欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第五章 「裏社会抗争」 編 第三幕 『獣と獣』


286話 ー 295話




286話 「サナとアーブスラット 前編」


 マタゾーが爆炎と土煙の中に消える。

 さきほど攻撃した感触からすれば、槍使いの僧侶は防御力に長けているようには見えなかった。

 これだけの爆発を受けて無事でいられるとは思えない。


(あれだけの武人だ。死んでいない可能性もある。とどめを刺したいところだが…まずは目的を達するほうが先決だろう。ホワイトは、まだあの竜巻の中だ。今ならばいける)


 アーブスラットたちとアンシュラオンたちの距離は、最初よりも離れている。

 何も知らないプライリーラ自身はこちらを巻き込まないようにと遠くに行こうとするし、アーブスラットは彼女たちから離れるように戦っている。

 すでにその距離は四キロ近くに及んでいた。そのうえ暴風の規模が相当なものになっているため、いくらアンシュラオンでも即座にやってくることはできないだろう。

 それを確認したアーブスラットが、首からぶら下げていた縦長の笛を口に咥え、吹く。


―――ーーーーーーーーーーー


 音は鳴らない。

 犬笛のように人間の聴覚には認識できない音域のものなのだ。これは人間に対するものではない。

 反応するのは―――魔獣。


「っ―――!」


 ガタンガタン

 その音を聴いたクラゲ騎士が、鎧の中で激しく動く音がする。

 ニョロロロロロッ

 それから鎧の隙間から大量の触手が出てきた。焼け焦げた触手まで一気に再生していく。


「な、なんだぁ!? こいつら、いきなりどうした! どわっ!! 近寄るな!」


 突然の変化に驚いた戦罪者に対し、クラゲ騎士が一斉に襲いかかる。

 殴られようが剣で切られようが、かまわずに突進して触手を絡ませてくる。その特攻のような突撃にはさすがの戦罪者も対応しきれない。

 ブスブスブスッ

 麻痺針が大量に突き刺さる。


「くそっ…!! やろう!! ちっ! 離れねえ!!」


 身体が痺れて動けない。これはかなりピンチである。

 しかしながらクラゲ騎士のほうも、それ以後は特に攻撃を仕掛けてくる気配がない。

 ただひたすら触手を絡ませ、それぞれ一体ずつが各戦罪者にまとわりついて動きを封じている。

 今までまったく統率が取れていない動きをしていたが、いきなり集団的な行動を取り始めた。そこで虚をつかれたのだ。


 当然これはアーブスラットの【命令】である。


 ジングラスの秘宝、あるいは秘術である『魔獣支配』は、一度当主が支配下に置いた魔獣ならば他の人間でも操作が可能となる。

 守護者はプライリーラの命令しか聞かないが、クラゲ騎士のような低級の魔獣ならばアーブスラットも動かせるのだ。

 いつもこの笛を使って訓練しているので、今回もその命令通りに動いたというわけである。

 ちなみに館の使用人たちも同じように魔獣笛を持っている。この笛は特殊なものであり、吹いた人間の生体磁気を拡散させる『術具』でもある。

 それによって魔獣からすれば使用者個人の特定が可能となるため、仮に笛だけ奪っても魔獣は言うことを聞かず、プライリーラが許可した人間にしか従わない。

 ジングラスの切り札なので、そのあたりの防犯対策もしっかりしているのだ。



(これでしばらく戦罪者どもは動けまい。この間に仕留める)


 クラゲ騎士の役割は、これで終わりだ。

 優れた戦闘力を持っているわけではなく、耐久力と繁殖力だけが売りの魔獣なので、こうして足止めさえできれば十分である。

 そしてアーブスラットが、ついにサナに向かって動き出す。

 戦いながらも位置は特定していたので、一気に間合いを詰めていく。


「…じー」


 サナはアーブスラットの接近に気付いていた。いつものように、じっとその姿を観察しているようだ。


「…ごそごそ」


 それから銃ではなく、爆発矢が装填されたクロスボウを取り出す。

 銃で撃っても当たらねば意味はない。爆炎弾も着弾しなければ術式が展開されないので、アーブスラットに当てる自信がなかったのだろう。

 そこで広範囲を攻撃できる爆発矢を選択したのだ。

 シュッ

 大雑把に構え、サナが爆発矢を発射。


(あの矢、術式の反応がある。爆破術式…大納魔射津を尖端にセットしているのか。単純な発想だが、意外とこういう使い方をした者はいなかったな)


