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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第八章 「壊滅 ホワイト商会」 編


557話 ー 566話




557話 「ヤキチの死 その2『無頼の異邦人』」


 クロスライルは、ヤキチの攻撃をかわし続ける。

 大振りは普通にかわし、鋭い小刻みの攻撃も銃剣でいなして回避。


「ふんふーん、欲望の都で〜〜〜愛を探しましょう〜〜」


 それどころか歌い出す始末だ。


「てめぇ!! 調子に乗りやがってぇえええ!」

「んん? せっかく楽しんでいるんだからよ、邪魔するなよ。いいねぇ、オンバーン姐さんの歌は、やっぱり心に染みるぜ」

「死んでから好きなだけ歌わせてやらぁ!!」


 ブンッ

 ヤキチの刃が迫る。


「ほいっと」


 クロスライルは高速射撃で対応。

 がきんっ ガキンガキンッ

 放たれた三発の銃弾は見事、刃に当たってポン刀を押し返す。

 高速で放たれる剣撃に対して銃弾を『真芯』に当てなければ、こんな芸当はできない。


 それができる、ということは―――


「そろそろ限界かい? ヤキチの兄さんよ」


 クロスライルは見切っていた。

 ヤキチの攻撃のすべて、剣の軌道、威力、スピード、癖、そうしたものを見通しているのだ。

 だから余所見をする余裕まである。


「あー、なんだぁ? JBの野郎は苦戦してんのか。ははは、あの兄さんの世話は大変だってか。普段オレに迷惑をかけてる罰ってやつだぜ。せいぜい苦労しな」


 ビッグに足を引っ張られ、上手く力を使いこなせない相棒の様子もうかがっている。


「てめぇ…!! 遊びが過ぎるぜえええええ!」

「だってこれ、遊びだろう? えーと、そういえば吸いかけのシケモクがあったな。どこだったか…ああ、あったあった」

「タバコはしまえやあああ!」

「おっと、最近は世知辛い世の中になったもんだ。資源は大切にしましょうね。タバコも最後まで吸いきろうぜ」

「ほざけ!!」


 ヤキチが黒い剣気で覆ったポン刀を振るう。

 強化されたヤキチの力は、すでにプライリーラに匹敵するとは述べた通りだ。

 だがそれを―――


 ガキイインッ!! ぐぐぐっ


 ヴァルナークで受け止める。

 多少筋肉が盛り上がって、腕がぷるぷると震えているが、それだけにすぎない。

 ヤキチの一撃を片手で受け止めたことは、けっして見間違いではない。


「なっ…!」

「驚く暇はないぜ?」


 クロスライルの必殺パターンが炸裂。

 右でいなしてから左の突き。聖剣アグニスが襲いかかる。

 当然その前にヴァルナークの能力が発動し、ヤキチを凍らせる。


「こんなもんでよおおお!」


 バリバリンッ

 氷は壊される。

 聖剣ヴァルナークはメンテナンスが不要というメリットがある反面、桁違いの威力を誇っているわけではない。

 それを知っていながらこれを選んだのは、単にクロスライルが面倒なことを嫌っただけであり、それなりに使えればいいと考えていたからだ。

 氷を打ち破るのにも多少の時間がかかる。その一瞬で十分なのだ。

 ブスッ

 アグニスが突き刺さり―――爆破。


 ボンッ


 ヤキチの上半身の半分が吹っ飛ぶ。

 彼の身体も強化されているが、それ以上にアグニスの威力が高かったことを示している。

 だが、それでも死なない。死ねない。

 攻撃をくらいながらも強引にポン刀を振る。

 クロスライルは、すでに動けない状態なのだが、ここでも曲芸を見せる。

 バリバリバリバリッ

 ヴァルナークで空気中の水分を凍らせて氷を生み出し、それを使って押し出すように体勢を移動させる。

 ブンッ ガシャン

 ヤキチの一撃は氷を破壊するにとどまり、クロスライルには届かない。


 その間に、アグニスで連撃。


 ボボンッ ボボンッ ボボンッ

 一瞬で三回ヤキチに剣を突き刺し、爆破させる。


「ちいいっ!!」


 ヤキチの身体は命気によって回復が行われるが、それでもこれは厳しい。

 視界が完全に塞がれ、クロスライルが見えなくなる。

 ブンブンブンッ!

 それでもヤキチはポン刀を振り回し続ける。いつクロスライルが攻撃を仕掛けてくるかわからないからだ。

 だが、彼からの攻撃は来なかった。


 なぜならば―――


「ぷはぁ…」


 クロスライルは、少し離れた場所でタバコを吸っていた。

 これだからニコチン中毒は恐ろしい。どんなときでもタバコが吸いたくなるのだ。(武人の血が強すぎて中毒にはなれないため、単純に習慣であるが)


「てめぇ…!!」


 それを侮りだと捉えたヤキチは当然、激怒する。

 激しい憎悪の視線をクロスライルに向けるが、相手の表情に変化は見られなかった。

 その理由は簡単。

 もう『程度が知れてしまった』からだ。


「まあ、なんつーの? あんたじゃオレには永遠に勝てないって、そろそろわかっただろう?」

「おらぁの…おらぁの!! オヤジの力をなめんじゃねええええ!」

「それだよ、それ」


 ヤキチが突っ込んで、ポン刀を乱雑に振り回す。

 たしかに力は急激に増して、一撃の威力は桁違いに上昇した。

 だが、その一撃でさえクロスライルには対応可能であるし、何よりも―――


「他人の力じゃ、オレには勝てないよ」


 クロスライルは、ヤキチの突進と剣撃を銃剣で受け止めつつ、膝に蹴りを入れる。

 ボギャッ

 関節を狙った一撃は、ヤキチの膝を粉砕。


「だから、なんだってんだああああああ!」


 今のヤキチは痛みを完全に感じていない。

 膝が崩れ落ちても強引に攻め続ける。

 ただし、体勢が崩れれば攻撃にブレが生じることも事実である。

 クロスライルは軽々とかわしつつ、再び打撃を繰り出す。

 ぐしゃっ

 ポン刀をいなし、肘に膝を叩き込む。

 めきぃっ

 そこから身体を回転させて後頭部に肘打ち。

 そのままヤキチの身体を蹴り飛ばし、間合いを作ったと同時に射撃。

 パパパンッ ドバンッ


「ぶはっ…! ちくしょう…! 当たらねぇ!!」


 クロスライルの戦闘スタイルは、身体全体を自由に使うものである。

 銃剣という独特な武器による支援はもちろん、元が戦士なので肉体を使った打撃技も同時に繰り出せる。

 すべてが流れるように放たれるので、ヤキチに攻撃する間合いを与えない。

 見事な体術だ。見事な戦闘技術だ。

 だが、いまさらそんなことで褒める必要性はない。彼が強いことは、すでにわかりきっていることだからだ。

 ここで重要なのが―――



(なんだこいつ…! オヤジの力が…通じねえ!!)



 ここでもっとも重要視すべきことは、ヤキチが『魔人の道具』になっていることである。

 彼が発した黒い力は、対象者に壊滅的な打撃を与える能力を持っている。

 人間種に対して畏怖を植え付け、恐怖させることで身体の動きを鈍くさせる効果もあるわけだ。

 だからこそ見物に来ていた人々が、凍りついたように動けなかったのだ。

 しかしながら、クロスライルは平然としている。

 普通に彼本来の力が出せているからこそ、ヤキチがどんなに魔人の気配を出しても差が埋まらないのだ。


「なるほどなるほど、あんたの後ろにいるやつが力を与えているんだな。カカカ、いい匂いだ。あぁ…惚れ惚れする匂いだよ。あんたの飼い主は、とびっきりの上玉だな。それは間違いない。だけどよ、それが何?」

「てめえぇえええ! オヤジが怖くねぇのかあああああ!」

「会ったことないしね。怖がる理由もないだろうよ。いまさら強面のヤクザに睨まれても怖くないしな。オレはオレだ。文句があるならかかってこいよ」

「なんなんだ…てめぇは!! 普通じゃねえ!!」

「カカカッ!! 普通か。ここで議論でもするかい? 普通の定義についてよ。嫌いじゃないぜ、そういう答えが出ない話ってのはさ」

「ウウウッ!! ウオオオオオオオオ!!」


 ヤキチは、クロスライルを殺そうと思った。

 最初から殺しにいっているが、ここで彼が抱いた感情は、憎しみや愉悦といったものではない。


 クロスライルが―――怖かったのだ。


 彼は今、自分でも理解できない恐怖の中にいた。

 殺さないといけない。倒さないといけない。排除しなければならない。

 無性にそんな気持ちになって、がむしゃらに突っかかる。

 しかし、差が埋まっていない以上、結果もまた変わらない。


 クロスライルが銃撃。

 パパパンッ

 ヤキチはよけない。

 どばんっ

 腹が吹き飛んでも前に出て、ポン刀を振る。

 ガキン パリンパリン

 それを聖剣ヴァルナークで受けると、氷の力が働いてヤキチを凍らせる。

 氷を砕いた瞬間には、すでに聖剣アグニスが突き刺さる。

 ボンッ

 首の半分がちぎれ、おびただしい黒い血液がこぼれ出る。


「おらぁはあああ! 下がらねぇえええええ!!」


 どんなに攻撃されても、どんなに劣勢でも、けっして前に出ることはやめない。

 アンシュラオンに負けた時から、彼は心に決めていた。

 死する時は、けっして自ら後退はしないと。


「ひゅー、カミカゼ特攻みたいだねぇ」


 自分が死んでも相手を殺す、という特攻精神満載の素晴らしい意気込みだ。

 彼が旧日本軍にいたら、さぞや褒め称えられただろう。


「てめぇも死ねやあああああ!!」


 ドーーーンッ

 ヤキチは身体ごとクロスライルに激突。


 するも―――するり


 その体当たりも細かい体重移動で華麗にかわされる。

 気のせいか、徐々にクロスライルの動きが良くなっていた。

 軽いステップにキレが出てきたし、当たった感触もやたら筋肉質だった。

 寝起きのたるんだ筋肉と、筋トレを軽くしたあとの筋肉ではハリに差が出るように、今のクロスライルもエンジンがかかっていた。


 そう、エンジンがかかってきた。


「愛のカナリアを〜〜あなたに捧げましょう〜〜♪」


 ザザッザザッ ザザザッ

 彼がステップを踏むたびに地面が削れる。

 ザザッザザッ ザザザッ
 ザザッザザッ ザザザッ

 ステップを踏む、踏む、踏む。

 なにやら無駄に動いていると思ったら、そのステップで地面に【鳥の絵】を描いていた。


「うーん、我ながら良い絵だ。素敵な感性が滲んでるねぇ」


 正直、あまり上手いとは言えない絵だ。

 ナスカの地上絵のほうが遥かに緻密だろう。(あちらは違う意味で凄いが)


「ウウウウッ!! くそがあああああああああ!!」


 くそがくそがとうるさいが、それ以外に言える言葉がないのだ。

 ただしクロスライルは、なめくさっているわけではない。


 楽しんで―――いるのだ。


 彼は今やりたいことをやっているだけだ。楽しいと思えることをやっているだけだ。

 ヤキチとの戦いも【楽しかった】が、ひたすら熱中するほどのものではない、というだけのことである。



「そろそろ飽きたな。じゃ、死んでもらおうか」



 鋭いステップでヤキチの間合いに入り込むと、堂々と右手の銃剣を振り下ろす。

 ヤキチもポン刀を振って迎撃しようとするが―――

 ズッ


「…ず?」


 ヤキチも思わず、言葉に出してしまうほどの音がした。

 それは、ポン刀の刃が、彼の命とも呼べる剣が―――

 ズパンッ

 綺麗に二つに分かれた音だった。

 真っ黒な剣気すら物ともせず、ヴァルナークがポン刀を二つに叩き割り、ヤキチの身体を切り裂く。

 バリバリバリバリッ

 斬撃を受けた箇所が凍りつき、彼の身体の内部まで浸透していく。

 そこにアグニスの一撃。


 ザクッ


 攻撃パターンは、まったくの同じ。

 右のヴァルナークで切り払う、あるいは切り裂いてからのとどめの左。

 クロスライルがとどめの一撃を左に構えているのは、やはり右利きの武人が多いからである。

 サウスポーのボクサーのワンツーのように、普通の相手とは間合いが違うのでかわしにくいのだ。

 これはクロスライルが『両利き』であることの利点を生かしているといえる。

 とまあ、そんなことはどうでもいいだろうか。


 大切なことは―――彼が【本気】になったということだ。


 ボンッ

 アグニスが爆発。氷で固められたヤキチの身体が吹き飛ぶ。

 ここまでも同じ。

 だがさらに―――


 ボンボンボンボンッ!!

 ボンボンボンボンッ!! ボンボンボンボンッ!!

  ボンボンボンボンッ!! ボンボンボンボンッ!! ボンボンボンボンッ!! ボンボンボンボンッ!! ボンボンボンボンッ!! ボンボンボンボンッ!!


 凄まじい量と回数の爆発が発生。

 爆発できるのが三回まで、とは誰も言っていない。

 本気で起動すれば、これくらいは軽くできるのだ。


「が―――はっ!」


 これによってヤキチの身体が、文字通り粉砕される。

 腕が吹っ飛び、胸も吹っ飛び、爆発の余波で下半身まで吹っ飛ぶ。

 ごぼごぼごぼっ

 ヤキチの身体から黒い血が流れ出る。

 魔人の道具が怖いのはここからだ。

 こんな状態でも彼らは再生を行い、破壊を続けようとする。

 彼らに戦う意思がある限り、魔人の影響力がある限り、戦うことをやめないから怖いのだ。

 しかしそれも―――



「あんたはあんた、オレはオレだ。あんた以外の力は認めないぜ」



 じゅわわっ ボシュン


 黒い血が蒸発していく。普通の熱量では絶対に蒸発しないにもかかわらず、燃え尽きていく。


「ばか……な……ありえ……ねぇ」


 ヤキチが驚くのも当然だ。

 クロスライルが、アンシュラオンの波動を消し去ったのだから。

 この場はいまだエバーマインドの影響下にもあるので、より強い思想が生き残るシステムになっている。

 それゆえにヤキチ程度の武人でさえ、これだけ強くなれるのだが、クロスライルの思想はといえば―――


 どこまでも―――無頼《ぶらい》


 誰にも頼らず、誰にも寄りかからず、ただ自分の力だけで荒野を生き抜く無頼者の心構え。

 ヤキチが強くなったのは、アンシュラオンの力によるものだ。

 ならば、ここでは無効。不必要。無駄。無意味。

 クロスライルの前では、まったく価値がない。


「さよなら、バイバイ。お元気で」


 ブスッ

 ヤキチの顔面にアグニスが突き刺さり―――


 ボーーーーンッ パラパラパラパラッ


 ヴァルナークで半分凍った彼の頭が、完全に砕け散って舞い落ちていく。

 それはまるで粉雪のように美しかった。

 それで思い出す。


「そういや、オンバーン姐さんの冬の歌も聴きたいもんだねぇ。って、乾燥ばかりの荒野じゃ、さすがに雪は降らねぇか。カカカッ。異常気象でも起こらねぇかなぁ。…あ、頭部は残したほうがよかったのか? まあいいか。グロいの持ち歩くの嫌だし」


 ヤキチを殺しても、抱いた感想はそれだけだ。

 彼にとってヤキチなど、所詮はその程度のものにすぎなかった。

 JBがあんなに苦戦したのに、クロスライルが圧勝したことに違和感を感じるかもしれないが、実際はこれだけの実力差があるということだ。

 JBも仮に全力で当たっていれば、同じようにマサゴロウを粉砕しただろう。

 ただクロスライルには、他の人間とは違う事情もある。



「ホワイト…か。臭う、臭うねぇ。オレと同じ匂いがするぜ。もしそうなら実際に会ってみてぇなぁ。同じ『異邦人』ならよ」



 異邦人。

 この世界の人間からすれば、彼らは異邦人と呼ばれる。

 時々現れ、世界に何かしらの強い影響を残す者たちを、畏怖をもってそう呼ぶのだ。

 同属だからこそ感じる気配がする。懐かしい、とても懐かしい感覚だ。

 ならば、会わねばなるまい。彼と、アンシュラオンという人物と。




558話 「マタゾーの死 その1『変わった男』」


 回り廻って最後にたどり着くは、この場所。

 炎に包まれたホワイト商会の事務所の中、その大広間の一室。


 そこでは二人の武人が戦いを繰り広げていた。


 マタゾーの槍が、閃光のように突き出される。

 それをラブヘイアが剣で受け流し、後方に跳躍。同時に風衝を放って牽制。


「ぬんっ!」


 ブンッ バシュウンッ

 マタゾーは風衝を槍で叩き落とす。

 ただその頃には、すでに新しい風衝が三つほど生まれており、三方向から襲いかかっていた。

 わざと一発目の速度を遅く放つことで時間を稼ぎ、余裕をもって風衝・三閃を放ったのだ。

 前と左右同時に襲いかかる風の刃が、床を大きく切り裂きながら迫ってくる。

 マタゾーは、バックステップで斜め後ろに回避。

 だが、これはあくまで誘いにすぎない。


 すでにラブヘイアは、自分の間合いに入っていた。


 槍は前に出てこそ力を発揮するもの。下がっていれば脅威は半減する。

 その引き際の隙を狙って一気に加速すると、迷いなく風威斬を放つ。

 風威斬は剣に風衝をとどめたもので、威力も風衝の二倍以上の技だ。

 さらに風の気質は速度を上げる効果があるため、非常に速い斬撃が襲いかかる。


(速い。が、対応はできる)


