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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第六章 「収監砦」 編


375話 ー 384話




375話 「謎の小部屋とロボット 後編」


 アンシュラオンとサナは、部屋に出現した六体のロボットに襲われる。

 こればかりはさすがのアンシュラオンも予測は不可能だったため、まだ若干の困惑の感情のさなかにあった。


(ただラングラスのエリアに入ろうとしただけなのに、どうしてこうなったんだ? 地下では当たり前…なわけがないよな。こんな戦闘兵器があったら、地下にいる程度の武人じゃ相手にならないぞ)


 少なくとも今のレーザー攻撃は、通常の銃弾の威力を遙かに超越している。

 仮に重装甲アーマーを来た衛士が十人並んでいても、やすやすと貫通するレベルにある。プライリーラの武装商船でも船体に穴があくだろう。

 そんな一撃が普通の武人に耐えられるわけがない。レイオンでも簡単に死ぬはずだ。


 世の中にはもっと強い者も大勢いるので、これ自体の存在はいいとしても、問題はそれが地下に普通にあることだ。


 そのうえ最深部ではなく、まだ入ったばかりのところにである。

 エリアへの移動は生活上必須なので、誰もがここを通るはずだ。こんな危険なものと毎日出会っていたら命がいくつあっても足りない。

 しかし、アンシュラオンがいくら考えても答えが出るわけもないし、相手が待ってくれるわけでもない。
 

 キュイインッ ビーーーー!


 再びレーザーがカブトムシ(ロボットの仮称)から放射される。

 今度は相手の武装がわかっていたので、アンシュラオンは軽々と回避する。

 速いが直線の動きであり、射線を読めばかわすのは難しくはない。ギリギリまで見極めて観察する余裕まであった。


(エネルギーを集中させて細く鋭くしている。それで戦気の網目を潜り抜けたんだな)


 水泥壁を貫いたのは、単純に水系の最大の弱点を突かれたからだ。

 水は全体を包み込む能力には長けているが、分子自体はスカスカに等しい。

 水に砂糖や塩を溶かして交じり合うのは、その隙間に入り込むからである。実際は合体したようでも別々に存在している。

 このレベルの圧力と鋭さになると、普通に戦気を出すだけでも防ぐことは難しいだろう。戦気もすべてが完璧に埋められているわけではないのだ。

 だが、その性質がわかれば対処はたやすい。


 ビーーー ブシュウッ


 次に飛んできたレーザーを強化した戦気で堰き止める。

 通常展開で駄目ならば、今度は攻撃された箇所に戦気を集中させて圧縮すればいいだけだ。

 アンシュラオンクラスの武人に同じ技はなかなか通じない。最初の一撃が最大のチャンスであった。


(こんなものか。たしかに初見では驚いたが、相手の能力がわかれば問題ないな。あの尖った頭は射線が読みやすいし、よけられなくても戦気の密度を上げて防御すればいい。しかし、このままではつまらんな。どうせなら何か試したいが…ふむ、そうだ。一度あれを試してみるか。これだけの威力の攻撃に出会うことも少ない。試してみるいい機会だろう)


 キュイインッ ビーーーー!


 アンシュラオンに向かって三体がレーザーを同時発射。


 それに合わせるようにアンシュラオンが掌を向け、正面に水気を放出。


 その放出速度はいつもとは比べ物にならないほど速い。

 一瞬にして千リットル以上の水気がそこに生まれたのだ。やる気になれば、もっと多く出すこともできるだろう。

 とても簡単そうにやっているが、戦気術で解説すると凄さがわかる。


 戦気を『練気』し、『展開』し、『集中』させて『放出』し、『変化』させ、『維持』している。


 サナの鍛練でもやったすべての要素を全部使っているし、戦気を水気に変化させる技まで使っているのだ。

 また、これだけ大量の水気を出しているのに、水流にまったく乱れがない。

 この水の上で仏陀が悟りを開けそうなくらい、あるいはイエスが歩けそうなくらい、とてもとても静かな水面が広がっている。

 これがアンシュラオンの本気である。凄まじい戦気術の練度と精度だ。


 しかもこれで終わらない。



 刹那の時間もかからず―――『結晶化』する。



 即座に命気に昇華された水気が『命気結晶』となり、アンシュラオンの前に盾として立ち塞がったのだ。


 チュンッ チュンッ チュンッ


 スズメが鳴くような音がしたと同時に―――『命気盾』がレーザーを反射。


 バシュンッ バジュウウウッ


 反射したレーザーは、当たった壁の一部を蒸発させて消えていった。

 その結果にアンシュラオンが驚く。


「意外と強固…というより反射できるんだな。単純に密度の高いものを作るためにやったことだが、思ったより使えそうじゃないか。光線だから『光属性』なのか?」


 命気を結晶化させたのは、単にそれが一番密度が高くて安全だったからだ。

 しかし、まさかの副産物である『光反射』の効果があるとは思わなかった。

 どうやらレーザーは『光属性』らしく、それを反射する能力が命気盾にはあるらしい。


「どうした? レーザーが効かなければ、ただのでくの坊か?」


 命気盾を展開させたアンシュラオンに対して、カブトムシは射撃を行わない。

 この盾の前には無力だと気付いたのだろう。なかなか学習能力の高い人工知能である。


(レーザー自体は珍しくはない。魔獣なら使うやつも大勢いる。この程度ならば楽勝だな)


 レーザーに関しては、撃滅級魔獣の黄金鷹翼〈常明せし金色の鷹翼〉も使っていたので珍しいものではない。

 厄介ではあるが、こうして対策さえ練ってしまえば問題はないのだ。

 最初の不意打ちでアンシュラオンが受けた傷も、ちょっとした火傷程度で収まっているし、すでに自然治癒で回復しているくらいだ。

 直撃したとしてもアンシュラオンの肉体を破壊する力はないらしい。

 といっても、この男の身体が丈夫すぎるだけなので相手からすれば想定外であろう。


(こいつらの戦闘力よりも目的が気になる。明らかにオレを狙っているようだ。警戒はしていたが…サナには向かっていかないしな)


 アンシュラオンには対処可能でも、サナにとってはまだ強敵の部類だ。

 仮にレーザーが向かっても命気足があるので大丈夫だろうが、念には念を入れて守ったほうがいいだろう。

 そう思って自らを盾にしていたのだが、相手の狙いは間違いなく自分のようだ。

 狙いも頭だったし、サナに向けて撃ったのならば高すぎる。


(やつらの目的…か。そういえば『マジン因子』と言ってたかな? それに反応したようだが……ん? マジン…マジン……魔人? 魔人っていえば『災厄の魔人』だな。姉ちゃんを思い出すよ。サナのデータを見る限り、オレも同類にされているようだが…もしやこれは人違いじゃないのか?)


 サナを狙っていないことから想像するに、相手の目的は「マジン因子」ならぬ「魔人因子」を持つ者の排除のようだ。

 そこでまず思い出すのが『災厄の魔人』という異名を持っている姉である。

 なぜかサナのデータ上では自分も『白き魔人』扱いになっているので、意識はしていないが自分も魔人なのだろう。

 しかし、いきなり攻撃されるほど悪名高くはない。

 ホワイトの悪行の報いとして被害者から襲われるのならばともかく、魔人因子を持っているからという理由で攻撃されるのは不愉快である。

 確実に冤罪だ。



 ところでレーザーが効かなくなったカブトムシだが、彼らも黙って見ているわけがない。


 ガコンッ ギュイインッ


 背中の部分が開いて『丸鋸刃《まるのこ》』が飛び出てくる。

 いわゆる円盤状のノコギリカッターで、ホラー映画で出てきそうなアレである。


 ギュイイイイイイイインッ ガシャン ガシャン!


 前に飛び出たカッターを高速回転させながら突っ込んできた。

 機械兵器と電動カッターの相性はバッチリだが、その無機質な殺意に対して誰もが恐怖するに違いない。アンシュラオンでなければ足が竦むところだろう。

 だが、この男は動きもしない。


 ガギィンンッ ギギギギギリュルルル バチバチッ


 電動カッターが命気盾に衝突。激しい火花を散らす。

 しかしながら、ここで削れているのは彼らのカッターのほうである。

 カッターが何の素材で造られているのかわからないが、ダイヤモンド以上の高い硬度と靭性を誇る命気盾に死角はない。

 見る見る間におうとつが磨り減って平らになっていく。もし刃がダイヤモンドカッターであっても同じ結果になるだろう。


(命気盾は思った以上の強度だ。これは使えるな。作るのが面倒だが今後も有効利用できそうだ。それにしても、このカブトムシも面白い素材ではある。本当は鹵獲《ろかく》して、使えるのならばオレの物にしたいが…さすがに無理だろうな。今はやめておこう。置き場もないし)


 もし機械まで従えられたら楽しそうとは思うが、この状況では差し控えるべきだろう。

 なので殲滅を優先する。



「さっさと潰すか」


 命気盾をサナの前に残しながら、アンシュラオンが跳躍。

 八メートル以上はある天井の壁をつたって、相手の頭上にまで到達。

 そこから戦気弾を発射。

 ドンッ バンッ

 発射された戦気弾がカブトムシの一匹に着弾。


「…ジジジ…ジジジジジ」


 カブトムシの背中が、カッターの根元ごと戦気弾で吹っ飛んだ。

 だが、まだ少しながら形状を残しており、全壊までは至っていない。


(さっきのロボットとは耐久性が段違いだな。あちらは調査用で、こっちが戦闘用と考えるべきか。戦気の効きが悪いのは気のせいじゃない。こいつらの装甲に何かしらの特性があるんだ)


 戦闘用に発したアンシュラオンの戦気弾を受ければ、最初のロボットのように消滅してもおかしくはない。

 だが、激突の瞬間に幾分かダメージが軽減されたように感じた。

 もしかしたら素材あるいは表面に、特殊なコーティングが施されている可能性がある。


(戦気の効果を阻害、または妨害する方法があるようだな。だが、数発当てれば問題はない)


 ドンドンドンッ ボンボンボンッ

 すかさず追撃を撃ち込み、カブトムシの胴体が完全に消滅。

 他の虫に捕食されて頭だけが残った食べカスのようになってしまった。一発は防げても二発以上は無理なようだ。


「今度はこれだ」


 アンシュラオンは包丁を取り出すと、剣気をまとわせる。

 ズオオオッ ブスッ

 そのまま剣硬気で伸ばして、もう一匹を串刺しにした。

 多少の抵抗はあったが、少し硬い岩程度の感触だったので問題なく突き刺さる。


(剣気で1.5倍された戦気には対応できないようだな。この程度ならば、硬い皮膚を持っている魔獣のほうが数倍厄介だ。とはいえサナでは貫けないだろうから、それなりの硬さではあるが…)


 ズバンッ ボンッ

 二匹目を真っ二つにして破壊。


 剣気の次は直接の剣撃を試す番だ。

 アンシュラオンは天井を蹴って降下接近し、三匹目に包丁をぶっ刺す。

 こちらもほとんど抵抗なく入り込んだ。

 ガギギギッ バチンバチンッ

 せっかくなので包丁を動かして『解体』してみる。動かすたびに装甲が裂かれ、火花が散るが気にしない。


(なんだこれは? 思ったよりメカメカしいわけじゃないな。当然ながら素材は肉ではないが、人間の筋肉に似た造りをしている。人工筋肉というやつか? おっ、中に何かあるぞ。これは…ジュエルか?)


 カブトムシの中は思っていたものとは違って、ぎゅっと何か筋組織のようなもので埋め尽くされていた。

 これはMG(魔人機)にも使われる人工筋肉であり、機械ながら優れた柔軟性と瞬発力を生み出せる逸品だ。

 そして、心臓部分にあったのは『赤いジュエル』である。

 ためしに腕を突っ込んで取り出してみる。


 がしっ メキメキッ ぶちんっ


「ガガガガガッ―――プシューーー」


 ジュエルを取り出したカブトムシが、突然動かなくなった。

 どうやらこれがエネルギー源らしい。


「造りは普通の生物と同じだな。それが機械の部品になっただけか。どうせ作るならもっと強くすればいいのにな」


 たいした価値があるようには見えなかったので、ぽいっとアンシュラオンがジュエルを投げ捨てる。

 しかしながらこの機械に詰め込まれている技術は、実はとても貴重なものである。

 現在ではWG《ウルフ・ガーディアン》と呼ばれる特別な組織しか扱えない高度なもので、希少性は相当なものとなるはずだ。

 今の時代に、こんな前文明の機械が手付かずに残る遺跡は珍しい。それだけでも遺跡の価値が数段引き上がる。グラス・ギース自体にも価値が生まれるだろう。

 だが、アンシュラオンにとっては無価値だったにすぎない。単に「うざい機械虫」としか思っていない。


「拳はどうだ?」


 シュッ ボゴンンッ!!


 アンシュラオンの拳が四匹目に激突。あえて衝撃を内部に伝えなかったので、ピンボールのように吹っ飛んで壁に激突。

 その装甲は大きくひしゃげており、人間に踏まれた虫のような状態になっている。

 戦気に対しては防御特性があるらしいが、物理防御は得意ではないことがわかる。


 ギュイイイインッ


 四匹目を殴ったアンシュラオンに、五匹目がカッターで攻撃を仕掛ける。

 今度はあえてくらってみることにした。


 ガギンッ ババババババババババッ


 アンシュラオンの肩にぶつかった丸鋸刃が火花を散らす。

 しかし、戦気を強化しているアンシュラオンには通じない。むしろ戦気に負けて刃が焼き消えていく。


「やはり機械か。戦気による強化がなければ、普通の武器ではこんなものだな。いいか、ガラクタ。戦気ってのは人間の可能性なんだよ。それがこんな機械の刃で―――潰せるものか!!!」


 ゴスンッ!!


 アンシュラオンの拳が、真っ直ぐにカブトムシの腹にぶち当たる。

 それは四匹目を殴った時のように派手ではなかったが―――


 ドガシャッーーーー!!


 直後、衝撃が相手の体内で炸裂し、人工筋肉やジュエルをぶちまけながら爆散した。

 これが力を内部に伝える【本物のパンチ】だ。

 派手な音はしないが確実に相手を滅殺するための殺人拳である。

 まあ、相手は機械なのだが、伝わったエネルギーは必ずどこかに向かわねばならない法則なので、こうして同じ結果になるわけだ。


「サナ、これが本物の…」


 と、アンシュラオンがサナに本当の拳を見せていたとき、六匹目がサナのほうに向いた。


「ピピピッ? ガガガガッ…ピピピッ」


 何やら六匹目がサナに対して反応している。

 それから尖端を彼女に向けた。

 尖端を向けたということは攻撃の意思を示したということだ。



 それに対し、ただでさえ不快感が残っているアンシュラオンは―――キレる。




「てめぇ…オレのものに何してやがるうううううううううう!!!」




 ブオオオオオオッ

 アンシュラオンの戦気が一気に巨大化し、より濃密なものとなる。

 ゾワリ、と内部にある怖ろしい何かが顔を覗かせた。


「ピピピッ!! 因子急速増大! 危険、危険! 人類滅亡可能性、1.2%上昇! 即刻抹消―――」

「死ね!!!」


 アンシュラオンの掌に巨大な戦気の塊が生まれ―――


 ズオオオオオッ ボシュンッ


 六匹目が強大な力に飲み込まれて消失。

 グランハムを殺した覇王滅忌濠狛掌《はおうめっきごうはくしょう》である。

 あまりの威力の強さに空間が歪み、その力の奔流に触れた複数のカブトムシの残骸が消失してしまうほどだ。


 こうして殲滅完了。


 恐るべき機械兵器とはいえ、アンシュラオンの前ではまったく無力である。


「ふん、機械程度がオレのサナに色目を使うんじゃない。しかし、こいつらは何だったんだ? まったく、いきなり最低の気分だ。もっとよく調べたいが、まずは先に進むほうが優先だな。状況確認を最優先にしよう。サナ、行くぞ。周囲の警戒を怠るな」

「…こくり」


 カブトムシの残骸が転がる中、アンシュラオンは次の扉の前に立つ。

 もしこの機械を操っているやつがいるのならば、相応の返礼をしなければならないだろう。


 ウィーーンッ ブシューーー


 二人は扉を開けて、先に進んだ。



 ただこの時―――まだ機械虫の一体はわずかに機能を維持していた。



 そのモノアイが去り行くサナを捉える。



「…ピピ…ピピッ……ピピ、…マジン因子……確認。推定覚醒率……0.122223%。危険度低。…要監視対象。……ピピッ………プシューー」



 そして、そのまま機能を停止した。




376話 「ラングラスエリアの実情 前編」


 ウィーーン ゴロゴロゴロッ


 重そうな扉がゆっくりと開いていく。その光景はやはり自動ドアだ。


(腕輪のジュエルと反応していることはわかったが、ここの住人はどれだけ凄さを理解しているんだろうな)


 これだけの重い扉が自動で開くというのは、地球でも滅多にお目にかからない状況だろう。

 グラス・ギースの建造物の大半が木と石で構成されていることを思うと、この地下の技術体系は異常である。

 マシュホーは地下生活が長いので慣れていそうだが、初めて上から地下に来た人間はびっくりするはずだ。


(ロボットの件を含めて、実際にここにいる連中に話を訊けば早いか。だが正直なところ、意図的にオレを襲わせた可能性はゼロに近いがな)


 もしそんなことができれば、この力を使って地上の都市を制圧できるだろう。おとなしく地下で暮らす必要はないのだ。

 あるいは地下から出られない等、何かしらの制限がある可能性もあるが、普通の人間があれを制御しているとは思えなかった。

 ただ、油断はしない。いつ何時も警戒はするべきだ。



 アンシュラオンが周囲をうかがいながら、扉を抜けて奥に移動する。



 すると―――



「うっ、くさい!?」



 突如、何かの臭いを感じた。

 仮面を被っているのに鼻の奥にまで、むわっと染み入るような刺激臭だ。

 ロボットがいた部屋が衛生的(無機質)だった反動か、より一層強い臭いに感じてしまう。


(何の臭いだ? 消毒液みたいな薬品の臭いもするが…すえた臭いもする)


 まず最初に感じたのが、消毒液などから発せられるアルコール臭だ。

 ラングラスは医療関係の派閥なので消毒液の臭いがするのは頷けるが、病院でもない限りはあまり嗅がないものである。

 頻繁に通路をアルコール消毒しているのならばわかるが、周りは薄汚れた遺跡の壁なのでその可能性は低いだろう。

 次に感じた臭いが、不衛生の臭いというべきか、腐ったようなすえた臭いである。

 この臭いの原因はすぐにわかった。


(なんか変なものがあるな。あれは…キノコか? 腐った木材にキノコが生えているな)


 かなり薄暗い通路の壁端にはボロボロの木材らしきものが置いてあり、そこから赤地に白の斑点がいくつもあるキノコが生えていた。

 長さは十五センチくらいで、傘を含めれば横幅もある大きなものだ。それが一つの木材から四つほど生えている。

 キノコの知識などはないが、明らかに身体によくなさそうな色合いである。


(こんな場所にキノコ? 遺跡に勝手に生えているものとは思えないし…この木材の配置からして、人間が【栽培】している可能性が高いな)


 等間隔で配置されていることから人為的なものに間違いないだろう。

 色は怪しくても食用の可能性も残っている。地下では食糧不足なので自給自足をしていてもおかしくはない。

 やや疑問ではあるが、キノコはいいだろう。それよりも気になることがある。


(二つの臭いに混じって気付きにくいが…この甘い臭いは【麻薬】だな)


 アンシュラオンの優れた五感を誤魔化すことはできない。

 常人ならば二つの臭いに鼻が負けて何も感じないが、この中には『コシノシン』の香りが漂っている。

 劣等麻薬のコッコシ粉や三等麻薬のコーシン粉は臭いはしないのだが、蒸留を重ねた際に香りが付くのか、コシノシンからは微量の甘い匂いがする。

 燃やすとそれがより顕著になる。クッキー屋の前を通ったような強い甘みのある香りでむせ返るに違いない。


 この通路に麻薬の臭いがする。


 ここで使用したか、あるいは持ち込んだか。どちらにせよ麻薬があることは間違いないようだ。

 マシュホーから麻薬の存在は聞いていたので驚きはしないのだが、嫌な予感しかしない。


(消毒液にキノコに麻薬か。なんとも不穏なスタートだな。しかし、人がいないな。なんでこんなにいないんだ?)