 アーブスラットの目が、飛んできた矢の正体を即座に看破する。

 彼がモノクル〈片眼鏡〉をかけているのは、けっして格好をつけているからではない。かといって目が悪いわけではない。

 これは『印鷹士《いんだかし》の片眼』と呼ばれる術具で、モノクルを通して見たものに術式がかかっているかどうかを解析できる便利アイテムだ。

 本物の鑑定ほど詳細ではないが、軽く見ただけで普通の物か術具かがわかるので、かなり有用性は高い逸品である。

 それによってサナの矢が特殊なものであることがわかった。正体がわかれば、さして気にするものでもない。


 アーブスラットは―――矢を破壊。


 ジュエルが付いている尖端だけを狙って切り落とし、さらに掌底で空圧を生み出し、遠くに飛ばす。

 地上数十メートルにまで吹っ飛ばしたので、仮に爆発してもこちらに影響は与えないだろう。

 何気なくやっている行為だが、強い衝撃を与えるといきなり爆発する可能性もあるので、実はかなりの高等技術である。

 空圧を回転させてジュエルの周囲に展開させることで、まるで包み込むようにして保護しながら飛ばしたのだ。

 まさに達人芸と呼ぶに相応しい妙技である。



「…じー」


 サナはその光景をじっと見つめていた。

 真似したいところだが、さすがに達人技すぎて彼女にはまだコピーはできないだろう。


「姐さん、逃げてくだせえ!!」

「…ふるふる」

「姐さん!」


 アーブスラットが迫る中、戦罪者がサナを逃がそうとするが、彼女は動かない。

 蛇双を取り出して両手に装備し、果敢にも迎え撃とうとする。


(この私とやるつもりか? それだけの策があるのか…それともやはり経験の浅い少女なのか。どちらにせよ、そこらの魔獣と一緒にされるのは心外だな)


 達人級のマタゾーを一蹴するくらいだ。アーブスラットは強い。

 サナは目覚しい成長を見せているが、今回の相手は別格だ。万一にも勝ち目はない。

 しかし、アンシュラオンの指南を受けているサナが、まともに相手をするわけがない。

 蛇双を構えた瞬間、ぱっと剣を離す。


 その手の平には―――術符。


 剣で戦うと見せかけて、手に仕込んだ風鎌牙の術符が発動。

 風が吹き荒れ、カマイタチがアーブスラットに向かっていく。


(まだまだぎこちないが、悪い動きではないな。判断も悪くない。ただ、彼女はまだ子供だ。それは不運だったな)


 もしサナが接近戦を挑みながらこのトリックを披露していたら、風鎌牙が広い範囲への攻撃であることも相まって、初見の相手にはヒットしたかもしれない。

 ただ、現在の彼女ではアーブスラットに接近戦を挑むこと自体が不可能なので、この遠い間合いで使うしかなかったのだろう。

 非常に惜しいが、よく相手を見ている。あの歳を考えれば、それだけでも合格だろう。

 しかしながら、相手が悪い。


「はっ!!」


 アーブスラットが前方に戦気壁を生み出して風鎌牙を防ぐ。

 いちいち立ち止まる必要もない。発動させながら簡単に弾いてみせた。

 術式を防ぐには三倍以上の戦気で対抗する必要があるが、サナの魔力で発せられた風鎌牙などは、老執事からすれば目にゴミが入る突風にも満たない「ヤワ風」だ。

 あっさりと対応して、さらに差を詰める。


 もう距離は目と鼻の先。


 アーブスラットの足ならば、すぐにでも捕らえることができる。

 それでも少しばかり時間をかけたのは、ほんのわずかな躊躇があったからだろう。

 相手は少女。どれだけ「手加減」をすればいいのかで迷ったのだ。


(女性、それも子供を傷つけたくはないが…なかなか手癖が悪いようだ。仕方ない。最悪は両手を折って無力化する。綺麗に折れば回復に支障は出ないだろう)


