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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第六章 「収監砦」 編


325話 ー 334話




325話 「アンシュラオンの逮捕劇 前編」


 アンシュラオンはプライリーラたちと別れ、グラス・ギースに向かっていた。


(やばいやばい、ついうっかり楽しんじゃったよ。あまり空けすぎるとまずいよな)


 女性に夢中になって、気付いたら何日も経っていた現象である。

 人間、楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものだ。何事もほどほどにしておかねばならないと思いつつ、やはり楽しい時間は楽しみまくりたいものである。

 後悔などはない。十分楽しめた。

 ただ、ホロロたちを放っておくのも怖いので、さすがに少しは反省している。


「ところでサナ、本当に大丈夫なのか?」

「…こくり」

「痛いところとかないか? 体調は悪くないか?」

「…こくり」

「うーん、サナがそう言うなら大丈夫だと思うが…。まあ、身体には異常がないわけだし…大丈夫かなぁ?」


 サナと離れていた最中に何が起こっていたのか、いまだに明らかになっていないのが気になる。

 当人に訊いても首を傾げるだけなので、何も覚えていないようだ。


(べつに変わったところはないし…気にしすぎるのもいけないかな。とりあえずサナが強くなったことは間違いないようだ。あとでじっくりと確認してみよう。ともあれ武人の因子も覚醒したみたいだから、これで念願の【技】が覚えられるぞ!!)


 そう、サナの因子が覚醒したということは、彼女も技を使えるようになったということだ。

 情報が見られない普通の武人の場合は、師範や師匠が見極めて「ちょっとこの技を練習してみるかい?」的に覚えていくのだが、アンシュラオンは直接見ることができるので技の選択も的確にできる。


「サナ、あとで技を教えてやるからな! 楽しみだろう?」

「…こくり。ぐいっ」

「おお、やる気じゃないか! そうだぞ。技を覚えるといきなり楽しくなるからな。ゲームと同じさ」


 RPGでも通常攻撃以外の技が使えるようになると、ぐっと戦術に幅が出てきて面白くなっていく。

 そういう楽しみも教えたくて無理をさせたのだ。アンシュラオンも教えるのが楽しみで仕方がない。


「ふんふーん♪ 何がいいかなー。まずは虎破かなー。戦刃や修殺も教えたいし、旋回拳とかも楽しいよな。裂火掌は…まだ早いかな。ただ、サナは剣士タイプなんだよな。ふーむ、剣王技のほうはあまり知らないから、そのあたりは改めて調べてみないとな。今度剣士のおっさんに会ったらコツとかを教えてもらうか。…と、そろそろグラス・ギースに近いな。サナ、仮面の予備を被っておくんだぞ」

「…こくり」

「もうすぐ仮面ともおさらばだ。あとちょっとの辛抱だぞ」


 グラス・ギースが見えてきたので予備の仮面を被る。

 金を得るための計画もかなり進んできた。そろそろこの仮面ともお別れの時期が迫っている。

 好きで被ってきたわけではないが、今となってはわずかばかりの愛着が湧くものだ。




 そうして二人が仮面を被り、南門に着いたときである。

 ガヤガヤ ガヤガヤッ

 何やら周囲が騒がしい。人の数もいつもより多かった。


(ん? 何だ? 何か起こったのか?)


 人がいるのはいつものことだが、入り口あたりでこんなに渋滞するのは珍しいことだ。

 こういうときは誰かに訊くのが一番早い。近くにいたバックパッカー風の青年に声をかける。


「ねぇ、何かあったの?」

「ん? 俺もよく知らないけど、なんか検問をやっているみたいなんだよ」

「検問? 珍しいね。南門って、いつもは素通りなのに」

「ほんと参ったよ。長旅で疲れているから、こっちは早く入りたいってのにさ………………」

「ん? 何? 人の顔をじっと見てさ」

「いや、顔っつーか…お前、仮面じゃん」

「これが素顔なんだ」

「絶対嘘じゃねーか!?」

「親からもらった大切な顔を罵倒するなら損害賠償を請求するぞ!!」

「いやいや、絶対嘘だから。それ無理ありすぎだからな」

「ちぇっ、案外しっかりしてるな」

「誰だってわかるだろう!? わからなかったらおかしいぞ」


 たしかにそうだが、イタ嬢あたりは怪しい。


「で、オレの顔が何?」

「んー、さっき衛士が『仮面をつけたやつを見なかったか?』とか言っていたような…うーん、気のせいかもしれないから定かじゃないけどな」

「ふーん、仮面ねぇ」

「まさかお前じゃないよな?」

「これは素顔だから違うよ」

「ははは、じゃあ別人だな。フルフェイスの兜を被っている傭兵なんて山ほどいるし、お前さんを捜す理由もないだろうしな」

「そうそう」

「ったく、やれやれ。早く進まないかね」


(こりゃ、オレを捜しているいるっぽいな)


 青年は他の都市からやってきた様子なのでピンときていないようだが、この都市内で仮面といえば即座に自分を思い出す人間が大半だろう。

 気になるのは、衛士が捜している、という点だ。


(マフィア連中じゃなくて、衛士…か。たしかに衛士とも揉めたから不思議じゃないけど、いきなりこの動きは何かあったっぽいな。まっ、行けばわかるか)




 アンシュラオンは南門で検問を受けたあと、そのまま東門に向かう。

 検問では特に何も言われなかったが、明らかに衛士たちの緊張感が増したのがわかったので、自分の見立ては間違いないようだ。

 その後、徒歩の者や見回りの馬車も含めて、数十人の衛士がアンシュラオンを尾行する、という異様な状況になった。

 尾行といってもあからさまについてくるので、監視といったほうが正しいかもしれない。

 おかげで周囲の一般人からは相当目立ってしまった。どこぞの御曹司でも来たのかと勘違いされそうだ。


 ただし、サナの修練も兼ねて時速五十キロ近くで走ったため、徒歩の衛士は全員があっさりと脱落する。

 因子が覚醒したせいなのかサナは少し息切れしながらも、賦気なしでもこの速度で走れることがわかった。これは大きな収穫であった。


(サナのやつ、もしかして戦気を出せているのか? ほっほー、こりゃ楽しみだなぁ。今度サリータに教えてやろう。やっぱり才能の違いだよな! サナちゃん、最高!!)


 ますます楽しみは増していく。またサナが何倍も大好きになった。




 一時間もかからずに東門に到着すると、門の前には多くの衛士たちが集まって待ち構えていた。

 どうやら南門から早馬で一足先に連絡がいったようだ。彼らにとって極めて重要な案件であることがうかがえる。


 アンシュラオンが門に近づこうとすると、一人の衛士が近づいてきた。


 年齢は三十代後半くらいの壮年で、髭を生やしたダンディーな男だ。ちょっとカールした髭がチャームポイントである。


「お前がホワイトだな」

「あんた誰? 衛士?」

「第一衛士隊のミエルアイブだ。衛士長をやっている」


 ミエルアイブと名乗った男は緑色の革鎧に身を包んでおり、頭には羽根付き帽子、腕には金色の腕章を付けていた。

 革鎧も普通の衛士がつけているものより上等で、スーツに近い形状をしているが防御力は高いという高級品だ。

 見れば、彼の後ろにも同じような服を着ている者たちが数名いた。ミエルアイブとの違いは帽子に羽があるかどうかなので、あれが隊長の証なのだろう。

 大概の場合、隊長にはツノやら羽やらが付くものであるが、衛士隊も多分に漏れないらしい。


「このあたりにいる衛士とは格好が違うね」

「第一衛士隊の担当は上級街だ。外とは管轄が違う」

「そういえば上級街で見たことあったな。でも、ちょっと雰囲気が違ったよ」

「それは当然だ。我々は領主直轄の特別上級衛士隊だ。彼らより格付けは上である」

「ふーん。…で、その第一衛士隊の隊長さんが何の用? ここは上級街じゃないでしょう? というか、まだ街中でもないしね。管轄外じゃないの?」

「私とてこのような場所に来たくはなかった。だが、事が事だ。【外周組】に任せておくわけにはいかないだろう」

「外周組? 何それ?」

「第二以下の衛士隊のことだ。お前が言ったように、このあたりは都市の外周部分だ。その範囲を担当している連中を指す言葉である。なかなか本質を表している良い言葉だろう?」


 そのミエルアイブの言葉に、周囲にいた普通の衛士たちが一瞬イラッとしたのがわかった。

 差別用語とまではいかないが、あまり好ましくない言い方なのだろう。ホームレスを「乞食」とか「ルンペン」とか言うのと同じである。

 たしかに城塞都市の性質上、中心部に近いほど重要な施設が集中することになる。

 逆に外周部分に近くなればなるほど有事の際は命の危険に晒されるので、あまり重要ではない人間を配置するはずだ。

 そのため外周組が軽く見られるのは仕方のないことだろうし、実際に隊員の大半が移住してきた人間によって構成されている。格差が生まれるのは当然である。


(あー、なんかあれだな。本庁と所轄みたいな感じか? よくテレビであったよな。しかしまあ、領主の近くにいるやつって、どうしてこう駄目なタイプが多いんだろうな)


 刑事物のテレビドラマでよく見かける『例のアレ』だろう。

 現実の警察では下の人間が上に逆らうことはまずないので、ああいう破天荒な主人公はテレビだけの設定とされているが、上が偉そうなのはどこも同じらしい。

 衛士隊の軋轢に興味はないが、特別衛士隊なるものが出てきた以上、只事ではないだろう。



「で、本題は?」

「第一級特別市民ミスター・ホワイト。無許可での診察所開設、および無許可での診察医療行為、並びに麻薬の違法売買の容疑で身柄を拘束する」

「えー、いまさらー!? というかミスターとか言っちゃう人なんだ、この人!」

「この人とか言うな! ホテル側に顧客保護の権限があるから尊重しているだけだ! だが、いくらホテルによって権利が保証されているとはいえ、重度の違法行為を見逃すわけにはいかん。今の発言は身に覚えがあるということだな?」

「覚えがないとは言わないけどね。でもそれさ、前にも似たような件でマングラスの監査官が来たよ」

「それは調査済みだ。ただし彼らは商会設立に関する不備の一件で訪ねたのであって、こちらは完全なる犯罪行為に対するものだ。違法行為の取り締まりはマングラスではなく衛士隊の直接の権限である。ミスター・ホワイト、もう証拠は挙がっている。ご同行願おうか」

「ふーん、なんだか強引だね」

「調べれば調べるほど悪事ばかりが出てきている。気に入らないならば他の容疑でもかまわんぞ」

「えーいっ!」


 ガスッ


「いたっ!? なんで石を投げた!!」

「医師が石を投げたんだ」

「駄洒落か!?」


 とりあえず石を投げておく。意味はない。


「つうっ…衛士への攻撃は公務執行妨害だぞ!」

「あんたが衛士だっていう証拠は?」

「そんなものが必要か?」

「そりゃそうだよ。このご時勢、警察官が本物かどうか確認しないやつはいないさ。ほら、証拠を見せてよ。まずはそれからじゃない? それとも何か後ろ暗いことがあるの?」

「何を言う。私に後ろ暗いことなどない。見るがいい。これが衛士証…」

「へー、バキンッ」

「あーーーー! 折ったーー!!! 私の衛士証がぁああ!」

「ははははは! 脆すぎるって。もっと頑丈なのにしなよ」

「いったいどれだけ苦労したかわかっているのか!? これを手に入れるために家まで売ったのに…!」

「賄賂じゃん」

「違うわい!! 上級衛士たるもの、住居すら領主様に捧げねばならないのだ。喜び勇んでお傍でお役に立つためにな! ただ、建てたばかりで立地も良く…手放すのが惜しかっただけだ」

「めっちゃ嫌々じゃんか。喜んで奉仕するんじゃないの?」

「ええーい、うるさい! 本当に公務執行妨害でひっ捕らえるぞ!」

「そのほうが罪が軽いじゃん。じゃあ、そっちでお願いします」

「そ、そうだった! 駄目だ駄目だ! ホワイト、お前を逮捕する。そして、お前は医者でもなくなる。これを見ろ! いいか! これは絶対に破くなよ!!」


 衛士証がトラウマになったのか、若干へっぴり腰で書類(罪状)を見せてくる。


「…医師法違反? 医者として認めない…か」

「そうだ。医師連合のお墨付きである! しかもスラウキン代表の名前もある正式な書類だ! 今日より医療行為は一切認めない! わかったな!」

「なるほどね。それで、そっちの要求は何なの?」

「要求も何もない。お前を捕らえて牢獄にぶち込む。それだけだ」

「診察所は? 新しくしたばかりなんだけど」

「あれも取り壊しだ」

「ふーん、怖いお兄さんたちがいると思うけど、大丈夫? やれる?」

「そんなことで怖気づく衛士隊ではない! 退去させる!」

「そんな理屈が通じればいいけどね」

「なにぃ! 抵抗するというのか?」

「あいつらが勝手にやることだからね。オレには関係ないよ」

「お前のスレイブであろうが」

「オレのじゃないよ」

「えっ? そうなの?」

「うん」


 ホロロが契約した者たちなので、厳密に言えばアンシュラオンのスレイブではない。

 このあたりもスレイブ商人によって法の抜け道として考案されている。実にあざといものだ。


「えっ、うそ、どうしよう…」


 急に弱気になるミエルアイブ。

 たしかにあんな連中がいる場所になど行きたくはないだろう。成人男性だって泣く。むしろ成人男性だから泣かされる。最悪である。



「ところでオレがいない間に都市で何かあったの?」

「…お前の悪事が露見しただけだ」

「悪事って? 具体的には?」

「悪事は悪事だ。身に覚えがあるだろう」

「ちゃんと言ってもらわないと、どの話かわからないよ」


 それだけ身に覚えがあるというのも哀しいものである。

 だが、何があったのかはだいたい予想はついている。


「衛士隊は領主の管轄なんでしょ?」

「当然そうだ」

「それがいきなり出てくるってことは、あれだよね。たぶんベルロ―――」

「ストオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオップッ!!!」

「なんだよ、触るなよ。ばしんっ」

「いったっ!!!? なにこれ、いたっ!? いやほんと、いったぁあ!! 腕が折れた! これ折れてるって!!」

「見たか! オレの『しっぺ』は骨をも砕く!!!」

「なんで自慢げなの!?」


 男に触れられるなど最悪だ。その前に腕に伝家の宝刀「しっぺ」をお見舞いする。

 そのせいでミエルアイブの腕が「ぶらーん」としているが、それも致し方ないことだ。

 どうやら折れたらしいが、きっと天罰であろう。


「くううっ! 衛士証だけでなく腕までも…! これ以上の抵抗をするようならば、こちらにも考えがあるぞ!」

「診察所の取り壊しなら、やりたければやれば。やれるのならね」

「ふんっ、いい気になっているのも今のうちだ。いいのか? 本当にいいのか? 謝るなら今のうちだぞ?」

「えーいっ」


 ドガッ


「いったっ!? また石を投げたな!?」

「もったいぶるなよ、面倒くさい。男と長々会話するなんて気持ち悪いだけだ。早く言いなよ。聞いてやるからさ」

「…噂通りの男のようだな。ならば教えてやろう。抵抗した場合―――お前の【助手】も牢屋にぶち込むぞ!!」

「助手?」

「しらばっくれるな。金髪の女だ」

「………」

「ふん、理解したようだな。わかったらおとなしく…」

「ああ、ゴールデン・シャイーナか!!!」

「…捕まって…って、え? ゴールデン? ゴールデン…何?」

「ゴールデン・シャイーナだよ! あー、そうか。そっちか。なんだ、ちゃんと正式名称で言ってくれないとわからないじゃないか! なんだもー、びっくりしたなぁ」

「は? え? いや、たしかあの女はシャイナ・リンカー……」

「やだなー、ゴールデン・シャイーナだよ。ねぇ、本当に調べたの? 情報に間違いはない? もしかしたら別人かもよ。衛士なんだから間違えたら責任問題になるんじゃないの?」

「え? 本当? え!? 違うの!??」

「疑うならちゃんと調べてみなよ。ほら、後ろにお仲間がいるんでしょ? 確認してみなって」

「なっ…まさか本当に虚偽の情報か!? くっ、お前ら、ちょっと来い!!!」

「は、はいっ!」


 ミエルアイブは後ろにいた仲間(おそらく部下)と情報の確認をしている。

 「本当か?」「偽名か?」「じゃあ、誰だ?」などという言葉が聴こえるので、必死になってシャイナの本名を調べているようだ。

 だが、シャイナの本名はミエルアイブが言っていた通りなので、いくら調べても何かがわかるわけがない。

 むしろゴールデン・シャイーナという言葉に踊らされ、無駄に時間を浪費することになる。





―――四十五分後





「やっぱり合っているではないか!!!!!」

「あっ、気付いた」


 ミエルアイブが戻ってきた。かなり急いでいたようで汗を掻いている。


「どこまで行ってきたの?」

「ハローワークや人材系の関係各所だ! 調べてきた!」

「思ったより早かったね。あっ、すき焼きでも食べる?」

「なんで鍋をしている!?」

「妹がお腹空いていたからさ。はい、お裾分け」


 ひゅーーんっ ビターンッ

 投げた肉がミエルアイブの顔に張り付く。


「あっつっ!? あっち!?」

「どう? 美味しい?」

「熱いわ!! というか人が駆け回って暑いときに熱いものを勧めるな!」

「あははー、おじさんが怒ったー。きゃー、こわーい」

「頭の悪い女子高生みたいな話し方はやめろ!!」

「なんだよ、ノリが悪いな。何かトラウマでもあるの? 援交したけどやらせてもらえず、金だけ取られたとか? そういう女は甘やかしちゃいけないよ。ガツンと殴って世の中を教えてやらないと」

「人を何だと思っているのだ!? しっかりしていないのが気に入らないだけだ!」

「また真面目ちゃんか。そんなんじゃ人生つまらないぞ。楽しくやらないとさ」


 どうやらミエルアイブは「細かい」「きっちりしている」という意味で真面目な人間らしい。

 いわゆるお役所人間なのだろう。レブファトと似たタイプだ。

 そういう人間はアンシュラオンと相性が極めて悪いものである。




326話 「アンシュラオンの逮捕劇 後編」


「改めて警告するぞ。抵抗するようならば、お前の助手も牢獄行きだ! 一生出られると思うな! すでに捕らえているのだ! いつでもぶち込める状態にある!」

「ああ、そうなんだ。露骨な脅迫だなぁ。べつにいいよ」

「え? いいの?」

「犬だしね。檻に入ってもいいんじゃない? 放し飼いにしとくと、変なウィルスもらってくるかもしれないから逆に危ないよね」

「え? 彼女は人間のはずだったが…あれ? 違った?」


 なんだか会話が合わない。

 というかアンシュラオンもシャイナを見捨てすぎである。


「あの女にも麻薬違法売買の嫌疑がかけられている! お前と同罪だぞ!」

「あっ、事実です」

「認めちゃったよ!!」

「むしろあいつのせいだしね。オレから麻薬やろうなんて言ってないし」

「助手に罪をなすりつけるとは、なんたるやつだ! 医者の風上にも置けん! いや、男の風上にも置けんぞ!」

「だって、本当だし。刑事さん、あいつが犯人なんです。あっ、そうだ。司法取引しません? オレがあいつの罪を告発しますから、オレは無実ってことで」

「無実ではないだろう! せめて無罪と言え!」

「ちっ、気付いたか。さすがに細かいね」


 「無実」と「無罪」はだいぶ違う。無罪は裁判等で罪に問われないことだが、無実は事実そのものの否認だ。

 相変わらず賢しい男である。



 と、アンシュラオンがそんなやり取りをしていると、もう我慢できないといった様子で一人の女性が飛び出てきた。



「ミエルアイブ衛士長! それはあんまりではないでしょうか!!」



 かなりおかんむりな様子で衛士長に食ってかかる。



 それは―――マキ。



 ここは東門なので彼女がいるのは当然である。

 今までのやり取りを聞いていて、さすがに堪忍袋の緒が切れたのだろう。


「さきほどから聞いていれば、完全な脅迫ではありませんか! 我々は衛士なのですよ! そんなやり方は許されません!」

「…キシィルナ門番長か。また面倒なのが出てきたな。君は門番長とはいえ第二衛士隊の配属だ。第一衛士隊に口を出さないでもらおうか」

「これを見過ごしては衛士隊の信頼が揺らぎます!」

「我々は領主様直々のご命令で動いている。それに逆らうのか?」

「領主様の…それは…」


 領主直轄の特別衛士隊に逆らうことは、巡査部長が四階級上の警視正に文句を言うようなものだ。

 ミエルアイブは衛士長なので、さらに階級は上と思っていいだろう。

 城塞都市において上下関係は極めて重要な問題だ。マキも一瞬だけ、たじろぐ。


「マキさん…」

「あっ…」


 マキが仮面を被っているアンシュラオンを見る。

 彼がなぜ仮面なのか。なぜそこまでして、こんなことをしているのかを思い出す。


「アンシュ……ホワイト君は、医者として人々を助けているんですよ! それのどこが悪いのですか!」

「そもそも医者ではないのだ。医療行為はできない。そこから違法だ」

「違法がなんだっていうんですか! 毎日外から治療を求めてやってくる人たちがいるんです! その人たちを助けることはグラス・ギースの利益になっているはずです! 治療費だって結果的には税金になって…」