 アンシュラオンたちはさらに通路を進むが、いまだピアス以外の人間に出会っていない。

 それだけこの遺跡が広いということもあるのだろうが、マシュホーの話では二千人以上はいるはずなので、もう少しいてもよいはずである。




 そのまま二分くらい歩くと、ようやく通路の終わりが見えてきた。

 そこにも今までと同じ扉があった。


「扉ばかりで嫌になるが…サナ、念のために警戒レベルを上げよう。いきなりレーザーが飛んでくるかもしれないから盾を持ってもいいかもしれないな。衛士の盾があっただろう? あれに戦気をまとわせればマシンガンくらいは耐えられる。試しに持ってごらん」

「…こくり」


 地上の衛士たちの武器庫から盾も接収したので、それをサナに装備させてみる。

 ここには封印術式は施されていないらしく、ポケット倉庫も問題なく使えた。

 サナは魔獣の皮と合金で補強された盾を手に取って構え、戦気を放出して強化する。

 無人殺戮兵器まで出てきた以上、本当にマシンガンやロケット砲があるかもしれない。それにそなえてのことだ。

 戦気で強化されていない攻撃ならば、この盾でも十分対応は可能であろう。それだけ戦気とは優秀な道具なのである。


「そうやって維持するだけでも疲れるだろう。だが、それでいい。その繰り返しで強くなっていく。できる限り維持してごらん」

「…こくり」


(試合になってからが本番だと考えていたが、思わぬ訓練になったな)


 サナは、まだまだ武人初心者である。

 その彼女にとって危険が伴う場所は、実戦でありながらも絶好の訓練場なのだ。

 ロボット襲撃は完全に予想外であるも、そういう意味では嬉しい誤算だ。


「行こう」

「…こくり」


 アンシュラオンたちが扉を開ける。

 ここも問題なく普通に開いた。


 扉の先に広がった光景は半ば予想していたものだったが、一つだけ予想外のこともある。



(…人がいないな)



 そこは今までの部屋とは一転して、『生活空間』と呼べるものが広がっていた。

 そこまで綺麗とは言いがたいが、人間が生活するのに必要な道具類が数多く見られる。

 さっき通路で見かけた木材(廃材)やら棒切れやら、石臼《いしうす》や鍋などの調理道具、物資が入っているであろう木箱、丸められた布のテント等々、一気に生活感が滲み出ている。

 そして、消毒液などの臭いも強くなった。

 見ると、端っこには薬品が並んだ棚が複数置いてあり、開き戸が開きっぱなしになっているところもある。


(どうやらあれから臭っているようだが…まだ奥にも臭いが続いているな。人が住んでいることは間違いないが…姿は見えないか)


 いかにも人がいそうだが、ここにも誰もいない。

 あくまで見た限りは、であるが。


(やれやれ、これで【隠れた】つもりか? 雑だな。雑すぎる。が、サナの鍛練にはちょうどいいか)


「サナ、わかったか?」

「…?」


 サナは不思議そうにアンシュラオンを見返す。

 どうやら臭いに気を取られて気付いていないようだ。


「臭いに鼻が刺激されて難しいだろうが、感じてごらん。魔獣の中には異臭を使って相手を惑わすものもいる。そういうときの訓練になる」

「…こくり」


 最低限の情報しか伝えていないが、サナは内容を理解したようだ。


 鼻をつまんで臭いを抑え、口で静かに呼吸をしながら周囲を探る。


 まずは部屋全体の感覚を掴む。

 この部屋は二十メートル四方の比較的小さな部屋であるが、前と左右にもそれぞれ同じような部屋があるので、実際はロボットがいた部屋より大きい。

 ゆっくりと室内に肉体オーラを広げながら、周りと同調して物質の気配を感じ取っていく。

 次に、置いてある物に意識を集中させる。

 当たり前だが物は動かないし、呼吸もしない。わずかにオーラが出ているが、それだけだ。普通の有機物とは感覚がまるで違う。

 その感覚を覚えながら、またゆっくりオーラを広げていく。

 そうしていくことで無機物と違う感覚を見つけやすくするのだ。

 たとえば目隠しをした状態で、触覚だけで周囲を調べるとする。その際、硬い感触の中に突然柔らかいものがあれば誰だって気付くだろう。それと同じである。


(まだまだ稚拙で遅いが、波動円の形になりつつあるな)


 波動円は戦気術の基礎である『展開』を使った技である。

 身体に強く覆えば攻防の戦気になるが、こちらは広範囲に膨らませて自分のエリアを拡大するものだ。

 どうやらコツを呑み込んできたようなので、完全に修得する日も近いだろう。さすが天才かつ早熟である。


(集中するのは苦手でも、周囲に広げたり拡散させたりするのは得意なのかな? 単体攻撃よりも遠距離の範囲攻撃を得意とする武人もいるが…サナの方向性は迷うな。できればバランス型がいいが器用貧乏になっても困るしな)


 このあたりは難しい選択である。

 近距離の単体攻撃に優れた武人はやはり強いし、遠距離で敵を制圧できれば自身を危険に晒す頻度も減る。

 その両方ができる武人が一番だが、両方中途半端になっては強敵に対応できなくなる。

 『進路選択』は実に難しく、もどかしいものである。

 一番よいのが「全部が最強クラス」なのは当然であるも、そんな化け物はパミエルキ以外には存在しない。


(まずはいろいろやらせてみるしかないかな。単体の敵への強い攻撃手段、中遠距離の敵への道具の使用等々、試合で学べればいいが…)



「…ぴくっ」


 と、アンシュラオンがサナの育て方の思案をしていた時、彼女に変化があった。

 どうやら【発見】したようである。


「見つけたようだな。あとは好きなようにしてごらん」

「…こくり」


 スッと、サナが音を立てずに蛇双の一本を抜く。

 そして、呼吸を止めながら忍び足で静かに移動を開始。

 今いる部屋は素通りして、左側、北側にある部屋に入る。

 そこは食料庫なのだろうか。乾燥した肉や穀物等、いろいろな保存食材が詰まった袋がいくつか置かれていた。


 しかし、サナはそれらに一切興味を示さず、ただ一点だけを凝視している。


 その場所、壁の角にはいくつもの木箱が積み上げられていた。

 一見すれば、そこには誰もいない。


「…しゅっ」


 だが、サナは迷うことなく―――剣衝を放った。


 昼間、地上で練習したばかりの技である。

 覚えたばかりなので、まだまだ未完成といってよい代物だが、それはあくまで武人の世界での話だ。

 武人初心者のサナであっても、剣士因子1を使って発せられた一撃は―――


 ズバンッ!!


 重ねられた木箱を簡単に切り裂く。


 ゴトッ ドドドドドドドドッ!


 そして、斬られた複数の木箱から大量の物資が下に雪崩れ落ちていく。

 これだけ見れば、単なる器物破損でしかない。ここでは貴重な物資を破壊する意味などないように思える。

 しかし、サナが無意味なことをやるわけがない。


 直後―――



「ぎゃぁあああああああ!!」



 木箱の裏側から叫び声が上がる。


 そう、この木箱の裏側には、誰かが【隠れていた】のだ。


 それを察知したサナが、上にあった木箱を破壊して中身で押し潰したのである。

 アンシュラオンは部屋に入った瞬間には気付いていたが、あえてサナにやらせたのだ。

 ただ、やり方が少し甘いように感じられた。


(サナのやつ、わざと外したな。そういうところはオレに似ないな。相手が男なんだから気にすることはないのにな。腕の一本や二本くらい切り落としても問題ないさ)


 アンシュラオンだったならば、遠慮なく相手の本体に向かって攻撃を仕掛けている。

 素性がわからないので手加減はするが、隠れているくらいだ。多少痛い目に遭わせても気にならない。

 もちろん、それが【男】であることを知った上で、である。

 もし女性ならば、もっと優しい対処をしただろう。男だけには厳しいのがアンシュラオン流だ。



「ひーー、ひーーー!」


 そして、木箱の裏側から必死に這い出てきた者がいた。

 追い立てられて壁の隅っこから出てくる姿は、たとえるならば『ゴキブリ』だろうか。実に惨めな姿である。


(男…まだ子供か。ルアンと同い年くらいかな?)


 その人物は、まだ十二歳前後くらいに見えた。

 ぼさぼさの茶黒髪で、額にバツ印の傷がある少年である。

 女性は十二歳くらいから結婚することも珍しくはないが、男の十二歳はまだ子供といった様相だ。まだまだ幼さが見受けられる。


「げほげほっ…ううっ、何が起こったんだ…」

「おい」

「…え?」


 その少年に対してアンシュラオンが取った最初の行動は―――


 ブシャーーーーーーーッ



「ぎゃーーーー! 今度は何だ…ぶぼぼぼぼっ!?! あっちっ! あつつうううう!! ごぼぼぼぼっ! げぼっ!! これあっちぃい!!」



 いきなり顔面に水流波動をお見舞いである。

 普通に出したら死んでしまうので、威力は相当低めかつ、消防車の消火ホースのように押し出すだけにしておいた。

 ついでに火気を多少使って温めておく温水サービス付きだ。

 ただし、六十度くらいの温度にしたので、触れるとけっこう熱いに違いない。お風呂の適温が四十度前後と考えれば、かなり熱いことがわかるだろう。


 少年は、訳もわからずに放水を受け続ける。


「ひーーー! バタバタッ!!」


 いきなり背中に荷物が落ちてきたと思ったら、今度は顔面に放水である。パニックになるのも当然だろう。

 またもやゴキブリのように手足をばたつかせ、慌てふためいている。


 その放水は五秒間続いた。




377話 「ラングラスエリアの実情 中編」


「げぼげぼっ!! ごほごほっ…!! いつうう…鼻がぁ…!」


 五秒後に放水が終わると、鼻や口に大量の水が入った少年が咳き込む。

 鼻に水が入ると痛いものだ。涙を流しながらツーンとしたあの感覚に耐えている。

 さらに温水に晒されたせいか顔がかなり赤い。これは火傷のせいだろう。

 最大限の手加減をしたとはいえ水気である。それ自体が危険ものなので、軽度の火傷で済んだことを感謝してもらいたいものだ。

 その少年にアンシュラオンが近寄る。


「おい、そこのお前」

「ひーーーひーー! げほげほっ! うあー、顔が熱い!!」

「おい、お前だ、お前。げしっ」

「いったぁああああ!!」


 アンシュラオンが少年の頭を軽く蹴る。

 当人の擬音は「げしっ」だが、実際は「ごつん」という良い音がした。


「うう、うおおおお! いってぇえええ!」


 少年はさらなる涙を滲ませながら頭を押さえる。

 下に落ちた物を取ったときなど、ついうっかり頭を机にぶつけるときがあるが、あれは相当痛いものだ。

 顔面に火傷、頭にタンコブという最悪のコンボをくらった少年がうずくまるのも仕方がない。


「ほら、早く出てこい。いつまで隅にいるつもりだ」

「ぐええええ…」


 少年の服を引っ張って強引に引きずり出す。

 水気のおかげで少年はずぶ濡れだが、見た感じあまり衛生的ではないので、洗うという意味ではちょうどよかっただろうか。

 それから一応、少年の様子を観察する。


(対応があまりに無防備すぎる。こいつは完全に素人だな)


 アンシュラオンには一つだけ、自分でも自覚している不得手なことがある。


―――「あまりに弱すぎると、強さの程度がわからない」


 というものだ。

 自分が強いので、相手の実力がわかるのは最低でもソイドビッグレベルからとなる。

 それでも弱すぎて判断に困るくらいなので、できればマキくらいの実力がないとセンサーに引っかかりにくいのだ。

 誰か弱い人間がいることはわかっても、それがどの程度のレベルかを判断するのが難しい。だからこその攻撃でもあった。

 が、対応があまりに酷いので、この少年は間違いなく普通の一般人である。

 あと十秒でも長く放水していたら命に関わっていただろう。それくらい弱いのだ。


(顔の火傷はたいしたことはないが…頭の怪我が一番酷いな)


 資材の落下では怪我をしていないようだが、実はアンシュラオンが蹴った部分が一番ダメージが大きい。

 まったくもって他人に損害を与える男である。




「あたた…なんだよぉお! なにすんだよおおお! って、なんだお前! その顔は!!」


 ここでようやく少年がアンシュラオンたちを正視する。

 痛い目に遭ったと思ったら、次の瞬間には仮面の男である。誰だって驚く。


「仮面だが、それが何か?」

「おかしいじゃん! 普通は被らないだろう!」

「お前な、『普通』という言葉が一番定義しづらいんだぞ。それを言ったらオレが放水したのもオレの中の普通の行為だ。それでいいんだな? よし、これで後腐れなしだ。いやー、よかったな」

「そんなわけないじゃんか! って、え? そっちは女の子…なのか?」


 少年の視線がサナに向く。

 仮面の男だけでも驚くが、なぜか自分よりも小さな少女まで仮面を被っているのだ。

 さきほどの放水もあり、まったく状況が理解できずに混乱に陥る。

 ジロジロ ジロジロ

 何度もサナを見る。頭を見て、身体を見て、足を見る。


 ああ、やってしまった。


 この男の前でそんなことをすれば―――



「この前科者めええ!!」



 アンシュラオンが少年の襟首を掴んで持ち上げる。


「ぐ、ぐええっ! な、なんだよ、いきなり!」

「さっきからジロジロと幼女の身体を舐めるように見おって! さてはお前、変態だな?」

「ええええええ!? なんでそうなったんだよ!! ち、違うって!」

「何が違うんだ! そのバツ印は罪人の証だろうが。その歳で覗きのほかに何をやった! 下着泥棒か? 痴漢か? クズめ! お前のようなやつが大人になってから性犯罪を犯すのだ」

「ちがっ!? この傷は生まれつきで…」

「ならば生まれつき性犯罪者だということだ! 悔い改めろ!」


 ゴツンッ!

 仮面で額にヘッドバッドをかます。


「いてーー!」

「痛かろう。痛かろうて! 痛いようにしているから当然だ。さあ、罪の裁きを受けるがいい!」

「待てよ! いきなり仕掛けてきたのはそっちだろう! おいらは何もしていないぞ!」

「ほぉ、この期に及んで謝罪もせず、相手を非難して逃げようとするとは本物のクズだな。いいだろう。お前の尻の穴に消えない傷を作ってやろう!」


 ドサッ げしっ

 アンシュラオンが少年を投げ落とし、足蹴にしてひっくり返す。

 ちょうど尻がこちらに向いた格好となる。

 その行為に何か不穏なものを感じたのだろう。少年が青ざめる。


「え? えっ!? ちょ、ちょっと! 何するつもりだよ!!」

「お前みたいな変質者のガキにはお仕置きが必要なようだな! やられる側の痛みを思い知れぇえええい!」

「ええええええ! ちょっ―――」


 アンシュラオンが近くにあった棒を命気で手繰り寄せ、尖端を尻にあてがう。


 そして―――突く。


 ブスーーーーッ!


 ズボンの布地ごと強引に突き入れる。


「ぎゃっーーー、尻がーー!」

「どうだ! 変質者に襲われる少女の苦しみがわかったか!! 罰として一生、掘られたトラウマに苛《さいな》まれるがいいわ!」

「ひーー! なんでおいらがこんな目にぃいいい! うあぁああ! あーーー!」

「おい、変な声を出すな!! 気色悪いだろう!」

「だって!! うあっ!! あーーーー!」


 少年がヤバイ声を出している。アーーーーー!!

