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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第八章 「壊滅 ホワイト商会」 編


507話 ー 516話




507話 「災厄を望む者」


 場は静寂を取り戻す。

 その場には、もうアンシュラオンの姿はなかった。サナもいない。

 【この男】が、遺跡の機能である『緊急跳躍』を発動させたからだ。


「ふふふ…はははははははは!! アハハハハハハハ!!」


 男は、笑う。

 何がそんなに可笑しいのか、馬鹿笑いを続ける。

 仕方ない。

 彼は今、楽しくて楽しくてしょうがないのだ。


「災厄…! 災厄の魔人だ!! アハハハハハハ!! また災厄がやってきたのだ!! 最高だ!! ハハハハハハハ!! 破壊しろ!! 壊せ!! すべてを焼き払え!! 私を楽しませてくれよぉおおおお!!」


 ひとたび災厄が起これば、それが局所的であれ国家的であれ大陸的であれ、最悪は全世界的であれ、破壊の限りが尽くされる。

 破壊。

 この男にとって、いや、人間にとっては破壊こそ最高の【娯楽】である。

 破壊とは、なぜこんなに楽しいのだろう。

 むしゃくしゃしたときに、液晶テレビに思いきりリモコンをぶつけたりすれば、それはもう最高の気分になるだろう。

 自分の物ならば修理代を考えて後悔するが、それが他人の物ならば楽しい感情だけを得ることができる。

 そう、この男にしてみれば、すべてが他人事だから楽しいのだ。

 傍観し、あるいは直接関与し、その破壊を楽しむことだけが生きる目的である。


 あれ? どこかで聞いたことがあるな。

 あれれ? 気のせいかな?


 否。

 勘違いでも気のせいでもない。

 この男は、アンシュラオンと極めて似た性質を持っているのだ。

 だから災厄を歓迎するし、災厄を待ち遠しく思っている。

 楽しい時間をもっともっと楽しみたいと願っている。


 だが、それを邪魔した者がいる。


「気分はどうですか? 初代マングラス様。いまだにこんな場所に囚われ、愛を欲するなど…ふふ……ふふふ、はははははは!! 無様だなぁ!! 滑稽ですなぁあ! だが、最高に面白い!! あなたが求めたものは、あの災厄の魔人!! あなたがあの時、その身を捧げて退けた魔人なのですからね!!」


 ズブッ ぐっちゃぐっちゃっ!!

 男は手を賢者の石、かつて初代マングラスだった女性に突き入れる。

 恍惚な表情を浮かべて破壊を楽しむ。

 そこに【憎悪】という感情があるからこそ、その行為は美しく、また娯楽となりえるのだ。


「あぁあーーたのしーー!! これまでのことを思えば、これで良かった!! だからこそ楽しい!! あなたが私を封じたからこそ、この力を手に入れることができたのですよ!! ねぇ、【姉上】!! どうですか? 気分は? アハハハハハ!!! 死ね死ね死ねえええええ!! でも、死なないんですよねぇえええええ! それがいい!! あなたはずるい! ずるいよおおお! 自分だけ楽しもうとしてさぁあ!」


 ズブズブズブズブッ

 刺す、刺す、刺す、刺す。

 だが、賢者の石はもう何も語らない。

 男に力を吸われたこともあるが、彼女自らが閉じこもったのだ。


「ふん、この期に及んでまだ抵抗しますか。いいでしょう。楽しみが増えるというものです。しかし、力の七割はもらった。あなたにはもう何もできはしないのだ。災厄を止めることもできない。まあ、そんなつまらないことはさせませんがね」


 ぎゅるるるるっ

 男の両目が翡翠色に変化し、螺旋状の輝きを帯びる。

 深いエメラルドの色合いであり、強烈な生命の波動を受けた者の証である。

 彼がその気になれば、かつて起きた災厄時と同様に都市を守ることもできるだろうが、この男がそんな無意味なことをするわけがない。



「ぐううっ…ううう!! ちくしょう!! ちくしょううううううう!!」

「…ん?」


 叫び声に男が振り向くと、グマシカが命気結晶に閉じ込められたコウリュウの前で地団太を踏んでいた。


「くそくそくそ!!! なんでだ!! なんで!!!」

「グマシカ、何をしている」

「ジジイ!! っ!! ジジイ…! なんだその姿は!!」

「今頃気付いたのか。相変わらずお前は馬鹿だな。だが、そんなところが可愛いがな」

「うるせーーー!! なにが可愛いだ! これはどういうことだ!! どうして俺が選ばれなかった!!」

「そんなこと知る…知る……ぼくちゃん、知らねぇえーーーー!」

「どうしたジジイぃぃいいー!?」


 突然男が怪しい言動を発したので、思わずつっこんでしまった。

 今までのミイラ男の外見ならば許されたが、今は若い美男子の姿になっているので違和感が半端ない。


「むっ、むぐぐぐっ。ふむ。どうやら『三秒に一度、たまに馬鹿になる病気』が残っているらしい」

「それ、ヤバイやつじゃねーか!!」

「おじいちゃんに向かって、なんだその口は。ヤバイとか言うんじゃない! もっと言え! もっと罵れ!! さあ、こい!!」

「うるせー、変態!! ちっ! くそっ!! ジジイのことなんて、どうだっていい! 説明しろ!! 何が起こった!!」

「何が起こったもなにも、見ての通りだ。災厄の魔人が現れた。それだけだ」

「そっちじゃねーよ! どうして選ばれなかった!! 俺はどうして! いいや、違う! どうしてあいつが選ばれた!」

「さてな。賢者の石が姉上の『女』としての部分を強調しすぎた結果だろう。あの人は結婚もせずに、自らを犠牲にすることを決断した。だが、結局は女だ。自己の欲求を満たせなかった未練があるのだろう。ははははは! 愚かだろう? だが、それがいい」

「初代様を笑うな!! クソジジイッ!!」


 ドギャッ

 グマシカの拳が男に炸裂。

 低出力とはいえアンシュラオンと対等に殴り合う一撃だ。

 それが本気で叩き付けられれば、顔面など簡単に吹き飛ぶ。


 されど―――無傷


 男の顔は綺麗なままだった。

 より正確に言えば、溢れ出る生命力が破壊すら許さなかった、というべきだろうか。

 現象だけ見れば『物理無効』に似ているが、まったく別物である。


 破壊という行為を―――『無効化』したのだから。


「弱いな、グマシカ。それなりに強く『造った』つもりだが、本物の魔人には及ばなかったようだな」

「くううう!!! スパイラル・エメラルドの力を得ていれば、俺がジジイの代わりになれたものを!! その腐った脳みそを分解してやったものを!!」

「ハハハハハ!!! お前は変わらないなぁあ!! ぼくちゃん、だからお前がスキイイイイイイ!!! うむ、好きだぞ」

「それ、やめろよ!!」

「仕様だ」

「そう言えば、なんでも許されるわけじゃねーからな!!!」


 まったくである。



 それから男は、命気水晶に閉じ込められたコウリュウを見る。


「これも所詮はコピー品だったか。本来の皇龍の力を引き出すには、まだまだ研究が必要だな。やはり素材が悪かったのか? だが、良質な素材はなかなか手に入らないしな…現状ではこれが精一杯か」

「ジジイ、能書きはいいから早く助けろよ!!」

「これでいいのか? なんなら新しいのを造ってやるぞ?」

「ふざけるな!! 人の命をなんだと思っていやがる!! 玩具じゃねーんだよ!!」


 ドゴッ ドガバキッ

 再びグマシカが男に殴りかかる。

 男は避けないどころか、嬉しそうに拳を浴びる。


「あああ、いいなぁ。お前のその破壊的な欲求が、私は大好きだよ。わかったわかった。助けてやるさ」


 祖父が孫のワガママを聞いてやるかのように、男が手を命気水晶に押し当てると―――


 バリバリバリーーーンッ


 命気水晶がバラバラに破壊される。

 アンシュラオンが生み出した命気水晶である。ダイヤモンドよりも硬い素材だ。

 それをいとも簡単に壊す怖ろしさがわかるだろうか。


「この命気…素晴らしい練度だ。今までの魔人の中でも相当に優れた素材のようだな」


 男は命気を分解した。

 同じ生命の要素を持つからこそ、こうした干渉も可能なのだ。

 この男に命気は通用しない。

 それはつまり、アンシュラオンにとって極めて相性が悪い存在といえる。


 どさっ


 解放されたコウリュウが床に崩れ落ちる。


「コウリュウ! 無事か!!」

「………」

「コウリュウ!!」

「龍人ならば、その程度では死なないさ。だが、随分と痛めつけられたな」

「くそおおお! くそおおおおおお! よくもやりやがったなぁあ!! あいつは必ず俺が倒す!!」

「今のままでは無理だな。はははは」

「あんたがなんとかしろ! 俺にもっと力をよこせ!!」

「そう簡単に言うな。私がどうしてやつらを移動させたと思う。勝ち目がなかったからだぞ」

「今は力を得ただろう!」

「エメラルドは守る力だ。たしかに死なないが、それだけだ。単純な戦闘力では相手が何倍も上だ。それはお前も見ただろう? あれでも全力ではないのだぞ?」

「…ぐううう! 魔人があれほどとは…」

「ふふふ…ははははは!! だから災厄は面白いんだよ!!! 私には理解できん。なぜ姉上は災厄を否定する。これほど楽しいゲームはないというのにな!!」

「相変わらず性根が腐ったジジイだ…!! 俺こそお前が理解できないぜ!!」

「ありがとう。嬉しいよ」


 この男は、すでに狂っている。

 生まれた時から狂っていたのだから、今になって治ることはありえない。


「魔人が二人いるのはなぜだ! ジジイなら知ってんだろう!」

「グマシカ! おじいちゃんだからといっても、何でも知っているわけではないんだぞ!! ゲロゲロピーー!」

「威張って言うことか!!」

「わからん。なんもわからん。だから楽しいんじゃないか」

「ふんっ、いいさ! もうジジイには頼らねーよ!」

「そんなこと言うな。寂しいじゃないか。ナイスマッスル! よっ、キレてる!!」

「あー! ジジイと付き合っていると頭がおかしくなる! くそっ…あいつを倒すにはどうすれば……あれ?」


 グマシカが苛立っていると、その視線の先で倒れている女性を見つけた。



 それは―――ミャンメイ



「ミャンメイ!! 跳ばされなかったのか! ジジイの仕業か!?」

「んん? 知らんぞ。あんなのは知らん。私が起動したプログラムは『マングラスに関わる者以外を強制転移させる』ものだ。もともと聖域にあった排除システムだな」

「じゃあ、どうしてミャンメイが…!」

「グマシカ、ほかにもいるみたいだぞ」

「なっ…」


 さらにその奥には、グリモフスキーまでいる。

 アンシュラオンとサナだけが強制的にこちらに呼ばれ、彼らだけがまた再び跳ばされていったという構図になったらしい。(実はレイオンも跳ばされたが、気付かれなかった)

 だが、その中身はもっと複雑だ。

 マングラスに関わる者以外が跳んだ、ということは、この場に残っているのは『マングラスに関わる者』なのだ。


 その彼らに共通するのが―――



「この娘…擬似エメラルドの適合者か。ふははは、面白い。これは良い実験材料になりそうだ。おー、おー、いい反応をしておるではないか! ビンビンくるぞ! どうしてくれようか…ぐふふ」

「ミャンメイに触るな!! ドガッ」

「おじいちゃんに暴力を振るう孫なんて、大好きだからね!!!」

「うるせー!! このイカれジジイ!! こっち来るな!!」

「なんだ、グマシカ! 気に入ったのか!! そんな肉の塊が好きになったのか!! 女など、ただの肉ではないか!!」

「おい、それ以上言ったら本気で怒るぞ!」

「事実を言っただけだが…そうか。まだお前には性欲があるのか? 懐かしいものだな。まあいい。好きにしろ。私に女は必要ない」


 男は機械の身体になってから、完全に肉体的欲求を失っている。

 食欲、性欲、睡眠欲といった、人間として当たり前の欲求そのものが必要ないからだ。

 何かが欲しければ造ればいい。

 わざわざ男女といったものを介さなくても、女性の子宮を経なくても人を生み出すことができるのだ。

 だが、愛を忘れているわけではない。


「愛とは、自己完結するものだ。他者の存在は、自己を完成させるための手段にすぎない。ああ、だから破壊は美しい。そこに哀しみがあるからだ。ふふふ、あははははは!!」


 ただし、相当偏っており、相当壊れた愛情だが。




「ジジイ、これからどうするつもりだ?」

「目的は半分達した。そして、お前との勝負は私が勝った。だから楽しませてもらうさ。存分にな」

「ちっ、ならば俺も好きにやらせてもらう」

「いいのか? んん? 独りでできるのかぁ?」

「ガキ扱いするんじゃねーよ!! いいか、俺のやり方に口を出すな! ミャンメイにも手は出すなよ!」

「おじいちゃん、さびしーーー!! だが、それもまた一興だな。私もしばらくは聖域の調査と戦力の増強に時間を割くつもりだ。災厄の魔人と遊ぶには、もっと力が必要になるからな。ふふふ、楽しくなってきたぞ」


 マングラスもまだ遺跡のすべてを掌握したわけではない。

 ここには使えそうなものがゴロゴロと眠っているのだ。

 ゲームを楽しむためにも、それらの掌握は必須であろう。


「ところでジジイ、ミャンメイに手を出したのはあんたの仕業か?」

「なんの話だ? お前も知っての通り、私は三百年以上もここで戦っていたのだ。外のことはお前たちに任せていたはずだぞ」

「…違うのか。じゃあ、いったい誰が…」

「なるほどなるほど!! 面白いではないか!! 我々に敵対するものが災厄以外にいるのだ!! 存分に楽しめ!! 闘争を楽しめ!!」


 男は、とても危険な存在であった。

 快楽主義者で個人主義者かつ、人の欲求の大半を捨ててしまった男。

 彼が求めるのは闘争という『ゲーム』のみだ。





「ハハハハハハ!! いいぞ!! もう私の邪魔をする者はいない!! アハハハハハハハッ!! あの時の続きを始めよう!! なぁ、姉上。今度も私を封印してくれるのかなぁ? アハハハハハハッ!!」





 男が知る限り、【災厄は二度起きた】。


 三百年前の破壊は全世界規模だったので誰もが知っているが、その前にもグラス・タウンは一度災厄に見舞われている。

 その時に男の姉である初代マングラス(本家)は、身を犠牲にして都市を守った。

 グマシカもそんな初代マングラスに憧れ、都市を守るためにどんな手も使うと覚悟を決めている。

 しかし、この男は二人とは正反対。


 破壊を―――【災厄を望む者】なのだ。


 だから初代によって災厄とともに地下遺跡に封印された。

 それでも男は身体を機械にしてまで生き続けた。求め続けた。

 男はまったく懲りてもいないし、その欲望が衰えたりもしていない。

 むしろ長い時間を経た分だけ、凶悪的なまでに増強されているのだ。



 都市の利権をかけた本当の戦いが、ここから始まる。




508話 「医者の正体 前編」


「くそ!!」


 バンッ ドゴンッ


 アンシュラオンは、行き場のない怒りを壁に叩きつける。

 思いきり蹴ったせいか、遺跡の壁が吹き飛んでしまった。

 プライリーラが殴っても壊れない壁なのだ。どれだけ強く蹴ったかがわかるだろう。


 ここは収監砦の地下、ラングラスエリアである。


 アンシュラオンとサナ(+レイオン)はマングラスの聖域から強制退出させられ、地下遺跡の神殿に飛ばされていた。

 今回の場合はランダム転移ではなく、辿ってきた道を強制送還させられるプログラムだったので、単純にそれまでいた場所に戻されただけだった。

 その後、どうやっても聖域に行くことはできなかったので、仕方なく戻ってきたのだ。

 だが、戻ってからも怒りは収まらない。さっきからずっとこの調子である。


(せっかくグマシカを殺すチャンスだったのに! 【やつ】に気を取られちまった! だが、あいつを放っておくという選択肢はなかった。あいつは…かなりヤバイ。戦闘力がどうこうじゃなくて、雰囲気がヤバイやつだ。それだけ見ればソブカに近いが…あれだけ遺跡の力を使いこなすんだ。危険度はあいつ以上だと思ったほうがいいな)


 アンシュラオンをもってして、ヤバイと言わしめる男である。

 さすがに戦闘力で負けるつもりはないが、なんというのだろう、底知れぬ怖さを持つ男であった。

 これは実際に殺せる者と殺せない者の差とでもいうべきか。

 よく「来るな、人質を殺すぞ!」と叫ぶ立て篭もり犯がいるが、彼らはまだ可愛げのある者たちである。

 目的が金にあることも要因ではあるが、できれば殺したくないという倫理的なストッパーが働いているから叫ぶのだ。

 しかし、あの男は喜々として殺すだろう。

 殺す口実が出来たのだから、たっぷりと楽しんで惨殺するに違いない。

 いや、口実がなくても殺すに違いない。そもそも人を殺すことに理由などいらない、といわんばかりに殺すはずだ。そういった怖さがある。

 アンシュラオンも倫理感がほとんどないが、かといって破壊だけを好むわけではない。

 その意味でも、あの男は相手が女や子供であろうが、まったく気にしないだろう。

 彼にとって、すべては肉の塊でしかないのだ。

 もしかしたらグマシカを見ただけの人間ならば、マングラスが悪とは言いきれない部分があったかもしれない。


 だが、あの男は―――清々しいまでに【悪】だ。


 アンシュラオンの予感は正しかったのである。

 だからこそ正義ではあの男に勝つことは不可能なのだ。


「…ふーー! ふーー!」


 ガンガンッ

 そして、怒っているのはアンシュラオンだけではない。

 サナもまた刀で壁に八つ当たりしている。

 ミャンメイと合流までしたのに、なぜか自分たちだけ移動してしまったのだ。彼女も怒り心頭であろう。



 二人は―――失敗した。



 アンシュラオンにしては珍しく完全に失敗だ。

 いや、よくよく思えば輸送船を壊したりもしていたので失敗は数多くあるが、相手に出し抜かれたという意味で敗北に近い。

 そういった悔しさもあって怒りに満ちているのだ。

 こういうとき、人は誰かに八つ当たりしたくなる。


 その点、今はちょうどいい「的」があるのだから幸いだ。




「このやろーーー!」


 ヒューーーンッ ドゴンッ


「ぎゃーーーーーーー!!」


 アンシュラオンが投げた石(自前)が、少し離れた場所でうずくまっていた男の肩に当たる。

 遠慮などしていないので、石はあっさりと肩を破壊して貫通した。


「あーーーあーーー!! 肩がーー! 肩がぁぁああああ!」


 男は激痛で転げ回り、涙を流す。

 肩が吹っ飛んだのだから泣き叫んで当然だ。

 だが、この男に同情する必要性はまったくない。


「てめぇーー!! このカスが!! お前に痛がる権利はないんだよ!! どす! ガスッ!! バキッ!!」

「おぶぶうっ! うぎいいいっ!! ぎゃっ! ひぶっ! ひでぶっ!!」


 アンシュラオンが八つ当たりで蹴っているのは、名誉あるキング・オブ・クズの称号の持ち主だ。

 こんなクズはどうなってもいいだろう。せめてサンドバッグとして役立ってもらわねば、生かしている意味がない。


「サナ、お前もやってやれ!」

「…こくり」

「ひー、ひーーー! お、おゆるし―――おぼっ!!」


 バゴンッ ぼぎんっ!!

