欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第七章 「収監砦」 編 第二幕


494話 ー 506話




494話 「人形の手 前編」


「やめろ! おいっ! 離れろ…!! ぐうううっ! なんて重さだ!!」


 それをやめさせようとレイオンが引っ張っても、相変わらずの重さでびくともしない。

 戦気を放出して力を込めても結果は同じだった。


(ば、馬鹿な! 何者だ、こいつ!!)


 レイオンともなれば、鉄板くらいならば両手の腕力だけで簡単に引き千切れるはずだ。

 その力をもってしても、ミイラ男はまったく動かないし、傷つきもしない。

 怖ろしいまでの肉体強度だ。


―――否


 それは肉体ではない。


 バリンッ バリバリッ


 レイオンが思いきり引っ張っても身体は傷つかなかったが、その代わりに布の一部が剥ぎ取られた。

 かなり長く使っていたのだろう。乾燥した落ち葉が潰された時のような音を発し、細切れになって落ちていく。


 そこから見えた身体は―――光沢を持った硬い皮膚


 人間が持つしなやかで柔軟性があるものではなく、硬さを宿した【金属】であった。


(この感触はまさか…【機械人形】!? こいつ、人間ではないのか!)


 機械人形は神機を参考に造られているので、外側の硬い装甲の内部に人工筋肉を採用し、強固さを維持しつつ柔軟に動くことを可能にしている。

 ミイラ男があまりに軽やかに動いていたので気付かなかったが、この『外殻』は間違いなく機械人形と同じものである。

 やはり普通の人間ではなかったのだ。

 逆にこんなやつが普通の人間だったら困っていたところなので、その意味では安心するものだ。


「ぐううう!! てめえ! はな…せ!!」

「あれー? なかなかくっつかないな」

「ったりめーだろうが!! んなもんがくっつくか!! こちとら生身だぜ!」

「あっ、そっか。そかそか。規格が違うのか。じゃあ、埋めよう」

「ああん! てめぇ、なにを―――うぐっ!!」


 グリモフスキーの腕に、何かに刺されたような鋭い痛みが走った。

 だが、何も見えない。何も起こっていない。

 そうであるのに、『何か』が自分の腕の中に入って蠢いている感覚だけはあるのだから、不快でしかないだろう。


「入れるよ」


 そして、ミイラ男がそう述べた直後―――



「うがあああああああああ!!!」



 ガクガクガクッ!!

 ビクビクビクッ!!


 感電でもしたようにグリモフスキーが激しく痙攣を始める。

 ちょっと身震いしている、というレベルではない。

 身体が電気ショックで跳ねるかのごとく、がっくんがっくん揺れているのだ。

 かなり危険な状態であることは一目瞭然だ。


「グリモフスキー! くそっ、何が目的だ!! 何をしている!!」

「んー? だから言ったぞー。グリたんを強くするのだー」

「強くだと!? その前に死んでしまうぞ!!」

「人間ってさ、そんな簡単に死にゃーしないんだなー。ウゴゴゴゴッ。気にするな!!」

「な、なんなんだ、こいつは!!! 力づくでも止めるからな!!」


 ゴンゴンッ ガンガンッ

 レイオンがついには殴りかかるが、ミイラ男はまったく動じない。

 少なくともレイオンの実力では、普通の打撃ではダメージを与えられる気がしなかった。

 かといって技を使おうにも、近くにいるグリモフスキーにダメージが入りそうだし、技を出したからといって効果がどれだけあるか疑問であった。

 結局レイオンには何もできず、ただ見ていることしかできなかった。



 その後、数十秒間、グリモフスキーは激しく痙攣。



 膝をついて倒れるが、腕が引っ張られているので完全には倒れられない。

 びくびく びくびく

 白目を剥いて痙攣する姿は、明らかにショック症状だ。

 ショック症状にもいろいろな原因があるが、今回の場合は体内に『異物』が入ったことで引き起こされたものである。

 人間の身体にとって不要なものが入り、抗体が激しく抵抗した結果、このようなショック状態に陥ったのだ。


 どさっ


 ミイラ男が手を解放し、グリモフスキーが床に倒れ込む。

 その右手には、太くて短い棒のようなものが引っ付いていた。こうして倒れても離れる様子はない。

 どうやったのかは不明だが、『接合』することに成功したらしい。


(ちいいっ、止められなかったか! だが…あれは何だ!? あいつはいったい何をしたんだ!?)


 レイオンの視線は、その棒に集中する。

 持ってきた棒は切断された腕よりも少し長かったので、引っ付いた今では左右の腕の長さには明確な差が出来ていた。

 左右の長さが違うのは意外と不便だ。人間にとってバランスは重要な要素なので、生活がしにくくなるに違いない。

 もしそれが「ただの棒」ならば、まったくもって嫌がらせ以外の何物でもないが、よくよく見るとそれは―――【腕】のように見えた。

 五本指ではないようだが、尖端には手も付いているので、やはり腕と呼べるものだろうか。

 しかし人間のものとは違う、光沢があって硬質的なものだ。



 レイオンがその状況に戸惑っている間に、グリモフスキーが目を覚ます。


「ううう…ぐっ……! はぁはぁ…!!」


 上半身だけ起き上がると、虚ろな目で周囲を見回す。

 身体中に汗をびっしょり掻き、気だるそうに首を振っていた。

 まだひどい倦怠感に苛まれているようだ。意識が朦朧としている。


「グリモフスキーさん! だ、大丈夫ですか!」

「ぐうっ…ううっ……なんだ、何が起きた……?」

「う、うで…! 腕は大丈夫ですか!? 痛くないですか!?」

「腕…?」

「は、はい。う、うでが…」

「―――っ!! 俺の…うで…が…!」


 自分の腕を見ると、そこには謎の黒い棒がはまっている。

 それだけではない。

 血の跡を辿れば、切り落とされた自分の手首が落ちている。

 いくら無骨で汚い手とはいえ、何十年も一緒に育った愛すべき腕だ。

 あれは夢ではなく現実だったことを知り、軽いショックを受ける。


「ぐぐう……ううううっ!!」


 これが一般人ならば、ショックでしばらく放心していただろうが、グリモフスキーは荒事の中で揉まれてきた男だ。

 ショックは即座に、ミイラ男への怒りへと変わった。


「てめぇ…!! ゆるさねぇええ! よくも俺の腕を切り落としやがったなぁああああああああ!!」

「きゃっ!」


 ミャンメイを振りほどき、立ち上がってミイラ男に詰め寄る。


「なかなか似合うよ。いーねいーね! いっぱい感謝してもいいんだぜえええええ!」

「ふざけやがってええええ!! ぶっ殺す!!!」


 ガンガンッ!!

 グリモフスキーが無事であった左手で殴るも、ミイラ男は相変わらず、びくともしない。


「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょぉおおおおおおうっ!! なめやがってえええええ!!」


 ガンガンッ! ゴンゴンッ!

 ガンガンッ! ゴンゴンッ!

 ガンガンッ! ゴンゴンッ!


 怒りが頂点に達したグリモフスキーが、何度も何度もミイラ男を殴る。


 殴る殴る殴る殴る。

 殴る殴る殴る殴る。
 殴る殴る殴る殴る。

 殴る殴る殴る殴る。
 殴る殴る殴る殴る。
 殴る殴る殴る殴る。


 無我夢中で殴る。


 だが、どんなに殴っても相手に変化はなかった。

 だからだろう。

 もともと頭が良くない馬鹿なのだ。右手がすでに失くなっていることなど、この段階ではすっかりと忘れていた。

 何十年と誰かを殴ってきた右手の記憶のままに、黒い腕を振るう。


 ウィイインッ ギュウウッ


 はめられた黒い腕は無骨な形をしていたが、殴りかかろうとした瞬間に変化を開始。

 グリモフスキーの意思に反応するように『拳』へと変化したそれは、うっすらと周囲に粒子を展開させながらミイラ男に迫り―――


 ドゴンッ!!!


 命中。

 ミイラ男の顔面にヒットした。

 従来ならば、ここで終わっていた。何も変わらなかった。

 だがこの時、グリモフスキーの身体にも変化が起きる。


 ぐぐぐぐっ ぎゅんっ!!


 筋肉が今まで以上に収縮し、引き絞られ、一気に解き放たれ、その勢いのまま―――振り抜く。


 ぐしゃっ!!


 ボーーーンッ ゴロゴロゴロッ



「…あ?」


 グリモフスキーは、呆然としながらその光景を見つめた。

 自分の腕が失くなったことを知っても呆然としなかった男が、今起こった現象には驚愕したのだ。

 なぜならば、ミイラ男が【吹っ飛んだ】からだ。

 左腕で叩いても何の反応もなかった男が、右手の一発でいとも簡単に吹っ飛んだのだ。


「うぐううっ…ううううう!!」

「ぐ、グリモフスキーさん、どうしました!? やっぱり痛いんじゃ…」


 殴った直後、グリモフスキーが呻いた。

 それを痛みだと勘違いしたミャンメイが、甲斐甲斐しく近寄ろうとするが、彼に起きていることは痛みとは正反対のことであった。

 彼はしゃがみ込み、右手を押さえたまま―――




(き、気持ち……いいいぃぃぃぃいいいいいい!!)




 心の中で、叫ぶ。


 なんとグリモフスキーは今、激しい快感に打ち震えていた。

 何度も言うが、男が気持ちいいと言う姿を見るのは苦痛だ。

 苦痛なのだが、事実なのだから受け入れるしかない。



 グリモフスキーは今、とっても―――キモチE!!!



 のだから。




「な、なぜ…! 何が起きた…! ぐ、グリモフスキー、今何を…」

「うにゅん。あーー、首が曲がっちゃったよ。ウゴゴゴゴッ、ガゴンッ! あっ、はまった」

「貴様、やつに何をした!!」

「なにって、腕を取り換えただけだーよ」

「取り…換えた? あれが腕だというのか!?」

「ウデウデウデウデ。腕だね、あれは。腕だよ。何の腕? あー、たしかあれ、あれの腕だねー。あれあれあれ!」


 あれあれ何を言っているのかわからないが、ミイラ男がグリモフスキーに付けたものは、彼が操っていた攻撃部隊の【機械人形】が使っていた腕である。

 そうなのだ。

 牛神に戦いを挑んでいた者たちは、全員が『人形』であった。

 ここの残骸は、彼が操っていた人形の成れの果て。あの戦いで破壊された者たちである。

 人形なので魂は宿っていない。単なる道具であり消耗品だ。だからこそ、ああやって簡単に犠牲にできる。人形はまた造ればいいからだ。


「手、広げてごらんよ」

「…あ? 俺に言ってんのか?」

「ぼくちゃんの記憶によると…それ、まだ兵装あるから」

「兵装…? 開くのか?」


 ウイーーンッ がごっ

 黒い腕は、グリモフスキーの意思に反応して再び変化した。

 今度は開いた掌の中央が、ぽっかりとあいている。


(こいつは…こうやるのか?)


 誰に教わるでもなく、掌を残骸に向ける。


 すううううう ジュウウウウウッ


 空気が漏れる音が次第に大きくなり、頂点に達した瞬間―――


 ボンッ!!


 目の前にあった残骸が、一瞬で消し飛んだ。

 より正確に描写すれば、残骸の山に何か手の平大の隙間が生まれたと思ったら、そこを中心に爆発したようにはじけ飛んだのだ。

 力は弾丸のように横回転がかかっていたようで、幸いにもこちら側に破片は飛んでこなかったが、こうなることがわかっていたら最初から教えてほしかったものである。



「…え? 何!? なんで…え?」


 ミャンメイには何も見えなかった。

 気付いたら目の前の残骸が消えていたのだ。驚くのも無理はない。

 しかし、その後ろでは驚きどころか、冷や汗を流しているレイオンがいた。


(なんだ…今のは!? あれが一瞬で消し飛ぶのか!?)


 ミャンメイには見えなかったが、武人であるレイオンには見えた。

 凄まじい力が放出され、瓦礫の山を蹂躙したのだ。

 あの瓦礫も機械人形の部品なので、その中にはかなりの強度の物質もあったはずだが、今の一撃で消し飛んでいる。


(何をしたんだ? ただ空気を圧縮して飛ばしたように見えたが…それだけにしては威力が桁外れだ)


 どうやっているかはともかく原理は簡単だ。

 掌に集めた空気を超圧縮し、一気に放出したのだろう。周囲の力を利用する分、なかなかにエコである。

 がしかし、威力があまりに桁違い。

 一撃であの残骸を吹き飛ばすともなれば、もしそこに人間がいたらと思うと恐怖しか覚えない。

 仮に戦車がそこにいても一撃で粉砕するだろうし、武人であってもただでは済まないだろう。


(風属性の覇王技の中に似たような技があると聞くが…いや、これは技ではない。『戦気の放出』が見られなかった。違う何かの力を使っているんだ)


 この攻撃のもう一つの特徴は、戦気を使っていない点である。

 機械人形は人間ではないので戦気を扱えない。彼らが武器とするものは「技術」であり「道具」だ。

 今の攻撃も技ではなく、何かしらの技術によって撃ち出されたものだと推測できる。

 これが怖ろしいのは、もし『術属性』を帯びていれば、防御を貫通するかもしれないところである。

 前にも話題に出た【対術三倍防御の法則】が適用されるとすれば、それだけで武人にとっては厄介なものだろう。



「………」


 グリモフスキーも、その異常性に気付いたのだろう。

 何度も自分の腕を見たり触ったりしている。


「気に入ったー? 気に入ったよね。ね? ね?」


 その仕草を気に入った証拠だと思ったのか、ミイラ男が近寄ってきた。


「てめぇ…なんだこりゃ?」

「それ、君が欲しかったものだぞぉおおお」

「俺がいつ、こんなもん欲しいっつったよ? ああ!?」

「君の心がね、ハートがねぇええ! 訴えていたんだよ! わかるのさ、ぼくちゃんにはねぇええええ! ほらほら、強くなっただろう? これでダルマちゃんにも勝てるね」

「…レイオン…に? 俺が…?」

「そうだぞー! ウゴゴゴゴゴッ! 君、弱いけど、それ使えば勝てるんちゃうんんんん!? ね、ねっ、そうでしょ!?」

「………」


 グリモフスキーは、じっと右手を見つめる。

 突然付けられた謎の物体ではあるが、その実用性はすでに証明済みだ。

 ただの生身の状態だったら同じことはできなかっただろう。

 所詮人間の能力には限界があるのだ。


「デメリットはねぇのか? 何発撃てる?」

「んー、どうだったかなー? 忘れた! でも、けっこう撃てるはずだぞおおおおおお!」

「…そうかよ」

「ね、ね、便利でしょう!? ウゴゴゴゴッ」

「否定はしねぇ。たしかにこいつは便利だな」

「お、おい、グリモフスキー! なにを簡単に受け入れている! お前、腕を切られたんだぞ!」

「そうだな。切られたな」

「それでいきなり変なものをつけられて…いいのか!?」

「………」


 うぃーんっ がしょんがしょんっ

 グリモフスキーの『義手』は、自分の意思に忠実に従っている。

 道具なのだから当然だ。道具に意思など存在しない。

 意思を与えるのは、心ある生物だけ。その中で人間と呼べるものだけなのだ。


 ゴンゴンッ ばきゃっ


 グリモフスキーは、近くにあった同じような腕を殴って破壊する。

 この腕は稼働状態になると何かしらの粒子を周囲に展開するらしく、それによって本来の性能を発揮するようだ。

 人形の腕は今、グリモフスキーという新しい主人を得て、再び戦いの道具としての道を歩み出したのだ。


「はははは…まったくもって…馬鹿げた話だぜ! ほんと馬鹿げてやがる!!」


 グリモフスキーは笑いながら、レイオンを見る。


「こりゃぁ、いいもんもらったぜ。なぁ、レイオン。そうだろう? すげぇ力だ。これならてめぇだってイチコロだな」

「なっ…本気で言っているのか!?」

「ああ、そうさ。てめぇはムカつくからな。いつかノシてやろうと思っていたところだ」


 グリモフスキーが、レイオンに掌を向ける。

 あれだけの一撃だ。彼とて無事では済まないだろう。




495話 「人形の手 後編」


「はははは! まったくもって滑稽だぜ! こんなに簡単に、てめぇに勝つ力を手に入れられるなんてよ!! こんな馬鹿げた話があるか? なぁ、おい」


 時間にすれば、一分未満のことだ。

 たったそれだけで実力以上の力を簡単に手に入れられるのだ。思わず笑ってしまう。

 アスリートがどんなに身体を鍛えても、銃弾一発で死んでしまう。

 百メートルを九秒ちょっとで走れても、マシンガンの銃弾の雨を避けられるはずもない。

 より強く効率的な力の前では、無力。絶望的なまでに無力。

 無駄、無意味、無力。

 無力。無力。無力。


 まったくもって無力!!


 才能のない人間がいくら努力しても、優秀な素質を持った人間にはかなわないが、一方で銃を持てば誰だって同じ土俵に立てるという矛盾。

 愚者か賢者かは問われない。

 そこにあるのは、純然たる力のみ。


「俺はてめぇをぶちのめすために努力してきた。それがよ、こんなもんで簡単に叶っちまう。へっ、つまらねぇもんだったな。だが、ここに来た価値はあったってことだ。そんなつまらねぇことでも、知らなければ意味がねぇからな」

「グリモフスキー、何を混乱している。お前が求めていたのは、そんなものではないだろう!」

「混乱? ああ、たしかに混乱してるなぁ。いきなり腕を切られてよ、こんなもん付けられてよ。混乱しねぇほうがおかしいよな」

「そうだ。お前は混乱している。だから手を下ろせ」

「…あ? なんだそりゃ、命乞いか? 天下のキング・レイオン様がよぉ、こんなもんをつけたくらいでよ、命乞いかよ。がっかりさせるなよ。なぁ?」

「ふざけるな! 誰が貴様にそんな真似をする!! そんなものが付いたからといって、お前に負けるわけがない!」

「ぁあん? そうかぁ。じゃあ、試してみるかよ」



 シュウウウウウッ ボンッ!!



「―――っ…!!」



 グリモフスキーが放った空気弾が、レイオンを掠めて背後に着弾。


 ドオオオオオオオンッ!!


 そこにあった残骸を吹き飛ばす。


「なんだ。パワーも調整できるのかよ。案外便利じゃねえか」


 今放ったものは、さきほど試し撃ちしたものより威力は下がっていた。

 その代わりに速度が上がっており、通常の弾丸よりも高速だ。

 これもグリモフスキーの意思を勝手に汲み取って調節してくれる便利設計である。


(くっ、速い…! よけられん! この身体では防御もままならないか!)


 レイオンは回避に長けた武人ではないので、これをよけることは難しい。

 威力が下がったとはいえ覇王技に匹敵するものだ。一発は防げても何度もくらえば危険である。

 特に今は、サナとの戦いのダメージが残っているので万全とは程遠く、勝ち目はかなり薄いと思ったほうがいいだろう。


 だが、それ以前の問題として―――


「ちょ、ちょっと待ってください! なんでまた戦っているんですか!? 意味がわからないですよ!!」


 ここで一番混乱しているのが、ほかならぬミャンメイである。

 グリモフスキーが腕を切られて驚いていると、今度は新しい腕が付けられて驚き、さらには再び争い始める兄とグリモフスキーに驚く。

 そこに整合性やら合理性といったものが何一つないのだ。

 いくら頭の悪い両者とはいえ、どうしてそうなるのかわからない。


「勘違いするなよ、ミャンメイ。俺らがつるんでいるのは、互いの目的を果たすためだぜ。てめぇらはやつらを倒すため。俺も俺の目的を果たすためだ」

「は、はい。そうですよ。私たちが戦う理由なんてありません。一緒に立ち向かったほうがいいに決まっています。グリモフスキーさんだって、気に入らないって言っていたじゃないですか!」

「ああ、そうだな。気に入らねぇな。やつらのことは俺も気に入らねぇ。だが、こうして力が手に入るのならよ、無理につるむ必要はねえな」

「そ、そんな…! 急にどうしちゃったんですか!?」

「俺はよ、もともとレイオンが嫌いだからな。好きでつるんでいるわけじゃねえ。こんなことでもなけりゃ、どのみちいつかは殺し合いをしていたってもんだ。なら、早いか遅いかだけの問題だろうが」

「ぜんぜん…全然意味がわかりません! 一緒になって機械人形を動かすための手がかりを見つけようって言ってたじゃないですか! もう、男の人って全然わからない!? 本当にどうしちゃったんですか!?」

「てめぇ…まだ気付いてねぇのか? ボケるのも大概にしろよ」

「…え?」

「動いているじゃねえかよ。機械人形がな。目の前でよ」


 グリモフスキーの視線が、ミイラ男に向く。

 それにつられてミャンメイの視線も、その怪しげな男に向けられる。

 ミャンメイたちは、グマシカたちに対抗するための力を求めていた。

 アンシュラオンに頼るという最終手段もあったが、まずは自力でなんとかする、という名目で一緒に動いてきた。


 その最大の『あて』が―――機械人形


 格納庫に鎮座していた戦闘用の機械人形である。

 あれを動かすことができれば対抗できるかもしれない。そんな儚い希望を抱いていた。


 そして今、見つけた。


 多少想像とは異なっていたが、実際に動いている機械人形を。



「その人、機械…なんですか?」

「あんな人間がいるかよ。そうだよな、レイオン?」

「ああ、間違いない。その男は…機械人形だ」

「えっ、じゃあ…!? その人がいろいろと知っているの? 動かし方も?」

「こんなことができるんだ。少なくとも俺たちよりは遺跡に詳しいだろうな」

「そ、そうなのね! それならば、ますます私たちが争う必要なんてないじゃないですか! 一緒にその人から話を訊けば…」

「ははは! てめぇはまだ仲良しごっこがしてぇのか? だからよ、どうしててめぇらとつるむ必要があるんだ」


 グリモフスキーの腕が、ミャンメイを捉える。


「下がれ、ミャンメイ!」


 それを庇うように前に出るレイオン。

 すでに身体には戦気が展開されており、戦闘態勢に入っていた。


「兄さん、待って! まだ話している途中なのよ!」

「こんな状況で、まだそんなことを言っているのか!」

「だ、だって、グリモフスキーさんなのよ! 何か理由が…」

「グリモフスキーだからだろうが!! ふんっ、相変わらず卑劣な真似をする!! 今度は騙し討ちか!」

「相変わらずなのは、てめぇのほうだぜ。そうやっててめぇのことしか考えてねぇからよ、相手を見下すのさ。俺が卑怯な真似をしたことは一度もねぇだろうが。勝手に卑怯者呼ばわりしてんじゃねえよ」

「ならば、どうしてこんな真似をする!」

「逆に訊くが、俺がてめぇとつるむ理由があるのか? てめぇは俺に何をしたんだ? 何かを与えたのか? 何もねぇよな。それどころか地下の治安を破壊しただけだ。てめぇの自分勝手な理由でよ」

「俺が悪いわけではないだろうが。悪いのはやつらだ!」

「それが自分勝手って言うんだろうが。てめぇのせいで俺らも危なかったんだぜ。知らねぇところで命の危険に遭っていた。それと比べりゃ俺がやっていることは、そこまで卑怯なことじゃねえだろう? べつによ、ミャンメイを人質に取ったわけじゃねえしな。こうして堂々と正面からやってんだろうが」

「くっ、だからお前はクズなんだ! 信用した俺が馬鹿だった!」

「ああ? てめぇは俺を信用なんてしてねぇだろうが。俺だって同じだ。てめぇを信用したことなんざ、一度たりともねぇよ」

「そ、そんな…。二人とも、あんなに仲良くしてたのに…」

「おいミャンメイ、てめぇはもっと人を見る目を養えや。それが本気か上辺のもんか、わかるようにならねぇと長生きなんぞできねぇぞ」


 レイオンとグリモフスキーは、表面上は仲良くしていた。

 しかしである。

 長年いがみ合っていた者たちが、そんなにすぐに意気投合できるものだろうか?