 だが、罰はこれだけで終わらない。さらに追及は続く。


「お前の汚い尻だけで謝罪が成立すると思うなよ? あぁん? ほら、金を出せ!」

「か、金なんてあるわけないだろう!!」

「ないなら身体で返すんだな! 上級街のゲイにでも身体を売って詫び料を稼いでもらうぞ!」

「そ、それだけは無理だ!! 勘弁してくれ!」

「それが嫌ならスレイブにして売ってやる。逃げられると思うなよ! このゲスが!」

「げぇええ! や、ヤバイやつに捕まっちまった! これじゃ『奥の連中』よりたちが悪いぞ! だ、誰かぁああ! 助けてくれええええ!」


 そういえば『暴力禁止』という話だったが、それはいったいどこに行ってしまったのだろうか。

 アンシュラオンが地下に来てから暴力しか発生していない気がする。まったくもって恐ろしいものである。



 ウィーーーンッ ゴロゴロゴロッ



 そして少年の叫びが届いたのか、誰かが部屋に入ってきたようだ。

 その人物は恐る恐る物音がするこちらに近づき、向こう側の壁の手前で止まる。

 この角度からは壁が邪魔をして姿までは見えない。


「と、トット? どうしたの? 何かあったの?」


 ただ、そこから発せられた声は、とても小さく「か細い」ものであった。

 その声に聞き覚えがあるのか、少年の抵抗がさらに激しくなる。


「っ!? ニーニアか!? こっちに来たら駄目だ! 戻って隠れていろ!」

「え? どういうこと? また奥の人たちが来たの?」

「ち、違うけど、もっとヤバイやつが…! とにかく今はヤバイんだよ!!」

「ヤバイって…何?」


 少年の説明ではよくわからなかったのだろう。

 壁からちょこんと顔を半分だけ覗かせる。

 そこにいたのは少年と同じくらいの年齢の少女であった。


「え…? ええええ!? トット、何してるのーーー!?」


 その光景を見た少女が目を見開いて驚く。

 なぜならば彼女が見た光景は、尻の穴に棒をぶっ刺されている少年の姿である。

 おそらく知り合いなのは間違いないので、かなりのショックを受けたことだろう。


「こいつら、いきなりこんなことをする連中なんだ! 逃げないと酷い目に遭うぞ!!」

「で、でも…トットの顔…赤い…よ?」

「い、いや、これは…うぉおおおおおんっ!!」


 尻に棒を刺され、顔を赤らめて悶えている少年。

 単に刺されているだけならばいいが、顔を赤らめているというのが不自然だ。

 もちろん顔は火傷によるものであるのだが、少女が気付くわけもない。たしかに「ヤバイ光景」だ。

 そして、この男の横槍によってさらに事態が悪化する。


「君、こいつの知り合い?」

「えっ!? あ…は、はい。あの…なんでこんなことに…?」

「こいつがさ、オレの妹に『尻に棒をぶっ刺してくれ』ってお願いしたんだ。でも、そんなの妹は嫌だから、代わりにオレがやっているのさ。いやー、ほんと苦行だよ。やるほうがつらいんだけど…お願いされたならしょうがないよな。でもまあ、喜んでくれているからいいのかな? ドン引きだけどね」

「ええええっ!? と、トット…そうなの? 本当なの?」

「ちが…うおおおおおおおおんっ!」


 本当ならばここで誤解を解きたいはずだが、アンシュラオンが余計なことを言ったせいで混迷が深まる。

 ただし、少女の中には感じるものがあったのだろう。

 頬を赤らめて手で目を覆いながらも(指は開いているのでスカスカ)、その行為に納得の態度を示す。


「や、やっぱりトットって…そっち系だったんだね。ごめんね、気付かなくて! わ、私、何も見ていないからね!! 安心して! それでも何も変わらないからね! 今後ともいい友達でいようね! ちょっと距離は開くかもしれないけど、それでも友達は友達だからね! それじゃあね!」

「ま、待って!! ち、違う! これは違う!!」

「いいの! そういうのが好きな人がいるって『マザー』も言ってたから! いいの!!」

「誤解だよ! 絶対誤解して…うおおおおぉぉぉぉおおおおおんっ!」

「トットーー!! いいんだよ! 認めてもいいんだよ!! 軽蔑なんてしないからね!」


 と言いつつ目を逸らす少女。

 現実は厳しいものだ。一度こうなったら少年に挽回のチャンスはない。

 その前に、少女に「やっぱり」と言われた段階で問題がある。もし疑いがなければ、彼女もこんな言葉は発しないだろう。

 人間は普段の行いが大事だと、彼は身をもって教えてくれているのだ。




 五分後。


 アンシュラオンとサナの前には、少年と少女が座っていた。

 あのままだと話が進まないので途中で切り上げたのだ。

 五分かかったのは、少年が少女の誤解を解くための時間である。

 一応受け入れたようだが、それでもまだ若干の疑いの視線を感じる。少年からすれば本当に散々である。


「本当に酷い目に遭った…」

「誤解されるような言動を日々行っているからだろうが」

「それがおかしいんだ! なんでそう思われたのか…」

「だって、トットっていつも筋肉のある男の人を見て『うほっ』って言うから」

「言ってないし!!」

「確定だな。いいか、この線から絶対に内側に入るなよ。ゲイとか本当に無理だからさ。しっ、しっ! この汚物が!」

「あんたもそういう扱いはやめろよ!」


 この少年の名前はトットというらしい。

 特に変哲もない一般人の少年だ。本当に特に言うことがない。ルアンよりもない。

 ルアンには真面目で正論好きの甘ちゃん、という個性があったが、トットは歳相応の男の子といった感じだ。

 つまりは無個性である。説明は以上だ。


 その隣にいる女の子はニーニア。

 蜜柑《みかん》色の髪をしており、年齢はトットと同じくらいの十二歳前後だ。

 垂れ目でそばかすのある顔は愛嬌があるものの、汚れた白いワンピースとボロボロの靴のせいで、その可愛さも薄れている。


(十二歳前後というと、セノアと同じくらいの年齢か。一応は結婚できる年齢ではあるが…スレイブ館とはここまでの差があるんだな)


 セノアは商品だったこともあり、身なりには気を遣われていたものだ。

 お風呂などはいつでも普通に入れるし、着ている服も上等なものであった。当然、食事もかなり健康に配慮されたものとなっていた。

 だが、トットもニーニアも肌艶はあまり良くない。普段から不摂生をしているシャイナと大差ないレベルだ。

 逆に言えば、地上にいながら地下と同じ程度の肌艶のシャイナがおかしいのだが。


 とりあえず二人と会話ができる状況になったので、いろいろと問いただしてみることにした。

 ピアスは見張りだったので、厳密に言えば彼らこそが、ラングラスエリアの中に入って初めて出会った者たちだ。

 まずは情報を得たい。


「さて、訊きたいことは山ほどある。君たちについても訊きたいが、まずはロボットのことだ。あの存在は何だ?」

「…ロボット?」

「そうだ。見張りがいた扉を入った部屋にいたやつだ」

「そんなのいたか?」

「知らないのか? こう二メートル半くらいある円盤状のロボットだ。戦闘用はもっと虫っぽいが…」

「…???」


 アンシュラオンの質問に、トットは首を傾げる。

 その顔にとぼけている様子はない。その顔自体がとぼけた造詣、とはいえるが。


「あ、あの…お二人は初めてここに来たんですよね?」


 その様子を見て、慌ててニーニアがフォローに入る。

 こうした気を遣う雰囲気が若干セノアに似ているのは、これが歳相応の普通の少女の反応だからだろう。

 自分たちより年上の男性には緊張してしまうのだ。

 アンシュラオンもそれをよく知っているので、彼女に対してだけは怖がらせないように優しい声を出す。


「そうだよ。初めてだね」

「やっぱり! ねえ、トット。あれじゃない? 最初に来た時に出たの覚えている?」

「え?」

「ほら、いたじゃない。何かしゃべる箱みたいなの。私たちに光を浴びせて…」

「…ああ、あれか。あれなら一回だけ見たことがあるけど…次に戻ったらいなくなってたよ」

「一度は会ったんだな? 襲われなかったか?」

「え? 襲うの?」

「オレたちは襲われたぞ」

「えええええええ!? 人間にじゃなくて?」

「だからロボットだと言っているだろう。頭が悪いやつめ! ばしんっ」

「いってえぇえええええ!! 額ばっかりやるなよ!!」

「いや、どうしても狙いやすくて」


 頭の悪いやつにはデコピンの刑である。

 ちょうどトットの額にバツ印があるから、そこが目標になってしまうのだ。

 生まれながら額をロックオンされる運命にある男。実に不幸である。


(うーむ、こいつの驚いた顔は嘘ではないな。ということは、初めて入った人間をチェックする役割だった可能性が高い。危険な人間が入り込まないように…か? しかし、それにしては過剰な反応だった気もするな。明らかに殺すつもりだったはずだ。そもそもこの地下遺跡は何のためにあるんだ? そこがポイントかもしれないが…そこまで深入りするつもりはないんだよな)


 まだまだ訊かねばならないことは多いが、この対応を見る限り、二人にこれ以上ロボットのことを訊いても無意味だろう。訊くのならば大人である。

 それ以前にアンシュラオン自身は、あまりグラス・ギースに興味を抱いていない。

 この地下遺跡が何であろうが、どうでもいいと思っている側面が強い。

 とりあえずサナたちの生活環境の整備と、時々新しいスレイブが手に入ればそれで満足なのだ。




378話 「ラングラスエリアの実情 後編」


(ロボットのことはいいだろう。今のところはたいした脅威でもないし、サナにとっても勉強にはなる。なかなかロボットを見る機会もないからな)


「では、次は君たちについて訊こうか。君たちはラングラス派閥の人間で間違いないね?」

「はい。私もトットもラングラス派閥です」


 二人の手にはアンシュラオンとサナがしているものと同じ腕輪がある。その中央には赤いジュエルも見えた。

 偽る理由もない。二人がラングラスの人間であることは間違いないようだ。


「なんでこの場所にいたんだい?」

「ここは資材置き場なんですけど、トットが食材を取ってくるように言われて…料理のためです」

「たしかに食材があるね。大人もいるってことかな?」

「はい」

「何人くらいいるんだい?」

「私たちのところには六人くらいです」

「六人? 随分と少ないな」

「は、はい。そうですね…」


(通路の閑散とした様子から、ラングラス派閥の人間がかなり少ない可能性は考慮していた。だが、六人とはな…思った以上に少ない。この子の表情から察するに事情がありそうだな)


 この質問をした時、ニーニアの表情に少し翳《かげ》が差した。

 大人の数があまりに少ないことからも何かしらの事情、あるいは問題がありそうだ。

 それに関係するキーワードをいくつか思い出す。


「『マザー』って誰だい?」

「あっ、えと…私たちの面倒を見てくれている人です」

「マザーっていうからには…女性かな?」

「はい」

「年齢は?」

「うーん、どうなんでしょう。訊いたことはないですけど…たぶん五十歳後半くらいです」

「そうか…」

「あの…年齢が何か?」

「いや、ちょっと気になっただけだよ。ここの情報をまるで知らないからね。年齢層の把握も重要かなと思ってさ。たとえばそう、若い男女なら食糧の消費量も増えるだろう? そういう計算の問題だよ」

「あっ、そういうことですか。頭がいいんですね」

「まあね」


 否定も謙遜もしないのは、男気ゆえだろうか。


(そりゃ、確率からいっても若い女は少ないよな。試合であれだけ男が集まったのは若い女が貴重だからだ。絶対数は少ないはずだ)


 当然、年齢を訊いたのは個人的興味からであるも、六人の大人の中に若い女が交じっている確率は高くはないだろう。

 しかも若いというだけでも駄目だ。若いだけの女なら上に山ほどいるのだ。

 どんな場所でもスレイブ探しに余念がないのは見事であるが、さすがに場所が悪い。マザーは除外だ。


 そして、もう一つ気になる言葉があった。今度はそれを訊いてみる。


「『奥の人』というのは?」

「えっ!?」

「さっき言っていたよね。『また奥の人たちが来たの?』って。それってどういう意味かな?」

「それは…その……」

「ほら、腕輪を見てごらん。オレたちも同じラングラス派閥だ。君たちの仲間なんだよ。それにオレの妹は君たちよりも年下だ。注意すべき情報があったら知っておいたほうが安全だと思わないかい? 若い女の子は特にさ」

「っ! そ、そうですね。はい。そうだと思います!」


 身に覚えがあるのか、ニーニアが強く頷く。

 若い女性の範囲は人それぞれだろうが、この地方では十二歳から結婚しても悪いことではないのだ。

 となれば、ニーニアも狙われる対象になる可能性がある。


「その様子だと、君も言い寄られたことがあるの?」

「は、はい。お酒に酔った人とかに…でも、暴力は禁止なので無理やりはないですけど…」

「それでも危ない状況だね。自衛はしている?」

「自衛…ですか?」

「武器とか持っていたほうがいいんじゃない?」

「でも暴力は禁止ですし…」

「駄目駄目。君がいくら規則や正論を持ち出しても、相手は欲望に塗れたオスなんだよ。いつでも対応できるようにしておくべきだ。ほら、このダガーをあげよう。これで身を守るんだよ」

「えええっ!? こ、こんなの無理です!」

「包丁と同じさ。握ったことはあるだろう?」

「は、はい。ありますけど…」

「何事も最初は怖いけど慣れれば大丈夫だよ。オレが教えてあげよう。ほら、遠慮しないで」

「は、はい…」

「なぁ、ちょっといいか?」

「こうやって持つんだよ。それで相手が襲いかかってきたら、こう構えて…」

「え? こうですか?」

「そうそう、しっかり握って…」

「ねえ、さっきからさ、おいらだけ蚊帳の外のような気がする―――」

「こう刺すんだ」


 ザクッ



「ぎゃーーーーーー!」



 ダガーを持ったニーニアの手がアンシュラオンに誘導され―――トットの額を刺す。


 予想通り、額のバツ印に命中である。

 今のところ命中率は100%だ。


「あっ! ご、ごめん! トットがいきなり顔を出すから!!」

「ニーニアまで酷いよ! つーか、さっきからおいらのことを無視しているだろう! なんでおいらには訊かないんだよ!」

「だって、汚物だし」

「汚物とか言うなよーーーー!」


 アンシュラオンはずっとニーニアに顔を向けて話している。

 トットには一度も視線を向けていないどころか、存在そのものを無視していた。

 答えは明白。ゲイの疑いが晴れていないからだ。


「おい、ゲイ。話しかけるなよ。バイ菌が移るだろう。それと、あとであの棒は洗っておけよ。他人に汚い菌が移ったらどうするんだ。バイオテロと同じだからな。自覚しろよ」

「やめろよおおおお! 誤解が広がるだろう! ゲイって言うな!」

「ホモがいいのか? それとも『アーー!』にしてやろうか? そういえば中学生の頃、学校にゲイの人が来て講演をやっていたが…いまだにあれの真意がわからないな」


 アンシュラオンが中学生の頃、なぜか学校にアメリカ人のゲイが来て講演をやっていた。

 あまり説明したくないが、男のアレを飲んでエイズになった、という話であった。

 その際、誰かが質問コーナーで「ホモなんですか?」と訊いたら「私はゲイです。ホモという言葉はないのです」と言っていたのが印象的であった。


 だからなんだ、というお話である。



「おい、アーー! 近寄るな」

「アーー!だけはやめてくれよおおお!」

「お前の性癖に構っている暇はない。ゲイだろうがアーー!だろうが同じだろう」

「同じじゃないよ! 大きな問題だよ!」

「じゃあ、ゲイな」

「やめてくれーーー!」


 二択なのだから、どちらを選ぼうが不幸しか訪れないのだ。


「そういえばお前も言っていたな。『奥の連中』ってのは誰のことだ?」

「エリアの中はけっこう広くて、それぞれの場所に特定の班っていうのか、いくつかのグループがあるんだよ。その中の一つのグループが一番奥にたむろっていてさ、だから『奥のやつら』とか『奥の連中』って呼んでいるんだ」

「お前が隠れたのは、そいつらが来たと思ったからか?」

「そうだよ。他の扉から入ってくるなんて、そうとしか考えられないしね」

「どんなやつらだ?」

「どうしようもない連中さ。上で悪さをやってここに入ってきたんだけど、地下でも馴染めなくて奥に引き篭もっているんだ。それだけならまだましで、たまに出てきて食糧とかを盗んだりするんだ。ちょっかいも出してくるしさ」

「そいつらは全員が大人なのか?」

「そうだよ」

「何人くらいいる?」

「わからないな。あっちとは関わってないから…。でも、そこそこはいると思うよ。たまに他の派閥からもやってくるからね。そういうのは本当に迷惑なんだよな…」


(他の派閥を追われたやつら、ということだな。最後に行き着くのがラングラスとは、まさに掃き溜め、吹き溜まりだな)


 いろいろ渡り歩くのだが、各派閥で問題を起こして追い出され、行き場がないので最終的に最下位のマングラスに集まってくる。


 はっきり言ってしまえば、奥とは「ゴミ捨て場」であろうか。


 しかも人間なので処理されなければどんどん溜まっていき、食料まで消費する厄介者となる。

 この倉庫を見ただけでもハングラスの物量とは明らかに劣る。食糧の奪い合いだって起こるだろう。

 いるだけで迷惑なのだから、トットが毛嫌いするのも当然だ。


「そうなると、さっきニーニアが言っていた大人が六人というのは、お前たちのグループでの話か?」

「そうだよ。おいらたちのグループにいるのが六人だ」

「予想だが、子供はもっと大勢いるんだな?」

「え? …よくわかったね」

「マザーってのはオレのいた国でも聞くからな」


 宗教や宗派によっていろいろな意味があるが、一般的に『マザー』と呼ぶ場合は女性の『保護者』や『守護者』を意味することが多い。

 ニーニアが「面倒を見てくれている」と言ったことから、だいたいの想像はつく。


「お前たちのグループにリンカーネンという男はいるか?」

「へ? 誰それ?」

「元麻薬の売人の中年の男だ。おそらく年齢は四十代後半だろう」

「うーん、前に何をやっていたかとかは知らないけど、そもそもうちにはその年齢の男の人はいないよ」

「…ふむ、そうか」


(間違いない。シャイナの父親がいるとすれば―――『奥』だな)


