欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第七章 「収監砦」 編 第二幕


434話 ー 443話




434話 「ジュエリスト〈石の声を聴く者〉 後編」


 バチンッ バチンッ!!


 静電気で発する音を何十倍にもしたような、大きく弾ける音が何度も響く。

 発生源は、ペンダント。

 そこにある青いジュエルだ。

 アンシュラオンがサナのために作った、この世界で唯一のジュエルであり、スレイブ・ギアスである。

 しかしそこには、もはやスレイブ・ギアスと呼ぶのも憚《はばか》られるほどの愛が詰まっていた。

 二人の絆。

 白い魔人と黒き少女の間を繋ぐ最大の絆となっていたのだ。


 そのジュエルが、明滅を繰り返し、ついに黒い雷が発生する。


 ばちんっ ばちんっ ばちばちばちばちっ


 弾ける音はさらに細かく激しくなっていき―――



 バチーーーーーンッ!!



 ぶわっ!!


 ひときわ大きく弾けると同時に、サナの身体が起き上がる。

 むくりと起き上がったのではない。

 昔一時期、映画で「キョンシー」という中国のゾンビを描いたものが流行ったが、それと同じように何かの力によって身体を伸ばしたまま立ち上がったのだ。

 サナの目に意識はない。光が失われている。

 だが、そんなことはおかまいなしにジュエルは明滅し、黒雷の数は増え続ける。


 じじじじじっ じじじじじじっ


 サナの身体を覆い始めた黒雷が、大量の虫の羽音に似た音を響かせる。

 それに伴って、彼女の腹の傷が癒えていく。

 撃鉄亡火《げきてつぼうか》によって焼け焦げた腹の傷が修復を開始していた。

 凄まじい速度だ。百倍速の早送りを超えるスピードで、一瞬にして彼女の傷が癒えてしまった。

 あの愛らしく浅黒いお肌が蘇る。喜ばしいことだ。

 だが、それを隠すように黒い雷が全身を覆い始める。


 ばちんっ ばちんっ バチンッ!!!

 どーんっ! ドドンッ! ドンッ!


 サナの周囲にいくつもの落雷が発生し、明らかなる拒絶の意思をもって立ち塞がった。

 まるで―――ボディーガード

 彼女を傷つける者は絶対に許さないという強靭な意思をもった雷が、鉄壁の防御をもって守っていた。


 だが、これで終わらない。


 徐々に雷は肥大化し、サナの隣に収束を始める。

 バチンバチンッ!! バリバリバリバリッ!

 ピカピカピカピカッ!

 雷が弾けるたびにジュエルが激しい明滅を繰り返し、ついには閃光となる。


 ババババババババババババババッ!!!


 ピカーーーーーッ!!





 【黒い閃光】、と呼ぶべきだろうか。





 その場に黒い空間が生まれた。

 我々がイメージするブラックホールのように、真っ黒な球体状の漆黒が生まれたのだ。

 それだけでも驚きだが、そこから―――出る。


 にゅるりっ ずるるっ


 蛹《さなぎ》から蝶が羽化するように何かが這い出てきた。

 いや、たとえたものが蝶というのは失敗だったかもしれない。

 それは蝶などよりも遙かに凶悪で凶暴で、怖ろしいものであった。



―――黒い狼



 身体中を黒い雷で覆われた、黒よりも黒い漆黒の狼が出現した。

 しかも、でかい。

 サナを背中に乗せても余りある大きな身体は、およそ八メートルという体長を誇っているだろう。

 黒い雷で作られた狼の中で、目だけが釣り上がった真っ白な色合いをしている。

 ぎょろり

 その白い目が、明らかなる意思をもってレイオンを睨む。



「な、なんだ…これ…は……」


 睨まれたレイオンは背筋が寒くなるどころか、完全に凍り付いてしまった。

 足が動かない。手が動かない。視線も動かせない。

 文字通り、身体が凍り付いたように動けなくなってしまった。


(やばい…これは……本当にヤバイ…!!)


 武人は戦う生き物だ。戦って死ぬことを怖れない。

 しかし、けっして恐怖がないわけではない。それに打ち勝つ精神力があるだけのことだ。

 では、その精神力すら上回る【恐怖】に出会えばどうなるだろうか。


 脆くも―――崩れ去る。


 そうなれば動物と同じ。JBと戦ったレクタウニードスと同じ。

 一瞬にして戦う意欲を失い、絶対的な死の恐怖の前に動けなくなる。

 わかるのだ。目の前の存在が、自分を遙かに凌駕した高次元の怪物であることが。


「ヴヴヴッヴヴヴッヴヴヴッ!!」


 黒い狼は、唸る。

 敵意をもって周囲を睨みつける。

 バチン バチンッ!

 バチバチバチバチッ!!

 雷が弾ける音が強くなっていく。

 威嚇ではない。本当の攻撃態勢に入ったのだ。

 その存在は、躊躇うことなく周囲に対して敵意を向け―――



―――叫ぶ!!







「ヴヴヴヴッ…バオオオオオオオーーーーーーンッ!!」






 サンダー・マインドショックボイス。

 討滅級魔獣のローダ・リザラヴァン〈土炎変色蜥蜴〉すら、ほぼ一撃で仕留めるような精神感応波である。

 このボイスは雷の波動で物理的にダメージを与えつつ、相手の精神に干渉して木っ端微塵に破壊する。

 仮に防御で耐えきっても、精神破を受ければ精神と神経機能が破壊され、廃人になってしまう恐るべき力である。

 普通の防御では絶対に防げない。耐久力で受けきるしかない。

 かといってHPが二千を超える魔獣で、ようやく即死を免れるような代物だ。

 レイオンが受ければ、どうなるかは明白。


(死んだ)


 考えずともわかる。これは死んだ、と。

 この圧倒的な力の前に、たかだか上堵級の武人に何ができるだろう。

 彼が数十人、いや、数百人いても結果は同じだ。

 一撃で薙ぎ倒され、吹き飛ばされ、粉々にされ、精神すら砕かれて消失する。

 なぜこうなったのか理解できない。何もわからない。


 だが、知りたいとも思わない。


 これに触れてはいけなかった。禁忌に触れた自分が悪い。

 これほどの偉丈夫《いじょうぶ》が、あっさりと敗北を認めるほどに力の差があったのだ。

 人が津波を見て、勝てると思うだろうか?

 地震に遭い、なんとかできると思うだろうか?

 否。

 人にできるのは、逃げることだけだ。

 だが、もう遅い。逃げ道などはない。死ぬことしかできない。


 そうして達観の領域に突入した時である。




―――白い影が見えた




 この静止した黒い空間で、ただ一人雄たけびに向かっていく者がいた。

 その者だけは黒に呑まれず、完全なる白のままで自在に動いていた。

 白い影が手を突き出すと、掌から巨大な水の防護膜が生まれる。

 防護膜は一瞬にして会場全体に広がると、レイオンやミャンメイ、観客たちをすべて覆いつくす。


 ドーーーーーンッ!!

 バチバチバチバチッ バシュンッ


 防御膜に激突したショックボイスは、最初激しく抵抗していたが、それを上回る巨大な力の前に消失した。

 普通の防御では防げないと述べたが、普通ではない防御ならば防げるのである。


「こ、これは…」

「レイオン、下がれ。お前の手に負える相手じゃない。ミャンメイと一緒に下がっていろ」

「ほ、ホワイト…! 今のを…防いだ…のか?」

「お前だけを守ったわけじゃない。ミャンメイやマザーもいたからな。オレがいてよかった。危うく全員死ぬところだったよ」


 白い者は、当然ながらアンシュラオンである。

 サンダー・マインドショックボイスが発せられた瞬間には、彼は動いていた。


 その攻撃が、【この会場すべての人間を殺す】ことがわかったからだ。


 ボイス系のスキルは、前方180度以上の広範囲に効果が及ぶものが多い。

 声なので、真後ろにいても多少ながら影響を受けるだろう。

 これだけの威力の場合、この会場にいるすべての人間が即死だ。一番離れている者でも関係なく死んでいただろう。

 下手をすれば壁すら突き抜け、外にいる者たちすら巻き込んだ可能性もある。

 言わずもがな。そんなことが起これば大惨事だ。


「な、何が起こったんだ! なぜこんなことが…! あれはいったい!!」

「オレが知るか」

「お前の妹だろうが!! あんな怪物がどうして現れる!」

「怪物? …ふむ、怪物…か。お前にはそう見えるのか?」

「ど、どう見ても…そうだ。あんなもの、魔獣でも見たことがない。噂に聞く四大悪獣と言われても信じるぞ」

「そうかそうか。なるほど。くくく、悪くない。思った以上のものが出てきたようだな。これはとても喜ばしいことだ」

「なぜ喜ぶ! 頭がおかしいのか!」

「妹がこれを出したとすれば、これほど嬉しいことはないだろう? それだけの力と可能性を秘めていることを証明したんだからな」

「…正気か!? 到底ついてはいけん!」

「ああ、ついてくる必要はない。ここから先は【一般人】はお断りだからな」


 目の前の黒い狼は、もはや常人が立ち入れる場所にはいない。

 ここにおいては、レイオンでさえ常人。一般人。素人。

 無力であるという意味において、そこらにいる通行人とさして大差ないのだ。

 だからアンシュラオンからそう言われても、レイオンの中にまったく悔しいという感情はない。

 彼にあるのは、助かったという安堵感だけ。その段階で、これに関わる資格がない。


「お前は下がっていろ。どうやら外には出られないようだ。それならばオレが作った水泥壁の中にいたほうが安心だ。これくらいならば万一もないだろうが、もし何かあったらマザーたちを頼むぞ」

「水泥壁…なのか。これが…? 信じられん…!!」


 水泥壁は基本技の一つなので、属性応用の段階に入る因子レベル2もあれば十分実戦で使える一般的なものだ。

 防御系の技が得意な武人ならば、そこらの傭兵でも使えるだろう。

 だが、目の前に展開された水泥壁は、規模もパワーも違えば、その形態すら異なっていた。

 ただの水の塊ではなく、白い粒子が中で輝き流れ、天の川のような実に幻想的な空間を生み出している。

 サンダー・マインドショックの攻撃をすべて受け止めつつ、内部で流転させることで勢いを完全に殺す。

 完璧な水泥壁、その極致。

 それはもう泥という言葉を使うのは失礼だ。『白光水壁』と呼ぶべきかもしれない。

 これはアンシュラオンが強敵相手にしか使わない真の水泥壁である。

 ガンプドルフレベルの相手でなければ使わない。つまりは目の前の狼が、それだけの相手であるということを示している。


(ふふふ…ははははは!! 話にならん。話にもならない!! 俺などという存在がいてよい場所ではない!! 負けだ!! これは超人の世界だ! 覇王や剣王たちの世界だ!! 小人《しょうじん》は守られて逃げるのが責務なのだ!!)


 レイオンは、あっさりと負けを認める。

 アンシュラオンと対峙した時から負けていたが、そこに完全なる達観が加わった。


 目の前にいるのは―――超人


 この世界で覇王とか剣王とか呼ばれる、超絶級の武人だけに許された場所に立つ者だと理解したのだ。

 その前に立てば、自分は子供以下。子供は大人に従うべきだ。

 レイオンは言われた通り、ミャンメイを連れて下がる。

 だが、会場全体に黒い力は浸食を開始しており、入り口も封鎖されている。

 観客を含め、アンシュラオンが作った防護膜の中に退避することしかできなかった。




 それを見届け、アンシュラオンは改めて黒い狼と対峙する。


 正確には黒い雷をまとっているので、やはり【黒雷狼《こくらいろう》】と呼ぶべきだろう。

 だが、このような存在は自分も初めて見る。


(さて、サナから出てきたのは間違いないが…こいつは何なんだ? 見た感じ、あの黒い雷の集合体のようだが…【思念体】か? 雷の狼…か。そういえば、サナのジュエルの元になったのも青い狼だったな。関係がないはずがないか)


 サンダーカジュミロン〈帯電せし青き雷狼の凪〉のことは、モヒカンが持ってきた鑑定書によって知っている。

 あの魔獣も雷を扱う非常に美麗な狼であったのは記憶している。

 だが、目の前の狼は、明らかにそれ以上の存在だ。

 ぱっと見ても、四大悪獣と同じ第二階級の殲滅級に該当する力を感じる。

 さきほどの攻撃を防いだにしても、アンシュラオンが思わず全力を出して守るほどに強烈だった。

 おかげで観客たちは無事だったが、これをどうしていいものかと迷っていた。


 一方、それに対して一つの解答を得ている者が観客席にいた。

 この会場でもっとも博識であろう女性、マザーだ。


「…そうだったの。あの子、【ジュエリスト】だったのね」

「え? ジュエリス…ト? 何それ?」

「ジュエルは知っているわよね?」

「うん。いろいろなものに使われる燃料でしょう? えと、外灯もそうだし、料理の時に使うやつもそうだね」

「ええ、燃料と呼んでも差し支えないわね。ジュエル自体は【容器】ですもの。そこに各種のエネルギー源を蓄える力があるわ。ただ、それは物だけに当てはまるものじゃないの。武器や防具に利用するのが一般的だけど、もし人間という機械そのものに適応するジュエルがあったら、どうかしら?」

「え? 人間に? えと…武器にジュエルを組み込むと強くなるから……人間だと力が湧く…とか?」

「その通りよ。ニーニアは頭がいいわね。ジュエルの中にはね、人間に適応したものが存在するの。ただ、誰でも使えるわけじゃないの。その石と相性の良い人間…その【石の声が聴こえる】人間じゃないと駄目なの」

「石の声? ジュエルってしゃべるの?」

「その中に入っている【モノ】によって違うわね。私の場合は、感覚として理解しただけだから声そのものは聴こえなかったけれど…たしかに意思は感じたわ」

「マザーも使ったことがあるんだ!?」

「私の霊視の能力も【覚醒型の魔石】によって発現したものなの。だから今、彼女に起こっていることが少しばかりわかるわ。でも、ああ…なんて凄い力。あれはもう『テラジュエル〈星の涙〉』に匹敵するわね。そして、あの姿。黒い…狼。破壊の力……聖女様のお言葉通りね」


 人間に適応するジュエルの力を引き出す存在を、『ジュエリスト〈石の声を聴く者〉』と呼ぶ。

 もともとジュエルはお守り等にも使われるので、常人でも1パーセントから十数パーセント程度は適合するのだが、50%以上適合する者をそう呼ぶ。

 ジュエルとすこぶる相性が良い場合にだけ、ごくごく稀に発現する能力のため、武人全体でも1%以下しか存在しない希少な現象だ。

 そのため、こうした人材は各国各騎士団、あるいは傭兵団において大変に重宝され、日常的に勧誘合戦が繰り広げられているほどだ。

 ちなみにガンプドルフもジュエリストである。

 彼の魔剣自体が巨大なジュエルを加工して造られているため、魔剣を発動すると必然的にジュエルの力と融合することになる。

 それがどれだけ強いかは、今のサナを見ればわかるだろう。元の力を飛躍的に上昇させることになる。



 サナは―――ジュエリスト〈石の声を聴く者〉。



 石の声を聴く―――否。


 魔人の声を聴く者である。




435話 「災禍の黒雷狼 前編」


 ジジジジッ ドーーーンッ

 ガリガリガリガリガリガリッ


 無手の試合会場に、黒雷狼を中心にして黒雷が迸る。

 この遺跡の壁も扉同様、かなりの強度で出来ている。

 仮に風龍馬が竜巻を展開して暴れ回っても、軽く傷が付く程度の損耗しか受けないだろう。

 それも自己修復機能によって、数日も経たずに元に戻ってしまうかもしれない。


 それが―――爆散消失


 黒雷が床に当たると、その部分をたやすく抉り取っていく。

 天井、壁、柱、ぶち当たったあらゆる場所を、存在そのものごと破壊していく。

 唯一アンシュラオンが生み出した水泥壁は無事だが、雷が当たるごとに激しい衝突と爆音が発生して、観客たちが恐れおののく。

 誰も声を出さない。声が出ないからだ。

 目の前で起こっていることが理解できず、信じられず、ただただ守られるしかない弱い存在である。

 一人の格闘技好きの老人が、こんなことを呟いた。


「おお…【災厄】じゃ」


 実に見事な表現である。

 吹き荒れる謎の黒雷。圧倒的な暴力に襲われる矮小な人間たち。

 自分たちに害をなそうとする強大な存在、未知の存在は、災厄と呼ぶに相応しい。

 グラス・ギースに住む人間は、幼い頃から災厄の恐怖を親に教えられる。

 けっして忘れてはいけない。防備を怠ってはいけない。恐怖を消してはいけない、と。

 そう教えられて育つので、災厄という言葉に敏感なのだ。彼らにとって一番の恐怖が災厄なのである。


 恐怖に怯える彼らの目が、自然と一人の男に集中する。


 こんな状況の中、ただ一人だけ黒雷が暴れ回る場所に平然といる男に。

 自分たちが怖れる災厄にすら動じない者は、いったい誰なのか。

 この黒い空間に立ち塞がる、あの【白い英雄】は誰なのか。

 知らずのうちに目が惹き付けられる。心が引っ張られる。



「サナ、雷を止めろ!!」

「………」

「サナ!!」


 サナからは返事がない。

 彼女が自分の言葉に従わないわけがないので、傷は癒えたようだが意識は戻っていないようだ。


 ドーーーンッ!


