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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第七章 「収監砦」 編 第二幕


484話 ー 493話




484話 「過去との遭遇 中編」


 その場にいた人間の数は、およそ三名。

 ミャンメイは最初、彼らが人間かどうかわからなかった。

 なぜならば、彼らの身体が【漆黒】に染まっていたからだ。

 まるで身体全部が、コールタールによって塗り固められてしまったかのように、真っ黒になっていたのだ。

 ただ、完全に黒というわけではない。

 よくよく三人を見れば、それぞれがグレーやら濡羽《ぬれば》色やら涅《くり》色やら、黒になりきれない黒といった様相の色合いであることがわかる。

 全身が黒の中において、赤く光る双眸だけがありありと輝いているので、まるで影絵のような不気味な印象を受けるかもしれない。


 一方の機械人形は、あの場所で見たものとほぼ同じ形状であったので、そこまで驚きはなかった。

 唯一違うところといえば、稼働状態になると各関節部位が光り輝き、背中の動力源から光が漏れて翼のように見える。

 さらに頭部にも環《わ》のようなものが輝いているので、あたかも地球人がイメージする天使を彷彿とさせるだろうか。

 装甲も輝いているので、その姿は実に神々しいものである。

 そして彼らは、かなりの戦力を投入しているようだった。

 六メートル級の機械人形二体を最後尾に配置し、真ん中には四メートル級の機械人形が八体、その前には二百に近いカブトムシの同型機と思われるロボットが並んでいた。

 レイオンの話から考察するに、このカブトムシがオリジナルのものだと思われる。

 ラングラスエリアに出てきたのは、それを真似たコピー品である可能性が高いだろう。

 オリジナルがコピーに負けるとは思えない。(養殖の魚のほうが美味しいことも多いが)

 コピー品のカブトムシの攻撃でさえアンシュラオンが傷ついたことを考えれば、これだけの数がいれば相当な戦力を有することになるはずだ。





 両者は対峙する。



 先に仕掛けたのは、機械人形のほうだった。

 カブトムシの軍勢が一斉に影人間に襲いかかっていく。

 まず数十体が、一人に向けてビームを放つ。

 ビームは定規で引いたような綺麗な直線を描き、対象に向かっていく。


 直撃。


 床を抉りながら激しい爆炎を生み出した。

 最大出力で撃ったのだろう。その威力はアンシュラオンに向けて撃ったものよりも強く、大きかった。

 普通の人間ならば、これを受ければ即座に消滅だ。

 仮にこれがプライリーラであっても、致命傷に近いダメージを受けるかもしれない。



 が、それだけの攻撃を受けたにもかかわらず―――無傷。



 影人間の身体にまとわりついた黒い力が、それをすべて弾き飛ばしていた。

 影人間の反撃。

 手に集まった黒い力を前方に解き放つ。

 一瞬だけ収縮して小さな弾となったそれが、カブトムシの群れの中で巨大な黒い球体となり、蹂躙。

 カブトムシの身体は、いとも簡単に半壊し、抉り取られ、爆散していった。

 それでも彼らは怯まない。数に任せて影人間に突撃を開始していく。

 破壊されても気にせず丸鋸刃《まるのこ》を展開させ、まとわりつくようにして周囲に密集する。

 それによって動きが封じられた影人間に、今度は四メートル級の機械人形が腕を構える。

 腕の中央部分には穴があいていた。


 白い力が収束し―――発射


 カブトムシのものよりも何十倍も強いビーム砲が、影人間に襲いかかる。

 その際、仲間のカブトムシも巻き込んで吹き飛ばすが、それもまったく気にしない。


 高出力のビームが、影人間に直撃。


 激しく明滅する閃光が過ぎ去った後に残ったものは、腕を吹き飛ばされた影人間の姿。

 さすがに四メートル級の機械人形の強さは別格だったようだ。威力が桁違いである。

 だが、さらに驚愕すべきは、影人間の耐久力のほうだろう。

 これだけの出力の攻撃を受けて、たったこの程度の被害というほうが怖ろしい。


 しかもその影人間は、まだ二人いる。


 他の影人間はすでに四メートル級の機械人形にまで接近しており、その凶悪なる手を振り下ろしていた。

 機械人形は、ガード。

 ビームを放射する腕は盾の機能も兼ねているので、かなり装甲が厚いように見受けられる。

 大型魔獣の攻撃を受けても、そう簡単に破壊されることはないだろう。



 が―――爆散



 影人間の手には黒い力が宿っており、その力によってたやすく破壊されてしまう。

 この黒い力は、極めて高い攻防力をそなえた戦気に似た性質を持っていると思われる。

 機械人形には戦気を遮断する術式がかけられているが、それを貫くのだから、いかに強い力が宿っているかがわかるだろう。


 影人間たちは、四メートル級の機械人形を攻撃しながら、ロボットの軍勢を押し込んでいく。

 激しい爆発や白や赤のレーザーの放射、黒い球体による蹂躙、爆散するカブトムシや肉体を損壊させる影人間たち。



 その様相は、【戦場】と呼ぶに相応しい場所であった。



 そう、まさにここでは【戦争】が行われていたのだ。

 互いを滅ぼすための行為であり、一切の遠慮も躊躇いもない。

 ひたすら攻撃し、相手を滅することを目的とした行動を淡々とこなしている。




(これは…何なの?)


 ミャンメイは、あまりの光景に立ち竦んでいた。

 普通に遺跡を探索していただけなのに、扉を開けたらいきなり違う世界が広がっていた。

 たしかに今までのことを思えば、それに似た現象はあったかもしれない。

 カスオに連れられてやってきた場所も、自分にとっては想定外かつ異世界のような雰囲気だった。

 ただ、今彼女が見ているものは、さらに理解を超えたものだったに違いない。



 しばし彼女は、呆然と両者の戦いを眺めていた。



 するとその時、彼女の近くに着弾があった。

 機械人形が放った火球が炸裂し、数メートル大の火柱が発生したのだ。

 そのエネルギーの強さは桁違い。燃え盛るマグマが出現したかのような勢いであった。


「きゃっ!」


 ミャンメイは、思わず顔を庇った。

 このあたりは女性だ。顔に傷が付くのを無意識のうちに避けるのは当然だろう。

 その代わり、身体は無防備になる。

 もしこんな熱量が一滴でも一粉でも身体にかかったら、その部分は簡単に溶解してしまうに違いない。


(ああっ! 私の身体はきっともう滅茶苦茶だわ)


 自分の身体を見るのが怖ろしい。

 足の小指を椅子にぶつけ、強烈な痛みが走った時などは、見るのが怖くなるものだ。

 もしかして折れたんじゃないか、と思うくらい痛いからだ。

 今のミャンメイもそれと同じで、見るがとても怖かった。

 だが、現実は変えられない。起こったことはどうしようもない。

 彼女は恐る恐る、自分の身体を見つめた。


「…あれ?」


 しかし、指の隙間から見えた自分の身体は、まったくの無傷であった。

 かといって、目の前の火柱が消えたわけではない。いまだ激しく燃え盛っている。

 そこで彼女は、気付いた。


(痛みが…ないわ。熱くもない)


 その場にいるのに、その場にいない感覚。

 今になって希薄さに気付く。



 これは、現実ではない、と。



 されど両者の戦いは、間違いなく現実と思わせるほどのリアリティと迫力を宿していた。

 それだけ死に物狂いの戦いだったのだ。


 これによって、ようやく物事を考える余裕が彼女に生まれてくる。


(これはいったい何? どうして戦っているの?)


 虫や魚でもない限り、本能だけで相手を殺すことはない。

 しかも捕食対象ではないのだ。殺して食うわけではない。

 であれば、戦うことに理由が必要だ。

 気に入らない。ムカつく。危険。邪魔。不要。利用価値がある。奴隷として使役したい。

 いろいろな理由が考えられるが、そのどれもが利己的な考えが起因になっていることがわかるだろう。

 人間同士の争いの本質は、身勝手な理由によって起こることがよくわかる。


 だが、それと比べて目の前の戦いは、ある意味において―――



(【綺麗】…。どうしてそう思うのかしら。ああ、そうだわ。彼らには【邪念】がないのね。人間の欲望というものがないのよ)



 機械人形には、当然ながら欲求というものはないだろう。

 彼らは、あらかじめ定められたプログラム通りに動く。そこから逸脱することはない。だからこそ機械なのだ。

 では、影人間のほうはどうかといえば、彼らからも欲望というものが感じられないでいた。

 たしかに禍々しさや毒々しさはあるものの、その黒さは相手を支配してやろうとか、搾取してやろうといった欲望とは無縁のものであった。

 彼らにあるのは、ただただ【破壊衝動】。

 純粋なまでに相手を破壊しようとする意欲だけだ。

 だから腕が吹っ飛ぼうが身体が損壊しようが、おかまいなしなのだ。


 そこに、美を覚える。


 それが美しいと思える。

 純粋なまでの破壊行動は、美しいものだからだ。


(あれ? 私…これに似たものを見たことがあるような気がするわ。そんなに昔じゃない。もっとつい最近に…)


 ミャンメイの脳裏に、これとよく似たものが浮かぶ。

 深く考える必要はない。その記憶は鮮明に焼き付いていた。



―――黒雷狼



 サナのジュエルから生まれた、黒き力の結晶である。

 あれもまた純粋な破壊を目的とした存在であった。

 影人間から感じられる禍々しさも、人間が潜在的に感じる【淘汰される恐怖】から生み出されているように感じられた。


 それはまるで【天敵】。


 あらかじめ自然界に設定された『人間の敵』だからこそ、危機感や焦燥感を抱くのかもしれない。


 そして、それを証明するような出来事が起こった。


 影人間の一人がロボットの陣を突破して、六メートル級の機械人形に迫る。

 今度も影人間は、黒い破壊の力を使って攻撃を仕掛けようとしていた。

 それに対して六メートル級の機械人形は、背中から板状の何かを放出し、空中で固定する。

 それと同時に力場が生まれ、強固かつ巨大な防護フィールドを形成した。

 黒い力と防護フィールドが激突。

 力は拮抗し、黒い力を遮断することに成功する。

 四メートル級の機械人形すら簡単に破壊する力を防ぐだけでも、相当な出力を有していることがわかる現象だ。

 だが、ミャンメイが驚愕したのは、そこではなかった。


 今になって気付いたことだが、六メートル級の機械人形の背後には―――【人間】がいた。


 しかしその人間は、影人間のように黒くはなかった。

 着ている服は時代背景に照らし合わせたものなので当然違うものの、姿かたちは今のミャンメイたちとまったく同じ【人類】である。

 そこには老若男女、数十名が、恐怖の眼差しで影人間と機械人形の攻防を見つめていた。

 見たところ、彼らに戦闘力はなさそうだ。

 戦う意欲をまるで感じない。ただ見ているだけだが、一般人ならば仕方のないことだろう。


(もしかして…あの人たちを守っているの? じゃあ、あのロボットって…【人を守るためにある】の?)


 現状だけを見るのならば、ロボットたちは人間を守っている。

 どんなに攻撃されようが自らを盾として防いでいる。

 一方で影人間とは戦っている。

 そこに矛盾が生じるわけだが、影人間を普通の人間と呼ぶには無理があるかもしれない。

 明らかに彼らは異常だ。戦闘力もそうだし、感情というものがまったく見られない。

 怯えている人間たちのような情緒を見せず、淡々と破壊行動に勤しんでいる姿は、むしろ彼らのほうがロボットかのように見せるから不思議だ。



 その後も激しい戦いは続いた。



 現実離れしたその光景に、ミャンメイの意識が朦朧としていく。

 ここはいったいどこなのか。何が起きているのか。

 自分が誰で、何者なのかが希薄になっていく。

 ああ、これは昔の自分だ。

 何も考えないほうが楽だから、そちらを選んできた自分の思考そのものだ。

 しかし、今の自分は過去の自分ではない。




―――〈自分で自分を保て。誰かに任せるな〉




 白い力が―――輝く



 意識を放棄しそうになる中、彼女の中にあった白い力が輝き、広がっていく。

 白い輝きは身体からこぼれ出て、周囲の戦場すべてを呑み込み、一瞬にして掻き消してしまった。

 ミャンメイだけではどうしようもなかったものを、【彼】からもらった力はこうも簡単に排除できるのだ。

 なんと心地よい感覚だろう。

 自分が受けた力は、目の前で起きたすべての現象よりも、大きく強大で温かいのだ。




485話 「過去との遭遇 後編」


 そんな、ゆるやかでしなやかで、かつ締まりのある力に心を委ねていると―――


「ミャンメイ! おい、ミャンメイ! どうした!!」

「…え? わ、私…何を…」

「ミャンメイ、しっかりしろ!」


 ドンッ!!


「いったぁああああああい!!」


 強烈な肩の痛みで、一気に目が覚める。

 痛みが走った場所を目で追うと、大きな手があった。


「いたーい! 兄さん、何するのよ!!」」

「な、なにって…! す、すまん! 痛かったか?」

「痛いに決まっているわよ! もう、馬鹿力なんだから…いたた」

「す、すまない。何度呼びかけても反応しなかったから…ついうっかり」

「だからって叩かないでよ…もう。肩が外れるかと思ったわ…」


 こんなプロレスラーのような大男に叩かれたら、肩など簡単に脱臼してしまうだろう。

 彼はいつだって、良くも悪くも全力でやろうとするのだ。そのあたりはまるで変わっていない。

 だが、おかげで一気に目が覚めたのも事実だ。


「私…どうしたの?」

「それはこっちが訊きたいさ。ここに入った瞬間に、いきなり立ち竦んで動かなくなったからな。驚いたものだ。まあ…これを見れば、驚くのも仕方ないかもしれないが…」

「これ…?」


 ミャンメイが改めて周囲を見回す。

 そこは部屋と呼ぶには、あまりに大きすぎる空間だった。

 まるで外の世界をそのまま切り取ったような、ダンジョン区画で見た草原のような広い野原が広がっていた。

 しかしながら、草木が生い茂るような平和的なものではない。

 足元に視線を移せば、大きく抉れて黒焦げになっている大地から、わずかに植物が芽を出して野原のように見せているだけだとわかる。

 そして、この場所の一番の特徴といえば、所々に瓦礫のように積み重なっている【残骸】だろう。


「これって…何?」

「わからんが…おそらくは…」

「レイオン、やっぱりこいつぁは、あそこにあった機械人形みたいだな。かなり破壊されていて原形をとどめてねぇが…腕の部位などは似通った面があるぜ」


 ミャンメイが茫然自失になっている間、空間の探索をしていたグリモフスキーが戻ってきた。

 その手には、機械人形の残骸と思わしき物体が握られている。


「ほらよっ」

「むっ」


 グリモフスキーが投げた物体をレイオンがキャッチ。

 その第一声は―――


「軽い…な」


 軽い。

 大きめの石くらいのサイズだが、まるで発泡スチロールくらいの軽さであった。


「ああ、見た目に反してな。だが、硬ぇぞ。俺らの知らねぇ金属で作られているみたいだな。これなら運ぶのも楽そうだ」

「お前、こんなガラクタを持って帰ってどうする?」

「兄妹そろって、ガラクタ呼ばわりするんじゃねえ! 素人にはわからねぇだろうが、こういうもんがお宝になるのさ。それで新しい技術…前文明の技術を取り戻せるかもしれねぇからな。そうなりゃ歴史が変わるほどの大発見だぜ」

「ふむ…なるほどな。そういう見方もあるか。だが…あまりに酷いな、ここは」


 見渡す限り、至る所に破壊痕が存在する。

 植物が微妙に生い茂っていることも、これが大昔に生まれたものであることを物語っていた。


(ああ、そうだわ。あれは…ここよ。私は過去の映像を見ていたのね)


