欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第八章 「壊滅 ホワイト商会」 編


547話 ー 556話




547話 「とんちんかんタッグマッチ  その1『地中に潜む者』」


 ドクリンが死んだ。

 お風呂場で心筋梗塞が起き、突然の別れが訪れるように、こうした死で格好良い遺言を残すなんて所詮は夢物語である。

 現実は、いつだって厳しい。

 人は簡単に死ぬのだ。

 しかし、あらかじめ死がわかっていれば、そこにメッセージを残すこともできる。

 自分の死を、意味ある死にすることもできる。


「しまった! 最初から狙いはドクリンだったのですか…!!」


 ここでカラスは、自分たちの失態に気付いた。

 ハンベエの自爆は、針を飛ばすことにあったのではない。

 それ自体にも毒は塗られていたが、カビ程度でも防げるようなものだった。

 ゆえに、針はあくまで相手を油断させるものでしかない。


 本命は、風に乗って広まった【無色透明の毒】だ。


 アンシュラオンと契約を果たした時から、彼はこうして死ぬことが決められていた。

 毒だけが取り柄なのだ。死して毒になるしか価値はないだろう。

 それからというもの彼は、ずっとずっと身体の中で、濃い、とても濃い毒素をひたすら精製していた。

 簡単に解毒できないように。仮に自分の天敵が現れても殺せるように。

 こちらの情報が知れ渡っているのならば、相手は必ず毒に特化した武人を用意すると想像するのは、そう難しいことではない。

 だからこそ第一警備商隊との戦いのような、大怪我をする可能性がある作戦には参加しなかったのだ。

 彼はこの時のために生きていたのだから。


 ドクリンこそ―――狙われていた


 これこそが真実である。


(彼女がいない今、もはや毒を中和できる者はいない。予備の複製体を呼び寄せるまで、いったいどれだけの被害が出るのか…。致し方ありませんね。わが身を犠牲にするしかありません)


 カラスが両手を広げて、周囲の空気を一気に吸い込む。


 ズオオオオオオオッ ズズズズッ


 目には見えない巨大な大気の渦が生まれ、ばら撒かれた毒素を吸収していく。

 大気に混ざってしまえば判別不可能なので、手当たり次第に吸収するしかないのだ。


「ぬううううっ!! 換気が…間に合いませんか…ぐふっ」


 カラスが毒の影響を受け、吐血。

 彼の両手は、グリモフスキーの腕に付けられた人形のものと同系統にあるものだ。

 あちらのように空気弾を放射することもできるが、こちらは吸引を重視した造りとなっている。

 たとえばこれで相手が放った火や水を吸収し、無力化させることができるのだ。

 内部には換気及び濾過《ろか》装置が内蔵されているので、普通の毒素くらいならば問題なく浄化できる。

 だが、ハンベエの毒素は普通の毒ではない。

 やはりドクリンがいなければ対処は難しい。カラスが吐血するのも無理はないだろう。


 しかし、被害はそれだけにとどまらなかった。


 ガチャンッ ガタンッ


 二体の人形が、いきなり膝をつく。

 何事かと思って目を向けると―――


「馬鹿な…金属が……溶けている?」


 ジュウウウッ ボロボロ

 人形の人工皮膚が溶けたのはまだいいとしても、その内部の金属の身体さえ溶け始めていた。

 普通、毒は生物にだけ効くものと認識されている。蛇毒であれサソリ毒であれ、それで機械が溶けることはありえないだろう。



 だがしかし―――これは【魔人の毒】だ。



 ハンベエは、ヤキチやマサゴロウたちと比べて、命気を受けた回数と量が少なかったせいだろうか。彼らのように凶悪な魔人の気配を放つことはなかった。

 だが、それでも魔人の道具であることには変わりない。

 幹部クラスの人間の中には、すでに魔人の思想が入り込んでいるのだ。

 魔人は、自分の敵をけっして許さない。逆らう存在を認めない。

 それが生物であろうと機械であろうと、まったくもって関係がない。



 魔人の毒が―――偽りのものを否定する。



 マングラスによって造られた哀れな人形たちを否定する。

 と、多少誇張してしまったが、これは単純にハンベエが毒に特殊な酵素を加えた結果によるものでもある。

 本来の目的は、完全重武装している相手でも毒が浸透するように、金属にも対応した毒を精製していたというわけだ。

 少しでも吸えばいいので、軽く穴をあけるくらいを想定していたわけだが、カラスが激しく換気をしたことで、浄化しきれなかった毒素を集中的に浴びてしまったのだ。

 クーラーがフル稼働している外では、室外機が温風を吐き出している光景に似ているだろうか。

 近くにいた人形は哀れである。


 ドロッ ジュウウウ


 当然、毒素を吸引したカラスも溶ける。


「私の腕まで…溶ける!! やつらを甘く見ていたとでもいうのか!! だが、私とて…グマシカ様の…道具!! 偉大なるマングラス様に仕える者!! けっして退きはしない!!」


 ゴボゴボと血を吐きながらも、カラスは毒を吸収することをやめなかった。


 彼はその後、気を失うまで毒を吸収し続けたという。

 両腕が溶け、身体の大半も使い物にならないほど酷い状態だったそうだが、幸いにも一命を取り留めることに成功した。

 ドクリンのカビが毒の威力を抑えてくれたことも助かった要因だろう。

 彼女が納得するかはともかく、その死は無駄ではなかったのだ。

 しかし、予備のアンチポイズンが来るまで時間が相当経っており、マングラス側にいた人間に数多くの死者が出た。

 これによって、いかにホワイト商会が怖ろしい相手であったか、今後も語り継がれることであろう。



 まず一人目の死は、ハンベエ。



 彼らの死は、すでに決定付けられていることだった。

 アンシュラオンは、彼らに死に場所を与えると言ったが、まさに有限実行したといえる。


 では、次は誰が死ぬのだろう。



 次は―――




「うわああああああああああああ!!」



 ずるずるずるずるずるっ!!


 ソイドビッグが、滑るように地中に吸い込まれていく。

 その速度は、まるで落下に近い。

 だが、自由落下しているのではない。


 足に―――感触。


(落ち着け! 思考を捨てるな!! 考えるんだ!! この感じは…誰かに掴まれている!!)


 足に何かが張り付いているのがわかった。

 神経を集中させると、それは間違いなく『手』の形をしている。

 表面はやたらゴツゴツしており、指も一般的なものよりも長く、爪も頑強だ。

 恐慌状態に陥っていれば、魔獣か何かと勘違いしそうだが、感覚を鋭敏にして探れば『人の手』であることがわかるだろう。

 これは【人為的】なものなのだ。


「そうとわかれば、怖がることはねえ!! のやろうおおおお―――って、どわあああ!」


 自分の右足を掴んでいる手を、左足で蹴ろうとするが、凄まじい勢いで吸い込まれているので上手く蹴れない。

 何よりこの地中の通路は狭く、一人が通るくらいで精一杯の大きさなので、ビッグほど身体が大きい男だと土や石を抉りながら引きずられることになる。

 たかが土とはいえ、これだけ高速で引きずられたら立派な凶器になる。

 もしビッグが戦気を放出していなければ、擦り傷どころでは済まなかったはずだ。



 ずるずるずるずるずるっ!!

 ずるずるずるずるずるっ!!

 ずるずるずるずるずるっ!!



 結局そのまま、地中百メートルまで一気に引きずり込まれる。


 ずぽっ ドサッ


 すると、大きな空間に出たのか、ビッグが放り出された。


「ちっ! ぺぺっ! なんなんだ―――っ!!」


 身体中が土塗れになって、思わず唾を吐き出すが、そんな余裕もなかった。

 ビッグに何かが迫る。

 土の中なので完全に暗闇であり、常人では十センチ先も見通すことは難しいだろう。

 武人のビッグとて、とりわけ視力が良いわけではないので、それは同じだ。

 ただ、すでに戦闘態勢だったことが幸いして、かろうじてよけることに成功。

 ブスッ!!

 ビッグの顔があった場所に、それは突き刺さった。やはり今のは攻撃だったようだ。

 殺意を感じたビッグは、反射的に反撃。


「おらっ!!」


 ドゴンッ

 感覚だけで敵の位置を探り当て、拳を放った。

 ぶよんっ

 妙に柔らかい感触がしたそれは、弾かれるように背後に下がった。

 しかしそれはダメージを受けたからではなく、今の攻撃でビッグが死ななかったことに対する警戒がそうさせたようだ。


 何かがいる。


 こちらを殺そうとしている誰かがいるのは間違いない。



「いつまでも隠れてるんじゃねええ!! 姿を見せやがれ!!」


 ブオオオオオッ

 ビッグが炎気をまとうと、その室内が一気に明るくなった。


「ぐげっ!!」


 いきなりの強い光に驚いたのか、それが手で顔を隠した。


「…なんだこいつ? 人間か?」


 ビッグは警戒中にもかかわらず、その者の姿を凝視してしまう。

 なぜならば一瞬見えた姿が、あまりにも人間離れしていたからだ。

 長年地中で暮らしているせいか、顔は磨り減っており、強く丸めた和紙を伸ばしたかのように、皮膚もぐちゃぐちゃになっている。


 唯一わかるのは、目。


 唇さえもなくなった顔には、しっかりとした二つの目だけが光っていた。

 それがあるからこそ人間だとわかるのだが、身体の様子もかなり異様だ。

 腕の筋肉が妙に発達しており、胴体と同じくらい太くありながらも、手は細長い。

 指の先には鋭い爪もあり、指の隙間には「水かき」がある。

 爪で土を掘り起こし、水かきでかいて進むためのものだろうと思われる。


(なんでこいつ…全裸なんだ?)


 しかもビッグが呆然としたように、その男は裸だった。

 仮に服を着ていたとしても、今のように土の中を移動すれば、すぐに擦り切れてしまうので意味はないだろう。

 それならば最初から着ないほうがいいし、土の中は暖かいので、衛生面で問題がなければ裸でも大丈夫だ。

 ただ、そもそもの問題として、この男に服を着るという習慣はない。



 この男の名前は―――『土潜りのムジナシ』



 覚えているだろうか?

 アンシュラオンが戦罪者のテストをした時に、地中に紛れ込んでいた暗殺者である。

 実際のところ彼を覚えている者は、あまりいないと思う。

 それも当然。


 アンシュラオンが【意図的に存在を隠していた】からだ。


 今までの作戦において、彼を使ったことは一度たりともない。表に出したこともない。

 地中を移動できるという利点を最大限に活用するためだ。

 その甲斐もあってか彼の能力は、この戦いでも非常に重要なものとなっていた。


(こいつが何者か知らねぇが…そうか。そういうことか。全部、こいつがやったのか!!)


 これを見れば、さすがのビッグもカラクリがわかる。

 監視された状態で地雷を埋められたのは、彼の能力があってこそだ。

 ムジナシは、ただ潜るだけではない。【土を操る能力者】だ。

 深く掘った場所から地雷を土の力だけで配置できる。そうすると生体磁気だけを監視する波動円では探知が不可能だ。

 また、一度調べた場所に何もなければ、わざわざ地中に気を張っている者も少ないだろう。

 戦罪者は館にいるのだ。そちらを見張るほうに注力するに違いない。


「種明かしされたら、たいしたことはねぇな! 今度はモグラ退治になるだけだぜ!!」


 ビッグが突進。

 相手が何であろうが、ホワイト商会に組する者ならば倒すだけだ。

 だが、こうして無闇やたらに突っ込むのが、彼の最大の悪癖である。


 ズルルルルッ


 ムジナシが、消える。


「えっ…!」


 ドンッ!!

 ビッグが叩いたのは、背後にあった土壁だけだった。

 直後、地面から手が伸びてきて足を掴まれる。


 ずるるるるっ ズボンッ


「どわわあああ!!」


 そしてまた再び地中に引きずり込まれた。

 ここはすでに地中なので、さらに下に引っ張られたというわけだ。


 ガリガリガリガリガリッ


「ぐえええええ!」


 ビッグが頑丈だとわかったのか、今度はかなり深い場所まで引きずり込まれ、やたら硬い地盤と接触。

 そこでガリガリと身体を削られる。

 どうやら深く潜りすぎて、地下遺跡上層部の屋根部分に接触しているようだ。

 簡単に壊れるような素材ではないので、こうして擦り付けられとけっこう痛い。

 自分も戦気を出しているが、相手も武人である。あの腕を見ればわかるが、腕力はビッグ以上であった。



 ガリガリガリガリガリッ

 ガリガリガリガリガリッ

 ガリガリガリガリガリッ


 土の中は、まるで深海のようだった。

 気圧の影響もあるし、何よりも身動きが取れないのが一番困る。


(やべえ!! どうすりゃいいんだ!? うぐっ!! つ、土が口に入る!? 鼻に入るよおおおおおおお!)


 普通の土程度ならば、戦気を展開していれば何とか防げるが、ムジナシの能力によって周辺の土が固まり、さらに圧迫してくる。

 それらが顔にまで押し寄せるので、長時間このままだと、武人でも窒息死する可能性は否めない。


 ここは―――彼の領域


 彼のホームであり、ビッグにとっては完全アウェーであった。




548話 「とんちんかんタッグマッチ  その2『非人間性への怒り』」


 ガリガリガリガリガリッ

 ガリガリガリガリガリッ

 ガリガリガリガリガリッ


 ムジナシは、ひたすらビッグを引っ張り、岩盤に叩きつけて削ってくる。


(やろう! まともに戦うつもりがねえのかよ!! だが、これを続けられると…ヤバイ!!)


 地味だがビッグからは何の抵抗もできないので、地中という土俵を生かした、かなり有効な手段だといえるだろう。


 彼がこの攻撃に終始するのは、これが『狩り』のやり方だからだ。


 この男は人間というより『半獣半人』に近い存在であり、ずっと地中で暮らしてきたため、人間の言葉もあまり理解していない可能性があるくらいだ。

 ムジナシが初めて人を殺したのは、たまたま餌として確保したのが人間だったからだ。

 それまでは手当たり次第に魔獣や動物、虫などを食していたが、その日に人間を初めて「食った」。

 それに対しては特段、何も感じることはなかった。

 少し肉が少ないだけで、普通の魔獣と大差はなかったからだ。


 彼が変わったきっかけは、誰かが自分に暗殺の依頼を始めたことだった。


 対象者が持つ所有物から匂いを特定し、依頼人がおびき出した相手を襲わせるという手法で、彼は暗殺者としての仕事を得ていった。

 最初の頃は誤って依頼人を殺してしまう等の事故もあったが、それが逆に強さの宣伝となり、依頼する者も少しずつ増えていく。

 ムジナシにとっても、人を殺せば褒められ、さらには普段は食べられない食材などの提供も受けたので、暗殺者稼業を続けていくことにした。

 その後、さまざまなことがあってグラス・ギースにまで来たのだが、そこは割愛しよう。

 一応は人間であっても、こんな異形な存在だ。

 まともな人生は送れないし、殺された者たちの遺族によって逆に殺し屋を派遣され、殺されそうになったことも何度もある。

 厳密な意味での戦罪者ではなく、単に流れてやってきただけの暗殺者といえるだろう。


 そんなムジナシが、こうしてアンシュラオンの言うことを聞くのは、【怖い】からだ。


 彼が改めてアンシュラオンと対峙した時、心底震えた。


 殺処分前の犬のように、怯えて失禁して悲鳴を上げて逃げ惑った。

 言葉ではなく感覚や本能で、魔人という存在を理解したのだ。これは逆らってはいけない。服従することが生き残る唯一の道だと悟った。

 アンシュラオンも動物をしつけるかのごとく、ムジナシに穴掘りや役割を教え込むことで、地中で仕事をさせていたというわけだ。

 秘匿されてきた彼が参戦しているという事実が、この戦いがホワイト商会にとって最終決戦であることを如実に示してもいた。



「んなろおおおお! 調子に乗るなよ!!」


 ボオオオッ ドーーーンッ!


 ビッグが引きずられながらも、強引に裂火掌を放った。


 ドン ドン ドーーーンッ!!


 さらに連続して放ったことで、急速に軌道が変わり―――


 ずるるっ どさっ


 また違う部屋に出る。

 今度は最初から炎気を放出していたので、すぐに部屋の中が見えた。

 しかし、ようやく抜け出せたと思ったのも束の間。


「うっ、くせえぇ!」


 最初に感じたのが、強烈な腐臭であった。

 どうやらここはムジナシが根城にしていた部屋のようで、その中でも不要になったものを投げ入れる、ゴミ捨て場やトイレのような場所であった。

 そんな場所に飛び込んでしまうあたり、さすがはビッグさん。

 持っている【ウン】が違う。

 が、そこはある意味において本当に『地獄』でもあった。


「なんだ…こりゃ……」


 ビッグがそこで見たものは―――



 大量の


 大量の


 大量の




―――【死骸】




 普通、人間の死んだ肉体は『死体』と呼ばれることが多いが、ここでは『死骸』のほうがより適切な表現だと思われる。


 なぜならば、ここにあるのは―――【食べかす】


 彼に殺された者たちの【残骸】であった。


 ずるる ごとっ


「ふしゅーーー、ふーー、ふーー」


 ムジナシも穴にやってきた。

 彼の鼻は磨り減ってほとんど無いが、一応嗅覚は残っているらしく、ここに来たことへの不快感が見て取れる。

 だがそれは、あくまで「くさい」ことへの不快感であって、殺して食ったことへの後悔や懺悔の気持ちではない。

 彼はアンシュラオンの下僕となってからも、依然として地中で暮らしていた。

 食糧は与えられていたが、狩りの習性だけは簡単に消せるものではない。


 時折人をさらって、食っていたのだ。


 グリモフスキーも言っていたが、グラス・ギースにおいて人が消えることは、そう珍しいことではない。

 内外の出入りが多いため、翌日に労働者の数十人くらいが突然消えても、誰も何も思わないものだ。

 それが移民や貧困層の人間ならば、なおさらである。


「…あっ」


 ごとっ ごろごろ


 動揺したビッグが近くにあったものに当たり、落としてしまう。


「っ…!」


 見たくなかった。だが見てしまった。

 見えてしまうのだから仕方ない。


 それは―――首


 殺されて切断され、食われ、半分頭蓋骨が見えている女性の腐敗した頭部であった。

 彼女は、たまたま歩いているところを連れ去られ、食われただけ。

 彼女に非はないが、弱かったから食われるのは仕方がない。

 捕食は自然界ではよくあることであり、当然のことである。


「はぁ…はっーー! はーーーーー!!! てめぇ…!! てめぇええええ!!!」


 だがしかし、ここは人間が暮らす都市であり、社会において最低限の人間性が必要とされることは言うまでもない。

 社会とは、誰もが安心して暮らすことを、最低かつ最終目標とするものだ。

 そんな中に、こんな危険な生命体が存在することに、驚きと恐怖と同時に、激しい怒りを感じざるをえない。

 特にビッグはリンダという婚約者がおり、アンシュラオンに人質にされたトラウマがある。


 それゆえに―――激怒



「てめぇえええええはああああああああ!! 人間じゃねええええええええ!!」



 ボオオオオオオオオオ!!

