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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第六章 「収監砦」 編


395話 ー 404話




395話 「実戦の拳 後編」


 試合は佳境を迎えた。

 幼い少女が果敢に大人の男に立ち向かい、一時的とはいえ圧倒する。

 だが、結局最後は力負けして賭け試合は滞りなく終了。

 8.8倍というオッズは運営側には負担になるが、少女に高額の賭け金が投入されたことで十分回収も可能な数字だ。

 刺激に飢えている者たちにとっては久々のお祭り騒ぎになったことだろう。

 彼女もまた試合に出るだろうから、今後ともアイドルとして闘技場を盛り上げてほしい。



 めでたし、めでたし。



 それが運営側が描いたシナリオだ。

 しかし、彼らは一つだけ大切なことを忘れている。

 この世でもっとも重要で、唯一無二の絶対のルールの存在を。



 アカガシが前に動いて、サナに圧力をかけようとした時である。



―――ガクンッ



「…え?」


 前に重心をかけた足が、がくんと崩れ落ちた。

 まるでしばらく歩いていなかった寝たきりの患者が、初めてリハビリで立とうとした時のように、突如膝ががくんと折れたのだ。


 フラフラッ ぴたっ


 慌てて身体全体でバランスを取り、無様な転倒だけは避けることができた。

 だが、頭は軽いパニックだ。


(な、なんだ? 足が…変だぞ。どうして転びそうになったんだ? まったく、まだ寝ぼけているのか俺は。打たれた時間が長すぎて攻撃の仕方を忘れたか? こんなの簡単じゃないか。前に足を出して拳を―――)


 相手を強く殴るためには、まず足を踏み出さねばならない。

 大きく踏み出して腕を引き絞って、腰を回転させるだけだ。

 シナリオのことばかり考えていたので、少しぼーっとしてしまったのだろう。まったくもって恥ずかしい話だ。

 反省し、改めて足を動かそうとする。



 ぴたっ



 が、足が―――動かない。


 まるで足裏が地面に吸い付いてしまったかのように、がっしりと固まって動こうとしない。


(何やってんだ!! 前に行くだけだろうが!)


 その状況に苛立ったのは、当然ながら身体の主人であるアカガシである。

 どうしてこんな簡単なことができないのか。足を踏み出すくらい誰にだってできることだ。


 足が―――前に。

 足が―――前に。

 足が―――前に。

 足が―――前に。



 行―――かないぃいいいいいいいいい!!!



「ふざけるな!」


 思わず自分自身に罵倒するほど異常な状況だ。

 なんでなんでなんで、こんな簡単なことができないのか!!

 ありえない! 話にならない!!


(足なんかいい! それより腕が重要だ! 腕だけ動けば殴れるんだからな!!)


 仕方ないので腕だけでも動かそうとするが―――



 するが―――

 するが―――

 するが―――




 動―――かないぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!




 激しい筋トレをしたあとのように、腕がぷるぷる震えてまともに伸びない。

 ここでようやくアカガシは強烈な違和感に気付く。


 そう、身体が動かないのだ。


 どこかで自分の意思が途切れてしまったかのように、身体がうんともすんとも動かない。


(っ!! 違う! 違うぞ!! これは気の迷いというものではない!! 何が起こった!? 変なものでも食べたか! 朝食は何だった!? 昼飯は!? それとも病気か!? 急に何か変な病気にかかったのか!?)


 いきなり身体が動かなくなれば、誰だって慌てふためくものだ。

 それが試合中ならば、なおさらである。

 初めて試合に出た時は緊張して震えたものだが、それはもう何年も昔の話だ。ベテランとなった今では、まずありえないことである。


 だからこそ、わからない。


 原因がわからない。理由がわからない。意味がわからない。

 謎の硬直現象に恐怖したのか、汗が一気に噴き出す。



「…しゅっ!」

「っ!!」


 動かないアカガシを見て、サナがラッシュを仕掛ける。


 ドスンッ ドスンッ ドスンッ

 ドスンッ ドスンッ ドスンッ

 ドスンッ ドスンッ ドスンッ


 今は試合中だ。対戦相手がいる戦いである。

 こちらが動けないからといって相手も動かないわけではないのだ。


(くそっ! 俺の身体に何かが起こったのは間違いない!! しばらくは耐えるしかない! 防いで防いで、防ぎまくるんだ!!)


 動けないのだから身を固めるしかない。今度は必死になって自らの意思で防戦の構えを見せる。

 両脇を締めて、がっしりとガード。今度は腹への一撃もシャットダウンするつもりで臨む。


「…しゅっ」


 サナの拳が迫る。

 こんな小さな拳一つ、防ぐことは造作ないことだ。

 そのはずなのに。そうであるはずなのに。そうであるべきなのに。


 ドゴンッ!!


「ぶはっ…」


 少女の拳が腹に突き刺さった。

 その衝撃に思わず吹き出す。


(馬鹿な!! なぜくらった!! 十分ガードは間に合ったはずなのに!!)


 明らかに間に合うタイミングだった。絶対に防いだつもりだった。

 そうにもかかわらず少女の拳は腹に当たった。

 しかも今まで以上の衝撃が伝わってくる。


 はっきり言って―――【痛い】。


(なんだこの痛みは…!! さっきと同じパンチなのか!!? なんでこんなに…重い!!)


 少女の拳の出し方に変化はない。軌道も変わっていない。

 だが、なぜか防げない。

 そのことにアカガシはさらなる混乱に陥る。




(ようやく気付いたようだな。それが戦いの拳、つまりは【実戦の拳】だよ。試合ばかりやっていたお前たちが忘れているものだ)


 アンシュラオンがパニックに陥っているアカガシに、哀れみの視線を向ける。

 本来ならば彼も当たり前に知っているはずのものだ。

 戦うために存在する武人ならば、生まれながらに身についているものだ。

 しかし、家畜が牙や爪を抜かれるように、試合という生温い現状に甘んじた彼らは、【戦う術】を忘れてしまった。



 サナの拳は―――殺すための拳。



 彼女には手加減など教えていない。派手だがダメージのない殴り方など、一度たりとも教えたことはない。

 教えたのは『実戦における殺しの技術』だ。

 的確に相手にダメージを与え、急所を狙い、動きを鈍らせ、確実に殺すための技術である。

 サナはそれを実践しただけのことだ。普段の鍛練通りの動きでしかない。


 しかしながら、牙を失った家畜にとっては脅威そのもの。


 彼らが試合でタフなのは、相手がそれに合わせて殴っているからだ。

 真剣勝負が数秒で終わるように、本気で殺しにきている拳で打ち合えばダメージは深刻なものとなる。

 アカガシはそれを完全に見誤った。サナの拳がいつもと同じ『試合用の拳』だと考えてしまった。

 本気の実戦の拳は、いくら防御を固めていても身体の芯に響く。ダメージを与える。

 それが知らずのうちに彼を致命的な状況へと導いたのだ。


(オレたち武人にボクシンググローブはいらないんだ。いつだって血を浴びて、血を吐き出して、死と隣り合わせに生きるしかないんだよ)


 相手を殺すことでしか生きていけない哀れな存在。それが武人だ。

 武人である以上、それを受け入れるしかない。放棄も否定もできないのだ。


 そして今、サナがその力をリングという『家畜小屋』に持ち込んだ。


 たった一匹の子猫の爪に怯えている中型犬の姿は、あまりに滑稽である。




(動けない…! 身体が反応しない…!! っ!!)


「…しゅっ!」

「っ!!」


 サナは完全に動きが鈍ったアカガシの懐に入り込んで、リズム良く拳打を繰り出す。

 彼女に疲労はない。攻め疲れも見受けられない。依然として全力の拳を叩きつけてくる。

 アカガシは防御できない。しても貫通する。腕を差し入れても強引に割り込まれる。

 もはや彼にはどうしようもできないのだ。



 それによって―――滅多打ち。



 ほとんど防御もできないまま打たれ続けることになる。


 その様子に観客も首を傾げ始める。


「ん? ちょっと打たれすぎじゃないか? さすがにあれはまずいぞ」

「アカガシ!! 手加減しすぎだぞ!!」

「子供だからって甘く見ていると痛い目に遭うって!! こっちは金を賭けてんだ!! 万が一も許されないからな!!」

「そろそろ反撃くらいしたっていいんだぞ!!」


 徐々に彼に金を賭けている者たちが心配を始める。

 ただし、まだ本気の焦りではない。

 差し馬の猛烈な追い上げを知っている者が、「ちょっと出遅れているけど、大丈夫だよな?」くらいに見ている感覚である。

 今は負けていても最後には勝つという確信がある状態だ。


 だから―――気付いていない。


 今、アカガシに起こっている異変に気付いている観客はいなかった。



 ドスンッ ドスンッ ドスンッ

 ドスンッ ドスンッ ドスンッ

 ドスンッ ドスンッ ドスンッ



「ごふっ!! げほっ!」

「…しゅっ」

「ぐううっ! がはっ!」


 メキョッ ドゴンッ!!

 メキィィ ゴンッ!


 拳が突き刺さるごとに音がわずかに変わっていくのがわかるだろうか。

 これは攻撃の質が変わったのではなく【防御の質が変わった】のだ。

 ダメージが蓄積したアカガシの防御力が急激に落ちてきて、サナの拳を受けきれなくなったのである。



 そして、ついにその時はやってくる。



「…しゅっ」



―――バンッ



 サナの拳が入った瞬間、とても鈍い破裂音が聴こえた。

 本当に小さな音だったので観客席には聴こえなかっただろう。

 しかし、リング上では明らかに異常な状況が起こっていた。


「―――っ!! …ごほっ」


 アカガシが、吐血。

 口から赤い血が垂れ、よろめく。

 そのまま彼は動けない。深刻なダメージを受けたのだ。


 そこで何が起きたのか、アンシュラオンにはすべてわかっていた。


(胃と腸が破裂したな。派手な音ではなかったが、しっかりと芯に入った一撃だ。内臓にまで届いたんだ)


 もはや筋肉では防げなくなった衝撃が内臓にまで達し、胃や腸を破壊した。

 常人ならば激痛で気絶してしまうところだが、そこはさすが武人。叫び声も上げずに耐えている。


「ご…のっ…!」


 アカガシは反撃を試みる。最後の力を振り絞って攻撃しようとする。


(もう遅い。シナリオがあるとはいえ、サナを侮りすぎたな。終わりだよ)


 逆に攻撃しようとして防御が完全に疎かになった。



 その状態で、懐に入り込んだサナが―――【跳ねる】。



 今まで腹ばかりを狙ってきたサナが、ここにきて動きを急激に変化させた。

 子供が父親に抱きつくように、思いきり身体ごと突き上げた。

 その一撃がアカガシの喉に直撃。



 バギバギィイイイイ!



 反射的に顎を引いたが、顎ごと巻き込み喉を粉砕。



「ごっ―――バハァアア!」


 内臓が破裂されたダメージで喉にまで上がってきた大量の血液が、喉を破壊されたことで一気に噴き出す。



 ブババババーーーーー!



 プロレスラーの毒霧のように真っ赤な血を吐き出して、目がぐるりと反転。


 ばたん


 そのまま意識を失って倒れた。

 まるで土下座をするように顔面からリングに崩れ落ちた。

 完全なる決定打である。

 彼がこの試合中に目覚めることは絶対にないだろう。






―――シィイイインッ






 その光景に誰もが声を発しない。

 すべての人間がリング上だけを見つめて呆然としている。

 それはレフェリーを兼任するリングアナウンサーも同じであった。何が起こったのかわからないように、ただただ見つめていた。

 その間も倒れたアカガシの身体はビクンビクンと痙攣しており、口からは血が溢れ続けていた。


「試合を止めなくていいのか? 早く治療しないと死ぬぞ」

「っ―――! そ、そこまで!!! ストップだ! そこまで!!」


 アンシュラオンの声でリングアナウンサーが正気に戻る。

 そしてアカガシに近寄り容態を確認すると、慌てて手を振る。


「担架だ! 早くを担架を!! 危険な状態だ!! 死んでしまうぞ!! 早く!!!」


 ボクシングでもそうだが、前に倒れるというのは危険な兆候である。

 ちょうど反撃しようとして前がかりになっていたところに、サナのタイミングを変えた急所への一撃を受けたのだ。

 いくら武人とはいえ攻撃した側も武人だ。衝撃はかなりのものだろう。

 処置を誤れば危険である。命を失う可能性も高い。


(死人が出てもいいとは言われたが…初戦で殺すのは印象が良くないか。マシュホーと同じハングラス派閥だしな)


「見せてみろ」

「い、医者を呼ばないと!」

「オレも医者だ。ほら、離れろ。邪魔だ」

「あっ!」


 相手のセコンドを押しのけ、リングの外に運ばれたアカガシの喉に手を当てると、命気を放出。

 ごぽごぽっ じゅわぁあ

 破壊された顎と喉を癒し、破裂した内臓を修復保護してやる。

 すると次第に呼吸が安定してきた。


「すーーーすーーーー」

「顎と喉は軽く治しておいた。破裂した胃や腸はすぐには治らないが、とりあえず擬似細胞を作っておいたから、一週間もあれば普通に試合に復帰できるだろう」

「なっ……傷が……治った…?」

「医者だと言っただろう? もぐりだけどな。それより大切なことを忘れているんじゃないのか。早くコールをしてくれ。勝者がリングで待っているぞ」

「っ…」


 アンシュラオンの声で、リングアナウンサーがはっと我に返る。


 そして、リングの上に立っている小さな勝利者を称えた。






「勝者―――黒姫ぇえええええええええええええええ!!」






「あっ!? え? か、勝った…のか? あの子が?」

「嘘だろ…あんなに小さいのに…」

「す、すげぇ…! すげえぞ!! アカガシに殴り勝っちまった!!!」

「というか一方的だろうが! 一発もくらってねえよ!!」



 そのコールで観客もようやく事態を呑み込んだようだ。




―――ウォオオオオオオオオオオオオ!!




 会場全体が大歓声で揺れる。

 この中には負けた者も大勢いるだろう。大半がアカガシに賭けたはずだ。

 だが、まったく予想していなかった結果に素直に驚いたのだ。


 小さな少女が大の大人を殴り倒す。


 こんな非日常的な光景が目の前で起こったのだ。

 しかも演技ではない。アカガシは放っておけば死んだかもしれない状態だった。

 最初はあえて殴らせていたのかもしれないが、途中からは本気で対応できない状況に陥っていた。

 長いこと拳闘を見ていれば、それくらいのことはわかるようになる。



 だからこそ―――称える。



 見事に戦い抜いた黒き少女を称えるのだ。


 こうしてサナは鮮烈なデビューを飾る。


 これが地下闘技場、変革の第一歩であった。




396話 「本物の刺激」


 試合を終えたアンシュラオンとサナが、試合会場から出る。

 今日はレイオンの試合がないので、これ以上いても無意味だろう。

 あのあと少しだけちらっと見たが、サナの試合と比べると他の試合は単調でつまらなかった。

 見る価値もないような凡戦ばかりかつ、前の試合に萎縮してしまって、より茶番が目立つ内容になったのだ。

 もともとつまらなかった試合がさらにつまらなくなった。これならば昼寝していたほうが幾分かましに思えるほどだ。

 それは観客も同じだったようでブーイングの嵐であった。

 あの戦いと比べてしまうと、今までの試合があまりにお粗末に感じられるのだろう。

 それも仕方がないことではあるのだが、金がかかっている以上は見過ごせないポイントである。



「サナ、よくやったな。偉いぞ」

「…こくり」


 改めてサナを褒める。

 重要なことはサナが勝ったということだ。


「やるべきことをやったほうが勝つ。やっても勝てないことはあるが、やらないと勝つ可能性すら生まれない。最初の段階で勝敗は半分決していたな」


 アカガシはけっして弱い相手ではなかった。勝ったことにはいくつかの要因が存在する。

 すでに述べたように、準備の段階からサナは圧倒的優位に立っていた。

 この優位性はアカガシの怠慢によるものでもあったが、それ以上に彼女が【勝つ】という明確な目的をもって臨んだことが大きい。


「殴り方も悪くなかった。一撃で倒す拳ではなく、ダメージを蓄積させるためのものだった。大振りではなくコンパクトに当てて、しっかりと芯に響かせる。練習通りにできていたぞ」

「…こくり」

「手は大丈夫か? 手首は痛まないか?」

「…さわさわ、こくり」


 シャイナがそうだったように殴り慣れていないと拳を痛めることもあるが、サナはしっかりとしたフォームで打っていたので反動はないようだ。


(サナも本当の本気で打ったのは最後の一発のみだ。自分に体力がないことを知っているんだな。やっぱり頭がいいよ。ただ、肉体能力で劣るのは間違いない事実だ)


 サナの背中に触れる。

 まだまだ小さな身体で華奢である。

 武人の中にはアンシュラオンやマタゾーのように小柄な者もいるが、長年の鍛練によって鍛えられているので、このサイズであっても強固で強いのだ。

 それと比べると、サナの場合は根本的な強さが全然足りない。

 いくら戦気で強化できるといっても、元の肉体が弱ければ限界があるものだ。


「今回は好きに打たせてもらったからな。それも大きなアドバンテージになった。まあ、それを含めて最初から臨み方が違うんだけどな。すべての違いはその点にあったな」


 何よりも【質】そのものが違った。

 アカガシたちが『試合』をしていたのに対し、サナは『仕合い』をやっていた。

 心構えも拳の違いも、そこにこそ今回の本質が宿っている。


(ここから地下闘技場は変わることになる。シナリオが決まっていた『ごっこ遊び』から、本当の闘争になるんだ。ごくごく当たり前の世界が戻ってくるだろう。これで緩んだ空気が戻ればいいがな)