 そこは白昼夢で見ていた戦場と同じ場所である。

 あの激しい戦いの末路が、これなのだ。


「グリモフスキーさん、人の骨とかって…ありました?」

「あぁ? 人の骨ぇ? 骸骨戦士さんみたいなやつか?」

「そんなに綺麗じゃないかもしれません。もっとこう…破片や欠片でもいいんですけど」

「いいや、見てねぇな。こんなに広いんだ。探せる範囲にも限りがある」

「そうですか…」

「ミャンメイ、急にどうした? 何やら物騒な話のようだが…」

「実は私―――」




 ミャンメイは、自身が見た映像のことを二人に伝える。


 馬鹿馬鹿しい夢かもしれないが、この体験を誰かに伝えておきたいと思ったのだ。

 自分の中でとどめておくには、あまりにも大きな出来事である。

 仮に幻ならば、それはそれでいい。そのほうが気が楽だろう。


 しかし、聞き終えた二人の顔は、笑ってはいなかった。


「夢だった…とは笑えねぇな」

「信じてくれるんですか?」

「実際に機械人形の残骸もある。てめぇが嘘を言うようなやつじゃねえってことは、もうわかってるからな」

「グリモフスキーさん…ありがとうございます! グリモフスキーさんなら、わかってくれると思っていました!」

「お、おい、近寄るな!」

「あれ? 意外と恥ずかしがり屋さんなんですね」

「グリモフスキー! 妹と心を通じ合わせるな!! 気色悪いだろう!」

「俺が近づいたんじゃねえよ! つーか今、ひでぇこと言いやがったな!!」

「もうっ、すぐに喧嘩するんだから。喧嘩するだけ元気なのはいいことだけど…」

「しかし、なかなかすごい内容だな。状況がまるでわからん」

「私だってよくわからないもの。説明するのも難しいわ」

「その話が本当に起きたことだとすりゃ、最低でも数千年以上は前のことだ。機械人形がいたってんなら、一万年以上前かもしれねぇな」

「人が住んでいたという事実も日記の内容と相違ない。ただ、その黒い人間というのが妙に気になるな」

「ええ、そうね。ひたすら破壊することが目的だったみたい。やっぱり…人間を狙っていたのかしら? そんなふうに感じられたわ」

「人間が人間を殺すのは珍しいことじゃねえが…こんな場所で殺し合うってのも異常だな。仲間割れか?」

「いくら広いとはいえ、このような場所では人の心も荒むだろう。ありえるが…この遺跡自体には闘争本能を抑える術式がかけられていたはずだ。それとはまるで正反対に思えるが…」

「そりゃまた何千年か後の話じゃねえのか? そういった事件があったから、ここで実験を始めた可能性もあるだろうが」

「…そうか。そうかもしれんな」

「それ以前によ、もう連中はいねぇんだ。俺たちが大昔のことを気にするこたぁねえよ。そいつは学者の仕事だ」

「それもそうですね。終わったこと…ですからね」


 すでに過去のことだ。

 どんな酷い戦いがあったとて、時間がすべてを包み込んで流してしまう。

 ここはもう誰も覚えていないような忘れられた遺跡でしかない。


「だがよ、てめぇにだけ見えたってことは気になる。俺には何も見えなかったぜ」

「俺もだ」

「…そうよね。どうしてなのかしら?」

「てめぇはこの遺跡と何か関係があるんじゃねえのか?」

「…え?」

「カスの野郎が、てめぇを連れ出したこともそうだ。何かしら遺跡に関係があると思うのが普通だぜ。なぁ、レイオンよ」

「………」

「てめぇは言ってたな。ミャンメイには、もう一つの【資質】があるってよ。その話については、うやむやのままだよなぁ? それと遺跡が何か関連があるんじゃねえのか?」


 レイオンは、ミャンメイにはもう一つの資質があると言った。

 しかし、当人もあまり触れたくなかったのか、会話の流れの中で【意図的に】置き去りされてしまった話題の一つでもある。

 そこを見逃すグリモフスキーではない。

 カスオが金をちょろまかした際にも、製造番号を調べさせるなど、細かいところにも気付ける男なのである。

 最初はうっかり言ってしまったが、後半はレイオンがこの話題を避けていたことにも気付いていたのだ。


「カスの野郎は、何かの目的のためにこいつを連れ出していた。それと資質ってやつに何かしらの関連性があるんじゃねえのか?」

「そういえばあの神殿にも、何か順位みたいなものが表示されていましたね。クズオさんも、それを見て狙う相手を決めたって言ってました。兄さん、何か知っているの?」

「うむ…」

「隠し事はしねぇんだろう? さっさと言えよ」

「………」


 ここでの戦いは過去のことだが、ミャンメイのことは現在まで続いていることだ。

 その問題を放置はできない。


 しばらくレイオンは黙っていたが、ゆっくりと重い口を開いた。

 躊躇うというよりは、適切な言葉が浮かばないので、どう話していいのかわからないといったような様子で。


「…ミャンメイの資質については、よくわかっていないことが多いんだ。俺もすべてを知っているわけではないからな。ただ、生命の石と関連があるのは間違いないだろう」

「生命の石と…? どういうことだ」

「ミャンメイの能力のことは覚えているな?」

「ああ、作った料理を食うと力が湧いてくるみたいなやつだったな。すげぇ能力ではあると思うぜ。それだけでも狙われる可能性がある。が、てめぇはそれが狙われる理由じゃないみたいなことを言っていたな」

「そうだ。問題は、その能力の【源泉】なんだ」

「前も言っていたけれど、能力の源泉ってどういう意味なの?」

「順序が逆なんだ。お前がこの能力を得たのは、生命の石の力によるものだと思われるからだ」

「…え? それって…え?」

「おいレイオン! そりゃてめぇ、こいつの身体の中に石があるってことじゃねえか!? そういう意味だろうが!」

「………」


 レイオンは、否定も肯定もしなかった。

 もし違っているのならば即座に否定したはずなので、ミャンメイが狼狽する。


「ええええ!? そ、そうなの!? たたた、大変! それじゃ私、死んじゃうのかしら!? 若返るのは嬉しいけど、筋肉が弱って死んでしまうわ…!」

「落ち着け。驚く気持ちもわかるが、これにもいろいろと事情があるんだ。というより、事情があったんだろうな」

「そ、そうなの? 兄さん、驚かさないでよ!」

「まだ説明が終わっていないんだ。仕方ないだろう。順序よく話さないと俺もわからなくなるんだ。あまり頭が良いほうではないしな」

「それもそうね。…じゃあ、続きは?」


 兄の頭が良くないことを即座に肯定する妹。


「セイリュウたちがやっているであろう実験のことも話したな。それによって奇病が発生していることもだ。では、その実験はいつから行われていると思う?」

「…あっ、ここ数年とか…じゃないわよね」

「俺たちが知っている事例だけでも、かなりの数にのぼるが、それはあくまでわかっている範囲においてだ。先生の話では、セイリュウは最低でも百年以上はグラス・ギースにいるらしい。その間にも実験を行っていたとしたら、もうずっと昔から続けていることになるだろう」

「それってすごくない? 百歳以上…ってことよね? そんなに長生きできるのかしら? まさかその人って、おじいちゃん?」

「いや、見た目は二十代だ。俺と同じか、下手をすればお前と同じくらいに見える」

「っ…まさか! やろう…!! あいつも身体の中に石があるのか!? だから若いのか!?」

「そこはまだわからない。武人の中には長寿の者もいるからな。だが、無関係であるとは思えない。もしそうならば、やつは…【実験の成功例】の可能性が高い」


 今現在判明している生命の石の能力は、【若返り能力】である。

 しかし、そのまま若返って赤子になる、といった症例は確認されていない。

 ツーバもログラスも、肉体年齢が二十代から三十代程度にまで若返ってはいたが、そこからさらに戻ることはなかった。

 となれば、セイリュウが百年以上生きているという話も、それに関連付けねばむしろおかしいというものだろう。


「兄さんがそんな話をするということは、まさか…私もそうなの? もしかして幼い時に『実験対象に選ばれた』とか?」

「ううむ…」

「兄さん、遠慮しないでいいのよ。私は真実が知りたいのだから」

「遠慮して言い淀んでいるわけじゃないんだ。実は…よくわからないんだ」

「おいおい、ここまできてわからねぇ、はないだろうが! 何か根拠があるから、そう思ってんだろうがよ。それとも推測かぁ?」

「根拠はある。祖母が実験対象に選ばれたことだ」

「ああ? それがどういう意味を持つんだ? たまたまじゃねえのか」

「最初は不特定多数の人物を無作為に選んだ可能性もあるが、先生の時代からは、ある程度の法則性が見受けられるそうなんだ。それに祖母が該当したのだろう」

「おばあさんは、選ばれたってこと?」

「そうだ。そして、選ばれたのは祖母だけではない。というよりは、最初に選ばれたのは【母さん】だ」

「え? えと…母さんって、私たちのお母さんのことよね?」

「そうだ。ほかにいたら…ちょっと問題だがな」

「でも、お母さんは普通に生きていたじゃない。今も…たぶん生きているわよね? 最近は連絡していないからわからないけど…」


 二人の両親は、死んではいない。

 祖母の様子を見るために、若いレイオンたちだけでやってきたにすぎない。

 そして、母親は病気になったことなど一度もなかった。どんなつらい環境下でも風邪一つ引かない丈夫な身体の持ち主だ。


「母さんは生きているはずだ。なにせ、やつらにとっては貴重な『成功例』の一つだからな。もしかしたら人員を派遣して、危険から守っている可能性もある」

「成功…例?」

「そうだ。母さんは、生命の石の【適合者】だ」




486話 「ミャンメイの資質」


「お母さんが…適合者?」

「そうだ。母さんは若い頃にやつらの実験対象に選ばれて、生命の石を植えつけられていたようだ」

「そ、そんな! どうして!?」

「経緯も理由もわからん。たまたま目に付いただけかもしれん。やつらの判断基準なんて知りたくもないしな。まったくもって反吐が出る」

「そ、それってどうやって突き止めたの? 今はお母さんとは会えないし…わからないでしょう?」

「そもそも母さんに自覚はないだろう。訊いたところで意味がわからないと思う。これが判明したのは、先生がやつらの目論見に気付いて、過去の記録を調べていた時だ。母さんも一時期、体調を崩して医者にかかっていたことを突き止めたんだ。担当したのは違う医師だったが、病状が奇病に少し似ていたことで、医師連合の記録に残っていたのさ」

「医者にかかるなんて…かなり危なかったの?」

「いや、筋肉の衰弱が多少見られた程度らしいが、すぐに戻ったようだ。ただ、【お前を身ごもっていた】から、安全のために受診したんだろうな。俺は幼かったから記憶はないんだが…どうやら事実らしい。それもおばあさんから辿っていってわかったことだ」

「じゃあもしかして、お母さんは歳をとらないのかしら? あれ? でも、お母さんって普通に老けて…じゃなくて、歳をとっていたわよね」

「そうだな。年齢のわりには若々しい部類だとは思うが、それくらいだ。あとは少し丈夫なくらいか。この『適合者』という言い方は、石の力を受けても意識不明にならなかったり、筋肉が衰弱しないという意味であって、必ずしも力を引き出せるわけではないらしい」


 適合者のすべてが同じラインに立っているわけではない。

 【成功例】だと思われるセイリュウが強大な力を持っていることから、【どれだけ力を引き出せるか】という点も重要になってくるのだろう。

 ミャンメイの母親は、そこまでの能力はもっていなかった。

 単に副作用が出ない、または効果を多少引き出せて病気になりにくくなる、といった程度のメリットしかないだろう。


「ええと、最初にお母さんが狙われて…でも無事だったから適合者だってわかって…あれ? 適合者だとわかったのはいいけど、それからどうなるの? その人たちに酷いことされちゃうのかしら?」

「そこもわからない。俺たちが見つけたのは失敗した例ばかりだからな。実際に適合者がどのような扱いを受けるのかは、わかっていないんだ。少なくとも母さんの件では、今のところやつらに動きはない。ここ最近はわからないが、俺たちがゴウマ・ヴィーレにいる時は普通に暮らしていたからな」

「うーん、なんだかよくわからないわね。何がしたいのかしら?」

「不老不死が目的、などという陳腐な目的ではないだろう。それに意味はないからな」


 地球でもありがちだが、不老不死を目的とする意味はまったくない。

 誰が好き好んで、こんな物質に塗れた世界に居続けたいと思うだろう。それはむしろ地獄でしかない。

 生命とは燃焼するものだ。

 目的のために、何かのために意思と心を燃やして生きるからこそ、生命は輝くのである。

 ただ、セイリュウのように肉体能力の強化という意味合いでは、非常に大いなる価値を持つかもしれない。


 【強大な軍勢を作る】という意味では。


 
 こうして意外なところで接点があることがわかった。

 そして、これからがミャンメイ自身の話になる。


「母さんが放置されていたことには、もう一つの意味があると考えている。それはお前にも関係があることだ」

「私にも…?」

「今言ったように、当時の母さんはお前を身ごもっていた。そこに意味があるんだ」

「レイオン、そいつはまさか…【遺伝】ってことか?」

「…ああ、そうだ」

「てめぇのばあちゃんが選ばれたってのは、そういうことか」


 最初に選ばれたのは、レイオンとミャンメイの母親であった。

 その彼女が適合者、マイナス要因に耐えられるだけの何かの要素を持っていた事実が判明する。

 この段階でセイリュウたちに動きがなかったのは、それが【遺伝】するものかどうかを調べていた可能性が高い。


「おばあさんが狙われたのは、遺伝の始まりを調べるためでもあるだろう。結果は知っての通り、残念ながら失敗だったようだがな」

「遺伝の始まりは、てめぇの母《かあ》ちゃんからだったってことかよ。そのために老人を犠牲にするってやり方は気にいらねぇな。老人には優しくするもんだろうが」

「…道徳的だな、お前」

「筋者ってのは、そういうもんだろうが! 今までがんばってきた人たちを守るからこそ、俺らは生きる意味があるんだぜ」


 グリモフスキーのほうが、アンシュラオンより道徳意識が高いという事実も判明。

 というよりは、慣習法の力が強いグラス・ギースにおいては年功序列がそれなりに機能しているので、マフィアの人間のほうがそういう意識が強い傾向にあったりもする。

 そのせいで、ソブカのように実力主義で若い連中を重用することへの反発が根強いのである。

 どちらも良い面と悪い面がある。できれば互いに融合するのが一番だが、それが難しいことは誰の目にも明らかであろう。

 だから両者は対立するのだ。


 と、グリモフスキーの話はいいとして、レイオンの祖母が狙われたことには、もう一つの大きな意味があった。


「祖母の実験は失敗した。だが、これは想定内だったかもしれない。このタイミングで実験を行ったことには、もう一つの思惑があったのだろう。お前をこの都市に呼び戻すための工作とも考えられる」

「それって…私にも遺伝しているかどうかを調べるため?」

「だろうな。この都市に来てから、お前の周りを嗅ぎ回る連中が増えた理由も、それが原因だろう。最初からやつらはお前を狙っていたんだ」

「もしミャンメイがやってこなかったら、どうするつもりだったんだ? その可能性だってあるだろうが」

「誰がやってくるにせよ、そこでまた実験すればいいだろう。それで失敗すれば、いつかはミャンメイをおびき出すことができる」

「辻褄は合うがよ、そのわりにはミャンメイに対して、やつらのリアクションが乏しいんじゃねえのか? てめぇが賞品で出しても、やつらは食いついてこなかったじゃねえか」


 これだけミャンメイの存在をアピールすれば、彼らにわからないはずがない。

 そして、何の反応もないのも不自然だ。

 彼らにとっては貴重な実験材料の彼女を、そのまま放置する理由がない。

 だが逆に、そのことによって次の推測が成り立つ。


「そのことについては俺もいろいろと考えていた。先生とも話したが、やつらが俺たちを地下に誘導した可能性も否定できないということだった。それならばやつが…セイリュウが俺を殺さなかったことにも意味が出てくるだろう」

「わざと逃がしたってのか? だが、収監砦の地下はやつらの管理下にはないんだろう?」

「管理下でないとはいえ、上の大半を仕切っているやつらだ。そもそも地下に入る段階で、やつらの監視下にある。それを黙って見過ごすのならば、意図的に地下に向かわせたと考えるべきだろう」

