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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第七章 「収監砦」 編 第二幕


454話 ー 463話




454話 「白の呪印」


 カスオが取り出したものは―――【銃】


 衛士が使うような木製の銃ではない。

 DBDが使っているような金属製かつ、連射が利く『アサルトライフル』だ。

 ただ、弾倉が芋虫のような丸みを帯びた独特な形をしており、片手でも撃てるようになっているせいか、全体的に小ぶりである。

 そのデザインは、見方によれば可愛らしく感じるかもしれない。

 どことなくモンスターを狩るゲームに出てくるボウガンを思い出す人もいるだろう。

 だが、それが凶器であることはすぐにわかる。


 スパパパンッ ジュバババッ


 カスオが撃った弾が、ミャンメイの足元に着弾して水を跳ね上げる。

 その速度と威力は、けっして玩具ではない。


「じゅ、銃…!? どうしてそんなものを!」


 銃を見たミャンメイは、さすがに動揺する。

 地下では武器類は厳重に管理されている。一般人が多いので、銃火器は特に厳しくチェックされているのだ。

 少なくともカスオが簡単に手に入れられるものではない。


「へへへ、そんなことを知る必要はない。お前さんがやることは、あの変な棺桶の中に入ることさ。それだけでおれはここから出られるんだ」

「何を根拠にそんなことを…!」

「おっと、動くなよ。死ななければいいって話だからな。足の一本くらいは撃ったっていいんだぜ」

「…っ! まさかあなた…! 誰かに雇われて…」


 スパパパンッ ジュバババッ


「あうっ!」

「黙れ! ここで命令できるのは、銃を持ってるおれだけだ! へへへ! いい気分だなぁ!」


 カスオが銃を突きつける。


 それによって―――立場が逆転。


 いくら包丁を持っていても、武人ではないミャンメイが銃に対抗できるはずもない。

 アンシュラオンのように銃弾を叩き落せるわけではないのだ。

 銃とは、一般人が持てる武器の中でもっとも手軽かつ、もっとも怖ろしい武器である。


 この銃というものが嫌われる要因の一つが、『対人用の兵器』だということだ。


 正直、こんな小さな口径の銃だけでは魔獣相手には心もとない。

 戦車であっても四大悪獣には勝てないだろうから、彼らに有効な武器とは言いがたい。

 一方で人間には強い。子供でも指先一つで大人を殺すことができる優れた武器だ。

 それも当然だろう。


 銃は魔獣を倒すためではなく、同じ人間を楽に殺すために生まれた存在なのだ。


 効率よく人間を殺すための武器だから、この程度の口径で十分なのである。

 だから武人の中でも銃使いは忌み嫌われる。努力もなしに力を得る者に対する侮蔑が込められているからだ。


 まさにカスオが、それ。


 こんなクズでカスな男が、銃をもった途端に勝ち誇った笑みを浮かべている。

 なんとも憎らしい顔だ。何度も言うが、顔の形が変わるほどボコボコにぶん殴ってやりたい。

 しかしながら、この場にはミャンメイしかいない。

 一発でも受ければ終わりだ。銃を持った人間に近づいて攻撃するには、あまりに分が悪い。

 仮に包丁を投げても、練習をしているわけではないので簡単には当たらないだろう。

 この状況を覆すことは、現実的には非常に難しいと言わざるを得ないのだ。



「へへへ! さぁ、言うことを聞いてもらうぞ!」

「服でも脱げばいいのですか?」

「はっ、んなもんに興味はない。さすがのおれも、娘と同じ年齢のガキに欲情するほどロリコンじゃねえしな」


 ロリコンの定義も人それぞれだ。

 人によっては小学生以下を指すこともあるが、シャイナという娘がいるカスオにとっては、それくらいからがロリコンに該当するらしい。

 これを聞いたら本物のロリコン(ロリ子ちゃんの夫)はどう思うだろう。

 いたたまれなくて、隅っこで体育座りをしてしまうかもしれない。


「今言ったように、あれに入ってもらうぜぇ」

「あれは何?」

「へへへ、知らねえな。おれには興味がねえ。金が手に入って外に出られれば、それだけで十分だ。もう追われることもない! 本当の自由だ!」

「金…自由。あなたの後ろには、それを与えられる誰かがいるのね。いったい誰なの?」

「へへへ、口を滑らせるとでも思ってるのかぁ? そこまで馬鹿じゃねえよ。何度も失敗してきてるんだ。ここでしくじりはしねえ」

「………」


 すでに口を滑らしていることにさえ気付いていないのは、さすがというべきだろうか。



 ともあれ、カスオは―――誰かの命令を受けている。



 この点は間違いないだろう。

 あるいは取引といってもいいかもしれない。あの言い方からすると、金と自由を対価に仕事を引き受けたことも考えられる。

 これでいろいろなことに合点がいく。

 カスオのような頭の悪い人間が、遺跡の操作にそれなりに慣れていたこともそうだし、今銃を持っていることもそうだ。

 もしかしたら、あの腕輪の話も嘘かもしれない。誰かから提供された可能性も否めない。


 では、それは誰だろうか?


(最低でも銃を提供できるだけの相手。そして彼を逃がせるほど、この遺跡に影響力を持っている存在。どう考えても一般人じゃない。各派閥の上位者じゃないと無理だわ)


 この遺跡の管理に口出しをできるとすれば、最低でも五英雄(四大市民)の家系である必要がある。

 ミャンメイがぱっと思いつくのは、地下で一番の権限を持っているハングラスだ。

 マシュホーが物資の管理をしていたように、彼らならば銃を提供するくらいはたやすいだろう。

 しかしながら、まったく別の存在である可能性も否定できない。

 そもそも派閥とは無関係な個人かもしれない。疑い出せばキリがないのだ。


(相手はわからない…でも、見えている。目の前にそれがある! なら…)


 そうなのだ。

 仮に今が極めて危険な状態でも、目の前にはヒントがある。

 それを持っている男がいる。

 なぜ自分が狙われているのかを知る者へ繋がる道がある。

 今のミャンメイには、その道を歩くだけの覚悟があった。



 包丁を持って―――歩く



 ぴちゃっ ぴちゃっ



「おい、勝手に動くな!」

「誰? あなたに命令したのは誰!! 教えて!!」

「へ、へへへ! 言うわけがねえだろう!」

「教えないと…刺します!」

「へへへ、どっちの立場が上か、まだ理解していないようだなぁ! 本当に撃つぞ! おれはマフィアの一員だったんだぜぇ! 人を撃つくらい、たいしたことじゃねえんだ!」

「誰ですか? 言ってください!」

「お、おい、止まれ! 撃つぞ!!」

「その時は、あなたも道連れにします」


 ミャンメイは包丁を振り上げながら、いつでも投げられる態勢に入っていた。

 さっきも言ったが、正直当たらないだろう。

 仮に当たったところで、途中で回転して柄が当たればダメージを与えることはできない。


 だが、それでもいいのだ。当たらなくてもいい。


 当てる気があればいい。ぶつけようという気構えがあればいい。

 当てる気がなければ何度やっても一生当たらない。アンシュラオンならば、そう言うに違いないのだ。

 そして、そうしたミャンメイの態度がカスオにも伝わり、焦燥感を与えていく。

 想像してみるといいだろう。

 もし自分が銃を持っていても、今にも包丁を投げようとしている者がいたら、思わず引いてしまうだろう。

 はっきり言って、カスオも素人である。

 小物っぷりが目立つ発言の通り、実際に人を撃ったことなどない。

 銃の扱い方にも慣れているわけではない。だからけっして絶対的に不利というわけではないのだ。


 それを支えるのが―――



(不思議。怖くない。ただただ勇気が湧いてくる)



―――勇気


 それがただの思い込みであっても、今歩める力があればいい。

 怖れずに足を踏み出す力があればいい。


 ぴちゃっ ぴちゃっ


 ミャンメイが一歩ずつ、それでいて強い足取りで進む。

 その気迫に圧されて、じりじりとカスオが下がる。



 これがあのミャンメイだろうか?



 今までの彼女を知る者、兄のレイオン以外ならば誰もがそう思うだろう。

 彼女は穏やかで温和で優しい女性だが、芯が一本通っている。


 男が人生を成功で彩りたいのならば、まず何よりも【賢妻《けんさい》】を持つことだ。


 賢妻というものは、夫を上手く制御する力がある。上手く操る力を持つ。

 日常では癒しになってもいいだろう。話し相手になってもいいだろう。

 だが、時には頑とした強さを見せて、鼓舞して、覚悟を示して、夫に道を示してやる必要がある。


 【真の女性】とは強い生き物なのだ。


 けっして男に利用される存在ではない。逆に力を与えるような存在だ。

 今の彼女も、その力を十全に引き出しているといえる。



 これが―――ファン・ミャンメイ



 これこそが、本物の彼女の輝きなのだ。

 白い力がミャンメイから滲み出る。

 アンシュラオンからもらった穢れを払う力が輝いている。

 その力があれば彼女は怖れない。銃を向けられても怖がらない。


「ち、近寄るな! 近寄るなよ!」


 一方、この男はなんだろうか。

 このクズの極みのような存在が、彼と同じ男だと思うだけで反吐が出る。

 アンシュラオンもシャイナの父親でなければ、即座に排除しているようなカスの中のカスだ。

 この男には覚悟も何もない。打算的に生きて、刹那的に暮らしているだけだ。

 カスオにあるのは虚栄心と欲望だけである。



 そんな男に―――屈しはしない!!



 してはいけない!!



「う、撃つぞ! 足くらいならば問題ねえ!」

「………」


 ぴちゃ ぴちゃ

 ミャンメイは足を止めない。そんな脅しには屈しない。


「ちくしょう! ふざけやがって! どいつもこいつも馬鹿にしやがって! 女なんぞになめられてたまるか!」


 カスオが銃を構える。

 『あの男』からは、息をしていればいいと言われている。

 最低限生きていれば、あとでどうとでもなると言われている。

 だったら遠慮することはない。

 素直に言うことを聞いていれば、痛い目に遭わずに済んだのだ。

 逆らったのならば、足くらい吹き飛ばされても文句はないはずだ。


 指がトリガーにかかる。


 銃口がミャンメイの足を狙う。





「なめやがってぇえええええええ! くらええええ!」





 それは、カスオが指に力を入れようとした時であった。




「うぐっ…!!」



 ぎゅううううううっ!!


 突如、首に強い圧迫感を感じた。

 誰かに首を絞められているかのように喉が閉じていき、一気に呼吸が苦しくなる。


「ごほっ…ごほおおっ!!」


 ぐい ぐいいっ ぐいいいい


 締め付けはまったく緩まない。

 カスオが苦しんでいようが、お構いなしに強くなっていく。


 ぎゅううっ ぎゅううううううう

 ぎゅっぎゅっぎゅっ ぎゅぎゅーーーーーーう!



「はっはっ!! はっ―――!!! く、くるぢ…い……っ―――! っ!! な、なんだ…お前……は!! おばえは…!!」



 その時だ。


 カスオの目に―――【白い人】が映った。


 のっぺらぼうどころではない。全身が真っ白で何一つ見えない、ただただ白い人型の何か。

 その片手が伸びて、自分の首を絞めているのだ。



―――「忠告したぞ」


―――「罰を受けろ」


―――「クズにはお似合いだ」



 その白い人型の存在は、カスオを見下していた。

 目はない。鼻も口もない。

 そうであるにもかかわらず、明らかに見下している。

 自分をゴミのように見下している。馬鹿にしている。


「ぢくじょうう! し、死ね…ぢねえええ!! ば、ばけものおおおおおお!」


 スパパパンッ スカスカッ

 カスオは白い人に対して銃を撃つ。

 しかし、そのすべてが素通りしていく。

 仕方がない。

 なぜならばこれは、彼だけに見えている【幻覚】だからだ。


(何を撃ったの!? なんであんな場所を!)


 事実、それを見ていたミャンメイが驚くほど、まったく関係のない場所を撃ったものである。

 彼女の目には、そんな白い人物は見えていない。

 だが、カスオが急に苦しみ出したことはたしかだ。首を押さえて必死に呻いている。

 口から泡を噴き出しながら悶えている。何かの力が働いているのだ。


(…え? あれ…? なにか首が白くなってる…? 最初からあんな色だったかしら? それに動いているような…)


 ミャンメイが目を凝らすと、カスオの首に異変が起こっていた。




―――【痣《あざ》】




 あの時、アンシュラオンがカスオの首に付けた痣が白く変色して、さらには生物のように、もぞもぞと蠢いているのだ。

 それが彼の首を絞めつける最大の要因となったものである。


 あれこそが―――ギアス〈束縛〉


 もしカスオが自分の物に手を出そうとした瞬間、強い殺意や害意を抱いた瞬間に発動するように仕掛けた『停滞反応発動』の刻印である。

 幻覚を見ているのは彼自らの都合によるものだが、自動的に首を絞め上げるように設定されているのだ。




455話 「ケジメのつけ方 前編」


 アンシュラオンは、カスオを信じていなかった。

 こんなクズを信じる者が、いったいどこにいるのだろう。

 少なくともあの慎重な男が、偉大なるキング・オブ・クズのことを信じるわけがない。

 しっかりと枷をはめていた。管理していたのだ。

 その管理方法は、遺跡の腕輪よりも遙かに凶悪で横暴で一方的だ。


「ぐうつうううっ! ううううっ! おえええええ! やべやべっやべでえええ! ゆるぢでえええ! おおえええええええっ!!」


 白くなった痣がカスオの首を絞め続ける。

 泣いても謝っても絞め付けが弱まることはない。

 なぜならば、これは【罰】である。

 忠告を聞かず約束を破った人間に対する制裁だ。



「何が起きているのかわからないけど…今なら!」


 そして今こそが、ミャンメイにとっては千載一遇のチャンスだ。

 走って一気に間合いを詰める。


「ぐぞっ…!! おおお!」


 スパパパンッ

 カスオも銃を撃つが、意識が朦朧としてほとんど狙いが定まっていない。

 かすかな呼吸をするだけで精一杯で、徐々に視界が狭まっていく。

 その片隅にミャンメイの姿が移るものの、それを気にする余裕はほとんどないに違いない。


 駆ける。駆ける。


 ミャンメイが駆ける。

 全身全霊の力を込めて走る。

 その動きは意外と言っては失礼だが、かなり良かった。

 彼女はレイオンの妹である。兄妹だからといって身体能力まで似通うとは限らないが、遺伝子上の資質は近しいものがあるはずだ。

 素早い動きで一気に接近すると、迷わずに包丁を突き出す。


「えええええい!!」


 狙っている暇はない。迷っている暇もない。

 こんなときに相手の命のことを考えている暇など、ない!

 だから身体ごとぶつかるように、無我夢中で包丁を突き立てた。

 ただただ刺すことだけに集中して全力でぶつかる。



 ブスッ! ズブウウウッ!!



「うぐっ…!!」



 包丁は、カスオの腹にずっぷりと刺さった。

 小太りなので、さぞやいい的になったことだろう。

 包丁の切れ味もあって、いとも簡単に根元まで押し込めた。


 ぶしゃっ ごぼごぼっ


 カスオの腹から真っ赤な血が溢れ、ミャンメイの手を塗らす。


「ふーーー! ふーーー!! はーーー! はーーー!」


 ミャンメイは目を見開いて、荒い呼吸を繰り返す。

 今になって心臓もドクンドクンと激しく脈動し、緊張感から手の平に大量の汗を掻く。


(この感触…! これが人を刺す感触…! やっぱり動物とは…違う!)


 素人が人を刺すというのは、相当な覚悟がいるものだ。

 手に残る硬くも柔らかい感触。人間の腹筋が痙攣する感触。相手の驚愕した表情。

 そのどれもが不快であり、ミャンメイもそのショックで強い興奮状態に陥っていた。


 人間の罪悪感の大きさは、【進化の程度】によって決まるといわれている。


 たとえば、虫を殺しても大きな罪悪感は抱かない。せいぜい不快な気分になるくらいだろう。

 ここでいう不快の程度は、それによって三日三晩寝込んだりしない、という意味である。

 だが、これが魚、鳥、牛豚になっていくごとに罪悪感が増していく。進化の段階が上がるごとに親しみが増すからだ。

 さらにいえば、ペットで考えてみるのもわかりやすい。

 犬や猫など、人間に愛されて牛豚よりも進化している動物への攻撃には、多くの人が激しい怒りを覚えるはずだ。

 牛豚を平然と食べていながら、自分のペットは食べられないと考える人も多いだろう。それだけ霊的にも親しいからだ。

 それゆえに同じ進化の程度にある人間を殺すことは、誰であっても嫌悪感や不快感を感じてしまうものである。

 むしろ感じないと危ない。

 鳥や豚を普通に捌けていたミャンメイが、人間を刺す不快感に襲われるのも無理はない。


(気持ち悪い…! でも、でも…!! 私は…戦うの!)