 アンシュラオンの目的は、闘技場に本物の戦いを持ち込むことだ。

 リングの上なので限界はあるが、武人と武人がいつもやっているような命をかけた戦いを見せたかった。

 どうせ見るのならば本気の勝負のほうが面白いだろう。そこにこそ「生」というものが存在するのだ。

 もちろん、こんなことは当初の予定にはないことだ。

 地下に来たのはあくまでシャイナの父親を見つけるためだった。それ以上のことは望んでいない。

 しかし、武人として黙っていられなかった面はあるだろうか。

 以前からグラス・ギースの武人の質の悪さを嘆いていた自分にとって、あんな試合は認めるわけにはいかなかった。



 そこで、サナという爆弾を投下したのだ。



 これは当たった。

 自分がやっても実力差がありすぎて劇的な展開にはならなかったはずだ。

 それでは逆にインパクトが足りない。実力が近いサナだからこそよかったのだ。

 また、客の大半が男なので異性である点も重要だった。アイドルは同性よりも異性のほうが惹かれるだろう。


 こうして初戦は大成功。


 サナの鍛練にもなったし、目的を果たすことができた。及第点といえるだろう。


「戦気術の粗さとか改善点は山ほどあるが、今日はこれで十分だ。まずは実戦の勝利を祝おう」

「…こくり、ぐっ、さわさわ」


 さりげなくサナも嬉しそうだ。

 さっきからずっと自分の拳を触っている。痛いのではなく、フィニッシュブローの感触を思い出しているのだろう。


(そうだよな。自分の力だけで勝ったんだもんな。嬉しいよな)


 思えば、これが誰の援助もなく初めて勝った戦いである。

 今までも戦ってはきたが、アンシュラオンの命気による保護はもちろん、サリータや戦罪者などの護衛付きでのものであった。

 今回は命気も忍ばせられなかったので正真正銘、彼女の力だけで勝ったのだ。

 それは彼女も理解しているのだろう。嬉しくないわけがない。


(観客の拍手や歓声ってのもいいよな。サナにとっては初めてのものだしな)


 感情面においても新しい刺激があったはずだ。

 戦罪者たちに褒められることはあっても、結局それは裏の世界でのことだ。

 同じアイドルならば、地下アイドルより普通のアイドルのほうがよいに決まっている。

 地下とはいえ観客たちは一般人寄りなので、その声援も明るさを伴ったものが多い。

 ギャンブル狂であっても人殺しよりはましである。そうした温かい声援も彼女に今までと違う感覚を与えたはずだ。


(他人から認められたり褒められるのは嬉しいものだろう。スレイブが褒めるのでは意味がない。他人が褒めるから意味がある)


 ホロロやサリータが褒めるのは本音であっても、『身内補正』が入るのは当然のことであろう。

 近しい間柄ではどうしてもそうなってしまうものだ。そうなると慢心したり勘違いすることもある。

 だが実際に金を賭ける他人ならば、実力だけが厳しく評価されることになる。

 そこで勝利を勝ち取り、声援を浴びることは彼女にとっても新しい経験だ。

 だからこそアンシュラオンは、あえて目立たせるようなことをやったのである。




「おーい! いたいた!!」


 サナを褒めていると、マシュホーが走ってきた。

 彼も試合を観ていたのだろう。かなり興奮しているようだ。


「やぁ、試合は楽しめた?」

「楽しむってレベルじゃないぞ! 凄いことをやらかしやがって!」

「もしかしてトラブルになってた? おじさんに紹介してもらったからね。迷惑をかけていないといいけど」

「ああ、そっちは問題ない。実際に試合を組んだのは運営側だしな。あっちはかなりテンパっていたが…まあ、あんな試合をやられれば仕方ないだろうな。しかしまあ、とんでもなかったな」

「刺激的だったでしょう?」

「そりゃ刺激的だったさ。あんな試合を観たら俺でも心躍る。若い頃を思い出したよ」

「あれでもまだ生温いけどね。楽しんでくれたようでよかったよ。ところで剣の試合は組まれていなかったんだね」

「無手の試合だけで精一杯かと思ったからな…。というか同じ日に連続で出るつもりだったのか?」

「もちろんだよ。明日からはそうしてほしいな」

「たしかにダメージはなさそうだし、今日の試合内容からすれば実力的には問題ないが…」

「何か問題でもあるの?」

「問題はない。ないが…物事にはいろいろとあるんだ。なんというかな、地下では『協調』ってのが必要なんだ。周りと合わせることも重要になる」

「八百長のこと?」

「端的に言ってしまえばそうだな。明日も組むとなれば、そういう話があるかもしれないぜ」

「それは全部断るつもりでいるよ。というか無視するかな? 無視すると試合を組めなくなったりするの?」

「うーむ、そこまではわからないが、あまり派手にやると目を付けられるかもしれないな」

「すでに十分狙われているから大丈夫さ。おじさんだってもう知っているでしょう? オレってかなりのお尋ね者だからさ。これ以上前科が増えても問題ないんだよね」

「ったく、しょうがねぇな。そこまで肝が据わっているんじゃ頷くしかない。わかった。明日は二試合だな。話だけは通しておくさ」

「ありがとう。それとジュンユウとセクトアンクのほうもよろしくね。代表戦が始まるまでには戦いたいからさ」

「無茶を言いやがるな」

「金なら出すからさ。無理を通してよ」

「わかった、わかった。お嬢ちゃんの試合なら運営側も嫌とは言えないだろうな。外堀から埋めてみるわ」

「さすがだね。期待しているよ」


 仮にジュンユウやセクトアンクが難色を示しても、運営側からどうしてもと言われれば受けるしかなくなる。

 あるいは派閥側からのお願いとして交渉していく方法もあるだろう。

 どこの世界も金があれば、ある程度は思い通りにできるのだ。

 当然ながら最良の方法は、相手に興味を持ってもらうことである。そのためには実力で示すしかないだろう。

 ともかくレイオンを含めた三人とは、ぜひとも対戦させてやりたいと思っていた。


(代表戦は四日後だ。明後日には誰かしらのキングと戦わないと日程的には厳しいよな。サナの場合は命気があるから当日連戦も可能だけど、相手側の都合もあるだろうしな。最悪は代表戦で戦えればいいけど、重要な戦いだから勝ちに来るだろう。上手くサナと当たるかはわからないな…)


 代表戦が四日後なので、それ以外の試合が行われるのは明日からの三日間しかないことになる。

 それに加えて、キングたちが代表戦の前にどれだけ本気で戦うか、という問題も残されている。

 大事な試合なので前日は休む可能性も否定はできない。前哨戦で疲れてしまっては意味がないだろう。

 となれば、明日は日程調整的に無理なので、実質二日間でキングたち三人と戦わねばならないことになるのだ。

 代表戦で戦う選択肢もあるが三人での団体戦となるので、相手側も勝利することを前提にオーダーを組むだろう。

 そうなると確実に戦えるというわけではない。できれば通常の試合で戦いたいものである。


(そこはなるようにしかならないか。今日は鍛練に費やして明日の試合にそなえよう)





 マシュホーと別れたあとはグループに戻り、サナの鍛練に時間を費やすことにした。

 マザーたちと語らい、ミャンメイの料理を食べて英気を養い、子供たちと戯れる。

 こういう時間もサナには貴重だろう。特に子供たちとの触れ合いは違う刺激になるはずだ。


 今日もレイオンは来なかったので、特に何事もなく時間が過ぎていった。


 唯一の変化といえば、トットの寝床が麻袋になったことくらいだろうか。

 ニーニアの誘いも断り、独りで麻袋に入って違う部屋で寝ていた。

 多感な年頃である。独りになりたいときもあるだろう。

 ゲイの気持ちなどわからないので、そのまま放っておいた。


 報告は以上である。






 翌朝。


 ラングラスエリアに運営から連絡があり、入り口まで行ってみると、スタッフから今日のスケジュール表を渡された。

 予定通り、無手の試合と剣の試合が組まれている。


(無手の次が剣の試合。多少の調整時間はあるが、ほぼ連戦だな)


 試合終了後から次の試合まで四十分程度しかない。移動や着替えの時間を含めれば、もっと短いだろう。

 ただ、これに悪意はないはずだ。単純に試合開始時間の問題である。

 地下に来た初日に試合を観戦した際も、無手の試合のあとに剣の試合が行われていた。

 つまりは無手と剣の試合は同時に行われないのだ。これは多くの人間に賭けに参加してもらうための配慮といえる。


 そして、サナが昨日勝ったことで評価が上がり、試合時間が少し遅れることになった。


 ランクが上がるほど後ろの試合になるのは仕方がない。それだけ注目されている証拠だ。

 事実、昨日の最終試合では大半の観客が退出しており、売り上げも下がったという話を聞いた。

 あの刺激的な試合を観てしまった直後なので、普通の生温い試合には気分的に戻れなかったようだ。

 ギャンブラーは儲けだけを求めているわけではない。心の衝動を欲しているのだ。

 ワクワクしない勝負には金を出し渋るのも当然であろう。

 そうしてサナの試合が後半に用意されることになったというわけだ。

 というより最終試合の一つ前なので、ほぼメインと同じ扱いである。


「レイオンは?」

「今日の試合予定はありません」

「いつ出るの?」

「まだ詳細は決まっておりませんので、何とも言えません」

「相手がいないなら、うちが受けるよ。スペシャルマッチは申し込んだはずだよね? 金は出すよ」

「キングとまだ連絡がついておりませんので…申し訳ありません」

「まったく、何をやっているんだか。あいつと連絡がついたら、いの一番で伝えておいてね」

「はい」


(まさか逃げているわけじゃないよな? だが、オレならばともかく相手がサナならば逃げる必要もない。どうしても会えないようなら奥に行ってみるかな…。レイオンは同派閥だから代表戦では戦えないしな。ミャンメイのこともあるし、多少無理をしても戦わないといけないな)


 実力的にはレイオンが数段上なので、サナを怖れる理由はないだろう。

 単純に試合で金を得たばかりだから無理に戦う必要がない、と考えている可能性もある。

 あるいはミャンメイの身の安全を最優先に考えているのかもしれない。どちらにせよ、いないものは仕方ない。


「まずは試合に集中しよう。今日も勝つぞ」

「…こくり」


 サナの二回目の無手試合が始まろうとしていた。




397話 「無手試合 『激情の拳』 前編」


 二人は昨日と同じように控え室で待っていた。

 そのまま時間が経過し、試合時間が迫る。


(打診があると思ったが…こないな。マシュホーから話が伝わったせいかもしれないな)


 マシュホーが言っていたように、二戦目なので何かしら演出の打診があると考えていた。

 が、特に異変もなければ通知もない。

 となれば、マシュホーから「演出には協力しないみたいだ」という話も通っている可能性がある。


(それは問題ない。楽なだけだ。ただ、そうなると【相手側で調整】するんだろうな。試合を盛り上げるために相応しい相手を用意するはずだ。今日の対戦相手はロックアルフという男だ。さて、どんな試合になるか楽しみではあるな)


 こちらに打診がない以上、運営と相手側で勝手に調整を行っているはずだ。

 実際のところ、シナリオ通りに話を進めるのに相手側の承諾は必要ない。

 演出に適した相手を用意することで、嫌でもそうなるように仕向ければいいのだ。

 つまりはそれだけ危険が増えることになる。それも含めてサナの鍛練になるだろう。




 そして、試合開始の時刻になった。


 前日と同じように通路を通って会場に向かう。






「本日も素晴らしい時間がやってまいりました!! みなさん、お待ちかねぇええええ!! 先日華麗な勝利を見せてくれた異国から来た亡国の姫、黒姫選手が、まさかまさかの連日参戦だあぁああああああああああああ!!」






 トコトコトコ


 サナがリングの西側から歩いてくる。


 すると―――




―――オオオオオオオオオオオオ!!




 パチパチパチパチッ!

 グラグラグラグラッ!


 会場が拍手に包まれながら揺れている。

 いい歳をしたおっさんたちがジャンプをして出迎えているのだ。遺跡は揺れなくても、用意された椅子やら机やらが揺れている。

 これがアイドルのコンサートならば相当引くが、ギャンブルなのだから普通の現象だ。

 日曜日の競馬のメインレースでも似たような光景が見られるので、ぜひ見ていただきたい。だいたいの雰囲気がわかるだろう。



「待っていたぜ!!」

「今日も見られるなんて最高だ!!」

「くろひめちゃーーーーんっ!!!」

「今日は絶対に賭けるからな!! 儲けがなくても賭けるぞ!!」

「いやー、若いのにたいしたもんだ。最近は連日で出るやつらも少なくなってよー。随分とやわになったと思っていたんだ。拳闘士たるもの、やっぱりこれくらいやらないとな!!」



 昨日の一戦が刺激的だったのか、客から声援が飛ぶ。

 たびたび競馬にたとえて申し訳ないが、最近の競馬もレース間隔が伸びて、一年に数回のレースにしか出ない馬も多くなっている。

 昔はかなりタイトなスケジュールで出ていた馬もいたそうだが、近年は馬の調整に時間をかけるようになっているらしい。


 それは地下闘技場でも同じである。


 一度試合に出ればしばらく休み、また調子が上がってきてから戦う。

 戦略としてはなんら問題がないように見えても、ファンからすれば味気ないものだ。

 脂が乗っている時期ならば、せっかくならば何度でも見たいと思うものである。

 自分勝手な願望であっても、それがファン心理であろう。


 また、結局のところ試合間隔を空けても怪我をするリスクは変わらず、むしろ多くなることもある。


 特に武人は戦えば戦うほど強くなる生物なので、厳しい環境下こそが彼らにとって一番快適なのだ。

 昔の拳闘士を知っている古いファン層からすれば、今の現状は嘆かわしいのだろう。

 だからこそサナが映える。

 あんな幼い少女が昔ながらの厳しいスケジュールをこなしていれば、応援したくなるのは自然なことだ。


 こうしてサナに固定ファンがついたことで、さらに会場は盛り上がりを見せていた。





「たくさんのご声援ありがとうございます! そして、その黒姫選手を迎え撃つのは、マングラス所属、ロックアルーーーーーフッゥウウウウウウウウ!!!」





 東側からやってきたのは、先日のアカガシよりも大きな体躯をしたゴツイ男だった。

 体格的にはレイオンよりも大きく、腕も丸太のように太い。いかにも腕力が強そうな相手だ。

 もしアンシュラオンが名付けるならば「イワオ」であろうか。そんな感じの印象である。



「ロックアルフが相手か。今度は運営もやる気だな」

「ああ、『壊し屋アルフ』だからな。見ているほうは面白いが…エグイ真似をしやがるぜ。あんな小さな女の子にあいつを当てるなんてよ」

「あいつには何人も壊されている。あの子も壊されないといいがな…」

「何言ってんだ。黒姫ちゃんは今日も勝つだろう!! 応援するんだよ!」

「だが、オッズが低いとな…」



 応援はする。応援はしたい。

 だが、ギャンブルというものは金がかかるものだ。金がかかる以上、現実を見なくてはならない。

 そのあたりでまだ迷いがある。世の中は厳しいものである。


 が、それを打ち破るアナウンスが響く。





「えー、本日の黒姫選手のオッズは、【4.3倍】となっております! ふるってご参加ください!!!」





「なにぃいいいいいい!!」

「嘘じゃないよな!? 本当か!?」

「賭ける! 賭けるぞおおお!!」



 オッズが公表されると、サナが4.3倍、ロックアルフが2.5倍になっていた。

 こうしたオッズは、本来は実際に賭けられた金額から算出されるものであるが、すでに選手特権を使ってアンシュラオンが裏で操作を開始していた。

 その結果がこれである。


(マシュホーにも儲けさせてやらないといけない。これくらいが妥当かな)


 初戦で劇的な勝利を収めた場合、熱心なファンが出来るのは当然としても、同時に懐疑的な人間も出来るものだ。

 そうなると次戦で強い相手と当たったとき「強いかもしれないが…この中ではどうかな?」という疑念が生じる。

 最初の一戦だけ強くて次戦以降はぐだぐだで、すぐに引退する者もいる。まだまだデータが少なくて判断が難しいのだ。

 それに加えて、人気が出てオッズがさらに低くなると旨みも少なくなる。

 それで買い渋りが生まれるとサナへの応援も減ってしまうため、今回は標準域にとどまるように調整しておいたのだ。


(オッズの操作は表向きは禁止されているが、実際はかなり露骨に行われている。ルールも金で曲げることができるし抜け道もある。裏側の世界は、こういうところがいいんだよな)


 規定上は選手も自分に賭けることができる。裏切りを誘発するシステムであると紹介したと思う。

 ただし、セコンドには制限がない。

 アンシュラオンが敵側であるロックアルフに金を出そうが問題はないし、その結果として選手が八百長に加担したとて罰則もない。


 どんなルールにも必ず抜け道があり、利益が生まれるのならば黙認されるものだ。


 それを含めてどちらに賭けるかは自分次第である。シナリオ通りにいくこともあれば裏切りが発生することもある。

 人間の裏側の事情をダイレクトに表現して楽しむ。それが地下の娯楽である。


(これでサナに賭ける人間は多くなっただろう。昨日とは反対の現象だ。普通はこうした変化が起これば緊張するものだが…あの子には関係ないか)


 サナはじっと対戦者を見つめている。

 彼女にとって賭けなどはどうでもよいのだろう。ただ言われた通り、目の前の敵を倒すことしか考えていない。

 しかしながら、対戦相手も昨日とは状況が違う。

 そのあたりでも違った展開になるのは必至である。






「それでは両者、前へ!!」





 賭けの時間が終わり、両者がリングの上に立って睨み合う。

 今回のロックアルフは特に何も言うことはなく、じっとサナを見ている。

 サナもロックアルフを観察している。それなりに緊張感のある雰囲気だ。





「試合開始だぁあああああああああああああああ!!」





 カァアアアアアアーーーーンッ!!