「この男は税金を納めていない」

「えっ!? そうなの!?」

「…うん、まあ。てへへ」


 勝手に開いて勝手に商売をしているのだから、当然ながら納めているはずがない。全部がっぽり自分のものである。

 若干マキはたじろいだが、この程度ではめげない。


「そ、そのお金は…弱い人たちのために使っているのよね? ね?」

「もちろんだよ。すべて経費に回しているんだ(嘘)」

「ほら、聞いたでしょう! 福祉が充実すればグラス・ギースの生産性も評判も上がります! 結果的に利益になっているのです! 利益はお金だけじゃないはずです!」

「悪事や悪評のほうが上回っているのならばマイナスである。この都市に数多くの混乱をもたらしているではないか。君とて門番をしているのだから悪評は知っているはずだ」

「…それは…知っています。しかし彼には…彼には大きな目的があるんです! それをこんな形で潰してよいのですか!?」

「どんな目的だね?」

「…今の領主様にはできないことです。放置されている問題を解決するために…」

「その発言は問題だな。領主様への不敬になるぞ。これ以上の庇い立てをするのならば、君もただでは済まない。それでもいいのかね?」

「わ、私は…」

「おいっ」


 ひゅーんっ ドゴッ


「いったっ?!??」

「マキさんに偉そうな口を叩くな。身の程を知れ」

「こ、この…また石を…いたぁ……投げたな!」

「今のは石じゃない。小岩だ」


 石と呼ぶには大きく、岩と呼ぶには小さい。まさに小岩だ。地名ではないので注意してほしい。

 しかし、小岩を投げられても無事なところを見ると、ミエルアイブもそこそこ身体が頑丈らしい。これならばギリギリ岩でも大丈夫そうだ。


「安心しろ。岩もあるぞ。帰り際にたくさん集めておいたんだ。ポケット倉庫って便利だよね」

「ポケット倉庫の使い方がおかしい!! もっと意味のあるものを入れんか!」

「何を入れたっていいだろう。石や岩だってこうして役立つわけだからな。というか、お前なんかがマキさんに口答えするなよ。彼女のほうが有能なんだからさ」

「有能なのは認めるが、我々第一衛士隊は領主様に選ばれた者たちだ。一緒にされては困るな」

「それってプラス要素なのか? オレからすれば超絶マイナス査定なんだが…あっ、そうだ。くく、いいのかぁ? これ以上マキさんに何か言えば【バラす】ぞ」

「な、何をだ」

「イタ嬢ってさー、白い粉を―――」

「ストゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウプウウウウウ!!」

「だから触るなよ! べしっ!」


 ボキンッ


「ぎゃーーーーーっ! 腕がーーー!!」


 これでミエルアイブの両腕が折れた。

 これからしばらくはトイレに行くのも一苦労するだろうが、自業自得である。



「くうう、またもや公務執行妨害…いや、これはもう傷害事件だ! テロだぞ!」

「大げさだな。本当のテロってのは、こういうことをいうんだよ」


 ボンッ ドッガーーーーーーンッ! グラグラッ


 アンシュラオンが戦弾を発射すると、門の上にあった櫓《やぐら》が吹っ飛んだ。

 その衝撃で門と地面が大きく揺れる。


「どわわっ―――あべし!」


 思わず誰もが頭を抱えて地面に伏せるが、両手が折れているミエルアイブはバランスを崩し―――そのまま前のめりにずっこけて、顔面を強打。

 受身が取れないので地面にダイブである。


「ぬはっ!! ぐおおお! 顔がぁあああ!」

「あはははは! 何やってんの! げらげらげらっ!! おっ、髭で土が抉れたじゃん! 硬い髭だな、おい! その髭はスコップかよ!? ぶひゃひゃひゃっ! その発想はなかったわーー! おもしろーー!」

「ぐぬぬううっ!! こ、これ以上は許さん! 我々にたてつくということは領主様に逆らうということだぞ! それが何を意味するのかわかっているのか!」

「べつにあいつと仲良くないしね。むしろ最悪の関係だから嫌われてもいいよ。いい機会だから教えてあげるけど、オレはこの都市のためには領主が死んだほうがいいと思ってるからね。そこんところ、しっかり覚えておくといいよ」

「なっ!! き、貴様! その発言は完全なる反逆罪だぞ!」

「だから反逆じゃないって。反逆ってのは身内の人間に対して使われるものだけど、オレは最初からグラス・ギースの人間じゃないしね。オレを攻撃してくるやつなら、領主だろうが魔獣だろうが同じさ。敵は殺さないとね」

「っ!! この男を取り押さえろ!!」


 その言葉を黙って聞いていられるミエルアイブではない。

 彼の呼びかけに応え、ぞろぞろと第一衛士隊のメンバーがやってきた。ただし、銃や槍を持っているが正直言ってレベルはかなり低そうだ。


(衛士隊って、やっぱり頼りないよな。軍事を担当しているって聞いたけど、こんなんで大丈夫なのか? マフィア連中のほうが強いじゃないか。これじゃマングラスが幅を利かせるわけだよ)


 このレベル帯ならば下手をすれば、命気足無しのサナ単独でも勝てそうである。

 記憶によればディングラス家は不動産と軍事力という重要な要素を担当しているはずなのだが、他の四大派閥と比べると明らかに見劣りする。

 四大市民に為政権を渡してしまったため、何もしなくても金が入る仕組みが彼らを弱くしたのかもしれない。

 しかも彼らの最大の拠り所であろうマキは―――



「駄目よっ!!!」



 アンシュラオンを守るように第一衛士隊に立ち塞がった。

 今のところ衛士隊唯一の実力者であろう彼女が敵になるとは、第一衛士隊の面々にとっては最悪だろう。

 もちろん彼女が実力者であることは誰もが知っているので、ミエルアイブもいきなり突っかかりはしない。


「キシィルナ門番長、何のつもりだ!」

「ホワイト君を逮捕なんてさせないわ! だって、この子は…この子は私の……」

「君も逆らうというのか! 領主様の命令だぞ!! この都市にいられなくなるぞ!! 年金だって止められるからな!!」


 ミエルアイブの威圧が妙にリアルだ。将来への不安を標的にするのは行政の得意とするところである。

 年金を払わないでいると「障害年金も出ませんよ。怪我をした時に困りますけど、いいですか?」と脅してくるので、尻の穴に精神注入棒をぶっ刺してあげよう。

 真面目な話に戻ると、四大市民が実際の統治を執り行っているようなものだが、衛士隊はすべて領主が管理しているので、逆らったマキをクビにすることは容易だ。

 しかしそれは優秀な門番を失うことになり、彼ら自身の首を絞めることになるので、ミエルアイブとしてはそう脅すしかないのだろう。

 ちなみにミエルアイブは腕が折れているため、偉そうに話している間も両手はだらーんとしている。なんとも締まりがない姿である。




 そして、ミエルアイブがそんなことを言うから―――刺激してしまう。





「領主が…領主が―――なんなのよ!!!」




「あんなデブの髭オヤジより、私は彼を選ぶわ!! もう我慢の限界よ!! 偉そうに命令される筋合いなんてないわ!!」


 マキがキレる。

 普段は言わないであろう差別用語すら厭わないほどである。よほど怒ったのだろう。


「この子を捕まえるというのならば、私が相手になるわ!!」

「な、なにっ! 正気か!! 衛士隊はクビだぞ!」

「だから何? こっちから辞めてやるわよ!! このっ!!」


 ドヒューーーンッ ドゴオオオオ


「ぶほおおおっ!!」


 マキが投げた石がミエルアイブの腹に当たり、吹っ飛ぶ。

 ゴロゴロゴロゴロッ ドガッ

 そのまま十数メートル転がって、門の縁に頭をぶつけて止まった。

 しかもびっくりした野次馬に思わず踏まれるというアクシデントも発生。まさに踏んだり蹴ったりである。


(マキさん、強く投げすぎだって…)


 アンシュラオンは相当手加減しているが、強い武人が怒りに任せたまま石を投げれば弾丸に匹敵する。

 人間一人くらいは簡単に吹っ飛ぶだろう。


「…ごふっ……ぐううっ…! や、やったな…」

「あ、立った。案外丈夫だね」

「ふふ、この程度で倒れていたら衛士長など務まら……あああ! 母の形見のペンダントがぁああああ! 割れてるぅうううううう! ひぃいいっ―――がくっ!」

「あっ、また倒れた」


 お守りとしてスーツに入れていた形見のペンダントが粉々に砕けていた。

 死んだ母が守ってくれたのだろう。泣ける話だ。


「ぬおおおおおおお!」

「あっ、復活した」

「こんなことで…こんなことで諦めるものか! 家と形見まで失って…! このまま帰るわけにはいかん!」


 何か目的が変わっているようだが、逆の立場からすれば、たしかに後には引けないかもしれない。

 ミエルアイブも領主の命令でやってきている。あの人間の出来ていなさそうな領主のことだ。このまま帰ったら罵倒の嵐だろう。

 最悪、処分される可能性もある。この男も必死だ。


 そして、実力で勝てないのだから脅迫するしかない。


「いいのかぁ? ホワイト? お前のゴールデン・シャイーナとやらが、ただでは済まんぞ!」

「ああ、シャイナのことね。もうっ、ちゃんと言ってくれなきゃわからないじゃないか」

「どっちなの!? はっきりしてよ!!」


 なぜかオネエ言葉になった。


「人質を取るなんて最低だわ! この人間のクズ!!」

「そうだぞ、クズが!! えいっ!(イタ嬢やリンダを人質に取った人の発言)」

「くそっ! 二人で石を投げるな!!」

「じゃあ、油を投げてやる!! えーい、びちゃっ」

「ぎゃーーー!! ヌルヌルする!!」


 はっきり言おう。アンシュラオンには石も油も投げる権利はない!!



「アンシュラオン君! 私と一緒に逃げましょう! そうよ! 二人で…いや、妹さんと三人で違う都市に行きましょう! こんな都市にこだわる必要はないわ! 私たちなら、どこに行ってもやれるわ!」

「愛の逃避行か。燃えるね」

「ええ、そうよ! もう覚悟は決まったわ! 衛士隊なんて辞めてやるから!」

「オレを選んでくれて嬉しいよ。…でも、マキさんはそれでいいの?」

「…え?」

「この都市の人たちを見捨てることになるんだよ。今も病気や貧困で困っている人が一杯いるのに…いいの? 後悔しない?」

「そ、それは…ああ、やっぱりあなたはそのために…そうなのね?」

「オレはいつだって弱い(女の)人の味方だよ」

「ううっ、なんて…君って子はなんて…!! こんな目に遭ってまで困っている人を見捨てないなんて…私は自分が恥ずかしいわ!!」

「マキさんは立派だよ。領主に逆らってまで自分の信念を貫いたんだ。誇っていいよ。でも、オレはまだこの都市でやらないといけないことがあるんだ。駄犬だけど、見捨てると気まずいペットもいるしね。他にも守ってやらないといけない子たちもいるしさ。みんなマキさんの妹になる子たちなんだ。助けてあげないといけないでしょ?」

「ああ、そうね…。私たちが結婚すれば…家族が増えるのね。あなたはたくさんのものを背負っているものね。…ごめんなさい。私って身勝手な女だったわ」

「いいんだよ。マキさんは何も悪くないから。あとはオレに任せてよ」

「ええ、君がそう言うなら…」


 マキを説得して思いとどまらせる。

 彼女も一度キレたおかげで、少しはすっきりしたはずだ。最悪は都市を離れればいいという選択肢があるので、上手く気持ちを切り替えることができたのだ。


 それはよいとして、問題は相手がシャイナを標的にしてきたことだ。

 ミエルアイブの言葉からして衛士隊に捕まっているらしい。今抵抗すれば彼女の身が危ういのは間違いないようだ。


(シャイナのことまで調査済みってことは、芋づる式にシャイナの父親も人質にされていると思っていいな。まあ、父親は死んでもいいんだが、せっかく拾った犬を見捨てるわけにもいかないよな。ホロロさんやサリータ、ロゼ姉妹も守ってやらないといけないしね。ふむ、こっちの流れのパターンのほうが楽そうだな。じゃあ、さっさと済ますか)


「ということでマキさん、オレを逮捕してよ」

「え? 私が!?」

「うん。マキさんはまだ衛士を辞めるべきじゃないよ。マキさんがいないと東門の安全が保たれないからね。そうなると危険が増える」

「で、でも…わ、私は…そんなの……そんなことできないわ! 君を逮捕するなんて!!」

「ねえ、そこのおっさん。捕まってやるからマキさんは許してあげてよ」

「なにぃいい! こんなことをして、ただで済むと……いたっ!!」


 石を投げる。(しつこい)


「嫌ならいいよ。あんたの立場が悪くなるだけだしね。どうせ裏には怖い連中がいるんでしょ? 領主もそいつらも怒らせないほうがいいだろうね。おっさん自身のためにもね」

「………」


 スラウキンの名前が出たということは、今回の一件には【ラングラス】も関わっている可能性が高い。

 どちらにせよアンシュラオンがいない間に動きがあったのだろう。

 それならばそれで問題はない。頃合である。


 アンシュラオンは、両手をマキに差し出す。


「それじゃマキさん、お願いね」

「そんな…アンシュラオン君…私には無理よ!」

「駄目だよ。ちゃんとしないと。オレのお嫁さんになるんでしょ?」

「でも…」

「大丈夫。全部オレに任せてくれればいいからさ。マキさんはあいつらが変なことしないように衛士の責務を果たすべきだよ。そうだ。捕まっているオレの助手の面倒をみてあげてくれないかな? それなら納得できるでしょ? オレも人質がいると迂闊に動けないしね」

「…本当に大丈夫なのね?」

「うん、約束する」

「…わかったわ」


 マキはそう言うと、アンシュラオンの手にヘブ・リング〈低次の腕輪〉を組み合わせて作った手錠をはめる。




「アンシュラ……じゃなくて、ホワイト君。…君を拘束するわ」




 こうしてアンシュラオンはお縄についた。

 冷静に考えれば逮捕されて当然のことをやっていたので、これ自体は何らおかしくはないことである。


 そして、ここから話は急速に進んでいくのであった。




327話 「イタ嬢、白い仕込みの発動」


 話は少し遡る。

 ちょうどアンシュラオンがプライリーラに勝ち、戦利品の彼女を味わっている夜のことである。

 その日、街は静かだった。

 プライリーラが四大会議でホワイト打倒を宣言したおかげで、最近荒れていた都市内部が珍しく落ち着いていた。人々もゆっくりと夜を満喫できている。

 ある者は酒を楽しみ、ある者は夜の店にしけ込み、ある者は家族で外食を堪能していた。

 すべての人間がそれぞれの時間を過ごす。どんな過ごし方をしても自由である。


 しかし、そんな穏やかな夜に【一つの事件】が起こった。


 もっと正しく述べれば、それはもうとっくの前に起きていたことなのだが、この日に改めて露見したというべきだろう。

 そして、それは領主城で起きていた。




「ふあぁぁ、今日もがんばりましたわね」


 領主城の西側四階の一室で、イタ嬢ことベルロアナ・ディングラスは眠りに入ろうとしていた。

 ほどよく身体が疲れているので、まったりとした眠気を感じている。今寝たらきっと心地よいに違いない。

 それに、彼女の「がんばった」という言葉も嘘ではない。

 アンシュラオンからすれば遊んでいるように見えるベルロアナだが、毎日のように外には出ている。

 上級街にいれば、馬車に乗って移動している彼女を頻繁に見かけることだろう。


(動けないお母様の代わりに都市を見る。これも立派なお役目ですわね)


 彼女が馬車に乗っているのは、都市内部を回って人々の暮らしを自分の目で見ることだ。

 そして、問題があれば対処する。

 困っている人がいれば積極的に助け、領主の目が届かない部分をカバーすることが目的である。

 領主は四大市民との利権の関係で、直接大きな改革を行うことができない。何かやろうにも会議での許可が必要となる。

 ただし、街中の問題やトラブルを解決することくらいは許されている。他派閥の利権を侵さなければ文句は言われない。

 たとえば以前少し触れたが『私塾』などを開くこともできる。子供たちに知識や教養を教えることは都市の発展に役立つので、アーブスラット等の他派閥の人間も快く協力していたものだ。

 これはベルロアナの母親であるキャロアニーセが、病気になる前にずっとやっていたことである。

 それを娘であるベルロアナが引き継いだというわけだ。彼女は自分が母親の意思を継いでいることに誇りを抱いていた。


「お嬢様、お嬢様、今日は何をなされたんですか?」


 そんなベルロアナの隣には、空色の髪の毛を大きなおさげにまとめたクイナがいた。

 アンシュラオンが領主城に忍び込んだ時に少し出た彼女であるが、本名をクイナ・グイナという。

 白スレイブになるくらいなので相当な美少女といってよいだろう。

 着ている服も上等なためベルロアナと並ぶと、見目麗しい貴族のお嬢様が二人いるように見える。

 イタ嬢の中身さえ気にしなければ、二人の写真は一部のマニアに高額で売れるだろう。


「んー、そうですわね。…道で困っていた人を家まで送りましたわね。とても感謝されましたわ」

「うわー、うわー、すごいです! 人助け、人助けなのです! ほかは、ほかは何をなさったんですか!」

「そのあとは…そうですわね。働き口がなくて困っていた人に仕事を紹介したり、お年寄りの話し相手をしたりしましたわ」

「それも人助け、人助けなのです! お嬢様、すごいのです!」

「そ、そう? わたくしもそれなりにがんばったとは思うのですけれど…これくらい当然ですわ!!」

「うわー、うわー、さすがお嬢様です! 尊敬、尊敬なのです!」

「それほどでもないけれど…そうかしら?」

「はい! すごい、すごいです!」


 クイナはベルロアナの『偉業』に目を輝かせる。

 最近は新しい白スレイブがやってこないので、クイナがほぼ付きっきりでベルロアナと一緒にいる。

 こうして日課を聞くのも彼女の役割の一つだ。

 アンシュラオンが聞いたら「お勤めご苦労様です」と、まるで刑務所勤めのヤクザに言うような台詞を吐くだろうが、クイナの目は尊敬の輝きに満ちている。

 非常に稀有で珍妙なのだが、この少女は本気でベルロアナを敬愛していたりする。

 頭が良くて機転が利く子なので、危ないときは多少気を遣うことはあれど、基本的にはベルロアナが大好きなのだ。



 そんなクイナには非常に言いにくいのだが、本日ベルロアナがやったことの【真実】をここに記そうと思う。




1、「道で困っていた人を家まで送りましたわ」の真相


 ベルロアナは馬車で移動中、妙にきょろきょろした挙動不審な男を発見した。

 てっきり道に迷っていると思った彼女は、ファテロナに命じてその男を確保し、所持品から身元を特定させた。

 そして、嫌がる男を「まあまあ、遠慮なさらずに」と強引に送り届けて満足した。

 が、その男は組織から金を持ち出して追われている身の上であり、彼女が送り届けたのは、その組織が管理する事務所である。

 その後、事務所からは男の叫び声が聴こえたのだが、ベルロアナの腐った耳には「ありがとぉおおおおおお!」と聴こえたようだ。



2、「働き口がなくて困っていた人に仕事を紹介した」の真相


 ベルロアナが上級街を通っていた時である。(警備上の問題から基本的には上級街を中心に移動するのだが)