 豚も怒れば、激しく燃え盛る。

 激情したことで炎気が爆発的に燃え上がり、周囲の死骸も燃えていく。

 それがせめてもの弔いだと言わんばかりに、ビッグの炎気が燃えていく。


「俺がてめぇを殺してやるううう!! この人たちの無念を晴らしてやるううううううう!!」

「…?」

「何を言ってるのか、わからねぇのか? 理解できねぇのか!? そうだろうな!! そうだよ!! てめぇみたいなやつにわかるわけがねぇ!!! だったら、さっさと死ねや!!」


 ビッグがムジナシに飛びかかる。

 激情によって燃えた戦気が彼に力を与え、加速力も相当向上している。

 ここがもし地上ならば、この突進も脅威に映っただろう。

 だがここは、地中である。


 ずるるるっ スカッ


 ビッグの攻撃は、またもや土の中に逃げたムジナシによって回避される。


「逃げるんじゃねええ! 出てこいやぁああ!!」


 ドンドンッ

 土壁を叩くが、ムジナシは出てこない。


 それどころか―――


 ぎしぎしぎしっ ドボンッ

 ドサササササササッ!!


「ぶわっ!!」


 土を固めて作った部屋が、崩れる。

 ビッグの攻撃によって弱ったこともあるが、これはムジナシが土を操作して自ら壊したのだ。

 そうして土に埋まったところに、ムジナシが土に紛れて近寄ってきた。


 ズバッ!


「いつっ!」


 今度は足を掴まえて引っ張るのではなく、爪で直接切り裂いてきた。

 頑強な爪は強力で、ビッグの戦気を貫通するだけの威力があった。

 彼は野生で生まれた武人であり、戦気の扱い方も完全に我流なので、ビッグとは正反対の存在といえる。


 だが、野生や自然によって鍛えられたものは、極めて強い。


 常に危険な生存競争の中で暮らしてきたので、ムジナシの戦闘力はヤキチたちと同等と考えていいだろう。

 それに加えて彼のホームである地中ならば、彼らより上であるのは間違いない。


 ズバッ! ぶしゅっ

 ズバッ! ぶしゅっ

 ズバッ! ぶしゅっ


 土に圧迫され、身動きが取れないところを攻撃される。

 ムジナシがビッグをどう見ているかはわからないが、少なくともアンシュラオンの命令通り、今現在地上にいるホワイト商会の関係者以外は、すべて殺すべき対象だと認識しているだろう。

 殺してもいいし、食ってもいい。

 たまたま食欲が満たされていたので、今回は殺すことにしただけである。


 そんな感情が伝わってきて―――さらに激怒!!



「くおおおおおおおおお!! ふざけるなああああ!」



 ボオーーーーンッ!

 戦気の爆発で土を吹き飛ばす。


「…じっ」


 そのおかげでムジナシの姿が少し見えたが、彼もまたこちらを見ていた。

 獲物の弱り具合を観察するような視線が、サナと重なって―――またまた激怒。


「てめぇええええ!! 殺すウウウウウウウウ!!」


 ボオオオオオッ!!


「………」


 ずるるるるっ

 ビッグが戦気を燃やしたのを見て、ムジナシは再び地中に隠れる。


「どこにいった、このやろう!! 出てこいやあああ!! うおおおおお!」


 ドガンドガンッ ドンドンッ

 手当たり次第にビッグが攻撃を仕掛けるが、ムジナシはまったく出てこない。


 ずるるっ


「そこかっ!!」


 ドーーーンッ

 一瞬だけ土が盛り上がったのを見たビッグが、裂火掌を叩き込む。

 土埃が舞い、鼻や口に不快な粉塵が舞い込むが、そんなことはまったく気にしない。

 今の彼は、ムジナシへの怒りに満ちていた。


 だが、これは―――フェイク


 少しだけ出た膨らみは、ムジナシに食われた誰かの頭部であった。

 それが裂火掌を受けて粉々に吹き飛んだだけである。

 では、肝心のムジナシはどこにいったのかといえば―――


 ぼごんっ


 ビッグの頭上に出現した。

 今下にいたのに、あっという間に真上にいる。

 彼の地中での移動能力は驚くべきものであった。これが適性というものである。


「なっ…!!」


 その気配に気付いた時には、時すでに遅し。

 技を放った直後なので、完全に無防備な状態を晒してしまっていた。


「グゲゲッ!」


 ムジナシが、笑った。

 勝利を確信したかのように、顔のない顔で笑みを浮かべたのだ。


 なぜ、いつも悪が勝つのだろうか。

 なぜ、いつも悪いやつが力を持つのだろうか。

 アンシュラオンという存在は、どうしてここまで邪魔をするのか。



「ちくしょううううううう!」



 ビッグには叫ぶことしかできなかった。

 その間にも、ムジナシの爪は迫る。


 そして、ついにビッグの頭部を抉ろうとした瞬間である。



 ボンッ しゅるるるるっ がしっ



 突如、土壁を破壊して出現した『細長い何か』が、ビッグの身体を掴んで―――引っ張る。


 ぐいいいいいいいいいっ! ぼごんっ


「ぐえっ!!」


 首を絞められたニワトリのような声を発し―――


 ぼごんっ ごりごりごりごりごりごりっ!!


「いてててててっ!!」


 物凄い力で引っ張られ、一気に浮上していく。

 ムジナシが作った通路ではない場所を強引に引き上げているので、それはもう痛いのなんの。

 ビッグ自身が削岩機になり、土木工事をしているようなものだ。



 ごりごりごりごりごりごりっ!!

 ごりごりごりごりごりごりっ!!

 ごりごりごりごりごりごりっ!!



 ボゴーーーーーンッ


 そしてついに、地上にまで引っ張り出される。

 そこでようやく解放。

 ぽいっ ごん


「うげぇえ…」


 頭から地面に落ちた姿は、なさけないの一言だ。



 そんなビッグに対して、侮蔑の視線を向ける者がいた。



「馬鹿が。何をやっている。手間をかけさせるな!」



 しゅるるる

 JBが、ビッグを助けた黒紐を収納する。


 そう、ソイドビッグを助けたのは、JB・ゴーンだった。


 彼の黒紐が地中に伸びてビッグを掴まえ、地上にまで引っ張ってきたのだ。

 かなり深い場所まで引きずり込まれたはずだが、彼の紐は『思想で出来ている』ので、力を出した分だけ伸びるのかもしれない。

 便利な紐だ。一家に一本は欲しいところである。


「あ、あえ? な、何がどうなったんだ…?」

「実力もないくせに突っ込むな。死にたいのか?」

「あ、あんたが助けてくれたのか?」

「…助けた? くっ、不快だな。どうして助けてしまうのか、私にも理解はできん。やはりエバーマインドがそうさせるのか…」

「な、なにはともあれ助かったぜ!! ありがとうな!!」

「油断するな! 上もお前にとっては地獄だぞ」

「…え?」


 ビッグがJBの視線を追うと、そこには真っ黒な戦気を発したマサゴロウが構えていた。

 そこから―――戦気掌

 手から放射された黒い戦気が、ビッグの視界を覆った。


「よけろ!!」

「…あ?」

「くっ!! 反応が遅い!! この愚図が!」


 しゅるるるっ

 再びJBが黒紐を出し、ビッグを抱えると空中に放り投げた。


「うわおおおおおっ!」


 同時にJBも跳躍。

 次の瞬間、彼らがいた場所を戦気の波動が通り過ぎる。


 バシュウウウウンッ


 黒い戦気は空間そのものを焼き焦がし、地面が黒く染まる。




549話 「とんちんかんタッグマッチ  その3『魔人の道具の力』」


 マサゴロウの戦気掌が通り過ぎる。

 彼はこの技で、ソイドファミリーの構成員を三人ほど殺しているので、もともと威力はそれなりに強い。

 だが、普段は相手の攻撃に対してまったく動じないJBが、慌てて回避したことには意味があった。


 ブジュウウウウッ


 戦気掌が触れた場所は、完全に黒く変色しており、存在そのものが消え去っていた。

 今までのマサゴロウの攻撃とは、明らかに質が違う。


「ぬんっ!」


 JBが黒紐を使って、空中で姿勢制御。

 マキとの戦いでもやったように、紐の反動を利用してマサゴロウに向かっていく。

 彼の紐は攻撃だけに使われるわけではない。自在に操ることで、空中でも高い運動性を実現できるのが強みだ。

 その速度と角度にはマサゴロウも対応できず、急接近を許す。


 そこにJBの回し蹴り。


 ぶーーーんっ バギャッ!


 ゴギンッ


 強烈な蹴りによって、マサゴロウの首がへし折れる。

 彼の強靭な肉体を考えれば、この蹴りがどれだけの威力があるかがわかるだろう。

 JBは本気でマサゴロウを殺すつもりで蹴っていた。

 もしマサゴロウが従来のままだったならば、そのまま大ダメージを負っていたはずだ。


 が―――


 がしっ


 マサゴロウは首が折れたままJBの足を掴むと、地面に叩きつける!!


「ふん、甘いな」


 だが、JBもそのままやられるはずがない。

 背中から紐を生み出し、クッションとして利用して衝撃を吸収する。


 ぎゅるるるっ ばちんっ


 そして身体を急速回転させて、マサゴロウの手から脱出。

 そのままの勢いで回転蹴りを放つ。


 どごんっ メキィイッ


 折れた首にさらにもう一撃加えたあと、再び跳躍して距離を取る。

 これによってマサゴロウの首は、完全に九十度以上曲がってしまった。



「や、やった…のか?」


 ビッグも戸惑うような凄まじい攻防であった。

 本気になったJBの強さを改めて思い知る。

 だが、着地したJBは、まったく警戒を緩めなかった。


「油断するなと言ったぞ。こんなものでは死なん」

「だ、だってよ、首が折れてんだぞ!? 普通死ぬぞ!?」

「それで死ぬ程度の相手ならば、最初から手間取ってはいない。よく見ていろ」


 ぐぐぐ ガギンッ

 マサゴロウが、自らの手を使って首を元の位置に戻す。

 じゅうううう

 それと同時に傷の修復が行われていき、骨がくっついていく。

 実はこれ、アンシュラオンが仕込んだ命気が発動しているのである。

 彼に従う戦罪者が死を受け入れた際、とことん周囲を破壊し尽くす殺戮マシーンになるための『燃料』を与えているのだ。


 発動条件は今述べたように、【死を受け入れる】こと。


 覚悟ではない。

 完全に受け入れ、死ぬことが決まっている者にだけ力を貸す条件にしてある。

 アンシュラオンの遠隔操作能力は極めて優秀で、最高五百個程度までなら同時発動が可能である。

 サナにも常時付けているくらいだ。他の戦罪者に付けることも難しいことではない。

 ただし現状を見る限り、アンシュラオンが思っていたより怖ろしいことが起きているようだ。


「なんだよ…あいつ!! ば、化け物か!?」

「その通りだ。あれはもう人ではない。お前にも見えるであろう。やつの背後にある【思想】がな。あれが力を与えているのだ。油断すると、お前もこうなるぞ」

「っ…! あ、あんた! 腕が…! いったいどうしたんだ!?」

「様子見で攻撃を受けたのがまずかった。これは…やつに【喰われた】のだ」



 そこで気付く。


 JBの左腕が―――無いことに。


 肘から先が存在せず、傷口も炭化したように真っ黒に変色している。

 黒い外套を羽織っていたので気付かなかったが、やはり腕がない。


「な、治るんだろう? だってよ、あんたはすごい回復力があるって聞いたぜ。そういや門のところでも、治っていたって聞いたしよ」


 ビッグが駆けつけた時にはJBは裸の状態だったため、足一本から再生したことは知らない。

 その後、マキとの戦いを見ていた見物客から詳細を聞いたが、「ははは、冗談だろう?」くらいで流していた。

 とりあえずアンシュラオンの命気を知っているので、「ちょっとした欠損くらいなら治せる」という認識でいるらしい。

 たしかにJBならば、思想の力を使って全身の再生すら可能だ。

 だからこそ最初は、たかが腕一本と思っていたのだが―――


「腕は戻らん」

「…え? 戻らないって…どういうこと?」

「同じことを言わせるな。戻せるものならば、すでにやっている。やつの思想が強すぎるのだ。あの禍々しい波動は、ネイジアの思想とは対極にある『破壊の思想』だ。一時的とはいえ私の再生能力すら封じてしまうらしい。お前の言った通り【化け物】だ」


 マサゴロウは、黒いオーラを放っていた。

 人殺しを日常的に行っている戦罪者が放つ戦気は、基本的に薄暗く、くすんでいることが多い。

 マサゴロウの戦気も、煤けた色合いをしていたものである。

 だが今の戦気は、完全なる黒に近い色合いだった。



 これは―――【魔人の思想】によるもの。



 覚えているだろうか。

 ミャンメイが地下遺跡の巨大な空間で見た映像を。

 そこには『黒い人』が機械人形相手に戦っており、圧倒的な力を放っていた。

 彼らは、人を罰するために生み出された【兵器】だ。

 魔人思想に囚われ、魔人の道具となった者たちは、存在そのものが造りかえられる。

 もっと身近な例でいえば、『黒雷狼』もそうだ。

 アンシュラオンの魔人の力を具現化すると、これほどまでに怖ろしい力が解放されるのだ。

 もっと怖ろしいのは、これが「単なるこぼれ落ちた力」であることだ。本体の力は、これの比ではない。


 どんなに封じようとしても、人が人である限り、魔人という存在からは逃れることはできない。


 むしろ、あらがうことが罪。


 彼らの目的は、ただただ相手を滅することだけだ。



「ウウウウッ、オオオオオオッ!!」



 マサゴロウが咆える。

 そのたびに身体中が黒に染まり、激しい破壊衝動が吐き出される。

 瞳は白目の部分まで真っ黒に染まり、もはや人間とは思えない顔色になっている。

 死を受け入れた段階で、彼には正常な人間としての意識は残っていない。



 事実マサゴロウは―――もう死んでいる。



 その意思を、最後の力を魔人に利用されているにすぎない。


 どっどっ ドドドドドドドッ


 マサゴロウが駆けてくる。

 目の前にいる生物すべてを破壊するために走ってくる。


「うっ、うおおおお! あわわわっ!」

「よけろと言っただろう!!」


 どがっ!

 圧力に負けて回避運動が取れなかったビッグを、JBが蹴り飛ばす。

 ブオオオンッ ボシュンッ

 直後、その場所にマサゴロウが突進してきて、大きな手を叩き付けていた。

 大地は黒い力によって抉られ、完全に消滅する。


「なんだよ…さっきとまるで違うぞ!! こんなやつ、どうすりゃいいんだ!」

「それもすでに言ったはずだ。死ぬまで殺しきるだけよ!」


 JBがマサゴロウに向かっていく。


「ふーーー、フーーーー!」


 マサゴロウは、手に黒い力を溜めて待ち受ける。

 おそらく再び戦気掌を放つつもりなのだろう。

 威力はすでに知っての通り。全身に直撃すれば、JBであってもどうなるかわからない。

 しかしながら、JBはまだ余裕を崩していない。


「馬鹿の一つ覚えだな。理性がない人間など、ただの生きる屍にすぎん。人は自ら思想を生み出すからこそ尊いのだ」


 しゅるるるっ がしっ

 JBがマサゴロウの足に黒紐を巻きつける。

 そんなものはどうでもいいと言わんばかりに、マサゴロウが戦気掌を放とうとするが―――

 ぐいっ がくん

 放射の直前に足を引っ張ることでバランスを崩させ、戦気掌の角度が上にずれた。

 そこに身体を沈めたJBが迷わず突っ込み、下段蹴り。


 ブーーンッ バキィンッ


 関節を狙った一撃が、膝小僧を破壊する。

 自分より大きな相手に対して足元を狙うのは、戦いの基本である。

 JBでもそれを徹底するのだから、アンシュラオンが教えていることは正しいようだ。


「ウオオオオオオ!!」


 それでも強引にマサゴロウは攻撃を仕掛けてくる。

 その大きな手でJBを潰そうと迫る。


「やはりな。お前は破壊しか考えていない。だからこそ隙が生まれる」


 JBは、マサゴロウに巻きつけた紐を使って姿勢制御。手を掻い潜る。

 そこから片腕で自身を支えると、真上に蹴り。


 ドゴンッ バリバリバリッ


 蹴りは顎にヒット。

 顎が砕け、首の骨にも再び亀裂が入る。


「まだまだまだまだ!!」


 ズルルルルルッ

 JBの身体から黒紐が生まれると、マサゴロウの首と四肢に絡みつく。


「ウガアアアアアア!!」


 ブチンッ!!