 ゴングが鳴り、試合が始まる。



「ぬおおおおおおお!!」


 ドスドスドスドスッ

 試合開始の合図が鳴ったと同時に、ロックアルフが猛然と突進する。

 その大きな身体を前面に押し出して、サナに掴みかかる。


「…じー」


 サナは相手を凝視していたので、不意をつかれることはなかった。

 シュッ

 右側に走って回避。大きな手が横をすり抜ける。


 ブンッ


 だが、逃げたサナを掴もうと、さらにロックアルフの腕が伸びる。


 パシュッ


 指先が武術服を掠めたが、ギリギリ間合いの外へ退避が間に合った。

 サナは転がりながら間合いを取る。


「おおおおおおお!」


 その立ち上がりを狙って、ロックアルフが追撃。


 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ


 次から次へと両腕を振り回してサナを捕まえようとする。


「…じー」


 ひょいひょい しゅっ

 サナはその小柄さを生かして素早く回避を続ける。

 ただし、最初の一撃が掠めた箇所を見ると服が破れていた。指の力もかなり強いことがうかがえる。

 その腕力で締め上げられても危険だし、床に投げつけられるだけでも危ない。

 一度でも捕まったら深刻なダメージを受けそうだ。今は回避に専念するしかないだろう。



 その様子をアンシュラオンは冷静に観察していた。

 すべてが予想通りだったので驚きはない。


(こちらも昨日とは逆の構図になったな。『壊し屋ロックアルフ』か。総合力としてはスキンヘッドの男とそう変わらないが、攻撃型の戦士という最大の違いがある)


 ロックアルフの異名は『壊し屋』である。

 今まで戦った相手のうち、三名を再起不能にまで追い込んでいるクラッシャーという話だ。

 ただ、彼自身が血に飢えた危ないやつというわけではない。

 もともとのスタイルが攻撃型ということもあり、派手で豪快なアクションを求められてきたがゆえに事故も起こりやすいということだろう。

 プロレスだって事故が起こり、死んだり半身不随になることもある。激しい戦いである以上、どうしても怪我が付いて回るものだ。


 そして、この試合でも彼に求められる役割は変わらない。


 見た目上は無傷で圧勝したサナに対して差し向ける【刺客】としては面白いだろう。

 『新進気鋭の幼い少女の危機!』、『異国の姫に襲いかかる壊し屋の脅威!』等々の売り文句が聴こえてきそうだ。

 運営の目論見通り、観客の多くは固唾を呑んで戦況を見守っている。

 いつサナが捕まるかヒヤヒヤして見ているようだ。その姿は子供を心配する保護者である。


(サナが見世物になるのは気に入らないが、攻撃型との戦いは良い経験になる。防御は戦闘の要だ。特にサナは耐久力が低いからな。防御面は高めておきたい。一発でももらったら終わり、という戦いでこそ得られる感覚があるんだ。これは実戦でしか身につかない)


 耐久値の低いサナにとって防御技術の向上は必須である。

 身長はいきなり伸びないが、技術は経験によって伸ばすことができる。

 どんなに強い攻撃もかわしてしまえばダメージはない。よほどの圧倒的な差がない限りは技術でなんとかなるわけだ。

 0.1秒でも早く反応し、一ミリでも上手くいなすことができれば、それだけで十分な効果が生まれる。

 アンシュラオンも攻撃型のパミエルキとの戦いで防御を磨いたものだ。

 防御しなければ即死級の攻撃をしてくるのだ。それはもう必死になってよけるしかない。

 その意味でもロックアルフは素晴らしい対戦相手ということになる。




 ブンッ!


 ロックアルフの掌が迫る。

 サナは回避。後ろに跳躍して無傷。

 だいぶ慣れてきたのだろう。余裕をもってかわせるようになってきた。

 このあたりは高い格闘センスを感じる。さすがは『天才』だ。

 この身のこなしも、そうしたスキルによる能力値の上昇も影響しているのだろう。



 だがその時、ロックアルフがニヤリと笑った気がした。



 掌はそのままサナを素通りし、床に叩きつけられる。



 ドオオオオオーーーーンッ!!



 ブワワッ!!


「…っ!」


 床に叩きつけられた手から戦気が迸り、周囲に展開された。

 覇王技、地旦打《じだんだ》。

 手に集めた戦気を地面や床に叩きつけて、衝撃波を生み出して攻撃する技である。

 戦気掌の応用技なので因子レベル1で扱うことができる。これを足でやれば地踏打《じとうだ》という技になる放出系の技だ。

 地面を使った攻撃なので、アンシュラオンが使った覇王土倒撃と同じタイプの技といえるだろう。

 わざわざ地面を強く手で叩く必要があるため、広い場所ではあまり使うこともないが、こうした狭いリング上では効果を発揮する。


 地面を這うように迫りくる戦気の波がサナを襲う。

 死に体かつ範囲技なので逃げ場がない。防御の戦気を展開してガード。


 ブオオオッ ドンッ!!


 準備をしていたので攻撃そのものを防ぐことはできたが、勢いの強さで吹き飛ばされてしまった。

 リングの端まで飛ばされ、見えない壁に衝突する。

 試合中のリングには結界が生み出されており、かなり強固な透明な壁が周囲に存在している。

 これはプライリーラが会議室で見た透明の壁と同じ術式なので、そう簡単に壊れるものではない。

 どちらかが戦闘不能になるか、レフェリーが叫ばないと解除されない仕組みになっているようだ。


「…っ」


 サナはまだ動けない。

 ぶつかった衝撃で呼吸が止まったのだろう。戦気を維持するだけで精一杯だ。


 ドドドドドッ


 そこにロックアルフが突っ込んでくる。




398話 「無手試合 『激情の拳』 中編」


 動けないサナにロックアルフが突っ込む。

 その巨体を生かした、ぶちかましタックルだ。


「…ごほっ!」


 サナが強引に息を吹き出し、硬直から復帰。

 すかさず床を強く蹴って飛び退く。


 ドーーンッ


 直後、ロックアルフの巨体が見えない壁に激突した。

 これだけの体格差なので、ただの体当たりでも非常に危険だ。

 回避が間に合って命拾いである。


 だが、これで終わらない。

 さらにロックアルフの追撃は続く。


 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ


 豪腕が右に左に吹き荒れる。

 サナはちょこまか動いて必死に回避。

 しかし、そこに地旦打が打ち込まれる。


 バーーーーーンッ!


「…!」


 今度は事前に知っていたおかげで反応が早かったが、周囲に放出される力に押されて再び壁にまで吹き飛ばされる。

 ロックアルフの追撃。

 こちらもさきほどと同じタックルだ。


 ドーーーンッ!


「…っ!」


 ロックアルフの肩がサナを掠めた。

 かろうじて回避はできたが、明らかに反応が遅れていた。

 まだ呼吸が完全に回復していないので練気が万全ではないのだ。

 今回は相手が大きく、その足元になんとか滑り込む形で回避したにすぎない。

 サナの小柄な体型が生きた場面だろう。


 ブンッ!!


 が、完全に距離を取れていないため間合いが近い。

 まだロックアルフの腕が届く距離だった。


 バンッ!!


 ロックアルフの張り手がサナにヒット。

 まるでバネでも仕込まれているかと思うほど、サナが弾け飛んだ。

 そのまま十メートルほど吹っ飛んでいき、床に当たってゴロゴロと転がる。



「あああ! 当たっちまったぞ!!」

「だ、大丈夫なのか!? あんな大男にはたかれてよ!!」

「てめぇ、ロックアルフ! 女の子なんだから手加減しろよ!!」



 あまりにサナが吹っ飛んだことで観客も心配になる。

 人がこれほど吹っ飛ぶ光景など、地下闘技場でも滅多に見ないからだ。


「…むく」


 そんな心配をよそに、サナはむくりと立ち上がった。

 そして何事もなかったかのように構える。



「おお、無事だぞ!」

「防御したのか!? すげぇな!!」

「がんばれよ!! あんなやつに負けるなよ!!」


「…こくり」


 サナは声援に応えるかのように軽く頷く。

 観客の大半は彼女に賭けていることもあって優しい応援が続いていた。

 そうした彼らの意思も彼女に何かしらの力を与えているはずだ。

 アンシュラオンが自ら作った流れでもあるが、なかなか良い傾向である。


 しかしながら、状況はまだ何も変わっていない。



 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ


 バーーーーーンッ!



 ロックアルフが猛攻を仕掛け、サナが必死に逃げる構図が続いていく。

 このシーンだけ見れば変質者に追われる幼女の姿でしかない。一方的な展開だ。


 これもまたアンシュラオンの予想通りになっている。


(仕方がない結果だな。サナには具体的な技の知識を教えていないから、相手の攻撃を予測することができない。だから受けに回るしかないんだ。知識は力なのだと改めて思い知るな。座学も大切な修練だ)


 覇王技に精通するアンシュラオンならば、モーションや戦気の流れを見て技を推測することができる。

 これは非常に大きなアドバンテージだ。そのおかげで一秒以上は早く動けることを意味するからだ。

 技には特定のモーションがあるので、相手が弱ければそのままカウンターを合わせることもできるだろう。

 相手の攻撃の時間を削り、こちらの手数をさらに増やせるのならば、これほど素晴らしいことはない。

 知識は力だ。単に力任せの攻撃だけが強さのすべてではない。

 だからこそ陽禅公は座学も重視し、さまざまな戦闘知識をアンシュラオンに与えたのだ。


 一方のサナの場合は覇王技の知識がないので、地旦打を予測することは極めて難しかった。

 そこで先手を取られたせいで試合のペースを完全に握られてしまう。


(さっきの一撃は自分から跳んで衝撃を軽減したが、あれだけの体格差とパワー差だ。まだダメージが残っているだろう。表情に出ないサナだから何もないように見えるだけだ。それが回復するまでは逃げるしかないな)


 サナは今までの戦いを見ているので、緊急回避の際は自ら跳ぶことを知っている。

 だからこそ今回は命拾いしたが、もし直撃だったならば相当なダメージを負っていただろう。

 実はかなり危ないシーンでもあったわけだ。相手は見た目通りにパワーもある。幼い彼女には厳しい相手だ。

 だが、苦戦する理由はそれだけではない。


(戦気術が未熟なせいで防御で手一杯なんだ。不意をつかれると、まず反撃にまではいけないな。そのせいで相手の攻撃を見切ることもできていない。明らかな修練不足だろう)


 彼女の持ち味は『観察眼』だ。

 相手の弱点や隙を見い出し、咄嗟の反撃を思いつく意外性である。

 だが、アーブスラット戦でそれができたのは、アンシュラオンのサポートがあったからだ。

 命気足が自動で攻撃を防いでいてくれたので、ゆっくりと考える時間が生まれたわけだ。

 それと比べて、今は自分で防御を行わねばならない。身を守るだけで精一杯で、相手をまともに見る余裕がない。


 こうしてサナは長所を封じられることになってしまったのだ。


 どんなに優れた技能を持っていても生かせなければ意味がない。

 机の上では優れた知能が使えても、走りながらそれができなければ武人としては失格だ。

 これは単純に修練不足であり、【実力差】でもある。


(4.3倍と2.5倍。それが現状での差だ。これだけ正しいオッズも珍しいものだ。オレが実際に見て決めた倍率だからな)


 昨日と違って対戦相手の情報が朝には伝わっていたので、アンシュラオンは事前にロックアルフを調べていた。

 早めに会場の前で張っていたことで、通りがかった彼をちらっと見ることができたのだ。

 そのときに『情報公開』を使ってデータを調べて、今日のオッズを決めていた。



 単純な実力においてロックアルフは、サナの【約1.7倍強い】。



 詳細な情報がわかるアンシュラオンのお墨付きである。

 これほど公正かつ公平で、平等な倍率はないと断言できる。


(サナはまだ子供で成長途上だ。成長曲線が上がり始めたばかりの新人だ。そのうえ本格的に修練を始めて一週間も経っていない。柔道だったら完全に見習いだな。まだ受身を教わっている頃だろう。対するあの男は、すでに成熟している。武人としてはピークな状態だ。この状況も当然の結果だな)


 生まれたばかりの子猫と、すでに大人になったネズミ。

 潜在能力という意味ではサナが勝っていても、たいした抵抗ができない相手ならばネズミにだって勝ち目はある。

 これはそういう勝負なのだ。

 アンシュラオンもそれがわかっていて続けさせている。


 では、サナに勝ち目がないかといえば、そうではない。


 劣勢でも彼女の目つきはまったく変わっていない。

 もともと感情を表に出さない子でもあるが、その中に眠る激しい情動の鼓動が聴こえる。


(オレの知らない間にサナは戦気を出せるようになっていた。意思が無い人間に戦気は扱えない。ならば、あの子の中にはすでに『その感情』が宿っているはずだ。さあ、サナ。オレに見せてくれ。お前の心をお兄ちゃんに触れさせてくれないか。噛み付いていいんだぞ。そいつは餌だ。お前が喰らう存在だ。かじって、抉って、食い散らかせ)




 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ

 ブンブンブンッ ブンブンブンッ


 バーーーーーンッ!


 何度も見た光景が繰り返される。

 地旦打によってサナが体勢を崩され―――


 ブンッ


 ロックアルフの掌が迫る。


「………」


 サナはよけない。よけられないのか。

 だが、それでも相手の掌が止まることはない。



 バンッ!!




―――激突




 ドンッ ゴロゴロゴロッ

 吹き飛ばされたサナが、床を転がっていく。



「あああああ! やべぇええ! 今のはまずいって!!」



 観客の一人が叫ぶ。

 サナは後ろに下がることもなく、跳ぶこともなく攻撃を受けた。

 むしろ自分から当たりにいったようにも見えたので、衝撃の大半が彼女に襲いかかったに違いない。


 ついにサナが直撃を受けてしまった。


 今回はまともに受けたので簡単には立ち上がれない。絶体絶命のピンチだ。



「黒姫ちゃん! 逃げてぇええええ!」



 この観客の言葉も正しい。

 サナのピンチであるということは、ロックアルフからすれば最大のチャンスである。


「………」


 ぴたっ

 しかし、ロックアルフはなぜか立ち止まる。

 今追撃をすれば間違いなくノックアウトできる。上にのしかかるだけでも十分脅威だろう。


 そんな状況にもかかわらず―――彼は動かない。


 一瞬、誰もが「シナリオ」のことを思い浮かべる。

 これも演出なのだろうか? じわじわとなぶるのが今回のテーマなのか。

 『壊し屋』の異名を持つロックアルフならば、なくはない設定だ。

 そう思って、誰もがしばし二人を見つめる。


 が、違う。


 彼が動きを止めたのは、自らの意思ではないのだ。



 【それ】に気付いたのは、最前列にいた観客だった。



「あれ? 何か…変じゃないか?」

「何がだ?」

「ひー、ふー、みー、よー、いつ。人間の指って…五つだよな?」

「当たり前だろうが。いまさら言うことか? 何年人間やってんだよ」

「あ、ああ、そうだよな。でもよ、あれ…ほら、あれ!」

「え?」


 男が『その箇所』を指差す。


 指差したのは、ロックアルフの手。その真ん中の部分。


 指が―――【四本】しかない。


 親指と人差し指、薬指と小指と左右には二本ずつあるが、真ん中にあるべきはずの【中指】が存在しない。


「え? あれ? なんで…!?」


 言われた男も思わず自分の手を見て確認する。

 当たり前だが指は五本ある。

 中には生まれつき本数が違う人もいるが、ロックアルフの指は五本だったはずだ。



 それが四本になっているということは―――



「…むくり」


 その間にサナが回復。立ち上がり、すっと拳を構えた。

 さすがに直撃を受けたので身体が重そうだ。ダメージも引きずっているだろう。


 しかし、彼女の目は死んでいない。


 布と布の隙間から、エメラルドの瞳が静かに輝いているのが見える。

 その美しい目が、ロックアルフの手に向けられていた。



 自分の拳が―――【叩き折った指】を。



 客席からでは角度的に見えなかっただろうが、ロックアルフの中指は根元からへし折れており、手の甲側でぶらんぶらんしていた。

 完全に骨と肉が砕けており、皮一枚でつながっている状態だ。

 体重をかけて引っ張れば、子供だって引き千切れてしまいそうなほどプラプラしている。


 そう、激突の瞬間、サナも拳を放っていたのだ。


 アンシュラオンには、その一部始終が見えていた。

 サナがまったく怖れず踏み込み、相打ちで指を拳で貫いたのだ。

 恐怖という感情がない彼女だからこそできたが、普通だったら躊躇してしまうだろう。


(あんな大きなモーションだ。打ち込む隙はいくらでもある。だが、サナにとっては危険な行動でもあった。あえて危険に飛び込んで活路を見い出す。それもまた武人の戦いだな)


 なぜ戦いの際に人は拳を握るのか。

 その答えは、指を取られると【折られる】からである。

 女性の暴漢対策でも、金的と同時に指を取れと教わることもあるだろう。

 全体の腕力では敵わずとも、指一本ならば全体重をかければ折ることも難しくはない。

 相手がこちらを捕まえようとしていることを逆手に取った形だ。




「…ちぃっ」


 ロックアルフは自分のミスに気付き、折れていない左手を拳に握りかえる。


 ブンッ!


