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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第七章 「収監砦」 編 第二幕


444話 ー 453話




444話 「決着、レイオン戦 後編」


(逆にサナの身体能力の向上が著しいと考えるべきだ。あのレイオンとまともに戦っているんだから、凄まじい変化というべきだろう。ステータスがそれを物語っている)


 アンシュラオンの目は、しっかりとサナの強さを測定していた。

 ここでも情報公開を欠かさない。

 そこには驚愕すべき能力値が見受けられた。


―――――――――――――――――――――――
名前 :サナ・パム 【ジュエル解放】

レベル:15/99
HP :380/380 → 530/880(+500)
BP :160/160 → 430/560(+400)

統率:E → D(+1) 体力:E → B (+3)
知力:E         精神:E → B (+3)
魔力:E → B(+3) 攻撃:E → B (+3)
魅力:A         防御:E → B (+3)
工作:E         命中:E → B (+3)
隠密:E         回避:E → B (+3)

【覚醒値】
戦士:1/4 剣士:1/4 術士:0/4

☆総合:第八階級 上堵《じょうど》級 雷人

異名:白き魔人に愛された意思無き闇の少女
種族:人間
属性:闇、雷
異能:トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉、エル・ジュエラー、観察眼、天才、早熟、即死無効、闇に咲く麗しき黒花
魔石:雷狼化、雷技限界突破、雷属性付与、雷迎撃、小型障壁、精神保護、五感強化、感受性強化、HP+500、BP+400、統率+1、魔力+3、体力+3、精神+3、攻撃+3、防御+3、命中+3、回避+3
―――――――――――――――――――――――
※本来データは上乗せされたものだけが載るが、わかりやすくするために便宜上このように表記している。


 これが現状でのサナの情報である。

 はっきり言って、とんでもない性能と言ってよいだろう。

 まず何よりも身体能力の向上が著しい。データになると一段と際立っている。


(HPの低さに目を瞑れば、ステータスだけならばプライリーラと同格だな。マキさんすら上回る数値だ。サンダーカジュミロンの力が上乗せされているんだ。当然の結果だろう)


 ジュエリストの怖ろしいところは、ジュエルの力を元の能力に上乗せできる点だ。

 特に魔獣から作られた魔石に関しては、元となった魔獣の特性を色濃く受け継ぐ。

 サンダーカジュミロンは、狼という種族から考えても、速度や俊敏性といった身体能力に長けていることがわかるだろう。

 そのうえ攻撃力もあるし、耐久力だって並の魔獣を凌駕する。

 平均的に強いのだ。弱点らしい弱点はない。すべてが高純度かつ高レベルにまとまっている。

 サナもバランス型ということも相まって、能力が全体的に底上げされることとなったようだ。

 戦気の質等さまざまな相違はあるが、素の能力ではプライリーラと大差ない。レイオンの腕を振り払ったことも納得である。


(能力値の+3という値は、つまるところ『300上昇』するということだ。能力が低いうちは特に驚異的な上昇率といってよいだろう。それでも階級が上堵級なのは、おそらく技を覚えていないからだな)


 マキとサナの最大の違いを述べれば、技や『奥義』を覚えていないことが挙げられる。

 第七階級の達験《たつげん》級になるには、上堵級の中でも奥義を修得している者、という条件があるので、そこに達していないサナは、いくら素のステータスが高くてもそれ以上にはなれない。

 現に今も拳が七割、蹴りが三割程度の格闘術しか使わず、覇王技をほとんど使っていない。

 否。

 ほとんど教えていないから使えない。

 このあたりは因子の覚醒率もあるので難しいところだ。

 もし因子レベルが上がって幾多の技と奥義を修得すれば、最低でもプライリーラと同じ王竜級レベルにはなれるだろう。

 そこに経験が加わればアーブスラットに勝てる可能性すら出てくる。

 国家を代表する武人と同レベルになれる資質があるのだ。それだけでもたいしたものといえる。


(さりげなく防御機能も残っているな。レイオンのダメージを軽減しているのも、これらのスキルのおかげか。このあたりは仕方ないかな。ハンデの許容範囲内だろう)


 黒雷狼の『中型障壁』が『小型障壁』に縮小したものの、しっかりと障壁機能も残っている。

 さきほどの巻蝦《まきえび》をくらっても骨が折れなかったのは、この防御機能が発動したことも一つの要因だろう。

 仮に障壁の耐久値がHPの一割ならば、88までのダメージを軽減できることになる。

 HPの少ないサナにとっては非常にありがたい数値だ。これがあるだけでも生存率が上がるに違いない。

 その他、サナの五感も強化されている。

 野生の勘とはよく言うが、そういった周囲のことを感じ取る動物的な感覚が加わり、もともと優れていた観察眼にも磨きがかかっているようだ。

 それによってレイオンの経験に対抗している。対抗できている。

 新進気鋭の新人は、感覚、インスピレーションで勝負するしかない。経験で勝てない以上、どの分野でも同じような構図になるはずだ。


(もう一つ気になることがある。『雷人《らいじん》』…か。初めて見る【因子】だな)


 サナの変化に対しては、いろいろと気になる点があるものの、黒雷狼同様にどうしてもその場所に目が向いてしまう。


 それが因子の覚醒状況―――『雷人』の表記である。


 普通、雷属性の技を使っても因子の覚醒率が変動することはない。戦士ならば戦士のままだし、剣士ならば剣士のままだ。

 それがなぜか変わっている。使う前は「剣士」だったので注目して当然だろう。

 サンダーカジュミロンの雷の性質と融合した結果なのだろうが、実に気になる点である。


(雷人…か。普通ならば『雷神』のほうを思い浮かべるが、オレが元地球人だからかな? 黒い狼といい、なかなか珍しいことになっているもんだ。あれにどういう意味合いがあるのか興味深いものだが…)



 そんなことを考えていると、サナが一歩引いた。

 特に引くような間合いではなかったので不思議に思っていると、サナの右手に雷が集まり出した。


 ばちばちばちっ バチンバチンッ!!


 集まった雷は、サナの拳の数倍以上に肥大化し、彼女の身体とほぼ同じ大きさになる。

 さらに形態が徐々に変化。

 指に合わせたように、五つの突き出した長く鋭い雷が生まれる。


 そのまま―――【雷爪《らいそう》】を振るう。


「なっ…!」


 突然サナがそんなことをしたものだから、レイオンは対応が遅れてしまった。

 必死に後ろに飛び退くも、雷が伸びてきてかわしきれない。

 仕方なくガードするが―――


 ズバッ!! ボボンッ!


 レイオンのガードを切り裂く。

 火体身の炎と防御の戦気ごと腕を切り裂いた。

 かなり深く抉られたのだろう。左腕は骨が見え、肉がごっそり削げ落ちている。それに伴ってかなりの出血も見られる。

 だが、これで終わらないのが怖いところ。

 バチバチバチバチッ!!

 雷の追撃が襲う。


「ぐうううっ!!」


 じゅうううっ

 肉が焼け焦げ、腕が痺れる。


「このっ!!」


 それでもレイオンは反撃。

 比較的傷が浅い右手で戦気掌を放って牽制する。

 掌から広がるように前面に放出された戦気であったが、雷爪はそれすら切り裂く。

 ズバアッ ぼしゅっ

 ズタズタに切り裂かれた戦気掌が消滅。あっさりと掻き消された。

 レイオンの戦気掌は弱くはない。ソイドダディーに迫るレベルにあるだろう。

 それを簡単に切り裂くのだから雷爪の威力が相当高いことがうかがえる。



 これを契機にして、サナが前に出る。



 攻撃にシフトしたのはレイオンだけではなかった。

 サナも攻撃型にシフトし、全力で殺しにかかってくる。

 ペンダントの光が輝きを増し、彼女の周囲に雷が落ちる。


 バリバリバリッ どーんっ! ドドンッ!


 それに伴って再び右手に雷が集まり、雷爪が唸る。


「くっ!!」


 ズバッ!! バチーーンッ!!


 紙一重でかわしたレイオンだったが、迸る雷の追加ダメージで身体が痺れる。

 だが、止まらない。止まれない。

 我慢して足を動かさねば、一瞬で切り裂かれて死んでしまう。


(なんだこの力は!! 防御の戦気がまるで役に立たん! こんなものと打ち合ったら、すぐに死ぬ!)


 必死になって逃げ惑う。

 この大男が一気に逃げの態勢に入るほどに、今のサナは苛烈な攻撃を仕掛けているのだ。

 攻撃の能力値がBになっているサナである。その攻撃はマキにも匹敵する。

 それだけならばまだよかったのだが、【この技】は危険だ。どう見ても攻撃力が倍増している。

 今の様子から、最低でも【倍率二倍以上の技】であるのは間違いない。

 Bは500以上なので、その二倍となれば1000を超える力を持つ。仮に防御無視ならば、一撃くらっただけで半分以上のHPを奪われることになるのだ。

 正直、まともに打ち合うという選択肢が浮かんでこないレベルだ。

 小柄なサナにとって、無手での攻撃力の無さが最大の弱点であった。

 それが雷爪という強力な武器を手にした今、スピードと威力を兼ね備えた「猛獣」となる。


 ブンブンッ!!


 サナが雷爪で攻撃を仕掛ける。

 それに対して、レイオンが戦気掌などを使いながら逃げ惑う。

 そんな奇妙で滑稽な構図が生まれていた。




 その現象に、さすがのアンシュラオンも驚いていた。

 何よりも、その技に見覚えがあったからだ。


(あれは…『雷滅禽爪《らいめつきんそう》』か! なぜサナが使えるんだ!)


 アンシュラオンが愛用する技の一つに、因子レベル3の蒸滅禽爪《じょうめつきんそう》がある。

 これは酸性の水属性を使った技で、切り裂いた相手に対して酸で追加効果を与えるものだ。

 防具の劣化効果もあるので、相手の防御力を奪うことにも使える便利な技である。

 一方、それを雷属性でやると『雷滅禽爪《らいめつきんそう》』という技になる。

 技の形態自体に変わりはないが、雷属性なので感電の追加効果を与えることができる。

 技そのものはかまわない。ソイドダディーが雷火宴武爪《らいかえんぶそう》を使ったように、扱える武人だっているだろう。

 だが、サナの戦士因子レベルは1のままだ。

 足りない。圧倒的に足りない。



 因子が―――足りない!!



 が、ここであることに気付く。

 それは最初に見た時から興味を惹かれていたスキルである。


(スキル欄にある『雷技限界突破』とは、こういうことか! 雷属性限定で因子の制約を受けないってことなのか? だとしたら…チートだな)


 サナのスキルに『雷技限界突破』というものがある。

 初めて見るスキルなので首を傾げていたものだが、この攻撃によって謎が解けた。


 因子レベルを超えて技が使える。


 文字から推測するに雷限定のようだが、もし事実だとすれば、これは驚異的な能力である。

 雷は単体攻撃に優れた技が多く、ガンプドルフが使った雷王・麒戎《きじゅう》剣も一撃必殺の力を持っている。

 あの威力で因子レベル5なのだ。当然、その上位の技も存在し、威力はその数倍のものもある。

 こちらもチートスキルの『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』を持っている自分でさえ、因子レベルを超える技は使えないので、まさにチート級のスキルであろう。


 ただし、世の中に甘いだけの話など存在しないものだ。


 デルタ・ブライトも努力なしでは意味を成さないように、サナのスキルの弱点についてもアンシュラオンは即座に見抜いていた。


(あの雷爪は、厳密に言えば雷滅禽爪ではない。型が出来ていないから不安定で力の大半が外に漏れてしまっている。おそらくオレが使った蒸滅禽爪を見よう見まねで真似したのだろうが、因子レベルが足りないから不完全になっているんだ)


 なぜ、技というものがあるのか。

 それは、効率良く力を維持して安定させるため、である。

 どの技にしても、それが基本技であっても、幾万、幾億という武人の血と汗と涙によって生み出されてきたものだ。

 どうすれば効率良く技を扱えるのかを追求して、ようやくにして完成し、伝承されてきた偉業の集大成なのだ。

 因子レベルに合わせて技が設定されているのは、いわゆるストッパーの意味合いも強い。

 無理をして力を読み込む、あるいは扱えきれない力を望む者に対して制限を設けているわけだ。


 なぜならば―――危険だから


 この危険性については何度も述べてきた。

 血の沸騰が起これば、十秒もたたずに死んでしまうこともあるくらいである。非常に危険だ。


 サナの場合、スキルがあるので技自体はなんとか成立しているようである。

 威力も出ているし、使うこと自体が悪いわけではない。

 が、因子レベルという基本条件を満たさず、加えてしっかりとした型も習わずに使っているので、非常に効率性が悪い。

 周囲に放電が発生していることからもわかるように、一度攻撃するたびに力がドバドバ流れてしまっている。

 雷滅禽爪の使用BPは、およそ15といったところだろうが、その三倍近くは軽く流出しているようだ。

 おそらく一回使うたびに50近いBP消費をしているだろう。

 現状でのサナの最大BPが560であるので、一応は十回前後は使える計算だが、すでに消耗して400強しかない状態では―――




 ズバッ!!


 サナの雷爪がレイオンを切り裂く。


(しまった!! 受け損ねた!)


 サンダーカジュミロンを彷彿とさせる鋭い一撃が、レイオンの腹に命中。

 腹を抉られ、血がドバドバと流れる。

 なんとか筋肉操作をして、臓物が飛び出るグロい光景だけは逃れたが、ダメージは深刻だ。

 一気にレイオンの動きが鈍る。

 そこに追撃をされたら、もう勝負は終わってしまう。


(くそっ! こうなれば相打ちだ! こい!!!)


 レイオンは玉砕覚悟で迎え撃つ。

 残されたすべての力を出して勝負に出ようというのだ。

 もうそれしか選択肢がないので仕方がないだろう。まさにギャンブルだ。



 だが、追撃はこなかった。



 覚悟を決めて待っていたが、サナは動かない。

 その理由は、アンシュラオンが危惧していた通りである。


「…はぁはぁ」


 ばくんばくんっ ばくんばくんっ


 息が急速に上がっていく。

 心臓が激しく鼓動して血液を供給するが、まったくもって間に合わない。


 チカチカチカッ チカチカチカッ


 ペンダントも明滅を繰り返す。

 寿命が来た蛍光灯のように、チカチカと弱々しい明滅になっていく。


(なんだ…? 勢いが弱まったぞ)


 明らかにサナの勢いが落ちた。それも急激にだ。

 雷爪も見た目からして七割くらいの大きさになっており、輝きも鈍くなっている。

 これには見覚えがあった。


(スタミナ切れ! 生体磁気が切れたのか! …そうか、それも当然だ!! これだけの威力だ。そんなに乱発できるわけがない!!)


 弱った心臓を保護するために生体磁気で苦慮していたレイオンには、その症状はとても見覚えのあるものだった。

 なにせ試合前の自分が、常にその状態だったからだ。

 技を出したくても出せないのだ。




445話 「サナの限界」


「ここいらが限界ね」


 サナのジュエルを注視していたエンジャミナも、ここで【ストッパー】が発動したことを感知した。

 まだ幼い彼女に過度の負担をかけないように設けた制限だ。

 ジュエルにはまだ力は残っている。出そうと思えば、さらに雷の力を搾り出せるだろう。

 現状での強化状況も、サナに合わせて引き出せる量を制限されているだけであって、本当の魔石の力はもっと上なのだ。

 だが、これ以上は肝心の宿主が耐えきれない。力を受け止めきれない。

 そもそも因子の限界を超えるスキル自体に無理があり、その代償は過剰なエネルギー消費という形で支払うことになる。

 便利で都合が良かったジュエルにも欠点がある。

 そうでなければ不公平だろう。世の中にはしっかりとした法則があり、すべてが都合よくはいかないものだ。

 ここで無理に力を出せばサナ自身にダメージを与えるし、また暴走しかねない。

 黒雷狼の時は幸いながら彼女に影響はなかったが、次もないとは限らないのだ。


 よって、ここで終わりだ。




「勝機!!」


 相手が弱った一瞬の隙を、この男が見逃すはずがない。

 レイオンは残った力を一気に爆発させ、反撃に転じる。

 一気に接近すると、ボディーブロー。


 ゴンッ!!