 マタゾーは咄嗟に石突きを床に叩きつけて跳躍。

 間合いを作り、空中から一閃。


 剣と槍が―――激突。


 ガギイイインッ ドドドンッ


 激しい力の余波が周囲を震わせ、半壊していた事務所の壁が、最後の断末魔を上げて吹っ飛んでいった。


 ラブヘイアは槍を切り払うと、再び距離を取る。

 そこにマタゾーの追撃。槍の先端から矢槍雷を放出。

 貫通力に優れた雷気がラブヘイアに正確に飛んでいく。


(風気をまとうことはマイナスにもなる。当たれば致命傷よ)


 ラブヘイアは身体に風気をまとわせ、全体的な速度を上げている。

 一気にマタゾーの間合いから大きく離れられるのも、その効果があってのことだ。

 ただ『属性反発』があるので、風は雷には弱い傾向にある。JBが彼に雷撃を仕掛けたのは、そういう意味合いもあってのことだ。

 マタゾーの技の質も高く、これは当たると思った。

 が、ラブヘイアは無造作に左手を突き出した。


 バチィンッ ブシュウウ


 彼の左手にまとわりついた黒い何か。

 コールタールのようにまったく光を反射しない黒い鎧状の塊が、雷気を完全に遮断してノーダメージ。

 それどころか左手が膨れ上がると同時に、射撃を開始。


 ドドドドドンッ


 マタゾーは回避しつつ、よけられないものは破壊。

 一発一発は非常に重く、貫通弾以上の威力をもっているが、幸いながら戦気は伴っていないので対応は可能であった。

 しかしながら、これが原因でマタゾーは劣勢に立たされていた。


(たしかに戦気をまとってはいないが、身体が弱い拙僧が受ければ無事では済むまい。しかも相手は、それだけ消耗がないということ。厄介なものよ)


 クロスライルの銃弾は、戦気を使って威力が何十倍にもなるが、それだけ当人の生体磁気を消耗してしまう。

 戦士の彼だからこそ何百発撃っても問題はないが、体力がない武人ならば無駄弾を撃つだけで息切れするはずだ。

 だが、ラブヘイアのものは何かの力で射出しているようで、当人の戦気にまったく揺らぎがない。

 威力も通常のライフル弾を遥かに凌ぐうえ、弾丸は無限にあるらしい。


 ラブヘイアが左手を壁に押し付けると―――吸う。


 ジュッポン ジュッポン


 便器が詰まった際に使うスッポン(ラバーカップ)のように、壁の素材を吸い上げる。

 そして、射出。


 ドドドドドンッ

 ドドドドドンッ


 元が石やら木材の強化物質とはいえ、超高速で撃ち出されると凶悪な攻撃となる。

 武人だからといって銃弾をまともに受けても平気なわけではない。そんなことができるのは、マサゴロウのような生粋の戦士タイプだけだ。

 致し方なくマタゾーは防御の態勢となり、必死に回避に専念する。


 ボンボンボンッ

 グラグラ ゴトッ ゴトンッ


 その射撃によって周囲の壁やら柱が破壊されていく。

 煙の匂いがする。すでに火は一階部分にまで延焼し、この部屋にまで及びつつある。


 事務所は崩落間近。


 いつだって最後は燃える。

 どんなに権威を誇っていようが、燃え尽きて死んでしまう。

 ホワイト商会の滅亡も、まもなく訪れるのだろう。

 その最期にこの男と相まみえることは、マタゾーにとっては幸せなのかもしれない。



 両者が、再び見合う。



「素晴らしい腕前。技の冴え。その若さでここまで到達するとは、見事でござるな。元来の才覚に加え、相当な修羅場を潜ってきたと見える」

「たかだか戦場《いくさば》を少々。あなたには遠く及びません」

「謙遜することはない。結果がすべてでござる。貴殿は強い。そこに一切の偽りなし。この目では、だんだん追えなくなりそうでござるな」

「そのわりには嬉しそうですね」

「当然よ! 武人にとって、戦って死することは幸せなり。わが身、この身、骨肉の一片たりとも残すつもりはない!」


 ドンッ!! ボシュン

 マタゾーが石突きを床に叩きつけると、床が一瞬で燃え尽きて炭と化す。

 燃えている。彼の戦気が燃えている。

 ここが最期の場所であると受け入れている。

 肉体的には万全とは言いがたいが、だからこそ守るものはなく、相手を滅するために全力を尽くせるのだ。

 ただ、マタゾーとラブヘイアとの意気込みには、多少ながらの温度差があった。


「我々はいったい、どこにたどり着くのでしょう? この戦いも、あの方々にとってみれば遊びでしかありません。人の身で戯れたところで、それにいったい何の意味があるのでしょう? あなたは強い。しかし、超常の存在から見れば、その努力さえ意味無きものではないのでしょうか」

「…その目、拙僧を見てはおらぬな。【無】に侵されたか」


 ひどく冷たい目をしている。人をゴミのように見ている。

 マタゾーは、ラブヘイアの目に宿った色を知っていた。


 【人間の限界】を悟った者の目だ。


 自分では永劫に届かない極致を知ってしまった者だけが見せる、虚無に等しい感情である。

 たとえば人智を超えた魔獣と遭遇した時、人は絶望する。

 こんな存在に勝てるわけがない。自分がやってきた鍛錬は無価値だった、と。

 絶対に勝てないと思った瞬間、その人間は終わるのだ。無に心を縛られ、すべてのことが無味乾燥に思えるからだ。

 ソイドダディーなどが良い事例だろう。彼は四大悪獣を見て自分の限界を悟った。

 自分ではもう届かないとわかったからこそ、グラス・ギースと派閥のために都市内部での活動に勤しむようになった。

 彼にとっては、それでよかったのだ。無駄に死ぬ必要はないし、人の身で得られる幸せがある。


「拙僧もかつては無を感じることもあった。されど武人である以上、努力と鍛錬を怠るわけにはいかぬ」

「届かぬと知っていてもですか?」

「左様。武を志すならば、誰もが通る道よ」

「そうですか。あなたは立派な方なのですね。血に酔うことがなければ、まっとうな剣士になれたかもしれません」

「それこそ無駄な議論よ。貴殿とて、それを知りながらも戦うしかないのであろう?」

「…そうですね。その通りです。しかし、私は無に侵されたのではありません。私が見たものは―――【美】です」


 ラブヘイアの目に、また違う色が宿った。


―――憧れ


 の感情である。

 人は誰しも憧れる。自分より大きなものに憧れ、美しいものに憧れ、優れたものに憧れる。

 人として当然の感情だ。すべての子供たちには、ぜひとも憧れを抱いてほしい。

 ただ唯一の不幸は、それが【究極の美】だったことだ。


「私は見てしまったのです。この世界で一番美しいものをね。それが人間の世界でのことならばよかった。ですが、あれはもう、あらゆるものを超えていたのです。そうです。まさに人智を超えていた」


 白く、白く、白い力。

 四大悪獣すら簡単に屠り、人間の壁を超えた存在。

 ただただ美しく、強く、けっして揺らがない。人が霊峰を見て抱く感動と同じだ。

 あまりの美に涙を流す。これこそ自分が求めたものだと。


 それからラブヘイアは、すべてがつまらなくなった。


 アンシュラオンと出会い、マキにフルボッコにされてから、ずっと彼は荒野をさまよっていた。

 自分自身の可能性を引き出そうと精一杯戦ってみたが、見たものがあまりに凄すぎて絶望しか湧かなかった。

 女性が愛でる花も、宝石も、髪の毛さえも、彼にとっては無価値なものになっていたのだ。

 ハンターとして人々を守ることには興味はあれど、以前ほどの執着を感じなくなった。

 もう終わりだ。もう戦えない。

 そう思った時。



―――歯車は廻る



 彼は出会ったのだ。

 完全なる【美】に。


「【あの御方】は、私にチャンスをくださった。そう、可能性をくださったのです。私が見たものは無ではなく【有】。無限の力を蓄えた、あらゆるものの根幹なのだと証明してくださった!!」


 ボオオオオオッ!!! ボボボボッ!

 ラブヘイアの戦気が猛々しく燃える。新しい石炭を入れたように燃え盛る。

 帰りの道中、アンシュラオンに酷評された「しょっぱい戦気」が、今は輝きをもって燃えている。

 戦気は人の感情や本質を示すもの。心に宿す力を体現するもの。

 希望が燃えている。誇り高さが燃えている。


 ここで彼は決断。



「前に出る!! その勇気を、私はいただいた!!」



 ラブヘイアが、一歩前に踏み出す。

 ここでいう一歩という距離は、野球でいえば盗塁を狙う際の積極的リードのようなものだ。

 この一歩によって盗塁の成否が決まる、とても大切なものである。

 だがしかし、一方では危険な行動だ。

 盗塁の可能性があるということは、それだけ牽制死になる可能性もあることを意味した。

 それを見て、マタゾーが笑う。


「そのままやっていれば勝てるものを…あえてか。面白い。受けて立つでござるよ!」


 正直、総合的な実力はラブヘイアが上であった。

 元来の才能自体ラブヘイアが上であるし、どうやったかはともかく、現状の彼は潜在能力を限界まで開花させている。

 その力は第七階級の達験級を超えて、第六階級の名崙《めいろん》級にまで到達しているだろう。

 それだけでも十分強いが、戦い方が非常に洗練されていた。

 最初にアンシュラオンが実力テストをした時にもわかったことだが、彼は中遠距離戦闘に長けていた。

 今マタゾー相手にやっていた通り、風衝と風威斬のヒットアンドアウェーだけでやりくりできた。

 人間の膂力を超えた魔獣と戦うのだから、普通は超接近戦などは挑まないものだ。

 地球の人間が狩りをするように、銃火器で遠くから倒すのがもっとも効率的だろう。

 若いながらも数多くの魔獣と戦った彼は、自然と遠距離での戦いを好むようになっていた。安全面から考えても正しい選択である。

 ネビュエル・ゴースに入ってからも戦い方は変わっていない。

 JBに酷評されたことからも、遠くからちまちま攻撃して戦果を挙げていった。

 逆に言えば、それで十分な戦果を挙げられるだけで、彼の実力が高いことを証明している。


 だが、アンシュラオンが常々指摘しているが、そんな戦い方を続けているだけでは因子は上昇しない。


 武人の因子とは、絶体絶命のピンチ、衝撃的な体験、絶え間のない鍛練、死闘、極限の力の放出によって引き出されるものだ。

 一歩間違えれば死ぬような、その苛烈な戦いによって血は目覚める。

 サナが良い例だろう。十歳の少女に殺し合いをさせるなど常軌を逸している。されど、そうでなければ強くはなれないのだ。


(ならば、私も死地に足を踏み入れましょう。それがアンシュラオン殿とあの御方に対する礼節。私が今、ここにいる意味!!)


 アンシュラオンは、勇気をくれた。

 あの御方は、力をくれた。

 その二つを今、示す時である。




559話 「マタゾーの死 その2『憧れの結論、人を超えし者』」


 ラブヘイアが、一歩前に出る。

 中距離での安全な勝利ではなく、ギリギリの厳しい戦いを求めたのだ。より自分を高めるために。


「死んでいただく!!」


 ラブヘイアが回り込むようにマタゾーに急接近。

 風気をまとっているので相当速い。目で追う暇もない。

 現在はただでさえ片目が無いので、視覚で追うのは不可能だ。


(回り込むのは槍の筋道を防ぐための動きか。槍の使い手など、そうそういないことを考えれば、単純に戦い慣れているでござるな。だが、拙僧の技が突くだけではないことを教えてやるとしよう)


 槍は突くだけではない。


 マタゾーが槍を―――【振る】


 突く動きではなく、叩きつける動作だ。

 ソイドビッグ戦でも披露したが、槍を棍のように扱う技術も身につけねば、この修羅の道は歩んではいけない。


 ブォンッ!!


 回り込んでくるラブヘイアの動きに合わせ、横凪ぎに石突きが襲いかかる。

 ラブヘイアは、それを屈むようにして回避。さらに近距離にまで接近する。

 それでいながら速度は変わらない。風が下から吹きすさぶ如く、下段から剣を突き上げる。


「いい動きよ。だが、まだまだ!」


 だが、それに合わせて槍の軌道も変化。

 マタゾーが咄嗟に持ち手を変え回転させ、槍の先端でカウンターを仕掛ける。

 そのためラブヘイアは、マタゾーに当てるはずだった剣の軌道をずらして防御。

 ガギィイインッ

 槍と刀が激突。

 激突すれば、こちらのもの。


「ぬんっ!!」


 刃と刃がぶつかった瞬間、マタゾーが雷気を発動。

 バチバチバチバチッ!!

 ラブヘイアは風気を移動させることで散らそうとするが、雷撃の特性上、どうしても完全には防げなかった。

 バスバスと身体が焼け焦げる。

 ただし、焼けたのは剣を持っていた右半身の一部にとどまった。


(この剣、金属ではないでござるな。雷気を通さぬ!)


 黒い剣は、彼の左半身にまとわりついている黒い鎧と同じ素材なのか、絶縁体のように雷撃を止めてしまっていた。

 あくまで焼けたのは、風気をまとっていた肌の表面と筋肉のわずかな部分だけだ。

 今度は雷気を防いだラブヘイアの蹴り。

 マタゾーは槍を引いてガード。かろうじて防ぐ。

 しかし、即座にラブヘイアは、剣をもったまま拳を放ってきた。

 槍は長い得物なので、ここまで接近されると回避は難しい。


 ごぎゃっ バキバキッ


 マタゾーの顔面、鉄の天蓋に命中。

 戦気で覆われた拳は簡単に天蓋を破壊。中にまでダメージが浸透し、脳が揺れる。

 この光景はアーブスラット戦でも見たことがある。このままでは視界が塞がれてさらなる攻撃を許すため、即座にマタゾーは天蓋を脱ぎ捨てながら後方に回避。


 しようとするも―――ガブッ


「なっ…!」


 マタゾーの腕に【噛み付いた】のは、ラブヘイアの左腕だった。

 比喩ではない。文字通り、噛み付いたのだ。

 いつの間にか形状が獣の口元状になっており、そこで生まれた鋭い牙が腕に噛み付いて行動を阻害。

 そうして動きが止まったところに、ラブヘイアの拳が炸裂する。

 ドガッ バキィイッ! ガンゴンッ

 剣を振る間合いがないので、剣を持ったまま殴りつける。拳で殴ったり柄で殴ったりと、隙があれば殴りかかる。

 戦士因子も3あるので、拳の一撃も有効打になるとはいえ、なんて泥臭い戦い方だろう。

 今までの彼のスマートな戦術は見る影もない。

 しかし、それは強さを求める彼の『あがき』でもあった。


(見事な心構えよ。おそらくは本意ではなく、違和感もあろう。だがそれでも強さを求めるのならば、これもまた正しいこと。ならば拙僧も同じことをするまででござる)


 ラブヘイアが自分のやり方を曲げてでも、新しい可能性を見いだそうとするのならば、自分も進化していいだろう。

 コンッ ごろごろっ

 マタゾーの僧衣から、カプセルが二つばかり落ちる。


「これは…大納魔射津!」


 ラブヘイアが気付いた時には遅かった。

 マタゾーは軽くカプセルを蹴り、ラブヘイアの後方に転がすと―――爆発。


 ドーーーーンッ ドンッ!!


 激しい衝撃によって、二人とも吹っ飛ばされる。

 当然こんなことをすれば、もう屋敷は滅茶苦茶だ。

 これによって本格的な崩落が始まり、館が潰れていく。


 ラブヘイアは爆発に巻き込まれながらも、館から飛び出す。

 ここでいつもの癖が出てしまったことは否めないだろう。不測の事態に対して、ついつい間合いを取ってしまったのだ。

 それ自体は正しい判断だ。

 しかしながら、決死の武人を相手にしている場合は致命的。


 マタゾーは、屋敷から出ていなかった。


 爆発と崩落に巻き込まれながらも、相も変わらず槍を持っている。

 槍は命。絶対に離さないと決めている彼の気概は、あまりに凄まじかった。

 マタゾーは振り回した槍を、まったく無駄のない手首の動作で手に収めると、高速で打ち出す。

 尖端から迸った剣気が【雷矢】となって、ラブヘイアを襲った。矢槍雷である。


「くっ!」


 ラブヘイアは空中で左手を使ってガード。

 これはすでに証明している通り、素材そのものが雷無効なのか、あっさりと霧散させることに成功。
 
 だがしかし雷は防げても、【槍本体】は防げない。


 槍が―――飛ぶ


 ギュルルッ バチーーンッ ドヒュンッ!!