 なにやら衛士に職務質問を受けている男がいたので、話を訊いてみた。

 男は大量の刃物を持っていたため疑われたが、聞けば彼は『彫師《ほりし》』だそうだ。そして現在は無職で、職探しをしている最中だという。

 それを聞いたベルロアナは「ああ、仏像とか版画を彫るやつですわね」と思った。

 それゆえにとりあえず、いつも領主城を直してくれる大工の棟梁のところに連れていき、雇ってくれるようにお願いしてから帰った。

 普通の家ならばともかく領主城のような館にはさまざまな彫り物があるし、木柱にも装飾を施すことが多いので、その方面で役立てばいいだろうと思ったわけだ。

 ベルロアナ当人は「いいことをしましたわ」と自己満足して行ってしまった。

 が、実はこの男、彫師は彫師なのだが『刺青』や『タトゥー』のほうの彫師であった。

 なんというすれ違いと勘違いだろう。まさにトンチかと見まごうばかりである。

 それでも領主の娘の頼みを断ることもできない棟梁は、仕方なく男を雇い入れ、とりあえず背中に龍の刺青を彫ってもらったという。



3、「お年寄りの話し相手をしたりしましたわ」の真相


 上級街に「わしゃぁ、埋蔵金の在り処を知っておる!」と叫ぶ名物お爺さんがいる。

 最初は誰もがその話に食いつくのだが、結局見つからないので「ホラ吹き埋蔵ジジイ」というあだ名で有名になっている困った老人だ。

 当然、もう誰も話を聞かないので、独りで喚いていたところにベルロアナが遭遇。

 「埋蔵金!? それはすごいですわ! 一緒に探しましょう!」ということで、いろいろな場所に赴いて探した。

 他人の家にずけずけと入って床を掘ったり、池の水を抜いて外来種を駆除したり、埋蔵金なのに木の上を探したりした。

 夕暮れ時になっても見つからないので困っていたが、その時ホラ吹きじいさんはこう言った。

 「わしの名前はキンというでな」と言い出し、突然ベルロアナが掘った穴に入って、「はい、埋蔵キン」などとほざいた。

 そう、この爺さんは、この一発芸がやりたいために人を騙して楽しむという、とんでもないジジイなのである。

 アンシュラオンならば尻の穴に焼いた棒を突っ込むレベルのジョークだが、ベルロアナは「???」と最後まで意味がわからない様子だった。

 とりあえず笑って誤魔化したようだが、こんなジョークのためにいろいろな箇所を掘り起こしたので、「やっぱりイタ嬢だぜ!!」と街中では噂になっていたようである。

 また、渾身の一発ギャグを素でスルーされた埋蔵爺さんも、なんともいえない微妙な空気の中、独り寂しく戻っていったそうな。



 以上が本日の真相である。



 彼女に悪気があるわけではない。すべて善意から発せられたものだし、一応は人助けもしている。

 だが、なぜかよくわからないことになる。どうしていいのか困ることになる。基本的に迷惑をかけることになる。

 よって、彼女が街に出るときは住人が急いで隠れるのだが、そのことにも気付いていないようだ。幸せな女の子である。



 クイナに今日の自慢話を終えて満足したベルロアナは、もう一つの日課をこなすため、机から『白い粉』を取り出す。

 そう、あの例の『小麦粉』である。

 彼女はあれからずっと毎日、この白い粉を肌に塗りつけていたのだ。それが寝る前の日課となっている。


「寝る前にこの化粧品を塗って…と。ぬりぬり」

「お嬢様、クイナも、クイナも塗ってみたいです」

「これは『お友達!!』からもらった大切なものなのよ。いくらクイナでも、そう簡単には塗ってあげられないですわ」

「お友達! お嬢様のお友達なのですね! クイナ、嬉しい、嬉しいのです!」

「うふふ、そうね。でも、クイナも『お友達!!』ですから、ちょっとくらいはかまわないのかしら?」

「本当ですか!? クイナ、感動、感動なのです!」

「最初は赤くなるから少し注意が必要ですわよ」

「わかりました。わかりました! お嬢様と一緒なのです! 嬉しいのです!」

「うふふ、それじゃ腕を出してごらんなさい」


 ベルロアナは白い粉を水で溶かし、クイナに塗りつける。

 少し水を多めにして伸ばして、腕全体に塗ってみた。


「うわー、うわー、これでお嬢様とおそろいなのです!」

「そんなに嬉しいものかしら?」

「とっても、とっても!!」

「では、わたくしも…もう一度ぬりぬり。…ふぅ。落ち着きますわぁ…」


 塗った腕がスースーしたあと、少しずつ肌に吸収されていくのがわかる。

 それが染み渡るにつれて心は穏やかになっていき、非常に満たされた気分になる。


(ああ、まるで…お母様に抱かれている気分ですわ。水の中に浮いているようで…なんて心地よい)


 ささくれ立っていた気持ちが落ち着く。今までこれほどの充実感を味わったことがない。

 今のベルロアナにとって、この瞬間こそが一番の楽しみであった。

 今までの嫌なことが全部頭からなくなり、ただただ穏やかな快楽だけが続くのだ。誰だって気分がよいに違いない。


「ふー、ふー…」

「クイナ、大丈夫?」

「は、はい。ちょっと赤く、赤くなってきました。熱くて…」

「大丈夫よ。すぐに慣れますわ。これはお肌にとっても良いのよ」

「楽しみ、楽しみなのです!」

「それじゃ、今日は一緒に寝ましょうか」

「はい! 喜んで、喜んで!!」



 こうして二人は一緒にベルロアナの寝室で眠る。

 ここまでは仲睦まじい少女たちの戯れである。そういう趣味の方々には美味しいシーンだろうか。




 が、ここから【異変】が起こる。




 もぞもぞ ごそごそ


 深夜になって、ベッドから降りてきた者がいる。


 それは―――ベルロアナ。


 いつも寝つきが良く、朝までぐっすりと寝る彼女だが、今日に限ってはなぜか眠れなかった。

 遠足前の子供のように妙に興奮して、寝たくても眠れない状態で今までごろごろしていたのだが、もう我慢できなくなって起きてきたのだ。


(クイナは…寝てますわね)


 クイナからは寝息が聴こえるので、しっかり眠っているのだろう。

 そのことに若干の羨ましさを覚えつつ、静かにベッドから離れる。


「はぁはぁ…喉が渇きますわね」


 近くにあった水差しでコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。

 ごくごくと体内に流れた水によって満たされる。はずなのだが、なぜか今日は喉の渇きが収まらない。


「熱い…身体が熱いですわね…。なんでこんな…はぁはぁ…あら? どうしてわたくし…化粧台の前に…? それにこれは…」


 気付くとベルロアナは化粧台に座っていた。

 しかも手には白い粉が入った袋を持っている。いつ座ったのか、いつ出したのか、それすらも覚えていない。

 だが、身体は自分の意思を無視して、いつもの作業を行う。粉を水に溶かし、それを肌に塗りつけようとする。


「…と、何をしているのですか。はぁはぁ…もう塗ったはずですわ。眠ったつもりはありませんが…寝ぼけているのかしら?」


 今つける理由はまったくない。いつも寝る前に一回塗っていただけだ。

 寝ぼけていたと思い、一度白い粉を置き、呼吸を整える。


 が、視線は白い粉に集中している。どうしても目が離せない。


 そうやってじっと見つめていると―――



「はっ! どうしてわたくしは…白い粉を手に…はぁはぁ、何かおかしいですわ。でも、なぜか…はぁはぁ…舐めてみたくて…喉が渇いていますし…あれ? 何か変なことを言って…はぁはぁ」


 無性にその粉を舐めてみたくなる。喉が渇いているのだから普通はそんなことは考えないだろう。

 前も一度そういう欲求に駆られたことがあるが、「何を馬鹿な」と思ってやめたものだ。

 しかし、今はそうしてもいいような気がしてきた。

 ベルロアナは何度かその誘惑に耐えるが、今はどうしても欲求が止まらない。次第に頭も熱を宿してきて、ぼ〜っとしていく。


「はぁはぁ…ちょっとくらいなら…いいですわよね。味見…みたいなものですし」


 普通の思考ならば、化粧品を舐めるという発想自体がないが、今の彼女は冷静な判断能力を失っている。

 否。

 思えば最初から冷静な判断力など持っていないので、彼女ならば何をやっても「またイタ嬢か」で終わる気がしないでもない。

 ただし、今回のものは今までとはレベルが違う。


 なにせこれは―――



「…ぺろ―――はっ!」



 ベルロアナが粉をひと舐めする。



 その瞬間―――宇宙を視た。



 自分が宇宙に漂っている感覚。星を眺め、俯瞰し、世界を手に収めている感覚。

 すべてが彼女の物であり、すべてが彼女と一体化している。

 なんという全能感だろう。自分のすべてが満たされ、許され、愛されていくのがわかる。

 ぽろり

 思わず涙を流した。


「あぁ…わたくしは……あぁあ……満たされる………こんなに満たされる…なんてぇ…」


 散々他者から疎まれてきた。頭が悪くてもそれくらいは理解できる。

 そうした劣等感やストレスが心を蝕み、白スレイブに手を出す結果にもなっていたのだ。

 だが、そんな苦痛や哀しみが、たったひと舐めで解消されるなど想像したこともなかった。


 どくんどくんっ どくんどくんっ


 自分が興奮しているのがわかる。目の前にあるものが、とても重要なものだと気付いたからだ。

 これを誰にも渡したくない。そんな感情が彼女を支配していく。




328話 「サンバでマンボ! 愛のベルロアナ・ヒーハー! 前編」


「はぁはぁ…はーはーーー! もっと…もっと…わたくしを…満たして…もっと…!」


 ベルロアナは『小麦粉』を抱えると、ぺろり、ぺろり、と舐め始めた。

 舐めるたびに再び宇宙に旅立ったような気分になる。

 ただ、それはすぐに終わってしまうので、また舐める。そして始まるが、すぐに終わるのでまた舐める。


 舐める。宇宙を駆ける。醒める。


 舐める。宇宙を駆ける。醒める。
 舐める。宇宙を駆ける。醒める。
 舐める。宇宙を駆ける。醒める。
 舐める。宇宙を駆ける。醒める。
 舐める。宇宙を駆ける。醒める。


 舐める。宇宙を駆ける。醒める。舐める。宇宙を駆ける。醒める。舐める。宇宙を駆ける。醒める。舐める。宇宙を駆ける。醒める。舐める。宇宙を駆ける。醒める。舐める。宇宙を駆ける。醒める。舐める。宇宙を駆ける。醒める。舐める。宇宙を駆ける。醒める。


 ぺろぺろぺろ ぺろぺろぺろ
 ぺろぺろぺろ ぺろぺろぺろ
 ぺろぺろぺろ ぺろぺろぺろ


 気付けば彼女は何度も何度も舐めており、かなりの量の白い粉を摂取していた。



 当然ながらこの白い粉の正体は―――コシノシン。



 医療麻薬であり、強力な鎮静作用がある薬物だ。主に大怪我をした際の痛み止めに使うために開発されたものである。

 医療技術が発達していないグラス・ギースでは極めて重要なもので、これ自体は悪いものではない。

 が、娯楽で使うようなものでもないし、舐める等によって粘膜で大量摂取することは非常に危険な行為だ。絶対に真似をしてはならない。

 もしこれが普通の人間だったならば、下手をすればショック死していた可能性すらある。


 しかしながらベルロアナは―――普通ではなかった。


 思えば彼女も五英雄の子孫である。グラス・タウンを築いた【王】であったディングラスの血を受け継ぐ正統なる後継者だ。

 その血が薬物程度で汚染されるわけもない。アンシュラオンに薬物が効かないように、血統遺伝による強い血が『毒性』を浄化してしまう。

 とはいえ、まだまだ彼女は少女である。大量摂取した薬物をすべて体内で浄化できるわけもない。


「はーー、はーーー! 熱い…熱い…はぁあ…熱い…。そうだわ……お馬さん……お馬さんに乗りますわ…。わたくし、宇宙を飛ばないと……ぶつぶつ」


 ギィイイ がちゃん

 朦朧とした様子で何かをぶつぶつと呟きながら、扉を開けて廊下に出ていった。




「んん…お嬢…さま?」


 その音でクイナが目覚める。

 時計を見ると、深夜二時前であった。


「まだこんな時間、時間…です。おトイレ…ですか? あれ? この白い粉は……お嬢様の?」


 クイナは床に落ちていた大量の白い粉を発見し、不審に思って彼女もベッドから降りる。

 その瞬間、腕に鋭い痛みが走った。


「…あつっ! …腕が…熱い」


 自分の腕が異様に熱を帯びているのでパジャマの袖をめくると、まるで蕁麻疹《じんましん》のように真っ赤になっていた。

 どうやらクイナはコシノシンに対してアレルギーを発症させたらしい。だからこれだけ反応してしまったのだ。

 逆に言えば、ベルロアナほど「タフ」ではなかった、ということだろう。

 女の子はこれくらい敏感なのが普通である。イタ嬢のほうがおかしい。


「こんなに、こんなになるなんて…この粉…危ないものなんじゃ……」


 利発な彼女は、それで事の真相に気付く。

 いつもベルロアナの傍にいるからこそ、普段とは違う行動にすぐに勘付けるのだ。


「お嬢様…追う、追わないと…!」


 クイナは白い粉を持って立ち上がり、ベルロアナを追った。





「はぁ…はぁ……」


 部屋を抜け出したベルロアナは、荒い呼吸のままに廊下を歩いていた。

 深夜とはいえ、アンシュラオン侵入事件から警備態勢が強化されているので、多少光度は落ちているものの明かりは灯っている。

 そのおかげか、ふらふらと歩いているベルロアナを侍女が発見。


「お嬢様…? どうなされたのですか!?」


 一目見て様子がおかしいと思った侍女は、すぐさま駆け寄る。


「はぁはぁ…何でも…ありません……わ」

「そんなご様子では…失礼いたします」


 侍女がベルロアナの額に手を当てると、燃えるように熱かったので慌てて手を離す。


「あ、熱い! すごい熱ですよ! ああ、大変だわ! すぐに誰かを呼ばないと…!」

「大丈夫です…わ。わたくしは…ベルロアナ…ディングラスですもの。はぁあああ! ひくっ! ひくっ!!」

「っ! お嬢様!?」

「ふひひ、大丈夫です。大丈夫…ふふふっ…。フヒヒーーーヒーー!!」

「はっ、これはまさか……お、お嬢様が…お嬢様が…」



 その異常な様子に侍女は―――





「お嬢様が―――【いつもの発作】を!! 誰か来てください」





 なんと、侍女が叫んだのは「いつもの発作」という言葉。

 いつも怪しい言動をしている彼女は、麻薬中毒の状況下でもいつもと変わらない奇行に映るらしい。

 日常生活をしっかりしていないと、いざ病気になったときに誰にも信じてもらえないものだ。



 どすどすどすっ


 その声を聴いてやってきたのは、妙に背筋を伸ばしながら歩いているペーグ・ザターであった。

 もう忘れているかもしれないが、アンシュラオンが腰を砕いたイタ嬢の七騎士の一人である。

 他の六騎士など名乗る前に倒されたので、まだ名前があるだけましであるが。


「何かありましたか!? まさかまた侵入者ですか!?」

「い、いえ、違うのです! お嬢様のご様子がおかしくて…」

「ああ、『いつものやつ』ですね。もー、驚かさないでくださいよー。またあの人が来たと思ったじゃないですか。あれから自分、腰がもうがっくんがっくんで、コルセットなしじゃ歩けないんですよねー」

「あ、あの…お嬢様は…どういたしましょう?」

「そっちは任せてください! お嬢様の相手は慣れておりますから! あとは自分に任せて、どうぞ休んじゃってくださいよ!」

「はい。それではよろしくお願いいたします」


 侍女はペーグにベルロアナを任せて行ってしまった。

 イタ嬢のスレイブである忠犬ペーグは主人との付き合いも長いし、彼女のよくわからない言動にも慣れている。

 ファテロナがいない場合は、七騎士に任せるのが慣習になっているのだ。


 ペーグは侍女が行ったのを確認して、ベルロアナに話しかける。


「いやー、お嬢様。どうも、こんばんはです! こんなお時間まで起きているなんて珍しいですね。眠れなかったんですか? あー、そういうときってありますよね。こういうときは一度運動とかしちゃうと、逆に眠れちゃうかもしれませんねー。あっ、そうだ。お馬さんごっこでもしましょうか! 任せてください! 腰が痛くてもばっちりやっちゃいますよ!」


 大柄な体格に似合わず、案外軽い男であることが判明。

 思えばアンシュラオンとのマッサージの会話でも軽かった気がするので、もともとこういうノリなのだろう。

 ペーグは四つん這いになると、お馬さんのポーズになる。

 腰は痛いが、忠義を尽くすベルロアナのためである。これくらいはお安い御用だ。


「さっ、お嬢様、どうぞどうぞ!」

「はぁはぁ…お馬さん…。そうですわ、わたくしはお馬さんに乗りたかったのです…! ふふふっふ、ひっひっひ!」


 ベルロアナは虚ろな表情を浮かべながらペーグに乗る。


「いやぁ、懐かしいなぁ。自分は七騎士の中でも古いほうですから、ちょっと前まではこうしてお嬢様と遊んでいたものですね。あっ、最近はぐっと大人っぽくなりましたね。腰にかかる感触がすごく柔らかいっていうか…あっ、全然そういう意味じゃないですよ! 誤解しないでくださいね!」