 サナが鞘でカスオの顔面をぶっ叩く。

 戦気こそ放出していないのでまだましだが、それでも怒りに任せて殴ったので首の骨が折れる。

 彼女も肉体能力が成長しており、戦気なしでも成人男性を軽く超える腕力を持つに至っていた。折れて当然だ。

 ただ、即座に首の痣が蠢き、彼の傷を癒す。


「おぼぼぼっ…うぐぐっ! げぼっ! げほほっ!! いてーよ、いてぇーーーよっ!」


 いくら傷が治っても、その過程で生まれる痛みは変わらない。

 しかもまた回復したものだから―――


「…ぶんっ」

「ひぐっ!!」


 ボゴンッ ボキンッ

 またサナに折られるという悲劇が起こる。


 ボゴンッ ボキンッ じゅわわ(治っている音)

 ボゴンッ ボキンッ じゅわわ

 ボゴンッ ボキンッ じゅわわ


 治ってはへし折られ、また治ってはへし折られるという地獄の苦しみが続く。

 しかし、その光景を見ても誰も止めに入らない。

 この場にはマザーやニーニアもいるのだが、彼に優しさの欠片すら向ける者はいない。

 博愛主義の元カーリス信者のマザーでさえ、それを放置しているのだから、いかにキング・オブ・クズが素敵な魅力を放っているかがわかるだろう。


「おい、クズ!! なんて使えないやつだ、お前は!! お前からは何も出ないじゃないか!! 汚くてダシも出やしない!! まったくの役立たずめ!!」

「う、うひいい…あべべべっ……ゆ、ゆるぢて…くだ……ざい!!」

「お前のせいでミャンメイを失った!! ただで済むと思うなよ!!」

「ひ、ひぃいいい!」

「安心しろ。殺しはしない。だが…くくく、オレのものに手を出したんだ。たっぷりと楽しませてやるよ。なぁ、オレは言ったよな。お前に忠告したよな? 最初から信じちゃいなかったが…堂々と違反したお前には、こんなもんじゃ足りないよなぁ? 本当の生き地獄を見せてやるから覚悟しておけよ」


 アンシュラオンの目が、極めて残忍な色を帯びる。

 その中に宿る魔人の色合いを見たカスオは―――



「ひぃい!! ひぃーーーーっ!!! あああぁっぁぁぁあっ―――がくっ」



 じょーーーー

 失禁して気絶した。


 普通の人間が魔人の本性を少しでも垣間見れば、こうなって当然である。

 しかしながら、いくら怖いからといって失禁するのはやめてほしい。

 非常に不快だし、誰が掃除をすると思っているのだろうか。(あとでカスオにさせました)




「落ち着いたかしら?」

「…少しはね」


 頃合いを見計らって、マザーがアンシュラオンに話しかける。

 こうした場合は怒りが収まるまで放っておくことが正解とわかっているのだろう。賢い女性である。

 そんなマザーも、気絶したカスオを見て溜息をつく。


「結局、彼からは何も出てこなかったわね」

「あいつは使い捨ての駒だったから、だいたい予想はしていたけどね。何も知らないで加担するんだから、やっぱりクズはクズさ」


 話は少し戻るが、アンシュラオンがカスオを発見したあと、彼を治癒して尋問を開始した。

 しかし、当然ながらというべきか、彼は何も知らなかった。

 ただ指示が来たから従っただけだ、というのだ。

 そんなことで動くやつがいるのか? と問いたくなるが、昨今の日本においてさえ、その日に出会った者同士で犯罪を実行する連中もいる。

 とりあえず金になりそうだからと、事情を訊くこともなく安易な気持ちで動いてしまう者が多いのだ。

 クズという存在は頭が悪く、何も考えず、ただ欲求のためだけに動く。

 クズがクズであることに理由はいらない。

 だからこそ使う側も安心して使い捨てにできるのである。


(このクズに【接触した男】についても詳細は不明だった。簡単に正体をバラすわけもないよな。肝心のこいつの記憶力も酷いし、まったく手がかりがないのはつらいな)


 カスオに接触した者がいるのは事実だ。

 その人物から銃を渡され、具体的な指示を受けている。

 もちろん顔は見せないので誰かはわからないが、男であることはわかっているという。

 だが、わかっているのはそれだけだ。


(地下の人間か? それとも地下に出入りが可能な力を持つやつか? その配下か? 該当者が多くて絞りきれないな)


 アンシュラオンの中では、グマシカたちに加えてグリモフスキーも怪しいと思っているくらいだ。

 絞り込むのは難しい。絞り込んでも物証も確証もないのだから、どうしようもないが。

 それよりミャンメイが心配だ。


(ミャンメイが取り残された以上、クズにかまっている暇はない。傷物にされる前に、なんとしても助け出す必要があるが…そのためには『こいつ』から話を訊く必要があるな)


 アンシュラオンは、目の前にいる人物に視線を向ける。

 その初老の男性は、黙って椅子に座っていた。

 彼からは何も語らないので、こちらから話しかける。



「バイラル、やつは何者だ?」



 そこに座っていたのは、レイオンが『先生』と呼んで慕う医者であった。


「………」

「お前なら、やつについて何か知っているんじゃないのか?」

「………」

「遺跡に潜っているのも、あいつと何か関連があるからか?」

「………」

「だんまりはよせよ。もうあんたの【正体】はわかっているんだからさ」


 思いきり割愛したが、アンシュラオンが賢者の石によって聖域に飛ばされる前、実は一度転移させられていた。

 今のようにカスオに対して尋問していた時、沸々と怒りが湧いて凶暴化したアンシュラオンに対して遺跡が反応し、違う場所に転移させられたのだ。

 その際にバイラルと出会っている。


 彼がいた場所は―――【工場】


 そこはどうやらロボットの生産工場だったらしく、今現在もメンテナンスに限っては稼働している箇所もあるほど『生きている』場所だった。

 バイラルはそこでロボットの核となるジュエルを調べていたところ、アンシュラオンと遭遇したというわけである。

 しかし、レイオンと彼には決定的に違う事情があった。

 レイオンが不意に飛ばされ、まったく遺跡の知識がなかったのに対して、彼には動揺がまったくなかった、という点である。

 それは、自らの力で「いつでも帰れる」ことを知っているからこその余裕だった。

 そこでアンシュラオンは状況を確認しつつ、バイラルにも尋問しようとしていた時、賢者の石に呼ばれてしまったというわけだ。

 よって、彼への本格的な尋問はこれからである。



「あんた、ただの医者じゃないだろう。開胸技術も今のグラス・ギースの医療水準から見れば、圧倒的に高いレベルにある。スラウキンでさえ難しいと言っていたんだ。簡単にできるわけがない。オレが思うに、あんたは―――」





―――「やつらの【仲間】じゃないのか?」





「…え?」


 アンシュラオンの言葉に、ずっと話を聞いていたニーニアが驚く。

 詳細を知らされていない彼女であっても、さすがにその言葉の意味くらいはわかった。

 アンシュラオンが言う「やつ」とは、「あの男」のことだ。


 バイラルが、あの男の仲間。


 言い換えれば―――マングラスの仲間


 そう言ったのだ。


「…どうして、そう思った?」


 今まで口を開かなかったバイラルも少し興味を抱いたのか、目の前の白い少年を正視する。


「ようやくオレを見たな。ずっと目を逸らしていただろう」

「他人と目を合わせたくないだけよ」

「それもあるだろうな。地下にいるってことは、それなりにやましいことがあるってことだ。ただ、今回の場合は違うな。お前はオレを【怖れている】」

「強き者を怖れるのは、常人の性というものよ。おかしくはあるまいて」

「やれやれ。随分と偏屈な男のようだな。あんたの正体を暴くためには、一つ一つ化けの皮を剥がしていかないといけないらしい」


 アンシュラオンが、バイラルが怪しいと思った理由はいくつかある。

 これまた完全に割愛されているが、一緒に転移してきたレイオンから多少の事情を訊いていた。

 彼はまだ意識が朦朧としているので、ベッドに寝かせているところだ。

 やはり龍人の血を受けたのが悪かったのか、身体に変調をきたしているようだ。

 浄化はしてみたが、すでに混じりあった血に関してはどうしようもできなかった。

 あとはレイオンの武人としての力に託すしかないだろう。


「まず一つ、あんたは遺跡に詳しすぎる。ここに来たのも、あんたの指示によるものだって話じゃないか。その段階で怪しい」

「地下の存在は、知る者ならばさして珍しいものではない。発想としてはありふれたものよ」

「なら、マングラスが知らないわけがないだろう。矛盾しているな」

「グラス・ギース内部にいるのならば、どこにいても変らぬよ。程度の差こそあれ、やつらの目が届かぬ場所などないからな」

「そこも気になる。どうして外に逃げなかった?」

「こんな老いぼれの行く場所など、地下以外のどこにあるというのじゃ? それに外は危険であろう」

「それだけの医療技術を持っているんだ。東大陸ならば、どこに行っても重宝されるはずだ。たしかに危険は伴うが、交通ルートを使えば比較的安全に逃げることができる」

「あくまで仮定の話よ。魔獣に出会えばすぐに殺される」

「命を惜しむ必要なんてないだろう? もし惜しいのならば、やつらに投降すればいいだけだ」

「屈するつもりはない。男として癪であろう?」

「もっともらしいことを言うんだな。しかし、根本的な話をしよう。あんたは本当に『追われていた』のか?」

「なぜじゃ?」

「レイオンを半殺しにしたやつ…コウリュウの片割れのセイリュウってやつか。オレも名前は知っているよ。マングラスの双龍は有名だからな。あんたはやつに追われていたそうだな?」

「うむ。それの何が不思議なのだ?」

「やつらはあんたに危害を加えようとしなかった。レイオンはあんなにやられたのに、あんただけ無事なのはおかしい。となれば、やつらは最初からあんたを殺すつもりはなかったんだ」

「それこそ矛盾しておるな。追われる理由がなくなる」

「だから追っていなかったのさ。いや、追ってはいた。しかしそれは、逃亡を防ぐためだったんじゃないのか?」

「妙なことを言う。意味は同じであろう?」

「違うな。最初のスタート地点が違うだけで、これらはまったく別の意味を成すんだ。もしあんたが向こう側の人間だったとしたら、ってことさ。大前提が覆る」

「仮定の話にすぎん。いくら論じても無意味であろう」

「ははは、そりゃそうだな。水掛け論なんて、いくらやっても意味がない。だが、オレには一つ武器があってな。今までこれには本当に助けられた。だから今回も、はっきり言うけどさ―――」





「あんた、なんで―――『マングラス』って名前なんだ?」






508話 「医者の正体 中編」


 『空気が凍る』とは、まさにこのことだろうか。

 アンシュラオンが発した言葉によって、この場の時間は完全に凍ってしまった。

 誰もが何もしゃべらない。

 マザーもニーニアも、その意味を理解するのに時間がかかっているのだろう。ほぼ無表情だ。

 サナはもちろん怒り以外の感情を出さないので、じっと老人を見つめている。

 ただ、彼女のエメラルドの瞳に映った老人だけは、目を見開いて硬直していた。


「どうした? 驚いているようだな」


 少し話をしただけで、老人が知性豊かな人物であることはわかっていた。

 こちらがいくら問い詰めても、グラス・ギースに詳しい彼の理論武装を突破することは、まず不可能だろう。

 ここではそれが慣習だ、老いぼれだからしょうがない、と言われてしまえば言い返すことができない。

 ならば、老練な彼に対して最大の力を発揮するのが、いつもお世話になっている『情報公開』スキルである。


(視認した者のステータスを表示する能力。相変わらず万能だな。こいつの正体もあっさりと見抜いてくれたよ)


 地下で出会った怪しい医者に対して、情報公開スキルを使わないことはありえない。

 即座にこの老人の名前が「マングラス」であることを見抜いた。

 データに表記されているのだから仕方ない。これが事実だ。


「何を馬鹿な…」

「言い逃れは不可能だ。もうわかっているんだよ。バイラル・コースターは偽名だな。あんたの本当の名前は、バイラル・マングラスだ」

「………」

「オレにはそういう能力があるんだ。それで納得できないのならば、これから出会うやつの本名をすべて言い当ててやろうか? それならお前も信じるしかないだろうな」

「………」


 老人は、しばし黙っていた。

 その姿は、事実を言い当てられた被疑者、といったところだろうか。

 頑固な被疑者が次に何をするかといえば、『黙秘』である。

 彼もまた沈黙を守り続けることで、余計な情報の漏洩を防ぐことができただろう。


 しかし、それでは自らの嫌疑を強めるだけだし、何よりも老人は―――疲れていた。


 ふぅうう、と大きく息を吐き出すと、肩から力を抜く。


「面白い力を持っておるな。やはりおぬしは普通の人間とは違うようじゃ」

「規格外だってのは認めるさ。で、あんたも『マングラス』ってことは認めるんだな?」

「認めよう。ただし、呼び方はバイラルでかまわん。そのほうが具合が良い。いまさらそっちの名前で呼ばれても気持ち悪いだけだからの」

「わかった。引き続きバイラルと呼ばせてもらうよ。それで、どういう事情だ?」

「話せば長くはなるが…お前さんが一番知りたいのは、わしの素性ではあるまい。もっと気になっていることがあるのではないのか?」

「その通りだよ。【やつ】は何者だ?」

「ふふふ」

「何が可笑しい?」

「いやな、強者であるはずのお前さんが、思ったより焦っておるからの。わしに訊かずとも、おぬしの能力で見破ればよいではないか。実際に会ったのであろう?」

「………」

「なるほど。アレには通じなかったとみえる」


 その沈黙が答えだった。

 ミャンメイが取り残されたことも焦りの要因であるが、アンシュラオンがもっとも警戒しているのは―――



(そうだ。やつの情報が見えなかった。違う。見えたんだ。だが…【文字化け】していて読めなかった。こんなことは初めてだ)



 姉でさえ『情報公開』を使えばステータスを確認できた。

 唯一の例外といえば、術符で編まれた包帯を身体全体に巻きつけていた風龍馬くらいだが、文字化けしていたわけではない。

 隠されているところはあるにせよ、基本的なステータス画面は見えていた。

 だが今回は、見せる必要性もないほど文字化けしていた。

 同じOS上でも、違う文字コードではテキストが読めないように、適切な処理をしないと言語として認識されなくなる。

 中身はあるのだ。何かしら書いてある。

 しかし、読めなければ価値がない。理解できなければ無意味だ。

 だからこそアンシュラオンは、他人から訊くという原始的な方法を使うしかないのである。


(ちっ、だんだん『情報公開』スキルの弱点が目立つようになってきたな。それだけオレが多様な人物と出会っているということか。そのうちスキルそのものが使えない相手も出てくるかもしれないぞ。想定していたことではあるが、実際にそうなると慌てたか。オレも未熟だな)


 老練なバイラルには、自分の動揺などお見通しらしい。

 さきほどから怒りが収まらなかったのは、この苛立ちと不安によるものでもあったのだ。


(スキルに頼らない練習はしていた。問題はない)


 ただし、アンシュラオンはこのことを予期しており、日々の戦いでの多用は控えていた。

 すべては準備していたのだ。

 だからこそ、逆にそう言われたことで落ち着きを取り戻す。



 今度はその様子を見ていたバイラルから、逆にアンシュラオンに問いかける。



「アレを見たのは事実のようじゃな。ぬしの感想はどうだ?」

「あいつは殺さねばならない。そんな気がしている。真性のヤバイやつってのがオレの意見だ」

「そうか。実際に見たおぬしの意見ならば、それが正しいのであろうな」

「バイラル、あんたは何者だ? オレがわかるのは、あんたの名前とある程度の身体情報だけだ。経歴などは推測するしかない。あんたはマングラスの人間なのか?」

「…ここまで来た以上、もはや隠す必要もない。そうだ。わしはマングラスの人間。それも―――【本家】の人間よ」

「本家だと? 本家というと、マングラスの正統後継者の血筋なのか?」

「そういうことになろうな」

「では、グマシカはお前の兄弟…いや、年齢を考えればどうなんだ? あの口ぶりからすると、かなり年齢がいってそうだったが…」

「兄でもなければ、本家でもない。彼は【分家筋】だ」




 グマシカは―――分家の人間




 その事実がバイラルによって明かされる。



(これは意外だったな。だが、たしかにマングラスの情報は、ほとんど外に出ていない。やつらの家系図もなければ、家族構成も謎のままだ。その可能性もあったか)


 現状で家系図が公開されているのは、領主のディングラスに加え、ジングラスとハングラス、そしてラングラスの四つだ。

 隠し子がいる可能性なども多少あるが、そういった部分は除外するとして、ひとまず本家筋と分家筋の存在はしっかりと把握され、区別されている。

 これは権力の構図をしっかりと示し、派閥の土台を強固にするためにも必要なことである。

 誰が上なのかをはっきりしないと、下は混乱してしまうだろう。

 狭い都市だからこそ規律は重要である。内部の統制と調和を大事にするのは、それが一番の安全を保証するものだからだ。

 とはいえ、ソブカのように明確に下だと事実を突きつけられて、反発してクーデターを画策するようでは本末転倒だが、あれは特別な事例として考えたほうがいい。

 それを防ぐだけの力が本家にないことのほうが問題だからだ。

 そして、マングラスにもそれは該当する。


「おぬしは少女を見たと言ったな」

「ああ、カプセルに入っていた子だ。見た感じでは十代後半といったところか。胸は普通の大きさだったぞ」


 あの一瞬で胸の大きさまで把握するとは、さすがである。

 その才能を違う場所に生かしてほしいと心底思う。


「それはおそらく【初代マングラス】であろう。わしも伝承でしか知らぬから確実とはいえんが…かの御仁は、都市を守るために自己を犠牲にしたと伝わっておる」

「まだ生きているような感じだったぞ?」

「生命の石と融合したからであろう。あれはわしが集めていた偽物とは違い、本物の力の結晶じゃからな」

「その石とやらも気になるが、初代というのは本家なのか? お前の先祖ということでいいのか?」

「いや、初代マングラスは結婚されなかったそうだ。あの石は無垢で清らかなものを好む傾向にあったと書かれていたから、生娘でなければ駄目だったのであろう。初代は本家ではあるが、実際に継いだのは【妹】のほうだ。それがわしのご先祖様ということになる」


 初代マングラスには、妹がいた。

 長女が結婚せずに石の媒体になったため、マングラスを継いだのは次女ということになる。

 これが現在まで続くマングラスの本家筋の源流となっている。


「グマシカが分家だとすれば、分家が本家を乗っ取ったのか?」

「わからん。だが、そう考えたほうが道理であろうな」

「お前の家のことだろう? 知らないのか?」

「なにせわし自身、自分がマングラスであることなど、つい最近まで知らなかったのだ。そうじゃ、何も知らずにグラス・ギースで暮らしておったのよ。ふふふ、滑稽であろう?」