 放槍・雷槍人卦。

 これもアーブスラット戦で使った『槍投げ技』だ。

 威力は雷槍人卦と変わらないが、遠くに飛ばせるメリットがある。

 武器を手元から放すデメリットもあるため、相当な覚悟がないとできない技だ。

 ただ、マタゾーは闇雲に放ったわけではない。

 もっとも攻撃を当てやすい瞬間が、相手が逃げ出した時であることを知っているからだ。

 暴漢に襲われた時に、迂闊に背を見せると危険だ。背中は人間にとって、もっとも無防備な部位だからだ。

 ラブヘイアも背中とは言わないが、半身の体勢だったので回避が遅れてしまい―――


 ブスウウウウウッ!!


「ぬぐっ―――!!」


 槍が左腕を貫通して、胴体に深々と突き刺さる。

 そして内部に『人間特効』のダメージが発動。


 バチーーーーーンッ!!


 存在すべてを否定されたような激しい衝撃が襲いかかる。

 これにはさすがに耐えることができず、ラブヘイアが倒れた。

 ドサッ ごぼごぼっ



「がほっ…ごほっごほっ…ぶはっ!! ハーーハーッ!」



 腕ごと胸を貫いた一撃によって、咳とともに吐血。

 どうやら気道と食道付近を完全に潰されたようだ。呼吸も漏れて練気にも乱れが見られる。

 だが、休んでいる暇も痛がっている余裕もない。


 そこにマタゾーが歩いてきた。


 彼の姿もボロボロである。

 大納魔射津を自ら受けたし、身体自体が頑強ではないので、肉が削げ落ちて骨が見えている箇所もある。

 顔も皮膚が焼け焦げ、耳が半分吹き飛んでいるという有様である。

 だが、それ以上に見えるのが、彼の身体に刻まれた古傷の跡だ。


「さすが…ですね。経験値では……勝てませんか」


 総合的な能力では、ラブヘイアのほうが上だろう。

 だがマタゾーには、極限の鍛錬を続けてきたからこそ得られた経験がある。

 圧倒的なまでの差がなければ、この戦闘経験値は極めて重要な要素となる。

 マタゾーは、その技、その気質、どれをとっても一流の域に差しかかっている。


「貴殿は強い。されど、人を殺した数では拙僧のほうが上のようでござるな。刹那に一瞬の鈍さが見て取れる。まだ殺すのに躊躇いがあるようでは、勝負には勝てぬでござろうに」

「それは…知っていますよ。よく主人にも怒られます。私はもともと…人を殺すために剣を磨いては…いませんでしたからね」


 もう一つの差が、この点だ。

 ラブヘイアは、ずっとハンターとして生きてきた。魔獣は殺せても人は殺せないような甘い人間であった。

 だからこそ年齢のわりには、ハンターとしての腕前が急激に伸びたのだが、結局のところ【逃げ】でしかなかった。

 自分の可能性から目を逸らし、いつも安全なところから世の中を見つめ、嘆くだけの日々。

 そんな人生の何が面白いのか。なさけない。くだらない。

 欲しいものがあったら求めろ、手に入れろ、奪い取れ。殴り、斬り、力づくで剥ぎ取れ。

 まるで野獣のような目をした白き魔人は、奪い取ることに躊躇いはない。それが自然であることを知っていたからだ。

 ああなりたい、とは思わない。自分には永遠に無理だろう。

 だが、追い求める。

 憧れが、彼を後押しする。


「あなたは人間として戦うことを…選んだ。ですが、これが限界です。この程度の力が限界ならば、無駄に時間を使うだけのこと。ならば、ならば…こうするしかないでしょう?」


 ズズッ ズズズズッ


「むっ…!」


 ラブヘイアから異様な気配がし、マタゾーが思わず一歩下がった。

 それは、槍が抜ける音。

 彼の身体に刺さった槍が、少しずつ押し出されてきている音。

 ずずずずっ ゴトンッ

 槍が落ちた。身体から排出された。

 だが、それはいい。今はそんな「些細なこと」に囚われている暇はない。


「ウウウウッ!! ウウウウウウウウッ!! はぁはぁっ!! 改めてあなたと戦って…理解しましたよ! あ、ありがとう!! ありがとうございます!! 限界を教えてくださって、ありがとうございます!!」


 ラブヘイアが感謝の言葉を捧げながら、呻く。

 徐々に感情が高まっているようで、涙を流しながら両腕をバンバンと地面に打ち付ける。

 正直、危ないやつだ。

 なぜ礼を述べるのか、なぜ突然感情を露わにするのか理解できず、マタゾーはその隙に立ち入ることができなかった。

 また、こうした絶好の好機であるにもかかわらず、動けないことにはもう一つ理由がある。


 ズズズズズッ ガブッ ガブガブッ


(いったいこれは…。なぜ左腕が…この者を『喰らって』いるのでござるか?)


 ラブヘイアの黒い左腕の牙が、外側ではなく内側に生まれ、【まだ人間のままの右半身】にかぶりついていた。

 ガブガブッ モグモグッ

 左腕が身体の侵食を開始。徐々に右側も黒く染まっていく。

 ズズズズッ メキッ ガキンッ ガコンッ

 あっという間に黒に染まったあとには、超合金の玩具を変形させたような音が響き、内部で何かが行われていく。


「ウウウウッ!! ウグガアアアアアアアアアアア!! ハーーー!! ハーーーーーーー!!」


 顔も真っ黒に変色し、塊が変形して特定の形を生む。


 顔の上に―――顔が生まれた。


 それは光をまったく通さない黒で形作られた『獣の顔』。

 たとえるならば、子供番組で出てくる【怪人ヒーロー】だろうか。

 獣あるいは虫型の頭部に、スタイリッシュな鎧状の身体をした存在。

 人の心を持ちながら、身体は完全に人間を超えた『正義の悪魔』。



「ハーーーーハーーーーッ!!! ハハハハッ!! ハハハハハハハハッ!!」



 ラブヘイアが立ち上がり、笑う。

 燃える館を背景に、月明かりに照らされたそれは、もはや人ではなかった。

 気配が違う。雰囲気が違う。マタゾーが人であるがゆえに、人でないことがわかる。

 これですべて納得。


「そうか…そうかそうかそうか!! 貴殿は【その道】を選んだのでござるか!!! ハハハハハッ! 見事、見事、お見事!! 拙僧は貴殿を尊敬いたすぞ!!」


 なぜラブヘイアは、人をゴミのように見下していたのだろう。

 その答えは極めて簡単だ。


 彼がもう―――【人ではない】からだ。


 どうすれば憧れの人に追いつけるのか。

 どうすれば近くにいくことができるのか。

 人ならざる魔人に近づくにはどうすればいいのか。



 ならば、自分が同じ【魔人になればいい】のだ。



「ああ…これがあの人の見ている世界。素晴らしい。本当に素晴らしい。あの御方がくれた力は、本当に素晴らしい! さあ、終わりましょう。あの人の匂いがするあなたを殺して、私はまたあの人に近づくのですから。もう我慢など―――できませんよ!!!」



 これより圧倒的な暴力による殺害が始まる。




560話 「マタゾーの死 その3『獣魔』」


 ラブヘイアの右半身が、完全に左半身の黒鎧に「喰われた」。

 黒鎧は自ら形状を変化させ、自身に最適な状態へとカスタマイズを始める。


 その結果生まれたのが―――【獣魔《じゅうま》】


 獣の顔、おそらくは肉食獣を模した頭部と、凹凸があまりないスタイリッシュな形状のスーツ鎧になる。

 やはりたとえるならば、某バイクに乗って悪の組織と戦う怪人ヒーローだろう。それが見た目上は、一番適切な表現に思える。

 ただし、身体全体が真っ黒に染まり、光さえも吸収する性質を持っていることが異様に感じられた。

 まるでサナが、黒雷狼に覆われた時の光景を思い出す。

 マタゾーたちのような「ちょっとばかし力をもらった使い捨ての道具」とは違い、魔人の力を真の意味で受けた者は、こうした変化が見られるのかもしれない。

 バサァッ

 後頭部から黒に染まった長い髪の毛が放出され、風に舞う。

 それで完成。準備が整う。



「これはお返しいたします」


 ラブヘイアが、マタゾーに槍を返す。

 その意味をすぐに彼は悟る。


「なるほど、実験台というわけでござるな?」

「ええ、ご不満ですか?」

「いいや、そこまでの覚悟をもった貴殿ならば、言う資格はある。人の道を外れた『人外』としての生を歩む貴殿の苦しみなど、到底推し量れぬものよ」

「では、お願いします」

「しかし…だ!! だからといって、拙僧の歩んだ道が無意味であったとは言わせぬ!!! わが身、この身、すべてをかけて貫くのみ!!!」


 ゴオオオオオッ!!!

 槍を持ったマタゾーが、爆発集気。

 身体中から生体磁気を搾り出し、槍に集めていく。

 バチッバチッ!! バチンバチンバチンッ!!!

 戦気は激しい雷気となり、周囲を昼間のように照らす。

 その輝く光を受けても、ラブヘイアの黒い身体はまったく光を反射しない。


 雷気が、集約。


 槍の先端にマタゾーの全戦気が集まる。


「拙僧もずっと知りたかった!! わが槍が、あれから進化したのかどうか!! あの時、オヤジ殿にまったく通じなかった一撃が、どこまで変わったのかを知りたかった!! 感謝するでござるぞ!!!」


 マタゾーが、雷槍人卦を放つ。

 五十年以上にわたる鍛錬の末、彼はこの力を身につけた。

 腕が折れても指がもげても、腹が切り開かれても戦い続けた、本当に本当に壮絶な日々だった。

 いまさら多くを語る必要はないだろう。彼の武闘者人生については十二分に述べてきた。

 才能で大きな差のあったアーブスラットに対しても、彼は意地を見せたのだ。

 その人生は誇り高く、賞賛されるべきものである。


 槍が―――迫る!


 ずい


 彼の人生を乗せた輝く槍に対してラブヘイアは、無造作に左手を伸ばす。


 ブスウウウウッ


 刺さった。

 マタゾーの一撃は、獣魔となったラブヘイアの身体に突き刺すことを可能とした。

 仮にアンシュラオンであったとしても、あのままくらっていれば身体に損傷を受けていた可能性があるので、さすがの威力といえる。


 が―――それだけだ。


 ブシュンッ


 雷槍人卦は先端が彼に刺さっただけで、その役割のすべてを終えた。

 獣魔という存在のカテゴリーがどこに入るのかはまだ不明だが、とりあえずステータス上は『人間』の要素も持っていると言っておこう。

 それゆえに『人間特効』が発動したのだが、ラブヘイアは何の反応も見せない。

 これはつまるところ―――


「…ふふふ……ははははははっ!! やはり…やはりこうなったでござるか! 夢さえも…見られぬとは……現実はいつも残酷でござるな」


 人間特効が発動して【この程度】、だということ。

 ラブヘイアのHPが、マタゾーが与えたダメージより遥かに上にあった、ということにすぎない。

 すでに限界まで能力を上げているマタゾーが、いくらがんばったところで何も変わらないのだ。

 意思の強さや経験の蓄積によって魂は永遠に成長を続けるが、それを表現するための肉体に限界があれば、必然的に出力にも限界が訪れる。

 これが精一杯。

 マタゾーがどんなに努力しても、これ以上は到達できない。

 仕方ない。それが人間である。


「申し訳ありません」

「なぜ謝る!! 貴殿の道は正しい!! 真の修羅の道を歩むのならば、その覚悟があってしかるべきよ! ただ、多くの者たちにはその手段が無いにすぎぬ」

「もしチャンスがあれば、あなたは求めましたか?」

「仮定の話はいたさぬ。わが人生、何一つ言い残すことはない」

「わかりました。ではそろそろ―――喰らいます」


 がしっ

 ラブヘイアが槍を掴むと―――


 バキィイイイインッ


 へし折る。

 マタゾーの人生、彼の命といえた槍を、いとも簡単に無造作に折る。

 ただの槍ではないのだ。そこには彼のすべてが注ぎ込まれている。

 もし人生をかけて得たものが、一瞬で破壊されたらどう思うだろう?

 親に愛されて幼少時代を過ごし、友に恵まれて学生時代を過ごし、運に恵まれて仕事に成功し、異性に恵まれて結婚して幸せな家庭を作り、定年に至る。

 きっとあなたは「ああ、今までがんばってきたな」と思うだろう。


 だが、それが無駄であったと知ったら?


 ある日突然、もっと強大な力に一瞬で蹂躙されたらどう思うだろう?

 難民たちが体験するように、財産を奪われ家族を奪われ、娘を略奪されて辱められ、自身が拷問死させられたら?

 これはいったい何なのだ?

 どうなっているのだ?

 神はどこにいるのだ?

 そう思うに違いない。

 今までの人生を簡単に否定できるだけの力。努力を踏みにじる力。



 これは、それと同じ類の―――暴力!!!



 ラブヘイアが拳を引き絞り、放つ。

 マタゾーは諦めることなく防御の姿勢。長年鍛錬で培ってきた感覚が自動的にガードさせるのだ。


 が、当然―――破壊


 めきょっ ボンッ

 マタゾーの左腕が粉々に消し飛んだ。

 力が強すぎて、一点に集まりすぎて、一瞬で爆発霧散したのだ。

 その余波は背後にまで及び、空間に激しい軋轢を引き起こし、バチンバチンと大気が弾ける。


 そこから蹴り。

 ドゴッ ボンッ

 蹴られた腹が、こちらも同様に弾け飛んだ。

 もうすべてが違う。すべてが規格外。存在が違うのだから当然だ。


「ごふっ…フフフ!! これが…これが人外の力!! まさに魔性の力でござるな!! 貴殿はどこにいかれる! これをもってどこに…!!」

「この先に何があるのか私にもわかりません。しかし、求めてしまった。あの憧れが私を変えてしまったのです」

「ウウウッ!! 拙僧もこれまで!!! 最期まで…拙僧は武人として―――あらがう!!」


 ズズズッ

 マタゾーの身体も黒い力に染まっていく。

 マサゴロウやヤキチ同様、彼も魔人の道具として命尽きるまで戦い続ける使命を背負っていた。

 槍がなくても必死に掴みかかり、少しでも相手にダメージを与えようとする。

 殴る、噛み付く、叩きつける。

 常人が焦ってがむしゃらにやるのではなく、殺人を研究してきた武人であるため、その質も精度も高いままだ。

 敵がもし普通の武人だったならば、こんな攻撃でも脅威でしかなかっただろう。


 しかし、相手は―――獣魔。


 それらの攻撃で、彼が傷を負うことはなかった。

 ラブヘイアは左の掌をマタゾーに向けると能力を解放。

 マタゾーの身体が一気に収縮したと思ったら、直後に宙に飛ばされ、静止。

 空中で動きが止まり、完全に浮いて無防備になった。


(動け…ぬ!! 身動きが取れぬ! 何かの力が働いている!! あの左手の能力か!)


 見るとラブヘイアの左腕が膨れ上がって、『セイウチ』の頭部を模した形になっていた。

 レクタウニードス〈重磁大海象〉の能力、『磁界操作』。

 マタゾーに磁力を付与することで自在に動かし、なおかつ動きを封じた能力の正体であり、雷撃を捻じ曲げたのもこの力である。


 ズズズズッ にょろ


 そして、右手の一部が変質して伸びると、一本の剣が生まれた。

 今までラブヘイアが使っていた黒い剣とまったく同じものだが、この姿になると「あまりに似合いすぎる」。

 おそらくはもともと、こちらの形態で使うことを想定された武具なのだろう。


「ウウウウウッ!! ウオオオオオオッ!!!」


 獣魔が、叫ぶ。

 その咆哮は、魔人の道具となったマタゾーさえ畏怖させるものであった。

 獣魔に、魔人の威嚇はまったく通じない。

 なぜならば、彼はさらに【上位の存在】だからだ。


「貪り!! 喰らい尽くす!!! わが身を獣に変えて!!」


 黒き刀身に黒い力が溜まると、ラブヘイアが駆ける。

 ぐぐぐっ ドンッ!!!

 風気をまとっているわけでもないのに、その加速力は数倍も上だった。

 大気の壁さえも簡単に抉り、強引にぶち破り、力任せに突き進む。

 長い髪の毛が風に揺れる暇もない。ただただ力の流れに乗り、ライオンのように猛々しく逆昇るだけ。



「歩まれよ。ひたすらその道を。拙僧が憧れた山の頂まで…代わりに」





「ウオオオオオ―――オオオオオオオオオオオっ!!!」





―――斬!!!



