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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第六章 「収監砦」 編


335話 ー 344話




335話 「麻薬工場、強制査察 前編」


「リトル様、お帰りなさいませ」

「うん、ただいまー」


 マドカが衛士に捕まる少し前のことだ。麻薬工場にソイドリトルが戻ってきた。

 それを構成員の男、バッジョーが入り口で出迎える。



―――ソイドリトル



 もはや懐かしい名前でもあるので、改めて紹介しておくとソイドビッグ(豚君)の弟である。

 筋肉質で大柄な兄とは似ておらず、ひょろっとした痩せ型であるため、彼らが一緒にいても兄弟と思う者は少ないだろう。

 現ラングラス当主のツーバや、その息子のムーバは普通の体型なので、どちらかといえばリトルのほうが従来のラングラス本家の血をよりよく顕現しているといえる。(ムーバは単なる肥満)

 痩せているからといって麻薬をやっているわけではない。ソイドファミリーの構成員自体は麻薬をやらないのが暗黙のルールとなっている。

 身体にも悪いし、上役がラリっていたらまともな経営などできなくなる。あくまで麻薬は商品であり、金を稼ぐための手段にすぎない。

 リトルが痩せているのは、単に少食なだけである。同時に「デキる男は小食」という本を読んだことにも起因している。


 以上である。


 これだけ紹介すれば十分だろう。つまりはソイドリトル当人に関しては、それ以外に目立った特徴はない、ということだ。

 武人としての資質はほぼないし、普段鍛えてもいないので戦闘力は一般成人男性と同じだ。

 これはラングラス自体の血筋が、純粋な戦闘系の家系でないことも関係している。ソブカを見ればわかるように、どちらかといえば知的な役割を担っている家なのだ。

 そこに新しい戦闘系の血を入れようと、ツーバがソイドダディーを勧誘した、という経緯があるので、本格的に武人の血を覚醒させた子が生まれるのは、まだ数世代は後になるだろう。


 さて、このようにソイドリトル自体は変哲もない青年だが、彼のファミリー内での担当が『麻薬製造工程』となっていることは非常に重要だ。

 彼こそが、この麻薬工場のトップなのである。

 それはつまり、シャイナの命運を握っている、ともいえる。



「女の子もいるから奥の部屋を使うよ。酒とか持ってきて」

「かしこまりました」

「ほら、ニャンプルちゃん、入っておいで」


 リトルは隣にいた女性の肩をぐいっと引き寄せ、工場の中に引き入れる。


「うわー、これってリトルさんの仕事場なんですよねー」

「そうそう。これ全部が僕のものだよ」

「すごいです! やっぱりリトルさんってお金持ちなんですね!」

「まあ、これでも一応幹部だしね。これくらいは軽いもんさ」

「そういう人って憧れるなー。素敵ですぅー」

「こんなの、たいしたもんじゃないんだけどね。ははは! まあ、持って生まれた才能だけは捨てられないからねー」


 隣にはニャンプルも一緒にいた。眉毛じいさんの店で働く、ふっくらむっちり体型のホステスである。

 リトルは一度、眉毛じいさんの店で飲んだあと、彼女と一緒にここにやってきたのだ。

 いわゆる「アフター」というやつである。

 店で飲んだあとのフリータイムのようなもので、この時間帯はホステスの判断で自由に活動を行える。店側も関与しないので完全に個人の責任での付き合いとなる。

 アフターと聞くといかがわしいイメージばかりが先行するが、実際はホテルに直行ということは少ないようである。大半は飲みの延長のようなものだ。


 ただしもちろん、そういう行為を別料金で行う者もいる。


 ニャンプルなどはその典型例であり、金を稼ぐためにちょくちょく金持ちの男性と関係を持っていたりする。

 「そんなにニャンプルはモテるのか?」いう疑問も多少浮かぶのだが、栄養事情を考えるとグラス・ギースで太っている女性はあまり多くない。そこで希少性が生まれるのだ。

 女性は太ることを忌避するし、それは健康上も正しいわけだが、ふくよかな女性を求める男性心理があるのも事実だ。

 特にリトルのような劣等感を持ちながらも、自己顕示欲と安らぎを欲している男性には人気がある。

 彼女自身もそれを理解しているので、痩せないように気を配っているほどであった。


 言い方は悪いが、リトルたちは「金づる」のようなものだ。


 ホステスなのだから金が目的なのは仕方ない。これもお仕事の延長でしかない。

 その代わり、もらう分はしっかりと返す。

 身の上話を聞く都合上、リトルの寂しさもよく知っているので、アフターでは男性の欲求をすべて満たすように努力している。おべっかもうわべではなく、できるだけ本音で言うようにしている。

 シャイナはそうした女性たちを半ば軽蔑していたようだが、彼女たちとて生きるために全力なのだ。あとはプライドの線引きの問題であろう。

 ただ、手の平を返してあっさりと乞食になる女もどうかと思うので、シャイナにニャンプルを軽蔑する資格は一切ないことだけは間違いない。




 リトルは工場に入ると奥の部屋に行き、ニャンプルと談笑を始める。

 会話の内容も至って普通で、仕事上の愚痴や悩みを軽く言い、それに対してニャンプルがフォローしたり慰めるという形になっている。

 彼はそれによって安らぎを得ている、というわけである。それで満足できる小さな男でもあるのだ。

 スレイブを支配することを生き甲斐にしているアンシュラオンと比べれば、実にささやかな楽しみといえるだろう。

 そこにバッジョーが酒を持ってくる。

 それと同時に、さきほど起こったことも報告する。


「リトル様、お楽しみのところ申し訳ありません。少々問題が起きました」

「えー、問題? 何? まさか製造ラインが止まったとか? やめてよー、これから楽しいところなのにさ。あれ直すの面倒なんだよねー」

「いえ、そちらは順調です。それとは『別件』で進展がありました」

「ん? 別件って?」

「在庫数の不一致の件です」

「あー、あー、あったね。そんなの。で、何かあったの?」

「はい。やはり握りをやっていた売人がいたようです。すでに捕らえております」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、始末すればいいんじゃない? 全部任せるよ」

「それが…ホワイトの助手をやっている女でして…」

「んん? ホワイトって…あー、兄さんが接待した医者か! そういえば、うちの売人で助手をやっているやつがいるって聞いたなぁ。取引相手の女じゃ、ちょっと面倒だな。そっちは兄さんの管轄だし、変に手を出したくないよね」

「はい、ホワイトに関しては慎重に対応するようにと、ダディー様からも言われております。いかがいたしましょう?」

「そうだなぁ……」


(うーん、ホワイトか…。たまに噂は聞くけど…よく知らないんだよなぁ。兄さんに任せちゃったからね。…あれからどうなったんだろうなぁ。この仕事が終わったらリンダと結婚するって話だったけど、進展はあったのかな? …ああ、もういいや、そっちは。なんだか面倒だから早く終わらそう)


 アンシュラオンに関しては、最初に下調べをした時の情報以外をあまり知らなかったりする。

 これだけ世間を騒がしている「噂のホワイト」であるが、直接関わっているのは大手のマフィア連中が大半なので、自分に関係がなければ知らなくても問題はない。

 そもそもリトルはインドア派であり、工場のある上級街から出ることはほとんどない。工場と歓楽街を行き来する以外に外には出ないのだ。

 加えて興味がないものは調べないという性格もあってか、一度兄に任せた以上は関係ない、というスタンスでいた。

 兄弟の管轄に手を出すのも好ましくないので、さっさと終わらすことにする。


「なくなったのはコシノシンでしょ? あれってまだ在庫があるし…いいんじゃない。放っておいて」

「よろしいのですか?」

「コシノシンね…あれは僕としてはまだ完成品じゃないんだよね。早く『コシノシンシン』に切り替えたいんだけど…どうも化合がイマイチなんだよね。既存の薬品じゃ駄目なのかもしれないなぁ…。コシノシンは売り物だから仕方なく作ってるけど、そんなに貴重なもんでもないし、その子、女の子なんでしょ? 少し脅して釘を刺しておけばいいよ。女性に酷いことをするのも、かわいそうだしね」

「わー、リトルさんって優しいですね」

「こういう仕事をしているから怖く見られるけど、女性には優しいんだよ。まあ一応、この話は兄さんに伝えておいてよ。あとはそっちに任せるって感じで。そのほうが角が立たないでしょ?」

「わかりました。では、そういたします」


 ニャンプルがいる手前、少しばかり格好を付けたかったこともあり、シャイナへの拷問等の措置はなくなる。

 騙されたからこうなったとはいえ、本当ならばかなり酷いことになっていたので、マドカの末路を含めて運が良い女である。


 しかもシャイナの幸運はさらに続く。




 ドタドタドタドタッ


 バタンッ!!



「た、大変です!! なんかやべえことに!!」


 その時、ドアが勢いよく開け放たれる。

 入ってきたのは、ひどく慌てた様子の斜視の男だった。


「なんだ、騒がしい! リトル様の前だぞ! 勝手に入ってくるな!」

「ひっ! す、すいやせん!! で、ですが…そ、外が…!」


 いきなり入ってきた男をバッジョーが怒鳴りつける。彼が簡単に入ってきていい場所ではないからだ。

 だが、斜視の男にしても緊急事態らしく、怒られても出て行こうとはしない。

 その様子を怪訝に感じ、リトルが直接話しかける。


「外がどうしたの?」

「あ、ああ! リトルさん! そ、その…なんかたくさん人が来て…出せって言うんですよ! その、偉いやつをって! だから大変なんっす!」

「は? 何を言っているの?」


 なんたる語彙力の低さであろうか。説明されても状況がまったくわからない。

 義務教育の大切さを知る瞬間である。とはいえ教育を受けても教養が身につくとは限らないが。


「外に誰かいるってこと?」

「は、はい! お、大勢! 大勢います!」

「大勢…? 工業街だから人がいなくはないけど…こんな時間に来る理由もないよね。まさか殴り込み? いや、でも…うちにそんなことを仕掛けるやつらなんていないと思うけど…」

「リトル様、私が様子を見てまいります」

「んー、僕も行くよ。なんたって、ここの責任者は僕だしね」

「大丈夫ですか? もし敵でしたら危険ですが…」

「大丈夫、大丈夫。ソイドファミリーに喧嘩を売ったら、ただじゃ済まないってことを教えてやるよ!!」

「わー、リトルさん、カッコイイ!!」

「ははは、任せておいよ。ニャンプルちゃんは、ここで待っててね。危ないことは男の仕事だし!」

「はーい♪ 待ってまーす♪」


 バタンッ


 再びニャンプルに格好を付けて、意気揚々と飛び出す。

 だが、このような時間に来訪者とは珍しいものだ。本当に殴り込みならば、もうとっくに攻撃が始まっているはずだが、今のところその様子はない。


(こんな夜に誰だ? うちに用事があるのは売人くらいなもんだけど…他の都市からやってきた人間かな? でも、大勢か…。上級街に余所者が大勢入るなんて無理だし、どういうことだ?)


 そんなことを考えながら、リトルはバッジョーと一緒に工場の入り口に向かう。




 いくつかの生産ラインを通り過ぎ、暗い通路を抜けていくと入り口が見えてきた。


(ん? 灯りがついているのか?)


 普段は月明かりしかない夜道に光が灯っているのが見えた。

 角度的に最初は一つか二つしか見えなかったが、近づくにつれて光の数はどんどん増え、至る所で煌々と輝いていることがわかった。

 それと同時に大量の人の気配を感じる。

 十人や二十人ではない。もっともっと大勢の、たとえば学校の校庭に何百人もの生徒が集まっているような、とてもざわついた気配だ。

 見ると、入り口周辺には工場に勤める製造作業員たちが、棒やら斧やらを持って警戒しながら外を睨んでいた。

 そこにバッジョーが割って入る。


「なんだこれは! おい、どうなっている!」

「へ、へぇ…俺らにもよくわからないことでして…」

「どこの組だ!? どこが殴りこみを…」

「は、はぁ…それが……」




「えー、こちらは特別上級衛士隊、隊長のミエルアイブである! 責任者はおとなしく出てきなさい! 出てこなければ強制武力制圧を行う!! 繰り返す! こちらは上級衛士隊である! 責任者に対し、早急の投降と施設の明け渡しを勧告する! これは脅しではない! 繰り返す! これは脅しではない! 抵抗するようならば武力制圧を行う! おとなしく投降することを勧める!」




 ミエルアイブが拡声器を使って工場に投降を呼びかけていた。

 この場にいる者たちも彼の勧告を聞いて集まってきたのだ。

 作業員もソイドファミリーが雇っている売人や筋者たちなので、多少の荒事には慣れている。中には殺しをやった者もいるだろう。

 しかし、相手が衛士隊と知って戸惑っているようだ。

 今までこんなことは一度もなかったので、どう対応していいのかわからないのだろう。


 さらにミエルアイブたちは【重装備】で身を固めている。


 一般衛士はいつもの革鎧だが、上級衛士隊はDBDから購入した西側の重装甲アーマーに加え、数は少ないがバズーカや速射砲まで用意している。

 重装甲アーマーには術式ジュエルによる障壁機能があり、対人用の小さい銃弾くらいならば弾くことができる優れものだ。

 これはガンプドルフたちが使っているパワードスーツの旧型、型落ち品を安く流してもらったものだ。

 同様にバズーカは余りものであるし、速射砲は駆逐艦用の副砲を強引に剥ぎ取ったジャンク品となっている。西側においては廃棄されても仕方ないオンボロばかりである。

 戦争で戦うのは騎士ばかりではない。自国が侵略されれば民兵も戦う。そうなると誰でも扱える武器が重用され、安価な劣悪品が出回っていくものだ。

 戦争が長く続いたDBDには、こうしたものが大量に放置されて社会問題になっている。

 戦争が終わっても地雷が残っていて子供が巻き添えになるように、大量に残った兵器が平和への道を阻害するのだ。


 しかしながら西側では使い道のないジャンク品でも、東側からすれば宝の山だ。


 ガンプドルフたちは東側での自衛および経済手段として、ジャンク品を積極的に仕入れていた。

 案の定、領主であるアニルはそれに食いつく。

 口ではああ言っていたが、衛士隊の戦力不足には彼も日々頭を悩ませていたものだ。

 落ち目のDBDとはいえ、こうした武器を積極的に提供する者はありがたい。こうして両者の間に共存の道筋が生まれたというわけだ。



 そして極め付けは―――【コレ】。



 キャタキャタキャタキャタキャタ

 独特の音を響かせながら一台…いや、一両のクルマがこちらに向かってきた。

 それは普通のクルマとは違って浮いてはおらず、地球でお馴染みの大地に接した無限軌道によって車体を動かすタイプのものであった。

 一般的なクルマは風のジュエルで浮かすのだが、けっして普通の車輪タイプのクルマがないわけではない。

 結局のところ一般車両はあまり浮かないので、岩場のような想定以上に酷い悪路になると先に進めなくなってしまう。

 そうした場合は車輪式や無限軌道式のほうが有利になることもあるので、西側では両方の生産が行われている。


 このクルマも接地型であり、最大の特徴は―――【砲門】を持っていることだ。


 無限軌道と砲門を持つクルマ。




 人はそれを―――【戦車】と呼ぶ。




 まさに元祖クルマそのものが、ついにここに出現したのだ!!




336話 「麻薬工場、強制査察 後編」


 クルマの語源ともなったといわれる戦車が、ついにやってきた。

 その不思議なフォルムに、対峙する工場の作業員たちがざわつく。


「な、なぁ…! なんだありゃ!! 戦艦か?」

「馬鹿! ありゃ戦車ってんだよ! 西側じゃ戦争に使われるって聞くぜ」

「戦車…? 戦うクルマってことか? 小さい武装船みたいだな…あんな小さなもんが強いのか?」

「なんだよ、おい。小型のクルマと同じじゃねーかよ。街の中に入れるくらいが利点なんじゃないのか? あんなの怖くねーよ」


 初めて見る戦車に興味津々ながらも、その実力には疑いの目を向けている。

 なにせあれより大きな武装商船などもよく見かけるのだ。大きさだけならば既存の船のほうが強そうに見える。

 だが、なぜ戦車が戦争に使われ、怖れられているのかを彼らは知ることになる。


「ふむ、なかなか出てこないな。威圧行動を開始せよ!」

「はっ!!」


 キャタキャタキャタキャタ

 ミエルアイブの命令を受け、戦車が工場に向かって走り出す。

 ゆっくりとではあるが、正面から鉄の塊が向かってくるのだから威圧感は強い。


「敷地に入ってきやがったぞ!!」

「おい!! ハジキ持ってこい! 穴だらけにしてやれ!」


 作業員たちが工場にある自衛用の銃を持ってくる。

 商会申請をすれば誰でも手に入る、衛士たちが使う一般的なものである。

 恫喝しながら敷地内に入った以上、それはもう敵である。前にソブカも言っていたが商会には自己の財産を守るための自衛権があるので、それを行使するわけだ。


「やっちまえ!!」


 パスパスッ パスパスパスパスッ

 六人の男が銃弾を発射。風のジュエルに押されて弾丸が戦車に向かう。

 カンカンッ カンカンカンカンッ

 が、当然というべきか戦車の装甲は銃弾を弾く。キャタピラにも当たっているが、まったく何も起きない。

 そのまま戦車は中に突入。


「くそっ! 銃が効かねえ! あんなの得物でぶっ潰しちまえ!!」

「おららああああ!! くたばれや!!」


 今度はバットやら斧やらを使って襲いかかる。

 ガンガンッ ガンガンッ

 当然、それも効かない。戦車の装甲がそれくらいで破壊されるわけがない。

 キャタキャタキャタキャタッ


「うおっ!! 轢かれるぞ!! 気をつけろ!!」

「なんだこりゃ! このこのっ!!」


 男たちが何をやっても戦車はダメージを受けない。それどころか彼らを引きずりながら人の壁を軽々と突破していく。

 戦車とは、そもそもが戦線を突破するために造られたものである。

 もしここに石垣があったとしても破壊しながら進むし、それによって悪路になっても踏み潰して突破していく。人間の壁ならば、なおさら簡単である。

 だが、まだ威圧行動なので、作業員を轢き殺すようなことはしない。


 ある程度のところで止まると―――


 ウィーーンッ


 砲塔が工場のやや上、屋根あたりを狙う。


 ドンッ!!


 火砲を―――発射。


 ヒューーーーンッ バーーーーンッ!!