「そうだわ。地下ならば腕輪を通じて監視ができるもの。彼らが似た装置を持っていれば不可能じゃないわ。…じゃあ、もしかしてあの順位って…」

「うむ、適合者のランクと順位だと考えている」


 腕輪から読み取っていた情報は、生命の石の適合者を調べるものだった可能性がある。

 それならばマザーが含まれていたことにも、それなりの整合性があるだろう。

 生命の石もジュエルの一つと考えれば、彼女のジュエリストとしての能力が影響を与えたと考えてしかるべきだ。

 そして、そのマザーを抜かして、ミャンメイが一位だったということは―――


「お母さんから私に受け継がれているの? その資質が?」

「まだ推測にすぎないが、そう思って動くべきだろうな」

「お母さんの身体の中の石って、どうなったの? まだあるのかしら?」

「これも推論になるが、今までの先生の研究成果を考えるに、溶けてなくなった可能性も否定できない」

「え? なくなっちゃうの? 石でしょ?」

「俺たちが手に入れた石も、五十人に一人くらいの割合だった。これは逆に、効果を発揮しきれなくて体内に残ったもの、なのだろう。やつらが実験を躊躇なく行っていたのも、通常は溶けてなくなるからかもしれない」


 用意周到で慎重な彼らが、野放しの一般人に研究を行うのは、証拠が残らないからである。

 だが、やはり実験だ。予想外のことは発生するものだ。

 通常は溶けてなくなるのだろうが、被験者の中には、生命の石が力を発揮できずに原形が残ってしまう場合がある。

 何の知識もない人間ならば、そのまま死体を焼いたり埋めたりして終わりだが、バイラルは解剖して、残りかすとはいえ石を手に入れてしまった。

 ただ調べるだけではなく、物証まで手に入れたのだ。狙われるのも無理はないだろう。

 そこからツーバやログラスの事件に行き着くことは難しい話ではないからだ。

 また、それ以前に起こった不審死についても、新たに暴かれる可能性もある。彼らにとっては好ましい状況ではないといえる。


「資質があるのはわかったわ。でも、私の身体の中には石はないのでしょう? そんなに騒ぐことじゃないと思うけど…」

「『石』という呼び名が悪いのかもしれないな。普通のジュエルも結局はエネルギーの塊を器に入れているだけだ。だから重要なのは力のほうなんだ。それは溶け込んでいって、いつかは当人の力になるものだからな。それが赤子のお前に引き継がれたとすれば、やはりやつらにとっては興味深い存在だろう」

「だから作る料理にも影響が出るの? なんだかピンと来ないわ。ただ作っているだけなのに…」

「お前の場合は、石の力を他者に分け与えることができるのかもしれないな。いや、言ってしまえば【拒絶反応】かもしれん。身体にとって毒になるものを摂取したら、俺たちの身体は防御機能として体外に吐き出そうとするだろう? 吐いたり下痢をしたりしてな。それと同じ現象じゃないかと先生は考えているようだ」

「えええええ!? そんな感じなの!? 私の力って、なんだか不衛生ね」


 本来、生命の石の力は人間には不要なものだ。

 ならば自浄作用として、外に出そうとする力が働くのが自然のすごいところである。

 ミャンメイの能力も、料理という形態を通じて力を外に出す仕組みになっているのかもしれない。

 なぜ料理かと問われれば、それはまったくもってわからないのだが。


「うーん、それでも私に価値があるようには思えないのだけれど…」

「てめぇ、自分が女だってことを忘れてやがるな」

「え? 知ってますよ。私は女です」

「そういう意味じゃねえよ。てめぇに力が受け継がれたなら、てめぇの子供にも受け継がれるかもしれねぇだろうが。さっきから遺伝の話をしてんだからよ」

「あっ!」

「この遺伝が男でも影響するのかわからねぇが、幸いにもてめぇは女だ。母親と同じ状況を再現できるし、息子を産めば違う実験だってできるだろうよ。そういう意味でよ、てめぇは金の卵を産む鶏かもしれねぇんだ。価値はあるぜ」

「そんな、酷い! なんて非人道的な!」

「だからそういう話をしてんだろうが! やつらをなんだと思ってんだ!」

「もっとこう…人の健康を考えているのかもしれないなーとか思ったり…」

「そんなやつが、てめぇの母ちゃんやばあちゃんを実験台にするか? ちったぁ、世の中をちゃんと見つめやがれ!」

「…そうですね。…はい。すみません…」


 グリモフスキーの指摘も、もっともである。

 彼らの実験がどれだけ進んでいるかは不明だが、ミャンメイの実験材料としての価値は大いにあるに違いない。

 そう考えると、かなり切羽詰った状況であった(今現在もある)ことがわかる。




487話 「『気に入らない』から」


「てめぇらの事情はわかったぜ。ミャンメイがそろそろ美味しく仕上がってきたから、カスの野郎を使って何かをさせようとしたんだろうな。やつらの管理下にないからこそ、クズどもを利用した。話は合うぜ」

「そうだと思う」

「そうなると医者のやつを自由にさせてることも、やつらにとっちゃ思惑通りってことだ。てめぇが闘技場で喚いているのも、負け犬の遠吠えにしか聴こえてねえってことだよな?」

「ぐっ…そうなる…な」

「皮肉なもんだな。てめぇは妹を利用しようとしたが、セイリュウにとっちゃてめぇは『妹を動かすための餌』でしかなかったってことだ。医者のやつがてめぇを助けることも想定内だったかもしれねぇぜ。てめぇが死んだら、ミャンメイは逃げちまうかもしれねぇしな」

「………」

「いや、てめぇも実験台だったか。医者のやつの行為は、てめぇにも素養があるかどうかを調べるために使えたからな。ははっ、なんてことはねぇ。全部やつらの掌の上じゃねえか。こいつは傑作だ!」

「グリモフスキーさん、言いすぎですよ」

「全部事実だろう? で、やつらに対抗する手段はあるのかよ? 俺が一番知りてぇのはそこだぜ。そんな連中がいるのは俺も気に入らねぇが、倒せないのならば意味はねぇしな。そこんところはどうなんだ?」

「…対抗する手段は、今探している」

「おいおい、そりゃねぇだろう。てめぇらは三年も地下にいるんだ。何か可能性があるから居座っているんだろうがよ」

「簡単に勝てるようならば、最初から逃げはしない。俺から言えるのは、それだけだ」

「へっ、そうかよ。じゃあ、やつらの居場所くらいは突き止めているんだろうな。どこにいるかわからないようじゃ、手の打ちようもねぇぞ」

「…それも現在、調べている最中だ」

「マジかよ、てめぇ。それで本気でやれると思ってんのかぁ? 相手はマングラスだぜ? 一番ヤバイ連中だぞ」

「やれるかどうかではない。やるしかない」

「かぁー、話にならねぇ。本気で負け犬だな。てめぇらが死ぬのはいいが、それで周りが巻き込まれたらたまったもんじゃねえぞ。そのことを考えてんのか? あ?」

「では、どうするというのだ? やつらに服従しろというのか!! ふざけるな! そんなことは認められない!」

「認めないのはかまわねぇが、死ぬぜ。いや、死ぬくらいで済むなら、まだましさ。てめぇがやつらを悪だと思ってんなら、ミャンメイがどうなるかくらい想像はできんだろう?」

「ぐっ…」

「リーダーなら、そういう決断も必要だぜ。勝てない戦いをするってこたぁ、ガキや女、老人たちも巻き込むことになるからな」

「お前にはわからんことだ。やつらの悪行を見ていないから、そう言える」

「わかってねぇのは、てめぇだ。結局は誰が上になっても、気に入らねぇやつは出てくるんだ。グラス・ギースはよ、そんなに豊かじゃねえ。ちょっと何かあれば揺らぐくらい不安定だ。より強いもんが上に立ってまとめるのは普通のことだぜ。それがわからねぇのは、てめぇが無責任だからさ」

「好き放題、言ってくれる!」

「いいぜ、殴り合ってもよ! それでてめぇがすっきりしても、現実は何も変わらねぇがな! だがそれ以前に、這いつくばるのはてめぇだぜ! 俺が床の味を教えてやるぜ!」


 二人は睨み合う。

 互いに言っていることは間違いではないだろう。

 グマシカたちのやり口は典型的な裏側のものだし、平気で他人を犠牲にするあたりも道徳心に欠ける。

 が、グリモフスキーが言うように、力のある連中だ。

 最北端の寂れた都市が、いまだにこうして持ちこたえているのは、彼らが裏から支えているからであろう。

 さまざまな情報や技術を隠匿しているから都市が発展しないのだ、と言われればそうかもしれないが、扱いきれない力を持っていても意味がないうえに、他の都市から狙われる危険性が高まるだけだ。

 それが貴重な前文明のものだとわかれば、西側の大国に目を付けられるかもしれない。

 現在のグラス・ギースの規模と戦力を考えれば、それを防ぎきることは不可能に近い。

 こうして一般論から考えても、彼らが情報を隠していることにも意味があるわけだ。



(兄さんが言うことも、グリモフスキーさんが言うことも正しいわ。どちらがいいのかしら? ああ、考えてもよくわからないわ。ただ、ただね、私は…)




「気に入らない、かな」




「え?」

「あ?」


 睨み合っていた二人の視線が、ミャンメイに注がれる。


 その視線を受けても、彼女の心はぶれなかった。






「私は―――気に入らないわ」






 そして、はっきりと述べる。

 そうしろと言われたから。

 自分の心に嘘をつくなと言われたから。

 自分がどうしたいのかをしっかり示せと言われたから。



(ああ、そうよ。そうだわ。答えなんて、もう決まっているじゃない。私は…自分が思うままに生きるのよ)



「兄さん。私はね、お母さんやおばあさんを危険に晒した、その人たちが気に入らないの。ううん、もっと言えば【許せない】。だって、そうでしょう? 私たちは普通に生活していただけなのに、それを利用しようとした人たちがいるのよ。そこにどんな理由があっても、私たちが納得してあげる必要なんてないんだわ」

「ミャンメイ…」

「グリモフスキーさんの言うことも正しいわ。リーダーなら、そういう決断を下す必要があると思うの。でも、それに従ってばかりいたら犠牲になった人たちは浮かばれないわ。それが『群れ』というものなのかもしれないけれど、人間が一緒に暮らすのって『お互いの幸せ』のためじゃないかしら。そんな基本的なことも理解していない人たちに権力を与えておくのは危険だわ」

「………」

「理屈はどうでもいいの。ただ私個人は、彼らを許せないってことだけ。そう、そうよね。そう考えると、だんだんと腹が立ってきたわ。ほんともう、一回はぶん殴ってやりたいわ! 私たちの痛みと苦しみを思い知らせてやりたいもの!! こうやって! こうして! こう!!」


 ぶんぶん しゅっしゅっ!!


 ミャンメイがシャドーボクシングをして、宙を殴る。

 もちろん武芸の嗜みなどないので、まったく基本もできていない雑な拳打だ。


 ぶんぶん しゅっしゅっ!!


 そんな拳では、同じ一般人の女性ならばともかく、成人男性に至ってはダメージを与えることも難しいに違いない。

 だが、ミャンメイは殴り続ける。


 ぶんぶん しゅっしゅっ!!


 そこに実際に相手がいることを想像して、ただただ殴り続ける。

 顔も知らない『気に入らない相手』を想像して、殴り続ける。


「はぁはぁ…!」


 だんだんと息が切れてきた。

 殴るという動作は、思った以上に疲れるものだ。宙を切るだけで、肩や腕、肘が痛くなる。

 それでもやめないし、こうして続けていると徐々に熱を帯びてくるものだ。


「これはね、おばあさんの分よ!! こっちはお母さんの分! それで、これが兄さんの分で…これが私の分!!」


 お約束通り、自分の分が一番白熱する。

 それも仕方がない。

 人間なんてものは、主観でしか生きていけない【個】なのだ。

 個と個が集まってグループを形成し、グループが集まって組織が生まれ、ひいては社会が生まれていく。

 だが、その根幹を支えるのは、いつだって【個】である。

 砂上の楼閣とはよく言ったものだ。個を犠牲にしていればいつしか土台が揺らぎ、地崩れや地盤沈下が発生し、建物ごと流されていくだろう。

 だから自分勝手と言われようが、人間はまず自分自身のことを大切にするべきであり、自分のことに集中するべきだ。

 そして、周囲にいる存在も【個】であることを認めることで、自分が自分を労わるように、他者にも優しさや愛を与えることができるようになる。



 だがしかし!!!


 やつらは、それを理解していない!!!!


 しようともしていないのだ!!!



「そんな人たちは、私がぶん殴ってやるわ!!!」



 ババンッ バンッ

 ババンッ バンッ

 ババンッ バンッ


 熱を帯びた拳が宙に叩きつけられ、音を発し始める。

 それはミャンメイの【感情】が、肉体に力を与え始めたからだ。

 怒りの意思が、強い意思が彼女を突き動かすからだ。

 この星の環境は、そうした者に祝福を与える。意思を具現化させる力を与えるのだ。




「私はね!! 絶対にぶん殴るからねええええええええ!!!」




 ブワンッ!!!



「ミャンメイ、お前…それは……」


 レイオンには一瞬だけ、ミャンメイの身体に変化が生じたように見えた。

 それは自分たちにとっては当たり前のものだが、彼女にしてみれば「ありえない変化」の一つであるといえる。



―――戦気



 戦う意思を宿した人間にだけ与えられる、あらゆるものの可能性。

 人は戦うことによってのみ、闘争によってのみ進化を遂げられるように作られている。

 それを体現した者だけに与えられる『祝福』が用意されている。

 まだまだ戦気と呼ぶにも不安定な「モヤ」だが、それでも可能性を感じさせる力の発露が見受けられたのだ。

 今まで他人に任せてばかりいた彼女にしてみれば、実に大きな変化だといえるだろう。



「はぁ、はぁはぁ……!! 疲れたあぁあ!」


 トスンッ

 ミャンメイが崩れ落ちる。

 微弱とはいえ、曲がりなりにも戦気を放出したのだ。疲れるのも無理はない。

 しかし、妙にすっきりした気分になった。

 自分の心を素直に表現することは、とても気持ちいいのだ。

 耐え忍んできたからこそ、その反動も大きい。


「ミャンメイ、お前…今、戦気を…」

「え? なに? せんき? 洗濯機の仲間?」

「ふんっ、この女が何かを考えて動いているわけがねぇ。たまたま出たにすぎねぇ。あんなもん、実戦じゃ何の役にも立ちゃしねぇよ」


 そう、こんなものが何の役に立つのか。

 意味なんて、これっぽっちもない。

 もともとが一般人のミャンメイだ。ちょっと身体が丈夫になるくらいで、銃弾を受けることさえできないだろう。

 この程度でグマシカたちに対抗できるはずがない。


 だが。


 だがしかし。


 だが―――しかし。



「気に入らねぇ…か。悪くねぇな」



 妙に心に響く言葉だ。



 「もっと大人になれ」

 「好き嫌いじゃないんだ」

 「やらないといけないんだ」

 「妥協するべきだろう」

 「社会に出たら、これがルールだ」

 「嫌ならやめたまえ、ちみぃ」

 「それで生活できるのなら、好きに生きれば?」



 気に入らない。気に入らない。気に入らない。


 そんな連中の言葉も、誰かが勝手に作ったルールも全部―――



「気に入らねぇ。それで十分だ。ははは、そうだな! そうだ。気に入らねぇんだ!! ああ、そうだった。俺も気に入らねぇ!! なんでやつらが生命の石を持ってやがる! それはな、それは…!! 親父のもんだ!! てめぇらが持つ資格なんてねぇんだよ! ああ、気に入らねぇな!」



 気がつけば、自分も気に入らなかった。

 理由もなく誰かに偉そうにされることも嫌いだし、やつらを受け入れる理由が特段見当たらない。

 正直なところ生命の石は、グリモフスキーの父親のものではないとも思うが、彼の中では「父親=生命の石」と関連付けられているので、それはそれでいいだろう。

 彼は何よりも、気に入らないのだから。


「レイオン、てめぇも、うだうだ言ってんじゃねえよ。単純にやつらが気に入らねぇんだろう? ムカつくんだろう? だったらよ、それだけでいいんだよ」

「むっ、最初にぐたぐだ言い出したのは貴様だぞ、グリモフスキー!」

「ああ? んなこたぁ、どうだっていいんだよ! 俺はあいつらが気に入らねぇんだからよ!!」

「どうだってって……ふん、どうだっていいか。そうだ、そうだな。お前の言う通りだ。俺だって気に入らない。セイリュウのやつをぶちのめすまで、俺は絶対に満足などしない!! いや、それだけでいいんだ! あいつに借りを返すまでは、この勝負を降りるわけにはいかない! 俺が戦う理由は、たったそれだけだ!」