 マサゴロウも最初とは違う。力づくで紐を引きちぎる。

 しかし、JBの紐は何度でも生まれては身体に巻きついていく。

 その間に立ち上がったJBは、自分の間合いを生み出して、構える。


「はぁああああ! ぬんっ!!」


 どどどっ バーーーーンッ


 JBが放ったのは六震圧硝《ろくしんあっしょう》ではなく、三震孟圧《さんしんもうあつ》のほうだった。

 その理由は、片手がないので半分の手数になっていることと、六発も打ち込む暇がないからだ。

 三発入れた直後には、マサゴロウから反撃が飛んでくる。

 ぐいっ ぐんっ

 JBはそれを紐を使って見事に回避し、そのまま攻撃に移る。


 どどどっ バーーーーンッ

 殴る。

 ぐいっ ぐんっ

 回避する。


 どどどっ バーーーーンッ

 殴る。

 ぐいっ ぐんっ

 回避する。


 どどどっ バーーーーンッ

 殴る。

 ぐいっ ぐんっ

 回避する。


 どどどっ バーーーーンッ
 ぐいっ ぐんっ

 どどどっ バーーーーンッ
 ぐいっ ぐんっ

 どどどっ バーーーーンッ
 ぐいっ ぐんっ


 どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ
 どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ
 どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ


 どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ どどどっ バーーーーンッ ぐいっ ぐんっ



 マサゴロウを滅多打ち。


 大きな身体のJBでは本来、細かい高速移動はなかなか難しい。

 直線に速く進む機動性はあるが、ちょこまか動く運動性は物足りないのだ。

 それを紐を使って完全にカバーし、高速の運動性を手に入れつつ、回避すると同時に攻撃にも転じている。

 一発でももらえば、JBもダメージを負うリスクがあると考えれば、その集中力は相当なものだろう。

 紙一重でかわしながらも重い攻撃を叩き込んでいるのだ。

 近接戦闘の技量の高さがうかがい知れる。


 が―――状況は好転しなかった。



(このままではまずいな。決め手がない)



 どどどっ バーーーーンッ


 JBが拳を叩き込んでも、マサゴロウは倒れない。

 耐久力の高い彼の能力が、『異常進化』によって何倍にもなっているのだ。

 放っておくとHPも回復していくので攻撃し続けるしかないが、これだけ打っても与えたダメージは微々たるものだ。

 ボクシングでも「殴り疲れる」という言葉があるように、攻撃に決め手がないままでいると、それだけで疲労してしまうものである。

 このままではJBのエネルギーのほうが枯渇する。


(門で戦った影響が多少出ているか。祈りにもエネルギーを使うからな)


 エバーマインドは、たしかに思想の力を具現化する。

 それだけ聞けば凄まじい能力であり、実際にすごいのだが、人間が生み出す精神エネルギーには限界がある。

 彼はすでに一度完全再生を行い、かなりの集中力を使ってしまっている。

 あれは何度も気軽にできるものではない。某ナ〇ック星人のように、再生すればそれだけ消耗するのだ。

 まったくもって不毛な原因ではあるものの、人間が常に正しい選択ができるわけでもないし、JBもこんなことが起きるとは考えていなかったので仕方がない。




550話 「とんちんかんタッグマッチ  その4『頼るべき相棒カッコワライ』」


 JBは苦戦を強いられていた。

 まず最初の要因は、彼が本来は単体の敵を相手にするタイプではないことだ。

 これだけの技量とパワーがあっても、あくまで自衛目的のために使用することを前提に設計されている。

 もしやるとすれば、これは護衛の任務に就いているクロスライルの役割だ。

 彼は単体戦闘能力に長けた武人で、一対一はもちろん、一対多数の戦いも十分にこなせる実力がある。

 武人としての完成度としては、クロスライルのほうが数段上と考えるべきだろう。

 だが、ここにクロスライルはいない。いないうえで、目の前の思想を相手にしなければいけない。


(この思想は、あまりに強大かつ危険だ。ネイジアのためにも倒す必要がある)


 ネイジア〈救済者〉とは、人々を救う者である。

 実力主義によって統合する思想ではあるものの、根本にあるのが【人を助ける】ことだ。

 混沌とした東大陸を武力によって統一することは、至って普通の考え方であるし、それ以外の方法はありえない。

 戦罪者のような荒くれ者や、各種犯罪者が跋扈している大陸なのだ。

 そんな場所で話し合いをしようとノコノコ歩いていけば、即座に餌食にされるだけだ。


 ネイジアの思想は、【正しい者が力によって統治】することで平和を生み出す思想、なのである。


 警察が弱ければ、治安維持などできない。軍隊が弱ければ、誤った思想を持った者たちに国が乗っ取られてしまう。

 すべては力によって維持される。力こそが平和への第一歩となる。


 その意味で、魔人の思想とは正反対といえる。


 目の前の黒い力は強大であっても、あくまで破壊の力だ。人間の存在を否定するために『造られた』のだから、それも仕方がない。

 されど、人は自らの手で道を進まねばならない。歩まねばならない。


「ネイジアの思想よ、我に力を与えよ!! 邪悪なる力に負けてはならぬ! 常に正しい者が勝ち続けねばならぬのだ!!」


 ゴオオオオオオ

 JBから白い思想の戦気が溢れ出る。

 清純で清浄で、人が安心して暮らせる大地を求める慈愛の力だ。


(限定的に力を解放して、一気に消し去る。扱いは難しいが、これしか方法はあるまい)


 エバーマインドには、都市を吹き飛ばすだけの力がある。

 それだけの力があれば、もっとJB単体が強くてもよさそうなものだが、大きすぎる力は扱いがひどく難しいものだ。

 普段は蛇口を小さく開いているから扱えているだけであって、大きく開いてしまえば水圧が強くて制御できず、下手をすればすべての力を解き放ってしまう。

 その先にあるのは、グラス・ギースに来るまでの彼がそうであったように、干からびたミミズの姿だ。

 その状態で敵に襲われれば勝ち目はない。JBでも死んでしまう可能性がある。

 こんな時、相棒のクロスライルがいればと思わざるをえないが、今現在の相棒といえば―――



「へぇ…すげぇな」



 それをぼけーっと見ている、あの馬鹿である。

 頭が悪いだけならばまだよいのだが、彼は極めて「にぶい」男だ。


 そうしてぼけっとしているから―――


 ぼごんっ がしっ


「…え? えっ!! うわあああああああああ!!」


 ずるるるるるっ

 完全に油断していたビッグは、足をムジナシに捉まれ、またもや地中に引っ張り込まれる。

 マサゴロウの変化に驚いていたあまり、地中に潜んでいる者の存在を忘れていたのだ。

 さっきまであんなに激怒して戦っていたのに忘れるとは、正直信じられない。

 普通の人間ならばありえないことでも、この偉大なるビッグ様ならばやってしまわれるのだ。

 さすがビッグさん、今日もキメてる!!

 と茶化したいが、一緒にいるJBは最悪だろう。


「あの馬鹿が!! どうして注意を怠る!!」


 黒紐を出して、地中に引きずり込まれたビッグを追跡。

 しゅるるっ がしっ

 途中で彼を確保しつつ引っ張るのだが、今回はムジナシも敵に援軍がいることを重々承知していた。

 彼も負けじと引っ張る。


 ぐいぐい ぐいぐいっ


「ぎいいいいやああああ! 優しく!! もっと優しくぅううううう! ちぎれちゃうからぁああ!」


 地中で豚の引っ張り合いが始まるという、訳のわからない状況が生まれる。

 まるで大岡裁きの「子争い」である。(赤子を二人の自称母親が引っ張る話)

 べつにビッグなど死んでもかまわないのだが、エバーマインドがなぜか彼を助けようとするのである。

 それもまた不快だ。


「雑魚が!! うろちょろと!」


 JBが追加の黒紐をムジナシに放つ。

 その殺気を寸前で感じ取ったムジナシは、手を離して離脱。さらに下に逃げる。

 相手が手を離したことで、ビッグさんの権利は見事JBが手中に収めることになる。


 ずりずりずりっ ぼこんっ!


「ぶはっ!!」


 そうしてビッグは、無事地上に舞い戻った。

 しかし、そうしてビッグの世話に手間がかかれば―――


「ムウウンッ!!」


 ぶちぶちっ

 黒紐の束縛を強引に破ったマサゴロウが、JBに襲いかかる。

 ブンッ

 豪腕が迫る。


「ちっ!! よけられん…!」


 ビッグに黒紐と集中力を分けてしまったJBは、よけられない。


 ドーーーンッ! ぐしゃっ


 多少回避運動をしたおかげで顔面は避けたが、マサゴロウの拳が右肩に直撃。

 肉が裂け、骨が砕ける。

 だが、黒い力はそれだけにとどまらない。


 ジュウウウウウッ バシュンッ


 存在そのものを抉り取る。

 抉り取られた部分は、戻ってはこないのだ。

 たとえてみれば、アンシュラオンが使う滅忌濠狛掌《めっきごうはくしょう》が常時発動しているようなものだろう。実に怖ろしい。


「ぬんっ!!」


 バキッ

 右肩を失ったJBはマサゴロウを蹴り、その反動で離脱。

 マサゴロウは追撃。

 ブンブンと大きな手を振り回して攻撃してくる。

 それをかわしながら、JBは黄色の紐を生み出して迎撃。


 バチバチバチッ!!


 激しい電流がマサゴロウを襲う。

 以前はこれで彼の動きを封じられたのだが、すでに状況は大きく変化していた。


「ふーーー、フーーーー!!」

「ちっ、一瞬動きが止まるだけか! 消耗を考えれば割に合わぬな」


 雷撃はかなりの集中力を使うにもかかわらず、マサゴロウに与える影響は微々たるものだった。

 もはや前と同じ手段は使えないことが確定する。


 となれば、方法は一つだ。



「ちまちまやっても意味がない。一気に吹き飛ばす!!」



 ずるるるっ

 JBから七色の色合いが混じった紐が『一本だけ』出てくる。

 これは広域破壊用の紐で、本来は全方位に向けて放射することで周囲一帯を吹き飛ばすものだ。

 それでは無駄が多すぎるのと、クロスライルたちまで巻き込むため、今回は紐を一本だけにとどめて指向性を与えて放射しようというのだ。


(狙いを定めて…少しでもずれれば意味がない)


 普段やっている全方位破壊に比べれば、一本だけならば簡単のようにも思える。

 しかし、自由気ままに力を解放するのとは違い、一点に力を集めるのは戦気術の中でも高等技術に該当するものだ。

 威力も高いので、射線がずれればどんな被害が出るのかもわからない。

 街並みが壊れるくらいならばいいが、肝心のマサゴロウに当たらねば意味がないのだ。

 相手の動きをしっかりと見定めて、ロックオン。


「消えろ…!」


 そうして爆破しようとした時である。



「おおおりゃあああああ!!」



 ザクッ! ザクッ!

 何を思ったのか、ビッグがマサゴロウに攻撃を開始していた。

 背後から鉤爪を装備して切り裂こうとしている。

 だが当然ながら、今のマサゴロウには効くはずもない。

 そもそも通常のマサゴロウにもたいして効いていないので、まったくもって無意味な行動だ。


 そして、これは―――JBにとっては最大の迷惑となる。



「貴様、何をやっている!!」

「何って…俺も戦うぜ!! あんただけにがんばらせるわけにはいかねえ!」

「やめろ!! 貴様がそこにいると制御が上手くいかん! 邪魔だ! どけ!!」

「なんだよ! 俺だって戦えるんだぜ!! 俺だって戦士だ!!」


 言っていることは格好良い。一度は言ってみたい台詞だ。

 しかしながら射線上にビッグが入ったことで、エバーマインドの力が抜ける。

 せっかく溜めた力がしぼんでいく。


「ぬううっ! どうなっているのだ!! 理解できぬ!! どうしてエバーマインドは―――っ!!」


 がしっ ズボンッ!!

 ここでJBにさらなる不運が訪れる。

 ムジナシがターゲットを変更して、今度はJBを狙ってきた。足を掴んで地面に引きずり込もうとする。

 不意をつかれたJBは、それに対応できない。一気に地中に沈む。


 ズズズズズズッ!

 ガリガリガリガリガリガリッ!!


 引きずり込まれながら、ビッグと同じように土石によって削られる。

 彼に痛みはないが、さらなる不快感に襲われる。


「貴様らああああああああ!! どこまで邪魔をする!」


 ズルルルッ ボオオオオオオオ!


 JBが赤い紐を出して、ムジナシに火炎を浴びせる。

 だが、ムジナシは咄嗟に手を離すと、横の穴に逃げ込んで炎をやり過ごした。


 ズルルルルッ バチバチバチッ!!


 今度は黄色い紐で雷撃を放射するが、地面の中では散ってしまって上手く集約できない。


(意外と面倒な! 相性が悪いか!)


 JBは、自身とムジナシとの相性の悪さを知る。

 彼は地表部を爆破するために生まれた存在だ。紐の大半も姿勢制御に使われるし、火炎や雷撃も爆破の副産物にすぎない。

 一方のムジナシは、常に地中に身を隠している。

 炎は土の通路によって防がれるし、土も電流を通すのだが、拡散してしまって致命傷を与えるまでには至らない。

 黒い紐で追っても、地中ではムジナシのほうが機動力が高い。


 ずずず


 そして、そうこうしている間に―――


 ズバッ ズバッ!


 地中を移動してきたムジナシが攻撃を仕掛けてくる。

 外套を破り、内部にまで攻撃は届いた。


「モグラが!! 死ねっ!!」


 ぼごんっ

 JBも反撃を行うものの、ムジナシは土を操作して上手くかわす。


 ズバッ ズバッ!

 ズバッ ズバッ!

 ズバッ ズバッ!


 身動きが取れないJBは、爪攻撃によってダメージを負っていく。

 幸いながらムジナシには黒い力は宿っていないので、決定的なダメージを負うことはないが、煩わしいことには変わりない。

 彼も無敵ではない。こうして続けて攻撃を受けると損傷するし、再生すればするだけ力を失っていく。


「ぐぬうううう!! とりあえず吹き飛べ!!!」


 強い不快感に苛まれたJBが、業を煮やして爆破を開始。

 ぶくぶくぶくっ

 紐に爆破のエネルギーが溜まり、爆発寸前になる。

 こうなったら地中もろとも爆破するしかない、という結論に達したのだ。

 かなり強引ではあるが、今現在取れる打開策としては一番有効だろう。


 しかしながらこの戦いは、【二対二】で行われていることを忘れてはならない。



「うおおおおおおお!」



 なぜかビッグが、上から落ちてきた。


「貴様!! なんで来た!!」

「助けられたんだ! 今度は俺が助けるぜ!!」

「この馬鹿があああああああ! よりにもよってこのタイミングか!!」


 ビッグの考え方は、とても簡単だ。

 してもらったことは返す。恩を受けたら自分も同じようにしてあげる。

 人間として立派である。なかなか見所があるものだ。



 だがしかし―――爆破



 ぶくっ びゅーーー



 膨れた紐から爆破液が放射され―――



 ドドドドドドッーーーーーーーーーーーーンッ!



 地中で爆発が発生。

 それによって大量の土砂が巻き上げられ、二人は一緒に急上昇。


 どばーーーーーーんっ


 見事地上まで一気に押し上げられる。



「どわわわあああああっ!」



 ひゅーーーーんっ ごんっ


 またもや着地に失敗したビッグが、地面に叩きつけられる。

 続いてJBも着地。


「なんだよ! いきなり何するんだ!!」

「うるさい! どうしてじっとしていられない!! 邪魔だと言っただろう!! おかげで台無しだ!!」


 ぶすぶすっ じゅうう

 JBは、自身の爆発によってダメージを負っていた。

 ビッグがやってきたことで放射のタイミングがずれ、さらには位置も自分にかなり近い距離で爆発してしまった。

 もしJB単独だったならば、ムジナシの場所を突き止めて、その周辺で爆発させることで彼を仕留めた可能性もある。

 それもビッグのせいで台無し。怒るのも無理はない。

 だが、そんな手筈だったことをまったく知らないビッグは、悪びれるどころか、平然とこう言ってのける。


「そんなに邪険にするなよ! 俺らは【仲間】だろう?」

「ぐぬうううう!! 力無き者が仲間面するな!! わが同胞は、同じ思想を持つ者だけだ!! ネイジアの思想を共有できぬ者は、生きる価値もない!」

「おいおい、そんなつまらねぇこと言うなよ。考え方は違ってもよ、こうして力を合わせてがんばって、一緒に戦えているじゃねえか。それってよ…へへ、なんかいいよな」


 へへ、いいよな。


 じゃなーーーーーいっ!!



「この馬鹿が…!!! もう我慢の限界だ!!」



 ブチブチブチッ

 JBに生まれた青筋が切れそうに…いや、切れた音が聴こえる。


「いいか、二度と私に近寄るな!! 貴様の面倒を見ているほど暇ではない! わかったな!!」

「わ、わかったよ! だが、俺だって戦うぜ!!」

「好きにしろ!! お前など、さっさと死んでしまえ!」

「人様に死ねってなんだよ!!」(注:ビッグもムジナシに言ってた)

「うるさい! 話しかけるな!!」

「ったくよ、どうしてそんなに狭苦しいんだよ、あんたは。もっとおおらかによ―――」


 と、振り向いたところには、またもやマサゴロウの姿。


「あっ、ど、どうも」


 思わずお辞儀。

 ついつい「どうも」と言ってしまうあたり、さすがビッグさん。間が抜けている。


「ドオォォオオオモッ!!」


 マサゴロウもお返しの「どうも」を繰り出す。

 同時に張り手も繰り出す。


 ぶんっ!!