「そんなことが可能なのか? あんたがどう思っていようが、普通はバレるんじゃないのか?」


 グラス・ギースは血筋を大事にする傾向にある。

 権力の動機付けが五英雄であり、本家筋に起因しているからだ。

 今でこそ日本人は家系を気にしなくなったが、資産を持つ人々は成り上がりを除き、たいていが昔の有力者の末裔である。

 だからこそ本家筋であれば、自分がどう思っていようと周りが放ってはおかないのだ。

 だが、バイラルは本当に今まで何事もなく過ごしていたという。



 つまりは、【忘れられていた】のだ。




「これはわしの推測であるが、大災厄時の混乱で情報が失われたのであろうな。グマシカたちが力を握ったのも、あれがきっかけになった可能性が極めて高い。他の派閥も災厄が原因で、多くの本家筋が死んだといわれておる。マングラスも例外ではあるまい」

「ふむ、戦後の混乱のどさくさに紛れて権力を奪うか。オレの国でもあったことだな。どこも同じか」

「そのあたりのこともわからんのだ。知らなかったのだから仕方あるまいて。しかも、わしの父親は医者だった。だから自分はラングラスに連なる者だと思っていたくらいよ」

「あんたの医療技術が高いのはなぜだ?」

「父親が秘伝とされている医学書を持っておったのだ。わしも幼い頃から高度な医療を学び、それを利用して順調にキャリアを重ねて医師連合の代表にもなった。今思えば、まったくもって無知だったと自覚はしておるよ」


 バイラルは自分がマングラスの本家筋だとは、つゆほども思わなかった。

 それゆえに誰にも疑われずに、医者として成功することができたのだろう。

 しかし、医師連合のトップという座に立てば、自然と他派閥の人間と出会うことが多くなり、さまざまな情報が手に入るようになってきた。

 医者として成功することしか考えていなかったバイラルにとって、その多くは自分には関係のないものばかりで、まったく興味がなかった。

 所詮は違う世界のことだと、すべてが他人事だったのだ。


 生命の石を―――知るまでは。



「医者として絶頂の頃、わしは生命の石を発見した。たまたま違う手術をした者から偶然見つけたのだが、一目でそれが普通ではないとわかった。だから持ち帰って調べたのだ。だが、それもまたマングラスの血筋だったからこそ可能なことだったのだがな」


 擬似エメラルドと呼ばれる生命の石が、今まで発見されなかったのは、触れた人間がマングラスではなかったからだ。

 逆に言えば、マングラスの人間だけが物質としての生命の石を保存管理できるように「プログラム」されていたのだ。

 それ以外の人間が触れたりすれば、その瞬間には崩れ去ってしまうように設計されている。

 あるいは逆に【寄生】されてしまい、自分もまた奇病になる可能性すらある。

 偶然か因果かわからないが、マングラスの血が生命の石と巡り合うことを許したのだ。


 そして、それが始まりでもあった。


「それによってやつらは、わしがマングラスの人間であることに気付いたようだ。やつらも忘れているくらいよ。わしらの血筋は災厄時に外に逃げ、ひっそりと生き延びたと考えるほうが自然じゃな。それで舞い戻ってきた時には数世代経っており、もはや忘れられていたのであろう。また、そのまま黙っていたほうが安全だったのかもしれん」

「なるほどな。安易に本家筋だとバラせば、地盤固めのために消される危険性もあっただろうしな。辻褄は合っている。まあ、それはいい。オレが知りたいのは現在のことだ。どうしてあんたは連中に追われていたんだ?」

「わしがやつらの『提案』を拒否したからであろうな」

「提案だと? 石を見つけたからじゃないのか?」

「それについては、むしろ喜んでおったよ」

「喜んだ? なんで? 自分たちの悪事がバレたら普通は煙たがるだろうに…」

「やつらにとってはマングラスの生き残りがいたことが、嬉しい誤算だったのだ。それと比べれば石のことなど瑣末なことであろうよ」

「うーむ、だいぶ話が変わってきたな」


 このあたりの説明に、レイオンとの食い違いがある。

 これもまた大前提が覆ったからだ。


「生命の石の研究を始めたわしに、グマシカが接触してきおった。最初はセイリュウという男が接触してきたが、何度か会ったあとには直接グマシカに会うこともできた」

「ほぉ、面白い話だな。場所はどこだ?」

「わしが会ったのは上級街にあるマングラスの館だが、普段は誰も住んではおらぬ。転移装置を使っていると考えたほうがよかろう」

「本家筋のお前なら起動はできるんじゃないのか? 遺跡の中もその『権限』で移動しているのだろう?」

「そうではあるが、やつらによって厳重に管理されておるからな。おぬしが行った聖域にたどり着くのは不可能じゃろう」

「そうか。さすがにそこまで甘くはないか。それで、提案とは何だったんだ?」

「うむ…それがな……うむ…」

「そんなに言いにくいことなのか? どれだけ残酷な内容だ?」

「…いや、そうではないのだが……」


 なぜかバイラルが言い淀む。


 マングラスが提案することだ。


 よほど悪質で凶悪な内容なのだろうと勝手に想像していたのだが―――






「実は―――【子を作れ】と言われてな」






509話 「医者の正体 後編」


「…はぁああ?」


 若干恥ずかしそうに告白するバイラルに、アンシュラオンが素の対応を返してしまう。

 目の前の男は、もう初老なのだ。驚いてしかるべきだろう。

 しかも顔を赤らめるのはやめていただきたい。


「じいさん、あんた何歳だよ?」

「今は七十だが、当時は六十五だったな」

「あんたが地下に来たのは三年ちょっと前だな。ってことは、それ以前から誘いがあったってことか?」

「うむ。あれ以来、直接グマシカたちと会うことはなかったが、提案自体は毎週のようにあったものよ。あれはしつこかったものだ。乗り気ではなかったからな。だんだんと搦め手まで使うようになってきて、偶然を装って迫ってくることもあった。落し物を拾った女子《おなご》に誘惑されたりもしたな」

「いやそりゃ…その年齢で子供を作ることもあるけどさ。それ自体はおかしくはないが……いいや、おかしいな!! なんだその提案は!? 訳がわからん!! あいつらの狙いは何だ? いまさら本家の人間なんて邪魔なだけだろう?」

「わしも訳がわからんかった。そもそも本家という自覚などなかったからな。最初は呆然としたものよ。だが、当時はわからなかったが、いろいろと知った今ならばわかる。マングラスの血筋は、すでに【途絶えておる】のだ。だから血を残したかったのであろうな」

「グマシカがいるじゃないか。それに孫か何かがいると聞いたような気がするが…」

「孫?」

「いるんだろう? グマシカに孫か何かが」

「ああ、あの男か」

「あの男…? その言い方は変だな。子供だと聞いていたが?」

「わしとおぬしでは『グマシカ』という名前に対して、若干の認識の違いがあるようじゃな。わしが会ったグマシカは【老人】じゃったよ」

「老人だと? オレが会ったグマシカは子供だったから…あんたが言っているのは『影武者』のほうか? そりゃまあ、あいつがじかに会いに来るわけがないけど…」

「影武者が、その孫じゃよ」

「…は? なんだって?」

「世間でグマシカに孫がいるという話になってはいるが、その者は本物のグマシカの影武者として動いておる」

「じゃあ、プライリーラが会ったジジイってのは…」

「うむ。その人物じゃろうな」

「なんでそんなことをするんだ? あっ、そうか。本物のグマシカが動きやすいようにか。万一表に出てくる時があれば、そういった既成事実があったほうがいいもんな」


 グマシカの身体は子供なので、万一影武者に何かあった際、あるいは当人がどうしても表に出なくてはならない時、無駄な混乱を起こさないために『孫』という身分は便利だろう。

 なるほどなるほど。

 多少驚きではあるが、ここまではいいだろう。


「だが、子供を作るのならば、そいつでもいいじゃないか。まあ、ジジイだからつらいのはわかるが…やれなくはないだろう」

「それは無理だ。あの影武者は『コピー品』でしかないのだからな。持っている能力は転移に必要な最低限の因子だけで、生殖能力はないようだ」

「コピー品だと?」

「複製体よ。グマシカの一部をコピーした可能性もあるが、誰が元になっているのかもわからぬ。ともすれば、まったくの他人に因子を植え込んだだけかもしれぬ。グマシカたちならば人間くらいはいくらでも手に入ろうて」

「そうか。やつらは魔獣の因子も使っていたな。そういう技術を持っているのならば不思議ではないか。なんだ。それができるのなら、マングラスの子供もコピーすればいいんじゃないのか? わざわざあんたを使って子供を作る必要がないじゃないか」

「複製体では駄目なのだろう。グマシカが初代に受け入れられなかったのも、おそらくは本物ではないからだ」

「身体は改造していたようだが、やつは生きていたぞ」

「あれは『傀儡士《くぐつし》』が造った媒体でしかない。グマシカは災厄時に死んでおる」



 グマシカは―――死んでいる。


 史実上では、グマシカという人物はもう存在しない。



「死んだ…だと?」

「うむ、災厄時…その一年前に、グマシカ・マングラスという人物は死んでおる。あくまで記録上のことだがな」

「まだ生き残っていたということか?」

「死んだのは事実であろう。しかし、まだ生きているのだ。この違いがわかるか?」


 生きているのに死んでいる。

 死んでいるのに生きている。


 一見すれば矛盾している状況であるが―――心当たりがある。


「レイオンと一緒か」

「その通りよ。やつもまた生命の石によって命を長らえさせた者といえる。しかし、レイオンのような半端者ではない。正真正銘の適合者よ。石との相性も極めて良かろうて。そのうえで傀儡士に改造されておるのだろう」

「なぁ、さっきから出てきている傀儡士とは…」

「おぬしが見た、あの男のことだ」

「やつのことは知っていたのか?」

「当然、最初は知らなかった。いきなり子作りと言われて、どうしていいものかわからなかったし、しばらく逃げていたからの」

「ふと思ったんだが、なんで受けなかった? たかが子作りだろう。乗り気ではないにしても、相手が自由に選べるなら少しくらい出したって…」

「【立たん】からな」

「え? …あそこが?」

「うむ」

「…ちょっとも?」

「ちょっともじゃ」

「ごめんなさい」


 哀しい理由だった。

 アンシュラオンが思わず素直に謝ってしまうほど、哀しみに溢れた理由である。

 バイ〇グラがあったら提供したいものだが、正常な状態で性行為ができないのならば、無理にやることは危険でもある。

 精神的にも立ち直れなくなるかもしれないので、そこは男として非常に悩むポイントだ。


「じゃあ、あんたは子供もいないんだな」

「そうだな。いまさら欲しいとも思わんよ。やつらにそう言ったら、今度は精子の提供でもかまわないと言ってきた」

「それも断ったということか?」

「むろんじゃ。他人に搾り取られるなんぞ真っ平御免よ。立たずとも、わしにも男としての誇りがあるわ」

「ううーん、コメントできないな。医者といっても男か。しょうがない…のか?」


 医者なのだから、それくらい慣れているかと思いきや、自分がやるのは嫌らしい。

 その点に関してはアンシュラオンも強く言えないので、これ以上は追求しないことにする。



 しかし、バイラルが彼らに協力しなかったのは、それが決定的な理由ではない。

 もしこれだけが理由だったら、今までのシリアスはなんだったのか、ということになってしまうだろう。

 さすがにそれだけでは納得できないし、実際にちゃんとした理由もある。


「わしが連中に協力しなかった最大の理由は、傀儡士の存在よ。グマシカの背後には、あれがいる。それがわかった以上、手を貸す理由はなかろう。わしはこれでも医者だ。都市を愛しているし、人々を平然と貶める者たちに協力するつもりはない」

「あの男か。賢明な判断というか、当然の判断だな」


 災厄を望むような存在である。彼に関わって幸せが訪れるとは思えない。

 悪徳業者が、いくら窓口に見栄えの良い店員を使っても、中身が悪徳であることには変わらないのだ。

 一度関わってしまえば、ずるずると悪の道に引きずり込まれるだろう。

 自己防衛として、そういう連中には最初から関わらないほうがいいのである。


「だが、やつの存在はどうやって知った? 子供グマシカのこともだ。普通に生きていれば知ることはできないだろう? オレだって、今までずっとジジイだと思っていたんだからな」

「名前は言えぬが、わしに協力を申し出てくれている人物がおる。傀儡士やグマシカたちのことを教えてくれたのは、その者よ。災厄の詳細についても、その人物から聞いたのだ」

「…協力者か。そいつが怪しいとは思わないのか? 都市の機密を知っているくらいだ。あんたを利用するつもりかもしれないぞ」

「傀儡士よりはましと判断した」

「実際に見たわけではないのに、どうしてそこまで傀儡士を危険視する?」

「グマシカ当人がどう考えているかはわからんが、すべては傀儡士の思惑通りに進んでおる。直近では奇病のこともそうだし、その原因となっている生命の石を量産していることも、おおよそ福祉のためとは思えん。やつは昔から自分自身の欲望を満たすために、地下から影響力を与えてきたのだ。この都市がやつに牛耳られていることには何ら変わりがない。そして、わしが最後に頼るものは自分の勘よ。やつとは相容れない。そう感じるのだ」


 「あいつは悪いやつだ」「関わらないほうがいい」と聞けば、先入観と思い込みが生まれ、勝手にレッテルを貼ることもあるだろう。

 傀儡士が非常に危ない人間なのは事実としても、伝聞だけで判断するのは危険だ。

 何よりそうやって他人の欠点を吹聴する人物こそ、一番の悪かもしれないからだ。

 しかし老練なバイラルは、ニュートラルな感情こそが、自分を正解に導くことを人生経験で知っていた。


 マングラスの血が―――否定する


 傀儡士という存在を拒絶するのだ。


「勘か。悪くないな。それで決めたのならば後悔はしないだろうな」

「わしは後悔など一度たりともしておらんよ。だが、お前さんたちの話を聞く限り、やつは復活してしまったようだな」

「あいつが何者かはわかっているのか?」

「協力者からもらった史料や情報から、やつがマングラスに関わる人物であったことだけはわかっている。だが、マングラスの血族でありながら、あの男が望むのは都市の発展ではないのだ。【五英雄の敵】とは組めない。それが敵対する理由だ」


(ふむ…けっこう根深い問題がありそうだな。オレには興味がないが、こいつらにとっては『五英雄』という言葉は大切なんだろう。歴史が関わってくると問題は複雑になるからな…面倒なことだ)


 地域紛争でも、たかだか宗教の違いや民族の違いで争いが起きる。

 他人から見れば「たかだか」「そんなことで」と思うかもしれないが、当人たちにとっては重要な問題なのだ。

 この都市では『五英雄』という存在が権力の象徴になっているように、彼らは神聖視されている部分が目立つ。

 プライリーラがアイドルだったのも、彼女が強いこともあるが、それ以上にジングラスであり戦獣乙女だったからだ。

 強さだけではアンシュラオンのほうが圧倒的でも、単に強いだけでは認められない要素があるものだ。

 こうした感情は、グラス・ギースに暮らす人々でなければわからないのだろう。


 それに加えてグラス・タウンから続く歴史上の問題が絡むと、さらに複雑になるから厄介だ。

 たとえば何百年も前の戦犯がいまだに生き続けており、その人物が権力を持ち続けていれば騒動の種となるだろう。

 過去とは、当事者がいないから薄まっていくものであり、まだ生きていれば血の濃さと同様に憎しみも色濃く残るものである。

 バイラルも産まれてからずっとグラス・ギースで暮らす者であり、五英雄が作り上げた都市に愛着を覚えている。

 愛着がなければ、この都市で成功しようとも思わないだろう。医者として都市の発展のために尽力したいという願いがあるのだ。



 バイラルからの情報は、以上である。



 それを聞いたうえで、アンシュラオンは思案する。


(さて、どこまで信用するかだが…少なくとも敵意はないと信じたいな。グマシカに取って代わるといった野心は見られない。もともと医者だったせいかな。マングラスに対する敬意というものはなさそうだ)


 グマシカが「初代様」と言っていたのに対し、バイラルは「初代」と呼び捨てだったし、話し方全般にマングラスへの愛着がないように見える。

 これは仕方のないことだろう。

 彼はもともと普通の医者として過ごしていたため、いきなりマングラスの本家筋と言われてもピンと来ないのだ。

 これがもし若くて実績もない人間ならば、「俺ってやっぱり特別じゃね!?」と喜ぶところだが、若くして医師連合のトップとなり、エリート街道まっしぐらだったバイラルにとっては、むしろ迷惑な話だ。

 おかげで逃亡生活を送らねばならず、医師連合のトップも辞めねばならなかった。踏んだり蹴ったりだ。

 今でもそれは変わっておらず、ただ医者として過ごしたいという願望が見て取れる。


「この一件に片がついたら、あんたはどうする? マングラス本家として振る舞うのか?」

「まったくもって御免こうむるが…五英雄の血筋が途絶えても困る。そのあたりは迷っておるよ」

「もしオレがグマシカたちの財産を手に入れたとしたら、あんたはどう思う?」

「特に何も思わぬよ。グマシカが持っている財産は、地上の運営にとっては必須のものではないだろう。多くは遺跡に関するもののはずよ。おぬしにとって重要なのは、むしろ地上の権限のほうではないかな?」

「やれやれ、そのあたりもお見通しか。どんな噂が流れているのやら」

「一つ訊く。傀儡士を倒せるか?」

「オレはさ、家の中に出たゴキブリは絶対に殺すって決めているんだよ。放っておいたら安心して眠れないだろう? 夜中に顔に飛んできたらトラウマだしさ。あいつは自分のためにも殺すさ」

「…そうか。あくまでわしの権限で動かせる財産があれば、ぬしに提供しよう。それで満足するかはわからぬがな」

「オレが求めるものなんて些細なものさ。あんたがいるおかげで厄介事に巻き込まれないのならば、そのほうが価値がある。あんたの身は守るつもりだから安心していいぞ。それと念のため訊いておくけど、医師連合のトップに返り咲きたい願望はあるのか?」

「今はスラウキンの小僧がトップと聞いておる。医者としては少々問題のある男だが、知識や探究心はわしよりも上だ。いまさら戻ろうとは思わぬが、医者としての活動は続けたい」

「そうか。助かるよ」


(スラウキンとの関係は維持したいしな。バイラルに復帰願望があったら困っていたところだ。オレの診察所もあるし、医者としての活動は……あれ? 診察所? ヤバイな。そういえばそろそろ…)