 たとえば過去の紛争や領土問題でいがみ合っている両者が、何かの拍子にいきなり愛し合うことなど絶対に不可能だ。

 殺された痛みは消えないし、殺した痛みも消えない。憎しみの連鎖は複雑に絡まっているのだ。

 仮にもっと程度を落として、そこらの住宅街の近隣トラブルにしても、互いに信頼し合うなど到底無理なことだろう。

 合わない人間とは、基本的には永遠に合わないと思ったほうがいい。


 この二人も、それと同じ。

 水と油が卵によってくっついても、油の量が多すぎればバランスが崩れ、表面張力を維持できなくなる。

 グリモフスキーは、いきなりで予想外とはいえ、こうして力を手に入れた。

 それによってパワーバランスが崩れてしまったのだ。油が溢れると同時に、今まで積もった怒りや不満も漏れ出してしまった。

 グリモフスキーは、とにかくレイオンが気に入らないのだ。


「おい、ミイラ」

「おうおう、なんだぜ! こいやおらあああああ!」

「あぁ? まったく頭のおかしいやつだ。てめぇにも訊かなきゃいけねぇことが山ほどあるぜ。まず、てめぇは何者だ?」

「あーーーんーーーー! だが、わからん!」

「へっ、そうかよ」



 シュウウウウ ボンッ

 グリモフスキーは、まったく躊躇うことなく空気弾を放つ。


 ボボボンッボンッ!


 今回の空気弾は、マシンガンのように小さく複数放射され、着弾したと同時に爆発。

 空圧なので目には見えないが、何かの力で強引に広げられたように、ミイラ男の身体が爆砕する。


「グリモフスキー! なにを!! 壊れてしまうぞ!」

「こんなもんで死ぬかよ。なぁ、ミイラ男さんよ」

「…ウゴゴゴッ!! ゴゴゴゴゴッ!!! いい…いーーーーーーいっ!! いいいいいいいいぞおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 ぐわっ!!

 倒れたミイラ男が無反動で立ち上がる。

 非常にキモい動きだが、このあたりも謎の力が働いているのか、地味に凄い現象である。


 そして、彼の破損した身体は―――


 ジジジジジジッ


 吹き飛んだ箇所が、少しずつ自動的に修復されていく。

 『自己修復』スキルが発動したと思われるが、それが神機以外の機械においても有効だということが証明された瞬間であった。


「いい、いーね! いーね!! 戦いが人を進化させるんだよね!! ぼくちゃんたちは、ずっと戦い続けて生きてきたんだからさぁああああああ! ウゴゴゴゴゴッ! カタカタカタカタッ!! いいいーーーーーねぇえええええ!!」

「てめぇ、何者だよ?」

「ぼくちゃん、だーれだ!? だが、わからん!! しかし、わからん! ウゴゴゴッ」

「マジで狂ってんのか、それとも嘘なのか…俺にもよくわからねぇ。そのわからねぇってこと自体がヤバイ証拠だぜ。だが、おかげでだいたいわかってきた。つながってきたぜ」

「な、何がわかったんだ?」

「レイオン、てめぇも抜けてんな。この腕、誰のもんだと思うよ?」

「誰のもの…? この男のもの…なのか?」

「だろうな。こいつの身体が機械ならよ、ここにある残骸もこいつの身体のパーツか、あるいはお仲間ってことだ。で、これは『人形の腕』だ。それでだいたいわかるだろう?」

「…人形の…腕?」


 レイオンがグリモフスキーの腕を見る。

 黒くて不思議な塊であるが、一応腕と呼んでも差し支えないものだろう。

 それが転がっていたのが、あの瓦礫の山だ。


 そこに視線を移すと―――視線が合った


 山の中腹には【顔】が埋まっており、はめられた目と視線が合ったのだ。

 すでに破壊されているので死んでいる、もとい機能を停止している『人形』の成れの果てだ。

 この人形というワードは、遺跡を調べるうえで切っても切り離せない重要なものである。

 兄はまだわかっていないようだが、これだけ情報がそろえばミャンメイだって気付く。


「あっ…クズオさん…!」

「そうだ。やつは人形の腕を見つけたと言っていたよな。それがどんなもんか知らねぇが、ここにあるものも人形の腕だ。偶然か? なあ、こいつが偶然かよ。んなわけねぇよな。あるわけがねぇ。そんなことが、たまたまあるわけがねぇんだよ」

「え、えと…それじゃ…え? 人形とクズオさんは…あれ? どういう関係?」

「それをこれから、こいつに問いただすのさ。真面目に答えるとは思えねぇから…こうするがな」



 シュウウウウッ ボンボンボンッ



「オウオウオウオウオウオウオウッ!! アオウウウウウウッ!!」



 グリモフスキーが空気弾を連射。

 それを受けて弾けるミイラ男。

 そのたびに布も散っていくので、なかなかシュールで滑稽な光景だ。

 もちろん攻撃を受けても、彼の身体は自己修復で元に戻っていく。


「力を使うってのは不思議なもんだなぁ。いざ手に入れてみれば、なんてことはねぇ。ただそれだけだった、ってことだ」

「違うぞ! それはお前が努力して手に入れたものではないから、そう思うんだ!」

「努力して手に入れても同じだ。『生命の石』も、いざ見つけちまえば同じなんだろうな…。あの感動が冷めちまうだけなのかもしれねぇ。それならいっそ…」

「グリモフスキー!! やめろ!!」


 ボンボンボンッ


 グリモフスキーは、つまらなそうに力を振るう。

 そこには誰もが経験する「虚しさ」が宿っていた。

 若い頃は、欲しくて欲しくてたまらなかった。そのために努力を続けていた。

 だが、手に入らないとわかって諦めて、そのまま自分なりの落とし所を探していた。


 そんなときに、ふと望んでいたものが手に入った。


 二十年間貯蓄に励んで節制していた人が、ある日突然、宝くじを当てて大金を得る。

 その時に感じる「今まではなんだったのか」という虚しさと儚さに近いだろうか。

 それが強制されて与えられたものだから、なおさら虚しく―――腹が立つ!!




「よくも…よくも!! てめぇは…!!! 俺の努力を踏みにじりやがったな!!! てめぇええええはあああああああああああ!!!」




 ドンドンドンッ ボシュボシュボンボンッ!!!


 こちらの了承もなく、いきなり力を与えたミイラ男に、グリモフスキーが怒りの攻撃を見舞う。

 最初は威嚇に近い攻撃だったが、だんだんと熱を帯びてきて、相手を破壊するつもりで撃ち込んでいく。

 怒り、怒り、怒り!!


 怒り!!!!


 彼は激しく怒っていた。



(グリモフスキーのやつ、殺すつもりなのか!? 完全に見境がなくなっているぞ!!)


 怒りはもっとも。その気持ちもわかる。

 だが、ミイラ男は貴重な存在なので、できればもっと情報を引き出したい思いもある。

 ただ、どちらにせよ、今のレイオンには止められない。

 ミャンメイともども見ていることしかできなかった。





 ひゅーーーーーーー




 ドッゴーーーーーーーーーーーーンッ!!!





 その時であった。


 真上から何かが落下してきた。


 ここは幅五百メートルはある穴の中央部分なので、天井はないし、内周階段から飛び降りることもできない。

 あるとすれば、およそ二千メートル真上なのだが、そこから落下したとなれば、もし生物であれば死亡確定の高さだろう。

 落ちたら骨折どころか、ミンチになる可能性もある。




 だが、レイオンの目に映ったのは―――





―――【少年】





 であった。




496話 「勝者への報酬 前編」


 何かが残骸の山に落下。

 その衝撃による爆風で、腕や足やらといった人形の部品が周囲に撒き散らされる。

 もくもくと周囲に塵煙が舞う中、落下地点にうっすらと影が映った。


 それは―――人影


 頭があって四肢が見られるので、そう呼んでかまわないだろう。

 理由はまったく不明だが、突如上空から人型の何かが落ちてきたというわけだ。


「………」


 あまりの出来事と爆音に、誰もが動きを止めていた。

 まったくもって予想外のことばかり起きるものだ。心構えなど完全に無視している。


 スタ スタ スタ


 周囲の者たちが唖然と見つめる中、煙の中から人影が歩いてきて、ようやくその姿が見えた。



(小さい……?)


 最初にレイオンが抱いた印象がそれである。

 その人影は、この場にいる誰よりも小さかった。

 ミイラ男が操っていた小型の人形よりも二回りは小さい



―――【少年】



 がいたのだ。



(ホワイト? …いや、違う。やつよりも小さい。やつの妹と同じくらいの背丈だ)


 少年という単語で真っ先に思い浮かべるのが、ホワイトことアンシュラオンである。

 しかし現れた少年の身長は、サナより少し高い身長百三十センチちょっとであろうか。

 アンシュラオンは百五十センチはあるので、明らかにサイズが異なる。

 出てきた少年の髪の色は黒で、彼の白い頭髪とはまったくの別物だった。

 また、目の前の存在が少年であるとすぐにわかったことにも理由がある。


 ギロリ


 『赤い瞳』の中に宿る炎が、とても強かったからだ。

 女性だって交戦的な者はいるだろうが、彼の目に宿った『野生』が、男性的な側面を色濃く表現していたのだ。

 激しく猛る炎が、彼の中にはある。



 ズオオオオオッ



 少年の出現によって周囲の気配が劇的に変わり―――呑まれる。



(う、動けん。なんだこのプレッシャーは!! これはまるで…ホワイトのようだ…!)


 目の前に巨竜が出現したかのような強大な気配を感じさせる。

 この感覚には覚えがある。

 アンシュラオンがレイオンにかけた圧力と同類のものだ。

 あの時も自分は、戦うまでもなく敗北を認めてしまった。そして今回も、戦う前に勝ち目がないことがすぐにわかってしまう。

 完全に場に呑まれる。

 彼の圧力に屈する。

 両者の間には、それだけの実力差があるという証明であった。



 それだけの強大な存在が目の前で―――



 スタ スタ よろろ


 バターーーンッ



―――転ぶ



 凄まじいまでの圧力を発していた少年が、なぜか転んだ。

 それも将棋の駒がパタンと倒れたかのごとく、綺麗に前のめりに倒れたのだ。




「いってえぇええええええええええええええええ!!!」




 ごろごろごろごろ

 足を押さえながら右に左に転がっていく。


「ひーー、ひーーー! いてぇええ! めっちゃ痺れるぅううう! ちくしょう!! 侮った!! 高さをなめてたぜ!! いてぇええええ!」


 ごろごろごろごろ

 少年は、痛い痛いといまだに転げ回っている。


 しばらく呆然と見つめていたレイオンだが、ようやく彼が何を言っているのかわかった。


(もしかして…足が痛い…のか? こいつはどこから落ちてきたんだ? 落ちる…? 上から?)


 ふと上を見上げれば、真っ暗な空が広がっている。

 ここからでは上が見通せないほど遠くに天井があるのだ。

 レイオンは転移してきたばかりなので、周囲の地形についてはまったく理解していない。

 ただ、あの勢いで落ちてきたということは、かなりの高さから落下してきたことは想像できる。

 そもそも上を見ても高さがわからないような場所から落ちて、この程度で済んでいるほうが怖ろしいのだが。



 だが、それがわかるのもレイオンだからである。


「…ねえ、大丈夫?」


 何も考えていな…感じていないミャンメイは、無警戒に少年に近寄っていく。

 レイオンも驚きのあまり止めようとするのだが、足が思うように動かなかった。


(何をしているんだ! 役立たずめ!)


 自分で自分が嫌になる。

 疲労や怪我の影響はもちろんあるのだが、それ以上に萎縮してしまっているのだ。

 つまりは、びびって動けない。

 心は身体以上に正直だ。足が竦み上がって震え、声も満足に出ない。

 まったくもって男とは頼りにならないものだ。こういうときは女性のほうが強いと改めて感じさせる。



 ミャンメイが、少年と接触。



「ねえ、あなた。大丈夫?」

「いてぇええええ! いてーよ!!」

「足が痛いの?」

「見りゃわかるだろう!」

「見てもわからないわよ。ちゃんと教えて」

「ん? 誰だ、お前!!」


 少年は今になってミャンメイたちがいることに気付いたようで、転がり回りながらも、じっと見つめる。

 その視線は、珍妙なものでも見るような目つきで、じろじろと観察するようでもあった。


「こら、まずは自分の名前から言うのが礼儀なんだぞ。ぐりぐり」

「あー! なんだよ! ぐりぐりするなよ!!」

「悪い子はおしおきだぞ。ぐりぐり」


 ミャンメイが、転がる少年の額を指でぐりぐりする。

 痛くはないが、ぐりぐりされていることに少年がむっとした。


「やめろよ! 俺はガキじゃないぞ!」

「そんなに小さいのに何を言っているのよ。ほら、痛いんでしょう? 見せてごらん」

「痛くねーし!! 全然痛くねーし!! こんなのすぐに立てるからな!! あぐっ!!」

「あっ、もう! 無理をしちゃ駄目よ」

「触るなよ! がるるるる!!」

「はいはい、威嚇しても無駄ですからね。足が痛いのね。なら…痛いの痛いの、とんでけー。さわさわ」

「なんだそれ?」

「知らない? こうすると痛みが消えるのよ」

「そんなんで消えるわけねーだろ! バッカじゃねえの! バーカ、バーカ!」

「こら、人のことをすぐ馬鹿って言わない。ぐりぐり」

「あう! やめろよ! 気持ち悪いだろう!!」

「はいはい、痛いの痛いのとんでけー! さわさわ」

「だから触るなよ!」


(八歳くらいかしら? このくらいの歳の男の子は、生意気なくらいが可愛いのよね)


 見たところ、八歳くらいだろうか。

 トットやニーニアより年下なのは間違いない。サナも幼く見えるので、彼女と同じくらいだとミャンメイは判断する。

 普段から子供と接する機会が多い彼女だからこそ、警戒もしないし、気後れすることもなく触ることができるのだ。

 ただ、まだ多感な少年にとっては恥ずかしかったのだろう。

 彼は一気に立ち上がると、顔をぷいっと横に向ける。


「ふん、なんともねーし! 痛くなんてねーからな!」

「そうなの。偉いわね。なでなで」

「なんで頭を触るんだ!」

「いい艶をしているのね、この髪の毛。触ると気持ちいいわ」

「話を聞けよ!! なんだこいつ…! あれ? お前…『人間』か?」

「そうよ。あら、あなたも…人間よね? このお肌も機械じゃないわ」

「なんでこんなところに人間が…? って、あああーーーーーーー!!」

「わっ、びっくりした。いきなりどうしたの?」

「やっぱり【攻略】してんじゃねーか!!」

「攻略…?」

「ちくしょう!! どうせ駄目だと思ってたから見逃したぜ!! ジジイ、やりやがったな!!」

「あっ、まだ走っちゃ駄目よ!」


 少年はミャンメイを振りほどき、巨大な白骨に向かう。

 それから鼻息を荒くして夢中で触りだした。

 その姿は、新しい発見をして興奮する子供そのものである。


「俺でも勝てなかったのに…やりやがった! って、ジジイはどこだ! ジジィーー!! ジジイ!! どこだ!! いるんだろう!!」


(なんなのかしら、あの子。玩具に夢中だなんて、まだまだ子供なのね)


 ミャンメイは、少年の行動を微笑ましく見つめている。

 しかし、それが異常であることは、同じく少年を凝視しているグリモフスキーを見ればすぐにわかるだろう。

 彼もまたレイオン同様に動けなかった。

 あんな小さな身体から発せられる波動だけで、グリモフスキーを縛り付けているのだ。



「オオウ、オオウウ!! イーネ!! イーーーネ!」

「ジジイ!! いた! 見つけたぞ!! って…何してんだ!!」


 少年が、ミイラ男を発見。

 グリモフスキーの射撃のせいで周囲が開けていたせいもあって、すぐに見つけることができた。

 だが、見つけたミイラ男はボロボロ。

 自己修復が微妙に追いついておらず、半壊といった酷い様相であった。


「じ、ジジイ……なんだよ、その姿は……」


 少年は愕然とした表情でミイラ男を見る。

 この様子を見る限り、二人は知り合いなのだろう。

 気軽に「ジジイ」と呼んでいることからも、それなりに近しい間柄の可能性がある。

 ミイラ男の年齢(製造年月日?)は不明だが、歳の差を考えると祖父と孫といった可能性もある。

 そんな近しい間柄の存在が、ボロボロの姿にされている。

 孫からすればショッキングな映像だろう。


「お前か…? お前がやったのか!?」


 少年も馬鹿ではないらしい。

 腕を構えているグリモフスキーを発見し、状況を察したようだ。

 鋭い目をさらに鋭くさせてグリモフスキーを睨む。


「へっ、だったらどうだってんだ…!! 何か悪いのかよ!!!」


 思わず大声になってしまったのは、虚勢を張ったからにほかならない。

 自分よりも巨大な存在を目の当たりにした際、人が取る行動は二つ。

 レイオンのように動けなくなるか、あるいはグリモフスキーのように虚勢を張るか、である。


「…なんてことを……なんてことを……!!」


 少年は怒りに打ち震えながら、ゆっくりとグリモフスキーに近寄る。

 近しい者を攻撃されたのだから、その怒りも相当なものだろう。


 すた すた すた


 なまじゆっくり歩くものだから、それがまた強い恐怖を与える。

 一刻、また一刻と死刑執行が近づいてくるようなものだ。怖いに決まっているだろう。


(くそがっ!! やべぇ!! こいつもやべぇえ!! ふざけんなよ、このやろう!!! せっかくレイオンに勝てる力を手に入れたのに、その結末がこれかよ!! やっぱり人生なんて、ろくなもんじゃねえな!!)


 三日天下、否、一分天下とはこのことか。

 力に溺れることができたのも、まさに一瞬のことだけだった。

 レイオンに勝てるとはいえ、レイオンより強い者など、この世にはごろごろいるのだ。

 力を持てば、より強い力の前に屈することになるのが世界の道理だ。

 このイタチゴッコは永遠に終わることがないのだろう。

 だが、それを簡単に認めることができないのも、また人間という存在である。


「おおおおおおおお!!」


 グリモフスキーは、ほぼ反射的に空気弾を発射していた。

 恐怖からくる無意識のもので、彼に撃ったという自覚はまったくなかったはずだ。


 少年に空気弾が―――命中。


 ボンッ!! ボボンッ!


 見えない圧力が少年に当たり―――髪の毛が揺れた。


 ふわり ぶわわっ

 ついでに服も揺れた。


「うおっ。なんだ? 突風か? 目にゴミが入っちまったじゃねーか! くそっ!」

「………」


 揺れた、揺れたよ、お兄さん!!

 この空気砲、すごいね!

 髪の毛と服を揺らすことができるんだよ!!!

 ねえ、すごいでしょう!!!



 って、ふざけるなぁあああああああああああああ!!!



(気付いても…いねぇ!! こいつ、何も感じてねぇえええええ!!!)


 少年にとって空気弾は、まさに「空気」でしかなかった。

 ちょっとした突風に見舞われて鬱陶しい、といった程度の感情しか抱かなかったのだ。

 だから当然、撃たれたことにも気付かない。

 強い力だと思っていたものは、彼の服さえも破ることができない代物だった。

 思わず笑いが込み上げてくる。


「ははは…はは!! 滑稽じゃねえか!!! ほんとにな!! さあ、殺せよ!! それでも俺はな、誰にも屈しねえぞおおお!!」


 グリモフスキーにできることは、最期まで虚勢を張ることだけだ。張り続けることだけだ。

 いつだってそうやって生きてきた。いまさら生き方を変えることはできない。

 死ぬその瞬間まで、意地と義理を貫いてやると決めている。

 虫けらのつまらない矜持とて、自分にとっては価値あるものなのだ。

 価値があるべきものなのだ。誇るべきものなのだ。



「―――っっっ!!」



 歯を食いしばり、睨みつける。


 そうして死を受け入れようとした時―――




「お前、よくやったな!!!」




 バチンッ!!!

 凄まじい衝撃が走り、身体から力が抜けた。

 それは少年が、グリモフスキーの背中を軽く叩いたから起きた衝撃だが、一瞬お花畑が見えたくらい強烈なものだった。


 ただ、叩いた当人は―――笑っていた


 心底嬉しいといった表情でグリモフスキーを見ている。


「…あ? な、なにを…」

「だが、駄目だな。あんなんじゃ駄目だ。俺様がこれから手本を見せてやる!!」


 そう言うと少年はミイラ男に近寄り―――




「このクソジジイィイイイイイイッ!!」




 ボゴーーーーンッ! メキョっ ボンッ!!!



―――ぶん殴った


 思った通り、少年の見た目からは想像できないほどの膂力を持った一撃だ。

 殴った瞬間に、力は力として体内を貫き、その途上にあったあらゆるものを破壊し、なおかつ爆散させる。


 ボーーンッ ゴトンッ ボトボトッ がらんがらん


 拳の衝撃に耐えられなかったミイラ男が、真っ二つになって床に落ちていった。




497話 「勝者への報酬 中編」


(な、なんだこいつ…! なにしてんだぁ!?)


 グリモフスキーは、ミイラ男をぶん殴った少年に呆気に取られていた。

 「ジジイ、ジジイ」と親しそうに呼んでいた男の子が、なぜか自分よりも酷いことをしたのだ。無理もない反応である。

 だが、彼の暴力はそれだけにとどまらない。


「クソジジイ!! このこのっ!! このっ!!」


 ゴンゴンッ ドゴンッ バゴンッ


「オウオウオウッ!!」


 二つに分かれたミイラ男に対し、さらに殴りかかり、踏み蹴り、破壊していく。

 そのたびにミイラ男が奇妙な声を上げるものだから、ますますシュールな光景になっている。

 されど、この劇場はまだ止まらない。


「こらー! 何してるの! おじいちゃんに暴力を振るっちゃ駄目でしょう!」


 ミャンメイが少年を止めに入る。

 これにはレイオンもグリモフスキーも、ぎょっとしたものである。

 空気砲の威力は彼女も知っているはずなのに、それを受けてもピンピンしている少年に、いとも簡単に近寄ろうとするのだ。

 まったくもって命知らずだ。

 逆にまったく効かなかったので、グリモフスキーが攻撃したことにも気付いていないのかもしれない。

 ちなみに少年がジジイと言っていたものだから、ミャンメイの中でも「ミイラ男=ジジイ」という感覚が生まれてしまったようである。


「こら、やめなさい!」

「さっきからなんなんだ、お前! 俺様に命令するなよ!」

「おじいちゃんには優しくないといけないのよ! 常識でしょう!」

「そんなの誰が決めたんだよ! いつどこで誰が、何時何分に決めたんだよ! ほら、言ってみろよ!!」


 これまた子供が言いそうなフレーズである。

 だが、それに対しての扱いも心得ているミャンメイは、すぐに切り返す。


「今私が決めたのよ! ぐりぐりっ!!」

「あぐー! ぐりぐりするな!」

「いい? お年寄りには優しくしないといけないのよ。わかった?」

「なんでだよ」

「なんでもなにも当然じゃない。誰だって痛い思いなんてしたくないもの。だから他人にも与えないのよ」

「なんで?」

「なんだって…痛いのは嫌でしょう?」

「痛いのって何だ?」

「さっきあなたが『いたーい』って言っていたことよ」

「ああ、あれか。ジジイも痛いのか?」

「あの人は…痛いの…かなぁ?」

「ウゴゴゴゴッ!! 超絶絶叫マシーン!! ウィッヒーーーン!」


 だんだん言動が怪しくなっている。

 どこかの回路が壊れたのかもしれないが、最初からああだった気もするので心配はいらないだろう。


「変わったおじいさんね」

「ジジイはジジイだ。あれ以外のジジイは知らない」

「そうね…あれが二人はいらないわね。あら? そういえば彼は『機械』…なのよね?」

「そうだ。機械の身体だぞ。変なやつだよな」

「こら、そうやってすぐ人を変って言わないの」

「なんだよ。変なやつは変だろう」

「そう思っていても言わないの」


 思う分にはいいようである。



(敵では…ないのか?)