 無防備なところにこんな一撃をくらえば、ビッグなど簡単に死亡だろう。

 こんな邪魔なやつは、さっさと死んだほうがいい。そのほうが楽だ。


 そう思っていたにもかかわらず―――


 どんっ!!


 JBがビッグを突き飛ばす。



「どうして!! どうしてこうなるのだ!!」



 そして代わりに―――


 ぐしゃっっ!!


 JBが攻撃を受ける。

 盾代わりにした右腕ごと、胴体の何割かを持っていかれた。

 黒い力が発動しているので、その部分の再生は行われない。

 JBには痛みがないので、そんな傷はどうでもよかった。

 それ以上に精神的な渦に呑まれている。


(理解できぬ。まったくもって理解に苦しむ。何が起きているのだ。これは現実なのか? それとも夢か? 私はいったいどうすればいいのだ…)


 なぜ、ビッグを庇ってしまうのかわからない。

 彼のことは好きどころか、かなり嫌いだ。

 こんな頭の悪い豚を好きになる人間など、そうそういないだろう。

 今まで自分の好きなもの(ネイジアの思想)だけに固執していた彼にとっては、到底理解はできない状況に陥っていた。


 唯一わかっていることは、


 このままでは―――負ける


 ということだけ。


 JBだけならば勝てる勝負でも、お荷物の相棒カッコワライが一緒では、勝てるものも勝てないのは道理だ。

 片方がプロでも、もう片方が素人ならば、どんな競技でも勝つことは極めて難しいのと同じである。

 なぜならば相手は弱いほうを常に狙ってくるので、それを庇っているだけでは勝ち目はないからだ。




551話 「とんちんかんタッグマッチ  その5『みんなの思想』」


「ウガアアアッ!」


 ドゴンッ!

 マサゴロウの拳が、傷を負ったJBに炸裂。


「ぬぐうっ…がはっ」


 痛みはないものの、それ以上の強烈な不快感が腹を襲う。

 同時に相手の黒い思想が自分の中に入り込み、全身がバラバラになりそうな衝撃を受ける。

 このことから黒い力には『人間特効』が付与されていると考えるべきだ。

 すべてを破壊する力とは、これほどまでに怖ろしいものなのだろうか。

 JBのネイジアへの思想も相当排他的だが、魔人の思想はあらゆるものを認めない。ただ破壊するだけだ。


 ドゴンッ! ドゴンッ!! ぐしゃっ!!


 殴られるたびに、自分から力が抜けていく。

 ネイジアの思想、理念、考える力が衰えていく。


(負ける…? ありえない! ネイジアの思想が負けるなどと!! いくらこの馬鹿に足を引っ張られているといっても、ネイジアなのだ!! 救済者の思想が負けるはずがない!!)


 アンシュラオンも初めて地上の人間と接触した際、人種よりも思想が重要だと知った。

 能力や遺伝因子という意味での人種は重要視されても、単純に肌の色がどうたらで物事が差別されることはあまりない。

 それよりは思想だ。考え方が大切だ。

 日本に住んでおり、日本のためにがんばるのならば、出自がどうあれ関係ないのと一緒である。

 大事なことは、同じ目的と理念を共有できるかどうかだ。


 JBにとっても、思想とは神に等しいものだ。


 ただの凡夫であった自分を救ってくれたネイジアの思想。

 東大陸の荒れ果てた大地を、再び人が住める大地にするための思想。

 混沌としたものを秩序あるものに統制し、安定して人々が暮らせるようにする思想。

 そのためのメイジャ〈救徒〉。

 ネイジアの手足となって、邪悪なる者と戦うからこそ、自分は崇高な存在になれるのだ。


(それが、それが…なぜだ!! エバーマインド! なぜあなたは、ネイジアに力を貸さない!? このまま負けてもいいというのか!?)


 何かが変だ。何かが変わってきている。

 今まではエバーマインドに疑念を感じたことはなかったし、性能には十分に満足してきた。

 それがこの都市に来てから、明らかにおかしくなった。

 その理由がわからず、JBは戦意を喪失する。

 防御することも忘れて、マサゴロウの攻撃を受け続ける。


 どがっ!! ぼしゅんっ!!


 殴られて、抉られる。

 少しずつJBの身体が失われていく。

 これが滅び。魔人の思想の力。邪魔なものを排除する非情で無情な力だ。


(こんなくだらない思想に敗れる…のか。私は…)


 JBの精神状態は、極めて不安定だった。

 狂信者というものは、それを信じている間は恐るべき集中力を発揮するが、自分が信じてきたものに揺らぎが生じたら、案外弱いものである。

 それだけ一点に集中しているからこそ、不意に訪れた緊急事態に呆然としてしまう。

 彼は今、自分自身を見失っていた。


 だが、何度も言うが、彼は独りで戦っているわけではない。



 この場には、もう一人の『相棒カッコワライ』がいる。



「うおおおおおおおお!!」


 ぴょんっ どこっ

 ビッグが跳躍し、マサゴロウに膝蹴りをくらわせる。

 その効果音からもわかるように、まったくもって効いていない。まさにカエルがジャンプして当たった程度のものだろう。

 しかしながら、ビッグはけっして戦いをやめない。


「おらおらおらっ!!」


 ザシュッ ザシュッ!!

 鉤爪でマサゴロウの身体を切り裂く。

 その傷も微々たるもので、鉄にコインをこすり付けているくらいの摩擦しか発生させていない。

 なんとも無意味。無駄。無価値。

 だが、やめない。


「んなろおおおおおお!! こうなったら必殺技だぁあああ!」


 ボオオオオッ

 ビッグが炎気を拳に集め、放つ。


 ドーーーン プスプスプスッ


 が、不発。


「あ、あれ? なんか上手く出なかったぞ? どうなってんだ!?」


 どうやら当人は炎竜拳を放とうとしたらしいが、炎気の扱いが未熟で上手く技を出せなかったらしい。

 改めて指摘させてもらえば、ビッグに必殺技と認識されている炎竜拳が哀れである。

 炎竜拳に罪はない。けっして技を蔑まないでほしい。

 扱う者がダメだと技にまでレッテルが貼られてしまう良い事例だろう。


「なにを…している?」


 その光景にJBは愕然とする。

 どうしてそこまで戦うのか理解できないからだ。


「何度も言わせるなよ! 俺は戦いをやめない!!」

「お前にそれを言う資格があるのか…! 貴様のせいだろうが…! 邪魔をするからこうなった!」

「ああ、そんなことはわかってる! わかってるんだよ!!」


 まったくもって、JBのおっしゃる通り。

 この事態を招いたのはソイドビッグのせいだ。彼がいなければ、JBはマサゴロウたちを倒していただろう。

 だが、それを知りながらも彼は戦いをやめない。


「俺はいつだって他人に迷惑をかけてきた!! 生きていること自体が悪いんだって思うことだってあったさ! いつだって自信がなかった!! 今だって、あんたの邪魔ばかりしている!!」

「それがわかっていて…なぜ!! なぜ貴様は…!!」

「もし俺が独りだったなら、とっくに諦めちまっていたさ! だがよ、俺は独りじゃねえ!! 独りじゃねえんだよ!! ラングラスの旗がある!! ファミリーがある!! それだけじゃない!! みんな一緒に戦ってるんだよ!!」

「みんな……だと?」

「そうだ。あの旗だ」


 ラングラスの御旗を見る。


 不死鳥は―――いまだ健在。


 その雄大な翼を広げ、多くの人々を保護している。


「ソブカはでっけぇなぁ。あんなに多くの人を身内に入れてもよ、全然動じてもいねぇ。いや、もしかしたら、あいつも悩んでいることがあるのかもしれねえな。同じ人間だからよ。そんなことだってあるだろうさ。…そうだ。みんな同じ人間だ。俺はよ、あそこに人がいる限り、助けを求める連中がいる限り、絶対に諦めたらいけないんだよ。俺を見ている人がいるならよ、逃げ出すわけにはいかねえんだ!!」


 ふと、視線を感じる。

 ラングラスの鳳旗《ほうき》に集まった人々が、ビッグを見ているのだ。


 旗を持ったソブカが―――見ているから。


 旗印となったソブカは、ビッグの戦いを見ている。

 その視線を感じた人々も、導かれるようにビッグを見ていた。


 なぜ、人が集まることに意味があるのだろう。

 世の中には『烏合の衆』やら『有象無象の輩』等々、群衆を卑下する言葉などいくらでもある。

 その一方で、人々や民草という存在は一番大事とされてきた。民主主義の主権は国民にあるというように、烏合の衆も大切にされている。

 もちろん人間それぞれに価値があり、各々の人権を保護するという目的があるのは当然だ。

 しかしながら、それ以外にも人々という存在には重要な役割がある。

 特に『思想』という側面においては、数の力は偉大であった。



「心に火を灯せ!! 火は魂の源!! 意思の力なり!! 魂の火を翼にして羽ばたけ! 我らはけっして負けない! 火はけっして消えることなかれ!!」



 ドンッ!!


 ソブカが鳳旗を地面に押し付け、叫ぶ。

 【英雄】の力ある言葉が、その場にいた一人ひとりに伝播していく。感染していく。

 その声を聴くと、心に勇気が宿ってくる。恐怖が消えていく。

 ソブカの火が翼となって、人々を『ヒナ』のように守るからこそ、彼らは生き延びることができたのだ。

 そしてヒナも、いつまでもヒナのままいるわけではない。


 シュボッ ジュボボボッ


 人々の中に、何か熱いものが込み上げてきた。

 言葉にはできない、とてもとても熱いものだ。


 ふらふら


「はぁはぁ…熱い……どうなったの…? わたし…病気…なの?」


 一人の小さな少女が、ソブカの近くにやってきた。

 理由がわからず困惑した顔で、胸を押さえて苦しそうにしている。

 ソブカに近づいたことで、ファレアスティが少女をどかそうとするが、その前にソブカが少女を抱き上げた。


「あっ…」

「君の心に何が宿っているのか、私に聞かせてくれないか?」

「あっ、えと…わ、わたし……」

「怖がらなくていい。素直な気持ちを聞かせてほしいのだ」

「………」


 少女は、しばしソブカの顔をじっと見ていた。

 その顔は、少し赤らんでいた。

 まだ十歳にも満たないくらいなので、大人の男性、それもイケメンの若い男に抱かれたら、そうなっても仕方ないだろう。

 だが、彼女の頬が赤いのは、それだけが原因ではない。


「ここが…熱くて…怖い。びょうき…かな?」

「いいや、違うよ。それは君の心が燃えているんだ」

「心が…燃えるの?」

「そうだ。人は本当に感動すると心に炎を宿す。武人でなくても同じことだ。ほら、見てみなさい。あれを見て、君は何を思う?」


 ソブカが指差す方向では、ビッグが戦っていた。

 マサゴロウ相手に鉤爪を振るう姿は、子犬が巨大熊に挑むような絶望的な光景でしかない。

 子供から見ても、まったく勝ち目がない戦いに映った。


「かっこわる……がんばってる」


 最初に格好悪いと言いそうになった少女は、実に正直だ。

 なんとも無様だ。なさけない。愚かだ。

 それは誰もが認めるところだろう。ソブカも、それが事実だと頷く。


「たしかに彼は無様だ。私も子供の頃から知っているが、人を導くような器ではないことは周知の事実だ。だがね、どことなく応援したいと思わないかね?」

「う、うん。なんか…むずかゆい。くすぐったい。もっとこう動けばいいのにって…なんか思う」

「ならば、応援してあげてくれないか?」

「応援…?」

「そうだよ。声には力が宿っているのだ。君も誰かを応援するなら、声を出すだろう? 祈ってもいいが、やはり声に出すことは力になる」

「声を出して応援したら…勝つ? 絶対?」

「さて、どうだろう。それはわからない。応援だけで勝てるのならば、誰もが苦労しないだろうからね。ただ、一つだけ確実なことは、彼は…私の『友』は、君たちのために戦っているのだ」

「お兄ちゃんの…友達?」

「ああ、彼はラングラスの火を体現できる男だ。だが、独りでは勝てない。ラングラスの火は、みんなで作るものだからだ。この不死鳥とて、翼の羽一本一本は、君たちの心で生まれている。だから強いのだ。わかるかな?」

「…うん。みんなでやったほうが、大きなことができるって…こと?」

「その通りだ。私や彼は、その媒体でしかないのだ。さあ、彼を見てほしい。独りで背負っている彼を見て、君はどうしたい?」

「………」


 少女が、じっとビッグを見る。

 ちまちました攻撃が気に障ったのか、マサゴロウがビッグに対して攻撃を仕掛けるようになっていた。

 ビッグは、到底格好良いとは言えない無様な姿で必死によける。

 よけるが、逃げない。

 諦めることもないし、どんなに傷ついても立ち向かう。



 なぜならば―――【旗】があるから。



 そこに集まった―――【人々】がいるからだ。



 少女は試しに少しだけ声を出してみる。


「…ばれ……んばれ」

「彼はあまり頭が良くないんだ。もっと大きな声を出してくれると嬉しい」

「う、うん」


 頭が良くないことと聴力に関係性はないと思われるが、正直者の少女は頷く。

 最初は恥ずかしがってしまったが、彼女の心の中の火は、どんどん膨れ上がっていた。


 うずうず、する。

 むずむず、する。


 火が溜まって、うねって、絡み合って、少しずつ大きくなっていく。

 何か欲しいものがある時の感情に近いといえば、わかりやすいだろうか。

 どうしても気になって、ショッピングサイトを何度も何度も見てしまう感覚に似ている。

 その欲求がどんどん重なることで、いずれ抑えきれない激情となって行動に移ってしまう。

 それと同じように、少女の中にも何か言いようの知れない炎が宿っていた。


「はぁ…はぁ……あつい……でも、あのおじちゃんは、もっとつらいんだ。がんばっているんだ」


※おじちゃん=ソイドビッグ


「ばれっ……がんばれ……がんばれっ!」


 恥ずかしい感情よりも、もっともっと強い何かが押し寄せてくる。

 波となって、渦となって、激流となって、少女の感情を押し上げる。



 そして―――放つ




「おじちゃん!! がんばってーーーーー!!」




 少女は、精一杯に叫ぶ。

 所詮は少女の声量。離れた場所で戦っているビッグに届くわけがない。


 だがしかし、ここは心が支配する【領域】。


「その想い、私が届けよう」


 ブワーーーッ バッサバッサッ


 ソブカの不死鳥が大きく羽ばたき、それによって生まれた火の鱗粉が風に乗って運ばれていく。

 そして舞い落ち、彼の肩に触れる。

 ほんの小さな、ちょっとした粉粒一つ。

 だが、そこには少女の応援の心が宿っていた。

 たった一人、たった一つの気持ちでしかないものだが、確実に存在している思念だ。


 びくんっ


 声が聴こえていないであろうソイドビッグが、少しだけ反応した。

 この距離では聴き取れない。何を言っているのかわからない。


 それでも―――



「ああ、ありがとうよ。これでまたがんばれる」



 彼の唇は、そう動いたように見えた。


「ウオオオオ! シ…ネ!!」


 今度こそ仕留めようと、マサゴロウがビッグに襲いかかる。

 普通ならば、どうやっても魔人の道具となったマサゴロウには勝てない。


 がしっ!!


 大きな手が―――ビッグを掴む。


 最初にも掴まれて、腕を折られそうになった。

 今は黒い力が発動しているので、触れられただけでも腕が消滅しかねない。

 ぐぐぐぐ じゅううううっ

 腕が黒に染まる。

 染まる。染まる。染まる。


 染まるが―――侵食は起こらない


 ボオオオオッ

 よくよく見ると、ビッグの肌に展開された炎気が、黒の力を必死に防いでいた。

 黒に染まった場所を自身で焼きながらも、同時に再生もさせている。

 まるで不死鳥のように、何度でも蘇る。


「俺は絶対に負けねぇ! 負けねぇ! 負けねぇ! 負けねぇ!!!」


 念仏のように繰り返す。思い込ませる。

 馬鹿は馬鹿ゆえに、自分自身にそう思い込ませれば、あっという間に【勘違い】が起こる。

 だが、勘違いが続けば、それは一つの感情となり想いとなり、思想となる。




「俺は―――負けねぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」




 ボオオオオオオオオッ!!


 ビッグの炎気が燃え上がり、マサゴロウを真っ赤に包み込む。


「ぬぐううっ!!? ウウウウウウッ!」


 赤い力に触れたマサゴロウが、困惑したように思わず手を離してしまった。

 一度掴んだら自分の意思では絶対に離さない彼にしては、あまりにも珍しいことだった。




「わかるか? こんな小さな一粒にもな、大切な想いが宿ってんだよ!! こんな俺を応援してくれる気持ちがこもってんだよ!! それが、それが―――」




 ぐっ ぼおおおおおっ


 構えた拳に、真っ赤な感情が宿り―――





「お前に―――わかるかよおおおおおおおおおおお!!」





 マサゴロウに―――叩きつける!!



 ドゴオオオオオオオーーーーンッ!!