 説得を試みるアンシュラオンに、落雷。

 強烈な黒雷が落ちてくる。


「ちっ!」


 アンシュラオンは回避。

 直後、その場所に落ちた雷が床を抉り、深さ三メートルもの穴を穿った。

 遺跡を削るだけでも大変なのに、これだけの威力を出すとは怖ろしいものである。

 もしここに人がいれば即座に消失していたに違いない。

 しかもそれが複数、大きな雷が三つ、そこから派生した小さな雷が八つほど、常時周囲を動き回っている。

 だが、その動きに統一性はなかった。


(特に標的もなく破壊を繰り返しているな。わかったことは、近寄った者を敵と認識することくらいか。あとはサナを守っていることも間違いない)


 アンシュラオンがサナに近寄ると、明確な敵意をもって黒雷が襲ってくる。

 雷もサナを中心に起こっている。雷のフィールドを形成して近寄らせないようにしているのだ。

 ただ、無理に近寄らない場合は、無差別に力を解放し続けているだけのようだ。

 最初はレイオンが近くにいたせいかショックボイスを出してきたが、それ以後は使う様子はなかった。


(受動的で反応的というべきか。こちらの感情に対応している印象だな。あの狼自体にサナを守る以外の目的はないようだ)


 黒雷狼自身に意思はない。


 これは―――力そのもの


 ただそこにある力そのもの。

 そう形容するのが一番しっくりくるだろう。

 近寄らなければ襲ってこないので、そのまま少し観察を続けることにする。


(この力がサナから発せられているのは間違いない。発生源はペンダントだ。店で買ったペンダントトップのせいとは思えないから、オレが渡したあのジュエルの力と考えたほうが妥当だな。だが、元になった魔獣にこんな力はなかったはずだ。あったら覚えているしな。…ふむ、あれが個体ならばデータで見られるかな? 認識できればいいが…)


 アンシュラオンは『情報公開』を使用。

 すると、黒狼にデータが表示された。

 どうやらあれ単体で個体認識されるようである。


―――――――――――――――――――――――
名前 :災禍の黒雷狼

レベル:111/255
HP :38000/38000
BP :8500/8500

統率:F   体力: A
知力:F   精神: S
魔力:S   攻撃: S
魅力:F   防御: B
工作:F   命中: S
隠密:F   回避: S

☆総合:第四神級 猛神《もうじん》級 魔石獣

異名:黒き少女の魔石獣
種族:魔獣、神、魔石
属性:黒雷
異能:適合者保護、黒雷招来、精神感応波、雷迎撃、中型障壁、物理無効、銃無効、即死無効、雷無効、毒無効、完全精神耐性、自己修復、美食家、暴走
―――――――――――――――――――――――


(なるほど。たしかに四大悪獣レベルだ。いや、スキルを加味すれば、それ以上かな。少なくともデアンカ・ギースには勝てそうだ)


 レイオンが言ったように、ステータスを見ればデアンカ・ギースに匹敵、あるいは凌駕する。

 そこらの武人はもちろん、荒野にいる魔獣でも太刀打ちできないだろう。

 良質なスキルがそろっているので、魔獣ならば撃滅級に入ってもよいレベルである。

 ただし、これはただの魔獣ではない。


(階級制度の表記も違う。『神級』ってことは…神機に近い表示かな? ただ、神機とも多少違う気がするな。なんだこれは? 初めて見るかもしれないぞ)


 通常、武人の情報には「第八階級 上堵級」「第七階級 達験級」といった表示がされる。

 魔獣は魔獣で「殲滅級」等の違う表記があり、神機は神機で「獣王階級」等の専用の表記がある。

 そして、目の前の黒雷狼もまた特別な表記がなされている。


 となれば、【存在そのものが他者と異なる】ことを意味している。


 簡単に言えば、所属するカテゴリーが違うのだ。


(第四神級ということは、他の階級もあるということ。つまりはこの狼一匹ではない、ということだ。同じような存在が、最低でもあと三種類はいるだろうな。今までの表示から考えれば、第三、第二、第一がありそうだ。あるいは武人と同じく第十段階まであるかもしれない。これは興味深いものだ)


 アンシュラオンでも初めて見る存在である。なかなかにレアだ。

 といっても自分はずっと火怨山におり、魔獣やたまに出る野良神機くらいとしか遭遇していないので、この世界にどれだけのカテゴリーがあるのかわかっていない。

 ひとまず、これはこういう種類だと理解するしかないだろう。


 そして、一番最初に表示され、一番気になった点に着目する。


(『災禍の黒雷狼』…か。あからさまに嫌な名前をしているものだ。間違いない。あれの中からオレの波動をかすかに感じる。…そうか。これか! あそこでこれが起きたのか!! だからあんなに大きな破壊痕が残っていたんだな!!)


 ここで最大の謎が一つ解けた。

 アーブスラットから逃げたサナが、その後どうなったか。

 なぜモグマウスたちが消失したのか。



 こいつが―――喰ったからだ



(それを連想させるスキルもある。最後のほうにある『美食家』だ。他者を喰らう性質がある証拠だな。それと異名と種族に『魔石』の表示がある。魔石…これはたぶんジュエルのことだよな。強い剣を聖剣や魔剣とか呼ぶし、これも同じ意味なんだろう。なるほど。だから蓄える能力があるのか。こいつの力は、もともとオレのものだ。だからこうも簡単に遺跡を破壊できるんだ)


 あの時に生み出したモグマウスは、自分の力の大半を注いだものである。

 サナの緊急事態なので遠慮はしなかった。全力の闘人操術で生み出したものだ。

 モグマウスには殲滅級魔獣でも倒せる力を与えてあったのだ。

 もしそれを吸収したのならば、この強さも納得だろう。


 ここで一つのことに気付く。


 とてもとても重要なことに。



(つまりこれは…【オレのせい】なのか?)



 サンダーカジュミロンの心臓を抉り取ったのも自分だし、それを使ってサナのスレイブ・ギアスを作ったのも自分だ。

 どういう理屈かはまだわからないが、そのジュエルが自分の力を吸ってしまった。

 少なくともモグマウスを喰らったのは事実だろう。そうでなければ説明がつかないし、そうだとすればすべて説明がつく。

 安易に専門外のことに手を出した自分のせいだ。

 非常に複雑な精神術式のジュエルは専門性が高く、素人が迂闊に触るべきものではない。

 それが普通の人間ならば害悪はなかったが、超規格外の魔人だったからこんなことになったのだ。


(いやいや、そんな馬鹿な。でも…思い当たることが多すぎる。サナの急成長を考えれば…やっぱりそう考えるのが……正しいのか? でもさ、この状況で全部オレのせいだったとか言えないよな)


 ちらりと後ろを振り返れば、大勢の視線が集まっている。

 彼らからすればアンシュラオンは、自分たちを守った英雄という立ち位置だろう。

 その証拠に―――


(うっ、ニーニアの視線が痛い!! やめてくれ! オレをそんな清い目で見ないでくれ!!)


 ニーニアは、一心不乱に自分を見つめている。

 もともとアンシュラオンに淡い恋心のようなものを抱いていたせいか、完全に憧れの視線で見つめている。

 レイオンでさえ逃げるような相手に悠然と立ち向かう、地上から来たお兄さん。


 そのお兄さんは、英雄だったのだ!!


 自分の危険も顧みず、自分たちを庇ってくれた美少年。

 わー、カッコイイ! ステキ!! 憧れちゃう!!

 そんな視線をひしひしと感じる。



―――痛い



 すごく痛い。

 そんな彼女に、これは自分の自業自得のせいとは絶対に言えない。

 君は単に巻き込まれただけだよ、とは言えない。

 ここは内密にしておいたほうがいいだろう。うん、そうしよう。




(気持ちを切り替えよう。これは良いことなんだ。素晴らしいことだ。どんな理由があるにせよ、これだけの力を蓄えることができる。これならばサナの安全は確保されたようなものだ。…【制御できれば】だが)


 スキルの最後に嫌なものを発見した。

 『暴走』スキルである。

 読んで字の如し、制御ができないから暴走と呼ぶ。

 サナが意識を失っているせいか、それとも最初から制御できないものなのかは不明だが、現状で手に負えていないのは確実だ。

 唯一サナに危害が及ばないことが幸いだろう。

 アンシュラオンがサナを守るために作った魔石なので、その命令を忠実に遂行していると思われる。

 ただし、飼い主(自分)に噛み付く、という最大の欠点が存在する。最大かつ致命的な弱点であるような気がしないでもない。


(さて、どうするか。力を放出し続ければ、そのうち発散して収まる可能性はある。だがその場合、周囲のエネルギーを吸収しようとするかもしれないな。オレの戦気で出来たモグマウスを吸収できたのならば、他の武人の戦気だって奪える可能性はある。そうなれば、この都市は全滅だな)


 エネルギーがなくなれば収まることを期待したいものの、相手に明確な意思がないからこそ怖いことがある。

 おそらくエネルギーが減ったら無差別に周囲に攻撃を始めるに違いない。

 その中で特にエネルギーの高い武人を狙うことが予想される。

 が、アンシュラオンのエネルギーに慣れてしまっていた場合、いったいどれだけの武人に被害が出るだろうか。

 この都市全部の武人を喰らい尽くしても飽き足らず、【餌】を求めて大地を放浪し、他の都市を襲う正真正銘の【災禍】になることも考えられる。


 それこそ災厄の再来である。


 これを止められる人間がいるとは考えにくい。

 候補を挙げるとすれば姉のパミエルキ、陽禅公、ゼブラエスの三人くらいだろう。

 彼らが遭遇すれば退治もたやすいが、都合よく出会うとは思えないし、その間にどれだけの被害が出るのか不明だ。


(どんなに強い力も制御できなければ意味がない。暴発して終わりでは使えない。これは今のサナには過剰な力だ。意識があっても扱えるものではないだろう。いやー、オレもこれほどとは思わなかったからさ。想定外だよな)


 サナに何かあるとは思っていたが、ここまでの事態とは驚きだ。

 使いこなせればこれほど嬉しいことはないものの、強すぎる力は彼女自身を滅ぼすことにもつながる。



 そして―――決断



(こいつの制御は諦めよう。今はサナの安全確保が最優先だ)


 優先すべきは、サナの安全。

 彼女には強くなってもらいたいが、まずは愛らしいサナでいることが重要だ。

 それにもし本当に自分の力を喰らったのならば、また与えることもできるはずだ。

 結局、自分から出たものは自分が処理せねばならないのだ。それが因果律というものだろう。


(サナのジュエルには攻撃せず、黒い狼の力だけを削る。よし、これでいこう)


 方針が決まれば行動は早い。

 アンシュラオンが悠然と前に歩を進める。

 いつもながら怖れを知らない歩き方だ。だが、これが一番いい。あらゆる状況に対応できる。


「ヴヴヴヴヴッ!!」


 近づいたアンシュラオンに黒雷狼が敵意を向ける。

 憎いとかそういった感情はない。忠実な番犬のように、一定範囲に入った存在に反応しているだけだ。


「いい番犬になったんだけどな。飼い主に噛み付くようならば、お仕置きが必要だ」


 ジジジジッ バリバリバリッ

 黒雷狼の毛が逆立っていく。


 ドーーーーーンッ ドドンッ


 それに反応するように、黒雷がアンシュラオンに落ちる。

 アンシュラオンは水泥壁を発動。黒雷を迎え撃つ。



―――激突



 周囲を覆うように全方位から襲ってきた黒雷が、水泥壁に突き刺さっていく。

 突き破り、破壊していく。

 やはり黒雷の威力は相当なものである。




436話 「災禍の黒雷狼 中編」


 近づくにつれて黒雷の威力は増していく。

 この距離に至ると、アンシュラオンの水泥壁でも完全に防ぐのは難しい。

 黒雷が水の壁をぶち破り、貫く。


 ドーーーーンッ! ガリガリッ!


 床を抉り取っていく。蹂躙していく。

 しかし、そこにアンシュラオンはいない。

 彼はすでに押し寄せる黒雷の嵐を抜けていた。素知らぬ顔で先を歩いている。

 まるで手品だ。雷が貫いたように見えたが、あっさりと抜けている。


「破壊に主眼を置いた雷撃、といったところか。攻撃力は相当なものだが、雷の性質を色濃く残しているらしい。対雷戦闘はオレの得意とするところだ。問題はない」


 黒雷は名前が物語るように、あくまで【雷撃】である。

 力の大半を破壊力に転換しているが、性質が雷であることには変わりがない。

 となれば、職人芸。

 ガンプドルフ戦で実践したように、水を自在に操るアンシュラオンにとっては対応しやすい相手だ。


 バリバリバリッ じゅるるる


 再度迫ってきた黒雷を新しい水の膜で包み込み、流す。


 ドーーーンッ


 床が破砕されるが、アンシュラオンは無傷だ。

 怖れることなく紙一重でかわしている。相変わらずの胆力である。


「この雷にはもう一つの特性がある。この雷撃は帯電しない。【帯気《たいき》】とは違うな」


 雷の上位属性、帯気。

 帯電する、という言い方をするが、雷が集まってより強力な雷気になると、この帯気という性質になる。

 もしこれが帯気ならば、足元に帯電することで相手の行く手を阻むこともできたはずだ。

 だが、この黒雷は通常の雷にあるような追加効果がない。当たった威力は凄いが、感電させて動けなくする効果が乏しい。


 これは黒雷が『破砕力』を重視した設定だからだ。


 衝撃力と言い換えてもいいだろうか。

 うっかり電気コードを切ってしまったときのような、電気がショートした爆発力をイメージするとわかりやすい。

 そんな馬鹿なことをする経験はなかなかないだろうが、やってみると「ボンッ」という音がして驚くものだ。

 そのショートする力を重視して雷撃を設定しているため、当たったら爆砕はするが、力の大半がそれで終わってしまう。

 これは悪いことではない。単にどれを好むかの問題だ。

 雷は火に続いて強力な破壊の力であり、単体攻撃力ならば最強である。それを追求したのが、この黒雷ということだろう。

 相手を滅することだけに特化した雷といえるだろう。



「せっかくだ。もう少し試してみるか」


 バリバリッ ザクゥウウッ

 アンシュラオンに飛んできた小さいほうの黒雷を、あえて受けてみた。

 黒雷が左腕に突き刺さる。

 それから―――


 ボンッ!!


 爆砕。

 肉が弾けた。内部から爆発したような感覚である。

 これは驚きだ。アンシュラオンの腕を破壊するなど、あのガンプドルフ以来ではないか。

 かの剣豪が雷王・麒戎《きじゅう》剣という奥義を出してようやく破壊したものを、この黒雷は簡単にやってのけたのだ。驚いてしかるべきだろう。

 しかし、これにも理由がある。


「この感覚…へぇ、『人間特効』があるのか」


 穿たれた時の独特の感覚。

 人間であることそのものを否定された感覚。

 黒雷が、戦罪者も得意とする『人間特効』を宿している証拠である。

 だからあえて受けたとはいえ、規格外のアンシュラオンの腕を傷つけることができるのだ。

 ただし、黒雷に宿っている特効は人間だけにとどまらない。

 

―――【生物すべてに特効】



 を持っているのだ。


 魔人の力を吸って生まれた黒雷狼には、その特色が色濃く受け継がれている。

 魔人は、すべてを超越する存在だ。人間だけでなく、動物も魔獣も支配者さえも、あるいは神さえも。

 魔人以外のすべてに特効を持つ技。

 これがいかに怖ろしいかがわかるだろうか。すべての敵対者を屠ることが可能なのだ。


 しかしである。


 これが同じ魔人であれば話は違う。

 ダメージは必然的に抑えられ、本来の半分の力しか発揮できない。

 同種の存在に対しては「素の実力」が大きく影響するものだ。現状では、そこまで怖れるものではないだろう。



「次は防御性能を見せてもらうぞ」


 アンシュラオンが左腕を一瞬で治癒すると、黒雷狼に向かって水流波動を放つ。

 サリータにやったような優しいものではない。滝のように鋭い水流が襲いかかる。


「ヴヴヴヴッ! バオオオオオンッ!!」


 バチバチバチバチッ ドーーーンッ!

 黒雷狼の前方に雷が集まり、水流波動と激突。相殺して霧散させる。

 スキル『雷迎撃』。

 ガンプドルフが使っていた鎧気術、『雷鵺《らいや》公の鎧』の能力と同じく、雷のカウンターを発動させるものだ。

 黒雷狼あるいはサナに対して攻撃が発動した場合、これで迎撃して撃ち落とすのだ。

 その精度と威力はなかなかで、アンシュラオンの全力の水流波動すら受け止める力を持っている。


 だが、アンシュラオンに慌てた様子はない。


 迫ってくる黒雷をいなしながら、悠々と技の態勢に入る。

 当たれば肉体にダメージを負う雷撃でも、当たらなければ意味はない。

 相手が感情的で受動的だからこそ読みやすい。ちょっと動きで釣ってやれば、面白いように思った通りに雷撃が飛んでくる。

 勝負の駆け引きができないのだ。

 これが【意思が無い】最大のデメリットである。


「これはどうだ?」


 アンシュラオンの両手に、身長ほどの水気の塊が生まれる。

 右手の塊を放出。

 それ自体を放つのではなく、そこから円柱状の水が伸びて黒雷狼に迫っていく。

 黒雷狼の雷迎撃。再び攻撃を防ごうとする。


 が、これは攻撃ではない。


 水流は、するするぬるぬると奇妙な動きをしたと思ったら、雷をかいくぐって黒雷狼の足元の床に吸着。

 その水は、やたら粘度が高かった。

 糊のごとく床に吸い付くと―――


 ぎゅううううっ バンッ!!