 レイオンは今にも心臓が止まりそうだった。

 もし少年がミャンメイに危害を加えようとしたら動くつもりではいたが、どうやっても勝てないことはわかっている。

 だが、どうやら会話は可能らしい。

 しかも案外ミャンメイと普通に話しているのだから、その点ではミイラ男よりはましだろう。


(しかし、なぜこのような場所に少年がいる? 何者なんだ? …くっ、動けない以上、ミャンメイに任せるしかないのか…)


 ミャンメイは単に、自分が思ったことを素直に問うているだけなのだが、それが奏功したのか相手は素直に返してくれている。

 今は彼女に任せるしかないので、じっと息を殺して待つことにした。



「ええと、どこから訊けばいいのかしら? あのおじいさんは…あなたの肉親なの?」

「にくしん?」

「血の繋がったおじいさんなの?」

「そうだぞ。俺のジジイだ」

「ということは…前は人間だったのかしら?」

「知らない。ずっと前からあれだぞ」

「ずっと前って、いつ頃から?」

「俺が誕生する前から、あれだったぞ」

「そうなの。大変だったわね…」

「何がだ?」

「何か原因があったのでしょう? 事故とか…かしら? 好きであんな身体にならないわよね」

「知らない。そこまで興味があるわけじゃねーし」

「あなたのおじいさんでしょう?」

「ジジイはジジイだからしょうがない」


 やはり子供である。話が進まない点では同じだった。

 ミャンメイもそこには気付いたらしく、単刀直入に訊く。


「あなたは誰なの?」

「まずはお前が名乗れよ。そう言ったろ」

「あら、そうね。私はミャンメイよ。ファン・ミャンメイ」

「ふーん、ミャンメイ…か」


 少年は、じろじろとミャンメイを見る。


「どうしたの? そんなに珍しそうに見て」

「お前…女か?」

「え? ええ、そうよ」

「そっか。女か。ふーん」

「女性なんて珍しくないでしょう? お母さんがいるでしょう?」

「お母さん? そんなのいないぞ」

「あっ…ごめんなさい」

「なんで謝るんだ?」

「だってその…ごめんね」

「むぐっ…なんだ?」


(かわいそうに。この子もお母さんがいないのね)


 ミャンメイが少年を抱きしめる。

 地下では貧困街から連れてこられた孤児もいるので、その子らと重なったのかもしれない。

 彼女の『母性』が、反射的にそうした子らへの愛情を生み出して、思わず抱きしめてしまったというわけだ。

 彼らはこうすると落ち着くのである。

 人は誰しも【愛】を求めるものだ。愛されたいと思うものだ。


 それを示す象徴的な行為が『ハグ』である。


 人間というものは、言葉だけではわかり合えないことがある。

 特に感受性の強い子供には、こうして肌と肌の触れ合いが効果的なことも多いのだ。(現代ストレス社会においては大人でも重要だが)


「………」


 少年もこれには驚いたようで、完全に無抵抗の状態で抱きつかれている。

 さきほどのように振りほどくということをしないのが、その証拠だ。


「お前、柔らかいな」

「そうね。こう見えても女の子ですものね」

「ここが一番やわらかいな。ぐにぐに」

「あはっ、くすぐったいわよ」

「うーむ、これが女か。あまり深く考えたことはなかったな…」


 少年は、無造作にミャンメイの乳を揉む。

 一瞬アンシュラオンかと思ってしまう行動だが、そこに「他意」がないので、彼女も女性として反応したりはしない。

 あくまで『母性』という立ち回りで接している。

 それがよかったのかもしれない。


 少年は自分の意思でミャンメイに抱きつくと―――




「気に入った!! 俺のものにする!!」




 そう宣言した。


「なっ…! そいつ、何を…」

「兄さん、子供の言うことよ。いいじゃない」

「む、むぅ…それはそうだが……なんだかな」


 これにはレイオンも思わず反応するが、所詮は子供の言葉だ。

 幼少時代は、近くにいる異性に対して淡い恋心を抱きやすいものである。

 歳が離れていても、いや、離れているからこそ憧れてしまう。

 少年からすればミャンメイは、「綺麗なお姉さん」といったところだろうか。



 なぜか突然、殺伐としていた空気が柔らかくなった。


 グリモフスキーも完全に空気にされている。

 今この場を支配しているのは、ミイラ男以上に、この少年であった。

 それだけの存在感が彼にはあるのだ。



 しかし、この少年は誰なのか?



 という疑問がまだ残っている。


 それはこの直後、明らかになるだろう。





 ひゅーーーーーーんっ!!



 ドーーーーンッ!!!




 再び頭上から何かが降ってきた。

 二度目となると驚きは少ないので、周囲は「え? また?」といった程度の反応だが、今度は落ちてきた者にいろいろと問題があった。

 もくもくと煙が晴れ、姿を見せたのは一人の【青年】だ。

 黄色い武術服に身を包んでおり、長く黒い髪の毛が風に舞っている。


 その青年は、床に降り立つと同時に叫んだ。




「若《わか》ぁあああああああああああ!!」




 少年のように足が痛いと転げ回ることはないが、叫ぶところは同じである。

 落ちてくると叫ばずにはいられないのだろうか。極めて謎である。

 ただ、少年とは違って落下ダメージをまったく受けていないところに、底知れぬものを感じてしまうが。



「若!! どこでございますか!! 若ぁあああああああ!!」

「ちっ、うるさいやつが来た! ミャンメイ、隠れるぞ!」

「え? 隠れるって? 若ってもしかして、君のこと?」

「あいつはうるさいんだ。逃げないと面倒なことになる! 早く!」

「わ、わかったわ…!」


 その青年は少年と知り合いだったようだ。

 ただ、声を聴いた瞬間に逃げようとするあたり、ミイラ男とはまた違う関係らしい。


 しかし、である。


 黄色い服の青年は塵煙が舞う中、なぜか少年を的確に捕捉する。


「若ぁああ! そこでございましたか!!」

「くそっ! 目のいいやつめ!!」


 ドンッ!! ズザザザッ

 少年とミャンメイは逃げようとするのだが、青年が一瞬で回り込む。

 五十メートルは離れていたのに、こうも簡単に接近するとは凄まじい脚力である。

 青年は少年の前にやってくると、跪いた。


「若、どうして私に何も言わずに行かれるのですか! 毎度捜すのに苦労いたしますぞ!」

「捜してくれなんて言ってねーし! つーか、邪魔だし! ついてくんな!」

「そのようなわけにはまいりません。若の身に何かあっては困ります」

「ガキ扱いするなよ! 俺だって強いんだ! べつにお前の力なんていらねーからな!」

「それは油断でございます。何が起こるかわからないのが世というもの。常に万全の状態でいなければ、万一というものが…」

「心配性なんだよ! いいから帰れ! 俺にかまうなよ!」

「ですが…」

「こらっ。ぐりぐり」

「うぐっ、なんだよ。ぐりぐりすんなよ!」

「せっかく心配してくれる人がいるのに、そういう口の利き方はいけないんですよ」

「だって、うざいんだよ、こいつ! ずっと付きまとうしさ!」

「それを『心配』というのよ。なでなで」

「ううっ!」


 ミャンメイが少年の頭を、ぐりぐりなでなでする。

 最初は嫌がっていたようだが、まんざらでもないのか、頭を預けるようにしてくるから可愛い。

 その仕草には、ミャンメイも少しだけぞくっとしてしまう。彼女の母性が疼くのだろう。


(なんだ。家族もいるし、こうして付き添ってくれる人もいるのね。思ったより深刻じゃないみたい。よかったわ)


「若、そちらのご婦人は?」

「ミャンメイだ。俺の【嫁】にする」

「…は? いえ、その…なんと?」

「ミャンメイだ。俺の【嫁】にする」

「…は? あのもう一度…」

「ミャンメイだ。俺の【嫁】にする」


 おいこら! このネタは二度目だぞ!!!

 と怒ってはいけない。

 青年にとっては簡単に認識できないほど重大なことだったのだ。

 だから三回訊いたのだが、答えは同じだった。

 しかも今度は『嫁』という具体的なワードが出てきたので、ステップアップしているような気がしないでもない。


 ようやく状況を理解した青年が、驚愕の眼差しで少年を見つめる。


「わ、若…どうやらこのご婦人は…普通の人間のように見受けられますが…」

「そうだな。ジジイが造った人形じゃないみたいだし、弱そうだよな。でも、それがいいんだ」

「あの…素性は…」

「細かいことは気にするな!!」

「いえいえいえいえ、気になります!! 激しく気になります!! とても大事なことでございます! なにせ人間にまったく興味を示さなかった若が、今になってこのような…!」

「俺を廃人みたいに言うな! 人間に興味くらいあるってーの!」

「し、失礼いたしました。しかしその、今になってというのは…どういった心境の変化があったのですか?」

「面白そうだったからだ!!」

「な、なるほど」


 徐々に皆の「なるほど率」が増えてきたが、実に便利な言葉なので仕方ない。


「しかしですね若、あなた様は特別な存在です。簡単に嫁というのも…。あっ、そうでございます。それならばまだ、ジングラスの姫君のほうが…」

「お前! 俺様に意見するのか! 俺が決めたことだぞ!」

「けっしてそのようなことは!! しかしですね…」

「しかしもカカシもあるか!!! 俺は決めたぞ!! これは俺の嫁にする!!」


 ぎゅっ

 少年がミャンメイに抱きつく。


「きゃっ。ふふ、私、君のお嫁さんにされちゃうのかな?」

「そうだぞ。名誉なことだ!」


 ここで「スレイブになれ」とは言わないのだから、この少年はなかなかまともである。

 少なくともアンシュラオンよりは立派だ。偉い。普通だ。

 ただミャンメイも、所詮は子供の言うことだとまともに取り合っていない。

 これもまたスキンシップの一つである。



「ねえ、兄さん。どうしようかしら?」


 と、ミャンメイは半ば楽しそうに兄に視線を向けるのだが―――


「………」


 レイオンが、こちらを凝視していた。

 それも凍り付いたような顔で、じっと見つめているではないか。


「に、兄さん、どうしたの? 子供の言うことじゃない。そんな顔しなくても…」

「………」

「兄さん?」


 レイオンに反応がない。

 彼の目はこちらに向いていなかった。自分や少年を見ていない。


 彼が見ていたのは―――青年


 この青年は改めて見ると、怖ろしいまでの美青年である。

 多少過保護なところはあるが性格も真面目そうだし、女性にも好かれそうなタイプだ。

 兄にトットと同じ性癖はないと信じたいが、これくらいの完成度ならば、男性だって見惚れてしまう可能性だってあるかもしれない。

 それならば仕方ないか。そういうときもあるだろう。


 などと思っていた自分が、あまりに恥ずかしい。



「うううっ…ううううううう!!!」



 ボオオオオオオオオオオオオ!!!!

 猛る。猛る。猛る。

 レイオンから激しい戦気が噴き出す。

 怖れる自分を叱咤するように、奮い立たせるように、全身全霊の力を込めて





―――叫ぶ






「セイイイイイイイイイイイリュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!!!」







498話 「勝者への報酬 後編」


「っ―――!? な、なに!?」


 突然の兄の叫びに、ミャンメイは完全に戸惑っていた。

 レイオンのこんな声を今まで聴いたことがなかったからだ。

 だが、ミャンメイが驚いた瞬間には、レイオンはすでに駆けていた。


 少年などまったく視界にも入れず、ただただ狙うは―――青年。


「むっ?」


 青年もこれだけの怒気を浴びせられれば、気付かないわけがない。

 すっと立ち上がり、構える。

 その構えはアンシュラオンのように自然体で、特段の構えというものはなかった。

 ただ立っているだけで美しいとは、このことだろうか。

 単純な見た目の美だけではなく、彼の中にある絶対の自負がそう思わせるのだ。



「オオオオオオオオオオ!!」



 レイオンが真正面から突っ込み、拳を放つ。



(やろう! 速ぇ! これが全力かよ!)


 それを見ていたグリモフスキーも、今までのレイオンとは違うことがわかった。

 激怒してリミッターが外れたのか、スピードも数段上昇している。スピードが上がれば相乗的に威力も上がるものだ。


 人間と機械の差が、ここにある


 人間の本質は霊であり、肉体を操作するのは精神なのだ。

 気分が盛り上がれば仕事がはかどるように、怒りというエネルギーが彼の力を底上げしている。

 彼は、今この瞬間に死んでもかまわない、とさえ思っていることだろう。

 だからこその底力である。弱っていても馬力が出る。


 しかしながら、青年は迫ってくるレイオンの拳を冷静に見極めると―――


 カウンター ――― 一閃


 スッ


 左足が軽く前に出たと思ったら、そのまま左手も一緒に伸びる。

 鋭く伸びた拳が、レイオンの顔面にヒット。

 青年の身長もそれなりに高いが、二メートル近いレイオンとの体格差は明白で、リーチも短い。

 そうにもかかわらず、レイオンの拳よりも先に到達。


 どんっ メキョオオオオオッ



「ぶはっ!!」


 凄まじい衝撃が顔面を揺らし、脳を突き抜ける。

 なぜ青年のほうが早く届いたかといえば、拳の速度で勝っていたこともあるが、それが【直突き】だったからだ。

 いわゆる『縦拳《たてけん》』ともいわれるもので、日本拳法ではよく使われる基本の打ち方である。

 ボクシングや空手で使われる横拳と比べると連打には向かないが、より伸びるので先に攻撃を当てやすいというメリットがあるし、一撃の威力も高い。

 自然体でありながらも華麗な拳技を披露するところを見ると、相当な修練を積んだ武人であることがうかがえる。

 だがしかし、ここで終わるレイオンではない。


 この巨体が―――回転する


 直突きをくらった瞬間にバック宙。

 大きな身体をできるだけ小さくまとめ、ぎゅるるると回転。

 そこで溜めた力を一気に解放。蹴りを放つ。

 至近距離から放たれた蹴りを回避するのは困難だ。かわすには緊急避難するしかないだろう。

 が、青年はまったく動かないどころか―――


 がしっ


 レイオンの蹴りを受け止める。

 万全の体勢から放たれた一撃ではないとはいえ、この大きな身体である。蹴りも相当な威力だろう。

 それをいともたやすく受け止めた青年は、足を引っ張ってレイオンを大地に叩きつける。


 ドーーーーンッ!!


「がはっ!!」


 ぶんっ


 衝撃に悶える暇もない。

 青年は再び足を引っ張り、今度は空中に放り投げる。

 投げる際に手を離したことで、完全に宙で無防備になるレイオン。


 そこに青年が掌を向け―――放射


 どどどん どどどどんっ


 七発放たれた戦弾が、次々とレイオンに直撃。

 一発当たるごとに衝撃と同時に皮膚が焼け焦げ、筋肉が損壊する。

 レイオンは防御の戦気を最大出力で展開しているが、それでもダメージを防ぎきれない。

 どんどん体力を削られていく。


「この程度でえぇええええ!! オオオオオオオオ!!」


 しかし、今回のレイオンは気迫が違った。

 激しい戦気の爆発で戦弾をなんとかいなすと、空中で発気を行って地上にいる青年に向かっていく。

 気持ちが人を強くする。

 今の戦気の強さは、サナと戦った時以上であった。


「くらえっ!!」


 レイオンが炎龍掌《えんろんしょう》を放ち、炎が青年に襲いかかる。


「はっ!!」


 対する青年は戦気掌で応戦。炎龍掌を相殺。

 それどころか炎を貫通し、レイオンにまで到達。再度ダメージを与えていく。


 しかし、それでもレイオンは怯まない。


 発気で姿勢制御を行うと、全力で青年に立ち向かっていった。

 いくら武人が戦う生き物であるとはいえ、その戦いは『特攻』に近い。

 防御すら気にせず、ただひたすらに攻撃を続ける姿は、死に急いでいるようにさえ見える。


「いい気迫だ。だが、恐怖が混じった力では私には及ばぬ」


 向かってきたレイオンの突撃を冷静にかわすと、カウンターの蹴り。

 メキイイッ ボンッ

 青年の蹴りを受けたレイオンの肩が、弾け飛んだ。

 大きな精肉の塊を金属バットでフルスイングして、その一部を弾き飛ばした光景に近いだろうか。

 筋肉が削げ落ち、骨がぶち折れる。


(この蹴りの重さ…!! 大型の魔獣並みだ! だがだが、だがぁあああああ!! 貴様を殺すまではあぁああ!!)


 今まで負ったダメージで意識を失いそうになるが、歯を食いしばって耐える。

 かなり体勢が崩れた状態で受身を取ると、すぐに立ち向かって強引に掴みかかる。

 格闘戦では勝ち目がないので、サナにもやった投げ技を仕掛けようとしたのだ。

 彼がああした特殊な技を学んだのは、いつかこういうときが来ることを予想してだ。

 これには青年も虚をつかれたのか、左腕を取られてしまった。


 レイオンはそのまま腕を極めに入るが―――


 ぐいぐいっ ぴたっ


(う、動かん…!! パワーでも圧倒的に…負けている!!!)


 どんなに強く腕を引っ張っても、青年の腕が伸びきることはなかった。

 こうして触れてみて、つくづく思い知った。

 両者の間には大人と子供、いや、それ以上のパワーの差があるのだ。

 それゆえにレイオンが引っ張るどころか、逆に腕を取られて捻り上げられる。


 ぎりぎりぎり


 自分がやろうとしていたことを相手にしてやられる。

 これほど悔しくて恥ずかしいことはないだろう。


「ぐうううっ!!」

「若の前で頭が高い」


 ばごんっ

 関節を極められて顔が下がったところに、膝蹴り。

 拳の一撃があの威力ならば、膝蹴りともなればもっと強いに決まっている。


 アゴが―――砕ける


 バキンッ バリバリンッ ぼたたたっ!!

 骨が砕ける音とともに、大量の血を口から噴き出す。



「っ―――っっ……」



 これでレイオンの意識が、飛んだ。

 がくんと首から力が抜け、ずるずると床に倒れていく。

 命を捨てる覚悟をもった武人の意識を、こうも簡単に断ち切るほどの一撃であった。



「力不足だな。どこの誰か知らぬが、この私に戦いを挑むとは。愚か者め」



 そして倒れたレイオンに、青年がとどめを刺そうとした時―――



「兄さん!! や、やめてください!! もうやめて!! 兄さんが死んじゃう!」

「………」

「おい、やめろ」

「はっ」


 青年はミャンメイの言葉には反応しなかったが、少年が制止すると攻撃をやめ、再び跪いた。


「若、この男と知り合いでございますか?」

「知らない。だが、ミャンメイが嫌がっているから止めた」

「いきなり攻撃を仕掛けるような者です。危険かと思われます。ここで殺すべきでしょう」

「そ、そんな! 殺すって! 駄目よ!!」

「俺の命令だ。それ以上攻撃するな」

「…はっ」

「兄さん…兄さん!! しっかりして!」

「兄さん…兄か」


 倒れたレイオンに駆け寄るミャンメイを見て、少年が呟く。

 その言葉でぴんと来た。


「こいつ、さっき『セイリュウ』とか言ってなかったか?」

「そのように聴こえた気がいたします」

「ふーん。あいつの知り合いか?」

「やつにあのような知り合いがいるとは到底思えません」

「それもそうだな。あいつは俺以上に廃人だからな」

「ぐううっ…セイ……リュウ……」


 レイオンが憎き宿敵の名を叫びながら、手を伸ばす。

 しかし、そこにいるのはセイリュウではない。



「兄弟と間違われるのは不愉快だ。私の名前は【コウリュウ】。お前のような者に覚えてもらう必要はないがな」



 青年の名は―――コウリュウ



 セイリュウとは双子の関係にある『マングラスの重鎮』だ。

 セイリュウとの違いは、彼が青い武術服を着ているのに対して、コウリュウは黄色い武術服を着ていること。

 もう一つはセイリュウが髪を結わいているのに対し、コウリュウは結わいていないこと。

 逆に言えば、他人からはこの二点でしか判別できない。

 顔も声も体型もそっくりかつ、一度しか会っていないレイオンならば、間違えてもなんら不思議ではないだろう。

 しかも強さも同じレベルとくれば、もはや絶望しか感じないに違いない。



(コウリュウ…! あれが『マングラスの双龍』の片割れか! レイオンが手も足も出ねぇなんてよ…! 化け物どもめ!!)


 少し離れたところから見ていたグリモフスキーも、冷や汗が止まらない。

 話には聞いていたが、ここまで実力が開いているとは笑い話にもならない。

 ちょっとやそっとで勝てる相手でないことが、今この瞬間に証明されたのだ。

 そして、青年がコウリュウならば、彼が『若』と呼んで敬う相手は―――


(そういやグマシカには、十歳かそこらの子供か孫がいるって話を聞いたな。一度も表に出てきたことはねぇが…コウリュウがいるってことは、あいつがそうなのか?)


 グリモフスキーも噂で、マングラスには若い跡取りがいると聞いていた。

 ただ、マングラスの重鎮自体が表に出てくることはないので、その存在もまた秘匿されている。

 年齢的には十分合う。

 さきほど言っていた『ジングラスの姫君』というのも、間違いなくプライリーラのことだろう。

 これまた噂だが、プライリーラとグマシカの孫に婚約話が持ち上がったとも聞いている。

 完全に情報が合致する。


(だが、待てよ。ってことは…あのガキが『ジジイ』と呼ぶミイラ男は…まさか……あれがグマシカ・マングラスなのかぁ!?)


