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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第八章 「壊滅 ホワイト商会」 編


567話 ー 576話




567話 「ホテル迎撃戦 その3『脱出大作戦、開始』」


 マークパロスが、剣衝を放ちつつ物陰に隠れる。

 パスパスパスッ ガンガンガンッ

 次の瞬間、大量の銃弾が飛んできた。


「シーバン、これ以上は無理だぜ! 生傷が絶えないどころの騒ぎじゃなくなる!」


 一発放てば数倍になって返ってくるため、さすがのブルーハンターたちも所々に傷が見て取れた。

 特に攻撃特化のマークパロスは、防衛戦には不向きだ。

 そもそもハンターは狩る側の人間なので、対象物を守るのは苦手としている。

 シーバンも術符を乱発しすぎたため、徐々に枚数が心もとなくなってきた。

 アンシュラオンがくれた準備金を惜しまず投入したのは、見事なプロ根性(私怨含む)だが、残念ながら相手の数のほうが多い。


「やつらがここまでの戦力を出してくるとは思わなかったな」

「それこそあいつらが、生粋の悪党ってことだろう? ここの話が出たらまずいと思ってんだ」

「そういうことだな。本当は巻き込みたくはなかったが、最悪は中の女性たちを逃がすことを優先しよう。よし、次の段階に入るぞ!」

「了解! レッパーソン、殿《しんがり》を頼む!」

「わかった」


 レッパーソンが、木の上から大量の煙玉と『爆竹』を放り投げる。

 パチパチパチパチパチッ!!

 単なる爆竹だが、煙幕を張ってから音が鳴ると怖いものだ。

 想定通り、相手も銃撃だと思ったのか一瞬だけ攻撃の手がやんだ。


「今だ!」


 その隙にシーバンとマークパロスは、ホテルのロビーに滑り込む。

 レッパーソンは外に残りながら、残りの矢と銃弾のすべて撃ち切ると同時に、ホテルの裏側に逃げ込む。

 これは裏口から敵が来ないように警戒するためと、女性たちの退路を確保するのが狙いだ。



「追い込んだぞ! ホテルに突入だ!」


 ホテル内部に逃げ込んだシーバンを見た裏スレイブたちが、じわじわと距離を詰めていく。

 こうなればもう袋の鼠である。あとは突入して追い詰めるだけだ。

 そう思って三人がロビーの入り口を潜った直後―――


「ぬんっ!!」


 重鎧に身を包んだ大柄の男、ビギニンズが思いきりハンマーを叩きつける。

 ボゴーーン! ぐちゃ ぼぎんっ


「ぶべっ…」


 顔面にハンマー(魔獣の骨製)の一撃を受けた男は、顔が潰れただけでなく、そのまま首の骨が折れて倒れた。

 口から血を吐き出して呼吸困難に陥っているので、まもなく窒息死するだろう。


「待ち伏せか!」


 と、他の者が身構える隙もない。

 ザクッ ぶしゃっー

 次の瞬間、彼の喉笛は掻っ切られていた。


「ごぼぼっ……なに…が…」


 彼の真上には、小柄なクワディ・ヤオの姿。

 見張りを終えた彼は先にホテル内部に入り、壁に張り付いて待ち伏せていたのだ。

 『暗殺』スキルを持つ彼は、相手に気付かれていない段階では、攻撃と命中に大幅な上昇補正が入る。

 さらに続けて、もう一人の喉を切り裂く。

 ザクッ ぶしゃっー

 大柄なビギニンズに注意が向いていたこともあり、彼らは自分の死を自覚しないまま絶命した。


「二人とも、助かった!」


 術符の補充と怪我の手当てをしていたシーバンが、仲間の二人に駆け寄る。

 ライアジンズは、五人で一つの集団だ。これで全員がそろったことになる。


「苦戦しているな」

「篭城になる。ロビーで迎え撃つぞ。従業員は?」

「訓練通り、避難を開始している。裏口から逃げられればいいが…」


 ビギニンズは外で敵を押さえきれなかった際に、ロビーで敵を防ぐ役割を担っていた。

 彼はチーム内ではもっとも人柄が好いため、すでにホテルの従業員とも仲良くなっており、万一のことを考えて避難訓練を実施していた。

 ここから外の様子は丸見えなため、戦闘が始まった瞬間には彼の指示で従業員は逃げ出していた、というわけだ。

 シーバンたちが外で粘っていたのは、こうして逃げる時間を稼ぐためである。


「女性たちが逃げきるまで、持ちこたえられるか?」

「やってみるが、あれだけの人数だ。長くはもたないかもしれん。増援が来る可能性も高いしな」

「ふむ、裏口にはレッパーソンが回っているが、まだ心配だな。マーク、行けるか?」

「おう、任せろ。逃げ道くらいは切り開いてやるさ」

「頼むぞ」


 シーバンとマークパロスは、軽く拳を突き合わせる。

 そこには一緒のチームというだけではなく、おっぱいで結ばれた強い絆が見て取れた。

 彼らは今、正義と善良無垢な女性のために戦っている勇者なのだ!!!


「入り口を死守する!! 彼女たちが裏口から逃げるまで耐えろ!」

「おう!!」


 こうしてシーバンたちは、ロビーにおいて防衛戦を開始。

 入り口が狭いため、入ってこられる人数にも限界があり、そこに大柄な重鎧を着込んだビギニンズが待ち構えれば、そう簡単に切り崩すことはできない。

 もし強引に入ってきても、一人や二人くらいならば、クワディ・ヤオがあっさりと暗殺する。

 彼は屋内戦闘に長けた武人なので、こういうときにもっとも頼りになる男だ。(ハンターの狩場は主に野外なので、普段は肩身が狭い思いをしている)

 余談だが、彼は何回か女性従業員の下着を盗もうとして、レッパーソンに注意されているので、完全な善人というわけではない。というか日本なら普通に犯罪者である。


 ともあれ、彼らの奮戦によってホテルは守られていた。


 ただし、長くはもたない。





「ひーーー、ひーーー! どうなっているんですか!? 何が起こったの!?」


 最上階の一室では、シャイナが喚いていた。

 ここは二十五階で距離がかなりあるため、そこまで外の音が聴こえるわけではないが、たまたまマークパロスに斬られた男の銃弾が、窓にぶち当たってヒビが入ったのだ。

 それによって外の異変に気付いたわけだ。

 これが平常時ならば何とも思わないのだろうが、いかんせん工場の一件から死に物狂いで逃げてきたので、かなり情緒不安定になっているらしい。


「シャイナ、何を騒いでいる! うるさいぞ!!!」


 その声を聞きつけて、サリータが入ってくる。

 こうして改めて考えると懐かしい顔ぶれであるが、これまたさして日数が経っていないので、彼女たちも普通にホテルで暮らしていたにすぎない。


「だってぇえ! 何か危ないことになっているんじゃないんですか!? 外でドンパチやってますよ!」

「それは当然だ。ここが襲われているのだからな」

「え? 襲われる? なんでですか?」

「理由など知らん。おおかた師匠を妬んだ連中の仕業だろう。あの人は偉大だからな。敵も多いだろう」

「それはまあ…敵が多いのは知っていますが、どうしてここが襲われるって知っているんですか?」

「ホロロ先輩が教えてくれたからな。この姿を見ればわかるだろう?」


 サリータは、すでに戦闘準備が整っていた。

 事前にホロロから準備をするように言われていたので、普段の皮鎧の上から、各所をプレートアーマーの部品で補強した強化アーマーで覆っていた。

 持っているのは、刃の部分に細かい意匠が施された、やや大型の斧。

 これは第一警備商隊のメッターボルンが持っていた術式斧である。

 ホテル内部で斧を持つこと自体が異常なので、すでに緊急事態なのである。


「あの…初耳なんですけど」

「お前には言っていないからな」

「ええええええええ!? どうして!?」

「そうやって騒ぐからだ」

「普通、騒ぐでしょう!!」

「ええい、うるさい! すべては師匠の御心のままなのだ!! おとなしく従え!」

「完全に洗脳されてるじゃないですか! そ、そうだ! せ、先生はどうしたんですか!? あの人がいれば、どんな危ない人が来ても問題ないですよね!? ね? 安全なんですよね?」

「師匠はいないぞ」

「…へ? どこにいるんですか?」

「知らん。師匠は日々、お忙しいのだ。仕方ないことだ」

「ええええええ!? じゃあ、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか!? このままじゃ危ないんじゃないですか!?」

「お前は師匠のことを何もわかっていないな。師匠はこの場を私に任せてくれたのだ!! この信頼…なんと嬉しいことか! 不肖サリータ、任務をまっとうしてみせます!!」

「ええええ!? 絶対違いますって! あの人、そんなこと考えてないですよ!!」


 この点に関しては、シャイナのほうがアンシュラオンのことをよくわかっている。

 あの男は、サリータにすべてを任せるほど甘くはない。

 が、彼女がやる気になってくれるのならば問題ないし、よい『実戦テスト』になるのも間違いないことである。

 すべてあの男の手の平の上、という意味ではサリータも正しいわけだ。



「そんなぁあ! ここには子供だっているんですよ! こんなことになるなんて…!」


 シャイナが、部屋の椅子に座っていたラノアに目を向ける。

 しかし彼女はシャイナと違って落ち着いており、ご機嫌な様子で外を眺めていた。

 状況を理解していない可能性もあるが、元来物怖じしない性格なのだろう。泣き叫ぶより遥かにましだし、見込みもあるというものだ。


「そうだな。子供を守らないといけないな。ほら、これを持て」

「…え? 何です、これ?」

「見てわかるだろう? 銃だ」

「いやその…わかりますけど…銃?」

「ただの銃ではないぞ。サナ様が持っているものと同じタイプで、連射が可能だ。よかったな」

「よかった…え? 何が? え??」

「これで身を守れ。いや、お前は傷ついてもいいが、ラノアたちは守ってやるんだぞ」

「わ、私も戦うんですかかぁあああああああ!?」

「当たり前だ!! 働かざるもの、食うべからず!! 師匠にも、お前には厳しくしろと言われているからな! バシバシいくぞ!!」

「ひーーー! これじゃ先生よりも酷いですよ!?」


 いつの時代も、先輩とは理不尽なものである。体育会系ならば、なおさらだ。

 だが、自分で身を守らねばいけない状況ならば、もはや躊躇っている余裕はない。


 コンコンッ ガチャッ


 軽くノックをしてホロロが部屋に入ってきた。

 中に主人がいるわけでもないのに、ノックをするあたりはさすがだ。

 それから周囲を見回し、作戦の開始を告げる。


「ではみなさん、今日限りでこのホテルを破棄いたします。準備はよろしいですか?」

「はっ! 万端であります!」

「ちょっと待ってーーーー!! 聞いてないですからーー!」

「なんですか? 馬鹿犬」

「馬鹿犬!? って、ホテルを破棄ってどういうことです!?」

「言った通りです。ホワイト様…いえ、もうその名前は終わりを告げますね。わが主たるアンシュラオン様は、このホテルを捨てることを決められました」

「ずっとここにいるんじゃないんですか!?」

「浅ましい犬ですね。誰のおかげで生き延びられたと思っているのですか。主人が決めることには絶対服従。それが従者の嗜みです」

「私は従者じゃないですよおおおおお!」


 冷静に考えれば、このホテルはアンシュラオンのものではないので、勝手に破棄すると宣言するほうが傲慢である。

 しかし、誰が何を言ったところで、ここが崩壊するのは決められていることだ。

 すべては筋書き通りに動く。


「先輩、我々はどういたしましょう? どうやら表には敵がいるようです。裏口から出るのですか?」

「いいえ、どのみち回り込まれるのは時間の問題です。子供がいれば追いつかれる可能性があります」

「では、表口を強行突破ですか? 私が盾を持って突っ込めば、逃げ道くらいは…」

「サリータ、あなたの能力では無理です」

「うっ!」

「べつにあなたを過小評価しているわけではありません。あなたの役割は、我々の護衛です。それ以上は求めておりませんし、あなたも犠牲になってはいけません。これはアンシュラオン様からのご命令です」

「し、師匠! 私の身まで案じてくださるとは…。やはりその…一度繋がったから……ぽっ」

「勘違いしてはいけません。あの御方は、私たちを平等に愛してくださいます。しかし、それだけで十分なのです。あの偉大なる神が、我々の真上におられるのですからね」

「わ、私も! 私もつ、つながって…」

「あなたの場合は単なる遊びですから、勘違いしないように」

「遊び!?」

「それよりラノア、セノアに連絡をしてください。プランB…『アレ』を出します」

「あーい」

「アレ? アレって…何ですか?」

「フフフ、いい具合に仕上がっているようです。頃合でしょうね」


 ホロロが、にやりと笑う。

 この戦いは、ホワイト商会が出来た頃から計画されていたものだ。

 設立後にいくつかの要素を加えたのち、アンシュラオンは終わらせるための【崩壊シナリオ】を事前に作っていた。これもたびたび述べてきたことだろう。

 崩壊シナリオは一つではなく、多様な状況に対応できるように複数存在した。

 プランAは、ソイドビッグが死んだ場合の流れとなっているので、こちらはすでに破棄である。

 ビッグが死ぬのをAプランにもってくるあたり、最初からビッグにはあまり期待していなかったことがうかがい知れる。


 では、プランBとは何か。





〈ねーねー、Bだって〉


「うん…うん。わかったわ。プランBね」


 ラノアから念話によって連絡を受けた姉のセノアが、一つ下の階にいた。

 この部屋、二十四階に何があったのか、いや、『誰』がいたのかを覚えているだろうか。


「あ、あの…呼んでるよ」

「ふーーー、ふーーーー!!」

「あ、あの…」

「うるせえええええ! ぶっ殺すぞおおおおお!! ふざけるな!! 殺す、殺す殺す!!!」

「ひぅっ!」


 そこには、身体全体から激しい闘争本能をたぎらせている【ルアン・改】がいた。

 ようやく彼の出番である。




568話 「ホテル迎撃戦 その4『絶たれた退路』」


 ホテルの入り口は、シーバンたちが防衛している。

 となれば、逃げ道は裏口しかない。

 その裏口には、避難してきた従業員たちがいた。

 一般従業員の女性が五人、料理人を含めた男性が八人といったところだ。

 ホテルの規模を考えるとやや少ない人数ではあるが、団体客が来るときは潜入したリンダのように臨時に人を雇うので、これくらいの人数でも十分やっていけるのだろう。(一般的な日本のホテルの従業員数は、約14人程度らしい)

 彼らは今、突然の襲撃を受けて、とても不安な気持ちで過ごしていた。


「ね、ねぇ、私たちどうなるの?」

「助かるんだよな? だ、だってさ、何も悪いことしてないしな」

「そもそもどうして襲われるんだ? 強盗か?」

「ここは領主様が管理しているホテルだぞ! いったい誰が襲うんだ!」

「そ、そうだ、衛士だ! 衛士隊は何をしているんだ! なぜ助けに来ない!!」


(かわいそうにな。何も知らないとは哀れなことだ)


 彼らの面倒を見ているレッパーソンは、哀れみの視線を向ける。

 まさかその領主が敵だとは夢にも思わないだろう。


(自分を信じている者たちすら、こうも簡単に切り捨てる!! 心底軽蔑するぞ! 人間のクズめ!!)