 シャイナの父親はクズだと聞いている。子供が子供と一緒に暮らすように、クズはクズで寄り集まるのが昔からの習わしである。

 おそらくそこにシャイナの父親がいるはずだ。


「奥はどこだ?」

「あっちの南側の扉から出て、ずっと進んだ場所だけど…危ないよ」

「そうだな。危ないな。その連中がな。くくく、クズなら死んでもいいよな。サナ、いろいろと実験しような」

「…こくり」

「お、おい! まさかまたあんなことを…!! や、やめたげてよ!!! あれだけはやめたげて!!」

「そいつらのことは嫌いなんじゃないのか?」

「同じ男だもの!!」


 なにやら人類愛に目覚めるトット。

 どうやら男として一生忘れられない思い出|(トラウマ)になったようだ。

 ただ、奥に行くことはニーニアも反対であった。


「暴力行為はその…やめたほうが……レイオンさんがいますし」

「ん? レイオン? キング・レイオンとかいうやつ? 試合を見たよ。そこそこ強いやつだよね」

「は、はい! あの人が来てからだいぶ良くなったんです。奥の人たちもレイオンさんには逆らえないですし…子供にも優しいですし」

「愛想は良くないけどな」

「あれが優しさなのよ。トットだって、レイオンさんを見て『うほっ』って言ってたでしょう?」

「ちょっ!? あ、あれは、試合を観て興奮しただけで…」

「オレは興奮しなかったぞ。お前、マジでヤバイな」

「違うんだよ!! 誤解なんだ!!」


 「うほっ」とか言うやつは危ない。言い逃れできない証拠だ。


「レイオンが来るまでは危なかったの?」

「はい。暴力を振るう人もいたんですけど、レイオンさんがその…ボコボコにしてからは、あまり来なくなりました。それからレイオンさんの命令で、エリア内での暴力行為は厳しく罰せられるようになったんです。本当に助かりました」

「ずっと思っていたけど、暴力禁止って機能してるの? ここはレイオンがいるからいいとして、他の派閥は?」

「そこまではわかりませんけど…ハングラスさんとかは大丈夫みたいです。物も一杯あるみたいですし…」

「金持ち喧嘩せず、か。たしかに裕福なら喧嘩をする必要性はないな」


 地下なので水準がかなり低めだが、ハングラスは生活上の物資が大量にあるので無意味な暴力行為は発生しないのだろう。

 もし迂闊に暴れてしまい、村八分にされて干されたら、それだけで極刑に等しい罰だ。

 ハングラスにいるということ自体が幸せなので、誰かが腕っ節で押さえつけなくても暴力は氾濫しないわけだ。

 ジングラスには魔獣がいるという話であるし、マングラスにはジュンユウもいる。彼らが各エリアの治安を守っている可能性が高い。


(しかし、血判まで押させてこの程度の抑止力とは、若干押しが弱い気がするな。オレのように破ろうと思えばいつでもできるものでは意味がないだろうに。レイオンが来るまではここでもそうだったというしな…)


 暴力に対しての忌避感がかなり強いのは、地下だから当然である。

 ただし、それに対する強制力が伴っていない。破ろうと思えばいつでも破れる。

 そのあたりに妙な違和感と矛盾を感じてしまうのだ。


(そこで気になるのが、あのロボットの存在だ。あの戦闘力は、一般人にとってみれば相当な脅威だろう。もしかしたら、あれを刺激しないための措置なのかもしれないな。あくまで仮説にすぎないがな)


 今しがた戦ったばかりなので、その存在の異常性ばかりが気になっている。

 もしあのロボットが暴れ出したら、それこそ地下は一瞬で血の海だ。

 この地下収容所がいつからあるのかは不明だが、昔の人間が何かやらかして、それを教訓に非暴力の掟が出来た可能性もありえる話だ。

 ともあれ、このラングラスエリアでは、レイオンが暴力禁止の抑止力になっているという。


「レイオンはどこにいるんだい? 試合が終わったから戻ってきているだろう?」

「今は見回りに行っていると思いますが…詳しい場所までは…」

「あいつはどこのグループなの?」

「一応中立なので、どのグループでもないです。ただ、よく私たちのグループには顔を出してくれます。困ったことはないかとか…」

「いいやつみたいだね」

「はい!」


 ニーニアの表情には『信頼』の二文字が見受けられた。

 それだけ以前が酷かったのかもしれない。助けてくれたレイオンには相当感謝しているようだ。


(子供たちには慕われているようだな。しかし、人助け…か。試合でのイメージとはまったく別に感じられるが…まあ、実際に会ってみればわかるか。どうせ試合を申し込まないといけないしな。今はこの子の顔を立てておくかな)


 ちなみに「この子」にトットは含まれていない。

 あくまでニーニアのためにそうするのだ。ここは重要である。


「じゃあ、奥に行くのはあとにしよう。レイオンに会わずにオレが突っ走ったら君たちも困るだろうしね。まずは君のグループに案内してもらおうかな。ほら、妹もいるしさ」

「わかりました。どうぞ!」


 ニーニアは難色を示すこともなく、素直に受け入れてくれた。

 これもサナの効果だろうし、アンシュラオン自体も見た目は子供の部類に入るので、同じグループに行っても問題ないと判断されたのだろう。


「えーー! 仲間に入れるのかよ!?」

「安心しろ。仲間にはならない。いや、なれない」

「え? そうなの?」

「ああ、オレたちが入る代わりにお前がグループを抜けるからな」

「うえええ!? なんでだよ!!」

「お前が『アーー!』だからだ。アーー!はアーー!のグループに行けよ」

「だからそれはやめてよおおおおおおおおお!」

「ニーニアだって、ゲイは嫌だよね?」

「えっ? そ、その…嫌というか…少しは許容できますけど……あまり近寄ってほしくないかなーとは思います。そ、その…バイ菌が…怖いし……衛生的じゃないですよね」

「というわけで、二対一で可決だ。お前は来るなよ」

「仲間に入れてくれよおおおお!! 多数決は平等じゃないって!!」

「ええい、うるさい。来るな!」

「アーー!! 待ってよーー!」


 泣き叫びながらついてくるトットに石を投げながら、アンシュラオンとサナはニーニアたちのグループに向かうのであった。




379話 「二人の出自」


 トットたちと出会った部屋には四つの扉があった。

 一つはアンシュラオンが入ってきた、西側にあるエリア全体の入り口につながる扉。

 二つ目が、南側にある『奥』につながる扉。

 三つ目が、北側の食料庫にある扉。

 四つ目が、ニーニアが入ってきた東側にある扉。


(四つに分かれた部屋それぞれに扉があるということか。だが、北側の扉は開かないな)


 この中の一つ、今アンシュラオンがいる食糧庫の先にある扉は、壊れているのか腕輪をかざしても反応しなかった。

 特に興味もないので、それは無視して、ニーニアたちのグループがいる東側の扉から出る。


 扉を出ると、また通路が続いていた。


 どうやらこの遺跡は、部屋と部屋を細かい通路が結ぶ「アリの巣」のような構造になっているようだ。


(ゲームのダンジョンもそういう造りになっていることがあるが…こうして実際に存在する以上、何かしらの目的があってこうなっているはずだ。人間が暮らすとなると少し不便に感じられるな。となれば、何かしらの実験場、あるいは工場や特殊な施設だった可能性も否定はできない)


 各部屋がこれだけ離れている理由は、『安全面』を考慮した結果だと思われる。

 たとえばこうして離れていれば、一つの部屋で何か大きな事故が起きても、他の部屋に影響を与えないといったふうに。


「ラングラスエリアと中央ホールを結ぶ扉は、あそこの一つだけかな?」

「はい、そうです」

「不便だね。出るときは遠いでしょ?」

「そうですね…。でも、私たちは普段あまり外に出ないので、そのほうが安全でもありますよ」


 試しにニーニアに訊いてみたが、彼女は呑気にそう答える。

 が、アンシュラオンの質問の真意はこうだ。


(意図的にアリの巣のような形状にしたとなれば…最悪は『入り口を封鎖すれば、エリアごと隔離できる』ことを想定したのかもしれない。エリアが四つに分かれていることからも、各場所で違うものを研究していたのかもな。もちろんこれはオレの勝手な推測だ。確証なんてない。しかし、遺跡ってのもいいじゃないか。空想や妄想が広がって楽しいよ)


 今までアンシュラオンは、地球時代も含めて遺跡や洞窟といったものに興味を示さなかった。

 たまに探検物のテレビ番組を観たこともあるが、ただ何気なく見ていただけだ。

 しかし、自分が関わるようになると見え方も違ってくるし、ニーニアたちは実際に生活しているのだ。

 知らずとはいえ、あんな凶悪なロボットと隣り合わせで。

 無知とは怖いものだが、そのアンバランスな状況が面白いと感じられた。



 通路をしばらく歩くと両側に扉があった。

 ニーニアたちは当然のごとく過ぎ去ろうとするが、アンシュラオンは一度立ち止まる。


「この二つの扉は?」

「それも開かないんですよ」

「開かない扉も多いんだね。この腕輪も万能じゃないってことか」

「そのあたりのこともよくわからないんです。『薬のおじいちゃん』も知らないって言っていましたし…」

「薬のおじいちゃんって?」

「あっ、すみません。えと、私たちのグループじゃないんですけど、薬に詳しいおじいちゃんがいて、すごい物知りみたいなんです。怪我をした時もすぐに治療してくれました」

「へー、さすが医療のラングラスだ。そういう人もいるんだね。医者かな?」

「わかりません。あまり自分のことは話したがらないので…普段は一人で違う場所にいることが多いんです。自分は医者じゃないとは言っていましたけど、手術とかもできるので、きっとお医者さんだったんだと思います」

「手術ができるの?」

「はい。急に倒れた人がいたんですけど、その…お腹を切っていろいろやっていたそうです。その人は数ヶ月後には完璧に治っていて…すごいと思いました」

「それは本当にすごいよ。オレも医療知識は素人だけど、グラス・ギースの医療技術で開腹手術ができるなんて、相当な腕前じゃないかな。もしかして、さっきの部屋にあった薬品類はその人のもの?」

「はい。最初からあったものもありますけど、薬のおじいちゃんの指示で集めたものが多いです。ただ、危ない薬品はおじいちゃんが管理していますので、あそこにあるのは比較的普通にあるものらしいです」

「へー、面白い話だね」


(すごいな。こんな地下でそれだけの治療ができるとは、本物の医者ってやつだな。思えばオレは命気で治すから、実際にグラス・ギースの医者が治している光景は見たことがないな。だが、スラウキンに聞いた限りでは、開腹手術はかなり難しいらしい)


 スラウキンに出会ってから、いろいろと医療事情も聞いている。

 外傷による異物混入や、程度の大きな剥離骨折の除去手術などは例外としても、基本的に外科手術は限定的であるという。


 その理由は主に【血液】の問題だ。


 この世界の人間同士では、輸血にはかなりのリスクが伴うのだ。

 前にも述べたが血の覚醒率が違うからだ。だから失血こそが一番怖れるべきものとされている。

 上手く対応すれば輸血なしでも手術は可能だが、それでも失血死の可能性もあるので手術は難しいのだ。

 そうして執刀数が少なくなれば医者の質も向上せず、知識も蓄積しない。

 その結果としてグラス・ギースでは医療技術が成長しないのである。


 一方の医療技術が進んでいる西側では、日本の病院でも手術前にやるが、『自己血輸血』というものが主流のようだ。

 文字通り自分の血を蓄えておき、手術時に輸血するやり方である。

 ただ当然、血を保存するのは非常に難しい技術であり、武人の血ともなればそれだけで強い力を持っているので、誰でも簡単にできるものではない。

 少なくともグラス・ギースの医療技術では不可能だろう。


(そんな状況で手術ができることは驚異的だ。オレなんかよりも確実に名医だな。しかし、地下にいるってことは犯罪者の可能性が高い。何かしら後ろ暗いことがあるのかもしれないな)


 だが、医者は医者であり、技能は技能だ。

 他派閥も含めて、どうしても治しきれない怪我を負ってしまった者が、その人物を頼ることも多いらしい。

 その対価として食糧などを受け取ることで、一人で暮らすことが可能になっているようだ。

 地下にもいろいろな人間がいるものである。



「ところで君たちは、どうして地下にいるんだい? その歳で地下送りはないだろうから、何かしら理由があるんだろう? まあ、トットはゲイだから仕方ないけどな」

「ゲイだから地下送りってのはやめてよ!!! 差別じゃないか!」

「それを世の中では区別と呼ぶのだ」

「ひでぇ!」

「極めて正しい判断だ。というか、ようやく認めたのか?」


 その口ぶりだと、自分で認めているようにも聞こえる。

 常時五メートル以上は離れてほしいものである。


「で、どうしてここにいるのかな?」

「私たちは…行き場がなくて…」

「地上よりこっちのほうがましだもんな」

「上がそんなに嫌だったか? まあ、お世辞にも良い場所とは言えないが…」

「私たち、この都市の人間じゃないんです。だから厳しいことも多くて…」

「ん? よその都市から来たってこと?」

「…はい。いろいろあってグラス・ギースにたどり着きました。しばらくは都市内部の外れにいたんですが、仕事もなくて…身の危険も感じたので、マザーと一緒に地下に来たんです」

「いろいろと気になる情報だね。都市の外れってのは下級街?」

「いえ、もっとずっと北のほうです」

「北? 北って何かあったっけ?」

「はい。私たちみたいな外から流れてきた人がいる街があるんです」

「それってもしかして…【貧困街】?」

「そう呼ばれているみたいです」


(そういえばソブカが言っていたな。都市の北側には難民たちが集まって作った街…というか集落みたいなものがあるって)


 前にプライリーラとソブカとの会話でも出た『貧困街』または『移民街』である。

 アンシュラオンもそれとなく聞いてはいたが、今まではっきりと意識したことはなかったので、軽く驚く。


(基本的に都市には誰でも入れるが、中では自分で生きねばならない。だが、全員がまともに生きていけるとは限らない…か。働き手は下級街の連中だけで十分だし、それ以上となると…なるほどな。たしかに身の危険は感じるだろうな)


 普通の働き手になれない以上、あとは自分そのものを資源として利用するしかない。


 その代表例が―――スレイブだ。


 ロゼ姉妹でさえ、あっさりと懐柔されてスレイブにされたのだ。

 貧困街という人権さえまともにない場所にいれば、それこそ女子供は危ないだろう。モヒカンたちの恰好の標的だ

 彼女たちが逃げるように地下に来たことも頷ける話だ。

 ただ、もう一つ気になることがある。


「地下に来てからどれくらい経つの?」

「五年くらいです」

「かなり長いね。君たちみたいな子供が簡単に地下に入れるもんなの? よく地下の情報を仕入れられたね」

「専門の人たちがいるみたいで、快く案内してくれました。実際に調べてきてくれたのは、同じ貧困街にいたおじいちゃんでしたけど…あっ、こっちは本当のおじいちゃんです。同じグループにいるんです」

「君たちのグループは、子供とお年寄りの集まりって感じなのかな?」

「はい」


(うむ、完全にブローカーだな。スレイブではなくて地下専門の斡旋業者がいるんだ)


 アンシュラオンとサナが注目を浴びたように、若い男女というのは非常に貴重である。

 だが、地下だけで産まれる子供だけでは数が足りないし、いろいろな問題も出てくるので、定期的に上から供給を行うのだろう。

 自分から行きたいと願う者がいるのならば、地下を維持したいと考える者たちにとっては願ったり叶ったりである。

 こうして両者の利害が一致し、簡単に地下に行くことができるわけだ。

 ただし、戻ることはかなり難しいだろう。最悪は一生ここにいることになるので、スレイブより困難な道かもしれない。


(貧困街の存在は放置しておくと危険な問題になりそうだな。地球だって難民や移民には苦慮していた。こんな城塞都市ならば、なおさらだろう。まあ、そのあたりはソブカが勝手にやるだろうから、オレには関係がない…と思いきや、なかなか面白い話ではあるな。それだけ手付かずの人材がいるってことだ)


 上質なスレイブが簡単に転がっているわけではない。

 多くの数の中から厳選に厳選を重ねて、ようやく手に入るものである。

 サリータやシャイナのようにたまたま関わった者もいるが、サナやロゼ姉妹などはしっかりと厳選されているので、女性としての質も高い。

 やはり母数は多いほうがいいだろう。数が増えれば当たりも増える。宝くじだって数を買えば当たる確率が高まるはずだ。

 もしかしたら貧困街は、自分にとっては宝の山になる可能性もある。


(いやいや、焦らないほうがいいな。今はそういう場所もあるってことだけを覚えておいて、一つずつ物事を進めていこう。何事も一つに集中しないと力が分散する。まずは今あるものを大切にしよう。それにしても、この開かない扉の中には何があるんだ? またロボットがいるのか?)