 型も何もない。ただただ思うがままに殴っただけだ。

 しかしながら、その一撃は―――


「グボオオオッ!!」


 マサゴロウの腹に突き刺さり、激震となって衝撃を与えた。

 ふらふら

 マサゴロウが、よろめく。




552話 「とんちんかんタッグマッチ  その6『エバーマインドの意思』」


 ビッグの拳が、マサゴロウに突き刺さる。

 今まで何度殴っても変化がなかったが、なぜか今回はぐらつく。

 それは、たった一人の少女の応援があったから。

 あんな恥ずかしそうな小さな声援でも、この場ではこれだけの力を持つのだ。

 だが、それだけでは勝てない。


「もっとだ!! もっと力をくれ!!! 俺だけじゃ勝てない!! 応援をくれよ!!」


 ビッグが腕を突き上げる!!

 ボクシングの試合で観客に対してアピールするように、ぐっと天に向ける。

 多くの人々は、それが何を意味するのかわからなかったが、代弁者としてソブカが旗を振る。



「さあ、彼を応援しよう。ああ見えてもラングラスの本家筋だ。彼が君たちの代わりに戦ってくれているのだ。彼に戦う力を与えてやってくれ!!」



 ブンブンブンッ


 かなり大きな旗だが、彼も武人なので大きく振り回すことができる。


 それはまるで―――応援旗


 プロ野球でもよく見られる応援団が振る大旗を彷彿とさせる。

 もしくは学ランを着た高校野球を思い出すかもしれない。

 旗とは象徴だ。人々の意思を一つにする目印なのだ。


「応援って…どうすりゃいいんだ? 声を出すのか?」

「なんかパッとしないな。大の大人が叫ぶってのも…」

「だらしないね、あんたら! それでも男かい!! 尻の穴を締めるんだよ!」


 バンッ


「うひっ!」


 ベ・ヴェルが男の尻を叩く。


「乙女じゃないんだ。とりあえず大声を出せばいいのさ!! ウオオオオオオオオオオ!!」

「うわっ!! びっくりした!」

「な、簡単だろう? 私が生まれた集落じゃ、こうやって狩りの成功を祈るのさ。あんたらもやってみな!」

「た、たしかに…叫ぶだけならいいかもな」

「お、おお。女だってできるんだもんな。男の俺たちが尻込みしてちゃ、さまにならねぇよ!」

「よ、よし! いくぞおおおお! うおおおおおおお!」

「オオオオオオオッ!!」


 「がんばれー」と応援するのは、思えば敷居が高いものであるが、叫ぶだけならば案外簡単だ。

 実際のところ、言葉はなんでもよいのだ。

 この世界の物的なものは、すべて魂や精神といった内面の表現媒体にすぎない。

 一番大切なことは内面。気持ち。本当の心。

 その中に『本心』が宿っていれば伝わるものである。



「がんばってーー!」

「負けるなーー、ハゲーーー!」

「気合を入れろーーー!」

「豚さん、がんばれーーーー!」



 応援の仕方も、それぞれでいい。

 中には若干誹謗も交じっている気がしないでもないが、そこは愛嬌というものだ。

 たとえばリアクション芸人のように、人々から愛される人間には声をかけやすいだろう。

 こういった暴言にも親しみと愛情が込められているからこそ、笑い話で済むのだ。


 ビッグには才能がない?


 そんなことはない。

 ほぼ初対面の人間に対して、こんな応援の仕方はできない。

 これも立派な才能である。


 人々の声が、想いが、応援が集まっていく。


 大きな力となった声援は不死鳥の炎によって運ばれ、彼に注がれていく。


「うおおおお! キタキタキターーー!! なんかよ、背中が熱いのさ!! 誰かに支えられているような気がして、燃え上がってくるぜええええええ!」


 ボオオオオオオッ

 ビッグの炎気が燃え上がると、再び炎虎の姿を取り始めた。

 単独では虎になることはできないが、みんなの力を借りられれば話は違う。


「おらっよ!!」


 ドゴンッ

 その力を借りて、マサゴロウに拳を叩き込む。


「ヌグッ…!」


 再びマサゴロウが圧される。

 ビッグの拳には何人もの気持ちが宿っているのだ。

 だから圧せる。


「いける! いけるぞおおお! うおおおおおおおおお!!」


 拳のラッシュ。


 ドゴドゴドゴドゴッ!! ガスッ! メキョッ!


 耐久力の高いマサゴロウの身体に拳が突き刺さり、確実にダメージを与えていく。

 魔人の思想によって強化されている彼に対して、非常に効果的な攻撃となっているようだ。

 圧す、圧す、圧す!!


「うおおおおおおおおおおおおお!!」


 ドドドドドドドッ!!!

 ドドドドドドドッ!!!

 ドドドドドドドッ!!!


 ひたすら拳を叩き込む。


「ヌグウウウッ!!」


 マサゴロウは腕を伸ばすが、それを押さえ込むようにさらに叩き込む。

 独りでは絶対にできないこと。ありえないこと。

 愉快なソイドビッグでは、どうあがいても不可能なことだ。

 だが、みんなの力があれば、想いがあれば、思想があれば出来ることを証明している。




(これは…なんだ? どうなっているのだ?)


 JBは、その光景に呆然としていた。

 自分でも満足にダメージが与えられない相手に対して、ビッグの攻撃は効いている。

 実力では圧倒的に自分が勝っているのに、なぜかビッグのほうが善戦しているのだ。

 その理由は、すでにわかっている。



 『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』が力を貸している。



 これもすでに述べた通りだ。

 この一帯には、すでに『領域』という特殊な精神フィールドが形成されており、より心の力が具象化しやすい空間が生まれている。

 それを後押ししているのが、エバーマインド。

 ソブカたち単体でも『領域』を生み出すことは不可能ではないが、超一流の武人とて簡単に生み出すことはできないものである。

 特殊な力を持った『石』でもなければ、可能性としてはかなり低いものであろう。

 JB自身も、心に違和感を感じている。

 彼からエバーマインドの力の波動が流れ出て、ビッグに傾いているのだ。

 自身が力を失った一つの要因であり、ビッグが想いを力に変えている根拠となるものである。


(なぜ、こんなことが起きる? エバーマインドは何を考えているのだ?)


 ボオオオオオッ ふわり


 ビッグの炎気の上に、慈愛の表情を浮かべた女性が見えた。

 清らかなローブを身にまとい、ビッグを抱きしめるように両手を広げている清楚な若い女性だ。

 彼女からこぼれる光は、想いの輝き。

 人々の想いを受け取り、力に変換しているのだ。


 これはJBもたびたび見る『エバーマインドの残滓《ざんし》』である。


 生身のような実体ではないので、あれは幻だ。実際に触れられるものではない。

 だが、確実に存在している精神エネルギーであり、石そのものといえるだろう。


「エバーマインドよ!! 教えてくれ!! なぜその者を選ぶ!! あなたは何を基準に選んでいるのだ! 想いの強さこそが、もっとも重要ではないのか!!」


 JBは、思想の偉大さと強さこそが、エバーマインドの求めるものだと思っていた。

 事実、今までは自分以上の思想の持ち主はおらず、だからこそネイジア・ファルネシオも『この石』を託したのだと思っていた。

 それは間違っていない。

 たしかにJBの狂信性は他者と比べて強く、組織の中ではもっとも適任者であったのだろう。

 しかしながら、それ以外の選択肢がないとは限らない。


「みんなの力を貸してくれ!! もっともっと俺は大きくなりたいんだよおおおおおおおおお!」


 キラキラ ボオオオオッ

 さらなる応援を受けて、ビッグの炎気が燃え上がっていく。

 自分独りでは不可能でも、他者から借りることができれば、結果的に独りよりも大きな力を得ることができる。

 にこり

 エバーマインドは、笑う。

 慈愛の表情を浮かべて、ビッグに力を貸す。


「馬鹿な!! 惰弱だ!! それは弱い力だ!!! 軟弱ではないのか!!」


 他者に頼ることは、弱さの象徴。

 強い人間だからこそ、そう思うのは自然なことだ。

 今までそうやって生きてきた。強くなってきた。



 だが―――




―――〈愛しいわが子らよ、力を合わせなさい〉



―――〈より大きな想いを紡ぎなさい〉



―――〈すべての想いを七色にして輝かせなさい〉





「―――っ!」



 長くエバーマインドと接してきたおかげだろうか。


 その声は、JBだけが聴くことができた。


 『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』という―――



―――【賢者の石】



 の声を。


 当人から発せられた以上、それこそが事実であり真実。

 エバーマインドの真実なのだ。

 そして、がっくりとうな垂れる。


「同じ…なのか。私と…やつが……同じ…なのか」


 デキる男だからこそ仕事は早いが、凡夫百人集めて同じ速度ならば、結果的には同じことである。

 JB独りの思想がいくら強くても、それが単独のものである以上、そこから先には到達できないのだ。

 それならば凡夫を千人集めて、より強大な思想としたほうが強いのである。

 人間の霊魂が同じ要素によって構成されている以上、あとは程度の問題でしかない。

 その程度があまりにかけ離れているのならばまだしも、この程度の差ならば数を集めたほうが手っ取り早い。

 そもそもネイジアの思想は、ファルネシオたちの思想。

 JB自らが生み出したものではないし、大きく自己流に歪めてしまっているために本来の弾力性を失っていた。


 思想の【硬直化】と呼ばれる現象である。


 それぞれに思想がある以上、思想にも強弱や硬軟が存在してしかるべきだ。

 たとえば鬱屈した感情に汚染された思想、主にテロなどに使用される思想は、極めて硬く、脆い。

 思想は人が生み出す以上、【生き物】なのだ。

 水やりや世話を忘れれば乾燥し、潤いを失い、弾力性が失われていく。それでは実りを得られるわけがない。


 エバーマインドは、【七色《なないろ》】を求めた。


 多様な人々が集まり、それを一つに集約することを欲した。

 それぞれが違う存在でありながらも、一つの思想に向かっていくことを是とした。

 そこには発展性と柔軟性、張りと弾力があり、潤いがある。


 何よりも―――【愛嬌】がある。


 愛があった。それは愛なのだ。

 賢者の石が愛から生まれているように、すべては愛に帰結する。


 JBはこの瞬間、この真実に気づいた。


「認めるしか…ないのか。そうか…あなたにとってみれば、我々はすべて同じだということなのですね…【母】よ」


 ぽとっ ぽとっ

 フードの下に隠れた瞳から、涙がこぼれ落ちる。


「偉大なる母の愛が、自分独りだけに収まると思い込んでいたことこそ…傲慢なり。では、私はどうすればよいのでしょう。母よ、母なる神よ、どうか道を示したまえ。この愚かで哀れな私に、歩むべき道をお示しください!」


 JBは、祈った。

 心の底から、祈った。

 祈りとは、魂の進化を求める純粋なエネルギーである。

 やむにやまれぬ爆発的な感情であり、強力な螺旋のエネルギーを運ぶ鍵だ。



―――〈わが子たちを一つに、あなたの紐で結び付けなさい。より強靭に、より強く〉



 母は、ただただ自らの子を愛する。



 無償の愛、無限の愛が示すは―――




「これはてめぇらに殺された人たちの分だぁあああああ!」


 クリ○ンのことかああああああああああああ!

 とでも言いたげな口調で、マサゴロウに思いの丈をぶつけるビッグ。

 ドゴンッ!!

 独りで押しても駄目ならば、みんなで押せばいい。

 彼の拳に宿った他人の力が後押しになって―――マサゴロウを圧す。


「いいぜ、いいぜ! ノッてきたぁああああ! 俺ってやっぱり、イケてるんじゃね!?」


 門のところでJBと戦った時もそうだったが、この男は調子に乗る癖があるようだ。

 豚もおだてりゃ木に登る、とも言う。

 勘違いも甚だしいが、それによって実力以上の結果が出るならば言うことはない。

 ただし、人生はそう甘くない。


「オレハ…カツ!」


 がしっ!

 マサゴロウが圧力に負けじと前に出て、ビッグを掴む。


「へへ! そんなもん、もう効くかよ! 俺にはみんなの力があるんだぜ!!」

「オヤジノ…チカラヲ……アナドルナ」


 ズオオオオオオッ

 マサゴロウから、今まで以上の黒い戦気が噴き上がる。

 彼もまた必死に戦っている。命を賭して戦っている。

 これはアンシュラオンのためだけの戦いではない。彼らが彼らであるための戦いでもあるのだ。


 チカラが―――こもる。


 ぎゅううううっ!!


「そんなもん…き、効かな…効かな……うおおおおおっ!! いってええええええええ!!」

「カアチャンノ…テヲ……ツブシタ!! オレハ…!!! ミトメラレル!! セカイカラ!」

「ぐおおおおっ! は、放せ!! このおおおっ!」


 ドンドンドンッ!

 叩く、叩く、叩く。

 マサゴロウの手から逃れようと殴りつけるが、手は一向に離れない。


「必殺技をくらええええええ!」


 ドンッ!! ブシューーー

 必殺技である炎竜拳を叩き込むが、どうにも締まりが悪くて技が成立しない。

 皆の思想の力があるので威力は出るのだが、本来の技にはなっていないため決定打にはならない。


「あれぇ? なんで駄目なんだ―――って、いたたた!! 潰れる、潰れるからあああああ! ほんとに痛いって!!」


 その間にも、マサゴロウの手はビッグの肩を引きちぎろうとする。

 身体割りのマサゴロウの真骨頂だ。

 さらに右手が、ビッグの首を掴む。


「ぐえっ! ぐうううっ!!」


 ぎゅうううう

 凄まじい力で首が絞められる。

 必死に手で引き離そうとするが、今度はどうやっても離れなかった。




553話 「真なる相棒として  その1」


「ぐぬうううう!! がはっ!」

「シネ…!!」


 ぎりぎりぎりっ!

 マサゴロウの手がビッグの首を絞めつける。

 両手を使って引き離そうとするが、今回は相手も全身全霊で挑んできている。

 どうやっても―――外れない!!


(やべぇ!! 調子の乗りすぎたか!? そうだった。人間ってのは…怖いんだ!)


 この場にエバーマインドが生み出した『領域』があるということは、相手側にも作用することを意味する。

 領域とは、一時的に新たに構築した法則を、一定範囲内に展開するものだ。

 これが展開されている間は、通常の法則よりも領域内の法則が優先されることになる。(生み出す法則の内容によって構築する際の条件が変化。より高度なものになればなるほど難しくなる)


 ビッグへの応援が力になるのならば、マサゴロウの想いも力になってしかるべきだ。


 彼の目に宿っているのは、世界への抵抗心である。

 好きで戦罪者になったわけではない。一般的な思想の枠組みに入ることを許されなかったにすぎない。

 他人と違うからと蔑まれ、真っ当な職にありつけなかったにすぎない。

 誰もが強さに憧れるが、強すぎる者たちの居場所は少ない。大半が軍隊や傭兵といった荒事に従事するしかなくなる。

 栄えた都市で暮らすのならば職も選べるが、それ以外の場所では裏社会に属するしかないのだ。


(そう思うと…こいつもかわいそうなやつだよな。誰だって認められたいと思うもんだ。俺だって、ずっとそうだった…。もっとみんなに好かれる仕事がしたいって思ったことも、一度や二度じゃない)


 こうして精神フィールドが発生しているからこそ、相手の感情も伝わってくる。

 母の手を握り潰してしまった武人の資質を持った子供。

 その力を生かせる場所がマフィアの抗争にしかなかったことは、同じ裏社会に生きるビッグにはよくわかる。

 自分とて結局は、グラス・ギースの表舞台には立てない男だ。

 ひっそりと麻薬を作って暮らすことがお似合いの出来損ないだ。


 ぐぐぐぐっ ミシィイイ


 ビッグの喉が悲鳴を上げる。

 マサゴロウは強い。心に宿した想いが強かった。

 それが魔人の思想と一緒になって肥大化している。


(ああ、こいつも助けてやれねぇかなぁ。なんとかしてよ…。こんなでかい身体なら、畑仕事くらいは紹介してやれるのになぁ)


 人情深さとは、ある意味で弱さでもある。

 周囲の力を受けて強くなるからこそ、周囲の環境に左右されてしまう。

 これがビッグの弱点でもあった。

 ノリに乗って調子が良ければ爆発力を出すが、それ以外ではてんで駄目、というパターンだ。


 圧される。圧される。圧される。


 お返しとばかりに、マサゴロウの気迫が勝っていく。

 まさに命がけ。決死の勝負だ。


「くそっ! 力が…出ねぇ…!!!」


 このままでは圧し負ける。


 そう思った時―――




「この馬鹿者があああああああああああああ!!」




 ブーーンッ バキンッ!


 飛び込んできたJBの蹴りが、マサゴロウの肘に炸裂。

 綺麗に決まった一撃だが、頑強な腕のマサゴロウには通じないため、さらに追撃。

 ブスブスブスッ!

 黄色い紐が絡みつき、内部に侵入し―――雷撃。


 バチーーーーーンッ!!


「グウウッ!!」


 マサゴロウの視界が、真っ白に染まるほどの雷撃が発生。

 がくがく ずるん

 それによってビッグの首を絞めていた手が離れる。

 外部から流しても通じなければ、内部から強引に流せば威力も増大する。

 これも不意をついたことで可能になった芸当である。

 そして何より、力が沸いてくることが要因。



「私は認める!! 認めることにしたぞおおおおおおおおおお!!」



 ゴオオオオオオオッ!!