 マタゾーの頭に食い込み、胸に食い込み、そのまま一直線に大地に到達。

 あまりの力に大地が割れ、そこから突き抜けた暴力の嵐が大気すら消滅させる。


―――【黒い竜巻】が発生


 完全に二つに断たれたマタゾーの身体が、黒き風に切り刻まれ、さらにバラバラになって霧散し、消滅。


 ジジジジッ ジジジジジジッ


 スピーカーに交じったノイズのような音が響き、力の奔流が空間すら破壊した。

 剣王技、『一刀風雲裂迅《いっとうふううんれつじん》』

 一撃必殺の斬撃で真っ二つにしつつ、激しい竜巻の刃を発生させることで、さらに追撃するという因子レベル5の技である。

 竜巻は風雲刃と同じなので、あの技を使いながら相手を断ち切るという難しい技だ。

 しかも本来は、風気を巻き上げて竜巻を生み出すが、獣魔が生み出したのは黒い力を使った漆黒の竜巻。

 圧倒的な力の渦が消えた頃には、もう何も残らない。

 ただただ理不尽なまでの暴力によって、マタゾーは断末魔を上げる間もなく消えてしまった。

 人の生など、儚く脆いことを証明する一幕であり、獣魔の力が凄まじいことを示してもいた。





 戦いが終わる。



 ゴボゴボゴボッ ズルズル

 ラブヘイアの右半身から鎧が解除され、再び左半身にコールタール状のものが戻っていく。

 それと同時に込み上げる。


「ぐっ…げぼっ!!! ごぼっ…」


 胃液を吐き出しても、その嫌悪感が消えることはない。

 身体の奥底、因子に刻まれた「罪」が彼を痛め続けるのである。


「獣魔の力…まだ馴染まないようですね…。私の人間性が残っている限り、これは続くのでしょう…」


 獣魔の力は何度か使っているが、そのたびに自分から『人間味』がなくなっていくのがわかる。

 ソイドビッグが発している『人情』といったものとは完全に真逆のものが、自分の中にこびりついて離れない。

 使用には生命力を消費するので、ある種アーブスラットの『寿命戦闘力転化』に近いデメリットが生じるが、人間であることをやめる痛みよりはましであろう。


「人間が…人間でない領域に到達するには……あらゆるものを捨てねばならない。いつか私も獣魔そのものになるのかもしれませんね。…いや、これすらも通過段階にすぎない。私が求めるものは、もっともっと上なのですから。ふふふ…」


 ラブヘイアは、ぎゅっと胸にあったお守りを握り締める。

 アンシュラオンの髪の毛が入った大切なものだ。

 これで九人目のノルマ達成。

 あと一人はすでに決まっている。




561話 「予定調和 その1」


「負傷者を早く運び出せ! このままじゃ死ぬぞ!」

「くそっ! 血が止まらない!! まだまだこんなやつらがたくさんいるぞ!! いったい何人死んだんだよ…!」

「いいから手を動かせ!! 一人でも助けろ!」

「そんなこと言われても医者じゃないんだ! わかるかよ! 人の生き死になんてよ!」


 戦罪者によって戦闘エリアが拡大したことで、一般人にも数多くの犠牲者が出た。

 腕がちぎれたくらいは、まだいいほうだ。頭部がなかったり、ボロ雑巾のように身体が吹っ飛び、判別がつかない死体が山ほどある。

 まさに地獄。応急手当をしている衛士たちも、顔色は真っ青だ。

 こんなことになるとは誰も思っていなかったので、用意が整っていなかったこともあり、突然テロが起きた市街地のごとく騒然としていた。

 もしこの場が衛士たちだけならば、そのまま犠牲者も多く出ていただろう。


「皆様、ご苦労様です。ここは我々が引き継ぎます」


 一人の白衣の男が、衛士たちに近寄ってきた。


「あんたは…? その格好…医者か?」

「はい。医師連合代表のスラウキンと申します」

「あ、これはこれは、医師連合の代表理事でしたか! 申し訳ありません! 顔を存じ上げなくて…」

「いいえ、気にしないでください。それより治療は我々に任せて、負傷者の整理をお願いいたします。危険な人から処置を行います。もちろん派閥や地位には関係なく、すべての方々を平等に診ますので、そこを徹底してください」

「わ、わかりました」

「判断ができない怪我の場合は、白衣を着た者に遠慮なくお尋ねください。我々の使命は人を助けることですから、共に困難に立ち向かいましょう」

「はい! よろしくお願いいたします! 助かります!」


 医師連合はラングラス派閥に属しているが、基本的には独立した組織であるため、衛士たちも邪推なく提案を受け入れる。

 命令されることに慣れている彼らは、手際よく負傷者を分けていった。

 今回は見た目である程度判断できるので、多少の判断ミスはあっても、医療知識のない衛士でも十分対応できているようだ。

 それを満足そうに眺めたあと、スラウキンは後ろを振り返る。


「さあ、みなさん。日々の研究の成果…ではなく、日々の努力を生かす場所ができましたよ。思う存分、人を救うために腕を振るってください」


 スラウキンの後ろからは、ぞろぞろと白衣を着た医者がやってきた。

 半分はスラウキンの派閥の中堅の医者であるが、まだ実践経験が少ない若い者たちもいた。

 若い医者たちは惨状に驚き戸惑いながらも、目を輝かせている。

 最近はホワイト医師によって患者を診る機会も減り、彼らは肩身の狭い思いをしてきた。ヤブと罵られたことも、しばしばある。

 だが、もうホワイト商会は存在しない。

 ならば、本来の医者の出番である。それをわかっているから衛士たちも医師連合に期待の眼差しを向けているのだ。

 期待を受ければ誰だってやる気を出す。希望に溢れる若い医者ならば、なおさらであろう。


「そうそう、私が用意した『消毒液』もしっかりと使うように」

「理事長、これは何ですか? 普通の生理食塩水とは粘度が違う気がするのですが…」

「いいところに気付きましたね。私が新たに開発した特別な薬です。成分は秘密ですが、使い方は生理食塩水と同じでかまいません。まずはそれで傷口を洗ってから治療にあたるようにお願いします。時間がありません。手早くやってしまいましょう。患者の皆さんがあなたたちを待ちわびていますよ」

「はい、わかりました!」


 若い医者たちは、スラウキンから渡された謎のボトルに疑問を抱きつつ、この惨状に意識を集中させる。

 一秒が生死を分ける世界である。小さなことにこだわっている暇はない。

 ちなみにこの水は、アンシュラオンの命気から生み出したものである。

 一定の割合で生み出した命気水晶を純度の高い水に漬けておくと、『侵食現象』が起こり、ほんの少しながらも命気の性質を宿した水に変化していく。

 目を見張るような効果はない。急速に怪我が治るということもない。

 が、雑菌を完全に殺し、細胞の再生を手助けする効果はすでに確認できているので、現場で使えるかの実験として投入したのである。

 効果は覿面。

 これによって数多くの人々が、一命を取り留めることに成功する。

 やはり怖いのが感染症だ。ちょっとした傷でも破傷風になって、死亡する例は多く見受けられる。

 それを完全に防げるだけでも、この『軽命気水』は価値があるといえた。

 これはその後、『ポーション(超回復薬)』と呼ばれるものの原液となり、北側の発展に大きく役立つことになるが、それはもう少し後のお話である。

 ここで重要なことは、スラウキンはこの事態を知っていた、ということだ。


(これからは我々医者が本来の役割を果たす時代になる。ホワイトさんのおかげで医療技術も大幅に向上し、新しい医療薬もできる。この都市は変わっていくでしょう。そのためにここで実績を作らねばなりません。せっかく用意してくださった場ですから有効活用しなくては)


 ぼさぼさの頭を掻き毟りながら、スラウキンは決意を新たにする。

 ここでの医者の献身的な治療と、新しい治療薬によって助かった人々は、医師連合に対して強い信頼感を抱くだろう。

 失われていた医者の地位も復権の流れに傾くだろうし、いち早くこの場に駆けつけて治療の陣頭指揮を執った自分も、組織内での権力を磐石のものとすることができる。

 ここにいる若い医者たちが、今後の彼の支持基盤にもなっていく、というわけだ。それを見越しての人材投入であった。



 また、これらの事態において、ソブカも素早く動いていた。


「罪深きホワイト商会は、ラングラスによって倒された!! 我々は、すべての人々を受け入れる! 弱き人々は我らを頼れ!! 我々には君たちを助ける準備がある!!」


 鳳旗を掲げた彼の下にも、多くの人々が集まっていた。

 戦罪者は死んだが、その恐怖はいまだ彼らを縛っており、動きたくても動けないのだ。


「うぇーん、うぇーん、こわいよぉおお」


 子供が泣く。

 そもそもこんな場に子供を連れてくる親の神経が理解できないが、お祭り気分でやってきたのだから仕方ない。

 そんな子供に対して、ファレアスティが対応するが―――


「あなたは男でしょう! なさけない! 泣きやみなさい!」

「だって、うぇええええ」


 かえって泣かせる始末である。

 その様子に苦笑しながら、ソブカが近寄る。


「ファレアスティ、笑顔ですよ。笑顔」

「うっ…失礼いたしました。ですが、子供の相手は苦手でして…」

「私が子供の頃は、あなたがよく面倒を見てくれた気もしましたがね」

「それは…ソブカ様だからです」

「個人的には嬉しい言葉ですが、ここは我慢してすべての人々に笑顔で接してください。こういうときに女性は、とても役立ちますからね」


 ソブカが視線を移すと、所々で女性が不安を抱いた人々の話を聞いて安堵させていた。

 若い女性ではなく、やや年老いた女性もいる。『母性』を感じさせるくらいのほうが安心するからだ。

 彼女たちは、ソブカが用意していた者たちである。

 あらかじめこうなることを知っていたからこそ、事前に準備ができる。


「ラングラスの旗の下で起きたことです。派閥に限らず、物資は惜しむことなく提供してください。特に親を失った子供たちへの配慮は忘れないようにお願いしますよ」

「はい。すでに準備は整っております。南で仕入れたものもありますし、ご指示通り、ハングラス側とも交渉を行っております」

「ハングラスとの交渉はとても重要です。マングラスが動いている今、ハングラスはぜひともこちら側に引き込みたいですからねぇ。互いに商人ですから、近いうちにゼイシルさんとも腹を割って話すつもりでいます。賠償金に関しても、できる限り譲歩してください」

「ハングラスにそこまでの価値があるのでしょうか?」

「甘く見てはいけませんよ。ゼイシルさんも五英雄の末裔です。秘宝の中には強力な術具もあります。なにせこのグラス・ギースを守っている結界は、彼らが所有していたジュエルによって構築されていますからね。今ではそれを知る者も少ないでしょうが、潜在能力は極めて高いものです。それに私はゼイシルさんが好きですから」

「あの神経質な男を…ですか?」

「かわいそうに。随分と低評価ですね。そのあたりは、おいおいわかるでしょう。しかし…派手にやりましたね、あの人も」

「これであの男は満足なのでしょうか? 理解はできませんが…」

「それでよいのです。理解できるようになったら、もう人間ではないのですからね。すべては順調、【契約通り】ということです」

「…わかりました。ソイドビッグに関しては、どういたしましょう?」

「どうすることもありません。あのままでよいでしょう。それもホワイトさんが望んだ通りです」

「【英雄】として祭り上げるのですか? あの凡庸な彼が納得するとは思いません」

「かもしれませんねぇ。しかし、納得するしないにかかわらず、時代は動いていくものです。腹を決めねばならないように環境を操作すれば、彼も不死鳥の旗を担ぐでしょう」

「ソブカ様の代わりに…ですね」

「不満そうですね」

「誰が見てもソブカ様のほうが優れております。それはこの場において、すでにはっきりと証明されております」

「能力の優劣だけで物事が決まるわけではないですよ。いいではありませんか。彼という存在がいるおかげで、私は自由に動けるのですから。ただ、少しばかり騒いでしまったので、マングラス側から目を付けられるかもしれませんね。そのためにもソイドビッグは必要な人材です。それより準備を急いでください。【その瞬間】は、もうすぐです」

「…はい。ソブカ様がラングラスを手中に収めるために、すべて滞りなく」



 ソブカの計画は、着々と進んでいる。


 一方、今回の戦いで大きく躍進したソイドビッグの周りにも、人々は集まっていた。


「やったな、兄ちゃんよ! ぐっときたぜ!」

「おじちゃん、すごかった」

「見た目はぱっとしないが、案外やるじゃねえか」


 人々から声をかけられるが、たいていは「今まで低評価だったが、実際使ってみればそこそこ使えた」という声が多い。

 どう反応していいのか迷うものの、褒め言葉であることも事実だ。

 今まで裏舞台で麻薬だけを細々と作り、同派閥および他派閥からも注目されていなかった彼が、この場において活躍したことは朗報だった。

 ソブカにとっても、彼の存在は大きい。

 もし彼がいなければ、ラングラス自体の強いイメージを植え付けることは不可能だっただろう。

 金で雇った殺し屋が活躍しても、誰もラングラスを尊敬したりはしないものだ。自ら戦場に立ち、人々を鼓舞して戦うからこそ、人は彼を認めるのである。


(勝った。勝ったんだ…!!! 勝った!!)


 ビッグは、今にも叫びたい気持ちで一杯だった。

 もし傷を負って苦しんでいる人たちがいなければ、ここでどんちゃん騒ぎをしていたに違いない。

 それだけ、この勝利の意味が大きかったのだ。

 なにせ全派閥を通じて、初めてホワイト商会を打ち破ったのがラングラスだからだ。

 さまざまな武人を倒し、あのプライリーラと守護者さえ打ち負かしたホワイト商会を倒した。

 このことは驚きともにグラス・ギース中に伝えられるだろう。


「俺はみんなに感謝を伝えてぇんだ! ありがとうよ! 応援してくれて!! みんなの力が集まれば、何だってできるんだって証明したんだ!! それだけは言わせてくれよ!!」


 このビッグの素朴な人柄も、人々に好感を与えることに成功した。

 これもアンシュラオンという巨大な悪と立ち向かったことで、人間として彼が成長した証だろう。

 自分よりも何千倍も凶悪な存在を見て、ふと我に返ったのだ。人間としての生来の本性を取り戻したといえる。


 ここに【新しい英雄】が二人も誕生した。


 人々を守ったソブカと、実際に倒したソイドビッグ。

 若い力が台頭してきたことで、グラス・ギースにおける派閥のパワーバランスは急激に変化していくことになるはずだ。



「ビッグのやつ…大きくなりやがって…」

「泣いてんのか、ソイド」

「そりゃぁよ…あんな立派な姿を見せられたらよぉ…俺は…俺はもう…いつ死んでもかまわねぇよ」


 イニジャーンの隣で、ソイドダディーは泣いていた。

 溺愛する長男の成長ぶりに感動したこともあるし、自身が一度死んでいることもあり、肩の荷が下りた気分だったのだ。


「これでもう、いつでも組織の長を任せられる」

「そうだな…。ガキが成長する速度ってのは怖いくらいだ。ビッグのやつは大丈夫だろう。だが…」


 イニジャーンが、ソブカに視線を移す。

 部下たちに指示を出しながら、人々を救おうと尽力している姿は、新進気鋭の若手を十全にアピールできていた。

 が、不安は消えない。むしろ高まっていくばかりだ。


「ソブカのやつが心配か?」

「あいつの度量はたいしたもんだ。長年組を治めている俺を前にしても、まったく動じやしねぇ。可愛げがまったくないぜ」

「仕方ない。あいつはそういうやつだ。うちの息子とは正反対だな」

「それだけならばいいが…な。あいつはまだ満足してねぇ。まだ何かやらかそうとしてやがる。それが心配なのさ」

「今はいいじゃねえか。俺らの勝利を喜ぼうぜ。あいつらは十分がんばってくれた。マジで最高だぜ!」

「………」


(親の顔になってんな、ソイドの野郎。今は息子の活躍に火照ってやがる。そろそろ…俺らも引退か。だが、ケジメはつけないとな)


 そっとイニジャーンは「決意」を固めていた。

 物事には筋道があり、ケジメというものが必要だ。

 今回のことはラングラス側の「禊《みそぎ》」であり「ケジメ」であった。

 だからこそ戦いの矢面に立ち、自らホワイト商会と戦ったのだ。


 だが、まだ【元凶】は叩いていない。


「ソイドよ、ホワイトのほうはどうする?」

「やつか…。今回の一件にも関与してこなかったが…意図がわからねぇ。てめぇの本拠地が攻撃されたってのによ。どういうつもりなのか…」

「もしかして普通に捕まってんのか? 本当に出られないってことはねえのか?」

「戦罪者たちをまとめていた実力は本物のはずだ。本気で出ようとすれば簡単に出られるはずだぜ。それで出ないってことが理解できねぇ」

「動かないのならば放っておくか? この被害を見ると、もういいんじゃねえかとも思うが…下手につついて爆発したら責任取れないぜ」

「うむ…ビッグも疲れているだろうしな。このまま連戦ってわけには…」



「それなら私に任せてくださいよぉ」



 ソイドダディーとイニジャーンの会話に割り込む者がいた。

 その男もまた、ホワイトとケジメをつけねばならない男の一人であった。




562話 「予定調和 その2」


「あんたは…?」


 ソイドダディーが、突然会話に割り込んだ男を見て呆然とする。

 その人物が誰かわからなかったこともあるが、明らかに異様だったからだ。

 男は、車椅子に座っていた。

 見るとズボンの足はぺらぺらで、そこには何もないことがわかる。

 足を失うことなど荒野では珍しいことではないものの、彼の顔がさらに異様さを引き立たせていた。

 顔は包帯でグルグル巻きにされており、所々から縮れた毛が飛び出ている。

 唯一見える目元と口元も黒く変色し、唇は真っ白に膨れ上がっていた。


「ああ、これですか? くくく、みっともない姿でしょう? 足はなくなって、顔も焼け焦げちまったんですよ。笑ってくださいな」


 ダディーたちが奇異の視線を向けていることに気付くと、男は自虐的に笑う。

 だが当然、笑えるような空気ではないし、男の目がそれを許さなかった。

 すでに瞼すら焼け焦げて、瞬きすることもできなくなった男の視線が、じっとこちらを見つめているのだ。笑えるはずもない。


「あんたは誰だ?」

「申し遅れました。私はモザート協会のワカマツと申します」

「モザート? マングラスの?」

「ええ、そうです。若頭を務めさせていただいております」

「名前は知っているが…」


 男の名前は、ワカマツ。

 忘れているかもしれないが、ホワイト商会が動き出した当初に出会った男である。

 狭い都市だ。ワカマツの名前くらいは知っているが、あまりの変わりようにわからなかったのだ。


「で、そのワカマツさんが何の用だ」


 立場的には組長であるイニジャーンが上なので、やや威圧的な視線をワカマツに向ける。

 マングラスと聞けば、こうして警戒するのが普通である。


「でしゃばるようですがね、こんな雑魚を殺しても、あいつを殺さないと意味がない。そうではありませんかね?」

「言われずとも、それはわかっている」

「わかっているなら、すぐにでもやつを殺しに行くべきでしょう」

「これだけの惨状だ。すぐには動けない」

「惨状?」

「見りゃわかるだろう。ラングラスの管理下で起こったことだ。やつらとの戦いで出た被害は、俺らが責任取らないといけないんだ。後始末も重要だ。見捨てるようなことがあれば、うちの信頼が失われる」

