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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第八章 「壊滅 ホワイト商会」 編


537話 ー 546話




537話 「戦罪者と対峙する者たち その1『成長する火』」


 ラングラスの大本営に掲げられた旗が、燃えている。

 その鳳旗《ほうき》は、どんなに燃やしても燃え尽きることがない。

 旗を握る者が燃え尽きない限り、不屈の炎が宿っている限り、けっして消えはしないのだ。


 人々が救いを求めて旗に集まっていく。


 今はあの旗だけが頼りなのだ。自分が生き延びられる可能性なのだと必死にすがる。

 火の英霊を崇拝するソブカは、彼らを見捨てない。自身が火の英霊となるために彼の志を継ぐ必要があるからだ。


 そして、その旗を目指す者が、もう一人いた。



「はぁはぁ!! なんだありゃ!? 火の…鳥? この感覚は…ソブカのやつなのかよ!!」


 事務所から大本営に走っているソイドビッグである。

 マタゾーとの戦いをラブヘイアに任せ、自身は混乱のさなかにある規制線の外に急いでいたのだ。

 今までずっと論じてきたが、集団のリーダーとは極めて重要な存在だ。

 今回の戦いにおける最大の注目株はソイドビッグだった。ホワイト商会壊滅の旗印だった。

 彼が外にいることで誰もが安心する―――はずだったのだが、人々の視線は誰もビッグに向いていなかった。

 誰もがソブカが発する炎の気質に惹かれていたのだ。

 せっかく急いで戻ってきたのに、いきなり状況が変わっているとはさすがに哀れだ。


「俺だって目立とうと思っていたわけじゃないが…またあいつかよ!! 俺はあいつに届かないのかよ!! くそ! こんなに大きな炎を見せられたら、誰だって認めるしかねえだろうが!! あいつのほうが上だってよ! あいつのほうが相応しいってよ!!」


 ソブカの炎は、まさにラングラスの象徴だった。

 彼ほどラングラスを想い、ラングラスを再興したいと願っている者はいないだろう。

 あれだけの人材がいながら、なぜ現状のままかといえば、本家筋の人間がだらしないからだ。

 ソイドダディーは外から来た人間なので仕方ないが、ソイドビッグという存在が頼りないからだ。自分がなさけないからだ。

 しかし、そんなことはわかっている。


「今俺にできることは、走ることだけだ!! 前に向かってよおおおお!」


 走る、走る、走る。

 心の中に宿る嫉妬の炎を隠すように、ただ走る。

 そうやって何も考えずに走っていたからだろうか。



 マサゴロウと―――遭遇



 ぶんっ! ぐちゃっ!!


「ぎゃああああああああ! ぶへええ!」


 ラングラス側に出現したマサゴロウが、戻ってきた殲滅隊のメンバーを叩き潰していた。

 全身鎧を着ている男も捕まり、その大きな手で握られる。


 ぎゅうううっ ばきばきばきっ


「ぐごごごっ!! や、やめて…ぐっえ……ぶぎゃっ!!」


 ぶちゅっ ぶしゃーーーー!


 鎧ごと身体を半分に引き裂かれた傭兵が絶命。

 マサゴロウの握力にかかれば、この程度の鎧などあってないようなものだった。


「…ん? 何か来たな」


 ここでマサゴロウもビッグに気付いた。


 両者の視線が交わる。



「て、てめぇええええ! 何してやがる!! ここは俺のシマだぞおお!!!」



 ソイドビッグが、叫ぶ。

 マフィアが自分のテリトリーを侵された時のように凄んだ。

 しかし、ここで言う台詞にしては少しピントがずれているので、動揺しているのは明白だ。

 それ以前に、マサゴロウにそんな脅しが効くわけもない。

 マサゴロウは少し首を傾げたあと、思い出したように手を叩く。


「ああ…オヤジの玩具の『豚』か。忘れていた」


 彼らにとって、ソイドビッグなどは『豚』にすぎない。

 アンシュラオンの遊び道具の一つにすぎない。

 これが現実。ラングラスの本家筋の正当な評価なのだ。


「誰が豚だ!! 俺はもう、てめぇらの道具じゃねえ!!」

「…馬鹿だな、お前」

「なんだと!? 俺より馬鹿そうなお前に言われたくないぞ!!」

「オヤジからすれば、すべてが玩具だ。おれらも同じだ。それがわからないなら…馬鹿だ」

「馬鹿はそっちだ!! そういうのは、もううんざりなんだよ!! お前らも頭がおかしいんだ! どうしてあいつの言いなりになってやがる!!」

「………」

「言葉くらいわかんだろうが!! 理解しろよ!! 俺は―――人間だぞおおおおおお!!」


 ブオオオオオッ

 ビッグから戦気が湧き上がる。

 マタゾーに揉まれて馴染んだのがよかったのだろう。彼にしては、なかなか張りのある戦気である。


「オヤジを…怖れないか。すごいな、お前」


 馬鹿の凄いところは、一度こうと決めたら突っ走るところだ。

 後先なんて考えない。勢いだけで目的を決めてしまう。

 だからビッグは、もう完全に腹を決めていた。



「てめぇら全員、ぶっ殺す!!!」



 ビッグが駆ける。

 その熱い戦気を込めた鉤爪を一閃!!

 ざくっ!!

 鉤爪がマサゴロウの無防備な胸に突き刺さる。

 突き刺さる。

 突き刺さる。

 突き刺さ…る?


「………」

「………」

「…あれ? なんとも…ないすか?」

「…うん」

「…なるほど」


 また「なるほど」が出てしまった。

 あまり多用するとマンネリ化するのでやめてほしいが、実際にそう言うしかない状況だから仕方がない。

 ビッグの攻撃は決まった。

 決まったのだが、残念ながら効いていない。

 鉤爪が数センチ程度、胸を抉ったくらいでマサゴロウは死なないし、マサゴロウだからこれくらいの被害で済んでいるともいえる。

 考えてみれば当然だ。攻撃力が「B」のマキが、紅蓮裂火撃を何発も叩き込んでようやく圧せるような相手である。

 豚の爪が、ちょこっと当たったくらいで動じるわけもないのだ。


 ぶーーーんっ ぼごん!!


「ぶぎゃっ!!」


 マサゴロウの反撃。

 張り手がビッグを吹き飛ばす。

 ごろごろと転がりながら大地で呻く姿は、なんともなさけない。

 ソブカとは大違いだ。本家筋がこのざまだからラングラスは弱いのだ。

 だが、彼はまだ諦めない。


「くううっ!! うおおおおおおお!!」


 気合を入れて立ち上がる。

 ただ、無傷とはいえない。今の衝撃で左肩が外れてしまっている。

 奇しくもソブカと負傷した箇所が同じだが、二人は別人であり、互いに特徴も違う。

 ぐぐぐ がごんっ!!


「いってぇえええ!! いてぇが、まだ動くぞ!!」


 肩を強引にはめ込むと、軽く回して動くことを確認。

 肉体の強度という意味で、ビッグとソブカには大きな違いがある。この馬鹿は、とことん頑丈なのだ。

 強い精神力を持つソブカと、肉体に優れるビッグ。

 二人の要素が一つになればラングラスの未来も明るいが、天は二物を与えず。

 ビッグは馬鹿のままだ。


「オヤジの玩具を壊す…か。悪くない」


 今の一撃を受けて死ななかったビッグに触発されたのだろう。

 マサゴロウの戦気が燃え上がる。


(ちくしょう! どうして俺と対峙するやつは、みんなやる気になるんだよ!!)


 豚だから美味しく見えるのだろうか。

 なぶり甲斐があると思われるのかもしれない。


 どちらにせよ、これは―――まずい!



(どうする? どうする? 普通に戦って勝てる相手じゃないぞ!)


 今の一撃でダメージをたいして与えられていない以上、普通に戦っても勝ち目は薄い。

 それでもビッグに逃げるという選択肢はなかった。


(ここで逃げたら、俺は一生あいつに追いつけない! 俺だってラングラスを背負っているんだ! 背負いたいんだよ! 背負わないといけないんだ! だったら、気持ちで負けてたまるか!! そして、気持ちだけじゃ駄目だ!! 立ち向かう知恵を絞り出せ!)


 戦気が激しくも静かに燃える。

 昔のビッグならば、ただがむしゃらに突っ込むことしか能がなかったが、今は違う。

 地雷を回避した時と同じく、意識を集中させてマサゴロウの全身をくまなく観察する。

 どんな武人にも弱点があるものだ。それを見逃さないように、じっと見つめる。


(俺にできることを探せ。欲張るな。俺は弱いんだ。弱いやつは弱いなりに戦えばいい。生き残るために何でもやるんだ!)


 これも皮肉なのだが、こうした考え方はアンシュラオンから教わったことだ。

 あの男と出会う前までは、ダディーに甘やかされて育ったために反骨精神が足りなかった。

 あの頃のビッグなら、マサゴロウと対峙した瞬間に絶望しか湧かなかっただろう。

 それがこの成長ぶり。

 ソブカの戦気に憧れと嫉妬を抱いているが、彼もまた成長の道程を歩いているのだ。


 考える。考える。考える。


 ひたすら考えた末、ビッグが選んだのは―――銃。


 倒れた時、さきほどマサゴロウに潰された殲滅隊のメンバーが持っていた銃を見つけていた。

 ダダダッ! がしっ

 迷うことなくそれを拾い、マサゴロウに向けると―――

 どんっ

 銃弾を放つ。


「そんなものは効かん」


 マサゴロウは動かない。

 体力と防御力に絶対の自信があるのだ。よける必要性は感じられない。

 だが、そんなことはビッグも理解している。

 もし銃程度でなんとかできるものならば、ホワイト商会はこれほど怖れられなかったのだから。

 だからこそ、これは囮にすぎない。


 銃弾がマサゴロウに命中。


 どーーーんっ ブオオオオッ!


 激突と同時に爆炎が広がる。

 館を焼いた爆炎弾が装填されていたため、激しい炎が吹き上がった。

 防御の戦気を展開しているマサゴロウには通じない。爆炎よりも強い戦気で身体を覆っているし、ちょっと触れたくらいでは彼の肉体は傷つかない。

 しかし、それによって視界が塞がったのは事実。

 その間にビッグは駆けていた。


「小細工を」


 ぶーーーんっ!! さっ!


 マサゴロウの張り手が飛んできたが、それをかわす。

 視界が塞がれているので、彼も正確にビッグの位置を特定できなかったのだろう。

 そして、これによってビッグは相手の弱点を確信する。


(やっぱりだ! こいつの攻撃は精密性に欠けるんだ! 考えてみりゃ当然だ。こんだけ大きければ動きが鈍くなる。今の一撃だって師匠には及ばないぜ!)


 ヤドイガニ師匠の一撃はシャコのパンチのように速かったが、マサゴロウのものは、それと比べるとかなり遅い。

 この弱点は、アンシュラオンと対峙した際にも出ていたものだ。彼はパワーにも優れるが、力を溜めてから出すまでが遅い。

 通常の武人くらいならば捉えられるものの、高速戦闘になるとどうしても隙が生まれる。

 ビッグでもこうして目を眩ませれば、攻撃をよけることができるレベルになってしまうのだ。


 この間に一気に接近。


 ぶーーーんっ!! さっ!


 返しの一撃も回避し、ついに懐に潜り込む。

 そこに鉤爪による渾身の一撃。

 ザクッ!!

 鉤爪は再び胸に突き刺さるが、やはり心臓には届かない。

 彼の戦気によって大部分が防がれてしまう。


(いいんだ。これでいい!! こいつの弱点はもう一つある!!)


 がちゃんっ

 ビッグの鉤爪が、外れる。

 実は走りながら少し緩めておいたのだ。こうして思いきり叩き付ければ外れるようにしておいた。

 マサゴロウの意識は胸に集中している。

 まだ爆炎は続いているので視野は完全に確保されていない。

 その状況ならば、防御の戦気にも『穴』が生まれる。


「うおおおおおおお!」


 ビッグが跳躍。

 彼も大きな身体をしているが、それよりさらに大きなマサゴロウの顔面に向かって跳んだ。

 ボオオオオッ

 拳に集めた戦気が燃える。



「このやろおおおおおおおおおおお!!」



 それをマサゴロウに―――ぶちかます!!!


 どごおおおおおおっ!! バーーーンッ!!


 強烈なアッパーカットが炸裂。

 身長差があるため、正しくいえば真上に突いたストレートパンチだが、全身全霊を込めた拳が顎を貫いた。


「むっ…!!」


 ぐらぐら

 衝撃でマサゴロウの身体が揺れる。

 たかがビッグの攻撃である。普通に考えれば、この男を動じさせることは不可能だ。

 もしビッグの拳が普通のものだったら、の場合であるが。


(なんだ今の感じ? 俺はただ、あの時と同じようにやろうしただけだが…あれ? あれって手を開いていたか?)


 ビッグは裂火掌を使おうとしていた。

 因子レベル1で使える覇王技であり、基礎技がゆえに極めれば強烈な一撃になるものだ。

 ヤドイガニ先生を倒した時のように、その技を使おうとしていた。

 ただ、焦ってしまったのか拳は握ったままだった。鉤爪を外した直後だったので混乱してしまったのだろう。


 ごおおおおお


 だが、ビッグの拳が激しく燃えている。今まで以上の火気をまとっている。

 覇王技、炎竜拳《えんりゅうけん》。

 拳に火気をまとわせて攻撃する技で、打撃と同時に防御無視の追加ダメージを与える爆発を引き起こす。

 多少異なる点もあるが、マキが使った紅蓮裂火撃は、この炎竜拳を連打するものと思っていいだろう。

 彼女の一撃も防御無視の追加ダメージを与えたので、強固な相手にも安定した戦いができる。

 これを掌から放射するのが、ダディーやレイオンが使った炎龍掌《えんろんしょう》である。

 大きな爆炎を生み出して、広範囲を焼き尽くす際は後者のほうが効果的だが、単体への攻撃では一点に集めた炎竜拳のほうが強い。


 ただし、もっとも重要なことは、これが【因子レベル2】の技であることだ。


 裂火掌でさえ覚えたばかりのビッグの因子レベルは、1だった。


 1―――【だった】


 かつては『1』だったが、今が1であるとは限らない。



―――『男子、三日会わざれば刮目して見よ』



 彼のデータは、アンシュラオンが初めて出会った時に公開されたものだ。

 それからビッグは、強い武人や魔獣と戦うことを余儀なくされた。


 ならば


 ならば


 ならば!!!





 今の彼は―――にぃいいいいいいいいいいいいい!!





 因子レベル2!!!!




(なんだか知らねぇが、力が湧いてくる! 俺は、俺は、成長しているうううううううう!!)


 知らずのうちに彼の血は活性化していた。

 陽禅流鍛練法を甘く見てはいけない。あの覇王が長年研究して、ようやくたどり着いた答えなのだ。

 武人は、追い詰められればられるほど強くなる。

 今、彼は肉体的にも精神的にも激しく追い詰められていながら、それに立ち向かおうとしている。

 戦罪者でさえ、アンシュラオンに立ち向かうことができないのだ。

 いや、死ぬだけならばできる。死んでもいいと思って殺されることはできる。

 が、彼のように生き永らえながら倒す、という気概を持った馬鹿は、さすがの戦罪者の中にもいないのだ。




538話 「戦罪者と対峙する者たち その2『怒れる虎の子』」


「俺は、俺は!! 強くなってるぞおおおお!」


 自分が強くなったことを実感するのは、楽しいものである。

 スポーツだろうが、ゲームだろうが勉学だろうが、成長していくことに人は快感と充実感を覚えるものだ。

 ビッグがこうして叫ぶ気持ちもわかる。

 彼はたしかに強くなったのだろう。


 ただし―――


「ふん…」


 ガゴンッ

 マサゴロウが外れた顎をはめ込むと、再び構える。

 それを見たビッグの目が点になる。


「…え? なんともないすか?」

「いいパンチを持っている」

「…感想はそれだけ?」

「…うん」

「…なるほど」


 安易に「なるほど」を使うな!!!

 ピピー!

 ビッグには厳重注意のイエローカードを提示である。

 もう一枚出されてレッドになると、ケツから血を出す罰が与えられます。(それは痔である)



(なんだぁ!? 効いてないのかよ!! 嘘だろう!? 全力の一撃だぞ!)


 彼にとっては渾身の一撃だったので、驚愕するのも無理はない。

 だが、これもよくよく考えてみれば当然である。

 まずアンシュラオンの鍛練によって、因子レベルが2になったのは事実かもしれないが、因子が2あっても完全に引き出すにはそれなりの修練が必要だ。

 ゲームのように、レベルアップした直後からフルパワーが発揮されるわけでもない。

 このことから、次のレベルに至るまでの間が「因子の充足期」と考えることができる。

 つまりは、1から2になるまでの間に、因子レベル1の力が徐々に発揮されていくと思えばいい。

 技は因子があれば発動できるのだが、ビッグが放った炎竜拳は、2の中でも「下の下」の威力した伴わないものだった、ということだ。


 そして、もう一つの決定的な要素がある。


 ゆらゆら ボッボッ


 ビッグの手に宿った炎が、不安定に揺らめいて消えそうになる。

 これは技が『不完全』だったからだ。

 技を放つには一定の動作と特定の戦気術の操作が必要となる。多少の幅はあるが、そこから逸脱すると技が成立しない。

 ビッグは直感(因子の感性)によって技を使っただけなので、すべてが我流になっている。

 このまま突き詰めれば独自の型として完成するのだろうが、初めて使ったばかりなので非常に不安定な状態であった。

 本来の炎竜拳はその名の通り、拳に宿った炎が龍の形状に変化するという特徴がある。

 それが拳打の威力とともに相手をぶち破り、爆発するから強力になる。

 が、不完全な技ならば、少しばかりぐらつかせるのが精一杯だろう。



「今度はこちらの番だな」


 ぐるんっ! ぐぐぐっ!