 命中。

 サナが浮き上がる。


「はああああ!」


 そこに拳のラッシュ。

 まだサナからは雷迎撃が発せられているが、そんなことを気にしている暇はない。

 自身が傷つくことも怖れず、ただひたすらに拳を放つ。


 ドンドンドンドンッ!!

 ゴンゴンゴンゴンゴンッ!!


 叩く、叩く、殴る、殴る。

 ありったけの力を練り上げて、殴りつける。

 サナは動きたくても動けない。力が足りない。力が出せない。

 もはや一方的に殴られるしかない。


「うおおおおおおおお!!」


 ブオオオオオオッ!!

 レイオンの戦気が、最後に劇的に膨れ上がった。

 身体に残されているすべての生体磁気を集め、戦気をただ一点に集中させる。

 今を逃したら二度とチャンスはない。この少女のことだ。何が起こるかわからない。

 レイオンの目が獲物を狩る獣気に満ちる。


(決める、極める、キメル!! ここで決める!!!)


 一瞬の勝負にかける気迫。

 やるときにやる。倒せるときに倒す。チャンスを逃さない。

 武人にとって一番重要であり、他のすべてにおいても大切な資質をレイオンは持っている。


 そして放たれた技は―――虎破


 特にこの技を使おうと意識したわけではない。

 全力で殴ろうという思いが強すぎて、身体が勝手に動いてしまったにすぎない。

 だが、それこそ肉体派の戦士が一番力を出せる技であった。




 全力の正拳突きが―――炸裂




 躍動する身体が衝突すると同時に、戦気が爆発する。


 まさに渾身の一撃。クリティカルヒット。


 力を一点に集めたがゆえに起こったこと。成功した証。


 サナは吹き飛ばなかった。


 それは、すべての力がその場で展開されたことを意味した。



「…じー」


 サナがレイオンを見る。

 いつもの観察するような視線でありながらも、ただ無機質なものではなかった。

 そこには何かしらの感情が宿っていたのだろう。

 敵を称えるとか、がんばった自分を褒めるとか、そういった種類のものではないが、今まで感じたことのない何かの感情が湧き上がったのは事実だ。

 もしかしたら、悔しいとか、まだやれるとか、そういったものだったのかもしれない。

 まだまだ人並みの感情とはいえないものだ。ごくごく弱いものだ。微々たるものだ。

 しかし、この戦いには意味があったのだ。

 あったと思わせてほしい。いや、必ずあったはずだ。





 だから―――眠る





 バタン




 サナが、倒れた。

 その倒れ方は、仏教にある五体投地《ごたいとうち》というものに似ていた。

 これは両手、両膝、額等を地面につけてダイナミックに祈る方法なのだが、はっきり言えば「思いきり前のめりに倒れる」ようなものである。

 今のサナも、それと同じ。両手を投げ出して前にバタンと倒れた。

 手の投げ出し方も、礼拝に使うような礼儀正しく綺麗なものではなく、行き倒れた人間のように無様で荒々しい。

 それゆえに彼女が全部の力を出したことを如実に証明していた。





「…はぁはぁ……勝った………のか?」


 レイオンは、倒れたサナを呆然と見つめていた。

 何度も何度も見つめ返し、観察を続ける。

 この少女のことだ。また何事もなかったかのように起きたり、あるいは変な狼を召喚したとしてもまったく驚かないだろう。

 本当に倒れているのか? また騙そうとしていないか?

 そんなことを考えながら見つめるが、サナは起きてこなかった。

 起きてこないが、怖くて目が離せない。迂闊に背を見せられない。



 そんなレイオンを救ったのは、アンシュラオンだった。



 倒れているサナのもとに静かに歩を進めると、優しく抱き上げる。

 いつの間にか仮面を脱いでおり、素顔になっている。

 その顔をサナに押し付ける。


「サナ、これが今のお前の限界だ。よく覚えておくんだぞ」


 健闘を称えるなど絶対にしない。

 どんなにがんばっても、負けは負けだ。

 もしこれが荒野での戦いならば、サナは死んでいたのだ。相手が魔獣ならば喰われていたかもしれない。

 現状ではこれが精一杯。サナの限界だ。

 少し前までは普通の女の子だったのだ。モヒカンにも捕まるような弱い子供だったのだ。

 それを思えば十分。今も全力を出しきった。

 何よりも自分の言いつけを守った。健気に従った。だからすべてをかけて自分も彼女を抱きしめる。


「…はは…ははは……勝った……か。勝った…勝った……はははは……」


 ずるずる とすん

 その様子を見て、レイオンはようやく自身の勝利を理解する。

 だが、まったく実感がない。勝った感覚がない。

 相手がたまたまエネルギー切れを起こしたから、そこに乗じて勝っただけの話だ。

 サッカーでいえば相手のオウンゴールのようなもの。パスミスでの敵へのアシストのようなもの。

 もし彼女が魔石の力を使いこなしていれば、倒れていたのは自分だったに違いない。


 それでも勝者は一人しかいない。それが勝負の鉄則だ。



 サナは負けた。



 ジュエル無しでの実力ではレイオンにまったく及ばなかったし、ジュエル有りでも自滅した。

 完全なる敗北といっても差し支えないだろう。


 そして、その結果をようやく観客も理解する。



「負けた…のか?」

「ああ……負けた……な」

「ってことは…女は?」

「そりゃお前…無しだろう? だって、負けたんだからさ」

「ああああああああああああああああ!! また負けたーーーー!!」

「ひぃいいいいいいいいいいいいいい!!」

「くそおおおお!! なんてこった!! 台無しだ!!」

「うるせええ! 賭けた俺らが悪いんだよ! 潔く負けを認めろ!!」

「そんなこと言われてもよぉおお! ショックがでかいぜえええ!」

「うおおおおんっ! 負けたあぁあああああ!」


 あちらこちらで悲鳴やら嘆きが聴こえる。

 やはり負けるのはショックだ。惜しかったからこそ、なおさら悔しい。

 その一方で、サナにエールを送る声もある。



「よくやった! がんばった!」

「そうだ! すごかったぞ!! これだけやれれば十分だ!」

「見応えがあったよな。速すぎてよく見えないところもあったけどさ」

「あんな子供がレイオンを追い詰めたんだ。がんばったさ」


 パチパチッ

 パチパチパチパチパチッ

 次第に拍手らしいものも聴こえ始める。

 冷静に考えればサナはまだ子供だ。武人として最盛期のレイオンと正面から戦うこと自体がすごいのだ。

 観客もそれを理解しているので惜しみない拍手を送る。


「ええと…レイオンの勝ちで…いいのかな?」


 審判が恐る恐るアンシュラオンに訊ねる。


「ああ、見たまんまだ。こちらの負けだ」

「それではその…これで終わりで…いいですか?」

「まあ、そうなんだが…このままでは損害が大きすぎるな……あまりに滅茶苦茶だ」


 周りを見渡せば、ボロボロになった会場が見える。

 あちらこちらで床や壁が大きく抉れ、リングも半分崩壊している。その荒れ具合はあまりに酷い。

 封印術式もなくなってしまったので、この会場は破棄するしかないだろう。

 そうなると無手の試合がやれない、またはやりにくくなるので運営側も相当な痛手となる。

 さすがにこれでは今後の関係が悪くなることを踏まえて、こう提案する。


「スレイブの女は客に分けていいよ。ケチ臭いことは言わないさ。全員持っていきな」

「え? でも、それじゃ…その…賭けが成立しないのでは?」

「たまにはいいんじゃない? 客にも迷惑をかけたしね。それくらいやらないと釣り合わないさ。女に関しては定期的に送ることにするから、そっちで損害を調整しておいてよ。こっちからの詫びってことでさ」

「は、はい。そちらがそれでいいなら…大歓迎です」

「おーーーい!!! 女はお前たちで分けていいぞ!! これから抽選だ!!! 仲良く分けろよ!!」


 アンシュラオンが観客に大声で叫ぶ。

 それに対して最初は頭に「?」を浮かべていた客たちだが、審判が状況を説明しに行くと、徐々に彼らの顔が興奮して紅潮していくのがわかった。


「な、なにぃいいいいいいいいいいいい!!」

「ほ、本当か!! 本当なんだな!! 嘘だったら、ただじゃおかねえぞ!!」


 予想外のことに興奮した客が審判の首を絞めて迫る。

 その鬼気迫る様子から、この地下ではいかに女性が貴重かを改めて思い知る。


「ぐぇええ! ほ、本当ですって…! 今回はもう特別ってことで…」

「マジかよ!! マジなんだな!!!」

「は、はいぃ! だからそう言っているじゃないですか! て、手を離してください…」

「おおお…おおおおお! つ、ついにこの日が! この日が―――キタアアーーーーーーーーーー!!!」

「祭りだ!! 祭りの準備だ!!」

「食いもんと酒をもってこい!! 儀式だ!! 場を清めねば!!!」

「任せろ! すぐに用意する!!」


 あまりに興奮したせいだろうか。よくわからないことを言い出した。

 周りも混乱に陥っているせいか、誰もそこにつっこまない。

 その後、彼らは本当に火を焚き出し、地鎮祭《じちんさい》のようなことをやり始めた。

 地鎮祭とは、よく新しい土地に家を建てる前に見られる、神職や坊さんを呼んで安全祈願をするものだ。

 その土地の守り神、氏神、あるいは精霊や妖精に対して許しを得る行事である。

 この地下の男たちにとっても、女性の存在とはそれだけ価値があるようだ。

 何に祈っているのかは謎だが、感謝の言葉を口にして地面にひれ伏している姿は異様だ。


(『女ひでり』が続くと、人間っておかしくなるんだな。かわいそうに…)


 パミエルキがいたので女性自体に困ったことはないが、それはそれで難儀したので、彼らの気持ちもわからなくはない。

 男ならば誰だって健全な夜の営みを欲するものだろう。



 祭りで盛り上がる彼らを生暖かい目で見守りながら、そっとアンシュラオンは場を離れるのであった。


(いい経験をさせてもらった。十分価値はあったよ)


 サナは敗北を味わったが、得たものもたくさんあった。

 その貴重な経験を得られるのならば、スレイブや金を提供するくらいはまったく惜しくなかった。




446話 「試合後」


 アンシュラオンは控え室に戻ると、サナをベッドに下ろす。

 いざ傷を癒そうと思って手を伸ばすが、あることに気づいた。


(怪我の治りが早い。ジュエルが効果を発揮しているのか?)


 アンシュラオンが命気を使う前から、サナの怪我が少しずつ治り始めていた。

 ジュエルが薄く光っているので、どうやら力をサナに分け与えているようだ。

 戦闘に使うほどの力は制約で供給できずとも、怪我を癒す力くらいは助力が可能らしい。

 その様子は、怪我をして動けなくなった飼い主を心配して、懸命に舐め続ける犬を彷彿させる。


(こいつは信用できそうだな。まあ、オレが作ったから当然か。せっかくだ。怪我も深刻じゃないし、任せてみようか。危なかったらオレが治せばいいしね)


 ここで自分が命気で一気に治すことは簡単だ。いつもそうしてきた。

 だが、それではサナの成長が遅れてしまうだろう。

 もし彼女が独りになった時、自分で治す方法がなければ本当に死んでしまう。

 そのことも考え、どれくらいで怪我が治るのかを観察することにした。



 結果、三十分程度でサナの怪我はほとんど治った。



 まだ完全に治っていないところはあったが、裂傷や筋肉の断裂、臓器の損傷などはおおかた治っている。

 レイオンの虎破の威力は強かったものの、サナも全力で防御したうえ、ジュエルも彼女を守るために前面に力を集約した。

 そのため致命的なダメージを受けずに済んだのだろう。


(三十分か。仮に敵との戦闘で傷ついても、安全な場所を見つけられれば十分確保できる時間だ。この情報はなかなかありがたいな。一つの参考にしよう)


 アーブスラットの時は意図的に彼女を独りにして様子を見たが、今後何があるかわからない。

 本当にはぐれてしまったときのことを考えると、こういった情報の蓄積は非常に重要となる。


 サナの怪我は治った。


 ただ、まだ目は覚めない。こんこんと眠り続けている。

 それを優しい目で見守りながら、静かに時間が流れていった。


(負けたことは悔しいが、満足…かな。武人だから厳しくしないといけないことも多いけど、よくやっているよ。一生懸命オレに追いつこうとがんばっている。すごいことだ)


 転生した際に極めて優れた資質を得た自分に追いつくのは、普通に考えれば不可能だ。

 思えばかなり厳しいことも要求したが、この小さな身体でよくがんばっている。

 そのことが嬉しくて、サナのことがまた好きになる。



―――グラグラグラ



 そんな時である。

 ふと揺れを感じた。

 たいした揺れではない。震度1か2弱程度の小さなものだ。


「ん? 地震か?」


 元日本人にとっては地震は日常のものなので、アンシュラオンはたいした反応を見せなかった。

 「ああ、揺れたな」という感想を抱くくらいだ。


(火怨山ではたまに揺れたかな? あの山はどうやら活火山のようだし、揺れてもおかしくはないけどね。ただ、グラス・ギースでは珍しいか?)


 火怨山は大災厄の時に噴火していると聞いている。

 つまりは活火山ということなので、地震そのものは普通にあってもおかしくない。

 ただし、火怨山に比較的近いグラス・ギースでも揺れない程度のものだ。噴火するといったレベルではないのだろう。

 だから少し不思議には思ったが、それ以上の興味は湧かなかった。

 何事もなかったかのように、サナの愛らしい顔を眺め続ける。


(ああ、可愛いなぁ。やっぱりサナはいいなぁ…)



 コンコンッ



 寝ているサナに悶えていると、ノックが鳴った。


「どうぞ。男以外なら入っていいよ」


 いきなりの差別発言だが、愛らしいサナとの愛しい空間を男になど邪魔されたくはないので、一応条件を付けておく。


「お邪魔するわね」

「お邪魔しまーす」


 入ってきたのは、マザーとニーニアであった。

 関係者以外は入れない場所なのだが、会場があの調子なので、どさくさに紛れてやってきたようだ。

 女性ならば特に問題はないため、そのまま受け入れる。


「やぁ、よく来てくれたね」

「はい。ちょっと心配で…。黒姫ちゃん、大丈夫ですか?」

「ありがとう。まだ目覚めていないけど、身体は治っているよ」

「あんな戦いをしたなら当然ですよね…痛かっただろうなぁ」


 ニーニアが心配そうにサナを覗き込む。

 彼女には、サナを過剰に意識したり怖がったりする様子はまったく見られなかった。


「この子のことが怖くない?」

「…? どうしてですか?」

「魔石が暴走したから、あの黒い狼が出てきたんだ。また起きるかもしれないじゃないか」

「そうしたら、またホワイトさんの活躍が見られますね!!」

「いや、それを期待されても困るけどね…。真面目な話、妹の近くにいると危ないかもよ。絶対の安全の保証なんてできないからさ」

「私からすれば、黒姫ちゃんは黒姫ちゃんですよ。レイオンさんとあんな戦いができるなんてすごいですけど、それでも妹みたいな感じがします。怖くなんてありませんよ」

「そっか。そう思ってくれればオレも嬉しいよ。仲良くしてやってね」

「はい! もちろんです!」


 彼女からすれば、サナは年下の女の子であるのと同時に、ずっとアンシュラオンとともにいられる憧れの存在なのだろう。

 普通は嫉妬や恐怖になる感情が、ニーニアの場合は憧れや尊敬という正の感情になったようだ。

 そういった見方をしてくれる子はありがたいし、とても貴重といえる。


(年齢が近しい子は重要だからな。ラノアもそうだが、こうして物怖じしない子がいてくれると、サナにとっても良い影響があるだろう。武人として強くなってもらいたいが、一人の女の子としても楽しんでもらいたいんだよね。買い物したりおしゃれをしたりしてさ。それを眺めるだけでも最高だよな)