 今度はゴムのように収縮し、一気にアンシュラオンを引っ張った。

 これに特に技名はない。単に水気の性質を調整したにすぎない。

 だが、それを一瞬でやってのける戦気術は驚愕の一言だ。

 周囲では黒雷が常に自分を狙っているのだ。それを回避しながら冷静に水気を操るのは、やはり並大抵ではない。


 そして、急接近したアンシュラオンが宙を舞いながら、左手の水気球を放つ。


 その動きはハンドボールで、ボールをゴールに叩きつける光景に似ていた。

 さりげなくフェイントを入れて相手の動きを釣ることも忘れない。


 右と見せかけて左に投げた水球が―――まんまと直撃。


 ぼしゅっ ギュルルルルッ

 当たると同時に水球が円形に広がり、『渦』が発生。

 覆うように広がった渦が急速回転し、周囲の雷を巻き込みながら黒雷狼の身体を抉っていく。

 水覇・渦鉋《うずかんな》。

 渦状に変化させた水気の回転力で相手を抉りながら、その部位を削り散らしていく因子レベル4の技である。

 今黒雷狼を少しずつ削っているように、主に表皮を傷つけて相手に痛みを与えるために用いられる技だ。

 この際、渦の遠心力によって削られた部分が、大工道具の鉋《かんな》から出る屑に似ているため、この名が付けられている。

 しかしまあ、相変わらず水覇系の技はサディスティックな発想が多い。

 受けたのが人間だったら、身体を薄く削られる痛みを味わいながら絶命するという、猟奇殺人的な最期を遂げることになるのだから、まったくもってたまったものではない。


 が、放った相手はエネルギーの塊だ。


 少しずつエネルギーを削り取るという意味合いでは、しっかりとした考えがあって使われた技である。

 シュバシュバシュバッ バリバリバリバリッ

 目論見通り、水覇・渦鉋によって黒雷狼の黒雷が少しずつも急速に散っていく。

 さすがアンシュラオンの技である。

 一気に削って、黒雷狼の身体が半分に―――ならない。


 ブゥウンッ バチバチバチバチッ


 渦鉋が何かの力と衝突して拮抗している。

 この技でも削りきれないほどの何か硬いものと衝突している音だ。

 スキル『中型障壁』。

 殲滅級以上の魔獣、あるいは神機などは、自身の装甲とは別に防護フィールドを持っていることがよくある。

 『中型障壁』や『小型障壁』と表示されている場合は、単純な物理フィールドを生み出す能力だと思っていいだろう。

 無機質で透明な防護盾が展開され、水覇・渦鉋の侵攻を防いでいるのだ。

 これを簡易化したのが、サナも使った『無限盾』の術式である。その強化版だと思えばいいだろう。


「障壁はHP依存だっけ? HPが高いだけあって悪くない耐久値だ」


 障壁スキル自体はさほど珍しいものではないが、HPの総量によって耐久値が変化するので厄介だ。

 たとえば小型障壁ならば、最大HPの一割近い耐久値を持っているし、中型ならば三割程度の耐久値と思っていいだろう。

 黒雷狼は四万近いHPを持っているため、その三割分、最低でも一万以上のダメージを障壁で耐えきることができるわけだ。

 なんて面倒な。こんなのやっていられるか。


 まさにその通り。


 それを知っていて、そのまま戦う馬鹿はいない。

 最初からスキルがあることを知っていたアンシュラオンが水覇・渦鉋を使ったのは、この障壁を剥き出しにさせるためである。

 黒雷を蹴散らして障壁を引きずり出した瞬間、すでに動いていた。

 水の渦の中に飛び込むと中心部に掌底を叩き込む。

 当然、ただの掌底ではない。


 それが障壁と激突した瞬間―――砕ける


 ばりばりっ ばりんっ!!


 あれほどの攻撃に耐えていた障壁が、いともたやすく破壊された。


 覇王技、打界震《だかいしん》。

 打ち付けた打撃、主に掌か掌底を使い、相手にダメージを与える技である。

 これだけを見れば単なる掌底にすぎないが、この技の最大の特徴は『障壁破壊』である。

 高度な戦闘において、相手の防御機能を破壊するのは至極当たり前のことだ。

 そうしないといつまでも本体にダメージを与えることができないので、まずは障壁系を剥ぎ取ることから始めるのがセオリーである。

 障壁破壊は、覇王滅忌濠狛掌《はおうめっきごうはくしょう》でもいいのだが、いかんせん威力が高い反面、技の発動に時間がかかるのが難点だ。

 発動が遅いのは致命的な弱点である。ちんたらやっていたら反撃を受けてしまう。

 その点、この打界震は技の出が早く、障壁破壊だけに使うのならば最速で出せる。

 こうして放った技の直後に出しても、行動をほとんど制限されないメリットがあるのだ。


 ただし、これも渦鉋を発動させながら攻撃するという同時発動なので、非常に高等なテクニックである。

 普通の武人ならば二回に分けてやらねばならないことを、この一瞬でやっているのだ。

 右手で姿勢制御用の水気も操っているため実質的には三つの技、いや、観客保護の水泥壁すら展開しているので四つ同時発動をしている。

 いくら低級や中級の技とはいえ、それを四つ同時発動できる者は、この世界にいったい何人いるだろう。

 本物の達人とは、本当は難しいことを簡単そうにやってのけるものだ。だから凄さがわかりにくい。

 同時に当人もそれが当たり前だと思っているからこそ、真の実力者なのである。




 セオリー通りに障壁を―――破壊。



 ガリガリガリガリッ

 障壁が砕け散り、再び急速回転を始めた渦鉋が、黒雷狼を削っていく。


「ヴヴヴヴウッヴヴヴウウッ!!!!」


 効果は覿面。

 少しずつではあるが、黒雷狼の身体が小さくなっていく。




(このまま削れればいいが…そんな簡単にはいかないよな)


 相手の能力を考えれば、これで終わるとは思えなかった。

 その予想は当たる。

 バババババババッ

 削られていくのと同じ速度で『自己修復』が行われる。

 黒雷がさらに生み出されて欠損した身体を即座に補っていくのだ。

 もともとがエネルギー体なので、人間の身体と違って修復も容易なのだろう。


(サナの様子は…問題ないか。生命維持を最優先にする命令は遂行しているようだな)


 こんなちまちましたやり方をしているのは、もちろんサナの安全を考慮してだ。

 仮に大技を使えば一気に仕留められるかもしれないが、この魔石獣とやらはサナから出ている存在だ。

 ダメージ還元が起こってサナが傷つくのが怖かった。だから少しずつ削っているわけだ。

 ただ、黒雷狼の対応を見る限り、サナの防御に割り当てているエネルギーは別個に用意しているようである。

 つまるところ「サナが扱いきれない余剰分のエネルギー」によって、この黒雷狼が生み出されているわけだ。

 よって、黒雷狼自体への攻撃はサナにダメージを与えない可能性が高い。


「そうとわかれば、ごっそり削り取るか」


 アンシュラオンが本来の戦気を解放。

 輝かんばかりの赤白い力を身にまとう。


「ヴヴヴッ!!」


 黒雷狼が、その戦気に反応。

 展開している黒雷が本体の防御を無視して、一斉にアンシュラオンに群がる。

 ザクザクザクザクッ

 次々と黒雷が戦気に突き刺さり、その力を奪おうとしてくる。

 事実、アンシュラオンの戦気の一部が黒雷に吸収され、一時的に黒雷狼が大きく膨れ上がった。




437話 「災禍の黒雷狼 後編」


 アンシュラオンの戦気に、黒雷が殺到する。



―――「強い力だ!」


―――「一番のご馳走だ!」


―――「よこせ、よこせ、よこせ!」


―――「力を―――よこせ!!」



 黒雷狼は、ジュエルに与えられた命令を遂行することだけを考えている。

 それが本能であり、存在意義だからだ。

 動物でいえば、狩って喰らうことしか考えていない野生的な状態だといえるだろう。

 目的のために力が必要ならば、どんな状況でも食いつく。喰らいつく。

 そして一度上質な味を知ってしまえば、他のものは目に入らない。


 ぎゅるるるっ バチバチバチッ!!


 アンシュラオンの戦気を吸収し、黒雷狼の力が増していく。

 分かれたモグマウスから奪うのではなく、こうして直接「元栓」から吸えるので、いくらでも力を得ることができる。

 吸う、吸う、吸う。


 ちゅーーーちゅーーーー

 ちゅーーーちゅーーーー


 母親の乳房に吸い付く赤子のように、黒雷狼は力を吸うことに熱中する。


 一方のアンシュラオンは、その黒雷狼をじっと観察していた。

 力を吸われていても気にしない。気にならない。

 それどころか【安堵感】すら覚えるから不思議でならない。


(妙な感覚だな。まるでサナにおねだりされているようだよ。嫌な感じはまったくしない。むしろ喜びすら感じる)


 黒雷狼は―――【サナのもの】


 敵ではない。倒すべき魔獣ではない。

 もともとは自分の力から生まれたようなものなので、同属とまではいかないが、ペットのような親しみを覚えている。

 黒雷狼もまた、サナの一部なのだ。

 彼女が求めるのならば、求めるだけいくらでも与えるのが自分の役目である。


 この瞬間、普段は味わえない強い快感を覚えた。


 母親が血肉を分け与えて子供を生み出すのと同じく、そこには究極の愛が宿っている。

 自己犠牲の愛、与える無償の愛情だ。

 だから安堵する。安心する。育つことに喜びすら覚える。

 愛は最上の快楽になる。愛は与えれば与えるだけ双方が豊かになる。与えても愛は減ることはないのだ。


 アンシュラオンとサナが―――繋がる。


 肉体を超えた部分でお互いが重なり、相手の情報が詳しく伝わってきた。

 そこでさらにわかったことがある。


(間違いない。この狼はサナに直結している。親元はサナなんだ。オレからサナに、サナから狼に力が渡っている。やはりサナの力を利用している…いや、サナの【スキルが暴走】している状態というべきだろう)


 こうして繋がってみて状況がよくわかった。

 黒雷狼のベースは、サンダーカジュミロンで間違いない。その『データを参照』したのは事実だろう。

 ただし、力そのものはサナから生まれている。

 彼女がジュエルに宿っていた【データをコピー】し、自らの力として利用しようとした結果、この狼が生まれたのだ。



―――【サナの本質】



 アンシュラオンも見た、あの黒い空間。

 すべてを呑み込むような、同化させてしまうような絶対的な空間。

 黒雷狼は、あの闇を利用して生み出された存在のようだ。

 それを可能にしているのがサナのユニークスキルである。
 

(サナのスキル『トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉』。多少ながら能力のヒントを得たな。これはあらゆるものを吸収転化する能力だ。最低でもオレの力を吸い取り、力に転換する能力があるようだ。そうでなければ、ここまで完璧に吸い取ることはできないだろう)


 黒雷狼は簡単に吸っているが、実際のところ相手の力を奪うことには大きなリスクが伴う。

 たとえば臓器移植のように【拒絶反応】が出ることが極めて多く見受けられる。

 この世界では輸血すら危険とされているのに、相手の生体磁気から生まれた戦気を吸収した場合、相性が悪いと『詰まって』しまい、最悪自分が戦気を出せない状況に陥ることもある。

 戦気や生体磁気は、血液型のようにそれぞれ適したタイプがあり、やるとしても相性が良くないとデメリットのほうが上回るので注意が必要だ。


 その点、黒雷狼とアンシュラオンの相性は最高であった。


 吸ったその瞬間から、すべてを自分の力に変換できるほど抜群の相性だ。

 サナから生まれているのだから当然であろう。

 思い起こせばサナを自分色に染めるために、いろいろなものを与えてきた。

 常時一緒にいて肉体的にも接触していたし、命気水も欲しいままに与えた。

 生体磁気の付与、賦気による強化も行い、時間をかけて馴染ませてきた。相性が悪いわけがない。


 そうしてきた中で生まれたのが、このユニークスキルだ。


 詳細はまだわからないものの、黒雷狼が発現している間はトリオブスキュリティが発動していることが感覚でわかるのだ。


(サナにはコピー能力があった。今までも散々、いろいろな相手の技を見るだけで覚えてきた。そしてついにはオレをコピーしようとさえしている)


 片鱗はあった。

 サナはコピー能力に優れていた。他人の技をすぐに真似ることができた。

 その極め付けが、魔人であるアンシュラオンの力を真似る能力である。

 べつに吸われたからといって自分にデメリットがあるわけではない。能力が低下するとか失われることはまったくない。

 単純にサナが強化されていくだけだ。自分色に染まっていくだけだ。


 これはむしろ―――快感


 愛らしいサナを真の意味で自分色に染められるのだ。

 それこそスレイブを求めた最大の動機、完全なる支配欲の充足に直結する。


「ああ、愛しいな。お前はどんどん強くなるだろう。オレに近づいていく。そして、いつかこの領域までやってくる。その日が待ち遠しいよ」


 自分が彼女と一緒に歩むという夢が現実になる。

 同じ場所から同じ景色を見て、同じ場所で同等の戦いをして、同じ結果を得てお互いに満足しあう。

 誰だって同じレベル帯の人間と一緒にいたほうが楽しめるはずだ。

 仕事をするのだってそうだ。スポーツをするのだってそうだ。同じレベルの「パートナー」がいるほうが効果的だし、楽しいに違いない。

 想像するだけで身震いする。これほどの快感は存在しえない。



 だが、今はまだ早い。



 いつか彼女は、この力を使いこなすだろう。そんな予感と確信がある。

 ただし、それは今ではない。おそらく最低でも数年後、あるいはそれ以上先のことだ。

 現状の黒雷狼とて、まだ発展段階にすぎない。レベルを見ればわかるが、これでも潜在能力の半分以下の力しか出せていない。

 それを完成させてあげるのも自分の役目。サナへの最高のプレゼントになるはずだ。


「オレは急がない。ゆっくり着実に一つずつ歩ませる。だから今はおとなしく眠っておけ」


 ゴゴゴゴゴゴッ

 アンシュラオンの戦気がさらに増大していく。


「ヴヴヴッ!! ヴウウウウッ!!」


 吸っても吸っても尽きないエネルギーに、黒雷狼が苦しみ始めた。

 まだまだ成長途上の黒雷狼である。

 一度に吸える量にも限度があるし、直接水道に口をつけて飲むようなものなので、とめどなく溢れる力に喉が詰まっていく。


 ばちんっ バチバチンッ!!

 バババババババババッ!!


 ついに【漏電】が発生。

 吸収しきれなくなった力が漏れ始め、周囲が肥大化した黒雷で溢れかえる。

 だが、止まらない。

 アンシュラオンの力は、まだまだこんなものではない。


「うおおおおおおおおおお!!」


 さらにここで『爆発集気』。

 戦気を爆発凝縮させ、通常の何倍もの戦気を練りこむ戦気術だ。

 上がる上がる。アンシュラオンの戦気が上昇し、赤みが薄れた白に染まっていく。

 穢れなき純粋な白となる。


 それを吸い込めば―――




「っ―――!! ギャォオオオオオオンッ!!




 ズズズズズズズッ!!

 黒雷狼の色が変化していく。


 黒から―――白へ


 身体の尖端、毛の尖端、雷の先端から白が侵食を開始し、コーヒーに大量のミルクを混ぜたように白くなっていく。

 黒茶になり、茶色になり、薄れて薄れてグレーになり、やがて白に染められていく。

 サナの力が、アンシュラオンによって上書きされていく。吸収するどころか襲われている。

 まだ幼い黒雷狼に、この白い力は早すぎた。子供が誤って酒を飲んだように酩酊状態に陥る。


 その隙にアンシュラオンは攻撃態勢に入っていた。

 両手に凍気を宿すと、凄まじい速度で手刀とともに打ち出す。


 ズバズバズバズバズバッ ピキピキピキッ!!


 黒雷狼、いや、もはや白雷狼と呼ぶべき存在を切り裂きつつ凍らせていく。

 斬られて飛び散った雷すべてが凍り付き、消失していく。剥がされていく。

 水覇・凍堰水断《とうせきすいだん》。

 両手に宿した凍気を手刀で繰り出すことによって、斬りながら凍らせる因子レベル5の技である。

 凍らせて斬ることで相手の治癒力を封じ、『自己修復』等の再生スキルを阻害できるのが最大の特徴といえるだろう。

 事実、これで斬られた箇所からは黒雷が生まれてこない。その部分ごと凍らせて隔離してしまう性質を持っているのだ。


 ズバズバズバズバズバッ ピキピキピキッ!!


