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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第八章 「壊滅 ホワイト商会」 編


527話 ー 536話




527話 「最終勧告 その3」


 信者たちを排除した事務所周辺には規制線が張られ、一般人どころか衛士隊すら立ち入り禁止になる。

 その代わりにマングラスの治安維持部隊が駐留することになったが、彼らもその中には入らない。

 中に入れるのは、ただ一人だけだ。


「では、最終勧告に行ってくる」

「護衛を付けます」

「いや、必要ない。一人で十分だ」

「凶暴な戦罪者たちがいるのですよ。もし何かあったら…」

「かまわないのだ。どうせやつらが本気で暴れたら、君たちでは太刀打ちできない。無駄な犠牲が出るだけだ。犠牲になるのは私一人でいいのだ」

「筆頭監査官殿…さすがです。しかし、何かあったら合図をください。すぐに駆けつけます」

「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいものだ」


 レブファトはシミトテッカーが裏切っても、けっしてマングラスを裏切らなかった。

 その忠誠心が評価され昇進したのだから、周りの者たちも「高潔な人物」「義理堅い人物」と思っているだろう。

 実際にレブファトはマングラスの中でも職務に忠実で、組織に忠誠を誓っている者の一人だ。

 今回の最終勧告の立役者に選ばれたのも、前回の脅しや懐柔に乗らなかったことが評価されてのことでもある。

 彼から始まったマングラスの介入なのだから、彼で締めるのは筋というものだろう。


 レブファトは、誰もいなくなった敷地に足を踏み入れる。


 一歩、また一歩。


 完璧な歩幅を維持しつつ、淀みなく進む後姿は自信と誇りに満ちていた。

 後ろにはマングラスの『龍旗《りゅうき》』がある。

 地上部だけでもこれだけの権威と武力を持ち、なおかつ地下にはあの傀儡士やグマシカもいる。

 レブファトたちは傀儡士のことは知らないが、グラス・ギースにいる者たちがマングラスに恐怖を感じるのは、彼らの存在を無意識に感じているからだろう。

 目に見えないからこそ怖く感じる。

 その恐怖から逃れる方法は、たった一つだ。


 自らもマングラスになることである。


 マングラス派閥に入ってしまえば、粛清という恐怖に怯えなければならないが、おとなしくしていれば巨大な力に守られることになる。

 長い物には巻かれるべきだ。レブファトがやってきたことは、すべて正しく、マングラスに反するものは何一つなかった。



 唯一、【あのこと】だけを除けば。



 レブファトが事務所にたどり着くと、触れる前に扉が開いた。

 特に見張りが外にいるわけではないが、『彼ら』には自分の動きなど筒抜けなのだろう。


 ザッ

 中に足を踏み入れる。


 バタン

 ドアが閉められる。



 次の瞬間―――レブファトが膝をつく。



「はーー、はーーー!!」



 その顔には汗が大量に流れており、顔色も悪い。

 後ろにいたマングラスの人間には、さぞや立派な姿に見えたのかもしれないが、前方から見たレブファトの顔は、まるで死人のように暗かった。

 歩くたびに足が重くなり、事務所までが非常に遠く感じる。

 この五百メートルは、彼にとって数十キロの旅路に匹敵したのだ。


「どうしました? 汗でびっしょりですねぇ。マラソンでもしてきたのですか?」


 出迎えたのは、戦罪者のハンベエ。

 仮面を被っているので表情はわからないが、薄ら笑いを浮かべていることはすぐにわかる。


「よくもそんなに悠長にしていられるな…! お前たちは!!」

「まあまあ、そんなに感情的にならないでください。さあ、どうぞ。落ち着いて話し合いましょうか」


 さきほど班長に対して言った台詞を、そのまま返される。

 このあたりもなんとも皮肉だ。

 あの時もっとも感情的だったのは班長ではなく、実はレブファトだったのだ。

 内心では激しい葛藤に襲われていたのだが、長年の技術と経験でかろうじて表には出さないでいたのだ。

 しかし、ここに入った途端に、堰を切ったように感情が押し寄せてきた。


 ついに『その日』がやってきたからだ。



「話し合うことなど…もうないだろう! お前たちは終わりだぞ!! 今夜、今夜だ!! 今夜、ここが襲撃される…!! いや、こちらから見たら【粛清】するんだ。制圧ではない。制裁だ! 排除だ! それがわかっているのか!!?」

「ようやくその気になってくれましたか。楽しそうですねぇ」

「うっせぇぞ、ハンベエ。なに騒いでやがる!」


 玄関口で騒いでいたので、それを聞きつけてヤキチたちがやってきた。

 ヤキチ、マサゴロウ、マタゾーといった幹部に加え、他の戦罪者の姿も見える。

 こちらも若干懐かしく感じるが、プライリーラとの戦いからさほど日数は経っていないので、彼らにも変化はほとんどない。

 だが、状況は一気に変わろうとしている。


「誰だ、こいつ?」

「レブファトさんです。マングラスの監査官殿ですよ」

「ああん? なんだそりゃ? そんなやつ、いたかぁ?」

「まあ、知らなくてもいいことですよ。それより今夜、歓迎があるみたいですねぇ」

「はっ、ようやくかよ。待ちわびたぜ」

「貴様ら…!! なんでそんなに平然としていられる!! 殺されるぞ!! それとも勝てるのか!! お前たちは、あの怖ろしい者たちに勝てるのか!?」


 レブファトは筆頭監査官になった際、セイリュウと会うことができた。

 地位が組長クラスになったことと、昨今グラス・ギースが揺れていることもあり、セイリュウが組織内の結束を強化するために招集をかけたのだ。

 レブファトもグマシカを捜せと言われていたので、ここぞとばかりに参加したのだが―――


「あれは…人間じゃない! げほっごほっ…あれは……逆らってはいけないものだ!!」


 凍り付いたのは、レブファトの心のほうだった。

 対峙しただけで彼の圧倒的な強さ、その中に眠るものへの畏怖を感じるのだ。

 今でも思い出せば、喉が詰まるような息苦しさを感じる。こうして呼吸が苦しくなるほどに。

 ただ、恐怖の感情のほうが強かったため、彼の翻意にセイリュウが気付かなかったことが唯一の幸いだろうか。

 レブファトは悟った。

 マングラスに逆らってはいけないのだと。


「逆らえば殺される! それだけでは済まない!! 人としての尊厳すら失う!!」

「それは楽しみでござるな」


 ゴンッ

 右目に眼帯をしたマタゾーが、肌身離さず持っている槍で床を叩く。

 アーブスラットとの戦いで、彼は右手と右目に大きな損傷を負った。

 右手は人差し指が完全には動かないので、それだけでもかなりのマイナスだが、特に目のほうが問題だった。

 命気の力は凄まじく眼球は再生したものの、視神経に負ったダメージが大きくて右目の視力が大幅に低下してしまった。

 日常生活に支障はないものの、実戦の高速戦闘には対応できないレベルだったため、彼は自らの目を―――抉った。

 その時の台詞は、「戦いに使えぬのならば必要ない」であった。

 むしろ逆に、少し見えてしまうことが隙になると考えたのだ。そこに頼ってしまう心があれば、超一流の武人には対抗できない。

 彼が実力で数段上のアーブスラットに立ち向かえたのは、決死の覚悟があったからだ。

 それを持続させるためには、多少程度しか見えない目は不要である。


「それは朗報だ。思いきり暴れられる。最近は戦いも減っていたからな」


 マサゴロウもマタゾーの意見に賛成だ。

 ヤキチは言わずもがな。すでにポン刀の手入れを開始していた。


 レブファトにはそれが―――信じられない。



「なぜ楽しめる! なぜお前たちは【興奮】できる!!」



 ドキドキしている。ワクワクしている。

 夜にプレゼントを持ったサンタさんがやってくると聞いた子供のように興奮している。

 ルアンという子供がいるレブファトには、本気で楽しんでいる雰囲気が、ありありとわかるのだ。


「そりゃ興奮しますよ。だって私たちは、そのために生きているんですからねぇ。どうして戦罪者になったと思います? とことん戦って死ぬためですよ」

「くっ!! 狂人どもが!!」

「ありきたりな台詞ですね。こちらのことはおかまいなく。あなたはオヤジさんのためだけに動けばいいのです」

「そのホワイトも、もういないだろう! お前たちが死ぬのはいい! だが、ルアンまで巻き込むな!! もうホワイトは終わりなんだ!」

「それ、本気で言ってます?」

「あいつは収監砦に入った。やつにとってはたいしたことではないのかもしれないが、状況は悪い方向に向かっている! マングラスが本気になれば、あの男とて無事では済まないぞ!!」

「ふふふ」

「ははは」

「くくく」


 レブファトの言葉を聞いた戦罪者たちが、笑う。

 その笑い方は、無知なる者をあざけり笑うものであった。


「なんだ? なぜ笑っていられる…!」


 レブファトには、戦罪者の感性など理解できない。

 自分にとって重要なのは、アンシュラオンが負けてしまえばルアンの身も危うくなるということだ。

 もし自分がホワイト商会と結託していると疑われれば、セイリュウは容赦なく粛清するだろう。

 その際、息子を人質に取られていた、という言い訳など通用しない。

 妻と息子ともども処刑される。人としての尊厳を失った姿になって。

 それが怖くて怖くてたまらないのだ。もし戦罪者の一人でも口を割れば、その段階で自分も終わるのだから必死だ。


 しかし、戦罪者は笑う。

 それが無知だと笑うのだ。


「なんでぇ、学のありそうな面してやがるからよぉ、もっと利口なのかと思ったがよぉ、おらぁより馬鹿じゃねえか」


 ヤキチがポン刀に打ち粉|(ポンポンするやつ)を付けながら、にやりと口を歪める。


「なんだと…? どういうことだ?」

「てめぇは何もわかってねぇな。オヤジのことをまったく理解してねぇ。ありゃぁな、人間じゃねえんだよ」

「マングラスの……セイリュウたちとて同じことだ」

「ぎゃははは!! 本当にわかってねぇな、おい!! おらぁたちだってよ、そこそこグラス・ギースにいるんだ。マングラスのヤバイ雰囲気は感じてるさ。だがよ、【格】が違うのさ」

「格…だと?」

「そうだ、格だ。おらぁたちからすりゃよ、大型魔獣は強く見えるぜぇ。殲滅級の魔獣だって怪物だぁ。だからわかりにくいんだ。てめぇが見たセイリュウって野郎は、たしかに怪物かもしれねぇがよ、オヤジは…それすら超える怪物なのさ」

「実際に見ていないから、そう言えるのだ!」

「わかんねぇやつだな、てめぇも」

「武人でなき者には、真実は見えぬということでござろう。レブファト殿、御身とご子息が可愛ければ、オヤジ殿を裏切らぬことでござるな。それが拙僧ができる最後の助言でござるよ」

「信じていいのか? お前たちを…ホワイトを? この状況で?」

「覚悟とは、平時においては何の意味も成さぬもの。極限でこそ試されるものよ。どうするかは貴殿が選ぶものなれど、武人として生きてきた拙僧らにはわかるのでござる。ゆえに一つ忠告をしよう。オヤジ殿を『本気』にさせてはならぬ」

「本気? どういう意味だ?」

「思い通りにならねば、短気なオヤジ殿は怒るであろう。欲しいものが手に入らなくても怒る御仁よ。大切なものが傷ついても怒るであろう」

「それは…そうだろうが……普通のことではないのか?」

「だが、それらは『人としての怒り』でござる。その状況ならば、まだよし。まだ化けの皮が剥がれていないでござる。しかし、けっして、けっして、それ以上にはいかぬように心がけるべきでござろう。オヤジ殿の本質は『破壊の権化』。もし最悪なことになれば…都市が消えるどころでは済まぬ」

「そうそう、オヤジは怖いよなぁあ! ぎゃはははは!!」

「ええ、あの人が本気になったら私でもチビりますねぇ。まっ、チビる前に死にますけど。クケケケ」

「オヤジは…強いというレベルではない。虫は…けっして大地には勝てない。天にも届かない。それが事実だ」


(死を前にして強がっているのか? それとも本当に狂っているのか? だが、なんだこいつらの目は。なんて…真っ直ぐな目をしているのだ)


 長年多くの人間を見てきた。

 嘘をつく人間、矮小な人間、弱い人間、儚い人間、さまざまな感情を見てきた。

 だからこそ、その人間が今どんな状況にあって、どういう腹積もりなのかがわかるようになった。


 そんなレブファトの瞳に映ったのは―――少年。


 恐竜を見て「わぁ、なんてすごいんだろう! こんなのがいたら、人間なんて簡単に食われちゃうね!!」と、博物館ではしゃぐ子供のような姿。

 強さへの絶対の憧憬。信頼。親しみ。

 ソイドビッグが持っている人としての恐怖心とはまったく違う、ただただ強さに憧れる者たちが、そこにはいた。

 そんな彼らは嘘などつかない。強さに関しては子供のように純心なのだ。


「さあ、もう戻ったほうがいいでしょう。これ以上は怪しまれます。…いいですか、くれぐれもご心配なく。私たちが今夜全員死んでも、肩の荷が下りてせいせいしたといった顔で過ごしてください。けっしてこちらの味方をしないように。あなたはあなたの役割を果たしてくださいねぇ。オヤジさんは、ああ見えて約束を違えない人です。見返りは相当なものになるはずですからねぇ」

「理解は…できないということか」

「そのほうが賢明です。あなたも私たちも、所詮は脆弱な人間なのですから。仮にどちらに転ぼうが、あなたには損はない。そうでしょう?」

「…わかった。私は…お前たちを見捨てる」

「最初からそう言ってんだろうがぁ。インテリってやつらは面倒くせぇな」

「ふっ、お前のように馬鹿ではないからだろうさ」

「うるせぇな、マサゴロウ!! てめぇだって馬鹿だろうが!!」

「否定はしない。馬鹿のほうが人生は面白いからな」

「では、さようなら。ごきげんよう」



 バタン


 扉は閉められた。

 この瞬間レブファトは、もう理解はし合えないのだということを理解した。

 彼は再び偽りの顔に戻ると、厳かな態度で陣営に戻っていく。


 今夜、彼らは死ぬのだ。


 自ら望んで死にゆく人々にかける言葉を、レブファトは持ち合わせていなかった。

 持ち合わせないのが普通の人生。そのほうが良い人生なのであると信じて。




528話 「制裁の夜 その1」


 昼間の最終勧告が終わった。

 結果は当然ながら、勧告拒否。

 彼らは退去および、無条件完全降伏を聞き入れずに抵抗することを選んだ。

 ただ、これは形式上のことであり、仮に彼らが勧告を受け入れたとしても、待ち受けるのは死以外にはありえない。

 あくまで対外的に「一応は警告しましたよ」という図式が欲しかったにすぎない。



 時刻は夜の二十二時過ぎ。



 ホワイト商会の事務所を囲う規制線の外側には、数多くの人間がいた。


 まずは、治安維持部隊としてのマングラスの兵士たちがいる。

 すでに彼らの管轄になっているので我が物顔で警備を担当しており、規制線にネズミ一匹紛れ込まないように厳重に見張っている。

 昼間に信者を鎮圧した重武装兵士たちもいるが、大半は衛士と同じような通常軽武装をした者たちで占められていた。

 DBDおよび独自に入手した最新武器には限りがあるので、それらは元傭兵やハンターといった者たちに回され、その他大勢の労働者階級の人間やスレイブには通常武装が配られて配置されている。

 彼らが対峙するのは武人ではないので、これくらいで十分なのである。


 その外側には、マングラスに警察権を奪われた衛士隊が派遣されている。

 衛士隊のふがいなさが目立つ案件も多かったが、グラス・ギースを守ってきたのは間違いなく彼らである。

 さぞや悔しい気持ちで一杯だろうし、この状況を生み出した領主に対する恨み節も所々で聞かれる。

 一方で、ホワイト商会と対峙しないで済むことに安堵している者たちもいる。

 正直、衛士隊の戦力でどうこうできる相手ではないのだ。肝心のマキはアンシュラオン側だし、ファテロナも気まぐれなので戦力としては計算しづらい。

 もともと中立なのだから、これくらいの距離感でもかまわないと考える者も多いのだ。


 ちなみに領主はいない。

 彼にとってホワイト商会などというものは、たいしたものではないという認識のままだ。

 せいぜいが娘に危害を与えた馬鹿者の一味、といった感覚だろうか。

 また、マングラスが主導して金と戦力を出している以上、領主がでしゃばるのは得策とはいえない。

 娘の借りを返しつつ、治安維持の費用まで出してくれるのならば、そのほうが得とも考えているだろう。

 案外そうしたところは、したたかである。だからこそ大きな失策もなく都市運営を行えてきたのだろう。(アンシュラオンを軽視するという大失策を犯してもいるが、それ以外は無難な対応に終始しているといえる)


 それ以外にも、各派閥からさまざまな人間が集まっていた。

 ゼイシルこそいないものの、ハングラスからは第二以下の警備商隊のメンバーも集まり、万一にそなえている。

 制裁後のことも踏まえて、財務処理を担当する商人まで派遣されているので、彼らとしても奪われた資源を少しでも取り戻そうと躍起なのが見て取れる。(ほとんどがソブカが管理あるいは売却済みなので、大半が戻ってはこないが)