 冤罪もいいところである。だんだん領主がかわいそうになってきた。

 が、領主がクズいのも事実なので、なんとも擁護しきれないところが複雑だ。


「ここから逃げれば安全なんですよね?」

「そうだ。俺たちがいるから安心してくれ」

「は、早く、早く安全な場所に行きたい…。もう行ってもいいんじゃ…」

「駄目だ。もう少し引き付けてからじゃないと気付かれる」

「そんな…敵が裏側に回ってきたらどうするんですか!? 殺されちゃいますよ!」

「落ち着いてくれ。いいか、俺たちはブルーハンターだ。都市でもっとも能力のある傭兵団の一つだ。君たちより経験が豊富だし、戦いのこともよく知っている。だから信じてくれ」

「わ、わかりました…ライアジンズさんの名前は聞いたことありますし…」


 アンシュラオンから見れば「誰だこいつら?」といった程度だが、チームとはいえラブヘイアと同等の評価を受けていた彼らは、そこそこ有名だ。

 狩った魔獣の肉を安く卸すこともあるので、料理人たちとも交流があったりする。


「無事か、レッパーソン」

「マークか。ああ、今のところはな。あっちはどうだ?」

「いい感じで引き付けているぜ。あともう少しだ」


 ここでマークパロスが合流。

 戦闘能力が高い彼がやってきたことで、レッパーソンも安堵する。


(このホテルの裏側は、比較的深い森になっている。従業員の専用通路を通らないと来られないから、一般客はここの存在すら知らないだろう。逃げるには好都合だ)


 グラスハイランドは、景観にかなり気を遣っている。

 リゾートを意識した造りになっているため、客には見栄えの良いところを提供し、逆に従業員等の裏方はできるだけ目立たないように配慮されている。

 今回はそれが奏功し、逃げ道としては最適な場所となっていた。

 シーバンたちも、従業員の避難のために派手に戦っているので、まだ相手はこちらにまで気が回っていない。


―――はずだった


 ガサガサッ

 レッパーソンの研ぎ澄まされた耳が、人が草木を掻き分ける音を探知する。

 まだ五十メートル以上は離れているものの、明らかに人間の足の動きである。


「まさか…! なぜ!?」

「どうした?」

「人間が近づいてきている…十人…十五人……二十人以上だ!!!」

「馬鹿な! 敵なのか!?」

「味方なら殺気を出す必要はないだろう。間違いなく敵だ。それもこの足音から察するに、かなりの重装備だぞ」

「嘘だろう! 数が多すぎるぜ! おかしいじゃないか! 何でもお見通しかよ!」


 さすがのマークパロスも動揺。

 入り口側の裏スレイブ部隊でも数の差を痛感したのに、ここにきて増援とは最悪だ。


(…たしかにマークの言う通りだ。この裏口を見つけるだけでも大変なのに、さらにここまで見事にこちらの手を読むとは…。そして、人数も多すぎる。すでに八十人規模の部隊を派遣しながら、追加でこれだけの人材を投入できるのか? マングラスとは、これほど恐ろしいのか…。都市を敵にするってのは、こういうことなんだな)


 レッパーソンは、この事態に違和感を感じていた。

 この段階では、相手がワカマツであることはわからない。ただ領主と結託したマングラスが襲ってきているのだと思っている。

 マングラスは人材を操るので、本気を出せばこれくらいは造作もないのだろう。そう納得するしかない状況だ。

 だが、おかしい。

 相手の手際が良すぎるのだ。

 あのようなチンピラ部隊を先に送った人物が、ここまで用意周到に物事を運ぶだろうか。


(表の部隊は囮だったのか? 雑魚を当てることで油断させて…か。もしそうだとすれば、かなり頭のキレるやつのようだな。このままではまずい…)


「はー、はー、どうしたんですか? だ、大丈夫なんですよね? ねぇ!? 大丈夫って言いましたよね!?」

「落ち着いてくれ。大丈夫だ。君たちは必ず逃がすから」

「でもなにか予想外みたいなこと言ってたし…はぁはぁ! あああ! やっぱり私たち、ここで死ぬのよ!! いやあ! いやああああ!」



「嫌ああああああああああああああああああああああ!!」



 あまりの緊張感からパニックに陥った女性が、裏口から外に向かって走り出した。

 後ろも振り返らず、全速力で音を立てて走っていく。


「っ! 待て!!」

「お、おい! 俺たちも行くぞ! こんなところで死にたくない!!」

「俺も行く!! まだ子供が小さいんだ! 死にたくない!!」

「わ、私も!! まだ結婚もしていないのに!!」

「やめろ!!! 死ぬぞ!!」


 最初に飛び出た女性に続いて、次々と従業員が飛び出していく。

 ここを逃したら助かるチャンスがないと思ってしまうのだろう。極限まで追い詰められているので、これは責められない。

 レッパーソンが止めようとするも、時すでに遅し。


 パスパスッ ドスッ


「あっ…、わ……わたし……おかあさん……ごめ…ん…」


 ばたんっ

 最初に飛び出した女性が、二十メートルほど走ったところで、銃で撃たれて倒れる。


 パスパスッ ドスッ

 パスパスッ ドスッ


「ぐあっ!!」

「ぎゃああああ!!」

「あああーーー!」

「あめりああああ!」


 飛び出していった他の者たちも、撃たれて倒れていく。

 こういうときはプロの言葉を信じるべきだ。それを信じられなかった者たちの末路なので、自分の責任として受け入れるしかない。


 ただ、ここで奇妙なことが起きた。


 彼らは一般人だ。仮に当たった箇所が急所でなくとも、放っておけば死ぬだろう。

 それにもかかわらず―――


 ブンッ ぐちゃっ


 茂みから『仮面の男』たちが出てくると、倒れた者の頭部を鈍器で破壊して回る。

 ブンッ ぐちゃっ

 ブンッ ぐちゃっ

 ブンッ ぐちゃっ

 頭部を破壊され、脳漿《のうしょう》が飛び散り、顔面まで見分けがつかないほど完全に潰される。

 トドメを刺した、と見ることもできるが、わざわざそこまでする必要性は感じられない。

 それ以前にワカマツは「女はできるだけ殺さず、なぶれ」と命じてあるので、それとも反する行動だ。

 ただ、レッパーソンはワカマツの意思を正確には知らないので、ただただ怒りが湧くだけであった。


「それが人間のやることかああああ! 魔獣にも劣る畜生が!!」


 レッパーソンが補充したクロスボウで、仮面の男たちに攻撃を仕掛ける。

 表側にいた男たちならば、簡単に頭部を貫けた一撃だが―――

 ヒュンッ ばきっ

 仮面の男は、飛んできた矢を叩き落とす。


「くっ! 表の連中とはレベルが違う!」

「レッパーソン、熱くなるな! 俺が切り込むから、お前は援護に徹してくれ!」

「わ、わかった! すまん! つい彼女のことを思い出してな…許せなくて」

「わかってるさ。あんなやつらの好きにさせてたまるかよ!」

「気をつけろ、強いぞ!」

「だが、押し切るしかねぇ!! これは負けられない戦いなんだからよ!」


 マークパロスが、仮面の男たちと交戦に入る。

 因子レベル2の彼であっても、彼らの相手をするのは苦しかった。

 数の差もあるし、仮面の男たちの技量が高かったからだ。表の連中とは明らかに異なる強さであった。


 結果だけを述べれば、裏口からの脱出は不可能だった。


 二人は善戦したものの、パニックに陥った従業員が足手まといになり、本来のコンビネーションを発揮できなかったのだ。

 ライアジンズ自体、五人で動くことを想定して陣形を組んでいるが、その要であるシーバンがいない状態では、これだけの相手と数には勝てなかった。

 マークパロスは身体中に傷を受け、左腕に深い裂傷を負って後退。

 レッパーソンも銃撃を頭部に受けて、木から落下。そこで敵との接近戦を強いられ、打撲と骨折によってホテル内に逃げるしかなかった。

 唯一幸運なことは、仮面の男たちはけっしてホテル内部に侵入してこなかったことだ。

 このことから彼らの役目は、ホテルから標的を逃がさないことだと思われた。



 こうして裏口からの脱出は失敗。



 脱出にてこずっていれば、表側も劣勢に追い込まれるのは自明の理だ。

 ついに裏スレイブたちが、総攻撃をかける。


「ちいいっ! 持ちこたえられん!!」


 ビギニンズが、その力を生かして数人を押さえつけるが、それ以上に相手の圧力のほうが強い。

 武器や術符も無限ではないし、人間の体力もいつか尽きる。

 ロビーに敵が雪崩れ込み、乱戦に発展してしまう。


「まずい! 侵入される!!」


 シーバンが、ロビーの奥に消えていく裏スレイブを発見。

 あそこには屋上に行くためのエレベーターが設置されているので、一気に本丸に攻め込むことが可能となってしまう。


「やつらを追わないと!」

「シーバン! お前が抜けると、こっちがもたない!! もっと最悪なことになるぞ!」

「くそっ!!」


 ここでシーバンが敵を追いかけてしまうと戦線が完全に崩れて、自分たちの身が危うくなるだけでなく、もっと多くの敵を送り込むことになってしまう。

 情に流されれば全滅する。

 戦闘経験が豊富なブルーハンターたちは、そのことが痛いほどよくわかっていた。


「俺は守れないのか! 希望を! あの柔らかく包まれる、至高の頂を!!」


 守りたい、そのおっぱい。

 哀しみに暮れるシーバンであるが、まだ希望は捨てない。

 捨てるわけにはいかないのだ!! おっぱいの勇者として!!


「俺は、俺たちは、最後まで諦めないぞおおおおおお!! 死んでもいい! 戦い抜くぞおおおおお!」


 シーバンたちは戦い続ける。

 アンシュラオンの期待?に応えて、その身を削ってロビーを死守していた。




 一方その頃、内部に侵入した裏スレイブたちは、エレベーターで最上階に向かっていた。


 ウィイイイン ゴトン


 最上階に到着。


「抵抗したら腕くらいはへし折ってもいいが、殺すなよ」

「わかっているさ。ぐへへ」

「少してこずったが、ここからがお楽しみだぜ」


 忘れそうになるが、スレイブとは雇用契約の一つである。

 言ってしまえば傭兵たちよりも、より濃く親密な距離感であるだけで、彼らも雇われた人間であることは同じだ。

 その雇い主が楽しんでいいと言っているのだから、彼らにしてみても素晴らしい雇用者としか言いようがない。

 そんな下劣な妄想に浸っている間に、扉が開いた。



 目の前に―――斧を持った女性。



「はあああああああ!!」



 待ち構えていたサリータが、術式斧の能力を発動。


 ブオオオオッ ドーーーンッ


「ぐえっ!!」


 強風が吹き荒れ、男たちを再びエレベーターに叩き戻す。

 B級術具、突扇斧《とっせんぷ》。

 風の術式が込められた術式武具で、突風を生み出す能力を持つ。

 この風は、マサゴロウでさえ動きを止められたほど強烈なため、まったく無警戒な彼らは、なすすべなくふっ飛ばされる。


「今だ! 撃て!!」

「え!? えっ!? う、撃つって!?」

「時間がないぞ! シャイナ、撃て!!」

「うううっ、このやろう…」

「ひいいっ!! 立たないで!!」


 パスパスパスッ ドスドスドスッ

 男たちが立ち上がろうとしたことに恐怖を覚えたのか、サリータの背後で銃を構えていたシャイナが発砲。

 いくらシャイナが素人とはいえ、さすがにこの距離で外すことのほうが難しい。

 銃弾は男たちに命中。

 ただし、相手はそれなりに腕の立つ者たちなので、この程度では死なない。

 そこに追撃。


「うおおおおお!!」


 ブンッ! ガスッ


「ぎゃっ!?」


 サリータが、男の脳天に斧を叩きつける。

 見事斧は、頭蓋骨を破壊して脳を破壊。

 魔獣と比べれば柔らかいものである。荒野での特訓が生きたのか、躊躇なく仕留めた。


「シャイナ、撃て!」

「ええええ!? また!?」

「全部撃ち尽くせ!! 死にたいのか!!!」

「ひ、ひいいいいい!」


 パスパスパスッ ドスドスドスッ

 サナが使っていた改造銃と同じなので、リボルバーのように回転させることで連続して発射が可能となっている。

 続けて三発発射。

 一発は外れたが、二発は男たちの動きを止めることに成功。


「師匠に逆らう愚か者め! 地獄で後悔しろ!」


 サリータが、持っていた大納魔射津を投げ入れ、ボタンを押してエレベーターの扉を閉める。


 チッ チッ チッ


 ボーーーーーーーーンッ!!


 エレベーターが爆発。




569話 「ルアン投入 その1『ルアンとセノア』」


 男たちは、エレベーターもろとも吹っ飛んだ。

 この至近距離かつ密室で爆発すれば、さすがの裏スレイブも死亡確定だ。


「ふぅ、なんとかなったな。さすがホロロ先輩だ」


 実はまだ戦気が出せないサリータでは、裏スレイブたちの相手はかなりしんどかっただろう。

 相手の戦気術が極めて雑で未熟とはいえ、まったく使えないよりはましだ。(裏スレイブの中でも使えない者は多いが)

 そうした戦力差を待ち伏せによってカバーした、というわけである。

 猪突猛進のサリータではこんなことは考えられないので、ホロロの指示によるものである。


「ひぃいいい、ひ、人を…人を撃っちゃった!!」


 安堵するサリータの隣で、シャイナが銃を持ったまま青ざめる。

 彼女の射撃によって致命傷に至ったわけではないが、相手を傷つけること自体が一般人には重荷なのだろう。


「ああああ! なんでこんなことに…! ここも地獄ですよ!!」

「甘ったれるな!! 気合だ! 根性だ! 子供たちを守ると言っただろう! 最後までやり遂げろ!」

「そのために手を汚すとは言ってないのにいいいい!」


 なんて女だ。何も提供していないのに、ただ守ってもらおうとは、あまりに都合の良い話である。

 だが、現実はそう甘くない。シャイナにもきっちり人殺しの責任を負ってもらうことにする。

 生きるためには何かを犠牲にしなければならない。それが相手の血ならば、自分が痛くないだけありがたいものであろう。



「無事、片付いたようですね」


 そこにラノアを連れたホロロがやってきた。

 彼女もメイド服の上から皮鎧を着ており、第一警備商隊から奪った銃を持っていた。(ラノアはサナの予備として作ってあったものを着せている)

 身軽に移動するために、それ以外のものは何も持っていない。着の身着のまま、というよりは、それ以外の財産がないだけのことだ。

 唯一あるとすれば自分の母親くらいだが、そのことも含めてアンシュラオンに任せてある。


「はっ! しかし、エレベーターを壊してしまって、よろしかったのでしょうか?」

「相手はホテル内部に詳しいわけではありませんから、そのほうがこちらに有利です。これで挟み撃ちされずに済みますからね」

「なるほど…。次はどうしますか?」

「非常階段を下りて、下の階でセノアを拾います」

「そんな悠長にしていて、本当に間に合うんですか!? ここは上の階なんですから、上ってきたら鉢合わせますよ!!」

「なさけない。あれだけ主人にかまってもらっているのに、まだ覚悟が決まっていないのですか?」

「だ、だってぇえええ! 怖いんですもの!」

「行きたくないのならば置いていきます。野蛮な連中の慰み者になって野垂れ死になさい」

「嫌ですううううう!! 助けてえぇええ!」

「うるさいぞ、シャイナ! お前は何を学んだ!! その手を血で汚せと教えてもらっただろう!」

「初耳ですけど!?」


 思えばシャイナは、荒野の修行に連れていってもらったわけでもなく、単に麻薬の売人を続けていただけだ。

 何も自己防衛手段を教わっておらず、いきなり実戦では喚くのも仕方ない。

 が、負け犬の泣き言など聞いている暇はないので、ホロロたちは迅速に移動を開始する。


 このホテルに、エレベーターは一つしかない。

 いくら高級ホテルといっても、東側の辺境都市レベルでは一つ置くのが精一杯である。

 そのエレベーターを壊した以上、残る手段は『階段』という原始的なものに限られる。

 そして、ホテルの階段は二種類存在する。

 一つは内部の通常階段。もう一つは外部の非常階段だ。

 通常階段はホテル内にあり、地上一階から地上二十五階まで繋がっている普通の階段だ。

 特に高層階において普通の客は階段でわざわざ上がらないので、従業員以外はあまり使用しないものといえるだろう。

 一方の非常階段は二十五階と二十四階に存在し、ホテルの外壁を伝って外に脱出することができるルートだ。

 アンシュラオンが借り切っているこの二つのエリアは、最上級の客をもてなすために造られたので、構造自体も下の階とは違うのである。

 まずはこの非常階段を使い、下でセノアと合流することを目的としている。



 では、その下の階の様子を少し見てみよう。



 二十四階に誰がいたのかは、もう述べた通りだ。


 彼の名前は、ルーアノーン。


 略してルアンと呼ばれる存在だ。

 マングラスの筆頭監察官であるレブファトの息子にして、アンシュラオン打倒を誓う十二歳の少年である。

 彼は年下のサナにあっさりと負ける程度の弱い存在であった。

 しかし、根性はある。我慢する力だけは人並み外れたものがある。

 アンシュラオンはそんな彼を気に入って、さまざまな【薬の実験台】にしていた。

 その中には、ベ・ヴェルに投与された『凛倣過《りんほうか》』と呼ばれる生体磁気を活性化させる増強剤も含まれている。

 このアンプルは普通は一回、最低でも一週間の間隔をあけて一本使うのが一般的だ。

 ソブカが隠し持っていたくらいなので、かなり強力な薬のため、それくらいにしておかないと身体への悪影響が半端ないのである。


 が、それをルアンは、【五本投与】した。


 この短期間で、それだけ投与すれば―――



「ふーーーふーーーー!! ううううううう!!」



 ギチギチギチッ!!