 いろいろありすぎて、すっかりと自分の診察所のことを忘れていたが、今まさにその診察所に対して新たな動きが始まろうとしているのであった。




510話 「『使者』の来訪 前編」


 アンシュラオンが地下でグマシカと遭遇していた頃、グラス・ギースに『彼ら』が到着していた。


 ブロロロ


 フロントガラスが壊れたクルマが南門を抜け、ゆっくりと東門に向かっていた。

 明らかに訳ありの様相だが、荒野ではこれくらい当然なので誰も注意を向ける者はいない。


「ひゅー、いい場所じゃねえか。見ろよ。見渡す限りの畑だ」


 クルマの運転手、真っ黒なライダースーツを来た男、クロスライルがタバコを吹かしながら外の景色を眺める。

 今は真夜中なので視界も相当悪いが、彼の目にははっきりと小麦色の畑が見えているらしい。

 ちなみにその中の一部は、麻薬の原材料となるコシシケだったりするが、見た目の綺麗さは変わらないから不思議だ。


「ただの田舎だと、はっきり言えばどうだ」


 その後ろから、くぐもった野太い声が聴こえる。

 フードに身を包んだ大男、JB・ゴーンだ。

 フードはすでにボロボロで、所々に縫って補修した形跡があった。

 縫ったのはもちろん彼自身である。

 魔獣との戦闘で破れたものだが、こういうときのために裁縫セットを持ち歩いているというのだから面白いものだ。

 この大男が自分のフードを縫う姿は滑稽であるも、通常ならば衣服に傷を付けることさえ難しいのだ。

 その意味では、このあたりにいる魔獣の強さが、他の地域よりも格段に上であることがわかるだろう。


「コンクリートジャングルで育つと、こういう田舎に憧れるもんだぜ」

「お前の生まれは荒野の集落だったのではないのか?」

「オレの魂の故郷はコンクリートなのさ。人の心も冷え切った、とっても冷たい場所さ」

「何を言っているのか理解できんな。相変わらず、おかしな男だ。しかし、たかだかこの程度の距離に二日かかることのほうが信じられん。走ればすぐ到達できたものを」


 JBがさらに後ろの座席にいる若い男に、若干の敵意と嫌味を向けて話しかける。


「言ったはずですよ。蛮勇と勇気は違うのです。無駄に危険なルートを通る必要性はありません」


 その若い男、エンヴィス・ラブヘイアは涼しい顔で受け流す。

 彼の左半身には依然として、べったりとコールタールのようなものが張り付いている。

 その夜の闇よりも深い黒のせいで、薄闇の中で見ると右半身しかないようで不気味だ。


「それにしても時間がかかりすぎだ。わざと遠回りをしたのではないのか?」

「元気ですか?」

「…? 何のことだ?」

「力は戻りましたか? とお訊ねしたのです。あなたの力が回復するまでの時間をこうして作ったのですから、むしろ感謝してほしいくらいです。もしこの時間がなければ、あなたは『干からびたまま』だったのですから。それでは足手まといになります」

「貴様…! 言わせておけば…!」

「カカカ!! しなびたミミズみたいになったのは本当のことだろうが。げっそりしやがってよ。干されたイカか、てめーは。調子に乗って力を使いすぎるからだ」

「ふん、あのような魔獣には過ぎた力だったことは認める。だが、お前たちにどうこう言われる筋合いはない。自己管理は万全だ」

「かー、やせ我慢しやがってよ。素直にありがとうって言えや。ここまで楽に来れたのもラブヘイアのおかげだろうが」

「ふざけるな。貴様が止めなければ、この男はもう死んでいたのだ。余計な真似をしたものよ」

「もしクロスライルが止めなければ、荒野で朽ち果てていたのはあなたのほうでしたよ。命拾いしたものですね」

「………」


 JBのフードが、むくりと動く。

 それと同時にラブヘイアの目も鋭くなった。


「おいおい、こんな場所で暴れるなよ。またクルマが吹っ飛ぶのは御免だからよ。つーか、オレのローラちゃんを弁償しろや!!! このクソイカれ野郎!!」

「自然災害だ」

「言うに事欠いて、それはねぇだろう! いいから二度とクルマの中では暴れるなよ! わかったな!!」

「…ふんっ」

「………」


 クロスライルの茶々入れによって、両者の衝突はぎりぎりで回避された。

 ラブヘイアも剣の柄にかけた手を下ろす。

 あの戦いは終わっていない。いつ激突してもおかしくないのである。


(ったくよ、なんでオレがこいつらの面倒を見るんだよ。大の大人が、くだらねぇことで喚きやがってよ。だが、ここがラブヘイアがいた都市か。少し期待しちゃうけどねぇ)


 クロスライルが、バックミラーでラブヘイアを見る。

 素人が見れば、ただぼけっと座っているだけだが、まったく隙がない。

 もう都市内部に入ったというのに、いつでも戦えるように準備している。

 それはJBだけに対する警戒ではない。常時この状態なので、武人としてのレベルが上がったと考えるべきだろう。

 クロスライルやJB・ゴーンといった上級の武人と一緒にいても、違和感どころかまったく遜色がない。


 それは態度にも如実に表れている。


 強さへの自負とは、これほどまでに人を変えるのだろうか。

 (髪の毛以外では)もともと冷静で落ち着いた男ではあったが、今の彼はすっかりと雰囲気が変わってしまっていた。

 そのラブヘイアは、懐かしそうにグラス・ギースの城壁を眺めていた。


(ついに戻ってきた。あの英雄…アンシュラオン殿はまだおられるだろうか。…いや、それこそ無用の心配だろう。彼は必ずこの都市にいる。すべては『あの御方』の御心のままなのだから。そして、私が彼と出会った時に【歴史】が動くのだ。重責だが、このような大任を拝したことを光栄に思うべきだろう。ああ、でもやっぱり…少し胃が痛いなぁ)


 ラブヘイアは、遊びでここに来たわけではない。

 重要な役割を与えられてきたのだ。





 ブロロロ


 彼らが東門に着いたのは、午前四時過ぎくらいだろうか。

 まだ夜明け前なので門は閉まっており、警備の衛士たちの数も多かった。

 これだけ内部が荒れていてもグラス・ギースの出入りは多く、今日も朝一番で都市に入ろうとしている人々が行列を成している。


「ふーん、辺境といっても人は多いんだな」

「ええ、グラス・ギースは、このあたりの人たちの拠り所ですからね」

「どこにいても人間ってやつは群れたがるもんか。えーと、駐車場はあそこか」


 クロスライルは、門の近くに設けられた駐車スペースにクルマを止める。

 そこにはすでに商人たちのクルマが数台止まっていた。

 彼らは荷物のチェックを受けてから、商品を馬車に載せ換えて都市内部へと入るのだ。


「オレらは商人じゃねえから、こいつはこのまま乗り捨ててもいいか。その場合、どうなんの?」

「無許可で数日間放置しておけば、強制的に移動させられますね。それでも異議申し立てがなければ、そのまま接収になることもあります」

「案外しっかりしてんだな」

「無駄を許容できるほど栄えている都市ではないですからね。ところで、このクルマは気に入りませんでしたか?」

「ラジカセがねぇのが気に入らねぇ。オンバーン姐さんのCJ《コピージュエル》も壊れちまったしな。中で売ってるか?」

「残念ですが、無いと思います。CJ自体がまだ普及していませんから」

「カァー! そりゃねぇよ。癒しの歌なしで生きろってか? 人生は歌だぜ? なぁ、わかるだろう? 愛がよ、こう…すぅうーっと心に吸い込まれて、それを一気に吐き出す歌こそが、オレらが生きる意味なんだよ! おお、そうだ。アカペラでいいんだ! 歌ってのは喉があればよ、歌えるんだぜ!! ああ〜〜〜、砂漠のオアシスでえぇええ!」

「うるさい!! 二度と歌うな!! こっちは二日間、お前のへたくそな歌を聴かされ続けて、うんざりしているんだ! 三流歌手のファンなど、さっさと辞めろ!」


 突然歌いだしたクロスライルにJBがキレる。

 CJがあろうとなかろうと歌うのだから始末が悪い。

 だが、この話題絡みとなるとクロスライルも譲らない。


「んだと、てめぇ!! ぶち殺すぞ!! 表に出ろや、こらぁ!!」

「クロスライル、そこであなたがキレないでください。それより、たしか迎えが来ると聞いていましたが…」


 ラブヘイアが外門の周囲を見回すが、特段それらしい者はいなかった。

 彼らは自らの意思で来たわけではない。【依頼】されてやってきたのだ。

 なればこそ【依頼主】がいてしかるべきであろう。


 しかしながら同じ都市内ならばともかく、これが違う都市の組織への依頼となると連絡手段が非常に乏しくなる。

 この荒野に通信ケーブルなどが通っているはずもない。

 荒れ果てた大地には強力な魔獣が跋扈しており、設置するだけでも危険だし、デアンカ・ギースのように地中を移動する大型魔獣もいる。

 現在では比較的安全な交通ルートでさえ、魔獣の気分次第では襲撃される可能性もあるため、ケーブルを渡すのは現実的ではない。

 当然、空が封鎖された世界においては人工衛星も存在しない。

 となれば、あとは電波(無線機)くらいしかないのが実情だ。

 西側くらいの技術レベルと支配力があれば、実際にケーブルを敷くこともできるが、そうではない地域では軍事用の無線を使うことになる。

 ただ、その場合は傍受の危険性も高まるので、極めて慎重な運用が求められるだろう。


 と、こうして通信の話題になったものの、この地域ではどれも存在しないので、都市間同士のやり取りでは誰かが直接赴くか、『手紙』を使うことになる。

 『ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉』は、その親組織の長であるネイジア・ファルネシオの趣味で、手紙によるやり取りを好んでいた。

 今回も手紙によって依頼を受諾し、部隊を派遣するという契約を行っているだけなので、互いの顔も知らない状態で落ち合うことになっている。(安全のため写真は同封しない)

 ずさんである。

 正直、これで商売が成り立つのかと問いたいが、案外どうでもなるのが人間というものだ。

 江戸時代前の日本でも、文《ふみ》だけで十分やり取りはできていたので、人との付き合いは電波だけではないのだ。



 しばし待つが、到着が遅れたことと、夜明け前の時間帯ということもあってか進展はなかった。



「しょうがねぇな。門番の兄さんたちに訊いてみるか?」

「それならば私が話を通してきましょう」

「おお、そうだったな。あんたの街なんだからよ、任せるわ」

「ええ、わかりまし…」

「くだらん。このような都市に我らの同志がいるわけもない。さっさと仕事を終わらせて戻るべきだ。中央ではやることが山ほどあるのだからな」


 がちゃっ

 JBがクルマの扉を開けて外に出る。


「おい、何をするつもりだ?」

「都市に入るのに許可など必要あるまい。それになんだ、この城壁は。このようなものがあるから惰弱になる」

「城塞はべつに珍しいものじゃねえだろう。中央の都市だってたまにあるじゃねえか」

「気に入らん。いろいろとな。この男に頼るというのも気に入らん」

「んだよ、それが本音かよ。めんどくせーやつだな。お前な、ちっとは協調性ってやつを…」



 バタンッ


 協調性がないJBは、そもそもクロスライルの話など聞いていない。

 すでに外に出ていた彼は、行列を押しのけるようにズカズカと門に向かっていく。

 この大男が歩いていくと成人男性でさえ子供のように見える。

 その威圧感もあってか、人の行列が自然と左右に散っていった。

 彼らも荒野を移動してきた者たちだ。危ないものには近寄らないのが長生きの秘訣だと知っている。


「あーあ、行っちまった。兄さん、いいのかい?」

「少し様子を見ます」

「意外だな。止めるかと思ってたぜ。あいつがトラブルを起こさないわけがないだろう。絶対に揉めるぜ。人が死ぬかもしれねぇ」

「この都市がその程度で揺らぐようならば、これからの激動に耐えられるわけがないのです。彼は良いテストケースになるでしょう」

「なんだそりゃ? 毒に慣らさせようってのか?」

「面白い表現ですね。ですが、私が思うに…この都市はもっと大きな毒に染まっています」

「ああ? どういうこった? そんなにヤバイ都市なのか? あんたが言っていた『英雄』ってやつのことか?」

「いいえ、あの人は毒ではありません。毒と嘯《うそぶ》いても、やはり毒にはなりきれないのです。白は白にしかなれないのですから。英雄は英雄のままです」

「あんたも相変わらず、よくわからないことを言うねぇ。まっ、あんたがいいなら、オレもわざわざ止めるようなことはしねぇーよ。だりーしな」


 一番止めそうなラブヘイアが、あえてJBを野放しにする。

 そこには明確な狙いがあった。


(今ならばわかる。この都市に渦巻く【意思】が。ここは巨大な力に支配されているのだ)


 ラブヘイアの色が変わった紫の瞳が、都市の気配を読み取る。

 今までの自分は、グラス・ギースという都市に関して何も疑問を抱かなかった。

 主に外で活動するハンターだったこともあり、内部で生活する時間が短かったせいもあるのだろう。

 下手をすれば、ハローワークがある一般街から西には行かないで都市を出て、また長期間野宿をする生活を続けることもある。

 だから内部の派閥争いにも興味がなかったし、グラス・マンサーという存在を意識したことも少なかった。


 しかし今は、はっきりとわかる。


 自分が都市を出る前よりも、遙かに強い想念が都市を覆っていた。

 傀儡士が発する「無邪気な邪気」によるものだ。

 だが、これでもまだ序曲にすぎない。


(これからもっとこの都市は揺れることになる。たかがJBくらいは、簡単に跳ね除けてもらいたいものだ)




511話 「『使者』の来訪 後編」


 ドスドスドスッ


 JBが門に近寄る。

 門の前にはアンシュラオンも受けた検問ゾーンがあるが、夜中の間は閉まっているので見張りの衛士がいるだけだ。

 ちらり

 衛士は、近寄ってくるJBをじっと見る。

 その視線は、警備員が受付時間外に来た人間を見るものに似ていた。

 「おいおい、閉まっているのは見ればわかるよな? わざわざ確認しに来たのかい?」といった表情である。

 どうせすぐに戻るだろうと一瞥するだけだ。


 しかし、JBの歩みは止まらない。


 ズカズカと衛士たちのスペースに入り込むと、そのまま門まで進もうとする。

 あまりの遠慮のない動きに一瞬呆気に取られたが、門番をしている衛士たちは衛士隊の中でも比較的まともな者が多い。

 すぐに自分の職務を思い出すと、JBの前に立ち塞がる。


「今は時間外だ。夜明けを待て」


 出てきたのは、無手の衛士だった。

 武人といった様子でもないが、その後ろには銃を持った衛士もいるので、警備を怠っているわけではない。

 近づいてきた一般人に注意を促す係なので、できるだけ威圧的にならないようにとの配慮からだ。


「もう夜は明けている。お前たちが見えないだけだ」

「あんた、他の都市から来たのか? だが、この都市では城壁から太陽が見えてからが夜明けだ。わかったなら戻れ」

「そうか。相容れないものだな」

「ん? なんだ…お、おいっ! 止まれ!」


 JBは、衛士の言葉など最初から聞くつもりはなかった。

 クロスライルの言葉さえ無視する男が、どうして一介の衛士の言葉を聞かねばならないのだろうか。

 そのまま歩みを続ける。


「おい、止まれと言っただろう!!」

「………」

「ま、待て! そっちに行くな!」

「………」

「聞いているのか!」


 どんっ

 何度忠告しても止まらないので、仕方なく衛士がJBをどんっと突き飛ばす。

 べつに衛士が苛立って暴力を振るったわけではない。

 これ以上近寄ると銃を向けられる可能性があったからだ。そこで事故が起きれば自分の責任になるので、やむをえずそうしたのである。


 しかしながら、彼の両手が押したのは―――『自分自身』


 全衝撃が自分に跳ね返ってきた衛士は、思わずバランスを崩して倒れる。


「ぐっ…!! なんだこいつ! 重い…!」

「脆弱で惰弱だな」

「と、止まれ! 本当に撃たれるぞ!」

「………」

「ま、待て! だから本当に危な……う、うおおおおっ! なんだこいつは!」


 今度は倒れながらもJBの足に手をかけるが、構わず引きずられる。

 押しても引いても動かないとは、このことだろうか。(JBは自発的に動いているが)


「だ、誰か! 誰か来てくれ!!」


 どうしようもなくなった衛士が大声を上げる。


「なんだなんだ! 出番か! 門番なめんなよ、こら!」

「俺たちだって、やるときはやるぜ!!」

「鍛え上げた筋肉を見せてやるからな!!」


 その窮地に対し、ここが出番とばかりに門番の衛士たちが集まってきた。

 当然ながら門番に抜擢される衛士は、外敵の侵入を阻みつつ身を守る都合上、身体が大きく力自慢の者を選ぶ傾向にある。

 いつもはマキに隠れて目立たないが、日常において門を守っているのは彼らなのである。

 グラス・ギースの一般衛士は公募によって集められるため、その中には傭兵やハンター出身者もいる。

 そういった荒事に慣れた者たちでもあるので、ここぞというときには頼りになる。


「お前ら、やるぞおおお!!」

「うおおおお!!!」

「見てろ!! 許可なく門に近寄るやつらは、こうなるからな!!」


 がしがしがしっ どんっ!

 五人の衛士がラグビーのスクラムばりに肩を組み、JBに身体ごとぶつかる。

 ここでもいきなり武器を使わないだけ良心的といえるだろうか。

 まだ単なる酔っ払いの可能性もあるので、穏便な手法に出ていることがうかがえる。

 一方で、現状を把握しきれていない危機意識の低さが露呈しているわけだが、そこまで求めるのは酷だろうか。


 ドンッ ズズズズズッ


 押す。

 押す。

 押す。



「押忍《おす》!  押忍!  押忍!!」



 若干「おす」の掛け声が違う意味になりつつあるが、着実に押している。



 JBが―――スクラムを



 であるが。



「気合を入れんかぁあああああ!」

「押忍!!」

「圧す!!」

「♂!!」


 ズズズッ ズズズッ!!