 マサゴロウが身体を捻り、拳に戦気を溜める。

 溜まる、溜まる、戦気が溜まっていく。


「いや、ちょっとこれは…!! 無理…かも!」


 こうして対峙しているだけでも、手に集まった力は尋常ではない。

 アンシュラオンから見れば隙だらけで雑な攻撃でしかないが、普通の人間からしたら、目の前でバットを持った大男が思いきり振りかぶっているようなものだ。

 これは、怖い。怖すぎる。

 ビッグには、攻撃して妨害するという選択肢はない。どうせ効かないのだから、逆に敵の間合いに入るだけの危険な行動になるだろう。


 そして、拳が放たれる。


 この巨体から繰り出されるのは、虎破。

 爆炎弾でさえダメージを負わない戦気を圧縮した、一撃必殺の技だ。


「やべぇえ! ぐおおおおっ!!」


 ずざざざっ!!

 ビッグは、無我夢中で地面にダイブ。

 よけるほうも必死だ。地面を抉りながら下に回避。


 ぶおーーーーーんっ!! ばしゅんっ!!


 放たれた虎破がビッグの頭の上を通っていく。

 拳から噴出した戦気の余波で、その射線上にあった草木が蒸発した。

 地面も多少蒸発したので、その際にビッグの髪の毛がちょっとなくなったりもしたが、これくらいで済んだのは幸いだろう。


(や、やべぇえ! くらったら、さすがに死んでいたぜ!!)


 これだけの威力の虎破をくらえば、清龍の力を受けたビッグでも生き延びられるかは怪しい。

 マサゴロウの攻撃が大雑把だったことで助かった。まさに命拾いだ。


 しかし、現状は何も変わらない。


 ビッグ単独では、どうしても勝てない。

 ただ、彼は独りで戦っているわけではない。


「若頭!!」


 そこにビッグを捜していたソイドファミリーの構成員三人がやってきた。


「こいつ! 若頭から離れろ!!」


 即座に状況を理解した彼らが、銃撃を開始。

 バンバンバンッ ぼんぼんぼんっ!!

 爆炎弾を打ち込み、マサゴロウの動きを止めようとする。


「馬鹿野郎! 来るんじゃねえ! 死ぬぞ!!」

「水臭いことを言わないでください! 俺らは若頭に命を預けますぜ!! 一緒に戦います!!」

「そんなレベルじゃねえんだよ! こいつはやばいんだ! 今の俺ならわかるんだよ!!」

「俺らだって役に立ちますよ! いくぞ! 若頭を援護しろ!!」

「おおおおお!」


「ふんっ、雑魚が。死ね」



「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」



 マサゴロウが拳に戦気を溜める。

 その時間、およそ二秒たらず。

 一般人からすれば二秒は短いが、武人の世界では相当長い時間になる。これがマサゴロウの弱点だ。

 ただし、彼はこれを『対集団戦闘』に生かすことで解決している。


 マサゴロウの大きな掌から―――戦気掌。


 集めた力を一点ではなく、広範囲に広げることで、大人数の敵に対応するようにしたのだ。

 これによって遅さを気にせずに力を溜めることができる。

 部位を狙うのではなく、範囲に放てばいいので正確な攻撃が必要なくなるからだ。


 戦気掌が―――構成員を呑み込む。



 ザザザーーーーーー!! ボンボンボンッ!!



 熱風に晒された構成員たちが、電子レンジで温められた「ゆで卵」のように、ぼんっと爆発していった。

 表面も当然焼け焦げているが、相手の防御の戦気を貫通して内部に染み込んだ戦気が行き場を失い、膨張して爆発したのだ。

 アンシュラオンが使う戦気掌は、威力が高すぎて消し炭になるが、マサゴロウが使うものだと、こういった現象が起こるわけだ。


 こうして中級構成員たちは、あっという間に戦死。


 バッジョーが攻撃力の低いファテロナにも秒殺されたことを考えれば、この結果も致し方がない。

 マサゴロウが強いのだ。


「あっ…あぁ……」

「弱いな。まったくもって弱い。これでオヤジと戦うとは…馬鹿は死ななければわからない、か」

「………」

「どうした? 絶望したか? …それもいい。それが普通だ」


 強い力に出会えば、誰だって絶望する。

 人間が裸で本気で飢えた猛獣と出会えば、その気持ちがよくわかるだろう。

 「俺は猛獣と出会っても平気だぜ。目を狙えばいいんだろう?」と粋がる若者もいそうだが、身体の構造自体が違うので戦闘能力そのものが違う。

 無邪気に向かったその者は、腕を噛み切られ、最悪の場合はそのまま餌になるだろう。

 無情な世界なのだ。慈悲や癒しとは正反対の荒野である。

 そんな場所でアンシュラオンや、彼の部下である戦罪者と出会えば絶望するしかない。


「………」


 ビッグは黙っている。

 ただただ黙って見ていた。

 目の前には仲間の死体。爆破した肉片が転がっている。

 こんな惨状を見れば、もう戦う気などなくすだろう。



 だが、だが、だが。



「はーー、はーーーー、はーーーーー!!」



 ビッグの呼吸が荒くなる。

 出撃前も恐怖で過呼吸に陥っていたので、それが再発したのかとも思われた。



「はーーーーはーーーーーはーーーーーーーー!!!」



 呼吸をする。

 息を吸う。息を吐く。


 吸う。吐く。

 吸う。吐く。吸う。吐く。

 吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。

 吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。




「はーーーーはーーーーーはーーーーーー!!」




 ボオオオオオッ ボオオオオオオオオッ!!


 呼吸を重ねるごとに、ビッグの身体が燃えていく。

 種火に息を吹きかけるように、燃え盛っていく。

 戦気が、燃え上がっていく。



 これは―――【練気】



 武人が戦気を練るために必須の呼吸法だ。

 練気を使わない武人はいないが、基本の型はあっても各武人によってやり方は異なる。

 これまた師匠がいないビッグは、自己流。

 そのためか、まったくもって効率は悪く、吸った分のすべてが力になっているわけではない。

 そもそも練気の道は長く険しく、アンシュラオンでさえまだ究極には至っていない。陽禅公でも完璧ではない。

 ビッグがこうして無駄に力を使うのは仕方のないことだろう。



 が、不足した分も強引に―――練り出す!!!



 ぼっ! ぼっ!! ぼっ!!!! ぼぼんっ!!


 バイクのエンジンが付かなくて、何度もキックを繰り返すように、執拗なまでに何度も何度も何度も火を入れていく。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなよ!!!」


 ギリギリギリ ガキンッ

 あまりに強く歯を噛み締めたせいか、奥歯が欠けてしまった。

 そうなっても彼は、まだ力を込めることをやめない。



 ガキンッ! ガキンッ! ガキンッ!!!



 歯が欠け続けたから、いったいそれが何だというのさ?

 そりゃ痛いよ。それなりにつらいさ。

 だが、それがいったい何だっていうのさ?


 この痛み、この痛み、この痛み!!!


 仲間を、仲間を、仲間を!!!


 殺された痛みに、痛み、痛みに―――



―――比べれば!!!





「俺は、自分で自分がゆるせねぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」





 ブオオオオオオオオオオ!!


 ビッグの身体から【炎】が噴き上がっていく。

 激しい闘争本能が目覚めていく。

 彼は、彼は、けっして絶望などしていなかった。


 ソイドファミリーの構成員たちは【家族《なかま》】だ。


 彼らはエジルジャガーを家紋にするくらい集団意識が強く、赤の他人であってもファミリーに入れば、家族同様に接してきた。

 今だって危険を承知で自分を助けようとした結果、死んだ。

 彼らは、自分の意思で結婚すらできないし、あえてしない。

 ファミリー内の秩序を保つために、基本的にはダディーの血筋しか子供を残さないと決めている。

 ソブカを見てもわかるように、派閥内部での血みどろの争いを防ぐためだ。

 そこまで自分に尽くしてくれた者が、死んだ。

 自分がふがいないから、死んだ。


 それが、それが、それが!!!




 ゆるせ―――ないいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!




「おおおおおおおおおおおおおお!」



 怒りが頂点に達し、戦気が爆発。

 燃える、燃える、燃える。

 燃えきった戦気が、さらに燃えて輝きが変わっていく。

 ジュボォオオオオオ!

 同じ赤でも、もっともっと濃度の高い赤にグラデーションのように切り替わる。


「うおおおおおおおおお!!」


 その炎をまとい、ビッグがマサゴロウに向かっていき、拳を放つ。

 がむしゃらの一撃だ。何も考えていない。

 だからこそ、この瞬間だけ因子が彼の身体を支配した。

 サナが因子の記憶、『グランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉』によって導かれたのと同じく、彼の身体も適切な流れに沿って勝手に動いていく。

 拳が燃える。

 次第にそれは単なる炎ではなく、【荒れ狂う龍】の形になっていく。

 グオオオオオオオオ!!

 拳にまとった龍が、咆え―――



 炎龍がマサゴロウに―――激突!!!



 ドゴーーーーーンッ!!



「ぬっ! この圧力…は!!」


 ぶわっ


 マサゴロウの足が、地面から離れた。

 ソイドビッグの拳の圧力が強くて、こらえることができなかったのだ。

 そこからさらに爆炎と化した龍が、喰い散らかす!!


 ガブガブガブッ! ボンボンボンッ!!


 炎牙がマサゴロウに喰らいつくと、腹、胸、肩に牙を突き立て、そこで爆発を引き起こす。

 これぞ本当の炎竜拳の姿。

 紅蓮裂火撃と多少違うと言ったのは、こうして爆炎が生きているように襲いかかるからだ。

 そして、この炎竜拳を完全に使うためには、『炎』属性を持っていなければならない。

 初期データのソイドビッグは、『火』属性までしか持っていなかった。

 しかし、人が進化するものならば、属性もまた進化していくもの。

 火の資質があるということは、『炎』の資質を持っているということ。



 火気から―――【炎気《えんき》】へ。



 火の上位属性へと質が変化していく。


 ジュウウウ ボンボンッ!!

 ジュウウウ ボンボンッ!!

 ジュウウウ ボンボンッ!!


 焼き尽くし、燃やす!

 マサゴロウを燃やす!!



「はーーーはーーーはーーーーー!!」



 ビッグは、荒い呼吸で必死に力を振り絞る。


 ギャオオオオオオオオオオ!!!


 彼がまとう炎気が、獣の叫び声のような音を立てている。

 昇る、昇る、火は昇る。

 温かいものは上昇する。彼の熱気が舞い上がっていく。


 そこに浮かび上がるは―――【虎】


 炎が変質し、ネコ科の動物を模した形へと変わっていく。

 まだまだ未成熟なので、虎と呼ぶのは虎に失礼だ。ここではあえて【虎の子】と呼ぶべきかもしれない。

 まだ幼く、数多くの失敗もするだろう。

 まだ弱く、何度も転んでは危機に遭うだろう。

 しかし、そこには人々を惹き付ける『愛嬌』と必死さがあった。


 鳳旗に集まっていた人々の視線が、少しだけ逸れる。


 空に舞う不死鳥と、大地で必死になって叫ぶ虎の子の二つを、交互に見つめる。

 両者はまったくの正反対だった。

 ソブカの炎は、どこまでも自由を欲し、それでいながら大地をけっして見捨てない崇高さを持ちつつ、敵を滅するための凶悪さも併せ持つ。

 一方でビッグの炎は、不器用で甘ったれで、時には怯えたりしながらも、けっして逃げ出すことはなく、仲間や家族を見捨てない愛情を感じさせる。



「あっ、なんだか…あったかそう」

「近寄っても…いいのか?」

「あれなら…大丈夫そうだ。俺たちも行こう!」



 ソブカの不死鳥が怖いと感じていた者も、ビッグが発する炎虎を見て安心したのか、次々とラングラス側に集まってきていた。

 人間の印象が、そのまま表れているのだ。

 ソブカを見て怖いと思う者も、ビッグを見れば「なんだ、こいつか」と侮る。

 その侮りが安心感となって、人の心に余裕を持たせるのだ。

 それならそれでいい。結果的に人を助ける力になれば、それでいいのだ。


(いいですよ、ソイドビッグ。あなたはそうやって強くなればいい。あなたは私にはなれないし、私もあなたにはなれないのです。私はあなたが羨ましい。そんなに恵まれた身体を持ち、ラングラスの本家である、あなたがね。こうして相手を安心させる、その力が羨ましい)


 ソブカも、ビッグの力を認める。

 いや、知っていた。彼にその可能性があることを、ずっと知っていたのだ。

 現に今まで一度たりとも、ソブカはビッグを馬鹿にしていない。

 アンシュラオンやプライリーラが侮った時も、ソブカだけは彼を擁護し続けていた。



 ソブカが不死鳥となって地面を見下ろせば、ビッグも虎の子となって上を見る。



 炎が燃えている。



 二人は、両者ともに―――ラングラス



 形や傾向性が違っても、火の志を受け継ぐ者なのである。




539話 「戦罪者と対峙する者たち その3『殺しのプロフェッショナル』」


 ソイドビッグが覚醒を始める。

 彼の中に眠っていた激しい感情が引き出され、上位属性の炎気が発現した。

 この『炎気』は、熱い情熱と強い闘争本能を持つ人間を好む傾向にある。

 そのため実は、アンシュラオンは扱うことができない気質だったりする。

 あの男は、どんな戦いでも冷静さと頭脳をもって戦うタイプなので、本来の性質である水属性が異様に発達しているのだ。

 『命気』はパミエルキも扱えるが、水に究極特化しているアンシュラオンのほうが勝る。だからこそ彼女の臨気も防御できるというわけだ。

 このあたりは相性もあるので難しい。扱えたほうがいいが、扱えなくても強い武人は強いものだからだ。


 ともあれ、ビッグは【ラングラスの資格】を得た。


 プライリーラも『嵐気』を持っていたように、各派閥の本家あるいは強い血を引き継ぐ者は、それぞれに対応した上位属性を扱えるようだ。

 ソブカも炎属性を持っているため、ビッグもようやく並ぶことになった。


 ただし、これで油断してはいけない。


 がしっ



「…え?」


 炎竜拳が決まって叫んでいたビッグの腕を掴む者がいた。


 それは―――マサゴロウ


 ボーーーンッ! ぶすぶすぶす


 マサゴロウが戦気を爆発させ、身体に燃え移った炎気を弾き飛ばす。

 炎竜拳を受けても、彼はまだ立っていた。やられたとは誰も言っていない。

 マサゴロウは、まだ生きている。


「効かなかった…すか?」

「いいや、効いた」


 見ると、マサゴロウの身体は各所が抉られ、さらに炎気で焼かれてボロボロになっている。

 ビッグの攻撃は効いていた。ダメージを与えていた。

 しかし、マキでさえ倒しきれなかったのだ。彼の耐久力は想像を超えている。

 そして、この一撃が彼を本気にさせる。


「…おもしろい。お前を…敵と認める」


 スウウウ

 マサゴロウの目が、静かで獰猛な色合いを帯びる。

 それと同時に気配が変わった。

 ひどくひどく冷たい感覚だ。炎気によって周囲の温度は激しく上昇しているのに、背筋が凍えそうになる。


(なんて殺気だ…!! これがこいつらの本性かよ!!)


 戦罪者は戦うために生きている者たちだ。

 その本質は、やはり破壊。殺して殺して殺し尽くすのが目的。

 それが享楽のためか、あるいは何かしらの目的や理念のためかは問わない。


 彼らの役割は―――徹底的な殺戮!!



「いいパンチだった。だが、掴んだ」


 掴めばマサゴロウのもの。

 ぎゅううううううっ!!!

 大きな手でビッグの腕を圧迫する。


「ぐおおおおお!! いてててて!! ちくしょう!! なんて力だよ!!」


 ビッグも腕力には優れている。ソイドファミリーでも、ダディーの次に強いはずだ。

 それが、まったく通じない。

 赤子が大人に腕を本気で握られたように、肉が圧され、骨が軋む。


「このやろおおおお!! 放せ、こらああああ!!」


 ドンドンッ! バキッ!!

 殴る、殴る、殴る。

 左手で何度も殴りつけるが、マサゴロウは放さない。

 ジュウウウッ!! ボンボンッ!


 覚えたばかりの炎気を爆発させて燃やそうとするも―――動かない。


 彼は一度握ったものは絶対に放さない。その部位を引き裂くまで。

 だからこその異名、『身体割りのマサゴロウ』の二つ名なのだ。

 マサゴロウが、さらに力を込める。

 ミシミシミシッ!


(やべぇ! もっていかれる!!)


 腕を失っても武人は戦える。技は使える。

 とはいえ腕を失うことは、足技が主力でないビッグにとって戦闘力の激減を意味する。

 その状態でマサゴロウと対峙するのは、そのまま死に直結するだろう。

 なんとか逃げ出そうとしても、もう完全に手詰まりだった。

 達人のアル先生だって、足を自ら捨てたくらいだ。まず優先すべきは命である。

 それはわかる。わかるが、簡単に決断はできない。


「ちくしょうううううううう!! はなせぇええええええ!」


 ビッグは腕を失うことを諦めきれない。ひたすらあがく。

 武人としては失格だ。

 アンシュラオンならば怒るだろう。ダディーだって叱るかもしれない。

 だがしかし、それこそ人間の感情というものだろう。誰だって腕を失いたくはない。

 彼は素直に自身の望みを表現しているだけなのだ。


 だからこそ―――魅力的。


 彼はとても人間らしい人間だった。

 それが強烈な【運気】となって人を引き寄せる。



 バチーーーーーーンッ!!!