 アーブスラットは目的のためならば冷徹になれる。

 かつては子供だって手にかけたことはある。ここはそうしなければ生きていけない大地なのだ。子供とて銃や術符を使えば簡単に人を殺せるからだ。

 この様子を見る限り、いろいろと小細工をしそうな少女だ。そういう悪さができないように腕を折るのが一番である。

 自分自身でも欺瞞ではあると思うが、殺したくないときは両手足を折るのが一番いい。一番安全で一番確実だ。

 それで後遺症が出るようならば、それまでのこと。運がなかったにすぎない。


 そうと決めれば行動は早い。

 一気にサナに接近し、その細く美しい腕を掴もうとする。

 しかしサナは一瞬だけ早く、もう一方の手でポケット倉庫から盾を取り出す。

 サリータが使うような大型の盾で、明らかにサイズは大人用だ。これも第一警備商隊が持っていた『物理耐性』付きの術具である。


「盾では防げんよ。腕をもらう!」


 盾など簡単に破壊できるし、少女の腕力ならばもぎ取ることも容易だ。

 アーブスラットが、強引にサナの腕を掴もうとするが―――


「っ!!」


 咄嗟にアーブスラットは後方に跳躍。


 ドドドドンッ!


 次の瞬間―――大地が爆発。


 その衝撃で、サナともども吹き飛ばされる。

 しかし事前に跳躍をしていたおかげで、ほぼ無傷である。サナの視線が地面に向けられたことを見逃さなかったのだ。

 彼女のじっとよく見る習性を逆手に取ったものであった。


(これは…地面に大納魔射津を仕込んでいたのか? さすがに地面の中にあるものまではモノクルで見抜けぬな。いつ仕掛けた? ずっと探っていたのだ。そんな暇は……いや、一度だけある。なるほど、槍使いと戦っている間か。たしかにそこまでの余裕はなかったが、こうなることを予期していたとでもいうのか?)


 アーブスラットはサナの位置を随時確認していたが、マタゾーとの戦いでは数秒だけ完全に意識を離した状態になっていた。

 いくらアーブスラットでも、余所見をしながらマタゾーを圧倒することはできない。その間にサナは地面に大納魔射津を仕掛けたのだろう。

 小さい身体である。銃を地面に近づけてリロードしたり、構えたりすれば不自然には見えない。

 ただし、これは狐面相手にもやろうとしていたことなので、サナがアーブスラットの行動を予期していたわけではない。

 単純に万一の場合にそなえて、常時こうするようにしていただけのことだ。それだけ防御に対する意識が強い証拠である。


 だが、アーブスラットが一番驚いたのは、そこではない。


―――視線が交わる


 サナは仮面を付けているが、目と目が交錯したのがすぐにわかった。


「…じー」


(この少女…まったく目を閉じなかったのか? 普通の子供であれば、爆発すれば反射で目を閉じるものだ。やはり異質なものを感じるな。心が壊れているのではないのか? 生まれつきか、それともあの男の影響か…これは考えを改める必要があるな。相手が子供であれ油断してはいけない。この子はホワイトとは違う意味で危うい)


