやくジュンユウは場を譲った。


「とても価値のある戦いだった。せめてもの礼だ。よければ傷を治そう」


 敵側の人間を癒すのは、自分からすれば最大限の敬意を示したことになる。

 ジュンユウの振る舞い、サナへの貢献度、どれを取っても文句はなかった。

 ただ、剣士は首を横に振る。


「不要。すべてが美しい」


 この痛みを噛み締めていたかったからだ。忘れたくなかったからだ。

 そこに武人として、剣士として、人間としての心意気を感じてならない。


「…そうか。ありがとう」


 一言だけ礼を述べ、アンシュラオンはサナをおぶってリングから降りた。


 つつ ぽとっ


 頬を温かいものが通り過ぎ、床に落ちる。

 気づけば、自分も涙を流していた。


(サナ…お前はすごいな。本当にすごい)


 一生懸命に戦った妹に対する賞賛もあるが、それ以上に『尊敬』の感情すら込み上げている。


(オレに従う人間がいるのは、力を怖れているからだ。力に魅了されるからだ。だから常に勝たねばならない。負けてはいけない。しかしお前は負けても人々を支配できるんだな。それがどれだけすごいことか…まだわからないだろう)


 モヒカン然り、戦罪者たち然り、力によって支配できる者たちは多いが、一度でも負けたら終わりの世界でもある。

 だがサナは、生き方そのもので人々を味方にすることができる。


 愛は、暴力を超える。


 女神が持つ女性的なエネルギーである愛は、男性的なパワーを超える。

 愛がすべての根幹だからだ。すべてのものは愛によって生まれ、愛によって結び付けられる。

 愛は、敵さえも味方にしてしまう。

 ジュンユウはマングラスにいるが、彼がサナに敵対することは永遠にないだろう。それどころかこちらの味方になるに違いない。

 これは自分には無い資質である。


(オレがお前に足りないものを与えるように、オレもお前から足りないものをもらっているんだな。心から思う。オレたちは本当の兄と妹なんだってね。血ではなく、魂で繋がっているんだ)


 胸に熱いものが込み上げながら、ボロボロになったサナを控え室に連れて帰る。

 ただただ彼女への愛だけが心の中を満たしていた。




「…イケダさん」

「………」

「そ、総評をお願いいたします」

「ええ…そうでしたね。あまりのことに…上手く頭が回らないでいます。言葉にすることが非礼で不適切に感じるほどです」

「その気持ち、わかります。観客の顔を見れば、誰もが同じ気持ちだとわかりますね」

「負けた者がここまでの感動を与えることなど、今まであったでしょうか? もはや勝ち負けを超えた戦いだといえるでしょう」

「最後は何が起こったのでしょう?」

「折れたジュンユウ選手の剣が伸びました。あれは『剣硬気』と呼ばれる剣王技だと記憶しております。達人になれば一メートルは伸ばせるという、極めて高度な剣術です」

「ジュンユウ選手の切り札、といったところでしょうか?」

「かもしれませんが…計算して使ったようには見えませんでした。咄嗟に出たものなのでしょう」

「剣気で生み出したものならば突き刺さるのでは? 黒姫選手の額は無事のようですが…」

「ジュンユウ選手が万全ではなかったこともあります。伸ばすだけで精一杯だったのでしょう。あるいは反射的に刃を消して衝撃だけを与えたのかもしれません」

「加減をしたと?」

「もともと殺し合いではありませんからね。真実はわかりませんが、キングの壁は厚かった、ということです」

「これは経験の差でしょうか?」

「その通りです。努力は嘘をつきません。大きな結果を出すために小さな結果を積み重ねるのです。それがほんのわずかの差となるわけですが、それによって勝敗が決まってしまうのが戦いです」

「逆に考えますと、黒姫選手の伸びしろは凄まじいといえますね」

「はい。驚異的です。将来のことを考えるだけで期待で胸が膨らみます。彼女の戦いを見られるのならば、全財産を払っても惜しくありません」

「倹約家のイケダさんにそこまで言わせるとは! 本当にすごい少女ですね!」

「ただ、結果は結果。今後の彼女の課題は、最後の一瞬をどう詰めるかです。足の怪我をおして猛攻を仕掛けたことは見事ですが、最後は集中力を欠いたように見えました。そこはまだ子供。まだまだこれからです」