 JBの戦気が白く燃えている。

 理想と理念を持ったままに、彼の目は現実を直視していた。


 すべての大本であるソイドビッグを―――見る。



「げほげほっ!! た、助かった…?」

「この馬鹿者が! 相手に情けをかけるとは何事か!」

「な、なんだよ…! なんでそんなことがわかるんだ!?」

「ふん、エバーマインドの宿主は私だ。お前の考えていることなど、とっくにお見通しなのだ。改めて言うぞ、戦罪者に哀れみなど必要ない!!」

「で、でもよ、人生ってやつは自分の思い通りになることなんて、そうそうないし…こいつらだって…」

「だからお前は、馬鹿なのだああああああああああああ!!」

「うおおおっ!?」


 ビリビリビリッ

 JBの怒声が響き渡る。

 その声は、今までとまったく違っていた。

 理想を求めて求めて求めて、高みばかりを追い続けたあまり、自分の世界に閉じこもってしまった者の声ではない。

 妙に人間味のある声だった。心に響く声だった。

 より人間らしい声であった。


「よいか! 人生でままならぬことなど、当たり前にある! 誰にでもある! 私とて凡人であった頃は、多くの悩みを持っていた。だが、けっして悪には走らなかった。悪事はしなかった。そこは自分で選択するものなのだ!! 貴様も今、こうして自分の意思で立ち向かっているだろう!」

「お、おう!」

「悪に染まる者は、自らの意思でそうなったにすぎん! その心根に弱い部分があるからだ! ゆえに同情などいらぬ!!」

「そ、それは…たしかに。って、あああああ! 後ろ! 後ろ!!!」


 ビッグが、JBの背後を指さす。

 デジャブだろうか。ついさっきも似たような光景を見たような気がする。


 背後には、マサゴロウ。


 前回と同じように手を伸ばして、JBを捕まえようとしている。

 だが、今のJBに怖れるものなどは、無い!


「笑止!! 正しき心は悪には負けぬ!!」


 しゅるるっ ぐぐっ

 JBは黒紐を操作して姿勢制御を行うと、その手を華麗にかわす。

 そこからの上段蹴り。

 しゅっ

 なんてことはない蹴りだ。技でもなんでもない普通の蹴りである。

 しかし、何度も何度も反復してきた蹴りは、美しい軌跡を描き、マサゴロウの胸元を―――


 打ち貫く!!!


 ドゴッ!! ボキイイイイッ!!



「ブッ―――ハッ!!?」



 黒い戦気を貫通し、ダメージは内部にまで浸透。

 ごぼごぼっ

 それによって吐血。これまた真っ黒な血を吐き出す。


「見ろ、この穢れた黒い血を。自らの意思で魔なる存在に組みした者の末路よ。因子すら侵されているのだ。この力は偽りのものと知れ!!」


 魔人の力に侵食された因子情報は、強制的に書き換えられる。

 自らの道具に相応しいようにデータの改ざんが行われる。

 それによって従来の因子データは【破損】し、二度と戻らず死に至る。

 そう考えると、まさにこれは【毒】。

 使えば絶対に死に至ることが確定しているドーピング薬でもあるのだ。


「魔なる者にとって、人間など道具にすぎぬ。それは我々とは対極の思想よ。そうであろう? ソイドビッグ、貴様の思想とも相容れまい?」

「あ、ああ、そうだ! 俺はあいつを認めない! 認めてたまるかよ!!」


 キラキラッ ボッ

 火の燐粉、その一つ一つに宿った応援の気持ちが、ビッグの力になっていく。

 その真上で、エバーマインドの残滓が微笑んでいた。

 それを見たJBは、深く頷く。


「お前がその思想を抱き続ける限り、エバーマインドは力を貸すだろう。いいか、忘れるな。お前は独りでは何もできない男だ。誰かの助けを得なければ、ただのでくの坊だということを心に刻め!」

「お、おう! 改めて言われると複雑な気持ちだが…」

「だが、慢心するな!! お前には足りないものがある!!! 足りないものばかりだ!!」

「うおっ! な、なんだよ、いきなり!!」

「そこで見ていろ。今から足りないものを教えてやる」

「お、おい…! また独りでやるのかよ!?」

「ふん、無駄口を叩くな! 見ることに集中しろ!」

「お、おう!」


(なんだか…変わったか? こんなやつだったっけ?)


 今朝出会った時とは、まったく違う印象を受ける。

 しかし、長らく変わらないのも人間なれば、たった一つの気付きで人生が変わるのも人間。

 JBも一つの発見によって、新しい何かを得たのだ。



 すたすたすた


 JBが静かな足取りで、マサゴロウに近寄る。


「ヨクモ…ヤッタナ!!」

「私は貴様に同情などはせぬ。醜き思想に囚われたのは貴様自身の責任だ。『人を守る思想』が、『人を殺す思想』の存在を許すわけにはいかぬ」

「オマエモ…シネ!!」

「稚児では、私に勝てぬ」


 マサゴロウの手が迫るが、JBは冷静に見極めると、カウンターの脚一閃。

 バギンッ ミシィイイッ

 再びマサゴロウの肘関節を的確に攻撃する。


「ヌグウウッ!」


 今回の一撃も、黒い戦気の防御を貫いた。

 今のJBは両腕がないので、蹴ることしかできない。

 本来、蹴りとはバランスを崩す行為であり、両腕でバランスを取ることで、かろうじて成立する攻撃手段だ。


 それをJBは、紐の【補助輪】なしに行う。


 弧を描いた脚が、マサゴロウの膝に命中。

 ブーーンッ バキンッ


 中段に突き出された脚が、マサゴロウの腹に命中。

 ブンッ ドゴッ


 再び上段に動いた足が、マサゴロウの側頭部に命中。

 ドグシャッ!


「グッ!!」


 ぐらぐら がくっ

 マサゴロウが、ついに膝をついた。

 流れるような蹴りのコンビネーションは、すべて相手の急所を狙うものであった。

 すべての攻撃に意図があり、最後の側頭部への一撃に至るまでの計画があった。

 明確な意思と的確な攻撃箇所、それを可能とする技量の高さがあった。

 そしてそれは、一回では終わらない。


「そらそらそらそらそらっ!!」


 ドドドドドンッ!!

 バキン ドゴッ グシャッ!!

 次々とJBの蹴りがマサゴロウを破壊していく。彼の捻じ曲がった思想を壊していく。

 マサゴロウが反撃しようとしても、攻撃の上乗せによって妨害していく。

 どこかに力が加えられれば、必ずどこかが疎かになる。掴もうとすれば前屈みになり、足元が疎かになる。

 そこに蹴りが集中して叩き込まれるのだ。


「グウウウウッ!!」


 マサゴロウは何もできず、ただひたすらに攻撃される一方だ。



「す、すげぇ…」


 ビッグも、その光景に見惚れてしまった。

 JBは、特段変わったことをしているわけではない。ただ蹴りを放っているだけだ。

 されど、その蹴りには『深み』があった。

 初心者と同じ動きをしていながらも、どこか違う。何かが違う。

 何度も何度も繰り返すことで得られる到達点がある。道の段階がある。


 JBは―――山の中腹にいた。


 道は遠い。まだまだ頂上は先だ。

 富士山だって、五合目から先が本番である。

 それでも、そこに至るまでの鍛錬は嘘をつかない。


 なんと、美しい。


 アンシュラオンの技を見た者が、彼の人間性など忘れて技に惚れ惚れとするように、ビッグから見たJBの技も美しかった。

 むしろビッグ程度では、アンシュラオンのレベルは理解できないため、JBくらいのほうが綺麗に見えるのかもしれない。


「グウウッ! グァッ!」


 ドドーーーンッ


 そのJBの蹴りによって、ついにマサゴロウが倒れた。


「や、やった!! すげえぞ!!」

「わかるか? お前に足りないのは単純に経験だ。まったくといってよいほど、お前は基礎が出来ていない」

「うっ、それは…自分でも自覚しているぜ…」

「今それを言ったところで意味はない。だが、事態は急を要する。お前には今すぐに最低限度の基礎を学んでもらう」


 シュルルルッ ぎゅるるるっ

 JBが黒紐を出すと、ビッグの身体に巻きつける。


「うわっ! な、なんだぁ!!? 紐が俺の身体に!?」

「背筋が曲がっているぞ!!」

「うぎゅうっ!!」


 ぎゅっと紐が締め付けられ、ビッグの背筋が強制的に伸ばされる。

 それだけではない。身体中に巻きつけられた紐によって、首、肩、腕、腰、膝、足といった各パーツの角度が調整されていく。


「なんだこれ!? 何をしたんだ!?」

「お前には力がある。馬力がある。だが、基礎が出来ていないせいで無駄が多い。力とは、正しく伝えねば意味がない。それをこれから『ギプス』で教えてやる」


 ビッグに装着された紐は、各部位が連結しており、JBが意図したように動くようになっている。


 言ってしまえば―――養成ギプス!


 大○ーグ養成ギプスのように身体に密着して、正しいフォームを教えるためのものであった。(大リー○のほうは筋肉を鍛えるためのものだったようで、やるとかえって逆効果らしいが)

 ここでJBの心境に、大きな変化が生まれたことがわかるだろう。


(口惜しいが、エバーマインドはソイドビッグを選んだようだ。ならば、それでよい。私の目的はエバーマインドを支配し、占有することではない。ネイジアの思想…いや、人がこの大地で生きるために必要な思想の守り手になるだけよ)


 JBにもエバーマインドから力が与えられていた。

 ビッグが受けた応援の力を共有という形でもらっているから、黒い力を凌駕するだけのパワーを得られているのだ。

 それはJBが、ビッグを認めたからだ。


 この瞬間彼は、ソイドビッグを『相棒』と認めた。


 なぜ、勝てないのか。

 その理由は、片方が素人であることではない。

 片方を素人だと侮り、戦力として考えないから負けるのだ。

 それでは独りで戦うどころか、味方にも邪魔をされて「一対三」になるようなものだ。


「私は考え方を切り替える。思想とは、常に変化していくものであることを受け入れる!! だが、力の源が未熟では、勝てるものも勝てない。貴様にはこの戦いでさらに成長してもらう!!」


 JB先生による、ソイドビッグの指導が始まる!!




554話 「真なる相棒として  その2『導きの紐』」


「な、なんだか…すげぇ動きにくいぜ…! 大丈夫なのか、これ!?」

「それは貴様の動き方に問題があるからだ。猫背を正せ」

「正せって言われても…いつもこうだからな。正したら力が出ないぞ」

「貴様の言い分などは聞かぬ。それで慣れろ」

「いや、でもさ…もうあいつは倒れたから、こんなことしても意味がないんじゃ…」

「やつは死んではいない。いや、死ねないのだ」

「…え?」


 ぐっ ぐぐぐっ

 JBの視線を追うと、ちょうどマサゴロウが起き上がるところだった。

 耐久力が高い、という言葉だけでは説明がつかない。明らかに違う力が働いている。


「嘘…だろう? 普通、死ぬぜ」

「普通ではないのだから当然だ。思想を殺すことは難しいのだ。この世界で一番の難敵は強い武人ではなく、思想であることを知れ」


 考え方を殺す。

 これは実に難しいことだ。

 ナショナリズムや差別主義、あるいは過激な行動に移らせるカルト思想など、消えたように見えながらも思想は生き続ける。

 人間が思考する存在である以上、一人でも強烈に信じる者がいれば、思想もまた存続を許される。

 では、どうすれば思想を殺せるのか。

 その答えは、すでに彼らの手中にある。


「エバーマインドは、【思想を殺すために生まれた】ものだ。浄化すると言ったほうが正しいか。あくまで範囲は限定的だが、思想を消し去ることができる能力こそが真なる力なのだ」


 エバーマインドは、思想を力にすることができる。

 それは逆に特定の思想で場を満たし、優劣をはっきりつけることを意味してもいる。

 どちらが上かを白黒はっきりつけられるのだ。

 人類全体、その地域全体に蔓延した思想を消し去るのは極めて困難であるも、特定の人間から思想を排斥することは可能である。

 これを悪用しようとすれば、調和と協調の思想を消し去り、独裁的な思想を植え付けることも可能だろう。

 強力な精神術式のようなものだ。系統としてはスレイブ・ギアスと同じだが、出力はこちらのほうが圧倒的に上である。

 ただし、あまりに強力な能力のため、ストッパーあるいはリミッターが存在する。


 それこそが、あの女性の姿をした残滓だ。


 彼女が何者であったかなど、もはや誰も知らない。

 そもそも生身として実在などはせず、代々のエバーマインドの所有者が生み出した妄想の産物なのかもしれない。

 ともあれ彼女が認めるものこそ、この場でもっとも「相応しい思想」といえるだろう。

 最終決定権は彼女にあるのだ。


 そして選ばれたのは、ビッグだ。


「ゆえに貴様がやつを殺すのだ」

「お、俺が!? マジで言ってんのか!?」

「今さら何を怖れる。最後まで戦うのであろう?」

「そ、それは…お、おう! もちろんだぜ!!」

「ならば、さっさと行け!」


 ドンッ


「どわっ!」


 JBが、ビッグの尻を蹴り飛ばす。

 それに押されて、つんのめって向かった先にはマサゴロウ。

 ドンッ

 マサゴロウにぶつかり、視線が合う。


「あっ、ど、どうも」

「ドウモ」


 ブンッ!!

 マサゴロウの手がビッグに襲いかかる。

 またもやデジャブであり、まったく同じ光景が再現される。


「ぬおおおおおおっ!!」


 ビッグはよけようとするも―――

 ぎゅううっ

 身体を縛っている紐が関節を締め付け、動きが硬直したところに手が直撃。


 バーーーーンッ! ごろごろごろっ


「ぐええええ!」


 張り手をくらったビッグが、無様に吹っ飛んでいく。

 幸いながらマサゴロウもダメージが残っており、相手を引きちぎるだけの余力がなかったようだ。

 そのおかげで致命傷は避けられた。運の良い男である。

 だが、これは危ない。一歩間違えれば危険な状態に陥っていただろう。


「何をしている! なさけないやつだ!」

「い、いやいやいや! 今のはそっちが悪いだろう! 俺が動こうとしたら勝手に締め付けられたんだ! これじゃ動けるものも動けないぞ!!」

「動きに無駄が多いからだ。その紐は自動的に最適な体勢を取るように設定してある。余計な動きをすれば邪魔になるのは当然だ」

「その設定のほうが邪魔だろう!?」


 と、ビッグが文句を垂れている暇もない。

 こうしている間もマサゴロウが襲いかかってくる。


「ウウウウウッ!」


 手に戦気を集め―――放つ。

 おそらく追う体力を節約するためだろう。戦気掌を放ってきた。


「っ!!」


 ビッグはそれを離れて回避しようとする。

 普通、怖いものからは離れようとする。動物としては正しい動きだ。

 だが、武人としては必ずしもそうではない。

 ぎゅうううっ

 黒紐がビッグの動きを制限。逃げ損なう。


「ええええ!!? し、死ぬぅううう!」


 ビッグは驚き、その場で硬直。

 そこにマサゴロウの戦気掌が迫る。


「そっちではない」


 シュルルッ ブスッ!

 ビッグの身体のギプスから黒紐が伸び、マサゴロウの左横二メートルの位置の地面に突き刺さる。

 そのまま紐は急速に収縮し、ビッグを引っ張った。


 びよーーーーんっ


「うぎゃああああ! 当たるううううう!」


 目の前に黒い戦気が迫っているのに、あえて敵に近づく行動を取るのは自殺行為であるも、黒紐は強烈な力でビッグを引っ張る。

 バシュンッ!!

 すぐ隣を戦気掌が通り過ぎ、髪の毛が焼け焦げた。

 最初の攻防でも髪の毛がちょっと減ってしまったので、このままでは若ハゲになってしまうかもしれない。

 などということは、もはやどうでもいい。べつにビッグがハゲようが、誰の得にもマイナスにもならない。(リンダは複雑だろうが)

 重要なことは、そこの位置に跳んだ、ということだ。


 ずざざざっ


 ビッグは戦気掌を掻い潜り、無防備なマサゴロウの隣に陣取った。


「…え? あ?」


 相手は技の打ち終わりで、身動きが取れない。

 あまりに絶好なポジションと状況に、思わずビッグは戸惑う。


「この馬鹿者がああああ! 何をしている!! 即座に攻撃を仕掛けろ!!」

「あっ! そ、そうだ!!」


 ビッグは慌てて構え、マサゴロウに殴りかかる。

 ぎゅうううっ

 が、ここでも黒紐が邪魔をして上手く身体が動かずに―――

 バスンッ

 拳が当たっても、なんとも気の抜けた乾いた音が響く。


「なんだよ、これ!!! 力が入らないじゃねえかあああああ!」


 いつもと違うフォームに違和感が半端ない。

 そのせいでまったく威力のこもらない一撃になっていた。

 当然そんな攻撃をしていれば、マサゴロウの反撃を受ける。


 ブンッ!!


 上からの張り手、と見せかけて下からの蹴り。

 マサゴロウの攻撃手段は、手だけではない。たまに足蹴りだってやる。

 ドゴンッ

 マサゴロウの蹴りが、ビッグの腹を抉る。


「うげっ…げぼおおっ」


 腹への一撃を受けたビッグは、胃液が逆流して吐き出す。

 しかし、もし当たる寸前に黒紐が彼を引いていなければ、もっと深刻なダメージを負っていたに違いない。

 ビッグは紐に引かれて距離を取らされる。


「おえええ! おえええ!」

「吐いている場合か。最大のチャンスを逃したのだぞ」

「げほげほっ、いやだからさ、これって完全に逆効果だって!」

「貴様は『武術』というものを知らぬ。やはり北側ではまともな武術を教える組織がないのだろう。…違うな。それ以前の問題として、どのみちお前に説明しても理解はできまい。いいか、紐の導きに従え。エバーマインドの導きに従え! 頭で考えるな! 馬鹿は身体で覚えろ!」

「導きって言われても―――」


 ビッグはまた忘れていた。



 この戦いは―――『二対二のタッグマッチ』であることを。



 しかも通常のタッグマッチとは違い、四人が入り乱れて戦う場外乱闘形式である。

 こちらが二人ならば、相手も二人。


 どごんっ がしっ ズブブブッ


 もう一人の敵であるムジナシに足を掴まれ、JBの下半身が地中に沈む。


「げっ、またあいつか!! 待ってろ! 今助ける!!」

「貴様のような馬鹿に地中の敵は対処できまい! おとなしくその大男の相手をしていろ!! いいか、私が必ずモグラを地上に叩き出す!! そこで一気に決着をつけるぞ!! それまでに『型』を覚えろ!」

「だ、だが…俺にできるのかよ!?」

「何を怖れる、ソイドビッグ!! これだけの人々がお前を見ているのに、貴様に怖れるものなどあるまい!! 私ができるアドバイスは、ただ一つ!!」




―――「受け入れろ!!」




 ズブンッ!