 じゃあ、どういう意味なのかと問いたいが、とりあえずペーグに他意はないようだ。

 彼からすれば何歳になっても愛すべきお嬢様なのだろう。


「それでお嬢様、どこに行きましょう?」

「はー、はー、わたくしは…宇宙《そら》を…飛びますわ!」

「へ? 空ですか? 空…ああ、なるほど。今日はそういう感じなんですね! わかりました! それじゃ、お空を飛びますねー。パッカパッカ」


 ベルロアナが宇宙を「そら」と発音したので、なんとなく勝手に理解してくれたようである。

 ペーグはそのまま痛む腰を庇いながら、必死にペガサスのフリをする。

 本来ならば三歳児くらいがやるような遊戯だが、一時期精神状態が不安定だったベルロアナは、スレイブを馬にすることで情緒の安定を図っていたことがあったのだ。

 だから仮にこの光景を誰かが見たとしても、「なんだ、またお嬢様か」で終わることになる。



 そして、徐々にまたベルロアナのトリップ現象が戻ってきた。



「ひゃっはーーー! いいですわよーーー! ペーーグウゥウウウウウウ!! 愉快痛快! 一緒に踊りますわよぉおお! はぁー、ズンドコ、ズンドコ、ズンドコッ!」

「ありがとうございまぁあああああすっ!! お嬢様ぁああああああ!」

「あはははは!! 宇宙が、宇宙が回ってますわあああああーー!! あひゃひゃひゃひゃっ!!」


 深夜の廊下を騎士に乗ったベルロアナが疾走する。極めてシュールな光景である。

 通りがかる者たちすべてが目を覆いたくなるような惨状だ。

 だが、ベルロアナにとっては宇宙を駆ける最高の瞬間に感じているのだ。

 つまりはラリっておかしくなっているのだが、その異常に誰も気付かないことが一番怖ろしい。周りの人間が受け入れてしまっている。

 まさに某ロボットアニメの名言の一つ、「慣れていくのね」である。


「ペーグ…もっともっと…速くよ!! 一緒に踊りましょう!!」

「は、はい! もっと速く…ですね! そろーり、そろーり!」

「何をしているの! はぁはぁ! わたくしはもっとソラを駆けるのよ!!」

「そ、その、これ以上は腰が…」

「ペーグ! あなたまでわたくしを蔑むのね!! どうせ友達がいない哀れな女だと思っているのでしょう!! ううっううううっ…うわあああああああんっ! ペーグがいじめたぁああああああ!!」

「ええええええっ!? 急にどうしたんですか!?? お嬢様、こ、声を! 声を小さくぅうううう!!」

「うえぇっ、いいのよ…! どうせわたくしなんて…つまはじき者のクズですわ! 金をちらつかせてスレイブを買うしか能がない最低の人間ですもの! ヒヒヒッ、うひひひひひっ! おおえええええええ!」

「ぎゃっーーーー!」


 突然泣き出したかと思ったら嘔吐する。

 ベルロアナくらいの可愛い女の子の吐瀉《としゃ》物ならば喜ぶマニアもいそうだが、さすがに頭にかけられるのはしんどい。

 しかし、それでもぐっと耐えるペーグ。さすが忠犬と呼ばれる男だ。今は馬だが。


「ひゃっはーーーーー! ペーグ!! ご機嫌だわああ!! 踊りましょう! 狂ったように踊るのよぉおお! ヘイヘイヘイホーーー!! 世界のヘイポーーー! フンフンフン!! ズンドコズンドコ!!」

「えええええ!? 突然どうされたのですか!? テンション上がってますよ!?」

「だって、こんなに気分が良いのですもの! さあ、夜の街に繰り出しますわよ! わたくし、知っていますわ! 夜の街には楽しいことがたくさんあるって! でも、お父様が出てはいけないからって夕方には帰りますから…ずっとずっと気になっていたのです!!!」

「そ、それはその…そうかもしれないですけど、さすがにこの時間はちょっと…」

「うぇえええーーーーんっ、夜の街は怖いですわーーーー!」

「どういう心境の変化ですか!? これが噂の乙女心なんですかぁぁああ!?」


 訳がわからないことを言い出すのはいつものことだが、明らかに主張が逆転している。

 さすがのペーグも、こんなベルロアナは見たことがなかったので翻弄されてしまう。


 ちなみにこの症状を『躁鬱《そううつ》』、または双極性障害と呼ぶ。


 躁《そう》とは、気分が盛り上がってハイテンションになる状態であり、鬱《うつ》とは文字通りに「うつ」になって落ち込む状態を指す。

 これを突然交互に繰り返すため、実生活における正常な判断力と他人からの評価に大きな支障が生まれる。


「あははは! ああ、わたくし、お花畑におりますわぁ。あっ、お母様! 元気になられたのですわね!! 本当に良かった!! ううっうぇええええーーーんっ!! お母様あぁあああああ! 行かないでぇええ! おええええええ!」

「ぎゃーーーー」


 もう訳がわからない。一つだけ確実なのは、嘔吐したものを受けるのはペーグの役目だということだ。

 彼の頭は胃酸に塗れている。また彼女は新しいプレイを開発してしまったらしい。




「お、お嬢様、大丈夫ですか!? やっぱり気分が悪いんじゃ…」

「ふーーふーー、大丈夫です…わ。ちょっと気持ち悪くなっただけで…ふーー、ふーー」

「そ、そうですか。それはよかったです。い、一度降りましょうか」

「はぁはぁ…そうですわね…はぁはぁ」


 一度ベルロアナを降ろし、ペーグは彼女の背中をさする。

 するとまた泣き出した。


「ううっ…ううっ…」

「お嬢様、どうされたのですか? 何が哀しいんですか?」

「ぐすぐすっ…どうせ私は『イタ嬢』ですわ。今日だってがんばったのに…そのはずなのに…みんなの視線は…まるで腫れ物を見るようで…」

「あっ、自覚はあったんですね。とと、そうじゃなくて、それはなんとも…酷い話ですね」

「…本当ですわ。わたくしだって…次の領主になんてなりたくないのに…重圧に押し潰されてこんなことに…これもお父様が兄か弟を作ってくださらなかったからですわ」

「そ、それはその…そう言えなくもないですね。はい」

「ねぇ、ペーグ。わたくしは子供をたくさん産みますわ。そのほうがきっと幸せですもの。友達がいなくても家族がいれば孤独になんてなりませんもの。そうでしょう?」

「は、はぁ…世の中には仲の悪い家族もいますが…」

「うぇえええええええええんっ!! 絶望ですわぁああああ!」

「あああ、申し訳ございません! う、嘘です! 嘘です!!」

「やっはー、嘘なんですわねええええ♪ らんらーんっ!! じゃあ、お父様に伝えてこないといけませんわ!! わたくし、子供を作るのですわー!」

「は、はぁ、それはまあ…今後の話ということなら微笑ましい…」






「お父様ーーーー! 子供が出来ましたのーーーー!! ペーグの子よーーーー!」






「っっっっ―――!?!?!?!??!?!!!!!」



 ばきんっ

 思わず飛び出た目で、ペーグのフルフェイスの兜が割れる。



「お、お嬢様…な、何を…!? 何をぉおおおお!?」

「あははははは!! お父様ーーーー! 聞いてーー! 大ニュースですわーーー!」

「いや、ちょっ!!! 待って!! 待ってぇえええええええ!! 何かおかしいことにぃいいい! あっ、痛っ! いたい! 腰が痛い!! あああ、待ってえぇええ!! 速い! 意外と速い!!」


 ただでさえ腰を痛めているのに馬の真似をしたので、腰が悪化。

 ひょこひょこと追いかけるが、思った以上にベルロアナが速かった。

 凄まじい勢いで領主がいるであろう部屋に走っていく。


 嫌な予感が止まらない。

 止めなければ大変なことになりそうな気がする。




329話 「サンバでマンボ! 愛のベルロアナ・ヒーハー! 中編」


 その頃、領主であるアニル・ディングラスは―――


「ううむ、頭の痛い問題ばかりだな…」


 執務室で机に向かいながら都市の今後について考えていた。


(これ以上の人口増加は危険だな。外部からの大量流入に都市の生産力が追いついておらん。もともと産業の種類には限界があるしな…仕事がなければ雇いようがない。かといって制限を設けると旨味がなくなる。流入と入れ替わりがあるからこそ物流が生まれるのだ。一人ひとりはたいした金にはならんが、集まれば馬鹿にもできん。そういえば移民間のトラブルも多くなっているとかミエルアイブが言っていたな。しかし、人口管理には干渉できても内政には関われんからな…)


 『領主』という名前から想像すると内政ばかりやっているイメージだが、実際の領主の仕事の大半は【外政】に集中している。

 日本の政治を見ていると、内政の問題で足を引っ張られて海外での大事な会議に出席できない、ということがよくあるだろう。

 当然これは日本に限ったことではなく、他の国でも往々にしてよくあることである。

 基本的に国家は自国のことしか考えていないのでそれでも何とかなるが、この大地では外部勢力とのやり取りは死活問題である。

 言ってしまえば戦国時代のようなものだ。下手をすれば明日には他国に攻められて滅ぼされることもある。それが当たり前の場所だ。


 となると、外政を疎かにするわけにはいかない。


 自国の軍事力を強めて防衛力を維持することは当たり前としても、どの勢力と手を結び、どう生き残っていくかが重要となるのだ。

 そういった基本戦略を練るのが領主の仕事となっている。それが一番大事だからだ。

 今しがた述べたように内政に忙殺されて外政が疎かになれば、いつの間にか周囲が敵だらけになっていた、ということもよくある。

 複数の敵同士が集まった場合、必ず一対多数という状況が生まれる。なぜか三つ巴にはならない。

 蛇や蛙やナメクジのような、よほど種族が違うのならばありえるかもしれないが、人間同士が対立すると敵同士が手を組んで、まずは誰か一人を集中して倒そうとする。

 それが弱い者になるのか、あるいは強い相手を弱い複数の敵が囲むのかはわからないが、その標的にならないように気を配る必要があるのだ。



(グラス・ギースの北には火怨山がある。西は未開の大地で魔獣だらけだ。東もそう簡単に攻められる地形ではない。南にだけ気を配っていればよいのだが…その南も面倒が増えつつあるようだな。植民地間の戦いが激化すれば、人口流入はもう止められないかもしれん。となると、海を挟んでいるとはいえハピ・クジュネも安泰ではない…か。この問題はまだいい。ハピ・クジュネが攻められたら考えればいい話だ。だが、万一にもそうなる前に手を打っておかねばならぬな)


 最近の人口流入には明確な原因がある。

 ハピ・クジュネから海で対岸に渡ると、そこから南には大きな大地がある。(陸続きなので、迂回して回ることも可能)

 若干大雑把な地図となるが、この黄色で記された場所が未開の大地だ。(肌色の部分は、何かしらの国家がある地域)


<i369140|16509>


 火怨山の最北端から南の大地の最南端まで含めると、未開の大地だけで地球の全長とほぼ同じ距離があるので、組み立てると細長の小さめの地球が出来てしまうくらいである。

 これだけ膨大な土地が余っている状況なのだ。これも大災厄や人々の闘争によって荒廃分断した結果である。


<i369215|16509>


 次の地図にはいくつかの色がついた箇所があるが、それが植民地となっているエリアである。(西側は主に西側諸国、東側エリアは主に東側の国家が広げた地域。色が付いているからといって支配権を確立したわけではない)

 半分とまではいかないが、三分の一程度には各勢力が入植を開始している現状が見て取れる。

 入植する側としては、主に魔獣や現地人(西や東、世界中から逃げてきた者たち含む)との争いが中心なのだが、ここ最近では各植民地同士の争いも激化しているという。


 特に【ラクス・エン・ダーニア〈東花樂宴国《とうからくえんこく》〉】という植民地が、他の勢力に対して攻撃を仕掛けているという話をよく聞く。


 最北端のグラス・ギースの領主であるアニルの耳にも入ってきているので、相当大きく動いている様子がうかがえる。

 ラクス・エン・ダーニアの親元は「ニアージュ王国」という旧ベズトランク王国系の国家で、西側でもそこそこ力のある中規模国家である。

 ベズトランク王国というのは、今から二千年前まで西側にあった巨大連合国家であり、【赤騎士】と呼ばれる【剣王】が生み出したことで有名だ。

 剣王の死後、求心力を失った連合国家が少しずつ分裂していき、大小さまざまな国家が独立することなる。ニアージュ王国はその中の一つなので、こういった国を「旧ベズトランク系国家」と呼ぶ。

 ニアージュは前にガンプドルフが副官と話をした際に少し名前が出た国でもあり、百軍将と呼ばれる強い武人を抱える軍事国家だ。

 と、話が長くなるので割愛するが、彼らもまた西側では劣勢に陥っており、東側に勢力を伸ばそうとしている。このあたりの事情はDBDとかなり似通っている部分が多い。


 そしてこのラクス・エン・ダーニアには、これまた以前アンシュラオンがロリコンから聞いた「女スレイブ将軍」と呼ばれる、スレイブでありながら総司令官に任じられている将軍がいる珍しい入植地でもある。


 そこが今、他の地域に積極的に攻撃を仕掛けているらしく、それによって南地域が荒れている状況にあるようだ。

 幸いながらラクス・エン・ダーニアの軍勢はあまり数が多くなく、しかもあまり強くないという話なので侵略の速度は遅いものの、その混沌ぶりから次第に悪影響が出ているという。

 これはまた詳しく述べることになるだろうが、南が荒れている以上、そのしわ寄せが北に来ないとも限らない。現に影響はあるので対策を練らねばならないのだ。


 現在のところ領主が気にするべき問題は二つ。

 一つはDBDとの交渉による軍事力の強化。もう一つが人口増加解消のための【都市増設計画】である。

 これは二つ別々に生まれたものだが、結果的には一つの問題と言い換えることもできる。



 つまりは―――【新たな都市の建設=DBDを含む移民たちの都市の誕生】



 ということになるからだ。

 この問題は非常にデリケートで、安易に決断できないリスキーな要素がいくつも内包されている。

 だから日々頭を痛めているのだ。


(西側の人間と一緒に暮らすのは不安も大きい。毛嫌いしている者が大半だしな。やつらが独自の都市を持つことも危険だ。南の情勢変化のように、いつ変な気を起こすかわかったものではない。…が、あまり時間をかけると自分たちでやりかねんからな…)


 現在ガンプドルフたちが都市にいないのは、彼らが自分たちで資源調達に動いているからである。

 名目は危険な魔獣の駆除によるグラス・ギースの安全確保、となっているが、そんなものを信じるほどアニルも馬鹿ではない。

 彼らは魔獣を狩りながら新都市の建造場所と資源を探している。それは間違いない事実である。

 なぜこうなっているかといえば、グラス・ギースの援助が少ないからだ。

 グラス・ギースもまた豊富な資源を持っているわけではない。新しい都市を生み出すほどの物資を買うなど夢のまた夢である。

 なにせ第四城壁も造りかけで放置されているくらいだ。その段階で金はとっくに尽きている。


(産業が活性化すれば、その金で物資は買えるが…その活性化の手段がない。無い袖は振れんし…無理をしても見返りが少なく、最悪は資源だけ取られるという可能性もある。そのあたりをもっと詰めたいが…ハングラスの小倅《こせがれ》は忙しいのなんので全然取り合ってくれん。時間をかければかけるほど不利になるというのに…)


 意外なことに領主も仕事はしっかりしている。

 モヒカンも言っていたが、領主はとりわけ有能ではないというだけであり、それなりに普通に領主としてはがんばっている。

 妻のキャロアニーセの影響もあって、できるかぎりは都市内部の問題にも手を出そうとはしているのだ。

 ただ、動こうにもしがらみが多くて動けないにすぎない。物資を得るにもゼイシルとの折衝が必要だ。


(しかし、最近は今まで以上に動きが鈍いな。ゼイシルが商機を見逃すとは思えん。やはり何かあったのでは…)




 と、薄々ながら昨今の事態の深刻さに気付き始めた頃―――それを実感させる【悪夢】がやってくる。




 バタンッ


「お父様!!」

「うおおっ! びっくりした!! なんだ、ベルか!! こんな夜中にどうした?」


 突然扉が開き、ベルロアナが入ってきた。

 その顔は興奮で真っ赤になっている。


「なんだか眠れないの…興奮してしまって……」

「おお、そうかそうか。昼間はがんばったようだからな。お前もだんだんとキャロアニーセに似てきたぞ」

「本当?」

「もちろんだとも! お前は将来、立派な跡継ぎになるだろう。わしとあいつの子なのだから当然だ。はははは!」


 アニルはベルロアナには非常に甘い。

 昼間の行動の真相はすべてファテロナから報告を受けているが、とりあえずがんばったことを全肯定である。

 他人の不幸より自分の子供の幸せが重要だ。このあたりはアンシュラオンと考えが酷似している。


「はぁはぁ…お父様、孫が欲しい?」

「ん? それは…まあ、そうだな。お前しか子供がいないのだから、孫がいなければディングラスの血が途絶えてしまうな。…と、そういう話ではなかったな。単純に欲しいぞ! だが、まだまだお前を嫁にやるわけにはいかないな。お父さんよりも立派で強い相手じゃないと駄目だからな。うん、そんなやつはおらんな。では、一生無理かもしれん!! わしは一向にかまわんぞ!!」


 孫が生まれなければ血が絶えると言っているくせに、なんという親馬鹿発言であろうか。これも誰かさんと似ている。



 だが直後、衝撃の言葉を聞くことになる。



「わたくし…出来た…みたいで……はぁはぁ、お父様に…教えないと…はぁはぁ」

「ん? 何がだ?」

「ふひひひ、ふふふふっ!! 子供が出来たの!!!!!」

「……は?」

「そうよ、ふふふ! 子供が出来ましたの!! 可愛い可愛い子がああ!! できましたのよーーーーーーー!!」




 バタンッ!!


