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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第八章 「壊滅 ホワイト商会」 編


517話 ー 526話




517話 「『マキ VS JB』 その6【美しい顔】」


 JBが怒っていたのは、マキの顔だった。

 女性の顔にとやかく文句をつけるなんて、まったくもって最低の男だ。

 信じられない。許せない。こんな男は死んでいい。

 その思いに間違いはない。

 ただし、今回に限っては彼の言葉にも一理ある。



 なぜならば、マキの顔は―――



「ほんと、婚期を逃しちゃうわよね。こんな顔じゃ」



 マキは自虐的に笑う。

 笑おうとしているが、顔はまったく動いていない。



―――【鉄に覆われていた】



 からだ。


 腕に侵食した鉄がさらに伸び、肩を伝い、顔にまで到達している。

 見れば、鉄の侵食は全身にまで及びつつあった。体表の約七割以上が、すでに鉄化しているではないか。

 その色合いは、炎を受けて赤白く変色していたため、石膏(胸像等の素材)で出来た像と見間違えそうなほどだ。

 そのせいで表情も固まっており、恐怖とは程遠い無機質なものになっていた。


 マキはアーブスラットと似ている武人ではあるが、細胞操作は繊細な作業と持続力が求められる能力であり、単に忍耐力に長けているからといって扱えるものではない。

 アーブスラットの素養の高さは、波動円の扱いの上手さを見てもわかるだろう。

 一方、マキの波動円の性能は一般的だ。

 これは彼女のほうが、維持よりも放出に長けていることを示してもいる。

 火力だけならばマキのほうが上だが、細かい動作はアーブスラットに敵わない、といったところだろうか。


 よって、彼女自身で増殖を止めることができない。


 戦気の放出を止めれば増殖も止まるが、戦闘中にそんなことはできない。

 だからこそ変質するままに任せて、少ない時間制限の中で短期決戦を挑むしかないのである。



「貴様…! もっと怯えろぉおおおお!! なんだ、なんだ、その顔はぁあああああああああああああああ!!」



 それがJBには気に入らない。

 彼女の表情が鉄によって固められているからだ。

 彼が求めていたものではないからだ。


 彼は、その顔をこう評する。



「それが人間的なものだといえるのか!! 【醜い顔】めえええええ!」



 人間とは、感情があるもの。

 人間の魂は、本来感情的で反応的なものである。

 怯え、竦み、逃げ惑う。そういったマイナスの面があるからこそ美しいのだ。

 JBはその中に美を見い出していたようであるが、マキからすれば大きなお世話だ。


「勝手にあなたの価値観を押し付けないでちょうだい。ほんと、まったくもって迷惑な人ね。そして、哀れな人だわ。そんなことでしか人の価値を判断できないなんてね」

「貴様! 蔑むか!! この私を!! そんな資格が貴様にあるものかああ!!」

「蔑む? そんなことはもうしないわ。本当なら同情してあげなくもなかったけれど、あなたはやりすぎたのよ。調子に乗りすぎたの」

「調子に乗っているのは貴様だ! この程度で私を殺せると思うなよ! はははは! こんなもので…!! こんな……ぬぐうっ!!」


 JBは、たかだか腹に腕が突き刺さったくらいでは死なない。

 マキもそれくらいのことはわかっている。

 しかし、これまた忘れてはいけないことがある。

 死痕拳とは、そもそもどのような攻撃手段だったか?

 打撃技だろうか? 貫通技だろうか? 衝撃技だろうか?


 否。


 否、否。


 これは、これは、これは―――!!



 ズズズズズッ バキバキバキバキッ!!



「なんだ…!! 腹が……【硬い】!!!」



 JBが、腹に『しこり』を感じる。

 彼の紐は血管なので、硬いとは言いがたい。

 黒紐も攻撃手段の一つだが、しなやかでむしろ柔らかいものといえるだろう。

 だからこそ彼の身体に硬い部分など存在はしないはずだった。

 しかし、腹に感じた『しこり』の違和感は、どんどん広がっていく。



 ズズズズズッ バキバキバキバキッ!!

 ズズズズズッ バキバキバキバキッ!!

 ズズズズズッ バキバキバキバキッ!!



「ぬうううっ!! これは…鉄……だと!!」



 腹が―――【鉄化】していた。


 マキの鉄の拳から入り込んだ『鉄の細胞』が侵食を開始。

 次々とJBの細胞に襲いかかり、喰らい、養分にして増殖していく。

 あっという間に彼の腹から胸、腹から下腹部が黒ずんだ鉄に変質していた。


 そうだ。これが死痕拳の怖さである。


 死痕拳が怖れられるのは、相手に細胞を送り込んで内部から破壊するからだ。

 入り込んだ細胞は周囲の細胞を侵食しながら肥大化し、内部で爆発して食い破る。

 どんなに鱗が厚い魔獣でも体内から破壊されればどうしようもない。実に怖ろしい技だ。

 ただ、マキが持つ亜種は、増殖の過程で鉄化を引き起こすので、体内で爆発するようなことは起こらない。

 その代わり彼女と同じく、全身が鉄になって固まってしまうのだ。

 当然ながら、それは【死】を意味する。もはや人間ではなくなるからだ。



「私の身体に不純物ガガガアアアアアアア!! 排除、排除、排除だぁああああああ!!」


 JBの不快感が最高潮に達する。

 彼にとって自己は「救済の思想」によって生まれている。そこに誇りを抱いている。

 そんな『聖域』に他者の想念(あるいは物質)が入り込むことは、最大の不快として認識されるのだ。

 ずるずるずる ばしゅしゅっ

 JBが紐を出して、マキの腕や侵食された細胞を引き剥がそうとする。


 だが、紐が近づけば―――

 バキバキバキバキッ


 新しい餌がやってきたといわんばかりに喰らいつかれ、侵食されていく。


 ならばと次は赤い紐を取り出し炎を出すが―――

 じゅうううううっ


 鉄は熱を受けて柔らかくはなれど、その形状まで大きく変えるには至らない。

 正しく述べれば、鉄は1500度前後で溶解するので、この鉄化現象も一時的に抑えられなくはない。

 だが、マキの身体が一気に鉄に侵食されたのは、彼女の戦気を吸収して育ったからだ。

 同時にJBが放った爆炎も養分として吸収したからこそ、あの灼熱地獄の中でも生きていけたのである。

 今回も火のエネルギーすら吸収し、溶解する速度よりも速く侵食と増殖を繰り返す。

 だからまったく鉄化の速度は変わらなかった。


 バチバチバチバチッ

 雷を流しても通じない。流されていく。

 今のJBでは鉄化を止めることはできないのだ。



(嫌なものね。誰かを傷つけないと生きていけないなんて、これほど苦しいことがあるかしら。こんな力、望んでなんていなかったのに…でも、それに救われる。皮肉なものね)


 ズズズズズッ

 JBが鉄化していくのに対し、マキの身体から鉄が抜けていき、顔も普段の肉に戻っていく。


 これは自らの鉄化を【JBに押し付けた】のである。


 マキの『鉄鋼拳』スキルは、相手の中に鉄化した細胞を送り込み、侵食して内部から鉄にしてしまう怖ろしい技だ。

 だが、彼女自身では操作が難しいため、デメリットも相当なものである。

 下手をしたら自力で動けない鉄の像になってしまう可能性すらあるのだ。まさに自滅である。

 これを防ぐには戦気の放出をやめて静養するか、鉄製の武具を身につけるしかない。

 ただ、素早い動きを最大の特徴とする彼女は鎧を装備できないし、装備したらしたで鉄鋼拳そのものが使えない。(鉄壁門は内部での作用なので使えるが、動けないことは同じ)

 非常に危うく、非常に扱いづらいスキルといえるだろう。


 しかし、これを打開する唯一の方法がある。


 それが今やっているように、自分の手に負えなくなった無限増殖する鉄化細胞を相手に押し付けることである。

 これこそ死痕拳の性質そのものであり、この技の源流が細胞操作にあることを示すものだ。


 そして、これは皮肉である。


 『鉄壁門』は誰かを守るための力であるが、『鉄鋼拳』は相手を殺すためだけにある。

 うっかり発動してしまえば、誰か(生物)に押し付けない限り発動が止まらない。

 偶発的に得たものなので彼女に責任はないが、生きるために何かを犠牲にしなくてはならないのは苦痛である。

 相反する力を持ったことで、彼女はひどく悩んだ。


 【武】とは何か。武人とは何か。戦うこととは何か。


 武人ならば誰もが一度は悩むであろう「答えが出ない問い」に悩み続けた。

 陽禅流のように相手を滅することが目的だと断言できれば楽だったが、マキは守るために力を得たいと願ったのだから。

 その答えはいまだに出せていない。

 しかし、一つだけ自分自身に約束したことがある。


「だから決めたの。あなたみたいな危ないやつが出た時だけ、これを使うってね。だって、使うしかないじゃない。私が生きるために何かを犠牲にするってことから、目を逸らすわけにはいかないものね」

「惰弱、脆弱!! そのような弱い気勢でぇええええ!! 力を使うとは!! 力とは気高く強いもの!! 美しい思想のもとに扱われるべきものだ!! 弱者め!! 恥を知れ!!」

「恥を知るのはあなたよ! あなたのように無闇やたらに力を振り回すことだけが力じゃないの!! 自分の娯楽のために相手を苦しめるなんて、最低の行いだと知りなさい!!」


 耳の痛い言葉である。

 その話はぜひアンシュラオンにしてあげてほしい。



「それにね……私が一番ムカつくのは―――」





「人の顔を見て―――」







「醜いとか言ってんじゃないわよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」







 ドガドガドガドガドガドガッ!!!

 腕を引き抜いたマキが、怒りの形相でJBを殴りつける。

 まだ戦気を展開しているので、それを吸った鉄の拳は細胞増殖を続けるが、同時に殴りつけた箇所に押し付けていく。


 バキバキバキッ


 JBの肩が、顔が、殴られた箇所が鉄化していく。

 やはりマキは怒っていたらしい。

 それはそうだ。顔を醜いと言われてイラっとしない女性などいないだろう。

 猛攻と呼ぶに相応しい怒涛の連打が襲いかかる。


「これ以上、私の中に入ることは―――許さぬ!!」


 ぼちゃぼちゃぼちゃっ ゴンゴンゴンッ

 JBも鉄化した細胞を切り離し、新しい紐を創造することで対処していくが、殴りつける回数と侵食する速度のほうが速い。


 ドガドガドガドガドガドガッ!!!


 バキンバキンバキンッ


「ぐうぬうう……うううう…っっっ……ばかな……からだが……思想が……うごか……」


 次第にJBの身体が鉄化して動けなくなっていく。

 もはや反撃をする力もない。


「はぁあああああああああ!!」


 勝機を見たマキが、爆発集気。


 ボオオオオオオオオオオオオッ


 火が、燃える。

 凄まじい戦気によって侵食が進み、再度鉄の顔になったマキだが、炎に包まれた姿は無機質どころか、なぜかとても能動的で有機的に見えた。

 人の美しさはどこにあるのか。

 人の気高さはどこで垣間見られるのか。

 この力は、マキにとってもコンプレックスだった。劣等感だった。

 これがあったからこそ、彼女は異性を避けていた面があるだろう。


(これを見たら私のこと、嫌いになっちゃうかな? アンシュラオン君も…)


 JBが言ったように、鉄の顔など醜く薄気味悪いだろう。

 鉄の痣を鉄製の篭手で覆えばいいとはいえ、好き好んでこんな女をもらう者はいない。


 だが、心配ご無用だ。




―――「美しい」




 あの男ならば、そう言うだろう。

 人と違うからこそ価値がある。レアな輝きがある。

 アンシュラオンは、けっして見た目だけですべてを判断しているわけではない。

 彼女が放つ真紅の戦気、その根源たる魂の輝きを見ている。



―――「鉄の拳? いいじゃないか。それこそが君自身だ」


―――「誇れ。そうであることを誇れ!!」


―――「君の顔は、こんなにも美しいのだから」



 鉄化し、真紅の戦気に彩られた女性は、なんと美しいのだろうか。

 悩む姿もまた美しい。

 JBが惰弱だと罵る姿、人の弱さもまた気高さの一つなのだ。

 力にためらい、迷い、怖れる。

 それそのものがマキの強さの根源にあるのならば、大いにそうすればいい!



「あたぁああああ!!」



 ドゴンンンンッ!!!


 爆発集気で威力が増大したマキの拳が、鉄に侵食されたJBの身体を叩く。


 ビキイイイイイイッ


 ヒビ。


 大きな亀裂が縦に入る。



「ほぁったああ!!」



 ドゴンンンンッ!!!


 バリバリバリバリバリッ


 亀裂。

 ヒビはさらに大きく広がる。

 もはやJBは、自力で【部品の交換】を行うことができないでいる。

 完全に鉄の侵食に負けて紐が生み出せない状態だ。




 そして―――とどめ




「もう一度言うから、よーーーーーく、聞きなさい!!!」









「一昨日来なさぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!」








 ドガーーーーーーーーンッ!!!


 ありったけの力を込めて、ぶん殴る。


 ビィイイイインッ


 その大きな衝撃で亀裂が限界に達し―――


 JBが―――弾ける。



 ボーーーーーーンッ バラバラバラッ



 それはまさに爆発。

 金属になった身体がバラバラに砕け散り、そこら中に散乱する。

 血も出ない。あの嫌な臓物の臭いもしない。

 ただただ鉄の塊が弾け飛んだにすぎない。


 これが『鉄鋼拳』。


 マキが普段は封じるしかなかった『死痕拳』の亜種である。




518話 「ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉」


「はぁはぁ…はぁ……」


 ふらふら がた

 マキがふらつき、地面に片膝をつく。


(久々にやったけれど…きついわ! 身体中の細胞がバラバラになりそう! これじゃ戦気の放出も難しいかも…)


 『鉄鋼拳』を発動させている間は、強制的に細胞分裂を加速させている状態になる。

 アーブスラットが死痕拳を多用しないのは、細胞に深刻なダメージを与えてしまうことを考慮してのことだ。

 戦気の根源である生体磁気は、細胞の力によって引き起こされるものでもあるので、細胞へのダメージは武人にとって致命的である。

 アーブスラットが『寿命戦闘力転化』スキルを使った際も、瞬く間に老化が進んでいた。

 この技の系統は強力な一方、自分自身を犠牲にしなければならない諸刃の剣なのである。

 ただ、幸いなことにマキは『寿命戦闘力転化』を使うことができないので、短時間の鉄鋼拳の使用ならば老化までには至らないだろう。

 それでも消耗度は普通の技の比ではない。一度使っただけで動くのもやっとの状態に陥る。


(私にこの技を使わせるなんて、とんでもないやつだったわ。でも、仕方ないわよね。こうでもしなければ止められなかったもの)


 鉄となり、バラバラに砕け散った「元JBだった物」を見る。

 落ちている物体のサイズはバラバラだ。

 数十センチ大の塊もあれば、粉々になっている箇所もあり、頭部に至っては原形をとどめて転がっている。

 それを見ると、人を殺したという多少の罪悪感は残るが、JBは危険な男だった。

 あのまま放置していたら都市の害悪になっていただろう。

 マキも致し方のないことだと自分を納得させるしかない。


(それにしても、こいつは何だったの? 都市への来襲が目的だったのかしら? そういえば、あいつに話しかけている人がいたような…彼らも仲間?)


 マキが、少し離れた場所にいる二人の男に視線を移す。

 ライダースーツの中年男もこちらを見ているが、そこに敵意といったものはなかった。

 ただタバコを吹かしながら、じっと見ているだけだ。

 もう一人の長髪の若い男も、静かな視線でこちらを見ている。彼にも敵意はない。


(あら? あの若い男の人って…どこかで見たことがあるような…? 気のせいかしら?)