「なるほど。今後も期待ということですね。しかし、怪我は気になりますね。次のジングラス戦がまもなく始まりますが、そこはどうでしょう?」

「試合のシステム上、不利になるのは仕方ありません。そこをやりくりするのが団体戦の見所でもあります。個人的には無理をしてほしくはありませんが、どうするかはまだわかりませんね」

「怪我というと、ジュンユウ選手もかなり危険ですよね?」

「…はい。これは非常に痛いと思います。キングの代役は存在しませんからね。マングラスもラングラスには勝ちましたが、上位進出はかなり難しいと言わざるを得ません。休憩中にどこまで回復できるかもポイントです」

「解説、ありがとうございました! では、ラングラス対ジングラス戦は、【十五分の休憩後】に始まります!! 両陣営がどう動くのか、ぜひお楽しみください!!」



 この解説で興味深い言葉が出た。

 今しがた試合を終えたばかりのラングラスであるが、次のジングラス戦まで十五分しかないというではないか。

 これは言い間違いでも聞き間違いでもない。

 この事情によって、ラングラスの控え室ではこんなやり取りがあった。




「次の試合、サナは棄権させる」

「ええええええええ!? 嘘だろう!?」


 ベッドに横たえたサナを治療していたアンシュラオンが、はっきりと明言するとトットが悲鳴を上げた。


「なんで嘘をつく必要がある。お前はボロボロのサナに無理をさせろと言うのか? ああん?」

「い、いや、そうは言わないけどさ…あんたなら、すぐ治せるんじゃないのか?」

「相当酷い怪我だ。常人ならとっくに死んでいる。治せるには治せるが十五分では体力まで戻らないし、回復に必要な時間というものがある。ここが戦場ならそうするけど、試合ならば無理をすることはない。ジングラスにはキングはいないしな」


 サナの怪我をわかりやすく言えば、大型トラックと正面衝突して吹き飛ばされ、その後に何台もの車に轢かれ、さらにその上から大量の鋭利な鉄材が降り注いだようなものだ。

 幸いながら頭部と心臓だけは死守しているが、それ以外の箇所がボロボロである。

 命気はそれ自体がエネルギーであり、急速回復も可能だ。大きな後遺症もなく治癒できることは強みである。

 がしかし、十五分はあまりに短かった。


(これでもジュンユウの剣硬気が完全に発動していなかったからこそ、この程度で済んだんだ。使うのが初めてだったのだろう。技としてはまだ完成されていなかった。サナとの戦いで因子が覚醒したことで本能が刺激されたのだろうな)


 試合で成長したのはサナだけではない。

 ジュンユウも試合中に因子を覚醒させ、剣硬気を扱えるまでのレベルに至ったのだ。

 それだけ激しい戦いだったのならば、回復にも相応の時間をかけるべきだろう。


「オレの目的は、サナに経験を積ませることだ。万全の体調でハングラスのキングと戦わせてやりたい」

「目的はラングラスの優勝じゃないのかよ!?」

「当然やるからには勝つことを目指している。が、現状では難しいだろうな。そもそもの問題として、この対戦順がおかしいんだ。昨年最下位だったチームが、先に他の三チームと戦う方式だぞ。消耗するに決まっている」


 この地下では、弱い者がどんどん不利になるシステムが構築されている。公平に見せかけているが、実態は弱い者いじめになっているのだ。

 よって、まずは最下位のラングラスが三連戦を強要されることになる。

 対戦順は、昨年三位のマングラス、二位のジングラス、一位のハングラスとなっている。

 それが終わったら今度はマングラスが二連戦を強要されるが、当然ながら休憩時間が短く、消耗が激しい状態では勝つことは難しくなる。

 大会の仕様という名目で作為的に順位を動きにくくするわけだ。そうして長い間順位が固定されれば、一位のハングラスに人材や物資が集まることになり、さらに磐石になっていく。