「ぬぐっ!」



 バチバチバチバチッ!!

 マサゴロウの動きが、一瞬だけ止まった。

 強く握っていた手も、この瞬間だけは緩んでいる。

 もともとビッグは必死になって引っ張っていたので、ずるりと腕が抜けた。

 ただ、ここはさすがビッグ。

 ゴンッ!

 その勢いのままひっくり返り、後頭部を地面に打ち付ける。


「あたたた…!! なんだ、どうなった!? 腕は…ある!! 腕は無事だ!!」


 まず確認したのが、自分の右腕。

 かなり内出血が見受けられるが、幸いなことに腕は存在していた。

 ぐっと握れば、しっかりと筋肉も膨れ上がる。


「何があったんだ…? いったい何が…」


 自身の力で抜け出せなかった以上、他の何かしらの力が働いたと見るべきだ。

 ビッグにもそれはわかる。今何かが起きたのだ。


 では、何が起こったかといえば―――


 どす どす どすっ


 ビッグの視界、マサゴロウの後ろから一人の男が歩いてきた。

 全身を黒い外套で覆っている大男だ。

 一瞬青劉隊の人間にも見えたが、外套の色が違うので彼らではないだろう。


「あ、あんたは…」


 ビッグはその男に見覚えがある。

 こんな奇妙な男は、物覚えが悪いビッグとて忘れるわけがない。

 なぜならば、この男とは今朝方やりあったばかりだからだ。


「惰弱、脆弱」


 しゅるるっ

 外套の足元から黄色い紐が出ており、まるで生きているかのように動いている。


 その男は―――



「JB!! なんであんたが!」



 JB・ゴーン。

 ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉の一員にして、いきなりグラス・ギースに攻撃を仕掛ける危ない男だ。

 彼の性格を考えれば、ビッグを助けるような男ではけっしてない。

 だが、現状を見る限り、どう考えても彼の行動によるものだった。

 近寄ってきたJBは、倒れたビッグを見下ろして首を振る。


「理解できん。まったくもって意味不明だ。『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』は、なぜこんな男を気にかけるのか」


 JBの力の源である、ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉。

 思想を糧にして力を生み出す強力な『石』だ。思想さえあれば全身の再生すら難しくはない。

 この存在は、宿主を差し置いて今朝もビッグに力を貸したのだ。

 そして今も、ビッグに対して強い関心を示している。


「なぜ、お前は求められる。なぜだ? なぜなのだ?」


 JBはあの後、ひどく落ち込んでいたものだ。

 クロスライルは観光を楽しんでいたようだが、当然ながら彼は思考の渦の中に取り残されていた。

 今までJBがおとなしかったのは、似た者同士の青劉隊の存在もあったが、本当のところはずっと悩んでいたのだ。

 なぜ、自分よりビッグが好かれるのか。

 どうしてネイジア〈救済者〉は、こんな『豚』に興味を示すのか。

 それが、わからない。

 わからない。わからない。


「いや、なぜって言われても…どうしてなんだろうな?」

「わからぬ。わからぬ。わからぬううううううううううううう!!!」

「お、おい! 今はそんなことを言っている場合じゃ…! 助けてくれたのは嬉しいけどよ…!」

「助けた? …そうだ。私はなぜ、お前を助けたのだ!!」

「ちょ、ちょっと! あああああ、後ろ! 後ろ!!」

「説明できるのか! 貴様にできるのか!!」

「だから、うしろおおおおおおおおおお!」」


 シ〇ラ、後ろ!!!


 ビッグが慌てて指差した方角には、マサゴロウの手。


 がしっ!!


 雷撃から復帰した大男の手が―――JBの頭を掴む!!


「よくもやったな。このまま握り潰す」


 ぐぐぐぐっ みしみしみしっ

 マサゴロウの握力は強い。とんでもなく強い。

 JBの頭が、見る見る間に潰されていく。

 彼は思想がある限り復活できるので、顔が潰れるくらいは問題ないかもしれない。

 しかしながら、それは―――


「不快だ。触れるな」


 しゅるるるっ がしがしっ

 JBから黒い紐が三本出ると、マサゴロウの首と腕と足に絡みつく。

 こちらも負けじと締め付ける。


「なんだ、これは。こんなもの…効くか」


 常人なら一瞬で首がねじり落とされ、武人でも窒息するレベルの圧迫だが、マサゴロウにとってはたいしたものではない。

 やはりマサゴロウは強固だ。耐久力が桁違いである。


「やべえぞ! それは簡単には抜け出せない!! 待ってろ、今助けるからな!!」


 助けられたのだから助けようとするのは、人として当然だ。

 筋者の彼ならば、筋を通して恩を返すべきだ、と考えるのは自然である。

 だが、JBにとっては、それそのものが―――



「この私を心配するとは―――不快!!」



 しゅるるるっ バチンッ

 黄色い紐がマサゴロウに絡みつき、雷撃を放射。

 バチンバチンバチンッ!!


「むっ!!」


 ジュウッ

 雷撃を受けてマサゴロウの皮膚が焦げる。

 身体が頑丈なので、ちょっと火傷をした程度にすぎない。

 JBもデータを見るまでもなく、マサゴロウと対峙した瞬間に彼の特性を見抜いていた。

 これだけ大きな男だ。特徴がわからないほうがおかしいともいえる。

 では、こういう相手には、どのような戦い方が有効なのだろう。

 それをこれからJBが実践する。


「身体が丈夫なのが自慢のようだな。だが、神経はどうにもならぬ」


 しゅるる

 新たに二つの黄色い紐が生まれ、マサゴロウに絡みつく。


 バチンバチンバチンッ!!

 バチンバチンバチンッ!!

 バチバチバチバチッ バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ バチバチバチバチッ

 バチバチバチバチッ バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ バチバチバチバチッ


「ぐううううっ!!」


 雷撃の数と威力が増していくたびに、マサゴロウの手から力が抜ける。

 こればかりは彼にもどうしようもできない。

 人間の筋肉は神経、つまるところは【電気信号】によって操作されている。

 一般人も感電すると身動きが取れなくなるように、武人であってもそれに見合うだけの電流を流してやれば、身体は痙攣して動かなくなる。

 アンシュラオンがよく雷神掌を使う理由がこれだ。

 デアンカ・ギースのような分厚い肉を持っている大型魔獣であっても、雷撃によって神経を麻痺させてしまえば動きが鈍くなる。

 雷属性は単体への攻撃という意味で、極めて優秀な力を持っているのだ。


「そろそろ放せ」


 ぐいっ ずるんっ

 そうして動きが鈍ったマサゴロウの手を紐で強引に剥がすと同時に、黒い紐で彼の身体を固定。

 感電している状態に加えて四肢まで縛ったので、完全に動きを封じる。


「私にはネイジアのみが触れることが許される!!! それ以外の者が触れることは罪としれ!! 罰を受けろ、痴れ者が!!」


 ブオオオオオッ

 JBから凄まじい圧力の戦気が放出される。

 ビッグの炎気もよく燃え上がっていたが、これはそれ以上の炎の煌きであった。

 赤よりも白が強い、彼本来の気質だ。思想が十分に彼に力を与えている証でもある。


「ぬんっ!!」


 JBが構え、拳を叩き込む!!!


 ドドドドドドッ!!

 バーーーーーーーンッ!!


 六震圧硝《ろくしんあっしょう》。

 彼が得意とする拳の連打であり、打撃と同時に衝撃波を生み出す強力な技だ。

 物理耐性のあるマサゴロウに、こうした物理技は通じにくい。

 本来ならば、ビッグが攻撃した時のようにダメージが半減してしまうだろう。

 しかし、雷撃を受けて筋肉が弛緩しているマサゴロウは、万全の状態で受けることができない。

 身体が動かないということは、戦気の放出もかなり弱まっていることを意味するので、防御力はがた落ちの状態にある。

 そこにこれだけの技が叩き込まれれば、今までとは話が違う。


 拳の威力が―――内部にまで浸透。


 みしみしみしっ


「ごふっ」


 マサゴロウが、吐血。

 筋肉が破壊され、臓器が損傷する。

 だが、そこで終わらない。


「はぁああああ! ぬんっぬんっぬんっ!!!」


 ドドドドドドッ!!

 バーーーーーーーンッ!!


 ドドドドドドッ!!

 バーーーーーーーンッ!!


 ドドドドドドッ!!

 バーーーーーーーンッ!!


 動けないマサゴロウに対して、さらにさらにさらに攻撃を加えていく。

 殴る、殴る、殴る!!!

 殴るたびに強い衝撃波が発生し、大地が抉れていく。

 六震圧硝を三回、途切れることなく叩き込む。


 みしみしみしっ ぼんっ!!


 衝撃波が重なり合い、反発し合ったことで、マサゴロウの身体の中で爆発が発生。



「ぶ―――はっ!」



 ぶちぶちっ バチーーーンッ


 身体を押さえつけていた紐が、反動でちぎれるほどの威力が生まれた。

 それによってマサゴロウが吹っ飛び、地面に大の字に崩れ落ちる。


 ぶしゅうーーーー ごぼごぼっ


 これだけの衝撃が発生したのだ。マサゴロウの身体の中はズタボロだろう。

 現に倒れている今も大量の血を口から吐き出し、ビッグが穿った身体の穴からも血がこぼれ出ているほどだ。



「ふん、話にもならぬ。所詮Cランクの賞金首など、この程度のものよ」


 JBが紐を収納し、倒れたマサゴロウを見下す。


「あ、あんた…強いんだな! 俺でも苦戦したんだぜ。すげぇよ!!」

「ぬぐううう!! なんという不快!! 貴様にそんな口を叩かれることが一番の不快だ!!」

「なんだよ、褒めたんじゃねえか」

「それが不快なのだ!! なぜ私が貴様に侮られる!! 調子に乗るな!! 私はネイジアの力を受けた、栄光ある『メイジャ〈救徒〉』なのだぞ!」

「メジャー? 有名だってことか?」

「くううう! 大きく意味が外れていないから憎らしい! この馬鹿が!!」


 JBは、マサゴロウを一蹴。

 しかもただの力押しではなく、雷撃を効果的に使って打ち倒す。

 忘れてはいけない。彼は幾多の戦場で、数多くの猛者を屠ってきた殲滅者である。

 その中には普通の攻撃が通じない強固な武人もいたものだ。マサゴロウより防御と耐久性が高い武人など、世には山ほどいる。

 もしJBがただの頭の悪い狂信者ならば、到底勝ち続けることはできなかっただろう。


 戦闘において―――彼はプロフェッショナル。


 戦罪者を殺すために、ここにやってきた殺しのプロだ。




540話 「戦罪者と対峙する者たち その4『魔人の思想、具現化する思想たち』」


 JBはマサゴロウを一蹴。

 ホワイト商会を倒すために呼ばれた以上、凄腕なのはわかっているが、まさに殺しのプロフェッショナルであった。

 多少名が売れていても、そこらの戦罪者では『ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉』のメンバーに勝つことは不可能だ。

 彼らは特殊な人間たちであり、レベルもパワーも段違いである。

 しかしながらホワイト商会の戦罪者もまた、普通の武人ではない。


「………」


 むくり

 マサゴロウが無言で立ち上がった。

 身体の表面は、ビッグの炎竜拳とJBの六震圧硝によって、見るも無残な状態になっているが―――


 じゅううう


 それが少しずつ回復している。

 彼らもまた回復術式を仕込んでおり、身代わり人形も持っているので簡単には死なない。

 これは総力戦。命をかけた真剣勝負。

 彼らに二度目など存在しない。今この瞬間こそがすべてだ。


 その証拠に、マサゴロウが死を―――受け入れる。



「あぁ…オヤジ、おれはここで死ぬことにしよう。あんたと出会えて、楽しかったよ。そして、オヤジのために、おれがおれらしくあるために、最期まで戦って…死ぬ!」



 マサゴロウが、笑う。

 その目は死を怖れないどころか、死することを楽しみにするような感情を宿していた。

 実際、彼はとても幸せだったのだ。

 最期にアンシュラオンという存在と出会えて、彼のために死ぬことができるなど、戦罪者にとっては最高の人生である。

 彼が死を受け入れたと同時に、戦気の質も大幅に変化。


 ズオオオオオオオッ ゴオオオオオオオオ!!!


 黒く、ドス黒く、錆付いた赤黒い戦気が大量に噴き出す。

 覚えているだろうか。アーブスラットと戦った戦罪者は、サナを守るためにすべてを出し尽くした。実力以上の力を発揮した。

 マキでさえ、死を覚悟した彼らの気概に恐怖を覚えたくらいだ。

 戦罪者が怖ろしいのは、まさにこの瞬間からなのである。

 死を受け入れ、愛し、求めるからこそ、彼らは最期の最期まで力を捻出する。

 ただただ相手を滅することだけを考え、自身を燃焼させることを願う。

 それは自分のためだけではない。主人となった者のために戦うからこそ強いのだ。


 悪人には悪人の流儀がある。


 悪には、悪の【華】がある。


 ソブカがアンシュラオンに魅入られ、自己の力を強化したように、彼らも同じように強化される。


 燃える。燃える。燃える。


 彼らの戦気が―――燃焼していく!!!


 噴き上がった戦気が、ビッグが発した炎気のように形を成していく。

 黒い戦気が蠢き、こねくり回され、徐々に本性を見せていく。


 それは―――【鬼】というべきか。


 そこまでリアルな造詣ではないが、デフォルメされた鬼のような顔に変化していく。

 世の中を睨みつけ、反抗し、抵抗する気概に満ちた者の目。

 自分の流儀と道義を押し通すために、自己を鬼にした者の姿。


 鬼が―――咆える!!!




 ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!




「うひいいっ! な、なんだ、こりゃ!!」


 その怒声に似た音に、ビッグが思わずのけぞった。

 バクンバクンと心臓が高鳴って止まらない。なんて怖ろしい音であり、なんて凶悪な気質なのだろうか。

 見ただけで魂が凍りつくような恐怖を感じる。


「このプレッシャーは…この【思想】はなんだ?」


 JBも、マサゴロウから発せられた異質な戦気に気圧される。

 戦気は本質を物語る。その人間を物語る。

 その人間の「背後にいる存在」を如実に物語る。


「これは…ホワイトの……ぐうううっ!! ちくしょう!! 震えちまう!! こんなに暑いのに身体が震えちまう!!」


 ビッグは知っていた。


 これは、アンシュラオンが発する【魔人】の気配。


 あの時少しばかり垣間見た、彼の本性から発せられる圧力だ。

 人間すべてを支配するために存在している魔人。グマシカが言うには、災厄の魔人は【人に罰を与える存在】だという。

 傲慢な人間たちを殴りつけ、屈服させ、支配する。

 自分たちが最上の存在だと勘違いしている者たちに対して、所詮は【奴隷】なのだと教え込むために、世界が生み出した存在、システム。

 人間は、世界や星といった自然のシステム、そのハードウェア上で動く『ソフトウェア』にすぎない。

 その根幹たるシステムが、人間というソフトを監視するための上位のソフトをこしらえた。それが魔人だ。


 言ってしまえば魔人は、【ウィルス滅殺《めっさつ》ソフト】のようなものだ。


 ここで『対策ソフト』と言わないのは、魔人という力があまりに強すぎるからだ。

 人間の中で魔人因子を覚醒させた者は、その上位種として下位種を支配する権限が与えられる。

 いや、グマシカの言葉を借りれば、そのためだけに造られた『最高傑作』である。


 つまり魔人側こそが―――種としての絶対上位者であり、正義。


 魔人に従う者たちだけが、人間を打ち滅ぼす『権利と資格』を得たことになる。

 まさにマーダーライセンス〈殺人許可証〉を与えられたのと同じだ。その行いは正しく、正当なのだ。

 その意味で、戦罪者はうってつけの道具であろう。

 なぜアンシュラオンが戦罪者を選ぶのか。彼は何も知らないので無作為で選んだつもりだろうが、実際は世界のシステム上の流れに沿った行動といえる。

 より人間を殺すことに長けた者を選んだ、というわけだ。

 魔人の道具として相応しい者が、自然と選ばれるようになっている。だからシステムなのだ。

 その権利を得た彼らに対して、ビッグが恐怖を抱くのは当然である。

 JBでさえ、彼らの思念に強いプレッシャーを感じているのだから、相当なものなのだろう。



 さて、ここまでは概念的な話であり、種が天敵に感じる潜在的な恐怖について語った。

 では、ここからは、より物的な説明に入ろう。

 なぜマサゴロウが、ここまでの力を引き出せるか、といった話だ。


 魔人の道具にも段階がある。


 一番下位の存在が、間接的に彼を支持する一般人たちだ。

 彼らは無意識のうちに魔人の気配を感じ取り、逆らわないように、あるいは好かれようと努力する。

 アンシュラオンがいろいろな人間と仲良くできるのが、こういった仕様によるものだ。(当初の小百合も、ここに該当していた)