 この段階でアーブスラットは、サナを甘く見るのをやめた。

 目の前にいるのは少女ではなく、一人の武人であると認識する。単にそれが少女の形をしているだけなのだと言い聞かせる。

 だから、本気で捕まえに行く。



「ふんっ!」


 アーブスラットは、アンシュラオンがやったように空中で発気。戦気を放出して身体を強制的にサナの方向に移動させる。

 アンシュラオンがやったものは軽微な移動であったが、彼がやったものは爆発にも等しい衝撃であり、ジェット噴射のようにサナに向かっていく。


「…ごそっ」

「遅い!」


 サナがポケット倉庫に手をかけるよりも早く、拳衝が放たれる。

 ドゴォオオッ バシィンッ

 拳衝はサナの盾を吹き飛ばし、その衝撃でポケット倉庫へ伸びた手を阻害する。

 これはアーブスラットが意図的に盾を狙ったから助かったのであり、他の部位を狙われていたら危うかった展開である。

 その気ならば盾ごとサナを貫くこともできたのだ。人質としての価値があるからこその手加減である。


 されど、これによって攻撃が終わったわけではない。


 がしっ!

 アーブスラットがさらに接近してサナの手を掴み、そのまま落下していく。


「あなたを捕縛させていただきます。おとなしくしなければ腕を折り、それでも暴れたら足も折りますぞ」

「…こくり」

「…?」


(何に頷いたのだ? まさか折ることを承諾したわけでもあるまいが…)


 アーブスラットは、サナの行動の意味がわからずに一瞬考えてしまう。頷くだけではどちらの意味にも取れるからだ。

 もともと感情を出さず、何を考えているのかわからない少女であるが、かといって自身の腕を折られても平気とは思えない。

 また、アーブスラットにしても人質という手前、できれば無傷で捕獲したいと思っている。

 この文句で怯むようなら、それを脅しにしておとなしくさせてもいい、という心構えがあったことは否定できない。

 だからこそ隙が生まれたのだろうか。



 ズバアァアアアアア!!



 雷光一閃。

 光を感じた時には、肩に衝撃を感じていた。

 ジュウジュウッとアイロンをかけて焦がしたような音とともに、左肩の一部が焼け焦げていたのだ。


 アーブスラットの背後には、身体のあちこちに大きな火傷と裂傷を負ったマタゾーがいた。


 仮面は欠け崩れ、法衣もかなりボロボロ。

 それでも槍は放していなかった。




287話 「サナとアーブスラット 中編」


 マタゾーはまだ生きていた。

 裏スレイブは鉄砲玉にも使われる存在なので、しぶとさには定評がある。

 業界では『裏スレイブは殺すまで死なない』といわれるくらいだ。生きていたことは不思議ではない。

 しかしながら、見た目からしてもかなりのダメージを負っているので、けっして余裕しゃくしゃくで耐えたわけでもない。

 仮面の半分以上が吹き飛び、腕や肩の肉が破損して骨が剥き出しの部分もあるなど、一目見ただけでもかなりの重傷だ。

 されど―――武人。

 心臓を貫かれたくらいでは死なないし、諦めもしない生粋の武人である。

 血に飢えた薄暗いその瞳は、まっすぐにアーブスラットに向いていた。


(オヤジ殿に言われたことは二度と忘れぬ。死んでも貫くのみ)


 アンシュラオンに諭されたように、槍で相手を刺し殺すまでは絶対に満足しない。

 極めて当たり前のことだが、これが一番大切なことである。だからマタゾーは相手を殺すためだけに槍を構える。

 その気迫は、武人であっても恐怖を抱くほどに一途であった。

 そして、二撃目を加えようと槍を構える。


 その狙いは―――アーブスラットの心臓。


 マタゾーは最初の一撃も、そこを狙っていたのだ。

 ただし左腕が完全におしゃかになり、今は脇をしめて強引に支えとして使っている状況である。狙いが正確にならないのは仕方のないことだ。

 たとえれば片腕が骨折した状況で、利き腕だけでビリヤードをやるようなもの。

 むしろこの状況でアーブスラットに当てたことを褒めるべきだろう。



(あの槍使い、少女ごと私を殺す覚悟で放ったのか。あの頷きは、そういう意味だったということか)


