欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第七章 「収監砦」 編 第二幕


464話 ー 473話




464話 「クズはしぶといのが相場だからね」


 アンシュラオンたちは転移装置を起動させて、さらに地下に向かう。

 実際のところ地下かどうかは不明だが、『空が封鎖』されている以上、地下と考えるのが妥当であろう。



 がくんっ



 落下が終わり、部屋から出ると、そこにはミャンメイが見たものと同じ【青い世界】が広がっていた。

 一面が青で構成された幻想的な世界だ。

 ミャンメイは、その美しさと不可思議さに圧倒されていたが、ホログラムの知識を持っているアンシュラオンが見れば印象が違う。


(よく出来ているが…人工的だな。本物とは比べられない)


 所詮、造られた紛い物。

 それがアンシュラオンが受けた第一印象である。

 草木の匂いまで再現しているところはすごいと思うが、本物の植物が宿すエネルギーや生命力には遠く及ばない。

 たとえるのならば、生花と造花の違いだ。

 どんなに似せても偽物は偽物。もし造花で満足できるとすれば、その人間は感性が完全に麻痺しているといえるだろう。


(なぜこんな場所で自然を表現する必要がある? ロボットが自然を恋しがるわけがない。となれば、ここは人間が住むエリアだった、ということだ。そうだな…SF物で、宇宙船に公園があるのと一緒かな。生物である人間には緑が必要だ。偽物とはいえ、無いよりはましだろう)


 人間には高い順応力が存在する。

 これが偽物だとわかっていても、自分を守るために防衛本能が働き、本物だと思うように脳が錯覚を引き起こすようになる。

 あるいはここで生まれ育てば、最初からそういうものだと受け入れるしかない。


(どちらにしても閉鎖的な空間だな。…まるで『シェルター』だ)


 日本では珍しく感じるが、アメリカ等の海外では核シェルターも普通に存在し、公開もされている。

 使わないに越したことはないのものの、誰だって使いたくて使うわけではないだろう。必要だから用意するし、使うのだ。

 ここはそうした閉鎖的な空間で人間が暮らす場所に、とてもよく似ていた。


(ここに人間がいたのは間違いない。では、あのロボットとの関係性はどうなっているんだ? なぜ特定の人間だけ狙う? 誰かに操られている? あるいは設定されているのか? 人間の敵なのか? あるいは中立か? 味方か?)


 周囲を注意深く見つめるが、特にロボットらしいものは存在しない。

 ああいうロボットになると生体反応、つまりは生体磁気が存在しないので感知がしにくい傾向にある。

 動いていない場合は、波動円でも他の物質と区別がつかないので困るところだ。

 ここの遺跡が戦気を遮断するので、壁の中までは探知できないことも厄介だ。


(データが足りないから、これ以上考えても無意味か。戦闘力自体はさほどではないから脅威ではない。あまり気にしなくてもいいだろう。今のところは…だがな)


 このような建造物を造れる技術力があるのだ。

 戦力があのカブトムシだけとは到底思えない。普通に考えれば、もっと強い個体も存在しているだろう。

 そこだけは注意が必要である。


(サナの修練という以外では、まったくもって割に合わない戦いだ。まずはミャンメイとカスオの発見に全力を尽くすか。サナのためにもな)


 サナはまだ抱っこされて眠っている。

 時々うつらうつらして、頭を胸にガンガンぶつけてくる姿が可愛い。

 彼女は何か進展があるまで休ませておくことにして、アンシュラオンたちは先に進む。



 ぱしゃぱしゃ ぱしゃぱしゃ



 床に薄く張られた水を踏みながら先に進む。


「靴に染みないかな?」

「この量ならば大丈夫ね」


 そんな会話をしている女性二人の声が聴こえる。

 たしかに気持ちはわかるが、この状況でそんな日常的な会話ができるだけたいしたものだ。

 マザーはもちろん、ニーニアもなかなか肝が据わっている。


 ぱしゃぱしゃ ぱんぱん


 アンシュラオンも意図的に水を蹴ったり、踏んだり、掻き混ぜてみたりして調べてみる。


(ふむ、これも普通の水じゃないな。『遺跡の水』だ。しかも上よりも明らかに純度が高い)


 水自体は、地下上層部でも使用されている生活用水と大差ないだろう。

 しかしながら、そもそも遺跡の水自体が普通のものではない。

 実際にこの場所にやってきて、それが確信に変わる。


(水自体が異様に綺麗だし、力を浸透させる感じがする。言葉では表現しにくいが…雰囲気は『思念液』に近いかな?)


 スレイブ・ギアスの生成にも使われる『思念液』は、いまだに謎の液体という認識だ。

 モヒカンなどは何も考えずに使っているが、あの水には思念を伝達させる性質がある。

 簡単に言ってしまえば、自分の考えていること、精神エネルギーや思念エネルギーを伝播・伝達させて、特定の物質に吸着させる力である。

 人間の魂には、もともと自分のオーラを物質に吸着させる能力があるが、それを強化補助するのが思念液という存在だ。

 よくよく考えてみれば、実に怖ろしい技術であり、なおかつ貴重なものだ。

 こんなものがそこらに大量にあるわけがない。

 モヒカンは都市の錬金術師から買うと言っていたが、ではその錬金術師は、いったいどこであれを仕入れているのだろうか?

 その一つの答えが、ここにあるのかもしれない。


(ただ、そのまま使っているわけじゃないな。この状態では思念液には及ばない。ほかに何かしらの化合をしているはずだが……あっ、錬金術師ってことは『錬金』あるいは『錬成』ってやつをしているのか? あれってたぶん、二つ以上の素材を使って新しいものに『変質』させることだよな?)


 完全に二次元知識だが、錬金術というからには似たような能力を指すと思われる。

 仮にその場合、思念液の材料の一つが遺跡の水である可能性は高い。

 ヘブ・リング〈低次の腕輪〉の製作しかり、この都市のレベルにしては高度な錬金術師がいると思っていたが、原材料が豊富にある場所ならば利便性という意味では恰好の住処といえる。


(しかし、思念液自体は他の場所でも使用されているはずだ。そうでなければスレイブ・ギアスが作れないからな。…となると、こうした水は他の場所にもあるってことだ。つまり遺跡は、まだ他にも一定数以上あるってことだ。もちろん、この水が特殊な状況下でしか生成できない場合だがな)


 遺跡がここだけ、この水がここだけ、と考えるほうが無理がある。

 病院に行けば、似たような薬剤はすぐに手に入るだろう。海外だって名前は違うが、同じような効果の薬はあるはずだ。

 この東大陸だけでも地球が丸々入るくらいの大きさなので、同じような施設が複数あってもおかしくはない。

 そもそもこの水がどれだけ存在し、どれだけ希少なのかはわからない。

 錬成した思念液が高いだけであり、この水自体は案外ありふれたものなのかもしれない。




 そんな考察を行いながら一向は、あの謎の『棺』の場所に到着する。


 そこでアンシュラオンが、明らかな異常を発見。


「血が落ちているな」


 床にへばりついた血液を見つける。

 血の量はそう多くはないが、乾き具合から察するに、つい最近のものであることがわかる。


「ま、まさか…ミャンメイお姉ちゃんの?」


 血と聞いて、思わずニーニアがたじろぐ。

 こんな場所で血を流す事態など普通ではない。彼女が嫌な想像をするのも無理はないだろう。

 だがアンシュラオンは、落ちていた血液を指で触りながら、こう断定した。


「大丈夫だ。これはミャンメイのものじゃない」

「え? わ、わかるんですか?」

「ああ、濁りが強いし…不純物が多いな。健康状態もあまり良くない。食事にもまったく気を遣っていない証拠だな。おそらくカスオのものだろう」

「そ、そうですか。よかったぁ…」


 血は、この世界で重要な要素の一つだ。落ちた血一滴からでも、さまざまな情報を引き出すことができる。

 すでにカスオの情報は、停滞反応発動を仕掛けた際に取得していたので、こうして触れればすぐにわかるのだ。


(ミャンメイのものではないが、ここで争いが起きたことは事実だ。ミャンメイが自ら、こんな場所に来るわけがない。やはりカスオが連れてきたと考えるべきだろう。もう位置は特定できているしな)


 ここまで近づけば、カスオに仕掛けた自分の生体磁気の反応を感じることができるので、彼がいることは確定した事実である。


(この変な装置も気になるが、特に危険性はないようだ。先にカスオを回収したほうがよさそうだな)


 あからさまに怪しい棺も気になるところだが、どうやら状況は急を要するようだ。

 この場は無視して、さっさと奥に進む。




 数分歩いて到着したのは、【神殿】だった。


 ミャンメイが来た当時のまま、何一つ変わりなく女神像があり、七色の光で彩られている。

 そんな美麗な神殿を汚す存在がいるとすれば、中央で倒れている、あの【薄汚れた男】くらいだろう。


(ふぅ、見た瞬間にクズ臭が伝わってくるって、どういうことだよ。やれやれ、仕方ないな。嫌だけど行くか)


「ちょっとサナをよろしくね」

「ええ、わかったわ」


 サナをマザーに預け、アンシュラオンは倒れているカスオに近寄る。

 カスオは、ぴくりとも動かない。

 動かないが―――



「一度死にかけているな。というか一回死んだな、こいつ。オレの命気がなかったら本当に死んでいたところだ」



 なんとカスオは―――生きていた!


 正直、喜んでいいのかわからない情報だが、カスオはかすかに息をしている。

 グリモフスキーの一撃を受けた段階では、完全に息をしていなかったので、これは少々驚きであろう。

 蹴られて潰れた顔も、多少変形しているところはあるが回復し、捻じ曲がった首も戻っている。

 ミャンメイに刺された腹の傷に至っても、傷痕は残っているものの傷口は塞がっていた。


 彼を救った最大の要因が―――『白の呪印』


 呪印は、カスオの首を絞めて苦しめた最大の要素でもあるが、一方では『生命維持』の効果も発動していた。

 この呪印は命気によって作られており、万一カスオが死に至るほどのダメージを受けた際には、最低限回復させるように設定してあった。

 それによって死を免れることができたのだ。


 こんなクズを助ける価値があるのか?


 と思うのは仕方がない。当然の感情だろう。

 が、これはカスオのためではなく、自分のためだ。

 わざわざアンシュラオンが、こんな場所に来てまで確保したシャイナの父親を簡単に死なせるだろうか?

 死んでもいいが、死なれると今までの労力が無駄になる。だから仕方なく生かすのだ。


(保険は重要だな。危なかったよ。ここで死んでいたら、オレの苦労が台無しになるところだった。…ふむ、この腹の傷痕はミャンメイかな? オレがあげた包丁とサイズがぴったりだ。ただ、こちらの打撃痕は…拳のサイズからして男のものだな。しかし、レイオンとはサイズも当て方も違うな。誰だ?)


 さすがにグリモフスキーのことまでは頭にないので、誰のものかはわからなかったが、打撃痕から力量を測ることはできる。


(うーむ、アカガシ…くらいか? 強くはないし弱くもないといったところだな。相変わらず、このあたりは弱すぎてよくわからん。ともあれ、誰かがミャンメイを助けたと考えるのが妥当か。いや、カスオがやられたということは、こいつの役割がここで終わっただけかもしれない。用済みになったカスオを消して、その男がミャンメイを連れ去った可能性もあるか。…だが、連れ去ったということは、すぐに殺さないということだ。そのほうが助かるな)


 ここで包丁に付けた命気の反応がないということは、ミャンメイが致命的なダメージを受けていないことを示している。

 少なくともミャンメイに怪我はないだろう。状況からわかるのはそれだけだ。




 アンシュラオンはカスオを引きずって一度戻る。


「ひっ、し、死んでいるんですか?」


 ニーニアが、若干顔を引きつらせながらカスオを覗き込む。

 さきほどの血よりも、さらに生々しい『肉』がやってきたのだ。その反応も無理はないだろう。


「残念だけど生きているよ。ところでこいつ、見覚えがない?」

「見覚え…? えと…誰でしょう? こんな人いたかな?」


 さすがカスオである。

 顔が若干変形しているとはいえ、誰からも覚えられないという存在感の希薄さだ。

 思えば奥の連中からも「あいつ誰だっけ?」的な扱いを受けていたものだ。

 ニーニアの覚えが薄いのも、カスオ自身に問題があるのかもしれない。

 ただ、それを利用して悪事を働いていたので、単純に笑って済ませられない要素ではあるのだが。


「ある意味、これだけ存在感がある人は、忘れたくても忘れられないわね。まとっている空気が違うもの。悪い意味でね」


 当然、マザーはカスオを覚えている。

 マザー曰く、クズは顔で覚えるのではなく、雰囲気で覚えるのだそうだ。

 駄目な雰囲気は一目見ればすぐにわかるので、いちいち顔を覚える必要がないという。

 ただ、かなり上級者向けの技術である。ご使用の際は、ぜひとも気をつけていただきたい。

 違うクズを見て「あっ、クズオさん」と言ってしまう危険性が出てくるので、そこは自己責任でお願いします。



 アンシュラオンは周囲を見回す。

 カスオ以外に人影はない。隠れている様子もなかった。


「ここも行き止まりのようだね」

「また仕掛けがあるかもしれないわ。調べてみるわね」

「うん、そっちは頼むよ。オレはこいつを治して尋問するからさ」


 ぎゅうう

 アンシュラオンが、カスオを軽く踏む。

 本当ならば触れるのも不快なカスだが、現在では貴重な情報源である。

 命気で回復させて吐かせるのが一番楽だろう。

 しかし、それで終わるとも思えない。


(こいつの近くに落ちていた銃…。あれは市販のものじゃないし、普通の軍用のものでもなさそうだ。ちょっと面倒そうな話になってきたな)


 アンシュラオンも衛士の銃の改造を行ったので、見た瞬間にカスオの銃が特殊であることがわかった。

 どう考えてもグラス・ギースの文明レベルを超えている。そこにきな臭さを感じるわけだ。




465話 「奇妙な二人の地下探索 前編」


「…んん……」


 ミャンメイの意識が、闇から浮き上がるように目覚めていく。

 うっすらと開いた目から得た情報は、まだ機能していない頭で考えられることはなく、ただただ漠然としたイメージとして輪郭を宿していった。

 ぼんやりと、明るい。

 そのイメージの表現としては、これが適切だろうか。

 周囲はやや暗いが壁自体が光っているので、全体的には明るめといってもいいだろう。

 寝るには少し明るく、起きるにはやや暗い。そんな感じだ。


(ここは…どこ?)


 まだ頭がはっきりしないが、外界を認識するだけの余裕が出てきた。

 まず見えたのは、光源にもなっている壁だ。

 さきほどまでいた神殿にも同じ様相の壁があったので、ここはまだ遺跡内と考えるほうが自然だろう。

 それから周囲を見回すと、他の三方にも壁が見えたため、ここが一定の空間で仕切られた「部屋」であることがわかる。


 どうやら自分は部屋の中にいるようだ。


 今わかったのは、これだけである。

 また、当人はまだ自分の身体のことにまで注意は向いていないが、もし怪我をしていれば痛みが気になったはずなので、現状では無傷であることを示してもいた。



 ちょろちょろちょろ



(水の…音?)


 液体らしき音が聴こえたので、そちらに目を向けると、ここにも水が存在した。

 少し窪んだ通路に水が流れている。

 今まで見ていたような膨大な量の水ではなく、せせらぎのような小さな流れだ。

 たとえるならば、流しそうめんで使う青竹くらいの幅で、そこらの側溝や用水路と大差ない幅と大きさだろうか。

 少し触ってみると水の感触がしたので、これはホログラムではなく本物の水のようだ。


(水があるなら少しは安心ね。流れがあるなら…飲んでもいいのかしら?)


 こんな場所の水を飲むのは憚られるが、いきなり連れてこられたミャンメイは何も携帯していなかった。

 持っているものといえば、包丁と、せいぜいが水筒程度だ。

 この水筒も、なみなみと注いで持ち歩いているわけではないので、あくまでちょっとした水分補給程度にしか使えない。

 見知らぬ場所に来た時、最初に心配するのが食糧や水なのは、けっして彼女が料理人だからではないはずだ。

 一時期無人島生活が流行ったこともあったが、そこでも最初に探すのは水である。

 食事は我慢できても水だけは我慢できない。それが生物というものだ。


(ちょっと舐めるくらいはいいかな?)