 次に、モヒカンや使い捨ての戦罪者のような者たちが該当する。

 彼らは、直接的にアンシュラオンの配下に加わっている者たちで、彼の影響力の恩恵を多少なりとも受けている。

 モヒカンが、これだけアンシュラオンに肩入れしていても無事なのは、彼からも魔人の気配が漂っているからである。

 それを感じ取った他の人間が対立を避けるので、結果的にこのような状況でも上手く立ち回れるのだ。


 そして、次にマサゴロウのような幹部クラスが該当する。

 同じ戦罪者でも、マサゴロウたち幹部に関しては、他の者たちとは違う事情が存在している。

 彼らは魔人の力を微量ながら【摂取】しているのだ。

 単純に忠誠を誓っていることも影響しているが、彼らはアンシュラオンに挑んで敗北した際、命気によって傷の修復を受けている。


 そうだ。命気だ。


 医師連合のスラウキンが見つけた逸話では、命気には力を伝達する効果がある。

 水が他者と交じり合う性質を持っていることは、人を繋ぐマングラスがすでに示しているだろう。

 また、命気は媒介物にすぎない。

 命気でなくても、直接的な接触あるいは精神的なつながりがあれば、彼の力をわずかながらに摂取できる。

 魔人にもっとも愛されたサナが、これほどの成長を見せていることが何よりの証拠だろう。

 あのペンダントに宿された力だけではなく、彼女自身にも強烈な影響を与えているのだ。

 もちろんサナ自身が特別であるのは間違いないが、ただの『かよわい一般人』がこの短期間で、レイオンと戦うまでに成長する段階で【異常進化】だ。

 では、元から武人であり、元から賞金首の彼らが力を受ければ、進化率という観点ではサナに遠く及ばないものの、それに匹敵するだけのステータスを得るのが道理というものだ。



「オヤジは、この世界を裁く。ふふふ…ハハハハハ!! おれたちは…その尖兵だ! かあちゃん、おれは…ようやく手に入れたぞ!! 自慢できる息子に…なったぞ!!! 今からすべてを壊して、おれは…褒められる!」



 ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 マサゴロウに【魔人の思想】が流れ込んでいく。戦気の増大が止まらない。

 もし今の彼を『情報公開』で見たら、驚くべきステータスになっていることがわかるはずだ。


 彼も―――限界を突破している。


 サナがミャンメイの料理を食べて、限界を突破したHPを得ていたように、マサゴロウもレベル上限を振り切って【急速進化】している。

 怖ろしい。まったくもって怖ろしい。

 人間を使って人間に罰を与える魔人が、怖ろしい。

 魔人にとっては、すべての人間は道具であり、単なる駒でしかないのだ。


「ちくしょう…! これがホワイトの力かよ!! 冗談じゃねえぞ!!」

「私にも感じるぞ。ここまで大きな思想が、こんな場所にあろうとはな」

「くそが! あんなやつらに勝てるのかよ!!」

「ふん、惰弱な。だから貴様は馬鹿なのだ」

「んだと!? さっきから人様のことを馬鹿馬鹿言うんじゃねえよ!」

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い。ネイジアが私をここに導いたことは運命だったのだ。…いいだろう。ならばその思想、わがネイジアの思想によって打ち砕いてやるとしよう!!! ネイジアこそが最高の思想だと証明するのだ!」


 ゴゴゴゴゴッ

 JBの戦気も急激に増大。


「ネイジアの偉大なる理想郷を生み出すために、すべての人類が一つになるために、この身を捧げて戦うのみ! それこそがメイジャ〈救徒〉の使命!! そうだ。我らは神徒なのだ!!」


 JBの思想をエバーマインドが吸収。肥大化させていく。

 吸う、吸う、吸う。

 人間の魂が発する『想念』の力を吸う。

 人間は女神の分霊であり、女神は母神の分霊である。その母神は宇宙を構成する完全なる力と愛の分霊だ。

 その力の根源は、想念。

 想う力、考える力、かたちづくる力。


 エバーマインドが、JBの思想を―――【具現化】。


 彼の戦気を媒体にして変質させていく。


 その姿は、なんともいえず美麗なものだった。

 二人の男女が絡み合い、混じり合い、融合し、一人の人間となって両手を広げる。

 そこからこぼれ出た光が大地に落ちると、美しい緑が広がっていった。

 動植物たちが静かに生息し、自然は実りを与え、太陽と月によって循環する。

 多くの人々が集まり、崇めている。美しい大地と自然を得たことに歓喜し、祈りを捧げている。


 その中央には、ネイジア〈救済者〉。


 人々の中心となり、人々の力を集め、救世主として降臨する完全なる人間。

 彼によって大陸は統一され、人は真なる統制と平和を取り戻す。

 マサゴロウが発した魔人の思想とは、まるで正反対。

 ネイジアの思想、少なくともJBが感じている思想は、これほどまでに美しかったのだ。



 だが―――



(俺は…夢でも見てんのか?)


 さすがのビッグも、これらの現象には首を傾げるしかない。

 自分の炎気も変な形になるし、マサゴロウもJBも明らかにおかしい。

 彼の違和感は正しい。普通はこんなことは起こりえない。

 いちいちこんな現象が起こっていたら、描写するほうも面倒で仕方ない。

 だからこそこれは、違う力が働いている証だ。


 実は、『エバーマインド』の力が微弱ながら【流出】しているのだ。


 彼が今朝方、グラス・ギースの東門で力を流出させてからしばらく経過するが、完全に元の状態に戻っているとは言い切れない状態にあった。

 普通にしていれば、日常生活に異変が生じるほどの事象は起こらないが、こうして強い精神が集まる場所においては、そんな微弱なものでも巨大な顕現を引き起こしてしまう。

 ソブカやビッグの感情が、あまりに強かったのだ。

 彼らの想いは一般人を遙かに超えている。それだけ強い心を持った魂といえるだろう。


 これらの表現を―――【表象《ひょうしょう》】と呼ぶ。


 心の形が、実際の力として具現化する現象だ。

 この表象化は、目に見えない領域では常時発生しているので、特別なものではない。

 普段は見えないものが可視化されたらこうなる、という良い見本である。

 人は常に想いの力で生きており、戦っているのだ。


 だから、やることは変わらない。



「やつを殺せばよいだけよ。完全に殺しきればよいのだ」


 JBが悠然とマサゴロウに向かう。

 かなりの強化が行われていても、素の能力は完全にJBが上だ。

 この戦いにおいて、彼の優位性は何も変わらない。


「待てよ! 俺の喧嘩だぜ!!」


 が、ここでしゃしゃり出てくるのが、ビッグという男だ。


「下がっていろ。邪魔だ」

「俺らが始めた喧嘩だ! 逃げるわけにはいかねぇんだよ! あいつの前で無様な姿を見せられるか!!!」


 ビッグが、これだけの圧力の前でも闘争意欲を失わないのは見事だ。

 他の場所では、マサゴロウから発せられた魔人の気配を感じた人々が凍り付いていた。

 断頭台に送られる寸前の人間のように、恐怖のあまりに動けずにいるのだ。


(この馬鹿は、やはりエバーマインドの力を引き出しているのか? それとも、もともと持っていた力なのか? 『あの男』のように…)


 JBの視線が、遠くにいるソブカに向けられる。

 唯一無事なのは、ソブカの鳳旗《ほうき》の下に集まった人々だけ。

 彼の不死鳥の力が及ぶ範囲は、およそ半径百メートル。その範囲に入った人間だけが、ラングラスの火によって守られている。

 ソブカの火は、魔人の思想すら防いでいる。さすがはアンシュラオンが見込んだ男である。(マサゴロウが発するものは非常に『希薄』でもあるので、ソブカでも防げる。当人が出す『原液』は誰であっても不可能)


(まだまだ成長途上にして、あの火を生み出すか。侮れぬ。あれだけの思想を生み出すとは…やつは何者なのだ?)


「いくぞおおおおおおおおお!!」

「っ…待て!!」


 JBがソブカに気を取られている間に、ビッグがマサゴロウに突っ込む。

 走る、走る、走る。

 ビッグが炎の虎を生み出しながら突っ込んでいく。


 ビッグさんが、燃えている!! 輝いている!!


 あらやだ、カッコイイ! 惚れてまうやろーーーー!!

 と夢を見たいところだが、現実はなかなかにして厳しい。


 ぼごんっ


「…え?」


 ちょうど中間点において、ビッグが足で大地を踏みしめた瞬間、地面に穴があいた。

 そして、意気揚々と走っていたビッグが、【地中】に吸い込まれる。




541話 「戦罪者と対峙する者たち その5『その男、無頼者につき』」


 地面に吸い込まれたビッグが気になるところだが、話は少しだけ戻る。

 この戦場で戦っているのは彼らだけではない。何人もの武人が入り乱れて戦っているのだ。

 ソイドビッグがマサゴロウと戦っていた頃。


「おらよっ!!」


 ズババッ!! ズバズバッ!!


「ぎゃっーーーー!」

「ぐぁあっ!」


 ハングラス側に出現したヤキチが、第二警備商隊の面々を次々と切り捨てていく。

 彼のポン刀に込められた剣気をもってすれば、全身鎧だろうが関係ない。鎧ごと真っ二つだ。

 強い武人が出現すれば、通常装備では対応できないことが、これではっきりと証明されただろう。


「どうした、どうした!! こんなもんかい!! だらしねぇな!! あの時はもっと歯応えがあったぜ! おらぁを失望させるなよ!!」


 ぶしゃーーーー! バシャバシャ

 大量の返り血を浴びて真っ赤に染まる。

 彼はすでに、警備商隊員だけでも二十人以上を切り裂いていた。

 以前第一警備商隊と出会った時は苦戦していたが、あれは彼らが万全の態勢で待ち受けていたことと、グランハムという強力なリーダーがいてこその劣勢である。(アンシュラオンの『統率』が最悪なことも影響している)

 今回は彼の得意な奇襲であり、条件が大きく異なっているため、この結果も不思議ではない。

 相手はまだ態勢が整っていないし、一般人が巻き込まれているのでパニックも大きく、誤射を恐れて術式弾も満足に扱えていない。

 剣士の中でも対人近接戦闘に特化している彼が、いきなり敵陣に出現すれば独壇場になるのは決まっている。

 現にヤキチは過去において、完全装備の騎士団を襲って百人あまりの騎士を斬殺している。

 騎士団といっても戦力がまちまちだが、少なくとも西側の騎士団は、東側の傭兵団の数段上の実力を持っているだろう。

 それを一人で打ち倒すのだから、奇襲がいかに効果的かがうかがい知れる。

 寝込みを襲われれば、どんなに強い格闘家でも一般人で殺傷が可能なのと同じだ。


 そのうえ今回のヤキチは、気概が違った。


 彼もマサゴロウと同様に、死ぬ覚悟でこの戦いに身を投じている。

 大人数で公開処刑(リンチ)するつもりだった五大派閥側とは、心構えがまったく違うのだ。

 その覚悟、その気迫が彼を強くしてきた。

 しかし、そうして強くなってきたのはヤキチだけではない。



 どん どんっ どんどんどん



 一人の男が、逃げ惑う一般人とぶつかりながら、のろのろと歩いてきた。


「おっとおっと、すまんね。ちょっと急いでるんでね。自分のためじゃないぜー。みんなのためだぜー。はいはい、通りますよー。ご協力くださいねー。はい、ごめんねごめんね」


 この返り血が飛び散る修羅場において、彼はひどく落ち着いてのんびりしていた。


「すううううーーーーー! はぁーーーーー!」


 さらには深呼吸するまでの余裕がある。

 思いきり鼻から息を吸うと、なんともいえぬ鉄臭さが鼻腔に染み渡る。

 とてもとても落ち着く香りだ。何度嗅いでも飽きることはない。

 そして、その臭いをもっとも強く発している男に目を向ける。


「におうねぇ。臭い、臭い。なんて血生臭い。あんたからは血の臭いがプンプンするぜ。こんだけ斬っても全然足りないって顔だ」



 その男―――クロスライルが、ヤキチの前に立つ。


 クロスライル。

 すでにご存知、JBと同じくネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉の一員である殲滅者である。

 彼は肩から完全に力を抜いて、だらんとしている。

 自然体といえば聴こえはいいが、完全にリラックスしているだけである。


 なんと豪胆。なんと傲慢。


 彼はいつだって自分自身を見失わない。


 クロスライルは、見た目は無精髭を生やした四十歳前後の長髪の男である。

 人種としては若干アラブ系が入っており、ユダヤ人っぽい特徴がいくつか見受けられる。

 『ユダヤ人』は信仰によって決まるので、厳密な意味では正しい表現ではないが、なんとなくそのあたりをイメージするとわかりやすいかもしれない、ということだ。

 砂漠や荒野が似合いそうな外見、と思えばいいだろう。

 ライダースーツを着ていることからも、アメリカでハーレーダビットソンに乗っていても、まったく不思議ではない様相だ。

 それだけでもそこそこ威圧感はあるのだが、ポン刀を握ったヤキチの威圧感に比べれば可愛いものだ。

 そもそもポン刀を持った仮面のヤバイやつを前にすれば、誰だって正面に立つだけで怯えて死を覚悟するものだからだ。


「………」


 だが、クロスライルを見たヤキチが―――止まる。


 敵集団に狙われることを避けるために、常時動いて攻撃を続けてきた彼が、そのリスクを受け入れても止まることを選んだ。

 なぜならば、その男が発する気配もまた同質のものだったからだ。


 いや、血の臭いを超えた―――【死臭】がする。


 クロスライルの周りでは、常に死が当たり前のようにあった。

 彼と出会えば誰かが死なねばならなかった。愛した人でも死なねばならなかった。親や友人も死なねばならなかった。

 彼にとって死は当たり前に存在し、常に受け入れるものなのだ。

 なんて奥深く、それでいて雄大で自然なのだろう。

 動物が死ぬ時、死ぬ覚悟を決めるだろうか。ライオンに狩られるシマウマが、いちいち死生観について語るだろうか。

 逆にシマウマを食い殺すライオンが、毎回懺悔をするだろうか。神に赦しを請うだろうか。


 否―――断じて否!!


 彼が生きる場所は、荒野。いつだって荒野。

 砂嵐が舞い、一寸先も闇に包まれた世界では、死を死として覚悟する必要もないのだ。

 そして、彼がその死を運ぶ存在だとすれば、なおさら気にする必要はない。


「この感覚…てめぇ、【無頼者《ぶらいしゃ》】か。何が血生臭ぇだ。てめぇのほうが、よほど臭ぇくせによ。おらぁたちより、たちが悪い。てめぇらには矜持ってもんがねぇからな」

「ははは、違いない。いやー、あんたらは立派だよ。なにせ忠義者だからねぇ。オレとはまったく違う」


 ヤキチは、クロスライルを『無頼者』と呼ぶ。

 無頼。誰にも頼らず、何者にも屈せず、わが道を歩む者。

 今述べたように彼らは荒野に生きるがゆえに、誰かのために尽くすということを知らない。

 それと比べれば、主人のために身を滅ぼすことも辞さない戦罪者は、立派な忠義者なのだ。

 彼らは自分が自分であるために、誰かのために役に立とうとしている。

 それはつまり、誰かに【依存】しているということでもある。

 サムライが主君に忠義を示すことも、システムへの依存を示す。全体のために死ぬとは、その全体に依存することを意味するのだ。

 そんなヤキチをクロスライルは、こう評する。



「あんたらは、【かわいい】ねぇ」



 可愛い。愛らしい。

 無頼者からすれば、戦罪者は子供と同じなのだ。父親を捜す迷子の少女のようなものに見える。

 この様子から、クロスライルがヤキチたちを「なめくさっている」のがわかるだろ。



「えーと、『ポン刀のヤキチ』だったか。資料は見たぜ。どうだい? オレはあんたが殺した連中より骨がありそうかい?」

「へっ、へへへ。やべぇな、てめぇ。おらぁより人を殺してやがるぜ!!」

「そりゃお仕事だもの。殺すぜ。生きるためにな」

「ハイエナ野郎が!! 金の臭いに釣られるようじゃ、おしめぇだぜ!」

「じゃあ、お前さんはなんで戦うのよ? こんな負けが決まっている戦いに身を投じるなんて、オレには到底理解できんね」

「そりゃ無頼者には理解できねぇだろうよ!! 俺はな、ずっと死に場所を探してきたんだよ。全力を出してな!! ぶつかる場所をな!! てめぇも斬り捨ててやるぜええええええええ!!」


 ヤキチが駆ける。


 ダダダダッ ブンッ!!


 一気に間合いを詰めてからの、ポン刀での袈裟斬り。

 彼は迷わない。

 すべては一瞬、この一瞬だけにすべてをかけてきた男だからこそ、最初から全力で斬りかかる。

 どんなぬかるんだ場所でも、その速度は変わらない。

 短い距離を瞬時に駆ける脚力、振り下ろす腕力によって、ポン刀が勢いよく落ちてくる。

 アンシュラオンという化け物にはまったく通じなかった一撃も、相手が普通の武人ならば通用する。

 今さっき警備隊員を殺したように圧倒的に通用する。


 しかしながら、相手が普通の武人でなかったらどうだろう。


 ガキンッ!