 斬る斬る斬る 凍る凍る凍る

 次々と繰り出される手刀によって黒雷が分離凍結されていく。

 力が削がれていく。弱っていく。酩酊状態が続いているので、うまく抵抗できない。

 だが、黒雷狼もまだ諦めていない。


「ヴオオオオーーーーーンッ!!」


 遠吠えのような声を発すると、周囲に再び障壁を展開させる。

 最後の悪あがきのように見えるが、黒雷狼は宿主である黒き少女を守ろうとしているのだ。

 番犬のごとく決死の表情で睨みつけてくる。サナには指一本も触れさせないと強く訴えてくる。


 それはまるで―――自分の願い


 サナと契約した時に、何があっても守ると誓った強い想いが表れているのだ。


(なんと美しい)


 自分で言うのもなんだが、とても美しいと思った。

 人間の誓いなど、時が経てばどうしても薄れてしまうものだ。

 一度クリアしたゲームをやるように、初めて味わった感動も二度目では味気ないものになってしまう。

 しかしながら黒雷狼に伝えられた想いは、まったく色褪せることなく「あの日の誓い」を自分に思い出させてくれる。

 新鮮な気持ちにさせてくれる。サナをもっと愛したいと思わせてくれる。

 やはりこの存在は、自分とサナにとって特別なものだと悟る。



「そんなお前だから、この技で終わらせよう」


 アンシュラオンが両手を黒雷狼に向ける。

 黒雷の大部分を失い、毛がなくなった狼のような姿になってしまったが、これでも普通の武人からすれば危険極まりない存在だ。

 ただ、自分にとっては「か弱い犬」でしかない。

 健気にサナを守り続けようとする愛らしい存在だ。

 だから、この技を贈る。


 きゅいいいいんっ


 アンシュラオンの手に光が集まっていく。

 集まり、集まり、集まり続け、手の平にすっぽり収まるくらいの小さな球体が生まれた。

 ピンポン玉より少し大きい程度だろうか。さして目立った特長はない。ただの白い球体である。

 しかし、それで技が完成したようだ。


 球を―――放つ。


 球体はゆっくりと黒雷狼に向かっていく。速度は遅い。

 だが、黒雷狼は動けない。

 水覇・凍堰水断は動きを封じる目的もあったので、ただただ白い球を見守るしかない状態だ。


 白球が接触。


 黒雷狼の障壁とぶつかった。

 障壁の耐久力は、すでに述べたようにHP依存であり、この場合はHP換算で一万以上の耐久力を持っていることになる。

 アンシュラオンの水覇・渦鉋《うずかんな》でさえ受け止めた力だ。いかに強固かがわかるだろう。


 それを―――



―――すぽん



 いともたやすく抜ける。

 もし透明な力の流れが見えるのならば、球体が触れた箇所がそっくりそのままくり貫かれていることがわかるだろう。

 単なる小さな白い球体に見えるが、その中身は実に恐るべきものである。


 超圧縮された、力の結晶。


 障壁が障壁たりえないほどの、力。

 この技に『障壁破壊』の効果があるわけではない。単純に力でぶち抜いたにすぎない。

 アンシュラオンが爆発集気で集めた力のほぼすべてが、この小さな球体に詰まっているので、結果的に障壁など何の意味も成さないにすぎないのだ。


「ヴヴヴヴッ!! ヴウウウウ―――!?!?!?!!」


 黒雷狼は何が起こったのかわからない。

 わからないが、その本能が危険を告げている。

 逃げろ、逃げろ、逃げろと叫んでいる。



「ヴヴッ!! ばおーーーんっ!!!? ばおおおおおおおんっ!!」



 鳴く、泣く、啼く!

 黒雷狼が泣く!!

 彼は知っている。この力は自分を滅ぼすものだと知っている。

 なんとも皮肉なものだ。

 レイオンを畏怖させた黒雷狼が、次はアンシュラオンに怯えている。

 その強大な力の前に、技が発動する前から屈している。


 だが―――逃げない。


 けっして逃げない。

 立ち塞がる。サナを守ろうとする。あの日の誓いを守ろうとする。


「怯えることはない。怖くはないよ」


 アンシュラオンの声は、とても優しかった。

 優しく優しく、目の前の魔石獣を労うように、そっと語りかける。

 なぜならば、それはもう一人の自分。愛を誓った自分の姿なのだ。愛以外の感情は芽生えない。


「ヴウウウウッ…ウウウッ………ウウ………」


 すると、黒雷狼が次第におとなしくなる。

 鋭く釣り上がっていた目尻が、ゆっくり下がった。


 目を―――閉じる


 理解したのだ。これから起こることを受け入れたのだ。

 これはもうどうにもならないと。こればかりは仕方ないと。

 凶悪な力で周囲を破壊し尽した災禍の黒雷狼が、諦めたのだ。

 だが、怖くはない。元に戻るだけだ。

 いつの日か自分が本当の姿になり、黒き少女の力になる日が来ることは「決まっている未来」だ。

 だから、身を委ねる。


「いい子だ。さあ、お休み」



 白い球体が―――黒雷狼に着弾



 強大な光に吸い込まれる。圧縮される。握り潰される。

 光は輝きを増し、急速に流転を繰り返し、世界を再構築する。


 その中にすべての生命が宿れと願う。

 愛しさと慈しみが宿れと願う。

 人の持つ感受性、美しさが宿れと願う。



 なぜ、天覇公はこの技を作ったのだろう。



 そこには美を求める彼の心意気があったと推測できる。

 美しくあれ。常に美しくあれ。

 その心の輝きをけっして忘れることなかれ。



 力とは愛であり―――美であれ、と





 凝縮した光が―――弾けた




 会場が光に包まれると同時に、白い力の奔流は黒雷狼を蹂躙しつつも、それを美へと変化させる。



 ゆらゆら

 はらはらはら



 天から何かが降ってきた。

 白い、白い、とても小さな白い粒だ。

 まるで舞い散る白桜のようであり、あるいは雪のようであり、見るだけで心が落ち着く幻想的な光景である。

 その白に至っては、黒など存在しえない。



 天覇・天昇桜雪光帰《てんしょうおうせつこうき》。



 因子レベル7で使えるようになる極大奥義の一つで、戦気を極限まで圧縮して撃ち出す放出系の技である。

 速度がゆっくりなのが最大の弱点ではあるが、この小さな球体の中には、覇王流星掌で使うのと同じだけのエネルギーが詰まっている。

 力とは、圧縮し、小さくするほうが強くなる性質を持っているものだ。

 黒雷の力は凄まじかったが、無作為に無秩序に乱雑に放たれていたので、力が分散してしまっていた。

 感情を制御できない人間が、怒り狂って無駄にエネルギーを使ってしまうのと同じである。

 一方この技は、静かに力を光の領域にまで昇華させるものだ。

 最高の力は静寂の中にある。それを体現したかのような技であった。


 そしてこの技を受けた者は、自身もまた光と化し、世界の美の一つに姿を変える。


 力の塊だった黒雷狼は、粒子レベルにまで分解され、桜雪となって舞い散る。

 床に舞い落ちた何十万という雪粒が、そっと消える。

 そこに美を感じる感性がなければ、この技の真の意味はわからないだろう。



―――手向け



 愛しい者を世界に戻すために作られた技。

 天覇公が、世に仇なすようになったかつての仲間を滅するために作った技。

 そこには儚さと哀愁、美への憧憬が込められている。

 いつかまた会えるように。この雪を越えて、暖かい春になったら笑いながら会えるようにと願いを込めて。



 黒雷狼は―――散った





438話 「マザーの決意」


 美しい白い力によって、黒雷狼が消失した。

 そんなものは最初からいなかった、といわんばかりに消えてしまった。

 しかし、いなくなったわけではない。

 この世界に本当の意味で消失というものは存在しない。

 水が蒸発して雲になり、雨が降り注いで恵みを与え、流れてまた雲になるように、世界はすべて循環している。

 さまざまな形に変化するだけであり、元からある総量に変化はない。

 黒雷狼もまた同様に存在している。扱いきれなかった力が世界に戻っただけで、その種子はしっかりと根付いているのだ。


 すとん


 力によって浮いていたサナが、柔らかく床に落ちてくる。


 ばちっ ばちばちっ ピカピカッ


 ペンダントが明滅しながら、わずかな【青雷】を放っていた。

 黒雷ではない。青雷である。元から宿されていたサンダーカジュミロンの力だろう。

 アンシュラオンはサナのもとに向かうと、優しく抱えながら様子をうかがう。


(スキルの暴走は収まったようだな。サナの体調にも異常はない)


 命気を使って全身を調べてみたが、肉体に損傷はなかった。

 黒雷狼の『自己修復』スキルは本体のサナにも効果を発揮するようだ。綺麗さっぱり全治している。

 それからペンダントをつついてみる。

 つんつん シーン


(感電は…しないな。力が外に漏れていない。しっかりと内包されている状態だ。安定状態というべきかな?)


 小さな青雷が飛び散っているように見えるが、力はあくまで内部で動いているようだ。

 こうして触っても痛くはないし、感電もしない。


(ちょっともったいない気もするな。あの黒い狼の力があれば、そこらの武人なんて太刀打ちできないのにな。プライリーラたちにさえ、サナ一人で圧勝だ)


 黒雷狼ならば、風龍馬すら秒殺しかねないだろう。

 当然プライリーラやアーブスラットも何もできない。レベルが違いすぎる。

 サナがそれだけの可能性を宿していることに興奮しつつも、今は使えないことが残念でならなかった。


(これは仕方がないか。サナの安全確保が最優先だ。それにもしサナがオレの力を吸収できるのならば、もっともっと強くなってもらいたいな。オレにあっさりと倒されるようじゃ、まだまだだ。第四神級って書いてあったけど、どうせなら第一級を目指してほしいもんだ。それくらいでないとオレのパートナーは務まらないぞ)


 現状での黒雷狼の強さは、殲滅級魔獣の上位か、撃滅級の下位レベルである。

 属性の相性が悪ければ殲滅級にさえてこずる可能性があるのだから、まだまだ未熟といわざるをえない。

 アンシュラオンやパミエルキは撃滅級の上位魔獣でも倒すことができるので、最低でもそのラインには到達してもらいたいものだ。

 と思いつつも、アンシュラオンの顔はにやけている。

 何気なく拾った魔石が、これほどのものに化けたのだ。お得感が半端ない。


(デアンカ・ギースの心臓でも同じことができるのかな? 余ったらやってみるのも面白いか。でもなぁ、あんなミミズみたいなやつが出てきたら…盛大に引くよな。サリータとか意外とああいうのは駄目そうだしな。シャイナならいいかな? あいつがミミズに絡まれたら、それはそれで面白そうだしな)


 黒い狼が出てきたということは、ジュエルの力が高まれば、他の媒体でもああいった具現化が発生する可能性があるのだろう。

 となれば、デアンカ・ギースならば―――ミミズ。

 あんなグロい生物が出てきたら女性陣は生理的に耐えられないに決まっている。

 改めてサナのジュエルは狼にしてよかったと思うのである。


(あとは後遺症だな。天覇・天昇桜雪光帰《てんしょうおうせつこうき》は、他の攻撃技と比べて圧倒的に『優しい』ものだ。サナに影響は与えていないと思うが…)


 あの技は、対象者だけを優しく分解浄化させる特性がある。

 黒雷狼を消失させるほどの力があるにもかかわらず、床や壁にはいっさいのダメージを与えていない。

 サナへのダメージ還元の可能性を考慮すれば、最適な技だったという自負がある。

 さすが【至高技】であろうか。

 因子レベル7で使えるようにはなるが、普通に因子を覚醒させただけで技のすべてが使えるわけではない。

 それだけでは最低ラインに立っただけだ。

 この技を扱うには光属性の膨大な戦気量と、それを圧縮維持する技術に加えて『愛』が必要だ。

 相手を思いやる気持ちがなければ、この技を使っても効果は半減するだろう。


 アンシュラオンが、サナを思いやって放った一撃。


 だからこそ美しい桜雪を舞い散らせたのだ。



 サナにダメージがないことを祈って、じっと見守る。


 すると二十秒もたたないうちに―――


「…ごしごし」


 サナが目覚めた。

 何事もなかったかのように、目をごしごしこすって起きる。


「サナ、目覚めたか?」

「…じー、こくり」

「痛いところはないか?」

「…こくり」

「意識ははっきりしているか?」

「…こくり、きょろきょろ」


 サナの様子に変わったところはない。

 それどころか状況がよくわかっていないのだろう。周囲をきょろきょろ見回して首を傾げている。


(さすがはサナというところか。そうだよな。あの闇はこの程度で動じるようなものじゃないよな。なにせオレの力すら吸っても大丈夫なんだ。並大抵の精神じゃないさ)


 感受性が乏しいことが、ここでは良い方向に出たようだ。

 あの深淵の闇の前では、いかなる精神攻撃も無意味である。

 サナの神経と精神はそう簡単に傷つくものではない。物理的な傷が回復すれば、いつもの元通りの彼女である。




―――シィイイインッ




 場に静寂が満ちる。

 すでに水泥壁は解除され、観客たちは自由に動けるはずだ。

 だが、誰一人として動こうとはしない。あまりの出来事に動けないのだ。

 誰もが放心状態で見つめている。あのレイオンでさえ動けないで見つめている。



 これはまるで―――サーガの一節



 マザーが示唆していたように、歴史に名を遺すような偉大なる伝記や叙事詩で語られるべき、壮大な歴史の一ページである。

 観客は何も知らないが、これだけのことが起きれば理解はできる。

 何かすごいことが起きている、と。

 だから何も言えないのだ。



 そんな静寂を打ち破ったのは―――



 ぱちっ  ぱち  ぱち



 何かをゆっくり叩く音が聴こえる。ちょっと湿りながらも乾いた音だ。

 最初は途切れ途切れだったが、次第につながるようになった。


 パチパチパチッ


 それは、拍手だった。

 誰かが拍手をしている。

 その音の発生源に観客が視線を向けると、ニーニアがいた。

 彼女は頬を赤らめ、明らかに興奮した様子で拍手をしていた。

 それはさらに熱を帯び、情熱を宿した激しいものとなる。


 パチパチパチパチパチッ!!


 ついには立ち上がって、大きく強い拍手を始めた。

 普段は控えめでおとなしい彼女にしては、実に珍しい光景である。


 そして、その熱量が伝播する。


 不思議なことに誰かが何かを始めると、他の人間に影響を与えて広がっていくものだ。

 人間の霊というものは、一つになる性質を持っている。共鳴しあうように作られている。

 だから誰かが立ち上がって拍手をすれば、つられて拍手をしたくなってしまうものだ。



 ぱちぱちっ ぱちぱちぱちぱちぱちっ!


 パチパチパチパチパチッ!!

 パチパチパチパチパチッ!!
 パチパチパチパチパチッ!!

 パチパチパチパチパチッ!!
 パチパチパチパチパチッ!!
 パチパチパチパチパチッ!!



 そこはやはり観戦慣れしている観客たちである。

 少女に負けるかという対抗意識が芽生え、率先して拍手を始めた。

 とめどなく続く拍手の音が波となって、会場全体に轟いていく。


「おおおお!! やったー! やったぞ!!!」

「すげええええええええええええええ!!」

「なんだかわからないけど、すごかったぞおおおおお!」


 もうそれしか言いようがない。

 そもそもが半端者の集まりなので、まったくもって語彙力の欠片もない。

 だが、熱量はある。想いがある。

 アンシュラオンから始まった力の流れが巡り巡って彼らに伝わり、心の奥底から叫びたい欲求が湧き上がる。




―――「おおおおおおおおおおおおおおお!!」




 ドンドンドンドンドンッ!!

 ドンドンドンドンドンッ!!


 小汚いオッサンどもが叫び、足踏みを始める。

 勝者に贈る彼らなりの祝福だ。

 試合とはまったく関係のない戦いだったが、彼らは満足したのだ。


「ど、どうも…」


 ただ、自分自身がすべての元凶であることを知っているアンシュラオンは、どうにも居心地が悪かった。

 自分がやったことの後始末をしただけだ。それをたまたま彼らが見ていた…否、巻き込んだにすぎない。

 さすがのアンシュラオンも、そこには気まずさを感じるものである。



 しばらくして場が落ち着いた時、マザーが歩いてきた。


 隣にはいまだ興奮が冷めやらないニーニアも一緒だ。

 最初に彼女たちがやってくるのは少々意外である。

 何事かと思っていると、マザーはサナに近寄ってペンダントを見つめる。


「やはり強い力を持っているわね。これをどこで手に入れたのかしら? 普通はなかなか手に入らないものだけれど…」


 どうやらマザーも多少ながら興奮状態にあるようで、いつもより早口で訊ねてきた。

 あれだけの力を見せれば当然ではあるが、ジュエルのことが気になって仕方がないようである。


「オレが狩った魔獣の心臓を使って加工しただけだよ。街の加工屋に頼んだはずだし、特別なことはしていないと思うけどね。それから思念液で条件付けしただけかな?」

「…【作った】、ということかしら?」

「ん? まあ、そう言っても間違いじゃないかな? 代わりなんていくらでもあるからね。壊れたら違う魔獣のを使えばいいだけさ。たまたま妹に似合うジュエルがこれだったにすぎないよ」

「………」


 その答えに、マザーはしばし思案する。

 彼女の表情が若干強張っているように見えるのは気のせいではないだろう。

 なぜならばアンシュラオンは今、さりげなく怖ろしいことを述べたからだ。


(このジュエルは『覚醒型のジュエル』だわ。ランクは、おそらくSランクに匹敵するわね。それを作った…つまりは量産できるということ。それだけでも驚異的だし、もし彼がその気になれば国が滅びるどころじゃ済まないわね。戦火が大陸中に広がりかねないわ。…いえ、きっと世界中が夢中になってしまう。軍事大国ならばなおさら欲しがるでしょうね)


 ジュエルには『付与型』と『強化型』、そして『覚醒型』の三つのタイプが存在する。


 付与型は、そのままの意味で、特別な力を与えるタイプのものだ。

 たとえば無限盾などの障壁付与、あるいは即死無効の身代わり人形などに使われるジュエルが、これに該当する。

 自分が持っていない力を与えるから付与型なのだ。

 ただ、特別な力を付与するタイプのジュエルは、壊れてしまえばそれっきりだ。新しく手に入れるか買い換えるしかない。


 強化型は、自分が持っている能力を上昇させることができる。

 足が遅い人間を速くしたり、もともと速かった人間をさらに速くしたり、視力や腕力を強化したり等々、まさに強化させるジュエルだ。

 こちらのデメリットは、過度な強化に耐えきれない場合、身体や神経が壊れてしまうことが挙げられるだろう。

 人間の身体にはストッパーが存在するので、それを超えれば損傷するのも当然の話だ。その適切な加減が求められるタイプである。


 三つ目の覚醒型は、眠っている能力を引き出すというものだ。

 マザーが霊視能力を得たように、普通に生活していたら目覚めないであろう力を引き出す能力がある。


 たとえば―――眠っていた因子を覚醒させる


 といった効果も、このジュエルならではの特徴だ。

 サナのジュエルもまた『覚醒型』のジュエルと思われる。

 彼女の因子の覚醒率が上昇したのは、全部ではなくとも、このジュエルが大なり小なり関わったことは間違いない。

 それにサナのスキルが加わって、より顕著なものになったのだろう。


 そしてアンシュラオンは、それをまた【作れる】と言った。


 これだけのジュエルは、そうそう簡単に手に入るものではない。

 古来より、力ある魔石を巡って幾多の争いが勃発したものだ。それによって数多くの国家や組織が消えていった。

 魔石にはそれだけの力がある。魅力がある。

 それを自らの意思で量産できるとなれば、いったいどれだけの争いが起きるのだろうか。

 いや、アンシュラオンがそれを使って破壊を行う可能性も捨てきれない。

 人には無限の可能性がある。あるからこそ悪にもなれるのである。


(怖ろしい力。神託の通り、彼には世界を滅ぼす力がある。でも、あの白い清浄なる力を持つのも事実。大丈夫。間に合うわ。誰かが傍にいてあげれば間に合う)