 そして、ようやくにしてペーグが追いつく。




「りょ、領主様!! お嬢様がここにいらっしゃっ―――」





「ペーグの子が―――出来たのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」





「「 っ―――?!??!!?!?? 」」




 領主とペーグが、目を飛び出させて驚愕する。

 アニルの飛び出た目はペーグを凝視し、ペーグの飛び出た目はベルロアナを凝視する。


 なんたるカオスな空間。


 事態は混迷を深めていく。





 それから数分、誰も何も語らなかった。




 時々ベルロアナが笑ったり泣いたりするくらいで、男二人はどちらからも言葉を発しなかった。


「べ、ベル…今なんと言ったのだ?」


 領主がショックから解放されたのは、それからさらに二分後だった。

 このまま放っておくわけにもいかないので、慎重に恐る恐る自分の娘に話しかける。

 するとそれにテンションが上がったのか、ベルロアナが叫ぶ。


「ひひひ、ヒーーハーーー!!! あははははは!! 出来たのおおお! ペーグの子があああ! 出来ましたのよぉおおおおおおお!」

「…ペーグの? 本当か?」

「あははは! だって、ズンドコズンドコ踊ったのですもの!! 出来ますわーーー!」

「はわわわわっ!!! ち、ちがっ! これはちがっ!! 違うのです!!」


 「ズンドコ」という韻には、いろいろな捉え方がある。

 一般的には歌に使われることが多く、リズム的な意味で捉えることもできるが、「子供が出来た」というキーワードが悪魔の言葉に変える。



 ズンドコ ズンドコ = ズンズンッ バッコン バッコン




「―――びきっ!!!」

「ひっ!!」


 アニルのこめかみに青筋が立ったのがわかった。音が聴こえたのだ。本当だ。

 それを聴いたペーグが、突如呼吸困難に陥る。


「あ、あの…その…はぁはぁ、はーーはー、あれ? なんだか呼吸が…はぁはぁ、苦しいなぁ。こんなの子供の頃のお遊戯会以来で…はぁはぁ! く、苦しい! い、息ができない! どうして!?」


 心臓がばっくんばっくん脈動し、足も震えている。

 自分は何も悪くないはずなのに、なぜこんなことになっているのだろう。一番訳がわからないのがペーグその人だろう。


「…ペーグ」

「は、はひっ!」

「そこに座れ」

「…ははぁあ!」


 ペーグは正座する。

 腰が痛むので嫌なのだが、この場でそんなことを言ったら腰の前に人生そのものが終わってしまうだろう。

 謝罪の意味を込めて、ほぼ土下座に近い姿勢となる。


(ああ、怒られる。絶対怒られるよ。というかお嬢様はどういうおつもりなのだろう? まさか本当に自分と…? いやいや、そんなことはないでしょう。お嬢様は子供の頃からの付き合いだけど……待てよ。だからか? あの噂の『おにいちゃんと結婚するんだー』的な現象なのか!? まさかそんな…お嬢様と自分が? いや、困っちゃうな! だって自分はスレイブだし。おっと、だからこそ燃えるとかそういうパターン? いやー、どうしようーーー)


 と、安穏に構えていたペーグの視界が急に暗くなる。

 領主のアニルが近寄ってきたので照明に影が生まれたのだ。



「いやあのこれはその…すみませ―――」





「死ね! ペーグッ!!!」





 バッゴーーーーンッ



「ぎゃーーーーーーーー!!! 腰がぁあああああ!」



 アニルがペーグの腰を剣でぶっ叩いた。

 土下座に近い状態だったので、腰が一番打ちやすかったのだろう。


 そしてそこは、彼の一番の急所であった。




330話 「サンバでマンボ! 愛のベルロアナ・ヒーハー! 後編」


「うおおおおっ! うおおおっ! 腰がぁああ!! 領主様、な、何をなさるのですかぁああああ!? 死ぬ! 死んじゃいますよぉおおおお!」


 鎧を着ているとはいえ剣の一撃を受けたのだ。それはもう泣きそうなくらい痛い。

 あまりの痛みにゴロゴロ転がるが、アニルの怒りが収まることはない。


「それはこっちの台詞だ!! ベルに何をした!!」

「ひぃいいっ!!! 鬼みたいな顔になっていますよ! って、前からですかね?」

「死ねっ!!!」

「ぎゃーーーっ! 待って、待ってくださいいいい!! 誤解なんです!! 話を聞いてくださいぃいい!」

「何が誤解だ! ベルの様子が明らかにおかしいではないか!!! 貴様、ベルを襲って手篭めにしようとしたのだろう!!! おおおお、なんという怖ろしいことを!!! わしの娘がこのようなゴミに穢されるとは…!! 女神すら怖れぬ行為よ!! ゆ、許さん!! 絶対に許さんぞ!!」

「絶対に誤解しておられますよおおおおおお!! じ、自分は、こ、腰が痛くて…それどころでは!」

「なにぃいいいいい!! 腰が痛いだとおおおおおおお!! 貴様!! その腰でサンバを踊ったのかぁああああ!! 許さん!! 許さんぞ!!!」

「ち、違うんです!! 自分はお嬢様を乗せただけでして!! ある意味、踊ったのはお嬢様だけというか…」

「なにぃいいいっ!? ベルを乗せてサンバを躍らせただと! この腰か! こいつか! こんな汚い腰でベルにサンバを…!!」


 ドンドンッ ガンガンッ


「ぎゃーーー! 腰がぁああーーーー!」

「お前の腰など一生使い物にならんようにしてくれるわ!!!」

「違うんですぅうう!! 本当なんですぅうう! さ、サンバなんて踊っていなくて…! むしろマンボなら昔習ってましたが…」

「サンバのリズムでマンボを踊っただと!? 器用な真似をして楽しみおって!! このクズが!!」

「どういう耳をしているんですかっぁあぁあぁl?!」

「ふひっひひひっ!! っ!!! いやぁあああああ!! やめてくださいぃい!! わたくし、そんなことできませんん!! いやぁあああ! そんな太いの、わたくしの中に入りませんわぁああ! やめてぇえええ!」

「っ―――っ!?!??」

「ペーグぅうううううう! 貴様あぁああああああああ!!」

「ち、違うんですぅうううう!」


 ちなみに情緒不安定なベルロアナが叫んでいるのは、注射のことである。

 過去の嫌な体験ばかりが思い出され、恐慌状態に陥っているだけだ。


「どうせわたくしはイタ嬢ですわ!! 痛い女ですわぁあああああ! そうでしょ、ペーグ!!」

「あひっ!? 今ここで振らなくても…! しかしスレイブたるもの、いついかなるときも主人にお仕えいたします!! お嬢様、そのようなことはありません!! けっしてご自分を卑下なされませんように!! 僕はいつだってお嬢様の味方ですからね! キリッ!」

「うう、やっぱりペーグは優しいのね…! ひゃっはー! それじゃ一緒に踊りましょう!! サンバでマンボぉおおおおおお! ウィッヒーーー! ご機嫌だわぁああああ! ズンドコズンドコッ!!」

「貴様!! そうやってベルをたぶらかしたのかあああああ!! 純真なベルに変な知識を与えおって!! 死ね! 死ね!!」


 ドゴッドゴッ!!


「あひーーーー! いったーーーーーいっ!! 自分はどうすればいいんですかーーーー! た、助けてぇええええ!! 誰か偉い人、助けてぇえええ!」

「エロい人だとぉおおおおお! どれだけ卑猥な男だ!!」

「もう死にたい!!!」


 何をやっても裏目に出る。そういう星に生まれたのだ。仕方ない。





「ええい、出合え!! であえーーーいっ!」


 ガチャッ ドタドタドタッ

 領主の掛け声で扉の外に待機していたスレイブ騎士たちがやってくる。


「はっ、お呼びでしょうか!」

「ペーグをひっ捕らえろ!!」

「へ? ペーグを…ですか?」

「そうだ! こいつがベルに…ベルに…ぐうううっ!! サンバを踊りおったのだああああああ!」

「さ、サンバ?」

「サンバのリズムでマンボを踊ったのだ!! 軽快にズンドコな!!」

「そ、そのような高等な技が扱えるのですか!? …ん? ズンドコ? 踊りながらズンドコはやっぱり難し……」

「そんな話はどうでもいいわ!! いいからひっ捕らえろ!!」

「は、はいぃいいいい!! ペーグ、覚悟しろ!!」

「ひ、ひぃいいい!」


 スレイブ騎士たちが腰を痛めて倒れているペーグを取り囲む。

 状況はよくわからないが、ここまで領主が激怒することなど珍しい。となれば相当な事態が起こったのだろうと推測ができる。

 ベルロアナの顔が興奮して紅潮していたため、あらかたの事情は察したようだ。

 同じスレイブ同士なので面識もあるのだが、その目は冷たかった。


「ペーグ、やっちまったな。そりゃお嬢様はどんどん可愛くなっていくが、そりゃないぜ。正直、軽蔑だな」

「違いますぅううう! 自分は何もやってないんですよぉおお!」

「この状況でそりゃないって。苦しい言い訳だな。お前ならいつかやると思ってたよ。俺は予想通りだったね。どうせ中身なんてどうでもよくて身体目的だったんだろう? ぺっ、スレイブの面汚しが」

「そうそう、お前みたいなやつがいるから俺らが誤解されるんだよ。男のクズ…いや、人間のクズだな。ゲス野郎が」

「信じてくださいよぉおおおおおお!」


 さすが領主のスレイブたちである。信頼関係など皆無だ。

 友達が罪を犯したときは、ぜひこう言ってあげよう。



―――「彼ならいつかやると思っていました」



 と。




「ぐううっ! こんなものでは怒りは収まらん!! どうなっているのだ! そうだ! ファテロナ! ファテロナは何をしていた!!! あいつを呼べ!! 今すぐ呼べ!」

「私はここです!!」


 ガコンッ

 天井が開いてファテロナが出てきた。


「どわっ!! びっくりした!! なんでそんなところにいる!!」

「こんな面白いこと、このファテロナが見逃すはずがありません! お嬢様が部屋を出た時からばっちり見ておりました! いえ、厳密に言えば本日のご夕食後からずっとお嬢様のベッドの下に忍んでおりました! はぁはぁ、私がベッドの下にいても気付かないお嬢様…! も、モエルゥウゥウウ!!」

「ストーカーか!? 病気だぞ!!」

「ありがとうございます!」

「褒めてないからな! それよりファテロナ! これはどういうことだ! 貴様はベルの護衛だったのだろう!! なぜこんなことになっている!!」

「お嬢様の成長を見守るのが私の務めでございます! サンバを止める権利などございません!」

「そこは止めんか!! ほ、本当なのか!? 本当にベルに子供が…!!」

「そ、それは…私からは申し上げられません…! ううっ…かわいそうなお嬢様…! サンバのリズムだけでも難しいのにマンボまでやらされ…! ウーーーマンボッ!!」

「っ!! その反応! まさか本当に…サンバでマンボを踊った結果、わしに孫が…」


 嘘は言っていない。

 踊っていたのは事実だ。むろん、それだけであるが。


(ぐひゃひゃひゃっ、お嬢様がこんな面白いことになるなんて! うひひ、タノシイイイイイイーーーー! ひーー、死にソーーー! 笑い死にシソーーー!)


 ファテロナの顔がぐにゃりと歪む。実に楽しそうである。

 正直、彼女のほうがラリっているのではないかと思うときがあるが、これで正常である。

 いや、常に異常なのが正常である。


 レッツ、ウーーーーマンボッ!!




「ペーグは処刑だ!!! 公開処刑にしてくれる!」

「ひぃいいいっ! お許しをぉおおお! どうかお許しをぉおおお!」

「許すと思うか!! わしのベルに手を出したやつは処刑だ!」

「何もしていないんですよぉお! 本当なんですぅ!」

「見苦しいぞ! さっきから自己弁護ばかりではないか! 自分の子供を案じる言葉の一つもなく、なんという卑劣な男だ!!」

「だってぇええ! 本当に何もしていないからなんですよぉおお! せめて本当に触れたら幸せなのに!」

「きさまぁああああああああああああああ!!」

「あっ、違う! これは違うんですぅうううう!」


 事態はどんどん悪化していく。

 ペーグの命運はアンシュラオンと出会った瞬間には尽きていたのだ。まさに疫病神でしかない。




 だがここで、救世主が現れる。





「待って、待ってくださいーーー!」




 バタンッ

 慌てた様子でクイナが現れた。


「むっ…お前はたしか…ベルの…」

「く、クイナ・グイナです。です!」

「何の用だ。今は忙しいのだ! 出て行け!!」

「ううっ…そ、その…お嬢様はその……あの…あの…あのあのっ!」

「なんだ! はっきりせんか!! ええい、鬱陶しい! 今のわしは苛立っておるのだ! さっさと追い出せ!」

「クイナちゃん、今は近寄らないほうがいいって」

「で、でも…でも、これ、これ…」


 スレイブ騎士もクイナを心配して外に追い出そうとするが、クイナはなかなか出て行こうとしない。

 見ると、彼女は手に何かを持っていた。


「あの、あの、これ…あっ」


 ボトッ ザザザッ

 クイナが揉み合いの拍子で、持っていた『白い粉』を落とす。


「何をやっておる! 床を汚しおって!」

「ひうっ、こ、これ…これ…が……」

「それがなんだというのだ!!!」

「あううっ!!」


 大きな声で恫喝されたクイナは震えて動けなくなる。

 ただでさえ相手は苦手な大人の男なのに、このいかつい領主の顔である。普通の少女では耐えきれない迫力がある。

 しかし、そのクイナの前にファテロナが立つ。

 そして、ビシッと恒例になったエア眼鏡をかます。


「領主様、一つよろしいでしょうか」

「なんだファテロナ! お前まで何か言いたいことでもあるのか!」

「…よろしいのですか?」

「…何がだ?」

「この少女は今回の事件の鍵を握る重要参考人ですよ。それを追い出してもよいのですか?」

「どういうことだ? そいつが何か知っているのか?」

「その前に確認いたしますが、領主様はクイナの名前すら満足に覚えておられなかった。そうですね?」

「…それがどうした。白スレイブの名前など、どうでもよかろう」

「私は思うのです。領主様がそうやってお嬢様の周辺に興味を示さなかったから、このような出来事が起きたのではないか…と」

「な、なにぃ! どういうことだ!」

「お嬢様は常々寂しい思いをされてきました。それを…それをどれだけご理解しようとなされましたか!!! くうっ!! かわいそうなお嬢様! だからペーグなどというクズに騙されて…あああ、なんて不憫な! すべては領主様に、自分の父親に―――」


 ぐうううううっと身体を縮込ませてから―――



「かまってほしいがゆえの過ちだったのですよぉおおおおおおおおおおお!!」



 ぶわっと両手を広げる。

 ブレないファテロナのオーバーアクションである。

 これに意味はない。当人の気持ちが盛り上がったにすぎない。


 だが、無意味なわりに効果は―――絶大。



「ガーーーーーーンッ!! まさか…すべてわしの…せい……なのか」



 アニルは大きなショックを受ける。

 ファテロナの言う通りだ。自分は娘の友達に対しても興味を示さなかった。親の無関心が子供を誤った方向に向かわせたのだ。

 娘はただ、親にかまってほしかっただけなのに!!!

 領主は、がくっとうな垂れた。


「くうっ、すまぬ! ベル、すまぬ! お父さんが悪かったのだ!!」

「そうです! 領主様が悪いのですよ!! 私が断言します!」

「そうだ! わしがすべて……ん? んん? わしはこういうときのためにファテロナを傍に置いているはずだが……はっ!! 貴様!! 自分のことを棚に上げてわしだけのせいにするでない!!」

「ぐへへっ!! バレましたかーーー!」

「かあああ! ファテロナ! いつもいつもふざけた態度で茶化しおって!! 今度という今度は許さんぞ!! どう責任を取るつもりだ!!」

「くくく、領主様。私は申し上げましたよ。今回の鍵を握るのは…クイナだと!!」

「なに!?」

「彼女が持っていたその白い粉こそ、今回のキーアイテムですよ!! 私などにかまっている暇はないはずです!」

「また言い逃れを…」

「それは―――」




―――「【麻薬】です!!」




「…なっ!! ま、麻薬…!?」


 その答えをまったく想定していなかったアニルは、安全に動きが止まる。

 思考が定まらないときの人間の表情というのは実に面白いものである。


「そうです!! それこそお嬢様を狂わせた、すべての元凶なのです!! 私は悪くありません! では、これにて失礼!」


 しゅっ ガコンッ

 そう言い放つと再び天井に隠れた。

 麻薬に注意を引き付けている間に自分は雲隠れする。さすがファテロナ、卑劣である。

 だが、今はファテロナにかまっている暇さえ惜しい。


「まさか…ベルが麻薬を…? なぜそんなものを…どうやって手に入れたのだ…」


 思考を整理するために目をきょろきょろと動かした領主と―――ペーグの視線がぶつかる。

 そして、ふと答えにたどり着く。

 ペーグ = 卑猥なサンバを踊る男 = 悪いやつ = クズ = 麻薬

 ピコーーーーンッ!


「ペーーーーーーグゥウウウウッ!! 貴様かぁあああ! ベルを麻薬漬けにしおったのは! 意識を奪ってサンバでマンボを踊ったのか! このクズが!! 簡単に死ねると思うなよ!!」

「初耳!?? し、知らないですぅうううううう! 自分じゃないんですぅううう! 麻薬なんて知らないですうううう!!」


 ペーグ、最悪の展開。


「ヒーーーハーーーー! あはははははは! あーーー、たのしいーーーー! うわーーーーんっ! こんな世界なんて嫌いですわーーーー! うひゃひゃひゃっ! 最高ですわーーーー! もっともっと粉をぉおおお! おえええええええっ!」



 もう大惨事であった。


 しかし、この事件によって事態が急速に動き出したのは間違いない。




331話 「領主、超激怒!!!」


「ミエルアイブを呼べ!!!」


 その領主の声で、非番だったミエルアイブが領主城に呼び出されたのが、およそ十五分前のことだ。

 彼は部屋に入った瞬間から、赤鬼のような激しい形相の領主の圧力に晒され、額から大粒の汗を流していた。

 アニルの激怒はまったく収まらない。それどころかますます大きくなっていくようだ。


「ミエルアイブ! 貴様は何をやっていた!! 都市の治安維持はお前の役目だろうが!!!」

「も、申し訳ありません!! すべては私の不徳の致すところです!」

「そうだ! お前が悪い! 今回の一件、どう責任を取るつもりだ!」

「そ、それは…その…申し訳ありま…せん」

「お前の謝罪を聞きたいわけではない! どう責任を取るかと訊いているのだ!!」

「は、はぁ…それはその…なんと申し上げますか…私個人ではもうどうにもならないことでありますので…お嬢様の件は本当に残念でありまして…」

「残念だと!! ベルに子供が出来たことが残念だというのか!!」

「はひぃいっ!! 素晴らしくおめでたいことであります!!」

「ふざけるな!!! クズにサンバを踊らされて出来た子が幸せだと思うのか!!! もっと真剣に答えんか!!」

「ひぃいいいい!!」


 どちらの答えを述べても怒られるのだ。こんな理不尽な拷問はない。

 アンシュラオンとの出会いからもわかる通り、アニルも普段からこんな感じである。このあたりはアンシュラオンと性格が非常に似ている。


「ふーーーーふーーーっ!!! まあいい。どうやら子供の件はベルの勘違いだったようだしな。ファテロナ、そうなのだな?」


 アニルがファテロナに視線を移す。

 さすがに事が事なだけあり、あのあと天井に煙を撒かれて(バル〇ン的に)強引にあぶり出されたのだ。(その後、領主からめっちゃ怒られた)


「はい。お嬢様を穢してよいのは私だけです! そこは信用してくださいませ!」

「お前も駄目に決まっておろうが!! いかんいかん! ベルは誰にも嫁にやらん! 子供の頃、わしと結婚すると言ってくれたのだからな!! わし以外の男は認めんぞ!」

「…気持ち悪っ、おえっ」

「っ!?!? ファテロナぁあああ!! そんなことを言えた立場か!」

「申し訳ございません。つい本音が出てしまいました」

「くっ、貴様ら…わしがどれだけ本気で怒っているのかわかっておるのか? ふーー、ふーーー! 怒りで今すぐにでも誰かを八つ裂きにしたい気分だ!」


(『貴様ら』ということは、私も含まれているのだろうか…? 寝ていたら突然叩き起こされてやってきたが…なぜこんな目に遭うのだ? やはり家を売ったことが悪かったのか? 母さん、僕は今、とても不幸です)


 ミエルアイブにしてみれば、ただのとばっちりだ。

 だが、領主に逆らうわけにもいかなので、ひたすら耐えるしかない。


 そんな時である。ようやく救いがやってくる。


 コンコンッ



「入れ」

「し、失礼いたします」


 入ってきたのは、あの時に廊下でベルロアナとすれ違った侍女である。

 彼女もペーグに任せてしまった手前、非常にばつが悪そうな表情をしている。

 本当は来たくなかったのだろうが、領主から特別な使命を与えられているので、その報告にやってきたのだ。


「…どうだった?」

「は、はい。その…問題ございませんでした。お嬢様は『乙女』です。『子供はどうやって産まれるのか』とお訊ねしたところ、『パンパン鳥が連れてくる』とおっしゃっておられました。そのあたりは正しく認識しておられないようです。ですので、一時的な錯乱状態による虚言か勘違いだったのでしょう」