「ひゅー! 思ったより速いね!! まるで風だ」


 と言いながらも、ポン刀を軽々と受け止める。

 クロスライルは、その手に剣を持っていた。日本刀のような曲線がない直線的なフォルムの剣だ。

 ただし、それはラブヘイアが使うような直剣ではない。


 彼が持っているのは―――銃。


 何度か説明に出ているように、拳銃に長めの剣を装着した『ガンソード〈銃剣〉』という武装である。

 ファンタジーの世界では、剣と銃が合体した武器がたまに出てくる。

 剣に銃が付いているものや、銃に剣が付いているもの、どちらが主体かによって用途は異なるだろうが、ひとまずここでは「ガンソード」あるいは「銃剣」と表記しておこう。


 なかなか珍しい武器なので、少し改めて説明したい。


 クロスライルが両手に持っていたのは、リボルバータイプの拳銃が二挺《にちょう》だ。

 今までは一挺しか使っていなかったが、彼は両手に二挺の銃剣を持つのが本来の戦闘スタイルである。

 使う必要性がないので一挺だけの使用だったにすぎない。

 しかも衛士が持っているような木製ではなく、本物の【金属製】である。

 彼は南から来たので、西側の支配域では金属製の銃も手に入る。

 グラス・ギースでもDBD製の金属銃が散見されるようになってきたので、その存在自体はさして珍しいものではないが、やはり銃剣を付けているハンドガンサイズの銃は極めて稀少だろう。

 この銃剣というものはライフルのような長物に付けることが多く、かつて銃の性能が低かった頃は接近戦で猛威を振るったといわれている。

 現代ではアサルトライフルやマシンガンが普及し、すでに骨董品としての価値しかないものの、武人の世界ではいまだ現役で生き残っている武装である。

 一流の武人の高速戦闘において銃だけでは対応できないが、銃剣を付けることであらゆる戦況でも戦えるようになるのだ。


 次に剣についての説明だ。

 ハンドガンタイプのものに付けるとすれば、たいていは短いナイフなのだが、クロスライルのものはもっと長いタイプの直剣である。

 加えて左右の銃剣はそれぞれ長さが異なり、右は刃渡り九十センチの青い刀身の剣、左は六十センチの赤い刀身の剣が付いている。

 そのため腰にあるホルスターは、銃をしまうというよりは、剣の鞘に近い長い形状をしていた。

 銃剣は専用の固定具でしっかりと引っ付いているため、簡単に外れるような構造ではない。


 彼はその二つの銃剣をクロスさせ、ポン刀の一撃を止めていたのである。



(強ぇな。こいつ)


 ヤキチはその一回の手合わせで、相手が強いことを悟る。

 まず何よりも反射神経が並外れている。

 彼は寸前まで、だらんと肩の力を抜いていた。その状態から一瞬でヤキチの速度に対応したのだ。

 さらに腕力も強い。

 ギリギリギリッ!!

 ヤキチが押し込もうとするが、クロスライルは飄々と受け止めている。

 銃を押さえている手がまったくぶれない。

 上段からの打ち下ろしをしっかりとガードしている段階で、見た目以上に力が強いことがわかる。

 もしかしたらJBよりも強いかもしれないので、腕力の強さは体格に比例しないことも証明している。


「若いくせに、いい腕してるじゃねえか!」

「おっ、そう言われるのは嫌いじゃないぜ。ただこう見えても、あまり若いってわけじゃないけどな」

「はっ! 抜かしやがる!! だが、この距離はおらぁの間合いだぜ!!」


 ヤキチはクロスライルの腹に前蹴りを放つ。

 それで相手がよろめいた隙に、再び必殺の一撃を見舞うつもりだった。

 さすが近距離戦闘を磨いてきた男だ。まったくノーモーションで、いきなり前蹴りを放つ。


 ぶんっ スカッ


 しかし、足裏に感触はなかった。

 なぜならばその瞬間には、クロスライルはその場にいなかったからだ。

 ふわりっ

 ポン刀と銃剣の刃を合わせたまま、体勢を入れ替えるようにクロスライルは宙に跳んでいた。

 これがビッグ等の鈍重な武人であったならば、浮いている間は無防備となり、恰好の的になっていただろう。

 ヤキチほどの猛者ならば、この体勢からでも追撃は可能だ。


 だが、クロスライルにとってそれは回避ではなく―――【攻撃】


 銃剣の本領は、剣だけではない。

 その【銃】の部分が合わさってこそ、真価を発揮するのだ。


 銃弾を―――発射


 バババンッ


 ポン刀を剣で押さえたまま銃口を向け、至近距離から銃弾が発射される。

 当然ながらその銃弾は、赤い輝きを宿している【戦気弾丸】である。

 戦気はそれそのものが強化物質である。剣気には及ばないが、まとわせるだけで威力が激増する。

 ただでさえ打ち出す力が強い銃弾なのだ。戦気が加われば、威力は数十倍。

 人体どころか、厚さ二メートルの鉄板すら貫通する威力を持つ。


「ちいいっ!!」


 ヤキチは咄嗟に避けるが、至近距離での銃弾をかわしきれず―――足に被弾。


 ばすばすばす ぶしゃーーっ


 銃弾は貫通。

 太ももに穴が穿たれ、血が噴き出す。


「へへ、あったりー!!」

「てめぇえ!! 調子にのりやがってぇえええ!」

「おっと!」


 ぐぐぐっ!! バチンンッ!

 ヤキチがポン刀を強く引き斬ることで、空中にいるクロスライルの体勢を崩して地面に叩きつけようとする。

 しかし、クロスライルは見事なバランス感覚で、くるくると宙で回転して着地―――すると同時に、そのまま銃撃。


 バババババンッ! ババババンッ!!


 リボルバーは、トリガーを連続して押すことで連射ができる。

 それでも普通は単発に似た速度なのだが、高速で動くことが可能な武人が行えば、それはもうマシンガンだ。

 各六発入りの二挺のリボルバーの全弾を、一瞬にして撃ち尽くす。


「うおおおおお!」


 ブンブンブンッ ガキガキンッ!

 ヤキチは、剣気をまとったポン刀を振り回し、銃弾を切り裂いてガード。

 だが、これだけの銃弾をすべてはよけられない。


 バスバスバスッ ぶしゃっ


 転がりながら剣を振り払ったものの、右肩に強い衝撃。

 これまた三発の銃弾が命中し、貫通していく。

 貫通した弾丸は背後に突き抜け、地面に当たると―――


 ボンッ ボボンッ!


 大地を大きく抉り、爆発するように三メートル大の穴が生まれた。

 銃弾の大きさが一センチ強と考えれば、極めて強い衝撃力といえる。

 しかも銃弾は止まることなく、さらに大地の中を加速して動いている。

 そのうちどこかで止まるのだろうが、銃の使い勝手を考えれば凄まじい破壊力といえるだろう。




542話 「戦罪者と対峙する者たち その6『クロスライルの実力』」


 ごろごろごろ ダッ!

 銃弾を受けたヤキチは転がりながらも、なんとか立ち上がる。


「はぁはぁ!!」


 右肩からは、かなりの出血が見られる。

 肉も相当抉られているので、刀を振るう速度にも影響が出そうだ。


「ひゅー、やるじゃん。よく【いなした】な」


 それを見たクロスライルが、口笛を吹いた。

 皮肉ではない。単純に褒めているのだ。

 銃弾が当たっているので、いなしたというクロスライルの言葉には違和感を覚えるが、ヤキチは実際にいなしている。

 これだけの威力の銃弾が当たれば、防御力の低いヤキチでは、肩から上半身の半分くらいは吹き飛んで致命傷を負っていただろう。

 だが、当たる寸前に全戦気を操作して銃弾を覆うようにしたことで、なんとかこの程度の傷で済ましたわけだ。

 太ももを銃弾が貫通した際も、同じように咄嗟に防御を行っていた。


(この威力、やべぇ…。いなせなかったら死んでいたぜ。ったくよ、防御は苦手だってのによぉ)


 ヤキチは完全攻撃型剣士なので、防御があまり得意ではない。

 ガンプドルフのように重鎧で防御を固めているわけでもなく、単なる服やサラシ程度で覆うだけなので、まさに紙装甲である。

 彼が軽装なのは、攻撃時の移動を素早くするためだ。

 短所を補うことよりも、長所を伸ばすことを選択したのだ。どうせ上手くない防御を伸ばしたとて、彼の良さが生きないからだ。

 が、今回は防御しないと、おそらく死んでいただろう。

 クロスライルの銃弾の威力は、術式弾でもないのに、それを遙かに上回っている。

 地面を破壊しながら貫いていることからも、一発一発が巨大な砲弾だと思ったほうが身のためだ。


 ただし、普通ならば弾丸である性質上、『弾切れ』という現象が発生する。


 衛士隊の銃とて、二発しか装填できないから困っているのだ。

 ヤキチにとって、そここそが付け入る絶好の機会なのだが―――


 シュパパンッ カシャンッ


 クロスライルは、すでにリロードを終えていた。

 銃を撃っている間に、予備の弾丸を身体の移動だけで服から取り出し、空中でリロードを完了させる。

 そのすべての動作が攻撃の流れの中で行われる。

 装填には0.1秒もかかっていないだろう。怖ろしいまでの高速リロードだ。

 そして、即座に射撃。


 パパパパパンッ!!


「くっそ!!」


 ヤキチはもう飛び退くしかない。

 必死に観客席の裏側に逃げ込むが、銃弾はいとも簡単にそれらを破壊。


 ドガンドガンドガンッ!!


 ほとんどスタジアムの解体工事。

 彼が銃弾を撃つたびに設置された機材が、いとも簡単に吹き飛んでいく。

 昨今の日本の解体は静かにゆっくりやるのが主体なので無理だが、途上国のビルの解体くらいならば、彼は引っ張りだこだろう。

 解体するのに数分もかからない。残弾さえあれば、即座に破壊が可能な射撃速度と銃弾の威力だ。


 パパパパパンッ!!

 パパパパパンッ!!

 パパパパパンッ!!


(何発撃ってんだ!! リボルバーじゃねえのかよ!! どんだけ弾を持ってきてやがる!)


 しかも銃撃は、一向に途切れる様子はない。

 装填数が何十発もあるアサルトライフルかと思わせるほどの連射性能と継戦能力だ。

 改めて言っておくが彼の銃は『リボルバー』であり、装填数は各六発である。

 回転式拳銃は、ジャム(弾詰まり)のない信頼性の高い銃として、日本の警察でも採用されている。

 いわゆる「お巡りさん」が持つ銃と同じ構造だ。

 扱いやすく操作が簡単で、トリガーを引くだけで銃弾が出せ、不発弾があっても撃ち続けることができるという利点がある。

 とはいえ装填数が少なく、DBDの銃が速射式に対応していることを考えれば、荒野で使うには心もとない武器だろう。

 しかしクロスライルは、それを自身の能力による高速射撃に加え、普段ならば多少手間がかかるリロードも、ほぼ一瞬で終えることで対応している。

 残弾については、押入れ君やポケット倉庫に大量にストックがあるので、弾切れの心配はまずないだろう。

 切迫した戦闘ならばともかく、これだけ一方的な状況ならば、かなり余裕をもって弾を補充することが可能だ。


 それ以上に彼がリボルバーを使う最大の理由は、【高威力の弾丸】を撃ちやすいことが挙げられるだろう。


 もともとリボルバーのメリットは、口径の大きな高威力弾を装填できるところにある。

 現在使っているものは通常の弾丸だが、これより高威力の弾丸をいつでも込めることが可能だ。

 そこに戦気を乗せれば、ただでさえ強い威力が何倍にもなるのだから、それだけでも怖ろしいものだ。


 実際に銃弾を換えれば、こんなこともできる。


 ぼんっ ドカーーーーーンッ!!


 銃弾が当たった場所が爆発炎上。

 激しい爆炎を噴き出しながら観客席が燃える。爆炎弾を使ったのだ。


 ぼんっ バチバチバチバチッ


 続いては電撃弾。

 当たった箇所に電流を生み出し、相手を感電させる効果がある。

 こうして弾を自在に入れ替えることで、戦況に応じた攻撃ができるのだ。

 左右別々の弾丸にすることも可能だし、同じリボルバーに交互に装填することも容易だ。



 止まらない高速射撃によって、ヤキチはまったく身動きが取れない。



「どうした、ヤキチの兄さんよ。出てこないのかぁ? つまらねぇな。これじゃ、すぐに終わっちまうぜ」


(やろう、なめやがって。殺そうと思えばすぐに殺せるくせによぉ)


 クロスライルは、かなり手加減をしていた。

 彼の技量を考えれば、当てようと思えば簡単に当てられるに違いない。

 それこそ隠れられる場所すべてを強引に破壊してしまえばいいのだ。そんなことは造作もないことである。

 だが、最初にラブヘイアに言っていたように、簡単に終わらせたらギャラリーが楽しめないと思っているのだろう。

 これはあくまで【見世物】だ。

 無頼者であっても、受けた仕事はやりきる。誰かに頼るわけではなく、当人の満足感のためにまっとうする。

 今しがた属性弾を使ったのも、観客に対するアピールである。

 といっても周囲にいた観客たちはすでに逃げ出しており、無観客試合のような不気味な静けさに包まれているのだが。


(それが油断だって教えてやらぁ! 一瞬だ。一瞬が勝負だ! 近づいて一発で決めるしかねぇ! あとはその手段だぜ)


 銃で撃たれた太ももを見る。

 筋肉を圧縮して止血はしてあるが、傷はかなり深い。痛みを消しても、間合いに入るまでに多少の時間がかかるだろう。


(だが、俺にはこうするしかねぇんだ。近づいて、ぶった斬る! それだけよ!)



「待ってろよ!! 今からぶっ殺してやるからよ!! 刀の錆にしてやるぜ!!!」


 壊れた観客席の後ろに潜みながら、ヤキチは大声を上げる。


「ははは!!! いいなぁ、その台詞! まだまだ元気じゃねえか! もっと盛り上げようぜ!!」


 ずわっ ぼおおおお

 クロスライルの戦気が燃える。

 傲慢で猛々しく、不遜で敬うことを知らず、誰も信じず、自己の流儀だけに則って生きてきた男の戦気は、非常に生き生きとしている。

 戦気が踊る、という表現が正しいのかはわからないが、今が最高に楽しいといった歓喜に満ちていることがわかる。


「さあ、楽しくやろうぜ。人生は楽しまないと損をするからな。楽しめるうちに楽しんだほうが利口ってもんよ」


 そうだ。彼は楽しいのだ。

 いつだって楽しい。ドキドキワクワクしている。自分でそうしようとしている。

 人間はつまらない環境に居続ける傾向にあるが、その根幹にあるのは『恐怖』や『怯え』といったマイナスの感情に起因する。

 たとえばパワハラが酷いブラック企業に残り続けるのも、辞めたあとの生活が困窮することを怖れるからだ。

 その心理状況は理解できるが、そこにいてはいつまでも自分を楽しくすることができない。

 その先にある、もっと豊かな世界を堪能できない。

 自分を楽しくさせられるのは、ほかならぬ自分だけなのだ。いつだって自分で決断するのだ。


 無頼は―――自由


 彼は誰にも頼らない。仲間がいて利用することはあれど、心の底から頼っていない。

 依存しない。信頼しない。信じるものは自分のみ。

 だからこそそれは、どことなくアンシュラオンにも似ている気質であった。



「おおおおおおおお!」



 ヤキチが叫ぶ。さらに大声で叫ぶ。

 だが、その大きな声とは裏腹に、物陰から飛び出しはしなかった。

 あくまで突っ込むと思わせるための演技だ。


 その隙にヤキチは―――暗衝波を放つ。


 バシュッ ブワワワッ

 放った場所は、自分の周囲の適当な地面だ。

 暗衝波が当たった場所からは彼の暗気が噴き出し、イカ墨のように空間を黒く染め上げる。

 暗気の視界封じの性能は、モズが使っていたゴーグルのような特殊な術具でなければ防げないほど優れている。

 アンシュラオンでも素の状態ではまったく見えないほどだ。


 バシュッ ブワワワッ

 バシュッ ブワワワッ

 バシュッ ブワワワッ


 一瞬で周囲は、夜よりも暗い闇に包まれた。


「へぇ、目隠しか。いいぜ、やってみなよ」


 クロスライルも、暗気の闇の中に包まれる。


(おらぁには、これが精一杯だ! やれることをやるしかねぇぜ!!)


 正直、ヤキチは遠距離性能が極めて低い。

 暗衝波を使うのも間接攻撃に自信がないからであり、サナと同じように放出系をやや苦手としている。(ヤキチの場合はむらっ気が強いから)

 そのため相手の攻撃や意識を逸らすような立ち回りを追い求めてきた。

 まともにやれば、クロスライルに勝てる道理はない。

 彼は極めて高い身体能力と近接戦闘能力に加え、中遠距離での強力な武器まで持っている。

 穴がないのだ。どこからでも高い火力をリスクなく発揮できる。

 JBのように広域破壊という極端な武器がない代わりに、あらゆる面で万能かつ高性能であった。


 唯一の勝機は、奇襲。


 すでに存在はバレているので、この場合は機転を利かせるしかない。


(紛れながら近づいて、斬る!!)


 ヤキチは物陰から飛び出し、クロスライルに向かっていく。

 しかし、痛みは消しているものの、足のダメージと違和感が残っている。

 常人ではわからないが、そこにはわずかなズレが生じていた。

 そして、常人ではないクロスライルは、そこを見逃さない。


「はははは! 当たるかな?」


 パパパッ パパパンッ!!


 完全なる闇の中でも、クロスライルはまったく動じていなかった。

 むしろその状況を楽しむように、軽い波動円の探知と勘だけで銃を撃つ。

 弾が迫る。


 ヤキチは最小限の動きだけをして、銃弾を回避―――しきれない。


 普通の銃弾だったならば回避できたが、クロスライルのものは戦気を使ってブーストさせている。

 速度も、弾丸が影響を及ぼす範囲も何倍も優れているのだ。

 それをすべてよけることはできず、脇腹に命中。


 ボンッ!


「ぶはっ…!」


 腹が吹っ飛んだ。

 左脇腹から腹の真ん中あたりまで、一気に持っていかれた。


(やろう!! いい勘してやがるじゃねえか!!)