 レイオンにあるのは、ただただ屈辱だけ。

 武人が闘いで受けた屈辱は、闘いによってしか返すことはできない。

 セイリュウを殺すまでは、彼もまた「気に入らない」のだ。


「え? ええ? 二人とも、どうしたの…? なにか急に…仲良くなってない?」

「仲良くなどなるか!!」

「だって、二人とも意気投合してたし…」

「俺はただ最初の目的を思い出しただけだ。だがグリモフスキー、お前はいいのか? いろいろなものが犠牲になるぞ」

「俺はもともと独りさ。オヤジとラングラスに対する忠義はあれど、マングラスに尽くす理由はねぇ。なによりオヤジの病気がやつらの仕業なら、それこそお礼参りが必要だろうぜ。まあ、これも後付けの理由だがな。単純にやつらが気に入らねぇんだよ。女や老人を犠牲にするやつらをグラス・ギースに置いてはおけねぇ」

「…そうか。まさかお前と意見が合うとはな」

「ああん? てめぇと共闘するとは言ってねぇ。しかしだ、普通にやっても勝ち目はねぇ。たまたまとはいえ、ここに居合わせたんだ。少し付き合ってやるだけさ」


 さすがツンデレだ。

 素敵な回答を頂戴したものである。




488話 「いにしえの人形師 前編」


 ムカつくものをムカつくと言って、何が悪いのか。

 むしろ心を隠して、嘘偽りで塗り固めた言葉こそ醜いと知るべきだ。

 こうして彼らは闘う意思を固める。

 だが、敵は強大だ。


「とはいえ、このままでは勝ち目がないのも事実だ。どうすれば…」

「やつらの戦力はわかっているのかよ?」

「セイリュウは文句なしに強い。それと双子のコウリュウという男もいると聞いている。その男も『成功例』の可能性が高いから弱いとは思えん」

「てめぇの話を聞く限り、上のマングラスの人材は戦力に含まれねぇのか?」

「いざというときは盾代わりくらいにはするだろうが、戦力にはなっていないようだな。いうなればグマシカの『私兵部隊』がやつらの主力ということだ」

「てめぇのことだ。どうせ規模もわかってねぇんだろう?」

「…うむ」

「そのあたりは期待しねぇよ。筋肉馬鹿のてめぇが、諜報活動に向いているとは思えねぇしな」

「人を使うわけにはいかなかったからな。不十分だったのは自分でもわかっている」

「結果的には正解だったぜ。普通の連中じゃ、やつらの相手は務まらないからな。だが、マングラス側の落ち着き具合からすりゃ、相当な戦力を持っていると考えたほうがいいぜ。長年グラス・ギースを牛耳っているんだ。他の派閥を含めても勝ち目はねぇだろうしな」

「…無謀な戦いであることはわかっている。それでも…」

「ああ、わかっている。そこはもういい。やるしかねぇなら勝つしかねぇぜ。そのためにやれることは何でもやるしかねぇ」

「だが、何一つ当てがない。セイリュウ独りでも手に余る状況だからな…」


 正直なところ、レイオンがセイリュウに勝てる確率は0.01%もないだろう。

 あれからレイオンが強くなっていればともかく、今まで死にそうだったのだから成長しているわけもない。

 苦しみに耐えてきたことで上がったのは、肉体能力ではなく忍耐力のほうだ。

 それはそれで闘いにとっては重要な要素だが、セイリュウの強さはそれを遙かに上回っている。


 では、そんな彼らにどうやって対抗するかが問題である。


 そこが最初に気になるのが、『あの男』の動向だ。


「ホワイトさんに頼れないかしら?」

「むっ…やつか」

「兄さんもわかっていると思うけど、あの人なら、なんとかしてくれる気がするのよ。黒い狼との戦いを見たでしょう? あれはもう別次元のものだもの」

「それは…そうだが……よりにもよって、あの男か…」

「私はね、最後に頼りになるのは彼だと思うの。そんな予感がするのよ」


 ミャンメイが真っ先に思いついた人物は、当然ながらアンシュラオンだ。

 黒雷狼との戦いは素人目にはよくわからなかったが、「すごい!」ということだけはわかる。

 あれはもう次元が違うものだ。

 神話とか伝説とか、そういった類のものだということは彼女にもわかった。

 現状でもっとも勝てる可能性が高いのは、文句なしにあの男である。


「強いのはいいが、やつにそこまでの考えがあるかはわからないぞ。妹を鍛えることに熱中しているように見えるからな」

「…そうね。そもそもホワイトさんって、どうして地下に来たのかしら?」

「捕まってきたのだろう?」

「あれだけ強い人が、おとなしく捕まるかしら? 何か目的があるんじゃないかなって」

「うむ…目的か」

「ホワイトの野郎は、上で散々暴れてやがった。そのせいで今は、対ホワイトという名目で全派閥から追われている状況とは聞いているぜ」

「それは俺も情報屋から仕入れている。それだけのことをしながら、あんな悠長にしていることが信じられないがな」

「その中にはマングラスも含まれているんですか?」

「そこまではわからねぇが…ここまで荒れたんだ。何かしら動きを見せるかもしれねぇな。というか、すでに動いてはいるだろうよ。マングラスにとっても現状は勢力拡大のチャンスだしな」

「まったく、ホワイトの赴く場所には波乱しかないな。だがそうか。これでやつらにも動きが出るのか。居場所くらいは特定したいがな…」

「他人を頼っても痛い目に遭うだけだぜ。いつだっててめぇ自身で動けるようにしとかないと、人生ってやつはすごい勢いで襲いかかってくるからな。使えそうなときに使うのはいいが、頼るのは危ないぜ」

「それは俺も知っているつもりだ。しかし、対抗する手段がな…」

「んなもん簡単だろうが」

「むっ、何か案があるのか?」

「やつらに対抗する方法なんざ、すぐ近くにあるだろうが。てめぇらがこの遺跡にいることは間違いじゃねえ。ここには【使えそうなもの】がいくつもあるからな」

「グリモフスキー、それはまさか…」

「ご丁寧によ、綺麗に並べてあったじゃねえか。てめぇは見てねぇだろうが、まだ新品に近いぜ。あれを手に入れれば戦力にはなる」


 グリモフスキーが言っているのは、『機械人形』のことである。

 あの空間、おそらくは『格納庫』の一種だと思われるが、その場にあった機械人形たちに損傷はなかった。

 となれば奥に神殿があったことから、その場を守るための『番人』だったと考えるべきだろう。


「ミャンメイの話が本当に起こったことだとすりゃ、戦いはここでひとまず終わったんだろうな。その影響はあそこまで及ばなかった。だから無事だったんだろうぜ」

「しかし、もう動いてはいなかったのだろう? どうやって動かす?」

「何か呪文が必要なのか、燃料が切れているのか…今のところはわからねぇ。遺跡を調べれば動かす方法も見つかるかもしれねぇな」

「お前も言っていたが、それはもう本当に学者や研究者の領分だぞ。俺たちにやれるのか?」

「やれるかどうかじゃないんだろう? やるしかねぇんだ。てめぇがそう言っていたじゃねえか」

「う、うむ…」

「それが駄目なら、ホワイトに頭でも下げてお願いするんだな。その程度で済むなら楽なもんだぜ」

「むぐっ…それは……最終手段にしておこう」

「どのみち私たちは、ここを出ないといけないわ。そうしないとお腹が空いて死んじゃうもの。出口を探しながら、やれる範囲で探してみればいいわよ」

「…そうだな。やるしかないか」


 方針は決まった。

 なんとも心もとない状況であり、最初から勝ち目などは無いに等しい状況だ。

 だが、やれることをやるしかない。進むしかない。

 人間は歩みを止めることが許されない存在だからだ。




 三人は、広い荒れ果てた野原を進んでいく。

 本来ならば頭上には太陽に擬したジュエルがあったのだろうが、今はもう完全に効力を失っており、薄闇が広がる世界であった。

 ただ、壁自体が光る性質は変わっていないので、月明かり程度の光はある。

 その中を一番弱いミャンメイの足取りに合わせながら、ゆっくりと進んでいく。


(私が誰に、どんな理由で狙われているかはわかったけれど…まだまだわからないことは多いわよね)


 敵の存在はマングラス、より正確に述べれば『グマシカたち』と表現するべきだろうか。

 彼らの存在についてもわからないことは多く、その目的も若干不鮮明だ。

 その根幹が生命の石というものによって成り立つことは判明したが、それだけにすぎない。

 そしてこの遺跡については、もっとわからないことが多い。

 影人間の存在、機械人形の存在、守られていた人々の存在、神殿にあった人形の存在。

 考えれば考えるほど興味が湧くし、もっと知りたいと思えてくる。

 一方で、これらは知ったところで意味がないことでもある。

 今重要なことは、自分たちがどうやって生き延びるかであり、いかにして目の前の脅威を取り除くかだ。


(一番いいのは、平和的に解決することなんだろうけれど…無理なんだろうなぁ。兄さんとグリモフスキーさんは、少しは仲直りしたのにな)


 ミャンメイという存在が緩衝材となり、結果的にレイオンとグリモフスキーの関係の修復に多少ながらつながった。

 それをミャンメイ風に言えば―――


(【マヨネーズ】ね。卵を入れれば、水と油も一緒になれるのよ)


 マヨネーズは、水と油を『乳化』したものである。

 いわゆるエマルションと呼ばれる現象として知られており、相反する二つの液体を親和性のあるもので一緒にさせる効果をそう呼んでいる。

 レイオンとグリモフスキーは、やはり相容れない存在だ。

 似ていながらも微妙に異なるからこそ、お互いに反発し合う。こればかりは仕方のないことだろう。

 だが、それをミャンメイという『卵』が一緒にさせたのだ。

 二人だけならば相性が悪いが、間に共通の友達が入れば仲良く三人でやれるのと同じ仕組みだろうか。

 微妙で絶妙で危ういバランスではあるが、それで一つの存在になれれば嬉しい限りである。


 しかし、グマシカたちとは『マヨネーズ』にはなれないだろう。


 アンシュラオンの存在が唯一の解決策という予感とともに、彼らとはわかりあえないという予感もひしひしと感じている。

 わかり合うということは、実に難しいものだと痛感する。




 それから二時間くらい経過しただろうか。


 ようやく野原の終わりが見えてきた。

 そこはもはや、荒野と呼ぶべき荒れ果てた場所であった。

 一見すれば何もない。岩のようなものしか見えない。

 だが、岩をくり貫いた中に『女神像』があるのがわかった。


「おいおい、また女神様かよ!! いつまで付き合わせるつもりだぁ!」


 グリモフスキーがそう嘆くのも無理はない。

 どこに飛ばされるのか、まったくもって予想できないのだ。はっきり言って、これ以上のお付き合いは遠慮したいところである。


「文句を言うな。女神と付き合えるなんて幸運だろうが」

「俺からすりゃ、気ままでワガママな女にしか見えねぇな。この女神様はよ、俺らを弄んで楽しんでいるのさ」

「グリモフスキーさん、罰当たりなことを言わないでください。もしかしたら出口に導いてくれるかもしれないんですから」

「だといいがな…」

「しかし、女神像が移動の手段なのはいいとしても、あまりに多すぎないか? こんなに多いと不便に感じられるが…」

「荷物運びには便利じゃないかしら。私たちの持ち物も一緒に運んでくれるのよ。助かるわ」

「それだけ遺跡が広いということか。いちいち移動するのも大変そうだしな」

「………」

「ん? どうしたグリモフスキー?」


 グリモフスキーは、じっと女神像を見ていた。

 最初は不満を溜め込んでいるだけかと思ったが、何やら思案顔をしていたのでレイオンが声をかける。

 そして、彼が考えていたことは、イクターならではの発想であった。


「ずっと考えていたんだが…この移動方式はよ、『危ないもんを隔離』するためにあるんじゃねえか?」

「隔離? どういう意味だ?」

「おめえらは平和的に考えているからよ、移動が楽だとか荷物運びに便利とか思っているようだが…転移ってのは相当な技術だ。前文明の連中だって簡単に使いこなしていたわけじゃねえと思うぜ。エレベーターだってよ、高級ホテルにしかねぇよな。西側にだって一般家庭にあるわけじゃねえって聞くぜ」


 こうして当たり前に転移が起こっていると、「ああ、昔は便利だったんだなぁ」と思うかもしれないが、実際はそうではない。

 転移は、実に高度な術式を使用している。

 前文明の叡智の結晶ともいえる神機に至っても、転移できる機体は極めて限られているのだ。

 なればこそ、この遺跡にある転移も「無理をして設置した」と考えるべきだろう。


「わざわざこうして区切っているところを見るとよ、安易に移動させたくないってことじゃねえのか。部屋に常に鍵がかかっているのと同じだからな。つまりはよ、進めば進むほどヤバイもんがあるってことさ」

