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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第六章 「収監砦」 編


365話 ー 374話




365話 「地下エリア潜入 前編」


「その賭け試合ってのはオレも出られるのかな?」

「各派閥でメンバーを選抜して出すことになりますので、その中に入っていれば大丈夫でしょう」

「メンバーは誰が決めるの?」

「派閥の中にリーダーがおりますので、その者が決めているはずです。地下の人間ならば参加資格は誰にでもあります。ただ、我々も直接関与しておりませんので、これ以上のことはわかりかねます。リーダーに直接お訊ねになられるのが一番でしょう」

「それもそうだね。じゃあ、あとは中に入って実際に見てみるよ。門を開けてもらえるかな」

「はい。どうぞお気をつけて…という言葉は正しくはありませんね。どうぞお手柔らかにお願いいたします」

「それは相手次第かな」


 ゴゴッ ガラガラガラッ


 衛士がジュエルを門にはめると、大きな音を立てながらゆっくりと開いていく。

 この門も割符結界のように特定のジュエルを使って開けるようになっているらしい。

 アンシュラオンとサナは衛士に見送られながら、地下への道を進む。


「賭け試合か。面白そうだな。オレたちも参加できたらしてみよう」

「…こくり」





 カツン カツン カツン


 二人以外には誰もいない通路をさらに進むと、階段が見えた。

 その階段を降りて地下二階に進む。


(なかなか深いな)


 階段は地下一階に下りた時よりも明らかに長く、いくつもの階段やエスカレーターを使って地下五階にある地下鉄のホームに向かう感覚を思い出させる。

 実際にそれくらい、あるいはそれ以上は下りただろうか。地下十階くらいと言われてもおかしくはない深さである。

 そこでようやく地下二階部分に到着。

 その先は、また一本道の大きく長い通路が続いている。


 カツン カツン カツン


 そのまましばらく歩いていくと、少しずつ違う『匂い』が漂ってきた。

 それは世間一般の地下のイメージ、たとえばカビ臭いとか酸っぱいといった悪いイメージとは異なる香りである。

 そして、薄暗かった通路の先には光り輝く出口が見えてくる。この匂いはそこから漂ってきているらしい。



 アンシュラオンが出口に到着。



 その先に広がる空間に目を向ける。




(ほぉ、これはまた面白いことになっているな。まるで【倉庫】だ)


 広さでいえば東京ドームくらいはあるだろうか。この大きさだと部屋というより『巨大倉庫』と呼んだほうが正しいのかもしれない。それくらいの大きさだ。

 そこには至る所に大量の木箱が積まれており、今も何人かが蓋を開けて中身を出し入れしている。

 ただし、ある程度はすでに予想していたアンシュラオンに驚きはなかった。


(この匂いは、ここにある木箱のものか。それにこの量…明らかに外からも仕入れているな。おそらくこことは違う入り口があるんだろう。当然だな。オレたちが通ってきた道では狭すぎて搬送には向かない。あくまで人間が通る道だったのだろう)


 自分たちが通ったルートはそれなりの広さがあったが、物資搬送に向いているとは思えない。

 あれはあくまで収監砦から地下エリアへの出入り口にすぎず、物資は専門の搬入口があると思われる。

 さきほどの衛士の発言からも、地下では囚人たちが自治を行っているのは間違いないので、実際の人数は知らないものの、それなりの量の物資が必要になるとは予想していた。

 だから巨大倉庫を見ても驚かなかったのだが、それとは違う意味で驚いたことがある。


(どこかに大きな倉庫があるとは想像していたが、いきなりそこにたどり着くとは…驚いたな。なんでこんな場所にあるんだ? いろいろ理由は思いつくが…憶測で物事を判断するのは危険だな。特に初めて来る場所においては情報収集を優先するべきだ。あそこの男に訊いてみるか)


 アンシュラオンは遠慮なくずかずかと中に入り、作業をしている男に近寄る。

 男はぱっと見る限り、五十歳くらいだろうか。作業着を着ているが、そこまで汚れているわけでもないので衛生環境は悪くないようだ。

 肌艶も普通なので健康状態に異常はないようである。このことから食糧にも不足していないことがうかがえる。


「ねぇ、ここで何をしてるの?」

「何って、作業をしているに決まっているだろう」


 男はこちらに顔も向けずに作業を続けながら、そっけなく答えた。

 その様子から、ここが警戒しなくてもよい場所であることがわかる。

 もし周囲に注意を払わねばならない場所ならば、常に目を配らせて警戒するだろうし、話しかけられれば驚くはずだ。

 だからこそ、この作業が彼にとっては日常的なものであることがわかるのだ。


「作業って何?」

「下に持っていく『商品』の出し入れだな」

「へぇ、商品…か」


(賭け試合の『賭け』の意味が、ある程度絞れてきたな。金と物、権威、外と同じってことか)


 商品があるということは金があるということだ。

 仮に金の概念が無い世界においても便宜上、引換券等は発券されるだろうから、実際に金ではなくても似たようなものがあることがわかる。

 人間にとって食糧は必須だ。物資もできればあったほうがいい。人間は常に豊かでありたいと願うものだ。

 誰かを従えたいのならば、その豊かさを提供してあげねばならない。自分に利益を与えてくれる人間に人々はついていくのだ。

 この点は、外とまったく同じである。所詮は人間だ。欲求は変わらないのだろう。


 そして、賭けの対象もおそらくはそうしたものである可能性が高い。


 賭けによって得た資金あるいは商品は、地下で権威を得るために使用されるはずだ。

 彼らが上の人間とつながっているのならば、それが上納金にもなるのだろう。


「これって外から仕入れているんだよね?」」

「大半はな。だが、あっちの荷物は地下で作ったものも含まれて…って、見ないツラだな。というか仮面じゃねーか」

「外じゃ仮面がブームなんだ。八割の人間が被ってるよ」

「マジかよ!? 外の連中の考えることはよくわからねーな。ということは…お前、新入りか?」

「そうだよ。来たばかりなんだ。だから、ここのことは何も知らないんだ」

「その若さでここに来るとは…何かヤバイことでもやったのか? …おっと、悪いな。そういうことは訊くべきじゃないか。まあ、地下に落ちたからといって、そう落胆することはない。ここは下手をすれば上よりも快適だ。ルールに従えばだがな」

「ルールか。詳しく訊きたいな。あっ、葉巻吸う?」

「おっ、上等なもんを持っているな。ここは火気厳禁だから、あっちでもらうわ。一緒についてきな」

「持ち場を離れていいの?」

「固いことを言うなって。人間には休みも必要だ。おい、休憩に行ってくる。新入りも来たからいろいろ教えておく」

「おう、わかった」



 男は仲間に休憩を伝えて、アンシュラオンたちを倉庫の隅っこに連れていく。

 そこには駅にある喫煙所よりも少しだけ大きな部屋があり、入ると椅子や机などが用意された休憩スペースが設けられていた。

 ここには誰もいなかったので三人が思い思いの場所に腰をかけると、男はもらった葉巻をナイフでカットし、火を付けて吸い始めた。


「…ふー。こいつは高級品だな。久々だぜ」

「ここに葉巻はないの?」

「あるにはあるが…嗜好品だからな。それなりに貴重だ。それ以上に貴重なのは綺麗な空気だ。タバコは嫌いじゃないが、あまり生活環境を汚すわけにはいかないから控えているのさ」

「けっこう吸い慣れているけど…昔はそこそこ吸えるような立場だったとか?」

「おぅ、わかるか? 昔は組でも少しは上のほうだったんだ。まっ、昔の話だがな」


 今ではかなりくたびれてしまっているが、男の眼光はいまだ鋭い。

 ここに入る前は、少なくとも下っ端構成員ではなかったのだろう。雰囲気が違う。


「で、お前さんは来たばかりか。災難と言うべきかなんと言うべきかはわからんが、来た以上は仕方ない。ここの先輩として教えるべきことは教えてやるよ。何でも訊いてくれ」

「ここは長いの?」

「そうだな…何年だ? もう月日なんて忘れちまったが…十年以上…いや、二十年くらいいるのか? お日様ってのは重要だぜ。一応カレンダーみたいなものあるが、朝日を見ないと時間の感覚がわからなくなるんだ」

「何をやって捕まったの?」

「ここじゃ過去の詮索は禁止だ。…といっても有名な事件を起こしたら知れ渡るから、本当は意味がないがな。なに、たいしたことはやっていない。ちょっと堅気連中に厳しくしすぎたって感じだな。昔は一時期、外部から面倒な連中がやってきたこともあるんだ。それで少し殺しすぎたかな」


 男はナイフを器用に回してみせた。刃物の扱いにも慣れていることがうかがえる。


「それでも捕まるんだね。組織と都市を守るための行動じゃないの?」

「そう言ってくれるとありがたいが、体裁ってのもある。俺がここに入って話がまとまるなら、そのほうが組織の利益にもなる。もともと上に未練があったわけじゃねえからな。野良犬には、こっちのほうが性に合ってたってわけさ」

「もしかして、おじさんって…ハングラスの関係者だった?」

「ほぅ、わかるのか?」

「なんとなくね。まだここのルールはよくわからないけど、いくつか気になることがあってね。まず、上でも下でも物資は重要なはずだ。その扱いを任されている以上、それなりに信頼できる人間である必要がある。それに物資はハングラスの領分だ。都市外から直接仕入れていない限り、ハングラスを経由するしかない。ゼイシルは神経質って聞くし、自分の派閥以外の人間に大切な物資を任せるとは思えないな。で、最後に気になったのは、この部屋に『吸殻がない』ってことだね。倉庫もそうだけど、あまりに綺麗すぎる」


 ハングラスが物資を担当していることは、すでに何度も述べている通りだ。

 それ以外でアンシュラオンが気になったのが、地下空間の【綺麗さ】である。

 こうして男は葉巻を吸っているのだから、ここで喫煙や飲食等が行われているのは間違いない。

 にもかかわらず、吸殻もなければ食べかすもない。しっかりと掃除されているのだ。

 囚人、しかも地下に入るような者たちが、上の人間よりも綺麗好きという点に強い違和感を覚えたのだ。


「さっき『火気厳禁』って言ってたでしょ。倉庫なんだから当然だけど、それを絶対に守れるような人間ってのは案外少ないもんだよ。ってことは、もうそれが習慣になっているほど日常的に関わっていた人間ってことだ。そうなるとハングラスしかないなぁーと思っただけさ。ジングラスって可能性もあるけど…なんか違うんだよね、雰囲気がさ。おじさんだけじゃなくて、他の作業していた人も含めてハングラス特有の『整然さ』があるっていうのかな…それが理由だよ」

「ははははは! すごいな、お前。そんな仮面を被っているから変なやつかと思ったが…よく見てやがる」

「常に周囲に気を配るのは武人の嗜みだからね」

「なるほど、武人か。どうりで落ち着いていると思ったよ。ああ、そうだ。俺はハングラスだ。今も昔も…な」

「牢屋に入れられたのに、まだハングラスにいるの? どうして? 恨みとかないの?」

「さっきも言ったが俺は満足している。恨みなんてない。俺が上にいた頃は、まだオヤジの代だった。オヤジも尊敬できる人だったが、息子のゼイシルさんもいい人さ。代替わりしたあとも地下には便宜を図ってくれているからな。恨むどころか感謝しているさ」

「この物資もゼイシルが送ってくるんだね」

「それだけじゃない。当人が来ることもあるさ」

「え? グラス・マンサーが直接? 危なくないの?」

「危険は常にある。それでも来てくれるんだ。だから俺らも、その名は穢せないと思っているのさ。それがここが綺麗な理由だ。ハングラスの看板に泥を塗ることはしたくないからな」


 ゼイシルは仕事に関してはとても几帳面で神経質な男だが、一方では面倒見がよくて人情味もあり、部下からの信頼が極めて厚い。

 グランハムを見ていても、それがよくわかる。ハングラスのために人生のすべてを捧げていたのだ。それだけゼイシルに魅力があった証拠であろう。

 このあたりは雷の性質がよく出ている。ゼブラエスやガンプドルフなども面倒見がよいものである。

 また、その面倒見のよさは、地上から地下になっても同じだ。

 彼は地下送りになってしまった構成員に対しても援助を続け、生活に苦労しないように物資を送り続けている。

 それがハングラスが地下で最大勢力になっている原動力なのだろう。物資を多く持つことは力そのものなのだ。

 しかもそれだけにとどまらず、たまに『顔を出す』ともいうのだから驚きだ。尊敬されて当然である。


「下は派閥別に権力闘争をしているって聞いたよ。今はハングラスが一番だって」

「そうだな。権力闘争…というのかはわからんが、互いにある程度の縄張りは持っている。この倉庫を見て、どう思った?」

「こんな場所にあっていいのかな、って思った」

「そりゃそう思うよな。これもまた地下ではハングラスが力を持っている証拠だ。初めて来たお前さんのような新入りに、うちらの力を見せ付けるためにもここに置いてあるんだ」

「盗まれたりしないの?」

「そこはちゃんとやっている。そんなことをしたら袋叩きじゃ済まないしな。よほどの馬鹿以外は誰もやらんよ」

「ハングラスが一番上ってのはわかったけど、それって変わらないの? 『賭け試合』ってのがあるんでしょ?」

「そこまで聞いてきたのか。賭け試合でのポイントはかなり高い。勝てば有利になるのは間違いないだろう」

「ポイント制なの?」

「一回の勝負で何かが決まるってのは不公平だろう。最終的には年間のポイント数で上下が変わるんだ。ただ、いきなりすべてが変化したら生活に支障が出るからな。上下するのは一つずつだ」

「一つずつ…というのは、一位だったら二位までしか落ちなくて、三位ならば二位までしか上がれないってこと?」

「その通りだ。呑み込みが早いな。頭のいいやつだ」

「ラングラスって最下位なの?」

「ん? ああ、そうだな。ポイントはいつも最下位だ。俺がここに来てから最下位以外は見たことがないぞ」

「そうなんだ…」


(ってことは…ラングラスが上がるには、最低三年かかるってことじゃないか。駄目だな、こりゃ。そりゃソブカもクーデターを起こすさ)


 現在最下位のラングラスが仮に一位になるためには、三位、二位、一位と序列を上げる必要があるので三年かかることになる。

 地上でも地下でも最下位だと、さすがに泣けてくる。




366話 「地下エリア潜入 後編」


「なんだお前、ラングラス派閥なのか?」

「そのつもりはないんだけど…一応はそうなるのかな。関係がないわけじゃないし」


 関係がないどころか大有りである。これだけやっておいて自覚がないほうがおかしい。

 ただ、これはべつに誤魔化しているわけではなく、当人は本当にそう思っているのだ。

 アンシュラオンにとってグラス・ギースの派閥争いなど、どうでもよいことだ。たまたま関わって金になりそうな連中がラングラスだったにすぎない。

 とはいえ、最初に関わってしまったのがラングラスだった、というのも運命のイタズラであろうか。

 まさかの最下位であるし、当然ながら他派閥からの印象も良くはない。

 男もアンシュラオンがラングラス寄りだと知ると、若干ながら同情めいた表情を浮かべる。


「そうか…俺個人は他の派閥が悪いとは思わないが、客観的に見てもラングラスは荒れている印象だな。あそこは自治内部でも諍いが多いし、麻薬もそれなりに氾濫していると聞く。問題を起こすのもラングラス側が圧倒的に多いな。ラングラス側のお前さんには悪いが地下ではそういう扱いってことだ」

「それはしょうがないよ。ラングラスの本家筋があんな豚君じゃ…って、麻薬もあるんだね」

「上にあるものは地下にだってあるさ。お日様以外はな」

「へぇ、すごいもんだね。最近物価が上がっているって話は? 食糧の仕入れに影響はない?」

「いや、特にこっちにはないな。上ではそうなのか?」

「そうなんだ。ゼイシルって…すごいね」


 ジングラスが食糧供給に苦労していたことからもわかるように、現在のグラス・ギースでは食糧がやや不足気味である。

 もちろんその最大の元凶がアンシュラオンその人なのだが、ゼイシルは地下の人間が飢えないようにしっかりと食糧を送っているようだ。


(たしかに地下で食糧不足が起こると大問題になる。閉鎖された空間だから本当に殺し合いが起こりかねないけど…その面倒をみるって相当なもんだな。ゼイシル…か。けっこう損害を与えちゃったけど、案外いいやつなのかもな。…ごめんな。恨むならソブカを恨んでくれよ)


 そもそもハングラスを標的にしたのはソブカである。だから自分は悪くはないのだ。

 と、思うことにした。

 そのことは別にしても、さすがのアンシュラオンもゼイシル個人のリーダーとしての資質に多少ながら感じ入るものはある。

 ゼイシル当人に恨みはないので、この戦いが終わったあとに生きていたら、少しは便宜を図ってやってもいいかもしれない。少なくとも自分よりはリーダーに向いている男だろう。


「そうだぞ、ハングラスはいいぞ。ゼイシルさんがいる限りは、たとえ地下での序列が最下位になっても生活が困窮するほど物資に困ることはないからな。どうだ? こっちに来ないか? 長い物には巻かれたほうが得だぞ。特にこういう場所ではな」

「その意見には激しく同感なんだけどね…オレにも事情があってさ。ラングラスに用事があるんだよ」

「大事な用なのか?」

「まあ、女絡みっていうかさ。その後始末さ。それが終わらないとすっきりしないからね」

「そうか…女絡みは少し面倒だな。仕方ない。無理強いはしないさ。だが、気が変わったらいつでも言ってくれよ」

「気になったんだけど派閥変更って自由にできるの? 辞めるときは普通はいろいろと問題が出るでしょ? 指を詰めたりしないの?」

「指を詰めるって何だ?」

「こう小指をちょっきんって切って詫びるやつ。たまに通路に落ちてるらしいよ」

「怖いな!? なんだそれ!?」

「オレの国の筋者はそうやって詫びたんだ。もう昔の話だけど」

「どんだけ厳しい社会だよ。地上じゃ組替えが大変なのは認めるが、地下では生きることが最重要だからな。情勢に合わせて移動するやつも多いぞ」

「でも、簡単にほいほい移動したら信用を失うんでしょう?」

「もちろんだ。もともとは筋者ばかりだからな。筋を通さないことに怒る連中もいる。ただ、日常生活における生活エリアは派閥ごとに分かれているから、外に出なければ報復されるようなことはない」

「そっか…そうなると鞍替えは三回が限度ってことだね。出戻りは難しいだろうし、最後に行った派閥と心中ってことだ」

「そうだな。選び方が悪いと最悪なことになるな。うちに来るなら問題はないが、最後がラングラスってやつもいたかな。悪さをしたから派閥から放り出されてって感じだったがな」

「それはつらいけど…自業自得か。逆にずっと同じ派閥にいれば尊敬されるの?」

「地下の連中からというよりは、上からは信頼されるだろうな。上に家族を残してきていれば便宜を図ってもらえるだろう」

「ああ、そっか。そういう人もいるんだね。そういえば緊急時には上に戻れるって聞いたけど?」

「そいつは本当の緊急時だけだな。基本的には地下に入ったらずっと地下生活だ。…が、組や派閥の危機で仕方がない場合は呼ばれることもある。つい先日だったか、うちのところからも何人か上に戻ったぞ。どうやら組が潰れたようで、その再編成が必要になったって話だ。珍しい話もあるもんだな」

「へー、そうなんだー」


(ゲロ吉のところかな?)