 クロスライルは視力で物を見ていない。完全に勘だけで撃ったのだ。

 だが、長年人を殺し続けてきた彼の勘は、怖ろしいまでに冴えている。

 当人は無意識の感覚で戦うタイプ、つまりはヤキチと同じく『カオス側』の人間であるが、その勘を突き詰めていけば精密機器さえ上回る精度を生み出せる。

 また、当然ながら波動円までは誤魔化せないので、素早く動いていても、ある程度の位置までは特定されてしまう。

 だから、いくら視界を奪ったとしても、このまま突っ込むのは危険である。


 ヤキチは押入れ君を取り出して、ありったけの大納魔射津をばら撒く。


 これらはすでに安全装置を取り払っている剥き出しのジュエルで、地面に触れただけで爆発するような代物だ。


―――爆発


 ぼんぼんっ ドーーーーンッ


 爆発したものもあれば不発だったものもあるが、それがランダム性を生み出して、クロスライルの波動円を掻き乱す。

 波動円は触覚を使用するため、こうして粉塵を巻き上げるのは極めて有効な阻害方法だ。

 誰だって指先に集中している時に突然、大量の砂を吹きかけられたら気が散るだろう。

 それと同じような感覚を与えられるわけだ。


 ただし、近くに投げたものだから、ヤキチにも影響を与える。


 爆発と一緒にヤキチも吹っ飛ぶ。

 それによって自身もダメージを負い、地面に転げることになったが、それでいい。

 爆発で大量の土砂を噴き上げたので、一緒に吹き飛ぶことで、どれが本物かわかりにくくすることができる。

 転がる、すっ転ぶ、回転する。

 あがく、這いずる、引きずる。

 どんなに惨めでも、どんなに哀れでも、自身がゴミやアリであっても、生きることをやめない。



 最期の最期まで、生きることを―――やめない!!



 そして、ついにクロスライルに刃が届く間合いにまで到達する。




543話 「戦罪者と対峙する者たち その7『ヤキチの意地』」


 ヤキチは爆風に紛れながら、クロスライルに接近することに成功する。

 ちなみにヤキチがクロスライルの場所がわかるのも、ほとんど感覚によるものだ。

 もし暗闇の中で自分も波動円を使ってしまえば、相手の波動と合わさって位置がばれてしまう。

 アンシュラオンのように戦気を極小レベルにまで昇華できれば別だが、一般的に波動円は粒子が粗いので、相手にもバレてしまうのが欠点だ。

 波動円無しで近づけるだけでも、ヤキチの感覚もたいしたものである。


 ただし、クロスライルが動かないことが大前提となる。


 本来ヤキチの暗衝波は、比較的近い距離から放ち、相手が面食らったところを不意打ちするのが目的の技だ。

 なぜならば、その間に相手が移動してしまえば、捉えるのが難しくなるからだ。

 あくまで相手が動かないこと、虚をつかれて驚き戸惑った隙を狙うのである。


 そして、クロスライルは動かなかった。


 その場所からは、一歩たりとも動いていない。

 それが驚きや戸惑いからでないことは、すでにわかっている。

 この男は真正面からヤキチを迎え撃とうとしているのだ。

 そのほうが待ち受ける側からすれば戦いやすいことも事実であるが、豪胆としか言いようがない。


(死ねやぁああああああああ!)


 ヤキチがポン刀を振る。

 右肩が抉られているため、左腕で押さえるように横薙ぎの一撃を打ち込む。

 ここまで来たら、もう何も考える必要はない。ただただ全力で振るだけだ。

 燃える。ヤキチの戦気が燃える。

 戦罪者として武人として全身全霊の一撃を放つ。


「ああ、感じるよ。いつもよ、オレに語りかけてくるやつがいるんだ。『お前は戦うためにこの世界に来たんだ』ってな。ああ、そうだよ。オレはいつだってこういう戦いがしたかったんだ」


 クロスライルもまた戦うために生きている。闘争を欲し、その中で満たされるために戦っている。

 無頼者も戦罪者も、その意味においては同じ存在である。

 だが、両者を分ける決定的な違いがある。


 ガキィィイインッ


 刀と剣が交錯。

 戦気と戦気が衝突して美しい色を生み出す。

 ヤキチの赤黒い剣気でさえ、彼と衝突すると色鮮やかになってしまう。

 それこそ命の輝き。武人が放つ生命の本質。

 彼らの熱く、強く臭うような生き方が凝縮されたエネルギーが、波動となって周囲を美しく染め上げる。


 クロスライルは、まったく視線も合わせずに右手だけを使って銃剣を操り―――


 ギギギギッ ピタッ


 勢いを完全に殺して【片手】で受け止めきる。


 いくら右肩が抉られているとはいえ、ヤキチの全体重、全戦気を込めた強烈な一撃だ。

 最初は二挺銃剣で受けたので、だからこそ簡単に止められたのだと思った。

 違うのだ。

 クロスライルにとってヤキチの攻撃など、最初から片手一本で止められる程度のものだったのだ。

 あえてリスクを負わなかっただけにすぎない。しっかりと防御の態勢を取り、相手の力量を再確認していただけだ。



 結果―――圧倒的有利と判断。



 基本性能が違いすぎた。

 彼は戦士タイプの武人なので肉体能力が根本から違った。

 単純な力比べとなれば、剣士では戦士に勝てないのが道理である。

 また、身体の質も良かった。肉体を構成する物質が、そこらの粗悪品とはまったく異なるのだ。

 経験も違う。

 ヤキチは数多くの相手を殺してきたが、数が多いだけであって上質な相手を正面から倒したことはほとんどない。

 一方のクロスライルは、数も質も上等の相手を滅してきた。だからレベルも違うし、もともとの才能によるレベル上限も大きな差がある。

 この段階でヤキチに勝ち目は薄いが、さらに銃まで使うという万能さがあった。


 すっ


 クロスライルの左の銃が、ヤキチに向けられる。

 片手で受け止めたということは、左手が空いたということだ。


 パパンッ


 銃弾が発射。

 至近距離から放たれた一撃は、暗闇の中でも正確にヤキチの右肘を狙い―――


 ボンッ


 破壊する。

 肘が根元から吹っ飛んだため、そのまま右腕が落ちそうになる。

 右手は刀を持っているので、ここを失ったら完全に負けだ。



「おらぁはなああああ!! 死んだって刀は離さねぇえええ!!」



 ガブッ ガリリッ


 右手がポン刀から離れる瞬間、ヤキチは刀身の棟《むね》(刃の反対側、峰《みね》)を口で咥える。


 彼はポン刀のヤキチ。


 その代名詞である刀がなければ、彼は彼足り得ない。

 多くの剣士にとってそうであるように、彼にとってポン刀は命なのだ。

 ヤキチの出自は、西側の中堅国家の一つであるレマール王国の移民に連なる者である。

 かの国は小百合の出身国でもあり、地球の日本文化がかなり入り込んでいるので、元日本人の転生者が建国または勃興に関わった可能性が高い。

 そんな国では、やはり日本刀が一番愛される。

 世界の金融をリードするダマスカス共和国でも日本刀は有名だが、レマールの伝統に比べるとまだまだ浅いといわざるをえない。(ダマスカスには『初代剣聖』が降り立ったことで盛り上がったが、レマールはずっと昔から続けている)


(格好良かったんだよ。本当にな…マジで惚れ込んだんだよ)


 日本文化が入り込んだということは、さまざまな娯楽も入り込んだということ。

 その中には『仁侠映画』のようなものまで存在する。

 アンシュラオンが実際にそう思ったように、彼の容姿の元ネタは仁侠映画なのである。


 そして、そこで見た『ポン刀』が忘れられなかった。


 戦国武士やサムライが使っていた日本刀とは、また違う味わいと趣きがあった。

 それを手にすれば、自分も義理人情に厚い格好良い男になれると子供ながらに思っていた。

 だが、人生はまさに多様で予想外だ。

 レマールでは移民に強い締め付けがあったため、彼らが出世することはなく、いつしか道を踏み外してしまった。

 こういった移民剣士は数が多く、剣術が盛んなレマールだからこそ、腕の立つ「ならず者」を生み出すという弊害を引き起こしている。

 どういう因果か、巡り廻って東側の最北端の都市にまで来てしまったが、彼に後悔などはなかった。


「うううううううううううううううう!!」


 歯を食いしばり、しっかりと刃を固定。

 刀さえあればいい。これだけでいい。

 これだけが意地なのだ。けっして離すことはない。

 ヤキチが咥えたポン刀で、クロスライルの首を掻っ切ろうとする。


「たいした根性だ。オレはよ、あんたみたいなやつは嫌いじゃないぜ。何かに一生懸命打ち込む男は、いつだってカッコイイよな。だが―――」


 ヤキチの生きざまは、見事だった。

 戦罪者としていかなる犯罪を犯していようと、彼はこの瞬間、全力で何かを成し遂げようとしているのだ。

 しかし、だがしかし。



「強くなくちゃ、自分の道理も貫けないのさ」



 キュイイーーンッ


 クロスライルの右の銃剣の青い剣が輝くと、周囲の温度が一気に下がっていく。


 バキバキバキッ


 まるで液体窒素のように、ヤキチの身体が一瞬で凍りつく。


 ぐぐぐ ぴた


 ヤキチの動きが止まる。

 どんなに懸命に身体を動かしても、それ以上進むことはなかった。


 クロスライルほどの男が、ただの銃剣を使うわけがない。

 この刀身が九十センチほどある青い剣は、『氷聖剣ヴァルナーク』と呼ばれるもので、なんと【聖剣】のカテゴリーに入る武具である。

 魔剣と聖剣の違いは、使用者に対してリスクを求めるかどうかが最大の相違点となっている。

 そのためガンプドルフの魔剣は、気軽に使用できるものではなく、使い勝手は相当悪いといえる。

 その反面、魔剣のほうが効果が強大で凶悪なことが多いので、リスクを受け入れるのならば実力以上の凄まじい力を得ることができる。

 クロスライルが持っている聖剣は、そこまで凶悪な性能とはいえない。

 聖剣といってもランクがあり、このヴァルナークはぎりぎりAランクに入るかどうかのものだろう。

 ただし、聖剣は聖剣だ。

 扱える能力は『氷』だけであり、ファレアスティの水聯《すいれん》のように水気を飛ばしたりはできないが、特段のメンテナンスも必要なく氷の技が使えるのは非常に大きなメリットといえる。(水聯は聖剣ではないのでメンテが必要)

 こうして動きを止めるだけで、彼にとっては十分なのだ。



 そして、動きを止めたら―――【とどめ】だ。



 今度は赤い剣が付いている左の銃剣がまっすぐ伸びる。

 左の銃剣が短いのは、【突く】ためにあるからだ。

 右手の銃剣で切り払い、または動きを止め、その隙に左手の銃剣で突く。

 それが近接戦闘での必殺攻撃パターンである。


 ブスッ


 なんともあっさりと、何の抵抗もなく刃が胸に突き刺さる。

 赤い刃には、剣気が込められていた。

 このことからクロスライルにも、剣士としての素養があることがわかる。

 刃は胸の中央やや上を突き刺した。

 それだけでも致命傷だが、当然これだけでは終わらない。


 赤い刃がヤキチの腕に突き刺さると同時に―――爆発。


 ボンッ ボボボボンッ!


 威力としては大納魔射津より小さい。あれの半分程度だろうか。

 だが、攻撃しながら相手を爆破できるというのは極めて優れた能力だ。

 こちらは『炎聖剣アグニス』。

 インド神話に出てくる神の名を冠した武器であり、ヴェルナークともども古代の遺跡から発掘された聖剣である。

 ネイジア〈救済者〉の組織が急速に発展していく理由に、こうした強力な武具の存在が挙げられるだろう。

 とりわけネイジア・ファルネシオは遺跡の探索にも力を入れており、そこで得た武具を組織の実行部隊に分け与えることで、戦力の拡充を図っている。

 JBが使っているエバーマインドも、その中の一つというわけだ。

 ただでさえ強いのに、さらに特殊な武器を与えられたクロスライルは、もっともっと強かった。



「っ―――」



 ヤキチの意識が飛びそうになる。

 傷口を見ると、筋肉が繊維となって千切れ飛び、骨が丸見えになっていた。

 肺も半分が吹っ飛んでおり、心臓にも大きな損壊が見られる。


 パパンッ


 しかも、そこからさらにゼロ距離射撃。


 どすどす ぼんっ


 銃弾は貫通しながらも、相変わらず強い衝撃力をもってヤキチを粉砕していく。

 刺しながら銃撃できることも銃剣の最大のメリットだ。

 左手の銃剣は銃弾を含め、突き貫く能力に優れているというべきだろうか。

 近遠併せ持ち、どこも穴がない。これがガンソードの戦い方であった。


 もはや胴体が千切れる寸前。


 放っておいても死亡は確定だろう。



 ヤキチは―――敗れたのだ。



 実力差がありすぎた。

 こればかりは彼を責めることはできない。

 よくここまでやったと褒めるべきだ。



(ああ、死ぬ…な。おらぁは死ぬ。んなこたぁ、わかっていたんだよ。そうだよな、オヤジ。そのために…おらぁたちが必要だったんだよなぁ。あんたが…もっともっとでっかくなるためによぉ…!! ならよ…最期に夢を見せてくれよ…おらぁは……どこまでいけるんだぁ? あの高みに届くのかぁ? なぁ、オヤジぃ)



 ヤキチが死を受け入れる。

 普通の武人ならば、そのまま死ぬところだろう。

 しかし、彼が仕えている主人は、ただの人間ではなかった。


 ブワワワワワッ!!


 ヤキチの身体から黒く激しい戦気が吹き荒れる。

 文字通り、すでに死に体であるにもかかわらず、怖ろしいまでの情念が噴出される。


 それは―――魔人の気配


 アンシュラオンの力をわずかながら摂取したヤキチが、本当の意味で主人の【道具】となった瞬間であった。




544話 「戦罪者と対峙する者たち その8『アンチポイズン』」


 戦場は廻る、ぐるぐると廻る。



「フフフ、ははははは! クケケケッ!! いいっ―――眺め!! サイッコウですねぇえええ!」



 ぶわっ ブワワッ

 マングラス側で毒をばら撒いているハンベエが、歓喜の声を上げる。

 何の制限もなく毒を撒けるのだ。これほど楽しいことはない。

 しかも規制線の中で使った毒煙玉は、こうして彼らをおびき出すためのフェイクでもあった。

 そこではあえて毒は効かないと思わせることで安心と優越感を与え、無防備で毒のエリアに誘い込むことに成功した。

 相手がそれに気付いた頃には、時すでに遅し。

 被害が相当広がることになる。


「やはり殺すならば、人間が一番いい。魔獣ではつまらないですからね。ああ、いいですね…この顔。クカカカカ」


 ぶちゅ ぶちゅっ

 毒によって肉が溶け始めた兵士の顔を棒でつつくと、先っぽがずぶずぶと中に入っていく。

 この絶妙な柔らかさも、毒でしか生み出せないものだ。

 タンパク質が身体の構成要素である生物にはたいてい効くため、魔獣でも同じように効果を発揮するが、彼らは反応が乏しくて楽しさは半減するものだ。

 人間のように豊かな感情がないと、悶える顔も『美しくはない』のである。


 そう、美である。


 ハンベエにはハンベエの美意識が存在する。

 それが過ったもので他人の迷惑を伴うものであれ、独創的な『芸術家』という存在が、いちいち他人のことを考えるわけもない。

 彼は彼の思うまま、自由に自分を表現するのである。

 ただし芸術家である以上、見物客は必要だ。それを見て楽しむ人がいてこそ、芸術は芸術足りうる。

 ハンベエにとっては、それが雇い主だった。

 雇い主は彼に新たなインスピレーションを与えてくれる。自分だけではマンネリしてしまうので、気晴らしにもちょうどよいだろう。

 多くの雇い主は、彼の芸術の表現過程で死んでいった。

 ハンベエ自身が飽きたこともあるし、運悪く彼の芸術の肥やしになってしまった者もいる。

 彼が毒を使い続ける限り、身近な誰かが死なねばならないのだ。

 今だって他の戦罪者を巻き込まないように、独りだ。

 同じ毒を使うファテロナがそうであったように、彼はたった独りで生きることを常に強いられている。


 しかし、【あの男】は違う。


 アンシュラオンという存在は、自分がどうやっても殺すことができない。

 おそらく特殊毒を送り込んでも即座に分解して、さらなる巨大な毒素となって自分に襲いかかるだろう。

 アンシュラオン自身が世界にとっての毒素のようなものだ。

 自分程度が、たかだか人間ふぜいが勝てるわけがない。


 だからこそ―――美しい


 とても、美しい。


「フフフ、オヤジさんの道を作ってあげないといけませんねぇ。たくさんのお花畑を作って、アーチを掲げて、たっぷりたっぷり楽しく、顔色の悪いお首をいっぱい並べた愉快な道をねえええええ!! クケケケケケケケッ!!!」