 少年が持つ綺麗でしなやかな筋肉など、もはや見る影もない。

 その白い服の中は頑強な筋肉の鎧で覆われ、「よっ、肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい!」といったマッチョな世界が待ち受けている。(あるいは四万十川でも可能)

 さらに凛倣過に加え、置いていった薬物のすべてを投与している。

 アンシュラオンが薬の安全性など考えるわけもなく、相性や副作用なども知らないため、本当に適当に置いていったものである。

 そんなものを手当たり次第に投与すれば、常に全身に痛みが走るのは当たり前。

 眠れなくなるのは当たり前。頭痛が起こり、幻覚が見えるのは当たり前。

 精神過敏になるのは、当たり前!!!


「呼んでる…だと!! あいつが……あいつがああ!! はーーーはーーー! どこまでもあいつは…腐って腐って腐って!! 腐ってやがる!!!」


 ドゴンッ! ミシィッ

 ルアンが壁に拳を叩き込む。

 この壁はアンシュラオンが命気結晶で強化したので、そう簡単に壊れるものではないが、叩いた部分がほんのわずかだけ軋んだ。

 以前の彼ならば、まずありえない現象だ。

 いくら薬物投与で強化されたとはいえ、そう簡単に人はここまで強くはなれない。

 なればこそ理由がある。


 その一つが―――命気水。


 ルアンに与えたものは、サナが飲んでいるものと同じ濃度かつ、アンシュラオンが直接生み出したものだ。スラウキンが生み出した紛い物とは根本が違う。

 この命気水があればこそ、さまざまな薬を飲んでも副作用が出にくく、なおかつ相乗効果によってムキムキな身体になっていくのだ。

 だが、薬を使えば代償を支払わねばならない。


「ルアン君…大丈夫? 手、痛くないの?」

「お前は…はぁはぁ…ううう…誰だ……」

「セノアだよ。また忘れちゃったの?」

「せ、セノア…うううっ! 頭が痛い…!」


 記憶障害の症状が出ており、物忘れも酷くなる。

 今の彼ならば、今朝食べたものすら忘れるに違いない。


「あ、あの、頭が痛いなら…無理をしないほうが……」

「無理…無理だと!! 僕に無理なんてないんだ!!! あいつを殺すまで僕は…ううう! 薬…薬を……!」

「もうやめたほうがいいよ…」

「うるさい! 薬を…! 早くクスリを…!!」

「はい、薬ならここにあるわよ」

「薬…!! これがあれば…僕は…強くなれる!!」

「ミチルさん! どうして!」

「セノアちゃん…もう無理なの。私たち…薬がないと生きていけないの」


 この部屋には、ルアンとセノア、ミチルことリンダの三人がいた。

 アンシュラオンの命令通り、ルアンの世話はリンダがやっていたので、彼女がここにいることはおかしくはない。


「僕と…あなたを一緒にするな…! 僕はあいつには…負けない!」


 ただしルアンは、リンダに嫌悪感を抱いていた。

 自分がもっとも嫌う相手に媚びへつらい、抵抗することも忘れて薬漬けになる彼女が、あまりに弱々しくて嫌いだったのだ。


「無理よ。そんなこと…無理よ…どうせ無理なのよ…」

「無理なんて言うなあぁあああ!」


 ドゴンッ

 ルアンは力任せに壁を殴りつける。

 ピシッ

 ほんのほんのわずかだが、かすかに傷が入った。

 おそらくヤキチがポン刀で斬っても、傷一つ付かないであろう壁に、わずかながら傷を付けた。

 だがその代償として―――


「うううううう!!」


 ビシイイイッ

 筋肉に強い負荷とダメージが入り、薬でさえ鎮静できない強烈な痛みが走る。

 これはもはや痛みというよりは拒絶反応に近い。身体の限界を超えて薬を投与した結果だ。


「ルアン君…」

「ルアン…時間よ。ほら、これを…」


 心配するセノアをよそに、リンダは命令に従い『白い仮面』を持ってくる。


「仮面…!! 仮面!!! なんて醜い仮面だ!!」

「いちいち声を荒げないで…疲れるの」

「反吐が出る!! あんたたちのような弱いやつらには、本当に反吐が出る!!!」

「あなただって同じでしょう? 命令に従うしかないのよ。それを被って、戦いなさい」

「戦う? 誰と…?」

「それは…すぐにわかるわ。あなたは頭がいいもの」

「何を言っているのか…理解できない。だが…外に出ないと……お父さんの正義を守らないと…僕は僕は僕は……守らないといけないんだ…」

「武器を忘れないように」

「武器…ああ、そうだ。殺すには…武器が必要だ……」


 アンシュラオンに従わないと言いながら、白い仮面を被って武器を持ち、ふらついた足取りで部屋の外に出ていく。

 意識はかろうじて存在しているが、すでに正常な判断ができていないらしい。これも薬の副作用である。


「ミチルさん、どうして止めないんですか!!」

「止める? どうして?」

「このホテルが襲われているんですよね? なら、どうしてルアン君を向かわせるんですか? あんな状態で戦えるわけないじゃないですか!」

「声を荒げないで…」

「あっ、すみません…。でも、こんなのおかしいです。変です」


 おとなしいセノアにしては珍しく、目上の人間に声を荒げる。(実際はセノアのほうが何千倍も地位が上だが)

 彼女がこうした感情を見せるのは、やはりルアンが同世代だからだろうか。

 なぜセノアがここにいるかといえば、今日に限っては連絡係だが、彼女もルアンの世話を少しだけしていたからだ。

 世話といってもリンダのように直接関与するというよりは、掃除や物の片付け等、間接的な接触にとどまっていた。

 ただ、セノアは頭がいいし、こうして近くにいれば次第に状況がわかってくる。

 少しずつリンダに事情を訊いて、ルアンの異常性に気付くことになったというわけだ。(詳細な生い立ちは教えてもらっていないが、ホロロから手伝いの許可はもらっている=アンシュラオンも知っている)


「ふふふ…セノアちゃん、緊張しているの?」

「は、はい。だって…こんなことになるなんて…」

「もしかして、あの…あのひとの…あのあの…はーーはーーー!!」

「大丈夫ですか!?」

「だ、だいじょう…ぶよ。もし、あの人の……ことを…疑っているなら……やめたほうがいいわ。服従しなさい。心の底から這いつくばって…媚びて、従うの。あなたの主人は……おぉぉ…怖ろしい人…だもの」


 シーバンに茶を差し入れていたことからも、ビッグの予想に反して、リンダは表に自由に出られるような状態だった。

 彼女が逃げ出そうと思えば、たしかにそれも可能だっただろう。

 だが、そんな怖ろしいことはできない。もしそんなことをすれば、自分の身だけでは済まない大惨事が起きるだろう。

 彼女たちが唯一助かる道は、ただただ従うこと。リンダはそれをよく知っていた。


「あなたの主人はね…いつだってあなたたちを見ているのよ…。だから心配することはないの。あなたたちがしっかり動けるか…見ているだけなのよ。子供のあなたには、まだわからないかもしれないけれど…これが真実よ」

「私はどうすればいいんですか?」

「そんなこと簡単よ。私を見て、知ればいいの。あとはあなたの好きにしなさい。あなたの主人が許す限りの範囲内で…好きにしなさい。私とは二度と会うことはないでしょうけど…忘れないでね。受け入れて…従うのよ」

「ルアン君は救えないんですか?」

「彼が自分で望んだことだもの。放っておきなさい」

「………」

「もう行きなさい。私も最後の仕事をしないと…元気でね」

「はい…さようなら。ありがとう…ございました」


 セノアも親との別れを経験していることもあり、こういうことには慣れていた。

 これが荒野で暮らすということだ。

 出会いと別れが当たり前にある世界。だから子供であっても強くあらねばならない。


 セノアは、ゆっくりと部屋から出ていった。


 まだ納得はしていないかもしれないが、そもそも彼女にはそんな権利もないのだ。

 それをよく知るからこそ、セノアは現状を受け入れて過ごしているのだろう。

 だが、彼女とリンダとでは決定的な違いがある。


「あなたは幸運よ。この世で一番怖ろしい存在に飼われるのですもの…私とは違うわ」


 リンダにはリンダの役目がある。それに従えば、少なくとも彼女の命は保証される。

 そして、ビッグの命も。

 それが魔人との契約なのだから。




570話 「ルアン投入 その2『悪の元凶』」


「はー、はーーー」


 ルアンが、ホテルの通路を蛇行しながら歩いていく。

 真っ直ぐに歩くことすら困難な状態とは、まさに病人に近い。

 視界が歪む。ぐらぐらと揺れる。


(僕は…何をしているんだ? そもそも僕は…誰だ?)


 記憶障害が進んで、自分のことすらよくわからなくなっていた。

 これは一時的なものなので問題はないが、状況認識能力が乏しいのは危険である。

 ずるっ ゴトゴトゴトンッ

 目の前が階段であったこともわからず、下まで一気に転げ落ちる。

 頭から落ちたので、常人ならば死ぬかもしれないが、今の強化されたルアンは痛みをほとんど感じていなかった。


「………」


 何事もなく、むくりと立ち上がり、しばらくボーっとする。

 そのまま何をするわけでもなく、階段の踊り場にいた。

 そんな時だ。


 侵入してきた裏スレイブと―――鉢合わせ。


 エレベーターが使えない今、唯一上層階に上る方法が階段である。

 もともと彼らは、このホテル内にいるすべての人間を、拘束および排除しようとしていた。

 エレベーターで最上階に上がり、そこから下に向かっていく部隊と、下から階段を使って上を制圧していく部隊とに分かれている。

 しばらくシーバンが押さえ込んでいたが、次第に突破されたことで、ついに階段を使って上がってきたのである。


「っ! 仮面の男…!」

「まさか…ホワイトなのか!?」


 ルアンを見た彼らの動きが止まった。

 まさかここにホワイトがいるとは、夢にも思わなかったのだろう。

 緊迫した空気が流れる。


(ホワイト…? こいつら…何を言っているんだ?)


 今のルアンは自覚がまったくないが、正常な精神状態で鏡を見れば、自身が「ホワイトそっくり」であることに気付くだろう。

 実は薬の影響で髪の毛も白髪になっているため、仮面と服を含めて全身真っ白である。

 多少色が残った部分は、ルアンの意識がない間にリンダが脱色しているので、どのみち白になる予定だった。


 ホワイトが、いる。


 この情報は裏スレイブたちには伝わっていないので、どう対処していいのかわからず動きが止まったのだ。

 ただ、それも長くは続かない。


「このホテルにいる者は誰だろうが関係ない! 男ならなおさらだ! 殺せ!」

「だ、だが、ホワイトなら…勝てる相手じゃないぞ! ハングラスに雇われた暗殺者も殺されたっていうし…第一警備商隊も倒したんだぞ!」

「俺たちだって、後には引けないんだぞ! やるしかない!」


 男が銃を構え、ルアンを狙う。

 ルアンは状況が理解できていないため、そのまま棒立ちだ。


―――銃撃


 パスパスッ ドスッ


「うぐっ…」


 そこまで距離が離れているわけではないので、一発がルアンの胸に命中。

 いきなりの衝撃にどうすることもできず、前のめりに倒れた。


「………」

「………」

「………」


 誰もが動かない。

 裏スレイブ業界でもホワイトの話は有名であるため、この程度で死ぬとは思っていない。

 だが、ルアンはそのまま動かなかった。

 しばらく注視していた裏スレイブも、少しずつ状況を認識し始める。


「もしかして…倒した…のか?」

「お、おう…そんな…感じだな」

「本当に…本当なのか?」

「あ、ああ…だって動かないしな……」

「お、おおお! これは大金星ってやつじゃないのか!?」

「きっとボーナスが出るぞ! これでやばい裏スレイブ生活からもおさらばだ!」


 男たちは、まさかの事態に大歓喜であった。

 たしかにルアンは薬によって強くなったが、まだ普通の子供である。

 戦闘に駆り出せば、こうなることは誰にでもわかるだろう。





「セノア、大丈夫か!」

「あ、サリータさん」


 一方その頃、セノアは非常階段において、二十四階に下りてきたサリータたちと合流する。


「すぐにホテルを脱出するぞ。準備を急げ」

「は、はい!」

「お前も銃を持て。使い方は教えた通りだ。シャイナでは不安だしな」

「わ、わかりました!」

「うう、私だって好きでやっているわけじゃないのに…」


 セノアも皮鎧を着て、脱出の準備をする。

 まだ子供といえる年齢ではあるが、ラノアよりは成長しているため、銃を任せて大丈夫だろう。


「ルアンはどうしました?」

「彼は…行きました」


 ホロロの問いに、セノアが俯いて答える。

 まだルアンのことを気にしているのだろう。表情は暗いままだ。

 それとは対照的に、ホロロは事務的に受け止める。


「そうですか。ご苦労様です。あなたたちの能力は、やはり便利ですね」

「ありがとうございます」

「これからもアンシュラオン様のために役立てなさい。それが自らの生活を豊かにするでしょう」

「…はい」

「ホロロ先輩、まだここには敵が到達していないようです」


 その間にサリータが、非常口から通路の様子をうかがう。

 ルアンの意識には残っていないが、彼は知らずの間に二十二階まで下りていたのだ。

 あの銃撃は、そこでの出来事である。


「非常階段を使って、一気に外に出ますか?」

「いいえ、今行っても敵がまだいますから、もう少しここで待ちましょう。私には、主から授かった策がありますから大丈夫です」

「はい! 師匠にお任せすれば、何も問題はありませんね!」

「おかしいですよ! どうしてそんなに信じられるんですか! あの人、いつも適当なんですから、簡単に信じちゃ駄目ですって!」

「なんだその口の利き方は!! 立場をわきまえろ! ばちんっ!」

「あいたー! ビンタされたーーーー!」


 サリータのビンタがシャイナに炸裂である。

 これは後輩を指導するために仕方なくやる体罰なので、まったくもって罪ではない。


「あ、あの…! 彼は大丈夫なんですか!?」


 目の前でそんなことがあっても完全スルーしたセノアが、ホロロに訊ねる。

 今は駄犬にかまっている暇はないのだ。


「彼?」

「る、ルアン君です」

「大丈夫とは、どういう意味ですか?」

「あのまま行かせたら…死んじゃうんじゃないかと…行かなくても死にそうですし」

「同情する必要はありません。彼は自らの意思で戦いを欲しているのです。その実戦の機会を与えてくださった主人に感謝こそすれ、恨む理由はないでしょう」

「もしかして…彼を【囮】にするのですか? ここで待っているのは、そのためですか?」

「ええ、そうです。そのためにここに置いていたのですから」


 ホロロは即答。まったく迷いがない。

 なにせこれもアンシュラオンの計画の一つだからだ。

 ルアンを気に入ったのは、根性があることだけが理由ではない。

 これも前から言っているように、いざという場合において『影武者』として利用するためだ。

 強くしてやるのだ。それくらいは役立ってもらわねば割に合わない。

 そして、ここで一つのビッグの誤算が生まれている。

 口からでまかせで言ったことではあるが、実際にここにはそのための人材が配置されていたのだ。


「彼に敵の注意を引き付けてもらいます。そうすれば、こちら側の負担が減ります」

「そんな…無理ですよ。死んじゃう…」

「セノア、なぜ彼にそこまで入れ込むのですか。もしや、やましい感情でも抱いたのですか?」

「や、やましい?」

「あなたも若いとはいえ女です。そういう『男女の感情』を抱くこともあるでしょう」

「そ、そんなことは! 私はご主人様だけに仕えています!」

「それならばよろしい。あなたが考えることは、ただただ主人の命令に従うことだけ。それだけで十分です」

「はい、わかっています。…ただ少し…気になって…」

「従者なのですから、仕える者を履き違えてはいけません。彼は単なる道具にすぎません。余計な情は身を滅ぼしますよ」

「…はい」


 セノアには、頷くしかなかった。

 自身は何の力もない少女だ。もしアンシュラオンから見放されれば、また路頭に迷うしかなくなる。

 しかも能力を知られているので、下手をすれば危険視されて処分される可能性もある。

 もちろんアンシュラオンは、そんなもったいないことはしないが、敵に厳しいことは事実だ。彼女が不安に思うことも致し方がないだろう。

 しかし、こうした普通の感情を持つからこそ、彼女には存在する意味があるとアンシュラオンは考えている。

 ホロロのように、心の底から幸福感に満ち溢れた従者のほうが異常なのだ。

 普通の感性を持つセノアの存在が、他のスレイブにも張りと彩りを与えてくれるに違いない。


「ご主人様は、彼を簡単に殺すつもりはありません。まだ役に立ちますからね。そこは安心なさい」


 レブファトとの契約があるので、ルアンはまだ殺すつもりはない。

 グマシカと遭遇したといっても偶発的で、いまだ居場所を知るに至っていない。

 彼が聖域に引きこもっていれば見つけるのは困難だが、このたびの接触において表に出てくることも考えられる。

 そうしたことも考えて、わざわざレブファトという人物を引き込んだのだ。

 まだ投資に見合うメリットを回収できていない以上、アンシュラオンがルアンを殺すことはありえない。

 ただし、いつだって事故は存在する。予期せぬことが起こるものだ。


(仮に死んだとしても、それはそれでマングラス側に対して不信感を与えることができます。さすがはご主人様。あなたなんて素敵なのでしょう。すべてがあなた様の手の中で動いております)


 マングラスがルアンを殺せば、レブファトはアンシュラオンを憎むかもしれないが、直接手を下したマングラスに強い不信感を抱くだろう。

 そうした不協和音と憎しみを利用すれば、まだまだ使える駒として動いてくれるに違いない。

 よって、どちらに転んでもよいのだ。





(なんだ…こいつら。誰だ…?)