 だが、刺したこと自体に後悔はなかった。

 なぜならば―――




―――「それでいい」


―――「自分を守るために力を使うことは正しい」


―――「クズに遠慮するな」


―――「オレがすべてを許す」




 白い力が、過《あやま》ったものを排除することを肯定してくれる。許してくれる。

 もちろんアンシュラオンにそんな権利などないが、あの男ならば迷わずカスオの命よりもミャンメイの安全を優先するだろう。

 また彼に限らず、多くの人間がその判断を支持するはずだ。

 自分が正しいと思うのならば、まず力を得なければならない。それをしっかりと使わねばならない。

 彼が真後ろにいるかのように、命じられたかのように、ミャンメイは強い自己肯定の感情に満ちていた。

 だから包丁の柄は放さない。しっかりと握り込む。



「はーーっ! はーーー!! あがが…がっ! がががががっ!」


 こうなると刺された側のカスオは最悪である。

 ただでさえ呼吸が苦しいのに腹まで刺される。まったく同情できないが、悲惨のコンボなのは間違いない。

 では、こうなるとどうなるのかといえば―――


 動きが、止まる。


 硬直して今にも倒れそうになる。

 よく漫画やアニメで、包丁に刺されながらも反撃する場面が描かれることがあるが、実際は非常に難しい。

 その衝撃と痛みは想像を超えるもので、もし本気で刺されてしまったら問答無用で身動きが取れなくなるだろう。

 普段鍛えているはずの警察官が刺されて、反撃もできずに銃を奪われたりするが、それも仕方ないのだ。

 まともに刺さってしまえば、常人ならば身動きが取れない。

 銃に撃たれた場合も同じだ。あんな小さな弾なのに、ショックで身体が硬直して、気付くと床に倒れている状態になる。

 もし反撃できるとすれば、意図的に肉体操作で痛みが消せる武人に限られるだろう。

 彼らは常人を超える強靭な肉体と精神力を持つ。だからこそ強いショックにも耐えられるのだ。

 しかしながらすでに述べたように、一般人ならば耐えられるわけがない。

 特にたいして鍛えてもいないカスオのような人間にとっては、致命傷に近い。


 ぐらぐらっ


 カスオの身体が揺れて、ゆっくり倒れていく。

 このまま倒れてすべてが終わりだ。ミャンメイもそう思ったに違いない。

 ただこの時、わずかに動く場所が一つだけあった。



 それは―――指



 ほとんど反射のようなものだったが、カスオが倒れる際にトリガーにかかっていた指が動いた。


 ぐぐっ スパパパンッ


 銃弾が、発射。


「きゃっ!!」


 幸いにして、ミャンメイに銃弾は当たらなかった。

 が、あまりに近距離での発砲に驚き、思わず離れてしまった。

 これも無理はない。ミャンメイは勇気があるとはいえ、武人でもない単なる女性なのだ。

 目の前で発砲されたら驚くのが普通。ほぼ反射でのけぞってしまった。

 ここまでは偶発的な事態なので受け入れるしかないだろう。こういうこともある。

 だが、ここでさらに不運が訪れた。


「あっ―――!」


 飛び退いたミャンメイの足に、一瞬の浮遊感が訪れる。


 そのまま後ろに倒れ込み―――



 ガタン ズザザッ ばしゃんっ!



 階段から落ちていく。

 女神像は神殿の少し高い部分に設置されいたため、そこには段差があった。

 ミャンメイもカスオに向かう際には、駆け上る形になっていたものだ。

 そこで起きたハプニングで飛び退いたものだから、階段からずり落ちてしまう。


 しかし、これはあまりに不運。


 転んだ時の衝撃を甘く見てはいけない。成人してから転ぶと、そのショックも大きいものだ。

 高齢者が家で転んで、大腿骨を骨折して入院する話をよく聞くが、転んだ衝撃とはそれほどまでに大きい。


「ぐうっ…かはっ」


 一気に階段から落ちたミャンメイは、痛みと衝撃で身体を動かせなかった。

 さらに何が起きたのか理解するまでに時間がかかるのも痛い。


「ぐ…ぞっ……! ぐるな…ぐるなぁあ! うううっ! うあぁあああ!!!」


 スパパンッ スパパパンッ!

 階段の上部で銃声が響く。

 腹を刺されてうずくまったカスオも、まだ意識があるようだ。

 ただ、幻覚はまだ続いており、目の前に迫る白い人に恐怖を抱き続けていた。


「あぁあ…あー!! まてまて…! しね…しね……」


 ここでまた不運が起こる。

 ずりずり ずりずり

 何を思ったか、カスオが這いずって階段の上に顔を見せたと思ったら、ミャンメイに銃口を向けた。


 当然、これはまったくの偶然であった。


 カスオが見ているのは、ただの白い人。その幻影だ。

 それがたまたまミャンメイが倒れこんだ場所に移動したと思い込んだのだ。

 なぜ彼がそんなことを思ったのか、なぜそんな幻覚を見たのか、まったくもって理解できない。

 しかしながら、起こってしまったのだから仕方がない。

 確率的には10%を切るくらいの状況だが、けっして起こらないわけでもないので、これは不運としかいいようがない。



(あっ…あれ? なんでこんなことに…?)


 ここでミャンメイも現状を理解する。

 ようやく痛みが薄れて階段を見上げたら、そこにあったのは銃口だったのだ。

 この瞬間、時間が止まった。

 世界が静止したように時間の流れがゆっくりになった。

 そう、彼女が思考の速度で物を見ていたからだ。

 人間が事故に遭ったときに感じる、いわゆるスローモーション現象である。感覚が増大して物的な流れを超越する事象といえる。

 そして静止する世界で、彼女はこう思った。


(ああ、死ぬのね)


 銃弾を受ければ、自分は死ぬだろう。

 こんな場所で治療するのも難しい。出血多量で簡単に死んでしまうに違いない。

 目の前に、死という文字が浮かぶ。

 ただし、それを極めて冷静に見つめている自分がいることにも気付く。


(兄さんに言われたことが、こんなにすぐに起こるなんてね)


 レイオンには、アンシュラオンに関わったらいつか死ぬと言われた。

 今回は自分の判断によって動いたことではあるが、危険な場所に身を置いた意味では同じだろう。

 自分が言ったように、人間はいつか死ぬのだ。

 それが今日であり、今であってもおかしくはない。


(怖い? …思ったより怖くない? ええ、怖くなんてないわ。だって、兄さんとの会話で覚悟を決めていたもの。怖いとかじゃないんだ。私は生きているんだから。これから必死に生きるんだから。そう決めていたもの)


 事前に兄と話せておけてよかった。

 もしその会話がなければ、ここで立ち止まってしまったかもしれない。


(私は…生きるのよ! 最後まで!)


 自分は生きる。生きねばならない。そうしようと決めたから。

 腕に力を入れる。足に力を入れる。

 身体を捻って起き上がろうと努力する。


(そう。そうなの。あの子を見た時から…私は…!! 憧れていたのよ!)


 サナも、そうしていた。

 あんな小さな子供でさえ、どんなときでも諦めることはなかった。

 何度も立ち上がり、自分より大きな男に立ち向かっていった。


 それに、憧れた。


 弱気になって俯いていた自分の憧れが、そこにあった。

 強いもの。輝くもの。奮い立つもの。勇気あるもの。

 毎秒ごとに大きくなっていくアンシュラオンとサナの存在を、心に焼き付けていた。

 自分もあんな生き方をしたい。後悔のない生き方をしたい。




 その瞬間が来るまで、生きる努力を―――





「諦めない!!!」





 力を入れて立ち上がる。

 ミャンメイは立った。

 がんばって立った。

 今彼女にできることはすべてやった。


 しかし、物の動きというものは、心の動きを凌駕することが往々にしてある。


 残念ながら、これが現実。

 ミャンメイが立ち上がる速度よりも、カスオが指を動かす速度のほうが上だった。


(いいわ。それでも)


 ミャンメイは落ち着いた瞳で、トリガーに力が入る瞬間を見つめていた。

 自分を射抜くかもしれない存在を、最後までしっかりと見てやろうと睨みつける。

 身体は死んでも心は殺せない。

 自分が負けたと思わなければ負けではない。そんな大胆でやせ我慢で、意地っ張りな感情が、彼女の中を占有する。


 負けない。負けない。負けない。


 ただただ強くそれだけを信じる。


 屈しない! 退かない!!


 その気持ちが通じるわけではない。何かを引き起こすわけではない。

 この地上世界で何かを動かすとすれば、最後は物的な力なのだ。



 それゆえに―――飛ぶ



 シュシュシュッ


 ミャンメイには、その物体は見えていなかった。

 それも当然。彼女の背後からそれは飛んできたのだ。

 宙を走る銀色に輝くもの。


 鋭く尖ったナイフが三本。


 ブスッ!!

 一本がカスオに右腕に突き刺さる。


 ガンッ!!

 一本が銃に当たる。


 ガギィンッ

 一本が銃口にヒット。


 シュパパパンッ


 直後、銃弾が発射された。

 しかし、飛んできたナイフによって銃口は完全に跳ね上がり、弾丸は宙を舞うことしかできなかった。


「…え!?」


 何が起こったのか、ミャンメイにはわからなかった。

 わかることは、何か違う力が働いて助かったということだけだ。

 しかも超常的な神がかった何かではなく、実際の人間が起こした物理的な力だということだ。


(はっ! もしかして…ホワイトさん!?)


 ニーニアではないが、ミャンメイも年頃の女の子だ。

 格好良い白馬の王子様に助け出されるお姫様に憧れることもある。

 もしそんなシーンが実際に起こったら、あまりのトキメキに心臓が破裂してしまうかもしれない。

 そんな淡くて甘い期待を胸に、振り返る。


 本当ならば、そうしてあげたかった。

 彼女の願いを叶えてあげたかった。

 それでこそアンシュラオンだと言ってあげたかった。



 しかし―――



「…へ?」


 ミャンメイの目が、思わず点になる。

 符号で表すと「・_・」であろうか。

 それほど意外な人物がそこにいたのだ。

 いや、一番意外だったのは、その人物が自分を助けたことだろうか。



 なぜならば、そこにいたのは―――




「何やってんだ…てめぇは!!」




 革ジャンを着た眼光の鋭い男、グリモフスキーであった。




456話 「ケジメのつけ方 中編」


(えと…あれ? え? この人…あれ?)


 てっきり白馬の王子様(アンシュラオン)がやってきたかと、期待の眼差しを向けたミャンメイ。

 それが次の瞬間、輝きに満ちた目が困惑の色合いを帯び、泳いでいた。

 現れた人物が、あまりに想像と違いすぎていたせいだろう。

 状況が理解できず、完全に頭が真っ白になって思考が停止する。

 だが、何も考えなくても現実が変わるわけではない。



 そこにいたのは、やはり【グリモフスキー】と呼ばれる男だ。



 ん? グリモフスキー? 誰だっけ?

 そんなふうに誰のことか思い出せなくても、自分を責める必要はない。

 たいした出番はなかったし、長年地下にいるミャンメイでさえ似たようなものに違いない。


 彼についての記述が少なかったので、改めてこの男について説明しておこう。


 まず容姿である。

 レイオンほどではないが、そこそこガタイが良い男で、見た目はチンピラとヤクザの中間くらいの印象だろうか。

 焦げ茶の髪の毛は短く刈り上げていて、側頭部のところに雷状の剃り込みが入っている。(バリカンでやるので、日本では『バリアート』というらしい)

 地下にも床屋はあるので誰でもやることは可能だが、そういったおしゃれに気を使う一面があることを示している。

 そんな髪型に加えて眼光が鋭いので、多くの人は街中で出会ったらまず視線を逸らすだろう。

 実際、カスオをリンチにするくらいだ。短慮で暴力的な側面があるのは事実である。


 経歴は、簡潔に述べれば「傭兵崩れ」だ。

 ソイドファミリー自体が、そういった半端ものを組み入れて成長している組織である。

 グリモフスキーもその一人で、地上時代は麻薬工場の警備や売人たちの取り纏めを行っていた。

 それなりに腕は立ったが、バッジョーのような中核の構成員になるほどではなかったため、あくまでファミリーから一歩外れた場所で活動していた人物である。(さすがに斜視の男より立場は上であるが)

 ただ、十数年前に起きた事件(ソイドビッグ誘拐事件)に巻き込まれて、責任を取って地下に送られることになってしまう。


 ここで重要なのは、責任を取らされたのではなく【自ら取った】ということだ。


 だからこそラングラスでの信任も厚く、地下グループのリーダーとして認められていた。

 だが周知の通り、レイオンが来てからは容赦なくフルボッコにされて干されてしまった。

 通路でレイオンに会った時も捨て台詞を残し、恨みを忘れていないような言動があったものだ。

 グリモフスキーは、レイオンを嫌っている。それも激しく。

 人の恨みは簡単に消えるものではない。


 それゆえに―――疑問


(どうして…? たしかこの人って兄さんのことを…)


 ようやくミャンメイが、グリモフスキーを認識する。

 なぜいるのか不明だが、現れたのが彼であることを理解したのだ。


 が―――





「何やってんだ、こらぁあああああああああああああ!!」





「ひゃっ!!」


 グリモフスキーの怒号に、思わずミャンメイが怯む。

 相変わらず声がでかい。威圧感も相当あるので、女性が聞いたらこうなるのも仕方ないだろう。

 しかしながら、その声を向けられたのは彼女ではなかった。

 グリモフスキーはミャンメイを素通りすると、倒れているカスオに向かう。


「てめぇ、何やってんだ!! このカスがよ!!」

「うううっ…ううっ…!」

「おい、聞いてんのか、こらぁああ!!」

「なんで…こんな…いてぇえ……いてぇええ! うごごごっ…!」


 カスオは、いまだパニックの中にいた。

 目の前には幻覚の白い人が見えているし、依然として首は締め付けられている。

 さらにミャンメイに腹を刺されているので、その段階で致命傷だ。

 痛みと苦しみに加え、もとから理解力が乏しいカスオに現状を理解しろというほうが無理であろう。

 目の前にいるグリモフスキーのことも正しく認識していないに違いない。


「あ、あの…」


 さすがに見かねたミャンメイが、恐る恐るグリモフスキーに話しかける。


「あん?」

「もう聞こえない…んじゃないかと。かなり苦しそうですし…」

「だからなんだぁああああああああ!」

「ひゃっ!」

「んなこと聞いてんじゃねえんだよ!! こっちは『ケジメの話』をしてんだ!!」

「け、ケジメ?」

「ああ、そうだ! ケジメだ!」


(この人、何を言っているのかしら?)


 突然の発言にミャンメイが唖然とする。

 どうやらこの男も説明をあまりしないタイプのようだ。

 だが、彼の中にはしっかりとしたルールがあった。


「こいつが俺に黙って、こんな場所を知っていたこと。組織に損害を負わせていること。あまつさえ銃なんてもって、レイオンの妹を脅していること。どれも気に入らねえ!! おい、こらあああ! てめえのことだよ!!」


 そう言うと、グリモフスキーはさらに接近。

 倒れているカスオを蹴り飛ばす。


 ドガッ!! ごろごろごろっ


 ほぼ無抵抗のカスオが、転がっていく。


「うぐっ…うおえええ!!」


 腹を蹴られたせいか、血が混じった吐瀉物を吐き出す。


「なに吐いてんだ、てめぇはよ。その前によぉ、ほかに吐くことがあるだろうが! おいっ!!」


 ドガッ ごろごろごろっ

 倒れているカスオを再度蹴り飛ばす。


「うううっ…」

「おい、はっきり見ろ!! こっちを見やがれ!! シカトしてんじゃねえよ!」


 ぐぐいっ!

 今度はカスオの胸倉を掴んで、強引に立たせる。

 倒れた人間を運ぶとわかるが、脱力した人間の身体は相当重いものだ。

 正直、道具を使わねば一人では運べないレベルである。

 それを軽々と持ち上げたことからも、彼が腕力に優れていることがわかる。


 それから、ビンタ。


 パンパンッ! パンッ!

 虚ろな表情のカスオの頬を引っぱたく。

 それによって少しだけ意識が戻ったのだろう。

 カスオの目が、ぎょろっとグリモフスキーを捉えた。


「ぐううっ…うう……グリモフ…スキー……どうして…ここに? ぐるぐる回って…訳がわからねえ……」

「ああん? グリモフスキーだぁ? ざけてんのか、こら!! なに呼び捨てにしてんだ!! てめぇにそんな権利があるのか! ああ!!」


 叩く、叩く、叩く。


 パンパンッ! パンッ!

 パンパンッ! パンッ!