 思い当たる節がありすぎる。

 おそらくアンシュラオンが組をいくつか潰したので、危機感を抱いたゼイシルが呼び戻したのだろう。

 四大会議に独りで来たことからもわかるように、ゼイシルはその奥手な性格からか、付き合いが短い人間をあまり信用していない。時間をかけて信頼関係を築くタイプなのだろう。

 そのため緊急時には弱いのだ。人員補充に手間取ってしまう。

 こうして地下送りになった人間に頼るしかないのは、現在の厳しいハングラスの情勢を如実に物語っていた。


「おじさんは行かなかったの? 昔は組でも上のほうだったんでしょう?」

「俺はもう上で暮らせるような人間じゃない。恩は感じているが…ここで他の連中の面倒をみているほうが性に合っているさ」

「そっか、それも人生だね。で、基本的な生活スタイルの確認だけど、住んでいる場所は派閥別に違っていて、普段は他派閥との諍いは禁止。ここまではいい?」

「そうだな」

「食糧とか物資の配分は? お金はあるの?」

「金は上のと同じ大陸通貨を使っている。違うものを用意するのは手間だし、いざ稼いでも上に行ってから使えなかったら意味がないしな。食糧や物資は、さっき俺が作業していたように『商品』として下の店に運ばれて、金を使って買う。ここまでは地上と同じだな。だが、やはりここは地下だ。自分で物資を探しに行くことはできないし、上からの供給に頼ることになるから物資には限りがあることになる。需要が増えれば値段が一気に上がって手に入らないこともあるだろう」

「物資に余裕はないってことか。他の派閥への略奪行為は禁止なんだよね?」

「そうだ。それをやったら地下が地獄になっちまうからな。どこにいても安全に暮らすための法は必要なんだ」

「取引はあり? 物々交換とか個人から金で買ったりするのは?」

「もちろん問題はないぞ。店は派閥ごとに管理できるものが決まっているが、個人間では制限はない」


(うーん、思ったより安定はしているみたいだけど…少し引っかかるな。ここがそんなに平和とは思えないし)


 話を聞いてる限りは、なかなかしっかりと自治をしているように見える。

 が、「最初は怪しかったけど、案外いいじゃん」と思ったものには必ず裏があるものだ。

 たとえば選挙にしても、表面的には耳当たりの良い平等や公正を訴えておきながら実態は最悪、という政党もあるものだ。

 そこは見る者、聞く者の能力が問われる場面である。そしてアンシュラオンは散々悪を見てきた人間なので、そのセンサーが見事に反応する。


「上からの援助ってのは制限がかからないの? あるいは年貢みたいなものはないの?」

「どういう意味だ?」

「序列の意味が曖昧かなって思ってさ。わざわざ上がりにくいシステムを使ってまで序列一位にしがみつく意味が今のところわからないからね。そのあたりが怪しいかなって。こういうシステムの場合、何かしらの旨みが必ずあるはずなんだよ。上位者には特権があるってのが相場だ。そういうやつはないの?」

「…ったく、本当に鋭いな」

「じゃあ、あるんだ?」

「もちろんある。序列が上だと物資の何割かが優先的に与えられるんだ」

「他派閥のものでも?」

「地下に来た段階で、それは地下のものだ」

「なるほどね。で、何割?」

「序列一位は四割だ。二位は二割、三位は一割。その残りをまた四つの派閥で分け合う」

「七割も取るんだ。相当あくどいね。金貸しだってもう少しは優しいんじゃない?」

「しょうがない。これが地下のルールだ。地下で生きるってのはそういうことなんだよ」


(このシステムは、『強者が勝ち続けるためのもの』なんだ。ラングラスがずっと最下位なのがわかった気がするな)


 まだ情報収集の段階であるが、おおよそのシステムは理解できた。

 アンシュラオンが思ったように、これはまさに強者が強者であり続け、弱者が弱者であり続けるための制度である。

 一度上に立てば、よほど負け続けない限りは順位が下がることはない。

 何もしなくても物資が入ってくるのだから、人だって集まっていくだろう。当然、金も集まるに違いない。

 鞍替えと呼ぶべきか宗旨《しゅうし》替えと呼ぶべきかはわからないが、誰だって良い暮らしをするためならば強い派閥を選ぶはずだ。

 特にここは地下である。こんな場所で暮らすとなればストレスも溜まる。そこでさらに貧困生活など送っていたら身どころか心ももたない。

 また、負けたとしても順位が一つ下がるだけだ。蓄えがあればまた一位になることもできるだろう。


 一方、最下位になったら悲惨である。

 通常の援助物資も七割取られるという理不尽なシステムだ。十万円の仕送りが、なぜか三万円になってしまうのだ。

 それだけでも相当な痛手だろうし、さらにそこから四つに分けるという超不公平システムである。

 しかもラングラスは資金に余裕がないので、あまり物資も送っていない可能性がある。

 となれば、地下での立場は相当低いはずだ。最低限の物資を得るために苦渋の決断を強いる場面も増えるだろう。


(どうして地下を重視するのか不思議だったけど、これならば納得だな。ここで恩を売って自分の派閥に引き入れておけば、後々使える駒になるかもしれない。ハングラスには有益かな)


 鞍替えが安易にできることが重要なポイントである。地上では難しいことが地下では普通に起きるのだ。

 ゼイシルがやったように無理をすれば地上に人を戻せるのだから、地下で自分たちの派閥を強化できることになる。

 地下に力を入れるかどうかは各派閥の方針次第だが、やっておいて損はないのだろう。



「ところで、個人の持ち込みってのはあり? オレみたいな新人が何かを持ち込む場合は没収されたりするの?」

「いいや、それはない。衛士のチェックをクリアすれば、それ以上のことはしない。ここでは物資が貴重だし、場合によってはいきなり死人が出るかもしれないしな」

「そうだね。オレも取られそうになったら殺していたかもしれないね。なるほど、だからおじさんがオレを【勧誘】したのか」

「ははは、本当に頭のいいやつだな。そうだ。それが最初にできるのもハングラスの特権ってやつさ」


 この男がすんなりと休みに入れたのは、これもまた『彼らの仕事』だからだ。

 初めて来た新人に対して、まずは大量の物資を見せる。

 それで驚かせておき、ハングラスの凄さと地下の過酷さをさりげなく教える。

 かといって強く勧誘はしない。ここにやってくる人間の多くが好きで来ているわけではないので、押し付けられることに嫌気が差しているからだ。

 だから、いつでも鞍替えしていいぞとだけ言うのだ。

 地下の治安維持のために直接的な暴力行為が禁じられている以上、こうやって富を見せ付けることで勧誘するわけだ。

 仮に断られても、地下の内情を知れば知るほど上位組織を頼りたくなるだろう。

 これもまた強い組織が強くあり続けるためのシステムである。


 だが当然、アンシュラオンは目的があるのでハングラスには入らない。


「申し出は嬉しいけど、やっぱりオレはラングラスのほうに行くよ」

「そうか。それもまたいいだろう。おっと、そうだった。これも教えておいてやろう。もしポケット倉庫や格納術符を持っているのならば気をつけろ。場所によっては使えないこともあるぞ」

「そうなの? 結界でもあるの?」

「詳しくは知らないが、この地下エリアは昔の遺跡か何かの場所を利用しているようでな。その中に『封印術式』ってのが発動している場所があるそうなんだ。そこでは術全般が使えなくなる。必要なものはあらかじめ出しておいたほうがいいぞ」

「ふーん、遺跡…ね。武器の携帯はいいの?」

「戦士にとっちゃ拳が武器みたいなもんだろう? 同じことさ」

「たしかにね。じゃあ、この子の剣は出しておいたほうがいいかな?」

「なんだ、その子も武人なのか」

「ああ、妹なんだ。強いから手を出さないほうがいいよ」

「ははは、さすがにそんな趣味はねえな。ロリコンじゃねえよ」


 この時、違う都市に滞在していたロリコン(12話参照)が、ふと呼ばれた気がして振り返ったという。最近幻聴に悩んでいるらしい。


「それとお前が気にしていた『賭け試合』だがな、その試合場でも使えないことがある。どれに出るかによるけどな」

「ん? いくつか種類があるの?」

「そうだ。『無手』『武器』『無制限』の三つがある」

「戦士、剣士、術も道具もあり、か」

「そして、賭け試合は日常的に行われている。なぜならば、それが『娯楽』だからだ」


 閉鎖された空間で一番問題となるのがストレスの発散、つまりは娯楽である。

 某戦場カメラマンの話では、紛争地域などの厳しい場所では日本のアニメが人気だったともいう。それくらいどんな環境でも人々には娯楽が必要なのだ。

 ただ、やはり物資が少ない場所では娯楽が限られてしまう。

 そうなるとたいていの場合、殴り合いがショーになることも多々あるわけだ。

 公開処刑や公開リンチを見せることによって閉鎖空間のストレスを解消させる娯楽は、人類の長い歴史の間には何回もあったことだ。

 地球だって格闘技は人気だろう。どこの時代も戦いは娯楽になるのだ。


「お前が言っていた派閥間の権力闘争ってのは、一ヶ月に一回行われる特別団体戦のことだな。それ以外は個人で参加してポイントを得るんだ」

「その個人のポイントってのは組織の序列に影響するの?」

「多少はな。だが、基本的には団体戦の勝敗が大きなポイントになるんだ。ぐだぐだ言うより見たほうが早いな。試合をやっているはずだから見てみるか?」

「おっ、いいね。面白そうだ。誰でも見られるの?」

「下の階の受付で登録すれば誰でも見られるぜ。人気の組み合わせは混むけどな」

「ぜひ見たいね」

「よし、行くか。ついてこい」




367話 「収監砦 賭け試合見学 前編」


 アンシュラオンとサナは男に連れられ、倉庫の奥にある扉に向かう。

 この扉も衛士たちがいた場所のように厳重な造りになっており、特定のジュエルに対応する割符結界式であった。

 貴重な物資を取り扱う場所なので簡単に入れないようにしているのだろう。やはりこの場で作業をしている人間は普通の囚人ではなかったようだ。


「俺はこっちの扉で、お前たちはあっちだ。この先はつながっているから、またそこで合流しよう」


 男が進んだ扉の中では、不正な持ち出しがないか厳重なチェックが行われていた。

 一度裸になってチェックを受けているほどなので、このあたりは刑務所らしい雰囲気が感じられる。


「オレたちはあっちだな。行こう」

「…こくり」



 二人は左側の扉を開けて入る。

 そこは小さな部屋になっており、壁には受付スペースが設けられていた。


「こっちで登録するから来てくれ」


 扉に入る前から二人の存在を感知していたのだろう。入った瞬間には受付に呼ばれる。

 この受付は安全を考慮したためか、パチンコ屋の換金所のように最低限の隙間しか開いていない造りになっている。

 さらに壁も大部分が鉄で補強されていて、かなり頑丈そうである。

 いくつか傷が付いている場所もあったので、ここで暴れる者もいるのだろう。それを防ぐための措置だと思われる。

 近づくと隙間からすっと二枚の紙が出てきた。二枚とも同じもののようだ。


「内容を確認してから署名して、最後に血判を押してくれ。所属している派閥もあれば丸をつけておけよ」


 出された書類にアンシュラオンがざっと目を通す。

 こんな場所の誓約書を律儀に守るつもりはないが、ひとまず確認だけはしっかりしておく。


(この紙自体は普通だな。特別な術式は付与されていないようだ。スレイブ・ギアスみたいに変な術式があったらと心配したが…問題はなさそうだ。さて、内容は…ふむ。ちょこちょこ書いてあるけど…暴力行為の禁止がメインみたいだな。あとは盗み厳禁かな。極めて当たり前のことばかりだ)


 書類の内容は、基本的にはさきほど説明を受けた通りである。

 読んでいて一番目に付くのが、平時における暴力行為の禁止という部分だ。何度も書いてあるので一番重要な注意事項だと思われる。


(地上でも派閥間の争いを禁じていたくらいだ。狭い城塞都市では非常に重要なことなのだろう。それが地下になれば、さらに致命傷になるってことだ。日本じゃ拳銃を持っているやつは少ないけど、海外だと普通に持っていることもあるからな。その感覚の違いだ)


 銃の携帯が許可されている国ほど、一般の人々は案外温和で争いを好まないものである。

 その理由は、簡単に殺されてしまうからだ。

 日本だと殴り合いくらいで済む話でも、互いに銃を持っていると指先一つで簡単に殺傷が可能だ。それを知っているから穏便に済まそうとする。

 この地下エリアの囚人も、暴力が日常的にある業界から来た人間が大半だ。

 だからこそ暴力の怖ろしさを一番よく知っているのだ。誰かが暴走すれば全滅もありえるのだから、暴力に対して極めてデリケートになるのは仕方がない。


(その暴力性の発散のために『賭け試合』が行われているんだろうな。ガス抜きと一緒だ。もちろんそれ以外の目的もありそうだが…まずは見てみるか)


 アンシュラオンとサナは、署名後に血判を押して書類を提出。

 シャイナの父親を見つけて状況を把握するまでは騒ぎは起こさないほうがいいだろう。ここは素直に従っておく。

 そして、最後にしっかりとラングラスに丸をつけておいた。ここが重要なポイントだからだ。

 ただ、書類を確認した受付の男は、その部分を見てさきほどの男と同じ反応を示した。


「ラングラスか…その若さじゃつらいだろう。うちに…ハングラスに来たほうがいいんじゃないのか? 安全だぞ」

「さっきも言われたけど、そんなに酷いの?」

「少なくとも子供が行くような場所じゃないな。言ってしまえば『吹き溜まり』みたいなもんだ。ここ自体が吹き溜まりだから、その中のさらに悪い場所ってことだな」

「そんなに悪いんだ。それ以前に子供が来ても驚かないんだね」

「子供だっているからな」

「そうなの?」

「上のような普通の牢屋だったら難しいが、ここはもう一つの小さな街だ。そこで人間が暮らす以上、生活ってのが必要になる。子作りだってするさ」

「女の人もいるんだね」

「家族でやってくる者もいるな。別れて暮らすより下で一緒に暮らすほうがいいって考えもある。上に残されても生活が楽になるとは限らないしな。望むのならば入ることだけは比較的自由になっているのさ」

「女の人は危険じゃないの?」

「危険じゃない…とは言わないが、そうならないように注意はしている。派閥別に分かれているのもそのためだ。自分たちの派閥全体で一つの家族と考えて、女子供を守っているんだ。それでも絶対じゃないけどな。だからこそできるだけ大きな派閥のほうが安心なのさ」