 銃で撃たれたルアンは、生きていた。

 肉体がかなり強化されているので、普通に銃をくらっただけでは死なない。

 むしろ、それによって刺激を受け、少しずつ頭がはっきりしてくる。


(そうだ。僕は…ルアン。ルーアノーンだ! 思い出した…。じゃあ、こいつらは…誰だ? あの首のジュエルは…スレイブ…なのか?)


 倒れながらも視線を首元に向けると、たしかに彼らの首には緑のスレイブ・ギアスが存在した。

 スレイブ。スレイブ。スレイブ。

 その単語が、頭の中をぐるぐると回る。


(どうしてここにスレイブが…? …そうか、兵隊代わりか…。前にお父さんが、そういう役割で使われるスレイブがいるって言ってた。裏スレイブ…だっけ)


 ルアンの意識が覚醒していくうちに、情報を整理するだけの余裕が生まれた。

 これもまたすぐに忘れてしまうかもしれないが、今の彼は平常時のルアンの思考に近い状態にあった。

 だからこそ、気付く。


(こいつらは【誰に雇われている】んだ? 誰が襲っているんだ?)


 ルアンは何も知らない。ワカマツのことも知らない。

 シーバンは、おっぱいの妖精からの情報によって、彼らがマングラスに雇われていると思ったようだ。

 それは事実だった。


―――最初のチンピラ部隊【だけ】は


 彼らは自ら「マングラスの兵隊」と名乗ったので、ワカマツに用意されたのは間違いない。

 しかし裏スレイブたちは、誰に雇われたとは言っていない。

 これから死ぬ相手に、そんなことを言う理由もないだろう。


 では、誰か。


 薬の力で妙に感覚が鋭敏になっているルアンには、そのスレイブ・ギアスに込められている『思念』が少しだけ見えた。

 おそらく命気水を飲んだことや、彼も命気によって治療されたことが要因なのだろう。


 この感覚は、この醜悪な臭いは―――



(―――ホワイト…!! またあいつ…か!!!)



 裏スレイブたちを操っている【真なる存在】に気付く。

 すべての黒幕にして、人々たちをあざ笑い、自己の快楽の道具にしている悪の元凶!!!

 そして用済みとなればすべてを破壊して、利益だけを奪っていく悪魔のような男。


「お前…たちは……!! お前たちのようなクズが…いるから!!」


 ぐぐ ぐぐぐっ

 ルアンが、ゆっくりと起きる。

 その目に、ついに【意思の力】が宿った。

 身体は強制的に強化されても、意思だけは自ら生み出すしかない。



「ううううっ…うおおおおおおおおおおおお!!」



 ボボボッ ボオオオオオオオッ!

 そして、着火。

 ルアンの怒りに呼応するかのごとく、身体から揺らめく炎が生まれる。

 怒り、怒り、怒り!!!



 それは―――怒りぃいいいいいいいいいいいい!!



「全員、殺す!!!! あいつの言いなりになるやつは、全員殺すぅうううううう!!」




571話 「ルアン投入 その3『仕組まれた終焉のシナリオ』」


 ここでルアンは、この戦いにおける真なる元凶に気付く。


 裏スレイブを操っているのは―――アンシュラオン。


 唯一スレイブという点が大ヒントであるが、この構図に気付く人間は、ほとんどいないだろう。

 アンシュラオンは、ホワイト商会を設立した時から、この『終わりのシナリオ』を考えていた。

 彼の目的は金であり、目立つことではない。むしろ目立たないで金だけを得て、好き勝手暮らすことを重要視している。

 ではなぜ、このようなあからさまに目立つ戦いをしていたかといえば、それもソブカとの対談ですべてが語られている。

 都市を力で支配すれば金は手に入るかもしれないが、愚者の管理をするなんて面倒である。自由に遊ぶ金だけが欲しいのだ。

 そう思ったきっかけは、なんとも皮肉なことに、ホテルにリンダたち密偵が入り込んだことによって生まれた。

 「おいおい、人が自由に暮らしているのに、勝手に干渉してくるんじゃねえよ」という気持ちである。

 されど、どうしても目立つ以上、これからもこうした者たちは付きまとうだろう。それを排除するのは簡単だが面倒臭い。

 それならばいっそのこと、自身と結託したソブカに権力を持たせて都市を支配させ、金だけを提供させればよくね? という結論に至る。

 ただ、ラングラスがあまりに弱小だったので、周囲の派閥の戦力を削る必要が生じた。そのために生まれたのがホワイト商会だ。

 大暴れしたホワイト商会は、戦力を潰しつつ他派閥の財産を奪い、ソブカはそれを吸収して力を蓄える。

 そして、最後にはラングラスの手によってホワイト商会は倒され、彼らに大義名分と都市で躍進するきっかけを与える。

 それはもう終わった。見事にやってくれた。

 まだ詰めが残っているが、ひとまずホワイト商会は潰れ、投資は実った。


 あとは【自身の痕跡を消す】だけだ。


 金が入っても付きまとわれたら不快なだけだ。

 よって、このホテルを放棄し、すべてを闇に葬るつもりでいた。

 ホテルの従業員のように、『ホワイト』と関わった人間(気に入った者以外)にはすべて死んでもらう必要がある。

 その役割を持った駒には、ワカマツが名乗り出た。

 アンシュラオンが各派閥で恨みを買ったのは、そういう人材を探すためだ。

 ただし、仮に自分に対して反抗する者が現れなかった場合にそなえ、自ら駒を用意していた。

 それが裏スレイブと裏口に出現した仮面の男たちだ。

 執拗に顔を潰して回っていたのは、ホロロたちがここで死んだように見せかけるためにほかならない。(人数合わせのための死体もすでに確保している)

 表から侵入した裏スレイブは、ワカマツが指示したものと同じような内容の命令をされているので、彼らは何も知らない道具なのである。そのほうがリアリティが出るからだ。


 また、裏スレイブがいるならシーバンたちを雇う理由がないと思うかもしれないが、ここにも事情がある。

 裏スレイブはモヒカンが代理契約によって用意した者たちであるが、これだけの戦力を平時に上級街に送り込むのは不可能である。

 さすがの衛士も馬鹿ではないし、他派閥の目もある。すぐにバレるはずだ。


 だがしかし、【制裁】の時ならば別。


 この時だけは、上級外がごった返して混乱に包まれる。現に戦罪者が暴れたことで、いまだ事務所周りは騒然としている。

 今ならば、怪しい集団がたむろしていても誰も気にかけない。

 そもそも偽の書類によって、登録上はマングラスが雇ったことになっているので、普通に調べただけでは誰が雇ったのかわからないようになっている。(守秘義務を使っている)

 シーバンたちは、それまでの繋ぎで雇ったものだ。

 もし彼らが死ねばそれでいいし、生き残れば信用できる駒として、これからまた何かで使えばいい。そう思ったにすぎない。

 証拠隠滅に使った裏スレイブも、あとですべて処分するつもりだ。もとより使い捨ての駒であるし、生かしておけば心配の種が残るだろう。

 そしてすべての処分が終わったあと、自身は何事もなかったかのように悠々と生きていけばいい。

 まったりハーレムを楽しんでもいいし、サナの育成に勤しんでもいいだろう。



 なんという―――悪!!



 これほど悪質なマッチポンプは存在しない。(自分で火を付けて、自分で消すこと。自作自演)

 さらにそれをサリータたちの『避難訓練』に利用するなどと、もはや常人の考えではない。

 人を人だと思っていない、映画でしか見ない生粋の犯罪者の思考である。

 その企みに、ルアンは気付いてしまった。

 すべてではないが、ホテルに向けられる悪意に気付いてしまった。



「許さない…!! 許さない!!! あいつだけは…許しちゃいけないいいいいい!!」



 ボオオオオオッ!!

 まだまだ未熟なれど、彼からゆらゆらと揺らめく炎が噴き出る。

 強化された生体磁気と激しい闘争本能が、周囲の神の粒子を巻き上げて燃え盛っていく。

 その怒りは、目の前にいる『魔人の低級道具』に向けられる。


「お前たちはぁああああああああああ!」

「っ…!」


 ルアンが階段から跳び、男たちに向かって落ちていく。

 ドンッ!!

 男と激突。押し倒すと、顔面を殴る。

 ドゴバキッ! グチャッ!

 勢いに任せて二度三度殴ると、男の頭はスイカのように割れてしまった。

 真っ赤な血が割れた額からドバッと噴き出て、そのまま意識を失い絶命する。


「ふーーー、ふーーーーー!! なにが『おめでとう』だ!!! ふざけるな!!!」


 実はこれが、ルアンの初めての『殺人』であった。

 もしここにアンシュラオンがいたら「おめでとう、ようやく童貞の卒業だな」と言いそうであるし、実際に言うだろう。

 それが幻聴となって聴こえるほど、今のルアンは【危ない】。


「まだ生きていたのか! よくもやったな!」

「よくも、よくも…だと! お前たちの頭が悪いからだろうがああああああああ!!」


 あの男が好き勝手やれるのも、こういう愚者がいるからだ。

 あんなやつの言うことを聞く人間がいるからだ。


 そんなやつらは、全員死ねばいい。


 戦気は身体能力を何倍にも引き上げる。今の強化されたルアンの肉体ならば、相手がトリガーを引く前に―――

 ブスウウウウウッ

 持っていた小太刀を腹に突き刺す。

 アンシュラオンからもらった術具、『猩紅《しょうこう》の小太刀』である。

 意識ははっきりしていなくても、この武器だけはしっかりと握り締めていたのだ。


「ご…ぶっ……ちく…しょうっ」

「死ね!!!」


 ズバッ!!

 それから体重をかけて腹を切り裂き、下腹部(竿と玉含む)まで一気に切り裂く。


「がっ―――!?」


 ズルルッ ばちゃっ バタン

 男は臓物を撒き散らしながら、ショックで倒れた。

 まだ絶命はしていないが、そのまま失血死は間違いない。

 ルアン、二人目の殺人達成である。


「うううっ…うう! やめろ! おめでとうと言うな!!! なにがめでたい!!! 何が何が何が…!! 何が楽しいぃいいいいいいいいいい!!!」


 頭の中で常時、幻聴が聴こえる。

 それだけではない。目の前にアンシュラオンがいるような幻覚も見えている。

 あの男は、笑っている。自分を見て笑っている。


「違う、違う、違う!! 僕は僕は…!! この手を汚すなんて…汚して汚して…穢れて…!! はぁーーはぁーーーー!! 手が…赤い!!!」


 今になって、自分の手が赤く染まっていることに気付く。

 人を殺した証。罪を犯した証。

 荒野ではこれが当たり前。誰だって生き残るために手を赤く汚さないといけない。

 だが、ついこの前まで普通に暮らしていたルアンにとって、それはあまりに非現実的で悪徳の象徴でもあった。

 父親は言った、「真面目にやっていれば、いつか報われる」と。

 母親は言った、「いつも人のために尽くしてがんばりなさい」と。



「お父さん…お母さん……僕は…人を殺したんだ。もう戻れないんだ…あの頃には……もう」



 少年は、一滴だけ涙を流した。

 ほんの少しだけ悔恨の念が宿った。

 大切に育ててくれた両親に対して、感謝と謝罪の時間が必要だったのだ。

 だがしかし、それも本当に少しの間のことであった。


 ぞわっ ぞわわっ


 そんな哀しみを遥かに凌駕する身震いするほどの怒りが、自身の中から湧き上がってきた。

 正義を求める心が、覚醒を始めた武人の血が、燃え盛る闘争本能が、戦いを、闘争を、殺し合いを欲する。


「ふふ…ふふふ……力だ…!!! これは力だ…!! 僕は力を手に入れたんだ…!! でもまだ足りない。もっともっと力が欲しい!! そうか。そういうことか。殺せば殺すほど…強くなるんだ!!」


 ルアンの中に、罪の意識を上回るほどの【快楽】が芽生えた。

 物理的な強さを得たことによる軽い全能感と、さらなる快楽を求める欲求と探求心が生まれたのだ。


「殺す…すべて……殺す!! 悪鬼となっても、悪魔となっても…あいつを殺すためならば……はは…ははははははは!!! これでいいんだ!! 僕は…正義だ!! 正義なら、何をしてもいいんだ!!」


 この時、ルアンは自分が思っている以上に壊れていた。

 薬によって自制という『たが』が外れたため、ただただ自己の欲求しか見えなくなっていた。

 薬が怖いのは、こういう点だ。自分ではどうしようもないから、世には中毒者が溢れているのである。

 しかし、求めたのは自分。

 強くあらねばならないと思ったのは自分。

 正義を求めた責任は、自らが負うのだ。



 ルアンは、そのまま下の階に移動しながら、接触した裏スレイブと戦闘を開始。



「なっ…仮面の男!?」


 まず誰もが、ルアンの存在に驚く。

 しかし、それはすでに戦闘態勢に入っていたルアンにとっては油断であり、無防備でしかない。

 階段からジャンプして飛びかかり、頭に小太刀を振り下ろした。

 その男は鉄製の兜を被っていたが、猩紅の小太刀の能力が発動。

 ジュウウウッ ズブッ!!

 一瞬で溶解し、頭部に突き刺さる。

 ルアンが初めて使った時とは、明らかに術式の発動速度が異なる。

 この術具は術者の生体磁気をエネルギーにして力を発揮するので、戦気を放出できるまでに至ったルアンならば、本来の性能を引き出せるというわけだ。


「うごおおおっ…」


 頭を刺されているのに、男はルアンを羽交い絞めにする。

 これが武人の怖ろしいところだ。簡単には死なない。(男は『武人もどき』のレベルだが)


「うううううっ!! 死ね、死ね、死ね!!」


 ぐぐぐうっ ズズズズッ

 羽交い絞めにされながらも腕を動かし、相手の脳を掻き回す。

 そのうえで小太刀の熱が浸透し―――蒸発。

 ボシュンッ バタンッ

 脳みそが焼け焦げた男が、ルアンごと倒れて死亡。

 おめでとう、三人目だ。


「死ねや!!」


 もう一人の男が、倒れたルアンに斧で攻撃を仕掛ける。


「こんなところで…死ねるかあああ!」


 ルアンは死体を蹴り上げて盾にする。

 ブーンッ グシャッ

 斧は死体に突き刺さり貫通するも、それによって動きを封じられた。


(足を狙って…!!)