 何度も叩くので、カスオの頬が真っ赤に腫れ上がっていく。

 いいぞ。もっとやれ。ボコボコにしちまえ。

 幻聴かもしれないが、そんな声がどこからか聴こえてくる。

 少なくともカスオにはそう聴こえている。


「ちくしょう……馬鹿にされて……たまる…か! こんなところで…おわっで…だまる…かぁああああ!」


 カスオが力を振り絞って、右腕に突き刺さったナイフを左手で引き抜く。

 それをグリモフスキーの腹に突き立てた。


 ズブッ


 ナイフが、刺さる。


「…あぁん?」


 グリモフスキーは、そのナイフをつまらなそうに見つめる。

 刺さるには刺さったが、刃先の一センチ程度にすぎなかったからだ。

 カスオが弱っていたことに加え、彼自身の肉体が強かったので、それくらいしか刺さらなかったのだ。


「…あで(あれ)?」


 それにはカスオも拍子抜けした顔になる。

 胸倉を掴まれているとはいえ、もっと刺さると思っていたのだろう。

 ナイフとグリモフスキーの腹を何度も交互に見返す。

 だが、何度見ても致命傷には至っていない。


「…おい、何してんだ? 何の真似だ?」

「ひ、ひーーー! こ、これ…は! これは何かの…うぐううっ」

「お前みたいなクズが、こんな馬鹿な真似をするとはな。するってーと、てめぇはあれか? この俺とガチでやり合うってことか? これはそういうことだよな。だってよ、明らかに俺にナイフを突き立てたよな?」


 一センチであっても、それは刺し傷。

 脂肪の部分にしか刺さらずとも、明確な攻撃の意思を示したことになる。

 当然ケジメにこだわる男が、そんなことを許すはずもない。


 ぽいっ どんっ


 グリモフスキーがカスオを放り投げる。


「ひーー! ひーーー!」


 カスオは、すでに瀕死だ。

 この状態では、どうやってもグリモフスキーに勝つことなどできない。

 一方的な攻撃がくると考え、防衛本能に任せてただただ必死に床を這うが―――こない。

 背中に攻撃がやってこない。

 それどころか、こんな声が響いた。


「そのチャカ、使えや」

「…ひーひー…! …え!?」

「それだよ。お前の近くに落ちている銃だ」


 腕にナイフが刺さったことで落としてしまったライフルが、近くに落ちている。

 しかし、グリモフスキーが睨みを利かせている限り、それを取りに行く間に殺されてしまうだろう。

 だから必死に逃げるという選択をしたのだが、何を思ったのか、それを使えというではないか。

 困惑したカスオに、グリモフスキーは話を続ける。


「勝負にならねえって言ってんだよ。俺がよ、本気でお前をぶん殴るにはよ、そんなナイフじゃ対等じゃねえって言ってんだよ。ならよ、そのチャカを使えば、お前でも少しはまともになるって話になるだろうが」

「…はぁはぁ…ぐうう……」

「おい、聞いてんのか!!!」

「は、はひっ!! ひーー! ひーーー! こくこく!」

「さっさと拾え」

「へへ…へへへ……ぐううっ…おでの……銃……! 銃! じゅう! ジュウうううう!」


 カスオに示された、たった一つの光。

 まるで「蜘蛛の糸」のように、天から下ろされた一本の救いの糸に向かって手を伸ばす。

 グリモフスキーは、それを黙って見ていた。妨害するそぶりはない。


(この人、何がしたいの?)


 なぜグリモフスキーがそんなことを言うのか、ミャンメイには理解できなかった。

 絶対的な力の差があるのならばわかる。

 たとえばアンシュラオンほどの実力者ならば、あまりに弱いとつまらないという理由から、そういうこともするだろうし、するだけの権利がある。

 しかし、グリモフスキーは強いのだろうが、そこまで圧倒的とは思えない。

 ナイフが刺さるくらいなので、彼にとって銃はそれなりに脅威になる武器だろう。

 それでも相手に武器を取らせるとなれば、まったくもって理解不能だ。


(わからない。この人のことがわからない。私は…何も知らない)


 そもそも彼のことをよく知らない。どんな人物かも理解していない。

 だから彼の意図を推し量るように、じっと見つめるしかなかった。




「おでは……金と…自由を……手に入れて……へへ…へへへ! たのしく…ぐらすんだ…! 邪魔するやつは……」


 手が、銃に届いた。

 半死半生の中で手に入れた唯一の勝機だ。絶対に離すまいと、ぎゅっと握り締める。


 そして朦朧とした意識の中、銃をグリモフスキーに向ける。


 すでにいろいろと限界なので、おそらく自分が何をしているのかさえ、正しくは理解していないだろう。

 頭にあるのは、自身の願望と欲求だけだ。

 それに突き動かされる。それに取り憑かれている。


「ほら、撃てよ」


 カスオを静かに睨みつけるグリモフスキーは、一歩も動かない。


「へへへ…しね」


 カスオの指がトリガーにかかり―――



 スパパパパンッ


 発射。


 銃を持つのもつらいのだろう。ほとんど寝そべりながらの射撃だった。

 だが、銃弾はグリモフスキーに向かっている。連射された弾丸が迫っている。

 グリモフスキーは、よけない。


 バンバンバンッ ぐらっ


 銃弾が当たり、衝撃でよろける。

 特注なのか、なかなかの威力がある銃である。衛士が使うものよりも威力は高いだろう。

 普通の人間がくらえば、そのまま死亡確定であると思われる。

 しかし、グリモフスキーはよろけたものの、倒れることはなかった。

 体勢を戻し、再びカスオを睨みつける。



「なんだこりゃぁ! これがてめぇの覚悟か? こんなものがケジメか? あああん!! 全然効かねえじゃねえか!!」



 グリモフスキーの体表には―――【戦気】が広がっていた。


 銃弾すべての威力を軽減するほど強くはないが、彼も傭兵として生きてきた男だ。

 ただの銃弾くらいならば、何十発も受けなければ致命傷にはならない。

 だが、ここで彼が重要視しているのは、速度やらパワーやらといった物理的なことではない。


「なさけねえ!! なんともなさけねええええ!! てめぇは銃弾にすら、『本気を乗せられねえ』やつなのかよ!!」


 彼が問うているのは、その覚悟であり、気持ちの部分である。

 スパパパンッ バンバンバンッ

 再び銃弾が発射。グリモフスキーに命中する。

 それを受けても彼はまったく倒れることはなかった。

 効いていないわけではない。受けた部分から軽い出血が見られるので、ダメージは負っているはずだ。

 だが、鋭い眼光でカスオを睨み続けている。


「こんなもんが効くと思っているのか? てめぇの性根がそのまんま乗っかっているようで、なんとも気持ち悪いぜ!」

「ひー、ひいいいいい! ぐるなぁあ! ぐるなああああ!」


 スパパパンッ バンバンバンッ

 スパパパンッ バンバンバンッ

 スパパパンッ バンバンバンッ


 カスオが銃を撃ち続けるが、グリモフスキーの歩みは止まらない。




457話 「ケジメのつけ方 後編」


 グリモフスキーは、止まらない。

 銃で撃たれても、止まらない。

 身体から出血しても、止まらない。


 そしてついに―――


 スカスカッ スカスカッ


 弾切れに陥る。

 これだけの弾を装填できる銃でも、目の前の男を殺すことはできなかった。

 逆に言えば、多くの弾を装填できた分だけ口径が小さく、威力も抑えられていたから致命傷に至らなかったとも考えられるが、結局のところ結果に違いは生まれなかっただろう。


「ふぃいいっ! ふひいいいい! おええええ! ゆるぢて…! だ、だずけてぇえ…!」


 唯一にして最大の拠り所を失い、ぶざまに這いずって逃げようとするカスオ。

 その後姿を睨みつけるグリモフスキーの目は、依然として強い輝きに満ちている。


「…俺はてめぇが死ぬほど嫌いだった。俺だってクズさ。自分がクズであることは俺自身がよく知っている。同じクズのてめぇのことを、とやかく言う権利なんてねえ。だが、てめぇは、てめぇは―――そんな覚悟すらなかった!! 同じクズでもよ、本気で生きるから価値があるんだろうが!! こんな地下でも生きていく資格があるんだろうが!! てめぇは、それを裏切った!!」


 グリモフスキーがカスオに近寄り、顔面を思いきり蹴り上げる!!

 ドゴンッ!! ぐちゃっ!!

 顔面が潰れる嫌な音がしたが、それだけでは許されない強い力が発生。


 首が捻じ曲がりながら、空中に強制的に押し上げられると―――



「ケジメ、つけさせてもらうぜ!!」



 ブンッ


 グリモフスキーの本気の拳が放たれ、めり込む。


 ゴンッ!!


 硬く鈍い、いい音がした。

 この音は聞き覚えがある。

 そうだ。サナが無手の試合で放った拳の音に似ている。

 魅《み》せる試合では、まず聴くことができない本物の打撃音だ。

 それはつまり、人を殺すための拳であるということを意味する。


「ごぼっ…」


 拳が叩いたのは、胸だった。

 特に理由はない。ちょうどそこが一番殴りやすい場所だったにすぎない。

 ボギボギッ ぶすっ

 骨が折れ、折れた骨が心臓に突き刺さる。

 戦気で強化された拳は、これだけで終わらないのが怖ろしいところだ。

 その衝撃がさらに突き抜け、身体の中を滅茶苦茶に破壊する。


 ぼんっ!


 カスオが空中で弾けた。

 身体はそのままだが、内部で臓器が破壊された音である。

 それから、落下。


 どさっ びくびくっ ぴた


 倒れたカスオがびくびくと数回痙攣した直後、動きが完全に止まった。

 しばらく見ていたが、やはり動く気配はなかった。

 武人崩れとはいえ、一般人とは肉体の造りそのものが違う。

 そんな男に本気で殴られたら【死ぬ】のが普通だ。


「ふん、カスが。てめぇは正真正銘のカス野郎だったよ」



 こうしてカスオは―――生命活動を止めた。






 しばしの沈黙が流れる。


 ミャンメイもグリモフスキーも何も語らない。

 目の前には、カスオの死体とおぼしきものが転がっているので、なおさら空気が重い。

 だが、ずっとこのままというわけにもいかず、ミャンメイは勇気を振り絞って声をかける。


「あ、あの…」

「ああん?」

「助けてくれて…ありがとうございます」

「てめぇを助けようとしたわけじゃねえ」

「でもその…ありがとうございました」

「………」


 ミャンメイは少し引きながらも、しっかりとした目でグリモフスキーを見た。

 グリモフスキーも、その目をじっと見る。


「その目だ」

「…え?」

「てめぇは誰だ?」

「ファン・ミャンメイ…です」

「レイオンの妹か?」

「は、はい」


 なぜそんなことを訊くのだろうか。

 さきほど自分自身で「レイオンの妹」と言っていたはずなのに。

 ミャンメイがそんな疑問を抱いていると、グリモフスキーが訝しがるような視線を向けてきた。


「俺はてめぇを知らねえ。初めて見る。俺の知っているレイオンの妹は、なよなよしていて弱々しくて、いつも女々しいやつだった」

「女々しいって…私は女ですよ?」

「うるせえな。んなことは見ればわかるんだよ!」

「そんな…言われたから答えただけです」

「ちっ、てめぇもレイオンも、やっぱりうぜえ。相性が悪いにも程があらぁ」


(自分から話を振ってきたのに…)


 見た目通り、あまり頭は良くないようだ。会話も得意ではないのかもしれない。

 とはいえ、自分を助けてくれたことは事実だ。


「どうして助けてくれたんですか?」

「あ?」

「私が兄の…レイオンの妹だと知っていて、どうして助けてくれたんですか? 兄さんのこと、嫌いなんですよね?」

「ああ、もちろんだ。死ぬほど嫌いだ!」

「では、なぜですか?」

「てめぇはレイオンじゃねえからな」

「でも今、私とも相性が悪いって…」

「細けぇことをぐだぐだ言ってんじゃねえ! 俺が嫌いなのはレイオンであって、てめぇじゃねえんだよ! 二度言わせるな!!」

「じゃあ、私のことは好きってことなんですか?」

「頭腐ってんのか!! んなわけねえだろうが! てめぇの髪の色を見るだけで、あいつを思い出して不快だっつーんだよ!」

「じゃあ、どうして…」

「しつこいやつだな! どうでもいいだろうが!」

「気になって仕方ありません。最近、気になることは全部解明しないと気が済まないんです。主に今日からですけど…」

「本当に最近だな、こら!?」


 今日から「ニューミャンメイ」になったのだから仕方ない。


「たいした理由はねえ」

「なら、教えてください」

「ふん、てめぇが『覚悟を見せた』からだろうが」

「覚悟…ですか?」

「銃を突きつけられて向かっていくやつがいるか? 武人ならわかるが、てめぇはそうじゃねえ。ただの一般人の女だ。普通はできねえよ。びびって動けなくなる。そこに覚悟を感じたのさ」

「もしかして見ていたんですか?」

「たりめえだ。そうでなきゃ、あんなタイミングでナイフを投げられるか」


 危ない場面でギリギリで駆けつけて助ける。

 刑事ドラマなどではよくあるシーンだが、普通ならばまず不可能だ。本当に偶然が重ならないと無理だろう。

 であれば、今回のことも同じだ。

 銃弾が発射される直前になって、たまたまグリモフスキーが駆けつけるなんてことはありえないし、現実的ではない。

 答えは簡単。

 二人のやり取りをずっと見守って…否、【見張っていた】のだ。


「てめぇらを監視していたら、いきなり殺し合いを始めやがったからな。どうしたものかと思って見ていたが…最終的には一番ムカつくやつを叩くことにした。あいつだけは許すわけにはいかなかったからな」


 ミャンメイのことは、レイオンのこともあって好きではない。

 だが、カスオのことはもっと好きではない。死ぬほど嫌いだ。

 組織を裏切ったうえに筋も通さず、女に銃を向けて勝ち誇るようなクズに味方する理由はない。

 結果、ギリギリまで様子を見て、ミャンメイに加勢することにした。

 ただそれだけである。


「俺はいつだって俺の理由で動く。たまたまてめぇが、ここにいただけだ」

「………」

「わかっただろう。俺はお前の味方ってわけじゃねえ。気安く話しかけるな」

「………」


 それを聞いたうえで、ミャンメイは―――


「ありがとうございます」


 再び頭を下げた。


「何してんだ?」

「お礼をしています…けど?」

「けっ、べつにお前を助けたわけじゃねえって言っただろう! 二度とするな!」

「でも、助けてくれたのは本当ですし…ありがとうございます!」

「人の話を聞けよ!」

「あなたがお礼を受け取ってくれないから、こうしてずっと続くんですよ」

「お礼の押し売りのほうが迷惑だろうが!」

「受け取ってくれたら済む話じゃないですか!! 刺されますよ!」

「包丁を突き出すな! なんだよ、てめぇは!? そんなやつだったか…!?」


※包丁はさっき拾っておいた


「私も自分が自分でよくわからないんです! だから早く受け取ってください!」

「それは怖いやつじゃねえのか!? …ちっ、わかったからもうやめろよな。うぜぇからよ」

「はい。ありがとうございます」

「なんなんだこいつは…レイオン絡みはヤバイことばかりだぜ」


 包丁を突きつけて受け取ってもらったお礼に、どれだけの価値があるのかは不明だが、ひとまずこれで落着である。


 少し場が落ち着いたところで、ミャンメイが疑問に感じた点をいくつか訊いておく。


「いつから見ていたんですか? 全然気付きませんでしたけど」

「てめぇらがノコノコ歩いているときからだ。ちんたら歩きやがってよ。ちったぁ後ろを警戒しやがれ。無防備にも程があるぜ」

「え? それって…最初からですか?」

「どこからが最初か知らねえが、落ちる部屋に入る前くらいからだ」

「それって、ほとんど最初からですよ」

「うるせえな。だからどこが最初か、俺は知らねえんだよ!!」

「あの部屋って戻ってました? あの落ちる部屋です。一緒には乗らなかったですよね?」

「ん? あとから入ったが普通にあったぜ。お前たちはもういなかったがな」


(…? どういう仕組みなのかしら?)