「それはそうだね。数は力だし、女性や子供なら安全なほうを選ぶだろうからね。ところで家族以外に囚人としてやってくる女性もいるの?」

「そりゃいるさ。男女は関係ない。女の囚人だっている」

「でも、割合は少ないんでしょ? 取り合いとか起こりそうだね。こんな閉鎖的な空間なら嫁さん探しだって苦労するだろうし」

「…それは否定しないな。お前さん、マシュホーと一緒に試合を見るんだろう? なら、実際に見たほうが早いかもな」

「マシュホーって…ああ、あのおじさんね。勧誘っていう名目はあっても、なかなか面倒見のよい人だね」

「これも性分ってやつかな。ハングラスにはそういうやつらが多く集まるんだぜ。…よし、登録はこれで終わりだ。あとはこれを付けな」

「また腕輪?」

「またって言われてもな。派閥が一目でわかるようになっているんだ。特別な力は何もないぞ。単なる飾りだからな」

「そうなんだ。ラングラスは…赤か」


 ここでもセイリュウが言っていた昔話の影響を受けている。

 ラングラスは活力の火。だから腕輪も赤である。

 マングラスは青、ジングラスは緑、ハングラスは黄、それ以外の中立は無色の銀色となっているようだ。


「派閥別なのは聞いたけど、中立のエリアってあるの?」

「あるにはあるが、たいした設備もないから、すぐにどこかの派閥に頼ることになるだろうな。そこに地図がある。見ておくといいぞ」

「おっ、これか。ありがとう」


 アンシュラオンが壁に描かれた大雑把な案内板のような地図を見る。

 この先を行くと大きなホールがあるらしく、東西南北でエリアが分かれているようだ。

 こちらもグラス・マンサーの方角が影響しており、ラングラスは東、ジングラスは西、ハングラスは北、マングラスは南となっている。

 その隙間に申し訳ない程度に中立のスペースもあるが、あってないようなものだった。

 たしかにどこかの派閥に属していないと生活すること自体が難しいようだ。

 グラス・マンサーの権威を守るために、意図的にそういう仕組みになっていると思われる。


「おーい、登録が終わったらこっちに来いよー」


 ちょうどマシュホーのチェックも終わったらしく、少し離れた先から手を振っている。


「それじゃ、行ってくるよ」

「ああ、こう言うのも変だが、地下生活を楽しめよ。どうせ暮らすなら楽しいほうがいいからな」

「そうするよ」




 アンシュラオンたちはマシュホーと合流。

 こちらも物資搬送用の通路とは別の人間用の通路が用意されており、そこから中に入っていく。

 しばらく進んでいくと幅が次第に大きく広がっていき、地図で確認した通りに最後には巨大なホールに出た。



 ただし、何もない場所かと思っていたが―――



「普通に【商店街】だね」



 アンシュラオンの目に映ったのは、地上の一般街でも見るような商店が並んでいる『商店街』の光景だった。

 食品を扱う店もあれば家具を売っている店もあり、子供が好むような人形を置いている店もある。

 店だけでは商店街にはならないので、当然ながら人間もいる。

 ホール自体が広いのでまばらに見えるが、数としては百人近くいるだろうか。その中には驚くべきことに『家族連れ』の者までいた。

 殺伐とした雰囲気ではなく、本当に家族で楽しんでいるという様子が見て取れる。


「なっ? 無いのはお日様だけだろう?」


 マシュホーが得意げに笑う。

 たしかにこれだけを見れば外と大差はない。収監砦というイメージからは、かけ離れている。


「地下って何人くらいいるの? あの物資が何日分か知らないけど…千人単位なのは間違いないね」

「よく見ているな。正確な人数は把握しきれていないが、『囚人だけならば』二千人はいるだろうな」

「受付があるんだから把握できるんじゃないの? 腕輪だってあるじゃん」

「ここはいろいろと複雑なのさ。それも試合を見ればわかるさ」


 マシュホーに連れられて、ホールの中央にある階段を下りていく。

 その間、ホールにいた人々の視線がアンシュラオンとサナに集中していたものだ。仮面を被っているのだから目立つのは当然である。

 が、それ以外の視線も感じる。


(…この視線の感じは…初めてグラス・ギースに来たときに似ているな)


 アンシュラオンが初めて都市にやってきた時、何があったか覚えているだろうか。



 女性に―――群がられたのだ。



 『姉魅了』スキルを持っているアンシュラオンは、年上の女性から非常に好まれるという特性を持っている。

 問題なのは、【上に限りがない】ことでもある。

 かなりご年配の女性からも熱い視線を受けるので非常に困る。

 言っておくが、アンシュラオンのストライクゾーンは「パミエルキ」が基準なのだ。肉体年齢でいえば三十歳から三十五歳くらいだ。

 サナのように子供から育てるのならば何歳になっても問題はないが、最初から熟女に好かれるのは厳しいものがある。

 しかも仮面を被っていて、これだけの視線を浴びるのは久しぶりである。


(男女の囚人がいるといっても若い男女ってのは貴重なんだ。どんなやつが来るかは選べないもんな)


 過疎化した村に若い者がやってくれば、それはもう色めき立つのは仕方がないことだろう。

 若いというだけで十分魅力的なのだ。


(サナもいるから少し気をつけておくか。まあ、それもまた鍛練になるだろう。降りかかる火の粉を払うのも武人の資質だしな。その点も鍛えられれば一石二鳥か)




 二人は好奇の視線に晒されながら階段を下りていく。

 下りれば下りるほどに周囲の壁の様子が少しばかり変化を帯びてきた。うっすらと光り輝いているのだ。


「この壁は光っているけど、何か術式がかかっているの?」

「そうみたいだな。休憩所でも言ったが、ここはもともと何かの遺跡だったらしくてな。下に行けば行くほど当時のものが残っているんだ」

「へー、これがもう遺跡の一部なんだ」


 まだアンシュラオンは気付いていないが、このあたりの壁はすでにプライリーラの館の聖堂のものに近くなってきている。

 前にも話題に出たが、グラス・ギースの地下には巨大な遺跡がある。

 こうした遺跡の部分は、領主城の地下に広がる『輝霊草原地下墳墓』と呼ばれる広大なダンジョンの一部に該当する。

 この光る壁も遺跡にかけられた術式によるものだ。遺跡がいつからあるのかは不明だが、いまだ術式が消えていないことが驚異的である。


 そして、しばらく進んでいくと不思議な広場に出た。


 何が不思議かといえば、『巨大な石像』が両側に並んでいるのだ。

 ここのホールの天井もかなり高いので狭くは感じないが、大きさは十メートル以上はあるだろうか。かなり巨大な石像である。

 石像は無手であったり剣を持っていたりするのだが、一番気になるのは―――


(妙にメカメカしいな、この石像)


 そうなのだ。人間をかたどっているのならばよいのだが、見た目が妙にロボットっぽいのだ。

 遺跡は遺跡でも、古代科学文明の遺跡と言ったほうが正しく感じられる。

 かといってホール自体は何かしらの石材で造られているので遺跡感が強い。そのミスマッチが妙に気になるわけだ。


「ねえ、この石像って何?」

「ん? さぁ? 何だろうな。遺跡の一部じゃないのか?」

「でも、なんか変じゃない? 石像ってさ、普通は人間とかじゃないの? それとも昔の人間はこんな感じだったの?」

「うーむ、言われてみればそうだが…遺跡だしな」

「それで済ましちゃうんだ」

「しょうがない。俺が作ったわけじゃない」

「それはそうだね。それにしても…すごいな、これ。今にも動き出しそうなほどリアルだ」

「そういえば、前に誰かが『神機』を模したものじゃないかって言ってたな。俺は神機自体を見たことがないから、なんとも言えないが…」

「…っ! そうか! 神機に似ているんだ!!」


 アンシュラオンも実際に戦ったことがある巨大ロボットである。

 神機自体は機械生命体と呼べる存在であるが、機械である以上は誰かが造ったものであることは間違いない。

 一説によれば、すでに滅亡した古代文明で製造されたものであるという。

 この遺跡もその当時に造られたものであるのならば、神機を模した石像があっても問題はないのだろう。


(あれはトラウマだったな。生身で戦ったらいけない相手だったよ)


 このアンシュラオンでさえ最初は負けたのだ。神機がいかに強いかがわかる。

 もちろん陽禅公が意図的に戦闘タイプの神機を選んで戦わせたので、補助タイプの神機ならば話は別なのだが、それでもアンシュラオンをフルボッコにするだけの力があるのは脅威であろう。

 加えて神機は、人間が乗ることで性能を最大限に発揮するロボットでもある。

 誰も乗っていなくてもアンシュラオン並みの性能があるのだ。仮に強い武人が乗ったら手が付けられなくなるだろう。

 まさに伝説の破壊兵器、あるいは守り神と呼ぶべき存在だ。崇められていてもおかしくはない。


「最初に行くのは『無手』でいいか?」

「うん、いいよ。全部回ろう。今日もやっているんだよね?」

「ああ、基本的にな。人々の娯楽でもあり、戦うやつらにしたら仕事でもあるからな」


 まずマシュホーに案内されたのは無手の試合会場である。

 無手の試合会場への入り口の前には、無手の石像がいるのでわかりやすい。


 アンシュラオンとサナが、その通路に入っていくと『熱気』をわずかに感じた。


 人と人が近くにいるときに発せられる熱量の感覚だ。


 空気が少しずつ変わっていく。


 すでに開演しているコンサートホールに入ったような、あの独特の熱気が肌に触れるのだ。



(さて、どれくらいのものかな。サナの練習相手がいればいいけど…)



 期待に胸を膨らませながら歩を進めた。




368話 「収監砦 賭け試合見学 中編」


 アンシュラオンとサナが試合会場に入る。

 表よりは小さいが、やや広めのホールに三つのリングが設置されており、観客たちがそれぞれ囲むように観戦している。

 広いとはいえ人と人が密集していて、明らかに室温が上がっているので、砂浜のライブハウスに入った時に似た妙な圧迫感と息苦しさを感じる。



―――ワァアアアアアアア!!



 直後、人々の熱気渦巻く声が耳をつんざく。

 観客の誰もが血走った目でリング上での戦いを見守っていた。

 当然、普通の格闘技イベントのようにお上品に座って見ているわけではない。


「やれーーー! ぶっ殺せ!!」

「ふざけんな! 負けそうじゃねえか!! 死んでも勝てよ、この野郎!!」

「いくら賭けていると思ってんだ!!! 死ぬ気でやれ!! んなもん痛くねえだろう!!」

「ちんたらやってんじゃねえぞ!! やっちまえ!!」


 『死ね』だの『殺せ』だのという汚い言葉が普通に出てくる。

 ただの格闘技イベントならばここまで熱中しないが、これは【賭け事】なのだ。客も必死である。


(競馬やパチンコをガチでやるやつの目に似ているな)


 アンシュラオンもギャンブルをやったことはあるが、そこまで興味があるわけではないので軽く付き合う程度だった。

 だが、世の中にはそれに全財産を注ぎ込む人間もいれば、借金をしてまでやる依存症の者もいる。

 ここもそんな世界と同じ、欲望渦巻く『賭け試合』の世界であった。



「ここじゃ見づらいだろう。見晴らしのいい場所に行くか」


 マシュホーは二人を少し離れた場所に案内する。

 そこはリングより少し離れているものの段差があり、イベントホールの二階のように全体を見通せるところであった。

 ここも観客用スペースなのだろう。お世辞にも綺麗とは言えないが椅子があったので、三人が腰掛ける。


「人の数って、今日は多いほう?」

「普通かな。大きなイベントのときは、ここが満杯になるくらいに膨れ上がるが…今日は通常のスケジュールだからな。そこまでじゃない」

「そっか。ところで、もうここって封印術式内じゃない?」

「おっ、わかるのか?」

「うん。入り口を通った瞬間に圧迫感を感じたからね」

「武人ってのは、そんなこともわかるんだな」

「まあね。おっ、本当だ。ポケット倉庫から出せないや」


 試しにポケット倉庫を使おうとするが、がま口はがっしり閉まっていて、うんともすんとも言わない。

 マシュホーが言っていた遺跡の封印術式が発動しているようだ。


「どのホールも封印されているの?」

「試合会場の中で完全に封印されていないのは、最後の無制限のところだけだな。武器ありのところはリングの上だけ制限がかかっている。この無手の場所は全域がそうなっているようだぜ」

「不思議だね。会場別に分けてあるんだ」

「この場所自体が昔の拳闘場だったんじゃないかって話だ。だから道具を持ち込ませないように術式がかけられているんだろう。俺たちはお古を使わせてもらっているだけさ」

「それは面白い話だね。昔の人間も同じように楽しんでいたってことかな」

「もし同じように楽しんでいたとしたら、人間ってのは罪深い生き物だな。進化がない。遺跡があった頃と何も変わっていないことになる」

「たしかに暴力性という意味ではそうだろうね。逆に言えば、いつの時代も武は大切だってことじゃないのかな。いつだって自分を守るのは力だからね」

「なるほど…当然の話だな。生きる以上、その現実から目を背けることはできないってことか。まあ、せっかく来たんだ。ゆっくりと見ていくといいさ。どうせやることもないしな」

「ああ、そうするよ」


 アンシュラオンは試合会場に目を向ける。

 三つあるリングの上では薄着の男たちが殴り合いを続けていた。

 どれも似たようなものだったので、その中の一つに注目してみる。



 浅黒い男が黄色肌の男を殴る。

 バチーンッ

 男がよろけるが、持ち直して反撃。掴みかかって放り投げる。

 どーーんっ

 大きな音を立てて落ちるも、浅黒い肌の男はふらふらと立ち上がって再び殴りかかる。

 バチーンッ バチーンッ バチーンッ

 そこから両者の殴り合いが始まった。

 防御もないようなノーガードの打ち合いである。



 それに熱狂する観客たち。

 両者に賭けた人間から応援やら罵声が飛び交い、場は熱狂に包まれる。

 しかしながらアンシュラオンは冷めた目でその試合を見ていた。


(本気で殴り合っていないな。芯をずらしている)


 バチーン、バチーンッと肌と肌がぶつかる大きな音がするものの、その実態は「スカスカ」である。

 本当に相手を倒すつもりで放った一撃は、そんなに派手な音はしない。すべての衝撃が相手の内部に伝わるからだ。

 アンシュラオンが戦っている時に大きな音がするのは、攻撃が速すぎて周囲の大気が弾ける音であって、ぶつかりあって生じるものではないのだ。

 こうして外に音が漏れるということは、それだけ芯がずれて衝撃が逃げている証拠である。



 これは―――【プロレス】だ。



(プロレスラーが本気で戦えば、もちろん強いだろう。だが、彼らは【魅せる】ことを仕事にしている。大きな技の掛け合い、テクニック、パワーを客に見せて楽しませるんだ。これはそれと同じ『ショー』だな)


 たびたび格闘漫画でも登場するプロレスラーだが、彼らは戦いを『魅せる』ことが仕事だ。

 そのためにわざと技をくらうことも多く、本気で芯を当てにいく攻撃はあまりしない。

 彼らのテクニックの大半が『受け』によって構成されているのも、派手な技をくらうために必要だからである。

 目の前のリングで行われていることも、やはりプロレスに近いショーであると考えるべきだろう。本気で相手を倒そう、あるいは殺そうと思っている者はいない。


(こうなると勝敗も決まっている可能性があるな。八百長疑惑が正しければ、間違いなく浅黒い肌の男が勝つだろう)


 プロレスでも勝者が決まっていることはよくある。人気レスラーが負けないのはそのためだ。

 観客はそうと知りながらも、自分たちが望むシナリオを見て楽しむのだ。

 それはそれでいい。そうした娯楽があってもいいだろう。


 そして予想通りというべきか、試合は浅黒い男の勝利で終わった。


 黄色肌の男は、最初から勝つつもりがなかったのだ。

 彼らもそうとは悟られないようにはしているが、達人を超えた超人であるアンシュラオンには一目でわかる。

 また、観客の多くも「やっぱりそうなったか」という表情を浮かべているので、客も結末を事前に知っていた可能性が高い。


「ねぇ、これで賭けが成立するの? 最初から勝敗が決まっていたら賭ける意味がないじゃん」

「もう気付いたのか? 本当にすごいな。ますますうちに欲しくなる」

「それはいいから、カラクリを教えてよ」

「そうだな…あいつら二人が同じ派閥同士ってのも大きな要因だ。個人戦で潰し合いをするわけにはいかないだろう。説明した通り、派閥は家族みたいなものだ。全力では戦えないさ」

「それはわかるけど、観客はわかって賭けているっぽいね。その理由は?」

「同じ派閥の個人戦とはいえ各人によって事情も違う。選手当人が賭けている場合は金も欲しいだろうし、たまたま事故が起こることだってある。場合によっては【意図的にシナリオを無視】することもあるんだ。それを期待しているのさ」

「裏切ったらまずいんじゃないの?」

「個人間で仲は悪くなるだろうが…リング以外では暴力行為は禁止だしな。それで割に合うと考えればやるやつもいる。鞍替えを検討しているやつなら、なおさらさ」

「なるほど、鞍替えが自由にできることも一つのポイントなんだね。ところで選手も賭けられるの?」

「ああ、自分にだけだけどな。ただし観客が賭けるものとは違って、運営側が対価を支払うシステムになっている」

「自分が勝つとわかっていれば丸儲けじゃない?」

「それは運営側だってわかっているさ。それを見越してオッズやレートを管理している。仮にシナリオがある場合は、負ける側のオッズは極めて高く設定されているんだ。逆に勝つ側は極めて低くなるように調整されている」

「もし負ける側が勝てば大儲けってことか。それって選手の裏切りを誘発しているってこと?」

「そうだ。だから観客も本気で賭けることができるし、その葛藤を楽しむこともできる。もし負ける側の選手が賭けていたら怪しいだろう? そういったところを含めて楽しむのさ」

「なかなかえぐいね」

「人間ドラマが一番の娯楽だからな」


 ドラマや映画にしても、いつだって見所は【人間そのもの】である。

 彼らが織り成す人間模様を楽しむための娯楽である。この賭け試合にも、試合を盛り上げるためにいろいろな要素が仕込まれているようだ。


「…何か金以外のものも配られているね」

「賭けるものは金以外でもいいんだよ。それに見合うものならばな」


 アンシュラオンが配当を受け取る観客たちを見ていると、金以外のものをもらったり支払っている者たちがいた。

 地下では物も貴重なため、実際の金と同価値として扱われるようだ。


「物の価値は需要で決まるの?」

「そうだな。ある程度決まっているが需要が高まれば価値も高くなる。そのあたりは上と変わらない。…と、そろそろメインイベントが始まるぞ。退屈しているようだが、今度のは面白いぞ」

「へぇ、それは楽しみだ」



 左右の二つのリングの戦いが終わると、観客がぞろぞろと中央のリングだけに集まっていく。

 蒸し暑さを超えた熱量が発生し、汗を掻いた多くの男が集まった時に発生する「すえた臭い」が周囲に充満していく。

 そんな臭いにも負けず、観客の男たちの目はさらに血走り、リングの一点を見つめていた。



「みなさん、お待たせいたしました。本日のメインイベントが始まります。どうぞ中央にお集まりください!」



 そこに、他の試合ではいなかったリングアナウンサーが登場。

 といっても、すでに観客の大半は中央に集まっているので、この戦いの注目度がいかに高いかがうかがえる。



「まずは挑戦者をご紹介いたします。西側から現れるのは、ハングラスのアイアンマンこと、黒拳のブローザー! かつてはその拳で数多くの武人を屠ったといわれている豪腕の猛者でございます! さぁ、アイアンマンの入場だぁあああああーーーーー!!!!」



―――「ウオオオオオオオオ!!」



 コールアナウンスと観客からの大歓声を受けて西側から登場したのは、いかにも強面といった顔つきのムキムキの男だった。

 上半身は裸で下はズボンだけというラフな格好であるも、重要なのは中身である。

 その筋肉はとことん鍛えられていて大きく盛り上がっているが、『魅せる』ために作られたものではなく、ちゃんと使うための筋肉であることはすぐにわかった。


(さっきの連中とは明らかに違うな。あいつは『武人』だ)


 アンシュラオンが最初に見た男たちは、あくまでパフォーマーに近かった。筋肉の鍛え方も実戦向けではなく見た目重視のものだった。

 しかし、今度現れた男は『武人』と呼べるラインにまで到達した者である。

 その両拳は叩きすぎたせいか、すでに皮膚が黒く変色している。なるほど、たしかに「黒拳」だ。


「おおお!! ブローーザーーーーー!! ぶっ殺せ!!!」

「絶対に勝てよおおおおおお!!!」

「お前だけが頼りだぞおおおおおお!」


 ブローザーは両腕の筋肉を盛り上げて観客に応える。

 ボディービルダーでいうところの『フロント・ダブル・バイセップス』である。

 上腕二頭筋をアピールするためのポーズだ。



「続きまして、チャンピオンの登場です!!」


「ブーーーー!!」

「死ねーーー!!」

「さっさと負けろーーーー!!」

「くたばれぇえええええ!!」


(ん? チャンピオンは人気がないのか?)