 しばらく水の流れを見つめて考えていたが、やはり欲求には勝てないものだ。

 指にちょんとつけて、舐めてみる。

 じんわりと舌に水分が広がっていく感覚が、とても心地よい。


(味は普通ね。無味無臭。これも汚れがまったくないわ)


 極めて清浄、清潔、無菌。

 アンシュラオンの言葉ではないが、今になって思えば、この水こそがもっとも人工的かもしれない。

 奇妙な話だが、天然のミネラルウォーターよりも水道水のほうが、清潔で身体に良いという。

 この水も水道水と同じく、適切に調整されて「用意された」ものに感じられる。

 この階層でも遺跡が【まだ生きている】証拠だといえるだろう。


(これなら入れても大丈夫そうね。水があれば安心だわ)


 今のうちに水筒に水を汲んでおく。

 仮に飲めないものならば、あとで捨てればいいだけのことだし、手を洗うときにも役立つだろう。



「ふぅ、これで一安心―――っ!!」



 水を手に入れて安堵したのも束の間。


 ふと振り返った直後、ミャンメイが硬直した。


 目を見開いて一点を凝視し、固まっている。


 なぜここが安全な場所かどうかも確認せず、呑気にしていたのだろう。

 水など、あとでもよかったのだ。それ以前にもっと認識すべきものがあった。


 それは―――


(なに…あれ? ロボット…?)


 ミャンメイの視線の先、部屋の中央には『大きな塊』が存在した。

 円柱型の頭に四足を持った、全長二メートル半くらいの硬質的な何か。

 それはアンシュラオンが口走っていた「ロボット」という言葉と、非常にマッチする容姿をしていた。

 実際にこれは、ラングラスエリアの入り口に出てきたものに酷似している。

 多少細部とサイズが異なるものの、全体的には同じ系統に属するものだとすぐにわかった。


 ミャンメイは、思わず後ずさる。


 どんっ


 だが背中を壁にぶつけて、逃げ道がない危険な状態だと悟る。


(しまったわ! どうしよう! ま、まずは身を守らないと! そ、そうだわ! 包丁!)


 シュッ

 ミャンメイはシャイナと違って理解力がある女性だ。危機に自分で対応できる。

 こうして咄嗟に包丁を構えることができたことは、大きな成長といえるだろう。

 それがこの相手に効くかは別として、だが。




「………」

「………」

「………」




 しばし、時間が流れる。


 ミャンメイは身を強張らせながらも、ロボットから目を逸らさず凝視していた。

 しかし、相手に動く気配がない。

 まるで石像のように、じっと固まっていた。


「これは…もしかして…」


 異変に気付いたミャンメイが恐る恐る近寄ってみると、そこにあったのはボロボロの機械であった。

 すでに朽ち果てて久しいのだろう。

 見た目からしても老朽化と損壊が激しく、到底動きそうもなかった。

 このスクラップと比べれば、サナが交戦したカブトムシなど良質の中古品に見える。

 あちらは中古ショップでもそれなりの値段で買ってくれそうだが、こちらは引き取ってもらうにもお金がかかりそうなレベルであるといえば、よりわかりやすいだろうか。


 こんこん


 包丁の背で叩いてみるが、やはり反応しない。


「…ふぅー、なんだ。驚いちゃった。もぉ、驚かせないでよ。動かないなら怖くないもの♪」


 こんこん こんこん


 調子に乗ったミャンメイが、何度もロボットを叩いて自分の優位性を確認する。

 驚きが強かったがゆえに、こうなると感じる安堵も強くなる。

 気恥ずかしさと不安を隠す目的もあり、自然とこんな行動を取ることも実に人間らしいといえるだろう。


 そんなふうに心が微妙な状態になった時であった。





―――バタンッ!!





「きゃあああああああっ!!!」





 突如発生した物音に、ミャンメイが叫んでうずくまる。

 安心していたからこそ、いきなりの音に過度に反応してしまった。

 これは反射なのでどうしようもないだろう。


「ひくううっ…ひうううう!」


 あろうことか腰まで抜けてしまい、這いずるように逃げようとする。

 腰を抜かすなんて本当にあるのかと疑いたくもなるが、あまりの驚きに身体が硬直してしまうことは、往々にしてよくあるという。

 男性には理解しにくくても、それが女性ならば仕方ないだろう。

 まさにショック状態と呼ぶに相応しい慌てっぷりで、必死に逃げ惑うミャンメイ。


「ひ…ひーー」

「…何してんだ?」


 そんな哀れなミャンメイの後ろから、なんとも気まずい冷ややかな声が聴こえてくる。

 びっくりする側も大変だが、いきなり驚かれる側も、どう対応していいのかわからないから困るものだ。



 そこにいたのは―――グリモフスキー



 兄のレイオンとは確執があるが、自分を助けてくれた男である。


「あ……ぐ、グリモフスキーさん?」


 ここでようやくミャンメイがグリモフスキーを認識する。

 だが、顔はまだ引きつっており、強張っているのか笑っているのかよくわからない表情になっていた。


「何やってんだ、てめぇは。独りでよ」

「だ、だって…! いきなり音がするから、お、驚いて! 驚くに決まっているじゃないですか! やめてくださいよ!! なんでこんなことするんですか!」

「なんでいきなりキレてんだよ? これだから女は扱いにくいぜ。…つーか、包丁はしまえ」

「あ…は、はい。失礼しました。興奮すると包丁を人に向けるのが癖になってしまって…」

「絶対直せよ、その癖! 無駄に敵を作るだけだぞ!」

「意外です。グリモフスキーさんも、そんなこと考えるんですね」

「俺をなんだと思ってんだ」

「えと…人を平気で殴り殺す人…ですよね?」

「助けられたやつの台詞かよ!? いいからしまえ」

「はーい」


 すごすごと包丁をしまう。

 この包丁を持つと勇気が湧いてくるせいか、もうすでに手放せないお守りのようになってしまったようだ。

 とはいえ、たしかに無闇やたらに包丁を向けられるのは、気分が良いものではないだろう。

 以後気をつけようと心に誓い、改めてグリモフスキーに訊ねる。


「あの、ここは…どこですか?」

「俺が知るわけねえだろうが」

「そうですか…さっきいた場所とは全然違いますね」

「だろうな」

「私たち、なんでこんなところにいるのでしょうか? 何が起こったんですかね?」

「知らねぇ」

「不安ですね…早く戻りたいですね」

「そうか?」

「晩ごはん、どうしましょう?」

「んなこたぁ、どうでもいい」

「………」

「………」

「………」


 ミャンメイが、じとーっとグリモフスキーを見る。

 その目には非難の色が宿っていた。


「んだよ?」

「あの…もっとちゃんと会話しませんか?」

「あぁん? してんだろうが。なんか文句あんのか?」

「これは会話と言わない気がしますけど…。だってその返答って、ほとんど何も言っていないのと同じですよ?」

「てめぇが解決しねえ話ばかりするからだろうが! 俺だって、ここがどこかなんて知るかよ!」

「晩御飯に何が食べたいかくらい言ってもいいじゃないですか」

「今作れるわけじゃねえだろうが」

「会話、会話です! コミュニケーションです!!」

「どうでもいいだろう」

「よくありません! とっても重要ですよ!」

「あー、ちくしょう。これだから女はうぜぇんだ」

「そんな調子だから誤解されるんですよ」

「誤解されたことも、されているつもりもねぇ。俺は俺だ」

「ふぅ、困ったなぁ…」


(まあ、これも会話といえば会話かしら? 無言よりいいわよね)


 自分が強引に話しかけてごちゃごちゃする流れだが、それによって最低限の会話が成立していた。

 今はそれで十分だろう。自分独りよりは遙かに気楽だ。


 それよりグリモフスキーの様子を見て気付いたことがある。


「気のせいかもしれませんけど…あまり戻りたくなさそうですね?」

「…あ?」

「あまり動じていないというか…そこまで深刻に捉えていないというか…」

「ああん? 俺が馬鹿だって言いてぇのか?」

「誰もそんなことは言っていません。なにか妙に落ち着いているなって気がして…この状況に驚かないんですか?」

「そんなことはねえ。俺も驚いているぜ」

「本当ですか? そうは見えないですけど」

「びびって逃げ惑ってたほうがいいのか? さっきのてめぇみたいによ」

「あー、酷い! 忘れたかったのに!」

「ふん、戻ったところで何かが変わるわけじゃねえしな。どうせ俺らが掃き溜めなのは変わらねえ事実だ。それよりは、こっちのほうが面白そうってだけの話さ。てめぇも見ただろう、こいつをよ」


 ゴンッ

 グリモフスキーが、朽ち果てたロボットを強めに叩く。

 これほど老朽化が進んでいるのにもかかわらず、その一撃を受けても装甲は凹んだりしない。


「こんなもんが平然と転がってるんだ。明らかに『未発掘エリア』だろう。となれば逆にラッキーってことさ。何かほかにも金になるもんがあるかもしれねえからな。すぐに戻る理由はねえな」


 地下で彼らは何をして生計を立てているのか。

 その答えの一つが、『ゴミ拾い』である。

 カスオのように本当にゴミを拾う場合もあるが、やることがない人間の多くは、遺跡に落ちている資材を拾って換金している。

 以前レイオンの試合を初めて観戦したときも、客の一人が「ガラクタ集めでもして金を貯めるか」と言っていたが、それがまさにそうだ。

 たいていのエリアはすでに探索が終わっているが、もともとが広大な遺跡のために、稀に新しい場所が発見されると大量の遺物が出ることがある。

 そうしたものをハングラスグループが買い取ってくれたりするのだ。

 これも稀にだが、強い術具が含まれている場合もあるので侮れない。

 コッペパンで売られている術具の値段を見てもわかるように、その際は数千万や数億円の利益になることがある。

 当然ほとんどが文字通りの『ガラクタ』であり、基本的には安く買い取られるのだが、このロボットのような明らかに価値がありそうなものは相当な値がつく。

 その収益がラングラスの利益にもなり、地下の待遇を良くするためにも使われるので、組織に忠誠を誓うグリモフスキーにとっては重要なことなのだ。




466話 「奇妙な二人の地下探索 中編」


「こいつも持って帰りたいもんだな。これ一つで最低でも百万はいく。ボロボロゆえに、ボロいもんだぜ。がははは」


 …

 ……

 ………


 え?


 ボロボロゆえにボロい?


 こ、これはまさか…!!


 な、なんと!



 グリモフスキーが、オヤジギャグを言っているぅううううううううううう!



 久々のお宝を見たせいだろうか。

 テンションが上がって、うっかりギャグをかましてしまったに違いない。

 しかし、こういうギャグを言われたとき、受けた側はどういう反応を示せばいいのか、いまだに正解が見えない。

 それが特に『そっち系の人』だと不機嫌になられて危ない目に遭いたくないので、多くの人が愛想笑いを選択するだろう。

 一番無難な対応だ。無理なく安全運転が一番いい。


 では、ミャンメイがいったいどのような対応をしたかといえば―――



「………」



 特に何の反応も示さず、ただその様子を見ているだけだった。


 む、無視だぁあああああああああああ!


 ここでミャンメイは、なんと無視を選択。

 一番気まずい空気が流れる手法を選んでしまった。

 それも仕方ないだろう。なにせミャンメイは、そのギャグにすら気付いていなかったのだ。

 その証拠に今、こんなことを思っている。


(こんなの、どうやって持って帰るのかしら? 絶対にそこまで考えていないわよね)


 ひどく冷静な思考の前に、ギャグが入り込む余地など、ない!!


「うーん、やっぱりこいつはいいな。金になりそうだ…うん」


 言った当人であるグリモフスキーも、その気まずさからロボットに夢中なふりをしなくてはならない事態に陥る。

 慣れないことはするべきではないことを、ミャンメイ嬢は沈黙をもって教えたのである。

 厳しさの中に優しさがある。こんな体験を通じて人は成長するのだ。



 と、くだらない話は置いておき。



(ガラクタ集め、好きなのかしら? 意外な一面ね)


 グリモフスキーがロボットに夢中なのは事実だ。

 彼が笑っている顔を初めて見た。まるで少年のように無邪気に笑っているではないか。

 ガラクタが好きなのか、その収益が良いから好きなのかは不明だが、集めること自体は好きらしい。

 テンションの変化からもわかるように、明らかに最初とは食いつきが異なる。


(男の人って、こういうところが可愛いのよね。兄さんも、こんな男の子っぽい趣味があればいいのに)


 レイオンは自分を鍛えることにしか興味がない筋肉馬鹿なので、グリモフスキーのような玩具に夢中な男性というものは、なかなか新鮮に見える。

 彼が地下に入った時期を思えば、すでに齢四十を過ぎているのだろうが、こういったところは子供と変わらないから面白い。


「さすがに持ち運びは無理だな。今は場所だけ覚えておけばいいか」


 一通りロボットの観察を終えたグリモフスキーが、そう呟く。

 今すぐこのガラクタをどうこうするつもりはないようで安心する。

 粗暴で頭はけっして良くはないが、それなりに組織内で生きてきたので道理くらいは知っているようだ。



「ところで、その先はどうなっているんですか? 今、そこから入ってきましたよね?」


 ミャンメイが、グリモフスキーが入ってきた扉を見る。

 さきほどの音は、この扉を開いた音だったのだ。


「それも腕輪で開けるんですか?」

「いや、普通に手で開いたぞ。見たまんま、もう壊れているようだな。腕輪も反応しない。そこまで大きくないし、てめぇでも問題なく開けられるだろうな」

「そういえばこの部屋…ちょっと小さめですね。今までの空間の半分くらいですか?」

「住む分には、これくらいでいいだろう。でかすぎても落ち着かないしな」

「え? 住むんですか?」

「そういう意味じゃねえよ! どこか抜けてるな、てめぇは」

「そうですか? 自覚はないですけど…」

「自覚があったら、それはそれで怖ぇよ」


 今になって気付いたが、この部屋はあまり大きくなかった。

 ミャンメイたちが暮らしていた地下上層部エリアは、天井が十メートルある等、全体的に大きく造られていたが、ここは五メートルくらいだろう。

 それでも吹き抜けのある家くらいはあるので、日本人からすれば大きな空間といえる。

 これが意味することは、とても簡単だ。


「普通よ、地下に行けば行くほど広いって考えるよな? 地下なんて、いくらでも空間があるからよ。だが、むしろ狭くなっている。臭うな。人間の臭いがしやがる」

「私、人間です」

「んなことはわかってんだよ! てめぇのことじゃねえ!」

「グリモフスキーさんは言葉が足りないんですよ!」

「うるせえ! それくらい察しろ! ったく、何も考えてないところまでレイオンにそっくりかよ」

「失礼ですね。ちゃんと考えていますよ」

「どこか能天気なんだよな…てめぇらはよ。だからいつも誰かに追い込まれるんだろうが」

「それは…はい。反省しています…」


 ミャンメイ当人は気付いていないが、たしかにグリモフスキーの言う通り、のほほんとしている印象は受ける。

 物事をあまり深刻に考えないことは長所ではあるが、それだけ危険察知に疎いことを意味する。

 レイオンも簡単に敵にやられてしまったし、ミャンメイもカスオに追い詰められた。

 彼女はたまたまグリモフスキーがいたから助かったが、本当ならば危なかったのだ。

 そこは反省しつつ、彼の言葉の意味を考えてみる。


(人間が暮らしやすいサイズ…という意味かしら。たしかに上よりは快適かも)


 慣れれば気にならなくもなるが、人間が寝るのに天井が広く大きくないといけない理由はない。

 むしろ多少の圧迫感があるほうが安心するものだ。これは動物が巣穴に入ると落ち着く現象と同じだ。

 では、なぜ地下上層部が広い造りになっていたのかといえば、おそらくは【人間が暮らすエリアではなかった】のだろう。

 いたとしても、ごくごく少数の人間。それこそカスオが見つけた部屋のように「管理職」の人間が暮らす場所だったのかもしれない。

 グリモフスキーが言った「人間の臭い」とは、生活感のことを示しているのだろう。

 より人間の気配が強まった、というべきか。


「動けるようなら移動するぞ。怪我はないんだろう?」

「は、はい。怪我はないですけど…ここから元の場所に戻れないんですか?」

「そういったもんは何一つねえな」

「このロボットがピカーって光って戻れるとか…は?」

「なに夢見てんだ。んなもんに期待してたら餓死するだけだぜ。来られたからといって戻れるとは限らねえ。そんな暇があるならメシの心配でもしてろ。武人の俺はしばらくいいが、てめぇはそうもいかねえだろう」

「…そうですね。ご飯がないと心配です。ちょっとお腹すいたかもしれません」

「ふん、だろうよ。道があるなら進んだほうがいいぜ」

「道があったんですか?」

「ああ、進む道はな。だが、戻る道はねえ。つーか、そもそもどうやってここに来たのかわからねえんだ。頭の悪い俺らが騒いでいても力を消耗するだけだ。なら、ここいらを調べたほうがいい。人間の臭いがするってこたぁ、何かあるかもしれねえからな」

「あっ、なるほど。案外頭がいいですね」

「てめぇ! いちいち『案外』とか付けるんじゃねえよ! 馬鹿にしてんのか!」

「だって、奥の人たちって…そういうイメージでしたから」

「…ふん、否定はしねえよ。あのカスみたいなやつらが集まっているのは事実だからな。だが、見捨てたらそこで終わっちまうだろうが。それこそ本当のゴミになっちまう。どうせ同じゴミならよ、金になるスクラップのほうがましだぜ」