 今度は拳を使ってサナを攻撃。


「…しゅっ」


 サナは逃げることなく迎え撃つ。

 自分の二倍はありそうな拳に対して、小さな拳を繰り出す。


 バキャッ!!



―――激突



 両者の拳と拳が衝突した。

 大人と子供である。普通ならばロックアルフが勝つと思うだろう。そして、サナが吹き飛ばされると。

 が、今回のサナは飛ばされることなく、しっかりとその場に立っていた。



 これが意味することが何かといえば―――



「ぐああああ!!」


 突如ロックアルフが叫びながら、左手を引き戻す。

 その手をよく見ると、形が変だ。

 慌てて手を開くと、人差し指と中指が折れていた。

 右手に引き続き、左手まで指が折れてしまったのだ。

 しかし今回は、拳と拳だ。条件が違う。



「なんだぁ!! どうなったんだ!?」

「どうしてロックアルフが打ち負けるんだよ!!」

「おいおい! 演出にしてもやりすぎだろうが!」



 あまりの奇怪な出来事に客はシナリオだと思ったようだが、違う。


 本当にサナの拳が勝ったのだ。


 当然、その理由をアンシュラオンは知っている。


(前の試合もそうだったが【拳の質】が違う。相手を吹き飛ばすための一撃と、相手を破壊するための一撃には大きな差があるんだ。大きな拳であっても力は一点に集中されていない。そんなものは怖くもなんともないね。ただの的だ)


 サナはコンパクトに拳を打ち出している。

 アンシュラオンが教えた、敵を破壊するための『実戦の拳』である。

 たしかにサナのほうが体格的には圧倒的に不利だが、その質の差がここまで決定的な違いを生み出すのだ。

 フォームが綺麗だからこそ、身体全体が一直線に固定されて強固となる。力がしっかりと集約されている。

 そこに相手が体重をかけて【緩い拳】を打ってきたため、相手自身の力も加わって折れてしまったのだ。

 通常ならば簡単に折れてしまうシャープペンの芯も、真っ直ぐに立った状態ならば指に刺さってしまうだろう。




399話 「無手試合 『激情の拳』 後編」


「ぐううっ…うう!!」


 ロックアルフが自身の拳を見て驚愕する。

 なぜ自分が打ち負けたのか理解できないのだろう。

 それは観客も同じで、誰もが呆けたような驚いた表情を浮かべていた。


「ぐう、おおおおお!」


 だが、リングに立つ以上、自分が拳闘士である以上、戦い続けねばならない。

 地下で生きることは甘いことではない。拳闘士だからといって楽な生活ができるわけではない。

 そうすることでしか生きていけないのだ。これしか生きる道がないのだ。


 だから、再び拳を握る。


 指が一本足りなかろうが、二本折れていようが関係ない。腕があるならば振り続けるだけだ。

 ブンブンッ!!

 ロックアルフは、がむしゃらに拳を振るう。力一杯殴りかかる。

 しかし、すべては遅い。


「…しゅっ」


 バキャッ! バキィイイッ!


 その拳をサナが迎撃。的確に指を狙い、一本一本確実にへし折っていく。

 拳の質そのものが違うのだ。石に粘土をぶつけても、石が砕けることは絶対にない。


「ぐううっ!!」


 ロックアルフは攻撃を受けるたびに顔をしかめる。

 どうやら肉体操作が完璧ではないので、痛みを完全に消すことはできないらしい。鈍痛が響いて動作が遅くなる。

 痛みは我慢できても神経がそれを否定する。反射的に身体が自分を守ろうとするのだ。

 まだロックアルフはその程度の武人だということである。


 バキンッ


 そして、最後の指がへし折れた。

 親指まで含めた十本の指が、すべて力なくぶらぶらと垂れ下がっている。


「おおおおおお!!」


 こうなったらロックアルフには体当たりしかない。

 勢いよく突っ込んで、肩からぶつかろうとする。


「…じー」


 ヒョイッ

 サナは冷静にそれをかわす。

 さきほどとは立場が正反対である。優位に立っているのはサナであり、ロックアルフは完全に後手に回っている。

 この体当たりも死に体から出されたものなので、余裕をもってしっかりと観察していた彼女には簡単によけることができた。

 そこからサナの反撃。


 ドンドンッ ドガッ

 ドゴンッ ドゴッ!


 動きが鈍くなった相手に次々と攻撃を仕掛ける。

 今度は一転して前には出すぎず、慎重に間合いを測りながら拳を繰り出していく。

 相手もガードするので、もともとの体格差もあって一発一発のダメージは少ない。

 しかし、相手からの反撃がほとんどない状態では、時間がすべてを解決する。


「…しゅっ」


 サナは腹に攻撃すると見せかけて、膝に蹴りを放つ。

 横から蹴るのではなく、踵を強く膝に叩きつけるように当てる。

 バキッぃい! ビシッ!


「―――っ!! ぐうううっ!!」


 どすん

 その大きな身体が、ついに床に崩れた。

 視点を変えた不意打ちかつ、狙い済ました一撃が膝蓋骨、いわゆる『膝の皿』を砕いたのだ。

 膝の伸縮に大きな役割を担っている部分なので、ここを怪我すると力士が休場に追い込まれるように、立つことすら困難になる。

 サナの一撃でそれができたのは、アンシュラオンがやっているフェイントを真似たからだ。

 上に意識を向けさせておきながら足元に攻撃する。相手は上半身に戦気を集中させているので、下の防御が疎かになる。

 ロックアルフに余裕があれば見抜けたかもしれなかったので、これも優位性を生かした戦い方の一つである。

 精神的に肉体的に、サナが上位に立っている証拠であった。



 さて、この状態で勝負はほとんどついている。



 サナの勝利は、ほぼ確定しているだろう。

 しかし、地下闘技場にカウント制度は存在しない。レフェリーが止めない限り、どちらかが戦闘不能になるまで戦いは続く。

 サナは膝をついたロックアルフを追撃しようと、少しずつ間合いを詰めていた。


 ヌルヌルッ ブオオオオオッ


 サナが構えると、ゆっくりとだが確実に右手に強い戦気が凝縮していく。

 炎が集まり、メラメラと燃え、次第に光に近い輝きを帯びていく。


 それは―――【虎破】の構え。


 今こそ自身が持つ最大の一撃を繰り出そうとしたのだ。

 相手が動けない状態だからこそ、戦気術が未熟なサナでも十分な時間をかけて練気ができる。

 そして、右手に十分な戦気が集まった。通常の戦気の数倍の力を感じる。



 サナの瞳に―――【赤い光】が宿った。



 相手を観察し、怪しい挙動を一つたりとも見逃さない【狩人の目】だ。

 ロックアルフが少しでも身じろぎすれば、一度立ち止まってじっと観察する。動きが止まればさらに近寄っていく。

 じりじり じりじり

 そうやって安全を確保しつつ一歩一歩近寄り、自分の間合いを生み出していく。


「…ふー、ふー」


 サナの息遣いが荒くなっていく。

 虎破を打つには戦気の集中が必要なので、すぐに放たないと維持するために多大な精神力を使う。

 まだまだ戦気の維持が苦手な彼女にとっては、この作業はつらいだろう。

 だが、まったく油断することなく近寄っていく。


「…ま、待て…!」


 ここで初めてロックアルフの気勢がそがれた。

 やはり男である。少女に対して負けることに抵抗があったのだろう。ギリギリまで負けを認めたくなかったようだ。

 しかしながら、虎破を打つために集まった戦気を見て心境に変化があった。この状態で渾身の一撃を受ければ命に関わる。

 自分にも家族がいるので命は粗末にできない。選手生命に関わる怪我を負うこともできない。


 だからこその【命乞い】であったのだが―――



「…ふー、ふー」



 じろり

 サナはじろっと一瞥しただけで、敵対行動を止めることはなかった。

 依然として様子をうかがいながら虎破を打つタイミングを見計らっている。


「ま、待て! こちらの負け…」

「…ふーー!!」

「…ひっ!」


 赤い目が―――さらに輝きを増す。


 赤は激情の色。サナが初めて覚えた【怒り】の感情を示す色だ。

 攻撃されたことが原因なのか、あるいは相手を追い詰めたことが原因なのかは不明だが


 彼女は―――



―――殺すつもりでいる



 怒りの感情が殺意となり、相手の命を奪おうとしている。

 この息遣いの荒さは消耗のせいだけではない。彼女の心が怒りで真っ赤に燃えているせいでもある。


 心が怒りに支配され、相手を殺すことしか考えていない【狂人の目】だ。


 なにせ彼女に意思は存在しない。あるとすれば、つい最近覚えたばかりの【怒り】だけである。

 どんな怒りであっても、この感情は破壊を導く。怒りの前に命乞いは無意味だ。


 ロックアルフの本能がそれを悟り―――怯える。



「ひ、ひぃいいい!」


 ずるずる ずるずる

 大の大人が少女を前にして、小さな悲鳴を上げながら逃げる。床に這いつくばりながら、後ろを見せて逃げる。

 なんとも非日常的な光景ではないか。運営が望んだ結果とは正反対だが、状況的には目論見通りになっているはずだ。


 では、それに対する観客の態度はどうかといえば―――



「………」

「………」

「………」



 誰もが声を発しない。息を呑んで凝視しているだけだ。

 強く激しい緊張感、死というリアリティ、非現実的な状況、そういったものに【魅入られている】。

 はーはーと、多くの観客の息遣いが聴こえる。これから起こるであろう【惨事】に、かすかな期待を抱いている。

 彼らは知っている。


 これはもうシナリオではない、と。


 サナが発する雰囲気は演技で出せるものではない。

 本物の戦場、生き死にを経験した者でしか出せないオーラが宿っている。

 アンシュラオンは彼女に対して、最初に【死】を教えた。魔獣や人間を殺させて、弱い者は死ぬのだと教えた。

 そのうえで彼女が生き残るための最善の方法も教えたはずだ。



―――相手が死ぬまで殺せ



 それが一番の安全なのだと。自分を守る方法なのだと。

 だからこそ誰の助けもないリングの上で、兄であり師である彼の教えを純粋に実行しようとしているのだ。

 自分が生き残るために敵を殺すという、実にシンプルな理由だけで彼女は戦っている。




(サナ、殺すつもりか。…仕方ないな。これも戦いだ。武人と武人が出会ったら、どちらかが死ぬまで決着は訪れない。ここがリングの上とて、星の上であることには変わらない。大自然が決めた絶対のルールにオレたちは逆らえないんだ。存分にやるといい)


 当然、アンシュラオンは止めない。

 特に止める理由はない。戦いとは、そもそもがそういうものである。


 バチンッ


 ふと反対側を見れば、相手のセコンドが『鶏肉』を見えない壁に叩きつけていた。

 これは相手側のセコンドが『負け』を認めるジェスチャーだ。

 地球ならばタオルなのだろうが、ここでは「チキン〈臆病者〉」という意味で鶏肉を投げるらしい。(ちなみに鶏肉はあとで調理されるので安心してほしい)


 が、それこそが互いの温度差を如実に示してもいる。


 スポーツという『競技』をやっているロックアルフ側に対して、こちらは『闘争』を行っているのだ。

 純粋に生き死にをかけた生存闘争である。魔獣が跋扈《ばっこ》する外では当たり前にあるものだ。

 猫がネズミを食べるシーンを見たことがあるだろうか?

 我々人間は彼らの甘噛みしか知らないが、本気で食するときには遠慮なく牙を突き立てる。ガブガブと噛み千切り、次々と飲み込む。

 そんなリアリティーが、今目の前で展開されているのだ。

 だからこそ観客もレフェリーも呑まれる。誰も鶏肉の存在になど気付いてもいない。



「ヒィイイッ」

「…ふーー、ふーーー!」


 サナがロックアルフを追い詰めた。

 赤い目がさらに輝き、血の色になっていく。


 殺す。殺す。殺す。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。


 サナが初めて覚えた感情が急速に湧き上がっていく。

 アーブスラットに追い詰められて発動した怒りの感情が、目の前の敵を殺そうと力を集めていく。

 いまさら一人殺したとて、たいしたことではない。すでに彼女は何人も殺している。星が一つ増えるだけだ。

 むしろ光栄に思うがいいだろう。魔人が愛する黒き少女の糧になれるのだから。


「…!!」


 凝縮した殺気が、弾けた。




 そして、拳を放―――






「試合を―――止めろぉぉおおおおっぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」






 その時、会場全体を激しく揺さぶる声が響き渡った。


「―――!!」


 飛び跳ねるように多くの観客が振り向く。

 一点に意識が集中していたからこそ、雑音が入った時には過剰に反応してしまうものだ。

 数多くの視線の先にいたのは―――


「試合を止めろ!!! 敗北を認めるサインが出ているだろう!!」


 レイオンがいた。

 いったいどこに行っていたのか、なぜこのタイミングで現れたのかは不明だが、久々に彼の姿を確認できた。

 どうやら彼は試合終了の必要性を訴えているようだ。

 この中で唯一冷静な判断ができる者であり、投げつけられた鶏肉の存在をしっかりと把握できていた。


「っ! す、ストップ…ストッ」


 彼の声でレフェリーも我に返って試合を止めようとする。

 しかしながら、その制止が届かない者もいる。


 ぐぐぐぐっ バンッ!!



 サナが―――拳を放った。



 一度発動させた技の止め方を教わっていないこともあるが、彼女には最初から止める気などはなかったのだ。

 真っ直ぐに相手の命を奪うために拳を突き出した。


「ヒィイイイイッ!!」



 ドゴーーーーーンッ



 サナの拳がロックアルフの肩に激突。

 メキョメキョッ ボゴンッ!!

 激しい力の衝撃が肩を突き抜け、防御の戦気ごと破壊する。

 すでに弱気になっていたロックアルフは、戦気の質も相当落ちていたようだ。ほぼ直撃である。


 ドタンドタンッ ゴロゴロゴロッ


 そのまま衝撃で押され、この巨体が床を転がっていく。

 さすが虎破である。直撃すればサナでもこれだけの威力が出る。

 だから技というものは覚える必要があるのだ。まさに必殺技になりえる一撃だ。


「ストップ、ストップだ! 試合終了だ!!」

「ロックアルフ!! なんてことを!!」


 レフェリーの声で透明の壁が消え、慌ててセコンドが駆け寄って状態を確かめる。


「っ…っ………」

「ま、まだ生きている! 早く、早く担架を!! 医者を呼んでくれ!」


 どうやらロックアルフは、恐怖で身を屈めたことで頭部への直撃を免れたらしい。

 肩が完全に砕けて体内も大きく損傷しているが、かろうじて息はある。

 もし頭に当たっていたら間違いなく死んでいただろうから、なんとも運がよいものだ。


「…ふー、ふー」


 シュウウ

 サナから戦気が霧散する。こちらも限界のようだ。



(命拾いしたな。サナがもう少し成長していたら命はなかったぞ)


 ロックアルフが助かった要因は、たった一つ。

 サナの持久力がなかったこと、集中力が乏しかったことだ。

 間合いを測るために長時間維持したことで、拳に集めた戦気に乱れが生じていたのだ。

 戦気が安定しなければ狙いも安定しない。だから頭を狙う余裕までなかった。

 もともとサナの課題は集中力にある。その弱点が思いきり露呈してしまったにすぎない。

 そうでなければ頭を引っ込める時間さえ与えなかっただろう。あるいは肩に当たっても死んでいたかもしれない。


「おい、さっさと勝利者コールをしろ」


 アンシュラオンが、呆けていたレフェリーに促す。


「っ…、しょ、勝者、黒姫…」

「待て! 反則だろう! こっちはすでに鶏肉を投げていたぞ!」


 相手のセコンドが食ってかかる。

 無理もない。彼らからすれば怒って当然の非道な行いだろう。


「審判の制止はなかったぞ。コールがなくても勝敗が成立するのか?」

「い、いや、それは……コールがなければ…反則ではない。黒姫選手の攻撃は…試合中での出来事だ」

「だ、そうだ。反則ではないようだぞ?」

「くっ! 意図的な攻撃だろうが! ここまでやる必要があるのか!」

「うるさいやつだな。文句があるならお前が戦え。そこに立っていていいのは勝ったやつだけだろう。なんならオレが相手をしてやろうか? マングラスに遠慮する理由はないし、いつでも受けてやるぞ」

「…うっ」

「ほら、コールだ」





「しょ、勝者、黒姫ぇええええええええええええええええええ!!」





 サナの勝利が確定する。

 それに対して、観客からの声援はなかった。

 これはサナに軽蔑や侮蔑の感情があるわけではなく、コールなどなくても誰が勝ったかが明白だからだ。

 そして、あまりのリアリティに心臓がドキドキしているからだ。

 観客の荒い息遣いを感じる。興奮している。燃えている。




 その心が―――真っ赤に燃えているぅううううううううううう!!!!!