 マタゾーの殺気を受けたアーブスラットが、サナの行動を理解する。

 自分の防御の戦気を貫くくらいだ。一発目の矢槍雷は、本気中の本気で撃ち出したものであろう。

 貫通する可能性は低いものの、場合によってはサナを殺傷する危険性だってあったはずだ。

 どうやら少女は戦気を放出できないようなので、ほぼ生身の状態である。そこに矢槍雷が少しでも当たれば感電死は免れない。

 裏スレイブが勝手にそんなことをするはずがないので、これは間違いなく彼女自身の【命令】である。

 サナにはマタゾーが見えていた。

 だから目とジェスチャーで、「自分ごと撃て」と伝えたのだ。

 サナがそんなことをするとは思わなかったので、アーブスラットは素直に驚きを感じていた。


(まさかホワイト商会の者たちが、ここまで強い意思を持って戦うとは…理解しかねるな。そもそも裏スレイブの気持ちなど理解はできない。…だが、そうした慢心と油断がミスを招く。これは反省せねばいかんな)


 この一撃を受けたのは、完全に自分のミスである。

 たかが少女、たかが裏スレイブと侮ったからこその被害だ。そこで自分に再び活を入れる。


(気迫は見事。しかし遅かったな。少女はすでに手中。このまま完全に捕縛して連れ去るだけだ)