 ジングラス派閥の者もいる。

 プライリーラを失って(現在捜索中)動揺が走っていても、序列ではマングラスに次ぐ大勢力である。

 マングラスが一気に台頭してきた以上、彼らも黙っているわけにはいかない。

 外に出ていた者たちを掻き集め、見栄であっても数をそろえることで勢力の強さを顕示しようと努力していた。

 しかし、象徴を失っているためか、派閥の者たちの表情は暗いままだ。

 プライリーラの父親であるログラスの側近であった老人たちが中心となり、組織が瓦解しないように支えているのだが、はっきり言えば【華】がない。

 戦獣乙女が持っていた若さや美、誇り高さといった【張り】がないので、どうしても見栄えしない。

 まさに羽を奪われた馬、といった状態であろうか。


 こうして、領主を含む四つの派閥が顔を並べる。


 この作戦はマングラスの提案が通り、『全派閥共同』で行われるため、さまざまな感情や思惑はあれど、形式だけでも集まっておく必要があるのだ。

 これだけの作戦ともなれば、派閥以外の人間も多い。

 グラス・ギースの夜は早く、夜八時には就寝する者もいるくらいだが、今日ばかりは一般人の野次馬の姿も見受けられる。

 兵士や衛士が多くて現場には近寄れないが、これから何かが起きることはわかるのだろう。

 期待と不安の眼差しで事務所の方角を見つめている。



 そして、忘れてはならないことがある。



 全派閥が集まるということは、五つの派閥が集まるということだ。

 ディングラス、マングラス、ジングラス、ハングラスが集まったのならば、もう一つの派閥を忘れてはいけない。

 すべては彼らから始まったことなれば、幕を下ろすのも彼らの責務であるはずだ。

 四つの派閥が見つめるは、このためだけに設置された【大本営】である。

 もっと身近にいえば『対策本部』というべき場所だろうか。野外に仮設置された大きなテントが彼らの『見物席』となっていた。



 大本営に掲げられるは―――【不死鳥の旗】。



 赤地に金の刺繍で逞しい鳳凰が描かれている旗が、ばっさばっさと揺れていた。

 それによって不死鳥が再び羽ばたこうとしているように見える。


 その『鳳旗《ほうき》』の旗の下には―――



「いい眺めじゃねぇか。他派閥の連中の視線を釘付けだ。今までこんなことがあったか?」



 ラングラス派閥、イイシ商会の組長、イニジャーン。

 ツーバが療養中の今、実質的なラングラスのリーダーともいえる初老の男だ。

 葉巻を咥えて堂々と椅子に座る姿は、まさにマフィアのボスといった迫力と貫禄がある。


「なんだその恰好は。目立ちすぎだ」

「せっかくの晴れ舞台なんだ。これくらいはいいだろうが」

「あまりはしゃぐな。恥ずかしいだろう」

「ははは、今日ばかりはお前も小さく見えるぜ。俺みたいに堂々としていればいいんだよ」

「まったく…浮かれやがって」


 ソイドダディーが、久々に表舞台に出て浮かれているイニジャーンを見て、なんとも言えぬ表情を浮かべる。

 イニジャーンは、今日のためにオレンジ色のスーツを仕立ててきた。当然、目立つためである。

 似合っていなくはないが、昼間着るには派手すぎるし、夜になれば実は白やライトブルーのほうがよく見えるという研究結果もあるので、視認性という意味ではそこまで効果があるわけではない。

 ただ、気持ちもわかる。


(今までずっと落ち目だったんだ。いくらてめぇの尻を拭くっていう、なさけない作業とはいえ、うちらがここまで目立つことはなかった。イニジャーンは、今までずっと耐えてきた。今日くらいは仕方ない)


 はっきり言えば、これは『ラングラスの禊《みそぎ》』である。

 迂闊にホワイト商会に関わってしまったがゆえに誤解され、数多くの犠牲を出してしまったことに対する『詫び』だ。

 しかし、本来は恥部なのだが、アンシュラオンがあまりに他派閥に被害を出したことによって、注目度は近年稀に見る大事《おおごと》になってしまった。


 それはいつしか―――『見世物〈ショー〉』となる。


 人間とは不思議なものだ。

 自分たちにとって重要な問題であるにもかかわらず、心のどこかでは『祭り』を求めている。

 気分の高揚を欲している。いつもとは違う刺激を欲している。

 湧き上がる感情を爆発させ、興奮し、快楽を満たしたいと願ってしまうのだ。

 今までやられた分があるからこそ、その想いや期待も強くなる。


 彼らが求めているのは―――『公開処刑』を楽しむこと。


 ホワイト商会という共通の敵を、圧倒的な力で排除することを期待しているのだ。

 だからこそラングラスは、発端でありながらも主役になれるのである。

 今日くらいはいいだろう。こんな晴れ舞台くらいは、多少浮かれたっていい。

 ただ、そんなイニジャーンの顔も、すぐに真剣なものになる。


「ソイドよ、本当にいいのか? 今ならまだ間に合う。ビッグを参加させなくてもいいんじゃねえのか?」

「あいつが求めたことだ。俺が出られない以上は、誰かが出るしかねぇ。全部殺し屋に任せきりじゃ、うちの面子が潰れちまう。ほかに適任がいるか? 武人の家系は俺らだけなんだぜ」

「だが…まだ子供だ。大事な跡取りだろうが。やっぱりよ…心配だぜ」

「そりゃ、俺だって同じ気持ちだ。今すぐにでも代わりたいくらいだ。それでもあいつがやるって言ってんなら、父親としては見守るしかねぇだろう」

「俺はあいつが心配でならねぇ。お調子者だし、おっちょこちょいだし、十二歳までおねしょまでしてただろう? 根は小心者なんだと思うぜ」


 やめたげて!!

 インジャーンさん、やめたげてよ!!

 ビッグの恥部をさらりと公開するとは、親類とは怖ろしいものである。

 ただ、幼い頃からビッグを見てきたイニジャーンだからこそ、ダディーと同じくらい心配しているのは事実である。


「俺にだってわかるぜ。周りのやつらはとんでもねぇ連中だ。あの中に入って、あいつが何かできるとは思えねえ」


 イニジャーンは、彼らを見た瞬間に久しく感じていなかった『戦場《いくさば》』の臭いを感じた。

 むせ返るような血の臭い。そこらで死体が転がっているような世界。

 戦罪者のような人間には当たり前でも、普通の人間では絶対に生きてはいけない世界の臭いである。

 彼らは違う。存在そのものが違う。

 マフィアでさえ彼らと関わってはいけないと思わせるほどの圧力を受けたのだ。

 これが普通の感性というものであろう。


「ホワイトや戦罪者を殺すために集めた連中だから当然だが…本当にヤバイ。足手まとい程度ならばまだいいが、そこで何かあったらよ…」

「それはそうだが―――」

「彼を見くびりすぎだと思いますよ」

「っ…!」


 後ろから声がした。

 誰が来たのかと、いちいち振り返って見る必要もない。

 この声を一度聴けば忘れることはないだろう。強く、鋭く、底冷えするように冷静な声だ。


 そこにいたのは―――ソブカ・キブカラン。


 猛禽類を彷彿とさせる『狩る者』の目をした男。

 若さゆえの無鉄砲さという意味ではビッグに似通った面はあるが、彼から放たれる気配は、そもそもの存在が違うと思わせるに十分なものだ。


「てめぇ…ソブカ。のこのこやってきやがって!」

「何か問題でもありますか? 私も組長の一人。参列する資格はあるでしょう?」

「会議には来なかったくせに、美味しいところだけ喰らうつもりか?」

「いろいろと用事があったのです。その代わり資金は提供したはずですよ」

「金の問題じゃねえんだよ! 義理の問題だろうが!! 組織が大変な時に顔も見せないで、よくもまあ堂々と来られたもんだ! どんだけ面の皮が厚いんだ!」

「やめろ、イニジャーン。こいつが金を出したから助っ人を呼べたのは事実だ。金は力だ。そこは認めないといけねえだろうが」

「ふん、これだから最近の若いやつはよ!! いいか、ソブカ! 俺らは身体を張って手本を示さないといけねぇんだ! オヤジだって、動けた時はずっとそうしていた! 高みの見物なんて百年早いんだ! わかったか!」

「今日は随分と張りきっておられますね。あなたがいる限り、まだまだラングラスは安泰でしょう」

「兄貴のことも忘れるんじゃねえ」

「もちろん忘れてはおりませんよ。ムーバさんは来られなかったのですか?」

「兄貴はオヤジの世話があるからな。ここで何かあったら困るだろうが」

「ストレアさんは…血が嫌いでしたね。なんだかんだいって女性には刺激が強すぎますしねぇ。モゴナオンガさんがいない理由は、組織内の統制と他派閥の牽制、といったところですか」

「ちっ、頭が回りすぎるんだよ、てめぇは」

「ありがとうございます。それでここまでのし上がってきましたからね。しかし、来てよかった。あまり組長格が少ないと侮られますからね」


 今回、ソブカはしっかりとやってきた。

 ラングラスの中でも実質上(経済面)の最大勢力でもあるし、都市内部でも存在感が増してきている。

 その証拠に、ソブカが現れたのを見た他派閥の者の気配が変わる。

 監察するような警戒するような、あるいは威嚇するような不穏なものになっていく。



 空気が―――張り詰める



「お前がやってくると場が荒れるな」


 ソイドダディーも、その気配を敏感に感じ取った。

 ソブカが来ると周囲は妙な緊張感に包まれるのだ。

 それは生物が持つ防衛本能が刺激されるからだろう。

 彼は生来の狩る者、狩る側の人間。

 混乱と恐怖をもたらし、今まであったものを壊してしまえる側の人間だ。

 だからこそアンシュラオンは、ソブカを選んだのだ。同類だからこそパートナーに相応しいと。


「賑やかでいいでしょう? 静かでつまらないよりは」

「平然とそう言えるだけの胆力は見事だよ。で、ビッグが何だって?」

「皆さんどうも、彼のことを過小評価していると思いましてね。聞きましたよ。今朝は殲滅隊の大男を『のした』そうじゃないですか」

「何かのまぐれか、噂に尾ひれが付いただけだろうよ」

「火のないところから煙は立ちません。原因はどうあれ、やったのは事実です。普通の人間には到底不可能なことです」


 たしかに普通の人間にはできない。

 普通ならば、まず近寄ろうという考えすら浮かばないはずだ。

 それができるビッグは、間違いなく『普通』ではない存在といえる。


「何が言いてぇんだ?」

「彼には何かを成す力があるということです。それに期待してしまいます」

「いまさら褒めたって何も出ないぜ。お前が言うと嫌味にしか聞こえないしな」

「彼はラングラスの未来を背負って立つ者です。素直に応援くらいはしたいものですがねぇ。どうやら嫌われているようで哀しい限りです」

「お前が挑発するような態度にばかり出るからだろうが。…だが、俺はお前を評価しているぜ。ビッグとは出来が違いすぎる」

「それはどうも。ダディーさんから言われると嬉しいですよ」

「資金の礼もあるからな。お前の親父さんに代わって俺が言ってやるよ。…ソブカ、これで終わる。余計な野心は捨てろ」

「おやおや、これは意外なお言葉です。私に野心などありませんよ」

「俺にはわかる。お前には自分でも抑えきれない【炎】が眠っている。今回のことでそれに火が付いたのかもしれねぇが、もういいんだ。もう終わるんだ。全派閥が見ている前で、あいつらを潰す。元に戻るんだぜ。今までと同じ平和なグラス・ギースにな。もう波乱は勘弁だ」

「そうしてめでたく他派閥に侮られるラングラスも戻ってきますねぇ。それを見て、ダディーさんたちは何も思わないのですか? なぜラングラスは、ここまで虐げられねばならないのでしょうか? 領主の工場制圧の動きにも、いささか疑問が残ります。彼らは我々を見捨てたのですよ。一番の被害者であるあなたは、なぜもっと声を荒げないのですか?」

「私怨は捨てろ。都市全体の命を繋ぐために、そうした判断も時には必要になるんだよ。それが組織ってやつだ」

「ラングラスが消えてもいいと? 火の英霊の名誉を汚す行為ではないのですか?」


※火の英霊=初代ラングラス。古い言い回しの一つ。


「そんなことは言ってねえし、許すつもりはない。現にこうして生きている。俺たちは存在している。なら、それでいいんだ」

「納得はしかねますねぇ。理解しがたい。ですが、ここで場を荒らすつもりはありませんよ。今は従いましょう」

「クソガキが、おとなしく座ってろ。お前なんぞ、さっさとジングラスにでも婿入りしちまえばよかったんだ。そのほうが都市のためになったのによ」

「イニジャーン、口が過ぎるぞ。誰が聞いているかもしれねぇんだ。気をつけろ」

「…ふん、わかってるさ。だがな、こいつの顔を見ると、どうしてもイライラするのさ。こいつはな、自分が一番頭がいいと思っていやがる。だから人を見下す。その態度が気に入らないのさ」

「最近の若いやつは、だいたいこんなもんだぜ。うちのビッグが馬鹿なだけさ」

「まだ馬鹿のほうが可愛げがあるぜ」


 馬鹿であることを誰も否定しないのがすごい。



「………」


 最後のイニジャーンの言葉は、特に何かを意図したものではない。

 プライリーラがソブカに興味があることを知っているからこその発言だ。他意はない。

 だが、ソブカの心には思った以上に響いていた。


(感傷に浸る暇などはありません。すでに彼女はいない。私が自ら手を下しましたからねぇ。…そう。もう後戻りなどできないのです。私は先に進むしかない)


 その鋭い目が、事務所を静かに見つめていた。




529話 「制裁の夜 その2」


 規制線の手前にある一区画は完全に人払いがなされ、どの派閥の人間の立ち入りも許されていなかった。

 そこに集まった三十人の人間以外は。


 彼らは―――【殲滅隊】のメンバー。


 ホワイト商会壊滅のために選ばれた者たちである。


 まず大注目なのは、もちろん『ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉』の三人だ。

 クロスライルとJB・ゴーンの二人は、外から来た武人専門の殺し屋として、他者とは明らかに雰囲気が違った。

 こうして普通の武人たちに交ざると、その異様さが際立つのだ。

 今まで数多くの作戦に参加し、ただただ殲滅を担当してきた彼らは、圧倒的なまでに洗練されている。

 殺しが日常的になった者たちとは、これほどまでに異質なのかと驚くほどに。

 そんな彼らでさえ、荒野では苦戦を強いられるのだから、逆に未開の大地がいかに怖ろしいかを痛感するというものだ。


 そして、グラス・ギースではそこそこ有名人のラブヘイアが殲滅隊にいることにも、各派閥の人間から驚きの声が上がっていた。


 彼が有名なのはハンターとしてであり、けっして裏稼業での話ではなかったのだ。

 その腕前から何度かマフィアから勧誘を受けているが、『剣の在り方』を探していた彼にとっては魅力的ではなかった。

 荒野を駆け抜け、自然と密接に過ごし、人が届かぬ天地を見ながら、彼はただただ考えていた。

 人とはどうあるべきか、自分が求めるのは何か、を。

 そんな孤高の剣士である彼が、大幅に雰囲気を変えてここにいることには誰もが驚いていたものである。



「なんだ、こいつらもメンバーなのか? こんなにいらなくね? たいして強くもなさそうだしよ」


 クロスライルは、てっきり自分たちだけだと思っていたので、予想外のメンバーの多さに若干の戸惑いを覚えていた。

 彼らはラングラス派閥が集めた武人たちである。

 武闘派と名高いソイドファミリーだけではない。イニジャーンやモゴナオンガたちも人材集めに奔走して、腕の立つ者たちを用意したのだ。

 マングラスの手を借りるわけにもいかないので、自前で集める苦労は相当なものだったに違いない。

 ソブカに資金提供されたことも、彼らの発奮を促すことに繋がったのだろう。

 他派閥同士で日常的に争いがあるように、同派閥内部でも権力闘争があってしかるべきだ。

 血縁で結ばれている間柄といっても油断はできない。

 なにせマングラスの一件を考えても、傀儡士のような異端の人間が生まれ、のちに本家を乗っ取るような真似をしでかす者もいるのだ。

 ソブカも同種の存在だと警戒されているため、その金で雇った殺し屋だけを使うわけにはいかない。

 当然ここに集まっている他のメンバーは、クロスライルたちには遠く及ばない。

 ソイドファミリーの中級構成員も入っているが、その中でも上級であったバッジョーがファテロナに秒殺されたように、一流の武人から見れば小物に等しい。

 それでも、その場にいるだけで価値がある。


「セイリュウ殿も言われた通り、これは面子の問題なのです。ラングラスが生き残るための戦いでありながらも、他派閥に対する『接待』でもあるわけです」


 グラス・ギースに詳しいラブヘイアが、クロスライルをなだめる。


「相変わらず組織ってやつは面倒だねぇ。力だけがすべてじゃない世界は苦手だぜ」

「我々の組織が緩すぎるだけかもしれませんね。それに慣れると義理と筋道の世界は息苦しいのでしょう」


 ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉は怪しい組織に思えるし、実際にJBのような危ない人間も多いが、実力主義という面では極めて健全に機能しているといえる。

 二人のネイジアが最上位にいるのは、人間性が優れているとか魅力があるだけではない。


 単純に―――強いからだ。


 その圧倒的なまでの力があるからこそ、彼の下に集う者たちが従うのである。


 JBがたびたび言っている『ネイジアの思想』とは何か?