 本物の戦いを見て感動に打ちひしがれているのだ。

 だが、その一方でただ一人だけ苦虫を噛み潰したような顔をした者がいた。


「余計なことをしてくれる…このままでは……まずいな」


 レイオンだけが渋い表情のままであった。




400話 「サナが選ぶ武器」


 二人は無手の試合が終わると武器の試合会場に移動する。

 移動と着替えの時間を除けば、残された時間は三十分程度しかない。

 アンシュラオンはサナの身体を触りながら損傷箇所を調べる。


(身体中に打撲はあるが…骨折はない。しっかりと防御できていた証拠だ。ただ、やはり防御力には難があるな。防御していても相手のパワーに押されてダメージを受けてしまうんだ。…それも仕方ないか。体格的に劣っているうえに、もともとが生粋の戦士ではないからな)


 サナはデータ上では『剣士』である。

 剣士は肉体能力に劣る傾向にあり、よほどの実力差がなければ普通は戦士と生身で戦ったりはしない。

 それを考えれば、サナがロックアルフに勝ったことは驚異的なのだ。

 観客の多くは武人の知識もあまりないだろう。彼女がいかにすごいことをしたかに気付いていない。


(まずは回復だな。準備時間は短いが、オレには命気がある。問題はない)


 サナの怪我を命気で癒す。

 本当は自分で練気を行って癒す方法も学んでほしいが、今は戦闘経験を優先することにする。

 こうして身体は万全になった。それよりは精神面が心配だ。


「サナ、落ち着いたか?」

「…こくり、ふー、ふー」

「深呼吸をしてごらん。すーーーーはーー、すーーーーはーー」

「…こくり。すーーーーはーー、すーーーーはーー」


 少し酸素を多めに取り入れさせて心を落ち着かせる。

 だが、まだサナの興奮状態は続いているようだ。顔が赤いし、心臓も激しく鼓動している。

 そして、それが微妙な疲労感を与えている。誰でも覚えがある【精神的な疲れ】というやつだ。


(ついにサナにも精神的な症状が出たんだ! 嬉しいなぁ!! あれがお前の感情なんだな。お兄ちゃんは嬉しくて涙が出そうだよ)


 ずっとサナに感情を与えようとしてきた。すべてはそのために用意した劇である。

 あの激情こそ、サナが最初に覚えた感情であることは明白だ。こんなに嬉しいことはない。

 興奮しているサナのなんと美しく可愛いことか。より人間らしくなって、さらなる魅力に溢れている。


(感情があるから人間なんだ。喜怒哀楽は人間にとって邪魔なときもあるが、だからこそ美しい。サナは着実に成長しているんだ。苦労した甲斐があったな…。だが、こうなるとマイナス面も気にしなくてはいけないようになる。サナは意思の力が乏しい反面、一度感情が表に出ると制御できなくなる傾向にあるようだ。普通の人間だって感情の波に呑まれるんだ。慣れるまではこういう状態が続くんだろうな)


 自分の感情が制御できないのはサナに限ったことではない。多くの者がそうだ。

 それを乗り越えるからこそ美しい存在になれるのだ。マイナスがあるからプラスがあるのだ。

 ただ、武人は精神を制御することで力を生み出す存在でもある。一般人とは違って、精神が直接的な力となってしまう。

 激情は爆発力にはなるが、それだけ力のロスも大きくなって戦気の消耗も激しくなる。

 特にサナは持続力に難がある。さきほどの戦いの疲れを引きずるのも仕方がない。

 そもそも連戦させる意味が、ここにあるわけだ。


(試合形式だからこうして休めるが、これが本当の実戦だったら、そんな余裕さえ与えてもらえないようになる。魔獣や敵がこちらが回復するのを待っているわけがないからな。これも鍛練だ。甘やかしていたら強くはなれないからな。心を鬼にするんだ)


 これもまた持続力を高める鍛練である。

 自分が今まで戦ってきて一番痛感したことが、『継戦能力』の重要さである。

 どんなに強くてもすぐにガス欠になれば、次の瞬間には死ぬ運命にある。戦場では続々と違う敵がやってくるからだ。

 瞬間火力も大事だが、より長く戦い、できるだけ損害を少なくするほうが生存率が高くなる。

 アンシュラオンがサナに教えたいのは、相手を打ち倒す力以上に【生き残る力】なのである。

 可愛いサナに何かあったら困る。だから強くしてあげたいと心から願っている。



(よし、気持ちを切り替えよう。次はサナの本領が発揮できる武器の試合だ。こちらが一番重要だ)


「サナ、次の試合は武器が使えるぞ。どれを使う?」


 控え室には何種類もの武具が置いてあった。

 長剣、短剣、斧、槍、ハンマー等々、大小さまざまなものがある。

 武器の優劣で勝敗が決しないように、試合では定められた武器を使わねばならないルールとなっているため、この中から選ばねばならない。


「…じー」


 サナは武器類をじっと見つめている。

 ここで自分は余計な口を出さないように気をつける。


(サナ自身が選ぶことに意味がある。オレが選ぶと可能性を摘み取ることになるかもしれないしな。本当は盾を選んでほしいが…行動が制限されるから難しいところだな)


 自分としてはサリータと被るが、盾を装備して生存率を上げてほしいとも考えている。

 やはり防御は重要だ。ダメージを受けなければ死にはしないのだ。

 かといってそれで重量が増すと、サリータのように鈍足になってしまうから悩みものだ。

 サナは咄嗟の行動で状況を打開できるので、長所が消されることになるかもしれない。迂闊に勧めないほうがよいだろう。

 剣士なので、自分の武器は自分で選ぶほうがいい。こういうときは当人の直感で選ばせるほうがいいものだ。

 過保護な兄は黙って見ているほうが吉と判断する。


「…じー」


 しばらく武器類を見ていたサナが、突然動き出した。


 スタスタスタ


 視線が一点に定まり、一直線に【それ】に向かって歩いていく。



 長剣がある。

 いわゆる直剣、ロングソードというものだ。

 ガンプドルフとラブヘイアも使っていたが、攻撃力も高く堅実なので、剣士にもっとも好まれる武器の一つである。

 が、それは通り過ぎる。

 この武器を扱うには成人男性程度の身長と体格、そして腕力が求められる。

 今のサナには扱いづらい武器だろう。



 短剣がある。

 いわゆるダガーやナイフに該当するものだ。

 この系統にはレイピアなどの少し細めの刀身の剣もあるので、蛇双などを含めてサナがもっとも扱いやすい武器だろう。

 暗殺者もよく使っているのでファテロナもこの類の剣を愛用しているし、ソブカやファレアスティのような腕力に劣る剣士にもよく好まれる。

 が、それも通り過ぎる。

 扱いやすい反面、攻撃力に乏しいため、防御に優れた相手には不利な傾向にある。

 扱い慣れた蛇双が使えるのならばともかく、この場で慣らすには時間も足りない。



 斧とハンマーがある。

 いわゆる重武器に該当する大型のものだ。

 重武器と呼ばれているだけあって重く、扱うには両手で使う場合が多い。

 メッターボルンのような大きな身体の武人か、サリータのように全身を使って振り回すのならば使えるが、一撃が重い分だけ外すと決定的な隙を晒すだろう。

 小ぶりのものもあるが、サナにはあまりに負担が大きい。

 これも当然、通り過ぎる。



 それからモーニングスターやメイスなどの棍棒類にも見向きもせず、サナはスタスタと部屋の隅っこに歩いていく。

 そこには大きな箱があり、いくつもの武器が乱雑に投げ込まれていた。

 多くの選手は今挙げた武具の中から選ぶので、ここにあるのはそれ以外の人気のないものばかりなのだろう。

 ろくに手入れもされていないようなボロボロの武具も、投げ捨てるように入れられている。


「…ごそごそ」


 ガチャガチャッ

 サナがその箱を漁る。

 すでに半分見えていたので、目的のものはすぐに見つかった。


「…ぐいっ」


 【それ】を取り出す。


「サナ、それがいいのか?」

「…こくり」

「オレが言うのもなんだが、けっこう扱いづらいぞ」

「…こくり、ぎゅっ」

「…そうか。そうなんだな。わかったよ。好きに使うといい」


 サナは、ぎゅっとそれを抱きしめる。

 まるで最初から自分のために存在していたといわんばかりに、大事そうに抱きしめる。



 それは―――



(【日本刀】か。こんなところに埋もれているとはな。運命的なものを感じるよ)



 日本刀。

 いわずもがな、日本人が愛してやまない反りのある片刃の剣である。

 ヤキチもポン刀を使っているので系統的には同じものだといえるだろう。

 ただしこちらの刀は、まさに我々がイメージする日本刀そのものだ。黒い鞘、黒い柄のシンプルな刀である。



 ああ、サナが選んだものは―――日本刀だったのだ。



 それに対して強い既視感を覚える。


(あの時、白昼夢で見た光景と同じだ。サナ、お前はそれを選ぶんだな。見た目が立派なものでも強そうなものでもなく、魂がそれを選ぶんだな)


 サナと契約した際に見た映像を思い出す。

 大人になった彼女も刀を持っていた。そこに運命的なものを感じてならない。

 彼女は自らの意思で日本刀を選んだ。ならば、その意思は絶対的に尊重されるべきものである。



「サナ、見せてくれるか?」

「…こくり」


 サナから日本刀をもらい、刀身を抜く。

 ゴリリッ ジュリリ

 鞘と刀身がこすれて不快な音を立てる。


(刀身が曲がっている。刃先も欠けているな。扱い方を知らない人間が力任せに振ったんだ。これでは刀が泣いているな)


 刀には詳しくはないが、日本刀の扱いが難しいことは知っている。

 ロングソードなどは「ぶっ叩く」こともできるので、かなり乱暴に扱っても攻撃が成立する。

 これは鎧の上からでもダメージを与えられるように、半分は鈍器的な扱いを想定して造られているからだ。

 もちろんガンプドルフのような達人になれば、鎧を切り裂くことも容易だが、それでも相当な腕力と遠心力を使って叩きつけているはずだ。

 一方の日本刀は反りがあるので「引き斬る」ことが重要な要素となってくる。

 より斬ることに重点を置いた武器だといえるだろう。

 その分だけ扱いが難しく、切腹の介錯で慣れない人間が扱うと、なかなか斬れなくて逆に苦痛を与えてしまうという。


(だが、刀身は死んでいない。芯の部分はまだ生きている)


 誰が打ったかは、当然わからない。どんな意図があって打ったのかもわからない。

 しかしながら、いいかげんに打ったものではない。


(不思議だな。オレも剣士の因子があるせいか…なんとなく【剣の意思】がわかる気がする。こいつはまだ死んでいない。まだ戦いたがっている)


 折れ曲がった刀身でも、その意思は何も変わっていない。

 ただ【彼】を使った人間が悪かっただけだ。適当に振り回して上手く斬れなくて、ゴミのように捨てられてしまっただけだ。

 彼自身に非はない。ただただ刀であり続けるだけの存在だ。すべては扱う人間に問題がある。


「オレは鍛冶師じゃないから自己流だけど、見よう見まねで命を吹き込んでやる。少しだけ戦える力を与えてやる。だからサナを守る力になってくれ」


 ツツゥ―――パキンッ


 アンシュラオンが折れ曲がって「死んだ刃先」をへし折る。

 それから指先で折れた箇所をゴシゴシと研磨していく。それによって新しい剣先が生まれていく。


「まだ傷みがあるな。生物ではないから命気が効くかどうかはわからないが、試してみよう」


 ごぽぽっ

 刀身全体を命気で覆い、再びじゅりじゅりと磨いていく。

 汚れを取るだけではなく、表面の細かい傷を埋めるように命気が内部に染み渡っていく。


 それを続けること数分。


 美しい刀身が蘇った。

 鍔《つば》や柄はボロボロだが、刀身の部分は見違えるように綺麗になった。


「ほら、持ってごらん」

「…こくり、ぎゅっ」


 ギラリ

 サナが刀を掲げる。

 折ったせいで長さは少し短くなったものの、サナが持つと大型の太刀にさえ見える。

 子供の彼女が使うには向かない武器だと誰もが思うだろう。自分もそう思う。

 だが、他人から見て良いとか悪いとかは関係ないのだ。

 自分が好きかどうか。扱いたいと思うかどうか。これに勝るものはない。

 周りから強制されて他人と同じようにしかならないのならば、生きている意味がない。存在している価値がない。

 他人がやらないようなことをするから、その人生に意味があったといえるのだ。

 だからこそ、サナには刀がよく似合う。


「武器は整った。鎧を着ようか」

「…こくり」


 これまたサナ用に赤い鎧が用意されていたので、それを着る。

 選んだ得物が刀だったこともあり、可動域を阻害する部分は取り除いておいた。

 仮面はそのままのものを使えばいいだろう。ただの兜なので、これくらいは問題ないはずだ。




「黒姫選手、時間です」


 そうこうしていると、すぐに試合の時間になった。

 アンシュラオンはサナに付き添って通路を歩く。


「………」


 サナは何も語らない。

 しかし、刀を持って嬉しそうなことがわかる。

 歩いている姿全身から「好き」という感情が湧き出ているようだ。


(サナが物に感情を示すのは珍しいな。これも一つのきっかけになるかな)


 シャイナやサリータ、ミャンメイのような人間に対しては以前から興味を示していた。

 他方、物に関しては淡白で、命気水以外では駄々をこねたこともない。料理も食べられれば何でもいいようだ。

 だから、この刀はサナが初めて自分から欲した物なのかもしれない。


(サナには刀を作ってあげよう。デアンカ・ギースの素材もあるしな。サナのためならば何でも用意するぞ。全財産を注ぎ込んでも惜しくはない)


 忘れていたわけではない。単に使う機会がなかったにすぎない。

 そして、できれば腕のいい鍛冶師に打ってもらいたいものだ。

 サナだけの刀、サナが生涯愛していけるような愛刀を。


「今回もお兄ちゃんが言うことは何もない。好きにやってごらん」

「…こくり」


 サナがリングに向かう。


 日本刀を持ったサナの試合が始まろうとしていた。




401話 「刀の意思 前編」


「西から登場しますは、武器の試合に初登場となります、黒姫選手!! たった今、無手の試合で勝利したばかりですが、こちらにも参戦となります!!」





―――ワァアアアアアアア!!




「おっしゃあああ! 楽しみにしていたぜ!!」

「またすぐに試合が観られるなんて最高だ!!」

「無手に続いて連戦か…すごいな。あんな小さな身体のどこにそんな力があるんだ?」

「さっきの戦いを見ていただろう? 根本からして違うのさ。さすが姫様だな」

「黒姫ちゃーーーん! がんばってーーー!」



 と、観客のほうもどこかで見たことがある連中ばかりである。

 それも当然。無手の試合の観客がそのままやってきただけだ。

 変わったのは試合会場の装飾と、リングアナウンサー(兼レフェリー)が違う点だろうか。

 無手とはかなり様相が違うため、それなりに武器に精通した者でないと有効打等の判断が難しいことが多い。

 剣道の試合を初心者が見ると「あれ? 今のは流していいの?」と思うのと一緒だ。

 唯一試合を止める権利を持つレフェリーには、それなりの眼力が求められるのだ。



 スタスタスタ

 サナがリングに歩いてくる。

 今回は仮面と鎧を着ているが、その身長から当人だとすぐにわかるだろう。

 それはいい。むしろ観客が気になったのは武器である。



「ん? あの武器は何だ?」

「あんなのあったかな…? 剣…だよな?」


 普段見慣れぬ武器に首を傾げる者たちが多かった。

 たしかに日本刀には独特な趣がある。造詣自体が凛としており、シンプルな中に深みがあるのだ。

 サナ自体も異色な存在のため、より一層見慣れぬ武器が目立つのだろう。

 そんな若い連中に、一人の老人が溜息混じりに話しかける。


「おぬしら、そんなことも知らんのか。なさけないのぉ」

「なんだよ、じいさん。知っているのか?」

「当然じゃ。ありゃ『サムライソード』っていうんじゃよ」

「サムライ? なんだそりゃ?」

「西側の一部の国家における剣士の呼び方の一つじゃな。ただ、発祥はダマスカス共和国っていう国らしいがの。その国では、ああいう『刀』が一般的だそうじゃ」

「ふーん、そんなもんがここにもあるんだな」

「昔はそれなりに使う者も多かったが、最近ではほとんど見かけんの。懐かしいもんを見せてくれるもんじゃのぉ」



(サムライ…か。明らかに地球から持ち込まれた言葉だよな。これは小百合さんから聞いた話と同じか)


 その会話は、耳が良いアンシュラオンにも聴こえていた。

 以前、小百合の家に行ったときに聞いていたので驚きはない。彼女の祖国であるレマール王国も刀を使う剣士が多いという。

 名刀以外の普通の刀そのものは西側で一般的に流通しているものなので、どこかで混ざったものがグラス・ギースにまで流れ着いたのだろう。

 キブカ商会を見てもわかるように、南部の都市からも物資を仕入れているので、ここにあることは不思議ではない。




「続きまして、東側からはハングラス所属、ニットロー!! 堅実な戦いで現在、六戦無敗の実力者です!」




 東側からサナの対戦者である、ニットローと呼ばれた男がやってきた。

 こちらも全身を鎧で覆っていて顔は見えない。身長は一般成人男性程度で、体格もそこまで大柄というわけではない。

 ニットローの戦士因子は、「0」だ。

 戦士因子の有無が肉体の質に大きく影響するため、戦士因子効果が半減される生粋の剣士になればなるほど、体格には恵まれない傾向にある。(それ以上に戦士因子が高ければ別だが)

 多分に漏れず、彼も体格ではさして目立ったところは見受けられない。肉体面ではアカガシのほうが上だろう。

 ただし、彼が持っている武器は『長剣』と『盾』であった。


(一般的な武装であるロングソードと、防御重視のカイトシールドか)