 閉まっている扉をコンコンと手で叩いてみると、かなり頑丈な素材で造られていることがわかる。


(かなり硬いな。本気で殴れば破壊はできそうだが…逆に言えば、本気でなければ壊せないほど硬い、というべきかな。そこらの魔獣より硬そうだ)


 周囲の壁の材質も探ってみるが、扉と同じ素材で出来ているのか、やはり硬そうだ。

 本気の自分でも、数十発は殴らないと壊せないかもしれないので、撃滅級魔獣の鱗に匹敵するレベルだろう。


 それよりも問題は―――


(ずっと気になっていたが、この壁は【戦気を遮断】しているな。これが一番厄介だ)


 アンシュラオンが扉を開ける前にサナに盾を装備させたが、そこにはしっかりとした意味が存在している。

 この扉や壁の中心部には、戦気を吸収してしまう何かしらの素材が使われている。

 直接強力な攻撃を叩き込めば問題はないのだろうが、波動円などの微弱の戦気はすべて吸収されてしまい、向こう側の情報がわからないのだ。

 まさにレーダー無効化とも呼べる技術が使われている。


(あのロボットにも戦気を軽減するための技術が使われていた。なぜそこまで戦気にこだわる? 戦気は人の可能性なのに、それを否定するような技術ばかりだ。まるで【怖れている】かのように…)


 戦気が人の可能性であることは間違いないのない事実だ。

 それを扱える武人は、強い肉体と精神エネルギーを使いこなし、生身で山すら叩き割ることができる超人たちである。

 が、それを怖いと思う者たちもいるだろう。

 特に力の無い一般人からすれば武人の存在は脅威でしかない。


(過《あやま》った人類を殺すために人工知能が反乱を起こす、って話は地球でもよく映画の題材にされていたな。たしかに武人は危険な存在だ。使い方を間違えれば人類が滅びる可能性だってあるだろう。だが、それくらいの力と可能性がなければ意味がない。弱い力では何も起きないしな)


 強い力だからこそ意味がある。

 たとえば、他人を殺せるくらい感情が強い人間は、無関心で怠惰な人間より何倍も見所がある、ということだ。

 その強い力が有益な方向に向けば、大成功する可能性があるからだ。

 しかし、そういったプラス思考ではなく、『マイナス側の可能性』を危険視する人間がいれば、こういった遺跡が生まれても仕方がない面はあるのかもしれない。

 当然、アンシュラオンには理解はできない話だが。




380話 「マザーという女性」


 ウィーーーンッ ゴロゴロゴロ


「ただいまー!」

「はい、お帰りなさい」


 ニーニアが扉を開けると、一人の婦人が出迎えてくれた。

 年齢は五十歳は超えているように見えるので、ニーニアが言っていたように、彼女が『マザー』と呼ばれる人物なのだろう。

 やや深い香色《こういろ》の髪の毛は柔らかく背中まで伸び、穏やかで優しい黒い瞳は、見る者をどこか安心させる神秘性を宿している。

 多少シワがあるが顔立ちも整っており、若い頃は美人だったことがすぐにわかった。

 あと二十歳若ければ、アンシュラオンのセンサーに引っかかっていた可能性が高い逸材だ。


(もっと老けている感じをイメージしたが、それほどじゃないな。オレが年上好きってのもあるんだろうけど、女性としての魅力もまだまだあるな。ただ、やはり『お母さん』といった感じかな)


 マザーの名の通り、雰囲気は母親といった感じだろうか。

 走りよってきたニーニアを抱きしめる姿などは、まさに母性の象徴である。

 二人は間違いなく血は繋がっていないはずだが、何も知らなければ本当の親子だと思ってしまうかもしれない。


「あら、そちらの子たちは?」


 マザーがアンシュラオンに気付く。

 こんな仮面の男女がいたら誰だって気になるだろう。


「うん、食糧庫で出会ったの。新しく来た人だって」

「あら、そうなの。ようこそ、歓迎するわ。私はエンジャミナといいます。ここの子供たちの世話をしているわ」

「初めまして、ホワイトです。こちらは妹の黒姫です。どうぞよろしくお願いいたします。ちなみにトット君とは友達ではありませんので、ご安心ください」

「なんでそこを強調するんだよ!!」

「同じゲイだと思われたくないから」

「ゲイじゃなくても友達になれるだろう!!」

「無理だ。それは絶対に無い。ノーチャンスだ。二人で歩いていたら確実に噂になる。そうだ、トット君をグループから追い出してください。バイオテロを起こす可能性があります。危険な存在はすぐに排除することをお勧めいたします」

「やめろよおおお! 新入りが生意気だぞ!」

「ゲイのほうが生意気だろうが!! キモいんだよ! 死ね!!」

「いてっ! 靴を投げるな!」


 なんと言われようと、これは絶対にはっきりさせておくべき問題である。

 もし勘違いされたらトットを殺すしかないので、彼にとっても大事なことのはずだ。

 せっかくなので中東でよく見かける靴を投げるシーンを再現してみた。これも額に直撃である。


「先生、トット君がお尻の穴に棒を突っ込んで悶えてました! 変態です! 追放すべきです!」

「なんで言うんだよおおおおおおお!」

「事実を公表されて困るようなことをするからだ。ほら、出口はあっちだぞ」

「マザー、こいつをなんとかしてくれよ!!」

「ふふふ、トットと仲がいいのね」

「大きな誤解です。トット君はみんなのために死ねばいいと思います!」

「やめろよおおおお!」

「さあ、立ち話もなんです。こちらへどうぞ」


 やはり年上の女性は落ち着きがある。

 トットへの発言は本気だったが、それを軽く受け流して奥に案内してくれる。

 それにしてもトットのゲイ疑惑に対して完全スルーなので、もしかしたら気付いている可能性がある。

 それでも受け入れるとなれば相当懐の深いご婦人だ。


「お前、感謝しろよ。アーー!でも受け入れてくれるんだからさ。いやほんと、マジでさ。毎日土下座しとけ。それが最低限の礼節だぞ」

「そっちが勝手に傷口を広げているんだろう! マザーはおいらを信じてくれているだけだ!」

「必死に否定するところもキモいんだよな」

「ちくしょーーー! 覚えてろよーーー!」



 マザーたちに案内されている間に、アンシュラオンは周囲を観察する。


(部屋の造りはさっきの部屋と同じか。違うのは最低限の生活空間があるということだな。グラス・ギースの下級街に近い質素な室内…という感じかな)


 周囲に見えるのは、普段の生活で必要な日用品が大半である。

 当然ながら領主城のように彫刻や皿が飾ってあるわけでもないので、生活レベルとしては下級街と同程度だろう。

 まず地下でも地上と同じような生活を営めるだけでも見事であるし、部屋は綺麗に整頓されており、花瓶に花も飾られているので清々しい気持ちになる。

 殺風景な部屋でも、花が一輪あるだけで雰囲気が変わるものだ。

 そういう配慮が大切だと改めて感じた瞬間である。


「それはマザーが飾っているんですよ」


 じっと見ていたせいだろうか、ニーニアが教えてくれた。


「さすが年上の女性だね。素晴らしいよ。これだけで部屋の雰囲気がとても柔らかくなっている。ところで地下にも花なんてあるんだね」

「はい。値段はかなり高いですけど、上から来る物資の中にあるんです。ただ、これは初めてここに来た時にマザーが買ったものなので、年数を考えれば安いですね」

「へー、そうなんだ。………ん? 今何か変なことを言った?」

「…え?」

「いやほら、初めてここに来たときって…」

「あっ! ああ、はい! そうですね。…知らない人が見たら不思議ですよね」

「君がここに来たのって五年前だっけ? それからずっと花が枯れていないの?」

「そうですね。水は取り換えてますけど…」

「肥料とかは?」

「あげていないと思います。普通に水を入れているだけですから」

「その水ってどこから持ってきたもの?」

「上からの物資の時もありますが、地下水もあるんです。花は地下水ですね」

「地下水はいつも飲んでる?」

「煮沸してから飲むことも多いです。でも、普通の味ですし、特に問題はありませんよ」


 ニーニアは少し首を傾げただけで話を終わらせてしまう。

 おそらく慣れきっているのだろう。これは彼女にとっては当たり前のことで、日常の一風景にすぎないのだ。


 が―――異常だ。


(花が五年も枯れないなんて聞いたこともないぞ。花なんて下手をすれば一日で枯れてしまうようなものだ。この花の種類がそういうものって可能性もあるけど…そんな貴重なものならば簡単に買える額ではない。…他の可能性もいろいろと考えられるが、どういうことだ?)


「おーい、早く来いよー」

「うるさい。命令するな! ぶんっ」

「ぎゃっ! いってぇええ! 物を投げるなよ!」

「当たればセーフだ」

「だから的じゃないんだよおおお!」


(ちっ、ゲイのせいで考える暇もないか。ここでは変なことも多いようだし、注意深く様子を見たほうがよさそうだな。とりあえずサナには命気水があるから問題はないだろうが…多少気になるな)




 アンシュラオンとサナは、マザーたちに案内されて客間のような部屋に通される。

 天井が多少高いのが気になるが、壁にはタペストリーなどの色とりどりの織物が掛けられているので、どこかの民族の部屋にお邪魔した気分である。


 そこにはマザーとニーニア、トットの他に、成人の男女がそれぞれ二名ずつ、四名いた。


 四人は椅子に腰をかけながら、こちらを穏やかに見ている。

 彼らは事前の情報通り、「おじいちゃんとおばあちゃん」といった年齢層の者たちであり、老婦人の手には編み針が見受けられる。

 ちらりと部屋の隅を見ると、木で出来た織り機もあったので、このタペストリーや織物は彼女たちが作ったものだと思われる。

 彼らはアンシュラオンとサナを見ると、仮面を被っているせいか一瞬だけ「?」といった表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑みに戻った。

 体格が少年なので、そういった微妙な年頃だと思われたのかもしれない。

 ちょっと心外ではあるも、嫌な視線ではない。彼らの心根がわかるワンシーンであった。


(うむ、歳相応の普通の人間だな。むしろ善良というべきか。…仮面を被ったままというのも失礼だろう。お年寄りには優しくしないとな)


 意外にも感じられるだろうが、アンシュラオンはお年寄りには親切である。

 もともとダビアのような中年男性とも仲良くできる人間だ。相手側にある程度の常識があれば最初から敵対することもない。

 重要なのは中身である。

 駄目人間には厳しく当たり、普通の相手には普通に対応するだけのことだ。

 特に老人に対しては、この世知辛い世の中を長い年月生きてきたので、そこに崇拝の念を抱く。

 自分はこうして強い身体を持っているが、弱い一般人が長く耐え忍ぶ姿には敬服するしかない。


 よって、仮面を脱ぐ。


 カポッ ファサァア


「ふぅっ…やっぱり素顔が一番だな」

「っ!!」

「どうした、ニーニア?」

「えっ…っ! い、いえ……なんでもない…です」

「ん? 髪に癖でもついたかな?」


 アンシュラオンが仮面を脱ぐと、白く美しい髪の毛がふわりと舞う。

 汗一つ掻いていない髪の毛と同じ白い肌に、血のように赤い瞳。

 周囲にあるすべての美術品が、それだけで駄作になってしまうほどの完成品がそこにあった。


 もちろんニーニアは、アンシュラオンの素顔に見惚れたのだ。


 アンシュラオンはロゼ姉妹を手に入れたせいか、同じ年齢層のニーニアに対しては、スレイブという意味合いで興味を抱いていない。

 そのせいで気付かなかったが、彼女の頬は赤くなっていた。

 この年代の少女は多感であるし、恋多き乙女である。アンシュラオンに見惚れるのは必然だろう。


 続いてサナも仮面を脱ぐ。

 アンシュラオンと対比するように美しく艶やかな黒髪、張りのある肌、深く静かなエメラルドの瞳が印象的だ。

 さすが元白スレイブ。すべてが際立って美しい。

 さらに最近武人として目覚めたせいか、『雰囲気』や『存在感』というものが身につきつつあるようだ。

 隣にいるニーニアには申し訳ないが、女性としてのポテンシャルが違いすぎる。

 一緒に並べば、おそらくすべて男性の目がサナに集中するだろう。それほどの違いだ。


「か、かわいい…」


 あまりの美しさにトットが硬直する。


 が、直後―――ゴンッ!



「―――ぶはっ!」



 アンシュラオンから仮面を投げつけられるという制裁が入った。


「おい、ゲイ。妹をふしだらな目で見るな。バイセクシャルか、お前は。ほんと、この年齢の男ってのは性欲の権化だな。アーー!はアーー!だけの世界にいろよな」

「な、なんだよ! 見るくらい、いいだろう!」

「…お前、オレには反応しないんだな。よかったわぁ…本当によかったぁ…!」

「トットはガチムチ派ですからね」

「なるほどな。そっちはそっちでパンツレスリングでもしてろよ。兄貴によろしくな」

「だから違うって言ってるだろおおおお!」



 話が進まないので、トットの一件はさっさと終わらせることにして、改めてグループのメンバーと向かい合う。


「着飾るのは嫌だから普通に接しさせてもらうね。とりあえずよろしく。妹は無口だけど気にしないで。そういう性格なんだ」

「ほほほ、そうかいそうかい。元気な子が来て嬉しいのぉ」

「そうね。若い子がいると元気が出るものねぇ。ありがたいわねぇ」


 アンシュラオンとサナを見る目は、とても優しかった。完全に孫を見る目である。

 罪人には見えないが、一応確認してみる。


「みんなは貧困街から来たの?」

「ああ、そうじゃよ。前にいた都市内で争いが多くなったからの、みんなで移動してきたんじゃ。じゃがまあ、こんなところに長く住むようになるとは思わなかったがのぉ。ほほほ」

「そうですねぇ、おじいさん。私はすっかり肌が白くなってしまいましたよ。前より綺麗になったかもしれません」

「お前は前から綺麗だよ」

「いやですよ、まったく。子供たちの前で…ふふふ」


 このやり取りを見る限り、どうやら二人は夫婦のようだ。

 ニーニアが言っていた「本当のおじいさん」というのは彼らのことだろう。


「おじいさんが、ここのリーダー?」

「名目上はの。実際の事務や雑務の大半はマザー・エンジャミナがやってくれておるよ」

「へー、マザーも一緒の都市から来たの?」

「私たちは貧困街で出会ったのです。そこからのご縁ね」

「それに付き合って地下に来るなんて、マザーもなかなかの変わり者だね」

「ふふふ、そうね。でも、それが私の役目ですからね」

「役目って?」

「あなたは『カーリス教』って知っているかしら?」

「ううん? 聞いたことがあるようなないような…どっちにしてもよく知らないかな」

「そうね。このあたりには根付いていないから、しょうがないわね」

「宗教?」

「端的に言えば…かしら。でも、私はあまり経典とかには興味がないの。ただ、自分が役立てる場所を探してやってきただけなのよ」


(やはりそうか。雰囲気が違うんだよな)


 『マザー』という言葉を聞いた時から宗教的とは思っていたが、本当にそうらしい。

 彼女を見た瞬間に思わずシスターかと思ったくらいだ。それくらいの清廉さが感じられたわけである。

 その後、軽く話を聞いてみると、カーリス教のブラザーやシスターは世界的に活動をしており、特に貧困に対する援助には積極的だという。

 しかし、援助するためには危険な地域に赴かねばならない。

 逆説的に言えば、そういう場所だからこそ貧困がのさばっているので、援助団の多くも危険に晒される可能性が高くなる。


「このあたりにも一度、大規模な援助団が派遣されたことがあるの。私が生まれる前だと聞いているけれど…魔獣に出会って壊滅したらしいわ。それから派遣が見送られることになって、誰も近寄らなくなってしまったのよ。でも、中には私のように個人で赴く者もいるというわけね」


 マザー・エンジャミナは、荒れ果てた大地で苦しむ人々を少しでも助けるために、奇特にもグラス・ギースにまでやってきたという。

 マザーと名が付いていることからもわかる通り、教会本部に所属していた頃も孤児たちの面倒を見ていたらしい。

 それゆえか彼女は、子供たちを守ることが自分の使命だと考えているようだ。

 実に母性本能が豊かな素敵な女性である。


(頭のおかしい宗教は嫌いだが、それはあくまで外見部分、表面にすぎない。重要なものはいつだって中身だ。くっ、あと二十年若ければ…)


 何度も言うが、惜しい人材である。

 もっと若ければ喜び勇んでスレイブに勧誘したものだ。

 といっても、慈愛に満ちた彼女がアンシュラオンに従う姿があまり想像できないので、どうなっていたかはわからないが。




381話 「レイオンとファン・ミャンメイ 前編」


(話を聞いた限りでは、『カーリス教』というのはキリスト教をベースにしたような宗教だな。博愛の精神はまったくもって悪いものではないが…はてさて、実態はどうかな)


 宗教自体は、基本的に同じような誕生の仕方をするものだ。

 たとえば教祖となる指導者(自覚の有無にかかわらず)がおり、その周囲の者たちが広めていくといった形態をとることが多い。

 そして、頭がおかしい教義が生まれるのも、これが最大の原因となる。


 指導者と弟子あるいは取り巻きの間に、霊的覚醒レベルの多大なる相違があるからだ。


 指導者自体はそれなりの目的があって、その土地あるいは民族に適応する教義を説いていくのだが、周りはその本来の意図を理解できない場合が大半である。

 凡人に天才は理解できない。弱い人間に強い人間のことはわからない。

 それと同じような『乖離』が発生して、長い年月をかけて伝わるうちに意味不明なものが付け加えられていく。

 カーリス教がどんな組織かはまだわからないことも多いが、なんとなく硬質化したイメージを抱いたので、多分に漏れず変なことになっている可能性は高い。


(真贋を見極める目を持たないやつらは、それに騙される。教義や儀式に囚われて盲目になる。それも当人のレベルが低いから起こる現象だ。詐欺に遭うのは自分に見る目がなかったから、というやつだな。だが、彼女は自分の信念だけでここまでやってきた。そういう女性ならば価値はあるな)


 何を信じていようが、大事なのはその人間当人の質である。

 結局のところ素晴らしい人間というものは、どこにいても何をやっても素晴らしいのである。

 マザーがたまたまカーリス教にいるだけであり、違うところにいても彼女は依然として美しいだろう。それだけのことだ。


 そんなマザーに好感を抱きつつ、本題に入ることにする。


「そうそう、ソーターさんはリーダーなんだよね。試合に出るために派閥のリーダーの許可が必要って聞いたんだけど…」


 その後の自己紹介で、ニーニアのおじいさん(名前はソーターというらしい)が派閥のリーダーだということが判明する。

 当初は奥の連中たちが実権を握っていたが、レイオンが来て弱者に転落したので、今はソーターじいさんが代表になっているとのことだ。

 早々にリーダーに出会えたことはラッキーである。


「試合? もしかして代表戦のことかい?」

「そうそう、それだね。オレたちも加わりたいんだ」

「ほへー、そんな小さな身体で戦えるのかいな?」

「まあね。ラングラスの順位に興味はないけど、オレたちを出してもらえれば少しは貢献できると思うよ。少しどころか優勝は間違いないね」

「お、おい! いきなり何を言ってんだよ! 代表戦はいつもの試合とは違うんだぞ!」


 その発言にトットが驚きの声を上げる。


「ほぉ、さすが兄貴好きのアーー!だけはあるな。ちゃんと試合を観戦しているようだ」

「くそっ! 言い返したいが、試合が好きなのは事実だ。だからこそ言わせてもらうぜ! おいらは素人だけど、代表戦は場合によっちゃ死人も出るくらい危険なものなんだぞ!」