 皮肉なことに彼らが声を出すたびに、押されるのは衛士たちのほうである。(約一名、ゲイが混じっている気もするが、それは見なかったことにしよう)

 ラガーマンのような大男五人でさえ、JBの歩みを一歩たりとも妨げることはできないのだ。


 そして、呆気なく瓦解。


 五人の男が崩れ落ちる。

 それでもJBの歩みは止まらないので、何人か思いきり踏まれたりもする。

 ごしゃっ ぐしゃっ


「ぎゃっ!! 足が!!」

「腕が折れたーーー!!」


 鍛えられた肉体であっても、JBが踏めば簡単にへし折れてしまう。



「止まれ!! それ以上来れば、撃つぞ!」


 ついには衛士たちが銃を構えた。

 生身で対応できなければ、やはり銃に頼るしかない。

 門の上部に設置された櫓《やぐら》からもしっかりと狙っている。


「………」


 JBは、それらに一切の関心を示さない。

 もう言わずもがな、彼にそんなものは通用しないのだが、彼らがJBを見るのは初めてなので致し方がない対応といえる。

 これでも彼らは必死なのだ。責めてはいけない。


「来るな! 下がれ!!」

「………」

「仕方がない…! 撃て!」


 思ったより衛士たちの決断は早かった。

 普段ならばもう少し事情を確認するところだが、いかんせん都市内部が荒れている時期である。

 こういう時は外部勢力が都市にちょっかいを出すことも多いので、多少強硬であっても対外的に強い姿勢を示さねばならないのだ。

 たった一人の犠牲で抑止力が示されるのならば、それは尊い犠牲である。


 パスパスパスッ


 銃弾が発射される。

 死んでも仕方ないと本気で狙った銃撃だ。


 が、当然ながら―――


 バシュン バシュン バシュンッ


 銃弾はJBに触れる前に、すべて消え去った。

 フードの上に展開された戦気によって圧砕されたのだ。

 本来ならば戦気すら展開する必要性はなかったが、服が破れることを嫌ったようだ。


「惰弱。殺す価値もなし」

「な、なんだ、あいつは!! う、撃て!!」


 バスバスバスッ

 バシュンバシュンバシュンッ


 何度撃っても結果は変わらない。

 平然と歩いてくる。

 そうして衛士たちが弾を込めなおす間に、JBはすでに門にまで到着していた。


 がしっ


 JBは、おもむろに門に手をかける。


 ぐぐっ ズズッ ズズズズッ


 高さ十メートルはありそうな門である。重量も相当なものだろう。

 それを片手一本で押す。

 ズズッ ズズズズッ

 門番の衛士たちが数十人がかりで開く必要がある門を、いともたやすく押す。

 その姿に衛士たちもどよめく。


「あ、あいつ…武人です!! 反応が出ています!!」


 お馴染みというか、久々に登場した蓄音機に似た機械を持った衛士が叫ぶ。

 生体磁気を観測するもので、アンシュラオンもそれによって選別された過去がある。

 だが、わざわざそんな装置を使わずとも、すでに相手が武人であることはわかっていることだ。

 それだけ現場が混乱していることを示してもいた。



 ズズッ ズズズズッ



 門が少しずつ開いていく。


(くだらん。まったくもってくだらん。このような辺境の地など、気高きネイジアが治める必要性を感じぬ。だが、慈悲深きネイジアは、ここにいる虫どもにも愛を与えるのであろう。くくく、ならば私がメイジャ〈救徒〉としての役目を果たそうではないか。この都市を『制圧』するくらいはしてみせねばな)


 怪しげな宗教団体がやることといえば、武力蜂起以外ないだろう。

 彼らが戦力を集めているのも、力による統治を果たすためだ。

 グラス・ギースは辺境の地なので、幸いというべきか彼らの標的には入っていない。

 彼らは主に東大陸中央部以南を制圧し、そこから北に勢力を拡大する予定である。

 しかしながら、後々のために支配力を増しておくことは悪いことではない。

 こうした辺境のいち都市においても、一度徹底的に叩いておくことで反抗の意思をくじけさせることができる。

 強い恐怖と痛みを与えれば、人間は嫌でも屈するからだ。


 さて、すでにご承知の通り、この段階でJBは依頼でやってきたという本来の目的を見失っている。

 ネイジアの計画にグラス・ギースは入っていないし、無駄な争いは彼らの力を消耗させることにもつながるだろう。

 また、制圧する際は一気にやらねば、対抗策や自衛策を講じる時間を与えるので、この段階でグラス・ギースを攻撃するのは極めて非合理的な判断だといえる。

 はっきり言おう。


 JBは頭がおかしい。


 信者になるようなやつなので彼がおかしいのは前からだが、ネイジアによって力を与えられてから、さらにおかしくなっていった。

 時々同じことを二度訊いたり、戻ってきた道をまた行く、フードを忘れてくる、昼飯を三回食う等々、痴呆症のような症状が出ているが、それもまた力を受けた代償である。

 ただし、非常に怖ろしいことに、彼には妄執を実現させる力がある。

 なにせ彼は『都市殲滅型』の武人なので、頭がおかしくても破壊を実行できてしまうのだ。

 また、そうと知りながらも彼をある程度自由にさせていることから、ネイジア・ファルネシオという人物も危険な男であるといえる。



 ズズズズッ ガゴンッ


 門が二十センチほど開いた。

 ここまで開けば、労せずに中に入ることができるだろう。

 クロスライルという枷もなしに、こんな男が中に入れば大惨事である。

 だが、クロスライルは止めない。

 ラブヘイアも黙って見ている。

 クロスライルは自分に不利益がなければ、我関せずを貫く男なので仕方ないが、ラブヘイアの行動はやや意外であった。

 魔獣の生態系にさえ気を配る男だ。多くの一般人が暮らす都市のことを考えないわけがないだろう。




「さあ、この私が、ネイジアの力を見せつけ―――」




 JBが門を開ききる―――



 しゅぼんっ



 前に、少し開いた門の隙間から腕が伸びてきて―――



 ぼんっ



 JBが展開していた戦気を貫き、フードに当たり―――



 ゴリゴリゴリゴオオオオオオオ



 さらにさらに押し込んで―――



 メキメキメキィイイイイッ



 門の先を覗き込もうと、屈んで下がっていたJBの顔を―――





―――ぶん殴る!!!





 門番の男が五人がかりでも引きずられたその身体が、ピンポン玉のように吹っ飛び、転がり―――



 バッターーーーンッ



 大の字に倒れた。



「………」


 JBが空を眺める。

 遙か地平線の彼方では、太陽が少しずつ昇り始めているのだろう。

 東側からかすかに明かりがこぼれ、漆黒の空をわずかに赤く染めようとしている。

 夜と夜明けの中間の時期。


 まさに今が黎明《れいめい》の時である。


 JBはしばしその光景を見つめる。


(殴られた…のか?)


 JBには一つ大きな欠点がある。

 痛みを感じないせいもあってか、状況認識能力に乏しい側面があるのだ。

 門を開けた瞬間に殴られるとは思わないので、彼でなくても困惑するのが普通だろうが、殴られたと気付くまでに時間がかかる。


(そうか。…殴られた…か)


 ばんっ くるり どんっ


 そして、何が起こったのかを把握したJBは、海老のようにその場で身体を跳ね上げて強引に立ち上がった。

 ダメージは軽微だ。ほぼ無い。

 しかし、顔に残る『不快感』だけは確実に残っている。


 コツコツコツ


 門の内側から一人の人物が歩いてくる。

 この人物こそJBを殴った張本人であるのは間違いない。

 では、誰がこんなことをするかといえば、いちいち考える必要もないだろう。

 グラス・ギースの東門には、いつだって【彼女】がいる。



「…はぁ、ほんと。最低の気分よね」



 現れたのは、マキ・キシィルナ。

 これまた言わずもがな。グラス・ギースの門番といえば、この女性しかいないだろう。

 しかし現在の彼女は、珍しくひどく苛立っていた。

 多少神経質な性格の彼女ではあるが、ここまで不機嫌さを表に出すのは珍しいことといえる。

 その原因は、『例のアレ』だ。


「ああああああ! もう最悪!! なんで私、あそこで逃げなかったのかしら! こんな都市よりも彼のことが大事なのに!! 判断基準を誤ったとしか思えないわ!! もっと早く動いてさえいれば…!! あああああ! 自己嫌悪おおおおおおお!!」


 アンシュラオンの逮捕に関与してしまったことを悔いていたのだ。

 彼と一緒に都市を捨てるべきだった。今でもそんな考えが浮かんでは消えていく。

 だが、今となっては後の祭りである。

 アンシュラオンは収監砦に入ってしまったし、彼から「シャイナ」の保護を頼まれている以上、勝手に動いて事態を混乱させるわけにもいかなかった。


「それにしても、あの髭!! 何が機密よ!! か弱い女の子を人質に取るなんて、最低のクズだわ!! ムカついたから引っこ抜いてやったわ!」


 よくよく見ると、彼女の手には長い髭が握られていた。

 マキはアンシュラオンの投獄後、シャイナ(だと思われているマドカ)を助けに行ったのだが、毎回門前払いされていた。

 言っても「知らん」「機密だ」「門番に言うことではない」とミエルアイブが突っぱねるので、そのたびに殴る蹴るの暴行を加えるのだが、どんなに痛めつけても口を割らないのである。

 衛士としては一番まともな男なのかもしれない。なかなか立派だ。

 ただそんなことよりも、マキに殴られても耐えられる肉体強度のほうがすごい気もする。

 そんなこったで、今日に至っては自慢の髭を引きちぎられるという蛮行を受けても彼は口を割らなかったため、アンシュラオンの役に立てなかったことと、投獄してしまったことへの自責の念でマキは激しく苛立っているのだ。




512話 「『マキ VS JB』 その1」


「ん? あなた誰?」


 マキは、今になってようやくJBの存在に気付く。

 それ以前に彼を殴ったことすら覚えていない。

 激しく苛立っていたため、八つ当たりで門を殴ろうとしたところ、たまたまJBがいて顔面をぶん殴ってしまった、というだけのことだ。

 扉が開く様子にも気付かないあたり、彼女も目の前が見えていなかったのであろう。

 そのうえ八つ当たりしたにもかかわらず、まだ機嫌は直っていない。

 JBに対して不審そうな視線を向ける。(事実、不審である)


「あなた、部外者ね。まだ扉を開ける時間ではないでしょう? ほら、早くあっちに戻りなさい」

「女! この私に…! ネイジアの加護を受けた私に、貴様のような穢らわしい者が触れるとは!! 万死に値する!」

「は?」

「くくく、女を切り刻むのも嫌いではないからな! 八つ裂きにしてくれる!」

「あー、あーなるほど。そういうことね」


 このやり取りだけで、マキはJBの本質を理解した。


「あなた、【変質者】でしょ?」

「なに?」

「それとも真性の馬鹿かしら? いるのよね、こういうやつって。もうすぐ涼しくなる季節だっていうのに、平然と湧いて出てくるから怖ろしいわ。ほんと、どこから来るのかしら。ほら、しっしっ、みんなの迷惑になるからあっち行きなさい」


 野良犬を追い払うように手を動かす。

 かなり失礼かつ乱雑な対応であるが、門番をやっていると変な輩は山ほど来るのだ。

 そんな馬鹿どもの相手をいちいちしていたらきりがない。さっさと追い出すのが一番である。


 改めて言うが、マキは苛立っている。


 ここ何日間の鬱憤が溜まりに溜まっている。

 真面目な性格かつ強い自制心で己を抑えているが、内心ではアンシュラオンへの想いで一杯なのだ。

 一度たがが外れたら見境がなくなるタイプだ。

 恋をすると熱中して、平気で彼氏のために借金をしてしまいそうで心配になる。

 それはともかく、もう一度言おう。


 彼女は苛立っている。



「このような恥辱! 女などに受けるとは!!」


 当然、そんな扱いを受ければJBは激怒する。

 自分が最初に他人を見下したくせに、見下されると怒るとは、なんと人間が出来ていないのだろう。


「はぁ? なにこいつ? 変質者なだけでなく差別主義者なの? あー、もううんざり! こっちが下手《したて》に出ていると、どこまでもつけ上がるし、ほんと最低ね。力づくで追い出されたくなければ、早くあっちに行きなさい」


「もう許さん!! 痛みと恐怖で悶え―――」



 バンッ

 JBが前に出ようと一歩を踏み出した時には、マキはもう力強く地面を蹴っていた。

 柔軟かつ引き締まった足によって疾風のように運ばれた身体が、一気にJBの懐に入り込む。


 バキャンッ!!


 そこからさらに踏み込んだ足が、石畳を破壊。


 それと同時に繰り出された右拳が、JBを―――


 ドーーーーーーーンッ


 吹き飛ばす。



 ドガドガドガッ バゴオオオンッ



 彼の身体は再びピンポン玉のごとく飛ばされ、検問ゲートを突き破り、三十メートル後方にまで転がっていった。

 転がるということは、それだけ力が逃げていることを示してもいる。

 だが、JBが自分で背後に跳んだわけではないし、マキの拳が弱いわけでもない。

 彼女が意図的に破壊的な攻撃を控え、衝撃で弾き飛ばす手法を選んだからである。

 彼女の役目は門番。相手を滅することも重要だが、まずは相手を門から遠ざけるのが仕事である。その職務をまっとうしただけだ。


「追い出したわよ。さっさと門を閉めなさい」

「…き、キシィルナさん!! き、来てくれたんですか!」

「まったく、あなたたちは何をしているの。こんな変質者を通すなんて門番失格よ」

「も、申し訳ありません!! 銃も効かなくて…」

「はぁ…やっぱり職場が悪いのかもしれないわ。こんなところにいたら婚期も逃すわよね。早くアンシュラオン君に会いたいわ…。ほら、さっさと閉める!」

「は、はい!!」


 ズズズッ ズズズッ がごんっ

 マキに命令された衛士たちが、十人がかりで門を閉める。

 門番長…というより、マキが来たせいか、彼らの表情も劇的に明るくなっている。

 この門には必ず彼女がいる。その安心感が伝播しているのだ。

 アンシュラオンが周囲に絶対の安心を与えるように、マキもまた門番たちの拠り所なのだ。


 だが、JBは軽々と立ち上がる。


 この攻撃でも彼はダメージを受けていない。


「…ふん。不快な」

「あら、頑丈なのね。手加減の必要はなかったかしら」

「手加減? くくく、この私に手加減? くくく、はははははは!!」


 JBのフードが、ぐねぐねと動く。

 風も吹いていないのに、内部で何かが蠢いているように跳ね回る。


「万死!! その身に万の傷を付けてから殺してやろう!! わが力の前にひれ伏せ!!」

「うわ、本当にやばいやつなのね。その恰好も変だし、何かイッちゃってる感があるわ。私も門番暦が長いからわかるのよね。あんたは…そうね……【中二病】? 自己陶酔のナルシストで妄想癖があるわね。病院行ったら?」


 グサッ!!

 いたたたたたっ!!

 マキの言葉を聞いた一般人の男性数名が、その場でうずくまる。

 彼らの心に容赦なく鋭い刃を突き立てるとは、実に怖ろしい女性だ。

 マキは言ってしまえば「キャリアウーマン」であり、社会的に自立している立派な女性である。

 そんな女性の冷たい視線は、オタク男にとっては恐怖でしかないだろう。

 フードを深々と被って顔と身体を隠し、「俺は特別臭」を出しているJBは、彼女から見れば中二病のニートでしかない。


「早く自立しなさい。いつまでも親御さんは元気じゃないんだから、現実を見ないと痛い目に遭うわよ。そんな大きな身体があれば工事現場でいくらでも働けるでしょう? 仕事を紹介してあげましょうか?」


 いたたたたた!!

 やめたげてよ!! それ以上、抉らないでよ!!!

 思えば、マキの言葉は相当辛辣である。

 これも苛立っているので八つ当たりしているだけだが、事実でもあるので痛さは変わらない。


「んぐうううう!! あの男といい、この都市の人間は生きる価値もない!!」

「そうやって自分が駄目なのを他人のせいにするから、どんどん駄目になるのよ。駄目なのはあなたであって、どこかの誰かじゃないのよ」

「うるさい!! その顔をぐちゃぐちゃにしてやるわ!!」

「はぁ? 最低の発想ね。まさにコンプレックスの塊だわ。それが格好良いとでも思っているの? 単純にダサいだけよ」

「貴様…死ね!!」


 JBが駆ける。

 この大きな身体が一気に加速し、マキに向かっていく。

 今度は本気のダッシュだ。加速度が違う。

 レクタウニードス〈重磁大海象〉との戦いを見てもわかるが、JBはけっして鈍重ではない。

 拳の速度、身体の移動速度は平均的な武人の数段上だろう。第七階級の達験級と比べても遜色はない。


 ただし、それが普通の達験級の武人ならばだ。


 JBが駆けてトップスピードに入る前に、マキはすでに駆けており、拳を打ち出す態勢に入っていた。

 JBがいくら平均以上の力を持っていたとしても、同階級帯で踏み込みの速度がトップクラスのマキからすれば、それは「ノロい」のだ。


「遅いわ!」


 JBが拳を引き絞る間に、マキは拳を放つ。

 ドゴンッ

 マキの一撃が、JBの胸に直撃。

 今回はJBも前に出ていたので、門での一撃のように簡単には飛ばされないつもりでいた。


「ちぃいい!」


 しかも相手のほうが速いと見ると、咄嗟に身体を丸めて防御の構えに入ったのだ。

 このあたりは、さすが武人専門の殺し屋。高い技量を持っている。


 しかし―――圧す


 マキの拳の特徴は、『真っ直ぐ』であるところだ。

 完全に垂直に真っ直ぐになったものは、極めて硬く、極めて強固になる。

 彼女の一撃もそれと同じで、身体を真っ直ぐ、拳を直線的に相手に打ち出すからこそ、速くて強くなる。


 ぐぐぐぐっ ドゴンッ


 圧縮された貫通力が、臨界を突破して爆発。


 JBの巨躯に激しい衝撃が発生し―――飛ぶ。



 どひゅーーーーんっ



 その衝撃の前では、防御も無意味。

 JBは簡単に押し出され、遙か遠くの駐車場にまで飛ばされ、停めてあったクルマに激突!!


 ぼごーーーんっ


 クルマのドアを破壊しながら、中に突っ込んでいった。

 球場の屋外駐車場にあった車に、場外ホームランのボールが当たる光景に似ているかもしれない。

 あの巨体が、それほど景気よく飛んでいったということだ。



 ビッグフライ! JBサーーーーンッ!