「だんだんグリモフスキーさんが、リーダーっぽく見えてきました」

「なんかイラつくな、てめぇは!」

「酷いです。褒めたのに。じゃあ、行きましょうか」

「いきなりやる気じゃねえか」

「グリモフスキーさんの言うことのほうが正しいと思っただけです」

「へっ、不思議なもんだな。戻ろうと言った俺が先に進みたがり、真相を知りたいと言ってたてめぇが戻りたがる。人生なんてそんなもんだ」

「なんか妙に説得力がありますね」

「実体験だからな。だが、納得しようがしなかろうが、進むしか選択肢はねえんだ。掃き溜めにいる俺にしちゃぁ、進めるだけありがたいがな」


 人生とは、ままならないものだ。

 自分が思っていたものと逆の結果になることも多く、落胆することもあるだろう。

 ただし、それでも停滞するよりはいい。

 前に進める道があるのならば進んだほうが建設的だ。

 何があるかは別として、何も知らないで生きているよりは、少しはましな人生が送れるに違いないからだ。





 ミャンメイとグリモフスキーという奇妙な組み合わせは、部屋を出て移動を開始する。


 通路は部屋よりも薄暗かったが、それでも十分な光量を確保していた。

 上の階(カスオと戦ったエリアの階を仮にそう呼んでおく)と比べると、ミャンメイたちが暮らしている地上部分により近い構造をしていた。

 いわゆる「遺跡っぽい」造りというべきか。

 全体的には石造りなのに、術式によって近代文明化された独特の風情を感じさせる。


(なんだか馴染む感じがするわ。ずっと同じような場所で暮らしていたせいかしら)


 そのせいかミャンメイには、不思議な懐かしさすら感じられる。

 「ああ、いつもの場所だ」といった安心感である。

 それと比べると上の階は、意図的に造られた空間に感じられて、今思えば強い違和感を感じる。


 あそこだけ【遺跡の思想】から若干外れているような、後付けで増築された場所のように思えてきた。


 やはり家というものは、最初に設計された通りで一つの完成なのだ。

 そこに「子供が産まれたから二階部分を広げるか」と増築すると、それは悪いことではないものの、全体の統一感や美的感覚といったものに狂いが生じる。

 アンシュラオンが「人工的」と思ったように、ミャンメイもそういった類の違和感を感じていた、というわけだ。


「心配するな。敵はいねぇよ。今のところな」


 その困惑した顔を不安と捉えたのか、グリモフスキーが振り返って話しかけてきた。

 彼の足取りに迷いはなく、どんどん先に進んでいくので、歩幅に差があるミャンメイはついていくのがやっとだ。

 そういった配慮ができないあたりも兄に似ているといえるだろう。


「そんなにズカズカ進んで大丈夫ですか?」

「てめぇが眠っている間に、けっこう遠くまで行ったからな。問題ねえよ」

「私を一人にして何かあったら、どうするつもりだったんですか?」

「んなこたぁ知るか。どこが安全かもわからねえんだ。どこにいても同じだ。つーか、俺の心配はしねえのか?」

「グリモフスキーさんは強いから大丈夫です。銃で撃たれても倒れなかったですし」

「…あまり期待するんじゃねえよ。悪いが、俺はそこまで強くはねえぞ。レイオンの野郎にボコボコにされたくらいだからな」


 アンシュラオンの見立て通り、グリモフスキーの実力はアカガシ程度だろう。

 毎回たとえに出すのも飽きてきたが、ソイドビッグにも確実に負けるほどだ。

 はっきり言って微妙だ。微妙すぎる。豚より弱いとは何事だと叱ってやりたい。

 だが、これが実力なのだから仕方ない。相手がカスオだから強く映っただけにすぎないのだ。


「それでも私より強いことには変わりありません。…あれ? グリモフスキーさんって…団体戦には出ませんよね?」

「ああ」

「それだけ強いなら、出てもいいんじゃないですか?」

「俺にそれを言うのか? レイオンと一緒に出るなんて死んでも御免だ」

「そんな理由で出ないんですか? グリモフスキーさんが出てくれれば、もっと勝てる確率も上がるのに…」

「ああ!? そんな理由だと!? 俺にとっちゃ大きな理由だ!! それにな、あいつがそういうルールを作ったんだ。『奥』っていう一括りで、俺たちを閉じ込めたのさ。ならよ、レイオンの野郎が責任を取るのが筋だろうが!」


 グリモフスキーは、レイオンが来るまでは団体戦に出ていた。リーダーなのだから当然だろう。

 しかし、彼一人が勝っても他の二人が負けるので、今と結果は何も変わらない。

 そしてレイオンがやってきても、この構図に変化は生じなかった。


「ずっと思っていたがよ、あいつは団体戦に乗り気じゃねえんだ。最初から勝つ気がねえんだよ!」

「それは…はい。薄々感じていましたけど…どうしてでしょう?」

「俺が知るか! これ以上、あいつの話はするんじゃねえ! 腹が立つ!」


 これ以上言ってもグリモフスキーを怒らせるだけなので、ミャンメイは黙る。

 ただ、純粋に「もったいない」とは思った。


(二人が協力してくれたらラングラスも上に行けると思うのに…男の人って、どうしてこんなに意地っ張りなんだろう。真面目すぎるのかしら?)


 グリモフスキーはマフィア出身者らしく、筋にこだわる。

 レイオンが自分を倒してキングになったのなら、その責任を取るべきだと考える。

 またレイオンにしても、はっきり言えば自分のことで手一杯で、ラングラスエリア全体のことまで面倒を見ることできないでいる。

 身体が死んでいたのだから仕方ないが、グリモフスキーにそんなことはわからないし、知っていたとしても関係ないと言うだろう。

 何でも独りで背負い込もうとするわりには、自分のことしか考えていない身勝手なやつと映る。

 レイオンはグリモフスキーたちを『ならず者』としか見ていないので、そこにも大きな問題があるのだろう。

 そこで両者の確執が生まれているのだ。




467話 「奇妙な二人の地下探索 後編」


 グリモフスキーのレイオン嫌いは、かなりのもののようだ。

 それも仕方ない。暴力でいきなり蹴落とされたのだから、恨みは募る一方だろう。


 そんな会話があったせいか、しばらく無言で二人は歩き続ける。


 周囲の警戒はグリモフスキーがやってくれるので、何もやることがないミャンメイは通路を見回していた。


(通路の造りは…少し違うかな? こちらのほうが部屋が密集しているわ)


 地下上層は、一つ一つの部屋が離れて点在し、その間を細い通路でつなぐ仕組みになっている。

 前も言ったが、まるでアリの巣に似ている。

 一つの部屋を往来するにも数分から数十分かかるので不便だ。

 そこに人間が強引に暮らすのだから、大きな部屋を分割して使うしかない。

 それによって各グループが余計な接触を持たないで済む利点もあるので、この特性によって地下の平穏が保たれているともいえる。


 一方こちらの通路は、我々がごくごく一般的に見るように、一つの通路の左右に部屋が連なって存在している造りになっている。

 当然人間が暮らすことを想定すれば、部屋同士は近いほうが便利だろう。

 仮にトイレまで数百メートルあったら、何かアクシデントがあれば大惨事になってしまうし、各人のコミュニケーションにも隔たりが生まれてしまう。

 よってここは、グリモフスキーが言ったように、より人間が暮らすのに適した空間であることを示している。



(私たちのほかに人間がいるのかしら…?)


 そんな不安と期待を抱えながらも、二人は道を歩きながら部屋を探っていった。

 彼女たちが目覚めた部屋は一番奥にあったため、安全を確認する意味もある。

 どのみちあの部屋から戻れない以上、進むしか選択肢はないのだが、後ろからいきなり襲われるのも嫌だろう。しっかりと確認したほうがいい。


 今現在まで確認できた部屋は、二十あまり。


 その中には腕輪で開くものと、壊れていて手動で開くものの二つが存在した。

 どの扉にせよ中身は、機械の部品やロボットの残骸が投げ捨てられているくらいで、これといったものは見つけられなかった。

 このことから、この周囲一帯の区画は、倉庫として使われていた可能性が高いことがわかる。


 言ってしまえば、ゴミ捨て場だ。


 生ゴミのようなものがないのが幸いだが、結局はスクラップと化したものしか存在しない「死した空間」である。

 この遺跡の中でも、おそらく誰からも見向きもされない区画なのだろうと想像できた。

 ただ、そう思うのはミャンメイだからこそであり、グリモフスキーからすればスクラップは【お宝】である。

 大きな残骸を見るたびに足を止めて漁ろうとするので、注意をして先に行こうと促すはめになる。

 今重要なのは食糧と安全の確保だ。ゴミに熱中する余裕はない。


「ったく、もう少し見させろよ」


 と愚痴を言いつつも、グリモフスキーも持ち運びできないことを知っているので、ポケットに入れられそうな小物だけを選んで渋々移動を再開していた。




 そんなことを続けること、一時間弱。



 【それ】は突如やってきた。




「―――うっ!」




 ミャンメイが突然、うずくまる。


「あ? どうした!? 何があった!?」

「ううっ……」


 ミャンメイはその問いには答えず、大粒の汗を流しながら呻く。


「どこか痛いのか!? まさかカスオとの戦いで怪我でもしていたか!?」

「ううっ…ううう……ま、まさかこんな……今頃になって……」


 ミャンメイはお腹のあたりを押さえて顔をしかめていた。

 かなり苦しそうだ。明らかに緊急事態である。


(ちっ、カスオの弾が当たってやがったのか!?)


 グリモフスキーが咄嗟に思ったのは、流れ弾が当たっていたが今まで我慢していた説、である。

 いくら自分が盾になったとはいえ、カスオも乱射していたのだ。

 一発や二発くらいミャンメイに当たってもおかしくはない。


(けっこう小さな弾丸だったからな。一般人の女がくらっても一発で死ぬとは限らないが…へっ、思ったより根性あるじゃねえか)


 怪我をしていても黙っているとは、なんと男気のある女(?)なのだろう。

 レイオンの妹だからと毛嫌いしていたが、こうなると認めないわけにはいかない。

 見直したぜ、この野郎!(ミャンメイは女だが)。



 などとグリモフスキーは思っていたわけだが、実際は―――




「緊急事態です! は、花園に行きます!」




 ミャンメイが、なぜかラガーマンのようなことを言い出した。

 花園。それはラグビーの聖地と呼ばれている場所である。

 ラグビーを知らない人間でも、なんとなく名前は知っているくらい有名だ。

 もしここにアンシュラオンがいれば、「なぜそれを知っている!?」と驚いたことだろうが、グリモフスキーには何のことだか理解できない。


「…は? はなぞの?」

「そ、そうです! 花園です!」

「…な、なんだそりゃ…? 何かやたら力強い言葉に感じるな。ついつい夢を語りたくなるような神聖な響きのある名前だ…!」

「あああ!! だからもう緊急事態なんですよ!! 駄目ダメダメ! これは本当に駄目です!」

「は、腹に…銃弾が当たったんじゃねえ…のか?」

「銃弾!? それよりもっと深刻な話です!! は、早く! 早く行かなきゃ! 私は花園に行かなきゃ!!」

「お、おい、待て!」

「待ちません! 私はどうしても…花園に行くんです!」


 ミャンメイがお腹を押させて、ひょこひょこと歩き出す。


「お、おい! 無理すんじゃねえよ!」

「ここで無理をしないで、いつするんですか!」


 会話だけ聞けば、夢を追いかける若者の青春物語だが、ミャンメイの表情は至って真面目だ。

 その姿は非常に痛々しく、なおかつ必死だ。ふざけている様子は粉微塵もない。

 実際、彼女は本気で焦っている。決死に移動しようとしている。


(何を言ってんだ、この女は? 銃で撃たれたわけじゃねえのか? それ以外で腹を押さえる理由は…? ん? 花園ってまさか……)


 その様子を見て、鈍感なグリモフスキーもようやく理解した。



「もしかして、クソか?」



「っ―――!!」



 ブンッ ドゴッ

 ミャンメイが何かの塊を投げつけてきた。

 どうやら彼女もスクラップから使えそうなものを、いくつかポケットに入れていたようである。

 だが、彼女の場合は換金目的というより、投擲用のアイテムとしての意味合いが強いようだ。

 壊れることも気にせず、躊躇なく全力で投げつけてきた。


「うおっ!! 何しやがる!」

「デリカシーがないですよ!! そういうことは直接言わないでください!」

「ああ!? 本当にクソなのか!? くっそー、根性があると思って褒めてやったのに…クソかよ!」


 ブンッ ドゴッ

 再びミャンメイが投げた塊が、グリモフスキーの頭にヒット。


「いて!」

「クソクソ言わないでください!」

「クソはクソだろうが!」

「違います! そっちじゃないほうです!」

「あ? 小便かよ。んなもん、どっちだって同じだ。さっさとしろよ」

「…今、なんて言いました?」

「だから、さっさとしろよ。小便なんて、そのへんで適当にすればいいだろうが」


 ブンッ メコッ

 投げた塊が、こめかみにヒット。

 徐々にコントロールが良くなっている。狙った場所に的確に当ててきた。


「いて! てめぇ、いくつ隠し持ってやがる!」

「できるわけがないじゃないですか! 個室が必要です!」

「べつにてめぇの小便なんて見たくもねえから安心しろ」

「そんな問題じゃないです! もっと大きなプライバシーの問題です!」

「ちっ、面倒くせぇな。だったら、そこらへんの部屋でしろよ。一応個室だろうが」

「駄目です! もっと適した場所がないと駄目です! み、水場か…砂場があれば…!」

「砂ぁ? こんな場所に砂場なんてあるかぁ?」

「いいから! 早く探してきてください! 可及的速やかにです!」

「俺がか?」

「ほかに誰がいるんですか! は、早く! 早くしないと…あああああ! 天が裂けるるうううう!」


 ミャンメイの声が、だんだん怪しくなっていく。

 これはこれで興奮する男もいるかもしれないが、残念ながらというべきか、幸運というべきか、グリモフスキーにそんな趣味はなかった。

 どうやらこの問題を解決しないと、次には進めないらしいことは確実らしい。

 万一漏らしでもしたら、これ以後の行動にどんな影響を与えるか非常に不安だ。


「ちくしょう。女ってのは本当に面倒くせぇな。見つからなくても知らねえからな」

「は、早くうううううう!」

「なんで俺がレイオンの妹のために…くそっ」

「クソとか言わないで、早く!」

「舌打ちもできねぇのかよ!」


 ぶつくさと文句を言いながら、グリモフスキーは「トイレ探し」の旅に出た。

 なんともなさけない理由だが、人間生活にとってはかなり大切な要素でもあるので、ぜひともがんばってほしいものだ。




(グリモフスキーさんは、やっぱり優しいわね)


 なんだかんだで探しに行ってくれるのだ。強面だがナイスガイである。

 冷静に考えれば、急いで新しい部屋を探索させる行為は、かなり危険度が高い。

 もしカブトムシと同レベル帯の個体と遭遇して襲われれば、サナでも苦戦した以上、彼では太刀打ちできないだろう。

 その危険性は、グリモフスキーも知っているはずだ。

 長いこと荒くれ者たちをまとめていたのは伊達ではない。地下には危険があることをよく知っている。

 だからこそミャンメイの危機にも気付けたのだ。彼はいつなんどきも油断していない。

 それでも自分のワガママを引き受けて探すのだから、ナイスガイの称号を受け取る資格はあるだろう。


(グリモフスキーさんがリーダーの時も、女性が乱暴されるようなことはなかったってマザーも言っていたわ。彼が守っていたのかもしれないわね)


 ミャンメイはグリモフスキーがリーダーであった頃のことは知らないが、マザーから昔のことはよく聞いている。

 その当時も、女性に対しての乱暴は禁止されていたという。

 地上にいれば当たり前の話に聞こえるが、ここは地下であるし、中にいるのも半分以上は凶悪犯罪を起こした前科者たちだ。簡単に統制できるわけがない。

 そこで大きな事件を起こさずにクズどもをまとめていたのだから、彼はやはりリーダーとしての資質があるのだろう。

 彼は彼のやり方で、組織との繋がりを重視したルールと慣習の中で、囚人たちを統治していたのだ。

 仮に事件が起これば、見せしめとして殺すこともありえるが、基本はルールに則って対処していた。


 一方のレイオンは「力づくで犯罪自体を封じ込めた」といえる。

 つまりは伝染病の対策のように、ヤバイ連中は完全に別の場所に隔離して、それ以外の人間と接触させないようにしたのだ。

 これはこれで【短期間】においては強烈に効果を発揮するやり方だ。

 そう、短期間ならば、だが。

 押さえつけられたものは、いつか爆発する定めにある。

 臭いものに蓋をしても中身がなくなるわけではなく、どんどん腐敗が進んでいくし、炭酸のようにちょっと蓋が開けば一気に噴出する可能性も高まる。

 両者の違いは、長期的に物を見ているかそうでないか、の違いである。

 レイオンは長い時間を想定していないが、グリモフスキーはまだ何十年も地下を守るつもりでいる。その違いである。


(やっていることは同じなのに、難しいものだわ…。あううう、それより早く見つけてくれないかしら! ぐ、グリモフスキーさーーーん!! 早くううううう!)