 彼によってかなり着色されていてわかりにくいが、実際は【実力主義】のことなのである。

 その中でも「武力をもちいて、即座に東大地を統一統合すべき」という強引で即効性のある思想であるため、より強硬寄りのものといえる。

 ただし、これは西側の入植が一気に拡大したことへの危機感の表れでもある。

 ネイジアの思想とは、『堕落した西側文化』の浸透を阻止することを念頭に置かれた考えなのである。

 未開の大地を新たに切り開き、今度こそ正しい文明を築き上げるのが彼らの目的といえる。

 西側のような貴族主義ではなく、健全な実力主義による国家の樹立を促しているのだ。

 それと比べると、イニジャーンたちのような義理人情の世界は堅苦しく思えるのだろう。

 とはいえ、彼はこの状況を楽しんでもいた。


「ははは、これだけ観客がいるってのは初めての経験だが、悪いもんじゃねえな。隠したい反面、見せたい気持ちもあるのが武人ってもんだ。大いに結構! 縛りプレイを楽しもうじゃねえか」


 稀に殺しの現場を見たいというクライアントもいるので、そういった面では慣れているが、ここまで多くの見物客がいることは想定外である。

 武人は各々が他人に知られたくない技を持っているがゆえに、公衆の面前で戦うことを嫌うものだが、それもまた「縛りプレイ」だと思えば面白い。


「あんまり早く終わらせるのもつまらねぇよな。ちょっとは見せ場を作ったほうがいいのかね?」

「さて、敵がそこまで甘ければよいのですが…油断は禁物です」

「データは見ているぜ。えーと、『ポン刀のヤキチ』に『身体割りのマサゴロウ』に『雷槍のマタゾー』、『味方殺しの毒撒きハンベエ』か。せいぜいCランクってところか? 小遣い稼ぎくらいにしかならねぇな」

「もしかして、賞金を狙ってます?」

「あ? そりゃそうだろう。賞金首だしな。出るんだろう?」

「賞金は出ないらしいですよ」

「ええええ!!? なんでよ!!」

「彼らの死体…あるいは部位はすべて依頼者に渡します。我々はすでに多額の金銭を受領していますからね。出ないでしょう」

「おかしいだろう! それは組織への金であって、オレらの金じゃねえぞ!」

「そんなことを言われても困りますよ。一応、私たちもネイジアの組織の一員ですからね」

「なんでぇ、ちくしょう! やる気が失せたな、おい! Cランクが相手で、どうやる気を出せってんだよ!」


 賞金首にも、それぞれSSS〜Fまでのランクがある。

 ヤキチたちは、Cランク。

 はっきり言えば、そこまでたいした者たちではない。

 アンシュラオンとの戦いを見る限りでも、手加減しても秒殺レベルの存在だ。

 クロスライルほどの達人から見ても同じ。Cランクなど、たかが知れている。

 個別に出る賞金だけが楽しみだったのだが、それらも没収となればやる気が出ないのも当然だ。


「つーか、JBの野郎が静かだな。こういうときこそ『ネイジアの思想を伝えねば!』とか言って騒ぐのによ」

「ああ、JBは『彼ら』に夢中みたいですよ」

「ああん? ああ、あのカラスって野郎どもか。類は友を呼ぶってのは本当だな。あいつらも同じってことだよな?」

「そのようですね。グラス・ギースにも同じような技術があることに驚いてはいます」


 JBがおとなしいと思っていたら、マングラスの立会人であるカラスたちと談笑していたりする。

 あんな狂った男に普通の会話ができるのか? と疑いたくもなるが、そこは同じ『改造人間』同士。意外と盛り上がっているようである。

 JBがクロスライルと普通に会話するのと同じだ。

 強い者同士は互いに尊敬し合えるものなのだ。それこそがネイジアの思想でもあるのだから。


「JBもやる気があまりなさそうだ。オレもない。兄さんは?」

「私はまだ修行中ですから、どんな敵との戦いも勉強になります」

「カァア、それだけの力があるんだ。少しは増長したっていいんだぜ?」

「人間など弱い生き物です。弱者が弱者であることを忘れた日から、さらなる衰退が襲いかかります。届かないとはわかっていても、私は少しでも天に近づかねばならないのです」

「あんたも真面目だねぇ。ってことは、楽しみは『あの兄さん』しかいないか」


 クロスライルの視線が、一人の男に向けられる。


 そう、この中でもっとも目立っている男は、クロスライルでもラブヘイアでもない。


 揺らめく『鳳旗《ほうき》』の下にいる大きな身体をした男―――ソイドビッグ。


 多くの人々は彼に視線を向けている。

 なにせ彼は、ホワイト商会の打倒をいの一番に訴えた人物だからだ。

 誰もが制裁を渋る中で、自分こそがホワイトを倒すのだと言い張った。

 口で言うだけならば誰でも簡単にできる。実際にやるから難しいのだ。


 そして彼は、自ら戦場に立つことを決意した。


 父親のダディーが出られないこともあってか、『次世代のラングラス最強』の器はどれほどかと、他派閥からの視線も熱いものとなっている。

 ついつい忘れそうになるが、彼はラングラスの本家筋。

 この『鳳旗』を受け継ぐことが決定している男なのだ。

 今回の彼は胸や腹をプロテクターで覆った戦闘用の鎧を身にまとっており、腕にもアームガードを装備している。

 普段はなかなか使う機会がないが、ファテロナが戦闘用の装備を別途持っていたように、ビッグにも同じようなものがあるのだ。

 ダディーから借り受けた鉤爪もあるので、それを装備すれば父親と瓜二つになるだろう。

 さすがに大きな体躯をしているため、他の人間よりも強そうに見える。

 ただ、彼は自分の弱さをよく知っていた。


(俺はこの中で…五番目か六番目ってところか)


 あの殺し屋二人はもちろん、よく知っているはずのラブヘイアにも遠く及ばない。

 それに身内からも数人、中級構成員が出ているし、必死に掻き集めただけあって、かなり腕の立つ者もいるようだ。(各組長の権限と負担を均一にするために、ソイドファミリーはビッグを含めた四人程度の参戦になっている)


 その彼らと比べれば、自分は―――弱い。


(自惚れとはよく言ったもんだ。周りを見渡せば、強いやつらなんていくらでもいる。ははは。俺は弱いな。そうだ。弱いんだ。だから怖い。怖いからホワイトのやつを殺すしかない。俺はもう…後戻りはできないんだ)


 奇しくもソブカ同様、ソイドビッグも同じ心境にあった。

 やってしまったからには、もう戻れない。

 戻ったところで、あんな惨めな思いをして暮らすのは二度と御免だ。

 ならば、最後までやりきるしかないと覚悟を決めていた。



「よ、兄さん。調子はどうだい?」


 そこに玩具を見つけたクロスライルが近寄ってきて、慣れ慣れしく肩を組む。

 こんな時でもタバコは欠かしていない。


「さすがだな、あんた。全然緊張していないぜ」

「そりゃ修羅場を多く潜ってきたからな。で、まだオレらの実力を心配してるかい?」

「…いや、悪かったよ。今ならよくわかるんだ。あんたたちが、すげぇ強いってよ。本番に強いってのは羨ましいぜ」


 普段ちゃらちゃらしている男が、いざ本番が近づくと凄みを見せるのと同じだ。

 アスリートがいくら練習で結果を出しても、本番で駄目ならば意味がない。

 クロスライルもまた、この戦場が近づくたびに身体全体から威圧感を醸し出していた。


「なんだい、本番に弱いタイプか?」

「…ああ、残念ながらな。いざというときにビビって力を出しきれないんだ。昔からずっとそうだ。ソブカみたいにはできない」

「ソブカ……ああ、あそこにいる『怖い兄ちゃん』か。カカカッ!! ありゃしょうがねぇよ。こっち側の人間だからよ。あんたとは根本が違う」

「そうだよな…わかっているんだ。あいつのほうが本家筋に相応しいってさ。でもな、俺だってダディーの子供だ。マミーの子供だ。じいちゃんたちに期待をかけられたら、がんばるしかないだろう」

「いいねぇ、兄さん。なんつーか、あんたみたいな男を見るとよ、ついつい助けたくなっちまうなぁ。いいんじゃねえか? それって一つの才能よ?」

「そんな才能なんて欲しくないさ。俺が欲しいのは、強さと結果だ」

「カカカ、若いねぇ!!! ならよ、突っ走らないとな」

「突っ走る?」

「そうそう、若い頃はがむしゃらに突っ走るもんだぜ。やるだけやってみてよ、駄目ならしょうがねぇ。最初から駄目だって決め付けるやつよりは、よっぽどいい人生を送れるぜ」

「でも、どっちも駄目になるんじゃないのか?」

「そりゃ兄さん、そこは自分が楽しめるかどうかよ。毎日がつまらないって、うな垂れて生き続けても同じ結果なら、がんばって楽しんで同じ結果になったほうが得だろう? しかも転んで誰かの笑いものになれば、それだけ付加価値があるってことだからよ。何やってもプラスってことよ。わかる?」

「…それも…そうだな。笑いものってところが若干気になるけど…」

「まっ、がんばりな。オレも退屈だからよ、暇があったらサポートしてやるぜ」

「あんた、『教師』みたいだな」

「あ? オレがか?」

「一緒にいると怖いが…どことなくそんな感じがする。なんというか…励まし方とかさ。妙に愛情があるからよ」

「カカカッ! こりゃ面白い!!!」


 バンバンとクロスライルが、プロテクター越しにビッグの背中を叩く。

 軽く叩いているだけなのだろうが、熊にはたかれたような強い衝撃が走るから困ったものだ。


「げほっ! いてて、強いって。なんだよ、いきなり!」

「過去を思い出しただけさ。そうだな。そういう人生も面白かったぜ。だが今は、オレはここで生きている。この星に生まれたからには、毎日をとことん楽しんでやるつもりなのさ」

「楽観的だな」

「それくらいでいいのさ。憧れた荒野だ。思う存分、駆け抜けてやろうぜ。…と、そろそろ時間らしいな」

「いよいよか…。やるぜ。俺は…やってやる!」



 事務所の周囲、三百六十度に張られた規制線の各所から狼煙が上がる。


 作戦開始の時間である。




530話 「走れ、ソイドビッグ! その1」


 シィイイーーーーンッ


 狼煙が上がっても、事務所一帯は静まり返っていた。

 こちら側の盛り上がりとは完全に真逆の反応である。


「やっこさん、もう諦めたってか? つまらねぇな」

「相手は戦罪者です。そのような者たちではないでしょう」


 クロスライルとラブヘイアが、じっと事務所を見つめる。

 事務所に明かりは灯っておらず、月明かりだけがそのシルエットを映し出している。

 やはり反応はない。静寂だけが支配していた。


「たしかにな。戦罪者って野郎どもは、オレらと同じく壊れた連中だ。なら、こっちを油断させるための戦術ってことか」

「その可能性は高いでしょう」

「相手の数はどれくらいだっけ?」

「いろいろあって減ったそうですが、多少補充したとも聞いていますから、我々の半数程度だと思われます」

「普通にやりゃ楽勝だな。で、もう行っていいの?」

「そうしたいところではありますが…面子の問題もありますしね」


 ここはせっかく雇った殺し屋連中を前面に押し立てるのが普通の戦法である。

 そのために雇ったのだから、一番危険な任務を任せるのは当然のことだろう。

 だが、今回はラングラスの面子といった問題が関わっている。

 彼らが容赦なく蹂躙して終わるだけでは、なんとも味気ないものになってしまう。


「さて、あの兄さんはどうするかね」


 クロスライルだけではなく、人々の視線がビッグに集まる。

 ラングラスの代表として参戦している以上、彼の動向を確かめてから動くしかない。

 ちなみに作戦は特にない。

 メンバーの大半が銃でも武装しているので、射撃を行いながら包囲し、幹部の戦罪者が出てきたらクロスライルたちが叩く、といった程度だろうか。

 数でも質でも圧倒的優勢なので、無理に変な作戦を立てる必要がないのだ。



「ふー、ふーー、ふーーー」


 そのビッグは、緊張感の真っ只中にいた。

 自ら本番が弱いタイプと公言しているだけあって、圧力に押し潰されそうになっているようだ。

 ただし、それだけではない。

 彼の中には、アンシュラオンへの恐怖が宿っており、ホテルでの一件がどうしても頭をよぎるのだ。

 リンダが焼かれ、自身も腕や目を引きちぎられたことがトラウマとして蘇ってくる。

 一度大怪我をすると、再発を防止するためにリミッターを設けてしまうのが人間の防衛本能である。

 アンシュラオンに対抗することへの畏怖や忌避といったものが渦巻いているわけだ。

 人間が魔人に抵抗する潜在的な恐怖だ。こればかりはビッグを責めるわけにはいかない。


 彼は今、【種】としての限界に挑戦しようとしているのだから。


(怖ぇ、怖ぇぇよ、めっちゃ怖ぇ!!! なんだよ、これはよ! ふざけるな! 決めただろうが! 俺は戦うって決めただろうがよ!! はーーはーーー! ひーーふーーーー!)


 足がガクガクと震えている。

 周囲に悟られないように軽くステップを踏んで誤魔化しているが、がっくんがくん、ぶるんぶるん震えている。

 さらに過呼吸まで襲ってくるのだから、彼が決めた決意など簡単に揺らぐものだったのだ。

 これも責められない。

 いざ【自殺】しようとする人間が躊躇うのと同じことだ。

 それは正しい本能なのである。



 しかし、しかし、しかしながら、だがそれならばこそ―――




(俺は…俺は……!!! 負けられない!! みんなのために!! 家族のために!! 俺が育ったこの都市のために!! どんなに惨めでもよ! あがいてあがいて、あがいてやるのが人間なんだよ! それを見せてやるんだよ!! あんなやつに好き勝手されてたまるか!!)




 恐怖が―――怒りに変わる。



 人にはいくつか強い感情というものがある。

 一つは、恐怖。

 怖いという感情には誰もが囚われるものだが、これは自己放棄、あるいは自己犠牲という感情によって排除できる。

 もうどうなってもいいと自暴自棄になれば、恐怖という感情からは解き放たれる。

 次に来るのは、怒り。

 人の根源的な感情にして、恐怖とセットで訪れることが多いが、サナが最初に覚醒したことを思えば原初の感情の一つであるといえるだろう。

 怒り、怒り、怒り。

 どんなに恐怖を克服しても、怒りという感情だけは簡単に制御することはできない。

 悪への怒り、不正への怒り、無秩序への怒り、反故にされる怒り、ただただムカつくやつへの強烈な憤り!!!


 ふざけるな。

 ふざけるな。

 ふざけるな。


 あいつだけは。

 あいつだけは。

 あいつだけは。



 あいつだけはあああああああああああああああ!!






「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」






「ホワイトぉおおおおおおおおおおおおオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」






 ダンッ!!


 もぞもぞしていたビッグが、何を思ったか突然駆け出した。

 それは準備運動をしていたと思っていた選手が、スタートの合図も聞かずに飛び出した光景に似ている。

 いやいや、みんなで合わせて一緒に行くんじゃないの?

 そんな感じで周囲は完全に呆気に取られた結果、反応が遅れてしまった。



「うおおおおおおお!!」



 その間にもビッグは、すでに百メートル以上駆けていた。

 ただただ前を見て叫びながら必死に走っている。



「ぺっ、あの兄さん! いきなりそれはないだろう!」


 それを見たクロスライルは、思わずタバコを吐き出す。

 修羅場に慣れている彼とて、まさかいきなり全力で突っ込むとは思いもしなかったのだ。

 力に圧倒的な差があれば、JBのように単独での正面突破は大いにありえるが、はっきり言ってビッグにそこまでの力はないのだ。

 ならば、明らかに無謀ともいえる行動である。

 隣にいたラブヘイアも意外そうな顔で、その『奇行』を見つめていた。


「クロスライル、あなたが彼に何か言ったのですか?」

「『青年よ、突っ走れ』とは言ったぜ。だがそれってよ、普通は比喩だと思うだろう? 人生を真っ直ぐにがんばれ、とかに捉えるよな? オレはべつに敵陣に走れなんて言ってないぜ」

「たしかに真っ直ぐ走ってはいますがね…。真っ直ぐに受け取るとは純粋な人です。好意的ではありますが…」


 オブラートに包んではいるが、人はそれを『馬鹿』と呼ぶ。

 恐怖を克服するために激怒する必要があったのだろうが、それによって見境がなくなれば極めて危険である。


「カァアア!! 兄さんに死なれるとまずいぞ!! タバコの後味も悪くなる。追いかけるぜ!」

「いえ、あなたは少し様子を見ながら来てください」

「あ? どうしてだ?」

「あなたも感じているでしょう? これは『誘い』です。何かやってくる可能性があります」

「まっ、このままってことはありえねぇだろうな。じゃあ、あの兄さんはどうする?」

「私はあなたより速いですからね。彼の援護は私がしますよ。それよりJBの動きを見ていてください」

「お目付け役に徹しろってか。見せ場は残しておいてくれよ?」

「ええ、私は彼らを侮ってはいませんよ。なにせ、あの人の配下なのですからね」

「兄さんから高評価を受ける、そのホワイトってやつも楽しみだ」

「あなたは彼と気が合うかもしれませんね。それまでに殺されなければ、ですが」

「カカカカッ! そりゃ楽しみだ。じゃ、あっちの兄さんは任せたぜ」

「はい」


 ラブヘイアはビッグを追う。

 身体に風気をまとわせることで空気抵抗を減らしつつ、加速力に転換して一気に走っていく。

 これも風属性を操った戦気術で、風を得意とするラブヘイアには必須と呼べる技であろう。



「若頭!! お待ちを!!」


 クロスライルたちも焦ったが、もっとも驚いたのは、おそらくソイドファミリーの面々だろう。

 世間で怖れられるソイドファミリーの若頭だ。敵になめられることがあってはならないと思うのが普通であろう。

 だからといって単独で突撃するのは無謀である。中級構成員たちも、慌てて後を追う。


「俺たちもいくぞ!! 手柄を立てろ!!」

「うおおおお!!」

「やってやるぜええええ!」


 それに引きずられるように他のメンバーも駆け出す。

 全員が一直線に事務所に向かったものだから、縦長の隊列が自然と生まれてしまう。

 これを見れば、群れを率いるリーダーがいかに重要かがわかるだろう。

 不正問題で企業のトップが罰せられるのは、やはり影響力が強いからなのだ。

 アンシュラオンが率いれば特攻部隊となり、ビッグが率いれば『猪突猛進部隊』となる。

 そのあたりは若干似通っているのが不思議である。(二人とも指揮官には向いていない証拠)


 しかしまあ、包囲殲滅とは何だったのか。あまりにも無策である。

 数の暴力が圧倒的がゆえに、人は数がいると安心してしまう側面がある。

 これだけの全派閥の人間が集まり、万全の態勢においては何一つ怖れるものはない、という『幻想』が彼らを突き動かすのだ。



 ビッグが、ちょうど中間地点に到達した頃だろうか。



 パスパスパスッ パスパスパスッ


 事務所から銃撃。

 窓から数人の戦罪者が銃を出しているのが見えた。

 それ以外にも館には自動発射タイプの銃が備え付けられているようで、思った以上の銃弾が襲いかかってきた。

 ビッグはバズーカにすら耐えられる男だ。この備え付けのものは、軽く戦気を出しただけで簡単に防御可能である。


 ただし、射手を使ったものには【戦気】が宿っていた。


 パスンッ ギュルルル バンッ!!!