「それならば私のこの怪我の責任も、あなた方が取ってくださるんで? 私が失ったもの、この両足と顔と面子を、どうやって返してくださるんですかね?」

「…できる限りはする。そうとしか言えない」

「できる限り?」

「物事には限度ってもんがある。しょうがねえことだってあらぁ。あんたも筋者なら、それくらいわかって―――」



「ふざけんんんんじゃねぇえええええええええええええ!!!」



 イニジャーンの弁明が逆鱗に触れたのか、ワカマツが叫ぶ。

 包帯を巻いているにもかかわらず、くっきりと怒りの表情が見て取れた。

 否、それは怒りと呼ぶにも生ぬるい。


「俺が、俺が、俺が!! どれだけコケにされたのか、あんたらにわかるのか!!! あのクソ野郎に、どれだけなめられたか、あんたらにわかるのか!! あああ!? 見下しやがって、コケにしやがって!!! 殺す、殺す、殺す、殺す!!! 殺して殺して殺し尽くして!!! 皆殺しにしてやる!!! 腹かっさばいて臓器を引きずり出してよ!! 細切れにして鳥の餌にしてやる!!!!」


 ゾオオッ

 ワカマツから真っ黒な気配が滲み出る。

 魔人の気配とはまったく違う、人間が発する『私怨』の波動だ。

 人を憎み、憎み、憎み、憎しみだけが人生のすべてになった者が放つ邪悪な波動である。

 ある意味において、こちらのほうが魔人より怖いのかもしれない。

 彼はけっして自分をコケにした者を許さない。痛めつけて、踏みにじって、何度も何度も苦痛を味わわせても、おそらくは満足しないだろう。


「はーー、はーーー!! くくくく、クギャギャギャギャッ!! ひひひひひっ!! あははははははははっ!! キャーーーキャキャキャッ!! 殺してやるぅうう! 殺してぇええ、ひゃひゃひゃっ!!!」


 そのあまりの憎悪の感情に、強い武人であるはずのダディーも呑まれて何も言えない。

 もしエバーマインドが彼の気質を表現すれば、『般若』のような怖ろしい人相を生み出したに違いない。


 それからしばらく狂ったように笑ったあと、再びワカマツは、ぎょろっとした目をイニジャーンたちに向けて頭を下げる。


「これは失礼いたしました。申し訳ありません。最近、感情がどうにも制御できなくて…この通り、許してくだせぇ」

「あ、ああ…いいんだ。それより…大丈夫か?」

「へぇ? ああ、大丈夫ですよ。私のことはご心配なく。それより、あなたたちは筋を通す必要がありますよねぇ。なら、ホワイトを殺してこそ、本当のケジメなんじゃないですかね」

「その言い分は痛いほどわかるが…これだけの被害を出しちまった以上、ラングラスにも余裕はねぇ。もちろんホワイトの野郎は始末するが、もう少し時間をだな…」

「それ、私に任せてくれないですかねぇ」

「…さっきもそんなことを言っていたな。どういうことだ?」

「簡単なことです。私がホワイトを殺します。その許可をもらいたいんですよ。その代わり、やつの死体は私に預けてください」

「死体を何に…いや、聞くだけ野暮か。だが、殺すっていっても…そのナリでか?」

「もちろん兵隊を使って殺しますよ。私はねぇ、やられたらやり返さないと気が済まないんでねぇ。ヒヒヒヒッ、ずっとこの日を待っていたんですよ。勝手にやってもよかったんですが、私も筋者ですからね。一応はお声がけしとかないといけないと思ったんですよ。ね? それが筋ってもんでしょう?」

「このことを組長…ジャグの旦那は知っているのか?」

「マングラスとは言いましたが、私はもうどうでもいいんですよ。そんなことはね。オジキが何と言おうと、俺はあいつの人生を滅茶苦茶にしてやりたいんです。あいつが後悔して泣き叫ぶ姿を見たいんですよ。そのためなら…もう全部が壊れてもいい」

「………」

「安心してください。もしホワイトを殺しても、ラングラスの手柄にしますから。費用も準備も全部こちらがやります。失敗しても私が独断でやったことですから、そっちには何の責任もありませんよ。どうです? 悪い話じゃないでしょう?」

「少し相談してもいいか?」

「ええ、もちろん」



 イニジャーンが、ダディーを連れて少し離れる。


「ソイド、どう思う?」

「あれはまずい。完全に破滅を求める人間の目だぜ。若い頃の俺に…いや、それ以上にヤバい。何か言ってどうなるものでもないぜ」

「ってこたぁ、どうやってもあいつは暴走するってことか」

「だろうな。本当は関わりたくはねぇが、マングラスってのが面倒だ。組織内で騒がれたら話がでかくなる。ホワイトのやつは全派閥の人間から恨まれているからな。ああいうやつは山ほどいるさ。これからあんなやつらがどんどん出てくるぞ」

「それをうちらは防げない…か。全部の責任なんて取れやしねぇ。いったいいくらになるんだ。ラングラスが潰れちまう」


 ゲロ吉もそうだが、アンシュラオンに家族を殺された者たちも数多くいる。

 ここでホワイト商会を潰したところで、彼らの私怨が消えることはない。

 過去の戦争で起きた悲劇をいつまでも引きずるように、あるいは誇張して強化してしまうように、怨念は粘着質でしつこいのが相場だ。そんなものを納得させる方法などは存在しない。

 唯一の方法が自分で納得することだが、ワカマツにそんなことを言っても無意味であろう。


 少し話し合ったあと、結論。


 再びワカマツのところに戻る。


「俺らは関知しない。あんたの存在も見なかった。だが、もしホワイトの首が手に入ったら、それはそれで受け取るしかねぇ。それがラングラスの責任だ」


 ワカマツなど、いなかった。どこにもいなかった。

 彼が何をしようと彼の勝手だ。マングラスに無断で動こうとラングラスが知ったことではない。それはすべてワカマツが責任を負うものである。

 ただもし、うっかりホワイトの首が手に入るのならば、その手柄はラングラスがもらう。

 まったくもってワカマツには得にはならないことだが、そもそも私怨というのはそういうものだ。


「くひゃひゃひゃっ、ありがとうございます。ふへへ、これで筋は通したぁ。あとは…ひひひ。ひゃはははははっ!! あいつの大事なものを滅茶苦茶にしてやる番だなぁ。あひゃひゃひゃっ!」


 ワカマツは、奇怪な笑い声を発しながら闇に消えていった。

 それを見たイニジャーンたちは、深いため息をつくしかなかった。

 こんなことは早く終わってほしい。そんな気持ちだったのかもしれない。

 せっかくの勝利で浮かれていた気分を、ワカマツは簡単にぶち壊していったのだから。





 視点は変わる。


 彼らが地上でホワイト商会を潰して、混乱と混沌のさなかにあった頃。

 ビュウビュウと風が吹き荒れる城壁の上で、じっとそれを観察している者がいた。

 白いふわふわの髪の毛が風に揺れ、赤い瞳が遥か遠くで燃え尽きる館を見通す。


 その目は、嗤《わら》っていた。


 地面で這いつくばり、群れて遊んでいる者たちをあざけり笑っていた。

 そして、隣にいる黒く長い髪を揺らした美少女を撫でる。


「どうだ? ちゃんと見たかい?」

「…こくり」

「楽しかったか?」

「…こくり」

「それはよかった。お前のために用意した劇だからね。好きなだけ見るといい」


 黒き少女のエメラルドの瞳が、じっと炎を見つめている。

 サナの胸の上に手を触れてみると、とくんとくんと鼓動が速くなっていた。


 興奮しているのだ。


 言葉には出さないがサナは興奮していた。

 まだ喜びの感情も知らないので表現できないが、しっかりと見ている。

 ふにふにと、ついでにちょっとばかり膨らんだ彼女の胸を触って楽しみながら、アンシュラオンも満足そうに頷く。


 この夜には、さまざまな【役者】が迫真の演技を見せてくれた。

 決死の覚悟で向かっていった者たちがいた。

 ソイドビッグやクロスライルのような武人、それに対抗するホワイト商会の戦罪者たち。

 彼らは殺し合い、滅ぼし合った。その目的や程度はどうであれ、本気で殺し合ったことには変わりはない。

 その周りで「場外乱闘」に巻き込まれた者たちも一興だった。

 驚き、嘆き、恐怖、後悔。これもまた素晴らしい魂の叫びだった。

 一方では鳳旗を掲げたソブカという存在もいた。

 彼が放つ気高い光に人々が引き寄せられる光景も、舞台の見せ場としては極めて面白いものであった。

 これは十分、金を出してでも見る価値のある『娯楽』といえるだろう。


「サナ、これが人間だ。人間の面白さだ。人間には感情があるから面白い。いろいろな思想があるから面白い。その印象が、波動が、お前の肥やしとなる。良いものも悪いものも、それを含めての人間という存在なんだよ。それが魂の深みになって味わいとなる」


 白き魔人が、黒き少女を愛でる。

 感情が乏しく、自我の発露がまったくなかった彼女は、他人の感情や思想を吸収して成長していく。

 大根役者が演じる棒読みの演技では、誰も感動などしない。

 本気で生きて、本気で叫び、本気で何かを求めた者たちの【真なる声】でなければ、彼女には通じないのだ。

 その彩《いろどり》を与えてくれた『彼』には、感謝しかない。


「しかしまあ、マサゴロウ程度に苦戦するとは、うっかり死んじゃうかと思ってヒヤヒヤしたぞ。せっかくオレが時間を削って鍛えてやったんだ。ここで死んだら投資が台無しになるところだった。最悪は父親がいるが…息子ほど馬鹿ではないだろうしな。というか、あんな馬鹿はまず存在しないからな。死ななくてよかったよ」


 人々に囲まれてソイドビッグは、愛想笑いを浮かべている。

 褒められることに慣れていないので、どういう表情をしてよいのかわからないのだろう。

 ただ内心では、まだ焦りを感じているようだ。リンダのことを心配しているのだ。


 そして、これはすべて予定通り。


 完全なる予定調和だ。



「パチパチパチ。まずはおめでとうと言おう、ホワイト商会を倒した英雄君。その次は悪の元凶、ホワイトを打ち倒して君の役割は終わりだ。それでようやく、この仮面ともおさらばできる」



 アンシュラオンが、床に置いた白い仮面をぐりぐりと踏む。

 誰が好き好んで、こんな仮面を被るのだろうか。この劇が終われば、さっさと捨てて自由気ままな人生を送りたいものである。

 そう、アンシュラオンが以前述べていた通り、ビッグは英雄になるのだ。


 ホワイトを殺した、若きラングラスの英雄。


 この場は、彼のお披露目の場でもある。これだけの観衆に目撃されれば、多くの無知なる人々にとっては十分真実になるだろう。

 フェイクニュースにさえ騙されるのが愚民というものであり、なおかつ実際に戦罪者を倒す光景を見せれば、疑う者もそうはいない。

 仮に疑っても、そもそも武人の戦いを認識できる一般人などいない。

 ただ「なんとなく凄い」としか理解していないので、それ以上のことはわからないだろう。

 結局、真実は当事者しか知らないのだ。そして部外者は、知らなくてもいいことである。

 あとは都市伝説が好きな陰謀論者によって、ほどよく酒のツマミにでもしてくれればよい。


「保険で蒔いた種も綺麗に芽吹いてくれたようだし、問題はなさそうだな。さあ、サナ。みんなを迎えに行こうか。ちょうどいい死体も手に入ったし、そろそろあっちも終わりにしよう。ホテルに缶詰も飽きただろうしな」

「…こくり」


 去り際にもう一度、崩れた事務所に目を向ける。


「お前たちは十分役立ってくれた。そのすべてがサナのためになった。オレたちのために死んでくれた人間には、しっかりと礼を言わないとな。ありがとうよ。お前たちはそこそこ使えた道具だったよ。たいして役に立たない善良ぶった人間より、よほど有益だったさ。誇りを抱きながら死ぬといい。このオレが認めてやろう」


 そう言い残し、すっと二人は闇の中に消えていった。




563話 「私怨の矛先」


 ホワイト商会は、ラングラス主導による制裁により壊滅。

 ただし、その際に出た多大な被害によって、事務所周辺の混乱が収まるまでには時間がかかっていた。


「とりあえず、うちらの仕事も終わりかね?」


 クロスライルが、現場から離れた空き地でタバコを吹かしていた。JBとラブヘイアもいる。

 彼らの役割は、戦罪者の排除である。

 その仕事が完了してやることもなくなったし、何よりも殺し屋がいるとあまり具合がよろしくない。

 ラングラス側としても、できれば本家筋であるソイドビッグが活躍したことを強調したいのだ。金で雇った殺し屋がいては印象も悪いだろう。

 ラブヘイアが言っていたように、これは『面子の問題』でもあるわけだ。


「そのようだな。あの程度の敵にてこずるとは、やはりこの都市の武人の質は高くないようだ」

「と言いながら、苦戦してたじゃねーかよ。わたわたしやがって」

「あれは足手まといがいたからだ。私のせいではない」

「へいへい、そういうことにしておくよ。で、お前のアレの調子は戻ったのか?」

「…今のところは落ち着いている」

「『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』ですか。ファルネシオは、いったいどれだけの石を手に入れているのでしょうか」

「新参者の貴様が知る必要はない」

「私も組織の一員ですよ」

「貴様は信用できぬ。獅子身中の虫である可能性は否定できない」

「カカカ、どうでもいーさ。オレらは『仲良しこよし』じゃねえからな。組織内でも隙あらば、と思っている輩も多いだろうさ」

「なさけない。それこそ信仰心の欠如だ。ネイジアに対しての裏切りよ」

「そういうのをユダって言うのさ」

「ユダ?」

「救世主ってのは、いつの時代も裏切られ、殺されるのが相場だ。それもまた時代の流れというものだろうさ」

「不吉なことを。貴様のふざけた口調にもうんざりだ。口を閉じろ」

「へいへい、不信心で悪かったですよ。で、どうする? これからよ」

「依頼内容は、『ホワイト商会の殲滅』でしたね。形式的には達成されたことにはなりますが…」

「まだ肝心の大将が残っているよな? 後払いだったっけ?」

「首魁の首は別途、成功報酬になっていたはずです。どのみち我々にお金の話は関係がないものですがね」

「カァ、やる気が出ねぇな。少しくらいもらえてもいいじゃねえか」

「クルマに使うのですか?」

「それな。オレのローラちゃんを再生するのに相当な金が必要だ。あの年代物のフレームを仕入れるだけで数千万はかかるぜ。それから専門の工場で組み立てて改造して、さらに塗装もしたら億はいっちまう」

「未練がましい。あんなもの、さっさと諦めろ」

「あぁん!? てめぇが壊したんだろうが! オンバーン姐さんのCJまでふっ飛ばしやがって!」

「恨みがましい男だ。それこそ新たに買って売り上げに貢献すればいい」

「カァー、聞いた? この言葉だよ。こいつは自分のことしか考えてねぇからな」

「あなた方は仲が良さそうですね」

「そういうわけじゃねえけどな。…で、『あちらさん』はどうするよ?」

「さて、そろそろ痺れを切らす頃ではないでしょうか。武人ではなさそうですしね」

「面倒だし、こっちから呼ぶか。ずっと見られていると落ち着かないしよ。おーい、そろそろ出てこいよ。それとも銃弾をぶち込まれたいかい?」


 クロスライルが、空き地の壁で見えない場所、道路側に面した真っ暗な闇に呼びかける。


 きゅろ きゅろきゅろ


 すると、ゴムが擦れる音とともに、その男が姿を見せた。

 車椅子に乗り、顔を包帯でグルグル巻きにした男だ。


「さすがだね。お見通しってわけか」


 瞼が焼け焦げて瞬きもできなくなった、乾燥したぎょろっとした瞳が、クロスライルを見据える。

 これだけでも普通の一般人なら恐怖を抱くのだろうが、彼はまったく動じずに車椅子の男、ワカマツと対する。


「そりゃあんた、そんな音がするものに乗っていりゃ、誰だって気付くさ。つーか、本気で隠れるつもりもなかったんだろう?」

「ああ、あんたたちと揉めるつもりはない。むしろ逆だからな」

「逆…ね。仲良くしたいってか? お金かかるぜぇ、オレらと仲良くするにはさ」

「あんたらは金で動くのか? 金で満足できるか? それならぜひ仲良くしたいね」

「ふぅん、本当に雇いたいって雰囲気だな。金はあるの?」

「ああ、そこは問題ない。俺のようにあいつにコケにされたやつらが『寄付金』を集めてくれたからなぁ。今言っていた億くらいは軽く出せるし、そのクルマなら数十台はやすやすと買えるぜ」