 その一撃は屋根を破壊し、さらに貫通して飛び越え、二キロ先にあった城壁に激突。爆散して消えた。


「げええっ! 撃ってきやがったぞ!!」

「くそっ! 後退だ!! 工場内に戻れ!!」


 飛び出していた作業員たちが慌てて戻っていく。

 さすがに生身で重火器と戦うのは分が悪い。しかもクルマに搭載された主砲である。人間ならば簡単に粉々だ。

 さらにこの世界の物は基本的にビッグサイズなので、作業員たちは「小さい」と言っていたが、それは普通の輸送船と比べた場合であって、サイズ的には地球の戦車の倍に近い大きさがある化け物タンクである。

 主砲もかなり大きいので、一気に十人くらいは粉々にする力があるだろう。




「城壁に着弾! 壁は無事です!」

「ふむ、壁は問題ないか。領主様の命令とはいえ…少し怖かったぞ。もし壁に穴があいたら自分の胃にも穴があきそうだったし…本当によかったぁ…」


 ミエルアイブは緊張で多量の汗を流しながらも、ひと安心する。

 実は戦車を持ち出す際、領主から城壁の耐久テストも命じられていたのだ。

 だがテストとはいえ、「壁に穴があきました!」などと報告したら、あの領主のことである。激怒するに違いない。

 そのときはストレスで、もれなくミエルアイブの胃にも穴があいたことだろう。


 では、なぜ壁のチェックをしたかといえば、西側の勢力を意識してのことだ。


 たとえば南地域の勢力、西側の入植地には戦車もあるはずだ。

 そういった西側諸国の勢力が攻めてきた際にそなえ、どれだけ壁が持ちこたえられるのかをチェックする必要がある。

 この戦車は他のスクラップ同様に型落ち品で、西側では骨董品扱いされているオンボロ兵器だ。

 現在の西側の最新戦車は術式弾を中心に扱っており、普通の砲弾よりも威力がかなり上がっている。砲身にも術式加工が施されているので、加速力も倍増されて駆逐艦レベルの戦闘力を誇るものさえある。

 それと比べれば、この戦車は明らかに弱い。装甲もそこまで厚くないので最新戦車の砲弾一発で撃沈することだろう。

 といっても、術式なしでは主砲の威力そのものにあまり差はない。その意味ではテストに最適であったのだ。


 結果は、なんとか無事。


 ほとんど城壁はメンテナンスされていないので心配であったが、この距離ではたいして傷もつかないらしい。

 ただ、もっと近距離で術式弾が大量に発射されればどうなるかはわからない。ガンプドルフが乗っている戦艦の主砲あたりも非常に怖い。

 そこはもう仕方がない。防御には限界があるので、撃たれる前に撃つしかないだろう。


(ひとまず戦車は戦力になるようだ。DBDのお下がりというのが気に入らんが、これがある程度の数までそろえば我々衛士隊の戦力もぐっと上がるだろう。あとはやつらが持っているという【MA】なるものを手に入れれば安泰だ)


 ガンプドルフが条件として提示してきたものの中には、通称【MA】、【魔人アーマー】(マジンアーマー)と呼ばれる小型の人型兵器も含まれている。(40話参照)

 今ミエルアイブが着ている重装甲の鎧も、その試作途上で生まれたものであり、MAの有用性をアピールするために格安で売られたものだ。

 ただ、MAの開発はまだガンプドルフたちでさえ手探りであるし、目玉商品であるため今すぐに流通というわけにはいかない。

 おそらくは彼らの最大の目的である『移民船団』がやってくるタイミングで何かしらの動きがあるだろう。

 逆に言えば、それまでにグラス・ギースは軍備を拡充しておかねばならないのだ。

 そこで交渉決裂ともなれば何が起こるかわからない。DBDと争いになる可能性もある。

 だからこそ領主は、あの手この手で武器を輸入しようと計画しているのである。この耐久度チェックも、そのときのための準備である。



 その実験台にされたソイドファミリーは災難であるが、ともかく衛士隊は型落ちながらも近代兵器を導入してきたのだ。

 このあたりに領主の本気さがうかがえる。本気で怒っているということだろう。

 当然、この状況に一番驚いたのはソイドリトルである。


「な、なんだよ、あれ…何がどうなってんだ!?」

「警告する。あと六十秒以内に責任者が出てこなければ、我々は武力制圧を開始する。繰り返す、あと五十八秒以内に出てこなければ…」

「ちょ、ちょっと!! ちょっと待ってよ!! はいはーーーーい!! 僕が責任者です!!」

「リトル様、危険です!」

「いやでもさ、まずは話し合ってみようよ。それで解決するなら、そっちのほうが早いし」

「し、しかし…、すでにこれだけやられては…」

「だからでしょう? 相手は衛士隊だよ。数も違うし、あんなの持ち出されて工場に被害が出ると困るんだ。ともかく何をするにしても、相手の出方を見ないと対策も練れないじゃない。でも、万一のために兄さんたちに連絡する準備はしておいて。今は倉庫に戻ってきているはずだからさ」

「…わかりました。それまで私が護衛します」

「ああ、任せるよ」


(ほんと、もー! なんなんだよ! いきなりこんなもんで突っかかってきて!! 父さんや兄さんじゃなくてよかったよ。もしあの二人だったら、即座に殴りあいだからね。感謝してよね、もうっ!)


 こんなものを見せられたら武闘派ではないリトルはたまらない。

 ニャンプルには格好を付けたものの、リトル自身に武闘派のプライドはあまりない。

 面倒事が増えることのほうが嫌なので即座に名乗り出る。

 両手を広げながら無抵抗をアピールしつつ、ミエルアイブのところに向かう。

 その間も衛士たちは彼に銃を向けており、それをバッジョーが威圧する構図が続く。



 そうこうしている間に、リトルがミエルアイブに接近。

 会話ができる距離まで近づく。


「僕が責任者のソイドリトルです。ええと、ミエルアイブさん…でしたか? うちに何か御用ですかね?」

「むっ、君が…ラングラスの。まだ若いな」

「才能豊かなもんでしてね。それで、どのようなお話ですかね? うちは衛士隊と揉めるようなことはしていないと思いますが…」

「領主様のご命令だ。この麻薬工場の明け渡しを要求する」

「…は? …聞き間違い…ですか? 今、明け渡し、とおっしゃいました?」

「間違いではない。領主様は麻薬の氾濫に対して危機感を抱いておられる。これ以上の生産を認めるわけにはいかない。即刻生産を停止し、工場を明け渡すことだ」

「なななな…! 何を馬鹿な! うちの商売に口を出すつもりか!!!」


 その高圧的な要求にソイドリトルも怒りを露わにする。

 ソイドファミリーは麻薬のみで生計を立てている組織だ。そんな彼らに対して麻薬生産をやめろというのは、死ねと言っているようなものである。

 いくら好戦的ではないリトルとはいえ、これに黙っていることはできない。


(当然の反応だな…。それはそうだ。豆腐屋に豆腐を作るな、と言うようなものだからな…。だが、お嬢様の名誉のほうが重要だ。悪く思うなよ)


 ミエルアイブ自身も、これが無茶な要求だと理解している。

 しかしながら「ベルロアナが麻薬中毒になったから報復する」とは言えない。

 世間からイタ嬢と呼ばれていても、アニルからすれば可愛い娘である。彼女の名誉を守らねばならない。

 ミエルアイブたちもディングラス家に仕えている性質上、ベルロアナに対しては寛容の気持ちのほうが強い。

 哀れで痛くて駄目な彼女を守ってやらねば、という同情と庇護の気持ちも働く。

 そのためならばソイドファミリー、ひいてはラングラスと揉めることも厭わないのだ。

 なので、半ば強引に話を進めるしかない。

 無理があると思いつつも、ミエルアイブは声を荒げる芝居をする。


「ええい! 麻薬によって人々を堕落させることが商売とほざくか! 恥を知れ!」

「うちが作っているのは医療麻薬だ! それを娯楽目的で使うのは買った人間側の問題だろう! 医療麻薬がないと、あんたらだって困るだろう! それをやめろっていうのか!」

「管理が十分ではないのに生産を続けるほうにも問題がある! お前たちが売人を囲うせいで都市の治安が悪化しているのだ! もはや言い逃れはできぬぞ!」

「なんだよ、それ! 他の組織だって同じだろう! なんでうちだけなんだ!」

「ここだけではない。順次取締りを強化する予定だ。…いつやるかは未定だが」

「ふざけるな! うちがソイドファミリーだって知ってのことかよ! やるのか! ああ!?」

「抵抗するのならば武力制圧を行うぞ!! 戦車の力を見ただろう!」

「やってみろよ! ダディーが黙っていないぞ!! お前たちなんて皆殺しだ!!」

「そんなものが脅しになると思うのか!! 衛士隊をなめるなよ!! こちらにはディングラス家の御旗があるのだぞ!」

「こっちだって四大市民のラングラスで、僕は本家筋だぞ! そっちこそなめるなよ!! やるなら戦争になるぞ!!」

「望むところだ!!」

「むむうううううっ!!」

「ぐぬううううっ!」


 睨み合い、お互いに引く様子はない。


 が、内心では―――


(ソイドダディーって、ラングラス最強の武人だよね。…やだ、怖い)


 ミエルアイブもソイドダディーのことは知っている。

 彼に喧嘩を売った組織が一晩で潰された話や、討滅級魔獣を素手で倒したという逸話もあるくらいだ。正直、敵に回したくはない。

 が、後に引けないのもお役所仕事である。必死に踏みとどまる。


 一方、ソイドリトルも内心ではかなり動揺していた。


(マジでやるつもりかよ! こ、こえぇえ! なんだよ、この数! しかも重武装じゃないか! 本当に戦争になるのか!? 無理無理! 普段鍛えてないんだから無理に決まってるじゃん!! 兄さん、父さん、早く来てよ!!!)


 グラス・ギースでは長らく組織間の争いは起こっていない。

 アーブスラットが都市に来たくらいの時期は何度か大きな争いがあったが、それで疲弊して都市の力が落ちることを懸念した四大市民の間で安全協定が結ばれたのだ。

 よって、リトルの年代では抗争自体が珍しいものなのだ。

 暴力行為は兄や父親に任せているので、こんなふうに啖呵を切ることも初めてに近い。

 今も足が震えそうなところを我慢しているのだ。これでもがんばっているほうである。



 睨み合いがしばらく続く。



 両者ともに動き出すきっかけが掴めず、時間だけが経っていく。




337話 「衛士隊 VS ソイドファミリー 前編」


 衛士隊とソイドファミリーの膠着状態は続く。

 そんな状況を変えたのは、二人の女性であった。



 まずは衛士側。



「よろしいのですか?」

「うわっ!! びっくりした!! ふぁ、ファテロナ侍従長、どこから出てきたのですか!?」


 いつの間にかミエルアイブの真後ろに、ファテロナが立っていた。

 さすが暗殺者だ。気配をまったく感じなかった。


「あなたの影に隠れておりました。私とあなたはいつも一心同体なのです。何かあったら代わりに怒られてください」

「そ、それは告白…ではなく、ただの身代わりではありませんか!?」

「それ以外に聴こえるとしたら、お嬢様並みの馬鹿ということになりますよ?」

「自分とて、そこまでではありません!」


 たいそうな言われようである。もう少しベルロアナを労わってあげてほしいものだ。


「ほらほら、このようにぴったり動きますよ」

「うわっ! すごっ! なんですか、その妙技は!?」

「影真似の術です。相手と同じ動きをして苛立たせる術です」

「背後でやられると、たしかにイラっとしますな…」


 ミエルアイブが手を動かせば、それと同じようにファテロナも動くため、正面にいるリトルからはまったく姿が見えないという芸当を見せる。

 一応『影真似』という術ではあるが、特に何かをやっているわけではない。単純に相手の真似をして挑発するだけのものである。

 が、やるのはなかなか面倒だし、意味がないので使う者もまずいない。

 無意味なところで高等技術を使う女。それがファテロナである。

 その彼女が、耳元でぼそっと呟く。


「よろしいのですか?」

「な、何がでしょう?」

「このまま怖気づいて何もしなければ、領主様から罵詈雑言の嵐ですね。降格は間違いありません。領主様のお嬢様に対する溺愛ぶりはごらんになったでしょう? 確実に外周組に左遷されますよ」

「うっ! そ、それだけはちょっと…」

「それに加え、私の大切なお嬢様を麻薬漬けにするなんて…なんて極悪人でしょう。『きゃー、やめて!』『げへへ、これを打ったら気持ちよくなるからよぉ。ちょっとチクってするくらいだから我慢しな!』『嫌です! いやぁ! わたくしはこんなものなんて…! こんなに大きいものなんて、は、入らないぃい!!』『嫌よ嫌よも好きのうちってな! ほれ、ぶすーー!』『あああ、ふ、太い!! すごくぶっといのぉおお! お父様ーーーごめんなさい!! あああ、き、気持ちいいぃいいいい! 癖になっちゃうーーー! ビクンビクン』『げひゃひゃ、これでもうお前も俺らと同類だな! 毎日可愛がってやるぜ!』という声が聴こえませんか? ほら、ほらほらほら! あなたの正義はそれを許すのですか!?」

「ううううっ!! なんと卑劣で下劣なやつらだ! そのような輩は断じて許せぬ!」

「そうでしょうとも。そうでしょうとも。これはお嬢様の仇討ちでもあるのですよ! あの可憐なお嬢様が、こんな人間のクズどもの手によって穢されたのです! 領主様の娘が穢されるということは衛士隊が穢されたと同じ! あなたが人生をかけて築き上げた名誉ある衛士隊を穢したのです!! 家を売って媚を売り、ここまで必死にやってきたあなたが、今度は衛士の誇りまで売り飛ばすのですか!?」

「そのようなことは…! 自分は正義と市民の安全を守るために衛士隊に入ったのである! けっして見逃しはしない!」

「その通りです。ならば、もうやるしかありませんよ! レッツファイト!! ゴーファイト!! レディーファイトッ!!!」

「ぬおおおっ!! 全員、ひっ捕らえてくれるわ!!」


 なぜかミエルアイブを煽るファテロナ。

 自分もベルロアナに薬を提供したにもかかわらず、まるで他人事のように背中を押す。

 この行動に意味はない。退屈だったのでやってみただけだ。



 そして、この状況を動かした女性はもう一人いた。


 それは―――ニャンプル。



「…え? どうなっているの…?」

「ニャンプルちゃん…」

「あっ、リトルさん…これ、なんなんですか? どうして衛士隊が…」

「こ、これはその…ちょっとした揉め事というか…」

「もしかして…危ないんですか?」

「そ、そんなことはないよ!! 僕はソイドファミリーの幹部だよ! 一緒にいれば一番安全なんだよ!」

「で、でも…この雰囲気…怖いです」


 あまりに帰りが遅いので心配で見に来たニャンプルが、入り口からこちらをうかがっている。

 まるで子猫のようにリトルを見つめ、頼ろうとしてくれている。

 その光景が彼の自尊心を刺激。


(そうだ。ここにはニャンプルちゃんもいるんだ! 僕が守らないで誰が守るんだ!! 任せてよ! 君は僕が守るからね!! 僕だってソイドファミリーの一員なんだ!! 獣の血が流れているはずなんだ!!)


 今まで荒事は苦手で兄の後ろに隠れていた自分であるが、これでも武闘派で有名なソイドファミリーのナンバー4である。

 ここで貫禄を見せねば、いったい誰が自分についてくるというのか。

 自分を頼ってくれる女性一人も守れないで、なにが漢《おとこ》か!


(衛士隊なんかになめられてたまるか! 相手がやる気なら、こっちだって黙っちゃいないぞ!! やったるで! やったるからな!!)


 と、一人で盛り上がる。

 ただし、それはあくまで当人がそう思っているだけであって、事実とは異なる。

 ニャンプルの内心はこうだ。


(なんだか険悪な雰囲気。これって強制査察ってやつだよね? もしかして工場が危ないのかな? …麻薬がなくなれば、リトルさんとなんて付き合う価値もないし…最近はあまりショッピング代も出してくれないし…そろそろ見切りをつけるときかも。それならさっさと逃げたほうが賢いよね。あとでバレても『怖かったから』で済むだろうし。これはお仕事でギブアンドテイクなんだから、割に合わなければやめるのは悪いことじゃないよね。うん、そうだ。そうしよう)


 ニャンプルは砲撃で部屋が揺れたため、危険を察知して様子を見に来ただけであった。

 マフィア連中相手にホステス(愛人)などしていれば、自然と危機察知能力が身に付くものである。両者の雰囲気から、すぐに危ないと理解する。

 しかも麻薬の売り上げが減ってから援助額も減ってきたので、あまり旨みのない相手になってきていた。


 そろそろ―――賞味期限。


 結局のところ人間関係というものは、金の切れ目が縁の切れ目である。

 特にホステスと客ならば、それが顕著だろう。女からすれば金だけが目的なのだ。

 したたかな女は決断してからが早い。

 ニャンプルは周囲の視線が衛士隊のほうに向いているのを見て取り、すっと工場内の闇に消えていった。裏口から逃げるつもりなのだろう。

 かつて兄のソイドビッグが言ったように、商売女など信用できないものである。その言葉は正しかった。




 そして―――二人の女がきっかけとなり、両者が激突の時を迎える。




「工場の制圧を開始しろ!! 抵抗するようならば対人発砲も許可する!!」

「た、隊長、よろしいのですか?」

「ここで衛士隊が臆してどうする!! 我々こそが都市の治安を守る者なのだぞ! 行け! 叩き伏せろ! ここで手柄を立てれば昇格だぞ!! 家が欲しくないのか!! 綺麗な嫁さんが欲しくないのか! 私は欲しいぞ!!」

「りょ、了解しました!! 自分も欲しいであります!!!」


 ミエルアイブが衛士隊を鼓舞。衛士たちの士気も(物欲で)上がる。



「衛士隊なんてやっちまえ! ソイドファミリーがなめられてたまるか!! こちとらラングラス最強だぞ! ディングラスになんて負けるな!!」

「り、リトル様、さすがにこの数が相手では…! すでに援軍要請はいたしましたので、せめてビッグ様かダディー様が来られてからでも…」

「僕だってダディーの子供なんだぞ! 男なんだ!! やれるんだ! お前たち、こいつらを叩きのめしたらボーナスを出すぞ!! 大盤振る舞いだ!! 借金も帳消しにしてやる!」

「り、リトルさん、俺…二百万借金あるけど…」

「お、俺は…その…今月のノルマがかなりやばくて…というかギャンブルでしくじった分も含めて、累計で三百万くらいあるんだけど…」

「ケチくさいやつらだな! それくらい出してやるよぉおおおお! 僕のぉおおおおお! ポケットマネーーーーでなぁあああああ!!」

「ま、マジかよ! や、やるぜ! 俺はやるぜ!! やったるでええええええええええ!!」

「俺もやるぞ!!!!! リトルさんを担いじゃるでえええ!! もうリトルなんて言わせねぇ! 俺らがハイパーリトルにしたるでええええ!」


 リトルがハイパーになれば、さらにリトルになるだけであるが、そんな細かいことはどうでもいい。


 こうしてソイドファミリー側も、金銭欲によって士気が大幅に上昇。


 両者ともども最初の目的が若干変わりつつあるものの、やる気にはなっているようだ。

 何事もそうだが、テンションが上がると止められなくなるものである。

 欲望の熱い衝動が彼らを混沌へと突き動かす。




「いけーーーーー!! 突っ込めええええ!」


「やったれーーー!! ぶっ潰せぇえええ!」



 両軍が―――激突。



 まさに抗争映画よろしく、両陣営が雪崩れのように突撃。


 ドンドンッ バキンバキンッ!