 ロングソードはすでに説明した通り、特に短所らしいところもない一般的な剣である。

 ニットローはたしかに体格に恵まれていないが、それは戦士と比べた場合にすぎない。

 武人としては標準以上の体型はしているので、片手でもロングソードの重さに振り回されることはないだろう。

 問題なのは『盾』のほうだ。


(六戦無敗とか言っていたな。その要因は、おそらくはあの盾だろう。バランス防御型か? あるいは防御型かもしれん。どちらにせよ、サナとの相性は悪いな)


 カイトシールドのカイトは、『凧《たこ》』という意味である。

 たまに海に行くと砂浜で遊んでいる人がいるが、なかなか面白い形をしている。

 ただ、その面白さとは裏腹に、いざ戦いでは非常に頼りになる武具だ。

 あれは上部がやや出っ張った「ひし形」に近いタイプだろうか。傷が多く見受けられるので使い込んでいるのがわかる。

 鎧もそのまま既製品を使っているのではなく、自分なりにアレンジして改造している様子がうかがえた。


 ニットローは、弱くはない。


 アンシュラオンはそう判断する。

 この言い方だと語弊がありそうだが、他の試合で見たような「おままごと」をする連中の仲間ではない、ということだ。


(この男との戦いは今朝には決まっていた。ロックアルフの戦いを見てから決めたわけではない。…少なくともそれなりの評価はされていたということかな。あるいは噛ませ犬か)


 アンシュラオンがちらり、と視線を会場の隅っこに動かす。

 そこにはフードを被った男が座っており、一人静かにこちらを見つめていた。

 顔は見えないが、そこから覗く目が、その人物が誰かを如実に物語っている。


(あの目はジュンユウか。まあ、オレには『情報公開』があるから、あの程度のフードじゃ誤魔化せないけどな)


 アンシュラオンたちが会場に入った頃から、彼はすでにその場に静かに佇んでいた。

 彼が来たのは運営から頼まれてのことだと思われるが、その瞳にはわずかながらの「興味」の感情が宿っていた。

 嫌々ここにいるというわけではなさそうだ。



「黒姫ちゃんの相手はニットローか。あいつ、ここんところ負けてないよな」

「そんなやつが、わざわざお出ましかよ。なんでこのカードなんだ? あの子にはちょっと強すぎるんじゃないのか? まだ初戦だぜ?」

「ニットローは今回勝てば、キング戦って話を聞いたぞ」

「ああ、なるほどな。運営としてはそれなりに注目させたいってことか」



 観客の間でもニットローは有名らしい。そんな声が聴こえてくる。


(ふむ、ニットローはジュンユウの次の対戦相手になる可能性があるのか。ならば、視察も兼ねてのことだろう。まあいい。どんな理由があるにせよ、キングが見に来てくれるのならば話は早い。あいつを倒して挑戦権を奪ってやろう)


 ボクシングなどの試合でもそうだが、挑戦者が世界ランカーに勝てば、丸々相手が持っていた権利を奪うことができる。

 ニットローの次戦がキング戦ならば、そのままもらってやろうではないか。

 そのためには勝つことは前提として、「可能性」を見せ付けねばならない。

 ジュンユウが興味をそそられるような戦いをすれば、早期のキング戦も実現可能だろう。





「では、賭けの時間です! ジャンジャンバリバリ、ご参加ください!」




 賭けの時間が始まる。

 今回はオッズが事前に公表されない通常の賭けの形式で行われる。

 引き続き観客の数も普段の三倍以上なので、売り上げもいつもの何倍にもなっていることだろう。

 通常ならばニットローはもっと後ろの試合のはずなので、これもサナが注目されている証拠である。



 賭けが終わる。



 結果、サナが「6.3倍」、ニットローが「1.9倍」となった。



 ちなみに賭けは、競馬と違って両方にはかけられない仕組みである。どちらか一人を選ばねばならない。

 この数字を見れば、客がどちらに多く賭けたかがわかるだろう。

 サナは人気があるので賭けた者も多かったが、様子見の金額も多かったということだ。


(ニットローは実績が評価されたかな。一方のサナは日本刀の物珍しさもあって信用しきれなかったか。仕方ない。これが初戦だ。懐疑的にもなるだろう。実際、オレから見ても未知数な部分が多いしな)


 多少サナの倍率が高いとは思うが、自分から見ても「4:2」くらいが妥当だろう。

 今回も単純な実績や実力では相手が上と判断している。





「では両者、前へ!」




 二人がリング中央で向かい合う。


「いい勝負をしよう」

「…こくり」


 ニットローがサナに握手を求め、彼女も応じる。

 彼の中身は試合前に一度見かけたが、なかなかのイケメンである。爽やかなスポーツマンタイプといえるだろうか。

 アンシュラオンならば「所詮はスポーツマンだな」とまた罵倒しそうだが、侮ってかかる相手よりは厄介かもしれない。

 逆にスポーツマンだからこそ弱い相手にも全力を尽くす、というスタイルの者もいる。




「試合開始!!」




 カァアアーーーーーーンッ



 サナの武器の試合が始まった。



「さあ、来たまえ!」


 ニットローは盾を前に出して防御の構えだ。

 アカガシと違って本気の防御であることはすぐにわかる。


「…しゅっ」


 その様子を観察しながら、サナが刀を抜く。

 ギラリと美しい刀身が輝く。アンシュラオンが命気で磨いたので、まるで新品同様に綺麗だ。


(あの武器はサムライソードか。まだ残っていたとはね。…しかし、たどたどしい抜き方ではある。明らかにまだ慣れていない。だが、油断は禁物だ。無手の戦いでも格上の相手を倒している。戦士型剣士という可能性も捨てきれないんだ)


 ニットローも慎重にサナの様子を観察していた。

 実は彼も無手の試合を観ていたのだ。次の対戦相手なのだから視察するのは当たり前のことだろう。

 むしろそうした準備を怠るようでは、ここでは勝ち進んでいけない。


「…ぐっ」


 サナは柄を深く握り込むと―――剣気を放出。

 赤い光が刀身を覆い、今までの戦気とは明らかに違う質となる。


 トトトトトッ


 サナがニットローに向かって駆ける。

 今回は様子見をするのではなく、自分から相手に突っかかっていく。

 日本刀が今までの武器よりも重いせいか、若干後ろに引っ張られながらも強引に前に向かっていく。

 間合いに入ると、そのままの勢いで振り回すように横薙ぎを放った。


 ブーーーンッ ガンッ


 ニットローは避けることもなく正面から受け止める。

 好きなように打たせた一撃なので、サナも体重をかけて放った強い一撃だ。

 しかし何事もなかったかのように、がっしりと受け止めた。反動で押されることもない。


(悪くない剣気だ。しっかりと力が乗っている。ただ、今のが本気の一撃だとすれば…怖くはないね)


 サナの一撃は剣気が乗っているので、たしかにそれなりに強い。武人以外の一般兵ならば倒せていただろう。

 が、相手が同じ武人ならば話は異なる。

 なぜならばニットローの盾も、同じ剣気によって強化されているからだ。

 剣士の因子は武器を扱う能力であり、最大の醍醐味が剣気の制御である。

 長年剣士として戦っている自分からすれば、目の前の少女の攻撃はありふれた一撃でしかない。


「…しゅっ!」


 ブンッ ガンッ

 ブンッ ガンッ

 ブンッ ガンッ


 サナが刀を振るう。ニットローが受け止める。

 サナが刀を振るう。ニットローが受け止める。

 サナが刀を振るう。ニットローが受け止める。


 そうした攻防が続く。

 いや、これは攻防とは呼ばない。

 ニットローが『攻撃していない』だけだ。


 これにはアンシュラオンも少しばかり冷汗を掻く。


(サナ、完全に舞い上がっているぞ。もしかして相当嬉しかったのか? まるで買ってもらったばかりの木刀を振り回す子供だな)


 サナが自ら攻撃に出ることは珍しいことだ。

 いつもならば、じっと相手を観察するはずだ。


 そうしなかったのは―――【楽しい】から。


 手に入れたばかりの玩具に興奮して、まずは振り回したい気分になったからだ。

 新しいスマホ、新しい車、新しい釣竿、新しい家。

 それが何であれ、新しいものは人の心を浮き上がらせるものだ。嫌な出来事があっても忘れさせてしまう素晴らしい魅力を持っている。

 ゲームの世界だって新しい武器を手に入れれば、まず試し斬りをしたくなるだろう。

 彼女は今、そういう状態なのだ。とりあえず試してみたくて仕方がない。

 気持ちはわかる。誰だってそうだろう。


 がしかし、それが実戦だと危険だ。


 もともとサナは刀の扱いに慣れていないうえ、こんな振り方をしていたら防御されるのは当然である。

 どうやらニットローの肩書きに偽りなしのようで、盾の扱い方もサリータ以上に上手いように感じられる。

 サナの攻撃をすべて見切り、完璧に盾の中心で受け止めている。

 彼のカイトシールドは中央が少し出っ張っている造りなので、そこに合わせる余裕すらあるわけだ。


(カイトシールドは、サリータが使っている大盾とは【目的】が違う。そのままだと危ないぞ)




「…しゅっ」


 そうアンシュラオンが危惧しているとき、サナが再び打ち込んだ。


 ブーーーンッ ガンッ


 ニットローが受け止める。ここまでは同じ流れだ。

 だが、そこからが違った。


 ガシュッ ズリリリッ


 いつもとは違う音がして―――日本刀の刀身が流れる。


 ニットローが盾に付いている傾斜を利用して、剣を【受け流した】のだ。

 そして、ロングソードを持っている右手が動いた。

 盾に隠れるようにして出された突きが―――


 ガキィイインッッ!!


 サナに直撃する。




402話 「刀の意思 中編」


 ニットローの一撃がサナの左胸に命中。

 当然ながらニットローも剣気を放出しているので、ただのロングソードであっても強力な一撃となる。

 普通の鎧くらいならば簡単に貫くだけの力があるだろう。

 サナも戦気で鎧を強化しているが、素の防御力が高いわけではないので危険な一撃だ。


 ガリリリッ ズバッ


 ただ、浅めの一撃だったおかげで剣が少し流れ、肩当を抉るにとどまった。


 サナは飛び跳ねるように後方に逃げる。

 ニットローは追わない。再び盾を構えて待つ。


「…さわさわ」


 追撃がないことを確認したサナは、突かれた肩を確認。

 肩当の表面は大きく損傷しているものの、中にまでダメージは到達していない。

 左手で盾を操りながらの一撃だったので、深く踏み込んでいないことが要因だろう。


「…ぐっ」


 サナは再び日本刀を構えて、ニットローに突っ込む。

 今度は走りながらいくつかフェイントを入れ、突然飛び上がってからの上段斬りを叩き込む。

 身体全体を弓なりにして力を溜め、一気に爆発させる。


 ブーーーンッ!!


 サナの渾身の一撃がニットローに迫る。


「多くの者が私にそれをやってきた。君よりも身体の大きな大人の男性がね!!」


 ガンッ!!

 ニットローは上段からの攻撃を難なく受け止める。

 それだけにとどまらず―――

 ザリリリリッ

 金属同士がこすれる独特の音を響かせて、剣が盾の傾斜を滑って受け流される。

 サナの体勢が完全に崩れた。


 そこに―――突き。


 ザクッ!!

 狙い澄ました一撃が、さきほどと同じ肩に命中。

 一度攻撃を防いで抉られた肩当ではダメージを吸収しきれず―――


 ブシュッ


 肩が引き裂かれて出血。アンダーシャツが赤に染まる。

 サナは転がるようにして間合いを取るが、ニットローは追わない。

 また盾を構えてじっくりと待つ。



 こうしてサナの攻撃はすべて防がれる。

 その後も何度攻撃を仕掛けても迎撃され、少しずつ手傷を負っていくことになった。

 アンシュラオンはその戦いを見ながら、改めてニットローの強みとサナの弱点を痛感する。


(ニットローは様子見ということもあるのだろうが、迎撃を主体とする防御型のようだな。予想通り、やりにくい相手だ)


 第一警備商隊に、サナが奪った蛇双を使っていたモズという男がいたが、彼も迎撃を主体とする剣士であった。

 モズは二刀流の変則タイプだったが、ニットローは盾で防いで剣で迎撃するので正統派と呼んでいいだろう。


(武人の中で誰が一番強いか、という問いは無意味だ。人それぞれ相性があって、得手不得手があるから決められない。だが、その中で唯一あらゆるものに対応できる存在がいるとすれば、それこそが『オーソドックス』だろう)


 あらゆる『道』には、昔からある伝統的なスタイルというものが存在する。

 新しいものが古いものを駆逐淘汰するのが自然のルールだが、その中で何千年も残っているものがあるとすれば、それが「最適解」であることを証明している。


 剣士の中での最適解が、剣と盾。


 今ニットローがやっているものと同じく、ダメージを負わないことを最優先にしつつ、ちまちまと攻撃もしていくスタイルだ。

 盾の操作を最優先にしているので反撃も小さなものだが、その積み重ねで相手を追い詰めていくのだ。

 派手さはまったくない。地味で作業的だ。時間もかかる。

 しかしながら負けにくい戦い方だ。そこには共感を覚える。


(師匠も言っていたが、武人の戦いは徐々に『防御主体型』に移ってきているという。昔は派手に攻撃することが武の花形でもあったわけだが、それで死んでは意味がない。武人の世界にも合理化の波がやってきたというわけだ)


 かつての武人の逸話の中には、攻撃主体の景気の良い話も多く見受けられる。

 一撃で山を砕く、大地を割る、空を裂く等々、たしかにやろうと思えばできることもいくつかある。

 だが、今の武人はあえてそれをやらない。エネルギーが100あるとすれば、その60以上を防御に割り当てるからだ。

 日本バブルが崩壊して人々の生活が改まってきたように、『傾《かぶ》いて』ばかりはいられなくなってきたのだ。

 贅沢をせずに堅実に暮らし、日々少しずつ貯蓄して将来に備える。

 まったく面白みのないつまらない生き方ではあるが、そうしなければ生き残れないようになった。


 ただし、今の武人が過去の武人と比べて弱くなっていることは、見過ごすことのできない事実である。

 昔の武人は血が濃くて強かったので、あらゆる面で強靭だったのだ。

 今の武人の肉体が弱くなった結果、盾に頼るしかなくなったことも間違いない。

 それでも盾が有用な武具であることには違いない。これを正面から切り崩すのはかなり難しいだろう。


 さらにサナには致命的な弱点がある。


(サナが両手で操る日本刀を選んだ段階で、防御型でないことは明白だ。だったら攻撃力でなんとかしないといけないが…すべてにおいて劣っている。このままだと打開は不可能だ)


 力任せに攻撃する一撃など、ニットローは日常的に受けている。

 サナよりも大きな男たちの攻撃を受け流して生きてきたのだ。普通の攻撃では、まず致命傷を与えることは不可能だ。

 ならば、それを上回る一撃を繰り出すか、あるいは虚をつく攻撃をしなくてはならない。


 しかし―――体格は子供だ

 しかし―――性別は女性だ

 しかし―――刀の扱い方は素人だ


 なんてことだ!! 悪い点ばかりしか見つからない!!

 サナが攻撃重視の武器を選んだのはよいのだが、それを活用できるものが何一つないのだ。

 当然、そんなことは最初からわかっていることだ。


(お兄ちゃんは最初から全部知っているんだ。お前がここで苦戦することくらいわかっていたことだ。初めて水に触れる子供をいきなり競技用のプールに投げ入れるようなものだからな。溺れるのは仕方ない。しかしそんな状態でも、そいつを倒せるくらいに強くならないといけない。お前が手に入れるのは、そんな常識すら打ち破る力だからな。苦しいだろうが、なんとか打開するんだ)


 存在そのものがイレギュラーなアンシュラオンの妹なのだ。

 いくら正統派とて、この程度の相手を倒せないようでは上にはいけない。

 サナにとって、ここが試練の時である。




「…じー」


 サナがニットローを観察する。

 ようやくにして落ち着きが戻ってきたようだ。相手を見る余裕ができた。

 しかし、動かない。


 否、動けない。


 がっしりと身を固めて待ち構えているニットローに、隙がまったくないからだ。

 このまま突っ込んでいっても、また迎撃されてダメージを負うだけだとわかるのだ。


「………」

「来ないのかい?」

「………」

「理に適った状況判断だ。勝てない戦いはするものじゃない。でも、ここはリングの上なんだ。どちらかが勝つまで終わらない」


 ニットローがロングソードを構える。


「今度はこっちからいくよ」


 ブンッ!!

 剣を振ると、そこから剣圧が生まれた。

 剣衝がサナに迫る。


「…しゅっ」


 サナは落ち着いて剣衝の太刀筋を見極め―――

 ズババッ!!

 刀で迎撃。切り裂く。

 サナが子供といっても日本刀の一撃は、片手で扱うロングソードを上回るようだ。剣衝程度ならば問題なく切り裂ける。

 しかし、サナが迎撃している間にニットローは走っていた。サナに向かって駆けてくる。


「…っ!」


 サナは咄嗟に自らも剣衝を放つと同時に、間合いを広げるために逃げる。

 だが、ニットローは盾で簡単に剣衝をいなすと、逃げたサナを追尾するように追いかける。

 前を向きながら後ろや横に逃げるサナに対して、相手は前に駆けるだけだ。どうしても速度に差が生まれてしまう。


 ニットローがサナに追いつき―――



「ちょっと痛いだろうが、我慢してくれ」



 ドバーーーンッ!