「…なるほどな。お前の言いたいことはわかる。だが、俺たちはここにいる。こう言ってはなんだが、けっこう簡単に来てしまったぞ」

「何かがたまたま噛み合っちまったのかもしれねぇぜ。それが良いのか悪いのかはわからねぇが…」

「ほかに当てはない。進むしかないだろう」

「ああ、だがよ、もう少し慎重でも…」

「あっ、光った」

「…え?」

「…あ?」


 二人が視線を動かすと、ミャンメイが女神像に触れていた。

 どうやらレイオンとグリモフスキーが話している間に、勝手に調べていたようである。

 祭壇では触っても何も起きなかったので、今回も何事もないと思って気楽に触ったのだろう。

 だが、ミャンメイが触れたと同時に、女神像は白い輝きを放つ。

 これはおそらく、女神像の中核として植えられたジュエルに力が残っていたことと、特段のパスコードを必要としない造りだったことが要因になっているのだろう。

 なにせここに普通の人間がやってくること自体、もはやありえないことなのだ。

 あの戦いで人々の大半は死に絶えてしまったため、この女神像を使う者が残らなかったのである。




「お、おい、何を勝手に―――」




 フォオンッ ポオンッ


 グリモフスキーが止める前に、三人は転移していた。


 どのみち道に迷っていたので転移してもらわねば困る状況であった。転移そのものはいいだろう。

 だがしかし、この先に待ち受けているのは、今までとは次元が異なる場所であるということを彼らはまだ理解していない。



 彼らが次に目覚めた時、その場所で起きていたことを端的に述べれば。




―――レイドボスとの戦い




 であった。




489話 「いにしえの人形師 中編」


 そこは幅五百メートル、高さ二千メートルはある、巨大な【穴】だった。

 完璧な計算のもとに円柱状に切り抜かれた穴の底は、普段ならば穴の縁《ふち》からではまったく見ることができないほど深かったに違いない。

 まさに『深淵』という言葉が似合う、不気味な地獄への入り口のようにさえ見えるだろう。

 だが今は、上からでも下がかすかに見える。

 赤や黄色、緑といった色とりどりの閃光が瞬くたびに、深淵へとつながる巨大な穴の底が煌くのだ。

 ちなみに穴の内周には、小さな――それでも三メートルくらいの幅はある――階段が螺旋状に設けられていた。

 その階段の設置から察するに、穴がけっして侵入を拒んでいないことがうかがえる。


 しかし、またもや螺旋だ。


 こうしてみると、この遺跡は「螺旋」というものをテーマにしていることがわかる。


 螺旋とは、エネルギーの通り道である。

 あらゆるエネルギーが循環する世界を示すには、古くから「環」がもちいられてきた。

 しかし、環では同じ場所をぐるぐる回るだけにすぎない。そこに進化はない。

 生命が尊く美しく気高いのは、回転しながらも同時に上昇するからだ。

 同じ縦軸に戻ってきたとしても、横から見れば上に進んでいるのだ。

 螺旋とは力そのものであり、力を求める者の通り道であり、【願い】である。


 この穴は、下に下に続いていた。


 螺旋を描きながら力を溜め、全身全霊をもって挑めと言っているのだ。


 力ある者よ、ここに至れ。

 求めし者よ、資格を示せ。


 格好良く言えばこうなるが、実際は「奪えるものならば奪ってみろ」の一言で片付く話だ。

 仮に何者かがこの遺跡を遊び半分で造ったとしても、そこまでの過程は十分に【彼】を楽しませたことだろう。

 彼はこの深淵の穴に挑むために、とてもとても長い時間を費やしてきた。

 その集大成が、今ここに実るのだ。




 巨大な【何か】がいる。



 全高十五メートルを超える巨大な体躯は、この穴の中においてはたいした大きさではないが、やはり大きい。

 人間が真下から見上げれば、その威圧感はビルを眺めるに等しいに違いない。


 その『何か』の見た目は、『翼の生えた二足歩行の牛』といった様相だろうか。


 身体は人型の四肢を持ちながら、頭部は牛のような形状をしている。

 よく伝承で見かける牛頭人身のミノタウロスに若干似ているかもしれない。

 頭部にはツノが三本生えており、背に大きな翼を広げていることも特徴的だ。

 このことから「悪魔」らしい姿を想像するかもしれないが、実際の姿は【神々しい】の一言だ。



「ボオオオオオオオオオッ!!!」



 ひとたび嘶《いなな》けば、黒光りした身体は黄金の輝きを見せる。
 
 頭、胸、腕、足、翼、すべてに粒子がまとわりつき、太陽が生まれたかのように周囲を明るく照らし出す。

 四本ある手の一つには、修験者《しゅげんじゃ》が持ち歩くような錫杖《しゃくじょう》を持ち、もう片方には巨大な棍棒を持っている。


 これが何か、よくわからない。


 その存在を一言でいうなれば、もはや『神』と呼ぶしかないだろう。

 顔は牛に近いので、ひとまず『牛神《うしがみ》』とでもいっておこうか。

 古来より日本人は、自分たちが理解できない強大な存在をすべて『神』と称してきた。

 だからこそ神という言葉が至る所に散見されるわけだが、この存在を見ると神と呼ぶのが一番適切なのかもしれない。


 ただし、その神の身体は―――【機械】だった。


 皮膚のように見える体表も、近づいて触ってみれば『硬い』だろう。人間のものとは根本が異なっている。

 誰が何の目的でこれを造ったのかはわからない。

 だが、その『人工機械神』は確実に存在することを誰もが知っている。



 人はこれを―――【神機《しんき》】と呼ぶのだから。



 闘技場の前にも神機を模した石像が立っていることから、ここに神機が存在しても不思議ではないだろう。

 神機自体はこの時代においても、それなりの数が確認されている。

 これだけの技術を擁した遺跡ならば、一体くらいはいても問題はない。


 問題は、その【神機と戦っている者】がいたことだ。


 まあまあまあ。

 百歩譲ってそれはいいだろう。

 野良神機が暴れた際は、軍隊や騎士団が総出で対処することも珍しくはない。

 その際は自国にある最新鋭の戦艦や戦車を持ち出し、可能ならば自身も神機を使って対抗すべきだろう。

 剣には剣、銃には銃。神機に対抗できるのは神機だけだ。

 人に従う神機は貴重なので、仮に持っていなくても最低でもレプリカである『魔人機《まじんき》』は用意するべきだ。

 各国にはWG《ウルフ・ガーディアン》という世界的な組織から、パワーバランスを保つために優れた機体が与えられている。

 小国でも一機くらいはなんとか用意できるはずだ。それを使えば被害は最小限にとどめられるかもしれない。

 そう、それでも最小限にできれば幸いである。

 嵐が過ぎ去るのを待つ動物のように、基本的には防衛の姿勢を貫くのが一般的な対処方法だ。



 だが。


 そうなのだが。


 本来ならばそうなのだが。



 ここがどこか、よく考えてみてほしい。



 遺跡の内部に、そんな兵器を持ち込めるわけがない。

 これだけのセキュリティが施された場所に軍隊がやってこられるわけがない。

 であれば、どうするのか。



 生身《なまみ》で。



 生味《なまみ》で。



 生実《なまみ》で。





 たたかあああああああああああああああああああああああああ!!!




 ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええーーーーーい!!!!




 おいおいおいおい、馬鹿を言ってもらっちゃ困るよ。

 神機を相手に生身で戦えなんて、どんな冗談だ。

 まったくもって正気の沙汰じゃないぜ。

 俺たちは、どこぞの山に篭って修行しているハゲの覇王じゃないんだぜ?

 無理に決まっているじゃないか。ありえないって。

 そんなことを考えるなんて頭がおかしいやつだ。


 ごもっとも。正論。無難。当然。常識。


 だがしかし、そんなあまっちょろい考えを、この崇高な闘争の場に持ち込む馬鹿者は―――誰だぁあああ!!!


 誰だ! 誰だ! 誰だ!!!!


 お前か! お前か! お前かあああ!!!





 あいつ、あいつ、あいつだああああああああああああ!!!