 一度一位になれば、それが揺らぐことは滅多にない。逆も然りだ。


「ちくしょう! 酷すぎるよな! なんだよ、そのシステム! 前からずっとおかしいと思っていたんだ!」

「弱いやつが悪いってことさ。文句があるなら勝てばいい。それだけだ」

「そうかもしれないけど…じゃあ、代わりにあんたが出るのか?」

「オレが? なんで?」

「だってさ、一回だけ選手の交代ってできるだろう? 予備選手ってやつだっけ?」

「ああ、そんなのあったな。連戦するチームに限って、一回だけ重傷者と交代ができるってシステムだな」

「そうそう。それを使えばいいんじゃないのか?」

「もう忘れたのか? オレはこの試合に出るつもりはない。それ以前にそんなことをしたら、サナがハングラス戦に出られないだろうが」

「そこは譲ってくれよおおおおおお!」

「ええい、うるさい! 嫌ならお前が出ろ!!」

「おいらは無理だよ!!」

「だったらおとなしくしていろ。使えないやつめ」

「レイオン、どうするんだよ? 次の試合は大将なしでいいのか?」

「…最初から頼るつもりはない。こいつらが来る前は、他のやつらはいてもいなくても同じだったんだ。何も変わらない」

「それだと順位も変わらないじゃないか…」

「どのみち最下位のラングラスでは、交代の許可も下りないさ。運営側が許可しないと何もできない仕様だ」

「なんだよそれ…ほんとひでぇよな」

「おっと、そうだった。サナの回復のために試合時間は引き延ばせよ」

「断る。俺には関係がない。お前が協力しないのに、俺に協力させるのはおかしいだろう」

「言われてみればそうだな。まあいい。それはカスオにやらせるさ。一時間もあれば回復には十分だろう」

「ええええ! またあれを見せられるのか!? 見ているほうがつらいよ!!」



 こうしてサナ抜きでのジングラス戦が始まる。




594話 「ジングラスの猛獣使い」


「さぁ、続きまして、ジングラス対ラングラス戦が始まります! イケダさん、またこの時期がやってまいりましたね!」

「ええ、毎年恒例ともいえるアレの時期ですね」

「我々にとっては毎年お馴染みの光景ですが、ついつい期待してしまうものです。言葉は不要。まずはじっくり見てみましょう!」



 いつもならば先鋒だけが呼ばれて入場するのだが、ジングラス戦は例外であった。

 会場の光が落とされ、入場口がライトアップされる。多くの観客が視線を向けると、もくもくと白い煙幕が上がった。

 その中に、ぬっと黒い大きな影が三つほど映り込む。

 人ではない。明らかにサイズが違う。

 その三メートル大の大きな存在が【三匹】姿を見せた瞬間、歓声が上がった。



―――ワァアアアアアアッ



 彼らが喜ぶのも当然だ。なぜならば、それは紛れもなく【魔獣】と呼ばれる存在であった。

 大きな頭部はワニに似ており、身体はゴリラのように筋肉質で毛むくじゃらといった、なんとも奇妙な姿をしている。

 最初に四本足で歩いていたそれは、突如立ち上がると大きな声を発した。


「ガオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 まるで周囲を威圧するように、大きな口の鋭い牙を見せ付ける。

 実際にかなり太い歯が並んでいるので、噛まれた人間などは簡単に引きちぎられてしまうに違いない。

 だが、すでに人々の目はそこにはなかった。

 彼らが次に見ていたのは、そんな魔獣に守られるように歩いていた一人の少女である。

 少女は視線が集まったのを見計らうとリングに上がり、胸を張った。



「今宵も血を求め、獣たちが立ち上がる!! 怖れよ!! 野獣の暴虐を!! 怯えろ!! 野生の咆哮を!! 漆黒と返り血に塗れた、わが業を称えよ!!」



 シュンッ バチンッ!

 少女は持っていた鞭をリングに叩きつけ、仰々しい動きで自分の存在をアピールする。

 身長は百五十センチにも満たない小柄で、声も高めでよく通る。それだけならば普通の少女の範疇だろう。

 ただし、仮面舞踏会で使われるマスク、いわゆるベネチアンマスクと呼ばれるものを付け、黒い全身鎧を着込んでいることが、彼女をなんとも奇妙で異様なものに仕立て上げていた。

 よくよく見れば、その鎧はどこか見覚えがある。


 プライリーラの鎧―――『暴風の戦乙女』に似ている。


 全体的に流線的で、女性が着て初めて魅力的に見えるデザインが特徴である。

 そして胸の部位には、しっかりと羽馬の紋章が刻まれていた。


「今一度、我らの力を見せてやろう! しかとその目に刻むがよい!」


 少女が手招きをすると、リングに一匹の魔獣、ワイルダーインパスが登場した。

 何か薬を打たれたのだろうか。やたら興奮している様子で、少女を睨み付けている。

 魔獣の鼻息が荒くなり、後ろ足でリングを数回叩くと同時に、一気に少女に向かって突進を開始。

 少女は真正面から見据えたまま動かない。

 ワイルダーインパスの突進は、身長が高いサリータでさえ吹っ飛ばすほどの威力がある。人間と魔獣は根本的に筋力が違うのだ。

 こんな小さな少女がまともに受ければ、それだけで全身骨折という惨状に見舞われるだろう。

 が、ワイルダーインパスが少女に激突する直前―――宙に浮かぶ。


「ブルルッ!?」


 ワイルダーインパスは何が起きたのか理解しないまま、くるくると空中を回転しながらリングの外に飛んでいった。

 そして、その場所にはさきほどの魔獣が待ち構えており、大きな口を開けて―――

 ガブッ!!