 シールドバッシュをお見舞いする。

 剣士なので腕力はそこまで強くはないが、剣気で覆われた盾自体が非常に強固になっているため、衝撃でサナが吹っ飛ぶ。

 ドガッ ガスッ ごろごろっ

 透明の壁に衝突し、床に転がる。


「……っ…っ…」


 意識が混濁する。視界の上下ががくがくと揺れている。

 それでもまだ刀を放していない。攻撃をもらう寸前に刀でガードしたおかげで、昏倒まで至らなかったのだ。


「…ふーー、ふーー」


 サナは剣を杖代わりにしながら、なんとか立ち上がる。

 しかし、足に完全に力が入らないほどショックを受けている。

 鎧を着ていてもこのダメージである。剣士の攻撃力がいかに高いかがうかがい知れる一撃だ。

 無手の試合では高い耐久力に苦労したが、こちらでは相手の攻撃力に気をつけねばならないのだ。



「立ち上がらないほうがよかった。そのまま寝ていたほうがいい。女の子に後遺症を残したくないからね」

「…ふー、ふー」

「審判、これ以上は危険だと思う。チェックを要請する」


 ニットローがレフェリーにチェックを促す。

 地下闘技場ではレフェリーが続行不可能と判断すれば、その場で勝敗が決まる。

 これは武器の試合では特に顕著となる。体力が低いわりに攻撃力が異様に高い剣士同士の戦いでは、一撃で死亡ということもありえるからだ。


「黒姫選手、まだやれるか?」


 要請を受けたレフェリーが、一度試合を止めてサナに近寄る。

 この間は結界も消えるようで普通に中に入ってきた。実に高度な術式である。


「…こくり」

「目を見せて」

「…ふー、ふー」

「ふーむ…まだ焦点が合っていないが…試合を続行するかね?」

「…こくり」

「…そうか。選手の意思は尊重するが、もし次に有効打が一発でも入れば、そこで試合を止める。わかったね」

「………」


 サナはその言葉には頷かなかったが、レフェリーがそう判断するのならば仕方がない。



(甘い男だ。そのまま試合を決めることもできただろうにな。しかし、実力は思った以上かもしれないな。サナが試合の中で倒すのは難儀するな)


 アンシュラオンも甘いと思いつつ、サナの身の安全が最優先なので、特に口を挟むことはなかった。

 なぜならば、サナはまだ諦めていないから。

 彼女の瞳は、まっすぐに相手だけに向けられている。あの状態でも勝つつもりでいるのだ。


(そうだ。オレは負けていいなんて教えたことは一度もない。相手が甘かろうが辛かろうが勝つんだ。戦いの中で血を燃やせ。武人とは、戦えば戦うほど強くなる生き物なんだからな)




「…ふー、ふー」

「まだ諦めないのは見事だよ。好きに打ってくるといい。その時に決めてあげよう」

「…ぐっ」


 サナは刀を構える。

 たどたどしく、弱々しく、まったく手慣れていない様子が見てとれる。


(幼い子供がここまでやれるだけでもたいしたものだ。彼女には将来がある。次の一撃を受け流し、強撃を入れて気絶させて終わらそう)


 ニットローは盾を構える。

 攻めることもできるが、こうして迎撃する形が一番得意だからだ。

 せめて最後は自分も全力を出して終わらせてあげたいという、スポーツマンらしい考え方である。

 それもまた優位だからこそ許されることだ。このリングの上では、彼にその選択の権利がある。


「…ふー、ふー」


 サナが走り出した。

 彼女にできることは、無我夢中に刀を振るうことだけだ。

 誰にも剣を習っていないので、すべてが自己流の彼女には仕方がないことだろう。



 ふと、ここで一つの疑問が浮かぶ。



 アンシュラオンはたしかに剣の素人だが、もっとサナにいろいろと教えることもできたはずだ。

 当人がそう言っていても、剣士因子10のパミエルキとも戦っていた男である。

 剣の達人であるガンプドルフの攻撃も事前に予測できるほど、剣士相手に十分に戦うことができる。

 その彼ならば、もっとサナに的確なアドバイスくらいできただろう。

 では、なぜサナに無理に剣を教えなかったのだろうか。


 変な癖をつけたくないから?

 彼女の自主性を養いたいから?

 剣技をあまり知らないから?


 どれも正しく、どれも不正解だ。



 トトトトトッ


 サナがふらつきながら日本刀を引きずり、大振りしようとした瞬間である。





―――「違う!! そうじゃないっ!!!!!」





「―――っ!!?!」


 ピタッ

 突然の声に驚き、サナが刀を止める。

 そして背後に飛び退き、周囲の様子をうかがう。


「…??」


 サナが一瞬だけアンシュラオンに視線を向ける。

 だが、彼は何も言っていない。そもそも声が違う。

 では、誰なのだろうか。ニットローの声でもないし、レフェリーの声でもない。

 ましてや観客の声が、こんな間近で聴こえるわけもない。


「………」


 不審に思いながらも、サナは再び剣を持って突っ込む。


 そしてまた振ろうとするが―――





―――「止まりなさい。そのままいけば反撃を受けますよ」





「―――っ?!?」


 今度も声が聴こえた。

 しかし、声が違う。最初のものは男性だったが、今回は女性の声だ。

 周囲を見回すが、地下では女性そのものの数が少ない。観客の中にもごくごく少数しかいないし、ここまで声が届くとも考えられない。


「…?」


 サナは頭に「?」を浮かべながら、ただ剣を持って棒立ちになっている。

 この声は、いったいどこからやってくるのか。

 それがわからずに困惑しているのだ。




403話 「刀の意思 後編」


「…?」


 サナは周囲をきょろきょろと見回す。

 この謎の声がどこから来るのかを捜しているのだ。


(…どうした? なぜ来ない? 返されることがわかるからか?)


 ニットローは、そんなサナの様子を怪訝そうに見つめていた。

 玉砕覚悟で向かってくるように見えたのに、なぜか途中で止めた。

 一度ならばともかく、それが二度続けばおかしいと思うだろう。


 ここで、あの声がニットローには聴こえていないことが判明する。


 あれはサナだけに聴こえている声なのだ。


(…どのみち勝敗は決まっている。ゆっくりと時間をかければいいさ)


 ニットローは、スポーツマン&イケメンらしい考えで、ゆっくりと待つ。

 今までの戦いを見る限り、目の前の少女に打開策はない。どうやっても自分の防御を崩すことはできないとわかるからだ。

 そう思った彼を責めることはできない。これまでの流れを見ていれば誰だって賛同するだろう。


 しかしながら、この段階でニットローは最大のミスを犯していた。


 戦いに温情は必要ない。武人たるもの、勝負を決めるときは一気に終わらせねばならない。

 なぜならば、武人は【成長し続ける存在】だからだ。

 その身体に宿る可能性は無限大。人間の進化は無限大。

 それを体現する者こそ、武人という存在なのだから。





―――「右手はしっかりと持って。左手は軽く添えて」




 少年の声が聴こえる。




―――「腕で振るんじゃない。腰で振れ、腰でな!!」




 オッサンの声が聴こえる。




―――「感じなさい。刃の感触を。あなたが命を託す大切な仲間の心を」




 穏やかな青年の声が聴こえる。





「…きょろきょろ」





―――「外ではありません。中を見るのです。あなたの中に私たちはいます」





 優しい女性の声が聴こえる。





「…じー」


 サナは刀を見る。

 どうやら非常に近い場所から聴こえてくるようだ。そこで思わず手元を見たのだ。

 ならばこの声は武器から出ているのだろうか?

 否。

 声は【内側から反響】しており、けっして外から出ているものではないのだ。

 ただし、筋肉や脳といった臓器から出ているものでもない。



 ドクンッ



「―――っ!!」


 心臓が跳ね上がる音が聴こえる。


 ドクンドクンッ ドクンドクンッ!

 ドクンドクンッ ドクンドクンッ!

 ドクンドクンッ ドクンドクンッ!


 血が脈打つ。ボコボコと血管内で暴れるように自らの意思で蠢く。

 身体が熱い。焼けるようだ。頬が紅潮し、浅黒い肌も赤みを帯びていく。

 40度、50度、60度、70度と、どんどん血液の温度が上昇していき、ついに100度を超える。

 身体の中に熱湯が巡っているような感覚だ。灼熱の中にいるような気分である。

 それはとどまることなく、さらに上がっていく。


 ジュオオオッ


 流れる汗がその場で蒸発するほどの熱量が、サナの中で発生。


「…ふーー! ふーー!!」


 熱い、熱い、身体が熱い。

 熱い暑い厚い

 熱い暑い厚い熱い暑い厚い

 熱い暑い厚い熱い暑い厚い
 熱い暑い厚い熱い暑い厚い

 熱い暑い厚い熱い暑い厚い
 熱い暑い厚い熱い暑い厚い
 熱い暑い厚い熱い暑い厚い

 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い 熱い暑い厚い熱い暑い厚い



 あついぃいいいいいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!



 熱くてたまらない!!!

 熱いといったら熱い!! 熱いのだから熱い!!! 熱いものは熱い!!!


 ガコンッ ブンッ ゴンッ


 突如、サナが着ている鎧を脱ぎ始めた。脱ぐときに邪魔なので仮面も投げ捨てる。

 観衆の目などおかまいなしにどんどん脱ぎ捨て、仕舞いにはアンダーだけの姿になった。

 顔は下に布を巻いていたので完全に見えていないが、こんな布切れ一枚では、ほぼ防御力がない状態である。


 ぐいっ ビリビリビリッ


 それすら暑いといわんばかりに引っ張って破き、ほとんど半裸のような状態になってしまった。

 観客もいきなり幼女がストリップを始めたので、呆気に取られて言葉が出ない状態だ。

 もしここで「ヒュー、もっとやれー」とかいうロリコンがいたら、アンシュラオンに殺されていただろうから、そんな犠牲者が出なかったことは実に幸運であろう。

 まあ、ロリコンが一人減るので世界平和には一歩近づくかもしれないが。



「な、なにが…!! 何をしているんだ!?」


 そして、その様子に一番驚いたのがニットローである。

 ただ見ている人間より、実際にリングの上で対戦している人間のほうが驚くものだろう。


「ふ、服を着なさい!! はしたないよ!」


 幼い少女とはいえ女性なので、律儀にも目を背ける。

 なかなか紳士というか、あまり女性慣れしていないのだろう。

 実にキモい男だ。「男たるもの、女の裸くらいで動じてなんとするか!」と説教したいくらいだ。

 しかし、そのせいでサナに起こった異変にまだ気付いていない。

 今、目の前では非常に重要なことが起きているのだが、彼はまだそれを知らない。



「…はーー、はーーー!!」


 トトッ トットトトトトッ!!

 そんなニットローのことなどお構いなしに、サナが駆ける。

 日本刀を両手でしっかりと握り、正面から向かってきた。


(くっ、半裸になって撹乱する戦法か? だが、そんなお色気作戦など通じないぞ! 私は子供に興味など…興味などは……!)


 と言いつつも戦いなので、サナを見るしかない。

 赤黒い肌をした美しい少女が向かってくる。


(興味などは…ないが……美しい)


 顔は半分隠れているが、少し見えただけで相当な美少女だとわかる。

 これだけ美しければ、将来は怖ろしいまでの美女になるだろう。だからこそ困惑する。


(防具なしで怪我なく終わらせることができるか? いや、できる! しなければならない! 私ならばできるはずだ! まずは攻撃を盾で捌き、無防備になったところを剣の腹で叩いて気絶させればいい!)


 結局のところ、やることは同じだ。

 いつもの通りに盾でいなし、剣で倒す。突きを打撃に変えればいいだけだ。

 混乱する頭を整理して自分のやることを明確にする。それもまた武人の資質である。



 サナが間合いに入り、刀を振るう。


 ブーーーンッ


「そんな攻撃など、通じは―――」


 ニットローは余裕をもって待ち構える。

 サナの太刀筋はすでに見ている。

 難なく捌けると思って前がかりになった時―――




―――ギュンッ!!




 刀が―――伸びる。


 まるで加速したように伸びてきた刀身が、前と同じ感覚で盾を構えていたニットローを襲う。


 ズガンンッ!!!


「ぐっ!!」


 ニットローは、かろうじて盾で防ぐ。

 だが、最初のように受け流すことはできなかった。

 衝撃で思わず数歩よろけ、後ろに下がる。


(なんだ今の斬撃は…!! お、重い!!)


 明らかに衝突音が違った。

 受け流すことができなかった最大の要因は、攻撃が重かったからだ。

 今までのものは子供が手で振り回しただけの軽い一撃だったが、今回のものは日本刀の重さが十分に乗った鋭い一撃だった。

 しかもただ当てるのではなく、引き斬る力が加わったことで、より斬撃の威力も上がっていたのだ。


(何が起こった? コツでも掴んだのか!? この短期間で!!? と、ともかく防御だ! これを受けてはまずい!)


 この斬撃のレベルならば、直撃を受ければニットローでも無事では済まない。

 状況を確認するために、さらに防御の姿勢を強めて警戒する。



 で、肝心のサナである。


 一度下がった彼女は、不思議そうに刀を見つめていた。

 特別なことはしていない。最初と同じように思うままに刀を振っただけだ。

 ただ、【感覚】がまるで違う。

 刀が自分の身体の一部になったように動く。より正確に言えば、どうすれば刀が効率よく扱えるのかが、なんとなくわかる。

 これらの異変が起こったのは、すべて声が聴こえてからだ。

 その声は依然として身体の中から反響して伝わってくる。

 

―――「まだ無駄な力が入りすぎておるぞい。刀の重心を上手く利用するのじゃ」


―――「刀の声を聴きなさい。剣士にとって武器はただの道具ではありません。腕の延長であり、自分自身であり、魂そのものなのです」


―――「わかるだろう? 身体の内側から出る力が。そう、俺たちは君の中にいる。君の【血の中】にいるんだ」


 ドクンッ ドクンッ
 ドクンッ ドクンッ
 ドクンッ ドクンッ


 身体の中、血の中―――【因子】の中。

 サナの身体の中から声が響いていた。あらゆる人種、あらゆる容姿、あらゆる声、老若男女問わず、数多くの者たちの意思が感じられる。


「…こくり」


 サナは、頷く。

 良識があればあるほど、この謎の現象に困惑して深みにはまってしまうものだが、子供かつ聡明な彼女はすべてをそのまま受け入れる。

 かつての偉大なる剣士たちの声に耳を傾ける。

 初めて会う存在だが、どこか懐かしい。ずっと昔から知っているような気分だ。




―――「さあ、走りなさい。駆けなさい。あなたの中にある私たちの知識と経験を使いなさい」




 トトトッ ザッザッザッザッ!!


 サナの走り方が少しずつ変化していく。

 ただ無造作に走るのではなく、より刀を振りやすいように構えながら走る。

 頭で考えるのではない。身体で感じるのだ。このほうがいいと。こうしたほうがいいのだと。

 そして、がっしりと盾を構えているニットローに斬撃を繰り出す。

 ズバンンッ!!

 大気を切り裂く音が聴こえるほどの鋭い斬撃が繰り出される。


「くっ! また!!」


 ニットローは盾でガードするが、受け流すことはできない。防御するだけで精一杯だ。

 逆に言えば、この鋭い斬撃を防御できるだけでたいしたものだ。それだけで見事といえる。


 ズバンンッ!! ガキン!

 ズバンンッ!! ガキン!

 ズバンンッ!! ガキン!


(駄目だ! 受け流すことは無理だ! 今までの彼女ではない! この数十秒で何かが彼女に起こったのだ!! いいだろう、それは認めよう! 世の中には理解できないこともある! それを受け入れてこその人生だ! だが、私とて伊達にここまで勝ち上がってきたのではないよ!)


 今までは受け流して反撃する形にこだわっていた。だからこそ不意の成長に対応できないでいる。

 しかし、それだけが彼の武器ではない。

 ニットローは盾を腕で固定しつつ、ロングソードを両手で握る。

 迎撃仕様から『攻撃仕様』に変更したのだ。

 剣と盾の組み合わせは、従来はバランス型であり、攻防の重きを自由に調整できるのが強みだ。

 自分が迎撃が好きだから多用しているが、それだけで勝ち上がれるほど甘い世界ではない。


(受けていてはやられる! 半分はダメージ覚悟で防ぎながら、こちらも全力で攻撃する!!)


 ズバンンッ!! ガキン!


 ニットローが盾でサナの斬撃を受ける。

 それと同時に前に踏み出し、半ば盾を放り投げる形で攻撃に移る。


「これならば、どう―――」


 攻撃のために相手の姿をしっかりと確認しようと視線を向ける。

 そこにいるはずの少女を見ようとする。


 だが―――いない。


 攻撃の態勢に入ったときには、サナの姿は消えていた。


「っ!!!」


 次の瞬間、足元に気配を感じて咄嗟にロングソードを引く。

 そこに下段からの斬撃が襲う。

 ガキィイイインッ!!


「ぐううううう!!!」


 鋭い一撃に腕が痺れる。

 どうやら自分が踏み込んだ時には、すでに彼女は死角に移動していたようだ。

 防御から攻撃に移る際に発生する一瞬の隙にかち合ってしまったことも重なり、防ぐだけで精一杯であった。


(しまった! たまたま挙動が合ってしまったか! だが、もう一度―――)


 ズバンンッ!! ガキン!


 再び斬撃を防御して、また攻撃に移ろうとするが―――


 ガキィイイインッ!!

 ガキィイイインッ!!

 ガキィイイインッ!!


 少女は攻撃の直後、その場にとどまることはなかった。

 斬った瞬間に、いや、斬ると同時に移動を開始している。斬りながら移動している。


 サナが上段で斬りかかる。

 ガキィイイインッ!!