 グリモフスキー曰く、ミャンメイたちが入ってそう時間を経ずに彼も入ったが、部屋は普通に存在したという。

 ミャンメイには数十秒の浮遊感があったので、自分たちが乗った部屋が戻っていたという可能性は低い。

 観覧車のように上から新しい部屋がやってきた、あるいはそもそも『部屋は動いていなかった』という可能性もある。

 どちらにせよ、未知の文明が造ったものなので理解は難しい。

 ここに来るまでのすべての部屋、今ここにある神殿のようなものすら理解できていないのだ。

 そこはすっぱりと思考を止めることにした。

 こうして意識がはっきりするとミャンメイもそれなりに頭が切れるが、本質的にはレイオンと同じ感覚派である。

 無理に考えて思考の袋小路に迷い込まないように、きっぱりと忘れることにした。


「それにしても、よくわかりましたね」

「ああん? どういう意味だ?」

「だって、あんな行き止まりなんて、普通は誰も近寄らない場所ですよね? 自分で言うのもなんですが、助けは来ないと思っていました」

「だからこそ俺が見回るんだろうが。少し目を離すと、すぐに逸脱するやつらがいるからな。ああいう場所で密売をする連中もいるんだ。俺からすりゃ、一番最初に見て回るところだぜ」


 誰も来なさそうと思うのは、ミャンメイがまともな人間だからだ。

 しかし、グリモフスキーのような裏側の人間からすれば、人目につかないところこそが安心する場所である。

 麻薬だけではなく、エリア内で禁止されている武器類や、報告に上がらない違法物全般が、裏で取引されないように見て回るのもリーダーの役目だ。

 グリモフスキーの日課は、ラングラスエリアの見回りである。

 特にそうした人が近寄らない場所を重点的に見て回るのだ。


 そして彼は、明らかなる異常を発見。


 初めて来る人間ならば気付かない隙間でも、毎日見て回るグリモフスキーからすれば大きな変化だ。

 さらにリボンまで落ちているとなれば、もはや確定である。

 迷うことなく中に入ってきて、ミャンメイたちを発見するに至ったのだ。


(たしかにギリギリ通れそうだけれど……危険があるかもしれない場所に平然と入ってくるなんて、すごいわ)


 彼ならば隙間を通れるだろうが、何があるかもわからない場所に入るのは勇気がいることだ。

 もし見つけたのがグリモフスキーでなければ、自分は死んでいた可能性もある。

 そこはもう感謝しかない。まさに幸運である。


「でも、リーダーでもないのに見回りなんて…」

「うるせえな! 大きなお世話だ! つーか、てめぇの兄貴がサボってやがるからだろうが! トップになったんなら、最後まで責任をもって取り締まれ!」

「兄さんは最近、調子が悪かったから…」

「言い訳になるかよ。あいつが実質的なリーダーなら、体調が悪かろうが良かろうが、グループのために働くのが筋なんだよ。だからリーダーなんだからよ。それが筋ってもんだろうが」

「………」

「なんだよ? 人の顔をじろじろ見やがって」

「グリモフスキーさんって…意外と真面目ですね」

「ああ!?」

「ふふふ、もっと怖い人かと思っていました。なんだぁ、いい人だったんですね」

「なめてんのか、てめぇは!」

「凄んでも、もう怖くないですよ」


 地下にいる人間は、たいていが訳ありである。マフィア出身者も多い。

 だが、当然の話であるが、その人間性はそれぞれである。

 カスオのような生粋のクズもいれば、マシュホーのように面倒見のよい者、ニットローのような真面目な者もいる。

 グリモフスキーも腕力で相手を黙らせるタイプではあるが、けっして陰湿ではない。

 彼はレイオンに復讐を誓っていても、ミャンメイを狙うようなことはしない。そんな考えも浮かばない。

 拳でこてんぱんにやられたのならば、自分も拳でこてんぱんにしてやればいい。

 そのために自分を鍛えることはあれど、他の力を借りたりはしない。そう考える。

 その意味では、まだ人間としてはまっとうなレベルにあるといえるだろう。




458話 「奇妙な二人の奇妙な日」


「んなことより、ここはいったい何だ? ここで何をしていた?」

「グリモフスキーさんは、ここのことを知らないんですか?」

「知るわけがねぇだろう。こんな場所があるなんて初めて知ったぞ」


(これは本当…よね。私もまだ信じられないし)


 グリモフスキーが嘘をついている様子はない。

 彼がカスオを使ってミャンメイを連れ出した、という可能性もゼロではないが、真面目な性格を知ってしまった今ではありえない話だと確信している。

 強引に棺に入れるだけならば、力づくでいいのだ。わざわざ助ける理由はない。


「わかりません。それをあの人に問いただしていたんですけど…」

「俺が殺しちまったか。くそっ、今思えば生かしておけばよかったぜ」

「それはもう仕方ありません。ところでグリモフスキーさんの番号っていくつですか?」

「あ? 番号?」

「腕輪の裏に数字があるんですけど…知ってました?」

「ああ、あれか。なめやがって。整理券じゃねえんだぞ。まったく、イラつくな」


(あっ、知っているんだ。…もしかして、知らないのって鈍感なのかしら?)


 グリモフスキーまで番号のことを知っていたことに、若干のショックを受ける。

 ただ、放心状態で地下にやってきた当時の自分に、そこまでの注意力を求めるほうが酷だろう。

 なにせつい今日まで、自分は半分死んでいたようなものなのだ。



 その後、グリモフスキーの番号を照会してみたが、石版の該当者にはいなかった。

 そのついでに今まで得た情報を開示する。

 知られたところで不利益はないと判断したからでもあり、正直に話すことで信頼を得たいと思ったからでもある。


「―――ということなんですけど、あの棺桶に入ってみたほうがいいですかね?」

「………」

「もしかしたら、外に出る方法がわかるかもしれませんし…」

「………」


 あの機械に何かしらのヒントがあるはずだ。

 カスオが誰に雇われていたかわからないが、自分が入れば何かが起きるはずだ。

 虎穴にいらずんば虎子を得ず。今は少しでも情報が欲しい。

 危険を承知でそう提言するが―――


「やめておけ」


 黙って聞いていたグリモフスキーが、はっきりとそう述べた。

 そこに迷いの感情がまったくなかったので、思わずミャンメイも驚く。


「え? でも、そうしないと相手の目的がわからなくて…」

「こんな遺跡にある怪しい装置が、まともな理由で造られたわけがないだろうが。人間を家畜扱いするような連中だぜ? 反吐が出る! そんなやつらの犠牲になることはねえ」

「それでも私は、自分が狙われていた理由が知りたいんですけど…」

「もう忘れたのか! 俺に助けられなかったら死んでいたんだぞ。自分を過大評価してんじゃねえよ! てめぇなんて、何の力もない女なんだ! ちったぁ立場をわきまえろ」

「…酷いです。そこまで言わなくてもいいのに…うう…。あっ、やっぱり助けてくれたんですね。よかったぁー」

「あぁ!? 泣きそうなのか喜んでいるのか、はっきりしろや!!」

「じゃあ、喜びますね。やったー」

「情緒不安定すぎるだろうが!?」

「自分でもおかしいことはわかっていますよ。今までの反動ですかね? ちょっと感情の制御ができないんです。ふふふ、でも案外気に入っています。これもいいかなって」

「…変なやつだ」


 自分に起きた変化に戸惑っているのは、ほかならぬミャンメイ自身である。

 当人が言ったように、これも反動なのだろう。

 今まで感情を押しとどめて我慢していたがゆえに、感情の表現が極端なのだ。

 そのあたりは怒りの感情が発露したサナと少しだけ似通った面があるだろうか。

 人間にとって一番難しいのが感情の制御であり、一番大切なものも感情なのだ。そのあたりのバランスが難しい。


 それはそれとして、問題はこの後だ。


「これからどうしましょう?」

「戻るしかねぇだろう。俺たちはこの遺跡に慣れちまっているが、だからこそ怖い。危ないところには近寄るべきじゃねえな」

「慎重ですね。意外です」

「ああ? びびってるわけじゃねえぞ!」

「わかっていますよ。慎重さって…大事ですよね」

「全然納得してねぇだろう、その顔」

「納得はしていないですけど、まだ死にたいわけでもありませんから、グリモフスキーさんの言うことは正しいと思います。それで、ここはどうするんですか?」

「後日、人数を連れてきて調査するさ。つっても、俺たちは学者じゃねえからな。どうせ何もわからねえだろうよ。わかったところで、それは俺らの領分じゃねえ。上の連中が話すことだ」

「グラス・マンサーでしたっけ?」

「そのレベルの話になるだろうな。上にそんな余裕があれば、だがな。少なくともうちの上層部にそんな暇はなさそうだぜ。けっこう地上で揉めてるからな。どうせ放置だろうよ」

「こんな怪しげな施設が地下にあっても調べないんですか? 普通、もっと慌てて調べる気がしますが…」

「グラス・ギースも裕福な都市じゃねえからな。それ以外のことで手一杯なのさ。特に害がないなら後回しにするしかない」

「そうですか…結局、わからないままなんですね…」


 ここまで危険を冒して飛び込んだのに、何も得られないのは精神的にもつらいところだ。

 少なくとも狙われた理由だけは知りたかったと、ミャンメイがうな垂れる。

 その姿を見て、グリモフスキーが考え込む。


「…おめぇ、誰かに狙われているって言ってたな? いつからだ?」

「三年前にここに来た時から狙われていたのかもしれません。そうじゃないと、今になってまた狙われる意味がわかりませんし。それとも別々の話なんでしょうか?」

「………」

「どうかしました?」

「俺らの知らねえ、こんな場所があるんだ。そうだよな。普通にありえるよな」

「何の話ですか?」

「たいした話じゃねえ。ただ『都市から人が消える』って話を思い出しただけさ」

「人が…消える? なんですか、それ?」

「文字通りの意味だ。まあ、珍しいことじゃねえ。外からやってくるお前たちみたいなやつらや、地下に送られる人間が消えるなんてことはよ。地下でもたまにあるのさ。忽然といなくなるって現象がな」

「消えるって、本当にいなくなるってことですか?」

「ああ、二度とそいつらを見ることはねえな。俺も長く地下にいるが、戻ってきたって話は聞かねえよ」

「えと、それって…大問題なんじゃ…」

「言っただろう。たいして珍しいわけじゃねえ。何年かごとに移住する連中もいるし、傭兵の中には渡り狼みたいなやつらもいる。定住しない連中ってのは案外多いもんだぜ。だからわざわざ市民制度があるんだろうしな」


 人がいきなり消える。

 地上でも地下でも、人が突然いなくなることがたまにある。

 老若男女、そこに区別はない。若い美女だろうがブサイクな男だろうが、ある日突然、その人物が消えるのだ。

 アンシュラオンの戦気掌のような物理的に強い力に晒されない限り、人間が忽然と消えることはない。


 よって、普通に考えれば都市を出て行ったと思うだろう。


 失踪と言い換えてもいいが、そこに意味の相違はない。

 そもそも定住しない者たちは戸籍すらちゃんとしていないのだから、人がいなくなろうが失踪と移動の区別がつかないのだ。

 だから誰かがいなくなっても「どこかの都市に行ったのだろう」で終わる。それだけの話だ。


 もちろん『誘拐』の可能性もある。


 スレイブ商のように人を扱うビジネスがあるのだから、サナやロゼ姉妹しかり、身寄りのない子が確保されることも多いだろう。

 若い男も労働力という観点からすれば、ブサイクかどうかは関係ない。健康であれば価値がある。

 とはいえ、スレイブという『職業』があるのだから、あえて誘拐するメリットは少ない。

 グラス・ギースにおいても(スレイブ人材確保等の暗黙の了解を除き)誘拐は罪である。治安維持のためにも死罪を含めた厳しい処分が下されるだろう。


 と、ここまではいい。


 これらの話は想像の範囲内だ。

 地球だって未発達の地域や紛争地域ではよくある話だ。

 だが、地下で人が消えるとなると事情が少し異なる。


「地下で消える場合、上に戻るってのが普通のルートだ。だが、戻れる可能性もないようなやつが消えたら…そりゃ怪しいよな。ずっと疑問だったが、ここに一つの答えがあるのかもしれねぇな」

「あっ、違う出口ですね! そこから出たなら納得できます!」

「………」

「え? 違いました? クズオさんも、この先に出口があるって言っていたはずですけど…」

「出口…か。出られそうな場所は見当たらないがな」


 グリモフスキーが周囲を見回すが、この神殿内で移動できそうな場所は入り口の扉しかない。

 つまりはこの神殿が終着、行き止まりなのである。

 だがここで、ミャンメイがあることに気付いた。


「あっ、もしかしたら、あの腕輪が必要なのかもしれませんよ。ほら、あれです」

「…あいつが拾ったっていう特殊な腕輪か」


 グリモフスキーが、倒れたカスオの手にはまっている腕輪を見る。

 特段変わった点はないが、よくよく見るとジュエルの色がわずかに違う。

 カスオの話が本当ならば、管理者用の腕輪ということになるだろう。


「ふん、似合わねぇ夢を見やがってよ。だから死ぬんだ」


 グリモフスキーは、カスオの腕から強引に腕輪を引き剥がす。

 生体磁気に反応するタイプのものなので、付けている人間が死んでしまえば腕輪は簡単に外せるようだ。


「この腕輪はどうする? てめぇがはめるか?」

「いえ、なんだかそういう気分には…死体から取ったものですし」

「なんだ。いきなり弱気になりやがって。ただの腕輪だろうが」

「よろしかったら、どうぞ」

「ちっ、ただの押し付けじゃねえか。さっきの覚悟はどこにいったよ」


 カスオが使えていたということは、誰がはめても効果は同じなのだろう。

 ということで、ちゃっかりとグリモフスキーに押し付けるあたり、なかなかミャンメイも小ずるいものだ。





 グリモフスキーは、その腕輪を使って神殿内を調査する。

 一番怪しい女神像に近づけたり、押し当ててみたりするが、特に変化はなかった。

 せいぜいカスオがやったのと同じく、石版の情報が切り替わるくらいだろうか。

 それからも他の場所を探索するが、何も起こらず、目ぼしいものも発見できないでいた。


(やっぱりあの棺に入るしかないのかしら?)


 これだけ神殿内を調べても何も起きないとなれば、もはやあの棺しか手がかりがない。

 カスオが入ったときは排出されたので、自分が入っても同じことになるかもしれない。

 それならば、それでいい。確かめたのだから納得するだろう。


「おい、やめとけ」


 が、よほど思い詰めた顔をしていたのか。

 グリモフスキーがミャンメイの行動を未然に阻止する。


「まだ何も言っていませんけど」

「言わなくてもわかるさ。後先考えないところはレイオンと同じだな。あいつも感情だけで俺の領域を侵しやがった。そういうやつには反吐が出るぜ」

「むっ、兄さんだって地下の惨状を見かねての行動だったんですよ。おかげで平和になったじゃないですか」

「お前らにとっちゃ、そう見えるのかもしれねえな。だが、今までやってきたことが全部壊れちまった。ルールや慣習ってもんがな。それによって統制がとれなくなることもある。カスの行動もその一環かもしれねえんだぜ」

「グリモフスキーさんの力が弱まったから、ですか?」

「…はっきり言えば、そういうことだ。俺が抑えていた連中が勝手に動き出すこともある。レイオンにそれが見えればいいが、あいつは自分のことしか考えてねぇからな」

「でも、壊れていいものもあるんじゃないですか? ホワイトさんがやったみたいに…良い方向に向かうこともありますよ」

「あれこそヤバイ。レイオンなんて話にならないくらいヤバイやつだ。近寄ったら命はねえ。ああいうのには触れないほうが賢明だ。てめぇも気をつけるこったな。やたらに関わると死ぬぞ」

「兄さんと同じようなことを言うんですね。…二人って似てるかも」

「ああ!? んだと!? 何が言いてぇんだ!」

「仲が良いとか、そういうことを言いたいわけじゃないんです。ただ結局、より強いものが現れれば同じなんだなって思っただけです。兄さんも自分より強いホワイトさんを怖がってましたし」

「………」


 今まで地下を治めていたグリモフスキーは、レイオンの登場によって座を追われ、彼を畏怖することになった。

 他方レイオンも、新たに現れたアンシュラオンに敗北し、畏怖するようになった。

 なんという堂々巡りだろうか。

 破壊と再生に終わりがないように、人の社会はそれを永遠に繰り返すのかもしれない。



「ふん、そろそろ戻るぞ。まずは戻れるかどうかを試さないといけないからな」

「あっ、そうですね。夕食も作らないといけませんし」

「こんなときに夕食の心配かよ!!」

「人が生きていくのに食は重要ですよ」

「これだから女ってのは…」


 全員とは言わないが、女性は強い生き物だ。

 最愛の人が死んで哀しんでいる時でも、夕食を食べる元気がある。

 彼女たちは「生きる」ということに対して強い執着がある。だからこそ諦めない強さがあるのだ。


「そうだ。グリモフスキーさんも一緒にどうです?」

「何がだ?」

「食事です」

「ああ!? ガキどもと一緒に食えってのか!? どんな罰ゲームだ!!」

「助けてくれた恩を返さないといけませんし…ぜひどうぞ」

「だから人の話を聞けよ!!」

「そこまで意地を張らなくてもいいのに。やっぱり兄さんに似ているんじゃ…」

「てめぇ! それ以上は言うな!!」


 ツンデレの気質があるのか、なかなか面白いように反応してくれる。


(人は見た目じゃないってことね。少なくともこの人は信頼できるわ。兄さんに似てるところも安心するかも)


 助けてくれたこともあってか、ミャンメイは少なからずグリモフスキーに好感を抱いていた。

 それは異性とかそういったものではなく、兄のレイオンに似たものを感じるからだろう。

 腕っ節が強くて短慮だが、どこか憎めない。変なところに真面目で筋を通す。

 そんなところがやたら似ているのだ。

 人間とは不思議なものだ。似ているからこそ、いがみ合うのかもしれない。




「それじゃ、戻りましょ―――」




 と、ミャンメイが入り口に戻ろうとした時である。




―――グラグラグラグラッ




 空間が揺れる。



(地震?)



 それは、来るときにも感じていた地震であった。


 最初はすぐに収まるものと思っていた揺れであるが―――




―――グラグラグラグラッ



―――グラングラングラングランッ!!



 グラグラグラグラッ グラグラグラグラッ
 グラグラグラグラッ グラグラグラグラッ
 グラグラグラグラッ グラグラグラグラッ

 グラグラグラグラッ グラグラグラグラッ
 グラグラグラグラッ グラグラグラグラッ
 グラグラグラグラッ グラグラグラグラッ



 徐々に揺れが大きくなり、神殿全体が大きく揺れる。

 しかもまったく収まる気配がない。

 遊園地のアトラクションのように激しい揺れがずっと続き、ミャンメイたちも動くに動けない状況に陥ってしまった。

 武人のカテゴリーに入るグリモフスキーでさえ、その強い揺れの前には何もできず、床に這いつくばることしかできないでいる。


(なにこの揺れ!? なんでこんな大きな揺れが起きるの!? ここが…地下だから? もっと深い場所だから!?)