 まだ名前すらコールされていないのにブーイングの嵐である。ブローザーとは大きな違いだ。

 その様子に違和感を覚えながら見ていると、東側から一人の男が出てきた。

 体格としてはブローザーよりもやや小柄だが、十分大きな体躯をしており、近くにいるリングアナウンサーが小さく見えるほどだ。


 それより気になったのが、そのいでたちである。


 ボロボロになったサバイバルジャケットのような上着を着ており、肩より長く伸びた青い髪の毛も薄汚れていて、あまり衛生的には見えない。

 頬もどこか煤けており、登山で遭難して一週間後に保護されたと言われても信じてしまうほどである。



 だが―――強い。



(あいつ、強いな。少なくとも豚君よりは強い)


 『情報公開』で見なくてもわかる。


 あの男は、強い。


 ジャケットの隙間から見える筋肉の付き方、歩き方、周囲に対する警戒の仕方、すべてが他と違う。

 実力的にはマキより強いわけではないが、地上にいる彼女とは違って【獣のようにギラギラ】している。

 どちらかといえば裏スレイブに近い雰囲気がある。が、かといって殺人者特有のドス黒さは感じられない。

 楽しみで人を殺すような男ではない、ということだ。




「チャンピオンのご紹介です。ラングラス所属、キング・レイィイイイイイイイイオン!!」




(ラングラス所属…だと? この男、ラングラスなのか?)


 ラングラスにソイドファミリー以外の強いイメージがなかったので、この紹介にはアンシュラオンも驚きである。

 しかし次の瞬間、さらに驚くことになる。



「続きまして、今回のスペシャルマッチの『賞品』の登場です!! みなさんご存知、ファン・ミャンメイ、二十一歳!! もちろん独身で処女の女性です!!!」




―――「ウオオオオオオオオオオオオ!!」




 その瞬間、今日のどの試合よりも激しくホールに熱狂が渦巻いた。




369話 「収監砦 賭け試合見学 後編」


(【賞品】…と言ったのか? あの子が?)


 賞品とは、基本的に何かの勝負に勝った者に与えられるものを指す。

 大きなイベントでは車などもあるが、ゲーム機や温泉旅行券などが賞品になるケースもあるだろう。

 であれば、聞き間違いでなければ、あの女の子がこの試合の賞品だということになる。

 アンシュラオンがそんな疑問を抱いていると、リングアナウンサーがしっかりと説明してくれた。


「今回もスペシャルマッチということですので、ルールの確認をさせていただきます。この戦いはチャンピオンであるキング・レイオンと、対戦者および観客の皆様との勝負形式になっております。もしチャンピオンが負けた場合は、ミャンメイ嬢の『所有者』を皆様の中から抽選で選ばせていただきます。挑戦者のブローザーが負けた場合は、皆様方が賭けたものがすべてチャンピオンに渡ることになります」


(随分と変則的だな。だから観客はチャンピオンに負けてほしいのか)


 なかなか変則的なルールのようなので簡単にまとめると―――


 あの女性はキング・レイオンが賭けた【物】という扱いらしい。


 そして、今回の勝負は運営側が調整を施す普通の賭け試合とは違い、『チャンピオン VS 挑戦者&観客』という構図になっているようだ。

 チャンピオンが負ければ彼女は当然ながら没収され、挑戦者および観客の中から抽選で『所有権』が与えられるという。

 逆にチャンピオンが勝てば、賭けた金や物の全部を手に入れることができるようだ。

 つまるところ「賭けたもの全部」=「ミャンメイ嬢」という等価値の図式が成り立つことになる。


「ねぇ、これってどういうこと?」

「驚いたか?」

「うん、驚いたよ。観客にも可能性があるってすごいね」

「おいおい、普通は女の子が賭けられていることに驚くだろう」

「それは少し驚いたけど、スレイブの売買には慣れているからね。さして珍しいことじゃないよね」

「それはそれで問題だな」

「で、あの子ってスレイブなの? 見たところ、スレイブ・ギアスはないようだけど…」

「ふーむ、スレイブ…か。どうだろうな。それとは違うと思うぞ。あの子は自らの意思で賞品になっているらしいからな」

「そうなの? 支配されたい願望でもあるの?」

「そこまではわからないな。とにかくこれはスペシャルマッチってやつでな。通常とは違う賭けの方式を採用している。というよりは運営と選手、観客が納得すれば賭けの形式は何でもいいんだけどな」

「要するに金になればいいってことね。でも、こうなると挑戦者って戦う意味がないんじゃないの? それとも優先権があるとか?」

「挑戦者のブローザーには七割がたの権利がある。それ以外の三割程度を観客に割り当てて、くじ引きでもするんだろうさ。その条件なら観客にだって十分勝機はあるだろう」

「じゃあ、賭けた金は参加費用ってこと……あっ、そうか、素直に抽選を待つ必要もないのか。挑戦者を観客の誰かが買収してもいいんだ。権利をあとから買ってもいいんだし、転売することもできる。…これは面白いやり方だね」

「客側からすればそうだろうな。ただ、そもそもこのスペシャルマッチは、金を全獲りするためにレイオン側が提案したものだ。それが受け入れられた形だな。こういうタイプの賭けは地下でもなかなか珍しいぞ」

「ふむ、勝てば全部を得る…か。腕に自信があるんだろうね。女性を賭けの対象にすることはよくあるの?」

「数自体が少ないから滅多にないな。すでに結婚している女も多いしな。そりゃ女房を賭けの対象にするクズもいるが、彼女のように若い女の子は貴重だ。しかも独身で処女だぞ。地下でこれほど貴重な存在は非常に珍しい。だからこれだけの客が集まるんだよ」

「そういえば人が増えてるね」

「ああ、嫁さんを探しにくる連中さ」


 この時間になって、入り口からぞろぞろと追加で客が入ってきていた。

 なかなか試合が始まらないなと思っていたら、このイベントのために来場する者たちを待っているようだ。

 いつしか試合会場はたくさんの男たちが集まり、次々と賭けに参加していた。


(賭けた金額に応じて確率も高まる仕組みだろうな。仮に公正に抽選が行われるのならば、希少性を考えれば少しでも賭けたいと思う気持ちも理解できるか。なかなか可愛い子じゃないか)


 アンシュラオンはファン・ミャンメイと呼ばれた女の子を見る。

 まず目を惹かれるのが、垂れ目で温和そうな灰色の瞳だ。

 その瞳の中には邪気や反抗心、敵愾心といったものは感じられない。

 こんな場所にいれば心が荒んでしまうものだろうが、彼女から他者に対する敵意がまったく感じられないのだ。

 今こうして賞品とされているにもかかわらず、である。

 こうした雰囲気はヤクザ者ほど敏感に感じるものだ。いつも誰かに怯えられてきたので、無警戒でいてくれる人間に好意を持つ傾向にある。

 この大盛況にも納得だ。それだけの価値があるのだろう。


 そうした内面に加え、外見もかなり可愛い部類に入る。

 群青色の髪の毛はお団子頭にまとめられており、その髪色がよく映えるチャイナドレスに似た綺麗な赤い服を着ている。

 身体つきは、地下にいるわりには少しふっくらしており、見ただけで柔らかいことがわかる。

 それを見る観客の男たちも下心丸出しの視線を隠そうともしていない。

 実際この場にいる者たちは全員が彼女目当てなのだ。スレイブかどうかはともかくとしても、単純に女性を手に入れるチャンスである。

 嫁不足も深刻化している地下では、若くて可愛い彼女の存在は極めて貴重だ。それが『新品』ならばなおさらだろう。

 当然ながら、アンシュラオンから見ても魅力的に映った。


(胸はそこまで大きくはないが…全体的には上質だな。衛生的な意味でもシャイナより綺麗なんじゃないか? あいつ、地上にいるくせに不衛生だからな。ぜひとも彼女を見習ってほしいものだ。…しかし、男のほうは酷いな。なんであんなに薄汚いんだ? それとも女性を綺麗に目立たせるための作戦か?)


 女性が綺麗に着飾っているせいか、キング・レイオンの格好がやたら汚く見える。

 他人からの視線を受けて、心なしかモジモジしているミャンメイとは対照的に、彼は黙って試合の開始を待っている。

 その感情に乏しい表情から心を読むことは難しい。

 淡々としているというべきか、淡々であろうとしているというべきか。

 少なくとも相手を怖がっている様子はないので、戦いに関しては自信があるのだろう。

 しかしアンシュラオンからすれば、ラングラスという言葉のほうが気になる。


「あいつはラングラス派閥なの?」

「ああ、そうだ。何度も誘っているんだが、ずっとラングラスにいる変わり者さ。何か事情があるみたいだけどな」

「あの女の子との関係は?」

「さぁ? 処女ってことだから恋人ではないかもしれないな。あの子もずっとラングラスにいるから情報が入ってこないんだよ」

「へぇ、そうなんだ」


 色々と疑問は湧くが、そろそろ試合開始の時間となったようだ。

 会場の明かりが一旦落とされ、改めてリングだけに光が集まっていく。これも遺跡にかけられた術式なのかもしれない。



「みなさん、今日もありがとうございます! それでは本日のメインイベントを開始いたします! 両者、前へ!」



 リングアナウンサーに促され、二人がリングの中央に立つ。

 ブローザーは観客に対して、いまだ筋肉をアピールしている。

 一方のレイオンはジャケットを脱いだだけで、じっと視線はブローザーに向けている。


(油断していていいのか? すでに戦闘態勢に入っているぞ)


 アンシュラオンの目には、この一秒後の光景が見えていた。

 それほどはっきりとした敵意のようなものが、あの男から発せられていたからだ。



「ゴングを―――」



 リングアナウンサーが試合開始を宣言しようとした直後―――アンシュラオンが思った通り、すでにレイオンは攻撃態勢に入っていた。


 アナウンサーの横を突風が通り過ぎるように駆け抜け、まだ戦闘態勢に入っていないブローザーの脇腹に拳を叩き込む。

 ダスンッ

 その音はけっして派手ではなかった。観客の呼吸にすら掻き消えそうな小さな音だっただろう。

 最初に見た試合で聴いたような乾いた音ではない。


 だからこそ―――効く。


 ミシミシィッ バキッ


「ぐっ…!」


 ブローザーは咄嗟に戦気を放出して防御したが、肋骨が折れてしまった。

 衝撃のすべてが相手に残るような重いパンチである。準備していても対応は大変なのだから、無警戒ではこうなって当然だろう。

 そのままレイオンは、受身になったブローザーに対してラッシュを仕掛ける。

 右の拳がブローザーの顔面に迫る。ブローザーはファイティングポーズを取ってギリギリでかわす。

 だが、その間にレイオンは懐に入り込んでおり、左の拳がみぞおちにヒット。


「ごふっ…!」


 浮き上がるような衝撃を受けたブローザーの顔が歪む。

 万全ならば防御くらいはできただろうが、最初の脇腹への攻撃を許したことが大きかった。

 明らかに反応が鈍い。骨が折れたために腕の動きに影響が出ているようだ。

 レイオンの攻撃はそれで終わらない。


 返す刀でテンプル(こめかみ)に右フック。


 ゴンッ

 硬い岩同士がぶつかったような音がする。衝撃がすべて頭に入った証拠だ。


(いい音だ。しっかりと振り抜いたな)


 アンシュラオンが聴いても悪くない打撃音である。

 レイオンの攻撃は、すべて実戦を想定して練り上げているものだ。そこらのパフォーマーとは比べられない。

 戦気を放出したあたりブローザーもそれなりに強い武人なのだが、いかんせん油断しすぎていた。

 ハングラスという最大派閥にいるせいか、果てはこの地下生活に慣れすぎたのか、敵を前にして隙を晒すという最大の失態を犯してしまった。

 たしかに試合形式という名目はあれど、武人と武人が出会ったら即臨戦態勢になるのが【礼儀】である。

 これは間違いなくブローザーが悪い。武人の世界ではそれが常識だ。


 ふらふら ばたん


 頭に受けた一撃が効いたのだろう。ブローザーがダウンする。



 レイオンはさらに追撃―――しようとするが、止められる。



「ストップ! ストップだ!! まだ開始のゴングが鳴っていないぞ!」

「………」

「下がって! 一度下がるんだ!!」


 レイオンは制止を無視する―――かと思いきや、意外にもそれに従って一度下がる。

 本来ならばここで決着がついていた勝負であるが、これは『仕合い』ではなく『試合』であった。

 試合だからこそ野次も飛ぶ。


「レイオン、てめえ!! 汚いぞ!!」

「ふざけんな、このやろう!! 死ねーー!!」

「いつも汚い手を使いやがって!! ちゃんと勝負しろ!!」

「………」


 罵倒や野次が飛んでもレイオンは黙って立っている。

 最初から気にしていないという様子だ。こういったものにも慣れているのだろう。

 むしろこの場で一番戸惑っている者がいるとすれば、アンシュラオンその人ではないだろうか。

 『試合』を見るのは地球生活以来だ。命がけの実戦が当たり前になっている今の自分からすれば、試合というものがいかに生温いかがわかる。

 その温度差についていけていないのだ。


(何を言っているんだ? これは戦いだ。油断するほうが悪いぞ。まあ、試合なんてそんなものか。それよりあいつ…【手加減】していたな。どうして仕留めなかった?)