 きっとそのお花畑は、紫色の綺麗な毒素の花道に違いない。

 アンシュラオンが満足するためならば、彼は毒を使って何千人もの人々を殺すだろう。

 しかし、毒が毒である以上、表が表である以上、その反対側の性質を持った存在が必ずいるのだ。

 世の中は表裏一体、表と裏、光と影によって際立つ仕組みになっているからだ。



 トコトコ トコトコ



 誰かが歩いてくる。

 ハンベエの周囲は、もはや死毒の空間。

 その中を歩ける生物はいない。アリ一匹、ノミ一匹、ダニ一匹存在しえない。

 ましてや人間がけっして立ち入ってはいけない領域となっている。

 だが、彼女は口を押さえることもなく、防毒マスクをするわけでもなく、ただただ普通に歩いてくる。


「おや、これはこれは。珍しいものが来ましたね」


 ハンベエが歩いてきた女性、ドクリンに視線を移す。

 彼女はすでにフードを取っており、顔はそのまま剥き出しになっている。

 見た目はそこそこ可愛らしい十代後半の少女であるが、普通の女性がこんな場所には来ないし、こうして歩いてこられるわけがない。


 キラキラキラッ


 ドクリンの身体から放出された輝く粒子が、空気中の毒を吸着し、分解中和することで周囲の色が元に戻っていく。


「すごい毒。私でもすぐに中和はしきれないわ」


 これだけの密度である。

 時間をかければ別だが、即座に中和は不可能だろう。

 それでも彼女の能力はハンベエの毒素の大部分を中和し、症状を和らげることに成功する。

 これくらいならば、武人でも目の痛みや嘔吐くらいで済むかもしれない。

 ハンベエが発している毒素は特殊毒なので、それすらも中和するとは恐るべき能力である。



「『アンチポイズン〈毒浄化者〉』ですか。いるんですよね、たまに。私の毒が効かない人がねぇ」



 ハンベエはドクリンを見ると、その能力の正体をすぐに見破る。

 彼の毒は広範囲に広がるため、結果的に何千人もの人々を殺すことになるが、全員が確実に死ぬわけではない。

 稀に毒に耐性を持つ者もいるし、さらにもっと珍しい場合は、毒自体を中和したり分解できる『酵素』を持った者がいる。

 それは先天的なものだったり、たまたま投与している薬の作用だったり、何かの成分が影響を及ぼすのだろう。


 そういった酵素を意図的に生み出し、使いこなすのが―――アンチポイズン〈毒浄化者〉と呼ばれる存在だ。


 毒にはさまざまな種類があるため、それぞれに得意分野は違うが、彼らは毒の治療や未開の大地の開拓(主に毒沼開拓や毒をもった魔獣対策)などには必須の存在といえる。

 ハンベエが戦罪者として起こした毒事件なども、彼らが地道に毒を研究して解毒したおかげで再び人が住めるようになるのだ。

 ハンベエは毒を生み出せるが中和はできないので、真逆の能力の持ち主であるといえる。


 ただ、ドクリンものは少しばかりやり方が違う。


「くんくん。この匂いは…なるほど。【カビ】ですね」


 ドクリンが発した粒子は、無味無臭ではない。

 常人にはわからないほど薄めてはいるが、鼻が良い人間が嗅げば「カビ臭い」と思うはずだ。

 それも当然。


 彼女から出ているものは【カビの胞子】である。


 バイラルがキノコの栽培をしていたことを覚えているだろうか。

 あれはマングラスが所有している特殊な菌類であり、人間に寄生して共生関係を生み出す生物だ。

 マングラスは一部ながらも『箱舟』の技術を得ているし、大災厄で情報が失われた他派閥が所有する秘宝の一部も見つけている。

 このカビも、本来はジングラスが保有していた菌類の一種で、その増殖力の強さから現物は存在せず、因子情報として封じられていたものである。

 ドクリンは、それを移植されて生み出された『カビ人間』だ。


 ずずず ずずずずずず


 記述はしていなかったが、ドクリンの目の下には大きな黒い『クマ』がある。

 メジャーリーガー等が反射避けに付ける「アイブラック」というものがあるが、あれに似た大きなクマがあった。

 よく二次元創作では、根暗や病弱等のキャラ付けで使われる安易な表現方法だが、彼女のものはそういった類のものではない。


 ドクリンの目の下のクマが広がっていき、顔を黒く埋め尽くす。


 外套を羽織っているので全身は見えないが、おそらく身体全部がカビに覆いつくされているだろう。

 そして、黒いカビが徐々に白くなっていくと同時に、より強い胞子を生み出して周囲の毒を『喰らって』いく。

 彼女が寄生させているものは『毒喰いカビ』と呼ばれるものの一種で、名の通り、毒を喰らって増殖する性質を持っている。


 毒は、彼女にとって栄養なのだ。


 中和作業そのものが食事にも似たものなので、これ自体はまったく苦ではない。

 この毒喰いカビの最大の長所は、毒の種類を問わないことだ。

 遺伝子操作によって、人間に適した大気状態が最適の生活環境と認識させているため、カビは常に清浄な空気を生み出そうとする。

 また、人体に無害であることがとりわけ重要だ。

 普通の人間の体内に入っても環境に馴染めずに死滅するので、毒のある場所でしか生きることができない。

 ドクリンも定期的に毒物を摂取することで彼らを養っているくらいだ。


 その努力もあって―――無敵。


 毒に対して彼女は無敵である。



「私の前で毒は無力。あんたの毒は効かないわ」

「すべて対策済み、というわけですか。あちらの彼も普通ではなさそうですねぇ」


 少し離れた場所ではカラスもおり、これ以上毒が広がらないように吸収と換気を続けていた。

 本来ならば、彼らはこの戦いに手を出さない予定だった。

 しかし、予定は変わった。


「よくも…よくも! グマシカ様が愛する市民を殺したな!!」


 突然ドクリンが激情。

 可憐な顔が憎悪と怒りに滲む。

 ハンベエたちが奇襲を仕掛けたことで、被害は予想以上に膨れ上がった。

 見物に訪れていたマングラス派閥の市民も、毒でかなりの人数が死亡あるいは意識不明の危篤状態に陥っている。

 武人でも死ぬような毒である。一般人ならば少しでも吸ってしまえば助からない。

 ドクリンが少し遅れたのは、彼らにカビを摂取させて延命措置を施していたからだ。

 だが、元凶を殺さない限り状況は変わらない。被害は出続ける。

 もう我慢の限界だったのだ。


「市民を守るようにと、セイリュウ様から言いつけられていたのに!! それはグマシカ様の意思なのに!! 守れなかった!! 守れなかった!!! 許さない!! 許さない!! 全部お前のせいだ!!」


 青劉隊の管理者であるセイリュウの言葉は、グマシカの意思に直結する。

 アンシュラオンと出会ったグマシカが言っていたように、あるいはセイリュウが最初に語っていたように、グマシカは都市の人々を愛している。

 だからこそマングラスが前面に出てまで、治安維持部隊の導入を決定したのだ。


 その市民が―――死んだ。


 毒で死んだ。

 それは毒対策のために派遣された彼女にとっては、完全なる失態である。

 何よりも『造物主』に対する申し訳ない気持ちで一杯になる。


「はぁはぁ!! グマシカ様…!! あの御方こそ、この世界を守る者!! あの人の意思こそが、私の意思なのに!! それをお前は…壊した!! 私とあの御方の絆を壊したのだ!! 許さない、許さない、ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ!!」

「あなた、自分では気付いていないようですけど、けっこう狂ってますよ。もしかして、マインドコントロールでも受けています? そのカビ、本当にあなたにとって有益ですか? 何か仕込まれているんじゃないんですかねぇ? 目も血走ってますし」


 初めて会うにもかかわらず、明らかに異常な忠誠心と狂信性が見て取れる。

 彼女の出自は不明だが、仮にマングラスの力を使って適応可能な一般人を選定したとしても、いきなり連れてこられた彼女がおとなしく従うわけもないだろう。

 普通の女性ならば怖くて動けなくなるだろうし、どこかに怯えの感情が残るはずだ。

 しかし、ドクリンにはそれがない。ただただグマシカへの崇敬と愛情の念しかないのだ。

 ならば、何かしらの手段をもちいて『精神制御』を行っている可能性が高い。


「あの御方の優しさも知らないくせに、好き勝手言う!! あの御方は、私に期待してくださっておられるのだ!! それがあれば、それだけがあれば私は生きていける!!」

「あー、なるほど。あのですね、裏スレイブの私が言うのもなんですが、人を動かす力は強さだけではないですよ。女性を動かすものは『優しさ』とも言いますからねぇ。まんまと乗せられて、可愛いものですねぇ」


 裏スレイブは強さを基準にするので、アンシュラオンがいくら横暴だろうが気にしない。

 強ければいいのだ。強さこそが重要なのだ。

 しかし、強さで動かない人間もいる。その多くが女性だ。

 彼女たちを丸め込むための方法の一つが『優しさ』であり、『共感』や『思いやり』である。

 よく結婚詐欺、今ならばロマンス詐欺とも言われるが、女性は優しさに弱いものだ。

 一度相手の影響力の中に囚われると、自力では正常な判断ができなくなる。その際にさまざまな思想を植え込まれて洗脳されてしまう。


 グマシカが子供の理由を考えたことがあるだろうか?


 傀儡者があれだけ狂っているのに、どうしてグマシカは博愛主義者のようなことを言うのだろうか。

 それこそ彼らが「あくどい」証拠であることに気付いた者が、いったいどれだけいるだろうか。

 人を水で融合するということは、懐柔することと同義である。

 愛らしい子供の見た目で優しさと強さを持ち、理念を持った者に惹かれるのは当然だ。

 なぜならば、そういうふうに『造られて』いるからだ。

 どんな手段で連れられてきても、グマシカの愛情(魅力)と、思った以上の高待遇を受ければ、若い女性ならばころっと騙されてしまうかもしれない。

 そのうえで精神制御を行えば、いくらだって忠誠心の強い『兵器』を生み出すことができる。


「クケケケッ! いやー、さすがですね! あなた方は本当に悪い!! 極悪だ!! オヤジさんが狙うわけです。ええ、ええ、好きですよ。そういうあくどい連中はね。だから私たちのような戦罪者が必要なんですからねぇ」

「きさまああああ!! あの御方を侮辱する者は、殺す!! コロスコロスコロス!!」


 しゅる しゅるり

 ドクリンが腰から二本のナイフを引き抜き、逆手に構える。

 毒さえ封じてしまえば、ハンベエの戦闘力は激減する。

 あとは肉弾戦で殺せばいいだけだ。




545話 「ハンベエの死  その1」


 ドクリンが両手でナイフを構える。


 そこから―――剣衝二閃


 一本の剣から放つ二閃ではなく、片方一つずつ放つ二刀流バージョンだ。

 前者のほうがテクニカルではあるが、二刀流も両手が器用でなくては放てないので、こちらもなかなか技術が必要である。

 ハンベエは横っ飛びして回避。

 ズバ ズバッ

 通り過ぎた剣衝が地面を切り裂いていく。

 それなりに大きい剣衝であり、当たれば人間一人くらいは真っ二つだろう。

 威力だけならばファテロナのものより強いはずだ。


「やれやれ、最近多いですね。こういうの。情報を知られていると大変ですよ」


 ハンベエは、腰に下げていた鎖鎌を装備。

 今回はすでに決戦なので、押入れ君には入れずに普通に出していたのだ。


 ブーーーンッ!!


 ドクリンに向かって鎖鎌を投げつける。

 通常の鎖鎌は、せいぜい二メートルから三メートルが有効射程だろうが、ハンベエのものは鎖が長く作られており、武人の腕力で投げつけるので十メートルは軽く飛ぶ。

 ドクリンは間合いを取って後退するも、それを鎖鎌がさらに伸びて追撃していく。

 ドクリンは迎撃のために再び剣衝を放つ。


 シュシュッ ガキンッ


 剣衝は鎖鎌に当たり、勢いが落ちて落ちそうになる。


「まだまだ!!」


 ぐぐっ ブーーーンッ

 だが、鎖鎌は地面に落ちることなく軌道を変化させ、ドクリンに迫っていく。

 ハンベエの遠隔操作だ。


「っ!!」


 ガキンッ

 ドクリンは咄嗟にナイフで鎌を弾き、バック転しながら距離を取る。

 そしてまたナイフを構えるが、急いで前には出なかった。

 防御を固めながら、じりじりと間合いを詰めるにとどまる。


(怒っていたわりには、かなり警戒していますね。鎌の情報も知っているということですか)


 鎖鎌にも、ハンベエが生み出した特殊毒がたっぷり塗られている。

 ただしドクリンはカビの力によって、毒を吸着中和できるはずである。

 そうであるにもかかわらず、彼女の戦い方は極めて慎重だ。激高しながらも、けっして迂闊に前には出てこない。


 なぜならば―――【当たれば死ぬ】かもしれないからだ。


 『毒浄化』は、『毒無効』ではないことが重要だ。

 たしかにどんな毒でも中和や浄化は可能だが、それには時間がかかるし、カビに寄生されているだけであって身体の大部分は人間のままだ。

 カビが処理する速度よりも早く毒が回ってしまえば、カビは大丈夫でも宿主が死ぬ可能性がある。

 だから安全面を考えて簡単には近寄らない。これも毒の知識があるからだ。


 その後少しの間、ドクリンは剣衝を使いながら様子をうかがい、ハンベエもまた近寄らせないように鎖鎌を振り回すという構図が続く。


 この数度の攻防を見た限りでいえば、ドクリンの近接戦闘能力はハンベエよりは上のようだ。

 毒の脅威がなければ、彼女独りでもハンベエを圧倒できるだろう。さすが改造人間であり、青劉隊の一員である。

 そして、青劉隊として活動するのならば、彼女は独りではない。


 パパパパパパパンッ


 連続した乾いた音が響く。


「とと!!」


 ドクリンと拮抗した勝負を続けていたハンベエが、その『銃撃』によって体勢が崩れた。

 そこにドクリンが迫る。


「やらせませんよ!」


 ぶーーーんっ! ばしゃっ

 鎖鎌を操作しつつ、余剰に分泌した毒液を撒き散らす。


「くっ! 邪魔!」


 近づこうとしたドクリンはカビを使って浄化するも、一旦下がってくれたことで助かった。

 彼女にしても特殊毒は厄介なのだろう。

 自身がいなくなれば毒の処理ができないこともあり、極力触れないようにしているようだ。

 それにしても今のはかなり危ないシーンだった。

 もし銃弾を受けていれば、鎖鎌の操作にも支障が出ていたはずだ。


「新手…ですか。困りましたねぇ」


 ハンベエが(仮面だが)うんざりした表情で銃撃が起こった場所を見ると、そこには青い外套に身を包んだ者たちが二人いた。

 カラスではない。

 彼はハンベエが生み出す毒素が風に流されて拡散しないように、少し離れた場所で自分の仕事に従事している。

 であれば、この二人は青劉隊の他のメンバーであると思われる。

 当然、彼らも普通とは違った。


 ドス ドス ドス


 無造作に死毒の中に入り込んでくる。

 ドクリンによって毒が薄まっているといっても、何の影響もないということはないし、多少は躊躇うものだろう。

 しかしながら彼らはまったく動じることなく、遠慮なく足を踏み入れてきた。


「それならそれで、一人ひとり殺すだけですけどね!!」


 ブーーンッ

 ハンベエが鎖鎌で、中に入ってきた大柄な外套の人物に攻撃。

 その人物は、まったくよけなかった。


 ガキィンンッ


 それどころか鎖鎌を片手で受け止める。

 それ自体は、そこまで驚くべきことではない。

 ハンベエは暗殺者タイプで腕力が強いわけではないので、マサゴロウくらいならば簡単に片手で受け止めることができるだろう。

 それより問題は、その【音】だ。

 まるで金属と金属がぶつかるような音がしたのだ。


(腕に何か仕込んでいる? でも、まだまだですね!!)


 ぐぐぐっ ズバッ

 ハンベエが遠隔操作で鎖鎌を動かし、首筋に攻撃を当てる。

 毒が付いているので、ちょっとした掠り傷でよいのだ。それくらいの芸当ならば簡単なものだ。

 だが―――


 ガチンッ


 そこでもまた同じ音がした。


(首まで金属…? ですが、この感触はもしかしたら…)


 パパパパパンッ


 外套に隠れて見えない手の部分から、マシンガンのように小さな弾丸が発射される。

 ハンベエはそれをよけながら、さらに鎖鎌を使って外套を切り裂く。


 ズバッ ばさぁああ


 すっぱりと切られた外套によって、その人物の身体が大きく露出した。

 一見すると人体によく似せられたものであったが、こうして実際に攻撃してみると明らかなる相違が見て取れた。


 身体全体が―――金属


 腕の部分が銃の武器腕になっている『人形』であった。



「まさか本当に人ではないとは…! さすがにこれは参りましたね」


 傀儡士が、大量の人形を操っていたことを覚えているだろうか。

 あの当時、彼は記憶を失うほど没入していたわけだが、その技術体系はすでにグマシカたちにも受け継がれている。

 そもそもグマシカは大災厄期の人間だ。

 改造人間として再生された詳しい時期や経緯は不明でも、その当時の傀儡士はまだ記憶を失っておらず、自分の技術をある程度は伝えていた。

 それによってグマシカたちも『人形』を生み出すことができ、青劉隊の改造人間が幹部だとすれば、彼ら人形は『兵隊』としての役割を果たす。

 今まで出てこなかったのは、あまり人目に触れさせたくなかったことと、傀儡士が操るほどの性能が発揮できないからだ。

 現在は自律モードで動いているため判断力も鈍く、動きも素早い武人には対応できないほど遅い。

 せいぜいドクリンの軽いサポートくらいしかできないだろう。

 ただし、毒が効かない、という点ではドクリンと同じく厄介だ。

 タンパク質を持ち合わせない人形の身体には、最初から毒は意味がないのだ。


 人形二体が、銃を構える。


 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ

 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ

 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ



 連射が利く銃弾が、ハンベエに襲いかかった。


 ハンベエは暗殺者だが、ファテロナのように素早くはないため―――


 カンカンカンカンッ ばしゅばしゅっ


 銃弾が仮面に当たって削られ、身体に当たって抉られる。

 カスオが使っていた銃に酷似した構造なので、口径は小さく威力も低めで、かろうじて耐えられるが、連続して攻撃されると余裕もなくなる。

 反対側に逃げても、もう一体の人形が迫ってくる。

 それを嫌って背後に逃げれば、ドクリンが間合いを詰めてくる。

 その間にも左右からの銃撃は続けられ、少しずつ傷が増えていった。



 徐々にハンベエの動きが鈍くなる。



(ま、こんなもんですよね。私の能力なんて)


 ハンベエは特化型の武人であり、それがはまった時は絶対的な力を出すものだ。

 逆にそれが封じられれば、まったくの役立たず。

 単純な格闘性能だけならば、普通の戦罪者にも劣る三流の武人に成り下がる。


 よって、これは必然。


 パパパパパパパンッ

 パパパパパパパンッ

 バスバス ぶしゃっ


 銃弾が足を貫いた。

 すでに防御の戦気も激減しており、口径が小さな弾でも対応できなくなっている。


 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ

 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ
 パパパパパパパンッ


 銃撃はさらに続き、ハンベエの身体に命中。

 まさに蜂の巣といった具合に、全身に銃弾の雨を浴びる。


「ふっっ! ふっ! ふぅううう!」


 それでも立っていられるのが武人という存在だ。

 これだけ撃たれても、ハンベエはまだ生きていた。

 だが、もう抵抗する体力はないようで、立っているのがやっとだった。

 鎖鎌を投げる余裕もなく、腕はだらりと垂れ下がっている。


 相手が弱ったのを見計らって、ドクリンが迫る。



「グマシカ様の邪魔をする者は、死ねええええええええええ!!」



 間合いに入ったドクリンがナイフを―――突き立てる。


 ブスウウウッ! ズブウウウウウッ!!