 人間の印象を決めるのは「全体の雰囲気」である。

 ラブヘイアの面影は残っている。姿かたちに大きな変化はない。

 だが、彼から放たれる静かで強いオーラは、今までのものとは大きく異なっていた。

 従来の彼は、自信の無さや将来への不安から目立たないようにしていたが、今は内部に確固たる自信を持っている。


 その中に「神」を持っているのだ。


 全能なる神、無限なる神、世界のすべてを構成するのは神以外にはありえない。

 それを見つけた時から、彼は変わった。中身はまったくの別人になった。

 そういった事情もあり、マキがわからないのも致し方ないだろう。(もともとたまに見かける程度で、仲良くないことも大きな要因である)



「なんだぁ! あいつ、負けちまったぞ!!」

「門番の姉ちゃんのほうが強かったか!!」

「ってことは、賭けは…俺の勝ちってことか! やったぜ! おい、支払いを頼むぜ!!」

「………」

「おい、聞いてるのか?」


 マキに賭けた男が、クロスライルに支払いを求める。

 だが、彼はタバコを吹かしたまま黙っていた。


「なんだ? なんで黙ってるんだ。早く金を出せよ」

「…あ? まだ終わってねぇだろうが」

「あんた、何言ってんだ。もう終わっただろう?」

「そっちこそ何を言ってんだ。それともこっちの地域じゃ、勝負ってのは先に倒れたほうが負けなのか? ただの『ダウン』じゃねえか。もうちょっと待てよ」

「ダウンってそんな…死んでるじゃないか」

「ああ? …あー、あー。そうかそうか。カカカッ、悪いねぇ。あんたらは知らなかったんだな。知らないなら、しょうがねぇなぁ」

「…何のことだ?」

「いいから、もうちょっと待ってろよ」

「待てって言われても…」

「いいからいいから。待ってなって。ぼったくりゃしねえよ」

「…どうする?」

「いや、どうするって言われてもな…待つのか?」

「うーん、どう見ても死んでるんだがな…」


 クロスライルに持ち逃げする様子がなかったため、男たちも互いに顔を見合わせて困惑する。

 誰がどう見ても勝負は終わっている。

 身体が粉々に砕け散ったのだ。人間ならばもう死んでいるはずだ。



 それが普通の―――人間ならば。



「まあしかしだ、あのイカ野郎も油断しすぎだぜ。こういう能力者だっているんだ。遊びが過ぎたな。が、ちょうど脳みそも腐っていたから、リフレッシュにはちょうどいいか」




 ごとっ ごとんっ



「…え?」


 誰もが動きを止めている中、マキの視界に動くものがあった。

 一瞬それが何かわからなかった。

 まず動くとは思えないものだったことも大きな要因だろう。


 それは―――足


 JBの『左足』。


 その足だけは鉄化しておらず、肉のままだった。

 マキの攻撃は上半身に集中していたため、足まで鉄化が及ばなかったのだろう。

 それが上半身がバラバラになった影響で切り離されたと思われる。


 彼女も、そこに注意など払わない。


 足は人体にとって重要な部位だが、所詮は付属品にすぎない。

 人間の身体の主要部分は、頭部や胸、腹、股間に集中している。

 足は病気や事故においても、他の部位に悪影響を及ぼすとわかれば、わりと簡単に切り捨てられることが多いパーツである。

 武人も最悪はアル先生がやったように『義体術』でカバーすることも可能なため、必須という部分ではないだろう。

 かの天覇公も、手がなくても放出系の技を極めることで大成したのだ。

 だから彼女が、JBの足にそこまで気を取られる必要はなかった。


 だが、武人の世界においては、すべての可能性を捨てるべきではない。


 足が動き―――


 にょろろろ にょろろろっ


 切断部分から、いくつもの紫の紐が出現する。


 にょろろろ にょろろろっ

 にょろろろ にょろろろっ
 にょろろろ にょろろろっ

 にょろろろ にょろろろっ
 にょろろろ にょろろろっ
 にょろろろ にょろろろっ

 にょろろろ にょろろろっ
 にょろろろ にょろろろっ
 にょろろろ にょろろろっ
 にょろろろ にょろろろっ


 最初は数本だったものが、一秒ごとに二倍の数になって増殖していく。

 その紐は「編み物」のように急速に絡まり合い、結合し、縫い合わされ、あっという間に足の付け根の部分まで『創造』してしまった。

 それからは速い。

 画像ソフトでコピーと反転をしたように、もう片方の足が生まれつつ、根元となる腰の部分が生まれ、腹が生まれ、胸まで出来上がる。

 人間にとって重要なパーツである心臓も、この紐によって簡単に編まれていく。

 他の部位よりは時間がかかったが、それでもたった三秒という驚異的な速度で「創造」されていった。


(何なの…これは)


 マキも異様な光景に絶句する。

 そうして絶句している間も胸から上が紡がれ、腕にまで伸びている。


 もはや―――「工作」である。


 造物主は、塵から人を造ったという。

 「そんな馬鹿なことを誰が信じるか」と思うかもしれないが、今目の前で起こっていることは、まさにその状況と一致する。

 思えば人を含めた生物そのものも、受精卵の状態から母体の栄養だけで成長する驚異的なものといえる。

 あんな小さなものから、プロレスラーやラガーマンになる屈強な男たちも生まれているのだ。

 我々が意識しないだけで、世の中は実に怖ろしいシステムで成り立っているのかもしれない。



 にょろにょろにょろ


 ぐっ ぐっ ぐっ



 そして、JBの頭部まですべてが編まれ、全身が完成した。



 顔立ちはモンゴル系力士とでも言おうか。

 思った通り特に美男子ではないが、ブサイクというカテゴリーにも入らない。

 「まあ、こういう顔なんだな」といった程度である。そこはどうでもいいポイントだろう。


(…あっ! 『あそこ』が…無いわ)


 マキも年頃の女性だ。

 相手が誰であれ、いきなり裸の男が出現したとなれば、自然と股間に目が向いてしまうのも仕方がない。

 だが、そこには何も無かった。

 男を象徴とする「例のもの」がまったく見当たらない。

 アンシュラオンがやったように、戦闘中は邪魔になるので肉体操作で隠すことが一般的だが、JBの場合は最初から存在しないのだ。

 なぜならば、この身体は人間社会で活動しやすいように便宜的に造られただけであって、そもそも必須のものではないからだ。

 彼は他者あるいは異性を必要としない。

 それ単体として、すでに完成されている。



(さすがは『生体兵器』。普通の方法では殺せないというわけですか)


 『工作』を見ていたラブヘイアも、JBという存在を改めて認識する。

 彼は元人間であって、今は一般的な「ヒト」と呼べる存在ではないのだ。

 彼は【救済】を成すためにその身を捧げ、兵器となった者。

 その中に「神」がある限り、彼が死に絶えることはない。

 ラブヘイアも荒野でJBと戦ったが、あのまま続けていたら終わらない戦いに消耗していたことだろう。(JBも干からびるが死にはしない)

 それを思えば、何も知らないマキに同情すら感じてしまう。

 「普通に戦えば」、まず勝ち目がないからだ。




「んん…んん……」


 ばきん ごきん

 JBが生まれたばかりの首を回す。

 それからしばらく周囲をじっと見つめていた。


「………」


 ボケッとしている。

 虚ろな目は、まだ何も映してはいない。

 おそらくだが、脳もまだ造られたばかりで正しく機能していないのだろう。

 PCを初期化したら、最初に起動するまでの準備が必要なのと同じだ。


(まずいわ。これは…まずい)


 マキの表情が強張る。

 鉄鋼拳は、彼女にとって奥の手だ。最終攻撃手段だ。

 無茶な細胞増殖によって、見た目ではわからない深刻なダメージを受けている。

 これ以上の戦闘継続は致命的な後遺症を残すことになるだろう。それ以前にもう力が出ない。


 それと比べ、JBの力はほとんど減っていない。

 創造作業で多少の力は使ったが、彼の肉体のコストはそこまで高くはない。

 むしろ高いのは紐から出すエネルギーのほうだ。炎や雷といったもののほうが高くつく。

 言ってしまえば、最近のプリンターのようなものだろうか。本体よりもインク代金のほうが高い、という現象に酷似している。

 そのインクの燃料も、まだ多くの力を残していた。



「はぁあ…【思想】が…満ちる。ネイジア…わが神よ」



 裸のJBは両手を広げて天を見上げ、涙を流す。

 このエネルギーはどこから生まれるのだろう?

 まず、それが最大の疑問点である。


 その答えは、何度も言っているように彼の『思想』から生まれるのだ。


 考え方、傾向性、行動規範。

 精神エネルギーが一定の流れを得て、形が定まったものを【思想】と呼ぶ。

 思想とは、怖ろしい力だ。

 資本主義、共産主義、博愛主義、あらゆる主義の根幹にあるものが思想だ。

 我々が「当たり前」と思うことすべてが、思想によってかたちづくられている。

 思想が違えば男女が一緒にいることも禁忌になるかもしれないし、朝お腹が空いていてもご飯を食べられない習慣があるかもしれない。

 そういったすべてのものが思想によって成り立つわけだ。

 大学を卒業したら就職しなければいけない、老後は年金をもらわないといけない、というのも一つの思想(思い込み)である。(制度でもあるが、それも思想によって成り立つ)

 こうして世界各国の多様性を鑑みれば、思想は無数に存在するにもかかわらず、特定の思想は非常に強固でしぶとく、なかなか消えない。

 JBの力の根源も、まさにそうした想いの力なのだ。


 彼の中にある『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』が、純粋なまでの思想に反応して力を生み出し続けるのだ。


 ああ、美しきかな、偉大なる思想よ。

 思想こそ、人が人たりうる資質。

 思想なくして、何も得ず、何も成し得ず。



 だがしかし、それは他者にとって最悪最低の思想でもある。


 じろっ


 ついに目覚めたJBが、マキを発見。


 どす どす どす


 そして、ゆっくりと近寄る。


「くっ…」


(駄目だわ。動けない…!)


 マキのダメージは、思った以上に大きい。

 このままではなぶり殺しにされてしまうに違いない。

 結局のところ、これは攻撃力と持久力の勝負でもあったわけだ。

 マキの攻撃は火力が高く、殺傷力も高い反面、倒しきれなければ一転してピンチに陥ってしまう。

 それで相手に深刻なダメージを与えられればいいが、今回は相手が悪かった。

 なにせ身体を粉々にしても死なないような『兵器』だ。

 突然の出会いなので不運としか言いようがないだろう。


 JBの手が伸びる。


 マキに向かって伸びる。


 異様な状況に誰も動けない。

 観衆はもちろん、衛士たちの足も止まってしまっている。

 普通の感性の持ち主ならば、どうあってもこの場に立ち入るという発想自体が浮かばないだろう。


 そう、普通の感性の持ち主ならば。


 とことことこ


 がしっ


 だがしかし、その場に特殊な感性を持っている人間が、ただ一人だけいた。

 その人物は見えない壁を簡単に突破し、とことこと歩くと、無造作にJBの腕を掴んだ。


 そして、睨みつける。





「何してんだ、あんた?」





 そこには、麦藁帽子を被った―――ソイドビッグがいた。






519話 「ソイドビッグの思想 その1」


 マキに伸ばされたJBの腕を掴む。

 この異様な状況下で平然とそれができること自体、極めて特異な存在といえるだろう。


 その人物は―――ソイドビッグ


 ソイドファミリーの嫡男にして、ラングラス本家筋の正統後継者の血筋にある男だ。

 だが、馬鹿である。

 物事をあまり深く考えない癖があり、立派に振る舞おうとすればするほど失敗して、沼にはまっていくタイプだ。

 なるほど。

 たしかに彼ならば、その場の空気も読まずに動けるかもしれない。

 では、まだ門も開いていない時間帯に、どうしてここにいるかといえば、その姿を見ればだいたいの想像がつくだろうか。


 麦藁帽子に作業着姿。


 アメリカでトウモロコシでも作っていそうな姿である。

 サイズが微妙に合わないのか、妙にパンパンな様子もなんだか似合っている。(実際は大半が筋肉なので肥満体ではない)


「これから朝の労働が待っているんだが…こいつはどういうこった? 何の騒ぎだよ」


 【農家】の朝は早い。

 ソイドファミリーの収入源は、麻薬だ。

 今は派閥そのものが大変な時期ではあるが、かといって仕事を疎かにするわけにもいかない。

 前にアンシュラオンに言っていたように、第二期、第三期の収穫の時期なのである。

 ソイドビッグの担当は栽培であるため、こうして畑仕事に精を出すのが彼の日常なのだ。

 畑は第三城壁内部にあるので、その間に雇った殺し屋集団が来ても対応できると考えたから、こうして悠長に畑仕事ができるわけだ。

 ただ、まさか目の前の男がその一人とは、まだ気付いていないようだ。


 いるのは、裸でマキに迫る怪しい男である。


 怪しい。怪しすぎる。

 作業着で畑仕事をするソイドビッグよりも怪しい。


「あんた、誰だ? 何の用だよ」

「私はネイジアの使者。あなたがたに愛を教えに来ました」

「…は?」


 JBの口調が変わっている。

 実はJBの本体は肉体ではなく、すでに述べたように『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』である。

 だいたい察しているとは思うが、これが何かは後述するとして、JBの身体、脳みそなどは部品にすぎない。

 あくまで本体から出た思想を表現する媒体(器官)にすぎないのだ。

 なので、新しく生まれた状態では何も染まっていない『素の状態』として出力される。

 基本のフォーマットは「丁寧な物腰の宣教師」のように設定されているため、話し方もそれに準じたものになるのである。

 逆に今までのJBの話し方は、彼が生まれて数十年という間に培われた経験がベースになっている人格といえる。

 それだけ荒っぽい場所で酷使されたので、プリンターのヘッドに変な癖が付いた、というわけだ。

 といっても出力の仕方が変わっただけで、中身が変わったわけではないので注意が必要である。


「私はあなたたちに愛を…愛を教えに来たのです!! 偉大なるネイジアの愛を!!」

「愛って……あんた…裸で?」

「本物の愛はどこにあるのですか? 服には無い!!」

「いやでも…裸で愛を説くのはよ…ちょっと問題があるんじゃ……」

「何の問題がありましょうか! 愛は、愛はここにあるのです! このハートの中に!! ここに、ここにです!! 見えますか!! 見えますね!! さすがです!!」

「あ…はい。なるほど」


 ここでも「なるほど」である。

 ついにソイドビッグが使うまでになってしまった。

 それだけJBが【(頭が)危ない】ことがすぐにわかったのだ。


 そして、そうとわかれば対応は簡単だ。


「お帰りはあちらです」


 ソイドビッグが南門の方角を指差す。

 宗教勧誘に対して極めて正しい対応をしたのである。

 これに関して彼は正しい。全面的に正しい。ぜひすぐに帰っていただきたいものだ。


「いえいえ、お話だけでも」

「いえいえ、おかまいなく。お帰りはあちらです」

「いえいえいえ、時間はたっぷりありますから」

「いえいえいえ、どうぞご遠慮ください」

「いえいえいえ」

「いえいえいえ」


 だが、頭のおかしいやつほど、しつこい。

 互いに譲らない状況に陥るのは必然だろうか。


「いえいえいえ」

「いえいえいえ」

「いえいえいえ!!」

「いえいえいえ!!」

「いえいえいえ!! いえいえいえ!!」

「いえいえいえ!! いえいえいえ!! いえいえいえ!!」

「いえいえいえ!! いえいえいえ!! いえいえいえ!! いえいえいえ!!」



 『いえいえ合戦』の開始である。


 まるでコントのネタのようなやり取りが始まってしまう。

 もう何を言っているのかよくわからない。

 すると仕舞いには、互いに力が入ってきて押し合い、引き合いになる。


「いや、ちょっと本当に帰ってもらえます? 迷惑なんですけど」

「そんなつれないことを言わないでください。ほら、もうあなたも今日から信者ですよ」

「おかしいでしょそれ。だからさ、うちはいらないって言ってるでしょ?」

「今世界はどうなっていると思います? とても大変な時期なのです。今こそ私たちが動かねばならないのです」

「それはわかったけど、それならもっと優先すべきことがあるでしょ? 畑を耕すとか、恵まれない人を助けるとか、なんでうちにこだわるの?」

「その前に思想が重要なんです。みんながわかってくれないと先に進まないんですよ」

「いやいやいや、あんたも働きなさいよ。汗水流してさ」

「働く!? 私はこれが仕事ですよ!」

「えええ!? こんなことで給料もらえるの?」

「はい。信者の皆様方からご寄付がありますから。素晴らしい人々です」

「それって他人からもらってるだけじゃないの? あんた何もしてないじゃん」

「私にはやるべきことがあるんです。ほら、朝日があんなにも美しいのは、私たちの思想があるから…」

「働けよ、お前!!!」


 なぜか結論がマキと同じ「さっさと働け」になったことは、奇妙でありながらも面白い。



 そして、しつこい勧誘にビッグもキレる。


「いいから帰れ! うちはお断りだ! 門番の姐さんにまで迷惑をかけやがって! いい加減にしろ!! いやほんと、すんません。俺が来るのが遅かったばかりにご迷惑を…」

「え? 私に言ってるの?」

「はい。俺がもっと早く来ていれば、こんなやつはすぐに追い出したんですけどね。申し訳ないです。あとは俺がなんとかしますんで、それで勘弁してください」

「あ…はい」

「ほんと、いつも気付くのが遅いんだよなぁ、俺はよ。なんですぐに駆けつけられねぇかな」


(この人って…ソイド商会の息子さんよね? どう返答すればいいのかしら? 全然待っていなかったんだけど…それを言ったら傷つくわよね。アンシュラオン君が来てくれたら大歓迎だったんだけど、これじゃ…あまりに酷いわ)


 マキも門番をしている関係上、ソイドビッグのことは知っている。

 単純に目立つ男だし、この前はセーターを着て「るんるん気分」で出て行ったのを目撃もしている(アンシュラオンに騙された時の話)。

 こう見えて一応はラングラスの本家筋であり、畑仕事で出入りする機会も多いので、ソイドリトルよりは遙かに有名人である。


 だが、待っていない。


 正直に言えば、武人としてのレベルはマキにはまったく及ばない。

 紅蓮裂火撃をくらえば死ぬんじゃないかと思える弱さだ。

 だからマキは期待もしていないし、頭の片隅にもなかった。

 むしろ彼女の中には「白馬の王子様」ことアンシュラオンが浮かんでいたので、完全に期待はずれとしか言いようがない。

 こんなやつが出てきて、どうするのか。おとなしく引っ込んでいればいいのに、とさえ思える。

 だが、なぜか当人はやる気である。

 そこの温度差に戸惑うばかりだ。




「そうですか。ならば致し方ありません」


 交渉が決裂して、JBがおとなしく納得するわけがない。

 ここでお決まりの台詞を吐く。



「信じない者は、【地獄に落ちます】よ」



 出た!!