 また、相手も直線で向かってきてくれたので、反発力が生まれて衝撃がさらに高まったのだ。

 同じ直線同士ならば、より強固で強いほうが勝つ。その意味においてマキの拳は強かった。


「一昨日来なさい。というか、さっさと働きなさい」


 パンパンと手をはたき、門の前に立ち塞がる姿は女傑の名に相応しい。

 グラス・ギースの門には、必ず彼女がいる。


「おおおお! キシィルナ門番長!! かっこいいいい!」

「やっぱり俺たちのアイドルは、あの人しかいないぜ!!」

「ひゅー、ひゅー、女衛士さん、すごいぜーー!」


 JBに横入りされた人々は、誰もがマキを応援したことだろう。

 盛大に飛ばされた姿にスカッとしたはずだ。


 ただ、その姿に爽快感を抱いているのは、なにも部外者だけではない。


「ぎゃはははは!! やられてやんの、あいつ!! あー、腹いてー! ふっ飛ばされちゃってよ! はずかしーー!! なんだったんだ、あの自信はよ! ぎゃはははは!!」


 その光景に腹を抱えて笑うクロスライル。

 意気揚々と出て行ったのに即座に返り討ちにされるのだ。完全に笑い話である。

 そして、JBが突っ込んだクルマに近寄ると、冷やかしの言葉を浴びせる。


「おいおい、JBさんよ、代わってやろうかぁ? オンバーン姐さんのファンになってCJ購入の手伝いをするなら、ちょっくらお手伝いしてやってもいいぜぇ?」

「…ふざけるな」


 がごんっ

 めり込んだJBが、ゆっくりと身体を起こして這い出てくる。


「大丈夫かぁ?」

「ふん、心配などしていないのに白々しい。おおかた、この失態を報告して私を貶める腹積もりだろう」

「あ、バレた? そりゃ、お前のお目付け役だしな。言っちゃうよ。口軽いしさ。だって本当だもんな。あんな可愛いお嬢ちゃんによ、ぷぷぷ。はずかしー!」

「次に何かほざいたら、お前の口から叩き潰してやる。黙っていろ!」

「へいへい、お気をつけて」

「あの女…もはや許さん!」

「いやお前、それ完全に負けフラグじゃね?」

「黙っていろと言ったぞ!!」


 ボオオオオッ ドバババッン

 JBの身体から巨大な戦気が噴出し、クルマが粉々に吹き飛ぶ。

 戦気はその人間の状態を示すものでもある。

 彼は強い信仰心から『白い戦気』を持っていたが、今は怒りに満ちているのか、とても真っ赤な色合いをしていた。


「言っておくけどよ、キレて『アレ』はやるなよ」

「あのような小物に使うか」

「んなこと言ってよ、つい先日やったばかりだろうが。てめぇは困ると、いつもあればかりやる。今回はやめとけよ。ファルネシオに言っちまうぞ」

「ぐううううっ! 貴様も軽々しくネイジアの名を出すな! 余計な真似をしたら、ただでは済まさんぞ! おとなしく下がっていろ!」

「はいはい。行ってらっしゃーい」

「ふんっ! 不快だ!! 極めて不快だ!!」


 JBは再び門に向かっていく。

 やられたまま済ますほど人間が出来ているわけもない。まだ修羅場は続くだろう。



「あーあ、大丈夫かね、あいつ。キレなきゃいいけどな」

「アレがなくても彼は強いですよ」

「おっ、持ち上げるねぇ。それとも、持ち上げてから落とすかい? オレのほうがつえーみたいなよ」

「そういうつもりではありません。本当にJBは強い武人です。少し前の私ならば、手も足も出なかったと思います。仮に広域破壊を封じられても、彼は紛れもなく強いのです」

「だが、あのお嬢ちゃんも強いぜ。JBを弾き飛ばすなんて、並じゃねえな」

「それは仕方ありません。なにせ彼女も、少し前ならば私が絶対に勝てない相手だったのですから」

「へー、兄さんのお墨付きか。それなら面白い。なぁ、賭けようぜ。どっちが勝つと思う?」

「不謹慎ですね。仲間でしょう?」

「こんな面白い話、賭けなきゃつまらんだろう?」

「では、私は彼女に」

「おいおい、それじゃ賭けにならねぇな」

「おや? あなたも彼女に賭けるつもりだったのですか?」

「そりゃな。あんなイカれたヤバいやつを応援なんかしたくねぇし」

「酷いですね。少しは応援してあげてください。どのみち私は地元の人間を応援しますよ」

「ちっ、しょうがねぇ。こうなったら周りを巻き込むか。おーい! そこのやつら、暇してるかー! 賭けをしようぜ!! あの大男と門番の姉ちゃん、どっちが勝つかだ!!」

「なにぃいい! 面白そうじゃねえか! 乗った!!」

「なんだ、なんだ!? なにやろうってんだ!」


 クロスライルが並んでいた者たちに声をかけると、思った以上の人々が集まってきた。


「さあ、賭けた。賭けた!!」

「俺はやっぱり、あの姉ちゃんだな。胸がでかい!」

「馬鹿たれが。戦いでは邪魔になるじゃろう。わしは、あの変なやつじゃな。何か隠し玉がありそうじゃよ」

「断然、あのお姉さんです!!」

「見ろよ、あいつ。全然ダメージ受けてねえぞ。おれはあの男だな!!」


 あれよあれよという間に賭けが成立していく。

 賭け試合が好きなのは収監砦だけではない。荒野全体からしても数少ない娯楽なのだ。

 しかも収監砦とは違い、荒野での戦いは互いの死に直結することが多いので白熱する。

 サッカーが盛んな南米では、まったく専門家ではない酒場のおっちゃんが、やたらテクニカルな話をしてくることがあるが、それだけ文化が浸透していることを示してもいるわけだ。


 今のところ賭け具合は、マキ七割、JB三割といったところだろうか。


 女性は華があるし、単純にマキが強いことは初めて見る者にも明らかだ。

 その点で人気が出ているのだろう。

 しかし、JBはただの武人ではない。


(彼女が強いことは知っていました。私もかつてはボコボコにされましたからね。入院までしましたし…。ですが、彼もまた強い。どうなるかはまだわかりませんね)




513話 「『マキ VS JB』 その2」


 ドスドスドス

 JBが怒りの形相(顔は見えない)で、マキに向かっていく。

 一方で、最初は横入りされた連中は誰もが彼を嫌っていたが、今は賭けの対象になっていることから声援も飛んだりする。


「よっ、がんばれよ!!」

「大きいの、負けるんじゃねえぞ!!」


 しかし、普通ならばありがたい声援なのだが、この男にしてみれば不快が増すだけである。


「ゴミが!! 邪魔だ!!」


 ぶんっ ぼーーーんっ


「ぎゃーーーー!」


 JBが手を振ると、強烈な突風が発生して大勢の人間が吹っ飛ぶ。

 幸いながら戦気の放出はなかったので死者は出なかったが、ただ腕を振るだけでもこれだけの風圧が襲いかかってくるのだ。

 それによって骨折したり打撲をする人々が続出。


「こら! 他人に迷惑をかけるんじゃありません! あなたたちも変に関わるからよ! 自業自得ね。こういうのは無視が一番なのよ。覚えておきなさい」


 マキは怒るものの、その行為を咎めたりしない。

 彼女にしてみれば、賭けをする人間も駄目人間の一人なのだ。

 駄目な人間のところにクズが集まる。そこで争いが起きるのは自然なことと受け止めているようだ。

 彼女の役割は、門を守ること。

 本当に無害な一般人が襲われれば助けるが、駄目な連中が自滅しても助けたりはしない。門番はそこまで暇ではないのである。



 JBが、マキと対峙。



「いいだろう。もはや貴様を雑魚とは思わぬ。この私が本気で相手をしてやるのだ。ありがたく思え」

「いやいやいや、もう勘弁してよ。ほんともう、男の子って馬鹿ばかりね。アンシュラオン君みたいに頭が良くて可愛くて素直で、心に正義を抱いている人なんて本当に少ないと実感するわ」


 …え? 誰のこと?

 一瞬わが耳を疑ったが、どうやらマキの中ではそういったアンシュラオン像が形成されつつあるようだ。

 おそらくアンシュラオンが非道なことをしても、きっと美化されてしまうのだろう。

 恋は盲目。否、魅了は盲目。

 なんと怖ろしいことだろう。恐怖すら感じる。

 だが、JBが言ったことは何も間違っていない。


 JBが、構える。


 両手を広げた独特なスタイルだが、完全に戦闘モードに入ったことを示していた。


(こいつ、変質者だけど…強いわ。初手でもう少し痛めつけておくべきだったかしら)


 マキは即座にJBの実力を把握する。

 こうして構えを見ただけでも相当な実力者だ。各派閥を代表とする武人に匹敵する可能性がある。

 そんな相手に彼女が圧倒できたのは、先手を取ったからである。

 相手がこちらの情報を何も知らない段階で、自分の一番の武器を使って攻撃したからこそ、JBはまったく対応ができなかったのだ。

 初手では相手を吹き飛ばすことに徹したが、もしかしたら全力の技で対応すべきだったかもしれない。

 いくらマキでも、待ち構えているJBに対しては迂闊に飛び込めなかった。


「来ないのか? ならばこちらから行くぞ」

「っ!」


 ドスドス ドヒュンッ


 ゆっくり歩いたと思ったら、JBが一気に加速した。

 それが普通の走る動作ならば問題なかったが、何の予備動作もなく一気に身体が飛んできた。


(なんで!? 戦気を放出したの!? でも、そんな様子はなかったわ!)


 明らかに異様だが、戸惑っている暇はない。

 JBは間合いを詰めると、その両手で乱打を放つ。

 レクタウニードスにも使った六震圧硝《ろくしんあっしょう》である。

 高速の拳打と同時に衝撃波を叩き込む技だ。

 マキが戸惑った一瞬の隙をついて技を練り上げたのだ。これだけでも高等技術である。


(くっ、この間合いはかわせない!)


 不意をつかれたせいで回避が間に合わない。

 マキは防御の構えを選択。


 ドドドドドドッ!!


 両腕でブロックを形成し、乱打をガード。

 拳を受けるごとに身体が揺れ、発生する衝撃波が石畳を激しく抉っていく。


「ほぉ、洗練されているな」


 だが、マキは防御の戦気を放出して、それらの攻撃を受けきる。

 彼女の戦気は清々しいまでに赤く、真紅の輝きを持つ美しい輝きだった。

 質も練度も高く、ガードに徹すれば六震圧硝の威力もかなり軽減できる。

 多少腕に痺れは残ったが致命傷にはならなかった。


 技を受けきったならば、次はマキの反撃だ。


「ほぁた!!」


 近距離から、さらに超至近距離に間合いを詰め、渾身の拳を叩き込む。

 彼女の拳は直線的で強い。だからこそ間合いが近くても真価を発揮する。


 ドンッ


 強烈な一撃が直撃。


 そのままJBが吹き飛ば―――ない。


 ぐぐぐぐっ


 衝撃が伝わって後方に力が働いたものの、JBはその場に踏みとどまる。


(手応えはあったのに! 頑丈なやつね!)


 今度は相手を破壊するつもりで打った一撃であるため、たしかに吹き飛ばす力は少ないが、全力の拳を受け止められたことに若干のショックを受ける。

 だが、ショックを受けている暇はない。

 JBの反撃の蹴りが迫る。


(これはかわせる!)


 さきほどは奇妙な動きで戸惑ったが、本来の敏捷性ではマキのほうが上である。

 そして彼女の持ち味は、相手の攻撃を何倍も上回る連続攻撃にある。

 相手の攻撃がヒットする前に、自分から積極的に攻めてこその強さだ。


 今回もJBの蹴りをかわしつつ、カウンターの蹴りを入れようとした瞬間―――


 ビシシッ


「つっ!」


 彼女の目に向かって、細かい石つぶてが襲いかかった。

 それに気を取られてしまったがゆえに動きが遅れ―――


 ドゴンッ!!


「くふっ…!」


 JBの蹴りがマキに直撃。

 咄嗟に左腕でガードしたが、ミシミシと骨が軋む音が体内で響く。

 マキは体力に長けた武人ではない。JBの重い蹴りを受けて動きが止まる。


 そこにJBの連撃。

 ガードの上からかまわず殴りつけ、蹴り上げる。


 ドガドガドガッ バキィンッ


 彼のパワーを十全に生かした強引な攻撃でマキを圧していく。

 それをなんとか捌きつつ後退するも、相手にペースを持っていかれてしまった。

 その原因は、やはり『石つぶて』である。


(ぐっ!! どこから来たの!? 足元? でも、目を離してはいなかったはずなのに!)


 マキは完全にJBの動きを把握していた。

 顔や胴体、四肢のすべてを視界に入れて動きを予測し、完璧に自分の間合いに入ったことを確認してから動いている。

 しかしながら、石は足元から飛んできた。彼の足は余計な動きをしていないにもかかわらず、である。

 一瞬、ほかの誰かが投げたのかと思ったが、そんなそぶりをした者はいないし、何よりも強力な武人である彼女に一般人の投石が通用するわけもない。


(なんなの! このっ!!)


 ただでさえ不満が溜まって怒りに満ちているのだ。

 かなり強引であっても攻めに転じるのは仕方ないだろう。

 事実、彼女の推進力は極めて高い。

 JBの攻撃を押しのけるように前に出て、拳を叩き込む!!


 めきょっ!!


 拳はJBに当たる。手応えもあった。


 しかし―――


「惰弱! 脆弱!」


 JBは攻撃に耐え、そのまま反撃に転じる。

 マキは攻撃の打ち終わりなので、どうしても反応が鈍くなり―――


 バシイインッ


 拳を受ける。

 かろうじて首を捻ってかわしたが、額から血が滲んでいた。

 相手が女であっても容赦なく顔を狙うあたり、JBの性格が歪みきっていることがわかる。


 とはいえ、これが武人の戦い。


 女だからといって加減するような者は、けっして生き延びられないし、仮に石つぶてがJBの仕業だとしても卑怯ではない。

 やりたいならば自分もやればいいし、やりたくないのならばやらなければいい。

 邪魔ならば防御すればいいし、嫌ならよけてみせればいい。それだけのことだ。

 それはいい。そんなことはいい。


 それより気に入らないのが―――



(なんでこいつに攻撃が効かないの!?)



 JBに攻撃を叩き込んでいるのに、なぜか効いていない。

 マキがJBに痛覚がないことを知らないこともあるのだが、優れた武人ならば痛みを消すことは日常的なので、そこはたいした問題ではない。

 問題は、こちらからの攻撃に対してまったくの無頓着である点だ。

 痛みがなくても身体は損壊するので、攻撃は基本的に防ぐか回避すべきだ。

 それなのに自分の攻撃を受け続けている。

 これが攻撃力に自信がない武人ならば「俺の攻撃なんて、こんなもん」と割り切れるが、攻撃力に長けているマキの場合「カチン」と来るのも仕方ないだろう。


(なめてるの!? いいわ! それならば、くらいなさい!!)


「はぁあああああ!! うららららっ!!」


 ドガドガドガドガドガッ!

 殴る殴る殴る。

 一発の拳をきっかけにして、マキが怒涛の連撃を叩き込む。

 顔面、アゴ、胸、鎖骨、肩、胸、鳩尾、脇腹、骨盤といった、人体にとって致命傷になりかねない箇所に、手甲をはめた拳で殴りつける。

 揺れる揺れる揺れる。

 殴られた衝撃でJBが揺れている。攻撃はたしかに届いている。

 されど、それで油断したりはしない。


 マキが―――回転を上げる。


 ボオオオオオッ

 身体から熱い炎が燃え上がり、爆発的に戦気が増える。

 彼女が『技』の態勢に入ったのだ。

 これはマサゴロウにもやった紅蓮裂火撃の準備である。

 彼女の両腕に真っ赤な戦気、火気が宿り、準備が整う。

 JBは連撃の影響で動けない。痛みはなくても打撃を受けた身体は、すぐには動けないのだ。



 そこに―――火を噴く。



 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!


 腰の回転が急速に上がり、高速の拳打がJBに襲いかかる。


 殴る殴る殴る殴る殴る!

 殴る殴る殴る殴る殴る!
 殴る殴る殴る殴る殴る!

 殴る殴る殴る殴る殴る!
 殴る殴る殴る殴る殴る!
 殴る殴る殴る殴る殴る!


 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!


 さらにこの技の特徴として、殴った箇所が爆発するという追加効果がある。


 バンバンバンバンバンバンバンバンッッ!!


 連打と爆発が同時に起こり、視界を完全に赤で染め上げる。

 凄まじい戦気の放出に周囲の温度が一気に上昇。爆炎が吹き荒れる。

 攻撃型戦士である彼女の最大の特徴は、相手を上回る攻撃量である。

 一発が通じなければ、二発。二発が通じなければ、三発。

 三発でも駄目ならば、四発。それが駄目ならば五発、六発と叩き込む。



 相手が倒れるまで―――叩き込む!!



 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!

 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!


 バンバンバンバンバンバンバンバンッッ!!

 バンバンバンバンバンバンバンバンッッ!!



 殴り、殴りまくり、殴り尽くす。

 あまりに激しい熱気は自身にまで及び、殴るほうもなかなかにしんどいが、攻撃をやめない。

 ひたすら殴り続けた。



 ボシュウウウウウ


 攻撃が終わり、拳から煙が上がる。


(これだけ打ち込めば、このレベルの相手でも倒せるはずだわ! やりすぎたかしら?)


 実際にマサゴロウの時よりも速度と威力は上がっていた。

 相手の実力が高かったので、彼女も遠慮などはまったくしていない。

 彼女の連打が直撃すれば、体力の低いファテロナくらいならば軽く撃沈だ。プライリーラとて無事では済まない。

 むしろ多少やりすぎたかもしれないと反省するほどである。

 だが、その心配は不要だ。


 なぜならば―――



「くくく…ははははは!! そんなものか、女!!」



「なっ、まさか…!」


 煙の中から笑い声が聴こえる。

 フードはボロボロに破れてしまっている。攻撃は彼の戦気を貫通してダメージを与えたようだ。

 しかしながら、それでもJBは立っていた。


 それを支えているのが、三本の黒紐。


 彼の身体からは、黒い触手のような紐が三本出ている。

 身体から突然紐が、にょろっと背中から飛び出ているが、べつに縫い付けたわけではない。

 この紐はJBの意思で自由に「創造」することができるのである。


「なにこいつ! 気持ち悪い!」


 正直な感想であり、多くの者が賛同する言葉であろう。

 だが、これがなかなかに厄介だ。

 黒紐はこの隙に彼女の死角に回り込み、襲いかかる。


 バシュンッ


「っ!」


 バチイイインッ

 ほぼ斜め後ろから飛んできた紐の対応は難しい。

 マキの身体に鋭い衝撃が走り、背中に痛々しい傷が付けられた。


(くっ!! なにこれ!? こんなものを操っていたの? …そうか。だからね。殴られても動かないわけだわ)


 マキが地面をよく見ると、何かが突き刺さった形跡がいくつもあった。

 JBは縄を地面に突き刺すことで姿勢制御を行っていたのだ。

 足を使わず突然加速したのも、この紐を使っていたからにほかならない。

 石つぶてを投げつけたのも、無数にある紐を使えば簡単なことだ。


 そして、フードが破れた以上、もう隠す必要はない。


 JBの身体から出た黒紐が、マキに襲いかかる。


 バシュンッ


 再び死角から紐が攻撃を仕掛ける。

 マキは右に駆けて回避。

 彼女の素早さは伊達ではない。一瞬の動きではJBを凌駕する。

 これくらいならば比較的簡単によけることができる。


 それが一本ならば、であるが。


 バシュンッ バシュンッ


「くっ…!」


 今度は二本の紐が襲いかかってきた。

 これもかろうじて回避に成功する。

 だが直後、さらに数は増える。


 バシュンッ バシュンッ バシュンッ


 三本目は上から襲いかかってきた。

 最初は急ブレーキをかけてかわしたが、地面に当たった紐は勢いそのままに跳ね返り、下からの攻撃に変化。

 バチィイイイイインッ!!


「つううっ!」


 マキのアゴに衝撃が走り、血が滲む。




514話 「『マキ VS JB』 その3」


 バチィンッ! バチィンッ!

 JBの縄がムチのように動き回り、マキを攻撃していく。

 この黒縄は彼が自在に長さを調整できるため、突然伸びたり縮んだりすることも間合いが掴めない要因であった。

 伸縮自在なムチ。

 一般人が使っても音速に達するのがムチである。

 それを武人であるJBが操れば、もはや肉眼で捉えることは難しいレベルの速度になってしまう。

 ただしその分だけ威力は低いので、直撃を受けても大きなダメージにならないのが不幸中の幸いだろうか。


「くくく、じわじわといたぶってやろう」


 サディストであるJBらしい発言だが、けっして油断していないことがわかる。

 黒紐の威力はさらに上げることができるのだが、そうすると今度は速度が遅くなってマキを捕捉できなくなる。

 JBも彼女の直線的な動きを警戒しているのだ。

 その直線の動きを防ぐために、このような戦術を選んでいるのである。

 JBは真性のヤバイやつだが、戦闘技術は極めて高い。

 彼によって数多くの武人が殺されてきた。

 ラブヘイアが言う通り、広域破壊に頼らずとも彼は強いのである。



(こいつ、案外ちゃんと考えて動いているじゃないの! この攻撃も私の動きを封じるためのもの。こっちが本当の戦い方というわけね。見た目に騙されたわ! その知能を勤労に生かせばいいものを!)