 力強く振り下ろされたナイフが、ハンベエの胸を貫いた。

 しっかりと心臓にまで突き立てられる。


「ぶふっ…」

「まだだ!! こんなものではユルサレナイ!!」


 ドーーーンッ!

 そのままドクリンがハンベエを押し倒し、マウントポジションを取る。


「死ね死ね死ね死ね死ね!! シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ!!!」


 そこから―――刺す。


 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!


 刺す、刺す、刺す、刺す、刺す!!!


 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!

 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!
 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!

 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!
 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!
 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!

 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!
 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!
 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!
 ザクッ! ザクッ! ザクッ!!


 ザシュッーーー! ブシャーーーー!


 容赦なく突き立てられたナイフによって、百に近い刺し傷が生まれる。

 筋肉が断裂する。神経が切れる。臓器が切り裂かれる。

 ハンベエの胸、心臓や肺だけにとどまらず、抵抗しようとした腕、急所の喉を含めてめった刺しにする。

 彼女にとって、グマシカは命。崇拝の対象。

 その邪魔をするハンベエは、絶対に殺すべき敵なのである。


「キャハハハハハッ!! シネェエエエエ!!! あの人のために、シネぇええええええ!! アハハハハハハッ!!」


 精神制御の怖ろしさを改めて思い知るシーンだ。

 彼女は殺人行為も喜々として行っている。それが正しいことだと思っているからだ。

 実際に戦罪者は『悪い人』なので、殺したほうがいいのは事実だが、一般的に考えて、それを喜々として行う者もまた『悪』であろう。



 とくん とくん とくん

 とくん とくん

 とくん



―――ピタ



 そして、ハンベエの心臓が止まる。


 それと同時に、彼の仮面の下の瞳からも光が消えていった。


 この瞬間、ハンベエは死んだのだ。




546話 「ハンベエの死  その2『死してなお、毒』」


 ハンベエが、死んだ。

 人形の銃撃に遭い蜂の巣にされ、ドクリンによって刺し殺された。


「はぁはぁ! はぁはぁ!!」


 すぶぅうう

 ようやく満足したのか、ドクリンがナイフを抜く。

 だが、まだ安心はしない。

 ナイフを抜くや否や、立ち上がって後退し、再度構える。

 その両脇には人形を立たせて、万一の場合にそなえて準備を怠らない。

 ここで安心して反撃に遭い、死んでいく者たちなど山ほどいるのだ。

 ドクリンも見た目は十代後半だが、実際は改造されてから八十年くらいは経っている。

 セイリュウたちによって戦闘技術も叩き込まれているので、やはり普通の人間とは言いがたいだろう。


「撃ちなさい」


 パパパンッ

 パパパパパパンッ

 バスバスバスバスッ


 倒れているハンベエに対して、人形に銃撃を命じる。

 さきほどの狂気と、この慎重さが妙にミスマッチだが、彼女は目的の遂行だけを考えているのだ。

 今度は絶対に失敗できない。

 その気持ちが彼女を慎重にさせるのだろう。



 反応は―――ない



「…死んでいるわ。間違いない」



 それからしばらく見ていたが、ハンベエが動き出す様子はなかった。

 ドクリンがカビを操作して、ハンベエの身体に付着させてみるが、そこでも生体反応を感じられなかった。


 動かない。

 体温が下がってきている。

 生体磁気が減少してきている(増えていない)

 心音がしない。


 これらの情報から考えるに―――死んでいる。



 ハンベエは、死んでいるのだ。



「ふぅうう…はぁはぁ。死んだ。シンダ、シンダ、シンダ!!! ざまぁみろ!! グマシカ様の邪魔をするからだ!! こいつ、こいつ、こいつめ!!」


 ガシガシガシッ

 ようやく死んだことを確信したドクリンは、ハンベエの死体を足蹴にして、多少の気晴らしをする。

 だがその直後―――


「ううううっ…なんでこんな…!! うわぁああ!! グマシカ様あぁああ! うう、失敗した…失敗して……!! あなたの意思に背いてしまった! うわぁああああああーーーんっ!! ごめんなさああああああい!」


 突然泣き出す。

 まだ幼い多感な少女のように情緒不安定だ。

 どうやらドクリンの精神制御は、あまり上手くいっていないようである。

 やはり人間を改造することには相当なリスクが伴うのだろう。


「ドクリン、ご苦労様でした」


 泣きじゃくるドクリンのもとに、カラスがやってくる。

 すでに大部分の毒素を吸収し、周囲はかなり安全になっていた。


「わ、わたしは…ぐ、グマシカ様の期待に応えられずに…」

「大丈夫です。あの御方は、いつだってあなたを愛しておられますよ。さぁ、思い出しなさい。グマシカ様のお優しさを。あなたの罪をすべてお赦しになられた、神の愛を」

「はっ、はっ、はっ…!! わ、私…は!! はぁはぁ!! はい!! そ、そうです。そうだわ。わ、わわわ、私は…大丈夫。もうユルサレタのだから…ふふふ、はははは!! グマシカ様がおられれば、私は大丈夫!!!」

「ええ、あなたが生きていられるのも、神の仕事に従事しているからです。ご安心なさい。セイリュウ様の代理として、私があなたを認めます」

「はぁはぁはぁ…はぁはぁ…はい。ありがとう…ございます」


(やはり戦闘に出すのは危険ですね。ドクリンは所詮、毒処理班ですからね。今回のデータはまたセイリュウ様に送っておきましょう)


 カラスは、情緒が安定してきたドクリンを観察する。

 彼がセイリュウに副隊長を任されているのは、隊員の様子を監視させるためである。

 ドクリンたちに施された精神制御は、スレイブ・ギアスよりも強固なものなので、よりリスクが高くなる傾向にある。

 裏切りという面での心配はないものの、突然発狂したり自害する危険性があるので、こういう監視役が必要となるわけだ。


(こういった不安定なものに頼るのは嫌ですが、それも仕方ありません。我らマングラスこそが、都市の守護者なのです。真実を知らない他派閥の人間では、到底守ってはいけないでしょう。すべてはこの荒野で、人が生きるために必要な措置なのですから)


 この大地は、人が生きるには厳しすぎる。

 それが【人への罰】によって発生したことであっても、人間は生き続けねばならない。

 『賢人の遺産』は、そんな彼らにとっては希望なのである。



「この死体は、どういたしますか?」

「切断して晒し首にします。それがマングラスに逆らった者の末路だと示さねばなりません」

「では、仮面を取りましょう」

「ええ、お願いいたしますよ」


 青劉隊は粛清実行部隊であり、仕事は相手を殺すだけにとどまらない。

 その死体を見た人間が「こんな死に方だけは絶対御免だ」と恐怖を抱き、同じ過ちを繰り返さないように見せしめにすることに意味がある。

 首を切り落とし、晒し首にする。

 身体は切り刻み、おそらく陰部などもかなり悲惨なことになるだろう。

 本当は生きている時に切り刻んでこそ見せしめになるのだが、彼らは裏側の人間なので、晒すことで周囲に存在と力を示すのだ。


「馬鹿な男。グマシカ様に…神に逆らうからよ」


 ぐっ


 ドクリンがハンベエの仮面に手をかけ―――


 ずるっ


 大きく引っ張り、彼の鼻が見えてきた時であった。


 チッ チッ チッ チッ


「…?」


 何かの音に気付く。

 規則的に動くメトロノームのような、時計の針の音のような、とてもとても小さな音が聴こえた。


「…何の音?」

「っ…!! ドクリン、下がりなさい!」

「…えっ?」



 チッ チッ チッ




―――カチッ




 ドーーーーーーーーーーーーンッ!!!




―――爆発



 ハンベエの頭が、爆発した。

 死んだ時のことを考えてか、あるいは自爆用なのか、彼はヘルメットに大納魔射津を仕込んでいたようだ。


 バーーーンッ ババーーーーンッ


 一発ではない。

 五発の大納魔射津が爆発。

 彼の頭部だけでなく、その身体の半分以上が爆発によって吹き飛ぶ。

 精神が伴わない肉体は、単なる肉の塊。

 武人の身体は、強固な精神力を持つ魂が使わねば、結局は宝の持ち腐れであることを証明する。


 さらに、仕掛けられていたのは爆弾だけではない。


 シュシュシュッ ブスブスッ


「―――つ!!」


 爆弾には、【針】が仕込まれていた。

 普通の爆風だけでは効果が薄いので、その中に鉄釘などを仕込むのは、一般的なテロでも使われる手法だ。

 手榴弾も、爆発ではなく飛ばした破片によってダメージを与えるものであるため、この使い方が本来の正しい使用法なのかもしれない。


「ドクリン、無事ですか!!」

「は、はい。大丈夫です。針が何本か刺さったくらいですが、これくらいならば中和可能です」


 カラスの叫びで飛び退いたおかげか、爆発自体でダメージは受けていない。

 多少針が刺さったが、それも特に問題はないようだ。


「そうですか…。それは幸いですが…最後の最後まで邪魔をしてくれますね。これでは晒し首にはできません。まったく…とんだ迷惑な輩ですよ。まあ、戦罪者に礼節を求めること自体が愚かなのでしょうがね」


 頭部は完全に砕け散っていて、もう何も残っていない。

 身体も晒すには損傷が酷くてよくわからない。

 青劉隊の怖ろしさが広まるにつれて、晒し首になるのを怖れた者たちが、たまにこういった死に方をするが、死体を晒す必要のある青劉隊にとっては一番最悪な状態であろう。

 カラスが侮蔑感を隠さないのも当然だ。


 しかし、仕留めたのは事実。


 ハンベエが死んだことは、紛れもない事実だ。


「これだけの被害が出たのです。介入しても文句は言われないと思いますが…我々はあまり表に出ないほうがよいでしょう。一度下がりますよ」

「はい」


 カラスが、ドクリンと人形を連れて下がる。

 あくまでラングラスが主体なので、マングラスの自分たちが表に出ているのは得策ではない。

 しかしながらこの結果を見れば、さすが青劉隊といわざるをえない。

 もしハンベエがアンシュラオンという存在の支配下にいなければ、普通の戦罪者など彼らの相手ではないのだ。

 今回はあの男、白き魔人のせいで事態が大きくなってしまったにすぎない。


(水で洗わないと…。カビ臭くなっちゃうから。グマシカ様は何も言わないだろうけど、臭いのは嫌だな)


 ドクリンは歩きながら、そんなことを考えていた。

 長く生きていても姿が少女であれば、気持ちも若いままなのであろう。

 自分に虐待をしていた父親を殺したことで収監された彼女は、マングラスに救われたあとも少女らしい経験をしないまま過ごしていた。

 そのような環境下では、グマシカとの触れ合いだけが彼女の生き甲斐であり、癒しなのだ。

 といっても、グマシカ当人は滅多に青劉隊の前に出ることはないので、彼女は記憶の中で何度もグマシカとの出会いを再現し、悦に浸るのが現実だ。

 つまりは自宅で恋愛妄想をしている中学生と、なんら変わらない惨めな姿といえる。

 だが、当人はそれで満足なのだ。そうすることで制御が可能ならば、誰も何も咎めることはないのである。


(カビを…落とさなくちゃ…。カビを…)


 ボトッ


 カビが、落ちた。

 彼女が全身にまとっていたカビの一部だろう。

 役割を終えたカビは、こうして「カサブタ」のように身体から剥がれるのだ。


 ボトッ ボトッ


 またカビが落ちていった。

 このカビもまた、人間に利用されるために調整されたものだ。

 その意味においては、ドクリンとまったく同じ存在なのかもしれない。

 利用され、酷使され、最後は死ぬだけの存在。

 その人生に意味があったのかは、誰にもわからない。


 ボトッ ボトッ

 ボトッ ボトッ

 ボトッ ボトッ


 カビが、落ちる。


 ボトッ ボトッ

 ボトッ ボトッ

 ボトッ ボトッ

 ボトッ ボトッ
 ボトッ ボトッ


 カビが、落ちる。

 カビが、落ちる。


 ボトッ ボトッ
 ボトッ ボトッ
 ボトッ ボトッ

 ボトッ ボトッ
 ボトッ ボトッ
 ボトッ ボトッ
 ボトッ ボトッ


 次々とカビが落ちていく。


(私は、愛されている。愛されているから、生きていける。赦されているから、私は…生きていけ……)


「………」

「…?」


 ふと視線を感じて顔を上げると、なぜかカラスがこちらを見ていた。

 彼は鳥のような仮面を被っているので、その表情は見えない。

 見えないのだが、なぜかひどく驚いているように思えた。

 事実、彼は驚いていたのだ。


「ドクリン…【その顔】は……いったい……」

「…え?」


 カビの増殖は自分の肌を媒介にするため、カビが落ちると新しく再生された『赤っぽい肌』になっている。

 それが自分はあまり好きではないので、カラスの言葉に若干の不快感を覚えた。

 だが、彼の様子がおかしい。

 自分の顔をあまりに凝視している。

 カラスには一般的な改造人間がそうであるように、性欲や自己顕示欲というものがないし、与えられた職務を果たすこと以外に生きる目的がないので、必要以上に隊員に関与することはない。

 その彼が凝視するのだから、何かが起こっているのだ。

 ドクリンは、咄嗟に自分の顔に手を当てる。


 いつもなら、生まれたての肌、ぷにぷにした少し弱々しい感触があるのだが―――


 ぐちゃあっ


 その指に訪れた感触は、あまりに生々しいものだった。

 ふと指を戻してみると、つぅーと糸を引いている。

 それに気付いてからは、すべてが早送りのようだった。



「…え? …ええ?」



 ぼちゃ ぼちゃちゃ

 ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ

 ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ
 ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ

 ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ
 ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ
 ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ


 ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ ぼちゃぼちゃっ



 落ちる。

 落ちる。落ちる。落ちる。

 彼女の身体から、皮膚がずり落ちて、溶け出した肉が、ずり落ちてくる。


「はっ、はっ、はっ!!! な、何が!! これはいったい…なに!!!!?」

「ドクリン! さっきの針は!?」

「は、針は…中和……した…! 中和して…うぐうううっ…げぼおおっ」


 どばちゃっ

 ドクリンが吐き出した吐瀉物すべてが血に染まっている。

 その中には、食道や胃の一部だったものすら含まれている。

 彼女の身体が、溶け出しているのだ。

 それと同時に、急速に身体がやつれて細くなり、髪の毛の色が白くなっていく。


「これは…老化!? ドクリン、あなた、どうしてしまったのですか!?」

「わ、わからない…わ、わからない…!! 針は…大丈夫だったのに…何が…あああ、肌が…肌が……無いぃいい!! わ、私の…肌!!! グマシカ様に……もらった……身体が……身体があぁあああああああ!! あーーー! あーーーーーー!!!」

「落ち着きなさい、ドクリン!!」

「私のカビがぁあああああああああああああああああああ! げほっごぼっ!!」


 彼女が叫ぶたびに、身体が崩れていく。

 その段階で、もはや手の施しようがない状態にまで悪化していた。

 これは異常。明らかに異質だ。



(これは間違いない―――【毒】です!!)



 カラスは、これが毒によるものだと確信した。

 ハンベエが爆発した際、何かをやったのだ。

 だが、ドクリンは毒は中和したと言っているし、目に見えるような色のある毒素はまったく見られない。

 ただし、毒に色が付いているというのは錯覚だ。

 たとえばヒ素などは、そもそもが無色透明である。蛇の毒も、牙からしたたり出るものを見れば、透明であることも多いだろう。

 ハンベエが毒煙玉に色を付けていたのは、味方に損害を出さないようにとの配慮である。

 彼が本気で毒を出そうと思えば、初めてアンシュラオンと出会った時のように、誰にも気付かれずに無色透明の毒素を排出することができる。


 実はこの毒素は、ドクリンを見た時から少しずつ出されていたものだ。


 微量に、とても微量に、相手に気付かれないように少しずつ。

 その一方で、相手にわかりやすいように色を付けた毒素の噴出も行う。

 こちらは相手に気付かせるのが目的のものであり、彼は今までアンシュラオン以外の人間に無色の毒を見せたことはないため、相手に気付かれることはなかった。

 カビは、より濃度の高い毒から吸着を開始する性質があることを、最初の中和で見抜いていたのである。

 そして、毒の発生源がハンベエである以上、その一番近くにいた彼女は、いくらカビの防護を受けていたとはいえ―――




「うげえええええ! ごばっ―――!!! う、うそ……わ、わたし…ししし、シヌシヌシヌシヌ……死ぬ……の?」




 ぶばっ どさっ



 最後に大きく血を吐き出したドクリンが、倒れ―――



 死んだ。



 なんともあっけなく、人は死ぬ。

 遺言を残す暇さえもない。許容量を超えた段階で、あっさりと死ぬのだ。




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