 一番地獄に落ちそうなやつだけが吐くことを許された必殺台詞だ!!

 しかし本当に不思議である。なぜ宗教勧誘の人間は、これを言いたがるのだろう。

 あたまのおかしいやつは、とことんおかしいということなのか。まったくもって謎である。

 ただし、JBが言う地獄に落ちるとは、そのままの意味だ。


 従わない者、信じない者は、実力で排除する。


 この男はそう言っているのである。

 そもそも最初から会話など通用しない。ここでも物を言うのが『強さ』だからだ。


 ぐいっ


 JBが掴まれた腕を掴み返し、強引に引き剥がそうとした。

 彼の実力は、すでに見た通りだ。肉体性能でもマキに匹敵する実力者である。

 相手がたかだかソイドビッグならば、極めて簡単な―――


 ぐい ぐい ぐいっ



「…?」



 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ
 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ
 ぐい ぐい ぐいっ
 ぐい ぐい ぐいっ



 簡単な―――



「…??」


 JBが力を込めて引っ張る。

 引っ張るが、ソイドビッグの手は一向に離れない。


(なんだ…? 妙に…重い?)


 ぐい ぐい ぐいっ
 ぐい ぐい ぐいっ
 ぐい ぐい ぐいっ


 さらに力を入れてみるも、彼の腕はまったく動かなかった。

 たしかにビッグは身体が大きい。JBより少し小さいが、それでも大男の範疇に入るだろう。

 体格だけ見れば大差はなく、腕力も強そうに見える。

 が、JBも実際はビッグがたいしたことがないとわかるので、この現象には首を傾げるしかない。


(こうなれば仕方ない。私にはどのような手段をもちいても、ネイジアの思想を伝える義務があるのですからね)


 ズルズルルルッ!

 JBの腕から、黒紐が二本出現。

 紐はソイドビッグの腕に絡み付き、さらに強引に引き剥がそうとする。


 ぐい ぐい ぐいっ
 ぐい ぐい ぐいっ
 ぐい ぐい ぐいっ

 ぎゅるるる ぐいぐいぐいっ


 それでも離れない。

 彼の手はいまだに自分の腕を掴んだままだ。

 そして、異変はそれだけにとどまらない。


 ソイドビッグが逆にJBの腕を―――捻り上げる。


 ぐぐぐぐぐっ ぎりぎり


「ぬううっ!」


 よく警察官や警備員が、犯罪者の腕を背後から極める光景が見られるだろう。

 これはよく出来た拘束術であり、実際にやられると本当に動けなくなる。

 ソイドビッグがやったのも、それと同じものだ。

 不審者のJBを掴み、捻り上げ、押し出す。


「はいはい、お帰りはこっちね」

「ぬうっ! あなた…なんですか! これは!!」

「なんですかって言われてもな。こんだけ他人様に迷惑をかけたんだ。追い出されるのが当然だろうが。こっちはあんたほど暇じゃないんだよ。俺も仕事があるからさ」

「そうではなく…なぜこんな!!」

「はいはい、クルマで来たの? 徒歩? 送るからさ、さっさと帰りな」

「なぜ、なぜ!! どうしてぇえええええ!」


 まったくもって理解できない。

 肉体が再構築されて視神経がおかしくなってしまったのだろうか。

 しかし、周囲の人間も驚愕の眼差しでこちらを見ていることから、自分自身だけが認識していることではないのだろう。

 マキでさえ止めることができなかったJBを、言っては悪いが「こんなやつ」が押さえ込んでいるのだ。


「ううううう!! 放しなさい!!!」


 ズルルルルルッ

 JBはさらに紐を量産。

 しゅるるる がしがしがしっ

 二十本あまりの黒紐が、ソイドビッグの頭や腕、足に絡みつく。


「さっきからよ、これって何なんだ? あんた、手品師なの? いけねぇな、大事な商売道具で人を傷つけちゃ。そいつは他人を楽しませるものじゃねえのか?」

「放すのです! これ以上、私に…触れてはいけません!」

「いやいや、あんたを解放したら、また悪さするだろう」

「この私の中に…不純物がぁあああああ! ぎいいいやぁああああ!」


 ヒュンヒュンヒュンッ

 バイィイインッ バシィーーーンッ!!


 縛り付けるだけではなく、黒紐が攻撃を開始。

 ソイドビッグに容赦なく襲いかかる。

 マキでさえダメージを負った一撃だ。ビッグ程度ならば、肉が削げ落ち、骨が削られてもおかしくはない。


 ヒュンヒュンヒュンッ

 バイィイインッ バシィーーーンッ!!

 バイィイインッ バシィーーーンッ!!

 バイィイインッ バシィーーーンッ!!



「ととと、こそばゆいな。やめろよ。つーか、人を不純物呼ばわりはひでぇな!」

「…馬鹿…な!! 効いていない…のですか!!?」


 が、ビッグは何事もなかったかのように立っている。

 締め付けても叩いても、まるでビクともしない。
 
 それにはさすがのJBも驚愕の表情を浮かべる。


「そういやよ、このまま帰そうと思ったけどよ、まだ済んでなかったな」

「済む? 何が?」

「見ろよ。この周り。いろいろなものが滅茶苦茶だ」


 JBが暴れたことで、門周辺が酷い有様になっていた。

 門は傷つき、地面は抉れ、石畳は破壊されている。

 櫓《やぐら》の一部も破損が見られるし、修理するだけでそこそこのお値段がかかるだろう。

 半分はマキがやったことでもあるが、JBが来なければ起こり得なかったことでもある。


「俺の都市は、そんなに豊かじゃねえ。見ろよ、このナリを。こうやって畑仕事して細々と暮らしてるんだ。みんなが力を合わせてようやく暮らしてる。そんな状況だ。これを直すのだって大変なんだぜ。あんたみたいに働かなくても金が入るような、ご大層な身分じゃねえからな」

「それが…どうしたのです? 私に何の関係が?」

「どうしただぁ? ほんと、迷惑をかけるやつってのは、どいつもこいつも自分勝手だな。なんかよ、あんたを見ていると【一番嫌いな男】を思い出すぜ。その傲慢さが鼻につくんだよ」


 沸々と怒りが湧き上がる。

 姿かたちはまったく似ていないのに、どことなく「あの白い男」を思い出してならない。


「はーーー、はーーー! あいつを思い出すだけでよ…! はーーーはーーー!!」


 アンシュラオンによってトラウマを植えつけられたビッグは、あの男を思い出すだけで動悸、息切れに襲われる。

 恐怖が根源にあるのだが、今一番感じるものは【怒り】。


 怒りが、怒りが、怒りが、怒りが滲む!!


 どうして他人に迷惑をかけて平気なのか。

 自分の都合で他人を傷つけて楽しむのか。


 まったくもって、まったくもって、まったくもって―――




「一度でいいから、謝れやあぁああああああああああああ!!」




 ぐいいいい


 JBが凄まじい力で引っ張られ―――





 ドーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!





 頭を地面に叩きつけられた。


 その姿は、まるで【土下座】。


 その先にいるマキに向かって、頭を強引に下げさせられる。



「詫びってのは重要だぜ。それが筋ってもんだからよ。あんたも覚えておきな」




520話 「ソイドビッグの思想 その2」


 ソイドビッグが、JBを力づくで押さえつけ、マキに土下座させる。

 それが詫びる人間の正しい姿勢だからだ。


「ぬぐうううう!! ぬううう!」


 当然JBは抵抗するのだが、頭がまったく上がらない。

 さりげなく紐を大地に打ち付けて引っ張ってもいるのだが、それでも身体は動かない。

 それ以上にビッグの力が強いのだ。

 それどころかますます力は強くなってくる。


「ほら、しっかり謝れ。詫びて許してもらえるうちに詫びたほうがいいんだぜ。今は恥に思えるかもしれないが、最終的にはそっちのほうが楽なんだからよ」


 豚君にしては、なかなか立派なことを言う。

 ソイドダディーやグリモフスキーもそうだが、彼らは案外真面目な人間である。

 筋道を大事にするのは筋者全般にいえることだが、とりわけラングラスの人間は筋を大事にする傾向にあるようだ。

 おそらくは全派閥の中で一番下である期間が長いため、他者との軋轢を極力避けてきたからだと思われる。

 その分だけ苦汁も味わってきただろう。ラングラスもなかなか大変である。

 そのせいで他者からは侮られる一方、そこまで毛嫌いされることにはならなかった。

 これも生き延びるための術なのである。


 ぐぐぐぐっ

 ずりりりりっ


 駄目だ。やはり抵抗できない。

 JBの頭は大地にこすり付けられる。


「ぐうううう!! なぜ…なぜぇえええ!」

「なぜって、お前が暴れたからだろうが。姐さん、ほんとすみません。こいつもこうして謝っているんで許してやってください」

「あっ…いえ……はい」


 マキも呆然とビッグを見つめる。

 実際に戦った彼女だからこそ、今彼がやっていることの凄さがわかるのだ。



 ビッグが―――輝いている



 その佇まいやら全体の雰囲気からしても、明らかに今までとは違う。

 顔も自信に満ち溢れている。誇り高さに満ちている。

 うそやだカッコイイ。

 ビッグさんったら、いったいぜんたいどうしちゃったのかしら?

 「あらあら奥さん、おたくのビッグさん、最近逞しくなっちゃって。いい男になったじゃないの」

 「いえいえ、それほどでも。まだまだ馬鹿なんですよ」

 「馬鹿なのは仕方ないわよ。でも、ほんといい男になったわねぇ」

 という会話が聴こえてきそうだ。

 近隣のお歳を召したお姉様方(60歳以上)に色目を使われるのは若干つらいものがあるが、そう言われればまんざらでもない気持ちになるのが男というものだ。


(あれ? 俺ってカッコイイんじゃないか? みんなも見てるしな。いやー、これが天賦の才ってやつか? やっぱり無意識のうちにキメちゃうんだよな。ダディーやリンダにも見せてやりたかったなぁ)


 周囲の「どよめいた視線」が自分に集中しているため、当人も何やら自画自賛を始めている。

 この男は何を勘違いしているのだろう。非常にイラっとするし、殴ってやりたくもなるが、JBを押さえ込んでいることは事実だ。

 我々は夢でも見ているのだろうか?

 集団幻覚や集団ヒステリーといった類のものに陥っているのだろうか。

 否。


 これは現実だ。


 ただし現実ではあるが、しっかりとした【理由】がある。

 このままではJBの雑魚臭が増大して、この後の展開に支障が出かねないので、しっかりと補足説明をしておかねばなるまい。



(彼の実力は、私の十分の一以下。それに間違いはない)


 頭を押さえつけられながらも、JBは武人としてビッグの力量を再測定していた。

 結果は、やはり格下。相当な格下。

 ぶっちゃけレクタウニードスの一頭にさえ劣るレベルだろう。

 もしソイドビッグが、あのセイウチの群れに囲まれたら死亡確定だ。

 それを単独で突破したのだから、やはりJBは強い。間違いなく強いのだ。


(…ということは、別の問題が発生している。…この感覚は……【思想が外に漏れている】のですか? 編み直す際に力を放出しすぎましたね)


 JBの本体である『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』は、その名の通りに持ち主の【思想】を動力源にしている。

 思想が尽きない限り、エバーマインドが活動を止めることはない、というわけだ。


 重要なことは、思想が力を与える、という点である。


 JBがエバーマインドの力を使って肉体の再生をした際、今までより強い力の放出が起こった。

 この星は、精神エネルギーが実際の力になりやすい大気に包まれている。

 意志が力として伝播しやすく簡単に周りに影響を与えるから、戦気というものも容易に出せるのだ。

 もともとがこうした状況下にある中で、JBが普通とは違う力を使ったため、力が伝播して周囲一帯に特殊なフィールドが形成されることになった。



―――『より思想が強い者が、より強い力を得る』



 という特殊な『領域』を。


 この『領域』というものは珍しいものではなく、精神の具現化が引き起こす物理現象全般を指す。

 たとえばアンシュラオンが生み出す王気も『領域』の一つであり、精神エネルギーの具現化によってさまざまな物的な現象を引き起こしている。

 サナに感情が宿ったのもアンシュラオンの王気のおかげだ。それが刺激や起爆剤となって、これだけの成長に繋がったのである。

 JBがやったことも同じようなものといえるだろう。ただし無意識かつ、王気より何千倍も下位のものである、という注釈付きではあるが。

 今までJBの内部でしか発動していなかったものが、彼の半径数メートルといった範囲に展開された、といえばわかりやすいだろうか。


 このことからJBは普段からしばしば、こういった現象を引き起こしていると考えたほうがいいだろう。

 彼も完全にエバーマインドの力を使いこなしているわけではない。力の流出があってもおかしくはないのだ。

 これも普段ならば特段の影響を与えるものではないのだろう。

 彼自身の信仰心は他者のものを遙かに超えており、思い込みとはいえ彼の思想を上回る者などそう簡単には存在しないものだ。

 実際、目の前にいるマキには影響を与えていない。

 JBの思想のほうが強いからだ。その心が、想いが強いからだ。

 この場は彼だけの領域。絶対不可侵の聖域である。


 だが、そんな彼にも誤算が一つだけあった。



(まさか、このような不信心者…いや、【馬鹿】がいるとは…! この男、まったく何も理解しようとしていない…! 目の前のことしか見ていない!!)