 グマシカ・マングラス。

 四大市民の一角にして、グラス・ギース最大勢力のトップ。

 グリモフスキー程度の人間では、絶対に会うことも視線を合わすこともできない雲の上の存在だ。

 それを空気砲でいたぶっていたのだから、人の出会いとは奇妙である。



「若、あの男も制圧いたしますか?」

「うっ!!」


 当然、コウリュウがグリモフスキーを見逃すはずがない。

 レイオンが敵対行動を取ったものだから、仲間だと思われている自分に対しても非常に冷たい視線が向けられる。

 それは人間のものとは思えないほど冷たく、強い圧力を与えてくる。


(勝てる相手じゃ…ねぇ。つーか、人間じゃねえ……こいつ)


 表向きは真面目そうに見えるコウリュウだが、内部に宿っているのは『獰猛な獣』である。

 その圧力は少年と同じくらい強く、彼より年月を重ねているせいか厚みも増した鋭いものだ。

 睨まれただけで、グリモフスキーは動けない。


「あいつはいいやつだぞ。ジジイを攻撃していた」

「大御所様を!? なんたる不敬!! 身体中を塵にしても許されぬ罪でございます!!」

「ばーか、ジジイがあんなんで死ぬか。俺だって殴ったしな」

「若ぁあああ! あれほど大御所様を殴ってはいけないと申しておりましたのに!!」

「ああでもしないと『目覚めない』だろう? どうせ最初から狂ってんだしさ。おお、そうだ! ジジイのやつ、攻略しやがったぞ!! ついにやりやがった!」

「さすが大御所様でございます。苦節三百年、よくぞ頑張られました」

「悔しいが、ジジイがすごいのは認めるぞ。じゃあ、さっそく『報酬』を受け取りに行こうぜ!! おい、ジジイ! まだ目覚めてないのかよ! コウリュウ、網だ! 網持ってこい!! 大型人形に装備されているはずだぞ」

「ただちに!」


 コウリュウが残骸の山に入って、機械人形の内部から特殊ワイヤーで造られた網を持ってくる。

 少年は無造作に網でミイラ男を包むと、ずるずると引っ張り出した。

 非常に雑だ。殴った意味もいまだにわからない。

 だが、当人は満足げなので、これが正しい対処方法らしい。



 準備が整い、少年がミャンメイに笑いかける。


「ミャンメイ、いいものを見せてやるぞ!! 一緒に来い!」

「いいもの?」

「そうだ。ボス戦のあとには報酬があるって決まっているからな!! そうでもなきゃ、誰もこんな面倒くさいことはしねーよな」

「よくわからないけど…まだ兄さんが…」

「網に入れときゃいいだろう」

「駄目よ。こんなに酷い怪我をしているのですもの…! このままじゃ危ないわ…! 兄さんを置いてなんていけない!」

「あーもう、めんどくさいな! コウリュウ! 分けてやれ」

「分けるとおっしゃいますと?」

「お前の『血』だ」

「なっ…若! ご冗談を…! 人間に分けたら死んでしまいますぞ! いえ、それ以前に、なぜこのような者に私の血を…」

「うるさい! 命令だ! さっさとやれ! それが嫌なら、今後は俺の半径百メートル以内には入ってくるなよ!!」

「そ、それはあんまりです!!」

「どちらか選べ。ほら、早く! ごー、よん、さん、にー、いち…」

「くううっ…わかりました! ですが、死んでも知りませんぞ」

「なんとかなる! ミャンメイ、安心しろ。お前の兄をすぐに『直して』やるからな」

「な、なに? 何をするつもりなの…?」


 ミャンメイが怪訝そうに、兄に近づくコウリュウを見つめる。




499話 「マングラスの系譜 前編」


 少年の命令を受け、コウリュウが倒れているレイオンに近寄る。

 レイオンは、見るにも耐えない酷い有様だ。

 アゴが砕けて顔も変形しているし、左肩も破壊され、腕が落ちそうになっている。

 身体中にも戦弾や戦気掌で受けた重度の火傷があり、いくら武人であっても危険な状態といえる。


「このような人間に『龍の血』を与えるなどと、若にも困ったものだ。礼はいらぬぞ。死ぬかもしれないからな」


 スパッ

 コウリュウが、自分の手首を切り裂いた。

 ドバッ どばばばっ

 大量の血が流れる。

 その血は赤かったが、どことなく青みがかって紫のようにも見えた。

 余談だが、もともと血が赤いのは酸素を運ぶヘモグロビンが影響しているので、健康状態に異常がある場合や、他の生物では血が青かったりすることもある。



 紫色の血が―――レイオンに注がれる。



 ばしゃばしゃっ ズズズズッ


 血は意思を持っているかのように、レイオンの傷口から体内に入り込む。


 すると―――



「っ―――!!!」



 ビクンッ ビクンッ!!

 レイオンが激しく痙攣を始めた。

 身体が跳ね上がるほどの大きな痙攣を繰り返す。


「に、兄さん!!」

「大丈夫だ。そのうち馴染む」

「な、何をしたの!? 兄さんに何を…!」

「コウリュウの血を与えただけだぞ」

「血を…? でも、たしか武人同士の『輸血』って危ないって聞いたような…」

「普通の武人同士ならな。でも、コウリュウは普通じゃない。龍だからな」

「龍…? コウ…リュウ……だから?」


 たしかにコウリュウの「リュウ」は、「龍」と読むこともできる。

 この双子は大陸国からやってきたという話なので、彼の黄色い服から連想するに、「黄龍」というのが本来の名前なのかもしれない。

 だが、まったく説明になっていない。

 彼が黄龍だったらなんなんだ、と異議申し立てを行いたいが、そうしている間にもレイオンに変化が起きていく。


 びくんっ! びくんっ!!


 レイオンの痙攣が激しくなっていくと同時に―――


 ぼごんっ!!!


 突然、肩の筋肉が膨れ上がった。

 アメフトのショルダーパッドを身につけたように、肩が大きくなったのだ。

 それだけでも異常だが、もっと異常だったのは、そこが「失われた肩」だったことだ。

 コウリュウによって吹き飛ばされた肩。ズタボロだった肩が、剥き出しの生々しい筋肉で覆われたのだ。

 どくんどくん どくんどくん

 血が流れて血管が脈動していることからも、間違いなくこれはレイオン自身の筋肉である。


 ぎゅぎゅっ ぎゅうううううう!


 ただ、それでは大きすぎるので、筋肉は自然と収縮を始めて元のサイズに戻っていく。

 彼の因子情報を参照して、適度な大きさに変化していく。


 ミシミシミシィッ ズズズズッ


 驚くべきことに、その作用は骨にまで影響を与えた。

 砕けたアゴがくっつき、折れた歯が生え始める。

 その急激な作用は、アンシュラオンの命気を上回る驚異的なものだ。

 しかしだ。

 何事にもメリットがあればデメリットもあるものだ。

 このような再生現象が、何のリスクもなく発生するわけがない。


「ぐはっ!!」


 びきびきっ ぶしゃっ

 皮膚がヒビ割れ、身体中から血が流れ始めた。


 むくむくっ ぶしゃっ ぶしゃっーー!


 筋肉が膨れ、縮まるたびに血が噴出する。

 出血量はさらに増し、噴き出し方も強くなっていく。


 そしてついには―――


 ばしゃーーーーーっ!!



「ぐううっ…うおおおおおおおおおおおおお!!!」



 噴水のように血が飛び出した。


「うううっ! うううう! うおおおおおおお!!」


 これには痛みが伴うのか、さすがのレイオンも絶叫して転げ回る。

 だが、出血は一向に減らない。


(なに…これ? いったい何が…。あれ? これってどこかで…)


 兄の異様な状況に驚愕したミャンメイであったが、思った以上に冷静な自分がいることにも気付いた。

 なぜならば、これは一度見たことがある。


(サナちゃんの試合で、兄さんが復活した時と―――同じ!!)


 そうだ。

 あの時も兄は異常なほどの出血をしていたが、見事に復活した。

 武人にとって血はエネルギーそのものであり、常に生み出されては吐き出し、また生み出されては循環するものなのだ。



(…適応している? この男、何者だ?)


 コウリュウは、まさかレイオンが自分の血に【馴染む】とは思わなかったので、驚きの表情を浮かべていた。


(私の血は『龍の血』。たしかに癒しの力はあるが、人間にとっては『劇薬』だ。武人であっても馴染むことは少ないはずだが…)


 古来より、龍の血には癒しの力があるとされてきた。

 あるいは伝承では『不老不死の力』を宿すといわれることもある。

 そのために夢を追って龍を追い求める者たちが数多くいた。

 だが、極めて当たり前なのだが、種族が違えば血の質も異なる。

 霊の器である肉体は、各人専用にアレンジされた独自のものだ。人間同士でも輸血は危険を伴うものである。

 それが他の種ともなれば、遺伝子情報も肉体構造もまったく違うので、適応するほうが稀だろう。

 龍の血を飲んでも力を得ることはない。

 下手をすれば感染症にかかって死んでしまうだけのことだ。そこには夢もロマンもないのだ。


 だが、レイオンは適応しつつある。


 龍の血を受け入れ、自らの血とブレンドしようとしている。

 これは普通ではありえないことだ。


(若のお戯れと思ったが…深いお考えがあってのことだったか。さすがは若! お見事でございます!)


 少年がそんなことを考えているわけがないが、勝手にそう思い込むのが忠臣というものだ。

 当人がそれで満足するのならばいいのだろう。



 ぶしゃぶしゃっ ぶしゅううううう



 次第に出血が収まる一方、周囲に赤い霧が生まれる。

 この霧は血液が沸騰して気化したものである。それだけレイオンの体内では、燃えるような熱量が発生していたということだ。

 霧が晴れた頃には、彼の身体はすっかりと回復していた。

 失われた部位は復活し、筋肉には張りがあり、肌艶や毛艶も良い。


「ううっ…はぁはぁ…がはっ……はぁはぁ!」

「若、適合したようです」

「そーか、そーか! さすがミャンメイの兄だな!! これでもう安心だ。なら、早く報酬を受け取りにいくぞ!!」

「あっ! ま、待って…!! 何が起こったの!?」

「コウリュウの仲間入りをしただけだぞ」

「若、仲間入りなどと…! この程度で同属に扱われるのは不本意です」

「いいじゃねーか。同じ『龍人』になったことには変わりないだろう」

「私とセイリュウは、大御所様に特別の寵愛を頂戴した特別な者。そこには誇りと自負がございます。このような下賤の輩と一緒にされるなどと…」

「あー、うるさいやつだ。どっちでもいいだろうに。いいから行くぞ!」

「はっ。それで若、この者はいかがいたしますか?」

「連れていく。観客は多いほうが面白いからな!! その腕が人形のやつもな」

「かしこまりました。おい、そこの者。この男はお前に任せる」

「あぁん? 俺がか!?」

「若の寛大な御心がなければ、貴様らなど即座に処分だった。それだけでもありがたいと思うのだな」

「ちっ…」

「ヒヒヒッ!! レッツゴオオオオオオオオ!」


 網で包まれたミイラ男が叫ぶ中、不思議な一向が出来上がる。





 その集団は、牛神がいた場所の背後にあった扉に近寄る。


「ジジイ、資格は得たんだろう?」

「わが手にすべてはあり!! ぼくちゃん、すげえってばよ!」

「ほら、早く手を出せよ」

「うごおおお!! アバカーーーームッ!」



 網から出たミイラ男の手が扉に触れると―――



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ どごんどごんどごんっ!

 どごんどごんどごん どごんどごんどごん どごんどごんどごん

 どごんどごんどごん どごんどごんどごん どごんどごんどごん
 どごんどごんどごん どごんどごんどごん どごんどごんどごん

 どごんどごんどごん どごんどごんどごん どごんどごんどごん
 どごんどごんどごん どごんどごんどごん どごんどごんどごん
 どごんどごんどごん どごんどごんどごん どごんどごんどごん


 激しい地響きが起こり、次々と扉が開いていく。


 どうやら扉は何重にも続いていたらしい。それが一気に開かれたことで、地鳴りが発生したのだ。

 それだけ厳重に守られた何かが、ここにあるということだろう。



 扉が開いた先は、再び螺旋を描いて、さらに地下へ地下へと続いていた。

 一向はさらに先に進む。


「ふんふーん♪」

「………」

「………」

「ふんふーん♪ たららりったー♪」

「………」

「………」


 少年が楽しそうに鼻歌を歌いながら歩くのに対して、周囲は気まずい雰囲気に包まれていた。

 その最大の要因が、コウリュウである。

 彼は言葉こそ発しないものの、敵意に似た感情をぶつけてくるからだ。

 その最大の被害者はグリモフスキーだった。

 レイオンはまだ意識がはっきりしない朦朧とした状態だからいいが、そうではない彼は、コウリュウの人ならざる敵意の前に縮み上がっていた。


(くそっ! とんでもねぇ日だぜ! どうしてこうなった…)


 ただエリアの見回りをしていただけなのに、気付いてみれば人生がまるっきり変わってしまうような出来事ばかりに遭遇。

 しかもついには、この戦いの『ラスボス』ともいうべき男とも遭遇を果たしている。

 アンシュラオンが狙う獲物であり、ソブカが改革のために排除すべき相手。

 この抗争のすべての目的は、そこにいるグマシカ・マングラスを倒すためにだけ存在しているのだ。

 だが、肝心のグマシカといえば―――


「コマ〇チ! ひーこらせ! 八時だぞ! 全員集合!! この馬鹿殿ガァァア! タシ〇マサシ! ゆー、いっちゃいなよ!!! ヒューヒュー!」


 発言がヤバイ。やばすぎる。

 もうフォローできないので、これ以上触れることは控えたい。

 ともかく記憶が錯乱しているのか、到底まともな状態とは思えない。


(こいつがグマシカ…? ちと信じられねぇがな。イメージと全然違うじゃねえか。だが、コウリュウがマングラスの重鎮なのは間違いねぇ。いきなり敵の大将とお目見えとは…運が悪いぜ)


 これからレベルアップして万全の準備をして挑もう、と思っていたら、いきなりボス戦が始まって即終了。

 とんだ無理ゲーである。攻略など不可能だ。

 そもそもの問題として、彼らに対抗すること自体が無謀なのかもしれない。



「ねぇ、あなたってマングラスの人なの?」


 歩いている間は手持ち無沙汰なので、ミャンメイが少年に話しかける。

 物怖じしないというか何も考えていないというか、こういうときは便利な女性である。


「そうだぞ」


 少年も少年で、特に偉ぶる様子もなく答える。


「どうしてここにいるの?」

「どうして? それは俺様の台詞だぞ。ここはマングラスの所有地だ。そこにお前たちが入ってきたんだ」

「え? ここが? どうして繋がっているのかしら?」

「お前たちはどこから来たんだ?」

「えと…言っていいのかしら? 収監砦の地下からよ」

「ん? そんな場所があるのか? 知ってるか、コウリュウ?」

「はい。あそこも遺跡の一部を利用しております。我々の管理下にはありませんが、特段の価値もないので放置しております。ですが、このような事態は極めて危険なので、原因を調査して塞いでおくつもりです」

「ふーん、そっか。そっちは任せる」

「はっ」


 少年はその問題には興味がないようで、側近のコウリュウにすべてを任せる。

 どうやら自分が楽しいと思うこと以外には執着しないタイプのようだ。

 そのあたりは若干、アンシュラオンに似ているともいえるが。


(もしかして言わないほうがよかったのかしら? でも、こうなったらもう仕方ないわよね。どうせなら全部訊いちゃおうかしら)


「あなたたちって、何が目的なの?」

「は? 目的?」

「ええ、そうよ。だって、裏でいろいろとやっているじゃない。どうしてあんな酷いことをするの?」

「酷いこと? なんだ?」

「その…いろいろな人に石を植えつけたり…しているわよね?」

「石? 【擬似エメラルド】のことか?」

「擬似エメラルド?」

「若、そのようなことまで教える必要はございません! この者は部外者ですぞ!」

「俺の嫁にすると言っただろう。いちいち口を出すな!」

「で、ですが…そうやすやすと教えてよい話では…」

「たいした話じゃないだろう。で、何が知りたいんだ?」

「な、何が目的なのかなぁ…と」

「目的…か。マングラスの存在意義は、この都市を守ることだ。それ以外にはないんだぞ」

「都市を守る? どうして?」

「自分が生まれた場所を守るのは当然だろ。ここは俺の故郷だ。好きなんだ。誰がどう言おうと、ここがいいんだ。だから守るんだ」

「…それだけ?」

「そうだ。ミャンメイはグラス・ギースの生まれか?」

「生まれはそうね。でも、私はいろいろと移転もしていたから…」

「そっか。そういうこともあるな。でも、長くいれば好きになる。好きになってほしい。そうだろ?」

「え、ええ…」


(なにこの笑顔? この子…いい子なのかしら?)


 少年は、笑っていた。

 自分が生まれ育った場所が好きだから、みんなにも好きになってもらいたいと。

 人によっては故郷に嫌な思い出がある者もいるだろうが、多くの者は愛着を抱くものだ。

 だからこそ新しい開発で土地を奪われることに必死に抵抗する。死に物狂いで戦う。

 そのすべては【愛】に起因している。

 愛情があるから執着する。物や人、土地、国、アイデンティティー、概念、思想、あらゆるものに共通する事柄だ。

 人の根幹には、必ず愛があるのだ。




500話 「マングラスの系譜 後編」


 少年は、この都市を愛していた。

 彼の行動原理の根幹にあるのは、愛だったのだ。


「なんで擬似エメラルドのことを知っているんだ? 一般人には知られていないはずだぞ。それともミャンメイは一般人じゃないのか?」

「私は一般人よ。でも、私のおばあさんが……」

「適合者だったのか?」

「おばあさんは違ったみたい。ただ、私のお母さんがそうだったみたいで……ねえ、どうしてあんなことをしたの?」

「あんなこと?」

「勝手に人の身体に石を植えたのでしょう?」

「植えた…か。そう言うこともできるのかもしれないけど、よく知っているな」

「ちゃんと答えて」

「ミャンメイ、怒っているのか?」

「ええ、怒っているわ。多くの人たちが犠牲になったって聞いたもの」

「選定基準については俺は関与していない。アレについてはセイリュウのほうが専門分野だからな。基本的にはあいつに任せてる」

「………」

「言い訳はしねーよ。責任転嫁もしない。だけど、必要だからやったことだ。俺らは都市を守らないといけないからな」

「都市を守るのって、そんなに重要なこと? 誰かを犠牲にしても?」

「もちろんだ」


 少年の言葉に迷いは一切ない。

 ただ、笑顔はもう消えている。


「でも、そっか。この感覚は、そういうことか。お前の兄がコウリュウの血に適応したのも、そういうことかもしれないな」

「そういうことって?」

「フィーリングさ。親しみを感じるってことだな。いくら俺が引き篭もりだからって、少し会っただけのやつを好きになったりしないぞ。ミャンメイも、俺に対してそういうのを感じないか?」

「そういえば…なんとなく……」


 本当はもっと怒りたい。

 マングラスのやり方は気に入らないし、ぶん殴ってやろうと思っていた。

 だが、こうして実際に少年と出会ったら、思ったより怒りが湧いてこないのだ。

 人間の感情は、独りで思考の渦の中にいる時のほうが激しくなるとはいえ、これは異常であるといえる。

 同様に少年も、ミャンメイに対して不思議な親近感を抱いていた。

 本能的に何か近しいものを感じるのだ。言葉や触れ合い以前に、会った瞬間から磁石のように引き付ける何かを感じさせる。

 アンシュラオンとはまた違った『同種』の存在に対する親しみだ。


「マングラスは『水の象徴』だ。水は力が混じり合って、みんなで一つになるために必要な存在なんだぞ。きっとミャンメイにも同じ力があるんだろう」

「そう…なのかしら?」

「自覚はないか? 融和は周囲の者たちの争いを収める力だ。性質の異なる者たちの間に入って、上手く調和させるんだぞ。俺が見たところ、あいつとお前の兄は相性が悪そうだ。どういう経緯で一緒にいるのかは知らないけど、もし今まで一緒にいたのだとしたら、ミャンメイの力が影響しているんだろうな」

「そんなことはないわ。結局…わかり合えないもの」

「それはお前の責任じゃない。互いに歩み寄る気持ちがなければ、どんなに水が間に入っても突き破られてしまうんだぞ」

「随分と大人びた言葉を使うのね」

「だから俺はガキじゃねーって。まっ、どっちでもいいけどな」


(不思議な子。少しホワイトさんに似ているかしら)


 少年なのに、その中には奥深さがある。

 それはアンシュラオンを彷彿させる。



「この地下遺跡って何なの?」

「遺跡のこと自体は俺も知らない。昔からあるものだ。【金獅子王《こんじしおう》】がこの場所を都市に選んだのは、ここを隠す意味でもあるんだぞ」

「金獅子王?」

「知らないか? …そっか。今の人間はもう知らないか。五英雄の一人、初代ディングラス王だ」

「ディングラスっていうと…領主のこと? そのご先祖様?」

「そうだな。先祖というほど離れてもいないけどな。俺からすれば、好き勝手やっているおっちゃんにしか思えないが、あれでも一応リーダーだ」

「会ったような口ぶりね。昔の人なのに」

「『実物』という意味じゃ、たしかに会ったことはないな」

「実物…?」

「まあ、そんなことはいいや。これとはあまり関係ないし。遺跡のことは知らない。昔の人間が造ったんだろうな。ミャンメイはグラス・ギースの歴史は知ってるか?」

「んーと、千年ちょっと前に出来たってことくらいかな」

「うん。それで間違いないな。今言った金獅子王と、他の四人のメンバーが中心となって都市を造った。ここは手付かずの自然があったからな。それを使って人が安心して住める場所を新しく作ろうと思ったんだろう」

「いいことね」

「人にとっては、だけどな。人間は罪深い生き物だ。未熟というべきかな。そのせいで、いつも何かを犠牲にしないと生きていけない。この都市が発展するためには周囲のものを奪わねばならないときもあった。主に魔獣たちとの戦いだな」

「仲良くはできないの?」

「見世物小屋の猛獣と仲良くできるのは、人間が支配しているからだぞ。無理だと思うな。唯一、風のジングラスはそれを試みようとしていた。少しとはいえ、それを実現させた『おば様』には、俺も正直憧れていた」

「おば様? ジングラスの人」

「戦獣乙女だ。ジングラスは外の都市を守る存在なんだぞ。カッコイイよな! 憧れるよ! 俺もあんな馬に乗ってみたいもんだ!」


(プライリーラさんって若い女性って聞いたけど…この子からすれば、おばさんなのかしら)


 プライリーラの歳でおばさん呼ばわりとは、小さな子供は残酷である。おそろしい。

 だが、そんな子供であればあるほど、大きくなれば熟女バーに通ったりするのだから、世の中は面白いものだ。



 少年は、楽しそうにグラス・ギースの歴史を語る。


 グラス・タウンがいかに発展していったか、人々の暮らしのためにマングラスがいかに貢献したか。

 少年が英雄に憧れるように、心の底からの敬愛を込めて語っていく。

 その姿はソブカにも似ていた。彼らに共通するのが英雄への憧れなのだ。


「いろいろな揉め事もあったが、都市は発展を続けた。都市内部に関して、そういった揉め事の対処に当たっていたのがマングラスなんだぞ。みんなが喧嘩しないように仲裁したり、場合によっては鎮圧もしたけど、互いが納得できるように話し合う場を与えていたのがマングラスなんだ」


 今でもマングラスに監査権があるのは、過去から続く慣習があるからだ。

 ジングラスが外からの外敵に対処する一方、マングラスは内部で人が融和できるように尽力するのが役割だった。

 ディングラスは外交、ジングラスは都市防衛、マングラスは人の融和、ハングラスは経済、ラングラスは医療と、互いに役割を担って都市を発展させていった。


「当時は凄かったらしいぞ。東大陸では強い力をもった古い国家もあるけど、一時期はそこに追いつくくらいの勢いだったって聞いた。そうだ。俺たちは、ここに【国】を作ろうとしていたんだよ」

「国を…? すごく大きな話ね」

「無理な話じゃないぞ。ここは魔獣が支配していたから、人が使えそうな手付かずの資源が山ほど埋まっている。それでグラス・ギース…当時のグラス・タウンも発展していたんだ。本当に発展した理由は別にあるけど…今それを言っても仕方ないか」

「そう言われると気になるわ」

「俺だって簡単に言えないことはあるんだぞ。一応、マングラスにも機密ってのがあるんだ。それに、俺が知らないことだってある。ジジイなら知っているだろうけど…あれだからな」

「ウゴゴゴゴッ!! 領土奪還!! 富国強兵!」

「…そうね。いつもあんな感じなの?」

「俺もジジイと会うのは、けっこう久しぶりだけど…だいたいな。殴ったから、そのうち直るだろう」


 昔のテレビなどは、よく叩いて直したものだ。

 故障の多くは接触不良から起こるものなので、叩いて軸を合わせたりするわけだ。

 ミイラ男も身体が機械なので同じ要領なのだろう。原理はよくわからないが。


 少年が語った内容は、今まで出てきた話を統合すれば、誰でも推測が可能な展開だ。

 しかし、当事者たちしか知らないこともある。


「だが、忌まわしい『あの事件』が起きた。あれのせいで…すべては変わった」

「あの事件って、もしかして【大災厄】のこと?」

「ん? ああ、もちろんそれもあるぞ。だが、大災厄を『引き起こす要因』となったものがあったんだ」

「え? 大災厄って、勝手に起こったものではないの?」

「地震や雷だって女神の管理下で起こることなんだから、偶然で起こったりはしないんだぞ。大災厄だって、理由があったから起きたんだ。大災厄自体は世界規模で起きたことだから、それだけが原因じゃないけど、このあたりの被害が他の地域より大きかったことには理由があるんだ」


 少年の表情が、ひときわ険しいものになる。

 子供っぽさと理性的な側面を併せ持つ彼だが、その中には『怒り』の感情も眠っているのだ。


 その怒りの対象は―――



「あの男が…あいつが野心さえ持たなければ…! くそ!! すべては俺の油断だった! あいつを信じたばかりに…」



 ドガンッ!!