 その牛神の目の前には、五十人くらいの【人】がいた。

 そう、やはり対峙しているのは人間だった。

 四肢があり、頭部があることまでは神機と同じだが、サイズは明らかに小さい。

 大きめのサイズでも三メートルあるかどうかだ。マサゴロウを思えば、これくらいのサイズの人間もそれなりにいるものである。

 一方、小さいものは一メートル半程度くらいしかない。どちらもこの世界における人間の一般的なサイズといえる。


 シャラーーーンッ


 牛神が錫杖を大地に叩きつける。

 振動が大地を伝って、全方位に衝撃波として襲いかかった。

 それと同時に全員が跳躍。一糸乱れぬ動きで空中に跳ぶ。

 衝撃波は穴の端まで到達し、それでも収まりきらなかった衝撃が壁を伝って穴の中腹にまで及ぶ。

 凄まじい威力と攻撃範囲である。これと比べるとJB・ゴーンが使った技が陳腐に見えて仕方がない。

 そもそも神機の攻撃と人間の攻撃を同じと考えるほうがおかしいので、これは仕方がないことだ。


 この攻撃は回避した。

 もし一瞬でもタイミングが合わねば、次の瞬間には身体が粉々に砕け散っていただろう。


 しかし、次なる一手がすぐに迫る。


 跳躍して無防備になった彼らに、牛神が一気に間合いを詰めて襲いかかってきたのだ。

 その巨大な身体に匹敵するくらいの巨大な棍棒を、横に一閃。

 怪獣が建物を引っこ抜いて、大きく振り回してくるような絶望的な攻撃が迫る。

 しかも回避したばかりだ。

 さすがに空中では避けられない。


 と思いきや、彼らは空中でさらに二度目の跳躍を行い、その攻撃を回避した。


 原理はわからない。なぜか突然、加速したのだ。

 戦気の放出もなかったため、かなり謎の動きといえる。


 ただ、牛神もそれで終わらない。

 返す刀、もとい返す棍棒で再び横薙ぎの一撃。

 今度は彼らも避けきれないが、ひときわ大きな者が三名ばかり、自ら棍棒に当たりにいった。

 案の定、三名は吹き飛ばされるが、それによって衝撃がかなり分散したのか、その後に弾き飛ばされた者たちのダメージは軽微だったようだ。


 そして、それは彼らの作戦でもあった。


 こうして牛神を引き付けている間に、左右に分かれた彼らの分隊が一斉に攻撃を開始したのだ。

 右側の分隊は銃のような武器で断続的に攻撃を開始。

 一撃一撃はたいしたことはないが、攻撃し続けることによって相手の注意を引き付ける役割も果たすことができる。

 左側の分隊は、設置した機械を使って巨大な杭を射出。

 凄まじい速度で飛んでいった杭は、牛神の脇腹に突き刺さった。

 杭には鎖が仕込まれており、突き刺さったことを確認すると、機械と自身らの力を使って引っ張り出した。

 それによって棍棒を振る力が弱まり、前方の脅威が減ることにつながる。


 牛神の動きが鈍る。


 その隙を彼らが逃すはずもない。

 正面から剣や槍を持った者たちが攻めかかっていく。

 剣が装甲を切り裂く。槍が貫く。

 サイズが違うので一撃で致命的なダメージは与えられないが、攻撃が通るだけでもすごいことである。

 神機にも用途別に多様なタイプが存在するものの、その身体はやはり機械である。

 銃弾はもちろん戦車の砲撃でさえ、傷一つ付けることは難しいに違いない。

 しかもたいていが『自己修復』機能を持っているので、放っておけば時間経過で修復が始まってしまう。


 だが、その点も抜かりない。


 彼らが攻撃した箇所に限っては、自然に修復されることはなかった。

 これは彼らが使っている武器に特徴がある。

 青白い剣が凍るように輝いている。赤い槍が燃えるように輝いている。

 普通の武器ではない。ソブカが持っているようなBランクの準魔剣、あるいは中にはAランクに匹敵する武具があるかもしれない。

 これらすべては術具であり、自己修復を破壊する能力を宿しているのだ。


 当然ながら一対一では渡り合うことはできない。

 陽禅公やアンシュラオンのように、生身でこんな化け物と戦うなんてありえないことだ。

 強力な武器と集団による絶妙なコンビネーションをもって、多数で一体の牛神と渡り合っていくしかない。

 大きい者も小さい者も、あるいは異形の者においても、すべての存在には役割があり、無駄なものは何一つない。

 彼ら一人ひとりが歯車となり、大きな目的のために動いている姿は、なんと美しいものだろうか。

 ちょっとした移動も緻密な計算によって導き出された行動であり、次の瞬間には相手の強烈な一撃がかすめていく。

 一撃でも直撃すればそこで終わり、という緊迫した状況が何時間も続く。



 その時である。



 一つの【変化】が起きた。



 人側が優勢になったかと思いきや、突如として牛神の様相が変わっていく。

 輝きが強まり、周囲を覆う粒子が増えていく。

 粒子が身体の損傷箇所に入り込み、『補修』していく。

 修復ではなく『補修』だ。

 修復は妨害できているので、あくまで代替物として粒子を利用しているにすぎない。

 だが、重要な点はそこではない。


 牛神自体の行動にも変化があったのだ。


 武器を持っていない空いていた手に、いつの間にか巻物のようなものが握られている。

 巻物が開かれ、術式が展開される。

 光輝く粒子が空中に術式――我々が思い浮かべる高度な数式のようなもの――を描き出すと、凄まじい速度で演算が行われていく。

 だが、すぐには発動しない。

 この世界で術式とは、自然現象を引き起こすために法則を書き換えることを意味する。

 自然法則自体は変わらないのだが、その中の順番や配列をいじることで、目的に見合った現象を引き起こすことができるのだ。

 当然ながら発生する現象の規模や威力が大きければ大きいほど、複雑で長い術式の構築が必要となる。


 これは牛神が【大技】の準備に入ったことを意味していた。


 『牛輪金毛震《ぎゅうりんきんもうしん》』と呼ばれる神機の専用術式で、一定範囲内に防御無視の極大ダメージを与えるという強烈な技である。

 最低でもHPが一万はなければ、問答無用で即死という危険なものだ。

 アンシュラオンでも特別な防御行動を行わなければ、致命的なダメージを負ってしまうほどの怖ろしいものである。

 また、これのいやらしいところは、ここが狭い穴であるということだ。

 外ならば全力で離脱すれば、回避はそこまで難しい技ではないだろう。

 しかし、大きいとはいえ半分閉ざされた空間では、範囲外に逃げることは不可能だ。

 術式が発動すれば、底から天井の吹き抜けにかけて、すべてを蹂躙することになるだろう。




490話 「いにしえの人形師 後編」


 牛神が大技の準備態勢に入る。

 これを受ければ全滅は必至。防御術式を発動させても貫通するので、防ぐ方法は回避しかないが、場所が狭いので避けきれない鬼畜仕様だ。


 ただし、これにも【対応策】がある。


 術式の構築に必要な演算処理を行っているのは、牛神が持っている『巻物』だ。

 それに加えて粒子が集まって生み出された、周囲に浮かんでいる二メートル大の『金牛球《きんぎゅうだま》』と呼ばれる四つの補助ブースターユニットである。

 これは術者が一般的に使う魔力ブースターと同じものだ。あらかじめ蓄えておいたエネルギーを術式の動力源として活用するのである。

 この二つを一定時間内に破壊すれば、術式が中断されて攻撃を防ぐことができる。

 それだけにとどまらず【術式連鎖】が発生し、自爆ダメージが相手に入る仕組みになっている『ボーナス付き』だ。

 強すぎる力ゆえに、しっかりと発動しないと危険であるという証拠であろうか。



―――「来た」



 彼らは最初から相手の行動と対応策を知っていたかのように、迷いなく金牛球に攻撃を開始する。

 一撃では割れない球を、タイミングよく同時に攻撃することで瞬間的に大きなダメージを与え、的確に破壊していく。

 この球を破壊する工程にも、気をつけねばならないポイントがある。

 四つの球は左右に二つずつ浮かんでいるので、左右同時に一対ずつ破壊しないと術式のバランスが大きく崩れ、周囲を巻き込んで暴発する可能性を秘めているのだ。

 これが初心者だと、焦って片方に攻撃ばかりしてしまい、この罠に陥る可能性があるので注意が必要だ。


 もちろん牛神も黙って見ているわけではないので、その対処も必要となってくる。

 棍棒や錫杖の攻撃はいまだにやんでおらず、常にこちらに襲いかかってくる危険な状況だ。

 球の対処に追われるため、分隊も完全に牛神を押さえることができない。

 牛神は鎖を引っ張り、射出機ごと振り回し、反対側にいた銃を構えた分隊に投げつける。

 銃分隊はさほど防御力が高くないため、この攻撃で完全に沈黙してしまう。

 だが、彼らの犠牲は無駄にはならない。

 その間に球の破壊が進んでおり、彼らはついに巻物への攻撃を開始していた。


 相変わらず、一糸乱れぬ動きである。

 刹那のタイミングを要求されても、即座に反応して期待に応える彼らは、なんという集団か。

 このような動きが誰にでもできるわけがない。よほどの鍛練を積み重ねたのだろう。



 そして何よりも―――【優れたリーダー】がいなけば成り立たないことである。



 あらゆる集団は、それを率いるリーダーの特性が如実に表れる。

 アンシュラオンが率いる戦罪者たちが、命も顧みずに突撃していくことも、気迫と覚悟で実力以上の力を発揮するのも、すべてはあの男の性質があってこそだ。

 プライリーラに従う者たちが、まっとうな性格で正当を愛するのは、彼女が誇り高く生きたいと願うからだ。

 ソブカに願いを託す者たちが、どんな手を使っても目的を達しようとするのは、彼という光の可能性を知っているからだ。

 では、この集団を率いている者は、いったい誰で何者なのだろうか。

 完全なる統制力を持ち、完璧なまでに集団を操っている人物は、どんな存在なのだろうか。



 牛神と戦う集団の背後に、独りだけオーラが異なる者がいる。



 精密な動きを制限しないように、身体を覆うのは最低限の布のみ。

 それもぴっちりと張り付いているので、ぱっと見はミイラ男と勘違いしそうなほどだ。

 きっと防御力は最低だろう。一撃でもくらえば彼も即死は免れないに違いない。

 だが、その鋭い眼光に怯えの色は何一つない。しっかりと戦場全体を見据え、相手の行動を注視し続けている。

 ただ見ているだけではない。彼自身も移動や跳躍を行いながら、なおかつ手だけは常時、演舞のようにせわしなく動いている。



 その姿はまるで―――【指揮者】



 タクトと見まごうばかりの手の動きと連動して、華麗に舞うその集団は、もはやオーケストラである。

 すべての者が奏でる音は、それが破壊や痛みを伴うものであれ、この壮大な交響曲を生み出すのに必須なのだ。


 そして彼らは見事巻物を破壊し、術式阻止に成功する。


 ここでほっとしてはいけない。

 まだ半分の工程が終わったにすぎない。

 交響曲の第二章が終わり、ここからは第三章に突入するのだ。



「ボォオオオオオオオっ!!」



 術式阻止によって自らにダメージが入った牛神が嘶《いなな》くと同時に、穴全体に粒子が撒き散らされる。

 粒子は牛神の防御機能を維持していたものでもあるので、それが離れるということは回復力を失うことを意味する。

 だが、これによって周囲には別の術式が展開されることになる。



―――回復術式の禁止



 である。

 牛神がこの行動を取った瞬間、自身を含めた全員の回復行為が封印されてしまうのだ。

 かなり強力な封印結界術式であるが、これも外ならば遠ざかればいいだけなので、あくまで限定範囲内に力を及ぼすものだと考えていいだろう。

 強い効果であればあるほど何かしらのデメリットがあるのだ。知っていれば対処は可能だ。

 が、すでに述べた通り、ここは限られた狭い空間である。

 逃げ場はない。生き残りたければ相手を倒すしかないのだ。


 ここからは激しい消耗戦が繰り広げられた。


 これまでの戦いでは、指揮者は回復も行っていた。

 損傷した者たちに『何か』を与えると、彼らの身体が修復されていったのだ。

 もっと大きな変化でいえば、ほぼ完全に戦闘不能になった者でも、欠損部分が修復されて時間経過とともに戦場に舞い戻っていた。

 これだけでもかなり驚異の現象でもあるが、目の前の神機の強さも相まって、そこまで目立ったものではなかった。

 むしろこれくらいの技は認めてもらわなければ、こんな化け物と生身で戦えるわけがないだろう。


 だが、それも禁止された。


 いくら文句を言っても仕方ない。【仕様】に逆らっても意味はない。

 ならばルールの範囲内であがくしかない。戦うしかない。

 指揮者は一撃離脱をする攻撃部隊と、犠牲になって攻撃を防ぐ防御の部隊を巧みに操り、その場を凌いでいった。

 当然、刹那のタイミングが要求される戦いだ。

 少しでも行動を誤ればバランスが崩れ、一瞬で全滅にまで追い込まれるだろう。

 彼の人間離れした統制指揮能力がなければ、到底まともに戦うことはできなかったに違いない。


 なんとその戦いは、八十四時間も続いた。


 この長時間、高い集中力を維持することだけでも驚嘆だが、指揮者は瞬き一つせずに戦いを継続していた。

 超一流の武人ならば、下手をすれば一年間くらいは戦い続ける集中力を持っているものだが、これだけ実力が拮抗した状況で、緊迫した戦いを続けるのは極めて困難だ。

 それをやってのける指揮者が異常なのである。

 彼がこの戦いに込める意気込みが感じられる一幕であった。



「ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」



 犠牲の甲斐があり、牛神のHPがついに一割以下になる。

 ボロボロになった牛神の装甲が剥げ落ちていく。

 すでに装甲としての役割を果たしていないので、あってもなくても変わらない。

 ただ、彼は動きやすくなるために捨てたわけではない。

 その【本体】あるいは【本性】をさらけ出すために脱ぎ捨てたのだ。


 牛神という外殻が剥がれ、骸骨戦士さんのような骨組みだけの状態となる。


 その心臓部分には、一メートル半程度の丸い球が輝いている。

 あれこそ牛神の動力源であり、彼そのもの。

 逆に言えば、あれがあれば他の部分はどうでもいいのだ。

 今脱ぎ捨てた装甲も、すぐに修復可能のボロ切れに等しい。



―――「ついにきた」



 指揮者にも感慨深い気持ちが一瞬だけ宿った。

 あと少し! もう少しだ!!

 ここまで来たら、多くの人間が勝利を確信するに違いない。

 しかし、しかし、しかし。

 その油断でどれだけの人間が失敗してきたか。詰めの甘さと勝利への慢心によって敗れてきたか。

 指揮者は、それをよく知っていた。だからけっして油断はしない。


 なぜならば、次の瞬間から「タイムリミット」が発動するからだ。


 特に説明も表記もないが、毎秒ごとに『終焉』が近づいてきているのだ。



 一定時間内に倒さねば、牛神は―――【自爆】する。



 この爆発は『牛輪金毛震《ぎゅうりんきんもうしん》』すら上回り、問答無用で穴の中にいる者を排除する。

 威力はおそらく、防御無視の五万の固定ダメージ。

 ゼブラエスならば十分耐えられるであろう数値だが、あれは特殊な存在なので、普通ならば即死以前に【消滅】だ。


 また、さらにいやらしいのが、このタイムリミットが「ランダム」であることだ。


 その時の牛神の残存HPに応じて、制限時間がその都度変わるのだ。

 これを思えば、時限式爆弾がいかに優しい設計かわかるだろう。わざわざ残り時間を表示してくれるのだ。親切設計にも程がある。

 一方、この牛神に親切などという言葉は存在しない。

 【挑戦者】をこれでもかと痛めつける仕様が山ほどある。

 ここまで簡単に到達したように見えるが、それは指揮者がいたからだ。彼だからこそ、いとも簡単にやっているように見えたのだ。

 だが、その彼にしても、ここに至るまで何百、何千回と失敗している。

 初めて挑んだ時は牛神に殴り殺されたし、ようやく第二章に入った時には『牛輪金毛震《ぎゅうりんきんもうしん》』で壊滅させられた。

 ちょっとタイミングを誤れば、いともたやすく全滅だ。

 何度何度も失敗した。慣れた今でも凡ミスをして簡単に全滅したことも珍しくはない。

 もうやっていられない。やめたい。幾度もそう思った。


 だが、彼は諦めなかった。


 継続は力なり。

 一度始めたことを続けることは難しいものだ。

 多くの者が脱落していく中でも、彼だけは諦めなかった。

 もちろん使命感はあったが、そこに楽しさを見い出していたことも事実である。

 この永遠ともいえる時間を堪能していたかったのだ。

 命を燃やし、燃焼している時間をずっと味わっていたかったのだ。

 しかし、物事はいつかは終わる。

 どんな楽しい時間も終わる。

 この戦いにも終わりが来る。



 全身全霊をもって挑む。



 今まで培ったすべてを叩きつける。

 骨組みだけになっても牛神は強かった。

 余計なものがなくなったので素早くなり、こちらの攻撃も迎撃されてしまう。

 一人、また一人と犠牲が出ていく。貴重な武器も砕けてなくなっていく。

 それでいい。そのために用意したものだ。

 この勝負に勝てば、すべて無意味になるのだから、全部使ってしまえばいい。


 ふと、負けた場合のことを考えた時もあった。

 エリクサー症候群とは、貴重なアイテムをもったいなくて使わずにクリアすることだが、けちったがゆえに負けることも多かった。

 そうだ。覚悟が足りないのだ。

 ここで終わってもいい、という覚悟がなければ永遠に勝つことはできないのだ。



―――「全部使おう」



 その気持ちになった時、指揮者は変わった。

 戦いに気迫が生まれ、次々と攻略が進んだ。

 物や道具とは、そのために存在するのだ。使うためにあるのだ。

 今もその気持ちは薄れていない。だから全部使う。


 指揮者の身体が光り輝き、エネルギーの奔流に包まれる。


 相手がすべてをもってぶつかってくるのだから、自分もそうするだけだ。

 光に包まれた彼の【軍団】は、最大の攻撃力をもって牛神に殺到した。

 砕けると同時に、相手にもダメージを与えていく。



 砕ける。ダメージを与える。

 砕ける。ダメージを与える。

 砕ける。ダメージを与える。

 砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。


 砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。


 砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。砕ける。ダメージを与える。



 防御など考える必要はない。ただひたすら攻撃を続ける。

 彼は知っていた。

 今までの経験から、残り時間はあと【十数秒】しかないことを。

 さらに感覚でいえば、十二秒といったところか。極めて短い時間だ。

 それが過ぎれば自爆され、またやり直しになる。

 再び挑む準備をするだけでも数年はかかってしまうだろう。もう嫌だ。やりたくない。でも、その時間は楽しい。

 さまざまな感情が交錯する中、残り数秒となる。


 もう誰もいない。


 いるのは自分だけ。

 たった独りの自分だけ。

 他のすべては、自分のために滅びてしまった。


 指揮者は、手を伸ばす。


 最後の一撃を入れるために、決死に手を伸ばす。




 その時だ。






―――「あっ、0.1秒足りない」






 彼だからこそ、わかってしまった。

 何度も挑んでいるからこそ、もうそんなことまでわかってしまうのだ。

 ほんの一瞬、刹那、一秒にも満たない時間が足りなかった。

 なんという残酷。冷酷、非道。

 それだけでやり直しなのだ。すべてが理不尽に無意味になるのだ。

 だが、いまさら手を引けない。伸ばし続けるだけだ。



 届け、届け、届け。


 届け、届け、届け。届け、届け、届け。

 届け、届け、届け。届け、届け、届け。
 届け、届け、届け。届け、届け、届け。
 届け、届け、届け。届け、届け、届け。



 この一撃よ、君に届け!!!



 届けえええええええええええええええええええええええ!!



 こうなったらもう気迫しかない。

 パソコンが全力で稼働している時、人間ができることは応援することしかないのだ。

 が、機械的に作用する法則の中で、それが届くことがないことも事実である。


 奇跡などは起こらない。


 それも長年の経験によって理解していた。

 半ば諦めたくなる気持ちを必死にとどめ、手を伸ばし続ける。




 牛神の中心部に、火が入る。




 間に合わない。


 自爆する。


 もう駄目だ。




 そんな極限の時だった。




 【女神】が―――舞い降りた。




 牛神の目の前に、光に包まれた女性が出現したのだ。


 牛神が一瞬、止まる。


 理由はわからないが、その女性を見た瞬間に、ほんのわずかだけ自爆の時間が延長されたのだ。



 そして指揮者の手が―――届いた。



 中核の球に手がめり込む。


 エネルギーのすべてが逆流し、凝縮し、収縮し、光は天を貫き、雨となって空間に降り注いだ。

 天の川が自身に降り注ぐ感覚。

 襲いくる全能感と、筆舌に尽くし難いほどのエクスタシー。



 この瞬間、指揮者は神の一部となったのだ。




491話 「異文化コミュニケーション」


(どういうこと…なのかな?)


 ミャンメイが目を覚ました時、その状況をどう把握していいのかわからなかった。

 飛ばされたことは感覚で理解できたが、周囲の状況があまりに想像を超えていたからだ。


 目の前には―――残骸


 何かが強い力で叩き壊されたような『残骸』と呼ぶしかないものが散乱している。

 アメリカではよくスクラップを集めた広場があり、その中から好きなものを勝手に取って買う場所があるが、そこに迷い込んだように大量の残骸の山が広がっていた。

 ここまでボロボロになると、原形が何かがわからない。

 装甲版のような板もあれば、バネのようなものもあり、ガラスのように光る球も転がっている。

 オイルがこぼれたような強い染みもあれば、吐瀉《としゃ》物のようなゲル状の何かまである。


(うっ、臭いも酷いわ…鼻が曲がっちゃう)


 そんなものが周囲にあれば、気分が悪くなるのも仕方ないだろう。

 思わず鼻をつまみ、顔をしかめて首を振る。


 そんなまったく意図していない時のことだ。



 目が―――合った



「………」

「………」


 何気なく視線が合ってしまったので、ミャンメイも「ソレ」も同時に動きが止まる。


 じー

 じーー

 じーーー


 両者ともに動かない。

 そのまましばらく見つめ合う。

 先に動いたほうが負けとはよく言うが、虫の食い合いを見ていると、さっさと逃げたほうが得策な気がしないでもない。

 無駄に虚勢を張ったところで戦力差が埋まるわけではないので、立ち向かっていっても死ぬだけだ。

 しかし、人間は虫とは違う生き物である。

 彼らになくて人間にあるもの。

 それも多岐に渡るが、その最たるものといえば―――



「は、初めまして」



 【言葉】である。

 虫や動物間においても、音でコミュニケーションを図ることはあるだろう。

 近年では彼らも高度なやり取りをしていることもわかっているし、人間だけが持つ能力ではない。

 が、人間は言葉によって新しい関係を築くことができる。

 初めて会う者に対しても、言葉によって相互理解を図ることができるのだ。

 だからこそミャンメイが、自らを敵ではないと主張することに言葉を選んだのは、人間としては正しい選択であるといえる。

 ただし、それが通じる相手ならば、であるが。


「………」


 相手は、じっとミャンメイを見つめながら動きを止めている。

 死んでいるわけではない。そこに生命としての鼓動を感じる。

 紛れもなくそれは生きている…のだが、なぜか動かない。


「あ、あの…ど、どうも」


 必殺技「どうも」の出番がやってきた。

 こうなったら仕方ない。この伝説の技に頼るしかないだろう。

 某超有名漫画(ドラゴ〇ボール)でも多用されていたので、困ったときは「ど、どうも」で凌ぐのがお勧めだ。


「………」


 ただし、これまた当然なのだが、相手がそれを理解してくれなくては意味がない。

 必殺技「どうも」も、相手が空気を読めなければ真価を発揮しないのだ。

 相手は、ただただじっとミャンメイを見ていた。

 それは観察しているといった様子ではなく、きょとんとした様子で呆然と見つめているだけだ。



 動くに動けないまま気まずい時間が流れる。



(こ、この状況は……いったいどうすればいいのかしら?)


 外国人とは言葉が通じなくても、互いに交流したいという意思があれば、なんとなく付き合うことはできる。

 しかし、そもそも相手に意思疎通する気持ちがなければ、何も始まらないのだ。

 これは困った。

 ミャンメイも、ただ呆然とするしかない。



 シュワワッ ポワンッ



 こうしてミャンメイが困っていると、光に包まれて何かが出現した。


「むっ…ここはどこだ?」

「…ちっ、相変わらず頭がぐらぐらするな。意識を失わないだけましだが…イラつくぜ」


 そこに現れたのは、なぜか遅れて転移してきたレイオンとグリモフスキーだった。

 そう、理由は不明だが、ミャンメイのほうが先に転移してきたのだ。

 先に女神像に触ったからかもしれないが、およそ五分というタイムラグが発生していたのである。


「あっ、兄さん!! グリモフスキーさん!! た、助けて!」


 渡りに船とは、このことだ。

 こんな気まずい状況の中で耐え忍ぶのは、まさに地獄であろう。

 ミャンメイは、即座に二人に泣きつく。


「ミャンメイ! 無事だったか!! よかった!」

「なんだぁ、ここは? どこも滅茶苦茶じゃねえか! 何かあったのか!?」

「私は大丈夫なんですけど、あの…あそこに……」

「っ…! あれは…! す、すごく…大きいです」

「ああ!? どこ見てんだ、そっちじゃねえだろうが!!」

「いや、あれは大きいだろう。なんだあれは? 気になるぞ」

「兄さん、そっちじゃないから! 今はあっちを見て!」


 妹も妹ならば、兄も兄だ。天然ボケが炸裂である。

 とはいえ、レイオンが【それ】に興味を惹かれたのも当然だろう。

 目の前には残骸が広がっているが、その中にひときわ大きな物体が転がっているのだ。


 まるで巨大な白骨死体。


 動物のそれとはだいぶ異なるので、見た目としてはメカメカしい骨格というべきだろうか。

 大きさは十メートルを優に超えるため、恐竜の化石のようにさえ感じられる。

 ただ、ミャンメイが指差したのは大きな白骨ではなく、その上にいる【人間大の存在】である。


「む、あれは…人間…か? それともモンスターか?」

「ったく、ようやく気付いたのかよ。てめぇも抜けてんな」

「仕方ないだろう。気配がまるでないぞ…あいつ」


 レイオンも、その人間らしき存在を発見する。

 武人である彼の発見が遅れたのは、その存在が微動だにしなかったからだろうか。

 息を潜めている、というレベルを超えて、まるで置物のようにじっとしているので気配がないのだ。

 ミャンメイも視線が合わなかったら気付かなかったに違いない。


 そして【彼】は、身体中に布を巻いていた。


 所々が破れているが、顔は覆われているのでよく見えない。

 されど四肢と頭部を持つので、人間の可能性が極めて高い。


「ミイラ男なんてモンスターは聞いたことはねぇが、治療中に死んだ者もいるからな。骸骨戦士さんの中には、ああいう恰好のやつもいるにはいるが…」

「話しかけてみたんだけど反応がなくて…どうしようかしら?」

「どうしよう…と言われてもな。どうすればいいんだ?」

「訳のわからねぇ状況なら、まずは身の安全を確保したほうがいいぜ。敵か味方かわからねぇなら、先に攻撃を仕掛けるほうが安全だ」

「グリモフスキーさん、それじゃいきなりすぎますよ。まずは話し合わないと」

「てめぇが話しかけても反応しなかったんだろう? なら、敵だ」

「そんな短絡的な…。じゃあ、もう一度話しかけてみますね」

「ミャンメイ、油断するなよ」

「兄さんたちがいるから大丈夫よ」


 レイオンたちが来たので安心したのか、最初より気持ちは落ち着いていた。

 手を広げて敵意がないことを示しながら、一歩一歩相手を刺激しないように歩み寄っていく。


「………」


 【彼】は、じっと見つめている。

 特に逃げるそぶりも怖れるそぶりもなかった。


(感情がないのかしら? ううん、そんなことはないわよね。だってあの目、確実に『意思』を持っているもの)