 アーブスラットはサナに触れているし、マタゾーの狙いも理解した。ならばもう不覚を取ることはない。

 一度目が最大のチャンスだったのだ。そこを外した以上、二度目はない。

 このままサナを糸で縛って拘束し、マタゾーにとどめを刺してから一度戦場を離脱する。その後、プライリーラの救援に向かえばいい。

 そう思って糸を取り出した瞬間である。

 サナが蛇双を使って、自分を掴んでいるアーブスラットの腕を攻撃。

 ガキィイイッ

 当然ながら攻撃は通じない。防御の戦気によって刃が防がれる。

 そこまではいい。それくらいの抵抗は想定していた。


 がしかし―――【腕が増える】とは思わなかった。


 ニョロン ニョロロロ

 サナの肩口から、もう一本の腕が生えてきた。いや、よく見れば一本ではない。もう一本、二本、三本と、計四本の腕が一瞬にして生えた。


 それが―――薙ぎ払う。


「ぬっ!!」


 アーブスラットはサナを放し、両手をガードに回して最大出力の戦気壁を展開。

 ズババッ!! ブシュッ

 新しく生えた腕が戦気壁を貫通し、アーブスラットの腕を切り裂く。赤紫の戦気の中に、さらに赤い血が舞う。

 バンッ

 アーブスラットは緊急回避でサナから離れるしかなかった。あのままの状態でいたら、おそらくは一方的に攻撃されていただろう。




 両者は着地。着地の際も生えた腕がクッションとなり、サナは軽やかに舞い降りた。

 トットット

 そこから距離を取ったアーブスラットとは対照的に、サナはマタゾーのもとに向かう。


「はぁはぁ…黒姫殿、ご無事か」

「…こくり」

「本来は拙僧がお守りするはずが、この体たらくとは…申し訳ないでござる。ですが、その技は消耗が激しい。長居は無用。即刻お逃げなされ」


 マタゾーはサナから生えている腕、アンシュラオンが『命気タコ足』と呼んでいたものを見る。

  第一警備商隊相手に使ったものと同じだ。これはアンシュラオンの命気によって形成されているので非常に強力な武器になる。

 ただし、本来はサナの生命維持のために用意されたものなので、攻撃形態である命気足は消耗が激しい。

 前回の使用時の状況から考えて最大出力での持続時間は、およそ五分程度だろう。

 基本的にアンシュラオンが傍にいるので、それだけもてば十分という計算がなされているようである。

 逆にこれ以上の稼働率を目指すと日常での維持が難しくなる。あくまで緊急用の措置なのだ。


 サナは、命気足の一本をマタゾーに密着させる。

 コポコポコポッ

 足が身体の中に入り、全身に染み渡る。負傷した箇所から泡が立ち、急速に傷が回復していく。


「これは…オヤジ殿の命気…黒姫殿も使えるでござるか」

「…こくり」


 自動防御用の四本以外はサナも動かすことができる。その一本を本来の用途である回復に使ったのだ。

 結果マタゾーの傷は多少ながら回復したものの、足が一本消える。


「いけませぬ。拙僧のような者に使っては御身が危険になりましょう。裏スレイブは戦って死ぬことが誉れ。お気持ちはありがたいが、オヤジ殿の意思には反するでござろう」

「…ふるふる」

「しかし…これでは…」

「…ふるふる」


 サナは頑として譲らない。彼女はアンシュラオンとは違い、白黒はっきりした性格なのだ。

 また、裏スレイブを簡単に犠牲にするのはアンシュラオンであって、サナも同じ考えとは限らない。

 好きにやっていいと言われているのだ。だからサナは好きにしているにすぎない。


(オヤジ殿の秘蔵っ子とはいえ、まだ子供。優先順位を見誤っても不思議ではない。裏スレイブに情などかけても報われぬもの。我らは強さのみに従う。…されど黒姫殿が見せたものも、まさに【強さ】よ。いくらこの技があっても、あれほどの手練れを相手に臆さぬとは…)


 サナが自分ごと攻撃しろと意思表示したことには、命気足を含めたしっかりとした算段があってのことだ。

 だが、それでもアーブスラットと対峙した姿は見事であるし、マタゾーも人の子である。施しを受けた恩義を忘れることはない。

 サナが戦いたいというのならば、それに力添えするのが自分の役目である。


(左手は支えるのがやっとだが、かろうじて動く…。まだやれるか。黒姫殿はどこか…そう、オヤジ殿と一緒にもっともっと大きくなる気がしてならぬ。こんな辺境の都市では収まらぬ器であろう。この戦いが少しでも成長に役立つのならば、この命も惜しくはない)


 シュボッ

 マタゾーの戦気が燃え上がる。

 ロウソクの火のように静かでゆらゆらしたものだが、非常に濃縮した気骨ある炎である。



 そんな二人のやり取りを見て、アーブスラットは警戒を強める。


(このような隠し玉を持っているとは…。ザ・ハン警備商隊の生き残りから証言は得ていたが…まさか本当とはな)


 命気足には非常に驚かされたものである。完全に想定外だ。

 あの一撃でアーブスラットの腕からは血が滴り落ちている。骨までは到達していないものの、こちらの防御を貫くのだ。怖ろしいものである。

 ジングラスも独自にホワイト商会について調べており、その中には戦いから逃げてきた第一警備商隊員の『水の足が襲ってきて次々と殺された』という証言もあった。

 しかし所詮は敗残者の言い訳。仲間を見捨てて逃げた臆病者の世迷言だと思っていた。


(あれも『停滞反応発動』を使ったものか? …あんなものは見たことがない。いったいどれだけ複雑な技を練り上げているのだ。信じられない芸当だ。どうりでホワイトが慌てて向かってこないわけだ。大切なものには鍵をかける。当然の防犯意識だな)


 サナが自分を相手にするから、おかしいとは感じていた。

 同じくアンシュラオンが即座にやってこないことにも疑問を抱いていたが、これで納得である。用心深いあの男が、自分の大切なものを放置するわけがないのだ。


(あの槍使いは息を吹き返したか。しかもこの気質だ。最初よりも厄介になったかもしれないな。それもこれも、すべてはあの少女がやったことだ。よもやここまでてこずることになろうとは…。だが、侮ったわけではない。すべてがこちらの予想を超えていただけのことだ。特に裏スレイブまで魅了することが一番怖ろしい)