 この時エンジャミナは、自らの意思で宿命に従うことを決めた。

 マザーになるような人物だ。そもそもが使命感に溢れた真面目な人間である。

 目の前に求められる居場所があるのならば、喜んで苦難の道を歩むだろう。




439話 「マザーの能力」


「マザーってジュエルの知識があるんだね」

「ええ、黙っていたけれど私には特別な能力があるの。彼女と同じくジュエルによって覚醒した力よ。だから少しは力になれるかもしれないわね」

「へぇ、そうなんだ。こういう特殊なジュエルに関しては知識が浅いからね。助かるよ」

「私にできることならば何でも言ってちょうだいね。力になるわ」


(マザーが自分から言ってきたか。これはどう捉えればいいんだろうか。媚を売っているようには見えないから…見かねて、といったところかな? 子供たちを養っているくらいだから、面倒見がいいのはわかっていたことだけどね)


 アンシュラオンはすでにマザーの能力については知っていた。

 当然、『情報公開』を使って得たデータだ。

 いきなり相手の情報を見るのは失礼かもしれないが、サナを預けるのだから素性を確認しておくのは当然のことだろう。


―――――――――――――――――――――――
名前 :エンジャミナ

レベル:67/99
HP :530/530
BP :690/690

統率:C   体力: F
知力:A   精神: B
魔力:B   攻撃: F
魅力:B   防御: F
工作:D   命中: F
隠密:E   回避: F

【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:0/0 術士:5/5

☆総合:第六階級 名崙《めいろん》級 術士

異名:霊眼のエンジャミナ
種族:人間
属性:光
異能:ジュエリスト、上級霊視、魔石感応、危険察知、即死無効、光耐性、術耐性、慈愛、信仰心
―――――――――――――――――――――――


 一目見て、只者ではないとわかる。

 こんな人物がなぜ地下にいるのか気になるところだが、今回重視したのは「サナに害悪があるかどうか」という一点だったので、そのあたりは気にしないでおいた。

 興味は抱いていたので、向こうから接点を持とうとしてくれたのは嬉しい限りである。

 ただし、その目的を知らないアンシュラオンが多少警戒するのは仕方ないことだろう。


(名崙級術士…か。かなりの腕前だ。因子レベルも高いな。期待したいところだが、気になっていることもある。一応確認してみるか)


「マザーは術を使えるの?」

「使えなくはない…というのが本当のところかしら。たぶん、あなたが期待しているほどには使えないと思うわ」

「因子が覚醒しても使えないこともあるんだね」

「それぞれに相性があるもの。そういった素養も重要になるわね」

「具体的には何ができるの?」

「軽い癒しや保護の術とかかしら。本当に微々たるものよ」

「攻撃系は?」

「それもタイプが違うから無理ね。私の能力は限定的なのよ。ただしその分だけ特定の分野には強いってことね。事前に危険を察知することは得意よ」


 今までニーニアたちが安全に暮らせていたのは、彼女の『危険察知』スキルによるところも大きかったはずだ。

 言ってしまえば、軽い未来予知のようなものである。

 何の心配もなくトットを貸し出したのも、その先に命の危険がないと知っていたからだろう。

 意識しなくても感覚で危険がわかる便利なスキルといえる。


(まあ、ステータスを見ても戦闘タイプじゃないしね。攻撃に期待するのは無理かな)


 攻撃と防御の値も「F」だし、ほぼ一般人と大差ない。

 雰囲気的にはサポート、それも戦闘面以外での補助役といった印象を受ける。

 そして、アンシュラオンは戦闘面での力をマザーに求めていない。

 むしろここで「自分は攻撃型だ」と言われても、普通の攻撃術式程度ならば術符で間に合うので対応に困っていたところだ。

 だから、一番重要そうなポイントを訊ねる。


「マザーは魔石に関して特別な能力があるんでしょう?」

「わかるの?」

「わざわざ今やってきたことを考えれば、そう捉えるのが普通かな。それにオレもマザーには教えていない能力があるんだ。それで理解できるよね?」

「…そういうことね。ええ、そうよ。これは秘密だけれど、私にはジュエルを覚醒させる力があるわ。本当にわずかだけれどね。その逆に力を抑えることもできるのよ」

「ほぉ、それは興味深い。前者は文字通りすごい力だし、後者は『ストッパー』を付けることができるってことだよね? たとえば暴走しないように安全装置を付けられるんだ」

「その通りよ」

「妹のジュエルにも可能なの?」

「これだけ強いとやってみないとわからないわ。でも、努力はしてみるし、やらないよりはいいわ。どんなに少量でも乳液を塗ったほうがお肌には優しいでしょう? それと同じよ」

「解除はできるの?」

「いつでもできるわ。能力者の力量が上がれば自動的に引き上げるようにも調整できるわね」

「すごいね」

「それなりに長く生きていますからね」


 エンジャミナのもう一つの能力『魔石感応』。

 いわゆる『魔石』と呼ばれるほど強い力を持つジュエルは、なかなか存在しないものだ。

 その理由は人間と同じく、力が眠っていることが多いからである。

 彼女のスキルは、その石に干渉することによって力を引き出すというものだ。

 言ってしまえばジュエリストの反対のことをするのだ。石に刺激を与えて覚醒させると捉えてよいだろう。

 彼女が外にいた頃は、これを副業として孤児たちの生活費を稼いでいた。

 その仕事は、力を引き出すだけではない。扱う人間に力量がないと感じれば、意図的にジュエルの発動率を抑えるということもやる。

 黒雷狼を見ればわかるが、制御できない力は危険だ。身を滅ぼす。

 毎回暴走して、そのたびにアンシュラオンが処理していては、正直使えたものではないだろう。

 だが、マザーがいれば、その心配も減るということだ。


「もちろん日々の調整は必須よ。道具と同じね。手入れを行えば快適に使うことができるわ。故障もしにくくなる」

「道理だね。ただ逆に言えば、そうしてしまうとずっとマザーのお世話にならないといけないわけだ」

「あら、嫌なの? お金を取るつもりなんてないわよ」

「嫌じゃないし、まさにうってつけの力だ。今最高に欲しい能力だよ。しかし、タイミングが良すぎると疑いたくもなるかな。けっこう人間不信でね。簡単に信じないようにしているんだ」

「私が信じられない?」

「どうかな。信じて痛い目に遭ったことはあるけど、信じないで痛い目に遭ったことはないからね。それならば後者のほうが安全だ」

「保身の極致ね。でも、関わらなければ得られないことも多いわ。あなたがこの事態を予期していたわけではないでしょう? 今回の出来事が発生しなければ、私だって自分のことを話したりはしなかったわよ」

「…たしかにそうだね。何かしらあるとは思っていたけど、こういうことは想定外だった」

「私と出会ったことも、こちらから赴いたわけじゃないわ。あなたのほうから来たのよ。好き好んで五年もここで待ち伏せるわけがないでしょう?」

「その通りだ。その頃はオレもまだ人里離れた山で修行中だったしね。知るはずもない。そこまで疑り深くはないかな」

「ならば、これは『女神様のお導き』と考えるべきね」

「ふむ…宗教家じゃないけど、霊の仕組みは多少知っているから不思議とは思わないよ。いろいろと思い当たることもあるしね」


 アンシュラオンは実際、闇の女神に会っている。

 地上の人間の様子を見ていて、それが特別なことであることは薄々察していた。

 そもそも自分が望んだこととはいえ強大な力を持つに至っていることからも、それ相応の責任が求められることは理解している。


(オレの行く先々には、必ず【道と駒】が配置されている。しょうがない。それが因果律だ。この星には星の成長過程があるんだ。それに組み込まれても受け入れるしかないな。所詮人間なんてそんなものだ。それ以上は抵抗できない)


 どんなにわがままを言っても、どうしても限界が生じるのは仕方ない。

 どこぞのお話のように、海が嫌いだからといって全部埋め立てようとしても不可能だ。人間に星は破壊できない。

 それはアンシュラオンでも同じである。【人間を滅亡】させることはできても星は壊せない。

 すべての存在は進化のために存在している。星にも進化のスケジュールがあるのだ。


 マザーをここに配置したのは―――女神。


 そこはすでに地上人の領分を超えている。ならば受け入れるしかない。

 好きでこの星を選んだのだから、それくらい協力しないとバチが当たるというものだ。


 ただし、自分の流儀は貫く。



「マザーはどうしてオレに関わろうと思うの? ラングラス派閥のために有用だから? それが子供たちの利益につながるからかな? それとも外に出たいの?」

「いいえ、単純にあなたと妹さんの力になりたいからよ」

「どうして?」

「それが私の使命だからよ」

「使命…か。そっか。ならマザーも、オレのスレイブになるしかないね」


 そう、これだけは譲れない。

 アンシュラオンの傍にいたいのならば、誰もがスレイブになる必要がある。

 この人間不信の男が唯一安心するものが、自分に絶対服従のスレイブなのだ。

 マザーの『魔石感応』ではないが、人間が暴走しないようにストッパーをかけないと気が済まないのだ。

 人間と比べたらジュエルの暴走のほうが何倍も可愛いものだ。

 ジュエルは力に忠実だが、人間には余計な感情が多すぎる。時にまったく予想できない破滅的な行動に出る場合がある。

 それを防ぐためのスレイブという縛りであり、必須の条件である。


 して、マザーの回答はといえば―――



「いいわよ」



 快諾であった。


「いいの?」

「神殿を離れた時から、私はすでに人生を終えているの。何の未練もないわ」

「それはもったいない。まだまだ現役でいけるよ」

「それは嬉しいけれど…いいのよ。本当に未練はないの。でも、きっとあなたは私を大事にしてくれると思うわ。逆にあなたほどの人に、それだけの価値があると判断されたことが光栄に感じるわ」

「くすぐってくるね」

「嫌い?」

「繕った世辞は嫌いだけど、本音ならば好きだよ。いいよ、君の好きにすればいい。どうせまだ準備が整っていないし、マザーがこちら側に来てくれるのならば大歓迎だ」


(正直なところマザーが身内に入るのはラッキーだな。十分まだまだ女性としてもやっていけるし、ホロロさんだけじゃ間に合わないところもあるだろうから、こうした落ち着きのある女性は貴重だ。それに…彼女は使える。オレの計画には必須の人材かもしれない)


 アンシュラオンは、これからスレイブ・ギアスを【量産】するつもりでいる。

 最低でも現状で確保している女性たちには、各々に宝石を贈るつもりだ。

 サナのものと同じように作るつもりなので、それが魔石になる可能性は極めて高い。

 その際、今回と同じことが起きては困る。

 もし彼女にジュエルの調整能力があるとすれば、心から求める最高の人材といえるだろう。

 また、人間的にも成熟期を迎えて余裕が出ている年頃なので、ホロロの緩衝材としても力を発揮できるだろう。

 ホロロも優秀かつ冷静な女性ではあるのだが、マザーと比べれば若く、まだまだ『女』の側面が強く出ている。

 それだけでは成り立たないこともあるだろう。たとえばラノアよりもさらに幼い子供を集めた時には、教育よりも愛情のほうが重要になってくる。

 その時、『慈愛』を持っているマザーならば上手く対応もできるはずだ。


「一つだけ付け加えるのならば、オレは自分のものを幸せにすることを第一に考えている。未練がないと言っていたけど、マザーはまだまだ未練があるはずだよ」

「あら、どんな未練かしら?」

「女としての未練」

「…それは…まあ……そうかしら」

「一つ訊くけど、マザーって処女?」


 恒例の確認だ。マザー相手でも怠ったりはしない。

 学生などの若い世代には理解できないかもしれないが、五十代などアンシュラオンから見ればバリバリの現役だ。

 地球でも人生百年の時代と言われているくらいだ。五十歳ではまだ半分である。

 だが、マザーには意外な質問だったようで、多少動揺している様子がうかがえた。


「えと…その……シスターだったし…そういうことは……その……えと…」

「あったの? なかったの? どっち!? イエスかノーだけで答えて!」

「ええと、まあ…無かった……かしら。はい」

「おめでとう。合格だ!!」


 合格である!! 文句は何もない!!

 しかし、アンシュラオンのストライクゾーンの広さには驚きである。

 サナやラノアのような幼女からマザーまでOKとは、男として懐の深さと広さを感じざるをえない。

 自分のものとなる女性には、とことん優しい。そこは尊敬に値する点であろう。




「それじゃ、さっそく妹のジュエルの調整をしてもらえるかな? すぐにできる?」

「ええ、大丈夫よ。ご要望はあるかしら?」

「暴走しないようにしてもらえれば、それでいいよ」

「わかったわ。やってみるわね」


 マザーはさっそく作業に取り掛かると、数珠のようなものを取り出して腕にはめ、その手でサナのジュエルに触れる。

 おそらくあれも魔石なのだろう。独特の波動を感じる。


(へー、これが管理用の術式か。測定をしてリミットを設けるって感じかな?)


 アンシュラオンも術士の因子を持っているので、彼女のやっていることが少しだけ理解できた。

 パソコンのベンチマークテストのように、意図的に負荷をかけることでジュエルがどれくらいまで出力が上がるのかを測定するのだ。

 すでに魔石という存在は世界的に熟知されているものであり、ジュエル協会本部があるダマスカス共和国では、世界共通で使えるジュエル測定術式が公開配布されている。

 マザーはそれを自分なりに改良することで、よりさまざまなテストを行えるようにしているようだ。

 彼女自身がジュエリストでもあるので魔石の扱いには長けていると思われる。ここは任せておくのが一番だろう。


 ただ、当のエンジャミナは調整に苦戦していた。


(なんという許容量なの。スペックが桁違いね。これ一つでAランクジュエルが十個以上は入ってしまいそうよ。処理能力も桁違いだわ。それはわかっていたことだけれど、もっと問題なのが『感受性』かしら。ちょっと術式を走らせただけで焼き切れそうになるわ。負荷に対して敏感というか敵対的というか。だからあんなに攻撃的な表現になったのね)


 このジュエルはアンシュラオンが作ったものなので、その特性が最大限に表現されている。

 つまりは「カッとしやすく破壊的」「敵は許さない。全員殺す」という短絡的で強い力に満ち満ちている。

 だからこそ黒雷狼があれほどまでに凶暴で凶悪になったのだ。

 さらに許容量も桁違い。普通のジュエルが家庭用パソコンだとすれば、こちらはスーパーコンピューターを持ち運んで使っているようなものである。

 それをメンテナンスするのだから、彼女もとんだ貧乏くじを引いたものである。

 ただ同時に、やり甲斐も感じている。

 こういったタイプの人間は、困難に遭遇すればするほど自分が価値ある存在だと実感するものだ。

 そうでなければ、わざわざグラス・ギースにまで来ないだろう。


(この子を暴走させないために私が力になれるのならば、喜んでやるわ。これはとても意義のあることなのだから)


 こうしてマザーによってサナのジュエルの調整が行われるのであった。




440話 「エル・ジュエラー、青き狼の願い 前編」


「すごいすごい、凄かった! すごかったです!!」

「そ、そう? そうでもない気がするけど…」

「そんなことはありません! 本当にすごかったんですから! あんな大きな魔獣を倒しちゃうなんて普通はできません!!」

「う、うん。魔獣というか魔石獣というか…まあ、どっちでもいいけど…似たようなものだし…」

「なんでこんなに反応が薄いんですか! もっと誇ってください!!」

「え? だって、そんなにすごいのかなぁ? 普通じゃない?」

「それが普通って思うこと自体が普通じゃない証拠なんです! そうだ! 私、決めました! 将来は物書きになって、ホワイトさんのことを執筆します!! 伝記っていうんですか!? 書いちゃいますから!」

「ええええ!? なんでそうなったの!?」

「だって、この感動をみんなで分かち合いたいですもの! ホワイトさんの偉業は、もっと大勢に知られるべきです! 知られてしかるべきです!!」

「いや、気持ちは嬉しいけど、それはちょっと…困るな。能力のことはできれば内密にしてほしいんだけど…」

「そんな! もったいないです! ほら、見てください! みんなのあの顔を!! あんなに興奮している人の顔は見たことがありませんよ! 何かを期待している顔ですよ、あれは!」

「あ、うん。それはそうだけど…あれはきっと賭けのことが気になっているだけじゃないかなぁ…と…」

「そんなことはありません!! ホワイトさんのこれからの偉業を期待しているんですよ! それを伝えていくのが私の使命だって、今気付きました!!」

「そ、そう…なんだね。今気付いちゃったんだ…」

「はい! 気付きました!! こんな幸せなことはありません!」


 マザーの作業が終わるまでの間、手持ち無沙汰なアンシュラオンはニーニアに捕まっていた。

 あの時の拍手もそうだが、この会場内で一番興奮していたのが彼女であったのは間違いない。

 さきほどからずっと「憧れの眼差し」を向けられている。

 それだけならばまだしも、彼女のテンションと言っていることがちょっとおかしくなってきている気がする。

 なにやら伝記を書くとまで豪語している。この目は本気である。


(そういえば、伝記って勝手に書いていいのか? 自分が書いてもろくなことにならないだろうが、他人が書いてもろくなことにはならないよな。主観がもろに入るからさ。批判されるよりはいいが…美化されるのもつらいな)


 この世には幾多の偉人の伝記が存在するが、そこには少なからず美化されている点があるのは否めない。

 特に宗教系ともなれば、かなり誇張して、あるいは創作に近いものが加えられて、まったく意味がわからない自己満足的な文章になることが多い。

 ニーニアが書くとしても、多分に自分の理想と願望を加えた美化されたアンシュラオン像が生まれるだろう。

 自己顕示欲が強い人間ならば「俺様すごい」と言ってもらえれば嬉しいのだろうが、あまり目立ちたくない自分にとっては厳しい状況だ。


(まさか自分がアイドル扱いされる日が来ようとは…プライリーラの気持ちがよくわかるな。これは地獄だ)


 人前で力を使ってしまえば、こうなることはわかっていた。

 しかし、現状ではああするしかなかったので、サナのためと受け入れるしかない。




(私、決めたわ。この人のことを見続けるの。見続けて、全部記録していくの! こんなすごい人と一緒にいたんだって自慢もできるし、この興奮を分かち合いたいわ! ああ、なんて素敵なんだろう! ドキドキが止まらないわ!)