 アンシュラオンが放った銃弾を覚えているだろうか。

 言ってしまえば強めの空気銃である衛士の銃でも、戦気を加えるだけで威力が二倍にも三倍にも、五倍にも十倍にもなる。

 本来ならば有効射程距離は、せいぜいが百メートルといったところだろうが、戦気が宿った戦気銃弾は近代兵器の狙撃銃すら凌駕する。

 破壊の衝撃弾と化した銃弾が、一斉にビッグに放たれたのだ。


「おおおおおおお!! 銃くらいで、びびってたまるかよおおおおお!!」


 ビッグが戦気を放出。前面に防御の戦気壁を生み出す。

 ばしゅばしゅっ

 戦気壁が銃弾を受け止める。

 さすが戦罪者が撃った銃弾なので、まだまだ戦気術が拙いビッグではすべてを受け止めることは不可能だが、彼は肉体能力に優れる戦士である。

 何発か貫通したものがあれど、プロテクターのおかげで大きなダメージを負わずに済んでいた。

 だが、痛いものは痛い。


「ちっ!! 痛ぇな!! だけどよ、こんなもんじゃ、まだまだ足りないんだよ!! もっと、もっともっと痛みを与えてくれないと、俺の気が済まないんだよぉおおおおおおお!!」


 痛みは良薬である。

 こうして違うことに意識が向けば、それだけ恐怖を忘れることができる。

 それをさらに怒りに転換し、ビッグは銃弾を物ともせずに走り続ける。


 だが当然、これだけでは終わらない。



 足元が―――弾ける。



 ボンッ!!!


「っ―――!!!」


 ある一点を踏んだ瞬間に地面が盛り上がり、凄まじい圧力が下から上に放出される。


 【地雷】である。


 西側には対人地雷も存在するが、東側大陸ではまだ普及していないので、大納魔射津を使ったお手製の地雷を用意したのだ。

 本来の大納魔射津はスイッチ式であるが、あれは誤爆を防ぐための安全装置でもあるので、剥き出しのジュエルにしてやれば圧力をかけただけで爆発する。

 幼い子供が踏んだくらいならば大丈夫かもしれないが、こんな大男が全力で踏みつければ、いとも簡単に爆発するだろう。


(こんなもの、いつの間に! 昼間はなかったはずだぞ!)


 昼間は、かなり事務所に近いエリアにまで信者たちが入り込んでいた。

 マングラスの兵士たちも取締りの際にはズカズカ入ったので、もし地雷などがあれば誰かが犠牲になっているはずだ。

 兵士以前に信者が吹っ飛んでしかるべきだろう。

 昼間から夜までの間、規制線が張られてずっと監視されていたので、こんなものを埋める余裕などなかったはずだ。

 しかし、いくら議論をしても文句を言っても、あるものは仕方ない。

 ここには地雷があり、それを踏んでしまったのだ。その事実は変わらない。


 が、ビッグは一瞬だけ動きを鈍らせたものの、止まらない。



 地雷が爆発するのを待たずに―――突っ走る!!



 ボオオオオーーンッ!!


「ぐううっ!!」


 武人が走る速度は相当なものだ。

 踏んでから爆発するまでの刹那には、この鈍重なビッグでさえ五メートル以上は移動している。

 背中に激しい爆風を感じてバランスを崩したが、直撃を避けることはできた。


 パスパスパスッ ぎゅるるる ドンッ!!


 避けた直後にも銃撃は続いている。

 一直線に走ってくるので狙いやすく、次々と弾丸が当たるが、彼はまったく怯まなかった。


 ただただ走る。


 全力で走る。駆け抜ける。


 地雷があっても速度を落とさずに走るので、結果的に致命傷を受けることはなかった。

 もちろん、がむしゃらに走っているだけが無事である要因ではない。


(危なかった。あの【体験】がなければ、足を持っていかれるところだったぜ!)


 実際、ビッグは冷や汗を掻いていた。

 今までの彼ならば防ぐことはできず、まとう戦気も不十分で、足の指を何本か吹っ飛ばされて動きが鈍っていたはずだった。


 だが、あの体験―――アンシュラオンとの戦いが生きる。


 アンシュラオンが床に張った氷で、すっ転んだ経験があったからこそ、足元にまで注意が向いたのだ。


(ホワイトは最低のクソ野郎だが、強い! 武人としては最強だ! ちくしょう! あいつに助けられるとはよ!!! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!!!)


 弄ばれた経験は、極めて不愉快で憎らしいものである。

 思い出すだけでも、なさけなくて泣きたくなる。

 しかし、アンシュラオンは覇王の弟子だ。

 彼と敵対して生き残るほうが稀であり、その高等技術を間近で体験できることは幸せなことなのだ。

 幾多の武人が憧れる体験をビッグはしているわけである。それが彼を鍛えたのだ。

 おそらくこの銃撃は視線を前方に集中させるためのものだろう。その状況で地雷にまで対処するのは難しいはずだ。

 こうして生き延びられたには、ほかならぬアンシュラオン先生のおかげなのだ。




531話 「走れ、ソイドビッグ! その2」


 ドンドンドンッ ドバーーーンッ


 至る所で地雷が爆発する音が聴こえる。

 どうやら地雷は相当数仕掛けられているようで、事務所の周囲は完全なる地雷原に変貌しているようだ。

 ただし、それによって受けた被害は極めて軽微であった。

 偶発的に引っかかった者もおり、足に傷を負ったこともあるにはあったが、大半の者は被害に遭わずに済んでいた。

 ビッグが走り抜けたことで、地雷があることがあらかじめわかったからだ。

 それによって警戒を強めた殲滅隊は、ビッグが通ったルートを中心に動き、さらに地雷を破壊することで安全地帯を広げていった。

 その作業を妨害するために事務所からの銃撃が続けられていたものの、これもビッグが突っ走ったことで彼に攻撃が集中したため、他の者への負担はかなり減っていたといえる。


 しかしもちろん、罠はこれだけではない。


 ぼぼんっ もくもくもく


 地雷の中には煙玉も含まれていた。

 信者が使ったような、ただの煙玉ではない。こちらは紫色の煙をした『毒煙玉』だ。

 周囲から明かりが放射されて多少明るいとはいえど、夜の闇の中で暗い色の煙を視認するのは難しい。

 本来ならば多数の犠牲者が出るはずだったが―――


「毒だ! マスクを忘れるな!」


 殲滅隊のメンバーたちは、即座に防毒マスクを被る。

 この防毒マスクというものは、それぞれの毒に適した除去フィルターを使わないと意味がないが、ハンベエが今まで毒殺した人間を調べることで成分を特定することができた。

 さらに特殊な浄化装置(清めの水を使ったもの)を組み込んであるので、効果は抜群。毒で倒れる者は誰一人としていなかった。

 こちらはマングラスからの提供品となったが、毒対策くらいならばと受け入れた次第だ。

 唯一煙で視界が塞がれることが問題だったが、それも風系の術符を使って吹き飛ばす等で対処ができていた。

 地雷で多少の被害が出たのは、その時のことである。それもたいした被害ではない。



 また、煙状の毒である性質上、風に流されて見物人たちの方角にも向かったが、そちらも問題はない。


「皆様方、お下がりください」


 青劉隊から派遣されていたカラスが、両手を広げる。


 ずうううう ズオオオオオオオオオッ


 彼の掌には穴があいており、次々とそこに毒煙が吸い込まれていく。

 数メートル先どころか、数百メートル離れた場所に舞った煙までも吸い上げていく。

 まるで掃除機。ダイ〇ンも驚きの吸引力である。

 彼の身体の一部には機械人形の部品も使われているため、こうした芸当も可能となっていた。


「ドクリン、あなたもお願いします。万一お客様に何かあれば、セイリュウ様に叱られてしまいますからね」

「はい」


 カラスと同じく青い外套の人物が前に出る。

 フードをめくると、そこに現れたのは一人の少女だった。

 ダークレッドの長い髪の毛をロールヘアにしており、見た目だけならば十代後半の美少女といえる。

 だがもちろん、彼女も特殊な改造を施された人間である。


 キラキラキラッ ぶおおおお


 彼女の身体から白い粒子が流れ出ると、今度は自ら空気の放出を開始したカラスによって周囲一帯に広まっていく。

 白い粒子が毒煙と接触した瞬間―――紫が白に変化。

 一瞬で無害化される。


 彼女の特殊能力『毒中和』スキルだ。


 彼女の能力は、たったこれだけ。

 基礎能力は並の武人以上に高いが、はっきり言えばこれ以外の長所はない。戦闘力では青劉隊で最弱だろう。

 しかし、これだけで十分なのだ。

 これは毒の種類を問わずに中和できる極めて稀有な能力であり、いざ都市が毒素に汚染された有事の際に活躍できれば、それだけで彼女は造られた価値があるといえる。

 たとえばデアンカ・ギースは毒を持っているので、四大悪獣への対策でもあるわけだ。

 災厄から身を守ることを主眼において造られたことがよくわかる。


 こうしてカラスとドクリンによって、毒は規制線を越えることはなかった。


 すでに―――対策済み。


 ホワイト商会の面々の情報は、すでに知れ渡っているのだ。

 抗争の序盤で彼らが優勢だったのは、まだ情報が完全に漏洩していなかったからにほかならない。

 ビッグの暴走だけが唯一の想定外だったが、それもまたプラスに作用している。

 こうした一見するとミスに映る行動がプラスの結果になる時は、流れが来ている証拠である。

 いける。いけそうだ。

 メンバーにもだいぶ余裕が生まれてきていた。


「若頭を援護しろ!!」


 バンバンバン


 彼らも鉄製の銃を構えて、術式弾である『爆炎弾』を事務所に向かって撃ち込む。

 これは衛士隊から借り受けたDBD製の銃であり、工場制圧にも使われた銃火器である。

 衛士隊と交戦したソイドファミリーが、彼らの武器を使う。

 なんとも奇妙だが、縁を感じる一幕でもあるだろう。

 これもまたマングラスの仲介によって、ディングラスとラングラスの和解を象徴するために意図的に仕込まれたものだ。

 改めて全派閥が手を組んで、ホワイト商会打倒に向かっていることがうかがえる。


 爆炎弾が事務所に迫る。


 何発かは迎撃されたが、これだけの数をすべて防御することは不可能だ。


 ぼんっ ぼおおおおおおおっ


 事務所の屋根や診察所にも当たり、爆炎が広がっていく。

 さすが術式弾である。ガソリンに引火するよりも一気に炎が広がり、それによって目標が暗闇の中にはっきりと映し出された。

 幻想的であり、儚い光景だ。

 どんなに栄華を誇っていても、どんなに調子に乗っていても、地上にあるすべての存在はいつかは必ず滅びる定めにある。


 ホワイト商会が燃えている。


 彼らの『悪行』には相応しい末路なのかもしれない。

 ホワイト商会の時代は、もうすぐ終わるのだ。




「見えた!! もうすぐだ!!」


 ビッグは屋根が燃えた事務所に突っ走る。

 もう目と鼻の先だ。

 後ろからの援護のおかげか相手からの攻撃も減り、後半は比較的安全に事務所にまで到達することができた。


(どうする!? 考えもなく、ここまでやってきたが…どうすればいい!?)


 とりあえず事務所までやってくることはできた。

 ただ、完全にノープランだ。

 中には十人以上、おそらく補充した面子を含めれば十五人近くの戦罪者が待ち構えているはずなので、仲間が到着するまで自分独りで対応しなくてはならない。

 ビッグも戦罪者のことは知っている。

 クロスライルたちよりは弱いが、自分よりは強い者たちであることは間違いない。


(俺独りでやれるのか!? あいつらと戦えるのか!? …ええい! いまさら何を焦ってやがる!! 俺はやるしかないんだよ!! やってやる! やってやるさ!! 根性を見せてやるよ!!!)


 最後に頼るのは、やはり根性論である。

 どのみち立ち往生しても的になるだけなので、速度を緩めることはできない。

 いくつかの選択肢が頭をよぎるも、もはや迷っている暇はなかった。


 ばーーーーーんっ!!



 そのままの勢いで壁にぶち当たり―――突き破る。



 事務所自体は大工が普通に造っただけなので、核剛金で強化されているといっても、たかが知れている。

 ビッグの体格とパワーがあれば、壊すのはそう難しくはないだろう。


 ごろごろごろっ どんっ!!


 事務所の壁をふっ飛ばし、転げるように中に侵入。


(きっと囲まれるだろうが、手当たり次第に暴れてやるぜ!! かちこみと同じ要領だ!!)


「うおおおおお!! 来るならこいやああああ!」


 ぶんっぶんぶんっ!!


 ビッグは起き上がった瞬間に、拳を振り回す。

 周囲は全員敵である。誰かに当たればいいと思っていた。


 しかし―――


 スカッスカスカッ!!


 空振り。

 その拳は誰にも当たることはなかった。


「なっ…!!」


 ビッグは驚きのあまり、無防備な体勢で周囲を見回す。

 てっきりリンチにされると思っていたからだ。

 あるいは周囲から次々と銃弾が飛んでくることも覚悟していた。

 だが、そんなことは起こらない。起こりえない。



 なぜならば―――空白。



 そこには【誰もいなかった】のだ。



(あれ…? 違う部屋に…いるのか? だが、ここは一番広い部屋だったはずだけど…さっきもここから銃撃があったよな!? 俺の勘違いか!?)


 実際にこの近くの窓から銃撃があったはずだ。射手も目撃している。

 それにもかかわらず、ここには誰もいなかった。

 いや、それは正しい情報ではない。

 より正確に言えば、一人はいたのだ。

 だがそれは、ビッグにとっては最悪の一人であるといえるだろう。



「単独で乗り込むとは、その心意気や良し」



 ぴしぴしっ ぼんっ

 壁に亀裂が入った瞬間、粉々になって吹き飛んだ。

 パラパラと壁の破片が仮面に当たって散らばっていく。


 そこにいたのは―――マタゾー


 仮面を被った槍使いの僧侶、雷槍のマタゾーが隣の部屋からやってきたのだ。


「いた! 敵がいたぞ!! だが…他の連中はどうした!?」


 一人とはいえ戦罪者がいたことと、大勢の敵に囲まれなかった安心感がビッグを包む。

 されど、目の前にいる男は極めて危険な相手だ。そんな緩んだ気配を彼が見逃すはずがない。


 ぐっ シュンッ


 マタゾーが無言で槍を構え、放つ。

 その速度は素早く的確で、頭部に向かって放たれた。


「っ―――!!」


 一瞬、世界が止まって見えた。

 なんて美しい姿勢で放たれる綺麗な突きなのだろうか。

 毎日何万と繰り返し放ってきた一撃だからこそ、そこには美が宿っていた。

 それを前にして、何かを考えている暇などない。

 ビッグは反射的に左腕で頭をガードしながら、倒れ込むように崩れ落ちる。



 槍が―――貫く。



 ブスウウウウッ



 アームガードを破壊し、左腕に突き刺さった。


「ぐっ!! 防具なんて意味ないじゃねえか! くそが!!」


 ビッグも油断などしていない。

 防御の戦気を展開していたが、攻撃力に特化しているマタゾーの一撃にとっては、あってないようなものだったにすぎない。

 いとも簡単に防具もろとも突き破る。

 しかし、頭にまで届いていない。腕だけでとどまっている。


「吹き飛ばなかったか。見事でござるな。その身体をくれた親御さんに感謝するとよかろう」


 マタゾーの一撃は突き刺すだけではない。

 宿っている戦気が強いので、突き刺したと同時に破壊もするのだ。

 もしビッグが単純な岩と同レベルであれば、腕が粉々に吹き飛んでいた可能性すらある。

 これもまたダディーからもらった身体の強さによって助けられたパターンだ。

 だが、身体の強さだけでマタゾーの攻撃を防げるわけではない。

 死を伴うような強い攻撃、ヤドイガニ先生の修練を経験してこそである。

 アンシュラオンが施した緊迫した陽禅流鍛練法が、ビッグを強くしているのだ。




532話 「走れ、ソイドビッグ! その3」


 ソイドビッグは、かろうじて左腕を使って防御することに成功。

 アームガードが破壊され、肉が裂け、骨が砕けるが、それによって槍は止まった。


 ガシッ!!


 左腕に突き刺さった槍をビッグが掴む。


「なめるなよ、この野郎!! 一度掴んだら絶対に離さないからな!!」


 ビッグは身体ごと槍を押さえ込む。

 かなり不恰好かつ、相手に大きな隙を晒すことになるが、こればかりは致し方ないことだ。


(やべぇ、こいつはやべぇ! 今のはたまたま反射でよけたが、次はかわせる自信がない!! マジで見えなかった!! 威力もヤバイ!!)


 直感だけでギリギリかわせたのが実情だ。

 ビッグの実力では、マタゾーの槍を見切ることは不可能である。防ぐことも難しい。

 今の一撃も、多少距離があったことで命拾いしたにすぎない。

 完全に間合いに入った一撃だったならば、腕ごと頭を貫かれて終わっていたはずだ。

 この槍が再び引き戻された瞬間、自分の命はないかもしれないのだ。必死に掴むのは当然である。


(だが、掴んだ! 槍ってのは掴めばこっちのもんだぜ!)