 この場でもっとも力を持つ者は、より強い思想を持つ者。

 JBが力で負けているということは、思想の力でソイドビッグに負けていることを示してもいるのだ。

 そんな馬鹿な。信仰心だけが取り柄のJBが、肝心の思想で負けたら何も残らないじゃないか。

 そう思うのも仕方ないのだが、起こっていることが現実なのだから受け入れるしかない。

 当たり前だが、ビッグはネイジアの思想を理解していない。

 そもそもネイジアの思想自体がよくわからない。

 説明もないし、説明されたとしても怪しいカルト集団の言葉など支離滅裂なのが相場である。

 その意味で誰もがビッグと同じなのだが、それ以前の問題として、ビッグに思想を受け入れるだけの頭脳がないのだ。


 つまりは―――【馬鹿】である。


 ソイドファミリー自体が、頭の良いグループではない武闘派組織だ。

 その中でもさらに頭の悪い部類に入るので、霊的なことなどまったく何も考えずに生きてきた。

 考えているのは、今日の仕事をこなすこと、生物としての欲求を満たす(食べる、寝る、生殖する)こと。

 ただそれだけだ。

 まったくもって動物的で即物的。世の中がどんな仕組みで動いているかとか、為替相場がどうとか地価がどうかなど、考えたことは一度たりともないだろう。

 JBは危ない男ではあるものの、霊的な側面を考えることが重要なのは事実だ。

 即物的な人間よりも、人の成り立ちや未来の在り方を考える人間のほうが優れている



―――という【幻想】に惑わされてはいけない。



 たしかに宗教的なこと、あるいは神のことについて考えるのは重要ではあるが、誤った認識を持った者は、逆に進化から取り残されることがある。

 こういった怪しい宗教団体こそが、その象徴的な存在といえるだろう。

 彼らは一見すれば霊的な側面に興味を示したようではあるものの、元来の人間性に著しい問題があるため、すべてのことが逆効果になっている。

 たとえ話としてはリアルだが、宗教勧誘に応じてみて「これを信じて何かメリットがあるんですか?」と訊いたところ「死後、死体が柔らかくなります」と真顔で言われて絶句したこともしばしばあるだろう。

 いったいそれが何のメリットになるのだろう。
 
 せめて億単位の財産が手に入りますよ、と言われたほうが現実的である。(それはそれで危ないが)

 まさに無意味。無価値。むしろやらないほうがよかった状態に陥っているわけだ。


「あんたさ、さっきからよくわからねぇことばかり言っているけどさ。そろそろ働け? な? 今は収穫期だから俺のところで雇ってやるよ。うちも余裕がないから日雇いだけどな。それで我慢しとけ。日雇いとはいえ親御さんは喜ぶぜ」

「なぜ…あなたは信じないのですか…!? こんなに素晴らしいものを! どうして!」

「いやだからさ、意味ないだろう? 人様に迷惑をかけて宣伝したって、いったい誰が喜ぶってんだ。それより麻薬のほうがいいぜ。人の痛みを和らげてくれるからな」

「そんなものに溺れては、人は堕落するのみ! 惰弱で脆弱になるのみでありましょう!」

「ん? まあな。そりゃ堅気の皆さんからはよ、いろいろ言われるぜ。俺たちが風紀を乱しているとか、堕落させているとかよ。それは否定しないさ。そんなに立派に生きちゃいねぇからよ。だが俺には忘れられないことがあるんだ。一度よ、マジでお礼を言われたことがあるんだ。『おじいさんが痛みなく死ねました。ありがとうございます』ってな。…俺みたいな半端者によ、お礼を言ってくれるんだぜ。ありゃぁ…泣いたな」


 ビッグとて、自分が何をやっているかくらいはわかっている。

 コシノシンだけが使われればいいが、質の悪い麻薬が娯楽目的で流通していることも理解している。

 そのことについては反省もしているし、アンシュラオンに会ってから自分なりに真剣に考えたこともある。

 それでも自分自身に誇りを取り戻せたのは、たった一人の老婆の何気ない言葉であった。

 彼らはコシシケ畑の近くで農業を営んでいる年配の夫婦であり、たまたま持ち合わせがあったから麻薬を渡しただけだが、それによって人を救うことができたのだ。

 医療技術が発達していないグラス・ギースにおいて、いや、仮に発達したとしても一般人は自分で痛みを抑えることができない。

 ならば、やはり医療麻薬は必要なのだ。

 今まで迷っていたビッグを救い、道を示してくれたのは、ありがたいお経でもなければ水でもない。

 何気ない心からのお礼の一言であった。


「さぞや立派なお考えなのかもしれねぇが、それで誰かを無理やり押さえつけるようなやり方をしてりゃ、いつか嫌われちまうぜ。って、今あんたを押さえている俺が言うことでもないけどよ」

「ぬううううっ! ネイジアよ!! なぜ、なぜ私より、このような愚かな者を選ぶのですか!!! なぜえええ!!」


 『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』が、ビッグに力を与えている。

 それは石に「選ばれている」ということでもある。


 なぜならば、それもまた【思想】。


 ビッグの、「そういったものには関わらないが、毎日をしっかり真面目に自分なりに生きる」という愚直な考えも、また同様に立派な思想として認められているからだ。


 神は、愛だ。

 愛は、正義だ。

 その本質は、真理だ。


 真理とは、あーだこーだ理屈を並べ立てるものではなく、感じ、実践するものなのである。

 口先ばかりで何も理解していない者よりも、たとえ動物的であれ、誰かの役に立ちたいと願う馬鹿な男のほうが【神に選ばれる】のだ。

 これまた、なんとも皮肉な話である。




521話 「グラス・ギースを守る者 その1」


 ソイドビッグ、まさかの活躍。

 さまざまな条件が重なったとはいえ、JBという存在を押さえつけてみせた。


 これからビッグの時代がやってくるのか?

 まさかの覚醒か!?


 そんな期待を抱かせるが、いずれ夢は醒めるもの。

 エバーマインドが生み出した力の流出も、そう長くは続かない。


 領域が―――消える


 ぐぐぐ ぐぐぐぐぐっ


「むっ…おっ?」


 思想の力が収縮して元の状態に収まってしまえば、表現できる力は本来のものとになる。

 そうなればビッグがJBに勝てる道理はなくなるのだ。


「いつまで…そうやっている!!!」


 ぐぐぐ びょーーーんっ!!

 突然効力が切れたものだから、引っ張られたゴムが引き離されたように、JBが一気に宙に飛び上がった。


「おおおお!」


 ズドンッ ゴンッ

 その勢いに圧されてビッグも真後ろにすっ転び、頭を打ち付ける。

 なんとも締まらない状況だが、これでこそビッグなのだから、いつもの状態に戻っただけともいえるだろう。

 そして、これを契機に戻ったのはビッグだけではない。


「ううう! ううううう!! うおおおお!! なぜだああああ! なぜネイジアは私を見捨てるのだ!! 馬鹿なぁあ! こんな馬鹿なああああ!」


 JBの口調も戻っていた。

 所詮、造られた人格などは簡単に剥がされるものだ。


「ううおお!! おおおおお!」


 ドスン ドスン ドスン!

 狂ったように地団太を踏んでいる姿は、まるで駄々っ子である。

 表面だけ綺麗に見えても、彼の中身は何も変わっていない。

 彼の中に眠っている暴力性が偽りの人格をあっさりと壊し、粗暴で傲慢な側面を浮き彫りにさせる。


「お、おい、落ち着けよ。一応詫びは済んだんだ。あとは畑で働いて誠意を見せようぜ」


 立ち上がったビッグが、再度JBに近寄る。


「うるさい、馬鹿が!!」

「え? 馬鹿って…俺のことか?」

「貴様しかいないだろうが! なんたる馬鹿だ!! こんな馬鹿になぜ!!」


 一番許せないのが、自らの力の源であるエバーマインドが一時的とはいえ、こんな『馬鹿』に味方したことである。

 そのことはJBにとって極めてショックなことなのだ。

 たとえれば、ずっと味方だと信じていた家族や恋人が、突然手の平を返したように他人側につくのと同じである。

 いや、これでも表現としては足りない。

 なにせJBにとってエバーマインドは『神』なのだ。ネイジア・ファルネシオから分け与えられた神の一部なのだ。

 だからこそ、神に見捨てられたようなショックを受けてしかるべきだろう。



 さて、このような場合、人はどうするだろうか?



 自分が愚かだったと反省する?

 自分が傲慢だったと自己嫌悪する?

 自分が勉強不足だったと勤勉になる?


 否。


 多くの人間は―――



「認めん!! 認めぬ!! このようなことは認めぬ!! ネイジアは私だけのものであるべきだ!!」



 ずるるるるっ にょろろ

 JBの身体から何十という紐が生み出され、周囲に展開される。

 どくんどくん どくんどくん

 そこに大量の力が集められていく。



「ふふふ…ふはははは!! そうだ! 無くなればいいのだ! 私以外のものは死ね!!!」



―――【否定】するのである。



 自己防衛本能が働き、自己が自己であるために反発を開始する。

 最近の若者はちょっと注意したくらいですぐにキレると嘆かれるが、基本的に人間は自尊心を守るために、自己を否定されると攻撃的になるものだ。

 そして、宗教家や個性的で独創的な人間ほど、その傾向が強くなる。

 それが人生のすべてになっているからこそ、揺らぐことをけっして許さないのだ。



 JBが―――【広域破壊】の準備に入った。



 完全に我を忘れて、怒りと排他だけに意識が向いてしまっているのだ。


 まずい。極めて危険な状況だ。

 では、これに対してビッグがどう対応したかといえば―――


「人の話を聞いてなかったのかよ。しょうがねぇな」


 再びJBに近寄る。

 その顔に危機感はないどころか、むしろ若干にやけている。

 「また俺の出番が来たな」と言わんばかりの表情で、周囲に視線を送りながらゆっくりと近づいていく。

 何かおかしい。どうしてこんな顔をしているのだろうか?

 あれ? これはもしかして、もしかすると…


「ほんと、俺がいなかったらと思うと怖くなるぜ。いやー、俺がいてよかったよな!! ソイドファミリーの長男がいてさ!!!!」


 独り言にしては大きな声を出しながら近づく。

 無意識なのか、両手を広げて観客を煽るようなパフォーマンスさえしている。

 まるでプロレスラーの入場シーンだ。

 「これから俺がリングに上がって大活躍だぜ!」といった歩き方である。


 ………

 ……… ………

 ……… ……… ………


 うそやだほんと?


 これは間違いないわ。




 ビッグさんったら【勘違い】しちゃってるううううううううううう!!!




 この男はまだ気付いていない。

 もう夢の時間が終わっていることを知らない。

 こうやって迂闊に近寄れるのも、さきほど自らの優位性を確認したからである。


 つまりビッグは、『JBを格下』だと思っているのだ。


 あれだけ手玉に取ったのだから仕方ないが、馬鹿とはここまで素敵な存在なのだろうか。

 意気揚々と向かう姿は、清々しいの一言だ。

 そして、JBが出した紐をおもむろに掴む。


「だからさ、こんな紐はさっさとしまえって。…いいのかい? しまわないなら強引に引っ張っちゃうぜ? 俺が本気になっちゃうぜ? こうやって……こうやって………あれ? 案外しっかりと地面についてるな、これ。うぬううう! んぐぐぐぐっ!! あれ? おかしいなぁ」


 紐を引っ張るが、まったくもってびくともしない。

 すでに思想はJBの中だけのものになっているため、ビッグには何の力も付与されないのだ。

 こうなればもうビッグが勝てる道理も理由も存在しない。


 ぐいぐいぐいっ ぐいぐいぐいっ


 いくら引っ張っても何も変わらない。

 当たり前の現実が戻ってきたのだ。


「あれー? なんか力が出ないぜ。衰えたか?」


 数十秒で衰える程度のものならば、最初からなかったのと同じであることに気付いてほしい。

 さすがビッグ。まったく現状を理解していない。



「くくく!! ネイジアは私だけのものだ! そうだ! 私がネイジアだ!!!」



 そのうえJBの言葉もかなり危なくなっている。

 人間とは愚かなもので、本来ならば誰のものでもない真理を自分の都合で書き換え、あまつさえ自分自身が真理だと思うようになる。

 JBもまた救いがたい馬鹿であることは間違いない。

 馬鹿と馬鹿。ある意味でお似合いなのかもしれない。


 ちなみに、このままJBが広域破壊をしたらどうなるのか、という興味も少し湧く。

 彼の広域破壊は、普通の都市ならば地表部を吹っ飛ばすだけの力がある。

 完全に更地には難しくても、多くの建物は瓦解し、崩壊するに違いない。

 一方で、グラス・ギースには城壁と防護結界が張られている。

 結界は主に城壁上部に張られているが、厚さ千メートル以上に及ぶ城壁そのものもそれなりに強固だ。

 JBが力を解放したら、門も吹き飛ぶのだろうか?

 城壁をどれくらい壊せるのだろうか?

 結界は持ちこたえられるのだろうか?

 そういった要素があるため、この両者の対決はなかなかにして興味深い。

 観客としてはこのまま見たいという欲求に駆られてしまうのだが、やはりそれは自分には関係ない他人事だからだろう。

 実際にそんなことをされれば、ここにいる人間すべてが死に絶えてしまうのだから大惨事だ。



 そんな時である。



 ぱんぱんぱんっ



 乾いた音が響いた。


 それと同時に発射された弾丸が、JBの頭を―――


 ドガドガドガッ ぼぼんっ


 破壊。


 着弾した銃弾は頭の中にとどまり、戦気によって膨張して爆発を引き起こした。

 それによってJBの頭部が粉々に吹き飛ぶ。


「っ…! え!? 俺、何もしてないぞ!!」


 いきなり目の前で頭部が破裂したものだから、ビッグは激しく狼狽する。

 もちろん彼がやったわけではないし、何かできるだけの実力もない。


 やったのはライダースーツの男、クロスライル。


 いつの間にか近づいていたクロスライルは、片手に『ガンソード(リボルバーに銃剣が付いたもの)』を構えていた。

 西部劇に出てくるカウボーイのように、くるくるとガンソードを回しながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。


「世話焼かせんなよ、イカ野郎。それは駄目だっつったろーが。そろそろ覚えろ」


 ぼしゅうううう


 頭部が爆発した結果、水風船に穴が開いたように力が抜けていった。

 このおかげで、いきなり爆発、という事態にはならないだろう。

 クロスライルの手慣れている様子から、これが緊急手段として正しい対処方法であることがわかる。

 大技は力を溜めるのに時間がかかるのが相場だ。

 やる場合は万全の準備と『護衛』が必要となる。その護衛は暴発を防ぐ役割も担っているのだ。



 こうしてクロスライルによって、破壊は止められた。

 だが、脅威が完全に去ったわけではない。


(…彼、強い。このニートと同等…いや、それ以上の強さだわ)


 マキは、近づいてきたクロスライルの実力も即座に見抜く。

 すでにJBは力の解放を始めていた。彼の身体全体にも戦気や強いエネルギーといったものが展開されていたのだ。

 それを貫通するだけでも難しいのに、銃弾を頭部に完璧に当てつつ戦気を操って爆発させた。

 銃の腕前、戦気の維持力、遠隔操作と、どれも凄まじい技量の持ち主である。

 しかし、マキが警戒したのは、単純な強さだけではなかった。

 人間の印象は全体の雰囲気で決まるとは、すでに述べた通りだ。

 では、クロスライルの印象は―――


(何かしら…とても危険な感じがする。まるで荒野にいるような緊張感があるわ)


 一緒にいるだけでほっとするような人、というワードは女性には人気かもしれない。

 誰だって心の平穏を求めているし、優しい男性が好みだろう。


 だが、クロスライルが放つ気配は、真逆。


 一瞬、ここが荒野のど真ん中になったかのような不安と警戒感を抱かせる。

 仲間が誰もいない魔獣だらけの荒野。これほど怖ろしい場所は存在しないだろう。

 それでも彼は独り平然とその場所に立って笑っている。その空気を存分に楽しんでいる。

 そんな危険な香りのする男という印象を受けたのだ。


 この男は―――危険。


 見た瞬間にそれがわかる。

 この男だけでも危ないが、当然ながらJBも健在である。


 しゅるるる あみあみ


 出現した紐によって頭部が編まれて再生していく。

 その瞳は自分を撃った者、クロスライルを睨みつけていた。


「いきなり何をする」

「あぁん? 同じことを言わせんなよ…って、オレが頭部を壊したから聴こえなかったのか。いいからよ、これ以上は揉めるなって。全部吹っ飛んだら賭けどころじゃなくなるからよ」

「なんだと。ネイジアの思想より優先すべきことはない!」

「オレもてめぇにかまいたくはないがよ、これ以上やると『おっかないお兄さん』たちに怒られちまうぜ。カカカッ」

「むっ、この気配は…」


 JBの視線が、マキを越えて門に向けられる。

 彼は門を見たわけではない。

 その中、背後にいる者たちの気配を感じたのだ。



 ギギギギッ ごごごごごごごっ



 視線が集まるのを待っていたように、ゆっくりと門が開いていく。

 まだ薄闇に包まれた世界の中で、門のかがり火(燃料はジュエル)に照らされた者たちがいた。

 その数は二十人といったところだろうか。それなりの人数だ。

 ここは一日何千人と通行する場所なので、それだけならば何ら珍しくもないだろう。

 が、そこにいた人物は、東門では極めて珍しい者であったといえる。



「異邦人の皆様、ようこそグラス・ギースへ」



 青い武術服を着た黒髪の美青年がいた。

 言わずもがな、セイリュウである。

 彼が東門に来ることは非常に珍しい。普段姿を見ることもないため、レア感が半端ない。

 さらにもっとレアなことがある。

 彼の背後には取り巻きの人間が立っていた。

 すべての者たちが、頭まですっぽり覆う青い外套を着ているので、これまた異様な集団に見える。

 しかしながら、その外套よりももっと異様なのが、そのすべてが【仮面】を被っていたことだ。


 仮面。


 仮面と聞けばホワイト商会を思い出すが、なにも彼だけの専売特許ではない。

 素性を隠すのならば、黒マスクや仮面は常套手段だ。実際に狐面たちも使っていた。

 べつにセイリュウたちが使ってはいけない決まりもないだろう。

 だが、そこに異様な気配を感じることも事実だ。

 なぜならばこの大きな門を開けたのは、その中の一人だったからだ。

 一般人が十人がかりで開閉させる門を、たった一人でいともたやすく開けた段階で、この集団が只者ではないことがわかる。




522話 「グラス・ギースを守る者 その2」


 東門に現れたのは、セイリュウだった。

 セイリュウの実力は、性質の違いはあれど双子のコウリュウとほぼ同等。

 コウリュウがアンシュラオンの攻撃を受けても死なず、『転神《てんしん》』して龍人になったことからも、その戦闘力は人を超えたレベルにある第四階級の魔戯《まぎ》級に匹敵する。

 ちなみに『転神』とは、人の身の中に宿る『神』を表に出すこと、本性を現すことを意味する。

 かつて母神によって造られた自然神が人に転じた際、本来の力を解放する時にもちいられた『術式』である。

 災厄魔獣である『龍神』をその身に宿したセイリュウは、もはや人間とは別の存在といえる。

 本来の転神には及ばぬ擬似的なものとはいえ、『厄災の清龍』のコピー体である彼は―――強い。

 単独で四大悪獣を退ける力を持っているのは間違いないはずだ。(倒せるかはわからない)