 サナは妹でありながらも、地球人時代を考えると娘に近い感覚も持っている。

 当然思春期も訪れるだろう。おしゃれだってしたくなるかもしれない。

 その時にサナが女の子として、女性として楽しむためには、やはり同年代の子は必須である。

 ぜひニーニアには、このまま仲良くしてもらいたいものだ。スレイブではなく、一人の女の子として。


(周りがスレイブだけではイエスマンしかいないことになる。オレの周囲はそれでまったくかまわないんだが、サナにはいろいろと経験させてやりたいしな。その点でニーニアはいい実験台になるかもしれないな。この子はサナを怖がっていないし、害を与えようとは思わないだろう。思ったところで弱いから問題ない)


 これはずっと考えていたことなので、ニーニアをテストケースにする予定だ。

 スレイブではない子供を近くに置いておくと、サナにどういった影響を及ぼすのか。

 あるいはスレイブだけのほうが良いのか悪いのか。今後、さまざまな実験が必要になるだろう。


 ちなみにトットのことにはまったく触れない。

 彼は今、あの怪しげな祭りに参加させられ、酒の味を覚えさせられているところである。

 万一あの場に同類のゲイが混じり込んでいたら、違うことも覚えさせられるかもしれないが、その時は不運だと思って諦めてもらうことにする。

 ゲイは芸に通ずる。

 ぜひその道を極めてほしいものだ。そして、近寄らないでほしいものだ。



「ちょっと魔石を診せてもらってもいいかしら?」

「かまわないよ。むしろお願いしたいくらいだ」


 場が落ち着いた頃を見計らい、マザーが自分の魔石を取り出してサナのジュエルを診断する。

 彼女の魔石は自ら言っていたようにサポート系に特化しているため、他のジュエルに干渉しつつ状態を観測できるのが最大の強みだ。

 異常があればすぐにわかるし、ある程度ではあるものの修復する能力もある。


「………」


 サナの力の暴走の脅威を間近で見ていたためか、最初は真剣な顔つきだったが、次第に穏やかないつもの笑顔に戻っていった。

 それだけで結果が良好であることがわかる。


「どう? 問題ない?」

「ええ、大丈夫よ。単純に力の使いすぎで精神が疲労したのね。魔石は使うと疲れるのよ」

「へー、そうなんだ」

「魔石には意思があるわ。それがどのようなものでも、何かしらの指向性があるの。それに合わせる、あるいは共鳴するだけで疲れてしまうものよ。慣れていないと『酔う』ことも多いわね」

「酔いって?」

「乗り物酔いに近いかしら? 新しい力が加わって、いつもと違う感覚になるから…これは慣れるしかないわね。といっても、この子の覚醒率は高いから、酔いもあるでしょうけれど単純に疲労といったほうが正しいと思うわ」

「そりゃあれだけ力を出せば疲れるよね」

「もう一つ大切なことがあるわ。エル・ジュエラーは、とても貴重な存在よ。なるべく他者に知られないほうがいいわね。狙われてしまうもの」

「それは困るな…。でも、すでに多くの人に見られちゃったよね。大丈夫かな?」

「ジュエリスト自体は有名だけれど、あの場でそれだけの知識を持つ人はいなかったと思うわ。公にしなければ大丈夫よ。ただできれば今後、多くの人の前で戦う試合での使用は制限したほうがいいわね。いずれ気付く者も出てくるかもしれないしね」

「そっか。じゃあ、剣の試合とかではあまり使わない方向でいこうかな。使うとしても雷の技は封印かな」

「それが賢明ね。あなたの目標は地下の覇権ではないのでしょう? 通過点ならば、そこまでリスクを負う必要はないわ」

「それもそうだね。そうするよ」


 アンシュラオンは、エンジャミナの言葉を素直に受け入れる。

 これはアンシュラオンが彼女に好意を持っていることも一つの要因だが、エンジャミナ自身がアンシュラオンの性格をある程度理解したからこそのものだ。


(警戒心と自意識が強めの経営者、といったところかしら。これならば合わせることも可能だわ。今のところ彼自身が暴走する危険性は感じられないわね)


 エンジャミナは若い頃から旅を重ねてきた経験から、さまざまな人間と出会っている。

 その彼女から見れば、アンシュラオンは開発系の中小企業の社長のようなタイプに映る。

 ワンマンで独創的で強引で、あまり他者と関わろうとしない。彼自身の存在がすでに孤高の芸術なので、それも仕方ないだろう。

 サナの暴走も怖いが、エンジャミナが一番怖れているのがアンシュラオンの暴走である。

 そうさせないために自分がいるのだ。まずは慎重に注意深く、それでいていつもの穏やかさは失わない姿勢を保つ。保つことができるのだ。


 彼女がこの年齢でアンシュラオンに出会ったこと自体が、すでに予定通りである。


 もし若い頃ならば感情を制御できなかっただろうし、相手に合わせることもできなかっただろう。

 シャイナのように自分の意見を優先して、相手を怒らせることになっていたかもしれない。

 かといって従順すぎればホロロのようになってしまう。それでは意味がない。

 穏やかさをベースとしながらも、知的で思いやりがあり、なおかつ的確な助言をするからこそ、この我の強い男もあっさりと受け入れるのだ。

 このあたりは年を重ねることでしか得られない深みを感じさせる。


「ねえ、オレも魔石を扱えるかな?」

「それは…難しいかしら」

「特別な資質が必要ってこと?」

「いえ、可能性は誰にでもあるわ。こう言ったのは逆の理由ね。あなたに似合うようなジュエルがこの世界にあるのかしら、という意味よ。よほどのものじゃないと意味がないでしょう? たぶん、ジュエルのほうが耐えきれなくて割れちゃうわ」


 アンシュラオンの場合、本体そのものの出力が強すぎて媒体が耐えられない可能性が極めて高い。

 試しにサナの魔石を自分が使ったら、即壊れてしまうだろう。

 最低でも最上位の撃滅級魔獣の心臓、できれば天災級と呼ばれる【天竜】クラスの心臓が必要だろう。

 ゼブラエスでさえ勝てないような相手ならば、アンシュラオンの魔石に相応しいといえるが、そもそも天竜に勝てなければ意味がないので、結局は手に入らないことを意味する。


「なーんだ、手に入らないのか。それならしょうがないなぁ。今は必要ないし、自分のものより他の女の子たちのジュエルのほうが優先かな。マザーにはこれからも力を貸してもらうよ」

「ええ、そうしてちょうだい。遠慮は無用よ」

「私も、私も力を貸します!!」

「ニーニアは…あまりがんばらなくてもいいよ」

「えーーー!? 酷いです! がんばらせてください!! あっ、そうだ! 今から偉業をメモしておかないと!! いつか必ず書き上げてみせますからね! 期待していてくださいね!」

「…うん、ほどほどにね……」


 この時から若干ニーニアが苦手になるアンシュラオンであった。

 魔人である自分を引かせるとは、非常に特殊な才能を秘めているものである。



―――グラグラグラ



 その時、また地震が起きた。

 さきほどよりも、やや強い揺れだろうか。


「地下って地震がよくあるの?」

「地震…? いえ、そんなものはなかったと思うけれど…珍しいわね」

「ふーん、そうなんだ」


 ただの雑談である。

 ふと気になったから訊いただけだ。

 特に緊急の用事もないため、そんな会話をしながらサナが目覚めるのを待つのであった。




447話 「兄として、妹として」


 アンシュラオンがサナの目覚めを待っている頃。

 レイオンとミャンメイは、ラングラスエリアの『奥』に続く道を歩いていた。


 目的はバイラル、老人の医者に会うためだ。


 サナとの試合では深手を負ってしまったが、ジュエルを持たないレイオンは自力で回復するしかない。

 もともと体力に勝る戦士タイプなので、自然回復力も相当なものなのだが、いかんせんサナの攻撃が強すぎた。

 雷爪で切り裂かれて焼けた肉体のダメージは深く、そう簡単に治るものではないようだ。

 生体磁気を集中させて治癒力を増大させても、全力を出すには三日くらいはかかってしまうだろう。


(明後日にはもう団体戦だ。俺が出ないわけにはいかない。それまでには治さねば)


 サナとレイオンの試合は見所が多かったが、この試合自体はラングラスにとってメリットはまったくない。


 本番は明後日の団体戦である。


 その試合で勝たねば現状は何も変えられない。

 アンシュラオンも出るようなことを言っていたので、戦力としては申し分はないが、場を荒らすことに定評のある男だ。

 今回のサナの一件にしても、彼自身が出ていないにもかかわらず、会場そのものを破壊するような事態に陥ってしまった。

 それが不本意や予想外だとしても、結果は結果。アンシュラオンが訪れる場所には、必ず破壊と混乱が付いて回るのである。

 まったくもって恐ろしい男だ。そういう星の下に生まれたのだから仕方がない。


 簡単に言えば、アンシュラオンに任せるのは不安、ということである。

 それと同時に、ラングラスを仕切っている実質的なリーダーとして、自分の存在を内外に示す必要がある。

 そのために自分の傷を癒さねばならない。できれば早急に。

 かといってアンシュラオンに治癒を頼むのも癪であるため、こうしてバイラルのもとに向かっているというわけだ。


(身体が治った報告もしたいしな。きっと驚くだろうが、一番驚いているのが俺だからな)


 あれだけ酷い状態が改善されたのだ。医者である彼の反応が少し楽しみではある。

 いくら老人が生命の神秘に触れたとはいえ、ここまでの急回復には驚くに違いない。

 そして、自分の身体が治ったと知れば、彼の罪悪感も多少は軽減されるだろう。

 むしろそちらが目的といってもいい。心の重荷ほどつらいものはないのだ。




「ミャンメイ、ここからは独りでいい。お前は戻っていろ」

「駄目よ。まだふらついているじゃないの」

「これくらい大丈夫だ」

「駄目よ。信用できないわ」


 ミャンメイは、深手を負ったレイオンを支えるようにして一緒に歩いている。

 この『奥』に続くエリアは、半端者たちがたむろする場所なので危ないため、なんとか帰らせようといろいろと言うのだが、彼女は頑として譲らない。

 その様子にレイオンが肩を竦める。


「なんだか…変わったな」

「そう?」

「いつもなら先に折れていただろう?」

「もうそういうのはやめたの。遠慮していたって何も変わらないもの。本音を言わないで泣き寝入りするなんて馬鹿らしいでしょう?」

「あいつの影響を受けすぎだ」

「そうかもね。でも、自分で決められるものではないわ。受けてしまったのだからしょうがないもの」

「ああいうやつには、あまり近寄らないほうがいいぞ」

「それを兄さんが言うの? 身体まで治してもらったのに恩知らずじゃない?」

「それは……きっかけにはなったが、治したのは自分の力だ。あいつだってそう言っていただろう」

「呆れた。そこまで意地を張らなくてもいいのに。もっと仲良くすればいいじゃないの。ホワイトさんはいい人よ」

「良いも悪いもない。あいつは…力そのものだ。それ自体が危険だ」

「どういう意味?」

「あの黒い狼と一緒だ。存在そのものが危ないんだ。見た目に騙されているかもしれないが、あいつの中身もあれと似たようなものだ。実際に対峙した俺には、それがよくわかった」

「みんなを助けてくれたじゃない。あのままだったら死んでいたわ」

「そういう話じゃない。ああいうものと関わらないほうが、本当は幸せな人生を送れるということだ。慎ましさや平凡、そういったものの中に穏やかな暮らしがある。あれだけの力の傍にいれば嫌でも巻き込まれる」

「兄さんだって、とっくの昔に私を巻き込んでいるわよ」

「………」

「黙らないでよ。冗談よ」

「…いや、違うことを考えていただけだ」

「えええ! ここはもう少しちゃんと聞いてほしかったな…」


(まあ、そのほうが兄さんらしいけど。ようやく戻ってきた…のかな?)


 レイオンは真面目そうに見えて「感覚派」なので、かなり適当でいいかげんなところがある。

 若い頃、思いつきでハンターになると言い出した翌日には、やっぱり騎士に憧れていると言って辞めるような男だ。

 今でこそ少しは責任感が出てきたが、幼い頃はよく振り回されたものである。

 そういう側面が出てきたということは、それだけ今の身体の調子が良いということだろう。

 怪我はしているが、身体そのものは生まれ変わったのだ。だから余裕が出ている。



「やっぱりホワイトさんはすごいわ」


 ミャンメイにとって、アンシュラオンという存在は初めて出会うものであった。

 内気な自分を、たった一声で「破壊」してしまう大きな存在。

 自分ではどうしても殻を破れずに苦しんでいたところにいきなりやってきて、外側から叩いて壊してくれた恩人。

 真っ暗な卵の中にいた自分が、初めて見た【光】が彼だ。

 輝きに満ちた白い王。それこそがミャンメイにとってのアンシュラオン像なのである。


 そんな妹を、兄はじっと見つめる。


「ミャンメイ、あいつのことが気になっているのか?」

「え?」

「あいつのところに行きたいと思っているのだろう?」

「それは…まだわからないわ」

「俺のことならば気にする必要はない。お互いに大人だ。自分の人生は自分で決めればいいさ。俺だって好きに生きてきたんだ。お前も好きに生きればいい。マザーもあいつのところに行くのならば、子供たちの心配だっていらないさ。あの男なら、あれくらいの人数をまかなうことも容易だろう」

「こういう話、兄さんとするのは初めてかも」

「そうだったか?」

「そうよ」

「そう…か。そうかもな。そんな余裕もなかったのかもしれないな…」


 いつも駆け足で生きてきた気がする。

 自分に限らず、この荒野で生きる人間は誰だってそうだろう。

 何かを求めて、何かを欲して、何かを成しえたいと空に手を伸ばす。

 そうして手を伸ばし続ければ、それに伴って足も動かさねばならない。

 空を見て、夢を見て、よたよたと歩き続けるしかない。

 足元には、つまずきそうな石があるかもしれない。崖があって落ちるかもしれない。


 それでも歩き続ける。


 そうしたいからだ。そうしないと何も得られないからだ。

 それもまた人生。人間の生き方の一つである。


「あの男は…でかいな。お前が憧れる気持ちもわかる」

「兄さんが他人を認めるのなんて珍しいわね。特に私が絡んだ相手には厳しいでしょう?」

「それは当然だ。妹の身を案じるのは兄の責務だからな」

「過保護ね。ふふ、それもいいけれど」

「…真面目に話せば、俺もあいつならば、お前を守れるとは思っている。あの男に勝てるような相手なんて想像もできないからな」

「兄さんがそこまで言うなんて、本当にすごいのね」

「ああ。そうだ。すごい強さだ。ただ…」

「ただ?」

「…ただ、そうなったら……あいつのところに行ったら……」



 レイオンは、少しだけ語るのを躊躇うようなそぶりを見せながらも、やはり言っておかねばならないと思ったのだろう。


 真剣な眼差しで、妹を見る。






―――「お前はいつか―――【死ぬ】」






「………」


 ミャンメイは兄の言葉の真意がわからず、じっと彼の顔を見上げる。

 だが、いくら待っても、それ以上の言葉は出てこなかった。

 おそらくレイオン自身もよくわかっていないのかもしれない。なぜそんなことを言ったのかすらわからない。

 しかしながら、言葉が自然に出てきたのだ。

 そんな不吉な言葉が、なぜか兄から妹へと渡されたのだ。

 それに対してミャンメイは、怒るでも反論するでもなく、静かに答えた。



「いつかは死ぬと思うわ。人間だもの」



 人間はいつか死ぬ。黙っていても老衰して死ぬ。

 ある日突然、病気が発覚して余命を宣告されるかもしれない。事故で死ぬかもしれない。

 いつ死ぬかなど誰にもわからないし、誰でもいつかは死ぬのだ。


「そう…だな。いつかは死ぬか。そうだ。そうだ…よな。変なことを言ったな」

「急にどうしたの?」

「わからない。なんだかそんな気がしただけだ。そして、お前に言っておかねばならないと思ったんだ。強い力と一緒にいることは最大の安全かもしれない。しかし、それが永劫に続くわけではないんだ。太陽だって…いつかは落ちる」

「そうなれば夜になって月が昇って、それが落ちて、また太陽が昇るわ」

「ああ、それが自然の営みだからな。ただ、それは太陽や月という巨大な存在にとっての話だ。その影響を受けている俺たちは、気候の変化で簡単に死んでしまう弱い人間なんだ」