 噛み付いた。

 ワイルダーインパスも闘牛のごとく大きいが、その魔獣の口も同じように大きく、身体の半分を丸呑みするように咥えてしまう。

 さらにそこに他の二匹も群がり、牙を突き立て、強引に引きちぎる。

 ブチブチと筋肉が断裂する音だけを残し、一瞬にしてワイルダーインパスの姿が消えてしまった。彼らに喰われてしまったのだ。

 それを満足げに見つめた少女は、両手を広げて叫ぶ。



「ジングラスの力を見たか!! 我らに歯向かう者は、誰もがこうなると知れ!! 私は悪! 悪の華を咲かせる『アデェール・リーラ〈純潔の黒常盤〉』! 今宵も華麗に参上!!」




―――ワァアアアアアアッ




「出た出た! 今年も出たぞ!」

「いいぞー、もっとやれー!」

「これこれ、これを見ないと団体戦って感じがしないんだよなー!」

「ひゅー、 カッコイイ! アデェール・リーラァアアアアア!」

「俺たちのアイドルだああああ!! 結婚してくれーー!」



 解説席の言動からも、どうやら毎年恒例の『催し物』のようである。

 それを見ていたアンシュラオンも、即座にこれが「ショー」であることを理解する。


(初めて見たときから思っていたが、あれって完全に『プライリーラのコスプレ』だよな。鎧もワイルダーインパスを浮き上がらせるだけの力はあるから、それなりの術具なんだろうけど…所詮はそれだけだな。空を飛ぶだけの力はなさそうだ)


 まず、少女が名乗ったアデェール・リーラ〈純潔の黒常盤〉は、当然ながらブランシー・リーラ〈純潔の白常盤〉を真似たものである。

 あの鎧も色が白から黒になっただけでなく、明らかに本物と比べてチープ感が否めない造りだ。おそらくレプリカ(模造品)だろう。

 彼女の話し方自体においても、プライリーラの調子を真似たもの。本物に触れた人間には一目瞭然で偽者とわかる。

 せっかくなので久々に『情報公開』を使ってみよう。


―――――――――――――――――――――――
名前 :ソヨコ・スズキ

レベル:25/50
HP :345/345
BP :127/127

統率:C   体力: E
知力:E   精神: D
魔力:E   攻撃: F
魅力:C   防御: F
工作:E   命中: F
隠密:E   回避: F

【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:0/0 術士:1/1

☆総合:第十階級 下扇級 術士

異名:アデェール・リーラ〈純潔の黒常盤〉
種族:人間
属性:夢
異能:地下アイドル、下級鞭捌き、若作り
―――――――――――――――――――――――


(うん、弱い。弱すぎる。しかもソヨコ・スズキって…パチもん感が半端ないな。だが、魔獣を操っているのは事実みたいだし、統率も少し高いな)


 彼女自身の個人能力は、はっきり言って弱い。サリータでも倒せる程度の相手なのは間違いないだろう。

 だが、彼女はあくまでジングラスのセコンドだ。実際に戦うわけではないのだから弱くても問題はない。

 重要なことは、彼女が『魔獣を操っている』事実である。


(アーブスラットも魔獣を操っていたが、特定のスキルを持っていたわけじゃなかった。となればプライリーラが『魔獣支配』スキルで委任したと考えるべきだな。あの子もプライリーラからの信頼が厚いってことか。…まあ、『若作り』だから何歳かは知らないけどね)


 プライリーラは、信頼が置けない相手に魔獣の管理は任せない。身内とも呼べるくらい親しい間柄の人間に限られる。

 ということは、ソヨコもまたプライリーラの身内といえる。

 ただし、ずっと地下にいるようなので地上の情報は知らず、プライリーラに起きたことを何も知らないことは、事前の対談で明らかになっていた。

 彼女はあくまで『地下アイドル』なのだ。地下にも癒しや希望が必要だということだろうが、それだけにすぎない。


(あの子は、どうでもいい。それよりは魔獣だな。さすがに地下に置いておくだけあって少しは強そうだが、あれくらいじゃサナには必要ない。この戦いは負け確定でいい)