 だが、セイリュウのことを知っている人間が、いったいここにどれだけいるだろうか。

 滅多に姿を現さないマングラスの重鎮なのだ。顔どころか名前すら知らない人間も大勢いるだろう。

 実際にその場にいた観衆の大半は、「この人、誰?」といった顔をしている。衛士たちも誰だかわかっていない様子だ。

 登場の仕方から、なんとなく偉い人なのかな、といった程度の認識である。

 ただし、ここには一人だけ、彼とやや面識のある人物がいた。


「あれ? セイリュウ…さん?」


 ビッグが、突然現れたセイリュウに首を傾げる。

 なんでここにいるんだ? といった表情であるが、明らかに他者とは違う反応だ。


「ああ、これはこれは! ビッグさんではありませんか!」


 ビッグを見つけたセイリュウが、満面の笑顔で近づいてきた。

 そこに敵意といったものはない。あるのは、ただただ好意である。

 好意を向けられれば、人の警戒心は和らぐものだ。

 本来ならばこんな凶悪な存在が近づくだけでも危険なのに、ビッグは簡単にセイリュウを間合いに入れる。相変わらずのガードの甘さである。

 セイリュウは近づくと、真っ先にビッグの手を取った。


「いやぁ、都市の危機にもう対応しておられるとは、さすがソイドビッグさんですね。ラングラスを継ぐ者として相応しい器の大きさと行動力です!」

「え? そ、そうかな? たまたま居合わせただけなんだけど…」

「それこそ運命。天命というもの。あなたがグラス・ギースに求められている証拠です! ほら、見てごらんなさい。皆様方の視線を独占しておりますよ」

「そ、そう? そりゃ、ちょっとはがんばったけどな。いや、けっこうがんばったけどさ。半分は俺のおかげ、みたいな?」

「そうでしょうとも、そうでしょうとも。ほら、ぜひとも手を振ってあげてください」

「手を? それはちょっと恥ずかしいな。いやだってほら、なんか恩着せがましいっつーか、思い上がりっぽくないか?」

「そんなことはありません。ファンに手を振るのはヒーローとしての務めですよ」

「ひ、ヒーロー? 俺がか?」

「都市の危機に対して、その身を犠牲にして守ったのです。誇らしい姿に誰もが感動しておりますよ。まさに英雄ではありませんか。手を振ることで皆様に安心感を与えることになります。たとえばそう、プライリーラ様を思い出していただければよろしいでしょう」

「ぷ、プライリーラを? たしかに…あいつは手を振っていたこともあったな。アイドルだったし」

「ビッグさんの器は、彼女に勝るとも劣らないものです。ぜひ自信を持ってください」

「さ、さすがにそこまでじゃないと思うけど…こ、こんな感じかな?」

「いいですね。もっと大きく振ってみましょうか」

「こ、こう? 大げさじゃない?」

「そんなことはありませんよ。ですが、恥ずかしいというのならば、わたくしも一緒に振りましょう。ほら、一緒ならば恥ずかしくないでしょう?」

「そ、そうだな。ははは。たまにはいいよな」

「ええ、ええ。皆さん、次世代の英雄をどうぞよろしくお願いいたします!」

「セイリュウさん、それはちょっと恥ずかしいって」

「いえいえ、あなたにはその資格がありますからね。どうかご遠慮なさらずに。さあ、皆さん! わたくしことマングラスのセイリュウが、ソイドビッグさんを支えるつもりでおります! これからも、どうぞよろしくお願いいたします!」



―――ざわざわざわ



 観衆のどよめきの中、セイリュウと一緒になって手を振るビッグ。

 彼の顔は少し気恥ずかしそうでありながらも、「やっぱり俺のおかげだよな」という自負さえも垣間見える。

 が、もちろん人々が見ているのはセイリュウのほうだ。

 誰かと思ったら、まさかの『マングラスの双龍』である。

 まさかこんなに若い男だとは思いもしなかっただろう。驚いて当然だ。

 また、移民や外部の人間にとってはまったく知らない名前だが、衛士たちやグラス・ギースの人間がどよめいているので、さぞや有名な人物なのだろうと興味深そうに見ていた。



(この人が…『マングラスの双龍』!! 先生から要注意人物と言われていた人!!)


 マキも他の人間同様、セイリュウを凝視する。

 その目には、クロスライル以上の強い警戒感が宿っていた。

 アーブスラットはマキの師匠兼教師であり、まだ若い彼女にグラス・ギースについても多少の知識を与えていたものだ。

 『マングラスの双龍』と出会ったら戦ってはいけない。

 マキは子供の頃からアーブスラットにそう教えられていた。戦うくらいならば逃げろ、と。

 某達人が言っていたように、真の護身とは危うきに近寄らないことである。

 グラス・ギースにおいてタブー視されていることは、けっして破ってはいけない。なぜならば、最後には必ず『龍』が現れるからだ。

 コウリュウが登場した今、セイリュウ個人の強さを語る必要はないだろう。


 問題は、その【背後にいる者たち】だ。



(全員が青い外套。もしかして、あれが―――『青劉《せいりゅう》隊』!!)



 青劉隊。

 セイリュウを含めて全員が青色の恰好をしているので、青の文字は頷ける。むしろ青を入れない理由がない。

 だが、その次の文字である『劉』には「殺す」という意味があるらしい。


 直訳すれば、青い抹殺部隊。

 その名が示す通り、彼らは【セイリュウ直属の粛清実行部隊】である。


 グラス・ギースの治安が悪化した際、あるいはマングラス内部のパワーバランスが崩れた際、原因となったものを強制的に除去するための部隊だ。

 存在は知られていても、実際に見たものは非常に少ない。

 なぜならば彼らを見たものは、すべからく全員が死に絶えるからだ。

 マキもこうして対峙しているだけで、彼らからの強い圧力が伝わってくる。


(全員が凄まじい強さだわ。でもなにか…妙な気配がする。彼らも危険だわ。このニートみたいに普通の武人じゃない気がする)


 マキはJBと戦ったことで『人外』には独特の感覚があることに気付いた。

 それはアンシュラオンも感じた「不自然」という感覚と同じだ。

 神経質な人間の近くにいるかのような、妙に尖っている感覚。自然の中に機械が交じっているような、人工的な違和感。

 そうしたものを彼らからも感じるのだ。

 事実セイリュウともども、彼らは肉体改造を受けている者たちだ。力を得るために人をやめた者たちだ。

 ただ、力は力。

 自然であれ人工的であれ、純然たる力に区別は必要ない。


 全員―――強い。


 それこそが真実であり、もっとも重要な点だ。

 万全のマキでも何人倒せるかわからない。数人に囲まれたら苦戦は必至だろう。


(でも、どうしてここにマングラスの実行部隊がいるの? それにソイド商会の息子さんと仲良くしているなんて…。マングラスとラングラス…よね? そんなに仲が良かったかしら?)


 青劉隊が表に出てくることは、まずありえない。

 レイオンがバイラルを助けた際にセイリュウの部下を倒しているが、彼らは青劉隊ではなかった。

 もし青劉隊であったら、レイオンはその段階で死んでいるはずだ。

 バイラルを粛清するわけではなかったため、青劉隊を出す理由がなかったのだ。

 そもそも粛清対象が一人くらいならばセイリュウだけで事足りるし、あるいは青劉隊のメンバーを一人出せば済むことだ。

 相手がマングラス本家だったからこそ、荒っぽくならないようにセイリュウが慎重に対応した結果といえるだろう。


 しかし、今回は粛清部隊が外に出てきた。


 それだけでも異常事態であるが、さらにセイリュウが狡猾なところは、さりげなくビッグと仲が良いことを周囲にアピールしていることだ。


 マングラスとラングラスが―――手を組んだ。


 ちょっと派閥の動向に詳しい人間が見たら、即座にそう思ってしまうだろう。

 これにはいくつか大きな意味がある。

 少し前の話なので忘れているかもしれないが、ラングラスは単独でケジメを付けようとしていた。

 殺し屋を呼んだのも、できるだけマングラスの手を借りないためである。いや、できれば援助はすべて断りたいのが本音だ。

 あまり仲良くしすぎるのは、派閥間のパワーバランスの問題としても好ましくはない。

 ラングラス派閥の組長の一人であるイニジャーンが言っていたように、ラングラスはマングラスを見張る役目があるため、両者がくっつくのは癒着の構図にもなりかねないのだ。(ラングラス側から見れば屈服や従属と同じ)


 また、それ以外にも、もう一つの意味がある。


「キシィルナ門番長ですね?」


 セイリュウが、マキに近寄る。


「は、はい」

「申し遅れました。セイリュウと申します。『マングラスの双龍』だといえば、おわかりになられますか?」

「…はい。存じていますが…私に何か御用ですか?」

「お勤めご苦労様です。あなたは立派に門番としての務めを果たされました。このような不利な状況下で、よく耐えてくださいました。わが主であられるグマシカ様に代わってお礼申し上げます」

「それが役目ですから。お礼を言われることでもありません」

「いえいえ、普通の武人では無理だったでしょう。さすがはアーブスラットさんのお弟子さんです。…さて、急な話で申し訳ありませんが、ここからの対応は私たちに任せていただけますでしょうか?」

「え? あなたに…? それはマングラスに、ということですか? そのような権限は私には…」

「ああ、ご心配には及ばずに。上からお咎めを受けることはございません。すでに領主様および、ミエルアイブ衛士長の許可は取ってあります。これが書状です」


 セイリュウは懐から一枚の書状を取り出し、マキに手渡す。

 紙の表面にはディングラス家の家紋である『金獅子』が描かれていた。

 これが公文書であることの証明である。


「たしかに…そう書いてあるわ。でも、それって問題なんじゃ…」

「大丈夫です。すべてお任せください。あなたがたにご迷惑はおかけしませんので。では、よろしいですね? さっそく引継ぎをさせていただきます」

「………」


 セイリュウは笑顔だが、そこには反論を許さないという無言の圧力があった。


 そこでマキは、すべてを理解する。



(【領主がマングラスに助力を求めた】、というわけね。だから裏側の部隊が堂々と出てきたのね)



 領主にとって、ここ最近の騒動は悩みの種でもある。

 ただでさえDBDとの交渉が難しく、他の地域勢力の動向も気にせねばならないのに、内部で揉めるのは非常に問題だ。

 特に先日の「工場襲撃事件」で直情的になった結果、かなりの被害を出してしまった。

 可愛い娘のためとはいえ、ラングラスに対して強硬になりすぎた面はあったと反省はしていた。(実は強硬になった経緯には、他の理由も関係している)

 これ以上の騒動は御免。

 そう考えた領主は、マングラスの提案を受け入れたのだ。

 だがそれは極めて危険な決断でもあった。


(あの馬鹿領主! 意味がわかっているのかしら! マングラスに許可を出したってことは、彼らに都市の自治権を与えたようなものよ!! 衛士隊の権限まで与えるなんて!!)


 そもそも都市の政策を四大市民に任せている以上、領主の都市内での権限は極めて小さい。

 せいぜいが好きに豪遊できるくらいだろう。(娘にスレイブを買い与えるくらいは簡単であるが、大きな政策は立案できない)

 よって領主にとっては誰が都市を治めようが、さして重要な問題ではないのだ。

 自分の邪魔にならないのならば、あるいは自分にメリットがあるのならばマングラスに任せてしまってもいい、というわけだ。


 ただ、この決定は今までとは違う重大なものだ。


 今まではジングラスがマングラスの増長を防いでいたが、プライリーラの失踪(ある意味で失策)によって権威が一気に落ち込んでしまった。

 ハングラスも第一警備商隊を失い、経済維持に苦慮しているので力を失っている状態にある(これもアンシュラオンが原因だが)。

 ラングラスは最初から弱小勢力なので、あえて説明の必要もないだろう。

 そして、領主であり中立勢力であるはずのディングラスの黙認。

 都市としてはかなり危機的な状況にあるため、マングラスが出てくるのは当然であるが、すでにマングラスは【一強状態】にある。

 現在の日本もそうだが、周辺情勢が不安定になると、国力を増強維持するためにどうしても一強状態になる必要に迫られる。


 マングラスの時代が―――来てしまった。


 今までは影で操っていたが、領主の委任を受けたことで「公に統治」することが可能となったのだ。

 衛士長であるミエルアイブの許可を得たとは、今後は堂々とマングラスの部隊が『警察権』を行使できることを意味する。(従来の『監察権』以上の実行力のある力の行使が可能)

 東門に青劉隊が現れたのは、その一つのパフォーマンスである。

 衛士隊よりも上にいる、ということを周囲に知らしめるためだ。これはすぐに噂になって都市中に知れ渡るだろう。

 また、ここにビッグがいたのはたまたまであろうが、セイリュウがこうしてビッグとつながりがあることを示すことで、工場襲撃事件での和解を強調する目的もあった。

 都市の内紛は終わりを告げたのだとアピールし、その中核にマングラスが存在することを示したのだ。



(ああ、感じる。ついに『大御所様』がお目覚めになられた。マングラスの完全復活の時がやってきたのです)


 セイリュウは、『造物主』の波動を感じていた。

 奇しくもその時、地下では傀儡士が復活を遂げていたのだ。

 彼らが目立たず行動していたのは、『真の主』が目覚めていなかったからだ。

 だが、もはや遠慮することはない。

 これからはマングラスが都市を統治するのだ。


 自分たちこそが、都市を守る者なのだから。




523話 「グラス・ギースを守る者 その3」


 東門に青劉隊が登場。

 領主の委任を受けた彼らは、実質的な都市の治安維持部隊として認められ、独自の権限を持つに至る。

 こうなると仮に彼らの不正が発覚しても、衛士隊では簡単に対処できないので厄介だ。

 今までは中立のディングラスが治安維持の権限を持っていたからこそ、都市内部は丸く収まっていたのだが、四大市民の一角が持つには過ぎた力だといえるだろう。

 しかし危機的な状況下では、現状でもっとも力を持つ者が台頭するのは道理である。

 権力という意味でも武力という意味でも、マングラスは突出しているので適任だ。



「さて、改めまして異邦人の皆様方、ようこそグラス・ギースへ。お話は伺っておりますよ。『ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉』の方々ですね」


 マキに話を通したセイリュウが、今度はクロスライルたちに目を向ける。


「へっ、なるほどな」


 クロスライルは、タバコを吹かしながら事情を察する。

 セイリュウが、この都市でもっとも力を持つ者の一人であることが即座に理解できたのだ。

 彼はグラス・ギースについての知識はまったくない。派閥間の争いについても無知だ。

 他の都市、南部からやってきたので当然だろう。辺境都市の派閥など知る由もない。

 だが、わかるのだ。

 態度を見ていればわかるし、それ以上に今の挨拶にすべてが込められている。


(『ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉』の名前は表には出てねぇはずだ。表向きはなんだったか…なんたら興業だったか? そんな当たり障りのねぇ名前だったな。ってことはこいつは、オレらの正体を知っているってことだ。それだけの情報力を持っているってことだ)


 他の人間からすれば単なる挨拶に見えても、実際は自分たちへの威圧でもあった。

 この『ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉』という名前は裏の組織の名前であって、簡単に知ることはできないものだ。

 言ってしまえば『秘密結社』である。知っている人間は知っていても、迂闊に話せば自分の身が危うくなるので口外はしない。

 近隣の人間でさえそうなのだから、ましてやこれほど離れた辺境都市の人間が、この名前を知ることはまずありえない。

 おそらく依頼を出したダディーでさえ、彼らの本当の姿は知らないだろう。単なる殺し屋だと思っているはずだ。

 それだけでも興味深いが、クロスライルはセイリュウの強さにも非常に強い興味を抱いた。


「いいねぇ、あんた。ビンビンきちゃうよ。すごく刺激的だ。いいねぇ、本当にいい」


 クロスライルがセイリュウを観察する。

 一流は一流を知る。

 佇まいだけでも相当な達人であることがわかる。


「その恰好、大陸の出かい?」

「出自はそうです」

「じゃあ、あっちの拳法も学んでいるのか?」

「それなりには。かなり我流ではありますがね」

「へぇ…でもよ、あんたの力はそれだけじゃねえな。その中にすんげぇ『獣』が眠ってやがる。いいねぇ、それがすんごくいいのさ。ああ…惚れ惚れするよ」

「お褒めいただき、ありがとうございます。すべては偉大なる主から与えられたもの。私の力ではございません」

「力の出所なんて、どうだっていいのさ。肝心なことは、あんたが強いってことだ。その目もいいねぇ。人間なんてどうでもいいって目だ。ゾクゾクする」


 クロスライルは、セイリュウの中に眠っている『清龍』の力に気付いた。

 その目が、その瞳が、『人間という種』を下に見ているからだ。

 獰猛な獣としての本能と、神としての自尊心を無意識のうちに醸し出している。

 それが常人にとっては傲慢にも映るし、恐怖にも映るのだろう。


 だが、クロスライルにとっては―――


「あんたを【狩ったら】、さぞや楽しそうだな」

「あなたはハンターなのですか?」

「うーん、改めて訊かれると難しいな。オレはよぉ、楽しいことが好きなのさ。自分が楽しいなら魔獣だって人だって同じさ。区別はしねぇよ。で、あんたはその中でも上等だ」


 クロスライルにとってセイリュウは―――狩りの対象。

 強いものを狩ることを一番の楽しみにしている彼にとって、『清龍』という存在すら狩るべきモンスターにすぎない。


(神を前にしても怖れぬとは…勇気か蛮勇か、それとも傲慢か。…いえ、それこそが人間というもの。神を滅ぼした人に相応しい姿でしょうか)