 その言葉を残して、JBは地中に引きずり込まれる。

 どうやらムジナシは、ビッグよりもJBのほうが難敵だと判断したようだ。

 人間性は乏しくても戦闘に関しては野生で磨いてきた男だ。本当に強い相手がわかるのだ。




 こうしてビッグは―――マサゴロウと独りで対峙。



 改めて対峙すると相手との実力差を感じてならない。

 しかし、泣き言を言っている暇はない。不安をぐっと押し込み、ビッグは前を向く。


(俺は独りじゃねえ。独りじゃねえんだ)


 なぜ、こんな事態になっているかなど、もはやどうだっていい。

 派閥の利権が複雑に絡むグラス・ギースにおいて、みんなが仲良くなんてできるはずがない。

 今までも、ついこないだでさえも、誰もが対立していた。

 しかし今、ホワイト商会という大きな外敵の存在によって、人々の想いが一つになろうとしている。

 その意味において、ビッグは感謝すらしていたのだ。


「フーーー、フーーーー!」


(よく見ろ。あいつはもうボロボロじゃねえか。身体中が真っ黒になって、壊れても死ぬに死ねない状態だ。それはあいつの…ホワイトに汚染されているからだ。ならよ、俺が楽にしてやるよ。あいつの力を断ち切ってやる!!)


 殺すことが慈悲。ようやくビッグはそのことに気付く。

 だが、このままでは勝てない。

 マサゴロウを倒すためには、今までと違う力が必要だ。

 その力は、すでに与えられている。


 JBは言った、受け入れろ、と。


(あー、もうよくわからねえ。俺は馬鹿だからよ。ごちゃごちゃしたことは苦手なんだよ。でも、さっきのは…良かったな。すごく視界がクリアだった)


 さきほどの動きを思い出す。

 攻撃の瞬間、あえて前に出ることでピンチをチャンスに変えた。

 あれは鍛錬を積んだ武人の動きだ。

 相手の動きを読む経験、研ぎ澄まされた感覚、日々の修練によって培った頼れる肉体があるからこそ可能な芸当だ。

 この身体を拘束する紐は、その【戦いの記憶】を宿しているのだ。


(固い…な。ぎゅうぎゅうだ。こんな紐でどうにかなるとは思えないが…これはあいつの…JBの力なんだ。あいつが俺に力を貸してくれるなら、信じないとな。ああ、信じよう。信じて失うものなんてねえんだよ。あの時、俺がリンダを信じたように…リンダが俺を信じてくれたように)


 彼女と会った時を思い出す。

 ひどい人間不信に陥っていた彼女の心を開くために、ビッグは顔と身体に似合わず、お花畑の散策に誘ったり、デパートでの買い物に付き合ったり等々、まったく似合わないことをやっていたものだ。

 最初は違和感しかなかった。

 それはそうだ。誰だって慣れないことをすれば変な感じがするし、もう二度とやりたくないと思うものである。

 しかし、次第にそうしたことも『受け入れた』結果、ビッグの中にあった劣等感は少しずつ減っていき、刺々しさもなくなり、今の馬鹿が誕生した。

 こう見えて、昔はもっと荒れていたのだ。

 プライリーラには理不尽に殴られ、ソブカには才能で圧倒的に劣っているのだから、そうなるのも当然だろう。

 それを癒してくれたのが、リンダという存在である。

 今ではお揃いのセーターを着るまでに丸くなってしまった。


 だが、それでいい。


 正しいことならば、受け入れることも重要だ。

 ビッグは、ふっと身体から力を抜いた。


 マサゴロウが再び戦気掌の構えに入る。


 実際問題として、彼の攻撃パターンは三種類しかない。

 接近しての虎破と引きちぎり、そして離れた間合いで放つ戦気掌である。

 マサゴロウの耐久性と戦気量がかなり高いので、攻撃の質が良く見えるが、動作が鈍いため、よく観察すれば行動を読むことができる。

 力を抜いたビッグには、相手がよく見えた。

 マサゴロウが手を引いて構える動作。集まっていく戦気。

 掌を繰り出すために足を出す動き。どれもがはっきり見える。


 ビッグが、駆ける。


 「よし、今だ!」と、自分でタイミングを計っていたわけではない。

 ただ単に、身体が勝手に動いただけである。

 彼の中に眠る武人の血が、戦士の因子が自然と反応したのだ。


 怖れず前に―――出る。


 戦気掌が放たれた。

 そこに怖いという感情はなかった。当たらないことがわかったからだ。

 ぐぐぐっ

 紐が締め付けてきた。そちらに力を向けろ、とJBが言っている。

 ならばとそのままの方向に力を向けると、足が思っていたより伸びた。

 ぎゅんっ


 一歩、加速。


 この一歩が、武人にとっては極めて重要なものだった。

 生と死の狭間で常に戦い続ける武人には、一瞬の判断にすべてをかける思いきりが必要とされる。

 普段の鍛錬は肉体を鍛えるだけではなく、恐怖に立ち向かう心を鍛えるのが目的でもあるのだ。


 バシュンッ


 戦気掌はビッグを少しだけ掠めながらも、外れる。

 否、ビッグがよけたのだ。

 そうしてたどり着いた場所は―――


「ああ、よく見えるなぁ」


 さきほどとまったく同じ光景が見えた。

 相手は攻撃の打ち終わりで動けない。絶好のチャンスだ。


「ありがとう、JB」


 素直に感謝の言葉が出てきた。

 この動き、この戦い方は自分のものではないことを噛み締めて、礼を述べる。



―――〈紐の導きに従いなさい〉



 エバーマインドが、微笑む。

 母に包まれているかのような幸福感と安心感があった。

 今ならば、出来る。

 その確信を持って、ビッグがマサゴロウに拳を放った。


 ドスン


 それはさきほど叩き付けた拳と、見た目の上では同じものだ。


 しかしながら―――


 ぎゅうううっ


 紐に導かれていた。

 肘の角度、足を運ぶ場所、頭の位置。

 そのすべてがビッグの体格に合わせた理想的なフォームに修正される。

 アンシュラオンがサナに『本物の拳』を教えた時と同じく、すべての力が拳に集中する形になる。


 叩く。

 押す。

 回す。

 捻る。

 抉る。


 そうして一連の動作が完成した時。



 ただの拳は―――『武術』となる。



 ビーーーーーーーーーーーーーンッ



「っ―――!!!」



 マサゴロウの頭に、ゴム紐が振動したような音が響いた。

 動かない。

 マサゴロウは、動かない。

 効かないのか? 今度も効いていないのか!?

 いいや、違う。



 動け―――ない!!!!



 一度発生した力は、常に動き続け、流転を続け、どこかにたどり着く。

 今までは分散していた力が一つになり、大きなうねりと化す。


 ボンッ!!


 マサゴロウが、弾けた。



「―――ごぼっ! がぼおおっ」



 ゴボゴボゴボゴボッ!! ボシャーーーー!


 噴水のように全身から黒い血を吐き出す。




555話 「マサゴロウの死、ソイドビッグ炎の叫び』」


 ビッグの拳が、綺麗に入った。

 今までは力任せに殴るだけの「雑な拳」であった。

 地下闘技場で拳闘士たちがやっていたような、力の入らない殴り方に近かった。

 それでもあれだけのパワーが出ていたのは、持っている肉体の基礎性能が高かったからである。


 しかし、ここに『術《じゅつ》』が加わる。


 アンシュラオンが語っていたように、武術とは人間が生物を殺すために編み出した必殺拳だ。必ず殺すから、必殺なのである。

 どうすれば効率的に相手を殺せるかを、日夜研究してきた集大成を侮ってはいけない。

 ここにさらにエバーマインドの力が加わり、威力が格段に底上げされる。

 ゆえに、これは必然。

 ビッグの拳でマサゴロウを打ち砕くのは、当然の結果だ。


(なんだ今の感覚…。すっげぇ…気持ちいい)


 身体中に痺れに似た快感が走る。

 すべての力が各箇所を通って、完璧に流れた証拠である。

 彼は生まれて初めて、力を力として扱う快感を知ったのであった。


「ウウウ!! ヌウウウ!! ブタガアアアア!」


 身体から血を噴き出しながらも、マサゴロウは攻撃を仕掛けようとする。

 その命が尽きる瞬間まで、エネルギーが完全にゼロになる時まで、彼は戦い続けるのだ。

 そのための戦罪者。魔人の道具だ。


「ああ、そうだよ。それでも誰かの力を借りれば、こうして戦えるのさ!」


 ビッグは今の感覚を忘れないようにと、紐の導きに従い、拳を握る。

 腕を引き絞る。

 身体の重心をまっすぐに保つ。

 腰の捻りと体重移動で、スムーズに拳を叩きつける。


 ビーーーーーーンッ ドスンッ


 綺麗な、それは綺麗な正拳突きが決まる。

 突き抜けた衝撃が一点に集約し、内部に浸透。

 ボンッ ボボンッ


「ガウアアアアア!!」


 ブシャーーー!

 マサゴロウから黒い血が止まらない。

 止まらない。止まらない。止まらない。

 これはビッグの力だけで起こっている現象ではない。

 彼の拳を通してエバーマインドの力が、敵対する思想と激しくぶつかっているのだ。



「俺は、俺は!! お前を殺すぞ!!! 殺すって言ったら殺すからな!!」



 ドスンッ ビーーーーンッ

 ドスンッ ビーーーーンッ

 ドスンッ ビーーーーンッ


 ビッグがマサゴロウに拳を打ち続ける。

 その時、なぜだか涙が出てきた。

 ビッグとて何人も人を殺しているし、この戦いに覚悟を持って挑んでいた。

 相手が戦罪者ならば殺されても仕方ないと思う。それだけのことをやってきたのだ。

 だが、どうしても涙が止まらない。


「くそおおおお! くそおおおおおおおお!」


 殴りながら泣く。泣きながら殴る。

 なんて甘い。甘ったれの豚が!!

 と、アンシュラオンが見たら、そんな罵声を浴びせそうな光景であるも、出るものは仕方ない。(罵倒するほうがおかしい気もするが)

 だが、そうした甘さもまたエバーマインドが好む思想だった。


 なぜならば多くの人々が、彼の行動に胸を打たれているからだ。


 グラス・ギースで久しぶりに制裁が起こるのが珍しくて、ただただ野次馬根性でやってきた者たちが大半である。

 中にはまったく事情も知らず、単なる派閥の集まりだと思った者もいるくらいだ。何の準備もしていなかったし、期待もしていなかった。

 それゆえに意外な光景に感動するのだ。


 すべてが幻想的かつ、リアリティーのある空間だった。


 ソブカが生み出す不死鳥の存在感は、まさに魂の輝き。

 マサゴロウが放つ気質も、彼の魂の叫びが具現化したものである。

 その背後にいる強大な魔人の存在もまた、人々にこの戦いが負けられない大切なものであることを示していた。


 それに立ち向かうは、ソイドビッグ。



「うおおおおおおおおおお!!」



 燃える、燃える、燃える。

 彼の魂の炎が燃える。

 激しく燃え上がった炎が虎の形となり、叫ぶ!!

 ビッグが燃えている。その感情が燃えている。


 彼は今、戦士になった。


 口先だけではない、本当の戦士になったのだ!!



(手間のかかる男だ。未熟すぎて正すポイントが多すぎる。しかし、だからこそ可能性がある。エバーマインドが欲したのは可能性だったのだな)


 JBも紐の振動を通して、ビッグが正しく力を使ったことを知った。

 はっきり言えば、彼は無知な『赤子』である。

 何も知らないからこそ、何かを教えればぐんぐんと成長を始める。

 エバーマインドがビッグを好んだのは、そんな柔軟性があったからだろう。

 赤子は言われたことを素直に受け入れる。吸収していく。

 さすがにサナほど完全なる空白ではないが、ビッグも馬鹿だからこそ愛嬌があるし、受け入れる力に優れているといえた。

 まだまだ改善点は多いが、それはこれから学べばよいことである。


「では、そろそろ終わらせるか」


 ガリガリガリガリガリッ

 JBは痛覚がないので普通にしているが、今こうしている間もムジナシに引きずられている。

 地中を引っ掻き回すように、右に左に上に下に斜めに縦横無尽に動き回り、所かまわず押し付けてくる。

 おかげで彼が殺して食った死骸やらも身体に付着して、非常に不愉快な気分である。

 こうしてみるとムジナシは、案外頭が良いらしい。

 無理にこちらに攻撃を仕掛けず、引っ張ることだけに集中している。

 おそらくマサゴロウがビッグを殺したあとに、ゆっくりと二人でJBを始末すればいいと考えているのだろう。

 思ったよりは、頭がいい。

 そう、思ったよりは。

 しかし、所詮は野生児。野蛮人。非人間的。


「この私に、よくも不快な思いをさせてくれたな。そろそろ貴様にも罰を与えてやろう」


 シュルルルッ

 JBから黒い紐が伸びて、ムジナシを逆に捕らえようとする。

 ムジナシは手を離して地中に隠れる。ここも今まで通りだ。

 地中は彼の居場所。ホームタウン。ここでは機動性も彼のほうが圧倒的に上だ。


「くくく、貴様にとっては安心する場所なのだろうが、私にとっても安心する場所だということを教えてやる。ここならば遠慮することはないからな」


 ズルズルズルッ

 JBから赤い紐が生まれ、周囲の土の中に展開される。


 そこから―――爆炎


 ボオオオオオオオオオッ!!


 激しい炎が噴き出す。

 ただし、土の中なので火はムジナシに届かない。

 これもさきほどやったことである。これだけでは効果はない。

 しかしながら、JBの本質を侮ってはいけない。

 彼は【広域破壊型の武人】である。



 能力を―――解放



「エバーマインドよ!! やつの思想の力を私に貸し与えよ!!」


 キラキラキラッ ボボボボッ

 今現在JBは、エバーマインドを通じてビッグと繋がっている。

 繋がっているということは、向こう側からこちらにエネルギーを送ることもできるのだ。

 ビッグの熱い熱い感情がJBにも注がれる。


「これがやつの思想…感情か。ふっ、懐かしい感覚だ。私がまだ人であった頃には、こういった考えも持っていたのかもしれんな。いいだろう、私もまた受け入れ、身を任せよう」


 懐かしい、とても懐かしい熱い気持ちが注がれる。

 人が普通に持っているはずの熱い気持ち。多少甘いながらも誇らしい気持ち。

 それがあるからこそ、人間なのだ。魅力的なのだ。

 それと比べれば、ムジナシたちから発せられる波動は、あまりに稚拙。



「貴様らもこの炎で、熱くなればよいいいいいいいい!!!」



―――業炎


 JBの赤い紐が、ぶくーーと膨れ上がると、凄まじい熱量を生み出した。

 それはすでに炎と呼べる範疇を超えている。


 もはや―――核融合


 ビッグとエバーマインドによって送られてくる思想の力を、すべて本物の熱量に転換していく。

 存在と存在がぶつかり合い、激しく反発しながら増殖していく。

 その一つ一つの原子が、人の心。

 人々が自分たちを応援する心をエネルギーにして生まれている。



―――〈がんばれ〉


―――〈がんばれ、おじちゃん〉



 その中には、JBに対する応援も含まれていた。

 彼らはJBのことは何も知らない。ネイジアのことも知らない。素性も知らない。

 知らずとも、自分たちのために戦ってくれるのならば、彼もまた尊敬すべき【英雄】なのである。


「ぬうううううううううんっ!!! 燃え上がれ、私の魂!!」


 ぎゅうううううう

 極限まで圧縮された炎が、一気に爆発。



 チュドーーーーーーーーーーーンッ!!!



 地中で巨大な爆発が発生。

 巻き上げる。せり上げる。引っ張られる。

 まるで天地が逆さまになったようだ。


 上が―――下に。


 真上に穴が開き、すべての土砂や動植物が天に向かって吸い込まれていく。


「グゲゲ!?!?」


 地中ごと引っ張られては、さすがのムジナシもどうにもできない。

 いくら巣穴に隠れようと、巣穴そのものが運ばれてしまえば、抵抗などできるはずがない。


 ボオオオオーーーーーンッ


 凄まじい熱量によって溶解した土砂が、噴泉《ふんせん》のように地上高く噴き上がる。

 その勢いと熱量に耐え切れず、ムジナシが這い出てきた。

 突然の環境変化に、虫が慌てて逃げ出す光景に似ている。



「ソイドビッグ!!!」


 そして、JBも一緒に巻き上げられて地上に出てきた。

 多少方向には余裕があったので、自身に直撃することはなかったが、彼も爆炎に晒されて身体が焼け焦げていた。


「JB!! あんたがやったのか!? ボロボロじゃねえか!」

「そんなことは、どうでもいい!! これで終わらせるぞ!! お前の炎を見せてみろ!!!」


 シュルルッ がしっ

 JBは紐を使って、空中でムジナシを捕まえる。

 それで引き寄せてからの、蹴り!!