「そりゃ気前がいいね。で、あんたの要求は?」

「単刀直入に言うぜ。ホワイトを殺すために俺に雇われないか?」

「ホワイト…か。面白いこと言うね。だが、うちらはすでに…何だっけ? らんらん…ラングラ…ス? ってのに雇われているの知ってる?」

「もちろんだ。だから筋は通した。そちらは問題ない」

「用意がいいね。あんたと組むメリットは?」

「ここでのやり取りは表には出ない。あんたらはこの金をポケットマネーとして手に入れることができる。組織に入れる必要はない。入れてもいいが、そこはあんたらが決めればいい話だ」

「そいつは魅力的だ」

「ふん、金に何の価値がある。くだらん」

「いやいや、金は重要だろうが。そのためにファルネシオのやつも金を集めているんだからよ。何をするにも金はかかるぜ」


 仮に東大陸の一部の地域だけで暮らすのならば、金はいらないのかもしれない。

 だが、大きく発展しようと思えば、外部から物資と人材を仕入れるしかないので、どうしても金がかかる。

 物資の確保の観点からいっても、所詮一部の地域だけでは限界があるからだ。

 ファルネシオが建国を考えているのならば金は必要だ。さらにこの世界では大陸通貨という共通の価値基準が存在するので、まさに「金は天下の回りもの」なのである。


「でもよ、あんたがわざわざ雇わなくても、放っておきゃそのうち殺しに行くぜ。金の無駄じゃないのか?」

「ラングラスは弱小勢力だ。動きが鈍い。今回の制裁だって、周りにつつかれてようやく決断したようなもんだ。あいつらに任せていたら、ホワイトが逃げちまう。それだけは絶対に許せねぇ」

「随分と恨みがあるようだね」

「恨み? 恨みだって? ヒヒヒヒッ!! フヒャヒャヒャッ!! 恨みなんてもんじゃ言い表せないぜ!!! はぁあぁああ! ハアアアアア!! ひひゃひゃひゃひゃっ!!! あーーー、あーーーー! 水を…水うううう!」


 ぶしゅぶしゅっ

 取り出したスプレーで目と口に水分を補充する。

 瞬きが出来ないため、こうして定期的に湿らせねばならないのだ。それだけでも地獄であろう。


「今でも渇きが…俺を襲う。ああぁぁ、苦しい、苦しいなぁああ。だが、だがよ…これが…これこそが俺を…ぐひゃひゃひゃっ! 俺を生かしてくれるんだよ!! あいつを殺すためだけに俺は生きているんだからよぉ」

「あんたも大変だねぇ。ま、楽しそうで何よりだ」

「へ、へへへ、楽しいぜ。これからあいつの大切なものを滅茶苦茶にしてやれると思うとよぉ…ふへへへ、楽しくて漏らしちまいそうだぜぇ」

「おいおい、ここでは勘弁してくれよな。で、どうするつもりだい? 計画はあるのか?」

「今、ホワイトの野郎は地下にいる。収監砦の中だ。そこであいつを殺す。簡単には入れない場所だが、俺らの力を使えばすぐ行ける」

「なるほど。地下か。どうりでいないわけだ。暗殺でいいのかい?」

「あそこには闘技場があってな、そこであいつを殺してほしい。俺が見ている前でよぉ…ひゃひゃひゃっ、ぐちゃぐちゃにしてやってくれよ。ああ、できれば完全には殺さず、少しは生かしておいてくれよ。楽しみが減るからな」

「今回みたいな悪趣味な観戦ってやつか。あんたらも好きだね」


 ちなみに地下闘技場で予定されていた団体戦であるが、サナが黒雷狼を生み出して無手の会場を破壊したことで、日にちが一日繰り下がっていた。

 それによってアンシュラオンは、事務所壊滅の見学ができたのである。

 仮に試合があっても、武人を確保できればサナの強化はいつでもできるし、見学を優先した可能性も高いだろう。

 サナに人の感情を教え、魅力的に育てることがアンシュラオンの最大の目的だからだ。


「だが、やっこさんが出てこなかったらどうする?」

「ヒヒヒ、どうせ逃げられやしねぇよ。それにやつは、自分の女を大事にするからなぁ。収監されたのもそれが理由だ。なら、そいつらを人質に取っちまえばいいのさ。この先にあるホテルに、やつが囲っている女どもがいる。これからそいつらを襲う予定だ」

「ほんと、いい趣味してるな」

「ありがとうよ。これだけが楽しみでなぁ。生きる希望なのさ。あいつの大切にしているもんを汚して、ぐちゃぐちゃにして、俺と同じような姿にしてやれると思うと…ひゃひゃひゃひゃっ!!! ヒーーーキャキャキャッ! ガクガクガクッ! 楽しみだ!!」

「悪いが、あんたの個人的復讐には興味がない。オレが興味を抱いているのは、そのホワイトってやつだけだ。そいつに早く会わせてくれるなら、組んでやってもいいぜ」

「クロスライル、どういうつもりだ?」

「あんな連中を飼うやつなんだ。面白そうだろう?」

「同意はしかねる。が、強い武人ならば興味はある。ネイジアの思想を体現するためには、より多くの力が必要だからな」

「面倒臭ぇやつだな。やるならやるって言えよ。で、ラブヘイアの兄さんはどうする?」

「私は遠慮しておきましょう」

「興味がないのかい?」

「…いえ、そういうわけではありません。ただ私は、この都市ではあなた方より目立つ存在です。案内はしましたから、すでに役割は果たしたと考えています。素直におとなしくしておきますよ」

「腰抜けが。戦うのが怖いのであろう?」

「どう捉えてくださっても結構です」

「ふん…」

「仲間内での話は終わったかい? 契約成立ってことでいいか?」

「ああ、いいぜ。どうせ暇だしな」

「前金で十五億払う。残りはその後だ」

「サンキュー、これでローラちゃんを再生できるぜ」

「半分は組織に入れろ」


 浮かれているクロスライルにJBが釘を刺す。

 こういうところは真面目な男だ。


「冗談だろう? そんなこと言うなら、お前は来なくていいぜ」

「すべてはネイジアのためにある。恩義を忘れるな」

「恩義ねぇ、そんなに恩なんてないがね」

「何か言ったか?」

「いいや、気が向いたら考えるさ」


 こうしてクロスライルたちは、ワカマツと手を組む。

 ワカマツも彼らの実力を見てから決めたので、両者ともに悪い話ではなかったようだ。

 今から自分で凄腕の武人を集めるよりは、よほど現実的な選択であろう。


(クヒャヒャヒャッ! ホワイト! てめぇの女どもをミンチにして、目の前に晒してやるよ。それでもまだ生きていたら、死にたくなるような地獄を味わわせてやるさ。泣き叫ぶ女をてめぇに見せ付けるのが楽しみだなぁ)


 人を憎む気持ちとは怖いものだ。

 それは当人だけではなく、より当人が苦しむための要素を取り入れようとする。

 荒野では、弱い者を狙うことが勝負の鉄則。肉食獣が草食獣の子供を狙うように、相手の弱みに付け入るのが常識であった。

 ワカマツの怨念が、ホテルに迫る。




564話 「ビッグのでまかせ」


 陰湿なワカマツがホテルに狙いを定めるのは、至極当然であると思われる。

 ただ他方では、そうなると困る人間もいる。


「はぁはぁはぁ!!」


 ホテル街への道を懸命に走っている男がいた。

 今回の立役者であるソイドビッグその人だ。

 なぜ彼が必死にホテル街に向かっているかといえば、答えは簡単だ。


(リンダを…! 早くあいつを助け出さないと!!)


 婚約者をアンシュラオンに人質に取られているため、ソイドビッグは嫌々ながら従うしかなかったのだ。(麻薬やちょっとした金程度で、実はたいした要求はされていないが)

 今回の反抗作戦にしても、彼は非常に心を痛めていたものである。

 自分がこうして動き出せば、人質のリンダがどうなるかわからない。もしかしたら、もう何かしらされているかもしれない。

 そんな不安と葛藤の中で「それでもホワイトを倒さねば」という決意を固め、最悪はリンダを犠牲にすることも覚悟していた。

 だがやはり人間は、そこまで割り切れるものではない。

 ビッグのような甘い男ならば、なおさらのことだろう。


(ホワイトは今、収監砦にいる! 今が最大のチャンスなんだ! このどさくさにリンダを取り戻す!)


 たしかにここが最大のチャンスである。むしろ今しかない。

 人々に囲まれてしまい、なおかつ父親から賛辞を送られていたので、かなり出立に手間取ってしまったものの、なんとか抜け出すことに成功した。

 この作戦は独りでやらねばならない。

 誰にも知られず、ひっそりとすべてを終わらせるのが一番最良の方法である。



 そう思っていたのだが―――まさかの出会いが発生。



「おう、兄さんじゃねえか。何してんだ?」

「げぇええええ!? クロスライル!!」


 そこでばったり、クロスライルたちと遭遇する。

 人生においてなかなか「げぇえええ!」と言うことはないが、それだけ驚いたということだろう。

 さすが役者である。言うことが違う。


「おや、これはこれは。ラングラスの御曹司じゃないですか」


 しかも最悪なことにワカマツとも遭遇。

 彼のことはダディーから「ヤバイやつがいるから、関わるな」とは少し聞いていたが、ここで出会うとは運がありすぎる。


「あ、ああ…ど、どうも。それじゃ俺は急いでいるんで…」

「なんだよ、兄さん。一緒に戦った仲じゃねえか。美味しいところを譲ったんだからよ、もうちょっと絡んでくれてもいいんじゃないの?」

「い、いや、その…忙しくて…」

「忙しいって、今日はもうやることなんてないだろう? あれだけがんばったんだからよ、ゆっくり休めばいいじゃねえか」

「あー、そ、それとは違う用件があって…」

「用件って…この先に何かあるのか?」

「この先はホテル街しかありませんよ」

「ぎゃーーーー! 余計なこと言うなよ!!!」


 なまじ都市に詳しいラブヘイアがいたので、あっさりと目的地をばらされる。

 といっても、こんなにわかりやすい男だ。ちょっとつつけば簡単にボロを出す可能性も高かった。どうせすぐにバレていたはずである。


「ホテル? なんだよ、兄さん。まだハッスルしちゃう気? 元気だねぇ。若いってのはいいよな」

「そ、その…まあ、ど、どうも」

「ですが、ホテル街には行かないほうがいいでしょう。どうやらこれから騒動が起こりそうですからね」

「騒動?」

「くきゃきゃきゃ、あなたも見学しますかい? ホワイトの女どもが、ぐちゃぐちゃになるところをね」

「なっ…何を言ってんだ?」

「ホワイトと関係があった御曹司なら、知っているんじゃないですか? やつがホテルに女を囲っているってね」

「っ!! どうしてそれを…!」

「そりゃ普通はわかるでしょう。裏の人間なら誰でも知っていますよ。ただ、あそこは領主の管轄なんでね。迂闊に手を出さなかったにすぎません。あんな顔をしていますが、怒らせると見境がない怖い男なんでね。ひゃひゃひゃっ」


 領主が娘のベルロアナのためにラングラスの麻薬工場を襲ったことを思えば、怒った際には過激なこともやる危ない人物であることがわかるだろう。

 領主の地位にもこだわりを持っているので、なめられないように武力行使すら躊躇わないのである。

 が、今回の上級街での戦いを許可した通り、領主は第一城壁内部での騒動に目を瞑ったのだ。


「まさか…それも領主の差し金なのか!? ホテルを襲うってのも…」

「いやいや、さすがにそんな許可は下りませんよ。外資獲得の資金源の一つですからね」

「え? じゃあ、どうして…」

「私がそうしたいからですよ」

「ま、待ってくれよ。そんなことを勝手にしたら、あんた…ただじゃ済まないんじゃないのか?」

「ただじゃ済まない? …ふへっ、ふへへへへっ! ふひゃひゃひゃっ!!! いいいいーーーじゃないですか、そんなことは!! 私の気が済めば、それがすべて正しいことなんですよ。それが筋ってもんですからね!! ぐひゃひゃひゃひゃっ!!

「………」

「まあ、あとのことは任せてくださいよ。私がちゃんと始末しておくんでね。これで憂いはないでしょう? ソイド商会の疑いも晴れますわ。めでたしめでたしだぁ」


(ヤバイってのは、こういうことかよ。マジでヤバイな。こんなやつがホテルに行ったら、リンダまで殺されちまう!!)


 ワカマツの目は、明らかに常人のものではなかった。

 理解力は残っていても理性がない。そのたがが外れてしまったのだ。

 あの仮面の男と出会ったら、誰だってそうなる。普通はこうなるか、完全なる恐怖の前にひれ伏すものだ。

 そしておそらく、ホテルにいる人間は皆殺しになるだろう。

 女性は捕まれば、直視できないほどの惨状になるに違いない。リンダを含めて。


(どうする? リンダがいることを伝えて助けてもらうか? だが、おかしいよな。なんでいるんだって話になっちまう。だから俺も準備ができなかったんだ)


 ビッグが事務所への攻撃前にリンダを確保できなかったのは、周りの目があるからだ。

 もしここでビッグが、ホテルにリンダがいるんだ、と言ったとしよう。

 密偵として見張っていたという口実にしても、かなり長期間に渡って潜伏していたので、今まで何をしていたのかという話になる。

 現在ホワイトは収監砦にいるため、わざわざ女を見張る必要はない。

 「万一抜け出して接触する可能性があったから」等々、強引に話を押し通すこともできるのだが、いかんせんソイドファミリーはホワイト商会との繋がりを疑われている。

 収監砦に入る以前ならばまだ十分言い訳もできたが、すでに居場所が判明している今、あえて見張る必要もないと言われれば、たしかにその通りだ。

 ビッグが独りでここにやってきたことも、考えてみれば怪しい。

 もしホテルを制圧しに行く、あるいは女を拘束するためならば、最低でも数人の部下は連れて歩くに違いない。

 かといって、クロスライルが茶化したように彼女と密会するにしても、ホワイトの女がいる場所でというのは、あまりにも不謹慎だろう。

 リンダがメイドとしてホロロたちの近くにいる、というところがネックだ。良くも悪くも距離が近すぎるのである。

 そんなに近くに密偵がいながら、どうしてホワイト商会の暴挙を止められなかったのかと、ワカマツのような被害者に口実を与えることにもなる。(他の組織の密偵は処分されたのに、なぜかリンダだけ無事なことも違和感がある)

 このように自分にやましい気持ちはなくても、疑ってかかる相手からすれば十二分に疑わしい行動なのだ。

 ここで疑われると、さきほどの禊のための激闘も疑われてしまうので、非常に困った事態だ。


(ちくしょう! 何か上手い言い訳はないのか!? リンダのためだ! 無い頭をフル回転させるんだよ!!)