「それは素晴らしい。相手を殺していいなら、そのほうが気楽でいいな。手加減って面倒だし」

「どういう神経してるんだよ! それに派閥の順位がかかっているから、負けたら大変なんだぞ! 弱いやつに出られると迷惑なんだよ!」

「ラングラスは最下位だろうが。これ以上、どうやって落ちるんだ」

「最下位で負けてもペナルティがあるんだ。試合に出るにも物資を出さないといけないし…」

「相変わらず弱者に厳しいルールだな。しかし、レイオンがいるのに負けているのか?」

「…レイオンはいつも勝つよ。でも、団体戦だから…負け越すんだ」

「試合は何人でやる?」

「三人だね。両者戦闘不能とかの引き分けで勝負がつかない場合は延長戦もあるけど…基本的には、先鋒、中堅、大将で、先に二勝したほうが勝ちになる」

「このエリアにレイオンに匹敵する武人はいないのか?」

「そんなのいないよ。あの人のほかはクズな大人連中ばかりだしね。ラングラスではレイオン以外は個人戦にも出ていないし…」

「レイオン以外は役立たず、というわけか。だから試合があんな感じだったんだな」


 この地下では、数がかなりの力を有している。

 仮にレイオンが誰よりも強くても、他のメンバーが弱ければ「1-2」で負けてしまうのだ。

 相手側は普通のレベルの武人が二人いれば、十分勝てるという算段だ。

 団体戦では勝てないのだから個人戦で挽回するしかない。だからあれだけ必死だったのだろう。


「問題ない。それを含めて勝たせてやる。まあ、今回勝ったくらいで序列は上がらないだろうが、負けるよりはいいだろうさ。ソーターさん、オレと妹を入れてよ」

「ふむ…レイオンに聞いてみないとな……そっちのことは任せているからのぉ」

「じゃあ、レイオンがいいって言えば認めてくれるんだね?」

「そりゃかまわんが…大丈夫かの?」

「大丈夫だって。ちゃんとやる―――」



「あの〜、トット君…いますか?」



 その時、部屋の入り口からひょこっと姿を見せた者がいた。

 青いストレートの髪を伸ばし、エプロンを着た【若い女性】である。

 その女性が手招きをしている。


「あっ、はい!」



 呼ばれたトットが女性に近寄ろうとするが―――



「トット、貴様ぁあああああ!」


 バシッ

 走り寄ろうとするトットに対して足を伸ばし、転ばせる。


「うおっ! ぶはっ!!」


 バチーーンッ

 ちょうど絨毯がない場所で転んだので、思い切り身体を床に打ち付ける。

 これは痛い音だ。事実、床にぶつかったトットの両手が真っ赤になっている。


「いてーーー! なにすんだー! めっちゃいてーー!」

「うるさい! 貴様、ゲイのくせに若い女にまで興味があるとは何事だ!! ゲイでアーー!でロリコンなら、それを貫かんか!! だから全部が中途半端なんだよ!」

「どういう評価なんだよ! それだけ聞いたら、おいら最悪じゃんか!」

「当たり前だ! お前は生まれた時から最悪だ!! こいつめ! 修正してやる! バシンッ バシンッ!」

「アーー! アーー!」


 手で触れるのは汚いので、近くにあった布で尻を引っぱたく。

 だが、叩けば叩くほどトットが変な声を出すので、逆に悦ばせているようで不快な気持ちになっていく。

 こんな気持ち悪い存在とは関わりたくないものだ。さっさと離れて女性のほうに行く。


「お嬢さん、あいつは変態ですから近寄らないほうがいい。バイ菌が移ってしまいますからね」

「えっ?」

「ここだけの話なんですが、あいつ…ゲイなんです。今だって尻を叩かれて喜んでいたでしょう? あなたの尻の穴だけが目的の変態なんですよ」

「えっ、その…はい。知ってました」

「え? 知ってたの?」


 まさかの発言である。

 それに対して逆にアンシュラオンが驚いてしまったほどに、はっきりと言った。


「トット君、そういうのが好きなのかなぁ…とは思っていました」

「なるほど、そりゃ気付くよね。あんな変態、気付かないほうがおかしい」

「そ、そんなぁ…! みんな、ひでぇよぉおおお!」


 領主のスレイブたちもそうだったが、「いつかやると思っていました」に近いものがある。

 それだけ普段の生活に問題があるということなので、ぜひとも反省していただきたい。



「…ん? んん?」

「…はい?」

「んー、ふーーーむ」


 断罪されて打ちひしがれているトットを尻目に、アンシュラオンがじっと女性を見つめる。

 食い入るように見つめる。


(見た感じ、オレより年下だな。サリータよりは下だろうが…シャイナよりは上くらいか? ふーむ、んん…どこかで見たことがあるような…)


 アンシュラオンがジロジロと青い髪の女性を見つめる。

 舐め回すように見つめて―――


「ちょっと失礼」

「ひゃんっ!」


 もにゅん。

 おもむろに胸に手を伸ばす。

 もみもみ もみもみ


「あっ、あっ!!」

「むっ、多少控えめではあるが…いい肉付きだ。なんだろうな、これは…そう、表面はパリっとしていながらも中身はジューシーで、揉めば揉むほど肉汁が出て味わい深くなるような…。そうか。弾力が一定ではないんだ。肉の付き具合が微妙に違うから、触っていて飽きさせない豊かな起伏を生み出している。…うむ、悪くないぞ! これはいいものだ!!」


 何を言っているのかよくわからないが、突如としてアンシュラオン先生のおっぱい査定が始まってしまった。

 女性の胸はあまり大きくはない。マキやホロロと比べると小ぶりだろう。

 だが、触ってみた感触はまるで別物だ。


(たとえるならば、そこらの露天で買った小さなたこ焼きを期待せず食べたら、非常に上質なタコが入っていて驚いたような、あるいは小さなシューマイを何気なく食べたら、その肉の上質さに思わず驚いたような意外性だ!)


 このたとえも若干意味不明だが、とりあえず大きさではなく中身が良かった、という意味だと思われる。

 そして、それがこの男に火を付ける。


「胸だけではわからん。もっと触ってみなければ! ここには宇宙が隠れているかもしれんからな!! 要チェックやで!! さわさわさわっ! もみもみもみっ! ぷるんぷるんぷるんっ!」

「あっ、その…あっ! そんな…あっ! あはんっ!」

「いいぞ、いい感度だ。身体も柔らかくてふわふわしているが、もちもちっと指を跳ね返す弾力がたまらない。君はいいぞ。素晴らしい! 尻はどうだ?」

「あっ、そこは…!」

「おい! ミャンメイ姉ちゃんに手を出すなよ!!」

「うるさいぞ、アーー! あっちに行っていなさい!! こっちは今忙しいんだ! ゲイにかまっている暇はない!」

「なんだと! もう許さないぞ! こうなったら力づくでも止めて―――」

「ふんっ!」

「ぎゃーーーー!」


 ボンッ ゴロゴロゴロゴロッ!


 力づくで止めに入ったトットだったが、逆に力づくで吹っ飛ばされた。

 もちろん簡単な発気で衝撃波を生み出しただけなので、さして強い攻撃ではないが、子供相手にも普通に暴力を振るうアンシュラオンはさすがである。


「と、トット君! 大丈夫!」

「大丈夫だよ。あいつ、ゲイだから」

「ゲイって…丈夫なんですか?」

「うん、ゲイだから」


 何の根拠もない持論である。

 だが、トットが介入したおかげでアンシュラオンの気が逸れ、ようやく正気に戻る。

 まじまじと顔を見つめると、ようやく記憶が蘇ってきた。


「あれ? 君って…もしかして試合会場にいた子? 試合の賭けに出されていた」

「は、はい。そうです」

「あー、そうだったのか!! どうりで覚えのある胸…じゃなくて、目だと思ったよ! お団子頭じゃないから気付かなかった。ストレートも可愛いじゃないか」

「あ、ありがとうございます。あなたは…初めての方ですよね?」

「ああ、そうだよ」

「初めまして、ファン・ミャンメイと申します」

「オレはホワイト。よろしくね」



 彼女は―――ファン・ミャンメイ。



 レイオンの試合で賭けの対象にされていた女性であった。


(髪の毛を下ろしていたせいもあるが気付かなかったな。まさかこんなところで出会うとは…いや、ラングラス派閥なんだから当然か。ロボットに襲われたせいですっかりと忘れていたよ。あと、無駄に濃いゲイのやり取りでな。しかし、見れば見るほど質のいい女の子だな)


 胸も意外といいし、何よりも雰囲気がいい。

 美しく輝く灰色の瞳には、相変わらず邪気というものがなく、いきなり胸を触ったアンシュラオンに対しても温和な態度のままだ。

 普通はいきなりこんなことをされたら、びっくりして身体が硬直してしまい、感情面でも変化が出るものである。

 しかし、ミャンメイはまったくの自然体のままだ。

 それはアンシュラオンのように鍛えて熟練したものではなく、最初からそういう性質なのだと思われる。


「うん、気に入ったよ。欲しいな…」

「え?」

「君、処女だったよね。オレのものにならないかい?」

「えっ、その…はい?」

「君の人生をすべてもらう代わりに、オレも君にすべてをあげよう。富も快楽も夢も希望も安心もあげよう。だからオレのものになってくれ」

「っ! そ、それは…もしかして……ぷ、プロポーズ…ですか?」

「それに近いかな。オレが君の主人になるって意味では同じだね」

「主人…! だ、旦那様…ですか?」

「おっ、いい響きだ!! それはいい響きだよ!! うむ!!」


 今までの人生で「旦那様」と呼ばれたことは一度たりともない。

 スレイブたちも、ホロロたちメイドは様付けか「ご主人様」だし、シャイナは「先生」だし、サリータに至っては「師匠」である。


 そんな中でやってきた―――旦那様。


 結婚していれば各種窓口や勧誘では言われることも多いだろうが、召使いでも雇っていない限り、独身男性が相手から直接言われることはない言葉だ。


 これは―――いいものだ。


 まったく予想していなかったが、こんなことを言われたら欲しくなるのがスレイブマニアというものである。


「さあ、オレのスレイブになってくれ。幸せにするから」

「そ、そんな目で見られたら…あぁ……綺麗。なんて優しそうな目なのでしょう…」

「ほら、おいで。気持ちよくしてあげるよ」

「…はい、旦那様…」


 何かに魅了されたように、ミャンメイがふらふらとアンシュラオンに近寄る。

 当然、アンシュラオンのスキルである『年下殺し(恋愛)』が発動しているのだ。

 ニーニアがそうであるように、仮面を脱いだアンシュラオンの魅力は半端ない。普通の女性ならばイチコロだ。

 ただし、あまりにいきなりなので、これにはミャンメイ自身にも問題があることを示している。


(やはりこの子は…危うい面があるな。すべてを受け入れてしまうということは、相手の気持ちや感情、思惑まで受け入れてしまうことだ。これなら簡単に支配できそうだ)


 ミャンメイを見た瞬間から、若干の危うさを感じていたものだ。

 言ってしまえば、受身の女性、というべきだろうか。言われた通りにしてしまう癖があるのだ。

 セノアの異名も『求められるままに生きる少女』であり、とてもよく似ているが、彼女にはまだ嫌気や拒否といった感情があるのでミャンメイのものとは少し違う。

 セノアはあくまで周りの目を気にして演じているにすぎない。本心は本心として、しっかりと存在するのだ。

 一方、その状況を受け入れて愛してしまえるという意味合いで、ミャンメイのほうが、よりスレイブとして高い資質を持っているといえるだろう。

 そうした従順性もアンシュラオン好みに映ったというわけだ。


 ふらふら ふらふら



 ミャンメイがアンシュラオンに身を委ねようとした瞬間―――




「何をしている!!!」




 強い声が部屋に響いた。

 今までの雰囲気をぶち壊す、とても強い声だ。



 見ると後ろに―――レイオンがいた。





382話 「レイオンとファン・ミャンメイ 中編」


 入り口にはレイオンがいた。

 どうやらアンシュラオンが夢中になっている間に入ってきたようだ。

 といっても扉が開くのは感知していたので、その瞬間から彼がいることはわかっていたことだ。驚きはない。


(レイオン…か。いい雰囲気を持っているな)


 改めてレイオンを観察する。

 煤けて色を失いつつある青い髪に対し、濃いサルビアブルーの瞳は煌々と輝いており、アンシュラオンをしっかりと睨みつけている。

 身長はソイドビッグくらいはある長身で、しっかりと筋肉の鎧を身にまとっている。

 が、ビッグのように横にも広いわけではない。

 筋肉質ではあるが、プロレスラーのようにガチガチというわけではなく、空手家のように引き締まった身体つきをしている。

 服は試合会場で見たボロボロのサバイバルジャケットのままだ。

 その隙間から多少の痣が見えるが、すでにほとんどの傷は回復している様子がうかがえる。


(耐久力と回復力に優れた典型的な戦士かな。技を見ていないから実際の実力はまだわからないが…悪くはない。サナの相手としては上等だ。何よりもギラついている感じがいいな)


 アンシュラオンを睨みつける目は、今すぐにでも襲いかかってきそうなほど鋭く激しい感情を帯びている。

 それでも飛びかかってこないのは、周囲に女子供がいるからだろうか。それとも自分もそれに含まれているからだろうか。

 どちらにせよ武人としては悪くない人材だろう。


「あんたがレイオンか」

「ミャンメイから手を離せ」

「おいおい、挨拶くらいしようよ。人としての礼節だろう?」

「手を離せ」

「ふむ、そういえばあんたの『所有物』だったね。オレも他人の物に興味があるわけじゃないけど、どうやらこの子は愛されていないようだ。そういうのを見ると不憫でね。拾いたくなるんだ」

「お前には関係ないことだ」

「人の話を聞かないやつだなぁ。あんたがちゃんとかまっていればそうするが、要らないのならば、もらうよ」

「…死にたいのか。そいつに手を出そうとした人間がどうなったか聞いていないか?」

「聞いていないな。でも、聞いたところで結果は変わらないと思うよ。あんたはオレには攻撃できないしね」

「脅しではないぞ」

「こっちも冗談で言っているわけじゃないよ」


 スウウウッ


「うっ、さぶっ!」


 周囲の空気がやたら冷たくなった気がして、トットが自分の両腕を掴む。

 だが、本当に気温が下がったわけではない。


 レイオンが、凍てつくような冷たい【殺気】を出したのだ。


 トットは直接当てられていないのでまだ大丈夫だが、もし対面で睨まれていたら腰を抜かして、小便をちびりながら「アーー!」と叫んだことだろう。

 常人ならば耐えきれないほどの圧力だということだ。


 が、そんな殺気でも―――アンシュラオンには生温い。


 この圧力に晒されながらも平然としている。


(裏スレイブには届かない。あいつらの放つ喜々とした殺意とは別物だ。やはりあまり人を殺したことがないようだな)


 人と戦い、殺すのが好きな裏スレイブは脅すということをしない。だから殺気にも、すっきりとしたキレがある。

 一方でレイオンのものは大きくて重いが、それだけだ。相手を細切れにして殺そうというものではない。

 これは強い弱い、良い悪いの問題ではなく、性質のことを言っているわけだ。

 残虐性や残忍性もないので、この程度の殺気ではアンシュラオンは何も感じないのである。



 二人は―――室内で対峙。



 険悪なムードであることはわかるので誰も口を開かない。

 トットやマザーも見守るしかないようだ。


「どうした? 入ってきていいぞ。入れるものならばな」

「………」


 レイオンは軽く構えたまま立ち止まっている。

 こちらを牽制しているわけではない。待ち構えているわけでもない。



―――動けない



 のだ。

 アンシュラオンの周囲には、ジュンユウがやったような「間合い」が形成されていた。

 素人には何も見えないが、それなりの腕前の武人が見れば、そこだけ別の空間になっていることがくっきりとわかるだろう。

 間合いは球体として生み出され、すべての範囲を完璧に覆っている。

 無限抱擁を展開しているわけではない。普通にこの範囲がアンシュラオンの間合いにすぎない。


 レイオンが間合いに入れば、即戦闘開始、というわけだ。


 それはわかっている。すべて理解している。



 だからこそ―――動けない。



(突破できん…!)