 ここで無意識のうちに日々のトレーニングが生きる。

 自分より大きな敵を相手にする場合は、まず足元。

 横から抜け出たルアンは、相手の足元に滑り込むと、小太刀を足に突き刺す。

 ガリガリガリッ ジュウッ ブスッ!

 最初は少しだけレガースの抵抗を受けたが、こちらも猩紅の小太刀の力によって打破。

 脛を抉り、内部にまで刺さる。


「うがっ! くそっ!!!」


 死体から斧を抜いた男が、ルアンを上から攻撃しようとするが、それもまた鎧人形トレーニングで経験済みだった。

 すかさず小太刀を離して身を屈め、攻撃をよけると、死んだ男が持っていたハンマーを手に取り、腰に叩き付けた。

 ブーーーンッ バゴンッ


「ぐあっ!!」


 今のルアンの力は、大の大人すら超えるものだ。

 その腕力で叩きつけられれば、骨盤が骨折するのは当然だろう。

 そこで上半身が下りてきたところに、パンチ。

 ドガッ ぼぎんっ

 躊躇なく相手の鼻を潰し、骨を砕く。


「うああああああ!!! 死ね、死ね、死ねぇえええ!!」


 そこからは、もうがむしゃら。

 殴る殴る殴る!!!

 ドガバキッ グシャッ!!
 ドガバキッ グシャッ!!
 ドガバキッ グシャッ!!

 相手が倒れて、手から力が抜けても殴り続ける。

 気付いた時には相手の頭は潰れ、死んでいた。

 それを殴っていた自身の手も、テーピングをしている右手は無事でも、左拳の皮がめくれて出血していた。


 血を見たルアンが―――笑う。



「はは…ははは! 死んだ、死んだ、死んだ!! あははははははは!! あーーーーーははっはははははははっ!! 見たか! 正義は勝つんだ!! このまま全員殺してやる!!」



 そして、猩紅の小太刀を手に収め、階段を下りていった。


 しかし、彼は気付いているのだろうか。

 皮肉なことに、それもまたアンシュラオンの思い通りであることを。

 それはともかく、とりあえずこう言っておこうか。


 これで四人目だ。おめでとう。




572話 「交錯する陰謀 その1『防波堤、決壊』」


 ホワイト商会の設立から終焉までの悪質なるシナリオが、ようやく幕を下ろそうとしていた。

 あくまで表側の戦いの一幕ではあるが、今まで行われてきたことは、すべてこのためにあった。

 ある意味で、一つの区切り。

 リンダが登場してから退出するまでの一連の流れが、ここで終わるのだ。

 そして、この舞台の要となる男もまた、陰謀吹き荒れるホテルに到着した。


「なんだよ、あの煙は!! もう始まっているのかよ!?」


 ソイドビッグがホテルに到着した頃、すでに周囲は酷い有様だった。

 シーバンやマークパロスが使った火の攻撃で石畳は焼け焦げ、銃撃戦によって建物の壁や木々のあちこちに弾痕が刻まれている。

 もちろん、死体もあちこちに転がっていた。

 今は夜なので目立たないが、昼間になればいかに大きな戦いであったかがわかるだろう。


「あのワカマツという男、かなり危うい精神状態であったが、それなりの戦力は投入したようだな」

「ですが、相手側も戦力を残していたようですね。まだ抗戦中のようですよ」


 その後ろにはJBとラブヘイアもいた。

 ワカマツはクロスライルと一緒に収監砦に向かったので、ここにはいない。

 上級街から第三城壁内部に行くためにはかなり時間がかかるため、こちらを見学している暇はないというわけだ。

 あくまで目的はホワイトである。ワカマツはそれを優先したにすぎない。


「まずい…まずいぞ…! これはまずい!」

「ホワイトという男は、戦罪者たちよりも強いのであろう? この程度の戦力でどうなるものでもあるまい。手柄を取られる心配はない」

「そ、それは…そうなんだが…」


(このままじゃリンダが危ない!! 強引に突破してでも中に入るしかないか…!)


 ここで一番困ったのがソイドビッグだろう。

 状況はかなり切羽詰っている。もたもたしていたらリンダが死んでしまう。

 そう思って強行突破を思案していたところ、JBが歩き出した。

 スタスタスタッ

 おもむろにホテルのロビーに向かうと、そこで武器弾薬の管理をしていた裏スレイブを―――


「邪魔だ。どけ」


 ボゴンッ


「ぐえっ!?」


 ぶん殴って、吹き飛ばす。

 ちなみに彼の腕だが、エバーマインドが安定したことで再生が済んでいる。

 思想の勝負でビッグが勝ったことが最大の要因であろう。

 ドゴンッ

 その場にいたもう一人も、ぶん殴って排除。


「JB、彼らは味方では?」

「味方? 勘違いするな。私の邪魔をする人間すべてが敵だ。私が信頼するのは、ネイジアに忠誠を誓う同胞のみよ」

「そうですか。あなたらしいですね」

「貴様こそ、この一件には関わらないのではないのか?」

「関わっておりませんよ。ただ見ているだけです」

「ふん、詭弁を。そういうところが気に入らんのだ」


 ラブヘイアも止めるつもりはないらしく、ただJBがやっていることを傍観していた。



 JBはロビーに侵入。


 すでに表の騒動を見ていた裏スレイブが、JBに突っかかってくる。


「なんだこいつは! 何しやがる!!」

「てめぇも死ねや!!」

「邪魔をするな」


 裏スレイブは彼らのことなど知らないので襲いかかるが、まったくもって無知とは恐ろしい。

 シュルルヒュンッ ボボボンッ

 生み出した黒紐が周囲を薙ぎ払うと、巻き込まれた裏スレイブの身体が、あっさりと砕け散った。

 頭や上半身が完全に消失し、裏スレイブたちは死亡。断末魔を上げる暇さえなかった。


「…誰だ? 味方?」


 ここでもっとも驚いたのは、ロビーを死守していたシーバンたちだろう。

 いきなり入ってきたと思ったら、自分たちの敵を倒してくれたのだ。味方だと思っても不思議ではない。

 が、JBから放たれる危険な雰囲気に、ビギニンズが警告を発する。


「シーバン、こいつはヤバイ…! 血の臭いが物凄い! 凶暴な魔獣以上だ!」


 JBが制裁現場から来たこともあるし、今殺した裏スレイブの血もある。

 だが、彼自体から激しい死臭がするのだ。殺した人数は千では到底足りないだろう。

 その圧力は、今まで見てきたどの魔獣よりも凶悪だった。


「新手の敵だ!! 入れさせるな!」


 シーバンは大きな声を上げると同時に、術符を展開。

 とっておきの雷貫惇《らいかんとん》の術符を発動。


 雷撃が―――直撃。


 バチバチバチーーーンッ


 JBはよけることなく雷貫惇を受ける。

 しかし、これで終わりではない。

 真上からクワディ・ヤオが接近しており、ナイフで首を掻っ切る。

 ズバッ!

 『暗殺』のスキルによって上昇した彼の攻撃は、まさに一撃必殺。

 フードの上から、JBの首を的確に狙い斬る。


「やった! 決まったぞ!」


 シーバンが大声を上げて派手な術式を使ったのは、クワディ・ヤオの援護のためだ。

 こうして注意を引き付けてからの不意打ちは、彼らが得意とする戦術だった。

 犬や猫を捕まえるときも、反対方向に物を投げて注意を引き付けてからやると、かなり容易に捕獲が可能なのと同じだ。


 だがしかし、彼らは何も知らなかった。


 ゴキンゴキンッ

 JBは軽く首を回しただけで、何事もなく立っていた。

 出血もまったく見られない。


「くだらん児戯だ。まったくもって無価値だな」

「嘘だろう!? 無傷だと!!」


 シーバンの魔力は『E』なので、グランハムが使う場合より相当威力が落ちるのは仕方がないことだ。

 されど雷貫惇自体が強力かつ防御無視なので、強力な武人に対しても有効な攻撃手段と成り得るはずだ。

 それをくらっても無傷。

 彼は雷撃を操れるので技術的にも簡単に対応できるが、これは単純に肉体能力で耐えたにすぎない。


「貴様ら程度では、ネイジアの尖兵にさえなれぬ。死ね」


 シュルルッ ガシッ

 黒紐が伸びてクワディ・ヤオを捕まえると、絞め付ける。

 ギシギシギシッ バキンッ


「うううっ! がはっ!!」


 強く絞まった紐によって肋骨がへし折れる。

 それでも紐はさらに絞まっていき、ボギンボギンと他の骨も砕いても止まらず―――


 ギュウウウッ グチャッ ぼとっ


 胴体を二つの引きちぎった。


「がっ…ァッァッ……がくっ」


 床に倒れたクワディ・ヤオは、意識を失って動かなくなった。

 ライアジンズのメンバーは、シーバン以外はレッドハンター級とはいえ、彼も長年ハンターとして活躍してきたベテランの一人だ。

 それをまさに秒殺とは、さすがの強さである。


「クワディ!!! このおおおお!」


 ドンッ!

 仲間の惨状に対してビギニンズが駆けつけ、JBに身体ごとぶち当たるが、まったく揺らがない。

 東門でも体格の良い衛士を軽々引きずったし、ビギニンズが彼らより優れているとはいえ、所詮は低ランクの武人にすぎない。

 JBは何の影響を受けることもなく、拳を放った。

 ビギニンズは大盾を構えて防御するも―――破砕。

 ボゴーーーッン! バキバキッ

 拳は盾を破壊し、そのまま重鎧に到達。

 それさえも破壊し、胸に突き刺さった。


「ぐうっ…うううっ!! 化け物…か!!」

「なかなか頑丈だな。ネイジアの思想に従えば使役してやるが、逆らえば殺す」

「くそくらえ…だ!」

「ならば死ね」


 JBが拳に戦気を練ると、爆発。

 ボンッ どさっ

 胸部を粉々に破壊されたビギニンズが倒れた。



「ビギニンズ! クワディ!!! ちくしょう!! 俺の仲間をよくもやりやがったな!!」

「寂しいのならば、お前も死ね」


 JBが赤い紐を出すと、爆炎攻撃。


「っ!!! 死ぬ!」


 ここはさすがにブルーハンター。

 即座に死期を感じ取ると、身体は反射的に術符を取り出す。

 火消紋の術符が展開され、シーバンを覆う。

 そこに爆炎が到達。バリケードを溶解させながらシーバンを燃やす。

 一瞬で鎧が溶解を始めたが、身体に到達する前にゴロゴロとシーバンは転がりながら脱出。かろうじて死は免れた。

 もし火消紋によって火耐性が付与されねば、間違いなく死んでいただろう。


「くそっ…! レベルが違いすぎる!」

「子鼠くらいには動けるらしいな。お前たちにかまっている暇はない。さっさと―――」

「それじゃ、あとはよろしくな!!! 恩に着るぜ、JB!」


 さっさとソイドビッグが横を通り過ぎていき、ロビーの奥に消えていく。

 どうやらこのタイミングを計っていたらしい。ここの対応をJBたちに押し付けて、自分が先に行くつもりのようだ。

 ただ、エレベーターが使えないことに気付いて、一度途中まで戻り、慌てて階段を上っていった。

 そのあたりが彼らしいというべきか、なかなか締まらないものである。


 その様子を呆れながら見送るJBたち。


「なんなのだ、あの男は。そんなに手柄が欲しいのか?」

「それが面子でしょうが…どうやら違う目的がありそうですね」

「違う目的?」

「これから宿敵を倒しに行く様子ではなさそうです。どちらかといえば、待ち合わせに遅れそうな様子と言いましょうか」

「くだらん。どうでもいいことよ。どのみちやつでは勝てないだろうに、相変わらず分をわきまえぬやつだ」


 JBもビッグの後を追おうとするが―――


「行かせるかよ!」


 ヒューーーンッ ボンッ

 シーバンから火痰煩の術式が飛んでくる。


「つまらん」


 それをJBは、煩わしそうに拳で破壊。

 三倍以上の戦気をもってすれば術式は相殺できるが、JBの戦気が強すぎて激しい爆発が起きた。

 軽い拳の一撃が、シーバンの術式の三倍以上のパワーなのだ。

 その段階で勝ち目がまったく見えないが、彼はまだ立ち向かおうとしていた。


「鼠が…素直に逃げていればいいものを。死に急ぐか」


 シュルルッ

 そうしてJBが黒紐でシーバンを追撃しようとした時だ。

 がしっ

 自身の足に何かの感触。


「やら…せん」

「意外だな。致命傷のはずだが…」


 JBの足をビギニンズが掴んでいた。

 彼は胸を破壊されて倒れ、ほぼ虫の息だったが―――

 じゅううっ

 胸が少しずつ再生しているのが見えた。


「ほぉ…ここに敵の首魁がいるという話は、まんざら嘘でもないらしいな」


 回復を見たJBが、笑う。

 それはアンシュラオンが、ライアジンズのメンバーに付与した命気の力。

 クワディ・ヤオのほうは怪我が酷いのか、立ち上がってくる様子はないが、あの状態でもまだ息があるようだ。

 これにはラブヘイアも目を見張る。


(今になれば、これがどれだけ凄まじいことかが理解できる。ファルネシオたちすら超える力を普通に持っているとは…あの人はあまりに偉大だ)


 成長した今ならば、この遠隔操作された命気のすごさが理解できた。

 何気なくやっていることでも超一流。常人を超えた達人すら凌駕する『超人』の領域に達している。


 しかし、いくら命気で補強されても、素の能力に違いがありすぎる。


 ボゴンッ ボギンッ

 JBがビギニンズの顔面を蹴り上げ、首をへし折る。

 ブンッ ボゴンッ

 続いて修殺を放って、柱ごと隠れたシーバンを吹き飛ばす。

 ぐらぐらぐらっ

 支柱の一つが壊れたことで、ホテルが少しだけ揺れた。

 このホテルも終焉が近づいてきている証拠であった。


 そして最後に火を付ける。


 ボオオオオオッ


 火痰煩と同じように粘着質の可燃液を放出することで、木だろうが石だろうが鉄だろうが、すべてを燃やし尽くす炎をとなるのである。

 シーバンたちは、倒れたまま炎に包まれた。

 アンシュラオンが彼らに与えた命気は、他の人間よりも少ないものだったようだ。

 特に変異現象も起こらず、黒い力を身にまとうこともなかった。


「メイジャ〈救徒〉に逆らいし愚か者が。罰の炎の中で朽ちるがいい」


 JBはシーバンたちを一蹴し、ホテル内部に侵入するのであった。




573話 「交錯する陰謀 その2『ホワイトを殺す者』」


「リンダ、どこだ! リンダ!!」


 ビッグが階段を駆け上がりつつ、各階の通路と部屋を確認しながらリンダを探す。

 彼女がホテルにいない可能性も考えられるのだが、それは普通の彼女の場合だ。

 すでにリンダは薬漬けになっており、意思の力と思考力が相当弱まっている。

 その原因となった者こそ、憎きホワイトだ。

 あの恐るべき男への恐怖心によって、彼女は逆らえない状態に陥っている。

 恐怖で縛られた者は、自己の力で逃れることはできない。

 ホワイトに「ホテルにいろ」と命じられれば、ここが火事になって焼け落ちても残り続けるだろう。

 逆らえば自分の身だけでは済まない。そうしたあくどさがあるのだ。


(全部、全部俺が悪い!! 俺が何も知らなかったからだ! 俺がガキで甘ちゃんだったから、いろんな人たちを巻き込んじまった!! 大切なリンダがこんなことになっちまった! だが、今度こそ助けてみせる!! 絶対にだ!)