 剣士にとって武器は、命の次に大事なものである。これがなくては剣気が出せず、戦闘力は激減する。

 なかなか生粋の剣士と対峙する機会は少ないが、ビッグもそれくらいは知っていた。

 彼に残された道は、槍を掴んだままなんとか自分の間合いに持ち込むこと。戦士が本来得意としている接近戦に引きずり込むことだ。

 これはアーブスラットも実践していたことなので、戦法としては正しい。



「一つ問おう。貴殿は本気でオヤジ殿と戦うつもりであるのか?」


 圧倒的な実力差を感じても闘志が揺るがないビッグに興味を持ったのだろう。マタゾーが語りかける。

 すでに戦闘状態、戦場に突入しているので、生粋の武人である彼がこういう態度に出るのは珍しいことである。


「貴殿は、所詮は役者。舞台から飛び出れば、ろくな目には遭わないでござろうに」

「いまさら…いまさら何を言ってやがる! これが演技だとでも思うのかよ! 男の本気を侮るんじゃねえ! 俺はな、本気の本気で臨んでいるんだぜ!! 俺らはあいつの道具じゃない!! あいつの妹の玩具でもない!! これからそれを証明してやる!!」

「なるほど、げに怖ろしきは『馬鹿』なのでござるな。拙僧たちより狂っているとは見事よ」

「うるせぇ!!! やってやる! やってやるぞ!! てめぇなんぞ、力づくで捻じ伏せてやんよ!」


 やんよ!

 ボオオオオオオッ!!

 戦気が燃える。ビッグの心が燃えている。それが身体中に力を与えていく。


 しかし、戦気は口ほどに物を言う。


 その色合いを見れば、彼がどのような状況にあるかはすぐにわかるのだ。

 緊張、虚勢、葛藤、狼狽。

 見た目とは裏腹に激しく追い込まれていた。

 いきなりこれほどの強敵と対峙したのだ。無理もないだろう。

 当然マタゾーもそれを見透かしている。


「青年、腕力には自信があるか?」

「もちろんだ!! それだけが売りだからな!」

「よかろう。ならば、止めてみせよ」

「なにを言ってやがる! そんな細身で俺の腕力に―――」


 ぶわっ


「…え?」


 身体に感じる浮遊感に、ビッグの目が点になる。

 今自分は全力で槍を握っていた。

 火事場の馬鹿力と言われるように、命がかかっていれば人間は底力を出すものである。

 追い詰められているビッグは、限界以上のパワーで槍を押さえ込もうとしていたのだが―――



―――浮く



 自分より遙かに背の低い僧侶が、槍を使って軽々と持ち上げていたのだ。

 これだけ見事に上がるということは、ある意味ではビッグの腕力が強いことの証明でもあるのだが、それ以上にマタゾーがやっていることのほうが凄かった。


「な、なんだぁああああ! なんでこうなった!?!」

「オヤジ殿しかり。身体が小さいからといって、力が弱いわけではない。勉強になったでござろう、青年よ」


 マタゾーの腕力は、武人の中では弱いほうだ。

 筋力が衰え始めていたアーブスラットにも負けていたほどだ。戦士と剣士では肉体能力に差があるのは仕方がない。

 が、ビッグはアーブスラットではない。

 レベルを限界まで上げた剣士と、まだまだ成長途上の『ヒヨっこ』であるビッグとでは、成熟度があまりに違いすぎる。

 現段階ではマタゾーのほうが腕力でも上なのだ。


「くっ、くっそ! くおおおお!! ど、どうすりゃ…!! や、槍だけは絶対に放さないからな! こんちくしょうめえええええ!」


 彼にできることは、ただただ無様に槍にしがみつくことだけ。

 多少格好良いところは見せたが、やはりビッグはビッグだ。

 これ以上を望むのは厳しいといったところだろうか。


「放さぬのならば、それでよかろう。だが、すでに腕力で負けているのだ。正しい選択ではないでござるぞ」


 ぶんっ!!


 マタゾーが槍を振り回し―――


 どがんっ!!


 床に叩きつける。


「ぐはっ!!」



 ぶーーーんっ どがんっ!

 ぶーーーんっ どがんっ!

 ぶーーーんっ どがんっ!



「げほっ!! ぐはっ!! ぐえっ!!」



 槍にしがみついているだけなのだから、こうなるのは当然だ。

 何度も何度も床や壁に叩き付けられては、その場所が壊れるほどの衝撃を受ける。

 この絶望的な状況で唯一幸いだったのが、壁より彼の身体のほうが頑丈だったことだろう。

 逆に壊れたことで緩衝材になり、ダメージは致命傷には至らないで済んでいた。

 だが、このままではまずい。


 ぶーーーんっ どがんっ!

 ぶーーーんっ どがんっ!

 ぶーーーんっ どがんっ!


 軽々と振り回され、周囲の壁という壁が原形を失うほど破壊されていく。

 気分はまるで暴走したジェットコースターだ。

 次々と視界が流れては何かにぶつかっていく。何が起こっているのか正確に把握できない。

 だが、槍を放したが最後。

 自分は即座に貫かれて死ぬことは確定しているので、必死にしがみつくことしかできない。

 すぐ死ぬか、じわじわと死ぬか、その選択しか残されていないのだ。



(強ぇ!! なんでこんなに強ぇんだ!! 俺より強いやつらが、どうしてこんんなにいるんだよ!! ふざけるなよ!!)


 ビッグは、ただただマタゾーの強さに畏怖していた。

 マタゾーの実力は高い。特殊な能力こそないが、単純に攻撃の質が高いので安定した強さを発揮することができる。

 ユニークスキルを使わないマキと同格といってよいだろう。

 攻撃力だけならば彼女すら上回るので、目の前にいるのは各派閥の最強の武人と同格の存在だと思ったほうがいい。

 自分が勝てる相手ではない。能力も経験も違いすぎる。

 しかし、もっと怖ろしいことは、こんな連中を簡単に配下にしてしまうアンシュラオンである。

 あの男はこの場にいない。いる必要もないと思っているはずだ。

 なぜならば彼にとっては、戦罪者たちなど【道具】にすぎないからだ。


「使い捨てにされてよ! あんたらはそれで満足なのかよ!!! あいつはてめぇらのことなんて、何とも思ってないぜ!!」

「愚問。武人に戦う以外の道は無い。その場所を与えてくれるオヤジ殿は理想的な主人よ」

「あんたらはそれでよくても、周りに迷惑がかかってんだよ!! 俺はそんなことは認めねぇ!! どんなやつにだって生きる意味はあるんだ! それをてめぇだけの欲求で壊す権利なんて、あるわけないだろうが!!」

「人間など自己のためだけに生きるもの。貴殿も他人のことは言えまい。むしろ、さまざまなものを着せられて苦しそうに見えるでござる」

「ああ、そうだよ!! ラングラスって名前も重いし、組の若頭であることも面倒なだけだ! 麻薬作りだって嫌なことばかりだ! 俺はよ、本当はリンダと一緒に農家でもやっているのが性に合うって、ずっと思ってたさ!! だが、だがよ!! 背負っちまったもんは、しょうがねえだろうがあああああああ!!」


 ボオオオオオオオッ!!

 ビッグの戦気が強くなる。

 今までのゆらゆら揺らいでいたものとは違う、もっとしっかり芯が入ったものに変化していく。


「こんな俺でもよ、誰かが期待してくれんだぁ!! 放り出すわけにゃ、いかねえんだよ!!」

「いい気迫よ。ようやく乗ってきたでござるな」


 ダメージを受けたことがよかったのか、ビッグから緊張がなくなっていた。

 当人は本番に弱いと言っているが、どうやらスロースターターらしい。

 サッカーの試合でたとえれば、試合開始十五分は身体が硬く、一気に三点入れられて勝負が決まってしまう悪癖があった。

 しかし、そこをかろうじて耐え凌げば、身体が温まってきて動きが少しずつ良くなるのだろう。

 マタゾーも、どうせ狩るのならば本気のビッグのほうが面白い。そんな欲求があったからこそ、すぐに勝負を決めなかったのだ。


「温まったのならば遠慮は不要。オヤジ殿からも、手加減はするなと言われているでござる」


 彼らに下された命令は、たった一つ。

 攻撃されたのならば徹底的に反撃しろ。すべての敵をいかなる手段をもってしても殺せ。

 ただそれだけだ。

 今回は相手から攻撃してきてくれたので、まったくもって遠慮する必要性はない。

 役者であったビッグであろうとも、それは同じこと。殺す対象でしかない。


「そのように迂闊に掴んでいると危険でござるぞ」


 ばちんっ!!!

 マタゾーの身体から雷気が迸る。

 ばちんばちん バチバチバチバチッ!!

 雷気は柄を伝って、槍全体を包み込んだ。

 こうした長い得物を使う以上、掴まれることも想定の範囲内である。それならばそれで、こうして【焼き殺せば】いいのだ。


 雷気が―――ビッグを襲う。


 バチバチバチバチッ!!

 バチバチバチバチッ!!

 バチバチバチバチッ!!


「ぐおおおおおおおおお!!!」


 激しい雷撃が迸るごとに、ビッグの身体ががっくんがっくん揺れている。

 電気というのは怖ろしいものだ。

 よく事故映像を特集しているテレビ番組でも、電柱に登ってショートする現場が放映されるが、あれだけ安全対策をしていても死んでしまうほどの威力を持っている。

 この雷気はさらに攻撃的な気質で、最初から相手を殺すためだけに存在しているので、その威力も一般家庭で使われる電流の比ではない。


 バチバチバチバチッ!!

 バチバチバチバチッ!!

 ブシューーーーッ!!!


 ビッグの身体から煙が上がった。

 身体全体に大きな変化はないが、握っていた掌の表面は完全に焼け焦げているので、体内にまで影響が及んでいると思われる。


 がくんっ


 ビッグから力が抜け、首が垂れる。


 豚の丸焼き。

 なんとも香ばしい響きだが、マタゾーが雷気を発しただけでビッグには致命傷となる。

 勢いや気持ちだけで勝負には勝てない。

 これが現実。

 哀しいほどに現実!!


「これも武人の宿命。出会ったからには殺さねばならぬ。それだけの人生だったということよ。安らかに逝くがよいでござる」


 一応は僧侶である。殺した相手のことも看取ってやるべきだろう。

 それがアンシュラオンが好んだ道具への、彼なりの礼節であった。

 やはりビッグはビッグ。これまでか。

 役者は役者として舞台で踊っていればよかったものを。いっぱしの武人気取りで、しゃしゃり出るからこうなるのだ。

 そんな声がどこからともなく聴こえそうだが―――



 彼が死んだなどと―――誰が決めたのか!!



 勝手に―――決めるなぁあああああああああああ!!



 ぐっ

 ぐぐ ぐぐうううう


「むっ…?」


 マタゾーの槍が、かすかに押される。

 最初は雷気によって神経が刺激され、腕が勝手に動いただけかと思った。

 されど、少しずつ強くなる力には、間違いなく【意思】が宿っていたのだ。


「…ざ……けるな…」


 ぐぐぐぐ ぐううううううっ!!!

 力が、入る。

 それは人が人である証。

 生きようと、立ち向かおうとしている証。


 絶対に負けられないとする男の―――あかし!!!!


 ビッグは―――



「おおおおおおおおおおおお!!!」



 立ち上がる!!!

 ぐいんっと首に力が入り、目に光が宿る。

 彼は生きていた。それどころか、まだ力を入れて引っ張るだけの余力がある。


「なんと…これは意外な…」


 マタゾーが発した雷気は、本気のものだった。

 彼は忖度《そんたく》などできない性分なので、ビッグを殺すつもりで放っていた。

 普通の武人、そこらの傭兵ならば確実に死んでいた一撃だ。

 ビッグも特に雷対策などしていないので、致命傷になると思われていた。(対策をしないあたりが脳筋の証拠である)

 だが、負けない。彼は負けられない。



「こんなもんが、なんだってんだぁああああああああ!」



 ぼおおおっ

 気合を入れると戦気が燃え上がる。

 彼はまだ死んでいない。戦う意思を宿している。


 ソイドビッグは―――


 まだまだ死んでいないぞおおおおおおおおおおおおお!!




533話 「走れ、ソイドビッグ! その4」


「こんなもんで俺がやられると思ってんのかああああ!! 本気で来ているって言ってんだろうがああああああああ!」


 ぼおおおっ

 ビッグが気合を入れると戦気が燃え上がる。

 受けたダメージが大きいので、生体磁気を生み出して、少しでも自然治癒能力を高めようとしているのだ。

 彼がいちいち大声を上げるのはうるさいが、これは許してあげてほしい。

 人間の身体は自分自身の力で傷つかないようにリミッターを設けてしまうので、火事場の馬鹿力を出すには大声を上げる必要があるといわれている。

 いわゆるシャウト効果というやつだ。

 ハンマー投げの選手やテニスの選手が、インパクトの瞬間に叫ぶのはこのためだ。そのほうが力が入るからである。

 しかしながら、気合だけでなんとかなるレベルを超えている。

 ビッグの実力を考えれば、声を上げることもできないほどのダメージを負ってしかるべきだ。

 なればこそ、彼が生き残った『理由』があるのだ。


 ぽちゃん


 ビッグの足下に水滴が落ちたのが見えた。

 少し粘り気のある水だが、これは彼の汗ではないし、危ない体液でもない。


 身体が―――『濡れていた』


 ここには水場などないので、水気や水の術符でも使わない限りは、水が発生することはない。

 ビッグに水の性質はない。生粋のラングラスなので、彼が持っている属性は「火」である。

 術符を使った形跡もない。熟練の符術士ならばともかく、彼が隠れて術符を使おうとしてもすぐにバレるだろう。

 だが、この水こそが、彼を救った最大の要因なのだ。


 ばちばちばちっ


 流れ出た水が床で帯電している。

 マタゾーが放った雷気を受け止めて床に流したのだ。

 アンシュラオンがガンプドルフの雷気を逃したように、アーブスラットが水気で同じように対処したように、雷気を防ぐには水がもっとも効果的だ。

 しかも、これはただの水気ではない。


 ずずずずっ じゅうううううう


 水が意思を持っているように動き、火傷を負ったビッグの肉体に染み入っていく。

 焼け焦げた右手にも染み入り、急速に傷を癒していった。


(オヤジ殿の命気? いや、似ているが違う。異質な力を感じるでござるな。この者の背後には違う存在がいる、ということでござるか。それもよし。それもまた力よ)


 これはセイリュウの力。

 表向きは支援しないと公言しているが、朝の段階で清龍の力をビッグに仕込んでおいたのだ。

 清龍の力は、癒しの力。

 アンシュラオンの命気と同様の効果がある強力なものだ。

 そうだ。ビッグは独りで戦っているわけではない。全派閥の支援を受けてこの場に立っているのだ。

 サナだって常に命気で守られているのだから、これはけっして卑怯ではない。

 ただ単に、敵も同じやり方をしてきただけのこと。今度は立場が逆になったにすぎないのだ。



「よかろう!! それでこそ面白いというものよ!!」

「放さないって言っただろうが!!」

「槍の世界は奥が深いでござるぞ」


 ぎゅるるるっ

 マタゾーが槍を高速回転させる。

 ビッグも握力を込めて必死に押さえようとするが、日々鍛練を続けてきたマタゾーの技は卓越していた。


「ぬっ…ぐうっ!!」

「さらに角度を加える!」


 回転を防ごうと力を込めたビッグに対して、マタゾーは自身が移動することで角度をつける。

 それによってビッグの手首と肘関節を追い込み―――

 ぎゅるるるっ バチンッ!!

 槍を手から放すことに成功する。


「あっちっ!!」


 摩擦で手の皮が磨り減ったビッグが熱いのは当然だ。

 だが、槍が放れた以上、もっとも危険な状態が生まれてしまった。

 彼に熱がっている暇などはない。

 すっ シュンッ

 マタゾーが構え、槍を放つ。

 それはまさに閃光。高速の突きである。


「ちいいいっ!」


 バギャァアッ ズブウウウッ!!


 マタゾーの槍がビッグを貫く。

 ヤドイガニ先生によって鍛えられた『刹那の危機回避』によって心臓は避けたが、腹にぶっすりと突き刺さってしまう。

 マタゾーの槍が怖ろしいのは、ここからだ。


 腹に―――雷気


 バチバチバチバチッ!!


「ががががががっ!!!」


 今度は身体を内部から焼くという鬼畜な攻撃に出る。

 外からの感電とは比べ物にならない衝撃と威力がビッグを襲う。

 じゅううううっ

 セイリュウの水が雷気を流し、傷を癒していくが、さすがにすべてをカバーしきれない。

 ついついセイリュウの能力をアンシュラオンと比較してしまうが、やはりセイリュウの技量はアンシュラオンに数段劣る。

 特に遠隔操作の技術に関してアンシュラオンは、陽禅公の次に優れた技術を持っているのだ。

 覇王に次ぐ能力。これだけで世界トップレベルにあることがすぐにわかる。

 この点に関してのみ、アンシュラオンはパミエルキに対抗できるといえるだろう。

 残念ながらセイリュウには、そこまでの技量はない。

 よって、本体から離れた水では、ビッグを完全に癒しきれないのだ。



 ソイドビッグ、またもやピンチである。



 がしかし、何度も言うが彼は独りで戦っているわけではない。

 ボロボロボロッ

 プロテクターの内部に張られてあった回復術符と、彼の知らないところで埋め込まれていた『身代わり人形』が発動。

 彼を即死から守り、身体を癒していく。


(ああ、そうか。ゼイシルの兄さんかよ。ありがてぇな)


 セイリュウが仕込んだ水のことはわからなかったが、術符が発動したことは感覚で理解できた。

 このプロテクターはハングラスから送られたものなので、その際にさまざまな仕掛けを施してくれたのだろう。

 核剛金や原常環だけではなく、こうした回復術符まで付けてくれたのだ。

 さらに一定以上のダメージを受けたことで防御機能が発動。無限盾の術符が大量に展開される。


「ぬんっ!!」


 ザクザクザクザクザクッ!

 バリンバリンバリンバリンバリンッ!

 無限盾はマタゾーの三蛇勢《さんじゃせい》によって簡単に破壊されるが、それでも一瞬の間を生み出せたことは大きい。

 ビッグは腰にあった鉤爪を装備すると、一気に間合いを詰める。


「おらあああああああ!」


 強烈なダッシュから、鉤爪一閃。

 ネコ科の猛獣の動きそのものだ。エジルジャガーが家紋であることを思い出させる光景である。

 ただし、目の前にいるのは『人間』。

 そういったものと対峙するために日々武を磨き続けた、人間!!