 まだ多少距離があるのでよく見えないが、彼の目には光が宿っていた。

 そこには『意思』がある。意思があるのならば人間だ。

 人間と動物の最大の違いが、この意思の強さと大きさなのだ。


 この瞬間ミャンメイは、彼が人間であると確信した。



「あのー、私たちは敵じゃないですよ。ほらほら、何も持ってないですし」


 戦士タイプの武人ならば無手そのものが武器なのだが、その感覚がないミャンメイは無手を必死にアピールする。


 そして、およそ七メートルという微妙な距離にまで近寄った。


 このあたりの距離感は、実に難しい間合いといえるだろう。

 走り幅跳びの選手ならば一気に飛び越えられるし、武人ならば助走なしでも奇襲が可能である。

 一方で警戒をしていれば、十分に対応できる距離でもある。

 ミャンメイがこのことを意識しているわけもないが、なんとなく雰囲気で感じ取ったのだろう。

 そこから先にはあえて進まず、相手の様子をうかがう。




 それから数度呼びかけると、相手に変化があった。




「……っ………っっ……」




「え? 何か言いました?」

「……っ……」

「んん? なに? 何か…言いたいの?」

「っ………っっ………」


 彼は口をかすかに開けていた。

 だが、喉に何かが詰まったかのように何も言葉が出てこない。


「ミャンメイ、気をつけろよ」

「大丈夫よ。何か言いたいみたいだけど…どうしたのかしら?」

「そもそもよ、言葉がわかるのか?」

「あっ、その可能性もありますね。でも、何か言いたそうにしていますし…待ってみましょう」


 目の前の存在の反応からは、言葉を理解しているのかどうかも、よくわからなかった。

 かといって敵意をまったく感じないので、緊張感も緊迫感もない。



 しばし、待つ。



「っ………っ……」



 彼は口を開けながら、わずかに息のようなものを吐く動作を続けた。

 それをじっと見守るミャンメイたち。

 相手を焦らさずに、ただただじっと見守っている。

 なるほど、異文化コミュニケーションとは、こういうものなのだろう。

 極めて慎重で繊細で、根気と時間がかかる作業の繰り返しなのだ。

 今では辞書なども当たり前にあるが、それを作った方々の努力には、まったくもって頭が下がる思いである。



「っ…ぁっ……ぇ………」



(あら、徐々に出てきたかしら?)


 嗚咽が少しずつ意味を成してきたのが、数分後のことである。

 これもミャンメイがいなければ引き出すことができなかったものだろう。

 レイオンやグリモフスキーならば、下手をすれば交戦状態に入っていた可能性があるのだから、こういう場面での女性の存在はありがたいものだ。


「あぁ……えぉ………ぁあぁ」

「あぇえ?」

「ぁえぇ…ぁおおお……ぁあぁ…」

「おおお…ああ?」

「おいおい、意味なんてあるのかぁ?」

「グリモフスキーさん、しっ!」

「ああ!? なんでぇ、まったくよ…」


 ミャンメイは、注意深く相手の言葉を待った。

 すると、徐々に何かしらの意味がある『言語』を発し始めた。



「お…で……あた……ぼぐ……じぶ…しょせ……わじ……まど……」



(もしかして違う言語…? グリモフスキーさんの話だと、昔の人は言葉が違うって話だけど…。そんな昔の人が生きているわけもないし…)



「おででで…ぢが……むう…ぶうう…あぁあ………あああ、うああああ……あーーーー! あーーーーー!!」

「え? え? どうしたの?」

「あーーー! あーーーーー!! おおえええええええええええ!」

「ミャンメイ、下がれ。様子が変だぞ!」

「ちっ、やっぱり敵か!?」


 突然、彼が激しい行動に出た。

 喉を掻きむしり、首をぐわんぐわん振り回して奇声を発する。


 ストン ごんごんっ!


 仕舞いには倒れこみ、頭をゴンゴンと白骨にぶつけながら、のた打ち回る。

 奇行に奇声。これだけ見れば、まるで狂人である。


「攻撃するなら今だぜ」

「待ってください! まだ待って!」

「ありゃもう駄目だぞ! 完全にイッちまってる!」

「いいえ、まだです。まだ…何か……」




「アーーー! アーーーーーーー!! オオオオオオッ!!!」





「オオオオオオオオオオオオオオおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!」






「―――あっ」





 カチッ


 何かが「はまった」音がした。


 外部には聴こえない音だっただろうが、彼の頭の中ではがっちりとはまった音が響いた。

 まるで知恵の輪が外れた時のような、ルービックキューブがそろった時のような、ネジが穴にぎっちりはまった時のような、なんとも言いようの知れない快感を伴うものだった。


 むくり


 そして、立ち上がる。

 その表情は、最初に見た時と何かが違うように見えた。

 別人になってしまったかのように、整然と立っている彼がそこにいた。

 ミャンメイたちも、その気配に気付いたのだろう。

 若干の警戒と緊張を込めて、彼の言葉を待つ。


「……すぅううう」


 彼が、息を吸う。

 何か行動を起こすための準備段階だろう。

 万一にそなえてレイオンとグリモフスキーは、すぐにでも動ける態勢に入っていた。

 もし敵ならば、ここで一戦交えなくてはならないのだ。

 できれば交戦は避けたいが、身を守ることが最優先である。


「……れ」

「…え?」

「わ……し……」

「わし?」

「ぼ……く」

「…ぼく?」

「……あー、あー、あーーーー。ごほん」




「ぎみ、ぼぐのごと……ぢってるの?」




「…は?」

「あーーーあーーーー! うごおおお!! あおおおお!! ぢってる! ぢってる!! ぼぐはぢっでるぞおおおおおおおお!!!! あえ? ぢらない……あれ?」

「な、何を言ってるの…?」

「お、おい、マジでやべぇぞ!! こいつ、知的障害者だ!!」

「グリモフスキー、危険な発言はするな!!!」


 レイオンの言葉も、もっともである。

 これ以上、危険なことに巻き込まないでほしいものである。

 言葉を慎め、グリモフスキー!!



 が、たしかに変だ。


 これは変だ。


 間違いなく変だ。



 そのことだけは誰もが理解している。

 「もしかしてこいつは、本気でヤバイやつじゃないか?」という空気が、徐々に周囲に蔓延していくのがわかる。


 そして、その緊張感をすべて破壊するかのごとく、彼はこう言ったそうだ。



「…だれだっけ?」


「あっ、言葉が通じた! やりましたよ! えと、私たちはですね!」






「ぼく、だれだっけ?」






「「「 ええええええええええええええええええ!? 」」」






 もう、なんなの!!!

 訳がわからないよ!!!

 なにこいつ! おかしいよ!


 これが彼女たちの本音だろう。

 世の中は不思議が一杯である。




492話 「ヤバイやつ 前編」


 「お前のことかーーーいっ!」と、思わずつっこみたくなる発言をした人物が目の前にいる。

 まったくもって訳がわからない。正直、関わりたくない人物である。

 がしかし、問題は場所だ。

 ここが路上ならば完全に無視だが、こんな遺跡の奥にいるとなれば話は大いに異なる。

 この人物は誰で、何の目的でここにいるのかを問いたださねばなるまい。


「それで、お前は誰なんだ?」


 まだ危険がありそうなので、レイオンが代わりに話しかける。


「だれ…誰?」

「お前のことだ」

「ぼく…だれ? だれ?」

「いや、こちらが訊いているんだが…記憶がないのか?」

「きおくって?」

「記憶は記憶だが…ええとだな、なんといえばいいのか……」

「あんた誰?」

「ん? 俺か? 俺はレイオンだ」

「…誰?」

「だから、レイオンという名前だ」

「それって誰?」

「誰と言われても…俺は俺だしな…」

「あんた誰?」

「イラッ」

「兄さん、下がって!!」


 ままならない問答に思わずキレそうになったレイオンを、ミャンメイが下がらせる。

 レイオンはあまり頭を使うのが得意ではないので、けっこう短気である。

 今までの経緯を話していたときは、すでに知っていたことを述べただけなので意外と饒舌だったが、こうして新しいコミュニケーションを形成することには不向きなのだ。



「誰、だれ、ダレ?」



 レイオンの呼びかけがきっかけになったのか、ミイラ男が自問自答モードに入ったので、ミャンメイたちは一度下がって会議を始める。


「くっ、なんだあいつは。話がまるで通じん」

「どうして通じると思ったんだ。あいつは完全にヤバイやつだろうが」

「見た目で決め付けるのはよくないですよ」

「てめぇも、さらりとひでぇこと言うもんだな」


 ミャンメイの発言は、自分もそう思っているという意思表示でもあったりする。

 たしかに見た目は危ない。

 こんな場所にいる布巻きの人間が正気であるわけがないのだ。

 事実、まったく会話が通じていない。今後通じるかも疑わしい。


「やつには関わらないほうがいいかもしれねぇな」

「どうしてですか?」

「俺にはわかるんだよ。あいつはヤバイやつだ」

「何かわかったのか?」

「いいや、何もわからねぇ」

「では、どうしてわかる?」

「んなもん、見りゃわかるだろうが」

「それはそうだが…根拠があるんだろう?」

「俺から言わせりゃ、あれをヤバイと思わないやつのほうがヤバイぜ」

「うむ…言いたいことはわかるが…」


 グリモフスキーはミイラ男に対して、初対面から激しい警戒感を抱いているようだ。

 特に根拠はないようなので感覚的なものなのだろう。

 とはいえ、彼のこの意見には百人中九十人は賛同するだろうから、一概に差別とは言いがたい。


「そういえばあの人、私たちと同じ言葉を話しているわ。ということは『古代人』ってわけじゃないのよね」

「そのようだな。さすがに一万年も生きている人間はいないだろう」

「それじゃ、いつの時代の人なのかしら? こんな場所だもの。気軽に人が来られるとは思えないわ」

「それともあいつは、ここに住んでいるのか?」

「こんな地下で? うーん、畑もあったし無理じゃないと思うけど…あっ、もしかして、あの畑を作った人たちの生き残りかしら?」


 畑があったということは、誰かが食べるために栽培していたということだ。

 だが、あの場には誰もいなかった。そのあたりがとても不自然であるし、ずっと気になっていたことだ。

 彼がその施設を利用していたというのならば、地下で生活することも不可能ではないだろう。


「どうだかな。あそこからここまでは相当な距離があるぜ。簡単にたどり着けるとは思えねぇ」

「そう…ですね。じゃあ、近くに違うものがあるのかもしれません」

「おい、勘違いするんじゃねえぞ。俺たちはべつに遺跡の生き残りを捜しに来たわけじゃねえ。それはそれですげぇ発見だがよ、役に立たないのなら意味がねえぜ」

「役に立つ…か。ううむ、今のところは難しそうだな」


 三人は、じっとミイラ男を見つめる。

 こんな場所にいる怪しい男が、ただの人間であるはずがない。

 が、当人の記憶がないのだからどうしようもない。このままでは役立つどころか、かえって足手まといになりかねない。

 自分たちに余裕がない現状では、非常に扱いに困る存在であった。



「………」


 一方ミイラ男は、じっと白骨を見つめていた。

 すると突然、何やら不可思議な動きで手を回し始めたではないか。


 しゅんしゅんしゅん


 空中で何かをこねくり回すように両手を動かす。

 何をやっているかは不明だが、その動きは非常に滑らかで優雅だった。


「あの動き…只者ではないな」

「わかるの? 兄さん」

「武芸とは違うようだが、何度も修練を積み重ねた動きだ。…いや、これはすごいぞ。あの男…男かどうかもよくわからんが、かなりの腕前だ。相当な時間を費やしたことだけはわかる」