 ニーニアのドキドキは止まらないのだろうが、アンシュラオンのドキドキも止まらないに違いない。

 いつも観察されているというのは落ち着かないものだ。ましてや記録されるなど最悪だろう。


 こうしてアンシュラオンはこの後もニーニアの情熱的(一方的)な主観に悩まされるわけだが、彼女が人生をかけて遺した超大作『白愛《はくあい》覇王伝』が、後世の歴史家から当時の貴重な資料として愛読されることになるとは夢にも思っていないだろう。

 『欠番覇王アンシュラオン』とは、実に謎多き人物である。

 (悪事のために)目立つことを嫌ったせいか、あるいは周囲の取り巻きたちが彼の悪口を絶対に許さなかったせいか、赤裸々な彼の姿を描いた書は本当に少ないのである。

 そんな中でニーニア女史の書は、女性特有の美化はあるにせよ、生で彼と接していたことが確認されていることから、比較的真実性の高い良書として有名だ。


 女史は書の中で、当時のことについてこう綴っている。



「この大きな試合会場が漆黒の雷に覆われ、地が裂け天が割れ、誰もが世界の終わりを覚悟した。当時の幼かった私もそこにいたが、あまりの恐怖に動けなかった。だがその時、ただ唯一、あの白き力をまとった偉大なる覇王は、『私を守るため』に堂々と歩を進めたのだ。身の丈八メートルもある巨大な魔獣の前に立ち塞がり、光をもって浄化せしめた。あの時の清らかで使命感に満ちた顔を、私は永劫に忘れないだろう。私を抱きしめて『もう心配する必要はないよ』と優しく声をかけてくれたあの人のことを、誰が忘れようものか」



 間違ってはいない。多少知識不足はあるが概ね正しいだろう。

 が、アンシュラオンは仮面を被っているので顔は見えなかったはずだし、たしかに『心配しないでいい』とは言ったが、それはニーニアに対して述べたものではない。

 ちょくちょくこうした自分ロマンスを入れてくるので注意が必要だ。

 そこに気をつけさえすれば貴重な資料になるはずなので、ぜひ一読をお勧めする。

 といっても国語辞典のような分厚い本が全巻六十冊にも及ぶ大作なので、一気読みは非常に難しいだろうが。(しかも大半が捏造ロマンス)





「ふぅ、終わったわ」


 そうこうしている間に、マザーの作業が終了。

 かなり疲れたのか、終わった瞬間に脱力して座りこんでしまった。


「大丈夫?」

「ええ…大丈夫よ。久々だったからけっこう疲れたわ」

「じゃあ、少しマッサージしようか。もみもみ」

「あっ…そ、そこは…うふっ!」

「むっ、意外といい感触だ。まだまだ感度も良好じゃないか」


 自分のものになるとわかった途端、これである。

 手を差し伸べたと思ったら、すかさず乳に伸びるのは条件反射であろうか。


「なんだか……は、恥ずかしいわ」

「その仕草も、思ったより可愛い!!」

「や、やめて。そういうのに慣れていないから…」


 マザーは、年甲斐もなく自分の肩を抱いて少女のように恥らう。

 性的な経験がないので、こういうところはいまだに乙女のままなのだ。

 カーリスのシスターに、結婚してはいけない等の性的な制限というものはないが、基本的にパートナーを見つけるまでは貞操を守るので、貞操観念が固いといっても差し支えない。

 特にマザーは若い頃から慈善活動に精を出していたため、若い男と関係を持つなど考えたこともなかったのだろう。


(こんなことならば、もっと若いうちに済ませておけばよかった…。こんな歳で、恥ずかしいわ)


 と、当人は思っているが、まったくそんなことはない。

 少なくともアンシュラオンにとっては、そちらの意味でも貴重な人材である。

 それは乳房に触れた時にも確信した。


(うむ、まだまだ弾力がある。逆に使ってこなかったからかな? 表面だけが少し風化しているだけで、中は新鮮さが残っている。これならば十分にいけるぞ。オレがマザーを女にしてやるからな!!)


 ニーニアの主観に満ちた文章ではないが、この男もまた謎の使命感に満ちていた。

 女性は常に美しくあるべきだ。その美しさとは主に、性的な欲求を満たした時に発揮されるものだ。

 もちろん歳を取りすぎて性欲自体が減退してしまったのならば、それはそれでかまわない。

 上品さや気高さといった美しさのほうが重要だ。それに異論はない。

 だが、本当の快楽を知らないで女を捨てるのはもったいない。それこそ女神様に対する冒涜である。

 マザーではなく、エンジャミナとして性の悦びを教えてあげたいのだ!

 さすがアンシュラオンである。そこにブレはない。


 しかしまあ、ついにここまで来てしまったかと感慨深い気持ちにもなる。

 喜々として五十代の女性と関係を持とうと考える青年は、熟女バーに通う人以外ではそうそういないだろうに。


(オレの命気マッサージで肌年齢を引き上げれば、三十代か四十代くらいの感度には戻せるはずだ。これは楽しくなってきたぞ…と、今はサナのほうが大切だな)



「それで、魔石のほうはどうなったの?」

「魔獣が元になったせいかしら。その名残、思念のようなものが残っていたせいで勝手に動いてしまったようね。今回はそこを黒姫ちゃんの命令なしでは発現しないようにロックしておいたわ」

「それはいいけど、防衛力が低下することはないの? 自動防御というか、勝手に動いたほうが安全なこともあるでしょ?」

「そこは仕方ないわ。獣の形態を取ると魔獣の残滓が強く表面化して暴走しやすくなるから、今は封じたほうが逆に安全よ。エネルギーが逆流したら物理的にダメージを受けるかもしれないもの」

「ふむ…なるほど、たしかにそうかもしれないな。そのあたりは命気足でカバーできる範囲だしね。そこまで無理をさせなければいいってことか」

「それで今回は獣化しないようにしつつも、力だけは発現できるように別のルートを設定したみたわ」

「どんな感じ?」

「見たほうが早いかもしれないわね。黒姫ちゃん、私の手を触って」

「…こくり」


 マザーが自分の数珠にはめられた『白いジュエル』を発動。

 乳を触れられて昂ぶっていた感覚をリセットし、精神を安定させ―――


 眼が―――開く。


 額の部分に意識を集中させると、彼女が持っている能力『霊眼』が活性化していく。

 テインヂュ・ザ・パール〈連鎖と浸透の清眼〉。

 カーリスが製造した『人工魔石』の一つで、Aランクジュエルに相当するエンジャミナの魔石である。

 幾十万という大量の真珠の中から媒体として最適なものを選び出し、清められた水の中で術式を付与しつつ数百年かけて力を宿していく。

 十分に力が宿ったら、今度は資質あるシスターたちに適合検査を受けさせる。

 ジュエリストになるには「石に選ばれる」必要がある。自分がいくら欲しても相手が応えなければ適合は不可能なのだ。


 そして、まだ若かったエンジャミナが適合者に選ばれた。


 覚醒型のジュエルであった真珠の力によって、彼女の眠っていた眼が開く。

 彼女がいまだ処女であったのは、そうした物的波動とは違う世界を常に見ていたからであろう。

 人間に守護霊や背後霊が見えないのは、実は幸せなことなのだ。

 なぜならば常時見えてしまえば、それが気になって人生に集中できないからだ。

 情事に耽っているところに誰かの視線を感じれば気まずくなるだろう。実際は見られていたとしても、そこに自由意志があるから「試練」になるのである。



 その眼が―――サナとジュエルを見通す。



(やはり底が見えない。なんという闇が広がっているのかしら。…怖ろしい。これが直接ジュエルと結合すると、周囲からエネルギーを吸収して無尽蔵の暴力になってしまう。しばらくここへのアクセスは禁止ね。ここを通さないで別の道を作って、もともとあったジュエルの力だけを上手く発動させれば―――)


 黒雷狼はサナのユニークスキル『トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉』の力によって、ジュエルが変質した状態によって生み出される形態だ。

 アンシュラオン曰く『吸収転化』する能力らしいので、制御が利かない現状では、周囲のものをすべて犠牲にしても力にしようとしてしまう。

 よって、ここは一度蓋をする。

 より正確に述べれば、バイパス手術のようにジュエルの力の通り道を複数作り、制御できない一定以上の力が溜まった際は、自然に発散させるようにしてあげるのだ。

 少なくともこれで暴走の危険性はぐっと減るだろうが、アンシュラオンの協力も不可欠となるだろう。

 餌を欲しがり続ける犬に、欲しいままに餌を与え続けたら肥えるし、下手をすれば本当に胃が破れるまで食べ続ける犬もいる。

 本能が剥き出しなので制御ができないのだ。人間だって危ないと思いつつ暴飲暴食をやめられない者がいるのだ。動物ならばなおさらである。

 ただ、今は過剰なエネルギーがない正常な状態だ。

 力がなみなみと注がれつつも飽和していない状況。つまりは最適なコンディションにあるということだ。



 力を正常に―――流す



「…っ」


 サナがびくんと弾けた。

 彼女も強い力を感じたのだろう。


「…きょろきょろ」

「ジュエルを見て」

「…こくり。じー」

「ジュエルは友達よ。仲間よ。家族といってもいいわ。でも、あくまで持ち主はあなた。あなたが制御しないと勝手に動いてしまうわ。私ができることは示すことだけ。最後はあなたが自ら道を作ってあげるの。導いてあげる必要があるわ」

「…?」

「いいのよ。言葉にしなくても。ただ感じればいいの。力の流れを感じて。この青く美しいジュエルの中に眠っている力を欲してあげて」

「………」


 サナにはまだ何のことかよくわからない。

 意思が乏しいのだ。自ら道を示せなんて、できるわけがない。

 しかしながら、協力者がいれば話は違う。

 エンジャミナの力に導かれて、少しずつではあるがジュエルから力が流れてくるのを感じる。


 ハァハァ ハーハー

 ジュエルが呼吸をしている。


 どくんどくんっ どくんどくん

 ジュエルが鼓動している。


 バチバチッ バチンッ バチンッ

 ジュエルが明滅している。



 青い―――狼が見えた



 バチンバチンと青い雷が集まって、青白く輝く狼が生み出される。

 これはサナの中で見えているものなので、外に表面化しているものではないが、しっかりと存在しているのがわかる。




441話 「エル・ジュエラー、青き狼の願い 後編」


 青い狼。


 かつてサンダーカジュミロンであったもの。


 狼はアンシュラオンに殺された、単なる魔獣であった。

 希少種だが、そこらの魔獣のように生物としてのレベルは高くはない。

 彼より強い魔獣は数多く、アンシュラオンに狙われなくても他の魔獣に殺されていたかもしれない。

 弱いものは強いものに喰われる。淘汰される。これが自然界の掟であり循環だ。

 そのままだったならば骸と化して、人々の記憶から完全に抹消される存在となっていただろう。

 だが、幸か不幸か、彼の力は黒き少女の一部として生まれ変わった。


 だが、そこに意思はない。


 自分と同じく、何の意思もない存在だ。

 あるのは本能。力という存在のみ。与えられた命令のみ。



―――「守る力を」


―――「サナを守る力を」


―――「オレの願いをここに託す」



 力の中に、とても大きくて温かい感情を見つけた。

 アンシュラオンが思念液を使って再構築した際に、ジュエルの根幹になったものだ。根幹にされたものだ。


 狼は―――守りたがっている


 そのためだけに生み出された存在だからこそ、黒雷狼になってまで自分を守ろうとしたのだ。

 存在意義なのだ。目的なのだ。

 自分を守るためにだけ存在する力を、そのままにしておくのは酷だ。

 無視をしたり放置したりすれば、健気にまた命令を遂行するために暴走するだけだ。

 彼にはそれしかないのだ。与えられた命令しかないのだ。

 だから見つめ合うしかない。突き詰めるしかない。


「受け入れてあげて。彼に道を示してあげて」

「…こくり」


 エンジャミナの言葉にサナが頷く。

 狼の想いを受け入れる。

 アンシュラオンの願いを、受け入れる。


 この時サナは、心にむず痒いものが走ったことに気付いた。

 大きなものに包まれる感覚。温かい命気水に浸かっている感覚に似ている。

 それが何なのかはまだわからなかったが、けっして不快でない。


 それどころか―――



「…―――っ!!」



 バチンッ!!


 サナの身体、その体表に青雷が走った。


 バチンバチッ! バチンバチンッ!


 青い雷は放電を繰り返す。

 ただ、周囲を無駄に傷つけるものではなかった。あくまで自分の周囲を包むように展開されている。


「…ぎゅっ」


 ジュエルに触れてみる。

 とくんとくん とくんとくん

 自分と同じ心臓の音。まるで生きているかのような鼓動。

 いや、しっかりと生きている。間違いなくこの中で生きている。活動している。


「………」


 それをそのまま受け入れる。

 あれをしろとか、これをしろとか、ああしたほうが言いとも考えず、あるがままに受け入れる。

 良いところも悪いところもすべて受け入れる。これもまた自分の長所だ。

 アンシュラオンに言われたことを素直に受け取るように、狼のことも受け入れてあげる。



―――「フルルルルルッ」



 美しい音色が聴こえた。

 風に乗って遠くから聞こえる笛の音のような、とても綺麗な音だ。

 ただ、よく聴くと、それは狼の声であることがわかった。

 サンダーカジュミロンの遠吠えは、笛のような音色を奏でる。きっとその残滓なのだろう。

 美しく風情と情緒を感じさせる音だ。



 春の日、これを聴けば生命の始まりを知るだろう。

 夏の日、これを聴けば生命の謳歌を味わうだろう。

 秋の日、これを聴けば生命の奥深さに気付くだろう。

 冬の日、これを聴けば生命の儚さに涙するだろう。



 獣の一生が、そこにはあった。

 人間から見れば獣は理解しがたい存在だ。

 存在することは知っていても、その意味を深く考えることは少ない。


 しかし、同じ生命である。


 そこには感情があり、意識があり、進化がある。


 どくんっ


 不意に巨大な力を感じた。

 それは自分の中、その奥深くに眠っている「深淵の闇」から発せられていた。



 【黒い狼】が―――いた



 黒雷狼ではない。暴走した力のように禍々しいものではない。

 とても優しくて深くて、強い力と意思を感じる。

 世界そのものが自分の中にあるような感覚だ。

 意識が広がって、宇宙から星を俯瞰しているように視界が広がっていく。




「っ…!!」


 サナが力に触れている時、外で導いていたエンジャミナも驚くべきものを見ていた。


 彼女の眼に映るものも―――黒い狼


 サナの背に、雄大で力強く、それでいて優しい力が満ちて狼になっていく。

 黒雷狼すら遙かに凌駕する存在が、まるで守るようにサナを包んでいた。


(これが…【黒狼様】の……眷属。初めて見たわ。普段は人間の前に姿を見せることはないのに…。こ、幸運と思っていいのかしら?)