 マキも現状を正しく認識していた。

 JBの巨躯からパワータイプなのかと思っていたが、彼の最大の武器は【多角的】な攻撃にあった。

 変幻自在の紐による多段攻撃を多用することから、完全に一対多数を想定していることがうかがえる。

 こういうタイプは視野も広く、手数を出させると厄介になるものだ。

 屈強な防御タイプの戦士ならば、耐久力を生かして活路を見い出せるが、自分の体力では長くはもたない。

 ここで彼女が選んだのは、相手が調子に乗る前に叩くという、いつもの戦法である。


「はぁああああ!」


 マキは多少の被弾を覚悟して、突っ込む。

 そこに紐の一撃。

 バチィン バチイイインッ!


(これくらいなら、まだ耐えられる!)


 防御の戦気を展開していてもダメージを受けてしまう。そのたびに皮膚が破れ、血が吹き滲む。

 美しい肌が傷つくのは女としてつらいところだが、武人の戦いでは仕方がないことだ。


 被弾を覚悟したおかげで、マキが再度接近に成功。

 JBは、またよけない。


(余裕しゃくしゃくね! 私の攻撃なら耐えられるって言いたいの!? いいわ! 連続攻撃で駄目なら、力を一点に集中するだけよ!!)


 自身の最大の連撃である紅蓮裂火撃で倒しきれなかったのならば、考え方を変えるしかない。


 ボオオオオッ ボゴオオオオオオッ


 マキの右拳に戦気が集まり、集まり、さらに集まる。

 もともと彼女の戦気は洗練されて美しい赤色をしているが、集まるごとに不純物がなくなり、より純粋な真紅になっていく。


 その拳を―――JBに叩きつけた。


 ドゴオオオオオオオッ


 全力で放った一撃なのだから、これ単体で相当な威力を持つのは当然だ。

 しかもそれだけにとどまらず、力はさらに集中し、集中し、集中され。


 ぎゅるるるるるっ


 戦気が圧縮され、拳の大きさの二倍程度の小さな球体状の炎が生まれたと思ったら、それが周囲の空気を吸い取って一気に肥大化。




―――大爆発




 ドオオオオーーーーーーーーンッ!!!



 JBの腹を中心にして、凄まじい爆発が発生。

 今までの爆発とは質が違う。周囲にあった石畳も、焼き焦げるどころか完全に溶解して消え去っていく。

 ただしすべての力は向こう側、JB側のみに発生しているのでマキに被害は及ばない。


 覇王技、赤覇・烈火塵拳《れっかじんけん》。

 紅蓮裂火撃の力を一点に集中させた技で、一点破壊攻撃としては因子レベル3の中でも火系最強レベルの一撃である。

 因子レベル3の技といっても侮ってはいけない。威力だけならば因子レベル5以上にも匹敵するものも多いのだ。

 この赤覇・烈火塵拳も、威力だけならばアンシュラオンの風神掌並みである。

 第七階級のマキが、第三階級と同じパワーを出せると考えれば、その凄さがわかるだろう。


 ちなみにこの技を使うには、サナが苦手としている戦気の『集中』が必須となるのも特徴だ。

 しかも相手の攻撃を受けながら致命傷を避けつつ、技の発動条件を満たす必要があるため、非常に高度な動きが求められる。

 基本の戦気術がいかに大事かが、これでよくわかる。どんな強い攻撃も、厳しい条件下で使えなくては意味がないのだ。

 いくらジュエルで強くなっても、まだまだサナには数多くの課題があることを、先輩のお姉さんは如実に証明してくれたのである。(サナは見てないが)



(直撃!! なめているからよ!!)


 使っているエネルギーは同じでも、連続攻撃と一点集中攻撃は違う。

 マシンガンと大砲の弾が違うのと同じだ。合計の質量が同じでも、一発の威力は相当異なる。

 彼女が普段この技を使わないのは、外れた時のリスクが大きいからだ。

 マシンガンならば十発や二十発外れても問題ないが、大砲がよけられれば、そこで終わってしまう。

 この技も疲労度では紅蓮裂火撃と同じだ。多用していればすぐにスタミナが切れるだろう。


 だから、これが彼女のとっておき。


 一撃必殺用の技である。

 それを受けたのだから、JBも無事では済まない。


「………」


 JBは無言だった。

 彼の腹は今の一撃で完全に破壊され、焼け爛れてしまっている。

 普通の武人ならば腹ごとなくなっているはずなので、そうならないだけでも彼が優れた武人であることを示していた。


 決まった。


 マキも観衆も、誰もがそう思った。



 クロスライルたち以外は。



「あのお嬢ちゃん、本当に強いな。JBの野郎をあそこまで傷つけるとはな」

「ええ、レクタウニードスでさえ、彼に満足にダメージを与えることはできませんでした。それと比べれば圧倒的に強いです」

「だな。たいしたもんだよ。ふぅううう。あー、うまい」


 クロスライルは、JBがそんな状態でもタバコを堪能する。

 余裕だ。まったくもって心配もしていない。

 なぜならば、『この程度』で彼が倒れることがないことを知っているからだ。


「JBに賭けたやつは三割か。親元で二割引いても、まあ十分ってところか。賭けとしては成立したな」

「私はともかく、あなたはどうしてJBに賭けなかったのですか? 勝つことはわかっていたでしょう?」

「そりゃ兄さん、それじゃ面白くねえからさ。波乱が起こったほうが面白いだろう? 穴馬を狙うのが正しい競馬のやり方だぜ」

「そんなものですか? …ところで競馬とは?」

「オレの故郷には、そういうくだらねぇもんがあるのさ。動物愛護団体の皆様にゃ不興だがね。カカカッ!」


 クロスライルは、JBの勝利を知っていた。

 それでも賭けないところに美学があるのだろう。なかなか変わった男だ。


 そんなクロスライルを不思議そうに一瞥しつつ、ラブヘイアは真面目な顔でマキを見る。


(キシィルナ門番長は『優れた武人』です。しかし、【怖い武人】ではないのです。そこの差が出たといえるでしょうか)


 格闘技でもスポーツでもよくいわれるが、「優れている」と「怖い」の差である。

 どんなにテクニックやスピードを持っていても、ゴールに直結しなければ怖い攻撃にはならない。

 マキの突進力と攻撃力は極めて優れているのだが、門番の衛士という性質上、相手を滅することに徹しきれないでいる。

 やりすぎたと反省するシーンなども、まさにその象徴だ。

 できるだけ相手を殺さずに制圧することを目的としているのだから、それも仕方がない。


 しかし一方、JBは『武人専門の殺し屋』である。


 戦罪者と同じく、相手を殺すことだけに特化した武人。

 その中でさらに『殺害』に特化した者なのだ。



 ぼろぼろっ ぼちゃっ ぼちゃちゃっ


 最初、その音は臓器が落ちたものかと思われた。

 赤覇・烈火塵拳の名の通り、攻撃した相手を「塵」にするような技である。

 そんな一撃を受けたのだ。多くは炭化しているだろうが、内部もきっとボロボロだろう。

 そう思って、マキが落ちたものを見ると―――


 にょろにょろっ


「ひっ」


 落ちた物体が動いている。

 ニョロニョロと奇妙な動きで蠢いている。


 ぼちゃ ぼちゃぼちゃぼちゃっ ぼちゃちゃちゃ


 それからもJBの腹から、大量の謎の物体が落ちていく。

 それはしばらく動いていたものの、切り離されてから時間が経つと次第に動きが鈍くなり、完全に動かなくなった。


「なに…これ?」

「ふぅぅ…すっきりしたな。これも古くなっていたからな。どうせ交換の時期だった。ちょうどよかった」


 ずるんっ にょろにょろっ


「うひっ!」


 崩れ落ちたJBの腹から、細かい紐が大量に出てきた。

 見たままを述べれば、大量のミミズが絡まっている光景、あるいは釣りの餌で使うイソメやゴカイが集まった「あのウネウネ」した光景に似ているだろうか。

 それが集まって彼の腹を再構築していく。

 紐と紐が絡まって結び目となり、さらにそこの上に紐が覆い被さり、何重にもなって頑強になっていく。

 そして、紐が溶け出して混じり合い、もとの形になっていく。

 より正しく言えば、この紐こそが彼の身体そのものなのかもしれない。

 彼は破損して不要になった部分を切り捨て、新しい部位を『創造』したのである。


「な、なんなの…こいつは……! どうして今の一撃で倒れないの!? なんでお腹が…」


 JBにとっては当たり前でも、マキにしてみれば奇妙で珍妙な現象だ。

 困惑するのも致し方ない。



「お前の攻撃は終わりか? 拍子抜けだったな。ならば次は私の番だ」


 ずるずるずるずるっ

 身体から八本の紐が出現。


(八本、こんなに出せるの!!)


 三本でも苦戦していた紐である。

 それが八本ともなれば、これから何が起こるのかを想像できないわけがない。


「青ざめたな。いい顔だ!」


 恐怖を抱いたマキの表情を見て、JBの中に不快ではない感情が芽生える。

 力を得るために多くの感情と感覚を失った彼にとっては、他者の痛みと恐怖こそが唯一の快楽なのである。


「もっともっと、私に与えろ!!」


 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!


 三本の黒紐が襲いかかる。


 バジイイイイインッ!!


「くっ!!」


 マキは防御の態勢に入っていたが、そのガードをもってしても防ぎきることはできなかった。

 腕が痺れるのはもちろん、手甲にも大きな傷痕が残っている。

 核剛金と原常環によって強化し、さらに戦気によって覆った篭手であっても、この攻撃の前には絶対の防御にはならない。


 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 変幻自在の黒紐が襲いかかる。

 マキはそれを避けられない。かろうじていなすだけで精一杯だ。


(紐が先回りしている! 動きを読まれているわ!)


 マキは速い。マキは強い。

 しかし、その力を出しきるには直線での間合いが必要だ。

 JBはこれまでの戦いで彼女の戦い方を把握した。

 あれだけ攻撃を受ければ、状況認識能力が低くても能力を理解することができる。

 逆にいえば、ああして攻撃を受け続けるのも、感覚がないという自身の弱点をカバーするためといえるだろう。

 相手の攻撃を身体に染み込ませて覚えるのだ。


 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 黒紐が巧みに動き、マキを封じ込める。

 さらにいやらしいのが、これだ。


(抜けられる!)


 マキが黒紐の隙を見つけて安全地帯に逃げようとする。

 だが、そこにはすでに黄色い紐が待ち伏せており、雷撃を放射。

 バチバチバチバチッ


「きゃあああ!!」


 雷撃で動きが止まったマキに―――


 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 多数の黒紐が襲いかかり、めった打ちにする。

 そう、こうしてわざと隙を生み出して誘ってきたりするのだ。


「いいぞ! いいぞ!! ふはははは!! もっと苦しめ!!」


 JBは意図的にマキを仕留めない。

 自分の能力が一撃必殺でないことを知っているせいもあってか、こうしてじわじわ弱らせる攻撃を好むのだ。(特に女、子供をなぶる時は)


 そして、ついに門にまで後退を余儀なくされる。


 ドンッ


 マキの背中が門に密着した。




515話 「『マキ VS JB』 その4【鉄壁の門】」


 マキが門を背にする。

 もう逃げ道はなくなった。


「くくく、鬼ごっこは終わりか? ならばそこで朽ちるがよい。少しずつ削り取ってやろう!」


 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!


 黒紐は彼女の周囲を覆うように展開され、さらに逃げ道を塞ぐ。


(さぁ、来るか? いいぞ。来たらまた楽しませてやろう)


 実はこれ、JBの『罠』である。

 マキの戦い方を知ったJBは、こうして黒紐を分散させることで相手を誘っているのだ。

 周囲に展開すればするほど紐自体の『密度』は低くなる。

 となれば相手は一発逆転をかけて、再度一点突破を狙ってくるに違いない。

 そこで待ち受けるのが電撃と火炎だ。

 JBはもっとも攻撃力が高い電撃と火炎の両方を操れる。数多くの敵を滅するために生み出されたからだ。

 待ち伏せで一気に最大火力を浴びせる。これが彼の狙いである。


(くくく…くはあーあーーーーーーははは!! たのしい…! そうだ、これが【愉しい】という感情だ!! ハハハハハハ!! 思い出す! 人であった頃を思い出すぞおおおお!!)


 美しい彼女が焼け爛れ、苦痛の中で死んでいくさまを見るのが愉しみでならない。

 ラブヘイアも言っていたが、他者の不幸がなければ自己を確立できないという意味では、非常に哀れな存在であるといえるだろう。

 彼は求める。

 他人の痛みを。


 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!


 黒紐がマキに襲いかかる。


 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 マキは防御。

 前面に防御の戦気を集中させて耐え凌ぐ。

 後ろが門であるため、前にだけ意識を集中させればいいので防御はしやすいだろう。

 受けるダメージも前より減っているようだ。


 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 マキはまた防御。

 来る方向がわかっていれば防御もしやすい。

 体力の低い彼女であっても、まだ耐えられる。


(さあ、早く来い! 私を愉しませるのだ!!)


 JBは誘うように黒紐を操る。

 決死の覚悟で向かってくる彼女の顔が歪む光景を欲しているのだ。

 まったくもってド変態である。こんな人間がいると思うだけで気色悪いし、世間の皆様方の迷惑になるだろう。


 だが、強い。


 強いことはもっとも重要だ。

 強さこそが荒野における最大の権威!! ヒエラルキー! 名誉会長!!

 強さに支払う貨幣は、強さ以外にはありえない。

 図書カードや商品券では税金が払えないのと同じで、実際の力に対抗するには実際の力をぶつけるしかない。

 その力がないのならば蹂躙されるしかないのだ! ないのである!


 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 マキの身体に傷が付いていく。

 額や頬に傷が生まれ、腕や肩が破れ、太ももが抉られる。

 力なき者は、こうしていたぶられることも甘受せねばならない。

 ただ、彼女には抵抗する力がある。まだ力を残している。



 その最後の一撃を愉しみにしているわけだが―――動かない。



(…なぜだ? このまま死ぬつもりか?)


 いくら誘っても門から離れる様子がない。

 たしかに攻撃が来る方向がわかれば防御はしやすいが、ただそれだけだ。

 こうやってダメージが蓄積して、いつかは倒れてしまうだろう。


「………」


 それでもマキは動かなかった。

 ただ前を見て、じっと耐えている。


(門を守っているとでも言いたいのか? それが自分の責務だと言いたいのか? くだらん! どうでもいいいいいいい! 早く、早く、早くこいいいいいいい!!)


 早く快感を得たいJBが、焦れる。


 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 それによって黒紐の軌道も甘くなっていく。付け入る隙が生まれていく。

 絶好のチャンスだ。今こそが突撃の機会だ!!


 されど―――動かない。


 マキは依然としてアクションを起こさなかった。



「ううううっ…きさまぁあああああああ!! なぜこないいいいいい!」



 ここでJBが逆ギレ。

 達したくてうずうずしている人間が暴力的な衝動に駆られるように、せっかく地面の中に隠して配置していた黄色い縄と赤い縄を出してしまう。

 そして、門に向かって雷撃と炎を吐き出す。


 ボオオオオオオオッ

 バチバチバチバチッ


 火と雷が混じり合い、強力な破壊のエネルギーが発生。

 これはさすがに避けるだろうと思ったが―――


 ジュオオオオッ バチンバチンッ


 動かないマキは、それを真正面から受けてしまう。

 肌が焼け焦げ、雷撃の中で血が踊る。

 見るも痛々しい光景だ。だがやはり、マキは動かない。


「くだらん! くだらん! そのまま死ぬのならば、それでもいいだろう!! 死ねぇえええええ!!」


 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!

 ボオオオオオオオッ
 ボオオオオオオオッ
 ボオオオオオオオッ

 バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ


 黒紐の中に炎と雷撃まで交じり、もはや属性の判別さえ難しい状況になる。

 同じレベル帯としてはHPと防御の低いマキは、きっともう耐えられない。

 それでも門を最期まで守ったことは語り継がれ、伝説になるかもしれない。

 女門番長よ、あなたのことは忘れません。

 あなたの気高い心と都市を愛する気持ちは、永遠に記憶され、遺され、称賛されることでしょう。


 称賛されることでしょう。

 称賛されることでしょう。

 称賛されることでしょう。


 称賛される…



 ギロリ



 だが、激しい攻撃に晒されながらも、マキの目は死んでいなかった。

 鋭い視線は常にJBを見据えている。防御の構えもまだ解いていない。

 この目の光は、いまだに勝利を求めている者だけが宿すことが許されている尊い輝きである。

 けっして誰かに称賛されたいとか、語り継がれたいという欲求などは―――ない!!


 断じてない!!



 そこで―――気付く。



(美しい髪だ…)


 ふと、ラブヘイアはマキの髪の毛に見惚れる。

 この男がどんなに強くなろうとも、生粋の髪の毛好きであることはまったく変わらない。

 いかなる場合においても髪の毛を凝視する癖があるのだ。(マジ変態ですわ)

 そんな彼だからこそ、マキの髪の毛が依然として綺麗なままであることに気付いたのだ。

 他の者が苛烈な攻撃に圧倒される中で、そのことに気付いた者が何人いただろうか。

 ラブヘイアの観察眼もなかなかのものである。


(肌も傷ついてはいるが、まだ綺麗だ。あれだけの攻撃を受けているにもかかわらず原形をとどめている。…ダメージを受けていない? …いや、違う。JBの攻撃は命中しているし被害を受けている。ならば、【回復】しているのか?)


 これだけの攻撃である。

 アンシュラオンほどの防御性能を持つのならばともかく、防御力が低い彼女がダメージを受けないなんてことはありえない。

 事実、受けている。

 肌や筋肉、骨に至るまで深刻なダメージを受けつつある。

 されど、それと同じくらいの速度で彼女の怪我が【回復】しているのだ。

 だが、彼女のスキルに『自己修復』は存在しなかった。

 存在しないものは、どんなにがんばっても機能するはずがない。


 とすれば、彼女の中にある『何かしらの力』を使っていることになるだろう。



(反撃しないからって、好き勝手やってくれちゃって。ほんと最低のクズね)


 マキはじっと攻撃に耐えていた。

 忘れそうになるが、彼女は激しい自己嫌悪で怒りに満ち溢れているのだ。

 攻撃を受けるたびに怒りはさらに増大していく。

 その怒りに反応して戦気も増していく。ただし、それだけが要因ではない。


 では、そろそろ種明かしをしよう。


 彼女が持ちこたえられている理由は、『ユニークスキル』にある。

 アンシュラオンが情報公開を使ったので、彼女にユニークスキルがあることはわかっていたことだ。


 スキル『鉄壁門《てっぺきもん》』。


 このスキルの内容は、『背後にある対象物を守る』というものだ。

 文字だけ見て判断すれば、門に関連するスキルに感じられるだろうが、たまたま彼女が門番だったからこの名が付いただけであり、門に限らず発動が可能となっている。(このスキルがあるから門番になったともいえるが)

 より細かくスキルを解説すれば、背後に【守護対象物】がある限り、物理耐性、術耐性、毒耐性等々の全耐性を与え、『貫通無効』の防御力二倍効果に加え、『自己修復』能力を付与するというものだ。

 どこかで聞いたことがある内容だとは思わないだろうか?