「巻き込まれて死ぬってこと?」

「そう捉えるかどうかは、お前次第だ。覚悟があれば、また違った表現になるのかもしれないな」

「じゃあ、兄さんみたいになればいいのね」

「俺みたいに?」

「うん、そうよ。兄さんも覚悟をもって生きてきたのでしょう?」

「ああ、そうだ。まだ死ねないと思い続けて生きてきた。だからここまでやってこられた」

「今も?」

「…もちろんだ。まだ死ねない」

「それでは不合格よ。もう死ねないのよ。これからも…ね。私も兄さんに死んでほしくはないもの」

「それは俺も同じだ」

「…ねえ、人生って不思議ね」

「お前こそ、どうした急に?」

「いろいろあるなーって思っただけよ。いいことも悪いことも、いろいろとね」

「そうだな。いろいろとあるな。俺たちには理解できないものもあり、理解していても本当は違うものだってある。結局、何もわからんということだ」

「兄さんは戦うことしか考えていないものね」

「仕方がない。戦士だからな。戦うことしかできん」

「私もね…そういった何かに立ち向かいたいとは思うわ。このままじゃ、いろいろと悔しいから」

「だから『包丁』を持ち歩いているのか?」

「ああ、これ? 今朝、ホワイトさんがくれたのよ。自分が使うより、よっぽど価値があるって言ってね」


 レイオンの視線の先、ミャンメイの腰には『包丁』があった。

 それはいつもアンシュラオンが使っていたアズ・アクス製の包丁、V・Fという鍛冶師が打ったものである。

 切れ味は保証済みだ。戦気なしでも魔獣の皮くらいは簡単に切れるだろう。

 なんならデアンカ・ギースの触手さえ切れる。元の質が良いので刃こぼれ一つしない逸品だ。


 アンシュラオンは、それをあっさりとミャンメイにあげてしまった。


 ロリ子ちゃんから買った記念の包丁であるが、やはり包丁は包丁だ。武器とは言いがたい。

 包丁は、料理に使うものである。

 料理の資質のある彼女が使うほうが、この包丁も喜ぶだろう。そう思ってのことだ。


「この包丁、すごいのよ。なんでも簡単に切れちゃうの。もう手放せないわ。黒姫ちゃん…本当の名前はサナちゃんっていうみたいだけれど、彼女の役に立つのならば、それも私の人生かなって思っているところなの」

「物で釣れる女だと思われるぞ」

「失礼ね。そんな単純な気持ちじゃないわよ。兄さんの予感みたいに、私にも予感があるの。あの子の傍にいないといけないって。彼女を守らないといけないって。日に日にその想いが強くなっていくの。つい先日出会ったばかりなのに、とても不思議だわ。すごく惹かれるのよ」

「死ぬ覚悟が…あるのか? あの子のために死ぬ覚悟が?」

「そんなたいそうなものじゃないわ。ただ、もし彼女に命の危険が降りかかるのならば、そのときは…それも仕方ないと思うの。一緒に生きるってことは一蓮托生ってことだもの。そういうこともあるわ。でもそれって、今の私たちだって同じよね。いつ死ぬかわからないけれど、その中で懸命に生きている。それが死ぬまで続くだけのことよ」

「………」

「まだ何か言いたいことがある?」

「いや…大きくなったな、と思ってな。それだけの覚悟があれば十分だ」

「覚悟ってほどでもないけれど…」

「お前はおとなしいが、意外と度胸がある。それがいつかあの子を救う力になるかもしれないな。ホワイトのためだと思うと嫌だが、あの子のためならば仕方がない。大丈夫。お前ならばやれるさ。悔いのない人生を生きることができるはずだ」

「…ありがとう、兄さん」


 レイオンとミャンメイは、その後は黙って通路を進む。

 特に会話はなかったが、それでよいのだ。

 何も言わなくてもいい。言わなくても理解できる。兄妹だからだ。

 いろいろなことがありすぎて、少し奇妙な形にねじれてしまった二人の関係も、こうして元に戻ろうとしている。

 アンシュラオンの行動は、基本的に破壊をもたらすものだ。

 だが、変に固まってしまったものを壊すことで、崩れ落ち、意外にもすっぽりとはまってしまうこともある。

 レイオンとミャンメイの事例は、破壊がもたらす良い効果を見事に示したといえるだろう。




448話 「ミャンメイの賭け 前編」


 二人は、医者に通じる通路の分かれ道にまでやってきた。


「本当にここでいい。もう戻っていいぞ」

「大丈夫?」

「見くびるな。俺はお前の兄だ。簡単には死なない」

「ええ、そうね。自慢のお兄ちゃんだもの」

「お前こそ気をつけて戻れ」

「何もないと思うけれど…そうするわ」

「何かあったら叫べ。駆けつける」

「大丈夫よ」

「笛でも持っておくか? 閉じ込められた時にはいいと聞くし…」

「必要ないわ」

「それならば煙玉はどうだ? 色付きだから何かあればすぐに…」

「もう! 子供じゃないのよ」

「子供じゃないから心配なんだが…まあいい。気をつけろよ」

「ええ、またね」

「ああ」


 二人は別れる。

 何気ない別れだ。特に意味もない。

 またすぐに会えると思っている。



 いつしか、そういった油断がどこかに潜んでいたことは否めない。



 長く地下にいると、それに慣れてしまう。

 たとえばスラムが危険だ危険だと言われていても、長く住んでいれば本当に危ない場所はわかるようになり、ルールもわかってくる。

 そうなれば案外、安全なものだ。

 タブーを犯さなければ、そう簡単に危険な目には遭わない。

 たまに無法者がいて一般人が巻き込まれるケースもあるが、ヤクザや暴力団は基本的に縄張りを荒らさなければ無闇に攻撃してはこない。

 ミャンメイも長くラングラスエリアにいることで、ある程度のことは理解していた。

 『奥』に近寄らなければ騒動には巻き込まれないし、何よりもレイオンが身内にいる。

 彼女に危害を加える者など、そうそういないものである。


 ただし、世の中にはいろいろと例外があるものだ。


 今回のケースもそれに該当するだろう。

 まったく予期していないところから何かがやってくることがある。




「へへへ…どうも」




 その帰り道、ミャンメイは『カスオ』に出会った。


「あら、『クズオ』さん、こんなところでどうしたの?」


 ミャンメイが話しかけるが、思いきり名前を間違えている。

 カスでもありクズなので、いまだに名前が定着していないらしい。

 とりあえず自称カスらしいから、そのままカスオと呼んでおこう。

 改めて説明しておくと、シャイナの父親だ。

 取り柄はクズであること。名誉ある『キング・オブ・クズ』の称号を持っている偉大なるクズの初代チャンプだ。

 だからこそミャンメイも間違えたのだろう。そこはたいした問題ではない。

 カスオもそこには言及しない。どうせ偽名なので、なんでもいいのだろう。


 さて、それよりはカスオである。


 彼はグリモフスキーにリンチされて助け出された身なので、わざわざここに来る理由はない。

 見つかったら、また何かされるに違いないのだ。その彼がここにいること自体が奇妙なことであった。

 そうした事情を知っているミャンメイも不思議そうな顔をしている。

 カスオはそんな彼女に対し、いつものへらへらした顔で笑いかける。


「へへへ…実は、ちょっとこの先に『いいもの』がありまして」

「いいもの?」

「わたくしが隠している『私財』でございます」

「私財? 財産ってことかしら?」

「はい。ちんけなわたくしですが、地下で細々と貯蓄をしていたわけでございます。それを取りに行こうと思っていたところなのです。こんなわたくしを迎え入れてくださった皆様のために、少しでも役立てようと思いまして」

「それはそれは、ありがとうございます。小さな子もいますから助かります」

「へへへ、それはよかった。ところで、今はお暇ですか?」

「はい。特に用事はありませんけれど…強いて言えば、料理の下ごしらえくらいかしら?」

「ああ、なるほどなるほど! 夕食前ですものね! もちろん、わたくしもお手伝いいたしますよ! 皆様のために働けることがわたくしの最大の喜びですので! …ですが、その前にちょっとお手伝い願えませんかね?」

「私が、ですか? その私財のお話ですか?」

「へへへ、はい。見ての通り、今はこの足です。こんなにノロマな男が財産を持って歩いていたら、即座に狙われてしまいます。なにせここの連中ときたら、野蛮で乱暴な犯罪者どもですからね。ほんと、気が気ではありませんよ。しかし、レイオンさんの妹君であらせられるあなた様がご一緒ならば、あいつらも簡単には手が出せないはずなのです!」

「ああ、そういうことですか。それはたしかに…そうですね」

「はい。ですからどうでしょう? ほんの少しでいいので、お付き合い願えないでしょうか? たいした手間は取らせませんので。へへへ…」


 カスオは揉み手をしながらミャンメイの様子をうかがう。

 それが生来のものとわかっていても、相変わらずイヤらしい顔つきである。

 顔からして性根の悪さが滲み出ているようだ。

 誰に対しても好意を向けるミャンメイではあるが、カスオが好きというわけではない。

 以前の自分ならばもう少し愛想の良い対応をしたのかもしれないが、今の自分はアンシュラオンによって自我を取り戻している。

 その影響もあってか、カスオに対しては今まで以上の不快感や嫌悪感といったものを感じるようになっていた。


(私って、こんなに心根が悪い女だったかしら?)


 と自分でも思うほど、好意的な感情が湧いてこない。

 だが、そんな自分すら肯定する。


(いいんだ。私はこれでいいんだ。こんな私でもホワイトさんは認めてくれたじゃない。兄さんとあの人にさえ認められれば…それだけでいいんだわ)


 人間は誰かに好かれたいと思う。嫌われたくないと思う。

 円滑な社会生活を送るために集団内での軋轢を嫌うからだ。

 しかし、だからといって誰からも好かれるような人間になってはいけない。

 嫌われていいのだ。好きじゃなくてもいいのだ。それには相応の理由があるからだ。

 はっきり言おう。



 出会う人間の1%でも好きになれたら、あなたは聖人だ、と。



 嫌いな人間を無理に好きになることはない。そういう存在なのだと理解できる力があればいい。

 それくらいでいい。あとはそれなりに無駄な騒動を避けて暮らせば十分だ。

 ミャンメイはようやく、そのことに気付き始めていた。

 『恐れ』といった感情が少しでも宿れば、自分の心に根付いた白い力が即座に掻き消してくれる。

 アンシュラオンが肯定してくれる。認めてくれる。

 そこに強い安心感を得る。心のどこかで彼と繋がっているような気持ちになれるからだ。

 そして、意識がはっきりしてくる。今までぼ〜っとして流されていた自分がいなくなっていく。



 一度心を落ち着けて、カスオを見た。


 カスオがここにいる理由はわかった。

 地下とて物流がないわけではない。経済があるのだから、各個人で貯蓄くらいはできるだろう。

 ただ、疑問点も多い。


(私財…か。この言い方からすると…お金とかなのかしら? でも、お金って言わないところが気になるわ。そういえば…)


「クズオさんは、たしか仲間の人に暴力を振るわれて、それで仕方なくマザーのグループに入ったんですよね?」

「ええ、ええ。本当に酷い話ですよ。あいつらは生粋の悪ですな!! 間違いない!」

「その時、お金は持ち出せたんですか?」

「え? それは…その……置き去りといいますか、やつらに奪われたといいますか…さすがにそのような暇はなく……今頃はなくなっているでしょうな…さすがに」

「では、私財というのはどのようなものでしょう?」

「え? はぁ、それは…なんといいますか…お金的なものといいますか…お金になりそうなものといいますか…」

「物ですか?」

「は? は、はぁ…物的《ものてき》なものといいますか…価値あるものといいましょうか…」

「具体的に何ですか?」

「え? ええ、それは…秘密でございます。こんな場所ではちょっと言えないものでして…行けばわかりますよ。へへへ」

「それでは困ります」

「え!? どうしてですか?」

「だって、もし行って私が持てないようなものでしたら、足手まといになってしまいます。それならば最初から男性に助力を願ったほうがいいでしょう。あるいは台車か何かを持ってくるかすればいいのではないかと」

「…は、はぁ…なるほど…。それも道理でございますが、やはり人手というものが必要だと思うのですよ」

「単なる人手ならば、私でなくても大丈夫ですよね」

「ああ、いえいえ! レイオンさんの妹であられるあなただからこそ、価値があるのです!」

「持てなくてもですか?」

「そこはわたくしめがなんとかいたします。他の連中の抑止力にさえなっていただければ…」

「………」

「へへへ…その…へへへ……なにとぞよろしくお願いできれば……」


 まさかミャンメイが、ここまで警戒するとは思っていなかったのだろう。

 慌ててしどろもどろな説明を繰り返すカスオの姿は、なんとも違和感がある。


(妙に焦っているわ。…怪しい)


 アンシュラオンからは、カスオを信用するなと言われている。

 これもはっきり言おう。



 クズが簡単に更生することは―――ない!!



 断じてない! ありえない!!

 差別だと言われても事実は事実なのだから仕方がない。

 腐った性根は簡単には治らない。治らないとは言わない。あくまで「簡単には治らない」のだ。

 これは病気という意味で、あえて【治す】と言うべきだろう。正常な状態ではない、という意味だ。


 何十年もかけて染み付いた汚れは、ちょっと拭いたくらいで取れるわけがない。

 万引き犯や麻薬中毒者などが再犯を繰り返してしまうのは、そういった傾向性が『習慣』として染み付いているからだ。

 癖とは怖いものだ。ついうっかり人前で出て恥を掻くことも多いだろう。

 やろうと思っているわけではない。反射で出てしまうのだ。だから怖い。

 これを戻すには、強力な洗剤を使っても何十回もこすらないといけないし、仮に綺麗になっても手入れを怠れば、またすぐに汚れてしまう。

 更生とは、努力に努力を重ね、さらに他人からのサポートがあってようやく成り立つくらい大変な作業なのだ。

 こんな数日たらずでカスオの性格が変わるわけがない。


 そのうえ相手は、キンブ・オブ・クズ。


 アンシュラオンに認められるほどのクズのキングである。

 レイオンが無手のキングならば、カスオはクズのキングだ。王者を侮ってはならない。

 今まであまり相手を疑うことをしなかったミャンメイであるが、ここにきて妙に頭の中がクリアになっていく感覚があった。

 警戒しろ。気をつけろ。怪しいぞ。

 自分の中にある白い力が、そう言っているような気がした。


(何か企んでいそう。でも、何を? ここで何かしたら兄さんが黙っていないだろうし、また追い出されたら本当に行き場がなくなる。そんな状況で変なことをするかしら? …でも、何があるかわからない。ここ数日のことを思えば、何が起きても不思議じゃないわ)


 ミャンメイは数度自問してみる。

 断るのは簡単だ。今の自分ならば怖がることはない。

 ただ、何かを企んでいるとすれば、それを知るチャンスでもある。

 もしここで断って企みがわからなくなれば、それこそ正体不明の火種を抱えることになる。

 まだ幼い子供たちがいるのだから危険が増すかもしれない。それだけは避けねばならない。


(私だけにこうして言ってくること。兄さんが怪我をしたタイミングであること。ならば、私を『ターゲット』にしているのは間違いないわ。兄さんもホワイトさんもいないけれど…どうしよう?)


 ミャンメイは、腰にある鞘に入った包丁に触れる。

 料理人にとって包丁は、人を傷つけるためにあるものではない。

 しかし、アンシュラオンが自分にこれをくれた意味を少し考えてみた。

 ニーニアにも自衛の大切さを説いていたのを聞いていたが、たしかに自分の身は自分で守らねばならない。


 それもまた―――覚悟


 包丁を触っていると落ち着く。

 アンシュラオンの気配を感じるし、力強いお守りにさえ思えてくる。


 そして、ここでも「ある予感」がよぎった。


 サナに対して感じていたような強い確信。それがなぜかカスオからも漂っているのだ。

 この男には何かある。

 漠然とした直感のようなものが自分を駆り立てる。


(この都市に来てから感じていた疑問や違和感。その答えが、この先にある気がする。何か…何かがありそうな気がするの。今が最初で最後のチャンスかもしれない。それを逃したら後悔するような気がする。だったら自分の手で掴み取るしかないわ)


 ミャンメイは、一度だけ包丁をぐっと握り、離す。

 それで覚悟は決まった。



「わかりました。一緒に行きましょう」

「ですから、ぜひともあなたでないと……え?」

「わかりました、と言いました。私が必要なのでしょう?」

「え、ええ…はい」

「では、行きましょう」

「は、はぁ…」

「行かないのですか?」

「い、いえいえいえ! 行きましょう! 参りましょう! いますぐ、気が変わらないうちに! へへへ!!」


 ミャンメイの内面などまったく気にもしていないカスオが、突然の変化の意味に気付くはずもない。

 上手くいったとばかりに、ほくそ笑む。

 その仕草こそがミャンメイに確信を与えているとも知らずに。




449話 「ミャンメイの賭け 中編」


 ミャンメイは、カスオの後ろについていく形で歩を進める。

 カスオは入り口方面に歩き出した。やはり『奥』に行くわけではないようだ。

 どこに行くのかと怪訝に思っていたら、入り口と奥の中間にある通路に足を踏み入れる。


(この先は…行き止まりではなかったかしら?)