「…ふぅうううううううう、そうかそうか。それならばよいのだ…ふぅうう」


 その答えを聞いたアニルは深い息を吐いて脱力し、机に突っ伏してしまった。

 死ぬほど怒っていたので、その反動がやってきたのだ。今はまるで、しぼんだ風船のように力が抜けている。


 侍女に与えられたのは―――『処女』かどうかの確認。


 幸いながらベルロアナは処女であった。

 これによって子供の一件は、彼女の麻薬中毒による幻覚であることが判明する。

 それはそれでよかったが、もう十四歳なのにその程度の性知識というのが驚きである。



 そして、これによって領主が都市内部の治安悪化について厳しくミエルアイブを詰問することになる。



「ミエルアイブ、都市の治安はどうなっている? わしは簡単に麻薬が手に入るような街にしたつもりはないぞ」

「はっ! 我々は領主様が統治なされるグラス・ギースをより良い都市にするため、日々尽力しております! 衛士隊は責務を果たしていると自負しております!」

「ではなぜ、このようなことになっている! 責務を果たしておらんから、こうなったのではないのか!! それをどう説明する!!」

「は、はぁ…そ、それはその…領主様もご存知の通り、麻薬の取り扱いにつきましてはラングラス一派の管轄でして、我々衛士隊の権限では摘発は困難でありまして…」

「麻薬の取引があっても関知しない、ということか? 売人がいても見て見ぬふりか?」

「は、はい! それが伝統的な慣習であります!」

「馬鹿もん!! 何が伝統的な慣習だ!! それで治安が守られていると言えるのか!! 麻薬中毒者が溢れかえる街など、ただの恥晒しではないか!! そんなことで健全で安全な都市が維持できると思っているのか!! 麻薬など堕落の象徴であろうが!!」

「ええええ!? で、ですが以前は『麻薬は金になるから放っておけ』とおっしゃられていたような気が…」

「なんだそれは。市民を愛するわしがそんなことを言うわけはあるまい! 貴様らはすぐに自分のミスを他人のせいにする! 恥を知らんか!!」

「はい!! 申し訳ありません!! 自分で自分が恥ずかしいであります!!」

「まったく、それでも上級衛士隊か! 使えんやつらめ」


(前と言っていることが違う…)


 以前ミエルアイブは、上級街における麻薬中毒者の増加に対して上申書を提出している。

 たしかに麻薬はラングラスの縄張りではあるのだが、上級街で氾濫するとラリって暴れる労働者が増えるので安全が著しく損なわれるし、売人がたむろするだけで景観が悪くなる。

 中毒者同士の争いに衛士隊が駆り出されることも多くなった。上申書は、それに危機感を抱いてのことである。

 がしかし、当時のアニルは「ラングラスの領分だし、金になるから放置しろ」と命令していたものだ。

 さすが領主、もう忘れている。


「麻薬が氾濫している現状はわかった。だが、どういう経緯でベルに麻薬が渡ったのだ? あいつに麻薬を売りつけるような馬鹿は誰だ!」

「それは…いろいろな入手方法がありますので…」

「ベルが使っていたのは二等麻薬の『コシノシン』だったそうだな。それなりに高い麻薬だ。扱っている売人も絞れるだろう」

「…あの、もしかして売人を捕らえる…のでしょうか?」

「当然だ!! ベルに麻薬を売りつけた輩を許すわけにはいかん!! わしの可愛い娘を中毒者にしたのだぞ!! 極刑こそが相応しい処分だ!」

「は、はぁ…しかし、実際に麻薬を使うかどうかは個人の意識の問題かと思いますが…」

「なんだ? 何か言ったか?」

「い、いえ! 何でもありません! お嬢様に麻薬を売りつけるなど万死に値します!!」

「うむ、その通りだ。それで売人に心当たりはないのか?」

「その…衛士隊はあまりそちらに関与しませんので…申し訳ございません!」

「ふん、使えんやつめ。そうだろうと思ったわ。それで、ファテロナはどうだ?」

「はい。知っています」

「そうか…護衛のファテロナも知らないのならば………ん? 今なんと言った?」

「知っています。ずばっともっこり知っております。なぜならば、お嬢様の近くには必ず私がいるからです!! ビシッ!」


 と、謎のポーズを決めて自信満々に言うが、当然ながら領主は激怒である。


「貴様! そのような大事なことを黙っておったのか!!」

「今初めて訊かれましたので! 私は悪くありません!」

「ええい! お前と話していると頭がおかしくなりそうだ! それで、いったい誰だ!! 誰がベルに麻薬を売ったのだ!!」

「売られたわけではありません。『友達』からもらったのです」

「…ん? 友達?」

「はい。お嬢様の『友達』です」

「わしをまたおちょくるつもりか! ベルに友達などいるわけがなかろう! 嘘ばかり言いおって!!」


 実の親とは思えない発言である。驚愕だ。

 以前も馬車の御者が同じような発言をしていたが、彼らの中ではありえない現象なのだろう。


「少なくともお嬢様がそう思っていれば友達です」

「麻薬をくれるようなやつが友達なわけがあるまい!! ただの悪友ではないか!! くくうう、いつの間にかベルに変な虫がつきおって! どこのどいつだ、そいつは!」

「ホワイトという医者です」

「医者だと? なぜ医者がベルに…? 医者ということは医師連合に所属しているのか?」

「そのあたりはわかりません。私の知っていることは以上です」

「ミエルアイブ、ホワイトという医者を知っているか?」

「はっ、その名前は聞いたことがあります。たしか上級街に診察所があったと記憶しております。医者ならば麻薬を所持していることはおかしくはありません。渡した意図はわかりかねますが…」


 ミエルアイブは上級街を中心に動いているので、第一城壁内部以外の出来事には若干疎い面がある。

 そのため下級街や一般街で暴れているアンシュラオンの情報はあまり知らない。だからこの程度の認識なのである。

 領主もまたホワイトの名前を知らないのだ。情報が分断される城塞都市の悪い側面といえるだろう。

 引きこもってニュースも見なければ、消費税が上がったことにすら気付かないのと一緒だ。嘘のようだが本当にある話である。


 ただ、逆に上級街の出来事についてだけは詳しいので、このことは知っている。


「今思い出しましたが、以前ソイドファミリーがホワイトという医者を接待したことがあります。我々衛士隊も交通整理を行いましたので間違いありません。家紋入りの馬車で接待したのを見ました」

「家紋入りの馬車? 相当親密な関係だということだな?」

「はい。裏ではつながっている可能性があります。そもそも麻薬の入手は売人を介さなければできないことです。麻薬はすべて彼らが牛耳っておりますから」

「随分となめた真似をしてくれるではないか! わしのベルを麻薬漬けにした借りは何万倍にもして返してくれるぞ!! その医者をしょっぴけ!! それと麻薬の摘発を進めろ!! そうだ、工業街に製造工場があったな。そこを制圧しろ!!」

「で、ですがその…介入するとラングラスと軋轢が起こるのではないでしょうか。最悪は彼らと抗争関係に発展する可能性があります!」

「だからどうした。たかがラングラスの一組織だろうが! わしは領主だぞ! このような辱めを受けて黙っていられるか!! 抵抗するようならば力づくで制圧しろ!」

「ええええっ!? ラングラス最大の武闘派組織をでありますか!? 我々だけで!?」

「なんだ? 自信がないのか。わしらディングラス家は軍事を預かる身だ。相手がどこの武装組織だろうが勝てぬわけがなかろう」

「そのことに関しては大変光栄に思っておりますが…さすがにその…相手が……」

「ええい! 貴様は言い訳しかできんのか!! 降格させるぞ!! 外周組に回されたいか!!」

「ひぃいいいっ! や、やります! やらせていただきます!!」

「最初からそう言わんか! お前が口にしていいのは『イエス』のみだ!」

「イエス、ボス!!」

「うむ、わかればいい」


 部下にイエスマンであることを強要する。ぜひ真似してみたいリーダーシップ理論である。きっと毎日が楽しいに違いない。



「いいか、必ずベルロアナに麻薬を売りつけたやつを捕まえてこい! 牢獄にぶち込んで、死ぬまで後悔させてくれる!! そのためならば何を使ってもいい! DBDから仕入れた装備を使ってもかまわん! 使える物は何でも使え! 手段を選ぶな!」

「っ! そ、それならば…なんとか…!」

「とはいえソイドファミリーは強いからな。ファテロナ、お前も行け。お前ならば勝てるだろう」

「嫌です!」

「拒否できる立場か!! 今度という今度は許さん! お前がいながらベルが薬漬けになったのだ。役立たずでないことを証明してこい!」

「誤解です!」

「そこは認めんか! 事実であろうが!」

「見解の相違です!」

「ええい、黙れ! よいか! お前は前回、館に侵入した小僧を仕留め損なっている。そのせいでDBDに借りを作ったのだぞ! それがどれだけ高くつくかわかるか!? 次のミスは許さん! 今回もミスをしたら二度とベルの護衛はやらせんからな!」

「そんな権限は領主様にはございません」

「あるわ!! お前こそ何の権限もないだろうが! わかったなら、さっさと行け! 今すぐ行け!! 結果を出すまで帰ってくるなよ!!」



 バタンッ


 こうしてミエルアイブとファテロナは領主の部屋を追い出される。

 ひとまず領主の圧力から解放され、ほっとミエルアイブが息を吐く。


「…はぁ、生きた心地がしなかった。ファテロナ侍従長も災難でありましたな」

「ええ、まったくです。領主様の理不尽な怒りにも、ほとほとうんざりです」

「仕方ないでしょう。目に入れても痛くないほど可愛がっておられるベルロアナ様に麻薬を提供した愚か者がいるのです。そんな悪党には目にもの見せてやらねば…」

「ちなみに私もお嬢様に麻薬をお渡ししました」

「そいつをさっさと捕まえて牢獄に……え? 今…なんと?」

「はい。最初にもらったものが切れたので、その次にお嬢様に薬を渡したのは私です」

「…は? …え? あ、あの…その……それは…あっ、し、知らなかったことですよね? それならば情状酌量の余地が…」

「コシノシンと知りながらお嬢様に提供しました」

「…な、なるほど。侍従長ともなられると小粋なジョークもたしなんでおられるのですな。はっはっは、これは一本取られましたよ」

「すべて本当です。嘘など申し上げる意味がございません」

「…ほんとに?」

「ほんと」

「…ほんとのほんと?」

「イエスアイドゥー!」


 ミエルアイブが、しばしファテロナをじっと見つめる。

 やや強めの顔だが、間違いなく美人だ。嫁にするならこんな気が強そうな女性もいいだろうか。こんな小粋なジョークも毎日堪能できるだろう。


「では、いざソイドファミリーの工場へ。衛士隊の皆様方はお怪我をなさらないように重装備で来たほうがよろしいでしょう。それでは現地で! アバヨ!!」


 しゅんっ

 ファテロナが消えた。

 これ以上言ったら怒られそうな気がしたので逃げたのだ。


「えっ! ファテロナ殿!? 嘘でしょ!? なんだか状況がもっと悪くなってきたような…!!! えっ!? 本当に行くの!? ええ!? どっちが悪いの!? もう訳がわからないよ!!!」



 一番の被害者はミエルアイブなのかもしれない。彼は何一つ悪くない。

 こうしてソイドファミリーへの強制査察が始まるのであった。




332話 「シャイナの奇妙な物語 前編」


 上級街の工業街には、ソイド商会が管理する麻薬製造工場がある。

 昼夜問わずに生産しているため、今夜も工場には明かりが灯っていた。もちろんバリバリに稼働中である。

 アンシュラオンが治療を一定期間停止したおかげで、それに合わせるように売り上げは少しずつ回復している。

 薬物の怖さは、その中毒性にある。

 やめたくてもやめられないのだから麻薬の需要がいきなりなくなるわけではない。

 低迷期があっても、必ず息を吹き返すのが麻薬なのだ。だからこそラングラス一派には、比較的安定した『商品』として重要視されている。


 その麻薬工場に一人の金髪の女性がいた。


 それはゴールデン・シャイーナこと―――シャイナ・リンカーネン。


 彼女はアンシュラオンに言われた通り、あれからも麻薬の売人を続けている。そうしたほうが逆に怪しまれないで済む、という理由からだ。

 しかしながら、ここで一つの重大な問題が発生していた。


「てめぇ、シャイナ! なんだこの『はした金』は! なめてんのか、このアマ!!」

「ひーーっ! なめてないですよー! それが全財産です!」


 明らかに裏の人間だと思われる『斜視《しゃし》の男』にシャイナが怒られている。

 斜視とは、片方の目の視線が対象物とは違う方向に向く眼病であり、昔はガチゃ目とかロンパリとか呼ばれていたものだ。

 原因はさまざまなのだが、この男が斜視になったのは喧嘩で目を殴られてからである。

 この男もシャイナと同じ売人であり、その取引のトラブルの際に殴られたのだ。

 売る側もクズなら買う側もクズである。喧嘩などしょっちゅう起きる。それが彼らの日常だ。

 ただし、斜視の男はシャイナより格上の売人であり、自分より下の末端の売人を統括する役割を担っている。

 つまりはシャイナの上役、上司ということである。


「あぁん? 今月の返済金はどうするつもりだ?」


 斜視の男は金がないシャイナを視点の合わない目で睨みつける。

 差別だとわかっていても、やはり不気味である。男の迫力にシャイナが縮こまるのも致し方がないだろう。


「そ、それは…コシノシンを売って儲けようかなぁ…と」

「そのシロをどうやって仕入れるってんだよ? こっちに納める金がなけりゃシロは出せねえぞ」

「えと…後払いというか…出世払いといいますか…。とりあえず売ってきますので麻薬だけくれないかなぁ…と」

「ふざけんな!! てめぇの親父がシロを持ち逃げしたのを知らないわけがねぇだろう! なめてんのか、このアマが! それとも娼婦になって稼ぐか? せっかくでけぇメロン二つも持ってんだ。使わないほうがもったいねぇだろうが! 俺がいい店紹介してやんよ! あぁん?」

「ふぎゃーーっ! そ、それだけはご勘弁を!! それ以外は何でもしますんでええええ!」


 シャイナは土下座をして謝罪。即座に全面降伏する。

 なんというプライドの無さだろうか。生き残るためならば何でもする。それがゴールデン・シャイーナというメス犬である。

 しかし、なぜこういうゴロツキは「あぁん!?」をよく使うのだろうか。業界七不思議の一つだ。


「ちっ、あれもこれも嫌じゃ話にならねぇな。てか、ついこないだまで羽振りが良かったじゃねえか。なんで今は金がねぇんだ」

「あー、そのー、仕事先が不定期開業でして…最近あまりやっていないので、今はほとんどお金が入らなくて…」

「なんだぁ? じゃあ、昼間は何やってんだ?」

「えー、そのー、乞食《こじき》的なものというか、乞食風のものといいますか…汚い格好で道端に座ってお金をもらっています」

「ただの乞食じゃねぇか。乞食以外の何者でもねぇぞ」

「あははは。あっ、意外とお金くれる人もいるんですよ。ほら、今日なんてデパートに来たブルジョワさんから千円ももらっちゃいました!!」


 あれだけ乞食に間違われるのが嫌と言っていた女が、手の平を返したかのように乞食をして金をもらう。

 人間とは切羽詰ると、ここまで自分を捨てられるものなのだろうか。清々しくもあり、ある意味でショックである。


「ほら、その金もよこせ!」

「あっ、私の千円がーー! 最後の生活費がー」

「うるせぇ、金がないなら今日はコッコシ粉を捌いてこい。てめぇにコシノシンなんてやれねえよ。親父みたいに持ち逃げされたら困るからな」

「そんなことしませんよ! 信用してください!」

「信用できるか! ほら、さっさとこれを持っていけ!」

「あうう!」


 シャイナはいつものコシノシンではなく、一番グレードが低い劣等麻薬であるコッコシ粉を押し付けられる。


(うう、これも先生が悪いのよ。全然医者をやらないから…)


 アンシュラオンが医者をしなければ麻薬の売り上げは伸びるが、シャイナには金が入らないという状況に陥る。

 それによって親の借金も返せず、目的の一つだったコシノシンの普及もできなくなる。はっきり言って手詰まりである。

 ただ、もしアンシュラオンがいなければ、とっくの昔にこの状態に陥っていたことは間違いない。

 その結果、娼婦にさせられていた可能性もあるのだから、少しでも恩義を感じていれば文句は言えないはずだ。なんとも図々しい女である。




「はぁ…こんなんじゃクズ値にしかならないよ。それに、こんな劣等麻薬を広めたら中毒症状も悪化しちゃう。はぁ…コシノシンがあれば…」


 コツコツコツ

 シャイナが工場の隅っこで落胆していると、そこに近寄る影があった。


「ね、ねぇ…シャイナちゃん。ちょっといい?」

「…へ? あっ、マドカちゃんも今日は仕入れ日だったの?」

「う、うん、まあね」


 やってきたのは、シャイナにマドカと呼ばれた垂れ目の淑やかな女性。

 童顔かつ小柄なので見た目は女子高生のようだが、これでもシャイナより年上の女性で、今年で二十四歳になる子持ちである。


 当然ここにいる以上―――彼女も【売人】。


 子供を身ごもった直後、内縁の夫が蒸発したためシングルマザーとなり、夫の借金返済と子供を養うために売人になったという経緯がある。

 階級はシャイナと同じ末端の売人で、年齢も近いことからお互いの身の上を同情しあったりもしている【売人仲間】だ。


 余談ではあるが、売人は男も多いが女性も意外と多い。

 その理由は、女性のほうが『つぶしがきく』から、である。

 さきほどシャイナも言われていたが、女性ならば娼婦になるという手段もある。

 アンシュラオンが潰した風俗店のように、麻薬中毒者の娼婦はラブスレイブの次にマニア層に好評なので、場合によってはそこに送って元手や損害分が回収できる算段がつくからだ。

 また、やはり女性自体が弱い立場にあるため、金に困っていたり孤独感から恋を求める女性は狙われるのが常である。

 ロマンス詐欺や結婚詐欺のように、あの手この手で口説き落とし、最終的に悪事に手を染めさせる手口もあるので注意が必要だ。

 悪人というものは常に弱い人間を狙うものである。マドカもそうした人間に狙われた一人であった。



「ところでシャイナちゃん、これ何だと思う?」

「え? 何? ケース?」

「…ほら、見て」

「うわっ、コシノシンだ! すごい!」


 マドカは、シャイナにコシノシンを見せる。

 小さめのアタッシュケース一杯に二等麻薬が詰め込まれている。普段彼女が扱う麻薬は三等麻薬のコーシン粉が大半なので珍しいことである。


「どうしたのこれ?」

「うん、お金持ちの常連さんが欲しがっていたから、最近はコシノシンも扱っているんだ。シャイナちゃんが売っているのを見て、前から興味があったしね」

「へー、そうなんだ。絶対こっちのほうがいいわよ。後遺症や中毒性も少ないし、吐き気だってほとんどないんだから! そうそう、玉子酒を飲むと使ったあとにも身体に残りにくいって話だし、お勧めかな。一緒に卵も販売すると儲かるのかな? 今度やってみよっと」

「やっぱり詳しいね」

「あ、あははは…お父さんがそっち系だったからね。商売柄というかなんというか…」

「そっか。お父さんは元気? 今、お勤め中だっけ?」

「うん…悪い意味でのお勤め中かな。出られる見込みはまったくないからね。借金も利子が高くて全然減らないし…うう、このまま一生売人生活かも…」

「もういいんじゃないかな…そういうの」

「え?」

「お父さんの借金のせいなんでしょ? シャイナちゃんが悪いわけじゃないわ。だからもう…いいんじゃない?」

「それは…うん、そう思うこともあるけど…親子だしね…。どうせいつか死んで別れるんだし、その前に見捨てるのも嫌だし…まだ大丈夫かな。それにまだ希望はあるんだよ。ちょっとスケベだけど信頼できる人もできたし…」

「彼氏が出来たの? そういえば少し変わったわよね。…うん、大人っぽくなったかな? そっか。シャイナちゃんも、ついに大人になったのね! おめでとう! 赤飯を炊かないと!」