 そう、これはアーブスラットが所有していたユニークスキル『美癌門』に酷似しているのだ。

 彼のスキルも防御に特化したスキルであり、いざというときに発動して命拾いすることも多い極めて強力なものであった。

 しかし、いくらマキが彼の弟子であっても、ユニークスキルまで教えることはできないはずだ。

 当然、その通りである。

 仮にアンシュラオンがどんなにがんばっても、彼のデルタ・ブライト〈完全なる光〉を他人に教えることはできない。


 だからこそ、これには【特殊な事情】が関連している。


 マキが幼少期からアーブスラットに指南しているのは、すでに述べた通りだが、その過程で『事故』が起きた。

 野外訓練で彼女が大怪我を負ってしまったのだ。

 アーブスラットも武人であり、生粋の武闘者である。若い頃は今よりももっと激しい鍛練を好んでいた。

 マキが才能豊かであったからこそ、なまじ指導に熱が入ったといえるだろう。

 よくスポーツ業界でもパワハラや暴力事件が絶えないが、一部のものを除き、その根幹には相手を強くしてあげたいという欲求があるものだ。

 その熱が入りすぎた結果、アーブスラットもマキに厳しい指導をし、命に関わる大怪我をさせてしまった。

 普通の回復術符でも効果は薄く、重い後遺症が残るとわかったため、その際に致し方なくアーブスラットは



―――【自分の細胞をマキに移植】した。



 能力を発動させて増殖した細胞で、欠損部分を補おうとしたのだ。

 極めて危険な行為であったが、命を取り留めるにはこの方法しかなかった。

 また、彼にもそれなりの算段があってのことでもある。

 アンシュラオンがサナと常に一緒にいて、自身の戦気に馴染ませていったように、アーブスラットとマキも修行を重ねていくうちに『同化』現象が起こっていたのである。

 二人が同じタイプの武人であったこと、戦い方も人間としての傾向性も似通っていたこと等々、非常に特殊な事例が重なったからこそ起こった『奇跡』でもある。


 それによってマキは、新たなユニークスキルを得ることに成功した。


 彼女は才能豊かであったが、もしアーブスラットに師事しなければ、きっと今の領域にまで到達することは不可能だっただろう。

 今こうしてJBの攻撃に耐えていられるのも、まさに彼の能力を受け継いだからにほかならない。


(攻撃が比較的弱いから助かったわ。もし強力な一撃を打ち込んでこられたら、きっともたなかったでしょうね。こいつが真性の変質者で助かったわね)


 かなり有用なスキルであるが、これが美癌門の『亜種』であることを考えれば、デメリットがあってしかるべきだ。

 美癌門の弱点は、技が使えなくなることだった。


 では、『鉄壁門』のデメリットは何かと問われれば、【動けない】ことである。


 このスキルの発動条件は、背後に守る対象がいなければならない、という点だ。

 現在は門を指定しているので、当然ながら動くことができない。これは非常に致命的だ。

 美癌門は技は使えなかったが、自分で動くこともできるし、放出以外の打撃は普通に可能であった。

 それと比べると非常に大きなマイナス点であるといえるだろう。


 また、美癌門が『完全自己修復』と同等の効果があるのに対し、マキのものは普通の『自己修復』と同程度である。回復量は圧倒的に劣る。

 それでも凌げるのは、やはりJBの攻撃が弱かったから、というしかない。

 かなり苛烈に見えるが全部が多段攻撃である性質上、一発一発は極めて軽い攻撃なのだ。

 火炎や雷撃は強力だが、あれは不意打ちだからこそ真価を発揮する。

 我々とて突然静電気が発生するから驚くのであって、くるとわかっていれば心の準備ができるものだ。(それでも嫌だが、わからないよりはいいだろう)

 JBのサディスティックな性癖も重なった結果、運よく耐えているにすぎない状況といえる。


 ここで、守護対象物は物でなくてもいいのか? という疑問も湧くだろう。


 たとえば「人」でもいいのか、と。


 肯定である。この対象物は人でも可能だ。

 ただし、生物が対象の場合「自力で動けないほど弱っている場合のみ」という制限もある。

 そうなると結局動けないので、条件としてはあまり変わらないものとなるだろう。

 どうしてこんな条件があるかといえば、彼女の『母性本能』が影響を与えているからだ。

 この力が発動したきっかけは、弱いものを守りたいという欲求が極限にまで高まった時なのだ。

 最終的な力の根源は、精神エネルギーに起因する。

 彼女の燃え盛る情熱が、何かを愛したいと願う心が、守りたいという母性が、この力を支える原動力なのである。


 彼女が門番になったのは、ただただ守るため。


 攻撃だけでは守れない時にのみ、彼女はこの力を使うだろう。

 攻撃型戦士である彼女とは相反する性質のスキルであるので、普段はお目にかかれないが、一度発動すればまさに『鉄壁』。

 彼女の弱点を一時的に埋める役割を果たしてくれるのだ。




516話 「『マキ VS JB』 その5【鉄の痣】」


 マキがユニークスキル『鉄壁門』を発動させる。

 かなり条件が厳しいが、一度発動すればまさに鉄壁だ。

 いくらJBとて、そうそう簡単に破れるものではない。


 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!

 ボオオオオオオオッ
 ボオオオオオオオッ
 ボオオオオオオオッ

 バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ


 期待通り、苛烈な攻撃をすべて受け止める。

 だが、物事には限界がある。


 バキンッ ぼろろ


 マキの手甲にヒビが入り、破片が零れ落ちた。

 ダメージは軽減しているが、所詮軽減にすぎない。

 本来ならばこのまま攻め疲れを待ちたいところであるも、JBの攻撃が減衰することはまったくなかった。

 これだけの攻撃を続けていても体力が減っていない。それだけでも怖ろしいことである。

 都市の地表部を丸々更地にするだけの燃料が積まれているのだから、これくらいの出力はたいしたものではないのだろう。

 魔獣のほうが数も多く、体力も高かったために広域破壊を使ったが、マキ一人が相手ならばスタミナ切れの心配もない。

 このままの持久戦ではマキに勝ち目はないだろう。


 また、スキルにも発動時間があるので悠長にはしていられない。

 特にこの力は他人から移植されたスキルであるため、長時間の使用は細胞にダメージを与えることになる。

 この点はアーブスラットの弱点と似ているところがあるだろう。

 そして、この技を完全に扱うためには、細胞操作を完璧にこなさねばならない。

 これも普通の武人にできるわけがない。素養があったアーブスラットだからこそできたのだ。

 あるいはコウリュウやJBのように、特殊な措置を受けた者でなければ不可能なことだ。

 JBの攻撃もますます威力が上がっていくため、もうじき耐えられなくなるだろう。

 マキにとっては悪い状況が続く。


 しかしながら、忘れてはいけない。


 アーブスラットが持っていたユニークスキルは、一つではない。



(そう…ね。そうよね。もう【外しちゃっても】…いいわよね。外れちゃうんだから、しょうがないわよね。あーあ、外れちゃうんだ…)


 バキッ バキバキッ

 手甲へのダメージが蓄積し、ついに限界に達する。

 バリンッ ゴトゴトッ

 真っ二つに割れた篭手が落ちると、マキの腕が露わになる。

 彼女は普段から篭手を外さない。人前で外すことはないだろう。

 同僚の門番も付けていないところを見た者はいないに違いない。



 その理由は―――【痣】



 露わになったマキの手、その腕の一部には大きな痣があった。

 これはアーブスラットから細胞を移植された時、どうしても消すことができなかった【傷痕】だ。

 皮膚ガンや重度の火傷の跡と同じように、醜い染みが腕に広がっている。


(相変わらず、気持ち悪いわね)


 女性ならばコンプレックスになってしまうのも仕方がない。

 マキ自身も、この傷を見るたびに複雑な心境になる。

 あの篭手を常時付けているのは、これを隠すためでもあったのだ。


 しかし、彼女はただ恥ずかしいからという理由で、この痣を【封じて】いたわけではない。


 ドクンッ ドクンドクンッ

 鉄で出来た篭手を外した瞬間、痣が疼き始めた。

 ずずず ずずずずずっ

 黒ずんでいた痣がマキの戦気を吸い、さらに大きく広がっていく。

 瞬く間に広がった痣は、両手の指先から肘まで【侵食】を開始していく。


 マキの腕が―――黒に染まる。


 これも見覚えがある。



 これは―――死痕拳《しこんけん》



 アーブスラットが持つ最大の力にして、できれば使いたくなかった最終攻撃手段である。

 その威力は知っての通り、戦罪者であっても一撃で葬れる力を持っている。

 死痕拳も美癌門と原理は同じなので、美癌門が使えるということは死痕拳も使えるということだ。

 ただし、彼女のものは本家のものとは違った。


 美癌門が鉄壁門になったように―――


 ビキビキビキッ!!


 黒ずんだ手が、燃えるような戦気を吸収し【鉄】になっていく。

 細胞が変質を起こし、人の手から鉄の手へと変化していく。


 比喩ではない。そのままの意味で【鉄化】しているのだ。


 こうなった理由と原因はまったくの不明だ。

 もともと無理があった移植なので、拒絶反応が起きて変質したのかもしれない。

 あるいは彼女の傾向性に合わせようとした結果、細胞が自発的に進化を選んだのかもしれない。

 ともあれ、痣を放置しておくと戦気を吸収し続けて全身にまで広がっていく。

 そうなれば長時間戦えないどころか日常生活にも支障が出るので、最初はショックを受けたものだ。


 唯一の解決策は、同じ鉄と接触させると増殖が収まることである。


 同種のものには干渉しない性質があるのか、鉄製の篭手を付けていると戦気を吸わなくなり、腕を侵食することもなくなった。

 栄養が足りなくなれば痩せ細るように、無くなることはないものの、放っておけば次第に小さくなっていくのだ。

 だから彼女は、普段から篭手を身に付けているわけだ。


(【殺してもいい】わよね。もう殺すしかないのなら、殺すしかないのよ)


 そして、これはマキにとって【ストッパー】でもあった。

 普通ならば篭手や手甲は打撃武具(保護武具)の一つだが、ボクサーのグローブのように「相手を守る」ことにも繋がっていたのだ。

 けっして武器のために使っていたわけではない。

 相手を殺さないために使っていたのだ。


 それが―――外れる。


 自分で好きに外したわけではない。そうさせたのは相手だ。だったらしょうがない。

 そんな免罪符もあったのだろう。


 マキの中に【殺意】が芽生える。


 ボオオオオオオッ ジュウオオオオオオオ


 それに伴って戦気の質も変わっていく。

 殺す覚悟を決めた瞬間から、戦気はより強靭に、より鋭く、より【怖く】なっていく。

 ナイフを見せびらかす者は、怖くない。

 ナイフを何も言わずに刺す者こそ、怖いのだ。

 そういった怖さがマキにも宿る。


 JBはクズだ。


 ならば、死んでもいい。




「ようやくその気になったか!! ゴングは鳴っているぞ! こいいいい!」


 マキの戦気の変化を一番喜んだのは、誰よりもJBであった。

 殺し屋の彼にとっては、この状況が普通。

 逆に相手を殺すつもりがない武人は、武人とは呼ばない惰弱な存在だと罵るくらいだ。

 今ようやくにしてマキは、JBの舞台に上がる資格を得たのである。


(ならば大歓迎だ! もてなそうではないか!!)


 ズルズルズルズルズルッ

 JBはマキに見えないように足裏から新たな紐を創造すると、地面の中に隠した。



 それと同時に、マキが駆ける。



 門から離れ、こちらに向かってくる。

 彼女の顔は若干強張っている。おそらく最後の勝負を仕掛けるつもりだろう。

 まったくもって予想通りかつ、期待していた通りだ。

 にやり

 上半身に残っていたフードで顔は見えないが、JBの口元が笑ったのがわかった。


(くくく! 焼き尽くしてくれるわ!)


 最初のプランに戻った、というわけだ。

 腕の変色は気になるが、こちらに到達する前に片はつく。

 その瞬間を待ち遠しく思いながら、マキを誘う。


 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!
 ヒュンッ!! ヒュヒュンッ!!

 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!
 バジイイイイインッ!!


 黒紐の攻撃をマキはよけない。

 くらうがままにくらいながらも、足だけは止めずに駆けてくる。


 ボオオオオオオオッ
 ボオオオオオオオッ
 ボオオオオオオオッ

 バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ
 バチバチバチバチッ


 火炎や雷撃も気にせずくらう。

 腕以外の場所が焼けようが貫かれようが、それにも動じず向かってくる。


 その心―――鉄の如し


 一度決めたら最後までやり抜く覚悟が見られる。


(いいぞ! いいぞ!! それを打ち砕くのが愉しいのだからな!!)


 JBにクズ臭が漂っていることからも想像はつくと思うが、彼はアンシュラオンと似たような傾向性を持っている。

 相手がとことん絶望する顔を見て楽しむ、というゲスの娯楽である。

 こんな男と主人公が同じ趣味なのは大問題な気がするが、当人の性癖の問題なので口を挟むことはできない。

 マキが少しでも勝てると思ってくれているのならば、むしろ大歓迎。

 その自信を完膚なきまで叩き潰し、屈服させるのが最高の瞬間なのである。



 そして、マキが『その場所』に到達。



 ズルズルズルッ!! ボゴンボゴンッ!!


 隠してあった紐が大地から飛び出てくる。

 それは今までの紐と比べて二倍近くの太さがあった。


 どくんどくん どくんどくん


 紐が脈打つ。

 その姿は、もはや紐というより触手か【血管】に近い。


 そう、JBの紐は【血管】なのだ。


 彼の中にある【心臓】から、エネルギー源である血を渡すための通路でしかない。

 心臓から出る力は、ほぼ無色である。それを加工して炎や雷撃に変えているにすぎない。

 実質その可能性は、無限!!



「私の力は!! ネィイイイイジアァアアのもの!! 神の力なのだぁああああ!!!」



 どくんどくんどくんっ!


 ぐぐうううう ドボオオオオオオオッ!!


 膨れ上がった血管から血液、もとい大量の爆炎が放射される。

 これが本来の出力。巨大な岩石でさえ一瞬で溶解する炎。

 こちらが火炎放射器だとすれば、今まで出していた赤い紐の炎はライターに等しい。


 彼女を囲むように出現した紐から、巨大な爆炎がマキに襲いかかる。


 マキは、よけない。


 よけられない。


 炎に突っ込むように、真っ直ぐにこちらに向かってくることしかできない。



「笑止!! 笑止笑止笑止!! 焼死ぃいいいいいいいい!!」



 すべてを溶解させてやる!! してしまえ!!

 それは笑止であり、焼死への道に一直線の道なのだ。


 ぼおおおおおおお

 ぼおおおおおおお

 ぼおおおおおおお


 マキが爆炎に包まれた。

 それによって彼女の動きが止まる。

 炎の勢いは激しく、たとえ抵抗していても圧されるのだ。

 こうなれば、もはや焼け死ぬしかない。

 すべてはJBの思い通り、成すがまま、自由自在。


「ふはははははは!! 燃えろ!! 燃えろ!!!」


 愉快犯の放火魔かのごとき発言をしながら、JBが高笑いをする。

 唯一残念なことは、ちょっと火が強すぎて顔が見えないところだろうか。

 見えるのは、火の中で揺らめく人影だけ。

 今頃中は灼熱地獄だろう。こうなれば骨さえも残るか怪しいレベルだ。


 それもまた致し方ない。

 若い女を焼き殺す瞬間は、いつだって最高である。

 その愉しみを得るためならば多少は我慢しなくてはいけない。

 ステーキに付け合わせはあったほうがいいが、なくてもいいのと同じだ。



 ぼおおおおおおお

 ぼおおおおおおお

 ぼおおおおおおお


 ………


 ぼおおおおおおお

 ぼおおおおおおお

 ぼおおおおおおお


 火は燃え盛り、マキと地面を焼いていく。


 焼いていく。

 焼いていく。

 焼いていく。


 ………


 焼いていく。

 焼いていく。

 焼いていく。



(…まだ影が残っている。死んだまま立っているのか?)


 思ったより、長い。

 かなり炎を放射しているのに、相手が焼け死ぬまでに時間がかかっている。

 今までの経験上、普通ならばもう人影すら残さず、火は昇華されているはずだ。

 だが、いまだ炎の中には人の形をした影が揺らめいている。


(これならば顔が残っているかもしれんな)


 わずかな期待。

 焼け爛れた顔であっても、恐怖に彩られたものならばわかるものだ。

 怒りや憎しみ、恐怖、後悔、さまざまな感情が宿された死に顔は、とても美しい。

 自分が自分であるために、ぜひとも見たい。


「見たい…見たい……見たいぞぉおおおおおお!!」


 そんな欲求に耐えきれず、JBが炎を止める。


 ぼおおおおお じゅうううううう


 炎が消えていく。

 地面は完全に焼け焦げ、溶解し、どろっどろのほっかほかだ。

 もし一般人がうっかり踏んでしまったら、靴ごと足が一瞬でなくなってしまうことだろう。

 そんな場所にマキはいたのだ。

 さぞかし「おいしく焼けました」状態になっているに違いない。



「くくくっ! どれどれ!! 見せてみろおぉぉ!!」



 そうしてJBが近寄った瞬間―――



 ゆらり



 人影が動いた。


 ついに立っていられなくなって倒れる光景かと思って、JBは完全に油断していた。


 そこから―――



 よーーーーい ドンッ!!



 百メートル走のスタートダッシュのように、人影が弾けた。


「っ―――!!」


 JBは動けない。あまりに速かったからだ。

 力を溜めて溜めて溜めて溜めて、引き絞って放たれた矢に対応することなどできない。


 人影が一瞬でJBに接近すると、そのままの勢いで腕を―――突き刺す!!


 ズブウウウウウッ ブチブチブチブチッ!!


 身体を構成している細かい紐をぶち破り―――


 【鉄の拳】が―――身体を貫通する。


 赤覇・烈火塵拳でも貫通までに至らなかったのに、この鉄拳はいとも簡単にJBの身体を破壊したのだ。


「ぬぐうう……貴様!! なんだ……なんだというのだ!! なんだぁああああ! なんだぁああああああああああ!! その…その………!!!」


 JBの顔が怒りに満ちる。

 顔は見えないが、口元が激しい怒りを表現していた。

 これはこれで「怒り」という感情を表現できたので、彼にとってはよかったのかもしれない。

 なにせ同じく感情がないサナでさえ、怒りを覚えるのに相当な時間がかかったのだ。

 彼もまた怒りを思い出すのに苦労したことだろう。

 ただ、彼が怒っているのは身体を破られたことではない。


 では、何に怒っているのかといえば―――




「なんだ!! その―――【顔】はぁあああああ!!」






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