 わざわざ地下で雑魚魔獣と戦わずとも、少し遠出すれば危険な魔獣が山ほどいる。

 あえてここで戦わせている目的は、貴重な対人戦を経験させるためだ。魔獣ならばいくらでも代わりが存在するため、無理にこだわることはない。

 大将のサナが棄権することが決まっていることからも、今回の団体戦としての勝負は負けが確定だ。

 だがしかし『罰』としてならば使える。




「では、選手入場です!! ジングラスからは、魔獣レプラゴッコ1号の登場だぁあああああああああ!!」



「ガオオオオオオオオッ!!」



 ドシドシと大きな足音を立てながら、レプラゴッコ1号がリングに上がる。

 人間とは体躯が明らかに違うため、生まれる影からして威圧感があった。



「ラングラスからは、一回戦で脅威の耐久力を見せた―――かぁあああああすぅうううううううぉおおおオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」



 ジングラスの先鋒は、一回戦と同じくカスオが登場する。

 装備もまったく同じ、あの赤い全身鎧である。




―――ワァアアアアアアアア!




 会場は、なんともいえない熱気に包まれる。

 地下アイドルによって盛り上がった空間に、今大会注目のラングラスから、これまた変な注目を浴びてしまったカスオが登場。

 この戦いがどうなるのか「薄々気づいていながら」、その興奮は隠しきれないようだ。

 マンネリ化していた団体戦に新しい刺激を与える。その目的は達成できていると思われる。


「両者前へ!!」


 ガシャガシャ、ドスドス

 両者が相まみえ、互いを見据える。

 そして試合開始のゴングが―――



「試合かい―――」



「ガオオオオオオオオッ!!」


 鳴る前にレプラゴッコがカスオに飛びかかった。

 最初に繰り出されたのは、その大きな腕を使ったフルスイング。

 身体部分は完全にゴリラなので、その一撃は強烈。

 ドゴンッ!! グシャッ!!

 拳が鎧にぶち当たると簡単にひしゃげ、内部にまで衝撃が伝わる。

 相変わらずカスオは無抵抗のまま受けてしまったため、大きく後方に吹っ飛ばされた。


「ごぼっ…ごぼぼ」


 吐血。

 鎧の隙間から血が流れる。


「反則行為! 減点!!」


 当然ながら、これは反則。レプラゴッコ1号にマイナス評価である。

 だが、そんなことは関係なしとばかりに魔獣は追撃を開始。

 カスオに近づくと、大きな足を使って何度も踏みつける。

 ゴンッゴンッ!! ゴンッ!!

 まるで丸太が真上から降ってきたような衝撃が、カスオに何度も叩きつけられる。

 そのたびにカスオの身体が揺れ、鎧も破壊されていく。



「今年も出たぞ!! これだよ、これ!」

「もっとやれーー!!」

「野生を解き放てーーーー!!」


 これに対して観客たちは大盛り上がりであった。

 どうやら魔獣がこうして暴れることを知っていたようだ。

 魔獣なのだから人間の命令なんて聞く必要はない。彼らが聞くのは飼い主の命令だけである。

 そういう意味も含めて、ソヨコもニヤリと笑いながら戦いを見つめていた。


「ふふふ。さあ、やっておしまい!」


 バチンッ!

 ソヨコが鞭を叩くと、レプラゴッコの攻撃はさらに過熱。

 両手でカスオを持ち上げ、そのままブレーンバスター。

 二倍以上の体格差があるため、軽々と持ち上げられて床に叩きつけられる。

 ドンッ! ぐしゃっ!

 この衝撃でカスオは骨盤を亀裂骨折。かなりのダメージを負う。

 しかし、攻撃はまだ終わらない。

 レプラゴッコは再びカスオ持ち上げ、身体を固定してからの脳天落とし。

 ゴギンッ!