 間違いなくレイオンは、この三撃でブローザーを【殺せた】はずだ。

 だが、あえてそれをしなかったのだ。

 もちろん試合ということもあるのだろうし、自分より格下の相手に奥の手を見せる必要はないが、その攻撃がいやに中途半端に見えたのだ。

 殺すまではいかずとも戦闘不能にはもっていけたはずだ。


 それをしなかったから―――昏倒から復活したブローザーが立ち上がる。



「ブローザー、やれるか?」

「…もちろんだ」

「少し休むか?」

「いらん世話だ。すぐに始めてくれ」

「わかった。では、試合開始だ!!」



 カーーーーーンッ


 改めてゴングが鳴らされる。

 こんな合図があることすら気持ち悪く感じるが、これが試合なのである。


 その後はアンシュラオンからすれば、特筆すべきこともない退屈な勝負が繰り広げられた。


 ブローザーの自慢の拳が唸る。

 それを何発か受けながらも反撃するレイオン。

 パーンッ パァーーーンッ

 音からしてもわかる通り、レイオンの攻撃は「スカスカ」になっていた。見た目は派手だがダメージはさしたるものでもない。

 一方、最初の三発が相当効いたのか、ブローザーの動きも鈍い。

 繰り出される拳にもキレがなく、直撃したように見えた一撃もレイオンはしっかりと防御をしていた。


 派手な乱打戦に対して観客が沸く。会場に欲望という名の熱気が渦巻く。

 しかし、それらはすべて茶番でしかない。

 何回かダウンしたものの、最終的にはレイオンが危なげなく勝利を掴んだ。


(見所は最初だけだったな。もともとの実力差がありすぎたし、あのレイオンという男も『あの瞬間』からパフォーマーになってしまった。さて、これにシナリオはあったのかな? すべてがやらせか、それとも止められなければ倒そうと思っていたのか…いろいろとすっきりはしないな)


 アンシュラオンからすれば退屈でしかない。

 少しはまともな武人が出てきたから期待した分だけ、逆に肩透かしをくらった気分である。

 それよりも印象的だったのは、やはりミャンメイという女の子であろうか。

 彼女は試合中ずっと、レイオンを心配そうに見つめながら妙に沈んだ顔をしていたものだ。

 自分が賞品になっているので当然だが、いろいろと事情がありそうである。




370話 「武器の試合会場」


 メインイベントのキング・レイオンの試合が終わり、無手の会場からは蜘蛛の子を散らすように観客たちがいなくなっていく。


「ちっ、やっぱりレイオンのやつが勝ちやがったな」

「ブローザーが最初に油断しすぎだぜ。普通にやればわからなかったはずだ。あいつも最初からゴング無視で襲いかかればいいのによ!」

「それでもレイオンには通じないだろう。ムカつくが、やっぱり強いぜ。あーあ、これでまたスッちまったよ。このまま賭け続けても意味がないんじゃないのか?」

「諦めるのか? 貴重な若い嫁さんだぞ。俺はもう熟女を相手にするのは嫌なんだよ。お前だってそうだろう?」

「そりゃそうだが…金がな……」

「しょうがねえ。『ガラクタ集め』でもして、また貯めるか」

「臨時で外に呼んでくれればな…金を調達することもできるんだけどよ」

「それだったらもう地下に戻ってきたくねえよ」

「それもそうか。はぁーあ、だりーな。何か良いことねえかなー」


 やはり賭けに負けると気分は悪いものだ。

 競馬中継のテレビの出演者でさえも、自分の予想が外れた時は心なしかテンションが低いものである。

 実際に本気で賭けていた観客たちならば、ショックもまた大きいだろう。一様に肩を落としながら消えていった。

 その様子を観察していたアンシュラオンは、静かに思案する。


(あの茶番を見抜いていないのか? では、少なくともレイオン戦に限っては、観客はシナリオを知らないということになるか。たしかにシナリオがあるとは限らないし、レイオンが勝手にそうやっていた可能性もある。…いろいろと疑問は残ったが、おかげで地下で何が起こっているかはだいたいわかったな)


 ここで得た最大の情報は、形式が何であれ旨みがあれば賭けが成立することと、女性が多大な価値を持つことである。

 これはなかなか貴重な情報だ。後々活かせるに違いない。


「他の試合も見るか? 順番にやるから、まだまだ見られるぞ」

「うん、見たいね。案内してもらえるかな」

「おうよ。任せておけ。次は武器ありの試合だな」




 アンシュラオンたちは気持ちを切り替え、武器ありの試合会場に移動した。

 そこでもやっていることは似たようなものだ。互いに致命傷を負わせないように配慮していることがわかる。

 今回は武器を携帯しているので、よりその傾向が強かったといえるだろう。

 なにせ両者ともにがっしりとした鎧を着て打ち合うのだ。ガッキンガッキンと金属同士が当たる音がするだけの『チャンバラ』である。

 五試合くらい見たが、その中には「刃が無い」武器を使っている者たちもいたくらいだ。

 いくら試合とはいえ、これにはアンシュラオンも辟易する。


(これは酷い。芸能人の剣道ごっこを見ているようなものだな)


 仮にアンシュラオンが真剣の達人だとすると、今見ているものはテレビでやるような竹刀を使った剣道遊びの試合でしかない。

 何か言いたいのだが、特にコメントが浮かばないのだ。それくらい酷いということである。

 仕方ないので情報収集に集中することにした。


「リングの上は術式がかかっているんだっけ?」

「武器は二つまで、防具は五つまでだったか? それ以上になると入れないようになっているらしいぞ。俺は入ったことがないからわからないけどな」

「武器はメインとサブ、あるいは両手に一つずつ。防具は頭、胴体、腕、腰、足かな? 全身鎧だと一つで済むのか」


 無手が拳闘場ならば、こちらは『剣闘場』と呼ぶべきだろうか。

 リングの上には封印術式がかかっており、決められた数の武器と防具しか持ち込めないようだ。

 それ以外の道具があると結界が発動して入れないらしい。


(この条件だと暗殺者は少し厳しいかな? やはり剣士のための闘技場と考えたほうがいいか)


「ここで剣と無手は戦えるの?」

「うーむ、見たことがないな。ルール上は武器の持ち込みは任意だから問題ないだろうが、エントリーするやつは武器を持っていることが普通だ。だいたいは武器を失ったら負けになるしな。もしその対戦が見たい場合は『制限なし』のほうでやっているぜ」

「なるほどね。無制限のほうがメインコンテンツってわけだ。だから無手であんなスペシャルマッチを組んでいるんだね」

「そうだな。単純な殴り合いが好きなやつもいるが、一番の花形は普通に戦うほうだな。そのほうが面白いからな」


 言ってしまえば、無手は空手の大会、剣は剣道の大会、無制限は異種武闘大会である。

 空手が好きな人は空手を見て、剣道が好きな人は剣道を見ればいい。

 しかしながら「空手と剣道のどっちが強い?」「ムエタイとレスリングは?」という話題には、格闘技ファンならず一般人も興味が湧くだろう。


 結果的には無制限の何でもありのほうが面白いわけだ。


 そのため無手や剣のコンテンツは、やや下火の状況が続いているらしい。

 さきほどのスペシャルマッチは、無手の会場を盛り上げるための余興と思われる。

 女性を餌にするだけであれだけの客が集まるのだ。十分な儲けが生まれるだろう。


(仮にチャンピオンが負けたら女性は誰かの手に渡り、あのイベントはできなくなる。挑戦者がすぐに売りに出すのはおかしいし、処女でなくなったら価値が下がるしな。最初の不意打ちはシナリオにはなかったかもしれないが、最後のあたりは【臭かった】な)


 肩を落として帰っていく観客には申し訳ないが、女性が渡ってしまったらイベントが開けなくなる。そのあたりも計算されていそうだ。

 ただ、アンシュラオンにはレイオンのギラついた目が脳裏に焼き付いている。

 あれは八百長で満足するような男の目ではない。


(あの男も好きでやっているわけではないだろう。生活のためか金のためか、どちらにしてもアンバランスな感じだったな。…と、こっちでも何か始まったな)


 アンシュラオンが視線をリングに戻すと、こちらでもメインイベントが始まろうとしていた。



「さぁ、今日もキング・ジュンユウのイベントが始まるぞ! ルールは至って簡単だ! 一撃でもキングに入れられたら挑戦者の勝ちだ! しかも賭けた者全員に特別配当が出る! 今までキングが得た賞金額全部が上乗せだあぁあああああ!」



―――ウオオオオオオオオッ!!



 そのアナウンスに観客が興奮する。

 こちらも観客参加型のスペシャルマッチらしく、通常の配当に加えて、今まで全員が賭けて失ってきた額が全部山分けになるというものらしい。

 たとえるならばカジノのジャックポットや、ロトクジなどのキャリーオーバーみたいなものだろう。

 こちらは女性ではなく単純に高額配当を餌にしているようだ。


(ふむ、それぞれでいろいろと考えるものだな。さっきの無手と共通しているのが、客を参加させるタイプであるということだ。地球でもテレビ番組の再編期にこういうのが流行ったな)


 一時期のテレビ低迷期には、視聴者を意識した番組構成が流行ったものである。

 視聴者にもボタンで回答させて、当たった人にプレゼント、というやつである。

 ここにいる者たちは自分から好きで賭けているのでオマケに近い感覚だが、こういう特典があれば積極的に賭ける者も出てくるだろう。


(それだけ地下では『退屈』が嫌われているのかもしれない。こうした閉鎖空間では倦怠感も厄介な相手だ。今のグラス・ギースと同じだな)


 閉鎖的な空間で一番怖ろしいのが暴力の氾濫であるが、次に怖ろしいのが倦怠感や退屈である。

 未来への希望がない、何をやってもつまらない、どうせ俺たちは地下の人間だ。

 そういったネガティブで非生産的な感情はマイナスにしかならない。人間が生きるという意味をすべて否定するに等しいものとなる。

 それを防ぐために地下も必死なのだろう。

 レイオンがどれだけ協力的なのかは不明だが、闘技場全体では客を巻き込んで盛り上げようとがんばっているようだ。

 ただ、内容が少し気になる。


(一撃でも入れたら勝ちだと? ほぉ、面白い。ここのキングもそれだけ自信があるってことか。お手並み拝見だな)



 コールアナウンスが行われて挑戦者が登場する。

 挑戦者はジングラス所属の剣士で大きな斧を持っていた。こちらにはしっかりと刃が付いている。

 さらに身体はがっしりと防具で固められていて、防御力もそこそこありそうである。



「続いてマングラス所属、キング・ジュンユウの登場だぁあああああ!!」


「ジュンユウ!! 今日は負けろやーーー!」

「すっ転べーーーー!!」

「下痢になれーーー!」


 こちらもレイオンと同じく客の野次が飛ぶ。

 キングが負ければ旨みのある話になるのだから仕方がない。


 そんな中、出てきた男は―――剣一本だけを持っていた。


 身体にまとったのは「服」であり、鎧ではない。

 特に術式も付与されていないので、剣で斬られれば簡単に裂けてしまうようなものだ。

 顔もそのまま素顔で、痩せて頬がこけた顔にウェーブがかかった黒い髪の毛が特徴的だ。

 少し悪く言えば、薬でもやっていそうなドクロっぽい顔付きである。

 派手な衣装を着せてギターでも持たせれば、ヘビメタバンドにいても不思議ではない暗めの雰囲気であろう。



 が―――強い。



(あの男も強いな。タイプが違うから比較は難しいが…レイオンに近いレベルだ。耐久力の低い剣士のくせに薄着という点にも矜持を感じるな。あの剣一本でやるという気迫がある)


 ジュンユウが持っている剣は、細身の刺突剣に近い形状をしている。

 叩きつける、切り裂くというよりは、突き刺すことを念頭に造られたもののようだ。

 この点はファテロナが持っていた『血恕御前《ちじょごぜん》』に似ている。あくまで形だけは、であるが。



「試合開始だぁああああ!!」



 カァーーーーーーーンッ


 剣の会場では不意打ちもなく普通に試合が始まった。


 ドドドドッ ブンッ!!


 開始のゴングと同時に挑戦者が突っ込んでいき、持っていた斧をフルスイングする。

 この男の作戦は極めて単純だ。

 大きく振り回すことでひたすら攻撃を続けるのだ。そうすれば一回くらいは、どこかで掠るだろうという算段である。

 実際に武器を持った相手と戦うとわかるのだが、一番怖いのがフルスイング、ぶん回しである。

 そこに大きな隙があっても、いざフルスイングの体勢に入られると踏み込めないものだ。

 一撃で仕留められないのならば、その直後に凄まじい一撃がくるのだ。普通は回避するほうを選択するだろう。安全が第一だ。

 しかもチャンピオンは一発でも当たれば負けである。まずは相手の攻撃の射程外に出るのが最優先だ。


 しかしながら―――下がらない。


 ジュンユウは静かに剣を構えて、むしろ前に出た。

 そして、挑戦者の肩に突きを入れる。


 ガキィイイインッ


「ぐっ…!」


 斧をフルスイングしようとしていた挑戦者は、回転運動の途中で剣を突き入れられたので動きが止まってしまう。


(上手いな。ギリギリのラインで止めたな)


 重い荷物を載せた滑車を動かす際もそうだが、動き始めが一番大変である。

 一度流れに乗れば惰性運動で何とか進めるが、それまでが力のいる作業となるだろう。

 このフルスイングという動作も、一度回転運動に乗ってしまえば鋭く重い一撃が入るのだが、それまでに止めてしまえば小さな力でも簡単に止めることができるのだ。


 ジュンユウは一度下がり、再び剣を構える。


 挑戦者はまた攻撃に入ろうとするが―――


 ガィンッ ガイィイインッ

 ガィンッ ガイィイインッ

 ガィンッ ガイィイインッ


 その都度、鋭い一撃が肩や肘、あるいは腰といった箇所に入って攻撃が阻害される。

 狙う箇所も的確だが、そのすべてがギリギリのタイミングを狙って行われていた。


(あの男、わざとあのタイミングで止めているんだ。本当ならいつでもやれるが、これも客に対するパフォーマンスなんだろうな)


 ジュンユウの実力ならば、挑戦者に何もさせずに一方的に攻撃できるだろう。

 しかし、こちらも観客を盛り上げるためにわざと動きを遅くして、ギリギリの間合いで止めるようにしているらしい。

 これもまた高等技術である。それだけの実力差がある証拠だ。


「うおおおおお!」


 挑戦者が勝負に出て、突進。

 強引に打ち込みに出た。


 それをジュンユウは―――迎撃しない。


 ブゥウウンッ スカッ

 今度は止めるのではなく回避するというパフォーマンスを見せる。


 ブンブンブンッ ブンブンブンッ


 挑戦者の斧が唸る。が、すべて紙一重でかわしていく。


「ちくしょう! 全然当たらない!」

「相変わらず、なんて素早さだよ!!」

「もっと振れ!! 強引に行けよ!! そんなんじゃ一生当たらないぞ!!」


 観客はジュンユウの速度に注目しているようだ。いつもこんな感じなのだろう。野次にも慣れが感じられる。

 だが、アンシュラオンは別のところに注目していた。


(空間認識能力が高いんだ。自分の中に間合いを持っている。あれは『心眼《しんがん》』系の技だな。そして、何よりも優れているのが『集中力』だ)


 剣王技の中に『心眼』と呼ばれる技がある。

 一般的に心眼というと、心の眼と書いて字のごとく、目に見えない物事を把握する能力を指すのだが、剣王技でいう心眼は【防御・カウンター技】を意味する。

 自身の周囲に【剣域】を生み出し、絶対の防御陣を敷くのである。

 その間合いに入り込んだものをすべて迎撃、あるいはカウンターを入れるという完全防御系の技である。

 これを極めるとあらゆる技を無効化できるといわれているが、さすがにジュンユウ程度の武人がそこまで到達しているわけがない。

 彼が使っているのは初歩的な段階の心眼であり、無限抱擁に近いレベルのものだ。

 それでも使えること自体がすごいといえるだろう。彼がその気になれば、いつでもカウンターを入れられるはずだ。


 それを支えているのが―――【集中力】。


 心眼も剣気を展開して生み出す技なので、持続するには多大な集中力が必要になる。

 ジュンユウが優れているのは速度ではなく、技を継続する力であり、一点に力を集約する能力である。

 おそらく彼自身は力があまり強くないのだろう。それを補うために力の集中を磨いたのだ。

 高い集中力で相手の動きを完全に見切り、もっとも最適なポイントに最大限(あるいは最小限)の力を打ち込んで無力化する。実に優れた技能だ。


(マタゾーとは違う意味で一点の力を磨いた男だ。ここまでレベル差があれば結果は見えたな)


 アンシュラオンの予想通り、試合は当然の帰結を迎える。


 ガキィイイインッ ブーーーンッ ガランッ


 ジュンユウの放った一撃が、斧を振り上げた挑戦者の手を直撃。

 斧が宙を飛んでいき、地面に落ちる。



「勝負あり!! 勝者、キング・ジュンユウ!!」



 試合はジュンユウの勝利で終わる。




371話 「無制限の試合会場」


 武器の試合はキング・ジュンユウの勝利に終わる。


(これはシナリオうんぬんより、単純なレベル差が大きかったな。一発でも受けたらアウトという条件だから、あっさり決まるのは仕方がないことだ)


 レイオンはあえて技を受けていたが、あれとは条件がまったく違うので、ジュンユウの圧勝は仕方がないだろう。

 客もそれがわかっていながら賭けているのだ。

 もちろん利率や割合は多少変動するだろうが、一回でも挑戦者が勝てば負けた分は戻ってくるのだ。その日を夢見てまた賭けるに違いない。

 それもまた運営側の思惑通りだ。淡い期待を抱く客はいつだって損をするものである。




 続いてアンシュラオンたちは『無制限』の試合会場に赴く。


 ここも他の会場と同じような造りではあるが、はっきり言えば無制限の会場は「余った部屋」に設置されている。

 無手と武器の会場には条件を限定する術式がかかっているが、無制限にその必要はない。

 それゆえに術式がかかっていない適当な部屋を選んで造られた、といったほうが正確であろう。

 そして、ここでもアンシュラオンは見学に徹することにする。


(…普通の試合といったところか。さして見栄えするものではないな)


 この会場では制限がないので、無手と武器使いが戦うこともある。

 が、それだけだ。

 通常の戦闘において、戦士が剣士と戦うことはざらにある。

 一般人からすれば武器の有無は大きな戦力差になるだろうが、武人の世界ならば無手もさほど珍しくはない。

 基本無手のアンシュラオンからすれば、ここの勝負も素人のお遊びに近いものであった。

 その点に関しては少々残念だ。少なくとも自分が相手をするに相応しい相手は皆無である。


(地下だから優れた武人がいるかと期待したが…地上のほうが上だな。プライリーラやアーブスラットはもちろんのこと、オレの裏スレイブに匹敵する人材はほとんどいないな。せいぜいレイオンとジュンユウというやつくらいか)


 アンシュラオンが火怨山を下りてから戦った『一番強い人間』は、おそらくアーブスラットだろう。

 守護者込みでいえばプライリーラも強かったが、攻撃の質という意味では始末屋をやっていたアーブスラットが数段上であった。

 そんな彼と比べるのはかわいそうだが、今のところ地下での有望株は少ない。

 所詮は寄せ集めの地下闘技場なのだろう。他の武人のレベルが低すぎる。

 ここでならばソイドビッグでさえ、そこそこの成績を収められるだろう。つまりはその程度の場所だ。


 ただし、ここでもまったく収穫がないわけではなかった。



「続きまして本日のメインイベント、キング・セクトアンク戦を行います!」



 無制限の会場でもスペシャルマッチが行われていた。

 登場したチャンピオンのセクトアンクは猫背の小柄な男で、目元だけがわずかに見える全身黒装束を着ていた。

 ラーバンサーの覆面拘束服よりはましだが、完全に忍者の格好だ。

 闇に紛れるから忍者は目立たないのであって、明るい場所に出てくるとこれほど目立つ者もいない。

 ただ、周囲はまったく気にしていないので、あの服が彼の勝負服なのだろうと思われた。


(あまり凄みは感じないな。圧力もない。武人としての格は明らかにレイオンのほうが上だ。しかしあの男がチャンプってことは、それなりに秀でたところがあるのだろう)


 アンシュラオンはセクトアンクを強いとは思わなかった。

 もし隠しているとすればたいしたものだが、武人としての雰囲気がまるでない。

 アーブスラットにあるようなプレッシャーもないし、ラーバンサーから感じるような不気味さもなく、裏スレイブから感じる殺気もない。

 はっきり言えば凡庸な武人だろう。特に目立ったところは今のところ感じない。

 だが、こういう相手こそ気をつけねばならないことを長年の経験で知っていた。

 魔獣でも弱そうな相手ほど厄介な攻撃を仕掛けてくることは往々にしてあることである。



「スペシャルマッチの条件はいつもと同じく、チャンピオンには道具の制限が設けられます! では、ボディーチェックを行います!」



 係員がセクトアンクのボディーチェックを行い、他に道具を持ち込んでいないか調べている。

 それが終わると、セクトアンクは並べられていた道具を確認して身につけてから、ゆっくりとリングに上がった。


(この戦いは道具の制限が条件か? …これは案外不利だな)


 一見すれば道具の制限は、今まで見たスペシャルマッチよりもハンデが少ないように思える。

 それならばジュンユウの一撃でも受ければ負け、のほうが厳しい条件に見えるだろう。

 しかしながら、相手側があらゆるものを持ち込むことができる条件下では、これは極めて不利になる。

 しかもセクトアンクは、自分が何を持っているかを相手に知られている。

 相手に自分の手を知られるというのは、一撃必殺の世界にいる武人たちにとっては大変なことだ。

 いかに相手に手の内を知られないかが勝負の決め手になるので、見た目以上に不利であることがわかるだろう。


 事実、対する挑戦者は、遠くから見てもわかるような『重装備』である。


 これは鎧を着込んでいるという意味ではなく、服の至る所が膨れているので、明らかに大量の道具を持ち込んでいるという意味だ。

 一方のセクトアンクが持っていたのは、ナイフが三本、術符が三枚、球体のようなものが一つだけだ。




「試合開始だぁああああーーーーーーーーー!!」




 カァーーーーーーーンッ!