 くるくるくるっ ガキンッ


 マタゾーは槍を回転させて鉤爪を弾くと、その反動を利用して石突きでビッグの顔面を強打。


 バゴンッ!!


「ぐえっ!」


 いい音がした。

 ビッグは突進したこともあってか、石突きの攻撃をかわすことができなかった。

 完全なる直撃である。一瞬視界が揺らぎ、意識を失いそうになる。


(まずい! ここで気を失ったら死ぬ!)


 ここでもヤドイガニ先生の鍛練を思い出す。

 戦場で意識を失ったら、死あるのみ。

 それは痛いほど理解したので、ぐわんぐわん回転する世界の中で理性をなんとか勝ち取り、身体を丸めて防御の態勢を取る。


 そこに―――槍の連打。


 ドドドドドドドッ!!

 ブスブスブスブスブスッ!!!


 怒涛の突きがビッグを襲う。

 まったくもって容赦がない。

 肩、腕、腹、足といったさまざまな箇所に突きが叩き込まれる。

 だがしかし、それでも耐える。頭と心臓だけはけっしてやらせない。

 大量に付与された無限盾と回復術符、身代わり人形などが発動しつつ、マタゾーという達人の攻撃に耐え続ける。


「見事!! 恐れ入った!! これぞ弱者の戦いよ!」


 これにはマタゾーも称賛を送る。

 最初に単独で突っ走った姿を見た時は、やはり役者どまりかと見限ったものだが、それもまた彼の男気の象徴として人々を鼓舞した。

 その行動がなければ、地雷はもっと多くのメンバーを傷つけていたに違いない。

 この程度で済んだのは間違いなくビッグの功績である。

 また、今もこうして『弱者の戦い』を貫いている。

 人間が虎ぶっても、やはり虎にはなれない。そのまま戦っても殺されるだけだ。

 万に一つは勝ち目があるかもしれないが、その間に9999回死んでは意味がない。人の命は一つなのだ。

 ならば、自分の力量に見合った戦い方をすべきである。

 どんなに無様であろうが、彼はただただ耐え忍んでいる。

 『豚』、『役立たず』、『でくの坊』だと罵られても、彼は背負うことをやめない。


 それは誇り高い姿。


 人として生きる者の崇高な生き方である。



「ならばよし!! 拙僧の力を見せよう!!」



 ボオオオオオオッ!! バチバチ!!

 マタゾーの戦気が燃え上がり、今まで以上の雷気が生み出される。

 これが本来の彼の雷気。完全戦闘状態である。

 手加減をしていたわけではないが、これだけの数を相手に「勝つつもり」でいたマタゾーは力を温存していた。

 だが、目の前の男は全力を出すに相応しいと判断したのだ。

 それこそが礼儀。武人に対する礼節。


 そうだ。


 マタゾーが―――ビッグを認めた


 のである。


 一人の男として、一人の武人として目の前に立つことを認めた。

 これだけの達人に認められるとは、そうそうないことである。誇っていい。自慢していい。

 されど、彼が本気になったということは、それだけピンチが増したことを意味する。


 マタゾーは数歩下がると、槍を構える。

 バチバチバチバチッ!!

 槍の尖端に強力な雷気が集まり―――


「その想いごと、すべて破壊する!!!」


 バンッ!!

 槍の一撃とともに解き放った。

 剣王技、矢槍雷《しそうらい》。槍の尖端から雷気を放出する技だ。

 これはアーブスラットの肩すら焼き焦がす強烈な一撃である。

 雷衝といった普通の雷系の放出技よりも貫通力と破壊力が強いため、因子レベル2に該当するものだ。


「死ねるかよおおおおおおおおお!!」


 ビッグは防御の構え。

 なんと、彼は矢槍雷すら防ぐつもりだ。

 だが、これはさすがに無謀である。

 マタゾーが技を使えば、それだけで攻撃力『A』が五割増し、あるいは二倍の威力を持つことになる。

 今までの攻撃でギリギリだったのだ。攻撃力が倍増する技に耐えられる可能性は極めて低い。

 それでも彼は信じていた。


 俺には防げる、と。


 まったく根拠のない自信である。

 こんな現実を理解しない豚など、さっさと死んでしまえばいい。

 心無い人々はそう思うかもしれないし、そうなるのが自然の道理なのかもしれない。

 しかし、こんな男だからこそ『人の道理』は彼を見捨てない。



 矢槍雷がビッグに当たると想われた瞬間―――



 シュバーーッ!! ズバッ!!



 疾風が舞った。



 ハチバチバチッ!! ブオオオオオオ!



 雷と風が互いに反発し合い、激しい爆音を発しながら上昇していく。

 力と力が衝突すれば、より強い力が弱い力を撃ち滅ぼす仕組みになっている。

 それがこうして上昇して絡み合うとすれば、互いの力が【同等】であることを示しているのだ。


「むっ…! これは…風衝二閃!!」


 マタゾーには、はっきりと見えていた。

 放たれた矢槍雷に対して、ビッグの背中の両脇を曲がるようにやってきた風衝があった。

 一発では矢槍雷に対抗できないので、二つに放たれた風衝によって対抗してきた。

 ただ対抗したのではない。矢槍雷を挟み込むような軌道を描き、左右から攻撃することで力の分散を図ったのだ。


(視認できない位置から波動円だけで拙僧の動きを把握し、技の精度まで予測したでござるか。なんと見事な腕よ)


 マタゾーも惚れ惚れする技の冴えだ。

 そんなことがビッグにできるわけがないので、当然ながらやったのは違う人物である。


 コツコツコツ


 風衝によって破壊された壁から、一人の男が歩いてきた。

 コールタールを固めたような光沢の無い漆黒の剣を持ち、目にひどく冷たい光を宿した男。


「無茶をしないでください。人はそこまで頑丈な生き物ではないですよ」



「あんたは―――ラブヘイア!! 来てくれたのか!」



 やってきたのはラブヘイア。

 彼は暴走したビッグを心配して追いかけてきたのだ。

 ただ、彼の速度を考えればやや遅れた感があるが、それにも理由があった。


「ビッグさん、外で少々問題が発生しました。あなたはそちらに向かってください」

「問題? 何かあったのか!?」

「ええ、【奇襲】です。戦罪者たちが規制線の外側に出現して暴れています」


 実はビッグが館に突入したと同時期に、他の戦罪者たちは外に奇襲を仕掛けていた。

 館に篭っているとばかり思っていた外の連中は、完全に虚をつかれてパニックに陥っている。


「な、なんでそんなことに!?」

「これも彼らの策ということです。ラングラスの面子を保つために、あなたは外に出たほうがいいでしょう。旗印がいないと混乱に拍車をかけます」

「わ、わかった。だが、あんたは…」

「私は彼の相手をいたします」

「援軍は? クロスライルは来ないのか?」

「必要ありません。一人で十分です」

「なっ! こ、こいつは強いぞ!! いくらあんただって…」

「ビッグさん、いいのです。だからこそ…いいのです。ふふふ…」

「っ…!」


 ラブヘイアが、笑った。

 グラス・ギースに来てから、いや、クルマで移動している間もJBと戦っている間もまったく笑わなかった彼が、にやりと笑ったのだ。

 なかなか顔立ちの良い男である。

 笑うとイケメンなのだが、その笑い方には妙な迫力と怖さがあった。

 まるで血に飢えた獣のような、この展開を待ち望んでいたような顔つきである。

 それに圧されて、ビッグは頷くしかなかった。


「わ、わかった。ここは任せる! そ、そのために来てくれたんだもんな」

「そうです。さあ、早く行ってください」

「あんたも気をつけてな!」



 ビッグは外に出て行く。


 マタゾーは追わない。

 否、追えない。

 ラブヘイアから強い圧力がかかっていたからだ。

 少しでもビッグに意識を向けようものならば、一瞬で首を刈られてしまっていただろう。


「あなたの相手は、私が務めさせていただきます。ご不満はありますか?」

「あるわけもなし。貴殿から出る圧力、まさに拙僧に相応しい相手。これほどの実力者と対峙できるとは、楽しくなってきたでござるな!!」

「私もあなたのような人と出会えて嬉しいのです。【主人】から命じられた『ノルマの達成』に役立ちます。戻るまでに『達験級以上の武人を十人殺せ』と言われておりましてね。あなたを入れれば、あと二人で達成になります」

「ノルマ…?」

「ええ、ノルマです」


 日本でノルマといえば、かなり厳しい目標に感じられるかもしれないが、本来の意味は「無理せず達成できる作業目標」を示す。

 当たり前の道理だが、どうしても達成できないノルマを課しても、目標が達成されることは永遠にありえないからである。

 となれば、ラブヘイアにとってこの目標は、まさに平然とこなすべき程度のものなのだ。


 自分を前にして、この余裕。


 『狩る側』の立場を鮮明に打ち出した若者に、笑わずにはいられない!!!



「素晴らしい!! 素晴らしい胆力よ!! ならば、やってみせよ!! わが人生、ここにかけるでござるぞ!! 貴殿を殺し、さらに高みに昇らせていただく!」

「ええ、そうしてください。私もあの人に近づくために、あなたを殺します」


 修羅と修羅。

 武闘者同士が相まみえれば、どちらかが生き残って、どちらかが死ぬしかない。




534話 「戦罪者たちの死闘狂演乱舞 その1」


 ソイドビッグが館に突入した頃である。

 外にいた殲滅隊のメンバーは、地雷を処理しながら事務所に接近していた。

 これが良かったのだろう。周囲の安全の確保のために徐々に四方に散ることになり、結果的に事務所を包囲する形が出来ていた。

 ビッグを追った者たち以外は、館から敵が出てきてもいいように銃を構える。

 彼が中で暴れれば館に何かしらの動きが出る。ラブヘイアも追っているため、自分たちは逃げ出した戦罪者たちを排除しようと考える。

 その考えは正しい。

 すでに館は燃え始めている。爆炎弾等の銃撃は続いているので、いつ崩壊してもおかしくはない。

 敵は袋のネズミだ。



―――逃げ場などはない



 狩る側がそう考えるのは当然だ。

 ハンターが獲物を追い詰めた場合、火を付けて待っていれば、相手は巣穴から勝手に出てくるものだ。

 しかし、ここに大きな【思い違い】が存在する。


 もし立場が逆だったらどうだろう?


 もし【相手が狩る側】であり、【自分たちが狩られる側】だとすれば?


 そうなれば物の見方はまったく異なる。

 相手から見れば、獲物のほうからわざわざやってきてくれたことを意味するからだ。



 ぼごん



 一人、消える。


 これだけの暗闇だ。

 周囲の視界はそこまで明るくないし、この場にいたすべての人々の視線は事務所に釘付けである。

 意識が一定方向に向いていると、自分の周りのことには気付かないものだ。


 ぼごんっ

 ぼごんっ


 その小さな音が響くたびに、殲滅隊のメンバーが一人、また一人と消えていく。

 なんとも異様な光景だが、誰もそれに気付かないことのほうが異様かもしれない。


 この現象に気付いたのは、【規制線の外側】にいた一人の見物客だ。


 ハングラス派閥の商人である男は、南から西側の高級双眼鏡を仕入れており、それで今夜の見世物を楽しもうと考えていた。

 男も火が付いた事務所に意識が集中していたのだが、興奮しすぎたせいか、手を滑らせて双眼鏡を落としてしまった。

 再び拾い、倍率を再調整しようとしていた時だ。


 ふと視界に入った、数百メートル先にいた男が―――消えた。


 まるで地面に吸い込まれたかのように、すぽんと落ちていったのだ。

 落とし穴のバラエティ番組を見ると、なかなか綺麗に落ちると消えたように見えるが、まさにあれと同じように、ぱっと消えたのである。

 目の錯覚だと思って改めて周囲を見回すも、また視界から人が消えていった。


 困惑。


 何が起こっているのかまったく理解できなかった。

 こうして全派閥が集まっていることだけでも夢のような状況なので、自分の心理状態が正常ではない可能性もある。

 もしかしたら幻を見ているのかもしれない。男はそう思った。


 しかし、次の瞬間―――男も消えた。


 これこそ完全なる油断といえるだろう。
 
 数百メートル先で起きていることが、まさか自分の身に起こるとは誰も考えない。

 津波でも土石流でも、迫ってくるのがわかっても、少しは逃げる時間があると思うものだ。(実際は相当な速度なので、逃げる暇もないが)

 それが突然、自分の身に降りかかるとは思いもしないだろう。こればかりは仕方がない。


 これと同じ現象は、他の場所でも起こっていた。


 マングラス派閥の人間も、ジングラス派閥の人間も、時を同じくして消えた。

 彼らがどうなったのかを語る必要はないだろう。

 今頃は【地面の中】で、ぐちゃぐちゃの死体になっているのだから。



 周囲がこの緊急事態に本格的に気付いたのは、大きな爆発が起きた時であった。



 どーーーーんっ!!


 どんどんどーーーーーんっ!!



 規制線の外で大きな爆発が起き、人々が吹っ飛んでいく。

 ばしゃばしゃっ

 傍で座っていた女性の顔に、べちゃっと何かが引っ付いた。

 何かと思って慌てて手に取ってみると、それは『腸』。

 今の爆発で吹き飛んでバラバラになった人間の腸が、ミミズのように顔に張り付いていたのだ。


「ひっ…ひゃあああああああああああ―――っぶひゃっ!?」


 女性の叫び声も最後まで続かなかった。

 その直後には、彼女の首と胴体が切り離されていたからだ。

 彼女が最期に見た光景は、ポン刀を持った仮面の男の姿。


 男は―――笑っていた。


 仮面で顔は見えないが、明らかに笑っているのがわかった。

 そして、仮面のバイザーから光る目。

 戦うことを欲し、人を殺すことを楽しめる男が持つ目の輝きだ。


「な、なんで…! 何が―――ぎゃっ!!」


 ズバッ!!

 その隣にいた男も、状況を理解する前に切り伏せられる。

 縦に斬られて、真っ二つ。

 武人の攻撃を普通の人間がくらえばどうなるのかが、はっきりとわかるシーンだろうか。

 現れたのはポン刀の男だけではない。

 他の戦罪者も二名ほどおり、即座に彼と同じく周囲の者たちに攻撃を開始していた。

 ただ斬るだけではつまらない。

 服の中に大納魔射津を投げ入れ、慌てふためいている男を蹴っぱぐって、前の観客席に落とす。


 ボーーーーンッ!!


 その爆発でも数十人が吹っ飛ぶ。


「ぐああああ! 腕があああああ!!!」

「お父さん! お父さん!!」


 親子連れで見物に来ていたのだろう。

 咄嗟に子を庇った父親の腕が吹っ飛んで血塗れになり、子供は必死にしがみついて泣き叫ぶ。

 その姿を見てポン刀の男、ヤキチは笑う。


「ひゃははははは!! 子供連れで人殺しを見物かぁ? いい趣味だなぁ!!! どうせならよ、てめぇも舞台に上がってみろや。そっちのほうが楽しいぜえええええ!!」


 ブスッ!!

 うずくまっていた父親の心臓を、背中からポン刀で突き刺す。

 ちょっとだけ場所をずらして即死はさせない。


「がはっ…! ぐううっ、に、にげ……ろ!」

「安心しろ。ガキもすぐに地獄に送ってやるからよぉ!」

「この…人殺し…が……」

「てめぇらよりは、おらぁたちのほうがましだぜ。タマ張って、ガチンコでやりあってんだからよ!!」


 ズバッ!!


「っ―――!」


 刀を振り払って、父親を殺害。


「お、お父さん!! はっ、はっ、はっ!!」

「どうしたよ、ガキがぁ。来いよ。父親の仇を討たなくていいのかぁ?」


 ぽいっ ガラン


 ヤキチがナイフを落とす。

 たまたまさっき殺した男が護身用に持っていたものだ。


「それを使え。一発なら好きにぶっ刺されてやらぁ。それで駄目なら、次はてめぇが死ぬ番だがな」

「はぁはぁはぁっ! う、うわぁああああ!」

「へっ! 逃がすかよ!」


 ザクッ!!

 逃げようとした子供の喉にポン刀を突き刺す。


「かぁっ…はっ…はっ―――! ひゅーーーひゅーーー!」


 子供は刺されたショックで動けない。

 呼吸困難になって苦しそうにするだけだ。目にも怯えの感情しかなかった。


 それで―――興醒め


「なんでぇ、つまらねぇ。オヤジが連れてきたガキのほうが根性があったな。さっさと死ねや」


 ぼんっ

 剣気を膨張させると、子供の首から頭部が吹き飛ぶ。

 ぶしゃーーーーっ

 目的地を失った血流が、夜空に舞い散り、椅子にぶち当たって赤く美しい彩《いろど》りを与える。

 血の華。

 おそらくいかなる絵具を使っても、これに匹敵する色は生み出せないだろう。

 血に染まるポン刀の刃も実に美しい。また一つ、刀が血を吸って喜んでいる。



「さあ! おらぁたちと遊ぼうぜ!!」


 ズバッ! ザクッ!!!


「ぎゃあーーーーー!」

「た、助けてえぇえええ!」

「死にたくねええよおおおお!!」


 突然現れた戦罪者たちに、場は完全にパニックに陥る。

 その事態に対して、ハングラスの第二警備商隊が駆けつけた。


「貴様!! なぜ戦罪者がここに!? 事務所にいるのではないのか!?」

「ああん? どうして外に出たらいけねぇんだよ。なぁ? おらぁたちにもよ、外の空気を吸う権利くらいはあるよなぁ!」

「ふざけるな! 貴様らには生きる価値も資格もない! こうなれば我々の手で殺してやる! 隊長たちの無念を思い知れ!」

「無念だ? ただ弱かっただけだろうが!! おらよ!」


 ヤキチが近くにいた一般人の負傷者を隊員に投げつける。


「ぐっ!」


 隊員は、それをキャッチ。

 彼らはハングラスの人間なので、同じ派閥の人間を見捨てることはできない。

 だが、それこそが―――弱さ。

 ヤキチは一気に間合いを詰めると、ポン刀一閃。

 ズババッ!