 グリモフスキーの魅力を語る <<< 超えられない壁 < トイレ



 である。


 今はトイレが何よりも大事だ。





 十五分後。



 ミャンメイが若干痙攣を起こしていた時、グリモフスキーが戻ってきた。



「見つけてきたぞ」

「は、はや…く……いきましょう……」

「礼もないのかよ」

「そんな場合じゃ…ありません! というか、助けてくれた時には受け取らなかったのに、今は要求するんですね」

「ちっ、細かいことまで覚えてやがるな。で、そんな状態でたどり着けるのか?」

「い、いきます! し、死んでも…いきます……」

「ったく、しょうがねえな」

「あううう! な、なにするんですかぁ…ああ!」


 グリモフスキーがミャンメイを持ち上げる。


「運んでやるから、おとなしくしておけ」

「そっと…そっとですよ…! いろいろと刺激されている状況ですからね! そっと…お願いします…!」

「…なんで俺は、こんなことをしてんだか……」


 と、ぶつくさ言いながらも、ミャンメイを運ぶグリモフスキーであった。




468話 「ロボットの存在意義 前編」


 尿意を催したミャンメイが運ばれたのは、そこからさらに五分ほど進んだ場所であった。

 時間としては、「なんだ、たったの五分か」という感想を抱くだろうが、ここが見知らぬ場所であることを忘れてはいけない。

 いつどこから何が出てくるのかわからない状況である。

 グリモフスキーが言うように、ここが未発掘エリアだとすれば、もしかしたら「罠」が残っている可能性もあるのだ。

 ダンジョン専門のハンターである『イクター〈掘り探す者〉』の数多くが、ダンジョン内の罠によって死んでいる。

 専門家の彼らでさえ簡単に死んでいくのだから、素人ならばなおさら慎重に進むべきだろう。


 よって、未発掘エリアを探索する際は、少しずつ進むのが常識となっている。

 たとえば、一日に数十メートルしか進めなかった、ということも珍しくはない。

 今回のように緊急事態でもなければ、ここに来るのはもっと後になっていただろう。

 それだけグリモフスキーが急いで探索した結果なので、ここはその勇気を褒めてあげるべきだ。


 また、ミャンメイは尿意に苦しんでいたので周囲を見る余裕はなかったが、ある一線から少しずつ遺跡内部の様子が変わっていた。

 通路に部屋が並んでいた区画が終わり、やや広い場所に出たのだ。

 そこは依然として何もない空間ではあったが、今までとは違い柔らかい空気が漂っている場所であった。

 その空間の端にあった部屋に、ミャンメイは放り込まれる。


「ほら、さっさとしてこい」

「ううう…! も、もう下半身が…痺れて……」

「中央に『土』がある。そこでしとけ」


 バタンッ


 呻くミャンメイを、半ば放置する形で扉が閉められた。

 まったくもって女性への気遣いが足りないと文句も言いたいが、ここを見つけてきてくれただけで十分ありがたい。

 ミャンメイは破裂しそうな膀胱をなだめながら、部屋の中央に向かう。


 ぐにゃ


(あっ、これ。本当に【土】だわ)


 部屋の中央に足を踏み入れた瞬間、とても懐かしい感触がした。

 土を踏んだ時の柔らかい感触。

 土の独特な刺激のある匂い。

 地上にいれば腐るほどあるのに、そのどれもが地下に来てから滅多に味わえなくなったものだ。


(本当に土があるなんて…と、それどころじゃないわ! は、早く用を足さないと…!)


 土があるとはいえ、開けた室内なので若干の恥じらいを感じる。

 お風呂に入る前に便意を催し、裸でトイレに入る感覚に似ているだろうか。

 いや、若干たとえを間違った気がしないでもないが、とりあえずそんな不思議な羞恥心を感じたということだ。


 早く済まそうと急いでズボンを脱ぎ




 用を―――足す





「ふぁあああ……ぁぁぁあ………」



 我慢していたせいか、軽い気だるさすら感じる。

 それと同時に、じんわりと安らかなる幸福感がやってきた。

 敵は去った。もう何も怖くはない。そんな安堵感を抱く。

 人間は、たったこれだけで幸せを感じられる生き物なのである。

 幸せとは、ごくごく身近にあったのだと実感するものだ。


 それから股を拭く作業に入る。


 先ほど手に入れた水で軽く洗い流し、持っていたハンカチで拭く。


(ふぅ…早く出ないと)


 用を終えたミャンメイが、ズボンをはこうとした時である。

 ずずっ

 かすかに何かが動いた気がした。


「っ!」


 ミャンメイは驚き、硬直する。

 そして、動いた影をじっと見つめた。

 慎重に、ゆっくり、細心の注意を払って



 視線は―――足元に向けられた。



(…何も動いていないわ。見間違いだったのかしら?)


 足元に特に異変はない。ほっと胸を撫で下ろす。

 見間違いはよくあることだ。

 視界の隅で何かが動いたと思ったら、メガネレンズの反射だったり、あるいは哀しい理由ならば飛蚊症という話もある。

 特にこうした薄暗い部屋の中では、人間の恐怖心が増大して想像で自ら虚像を生み出してしまうものだ。

 そう、この部屋は薄暗かった。

 今までの壁がうっすらと光っていたのに対し、こちらは発光していない普通の壁なのだ。

 そのため中は、かなり薄暗い。

 日光を忘れて久しいミャンメイから見ても、はっきりと全体が見渡せないほどの暗さである。

 ただ、グリモフスキーが安全確認をしているはずなので、危険なものはないはずだ。


(そうよね。気のせいよね。あまり待たせるのも嫌だし、早く―――)




 にょろ ぴた




「っ―――!!!」




 そう思って油断した次の瞬間、股に何かが当たった気がした。

 それは見間違いなどではなく、確実に自分の身体に当たっている【何か】だ。

 にゅるり ぞわぞわ

 ソレが這いずるごとにミャンメイの肌がざわつき、鳥肌が立っていく。


「はっ、はっ、はっ!!」


 息が荒くなる。

 瞳孔が右に左にせわしなく小刻みに揺れる。

 手が震える。足も震える。


 そして―――





「ひゃぁあああああああああああああああ!!」





 叫ぶ。


 これはしょうがない。

 誰だってこんな目に遭ったら、反射的に叫んでしまうだろう。

 もしいきなり手にゴキブリが降ってきたら、よほど肝が据わってない限り、成人男性だって大パニックだ。

 本当に仕方がないことである。何度でも弁護しよう。


 バタンッ!


「なんだ、どうした!!」


 加えて、悲鳴を聴いたグリモフスキーが、慌てて扉を開くこともしょうがないことなのだ。

 これも普通の対応といえるだろう。

 むしろ悲鳴が上がっているのに無視できたら、それはそれで問題である。

 彼は人として当然の振る舞いをしたのだ。何も悪くない。

 が、悪くないからといって、罰せられないわけではないのが世知辛いところだ。


「きゃぁああああああああ!!」


 むんずっ

 まだズボンをはいていないのに突然入ってきたグリモフスキーに、またもやミャンメイがパニックに陥り、思わず股下にあった『ソレ』を掴むと―――

 ぶんっ!!

 グリモフスキーに投げつける。


 ひゅーーーんっ ごんっ


「いてっ!」


 投げつけられたそれは、見事グリモフスキーの顔面にヒットする。

 だんだん命中率が上がってきている気がする。将来が楽しみな右腕《うわん》だ。


 にょろにょろにょろ ぴた


 「ソレ」から出た何かが、今度は彼の顔にまとわりつく。

 だが、こちらに攻撃を仕掛けているというわけではなく、ただ這いずっているだけ、といったほうが正確だろう。

 気色悪いだけで痛みもまったくない。


「なんだこりゃ…?」


 グリモフスキーが、その謎の物体を手に取るが―――


「早く出てってください!!」


 ひゅーーーん どがっ


「いて」


 今度は包丁まで飛んできた。

 幸いながら柄のほうが当たったので刺さりはしなかったが、包丁まで投げられたらたまらない。


「わかった! だからもう投げるな! くそっ、なんでこんな目に…」


 グリモフスキーは文句を言いつつ、さっさと部屋から出ていくのであった。

 ほんと、彼は何も悪くないのに理不尽である。




 三分後。




 ズボンをはいたミャンメイが、ものすごく警戒しながら出てきた。
 
 手にはもちろん包丁を握り締めている。


「怖ぇな! さっさと出ろよ!」


 扉を半開きにしながら、包丁を突き出してこちらをうかがう姿は、なかなかにして怖いものがある。


「何かあったら…刺します」

「何もねえよ。ちったぁ信用しろや!」

「さっきのやつ、どうなりました?」

「てめぇが投げたやつか? ここにあるぞ」

「ひぃいっ! なんで捨ててないんですか!」

「捨てるって言われてもな…。これが何か、ちゃんと見なかっただろう?」

「はい。暗かったですし…もしかしてグリモフスキーさんが仕込んだんですか?」

「なんで俺がそんなことをしなきゃいけねぇんだ! いいから、さっさと出ろ!」


 バタンッ


「あっ!」


 このままではきりがないので、グリモフスキーが扉を強引に開けてミャンメイを引っ張り出す。

 彼女も少し落ち着いたのか、渋々ながら出てきた。



「まったくもって面倒くせぇな。ほら、見てみろ」


 ぽいっ

 出てきたミャンメイに、グリモフスキーが「ソレ」を投げつけた。


「わわっ、ひゃっ!」


 ぼと ゴンッ

 いきなり投げつけられたので上手くキャッチできず、思わず落としてしまった。

 ただ、そこで聴いた音は妙に硬質的であった。

 最初に感じたような、にょろにょろした雰囲気はまったくない。


「え? なに…これ?」


 ミャンメイが、床に落ちた「ソレ」を見つめる。

 全体的に唐茶《からちゃ》色をしているので、土に紛れていても見分けはつかないだろう。

 大きさは七センチ大の立方体で、ちょうど手の平でがっしり掴むのにちょうどよいサイズだ。

 身体の中央には、モノアイのような赤い点があり、たまにきょろきょろと周囲を見回す動作をする。

 明らかに生物ではない。それでいながら動いている何かだ。


「な、なんですか、これ?」

「俺が知るかよ。ちょっとつついてみな」

「つつく…? つんつん」

「ビー、ニョロン」

「ひゃーーーーー! なんか出てきましたよ!」


 ミャンメイが軽くつつくと、身体の中央部分が開き、触手のようなものが出てきた。

 それがうねうねと奇妙に動いているので、一気に気色悪い存在に見えてくる。


「危害はない。虫みたいなもんだ」

「虫って…そう言われればそうですけど…。もしかしてこれって…ロボットってやつですか?」

「だろうな。形はだいぶ違うが、ホワイトが入り口で破壊したものに似ている」


 アンシュラオンが破壊したカブトムシたちはレイオンが回収していったが、あれだけの大きさである。人目につかないわけがない。

 グリモフスキーも情報は得ていたし、残骸を見たこともある。

 それ以前に彼がここにやってきた時にも一度出会っているので、ロボット自体にそこまでの驚きはない。

 驚いたことがあるとすれば―――


「重要なのは、そいつが生きているってことだ。ほかのやつみたいに死んでない。つまりは金になるってことだな」


 グリモフスキーが、にやりと笑う。

 たしかに今まで見てきたものは、すべて動かなくなったロボットだけだ。

 しかし今、実際に動いているものを手に入れた。この意味は非常に大きい。


「そのサイズなら持ち運べる。文句はねえな?」

「ないですけど…大丈夫なんですか? これ? 子供とかだったら、あとから親が出てくるんじゃ…」

「それならそれで大歓迎さ。もっと金になる」

「その前に身の危険がありそうな気がしますけど…」

「ガタガタ抜かすなよ。そいつに害はねえ。そんなもんにびびって、これから先に進めるのか? あ?」

「は、はぁ…言いたいことはわかりますけど…うーん」


 つんつん

 ミャンメイが箱型ロボットをつつくと、捕まったカニのようにわさわさ動く。

 ちょっかいを出されても、こちらに攻撃する意思は見えない。また、攻撃力そのものがないようにも思える。


(ホワイトさんの話だと、ロボットには二種類いるみたいね。こっちは害がないほうかしら?)


 最初に出てきた因子を測定するロボットと、攻撃してきたカブトムシは明確に役割が決められていたようだ。

 そのことから非戦闘型のロボットが存在することを示している。

 この無害な様子から、こちらも同タイプのものと思って間違いないだろう。


「部屋の中は確認したか? ほかにもなかったか?」

「いえ、この子だけでした」

「この子?」

「なんだか可愛く見えてきました。怖がっていたのが馬鹿みたい」

「その気持ちはまったく理解できねぇが…なかったんだな?」

「あったら、もっと驚いていますよ。中は土しかありませんでしたね」

「【虫】は?」

「え?」

「土があるってことは、虫もいるってことだろう? 土を耕すのは虫の役目だからな」

「あっ、そうですね。でも、中も掻き混ぜて調べてみましたけど、それらしいものはいませんでした」

「…そうか。だが、何かしらの目的があったはずだ。この遺跡を造る際に出た一部なのかもしれねぇが…わざわざ土を部屋に置いておく理由がねえからな」

「土…か。野菜でもあればなぁ……」

「さすがに野菜はねえだろう。あったら驚きだ」

「ですよね…」


「ピガッ―――ガガッ。ヤ…サイ!」


「えっ!?」


 ごんっ

 突然ロボットが言葉を発したので、思わず手を離してしまった。

 落とされたり投げられたり、なんとも哀れなロボットであるが、装甲は厚いのかビクともしていない。

 それどころか、にょろにょろと触手を出して、自分から移動を始めた。


「あっ、行っちゃう!」

「逃がすかよ!」


 グリモフスキーが慌てて追うが、それも杞憂だった。

 サイズが小さいせいか、進む速度もあまり速くない。

 普通に歩くのと同じくらいの速度で簡単に追いつくことができた。


「勝手に逃げ出しやがって。お宝を逃すもんか」

「あっ、待ってください」


 そのまま捕まえようとしたグリモフスキーを、ミャンメイが制止する。


「あ? なんだよ? いまさら嫌だとか言うんじゃねえぞ。これは譲れねぇからな」

「違うんです。この子、私たちをどこかに案内しようとしているような気がして…」

「こいつがか?」

「はい。私の『ヤサイ』って言葉に反応しましたし」

「…知能があるってことか? こいつにか?」

「ずっと気になっていたんです。このロボットって何のためにいるのかなって。ホワイトさんが来てから意識するようになったんですけど…気になりません?」

「そこまで考えたことはねえな。俺らにとっちゃ、使えるか使えないかがすべてだ。こいつが金になるかどうかが重要だ。…が、たしかに気にはなる。こんなもんがグラス・ギースの地下に普通にいるってことも、考えてみれば異常だしな」


 今まで当たり前に受け入れてきたが、アンシュラオンがやってきてから「何かおかしい」と感じるようになっていた。

 ずっとそこで生活していると、おかしなことでも受け入れてしまうのが人間だ。

 そういった感覚や感性といったものも、あの男は破壊してしまったのだ。

 今までのグリモフスキーだったら、そんなことは関係ねぇと突っぱねていただろうが、彼もまた心の中に違和感と疑問を抱き始めていた。

 逆に、なぜ今まで疑問に思わなかったのかと訝しむほどだ。

 頭の中にかかっていたモヤが払われ、初めて自分がどにいるのかを認識した瞬間でもある。


「まあいい。どうせ先に進むのは同じだ。だが、ヤバそうなら捕まえるぜ」

「はい。わかりました」



 二人は箱型のロボットを追った。




469話 「ロボットの存在意義 後編」


 箱型ロボットを先頭に通路を進む二人。

 にょろにょろ にょろにょろ

 ロボットは、触手をミミズのように収縮させながら器用に進んでいく。


「わぁ、すごいねぇ。よく歩けるね」


 普段子供たちと接する機会が多いミャンメイは、ついついロボットに対しても同じ口調で接していた。

 小さいものが可愛く映るのは、人間でも動物でも同じだろう。

 庇護欲を掻き立てるというべきか、弱いものを守りたいという欲求が生物には存在するのだ。

 子猫の歩行を見守る母猫の気分で、ミャンメイは後ろを歩いていた。


(なんだかなぁ…。なにしてんだ、俺ぁ)