 ドガドガドガッ バッコン!!


 人と人が激しく衝突し、至る所で殴り合いやら押し合いが始まった。



「この犯罪者どもが!! おとなしく、お縄につけ!」

「なんだと! てめぇらだって賄賂を受け取ってるじゃねえか!!」

「あれは給料の一部だ!!」

「血税なめんな、こらあああ! 場数が違うんだよおおお!!」


 どう考えても衛士隊が圧倒的に有利ではある。武装もグラス・ギースでは最新式だし速射砲や戦車まであるのだ。

 が、衛士たちのテンションが激増したことと、ミエルアイブがうっかり突撃を命じたために両軍入り乱れる形となり、重火器自体が使えない状況に陥る。

 もちろん対人射撃を認めたとはいえ、もともと本気で殺しに来たわけではないので、心の奥底では躊躇もあったようだ。

 あまりやりすぎれば全面戦争になってしまう。それはやはり怖いものである。

 そのせいで喧嘩の場数では上の売人どもが本領を発揮し、衛士から武器を取り上げて応戦するという奮戦を見せる。



 現在のところ一進一退の攻防が続き、互角の情勢であった。



 そんな中、さらに混沌に導く一手を打った者がいた。



「ええい! 何をしている! 数で押せ! 押し込め!!」

「なかなか進みませんね。思ったよりつまらないので…ちょっと失礼」

「え? ファテロナ殿、何を…?」


 ファテロナがミエルアイブが持っていた銃を手に取ると、狙いをつけて―――撃つ。

 バンッ

 放たれた銃弾は―――


「ぎゃっ!!」


 工場の作業員に当たる。

 当たった箇所は肩なので致命傷ではないが、彼女がわざと外した結果である。


「衛士のやつら、撃ってきたぞ!」

「ちくしょう!! やりやがったなぁ!!! こっちもハジキで応戦しろや!!」


 これでどうなるかといえば、当然ながら激怒。

 今までは喧嘩の延長のような状態だったが、ここから一気にヒートアップ。

 工場側が銃を容赦なく衛士たちに撃つようになり、殴り合いから【殺し合い】になっていく。

 パスパスパスッ カンカンカン

 パスパスッ ブスッ


「ぐあっ!」


 足を撃たれた衛士が地面に転がる。

 重装甲の上級衛士隊は『銃耐性』があるのでまだいいが、軽装備の一般衛士たちに被害が出始める。

 ピーーンッ!

 その惨状にミエルアイブが青ざめる。(青ざめると髭が伸びる)


「なぁああ! な、何をなされる! とんでもないことになっちゃいましたよ!! なんで火に油を注ぐようなことをするのです!!」

「うけけけ、これで楽しくなりましたね。では、あとはお任せします! アバヨッ!」


 決めポーズをしたあと、しゅっ、とファテロナがどこかに消える。

 そして、独り取り残されるミエルアイブ。手には今、ファテロナが撃った銃だけが残った。


「えええええええっ!? ちょっ! これ、どうすれば…ええええ!?」

「あいつだ! あいつが最初に撃ったぞ!」

「いや、違うっ! 自分では…」

「てめ、ちくしょう! ミエルアイブ、このやろーー!! よくもこの前、俺の弟分をしょっぴきやがったな!! お返しにてめぇの髭を引っこ抜いてやるぜ!!」

「なんだと! それはお前たちの素行が悪いせいだろうが!! むしろ更生するチャンスをくれてありがとうと言え! まずは自分の日々の生活を反省せんか!! この人生の落伍者どもが!」

「んだとぉおおお! 偉そうにしやがって!! やっちまえっ!」

「やるか!? くるならこい!!」


 パスパスッ

 ミエルアイブと作業員たちとの銃撃戦が始まる。

 売り言葉に買い言葉。もはや事態は収拾不可能に陥る。



 ちなみにリトルがその後どうなったかといえば―――



「うおおおっ! いてもうたるーーー! ニャンプルちゃん、見ててねーーー!」


 果敢に斧を持って重装甲の衛士に突っかかり、思いきり振り下ろす。

 スカッ

 が、普段運動をしていない彼が斧を自在に操れるわけでもなく、ふらふらと身体が揺れて、あっさりとかわされる。

 というより相手は動いていないのにかすりもしない。完全にリトルのミスだ。


「あ、あれ? 斧って意外と重い!!! やっぱり頭脳派の僕にはちょっと無理―――」

「こいつ、抵抗するか!!」


 ブーーーンッ ドガスッ!!


「ぐえっ!!」


 ふらふら ばたん

 衛士の反撃。銃床で思いきり頭を殴られて気絶。

 まったくもって当然の結果だ。なぜ勝てると思ったのか問いただしたい気分である。

 せめてニャンプルが見ていればよかったのだが、すでに彼女はいない。とことん報われない男である。


「ああ、もう! リトル様!! だから言ったのに!! 貴様ら、よくもうちの若旦那をやってくれたな!!!」


 人波が邪魔で、距離が離れていたバッジョーがようやく合流。

 リトルを殴った衛士に接近し、拳撃を放つ。

 メキョメキョッ! バコンッ!

 拳が鎧にめり込んだ。

 そこらの作業員が斧でぶっ叩いてもびくともしない重装甲アーマーに、軽々と拳が突き刺さるのだ。その腕力はさすが武人である。

 ただし、これで倒すまでには至らない。軍事用の重装甲鎧は伊達ではない。


 が―――さらに雷撃。


 バチバチバチッ バチューーーンッ!!


「ぎゃあああああああ!! ぼぼぼぼっ…がくっ」


 衛士は感電して気絶。

 ブスブスと肉や体毛が焦げた臭いが漂う。放たれた力が中にまで到達した証拠である。


 覇王技、雷猖拳《らいしょうけん》。

 因子レベル1で使える技で、拳と同時に雷気を叩き込む打撃技である。

 アンシュラオンがたまに使う雷神掌の基礎となる技で、雷気が鎧を伝って内部にまでダメージを与えるため、防御力が高い相手にも有用な技だ。

 重装甲になるのは利点でもあるのだが、雷気を通しやすくなるというデメリットもある。この点を考えると鉄鋼装備がすべて優れているわけではないことがわかるだろう。

 これは戦車も同じで、雷撃によって回路がショートすれば行動不能になるので、武人相手には対策が必要となる。

 たとえば『雷消紋《らいしょうもん》』の術で耐性を付与するか、完全絶縁仕様にすれば防ぐことは可能だが、一般戦車のお下がりにそこまで求めるのは酷である。コストがかかりすぎる。

 もともと戦士タイプの武人は多様な戦いをすることで、いかなる戦場でも安定したパフォーマンスを発揮できるのが最大の長所だ。

 雷対策をしても即座に違う属性で対応される等、高度な戦闘が当たり前の世界なので、すべてをカバーすることはできない。




338話 「衛士隊 VS ソイドファミリー 中編」


「貴様ら、ソイドファミリーに喧嘩を売って、ただで済むと思うな!!」


 バッジョーが『押入れ君』を起動。拳まで覆った手甲と、頭や胸などをガードするための軽鎧が出現する。

 その姿をたとえるならば、某漫画の『聖衣《クロス》』のようなものだろうか。

 ごちゃごちゃしたものではなく、ブロンズな方々が着るようなシンプルなデザインだ。

 バッジョーはべつにコスプレをしているわけではない。これは戦士にとっては一般的な武装である。

 こういった鎧は重要な箇所だけを守るので可動域を阻害せず、戦場を軽快に動き回る戦士に最適な装備となる。

 特殊な能力が付与されていれば、それだけで戦闘力も上昇するので、むしろ何も装備しないアンシュラオンのほうが珍しいのだ。

 バッジョーが装備した手甲には攻撃力上昇効果があるため、これで彼の拳がさらに強化されることとなるだろう。


「おおおっ!!」


 武装したバッジョーが衛士隊に飛びかかる。


 ドガドガッ バチバチバチッ


「ぎゃっ!!」

「ぐええっ!!」


 再び雷猖拳を放って、次々と重装備の上級衛士たちを叩きのめしていく。


(衛士隊の主力は重装甲のやつらだ。どこで仕入れたか知らんが、これがやつらの強気につながっているはずだ。馬鹿なやつらめ。いくら装備を仕入れても、普通の人間が武人にかなうものか!)


 弱い人間でも装備すれば強くなるのが武器や防具である。

 衛士たちも今までになかった高性能品を手に入れて舞い上がっているのだろう。

 その気持ちはわかる。誰であれ銃を持てば自分が強くなった気がするものだ。

 しかしながら、この世界には『武人』と呼ばれる【武の権化】たちがいる。

 彼らは戦うために力を覚醒させた存在である。そんな彼らにとってみれば、武器はあくまで道具にすぎない。

 もともとが強いのだ。風龍馬のギロードのように魔獣が武器を持ったと思えばいいだろう。


 そうなれば―――鎧など役立たず!!!



「ぬんっ!! はっ!!」


 ドガッ バキンッ


「ぐえっ!!!」

「ぐあああ!」


 たった一人の武人の出現によって、重装備の衛士隊が押し返されていく。

 気絶したリトルから遠ざけるためにも派手に暴れ、衛士たちを引き付ける。


「武人には一人で向かうな!! 銃で対応しろ! 貫通弾を使え!」


 衛士隊も即座にこれに対応。DBDから仕入れた『貫通弾』を装填する。

 ザ・ハン警備商隊が『爆炎弾』や『雷撃弾』などの術式弾を使っていたが、こちらの『貫通弾』は文字通り回転速度を上げた重金属製で、鋼鉄の盾や装甲ごと相手をぶち破るという物理重視の弾丸となっている。

 西側では軍用として一般的に使われるものであり、何十発も撃ち込めば戦車の装甲さえ破壊できる威力がある。

 その貫通弾を装填した、こちらもDBDから仕入れた金属製のライフルを持った部隊がバッジョーを狙う。

 普通の人間相手ならば躊躇するところだが、相手が武人ならば遠慮する余裕はないのだ。


「撃て!!」


 バンバンッ

 DBD製は、発砲音が違う。明らかに炸裂音がしている。

 その理由は風のジュエルと一緒に【火薬】も使っているからだ。

 ジュエルだけだと威力に偏りが生まれるし、重い弾丸を撃ち出すことには向いていない。そういう場合は地球と同じように火薬をもちいるのである。

 これも地球から持ち込まれた技術が使われているので、機構が似るのは当然のことだろう。


「ぬんっ!!」


 バッジョーは戦気を展開してガード。

 ガンガンガンッ ガンガンガンッ

 重い金属同士が衝突するような音が響く。

 見ると、バッジョーは手甲と鎧ですべての貫通弾を防いでいた。多少鎧に凹みがある程度で貫通はしていない。


「な、なにっ!! なんてやつだ!! 演習では岩も貫通したのに!」

「岩ごときと一緒にするな!! 消えろ!」

「ぐあっ!」


 バッジョーが修殺を放つと、その衝撃波でライフルを持った衛士たちが吹っ飛ぶ。


(戦気が込められていない弾丸など、怖れるものではない!)


 そう、いくら貫通弾が強いとはいえ、普通の弾丸では武人に通用しない。

 これでなぜ軍隊の大半が武人で構成されているかがわかっただろう。

 アンシュラオンがやったように戦気で強化すれば脅威となるが、一般人が使っても効果は限定的なのだ。相手が同じ一般人でないと効果は薄い。


 かつての覇王の名言に『武人に対抗できるものは武人のみ』というものがある。


 武人そのものが究極の兵器である。覇王ともなれば戦術核でも傷一つつかないこともある。精神エネルギーが強すぎて物質の領域を凌駕するからだ。

 ならば、そんな化け物に対抗できるのは、同じ化け物の武人だけなのだ。まさにその至言を思い知る瞬間である。

 なおかつ彼は、ソイドファミリー全体の中でも上位クラスの実力者だ。

 資質はそこまで高くはないが、経験値も含めればソイドビッグより上だろう。

 戦闘力のないリトルのために、ダディーがわざわざ指名して側近にさせたくらいだ。強いのは当然である。



 バッジョーの奮闘によって、だいぶ工場側が盛り返す。


 ただし、この戦場には彼を超越する【悪魔】がいることを忘れてはいけない。



「うふふふ」

「っ―――!!!」


 スパンッ

 バッジョーが背後に気配を感じた瞬間、喉に強烈な違和感が走った。

 ピピピピッ

 皮膚が切れる音が彼自身にも聴こえた。しかし、それは切れた部分のごくごく一部だけが強調されたものにすぎない。

 そのまま『赤い線』に沿って喉がぱっくりと割れ―――


 ブシャーーーーーッ


 大量出血。

 ドバドバと地面が赤に染まっていく。


「ごっ…ごっ…!! きざま……」

「うふふ、闇の中では真後ろにお気をつけください。どこに暴漢が潜んでいるかわかりません。ああ、怖い、怖い」


 振り返ると、そこには暗殺用のナイフを持ったファテロナがいた。

 ナイフには、べっとりと赤い血が付いている。


「こ…のっ!!」


 バッジョーはそれでも反撃しようと動くのだが―――


「ひーーー、暴漢だーー! 暴漢がいるぞーーー! ウヒーーー!! 逃げろー!」


 ブスッ

 ファテロナが奇声を発しながら、背中からずっぷりとナイフを心臓に突き立てた。


「うぐっ―――! リトル様…申し訳……」


 ばたん

 なすすべもなくバッジョーが死亡。

 あれだけ強かった武人が一瞬にして殺される。



―――武人に対抗できるのは武人のみ



 バッジョーよりもファテロナのほうが強い。それだけのことであった。

 これだけの相手の背後をいとも簡単に取り、戦気で防御されているはずの喉や背中をあっさりと貫く。並大抵の腕ではない。

 ファテロナや狐面など、アンシュラオンと戦った暗殺者はあっさりと敗北しているが、実際はこれほど怖ろしい存在なのだ。

 ただただアンシュラオンが強すぎるだけである。あの男と戦うと誰もが雑魚に見えてしまうから困る。


「お役目とはいえ、つまらないものです。お嬢様を見ているほうが何百倍も面白いのですが…仕方ありませんね。クビにされては堂々と遊ぶこともできませんし。もっと強い御仁が来るまで、静かにお待ちするといたしましょう」


 ズブブブッ

 再びファテロナが影に消えていった。




 工場側の最大戦力だったバッジョーが殺され、形勢は徐々に数で上回る衛士隊に傾いていく。

 さきほどは武人の重要性を説いたが、お互いに武人を擁しないとなれば、物を言うのが数と装備の質である。

 剣道三倍段ではないが、素人でも武器を持てば有段者に勝つことができる。それだけ武器は有用なのだ。

 また、数の暴力と呼ばれるだけあって、人数差は極めて重要だ。どんな力持ちでも、相手が三人もいれば綱引きで負けてしまうだろう。

 それほど露骨なのだ。数で勝る衛士隊が一気に押し込むのは当然の結末だろう。


 ドドドドドドドッ


「行け!! 工場内に突入しろ!」

「ちくしょうっ! 支えきれねぇえ!! こいつはやばいぞ!!」


 リトルとバッジョーの退場も響き、次々と衛士たちが工場内に突入を開始する。

 この流れはもう止められない。


「動くな!! この場は衛士隊が制圧する!!」

「ひっ、う、撃たないで!!」

「手を頭の後ろに置いて並べ! 動いたら撃つぞ!」

「は、はい!」


 まずは製造ラインを制圧。その場にいた女性の作業員たちを拘束する。

 彼女たちはシャイナ同様、借金のカタでこの工場で働かされている者たちである。

 売人は襲われる危険が付きまとうので、工場内作業を希望する者もいるわけだ。多少のセクハラに我慢できれば、その選択肢も悪くはないだろう。

 それは衛士たちもわかっているので乱暴な真似はしない。拘束して終わりだ。


「奥に行くぞ! 在庫があるはずだ!」


 さらに麻薬の在庫分を確保するため、四名の衛士たちが銃を持って奥に進んでいく。


「倉庫を発見! 敵はいません!」

「二人は増援が来るまで、ここで待機! 向こうは我々が調べる!」


 そのままの勢いで在庫がある倉庫を発見。コシノシンや劣等麻薬を押さえる。


 二人を監視として倉庫に残し、隊長を含めた二人はさらに奥に進む。

 すると、そこには施錠された怪しい鉄製のドアがあった。


「なんだここは? 頑丈な造りな扉だな」

「隊長、中に何か…人の気配が」

「むっ! 敵か?」

「わかりませんが、人の呻き声がします」

「バールで開ける。注意しろ!!」

「はっ!」


 部隊長が慎重にバールで扉をこじ開けていく。

 メキメキメキィッ バゴンッ

 扉の鍵が壊され、やや重い金属製の扉が開いた。



 注意深く覗くと、そこには―――【例の芋虫】がいた。



「女性です! 縛られています!」

「なにぃい! あいつら、人身売買にまで手を染めてやがったのか! なんたる悪党どもだ! 解放してやれ!」

「お嬢さん、大丈夫ですか!!」

「…むぐっ…むぐぐうっ!」

「大丈夫。今助けますよ!」

「ぷはっ、はーーはーー! ぢ、ぢぬがどおぼっただぁぁ…」

「かわいそうに。こんな汚れた顔になって。まるで野良犬みたいじゃないか」


 衛士が縛られているシャイナを解放する。

 猿轡《さるぐつわ》を外してもらったシャイナの顔は、涙とよだれでぐしゃぐしゃで、まさに野良犬といった様相である。

 ただし、顔の汚れは昼間乞食をしていたからであり、特に同情する必要性はない。


 ここまではいい。


 衛士隊が突入したのだから彼女が見つかるのは自然なことだ。

 しかし、ここからマドカの末路を含めて『奇妙なこと』が起こる。


「大丈夫ですか? お名前は?」

「え、えど…えーど、なばえは……じゃびなでず…です」


 長時間、臭い手ぬぐいで口を塞がれていたためか舌が半分麻痺しており、もう感覚がほとんどなかった。

 そのため非常に滑舌が悪くなっている。自分の名前も正確に発音できないでいた。

 だが、そうした事情を知らない衛士は、そのままの意味で受け取る。


「ジャビナデズさんですか? ちょっと意外な…男性的なお名前ですね。どうしてここに?」

「売人のおどごに…づがまって……売られそうになって…」

「むっ、隊長! やはり被害者でした! お名前はジャビナデズさんです!」

「マングラスの領分にまで手を染めるとは、ソイドファミリーも危ない真似をするもんだな。おおかた外から来た難民か移民だろう。その娘はお前が保護して詰め所まで連れていけ」