 ミャンメイの記憶では、この通路の先は袋小路になっていたはずだ。

 あまり赴かない場所ではあるが、三年もいれば少しは覚えているものである。

 事実、その先は行き止まりであった。


 男が女を袋小路に連れ込む。


 良いイメージがあるわけではないので、ミャンメイが身構える。


 が、カスオは後ろを振り返ることもなく、腕輪を『扉』に掲げた。


 ここはたしかに行き止まりで袋小路ではあったが、正面には扉があった。

 ただし、支給される赤い腕輪では反応せず、どうやっても開けることはできなかったため、それを知っている人間からすれば行き止まりと認識してしまうのだ。

 開かないと知っている扉は、壁同然。無いも同然だ。


 それが―――



 ゴロゴロゴロゴロッ



 開く。



「え!?」


 だからこそ驚きを隠せない。

 開かないという「思い込み」があるからこそ、ショックは大きい。


「驚いたでしょう? へへへ、そうでしょうとも。そうでしょうとも。地下にいる人間ならば当然の反応でございますよ! へへへ!」


 カスオは、してやったりの表情を浮かべる。

 こうして人を驚かせるのは楽しいものだ。普段は虐げられている彼ならば、なおさら楽しいに違いない。

 それから周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、扉を指差す。


「さぁ、こちらです。どうぞどうぞ」

「あの…どうやったんですか? ここは開かずの扉だったのでは?」

「わたくしめの腕輪は特別製でしてね。こうして普段は開けられない扉も開くことができるのです」

「特別製? いったいどこでそんなものを…」

「へへへ、これも人徳といいますか、ちょっと伝手がありましてね。そこで仕入れたものなんですよ。おっと、秘密ですよ? 本当に機密事項でございますからね。さあ、それより早く入ってください。誰かに見られたら大変です。さあさあ」

「は、はい」


 まだ状況が理解できずに驚いたままのミャンメイを、カスオが先導する。

 カスオはすでに入ったことがあるのか、まったく歩みを止めずに先に進んでいった。



(ちょっと予想外だわ)


 まさかこのようなことが起きるとは思っていなかったので、怖さよりも驚きのほうが勝ってしまっているのが本音だ。

 これが兄のレイオンやアンシュラオンがやったのならば驚かないが、よりにもよってカスオである。

 意外な人物。意外な人選だ。

 なぜ彼のような人物が、そんな特別な腕輪を持っているのか非常に気になる。


 ゴロゴロゴロッ


 やや薄暗い中に入ると、ゆっくりと扉が閉まっていく。


(…あっ、扉が閉まっちゃう。これって危ないわよね)


 カスオ曰く、この扉は特別製だ。開くには彼が持っている腕輪が必要になるだろう。

 このまま行くのは危険だ。

 そんな予感がしたミャンメイは、慌てて周囲を見回す。


 すると、近くに四十センチ四方の瓦礫が落ちていた。


 ちょっと大きめの庭石くらいな感じだろうか。これくらいの大きさならば一般家庭でもよく見られるサイズである。

 周囲を見ると内部はボロボロで、この瓦礫も目の前の崩れた壁の一部であることがわかった。

 扉も内部から見ると、あまり綺麗ではない。

 この中で何かがあったのか、至る所に破壊痕のようなものが見受けられる。


(なんでこんなことに…? むしろこの扉があるおかげで、被害がラングラスエリアに広がらなかったみたいだわ。ああ、そんな暇はなかったわ。これをなんとか動かせないかしら? 重そうだけれど…がんばって…)


 ぐぐっ ころん


(あれ? 軽い?)


 その瓦礫は、見た目に反してやたら軽かった。

 なんというか、中身の無いハリボテのようにさえ感じられる。腕力のない自分でも軽々と動かせる程度の重さだ。

 耐久性に若干の不安は感じたが、時間もないのでその瓦礫を扉の下に置いてみた。


 ゴロゴロゴロ ごんっ


 扉は瓦礫に当たって止まった。

 それ以上、押し込む様子はないし、扉の重さに負けている感じもしない。


 それによって【隙間】が生まれる。


 四十センチ程度の隙間だが、這いずれば人間の大人くらいは通れるだろう。

 身体が大きく胸板の厚い兄は難しくても、アンシュラオンならば悠々と通れるに違いない。

 当然自分も通れるので、「いつでも逃げられる」という、わずかな安心感が生まれた。


(ほっ、よかった。閉じ込められずには済んだわ。でも、ひょっとしてこの扉って…『軽い』のかしら?)


 丈夫だからといって重いとは限らない。

 我々のイメージでは「重い=頑丈」というのが常識になっているが、アルミやチタン、カーボンのように軽くて強い素材は意外と身近にあるものだ。

 また、この世界では術式が重要な要素になっているので、重さにかかわらず強力な術をかけてしまえば、軽くて強い素材が簡単に作れる。

 そうすると、こんな考えが浮かぶ。



 この遺跡は―――軽い



 のかもしれない、と。


 それがわかったところで意味はないだろうが、ミャンメイの感想は遺跡の本質の一部を言い当てているかもしれない。



「どうかしました?」

「ああ、なんでもありません」

「こっちですよ。こっち!」

「はい。今行きます」


 遺跡が軽いよりも、さらに驚くべきことがある。

 なんとカスオは、ミャンメイの行動にはまったく気付いていないらしい。

 これだけ隙間があれば誰でも気付くだろうに、そんな注意力もこの男にはないのだ。

 よく神経質な人間がずぼらな人間に対して、「あんたはどうしてこんなこともわからないんだ!」と怒ることがあるが、世の中には本当にそういう人間がいるものだ。

 人間それぞれで視点や見え方が違う。霊が培った経験値が違うからだ。

 カスオはもともと駄目人間であるし、安易な麻薬の持ち逃げをするくらい馬鹿な男だ。これくらいで驚く必要はない。

 それと、ミャンメイが素直に付いていって扉を潜ったので、もう大丈夫だと安心したのかもしれない。

 これもまた単純な思い込みであり、油断だ。


(なんだか昨日までの私みたいね。さすがにあそこまで酷くはなかったと思いたいけれど…)


 そんなカスオを見て自虐しながらも、ついでに予備のリボンも扉の表側に投げ入れておく。

 これで何かあれば誰かが気付くだろう。こんな行き止まりに来るような物好きがいればの話だが、やらないよりはいいはずだ。




 ミャンメイはカスオに先導されて、さらに進む。


 そこはいつも通り、部屋と部屋を繋ぐ通路が続いていた。

 灯りはないが、壁自体がうっすら光っているので真っ暗闇というほどではない。


 しばらく黙々と進む。



―――グラグラグラ



(今、揺れた?)


 その時、ミャンメイは地震を感じた。

 アンシュラオンが控え室で感じたものと同じだ。

 やはり遺跡自体が揺れているのか、振動はラングラスエリアにも響いているらしい。きっと他のエリアにも伝わっているのだろう。


(地震なんて珍しいわ。初めてかしら?)


 地震自体は知っているので、それだけで驚いたりはしない。

 ただ、マザー同様、少し珍しいなと思っただけだ。

 カスオも不思議がるかと思って視線を前に向けたが、彼は一心不乱に進んでいて気付いていないようだ。

 鈍感なのか興味がないのか、自分にとって価値がないことには関わらないのか、どちらにせよ無関心であった。

 わざわざ話題に出すほどカスオと仲良くもないので、そのまま口を開かずに進むことにした。



 さらにしばらく進む。



 すると、また扉が見えてきた。

 扉は閉まっていたが、三分の一ほどが欠けており、特別に開ける作業をしなくても中に入ることができた。



 内部は―――白い空間




(ここ、入り口に似ているわ)


 入った瞬間、どこか見覚えがあると思ったら、ラングラスエリアの入り口の空間にそっくりであった。

 無機質で妙に衛生的で、埃の一つも落ちていない「無菌室」を彷彿させる。

 唯一入り口と異なる点があるとすれば、通路よりは明るいが全体的に薄暗く、「すでに使われていない」様子がありありとわかるところだろうか。

 イメージは、廃墟だ。

 もともとこの遺跡自体がそういった印象ではあるが、ここはさらにその色合いが濃い場所であった。


 カスオは、この部屋も素通りする。


 アンシュラオンのようにロボットに襲われでもしない限り、いちいち部屋の一つ一つに注意を払わないだろう。

 その行動に不審な点はない。

 そうして淡々といくつかの部屋と通路を進んでいく。


 そして、再び行き止まりに到着した。


 部屋の大きさは二十メートル四方。他の部屋同様、白塗りの壁である。

 ただし、その部屋はどこを見回しても扉らしいものはなかった。本当の行き止まりだ。


(ここが目的地? 何もないけれど…)


 警戒しながらカスオを見ると、彼は何やら部屋にあった台をいじっているようだ。

 よくよく見ると部屋の中央には台座が設置されていた。

 台は教壇くらいの大きさの小さなもので、そこにはいくつかの色違いの石がはめられている。


「ええと…どれだったかな……たしかこれ…か?」


 カスオがぶつぶつ言いながら、一つの石に触れると―――



 グンッ!



 ミャンメイは突然の浮遊感に襲われる。



「えっ!? なに!?」

「へへへ、やった。これだ」


 カスオが喜んでいるところをみると、これがやりたかったことのようだ。

 その間も足は地面についているものの、軽い浮遊感は依然として続いていた。


(もしかして…落ちているの?)


 ミャンメイに高所からの落下経験はなかったが、なんとなく下に移動している感覚があった。

 今の彼女は正常な意識を取り戻しているので、周囲をよく観察している。

 ただ何気なくついてきているわけではない。しっかりとした目的があって、ここにいる。

 見たもの聞いたものを何一つ漏らさないように集中している。

 その結果、これが下に移動する手段であることを確信した。


 そう、エレベーターだ。


 ジュエルを使ったエレベーターは高級ホテルにもあるので、それ自体が珍しいものではない。

 単に平民クラスであるミャンメイには縁がないものにすぎない。

 しかし、こんな大きな部屋が丸ごと下に移動するとなれば、ホテルの従業員だって驚くに違いない。

 もう何十秒も降りているところを考えると、かなり深い場所にまで移動していることがうかがえる。


(こんなものがあるなんて…。遺跡のさらに地下に向かっているの? そういえば何があるのかしら…)


 すでに地下に暮らしているミャンメイは、自分が下にいるという感覚を持っている。

 しかし、それはあくまで地上から見た場合であって、実際には地下にはさらなる地下が存在する。

 では、そこに何があるのかと問われても答えることはできない。

 そもそもどこまで深いのか、どれほど大きいのかも知らないのだ。完全に未知の世界としかいいようがない。



 しばらくすると、浮遊感は終わった。



 カスオが入り口に移動したので一緒についていくと、扉が自動的に開く。


 その扉の先は―――




「青い…?」




 ミャンメイが見て感じたことが、その一言に凝縮している。


 そこは―――青かった


 壁も青ければ、地面も青く、天井まで青い。すべてが青に統一された空間が広がっている。

 ただし、その青にもさまざまな色合いがあって、けっして単色で構成されているわけではない。

 天井はまるで空のようにライトブルーであり、雲を表現したような白っぽいところもある。

 壁はどちらかというと緑に近い青で、そこにも多様な色合いがあるので、一見すれば森のようにも見えるかもしれない。

 ザァァァッ

 何か断続的な音がしたので目を向けると、そこには『滝』があった。

 天井付近からとめどなく流れている水が、地面に当たると粒子を撒き散らしながらも溜まっていき、大きな池のようなものを形成していた。

 ちゃぷん

 その水は池すら越えてうっすらと床全体にまで広がり、ミャンメイが足を動かすと水溜りを踏んだときのような感触と音がした。


(なに…ここ? 遺跡にこんな場所が存在するの? ここは地下のはずなのに、まるで外にいるみたいだわ。本物の空、本物の森にそっくり。地面だって水で濡れていることを除けば、本当に草むらみたいじゃない)


 地下なのは間違いないので、ここも大きさに限界のある一つの空間のはずなのだが、全体の造りのせいか色合いのせいかはわからないが、まるで外にいるような広大な奥行きを感じさせる。

 自分が暮らしているラングラスエリアは、まさに人工的な遺跡といった様相なので、ここの異様さがさらに際立つようだ。


「へへへ、驚きましたか? すごいでしょう!」


 自分の功績でもなんでもないのに、なぜか誇るカスオ。

 相変わらず殴ってやりたい気分にさせるイヤらしい顔だ。

 とはいえ、たしかにすごい。

 彼についてこなければ、こんな場所があるとは一生知らなかっただろう。


「あの…ここは何ですか?」

「さぁ、なんでしょうね。それより、こっちです。こっち」

「…は、はぁ」


 ミャンメイは素直にカスオの後ろに続く。

 ここまでくると警戒感が薄れるのも仕方がないだろうか。

 そもそも警戒するレベルを超えて、呆気に取られる状況に陥っている。

 まさかカスオがこんなところを知っているとは思わなかった。

 だからこそ、ますます疑念と違和感が強くなっていくのであるが。




450話 「ミャンメイの賭け 後編」


 青い空間は広いものの、基本的に一本道になっていたので迷うことはなかった。

 目の前に広大な世界が広がっていても、一定の範囲にまでいくと「透明の壁」が存在して進めなくなる。

 人間が歩ける場所は決まっているので、実際のところ、そこまで広い空間ではないということだろう。

 それも仕方ない。ここはあくまで『室内』なのだ。


 はて? どこかに似ている。

 どこかで見たことがあるような気がする。



 そう―――会議場だ。



 既視感を感じたと思ったら、【四大会議場】と同じシステムであった。

 あの場所も密室でありながら、ホログラムによって、あたかも外にいるかのように錯覚させていた。

 ここも同じ技術を使って造られていることがうかがえる。

 ただ、水だけは本物であり、歩くたびにぴちゃぴちゃと音を立てていた。


(思えば水に困ったことはないわ。地下水源でもあるのかしら?)