 試合開始のゴングが鳴る。

 ただし、無手と武器の二つの会場と違って、今回は両者共に動かない。

 武人は互いの手を見るために睨み合いをよくするが、これはどちらかといえば【将棋】に似ているだろうか。

 素人は何も考えずにさくさくと打ってしまうが、上級者になればなるほど先を読むので思考のほうが長くなり、一時間に一手という速度になりがちだ。


 こうしてリング上では、一分間の沈黙が続く。


 武人にとって六十秒は相当長いので、まさに手を読みあっている最中なのだろう。

 これも周囲に絶対に敵がいないことが前提となる試合ならではの状況だ。


(対戦相手もゴリゴリの武闘派じゃないようだな。どうやらこのスペシャルマッチは、いかに道具を使って相手を倒すかに焦点があてられているようだ。これはこれで面白い趣向かな)


 武人の戦いは素の能力の違いで大勢が決まってしまうので、一般人の観客の中には面白みを感じない者もいる。

 体術や剣技のガチンコ対決も面白いが、観客は頭脳戦も見たいと思っているはずだ。

 たとえば格闘技や護身術を学んでいない一般人同士の対決では、知識や道具の扱いが極めて重要になる。

 その使い方が自分にも参考になるので共感しやすいのだ。

 そのせいか野次が飛ぶこともなく、観客はじっとリングのやり取りに集中していた。


 直後、ついに挑戦者が動いた。


 両手に術符を持って、二つ同時に発動。

 放出された炎を風の刃が包み、爆炎のカマイタチとなって襲いかかる。


(おっ、二つ同時起動か。あれはなかなか難しいんだよな。しかも風鎌牙と火痰煩《かたんはん》の複合術式だ。大丈夫か? 客に被害出るぞ)


 術式の中で一番危険な組み合わせと言われているのが、火と風の複合術式である。

 これは大納魔射津にも使用されているものなので、室内で使うと広範囲に広がって大惨事を引き起こす。

 リングやホールは広いが、近くで見ている人間には極めて危険だろう。


 セクトアンクは一直線に真横に飛び跳ね、転がるようにリングの隅に避難。

 爆炎が襲いかかるも腕で顔を隠して直撃を避けて耐える。


 爆炎はそのまま場外へと伸びていくが―――


 ボシュンッ


 リングから飛び出た炎が掻き消える。


(リングの境目に何か術式が仕込まれているのか。かなり強力な結界だ。あれも遺跡の術式なのかな? 城壁のものよりも強そうだ)


 どうやらリングの外に被害が及ばない設計になっているようだ。

 結界術式はかなり高度なものなので、地下の人間が設置したとは考えにくい。あれも遺跡にもともとあった装置だと思われた。

 観客もそれを知っていたのか、視線はリング上に向けられたままである。



 試合は続く。



 挑戦者の追撃。

 今度は術符と同時にカプセルを取り出した。

 術符を発動させてからカプセルを投げる。


 ブンッ! ガンッ ゴロゴロッ


 挑戦者が投げたものは爆破術式がかかったカプセルである。

 リングの上で爆発すれば衝撃はリング上一帯に及ぶだろう。

 自分が被害に遭わないために、挑戦者は最初に術符で自分の周囲に障壁を張ったようだ。


(大納魔射津…いや、狐面が使っていた劣化版か? だが、あのエリアで爆発すればかなり危険だぞ)


 アンシュラオンが思っていたより、いきなりハードな展開になっている。

 何でもありになれば道具も何でもありなので、こうなるのは自然なことだが、道具の経費も含めて少々意外であった。

 地下では術具も貴重だろうし、このレベルの術式になると死人も出るだろう。今までとは試合の趣《おもむき》が違っている。

 その甲斐もあってか、無手の殴り合いとはまったく違う様相に観客も夢中になっているようだ。

 爆炎やら爆発が飛び交う戦場を間近で見ているので興奮して当然だろう。かなり刺激的な娯楽である。


 それはそうと、セクトアンクがどうやってこの事態に対処したかといえば―――


 タタタタッ


 逃げるでもなくカプセルに向かって走り出すと、器用に蹴り上げて宙に浮かしてからナイフを一閃。

 スパッ

 驚くほどの切れ味を見せたナイフが、カプセルの表面を切り裂き、中のジュエルを剥き出しにする。

 そこに取り出した術符を押し当て、発動。


 ジュボンンッ!! ボオオオオッ!


 風に押し出されたジュエルが途中で爆発し、さきほど挑戦者がやった風と火の複合術式のような形となって襲いかかる。

 剥き出しになったジュエルは酷く不安定で、少し触れただけで暴発する危険性がある。だからカプセルに入れて安全に起動させるのだ。

 だが、セクトアンクはそれを利用して爆炎にした。手数が限られているので相手の攻撃を有効利用した形である。


(なんて器用なやつだ。少しでもジュエルに刃が触れれば、その場で爆発だ。爆弾処理班も驚きだな)


 アンシュラオンが同じことをやれと言われればできるだろうが、ピンセットとカッターで細かい作業をするようなものだ。やりたいとは思わない。

 それを平然と試合中に『精確』にやってしまうのだから、その度胸と器用さには舌を巻く。


 そして、驚いたのはアンシュラオンだけではなく挑戦者も同じだった。


 いきなりの反撃に面食らい、まともな対処ができないでいる。何かをしようとするのだが、慌ててしまって手につかないのだ。

 ズボンをまさぐったり、胸のポケットに手を伸ばしても思考が追いつかず、そのまま爆炎に呑まれる。

 常人が受けたならば確実に焼死という一撃だ。強い武人ならばともかく、挑戦者程度の武人でもただでは済まないだろう。


 ジュオオオオッ


 挑戦者は、身体全体が見えなくなるほどの爆炎に包まれた。

 ただ、事前に張っておいた障壁が機能して、ダメージを七割方カットする。

 ブスブスと服が焼け焦げたが、中にまでダメージは到達していないようだ。


 爆炎の嵐が過ぎ去り、冷静になった挑戦者が道具を取り出そうとするが―――


 グサッ!!


「がっ!?」


 挑戦者の腹にナイフが刺さる。

 こんな大きな隙をセクトアンクが逃すわけがない。ナイフの仕掛けを使って刃先を飛ばしたのだ。


(スペツナズ・ナイフというやつだな。地球では実際にあったかどうかは不確定なところはあったが、この世界では実在するようだ)


 火薬などで刃先を飛ばすナイフのことである。実用性の観点から実際にあったかは定かではないが、この世界ではあるようだ。

 風のジュエルを使えば銃弾の要領で飛ばすことができるらしい。

 その上、ただ刃を飛ばすだけではない。

 バチバチバチッ


「っぐがっがががあ―――!!」


 刃先に雷のジュエルが仕込まれていたのか、感電する。

 挑戦者は動けない。

 それを見たセクトアンクは一気に勝負を決めにかかろうと、挑戦者に突っ込んでいく。

 しかし、挑戦者のほうも伊達にチャンピオンに挑戦しているわけではない。

 ゴロゴロゴロッ

 事前に置いていたのだろう。挑戦者の足元に球が転がっていた。


 術式が―――発動。


 キュイイイイインッ


 球が輝きを帯び、周囲に【磁力】を発生させる。


 ギギギイッ ガキンッ

 腹に刺さった刃先が抜け、球に吸着した。

 刃先に血は付いていないので、大量に身にまとった道具が盾になってくれたのだろう。だから簡単に抜けたのだ。


(あれは…磁石か? あんな術具があるんだな)


 どうやら強力な磁場を発生させる術具のようだ。それによってナイフと雷の力が半ば無効化される。

 このことからも挑戦者は、相手の手の内を知って事前に対策を練っていることがうかがえた。

 やはり手の内を知られるのは不利であることがよくわかる。


 ガキン ガキンッ


 強力な磁力によってセクトアンクが持っていた予備のナイフまでもが吸い寄せられ、全部球に吸着する。

 ナイフが肩に軽く付けられていたところを見ると、これもまた簡単に吸着できるように仕組まれたハンデだと思われる。


 これで勝ったと思ったのだろう。感電から復帰した挑戦者はゆっくりと術符を取り出す。


 諦めたのか、セクトアンクは立ち止まって動かない。


 それを目で牽制しながら、挑戦者が術符を発動させようとした時―――



 ゴツンッ



 何か硬いもの同士がぶつかる音が聴こえた。


「…?」


 挑戦者が真下に目を向けると、【球が二つ】あった。

 自分が足元に置いた球とまったく同じものが、そこにあったのだ。

 この球は一時的に強力な磁力、あるいは磁場を生み出すものだ。それによって金属製のナイフが吸着した。

 だが、もう一つの特徴がある。

 同じ磁場を生み出す球同士がぶつかると【性質が反転】する。


 バンッ!! ブスブスッ!


 今まで吸着するものだった球の性質が、突如反転。

 今度は金属を遠ざける力が発生し、吸着されていたナイフが凄まじい勢いで弾けた。

 セクトアンクは事前に予期していたのか、悠々とそれをかわす。

 が、真下で弾けた挑戦者は回避ができない。

 足と太ももの内側にナイフがぶっ刺さる。


「―――っ!!!??」


 いきなりのことに混乱する挑戦者。再び慌ててしまって身動きが取れない。

 その間にセクトアンクは急接近。

 足払いで挑戦者を転ばせると、相手の腰にあった術符を奪って顔に突きつける。



「そこまで!! 勝者、キング・セクトアンク!!!」



 そこで試合終了。


 チャンピオンの勝利である。




372話 「サナの補完者たち」


 こうして三つの会場の試合を見た。

 たしかにアンシュラオンからすればレベルは低かったが、そもそも地下闘技場に興味を持ったのは自分のためではない。


「黒姫、見ていたか?」

「…こくり」

「オレの援護がなくても、あいつらに勝てるか?」

「…ふるふる」

「うん、今はそれがわかるだけで十分だ。レイオンもジュンユウもセクトアンクも、それぞれに特徴のある強い武人だった。そして何よりも、お前に【足りないもの】を持っている」


 まずレイオンである。

 彼は生粋の戦士であると思われるので、タイプとしてはマキやソイドビッグに近いだろう。

 耐久力もあるようだし体格も優れている。打たれ強い肉体能力に長けた相手だ。

 一方のサナは、子供ということを差し引いても体格や耐久力には難がある。

 女性なのだから当然だ。残念ながら女性の武人は、基本的にはパワーには劣る傾向にある。

 マキはそれを踏み込みの速さと強さによってカバーしていたが、密着した状態での力勝負ならばマサゴロウには到底勝てなかっただろう。

 そんな力の弱い女性が、無手でどうやって大男に勝つのか。

 実際の戦闘では武器を失うことも珍しくはないので、素手で対処できる方法を編み出さねばならない。


(レイオンの強さはそれだけではない。あのギラついた目、【闘争本能】だ。言い換えると『一瞬にかける気迫』ってやつかな。勝負所を見極めた瞬間に猛攻を仕掛ける力だ。サナにはそれが圧倒的に欠けている)


 意思が希薄なので、相対的に一撃にかける気迫も薄いと言わざるをえない。

 たしかに技は教えた。殴り方は教えている。だが、それだけだ。


 サナには―――【決め手】がない。


 ルアンとの殴り合いを見ても、結局は消耗戦の末に勝ったようなものだ。

 最初に不意をついたからこその勝利であり、決定打を与えたわけではない。

 素人相手にも苦戦したのだ。より強い武人が相手に生半可な攻撃は通用しないだろう。


(勝負に勝つには必ず『とどめの一撃』が必要だ。そのあたりの練習相手としては最適だな)


 もしレイオン相手に何か有効打を与えられるようになれば、他の相手にも優勢に戦えるようになるだろう。

 仮にそれができずともレイオンから吸収できるものがあるはずだ。

 こればかりは教えるだけで学ぶことはできない。実戦で肌で感じてこそ武人は強くなるのだ。


(オレはサナを殴れない。いくら鍛練とはいえ、こんな可愛い子を殴ることなんてできないよ。せめてもう少し強くならないとレベルが違いすぎて練習相手にもなれない。だからそれまでは他人を使わせてもらおう)


 アンシュラオンは、ただ黙ってつまらない試合を見ていたわけではない。

 サナの【養分】にするための使えそうな道具を見定めていたのだ。

 その意味では三人とも合格だ。大収穫と言っていい。



(二人目のジュンユウは、持続力と正確に一点を貫く集中力が持ち味だ。当然それには戦気の『集中維持』も重要になってくる。サナにとっては一番の苦手分野だな。しかし、だからこそ鍛える意味がある。これは努力でなんとでもなる領分だからな)


 レイオンのような高い肉体能力は、持って生まれた資質が大きく左右するので、鍛えたくても鍛えられない。

 だが、ジュンユウの力は修練次第で身につけることが可能だ。

 すでに述べたが、戦気術の基本をひたすら繰り返すことで、高い集中力と持続力を身につけることができる。

 根性論ではないが、やる気と根性があれば最低限の力は身につくのだ。

 百点を取れとは言わない。これは難しい。しかしながら七十点ならば、がんばれば誰でも取れる。

 応用問題がどうしてもできなくても基本問題を完璧にできるようになれば、それくらいはいくものだ。

 今のサナに必要なものは、ひたすら反復すること。それを戦いの中でできるようにすることだ。

 さらにジュンユウは剣士という意味でも貴重な相手である。


(正確に一点を打つためには武器の扱いにも慣れていなくてはならない。ジュンユウは武器の熟練度も高いんだ。だから剣一本だけでやれているし、それを貫く覚悟がある)


 剣がなければ剣気が出せないのだから、剣士が自分の剣に命を託すのは当然でもある。

 それゆえに剣士は、死んでも剣を手放さないことも珍しくはない。

 だが、実情を鑑みれば、徐々にそうした剣士は減っているようだ。

 特に西側では近代兵器の台頭が著しく、多くの騎士たちが重火器に頼る戦いをしている。

 それは衛士隊の麻薬工場制圧を見ればわかりやすい。弱い人間でも重武装すれば、それなりに強い兵士に早変わりするのだ。

 紛争が多い地域では、一人ひとりの武人を育てている暇はなく、民間人がすぐに強くなれる方法を安易に選択する傾向にある。

 また、戦いで優れた武人が死ねば、さらにその傾向が助長されることになるわけだ。


 されど、やはり武人の本質は自らの力にこそある。


 武器の質も人の知恵だが、それよりも重要で価値があるのが人間の可能性である。そこで諦めてしまったら一生たどり着けない領域があるのだ。

 サナが剣士タイプならば、ぜひ剣の扱い方をしっかりと学ばせてあげたいと思っている。

 それこそが強者への道だ。避けては通れない。


(サナに剣を教えたいが、オレ自身が適当だから教えられない状況だ。ならば生粋の剣士と戦わせることで何かしらのヒントを与えてやりたい。サナの苦手分野克服も含めて、ジュンユウは非常に参考になる相手だろう)


 まだサナがどんなタイプの剣士かは不明だが、まず最初に目指すのはバランス型だ。

 攻防の基本技術を身につけたあとに自分に適した戦い方を見つけるほうが安全だろう。

 ジュンユウは試合を見る限りは防御型の武人であるが、基本技術をしっかりと体得しているので参考になるはずだ。

 彼から剣士のエッセンスを余すことなく吸収してほしいものである。



(そして、セクトアンク。あいつも非常に素晴らしい素材だ。サナにとって学ぶべきポイントは多くあるだろう。サナは今まで機転を利かせて状況に対応してきたが、やつは戦術のレベルが数段違う)