 ここがどれだけ深い場所なのかわからないが、少なくとも自分たちが暮らしているエリアよりは下層部にあるはずだ。

 だからこそ上では震度1か2弱くらいだった揺れが、今は震度7に匹敵するものになっている。

 震度7とは、それ以上はない最高の揺れを示すものなので、実際に体感するともっと強い揺れに感じるかもしれない。

 この揺れだけでも怖かったのだが、さらに予期しないことが起きた。




―――「異常事態の発生及び、緊急退避命令を受諾。これより強制避難を開始します」




 突如、女神像から音声が流れ出た。

 その声はかすれたものではなく、さすがに綺麗な状態とは言いがたいものの、ロボットが発した音よりはかなり良質な音声であるといえた。

 それだけ『普段は使われていなかった機能』だということだろう。

 滅多に大雨が降らない地域での避難訓練のように、万一にそなえて用意はしておくが、きっと使わないだろうなと思っているものに似ている。

 これを設定した者も、まさかこんなことが起きるとは思ってもみなかったに違いない。


 女神像の胸が光り輝く。


 さきほどまで何もないように見えた場所から、室内を完全に覆うような巨大な光が発生。




 次の瞬間―――ミャンメイたちが消えた。




 他のものはまったくそのままで、二人だけが消えていった。

 しかし、けっして死んだりしたわけではない。消失したわけでもない。



 単に二人は―――【転移】しただけだ。



 そう、これもどこかで見たことがあると思ったら、プライリーラが使った聖堂での転移によく似ていた。

 彼女も緊急時の移動手段として転移を利用していた。

 そして、この遺跡もまた同じ技術が使われているのならば、転移できてもおかしくはない。

 ただそれが、ミャンメイとグリモフスキーという、少し奇妙な組み合わせであったことだけが意外であったにすぎない。




459話 「異変感知 前編」



―――グラグラグラ



(ん? また地震か。多いな)


 その地震は、アンシュラオンがいる地下上層部にまで響いていた。

 今までよりも大きな揺れで、震度3くらいはあるだろうか。

 といっても、所詮は震度3だ。

 壁にかけてあるタペストリーが、ぶらんぶらんと揺れるくらいだろう。物が落ちてくるほどではない。

 地震に慣れているアンシュラオンの反応は薄い。

 それより今の自分には、もっと別に気になることがあったので、意識がそちらに向く。


(この感覚…オレが仕掛けた『トラップ』が発動したのか?)


 アンシュラオンが遠隔操作で仕掛けたトラップこと停滞反応発動は、効果が発動されると設置者に伝達されるようになっている。

 これも高度な設定の一つで、発動すると同時に特定の振動波のようなものを発し、それを感知することで起動を知ることができる。

 ただし、今回の振動波は極めて微弱だ。

 いつもならば「いつどこで、どんな効果が誰に発動した」というところまでわかるのだが、あまりに弱々しくて詳細が伝わってこない。

 アンシュラオンという超絶に卓越した使い手であっても、かろうじて感じ取れるほどのものだった。


(どこだ? ちっ、この遺跡の性質が邪魔をしているのか、詳しい場所がわからないな。だが、オレが今仕掛けているトラップの数は多くない。地上部分で発動したのならばすぐにわかるだろうから…地下だろうが…)


 モグマウスを五百体同時操作できるくらいなので、やる気になれば同数のトラップを仕掛けることができるだろう。

 火怨山では数百仕掛けることもざらだったため、それと比べればグラス・ギースに仕掛けてあるトラップの数は極めて少ない。

 ホロロたちがいるホテルとモヒカンのスレイブ館、ソブカの屋敷、商会事務所、収監砦の地上部分、あとは各所にある門といったところだろうか。

 人間でいえば、小百合やマキにも安全のためにちょっとだけ付けている(小百合はお風呂の時に付けた)。ついでにイタ嬢にも監視用に付けていたりもする。

 それらに現状で異常はない。何かあればすぐにわかるだろう。


 であれば、ほかは地下区域ということになる。


 地下にも万一にそなえて、いくつかトラップを仕掛けてある。

 遺跡にある戦気を吸収する素材の性質上、なかなか伝わりにくいが、同じ階層にいればはっきりと発動がわかる状態にはしてある。

 にもかかわらず、今回のものは特定が極めて難しいレベルにあった。


(こうなれば消去法だ。発動していないものを消していけば、おのずと答えが見つかるだろう)


 収監砦の地下部分の出入り口、ラングラスエリアの入り口、ニーニアの祖父ソーターのいる区域等々、トラップが無事な場所を探っていく。

 そうして続けていくと、薄々気付いていたが『肝心要の存在』がいないことがわかる。

 それはもちろん―――


(キング・オブ・クズに仕掛けたトラップの反応が消えている。というか、あいつの場所が特定できない。オレの感知が届かない範囲の場所にいるってことか? 【呪印】が発動したってことは、あのクズめ、また何かやらかしたな。ほんとクズはクズだな。ろくなことをしないもんだ)


 カスオに仕掛けた『罰』あるいは『呪い』が発動したとなれば、あの男が自分の身近な人間に危害を加えようとした証である。

 最初から信じてはいなかったが、明確な裏切り行為である。さらなる罰が必要だろう。


(ったく、シャイナだけでも面倒なのに、父親まで面倒を見るっておかしいだろう。そんなメリットがあるのか疑いたくなるが、ここまで関わった以上は仕方ない。全部サナのためだ。我慢しよう)


 情操教育にペット(シャイナ)は必要だ。

 世話をすることで芽生える責任感もあるだろう。多少の粗相には目を瞑るべきだと自分を納得させる。




「ちょっと外を見てくるね。妹を頼むよ」

「…何かあった?」


 アンシュラオンの様子に異変を感じ取ったマザーも真顔になる。


「たぶんね。クズ絡みだから、たいしたことはないと思いたいけれど…念のためね」

「…なるほど、そっちの件ね」


 『クズ絡み』という単語で通じるところがすごい。

 ただ、それを聞いたマザーの顔は、いまだ真剣なままだった。

 何かを考えるようなそぶりをしてから、アンシュラオンを引き止める。


「待って。あまり良い予感はしないわ。何か起きたかもしれない」

「それって、マザーの能力?」

「ええ、そうよ。こう背筋がぞわっとするのよね。この感じは…私たちには危険はないかもしれないけれど、誰かが危ないかもしれない。そんな予感がするわ」


 マザーの『危機察知』スキルである。

 明確な予知能力ではないので、今述べたようにあくまで感覚的なものだが、それでもここまでわかるとなれば上等なスキルといえるだろう。


(誰かが危ない…か。この場合、マザー視点で考えるべきだな。マザーにとって身近かつ、カスオに関わりがある人物。となれば、やっぱりそうだよな)


 実は、アンシュラオンはすでに目星をつけていた。

 カスオの呪印の発動と同様に、もう一人、反応が見当たらない人物がいるのだ。


「ミャンメイは今どこ?」


 この情報を精査して出てくる人物は、一人しかいない。

 何より自分があげた包丁には、お守り(命気)が付いているので、調べようと思えば彼女の場所を感知することができるのだ。

 それが現在では感知できない。感知できない場所にいる。

 これが意味することは、たった一つしかないだろう。


 カスオとミャンメイは、一緒にいる。


 という単純な事実である。

 だからこうしてマザーに訊くしかない状態なのだ。


「怪我をしたレイオンに付き添っていったわ」

「どこに行くとか言ってた?」

「お医者様のところじゃないかしら? 怪我をしたときは、いつも会いに行っていたもの」

「医者…奥の道か。怪しいな。一応はカスオの行動範囲でもあるしね」

「あの人が何かしたと考えているの?」

「まあね。マザーだって信用していないでしょう?」

「もちろんよ。あれほどのクズは久しぶりに見たわ」


 とんだ言われようであるが、事実である。

 たまに日本でも「こんなクズ、本当にいるんだな」というレベルで政治家が不祥事を起こすことがあるが、堕ちるところまで堕ちてくれると清々しい個性になるから不思議だ。

 カスオもそうしたクズの極みなので、警戒するのが自然である。


「ミャンメイの反応もないからね。ちょっと急いだほうがいいかもしれない。手遅れになったら困るし」

「それなら私も行くわ」

「マザーには、サナとニーニアを守ってもらいたいんだけど…」

「行ったほうがいいような気がするの。漠然とした勘だけど」


 ちなみにこの雑談の間に、アンシュラオンはサナを含めて本名を名乗っている。

 ホワイトという名前も悪くはないが、せっかくなので本名を教えておいた。

 あの騒動で名前を叫んでしまったので、もう隠す理由もないだろう。

 二人ともほぼ身内確定であるし、知られたところで害はないとの判断である。


「それならいいよ。直感を優先しよう」

「あらやだ、そんなに信用してくれるのかしら?」

「自分のものは信用する主義なんだ」

「それはそれで少し恥ずかしいわね…」

「はいはーい! 私も行きます! それなら一番安全ですよね!!」

「いや、その…サナがいるし、ニーニアは残って―――」




―――むくり




 と、ニーニアを諭そうとしていた時、いきなりサナが目覚めた。

 相変わらず予備動作がなく、寝返りなども見せずに突然がばっと起きる。

 寝るときも起きるときも全力なのは、彼女の最大の特徴だろうか。

 起きたばかりなので、てっきり寝ぼけ眼《まなこ》かと思いきや―――



「…じーーー! きょろきょろ!!」



 ものすごい眼力で周囲を睨み始めた。

 ぱっちりとした「おめめ」の中の瞳孔が、急速に大きくなったり小さくなったりしながら、壁や天井、床を何度も凝視する。

 ばばっ ぶんぶん

 それからベッドの上で四つん這いになると、首を右に左にせわしなく動かす。


「サナ…? どうした?」


 いきなり起きたと思ったら、突然の奇行である。

 さすがのアンシュラオンも少し驚いてしまって、どう言葉をかけていいのかわからなかった。

 だが、彼女が何かを感じているのはわかった。


 それはまるで―――警戒する【猫】の姿に似ているからだ。



(これもジュエルの影響かな? 狼化しないとは思いたいが…猫ならいいか!)


 ジュエルの元となった魔獣が狼なので、若干の影響を受けていないか心配になる。

 ただ、猫ならばOKだ。

 いつぞやファレアスティと会った時にも考えていたが、むしろサナ猫になってくれるのならば嬉しさ爆発である。

 膝の上で丸くなるサナを愛でる光景を想像すると、なんとも幸せな気分になる。

 ネコミミなんてものまで生えてしまったら、それはもう最高だ!!

 フィギュアに興味などないが、サナの人形なら欲しいとさえ思うほど可愛いに違いない。


「…ふー、ふー!」


 という馬鹿兄の妄想をよそに、サナの警戒レベルはマックスに達する。

 ばんっとベッドから飛び降り、近くに置いてあった日本刀を手に取ると―――



 バチバチバチッ ドンッ!!!



 一気に駆け出して部屋を飛び出ていった。



「あっ!!」


 まったく予想していない行動に、アンシュラオンですら後手に回ってしまった。

 その速度は、まさに雷光そのものだったからだ。

 まさかすぐに魔石が発動できるとは思わなかったので、完全に油断していた。

 まるで玄関の扉をちょっと開けた隙に、家猫が外に飛び出していく光景を彷彿とさせる。

 ちょっとした油断。警戒はしていたが完全にガードはしていないという、ほんのわずかな一瞬をついてサナが飛び出ていく。

 ジュエルを扱えるようになったのはいいが、こういうときは困るものだ。


「さすがエル・ジュエラーね。本当なら丸三日くらいは寝込むはずなのに…すごいわ」

「感心している場合じゃないって! 追いかけないと!」

「でも、私たちはあんな速度で走れないし…どうしましょう?」

「ああもう! しょうがない…!」


 がばっ

 アンシュラオンがマザーとニーニアを抱きかかえる。


「あらら! この歳で抱っこなんて…燃えるわね」

「うわわ! これは…すごいです! ホワイトさんがこんなに近くに!! はわわ!」

「ちょっと飛ばすからね。ちゃんと掴まっていてね」

「わかったわ!」

「は、はい! わかりました!」


 二人がぎゅっとアンシュラオンに抱きつく。

 マザーに至っては、貴重な体験に喜々として抱きついているから困ったものだ。

 ニーニアはまだいいが、マザーは自分より身長が高いので、持ち上げると若干変な感じがするが、それを軽々持っているほうが違和感があるだろうか。

 だが、あの速度のサナに追いつくためには、こうするしかないので我慢だ。




 アンシュラオンは、サナを追って控え室を出る。



(それにしても、いったいどうしたんだ? サナも何かを感じたのか?)


 サナには命気を新たに仕込んでおいたので、それがセンサーになって居場所はすぐにわかる。

 それ以前にジュエルが覚醒して結び付きが強くなったのか、漠然と彼女がどこにいるのかわかるような気がした。


 彼女が向かったのは―――


(おっ、ラングラスエリアか。オレもそこに向かう予定だったからちょうどいいが…サナはどうやって感知したんだ? あの子のレベルでは追跡は難しいはずだが…)


 仮にミャンメイの危機がわかったとしても、どこに行けばいいのかまではわからないはずだ。

 サナは遠隔操作ができないので、命気を付けた相手を捜索することもできないだろう。

 そのはずなのに、試合会場を出てから一直線にラングラスエリアに向かっている。

 足取りにまったく迷いがない。そのあたりが不思議でならないものだ。




 アンシュラオンは、あっという間にラングラスエリアの入り口に到着。


 試合会場からエリアの入り口までは、最低でも歩いて二十分以上はあるのだが、ほとんど時間をかけなかった。

 扉の前を見ると、開いた扉の真下にピアスが倒れていた。すでにサナの姿は見えない。


(サナを止めようとしたのか? 馬鹿なことをするな)


 いきなりやってきたサナを不審がって止めようとしたところ、殴られたと思われる。

 ゲロをぶちまけて気絶する、という悲惨な状態に陥っていた。

 サナはアンシュラオンの行動を見て育っている。邪魔する者は誰であろうと排除するスタンスを学んでいるのだ。

 容赦なくピアスを排除して先に進んだものと思われた。


(ふむ、いい感じに育っているな。そうだぞ、サナ。こんなやつらはぶん殴っていいんだ。むしろ遠慮したら失礼だからな。それがわかるようになるなんて…うう、成長しているな…。お兄ちゃんは嬉しいよ!)


 まったく責のないピアスを殴ったことを褒める兄。

 こんな兄と一緒にいれば、妹が暴力的になるもの頷ける話である。




460話 「異変感知 中編」


 アンシュラオンは入り口を抜けてサナを追うも、まだ姿は見えない。


(さすがに速いな。直線の動きだけならば、オレの軽いフットワークくらいには相当するかもしれない。いい武器を持ったな。これからが楽しみだ)


 この速度で追いかけてきたアンシュラオンよりも早く先に進んでいる。

 いくらサナ単独での行動とはいえ、かなり速いといわざるをえない。

 このスピードが今後、彼女の武器になっていくだろう。

 これならば全力を出したアーブスラットとも対等に渡り合えるはずだ。

 女性は腕力ではどうしても劣る傾向にあるので、スピード重視は悪くない強化案といえる。


 その後もアンシュラオンは、サナと同等の速度で追尾する。

 しかしながら自分は二人の女性を抱えてであるし、さらに細かい配慮も忘れていない。


「あらあら、もっと風を感じるかと思ったけど、そうでもないのね」

「あっ、本当。不思議だね」


 走っている間は、周囲を薄い水で覆うことで二人を守っていた。

 この速度で移動した場合、一般人だと風圧だけで怪我をしてしまう可能性もあるからだ。

 たとえば自転車で走行中、セミやカナブンが顔面に当たって痛い思いをした経験があるだろう。

 自転車の速度でもそうなのだから、時速数百キロ以上ともなれば、飛んでくるゴミ一つでも目に入れば大怪我になってしまう。

 そうした配慮をしつつも、雷光となったサナを追いかけるのだから、まだまだ余裕がある証拠だ。

 いくらサナが強くなっても、実力には大きな差がある。これくらいで兄は負けていられないのだ。




 そしてついに、サナの後姿を発見。

 美しく長い黒髪が雷で逆立ち、ぶわんぶわんと揺れながら疾走している。


 サナは、迷うことなく『奥』への道に突入していた。


 その途中にある曲がり角を、これまた躊躇なく曲がり、ミャンメイが隙間を作った扉までやってきた。

 そこにすでにリボンはない。

 誰かが迂闊に入らないようにグリモフスキーが回収していたので、初見ではこの隙間が最初からあったものか、後から誰かが作ったものかの判断はつかない。

 サナもここに来るのは初めてのはずだ。

 では、どうやって確認するかといえば―――


「…くんくん」


 サナはまるで犬のように鼻を動かしながら、周囲の状況を探っていた。

 特にリボンが落ちていた場所を入念に嗅ぐ。


「…じー」


 それから扉の隙間を見つめると、滑るように中に入っていった。

 その行動にも迷いはなかった。

 ミャンメイが通ったことを確信しているように、躊躇なく突き進んでいく。



(そうか。『五感強化』か。そういったスキルがあったな)


 すでに追いついていたアンシュラオンが、サナを後ろから観察していた。

 彼女の特異な様子から、ジュエル発動時の新たなスキル『五感強化』であると判断する。

 どうやら魔石から、サンダーカジュミロンの性質を引き出して利用することができるらしい。

 ミャンメイも年頃の女性だ。髪の毛や身体に香油を塗っている。

 人間からしてもそれなりに強い匂いなので、魔獣からすれば激臭に近い香りになるはずだ。

 サナはその匂いを辿ってきたのだろう。ここまで迷いなく追えたことも納得だ。


(匂いを嗅ぐサナも可愛いなぁ…! 写真を撮りたいくらいだ!)