「ホワイトか。会うのが楽しみだねぇ」

「そこまで入れ込むものか?」

「まあね。それこそ個人的興味ってやつさ」


 そんな時、クロスライルとJBの会話が聴こえてきた。


「あんたら…ホワイトに会いに行くのか?」

「会うっていっても逢引きじゃねえよ? 熱烈な歓迎は期待しているがね」

「どういうことだ?」

「相変わらず馬鹿だな、貴様は。我々がやることなど一つしかなかろう」

「もしかして…ホワイトを殺しに行くのか?」

「ここまで来たんだ。ぜひとも会わないともったいないだろう?」

「収監砦に行くってことか?」

「そうみたいだな。そこにいるらしいし」

「じゃあ、ホテルはどうするんだ?」

「ワカマツの兄さんの兵隊がやるってよ。たかだか女だ。そこらのチンピラや傭兵で十分だろうさ。つーか、何? 何か気になるのかい?」

「べつにそういうわけじゃないが…」

「べつにってこたぁないだろう。言いたいことがあるなら、スッキリ吐き出しちまうのがいいぜ。若いんだ。気にせず言いなよ」


 ビッグの挙動不審さは、誰が見てもすぐにわかるものだ。

 クロスライルが遊び半分で詰め寄る。かなりピンチである。


(ホワイトが死ねば、女を捕まえる理由もないのか? なら先にホワイトを倒しに行く? いや、どのみち間に合わない。兵隊が突入したらリンダも危ない。逃げてくれればいいが、どんな状況かわからない以上、博打は打てねぇ)


 リンダは戦闘能力がほぼ皆無なため、銃撃戦にでも巻き込まれたら死亡する可能性は極めて高い。

 普通の制圧作戦でもそうなのに、狂ったワカマツならばなおさら信用はできない。

 ホテルにいるやつは全員共犯と思っているだろう。事実、従業員もホワイトの噂を知っていながら買収されて何もしていないのだ。

 その中の一人が身内だと打ち明けるのもリスクがあるし、言い訳が通用する相手かどうかも怪しい。

 この状況下でリンダを比較的安全に確保するにはどうすればいいのか。

 打開策を探そうと、ビッグが必死に目を右に左に向けると、JBとラブヘイアが見えた。


「あんたたちは、ホテルに行かないのか?」

「なぜ行く必要がある」

「私はこの件に関わるつもりはありません」


 ここでちょっと思いつく。


(JBは助けてくれたし、ラブヘイアもそこまで悪いやつじゃない。こいつらをなんとか引き込めないか? 乱戦にならなければ、あとでどうとでもなるしな)


 ビッグの中では、JBはそこそこ「いいやつ」判定されているらしい。

 マサゴロウとの戦いで共闘したことも影響を与えているのだろう。単純な男だ。

 ラブヘイアは昔から知っているが、特に問題を起こすような人間ではない。いわゆる「普通のやつ」といった評価だ。

 このままワカマツに任せるより、彼らを巻き込んだほうが、まだリンダを助ける機会は増えるだろう。

 一番怖いのが、混乱の中で見失って死んでしまうことだ。投入される人数が減るのならば目的も達しやすくなる。


 あとは、その口実である。


(いきなり一緒にホテルに来てくれ、じゃ問題だよな)


 それは問題だ。

 特にラブヘイアはちょっとイケメンなので、何か別の意味に捉えられそうで大問題になる。

 ここでまさかの「アーー!」はご勘弁願いたい。


(何かこいつらが興味を抱くような…あるいは都合のいい口実はないかな。要するにリンダさえ取り戻してしまえば、あとはなんとでもなるんだ。でたらめでもいい。マサゴロウのやつも言っていたじゃないか。大切なものを選べってよ)


 自分にとって何が大切なのか。

 それは間違いなく家族であり、妻となる婚約者のリンダだろう。

 構成員のように失ってからでは遅い。そこで嘆くだけならば、少なくとも自分にとっては、最初からこの戦いは意味がなかったことになる。


(ここはホワイトを見習おう。目的を達成できればいいんだ。そのためなら―――)



「実はこれは秘密だけどよ、ホテルにはホワイトがいるかもしれねぇんだ」



 なかなか突飛な発言をしたものである。

 当然、あまりにぶっ飛んだ話のため、誰もが一瞬だけ動きを止める。

 そして、クロスライルが一回タバコを吹かしたあと、首を傾げた。


「ホワイトってやつは収監砦にいるんじゃねえのか? 地下って聞いたぜ」

「そうなんだが、ホテルにはうちの密偵が張り付いていてな。その子からの情報で、ホワイトに似たやつが中にいるって話なんだ」

「話が食い違ってんな。どうなってんだ? なあ、ワカマツさんよ」

「ホワイトが地下にいるって話は間違いねぇよ。だが、あの男のことだ。何を仕込んでいるかわからねぇ。あのあの、あの男ならよおぉぉおお! グガガガッ!」

「うーん、なんとも言えねぇな…」


 ワカマツが半ば狂っていることもあってか、クロスライルの彼に対する信頼度もやや低いようだ。

 この点は大いにビッグの追い風になっていた。

 だが、これだけではまだ弱いので、どうしようかと思っていたところ―――


「普通に考えれば、ホワイト殿が二人いるわけはありません。時系列の勘違いによる誤報の可能性もありますが、もし事実ならば、どちらかが偽者ということでしょうね」


 ラブヘイアが、至極まともな意見を述べる。


「そりゃマフィアのボスは狙われるからな。影武者くらいいてもいいよな。ずっと思っていたんだけどよ、『エルネシア』も影武者なの?」

「貴様…不敬にも程がある!」

「いやだって、そっくりだしさ。男と女って違いはあるが、見た目はほとんど同じだろう? どっちかが影武者かなぁ…と」

「ネイジアは、二人で一つ! 真なる人間よ!」

「あー、はいはい。そっちはどうでもいいけどさ。話は逸れたが、どうするよ。もし収監砦に行ったら、入れ違いで逃げちまうかもしれねぇぞ?」


 ここでクロスライルが「話が逸れた」と言っているが、ビッグにとっても逸れたのは同じことであった。


(やった! リンダのことは、それとなく話を流せたぜ!!)


 さりげなく密偵が〜という発言をしたが、ホワイトという存在が大きすぎて、誰もそこには興味を抱いていない。

 これでビッグがリンダを救出しても違和感はないだろう。事前に特徴を教えて攻撃対象から外すことも可能だ。


 あとは、どう対処するかであるが―――


「ならば、二手に分かれるのがいいでしょうね」


 ここでまたラブヘイアが提案を出す。


「二手? どう分けるんだ?」

「クロスライル、あなたは今回の報酬を独占したいと思っていますね?」

「突然だな。だが、そうだよ。事実だ。で、それが?」

「賭けをしませんか? あなたがどちらかを選び、そこに本物のホワイト殿がいれば、あなたの勝ちです。そのまま倒してお金を独占すればいい」

「へぇ…いいね。ならよ、反対側にJBが行かないと釣り合わないよな」

「そうなりますね。どうです、JB?」

「話を勝手に進めるな。なぜ私がそのような賭けに乗らねばならん」

「いやいやいや、これはいい話だ! JB、お前が引き当てたら全額を組織に入れてやるよ。それなら文句はないだろう?」

「前提が間違っている。そもそもすべてはネイジアのものだ」

「もし外れたら、てめぇは手を汚さないんだからよ。そこは譲れよ。な?」

「…ふん、俗的な話だ。だが、ここで言い争っている間に時期を逃すのも困る。いいだろう。公式の依頼ではないしな」

「よっしゃ! 決まりだ! あとから文句を言うなよ?」

「ではクロスライル、あなたはどちらを選びますか?」

「そうだな…」


 クロスライルは、すぅうっと一度深呼吸をしてから、自信たっぷりに述べる。


「地下を選ぶぜ」

「なぜですか?」

「勘だよ。そっちのほうが楽しくなりそうな気配がする。そんだけさ。んじゃ、お前はホテルな」

「待て。なぜ私に選択権がない?」

「じゃあ、代わるか?」

「貴様の選んだ場所など願い下げだ」

「どっちだよ! まあいいや。そういうことでいいか? ワカマツさんよ」

「俺は自分の情報を信じるだけだぜ。だが、あんた一人でやれるのか?」

「カカカッ、そこは信じてくれよ。いやー、楽しみだな」


(助かった…どうにかなったな。ラブヘイアには感謝しかねぇぜ)


 ここでナイスフォローをしてくれたのが、ラブヘイアであった。

 仮に全員でホテルに行った場合、ビッグは困っていただろう。

 なにせ最初から嘘なのだから、それで肝心のホワイトを逃していたら、ワカマツの恨みは相当なものだったに違いない。

 または話を聞いてもらえず、そのままホテルをワカマツの部隊だけに任せていたら、リンダを助けるのは難しくなっていた。

 強引に助けた場合にも、ワカマツの部隊を蹴散らす必要が出てしまえば、そこで他派閥と再度揉めることになったのだから、それこそ何の意味もない。

 だからビッグはラブヘイアに対して、密かに感謝の念を送っていたのだ。


 だが、ビッグは気づいていなかった。


 ここに二つの「彼の知らない事情」が存在したことを。




565話 「ホテル迎撃戦 その1『おっぱいの勇者、参上!!』」


 ホテル・グラスハイランド〈都市で一番高い場所〉。

 アンシュラオンがグラス・ギースにやってきてから、ずっと居住エリアとして使用していた場所である。

 ホテル街の中でもっとも高い建造物であり、領主城よりも高い位置にあるので、まさに都市で一番高いといえる。


 その屋上に、ホロロがいた。


 彼女の顔には、普段見られないゴーグルがはめられている。

 第一警備商隊にいたモズから奪ったゴーグルだ。

 これは正式名称を『兆視暗眼奇《ちょうしあんがんき》』といい、視力の増強および暗闇での視界確保を可能とするB級の術具である。

 能力は視力の強化だけなのでB級止まりであるが、エネルギー核となるジュエルの交換補充だけで、誰でも何度でも使えるので、使い勝手としてはかなり良いといえる。

 ホロロがそれを使って見ていたものは、三キロ先にある城壁である。

 ゴーグルを使っても当人の視力を強化するだけなので、一般人であるホロロだと克明に映し出すわけではないが、そこで燃えている『火』が見えれば十分なのだ。


「火は二つ。プランBで。かしこまりました」


 時刻はもう夜中。真っ暗闇の城壁の上に、わずかに光る炎を二つ確認。

 ホロロは一度綺麗なお辞儀をしてから振り返り、反対側の西の方角に視線を向けた。

 まだかなり距離はあるが、こちら側に向かってくる集団を確認する。

 普通ならば隠れながらやってくるのだが、彼らは堂々と向かってきているので容易に発見も可能であった。

 どうやらワカマツは、すでに破滅に向かって一直線らしい。この一件を隠すつもりもないようだ。

 しかし、それはホロロたちにとっては好都合である。

 彼女は主人によく似た、相手を嘲笑するような辛辣な笑みを浮かべる。


「わが主に逆らうとは、愚か人たちです。その行動も、すべて思惑通りだというのに。正面からやってくるのならば、まずは『防波堤』のお手並み拝見といきましょうか。その具合で微調整いたしましょう」


 ホロロがホテルの入り口に目を向けると、そこには物陰に潜む男の姿が見受けられた。

 あれで隠れているつもりらしいが、ここからは丸見えである。

 といってもこれだけの術具を使い、上空からの角度から見ているので致し方のないことだろうか。


 じっと見ていると、その男に近寄る者がいた。


 その人物は、静かに男に近寄り、そっと声をかける。


「あの…お、お茶を…どうぞ」

「あ、こりゃどうも。いつもすみません」

「あっ…は、はい。が、がんばって…ください」


 メイドに扮したリンダが、茂みに潜んでいたシーバンに茶と菓子の差し入れをしたのだ。

 彼女は役割を終えると、ふらつく足取りでホテルに戻っていった。

 それを見送ったシーバンが呟く。


「かわいそうに…あんなに震えてよ。メイド長さんの話によれば、領主に薬漬けにされて遊ばれたってことらしいが…人間として許せねぇよな」


 ちょっと忘れているかもしれないので、改めてシーバンを紹介しよう。

 彼はハンター寄りの傭兵団である「ライアジンズ」のリーダーで、「おっぱいの妖精」と出会い、人生を狂わせた男の一人である。

 収監砦に入りながらも、外で暗躍していたアンシュラオンによって勧誘され、ホテルの警護の任務を命じられた者たちだ。

 彼らはおっぱいの妖精と別れたあと、密かにホテルを見張っていたのだが、さすがに何日もいれば怪しまれるし、隠れるにしても限界があるため困っていた。

 そんなときにホロロがやってきて、彼らに親しげな笑みと今までの苦労を打ち明けた。


 「領主やマングラスたちによって、私たちは搾取されてきました。その中には麻薬中毒にされた女性や、か弱い少女もいます。お話は伺っております。どうか助けてください。もう頼れる人があなた方しかいないのです」


 と、艶のある美女から泣きつかれれば、男としてはやる気が出ないわけがない。

 その際にホロロが、ちょっとおっぱいを押し付けるといった芸当も見せたので、あっさりとシーバンの籠絡《ろうらく》は完了となった。

 さらに定期的にリンダが差し入れを持ってくるので、彼女の醸し出す『薄幸《はっこう》オーラ』によって哀れみが増していく。

 今彼は、とても強い使命感に燃えているのだ。


 ガサガサ


「シーバン、怪しい連中が近づいてきているぞ」


 背後の茂みが揺れると、ライアジンズの仲間であるレッパーソンが顔を出した。

 顔には炭が塗られて真っ黒になっており、夜の間は迷彩として機能しているようだ。(昼では逆に目立つが)

 彼は見張りの段階では連絡係として働いていた。

 もともとがレンジャーのような役割をこなせるので、隠密能力も高く、フットワークが軽い彼には適任であろう。


「こんな時間にか? 人数は?」

「かなりいる。四十人くらいか?」

「多いな。何者だ?」

「ホワイト商会とやらの制裁だったか。西にいろいろな連中が集まっていたから、その中のどれかのグループかもしれないが…」

「だとしても、ここにやってくる必要はないよな。ってことは、もしかして…」

「ああ、ありえる。これに乗じて領主が証拠隠滅を図るかもしれんぞ」

「なんて卑劣なやつだ。自分の都市だからって、あまりに好き勝手やりすぎる。やつは悪だ! 許してはおけない!!」


 ちょっと話が飛躍しているので説明を入れよう。

 ホロロはホワイト商会への制圧の件を知っていたため、シーバンたちにも情報を与えていた。

 ただし、その内容はかなり歪曲及び、捏造されている。

 ホロロからの説明はこうだ。


「今回の鎮圧は、すべて【領主の自作自演】なのです。実はホワイト商会は、領主が作った『外郭団体』であり、すべては領主主導のもとに行われているのです。彼らに悪事を担当させ、奪った富と女を密かに楽しみ、なおかつ他派閥への圧力として利用したのです。そして不要となれば、近いうちに処分するでしょう。それと同時に、ここも必ず処分対象にされるはずです」



 なんと、ホワイト商会は、領主が作った組織だったのだ!!!


 ここでまさかの驚くべき新事実が発覚。

 領主が自分の醜い欲望を満たそうと、都市内部で悪事を働くために生み出した『公的な組織』であった。

 そして、ある程度他派閥を抑止し、富と女を接収したら、またしばらくはしっぽりと楽しむ。

 ただし、それと同時に証拠隠滅のために定期的にホテルを変える。その際にはすべてを綺麗にしてから、また新しいホテルへと旅立つのだと。


「女性を辱めるだけでなく、自分のホテルで働く者たちすら貶めるとは!! こんな悪事が横行していたとは、にわかには信じられなかったが…どうやら本当らしいな!」

「どうする? 攻撃するか?」

「いや…この前、間違って攻撃したばかりだし慎重に行動しよう」


 シーバンたちは当初、相当な意気込みをもってやってきていた。

 そのため、単に道を歩いていた男やら、たまたまホテルに用事があった中年男性等にいちゃもんをふっかけ、間違って撃退するといったミスもやらかしている。

 これではどちらが悪者かわからないが、正義の炎に燃えていたので仕方がない。


「やつらがホテルに入るそぶりを見せたら、何者か問いただす。その役目は俺がやるから、お前たちは準備をしていてくれ」

「わかった」

「もし話が本当ならば、戦闘になるかもしれない。しっかりと頼むぞ」

「任せておけ。俺も彼女が妊娠しているんだ。女性を道具のように使い捨てにする男など許せんし、それに加担するやつらも許しておけん! 人間としてクズすぎる!」

「おうよ。俺らは正義(※1)のために戦うんだ!」


※1:正義と金のために




 ワカマツの部隊が、ホテルにまで十数メートルといった距離にまで近づいてきた。

 その動きは、すべて偵察のクワディ・ヤオ(暗殺者タイプの仲間)によって監視されている。

 どうやらワカマツが集めた部隊の中には、そこまでの腕利きはいないらしく、彼の監視に気付く者はいなかった。

 そして、彼らがホテル前に集結しつつある時、シーバンが茂みから現れて立ちふさがる。


「お前たち、どこに行くつもりだ?」


 シーバンが一番近くにいた、口元を防護マスクで覆った男に近寄る。

 その男は釘バットならぬ『釘棍棒』を持っており、革鎧に身を包んだ傭兵風のチンピラだった。

 薬でもやっているのか、目の周りがやたら黒ずんでおり、人相の悪さに拍車をかけている。

 見れば、どいつもこいつも似たような風貌だ。

 装備はそれぞれで、さりげなく布で覆って隠しているが、衛士の銃を持っている者もいれば、斧や長剣を装備している者もいる。

 はっきり言えば『雑兵』だ。

 ワカマツも、ここにいるのは女だけという認識だったので、この程度の戦力で制圧が可能だと思っていたのだろう。

 そんな連中に近寄っていくのだから、見た目的には、公共の道路でたむろする暴走族の群れに、単身で注意に行くおっさんを彷彿させる。

 その様子はホテルのロビーから丸見えなので、中にいた従業員も何事かと視線を向けていた。


「ああ? なんだ、てめぇ」

「もしこのホテルに用があるならば、立ち入り禁止だから立ち去れ。それ以外の用事ならば、速やかに立ち去れ」

「偉そうに何言ってやがる。このホテルは団体客を受け入れてくれねぇのかよ? なぁ」

「そうだぜ。俺らはたっぷりと、ここで楽しむように言われているからなぁ。げへへへ」

「そんな武装をしてか?」

「手荷物検査が必要なのか? 俺らは上級街で武器の携帯を許可されてるんだぜ。ホテルにだって、べつに持っていってもいいだろうがよ。私物だぜ、私物。とやかく言われる筋合いはねえな」

「なるほど、たしかに許可がなければ、門で没収されるな」


 西門にも一応役割があり、平常時は危ない人間を上級街に入れないという防衛機能を果たしている。

 明らかに不要な武器を携帯していれば、まずは没収されるのがルールだ。

 ただし、アンシュラオンが検問を受けたように、かなり恣意的に利用される制度なので、あまり信用はできない。

 そして、彼らが武器を持っているということは、それなりの権力を持った人間が背後にいることを示す。(ちなみにシーバンたちは、上級ハンター権限によって武器の携帯が許されている)


「お前らはどこの派閥だ?」

「なんでそんなことを言わないといけねぇんだよ。関係ないだろう」

「どこの連中だ? 素性が言えないのか?」

「うっせぇな。どうするよ?」

「言ってやれ、言ってやれ。もう俺らに怖いものなんてねぇんだからよ」

「へへ、そうだな。いいかぁ、チビるんじゃねえぞ。俺らはな」




「マングラスの兵隊だぜ!!」




(やはり―――か!!!)