 首に体重がかかったため、頚椎にダメージを受ける。これも重傷だ。

 それが何度か続けられ、鈍い音がリング上に響くたびに、観客から悲鳴のような歓声のような声が上がっていた。



(まさにプロレスだな、これは)


 アンシュラオンは、魔獣らしからぬ攻撃を見て確信する。

 通常の魔獣は、こんな攻撃をあまり仕掛けない。蛇が絡みつくのは見たことがあるが、投げ技を主体とした戦いを見るのは初めてだ。

 となれば、これは紛れもないプロレス。

 「殺さないために」あえて対人間用に教え込んだものに違いない。


(ジングラスは地下には力を入れていないんだな。上で権力があるほど地下には無関心なのだろう。まあ、これだけの魔獣を地下に送っているんだ。それなりに配慮をしているといえるけどね)


 最初のデモンストレーションを見てもわかるように、このジングラス戦はショーの性質が強い。

 ジングラスにとっては、魔獣という存在を見せ付けることが重要な要素であり、地下での覇権争いにはあまり興味がないのだろう。

 プライリーラが地上にいるため結束が強く、モラルも高いジングラス派閥は、そもそも地下送りになることは少ないのだ。

 ただ、ジングラスを頼ってきた者たちを守るために、最低限の戦力を用意しているあたり、プライリーラの人柄がうかがい知れるというものである。

 また、対戦する側も魔獣と本気で戦うつもりはなく、ある程度盛り上げたら終わるのが慣例だといえる。


「ガオオオオオッ!!」


 そして、ここで魔獣の必殺技が炸裂する。

 ブーーーンッ!!

 カスオを頭上に放り投げると、その大きな口を開き待ち構える。

 ワイルダーインパスを噛みちぎった時に使った強靭な歯が―――


 ガブウウウッ!!


 カスオの身体に突き刺さった。

 それはワニに噛み付かれた人間の光景。

 顎の筋肉が人間のそれとは圧倒的に違うため、一度噛み付いたものを逃がすことはない。


 ガブガブガブッ!!