 この裏社会における騒動の発端は、間違いなく自分だ。

 だからこうして名乗りを上げて責任を取ろうとしてきた。恐怖心に打ち勝って立ち向かってきた。

 そして、ついにその集大成の場、本当の禊《みそぎ》の機会が与えられる。



 ホワイトと―――遭遇。



 ちょうど十階あたりだろうか。

 ビッグが通路の確認を終え、階段を上がろうとした時だ。

 上の階からホワイトが下りてきた。


「………」


 ビッグは、わが目を疑う。

 おそらく人生でもっとも驚愕した瞬間、トップ3には入る出来事だろう。

 目を見開き、口をあんぐり開けて、呆然とその人物を見つめる。

 白い仮面に白い服、赤いネクタイまで同じだ。

 ただし、白い服は返り血で真っ赤になっており、白い部分を探すほうが難しいほど赤に染まっている。

 仮面も血によって赤く汚れ、赤い小太刀を持っているので、これでは「ホワイトではなくレッドだろう!」とつっこみたくなる。


 もちろんこれは、ホワイトに扮したルアンである。


 彼は出会うすべての人間を殺していた。

 実はその中には、事情をまったく知らない一般客も交じっているのだが、当人にその自覚はなく皆殺しにしている。(一応ホテルなので客はいるが、大半が何も知らない浮かれた下級市民たちであり、グラス・ギースの裏事情に精通している人間は危ないから泊まらない)

 視界に入る存在ことごとくが敵に見えるという、極めて危ない精神状態にあるのだ。


「フーー、フーーーー!!」


 そしてもはや、会話をする状況にないほど追い詰められている。

 ビッグが呆然と立ち竦んでいても、まったくおかまいなし。

 いきなり飛びかかり、小太刀を突き刺そうとしてきた。


「どわっ!」


 ビッグは転がるように回避。

 相手の殺気が強すぎたのが幸いだったのか、逆に身体は上手く反応したようだ。

 だが、いまだ状況が認識できない。


(どうしてホワイトがここにいるんだ!? 俺が言ったことが本当になったのか!? 訳がわからねぇ!!)


 自分でついた嘘が真になるとは、人生とは皮肉なものだ。

 頭の中が真っ白になって何も考えられない。どうしていいのかわからない。

 その間にもルアンは、こちらに襲いかかってきた。


「ウウウウウッ!! シネ!!」


 低い体勢から腹に小太刀を突き上げる。

 ビッグは腕でガード。

 戦気も放出しているため、普通の銃弾くらいでは通じないが、ズブリと小太刀は突き刺さる。

 ルアンも戦気を宿しているし、小太刀の性能が高いからだ。

 さらに術具の能力が発動。ジュウウッとビッグの肉を焼く。


「あちっ!」


 ビッグが熱さに驚き、腕を払う。

 何気なく反射でやった行動だが、それがルアンの顔面にヒット。

 ドンッ!

 吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がった。


「…え?」


 ビッグは、その光景にも激しい驚きを見せる。

 そこまで強く殴ったわけではないが、それによってホワイトが吹っ飛んだからだ。

 思わず手をじっと見つめてしまう。


(なんで吹っ飛んだんだ? そんなに強く当たったか?)


「ウアアアアアア!」


 たまたま当たった一撃なので、たいしたダメージではなかったようだ。

 ルアンは即座に立ち上がり、がむしゃらに攻撃を仕掛けてきた。

 今度も低い姿勢なのは同じだが、若干のフットワークを使い始めた。

 右に左に身体を揺らしながら近づくと、不意をついたように足元に滑り込み、小太刀を払う。


「うわっ!!」


 ビッグは狙われた左足を引いてかわすが、ルアンがさらに小太刀を払ったため、バランスを崩して転倒。

 しかし、それがよかった。

 そのままルアンの上に倒れんだ時に、肘が腹に激突。

 ズルッ ゴンッ!!


「ぐばっ…」


 激しい衝撃に、ルアンが悶絶。

 体格差が相当あるため、重さが加わってダメージを受けてしまった。

 プロレスのように衝撃を緩和しているわけではないので、これはかなりきついはずだ。

 しかしまあ、なんともコントのような現象だ。ド○フ大爆笑かと錯覚する。



 ビッグは慌てて離れたが、さすがの彼も大きな違和感を抱く。


(おかしい。どうなってんだ? ホワイトがこんなに弱いわけがない。だってよ、あいつは滅茶苦茶強くて、マジでびびるほどの圧力があるんだ。それがどうしたよ。あのプレッシャーがまったくないぜ)


 ルアンは、薬の力によって強くなった。

 されど、つい先日まで何一つ取り柄のない『凡才』だったのだ。

 それが多少強化されたとはいえ、ソイド商会の若頭に敵う道理はない。むしろ敵ってしまったら問題だろう。

 いくらビッグさんでも、そこまで落ちぶれてはいない。


「ううっ、はーーはーー!!」


 むくりとルアンが起き上がり、またがむしゃらに攻撃を仕掛けてくる。

 ただ、怖いのは小太刀くらいで、たまにくる拳の一撃も、頑強な肉体を持っているビッグには致命傷にはならない。

 ルアンの拳を防いでからの、お返しの右の一発。

 ボゴンッ!


「ごぼっ…」


 まともに入ったボディーブローに、再度悶絶。

 なんとか耐えたようだが、足はふらふらで呼吸も荒い。


(どうなってんだ…? どうやら夢じゃないぜ)


 おかしい。これは変だ。

 ルアンと戦いながら、ビッグの中で激しい葛藤と自問自答が繰り広げられる。

 それらの過程カッコワライは割愛するが、ここに一つ、導き出された【答え】が存在した。



「嘘だろう!? もしかしてよ…!! こいつはまさか、ひょっとして…! 本当にそうなのかよ!?」



 ついに気付いてしまった。

 彼は【とてつもない真実】を知ってしまったのだ。

 では、その真実とは何だろう。

 ここで普通ならば、「こいつは偽者だ!」「影武者か!?」と思うはずだ。

 ラブヘイアが述べたように、それが一番現実的な解答だと思われる。

 だがしかし、ビッグさんを侮ってはいけない。



 彼が思い至った結論とは―――






「ホワイトが弱いんじゃない。俺が―――強くなったんだ!!!」






 は?


 失礼。

 あまりの驚きから、ついうっかり一番言われてムカつくランキング一位(平成初期)の単語を発してしまった。(以前にも使ったネタであるが)

 ちょっと意味が理解できないので、もう少し彼の話を聞いてみよう。

 焦ってはいけない。対話とは、まず最初に相手の意見を聞くことから始まるのだ。

 一度その原則に立ち返ってみるのが、優れた大人の対応というものであろう。


 ではビッグさん、どうぞ。



(信じられないが、どうやら俺は…強くなりすぎちまったらしい。そうだよな。いろいろと苦労したし、みんなにも支えられた。人として成長して当然だぜ)


 強い魔獣とも戦った。

 マサゴロウたち戦罪者とも戦った。

 JBに指導され、必殺技まで覚えた。

 人生においてもっとも激しく濃厚な時間は、若者を急激に成長させる。


 そうなのだ。


 自分はいつしか、ホワイトよりも強くなってしまったのだ!!!!


 だから、以前のような圧力も感じない。

 前ならばちびってしまったくらい強い、あの恐るべき力を感じない。


(ほら、見てみろよ。あいつがあんなに小さく見える。俺のほうが強いからだ!! 俺が上位にいるからだ!!)


 そう考えれば、すべてにおいて辻褄が合う。

 何度考えてもそうとしか考えられない。これ以外の答えはありえない。

 真実なのだから、それ以上考えても答えには到達しない。

 難しく考えることはない。これが真実だ!!


(だが、慢心はしない! 俺の力は、みんなからもらったもんだ!! 俺独りじゃ何もできないんだ!! ありがとう、みんな! 俺に力をくれてよ!!)


 ビッグさん、成長したね。

 ずっと君を見てきたから本当に嬉しいよ。

 もう感動で感動で涙が止まらないよ。



 などと、言うと思ったのかあああああああああああああああ!!



 ずっと聞いていたが、やっぱり何を言っているのか理解できなかった。

 なぜそう思ったのか、小一時間ほど問い質したい気分だが、一時間程度で馬鹿が直るわけがない。

 いろいろとつっこみたいところはあるものの、当人がそう思ってしまったのだから仕方ない。

 一度彼の中で事実となったのならば、そのまま突っ走るしかないのだ!


「そうとわかりゃ、遠慮はいらないぜ!!」


 ビッグがルアンに近づき、ぶん殴る。

 バキッ ドゴッ

 肩を殴って動きを止めてからの胸部への一撃。


「ぐっ…ぶはっ…!!」


 ルアンは吐血するも、反撃。

 ガスッと蹴りがビッグの膝に入るも、そこはやはりまだ子供。大きなダメージにはならない。


 ここで確信。


 自分の強さが圧倒的だと気付き、思わずにやけ顔になる。

 もう怖いものはない。555!!(ゴーゴーゴー!)


「今まで随分と偉そうにしてくれたな!! 借りを返すぜ!!」


 ビッグがルアンの腹を蹴り上げ、悶絶したところにぶちかまし。

 ドゴンッ バギギイイッ

 飛ばされたルアンは、部屋の入り口に激突して、扉を破壊しながら中に転がる。

 それをゆっくりと追い詰めるビッグ。


「ホワイト、年貢の納め時だな! 正義は必ず勝つってことを教えてやるぜ!」

「うう…セイ…ギ……」

「そうだ。正義だ!! 俺がお前に引導を渡してやるぜえええええ!!」


 ふらふらと立ち上がってきたルアンに、ビッグが迫る。


「おらおらおらおらおらっ!!!」


 正拳、裏拳、肘鉄、膝蹴り、ヤクザキック!!

 ドガッ バキッ ゴスッ ミシッ ボゴンッ!!!

 ビッグの怒涛のラッシュが炸裂。

 そのたびにルアンは宙に浮いたり、吹っ飛んだり、壁にぶち当たって破壊したり、隣の部屋に突っ込んだりしていく。


「感じる! 感じるぜ! みんなの力が俺の中にある!!!」


 これは自分だけの力じゃない。

 ホワイト商会にやられた者たちすべての怒りだ!!

 俺を応援してくれる人々の祈りと願いだ!!


 と当人は言っているが、さすがにこれは勘違いと指摘しておこう。

 現在はエバーマインドの力が流出しているわけではないので、単にソイドビッグの実力だ。

 ただしヤクザの若頭が、そこらの街角にいる少年に勝ち誇っているようなものなので、そう考えると違う意味で泣けてくる。

 どうやらソイドビッグは、ルアンのことを本気でホワイトと思い込んでいるようだ。

 あれだけ印象深い相手にもかかわらず、簡単に間違えるとはすごい才能である。

 といっても、それを見越してビッグを生かしておいたのだから、これはすべて予定通りだ。


 そう、すべては予定通り。



 ホワイトとなったルアンが死んで、終わりだ。



 ホワイト商会が潰えた今、『ホワイト』という存在は、もう用済みである。

 存在する価値はなく、する意味もない。その役割が終わったからだ。

 彼という強敵がいなければ、全派閥が共闘することはありえなかったはずだし、ラングラスが目立つこともなかった。

 ビッグを主役にすることは骨が折れたが、彼が生きていたおかげでこのシナリオも無事終わる。


 人質となった婚約者を助けにやってきたソイドビッグによって、悪しき元凶ホワイトは倒される。


 魔王(ク○パ的な)にさらわれたお姫様を、勇者(配管工的な)が助け出す感動のストーリー。

 もう定番すぎて、これがないと満足できないマンネリジャンキーの人もいるだろう。

 ただ、そこにリアリティが存在するからこそ、何度見ても楽しい劇場になるのだ。



「これは俺たちの怒り!! みんなの想いの力だぁああああああああああ!!」



 ボオオオオオッ!

 ビッグの拳に炎気が宿る。

 最後はやはり必殺技で決めねばなるまい。それでこそヒーローだ!!

 炎気が集まり、力となった。



「受け取れ、ホワイトぉおおおおおおおおおおお!!」



 ビッグの炎竜拳が―――炸裂!!!


 ガブガブガブ ボンボンボンボンッ!!


 荒れ狂う炎の龍がルアンの身体を噛み砕き、燃やす。


 しかも、ちょうどルアンが窓を背にしていたため―――


 ビシビシビシッ バリーーーンッ


 衝撃が突き抜け、燃え上がったルアンが窓から空中へと舞った。

 暗い夜空に人型の炎が映える。

 悪人が滅びる瞬間とは、実に美しいものだ。

 この劇場の最大の見せ場(茶番)なので、しっかりと目に焼き付けてほしい。



 ひゅーーーーーんっ ドサッ



 落下。

 ホテルの隣にあった茂みの中に突っ込んでいった。




574話 「交錯する陰謀 その3『勇者は姫とともに去りぬ』」


 ビッグの必殺技が決まり、ホワイトは地面に落ちていった。

 ブスブスブスッ

 炎竜拳の余波で、部屋が焦げた臭いが鼻をくすぐる。


「やった…のか?」


 ビッグは、拳を突き出したまま動きを止めていた。

 本当はすぐに窓の外を覗くべきなのだが、怖くて怖くてしょうがない。


 がんばって足を一歩動かそうとするも―――




「よぉ、夢を見られた気分はどうだ? 俺を倒せて楽しかったか?」




「―――っ!?」


 ドクンッ!!

 ビッグの心臓が跳ね上がる。

 ドクンドクンドクンッ ドクンドクンドクンッ


「はーーはーーー! はーーーはーーーー!」


 呼吸が荒くなり、眩暈がする。

 いつだってあの男のことを考えると胸が苦しくなる。

 心臓が握り潰されたような最低の気分になる。


 が、それは―――幻覚。


 呼吸が落ち着くと同時に、幻はスゥゥと闇夜の中に消えていった。

 全部自分が生み出したもの。不安も恐怖も、迷いも苦しみも。


(大丈夫。大丈夫だ…)


 そろり そろり そろり


 びくつきながら壊れたバルコニーに出ると、下をそっと覗き見た。

 夜ということもあり、外の茂みの様子はよくわからない。

 ただ、しばらく見ていても何も反応はなかった。


(…本当にやったのか? 俺が…あいつを倒した? まるで実感が湧かねぇ)


 拳に残った感触は本物だ。

 炎竜拳は間違いなく相手を噛み砕き、燃やした。

 そのはずだが、今までのことがあるので、どうしても疑ってしまうのだ。

 コンッ


「っ!?」


 背後で音がしたので振り返る。

 完全に気が動転していて、前のことしか見えていなかった。

 また心臓が大きく高鳴るが、今回の高鳴りは別の種類のものだった。

 そこにいたのは―――



「リンダ…」



 視線の先には、彼の愛する婚約者の姿があった。

 顔色は青白く、以前よりもかなり痩せてしまったため、一瞬別人にさえ見えた。


「ビッグさん…ここにいたのね……」


 されど、その声は彼女当人のものだ。

 何度も何度も確かめるように見るが、何度見たってリンダである。


「ああ、リンダ…リンダ…よかったぁ…」


 ここで駆け寄って抱きしめるのが格好良いヒーローなのだろうが、ビッグはその場に泣き崩れる。

 実際問題として、そんなことができるのは映画や漫画の世界だけだ。

 込み上げるものがありすぎて、強すぎて、動けなくなるのが普通の反応であろう。


 彼が求めるものは、ただただ家族との幸せな日々。


 お金がなくてもいい。生活が苦しくてもいい。

 親と弟が元気で嫁さんがいてくれれば、それだけで何も言うことはない。

 畑で作るものを麻薬から麦に変えてもいい。平凡な幸せこそが、本当の幸せだと知ったのだ。

 だから彼は泣くのである。まだ間に合ったことを喜ぶのだ。

 リンダは、そんなビッグの傍にゆっくり近寄り、肩をそっと抱く。

 立場は逆になったものの、彼女の気持ちは痛いほど伝わってきた。

 それからしばらく二人は、そのままでいた。

 互いの手を握り合う。それだけで満足だった。




「ホワイト…を倒したのね」


 沈黙を先に破ったのは、リンダ。

 一瞬その名前にドキッとしたが、彼女から言われたことで正常な思考力が戻ってきた。


「ああ、そうだ。倒した…と思う」

「あなたは強いもの。倒したわ」

「だ、だが…あいつがこんな簡単に…死ぬとは思えなくて…くっ、まだ身体が震えてらぁ。…はは、不思議だよな、こんな状況なのに怖くて怖くて…まだ怖いなんて…びびりすぎだよな」