 一刀のもとに隊員と負傷者を切り捨てる。


「ごふっ…狂人……め。がほっ…」

「ぎゃははは!! 狂人で結構! いくぞ、てめぇら!! 祭りの開始だ!! 手当たり次第に殺せぇええええ! オヤジにでっけぇ花火を見せてやろうぜ!」

「おおお! ありったけの術具を使ってやるぜ!!」


 ボンボンボーーーンッ!!


 戦罪者たちが、持っていた大納魔射津を無造作に投げつける。

 周囲は全員敵である。どこに投げても誰かしらが巻き添えになるのだから、これほど面白い遊びはないだろう。




 当然、現れたのはヤキチだけではない。



 次に発生したのが―――【毒】



 マングラスの観客席の大地から、大量の毒煙が発生したのだ。

 これはもう火事の煙のレベルを超えている。

 火山の噴火の如く、濃厚な紫色の煙が地面から噴き出し、その場にいた人々を襲う。


「ごほっ! げほげほっ…ぶはっ!!」

「うううううっ…おええええ!」


 咳をした紳士が吐血。

 嗚咽を漏らした中年の男も、吐瀉物と一緒に大量の血を吐き出す。

 ここにいる観客たちは防毒マスクをしていないため、毒の被害を防ぐことができない。

 毒とは人間にとって一番怖ろしいものだ。一度体内に取り入れてしまえば、もはや耐性がなければ生き残ることは不可能である。

 どさ どさどさどさっ

 大勢の観客が倒れ、びくびくと痙攣している。


「ふふふ…サイッコウ!!! ですね!!」


 そして、それを見て興奮している男、ハンベエがいた。

 仮面で顔は隠れているが、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて恍惚としているのがわかる。

 彼の楽しみは、徐々に弱っていく姿を見ること。人でも魔獣でも、その過程を観察することが楽しくてしょうがないのだ。

 だから、こういった場を与えてくれたアンシュラオンには感謝しかない。


「オヤジさん、最高ですよ!! なんてステキな、よるうう!! ああ、素晴らしい! さあ、もっと吸って!! 身体の中が真っ黒になるほど吸ってぇえええええ!」


 ぶしゅうううっ もくもくもくっ

 ハンベエの身体から真っ黒な毒が噴き出る。

 夜の闇よりも濃い毒が人々を包み込み、次々と毒で汚染していった。


「くそっ!! 警備班、すぐに来い! 毒使いの戦罪者が現れたぞ!!」

「おや、遅いお出ましですね。重役出勤は出世してからのほうがいいですよ。クケケ」

「貴様の毒は通じないぞ! 覚悟しろ!」


 マングラスの治安維持部隊が駆けつける。

 防毒マスクはマングラスが提供したものなので、治安維持部隊にも万一にそなえて支給されている。

 駆けつけた男もマスクをつけているので、毒は通じない―――と思っている。

 それを見たハンベエが、にやりと笑った。


「あなたたちは愚かですね。私が同じことをすると思います? そんなもので防げるとでも?」

「強がりを! ここで射殺……うぐっ…ううううっ! ごぼっ!!」


 兵士が口から吐血。

 マスクの中に血が飛び散る。


「馬鹿な…! な、なにが……がはっ…ぐううう!」

「たかがマスク程度で、私の毒が防げるものでしょうか。呼吸器だけではないのですよ。皮膚に少しでも触れれば終わりですからねぇ」

「ぐっ…はーーはーーーー! っ―――!!! っ!!」


 どさっ

 倒れた兵士は顔を真っ青にして、口をパクパクさせて悶絶する。

 毒煙玉は呼吸器に強い影響を与える毒だが、ハンベエの体内で生成される特殊毒は、『毒無効』すら貫通する恐るべきものだ。

 多少口をマスクで覆ったくらいでは対応できない。少しでも吸い込めば一瞬で昏倒してしまうし、皮膚に触れただけでも死に至る。


 どさどさどさっ


 駆けつけようとした兵士たちも、特殊毒によって次々と倒れていった。

 中には身体全体が覆われた重装備の兵士もいたが、酸素ボンベ式の完全密閉型ではないので、どうしても毒に触れてしまう。

 毒を吸い込んだ男たちは、すでに身体機能を失って痙攣。

 ハンベエは、わざわざマスクやヘルメットを外して、その顔を観察する。


「あはははは! いいですねぇ! いい顔ですよ!! さあ、そのまま苦悶の表情を浮かべて、いって、イッテ、逝ってくださいねぇえええええ!!! あひゃひゃひゃっ!! くけけけえけけけけけえええっ!!」



 狂っている。

 完全に狂っている。

 人を殺すことを楽しんでいる。実に伸び伸びとしていて楽しそうである。

 だが、これが戦罪者たちなのだ。彼らの本性なのだ。

 主人であるアンシュラオンによって、彼らの特性が最大限に表現されていた。


 規制線の外が安全だと、誰が決めたのか?

 自分たちが見る側で、殲滅隊が狩る側で、ホワイト商会が狩られる側だなんて、誰が決めたのだろうか?

 それは完全なる思い込みである。

 彼らに敵の区別などはない。この場にいるすべてが敵であり、殺してもよい対象物であり、惨殺してもかまわないと命令されているのだ。

 ならば、彼らは喜々として楽しむだろう。




535話 「戦罪者たちの死闘狂演乱舞 その2『極悪鳥』」


 戦罪者たちの突然の奇襲で、場はパニックに陥る。

 彼らは完全に勘違いしていた。規制線の中をリングか何かと思っていたのだ。

 だが、戦いにルールがあるわけではない。勝った者が強く、強い者が勝つのだ。


 そして、異変はラングラス側でも起こっていた。


 どーーーーんっ!


 大きな爆発とともに観客が吹っ飛ぶ。


「ううううっ…な、何が……起きて……ひっ!! ば、化けも―――ひぶっ!!」


 爆発に巻き込まれて倒れ込んだ男が、土煙の中で大きな人影を目撃する。

 だが、次の瞬間には彼の頭部は粉々に砕けていた。

 踏み出された大きな足が、まるでトマトかのように簡単に踏み潰したのだ。

 どすん どすんっ

 動くたびに大地が揺れるほどの大きな身体の男、マサゴロウがそこにいた。


「せ、戦罪者!! どうしてここ―――にぎゅ!!」


 大きな手が、その隣にいた男を掴む。

 ぎゅううううううっ


「ふひふひいっ!! そ、そんなに握ったらぁああ!! ひっ、ひっ―――ひぷぎゃっ!?!」


 ぶちゅっ!! じょろろろろ

 大きな身体に見合う大きな手で胴体を握り潰された男は、皮膚と肉が破け、臓物や血を噴き出しながら死亡した。

 どこかで見たことがある光景だと思ったら、ミカンを握り潰してジュースにする映像に似ている。

 あまりに圧力が強かったのか、深海魚が陸に上がったように眼球も飛び出している。

 なかなか壮絶な死にざまだ。こんな死に方は誰もしたくはないだろうが、これも呑気に処刑を見物しようとしていた者への罰なのかもしれない。


「もろい。弱い…な。弱すぎてつまらんが、オヤジの命令は絶対だ。生きることを諦めろ」


 ぶんっ!! ぶちゃっ!!

 ぶんっ!! ぶちゃっ!!

 ぶんっ!! ぶちゃっ!!


「ぎゃっーーーー!!」

「ひぶうっ!!」

「いやだぁあああ! し、しにだく…ぶちゅうっ!!」


 マサゴロウに叩かれた者は、いとも簡単に圧死する。

 勢いが強すぎるのか、胴体に当たったとしても首と足が千切れ飛び、無残な最期を遂げる。


「相手が誰でも気にするな。皆殺しにする」

「おおおおおお!! いくぜ!!」


 マサゴロウと一緒に【穴】から飛び出た戦罪者も、手当たり次第に攻撃を開始。

 一般人であろうが警備隊であろうが、治安維持部隊であろうが関係ない。

 目の前に立ち塞がる者たちをすべて殺していく。




 場は、完全に混沌としていた。



 この場にいる全員が『舞台』に上がってしまったのだ。

 大人であっても普段から鍛えていなければ、柔道やラグビーの試合に出ることは不可能だ。

 それが子供でさえ強制的に上がらされてしまうのだから、悲劇が起こってしかるべきである。


「ふざけるな!!! クソが!!!」


 この事態に怒り狂っている男がいた。

 大本営にいたイニジャーンである。

 彼はあちらこちらで起こる爆発や惨劇に、しばし呆然としていた。あまりに現実感がなくて状況が理解できなかったのだ。

 いっそのこと、これが夢だったらよかったにと思ったのは、一度や二度ではない。

 だが、これが現実。紛れもない事実である。


「なんじゃこりゃ!! 何が起こってやがる!!!」

「完全にやられた。事務所は囮だ。裏をかかれた」


 ソイドダディーも苦々しい表情で惨劇を見つめる。

 ここまで混乱に満ちれば、自分が慌てて駆けつけたとしても状況は変わらない。

 それがあまりに口惜しいのだ。


「馬鹿な!! ずっと見張ってたんだぞ! どうやって出てくる!!」

「…地面の下だ。穴でも掘っていたんだろう。そこから出てきたんだ」

「穴!? んなもん、調査くらいしてんだろうが!!」

「そのはずだぜ。波動円を使って調べてもいた。それで見つけられなかったってことは、相当深く掘ってやがったんだろう。監視があるんだ。一日や二日でやれる作業じゃねえ。やつら、最初から入念に準備してやがったんだよ。あの事務所を建てた時からな!!」


 当然ながら波動円を使って地下の様子も監視していた。

 だが、その際は何事もなかったのだ。空洞も感知できなければ、誰かが潜んでいる気配もなかった。

 しかし、ここにも『落とし穴』があった。

 一度掘ったものを埋めてしまえば、よほど優れた使い手でなければ違いはわからない。

 波動円は基本的に生物を感知するのが目的なので、無機物に関しては事細かに調べることは非常に難しい。

 アーブスラットくらいの使い手ならばそれも可能だったが、普通の武人では探知は不可能だろう。

 事務所建設の時から、あるいはその直後からすでに準備をしていた。

 こうして包囲されることを想定して、迎え撃つために穴を掘っていたのだ。

 ホワイト商会は最初から全面戦争を仕掛けるつもりだった。そのためにまんまと「おびき出された」のである。


「こんなことになって…! くそ!! 俺らが主催した宴だぞ!! どう責任を取りゃいい!!」

「ふふふ、責任…ですか。あなたは変わりませんね」

「ソブカ!!! にやけてんじゃねえぞ! なにが可笑しい!!」


 顔を真っ赤にして激怒している姿はマフィアの組長らしく凄みがあるが、ここが戦場になった以上、何の役にも立たない。

 ソブカにとっても、彼の鼻息で多少の風が生まれたくらいの変化しか感じていないようだ。


「見てわかりませんか? すでに状況が変わったのです。今は責任の取り方ではなく、この事態をどう収めるかが重要ではないでしょうか」

「んなことはわかってんだよ! どうするかって話だろうが!」

「話し合いで物事は解決しませんよ。今必要なのは、相手を打ち砕く力です」

「それもわかってんだよ!! それがすぐにできないから困ってんだろうが! てめえにはできるってのか!」

「私が収める必要はありません。この場には全派閥の人間が集まっているのです。それを束ねればよいだけのことでしょう?」

「それができれば―――」


 ドヒュンッ


 その時である。


 一発の銃弾が飛んできた。


 これは戦罪者が撃ったものではなく、彼らを迎撃するために警備の誰かが撃った流れ弾だと思われる。

 そのため戦気もまとっておらず、危険性もそこまで高いとはいえない。


 しかし、この後の対応の違いが、両者の差を決定付ける。


 銃弾が飛んできた時、イニジャーンは思わず避けた。

 彼も長年マフィアの世界にいる猛者の一人だ。危機察知能力くらいはある。

 だから銃弾が通り過ぎたあとではあったが、咄嗟に身を守ろうとしたのだ。

 これは普通の対応だろう。目の前に何かが飛んできたら避けるのが反射神経というものだ。


 しかしながらソブカは―――微動だにしなかった。


 まだソブカは座っているので、顔の近くに銃弾が飛来した。

 顔から数センチといった場所にまで到達しても、瞬き一つしていない。

 気付いていないのならば仕方ないが、彼は銃弾の存在に気付いていた。

 気付いていながら、そのままなのだ。


 さらに銃弾が迫る。まだソブカは動かない。


 動かない。動かない。



 動か―――ない!!!



 しゅんっ チッ! ばすっ


 銃弾がソブカの耳を掠めて、背後にあったソファーにぶち当たる。

 その段階に至っても、まだ彼は何の反応も見せない。

 ただじっとイニジャーンの目を見つめていただけだ。



 静寂が満ちる。



(…のやろう…!!)


 イニジャーンは、歯軋りをしながら何が起こったのかを悟る。


 自分は「動けなかった」


 一方のソブカは―――「動かなかった」


 たかが銃弾一発。当たることもあれば当たらないこともあり、当たったとしても致命傷になるとは限らない。

 マフィアの人間の中には、撃たれたことを自慢するような馬鹿もいるくらいだ。

 傷は男の勲章というように、傷つくことを怖れないのが筋者の理想像である。

 イニジャーンとて、死ぬことなど怖れていない。組のため、ラングラス派閥のためならば、いつ死んでもいいと思っている。


 だが、ソブカは【異質】だった。


 彼は何も怖れていないどころか、「この状況を楽しんで」いた。

 自分の命を常に天秤にかけていた。当たるのならば勝手に当たればいい。それで死ぬのならば死ねばいい。

 自分の命すら天に任せて、泰然自若の態度でそこにいたのだ。


 否。


 それは悟りでも余裕でもなく―――【狂気】


 戦罪者たちと同じ匂いをさせる危険な色合いなのである。


(こいつは…ヤバイ!! この男はラングラスにとって危険すぎる!)


 イニジャーンは、ここでソブカの真なる危険性を理解した。

 彼がジングラスの領分を侵したと聞いた時も、「また若いやつが粋がってやがる」と思ったのだが、それこそが大きな勘違いだと知った。

 彼は本気で何かを成し遂げようとしているのだ。そういう男の目をしている。

 それがわかるのだ。イニジャーンほどになれば、嫌でもわかってしまうのだ。


「ソブカ、てめぇは!! 何を…」

「話し合いは終わりです。ここも安全ではないようですからね」

「なにっ…!」


 ぼごんっ

 地面に穴があき、中から戦罪者が出てきた。



「大本営に一番乗りだぜえええええええ!!」



 やってきたのは幹部クラスではない普通の戦罪者が二名である。

 しかしながら、ここでほっとしてはいけない。

 強い武人からすれば「モブ戦罪者」にすぎないのであって、一般人や普通の武人からすれば中ボス級の強敵である。

 彼らはさっそく獲物を見つける。


「いいもん着てるじゃねえか!! こいつら、組長クラスだぜ!!」

「いいねぇ! いただきだ!! 俺はあのオレンジをやるぜ!!」

「俺は…俺はなんでもいいや! とりあえず殺す!!」


 二人は戦士タイプと剣士タイプのようで、一人はナックル、もう一人はロングソードを装備していた。

 ロングソードを持った男は、何も考えずに近くにいたソイドダディーに攻撃を仕掛けた。

 だが、これは悪手であった。

 会話を聞いていても頭が悪そうな男は、本当に悪かったのである。


「あまり俺を怒らせるんじゃ…ねぇえええええええええええ!!」


 ぼおおおおおお

 ダディーの身体に戦気が満ちる。

 いくらかつてのレイオンと同じく死んだ身体とはいえ、ダディーに宿っているのは本家の秘宝だ。

 ファテロナとの戦いの直後は、『根』がまだ完全に張っておらず力も出なかったが、この数日で少しずつ身体に馴染んでいた。


 ざくっ!!


 戦罪者の剣が、ダディーの首を斬る。

 だが、刃は一センチ入ったくらいで止まる。

 そうして動きが止まったところに―――


「ふんっ!!」


 ごぎゃっ!!

 ダディーの拳が戦罪者の胸を打ち砕く。ボキボキと骨が砕ける音が聴こえた。


 ひゅーーーーんっ どごん!!


 凄まじい圧力に押されて吹っ飛び、戦罪者が大本営から飛び出ていった。

 ただ、相手も普通の武人ではない。

 地面に激突しながらも、その勢いのまま立ち上がる。


「いってぇえな! ぶっ殺す!!」


 胸は大きく陥没してダメージもかなり与えたが、倒すには至らない。

 それを見たダディーが舌打ち。


(ちっ、まだ五割以下ってところか。これじゃ前線には出られねぇな)


 もし万全の状態だったならば、相手の攻撃を完全に防いでいただろうし、今の一撃で仕留めていたはずだ。

 それでもビッグよりは強いのだが、全力を出して同じレベルになるのとは事情が異なる。

 常にバッドコンディションと自覚しながら戦って、良い結果が出るわけもない。


「イニジャーン!! 逃げろ!! ここは俺が食い止める!!」

「なめてんじゃねえぞ!!! 俺はラングラスを背負ってんだ!! 死んでも逃げないからな!!」

「こんなときに意地張ってんじゃねえ!!」

「うるせえ! ガキどもに覚悟見せられて引けるかああああ!」


 ナックルを装備したもう一人の戦罪者がイニジャーンに迫るが、彼は逃げなかった。

 むしろ意気込んで、受けて立とうとしている。

 今しがたのソブカの豪胆な態度を見て触発されたのだろう。ムーバのいない場では彼がリーダーなので、その姿勢も頷ける。

 が、こちらも悪手だ。

 イニジャーンは生粋の武人ではないので、戦闘力はそこまで高くはない。普通に戦えば殺されてしまう。


(ふざけるな! ふざけるな!! 死んでも俺は筋を通すぞ!!)