 試合では汗一つ掻いていなかったレイオンから、じんわりとした汗が滲む。

 知らずのうちに呼吸が荒くなっていき、興奮して瞳孔が開いていく。


 この段階でレイオンは―――【三度敗北】していた。


 一度目は、飛びかかった。

 制圧しようと軽く拳を伸ばしたのだ。

 だが、腕が伸びきる前に腹に一発受けてノックアウトされた。


 二度目は、侮りがあったと反省して本気で殴りにかかった。

 試合で見せたようなギラついた野生の本能で、殺してもかまわないと思って突っ込んだ。


 結果、腹を抉られて―――殺された。


 人生は鏡だ。自分がやったことが自分にも降りかかる。

 自分が殺そうと思って突っ込めば、相手もそう思って反撃するだろう。

 その結果として、アンシュラオンの覇王技、羅刹によって腹を抉られて死んだ。

 抵抗する暇もない。よけることは不可能だ。速度が違いすぎる。


 三度目は、どうにかして打開しようと防御主体で間合いに近づいた。

 しばらくはそこで膠着し、何の動きもなかったが、飽きたアンシュラオンがずかずかと歩き出して間合いを広げ、あっさりと殺された。



「はぁはぁ、ちっ…」

「どうした? また来いよ。何度でも相手をしてやるぞ」

「くっ…」


 どさっ

 その圧力に屈したようにレイオンが膝をつく。


 じわぁぁ


 そして、触れてもいないのに彼の腹に痣のようなものが生まれた。

 当然ながら二人のやり取りは、想像上で起こったことだ。現実では一歩たりとも動いていない。

 そうにもかかわらず身体に傷が生まれたことには誰もが驚く。


「え? え? どうなってるんだ!!? どうしてレイオンの腹に傷が…」

「【聖痕《せいこん》】…と一緒ね」

「聖痕?」


 トットの言葉にマザーが答える。


「カーリス教では、偉大な死を遂げた聖人に敬意を払って祈りを捧げるのだけれど、たまに信者にも同じような傷が生まれる場合があるの。たとえば首に怪我を負って死んだ人を想うと、同じ場所に傷が生まれるという具合ね」

「なにそれ? 超常現象じゃん!」

「そう考える人もいるけれど…実際は自分の思い込みなのよ」


 地球の宗教でも、磔《はりつけ》にされた指導者に祈りを捧げていた信者が、両手から出血するという現象が起きている。

 何も知らない人が見れば、まさにトットが言ったように超常現象ではあるのだが、これは単なる【精神の働き】である。

 たとえば絵画では手の平に杭が刺さっているが、実際にそれをやると手では耐え切れずにちぎれてしまうらしい。

 それゆえに本当は手首だったのではないか、と言われている。


 が、血を流した信者は手の平から出血している。そこに矛盾があるわけだ。


 答えは簡単。

 その信者が絵を見たことで「杭は手に刺さっていた」と思い込んでいるからだ。

 だから精神の効能によって、傷が手の平に生まれたにすぎない。もし肩ならば肩に、足ならば足に出来るだけのことだ。


(【イメージ戦闘】ができるだけ、たいしたもんだよ。精度もいい。そうやって痣ができるのは実際にシミュレートしているからだ)


 忘れてはならないことだが、武人の戦気は精神エネルギーを利用している。

 それによってこれだけの力を出すのだから、精神というものは実に怖ろしい兵器にもなりうる。

 レイオンのようにイメージの結果として自分の身体に傷をつけることも容易なのだ。

 それだけイメージがしっかり出来ていた証拠でもあるので、彼が優れた気質の持ち主であることを示している。


 これはファテロナもアンシュラオンとの戦いでやったことだ。

 あの時の彼女も事前に行動予測をしたのだが、何度打ち込んでも返されるイメージしか湧かなかった。

 だから勝負を途中で捨てたのだ。その差に気付くことが優れた武人の証明でもある。


「どうする? 本当にやるのならば、やってもいいぞ」


 今、アンシュラオンはレイオンを―――見下している。


 現実では戦ってさえもいないのに、目の前の少年に対して大柄な男が跪いているような構図になっている。

 歴然とした実力差が、ここにはあった。


「………」


 レイオンが、目を逸らした。

 動物の睨み合いではないが、やはり弱い者から目を背けるものだ。



 こうして―――屈する。



 これ以上の敵対行為を継続することを諦めた。

 アンシュラオンの実力を知っている者からすれば、なんら恥ではない。

 むしろ差を知っていながら挑む者のほうが愚かしく思えるだろう。レイオンの判断は極めて正しい。


(思った以上に早い出会いと決着だったが、オレが主役じゃないからな。こんなものだろう)


 すでに凄腕のアーブスラットたちと戦っているアンシュラオンである。いまさらレイオンと戦いたいとは思わない。

 それよりは話をスムーズに進めるほうが重要だ。

 もしレイオンが最後まで反抗するような者だったら厄介であったため、この決着は双方が望むものとなった。



「さて、負けを認めたな。ならば話し合いをしようか。面倒は嫌いだからスマートに進むと嬉しいけどな」

「お前は誰だ! ミャンメイが目的なのか! こいつは…やれん!」

「そういきり立つな。オレはお前と戦うつもりなんてないさ。ミャンメイを無理やり奪おうなんて気もない。それじゃオレも楽しくないしな。ただ、あんたには用事があるんだ」

「用事…だと?」

「代表戦が五日後にあるんだってな。オレと妹も出させてもらうぞ」

「妹…?」


 レイオンが、ここでようやくサナの存在に気付く。

 アンシュラオンの存在感が強すぎて見えなかったのだ。


「この子は?」

「オレの妹だ。まだ幼いが武人だ」

「………」


 レイオンがサナを観察する。

 これは武人が武人を測定する行動なので、ジロジロ見てもアンシュラオンは何も言わない。

 また、レイオン自身もそういった感情はなく、本当に実力だけを測っているようだ。


 そして、結論。


「代表戦は甘くないぞ。その娘では難しい」

「だろうな。ただ、オレとお前がいればラングラスは勝てるから、この子は試合で修行ができればいい。勝ち負けは二の次だ。悪い提案ではないだろう? 勝ちたいのならば受け入れることだ」

「………」

「お前のことは何一つ知らないが、試合は見せてもらったよ。まあ、なんというか…『おままごと』だったな。見ているほうは恥ずかしかったぞ」

「………」

「ずっと気になっていたが、お前は何の目的でここにいるんだ? ラングラスとどういう関係だ?」

「………」

「やれやれ、男のだんまりってのは最悪だな。ただ印象が悪いだけだ。じゃあ、こうしようか」

「あっ!」


 アンシュラオンがミャンメイを引き寄せる。

 身長はミャンメイのほうが少し高いので、胸を鷲掴みにするとちょうどよい感じだ。

 心地よい弾力が手の平に伝わって気持ちいい。


「っ! やめろ!」

「ミャンメイのことになると激情するな。そんなに好きなら自分のものにすればいいのに。それともインポか? その若さからとは…さすがに同情するよ」


 今で言うところの「ED」、つまりは勃起不全である。

 アンシュラオンも地球時代は、老化による急激な性欲減衰に戸惑ったものだが、若い頃にそうなったら生きる意欲そのものが失われるだろう。


(ミャンメイは魅力的だよな? 身体が健康なら普通は性欲を抱くと思うが…)


「あっ、あっ!!」


 もみもみもみ


「これは芝居だから我慢してね」

「え? あっ、はい」


 もちろん嘘であるが、そうミャンメイに言うだけで簡単に信じてしまう。

 このような女性なのだ。言葉は悪いが簡単に手篭めにできてしまえるはずだ。

 それをしないことがアンシュラオンには理解できない。


 が、答えは意外なところから出てきた。




「武人の世界では『近親婚』も多いと聞くけれど、カーリス教ではあまりお勧めはしていないわね」




「…え?」


 声が発せられたのはアンシュラオンの真後ろ、マザーからであった。


「今、なんて言ったの?」

「近親婚よ。だって、二人は【兄妹】ですもの」

「兄妹? 血が繋がっているの?」

「そう聞いているけど…そうよね?」

「は、はい。兄さん…です」


 アンシュラオンは、じっと二人を交互に見る。


(言われてみれば…髪の毛の色は似ている。ただ、レイオンが煤けて汚れているから鮮やかさが全然違うぞ!! それ以外は似ていないが…本当に兄妹なのか? いや、当人が言っているのならば間違いないか)


 二人は【兄妹】であった。


 この世界ではロゼ姉妹のように似ていない家族もいるので、そういった判断がとても難しい。

 そして、ここでもまた大きな認識の違いがある。




「兄妹なら結婚できるじゃん」




「おかしいだろう!!!」



 トットにツッコまれるという屈辱を味わうことになるのであった。




383話 「レイオンとファン・ミャンメイ 後編」


「兄妹なら結婚できるじゃないか。なぁ?」

「だからおかしいだろう!」

「なぜだ? オレは姉ちゃんと毎日セックスしてたぞ。普通のことだ」

「どういう日常だよ!!」

「逆に訊くが、姉とエロいことができない人生に意味なんてあるのか? お前はそんな冷たく苦しい世界で暮らしたいのか?」

「意味はあるんじゃないの? ないの? ねえ、ないの?」

「無いな。姉がいない人生は死と同義だ」

「こいつ、駄目だ! 考え方がおかしい!」

「なんだと! アーー!にだけは言われたくないぞ! この害虫が、死ね!」


 バシンッ


「いってーーーーー!」


 トットの額を布で引っぱたいて制裁。

 この布はさっき彼の尻を叩いたものなので、きっと満足してくれただろう。

 変態の気持ちなど理解したくもないが。


(ああ、もう久しく姉ちゃんに触れていないな…。せっかく忘れかけていたが…やはり姉がいない生活は寂しいもんだ)


 アンシュラオンは姉が欲しいから転生したようなものだ。

 姉の温もり、姉の癒しを人生の指標として生きてきた。それ以外の動機はない。

 それが無くなるということは実に哀しいことだと改めて痛感するのであった。


「くっ、駄目だ! 心がざわついて、どうしようもない! こうなったら妹パワーを補充するしかない!! すーーーはーーー! すーーーーはーーーー!!
 くーーーー! イイネ!!」


 サナの髪の毛に顔をくっつけて、サナ吸いを敢行。

 仮面がないといつでも吸うことができるので、気軽にパワーの補充が可能だ。素晴らしいことである。

 幸いながら周囲の人間には妹を可愛がっているように見えたのか、ドン引きはされていないようだ。

 そういう意味でも過ごしやすい場所である。



「ほら、ミャンメイちゃん。用事があって来たのではなくて?」

「あっ、そうでした。トット君、食材は持ってきてくれた?」

「ああ!! そうだった! 忘れてた!!!」

「それじゃ、トットはもう一度食材を取りに行ったら、ミャンメイちゃんのお手伝いね。ニーニアは食卓の準備と、他の子たちの面倒を見てあげてね」

「うん! わかった!」


 マザーがタイミング良く話しかけたことで、張り詰めていた空気が霧散。

 すぐさま日常の気配が戻ってきた。

 そもそもトットは食材を取りに倉庫に行っていたので、再び料理作りのお手伝いに戻る。

 ニーニアは、ラングラスエリアにいる他の子供たちの世話のために動き出す。


「それじゃ、わしらも準備でもするかの」

「そうですねぇ」


 それを見た老人たちも静かに動き出す。


 こうなると逆に、アンシュラオンとレイオンのほうが取り残された気持ちになるから不思議だ。


 アンシュラオンは、そんなマザーに感嘆する。


(へぇ、見事なもんだな。『空気を読む』っていうのかな。本当に間合いを読んでオレの流れを断ち切ったよ。なかなかできることじゃない。…この人も普通と違う感じがするんだけど、単純に経験かな?)


 これもまたアンシュラオンがやったような『間合い』に関連するテクニックである。

 戦闘と会話という大きな違いはあるが、間合いは両者に共通するものなので、マザーもまた自分の間合いでアンシュラオンを呑み込んだことになるのだ。

 こうしたことからもマザーからは、年上というだけではない落ち着きと強さが感じられる。

 初対面なので彼女のことは何も知らないが、強い魔獣をたくさん見てきた自分には、彼女も一般人とは少し違うように思えるわけだ。


「せっかくだ、オレも料理を手伝うよ」

「いいんですか?」

「こう見えても少しは心得があってね。独り暮らしも長かったからさ」

「ありがとうございます。助かりま…」

「ミャンメイに近寄るな」


 それを見たレイオンが立ち上がる。

 こうしてみると、やはり大きい。アンシュラオンが本当に子供に見えるほどだ。


「お前はまだそんなことを言っているのか。妹ならば、オレがどうしようがいいじゃんか」

「誰がそんなことを認めたんだ」

「オレが決めたんだよ」

「俺は認めていない」

「負けたなら負けた人間らしく、おとなしくしていろって」

「それとこれとは話が別だ」

「なんだよ、シスコンなのか? だが、根暗なシスコンは嫌われるぞ。堂々としないと、ただの痛いやつだぞ」

「誰が根暗で痛いやつだ!」

「ふふふ…」

「なんだ? 何が可笑しい?」


 その二人の様子を見て、ミャンメイが笑う。


「だって、兄さんがこんなに饒舌だなんて久しぶりだったから…。ここに来てからはいつもつらそうだったし、少しだけ嬉しいな」

「むっ…」

「ホワイトさん、こんな兄ですが、どうかよろしくお願いいたします」

「うーん、君にそう言われると強く出られないな。まあ、使えないわけじゃないし、少しは気を配ってあげるよ」

「はい、ありがとうございます」

「ふんっ…」


(ミャンメイは笑顔のほうが何倍も可愛いな)


 初めて見たときは悲痛な表情だったが、こうして笑うと本当に可愛く見える。

 やはり女性には笑顔は不可欠である。


(しかし、兄妹…か。これが普通の関係なんだよな。…ちらり)


 隣にいるサナに目を向ける。


「………」


 相変わらずサナはしゃべらないし、表情の変化もない。

 変化の兆候はあるが、まだまだ普通の妹という感じではない。


(意思が強くなればサナも変わるのかな? うーん、まだ想像できないな。ただ、今のオレには今のサナのほうが合っている気がするしね。おかげで姉ちゃんのトラウマも少しは和らいだし…)


 ツンデレ妹にも憧れるものだが、あれはあれで面倒かもしれない。

 通常時ならば平気でも、まだ自分の心の中には姉から受けた激しい痛みが残っている。(それと『唾液の甘み』も)