 レプラゴッコは、さらに何度か噛み直す。

 もし犬や猫に噛まれた経験がある人なら、こう聞くだけでぞくっとするだろう。

 あの噛み直しは本当に恐ろしい。遠慮なく噛んでくるので強い痛みが伴う。


「ぎゃーーーー!! ぐえっ! ぎゃっーーーー!」


 カスオが泣き叫ぶ。

 薬物で身体が強化されているのだが、逆に投与しすぎた結果、感覚が鋭敏になっているらしい。

 だからこそ凄まじい恐怖に襲われ、極度のパニック状態に陥っていた。


「どうだ!! 我らが暴虐の牙を受けた感想は!! これぞ悪の力!! ジングラスの力だ!!!」


 ソヨコは「どうだ!」と言わんばかりにポーズを決め、周囲にアピールを続ける。

 どうやらプライリーラが「正義」を前面に押し出す一方、彼女は「悪」を題材にして対比を生み出しているようだ。

 だがしかし、彼女は知らない。

 本当の悪とは、もっと残酷であることを。



「さあ、降参するなら今のうちだ!! 泣き叫べ!! 敗北のコールを!!!」

「………」

「負けを認めたら、ここで終わりにしてやるぞ!!」

「………」

「何をしている? 怖くなったのか? だが、これは試合。ここで終わりにしてやってもいい」

「………」

「さあ、早く負けを認めるのだ!!」

「………」

「………」

「………」

「あの…聞えてる…かな?」

「え? オレに言ってるの?」


 ソヨコが話しかけているのは、アンシュラオンである。

 カスオはそれどころではないため、セコンドに向けて話しているのだろう。


「な、なんだ、聞えているではないか!! そうだ! 早くしないとそいつが食われるぞ!! いくら不死身とはいえ、食われたら戻れまい!! さっさと敗北を認めよ!!」

「あっ、おかまいなく」

「…え?」

「全然負けていないから大丈夫です。続けてください」

「いや…え? でもその…死ぬぞ!! 食われたら死ぬぞ! 痛いんだぞ!!」

「お心遣い、ありがとうございます」

「なぜかお礼を言われた!?」

「こっちは大丈夫なんで、どうぞ続けてください」

「ほ、本気で言っているのか!? あっちは大丈夫じゃなさそうだぞ!?」

「ははは、いやだなー。あれは演技ですよ。演技。あんなもの、まったく効いていませんから。ほら、遠慮なく続けてくださいよ」

「ぬぬぬぬっ、後悔しても知らないぞ!! レプラゴッコ! やっておしまい!!」

「ガオオオオオッ! ガブガブガブッ!」

「ぎゃーーーー! ぎゃっぎゃっ!? ぐあああああああ!」


 レプラゴッコが何度も噛み付く。そのたびにカスオが悲鳴を上げる。

 自分が食われるかもしれない恐怖もあり、その叫びは本気の本気だ。

 がしかし、アンシュラオンはただ黙って見ている。

 それも当然である。カスオに痛みを与えるのが目的なのだ。

 かつてアンシュラオンはカスオに言った。「逆らったら生きたまま魔獣に食わせる」と。それを有言実行しているにすぎない。

 それどころか注文までつける。


「おい、そこの魔獣。噛み方が足りないぞ。もっと本気で噛め」

「が、ガオッ!?」

「さっさと手足の一本くらい食えって言っているんだよ。ほら、早く噛みちぎれ」

「が、ガウウ?」


 レプラゴッコが、ちらりとソヨコを見つめて「どうしたらいいの?」と指示を仰いでいる。

 長年人間と接してきたせいだろうか。人間の言葉が多少わかるらしい。


「こ、こら! どうして負けを認めない! 死んじゃうんだぞ! 痛いんだぞ!」

「ありがとうございます」

「だからなんでお礼を言うの!?」

「はやくー! 早くやっちゃってよ!! ハイハイハイ!!」

「手拍子はやめろーーー!!」

「期待に応えてくれよ。なぁ、みんな? もっと先を見たいよな?」



―――ざわざわざわ



「なんだ、どうなってんだ?」

「『不死身の男』なんだぜ。あれくらいじゃ死なないってことだろうよ」

「それじゃ、もっとやらないといけないよな! うおお、もしかして人が食われるところを見られるのか!?」

「かもしれねぇな!! こりゃ楽しくなってきたぜ!」

「ジングラスの魔獣ってよ、ワイルダーインパスを食っちまうくらいだもんな。人間なんて簡単に食えるよな!!」


 アンシュラオンの煽りに観客が騒ぎ出した。

 しかも怖いもの見たさの視線を向け始める。人間とは残酷なものだ。特に無関係の人間ほどそういう傾向にある。


(ま、まずい…! これはまずい…!)


 その視線にソヨコは動揺を隠せない。

 いつもならばここで終わっているショーだ。魔獣に食われそうになって降参しない相手はいなかった。

 たいていの相手は負けを認めるか、食われないように立ち回って勝利を収めるものである。

 カスオのように無抵抗な存在など、このリングの上にはいなかったのだ。


「どうしたんだ? まだ試合は続いているぞ?」

「ううっ…」

「冷や汗が出ているようだが大丈夫か?」

「う、うるさい! 大丈夫よ!! こうなったら仕方ない…! か、噛み切ってやりなさい!! そ、そっちが悪いんだからね! 後悔しても遅いわよ!!」


 周囲の視線がある以上、ここで止めるわけにはいかない。

 ソヨコの命令によって、レプラゴッコがカスオの腕に噛み付き―――鎧ごと引きちぎる。


 ボゴッ ブチブチブチッ!!


 筋肉が断裂し、肉が骨から削ぎ落とされていく。

 人間が鳥もも肉を噛み切る光景に似ているだろうか。あれを想像するとわかりやすい。

 こうしたことは外の世界では当たり前にあるのだが、内部では滅多にお目にかかれないもの。観客の視線は釘付けだ。

 やはりジングラスの魔獣は怖い。噛まれたら危ないし食われる。

 誰もがそう思ったことだろう。

 しかしながら、対するレプラゴッコは表情を歪ませていた。

 魔獣を見慣れていない者たちにはわからないだろうが、アンシュラオンにはその「嫌悪感」がありありと見て取れる。


(まあ、そうだろうな。だってあいつ―――【草食】だし)