「そんなことはないわ。あ、あんなものと出会ったら…だ、誰だって怖いもの。わ、私もまだ…震えが…止まらないわ。ほら、一緒ね」

「リンダ…ありがとう。こんなことを言ったらおかしいかもしれないけど、俺…今回のことで、もっとお前と近づけた気がするんだ」

「ええ、私もよ。ビッグさんのこと、前よりもっとわかった気がする」

「だよな。俺たち…お似合いだよな」

「震えているところも…ね」


 ホワイトは最悪の存在だった。

 二人の人生を滅茶苦茶にした。

 されど同じ恐怖を味わった者同士、より強い仲間意識が芽生えていた。

 彼が震えていることも、彼女が怖がることも、すべてが手に取るようにわかるのだ。

 何一つおかしくないのだと。これが普通の人間なのだとわかるから。


「それじゃビックさん…確かめに行きましょう」

「確かめる? 何を?」

「ほ、ホワイトが…本当に死んだかどうか…を」

「っ! そ、それは…!!」

「怖いのは…わかるわ。でも、それはあなたの役目…でしょう?」

「………」

「私たちから始まったことだもの。…終わらせましょう。二人でなら…大丈夫よ」


 最初のきっかけを作った者。

 グラス・ギースを揺るがすほどの大事件を起こした男を招いた者。

 この場で唯一、彼だけが幕を下ろせるのだ。その資格があるのだ。

 ビッグはしばらく逡巡していたが、覚悟を決めて頷いた。


「わかった。見に行こう」





 ビッグたち二人は、注意深く周囲を警戒しながら、階段を下りてゆっくりとロビーに向かう。

 ロビーの炎は、いつしか鎮火していた。

 そこには何人もの焼け焦げた死体があり、すでに人物の特定が不可能なほどに炭化している。

 鎧を着た者もいれば軽装の者もいるし、上半身が裸の者もいる。

 ビッグは焼死体に顔を背けながら、リンダと一緒に外に出た。


「ええと、どこだっけか…」

「あっちよ。裏側のほう」

「詳しいな」

「だって私、ずっとここに勤めていたのよ。嫌でも覚えてしまうわ」

「それもそうか…長くいたもんな」

「…ええ。でも、もう終わったわ」


 そんな会話が、今は少しだけ嬉しかった。

 ただ、まだ心の中には不安が渦巻いている。

 もし生きていたらどうしよう。むしろ平然としていたらどうしよう。

 すべてが演技だった、と言われたらどうしよう。

 そんな恐ろしい想像がビッグに襲いかかる。


「リンダ…逃げてもいいかな?」

「そんなことをする必要は…ないわ」

「でもよ…今なら二人で都市を出ることも…」

「大丈夫。大丈夫よ。あなたがあなたでいる限り…大丈夫なの」

「…? そう…か?」


 その言葉の意味はわからなかったが、彼女の手の温もりが歩く勇気をくれた。



 そして、たどり着く。



「あそこね…ほら、窓があれよ」

「た、たしかに…そうだな」


 リンダが指をさした場所には、自分の攻撃によって破壊されたバルコニーがあった。

 そこの真下が、ここ。

 その先にある茂みにホワイトは落ちたのだ。


「………」

「ビッグさん、見ないと」

「わ、わかってる。わかってるよ。見ないと終わらない…よな」


(本当に死んでいるのか? こぇえ、こぇええよ…)


 ホワイトが与えた恐怖心は、そう簡単に拭えるものではない。

 いまだ自分を縛り続けている。


(だが、終わらせないと。いつまでも心にしこりがあったら、これから普通に生きていくことなんてできねぇんだ。俺は…やるぜ。みんなが後押ししてくれるからな)


 ザッ ザッ ザッ

 一歩、また一歩。

 本当に一歩ずつ茂みに近づいていく。

 そうして近寄ると―――


 足が―――見えた。


 わずかに血が付いた白いズボンが見えたが、膝から上は焼け焦げているので真っ黒だ。

 さらに一歩進むと、胸が見えた。

 こちらも服はなくなっており、身体も焼け焦げている。


「はぁはぁ…」


 心臓がバクバク鳴る中、顔を見る。

 そこには半壊した仮面があった。熱で溶解したのか、半分ほどしか残っていない。

 しかし、それは間違いなくホワイトの仮面だった。


 ビッグは息を荒くしながら仮面を―――取る。


 ズボッ ボロロッ


 仮面を取ると同時に、焼け焦げた顔の一部も取れた。

 またあの赤い目が自分を覗くのではないかという幻覚に襲われたが、それは杞憂。

 目の部分は蒸発し、何もなかった。

 顔もかなり焼けて白骨化しており、かろうじて骨格から少年ということしかわからない。

 常人が炎竜拳をくらえば骨ごと消滅してしまうほどなので、この結果も不思議ではない。


(髪の毛…は。…白い!!)


 ただ、かすかに燃え残った髪の毛は、白い色を残していた。

 白い髪の毛、白い仮面、白い服。

 ほとんどがボロボロになってはいるものの、それはやはり『ホワイト』という人物の特徴と完全に一致する。

 いくら待っても、その『死体』が起き上がることはなかった。

 死んでいるのだから当然だ。だから死体と呼ぶのである。


 途端―――力が抜ける。


 とすんっ

 ビッグが地面に座り込む。

 そのまま何分か、何も言わずにじっとしていた。

 何を言っていいのかわからなかったからだ。


 ただ一言―――



「終わった…のか」



 静かな夜に、その言葉だけが響いた。


「終わったのよ、ビッグさん。あなたが…倒したの」

「俺が…ホワイトを? 信じられない」

「信じなくてもいいのよ。でも、倒したことは事実でしょう?」

「事実…か。そうだ…な。はは、こんなもんなんだな。俺はもっとこう、何かすごい感情が湧いてくるのかと思ったよ。今俺がなんて思っているかわかるかい?」

「…疲れた、かな?」

「何でもお見通しだな。リンダは」

「私も同じだもの。疲れたわ。ただただ…疲れたもの」


 何か偉業を成し遂げた時、人は達成感を得るものだ。

 ノーベル賞とまではいかずとも、何かしら他人から褒められることをすれば、きっと嬉しいのだろう。

 しかしながら、ビッグの中に喜びはまったく浮かばなかった。

 数多くの人が死にすぎた。

 たった一人の人間が巻き起こすにしては、あまりに被害が大きすぎる。

 たとえるのならば、災害や震災に近い感覚だろうか。

 過ぎ去ったことに安堵するが、それによって壊された残骸と損失は消えていない。だから憂鬱だし、虚しさすら感じる。

 ただし、人が生きている限り、生き続けねばならない。

 こういうときは女のほうが強い。

 座り込んだビッグをリンダが促す。


「さあ、戻りましょう。ここにはもう…いる必要はないわ。気分が悪くなるもの」

「そうだな…。ここの後始末は誰かに任せても…いいよな。今夜は本当に疲れたよ」

「ビッグさん、仮面は…持っていきましょう。あなたが倒した証よ」

「手柄が欲しいわけじゃない。お前を助けたかったんだ。本当にそれだけだ」

「ありがとう。とても嬉しいわ。…でも、みんながそれを望んでいるのだから…あなたが持っていくべきよ。それで安心する人が…大勢いるの」

「…そうか。そうだな。…わかった。みんなを安心させないとな」


 ビッグは半壊した仮面を、そっと手に取った。

 そして、二度と振り返ることはなく、静かにホテルから遠ざかっていった。

 もう関わりたくない。これっきりにしてほしい。

 そんな気持ちがありありと見て取れる。

 傍らに大切な伴侶がいれば、それだけで彼が望むものはないのである。


 彼は仮面を持ち帰り、すべてが終わったと伝えるだろう。


 本当は終わっていなくても、【世間的には終わった】ことなのだ。

 ホワイトという人物がこれ以後、表舞台に立つことはない。

 仮にこの後、ちょっとだけホワイトが出現しても、仮面を被れば誰でもコスプレができるので、そこにたいした意味はない。

 重要なことは、ここでホワイトを『ラングラスのソイドビッグ』が殺したということ。

 それが都市に暮らす一般人に浸透すれば、それだけで十分だ。目標達成だ。



 さて、これによって一つの話は終焉を迎えた。


 あっけない幕切れでもあったが、悪人の最期とはこんなものだ。

 終わってしまえば、こんなもの。あっさりしたもの。

 そう割り切れば、人生の奥深さを考える一つのきっかけになるかもしれない。

 その中にあったドラマに何か思うことがあれば、印象に残るものがあれば、それは間違いなく価値あるものなのだから。


 しかし、まだこのホテルの話には少しばかりの続きがある。


 なぜならば、彼らがホテルを離れて少し経った時―――



 【ホテルが消滅】したからだ。



 言っている意味がわからないと思うが、詳細はまもなく語られる。




575話 「交錯する陰謀 その4『本気の避難訓練』」


 少し話は戻る。

 まだソイドビッグがホワイト(ルアン)を倒す前だ。

 様子をうかがっていたホロロたちも移動を開始。

 非常階段は外につながってはいるものの、裏口方面に出てしまうのが問題となった。

 裏口側では、すでに仮面の男たちとマークパロスたちが戦闘を開始しており、上から従業員らの死体も確認できた。

 それを見たシャイナが震え上がる。


「ひ、ひぃいいい! 裏口にも敵がいますよ!! あっ、あれって死体じゃないですか!? 誰かが死んでるぅうう!」

「いちいち騒ぐな! 見つかるだろう!」

「サリータさんのほうが声が大きいですって! でも、あんなのがいたら逃げられないですよ!」


 すでに述べた通り、仮面の男たちはアンシュラオンが派遣した裏スレイブである。

 表側の裏スレイブより若干強めの者たちを選んだので、マークパロスたちも個の力で突破することはできなかった。


(裏口は封鎖済み。万一の場合は、そこからも脱出できるようにとの配慮ですが、あくまで最後の選択肢。それに頼ることなく、アンシュラオン様の期待に応えねばなりません)


 ホロロはアンシュラオンからすべての話を聞いているので、仮面の男たちには驚かない。

 なぜ裏側に強めの戦力を投入したかといえば、彼女たちの安全を確保するためである。

 本当に裏口に敵が出現した場合、仮面の男たちが排除する予定であった。

 また、逃げ道を失ったときは、そこに逃げ込めば守ってくれる手筈となっている。

 言ってしまえば、脱出ゲームにおいて運営側が用意した公式の逃げ道、というわけだ。


 改めて宣言するが、これは―――【避難訓練】である。


 当然サリータたちは何も知らない。教えてしまったら緊張感がなくなるし、訓練の意味がない。

 訓練とは実戦を想定しないと役に立たないのだ。死ぬ危険があってこそ価値が生まれる。

 そのために表側から侵入させた裏スレイブは、本当にホロロたちを捕まえて陵辱するように命令してある。

 本気でくるから本気で対応する。こうした積み重ねが人を強くするのだ。

 ただ、それを自分の制裁時に合わせてやってしまうのは、さすがに困ったものである。

 どうせやるなら最大限の利益を得る。それもまたアンシュラオンのモットーなのだろう。



 裏口の様子を見たホロロは、決断。



「非常階段を破棄します。サリータ、彼らが上がってこられないように破壊してください」

「わかりました!」

「ええええ! ここから逃げるんじゃないんですか!?」

「あなたもああなりたいのですか? 無理に止めはしませんよ」

「ひ、ひぃいいい」


 ブーーーンッ ガン!! ガンガンッ!

 ホロロの命令で、サリータが非常階段を破壊。

 この非常階段は裏側につながってはいるが、ここから不審者が忍び込んだら意味がないので、入り口は厳重に隠されており、その場合にそなえて切り離しが可能となっている。

 グラグラッ ガタンッ ガタンガタンッ

 固定しているシャフトを壊すと、折りたたみの傘のように階段部分が倒れていき、下りることも上ることもできなくなった。

 これも相手が強い武人ならば壁を這い上がれるので、まったく無意味なのだが、やらないよりはましだろう。


「ホテル内の階段を使います。各自、警戒を怠らないように」

「はっ! 了解しました!」

「はわわ…本当に生きて帰れるのかなぁ…」

「そろそろ覚悟を決めろ。なさけない」


 このシャイナのびびりようには、アンシュラオンもさぞや満足に違いない。

 これこそ実戦型避難訓練の醍醐味である。

 まあ、銃で撃たれれば本当に死ぬのだが、その場合は仕方ない。




 ホロロ一行はホテル内部に戻ると、周囲をうかがいながら階段を下りていく。

 しばらく下りていくと、そこにはルアンが殺した裏スレイブの死体が転がっていた。


「どうやら上手くいったようですね。彼が露払いをしてくれたようです」

「例のルアンという少年でしょうか? 私は会ったことがありませんが…これだけの強さとは…。さすが師匠が連れてきた人材ですね」


 容赦なく顔面を破壊しているさまは、魔獣と同等の無情さを感じさせる。

 素手でこれをやったのならば、現状ではサリータよりも強いだろう。

 そのことに彼女は少しばかりの嫉妬を感じているようだ。

 しかしホロロは、きっぱりと否定する。


「こんなものは刹那の力にすぎません。武人の方々は、一瞬だけでも力が出せれば本望かもしれませんが、制御できないものに意味はないのです。勘違いしてはいけませんよ。アンシュラオン様があなたに求めているのは、こういった力ではないのです。あくまで末永くサナ様をお守りする力です。そのための力は、じきに与えられるでしょう。それを待ちなさい」

「は、はい。師匠の教えは絶対ですからね! わかっております!」

「それに加えて、あなたは特別だということです。その自覚も持ちなさい」

「と、特別! 甘美な言葉であります!」


 ルアンの力は、あくまで使い捨ての道具にすぎない。

 こうした場合の捨て駒、鉄砲弾くらいにしかなれないのならば、裏スレイブと大差はないだろう。

 一方でサリータは、サナのために用意した特別な人材だ。(サナ自らが選んだ人材でもある)

 そこには天地以上の開きがあることを知らねばならない。


(ルアン君…無事でいてね。こんなところで死んだら負けだよ。死ななければ…負けじゃないんだからね)


 セノアも両親が死んだことで、荒野の掟を学んでいた。

 アンシュラオンが常々語っているように、負けなければ何度でもやり直せるのだ。

 今のセノアには力がない。彼を助けることはできない。

 祈ることしかできず、先に進んだ。




 シーバンとルアンが引き付けたおかげで、残りの敵の数はそう多くはなかった。

 ただ、すべてを排除できたわけではない。


「あっ、下にだれかいるよ」

「え?」

「なんだ? 敵か?」


 十五階と十六階の階段の踊り場に差し掛かった時、ラノアがそんなことを言い出した。


「ラノア、どのあたりだ?」

「もうちょっと下かな」

「先輩、どうしますか?」

「みなさん、静かに。ゆっくり移動しましょう」


 ラノアの忠告に従い、ホロロたちは足音を殺してゆっくり進む。


 すると、十二階の階段口で敵を発見。


「本当です。敵がいますね」


 ホロロが壁に身を隠し、下を覗き見ると、銃を構えた裏スレイブがいた。

 ルアンは真っ直ぐに下に向かったので、その間に部屋を探索していた者は遭遇しないで済んだのだろう。

 この時すでにルアンは、十階の通路においてソイドビッグと交戦状態に入っていた。

 ただ、ビッグが違和感の正体を自問自答しているときでもあるので、微妙に長引いている状況だ。

 これはその時、ホロロたちはどうしていたか、という話につながるわけだ。

 一行は息を潜めて、作戦会議を開く。


「敵は何人ですか?」

「二人ですね。下の踊り場に、もう一人いるようです」

「強行突破しますか?」

「あなたはそればかりですね。ラノアたちがいることを忘れないように。突破できても後ろから追われたら危険です。足場も悪いですし、階段で転べば命の危険すらありますよ」

「あっ、申し訳ありません…。ではシャイナを囮にしますか?」

「それはいいアイデアですね」

「なんで肯定するん―――むぐう!!」

「しっ、静かに!」


 うっかり叫びそうになるシャイナの口をホロロが閉じる。

 相変わらず状況認識ができていない駄犬である。ここで叫んだら即戦闘開始になるというのに。

 しかし、裏スレイブが波動円を使えないことと、仲間の死体を見て動揺していることもあってか、こちらに気付くことはなかった。

 敵もどうしていいのかわからず、困惑しているようだ。


「ラノア、どうして敵がいるとわかったのですか?」

「んー…なんとなく」

「ラーちゃん、どういうこと?」

「んー、なんとなく」


 さすが天才肌でフリーダムのラノア。まったく意味が通じない。

 それでも敵を発見したことは事実である。


「どうやらラノアには、敵の位置がわかるようですね」

「師匠はラノアたちに術士の資質があると言っておりましたが、それでしょうか?」

「その可能性は高いですが…セノア、あなたはわかりますか?」

「…すみません。わかりません」

「なるほど。となれば、どうやらタイプが違うようですね」


 『念話』スキルを共有していることから、ついつい両者を同じタイプだと思ってしまうが、術士の才能まで同じとは限らない。

 性格だけを見てもこれだけ違うのだ。術士の性質も異なるのだろう。

 そしてラノアは、『探知系の能力』が高いらしい。

 この探知系というのは波動円と同じように、能力を遠くにまで放出する才能を示しているので、遠隔操作を覚えれば遠くで術式を発動させたりと、なかなか便利な術士になれるかもしれない。