「えっ…えっ!? ち、違うわよ! そんなんじゃなくて…!! あ、あの人はなんというか、ただの飼い主…じゃなくて、勤め先の上司みたいなもので! そりゃこの前はついつい流れでいろいろあったけど…ほんと違うから!!」

「あらあら、照れちゃって。可愛い」

「本当に違うんです!!」


 その通りだ。そんなことをうっかりアンシュラオンに言ったら鼻で笑われるに違いない。

 それはそうと、マドカがここに来たのは雑談をするためではない。彼女たちはそんな暇ではないのだ。


 用件は―――これ。



「あのね、シャイナちゃん。もしよかったら…これ、使う?」

「これって…このコシノシン?」

「そう。今日はコシノシンを仕入れられなかったでしょ? さっき見てたの」

「で、でも、これってけっこう高いし、マドカちゃんはどうするの?」

「娘の体調が悪いみたいだから今日はもう帰るの。だから捌けなくて困っていたんだけど…売値の半分でどうかしら? それなら私のノルマも果たせるし、マイナスにはならないわ」

「ああ、そういうことね。…いいの? 得にはならないよ?」

「いいのよ。働けないよりはましだし、少しはシャイナちゃんの足しになるでしょう? 困ったときはお互い様よ」

「じゃ、じゃあ…お言葉に甘えちゃおうかなぁ。私も最近お金がなくて困っているし」

「うん、それじゃお願いね。それとその…もう一つお願いがあるんだけど…いい?」

「何かしら?」

「えっとね、こんなこと言うと不思議に思うかもしれないけど…シャイナちゃんの労働許可証…貸してもらえるかな?」

「え? なんで? マドカちゃんも自分のがあるでしょ?」

「うん、そうなんだけど…娘が治療する際にあると安くなるのよ。でも、私って移民組だから…娘の分までは持っていなくて。まだ子供は幼いし…労働許可証って、実際に働いていないと発行してくれないでしょ? 少しでも費用が浮くかなって」

「そうなんだ。うーん、いいわよ。私は先生に治してもらえるし必要ないから。あっ、マドカちゃんも先生に…って、あの人はどこにいるかわからないんだった! …ごめんね。こんなことしかできなくて」


 そう言ってシャイナは労働許可証を渡す。

 重要なものではあるが、西門を通らなければ普段は必要ないものであるし、ハローワークに行けば有料とはいえ再発行してもらえるので、そこまで必死に守るものではない。

 だから労働者仲間の中では気軽に貸し借りすることもあるのだ。けっして珍しいことではない。

 日本でも保険料を払っていない人に保険証を貸して問題になることがあるが、写真があるわけではないので治療時に当人かどうかはわからない。後で発覚することが大半である。

 今回もそのノリで気軽に渡す。


「ありがとう。本当に…ありがとう。あなたの優しさは忘れないわ」

「うん、こっちこそありがとう!!」

「それじゃ、またね」

「うん!」


 マドカはコシノシンが入ったケースを置いて出て行く。



 彼女を見送ってから誰もいないことを確認し、シャイナはケースを抱きしめた。


「やったー! これで少しはお金の足しになる!! …じゃなくて、コッコシ粉を売らなくて済む! 助かったー! 持つべきものは友よね! うん、やっぱりお友達よ!!」


 当然シャイナは大儲けなので大喜びだ。

 上等な医療麻薬を流通させつつ、さらに金が入るのならば最高の結果だ。

 麻薬を配ることに違いはないので、このあたりの評価は微妙なところであるが、どうせ防げないのならば対症療法で対応するのは仕方のないことであろうか。

 無駄な性病や中絶を防ぐために、街中で避妊具を配るのと同じようなものだ。賛否両論だが、マイナスを防ぐという意味では意義はある。


 しかしながら、シャイナは世の中を知らない。甘く見ている。


 アンシュラオンが常々言っているように、他人を迂闊に信用すると痛い目に遭う。

 彼女は生来のお人好し気質なので簡単に他人を信じてしまうが、「お友達」などというものが何の価値もないことがすぐに証明される。



 それはシャイナがコシノシンを持って工場の外に出ようとした時である。


 斜視の男と―――ばったり会う。


 この男は末端の売人との仕入れ作業を終えると、入り口の見張りに就くのが日課となっている。

 いつもならばシャイナはすぐに出て行くのだが、今日はマドカとおしゃべりをしていたために出るのが遅れたのだ。

 そのため、ここで鉢合わせということになる。


「てめぇ、シャイナ、まだ残ってやがったのかよ。金もねぇのに何してたんだ、おい?」


 いまだ工場内にいたシャイナを見る目は不審の色を宿している。

 もともとこういう仕事をしていると、相手が自分を騙さないかどうか常に警戒するものだ。


 そして、疑り深い斜視の男の視線が―――目立つ色のケースに向く。



「なんだそれは?」

「えっ!? あっ、こ、これは…麻薬です」

「何年この業界にいると思ってんだ。んなもんケースを見ればわかるんだよ。俺くらいになるとビニールで覆われていても臭いでわかる」

「えー、覆われていたら臭わないですって。またまたー」

「じゃかあしい! そのケースを見せろ!」

「えっ、ちょっと…あああ! 駄目ですって!!」


 シャイナは抵抗するが、所詮は女の腕力である。斜視の男に簡単にケースを奪われてしまった。

 がちゃっ

 男がケースを開けると、中にはコシノシンがびっしり詰まっている。


「…おい、なんだこれは?」

「あー、コシノシンです」

「んなこたぁ見ればわかるんだよ。馬鹿にしてんのか。なんでてめぇが持っているのか、って訊いてんだ。お前は今日、コッコシ粉を仕入れたはずだろうが」

「それは…ええと……ちょっと伝手がありまして…」

「伝手だぁ? 金もねぇ野良のてめぇに伝手なんてねぇだろうが! …そうか、てめぇか。なるほどな。いつかやると思っていたぜ」

「えっ、え!? 何がですか?」

「てめぇ…【握り】やがったな?」

「へ? 握り? そりゃ…握りますけど…そうしないとケース持てないですし…」

「ふざけんじゃねえ! 握るってのは盗むってことだ!! てめぇ、ついにやりやがったな!!」

「ええ!? ええええええええーーーーーーーーー!!??」


 盗むことを「ぎる」と言うことがあるが、語源は「握る」ともいわれている。

 ピンハネするとか、立場を利用して掠め取るようなときにも使われる。

 コッコシ粉を仕入れたはずのシャイナが、なぜかコシノシンを大量に持っている。盗んだと思われても不思議ではない状況であった。




333話 「シャイナの奇妙な物語 中編」


「ちちち、違いますよ! 盗むわけないじゃないですか! これはマドカちゃんから借りたんです! 代わりに売って欲しいって! そ、そうだ、本人に訊いてみてくださいよ! さっきまでそこにいたから近くに…」

「あぁん? マドカだぁ? あいつは今日も休みだぞ」

「…え?」

「一週間くらい前だったか…子供の体調が悪いってんで、しばらく休むって連絡が来てな。んなこと言える立場じゃねぇんだが、さすがにガキ絡みじゃ仕方ねぇ。上のほうからも家族関係、それも子供に関しては甘く見ろってお達しだしな」


 ソイドファミリーは家族間の絆を重視するので、意外にもそういったことには甘い傾向にある。

 末端の売人でも家族の病気で休むことは許されている。これはマフィアにしては極めて珍しいことだ。

 そして今日、マドカは休みだという。それどころか一週間も姿を見せていないらしい。

 その情報にシャイナが困惑する。


「えと…えと…マドカちゃんは休みだけど…コシノシンを持ってた? どういうこと?」

「そりゃこっちの台詞だ! 最近な、コシノシンが盗まれる事件が続いていたんだよ。在庫と売り上げが全然合わねぇんだ。それで俺も警備を強化していたんだが…そうか、てめぇだったか。ついに尻尾を出したな。俺はずっとてめぇが怪しいと思っていたぜ。てめぇの親父も同じことをしていたからな! カエルの子はカエルってわけだな、おい!」

「ちょっとーーーー! なにこれーー! どうなってんの!! 違いますってぇえええ!」

「うるせぇ! このやろう! 覚悟しろ!!」

「ぎゃーーーーー! 助けてーーー!! あうううーーー!!」


 シャイナは斜視の男に簡単に取り押さえられる。

 やはり弱い。弱すぎる。所詮は駄犬。この程度のものである。


「おい! 誰か来てくれ! 握りの犯人を捕まえたぞ!」

「違うんです! 誤解なんですよ!」

「ブツを押さえたんだ。言い逃れはできねぇぞ!」

「なんだ? どうした!? 何事だ!!」

「あっ、こりゃどうも…!」


 叫び声を聞きつけてやってきたのは、斜視の男よりも明らかに格上の気配を身にまとっている、さらに上役の男であった。

 それも当然。この男の名前はバッジョー。ソイドファミリーの中級構成員であり、ソイドリトルの側近を務めている元傭兵だ。

 傭兵時代は喧嘩でブルーハンターを叩きのめしたこともあるため、武人としての実力もかなり高い。そこらの売人とはレベルが違う完全なるマフィアである。

 一方の斜視の男は、厳密に言えばソイドファミリーの構成員ではない。彼らに雇われている売人の一人である。

 ソイドファミリーは何かあった際にトカゲの尻尾切りができるように、こうして売人による【ツリー】を形成している。

 斜視の男は、数多くある店舗の一つを任されている雇われ店長のようなもので、構成員は本社から派遣されるエリアマネージャーだと思えばいいだろうか。

 つまりバッジョーは、この工場における重役の一人である。



「その女がどうした?」

「こいつがコシノシンを無断で持ち出していたんです! それを俺が捕まえて…! やりましたぜ! ついに捕まえました! こいつが盗人ですぜ!!」

「例の件か…。ご苦労だったな。よくやったぞ」

「へへ、ありがとうございます! それで、こいつはどうしましょう? 麻薬の持ち逃げは重罪です! 決まりでは良くてバラし、最悪で拷問死でしたね」

「うえぇええ!? どっちも死ぬじゃないですか!!」

「当然だ! 裏切り者には死が、この世界の常識だろうが! それが嫌なら身体で返してもらおうか! おとなしく娼婦になれや! てめぇは生まれたときから、そういう運命だったんだよ!!」

「せめてお父さんと同じく牢屋生活でいいですからぁあ! どうか命だけはご勘弁をーーーーー! 娼婦も嫌だよぉおーーー!」

「じたばたするな! 今回の損害分も親父の借金に上乗せだ! くたびれるまで売女でがんばりな!! ぐへへへ、安心しろ! 俺がてめぇのメロンを吸いに行ってやるからよ!! 稼ぎの足しにしてやるよ! ありがたく思いな!」

「ひぃーーー! せ、先生、助けてぇええーーー! なんでこういうときにいないんですかぁああ! 診察所、診察所に連絡してぇええ!! ホワイト診察所にいる怖い人たちに連絡してぇえええ!」


 ホテルにいるホロロたちを巻き込まないだけ立派だが、こういうときだけ裏スレイブたちを利用しようとするとは、実にイヤらしい女である。

 裏スレイブが彼女を助けるかは微妙なところであるも、この叫びが事態を少しばかり好転させる。


「…ん? 診察所だと? この女…まさか…。おい、お前、名前は何だ?」

「あうう、シャイナ…リンカーネン…ですぅ…」

「…ふむ、やはり例の女か」


 幹部の男は、じっとシャイナの顔を見て考え込んでいる。

 その様子に斜視の男も不思議そうな顔をしていた。


「あの…この女が何か?」

「その女は殺すな。両手足を縛って懲罰房に軟禁しておけ」

「で、ですが…裏切りですよ? そんなんでいいんですかい?」

「もうすぐリトル様が戻ってこられる。判断は上に任せる。文句はないな。ならば、さっさと言われた通りにしろ!」

「へ、へいっ! 了解です!」

「あうううう! た、たすけてぇ…せ、先生ぃ〜〜〜! 殺されるー! ハメられるぅうう!!」

「うるせぇ! 静かにしろ!! 俺までとばっちりをくらうだろうが!」

「むぐううっ!! うーーー!」


 シャイナはロープでぐるぐる巻きにされ、口も(男の汚い)手ぬぐいで巻かれる。(腐ったネギの臭いと味がした。泣けてくる)


 ずるずる ずるずる


 そしてその後、斜視の男によって工場の奥にある懲罰房まで引っ張られ、簀巻きにされた状態で部屋の中に転がされる。

 ぽいっ ごろごろっ


「むぎゅううーー!」

「ふん、少しの時間だけ命拾いしたな」

「むうーー、むぅうーーー」

「何か言いたそうだな? やったのは自分じゃないってか?」

「こくこく、こくこく!」

「たしかにやったのはお前だけじゃねえだろうな。どんくさいてめぇが、あれだけの量のシロを持ち出せるとは思ってねぇよ。ほかにもいるんだろうぜ」

「こくこく、こくこく!」

「だが、証拠が出たのは事実だ。出た以上、捕まえるしかねぇ。握りが出るとよ、見張りの俺らの責任になるからな。てめぇは知らねぇだろうが連帯責任取らされてバラされたやつもいるんだ。これ以上は俺もやべぇ。とりあえず一人でも捕まえないと立場が悪くなる。まあ、てめぇは運が悪かったってことさ。諦めな」

「むーーーむっーーー!? むぅううう〜〜〜!!」

「しかしまあ、あのクズの娘もこうなったか。へへ、これも運命ってやつだな。せいぜいそこで自分の親父でも呪っていな。全部あいつのせいだからよ! いい気味だぜ!」


 バタンッ がちゃっ

 斜視の男は鍵をかけて出て行った。



「むぅうう…ううううう……へんへぃ……ふぁふけふぇぇ…」


 助けを呼んでも、こんな場所には誰もやってこない。

 アンシュラオンも現在、プライリーラとお楽しみ中である。それをシャイナが知らないだけ、まだ精神衛生上は楽かもしれない。知っていたらもう絶望しかないだろう。

 こうして彼女は芋虫のように転がって、しばらくの間、つらい時間を過ごすことになるのであった。


 ただし彼女が殺されなかったのは、もちろんアンシュラオンの助手だからだ。


 ソイドファミリーの構成員の間では、このことは周知の事実である。むしろシャイナに何かあれば守れとも言われていたくらいだ。

 だが、最近の情勢変化によってアンシュラオンとの関係が疑われてからは微妙な状態だし、麻薬の持ち出しが重罪なのは間違いない。

 これだけ問題が大きくなると構成員程度では判断できない。そこで縛るにとどめているというわけである。

 ふと思えば、アンシュラオンがビッグに持ち出させた大量のコシノシンと比べれば、今回見つかったのは実に微々たるものである。

 力のある者は罰せられず、無い者は無慈悲に閉じ込められる。そう思うと同情の念しか浮かばない。




 そして、その光景を陰から見ていた者がいる。




(シャイナちゃん、ごめんなさい…)




 それは―――マドカ。



 彼女は出て行くふりをしていただけで、実際には工場から出ていなかった。

 というよりは、入り口に斜視の男がいたので出られなかったため、シャイナが来るまで隠れていたのだ。


 予想通り、彼女は男に捕まった。


 斜視の男は古株で、シャイナの父親と年代的には近い。父親が麻薬を持ち逃げした際も、彼が捕まるまでは男も連帯責任でボコボコにされたという経緯がある。

 そのためシャイナに対しては良い感情を抱いていない。最初から疑いの目を向けていたのを知っていたのだ。


(今がチャンスよ。急がないと)


 マドカはシャイナが捕まったのを確認し、誰もいなくなった入り口から素早く工場の敷地外に出る。

 さらに移動して数軒先の無人となった工場に到着。この工場はすでに廃棄されており、今では誰もいない廃墟となっている。

 マドカがくたびれた工場内部に入って奥に進むと、廃材置き場が見えてきた。

 虫もたかっている場所があるので、誰も興味を示さないような腐った木材ばかりが並んでいる。


 ゴトゴトッ ガタンッ


 しかし、いくつかの廃材をどかすと、中には黒い布がかけられた滑車が眠っていた。

 マドカは、ドキドキしながら布をどける。


「あった! よかった…無事だったわ」


 そこにはツボに入れられた大量の【コシノシン】があった。

 これは買ったものではない。そんな金があれば売人などやる必要もないだろう。


 だから―――【盗んだもの】である。


 盗み先は当然、ソイドファミリーの工場からだ。あそこにはまだまだ大量の在庫があるので、その気になればこの数倍の量を持ち出すことも可能である。

 が、あまり取りすぎると警戒が厳しくなるので、一年近くかけて少量ずつ集めたものである。少しずつ慎重に、バレないようにこっそりと。

 塵も積もれば山となる。その集大成がこれだ。


 そう、麻薬を盗んでいたのはマドカであった。


 それが発覚したのが、つい最近。

 アンシュラオンの登場によってコシノシンの売り上げが激減し、細かく在庫の確認などが行われるようになった。その過程でようやく組織が気付いたのだ。

 このあたりはずさんな管理体制に問題があるのだが、ビッグが横流ししても気付かれないレベルなので、もともとソイドファミリーは大雑把なのだろう。

 武力に偏っているせいか管理や経理といったものには弱いのだ。

 ソブカならば簡単に気付いただろうが、ソイドファミリーは基本的に頭が悪い連中であるため、当然ながら誰がやっているかまではわからなかった。

 面子に関わることなので本来ならばもっと警備を厳重にしたかったのだが、アンシュラオンが各地で暴れて他派閥からの嫌がらせが増えたため、そちらの対応で盗みの一件までには手が回らない。

 被害もアンシュラオンが引き起こす損害から比べれば微々たるものなので、ほぼ放置状態であった。

 シャイナを捕まえて喜び勇んだ斜視の男に比べ、バッジョーの反応が少し薄かったのはそのためだ。

 同様にマドカが悠々と外に出られたのも、そういった事情のためである。

 その混乱ぶりと警戒の緩みを見て取り、ついに動き出すことにしたのだ。今が最大のチャンスであった。



 で、そのマドカがなぜこんなことをしたかといえば―――



(これでようやく抜け出せる! この最低の環境から逃げ出せるのよ! ああ、そうだわ。そのためにも早くこの都市から出ないと…。まずは宿に戻ってあの子と合流して、用意した馬で素早く出れば、朝には東門を抜けられるはずよ!)