 かろうじて防ぐ。だが、直後には右に走っており、横薙ぎの一閃。

 ガキィイイインッ!!

 慌てて盾を引いてガード。

 なんとか立て直して反撃したいと思うが、気付くとサナが足元にいた。

 そこからの斬り上げが迫る。

 ガシュッ!!

 剣でのガードが間に合わず、剣先が兜の鼻先を掠めた。

 ブシャッ ボタボタッ

 兜の中から血が流れる。兜の防御力を剣気が上回って切り裂いたのだ。


 ザザッ ガキィイイインッ!!


 移動しながら斬る。


 ザザッ ガキィイイインッ!!

 ザザッ バシュウッ

 ザザッ ガシュンッ!!


 サナの動きがさらに滑らかになるにつれて、防御が追いつかなくなってきた。鎧の所々に傷が入っていく。

 彼女からすれば重いはずの日本刀を持ちながら移動し、鋭い斬撃を放ってくる。

 それが途切れなく続くので思考が間に合わないのだ。

 これにはいつも冷静なニットローも、思わずパニックに陥る。


(な、なんだ! 何が起こっている!! 剣筋が…変わっている!? これはまるで…熟練者の動きだ!! 刀を熟知している者の戦いだ!! 馬鹿な! この試合中でサムライソードの使い方を覚えたというのか!! 剣の修行はそんな簡単ではない!! ありえない! 私が剣と盾のコンビネーションを覚えるまで七年はかかったのに!!)


 ニットローとて、すぐに盾の使い方を身につけたわけではない。

 マタゾーが毎日欠かさず鍛練を行ったように、長い時間を費やして身体に覚えさせたものだ。

 努力だ! 汗と涙の結晶だ!! たった数十秒で覚えたものではない!!

 だからありえない! 少女の急成長がまったく理解できない!!





―――「そうです。それが【刀の意思】ですよ。あなたにはもうわかってきたようですね。【彼】がどうやれば力を発揮できるのかを理解し始めている」




 サナの脳裏に、ひときわ強く大きな声が響く。

 けっして大声で叫んでいるわけではないのに、はっきりと聴こえるのだ。

 そのわりにとても優しく穏やかで、深みがあって慈悲深い。


「…じー」


 サナがじっと宙を見つめると、うっすらと姿が浮かび上がる。


 白と赤の着物を来た女性―――否、黒髪の美少年の姿が見えた。


 ただ、身体から発せられる輝きが強すぎて完全に見ることはできない。



―――「あなたがた【子供たち】の中には、いつも私たちがいます。その中に宿った因子は、母から与えられた無限の可能性です。そして、剣の因子は私の血肉を与えて生まれたもの。さあ、剣の愛に浸りなさい。剣を愛し、人を愛するのです」



 ドクンドクンッ ドクンッ!

 ドクンドクンッ ドクンッ!

 ドクンドクンッ ドクンッ!


 サナの剣の因子が燃え上がる。

 【偉大なる者たち】から与えられた可能性が輝きだす。




404話 「偉大因子共鳴」


 サナの動きが明らかに変わった。その姿は、まるで熟練の剣士である。

 それによってニットローは苦戦を強いられる。

 素人目にも戦況の変化がよくわかるので、観客もざわつき始めた。



「す、すげぇ! いきなり動きが良くなったぞ!」

「ニットローが対応できていないじゃねえか!! どうなってんだ!」

「おお…あの動き、まさにサムライの動きじゃ。わしが昔見た剣士に似ておる…」

「今まで実力を隠していたってのか?」

「そんなことはねえだろう。それならあえてダメージを負う必要はないさ。この試合中で成長したんじゃねえのか?」

「この短い間でか!? そんなことができるのかよ! あの子、天才じゃねえか!!!」

「うおおお! 黒姫ちゃーんっ! チャンスだ!! そのままいけーーー!」

「やべえぞ、ニットロー! こんなところで負けるなよ!! お前にいくら賭けたと思ってんだよ!!! 負けたら、かあちゃんにぶん殴られるぅううう! 頼む! 負けるなぁあああ! うちの家庭の平和がかかってんだ! 絶対に勝てよ!!」



 こうして会場は大盛り上がりだ。

 これまた運営側にとっては正反対のシナリオであろうが、結果的に大盛況ならば問題はないだろう。

 だが、誰もが今起こっていることを正しく認識していない。


 この会場にいる【四人以外】は。



 まず最初に気付いたのは、アンシュラオンである。


(サナの動きが劇的に良くなった。もちろん『天才』であり『早熟』だから、試合で急成長することはあるだろう。しかし、これは異常だ。もともとの潜在能力が覚醒しても、これだけ一気に強くなることは難しい。であれば、あの様子から推測するに【グランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉】が起こったのだろうな)


 【グランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉】


 因子が覚醒することによって稀に起きる共鳴現象の一つである。

 因子には不安定なところが多いので、共鳴現象はそれなりの頻度で起こるが、その中でも特に影響が著しいものをこう呼ぶ。

 今、サナが聴いている声は実際に生きている人間のものではなく、因子の中に眠っている【記憶】なのだ。

 だから他人には聴こえないし、理解もできない。彼女だけに起こった特殊な現象である。

 剣の扱い方がいきなり上手くなったので、おそらくは剣士の因子が共鳴しているものと思われる。

 因子の中に格納されている、今まで地上で剣技を磨いてきた達人たちの記憶や経験が、一時的に彼女に付与、還元されているのだ。


 刀の使い方を知らなければ、元サムライだった者から教えてもらえばいい。


 専門知識は専門家から訊くのが一番だが、わざわざ師を探す必要はない。

 武人の因子にはすべての情報が眠っているので、そこから引き出せばいいのだ。

 人間の霊にすべての神性が胚芽の状態で眠っているのと同様に、あらゆる剣技の記憶が因子の中にはある。

 仕組みとしてはオーバーロード〈血の沸騰〉と同じだ。因子の中にある情報を読み込んでいるのだ。

 しかし、血の沸騰が自分の意思で起こすものに対して、こちらの現象は自分で制御することはできない。

 何かしらの条件が満たされた時、意図せず発生するものと認知されている。

 そもそも隠された因子の情報を強引に読み取る方法は、現在のところ血の沸騰以外では確認されていない。

 この現象は狙って引き出せるようなものではないのだ。


(オレも何度か経験はある。正直、気持ち悪い感覚ではあったな。自分の中に誰かが入るなんて気色悪くて仕方がない。だからすぐに【回線を切って】しまったが…放っておくと、こういうことになるんだな。師匠から聞いてはいたが、なかなかすごいものだ)


 アンシュラオンも戦士因子が覚醒した直後などに何度か体験したことがあるが、ムキムキのオッサンの幻影が見えたので即座に切ってしまったものだ。

 正直、トラウマである。二度と体験したくない。

 これもアンシュラオンが一度死んで、霊界での修練を終えたからこそできる芸当である。

 人間の霊が不滅であること、因子に情報が共有されていることを知っていれば、なんら不思議な現象ではない。

 しかしながら、普通の人間にとっては『神秘現象』に匹敵するものだ。


 その証拠に、アンシュラオンが視線を会場の隅に向けると―――



「偉大なる者よ…どうか、ご加護を。少しでも剣の真髄にたどり着けますように」


 ジュンユウが跪《ひざまず》き、静かに深々と頭を垂れていた。

 もちろんサナに対して頭を下げているのではない。


 その中に顕現した「偉大なる者の因子」に畏敬の念を感じているのだ。


 彼もまた修練中に何度かこの経験をしているので、サナに起こった異変に気付いたのだろう。

 ただ、完全にアンシュラオンと態度が違う。まるで神の奇跡を目の当たりにした信者のような恍惚とした目をしている。

 祈りを捧げるくらいだ。剣に命をかける剣士にとって因子の共鳴は、神に愛されたと同義なのだろう。

 ある意味において、それは正しい表現だ。


 なぜかといえば、サナが見た美少年の幻影は―――【初代剣聖】の残滓。


 『偉大なる者』と呼ばれる女神と同格の存在であり、地球でいえば男神に当たる。

 この世界では女神信仰に見られるように「女性崇拝」が多数派のため、女神よりは知名度は低いが、地上に近い低位の階層で働いているため、より地上の人間に親しみのある存在といえるだろう。

 また、初代剣聖が受肉して地上に降りた際、現ダマスカスで剣技を教えたのがきっかけとなり、サムライソードが一気に普及した経緯もある。

 剣を志す者にとっては、女神よりも崇拝の対象になるであろう偉大なる父だ。ジュンユウが信仰することに違和感はない。



(実際に女神に会った身からすれば、そこまで仰々しいものではないんだが…まあ、昔の偉人を必要以上に敬うことは珍しくはない。会ったことがないからこそ、そう思うのだろうな)


 とアンシュラオンは思うのだが、これはこの男が自分本位な人間だからである。

 普通ならば女神や父たちに出会えば、そのあまりの愛の前にひれ伏してしまうものだ。

 こんなに素晴らしい存在が本当にいるのかと、多くの人間は感動して、むせび泣くだろう。

 それができないのは心が病んでいるからである。



 と、アンシュラオンの心が折れ曲がっているのはいつものことなので、それよりはサナである。


 因子が共鳴したことで、一時的に剣の技術が向上。

 猛攻を仕掛けてニットローを追い込んでいく。


 ガシュンンッ!!


 迫りくるサナの一撃をニットローが盾で防ぐ。


(太刀筋は凄まじい! だが、腕力そのものが強化されたわけではない! 耐えられるはずだ!)


 何度も攻撃を受けたことで、ようやく状況を認識できるようになった。

 少女の動きは良くなったが、けっして身体能力自体が劇的に向上したわけではないのだ。

 血の沸騰は身体能力を十倍に引き上げるので、結果的に身体に致命的な負荷をかける。だから死に至る。

 しかしながらグランド・リズリーンは、知識や経験を一時的に借り受けることはできるが、ただそれだけにすぎない。

 あくまで刀の感覚を自然と掴むことができるだけだ。扱い方が上手くなるだけだ。

 たとえるならば、自由自在にペンを動かせるようになっても、どんな絵が描けるかは当人の力量次第なのと同じだ。

 その人間が描くものは、当人が決めるのだ。

 刀を使って何がしたいのか、どう戦いたいのかは自分で決めねばならない。それこそが意思なのだ。



 そして、サナが選んだ戦い方は―――



 ガシュンンッ!! シュンッ!


 斬ると同時に駆け抜ける。


 ガシュンンッ!! シュンッ!


 そのまま動きを止めずに、流れるままに斬りかかる。


 ガシュンンッ!! シュンッ!
 ガシュンンッ!! シュンッ!
 ガシュンンッ!! シュンッ!
 ガシュンンッ!! シュンッ!


 右に左に、上に下に、サナはけっして足を止めることはなかった。

 防御のことなど考えずに怒涛の攻撃を仕掛ける。


 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!
 ガシュンンッ!!


 止まらない。止まらない。止まらない。

 ブレーキが壊れたクルマのようにアクセルを踏み続け、加速し続ける。


(ぐううう!! この勢いは…! 手が出せない!!)


 たかが少女の腕力とはいえ、全力で日本刀で斬りかかるのだ。その圧力は相当なものである。

 ここでロングロードを出しても、きっと弾き返されるだろう。これが片手剣と両手で扱う武具の最大の違いだ。


 武具の攻撃力そのものが違うので、そうやって亀のようにじっとしているだけでは―――


 ザシュンッ ガキィイイイインッ!!



―――ピシッ



 その猛撃に、ついに盾が悲鳴を上げた。大きな亀裂が入る。

 盾が丈夫でも物質である以上、受け続けていれば限界が来て破損するのは仕方がない。

 ついにサナの攻撃がニットローの防御を打ち破ったのだ。


(駄目だ! このままではやられる!!)


 ニットローが後ろに下がった。

 盾が破損してダメージを負うことを本能的に怖れたのだ。


 この瞬間、ニットローは完全に主導権を失った。


 カイトシールドは、大盾のように防御だけに特化したものではない。前に出て受け流してこそ真価を発揮する。

 そうした自分の戦い方を貫くことで常時主導権を握っていた彼が、今ここで完全にサナに明け渡す形になってしまったのだ。

 人間は何か不測の事態が起こると、ただひたすらに身を守ろうとしてしまう。

 防衛本能があるので仕方がないことであるが、そこで思考力が停止してしまうことが一番怖ろしい。


 ぶわっ


 ニットローは無意識のうちに盾で上半身を庇った。一番攻撃されたくないところを守ったのだ。

 だがそれによって、がっしりと床に押し付けられていた盾の下に空間が生まれた。


 サナはその一瞬の隙を見逃さない。


 身を深く沈め、刀を上ずった盾の下に潜らせた。


 ズバアアアアッ! ブシャッ!!


 足を―――切り裂く。


 刀がすね当てを切り裂き、そのまま足を抉った。防具を破壊し、骨を斬り砕く。


「ぐっ!! しまった! なんと迂闊な!!」


 防御を主体としてきたニットローには、自分の行動があまりに軽率に見えたのだろう。

 なぜ、盾を上げてしまったのか。隙を作ってしまったのか。

 しばらく無敗だったからこそ、そうした後悔の念が生じる。完璧を求めてしまったがゆえに動揺も大きい。

 だが、今は試合中だ。戦闘中だ。実戦中だ。

 油断していい場所ではない。


(また続けて攻撃がくる! 盾を構えろ! 相手の動きをよく見るんだ!)


 少女はまた体重移動をしながら、流れるように攻撃を続けるだろう。

 それを予測して盾を引き戻すが―――



 視線の先には―――刀だけがあった。



(…?)


 なぜか刀だけが宙に浮いている。

 こちらに攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、普通に浮いている。持ち主がいないのだから当然だ。

 その状況に再び思考が停止する。


「ど、どこに…」


 かろうじてそれだけを呟いたが、時すでに遅し。


「…しゅっ」


 刀を宙に放り投げて視線を誘導したサナが、彼の死角に潜り込んでいた。

 そこから怪我を負ったニットローの足を―――

 バキャァッ! ボキンッ

 完全にへし折る。

 すでに刀で大きな裂傷を与えていたので、蹴りを入れるだけで簡単に折ることができた。


 そして跳躍して、宙に浮かんだ刀を取り、そのまま―――渾身の斬撃。



(盾は…駄目だ! これでは防げない! 剣は…ああ、駄目だ……間に合わ…ない)


 足が折れた体勢では力が上手く入らない。

 中途半端に盾を構える暇もなく、かといって片手剣ではこの斬撃を防ぐことができない。

 結果を見るまでもなく剣士ならばわかるのだ。


 これは―――防げない



 ズバァアアアッッ!!



 刀がニットローを袈裟がけに斬り裂く。

 鎧を破砕し、刀は中にまで侵入。肉を切り、骨を断ち切る。


「…ふーーー!!!」


 サナは最後まで刀の使い方を間違えなかった。

 叩きつけたあとに懸命に引っ張り、声に教えられたように「引き斬り通した」。


 ブシャアアアアアアッ! ゴボボッ


 刀は綺麗に通り抜け、刃に付いた血が遠心力で円月状に宙に舞い散り、美しい紋様を生み出す。

 ああ、刀とはなんと美しいものだろう。なんと幻想的なものだろう。誰もがそう思ったに違いない。

 だが、斬られたほうはたまったものではないだろう。


 ふらふらっ ガタンッ


 ニットローが力なく床に倒れた。

 その身体からは大量の血が噴き出し、リングを赤に染める。

 まさに渾身の一撃。勝負を決める一撃であった。


「…ふー、ふーーー! はー、はー!」


 ゴトンッ ガラガラ

 サナが脱力したように刀を手放す。

 斬ったことにショックを受けたのではなく、単純に肉体の限界だったのだろう。

 指がふるふると震えている。もはや柄を握ることすらつらいのだ。



「担架! 担架だ!!」


 それを見たレフェリーがリングの上に入ってきた。

 ニットローはぴくりとも動いていない。明らかに危険な状態だ。


「勝利者コールはどうした?」


 そんなレフェリーにアンシュラオンが声をかける。


「それどころじゃない!! 早く運ばねば危ないぞ!!」

「コールが先だ」

「なっ…! 命を助けるほうが先だろう!」

「武人同士の戦いだ。覚悟くらいはできているだろう。それより、さっさとコールをしろ。そのほうがそいつのためだ。そうしないと…本当に死ぬぞ」

「…ふーふー、ふらふら…」


 ふらつきながらも、サナが倒れて意識不明のニットローに近寄っていく。

 武器は持っていないが、まだ拳を握ろうとしている。

 彼女は知っている。勝負は終わっていないと。相手が死ぬまで終わらないと。


「馬鹿な…! まだやるのか! 終わりだ!」

「だからコールをしろと言っているんだ。勝負が決まるまであの子は戦いをやめないぞ。それが本当の武人だからな。これは『試合』だろう? ならば、お前の声で終わらせることができるはずだ」

「………」


 サナの勝利は明白である。誰が見てもニットローに勝ち目は残っていない。

 しかし、そこで油断してしまうと痛い目に遭うのは、目の前のニットロー自身が証明してくれた。

 だからサナは戦いをやめない。コールがないのならば、相手が死ぬまで油断はしない。そう教えられているからだ。


 審判は壮絶なサナの様子に恐れおののきながらも、自分の仕事を果たす。





「勝者、黒姫ぇえええええええええええ!!」





 このコールによってサナの勝利が確定した。





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