 そんな女性一人とロボット一体の後ろを歩く、元マフィアの強面構成員(半分現役)。

 彼は周囲を警戒しながら、何かあったらすぐに動けるようにしているのだが、前を歩く二人?の能天気さに呆れるばかりだ。

 相変わらず、実に奇妙な組み合わせである。

 アンシュラオンが来た影響は、グリモフスキーという存在にまで及んでいる。

 あの男が来なければ遺跡も反応しなかっただろうし、彼がこんな目に遭うこともなかっただろう。



 そんな奇妙なメンバーが歩くこと、さらに数分。


 細長い通路の途中に、小さな部屋があった。

 そこを通ると―――


 ぶしゃーーーー


「きゃっ、なに!?」

「なんだぁ!?」


 周囲から霧状の何かが噴射される。

 その間、部屋が一時的に明るくなったので、何かの罠かと思ってグリモフスキーが強引の突破しようとしたが、噴射はすぐに終わった。


「な、なんだったんでしょう?」

「毒じゃねえだろうな、おい!? トラップだったら死ぬぞ!」

「くんくん…匂いはしないですね。んん? あっ、これ……水じゃないですか?」


 ミャンメイが指で水滴に触れてみる。

 無色透明で、匂いも特にない。


「水ぅうう!? なんで水なんかぶっかけるんだ!?」

「そんなのわかりませんけど…綺麗にしたんですかね?」

「ああん!? 汚物扱いかよ!!」

「うーん、とりあえず害はないみたいですよ。やっぱり水ですね、これ」


 何度も確かめるが、出てくる答えは同じだ。


 噴射されたのは―――『水』


 その水がミャンメイたちの身体から汚れを洗い流していた。

 不思議なことに服は濡れていない。表面だけを見事に掃除したようだ。

 そのことから、ここが洗浄室の類であることがうかがえる。


「ちっ、ふざけやがって。さっさと行くぞ」

「あっ、待ってください」



 二人はロボットの後を追う。



(水にも何種類かあるのね。これってすごいことかもしれないわ)

 
 グリモフスキーとは対照的に、ミャンメイはこの水の凄さに気付いていた。

 地球でも、この『濡れない水』というものは存在する。

 フッ素系液体と呼ばれる高機能液体で、PCや精密機器の洗浄などに使われるようだ。

 この水も同じように、通常の遺跡の水を特殊生成して生み出されたものだと思われるが、問題はその機能がまだ生きていることである。


(なんだか…感じるわ。生命の波動というのかしら。この先に…ある。躍動するものが…ありそうな気がする)


 進めば進むほど、ミャンメイには確信が芽生えていた。

 土を見てもわかるように、今まで無機質だった遺跡が妙に生々しくなっていった。

 匂いもそうだ。生命の香りがする。

 生命とは、躍動し、回転し、循環するものである。

 我々が腐敗と聞くと悪いイメージしか抱かないが、腐葉土のように堆肥として栄養になるものもある。

 人間の糞尿とて大切な肥料として使われていたのだ。それを好む虫たちがいるのも、すべては循環のために必要だからだ。

 このように世界のすべては、二極性によって構成されている。



 では、この遺跡の二極性、または二面性とは何だろうか。



 カスオが示したように、人間を管理するという側面があるのも事実だろう。

 そうした何かの、あるいは何者かの意思があるのは間違いない。

 しかし一方で、もう一つの側面が存在するのも事実だ。



 ミャンメイたちがその空間に入った瞬間―――



「うっ!!」

「なんだぁ!?」


 強烈な「生命の臭い」を感じた。

 ここではあえて【臭い】と表記したい。

 そうした強い刺激臭を感じたというわけだ。



 それは紛れもなく―――生物の香りでもあった。



「え? これ……葉っぱ?」


 ミャンメイの目の前には、【緑】が広がっていた。

 広い空間に整然と並べられた『色とりどりの緑』が上空から発せられた光を受けて、真上に伸びている。

 一瞬、上の階で見た映像かと思ったが、匂いの段階で存在感が違う。

 同じ生物としての直感が訴えかける。

 これは本物だ。間違いない、と。



―――まるで【畑】



 真上に設置された巨大なジュエル、擬似太陽の下で管理された畑にしか見えない。

 ただし、緑の下には【青】が広がっていた。

 一面は水で満たされており、その上に植物が育っている状況であった。

 つまりは、そこで【水栽培】が行われていた、ということである。


「夢じゃねえよな? なんでこんなところに…」

「あっ!!」

「おいっ! いきなり動くな! 危ねえぞ!!」


 グリモフスキーの制止も聞かず、ミャンメイが水の中に入っていく。

 じゃぶじゃぶっ

 水の深さは三十センチ程度だろうか。膝下まで軽く浸かるくらいである。

 だが、やはり足は濡れないという不思議な液体であった。


「これ…トマト? でも、少し形が違うかも。こっちもラディッシュっぽいけど…ちょっと違うわ。同じ系統みたいだけど…原種なのかしら?」


 ミャンメイが見つけた植物は、普段トマトやラディッシュと呼ばれているものによく似ていた。(※この世界では多少呼び方が違うが、ややこしくなるので地球と同じ呼び名にした)

 だが、地上で料理として使っていたものとは見た目が若干異なる。

 色合いも艶もまったく違うし、形も丸というより四角い。


 これはおそらく、原種と改良種の違いであろう。


 たとえば、バナナ、ニンジン、ナス等、我々の生活でよく見かけるものは、すべて品種改良されたものだ。

 原種はまったく別の存在にすら感じるほど変化している。

 人為的な遺伝子組み換えのものもあれば、彼ら植物もまた生物の一種なので、自ら良質な種を残すために変質していった例もあるだろう。

 人間受けすればするほど、それだけ自らの種を残し増やせるのだから、犬や猫のように、人間により良く取り入ったものが発展するのは道理である。

 ここにあるのは、その流れから取り残された原種たち。

 今では火怨山近くの大森林の奥くらいでしか目撃できない、極めて貴重なものである。


 それを見たミャンメイは、思わず興奮して―――


「味は…味はどうなの!? 気になる、気になるわ! ええい、がぶっ」

「お、おい! 食べるのかよ!?」


 いきなり、かぶりついた。


 無警戒にも程があるだろう。

 グリモフスキーが注意するのも当然だ。

 だが、それを無視してミャンメイは、手当たり次第に周囲の植物を味見する。


「…うんうん。おいしい。酸味もあるし甘味もある。これ単体でもいけるわ」

「ちょっ!? 聞いてるのか!?」

「ちょっと黙っててください! 今いいところなんですから!」

「えっ!? いいとこって…!? で、でもよ…いきなり食うのは…」

「いいから!! 黙ってて!」

「は、はい…」

「これは…これは面白いわ!」


 強面で迫力があるグリモフスキーの言葉を、さらに強い言葉と表情で圧倒するミャンメイ。

 久々に見た上質な野菜かつ、極めて珍しい種類なのだ。全神経を舌に集中させて味わわねばならない。


 そう、この時彼女は、『料理人』になっていた。


 必要性から始めたこととはいえ、料理を生業にしていた女性である。

 そこには特定の道を歩む職人としての迫力が宿っていた。

 時にその迫力は、そこらの強面マフィア連中すら及ばない領域に達する。

 グリモフスキーが思わず気圧されたのも仕方がないことだろう。それだけ食に対する情熱が強いのだ。

 これもアンシュラオンの白い光によって取り戻した、彼女の『誇り』の一つである。



 約三十分後。



 その場にあった品種をすべてチェックしたミャンメイが、大量の野菜を抱えて戻ってきた。

 どこで見つけたのか、カゴのようなものまで持っている。


「たくさん見つけました! これで食糧の心配はありません!」


 頬を真っ赤にさせて興奮した様子のミャンメイ。

 食糧が手に入った喜びもあるのだろうが、珍しい食材を手に入れて満足しているのだろう。

 そんな彼女を呆れた様子で出迎えるグリモフスキー。

 彼が最初に訊いたことは、誰もが簡単に思いつくことであった。


「ああ、それはいいが…食って大丈夫なのか?」

「もう食べました」

「それはてめぇが無用心なんだよ! よくこんなところにあるもんを食えるな」

「…言われてみれば、たしかに…」

「今頃気付いたのか。腹を壊しても知らねぇからな。またてめぇのクソの世話するのはこりごりだぜ」

「ちょっと言い方が気になりますけど…ごめんなさい。でも、食べた感じでは問題ありません。一応は料理人ですし、そこは信頼してくれてもいいかなと」

「…食えるのか?」

「むしろ美味しいです」


 ミャンメイは長年、食に触れ合ってきたので、食べてよいものと悪いものがすぐにわかる。

 人間にはもともとそういった能力があるし、料理人ならばなおさら感覚が鋭いだろう。

 その彼女が「美味しい」と太鼓判を押すのだから、なかなかの高評価だといえる。

 だが、疑問は尽きない。


「なんでよ、こんな場所に食いもんがあるんだ? ありえねぇだろうが」

「ああ、それですか! 実はですね、あの子たちが作っているみたいなんです」

「あの子…たち?」

「はい。私が採ったところを見ていてください」


 ミャンメイが野菜を抱えてきたということは、その部分がなくなったということだ。

 では、そこは虫食い状態になっているのかといえば―――


「ピピッ…ガー」


 じゃぷんっ にょろにょろ

 【複数】の箱型ロボットが種子のようなものを抱えてきて、空いた場所に新しく設置する。

 すると、水に浸けた瞬間から一気に成長を始め、一定の段階まで伸びて止まった。

 隣にある同種の植物と比べるとまだ小さいため、そこから先は徐々に通常の成長ラインに戻るのだろう。

 ここまで伸びれば、あと数時間もすれば再び食べられる状態にまで育つと思われる。


「…なんだ、ありゃ?」

「もっといたんですよ! 驚きましたね。あの子たちが、ここの管理をしているみたいですね」

「いや、その前にだぜ。なんで一気に成長するんだよ。おかしいだろうが」

「あっ、なるほど」

「なるほどじゃねえ! 最初に気付けよ! それによ、こうやって採取するやつがいなければ、こんなもんはすぐに枯れちまうだろう? ほかにもここを使っている人間がいるってことか?」


 グリモフスキーは周囲の警戒を強める。

 が、相変わらず人の気配がまったくしない。それもまた不気味であった。

 ただし、その答えのヒントをミャンメイは知っていた。


「あのー、グリモフスキーさんのところにお花ってあります?」

「花ぁ? あるわけねぇだろう。そんな女々しいもんを置いとくかよ」

「ですよね…。なら、知らないのも無理はないですね。もしここの水が『そういった性質』を持っているのなら、十分可能性はあります」

「あ? どういうことだ?」

「たぶんですけど、ここの水って…成長をとどめる役割をするんじゃないかって」

「腐らねぇ…ってことか? それにしちゃ、さっきの種は一気に成長したぞ。どういうことだ?」

「あっ、そうですね。…そうなると…逆なのかしら? 力を与え続けるから腐らない…? うん、そうかもしれないわ」

「だから、どういうことだ? わかりやすく言えよ!」

「あー、そうやってすぐ怒鳴るから誤解されるんですよ。ですから、この水に浸けておけば腐らないってことです。たぶんですけど」

「んなもんがあってたまるか」

「あるんだからしょうがないじゃないですか! 私に言われても困ります」


 ミャンメイの推察は、ほぼ正解である。

 レイオンが使っていたキノコの保存も、この水によって行われていた。

 遺跡の水に浸されたものは、理由は不明だが品質を保ったまま保存される傾向にあるようだ。

 こちらは上にあるものより純度も高いが、基本的な能力に変わりはないだろう。


「んじゃなにか? ここにある食いもんは、ずっと昔のものだってのか?」

「その可能性はありますね。こんな種類の野菜を見たことがないです。見た目も味も、私が知っているものとは異なるんです。こういう掛け合わせって、何十年も何百年もかかることがあるって聞いたことがありますから、それくらい前なのかもしれません」

「仮にだ、てめぇの言うことが正しいとしてだ、なんでそんなことをする? あいつらはなんで、ここで野菜を作ってんだ。農家かよ」

「農家…ですか。野菜を食べるのは、やっぱり人間ですよね。なら、人間がいた…ってことでしょうか」

「あるいは俺が言ったように、今もいるかもしれねぇ」

「…はい。その可能性はありますね。ただ、どちらにしても、この子たちは悪い存在じゃないんだと思います。野菜を作る子に悪い子はいないですよ」

「そのたとえはどうかと思うが…たしかに無害ってのは認めるさ。が、それだけで断定はできねぇな」


 水の中をにょろにょろと泳いでいるロボットは、誰がどう見ても人畜無害である。

 こうして野菜を栽培しているのならば、逆に味方といえるだろう。

 しかしグリモフスキーの言うように、まだ絶対の味方とは限らない。

 実際にアンシュラオンが襲われているし、戦闘用のロボットもいるのだ。




470話 「ダンジョンという存在 前編」


「いいか、油断なんてするなよ。まだ俺たちは帰る手段を何も見つけて…」

「あっ、お腹空いていませんか? もう夕食の時間帯だと思いますし!」

「ああ!? メシぃ!?」

「はい、ご飯ですよ。ご飯。人間にとって一番重要です!」

「メシってお前…人の話を…」

「まずはご飯ですよね? ね?」


 グリモフスキーの高まった緊張感を、ミャンメイがばっさりと切り裂く。


(この女は…なんなんだ。何を考えているのか、もう訳がわからねぇ。食うことしか考えていないんじゃねえのか?)


 食欲が一番かどうかはともかく、睡眠と性欲に並ぶ三大欲求の一つなので、彼女の言うことも間違いではない。

 が、その能天気さ、いや、その逞しさには呆れるしかない。


(まあ、パニックになられるよりはましか。女のヒステリーやパニックだけは最悪だからな)


 こうした状況で一番困るのが、ストレスによるパニック症状である。

 特に感受性の高い女性は、想定外の事態に恐慌状態に陥ることも多いので、喚いてその場から動かないということも往々にしてある。

 それと比べるとミャンメイの心は、とても安定していた。

 今までの、ぼーっとした状況とはまるで違う。これが本来の彼女の輝きなのだろう。


(俺も独りだったら、どうなっていたかわからねえな。その意味じゃ感謝しているが…)


「べつに腹は減ってねぇが…まさか、そいつを料理するってんじゃねえだろうな?」

「そのつもりですけど、なにか?」

「…たいしたもんだよ、てめぇは。その度胸はさすがだ」

「度胸もなにも、食べるだけじゃないですか」

「本当に魔獣でも平然と捌いて料理しそうだな…こいつぁ」

「じゃあ、さっそく取りかかりますね!」



 その後ミャンメイは、これらの野菜を使ってサラダを作った。

 作ったといっても、たいした調味料も器具ないので単に切って並べ、たまたま持っていた塩を軽く添えただけにすぎない。

 それでも素材の味が良いことに加え、ミャンメイのスキルが発揮され―――



(やべぇ…これはやべぇえ…! なんじゃこりゃぁああ…! く、口の中がトリピカルジャングルやでぇええーーーー!)