「了解です! もう大丈夫ですよ。我々が護衛しますから」

「はー、はーーー、あれ? なんか…よくわからないけど……助かるの? よ、よどじぐおねがいじまずーー! だずけてー!」


 なんたる奇跡だろうか。

 マドカの計画がなければシャイナが衛士隊に捕縛されていただろうし、こうして閉じ込められねば被害者と思われることもなかった。

 身分証もないので正確な名前はわからない。こんな施錠された部屋にいたのだから、難民の女でもさらってきたと思っても仕方ないだろう。

 シャイナの普段の行いが良いとは思わないが、こうした幸運が重なって無事保護されることになる。

 彼女はその後、この争いの混乱に乗じて事情聴取が行われる前に抜け出し、ホロロがいるホテルに逃げ込むことになるのである。



 と、それは置いておき、この騒動の続きである。



 工場がほぼ制圧され、シャイナが連れ出されたタイミングで、ようやくソイドファミリー側の援軍が到着する。



「なんだこりゃ! どうなってやがる!!」


 そこに現れたのは―――ソイドビッグ。


 麻薬の原材料であるコシシケの第二期の刈り入れ調整のために戻っていた彼は、バッジョーの救助要請に応えて駆けつけたのだ。

 実家の倉庫区も近いので、たいした時間もかけずにやってくることができた。

 だが、さすがの光景にわが目を疑っているようだ。


「衛士隊がどうして…何が起こってやがる!」

「若頭、工場が! もうかなりヤバイことになっているようです!」

「ちぃっ! 考えている暇はねぇ! リトルたちの救助が先だ! いくぞっ!!」

「おおおおおおお!!」


 ビッグと配下の中級構成員六名が衛士隊に雪崩れ込む。

 ちなみに側近のジェイは現場管理のために第三城壁内の畑にいるので、ここにいるメンバーはダディー直轄の面子である。

 だから、とても強い。


「どけええええ!!」


 バキィイッ! ドゴンッ!!

 ビッグたちは立ち塞がる衛士たちを殴り飛ばす。

 装甲服を着ていてもその勢いは止められず、次々とふっ飛ばされていく。


「おらおら! ソイドファミリーのお通りだああああ!」


 中級構成員たちも元レッドハンターたちなので、遠慮なく戦気を出して衛士隊を蹴散らしていく。

 バッジョーに近いレベルの者が、ビッグを含めて一気に七人増えるのだ。これでは衛士隊はたまらない。

 しかも緊急事態ということは伝わっているので、すでに武装済みである。

 ある者は手甲で殴り、ある者は剣で切り裂き、大きな棍棒でまとめて吹っ飛ばす者もいる。

 使っているものは原始的な近接武器だが、武人が使えば恐るべき兵器となる。

 そして、このレベル帯となればビッグも活躍できる。


「ソイドファミリーの戦闘構成員が来たぞ!! 数を増やせ!」

「てめぇらなんぞに止められるかよおおお!!」


 ビッグが肩から体当たり。

 バッゴーーーンッ ドガシャッ


「ぐえっ!」


 交通事故かと思うような衝撃に吹き飛ばされ、衛士が置いてあった速射砲に当たって気を失う。




339話 「衛士隊 VS ソイドファミリー 後編」


「こいつっ!! これでもくらえ!!」


 それを見た衛士が、バズーカを持ってビッグに向けて発射。


 ヒューーーンッ ボンッ


 炸薬弾がビッグに直撃。

 普通は人間に対してバズーカを撃つという選択肢はあまりないが、相手がソイドファミリーの武人だと理解しているので躊躇はない。

 そして、撃たれた側の様子を見れば、その躊躇のなさも頷けるものだ。

 モクモクと舞い上がった煙が晴れると―――


「…いってぇ…な!! いきなりそんなもん、ぶっ放すんじゃねえ! つーか、なんだそりゃ? 派手なわりにあまり強くねぇな」


 ビッグはバズーカを片手で受け止めていた。手の平が多少黒ずんでいるが、ほとんどダメージはない。


「なっ! 効いていない…のか!?」

「効いたさ。痛いって言っただろうが。だが、【師匠】の一撃のほうが何倍もやばかったぜ!! こんなふうにな! おらぁあっ!!」

「う、うわあああっ! ごばぁっ!?」


 バズーカを撃った衛士は、ビッグの反撃の拳によって一撃でダウンする。

 貫通弾同様に炸薬弾とて脅威ではない。武人の肉体そのものが一般人とは違うし、戦気で数倍の防御力に膨れ上がるからだ。

 実際アンシュラオンも戦艦の砲撃をたやすく防いでいる。術式弾でなければ、通常の火薬を使ったものであってもダメージがほとんど通らないのである。

 この程度の炸薬弾ならば、ヤドイガニ亜種師匠の強烈な薙ぎ払いのほうが数十倍は強烈だ。

 もともと一般人と比べれば強かったビッグであるが、陽禅流の修練を積んで一回り強くなったらしい。あの地獄と比べるとすべてが生温く思えてくる。



「どけどけどけええええ! リトルはどこだ!!」


 ビッグたちは衛士隊の囲いを突破し、リトルを探す。


「若頭! あそこに拘束されています!」


 しばらく進むと、武器などが積まれた馬車の荷台に縄で縛られているリトルを発見した。

 その様子を見た『家族想い』のビッグは激怒し、猛然とダッシュ。


「てめぇら! 俺の弟に何しやがる!!」


 バキッ ドガッ


「ぐえっ!?」


 周りにいた衛士を殴り飛ばして弟を奪還。

 縄を解き、肩を揺する。


「おい、リトル! 無事か!! 俺だ! ビッグだ!!」

「う、ううん…に、にい…さん? いたっ…頭いたっ…」

「俺が来たからには、もう大丈夫だぞ! 何があった?」


 なんと頼もしい言葉だろう。こんなに格好いい台詞を吐ける男だったとは意外だ。

 弱い連中には強気。それがビッグという男である。


「うう…助かった…! よくわからないけど……なんか急に衛士がやってきて…工場を…」

「衛士が? なんでだ!?」

「訳がわからないよ…もう滅茶苦茶だ」

「そうか…。お前は安全な場所でゆっくり休め。俺が送り届けてやる」

「で、でも、工場が…僕の大切な工場が…! ニャンプルちゃんもいるのに…」

「この状況じゃ、どうしようもない。もうかなりヤバイことになっていやがる。非戦闘員のお前がいたんじゃ危ないだけだ。一度下がるしかないだろう。大丈夫だ。もうすぐ『あの人』がやってくるからな! 安心しろ!」

「…うん、そうだね。…任せるよ……がくっ」


 兄が来たことで安心したのか、また気を失った。

 これほどまでになってもニャンプルを心配するとは、リトルもなかなか気骨のある男だ。

 ニャンプルはもういないが。


「俺は一度下がる。この場は任せるぞ!」

「わかりました。お気をつけて!」


 弟を担いで、ビッグは一度騒動の場を後にする。

 自分がいなくなっても大丈夫だという確信があるからだ。





「ええい、何をやっている! まだ鎮圧できないのか!!」

「それが…相手はかなり手ごわく!」


 有利だった展開から一転して、再度劣勢に陥ったため、ミエルアイブが苛立ち始める。

 特に増援でやってきたソイドファミリーの中級構成員が厄介だ。

 明らかに工場の作業員とはレベルが違うし、衛士たちを次々と倒していく。


「ここで奪い返されたら意味がない! これでは領主様に怒られるではないか! というかファテロナ侍従長はどこに行ったのだ! 武人の相手はあの人の役目だろうに!」

「お姿が見えません!」

「ああ、もうっ! 煽るだけ煽って、あの人は! もういい! 戦車と速射砲を使え!」

「よ、よろしいのですか? あれは対艦用ですが…」

「やつらを見ただろう! あれが武人なのだ! 普通のやり方では止められん! それに対抗するための戦車であろう! 領主様のご命令だ! 我々に怖れるものはない! 今こそディングラスの御旗を掲げよ!」

「了解しました!」


 戦車の主砲や速射砲は対人ではなく、対戦車や対艦、あるいは大型魔獣を撃退するために存在するものだ。

 今回持ってきたのは実際に使うためではなく、壁の強度チェックや威圧のためである。領主としても本気の戦争を想定して持っていかせたわけではない。

 が、一度ヒートアップした流れは止められない。

 特に激しい戦いに慣れていない衛士隊は、極度の緊張状態に晒されると現実感がなくなって平静を失うものだ。そこで凶行に及んでしまう。

 下手をすれば城壁内部で内戦の勃発であるが、もうこのまま突っ走るしかない。



 キャタキャタキャタキャタ


 ミエルアイブの命令で戦車が動き出す。

 ウィーーンッ

 砲身が工場に向けられ、今度は本当に当てるために照準を定める。


「でかいもん持ち出しやがって! 潰してやれ!」


 それを見たソイドファミリーの中級構成員が戦車に向かっていく。

 戦車砲は直射とはいえ、近距離での対人使用には向いていないので、このままでは当たらないだろう。動きも丸見えだ。

 一般人では傷を付けるくらいが精一杯の装甲も、彼らが一斉に飛びかかれば労せず破壊することができるかもしれない。

 周囲に味方もいるので走り回ることも難しく、この状況での戦車は圧倒的に不利である。


 が、これは囮。


 ウィーンッ


 その構成員を狙って速射砲が照準を定めていた。

 この速射砲は最初に述べた通り、大破した駆逐艦から引っこ抜いたスクラップ品であるが、砲身を強引に半分に切り取ってあるため、比較的短い距離にも対応できるようにした改造品となっている。

 そのせいで威力と命中精度が相当落ちているが、従来の速射砲のように角度をつける必要がないので、戦車砲と同じく直射することが可能である。

 また、命中率が悪いことも相手が武人ならば案外悪いことではない。

 もともと素早い武人たちである。狙いすぎてしまえば射線を読まれ、簡単に回避されてしまうのだ。


 なので、かなり狙いをラフにして―――発射。


 ドンッ ドンッ ドンッ


 地球での速射砲は、一分間に四十発程度の弾を発射するものを指すことが多い。こちらも同じような機構で造られているので性能は似たようなものだ。

 この速射砲の場合は、一秒間に一発発射という性能なので、リズム良く撃ち出すことができる。


 ドバーーーンッ!!


 まずは一発目が着弾。

 予想通り、速射砲は構成員には当たらない。全員が避ける。

 しかし、地面にぶち当たった砲弾が激しい土砂を巻き上げ、彼らの行く手を塞ぐ。


 続いて二発目が着弾。

 今度は構成員をかすめるようにして、工場に命中。

 ドーーーーンッ

 工場の外壁が吹っ飛ぶ。命中箇所に大きな穴を穿ちながら、それ以上に大きな破壊痕を残す。


 続いて三発目が着弾。

 工場に当たったことで注意散漫になった大柄な構成員の男に命中。

 ドーーーーンッ


「ぐおおっ!!?」


 肩に当たった構成員が押され、吹っ飛んだ。

 そのままゴロゴロと転がっていく。


「ぐっ…! 肩が…!!」


 直撃した構成員を見ると、鎧の肩の部分が破壊され、肉が抉れて骨が剥き出しになっていた。骨も折れているようだ。

 だが、十センチ大の砲弾が当たったことを考えると、想像を絶する防御力である。

 速射砲の砲弾は一メートル近い長さがあるので、炸薬量も多い。常人ならば粉々に吹っ飛ぶところである。

 こんな連中がウヨウヨいるのだ。実に怖ろしい世界だと改めて痛感する。

 しかし、貫通弾が効かなかった彼らにも確実にダメージを与えられることが立証された。これは非常に大きな意味を持つ。



「いいぞ! 撃て、撃てぇえええ! 撃ちまくれ!!」


 ドン ドンッ ドンッッ!


 速射砲はそのまま撃ち続ける。それに加えて戦車も距離を取り、主砲を工場に向けて撃ち込んでいく。

 工場を奪還したいソイドファミリー側としては、これはあまり好ましくない状況だ。

 放っておけば工場が穴だらけの廃墟になってしまう。かといって正面から阻止するのは難しい。

 撃ってくるのは砲台だけではない。衛士たちも銃弾を撃ち続けて妨害してくる。

 戦気でガードすれば防げる貫通弾であるが、逆に言えば戦気を使わねば危険なのだ。常に防御を気にしていなければならない状況では、今度は攻撃が疎かになる。


 衛士隊の強みは、やはり【数】だ。


 こうしている間も衛士隊の増援部隊がやってきていた。数の差は広がっていく。

 総勢三十人(バッジョーが死んだので二十九人)のソイドファミリーに対し、衛士隊の総数は外周を含めれば三千人近くなり、上級街だけでも五百人以上はいるので数だけは多い。

 産業が少ないグラス・ギースでは、仕事がない男性が衛士になることが多く見受けられる。

 地球のアメリカなどでも、能がなく他に職がない者の最後の行き場所が軍隊、といわれるほどである。このグラス・ギースでも能力の有無にかかわらず、数だけはそろえるようにしてある。

 それゆえに武人の総数は極めて少ないのだが、武器が整えば戦力になることは立証済みだ。

 時折、術符での攻撃も飛んでくるので、上級衛士たちも本気で工場を潰すつもりのようだ。


 こうなるとソイドファミリーの構成員であっても、工場を盾にして篭城するしかない。

 入り口に滑り込むように退避すると、半数を工場内の奪還に回し、残りの三人で迎え撃つ形を作る。


「これでもくらえ!」


 ポイッ ころころっ ドーーーンッ!!

 構成員の男が大納魔射津を放り投げる。

 衛士たちは慌てて逃げたので、爆発は速射砲を上手く巻き込んだ。

 しかし、さすがは戦艦のパーツである。耐久力だけはかなりあるので、これくらいの衝撃では壊れることはなかった。振動で照準が狂った程度だ。

 やはり三人、しかもこの距離からでは応戦は難しいことがわかる。


「くっ、仕方ない。こうなれば『特攻』を仕掛けるしかないな。懐に入れば打開できる可能性は高まる」


 犠牲を覚悟で突っ切って、速射砲と戦車を破壊するしかない。

 もしかしたら誰か死ぬかもしれないが、途中でバッジョーの死体を見た彼らは覚悟を決めていた。

 これは本当の戦いなのだと。殺し合いなのだと。



 これは本物の―――【抗争】なのだと!!



 戦いのきっかけは何でもよい。溜まっていた不満が爆発することに理由はいらないのだ。

 もともと多くの問題を抱えている都市だ。マキやソブカのように不満を溜め込んでいる者も大勢いるだろう。

 いつどこで爆発してもおかしくない。今回の原因が、たまたまベルロアナだっただけのことである。

 一方のラングラスとて、ディングラスに対して不満がないわけではない。

 こうして攻撃を受ければ、四大市民の中で一番下に追いやられている彼らも大きな怒りを覚える。

 なぜかソイドファミリーだけを一方的に攻撃しているのだ。リトルのように怒らないほうがおかしいだろう。


「いくぞ! 俺が先に出て盾になるから、お前たちが砲台を叩け。組のために死ぬことは名誉だ。喜んで死のう!」

「…わかった。あとは任せろ」


 彼ら構成員も家族意識が強い面々である。ソイドファミリーに拾われた恩は忘れない。

 三人は死ぬ覚悟を決める。



 ドーーーンッ!



「今だ!」


 そして戦車が主砲を発射し終え、一瞬の隙が生まれた瞬間に飛び出す。


 ドォオーーーーーーーンッ!!


 だが、彼らが飛び出た瞬間に再び大きな音がしたため、思わず足が止まってしまう。

 このタイミングでは予想外のことだったからだ。誘いだったかと思い、防御を固めた。

 しかしながら砲弾が彼らに迫ることはなかった。



 むしろ―――逆。



 ドーーーンッ ドーーーーーンッ



「うわああああああ!!!」

「ぎゃああああああ!」


 音がするたびに衛士側の陣営で叫び声が響く。

 それと同時に大勢の衛士が、まるで紙ふぶきのように宙に舞っていくではないか。

 何かが衛士隊の間を移動しながら、彼らを吹き飛ばしているのだ。

 その状況をミエルアイブも把握する。


「なんだ! 何が起こった!!」

「わ、わかりません! なぜか急に空を飛んで…」

「馬鹿者! 人が空を飛ぶか!! しっかりと報告せんか!!」

「す、すみません!!」

「まったく、何が―――ぐぎゃっ!!」


 油断したミエルアイブが上から降ってきた衛士に押し潰される。

 絵本やアニメではないが、いつ空から豚が降ってくるかわからないものだ。人だって降ってくるかもしれない。注意を怠ったミエルアイブが悪い。


「ええい、どけ! 何があったのだ!」


 さすがミエルアイブ。身体だけは頑丈だ。下手をすれば骨折ものの衝突でもピンピンしている。

 そのミエルアイブが衛士を押しのけ、騒動が起こっている方向を見る。

 すると、衛士たちを蹴散らした者の姿が、ようやく確認できた。




「こんな玩具まで持ち出すとは…どういうつもりだ」




 そこにいたのは、ソイドビッグに似たソフトモヒカンの男。

 いや、逆だろう。ビッグが彼に似ているのだ。


 なにせ彼は―――





―――ソイドダディー





 なのだから。

 ソイドファミリーを怒らせればダディーがやってくる、とは有名な脅し文句だ。

 「熊の子供を襲うと親が仕返しにやってくる」のような言葉だが、まさにその通りのことが起きたのだ。

 子供の喧嘩に、ついに親が参戦である。


「げ、げぇえええ!! ソイドダディー!!!」

「てめぇ…その髭、たしかミエルアイブだったな。俺の組に手を出すとは、どういうつもりだぁああああああああああああああああああああああああああ!!」

「ぬぐうううっ!!」


 ビイイイイイインッ!!