 言ってしまえば治療中のようなものなので、今は穏やかな空間が必要なのである。

 しかしながらこれだけの騒動を起こしていても、あの姉の激しい存在感と愛情表現に比べれば「適度な刺激」にすぎないとは怖ろしいものである。



 しばらくするとトットも戻ってきて食材が集まる。

 それを隣の部屋に設置された厨房に持っていって調理が始まるのだが、そこで最初に思ったのが―――


「すごい手際の良さだね」


 トントントントン シュッシュッ

 トットが持ってきた野菜が簡単に捌かれ、流れるように調理されていく。

 包丁の扱いに慣れているアンシュラオンも、それには驚きであった。


「そんなことありませんよ。普通じゃないですか?」

「いやいや、オレも料理をするからわかるけど、かなりすごいね。プロレベルだ」


 慣れている人間と本職の違いというのは、素人にはわかりにくいものだ。

 だが、その間には歴然とした差があるもので、見る人間が見れば一目でわかってしまう。

 ミャンメイの手並みは、明らかに一般人とは違う。

 単なる包丁が名刀のように滑らかに動いていく光景は、見事の一言でしかない。


「そこまでではないと思いますが…たしかに料理は好きですね。昔からよくやっていますし」

「君はレイオンとずっと一緒に暮らしていたの? 料理もそれで上達したのかな?」

「一度離れた時期があって、その間に本格的に料理を学びました」

「いろいろと事情がありそうだね。よかったら聞かせてよ」

「たいした話ではありません。みんなと比べれば幸せだと思います」


 それからミャンメイの生い立ちを聞かせてもらう。

 ミャンメイとレイオンは、意外にもグラス・ギースの生まれらしい。

 しかし、閉鎖的な空間では仕事もあまりないので、両親が祖父母を残して他の都市に移住することを決めた。

 それからしばらくは『東』で暮らしていたという。


「東? 南じゃなくて?」

「はい。南を経由しながら、少しずつ東に移住していったんです。それからしばらく東の都市で暮らしていました」

「東の都市というと…ロフト・ロンだっけ?」


 以前、ラブヘイアから聞いた東にある独立都市である。

 規模としてはグラス・ギースに匹敵し、近年では自衛のために軍備を拡充しているという話を思い出す。


「そこにも一時期滞在していたこともありましたが、税金が高くてまた東に移住を繰り返して、最終的に『ゴウマ・ヴィーレ』という【国】に暮らしていました」

「国? 国って国家のこと? このあたりに明確な国はないって聞いたけど…」

「私も詳しくはありませんが、東には国家というものがあるみたいです。ゴウマ・ヴィーレもその一つで、一番最初にたどり着いた国でした」

「国…か。興味深いな。どんなところだったの?」

「とても素晴らしい国でしたよ。あんな場所があるんだってくらい平等で静かで、落ち着いて暮らせたところは初めてでした」


 ゴウマ・ヴィーレは、非常に小さな国家である。

 規模もグラス・ギースが二つ分くらいで、人口も三十万に満たないという。

 これぐらいの規模だと大型都市と呼んだほうがよいのかもしれないが、ここは間違いなく国家である。


 このあたりは何をもって国家とするかが問題となる。


 グラス・ギースも土地と住人が存在し、領主やグラス・マンサーが実効支配をしているので、ほぼ国家と呼んで差し支えないだろう。

 強いかどうかは別として領主軍という防衛隊もいるし、今はもう倒れてしまったが戦獣乙女という戦力もあった。軍隊も有していたのだ。

 となれば、独立都市と独立国家を分けるものは何であるのか。


 それは―――



「ゴウマ・ヴィーレには、【法】がありました。それまで意識はしませんでしたが、それが国家というものなのですね」

「法…法律か。もっと言えば憲法かな? たしかに重要なことだね。慣習ではなく、明文化された法があるというのは国家として重要な要素だ」


 ゴウマ・ヴィーレにあってグラス・ギースにないもの。


 それは―――【法】である。


 グラス・ギースにも約束事や決まりはある。暗黙の了解も数多くある。

 アンシュラオンがマフィアに介入した時も、彼らはさまざまな慣例や慣習を盾にしようとしていた。

 だが、それでは明確な法とは呼べない。

 慣習法があるように、習わしも長く続けば法にはなるが、誰でもわかるようにはっきりと明示し、それを確実に遂行していく力があってこそ初めて法となる。

 できればそれを対外的にも知らしめるべきだろう。そうであってこその国家である。


「国王とかがいるの?」

「はい。王家の方がいますね」

「法があるってことは、それを守るための力もあるんだよね? 軍隊もあるのかな?」

「軍隊も強いみたいです。ちゃんと治安もしっかりしていました」

「なるほど、国家と呼ぶだけはあるか。防衛力は重要だからね」

「でも、あの国で一番重要なものは軍隊ではなく、【壁】なんだと思います」

「壁? 城壁のこと?」

「ここみたいな城壁ではなくて、もっとすごい長さの壁が広がっているんです」


 ゴウマ・ヴィーレは小さな国だ。

 いくら国王がいて法があり、軍隊がしっかりしているからといっても、それだけで安泰であるわけではない。

 昨今では東からの侵略も起こっており、ロフト・ロンなどの東の都市は警戒を強めている。

 だが、いまだに東で騒動を聞かないのは、ゴウマ・ヴィーレが東で食い止めているからにほかならない。


 それを支えるのが―――『白亜の刃山壁《じんさんへき》』である。



「白い壁がずらーっと長く続いていて、それで東と西を大きく分けているんです。だから東側からは攻撃を受けないで済むみたいです」

「迂回すればいいんじゃないの?」

「それが本当に長くて、山脈を囲むようにずっと続いているらしいんです。壁も少し特殊で簡単に登ったりもできないと聞いています」

「へぇ、それは面白い。壁を建造するだけでもかなりの労力だと思うけどね」


 地球の某国家でも、不法移民対策に壁を建設する話を聞いたことがあるような気がするが、本当にやるとなれば相当な手間と労力が必要になるだろう。

 だが、ゴウマ・ヴィーレには実際に壁があるらしい。実に興味深い話だ。


「そんな安全で快適な国なら、こんなところに戻る必要はなかったんじゃない?」

「祖父が亡くなって、祖母だけになってしまって…呼び寄せたかったのですが、あれだけの長旅には耐えられませんし、私たちが戻ったんです」

「そっか、大変だったね」

「そういえば、兄の話をしていませんでしたね。兄さんは…」

「あっ、お構いなく」


 レイオンの話はべつに興味がないので割愛である。

 ちなみにレイオンは、もともと武人の資質を有していたので、旅の間の護衛やゴウマ・ヴィーレでの力仕事、あるいは兵士見習いなどをして鍛練を積んだようだ。

 それから生活のために二人は別々に暮らし、ミャンメイは料理の仕事に就いたという。彼女の料理の腕前はそこで磨かれたのだろう。

 そして、グラス・ギースに戻るときに再び再会することになった。

 ただ、久々に会った兄がムキムキになっていたので驚いたという。


 これを『渡米プロレスラー現象』と呼ぶ。


 なぜか海外に渡って武者修行をすると、食べ物が違うのかムキムキになって戻ってくるレスラーが多いことから名付けられたものだ。

 これは冗談にせよ、より正確に述べれば、武人の因子が覚醒したことで肉体にも変化が起こったと思われる。

 それ以後、またいろいろとあって今に至るという。

 ちょっと割愛しすぎてまったく伝わっていないと思うが、男の扱いなので問題はないだろう。


「はい、出来ましたよ!」


 どうして地下にいるのか、なぜラングラス派閥にいるのかという重要な話を聞きそびれている間に料理が完成してしまった。


(ラングラスとかの話は聞けなかったが、まあいいか。サナも早く食べたそうだしな)


 見ると、すでにサナが食卓についているではないか。

 せっかくミャンメイが作ってくれた料理だ。まずは食事を堪能すべきだろう。




384話 「ミャンメイの能力」


「わーん、キシューがぼくのお芋とったー!」

「のこしておくからだろー。食べてやったんだ。かんしゃしろー」

「えーーーん!」

「こらー、キシュー! 人の物を取ったら駄目でしょう! 悪い大人になって、レイオンさんに怒られちゃうぞ!」

「えー、やだー!」

「嫌なら、ちゃんと謝りなさい!」

「うわー、ニーニアおねえちゃん、ルミーがおしっこしてるー!」

「あー! 大変! ほら、こっちきて!」

「あうー、あうー」


(…すごいことになっているな)


 アンシュラオンの目の前では混沌が発生していた。

 いつの間にか食卓には数多くの子供たちがおり、思いのままに行動するので無秩序な空間が広がっているのだ。

 それをニーニアが必死でお世話している状況である。

 目の前の食事よりもそちらが気になって仕方がない。アンシュラオンも、ただただその光景を見つめていた。


「驚いたでしょう?」


 対面に座っていたマザーが話しかけてきた。

 その顔は穏やかで、子供たちへの愛情に満ちている。

 どうやらこれが、ここの日常のようだ。


「まあね。思ったより子供が多いから驚いたよ。しかも年齢もバラバラだ」


 おしっこを漏らした赤ん坊から、自我が芽生えたばかりの三歳前後の幼児に加え、遊び盛りの七歳くらいの子供までいる。

 アンシュラオンから見ればニーニアはまだ子供だが、この中にいれば十分お姉さんという扱いになるだろう。

 こうした中で育っているからこそ、なかなかしっかりとした性格になっているようだ。

 ロリ子ちゃんも家族のためにスレイブになったと言っていたので、女性は逞しいものである。


「この子たちも貧困街から来たの?」

「半分くらいはね。残りはここで産まれた子たちよ。他にもグループがあって、そこはまだ若い既婚者の人たちがいるの。彼女たちも大変だから、時折しばらく預かることがあるのよ。あとはここで親を亡くした子もいるわね。試合で死んでしまう人もいるしね…」

「そっか、かわいそうだね」


(試合よりも危険なロボットがすぐ隣にいるけどね。しかし、あのロボットたちは他の人間に危害を与えていないようだな。オレだけ狙うなんて不公平だろうに)


 もし被害があればマザーからも忠告や警告があるはずだが、今のところまったく話題にも上らない。

 あんな目立つ奇異な存在を意図的に無視するはずもないので、やはりあれは自分にだけ起こったことらしい。


「それにしても、これだけの子供の面倒を見るのは大変でしょう?」

「そうね。でも、レイオンが助けてくれるから大丈夫よ。ほら、さっき荷物を運んでいたでしょう。あれが今日の『収穫物』なの」

「ああ、あの箱か」


 あの後、料理場ではレイオンはやることがないので、おとなしく自分の作業に戻っていった。

 それから持ってきたのが、一メートル大の木箱六つに詰め込まれた生活物資である。

 ここで言うところの生活物資とは、食糧とは別の服やら下着やら玩具やらの嗜好品が大半となる。

 人間には「衣食住」が必要であるが、どうしても「衣」の部分は食べ物に比べると疎かになるし、健やかに生活するうえでは精神的な気晴らしも必要不可欠だ。

 そうしたものを中心に差し入れが行われるのである。

 現に今のニーニアは、最初に出会った時のようなボロボロの衣類ではなく、新品同様の綺麗なワンピースに変わっている。

 着るものが変わるだけで印象もがらりと変わる。今の彼女たちは一般家庭の子供たちと何ら遜色はない。


 そしてこれは、レイオンが試合で稼いだ金で買った子供たちへのプレゼントである。


 当人はまた見回りに行ってしまって不在だが、子供たちからは感謝されていたものだ。


「あいつ、いつもこんなことをしているの?」

「試合で勝ったあとは必ず持ってくるわ。おかげで助かっているの」

「ミャンメイを賞品にしているのは、それだけの金が必要だからか。普通にやっていたら、たいした金は手に入らないだろうしね。ただ、あいつの実力ならこの地下では問題ないとは思うけど…そこまでする理由は何かな? はっきり言えば自分とは関係のない人間でしょう? そのために自分の妹を危険に晒す理由がわからないな」

「人を助けるのに理由はいらない…というのは少し卑怯な言葉かしら。彼には彼の事情があるのよ。他人のことだから気軽には言えないのだけれど…」

「どんな事情?」

「おばあ様が入院中なの。それでラングラスには借りがあるという話だわ」


 すごい気軽に言った。実にあっさりと口を滑らしたものである。

 これはしょうがない。人間たるもの、他人の事情ほど話していて楽しいものはない。

 それが苦労話や不幸話ならば、なおさらであろうか。


「病気なの?」

「詳しいことは知らないけど、ご高齢だから仕方ないわね。それで高額の治療費が必要になって、この地下にやってきたというわけよ。三年ほど前かしら?」

「あいつ自身が犯罪を犯したわけじゃないの?」

「そういう理由もあったそうよ。ただ、彼が安易な気持ちで犯罪を犯すとは思えないし、ミャンメイちゃんから聞いた話でも、彼女を守るためにマフィアと揉めてしまったとかなんとか…。ほら、彼は妹想いだもの。そのためなら一人や二人くらい殺しちゃうわよ」


 これもまたすごい発言である。

 どうやらミャンメイに声をかけた男を半殺しにしたら、それがマフィアの構成員だったようで、借りを返しにきた相手を何人か殺してしまったらしい。

 殺しが専門ではない彼も、本気で殺しに来られたら反撃するしかない。不幸な事故だったのだろう。


 だが、憎しみは憎しみの連鎖を呼ぶものだ。


 さすがに死人が出れば組織も動くしかない。再び報復で狙われることになった。

 自分独りならばいいが、ミャンメイも祖母もいる状態では危険と判断してラングラス側に相談した結果、地下に行けば帳消しにしてくれるという話になったという。

 地下ならば報復もされないし、一応は収監されているという名分が立つ。一番穏便に解決できる方法なのは間違いない。


(しかし、それくらいで殺すなんて短気なやつだなぁ。中途半端なシスコンってのも気持ち悪いな)


 この男のように直線的な愛情表現をするようになったら終わりであろう。

 しかもサナに目を向けただけの戦罪者をあっさり殺しているので、何も言えた立場ではないはずだ。

 アンシュラオンとレイオンとの最大の違いは、ここでもやはり【力の有無】でしかない。

 自分は力押しで物事が解決できるが、それができない人間は苦労するのだ。


「レイオンはいいけどさ、ミャンメイはそれを納得しているの? 少し間違えたら大変だよ」

「自分のために地下に入ることになったのだから、そこに負い目もあるのではないかしら。おばあ様の治療費も稼がないといけないし、それこそ他人が関われる領分を越えているわね。人それぞれ独自の考えと感情があるものですから」

「それはそうだね」


(理由としては問題ないが…それだけか? あのレイオンのギラついた目…まだ何か動機がありそうだけどな。それとミャンメイも今のままだと危ないよな)


 レイオンの様子を見る限り、ただ地下で生き延びるために必死、というだけでは微妙な動機に思える。

 それならば試合で見せた暴力性に説明がつかない。

 彼は何か特定の目的があってここにいる。あくまで勘だが、そんな感じがするのだ。


 そして、ミャンメイもこのままでは駄目だろう。


 自分のものにするかどうかは別としても、あまりに危険すぎる。

 少なくとも賞品にすることだけは早めに終わらせてあげるべきだ。レイオンが負ける可能性もゼロではないのだから。



「あらあら、お話ばかりしていたらシチューが冷めてしまうわね。ミャンメイちゃんの料理は美味しいのよ。ぜひ味わってみて」

「おっと、そうだった。まずはこっちが先だね。では、いただきます」


 ずずっ

 アンシュラオンがシチューをすする。


(そういえば昼間はラーメンを食べたんだったな。彼女たちの慎ましい生活を見ると、なんだか申し訳ないよ。今度上から美味しい料理でも持ってきて―――)


 ふと、昼間食べたラーメンのことを思い出した。

 さすがに店を出しているだけあって、あの店主はそれなりの腕前である。

 地球で言えば「家系ラーメン」に近いものがあるだろうか。日本人の味覚でも十分満足できるものに仕上がっている。

 いくらミャンメイの料理の腕前が優れているからといって、そこまでは期待していなかった面があったのは否定できない。


 今思えば、それはまったく失礼な話であった。




「っ―――!」




 ぴたり

 シチューを口にしたアンシュラオンの手が、しばし止まる。

 それから何度か口の中で転がして味を確かめ、飲み込む。

 数秒経ってスプーンを皿に戻すと、それを使って軽くシチューを掻き混ぜてみる。

 まるで中に何が入っているのかを確認するような不自然な行動である。


 だが、これにはしっかりとした目的がある。



(―――うまい。美味すぎる。なんだこれは?)



 アンシュラオンが不審な行動を取ったのは、シチューがあまりに美味しかったからだ。

 これを口に入れた瞬間、雷にでも打たれたような衝撃を受けた。


 これは―――サナの出会いと同じだ。


 人間は運命の出会いを果たすと雷撃に似た衝撃を受ける。

 サナの場合は、魂そのものが惹かれたような激しい求愛感情であったが、今回は単純に味覚が持っていかれた。

 おかげで昼間食べたラーメンの味が、もう思い出せない。

 直前まで覚えていたはずなのに、今この瞬間では完全に抹消されている。

 なぜならば、これと比べれば完全なる無価値な存在だからだ。それだけの差があると言わざるをえない。


(ただのシチューがこれほど美味いとは驚きだ。…だが、それだけでオレがここまで反応はしない。そう…この料理には何かが入っている。まさか変な薬でも入っているわけじゃないよな? って、オレに薬は通じないか。ならばもしや…!! これが―――【愛】なのか!?)


 よく最高の調味料は『愛情』などと言われる。

 たしかに何事も愛がなければ良いものは生まれない。食べる相手のことを考えるから創意工夫が生まれるのだ。

 だがしかし、これはそういう類のものではない。

 もっと直接的な何かが起こっているのだ。


(この料理からは何かしらの力を感じる。波動というかオーラというか…まるで力を分け与えられているような。駄目だ。これ以上はわからない。…しょうがない。潔く見るか)


 少し離れた席で子供たちと一緒に食事をしているミャンメイに対し、『情報公開』を使用。

 彼女もスレイブ候補なので、しっかりと確認しておくべきだろう。


―――――――――――――――――――――――
名前 :ファン・ミャンメイ

レベル:8/30
HP :105/105
BP :150/150

統率:F   体力: F
知力:F   精神: E
魔力:E   攻撃: F
魅力:C   防御: F
工作:D   命中: F
隠密:F   回避: F

【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:0/0 術士:0/0

☆総合:評価外

異名:奥様志望の料理人
種族:人間
属性:
異能:愛情料理でアップアップ、料理活性化、迅速調理、中級料理人、若奥様願望
―――――――――――――――――――――――


(ふむ、スキルの大半が調理関係で、異名も料理人となっているな。そして、なんだか軽快なネーミングのスキルがあるぞ)


 一番最初に表記されていることから『愛情料理でアップアップ』は、おそらくユニークスキルだと思われる。

 これだけだと効果は不明瞭であるが、だいたいの推測は可能だ。


「ねえ、ミャンメイの料理はいつも食べているの?」

「そうね…恥ずかしい話だけど私はあまり料理が得意ではないので、けっこう甘えているわね。ほとんど毎日食べているわ」

「地下の衛生環境ってどうなの?」

「悪くはないけれど良くもないわね。ここが遺跡なのは聞いているかしら? 何かしらの力が働いているのか空気の流れはしっかりしているけれど、やっぱり太陽を浴びないと人間らしい生活とは言えないわね」

「病気になる人もいるんだよね? 前に開腹手術をしたことがあるって聞いたし」

「ええ、もちろんよ。あれはたしか奥の人だったかしら?」

「ミャンメイが来てから病気になった人っている? 彼女の料理を食べている人限定で…たとえば子供たちとかは病気になったことがある?」

「…? そう言われてみると…病気はしなくなったわね。前はすぐ熱を出したりしていた子も丈夫になったわ。成長の証だとは思うのだけれど…それがどうかしたの?」

「ああ、いや。元気が出る料理だなーって。こんな美味しい料理を食べていれば、病気になんてならないような気がしてね。これに慣れたら、外じゃご飯を食べられなくなるよ。オレが保証する」

「ふふ、そうかもしれないわね。彼女が来てくれたことは本当に嬉しいわ」


 どうやらマザーは気付いていないようだが、アンシュラオンにはこれで確信したことがある。


(明らかに力が湧いてくる。『ステータスが向上』しているんだ)


 元気が出る、というのは精神的な話ではない。

 実際にステータスが上がる効果が料理にあるのだ。

 これはアンシュラオンにしかわからないくらい微妙な上昇効果だが、もし本当に上がっているのならば極めて珍しい現象である。

 今までグラス・ギースの料理を食べてきたが、このような状態になったことはない。

 ホテルにいた料理人の腕も良かったはずなので、ミャンメイと遜色はないはずだ。

 ならばスキルの影響としか考えられない。


(情報公開の数値では大雑把すぎてよくわからないが、間違いなく上がっている。それに病気にならないという話から、バッドステータスの予防や保護の効果もあるのかもしれないぞ)


 よくRPGゲームなどでは、料理にはステータスが上昇する効果があるものだ。

 地味だが、やるとやらないとでは大きな差が生まれる。

 特に強敵相手との戦闘で、HPが1残るかどうかのギリギリの勝負では極めて有効になるだろう。


「…ぱくぱく、もぐもぐ、ごっくん」


 見ると、サナも夢中になってシチューを食べている。おかわりもしている。

 相変わらずの食べっぷりだ。それだけ美味しいのだろう。


(サナがこれほど食いつくとはな。オレの料理とは反応が違う…)


 いつも見事な食べっぷりではあるのだが、アンシュラオンが作った料理とは食いつきがまったく違う。

 彼女は何も言っていないが「これが本当の料理か!」と言われているような気がして、少しだけショックを受けたりもした。


 が―――これは大収穫だ。


(サナの食事に関してはずっと考えていた。外食では栄養が偏るし、オレが作っても所詮は素人の男料理だし、ホテルで暮らすにしても【専属料理人】は必要だ。そう、ずっとオレは料理人が欲しかったんだ)


 子供にとって食事は重要だ。とりわけ成長期の子供にはしっかりとした愛情料理が必要なのだ。

 可愛いサナのために何度か料理人を雇おうかと思いつつ、なかなか機会がなかったので先延ばしにしてきた問題である。

 その最上の解決策が目の前にあるのだ。これほど嬉しいことはない。




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