 サナは頭の回転が非常に良く、その観察眼も相まって、相手の予想外のことをして戦況を有利に動かすことができる。

 多くの者たちは「まさかあんな少女が」という油断もあり、見事にサナの戦術に引っかかってきた。

 それはつまり、明らかに相手がサナより強かったからだ。

 大の大人が幼稚園児にびびったりはしないだろう。体格差を見た瞬間、「負けることはないな」と思う。

 その過信によって上手くいってきたのだ。


 しかし、セクトアンクは違う。


(ああいうタイプは自分が弱いことを認識している。だからこそ常に先を読んで行動しているんだ。さっきの戦いも数手先を常に読んで動いていた。磁石の球も『最初に置いていた』し、すでにあいつは終局まで読みきっていたんだ。始まる前から勝っていたのさ)


 挑戦者にはわからなかっただろうが、最初の爆炎を避けた段階で、セクトアンクは磁石の球をリングの上に置いていた。

 そう、挑戦者よりも早く。

 そして、カプセルを切って爆炎を生み出し、相手の目が眩んだ瞬間に球を蹴った。あのタイミングでぶつかるように調整して、だ。

 もし挑戦者が磁石球を使わねば意味がない行動だったし、見つかったら対応されていただろう。

 しかし、わざと自分に隙を生み出すことで相手の視線を誘導し、そこに気付かせないようにしていた。

 たまたま上手くいったからあっさり決まっただけで、仮に見つかった場合にもいくつか対応策は考えていただろう。

 慎重な人間は、少なくとも常時三つ以上の打開策を用意しているものだ。


(道具の知識、戦術眼、度胸の良さ。まるで相手から見たサナと同じだ)


 セクトアンクは何をするかわからない怖さがある。

 対戦する者からすれば、何かやっても返されるのではないかと思うだろう。


 それは―――サナと同じ。


 サナに不覚を取ったアーブスラットならば、再び彼女と対峙した時、すぐには動けないだろう。

 「また何か仕込んでいるのか?」と疑うに違いないからだ。

 だが、サナはあくまで場に対応しただけにすぎない。その場で機転を利かせただけだ。それではいつか限界がやってくる。

 その点、セクトアンクはしっかりと戦術を組み込んで戦っているし、道具の扱い方にも習熟している。

 サナがより高度な戦術を学ぶためにも最適な相手といえるだろう。いろいろと参考になるはずだ。


(サナが将来、オレの国の女王として君臨していくのならば、最低でもプライリーラ以上にはなってもらう必要がある。そうして有名になっていけば、もっと強い相手がうじゃうじゃ集まるに違いない。世の中には強い相手は山ほどいる。身を守るためにも、もっともっと強くしてあげないといけないな)



「なんだ、思ったより楽しそうだな」


 仮面を被っているので表情は見えないだろうが、ニヤニヤしているのがわかったのだろう。マシュホーが話しかけてきた。

 すでに試合は終わり、多くの人々が出口から退出している最中であった。


「うん。楽しかったよ。いい試合だった」

「それならよかったよ。葉巻の礼くらいにはなったな」

「あのセクトアンクの派閥はどこ?」

「あいつはうちのところ、ハングラスだよ」

「やっぱりそうか。あれだけ道具に精通していると納得だね。えーと、レイオンはラングラスで、ジュンユウはマングラス、セクトアンクはハングラスだね。となると…あれ? ジングラスは? たしか地下だと二位だって話だよね? 誰か強い武人でも擁しているの?」

「ああ…ジングラスか。あそこはな…うん、ちょっと特殊でな。個人戦には出てこないんだよ」

「そうなの? まあ、プライリーラたちが主力だったみたいだし、個の力はたいしたことはないのかな?」

「…人間はそうだな」

「人間は? 不思議な言い方をするね。もしかして『魔獣』とかいるの?」

「相変わらず察しのいいやつだな。なんで知っているんだ?」

「こう見えてもジングラスには多少縁があってね。そっちの事情にも詳しいんだよ。どんなやつ? 七メートル以上もある手の生えた馬みたいなやつ?」

「なんだそりゃ!? そんな怪物じゃねえよ。もっとこう…獣っぽいやつだ。大きいのは大きいが、三メートルくらいか?」

「へー、そんなのがいるんだね。誰かが操っているの?」

「うーん、ジングラスのことはよくわからないんだが、昔から地下にいるらしいぞ。それで代表戦になると出てくるんだ。魔獣だから強くてな。それでジングラスが二位をキープしている」

「そういう事情があったんだね。プライリーラも知っているのかな?」

「さてな。ここは外に近いようで、やっぱり地下なんだ。地上とはいろいろ勝手が違うし、下のことはさして気にもしていないだろうさ」

「ふーん、そうなんだ。…ところでさ、ずっと気になっていたんだけど【上に人がいる】よね?」


 アンシュラオンが、ホールの上部に目を向ける。

 そこは不自然に出っ張っており、ホールの内周をぐるりと回るように設置されていた。

 普通の人間ならば、そういった造りのホールなのだと見逃すところだが、アンシュラオンにはすべて筒抜けだ。


 あの部分には―――人がいるのだ。



「あそこも『観戦席』ってことだね。ただ、上にあるってことは馬主の…たぶん特別な人間だけが見られるような場所なんだろうね。あれって向こう側からは透けて見える造りなんじゃないの?」

「…すごいな。本当にすごいぞ、お前。どうやってわかるんだ?」

「そんなの簡単さ。ずっとね、オレを【見ているやつ】がいるんだよ。無手の試合会場からずっと見ている。武器のところでも、ここでもね。そんなに見られたらオレも意識しちゃうよ」


 実は無手の試合会場に入った瞬間から、ずっと自分を見ている者がいたのだ。

 その者は気配を隠そうともしない。上の観戦席から試合も見ずに自分だけを見ていた。


「あそこは地上の連中が地下の様子を見るための場所さ。オレたちは『監視室』って呼んでいるがな」

「一応は囚人だもんね。そのほうがしっくりくるかも。…でも、うーん。これは知らない視線だな。初めて感じる気配だ。いったい誰なんだろうね」

「それこそ俺にはわからねえな。そもそも地下には問題があるやつしか来ないぜ。お前も知らないところで恨まれていることがあるかもしれないぞ」

「ははは、身に覚えがありすぎるよ」


 そう笑いながらも、アンシュラオンは気配の主を追っていた。


(ここの連中とはレベルの次元が違う。剣士のおっさん…じゃない。だが、それに近い圧力を感じる。何者だ?)


 自分を見る視線は、妙に熱がこもっているように思える。

 ただし、女性が自分を見るような感覚ではない。もっと純粋に興味を持った人間のものだ。


 そして―――相当強い。


 ガンプドルフ級の圧力を感じる。それだけの実力者が上にいる。


(どういうつもりか知らないけど、いつでも来いよ。相手をしてやるさ)


 アンシュラオンも、その視線に挑発的な視線を返す。

 互いに壁を挟みながら視線が交錯する。



 数秒それが続き―――気配が消えた。



 少なくとも今は戦うつもりはないのだろう。敵意もなく消え去った。

 それを感じて、アンシュラオンは笑う。


(サナの鍛練になればいいかと思っていたけど…オレ自身も退屈しないで済むのかな? そんなに見つめられると期待しちゃうね)


 こうしてアンシュラオンたちの地下生活が始まる。

 さして長居するつもりはないが、実りある時間になってほしいものである。




373話 「ラングラスエリアへ」


「序列の順位を決める団体戦っていつ?」

「今回は五日後だったか?」

「五日か…それくらいなら大丈夫かな。今日みたいな試合って毎日やっているんでしょ?」

「ああ、そうだ。よほどのことがなければ開催されるな。地下じゃ天候の変化も無いからな」

「その試合さ、この子も参加できるかな?」

「えっ? その嬢ちゃんがか?」

「うん、そう。この子」

「…こくり。ぐっ」


 サナも拳を握ってやる気のポーズ。


「どう? 強そうでしょ?」

「いや、どう見ても普通の女の子なんだが…」

「さっきも言ったけど、これでも武人の端くれなんだ。せっかく地下に来たんだから、この子をもっと強くしてあげたいと思ってね。試合があるなら出てみたいよね」

「その気持ちはわかるが、賭け試合となるとどうかな。賭けが成立するかどうかが問題だな」

「オレがこの子に賭ければいいんじゃない?」

「観客が納得する形になるかどうかだな。この試合の目的は観客の娯楽でもあるし、色物がないとは言わないが色物すぎても困る」

「『闘い』という意味ではオレが太鼓判を押すよ。きっと今日よりも面白い試合になると思うけどね。そのあたり、おじさんの協力でなんとかならないかな? どうせ運営側ってハングラスが大部分を占めているんでしょう? ちゃんと報酬も出すからさ」

「うーむ」

「この子に何があってもオレが全責任を負うからさ。ねっ、いいでしょ?」

「しょうがないな…打診だけだぞ? 駄目でも恨むなよ?」

「大丈夫だよ。申請は通るさ。こんな小さな子が出場すれば、話題性に欠ける試合に華が添えられる。それだけでも価値があるはずだよ。そのチャンスを逃すとは思えないな」


 低迷していたゴルフ界に若いゴルファーが登場して人気が再燃したり、競馬界に女性ジョッキーが登場して売り上げが三割増しになったりと、若さと女性というキーワードはどの業界でも必要とされているものだ。

 そのうえ賭けるからこそ「お気に入りの選手」が求められることもある。

 最初は損得勘定で動いていたものが、不思議なことにそれを度外視することが多くなるのが人間というものだ。

 もちろん強さも求められるが、一番必要とされるのが【魅力】である。

 サナの魅力数値はすでにアンシュラオンと同じ「A]になっているし、出場すれば多くの観客を味方につけることができるはずだ。

 実際こうして観戦しているだけで、男たちの視線がたびたびこちらに向くものだ。

 アンシュラオンが睨みを利かせてあしらっていたが、そうした魅力は溢れ出るものなので仕方がない。


「この子の輝かしい将来がかかっているんだよ。絶対に通してよね」

「わかった、わかった。運営に弟分がいるからなんとかしてやる。ったく、地下に来たばかりなのに物怖じの一つもしやがらねえ。たいしたもんだよ」


 そして、アンシュラオンの魅力も相まって、マシュホーも断れない。

 魅力の数値は交渉事にも影響を与える重要な要素なのだ。


「ありがとう! あっ、そうだ。スペシャルマッチってどうやって申請するの?」

「相手と運営側が許諾すれば大丈夫だが…もしかして、やるのか?」

「普通の相手なら問題ないだろうけど、チャンピオンと戦うには特別なものが必要だと思うんだよ。やっぱり餌がないと大きな魚は釣れないからね」

「おいおい、いきなりチャンピオンとやるつもりか!? 試合を見ただろう? あれでもまだ本気じゃないぞ!」

「わかっているよ。でも、それと戦うからこそ意味があるんだ。段階は踏むつもりでいるから安心してよ。最初は雑魚相手でいいや。それで勝っていけばチャンピオンも無視はできないだろうしね」

「怖ろしいやつだな。しかし、こっちから提案するとなると、最低でも今日と同じくらいの賞金や賞品が必要になるぞ? 用意できるのか?」

「そっちも大丈夫。用意するよ。で、試合参加の申請は前日で大丈夫? 明日には出たいんだけど」

「普通の試合なら大丈夫だ。スペシャルマッチのほうは調整が必要だから二日以上はかかるがな」

「そのほうが都合がいいかな。こっちもまだ地下の状況を全部把握していないしね。その間に用事も済ませておくよ。おじさんとの連絡ってすぐに取れるの? 互いのエリアって別々になっているんでしょう?」

「各エリアの入り口に見張りがいるから、そいつに名前と用件を言えば呼んでくれるぜ。ハングラスのところに来て『マシュホーに試合の件で用事がある』って言えばいいさ」

「そうなんだ。あっ、オレの名前を言うのを忘れていたね。オレはホワイト、こっちは黒姫だよ。偽名だけど、よろしくね」

「ははは、よろしくな。まあ、偽名の連中なんて山ほどいるさ。気にするな」


 どうやらマシュホーには気に入られたようだ。

 単純に魅力が高いこともあるが、アンシュラオンの物怖じしない姿が元筋者として清々しかったのだろう。

 なぜかこちらの業界の人は、男気や胆力といったものに対する尊敬の念が強いので、アンシュラオンのような人間はすぐに気に入られるのだ。




 三人は再び上の階の中央ホールに戻ってきた。

 すでにホールに人影は少なく、店の多くも片付けを始めていた。

 地下では試合を中心に物事が動いているらしい。試合が終われば人もいなくなるのだろう。


「ラングラスはあっちだ。足りないものがあれば言ってくれ」

「うん、ありがとう。またね」

「いつでもこっちに来ていいからな」


 マシュホーはハングラスのエリア、北側の通路に戻っていった。


「オレたちは東だな。さて、どんなことになっているのか気になるな」


 アンシュラオンとサナは、ゆっくりと東の通路に向かう。

 通路は相変わらず幅も高さもあって広いが、いくつかの道が潰れていることもあって、道中は多少回り道をしながら東に向かうことになった。


(えーと、収監砦に戻ったのが昼過ぎだったから、現在の時刻は…午後六時過ぎか。グラス・ギースでは夜といってもいい時間帯か)


 ここに太陽はなく、時計もない。

 そんな場所で時間を計るのは難しいが、アンシュラオンは体内時計がかなり優れているので、意識すれば秒単位で時間がわかる。

 今は午後六時過ぎ。グラス・ギースの生活事情では、家庭によっては八時か九時に寝るところもあるので、すでに夜に入った時間帯である。

 そのせいか東側の通路を歩いている者は自分たち以外には誰もいなかった。



 しばらく通路を進むと、門らしきものが見えた。


 衛士がいた扉とは違い、この門はすでに遺跡の一部らしく、造詣も普通の門とは違う。


(城壁の門に似ているな。いや、逆なのか? 年代を考えれば、遺跡の門を真似て城壁が造られているのかもしれないな)


 仮に神機が製造された時代のものだとすれば、最低でも一万年は経過していることになる。

 となれば、こちらのほうがオリジナルといってよいだろう。造詣も城壁にあるものより立派で重々しい。


(なかなか硬そうだな。オレでも壊せるのかな? と、誰かいるな。あれが見張りか)


 その門の前にはマシュホーから聞いていた通り、一人の見張りが立っていた。

 特に装備らしい装備はしておらず、普段着のまま立っている。

 ただ、男の容姿は普通とは言いがたい。

 所々が破れたレザージャケットを着ているのはまだいいが、大量のピアスを鼻と口に付けている。


(うわー、ヤバイのがいるな。あれでカッコイイとか思ってんのかな?)


 と思ったものだが、こんな仮面を被っている人間には言われたくないだろう。

 アンシュラオンとサナが近寄ると、男はじろっとこちらを見つめる。

 その男が口を開く前に―――


「鼻ピアス、死ねよ」

「なんだいきなり!?」

「あっ、しゃべられるんだね。口にピアスをしているから話せないのかと思った」

「喧嘩売ってんのか、てめぇ!?」


 アンシュラオンが、いきなりディスる。

 これに理由はない。単に茶化したかっただけだ。


「ピアス、さっさと門を開けろ」

「初対面でピアス呼ばわりはやめろ!」

「だって、ピアスじゃん」

「そうだが…馴れ馴れしいぞ」

「お前程度がオレと馴れ合えると思うなよ。えいっ、ゴンッ!!」

「ぎゃっ!?!」


 アンシュラオンが仮面で、顎にあったピアスに頭突きをする。


「ぐおおおっ!! 顎がーーー! 顎のピアスがずれたぁあああ!」

「ぎゃはははは! 望まれないで生まれてきたやつみたいになってるぞ!」

「どういう意味だ!?」

「お母さんに詫びろ!! ゴンッ!!」

「ぎゃっ!!!」


 再び頭突き。

 当人の発言を分析するに、お母さんからもらった身体を大切にしない人間への罰であるらしい。

 たしかにその通りかもしれないが、この男が罰を与える権利はない。


「ぐおおおっ! ピアスが取れたーーー! 皮膚ごと取れたぁああああ!」

「ねえ、さっさと門を開けてよ」

「こんなことをしておいて、なんでそんなお願いができるんだよ!!」

「うわっ、お前…臭いな。ちゃんと風呂に入っているのか?」

「さっきからなんなの!? 訳がわからねえ!! つーかお前、初めて見るツラだな! 新入りかぁ?」

「新入りだが、お前が生まれた時より上にいる男だ。ひれ伏せ」

「なぜか態度がでかすぎる!! くっ、いいか、新入りのお前に教えておいてやるが、この扉は簡単に開けられるもんじゃないんだよ! 軽々しく言うな!」

「じゃあ、どうやれば開くんだ?」

「ほれ、そこに箱があるだろう。それに『貢物《みつぎもの》』を入れるんだ」

「貢物? なんだそれ?」

「言葉通りの意味だ。中に入るには金か物が必要だ。ちゃんと入れたら開けてやる」

「開けてやるってことは、貢物なしでも普通に開けられるんじゃないのか?」

「それがルールだ。嫌なら外で暮らすんだな」

「他の派閥でも同じ仕組みなのか?」

「よそのことは知らん。ラングラスではこれが決まりだ」


(なんだ。ただのカツアゲか)


 この見張りは、他の派閥が入らないようにすることは当然だが、同じラングラス派閥から金を巻き上げるために存在しているようだ。

 ただ、マシュホーはそんなことは言っていなかったので、ハングラス側では貢物システムは無い可能性が極めて高い。


(地下では派閥に入らないと生きてはいけない。生活するにもエリアに入る必要があるからな。やれやれ、たしかに吹き溜まりのようだな。子供相手にカツアゲとは、所詮ピアスだな)