 マドカはこの生活から抜け出したいと思っていた。

 誰だって売人なんてやりたくはないものだ。それが貧困によってもたらされたものならば、なおさらである。


 彼女が選んだ道は、我慢するシャイナとは反対の―――逃げること。


 このまま売人を続けても未来などはない。もうこれしか道はなかった。

 しかし、リスクのある選択でもある。

 ここから東門までは相当な距離がある。今から飛ばしても朝にギリギリ間に合うかどうかだ。

 さらに子供が一緒だと都市を脱出してからもなかなか困難だ。コシノシンを換金するにもリスクがある。

 何よりもソイドファミリーにバレても終わりである。もし見つかれば、ただ死ぬだけでは済まないだろう。もっと酷い目に遭うのは間違いない。

 こうしたことを考えると、新しい人生を築ける成功率はかなり低いかもしれない。

 しかし、この計画はかなり前から練られていたもので、衛士にも賄賂を贈って見逃してもらえるように話はつけてある。彼女なりに準備はしてきたのだ。


(…逃げるのよ。あの子の未来のためにも。…親が売人なんてしていたら子供は不幸になるわ。娘まで狙われることにもなるもの。そんなのはうんざりよ)


 親が売人など、ろくなものじゃない。シャイナを見ていると自分の罪を見ているようで胸が締め付けられる。

 自分の娘も、いつかああなると思うと生きた心地がしないのだ。

 そんな想いを自分の娘にはさせたくない。それが親の素直な願いというものである。そのためにマドカは命をかけると決めたのだ。

 唯一気になるのは、自分の代わりに捕まったシャイナである。


(…本当にごめんなさい。あなたには酷いことをしたわ。謝っても許されることじゃないけど…でも、シャイナちゃんはホワイト先生のところに勤めているから、きっと殺されたりはしないわよね? ホワイト先生はソイドファミリーとも関係があると聞くし…大丈夫。大丈夫よ)


 マドカはシャイナがアンシュラオンの助手であることを知っていた。彼女の話し相手をしているうちに事情の一部を知ったのだ。

 まったくもってシャイナは嘘がつけない。さきほどの会話のように乙女心をつついてあげれば簡単に口を割ったものだ。

 このあたりはアンシュラオンが危惧していた通りである。油断するからこうして狙われるのだ。




334話 「シャイナの奇妙な物語 後編」


 シャイナが懲罰房で芋虫になっている頃、マドカは都市脱出を試みていた。

 まずは隠していた馬の場所まで滑車を引いていき、馬と組み合わせることで小型の馬車にする。これでだいぶ移動速度は上がる。

 その次に向かうのは、上級街にある労働者用の宿である。

 宿はシャイナが借りているアパートの近くにあるものだが、子供がいるため少しばかり大きい宿で暮らしている。

 それでも独り暮らし用よりほんの一回り大きいだけなので、三人家族だとかなり狭く感じられるだろう。あくまで日雇い労働者用の部屋にすぎない。

 周囲の目を気にしつつも自然な様子で部屋に戻り、布団の中にいる娘に近づく。


「すー、すー」


 夜もかなり更けている。当然ながら娘は寝ていた。

 移動させるために抱えると、子供が目を覚ます。


「んー…ん? おかーさん?」

「ああ、起きちゃった? まだ寝ていていいのよ」

「んー…うん。おとーさん……帰ってきた?」

「…ううん。まだよ。でも、そのうち戻ってくるからね」

「…うん。わかった…すー、すー」


 まだ四歳の女の子だ。眠気には勝てずに再び眠ってしまった。

 人間は五歳から認識力が高まって記憶も固まってくるので、この年頃の子は状況をよく理解していないことが多い。

 この子も父親は遠くに働きに出ていると思っているし、マドカもそう説明している。もちろん自分が麻薬の売人だということも知らない。

 子供には両親が必要だ。正しく成長するためには両方の愛情が不可欠である。

 再婚の予定はないが、落ち着いたらその選択肢もありだと思っている。自分の幸せのためではなく、娘のために誰か良い相手がいればありがたい。

 多くは望んでいない。家族三人で静かに暮らせれば、それだけで満足だ。

 そんな平凡な幸せを手に入れるためにも、こんな場所にいるわけにはいかない。


 その意味で、マドカはグラス・ギースを【見限った】のだ。


 他の都市が絶対的に良いとは言わない。南の状況も不安定だし、どこにいても似たり寄ったりであろう。

 だが、閉鎖されて進化のない都市にいつまでいても、明るい未来はない。それだけは確信を持って言える。

 目指す場所は、ひとまずハピ・クジュネを予定している。

 海沿いの港湾都市なので、海産関係の何かしらの職があるはずだ。荒れ果てた大地よりは海のほうがまだ希望が持てる。


「…お母さんが守るからね。一緒に新しい人生を歩みましょうね」


 マドカは娘をぎゅっと抱きしめた。




 ガタゴト ガタゴト


 娘を優しく馬車に乗せ、急いで西門に向かった。

 時間はまだ午前四時前といったところだろうか。夜はまだ明けていない。

 城塞都市は高い壁に包まれているので、日が出てからも完全に明るくなるには、ある程度時間がかかる。まだ二時間弱くらいは薄闇が続くだろう。

 しかし、五時までには下級街に差し掛かっていないと予定が狂ってしまう。このままではギリギリだろう。

 焦る気持ちを抑えながら、必死に馬車を走らせる。


(はぁはぁ、大丈夫。間に合うわ。これならば逃げられる。西門さえ越えれば…あとは東門まで一直線よ。通勤時間帯に被ってもいい。そのほうが人が多くて怪しまれないもの。まずは西門、西門を抜ければ…)


 西門も東門も、出る者に対してはあまり厳しくないことはアンシュラオンも経験済みである。

 実質的な都市外との境目である東門では、盗品かどうかの手荷物チェックが行われるが、そこまで大げさな検問はなかったと記憶している。

 麻薬が入ったツボを調べられても塩と言い張ればいいし、実際に二重底になっているので上は本物の塩である。

 このあたりも時間をかけて準備しただけのことはある。準備は万全だ。

 もし何かあっても売人生活で培ったコネクションでなんとかするつもりだった。


 そのとっておきが―――【衛士の買収】である。


 そもそもグラス・ギースに嫌気が差したのが、衛士に絡まれてからだ。

 ミエルアイブが言っていたように、麻薬の売人には干渉しないのが暗黙のルールだが、すべての衛士がマキのように生真面目に生きているわけではない。

 世の中に素行の悪い悪質な警察官もいるように、この都市の衛士にも駄目衛士はいる。

 ある日のことだ。マドカが裏路地で麻薬を売っていると、女だと侮ったのか衛士がいちゃもんをつけて金を要求してきた。

 もしその場にソイドファミリーの関係者がいれば、衛士は即座にフルボッコにされただろうが、そのときはいなかったのでマドカは仕方なく金を払った。

 それで味を占めたのか、その衛士はたびたびマドカに接触して金を無心した。金がないときは身体を求めてきたこともあった。


 彼女自身も非常に不愉快な出来事であり、ソイドファミリーに報告することも考えたが、その瞬間―――馬鹿らしくなった。


 衛士までこの有様である。この都市に未来はない。ソイドファミリーが衛士を片付けたとしても、所詮は同じ穴のムジナでしかない。

 結局、悪と混沌が続くだけのことだ。上が入れ替わるだけであり、最下層にいる自分たちが食い物にされることには違いない。


 そこで―――衛士を【利用】することにした。


 金や身体を上手く使って衛士を抱き込み、脱出のための道具として利用しようと思ったのだ。

 彼女の我慢は実り、一年ほど前にその衛士は西門の門番に異動することが決まった。

 つい最近では昇格を果たし、今では副門番長という役職に就いているらしい。

 これはしめたものだ。釣った魚は大きかった。

 その衛士には今日の明け方に西門を通ることを伝えており、そのまま見逃すように話をつけてある。

 もちろん真実を話す必要はないので、麻薬の仕事関係で第三城壁内の畑に行くと適当に話しているだけだ。

 とりあえず西門さえ通り抜ければこちらのものである。衛士の役目はそこで終わりだ。


 この『一年前』というのがターニングポイントだ。


 衛士が西門に異動が決まったことによって、マドカは本格的に麻薬の握りを開始したのだ。

 クズ衛士から始まってクズ衛士で終わる。なんとも奇妙な話だが、これで終わると思えば、もはや何も感じない。過去はただ過ぎ去るだけだ。


 また、シャイナから借りた労働証は『東門』で使う予定である。

 シャイナ自身は気付いていないようだが、外周組の衛士はホワイトの名前を知っている者も多く、あまり関与しないように命令されているらしい。

 やんちゃ無法のホワイト商会が表通りで暴れたおかげか、マフィア同士の争いに巻き込まれないようにと不干渉を貫いているのだろう。

 直接自分たちに危害が加えられない限りは、ホワイト商会の関係者には手出しはしないと思われる。

 実際にアンシュラオンは東門を素通りしている。マキは当然見逃すし、他の衛士も見て見ぬふりをしているのだ。

 マドカは下級街や一般街にも売りに出ていたことがあるので、そうした事情にも詳しいというわけだ。


(今まで我慢したのだもの。上手くいくわ。いかないと不公平よね。私だけこんな目に遭うなんて…あんまりだもの。女神様、この子のためにも未来をちょうだい!! どうか御慈悲を…!)


 マドカは天に祈る。すべてが上手くいきますように、と女神に祈る。

 これだけやってきたのだ。嫌なこともたくさん我慢した。ならば今日だけでも幸運が訪れていいだろう。



 たしかに哀れである。彼女の人生を考えれば手助けしてあげたくなるだろう。

 自分なりに精一杯の準備もしてきたので、計画が成功してもおかしくはなかった。

 もしこれが平常時ならば、シミトテッカーのように外部に脱出できていたはずだ。


 しかしながら、ああ、なんということだろうか。


 なぜ今、これが起きるのか。なぜ今だけ、こうなっているのか。

 本当に本当に人間の運命とは、実に奇怪で奇妙で理不尽で皮肉である。



 なぜならば、今だけは―――【非常事態】。



 平常時とはまったく違うことが起きているのだ。






―――「そこの馬車、止まれ!!」





 マドカが西門に差しかかろうとしたあたり、もう門と目と鼻の先といったところで衛士の鋭い声が響く。

 その衛士が道を塞ぐように立ってきたので、マドカは慌てて馬車を止める。

 それに合わせて、ぞろぞろと六人くらいの衛士がやってきた。いつも見るような粗い革鎧ではなく、少し立派なスーツ状の制服を着ているのが特徴的だ。

 こんな衛士たちは初めて見るが、腕章をつけているので衛士であるのは間違いないようだ。


「っ!! な、なんでしょうか?」


 あまりの事態にマドカは心臓が止まりそうになる。

 いつもならばこのあたりに衛士などいない。門が目の前なのだから、わざわざ目の届く場所に配置することもないだろう。

 庶民の感覚としては、いつも誰もいないはずの道路の曲がり角に、今日だけはなぜか警官が張っていたような気分であろうか。

 「はいはーい、進入禁止ね。免許証を見せて。はい、減点♪」「なんで今日だけいるんだよ! ちくしょう!」といったことは、多くの人が経験している災難(人災)だろう。

 それがまさにマドカの身にも起こったのだ。


「あの、急いでいまして…その…手短にお願いいたします」

「こんな時間に何の用がある? 仕事か?」

「そ、その、娘の体調が悪くて…お医者様のところに向かおうと…」

「医者は上級街にもいるだろう」

「それは…料金が高いので…かかりつけのお医者様が下級街にいらっしゃいますから…」

「…ふむ、なるほど。…労働者か。それならば仕方ないな」


 衛士は滑車で寝ている娘を見る。

 寝ているだけだが病気と言い張れば衛士は深く追求しないだろう。マドカの服装も裕福ではないので労働者だとわかるはずだ。

 ひとまずこの言い訳で納得はしてくれたようである。


「で、では、私はこれで…」

「待て。ほかにも何か載せているな。荷物をあらためさせてもらうぞ」

「えっ!?」


 緊張してドキドキしていると、まさに悪夢の一言が発せられた。

 今一番起きてほしくないことが現実になったのだ。心臓が止まりそうになる。

 だが、まだ彼女には奥の手がある。


「あ、あの…」

「なんだ? 問題でもあるのか?」

「あ、いえ…その、私は西門の副門番長さんの知り合いでして…その方に話を通していただければ…」

「…【馴染み】、ということか」

「は、はい。そうです。あの人ならばいろいろとわかってくれていますし…」


 業者あるいはマドカのような個人売人は、特定の衛士とつながっていることが多い。

 衛士が売人にたかるのは問題になるが、売人が衛士に賄賂を送ることは禁止されていない。

 こうして誰か特定の相手と密接な関係になることで、他の衛士から自分を守ることにもつながる。

 「あの商人はあいつの管轄だから、手を出さないようにしようぜ」という感じだ。そうやって衛士同士の利権が確立しているのだ。


(驚いたけど大丈夫。問題ないわ。だって、西門は目の前だもの。あの人が出てくれば、この人たちも下がるに決まっているわ。はぁ、驚いた。ははは、ほんと…ビクビクしてたら逆に怪しいわよね。もっと堂々としないと)


 マドカには希望がある。その衛士が来れば全部解決だ。

 しかしながら、この慣習には一つだけ弱点があった。

 何の因果か、今日この日、この瞬間、それが起こってしまった。


「ん? そういえば副門番長はたしか…」

「はっ、さきほど【連行】されました!」

「ああ、そうだったな。申し訳ないが、彼は捕まったよ」

「―――え?」


 そのマドカの声は、本当に驚いたときに発する人間のものであった。

 好きだった芸能人が逮捕されたときや、元気だった友人が突然死んだときのように、何の引っ掛かりもなく素直に驚いたときの反応だ。

 頭が真っ白になり、ぐるぐると回る。

 しばらく呆けていたが、そこから一気に疑問の波が訪れた。


「つ、つつ…捕まった!? 捕まったんですか?!? な、なぜですか!? ど、どうして! なんで!!」

「やつは麻薬に関わっていたらしいからな。一時間くらい前か? ミエルアイブ隊長の特別隊が直々に連れていったよ」

「…え? え? 麻薬が…え? でも、あの人は麻薬なんて…やらなかったような…」

「当人がやっていたわけではないようだが、麻薬の取引を見逃したとかで捕まったよ。こっちも事情はよくわからないが、今は麻薬の取引がすべて禁止されている。もし麻薬を所持している者がいれば、すべて確保せよとの領主様からの厳命だ。君も気をつけることだ」

「…うそ…」


 その言葉を聞いて―――青ざめる。


 顔面蒼白とは、まさにこのことなのだろう。まるで死人のような顔になる。


 この捕まったというマドカにまとわりついていたK&G(クズ&ゲス)衛士だが、実はすでに登場している。

 アンシュラオンが門を通ろうとしたときに止めた衛士であり、その後にイタ嬢によって賄賂(昇進)を受け取った男のことである。

 ただし、いくら賄賂を受け取っていても、これだけ早く悪事が露見することは珍しいので、当然ながら相応の事情がある。

 天井からいぶり出され、領主にめっちゃ怒られて凹んだファテロナは、自分の罪を軽くするために「実はその場には衛士もおり、賄賂を受け取って堂々と麻薬を見逃していました。私だけが悪いわけではありません。むしろ私はまったく悪くないのです」と自己弁護のためにその衛士を売っていた。

 たしかに衛士の目の前では、堂々と白い粉のやり取りが行われていた。

 長年この都市で衛士をやっている男も、あれが麻薬だと気付いていただろう。

 彼はもちろん、その話を誰にもするつもりはない。それを見て見ぬふりすることで利益を得ているのだから、そんなことはしない。


 しかしながら領主にしてみれば、可愛い娘が麻薬をやっていたことを知る厄介な男だ。さっさと処分するに限る。


 イタ嬢がアンシュラオンに誘拐された際も、徹底した情報統制を敷いた領主である。

 ミエルアイブを呼ぶと同時に真っ先にその衛士の確保を命じ、問答無用で上級衛士隊に捕まえさせたのだ。

 秘密を知ってしまったのだ。彼は二度と日の目を見ることはないだろう。

 それ以前に生存の保証もない。おそらく秘密裏に殺される可能性が高い。それこそファテロナならば一瞬で殺すだろう。余計なことを言われる前に口を封じるのが一番である。

 クズの衛士なので、死んだところで問題はない。むしろ都市が少しは健全になるに違いない。


 だが、マドカにとっては大問題。




―――最大のカードを失った




 顔色はますます悪くなる。



「うそ…ど、どうすれば…わ、わたし……」

「…なぜそんなに驚く? 怪しいな。荷物を見せろ!」

「あ、あの…急用を思い出したので…も、戻ります…! すみません!」


 マドカは娘だけを抱きかかえ、全速力で逃げる。

 滑車にかまっている余裕はない。今は逃げることが優先だ。


「おい! 待て!! 女が逃げたぞ! 捕まえろ!!」

「はぁはぁはぁっ!!!」


 マドカは逃げる。ただただ娘を抱いて逃げる。

 がしかし、所詮は女の足である。すぐに衛士たちに捕まる。


「いや! 放して!!」

「おとなしくしろ! やましいことがなければ手荒な真似はしない! どうして逃げた!?」

「…そ、それは……」


 マドカは衛士に捕縛され、再び滑車の場所まで引きずられてきた。

 そこではさきほどの衛士によって布を取られ、丸出しになったツボが開けられていた。


「荷物を確認させてもらった」

「う、疑いは…晴れましたか? それは…塩です」

「ああ、塩だったよ」

「そ、そうでしょう? 私は何も悪くないですから…!! は、早く放して…」

「たしかに塩だ。上はな。だが、下は違う。これはコシノシンだな?」

「―――っ!!」

「売人のやり口くらいは知っている。こんな子供騙しが通じると思ったのか」

「ち、違うんです! それは塩なんです!! 本当なんです!! そ、そうだ! お、お金なら少しはあります! それで見逃してください!」

「言っていることが支離滅裂だな。本当に塩ならば買収する必要はあるまい。それにな、領主様直轄である上級衛士隊の我々を甘く見るなよ。賄賂を受け取る馬鹿どもとは違うのだ。一緒にされては不愉快だ」


 ミエルアイブたち上級衛士隊の良いところは、他の衛士のように賄賂を受け取らない点である。

 グラス・マンサーの利権には関与しないので摘発はしないが、見返りを受け取ることもない。

 彼らはすでにディングラス家という特権階級に属している存在であるし、領主からもしっかりと報酬はもらっている。

 むしろ他の衛士が堕落しているからこそ、自分たちは立派に職責を果たすことに誇りを感じているのだ。金はあるので名誉欲を満たすことを優先している、と言ったほうが適切だろうか。

 それゆえにマドカの小額の買収など、鼻で笑って跳ね除ける。


「そ、そんな…いつも受け取るのに…! 衛士なんて、いつだってそんなものでしょう!! いまさら偽善者ぶらないでよ!! このクズども!!」

「ふん、どうとでも言うがいい。どのみちコシノシンを持っていたお前を逃がすつもりはない。この女の所持品は確認したか? 名前は?」

「はっ! 労働許可証を持っておりました! 名前は…シャイナ・リンカーネンです!」

「はっ、そ、そうだ! わ、私はシャイナ・リンカーネンです! 私に関わらないほうがいいですよ! だって私は、ホワイト診察所の…」

「なにぃいっ!! ホワイトだと!! 貴様、指名手配中の医者の関係者か!! ならば、なおさら逃がすわけにはいかんな!!」

「…え? えっ…!?!?!」

「牢にぶち込んでおけ!! あとで尋問するから厳重に監視しろ! 絶対に逃がすなよ!」

「はっ!!!」

「我々はついているぞ。緊急配備早々、いきなり当たりを引くとは。これで評価も上がる。自分から来てくれたお前には礼を言わねばならないな」

「え!? えっ!!! どうして…えええ!??!? なん…で……なんでよっ!! なんでこうなって……えっ!?」


 最後までマドカの疑問が解消されることはなかった。

 まさか衛士たちがいきなりホワイト確保に向かっているとは夢にも思わなかったからだ。

 それは仕方ない。なにせこの二時間で状況が一気に変わったのだ。

 こんなことを予想できる人間など誰もいない。領主当人さえも想像もしていなかったことだろう。



 こうしてマドカは衛士たちに捕まった。




 シャイナの―――代わりに。




 ここでもう一つ情報を付け加えておかねばならないだろう。



 マドカの髪色は―――【黄金《こがね》色】だ。



 やや煤けているのでオレンジに近いが、大雑把に言えば茶髪よりも金髪と呼ぶだろう。


 そうである。


 ミエルアイブが言っていた「金髪の女」は―――彼女のことだ。

 
 やることすべてが裏目に出てしまう。そんな日が一生に一度くらいは誰にでもある。

 マドカにとって、それが今日だったにすぎない。




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