 地下に暮らすとなると物資も重要になるが、水の心配も出てくるだろう。

 飲み水はもちろん、料理をするにも洗濯をするにも生活用水は必要不可欠だ。人間にとって水はもっとも重要な要素の一つである。

 ただ、この遺跡で水の心配をしたことがない。

 どこからともなく水が湧き出ており、地下の人間は当たり前のようにそれを使っている。

 水自体は非常に透き通っていて虫一匹、ゴミの一つも混入していない。

 こんな廃墟のような場所ならば不衛生な虫が大量発生しそうなものだが、蚊やハエ、ゴキブリ等の虫はまったく見られない。

 それもまた不思議である。衛生面に関して完璧に配慮されているのだ。


(今までまったく気にしなかったけど、考えれば考えるほどおかしいわ。病気になった人もいないし…。マザーの話とは大違いね)


 マザーは若い頃から各地に赴いていたので、数多くの難民キャンプを見て回っていたという。

 そこでやはり問題になるのが衛生面、健康面だと聞いている。難民なのだから普通に考えても良いわけがないだろう。

 排泄物の処理を怠って感染症や伝染病などが発生すれば、一気に被害が拡大して大勢の人が死ぬこともあるらしい。

 地下では物資がある程度供給されているので、餓死するほど食にありつけないことはないのだが、それでも不足することはある。

 そんな中でも誰一人として病気にならない。痩せすぎている人間もいない。これは驚異的なことだ。


(水が豊富だから? たしかに水があれば衛生面はある程度維持できるけど……水か。すごく綺麗な水。靴で踏んでいるのにまったく汚れないなんて…)


 試しにバシャバシャと踏み鳴らしてみるが、水自体に浄化力があるかのように綺麗なままだ。

 そういえば、アンシュラオンも水を気にしていたようだ。

 この青い光景を見て強く水を意識したせいだろうか。どんどん疑問が湧いてくる。



 そんなミャンメイとは対照的に、カスオは歩みを止めない。


「へへへー、ふんふーん♪」


 小学生がピクニックに行くように上機嫌である。

 なぜそんなに機嫌がいいのかわからないが、競馬で万馬券でも当てたような喜びようだ。


(やっぱりあの話は嘘だったのね。わかってはいたけれど…こういう人って本当にいるのね)


 ミャンメイがカスオを見る目が、どんどん厳しくなっていく。


 なぜならばこの段階で、カスオの話はもう【嘘確定】である。


 私財がどうやらといった話は、やはり自分を連れ出すための口実だったようだ。

 世の中にはどうしようもないクズがいるものだ。絶対に信用できない人間がいる。

 それがこのカスオのような『人種』なのだろう。

 それはいい。わかっていたことだ。わかっていて、あえて話に乗ったのだからショックは受けない。

 ただし、なぜ自分を選んだのかがわからない。その目的も不明だ。

 相手が男ということもあって、最初はふしだらな目的も想定していたが、どうやらそういうわけではないようだ。


(これは当たりかも)


 カスオの話が嘘であれ、この場所に来られたことのほうが価値がある。

 こんな場所があることはまったく知らなかった。何も知らずに三年も上で暮らしていたのだ。

 今までいろいろと我慢をしてきて、ようやく『何か』にたどり着けそうな気がしている。

 その確信は、どんどん強まっていった。




 景色は、それからも移ろう。


 湖畔の光景から、海のような場所に移り、海中のような場所になり、時には空に漂う世界が広がる。

 ミャンメイはそのたびに、自分という存在を見失いそうになる。

 あまりの幻想的な光景に目を奪われてしまうのだ。

 しかし、カスオはまったく気にせずに進んでいるので、その感性の無さは驚異的というべきだろうか。

 感動というものは、それに適応した感性を持たなければ感じられないものだ。

 どんなに美しい景色でも、心が歪んでいる人間には、何の価値もないものにしか映らない。

 彼が欲しているものは、もっと俗的なものなのだろう。




 そして、ひときわ大きな空間にたどり着く。


 そこは『丸い水槽』といった様相の世界だった。


 ミャンメイたちがいる球体の周囲、見えない壁で隔てられた外側は、三百六十度すべてが水で包まれていた。

 言ってしまえば、水族館に近い。

 よく海中トンネルみたいな造りで、上下左右すべてが見渡せる水族館があるだろう。あれと一緒だ。

 ただし、魚がいるわけでも海草が漂っているわけでもなく、水だけがそこにあった。

 青い世界は外にずっと続いていて、奥に行けば行くほどグラデーションのように濃い青になっていく。


(深い。…そして怖い)


 深海の底を眺めるかのように、ぞっとする。

 青い空間は清浄と呼べるかもしれないが、それ以外の存在を認めないような排他的な印象を受ける。

 球体自体が光っているので周囲は明るいのだが、怖くて奥を見るのは憚られる不気味さがあった。

 そして、人工的な光によって照らされた空間があるということは、何かの目的のために用意されていることを証明してもいた。


 そこに【意思】がある。誰かの意思がある。


 カスオが中央にある台座に触れると―――


 ウィンンッ


 床から三メートル弱の長方形の箱が出現。


 箱は若干色がついた透明な色をしていて、中にはベッドのようなものが据え付けられていた。

 ちょうど人間一人がすっぽり入れるくらいの大きさだ。

 ウィーン カパッ

 長方形の物体が左右に割れて、ベッドが剥き出しになる。



「へへへ…これでよし、と」


 カスオが満面の笑顔で満足そうに頷くと、ミャンメイのほうに振り向く。


「いやぁ、大変お待たせいたしました。ここにわたくしの私財がありましてね。すぐに取ってきます。おお、そうだ。もしよろしければ、ここに座ってお待ちになっていただいてもけっこうですよ。へへへ…」


 カスオは揉み手をしながら愛想笑いを浮かべている。

 当然ながら、それを受けるミャンメイは冷めた目を向けていた。


(呆れた。まだ騙せると思っているのかしら? 私でもこれは無理があると思うわ)


 嘘に決まっている。何を言っているんだ、この男は。

 というのが素直な心境だろう。

 だが、今はそれよりも情報を得るのが優先だ。

 ぐっと我慢して、お馬鹿な若い女を演じることにした。


「わー、すごいですね。こんな場所があるなんて初めて知りました」

「そうでしょう、そうでしょうとも! ここはわたくしだけが発見した特別な場所なのですよ!」

「さすがクズオさんですね! 一目見た時から、すごい人じゃないかと思っていたんですよ。やっぱり予想通りでした」

「な、なんと! そうでしたか! 見る人が見ればわかるのですね! へへへ、うちの娘とはえらい違いですな」

「こんな素敵なクズオさんから生まれたんです。娘さんだってすごい人に決まっていますよ」

「それは言えますな! それなりに役に立つようですから、ここを出たら顔くらい見に行ってやってもいいかもしれませんね。へへへ」


 カスオはミャンメイのお世辞を額面通りに受け取ったようだ。

 普段褒められることがないせいか素直に喜んでいる。(名前を間違えられているにもかかわらず)

 ミャンメイにとっては単純に気を好くさせるための会話であったが、その中に気になる言葉があった。


(ここを出たら…? 出られるの? まるで確信しているようだわ)


 今の台詞は何気なく発せられたもののようだが、カスオはさも当然かのように「出る」と言っていたことが気になる。

 これだけ長く地下にいるのだ。普通ならば外に出るという願望すら諦めるくらいだろう。

 それがどうだろう。目の前の男は、もうすっかり出られる気分でいる。

 その根拠は何なのか。なぜそう思うのか。

 そのまま訊いても答えるわけがないので、今現在もっとも気になることについて訊ねる。


「ところで、それは何ですか?」


 ミャンメイが視線を向けたのは、目の前にある長方形の何かだ。

 今は左右に分かれており、中央にはベッドのようなソファーのようなものが設置されている。

 まるでそこに「人間を寝かせる」のが目的かのように、これみよがしにあるのが印象的だ。

 その意味では『カプセル』と呼ぶのが適切だろうか。


「へ? ああ、これは……なんです…かね? リラックスする…ベッドですかね?」

「それもクズオさんの私財ですか?」

「ま、まあ、わたくしが見つけたので、私財と呼んでもよいのではないかと思いますな! うん、間違いない! これはわたくしのものですよ!」

「それも持ち出すのですか?」

「…え? そ、そうですな。こんな珍しいベッドならば、きっとかなりの金になるでしょう! それで皆様方のお役に立てるのならば、これほど名誉なことはありません!」

「それ、動かせます? かなり固定されているみたいですけれど…」

「お、おお、よくぞ訊いてくださいました! 実はこのベッド、人が入ると動くのですよ! ですから、誰かが入れば簡単に動かすことができるのです! それでぜひ、あなたに入っていただきたいと思うのですが…どうでしょう?」

「それはすごいですね! ちょっと見てもいいですか?」

「どうぞどうぞ! ぜひともごらんください! ごゆっくりどうぞ! へへへ」


 ミャンメイは謎のベッドに近寄る。

 その間も背後の警戒は怠らない。



―――「油断するな」



(はい、ホワイトさん。わかっています)


 こんな状態でも、ミャンメイに心細さはまったくなかった。

 今までの自分ならば、いや、若い女がこんな場所で「悪意ある男」と二人きりならば、恐れおののくのが普通であろう。

 しかし、心の中に宿った白い力が勇気を与えてくれる。

 自分を虐げてきた理不尽な何かに立ち向かう力を与えてくれる。


(それにしても、これは何なのかしら? ベッドというか…まるで棺《ひつぎ》みたい)


 仮にこの中に人が入ることを前提としたものならば、その姿はまるで【棺】と呼ぶに相応しい。

 それが何のために存在するのか、現状では皆目見当も付かない。

 ただ、カスオの様子からして、この中に自分を入れたがっていることは間違いない。

 こうして開いたのならば、再び閉じるはずだ。そうなれば出ることは容易ではないだろう。


(私を閉じ込めるのが目的? 兄さんやホワイトさんへの嫌がらせ? そういった趣味の危ない人? ううん、そんなことをしても意味がないわ。だって、この人は『外に出たがっている』のだから)


 カスオの言動から、ここに来た目的は「外に出る」あるいは「逃げるため」と推測できる。

 地下にいても最下層の人権しかない彼にとって、最大の喜びとは「解放」を意味するはずだ。

 さっさとこんな場所から出て、好き勝手に生きたいと思うのが普通だ。

 それは間違いないのだろうが、そのために自分が必要だという理由がいまだにわからない。


(ちょっと誘ってみようかしら)


「うわー、なんかふわふわして気持ちいいですねー」

「お、おおっ! そのまま! ぜひそのまま!」


 ミャンメイがベッドに腰をかけると、興奮したカスオが近寄ってきた。

 それだけを見れば、若い女に興奮した変態中年オヤジだが、彼の目的はあくまでベッドに寝かすことのようだ。


(やっぱり。それなら…)


「これって、どうやって寝るんですかね?」

「お任せください! お手伝いいたします! へへへっ!」


 横になるそぶりを見せると案の定、カスオが喜々とした表情を浮かべる。

 その顔は、もう勝った、と言わんばかりの緩みようである。


(この顔をしている人ならば大丈夫)


 レイオンの試合の景品として、多くの選手を見てきたミャンメイもまた、相手の状態がよくわかるようになっていた。

 勝ったと思った時こそが、一番の落とし穴。

 必ず隙が生まれるのだ。

 不思議なことに、これは絶対の法則である。



 そして、互いの距離がギリギリまで近寄った時―――入れ替わる。



 すっとミャンメイが立ち上がると同時に、カスオの足を引っ掛けた。



「ふえっ! うおっ!!」


 まさかミャンメイがそんなことをするとは思わなかったのだろう。

 無警戒だったカスオは、あっさりと足を取られてふらつく。

 ただでさえ足が完全には治っていない状態である。倒れ込むようにベッドに手をついた。

 そこにさらにミャンメイの追撃。


「えいっ!」

「どわっ!」


 ドンッ

 後ろから体当たりをして、完全にカスオがベッドに這いつくばる。


 ピピピッ ウイーーンッ ガコンッ


 それと同時に、分かれていた棺が元の形に戻っていく。


「えっ! えええ! ふぇっ!?」


 こうして目論見とは逆に、カスオが閉じ込められることになった。




451話 「カスオの謎 前編」


「っ!! な、何が…! あれ!? どうなって…!! あれれ!?」


 予想していた通り、誰かがベッドに寝ると再び閉じる仕組みだったようだ。

 ミャンメイはすぐに離れたので問題なかったが、まったく想定していなかったカスオは完全に取り残される。

 自業自得、因果応報、自縄自縛《じじょうじばく》とは、このことだ。

 他人を閉じ込めようとしたら自分が閉じ込められる。まさに典型的な展開である。


(危ないところだったわ。何かアクシデントがあれば、私がああなっていたかもしれないのだから)


 危うく自分がこうなるところだったのだ。改めて考えると怖ろしいものである。


「出せ、出してくれ!!」


 一方のカスオは、なぜこうなったのかまったく理解できず、中で狼狽していた。

 ガンガンガンッ

 中から強く叩く音が聴こえるが、棺はまったく開く気配がない。

 もしかしたら内側からは開《ひら》けないようになっているのかもしれない。


「クズオさん、そこから出られないの?」

「出られるもんなら、出ているさ!! 早く開けてくれ!」

「あら、困ったわ。どうやって開けるのかしら?」

「そ、そこの台座の青いジュエルに触れれば開くはずだ! は、早くしてくれ!」

「えと…どれかしら」

「そこだ! そこの右側の!」


 ミャンメイが移動して台座を見ると、そこにはいくつかのジュエルがあった。

 その中の右側、青いものが開閉用のスイッチらしい。


「教えてくれてありがとうございます」

「…え、ええ。早く開けてくださいよ。へへへ…」

「………」

「あ、あの? 聞いてます? 早くしてもらえると嬉しいなーと思うのですが…へへへ」

「うーん、いろいろと考えたんですけど、あなたを出すと危ないので、しばらくそこに入っていてくれませんか?」

「な、何を言っているんですか! 閉じ込められているんですよ! すぐに開けてくださいよ!」

「どうしてですか?」

「ど、どうしてって…開けるのが普通でしょう! こんなに困っているのですからね!」

「開けるのが普通と言われるのならば、閉じ込めるのも普通のことなんですか? あなたは私を閉じ込めようとしていましたよね。その理由がわかるまではお断りさせていただきます」

「なっ…だ、誰がそんなこと…! そんなわけないじゃないですか! ねえ!」

「よくそんなことが言えますね。誰がどう見ても、そのつもりだったはずですよ」

「い、言いがかりだ! 何を根拠に…」

「どうして青いジュエルで開くと知っているんですか?」

「そ、それは…これはわたくしの私財ですし…」

「クズオさん、あなたはやっぱり…クズですね。ホワイトさんの言うことがよくわかりました。あなたがどう弁明しても、私から開けるつもりはありません。それだけは言っておきます。私の身の安全のためにもです」


 自分でも驚くほど、冷たい声が出てきた。

 もしあのまま寝転がっていたら、自分がこうなっていたのだ。

 それを思うと、この男に同情するという気持ちはまったく湧いてこない。


 そんなミャンメイの変わりようを受けて、カスオも本来の姿に戻っていく。



「このクソアマ、よくもやりやがったな!! 出せ、早く出せ!! 出しやがれ!!」



 クズがクズである所以は、性根がクズだからだ。

 所詮は上っ面だけの存在。これがカスオの本性である。

 これもわかっていたことなので驚きはしない。ああそうだったのか、と思うだけだ。

 それより尋問が先だ。優位になった今こそが最大のチャンスであろう。


「ここは何ですか? この場所で何をしようとしていたんですか?」

「そんなこと知るか!」

「知らないでこんなことをするわけがないでしょう? あなたは誰なんですか? どうしてここに入れるんですか? 何が目的なんですか?」

「へっ! お前に言う理由なんてねえな! 教えるもんかよ!」

「それを言うまでは、ずっとそこにいてもらいますからね」

「この人でなし! 早く出せ!」

「不思議。あなたに言われても何も感じないです」

「ちくしょう! 出せ! 出しやがれ!!」


 ガンガンガン

 カスオが中から叩くが、棺は頑丈でまったく出られる気配がない。

 さらに隠し持っていたナイフで切りつけてもみたものの、逆に刃こぼれしてしまった。



「ちくしょうちくしょうちくしょうっ!!!」



 ガンガンガンッ ギンギンギンッ

 野生の猿か猪でも捕まったかのごとく中で暴れまわるが、そのすべてが無意味だった。

 このカプセルだか棺だかわからないものも、壁と同様に強固な物質で出来ているようだ。

 普通の武器でこれを破壊することは不可能である。




 数分後。


 さすがに自力で出ることは不可能だと悟ったのか、カスオが少しおとなしくなる。

 普段運動もあまりしていないため体力にも乏しく、息を切らしてうずくまっている。

 そして観念したのか、力なく話し始めた。


「だからおれは…その…たいそうな話じゃねえよ」

「それでもかまいません。はっきり訊きます。あなたは誰ですか? いったい何者ですか?」

「こんなことをしたんだ。あんたは誤解しているかもしれねえが、ただのちんけな元麻薬の売人さ」

「麻薬の売人さんが、こんな場所を知っているんですか? それを信じろというのですか?」

「そりゃ…難しいかもしんねえが、本当だからしょうがねえ」

「………」


 ミャンメイはカスオを観察するが、アンシュラオンのように人の嘘を見分けられるわけでもないので、正直よくわからない。

 ただ、カスオが大人物なわけがない。

 実はすべての黒幕だった、とは到底思えない。


(まったくオーラがない。ホワイトさんのような存在感がないわ)