 少年が怒りに任せて壁を叩く。

 ここの壁は強度も今まで以上に強いらしく、それで壁が壊れることはなかった。

 壊れたのは、むしろ少年のほうだ。拳が内出血を起こしていた。


「大変! 手当てしないと!」

「べつにいいよ。たいしたことねーし」

「そうやって意地を張らないの」


 患部を軽く水で洗い流すと、ハンカチで巻く。

 その際に採集しておいた葉っぱも入れる。


「なんかスースーする」

「この葉っぱは湿布代わりにもなるのよ。食べてもハッカみたいで美味しいけれどね」

「詳しいな」

「料理は得意なのよ」

「さっきも思ったけど、ミャンメイは優しいんだな」

「そう? 普通よ」

「俺は普通じゃなくなった。あの日から俺は、もうずっと憎しみしか抱いていない。だから誰かを愛することもなくなった」

「若…おいたわしや…」

「泣くな、コウリュウ!! 惨《みじ》めな気持ちになるじゃねーか!!」

「ですが…うう……あまりにも不憫で…」

「ふんっ、同情なんていらねーよ」

「コウリュウさんは、いい人ね」

「お前の兄を半殺しにした男だぞ? 善人ではないと断言できるけどな」

「それでも、あなたにとってはいい人でしょう?」

「それは…そうだな」

「なら、いい人だと思うわ」

「だが、お前の兄はセイリュウを憎んでいるんだな」

「…ええ、そういうことがあったから」

「…そっか。俺はミャンメイにもコウリュウを好きになってもらいたいけど、きっと無理なんだとは思う。それが少しだけ哀しいな」

「…そう…ね」


 自分の好きなものを、好きな人にも好きになってほしい。

 だが、レイオンの憎しみと怒りはセイリュウを殺すまで消えないだろう。

 セイリュウと敵対するということは、コウリュウと敵対することを意味する。

 そうなれば少年とも敵対するのだ。両者はけっして融和しない宿命にある。

 それが哀しいのだ。



「話は戻るが、とある事件があって大災厄が起きた。あまりの激しい破壊で、人々は一時的に地下に避難した。多くの者たちは地上を這って逃げたけど、マングラスは都市を愛していたから、見捨てるという選択肢はなかったんだ」

「あっ、もしかして地下にあった農場とかって、その時のもの?」

「おお、それも見たのか! あれはもともと遺跡にあった機能を利用して、グラス・タウンの時代から研究していたものだったらしい。全部じゃないが、それを使っていたこともある。地下で人が生き残るのは大変なんだけど、備えがあったから助かったんだぞ」


 地上は酷い有様だった。天が裂け、大地が砕け、落雷や津波が襲いかかる。

 そこに大量の魔獣、四大悪獣たちが押し寄せ、都市を蹂躙していった。

 まさに地獄。あまりに悲惨。到底人が生きられる環境ではなかった。

 都市を諦められなかったマングラスは、人々を連れて地下に逃げ延びた。

 その時に外に逃げた者たちと地下に残った者たちで、情報の共有が完全に遮断されてしまった。


「ただ、マングラスが外に逃げなかったことには、もう一つの理由があるんだぞ。この遺跡を隠す必要があったし、ほとぼりが冷めて、よそからやってくる盗賊どもから都市を守るためでもあったんだ。帰る場所を誰かが守る必要があったしな」

「あれは大変でしたな…若」

「混乱期だったからな。都市の復興と防衛だけで手一杯だった。おば様も…亡くなられてしまったし、都市機能が完全にボロボロだった。何も残っていなかったからな…。だが、それは好都合でもあったんだぞ。上のみんなが新しい人生をやり直すチャンスだったんだ」

「上のみんな…? マングラスは?」

「俺たちは地下に残った。二度と過ちを犯さないために。だが、潜った甲斐はあった。ジジイがついに『宝物庫』を開いたんだからな」

「ここは…」


 話している間に、どうやら目的地に着いたようだ。


 一向がたどり着いた場所は、何かの施設だった。

 通路の両側にガラスケースのようなものが並んでおり、中にはカプセルやらジュエルやらが格納されている。


「これが…宝物庫なの?」

「ああ、宝だ。ここには絶滅した動植物の因子データが入っている。ジングラスも管理しているが、その原種たちがここにあるんだぞ」


 ジングラスの聖域である『戦獣乙女の聖森』でも、動植物の保存を行っていた。

 あれは大災厄前のものであり、種を上手く使えば当時の自然環境を復活させることも可能だ。

 しかし、ここにあるデータは、さらに昔のものである。

 すでに絶滅した魔獣のもの、かつての人間のサンプル等々、より貴重なものが眠っている。

 たとえれば、恐竜の遺伝子データが残っているようなものだ。

 某映画ではないが、これを使えば恐竜を復元することも可能だ。当然、技術が伴えば、であるが。


 しかし、少年はそこを素通りする。


 彼の目的地は、さらに奥にあるのだ。

 そこに到着するまでもなかなか興味深いものがあったが、今は割愛しよう。




 では、少年が何を欲していたのかといえば―――





「ああ、見つけた…!! ついに見つけたんだ!!」





 そこには『棺桶型カプセル』に入った、【一人の少女】がいた。





501話 「ケンジャノイシ」


 それは施設の最奥かつ、最上部にあった。

 下から上に螺旋階段が続いており、周囲には色とりどりの花々がいまだにツタを絡ませ、生き続け、輝いている。

 造花ではない。生花そのものだ。


(ここ…神殿に似ているわ。でも、もっと強い力を感じる)


 ミャンメイも、この場所の特異性を感じていた。

 見た目は神殿に酷似しているが、溢れ出る生命力があまりに違いすぎる。

 映画で見る映像も素晴らしいが、実際に見る映像はもっと素敵だろう。

 肉眼で見るものも素晴らしいが、心で感じるものはもっと素敵だろう。

 それと同じように、生命の輝きがダイレクトに染み渡ってくるのだ。


 ここには生命が溢れている。


 床に浸された水も、穢れなく清らかだ。

 カスオに連れられていった部屋のものよりも、何倍も何十倍も美しい。

 だが、この光景にもっとも感動しているのは、ほかならぬ少年であった。


 ぱしゃぱしゃ


 水の上を歩きながら、ゆっくりと最上部に【祀られているソレ】に近づく。



「あった…!! 本当にあったぞ!!」

「わ、若! では、これが…!」

「ああ、そうだ。これこそ【マングラスの秘宝】!! 初代様より託された意思だ! くううっ! やったぞ…! ついに…見つけた!」


 少年は感動のあまり涙する。

 それも当然だろう。

 なにせこれはマングラスの秘宝の中でも最上位にあるものだ。

 いや、五英雄が守り続けてきたものの中でも、とりわけ重要な秘宝の一つである。

 マングラスがずっと地下に潜っていたのも、すべてはこれを手に入れるためなのだ。


「人が…いるわ。あの人は…生きているの?」


 ミャンメイは、カプセルの中に入った【少女】を見つめる。

 このカプセルを見て、誰もが最初に彼女に目がいくだろう。

 なぜこんなものに少女が入っているのか?

 あれは生きているのか?

 そう思うに違いない。


 しかし、考え方そのものが違うのだ。



「かつては人だった。だが、これはもう人じゃないんだぞ。これは―――」





―――「【生命の石】だ」





「え? 生命の石? あの人の中に石があるの?」

「違う、違う。あれ全部が生命の石なんだ。手も足も唇さえもだ」

「い、言ってる意味がわからないわ!? だって、あれは人でしょう!? 石じゃないもの」

「ミャンメイ、俺らとお前たちの間には、けっこうな知識の開きがあるな。お前たちは生命の石について何も知らないんだな。生命の石っていうのは、べつに決まった形があるものじゃないんだぞ」

「じゃ、じゃあ、兄さんが使っていた石ってなんなの!?」

「お前の話を聞いている限り、それは擬似エメラルドのことだな。あれは紛い物なんだぞ。あれの正体を教えてやろうか。あれの主成分は―――『龍の体液』だ」

「龍…? それってさっき言ってた…コウリュウさんの血のこと?」

「似ているが違うものだ。あれはセイリュウの『能力』によって生み出される液体をベースにして造られるものだからな。あいつは癒しの力に特化した『龍人』なんだ。擬似エメラルドを任せているのも、それが理由なんだぞ」

「そ、それじゃぁ…兄さんが今まで生きていられたのって…兄さんを殺した人の力のおかげなの!?」

「そうなる」

「そうなるって…そんな……簡単に…」

「今ならばわかるぞ。お前の兄がコウリュウの血を受け入れられたのは、セイリュウの力を受けたことがあるからだ。拒絶反応が出ないわけだ」


 まったくもって皮肉なことだが、レイオンが今まで生き延びられたのは、セイリュウが生み出した生命の石である擬似エメラルドがあったからだ。

 知らないこととはいえ、自分を殺した憎むべき相手の力によって、かろうじて生きてきたのだ。

 これを知ったらレイオンはどうするだろうか。何を思うだろうか。さらに憎しみを強めるだろうか。滑稽だと笑うだろうか。



「何が起きているのか…私にはわからないわ! 何もわからない!」

「ミャンメイ、落ち着け。俺たちはお前の敵じゃないんだぞ」

「嘘よ! だってだって、いろんなことがあって、ありすぎて! 兄さんが死んだのだって、石を植えられたのだって、私たちが望んだことじゃないもの!」

「そのあたりの事情は知らない。ミャンメイにもいろいろとあったんだろうな。だが、生命ってのは、そんな小さなことじゃないんだぞ。ここにある生命の輝きに比べたら、すべては些細なことなんだ」

「さ、些細って…! わ、私たちをなんだと…! その女の人だって利用されて……あっ」


 ここでミャンメイが、とあることに気付く。

 少年が生命の石と呼んでいるこの少女のことも気になるが、それ以上に気になったのは『カプセル』だ。


「これって…クズオさんが私を入れようとしたものに…似ているわ」

「知っているのか?」

「え、ええ…細部は違うけど、これに似たものを見たわ。私も入れられそうになって…」

「これは生命の石を保存して熟成させる装置だ。二つあるとは聞いたことがないが…コウリュウ、知っているか?」

「いいえ、偉大なるマングラスの秘宝です。同じ秘宝があるとは思えません」

「うーん、この秘宝自体はマングラスが造ったものじゃないから、ほかにもあるのかもしれないが…少なくともオリジナルはこちらのはずだぞ。どこで見たんだ?」

「収監砦の地下だと思うわ。私を連れ出したのは、あなたたちの仕業じゃないの?」

「俺がミャンメイと出会って間もないせいもあるだろうが、どうにも話が食い違うな。情報の共有ができてないぞ。ミャンメイは何に怒っているんだ?」

「だって、私を何かに利用しようとしたんじゃないの!? あなたたちがクズオさんを雇って、私を強引に…」

「小娘…! 若の前だからと黙っていれば、随分とマングラスを愚弄してくれるな!! なぜ偉大なるマングラスが、お前などに執着せねばならぬ!!!」

「コウリュウ、黙れ!!」

「ですが、若!! このような無礼な発言を許すわけにはまいりません! 若や大御所様がいかにご自分を犠牲にされて、この都市を守ってきたか!! 私は言いたいのです! 声を大にして言いたい!!」

「気持ちは嬉しい。でも、やめておけ。誰かに褒められるためにやっているわけじゃないんだぞ。俺は俺の大切なものを守りたいだけだ。その大切なものが、たまたま都市の人々ってだけのことだ。全部自己満足でやっていることだからな。誰かに求めるものじゃないだろう」

「わ、若…!! ううう…! ご立派に…なられて…ううう!」

「だから、すぐ泣くな! いつまでもガキ扱いするんじゃねーよ!」


(なにこのやり取り? 違う…の? この子たちじゃ…ないの?)


 少年とコウリュウの言葉は、嘘だとは思えなかった。

 少年の愛が強いがゆえに、都市を守るためならば何でもするのは間違いないだろう。

 セイリュウが四大会議で言ったように、鎮圧や粛清といった強い態度に出ることも十分にありえる。

 だが、その中にミャンメイを利用する、といった肝心の事柄が含まれていないのだ。

 擬似エメラルドの実験が何を目的にしていたかは不明ではあるものの、少なくともカスオの一件に彼らは関与していない。

 それがますますミャンメイにショックと混乱を与える。


「なんだか…わからない」

「お前の話は、あとでゆっくりと聞かせてくれ。それより今は、この偉大なる秘宝を持ち帰ることが重要なんだぞ」

「これは…何? 生命の石って…何なの?」

「俺やお前が『生命の石』と呼ぶものは【総称】にすぎないんだ。弱い効果のものならば、セイリュウが造るものだってそれに該当する。でも、本当の生命の石の名は―――【賢者の石】っていうんだ」

「賢者…? 賢しい者?」

「一般には知られていないけど、【賢人《けんじん》】という存在がかつていた。いや、今もいるんだけど、それは言葉で言い表せないものなんだ。この言葉も正しく意味を理解しないと、まったく意味がないものなんだぞ」

「何を…言っているの?」

「いいんだ、理解できなくても。ただ、この石を造ったのは普通の人間じゃない。この世でもっとも優れた叡智を持った存在なんだ」




―――賢人《けんじん》



 一般では賢しい人のことを指すが、この世界においては【禁句《タブー》】の一つとされる言葉だ。

 これを人前で言ってはいけない。

 知らずに言うのならば問題はないが、知っている人間が意図して発してはいけない言葉である。

 なぜならば、実質的に世界を支配しているのは【賢人】だからだ。

 昔も今も、世界を安定に導いているのは彼らなのだ。



「グラス・ギースが災厄を生き残れたのは、この遺跡…『賢人の遺産』があったからなんだぞ。いや、かつて賢人の遺産を手に入れた人間が、この遺跡を築いたんだ。俺たちはそれを見つけて管理しているにすぎない。いわば代理人といったところか。言っちまえば、イクターとなんら変わらないな」



 五英雄の秘宝の大半は、もともとこの遺跡にあったものであり、それらは賢人の遺産を使って、またはその技術を流用して生み出された模倣品である。

 その意味において五英雄とは『遺跡発掘者』であり、イクターであるといっても過言ではないだろう。

 彼らはその力を利用して都市を建造し、国を作ろうとしたのだ。

 その夢は途中までは順調だった。

 しかし、人の愚かさが夢を砕いた。


「それを使って…何をするの?」

「言っただろう。マングラスは都市を守るためにいる。これらの力は【災厄】からみんなを守るために使われるんだぞ」

「災厄…? また起こるの?」

「そうだぞ。災厄とは『人によって起こされるもの』だからな」

「っ! 自然災害…じゃないの?」

「そういうふうに誤解されちゃうけど、違うんだぞ。【災厄の魔人】が、人に罰を与えるんだ」

「災厄の…魔人」


 その言葉に聞き覚えはまったくないが、なぜかふとアンシュラオンの顔が浮かんだ。

 ただ、あの美しい顔が【漆黒】に包まれており、よく見えない。


(なんでこんなイメージが浮かぶの? ホワイトさんが…白じゃなくなったら…どうなるの? それって…怖いことなの?)


 白き力が反転したら、黒になるのだろうか。

 白が人を勇気付け、力を与えるものだとすれば、黒はどんな力なのだろうか。

 黒、くろ、クロ。

 漆黒の狼のように破壊を象徴する力に、アンシュラオンが包まれたら。

 【サナ程度】でさえ、あれだけの力になったのだ。

 本物の魔人である彼が黒の力を使ったら―――



「さ、災厄会うあ会う会う会う会う会う会ううあううあうあうあううあ!!!!!! 再亜あああああああああああくうううううって!!!」



 その言葉を聞いたミイラ男が、網の中でじたばたと暴れる。

 自己修復で身体はつながったようだが、ミミズのようにのたうち回る。


「ちっ、ジジイの発作か!! ジジイ、気をしっかり持て!!」

「サイアアアアアクウウウウウノオオオオオ!!!! マジン!!!!」

「コウリュウ、ジジイを―――」



 その時であった。


 カプセルに伸びる『手』があった。


 その手は人のものではなく、黒い光沢を帯びたもの。



「生命の石…!! 俺のものだ!!」



 手を伸ばしたのは―――グリモフスキー


 ミイラ男が暴れた一瞬の隙をついて飛び出したのだ。


「貴様!! 触れるな!!」


 だが、グリモフスキーの手が完全に触れる前に、コウリュウが動いた。

 彼はまったく油断をしていなかったので、即座に対応ができたのだ。

 素早く背後に詰めると―――


 ズブブウウウウッ


「がはっ…!!」


 背後から手刀で、いともたやすくグリモフスキーの心臓を貫いた。

 レイオンに攻撃していた時とは、スピードもパワーも違う。

 あの時はミャンメイのこともあったので、かなり手加減をしていたことがうかがえる。

 だが、グリモフスキーに加減をする理由はない。即座に致命的な一撃を与える。


「貴様など、『マングラスの聖域』に入る資格はないのだ!」


 そう、このような重要なものがある場所である。

 あの牛神にしても、宝物庫と呼ばれるこの場所にしても、この賢者の石にしても、マングラスの直系に関わる者しか入ることが許されない領域だ。

 ならば、聖域。

 ここはジングラスの『戦獣乙女の聖森』と同じ、マングラスだけの『聖域』である。

 その意味においてミャンメイはもちろん、グリモフスキーは異物でしかない。



「グリモフスキーさん!! ああ、なんで…こんな…」

「ぐううっ…ごほっ! 生命の石は…おれの……ものだ!!」


 心臓を貫かれても、グリモフスキーの目はカプセルの少女を見つめていた。

 彼の生命の石に対する執着は相当なものであった。

 まだ手を伸ばし続ける。


「戯言を!! その首を切り落としてくれる!!」

「待て、コウリュウ」

「若!! さすがにこれ以上は認めるわけにはまいりませんぞ!」

「そうだな。お前の言う通りだ。だが、賢者の石というのは、そういうものなんだぞ。人を魅了してやまないんだ。だからあいつも…間違えた」

「あの男は、もうおりません! 若が心を痛める必要はないのです!」

「そうだと…いいけどな。しかし、俺たちがどんなに戒めても螺旋の流れは止まらない」


 少年は大人びた表情を浮かべながら、グリモフスキーに近寄る。


「生命の……石は…ごぼおっ……俺の…すべて……だ!!! ぐううっ」

「そこまで求めるのか。それで、お前は何を望むんだ? これを使って何をしたいんだ?」

「俺が…俺であるために……必要な…だけだ! てめぇには…ごぼっっ…関係……ねぇ」

「お前、哀れだな」

「んだ…と!?」

「お前もあいつも虚無に支配されているだけだなんだぞ。結局、これには何の意味もないんだ。その中に『愛』がなければ、力は力でしかないんだ」

「うるせぇ…!!! 俺は…俺は……力を…得るんだよ!!」

「なぜ求めるんだ? お前の中にはもう生命の石があるだろう」

「…あ?」

「気付いてないんだな。その手、ジジイが組み込んだものだろう? その結合に何を使ったと思う? 生身の身体に機械の手が簡単にくっ付くわけがない。だが、機械は変わらないんだぞ。機械は機械だ。なら、お前自身を『組み換える』しかないだろう」


 グリモフスキーは、ミイラ男に何かを注入された。

 それは人形の腕と彼を結合させるために必要な『水』であった。

 水は融和の象徴。異なるものを組み合わせる力。



 しかしながら、その力は―――



「良かったな、グリモフスキー。お前も『適合者』だぞ」




502話 「グマシカ・マングラス 前編」


「適合…者? 俺が…か」

「そうだぞ。そうやって何事もなく生きていることが証拠だ。お前程度のやつが心臓を貫かれたんだ。普通は即座に倒れ込むだろう? その身体に生命の石…いや、生命の水の力が宿っているからだぞ」

「何…言ってやがる。俺は…反応しなかった……ぜ!」

「反応? 何のことだ?」

「へっ、てめぇに教えることんざ…何もねぇ…!」

「そこまで意地を張れるか。なら、触れてみるか?」

「…あ?」

「欲しいのなら、手に入れてみろってことだ。それができれば、だけどな」

「わ、若! 何をおっしゃいますか! これは若が…」

「こいつが扱えるのならば、それはそれでいい。そうじゃないのか?」

「し、しかし、このような者に…」

「俺が許す。触れてみろ」

「てめぇに…言われなくても……よおおお!!」



(俺は手に入れる!! 何者にも屈しない力を手に入れる!! 親父の夢を…手に入れる!!)



 世の理不尽に抵抗するには、力が必要だ。

 自分が自分であり続けるためには、力が必要だ。

 力、力、力が、ガガガガガガガッ!!



 力が―――必要だ!!!