 ドゴーーッン


「グギャッ!」


 JBの蹴りをまともにくらったのだ。

 その大きく発達した両腕をもってしても防げるものではない。

 ミシミシと骨に亀裂が入り、砕ける。

 が、それはどうでもいい。ここでのJBの目的は、彼ら二人をまとめることである。


 ひゅーーーんっ どんっ


 飛ばされたムジナシは、マサゴロウと激突。

 それによってマサゴロウ自身が転ぶといった様子はなかったが、これでお膳立ては整った。

 ビッグの身体に巻きつけられていた黒紐が、赤に染まった。

 赤紐から激しい熱量が送られて、ビッグに力を与えていく。



「俺は、俺はぁあああああああああああ!!」



 ゴオオオオオオオオオッ!


 身体が炎で燃える。

 みんなの想いが、ビッグに。

 その想いが今度はエバーマインドに注がれ、彼女が倍増し、それが再びビッグに還元されていく。

 集められた力は、必ずどこかにたどり着く。


 すべての力が、【拳】に集まる。


 虎が、虎が、炎の虎が見えた。

 灼熱の炎を身にまとい、血の涙を流す炎の虎だ。




「これで、これでえええええ!! 終わりだああああああああああああ!!」




 ぎゅうううっ


 燃えるような熱い紐に導かれ、彼の真っ赤な拳がマサゴロウに叩きつけられた。


 ドスンッ!!


「…ああ、重いな」


 マサゴロウの顔が、一瞬だけ人間に戻った気がした。

 ビッグから伝わってくる炎に宿る「人間性」に魂が惹かれたのだ。

 愛が、想いが、熱意が伝わってきた。

 それが彼を少しの間だけ引き戻したのだろう。


「おれも…認められて……かあちゃんに……楽させてやりたかった…な」

「くそがああああ!! お前だって、そんな人生送れただろうが!! 送れたよな!! 送れたはずだぜえええええ! 畑仕事でもよ…よかったじゃねえかよおおおおおおおお!! 家族と一緒ならよぉおおお!」


 泣く、泣く、泣く。

 ボロボロと涙を流す。


「ふっ…おもしろい……男だ。思ったより……でっかくなる…かもな。だが、オヤジは…怖いぞ。気をつけろ…。守るものを……しっかりと…選べ」


 戦罪者だって普通の人間だ。

 普通の人間だからこそ、さらに普通の人間であるビッグに対して、さまざまな感情を抱くものだ。

 マサゴロウが思わず忠告してしまうほどに、今のビッグは【面白かった】。


 そして、終わりが訪れる。



「うおおおおおおおおおおおおおお!!」



 涙を流しながら、拳を振るう。

 集められた爆炎が竜の形となり、次々とマサゴロウとムジナシに噛み付いていく。

 その牙、一つ一つが灼熱の刃。


 ブスブスブスッ ボボボボンッ


 貫く、燃える、焼き砕く。

 皆の想いが集まり、彼らを焼いていく。



 突き抜けろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!



「グゲゲゲッ―――ギャアアアアアアア!!」


 ムジナシは浅ましくも、マサゴロウを盾にして防ごうとするが、爆炎は彼をあっさりと呑み込む。

 どんなに気高く死のうが、惨めに死のうが、死は平等に訪れる。



 ビッグの炎が―――二人に終焉を与える。




 ドーーーーーーーーーーーーーンッ!!!




 炎の竜が天に昇っていく。

 虎が竜となり、天に存在を示していく。


 その竜が、すでに宙に浮かんでいた不死鳥と相まみえる。


 英雄とは何だろう。

 英雄とは、誰のことだろう。

 英雄に定義など存在しない。形式などありはしない。

 人々が認めた者こそ、英雄たる資格を得るのだ。

 ソブカもまた燃え上がるビッグを見て、心に染み渡る感情に浸っていた。


(ソイドビッグ、あなたも英雄になりたいのですか? なりたかったのですか? いいえ、きっとなりたいなどと思ったこともないでしょう。あなたはただの、ちょっと目立ちたいだけのお調子者ですからね。しかし、あなたはもう立派な英雄ですよ。それが『創られた』ものであってもね)


 人々の視線がビッグに集まっている。

 応援する心が彼に力を貸している。

 今ならば、何でもできる気がする。

 それが思い違いでもいい。勘違いでもいい。

 これがアンシュラオンによって【演出されたもの】であっても、かまわないのだ。

 この瞬間、彼が英雄としての片鱗を見せれば、それでいい。



―――「ソイドビッグ、マサゴロウとムジナシを焼き殺す」



 歴史書にその一文だけが残ったとしても、それでいい。

 その中にある熱い感情を知っている者が、一人でもいればいいのだ。




556話 「ヤキチの死 その1」


 戦いは終局に向けて加速していた。

 次に死するのは―――


 ブオオオオオッ


 ヤキチの身体から、例の黒い戦気が湧き上がった。

 ジュウウウッ

 ちぎれかかっていた身体の中から、ねっとりとした水が染み出してきて、細胞と細胞をくっつけていく。

 すでに落ちつつあった右腕にもその現象は発生し、急速に彼の身体を回復させていく。

 これだけ見れば、単なる命気の能力に映るかもしれない。

 だが、いくら命気といっても、ここまで急速な復元を行えば、細胞に深刻な損耗を生むことになり、大きく寿命を縮めてしまうだろう。

 それゆえにこれは、命を捨てると決めた人間だけに使えるものなのだ。


「ウグウウウウッ!! ウガアアアアアアアア!!」


 ヤキチが獣のように大きな声を上げた。

 武人の彼でも耐えられないほどの激痛が、身体中に走っているのだ。


 肉体が―――強制的に作り変えられている。


 因子情報が魔人因子に乗っ取られ、強引に上書きを始める。

 オーバーロード〈血の沸騰〉と違うのは、本来ならば彼の中には無い情報までも植え付けて強化する点にある。

 『魔人』という存在は、極めて特殊なものだ。

 普通の武人のデータベースとは、まったく違う場所に格納されている『システム情報』といったほうが、より正確かもしれない。

 そこから力を受けるのだから、彼のすべてが変質するのは当然のことだ。


 ヤキチが、魔人の道具になった瞬間である。



「いい…気分だ。これが……オヤジの力かぁ!!」



 身体中から黒い煙を発したヤキチは、皮膚の色も目の色も黒に変色していた。

 感じる。因子の奥底からアンシュラオンの力が湧き上がってくるのを、ビンビン感じる。

 今まで感じたことのない全能感が、ヤキチを支配していった。


「ククク…ギャハハハハッ!! どうだっていいんだ!! ああ、そうだった!!! こいつがぁあああ! オヤジの!! ハハハハハッ! すげぇえ力だぁあ!! これと比べりゃぁ、世の中のほかのすべてが馬鹿らしいぜぇ!」


 自分の中にあった空白感が満たされていく。

 レマール王国であぶれてしまい、夢半ばで裏社会に入ったことも、戦罪者となって血を求めてさまよったことも、あらゆる空虚感が潰されていく。

 こうしてアンシュラオンの道具になったことが、何よりも誇らしく感じられる。

 魔人の尖兵になるとは、怖れるものが何もなくなる、ということを意味するのだ。


「ヒューー、こいつはまた…すごいことになってるね」


 クロスライルも、突然のヤキチの変化に驚く。

 ただ、そんな呑気な言葉とは裏腹に、彼の左指はヤキチを殺すために最適な動きを取る。

 左手の銃剣、聖剣アグニスを起動。


 ボンボンボンッ!!


 まだ刃は、胸に突き刺さっている。

 復元しようとしていたので、さらに追撃で攻撃を仕掛けたまでだ。

 今のヤキチの異様さを思えば、多くの人間が驚き戸惑ってしまうだろうに、この男はなんと冷静なのだろう。

 その身体に「死」が染み付いている。

 殺すために何をすればいいのかが、反射になるほど反復されている証拠だ。


 だが―――


 ジュボボボッ

 爆発で吹き飛ばされた部分を黒い戦気が埋め尽くし、傷を塞いでしまう。

 命気で回復もしているのだろうが、そもそも欠損した部分を完全に捨てているので、厳密にいえばこれは治療ではない。

 単なる「埋め合わせ」だ。

 とりあえず身体がバラバラにならないように、適当にくっ付けているだけにすぎない状態といえるだろう。

 それでも死なないというのが、魔人の思想の怖いところでもあるのだが。


「ウウウウッ! オオオオオオオ!!」


 バキンバキンッ

 ヤキチが動くたびに、氷に亀裂が入る。

 改めて状況を説明すると、ヤキチの身体は聖剣ヴァルナークの能力によって凍らされている。

 このヴァルナークは氷しか扱えない反面、相手の動きを封じる効果としては一級品だ。

 普通ならば身動き一つ取れないはずなのだが、ヤキチは身体能力だけで強引に押しきろうとし―――


 実際に押しきる。


 バリバリバリッ バリーーーンッ


「おいおい、これ、けっこうお高いのよ? そんなに簡単に破られるとショックだなぁ」


 この二挺の銃剣は、クロスライルがファルネシオの組織に入る際、見返りとして求めた逸品である。

 それをただでさえ身体能力に劣る剣士であるヤキチが、力づくで破るのは異常である。


「オオオオオオオ!!」


 そして、命気によってつながった右手で刀を握ると、上段から振り下ろす。

 クロスライルは即座に銃剣を抜いて、後ろに飛び退いた。


 直後―――


 ドーーーーンッ!!


 叩きつけられたポン刀が地面に突き刺さり、凄まじい剣気が迸る。

 ヤキチはもともと黒い淀んだオーラを身にまとっていたが、今の彼の剣気は、さらにさらに真っ黒。

 すべてのものを破壊し、切り裂く黒き力を宿していた。


 それが地面すら―――破壊


 バリバリバリッ

 刃が振り下ろされた場所から亀裂が入り、地面が割れていく。

 そこからは、ぶしゅぶしゅと黒い力が溢れ出ており、触れた生物をすべて滅殺していった。

 土の中にいた虫や微生物すら呑み込んで死滅させていく。

 きっとこの土地では、もう二度と雑草の一本も生えないだろう。生物が生きることが許されないのだ。



「随分と面白い隠し玉を持ってるね。こいつは驚いた。だがオレが見たところ、無事じゃ済まない感じだな。あんた…死ぬぜ? ただ死ぬだけじゃねえな。もっとヤバそうな臭いがする」


 死に方、というものはそれなりに死後に影響するものだ。

 魂に深刻なダメージを受ければショック状態に陥り、さまざまなマイナス効果を受けることになる。

 人間だって麻薬をやれば心まで憔悴し、社会復帰するのに何年、何十年もかかるだろう。あるいは生きている間に復帰は難しい可能性もある。

 この魔人の力も同じことだ。

 因子情報を強制的に書き換えるなどと、あまりに常軌を逸した行為である。

 これからすればマングラスの改造人間など可愛いものだ。

 彼らはあくまで因子を移植されているだけであって、本来あったものを書き換えているわけではない。

 ならば、ろくな死に方はしない。魔人の道具であることを受け入れた者は、等しく不幸になるのだ。


 だが―――それでいい。


「オヤジに…かかりゃ…! へへ! 全部がちっぽけさ!! おらぁが目指したものすべてが馬鹿らしくならぁ。ハハハハッ!! おらぁは、全部をぶっ壊す!! 壊して壊して壊してやらぁな!! きっと最高に楽しいぜ!!」


 戦罪者たちは単にアンシュラオンに選ばれただけであり、それぞれの事情は大きく異なっていた。

 マサゴロウは、苦労した母のために認められたいという願望があった。

 それゆえにビッグと共感するような、ある種の人間性を宿していたのだが、ヤキチが求めるのは、ただただ【破壊】だ。

 ハンベエも似たような思想を持っていたが、彼は自分の愉しみのために殺人を行っていただけなので、ヤキチとは多少違う。

 ヤキチは自分を認めなかったもの、自分が手に入れられなかったもの、そのすべてを壊し尽くすつもりでいる。

 そこで得られる爽快感こそが、彼にとっての原動力であり願望なのだ。


 受験勉強に熱心な母親は、それが意味が無いものだと知ったら、どんな顔をするだろうか?

 大会社で出世して社会的に成功したと思っていたところ、その翌週に会社が潰れて居場所を失ったら、どんな気分だろうか?

 大勢の人々から賞賛されて良い気分になっていたはよいが、実際はそれが人類の進化にまったく寄与していないことを知り、無意味な時間を過ごしていたと知れば、どんな心境だろうか?

 金などは所詮、神から与えられた欲望の試練だったと知った時、自堕落に生きた金持ちは青ざめるだろうか?


 それと同じだ。

 魔人の力は、すべての概念と思想を破壊する。

 人間が生み出した『くだらない価値観』を破壊する。

 某漫画よろしく世紀末のモヒカンたちが跋扈《ばっこ》する世界を想像すれば、少しはどんな状態かわかるだろう。

 ヤキチがマサゴロウのように『人間性』を激しく失わないのは、彼が最初からそちら側に属しているからだ。

 その意味において、より魔人の道具らしい道具といえるだろう。

 ヤキチは自ら力を受け入れているのだ。そこに快感さえ感じている。


「ふーん、で、どうするのよ? その力でさ」

「決まってらぁ…てめぇもぶった斬ってやらぁあああああ! 切り刻んで、バラバラにしてよおおおおおお!! ひゃーーはっ!!」


 ヤキチが、真正面から突っ込む。


「はは、オレも死にたかないからねぇ。えーと、死にたくないならどうすりゃいいんだっけ? …ああ、そうか。あんたを殺せばいいんだよな。なんだ、簡単だな」


 クロスライルが見事なところは、魔人の気配を感じていても何一つ変わらないことだ。

 ビッグは震えた。JBも危険なものと認知した。

 だが、彼は変わらない。

 ヤキチの激しい破壊衝動を受けても、当たり前のように受け入れている。

 すでに述べた通り、彼の周りには常に死があった。人間が死ぬのは自然なことなのだ。


 そして、殺すことも自然なこと。


 クロスライルは余裕を持って銃を構え、発射。

 すでに高速リロードを終えているので、全弾を叩き込む。


 バンバンバン バンバンバンッ!!

 バンバンバン バンバンバンッ!!


 全十二発の弾丸がヤキチに迫る。

 ヤキチは、よけない。


 ドバンッ ドバンドバンドバンッ!


 クロスライルの銃弾の威力は、相変わらず凄まじい。

 頭や胸、下腹部、足に当たると、その部位を吹っ飛ばす。

 黒い戦気だろうが物ともしないのは、さすが生粋の殲滅者だ。

 だが、ヤキチはよける必要性を感じなかったから、よけなかったにすぎない。


 じゅうううっ ブチブチブチッ!


 肉体がちぎれても、それ以上の速度で急速にくっついていく。

 『異常進化』した肉体は、すでにただの剣士のものではなくなっているのだ。

 ヤキチが足に力を入れ、解き放つ。


 ぎゅうううっ バンッ


 従来の彼のダッシュ力もたいしたものだったが、今はかつての面影はまったくない。

 今の彼の速度は、さきほどの三倍を超えるものに進化していた。

 単純な推進力だけ見れば、ジュエルを起動したサナにも匹敵する。


「死ねヤァアアアアアア!!!」


 スパンッ!

 一気に接近したヤキチが、ポン刀を一閃。

 こちらも修復された腕による本気の一撃なので、キレは最初の数倍。

 大気を綺麗に切り裂く音が響く。


「おっと」


 クロスライルは首を引いて、ギリギリで回避。

 そこに返す刀が迫ると、今度は咄嗟に右の銃剣で受ける。

 ガキイイイインッ

 ヤキチの一撃など、片手で受けきれるものだった。

 それが―――


 ぶわっ


 浮く。

 身体自体が作り変えられつつあるので、身体能力が劇的に向上しているのだ。

 現状での彼はおそらく、マキを超えてプライリーラに近い肉体性能を誇っていると考えてもいいだろう。

 そのうえ攻撃力の高い剣士なのだ。


 これが意味するところは―――ほぼガンプドルフ。


 高い身体能力をもった、攻撃力の高い剣士の完成だ。

 ただし、ガンプドルフには理性と打算性があったが、ヤキチにはない。


「おら!!」


 ドゴッ!!

 浮いたガンプドルフに前蹴りがヒット。

 クロスライルは脛《すね》のプロテクターでガードするも、破壊。

 バキバキと防具が壊れ、ダメージが内部に届きそうになる。


「どっこいせ!」


 が、クロスライルはその前に、もう片方の足を使ってヤキチを蹴り、後方に回転しながら着地。

 なんとも曲芸じみた動きを平然とこなし、衝撃を受け流す。

 ヤキチとの最初の攻防を見ても、彼の動きは非常に機敏かつ自由だ。空中での運動性も高いのも特徴であった。


 ただ、ここで呑気に様子をうかがうヤキチではない。

 即座に追撃を開始。

 その爆発的な脚力で一気に接近し、鋭い斬撃を放つ。


 スパンスパンッ!!

 スパンスパンッ!! スパンスパンッ!!

 スパンスパンッ!! スパンスパンッ!!
 スパンスパンッ!! スパンスパンッ!!


 彼がポン刀を振るたびに、大気が切り裂かれる音が響く。

 素の状態でもフルアーマーを叩き斬っていたのだから、今の刀が当たればクロスライルであってもただでは済まないだろう。


 スパンスパンッ!! スパンスパンッ!!

 スパンスパンッ!! スパンスパンッ!!

 スパンスパンッ!! スパンスパンッ!!


 しかし、響けど響けど、鳴るのは大気を切る音ばかりだ。

 クロスライルも今までと違い、バックステップを踏みながら後退を余儀なくされているとはいえ、その攻撃をすべてかわしていた。




前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。