 セイリュウもまた、クロスライルという存在を認める。

 マキでもセイリュウを前にしたら強張るのに、彼は依然として変わらない。

 単に武力が強いだけではない。その心が圧倒的に【無頼】なのだ。

 何者であっても怖れない心を持つ者。誰にも頼らない者。

 それが無頼者の心意気というものだ。だからセイリュウさえも怖れない。


「あなたは人間らしい人間ですね」

「それ、褒めてんの?」

「ええ、もちろん。この世界でもっとも怖ろしいのは、魔獣でも神々でもなく、人間です。人はこの星さえも荒廃させてしまうのですからね」

「はは、随分と大きい話になってるぜ」

「お好きでしょう? 『異邦人』のあなた方は、こういう話が」

「…ふーん。あんた、どこまで知ってんの?」

「さて、詳しくは存じません。ただ、私の中に眠る力が警戒しているだけのことです。あなた方は、いつも我々を淘汰してきました。その力を外部から持ち込んできました。ですから、私はあなたが怖いのです」

「怖い? …くく、クカカカカッ!! そーか、そーか! 怖いか。はははは!! いいねぇ、あんた。最高だよ。一応訊いておくが、あんたを倒せばゲームクリアってわけじゃないんだろう?」

「もちろんでございます。私など、この都市の中では中間管理職にすぎません。偉大なる主に仕える、ただの小間使いのようなものです」

「これで小間使いねぇ…」


 クロスライルが、セイリュウの後ろにいる青劉隊を見る。

 彼らはいつでも動けるように準備をしていた。

 クロスライルの返答次第では、この場で戦いになる可能性もあるだろう。

 それはそれでまた興味深いが、自分がこの都市にやってきた目的とは異なる。

 クロスライルは、軽く手を上げて降参のポーズを取った。


「おっかないお兄さんたちと戦うつもりは『今のところは』ないぜ」

「今のところは、ですか」

「未来のことは誰にもわからんからねぇ。だよな、JB? とりあえず今はいいよな?」

「………」

「おい、なんとか言えって。誤解されんだろうが」

「………」


 JBは何も語らず、しばらくセイリュウを見ていた。

 彼もまたセイリュウの中にある力に気付いていたのだ。


(この男、普通の人間ではない。私と【同種】の存在か)


 すでに人間をやめたJBは生体兵器だ。

 生殖器もないので自分で増えることもなく、ただ道具として役目を果たすためだけに生きている。

 セイリュウもまた同じ。

 傀儡士の道具として役割を果たすだけの兵器である。そこに妙な親近感を抱くのだ。


「…いいだろう。興味が湧いた。ここで急ぐ理由もない」

「そーそー、素直になると得するもんだぜ。そもそもよ、おめーがいきなり暴れるから誤解されんのよ。オレたちは都市を乗っ取りに来たわけでも、破壊しに来たわけでもないんだぜ。で、あんたがオレらの雇い主?」

「いいえ。あなた方を呼んだのは、こちらのソイドビッグさんです」

「おー、おー、この兄さんかい!! あんたも面白いよな!!」

「え? 呼んだって…何のことだ?」

「カカカ! それマジで言ってんの? カカカッカッ!! いいねぇ! 気に入った!! 気に入ったよ、兄さん!! ハハハハハハッ!! ほんとさ、JBのクソ野郎をぶっ倒した時なんてよ、スカッとしたね! あんた、いい素質持ってるぜ」

「それは…ど、どうも」

「ほら、タバコ吸いねぇ! 遠慮するなって!」

「は、はぁ…」


 馴れ馴れしく肩を組んでくるクロスライルに困惑するビッグ。

 まさか目の前の者たちが、ラングラス自らが呼んだ戦力であることなど、まったく想像もしていないようだ。

 ちょっと考えてみればすぐにわかるだろうに、このあたりはさすがビッグである。

 だが、そんな間抜けさが妙に人を寄せ付けるのも事実。

 少なくともクロスライルは、ソイドビッグのことを気に入ったようである。

 オンバーンという売れない歌手を好むあたり、この男の趣味も変わっているようだ。




「いったいどうなってんだ…? こいつら誰なの?」

「お久しぶりですね。ソイドビッグさん」

「…え? あんた…誰?」

「私ですよ。ラブヘイアです」

「ラブヘイ…ア? あれ? ラブヘイアって…ハンターの?」

「はい。駆け出しの頃はダディーさんにも面倒を見ていただいたことがあります」

「そりゃ俺だってあんたのことは知ってるが…あれ? なんか雰囲気が違くねぇか? こんな顔だったっけ?」


 ラブヘイアが、困惑しているビッグに話しかける。

 だが、雰囲気ががらりと変わっているので、ますます困惑に拍車をかけることになっていた。

 実は、ラブヘイアはソイドビッグと面識がある。

 若い頃にダディーが魔獣狩りをやっていたこともあり、駆け出しの頃はアドバイスをもらったこともあるし、東門から出入りをする関係上、ビッグと出会う頻度も高いのだ。

 第三城壁内部は、たまに魔獣や獣が入り込む可能性もあるので、ソイドファミリー自体が近隣の魔獣駆除を依頼することもあるわけだ。

 アンシュラオンが来るまではラブヘイアはグラス・ギースで最高のハンターだったので、彼個人への依頼もあったものである。

 また、こういった事情が加味された結果、彼がグラス・ギースに派遣されたともいえる。

 実際のところ揉めたのはJBが原因ではあるが、最初からラブヘイアが折衝に出ていれば問題は起こらなかったのだ。

 その意味では、この騒動はラブヘイアが引き起こしたのと同じでもある。

 そうにもかかわらず、まったく素知らぬ顔で平然と挨拶をするあたり、精神的にもかなり鍛えられているようだ。

 ビッグがわからないのも無理はない。たしかに前とは別人だ。


「ご無沙汰しております。このたびはダディーさんからのご依頼で、グラス・ギースにやってまいりました」

「え? んん? ということは…ん? もしかして…」

「はい。私たちが武人専門の殲滅部隊です」

「いやだって、あんた…ハンターじゃ…?」

「故あって転職したのですよ」

「ああ…そうなの? そりゃハンターは自由職でもあるから、いつ転職したっていいけどさ…意外というかなんというか……なんかあんまり実感が湧かなくてな。反応薄くてごめんな」

「いえ、当の私が一番そう思っているのですから当然のことです。人生とは予期せぬ方向に流れるものですよ。…それで、殲滅対象は『ホワイト商会』で間違いありませんか?」

「っ…!! くうっ! はーーはーーーー! そ、そうだ! そうだった! そうなんだよ。あいつを倒さない限り…俺は前に進めないんだ!! はーーーはーーー!」


 ホワイトという名前を聞くだけでショック症状に襲われる。

 激しいトラウマが植えつけられている以上、なんとしても失敗するわけにはいかないのである。

 そのための殺し屋。殲滅部隊だ。

 だが、ラブヘイアは、そんなビッグを見て不思議そうな顔をする。


「あなたはあの白い力を見て、なぜ抵抗しようと思ったのですか?」

「…あ? どういう意味だ?」

「人が天を見て、どうして届くと思えるのですか? 無謀とは思わないのですか?」

「…? 何を言っているのかわからねぇが、俺がやらなきゃ誰がやるってんだ。何があっても屈するわけにはいかねぇんだよ。それが筋ってもんだし、俺が俺であるための生き方だろうが」

「そう…ですか」

「何か不思議か? 誰にだって大切なものを守るために戦わないといけないときがあるはずだぜ。俺も結婚が控えているしな。リンダは俺が守らないといけないんだよ。それだけさ」

「…なるほど。だからあなたは『気に入られた』のですね」

「さっきから何を言ってんだ?」

「いえ、私とあなたの境遇は似ていながら、やはり違う存在だと思ったのです。そして、私はあなたを尊敬します。あの山の頂を見ても、まだ登れると思えること自体が人を超えた発想ですし、それこそが人本来の尊い志というものなのでしょう」

「…??? どういうこと?」

「尊敬しているということです」

「そ、そうなの? それならいいけど…」


 ラブヘイアの言い回しは微妙だったが、ソイドビッグを尊敬しているという言葉に偽りはなかった。

 奇しくも二人は、似ている。

 出会い方は異なるが、アンシュラオンという人智を超えた存在と出会ったことまでは同じなのだ。

 ただ、そこから先が違っただけのこと。

 ビッグはアンシュラオンを怖れた。魔人に恐怖した。

 怖いのならば打ち倒すしかない。人が持つ潜在的な防衛本能が彼を動かしている。


 一方のラブヘイアは、憧れた。

 あの白い力に感動し、涙し、恋焦がれた。

 少しでも近づきたいと願った。愛されたいと思った。

 その差が、現状の違いとして表れているのだ。

 そしてさらに奇妙なことに、そのラブヘイアがホワイト商会との戦いに参加するという縁まで生まれている。

 まさに人生とは奇妙なものである。




524話 「グラス・ギースを守る者 その4」


「で、いつやるんだ? 今すぐでもいいぜ」


 クロスライルがビッグに問う。


「日が出ているうちは人目があるし、うちらも仕事がある。夜だ。今夜、決行する。その前に最終勧告が入ると思うから、それが終わったあとだ」

「そんなに悠長でいいのかい? この都市も思ったより平和だねぇ。まあ、遅れたオレたちが言う台詞でもねぇけどな」

「それがグラス・ギースのルールなのです。ここのやり方に従いましょう」

「郷に入れば郷に従え、か。へいへい、了解だぜ。細かいことはホームの人間に任せるさ」


 ラブヘイアの言葉でクロスライルが納得したのを見て、ビッグも感心する。


「あんた、けっこう馴染んでいるんだな」

「ええ、実力主義の世界ですからね。それはハンターと同じです。JBもいいですね?」

「私に話しかけるな」

「いいそうです」

「勝手に解釈するな。不快だ」

「ここで暴れる危険性は理解しているでしょう? おとなしくしていてください」

「…ふん、自分の古巣に戻ってきたからと強気になるとは、なんともなさけない男だ」

「否定はしませんよ。やはり落ち着くものですから」


 今回はセイリュウたちがいるためか、JBが噛み付くことはなかった。

 だが、それを違う意味に解釈したビッグが、面白い発言をした。


「ところでよ、あんたらで大丈夫なのか?」

「私たちの実力を疑っておられるのですか?」

「だってさ、あんたのことはよく知っているからいいが、そいつは俺にやられるくらいの実力なんだぜ。そんなんでホワイト商会を倒せるのか? けっこう高い金を払っているって聞いたしよ。心配になるよな」

「………」



 一瞬、時間が止まった。


 なんとも気まずく微妙な空気が流れる。

 そうなのだ。ソイドビッグはいまだにJBを格下に見ている。

 圧倒した原因を知らないのだから致し方のないこととはいえ、あまりの発言にラブヘイアも言葉を失っていた。


 それを打ち破ったのは、クロスライル。


「くくく…カカカカッ! ははははは!!」


 大爆笑である。

 まさに「腹を抱えて」笑っている。


「だってよ、JB!! 聞いたか? ねぇねぇ、大丈夫ですかぁ? JBサーン!! 次も失敗したら、このつよーいお兄さんにお仕置きされちまうぜぇ!! ハハハハハッ!!」

「ぐっ…!!! これほどの不快は久々よ!!」

「…? そんなに笑うことなのか? 事実だよな?」

「いやー、退屈しなくて済みそうだぜ。ははは! いやいや、兄さん。あんたの言う通りだ。次はオレもがんばるからよ、少しは期待してくれよな」

「ああ、頼むぜ」

「カカカカッ!!」


 ここまでくると見事だ。馬鹿もこれだけ馬鹿なら、天晴れである。

 こういったところがアンシュラオンやクロスライルに気に入られる点なのだろう。



「ところでアンシュ……ホワイトという人物は、今どこにおられますか?」


 ラブヘイアが一番気になっている点を訊ねた。

 おそらく現状をもっとも理解している彼だからこその発言だ。


(彼がいた場合、状況は最悪になる。なるべく慎重に動かねば…)


 もしアンシュラオンがいれば、この三人であっても秒殺必至だ。

 それにラブヘイアの『目的』からしても、ここでいきなり接触するのは難しい対応を迫られるだろう。

 これが一番の気がかりであったが―――


「ホワイトなら収監砦に捕まっているぜ」

「…収監砦に? どういった事情ですか?」

「ああ、そこまでは知らないか。あんたらに依頼を出したあとだったしな。それを含めて夜までに話すさ」

「では、彼は今は不在、ということでよろしいですか?」

「ああ、そうだ。まずはやつの事務所を叩く。取り巻きがいろいろいるからよ。そいつらを見せしめに倒すのさ」

「そう…ですか。わかりました。例の戦罪者たちですね。それは聞いています」

「油断するなよ。やつらも相当な連中だぜ」

「ええ、わかっています。ちょうどいい練習になりそうです」

「練習? そんなんで大丈夫か?」

「ああ、失礼。仕事はしっかりこなしますから、ご安心ください」

「なんだいなんだい、面白そうな話をしてるじゃねーか! 誰だい、そのホワイトってのは」

「クロスライル、話したはずですよ。今回のターゲットです」

「そうだっけか? いやぁ、だがよラブヘイアの兄さん、この都市は面白そうだな。ビンビン感じるぜ。ここには化け物どもが山ほどいるってよ! ずるいぜ。もっと早く教えてくれてもよかったのによ!」

「それを楽しめるくらいならば、たいしたものですね。私はそこまで楽観的にはなれません」

「兄さんは相変わらずだねぇ。じゃあ、俺らは昼間は観光かね?」

「それをご希望ならば、ぜひとも私たちがご案内いたしましょう。カラス、ご同行してさしあげなさい」

「はは」


 セイリュウに呼ばれ、青劉隊の中で一番背の低い男がやってきた。

 背が低く見えるのは、やたら重度の前傾姿勢(猫背)なのも影響しているだろう。

 また、カラスと呼ばれただけあり、黒い鳥の仮面を被っている。

 見た目は弱そうだが、セイリュウがいない際のまとめ役でもあるので、サブリーダーといった地位にいる男といえる。


「あなたには壊滅作戦の立会いを命じます。万一にそなえて複数人連れていきなさい。ただし、けっして手を出してはいけませんよ。あくまで想定外の事態にそなえてのことです。わかりましたね?」

「はは」

「なんでぇ、おっかない兄さんは参加しないのかい?」

「ええ、私が出ると好ましく思われない方々がおられるのです。面子の戦いでもありますからね」

「ふーん、面倒なことを背負っているもんだね」

「人が生きるうえで面子は重要なものですよ。それにソイドビッグさんがおられるのです。問題はありません」

「お、おう!! ま、任せておけ!」

「ん? こっちの兄さんは参加するか?」

「も、もちろんだぜ! 俺が出ないでどうするってんだよ!! ば、ばっちりだ! 俺だけで倒しちまうくらいなんだからよ!!」


 と言いつつ、足は若干震えている。

 戦罪者が怖いというよりは、アンシュラオンが怖いのだろう。

 そんな姿も滑稽で面白い。


「カカカ! それなら楽しくなりそうだ。期待してるぜ」

「では皆様、何かご所望のものがありましたら、このカラスめにお命じくださいませ。なんなりとご用意してみせましょう」


 やたらダミ声のカラスが、恭しく頭を下げる。

 ただし、その実情は【監視】である。

 青劉隊が付いていれば、彼らも迂闊な真似はできない。

 もし暴れたとしてもカラスたちで時間稼ぎくらいはできるので、その間にセイリュウがやってくるというわけだ。


「へいへい、わかっていますよ」

「安心してください。私も監視しておりますから」

「なんだよ兄さん、いきなりそっち側に付くなよ」

「ここは私の古巣でもありますからね。愛着はありますよ。ヘブ・リング〈低次の腕輪〉はありますか? 何本か貸してください。それが誠意になるでしょう」

「ヘブ・リング?」

「ここにはそういうものがあるのです。キシィルナ門番長、お願いします」

「…え?」

「必要ですよね?」

「…そうね。ここで暴れたことを考えれば、そのほうが安全ね。いくら客人扱いでも限度はあるし…」


 基本的に特定の商会が雇った者たちにリングは付けないが、暴力行為に及ぶ可能性があれば別である。

 特にJBは信用できるような男ではないため、念のために枷を付けることになった。




 ラブヘイアはマキからヘブ・リングを借り受けると、自ら腕にはめた。

 それからクロスライルもはめる。


「へー、こんなもんがあるのか。なかなか抑えてくれるじゃねえか」

「グラス・ギースの錬金術師が作ったものですから、あなたでも簡単には壊せませんよ」

「あーん? なにそれ? オレへの挑戦ってやつかい?」

「そう捉えてもかまいません」

「見てろよ。こんなもん、こんなふうによ…こうして、ああして!! んんんん!!! ぬおおおおおおお!」


 ぼおおおおおお

 クロスライルから戦気が噴出。

 さすがに洗練された良い戦気だが、腕輪もさすがの力で抑え込んでくる。


「ぬううううっ! ぬおおおおおおお!!」


 それを見てムキになったのか、さらにクロスライルが戦気を放出。

 ゴオオオオオオオオッ

 ビキビキッ

 ボオオオオオオオオオオオオ!!