 ウィイインッ


 グリモフスキーの意思に反応するようにカプセルが開くと、少女の全身が露わになる。


 少女は、裸だった。


 そして、美しかった。

 まだ生きているかのように瑞々しい白い肌、清らかなブルーの髪の毛、顔の造詣も見事だ。

 ぱっと見ただけで美少女だとわかることもすごい。

 人それぞれに好みがあるので、意外と美少女の範囲は広いのだが、誰が見ても美少女という女性は少ないものである。

 何よりも全身に宿る【生命力】が、彼女の美を格別のものにしていた。


 グリモフスキーの手が、彼女の肩に触れる。


 どこを触れとは言われていないので、このあたりはなかなか試されている感があったりもする。

 胸の隆起が目立つので、男ならばそこにガツンといきたいところだが、さすがに眠っている女性に対してはハードルが高い。

 かといって顔に触れるのも躊躇ってしまう。

 よって、一番無難な肩を選ぶあたり、グリモフスキーの人柄がよく出ているといえるだろう。



 グリモフスキーが彼女の肩に触れた瞬間―――


 ルルルンッ


 歌うような音がした。

 少女はまだ眠っているので、彼女の声ではない。

 だが、誰も口を開いていない。


 これは―――振動


 彼女の力が、石の力が展開された結果、周囲に力の波動が迸ったのだ。


(なに…これ? 綺麗な音)


 ミャンメイには、とても繊細で美しい音に聴こえた。

 表向きは綺麗なのに、魂の奥深くに染み入り、すべてを包んでしまうような奥深さと力強さすら秘めている。

 まさに至高の音。

 たったこれだけあれば、他の音はいらないと思えるくらいの音が発生したのだ。



 それを受けたグリモフスキーは―――



「――――――」



 止まっている。

 ただ突っ立ったまま動かない。

 彼もこの音に聴き惚れているのかと思ったが、完全に静止しているのだ。

 何秒、何十秒経っても、グリモフスキーは動かないままであった。



「グリモフスキー……さん?」


 ミャンメイが呼びかけても、彼は動かない。


「やはり駄目だったか」

「何が起こったの? グリモフスキーさんはどうなったの!?」

「賢者の石が、なぜ秘宝扱いなのか。世間一般でも絶対に表に出ない情報なのかは、とても簡単なんだぞ。それが―――【危険】だからだ」

「危険? こんなに綺麗なのに?」

「綺麗だな。本当に綺麗だ。奏でる旋律も美しいけど、真に美しいのは愛のために犠牲になる心なんだぞ。だからこそ触れる者、力を使う者には資格が必要になるんだ。賢者の石は『適合者』を自分で選ぶからな」


 神機が自分の乗り手を自ら選ぶように、賢者の石という存在も自らの適合者を自らの意思で選ぶ。

 親和力の法則に従って、自らにもっとも近しい性質を持つ者を選ぶのだ。

 その資格がなければ、力は制御できない。


「この男は、たしかに生命の石に対する抵抗力があったけど、その心が伴わなかった。自己犠牲の心がない人間に、これを扱うことはできなかったんだ」

「それを知っていて、触れさせたの?」

「こいつを救うのに、それ以外の方法があるのか?」

「救う? グリモフスキーさんを?」

「俺にはわかるんだぞ。こいつは都市のためにがんばってきた男だ。どんな理由があるにせよ、身を粉にして尽くしてきた男だ。だからチャンスは与えるべきだし、その心を救うべきなんだ。結果は厳しいものになったけどな」

「ぶ、無事なの? 動かないけれど…」

「賢者の石には、それぞれ性質があるんだぞ。この賢者の石の名前は『スパイラル・エメラルド〈生命の螺旋〉』だ」


 少女全体が、青みがかった光で覆われている。

 それは緑と青が入り混じった海に似た複雑な色合いだった。

 たしかにエメラルドといわれれば、色合いだけならば似ているかもしれない。


「この力があれば、老いることもなければ死滅することもない。あらゆるエネルギーを循環させ続けることで、半永久的に都市を守ることができるんだぞ」

「エネルギー源ということ?」

「単純な燃料じゃない。災厄という最強の破壊に抵抗するための守護盾なんだ」

「悪いものじゃないって言いたいの?」

「そうだな。だから他者に危害を加えるものじゃない」


 少年がグリモフスキーを見る。

 ぼたぼた ぼたた

 グリモフスキーの口から唾液がこぼれている。


 口を閉じることも忘れて―――【恍惚の中】にいるのだ。


 今、彼の中では生命という力が渦巻いており、螺旋を描いて駆け巡っている。

 初めて感じる本物の生命の躍動に霊が惹かれ、肉体から半ば飛び出した状態になっているのだ。

 いわゆる幽体離脱であり、人間の睡眠時に似た現象が起きているといえる。


「こいつは今、とてつもない快楽の中にいるだろう。けど、肉体レベルで言えば、とても危険な状態だ。まだ潜在意識がかろうじて肉体機能を維持しているけど、この状態が長く続けば、最終的には痩せ細って死ぬんだぞ」

「っ!! そ、そんな! グリモフスキーさんが死んじゃう!?」

「心配するな。すぐに離す。俺にはそれができるからな」


 少年がグリモフスキーに触れると―――

 じゅわわわ

 彼の身体を水のようなものが包む。

 そして、ゆっくり、ゆっくりと少女から離していく。


 するん ごとん


 力が抜けたグリモフスキーは、床に倒れて意識を失う。


「グリモフスキーさん! だ、大丈夫なの!?」

「そのうちまた目覚めるはずだ。力の影響下からは抜け出たからな」

「ああ…よかった! びっくりしたじゃないの! …でも、ありがとう。助けてくれて」


 見ると、グリモフスキーの心臓の傷も塞がっている。

 溢れ出る生命力が彼の自然治癒力を加速させたのだ。

 これは石の力ではあるが、少年が連れ戻さねば代わりに心が潰れていただろう。


「やっぱりミャンメイは優しいな。そいつも善人じゃないだろう? お前に危害を加える可能性だってあったんだぞ」

「でも、憎めないわ。みんな誰しも心に傷を負っているのだもの。誰も責められないわ。過ちを犯すことだってあるから人間なのよ。なら、許してあげればいいじゃない。お互いに許しあえば戦いは起こらないのよ」

「…そうか。同じことを言うんだな」

「同じこと?」

「初代マングラスも、そう言った。その意思を受け継ぐために、俺はここにやってきたんだ。ジジイも同じ気持ちだろう」

「アァァ…災厄…さいやくうう……マジン……」

「人はいつだって罪を犯す。それを罰するのが『賢人』ならば、それに抵抗するのも『賢人』なんだぞ。なんてことはないよな。ただの身内同士の争いさ。いつだって、どの時代だって、誰になったって、それは変わらない」


 今度は少年が、少女に手を伸ばす。

 彼が触れたのは、頬。

 優しく愛おしく撫でるように、少女の頬に触れた。

 触れる場所はどこでもいいのだが、触れた場所、触れ方によって対象への感情が示される。

 少年の触れ方は、より親しい者に対するものであった。


 ルルルンッ


 再び歌うような振動が周囲を覆う。

 美しい。なんと美しい音だろうか。

 そこには理念がある。意思がある。夢がある。

 その夢を受け継ごうと、少年の身体の表面に水が滲んでいく。

 水が振動を受け止め、連動し、伝播し、駆け巡り、螺旋となって回っていく。


 まわる、回る、周る、廻る。


 力が少年の中に入っていく。

 神秘的で超常的で、どことなく儚い光景だ。



(ホワイトさんに似ている。でも、何か違う。もっと…無理をしているような。どうしてそう感じるのかしら?)


 少年を見るたびにアンシュラオンを思い出す。

 見た目が比較的近い少年ということもあるが、身体の中に宿る魂の波動が近しいのかもしれない。

 だが、両者には決定的な違いが存在する。



「…ぐっ…うう」


 少年がふらつく。


「若!! ご無理をなさらずに!」

「大丈夫なんだぞ。セイリュウの…清龍の力が俺を守る。お前の熱き炎もこの中にある。それが守ってくれる」

「若…はい。信じております」

「ああ、任せろ」


 少年は、この時のために準備を重ねてきた。

 彼の中には、彼を支えるすべての者たちの力が宿っている。

 マングラスの水が融和させてきた『想い』が宿っている。


 ルルルンッ ララララ


 旋律に変化が起きた。

 グリモフスキーでは触れただけで乖離が起きたものが、少年は耐えた。


 むくり ぎぎ ぎぎぎぎ


 彼の想いに応えるように少女の腕が動き、少年を抱きしめる。

 その行為は慈悲深き女神のように優しく、神話のワンシーンを見ているかのように神々しかった。

 だが、力を受ける少年は次元の異なる奔流の中に取り込まれる。


 揺れる、廻る、螺旋が巡っていく。


 虫一匹にさえ、葉っぱ一枚にさえ、土の一粒にさえ生命力は宿っているのだ。

 いわば、無限のエネルギーである神の粒子の集合体だ。

 この世界は、神の意思、神の愛によって生み出され、構成されている。

 その力、その記憶が、少年を貫く。


「ううううっ…!! うおおおおおお!!!」


 生命に終わりはなく、始まりもない。

 この物的宇宙が生まれる前から霊的宇宙は存在し、生命は実在した。

 無限、無窮、無辺、無天、無地、上下左右天地あらゆる制限がなくなり、力が渦巻く世界が生まれていく。


(自分が融け込んでいく…! 水の中に…融けて……)


 水はあらゆるものを融かす。

 いがみ合い、憎しみ、怒り、グラス・ギースの負をすべて呑み込み、浄化していく。

 生命の世界では主観が客観になる。

 自分という存在と他という存在の区別がなくなり、全体の一つのものとして意識されていく。


 霊という存在の本質が、そこにある。


 自分が自分として存在しつつも、他者と同化して生きる。

 霊界の上層部においてはごくごく自然に起こる現象であり、これが「人類は一つ」という言葉の理由にもなっている。

 本来、霊という存在には分け目がないのだ。

 しかしながら、自我を保つには「個」が必要だ。

 その力は、個を保つにはあまりに強すぎた。


(駄目だ! このままでは取り込まれる…! 賢者の石とは、これほどまでのものなのか!! これが賢人の遺産か!!)


 賢人の遺産。


 世界各地には、賢人が残したとされる数々の遺産が存在する。

 大きなものでいえば、ダマスカス共和国にあるアナイスメル〈蓄積する者〉、ルシア帝国にあるバン・ブック〈写されざる者〉等々、巨大な力は【大国】さえも容易に生み出す。

 そうなのだ。

 今世界を席巻している大国のすべてが、賢人の遺産があった国なのである。


 賢人の遺産を手にした者は【強者】になる。


 それゆえに裏側を知る人間は遺産を求めてきた。何百万といった人々が欲してきた。

 だが、その多くは力に耐えきれずに消えていった。酷い場合は、何億という人々を巻き添えにして呑まれていった。


 力を扱うには『資格』が必要だ。


 少年も力を得るために努力してきた。あらゆることを試してきた。

 この身体を生み出すためだけでも、どれだけの犠牲を払ってきたのだろうか。

 多くの者たちの命を背負ってきた。自分に託して死んでいった者たちの願いは、いまだに生きているのだ。


(俺は…成すんだよ!! 絶対に成すんだ! もう二度と災厄を起こさせないために! 災厄が起きても守りきるために!! そのためならば…!!)


 ララララララ

 音は星流の輝きとなり、宇宙を生み出す。

 母性の象徴、心根の象徴、悦の象徴が現れる。




―――〈あい…を……〉



「っ…」



 音が旋律になり、波となり、声にまで昇華される。

 それは少女が背負った意思であり、力そのもの。

 力が、少年に語りかける。



―――〈わが子らに、生命の輝きを〉



「あなたの意思は、俺が受け継ぐ! あなたが守ったこの都市を、今度は俺が守る!!」



―――〈生命の本質は『想い』。あなたの想いをここに〉



「俺は何でもやってきた!! みんなの想いを受け取るために! セイリュウもコウリュウも、ジジイだって…! 身体を改造してまで生き延びた!! 赤と白の賢人の力すら使った!! だから俺にくれよ! 力を! あなたの力を!!」



―――〈愛して〉



「っ…あ……い?」



―――〈愛して〉



「愛…? 愛!! 愛してる! 俺は自分の大切なもの全部を愛しているよ! そうだろう! それが自己犠牲の愛だろう!? あなたが示した愛だ!!」



―――〈私を愛して〉



「…え?」



―――〈愛して、私を〉



「あなたを…愛する?」




 その言葉は予想外だったのか、少年は戸惑う。


 しかし、戸惑っている間も声は響き続ける。




―――〈愛して、愛して、愛して〉


―――〈愛して、愛して、愛して〉
―――〈愛して、愛して、愛して〉


―――〈愛して、愛して、愛して〉
―――〈愛して、愛して、愛して〉
―――〈愛して、愛して、愛して〉


―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉




「ううううっ…!! なんだ、この意思は…!! なんなんだぁあああああ!」



 少女の思念の濁流に呑まれて、少年の意識が朦朧とする。




503話 「グマシカ・マングラス 後編」


「うおおおおおおお!!!」


 少女から放たれた思念に呑み込まれ、少年の意識は霞む。

 まるで海に引きずり込まれたように周囲が一気に暗転し、視界がぐるぐると変化していく。

 その中で意識を保つことは非常に難しい。


(なんだ、この思念は!! この思念はいったい…誰のものだ!! スパイラル・エメラルドは【与えるもの】ではないのか!?)


 生命の本質は、愛だ。

 愛なくしてすべては成り立たない。

 赤子を見て守りたいと思う欲求、老人を見て助けたいと思う欲求、自然や動物、虫に至るまで、あらゆる生物や物に対する敬意。

 それらは愛から生まれ、愛によって育まれるものだ。


 そして、愛とは与えることによってのみ形成され、相互の存在が許されるものだ。


 生命の螺旋。

 無限に連なる輝きは、与え続けることによって維持されていく。

 だからこそ、与える愛を持ったマングラスの直系である少年こそが、この石に相応しい。

 ずっとそう思ってきた。確信していた。疑ったことなどなかった。


 だが、少女が放つ思念は―――【真逆】


 愛して欲しい、という欲求は欲望に通ずるものであり、自己満足のエゴでしかない。

 予想外の思念に対し、まったく準備をしていなかった少年は、瞬く間に呑み込まれていく。



(なぜだ…! なぜだ…! なぜあなたは…!! 何が起こっているんだ…)



 水の中に融け込んでいく。融和していく。

 自分という存在が、少女と一体化していく。

 否。

 【吸収】されていく。

 賢者の石とは危険なもの。諸刃の剣。扱いきれないのならば、逆に力を奪われてしまう。

 この石も、ずっとそうやって存在してきた。

 星創神から分かたれた叡智の体現者、【黒き賢人】によって生み出された賢者の石のひと欠けらは、ひっそりと大地に降り立ち、眠りについた。

 賢者の石はそれぞれに特徴もあるが、その大半は周囲の思念によってかたちづくられる。

 戦争や紛争のような憎悪の思念を受け続ければ、その石は黒く変色し、破壊的な力を持つものに変化するだろう。

 光ある場所で厳かに祈りを受け続ければ、清らかで柔らかい力を放ち続けるだろう。


 では、この石はどのような状況で生まれたのか。


 誰もいない場所でひっそりと降り立った石は、ただただ静かに存在していた。

 強大な魔獣もあまりいなかった時代だし、もともと魔獣は人間ほど強い思念力を持っていないので、賢者の石に影響を与えることは少ない。

 火怨山のような撃滅級魔獣が跋扈する場所でもなければ、人間ほどの影響力は与えない。

 だから、静かに石は佇んでいた。

 誰にも触れられず、誰にも知られず、静かに求められるままに【水】を生み出し続けてきた。

 清らかなる水。永遠に穢れない水は、大地や動物、魔獣たちにとっては貴重なものとなり、彼らの聖域にすらなった。

 それでも石は、特別な思念を受けることはなかった。




―――〈ああ、さびしい〉



 石は、そう思った。



 その後、人が現れた。

 彼らは巨大な『機械生命体』を操る優れた文明を持ち、世界を支配している者たちだった。

 彼らに見つけられた石は、【箱舟】の動力源として使われた。

 その間も石は特別な思念を受け取ることはなかった。

 多種多様な原種とともに、静かに眠っていただけだった。




―――〈ああ、さびしい〉



 石は、そう思った。



 そして、文明が滅びた。

 増長した文明は霊的法則を破り、【蛇】によって存在を抹消された。


 それから何千年か経ち、次に石を見つけた者は触れることを怖れた。

 あまりに強すぎる力に恐怖し、地下深くに封じることで安堵した。

 その後も短い期間でいくつかの文明が壊れ、生まれてはまた彼女を見つけて利用しようとするが、どれも失敗に終わっていく。




―――〈ああ、さびしい〉



 石は、そう思った。



 最後に現れた人間は、それまでとは違う者たちだった。

 今までの者たちと比べれば力は弱かったが、その分だけ協調性に優れ、力を合わせて都市を作っていった。

 石を見つけた際も、怖れることなく敬った。

 石は厳かな雰囲気に晒され、清浄になり、彼らの要望に従って融和の水として繁栄の力となった。


 だが、【災厄】が起きた。


 都市に訪れた危機に対して、人々は立ち向かった。

 結果は、敗れ去った。災厄の力はあまりに強かったのだ。

 最後の希望として、石と同じ波動を持った【水の少女】が、石と同化することで力を放ち、災厄を退けた。

 しかし、その代償として石は眠りにつくことになった。




―――〈ああ、さびしい〉



 石は、そう思った。



 石はあらゆる時代、あらゆる時でも、与え続けてきた。

 石の本質は愛。

 偉大なる母神から与えられた生命力の本質は、愛なのだ。

 だから与えることが使命。喜びのはずだった。


 それなのに―――さびしい


 一度も愛を受けたことがない石は、水の少女と融合することによって、その想いが日々大きくなっていった。


 さびしい。さびしい。さびしい。


 さびしい。さびしい。さびしい。
 さびしい。さびしい。さびしい。


 さびしい。さびしい。さびしい。
 さびしい。さびしい。さびしい。
 さびしい。さびしい。さびしい。
 さびしい。さびしい。さびしい。




「うううっ―――うわあああああ!」




 少年が、渦の中から弾き出された。

 頭を押さえてよろめき、後ずさる。


「若!! ご無事で!」

「なぜだ…! どうして拒絶される!! 同じ意思を持っているはずなのに! 俺はあなたと同じ志を持っているはずなのに!!」

「なぜ若を拒絶されるのですか! マングラス様!! 若があなたを解放するために、どれだけ苦労なされたか…!」

「マングラス? この人もマングラス…?」

「ううううっ!! まだだ、まだ!!」


 少年は、再び手を伸ばす。

 かつて石と同化した女性の志を継ぐために。

 その愛を引き継ぐために。



 しかし、半覚醒した石は―――見つけてしまった。



―――〈見つけた〉


―――〈見つけた〉


―――〈見つけた〉



「何をおっしゃられる!! 何を見つけたと…!!」



―――〈おいで〉


―――〈きて〉


―――〈愛して〉




「ここにいる!! 俺はここにいる!! マングラス…! 初代様!! 俺はここに―――」




―――〈来て〉




 ガコンガコンッ ゴゴゴゴゴゴッ


 部屋全体の壁が螺旋状に動き出す。

 力が力として、心が心として、愛が愛として動き出す。


 少女が光り輝く。


 青と緑が入り混じった複雑な色合いを放ちながら、【彼】を呼ぶ。

 光が部屋全体を包み込み、壁が融けて水になっていく。



 そして、光の反射が収まった頃―――




 目の前には



 目の前には



 目の前にはぁあああああ!!!









「アンシュラ―――――――――――――――――――――――オンアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」









 少年が叫ぶ。


 少し離れた場所にいた、もう一人の少年に対して叫ぶ。


 名を呼ばれた少年は最初、非常に驚いた顔をしていた。


 赤い瞳が、深紅の瞳が、血の瞳が、叫んだ少年を凝視している。


 三秒後、驚きに支配された表情、その口元が「にへら」と動く。


 人によっては、引きつった笑顔と呼ぶかもしれない微妙な表情だ。


 次に眉間にシワが寄り、「にらめっこ」をする時のように変な顔になる。


 さらに一秒後、表情はより具体的に変化。


 口は完全に笑う形となり、頬が上がり、目には鋭い光が宿る。



 そして、白髪の少年も叫ぶ。







「グマ―――――――――――――――――――――――シカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」







 ビリビリビリビリッ!!


 相変わらずの大声が響き渡る。


 少年が叫び、少年が応えた形となった。


 互いが名を呼び、互いを【認識】したのだ。




(え? グマシカ?)


 まったく状況が理解できない混沌とした場において、ミャンメイはグマシカという言葉だけに反応した。

 彼女の視線はミイラ男に移る。

 ミャンメイも、グマシカが「ジジイ」ということは知っている。

 だから少年がジジイと呼ぶミイラ男が、薄々グマシカ・マングラスだと思っていた。

 しかしながら白い髪の少年、アンシュラオンは、黒髪の少年を「グマシカ」と呼んだ。


 この瞬間、ミャンメイは思考を放棄した。


 自分の意思をもって生きろ、自分で考えて生きろと言われて、それに全面的に賛同はするが、物事には限度というものがある。

 これは常人の理解の範疇を超えている。

 ならば今は、おとなしく黙っていればいい。


 なぜならば、【彼】が来たから。


 目の前に白い力を宿した王がいるのだ。

 すべては彼に任せればいい。




 ミャンメイが思考を停止した瞬間には、すでに【事】が起きていた。


 アンシュラオンと一緒に転移してきたサナが、刀を持って駆け出していた。

 すでにジュエルはある程度回復しているので、雷光の速度で向かっていく。

 彼女の目は、思考を放棄したミャンメイに向けられている。彼女を助けようとしたのだろう。

 それにすかさず反応したのはコウリュウ。


「ここは野良猫が来る場所では―――ない!!!!」

「…しゅっ!!」


 立ち塞がったコウリュウに、サナが全力の剛斬を放つ。

 ガギィイイインッ

 コウリュウは強烈な一撃を素手で受け止め、刃を掌で完全に押さえ込んだ。

 凄まじい肉体強度だ。戦気の質も非常に高い。


 バリバリバリバリッ


 ただ、サナの刀には雷が宿っており、雷撃の追加効果が発動。


「攻撃が雑だな! 効かぬぞ!」


 ぶしゅううっ!

 コウリュウは、その雷撃も力づくで押さえ込む。

 やり方は簡単。雷撃以上の力を放出すればいいだけだ。それだけで無効化が可能となる。

 コウリュウからしてみれば、サナの斬撃はあまりに粗い稚拙な一撃である。

 それなりの相手には有効な一撃でさえ、コウリュウほどの武人には通じない。

 追撃の雷撃も発動までに0.01秒程度の時間がかかったため、それだけの時間があれば見切るのはたやすい。完全にダメージを遮断する。


 コウリュウの反撃。


 受け止めた刀を振り払って、サナに蹴りを叩き込む。


 ドゴオオンッ


 鋭く重い蹴りが命中。吹き飛ばされる。

 もし彼女が刀を離して自ら跳んでいなければ、レイオンのように肩ごと抉られてしまったに違いない。

 サナとコウリュウとではレベルが違いすぎる。こうなるのも必然だ。


 しかし、そのレベルをさらに超える者がいる。



「っ―――!!」


 コウリュウが背後に気配を感じた瞬間には、アンシュラオンが手刀を放っていた。


 ズブウウウウッ ぶしゃーーっ


 覇王技、羅刹。

 高速の貫手が、コウリュウの心臓を貫く。

 グリモフスキーの心臓を貫いたコウリュウが、また違う誰かに貫かれる。

 まさに皮肉であり、因果律とはかくあるべき、と思わせる一幕であった。


「ぐうううううっ!! 心臓程度で!!」


 ただ、やはりコウリュウは普通の人間ではない。

 自らの力で手刀を抜くと、即座に反撃の拳。

 心臓を潰された直後とは思えない強烈な拳を放つ。


 ドンンッ! メキメキィイイッ


 アンシュラオンは腕でガードして受け止める。

 吹き飛ばされることはなかったが、衝撃の余韻が腕に残った。


「ほぉ、強いな。だが、お前の相手をしている暇はない」


 アンシュラオンが掌をコウリュウに押し当て、発気。

 ドドドドドドンッ

 戦弾の集中砲火によって爆心地が生まれる。


 ボーーーーンッ


 激しい爆風によってコウリュウが吹き飛ばされた。

 ただし、ダメージはほとんどない。


(私を倒すための一撃ではない! 引き離すのが狙いか!!)


 アンシュラオンの攻撃は、致命傷を与えるのが目的ではなかった。

 戦気術で技の性質を細かく変化させて、爆発力だけに重きを置いたのだ。

 それによって一気に両者の距離は離れた。


 今、彼の目に映っているのはコウリュウではない。


 【目的】を達するために、アンシュラオンは威力のある攻撃ではなく、互いの距離を開けさせ、なおかつ『移動するための手段』として攻撃を利用したのだ。


(私の背後を取って心臓を貫いたことなど、これに比べれば児戯に等しい! やつは危険だ!)


 コウリュウもアンシュラオンの戦闘経験値の高さに舌を巻く。

 そして、その目的にも気付いていた。


「行かせぬ! 若のところには―――」


 戦気の放出でブレーキをかけて着地。

 再び接近しようとするが―――


「…しゅっ!」

「っ!!」


 コウリュウは完全に油断していた。

 目の前にアンシュラオンという猛獣がいるのだ。いちいち『子猫』のことまで気にしてはいられない。

 だが、子猫は子猫でも、彼女は猛獣の子であった。


 ズバッ!! バチーーーンッ!