―――――――――――――――――――――――
名前  :レプラゴッコ〈草食鰐猿〉

レベル:35/40
HP :1040/1040
BP :350/350

統率:D   体力: C
知力:E   精神: E
魔力:E   攻撃: D
魅力:F   防御: D
工作:F   命中: F
隠密:F   回避: F

☆総合:第四級 根絶級魔獣

異名:草食系ワニ猿
種族:魔獣
属性:土
異能:噛み砕き、ドラミング威圧、草食系
―――――――――――――――――――――――


 階級は、ヤドイガニやハブスモーキーと同じく根絶級である。

 HPや体力がそこそこ高いため、見た目通りに体格を生かした戦いが得意なのだろう。


 だが、【草食】だ。


 いかにもワニっぽい顔で肉食かと思いきや、まさかの草食である。

 あの大きな歯は、彼らが主食としている大木の幹を噛み切るために使用されるものであって、生物に使うにしても外敵から身を守るものにすぎない。

 しかもスキル欄に『草食系』があるので、穏やかな性格だと思われる。

 本当なら血が口に入ることすら嫌なのだ。肉を食べることなどできるわけがない。


「―――オブッ!」


 だからこそ、吐き出す。

 カスオの腕から削ぎ落とされた肉が、べちゃっと床に落ちた。


「ああ、こら!! 吐き出すんじゃない!!」


 そうは言われても草食である。肉は胃の構造上消化できない。

 梅干を食べた人間かのように、口をすぼめて渋い顔である。


(もっと違う魔獣を派遣すればよかったのにな。でも、クラゲじゃ危ないし、ほかに選択肢がなかったのかもしれない。そんなに数多くの魔獣がいるわけでもなさそうだしね)


 ホスモルサルファだと脳みそがなさそうなので怖いし、ローダ・リザラヴァンでは強すぎて危ない。

 その点では、人に危害を加える可能性がないレプラゴッコのほうが使い勝手は良いのだろう。が、悪役に仕立てようとするには無理がある。

 ちなみにワイルダーインパスは食われたわけではなく、噛みちぎったあとに黒いゴミ袋に吐き捨てていた。室内を暗くしたのはそのためだ。

 当然アンシュラオンにはそれが見えたので、最初から肉食でないことは把握済みだ。(べつに肉食でもかまわないが)


「ほら、どうしたんだ? 早く食ってくれよ」

「うう…」

「しょうがないなー。食えなくてもいいけど、もっと痛めつけてよ。そうじゃないと意味がないしね」

「み、味方なのに!! なんでそんな!!」

「そんなことはどうでもいいだろう? 早く続きをしようよ」

「な、なんなの!? こいつら!! 頭おかしいって!」


 ジングラスは身内を大事にするため、アンシュラオンの言動が理解できないらしい。

 逆に理解できたら怖いので、そのままでいいと思われる。


「なんだ?」

「どうなった?」

「食べないのか?」


 この状況に周囲も違和感を感じ始めたので、それを利用してソヨコに圧力をかけてみる。


「そのままだと、お前たちの立場が危ういんじゃないのか? 強くて怖い魔獣じゃないと箔が付かないだろう?」

「ううう!!」

「プライリーラの信頼を失うぞ?」

「っ!! ぷ、プライリーラ様!! わ、私はあの人のためなら…!! や、やれ! やっておしまいなさい!!」

「ガ、ガオオ…ガオ(もう無理、きついっす)」

「泣き言なんて聞きたくないわ! 早くしなさい!」

「ガ、ガオオオオ!」


 ガブガブガブッ!!

 ぐっちゃぐっちゃっ、ブッチュブッチュッ!

 命令に背けないレプラゴッコは、致し方なくカスオを噛み砕いていく。

 しかしながら命気によって再生を繰り返すカスオは、死ねない。

 レプラゴッコが嫌々噛み砕いていることもあって、まるでガムを噛んでいるように永遠に口の中で咀嚼を繰り返すことになった。



 それから五十分あまり、これが続いた。




「試合終了! 勝者、レプラゴッコ1号選手!!!」




 こうしてカスオの負けが決定。




―――シィイィィイイインッ



 会場からは歓声も苦情も聴こえない。

 ただただ気まずい空気だけが充満していた。

 こんな謎の光景を見せられれば致し方ないことだ。イケダたちの総評も、ほぼあってないようなもので終わる。

 あくまでカスオへの制裁のためだけにあった戦いなので、それも仕方ない。


 そして中堅戦に話は飛ぶが、こちらはレイオンの勝利となった。


 ただでさえキングは強いのに、妙に殺気立ったレイオンにレプラゴッコ2号が戦いの最中に戦意を喪失してしまい、途中棄権の形となる。(キングに負ける、あるいは勝たせるのは通例なので問題はない)

 最終戦はサナの棄権により、二対一でジングラスの勝利が確定。

 ただし、勝者であったはずのジングラス陣営の顔色は非常に悪い。魔獣たちに大きなトラウマを与えてしまったからだ。

 アンシュラオンと関わると不幸になる説は、いまだ健在であることが立証されたのであった。




前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。