 なぜか男が付けるピアスに偏見があるらしい。

 これにも明確な理由はない。完全なるレッテルである。


「あの箱に入れればいいのか?」

「おっ、案外物わかりがいいな。そうだ。価値があるものを入れろよ」

「じゃあ、馬糞を入れよう」

「お願いだからやめて!? なんでそんなもんを持っているんだ!!」

「非常に珍しい魔獣の糞だぞ。価値があるだろう?」

「そうかもしれないけど、誰も求めていないから!! ここの人間に価値のあるものじゃないと駄目だぞ!!」

「なんだよ、せっかくとっておいたのに」


 輸送船を掃除した時に見つけたギロードの糞である。

 何かあったとき(嫌がらせ)にそなえて保管していたのだが、相手からすれば実に迷惑な話である。

 もし中に食べ物が入っていたら全部が台無しになるところだった。


「それなら石でいいか」

「だから価値あるものにしろよ!」

「警戒区域から採取した石だぞ。貴重だ」

「そういう貴重さはいらねえんだよ!!! 金とか宝石とか食い物とか、そういうのにしろよ!」

「石は食えるぞ。ガリッ」

「えぇぇえーー! 石を噛み砕いた!?」

「くらえっ! 石つぶて! ぺぺっ!!」

「ぎゃーーーー!! 目がーーー!」


 顔に散弾のように砕いた石を噴き出してやった。

 理由はない。相手が嫌がることをして楽しんでいるだけだ。


「ピアスの相手も飽きたから、さっさと開けてよ」

「絶対開けねえ!!」

「そうだ、お前。リンカーネンという中年の男を知らないか?」

「だから人の話を聞けよ!!」

「じゃあ、水をくれてやる。水は地下だと貴重だろう?」

「地下水もあるが…まあいいだろう。五リットルは入れろよ!」

「そんなみみっちい真似をするか。百リットルでも二百リットルでもくれてやるよ」

「おっ、そんなにか! さっさと出して―――」

「はい、どうぞ」


 ドバーーーー ごぽごぽごぽっ

 男の足元から水が生まれ、一気に足下から頭の上まで『浸水』する。

 覇王技、水泥牢である。


「ぶぼっ!! ごぼぼっぼっっ!?!」

「ほら、水だ。せっかくだから風呂にでも入れてやろう。綺麗にしてやるんだから感謝しろよ」

「ぼぼぼっ!! ぶぼぼぼっ!! っ!? っっ!?」


 何か言っているが聞き取れない。たぶん喜んでいるのだと思われる。

 当然ながらこれは水気なので、浸かるだけで皮膚が焼けていく。

 男の自慢のジャケットもさらにボロボロになり、ピアスも一気に腐食して溶けていく。


 十秒後―――


 パンッ ブシャーーーーー


 水泥牢が破裂し、半裸になった男が流れ出てきた。


「ぶはーーー、ごほっごほっ…」

「うむ、少しは臭いも取れたか。…ついでにイメチェンもできたようで何よりだ」

「ぎゃーー! 肌が爛《ただ》れてるーーー! お、お前! 暴力行為は禁止なんだぞ! 入る時に署名しただろう!! 血判の証を甘く見るなよ!」

「安心しろ。あれはオレたちの血じゃない。こんなこともあろうかと、ちゃんと他人の血を用意してある」

「いきなり不正だよ!! しかも怖い話じゃねえか―――ぎゃっ!!」


 ゴンッ!! ぐりぐりっ!

 倒れた男の髪の毛を掴んで、頭を門に押し付ける。


「ぼ、暴力は…き、きんし…」

「ただのスキンシップじゃないか。そんな大げさに考えるなよ。ほら、さっさと質問に答えろ。次は髪の毛を全部むしるぞ。それとも尻の穴にピアスを付けてやろうか? ああん?」

「ぐえええっ! わ、わかった! わかったから…!」

「リンカーネンはどこだ?」

「り、リンカーネン? だ、誰だ…!」

「知らないのか? ここにいるはずだぞ」

「偽名を使っているやつも多い…。と、特徴を言ってくれないと…」

「知らん。オレも見たことがないしな」

「し、知らないって…そんなんで探していたのかよ!」

「ええい、うるさい! 知らんもんは知らん!!」


 ゴンッ!


「ぎゃっ! ―――がくっ」


 自分の過失を指摘されてイラッとしたので、男の頭を門にぶつけて気絶させる。

 けっして自分の間違いを認めない男。それがアンシュラオンである。


「ふん、使えない男だ。さて、どうやって中に入るか…」


 と思った瞬間、腕輪が光っていることに気付く。

 それと同時に門にはめられた「赤いジュエル」が点滅していた。


「もしかして、これがカギなのか?」


 試しに近づけてみると―――


 ウィーーーーーンッ ゴロゴロゴロッ


 妙に機械的な音をさせて扉が開き出した。

 どうやら最初に配られた腕輪があれば誰でも簡単に入れるらしい。やはり単なるカツアゲだったようだ。

 だが、相手をよく見ないでそんなことをすればこうなるのだ。それも自業自得である。


「よし、中に入るか」

「…こくり」

「入り口がこの有様じゃ、中もあまり期待できないがな…」



 アンシュラオンはラングラスのエリアに足を踏み込む。




374話 「謎の小部屋とロボット 前編」


 アンシュラオンとサナが扉に入ると、向こう側にも扉が見える大きな部屋に出た。

 今入ってきた背後の扉と前方五十メートル先にある扉。出入り口はその二つだけである。

 周囲は遺跡の壁で覆われているだけで何もなく、他の見張りもいない。

 特に何もないのだからそのまま先に進めばよいだろう。見張りもいないので、さきほどと同じ要領で扉も開くはずだ。

 しかしながら、この場所に妙な違和感と圧迫感を感じたアンシュラオンは、一度その場で立ち止まる。


(なぜ人がいない? 物も置いていないし…明らかに不自然だな)


 三十×五十メートル程度の大きな空間である。

 わざわざ表に見張りがいたわりには生活感がまるでないし、あえて空っぽにしておく必要性が見いだせない。

 もしここに簡易ベッドやら机や椅子などがあればよかったのだが、本当に何もないのだ。

 そのうえ、この部屋だけ妙に綺麗だ。壁には汚れの一つも見受けられない。

 それは上の倉庫で見た、人間が小まめに掃除をしているものとは違う『整った綺麗さ』がある。

 そうした生活感のなさが強烈な違和感として感じられるのだ。


(まるで無菌室…エアシャワーとかがある洗浄室みたいだな)


 病院や研究所などでは部屋に入る前に、埃を飛ばしたり雑菌を消毒する工程があるだろう。

 無菌室などに入る場合、余計なものが入り込まないように事前に除菌するわけだ。

 ここはどこか、そうした場所に似ていた。

 アンシュラオンがそう思ったのは、単なる印象からだ。何かを知っていたわけではない。

 だが、こうした『直観』こそがアンシュラオン最大の武器なのかもしれない。

 長く生きているから優れているわけではないが、長く生きなければわからないものがある。



 その予感は―――現実となった。



 ウィーーーンッ ガコンッ


 機械的な音を立てながら、壁が動いた。

 まるでカラクリ屋敷の回転扉のように、壁の一部がくるりと回ったのだ。

 その壁の裏側には『四角い物体』が張り付いていた。


 ウィーーンッ ガション ガション


 再び機械的な音をさせながら、四角い物体が伸びたり縮んだりを複数回繰り返し、ようやく一つの形状を生み出す。

 それをなんとたとえればよいのだろう。

 頭は四角く、胴体は丸みを帯びた平べったい形をしている。四角い頭にはモノアイの赤い光が宿っており、ぐるぐると左右に動いて周囲を見回している。

 円盤状の胴体から出ているのは、自身の重量を支える四つの脚だ。垂直に出ているのではなく、蜘蛛のように曲がった形で接地している。

 最終的な高さは二メートル半程度だろうか。人間の大人より高くて横幅もあるので、それなりの大きさといってよいだろう。



(…あれは何だ? ロボット…だよな?)


 アンシュラオンは突然のことに驚き、しばしその存在を凝視する。

 自分の知識でいえば、近未来系のアニメや漫画で出てきそうな四脚のロボットでしかない。

 魔獣やら武人やら剣やら術式やら、ファンタジー感のある世界にどっぷりはまっていた自分からすれば、少なからずショッキングな光景である。

 が、アンシュラオンとて、この星のことをすべて理解しているわけではない。むしろ知らないことのほうが多いのだ。

 そう思って気を取り直す。


(たしかにびっくりしたが…思えば神機もロボットって話だしな。この星では珍しいものではないのかもしれないな。師匠の話でも昔はそういう文明があったって聞いたし、今でも巨大戦艦がある世界だ。ロボットくらいはいいだろう。…それがグラス・ギースでなければ、だが)


 ロボットは受け入れた。神機は実際に戦っているから問題ない。

 巨大地上戦艦が荒野を走っており、砲撃だってしてきたのだ。クルマだってあった。機械文明があってもいいだろう。

 アンシュラオンは知らないが、衛士隊の重装甲服だって簡易パワードスーツなので機械的といえば機械的だ。

 ただし、それがグラス・ギースにあることは驚きである。


(あれに人間が入っている可能性はゼロに等しい。明らかに自律している。地球にも人工知能があるが…あれと同じ仕組みか? どちらにせよこんな高度なものが、こんな寂れた都市にあること自体が驚きだ。もしオレが領主ならば、これを解析して技術力向上につなげるが…根本の技術レベルが違いすぎて分析すら無理かもしれないな。普通に考えれば遺跡の産物ってやつか?)


 生活レベルが発展途上国程度のグラス・ギースには似合わない代物だ。

 そこから分析するに、これも遺跡に組み込まれた装置の一部だと思ったほうがいいだろう。


 ウィーン ガション ガション


 アンシュラオンがそんなことを考えている間に、関節のサスペンションを利かせながらロボットが近づいてくる。


「サナ、オレの後ろに下がっていろ」

「…こくり」


 ロボットの目的が不明だ。万一にそなえてサナを後ろに下がらせる。

 アンシュラオンはいつでも動けるようにしているが、こちらが警戒していてもロボットは構わず一直線に向かってきた。

 そして、二メートル程度離れた場所で止まると、頭部のモノアイがアンシュラオンを捉える。


「ピピッ…ガガッガガッ…チェック……静止……シテ…クダサイ…ピーガー」


 今ではネットラジオなどがあってクリアな音声で聴けるが、一昔前はノイズだらけのラジオを我慢して聴いていたものだ。

 それと同じような、雑音のあるくぐもった音声がロボットから発せられた。


「こいつ、音声機能があるのか? だが、ノイズが酷いな。おい、お前は何だ?」

「…ピーーガーー、チェック……シマス。静止……クダサイ…ガー」

「駄目だな。会話が通じない。半分壊れているのか? それとも何か変換機能が破損しているのか? しかし言葉はオレにも聞き取れるな。いつの時代のものだ?」


 このロボットがいつ造られたかがわかれば、かなりの情報を掴むことができるだろう。

 たとえばロボットが発した大陸語は、およそ七千年弱前に全世界を統一した『大陸王』によって生み出されたものだ。

 それを使えるということは、この機械がそれ以後に製造された可能性が高まるからだ。

 造られた時期がわかったらなんだ? と言われればその通りだが、なぜロボットがここにいるのかを含めて、このあたりの情報は案外重要なポイントになるのかもしれない。

 あくまで考古学者がグラス・ギースの過去や遺跡を調べたいのならば、だが。


(静止しろって言っていたな。こんなロボの言うことを聞く義理はまったくないが、さっき少しやりすぎたばかりだ。ここはおとなしくしておいてやるか)


 ピアス(すでにそれが名前になった)をボロクソにしたばかりなので、これ以上の騒動は避けようと思ったのだ。

 アンシュラオンの目的は、シャイナの父親を探すことだ。それと同時にサナの鍛練のために試合に出ることである。

 今騒動を起こしてしまえば全部が台無しになる。父親はどうでもいいが、サナの修行ができなくなるのはつらい。


 ということで黙って立っていたわけだが、この直後、予想しないことが起こる。


 ウィーンッ カパッ


 ロボットの胴体部分が開き、網目状の装置が出現する。


 ビィーーーーーー


 そこから赤い光が放射され、アンシュラオンの身体を照らす。

 光自体は照らされても熱も感じない。こうしていれば、ただの光と変わらない。

 照射はじっくりと足から始まり、徐々に上がっていく。


「ガガ…【因子チェッカー】……起動。ピピッ……ジーーーーー」

「…?」

「パターンチェック……ピピ…ピピピピピ…」

「っ……っ……!」


 しかし、一回全体を照らし終え、再度足に光が照らされた瞬間―――悪寒が走った。


「チェック……チェック……ピーーーピーーー」

「て、てめぇ…何……してる?」


 ぞわっ ゾワゾワゾワッ!!

 光がアンシュラオンの身体に触れるたびに、何かが中に入ってくるような強烈な違和感を覚える。

 蛆虫のように、うねうねと身体の中を這いずり回る感覚がするのだ。


 直後、機械にも異変が起きる。



「ピピピピピピッ!! ピーーーー! ピーーーー!! 危険因子…危険度SSS……ピーーーピーーーーー!! マジン因子……確認。覚醒率23.68999%。再チェック必要性99.999999999999%。ピーーーガーーー!!」



 頭がグルグルと急速回転し、機械なのにパニック状態に陥る。

 科学者が大発見をして興奮し、頭を掻きむしる光景に似ているだろうか。


 何やら騒いでいるようだが―――不快感に襲われているアンシュラオンの耳には届かない。


 頭が物事を判断する前に怒りが爆発。




「何してるって―――言ってんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」




 バギャアアアアアアアアアアアア!!!


 アンシュラオンがロボットの胴体を蹴り飛ばすと、足が光を放射していた機械を圧砕した。

 それによって光は明滅を繰り返し、最後は儚く消えていく。


「ピガッ…ガガガガガガガガガッガッッ!!」

「なんだ…この気持ち悪さは!! てめぇ!! 機械の分際で…オレの中に入ろうとしやがったな…!! このガラクタがぁああああああああああああ!!!」


 アンシュラオンがさらに追撃。

 掌を押し当て、発気。


 ボシュンッ ゴトゴトゴトッ


 放出された戦気に機械の身体が耐え切れず、四足だけを残して蒸発してしまった。

 古代文明の機械だろうが何だろうが、アンシュラオンの攻撃に耐えられるわけがない。当然の結果だ。

 しかし、こうしてロボットは消えたものの、身体に残った不快感は消えない。


(くそっ、なんだ今のは!? オレの身体の中を調べようとしやがったぞ。筋肉とか臓器とかじゃない。…もっと中の…奥の部分を……っ! そういえば『因子チェッカー』とか言っていたな。まさかこいつ、因子を調べる機能があるのか?)


 ロボットの音声から察するに、赤い光は因子の内容を確認する装置だと思われる。

 アンシュラオンの『情報公開』も因子を調べられるが、これ自体はなかなかレアな機能だといってよいだろう。

 ただし情報公開は相手に何の違和感も与えないが、こちらは身体の中をまさぐられたような強い違和感が残る。

 ロボなので性別はないのだろうが、誰かに因子を触られるのは最低の気分だ。

 武人にとって因子は非常に重要である。心の奥のデリケートな部分に無造作に触れられるのと同じなので、激しい拒絶反応が起きるのだ。


 だが、事態はまだ収まっていない。



 ピーーーピーーーーピーーーーーー!



 ウィーーーーンッ ガタンガタン


 部屋に警報が鳴り響くと、次々と壁が回転して、さきほどと同じようなロボットがさらに出てきた。

 しかも今回のものは形状が少し違う。

 高さはさっきのロボットより低いが、より前傾姿勢になっており、カブトムシのように尖った頭には【穴】があいていた。

 ウィーン ガション ガション


「ピピピッ。危険因子、排除命令。攻撃開始」


 そのロボットが尖端をアンシュラオンに向け―――発射。


「っ!!」


 アンシュラオンは水泥壁を展開して防御。

 戦艦の砲撃すら受け止めた防御膜である。普通の攻撃ならば簡単に止められる。


 が―――貫く。


 小さく細く放射された光は水泥壁を貫通して、アンシュラオンに直撃。


 バジジュウウウウウウ!


 咄嗟に腕で防御したので胴体には当たらなかったが、腕が焼け焦げた。

 着ていたスーツは真っ黒になって炭化し、白い肌にも焦げた痕跡がはっきりと見受けられる。


「これは…レーザーか!?」


 アンシュラオンが真っ先に脳裏に浮かべた単語が、レーザー。

 いわゆる『レーザービーム』というやつである。

 これもよくアニメやゲームで見かけるものだが、地球でも実用化が進んでいる技術である。

 まだかなりの問題があるが、一部の防衛兵器に搭載実験が行われているくらいには研究が進んでいるらしい。

 そのうち巡洋艦に搭載された対空レーザーでミサイルを迎撃、という光景が見られるのかもしれない。


 と、地球のことは置いておくとしても、目の前のロボットがレーザーを放射したのは事実である。

 さらにアンシュラオンの水泥壁を貫通し、肉体防御力まで貫くことに成功している。普通の人間ならば確実に死んでいただろう。


(やれやれ、魔獣の次はロボットか。オレを傷つけるやつは基本的に人間以外だな)


 山を下りてから最初にアンシュラオンを傷つけたのは、デアンカ・ギースであった。

 それから強い人間とも戦ったが、まともにアンシュラオンに傷を付けた相手はほとんどいない。

 それもまた油断だったのだろう。たかだかロボットふぜいに不覚を取ってしまった。


「なんでお前たちが突っかかるのかはわからんが、オレはイライラしているんだ。まずはそれを解消させてもらうぞ」




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