 その恫喝に思わずミエルアイブが耳を塞ぐ。

 大きな声以上に威圧感が凄まじい。声で殴られたような気分である。

 怖い。非常に怖い。ビッグとは比べ物にならない存在感だ。これが成長した親というものだろうか。

 だが、ミエルアイブも遊びでここにいるわけではない。


「ええい! 怖れるな!! ソイドダディーもひっ捕らえろ!!」

「ああ? てめぇ、面白いこと言ったな、こら。やってみろ!!」

「う、撃て!! 戦車でも速射砲でもいい! 撃て撃て!!」

「りょ、了解です!」


 ウィーンッ

 速射砲がダディーを狙う。

 が、彼はそれを棒立ちで黙って見ている。よくドラマである「撃つなら撃ってみろ」状態である。

 ただし、彼の場合はハッタリではない。


 ドンッ ドンッ!!


 速射砲が発射。二発の砲弾がダディーに向かう。

 命中率が悪いので一発はダディーから逸れていくが、彼はあえてそれを―――殴る。


 グシャッ ドンッ


 飛んでいる砲弾を殴り、破壊。粉々になって消滅。


 続けて二発目の砲弾が迫る。今度は身体を捉えている。


 それに対しては―――掴む。


 バシッ ボンッ


 彼に掴まれただけで砲弾は跡形もなく消えていた。ビッグのように手の平も黒くなっていない。

 身体を覆う戦気が強すぎて砲弾のほうが消失してしまったのだ。さきほど速射砲の一撃で肩が抉れた構成員とは、明らかに格が違う。

 ダディーは手をパンパンとはたきながら、ミエルアイブを睨みつける。


「なんだよ、この玩具は? まさかこんなもんで調子に乗っているわけじゃないだろうな? ええ、おい!!」

「ひ、ひぃいい! 撃て、もっと撃て!」


 ドンドンッ ボンボンッ

 何度撃っても結果は変わらない。

 ダディーは迫り来る砲弾をすべて軽々と破壊し、ゆっくりと速射砲に近寄る。


 そして間合いに入ると拳を握り、虎破。


 グシャッ


 拳が大納魔射津にさえ耐えた装甲に入り込むと―――


 ボォオオオオオンッ


 力が砲台を突き抜け、殴った逆側が大きく破裂。速射砲は傾き崩れ、一瞬にして再びスクラップに成り下がった。




340話 「ラングラス最強とディングラス最強 前編」


 ウィーン

 今度は戦車がダディーに砲身を向ける。

 戦車砲の威力は速射砲を上回る。口径もこちらのほうが大きいので、討滅級以下の大型魔獣にも十分通用するだろう。


 ドンッ


 発射。

 ダディーはまたもや、よけない。

 だがしかし、これも当然ながら―――


「ぬるいんだよ!!」


 ぐしゃっ ボンッ

 着弾のポイントを正確にアッパーカットで打ち抜き、破砕。戦車砲も簡単に防いだ。

 砲弾の速度を完全に見切る目、一点を狙う攻撃の質の高さ、大きな見た目通りの溢れるパワー。

 肉体の強さ、戦気の質、戦闘経験値、どれもが非常に高いレベルにある。まさにラングラス最大の武闘派組長に相応しい力だ。


 そして、ラングラス最強の武人にかかれば、戦車の装甲もやわいものである。


 接近したダディーは砲身を掴むと―――


 めきょぉおおっ バチンッ!!


 強引に捻じ曲げ、引きちぎる。

 鉄鋼製の戦車砲を腕力だけでちぎる。まさに力技である。


「はっ!!」


 ボゴーーーンッ

 再び虎破。真下に正拳突きを打ち込む。

 拳は戦車の装甲を貫通して、突き抜けた衝撃で中にいた衛士が全身を打ち砕かれて死亡。

 さらにそのまま力を入れて持ち上げ―――宙に軽々と放り投げた。


 ひゅーーーん ドゴンッ!!


 戦車は逆さまに地面に落下。ひっくり返った亀のように身動きが取れなくなる。

 こうして、いともたやすく衛士隊の切り札を無力化。速射砲も戦車もまるで役に立たない。


 その光景にミエルアイブは、目が飛び出さんばかりに驚愕。


「ひ、ひぃいいいいっ!! ちょっと、なにあれ!! 反則じゃないの!?!」

「言っただろう。玩具だとな。こんなもんが通じるほど、俺らの世界は甘かねぇんだよ。本気でやるなら、せめて戦艦くらい持ってきな」


 なぜこの世界の人間が剣を持つのか。素手で戦うのか。

 理由は簡単だ。銃や砲台よりも拳や剣のほうが強いからだ。

 それは戦車や戦艦などの近代兵器とて例外ではない。アンシュラオンほどの武人ともなれば単独で戦艦を撃沈させることも容易である。

 たとえば覇王流星掌を受ければ、複数の艦を一瞬で潰すこともできるだろう。


 人間の可能性をとことん追求した存在。

 それこそが【武人】なのである。


 ソイドダディーのレベルともなれば戦車とて脅威にはならない。

 これも逆に考えれば、東大陸にいる魔獣は戦艦よりも脅威なのである。戦艦程度ならばデアンカ・ギースでも簡単に破壊するだろう。

 とはいえ西側の高性能戦艦になれば高出力の障壁やら、高位の術式弾も搭載している可能性があるので油断はできない。一発数十億円もする術式弾ならば、普通の武人ならば簡単に焼き殺すこともできる。

 このあたりも両者ともにピンキリである。

 最低でもダディークラスの実力者でないと対応は難しい一方、パミエルキならば高位術式弾でも簡単に弾くだろう。




 こうしてダディーは、衛士隊の相手を一手に引き受ける。

 彼が来たことで工場に立て篭もっていた構成員も安堵していることだろう。

 しかしダディーにしてみても、突然の惨状に戸惑いの感情のほうが強いようだ。


(ちっ、バッジョーが死んでやがる。俺も殺しちまったし、死人まで出たら後には引けないぞ)


 ダディーもバッジョーの死体を発見。あからさまに目立つところに置いてあるのは、殺した人間の悪意だろう。おそらく挑発だ。

 大事な構成員を殺されたのだ。組長として黙っているわけにはいかない。

 一方の衛士隊にも死者が出ているので、どんな結果になろうとも禍根は残る。仲間が殺されれば誰とて怒るものだろう。


「ミエルアイブ、どういうつもりだ! どうして衛士隊が工場を襲っている! 答え次第じゃ、ただで済ますわけにはいかねぇぞ。こっちは組員に死人も出ているんだ。その償いがてめぇの首一つで足りると思うなよ。文字通りにねじ切るって意味だぜ」

「くっ! 戦車を潰したからといって、いい気になるものでないぞ! これは領主様のご命令だ! 貴様こそディングラスに逆らうのか!」

「領主の…? そりゃ衛士隊が勝手に動くわけはないが…領主が俺らに喧嘩を売る理由なんてないだろうが」

「問答無用である! 麻薬を取り締まることに理由はいらん! おとなしく降伏せよ!」

「状況を見て物を言え。降伏するのはお前たちのほうだ。領主の命令なら領主の詫びが入らないと済まねぇぞ」

「詫びを入れるべきは貴様らのほうである!! 理由は言えんがな!!」

「理由がわからなければ詫びようもないだろうが。…ちっ、悪いときには悪いことが重なるもんだぜ。禊《みそぎ》も済ませていない間に、また問題が起こるとはな…」


 プライリーラにホワイト制裁の権利を奪われ、行き場のない怒りと焦りを感じていた矢先である。

 ソイドファミリーにしてみれば他派閥に加えてディングラスにまで攻撃され、踏んだり蹴ったりの最悪の状況といえるだろう。

 それもこれもアンシュラオンに関わったからだ。まさに疫病神。災厄である。


(どうする? ここで衛士隊を潰すわけにはいかねえ。殺しすぎると、また話が面倒になる。かといって、やられっ放しじゃ面子が立たねぇ。どこかで落としどころを探さないと…)


 衛士隊が一方的にどこかの派閥を攻撃するなど、今まではなかったことだ。

 それが起きた以上、何かしらの原因があるはずだ。だが、仇をとらないまま終わるわけにもいかない。それでは組として成り立たない。


 その狭間でダディーが迷っていた時である。




「っ―――!!!」



 ぶんっ!!!

 ソイドダディーが突然、まったく後ろを見ないで背後に裏拳を放つ。

 さすが巨体なだけあり、放たれる豪腕の空圧によって砂煙が起きるほどだ。その圧力に、前方にいたミエルアイブが思わず飛び退くのが見える。

 もちろん誰にも当たっていない。大気を弾き飛ばしただけである。


 ぽたぽた


 しかし、ダディーの腕からは血が流れていた。地面に数滴、赤い血が落ちる。


 見ると、腕には―――【切り傷】。


 銃弾や砲撃でさえ傷つかない彼の鋼鉄の肉体である。簡単に切れるようなものではない。

 それが傷つくとなれば、それ相応の原因があってしかるべきだ。


「…また面倒なのがいやがるな」


 ダディーが振り返ると、そこにはいつの間にかファテロナがいた。

 そう、この戦場においてダディーは強者であるが、残念ながら一強ではない。

 有力な対抗馬、あるいはトラブルメーカーと呼べる悪魔がいる。いきなり隣の馬に噛み付き、レースを滅茶苦茶にしかねない凶暴な存在だ。


「あら、よく気がつきましたね。さすがはソイドダディー様。お噂に違わぬ実力です」

「そんだけ殺気を出していればわかるさ」

「それはそれは未熟でございました。少々興奮してしまったようです。なにせこれだけ大きな猪は久しぶりなものですから」

「忘れたのか? うちの家紋はジャガーだぜ。猪と一緒にするな」

「では、大きな猫さんでございますね。うふふ、刺したら可愛く鳴いてくださいね。にゃーご♪」


 ファテロナが可愛く猫の声真似をするが、ダディーはそれどころではない。

 彼女がいるとなれば危険度は一気に跳ね上がる。


(『毒殺のファテロナ』…か。今の一撃に毒はなかったようだが…挨拶代わりの一発ってわけか。なめてくれるぜ)


 ダディーが筋肉操作で傷を塞ぐ。今のところ体内に毒が侵入した形跡はない。

 やろうと思えばできたはずなので、彼女も全力で殺しにきたわけではないようだ。

 だが、親愛の気持ちを込めたわけでもない。これからの戦いを想像して興奮しているだけのようだ。

 噂の異名だけを知っていて実際に相対したことはないが、一撃受けただけでファテロナの実力がわかる。間違いなく達人である。


(まだ若いくせに、ここに来る前は随分と暗殺稼業で鳴らしていたと聞く。たしかにヤバイ感じがビンビンしやがる。しかも【戦闘モード】かよ。どうやら領主の命令ってのはマジらしいな)


 ファテロナの格好はバッジョーを殺した時とは違っていた。どうやら離れていた間に着替えたようだ。

 同じメイド服ではあるのだが、いつもとは少しデザインが違って、微妙にゴツゴツと膨らんでいるところがいくつか見受けられる。

 また、短い刀身の暗殺ナイフではなく、脇差くらいの長さ六十センチ程度の小剣を持っている。

 その切っ先には赤い液体、血が付着していた。ソイドダディーの腕を切り裂いたときに付いたものである。


 普段なかなか見ないが、これこそ彼女の『戦闘用装備』である。


 ハングラスほどではないが領主も金を持っている。不動産というあこぎな商売をしているのだ。何もしないでも金は入る。

 その大半が軍事力に割かれるため、戦車や速射砲同様、武人の装備に力を入れるのも当然のことであろうか。

 『戦闘用メイド服』の内部には術式で強化された装甲版が入っており、薄い見た目に反してミエルアイブたちが使っている装甲服に劣らない物理防御力を持つ。

 さらに防御術式ジュエルも内蔵しているため、非常に強固な防御障壁を『生み出し続ける』ことが可能で、術式攻撃にもかなりの耐性を持っている。

 小剣も彼女の能力を最大限に発揮できるようにと、アズ・アクスの鍛冶職人に依頼して作ってもらった特注品である。


 小剣に刻まれた銘は―――「V・F」。


 そう、アンシュラオンの包丁と同じ鍛冶職人が作ったものである。

 ただし包丁とは目的が違う。こちらは人を殺すためだけに打たれたものであり、造りそのものが異なる。

 ランク的には準魔剣に匹敵するので、いわばソブカが使っている火聯《ひれん》の兄弟剣のようなものといえる逸品だ。

 さきほどの一撃も、そう力を入れていないにもかかわらず、ダディーの肉体を簡単に切ることができた。

 非力な暗殺者の彼女にとっては実に心強い武器となるだろう。


 これだけの相手がフル装備となると、いくらダディーでも簡単にはいかない。



「まさかこの『イカれ女』までいるとは…とことんやるつもりかよ」

「イカれ女とは酷いです。私はいつだって真面目で本気に生きています。そう、お嬢様への愛情によってのみ生きているのです!!!」

「いつも一方通行だろうに」

「それがよいのではありませんか。若干私を嫌っているけど時々依存してしまう、お嬢様のあのお姿…。反省をすっかりと忘れて、同じミスを何度も繰り返す、あの魅惑のお姿…はぁぁああ、ふひひひ、スバラシーーーー!! モエルーー! あんな馬鹿、見たことねーーーーー!! サイコーーーー!」

「完全にディスっているようにしか聴こえんがな…」

「いえいえ、これは褒め言葉なのです!! 私はそんなお馬鹿なお嬢様のためならば、命を捨てることさえも厭わないのです! ええ、それが愛なのです!! そして、私の愛するお嬢様を【麻薬漬け】にしたあなた方を許すわけにはまいりません!! ビバッ! ジャスティス!! これは正義の剣! YEH!」

「ファテロナ侍従長ぅうううううううううううう!! ストゥゥウウウプッ!!!」

「なんですか? 髭野郎」

「それは機密事項ですぞ!! 絶対に話してはいけないことです!!! …ん? 髭野郎?」

「私ではありません。この剣がしゃべったのです」

「しっかりと口が動いていたではありませんか!!」

「仕方ありません!! 正義の心が燃え滾る情熱を! パトスを吐き出すのですよおおおお!! お嬢様が麻薬でズンドコーーーーー!!」

「ひーーーーーー!! やめてぇええええええええ!」


 剣がしゃべったとかいう話はどうなっただろう? などと訊いてはいけない。

 これがファテロナの日常だ。まともに相手をすると頭がおかしくなる。

 ダディーも「マジで(頭の)ヤバイやつにあたっちまったな」と相当引いている。

 しかし、ファテロナの魂のシャウトで合点がいく。


(ベルロアナに麻薬がいったのか? だから激怒したってわけか…。だが、そんな阿呆がうちの売人にいるのか? どんな手違いだ。運が悪すぎるだろうが。とことん最悪だな)


 ダディーも領主の子煩悩は知っている。遅くなって出来た子であるし、妻のキャロアニーセによく似たベルロアナは目に入れても痛くないほどだ。

 自分も同じく家族想いかつ、息子たちのことは心から愛している。だからこそ気持ちはわかる。女の子ならばなおさら心配だろう。

 しかし、あまりに横暴。強引である。

 いくら娘のためとはいえ、ラングラスにこれほどの攻撃を仕掛けるとなれば、領主の中に「ある程度の覚悟」があることを示している。


(領主がラングラスを【見限った】ってことか。やべぇ、このままじゃラングラスは一人負けだ。ディングラスまで敵にしたら終わりだ。四面楚歌じゃ勝ち目はない)


 衛士隊と戦うということは領主と争う、つまりはディングラスと揉めるということだ。

 四大会議でも示されたように、すでにラングラスは厳しい立場に追い込まれている。そこにきて領主の反感を買うことは最低の流れだ。

 まさに四面楚歌。


 他の四つの勢力から包囲される【四対一】、という構図が成り立つ。


 実際はハングラスが戦闘力を失い、プライリーラがアンシュラオンに負けたことでジングラスも脱落しているので、ディングラスとマングラス対ラングラス、という【二対一】の状況なのだが、こればかりはダディーが知る由もないことだ。

 ただし、仮に後者であっても最悪であることには変わらない。

 グマシカは有利なほうに味方するはずなので、あえて負け組濃厚のラングラスを助けるわけもない。

 せいぜい仲介を申し出るくらいだろう。

 そして、その仲介が問題となる。ラングラスの力をごっそりと奪う、あるいは大きな貸しを与えるような内容になるはずだ。

 そうなればラングラスはマングラスの舎弟に成り下がる。それだけは避けねばならない。


(こんなところで躓いてたまるかよ!! この女を殺してでも勝たないといけねえ! そうだ。勝ったもんが道理を決める! それが自然界のルールだ!!)


 相手がやる気ならば、こちらも全力で相手をするしかない。


 この最悪の状況を打開する唯一の道が【ディングラス最強】のファテロナを倒すことのみ。


 ラングラスが強いのだと見せ付けるしかないのだ。

 実に動物的な考え方だが、力ある者が上に立つのが、あらゆる世に共通する絶対のルールである。



 こうして何の因果か、ラングラス最強とディングラス最強の武人が激突するのであった。




341話 「ラングラス最強とディングラス最強 中編」


 ソイドダディーも瞬時に本気の戦闘モードに入る。静かな中に熱い闘志が燃え、体表を力強い戦気が覆う。

 頭がおかしいとはいえ、ファテロナは実力的には都市でトップクラスの達人である。

 彼女が装備を整えたならば、こちらも素手だけで対応することは難しい。

 何よりも『毒』が危険だ。一つの浅い傷から全身に回る。かすり傷一つさえ許されない戦いになるだろう。

 それに対抗するため押入れ君から『鉤爪』を取り出すと、両手に装備。

 篭手と爪が合体したような頑強なもので、武器にも防具にもなりそうなものだ。これがダディーの戦闘用のメインウェポンである。

 素手であれだけ強い彼が武器を持てば、さらに強くなるのは道理である。それだけファテロナが強いことを認めた証であった。


「確認しとくが、てめぇらが引くっていう選択肢はないのか?」

「そんなつまらないことをしても誰も喜びません。周りをごらんください。ショーを楽しみにしている方々で溢れかえっております。返り血を浴び、自ら死んでもよいと思っている勇気あるモッサッ(猛者)!たちを、歓喜の饗宴《きょうえん》で真っ赤に染めてやりましょうぞ! ソーワンダフォー! ヒーコー(コーヒー)プリーズ!!! ゲッツモーニンッ(やっぱりモーニングセットください)!!!」


 もう補足が入らなければ意味が通じないようになってきた。いや、注釈が入っても意味がわからない。ヤバイ兆候だ。

 テンションが上がると会話すら難しくなる。それがファテロナクオリティーである。


「ああ、そうだったな。お前はそういう狂ったやつだったよ。まるでホワイトみたいなやつだ」

「ありがとうございます」

「褒めてねぇ―――よっ!!」


 話し合いの価値すらないことがわかったので、ダディーから突っ込む。


(暗殺者相手に後手に回るのはまずい。こっちからいく!)