 カスオの小物臭がすごいのだ。

 哀しいことに、それだけでも相手の言葉を信じるに足る証拠になるだろう。


「あなたが普通の人だということはわかりました。では、何が目的ですか? どうしてこんなことを?」

「目的? へへへ、人間にとって目的があるとすりゃ、そりゃ金と自由だ。違うか?」


 さすがクズ。人生の目的が金と言い張るところが格好いい。

 ふと思えば、アンシュラオンと同じことを言っている気がしないでもないが、なぜかカスオの場合は下卑た印象しか受けないから不思議だ。

 そこはやはり内面。ただのクズと王との違いだろうか。


「こんなことをしてお金が手に入るんですか?」

「ああ、入るぜ」

「ちょっと理解できないんですけど、どうやってですか?」

「そりゃ…まあ……いろいろとな……」

「言わないと出られませんよ」

「いやいや、言うよ。言うさ! ただ、おれにもよくわからねえところがあるんだ。最初に言っておくが、おれが知っていることはごくごくわずかだ。それは信じてくれよ」

「…順を追って訊きますね。あなたがただの売人だとしたら、どうしてここに入れるんですか? その腕輪は誰から仕入れたんですか?」

「これは……【拾った】んだ」

「拾った?」

「ああ、拾ったんだ」

「伝手があるとか言ってましたけど…」

「あれは嘘だ。そんな伝手があったら、もっと早くここからおさらばしてるぜ。へへへ…おれに友達なんていねぇしな」


 これも哀しい発言であるが、事実である。


「いつどこで拾ったんですか?」

「半年くらい前か? とある部屋で【腕】を拾ったんだ。それにこの腕輪が付いていたのさ」

「腕…?」


 その言葉にミャンメイが嫌悪感を露わにする。

 腕を拾うなど、それだけで最悪の出来事だ。気分が悪くなるに決まっている。

 だが、カスオの話には続きがある。


「腕っていっても人間のじゃねえ。人形…なのか? よくわからないが血も出ていないし、人間とは明らかに違うもんだった。マネキンみたいな感じか?」

「人形の手? それならばまだいいですけど…どこで拾ったんですか?」

「あんたはラングラスエリアの全部を見て回ったか?」

「全部は見ていないですね。あまりに広いですし…行けない場所も多いですから。開かない扉も多いですし…」

「へへへ、それが思い込みってやつさ。扉には開かないようにみせかけて、条件が整えば開くものもあるんだ。たとえばそう、おれが拾ったジュエルに反応して開くようなやつがな」


 バイラルのいる部屋が、それに該当する。

 支給される腕輪ではなく、その扉専用のジュエルがないと開かないタイプの扉である。

 その多くはかつて「私室」として使われていたため、言ってしまえばそれぞれに用意されたプライベートルーム専用の鍵のようなものだろう。


 では、なぜカスオがそれを持っているかといえば、そんなに難しい話ではない。

 カスオのラングラスグループでの仕事は、トイレに金庫を隠していたことからもわかるように『清掃員』である。

 ぶっちゃければ「ゴミ拾い係」という、誰もやりたがらない仕事を押し付けられているにすぎない。

 彼の立場はグループの中でも最下層なので、それも仕方がないだろう。

 だが、その立場が唯一好転した日があった。


 ある日、カスオがゴミ拾いをしていると、その中に【古ぼけた石】のようなものがあった。


 黒ずんでいたので、一見すればそこらの石にしか見えなかった。

 瓦礫の破片と思うのが普通の人間の反応だろう。

 しかし、長年ゴミを見てきたカスオは、直感的にそれがただの石ではないことを理解した。

 ゴミの中から少しでも価値あるものを手に入れて、生活の足しにしようとする必死さが、そこで生きたわけだ。

 その努力をもっと違う分野で使っていたら、最初から地下になど来なくても済んだのだろうが、いまさらそれを言っても意味はない。

 クズはクズだ。簡単に変わるわけがない。

 とはいえ、それが何かわからなかったので、ポケットに入れっぱなしにしておく日々がしばらく続いた。

 そして、彼がすっかりと忘れていた頃だ。


 ある扉の前を通りがかったら―――突然開いた。


 その扉は開かないと誰もが思っていたので人通りはまったくなく、カスオも通路に何か落ちていないかと、たまたまやってきただけにすぎない。

 一瞬だけ呆然としていたカスオだったが、そこは慣れたもの。迷うことなく、すかさず中に忍び込んだ。

 どうせどこにいても最下層の自分である。もし閉じ込められても、グリモフスキーたちと一緒にいるよりはましと考えたのだ。


 入った部屋の中は、荒れ果てていた。


 何か大きな混乱があったのだろう。机や家具らしきものがすべて壊されて散乱していた。

 正直、転売できそうなものは何もない。すべてがガラクタといって差し支えない状態の悪さだった。

 それでもカスオは興奮した。

 なにせ今まで見てきた部屋は、どれもがすっかり(風化して)綺麗になっていて何もなかったのだ。

 ここまで生活感が残っている部屋など、現在バイラルがいる部屋以外には、もう一つも残っていないに違いない。


 彼は喜々として部屋を漁った。


 ただ、いろいろと見つけるには見つけたが、その多くがよくわからないものであり、価値あるものかゴミなのかすらもわからなかった。

 カスオだから当然ではあるが、仮に他の一般人でも同じ結果になっていただろう。

 同じ人間であっても、文化レベルや生活環境がまったく違うのならば、それはもう他の惑星に住む「宇宙人」と大差ない存在である。

 ぱっと見て理解できるわけがない。多くは使い道がわからない、まさにゴミであるといえよう。

 しかしその中で唯一、カスオにとって見覚えのあるものが存在した。


 それが―――【腕輪】


 腕輪は床に落ちていた『人形の腕』にはめられていた。

 当時の部屋の住人が意図的に人形にはめて管理していたのか、あるいは単なる装飾だったのかは不明だが、それはラングラスエリアの扉を開くための【鍵】であることは理解できた。


「腕輪を入手したおれは、チャンスを見ては隠れながら扉を回っていった。そして、いくつかの扉が開くことがわかった」

「それでここに入れたというわけですね。…ここ以外の扉の中には何があったのですか?」

「何もなかったさ。他の部屋と同じ、もぬけの殻みたいな感じだったぜ」

「本当ですか? 何かあったんじゃないんですか?」

「あったとしても、おれには使い道はわからねえ。金にならないのなら価値はないしな」


 どんなに文化的に価値があっても、金にならないと意味がない。

 研究者や学者ではないのだ。空き巣と同じく金目の物にしか興味がない。

 そこは嘘ではないだろう。


「随分とここに慣れていたようですけれど…」

「そりゃ秘密の場所だからな。何度も来たことがあるさ。いろいろと触ってもみた」


 ここまでのカスオの話におかしなところはない。

 むしろこの説明以外では、カスオが腕輪を持っている理由が見当たらないので、ひとまず受け入れる。



「じゃあ、質問を変えますけど、ここは何ですか? あなたが入っているのは何?」

「知らねえな」


 ここでようやく明らかな嘘が出た。

 知らないのならば閉じ込める理由はない。これだけは絶対に嘘である。




452話 「カスオの謎 中編」


 カスオが何も知らず、自分をここに閉じ込めようとするわけがない。

 よって、この発言は嘘だ。


「私はおとなしい女に見えるかもしれませんけど、今はそこまで余裕はないですよ。あなたを見捨てる選択もできるかもしれません」

「へへへ、おれの腕輪がないと、どうせ出られないぜ」


 ここでカスオは強気に出る。

 彼がまだ折れていないのは、あの腕輪があるからだろう。

 たしかに腕輪は気になる。


(あの移動する部屋は腕輪がなくても動かせそうだし、入り口の扉も隙間がある。帰るには困らないけれど…腕輪がないと不便なことも多そう。逆にあれがあれば、できることも増えるというわけね。真実に近づくには腕輪が必要だわ)


 カスオに用はないが腕輪は必要だ。かといって、そのまま出すのも危険だろう。

 一度戻って誰かを連れてくるという選択肢もある。

 なんとか扉をこじ開けてレイオンを連れてくるか、あるいはアンシュラオンがいれば最高だ。

 しかし、それでは時間がかかりすぎる。


(…駄目。今というチャンスを逃すほうが危険だわ。目を離したら何が起こるかわからない。今はこの優位性を上手く使ったほうがいいわね)


 世の中は不思議なことに、そのチャンスを逃したら二度と出会えないことがよくある。

 たとえば買い物で、その時にたまたま気に入ったものがあっても迷ってしまい、後日買いに行ったらもうなくて後悔する、というのは定番のパターンだろうか。

 ネット通販で探しても上手く見つからず、そのまま縁自体がなくなるのだ。

 今もそれに近しいものを感じる。この瞬間を逃さないほうがいいと直感が働く。


「どうしようかしら…」

「へへ、へへへ。ここは和解ってことでどうでしょう? お互いに痛み分けってのは?」

「いまさらあなたを信用できると思いますか?」

「へへへ、そこはするしかないというか…ねぇ? 人生には妥協も必要ですよ」

「あなたに頼らなくても腕輪を手に入れる方法はありますよ」

「へぇ、それはどんな方法ですかねぇ?」

「こういう方法です」


 ミャンメイが腰から『包丁』を抜いた。

 鋭く刃こぼれ一つない刀身が、ぎらりと光る。


 それを見せつけながら―――




「あなたが衰弱した頃に開けて、ゆっくりと腕ごと切り取ってもいいんですよ」




 ミャンメイが、自分の腕に包丁を押し当ててみる。

 ひんやりとした冷たい感触が、それが簡単であることを物語っている。


「なっ!! へへへ、じょ、冗談でしょう? まさかそんなこと…しませんよねぇ?」


 それを見て、カスオが青ざめる。

 こんなお嬢ちゃんがまさか、という視線を向けるが、ミャンメイは真顔だった。


「私、もう利用されるのは嫌なんです。立ち向かわないといけないんです」

「そ、それはご立派で…へへへ」

「ホワイトさんが教えてくれました。勇気をもって戦わないといけないんだって。本音で向かわないといけないんだって。だから、これは本気です」


 ミャンメイは嘘を言っていない。

 怖いけれど、勇気を振り絞る時がやってきたのだ。

 ここには自分独りしかいない。自分がやらねばならないのだ。

 包丁を握る手に力を入れ、カスオを問いただす。


「どうして私をそこに閉じ込める必要があったんですか? その理由は何ですか?」

「………」

「本当に…やるしかないなら……」

「わ、わかった。わかった! だからそう思い詰めるな!! 言うよ!」

「では、聞かせてください」

「…どうやらこの遺跡には、出入り口がいくつかありそうなんだ。そこから外に出るためにあんたが必要だったんだよ」

「え? ほかにも外に出られる道があるんですか?」

「よくよく考えてみるといいぜ。この遺跡がどれだけでかいのか知らないが、入り口が一つなわけがないだろう? だってよ、実際に収監砦から入る道のほかに資材搬入用の入り口もあるんだ。なら、それ以外にあってもおかしくないだろう? 何かあったときのために出入り口が複数あることは、けっしておかしいことじゃねえさ。むしろ無いほうが不自然だ」

「…それは…はい。たしかに」

「考えてもみなかった、って感じだな。へへへ、そこが出来るやつとそうじゃないやつの差だ」


 カスオは駄目人間だが、「小ずるさ」にかけてはそこそこ長けた男だ。

 金貨を盗んだ時もアンシュラオンがいなければ、そのまま完遂できた可能性が高い。

 超絶にせこいが、そうしたせこさも才能の一つだ。

 その才能がここを見つけたのならば、十分褒められるものかもしれない。



「この先に出口があるんですか?」

「そう考えてもらってもかまわないぜ」

「そうだとしても、そこにどうして私が関わっているんですか?」


 そう、そこだ。

 カスオの言葉に今のところ不審な点はない。

 唯一、自分が必要という点以外は。そこがどうしてもわからない。

 ミャンメイがそんな疑問を抱いていると、ふとカスオの視線を感じた。


 その目は―――腕輪を見ている。


 ミャンメイの手にはめられている赤い腕輪だ。


「この腕輪が…何か?」

「なんでその腕輪があるのか、疑問に思ったことはねえか?」

「…え? それは…扉を開けるため…?」

「おかしな話だよな。なんでいちいちこんなもんが必要になるんだ?」

「それはそうですけど防犯上の目的もありそうですし…普通は扉に鍵をかけるものでしょう?」

「ぎゃははは! やっぱりお嬢さんだね、あんたは! まあ、それくらいウブなほうが男に人気が出るからいいのかもしれねえな」

「…どういう意味ですか?」

「ちょっ! 包丁をちらつかせるなよ!」

「馬鹿にしないでください。刺しますよ」

「こえぇな!」

「何か知っているのならば話してください」

「…馬鹿にしたわけじゃねえ。何も知らないってのは幸せだなぁと思っただけさ。だが、【家畜】なんてもんは、もともとそういうもんだ。あんたとおれの違いは、自分の立場を知っている家畜か、知らない家畜かだけの違いさ」

「家畜…? 私たちがですか?」

「だってそうだろう? そんな腕輪を付けられて『管理』されているんだ。家畜じゃなくてなんだっていうんだぁ? 腕輪に『階級』がある段階でよ、そうは思わないのかい?」

「階級?」

「この腕輪で開けて、あんたらので開けない。それは『格差』ってやつだろう」

「あっ…」


 その言葉は、ミャンメイにすんなり入ってきた。

 ずっと自分の中で疑問だったことが、それによってすっきりしたからだ。



―――家畜



 知的生命体の人間からすれば、極めて不快な言葉だ。生理的に受け付けない。

 しかし、現状はそれに完全に当てはまる。

 カスオが手に入れた腕輪は、ここに入るための許可証でもあった。その腕輪でしか扉は開かなかった。

 だが、赤い腕輪では入れない。

 そこにはれっきとした【身分】が存在する。

 もし上の階級の人間から見れば、自分たちは下の存在にしか映らないだろう。

 あくまで上から管理される側の存在なのだ。そこに拒否権はない。


「でも、家畜なんて…言いすぎじゃないですか? 開く扉が違うだけでしょう?」

「それだけならば、まだそう思うのも仕方ねえな。だが、その腕輪は、ただ扉を開くためのもんじゃねえ。それは『観測装置』なんだよ」

「観測? 何を測っているんですか?」

「さぁ、そんなことは知らねえよ。だが、あんたも覚えがあるはずだぜ。ここに初めてやってきた時、なんか変なものに出会っただろう? なんてーか、怪しげな機械っつーか、でかい鎧みたいなやつだ」

「っ…! それって…あの!」


 アンシュラオンが出会ったロボットである。

 ロボットはスキャンをしていた。アンシュラオンだけではなく、すべての人間に対して何かのチェックを行っていた。

 それはその時だけの一過性のものだろうか?

 否。

 継続性があるものなのだ。

 その後は腕輪によって常時変化を測られている。

 こうしている今も、腕輪をはめているすべての人間を観測しているのだ。


 では、誰が? 何のために?