 ビシビシビシッ!!



「おおおおりゃーーーーーー!!!」



 ボオオオオオオオオオオッ!

 バリンッ ゴトンッ

 戦気の放出の勢いに負け、リングが割れて地面に落ちる。


「はーー、はーー! どうだよ! こんなもんで抑えられるかっての」

「息が上がっているぞ。なさけない」

「ああん!? んだとイカ野郎! てめぇにだけは言われたくねぇぞ!! あの兄さんに負けたお前にはな!」

「それだけは二度と言うな!!」


 あの一件は、JBに人生最悪のトラウマを与えてしまったようだ。

 ソイドビッグに負けた男。

 うん、たしかに嫌だ。そんな恥ずかしい噂が流れただけで切腹ものである。


 だがクロスライルは今、とてもすごいことをやったのだ。

 その光景にマキの顔も笑ってはいられない。


(こんなに簡単に腕輪を壊すなんて…笑いながらやること? まるでお遊びだわ)


 この三人は、じゃれ合っているようにも見える。

 そんなやり取りの中で、普通の武人ならば戦気の放出もできなくなる腕輪を、いとも簡単に破壊したのだ。

 彼らにとって、ヘブ・リングなどは些細なものなのだろう。

 アンシュラオンも壊したが、一応は生体磁気が半減される代物だ。

 その状態から破壊するだけの戦気を放出するには、軽く五倍以上の出力が必要となる。

 明らかに普通の武人ではない。


 ということで、追加である。


 がこん がこん がこん

 ラブヘイアによって、クロスライルには片手に三つ、計六つのリングが付けられた。


「なぁ…ちょっと付けすぎじゃね? ねぇ、何かあったらどうするの? いきなり暴漢に襲われたら死んじゃうよ」

「あなたなら平気で対処できますよ。むしろ少ないくらいです。JBはさらに倍ですしね」

「ふん、臆病者が。気の済むまでやればいい」

「はい。臆病者ですからね。遠慮なく付けさせてもらいますよ」

「やれやれ、これじゃまるで連行だぜ。せめて盛大に歓待してくれよな」

「おとなしくしていれば、彼らがそうしてくれますよ」


 ラブヘイアがセイリュウに視線を向けると、相手はにこりと笑いかけてきた。

 しかし表面は笑ってはいるが、その中身は業務用冷蔵庫のように冷たい空気が流れていた。

 かつて同じ都市にいた人間であっても、セイリュウはけっして油断していない。

 そして、彼の警戒感は間違ってはいない。


 ラブヘイアは、実際に裏の事情を知っている。



(私も『あの御方』と出会わなければ、こうした裏側の世界を知ることもなかったのでしょう。マングラスの実態を知ることもなかった。情報通り、たしかにここには『賢者の石』があるようですね。しかし、それを守る者たちがいる。彼らが都市を守っていたのですね)



 ラブヘイアは、グラス・ギースの秘密を知っていた。

 ハンターであった頃は知らなかったので、この二ヶ月の間に知ったのだ。

 それも彼がここに来た目的の一つではあるが、当然そのことは言わない。

 セイリュウたちには、こうして『賢者の石』あるいは『生命の石』の情報を嗅ぎ付ける者を排除する役割があるからだ。

 秘匿性の高いものであるため、特に外部の人間に対しては殺害も厭わない。


(しばらくは様子見…ですかね。彼らが問題を起こさなければいいのですから)


 ラブヘイアが強くなっているとしても、青劉隊とまともに戦うのは危険すぎるし、彼らがその力を悪用しなければ問題はない。

 だが、グラス・ギースが揺れることになれば、力は流出を開始してさまざまな弊害を呼ぶだろう。

 それこそ【災厄】を呼びかねない。


(なにせここは災厄を生み出した地。油断はできない。しかし、ああ…アンシュラオン殿。あなたと私が出会った時、いったいどうなってしまうのか。あなたはどういう反応をするのか…とても気になります。会いたい。でも怖い。まるで恋をする乙女のようですね。ふふふ)


 彼の胸のお守りの中には、アンシュラオンからもらった髪の毛が入っている。

 大切な、とても大切なものだ。

 前に公言したように本当に肌身離さず持っているところが怖い。

 だが、白と白の縁が、近いうちに彼らを惹き付けるに違いない。



 今夜、決行。


 『ホワイト商会、壊滅作戦』が始まろうとしていた。




525話 「最終勧告 その1」


 ホワイト診察所。

 上級街の空き地にぽつんと立つ館であり、診察所兼ホワイト商会の事務所である。

 正直、懐かしい。

 ついこの前までは、シャイナと一緒に「お医者さんごっこ」をやりながら、毎日馬鹿らしく楽しく暮らしていたのだ。懐かしくもなるだろう。

 あの頃は良かった。一番幸せだった。

 だが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。


 ホワイトという存在は、この都市では異物だった。


 彼が望む望まないにかかわらず、存在そのものが他者と違う以上、いつかは軋轢が起こるものだ。

 そして、どの時代もどの国であっても、裏側の勢力との接触が起こる。

 理想を持って議員になろうが役所に勤めようが、あるいは企業に就職しようが、世に闇が存在する限り「なんでこんな連中が関わってくるんだ?」という疑問を抱くことになるだろう。

 互いが相容れない考えを持つ以上、どのみちいつかはこうなっていた。ただそれだけのことである。



 では、昼間の話からしよう。



 クロスライルたちが都市に入り、だらっだらとしている頃。

 アンシュラオンがグマシカを取り逃し、激しく怒っている頃。

 久しく触れられなかった事務所付近の様子は、どうなっていたのだろうか。



―――がやがやがやがや



 実は、事務所の周りには連日大勢の一般人が集まっていた。

 昼間だろうが夜だろうが駆けつけ、事務所の周りを取り囲んでいたのだ。

 人々は老若男女さまざまで、これほど多様な人間が都市にいるのかと改めて思わせる光景でもある。

 だが、彼らは治療に来たわけでもないし、ホワイト商会に抗議をしに来たわけでもない。


 一人の武器を持った老婆が、叫ぶ。



「衛士隊は出て行けーーーーーー!!」



 齢八十くらいの高齢の女性が、おそらくは農業用であろうピッチフォーク(食器のフォーク状の農具、もともとはこちらが元祖)を掲げる。


「おおおお! 出て行けーーーー!!」


 老婆の掛け声に呼応した民衆も、同じように叫ぶ。

 彼らも同様に農具、または包丁などの料理道具を武器に見立てて掲げる。

 よくよく見れば、中にはクロスボウやメイスやら本物の武器類を持っている者もいた。

 武器屋バランバランの店主が、最近は売り上げが伸びていると言っていたが、こうしたところでも武器は供給されているのである。

 ただ、普通に持ち込むと西門の検査に引っかかるので、バラバラにして持ち込んで組み立てる等の工夫がなされていた。

 そのあたりは店の名に偽りなし。「バラバラ」になっても安心の設計なのだろう。たいしたものである。


 民衆が武器を持って叫んでいる状況。


 そこから想像するのは『決起集会』あるいは『デモ』であろうか。

 普段平和に暮らすことを望む彼らであるが、怒りが頂点に達すれば武器を持って蜂起することもある。

 日本でも『一揆《いっき》』は有名だろう。(同名で出たゲームソフトも有名)

 そして、民衆が立ち向かうのは、いつだって強権に対してである。


 彼らの前には―――衛士隊


 上級街を防衛する上級衛士隊の姿があった。

 老婆たちは、彼らに向かって叫んでいるのだ。




「まったく、毎日毎日飽きないものだ」


 『ホワイト商会封鎖』を担当している衛士隊の班長が、呆れたような表情で溜息をつく。

 それから隣にいた副班長に話しかける。


「ミエルアイブ衛士長は?」

「はっ、またキシィルナ門番長がやってきたようで、ボコボコにされて療養中であります」

「またか…。衛士長も頑固というかなんというか…もう首謀者は捕らえたんだから、あんな女くらいはどうでもいいのにな。というか、あれだけ殴られても翌日には平然と起き上がってくるのだから、そっちのほうが怖いんだよな…あの人」

「そうですね。なんであんなに頑丈なんですかね」

「さすが衛士長というところかな。それだけタフでなければ、宮仕えなどやっていられないのだろう。領主からの圧力もすごいだろうしな。…衛士長がいないということは、また我々だけで対処するのか?」

「…ええ、そのようですね。定期的に追い払わないと、どんどん増えますし…」

「もう嫌なんだよ、あいつら。近づくとすごい剣幕で怒鳴ってくるし、目なんて血走ってるだろう? 完全にイカれてるって。【反社会勢力】に組するならあいつらも同罪なんだから、さっさと排除すればいいものを」

「はぁ…同感ではありますが、極力民間人には穏便に対処しろと命令が出ておりますので…」

「領主の人気取りだろう? もともと人気がないんだから、これ以上やっても意味がないと思うんだがな…。はぁ、憂鬱だな」


 衛士隊の班長が、さらに深い溜息をつく。


 ここに衛士隊が派遣されている目的は、すでに述べたように「ホワイト商会の封鎖」にある。

 アンシュラオンが収監された段階で、ホワイト商会は都市での活動が認められていない。

 いや、そもそも認可が下りていないので、違法営業を行っている【反社会勢力】という扱いにある。

 今流行りの名称ではあるが、やっていることはそれ以上にあくどいので、もはや『テロ組織』と呼んだほうがしっくりくるだろう。

 ホワイト商会が今まで野放しにされてきたのは、アンシュラオンが強かったからだ。

 そして、それを利用しようとしたプライリーラのような勢力があったからである。


 が、それもまた消えた。


 裏でつながっていたはずのソイド商会にも見限られた以上、もうホワイト商会をかばう者は存在しない。

 ただし、本来ならば鎮圧および強制撤去の流れになるのだが、現状での衛士隊は周囲を取り囲むのが精一杯であった。

 なにせまだ中には戦罪者たちがいるし、こうして毎日『信者』どもが押しかけてくるのだ。

 デモでありがちな光景だが、彼らの要求も日に日に高まっていく。


「ホワイト様を逮捕するなど、なんたる罰当たり者よ! 即刻解放せよ!!」

「解放せよーーーーー!!」

「お前たちの給料は、わしらの税金から出ておるんじゃぞ!! この税金泥棒め!!」

「税金泥棒め!!」

「領主がわしらに何をしてくれた!! ホワイト様のようにお救いになってくれたのかーーー!! このハゲーーーーー!」

「領主のクソ野郎!! 死ねーーー!」

「わしらがいる限り、ホワイト様の居場所を失わせるものか!! 近づいたら攻撃を開始すると心得よ!! 悪には、死あるのみ!」

「死、あるのみ!!」

「死、あるのみ!!」

「死、あるのみ!!」

「死、あるのみ!!」




―――ワァアアアアアアアアアアア!




 ドッドッドッドッ!!!

 ドッドッドッドッ!!!

 ドッドッドッドッ!!!



 民衆が地面に足を叩きつけ、踏み鳴らす。

 地下闘技場の観客すら上回る人々の熱気と激情が、蒸気となって吹き荒れている。

 目が血走っている。口を半開きにして、よだれを垂らしながら叫んでいる。

 明らかにイッている。ヤバイ連中だ。

 だが、もともとは普通の一般人である。一般人だからこそ、生活が苦しい人々は普段から不満を溜め込んでいるものだ。


 そこに現れた救世主、ホワイト。


 白い仮面を被った男は、分け隔てなく人々を救った。(実際は相当選り好みしていたが、全体的にはそう見える)

 少ない金で重い病を治した。(あまり医療に詳しくないので相場を知らず、さらに薄利多売が身についているせいでもある)

 愛情深い言葉をかけて励ましてくれた。(社交辞令が身についている元日本人だから自然に出るだけ。あとは幻聴)

 と、いろいろと問題はあるものの、明らかに領主よりは貢献しているため、多くの人々はアンシュラオン側につくのだ。

 実質的に四大市民が統治している以上、領主を責めるのはお門違いではあるのだが、アンシュラオンを逮捕したのが衛士だったので、彼らに怒りが向くのはしょうがないだろうか。



 それを見た班長は、ますます陰鬱な気分になる。


「はぁ…関わりたくないな」

「残念ですが、そろそろ時間です」

「…そうか。嫌だがやるか。これも仕事だし、今日が最後になるかもしれないしな。それを願ってがんばろう」

「はい」


 衛士隊の数十人が、民衆に向かっていく。

 近づくたびに相手からの敵意の視線を感じるが、こちらも衛士としての誇りがある。

 ある程度まで近寄ったところで、班長が拡声器を使って民衆に呼びかける。


「ここを不法占拠している者たちに告ぐ。ただちに退去しなさい。繰り返す。ただちに退去しなさい」

「ふざけるな! お前たちこそ帰れ!!」

「従わない場合は、強制力を行使することになる。後悔する前に退去したほうが身のためだぞ。これは正式な命令である。ただちに退去しなさい」

「なんだと! 脅しだ! これは脅しだぞ!! 脅しに屈してたまるか!!」

「うわっ、やめろ! 石を投げるな!!」


 アンシュラオン直伝の投石である。

 ホワイト先生は申された。「嫌いなやつには石を投げろ」と。

 実にありがたい教えを彼らは実践しているのだ。


「無駄な抵抗はやめろ! 早く立ち退きなさい!」

「アンシュラオン先生を解放しろ!!」

「こちらは正当な手続きを経て動いている。そんなことは不可能だ。諦めろ」

「なんだと!! どうしてもか!!? こちらの要求は何度も伝えているんだぞ!」

「何度言ったらわかるんだ! 無理だって言っているだろう! そろそろ理解しろ、馬鹿どもが!!」

「なにぃいいいい! 誰が馬鹿だ!!!」

「皆の者、落ち着け!! ここは教えを思い出すのじゃ!!」


 民衆の視線が、リーダーであるオババに集中する。

 ここで普通ならば、「暴力は暴力を生み出すだけです」とか「非暴力こそが愛なのです」という流れになりそうなものだが―――



「教え、その壱!! 敵は滅せよ!!!」



 アンシュラオンがそんな甘い考えを教えるわけがない。

 信者に対して教えていたのは、暴力には暴力で対抗せよ、というもの。

 否。

 「こっちが先に暴力を使って相手を殲滅すれば、争いなどは起こらない理論」である。

 非民主主義国家のような考え方である。実に怖ろしい。

 いや、もっと怖ろしいのはそうした考えを見事に受け入れ、実践してしまう者たちなのかもしれない。


「こうなれば【聖戦】じゃ!! 突撃部隊、行けえええええええ!」

「うおおおおおおおお!」

「なっ、正気か!? やめろ! 武器を捨てろ!!」

「死ねぇええええええ!!」

「班長、やつら本気です!!」

「くそっ!! 狂人どもめ!!! 銃で撃たれたいのか!! やめろ!!」

「やれるものならやってみろ! わしらには聖典の教えがあるのじゃ!!! 聖典、第二章!! 槍は腰を落として、打つべし!!」



「「「  打つべし  」」」



 ザクーーーッ!!