 暗殺者は多彩な技を持っているので、それに翻弄されて相手のペースになるのが一番怖い。

 ならば、こちらから攻めるのが常套手段である。

 アンシュラオンのように余裕で待ち受けるなど普通はできないので、攻め続けることで逆に後手に回らせるのだ。

 身体中に戦気を放出させ、圧縮した力を一気に爆発。弾丸のように突っ込んでいく。


 そして、間合いに入ったファテロナに鉤爪の一撃を振るう!


 スピード型のファテロナとパワー型のダディーでは、性質が正反対だ。

 やはりスピードに長けた武人は体力に劣る傾向にあるので、戦車すら簡単に破壊する攻撃をまともにくらえばノックアウトである。

 むろん、それが当たれば、であるが。


 スススッ スススッ


 ファテロナは『すり足』のように大地に足をすり付けながらも、そのまま流れるように高速で動いていく。

 その姿はまるで氷の上でスケートをしているかのように滑らかで、摩擦など一切存在していない様相である。

 暗殺術、『忍足《しのびあし》』。

 音を立てないように歩くことを忍び足というが、この技も実際に音がしないので意味合いとしては同じであろうか。

 原理としてはアンシュラオンやアル先生が、足の裏に命気あるいは戦気を放出して移動するのと似ているのだが、暗殺術の忍足は『ステップ』でもあり、これ自体が回避運動を兼ねたものになっている。

 また、暗殺者の資質がないと使えないので、ほぼ忍者か密偵、暗殺者専用の技である。


 ススススッ ブーンッ スカッ


 迫りくる鉤爪を華麗にかわす。

 このあたりはスピード重視の本領発揮だろう。焦ることなく冷静に回避する。

 だが、ダディーにしても一発で当たるとは思っていない。


「おおおおっ!!」


 ダディーの追い討ち。両手の鉤爪で連続攻撃を放つ。


 ブンブンブンブンッ スススススッ シュルリッ


 当たれば大ダメージ必至の攻撃が鋭く繰り返されるが、フィギュアスケートのジャンプのように回転しながら、連撃をすべて紙一重でかわしていく。


 それどころか回避した瞬間にカウンター、一閃。


 ズバシュッーーッ! ガキィイインッ


 ダディーの首に向かって鋭い一撃が放たれる。それを篭手の部分で受け流すも、本気で頚動脈を狙った一撃に肝を冷やす。

 ファテロナは回避も速いが攻撃も速い。小剣という小振りの武器を装備しているのも素早さを生かすためだ。

 対するダディーはパワー型なので初動はかなり鈍い部類に入る。筋肉モリモリゆえに、どうしてもモーションが大きくなるのだ。

 このタイミングで防げたのは、武器としては比較的軽い鉤爪だったからであろう。こうした武器は手の延長感覚で扱えるのも利点である。



 ブンブンッ スカッ ガキィイインッ

 ブンブンッ スカッ ガキィイインッ

 ブンブンッ スカッ ガキィイインッ



 ダディーが攻撃し、それをファテロナが避けながらカウンターを入れるという攻防がしばし続く。



「うふふっ、やはり少しは楽しめますね」


 ファテロナには相当な余裕が見て取れる。

 まだお互いに様子を見ている段階だ。それぞれの攻撃に危険な要素があるので迂闊に飛び込めないという事情もある。

 だが、そういったことを差し置いても、ファテロナの表情が気に入らない。


(遊び感覚かよ、このやろう。同じく流れもんだが、立場も責任もまったく違うな)


 ダディーは義理堅い性格なこともあり、自分を拾ってくれたラングラスに強い愛情を感じている。

 四大会議でホワイト討伐を志願したように、そのためならば死んでもいいと思ったのは本音だ。

 しかし、ファテロナは享楽のみで生きている。領主への態度を見ていればわかるが、ディングラスへの忠義はない。

 たまたまベルロアナを気に入った、という理由で従っているにすぎない。

 もちろん変人には変人の矜持が存在するので、彼女もイタ嬢のためならば死んでもいいと本当に思っていることだろうが、背負っているものの大きさや重さはダディーと比べられない。


「なめるなよ!! こっちは組を背負ってんだ!! ラングラスを背負ってんだよ!!」


 ブオオオオオオッ

 強い精神エネルギーが力となり、激しい戦気がダディーを包む。

 それと同時に鉤爪が燃えるように光り輝き、膨大な戦気に包まれる。


「うおおおおおおお!」


 そこからのラッシュ。鉤爪の性質を利用して、引っ掻くように攻撃を繰り出していく。

 スス ススッ

 ファテロナは再び忍足でかわす。さすがに暗殺者だけあって回避は得意中の得意だ。まるで当たる気配がない。


 しかし、鉤爪が―――さらに肥大化。


 一回り以上大きくなったと思ったら、攻撃の瞬間に周囲に【火花】を撒き散らす。


 ジュオオオッ ボボッ


 その火花に触れたメイド服が焼け焦げた。『火耐性』が付与されている服が、あっさりと燃えている。


 覇王技、雷火宴武爪《らいかえんぶそう》。

 戦気で生み出した爪で攻撃しつつ、その際に【雷火】を撒き散らして追加ダメージを与える技だ。

 アンシュラオンがよく使う蒸滅禽爪《じょうめつきんそう》と同じ系列の技であるが、こちらは因子レベル2の技で完全なる下位互換となっている。

 ただ、火と雷の複合属性なので、因子レベル2とはいえ攻撃力は高い技だ。

 こうして連撃で使えば周囲を巻き込んでダメージを与えられるので、素早い敵や数が多い場合に有用だろう。

 戦気が強いため防御が弱い相手ならば、雷火だけで十分倒すことも可能だ。このあたりの技の選択も熟練した武人であることをうかがわせる。


 また、彼が使っているのは、あくまで覇王技である。

 ダディーは鉤爪という武器を使っているので、剣気を放出してもいいように思えるが、残念ながら彼の剣士因子は一般人に近いレベルの「0」である。

 剣気を出しても戦気と大差がないので、鉤爪を使うのは拳の補強を目的としたものでしかない。

 まさに生粋の肉弾戦ファイター。すべての因子が身体強化にのみ使われている状況である。

 もともとのパワーが強ければ剣気の強化をしなくても強いので問題はないわけだ。むしろ武器に頼らない分だけ自由に動ける。



 じゅっ ジュウッ


 メイド服が焼ける。攻撃の余波が強くなったため、ファテロナが完全に回避できなくなる。

 しかし、暗殺者の本領はここからだ。


 ズブブブッ


 ファテロナが地面に吸い込まれるように消えた。

 アンシュラオンとの戦いでも使った『影隠《かげかくれ》』である。


(これだから暗殺者はよ! どうなってんだ!)


 相手が消えてしまえば、どんな相手でも攻撃のしようがない。

 暗殺者のスキルラインは完全に独立しており、他の系統とは異質なものとなっている。

 一説によれば無意識に術式を併用しているという話もあるので、半分は術者と考えてよいのかもしれない。だからこそ奇妙な技が多いのだ。

 そして、これが非常に厄介である。

 通常戦闘では対応できないことが多くなり、多少の実力差くらいは簡単に覆してしまう。

 暗殺者が『暗殺』を多用するのは、そうしたスキルが充実しているからだ。違う視点で見れば、彼らは暗殺という手段を使うしか生き残る道がなかったのだろう。

 因子の覚醒が『半端』な者が暗殺者になるといわれているくらいだ。戦士にも剣士にもなれない器用貧乏と揶揄されることもある。


 ただし、もしうっかり条件が噛み合えば―――【脅威】となる。


 特殊なスキルを使いながら、パワーやスピードにも長ける『特異種』が生まれかねない。歴史に名を残す暗殺者の多くが、そうした特異な存在であった。

 そしてファテロナも、術士の因子を持つ『ハイブリッド〈混血因子〉』である。

 ぱっと見ると彼女の因子レベルは「剣士2」「術士1」と低く見えるかもしれないが、ハイブリッドならば、この数値は二倍以上になると考えたほうがいい。

 本気になれば「剣士4」「術士2」程度の力を、『劣化なく扱う』ことができるのだ。それはまさに脅威となる。


 ズズズッ


 とはいえ、その者の頭がおかしければ意味不明なこともする。

 ファテロナが出現した場所は、なぜかミエルアイブの後ろであった。


「えええええっ!? どこから出てくるのですか!! なぜここに!?」

「暴漢に襲われています。怖い。助けて」

「自分はあなたのほうが怖いです!!」

「油断してはなりません! 来ますよ!!」

「来るって言われても…どわわ!!」


 ミエルアイブが慌てて屈むと、そこにダディーの拳衝が飛んできた。

 ドゴーーン

 背後にあった武器運搬用馬車が吹っ飛ぶ。拳の衝撃波だけでこの威力だ。当たれば一般人なら即死である。


「惜しかったですね」

「何がですか!? 巻き込まないでいただきたい!」

「そんな髭では女性にモテませんよ。ファックユーッ!!! ザクッ」

「あー、髭が切れた!! なぜ斬ったのです!!」

「これが私の愛情表現なのです!!!」

「もう来ないでください!!!」


 慌てて逃げ出したミエルアイブは、切れた髭を懸命に接着剤でくっつけている。彼の硬い髭はこうして生まれたのだろう。

 このやり取りはまったく不要で不毛である。テレビ番組だったら編集で容赦なくカットだ。

 だが、真面目な戦いの最中でもフリーダムに動くのが彼女の生きざまであった。



「ふざけたやつだ! やる気があるのか!」

「私はいつでもやる気満々です。では、ご要望に従い、そろそろギアを上げてまいりましょうか」


 ファテロナは、お返しとばかりに剣衝を放つ。

 ただし普通の剣衝ではない。放たれた剣圧が水の刃に変化し、ダディーに襲いかかる。

 ダディーは肥大化した雷火爪で防御。


 バジュウウンッ!! どんっ!


 水と火が属性反発を起こして膨張、腕が押される。

 その間にファテロナが一気に加速して突っ込んでくる。


 ズバババババッ! ざしゅっ ズバッ!


 生粋の剣士かと見まごうばかりの華麗な剣技が炸裂。

 細かい剣の動きが不規則な乱舞のような剣閃となり、ダディーの身体を切り裂いていく。

 いつの間にか刀身には風の力が宿っている。風で加速された剣だからこそ、この速度が出るのだ。


(こいつがファテロナの『属性剣』か。術士の因子があるってのは本当らしいな)


 ファテロナはハイブリッドなので理屈上は術も扱うことができるが、因子があるからといって誰もが自在に術式を組めるわけではない。

 実際に何の補助具もなく術を発動させるのは難しいものだ。大半の術士も何かしらの術具をブースターとして利用しているのが現状である。

 ファテロナの場合、直接放つ術式は得意ではないが、その代わりに武器を媒体にして各種属性を発動させることができる。

 この世界では『属性剣』と呼ばれるが、いわゆるRPGでいうところの『魔法剣』である。

 系統としては『化紋《かもん》』という属性付与の補助術式に該当する。

 グランハムも術符を使う『術符剣士』であったが、彼女の場合はいちいち術符を使わずとも自在に属性を変化させられるので、時間を置かず即座に技の性質を変えることができる。

 武人の戦いにおいては一瞬の時間すら惜しい。術符を取り出さずに化紋が使えるのは相当な利点だ。


(だが、属性剣を使っている間は毒が使えないようだな。むしろありがたいぜ)


 ファテロナは『火水風雷』の四属性の属性剣を使えるが、何事にもデメリットはあるものだ。この間は毒は使えない。

 ダディーが見抜いたように毒も属性の一つなので、同時に扱うのは難しいわけだ。

 もともとこの技は、毒が効かない相手や特定の属性に弱い者、あるいは強敵相手にペースを掴むために繰り出すものである。

 こうして速い攻撃で相手を翻弄し、最後はお得意の毒で決めるのが彼女の強者用の必殺パターンなのだ。




342話 「ラングラス最強とディングラス最強 後編」


 ファテロナは属性剣を使いながら、ダディーを押し込んでいく。

 非力な彼女ではあるが、剣の質の良さと属性強化によって切り傷を付けられるようになっている。

 そして、どこかで毒を入れるタイミングを計っているはずだ。

 浅い傷では致命傷に至る前に対処されるので、強撃を入れて深く毒を注入させようと考えているのだ。


 その時である。


 ブンッ!


 ダディーが剣撃の隙間に強引に拳を伸ばした。

 無理やり突破して乱打戦に持ち込もうと思ったのだろう。力勝負になればダディーの勝利は間違いないのだ。

 ただ、ファテロナからしてみれば、この不用意な行動は完全なるミスに映る。


(置きにきましたね!! そこがラッキぃいいいーーーーセブン!!! 流し打ちのチャンスなのですよぉおおおおおお!! ウィッヒーーー!!)


 きわどい球をすべてカットして投手を焦らせ、ストライクを置きにきた甘い球を叩く。狙い通りの行動だ。

 ホームランバッターならば強振なのだろうが、ファテロナは一番や二番を担当するようなスピードタイプなので流し打ちと表現したのだろう。

 なぜか野球を知っているファテロナ。侮れない女性である。


 すかさずファテロナは強撃の構え。最高の一撃を出すために体勢を整える。


 ここで野球のたとえを出したのは、べつに野球好きだからではない。

 剣での攻撃がバット同様、【芯】に当てることが重要だからだ。

 非力な人間でも、バットの真芯でボールを捉えればホームランになるように、剣にも芯と呼べる部分が存在する。

 その芯の部分を鋭い角度でタイミング良く当てると驚くほど簡単に切れるのだ。

 パワーがあればもっといいが、スピードとタイミングだけでも十分な威力が生まれる。

 これもRPGでいうところの「会心の一撃」であろうか。ヒットすれば通常攻撃でも『防御無視』効果が発生するのだ。

 強い武人というのは、そういった知識も理解しているものである。同時に、そういったところで差を生み出すものだ。


 ここだ。このタイミングだ。


 ファテロナは剣に毒を満たし、渾身の力で切り下ろす。


 シュパッ!!


 大気を裂く閃光が走り、ダディーの腕に向かっていく。

 もしこれがヒットすれば腕が飛ぶかはわからないが、ひとまず大きなダメージを与えられるはずだ。

 それだけ深く刺されば毒も致命傷になる。その段階で終わりだ。

 ファテロナは自分のペースに持ち込んだ。そこで必殺の毒を使った。まさに計画通りであった。


 だがしかし、しかしである。


 ソイドダディーがなぜラングラス最強と呼ばれるのか、その理由がわかるだろうか。

 ほぼ単身でラングラスの武を担ってきた男である。のし上がってきた男である。

 そんな無骨な男が闘争によって練り上げてきた力は、伊達ではない!!




―――ガィインンッ!!




 剣が―――弾かれる。


 最高のタイミング、最高のスピードで入ったはずの剣が、弾かれてしまった。

 まるで金属同士が当たったかのような硬質的な音がし、剣を持った腕が強く痺れた。


(―――っ!! 斬れない!? 硬いっ!)


 この現象にはファテロナも困惑。いつもよりちょっと真面目な顔になった。

 攻撃はたしかに防具のない腕にヒットしている。彼女は本気で腕を切り落とそうとしたのだ。

 だが、直撃したはずの刃は、通らない。

 そうなれば当然、今度は反撃が生まれる。


 ダディーの鉤爪がそのまま振り払われ―――



 ザクウウッ!!



 ファテロナの胸にヒット。



「くっ!!」


 ファテロナは一度後退。バックステップで間合いを取る。

 ボタボタッ ボタタッ

 その際に彼女から血が飛び散り、地面に赤い染みを作っていった。

 見れば、白いメイド服の胸部が装甲版ごと切り裂かれ、真っ赤に染まっているではないか。

 なんてことはない。ダディーからしてみれば装甲服など無意味で無価値なのだ。

 彼のパワーから繰り出される一撃は、いともたやすくファテロナの身体を切り裂ける。相打ちになっても彼が勝つわけだ。



「随分と硬い腕をお持ちのようですね。おみそれいたしました」


 ファテロナは傷ついた自身の胸をまさぐりながら、ダディーを熱い視線で見つめる。

 筋肉操作で乳房を硬質化させていたこともあり、それがクッションとなって心臓を守ったようである。


「腕だけじゃねえ。全身だ。今後はてめぇの攻撃なんぞ通らないと思え」

「それはそれは。殿方の身体が硬いのは素晴らしいことです。きっと下半身も硬いのでしょうね」

「当然だ。なんなら試してみろよ」

「ふふ、さすがソイドダディー様。貫禄がございます」


 息子二人の父親である。その程度の言葉には動じない。


 ギラギラ


 そしてなんと、ソイドダディーの皮膚が【黒光り】しているではないか!