 アンシュラオンがサナを大事にするだけの価値があることも、改めて理解できた。


 サナには―――【人を率いる資質】がある。


 当人はまだ子供で弱いが、マタゾーのやる気を引き出したように人を惹き付けるものを感じる。

 それはアンシュラオンとは正反対のもの。

 個人では超絶に強い反面、横暴で人望もなく、人を率いるのが苦手なあの男とはまったく反対の力だ。

 彼ならば即座に裏スレイブを見捨てて逃げるだろう。実際にサナにもそう教えているのだから偽りなき本心である。

 しかし、シャイナを許したり、サリータを拾ったり、サナには弱い者を【拾う癖】がある。

 それがどのような感情から生まれているのかはわからないが、拾われた者から多大な人望を得ることができるだろう。

 仮にサナが何も与えずとも、彼女たちはサナを守ろうとするに違いない。それはまさに人徳である。

 そんなサナがいるからこそ、アンシュラオンも安定している。暴走しないで済んでいる。


 その安定を、人は「安らぎ」とか「拠り所」と呼ぶのだ。


 それゆえにサナが輝けば輝くほど、皮肉にも人質としての価値も十二分にあることを立証していた。



(彼女も大きくなればリーラ様のようになるのかもしれないな。…しかし、敵である以上、私情を挟むわけにはいかない)


 ゴゴゴゴッ ジュウウウウウッ

 突如アーブスラットの気配が変わった。明らかに戦気の質が変わっていく。

 静かに波打っていながら淀みなく、清廉でありながら不純で、軽いながら重厚。多様で複雑で、深みのある戦気が、じんわりと周囲を呑み込むように拡大していく。

 そのあまりの強さに、触れた周囲の大地まで燃えていく。



 アーブスラットが―――本気の戦闘モードに入った。



 真の戦気を解放したのが、その証拠。

 平穏だった山が、いきなり噴火したかのような変貌が見られる。


「むっ…!! なんと凄まじい戦気よ…! 黒姫殿、防御を最優先に…」

「参りますぞ」


 再びトーン、トーンとステップを踏みながらタイミングを計り、直後―――消える。


「っ!!」


 もはや肉眼では追えない速度で、こちらに向かってくる。

 それに対してマタゾーは反射的に槍を突き出す。見たのではない。身体が感じたままに放ったのだ。

 彼もまた長年の修練によって武を磨いた者。反射とはいえアーブスラットの動きについていく。

 しかし、身体は万全ではない。

 十分な威力がない一撃は簡単にいなされ、次のステップで懐に入られる。

 そこから放たれたアーブスラットの拳はあまりに速く、なおかつ完全にマタゾーの顔面を捉えている。


(速い…! これが本来の速度か! …死ぬ)


 マタゾーをして死を覚悟する瞬間であった。

 自身が万全であったとしても、おそらくは対応できなかっただろう。アンシュラオンほど速くはないが、間違いなく超一流の武人の動きである。


 だが、拳が顔面に触れる前に―――命気足が弾く。


 バチィイイインッ!

 自動防御用の触手が、アーブスラットの拳を迎撃。寸前で叩き落す。


 そこでアーブスラットは標的をサナに変更。


 流れるようなフットワークから拳のラッシュ。もはや手元がまったく見えないほどのマシンガンジャブが炸裂。

 まるで漫画の誇大表現のように閃光となった乱打が迸る。


 ダダダダダダンッ バシバシバシバシッ

 ババババババッ ドドドドドドンッ


 何百発という拳がサナに注がれる。掠めただけでも生身のサナなら即死している攻撃だろう。

 が、それをすべて命気足が迎撃。こちらも目に見えない速度ですべてを叩き落す。

 両者がぶつかる衝撃で、思わずマタゾーが吹き飛ばされそうになる。


(むぅう…この領域には手が出せぬ…!)


 マタゾーは、ただただそれを見ているしかない。迂闊に参加すれば、槍ごと自身が破砕されてしまうだろう。

 それも仕方がない。すでにこの領域は達人のレベルを超えている。

 第七階級の達験級を超えた先にある世界。プライリーラやガンプドルフたちがいる領域のものだ。そこは次元が違う。

 一撃一撃が必殺のパワーを秘めていながら、この速度で打ち合っている。

 第一警備商隊を虐殺した命気足である。術具を装備していても簡単に引き裂くほどの力がある。それと対等に打ち合うアーブスラットも化け物である。



(速い。重い。これがホワイトの戦気か。油断をすれば首を狩られるのはこちらだな。だが、それを操っているのはこの少女だ。神経と直接結合しているのか? さすが医者というわけか)