 ともあれ、それはアンシュラオンがそのうち開発に乗り出すだろうから、実際に扱えるようになるのはまだ先のことだ。

 今は敵の位置がわかることが重要であり、おかげで先手を取ることができる状況にあった。


(こうした遭遇戦では、先に敵を見つけたほうが圧倒的に有利と聞いています。そして、こちらには『目』もある。ならばやることは一つですね)


 ホロロはアンシュラオンから、最低限の戦術を聞いている。

 そこから考えて、各個撃破が最適だと判断。


「安全のために、一人ひとり確実に排除していきましょう。サリータ、合図をしたら、ありったけの煙玉を投げ入れてください。私が敵を狙い撃ちますから、その後にあなたがとどめを刺しなさい」

「わかりました。ですが、それでは私も見えなくなりますが…」

「だいたいの位置がわかっていれば、なんとかなります。私が指示を出しますから、あなたは盾を持って突っ込んでいきなさい」

「わかりました!」

「シャイナ、あなたも援護しなさい。どうせこの距離では当たらないでしょうけど、無いよりはましです」

「ひ、ひぃい、また撃つのぉおお!?」

「いきますよ。3、2、1…」

「え、ええ!? まだ心の準備が…!」

「ゼロ!」


 その合図と同時に、サリータが階段下に煙玉を投げ込む。

 シュシュボーーッ モクモクモクッ

 煙があたりを完全に黒く染め上げた。

 ハンベエが残したものなので効果はかなり高く、一瞬にして目の前が見えなくなった。


「今です。撃ちなさい!」

「あー、もうよくわからないけど、わかりました! 撃ちますよ!!」


 わからないのにわかったとは、まるでトンチだが、シャイナが適当に射撃を開始。

 パスパス ドスドスッ

 悪い意味で適当に撃っているので、本当に敵に当たらず、壁に弾痕が残るだけとなった。


「な、なんだ!? 何が起こった!?」


 しかし、これは想定済み。それによって裏スレイブの男は警戒態勢に入り、身を屈めて硬直することになる。

 これが通常の場合ならば正しい判断なのかもしれないが、術具のゴーグルをはめているホロロには丸見えだった。


 十分に狙いをつけて―――発射


 弾丸は男の肩に直撃。

 頭を外してしまったが、ホロロはべつにスナイパーでも主戦力でもないので、当てただけでも十分な健闘といえるだろう。

 そして、これは第一警備商隊から奪った銃なので、弾丸も普通とは違う。

 バチンッ!


「ぐぎゃっ!」


 当たった瞬間に電撃が男を襲い、感電させる。

 術式弾の一つ、雷撃弾だ。

 この裏スレイブの実力は高くないため、戦罪者のように戦気で防ぐことはできなかったらしい。


「サリータ! 敵は動いていません! 今です!」

「はい! うおおおおおお!」


 サリータが階段を駆け下りながら、突っ込む。

 ほとんど視界が塞がれているが、もともと彼女は大盾を持って突っ込むスタイルなので、前が見えなくても関係ない。

 男のだいたいの位置がわかっていれば十分。


―――激突


 全体重をかけた一撃が男にヒット。

 その衝撃で通路側に吹っ飛ばされ、頭を床に打ち付けて昏倒する。


「その先、三メートル前方!」

「はい!!」


 階段を下りてきたホロロの指示で、敵の位置を特定。

 盾を投げ捨て、今度は斧を持つと、感覚だけで指定の場所に振り下ろす。


 ブーーーンッ グシャッ


 振り下ろした斧は、男の腹に命中。


「ここか!」


 確信を得たサリータが、思いきり斧を振り下ろす。


 グシャッ グシャッ グシャッ グシャッ


 何度か攻撃を続けると相手の気配が消えたのがわかった。

 どうやら死んだようだ。




576話 「交錯する陰謀 その5『あらがう勇気』」


「ふぅ…やったか!」


 敵の一人を倒し、まずは一安心。


(どうなるものかと心配だったが、こうした戦いも経験になるものだ)


 視界が封じられた中での戦いは、サリータとしても初めてのことだ。

 ずっと護衛の仕事をしてきたので、夜の戦闘も経験はしているが、完全に見えないというのは珍しい。

 ヤキチの戦い方を含め、魔獣の中にはブレスで視界を覆うタイプもおり、こうした経験はその後の戦いに生きてくるに違いない。

 しかし、のんびりしている暇はない。


「サリータ、すぐに戻りなさい! まだいますよ!」

「は、はい! え、えと、声のするほうに…」


(あのゴーグル、欲しいな)


 などと思ったりもしたが、術具は壊れたり、場合によっては装備できないこともあるので、素の能力を鍛えることも重要である。

 サリータが声の方角を頼りに移動すると、そこではホロロが、下にいるもう一人の男に銃撃を仕掛けていた。

 パスパスッ ボンボンッ!

 今度は爆炎弾を使い、範囲に攻撃を仕掛ける。

 それによって敵にダメージを与えたが、上で奇襲が起きたことに気付いた男は応戦を開始。

 持っていた小盾で銃撃を防ぎつつ、少しずつこちらに近づいてくる。

 長い距離に波動円を展開することはできずとも、自己の周囲くらいはカバーできるらしい。

 この状態でも防御くらいはできるようだ。


「まずいですね。思ったより相手が強いようです。このまま接近されてしまえば危険が増します」

「任せてください! 私が防ぎます!」

「お願いします。この場合は逆に視界がないと不利でしょうから、煙を吹き飛ばすとしましょう。それを合図に突っ込みなさい」

「はい!」

「いきますよ!」


 サリータが盾を装備している間にホロロが術符を取り出すと、風鎌牙を発動させる。

 彼女の魔力は最低値の『F』のため、攻撃という意味では期待しづらいが、風によって煙が散り、今までよりは視界がクリアになった。

 ただし、相手も見やすくなったことを意味するため、男は階段を勢いよく上がってきた。

 手には剣を持っている。近づかれたらラノアたちが危険だ。(シャイナのことは忘れていい)


「やらせるか!」


 そこにサリータが突っ込む。

 ルアンがやったように階段から落ちるかのごとく、全力で体当たりを仕掛けた。


「んなっ!?」


 ドーーンッ! ごろごろっ

 まさか相手も、いきなり突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。

 二人はもつれるようにして階段を転げ落ちていった。

 このあたりはさすがサリータ。目の前が階段であっても気にしない無謀さは、ここでは勇気と賞賛してもいいだろうか。


「ちっ、こいつ!」


 階段で転んだくらいでは裏スレイブは死なない。

 男は今の衝撃で剣を落としてしまったため、拳で殴りかかる。

 それをサリータは、よけなかった。

 男の拳を鎧のプレート部分で受けると、盾をしっかりと握り締めて振り回す。

 ブーーンッ!! ゴンッ!


「つっ!」


 盾の角が男のこめかみにヒット。男は怯む。


「うおおおおお!」


 その隙に盾を使って、男の上半身を押さえ込む、

 男はじたばたと抵抗するが、すでにマウントポジションを取っているサリータのほうが有利だ。

 しかし、押さえているだけでは相手は倒せない。

 常人ならば圧迫して窒息死させることも可能だが、裏スレイブは普通の傭兵以上に強い。そう簡単にはいかない。

 また、二人がもつれているので、ホロロも銃で援護ができない。

 彼女の銃の腕前を考えれば、ピンポイントで狙撃は不可能だろう。見守るしかない。


(くっ!! 押さえきれない…!)


 そして、ここでサリータの弱点が露呈。

 戦気を扱えないことは、戦いにおいて極めて不利になることを意味する。

 相手もたいした使い手ではないが、ほんの少しでも使えれば力関係は逆転する。


 強引に―――ひっくり返す。


 一般的な格闘技では、マウントポジションを取られたら終わりだ。よほどの実力差がなければ、ひっくり返すことはできない。

 しかし、それを可能にしてしまうのが戦気という存在だ。


「このアマ! なめやがって!」


 形勢は一気に逆転。

 今度は上になった男が、サリータの顔面を殴りつける。

 バキッ ゴスッ ドゴッ!


「ぐっ…!!」


 サリータは必死に防御するも、どうしても完全に防ぐことができない。

 しかも一発一発が重く、殴られるたびに意識が飛びそうになる。

 もし彼女の防御が「E」かつ『物理耐性』がなければ、耐えることは無理だったに違いない。

 加えて『熱血』スキルによって、殴られるたびに体力が上昇していることも影響しているはずだ。(『体育会系』のマイナス効果は、相手の実力が高くないため、そこまで作用はしていない)

 サリータは、ひたすら防御して耐え忍ぶ。

 ここが彼女の長所であり短所でもある。現状では打開策がないのだ。


「はぁはぁ! 頑丈なやつだ! こうなりゃ武器でやっちまうしかねぇ」


 男は首を絞めようとしたりと、いろいろやってみたが、防御に関してはサリータは強固でなかなか崩せないため業を煮やす。

 相手に反撃の機会を与えることを承知で、剣を取りにポジションをずらした。

 女をいたぶれとは命じられているが、殺してはいけないとは言われていないのだ。(ワカマツより酷い命令である)


「させるか!」

「くそっ、離せ!!」


 サリータは、そうはさせじと男にしがみつく。

 武器を持たれたら終わりなので、こちらも必死だ。

 予備のナイフもあるにはあるが、それを取り出している間に敵が剣を拾ってしまうかもしれない。


(どうする? このままでは勝ち目がない。最悪は仕方ない…か)


 サリータは、自身の鎧の下に隠してある大納魔射津を意識する。

 最悪は自爆してでも相手を殺すつもりでいたのだ。


(私は師匠に誓ったのだ! サナ様のために死ぬと!! だから命など惜しくはない!!)


 ここにサナはいないが、ホロロたちのために死ぬのならば同じことだろう。

 彼女の取り得は、真っ直ぐで愚直であること。

 それしかないのならば、とことん覚悟を決めて突っ走るしかないのだ。


 男の手が、剣の柄に触れる。


 サリータの手が、大納魔射津に向かう。


 どちらかが死ぬか、一緒に死ぬか。


 カチャッ


 その緊迫した瞬間、男の耳に何かが押し当てられた。


「あ…?」


 パンッ!! ボシュッ


 放たれた【銃弾】は、男の耳の穴から脳内に入り、止まる。

 男は、まだ死なない。

 だから、もう一発。


 パンッ!! ボシュッ


「うごっ!? ごごっ…!」


 再び同じ位置に銃弾を撃ち込むと、男の目がぐるんと真上に向く。

 ふらふら ふらふら

 さすがの裏スレイブも、至近距離から銃弾を耳の穴にぶち込まれれば、こうなるのも仕方がない。

 どうやら誰かが援護に来てくれたようだ。

 敵は一人だが、こちらは複数。その利点が生きた形だ。


(誰だ? 先輩…か!?)


 シャイナはありえないので、撃った者がホロロだと思って首を上げると、そこには―――



「はぁはぁ!!」



 セノアが、銃を持って立っていた。

 恐怖からか、手も足もがくがくと震えている。歯もガチガチ鳴っている。

 サリータたちがもつれて格闘している間に近寄り、男に銃弾を叩き込んだのは、ホロロではなくセノアだった。


「セノア…!! まさかお前が!」

「こ、こんなところで…! 私は死なない!! ルアン君が戦っているのに、私だけ死ねない!!」


 今度は術符を取り出すと、男の頭に水刃砲を叩き込む。

 ブシャッ!

 今の彼女の魔力は「F」だが、それでも男の頭を切り裂くくらいはできる。

 それによって男は絶命。ばたんと倒れて動かなくなった。

 皮肉にもルアンが初めて人を殺した日に、セノアも初めての殺人を体験したのであった。

 ガタンッ

 セノアはショックで銃を床に落とす。


(うう…はぁはぁ…人を…殺しちゃった…! 私…殺しちゃったよ…)


 今になって自覚が芽生える。

 人を殺したことに激しい嫌悪感を抱く。


(でも、戦わないと…いけないんだ。守らないと…いけないんだ。ラノアだって…いるんだから! お姉ちゃんの私ががんばらないと…また離れ離れになっちゃう! 私は絶対に離さない!!)


 込み上げる吐き気を必死に抑え込み、キッと前を向く。

 そこには生きる活力に満ちていた。

 人間というものは、怠惰な安全な環境下では堕落するものだ。平和すぎると、やれ年金がどうやら、やれ相続がどうやらで揉めるのはそのためだ。

 今、この一瞬、いつ死ぬかもわからない時だけが、人に本物の生を与えるのである。


「早く…いきましょう! ここで止まってはいられません!」

「あ、ああ! 助かったぞ、セノア!」

「サリータさんも、顔がそんなに傷ついて…」


 殴られたことで、サリータの顔には内出血の傷痕が見られ、唇も切れて血が流れている。

 もしかしたら歯も折れているかもしれない。だが、それでも彼女は笑う。


「気にするな。これが私の役目だ。私が死んでも自分が生き延びることを考えてくれ。そうでないと私が師匠に怒られてしまうよ」

「序列が…あるからですか?」

「そうだ。師匠が決めたことは絶対だ。私より上のお前を生かすためなら、喜んで死ぬつもりだ」

「死んでは…駄目です。死んだら…終わりです」

「そうならないようにしたいな。できればもっと価値のある死に方をしたいからな」

「…はい」

「そういえば、ルアン君がなんたらと言っていたな。そんなに気になるのか?」

「え!? そ、そんなことはないです! ただ年齢が近いから…心配で」

「そうか。やはり年代というのはあるかな。師匠もそのあたりのことを考えているのかもしれない…って、こら、シャイナ! セノアがこんなにがんばっているのに、どうしてお前は腰を抜かしているんだ!」

「ひぃいい…だ、だってぇーー! 怖いよぉおお!」

「少しはセノアを見習え!! 行くぞ!」

「ま、待ってぇ…!」


 セノアの勇気ある行動によって、サリータは救われた。

 ホロロの指揮能力も高いし、サリータの盾としての役割にも期待が持てる内容だった。

 セノアやラノアも、少しずつ資質を開花させていっている。危険が彼女たちを強くするのである。

 シャイナは…特に変わっていないので、そのままの評価でいいだろう。



 こうして彼女たちは、ホテルのロビーに向かっていくのだが、ここで最悪の事態が発生。



「なんだ、この女たちは?」



 まさかの―――JBとの遭遇。


 ロビーでシーバンたちを蹴散らした彼は、ビッグの後を追って階段を上がってきていた。

 彼にしてはやや遅い行動だが、ビッグが手柄を欲しそうにしていたので、あえてゆっくりやってきたのだ。

 そのあたりにエバーマインドに選ばれた者同士の繋がりを感じさせる。

 が、この男はべつに善人というわけではない。むしろ最悪の相手だ。




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