 グリモフスキーが、あまりの美味さに硬直する。

 「葉っぱなんて女々しいもんは食わねぇ」と最初は突っぱねたが、半ば強引に一枚を進められて食した結果が、これである。

 普段適当な食事を作らせて食べていただけの彼にとっては、まさに目から鱗だったに違いない。

 トロピカルジャングルの意味が若干わからないのだが、これはさまざまな風味を感じるさまを言い表していると思われる。

 ミャンメイのスキルで強化されれば、単なる葉っぱでも極上の味になるのだ。改めて素晴らしい能力といえる。

 そして、「こんなもんで腹が膨れるか」と文句を言いつつ完食するグリモフスキーを、ニコニコしながら見つめるミャンメイであった。

 料理人にとって、たとえそれがサラダであっても、美味しく食べてもらえることが一番嬉しいのだろう。



 軽い食事を終え、ミャンメイが保存用にいくつかの野菜を採取する。

 食糧が見つかったのは朗報だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。

 二人はさらに奥に進まねばならないのだ。


「準備はいいな? 行くぞ」


 グリモフスキーが立ち上がり、歩き出す。


「あっ、あの子たちはどうするんですか? 持って…いくんですか?」


 ミャンメイが、採取して失われた場所を補完しようと、新たに種を植えている箱型ロボットを見る。

 その目には、ロボットへの愛着が見て取れた。


「心配するな。あれは放っておく」

「え? いいんですか? お金になるんじゃ…」

「俺らはここに勝手にやってきた。そこで食いもんまでもらった。世話になった借りを返す道理はあっても、さらに奪う権利なんてねぇ。ここじゃ金より食い物のほうが価値があるからな。それを作っているなら、放っておいたほうがいいだろうよ。また世話になるかもしれねぇしな」

「グリモフスキーさん……あ、ありがとうございます!」

「なんでてめぇが礼を言うんだ。俺は筋を通しただけだ。まあ、やつらに礼をしようとも、何が好きかもわからねぇがな。土産も選べねえよ」

「そういえばあの子たち、何を食べて生きているんですかね?」

「さぁな。あいつらも水があれば生きていけるんじゃねえのか?」

「あっ、たしかにお水を飲んでいましたね。あと日向ぼっこも!」

「…気楽なもんだな。俺らもロボットになりたいもんだぜ」

「グリモフスキーさんが…ロボットに。ふふふ、可愛い」

「どんな想像してんだ、てめぇは!!」


 あの小さなサイズのグリモフスキーロボットならば、強面が逆にアクセントとなって人気が出そうだ。

 そんな想像をして思わず笑ってしまう。


「ったく、くだらねぇこと言ってないで、さっさと行くぞ」

「はい!」




 二人は奥に進む。

 その先は螺旋状の通路が続いており、どんどん地下へ地下へと向かっていくことになった。

 本当は上に行きたかったのだが、通路が向かう先は下方向しかなかったので、これも致し方ないことだろう。

 転移できる場所さえ見つければ位置は関係ないはずだ。一気に地下に降りられたのならば、再び上にも一気に昇れるはずである。

 目下の目的はそういった怪しい場所、特に同じ神殿風の場所を見つけることであった。

 彼女たちには知識と情報がないため、それだけが頼りである。


 多少不安を抱きつつも、また戻れば最低限の食料だけは確保できる安心感もあって、歩みに迷いは見られなかった。

 ただ、慎重に進んだ結果、かなり時間を費やしてしまったのは間違いない。

 時間としてはもう夜、おそらく深夜に差し掛かった頃だろう。

 昼間の段階では、夜こんな場所にいるとは思っていなかったので、人生とは誠に不思議なものである。



 そして、そのあたりから周囲の様子がさらに変わっていた。




 そこに広がっていたのは―――草原。




 今までの建造物めいたものから、草原が広がるエリアに出たのだ。


(草原…? こんな場所にどうして…)


 薄闇に包まれた世界を、光る草が地上から照らす不思議な場所。

 所々に咲いている金色の花から白い胞子が舞い飛び、それらがキラキラと光って幻想的な空間を生み出している。


 しばらくミャンメイは、その場でじっと景色に見惚れていた。


 ずっと見ていると、まるで現世と黄泉の境目のような、非現実的な感覚に陥る。


 美しく、儚い。


 ここには、その言葉がぴったりだ。

 美しくありながらも、心のどこかに儚さを訴えかけてくる希薄さを併せ持っているのだ。


「………」


 ミャンメイは、その光景に呑まれる。

 身動きもせずに、ただただ見つめることしかできなかった。

 それは一緒に見ているグリモフスキーも同じだったが、ここで長くグラス・ギースに暮らしている者とそうでない者との差が出る。

 グリモフスキーが、ふとこんなことを呟いた。


「そうか…ここは『輝霊《きれい》草原地下墳墓』か…」

「え…? き、きれいそうげん…? はぁ、たしかに綺麗ですけど…」

「そっちのキレイじゃねえよ。【輝霊《きれい》】だ」

「輝く霊…ですか? 不思議な響きですね。どんな意味なんでしょう?」

「意味までは知らねえが、この都市の地下に巨大ダンジョンがあるのは誰でも知っていることだ。そうか。考えてみれば当然だったぜ。地下ってことは、そこに繋がっていても不思議じゃねえわな」

「みんな知っているんですか? 私は初めて聞きましたけど…」

「てめぇはグラス・ギースに来て間もないからな。といっても、俺たちも知っているには知っているが、ここには領主のディングラス家しか入れねえから、存在そのものを意識したことがないんだ。まさかよ、収監砦の地下からここに入れるなんて思わねえよな。入り口は領主城の地下って聞いていたからよ」


 『輝霊《きれい》草原地下墳墓』。

 プライリーラのところで軽く説明に出てきたが、グラス・ギースの地下には広大なダンジョンが広がっている。

 ハローワークにも登録されているダンジョンなので、それ自体は誰でも知ることができる情報だが、結局は入れないので普段は存在を忘れてしまう。

 頭の中で「領主城からしか入れない」と考えてしまうと固定観念が生まれて、他の場所から入れるとは夢にも思わないのだ。

 だが、考えてみれば当然。

 物理的な話でいえば、遺跡の外壁を破壊できる力で真っ直ぐに掘り進めば、どこからでもここにたどり着くことができるのだ。

 それが無理だから忘れるわけだが、このダンジョンの真上で人々が生活していることには変わりがない。


「へー、ダンジョンですか。すごいですね」

「…まずいな。思ったよりヤバイ状況だ」

「え? なんでですか?」

「もしここから本当にダンジョン区画だとすると…」


 なぜ、単なる遺跡なのに『ダンジョン』と呼ばれるのだろう。

 もともとの意味合いはともかくとして、この世界でもダンジョンという言葉には特別な意味と『役割』が与えられている。

 もしここに何もいなければ、それはただの場所であり、ダンジョンにはなりえない。

 ダンジョンという存在において『必須の存在』がいなければ、そこはダンジョンではないのだ。



 その必須の存在とはもちろん―――



 ずず ずずっ


 周囲の土が蠢く音が聴こえる。

 その中で何かが動いて這いずっているような、なんとも嫌な音だ。


 ぼごんっ がぎごぎっ


 そして、軽くて丈夫な物同士がこすれる音を響かせながら、『ソレ』が出てきた。

 もともとは白かったのだろうが、土の中にいたせいか茶色を帯びている。

 しかし、形状は元のままを忠実に再現しており、一部を見た瞬間でも、それが何かがわかるという困ったものだ。


「…ひうっ!」


 案の定、視界にソレが入った瞬間、ミャンメイが硬直する。

 気持ちはわかる。こんなものを見たら誰だって恐怖するだろう。

 それが特に戦いに慣れていない女性ならば、なおさら致し方ない。


 ずず ずずっ がごん ぼきぼきっ


 それが、すべての部位を現す。


「ちっ…! こんなところにも出るのかよ! そりゃそうだな。あんな食い物があったなら、そりゃ当然だ。ミャンメイ、てめぇの言った通りだったな。たしかにここには人間はいねぇよ」


 グリモフスキーが、目の前の存在を睨む。


 それは―――【骨】だった。


 しかも人間の骨である。

 所々欠けた部分もあるが、概ね人間の全身を忠実に示したものと言ってよいだろう。

 もしかしたら学校の理科室に、こんな白骨標本があるかもしれない。(だいたいは作り物だが、たまに本物が交じっていてニュースになる)

 かこん かこん

 その白骨が関節を鳴らしながら、こちらに近づいてきた。

 完全なるホラー現象に、思わずミャンメイがグリモフスキーの後ろに隠れる。


「な、なんですか…あれ! う、動いていません!?」

「見るのは初めてか?」

「骨自体は見たことはありますが…動いているのは初めてです!」

「卒倒しないだけでも助かるぜ。ありゃぁな、『骸骨戦士さん』だ」

「…は?」

「だから『骸骨戦士さん』だ」

「…聞き間違いじゃない…ですよね? なんですか、それ?」

「知らねぇのか? 有名だぞ。武器を持っていないから、やっぱり戦士さんだな」

「いやいやいや、言っている意味がわかりませんけど…! なんですか、あれ? も、もしかして…お化けですか!?」

「ああ? 馬鹿なこと言ってんじゃねえ。ただの無機物だろうが」

「無機物って雰囲気じゃないですよ。何がどうなっているんですか!?」

「説明なんて面倒くせぇ! 知りたいなら、ハローワークの指南書でも見とけ!」


 残念ながらここはハローワークではないので代わりに説明すると、これこそダンジョン恒例の『骸骨戦士さん』である。

 見た目はまんま、人骨である。人骨と呼ぶしかないほど見事な人骨だ。

 それが動いて攻撃してくるので、扱いとしては【モンスター】となっている。

 モンスターとは、ダンジョンで遭遇する人間の敵全般に使われる用語なので、魔獣であってもここではモンスターと呼ばれることになる。

 そしてこのモンスターこそが、ダンジョンにとって必須の存在といえるだろう。

 モンスターのいないダンジョンなど、スパイスのないカレーのようなものだ。

 それだけ切っても切り離せない大事な要素ということだ。


「ど、どどど、どうすれば…」

「ちっ、てめぇは距離を取れ!!」


 グリモフスキーが骸骨戦士に近寄り、拳を放つ。

 ドガッ ぼぎんっ

 拳が顔面にヒット。骨を砕きながら吹き飛ばす。


「ひぇー、罰当たりな!」

「うるせえ! 無機物だって言ってんだろうが! ただの動く骨だ!」

「それが怖いんですよ!」


 ちなみに、この世界に「アンデッド〈不死者〉」という存在はいない。

 ファンタジーでは定番の不死者であるが、そもそも人間の霊は死なないし、厳密な意味では霊自体が不滅なので、虫や微生物を含めたあらゆる生命体すべてがアンデッドになってしまう。

 この宇宙に死は存在しない。

 水の蒸発のように、もともとあったものが形を変えて存在するだけだ。

 失われるものは何一つないのだ。エネルギーは常に一定である。


 よって、この人骨に生者への恨みといったものは存在しないし、特定の意思があるわけでもない。

 では、どうしてこのように動くのかといえば、生前の【生体磁気】が残っているからだ。

 たとえば人間が死ぬと、幽体の一部を地上に切り捨てていく。

 それは意思の世界には不要な、より物質的な部分なので捨てて問題はない。蛇の抜け殻のようなものである。

 ただ、それが殻となって残るので、稀に人間の霊などが「地上に戻りたいな」と思うと、それに反応して動くことがある(ほぼ無意識)。

 これが幽霊という存在の一つの正体である。

 我々が見て驚くものの大半がそうした殻であり、大地に刻まれた【磁気データ】でしかないというわけだ。


 で、話を骸骨戦士さんに戻すと、こうして動き出すタイプの骨は、【元武人】が圧倒的に多い。

 武人の生体磁気の強さは、知っての通りである。

 それが骨にまだ残っている状態だと勝手に動くこともあるし(死後、人間がちょっと動くのも同じ理由)、それをダンジョン側が持っている「意思」や「思想」あるいは「傾向性」によって刺激されて動き出すことがあるのだ。

 説明すると長くなるし、ややこしくなるので大部分は割愛するしかないが、ともかく霊が宿っていないので生前の記憶などは存在しない。

 これは完全に無機物と考えたほうがいいし、そういうタイプのモンスターである。

 ましてや一般人に彼らに対する忌避感も存在しない。

 ただ若干の気色悪さと、単純に危険なので警戒感があるだけだ。




471話 「ダンジョンという存在 後編」


 グリモフスキーの拳が、骸骨戦士さんにヒットする。

 所詮、人骨だ。

 冷静に考えると、ただの動く骨など何の怖くもない。

 なぜならば力やパワーというものは、筋肉によって生み出されるものだからだ。

 それが少ないどころかまったく無いのだから、彼らにはパワーも耐久性もまったくないことになる。

 がたいの良いグリモフスキーの拳を受ければ、一発でKOだ!


 と、油断することなかれ。


 この骸骨戦士さんの怖ろしいところは『元武人』であるということだ。

 当人の霊はとっくにいなくなっていることが多く、記憶はない。

 にもかかわらず、【技の記憶は覚えている】のが厄介なところである。


 くわっ! ぴかっ!


 「しゃれこうべ」の眼窩《がんか》が赤く光る。

 よくファンタジーでも光るが、どうして光るのだろう。実に不思議である。

 あえて説明すれば、骨に残った生体磁気に刺激が与えられ、「点火」した際に起こる発火現象だと思われる。

 つまりはグリモフスキーの攻撃によって、骸骨戦士さんに火が入ったのだ。


 がこんっ ぶんっ


 骸骨戦士さんは、骨とは思えないフットワークを見せて体勢を整えると、反撃の鋭いパンチを放ってきた。


 ドゴドゴドゴッ!


 細かいジャブが的確にグリモフスキーの顔面、胸、みぞおちを狙う。


「ぐっ!!」


 骨だから威力がなさそうに見えるが、その攻撃力は思った以上に高い。

 なんとか防いだものの、体の大きなグリモフスキーがよろめく。


「骨のくせに生意気な攻撃をしやがってよ! おらっ!」


 グリモフスキーの反撃。再び拳で攻撃する。

 が、骸骨戦士さんはアームブロックで、筋肉を引き絞って放たれた一撃を華麗に防ぐ。

 いや、訂正だ。

 骨なので、アームボーンブロックだろうか。

 ミシミシと骨が軋みながらも、カルシウムをたくさん摂っていたのか、やたらと硬い防御で防ぎきる。


 続いて骸骨戦士さんの反撃。

 さらに細かい連打を放ってきた。

 ドゴドゴドゴッ ドゴドゴドゴッ

 まるでボクサーの高速ジャブを彷彿させる攻撃だ。華麗にステップで舞い、蜂のように刺す。

 一撃で倒されるような攻撃ではないが、鋭い攻撃の前にグリモフスキーが動けなくなる。

 筋肉がないのに、なぜこんな動きができるのか謎だ。


「ちいいいっ! ちょこまか動きやがる!」

「ぐ、グリモフスキーさん!」

「いいから、お前はそこにいろ! 周囲に気を配るのを忘れるなよ!」

「でも、負けそうで…」

「負けそうとか言うんじゃねえ! こんな骨に負けるかよ! ただちょっと苦戦しているだけだ!」


 はっきり言おう。

 苦戦するのを負けそうというのである。


(くそっ! 俺が知ってる骸骨戦士さんより強ぇ!! 骨のくせによ! 元は随分と強かったみたいじゃねえか! 半端モンの俺とじゃ、地力が違うぜ!)


 この骸骨戦士さんであるが、当然ながらすべてが一定の強さではない。

 元になった武人の性能の一部を受け継ぐので、強い武人であればあるほど強い骸骨戦士さんになっていく。

 骨状態での身体能力は三割程度になっていると想定しても、元は第七階級の達験級の武人に匹敵する猛者だったのだろう。

 ギリギリ中鳴級に入るかどうかのグリモフスキーでは、分が悪い。

 だが、骨にはないものを彼は持っている。


「くらえや!!!」


 グリモフスキーが掌を向け、発気。

 圧縮された戦気が拡散するように広がり、骸骨戦士さんの全身に襲いかかる。

 戦気掌である。

 ありふれた技というか、戦気術の基礎技の一つなので、グリモフスキーでもこれくらいは扱える。

 そう、自分にあって相手にないもの。


―――【戦気】


 である。

 戦う意思と生体磁気と神の粒子が結合した、人類が手にした最高の攻撃手段だ。

 武人にとって、これこそが最大の武器といえる。


(これでどうだ!! こんがり焼いてやったぜ!!)


 汗を滲ませながらも笑うグリモフスキー。

 常人が浴びれば丸焦げ必至の一撃だ。骨にだってダメージは通るはずだ。

 火葬場で骨が残ることを思えば、一瞬で消し炭は難しいだろうが、耐久性を落とすことは十分可能だと思われた。

 しかし直後、彼の汗は本当の冷や汗へと変化することになる。


 ぎょろり ぴかー


 再び骸骨戦士さんの眼窩が光り、こちらを見つめてきた。

 そこまでは最初と同じだが、明らかな変化も見受けられる。

 赤く光ったのは眼だけではない。


 じゅううっ ボボボボッ


 骸骨戦士さんの体表にも、うっすらと【赤い戦気】が展開されていたのだ。

 それによって戦気掌のダメージは、ほとんど通っていないことが判明した。


「うそ…だろう。や、やべぇ。そりゃぁよ、話には聞くぜ。レベルの高いダンジョンにはよ、戦気を使う骸骨戦士さんがいるって話はよ。でもよ、それがたまたまここでなくても…いいよな?」


 戦気の発動条件は、意思の力、生体磁気、神の粒子たる普遍的流動体だ。

 生体磁気は骨に存在するのでクリアだ。これはいいだろう。

 肝心の意思だが、この骸骨戦士さんになる条件に「闘争本能の残留」というものがある。

 アンシュラオンたちを見ればわかるように、武人とは闘争を至上の悦びとする狂った存在である。

 元来がそんな連中であるのならば、その激しい闘争本能が死んでも残ることは不思議ではない。

 残滓として骨に染み入り、いまだに残っているのだ。

 骸骨戦士さんが巧みに攻撃を仕掛けるのも、残留した闘争本能からデータを読み取っているからにほかならない。

 サナが「怒り」という激しい闘争本能によって戦気を生み出したように、これだけの条件が整えば、周囲にある無限の力、神の粒子が引き寄せられることになり、戦気が発動することになる。