 サナの手に雷爪が宿り、コウリュウの背を切り裂く。

 漏電など気にしている余裕はない。だだ漏れ覚悟の全力の一撃だ。

 その甲斐もあって、強靭な肉体を持つコウリュウに傷を付けることに成功する。

 ぶしゃっ

 武術服が破れ、背中から紫の血が流れる。


「子猫に引っかかれるとは! なんたる迂闊!!」

「…しゅっ」

「邪魔をするな!!」


 コウリュウはサナを追い払おうとする。

 その姿は、動物園で人間が獣にたかられて、必死に追い払う光景に似ている。

 彼にとってサナはその程度の存在なのだ。

 だが、サナも決死だ。

 消耗など気にしないでジュエルを全解放して、コウリュウにまとわりつく。

 まともに戦ったら勝ち目などないのがすぐにわかったのか、ギリギリの間合いでちょっかいを出すような戦いに終始。

 コウリュウもサナにかまっている暇はなく、焦りだけが募っているので、意外とサナは善戦して時間を稼ぐことに成功していた。

 それがたった数秒間であれ、今という瞬間には貴重な時間となる。



 その間に自らの技で移動に成功したアンシュラオンは、少年との対峙を果たす。



 ついに二人が―――出会う!!



「アンシュラオン! あんしゅら…あんしゅら…おおおおおおんん! あんシュラオオオオオオオオオオンッ!!」


 黒い髪の少年は、白い髪の少年を睨みつける。

 憎悪を剥き出しにして、素の感情をダイレクトにぶつける。

 普段ならば不快に感じる負の感情だが、今のアンシュラオンにとっては快感でしかない。


「ああ、いいな。もっとお前の声を聴かせてくれよ。男に呼ばれて感動するなんて貴重な体験だからな」

「お前が…お前がどうして!! なんでお前が選ばれる!! 俺がどれだけ準備を重ねてやってきたのか!! お前にわかるか!!」

「言っている意味がわからないが、それはともかくとして―――」



 アンシュラオンは少年を見て笑い、改めて名を呼ぶ。





「初めまして、グマシカ・マングラス。会いたかったよ」





 黒髪の少年の名は、グマシカ・マングラス。


 グラス・ギースの四大市民の一人にして、最大勢力のマングラスを支配する者。


 彼が、彼が、彼こそが!!


 グマシカ・マングラス!!!




504話 「真なる闘争への道 前編」


 グマシカ・マングラス。


 目の前の少年こそが、この戦いにおける最後のピース。


 火のツーバ・ラングラス。

 風のプライリーラ・ジングラス。

 雷のゼイシル・ハングラス。

 そして、水のグマシカ・マングラス。


 これによって四大市民が出揃うことになったのだ。


 非常に奇妙な縁によって導かれた二人は、マングラスの聖域で落ち合う。

 二人は初対面だ。

 ならばなぜ、アンシュラオンがグマシカのことがわかったのかといえば、もちろん『情報公開』を使ったからである。

 そうでなければ、こんな子供がグマシカだとは思わないだろう。

 だからこその、あの微妙な反応だったのだ。

 驚き、疑念、確認という三つの段階を経て、ようやく確信に至ったわけだ。

 アンシュラオン側の事情はあとで語るとして、彼にとっても意外な出来事の連続であったのは間違いない。

 しかも、捜していたミャンメイまでいるではないか。ますます混沌としている。


(訳もわからずに飛ばされたと思ったら、まさかグマシカがいるとはな。それが子供とは、さらに意外だったよ。ってことは、プライリーラから聞いた爺さんは『影武者』か。よくある話ではあるがな)


 これだけ重要な人物だ。影武者を用意しないほうがおかしい。

 有名な戦国武将にも影武者説は多くあるので、暗殺の危険性があるグラス・マンサーならば当然だろう。

 また、表舞台に子供の姿で出れば、多くの混乱をもたらすことは容易に想像できる。

 彼にとって地上の人間は、何も知らずに新しい人生を歩み出した者たちなのだ。

 表には出ず、地下で本物の力を維持することが使命の一つなのだろう。



 どちらにせよ、ここで出会えたことは幸運だ。


「グマシカ、ここで死んでもらうぞ」

「アンシュラオン!! お前は俺が倒す!!」

「オレはいいが…なんでお前が敵意を向けるんだ? どうして名前を知っている?」


 アンシュラオンがグマシカを殺そうとすることには理由がある。

 それが金のため、という低俗な理由であっても、アンシュラオン側からは殺す動機があるのだ。

 しかしながら、なぜかグマシカからも敵意を向けられるのだから不思議だ。


「まあいい。どうせ結果は同じだ」


 どんっ

 アンシュラオンが戦弾を放つ。

 コウリュウに放ったものとは違い、相手を滅するための一撃だ。


 それをグマシカは―――


「うおおおお!!」


 ばんっ!!


 片手で弾き飛ばす。


 ひゅーーー ドボオオーンッ


 弾かれた戦弾は水に変化した壁に激突し、水を大量に巻き上げながら爆発。


「今の一撃を弾くか。さきほどの男といい、マングラスは粒がそろっているな。さすが最大勢力か」

「なめるなよ…! こんなもんで俺がやれるか!」

「それでやられるやつらが多いから、オレも悩んでいたんだよ」

「俺をそこらの人間と同じだと思うな!」


 グマシカがこちらに突っ込んでくる。

 まさか相手から来るとは思っていなかったので、アンシュラオンは意外そうな表情を浮かべている。

 そこに少年の拳が迫る。


 ブオンン


 小さな体格と拳にはまったく似合わない轟音が唸る。

 ただ、大振りの一撃をかわすのはたやすい。

 アンシュラオンは軽く攻撃を受け流すと、カウンターで顔面に拳を叩き込む。


 迷うことなく拳を―――振り払った。


 ドガンッ ぐらぐら


 巨石が落下したかのような鈍い地響きが起こる。

 突き抜けた衝撃が地面にまで伝わり、遺跡が揺れたのだ。

 この拳がどの程度の威力かといえば、マサゴロウでも即死の一撃だといえば、よりわかりやすいだろうか。

 HPの多い巨漢の彼とて、この一撃で死亡だ。

 アンシュラオンはグマシカを殺しに来ている。本気で殴るのは当然のことだ。


 本来ならば、顔面が跡形もなく吹き飛ぶはずだが―――



「ぐふっ…! うおおおおおお!」



 少年は一瞬意識が朦朧としたが、即座に復帰して攻撃を再開。

 思いきり足を振り上げる。

 アンシュラオンはガード―――するも、その力が強すぎて上空に押し上げられた。


「消えろ!!」


 そこに少年が技を発動。

 両手に水気の渦を発生させ、解き放つ。

 相反する流れを持つ二つの渦がアンシュラオンを呑み込み、バラバラに引き裂こうとする。


 覇王技、水覇《すいは》・螺旋逢衝《らせんほうしょう》。

 アル先生が使った赤覇・竜旋掌の上位版、赤覇・双竜旋掌の水覇版のような技である。

 二つの逆回転する水渦によって、相手を引き裂く因子レベル4の技だ。

 ここに人間が巻き込まれたら本当にバラバラになって魚の餌になるほどの威力が発生している。

 少年が発する水気も凄まじいため、技の威力も申し分ないものといえるだろう。


 だがしかし、相手が相手だ。


 ズバズバッ バシャーーンッ


 切り裂かれたのは渦のほうだった。

 巨大な空気の刃に切断され、あっさりと自壊する。

 そこには瑛双空斬衝《えいそうくうざんしょう》で技を破壊したアンシュラオンがいた。


「やれやれ、服が濡れちまったじゃないか」


 相変わらず、なんて涼しい顔をしているのだろうか。

 服は濡れたものの、まったくの無傷だ。

 アンシュラオンの反撃。

 空中で体勢を整えると、お返しとばかりに掌から水気を放出。

 巨大な濁流となった水がグマシカに襲いかかる。


(ちいいっ!! 技の発動が速い!)


 技を放ったばかりで硬直していた少年は、その濁流、水覇・硫槽波《りゅうそうは》の直撃を受ける。

 通常、技を放てば硬直が発生する。これはアンシュラオンも同じだ。

 しかしアンシュラオンの場合は技の練度が高いので、あとから使ったにもかかわらず、即座に二回目の攻撃を発動させている。

 つまり攻撃の速度でいえば、少年が一度攻撃する間に、相手は二回攻撃が可能だということだ。


 そして、威力も高いから困ったものだ。


 水圧で攻撃されるだけではなく、強酸となった水がグマシカの身体を溶かそうとする。

 デアンカ・ギースでさえ、あまりの痛みで地上に逃げ出すほどの酸である。

 直撃を受ければ、どんな身体であっても皮くらいは溶けるに違いない。


 が、グマシカも―――溶けない。


 身体の表面に水を放出して耐えている。


 じゅううっ ぶわわわ


 いや、正確には溶けているのだが、それと同じ速度で身体が【再生】しているのだ。


(あの水、普通の水気じゃないな。やつの『特殊能力』か)


 一瞬命気かと思ったが、似て非なるもののようだ。

 おそらくは彼が所有する能力によるものだろうと思われる。



「うおおお! アンシュラオーーーーんっ!!!」


 少年は水覇・硫槽波から強引に脱出。落下してきたアンシュラオンに向かってきた。

 今度もがむしゃらに攻撃を仕掛けてくる。

 アンシュラオンはグマシカの蹴りを空中で受け止めつつ、片手で戦気を放出して細かく体勢移動。

 相手の背後に回ると、後頭部を思いきりぶん殴る。


 ドバーンッ びよよん


 あまりの威力に、首がもげそうなほど伸びるグマシカ。


 がしかし。


 ぐぐぐぐっ


 強靭な肉体はその一撃にも耐えた。


 今度はグマシカの反撃。

 背後に向かってヘッドバッドをお見舞いする。

 アンシュラオンは突然の反撃にも対応。

 反射的にガードしつつ、相手の足を払った。

 ばしんっ


「うわわ! っ!!」


 体勢を崩したグマシカの喉元に、アンシュラオンの手刀が迫る。

 下手をすると首を切断する勢いで放ったものだ。

 だが、グマシカは首を回転させ直撃を防いだ。

 それだけではなくアンシュラオンの腕を掴むと―――力づくで引っ張る。


「おっ、おお」


 思ったより強かったので、アンシュラオンも前のめりになる。

 柔道でもそうだが「これは耐えられるな」と思っても、意外と相手が粘って最後まで技がかかってしまうことがあるだろう。

 これもそれと同じで、侮っていたアンシュラオンよりも、必死に掴んでいたグマシカのほうに分があった。


 そのまま―――床に投げつける。



 ドーーーーーーーーンッ



 ぐらぐらぐらっ


 投げつけられた衝撃で遺跡が揺れる。

 どれだけ強い力で投げつけたかが、よくわかるだろう。


「どうだ、こいつ!」

「てて…やってくれたな!!」

「効いてないのか!」

「男がオレに触るな!」


 少しはダメージを与えたかと思ったが、真下でギロリと赤い目が光った。

 アンシュラオンが倒れた体勢から、真上に蹴りを放つ。

 ドゴンッ

 蹴りをアゴに受けたグマシカの首が跳ね上がる。


「ごはっ…ぐううっ!! のやろーーー!」


 グマシカの反撃。

 倒れているアンシュラオンに向かって、拳を打ち下ろす。


「粗いんだよ!」


 その拳をかわして逆に掴むと、今度はアンシュラオンがグマシカを投げつける!!


 ドーーーーンッ


「いってーーーーーー!! くそおおお!! がぶっ!!」

「なっ! 噛み付くな! 汚いだろうが!」

「うるせーーー!!」

「男の唾液が付くと思うだけで吐き気がする!!! こいつ、離せ! ガスゴスッ!」


 腕に噛み付いたグマシカの頭を殴りつけるが、なかなか離さない。


「いてててて!! いってーな!! ゴンッ!」


 すかさずグマシカも頭突きで応戦。

 唾液に注意が向いていたアンシュラオンの顔面にヒット。

 ダメージはほとんどないが、面食らう。


「ぐっ…子供か、お前は!!」

「お前に言われる筋合いはねーよ!!」

「離せ!! 気色悪い!!」


 アンシュラオンが力づくでグマシカを離すと、渾身の蹴り。

 ボギャッ

 強烈な一撃が脇腹に命中。これはさすがに骨が砕ける。


「いってー!! ちっくしょーー!!」


 しかし、それだけだ。

 痛がって離れたものの、骨が折れた程度で済んでいる。

 ぎぎぎぎっ がごんっ じゅううう

 そして、それもまた回復。

 折れた骨がくっつき、急速に癒されていく。


 ………


 なんとも形容しがたい戦いが繰り広げられている。

 端から見ていると、少年と少年が喧嘩しているような光景だ。

 多少激しいプロレスごっこのようにも見えるだろう。

 だが、相手はあのアンシュラオンである。

 それが思うままに力を振るっているのに、グマシカは耐えているのだ。

 その力の源泉は不明だが、一つだけわかっていることがある。


 アンシュラオンはグマシカを見つめると、こう言い放った。




「お前、【身体を改造】しているな」




 アンシュラオンと殴り合っているのだ。普通であるわけがない。

 そこらの武人ならば一撃で死亡する攻撃に耐え、同じように攻撃するのだから、しっかりとした理由があってしかるべきだ。


 その一つが―――肉体改造。


 グマシカがなぜ子供の姿であるのかも、そこに要因がある。


「感覚がシャープすぎる。なんというか…天然と養殖の違いというか、微妙な違和感を感じるぞ」


 天然のもの、つまりは激しい闘争の中で育ってきた魔獣や、陽禅公やゼブラエスのような者と戦ってきたアンシュラオンには、その違和感がありありとわかる。

 どんなにそっくりに似せても【人工物】と自然のものとは違うだろう。その違いだ。


「戦い方は雑だが、それなりに熟練したものを感じる。その見た目も本物じゃないな。本当は何歳だ?」

「それがどうした! 俺はこの都市を守るためならば何でもやるぞ!! 生き延びて、どんな手を使っても生き延びて守り続けるんだ!! 禁じられた『賢人の力』を使ってもな!」

「けんじん…? なんだそれ?」

「お前にはわからねーだろうさ!! 最初から【最高傑作として造られた】お前にはな!!」

「何を言っている?」

「知らないのか!? 知らないでお前は力を使っているのか!! 『災厄の魔人』!! 俺はお前のことを知っているぞ! 死に物狂いで調べたからな!」

「またそれか。風評被害も大概にしてほしいもんだよ。何度も言うが…というか、他人に言うのは初めてだが、『災厄の魔人』は俺の姉ちゃんのほうだぞ」


 なぜグマシカが『災厄の魔人』を知っているのかはともかく、いわれなき誹謗中傷を受けるつもりはない。

 その点だけは我慢できなかったので、姉の存在を話す。

 ただそれだけだ。

 アンシュラオンにとっては、「ああ、俺には姉がいるよ」程度の話にすぎない。

 そんな話は他人同士でもよくあるはずだ。初対面の人間同士が「ご兄弟はおられるのですか?」と会話するのと同じレベルである。


 しかし、しかし、しかしながら。


 グマシカの反応は、あからさまにおかしかった。


「…は?」


 その言葉が理解できない、というような表情で固まる。

 敵意が完全に消え去るほどのショックを受けているのだ。


「だから俺は災厄の魔人なんてものじゃない。姉弟だから似通っている面はあるだろうけどさ、あんな化け物と一緒にされたくないさ」

「姉……だと? 姉が…いるのか?」

「それがどうした。姉がいることくらい珍しいことじゃないだろう?」

「馬鹿な…そんな馬鹿な……!!」

「おいおい、姉ちゃんを紹介しろって言われても嫌だぞ。俺はできれば会いたくない…」





―――「災厄の魔人は、【一人】のはずだ!!!」





 アンシュラオンの言葉を遮って、グマシカが叫んだ。




505話 「真なる闘争への道 中編」


「は?」


 今度はアンシュラオンが首を傾げる番だ。


「おいおい、姉がいるくらいで何を言っているんだ。姉くらいいたっていいだろう。むしろ、いたほうがいいだろう!! 姉は最高だぞ!! ふざけるな! いたっていいだろうが! このやろう!!」

「なんでキレてんだよ!」

「姉ちゃんが恋しいだなんて、絶対に言わないからな!!!」


 言っている。声を大にして言っている。

 妹であるサナは愛しているし、姉に近しい年齢の女性はいる。

 いるのだが、やはりパミエルキの魅力に勝てる女性など、そもそもこの世にいないのだ。

 元来は極度の姉好きなので、時折姉が恋しくなることがあるが、そこはぐっと我慢するしかない。そこにストレスを感じることもあるわけだ。


 と、それはいいとして。


「オレに姉がいたらおかしいのか?」

「そうだ! 魔人の存在は、その時代で一人しかいないはずだ…!! あいつらは…お前たちは転生を繰り返して何度も蘇る!!」

「転生を知っているのか?」

「お前たちは『ウロボロスの環《わ》』で廻って、また戻ってくる! そういう役割が与えられているんだ! いや、それもすべては一人なんだ。たった一人の魔人が同じことを繰り返すんだ」

「何度も地上にやってくると言いたいのか? 何度もか? 制限はないのか?」

「そうだ。それが【災厄システム】だからな! だから魔人が二人は同時に存在はしない! しないはずなんだ!」


(こいつの言っていることは、オレが体験している転生とは違うようだな。この星内部での再生ということか)


 アンシュラオンは、外部の星からやってきた魂である。

 地球でたとえれば、木星で過ごした魂が転生してくるようなものだ。

 あるいは、もっと離れた同程度の星から、違う体験を求めてやってくる魂である。


 だが、グマシカが言っているのは、この【星内部における転生】のことだ。


 地球でも、人間は主に四回から五回程度、同じ地上での生活をするといわれている。

 その間に必要な経験を得て、その後は本来の生まれ故郷である霊界で暮らすのだ。

 この【霊的規格】は宇宙共通なので、だいたいの星ではこのように何度か地上人生を経験することになっている。


 それはこの星でも同じなのだが―――魔人は違う。


 何度も地上に再生しては、災厄を撒き散らすというではないか。


(それではまさにシステムだな。星に組み込まれた作用なのか? だが、姉ちゃんがいくら強くて危ない人間でも、そこまでのものか? どうにもしっくりこないな)


 姉が自由気ままに世界を破壊する可能性は、ゼロではない。

 一方、彼女に『使命感』があるかと問われれば、即座に否定するだろう。

 弟を溺愛することしか考えていないような女性だ。欲望丸出し、自分のことしか考えていない彼女が、誰かの命令で動くとは思えない。(弟とそっくりだ!)

 しかし、グマシカは狼狽を隠さない。

 おそらく見た目以上に長生きをしている彼がそう言うのならば、それなりの根拠があるのだろう。


「どうして!! なぜ二人いる!! お前はなんだ!! 何者だ!!」

「なんだと言われても…なんだ? 変なおじさんです、とでも言えばいいのか? というか、お前こそなんだ。なぜ俺のことを知っている」

「お前に会うのが初めてじゃないからだ! あの時にも…ぐうううう!! あの災厄の時もお前は…!! 俺の大事なものをすべて破壊した!!! 災厄、災厄の魔人めええええええええ!!!」

「いやな、だからそれは俺じゃないって」

「俺は…俺はぁあああああああああ!!」


 グマシカの身体が光る。

 頭、胸、両手足に植えられた『擬似エメラルド』が輝いている。

 これによって彼もまた、肉体を生命の石で長らえさせている者であることがわかる。



「若!! それ以上はお身体がもちませんぞ!!」


 サナを振り払ったコウリュウが、目の前にまで来ていた。


(突破されたか。このレベルでは対応できなかったようだな。仕方ない。経験を積めたことは価値があるし、今はこれでいいだろう)


 奥のほうでは、コウリュウに迎撃されたサナがうずくまっている。

 コウリュウは現段階においても、プライリーラと同レベル帯にある武人だ。まともに打ち合わずとも、サナに勝ち目などはなかったのだ。

 コウリュウもグマシカの援護に向かうことを重視したため、致命傷を負うほどのダメージは受けていないようなので、そこは安心だ。


 しかし、サナの狙いもまたコウリュウではなかった。


 コウリュウがグマシカのほうに向かったために、離れた場所にいたミャンメイへの道筋が出来ていた。

 アンシュラオンのフォローをするとみせかけて、実際の本命はこちらというところが、相変わらずのしたたかさである。

 兄と行動することにより、彼女の能力は十全に生かされることが、これで証明された。

 その彼女は、こちらの様子をうかがいながらも、無事ミャンメイと接触することに成功する。


(あちらは問題ないようだ。なら、そろそろ決めるか)




「グマシカ・マングラス。お前には訊きたいこともあるが、ひとまず死んでもらおうか」



 シュボッ ゴゴゴゴゴッ

 アンシュラオンの気質が変化。本当の戦気を解放する。

 グマシカが打ち合えていたのは、低出力モードだったからだ。

 だが、これからは本気で殺しにいく。その意思表示である。


 アンシュラオンの目的は、グマシカの殺害。


 彼は災厄について何かしら知っている可能性が高いが、正直に言えば、アンシュラオンにはまったく興味がない。

 もし姉が本当に『災厄』を引き起こす存在だとしても、だからといって何かが変わるわけではない。

 自分にとって重要なのは、女の子たちとまったり暮らすことである。それ以外のことはどうだっていいのだ。

 そのあたりの信念がブレないのは、ある意味でさすがだ。


「俺を殺してどうする! またこの都市を破壊するつもりか!」

「俺の目的は金だ。お前がいなくなれば利権を手にすることができるからな。それでたっぷり楽しませてもらうとしようか」


 注意:上は主人公の発言です


「馬鹿な…! 災厄の魔人が、そんな動機で動くものか!」

「だから違うと言っているだろうが。俺はこの都市にあまり興味がないし、お前たちの派閥争いにも関心があるわけじゃない。面倒なことは、お前の代わりに上に立つやつに任せるさ」

「結局、やっていることは同じだな! お前の好きにはさせない!!」

「とことん自分を美化したいようだが、お前たちがやっていることも似たようなもんだ。お前たちが権力を握っていることには変わりがない。いざとなれば何も知らない上の連中だって殺すんだろう?」

「生き永らえさせることが重要だ」

「手足を切り取っても、か。偽善と欺瞞があるだけ悪質だぞ」

「お前に言われることじゃない! 簡単にやれると思うな!」

「それはこっちの台詞だ。さっきと同じだと思うなよ」


 アンシュラオンが掌を向けて、戦弾を放つ。

 姿かたちは大差ないが、込められた威力は桁違いだ。


「ぐっ!!」

「若っ!」


 ガードするグマシカの前にコウリュウが躍り出て―――被弾。


 ドーーーンッ ボボボンッ


 激しい爆発に晒される。


「若、お下がりを! 魔人の相手は私が!!」

「コウリュウ!! 腕が!」


 コウリュウの左腕は、今の一撃で破壊されていた。

 上腕部分が力づくでもぎ取られたように、すでに原形はとどめていない。

 心臓もアンシュラオンに貫かれたままなので、かなりのダメージを負っているといえるだろう。


「コウリュウ、セイリュウがいない場で無理をするな! お前たちは二人で一つなんだぞ!」

「ですが、若を失うわけにはまいりません! 都市を守れるのは、もはやあなたしかおられないのです!」

「だが、これでは…! くっ、スパイラル・エメラルドが動けば…! なぜ動かない!!」

「致し方ありません。こうなれば我らだけでやるしかありません。今まで災厄と戦うために準備を重ねてきたのです。人の身を捨てれば、魔人とも戦えます!」


 むくり ぞわわわっ

 アンシュラオンが本当の力を解放したのと同じく、コウリュウの気配も変化していく。

 人とは異なる圧倒的な存在感が広がっていく。


 ばりばり ばりばりりりっ!