 犬のように這いつくばるわけではなく、両腕をぎゅっと胸に押し当てて、祈るようなポーズで匂いを嗅いでいる。

 その姿は、可愛いの一言だ。

 狼の能力を使っているのに猫のように感じてしまうのは、兄の願望ゆえだろうか。

 結局サナ自体が可愛いので、何をやっても可愛いことが証明される。

 ただ、写真を欲しがるあたり、やはり変態の気質が見て取れる。言葉に出していたら、女性二人にドン引きされていただろう。


(この能力はいいが…なぜミャンメイが危ないとわかったんだ? オレたちの話を聞いていたのか? それにしては温度差が違ったな。サナのあの様子は、明らかに『緊急事態』だった。オレだってそれなりに急ごうと思っていたが、サナほど懸命ではなかった)


 カスオに施した呪縛があれば、そう簡単に誰かに危害を加えることはできないはずだ。

 最低でも気絶するまで首を絞め続けるように設定してあるので、仮にミャンメイが襲われていても反撃できるほど弱っているはずだ。

 また、ミャンメイにも命気付きの包丁を渡してある。

 いざというときはそれで回復もできるので、自分としてはある程度大丈夫だろうという算段はあった。


 ただし、これはあくまでカスオが【単独犯】だった場合だ。


 呪印はカスオだけに作用するものなので、複数犯であった場合は抑止力にはならない。


(あの男に仲間などいるはずがないと思ったが…それもまた油断か。仲間でなくても、あいつを利用しようとする連中ならばいるかもしれないな。なにせここは地下だ。金や出所を条件にすれば、いくらでも動かせる駒がいる)


 悪は悪同士で潰し合う宿命だが、暴力団やヤクザが半グレを動かすように、より強い悪が弱い悪を利用することも多く見受けられる。

 カスオの裏に誰かいれば、たしかにミャンメイのピンチかもしれない。


(では、オレも急ぐとしようか)



「この場所…? 扉なんて開いていたかし―――ら!?」


 ドンッ ズザザザッ


 マザーが疑問を呈する前に、アンシュラオンも中に入っていた。

 隙間が四十センチしかないので、当然滑りながら突っ込んだのだ。

 しかし、マザーたちはアンシュラオンに担がれているため、いきなり視界が地面スレスレになった。

 もちろん水の膜で保護しているおかげで、地面にこすれても傷一つ付かないが、予告なく飛び込むのは並のアトラクションでは味わえない恐怖だっただろう。

 マザーもニーニアも、アンシュラオンに抱きついたまま硬直している。

 二人には悪いが、今はかまっている暇がないので放置させてもらうことにした。



 そして中に入り込むと、迷うことなく体勢を元に戻してサナを追う。


 さすがミャンメイたちとは速度が違う。

 あっという間に白い部屋にたどり着いた時であった。



 キンキンキンッ



 内部から、けたたましい音が聴こえてきた。

 明らかに平和的な音ではない。敵意をもってぶつかっている金属音である。


(この音は…サナか?)



 アンシュラオンが扉の隙間から中に入ると、そこでは日本刀を抜いたサナが『カブトムシ』三匹と交戦していた。



 サナは突っ込んでくるカブトムシを冷静に回避して、日本刀で斬りつける。

 相手の装甲もかなり厚いので、一撃で切り裂くには至らない。

 その間に他の二匹の攻撃が迫ってきて、それをよけながら攻撃するため、互いに致命傷は与えられない状態が続いているようだ。


(あれはラングラスエリアの入り口で戦ったロボットか? どうしてこんなところに? ここにも配備されていたのか? …それにしてもボロボロだな)


 カブトムシとは、アンシュラオンにいきなり襲いかかってきた(おそらく)戦闘用のロボットである。

 その姿がカブトムシを彷彿させるので勝手にそう呼んでいるが、実際のところは正体不明の存在だ。

 一方的に攻撃してくる以上、敵性勢力と認識してかまわないだろう。

 サナの追尾にそれほど時間をかけていないことからも、彼女が入った時には、すでにこの部屋の中にいたと推測できる。

 そこで鉢合わせて、突発的な戦闘に発展したのだろう。


 カブトムシの存在自体は、すでに知っていたので驚きはない。

 驚いたのは、そのカブトムシが半壊状態のボロボロだったことだ。

 一瞬、サナが壊したのかと思ったが、どうやら違うようだ。


 なぜならばサナは、雷を使っていない。


 数回打ち合ったのを見ただけだが、サナの動きはレイオン戦と比べると明らかに劣っていた。

 まず、体表を覆っている雷の量が非常に少ない。目を凝らさないと、それが雷であるとわからない程だ。

 あの戦いの時のように、周囲の雷が迸るといった現象も見られない。

 心なしかペンダントの輝きも鈍く、発光も微弱である。


(カブトムシと同様に、サナもボロボロの状態だな。魔石の出力は30%以下といったところか。レイオン戦と比べると動きもかなり遅い)


 無理をしてここまで全力で走ったせいか、一気に出力が低下しているようだ。

 かろうじて身体能力の向上は維持されているようだが、雷爪のような技を使う気配がまったくない。

 急いでいる彼女が技を使わない理由はないので、これは『使えない』と判断すべきだろう。


「まだジュエルの力を扱えるほどには回復していないのね。かなり無理をしているみたいだわ」


 それを見ていたマザーも同意見のようだ。

 ついさっきまで力を使い果たして寝込んでいたのだ。今こうして戦っているほうが無茶である。

 しかし、サナは戦いをやめようとしなかった。


「…はー、はー!」


 息を切らしながらも刀を振るう。

 ガキィンッ ガキンッ!

 刃が弾かれようが、おかまいなしに何度も何度も叩きつける。

 ニットロー戦でもこうした粗い攻撃はあったが、今はあの時のように楽しんでいる様子はない。

 そこには【必死さ】と【焦り】が見えた。


(サナが焦っている…か。レイオンとの戦いでもこんな顔は見せなかった。そうか、そうなんだな。まだ表に感情を出せないけれど、お前にはしっかりと根付いてきているんだな。ああ…よかったよ。お前にスレイブを与えてよかった)


 サナは、おそらくミャンメイのために戦っている。

 彼女の危険を察知して、がんばって助けようとしている。

 その感情は、焦りや焦燥感といったものに近い。

 もしかしたら自分が「お前がミャンメイを守ってやるんだぞ」と言ったせいかもしれない。

 だから彼女は、必死に命令を守ろうとしているのかもしれない。


 それでも、こうした焦りの感情はあまり見られなかったものだ。

 レイオンに追い詰められている時でさえ、彼女は焦らなかった。

 まるで自分の命などどうでもいい、と思っているかのように、どんなピンチでも動揺することはなかったのだ。

 それが今、ミャンメイのために心が動いている。

 ざわついている。微弱ながらも人間としての感情が渦巻いている。


(ああ、苦しい。胸が苦しいよ。サナ、お前の気持ちが伝わってくるようだ。助けたいんだな? ミャンメイを助けたいんだな? オレだって同じ気持ちだ。だがきっと、お前のほうがもっと助けたいんだ。お前のお気に入りだもんな。自分で助けたいよな)


 アンシュラオンもミャンメイを気に入っているが、きっとサナのほうが気に入っているはずだ。

 自分が外に行った時でさえ、彼女のもとから離れなかったのだ(ちょっと寂しかった)。気に入っていないはずがない。

 ではこのようなとき、兄はどうすればいいのか。

 颯爽と現れてサナの願いを叶えればいいのだろうか。

 それはたやすい。自分ならば一瞬でカブトムシを破壊できる。


 しかし、それではもったいない。


 サナが成長しようとしている今、こんな苦しい感情を抱いている今、それを最大限に活用すべきだと考える。


(ミャンメイ、オレは君に一つ問わねばならない。サナのために死ねるか、と)


 サリータにも問うたが、サナの周囲にいる人間には、一つだけ絶対に問わねばならないことがある。




―――「サナのために死ねるか」




 と。


 残酷だが、アンシュラオンのすべてはサナのためにある。

 そう誓ったのだ。それが生き甲斐なのだ。

 そのためには他の女性をすべて犠牲にしてでも、サナを優先しなくてはならない時がある。

 仮に今、彼女に生命の危機が迫っていたとしても、サナの成長にとって重要な局面ならば、それを利用することも辞さない。


(君はなんと答えるだろうか。だが、どちらにせよオレは、サナを最優先に考える。すまない。もう少し待たせることになりそうだ。もし君が死んだら…オレの中の哀しみとして永遠に残すことを誓おう)


 なんという非情。薄情。自分勝手。

 もしこんな男が主人だったら絶対に嫌だ、と思う者もいるだろう。

 それならば、それでいい。他の主を探せばいいだろう。


 されど、これが条件。


 アンシュラオンという魔人に従うための、とてもシンプルな条件。

 これを誓えなければ、どんなに優れた力を持っていても身内に入れるわけにはいかない。

 思えばロゼ姉妹やシャイナには訊いていない気がするが、そのあたりは勝手に条件に承諾したと考えておこう。

 どちらにせよ彼女たちは、自分の庇護なしでは生きてはいけないのだ。それくらいは受け入れてもらうことにする。



 よって、ここはサナが敵を倒すのを待つことにした。




461話 「異変感知 後編」


 サナの成長が目の前にあるのだから、それを優先するのは当たり前。

 その判断に、いっさいの迷いもブレも存在しない。ほぼ即断である。


 ここにアンシュラオンの確固たる信念が垣間見えた。


 戦闘以外にまったく生きざまが見られない男であるが、唯一にして絶対なのがサナという存在だ。

 結局、自分独りならば生きる理由もないのだ。

 普通の人生が嫌で、あえて違う人生(転生)を選んだのだから、そこで出会ったサナのために生きることが、今の自分にとっての『生』そのものだ。

 そして自分の期待に応えて、彼女は少しずつ強くなっていっている。

 だが、まだまだ足りないものがある。

 こればかりは、どうあがいても簡単には手に入れられないものだ。



―――戦闘経験値



 である。


 魔石を得て高い身体能力を手に入れたサナは、レイオンに勝てる可能性が十分あった。

 能力値と爆発力だけを見た場合、下馬評ではサナのほうが評価は上になるだろう。

 されど、結果は知っての通りだ。


 勝負を分けたのが、戦闘経験値の差である。


 魔石の力に頼って、ただ攻撃だけに集中していたサナの様子を見たレイオンは、状況に合わせて戦い方を変えていた。

 危ないと見るや即座に下がり、ひたすら防御に徹したのだ。それによってサナの息切れを誘発させることに成功する。

 ボクシングではないが、秒殺でもしない限り、戦いは12ラウンドまで続くと思ったほうがいい。

 その間にさまざまな展開があるだろう。攻めるときがあれば引く場合もあるし、回復に専念するときだってある。


 そういった適切な判断を、【相手ごとに切り替える】ことが重要なのだ。


 事前に戦う相手がわかっているわけではない。現実では、今回のように突発的に戦うことのほうが多いだろう。

 自分のように『情報公開』を持っているわけでもない以上、戦いながら致命傷を負わずに、その分析をしなくてはいけない。

 そう、どんなときでも、である。

 たとえ疲れていても焦っていても、それを怠っては勝利は掴めないのだ。



「…はー! はー!」


 サナは疲弊した身体を必死に動かしながら、刀を振るう。

 ガキィイインッ!

 刃は硬い外装に弾かれて、多少の傷を作っただけにとどまる。


「…ふー! ふー!」


 それに苛立ったのか、さらに激しく斬りつける。

 ガンガンッ ガキィンッ!

 しかし、装甲が厚くて再び弾かれる。


「…ふーーーー! ふーーーー!」


 ガンガンガンガンガンガンッ!!

 変わらない現状にさらに苛立ったのか、滅多打ちにするが装甲は破れない。

 その隙に他の一匹が突進してきた。


 サナは反応が遅れて―――


 ドンッ!


「…っ!」


 弾き飛ばされる。

 だが、猫のように空中で見事に回転して受身を取る。

 くるくる ズザザザザッ!!

 そのおかげでダメージは最小限に抑えられたようだが、不覚を取ったのは事実である。


(これが万全のカブトムシだったら危なかったな。弱った今のサナなら、腕一本くらいはもっていかれたはずだ)


 子供かつ女性のサナは、やはり耐久性に長けているとはいえない。

 魔石を解放しても「あの程度」の耐久値なのだ。

 正直、マキと同等レベルの武人の技を受けたら一発で沈むだろう。

 だからこそ細心の注意が必要だが、そこはまだ子供。あらゆる面で不足が見られた。


(戦いにおいて感情の制御は重要だ。戦気を生み出すために気合を入れる必要があるのに、正しく扱うには制御しないといけないのだから大変だ。そうした戦気術もまだまだだが、なまじ力を得たせいで周囲が見えなくなっている。焦りの感情の発露も原因かもしれない。このあたりは試合でも見られた課題なんだが、そう簡単には解決しないよな)


 今までのサナは弱いからこそ、周囲を良く見て戦っていた。

 しかし、ニットロー戦でもその兆候はあったが、最低限とはいえ力を得た今は、かなり強引に攻撃を仕掛ける癖が生まれつつある。

 それで倒せるのならば問題はないが、実戦がそんな甘い世界でないことは散々述べてきた通りだ。

 しょうがない。これは誰でもぶち当たる壁だ。

 サナの場合は完全な初心者から始めるので、その壁の数が山ほどあるのがかわいそうなところである。


(刀の振り方は良くなった。荒ぶっていても芯を当てている攻撃だ。さすが共鳴を経験しただけはある。しかし、サナ。その攻撃では敵を倒すことはできない。特にそいつに『斬撃』は有効打にはなっていないぞ)


 基本的な攻撃手段は、打撃、斬撃、刺撃の三タイプに分けられる。

 すべての技には、どれかしらの属性が宿っていると思っていい。

 たとえば放出系の戦弾であっても、衝撃を利用したものならば打撃属性に入るので、覇王流星掌もこの属性を宿しているといえる。

 一方、空点衝などの技は、細いビーム状に打ち出すので刺撃に属する。貫手の羅刹なども同じ系統だ。

 この三種には相性が存在し、戦局や相手に合わせたほうが効率的に戦えるのは道理であろう。

 アーブスラットが使った『風域活殺千手』が、打撃、斬撃、刺撃によって構成されていたのは、あらゆる攻撃に対応するためである。ちゃんと意味があるのだ。


 そして装甲が厚い相手に、斬撃は不利な傾向にある。


 もちろん圧倒的な斬撃ならば、どんなに強固な鎧だろうが簡単に切れるわけだが、実際にそれをやるのは難しいだろう。

 この場合、打撃のほうが有効打になることが多い。

 たとえば戦国時代の長槍も突くのではなく、相手の鎧を『叩く』ために使われたというように、衝撃を内部に伝えたほうが有効だったのだ。

 サリータが硬い装甲を持つヤドイガニにハンマーで攻撃したように、メイス等の打撃武器は重鎧に効果的である。

 最終的に相手を殺すために武器と技があるのであって、目的に応じて使い分けたほうが効率が良い。


 そして今のサナは、斬撃しか使えないので有効なダメージをカブトムシに与えられないでいる。


 剛斬は出すが、これも結局は斬撃であり、装甲の素材自体が強く、なおかつ戦気を遮断する性質であるロボットには、なかなか決定打にならない。

 それで焦りが募って、動き全体にも隙が生まれつつある、という芳しくない状況に陥っていた。


(いろいろ成長していても、まだまだ子供だ。学ぶべきものは多いな。だが、実戦で学ぶチャンスがあるのは幸運といえる。…さて、このままだと時間が経つばかりだ。平時ならばじっくり眺めていたが、さすがに今回は何時間もかけるわけにはいかない。ヒントくらいはあげてもいいだろう)



「ちょっと待っててね」


 アンシュラオンはマザーとニーニアを下ろすと、腰からダガーを抜く。(まだ抱っこしてた)

 包丁はミャンメイにあげてしまったので、市販されている普通のダガーである。

 生粋の剣士ではないので得物にこだわりはなく、剣気を出せる刃物であれば何でもいい。


 そして、剣硬気。


 ブゥウウンッ


 まるでレーザーソードのように戦気が伸びて、光の刃となる。

 これはもう珍しいものではないだろう。かなり初期から使っている技なので説明は不要だ。

 ただ、今回はそこにもう一段階の要素を加える。

 
 バチバチバチッ


 戦気で出来た刃に別の要素―――【雷】を宿す。


 剣王技、雷鳴斬。

 ガンプドルフが使った技で、剣に雷気をまとわせて攻撃する因子レベル1の技である。

 それを剣硬気に応用すると『剣硬雷気《けんこうらいき》』という技になる。

 単純に雷気を固めて作った刃と思ってもらえればいいだろう。

 雷属性がないアンシュラオンが使っても、威力としては普通の剣硬気と大差はないので、普段はまったく使う必要性がないものだ。

 感電させる目的ならば、これよりも雷神掌のほうが出が速いし楽である。


 では、なぜこれを出したのかといえば―――


 剣硬雷気をさらに伸ばし―――壁に突き刺す。


 ザクッ! バチバチッ


 極めて強固なはずの壁に、あっさりと剣気が突き刺さる。

 アンシュラオンがやった行動は、たったそれだけだ。

 しかし、これで十分目的は達せられた。



 事実、サナは―――見ていた。



「…じー」


 苦戦中とはいえ、突如出現した巨大な戦気をサナが見逃すはずもない。

 カブトムシの攻撃を切り払い、間合いを取って剣硬雷気を観察している。

 まだサナに剣硬気は使えない。ちゃんとした雷爪も扱えないくらいなので、剣硬雷気を維持するだけの力量はない。

 それでも『意図』は伝わる。

 アンシュラオンにサナの気持ちがわかるように、彼女も自分の気持ちがわかるのだ。


「…こくり、ふー」


 サナが、ひと呼吸。

 一旦下がって、間を置いたのだ。

 無理に交戦せず、刀をしっかり構えて防御重視の構えを取った。


「…ふーー、ふー、…すー、すー」


 そうしている間に、次第に呼吸が落ち着いてくる。

 武人の戦いは激しいがゆえに、こうした一瞬の休息が非常に重要な要素になってくるものだ。

 ボクサーが、たった一滴の水を飲むことで力を引き出すように、そのひと呼吸が練気を安定させる。


 サナの心に、深い静寂が戻った。


 巨大な力が、背後にある安心感。

 感情が少しずつ芽生えてきたがゆえに生じた乱れを、白い力が安定させてくれる。

 黒い力だけでは暴走してしまう力を、白が支える。


 ぎゅっ


 サナは刀を握り締めると、再びカブトムシに突っ込んでいく。

 カブトムシはすでにビームを出せないほど弱っているようで、怖い攻撃といったら丸鋸刃《まるのこ》くらいしか見当たらない。

 その丸鋸刃に至ってもボロボロなのは変わらず、刃がほとんどなくなっていたり、根元からぽっきり折れているものさえあった。

 老朽化というレベルではない。すでに何かと交戦して大破寸前まで追い詰められたといった様相だ。


「…じー」


 サナは相手を観察している。

 カブトムシが極度に弱っていることを再確認し、冷静に相手の攻撃を回避。


 すっとかわして、サナが一気に跳躍。


 ヒューーンッ ガキィイインッ


 カブトムシの上部に刀を突き刺した。

 装甲が厚いので刃は相変わらず通らない。

 そもそも反りのある日本刀での突きは、高難度の技である。今のサナに使いこなすのは難しいだろう。

 しかし、上手く隙間を見つけて、内部に突き入れることには成功したらしい。

 いいのだ。これでいい。それが目的なのだ。



 刀身に―――【雷】をまとわせる。



 バチバチッ バチィイイイイイッ!!