 エンジャミナは、あまりの力の大きさに震えてしまって動けない。

 たとえば高層ビルの屋上から地面を見た時のように、あるいは真っ暗な深海を覗き見た時のように、それ自体は害をなさずとも、巨大な力の前に畏怖してしまうのと同じだ。

 力の桁が違いすぎる。広大すぎる。

 これは世界を構成する力そのものだ。星を生み出し、維持するエネルギーだ。

 そんなものの前では人間など何の力も持たない。ダニ以下の存在である。


 しかし、黒狼はすべてを愛する。


 ダニの一匹すら世界にとっては必要だから存在している。

 人間が嫌うゴキブリでさえ、大地を耕す虫たちの食糧としても役立ち、世界の循環を成り立たせている。

 彼らにも独自の進化があり、無駄なものなど存在しないのだ。


 だからこそ、愛する。


 黒い狼、黒狼の眷属は優しい目で、この場にいるすべての人間を見守っていた。

 すでに述べたように破壊は再生とともにあるものだ。けっして不純で卑しい力ではない。

 闇の女神がすべてを愛する慈悲と慈愛の象徴のように、黒い力はあらゆるものを呑み込む性質を持っている。

 サナには、その力が受け継がれているのだ。


(白狼様の期待を受ける少年と、黒狼様の加護を持つ少女。…鳥肌が止まらない。これは…本当に……すごいわ)


 ニーニアが伝記を書くどころの騒ぎではない。

 彼らの存在が、こんな辺境のいち都市にあること自体が驚愕すべきことなのだ。

 発展した西大陸ではなく、未開発の東大陸に彼らがいることに大きな意味を感じてならない。

 そして、そんな場所に自分がいることが信じられない。

 おとぎ話の中に入り込んでしまったと錯覚するほど現実感が希薄だ。

 だが、確実にそこに存在している。



 力が―――ここにある



 サナの中に青い狼の願いと、黒い狼の雄大な可能性、それに加えてアンシュラオンという白い力が満ちていく。

 青雷が収束していく。ペンダントに収まっていく。


 青い狼が、かしずく。


 伏せて身を屈め、サナの前に寝そべった。


 ここに新たな【契約が完了】した。




 それを見届け、エンジャミナがサナに話しかける。


「力があるのがわかる?」

「…こくり」

「それを表に出せる?」

「…こくり。ぎゅっ」


 サナがペンダントを強く握る。

 彼女の目はどこを向いているわけでもない。何かを意識しているわけでもない。

 いつもと同じ、ただじっと宙を見つめるだけだ。


 しかし―――



 パチンッ パチンッ!!!



 サナの身体が青白く輝いていく。

 肌の表面に青雷が走り、産毛が逆立っていく。

 風が吹いていないにもかかわらず、黒く美しい髪の毛がばっさばっさと揺れて流れていく。

 身体全体に力が満ちていく。ジュエルから力が注がれていく。


「へぇ、これがジュエルの力か。なかなか面白いじゃないか」


 アンシュラオンが興味深そうにサナを観察する。

 明らかに彼女の気配が変わった。

 サナ自身に大きな変化があるわけではないが、気配がもう一つ増えた感覚と同時に、乗算するように力が上乗せされたように感じられたのだ。


「変な感じはしないか?」

「…こくり」

「普通に扱えそうか? 制御できそうか?」

「…こくり」

「ふむ、安全面の問題はなさそうだな。ねえ、魔石って使うと能力が上がるの?」

「え、ええ。そのジュエル次第ね。たとえば私のものは完全にサポート用だけれど、戦闘用のジュエルならば身体機能が上がることも多いわ。腕力が上がったり、特別な力が付与されることもあるの。それも魔石の種類によって違うのだけれど…」

「なら、試してみよう。そのほうが早い」


 アンシュラオンがポケット倉庫をまさぐると、鎧を取り出す。

 いつもサナの練習用に使う全身鎧である。これを実験台にする予定だ。

 ただし、忘れてはいけないことがある。

 ここには本来、ポケット倉庫などの術式を封印する結界が張られていた。事実、アンシュラオンも最初に来たときはポケット倉庫を使えなかった。

 今はそれが使えるようになっているのだ。アンシュラオンは、すでにそのことに気付いていた。


(やっぱり封印術式が破壊されている。さっきの黒い雷のせいだろう。あれにはあらゆるものを破壊する力があるようだ。さて、それと比べて今の力はどうかな? 性能テストはベンケイ先生くらいでいいか)


 ガシャンッ ガシャン

 アンシュラオンの戦気術によって中身が作られる。

 性能はアル先生と戦ったベンケイ先生を想定してみた。

 期待を込めて、なかなか高い設定である。


「とりあえず殴ってみようか。遠慮はいらない。思いきり殴っていいぞ」

「…こくり」


 サナがスタスタとベンケイ先生の前に立ち、構える。

 ここまでは今までと大差はない。


 しかし、ここからが違う。


 サナが拳を打ち出す。

 引き絞られた拳が一気に解き放たれる瞬間―――雷が迸る。

 それは攻撃のためではなく、サナの身体に影響を与えるものだった。


 まさに―――閃光。



 バキバキバキッ ドンッ!!


 雷の速度で打ち出された拳が鎧に激突し、そのままぶち破る。


(ほぉ、速度が数段上がっている。威力も上昇しているな。これはすごい)


 それにはアンシュラオンも嘆息。

 さすがにアル先生もてこずった中身の戦気までは破壊できていないが、外装にも戦気の防御膜が張られていたので、それを打ち破ったことは評価できる。


「これは戦闘能力が強化されているから、戦闘系の魔石だと考えていいんだよね?」

「………」

「ん? マザー、どうしたの?」

「えっ!? え、ええ…いえ、こんなにすぐ馴染むなんて珍しいから、ちょっと驚いてしまって」

「そうなの?」

「私もジュエルに馴染むまでには時間がかかったわ。だって、別々のものなんですもの。どんなに相性の良い友達とだって、最初から仲良くってわけにはいかないでしょう?」

「それもそうだね。何事にも慣れるための時間が必要だ。ただ、これはオレがこの子のために作ったものだ。個人的には不思議じゃないかな」

「それでも簡単じゃないわ。普通じゃありえない」


 エンジャミナの魔石もカーリスが生み出したものなので、カーリスのシスターだった彼女と相性が良いはずだ。

 それでも力を引き出すには二年以上の修練が必要だった。毎日脇目も振らずに努力をして、ようやく使えるようになったのだ。

 それが―――あっという間

 最初から自分の一部だったといわんばかりに、サナは違和感なく力を身にまとっている。

 これは明らかに異常である。

 ただし、心当たりがないわけではない。


「『エル・ジュエラー』って言うのよ」

「…え?」

「ジュエルの力を90%以上引き出せるジュエリストのことを、そう呼ぶの。〈世の声を聴く者〉、声無き声を聴き、世に影響を与える存在。それがエル・ジュエラーよ」


 50%以上の性能を引き出せれば、ジュエリスト〈石の声を聴く者〉と呼ばれる。

 これだけでも立派な数字だ。全体の一割いるかいないかである。

 それが90%以上となると、がくんと数字が落ちる。

 おそらく武人全体の0.01%以下。仮に武人が一万人いれば、その中に一人いるかどうかの割合である。

 武人の数自体がそう多くはないので、この数字はかなりの倍率といってよいだろう。

 しかもジュエルには多様な形態があり、戦闘系のジュエルと相性が良い者となれば、もっと数は少なくなる。

 それゆえにエル・ジュエラーともなれば、各国の騎士団長クラスに任命されることが多い、まさに逸材なのだ。


(なるほど、だからサナのスキル欄に表記があったのか)


 ここでようやくスキルの内容がわかる。

 エル・ジュエラーは、魔石との融合がより進んだ者に与えられるスキルだ。

 サナの場合、彼女専用に仕上げられたことによって最初から融合が進んでいたのだろう。それも思念液の効果だと思われる。

 何事も専門家に訊くのが一番だ。思わぬところで謎が解明されてすっきりする。


「それって特別って思っていいの?」

「もちろんよ。とんでもないことね。世界的に影響を与える人物にしか持ち得ない資質ですもの」

「そうなんだ。…そうかそうか。ふっふっふ!! それはいいね!! とてもいいよ!! この子はやっぱりすごい子なんだよな! 見る人間が見ればわかるんだ! まったく、モヒカンのやつ! あいつは本当に見る目がない!!」


 たかが言葉を話せないだけで、セノアたちより値段を下げていたくらいだ。

 あのモヒカンはまったくもって見る目がない。

 いや、自分の見る目がありすぎたのだ。サナを選んだ自分がすごいのだ!!


「すごいぞ! お前はすごいんだぞ!! やっぱり最高だ!!」

「…こくり」

「いい子だ! 本当にいい子だ! 可愛いなぁ!! すりすりすり!」

「…むぎゅっ」


 アンシュラオンは、しばらくサナを触ったり抱きしめたりしながら褒めちぎっていた。

 どんどん成長するサナが可愛くて可愛くてしょうがないのだ。




442話 「決着、レイオン戦 前編」


 少しの間、サナとジュエルの性能テストを行っていた。

 時間としては、ほんの数分といったところだろう。

 鎧を殴らせたり、飛び跳ねさせたりと、軽く動きのチェックをしていたくらいだ。たいしたことはしていない。


「よし。じゃあ、やろうか」


 ふと、アンシュラオンがそんなことを言い出した。

 周囲からは何の反応もない。

 何をやるのか理解できなかったからだ。


「どうしたんだ? さっさと来いよ」


 誰もが首を傾げる。

 あの少年は、いったい誰に言葉を向けているのか。

 まさか自分ではないだろうと観客たちは顔を見合わせる。

 もちろん彼らに用事はない。よほど自意識過剰でなければ、名乗り出たりはしないだろう。

 仮にそんなお調子者がいたとしても、これだけ特異な状況で前に出たとしたら、本物の馬鹿か愚か者である。

 あっという間に簀巻《すま》きにされて外に放り出されるのがおちだろう。

 それはそれで余興としては面白いが、今求められているのは違う存在だ。


 アンシュラオンの視線を追うと―――男がいた。


 その男は怪訝そうに言葉を返す。


「もしかして…俺か?」

「お前以外の誰がいるんだ。さっさと来い。ほら、こっちだ」


 アンシュラオンが話しかけたのは、レイオン。

 黒雷狼の出現から戦力外になり、完全に空気と化していた男だ。

 彼にできることがあるとすれば、ミャンメイを庇うことくらいだっただろう。

 彼自身も、まさか自分が呼ばれるとは思っておらず、きょとんとした表情を浮かべていた。


 何のことかわからなかったが、とりあえず呼ばれたので素直にリングに上がる。

 すると、アンシュラオンから驚くべき言葉が発せられた。


「試合の続きだ。準備はいいな?」

「…は?」

「は? じゃない。試合だ。まだ試合中だろう」

「試合…中? あ、ああ…たしかにそうだったが…中止だろう?」

「誰がそんなことを決めた。台風だろうが地震だろうが津波だろうが、試合は最後までやるものだ。で、体調はどうだ? さっきの騒動で怪我はしなかったか?」

「それは…問題ない。眺めていただけだからな」

「同じくこちらも問題ない。場所もあるし観客もいる。何ら障害はないな」

「本気か?」

「当然だ。お前だって勝負が途中で終わっては困るだろう。白黒はっきりつけないとな。なあ、お前たちだってそうだろう? 勝負がつかないと困るよな?」


 今度は観客連中に視線を向ける。

 これまた誰もが困惑の表情を浮かべたが、次第に自分たちがなぜここにいるのかを思い出す。


「そ、そうだ! 賭けはどうなったんだ!」

「こっちは金を賭けているんだ! ここまでやって引き分け中止は認めないぞ!!」

「レイオンの負けでもいいけどな!!! 俺たちが欲しいのは嫁さんだし!」


 彼らにとって、ここは何があろうとも賭博場である。

 金を賭けているのだ。遊びでやっているわけではない。しっかりとした目的があるのだ。

 その声は連鎖し、観客全員が叫び出す。


「はっきりしてもらわないと困るぜ!!」

「おー、やれやれ!!」

「こうなりゃお祭りだ!! 最後までやっちまえ!」


 これだけのことが起きながらも賭けのことを忘れない姿勢は見事である。

 生粋の駄目人間たちにも意地がある。彼らは彼らでブレないのだ。その肝っ玉は称賛に値するだろう。



「ということだ。試合は継続だな。この戦いにはミャンメイの権利がかかっていることも忘れるなよ」

「まだ諦めていなかったのか、お前は」

「当たり前だろう? オレは欲しいものは手に入れる主義だからな。そうそう、マザーに訊いておきたいことがあったんだ。ジュエルの力は無手の試合で使ったら反則なのかな?」

「どうかしら…。試合のルールには明るくないけれど、黒姫ちゃんはそのペンダントを付けて今まで試合をしていたのよね?」

「そうだね。これは特別だから何があっても外すことはないよ。寝るときやお風呂のときだって外さないね」

「それで封印術式に反応しなかったということは、ジュエルが道具ではなくて身体の一部だと認められていた証拠じゃないかしら。もし武器や防具扱いならば弾かれていたはずよね。それに一般的にジュエリストが扱う魔石は、持ち主と同体としてカウントされることが多いのよ。石と一心同体になれるのがジュエリストですものね」

「じゃあ、この子がジュエルを使って強化しても違反じゃないってことだね」

「うーん、あとはレイオン次第かしら。もうここにはルールなんて存在しないみたいだし、当人に訊くのが一番ね」


 すでにリングは半壊しており、会場全体も損傷が激しい。

 結界もない。審判もいない。


 いるのは―――武人と武人だけ


 一度出会ってしまえば、勝負がつくまで戦うことをやめられない哀れな存在同士だけだ。

 そこはレイオンも武人。中途半端で終わらせるわけにはいかない。


「俺はかまわん。そっちは武器を使ってもいいくらいだ」

「いや、あくまで無手での戦いだ。それは貫く。これはそうした修練だからな」

「やれやれ、俺は練習台か」

「この子にとっては毎回命がけだ。お前と同じさ。審判は引き続きオレがやる。どちらかが戦闘不能になるまでだ。いいな?」

「…わかった」

「被害が出ないように観客はオレが保護しておく。遠慮なくやっていいぞ。この会場全部が戦闘フィールドだ」


 マザーとニーニアが客席に戻ったのを確認し、アンシュラオンが再び水泥壁で観客たちを覆う。

 黒雷にすら耐えた力だ。レイオンたちが暴れたところで壊れるようなものではない。




 こうしてサナとレイオンとの勝負が続けられることになる。


 二人が、対峙。


 レイオンがサナを観察する。

 当然、今度は目を外さない。しっかりと睨みつける。


(いまだに何が起こったのか理解しきれていないが、この少女に異変が起きたのは事実だ。もっと言えばこう…あやふやだったものがしっかりとした感じか。正体不明だったものが表に出てきたというべきだろう)


 サナがジュエルを解放したことで存在感が増した気がする。

 不気味さは依然として残っているものの、一人の人間として、一人の武人として輪郭がはっきりとしてきたことが佇まいから見て取れる。

 それは彼女の体表をうっすら覆っている青雷のせいだけではないだろう。

 彼女自身の中で何かの変化が起きているのだ。

 サナ自身にも理解できない何かの感情が内部で渦巻き、表面の力として浮き上がっている。


(何かのきっかけで武人は一瞬で強くなることがある。油断はしない。全力で倒す。これは俺にとっても重要な戦いなんだ。ミャンメイのためだけじゃない。【やつ】に勝つためにもな!)


 サナはアンシュラオンの期待に応えて強くなるため。

 レイオンは自らの復讐と目的のため。

 両者ともに、この戦いには負けられない理由があるのだ。


 武人の戦いに合図などは存在しない。

 それは突然、不意に訪れた。



 まず動いたのは、サナ。



 黒雷狼のスキルによって身体は回復している。

 あれに『自己修復』スキルがあったのは、命気を吸収して生まれた存在だったからかもしれない。

 おかげで身体は万全。折れた腕も戻り、意識もしっかりしている。

 ただ、ほんの少し前に負けたばかりで、力の差が歴然としている相手だ。

 自分から突っ込むのは危険な行動に映る。


 が―――ぎゅん


 サナが足を踏み込むと、一気に加速。


(速い!!)


 レイオンが驚く暇もなく、気が付くとサナが目の前にいた。

 そこから彼女は拳を解き放つ。


 ぎゅんっ


 その拳も今までとはまったく違う速度で放たれる。

 レイオンは迎撃を諦め、ガード。

 サナの拳が腕に命中。


 ミシィイイイイッ


 拳がめり込み、骨が軋む音が聴こえた。


(ガードの上からでも響く! パワーも上がっている! これが子供の腕力か!?)


 レイオンは生粋の戦士であり、その肉体も強固で柔軟だ。

 復活してからはサナの拳を受けても平然としていたものである。


 それが―――浮き上がる


 こんな子供の拳を一発を受けただけで浮遊感を感じてしまう。

 もしガードしていなかったら危ない一撃であっただろう。


 次の瞬間、サナが再び踏み込む姿が見えた。

 連撃を加える気だ。


(やらせるか! 今度は加減はしない!)


 レイオンはすかさず打ち下ろしの拳で反撃。容赦なくサナの顔面を狙う。

 このあたりはさすがの状況判断能力である。

 一度の攻防で、レイオンはサナを強敵、あるいは難敵と認定した。

 女の子だからといって手加減できる余裕はない。全力の拳を叩き込む。


 拳がサナに迫るが―――


 バチバチッ ぎゅんっ


 サナは回避。

 一瞬でレイオンから離れる。

 ただ、少し離れるつもりが十メートルほど移動してしまった。

 慌ててブレーキをかけて止まる。


「…?」


 サナは首を傾げている。

 どうやら力の制御がまだできていないようだ。

 それも仕方がない。彼女はまだ目覚めたばかりである。これで軽々と制御できたら天才中の天才だ。

 アンシュラオンでも無理なことは彼女にもできないのだ。

 が、レイオンに脅威を与えることには十分成功したようである。


(…これはまずい)


 その動きを見て、レイオンはさらに警戒を強めた。

 そして、背を屈めて両脇を締め、ガード寄りの構えを取った。

 よく「亀のように防御を固める」というが、まさにその通りの構えだ。

 ただし、足を小刻みに動かすことによりフットワークは維持する。


 そこに体勢を整えたサナが突っ込んできた。


 速い。

 今までの彼女とはまるで別人だ。

 それをレイオンは正面から受けずに、横に跳ねてかわす。


 ぎゅんっ ズザザザッ!!