 当然、それは生身の人間よりは弱い。遙かに劣る。

 が、戦気は戦気だ。

 これによって骸骨戦士さんの戦闘力はさらに増大する。


「がんばれー! グリモフスキーさん、がんばれー!」

「………」

「そんな骨に負けちゃ駄目ですよ! ガンバれー! ガンバです! ファイオー!」


 そんな状況も知らずに、後ろではミャンメイが満面の笑みで声援を送っている。

 あどけない期待の眼差しが痛い。

 これがアンシュラオンならば、無理にでもなんとかしてしまうのだが、ここにいるのはグリモフスキーである。

 彼は即座にその決断を下す。


「…て」

「…て?」

「…てったい…」

「てったい…? ていたい? 手痛い? 手でも痛い…」




「て、て…撤退だぁあああああああああああ!」




「撤退…? え!? 撤退って…え!?」

「逃げろ!! 全力で逃げるぞ!!」

「ええええええええええええ!? た、倒さないんですか!?」

「分が悪い! つーか、勝ち目がねえ!」

「だって、たかが骨だって!」

「たかが骨! されど骨だ!!」


 汚い。大人は汚い。

 いつだってそうやって都合が悪くなると逃げるのだ。

 しかし、彼の決断は正しかった。


 ぼこぼこ がこんがこん


 周囲から、さらに人骨が出現を始めたではないか。

 しかも、その中には―――


 がしゃん がしゃん


「なんですか、あれ! 武装していますよ!」

「ちいい! 『骸骨剣士さん』までいやがったか!!」


 骸骨戦士さんがいるのならば、骸骨剣士さんがいてしかるべきだ。

 彼らは文字通り、剣士タイプの武人の骨である。

 戦いの最中で死んだりすれば武器は残るし、稀に闘争本能からか、自ら武器を探すという現象まで見られるらしい。

 これが準魔剣類が眠っているダンジョンで出没すると、極めて危険な存在となる。

 なんと、本来ダンジョンの報酬?であるはずの魔剣を、彼らが使っている場合があるのだ。

 武人当人が使うよりはましであるが、対話が一切できないという意味では、彼らもかなり危ない連中だといえるだろう。

 こんな骨が何体も出てきたら、それはもう逃げるしか道はない。



「にげろおおおおおおおおお!」


「きゃああああああああああ!」



 二人は絶叫しながら逃げる。


 もう逃げる方向など考えている暇はない。

 空いたスペースにひたすら逃げ続ける。

 幸いながら一定の範囲外に到達すると、骸骨たちは追うのをやめてくれるが、次から次へと出てくるので足を止めるわけにはいかない。

 どうやらこの草原全体に骨が埋まっているようで、至る所から骸骨が出てくる。

 勝ち目などない。ひたすら逃げることしかできないのだ。




 そうして逃げること十数分。




 二人は汗だくになりながら、たまたま見つけた扉の中に逃げ込むことに成功する。

 扉は手動で開いたので、中に入ってから近くにあった岩などで封鎖し、ようやく一息ついたのであった。

 まったくもって激しい逃走劇であった。捕まっていたら命はなかっただろう。


「ひとまずこれでいいだろう。あいつらにたいした知能はないからな。入ってこないと…思う。たぶんだがな」

「はぁはぁ…グリモフスキーさんって……もっと強いんだと思っていました」


 座り込んだミャンメイが、若干恨みがましく呟く。

 それは言わないであげてほしいと思うが、彼女としては華々しい戦いを期待していたのだろう。

 頭にはカスオに華麗に勝ったイメージが刷り込まれているのだ。それも仕方がない。


「うるせぇ、悪かったな!」

「骨に負けるなんて…」

「だから期待するんじゃねえって言っただろうが! こんなもんだよ、俺はな!」

「でもやっぱり、骨呼ばわりしていたわりには…」

「つーか、あれはただの骨じゃねえんだよ! くそっ、出てきた連中の全部が相当な手練れだぜ。くそが! どうなってんだよ!」

「グリモフスキーさんの活躍を期待していました。ショックです」

「しつけぇな! 勝手に期待するな! 俺はてめぇの兄貴とは違うんだからよ!」

「その姿勢が悪いんだと思います。グリモフスキーさんは、やればもっと出来る子だと思います」

「出来る子とか言うな! なめてんのか!」

「ところで兄さんなら、あの骨に勝てましたか?」

「…ふん、ヨレヨレのあいつじゃ勝てなかっただろうがな。昼間の試合のあいつなら余裕で勝てただろうさ」

「あっ、観てたんですね」

「あいつがやられるのを楽しみにしていただけさ。だるくなって、途中で出たがな」


 どうやらグリモフスキーは、サナとレイオンの試合を観ていたようだ。

 観戦したのは、ちょうどレイオンが復活してサナを倒したところまでらしいので、幸いというべきか、もったいないというべきか、黒雷狼の存在は見ていないらしい。


(なんだかんだで、結局気になるのね。素直じゃないんだから…)



「さっきの骸骨って、自然発生するものなんですか?」

「骨が勝手に生まれるかよ。ここで武人が死んだってことだろうな。それも相当強い連中がな。普通の人間の骨じゃ骸骨戦士さんにはならねぇから、それなりの数の武人がここで死んだのさ」

「もしかして、ここで暮らしていた人たちでしょうか?」

「かもしれねぇが…さっきの水畑から考えると、ちょっと合わねぇな」

「合わないって…どういう意味ですか?」

「俺からすれば、さっきの場所は本当に平和な場所だぜ。そりゃ武人の中にだって落ち着いた生活を求める連中もいるが、これだけの数の武人が集まって、あそこで平和的に暮らせるか? 仲良く畑仕事ってよ。…なんか合わねぇな。ちぐはぐだ」

「そういえば…そうですね。あそこは私みたいな普通の人間が暮らすのには適していそうですけど…兄さんがたくさんいたらと思うと、ちょっと合わないかもしれません」

「相変わらず、てめぇの発想はすげぇな。つまりはそういうことだ。…しかしあの武装…どことなく面影がある気がするな」

「面影?」

「骸骨剣士さんが持っていた剣だが、刃が無いものまであった。ちらっと見ただけだから断定はできねぇが…ありゃぁ、地下闘技場の剣かもしれねぇな」

「え? それって…どういうことですか?」

「俺らがここにいるってことは、あいつらも地下の人間だったのかもしれねぇってことさ」

「もしかして、行方不明になった人たち…ですか? 同じように飛ばされて、ここで…死んだ?」

「わからねぇ。それにしちゃ強すぎる気もするぜ。『地下墳墓』ってくらいだから、本当に墓として使われていた場所なのかもしれねぇしな。それならば人骨があっても納得がいくぜ」

「ああ、その可能性もありますね」

「そのあたりは何でもいいぜ。んなことより、こんな金にもならない場所からは、早くおさらばしねぇとな。あんな連中の仲間にはなりたくねぇよ」

「グリモフスキーさんが死んだら、あんなふうになるんですか?」

「ああ!? なるかよ。俺はそこまで戦いに興味があるわけじゃねえからな」

「ええ!? そんなに暴力的なのにですか?」

「てめぇ、やっぱりなめてるだろう。ふん、俺は武人としては半端もんだ。そこにはある程度、見切りをつけているぜ。腕力だけがすべてじゃねえからな」


 すべての武人の骨が、こうして骸骨戦士さんになるわけではない。

 激しい闘争の欲求を残した「未練」と、それを利用するダンジョンの傾向性が合わさって初めて誕生するものである。

 武人が闘争本能を満たして死にたいと願うのも、死後こんな惨めな姿を晒したくないからなのかもしれない。

 一方グリモフスキーのような、こう言っては悪いが「中途半端な武人」は、そこまで未練がないことが多い。

 上との差がありすぎるので、そういった夢さえも見られないのだ。


 こうして二人は、ダンジョンが怖ろしい場所であることを認識するのであった。




472話 「生命の石 前編」


 輝霊草原地下墳墓は、なかなか興味深いダンジョンである。

 グラス・ギースとほぼ同じ面積の階層が、何十にも渡って存在しているのだ。

 底はいまだ不明であり、この区画も全体のほんの一部分でしかないと思われる。

 踏破はもちろん、探索するだけで死に物狂いになるほどの高レベル遺跡だ。

 特に「正規ルート」から入らない場合は、その傾向が顕著になる。

 入り口は、あくまで領主城の地下である。

 実はそこから入れば難易度はたいしたことがないのだが、それ以外の場所から侵入した場合、ダンジョンは極めて外敵に対して苛烈に襲いかかる仕組みになっている。

 それこそ巣穴に侵入された虫のごとく、徹底的に排除しようとしてくるのだ。


 ミャンメイとグリモフスキーの二人は、そんな危険なダンジョンの探索を続けていた。


 否。続けるしか選択肢がなかった。

 帰ろうにも出口がわからないので、ただひたすらに進むしかない。

 グリモフスキーの警戒心の強さがなければ、ミャンメイだけでは生き残れなかったかもしれない。

 その意味では彼女もまたグリモフスキーに感謝していた。この二人は案外、良いコンビなのかもしれない。


 さて、奇妙な二人の冒険もそれなりに楽しく、まだ見続けていたい欲求にも駆られるが、探索の詳細については『割愛』という形にさせていただくとしよう。


 ここでの目的はダンジョン探索ではない。

 それはまた後日、「とある人物」の冒険譚によって明かされるだろう。(それもまた割愛されるかもしれないが)

 どちらにせよ、ミャンメイたちは当てもない探索を続けて疲弊していった。

 最初からダンジョンに挑むつもりで来ているわけではないので、それも仕方がないことだ。


(なんだか、よくわからなくなってきちゃったわ。…そもそも遺跡の謎をすべて解くなんて不可能なことじゃないかしら。そこにダンジョンの話まで加わったら、もうお手上げね。私が知りたいのは遺跡の謎じゃなくて、私自身のことよ。そこを重点的に考えるべきね。そして何より、死なないことだわ)


 目的をシンプルに保つことは、このつらい旅路においては重要である。

 まず大切なのが、死なないこと。これが大前提だ。

 そのうえで運が良ければ帰り道を見つけ、さらに運が良ければ自分に関する謎を解くこと。

 せいぜいこれくらいに絞らなければ、いざというときに動けなくなる。

 幸いにもアンシュラオンがくれた包丁を握ることで、彼女は精神の安定が図られていた。

 触ると不思議と心が落ち着くのだ。これも命気の効果なのかもしれないが、アンシュラオンとの結び付きが強くなった結果ともいえる。


(グリモフスキーさんは、どうなのかしら? もともと帰ることを勧めてくれていたけれど…今でもそうかしら?)


「あ? なんだよ?」

「あっ、いえ…疲れたなーと」

「我慢しろ。帰るまでの辛抱だ。戻ったら好きなだけ寝ていろ」

「はい、そうします」


(よかった。グリモフスキーさんは大丈夫だわ。変な欲求にも取り憑かれていないわ)


 グリモフスキーは、金になるものが見つかればいいと思ってもいるが、それはすでにロボットの残骸の段階で半分クリアしている。

 あとはその情報を持ったまま戻るだけ。帰ることだけに集中しているようだ。

 ミャンメイを護衛してもいるので相当疲れているはずだが、その中でも目的を見失わないというのはたいしたものだ。

 さすが裏社会で生きてきた男でもある。


(裏社会…か。グリモフスキーさんもマフィアの人なのよね。こんな良い人が、どうしてここにいるのかしら? 訊いたら教えてくれるかしら?)


「グリモフスキーさんって…なんでラングラスにいるんですか?」

「あ? んなことを訊いてどうする」

「どうするって…気になったからです。あんな場所に来たのに、まだ組織に忠実みたいですし…普通、嫌気が差しませんか?」

「多くの連中はそうかもしれねぇな。こんな場所に追いやられてまで忠義を尽くそうとは思わねえよな。気持ちはわかるぜ。気持ちだけはな」

「グリモフスキーさんは違うんですか?」

「受けた恩は返すってだけさ。それが筋ってもんだろうが」

「何かラングラスに恩義が?」

「拾ってもらったことだけでも十分な恩義だろう。最近の若いやつらは、すぐそういった恩義を忘れちまうが、こんな荒れ果てた大地で拾ってもらうってことは、命を救ってもらうのと同じだ。それは死ぬまで返すべき恩だぜ」

「はぁ…昔気質というか真面目というか…それで、どういう経緯で入ったんですか?」

「あぁん? どうだっていいだろうが」

「暇なんです。ぜひ教えてください」

「俺の人生はてめぇの退屈しのぎか!! …ったく、たいした話じゃねえぞ? つまらなくても文句を言うなよ」

「大丈夫です! ありがとうございます!」


(あっ、教えてくれるんだ。やっぱりいい人だわ)


 なんだかんだで教えてくれる。

 安定のグリモフスキークオリティである。

 正直なところ、彼もまた過酷なダンジョンが続いて疲弊しているのだろう。

 そのガス抜きとして会話はありがたいのかもしれない。

 普段ならば絶対に話さないことだが、この環境が優しく促してくれる。


「そうだ。グリモフスキーさんのお父さんって何をしていたんですか?」

「ああん? 親父ぃ? んなことが知りたいのか?」

「はい! 興味あります」

「…親父か。俺の親父は『イクター〈掘り探す者〉』だったが、とあるダンジョンに出かけてから二度と戻ってくることはなかったな。きっと罠か何かで死んだんだろうよ」

「それは…その…お気の毒に。いきなりハードなお話になってしまいました…」

「気にするな。あんな仕事をしていれば仕方ねぇ」

「グリモフスキーさんが何歳の頃ですか?」

「あれは…十歳かそこらか? 三十何年か前の話さ」

「イクターって、探検家でしたっけ?」

「そんな可愛いもんじゃねえよ。ただの『盗掘屋』だ。ロマンや新発見を求める珍しい輩もいないわけじゃねえが、たいていが盗掘で生計を立てている盗人さ。親父は学者連中の道案内などもやっていたそうだが、よく発掘品をちょろまかしていたもんさ」


 サナのジュエルに使われたペンダントトップも、そういった盗掘品の一つである。

 遺跡自体の所有権が誰かにあるわけでもないので、盗掘を咎める者はいない。ここでは立派な職業といえるだろう。


「お父さんがいなくなったあとは、どうしたんですか?」

「俺もしばらくはイクターになろうとダンジョンに潜っていた。親父にいろいろと教わっていたからな。技術を生かそうと思ったのさ」

「だから骸骨戦士さんのことも知っていたんですね」

「ああ、そうだ。ただ、ここのダンジョンにいるやつは、俺が出会ったものより数段強い。戦気さえ使ってこなければ、武器や道具でなんとか対処できるんだぜ。ちと高ぇが、爆破系の術具があれば問題なく倒せる。ここのやつは、それを使ってもギリギリだろうがな」

「へぇ、そのダンジョンで何か見つけました?」

「ガキが行けるような場所なんて、たかが知れているぜ。すでに盗掘された場所から残りもんを集めて、捨て値でもいいから金にしていた感じだな」

「あっ、だから今でも好きなんですね。ガラクタ集め」

「ガラクタって言うなよ! …まあ、てめぇの言う通り、ガラクタだよな。んなことはわかってるんだ。だが、あの頃は…それがお宝に見えたのさ」


 初めて行く場所にある、初めて見るもの。

 それがどんなに価値がないものであっても、心がときめいたし、ドキドキしたし、ワクワクもした。

 何も知らない子供にとっては、すべてが宝物だったのだ。

 その興奮は今でも忘れられない。その体験こそが本当の宝物と呼べるくらいに。


「こんな話を聞いて面白いか?」

「面白いです! その後はどうなったんですか!?」

「…そ、そうかぁ? 面白いならいいが…。で、結局ガキが稼げる額なんてたいしたもんじゃねえ。それよりは傭兵のほうが金が稼げたからな。数年後には、そっちが本職みたいになっちまったよ。がたいも良かったし、食う分には困らなかった」

「グラス・ギースにずっといたんですか?」

「いや、この都市に来たのはラングラスに拾われたからだ。傭兵の仕事中、魔獣にやられちまってな。商隊は壊滅だ。そこで死にそうになっていたところを、たまたま通りがかったオヤジに拾われたのさ」

「オヤジ?」

「ツーバ・ラングラスさ。名前くらいは知っているだろう? ラングラスのトップだ」

「はい。名前は知っている…かな? グラス・マンサーですよね?」

「ああ、そうだ。あの頃オヤジは、ラングラスの戦力を拡大しようとしていた。そこでちょうど出来たばかりの組織、ソイドファミリーに入れてもらったのさ。俺はたいして強くなかったから外回りが多かったがな」

「もしかして麻薬に関わっていたのって…怪我をしたからですか?」

「ん? そうだな。それもあるかもしれねぇ。カスどもは遊びで麻薬をやるが、傭兵たちには必須のものだ。俺も死にそうになったときには麻薬が痛み止めになったもんだ。それは悪いもんじゃねえ」

「でも、ソイドファミリーの印象って悪いですよね」

「んなもん、どこも同じようなもんだろう。同じマフィアだ。扱っている分野が違うだけさ。ジングラスやハングラスだって、裏じゃけっこうえぐいことをやっているぜ。遊びで暮らせるほど、ここは甘くねぇからな」

「そうですね…。そういえば、どうして地下に来たんですか?」

「…いろいろとあったのさ。それはてめぇが知る必要のない…いや、知らないほうがいい事件だろうな。ただ思えば、あれから少し狂ったのは事実かもしれねぇ。なんというか…口じゃ上手く言えねぇが……いろいろとおかしくなったな…」


 あの事件は今でも、いろいろと思うことは多い。

 ありえなくはない話とはいえ、そこまでする理由がないように感じるからだ。


(目的は違うところにあったのかもしれねぇな。たまたまそうなっただけで…目的はよ…。だが、どちらにしても許せねぇし、忘れることはできねぇな)