「ピ―――ガガッ!!」


 雷が刃を伝わって、カブトムシの内部に浸透。


「…ぐいっ!」


 さらにサナが出力を上げると―――


 バリバリバリーーン

 ブシュウウウッ ガタンッ


 カブトムシから煙が上がって、そのまま動かなくなった。

 雷撃によって回線がショートしたのかもしれない。あるいは動力となったジュエルを破壊したのだろうか。

 どちらにせよ、この攻撃は相手に有効であると判明した。



(ふむ、やはり有効なようだな。精密機械が雷に弱いってのはセオリーだ。これを確認できただけよかったかな)


 当然これはアンシュラオンの想定内の事態である。

 自分が倒した時は戦弾や拳で倒してしまったので、属性という意味では実験できなかったが、多分に漏れず雷には弱いらしい。

 実際のところ、雷撃は非常に有用なスキルである。

 戦車や装甲服の一部には補助回路が積まれていることもあるため、それを潰してしまえば動きが一気に鈍くなるか、そのまま行動不能になる可能性が高い。

 ガンプドルフが乗る巨大ロボット、魔人機(通称MG)に至っても、AIを搭載しているので雷撃には弱い傾向にある。

 もちろん装甲板は耐雷仕様にはなっているが、直接流されれば危険なのは変わらない。

 そうした『対軍隊』という意味で、サナは極めて優秀な力を得たことになる。

 もし衛士隊と戦闘になっても遅れを取ることはないだろう。むしろ相手にしてみれば天敵である。



 サナはその後も、雷刀を使って二匹のカブトムシを圧倒していく。

 たとえ斬撃で切れずとも、雷撃を上手く当てていけば相手の動きを制限できるので、圧倒的に有利になるのだ。

 アンシュラオンが剣硬雷気を見せた意味を、しっかりと理解している。

 そう、これこそがサナの本来の長所だ。


(よし、落ち着いてきたな。彼我の戦力を冷静に分析できるのが、お前の最大の力だ。ただ雷を放出するだけでは力が分散することになり、消耗も激しくなる。だが、媒体を通して発動させれば、必要な分だけ力を扱える。今の弱った状態が奏功したな)


 サナは今、雷の出力が弱った状態にある。

 もし全力が出せたら、レイオン戦のように落雷や雷爪を使って倒していただろう。

 しかしながら、それでは消耗が激しいこともすでに判明している。

 あんな戦いをしていたら即座にグロッキーだ。継戦能力が一番大事だと教えている初期鍛練において、あまりよろしくない状態と憂慮していたものだ。

 それがこの幸運。

 ピンチがチャンスとは真実だ。出せる力が少ないからこそ、それを上手く活用する方法を学ぶチャンスが与えられたのだ。

 サナに無駄なプライドがなかったことも幸いだった。

 レイオンに善戦したことで調子に乗るような普通の人間だったら、なかなか現実を認められなかったに違いない。

 やはりサナは素直だ。だからこそ成長も早い。




462話 「マザーの予感」


 サナの飲み込みの良さは相変わらずだ。

 彼女は言葉を話さない分、感覚でダイレクトに物事を把握する。

 それが『五感強化』によってさらに拡大強化され、こちらの意図を的確に見抜くのだ。

 そのことにアンシュラオンが軽い感銘を受ける。


(いいなぁ…そうだ、そうなんだ。これがオレの求めていたものだ。オレの言う通りに動き、その期待に応える。サナ、お前はやっぱり最高だよ)


 育てる喜びに勝るものはない。

 RPGやSLGだって、キャラを少しずつ鍛えていくから面白いのだ。

 特にこうしてメキメキと伸びている時期は最高だ。心臓の高鳴りと興奮を隠しきれない。

 強くなりすぎてしまった自分にとって、サナの成長こそが最大の悦びであった。


(『早熟』という点が若干気になるが…まあ、それはいいだろう。早く育ったほうが戦力になるのは間違いない。もし早めに育ってしまったら…そうだな。サリータたちの教育でも任せてみるか。サナだって自分の周りの人材は自分でそろえたいだろうしな。その分、オレは新しいスレイブの発掘に集中できるのもメリットだ)


 ちなみに『早熟』スキルは、早い段階でステータスの底が見えるのではなく、レベル上限の半分までは、通常の五割から七割の経験値でレベルが上昇するというものだ。

 その代わり、その後半からは必要経験値が三割増しになるというデメリットがある。

 デメリットに関しては強い魔獣を日々狩っていけば問題ないので、一般人だったサナにとっては、早めに育ったほうがメリットは大きいだろう。

 現状でのサナのレベル限界は「99」なので(また上がった)、50近くまではすぐに到達することになる。

 50がレベル限界の武人も多いので、ここまでくればそう簡単に死ぬことはなくなり、安全性も高まる。

 これもサナの身を案じるアンシュラオンにとってはありがたいことだ。

 そして、ここまでサナが急速に育つことは想定していなかったが、アンシュラオンには最初からある程度のプランがあった。


 それは、【サナ親衛隊】の設立である。


 サナが弱い時には単純に護衛部隊として考えていたが、今こうして強くなってきたことを考慮すれば、普通に運用可能な戦力として持っておくのもいいだろうか。

 サリータを身内に入れたのも、もともとはサナの護衛に使えそうだったからだ。親衛隊は、その発展版である。


(セノアとラノアがどれだけ使えるかだな。最悪はメイドでいいけど、術士の能力次第では組み込んでもいいかな。サリータはどうかな? 正直今のままでは、サナとの差が開くばかりだ。どこかでテコ入れが必要だよな。せめて量産した魔石を使える程度にはなってほしいが…不器用だから心配だな。ううむ、自衛軍を作るにしても戦力が全然足りないな。マキさんだけじゃ駒が足りないし…困ったなぁ)


 はっきり言って、現状では戦力と呼べるほどの人材がいない。せいぜいマキくらいだろう。

 マキにも魔石(スレイブ・ギアス)を与えるつもりなので、それで強化してさらに強くなってもらいたいが、自分の構想では、そのマキと同等クラスの人材が最低でも五人は欲しいところだ。

 もっと言えばガンプドルフくらいの実力者も欲しい。

 その役割はサナ当人に期待するとしても、まだまだスレイブの数を含めて望む水準には至っていない。

 といっても、そんなままならない状況を楽しんでいるのが本音だ。


(まあいいか。簡単に手に入ったらつまらない。サナの強化も始めたばかりだし、天才で早熟といっても、高みに昇るには相当時間がかかるだろう。それなりに本気のオレと組手できるくらいになるには、まだ何年もかかるはずだ。ああ、楽しいなぁ。ドキドキするなぁ。自分のものってのは、どうしてこんなに愛しいんだろうか)


 アンシュラオンは他人のものに興味を示さない。嫉妬も羨望もしない。

 どんなに世間での評価が低かろうが、自分のものだからこそ興味があるのだ。

 それは言葉を発せられないという些細な理由で、安く売られていたサナを選んだことでも証明されているだろう。

 その彼女も、こうして手塩にかけて大切に育ててあげれば立派に強くなっていく。不器用なサリータも、見捨てなければまだまだ成長していくはずだ。

 それでいい。だからこそ面白い。そのギャップがいいのだ。

 今後も好き勝手に楽しくスレイブを集めていく予定だ。あとはそれを邪魔されないように、しっかりとした地盤を作ればいい。

 今はその地盤作り。序盤の資金集めのようなもの。

 資金作りは面倒で大変だが、目的があればそれもまた楽しいものである。




 と、そうこうしている間に、サナが三匹目のカブトムシにとどめを刺していた。


 バチバチバチッ ぶしゅーーー ガタン


 雷刀で内部がショートし、機能を停止させる。

 結局サナは、アンシュラオンの手助けなしにカブトムシ三体を撃破したのだ。

 それだけでも素晴らしい戦果である。


「…はー、はー」

「サナ、よくやったな! さあ、お兄ちゃんのところに飛び込んでくるんだ! いつでもいいぞ!」


 サナの戦闘に満足したアンシュラオンが、両手を広げて待っていた。

 イメージとしては「がんばったな、サナ!」「うん! これもお兄ちゃんのおかげだよ!」「ぎゅーー(抱き合う二人)」である。

 そんなふうに自分の期待に応えたサナを、たっぷり堪能しようと思ったのだが―――


「………」


 かちゃんっ スタタタタタッ

 サナは刀を鞘に納めると、こちらを振り向きもせずに奥に向かって走り始めた。

 どうやら今はミャンメイのことしか考えていないようだ。



「………」



 その結果、取り残される兄。

 両手を広げて万全の態勢で待ち構えていたからこそ、微妙な空気が流れる。

 後ろで見ている、マザーとニーニアの同情の視線も痛い。


「…こ、こほん。ううん。まあ、サナも成長しているようで何よりだね。うんうん。お兄ちゃんは嬉しいよ」


 少し大きめな独り言で、その場を誤魔化す。

 だが、内心はちょっと泣きそうだ。


(くおー、サナー! お兄ちゃんを置いて、どうして先に行っちゃうんだよーー! うおおおお! サナーーー! サナァアアーーーー!)


 ちょっとじゃなかった。すごく泣きそうだった。

 五秒くらいショックで動けないほど泣きそうだった。

 だが、サナに悪気がないことはよくわかっているので、なんとか立ち直る。


(うう、サナってけっこう近視眼的というか、一つのことに集中すると周りが見えないんだよな…。それだけ必死になっているってことを喜ぶべきかな。…さて、それはそうと)



 アンシュラオンが、動かなくなったカブトムシを見る。


「しかしまあ、なんでこうも毎度出てくるんだか。しかもボロボロだしな…」


 軽く小突いてみたが、まったく反応しなかった。

 すでに半壊状態だったことを思えば、動いていたこと自体が奇跡だったのかもしれない。


「入り口で遭遇したのとタイプは同じみたいだ」

「これがあなたが言っていたロボットというやつね。たしかに戦闘用の兵器みたいね」

「へー、こんなの初めて見ました」


 マザーとニーニアも驚いたようにカブトムシを眺める。

 ただし、ニーニアはこんな危険なものが近くにあったことに驚いているのだが、マザーはまた違った視点でそれを見ていることに違いがあった。

 各所に搭載されている『武装』を確認したマザーが、改めてカブトムシを分析する。


「中身は…当たり前だけど人は乗っていないわね。となると、かなり高度な無人兵器ということになるわ。こんなのカーリスの軍隊でも持っていないでしょうね」

「カーリスに軍があるの? 宗教組織だよね?」

「あるわよ。公にはロイゼン神聖騎士団という扱いになっているけれど、実質はカーリスの軍隊と呼んでかまわないわ。カーリス発祥かつ国教の国ですもの。そこは切り離せないのよ」


 宗教と聞くと危ないイメージが湧くが、所詮は思想の違いにすぎないので、宗教組織が武装するのはおかしいことではない。

 実際にカーリスは独自に軍を持っているうえ、国家であるロイゼン神聖王国と戦力を共有している。

 ロイゼン自体は世界地図でいえば中央北の島国であり、西側には属していない独立した国家であるが、西側からも距離が近いため最新の近代兵器を多く導入している大国でもある。

 地理上の雰囲気は、日本から見たオーストラリア、といったところだろうか。

 オーストラリアも日本の二十倍くらいの国土を有するし、この星が地球の四倍以上の大きさなので、ロイゼン神聖王国がどれだけ大きいかがよくわかるだろう。

 この時代にはまだ国際連盟は存在しないが、現状でも常任理事国と同程度の発言力と軍事力を保有している先進国である。


「どんな兵器があるの? 戦艦もある?」

「戦艦もあるわ。兵器に関しては一般的な銃火器が中心だけれど、基本はやっぱり武人の騎士になるのかしら」

「集団戦闘…軍隊と軍隊の戦争ってどんな感じ?」

「基本は艦船の砲撃ね。それから騎士が乗り込んで白兵戦闘をする、というのが通常の戦いらしいわ。私もそれほど詳しくはないのだけれどね」

「なるほど…戦艦と武人が主力なんだね」


 この世界では戦艦と同レベル以上に、武人が大きな力を持っているようだ。

 考えてみれば当然だ。人間自体が柔軟かつ強靭な生物なので、上手く運用できれば最大戦力になるだろう。


(雰囲気的には中世の海上戦闘…といったところかな? 砲撃で応戦しながら、乗り込んで制圧。うん、そのイメージがぴったりだ)


「神機はあるの? 戦争に使ってる?」

「神機のことも知っているのね…」

「まあね。逆にそれくらいしか知らないけどね」

「神機は…あるわ。カーリスの守護者たる『シルバー・ザ・ホワイトナイト〈信仰に殉ずる白き騎士〉』がね。私も実際に動いたのは見たことはないけれど、代々白騎士に選ばれた高名な剣士が乗るそうよ」

「へー! 面白い! それって野良じゃない神機のことだよね。強いのかな? 素手で倒すのは大変そう?」

「とてもとても無理よ。神機は神機でしか対応できないわ。あるいは、そのレプリカの魔人機じゃないと対等には戦えないわね」

「ふーん、そうなんだ。魔人機…か。師匠が言うには『玩具』らしいけど、それなりに使えるのかな?」

「魔人機を玩具呼ばわりなんて、随分と豪胆な師匠ね」

「まあ、ハゲだしね」


 そこは関係ないと思うが、陽禅公が若い頃は武者修行で各地の武人を倒して回っていたという。

 その際に素手で魔人機も撃破しているそうなので、アンシュラオンの中では野良神機以下という程度の扱いでしかないし、実際にその場合が多い。


 と、多少脱線してしまったが、カーリスが世界有数の大きな軍を保有していることが重要だ。

 その内情を知るマザーが、こんな兵器は見たことがないと言っているのだ。


「無人機って概念はあるんだね」

「ええ、遺跡から発掘されることが多いから、それをベースにして研究は進められているわね。ただ、実用化には至っていないと聞くわ。結局、武人を運用したほうが効果的で安上がりになるという話ね」

「それを言ったら身も蓋もないね。人間は放っておいても増えるし、サナでもこれくらいの相手は倒せるわけだから、武人を育成したほうが早そうだ」

「これはその中でも良質なほうじゃないかしら。これほどまでに良い状態で残っていることのほうがすごいわ」

「ボロボロだったよ?」

「動くだけでもすごいのよ。普通は機能を完全に停止して、もっと不完全な状態で発掘されるものですもの。動いているものは極めて貴重よ。グラス・ギースが未発掘の辺境だからかしら? これだけでも大発見かもしれないわ」