 次にそう思うのが自然だろう。

 ここまでして観測あるいは計測しているのだから、よほどのことだ。意味がないわけがない。


「誰が何の目的で、そんなことを?」

「だから、そんなことは知らねえよ。俺はよ、早くここから出たいだけなんだ。そのためにあんたが一番楽そうだったんだ。それだけだよ」

「楽そう? 女だから狙ったんですか?」

「それだけなら、お前さんでなくてもいいだろう。わざわざリスクの高いレイオンの妹なんて狙う必要はないぜ。条件に適した人間の中で一番楽そうだったって意味さ」

「条件…もしかして私は他人と違うの? その計測されたものが他人とは異なるの?」

「ここまできたら隠してもしょうがねえ。その腕輪には番号が振ってあるだろう?」

「番号?」

「気付いてなかったのかぁ? 裏側にあるんだよ」

「全然知りませんでした…」

「変な腕輪を付けられたら普通はヤバイと思って調べるだろう。抜けてんな、あんたは」

「あなたに言われると、さすがに嫌ですね」

「へへ、どうせおれは嫌われ者だからな。気にしないぜ。で、その番号に対応した人間の観測結果がわかるようになっているんだ。奥によ、そういうもんがあるんだ。それに気付くまで相当時間がかかっちまったけど、間違いないな」




「あんたは―――『選ばれた人間』なんだよ」




 カスオがミャンメイに目をつけたのは、『腕輪によって選定された人間』だったからだ。

 そうでなければ、レイオンの妹という危険な相手を選ぶこともなかっただろう。

 失敗すれば相応の報復を受けることになる。本当に死ぬ可能性さえあるのだ。

 それをあえて行ったのは、ミャンメイが【特級】だったからだ。


「基準はわからねえ。が、あんたが『やつら』にとって価値があるのは間違いないんだよ。だから狙ったんだ」

「…私が他人と違うのはわかりました。でも、それとそのベッドにどういう意味があるんですか?」

「それは…」



 ピピピッ




―――「不適合者と認定。排出いたします」




 ウィインッ ボンッ



「ぐえっ!」


 話している途中、突然棺が開いたと思ったら、ベッドからカスオが強制的に排出される。

 その出し方はやたら荒々しいもので、品質に合格しなかった「不良品」を捨てるかのような雑な扱いに見えた。

 カスオは思いきり身体を床に打ち付けて転がる。


「あたたた…ちくしょう。ゴミ扱いしやがって…」


 こんな扱いをされるのも家畜だからだろうか。

 機械にすらあっさりと見捨てられるカスオの哀れな姿も、クズにはお似合いだ。


 ただ、それによって自由になったことも事実。


 カスオが立ち上がると、にやりと笑う。


「へへへ、あんたがここに入れば何かが起こるはずなんだ。おとなしく入ってもら―――」

「えーーーいっ!!」


 ザクッ!


「ぎゃーーーーーー!!」


 ミャンメイが包丁をカスオの腕に突き刺した。

 さすがに良い切れ味をしている。簡単に二の腕に刺さる。


「ひーー、ひーーー! なにするんだ、この女!!」

「さ、刺しますよ! 変なことしたら刺しますからね!!」

「もう刺してるじゃねえか!」

「て、抵抗するのなら! えええい!」


 ザクッ!


「ぎゃーーーー!」


 再び刺す。

 今度もいい感じで腕に突き刺さった。


「あっ、鶏肉より柔らかいんですね。これなら簡単に捌けそう」

「ひーーっ! 怖いこと言うんじゃねえよ!」

「大丈夫です。お肉を骨から削ぎ落とすのは得意ですから!」

「もっと怖いっ!!!」

「はぁはぁ、勇気を! 私に勇気をください…! 刺す勇気を! 次はお腹に刺して、内臓を取り除かないと…そうしないと安心できない…! しっかり『解体』しないと!」

「や、やべぇ! こいつ、やべぇ!」


 何やら訳のわからないことを呟きながら包丁を握る女。

 なかなか怖い光景だ。カスオ以上に何をするかわかったものではない。

 冷静に考えると料理人とは怖ろしいものだ。極めて淡々と死んだ動物を解体している。あるいは喜々として分解する。

 ミャンメイも長年、そうやって生きてきたのだ。

 カスオを素材として捉えれば、解体することもそんなに難しいことではない。


「そうですね。『豚』と同じですね。…なんてことはないんです。ただ各部位に切り分ければいいだけですよね」



 ミャンメイの目が―――冷静なものとなる。



 料理人の目だ。

 解体する者の目だ。

 その様子にカスオも恐怖を隠せない。

 【家畜】としての本能が、これは危ないと警告している。




453話 「カスオの謎 後編」


「や、やめろ! もう刺すな! た、頼むからやめてくれ!! まだ死にたくねえ!」


 ミャンメイの据わった目に恐怖を感じ、カスオが土下座する。

 あれは本当に人を解体できる人間の目だ。

 アンシュラオンの力を受けて、彼女のリミッターが外れてしまったのかもしれない。

 今は包丁という明確な武器を持ち、実際に刺す力のあるミャンメイのほうが立場は上であった。


「だったら私に協力してください」

「きょ、協力? 何を…?」

「あなたのおかげで、かなりわかってきました。知らないこともたくさんあって驚いています。でも、まだ肝心の【根底部分】には到達していない気がするんです。この先にもっと何か、知らねばならない何かがあるような気がするんです」

「この先にあるのは出口だけだ。あんただって外に出たいんじゃないのか?」

「外に出たって何も解決しません。私にとって立ち向かうべき何かが、そこにあるんです。きっとたぶん絶対に!」

「いやいやいや! 何言ってんの! 仮にあったとしても、そんなの知ってどうするんだ! さっさと逃げたほうがいいに決まっている!」

「あなたみたいなクズと一緒にしないでください!」

「うえっ! 包丁を突きつけるな!」


(これは表面的なことにすぎない。この奥に【誰かの意思】があるのよ。それを見極めないと意味がないわ)


 逃げ惑うだけの暮らしは、もう嫌だ。

 外に出ても狙われる生活には耐えられない。

 ならば、戦うしかないのだ。その覚悟が今の自分にはある。


「わ、わかった。て、手伝う。だが、おれは外に出たいだけだ。腕輪はやるから、外への出口が開いたらおさらばさせてもらうぜ」

「わかりました。それでかまいません。さあ、案内してください」

「いいか、おれは本当に何も知らない。それはわかれよ?」

「早く」

「わかった、わかった! うっかり刺したりするなよ!」





 ミャンメイが包丁を突きつけながらカスオに案内をさせる。


 向かうは、この先、奥である。


 まずは行けるところまで行くつもりだ。

 仮にそこに出口しかなくても、それならばそれでいい。それもまた新しい情報になる。

 そうした情報を積み重ねていけば真実も見えてくるだろう。


(私が知りたいのは、狙われている理由だけ。それが事実ならば、むしろ私が兄さんを巻き込んだことになるわ。…でもその後、私はどうしたいのかしら? 復讐する? やめさせる? …わからない。わからないけど、知らないと納得できない。それだけなのよ)


 世の中には、理不尽なことなど山ほどあるものだ。

 旅をしているだけでも盗賊に襲われることもあるし、魔獣に食い殺されることもある。

 それに対して憤慨したとて何も変わらない。対抗する力がなければ意味がない。

 そもそも何かを成し遂げたいわけではない。ただ知りたいだけだ。


 知らねば納得できない。


 知れば納得できるかはともかく、まずは知りたい。

 そこが最低条件であり大前提であり、ミャンメイの原動力であった。

 だから怖れずに歩を進める。



 キュイインッ ズゾゾゾゾゾッ



 カスオが台座をいじると部屋の一部、球体の水槽の一部が伸びて、隣にあった水槽との橋を作る。

 どうやらこの球体と同じものが複数並んでおり、操作によって繋がる仕組みになっているようだ。


(こんなものが多数あるの? いったい何のために…?)


 疑問に思いながらも次の球体に入ると、そこには奥に向かう扉があった。

 扉はカスオが近づくと自動的に開いた。

 ここも例の腕輪の権限で入れるようになっているらしい。



 ゴロゴロゴロッ



 扉を開いて、中に入る。




 扉の先には―――『神殿』があった。




 それが神殿だとわかるのは、中央に『女神像』があるからだろうか。

 光の女神か闇の女神かはわからないが、女性と思わしき像が祈りを捧げている。

 女神像の周囲には色とりどりの花が咲き乱れ、像自体が光を放っているので花が反射し、七色に輝いているようにも見えた。

 こうした「後光がさす」状態は、各チャクラから光が放たれている状態を意味し、上位の霊格の存在、たとえば天使(地上生活をしない霊)などを見た際は光の羽が生えているかのように見えるらしい。(天使=羽のイメージがここで生まれる)

 この女神像も、そうした女神の霊性の高さを表現しているものと思われる。

 自分たちもそれに倣うべく、女神の偉大さを称えるのだ。

 だからこその祈りの場であり、神殿と呼ぶに相応しいだろう。

 また、大きな空間の両脇には紋様が刻まれた柱がいくつも立っており、植物のツタが絡まって何かの実をつけている。

 そうした花や植物が見られるためか、ここだけは無機質な感じはしない。


 これを見たミャンメイは、そこに【人の気配】を感じた。


 実際に誰かがいるのではない。人という【存在理由】を認知した、というべきだろうか。


(魔獣が祈るとは聞かないし、祈るとすれば人間だわ。だとすればここには昔、誰かがいたのかしら? それとも今もいるの? 植物もまったく枯れていない。誰かが手入れをしている? …あっ、そういえばマザーの花もまだ枯れていなかったわ。ここの水が影響しているのかしら?)


 ミャンメイも、今になって地下の状態がおかしいことに気付き始めた。

 上から来たアンシュラオンが即座に異変に気付いた水についても、当時の自分たちは違和感がなかったが、今ならばすぐにおかしいとわかる。


(ホワイトさんが出した水にも『生命力』が感じられた。この水にも近しい感覚がある。そういった性質があると思うべきかしら)


 実際にアンシュラオンの輝く水泥壁を見ているせいか、それがとても似ているものに感じられる。

 水は生命の象徴。

 あらゆるものを癒し、再生させ、慈しむ守り手である。

 ここにある植物も、その水を栄養にして成長し続けているのかもしれない。



「こっちだ」


 カスオが向かった先には、石版のようなものがあった。

 ちょうど女神の台座の真下に備え付けられた黒い板に、うっすらと光が滲んでいる。

 見たこともない文字が並ぶ中、数字だけは今と同じなのかミャンメイでも読み取ることができた。(このことから大陸暦以前の建造物であることがわかる)


「これだよ。この数字がリンクしているんだ」


 石版には、ランキングのような順位付けがなされており、上に行くほど光が強く、濃くなって表示されているようだ。

 すでにミャンメイは自分の番号を確認して知っているので、照らし合わせてみる。

 その数字はすぐに見つかった。

 最初に見た一番上の数字が、まさに自分のものだったのだ。


(58659552…。私の数字と同じだわ)


 信じがたいことだが、何度見ても数字が完全に一致している。

 これだけの桁の番号が偶然一致する確率は相当低いので、何らかの因果関係があるのは間違いない。

 また、石版に表示された番号は一つではない。

 定期的に表示が変わり、二十以上の数が同時に表記されることもあった。

 それがある程度終わると、また自動的に最初のところに戻る。まるで電光掲示板のお報せのように。


(クズオさんの言うことは間違ってはいない。いないけれど…)


「どうしてわかったんですか?」

「へ?」

「この番号がわかったとしても、個人を特定するのは難しいことですよね? 私がざっと見ただけじゃ、誰がどの番号かもわかりませんし…」

「ああ、それか。そいつは簡単さ」


 カスオが石版に腕輪を近づける。

 すると、石版の輝きが広がり、空中に巨大な地図が生まれた。

 これもホログラムを利用した技術であろう。実用化しているかはともかく、地球でもそこまで珍しいものではない。


「ほら、青い点が光っているだろう? 小さいけど番号も表示されている。それを見たのさ」

「動いて…いる? これはまさか…」

「言っただろう。管理されているって。そのままの意味だぜ」


 宙に表示された地図の上には、数字に対応した点がいくつもあり、それが微妙に動いている。

 かなりの縮尺図なので、動いている幅は小さく見えるが、そこで人間が活動していると思えば頷ける距離だ。

 これはもちろん、腕輪にはめられたジュエルがセンサーになっているのだ。

 もしここにアンシュラオンがいたら、きっとこう言うだろう。



「ペットの『マイクロチップ』と同じだな」



 と。


 人間が動物を管理するために、犬や猫にマイクロチップを入れる。

 皮下脂肪に直接入れたり、あるいは首輪に入れたりするのだが、どちらにせよ目的は同じだ。


 居場所を把握、つまりは『管理』するために便利だからやっていることだ。


 よく洋画でも題材になるが、これが人間に適用されるだけのことである。

 それを見て「非人道的だ!」と言ったところで、人間がペットに対して「迷子時の身元特定に使えるから」「飼い主を特定するため」と言って強制しているのとなんら変わらない。

 ともあれ、カスオはこれを見て個人を特定していった。

 どうやら点が大きい者ほど上位にランクインされているようなので、より大きな該当者を狙って探せば、特定はそう難しくはない。

 なにせ地下はテリトリーがだいたい決まっている。

 派閥ごと、グループごとに人間が分かれているので、時間をかければ比較的安全に調べることが可能だ。

 ミャンメイも目立つ存在である。目撃証言を得ることもたやすく、情報屋を使えばすぐにわかることだ。


「こんなことが…本当にあるなんて…」

「たいして珍しくもないだろう? スレイブの管理とそう大差はないぜ」

「…この点の人たち、他の人も調べたんですか? 私以外にも該当者がいるんですよね?」

「そりゃまあ調べたけど、連れてこれそうなやつってのは少なかったな…。あのグループでいえば、マザーって女も該当していたが…ありゃちょっと近寄れねえよ」


 さりげなくマザーも該当していたりする。

 ただし、彼女は危険察知能力も高いし、カーリスで最低限の護身術も学んでいるので隙がない。

 多少歳をとっているが、女性は地下では特に貴重なので周囲のガードも固い。

 女性を守る意識が地下全体で強いので、グループにかかわらず、カスオが女性に近づくだけで袋叩きに遭う可能性もあるくらいだ。

 当然、該当者が男でも駄目だ。屈強な武人ならばなおさらであるし、他の派閥ともなれば絶対に無理である。

 カスオ自体がラングラスから身動きが取れないし、人望も信頼も金もない。

 変なやつに情報を開示すれば、それこそ逆の立場になりかねない。さまざまなリスクがあるのだ。


 そうして考えた末、ミャンメイが最適と判断した。


 以前のミャンメイならば、お人好し感が全開だったので、騙しやすそうと感じたことも大きな理由だ。

 ただし、レイオンがいつも目を光らせているので、普通のタイミングでは無理だ。

 だからこうして長く離れるタイミングを狙っていたのである。


(今までの私は、そんなに弱々しく見えたのね。ホワイトさんがいなければ、今頃どうなっていたのかしら? あら? あそこだけ…白い? あの場所は…試合場?)


 地図を見ていて、一つだけおかしなところがあった。

 それは、無手の試合会場の部分だけが白塗りで潰されていることだ。

 大規模な修正が入ったアダルト漫画のように、そこだけが完全に白で覆われている。


「あれ? なんで白いんだ? 前は普通だったけど…」


 カスオもそれは初めて見るようで首を傾げていた。

 これは黒雷狼とアンシュラオンが、試合会場の結界を破壊してしまったからである。

 その意味でもイレギュラーではあるのだが、そこ以外にも潰れている箇所がいくつかあった。

 もともとが古い施設だ。すべてが完全に機能しているわけではないようだ。




 また新しい情報を得て、ミャンメイは核心に近づく。


 しかし、ふと気になることがあった。


「もう一つ訊いてもいいですか?」

「なんだよ」

「どうしてこれだけの情報で、外に出られると思ったんですか?」

「………」

「私が見た限り、たしかに何らかの関係はありそうですけど、それがあなたの安全を保証するものには思えないのです」

「………」


 カスオの行動と今まで得た情報を照らし合わせると、疑問はまだ残っていた。

 その疑問は、とても簡単なものだ。

 たしかにここに記された情報とあの謎の棺との関連はありそうだが、だからといってそれがカスオの目的と合致しないのだ。

 彼が欲しいのは当人曰く、金と自由だ。

 だが今のところ、それが見当たらない。その可能性をまったく感じないのである。


「ところで出口はどこですか? どこにそれが…」

「出口は目の前にあるぜ」

「目の前?」


 カスオは足を引きずりながら女神像に向かって歩いていくと、素通りして裏側に回る。

 その動作自体に不審な点はなかったので、ただ眺めていた。



 この時、ミャンメイは完全に油断していた。



 ようやくわかりかけてきた遺跡の謎、いや、自分に関わる何かを前にして情報を得ることだけに集中していた。

 だから、カスオが女神像の後ろから『ソレ』を取り出した時には、すでに遅かったのだ。


 カチャッ


 やや硬質的な音とともに取り出されたのは―――




「出口は目の前にあるんだ。それを逃してたまるか」




 カスオが―――【銃】を構えていた。





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