 サナはまたもや行き過ぎてしまい、止まることに精一杯で追撃には移れなかった。

 だが、レイオンも反撃をしない。

 がっしりとガードを固めてサナの様子をうかがっていた。




(まだパワーでは劣るが、スピードではサナのほうが上だな)


 その様子を見ていたアンシュラオンも、両者の特色の違いがすぐにわかった。

 まず身体能力全般がジュエルによって強化された。

 この強化はかなりのもので、素の彼女のステータスを軽く凌駕する力を与えているようだ。

 数値にするのは難しいが、2.5倍から3倍近い力が加算されているように見える。

 それでも性別と体格の差もあってか、パワーはレイオンのほうが上と見るべきだろう。

 サナが圧倒的に勝っているとすれば、今見た通りに【スピード】だ。

 しかもこのスピードには一つの『特徴』があった。


(風属性でも素早さが上がるが、雷とは性質が違う。雷の特徴は【直線】の動きだ)


 雷貫惇《らいかんとん》の術式を思い出してみれば、その力の傾向性がよくわかるだろう。

 貫く力、真っ直ぐに進む力に長けているのだ。

 雷が真っ直ぐに走り、落ちるように、雷光のような速度を実現させている。

 今、レイオンはサナの攻撃を必死によけている。よけるしかなかった。

 なぜ彼がその対応をしたのかといえば、【動きの初速が速いからだ】。


(雷属性の力を上手く使えば、踏み込んでから力を解き放つまでの時間を短縮できる。【間】がなくなるから動きを読みづらくなるんだ)


 踏み込んで、筋肉を引き絞り、解き放つ。

 これが通常の動きの過程であり、相手の筋肉が引き絞られた瞬間を見極めて防御姿勢に入るものだ。

 しかし、雷のジュエルを身にまとったサナには、この中間の動作がない。あるいは非常に短い。

 雷自体が神経や筋肉に関与しているのかもしれないし、まとった雷が補助しているのかもしれない。

 暗殺者も似た動きをするが、サナはまた独特な動きである。


(これはサンダーカジュミロンの動きだな。人間の動きとは異なる魔獣の動き方だ)


 一発で殺してしまったので記憶はないが、雷を自在に操る狼の動きを彷彿とさせることから、そう考えるのが妥当だろう。

 魔獣と何度も戦ってきたアンシュラオンには、むしろこれが普通に感じられる。

 だが、対人戦が多かったレイオンは、速度の質が違うので戸惑っているわけだ。だから守りの姿勢に入っている。


(それにしても、レイオンはいい動きをするな。動きを見極めるまで迂闊に動かず、防御に徹している。見込んだ通り、経験値はなかなかのものだ。そして、それだけじゃない。あいつの狙いは―――)




 レイオンは亀のように防御を固め、サナの突進をいなしている。

 その姿は、まるで闘牛士。

 まだ力を使いこなせていない彼女は、初速の速い動きをするものの、行き過ぎてしまうので連続的な行動に出られないのだ。

 これもある種、サナの悪い癖だ。

 やはり子供のせいか、新しいものが手に入ると浮かれてしまう。楽しんでしまう。

 日本刀を手にした時のようにウキウキしてしまって、突進することしか考えていない。

 それをレイオンは、しっかりと観察していた。


(魔石…か。さしたる努力もなしに、こんな力を得られるんだ。たしかに便利なものだな。夢中になる気持ちもわかる。俺だって欲しいと思うさ)


 努力をしないで力を手に入れる。

 今賭け事に夢中になっている連中と同じく、実に虫のよい話だ。

 誰だって楽して宝くじが当たるのならば、自分だってと思うだろう。

 だが、レイオンは自分自身をよく知っていた。

 自分にそういう運命が訪れないことは理解していた。

 身体が戻っただけでも御の字なのだ。これ以上を望むことはないし、望む必要性もない。


 そう、必要性がない。


(俺は知っている。力はただあるだけでは意味がない。磨いてこそ価値が出る! そのスピードは驚異的だが、ただの直線ならば…!!)


 サナの動きは速かった。

 だが、そのすべてが直線的。

 暗殺者のように怪しい術も使わないし、フェイントを入れるわけでもない。

 ただ真っ直ぐ突っ込んでくるだけならば、合わせられる。

 実際、百六十キロの剛速球を打つのは、それほど難しいことではないとプロ野球選手は言っている。

 目を慣らして、タイミングを合わせればいいだけだ。

 ずっと真っ直ぐ、ど真ん中に投げ込んでくるだけならば―――



―――カウンター



 サナが突っ込んできたところに、ショートパンチを合わせる。

 大振りをする必要はない。

 拳を合わせるだけ。威力は相手の推進力でまかなえばいい。


 ぎゅんっ


 そんな狙いも知らず、サナがまんまと突っ込んでくる。


 それに合わせてレイオンが拳を突き出す。

 ショートパンチとはいえ、体格差では圧倒的にレイオンが上なので、腕の長さも彼のほうが長いのは当然だ。

 彼女の身長に合わせるため、ややショートアッパーのように放った拳が―――



「…っ―――!」




―――命中




 サナも寸前にレイオンの思惑に気付き、急遽拳を出したが、ほんのわずかにレイオンの拳のほうが速く、長かった。


 バゴンッ ぎゅるぎゅるぎゅるっ


 ドッゴーーーーーンッ


 玩具のコマのように回転したサナが、ものすごい勢いで壁にまで吹っ飛んでいった。




443話 「決着、レイオン戦 中編」


 ドーーーンッ!


 盛大な音を立てて、サナが壁に激突。

 ここから壁までは軽く五十メートルはあるので、そこまで吹っ飛んだことを意味する。

 レイオンは軽く拳を当てただけだが、向かってくる相手の力を利用しているので、それだけでも大ダメージを与えることができる。

 これがカウンターの怖ろしさだ。

 一発でもまともに入れば、それだけでノックアウトできるほどの威力がある。

 ただし、当てるまでが難しい。簡単にできることではない。

 これだけの速度なのだ。その一瞬を見極める戦闘経験値が必要となるし、何よりも度胸が必要だ。

 レイオンは努力をして戦い続けた男である。培った感覚や経験値はけっして無駄にはならない。


 一方のサナは、やはり経験値が乏しいと言わざるをえない。

 ここでも両者の差が歴然となった。これもすぐには埋められないものだ。



 がしかし―――



「…むくり」


 サナが立ち上がった。

 軽く首を振っただけで、ふらつくこともなく立った。

 拳は顔に当たったはずだが、怪我らしい怪我は負っていない。

 もしかしたらジュエルに『自己修復』能力があるのか、と疑いたくなるが、今回はそれとは違う要因があった。


「…ぐぬううっ」


 澄ました顔のサナとは対照的に、レイオンの表情が歪む。

 腕が震えている。足もブルブルしている。がくがくと身体が小刻みに揺れている。

 【痺れた身体】をなんとか制御するも、まだ完全に回復しきっていないことがうかがえる。


 そう、痺れ。


 レイオンが拳を合わせた瞬間、サナの身体を覆っていた雷が迸り、攻撃を仕掛けてきたのだ。

 攻撃と呼ぶほど苛烈ではなかったが、この大男を痺れさせるほどの威力は十分宿していた。

 もし一般人だったならば、この段階で感電死だろう。戦気の強化がなければ武人でも危なかったかもしれない。

 それは黒雷狼も持っていた『雷迎撃』スキルの効果であった。

 サナを攻撃する者に対して、狼は必ず反撃を行う。自動的に反撃を行うのである。

 これはサナの意識の範囲内において発動するので暴走とは違う。そういったスキルである。

 それによって感電したレイオンは一瞬だけインパクトがずれ、サナに回避する時間を与えてしまった。

 首をギリギリで逸らし、自ら回転することでダメージを軽減させたのだ。


 経験を上回れる方法があるとすれば、それ以外の力の付与が一番手っ取り早い。


 優れた武具を装備すれば弱い武人でも強くなれるように、サナのジュエルの質が良すぎた結果として、この一撃を回避することができたのだ。

 だが、それもまた力。武人の実力のうちだ。



「ぬんっ!!」


 バンッ!

 レイオンが気合を入れて、身体に残っていた痺れを吹き飛ばす。

 正確に言えば生体磁気を活性化させ、肉体操作を行って神経機能を取り戻したのだ。

 その間に準備を整えたサナは、再び攻撃の態勢に入っていた。


 サナが―――突っ込む



(ちっ、もう一度カウンターを合わせるには間が悪い! 一度引くしかない!)


 レイオンは回避を選択。

 また雷撃が来ることを怖れて反射的に避けてしまった。

 これは仕方がないだろう。

 我々が思わず受ける静電気とて、一度味わうと二度目は警戒して、金属に触れることを躊躇うほどだ。

 青雷狼が発する雷撃ともなれば、こうして身体が動けなくなるレベルである。

 それを避ける行動を取った対応は自然なこと。責められるべき選択ではない。


 しかしながら、相手は―――天才


 忘れてはならない。

 サナのスキルには、しっかりと『天才』というスキルが表示されている。

 その彼女が同じミスを犯すわけがない。


 ぎゅんっ ぴた


 加速したはずのサナが、止まる。

 この距離ではレイオンには届かない。彼までまだ二十メートル近くある。

 たとえれば軽くステップを踏んだようなもの。たったそれだけでも雷によって推進力が生まれ、軽々と数十メートルも移動することができる。

 だからどうした、という話になるのだが、これが非常に効果的なのだ。



 なにせ―――レイオンの動きが止まっていた、のだから



(この少女…はぁああああああああ!!)



 レイオンは思わず心の中で悪態をつく。

 こういうことを平然とやってくるから、サナという少女は厄介なのだ。


 なんてことはない。単なるフェイントだ。


 いくぞいくぞと見せかけて、軽く移動しただけにすぎない。

 しかし、初速が速い、という特性がここで大いに役立っていた。

 野球で変化球に引っかかるのは、剛速球に対応するために準備をしているからだ。

 全部を見てから動いていてはスイングが間に合わない。

 投げた瞬間には、すでに振る動作を始めているものだ。だから突然の高速フォークに対応ができない。

 それがレイオンにも当てはまる。

 サナの初速が速すぎるので、「動く!」と思った時には自分も動かねばならない。

 だから釣られる。こんな簡単なフェイントに釣られる。


「だったら、こいいいいいいいいいいいい!!」


 もうこうなったら受け止めるしかない。

 恥ずかしいほどに引っかかってしまったのならば、割り切って受けるしかない。

 だが、ここでもサナはレイオンの予想を上回る。


 サナが―――体当たり


 もう拳を出すとかいうレベルではない。

 どのみち制御ができないのだ。それならば身体ごとぶつかればいい。

 そんな「大雑把」で「面倒臭さ」を伴った体当たりが、レイオンに直撃。



 ドーーーーーンッ!!



「ぐ…はっ!!」


 身体ごとぶつかってきたため、いくら小さな体躯の少女とはいえ質量が大きい。

 慌ててガードした両腕を弾き飛ばし、胸にサナが突き刺さる。

 激しい衝撃に呼吸が止まる。息が詰まる。

 蘇った心臓だったからよかったものの、前の弱った心臓だったならば死んでいたかもしれない。

 しかもサナの場合、それだけでは済まないから怖ろしい。


 バリバリバリッ バーーーンッ!


 サナに触れるということは雷撃を受けることを意味する。

 身体中に電流が走り、筋肉が焼け焦げ、神経にダメージを与える。

 このあたりにもサンダーカジュミロンの特性は残っている。攻撃そのものが精神にダメージを与える仕様になっているのだ。

 まだ声が出せないことが唯一の救いだ。これでショックボイスまで扱えるようになったら、本当に手に負えない存在となってしまうだろう。


 だが、いかんせん、今のサナでは軽すぎた。


 雷撃の威力はなかなかのものだが、レイオンも一度受けていたので我慢する準備ができていた。

 すぐに練気で呼吸を整えると反撃の態勢に入る。


(近寄ってきてくれたのならば、好都合! 体格差を生かす!)


 がしっ

 レイオンがサナの首を後ろから掴むと同時に、左腕をねじり上げて関節を極める。

 これだけでも十分危険な状態だ。学校の柔道の授業ならば間違いなく怒られるレベルだろう。

 だが、ここで終わらない。


 レイオンが―――跳躍


 関節を極めながら回転して反動をつけ、サナを下にして落下。


 バーーーンッ!!


 激突。

 イメージとしては、プロレスラーがリングのコーナーポストから相手を抱えてジャンプし、思いきり叩きつける光景に似ているだろうか。

 だが、あれは大怪我をしないように配慮しているから大丈夫なのであって、真剣勝負の場合は容赦なく顔面から叩き落すので非常に危険だ。

 これは首を折るための技。腕を折るための技なのだ。


 覇王技、覇天・巻蝦《まきえび》。

 見た通り、相手の関節を極めながら跳躍し、巻き込むように相手を叩きつける技だ。

 武人の戦いは高速戦闘が基本なので投げ技は少ないとは以前述べたが、体格が大きい者は組み合うこともあるため修得していることが多い。

 レイオンもあらゆる状況に対応するために投げ技を体得していた。

 姿勢制御に戦気を使っているので空中で乱れることはなく、完璧に技が決まることも特徴だろうか。

 やるのが難しいだけであって、決まれば強力な技がそろっているのも投げの特徴である。


 たしかにこれは強烈。

 下手をすれば、サナの首と腕、肩が複雑骨折する可能性すらある。

 しかしながら今のサナは【強化状態】にあった。


 ぐぐぐっ ぐぐぐぐっ!!


「ぬっ…!!」


 レイオンの押しつけていた手に、サナの手が伸びて逆に締め上げる。

 腕力で強引に振りほどき、押しのけようとしているのだ。

 今までならば大人と子供ほどの差があった両者だが、すでにその差は絶対的なものではなくなっていた。


 ぐぐぐっ ぐいいっ!! ばんっ!!


 サナが強引にレイオンの腕を振り払った。


「…ふー、ふーー!」


 転がるように脱出し、弾けるように立ち上がった彼女からは鼻血が垂れている。

 首にも違和感があるが、折れているというほどではない。肩も折れたり外れたりということはなかった。


(あれを耐えたのか! 手応えはあったはずだぞ!)


 レイオンはサナの状態に驚愕を隠せない。

 技は完璧に決まったはずだったが、身体能力が上がっていた彼女は耐えきった。

 何かをしたのでもない。単純に耐久力で我慢したのだ。


 そして、ここで立ち止まっているほど彼女は甘くない。


 アンシュラオンに言われた通り、けっして動きは止めない。

 すかさずサナの反撃。

 高速移動からの拳を叩き込む。

 ドゴッ! バチバチッ!

 拳がレイオンにヒットするとともに雷撃が走った。


(ぐっ、この雷は厄介だ!! この距離ではよけることは不可能だし、普通に防御していてもダメージを受ける! 感電したところに追撃されれば消耗も馬鹿にならんぞ! ならば…!)


 剣衝が風衝や雷衝になるように、攻撃に属性を付与させることはそう珍しいことではない。

 属性によって攻撃の質が変化し、強力になったり便利になったりするものだ。

 ただし、それは攻撃にのみ与えられた特権ではない。


「ぬおおおおおお!!」


 ボオオオオオオオオオオ!!

 レイオンの身体が【燃える】。

 戦気で燃えたのではない。本当に真っ赤な炎が発生して身体を包んだのだ。


 これを覇王技、火体身《かたいしん》と呼ぶ。

 身体を火属性で包むことで特別な力を付与するものである。

 ただし、攻撃のためではなく主に防御にもちいられる技だ。相手の攻撃が自分に当たれば、相手に火の反撃ダメージが自動的に入るタイプの技なのだ。

 言ってしまえば、サナの雷迎撃に近い能力といえるだろうか。あれよりは受動的だが、攻撃すればダメージを受けることは同じだ。

 どうせよけられないのならば、ダメージ覚悟で打ち合うしかないと判断したのだろう。

 レイオンが攻撃態勢にシフトした瞬間でもあった。


 ここで重要なのは、サナとは性質が違うことだ。


 火属性なので、魔獣の火炎などには強い耐性を発揮する一方、水や氷といったものとは激しく激突し、属性反発が起きる可能性がある。

 ラブヘイアも風属性を身にまとって速度を上げていたが、こうした属性を使うことはメリットにもなりデメリットにもなるものだ。

 サナの場合は雷のジュエルなので、属性が雷に固定されることが一番つらいだろう。そこで対策を練られると厳しくなりそうだ。


 今回の場合は、雷と火。


 この二つが衝突すればどうなるか。


 バリバリバリッ

 サナの拳が当たるたびに雷が走る。


 ボオオオオオッ!

 それを防ぐために火が吹き荒れる。


 バチンバチンッ ボオオオオッ


 両者の力が激突し―――弾ける


 力と力が合わさり、普通に発生していたときよりも激しい雷と炎が周囲に撒き散らされる。


 バリバリーーーーッ!!!

 ボンボンボンッ!!


 発生した力が行き場を失い、荒れ狂う。

 おままごとに見えていた地下闘技場の戦いが、「より武人らしい」ものに変わっていく。





(水泥壁を張っておいてよかったな。完全に観客を巻き込んでいたところだ)


 今回のサナの青雷は、床や壁を破壊するほど強烈ではない。

 そもそもそれほど強ければ、レイオンなどあっという間に消滅しているだろう。

 あの雷はサンダーカジュミロンがまとっていたものでありながらも、サナ用に調整したために出力が抑えられているものと考えられる。

 本物のサンダーカジュミロンの雷は、あれよりずっと強力なのだ。

 討滅級でも上位に位置するこの魔獣の雷撃は、レイオンでさえ耐えきれるものではない。

 こうした事情もあり、現状での二人の力は拮抗していた。




前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。