 彼の動きは武芸とはまるで違うが、そこには洗練されたものがあった。

 一流は一流を知る。何かの道に邁進《まいしん》している者は、たとえ分野が違かろうが、そこに宿った汗水を知るのだ。

 明らかに一般人の動きではない。ますます怪しさに磨きがかかる。



「時間……そう。ぼく…ぼくちゃんは……ここでずっと……あああああ、なんだったか…あああ……あーあーーー」



 レイオンたちの声が聴こえて刺激になったのか、ミイラ男の言葉が少しずつしっかりとしてきた。

 最初に出会った瞬間と比べれば、遙かにましになったといえるかもしれない。


「彼ともう一度話してみたほうがいいかもしれないわ。何か話して刺激を与えれば、もっといろいろと思い出すかも」

「なるほど。その通りだな。あの感じだと、人間と接触するのも久々のようだしな」


 人間の脳、記憶は、互いに関連付けられたもので繋がっている。

 たとえば「ご飯」ならば、「白米」「味噌汁」「朝・夜」「家族」等々、それに関連したイメージが湧き上がってくる。

 特定の人物に関してもそうだ。「Aさん」という人物に「いい人」というイメージが付いていれば、Aさんを思い出しただけで気分が良くなるだろう。

 一方、「Bさん」に「嫌なやつ」という関連付けがされていた場合は、何度思い出しても一緒に不快な感情まで再生されてしまう。

 ついには同じタイプの嫌な感情を受けた際に、Bさんを思い出すようにさえなる。

 これが記憶の負のスパイラルというもので、一度貼られたレッテルがなかなか拭えないのは、脳そのものの仕組みと関係があるわけだ。


 ミイラ男の場合、【言葉を忘れて】いた。


 重要な点は、話せないのではなく忘れていた、ということだ。

 言語を忘れるということ自体すごいことだが、それだけ誰かと接触するのが久しぶりなのだろう。

 一般人も二ヶ月くらい他人と会話せず、ひたすら作業に打ち込んでいると、いざ外に出たときに「声が出ない」という現象に陥ることがある。

 話そうと思っているのに声が出ないのだ。喉を使わなかったせいで閉じてしまっているからだ。

 何事も使わなければ退化する。

 つまりは彼はそれだけ長い時間、誰とも会っていないことを示していた。



 その彼の記憶を呼び覚まそうと、ミャンメイが再び接触する。



「あのー、お話しませんか?」

「…はなし? はな…す。ううう…おぉぉ……うごごご」


 ばごん がごんっ

 ミイラ男が口を大きく開けたり、喉を開こうとするたびに妙な音が聴こえる。

 なんとも怪しさ満載だが、ここにいる段階で怪しいので、そのあたりは無視することにした。


「ずっとここにいるんですか?」

「……ここに? ここは……いた。いた、いた、いた。何度も…いた」

「どれくらい前からいるんですか?」

「前…? 前……前? 今、いつ?」

「え? 今は…いつでしたっけ?」

「1024年だ。グラス・ギースの暦だがな」


 見かねたのか、グリモフスキーが教えてくれた。

 世界共通の言い方では「大陸暦〜年」と呼ぶが、東大陸では国家そのものが確立していないことが多いため、その都市や自治区独自の暦を使うことが多い。

 今はグラス・ギースの暦で1024年。

 五英雄が都市を造り、新年と定めた日から数えた年である。


「ほぅ、そうだったのか。知らなかったな」

「特に必要でもねぇからな。知らなくても問題はねぇよ」

「お前、そういうところは案外博識だな」

「ああ? グラス・ギースに住んでいるんだ。当然だろうが。世話になってりゃ、それくらい勉強するもんだぜ」


 さすがグリモフスキー。こう見えて真面目である。


「1024年……? んー、んーむ」

「知ってます? この上にはグラス・ギースって都市があるんですよ」

「グラス・ギース…? ぐらす……ぐらす。ぐらす…たうん?」

「いいえ、グラス・ギースです。ぐらす・ぎーす」

「グラス…タウン?」

「いえいえ、だからグラス・ギースで…」

「待て! グラス・タウンだと? グラス・ギースの前身になった都市の名前じゃねえか。こいつ、どうしてそれを知ってやがる?」

「え? そうなんですか?」

「グラス・ギースを知らないで、グラス・タウンを知っていやがる。偶然とは思えないがな」


 グラス・タウンは、大災厄が起こる前のグラス・ギースの名前である。

 この地域でギースという言葉には〈災厄〉の意味があるので、グラス・ギースを直訳すると〈災厄に見舞われた大地〉になる。

 好き好んで不吉な名前を都市に付ける者はいない。

 わざわざこうしたのは、今後も人々が災厄への備えを忘れないためである。

 いつかまたやってくるであろう害悪のために、日々準備をしておけという戒めなのだ。


 そして、災厄という言葉が、彼に大きな刺激を与える。


「災厄…さいやく…サイヤク……最悪!? サイアアアクウウウウウウウウウウウウウウウウウ!! うごーーー! うごおおおおおおおお!!」

「ちっ、また壊れやがったか!」

「ただの発作ですよ! 温かい目で見守ってください!」

「やっぱりてめぇのほうが問題発言じゃねえのか!?」

「サイヤク…さいあく!!! さいあく、さいやく、やくさい、さくああくかううああぅううう!! うくうううう!! ―――あっ」


 かちんっ

 またもや彼の中で、何かがはまった。



 そこから―――フリーズ



 しばらく完全に動かなくなる。

 が、その内部では激しい何かが渦巻いているのがわかった。

 人間の思考と目の動きは関係しているので、彼の目が異様なほどの速度でぐるぐる回転していたことからも、それがうかがえる。


 腫れ物を触るように、もとい、じっくりと優しく見守ること三分。


 チッチッチッ チーンッ


 カップラーメンではないが、きっかりと三分後に彼は目覚めた。

 その時には、さらに彼はスタイリッシュに変貌していた。



「おーーー! おおおおー!! 思い出した!! おぼぼぼっおぼいだしたよ!! そーそーーー、そうそう!!! ずっとココで遊んでたんだ!! そーそーーー! そうなのよ!! ウゴゴゴゴゴッ!」



 ウゴゴゴゴというのは、首だけが上下に凄い速度で揺れる音を表している。

 どういう原理かわからないが、怪しげな特技を持っているものである。

 当然、そんな反応にミャンメイたちは一歩どころか、数歩下がっていた。


「な、なぜか突然、陽気になったんですけど…」

「どうやら会話できそうだな。対応してやれよ」

「わ、私がですか?」

「温かい目で見守るんだろう? 病人の介護は任せるぜ」

「うう、わ、わかりました。あ、あの…遊ぶって何をしていたんですか?」

「んー? ウゴゴッ」

「ひゃー! 首が反対側に回ったーーーー!」

「それくらいのことなら俺もできるぞ。ほら」

「兄さんは黙ってて!!」


 武人の肉体操作があれば、首を百八十度回転させるくらいは容易だ。

 だが、ミイラ男の動きは武人のそれとは多少ながら異なっていたが、奇異な様子が気になって、もはやそれどころではない。

 こいつはヤバイ。

 さらにヤバさが増した気がする。




493話 「ヤバイやつ 後編」


「ふへへ、ソウダ! そうだそうだソーダ!! 思い出したぞおおおお! がんばったよ、ぼくちゃんは!! あーーー!! ヤッターーー! ヤッタヨーーーーーーー!! やった! やったやったやったやった!!! うひゃーーーーーー! おほほーーい!」



 ドンドンドンッ バンバンバンッ

 きゅっきゅくるくる バンバンバンバンッ

 謎の擬音を発しながら、ミイラ男が飛び跳ねたり倒れこんだりする。

 最初のじっとしていた姿からは、まったく想像ができない「やんちゃぶり」だ。

 当然ながら、その変貌に戸惑うミャンメイ。


「えと…あの……」

「アリガトウ!! 君、ありがちょーーーー!!」

「あ、はい。ど、どうも」

「うれしーーーな! ちょーうれPー!!」

「うれぴーはやめろ!!!」


 調子に乗ったミイラ男をグリモフスキーが戒める。

 まったくだ。うれぴーはもう終わったんだ。終わったんだよ。もう忘れようじゃないか、皆の衆。


「なんだいなんだい、ノリが悪いねぇ。ひゃひゃっはー! いやーほんと、最高だったよ! ぼくちゃんはやり遂げたからねええええ! 楽しかったーーー! あーーー! まだまだ心が打ち震えるーー! サイコーーーー!! あっ、でも、最後はちょっと反則だったかな? いやいや、ああいうことはあるよ。それも【ゲーム】ってやつだからね」

「ゲーム…? なんですか、それ?」

「んー、ゲーム知らないの? 遊ぶことだよ」

「それはわかりますけど…こんな場所で遊んでいたんですか?」

「だって、ここは【ゲーム会場】だからね。ここのボスをぼくちゃんが倒したのさ!! 君のおかげでね!!!」

「え? 私…? 何か…しましたっけ?」

「そそ! そーなのよ!! 最後はもう『あー駄目だー』って思ったんだけど、君が来てくれたおかげで、もうサイコー!! ぶっすりうっかり勝っちった!! うっひょーーい! どんなカタチでもね、勝てればクリアなんだよ! わかる? わかる!? ワカルよね!!」

「い、いえ…全然意味がわからないんですけど……」

「いみ? 意味はね、あるよーー! すっごく意味あるよ!!」


(ゲーム? 何を言っているのかしら?)


 ミイラ男の言動がまったく理解できない。

 あの戦いを見ていないミャンメイならば、それもまた仕方がないだろう。


 しかし、たしかにあれは【ゲーム】だったのだ。


 なぜ【レイドボス】という言葉を使ったのかが、あの戦いを見ればすぐにわかる。

 レイドとは主にオンラインゲームで使われる言葉で、数人から数十人といった複数人のプレイヤーがパーティーを組んで、強大なボスに挑むことを指す。

 それぞれに役割が与えられており、防御を担当するタンクや、攻撃を担当するDPS、回復やサポートをするヒーラー等々が、【条件を満たすと特定の行動パターンに移るボス】に対処していく。

 多少のランダム性はあっても、ボスの行動はある程度予測がつくように【設定されている】。

 それに対応しながら全員が役割を果たして勝つのが、レイドというものだ。


 ミイラ男と牛神の戦いも、まさにゲームであったといえるだろう。


 残りHPに合わせて行動パターンが四段階に変化する神機に対して、ミイラ男はそれぞれの役割を持った部隊を動かすことで対処していた。

 理不尽な仕様も多々あったが、基本的にはいかにミスを犯さず、あらゆる行動を素早く行うかに重点が置かれていた。

 最初は上手くできずとも、何百何千と繰り返すことで身体に刻み込んで上達する楽しさがある。

 そうした努力の末に強大なボスを打ち倒すことこそが、レイドの醍醐味といえるだろう。

 この感動と達成感は計り知れないに違いない。ミイラ男が喜び、跳ね回るのも当然のことだ。



「そうだ。君、何か欲しいものある? お礼になんでもあげるぞおおおおおおおおおお!」

「ほ、欲しいもの? いきなり言われても…困ります」

「なんでもいーぞー。あっ、さっき拾ったこれでもいる?」

「なんですかこれ?」

「あそこにあった『玉』だね」

「え? 玉って…」

「あれあれ」


 ミイラ男が、白骨の股間を指差す。


「あれのタマタ…」

「いりません! ばしっ」

「アーーーー! 玉がーーー!」


 なにが哀しくて、ゴールデンボールを頂戴せねばならないのだろう。

 役にも立たないどころか、なぜわざわざ機体に玉を搭載したのか設計者に問いただしたい気分である。

 それを(おそらく)笑顔で差し出したミイラ男も、かなりヤバイのだが。(持っていることもヤバイが)


「何かあげないと気がスマナイぞー! ウゴゴゴゴ!」

「ど、どうしよう? 兄さん」

「お前、こいつに何かしてあげたのか?」

「記憶にはないわ。勝手にお礼って言い出したのよ」

「ううむ、困ったな。悪意や害意はないと思いたいが…訳もなくもらうのはな…」

「へっ、てめぇらはどこまで抜けてやがる。こんなやつにまともに付き合うんじゃねえよ」


 グリモフスキーがミイラ男の前に立ち、胸倉を掴む。


「おい、てめぇ」

「んん? あんた誰?」

「俺はグリモフスキーってんだ。てめぇみたいなやつに名前を覚えてもらう必要はねぇがよ、一応は名乗ってやんよ」


 名乗ってやんよ!!


「てめぇ、さっきからふざけたことばかり抜かしやがって! てめぇみたいな頭のおかしいやつに用はねぇんだよ! こっちはただでさえ忙しいんだ! かまっている暇があるか!」

「忙しいの?」

「ったりめぇだろうが! 好きでこんな場所に来るかよ! さっさと出てぇんだよ!」

「ふーん、出る…? うーん、デルデルデル」

「ちっ、いちいちムカつく野郎だな!! いいか、てめぇなんぞに付き合っている暇はねぇんだ。痛い目に遭いたくなきゃ、もう黙ってろ!」

「グリモフスキーさん! 乱暴な真似は…!」

「あぁん? このままじゃ、いつまでも話が進まねぇだろうが! こういうのはよ、さっさと―――」

「君、欲しいんだね」

「…あ?」

「なぁんだ。君、欲しいんだ。どっしよーかな。デモデモデモ、ま、いっかー。うんうん、なるほどねー」

「何言ってやがる…てめぇ! 一度ぶん殴らねぇとわからねぇのか!」


 そうグリモフスキーが、胸倉を掴む手に力を入れた時であった。


 ズルッ


 何やら聴き慣れない音がした。

 粘膜と粘膜が擦れ合うような、柔らかくも重みが加わった不思議な音だ。

 その音は聴こえなくなるどころか、ますます勢いよく鳴り響き続けた。


 ズルルルッ スルンズルンッ


 これだけを聴けば、蕎麦《そば》をすする音と勘違いしそうだが、当然ながら麺類を食べている者などいない。

 では、その音の発生源がどこかといえば―――


 ずるんっ ねちゃぁ



―――腕



 うで、ウデ、腕。

 ミイラ男を掴んでいたグリモフスキーの腕、その前腕部、やや中ほど。



 部位が―――離れていく



 遠ざかっていく。一つのものが二つになっていく。

 そうだ。

 この音は、グリモフスキーの腕が【切断】された音なのだ。


「―――っ!」


 グリモフスキーは、何が起こったのかまったく理解できなかった。

 相手に予備動作というものがほとんどなく、攻撃の意思さえも感じられなかったからだ。

 しかも、それなりに力を入れていた。

 戦気の放出こそなかったがノコギリでも使わない限り、彼の筋肉が付いた腕を切り離すのはかなり難しい作業であろう。

 それが一瞬で切り離されるのだから、彼が驚くのは無理もない。

 もちろん驚いたのは当人だけではない。


「ぐ、グリモフスキー…お前……なんで……」

「あっ…ああぁぁ……」


 それを見ていた二人も、あまりのことに動けなかった。

 ミャンメイはいい。彼女は一般人の女性だから、咄嗟に動けなくてもかまわない。

 が、激しい試合を数多く経験しているレイオンでさえも、一歩も動けなかったのだ。

 何が起きたのかわからなかったこともあるが、その一瞬の『場』が、なぜか非常に遠く思えたからだ。

 そこに簡単に立ち入れないような『深み』があった。『味わい』を感じた。

 レイオンほどの武人だからこそ、場に宿った特異な雰囲気を感じ取って『呑まれて』しまったのだ。

 だから今も動けない。静止した空間に取り残されている。



 そんな三人をあざ笑うかのように、時は流れ続ける。




 ―――出血




 ブシャーーー


 ドバドバドバッ ばしゃしゃ


 血が噴き出し、床を赤く染めた。




「ちいいっ!! てめぇえ!! 俺の…俺の腕をよくもっ!!」


 それで目が覚めたのか、グリモフスキーが切られた腕を押さえて叫ぶ。

 彼も肉体操作ができるが、そこまで優れた武人ではないので中途半端だ。こうして押さえておかねば出血が止められない。

 しかしながら意外なことに、このことに一番驚いたのが当のミイラ男だった。


「あえ? なにそれ?」

「あああ!? 何言ってんだ!!」

「その赤いの、なに?」

「血に決まってんだろうがぁあああ! てめぇが俺の腕を切ったんだ!!」

「血? あれ? 血があるんだ。なんで?」

「ああ!? このやろう!! 死ねや!!」


 ドンッ!!

 激怒したグリモフスキーが、ミイラ男に前蹴りをかます。

 攻撃されたのだから本気の一撃だ。足に戦気をまとい、胸を陥没させるくらいの意気込みで放つ。

 これが普通の人間だったならば、そうなっていただろう。胸骨骨折および心臓破裂の可能性もあった。


 が―――ぴたり



(な、なんだ…!! う、動かねぇえ!!)


 思いきり蹴ったはずなのに、ミイラ男に反応はなかった。

 常人が壁を蹴ったようにびくともしない。


(こいつ…重ぇ!! くそ重いぞ!! いったい何キロありやがる!)


 胸倉を掴んだ時は興奮していて気付かなかったが、このミイラ男は異様に重い。

 人間大のサイズであるものの、重さは何十トンもあるかもしれないと思わせるほどだ。

 そうでいながら軽々と動いているのだ。自由落下速度は重さにかかわらず同じであるとはいえ、重量をまったく感じさせない動きをしていたからわからなかった。


「へー、へー。血があるんだ。血って…なんだっけ?」


 そのせいかミイラ男は、蹴られたことにさえ気づいていなかった。

 表情にも変化はないし、感情にもまったく変化は見られない。

 彼にとってこの程度のことは、なんてことはないのだろう。

 思えば、あんな化け物と戦っていたのだから当たり前だ。


(くそがっ…! やべぇ! 逃げねぇと…)



「うーん、ちょっと待っててね」


 グリモフスキーの警戒が最大になったのとは反対に、ミイラ男は軽い声を発して周囲の残骸を漁り始めた。

 ごそごそごそ がちゃんがちゃん


「おー、これなんてどーかな?」


 そして、何やら太く短い棒のようなものを持ってきた。


「て、てめぇ! それ以上近づくんじゃねえ!!」

「んー、どしたの? せっかく【君の願い】を叶えてあげようとしているのに」

「ああん!? 俺の願いだと!!」

「うん。だって君、強くなりたいんでしょ?」

「あ?」

「ぼくちゃんにはわかるんだなー。そこのダルマちゃんより強くなりたいって、顔に書いてあるよ」

「ダルマ…ちゃん? レイオンのことか?」

「そそ、そうそう! でも君、弱いからね。普通にやってたら勝てないよ」

「大きなお世話だ、この野郎!!」

「だったら取り替えればいいんだぞおおおおおおおお!」

「あ? とり…かえる?」

「はい、手を出して」

「誰がてめぇの言うことなんざ……んだこりゃ!? なんで勝手に…! くそっ! どうして勝手に動く…!!」


 ぎちぎちぎちっ

 グリモフスキーは必死に抵抗しているのだが、腕が勝手に引っ張られて伸びていく。

 傷口を相手側に見せるように腕は伸ばされた。何かの力によって強制的に。


「ぐ、グリモフスキー! ちっ、今助けるぞ!」


 ここでようやくレイオンが動き出すが、ミイラ男の動きはもっと速かった。


 ぐちゃっ!!


 持ってきた太く短い棒を―――傷口に押し当てる。



「ぐおおおっ!!」


 グリモフスキーが痛みと違和感で叫ぶ。

 切断された傷口に棒を押し付けられたら誰だって痛いに決まっている。

 だが、ミイラ男の力はますます強くなっていく。




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