「ぎゃーーーーーーー!!」



 民衆から選ばれた突撃槍部隊が、腰を落とした見事な突きを衛士隊にお見舞いする。

 なかなかの一撃だ。よく訓練されている。

 なぜ彼らがこんな真似ができるのかといえば、聖典の教えに従ったからだ。

 聖典とは、アンシュラオンがマタゾーに書かせた販売用のエッセイ、「ザ・ハッピー」のことである。

 読むだけで幸せになれる効用があるので、売り切れ中の大人気商品だ。

 少数限定販売だったことが彼らに優越感を与えたのか、これが知らずのうちに聖典扱いを受けることになり、信者たちは必死になって熟読したものである。

 内容は「人間の殺し方」が書かれているらしい。

 槍の扱い方も詳しく書かれていたため、日々の鍛練が彼らを強くしたのである。



 そして、暴力を選んだ彼らに訪れるのは、さらなる暴力による混沌だ。



「もう許さんぞ、あいつら!! 忠告はしたからな! 鎮圧開始だ!!」

「班長、いいんですか!? 怪我人が出ますよ!」

「こっちにはもう出ているだろう! こんなやつらに付き合っていられるか!! 正当防衛だ!! 銃を突きつければ怖れをなして逃げるさ!」


 連日に渡ってストレスが溜まっていたところに、槍で突かれるという被害が出た。

 こうなれば衛士隊としても黙っていられない。

 カチャカチャッ

 衛士隊が銃を水平に構えて威圧する。

 が、それで怖気づくほどヤワな連中ではない。

 ここにいる者たちは、ホワイト教の信者なのだ。そのイカれ狂った頭に恫喝はむしろ逆効果だ。


「むっ、銃が来たぞ! 煙玉じゃ!!」

「おお!」


 ぼんっ

 民衆が煙玉を地面に投げつける。


 もくもくもく


 一瞬にして白い煙が周囲を覆い、視界を塞いでいく。

 これはハンベエお手製の煙玉なので、実戦にも使われる高度なものだ。


「なに!? こんなものまで持っているのか!」

「今じゃ! 間合いを詰めるんじゃ!! 左右に散って狙いを逸らすことも忘れるでないぞ! いけええええええ!」

「うおおおおおおお!」


 銃で鎮圧を試みる衛士隊に対し、民衆は間を広げながら周囲にばらける。

 一般的な銃の弱点は直線的になることと、視認し、構え、狙い、撃つ、という四段階の動作が必要になることである。

 しっかりと狙えば当たるには当たるが、それはあくまで練習場で快適に撃つ場合に限られる。

 このような状況になれば、狙うことさえ難しいのが現実である。


「くそっ!! こいつら…! 妙に手慣れてるぞ…!」


 どんっ

 一人の衛士が、煙の中でちょこまか動き回る突撃隊を狙おうとして、背後にいた衛士にぶつかってしまう。


「うおっ! 馬鹿、気をつけろ!!」

「す、すまん!! こんなのは訓練でもやったことなくて…うぎゃっ!!」

「なっ、どうした…ぎゃっ!!!」


 衛士たちが動揺している間に、長槍を持った部隊が突っ込んできた。

 彼らは銃弾に当たらないように背を低くして構え、足を狙って突いてくる。

 外れてもかまわない、といった強い覚悟で向かってきたのと、槍の性質が合わさって衛士の防護アーマーすら貫通するに至る。

 足をやられた衛士たちは倒れ、転げ回った。


「足じゃ! 足を狙え!! 聖典の教え従うのじゃーーー!」


 これもまた聖典の…いや、マタゾーの教えである。


 聖典にはこう書かれてあった。


「人の弱点は、足である。武人ともなればその限りではないが、一般的な人間にとって足こそが最大の弱点である。まずは足を狙うべし!」


「腰を落として打つのが一番ではあるが、常に状況が変化する戦場では、満足な体勢で打てるほうが珍しい。故に、心がけるは一つだけ。常に思いきりよく『叩け』」



 接近した突撃隊が、低い姿勢で槍をぶん回す。

 槍は突くだけがすべてではない。こうして叩きつけることでもダメージを与えることができる。


 ばぎんっ がりりっ


「あぎゃーーー! 足がぁああああ! スネが抉られたぁあああ!」


 骨が剥き出しの部分なのだ。

 いくらレガースがあっても、これだけの質量が思いきり当たれば痛い。

 衛士隊も戦闘用のアーマーではないので、所々に弱点がある。

 そこを的確に攻撃していくのだから、情報分析の面でも信者が上回っていた。




526話 「最終勧告 その2」


 信者たちは、ついに聖戦を宣言。

 診察所を守るために武力蜂起に出た。

 衛士たちにも被害が出たため、衛士隊の班長は発砲を許可する。


 パンッ パンッ


 しかし、衛士が銃を発砲するものの銃弾は逸れていく。

 この煙の中では、ばらけた相手を正確に狙うのは非常に難しい。

 ただ、ここは民衆が密集している場所でもあるため―――


「ぐえっ」


 銃弾は非武装の民衆に当たる。

 いわゆる「肉の壁」「人間の盾」として配置されていた者たちだ。


「オババッ!! 犠牲者が出たぞおおおおおおお!!」

「ついにやりおったなああ!!! 弔い合戦じゃあああああああ! 刺し違えても殺せぇえええええ!」

「おおおおおおおおおお!」

「何を言っている! 自分たちから当たりに来たくせに!!」


 衛士側から見ればこれが真実であるが、ストライクゾーンに身体を乗り出して得たものであれ、死球は死球だ。

 ホワイト教(狂)の信者にあえて犠牲を出させることで、戦意高揚を狙うという戦術である。

 これも「ザ・ハッピー」に書かれている立派な教えである。戦場での戦意がいかに重要かも説かれているのだ。

 ただしハッピーになるのは教祖だけ、という真実は書かれていないので、やはり悪徳商法でしかないが。


 ともあれ、一度狂ったものは簡単には戻らない。


 ドドドドドドドッ


 満足な武器を持っていない民衆も、ついに波となって押し寄せてきた。

 こうなると衛士隊も身の危険を感じるため、相手を気遣う余裕などはない。


「く、来るな!!」


 パンパンッ

 衛士が発砲。


「ぎゃっ!」

「うげっ!」


 撃たれた民衆が倒れていく。

 いくら衛士隊の銃の威力が近代兵器より劣るとはいえ、木の板くらいは簡単に貫通する。

 彼らが身につけている「まな板」程度では、銃弾を止めることは不可能だ。


「無抵抗の者を撃って楽しいか! この鬼畜が!」

「どこが無抵抗だ!! 思いきり抵抗しているだろうが!」

「うるせええええ! よくもやったなあああああ!」

「くそっ! わらわらと!!」


 パンパンッ バタバタッ

 銃を撃つたびに誰かに当たり、負傷者が続出する。

 衛士は所詮、領主の命令で動いているだけなので、彼らが悪いわけではない。

 職務を遂行しつつ身を守るためには、一般人への射撃も正当防衛になる。

 が、普通ならば犠牲者が出れば逃げるのだが、そんな程度で彼らの勢いは止まらない。


 ドドドドドドッ


 撃たれても撃たれても湧いて出てきては、衛士に向かって突撃する。


「こいつら!! 撃たれるのが怖くないのか!! うわあああああ!!!」


 多くの人々を犠牲にしつつ、衛士たちが民衆に呑み込まれていく。

 強引に押し倒され、殴る蹴る、あるいは踏むという暴行に加え、武器で攻撃されるという事態に陥る。

 やはり数の暴力は怖ろしい。

 人々が本当に犠牲を厭わなくなれば、そこらの政権くらいは簡単に覆すことができる良い事例だろう。

 極論を言ってしまえば、すべての人間が銃や爆弾を抱えて、敵に突っ込めばいいのだ。

 仮にそれが失敗しても、住人すべてが死に絶えてしまえば、その国は終わりである。

 誰も人がいない場所は、国とは呼ばないのだから。



 人が本気になれば、これだけの力を出せることを信者たちは示した。

 このままでは後ろにいる班長も危うい。


「くっ、本格的にやるしかないのか!!」


 残された手段は、二つ。

 一つは撤退だが、衛士たちがここで引くわけにはいかない。

 これは正式な命令に基づいているのだ。領主の沽券に関わる問題になる。

 よって、唯一にして最後の選択肢として『強制排除』が挙げられる。

 すでに戦闘は発生しているが、この強制排除とは本格的な武装をもって対処することを意味する。

 だが、一般人を弾圧することは自殺行為に等しい。すでに述べたように、人がいない場所は国でも都市でもなくなる。

 そう、人こそが力なのだ。

 人がいる場所だけに活気と繁栄と幸せが訪れる。



 だからこそ、それを重視する者たちが干渉すべきであり、実際にすでに干渉を開始していた。



 ひゅーーーーん



 何かが彼らの頭上、五十メートルあたりに飛んできた。

 ばちばちばちっ

 その『球体』は、しばらく上空で放電を続け、臨界にまで達した瞬間―――


 ボーーーーーンッ!


 爆発。

 粉々に砕け散った球体が周囲にばら撒かれ、さらにその破片が―――


 ボンボンボンボンッ


 炸裂。

 その爆発は衝撃を伝えるためのものではなかったが、その代わりに激しい音と光を放出した。

 一瞬で、視界が白に染まる。


「っ―――!!」

「うあぁっ!!」


 バタバタバタッ

 光を受けた民衆が、次々と倒れていく。


 人を倒す武器は、何も斬撃や衝撃力だけではない。

 強い光だけでも十分なのだ。それだけで立つことさえ不可能になる。

 原理は、スタングレネードと一緒だ。音で聴力を奪い、光で視力を奪う。

 たった二つの感覚を失うだけで、人は無力になってしまう。

 当然、これは衛士隊にも影響を与えた。

 民衆ともども大多数の衛士が倒れ、地面に転がって悶えている。


「これは…いったい!!」


 唯一、後方にいた班長と副班長だけが難を逃れていたので、次々と人々が倒れる異様な光景を目撃する。


「誰だ! 誰がやった! やつらの仲間か!?」


 狂信者ならば、味方ごと巻き込むことも厭わないだろう。

 また新手かと思って、その光が打ち上げられた場所を見る。


「…!! あれは…!!」


 班長の視線の先には、一枚の『旗』が掲げられていた。

 旗の色は、水色。

 そこに【二匹の龍】が絡み合った美麗な刺繍が施されていた。

 その旗を見た班長が、目を見開く。



「マングラスの…旗だと?」



 龍は、マングラスを象徴するものだ。

 セイリュウとコウリュウは『マングラスの双龍』と呼ばれいるが、マングラスが龍を象徴しているからこそ、彼らもそれになぞらえて呼ばれているにすぎない。

 そのほうが他者に存在を強調できるからだ。

 あまり語られないが各派閥にはそれぞれ旗があり、象徴する動物が描かれている。


 有名なものは、ジングラスの『羽馬』だろう。

 都市の守り手である彼らは、常に羽馬の紋章を見せ付けることで存在をアピールしてきた。

 これは風龍馬を見れば一目瞭然であろうか。戦場を駆け抜ける武力の象徴である。


 ディングラスは、『金獅子』。

 初代ディングラスが金獅子と呼ばれたことが由来であり、権力と力の象徴としては相応しいデザインといえる。


 あまり見ないが、ラングラスは『不死鳥』の旗を持っている。

 ソブカが着ていた臙脂《えんじ》色のローブは、秘宝である『鳳薬師《ほうやくし》の天衣』を真似たものだ。そこにも不死鳥が描かれている。

 薬や秘宝の力で何度でも蘇る姿が、不死鳥を連想させたのだろう。長寿の象徴でもある。


 ハングラスは、『狐』。

 狐は親しみと狡猾さの両方を併せ持つことから、商人としての色合いが強い彼らには相応しいシンボルといえるだろう。

 日本でも「稲荷《いなり》」と聞けば狐を連想させるし、雷は稲にとっても重要な要素だったので、このあたりも日本との関連性があって面白い話題だ。

 たまに眷属としてラクダのような生き物も描かれるが、物資を運ぶ際に使った動物が元になっているそうだ。

 ただ、ゼイシルは狐呼ばわりされるのがあまり好きではないのか、公に旗を使うこと滅多にない。


 そして、マングラスは『龍』。

 マングラスがなぜ龍なのかという議論は酒場でたまに出るが、人と人を繋ぐものは龍なのである。

 龍は、日本でも中国でも神聖視されている存在だ。

 これがなぜかといえば、不思議なことに高級神霊は『竜』の形をしていることが多いからだろう。(いわゆる竜神)

 一説によれば、竜神は人間の霊の祖となった存在ともいわれ、我々の親霊、あるいは中心霊とも呼ばれる存在であるという。

 霊は一つ。人間は一つ。

 そういった概念から考えれば、人をまとめる力を持ったマングラスが、龍を象徴にすることも頷ける話だ。(なぜか海外だと『龍』表記になり、悪の象徴になったりもするが)



 現れたのは―――マングラスの旗だった。


 そこには百人近い武装をした者たちがいた。

 普通の衛士とは違う完全武装で、身体全体を覆うフルアーマーと鉄製の銃火器を持っている。


「あれは…DBDから仕入れた重装甲アーマーか!? 今のもやつらがやったのか!」

「班長、誰かやってきます!!」

「むっ…」


 武装した集団から、四十歳くらいの一人の男が歩いてきた。

 護衛として数名がついているので、それなりの地位にいる者だとわかる。

 その男が班長の前にやってきて、軽く頭を下げた。


「責任者の方ですね。私はルーン・マン商会で筆頭監査官をやっております、レブファトと申します」


 レブファトであった。

 久々の出番なので忘れているかもしれないが、ルアンの父親である。

 その肩書きに若干の変化が見られることから、彼はシミトテッカーが裏切った一件で再評価され、今では筆頭監査官にまで昇進しているようだ。

 監査官だけでも相当な力を持っているのだが、筆頭が付くだけで権限は大幅に増える。

 地上部にいるマングラス勢力の中でも、各商会の組長と同じレベルの権力を持っているといえるだろう。

 なぜ彼がここに来たかといえば、答えは一つだ。


「マングラスの監査官が何か? これはいったいどういうことですか?」

「ここの管轄が我々に移ったことをお伝えしに来たのです」

「…何をおっしゃっておられるのか、よくわかりませんが」

「現時刻をもって、ここはマングラスが引き継ぎます。衛士隊は即座に撤収してください」

「何をいきなり…! 我々にまで被害を出して、どういうつもりだ!」

「そう感情的にならないでいただきたい。あのままでは衛士隊も危険だった。争いを未然に防いだだけです。あなた方に彼らの暴挙を防ぐ力はなかった。違いますか?」

「ぐっ…好きに言ってくれますな。そちらの話は伺っておりますよ。ですが、衛士隊の役割がなくなるわけではありません。それを勘違いしないでもらいたい! この都市を守っているのは、我々衛士隊なのですからね!!」

「重々承知しております。今までありがとうございました」

「今まで…!? くっ!!」


 レブファトの表情は相変わらず、怒っているかのような顔つきだ。

 これが地顔なのだから仕方ないが、それが班長には威圧にも思える。

 実際、圧力をかけているのだから、こういうときには役立つのかもしれない。


「では、皆さん。よろしくお願いいたします。できるだけ穏便にお願いいたします」

「わかりました。おい、取締りの開始だ!!」

「おう!」


 レブファトの合図で、マングラスの治安維持部隊が信者たちの摘発に入る。


「くそっ! 離せ! このやろう!!」


 ガキンッ

 一人の信者が包丁を振り回すが、フルアーマーには通用しない。簡単に弾かれる。


「おとなしくしろ!!」

「ぐあっ!」


 バキッ

 それに対して治安維持部隊の『兵士』は、警棒で思いきり頭をぶん殴った。

 信者は気絶。身体から力が抜ける。

 ちなみにこの治安維持部隊だが、彼らは青劉隊のようにセイリュウ直轄ではない。

 人材のマングラスと言われているように、『普通の傭兵』程度ならば簡単に用意できるのだ。(スレイブも交じっている)



「穏便に、ではなかったのですか?」


 それを見た班長が、嫌味ったらしくレブファトに絡む。

 だが、レブファトも顔色一つ変えずに冷静に言い返す。


「穏便ですよ。殺さないのですから」

「これがマングラスのやり方ですか?」

「あなた方も銃で応戦していたでしょう? 同じことです。ただし、無様に負けるようなことはありません。やるからには勝たねば意味はないのですから」

「…あまり大きな顔をなさらないことです。いつかしっぺ返しが来ますよ」

「よく存じておりますよ。ええ、本当にね。では、早々にお引取りください。規制線を張りますから、その中には誰も入らないようにお願いいたします。なに、たった一晩のことです。すぐに終わりますよ」

「…ふん。おい、引き上げだ!! 負傷者を優先して運べ!! こんな場所から離れられるんだ。ありがたく帰らせてもらうとしよう!」


 衛士隊は、マングラスに引継ぎをして撤退。

 信者たちも抵抗する者は殴られ、それでも暴れるものは網で捕縛される等々、次々と連行されていく。

 そうして綺麗になった事務所周辺には、半径五百メートルに渡って規制線が張られることになった。

 夜はここが戦場になるのだから、これでも狭いくらいかもしれない。




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