 イニジャーンがドスを取り出し、構える。


「へへ、死ねや!!」


 相手を見た瞬間に弱いと悟ったのだろう。

 戦罪者は余裕をもって殺しにかかる。

 この時の彼は、どうやって殺そうかと考える暇すらあった。それだけ実力が離れていたのだ。

 そうだ。まずは鼻を潰してやろう。

 戦罪者がそう思って拳を引き絞った瞬間―――


 しゅんっ ズバッ!!


 彼の鼻に熱い感触が宿った。

 まったく皮肉なことに、イニジャーンの鼻を潰そうとした彼の鼻が―――



―――落ちる



 ぼとっ ぼおおおおお


 地面に落ちた戦罪者の鼻は、何の感慨も感情もなく、いともたやすく燃え盛って塵となって消えた。


「ぬぐううっ!! 俺の鼻が…!!!! て、てめぇええええ!! よくもやりやがったなぁああああ!」


 戦罪者が、今しがたまで鼻があった場所を押さえて飛び退く。


 その視線の先には―――剣を持ったソブカがいた。


 準魔剣の火聯《ひれん》で戦罪者の鼻を切り落としたのだ。

 べつに鼻を狙ったわけではないが、相手が咄嗟にかわそうとしたのでたまたま当たっただけだ。

 この剣は斬ったものを燃やす術式がかけられている。残念ながら、鼻はもう二度と戻ってこないだろう。

 イニジャーンは、自分を守ったであろうソブカを睨みつける。


「ソブカ、てめぇ! 何してやがる! 俺を守ったつもりか!!!」

「………」

「ソブカ、聞いて―――っ!!」


 ソブカの顔を見たイニジャーンが、凍り付いた。

 完全に気圧されて、まったく動けなかった。


 ズオオオオ オォオォオオオオオオオ


 ソブカから赤い戦気が燃え上がっていた。

 戦気は口ほどに物を言うのは、マタゾーと対峙したビッグのところでも述べた通りだ。

 では、今のソブカが出している戦気はどのようなものなのか。

 イニジャーンが畏怖するほどの戦気とは、どのような性質なのか。



―――【極悪鳥《ごくあくちょう》】



 これが単語あるいは比喩として正しいのかは甚だ疑問であるが、ソブカから出ていた戦気は【火の鳥】の形をしていた。

 しかしながら、そこで垣間見えたのは清らかな光でも情熱の光でもない。

 ただただ燃え盛り、相手を喰らい尽くす獰猛で凶悪な波動だったのだ。




536話 「戦罪者たちの死闘狂演乱舞 その3『不死鳥の御旗の下に』」


 『火の鳥』はラングラスの象徴である。

 旗に描かれた不死鳥の如く、何度でも立ち上がって戦う姿がイメージされたものだ。

 ソブカの戦気が不死鳥の形を取ったのは、ラングラスに対する思い入れが尋常ではないからだ。

 かつての彼ならば、ここまでの気概を発することはなかっただろう。内に秘めた想いを外に出すことはなかった。


 しかし、アンシュラオンが焚き付けた。


 あの男は、まるで宝石。

 周りの人間の欲望を引き出す魔性の光だ。

 あのような自由奔放な純粋な輝きを見たら、誰だって羨ましくなってしまう。

 自分を出さずにはいられない!!


 ぶわっ ボォオオオオオオオ!!!


 ソブカの戦気が、火の鳥が翼を広げるように展開され、彼に力を与えていく。

 もし霊視能力を持つマザーがこの場にいれば、ソブカに火の精霊が集まっていく光景が見られるに違いない。

 火は、火を呼ぶ。同種の存在に引き寄せられる。

 ただし、火は本来は破壊の力。


 彼の激情を―――加速させる。



「ウオオオオオオオオオオ!」



 強い火の力に後押しされたソブカが、戦罪者に駆ける。

 フェイントなどもしない。まっすぐに突っ込む。


「おおおお! 死ねや!!」


 ぶんっ!!

 少し離れていたため、戦罪者がソブカに拳衝を放った。

 ホワイト商会はソブカと組んでいるので、てっきり手加減するかと思いきや、戦罪者は完全に殺すつもりで攻撃を仕掛けてきた。


 これには二つばかり事情がある。


 一つは、この戦罪者は新たに補充された『新参者』だということ。

 アンシュラオンが収監砦に入ってから、外に出たときに新たに仕入れた者なので、ソブカのことは詳しく教えられていない。

 彼らが知っているのは、アンシュラオンが主人に相応しいほど怖ろしい存在であるということだけだ。


 二つ目の事情は、たがが外れた戦罪者にとって、相手が誰であるかは関係ないということ。

 アンシュラオンの命令は、相手が誰であっても攻撃されたら反撃して殺せ、というものだ。

 よって、それがソブカであっても同じことである。

 以前から述べているように、このあたりのアンシュラオンとソブカの関係は複雑だ。

 彼らは『共犯者』でありながらも『お仲間』ではない。ソブカは便利な男だが、死んでもそこまでアンシュラオンが困ることはない。

 また、ソブカにしてもアンシュラオンのすべてを信用しているわけではない。

 信頼など簡単には芽生えないし、信じることも簡単にすべきではない。互いが互いを利用し合う関係にすぎないのだ。

 お互いにそれで納得しているのだから、そこは問題ないのである。普通の人間には理解できない関係、とでもいうべきか。


 だからこそ、これは本気の一撃だ。


 それをソブカは―――よけない。


 ドゴンッ!!


 拳衝は左肩に当たる。

 ソブカは日々鍛練していることからレベルも高く、剣士としての技量はそこらの傭兵以上であるが、耐久力に優れているわけではない。

 今も他の組長に配慮して普通のスーツを着ている。内部に薄型の防弾チョッキくらいは仕込んであるが、武人の一撃は銃弾を遙かに上回る。


 その一撃が直撃すれば―――へし折れる。


 バキンッ

 ソブカの肩が外れ、鎖骨の尖端がへし折れる。

 鎖骨はかなり重要なパーツで、折れると腕が満足に動かせないほどのダメージを受けるが、何事もなかったかのようにソブカは突っ込んでいく。

 痛みなどない、というように。

 怖れるものなどない、というように。


 この命すら―――天命のままに!!!



「はああああああああ!!」

「このやろぉおおおおおおおお!!」


 戦罪者は構えるが、真っ直ぐに突っ込んできたソブカのほうが速かった。

 間合いに入ると、火聯一閃。


 ズバッ!!


 迷いのない一撃が戦罪者の胸を切り裂く。

 骨を断ち切り、心臓の半分にまで刃は達した。

 戦罪者は強い武人なので、本来ならばこれくらいではまだ死なない。


 が―――燃える


 ボオオオオオ!


 燃やす。燃やす。燃やす。

 身体の表面ではなく内部に入り込み、業火が体内を焼き尽くす。


「ぐぎゃああああああ!!」


 火聯が発した炎も、鳥が翼を広げた姿をしていた。

 ソブカの戦気の影響を受けて『進化』したのだ。

 周囲の火の精霊の力すら吸収し、爆炎。


 ドボオオオオオオオオン!!


 爆発にも似た業炎が発生し、一瞬で戦罪者を蒸発させた。


 ジュウウウウウッ ぼろぼろぼろ


 最後に残ったのは、真っ黒な人型の炭だけだった。


(ソブカのやつ…なんて覚悟だ!)


 それにはソイドダディーも唖然とする。

 武人としての技量は文句なしにダディーのほうが上だが、武人という存在は精神エネルギーによって強化できるから怖ろしいのだ。

 ソブカから発せられたエネルギーは、ダディーすら超える迫力に満ちていた。

 今の彼ならば、弱気になっているダディーにだって勝てるかもしれない。そう思わせる存在感がある。



「ラングラスを傷つける者は、誰一人として許すわけにはいかない。焼き滅ぼすのみ!」


 外れた肩などまったく気にせず、もう一人の戦罪者に火聯を突きつける。


「ちっ!!」


 ダディーに胸を陥没させられた戦罪者は、不利と見たのか大本営のテントから逃げ出す。


「貴様!! そこで何をしている!!」

「ちっ、新手か!」


 だが、駆けつけていたファレアスティと遭遇。

 彼女も迷うことなく水の準魔剣を抜くと、一閃。


 スパッ!


 ソブカとは違う鋭く冷静な一撃は、戦罪者の腕を的確に切り裂く。


 バリリリッ


 切り裂かれた腕が凍る。彼が持っていた武器まで一緒に凍らせる。

 準魔剣、水聯《すいれん》。

 特に説明はされていなかったが、火聯と対を成す水の準魔剣の一つであり、水の上位属性である『凍気』まで力を昇華することができる。

 遠くから水気を強化して放つこともできるので、これ一本あれば中距離までカバーできる優れものだ。

 ただ、威力としては火聯のほうが上なので、それだけで致命傷には至らない。


「ちいいっ!! クソ女がぁああああ!!」


 武器を凍らされても動じないのは、さすが戦罪者であろうか。彼らもまた死闘に対する心構えが普通ではない。

 しかし、単独ではどうしても限界がある。


「だったらあんたは、クソ男だねええええ!!」

「っ!!」

「クソならクソらしく、さっさと潰れな!!」


 背後に迫っていたベ・ヴェルが、暴剣グルングルムを振り下ろす。

 十分加速をつけ、数十倍の重さになった術式剣が炸裂。


 戦罪者を―――叩き潰す。


 どごーーーーーーーーーんっ!! ぶちゃ!!!


 断末魔の悲鳴もなく、戦罪者は絶命。

 こうなればもう、ただのミンチだ。潰れた肉塊でしかない。


「やっぱり強いね、これは。ってことは、あっちがおかしかっただけかい」


 プライリーラに防がれ、アーブスラットにかわされたことを思い出すが、やはりあれは相手が強すぎたのだ。

 こうして普通の戦罪者くらいならば、薬で強化して術式剣を持ったベ・ヴェルは十分強い。

 そして、強い武人との戦いは急速な成長をもたらす。彼女のレベルもまた上がっているようだ。



「ソブカ様!! ご無事で!!」


 血相を変えてファレアスティがソブカに近寄る。

 彼女にしては珍しい表情である。それだけ想定外だったのだろう。


「あーあ、乙女だねぇ」

「きっ!!」

「へいへい。あたしゃ黙ってますよ。噛み付かれたくはないからね」


 それを見たベ・ヴェルが素直な感想を述べたが、ファレアスティが本気で睨んできたので逃げる。

 だが、今はベ・ヴェルにかまっている暇はない。


「まさかこのようなことになるとは…! 申し訳ありません! 警備態勢が甘かったようです!」

「いえ、良いタイミングでしたよ。誰もこうなるとはわかりませんからね。仕方ありません」

「あいつら、なんということを…ここまでやるとは…! すぐにご避難を! 護衛いたします」

「イニジャーンさんが優先です。彼はラングラスの責任者ですからねぇ。ここで失うわけにはいきません」

「しかし…ソブカ様のほうが…」

「ファレアスティ、私たちはラングラスの旗を背負っています。ラングラスを生き延びさせるほうが優先ですよ」

「ですが…」


 ファレアスティは渋る。

 ラングラスのことを考えればソブカの言葉は正しいが、彼女にとっては彼以外の者はどうでもいいのである。

 だが、その話を聞いていたイニジャーンが、そんな情けを受けて黙っているはずもない。


「ふざけるなよ、ソブカ!! 俺にこれ以上の恥をかかせるつもりか! 俺は逃げるつもりもねえし、お前に借りを作るつもりもない!!」

「あなたを失うことは、今この場では得策ではありません。他の派閥も見ている前で『総大将』を守れないほど脆弱であることを示すことになります」

「そんなことを言っているんじゃねえよ!! お前がそのナリでよ、そんなことを言うんじゃねえええええ!!」

「では、私があなたの代わりにそうしてもよいと?」

「そうするしかねぇだろうが!! 恥をかかせるな!!」

「…わかりました」


 イニジャーンが何を言っているのかわからないかもしれないが、それが何を意味しているかは、すぐにわかるだろう。


「ソブカ様…よろしいのですか!?」

「今は場の混乱を収めるのが先です。それもまたいいでしょう。護衛は任せましたよ」

「…はい!」



 ソブカはファレアスティを伴って表に出る。


 周囲を見渡せば、そこは激しい混乱の真っ只中にあった。

 なぜ混乱に陥っているのか、理由はいくつかあるだろう。

 当たり前だが相手が奇襲を成功させた段階で、圧倒的にホワイト商会が有利となる。

 歴史でも少数の軍勢が大軍に打ち勝った事例はいくつもあるが、奇襲で総大将の首を獲るのが一般的な手法である。

 彼らも大本営を狙ってきたことから、敵の大将を殺すことで状況を有利にしようとしたのだろう。

 その思惑に反して大将を守ることができた。ならばラングラスは立て直せるはずだ。


 誰もがそう思うのは当然なのだが、ここでまた一つの大きな問題がある。


 総大将であるイニジャーンに、将としての器がないのだ。

 彼はヤクザの組長として筋者をまとめる力はあるが、あくまで弱小派閥のいち組織をまとめるだけの力しかない。

 せいぜいムーバの代役が精一杯だろう。それは当人自らも理解している。

 いや、今この瞬間、ソブカによって理解させられたのだ。

 だから彼は、これ以上自分に恥をかかせるなと言ったのだ。


 つまりそれは―――


 ソブカが『鳳旗《ほうき》』の下に赴くと、旗の柄を握る。


(ああ、力が湧いてくる。この不死鳥を見るだけで、旗とともにあるだけで、まるで英雄になったような気持ちになる)


 ラングラスになりたかった。

 英雄にずっと憧れていた。

 彼がやってきたこと、彼が目指したもの、彼が助けたかったものすべてを自分も背負いたかった。

 だから、これでいいのだ。

 まだ少し時期は早いが、それもまた天命というものである。



 ソブカは旗から力をもらい―――叫ぶ!!!





「火の英霊は死なず!!」





 ぼおおおおおっ!!!


 彼の戦気がさらに倍増し、大きな旗すら超えるものになっていく。

 赤い、とても赤い炎が広がっていく。

 この混乱に満ちた戦場《いくさば》で傷ついた人々は、目標を見失っていた。

 何か自分が目指すべきものはないか、頼りになるものはないかと右往左往していた。


 その視線が、鳳旗に向けられる。


 旗を持ち、不死鳥の炎を体現しているソブカへと。


 その時人々は、色眼鏡なく物事を見ることができたはずだ。

 ソブカには、「キブカ商会のいけ好かない若い会長」というイメージが定着しているので、普段ならば誰もが先入観をもって彼を見る。

 だが、このような一秒先も見通せない場所において、人は素直に『人を見る』。


 そこにいたのは―――ラングラス


 人の痛みをなくし、苦しみを軽減し、何度でも立ち上がる勇気と力をくれる偉大なる英雄の一人。

 着ているものはスーツだが、そんなものは目に入らない。

 彼から溢れ出る力、新しいものを求める力、人々が頼りたくなるような、くすぐったい何かをそこに感じさせる。



「弱き者よ、ラングラスの御旗の下に集え!! 火は誰も見捨てず、誰も死なせず、誰も隔てない!! 不死鳥の如く、何度でも蘇る!!」


「求めよ! 火を求めよ!! ラングラスは活力の源!! この都市を昇華させる力なり!!」



 ソブカが叫ぶ。

 普段の皮肉に満ちた言葉ではなく、堂々とした力強い声質だ。

 そして、この言葉は彼が考えたものではなく、初代ラングラスの伝記に書かれていた文言の一つである。

 聖書と同じく、編纂した誰かが脚色した可能性は否めないが、現存する唯一の伝記に書かれたものと一致する。


 少し格好悪く言ってしまえば、【モノマネ】である。


 彼が初代のコスプレをしていたように、ソブカには英雄に憧れる側面がある。

 子供が戦隊物のヒーローのモノマネをするように、女の子が魔法少女の台詞を真似るように、大人がやると非常に恥ずかしいものだ。

 コミケでコスプレして叫んでいる大人を見ると、なんともいえない気持ちになるだろう。それと同じだ。(卑猥な意味では称賛されるが)


 だが、覚悟があれば違う。


 本気で英雄を真似て、本気で人々を導こうとする気概があれば、違う!!!


 ぼおおおおおおおおっ!!


 戦気の翼はさらに広がり、夜空の下に輝く圧倒的な導きの星になった。



 戦気が昇華し―――『英気』となる。



 英気を養う、という言葉があるように、英気とは活力の根源にある力だ。


 その声を聴けば、自分が何をすればいいのかがわかる。

 その声を聴けば、疲れた身体に力が湧いてくる。

 その声を聴けば、腕を失っても希望が持てる。


 なぜならば火の英霊がいる限り、何度でも立ち上がることができるからだ。



「ああ…火だ…火があるぞ…」

「あれは…ラングラス……なのか? あれがあれば助かる…」

「待っていろ! 今すぐあそこに運ぶからな! 勝手に死ぬんじゃねえぞ!!」

「お父さん、あそこに行けば助かるよ!!」



 暴れた戦罪者たちによって負傷した人々、怖がっていた人々が、無意識のうちにラングラスを目指す。



 その鳳旗を、ソブカを目指す。



 各派閥にリーダー格が誰もいなかったこともあってか、他派閥の人間も次々と大本営の近く、ラングラス側に集まってきた。

 今この場でもっとも頼りになるのが、彼だったからだ。

 そこに派閥の違いも身分の差もない。


「これが…ソブカ様の光…! そうだ。私たちはソブカ様とともにある…! うおおおおおおおおおおおおおおおお!! ラングラスに栄光あれ!!!」

「うおおおおおおおおおおおお!!」


 ファレアスティを筆頭に、ソブカの部下たちが気勢を上げる。



「…ソブカ……てめぇは……」


 イニジャーンも、ソブカから目が離せないでいた。

 大嫌いな男だが、どうしても目を逸らせない。その存在を見てしまう。

 それだけの魅力と活力があるからだ。危ないとわかっていても引き寄せられる力があるからだ。



 時代は変わろうとしていた。


 それと同時に世代も変わろうとしている。


 下克上の足音がしっかりと聴こえていた。




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