 盛り上がった肉がテラテラと黒く輝き、その力強さをこれでもかと主張している。まるで油を塗って日焼けしたボディービルダーである。

 けっして卑猥な表現ではない。ファテロナの発言と相まって誤解されるかもしれないが、そういう意味ではない。


 これは―――『皮膚硬質化』。


 ダディーが持っているスキルの一つであるが、ユニークスキルではなく一般スキルだ。一部の魔獣などにもこうしたスキルを持つものがいる。

 このスキルは文字通り、身体の体表を硬質化させるものである。

 武人はもともと肉体操作ができるので、アンシュラオンが局部を硬くしたように、身体を硬化させて防御力を高めることが可能だ。

 これはそれをさらに強化するものだと思えばいいだろうか。一時的に皮膚の硬質化を強めることで身体全体を魔獣の鱗のようにしてしまうわけだ。

 それによって重い鎧などを着なくても、身軽なまま防御力を維持できる便利なスキルである。


 使っている間はBPが減り続けるデメリットもあるが、それ以上の最大のメリットが―――『防御力貫通不可』を一時的に与えることだ。


 一時的にではあってもクリティカル攻撃をすべて無効化し、さらに防御力も高める鉄壁スキル、というわけだ。

 これはファテロナにとっては、特に非常にまずい能力である。

 こうなるとダディー自体の耐久力が高いので、彼女程度の攻撃力では、いくら属性剣を使っていても貫通は無理だと言っているようなものだ。


「てめぇは俺には勝てねぇ。背負っているものが違うからな」

「…たしかにこのままでは勝てそうもございませんね」


 ファテロナがいくら攻撃をしてもダメージが与えられない。

 そうなれば持久戦となり、体力的に劣る彼女の負けは必至である。



 だが―――これでヒートアップ。



 まだ力を全部出していないのはファテロナも同じことである。



「いい、イイですね! いいですよ! これでこそ私の血も燃えてくるというものです。あーー、熱い…アツイ!! アツイヨーーー!! ママーーーー!! うふふふ、アハァアアア!!!」



 ガシャンッ ブスブスッ

 ファテロナが剣の柄を強く握り込むと、そこからいくつもの刃が出てきて手の平に突き刺さる。

 自分が握る柄である。そこに刃があるなど何の罰ゲームだろうか。

 だが、本来ならば流れ落ちる血液はどこにも見られない。地面にもこぼれていない。


 その代わりに刀身の色が少しずつ変化していき―――濃い紫色になる。


 これは彼女の血液の色、以前アンシュラオンにも使った『血毒』の色である。

 この小剣、『血恕御前《ちじょごぜん》』には一つ変わった能力がある。



―――【吸った血液を力に変換する】



 それが血恕御前と呼ばれる準魔剣の力なのである。


 忘れてならないのが、彼女の異名は―――『毒殺のファテロナ』。


 好きでこの異名を付けたわけではない。周りがそう名付けたのだ。

 彼女の息が、彼女の血液が、彼女の体液すべてが毒となって、触れる者すべてを死に至らしめる。

 近づくだけで呼吸困難を引き起こし、痙攣して死んでいく。草木も枯れていく。

 幼少時代、傷ついた彼女を介抱しようとした男性が、血液に触れただけで死んでしまったこともある。お釣りをもらうために手が触れただけで、女性が死んでしまったこともある。

 そんなことが重なり、誰もが彼女に近寄らなくなった。いや、近寄れなくなった。


 そして彼女は『毒殺』の名を与えられる。


 気をつけて彼女の動きを見ていれば、不用意に他人に触れないようにしていることがわかるだろう。自分自身が危険な存在であることを自覚しているのだ。

 人ごみに出るときは呼吸も止めている。武人なので数時間くらいは軽く止められるが、好きでやっているわけではないだろう。

 ただし唯一ベルロアナと一緒のときだけは、まったく気を遣っていない。彼女が不用意に自分に触れようがまったく気にしない。

 コシノシンに対する抵抗力を見てもわかるように、ベルロアナはやたらそういうものに強いのだ。麻薬中毒も放っておけばすぐに治るだろう。


 馬鹿は風邪を引かない。

 馬鹿は中毒になってもすぐ治る。

 馬鹿は毒に侵されても【気付かない】し、死なない。
 

 馬鹿最強伝説である。

 だからこそファテロナは、ベルロアナのことをいたく気に入っているのかもしれない。


「ハァァア!! お嬢様を傷つけていいのは…私だけ。フフフッ!! イーーーーヒッヒッヒッヒッ!!! ヒャハアアアアアアアア!! さあ、吸ってぇええ! もっと、もっと激しく!! ママの血を吸ってぇええええ!」


 どくどくどくどくっ どくんどくんっ

 血恕御前がファテロナの血液を大量に吸っていく。そのたびに剣の色が強く、濃くなる。

 そこに彼女の【ドス黒い戦気】がまとわりつき、凶悪な剣気を生み出していく。


(本性を現しやがったか…やべぇな。【裏スレイブ】はこれだから怖い)


 ダディーはファテロナを裏スレイブと称する。

 事実ファテロナはこれまで何十人という武人を殺しているし、一般人ならば三桁以上は確実に殺している。

 そう、この女性も裏スレイブと呼ばれても不思議ではない経歴を持ってるのだ。

 たまたま「メイドきぼんぬ(死語)」と書いて表スレイブに登録しただけで、裏の業界でも喜んで迎え入れられたであろう逸材である。



「イキますよぉおおおおおおおおおおっ!!!」


 ファテロナが離れた位置から剣を振り払う。

 ドパパッ

 放たれたのは水滴。細かく水飛沫にした毒を振り撒いたのだ。

 狙ったのは―――顔。


「ちっ!」


 ソイドダディーは、体格に似合わぬ素早い動きで回避。横に飛び退く。

 水滴は後ろにあった木に当たると―――

 シナシナッ ハラハラ

 急速に葉を散らしながら枯れていき、一瞬で丸裸の痩せた木が生まれる。


(呼吸器を狙ってきやがったか。たしかに皮膚は通らなくても粘膜からは通るからな。ちっ、そういうところもイヤらしいぜ)


 ファテロナが狙ったのは、口や鼻、耳などの体内に通じる穴がある部位だ。

 特に呼吸は武人にとっても命なので、うっかり吸い込めば毒に汚染されてしまう。無理に皮膚を突き破る必要はないのだ。

 シュパパッ

 再びファテロナが毒水滴を放つ。今度はホースで庭に散水するように、大量に広い範囲に放ってきた。


(こんなもの、いつまでもかわしきれるか! 焼くのが一番だ!)


 ダディーはよけない。右手に戦気を溜めると前方に放出。激しい熱量で一気に焼き払った。

 アンシュラオンもよく使う戦気掌である。

 ハンベエを戦気で隔離すれば毒が封じられたように、強い戦気を使えば毒そのものを蒸発させることが可能である。

 だが、もちろんそれはファテロナも承知の上。

 気付くと、すでに彼女の姿は地上になかった。


「っ!!」


 ダディーは咄嗟に上空にジャンプ。

 次の瞬間にはファテロナが影から現れており、小剣を払っていた。


「あらあら、惜しかったですね。フフフッ」


 ダディーが戦気掌を使ったことで、一時的に防御戦気が衰えた瞬間を狙ったのだ。

 血恕御前が血を吸って力を増している今、戦気を集中させないと防げない可能性が高い。ダディーは咄嗟にそれに気付いたのだ。

 これも長年の経験による危機回避能力である。


「影にばっかり隠れてんじゃねえ!!」


 上空から地面に向かってダディーが発気。

 生み出された火気が大きな火の龍になって襲いかかり、大地に激突。爆炎を生み出す。

 ドボオオオオオオッ!!

 炎は一気に広がり、周囲一帯を焼き尽くした。


「あちちちっ!! 退避、退避である!! 戦いに巻き込まれたら死ぬぞ! そこ、燃えているぞ!! 消火しろ!!」


 ミエルアイブが必死に叫ぶも、その余波は少し離れていた衛士隊にまで及び、何人かが火に包まれる。

 少し距離があったことと鎧を着込んでいたので助かったが、ここが室内だったら確実に焼け死んでいたことだろう。


 覇王技、炎龍掌《えんろんしょう》。

 因子レベル2で扱える技であり、火気を広域に放射するものである。その姿が炎龍を彷彿させるので、そう名付けられている。

 低級技だが威力は高く、至近距離で使われると回避できないので非常に危険である。

 ダメージ倍率の良い範囲攻撃でもあり、火属性がある戦士ならば、ぜひとも覚えておきたい技といえるだろう。



 ススーーーススッーーー



 そして、爆炎に包まれた大地で何かが動いているのが見えた。

 真っ黒な円形状の影が、ぽつんと不自然に浮かび上がっている。

 そこからぬるっと、ファテロナが出てきた。


(暗殺者との戦いには慣れているようですね。これで影隠は使えませんか)


 ダディーが周囲を炎で覆ったのは、他の影をなくすためである。

 当たり前だが、影隠は本当に影に潜むわけではない。言ってしまえば空間格納術で自分だけが入れるスペースを作って隠れているだけだ。

 ただ、ポケット倉庫のように完全に隔離はできないので、どこかしらに出口を作っておく必要がある。それを周囲の影と同化させて見えにくくしているにすぎない。

 こうして周囲の影がなくなってしまえば、逆に滅茶苦茶目立ってしまうのだ。

 このあたりの判断力は、さすが熟練の武人である。ソイドファミリーは外部の敵とも戦っているので暗殺者との戦闘経験も豊富なのだろう。

 暗殺術などというものは種がバレてしまえば簡単に対処が可能だ。

 だが、次はその中でも一番厄介なものを展開。


 ファテロナが―――三人に分かれた。




343話 「ソイドダディーの死 前編」


 ファテロナが突如、三人に分かれた。

 『分身』スキルである。

 陽禅公が『実分身』スキルを持っているように、分身スキル自体は暗殺者以外も所有が可能なものだ。

 魔獣の中にも幻影を生み出して分身と似たように撹乱してくるものもいるので、さほど珍しいというわけではない。

 ただし、完全に極めるためには相応の努力と才能が必要だ。

 分身にもそれぞれタイプがあり、必要な才覚が決まっている。

 たとえば十人や八人に分かれる凄腕の者たちもいる。それはたしかに優れた才能なのだが、操作数が多ければ多いほど一体一体のクオリティーは下がっていく。

 一方のファテロナは本体を入れて三人、作り出す分身は二体だけであるが、その質が極めて高い。

 今もノーモーションでいきなり三方向に分かれるので、どれが本体かまったく見分けがつかないレベルにある。


 これは陽禅公とほぼ同じレベル。


 分身だけ、という条件付きならば、覇王と同レベル帯にあるというわけだ。このレベルに至るとアンシュラオンでさえ本物が見抜けない。

 これも逆に言えば、戦士の陽禅公が一流の暗殺者と同じレベルの分身を、【最大で三十六体】生み出せることのほうがおかしい。

 実分身だと最大で半数程度になるが、それでもチートである。

 さすがに現役覇王と比べられるとアンシュラオンでさえ霞むので、このレベルに至っているファテロナを褒めるべきだろう。



 三つに分かれたファテロナは、三人でトライアングルを作るようにしてダディーに突っ込む。

 シュバババッ

 着地したダディーを狙い澄ましたように剣撃の嵐。

 フェンシングの剣のように刺突を重視した高速の突きを放つが、小刻みに素早く放っているので威力そのものは低い。

 普通の剣士が斬り抜くことと比べれば、かすり傷にしかならないような攻撃だろう。

 しかし、強毒に塗れたドス黒い刀身である。毒の威力も最初とは比にならない。

 できれば掠めることも避けたいくらいだが、速くて避けるのは至難のため『皮膚硬質化』を最大限に展開して対応。


 ガキガキガキィインッ


 速度重視のファテロナの攻撃はすべて直撃。ダディーの身体に当たる。

 が、硬質化している彼の肌は剣先を通さない。戦気も固めて、がっちりとガードしている。

 ピュピュッ

 と安堵していたら、刀身から毒が顔に向かって飛ばされる。


「しゃらくせええ!」


 ダディーはそれも読んでおり、右手でガード。

 硬質化した皮膚ならば毒も通さないで済む。実際には経皮吸収でじわじわと入っているのだろうが、致命傷に至るまでには時間がかかるのだ。

 その程度ならば、細胞の活性化によってなんとか対応できるレベルである。当然これもダディーレベルの武人だからこそ可能なことだ。

 そこらの構成員程度では、どんなに戦気を放出して防御しても数秒後には死亡するだろう。


 次はダディーの反撃。豪腕が唸る。


 ブーンッ スカッ


 鉤爪がファテロナに当たるも、これは分身体。

 その隙にファテロナが喉に向かって渾身の突きを放っていた。

 ドンッ ぐにゅにゅ!

 ダディーが喉を硬質化させて防御。人間の急所とも呼べる喉であるが、攻撃のポイントを見切っていれば対応はできる。

 だが、その時にはすでにファテロナは再度分身体を生み出して三体になっていた。


 両者は一度離れるが危険な状況が続く。特にダディーはやりにくそうであった。


(くそっ、危なかった…! 下手すりゃ、やられてたぜ!)


 まるでシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)のように、三人が同調しながら同時に攻撃を繰り出してくる。

 同じ動きでありながらも、それぞれ微妙に違う箇所を攻撃してくるため、受ける側としては多大なる神経の消耗を強いられる。

 少しでもインパクトの場所と瞬間を見誤れば、毒の刀身が突き刺さってしまう。

 今はなんとか長年の経験から読み勝ちしたが、絶対に喉に来ると見抜いていたわけではない。


 それから数十秒の間、細心の注意を払わねばならないダディーを、ファテロナが分身で押し込んでいく展開が続く。


 かろうじて防いでいるが、ファテロナの動きは鋭さを増すばかりで衰える気配がない。むしろどんどん突っ込んでくる。


(暗殺者が戦士の間合いで堂々とやってくれる! 今度は逃げ隠れしないってか!!)


 今のファテロナの動きは上位クラスのスピード型剣士に匹敵する。そのうえ、さらに分身で仕掛けてくるので厄介極まりない。

 実はアンシュラオンに負けたことでファテロナも学んでいる。

 彼女がこうして近距離で分身を使っているのは、相手の距離感を惑わせるためである。

 完全に別々に動かしてしまうと山勘でも当たる場合があるし、アンシュラオンのように全部潰してしまうといった、単純だが一番確実な手段もある。

 それをやられるよりは、こうして近くで残像のように使うことで幻惑するほうがよいという判断からだ。

 それだけダディーが強い相手であることがうかがえる。ファテロナも珍しくガチできているようだ。


 そして、彼女が本気ならば、こんなこともできる。


 ボオオッ

 ファテロナの剣が燃える。

 『火化紋《ひかもん》』の術式を発動させたのだ。文字通り、火属性を剣に付与するものである。

 ただしこれは、さきほどまでの普通の属性剣ではない。

 以前のものは単一の属性しか付与できなかったが、今はファテロナの血毒によって刀身が毒を帯びている状況なので、『火と毒の複合属性』という現象が発生している。

 この理屈は簡単だ。

 彼女の血は毒だが術式ではない、というだけのことである。その成分は自らの血液で調達しているので別枠扱いとなって重複する。

 強毒を持ちながら火属性によって攻撃力を強化した剣。

 こう言えば、それがどれだけ怖いものかがわかるだろう。



 攻撃力がさらに増強された熱せられた剣が、ダディーを攻撃。


 ガキガキガキィイイッ


 今度も弾かれるものの―――


 ジュウッ


 高温になった剣が硬質化した皮膚を突くたびに、炉に入れられた鉄のように少しずつ柔らかくなる。

 このまま何十、何百と突けば、いつか剣は皮膚を突き破るだろう。焼き貫くのだ。

 毒も熱によって蒸発するが、血で補充し続けているため枯渇することはない。


「離れろ―――よっ!!」


 ここでダディーは防御を捨てて攻撃に転身。

 暗殺者の戦いに付き合っていたら不利になるだけだ。当初のプラン通り、ひたすら攻め返すしか方法はない。

 両手を使って雷火宴武爪の猛撃を繰り出す。

 ブンブンッ!! バチバチッ

 その都度周囲に雷火を飛ばすため、近距離で分身を使っているファテロナには厄介な技だ。

 ダディーもアンシュラオン同様、手当たり次第に全部の敵を倒すという手法を選択したのだ。

 それはファテロナが分身を周囲に展開して変化をつけてきても同じ。

 毒を入れるために接近して攻撃しなければならない以上、そこを狙い撃ちするだけのことである。


「おらああ! こいやあああ!!」


 ダディーの気迫で戦気が燃え立つ。それによって防御力もさらに強固になる。

 ラングラスを背負う者として負けるわけにはいかない。その想いが彼を強くする。


 毒の攻撃を怖れずに一歩前に踏み出し、爪を振るう!!


 スパッ じゅうっ


「っ!」


 ダディーの一撃が本体を掠める。

 研ぎ澄まされた感覚が徐々にファテロナを捉え出したのだ。

 本来ソイドダディーは本能の赴くままに戦うタイプ、カオス側の武人である。

 長年の経験から多少考えることはできるが、最後に頼るのは自身の闘争本能と直感だ。


 その動物的な戦い方は、まさに魔獣の如く。


 どんなに計算した戦い方をしても、ラッキーパンチ一発で試合が決まってしまうように、感覚で戦うタイプの人間は奇跡を生み出す。

 否。それは奇跡ではない。直感が理屈を上回る瞬間なのである。



 調子に乗ったダディーに対して、ファテロナは攻撃を当てつつも打開できないじれったい状況が続く。



(硬い。やたら硬い。これだから逞しい殿方というものは…。仕方ありません。こうなれば『アレ』を使うしかありませんね。アレならば必ずヤレますが…しかし、さすがにうざいですね。あいつら。早くドッカイケヨナー)


 ファテロナにはまだ見せていない技がある。それを使えば、どんな強固な相手でも殺すことが可能だ。

 が、公衆の面前で使うことは憚《はばか》られた。

 ミエルアイブがすごく見てる。衛士たちも、みんな見てる。凝視してる。

 プライリーラも自分の情報を周囲に教えすぎたためにソブカに不覚を取ったのだ。暗殺者である彼女にしてみれば、なおさらデリケートな問題である。

 暗殺者なのだから本当は闇夜に紛れて相手が独りの時に仕掛けるのが普通だ。こんな目立った場所で戦うものではない。


 その一瞬の迷いが、ダディーにチャンスを与える。



「おらっ!!」


 ボンッ ドバンッッ

 ダディーが足で石畳を蹴る。

 当然その足には戦気をまとっているので、爆発が起きたかのように炸裂。無数の石ツブテが襲いかかる。


(ちっ、面倒ですね)


 ファテロナは後方に回避。

 考え事をしていながら咄嗟に回避できるのは見事であるが、さすがに隙が生まれた。

 そこにダディーが突っ込んできて拳を振るう。


 ブンッ スカッ


 ファテロナはこれも宙に飛んで回避。暗殺者を捉えるのが、いかに難しいかがよくわかる。

 しかしながら彼女も万能ではない。逃げ場がなければ、よけられない。

 死に体のファテロナにダディーが追撃。跳躍してからの蹴りが襲う。


(剣を盾にすれば、かわせる…!)


 ファテロナは剣を使って、蹴りを受け流そうとするも―――そこから加速。


「おおおおおっ!!」

「っ―――!!!」


 ドンッッッッ!!!