「学術的に価値があるのはわかったけどさ、マザーたちがこいつらを見るのは初めてなんだよね?」

「そうね。こんなものを最初に見ていたら、あんなに穏やかには暮らせないわ」

「じゃあ、なんでオレたちの前にだけ出てくるの?」

「…さぁ? 好かれている…のかしら?」

「もしそうだとしたら、まったくもって迷惑な話だよ」


 どちらが先に攻撃を仕掛けたのかはわからないが、カブトムシの攻撃の苛烈さを見る限り、サナ単体でも彼らが反応することは間違いないようだ。

 なればこそ、その基準がまったく不明である。

 なぜ自分たちだけに反応して、マザーたちには反応しないのか。

 好きで絡まれるわけではないので、そこに理不尽な感情を抱くのは仕方ないだろう。


「さすがにそれはわからないけれど…遺跡があなたたちを『怖がっている』のかもしれないわね」

「怖がる?」

「だって、これほどボロボロなのに立ち塞がるって、相当なものじゃないかしら? まるで巣穴に侵入された虫や動物のような反応だわ」

「…なるほど。そういう見方もあるか。たしかに遺跡側からしたら、オレのほうが外敵ということになるね。あくまで敵対関係にあるという前提が必要だけど」


 彼らの行動は、虫の巣に外敵、それも『天敵』が侵入した場合の反応によく似ていた。

 侵入された側は存亡がかかっているので、もう必死になって戦うしかない。

 怪我をしていようが今にも死にそうだろうが、戦力になりそうなものを次々と戦闘に投入して、少しでも時間を稼ぐ。あるいは相打ち覚悟で潰そうとする。


(これだけの数があるということは、このカブトムシは『兵隊』ということか。ならば、こいつらが守る何かがあるってことなのか? 虫なら…『女王』とかかな? あるいはほかに重要なものでもあるのか? どちらにせよ外敵扱いされるのは面倒だな。さっさとミャンメイを確保して戻ったほうがよさそうだ)


「二人とも、覚悟はいい? この先、何が出てくるかわからないよ? 今なら引き返せるけど…」

「これくらいで驚いていたら、あなたの傍にはいられないのでしょう? 大丈夫よ。自分の身の危険は感じないもの」

「試合会場の魔獣のほうが、よっぽど怖かったです。全然平気です!」

「やれやれ、それだけの覚悟があれば仕方ないね。じゃあ、行こうか」





 アンシュラオンはサナを追う。


 今回もマザーたちは抱き上げられる形になるが、すでに慣れたもので安心して身体を預けていた。

 ただ、そこでマザーはニーニアの言葉に引っかかるものを感じていた。


(試合会場の魔獣…か。たしかにこの無人兵器より、あちらのほうが怖ろしかったわね)


 もちろんニーニアは、なんとなしに言っただけだろう。そこに深い意味はなかったはずだ。

 だが、その言葉は実に的確に現状を表しているように思えた。


(あの巨大な力の塊。あれはまさに暴力の塊であり、『暴力の化身』と呼べる存在だったわ。だって、遺跡の結界すら破壊してしまうのですもの。それがトリガーになった可能性はありそうね)


 マザーも地下で暮らしてきて、ずっと気になっていたことがある。

 この地下が、なぜ『暴力禁止』となっていたか、だ。

 そこまで徹底して管理しながらも、なぜ闘技場や多少の暴力は容認されていたのだろう。そこに矛盾を感じていた。

 だが今、その答えが少しわかった気がした。


 それは、【より巨大な暴力の存在】を生み出さないためだったのではないか、とも考えられるのだ。


 大きな物の見方をすれば、闘技場で数十人程度の人間が死ぬことは、さして大事ではない。

 いざ戦争や内乱が起これば、何万人と死ぬのだ。この程度の数で済めば十分「安全運転」といえるだろう。

 だが、黒雷狼のような存在は、まさに人類にとって脅威になりうる存在だ。大事件である。

 それに遺跡が反応した可能性は極めて高い。なにせ今まで五年間、こんなことは一度もなかったのだ。

 それがアンシュラオンが来てから数日でこうなった。明らかに異常であり、彼に反応しているのは間違いないと推測できる。

 こうなると遺跡の評価が【逆】になるのだが、当人はまったくそのことに気付いてはいないようだ。


(ふふふ、白い王様と一緒にいると飽きないわね。久々に血が燃え立つようよ。もしかして若返っちゃうかもしれないわ。これからが楽しみね)


 刺激は人に若さを与える。

 結婚して小さくまとまってしまった人は、急速に老けていくが、独身で常に冒険心に満ちている人は、いつまでも若く見える。

 どちらがいいとは一概にはいえないが、マザーにとって刺激的な日々が始まることは確実であった。




463話 「マザーの能力って、やっぱり便利だよね」


 アンシュラオンたちがサナと合流したのは、あのエレベーターの部屋でのことだった。


 行き止まりではあったが、サナは何か仕掛けがあることは勘付いたのだろう。

 いろいろと周囲のものを触りながら、打開しようと四苦八苦していた。

 しかし、なかなか変わらない現状に苛立ったのか、至る所を刀で切りつけるといった奇行も見せた。

 パズルが上手くいかない子供が、癇癪を起こしてひっくり返すようなものだ。

 あるいはゲーム機の電源を切ってしまったり、最悪はゲームソフトを割ってしまうこともあるだろう。

 若い頃にはよくありがちな光景であり、彼女がまだまだ「幼い」ことを如実に示していた。


(ふむ、やはり自分で何かをやるのは、まだ苦手なようだな。大人びて見えるのは単に感情が希薄なだけであって、実際にはこれがサナの現在位置というわけだ。実際の精神年齢は、一歳か二歳くらいか? まあ、もともとがまだ子供だからな。当然の話だろう。むしろこういう姿を見ていると安心するな…)


 以前から言っているように、サナは言われたことに対しては極めて忠実で効率的な動きをする。

 だが反対に、自分からアクションを起こすことは苦手としている。

 自分で考える力が非常に弱いのだ。

 さきほどのように方向性を示してやれば、即座に解答を導き出せる理解力はあるのだが、そこに至るまでの過程がからきし駄目だ。

 役所の人間が、命令されたこと以外はやらないのに似ているだろうか。

 誰が考えてもおかしいことなのに是正せず、淡々と誤った命令通りに動く人形のような状態になる。

 つまりは思考していない状況、【意思がない状態】に陥るわけだ。


 意思がなければ自分で考えることはしない。

 最初の動機が存在しないので何もしないし、何もできない。

 今までのサナはその状態だった。

 その彼女に感情が多少芽生えたとはいえ、すぐに制御ができるわけがない。

 事実、サナはまだ十歳程度の女の子だ。そこまで求めるのは酷であり、不可能だろう。


 そして、そんなサナに対して、アンシュラオンは安堵感すら抱く。

 子供だからこそ日々成長する姿に感動するし、まだまだ自分の力が必要だと感じるからだ。

 サナは庇護欲を刺激してくれる最高の存在でもあるわけだ。



(大丈夫だ! お兄ちゃんがいるぞ! ほら、おいでおいで!)


「…? …とっとっと」


 アンシュラオンがサナに「おいでおいでオーラ」を放つと、それを感じたサナが走り寄ってきた。

 今度はしっかりと自分の存在を把握して、真っ直ぐにやってきてくれたのだ!!


「…ぎゅっ!」


 ぐいぐいっ ぐいぐいっ!

 それからアンシュラオンの服を掴むと、何度も強く引っ張る。


「…じー」


 さらにアンシュラオンの目を、ねだるように見つめる。

 その姿は、兄あるいは父親の助力を求める娘に似ていた。

 表情こそ変わらないが、切実に自分を頼っていることがよくわかる。


 それに―――身悶える。


(ああ、サナ! 可愛いよ、サナ! 可愛い、可愛い、可愛い! こんな可愛い子は、この世界のどこにもいないよぉおおおおおおおおおおおおお!!)


 なでなでなでなでなでなでなでっ!

 すりすりすりすりすりすりすりっ!

 思わず抱きしめて、その艶やかな黒い髪をナデナデスリスリする。

 何度撫でても飽きない。やはりサナは絶品だ。可愛い。最高だ!


「…ぎゅっ、ぎゅっ」


 ただ、サナは早くなんとかしてほしいのか、催促するように服を引っ張り続ける。


「わかった、わかった。すぐにやるから。な?」

「…こくり」

「えへへ、サナちゃんに頼られちゃったよぉー。がんばらないとなー!」


 さきほどの無視もあったので、なおさら心がトロットロである。

 もうサナが可愛くて可愛くて仕方がない。だからこそ期待に応えねばならない。

 冷静に考えると、完全に手の平で転がされているような気がしないでもないが、相手がサナなので他意はないだろう。

 仮にそうでも、可愛いからいいのだ。

 可愛いサナは正義だ!


「…すぅ」


 すると安心したのか、サナから力が抜けていくのがわかった。

 そのままアンシュラオンに抱きつくように崩れ落ちる。


「おっと。さすがに無理をしすぎたな」


 アンシュラオンがサナをキャッチ。抱っこする。

 目覚めたばかりで全力疾走しただけにとどまらず、カブトムシとの戦闘もあったのだ。

 疲れて当然。消耗して当たり前である。


「ジュエルの明滅も弱まっているか…。これって大丈夫なのかな? エネルギーって尽きたりしないかな?」


 何事も無尽蔵な力というものは存在しない。魔石の力も有限のはずだ。

 サナはかなり無理をしているので心配になる。

 そこにマザーがやってきて、ひょっこりサナの魔石を覗き込む。


「魔石はそれ自体が意思を持つものだから、放っておいても自然とエネルギーを回復させるわ。それにあなたが作ったものならば、任意でエネルギーの補充もできるかもしれないわね」

「そんなことができるの?」

「ええ、普通のジュエルと同じね。エネルギーが尽きたら再補充すればいいだけよ」


 一般的に使われている燃料ジュエルにも、当然ながら消費期限が存在する。

 一定以上の力を使い果たしたら、ジュエルが極度に磨耗していない限りは、エネルギーの補充をして再利用される。

 魔石もそれは同じだ。タイプによっては補充してやらないと回復しないものもあるため、そのあたりでジュエルのランクが関係してくる。

 サナの魔石はアンシュラオンが作ったものかつ、命気を吸収できる性質を持っているので、原理的には自分の好きな時に補充が可能だと思われた。


「また黒い狼になったりしないかな?」

「それは…保証はできないけれど、過度に力を与えなければ大丈夫のはずよ」

「そっか。また出たら倒せばいいし、とりあえずやってみようかな」


 じゅわわっ

 アンシュラオンが命気を生み出して、サナの魔石にまとわせてみる。

 すると―――


 パチパチパチッ じゅわーーー


 弾けるお菓子のような小さな可愛らしい音を立てて、これまた小さな雷が発生。

 それが命気と絡み合って、少しずつ力を吸収していく。


「おー、吸う吸う! 美味しそうに吸うなー!」


 その姿は、チュールをもらった猫のようだった。

 ぺろぺろと無心になって吸う姿は、なかなか可愛いと思える。

 そして、数秒それを続けるとジュエルの輝きがひときわ大きくなり、また静かで深みがある色合いに戻っていった。

 ジュエルの中の金糸が太く大きくなったのは、気のせいではないだろう。

 しっかりと力を吸収した証拠である。


「それくらいなら問題なさそうね。魔石の状態も良さそうだわ」


 マザーのお墨付きも得たので安心だ。

 黒雷狼は全力に近いアンシュラオンの戦気を使って生まれたモグマウスを、百体以上吸って生まれた存在である。

 それと比べると今回は本当に微量なので、魔石が黒雷化することはないだろう。




 これによって、サナの魔石は安定。


 彼女自身はまだ疲れが残っていて、自分の腕の中でじっとしているが、魔石から力を分けてもらえれば回復も早まるだろう。


(サナのことは、これで安心だ。さて、次はこの部屋をなんとかするわけだが…オレもここにやってくるのは初めてだからな…。行き止まり…じゃないよな。この感じは)


 サナに格好良いところを見せたいが、実際のところはアンシュラオンもよくわかっていない。

 探るように周囲を見回す。

 一見すれば、ただの何もない空間だが、アンシュラオンの目にはしっかりと「ヒント」が映っていた。


(かろうじて『痕跡』が残っているな。カスオがここにいたのは間違いない)


 呪印からこぼれた、かすかな気配がまだ残っていた。

 本当に微細なものなので自分でなくては追えないものだが、カスオが辿った経路がわずかに見えた。

 それは入り口から入って、中央やや奥にある台座に続いていた。


(台座…か。明らかに怪しいよな)


 こんな何もない部屋に、ぽつんと台座があれば誰だって気になるだろう。

 アンシュラオンは、サナを抱っこしながら台座に向かう。


 台座には、複数のジュエルが植えつけられていた。

 それほど複雑な造りではないが、迂闊に触っていいのか判断に困る。


(訳のわからないものに触るのは嫌だな。何か法則性がわかればいいんだが…)


 世の中には、いきなり触って確かめる方法を好む人間もいる。

 アンシュラオンもどちらかといえばそのタイプだが、遺跡の装置となると危険性のレベルが違う。

 ネットで危険なサイトに行くだけでも心配になるのに、この状況で簡単に触るのは心情的にも憚《はばか》られる。


「ちょっと見せてもらってもいいかしら?」


 そんな時である。再びマザーが助け舟を出してくれる。


「わかるの?」

「知識はないわ。こんなものは初めて見るもの。だから【調べる】のよ」


 マザーは自分の魔石、テインヂュ・ザ・パール〈連鎖と浸透の清眼〉を取り出すと、ジュエルに近づけては何やら頷いている。


「何をしているの?」

「ジュエルの機構を解析しているのよ」

「それって、サナのときにもやった、ジュエルの効果を見極める能力?」

「そうね。そのジュエルの中身、機能等を分析する力よ」

「改めて聞くと、かなりすごい能力だよね。発見した謎のジュエルとかの中身もわかるわけだよね?」

「物によるかしらね。この魔石のレベル以上のものは完全には解析できないの。サナちゃんのジュエルも完璧には解析できていないのよ。わからないところ、ブラックボックスには蓋をして、安全なところだけで動かしているだけにすぎないもの」

「それができるだけでもすごいよ。そっか、これがサポート系の能力の凄さか。いいね」


 自分の能力は、生粋の戦闘系である。

 命気という癒しの能力はあるが、あくまで戦気の気質の変化にすぎないし、万能とは程遠い。

 それと比べて、マザーの能力はサポートに特化している。

 補助役は軽視されがちだが、あるとないとでは利便性に大きな差が生まれるだろう。

 山を登るためには地図とルートを熟知する必要があるのと同じだ。

 何も知らなくても登れなくはないが、あったほうが遙かに確実で安全である。


(マザーの場合は、調査・分析系かな? これってすごく重要な能力だよね。『鑑定』というものもあるけど、分析したうえで制御できるのってが極めて大きな力だ)


 今まで戦闘のことしか考えていなかったアンシュラオンにとってみれば、マザーという人材は非常に有用だ。

 改めて彼女が仲間になったことをありがたいと思うのであった。



 それから数十秒で、マザーの解析が終わる。


「わかったわ」

「早いね」

「簡単な機構だったもの」

「それがわかるのがすごいのさ。で、どうだった?」

「移動装置だと思うわ。これが制御のジュエルね」

「移動…か。まあ、ここにいないってことは、それしかないよね。動かせそう?」

「ええ、問題ないわ。絶対に安全とは言えないけど…どうするかしら?」

「マザーを信じるよ。動かしてもらえる?」

「でしゃばった真似をしてごめんなさいね」

「いやいや、助かったよ。マザーの力もオレの一部だから、そのあたりはまったく気にしないさ」


 特にこの遺跡に興味もないので、潔く彼女の力を借りることにする。

 「お兄ちゃんに任せておけ」は、「お兄ちゃんの金と人材をフル活用するからな!」という意味でもあるので、これもけっして間違いではないはずだ。

 自分のものであるマザーが解析したのならば、それはつまり自分の功績でもあるのだ。

 かなり強引な理論ではあるが、結果が伴えば何でもいいだろう。




 ウィイイインッ


 がくんっ


 マザーが台座を操作すると、エレベーターが起動した。

 ふわっとミャンメイも感じた浮遊感に包まれる。


「おっ、これはエレベーターかな? 降りている感じがするね」

「そう感じるのも仕方ないけど、ジュエルを解析した限りでは『転移』術式の系統だと思うわ」

「転移? 瞬間移動ってこと?」

「そうね。部屋が移動しているのではなく、『切り替わっている』と考えたほうが正しい表現かしら。厳密な原理はわからないけれど…」

「転移って、この世界で一般的なものなの?」

「とんでもないわ! 極めて難しい術式よ。生身の人間で自在に転移を操れる者がいるとしても、世界中で数人といったレベルでしょうね」

「それを遺跡が機械的に実現させているってことか。となると昔は、こういう術式も普通に使われていたと考えるべきだよね。あのカブトムシもそうだけど、昔のほうが文明レベルは高かったわけだね」

「…ええ、そうね。過去の技術、すでに失われた文明の技術には、転移が可能なものも多かったそうよ。これも考古学者たちの領域だけれど、神機が残っている以上、あながち嘘ではないわね」


 神機自体が、過去の文明によって生み出された戦闘兵器である。

 現在ではレプリカの製造までは進んでいるものの、神機自体を生み出すことには成功していない。(WG以外)

 そこに絶対的な技術力の差があるわけだ。


(過去のほうが技術力が優れていたってのは、なかなか面白いもんだな。ファンタジーゲームでは、よくありそうな設定だしね。さて、この下には何があるのかな? いや、下かどうかもわからないのか)


 アンシュラオンたちは、さらに奥に進む。




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