 ソイドビッグが誘拐された事件のことだ。

 あれによってソブカは変わってしまったし、グリモフスキー自身もここに入るきっかけになった。

 ありふれた事件の一つとはいえ、現状を鑑みれば、その結果が与えた影響はかなり大きいといえるだろう。

 もう終わったこと。過ぎたこと。

 そんなことを悔やんでも仕方ないことはわかっているが、自分の中には「しこり」として残っているのも事実であった。


「お父さんって、何か探していたんですか?」

「…あ?」

「だって、イクターになったことには理由があるんですよね。お父さんのお父さん、おじいさんもイクターだったんですか?」


 そんな憂鬱な気持ちを切り裂いたのは、ミャンメイの一言だった。

 相変わらず、何も考えていない能天気な一言だ。

 だがそれは暗闇を切り裂く一つの光明になりえるものだった。

 誰だって陰鬱な気分のままいたくはない。グリモフスキーは気持ちを切り替え、ミャンメイの話に心を委ねる。


「じいさんは…どうだろうな。俺は物心ついた時から親父と一緒にいたからな。じいさんのことまではよく知らねえな。だが、たしかじいさんが…何か探しているってのは聞いたことがあったな。親父もそれを探していたのかもしれねぇ。あくまでついでにだろうが…」

「へぇ! 秘宝とかですか!?」

「秘宝…? んん? あれは…なんだったか……たしか…そうだ。何かの石。おとぎ話で出てきた……何かの……石だったな。親父がいなくなる前の日に、たしか『ようやく見つかるかもしれない』って…言ってたな。あれは…なんだったか…」



 ミャンメイの一言から、過去の記憶が少しずつ蘇っていく。


 それは親子が移動しながら暮らす、小さなテントの中。

 小さいが、少年の中にある唯一の温かい思い出の場所だ。

 あの日、少年は言った。



「父さん、おれも連れていってよ」

「ははは、もっと大きくなったらな。ちょっと今回は危ない場所なんだ。ずっと探していたものが見つかりそうなんだよ」

「ぞれって…何かの石だっけ?」

「ああ、そうだ。お偉いさんの学者がな、文献を見つけたんだ。すごいぞ、これは。次のエリアには、絶対にとんでもないものが眠っているはずなんだ。たぶん親父が…お前のじいさんが探していたものに違いないな! 見つかればすごい発見だぞ!」

「すげぇや! やっぱり俺も行きたい!」

「だから、駄目だって言ってるだろう。その代わりたくさん見つけたら、ちょっとくすねてくるから見せてやるさ」

「本当だね!? 約束だよ!」

「もちろんだ! 男と男の約束だ!」



 それから父親は、これまたくすねた学者が書いたメモを見て、にやりと笑う。




「そうだ。これはすごいぞ。なにせあの…―――の遺産だからな。その一つである『生命の石』が見つかれば、一山当てたどころの騒ぎじゃないぞ。俺は…俺は歴史に名を遺すイクターになれるんだ! 家族にだって楽をさせてやれる! 俺はやるぜ! 必ず見つけて戻ってくるからな!」




 しかしその後、二度と父親を見ることはなかった。



 父親を失った少年は生きるために必死で、傭兵になり、マフィアになり、今に至っている。

 そんな元少年が唯一覚えているのは、最後の映像だけ。

 その中にあったフレーズだけだ。


「石…せいめいの…いし? たしか親父はそんなことを…」

「あっ、グリモフスキーさん! あそこに何かありますよ!」

「っ! なんだぁ…あれは?」

「小屋…ですか?」

「あぁ!? なんでこんな場所に小屋が…」


 思い出が言葉によって切り裂かれ、視界が現実のものとシンクロした直後、通路の最奥で【小屋】を発見した。

 掘っ立て小屋くらいの簡素なもので、扉もなく、中がそのまま見通せる造りになっている。

 そこから見えたのは、またもや『女神像』である。


「ぞ、像がありましたよ! これって、上の神殿と関係あるんじゃないですか!? やった、ようやく見つけましたね!」

「…ったくよ、誰がこんなもんを建てたんだよ。何の脈絡もなく見つかりやがるな」

「いいじゃないですか。見つかったんですから。それを言ったら、あの場所だってそうですよ。昔の人は信心深かったってことでしょうか?」

「信心だけで何かを得られたら、そんなに楽なことはねぇよ。女神様は願いを聞いてくれないもんだからな」

「またそうやってひねくれる。悪い癖ですよ」

「うるせぇな。さっさと調べるぞ」




473話 「生命の石 後編」


 ついに二人は女神像を発見するに至る。


「はぁ…やっと見つけましたね……。女神様、ありがとうございます」


 ここに来るまでに相当疲れていたミャンメイが、安堵感から崩れ落ちる。

 女神にでもすがりたい、というのはこういう気持ちだろうか。今は祈りたくて仕方がない気分であった。

 女神像はそんなミャンメイを労わるように、穏やかな表情で鎮座していた。

 周囲は神殿ほど立派な造りではないし、女神像もそこまで綺麗とはいえないが、最低限の体は成しているように見える。


 それを考慮すると、ここは【祭壇】なのかもしれない。


 なぜか至る所にある神殿や祭壇に疑問を抱くが、日本でも道を歩けば、地蔵やら小さな社《やしろ》が道端でよく見られるはずだ。

 単純に信仰心が元になったものもあれば、一方では【鎮魂】を目的としたものもあるだろう。

 霊自体は死なず、肉体が滅びれば大半が霊界(この世界では愛の園《その》)と呼ばれる次元に赴くわけだが、知識がない人間は地上に取り残される場合がある。

 いわゆる未浄化霊、成仏していない霊といった存在である。

 彼らは死んだことに気付かない。

 霊が不滅であることを知らないので、肉体が死んでも霊体で生きていることに気付かず、そのまま想念の中で暮らすことがある。


 幽霊のもう一つの正体が、これだ。


 基本的に肉眼で霊体は見えないが、稀に何かしらの条件が整うと霊眼が作用し、そういった人を見ることがある。

 驚きはするものの、同じ人間なので怖がることはない。ただの迷い人にすぎない。

 この場合、その人に見えたということは、迷い人を守護している霊がそうさせた、と考えるほうが妥当だろう。目覚めさせる手段として、その人を利用したのだ。

 そういう意味では、鎮魂や慰霊には意味がある。

 彼らが死んだことを自覚させ、本来の領域に戻すためにはそれなりに有用だ。

 ただ、もっと重要なことは、この世界は段階的に進化する仕組みになっており、地上は真ん中より少し下くらいの霊域に存在する【途上の世界】であるということだ。

 人生の目的は地上で霊性進化することであり、死後にさらに高い霊域に赴くことだ。そこを見誤ってはならない。

 もしすべてが地上で完結するのならば、これほど不条理で不平等な世界はないだろう。

 だが、そんなことはないので安心してほしい。すべては良きに計らわれる。

 そして、すべての霊が女神の段階に至ることを夢見て、人は祈る。



 「ああ、女神様」と。



 べつにこれが言いたくて説明したわけではないが、誤解を招くので、そろそろ話をミャンメイたちに戻そう。



「これって、さっきの骸骨戦士さんたちを慰めるための祭壇でしょうか?」

「んなわけねぇだろう。むしろあいつらに必要なのは、自分の闘争本能を満たしてくれる野獣みたいな相手さ。自分を徹底的に壊してくれるくらいのな」

「ああ、なるほど、供養の仕方もそれぞれ違うんですね」

「供養もなにも、あいつらは単なる無機物だけどな。骸骨の心配をするより、自分の心配をしておけ。問題は、ここが行き止まりってことさ。最悪は、あの草原に戻る必要がある。それだけは勘弁だぜ」

「女神像があるんですから、ここから戻れませんかね?」

「そんな都合良くいくか? やるにしてもよ、どうやって起動させるんだ?」

「………」

「………」

「…た、大変です。やり方がわかりません!」

「だから最初からそう言ってんだろうが! ああ、もう! てめぇがそういうやつだってことはもう十分わかったぜ!」


 やっぱりミャンメイは、どこか抜けている。

 ただ、シャイナとは違って性格が素直であり、愛嬌があるので憎めない。

 こういった天然ぶりも、単純に可愛らしいと思う異性のほうが多いだろう。そのあたりは得な女性である。


「でも、これしか頼れるものはないですし…なんとかしないといけませんね」

「やれやれ、女神さんよ。迷子の俺らを助けてくれよ。…って、聞いてくれるわけもねぇか」

「グリモフスキーさんが悔い改めれば、助けてくれるんじゃ…」

「あぁん!? 何を悔い改めるんだよ!」

「いろいろと悪さしたことへの謝罪とか…女神様への不信心とか。思い当たることとかありません?」

「ありすぎてどれかわからねぇよ。俺はよ、生きるだけで精一杯なんだ。いちいち懺悔なんてしていられるか。祈る暇があるなら、今日の食いぶちを稼ぐほうを優先するさ」

「…そうですね。生きるって大変ですよね」

「ああ、そうだ。俺らは死ぬまで生きるしかねぇんだよ。…頼ったって誰も助けちゃくれねぇよ。いつだって、てめぇ自身でやるしかねえのさ」


 自分でやる。自分で闘う。

 それが少年が学んだ一番大事なことだ。

 父親がいなくなったことに絶望して、心を病んでしまう可能性だってあったに違いない。

 日本に限らず地球上のどの国でも、そうした話はよく聞く。

 それだけ聞けばかわいそうであり同情もするのだが、女神様は乗り越えられる試練しか与えないものだ。

 そこで潰れるのも自分次第。乗り越えようと努力するのも自分次第だ。

 そこには【自分の意思】がある。選択する権利が与えられている。

 そして、グリモフスキーは諦めなかった。生きることを諦める理由がなかった。



 だから今回も諦めない。



 グリモフスキーは、女神像を動かそうといろいろと試していく。

 触ったり撫でたり、今まで拾ったものをお供えしてみたり、あるいは嫌々祈ってみたり。

 だが、そのどれもが効果を発揮しない。


(ちっ、どれも駄目か。女神様ってのは、こういうときに何もしてくれねぇからな)


 頼りにならない女神像を見つめるグリモフスキーの目に落胆の色はない。

 最初から期待しなければ裏切られることはないのだ。誰かを責めるのは、誰かに頼っている証拠でしかない。

 彼の心の強さは、もちろん生来の魂の強さもあるのだろうが、あの日見た夢を忘れられないからでもある。


(親父がいなくなったことはつらかった。憧れていたからな。だが、それはしょうがねぇ。人間なんていつ死ぬかわからねぇ弱い生き物だ。親父だって死にたくて死んだわけじゃねえだろう。それはいいんだ。そんなもんさ。だから俺は、死ぬまで自分自身の夢を追いたい。追っていたい。…ああ、そうなんだな。今になってよくわかったよ。まだ俺の中には【大きな夢】があるんだ。…そうだ。ガキの頃からずっと憧れていたのは…)


 ダンジョンで見つけたガラクタの輝き。

 誰が見てもゴミでしかなかったガラクタでさえ、少年には黄金に見えたのだ。

 新しいものを発見する喜びは最高だ。自分だけの感動だってかまわない。それが輝いて見えれば、その瞬間こそが宝物なのだ。

 ただ、元少年の中には、いまだに心残りがあった。


(親父が追い求めていた…あの石。俺が見つけてやりてぇな。どんなものか知らねえが、きっとすげぇお宝なんだろうな。せめてそいつを見つけて、親父の墓にでも供えてやりてぇよな。それだけが俺の中では心残りだぜ)


 ずっと疑問だったのだ。

 父親がそこまで欲したものとは、いったい何だったのか。

 命をかける価値があったものなのか。それともただのガラクタだったのか。

 真相はどちらでもかまわない。父親が満足していれば問題はない。

 そのうえで自分もそれを見てみたい。手に入れてみたい。

 単純に自分自身の知的好奇心からも、それを見たい。


(いつ死んでもかまわねぇ。だが、あれだけは…あの石だけは…妙に気になる。そいつを見つけるまでは、こんな場所で死ぬわけにはいかねぇんだよ。それが俺の生きる原動力ってやつだ)


「生命の石…か。なぁ、女神さんよ、俺にその石を見つけさせてくれよ。一生のお願いだ。チンケな人間のチンケな願いだが、あんたは聞いてくれるかい?」


 なんとなしに呟く。

 祈りにしては挑発的かつ皮肉が交じったものだ。これも独りで生きてきた彼の性分というものだろうか。


「………」


 その言葉に対し、女神像は何も応えない。

 当然だ。ただの呟きに意味はない。もとから期待していたわけではない。


(何か反応するわけもねぇか。そりゃそうだな。そもそもがよ、この女神像だって昔の遺物なんだろうしよ、昔のもんなら昔の言葉じゃないと意味だってわからねぇよな。ははは、こりゃ笑えるぜ。女神様には通訳が必要ってか。そりゃ祈りも通じないわけだ。……ん? そういえば…あのメモに……呪文みたいなのがあったような……あれは昔の言葉なのか?)


 記憶の残滓が、かすかに脳裏に蘇る。

 父親が次の日の探索にそなえて眠りに入った頃、興奮した少年は思わずメモを盗み見していた。


 少年は夢中でメモを読みふける。


 ほとんどは理解できなかったが、【ある言葉】だけはよく覚えていた。

 いつか自分も追いついてやろうと、それだけは心の中で何度も反芻していたものである。

 だからこそ、やろうと思えば今でも言葉に発することができる。


(そういやガキの頃は、よく呟いていたな。ははは、まったくもって本当にガキだったな。あんな意味もわからない言葉を毎日呟いてよ…。恥ずかしいにも程があるぜ。さて、どんな言葉だったか。たしか…こんな感じの…)


 多くの者は子供の頃、漫画やアニメに出てきた魔法の呪文を覚えるために、何度も練習したことがあるだろう。

 魔法少女の変身の台詞でもいいし、攻撃魔法の詠唱だっていい。憧れたものに近づきたいという欲求が自然とそうさせるのだ。

 グリモフスキーも、それは同じである。

 父親に憧れ、彼が追い求めたものに憧れる。だからこそ心に輝くものを得られる。


 そして、目を瞑って輝いていた過去を思い出しながら、何気なく呟いてみた。





「ネグロティア・プランバ・ヴィア・ヘビアヴォラン」





 意外と淀みなく言葉が出てきた。

 文字で見ただけなので発音などわからないため、適当に自分でアレンジした「どうでもいい音」だ。

 意味もわからない。さして格好良い言葉でもないし、好んで呟こうとも思わない。

 されど、そこには少年の夢が込められていた。

 夢があるからこそ久しぶりに発した今でも、これほどスムーズに出てきたのだろう。

 ただただ懐かしい。懐かしさしか感じない。


(やれやれ、俺も疲れているんだろうな。まったく、こんな場所で何やってんだか。早く戻って俺も休みたいぜ)


 何も変わるわけがない。何もないさ。

 そんなことはわかっている。ただちょっと疲れて言ってみただけだ。

 ちょっとしたお遊び。遊び心でしかない。



「これからどうしたもんか―――」



 うっかり呟いてしまった気恥ずかしさから、女神像から目を逸らそうとしたが―――


 ブウウウウンッ


 女神像が光っていた。




「…あ? この像って、こんなに光っていたか―――」




 ぽわんっ




 そして、何の予告も何のアクションもなしに、二人がふわっと消えた。

 グリモフスキーだけでなく、傍で台座を調べていたミャンメイも消えた。


 この現象は、とても見覚えがある。



 地下神殿からダンジョンに飛ばされた時と同じ、【転移】だ。



 今まで何も反応がなかったことを考えれば、やはりグリモフスキーの言葉に反応したと考えるべきだろう。

 それに加えて、彼がはめていた腕輪も関係があったと思われる。

 それでもさすがにこれはないだろう、という言葉にも頷けるが、そんなことを言われても困る。

 なにせグリモフスキーがそれを呟いたのは、本当に偶然だったのだ。

 いや、もしかしたら彼の直感が、あるいは彼の霊が真実の一部に気付いたのかもしれない。

 いやいや、もしかしたら本当に単なる偶然だったのかもしれない。

 いやいやいや、そんなことはない。これもまた運命なのかもしれない。


 かもしれない、かもしれない。かもしれない。



 ええい、うるさい!!



 かもしれないなど―――存在しない!!




 はっきり言おう。


 これは完全に【必然】だったのだ。


 ミャンメイがここにいることも、グリモフスキーがここにいることも、すべては必然の中にあった。

 仮にここではない違う祭壇であっても、この遺跡内ならば「そこ」にたどり着くようにプログラムされていたのだ。

 だから、彼と彼女がそこに行くのは決まっていたことである。



 グリモフスキーが呟いた言葉は、学者が見つけた文献から抜粋されたものだった。


 言葉の意味は、こうだ。




―――ネグロティア・プランバ・ヴィア・ヘビアヴォラン



―――〈黒の叡智よ、生命の螺旋へと我らを導きたまえ〉




 そして、女神様は願いを叶え、二人は【螺旋】へと導かれる。

 この遺跡が生まれた理由の一つ、真実の一端へと。




前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。