 ピキーーーーンッ!

 してやったり、といった表情のならず者の思惑とは逆に、シーバンは確信を深めた。

 すでにおっぱいの妖精から、「領主とマングラスは組んでいる」という話を聞いているので、その発言は裏付けにもなったのだ。

 もう疑う余地はない。

 シーバンは、拳を思いきり握った。

 ぎゅうううう ギリギリッ

 手の平が真っ赤になるほど強く握り締めると、怒りがさらに湧いてきた。


「貴様らは、人として許せん!!!」

「…え?」

「領主と結託し、用済みとなった女性を襲うなどと、貴様らはクズの中のクズだ!! どうせ処分する前に好きに楽しめと言われているのだろう!!」

「あ、いや…まあ、そうではあるが…領主?」

「言質《げんち》は取った!! もう言い逃れはできんぞ!!」

「お、俺らはマングラスの兵隊だぞ!!」

「だからなんだ!! 俺は『おっぱいの勇者』だ!!」

「おっぱい!!?」


 ザワザワザワ

 ここでならず者の集団に動揺が走る。

 まず、彼らが「マングラスの兵隊」と名乗ったのは、ちょっと調子に乗ったからだ。

 マングラスが治安維持部隊を展開させているので、自分たちもそれに乗じた、というわけだ。

 そこらのチンピラが、虎の威を借る狐の如く、マングラスの名を勝手に使ったのである。

 普通はそれを聞けば「ヤバイ、マングラスだ!」となるのだが、シーバンが反対の反応をしたので戸惑ってしまう。

 また、ワカマツから「捕まえた女はいたぶって、死ぬ寸前までなぶりものにしろ」とも命じられているので、たしかに合っている部分もあるのだが、突然領主の名前が出てきたので困惑しているわけだ。

 そのうえ、まさかの「おっぱいの勇者」発言である。


「こ、こいつ、頭がおかしいんじゃねぇのか?」

「そ、そうだよ。普通よ、いくら夜とはいってもよ、こんな場所でおっぱいなんて叫ばないぜ?」

「だよなぁ! 相当ヤバイ薬をやってるに違いねぇぜ! 見ろ、目なんて俺らより血走ってやがる!!」

「パイセン!! 薬のパイセンだ!!」

「ええい、うるさい!! 貴様らのようなクズを許してはおけない!! すぐに立ち去れ! でなければ後悔することになるぞ! 痛い目に遭う前に消えろ!!」

「ああん!? 俺らとやるってのか? マジでぶっ殺すぞ! どうせ目撃者は全員殺せって言われてるからよ!」

「領主めぇえええ!! そこまでクズかああああああああああ!」

「訳がわからねぇが…とりあえず、死ねや!!」


 マスクの男が棍棒で殴りかかってきた。

 彼らも狂ったワカマツに用意される程度の人材だ。頭が良いわけでも物分りが良いわけでもない。

 なので、こうなるのは当然である。

 ただし、シーバンには動揺も迷いもない。


「もし俺が、通りすがりの善良な市民だったらどうする。この悪党がぁあああああああああ!」


 シーバンは棍棒を軽くよけると、男の顎に掌底を打ち込む。

 ゴギャッ!


「あ…で……!?」


 ふらふら どすん

 そのたった一発で、男はノックダウン。

 目をぐるぐると回転させながら、地に伏せった。




566話 「ホテル迎撃戦 その2『おっぱいの契約の名のもとに!!』」


「なっ…一発だと!?」

「ふん、悪党が! 貴様らもこうなりたくなければ、さっさと逃げ帰るんだな!」

「んだと!! この野郎!!」


 今度は剣を抜いた男が突っかかってきた。

 当たり前だが刃のある剣なので、こちらを殺す気満々である。


「遅いな」


 だがシーバンは、腰に下げていたショートソードを素早く抜くと、男の剣を受け止める。

 体型的には相手のほうが上なのに、彼の身体はまったくブレていなかった。悠々と受け止めている。

 さらに手首を回転させていなし、からめ取る。

 ガキィイインッ ガランッ

 そうして無防備になった男の腕を剣撃一閃。

 ザシュッ! ぶしゃっ!!


「ぐあっ!!」


 悪党相手に遠慮などはしない。かなり深く切り裂く。

 ドボドボと男の腕から血が噴き出し、地面が赤く染まった。


「その傷では手当てしないと死ぬぞ。いや、お前らのようなクズは、死んだほうがいいのかもしれんがな!!」

「て、てめぇ…マングラスに喧嘩売るつもりか!?」

「弱い犬ほどよく吠えるな。殺そうと先に攻撃してきたのは、お前たちのほうだろうに。マングラスがなんだ! いまさら俺に怖いものなんてないんだよ!!」


 マングラス以上に怖ろしい存在がいる。

 その名は、おっぱいの妖精!!

 あれに比べれば、マングラスがなんだというのだ。


「調子に乗りやがって! いくぞ、お前ら! もう遠慮はいらねぇ!!」


 ならず者たちが銃を取り出す。

 これは衛士が使っているものと同じタイプで、二発撃ったら弾切れになる代物だ。

 最近は鉄製の銃がちらほら散見されるものの、やはりグラス・ギースではこちらのほうが圧倒的に多く、入手もしやすい。

 ワカマツがいくら金を持っていても、無い物資の都合はつけられない。南から輸入しようにも、それなりのコネと手続きが必要だ。

 人材管理が主な仕事であるモザート協会は、ハングラスではない。人は得意でも物は苦手なのだ。

 ただ、銃は銃。

 当たれば人を殺すだけの力があるものだ。


―――発射


 パスッ パスッ パス


 三人の男が、銃でシーバンを撃つ。

 ここで大げさによけてもいいのだが、そうすると背後のホテルに被害が及ぶため、彼は即座に術符を選択した。

 取り出した紙がボロボロと崩れると同時に、幾重にも連なった見えない盾が出現。

 ガンガンガンッ

 展開された『無限盾』が発動し、銃弾を弾き返す。

 今まで何度か使われるたびにかなり簡単に壊れていたが、本来はこれだけ頑丈な術式なのである。

 一回の使用で十万円以上はするのだ。これくらいの効果がないと困るだろう。


 こうして本格的に戦闘に突入。


 シーバンも臨戦態勢に入った。


「自己の欲望のために優秀な人材を貶め、か弱き婦女子を蔑ろにし、自分だけ高みの見物をする悪党め!! 正義の刃によって成敗されるがいい!!」


 一瞬アンシュラオンのことかと思ったが、これは領主及びマングラスのことである。

 相手が銃を取り出した以上、否、相手が悪の手先である以上、許しておくことはできない。


「囲め! 数で押し切れ!!」

「ブルーハンターをなめるなよ。お前ら程度の威圧など、魔獣の『無感情の殺意』に比べたら、そよ風みたいなもんだ。それにな、ハンターは独りで戦うわけじゃない」


 ならず者の集団が、シーバンを取り囲もうと散った瞬間である。

 彼らの背後の茂みから、炎の刃が襲いかかる。

 放たれた剣圧は真っ直ぐに突き進み、無警戒な男の背中を切り裂いた。

 ズバッ! ボオオオッ

 革鎧を切り裂き、中にまで達した剣圧が燃える。

 剣王技、炎王刃《えんおうじん》。

 一般的な放出技の一つで、原理は風衝とまったく同じだが、炎の性質を帯びるとより凶悪になるため、名称は『火衝』ではなく炎王刃と別の様式になっている。

 地面に一本線を引いたガソリンに引火させたように、美しく火が走る光景が印象的だ。

 そして、すでに述べたように威力は凶悪。


「ぎゃあああああ!」


 革鎧を着ていたので即死は避けられたが、その後の火の追加効果で火達磨になる。

 戦気で生み出した火気は、そう簡単には消えない。男はじきに焼死するだろう。

 それが連続して襲いかかる。


 ズバッ! ボオオオッ

 ズバッ! ボオオオッ

 ズバッ! ボオオオッ


「ぎゃあああ!!!」

「あっちだ! あそこに誰かいるぞ!」

「撃て、撃て!!」


 男たちが炎王刃が飛んできた場所に銃弾を撃ち込む。

 慌てて撃ったこともあり、まったく見当違いの場所に飛んでいったが、もともと命中精度は低いのである。


「おっとと!」


 そこから転がり出てきたのは、マークパロス。

 ライアジンズのメンバーの一人で、立場的にサブリーダーとしてシーバンの補佐を務める皮肉屋だ。

 彼はシーバンが相手を引き付けている間に回り込み、絶好のポジションを確保していた。

 なおかつ彼は、ライアジンズにおいて「切り込み隊長」も務めている。

 転がり出たマークパロスは、そのまま低い体勢のまま加速。一気に敵陣に突っ込むと、剣を一閃。


 ズバ ズバ ズバッ! ブシャーーー!


「ぐえええ!」

「がはっ…て…めええ…ごぼっ」

「やろう……げぼっ…死に…さらせ」

「死ぬのは、あんたらだ」


 ズバンッ ごとっ

 一瞬で三人を斬り、さらに首を刎ね飛ばす。


「やろううううう!」


 斧を持った男が果敢にも飛びかかってくる。

 が、これは悪手だ。


「俺様とやるっての? 悪いけど、人間相手のほうが得意なんだぜ」


 シュパンッ


「あ…えっ……ごぶっ」

「人間が使う得物ってのは柔らかいな。魔獣の爪のほうが、よほど硬いぞ」


 持っていた斧ごと、相手の喉を切り裂いた。

 凄まじい剣速に、斬られたことを悟るまでに数秒要したくらいだ。

 それでようやく、相手は気付く。


「な、なんだ、こいつら!! 武人か!?」

「くそ!! やべえぞ! 武人を相手にする準備なんてしてねぇよ!」


 武人と呼ばれるまでに至った者の数は、人類全体の1%といわれている。

 ソイドビッグの工場での暴れっぷりを考えれば、いかに武人が怖ろしい存在かがわかるだろう。

 ならず者は傭兵出身者もいるとはいえ、なんとマークパロスの因子覚醒度は、ファテロナと同様の「2」である。

 彼女はハイブリッド〈混血因子〉なので同列ではないが、2もあれば一人前の武人である。軍隊ならば十分「騎士」になれるレベルだ。

 そんな彼だけでも怖い存在だが、まだシーバンもいる。

 シーバンはショートソードを上手く使いながら敵を切り裂きつつ、距離を取ってからの術符攻撃を仕掛ける。

 ヒューーンッ ぼんっ


「ぎゃっ! あちあちち!!」


 火痰煩《かたんはん》の術符だ。

 ねっとりとした火の塊を放出することで、身体にまとわりつく焼夷弾のような効果を発揮する。

 火は、火によってさらに加熱。

 マークパロスが、今度は近距離で剣王技『炎王斬』を繰り出す。

 これは炎王刃の近距離型で、風衝における風威斬と同じく、直接叩きつけることで威力を二倍にするものだ。

 そんなものに斬られたら、あっという間に斬死または焼死確定である。


 ズバッ!! ボオオッ!

 ねっとり! ボオッ!


 炎王斬と火痰煩によって、その場は一気に火災現場と化す。

 これによって相手は完全にパニックだ。


「ちくしょう! 離れろ!! 火が燃え移る!!」


 さすがならず者。

 火達磨になった仲間を蹴り飛ばし、自分だけ火の中から逃げようとするが、そう人生は甘くない。

 シュンッ トスンッ


「っ…!!」


 男の頭部斜め上に『矢』が突き刺さった。

 矢は完璧に脳を貫き、男はどさっと地面に倒れた。おそらく即死だろう。

 射線を辿ると、ホテルの近くの木の上にはレッパーソンがいた。

 サナが使うものより一回り大きなクロスボウ(武器屋バランバラン製)を構えており、散らばった男たちを狙撃する役割を請け負っていた。

 ここで素人とプロの違いが出る。


 トスンッ トスンッ トスンッ


 レッパーソンが放った弓矢は、ほぼ完璧に逃げ惑う男たちの頭を貫いていく。

 サナと比べると明らかに命中率が高いのは、彼の技が実戦において磨かれたものだからだ。

 立ち向かってくる魔獣は、実に脅威だ。一発たりとて誤射をする余裕はない。

 そんな長年の緊張感の中で培った弓矢の技術は、まさに芸術と呼べるものだった。

 魔獣と比べれば皮も柔らかく、骨も脆い人間など、彼からしてみれば物足りない標的でしかない。



 こうしてシーバン、マークパロス、レッパーソンによって、集まったならず者たちは簡単に蹴散らされる。



「あーあ、やっちまったな。これで後戻りはできねぇぞ」


 マークパロスが、血に塗れた剣を見て呟く。

 マングラスと敵対した以上、こうなると都市内部での彼らの立場も危うくなるだろう。


「後悔しているのか?」

「はっ、馬鹿言うなよ。俺はもう、あのおっぱいの感触が忘れられないぜ! あれはよかった…今まで味わった中で最高のおっぱいだった!!」

「たしかにな。今までどの店に行っても、あれだけのものに出会ったことはない。シチュエーションだけが問題だったが、それを除いても凄かったな」

「おうよ。なら、覚悟決めてやるしかねえよな! 俺らは正義の使者!! おっぱいの勇者なんだからよ!!」

「おお! そうだぜ! おっぱいの勇者だ!!」

「おっぱい!!」

「勇者!!」


 おっぱい! おっぱい! 勇者! 勇者!

 ネットで煽り文句として使われそうな単語を連呼しながら戦う彼らは、誰が見ても異様であった。

 おっぱいの契約とは、これほど魅力的なのだろうか。

 パミエルキの乳を模しただけの水の塊で、これほど男を魅了するのだから、何かしらやばいものが含まれていそうで怖くなる。

 と、彼らは見事ブルーハンターとして仕事をこなしているが、相手もそれで終わるほど甘くはなかった。


 ぞろぞろぞろ


 援軍の到着である。

 また四十人単位の部隊が一つ、ホテルに派遣されていた。

 ワカマツの執念を侮ってはいけない。彼は復讐のためだけに人生を捧げているのだ。


「ちっ、まだいるのかよ!」

「あいつら、また雰囲気が違うぞ。気をつけろ!」


 今回やってきた連中は、今蹴散らしたならず者たちより数段危険な雰囲気を宿していた。

 なぜならば、彼らは【裏スレイブ】だからだ。

 マングラスは人材を司るため、当然裏スレイブも彼らの手の内にある。ハングラスでも暗殺部隊を投入できたのだから、これくらいは普通のことだろう。



 裏スレイブ部隊とシーバンたちが、激突。



 ここでもシーバンは、ブルーハンターの名に恥じない活躍を見せた。

 適度に距離を取ってマークパロスを援護しつつ、術符をばら撒いて戦線の拡大を防ぐ。

 そうして限られた場だけに集中することで、マークパロスは思う存分剣を振れる。

 それをレッパーソンが弓矢や銃で援護。時には煙玉や術符を使って戦況に対応していく。

 このあたりは長年チームを組んでいただけあって、阿吽の呼吸だ。

 即席で集められた裏スレイブ程度では、このコンビネーションは打ち破れない。

 また、この裏スレイブ部隊は、アンシュラオンのように厳選した者たちではない。

 マタゾーたちはモヒカンに「とびっきりの危険なやつらを集めろ」と命じてあったので、彼も必死になって異名持ちのメンバーを集めたのだ。

 それでも使えた幹部クラスは、たかだか四人。ムジナシを入れても五人だ。

 ああいった強い自負を持った戦罪者は、アンシュラオンに噛み付いたことからもわかるように、依頼者にも牙を向ける。

 もちろんワカマツにも扱えないし、普通の人間では雇うことさえ困難だ。

 彼らに畏怖されるアンシュラオンだからこそ、手足のように使えたのである。

 よって、この場にいるのは、多少揉め事に特化した鉄砲玉くらいなものだ。

 それくらいならば、普段から魔獣と戦っているシーバンたちのほうが強い。圧力が比ではないからだ。


 がしかし、数の力だけはどうしようもない。


 次第にシーバンたちが圧され始め、戦線がホテルの入り口にまで及び始めた。

 おっぱいの勇者、ピンチである。




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