 それと同時に彼自身にも変化が起こった。


 体表に―――ウロコ


 身体が黄色く変化するごとに、表面が鱗に変化していく。


 ぼごんっ ぼごんぼごんっ


 新たに生まれた筋肉が傷を塞ぎ、腕も再生していく。

 否、再生ではない。

 同じ形の手が生まれたわけではないのだ。

 まったく違う存在が、その場に顕現しようとしている。

 人とは違う細胞が生み出され、増殖し、身体全体も一回り大きくなり、より太く強靭な体躯になっていく。



「ぬうううっ…ううううう!! ああああああ!」



 コウリュウが―――人の皮を脱ぎ捨てる。


 文字通り体表にあった人間の皮が、蛇の抜け殻のように剥がれていく。

 ぬるぬるぬる ずるるるっ じゅうううう

 高まった熱によって粘膜が蒸発し、煙が発生している。



 そこから出てきたのは―――【龍人】



 いわゆるファンタジーでいうところの「リザードマン」に似ているだろうか。

 龍と人との間の存在へと変貌を果たす。


(やはりこいつも人体改造を行っているようだな。まあ、そうでなければオレと殴り合いなんてできないか。『遺伝子改良』かな?)


 マングラスが手に入れた遺産は、なにも『賢者の石』だけではない。

 彼らが手にした力は、人の身をさらに強くするもの。

 【箱舟】に眠っている因子データを使って、より強い生物の因子を人間に移植するというものだった。

 それは賢人の中でも人体改造を得意とする【白賢人《しろけんじん》】の領域の力。


 そして、コウリュウが選んだ力は―――



「災厄には災厄!! この身に宿した力で、打ち破る!!」



 かつての災厄で大地を席巻した双龍の片割れ。

 大地を喰らい、何千万という人々を駆逐した【皇龍】であった。


―――――――――――――――――――――――
名前 :コウリュウ(皇龍型)

レベル:150/150
HP :18000/18000
BP :3200/3200

統率:B   体力:S
知力:B   精神:AA
魔力:S   攻撃:S
魅力:B   防御:A
工作:D   命中:AA
隠密:D   回避:AA

【覚醒値】
戦士:8/4 剣士:6/2 術士:0/0

☆総合:第四階級 魔戯級 龍人

異名:マングラスの双龍、厄災の皇龍
種族:人間、龍人、魔獣
属性:光、火、炎、臨、土、活、実
異能:擬似転神、人工龍人、灼熱の血流、炎龍鱗、物理耐性、銃耐性、術耐性、爆炎吸収、即死無効、毒耐性、精神耐性、自己修復、自動充填
―――――――――――――――――――――――


(能力値は、ほとんど【魔獣】だな。気になるのは、因子レベルが限界を突破していることだ。かなり無茶をしている証拠だ)


 サナを見てもわかるが、因子を超える力を引き出すことは非常に危険だ。

 もし『魔獣の因子』を転用していなければ、血の沸騰を引き起こして死亡しているだろう。

 とはいえ、それでも危険なことには変わりない。

 普通にやっていては魔獣の因子が人間と適合するわけがない。

 人間と動物の遺伝子が似通っていても、それを使って合いの子を作ることは法則上不可能なことだ。

 それを無理やりやるのだから、何らかの特殊な手法が存在するのだろうし、無理やりやれば弊害が出てしかるべきだ。

 彼にとって龍人に転化することはリスクが伴うことだと思われた。


(災厄…ではなく『厄災の皇龍』か。文字が前後しただけだが、意味合いとしては真逆になったということなのだろう。その力を逆に使って災厄に対抗する、という意味か。発想は正しいな)


 物の考え方は悪くない。

 蛇の道は蛇。災厄には災厄の力を当てるべきだろう。

 悪には悪をぶつけるのと同じ考え方なので賛同できる。

 ただここで、一つの疑問が生じる。


(…ん? 待てよ? 災厄の時に出現したのは『四大悪獣』じゃなかったか? オレが倒したデアンカ・ギースも、その一体のはずだ。それ以外にいれば危険生物に指定されているよな。…となれば、あいつが使っているものは【その前の災厄】のものってことか?)


 グマシカの言葉を信じるのならば、災厄は何度も起こっているようだ。

 そして、ハローワークではデアンカ・ギースに懸賞金をかけて集めさせていた。

 あれは単純に治安維持の目的だったのだろうが、では、その肉はその後どこにいくのだろうか?

 他に食糧がある以上、食肉加工されるわけではないだろう。


 おそらくそれらは―――【保存】されるのだ。


 最終的にはマングラスが管理して、因子データを記録保存する。

 彼らの口ぶりからすると、ここにはそれができる施設あるいは設備があるようだ。

 目の前にかつての災厄魔獣を模したコウリュウがいるのだから、それが何よりの証拠だ。




506話 「真なる闘争への道 後編」


 コウリュウが龍人に変化。

 これが彼の本性。植えつけられた因子によって覚醒した力である。

 しかし、アンシュラオンは興味深そうに笑う。


「面白い! 面白いよ! いい玩具だ! ルアンあたりにくれてやってもいいかもな。ははは!!」

「龍人の力を侮るな!」


 コウリュウが、爪が伸びた手をぎゅっと握り締める。

 ぎりぎりぎりっ ぶしゅっ

 強く握り締めたせいか、掌からは赤い血液が流れ出ていた。

 彼の血は紫だったので、逆に人間らしく感じられるのは気のせいだろうか。

 されど、その血がただの血であるはずがない。


 血が―――燃える


 空気に触れた途端、激しい爆炎を生み出す。


「皇龍は炎の力!! すべてを焼き尽くす!!」

「御託はいい。来いよ」

「死ね! 災厄の魔人!!」


 コウリュウが灼熱を宿した拳で攻撃を仕掛ける。

 まずは移動。

 ギギギギッ バンッ

 速い。一瞬でアンシュラオンのもとに到達する。

 身体中の細胞組織が人ならざるものに変質しているのだ。その脚力は、もう魔獣といっても差し支えない。

 サナがジュエルを全解放しても、まだこの速度には達しないだろう。

 雷光すら超えた速度で迫ってくる。

 そこから拳のラッシュ。


 ドドドドドッ


 これも速い。もはや肉眼で捉えることはできない速度だ。

 それをアンシュラオンは―――


 ドドドドドッ ガガガガガッ


 真正面から同じ拳速で迎撃する。

 拳も相手のほうが数倍大きいのに、まったく撃ち負けることがない。

 拳にまとった爆炎に対しても、水気をまとわせることによって相殺していく。


 ドドドドドドドドッ バンバン じゅーじゅー


 打ち合う。打ち合う。打ち合う。

 両者の拳が拮抗して、周囲に激しい炎や水が吹き荒れる。


(人の身すら超えた龍人と、こうも簡単に打ち合うのか!!)


 少し余談になるが、この世界には『竜人』と、さらに同音の『龍人』と呼ばれる種族が実在している。

 竜人は比較的人間の姿に近く、ルーツも【偉大なる者】に連なる者たちである。

 その竜人の中で、より魔獣の因子を覚醒させた者を龍人と呼び、今のコウリュウのように優れた身体能力を持っている。

 彼らは基本的に人里離れた自然の中で細々と暮らしているので、戦闘する機会は少ないだろうが、普通の武人が龍人と戦うことは極めて難しいだろう。

 少なくとも同数の戦いでは勝ち目がないほどに、彼らは強い。

 なぜならば、彼らの獲物の大半が『野良支配者』だからだ。

 自然に悪影響を与えるようになったマスターたちを倒すことが、彼らの自然界の中の一つの役割になっている。

 人間では到底勝ち目がない相手でも、彼らならば対応ができるのだ。

 コウリュウの階級が第四階級の「魔戯《まぎ》級」になっているように、戦闘タイプの龍人は基本的に人のレベルを超えていることが多い。

 基礎のステータスが、そもそも違うというわけだ。虎が生まれもって強いのと同じである。


 アンシュラオンは、それとたやすく打ち合う。


 身体の大きさも違うのに、まったく苦にしない。

 彼の肉体構造もまた、普通の人間を遙かに超越しているからだ。


(だが、これは想定していたことだ! 見た目で判断するな! この中身は―――魔人なのだ!!)


 魔人を姿かたちで判断してはいけない。

 彼らは至って普通な―――といっても完成された美をもった―――姿で現れるが、その内部に宿された因子は世界を滅ぼす力を宿したものなのだ。

 なぜ、この遺跡にいたかつての文明の人間が、闘争本能を抑えようと実験を重ねたのだろう。


 魔人を怖れたからだ。


 魔人は人間の中から現れる。闘争の中から現れる。

 逆にいえば、闘争がなければ彼らは出現しない。

 人間が増長しなければ災厄が起こる必要性はないのだ。

 だが結局、魂から感情を奪い取ることはできなかったため、彼らもまた滅びた。


 この遺跡に連なる文明に共通するものが、いかに災厄と対峙するか、であった。


 災厄という巨大なシステムの前では、人は無力。

 それに対抗しようとするのだから、並大抵のことでは不可能だろう。

 これはわかっていたこと。こうなることはわかっていたこと。


 されど、現実に対峙してみると―――



「どうした? こんなものじゃないだろう? さらに上げるぞ」

「ぬっ…ぬおおおっ!!」


 ドドドドドドドドッ


 拳速はさらに加速していき、人ならざる領域に突入していく。


 上がる、上がる、上がる。


 どんどん際限なく上昇し、すでに閃光に近い速度に達した。

 それに伴って威力も上昇。

 この速度で放たれる一撃でありながら、砲弾すら超える力が激突する。


 メィイイイッ! メイメイメイッ!!


 羊の鳴き声のような、なんとも形容しがたい音が発生した。


 メイメイメイ メメメメメメメメメッ!!


「ぬぐううううっ!! ぬうううううう!!」


 音が次第に速くなるにつれて、コウリュウの顔が歪む。

 若干爬虫類っぽくなった顔なので、喜怒哀楽がわかりにくいが、苦しみの表情だけは雰囲気でわかるものだ。


 コウリュウは―――苦しんでいる


 龍人となり、ステータス上は魔戯級とも評される彼が、単純なパワーとスピードで圧倒されているのだ。


「なぜだ!! なぜこうも打ち合える!! 貴様には限界がないのか!!」

「限界? まだまだ本気じゃないぞ」

「ありえん!! もはや…これは!! 人智を超える!!」

「コウリュウ、お前はもともと強い武人だったのだろう。そのうえで、さらに強くなる選択をした。人の限界を超えるために魔獣の力を得たのは、強くなるための一つの方法としては正しい。だからオレは、お前を尊敬するよ。そこまで強さに対して貪欲だったことは称賛したい。だがな、根本的な問題があったんだ」

「根本的な…問題?」


「ああ、そうさ。それはな―――」






―――「たかが災厄魔獣程度で、オレに勝てると思うな」





 シュパン


 アンシュラオンの拳が唸るたびに、周囲の空気が圧され、鋭いカマイタチとなってコウリュウにぶつかる。

 それが一発や二発程度ならば、龍の鱗は簡単に耐えられるが―――


 シュパンッ シュパンッ


 二発。


 シュパンッ シュパンッ シュパンッ


 三発。


 シュパシュパシュパ シュパシュパシュパ
 シュパシュパシュパ シュパシュパシュパ


 十二発。


 シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ


 多発。


 シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ

 シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ

 シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ シュパシュパシュパシュパッ



 多発。多発。多発。


 多発。多発。多発!!!



 たはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつたはつ!!!!




―――多発!!!!




 多発被害!! 多発注意報!!! 緊急多発注意報発令!!!



 エマーああああああああああああ―――ジェンシぃいいいいいーーー!!




 限界を―――超える!!!




「うぐっ―――うおおおおおお!!」


 ぶしゃーーーーっ ボオオオオ

 押し寄せる拳圧の刃に鱗が切り裂かれ、炎の血が流れ出る。

 焼身自殺を図った人間かのように、自らの爆炎によって焼かれていく。

 そこにアンシュラオンの本物の拳が炸裂。


 ドゴオオオオッ メギョォオ


「ぶはっ…!! げぼおおおお」


 怖ろしいまでの衝撃が突き抜けた。

 胸に突き刺さった拳の一撃で、コウリュウがさらにマグマのような血を吐き出す。

 こんな小さな拳なのに、隕石の落下に巻き込まれたかのような激動だ。


「へぇ、いい耐久力をしているな。馬はこれで顔が吹っ飛んだけどな」


 プライリーラの愛馬、ギロード・ドラゴンワンドホーゼリア〈両腕風龍馬〉のことである。

 彼女は防御に長けた魔獣ではなかったため、アンシュラオンの本来の拳を受けただけで顔が吹き飛んでしまった。

 それと比べれば、コウリュウの防御性能は高いといえる。

 『物理耐性』に加えて、ユニークスキルあるいは『種族スキル』というべき『炎龍鱗』が、この恐るべき一撃に耐える力を与えたのだ。

 これは術以外のダメージを無条件で三割カットするもので、炎に至っては五割以上もカットする優れたスキルだ。

 さすが龍といったところだろうか。龍人の名は伊達ではない。(炎龍系の魔獣にはしばしば見られるスキルである)

 総合的に見て単純な物理戦闘力ならば、風龍馬に乗ったプライリーラに匹敵するだろう。

 彼らが四大悪獣すら怖れなかったのは、そのためだ。普通のホワイトハンター程度ならば問答無用で鎮圧も可能だ。

 しかしながら、四大悪獣の一体を屠ったアンシュラオンからすれば、所詮その程度の存在でしかない。


「撃滅級魔獣より弱いなんてさ、災厄魔獣の名が泣くぞ。随分と生ぬるい場所で生きてきたんだな」

「貴様に!! 張本人が言うことかあああああああ!!」

「だから人違いだって言っているだろうが。いい加減に覚えろよな」

「っ!!」


 コウリュウがダメージを受けて怯んだ隙に、アンシュラオンは間合いに入っていた。

 そこから覇王滅忌濠狛掌《はおうめっきごうはくしょう》を放つ。


 ぎゅううううううっ ばしゅんっ


 超圧縮された戦気が、空間そのものを抉り取る。

 この力の前にはグランハムでも一撃だった。

 姉でもダメージを受けると豪語するくらいなのだから、その威力はお墨付きである。


「ぬぐぐぐぐっ!! 貴様…!!」


 コウリュウの身体が、半分なくなっていた。

 顔は一部が切り取られた程度だが、左半身が球体状に抉り取られ、灼熱の血液がゴボゴボと流れ出ている。

 いくら龍人の鱗が強いとて、この技の前では無力であった。

 しかも『自己修復破壊』効果まであるので、身体が再生することもない。

 圧倒的な力の前には、龍人でさえ無意味なのだ。


 ただ、災厄魔獣の力はこれだけではない。


「貴様も道連れだ!! 皇龍の光炎を受けろ!!」


 ぶくぶくぶくぶくっ!!

 コウリュウの血液が激しく沸騰。

 ただでさえ高温の血液がさらに上昇を始め、数秒もたたないうちに光をまとう。

 炎すら超えた光。

 これはどこかで見たことがある。


 そう、パミエルキがアンシュラオンに使った『臨気』である。


 炎の最上位属性であり、命気と対を成す最高の火の顕現である。

 この光炎の前には、いかなる者も存在が許されない。消え去るのみだ。

 かつての皇龍は、これを地上にばら撒くことで、周囲一帯を文字通りに焦土にしていった。

 場所は不明だが、これによって人が住めない灼熱の大地が生まれたともいわれている。


「燃え尽きろ!!」


 コウリュウの灼熱の血が蠢き、アンシュラオンに殺到する。

 逃げ場などはない。上下左右、あらゆる場所から襲いかかる。

 触れただけで黒焦げ必至。消滅必至の炎である。

 これに対してアンシュラオンがどう対応したかといえば―――


 じゅわわわっ ジュウウウッ


 アンシュラオンの身体の周囲に命気が展開される。

 臨気に対応するには、同じく水の最上位属性である命気が一番効率的だ。

 姉の臨気も命気で相殺することができたのだ。すでに効果は立証済みである。


 が、それは相殺などではなかった。


 ずずずずずっ ガチガチガチガチッ


 命気はあっという間に臨気を侵食し、急速に黒く固めていく。

 その光景は、噴出したマグマが空気に触れて急速冷却され、瞬く間に溶岩になっていくかのようだった。

 ただし、スピードが違う。


 すべての臨気が侵食されるまで、【一秒もかからなかった】のだ。


 これではまるで業務用冷凍庫のCMである。「こんなにすぐにカッチカッチ! 俺の筋肉もカッチカッチ!」と筋肉芸人が出てきそうだ。


「………」


 コウリュウは言葉が出ない。

 正直に言えば、道連れ覚悟で放った一撃である。

 それが通じるどころか、反対に侵食までされてしまった現実に呆然とする。


「なんだこれは? 姉ちゃんの半分にも満たないぞ。いいや、一割にも満たない。これでよく臨気のカテゴリーに入れたな」


 アンシュラオンは、心底拍子抜けした表情を浮かべる。

 少しは楽しめるかと思ったらまたこの有様なのだから、胸中は不満で一杯だろう。

 だが、コウリュウはけっして手加減をしていない。本気の本気なのだ。


「ま……まじん……め!!」

「お前たちは何でも魔人のせいにしたいようだが、それは違うな。まったく筋違いだ。ただただ弱いんだ。圧倒的に弱い!! 実力的に弱い!!! 力で劣っている!! 闘争が足りないんだよ!!!」

「ずっと闘ってきた我々に、それを言うのか!!」

「実際に足りないんだ。闘争の数も、レベルも、年数も!! いったいオレたちがどれだけの研鑽を積んできたかわかるか。脈々と受け継がれてきた武を―――」




「侮るなぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」




「ううっ…うあおおおおおお!!!」


 ドバーーーーンッ バキバキバキッ


 コウリュウを飲み込んだ命気が、そのまま命気水晶に変化。炎ごと閉じ込めてしまう。

 こうなればもはや置物である。観賞用として売れるかもしれない。

 わざわざこうしたのは、周囲にいるサナやミャンメイたちに被害が出ないようにしたのであって、べつに欲しかったからではないが。



「ふん。思ったよりつまらないな。災厄という名前にこだわらず、素直に撃滅級魔獣の力でも得ていれば、もう少しは善戦しただろうに」

「コウリュウ…! お前…よくも!!」

「グマシカ、もう護衛はいない。終わりだな」

「こんなところで…死ねるかぁあああああああ!!」

「その首、もらうぞ!」


 アンシュラオンがグマシカに迫る。

 コウリュウという盾を失ったグマシカには、もはや抵抗する術はなかった。


(これで終わりだ。グマシカを殺して、あとは飽きるまでのんびりと暮らすだけだな。だが、最後の詰めは怠らないぞ)


 何事もそうだが、最後の詰めが一番大事だ。

 それを怠れば、今までのすべてが無になることも珍しくはない。

 だからアンシュラオンも、けっしてグマシカから目を離さず、首以外の場所をすべて滅するつもりで攻撃を仕掛けるつもりだった。


 手が迫る。

 大丈夫。油断はしていない。

 完全に捉えている。

 ここまでは完璧だ。



 しかしながら、アンシュラオンにも盲点が一つだけあった。



 【知らないもの】は―――どうしようもない。





「フフフ……ハハハハハハハハッ!!」





「っ―――!!」



 笑い声は、アンシュラオンの背後数十メートル、その上段から起こった。


 そこには賢者の石、スパイラル・エメラルド〈生命の螺旋〉に




―――【手を突き刺したミイラ男】




 がいた。


 このまま手を伸ばせば、グマシカを殺すことができる。

 ソブカを強烈にアシストすることにもなり、マングラスの利権、人材についてはほとんど掌握できる。

 それで女の子とまったり暮らせるのだ。簡単なものである。ボロい商売だ。

 あと少し手を伸ばせば、それが達成できるのだ。


 だが、アンシュラオンの本能が、その中に眠っている『魔人因子』が、ミイラ男に対して警戒感を抱く。



―――まずい。止めろ



 と。


(なんだ!? この感覚は! どうしてこんな気持ちになる! だが、それ以上に…あいつは誰だ!?)


 アンシュラオンがミイラ男を見るのは初めてだ。

 だから、存在そのものを知らなくても無理はない。

 ミイラ男自身も、今までは網にかかって半ばスクラップ状態だったのだ。

 気配もなく、存在感もなく、何よりも価値がなかった。


 しかしながら、しかし、だがしかし。


 この瞬間だけは、彼が『世界の中心』に見えた。


 アンシュラオンのその予感は正しかった。

 ミイラ男は、石の依代《よりしろ》となった初代マングラスの胸に、ずっぷりと手を突き刺していた。

 胸を揉むというレベルではない。乳房を突き破り、心臓に手をぶっ刺していたのだ。

 その触り方には、相手に対する尊敬も慈悲もない。



―――〈っ!! ぁああ…あぁあああああああああ!〉



 愛を求めていた彼女にとっては、真逆の行為。

 愛の反対である【憎悪】を向けられた彼女は、あまりの『痛み』に絶叫する。

 それが、どうしても見ていられなかった。


「てめぇええええ!! それが女の触り方かああああああああ!!」


 アンシュラオンが怒ったのは、女性に敬意を欠く行動に対してだ。

 この男は敵対する相手には厳しいが、自分に媚を売る女は嫌いではない。

 彼女に呼ばれたことを知らずとも、感覚で好きか嫌いかはわかるものだ。


 それ以上に、おっぱいは―――【神】だ。


 あの柔らかい母性の象徴は、尊敬を込めて愛でなくてはならない。

 むしろお祈りをして清めの儀式をしてから『ありがたく触らせていただく』のだ。

 そんな至高の存在に対しての無礼が、おっぱいの妖精としてどうしても許せなかった。

 グマシカに向けた殺意を、そのままミイラ男に向ける。


 だが、ミイラ男は手を抜くどころか、さらに突き刺す。



「スパイラル・エメラルド。神に認められた私に力をよこせ」



―――〈あああああああああああ!!!〉



 ずぶずぶずぶっ ぐちゅぐちゅぐちゅっ


 ミイラ男の手が内部を掻き回すたびに、賢者の石は泣き叫ぶ。

 痛い痛いと泣き叫ぶ。


 バリバリバリッ


 ミイラ男がまとっていた布が全部弾け飛び、その中から剥き出しの機械の身体が現れる。

 全体的に激しく老朽化しており、動いているのが奇跡的に思えるほどボロボロの身体だ。

 男がいかに戦いを続けてきたかが、一目でわかる姿である。

 だが、これはもう用済みだ。


 ぎゅるるるるるるっ


 吸う。吸う。吸う。

 賢者の石から力を吸収し、男の身体は見る見る間に、弾性をもったしなやかな『肉体』へと変質していく。

 機械の身体があれば、どんなに便利だろう。痛くもないし力も強いし、きっと便利なんだろうな。

 誰もがそう思う。ちょっとは憧れるはずだ。

 しかし、真なる力は肉体に宿る。

 魂の宮である、痛みを感じる肉体だからこそ、真理への道が開ける。



 そこにいたのは―――透き通るブルーの髪をした男。



 美男子といって差し支えないが、鋭い目は鷲《わし》を彷彿とさせ、ソブカ以上に危ない雰囲気をありありと放っている。

 この男は、ヤバイ。

 それなりの洞察眼を持った者が見れば、即座に逃げるほどの圧倒的な圧力を放つ男だった。


「なっ…お前は……」


 その男を見たアンシュラオンが、一瞬だけ止まる。

 驚いたような顔で、じっと凝視している。

 男にとっては、その一瞬だけで十分だった。



「災厄の魔人。この私とゲームをしようじゃないか。真なる闘争への道を用意しよう。どちらが先に相手を滅ぼすか、存分に楽しもう」



 賢者の石が光る。


 その場の空間すべてが光に包まれる。


 そしてアンシュラオンたちは、その場から消え去った。




前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。