 ダディーの両手の戦気が爆発し、空中でもう一度伸びた。

 それはまるでロケットの切り離し二段ブースターのように、さらに追加で加速したのだ。


 突然変わった速度に対応できず―――


 バギャッ

 蹴りがファテロナの肩にヒット。

 女性、しかも暗殺者タイプの体力に劣る彼女が、この魔獣のような大男の蹴りをくらえばどうなるのか。


 ボギンッ ぐしゃっ




―――へし折れる




 ファテロナの左肩が完全に外れ、胸骨も肩甲骨も巻き込んで粉々になる。


 覇王技、天覇《てんは》・魯灯脚《ろとうきゃく》。

 ある日、道を通りがかった両手首の無い男に対し、心無い店主が「今調子が悪くて動けない。代わりにあの天井の灯りを取り換えてくれ」と頼んだ。

 両手が無いので梯子は使えない。取り換えるのも無理だ。それを知っての意地悪である。

 だが、その男は気軽に引き受ける。店主はどうせ安請け合いだと思って見ていると、男は両手から戦気を放出して、足を使って軽々と灯りを取り換えてしまったという。

 そして驚いた主人をよそに、両手の無い男はこう言って去っていった。


「実は私は目も見えず、光を知らない。灯りというものが生活に必要だと教えてくれてありがとう」


 これはその時の逸話を元に生まれた技であるといわれている。

 技としては両手から戦気を放出して、二段加速するという単純なものだが、姿勢制御が難しくて好んで使う者はあまりいない。

 ただ、上手く使えれば回避が難しい技なので、主に空を飛ぶ魔獣などに対して効果的である。今ダディーがやったように追撃に使う時にも威力を発揮するだろう。


 ちなみにこの盲目の手無し男であるが―――


 その男こそ、のちの覇王である『天覇公《てんはこう》』。


 生まれながら大きなハンデを背負った彼にとっては、天井も床も、光も闇もなく、天すら理解しえない。そうであるにもかかわらず、天を自由に駆ける姿は人々を魅了した。

 手がないゆえに放出系の技を得意とし、覇王流星掌を生み出した覇王としても有名だ。

 覇王流星掌に「天覇」の文字がないのは、覇王ならばそれくらい使えて当然だ、という意味合いもあるのかもしれない。

 単に彼が無欲で自分の名前を付けたがらなかったという話もあるが。



「………」


 ファテロナは吹き飛ばされながら自身の砕かれた左肩を見る。ショックだったのか、じっと傷を見ている。

 アンシュラオンは女性ということで手加減していたので、彼女がここまでのダメージを受けるのは久しぶりだ。

 だが、今は真剣勝負の最中。悠長にしている暇はない。

 しかも実力が拮抗しているのならば、こんなチャンスを見逃すはずがないのだ。


 さらにダディーは追撃。


 ドガシャッ


 ファテロナを思いきり殴りつける。鉤爪を付けているので、抉るような強烈なパンチが炸裂した。



 ヒューーーーンッ ドンッ!! ゴロゴロゴロッ



 地面に墜落したファテロナが、野球のボールのように転がっていく。




 ダディーも着地。様子をうかがう。


(死んじゃいないとは思うが…さすがに顔は殴れねえな。まあ、女の胸を殴るのも好きじゃないが…これで終わったか? あの細い身体だ。さして体力があるとは思えないが…)


 殴ったのは、硬化した胸部。

 顔を狙わなかったのは男としての優しさであるが、骨折と内臓破裂程度は覚悟してもらわないといけない。

 ダディーの渾身の一撃を受けたのだ。これは致命傷であろう。


「なっ、ま、まさか…ファテロナ侍従長が!! ディングラス最強の武人が!!」


 これにはミエルアイブも驚く。

 なにせ彼女が最後の拠り所だったのだ。それが負けてしまえば必然的にこちらの完全敗北が決定してしまう。

 その先に待っているのは罵詈雑言の嵐と降格のコンボである。


「ど、どうすれば…そ、そうだ! 後ろに前進だ! それならば逃げることにはならんぞ!!」


 戦車を破壊するような敵がいるのだから気持ちはわからないでもないが、なんともなさけないことを言い出す。

 それも仕方ない。強力な武人同士の戦いに常人が入っていけるわけがない。彼らにできることは撤退することだけなのだ。

 それが判断できるだけでも十分指揮官としての資質はあるだろう。神風特攻を命じるアンシュラオンよりは、よほど優秀だ。



 その時、ダディーが大声で怒鳴った。



「逃げろ!!! さっさと行け!!」

「なにぃいいい! 我々は逃げるのではない! あちらに全力前進するのだ! 訂正しろ!!!」

「馬鹿が!! 死にたいのか!! 逃げろ!!! 全滅するぞ!!」

「誰が馬鹿であるか! 自分は誇りある特別上級衛士隊の隊長で…」

「ちいいいっ!! くそっ! 間に合わん!!! 死んだら自業自得だからな! 俺たちのせいにするなよ!」

「何を言って―――」



 ゾゾゾゾゾゾッ ブワワワッ



 突如、地面に紫色の【霧】が立ち込める。

 それは徐々に増え始め、気付くと周囲が紫色の濃霧に包まれていた。




344話 「ソイドダディーの死 中編」


 周囲が紫色の濃霧に包まれる。

 手に付いた糊のように触れるだけで肌にネバネバ絡みつく粘着性のもので、なかなか離れてくれない。

 濃密で濃厚で薄暗く、まるで死者の世界に入り込んでしまったかのような息苦しさを覚える。



 この発生源は当然ながら―――ファテロナ。



 むくり


 多くの人々の視線が集まる中、その中心地点にいた彼女が立ち上がる。

 そして何を思ったのか、自分の胸に腕を突き入れた。

 ブスッ ぐちゃぐちゃ ぐちゃっぐちゃっ


「ヒヒヒッ…ウフフフフフッ…」


 距離があるので表情はよく見えないが、どうやら笑っているようである。

 こんな濃霧の中、引きつった半笑いの女性が自分の身体に手を入れている。

 それだけ聞けば淫猥な印象を受けるが、手を入れているのが胸部内なのだから、見ている人間は大きな恐怖を感じるだろう。

 その証拠に、ミエルアイブたちも完全に思考が停止して立ち止まっている。状況が認識できないのだろう。



「フフフ……ハハハハ……げぼっ…ごぼっ……やりました…ね? フフ、イイデスヨ。アハハッハハハハ! とってもイーイキモチ!!! まるでお嬢様の泣き顔を見たトキミタイに―――EEEEEEEEキモチィイイイイイィイイイイイイイEEEEEEEEE!!!!}



 ようやく少し目が慣れてきたので、ファテロナの様子がかすかに見えた。

 左肩はやはり砕けており、胸にも抉られた傷痕が深々と残っている。

 傷は間違いなく内臓に達しているだろう。肺と心臓にも大きなダメージが入ったはずだ。


 そのはずなのに、そこに自ら手を入れて―――


 ドバドバドバッ ボドボドボドッ

 傷口から大量の血液を掻き出している。常人には理解できない謎の行動である。



「ふぁ、ファテロナ侍従長、な、何を…! そんなことをしたら死んでしまいますぞ!!」


 その異様な光景にミエルアイブが声を荒げる。

 完全なる自傷行為である。良識のある大人ならば止めるのが普通だろう。

 思わず近寄ろうとするが、ダディーが鋭い声で止めた。


「やめろ! 近づくな!! 死ぬぞ!!」

「死ぬ…?」

「血がドバドバ出てんだよ! わかるか!? 全部【毒】なんだよ!! てめえらじゃ、吸い込んだら数秒ももたないぞ!」



 ……血液?


 そうだ。血液である。




 彼女の血液は―――毒。




 特に人体に対してひどく危険なものであり、臭いを嗅いだり肌で触れただけでも死んでしまうほどの強毒だ。

 ダディーによって大きな損傷を受けたせいで大量出血している。それが【急速気化】して周囲に濃霧として展開されているのだ。


 だから―――



「ううっ…げぼっ!! ごほっ!!!」

「くるし……がぼおっ……息が…! できな…ごぶっ…」

「くそっ…こんな…ことで……俺らが……ごぼっ」


 濃霧に包まれた者たち、衛士や工場作業員、果てはソイドファミリーの構成員までもが倒れ始める。

 その誰もが目や口から血を出していた。ハンベエの毒煙玉と同じ症状である。常人なら数秒で死に至るだろう。


「やめろ! ファテロナ! このままだと衛士たちも全員死ぬぞ!!」

「ご無体な。この傷を付けたのは…あなた様でございましょう? ウフフッ、アハハハハ! ヒーーーヒヒヒッ! 私は何もしておりませんよ。ええ、そう、私の穴を広げただけ。私の秘密のアナーーーーをおおおおおおおおNEEEEEE!!!」


 ごぼごぼごぼっ べちゃっ

 さらにファテロナは自ら胸を抉り、血を吐き出していく。



「フフフフ…べつにイイデショウ? お嬢様さえ生き残れば、あとはドウデモ…EEEEEEEのです!!! ハァアアーー!! タマンネーー! きもちEEEEEEEEE!!」



(本物のイカレ女だ。こいつは…本当にまずい)


 ソイドダディーが思わず戦慄する。

 毒に対してではなく彼女の狂気の沙汰に関してだ。

 ファテロナはべつに毒濃霧を生み出すために血を掻き出しているわけではない。彼女がそれを生み出す理由はない。

 ただ彼女は【自分が気持ちいい】から、そうしているにすぎない。

 そう、いつも毒を封じて生きている。一応は領主に雇われている立場なので、他の人間を殺さないようにいろいろと閉じ込めて暮らしている。

 それが相当なストレスになっているのだろう。もともと猟奇的で狂気的な彼女にしてみれば自分を抑えることは非常に苦痛だ。

 ベルロアナがいるから我慢しているが、本当ならば常にありのままでいたいと願うのが人間というものであり、武人の本質でもある。


 だから―――解放感。


 自分自身をすべてさらけ出していることに強い快感を得ているのだ。

 それ以外のことは何も考えていない。衛士隊が巻き添えになろうがソイドファミリーの連中が死のうが知ったことではない。

 彼女にとっては面白い存在であるイタ嬢さえいればいい。それ以外はすべて、そのときに楽しめればいいと思う程度の玩具にすぎない。

 完全に狂っている。

 もともと狂っていると思っていたが、どうやら演技ではなく本物だったようだ。



(このままだと全員死ぬ! それだけは避ける!)


「ぬんっ!!」


 ボオオッ

 ダディーが戦気掌で濃霧を焼き払う。完全には無理だが、やらないよりはましだ。

 さらに工場の隣にある倉庫を指差す。


「動けるやつはあそこに行け!! 解毒剤とまではいかねえが、耐毒剤があるはずだ! あとは消紋でも使ってなんとかしろ! おい、ミエルアイブ! てめぇたちもだ!!」

「ぬっ!! 敵からの施しは受けぬぞ!!」

「そんなことを言っている状況か! 周りを見ろ!!」

「はーーはーーー、うぐっ……げほっ」

「だ、大丈夫か!! なんと! DBDの防毒マスクも通じぬのか!」


 すでにミエルアイブ以外の上級衛士の意識は朦朧としている。

 この重装甲アーマーのフルフェイスの頭部には防毒マスクも付いており、普通の毒煙くらいならば防いでしまうのだが、ファテロナの濃霧は突き抜けて侵入してくる。


(マスクも効かないのかよ! …そうか! こいつは【血液系の武人】か! 考えてみりゃ当然だ。血を武器にしているんだからな…!)


 武人にとって血が重要なのは、今までも散々述べてきたことである。

 この血の中には【無限の可能性】が込められており、オーバーロード〈血の沸騰〉は、それを必要以上に読み込むことで強い力を得る。

 それは逆に言えば、人間の中にはすでに【完全なる力】が『胚芽の状態』で眠っていることになる。

 可能性は多様性によって表現されるので、各々の人間、各武人によって血の覚醒状態は違う。だからこそ、いろいろなタイプの人間が生まれるのだ。


 であるからには、武人の中に『特殊な血』を持つ者が出てくるのは不思議ではない。


 ファテロナの場合、血そのものが毒性を持つという特異性によって、暗殺者としては抜群の資質を持っている。

 それと同時に、それだけでは日常生活を送ることができないので、自然と『血を操る』力も目覚めていく。

 たとえば、誰かを殺さないでおこうと思えば、なるべく毒性を抑えるように無意識に制御する等、自然と学んでいくものであろう。

 だが、今はどうだろう。

 彼女は興奮して素の狂気の状態に戻っている。周りなどどうなってもいい、と普通に思っている。


 それが血の毒性をさらに活性化させ―――【血液そのものが動く】領域に達する。


 濃霧として拡散された血毒が付着すると、それは宿主を求める単細胞動物のようにうねうね動き、体内への侵入を開始する。

 防毒マスクのわずかな隙間からねっとり入り込み、かすかに粘膜に触れる。それだけで毒に汚染されるのだ。


「そのままだとお前も死ぬぞ!!」


 ボオオオオオッ

 ダディーが炎龍掌で焼き払うも、次から次へと濃霧は生まれていく。

 濃霧が生まれるということは彼女の血液が減っていくことを意味する。

 武人が血を失うことは『輸血が推奨されていない世界』では非常に危険だ。

 だが、この狂人がそんなことを気にするわけもない。


「いーーE! 私は死にません…YOOOOO!! フフフフッ!! だってぇ、死ぬのは…ANATAですから…ねえええええEEE!!!]

「てめぇは少しは話し合いに応じろや!!!」


 マフィアの組長より怖ろしい存在がいるとすれば、ファテロナのような狂人だろうか。価値観がまったく違うので話し合いすらできない。



 ダメージを与えたことで状況はさらに悪化。ファテロナの血毒と精神の闇がダイレクトに露出する。


 そのうえ、これはべつに彼女の攻撃でもなんでもない。単に血液が流れて自然発生した現象にすぎない。


 これが攻撃性を帯びると―――


 ジュンッ ギュルルルルッ

 ファテロナの近くにあった濃霧が身体に張り付き、毒の防護膜を生み出す。

 失った血液を少しでも戻すことと、それを力に変換するために操作したのだろう。それによって刀身にも今まで以上の強力な毒素が宿っていく。

 その輝きはすでに濃紫ではなく、もっと深みのある強い黒紫であった。

 そこに彼女のドス黒い剣気が加わるのだから、もう何がなんだかわからないほどにヤバイ。



 ズズッ


 再びファテロナが影に消えた―――


 と思った瞬間、一瞬にしてソイドダディーの背後から出現。


 剣を振るう。


「ぬおおっ!」


 ガキンッィイィイイッ

 ダディーは前に飛びつつ回転しながら拳を払う。

 鉤爪と小剣が激突。激しい火花を散らした。


(影に移動した!? だが、炎龍掌で影は極力減らしたはずだ! さっきのとは違う! 今のは何だ!?)


 ダディーは今さっきも炎龍掌を使って、周囲を明るく照らすように努めた。

 アンシュラオン戦でやったように影侭法延《えいじんほうえん》を使い、自ら影を生み出すならばともかく、この状態で影隠を使っても見破れるはずだ。

 だが、動きがまったく見えなかった。移動した形跡もなかった。


「フフッ…ヒャヒャヒャヒャッ!! 自由!! 私はジユウーーー! ミンシュッ!!! トウッ!! ジエイグン、セツリツ!! グンカク、YEH!!!!」


 すごいことを口走っているので、正直訳せない。申し訳ないが、そこは察していただきたい。

 ファテロナに地球の知識はないはずなので野球同様、おそらく何か電波を遠い星から受信していると思われるが、ともかくヤバイテンションであることは間違いない。


 影隠の上位技、暗殺術奥義、『飛影《とびかげ》』。


 隠れるだけの影隠と違い、まさに影から影に【瞬間移動】する術である。

 この技、いや、術と呼んだほうがいいだろう。これは完全なる術式であり、言ってしまえば【簡易転移術】とも呼べる高度な術式だ。

 プライリーラが宝珠で行ったような長い距離の転移は人間には極めて難しいが、本当の短距離の転移ならば不可能ではない。

 たとえばポケット倉庫自体も、通常ならば難しいであろう空間操作術を簡易にして一般の術式に落とし込んでいる。

 それと同じように小規模のものならば、案外身近に存在するものである。飛影もその一つであろうか。

 もともと暗殺者や忍者は術士の血が半分入っている系統である。その中でより強い術士の因子を持つ者だけが飛影を使うことができる。

 ファテロナの因子は低いが、劣化しないというハイブリッドという強みがあるので、こうした上級技も使うことが可能なのだろう。


 より正確に述べれば、この術は「空間を跳ぶ」というより「時間を飛ばす」ものである。影から影という限定条件に限って「超加速」する術式といったほうが正しい。

 ただしあまりに速すぎるために、移動中は当人の意識すら間に合っていないので攻撃も防御もできず、出現するポイントも絞られるので非常に無防備になってしまうという弱点がある。

 もちろん肉体意識の速度より上なので普通の人間に対応は不可能だが、鬼神やパミエルキのような魔人ならば簡単に対応されてしまうので注意が必要だ。


 そして、彼女の剣も今までとは違う。


「SYUSYUSUSUSUSUっ!!」


 ファテロナが奇怪な声を上げながら刺突を繰り出す。

 きんきんきんっ ブシュッ!

 いくつかの攻撃は弾いたが、電光のような速度の剣がダディーの肩に触れると、皮膚が硬質化した肌を切り裂いた!


(さっきとは別物だ!! これは―――がはっ!)


 バチバチバチィイーーーーンッ

 全身を駆け巡る「否定」の感覚。自分が人間であることを否定されたかのような衝撃で息が止まる。


 これは―――『人間特効』。


 ファテロナの剣に宿っていたのは、戦罪者たちが使う暗殺剣と同じ力であった。


 暗殺術、『滅刃《めつじん》』。


 自身の肉体あるいは武器に『人間特効』を付与する術である。

 これが普通の技と違うのは、属性剣のように刃そのものに付与するため、技を繰り出さないでも特効の効果を得られるところだ。

 技は威力が高い反面、一定のモーションが必要なものが多く、ヒット数も決まっているので状況によっては使いにくいこともある。

 その点、通常攻撃ならば自由自在に放つことができるので、それに特効が付与される意味は極めて大きい。単純に攻撃力が二倍になるようなものだ。

 これも簡単な術ではない。『滅属性』を持つ者にしか扱えない特殊な術式だ。

 滅属性は名前が示す通り、何かを滅するための力を生み出す属性である。破壊や混沌といったものを強く象徴している。

 ファテロナは通常の暗殺者以上の血毒を持ち、『滅属性』まで持っている。破壊するために生まれたような女性であった。




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