 アーブスラットは戦いながら命気足を観察する。

 どうやらあれはサナの身体の中、各臓器や脊髄、脳神経とつながっており、彼女が感じたままに動くような仕様になっているようだ。

 神経反射を利用しているので瞼が自動的に閉じて目を守るように、見て危ないと思った瞬間には、すでに命気足は動いている。

 サナがマタゾーを守ろうと見れば、それだけで迎撃用の足が勝手に動くというわけだ。

 しかしこれを見る限り、どうやらサナは命気足の制御に慣れたようである。まさに本当の彼女の手足のように扱っている。

 常時アンシュラオンと一緒にいて、なおかつ命気に馴染んでいる彼女は、知らずのうちに一体化が進んでいるようだ。


(だが、他人から借りただけの力には限界がある。凄まじい攻防力だが、これ単体で技を使えるわけではない)


 シュバッ バシュッ

 アーブスラットが、ギリギリの間合いで命気足の攻撃をかわし、サナの懐に入り込む。

 そこからさらに近距離からのラッシュで、命気足を防御に専念させておき―――

 トーン ドンッ!

 ボクシングのフットワークだったものが、突如として拳法の動きに変化。足を踏み込み、掌底を繰り出す動きになる。


 掌底がサナの腹を捉え、技が炸裂。


 ボゴンボゴンッ!!

 サナの身体が浮き上がり、内部から激しい力で蹂躙される。




288話 「サナとアーブスラット 後編」


 覇王技、風神掌。

 相手の体内に風気を送り込み、内部をズタズタに引き裂く技である。アンシュラオンがラーバンサーに使ったものと同じだ。

 風神掌は発勁の中ではそこまで威力があるわけではないが、速度に優れているため、この素早い命気足の攻撃を防ぎながら当てるには適した技であった。


(入った! …が、やりすぎたか?)


 アーブスラットは幾多のフェイントを交えてサナの視線を幻惑しつつ、見事に風神掌を当てることに成功する。

 サナの力は借り物であり、アーブスラットの技量は自らの修練で得たものだ。練度がまったく違う。

 また、迎撃用の足も自動制御の限界がある。経験豊富な一流の武人が相手では、どうしても対応しきれない場面が出てくるのは仕方がない。

 ただ、あまりにまともに入りすぎたので、一瞬ひやっとする。

 当てる瞬間に少しだけ手加減したが、ほぼ本気の一撃だ。生身のサナならば文字通りに粉々になってしまうだろう。


 じゅぽっ ごぽごぽごぽっ

 しかし、命気足の一本が即座にサナに吸収され、傷を一瞬で癒す。


 命気は常時サナの中に浸透しており、本当に危険な際には自動的に効果を発揮するように設定されている。

 その回復の仕方は、マタゾーはもとより今まで他の人間にやったものよりも遙かに高品質で、なおかつ高速であった。

 サナに浸透している命気は、彼女の生体磁気に合わせてアレンジされているので、その分だけ吸収回復が早い。

 これによってズタズタに引き裂かれた身体も即座に回復。当人が痛みを感じる前には元に戻っていた。



(ふぅ、思った通りだ。少し怖かったが、あの男が慎重で助かったな。これで二本なくなって、残りが六本か。まだ六回はこれをやらねばならないとは…気が滅入るな)


 どうやら回復のたびに足が失われるようである。一本はマタゾーに使ったので、これで残りは六本となる。

 逆に言えば、サナは八回まで致死性の攻撃に耐えることができる、というわけだ。

 もちろん許容量を超えるダメージを受ければ即死もあるが、アンシュラオンの命気を一発で突破できるような攻撃は滅多にない。


(ちまちまやっていては時間が足りぬ。一気に削る!)


 アーブスラットは命気足と戦いながら強めの練気を行う。

 高速練気術という技であり、爆発集気よりも時間はかかるが、大きな隙を作らないで戦気を凝縮させることができるものだ。

 ボディーブローを警戒するボクサーが、常時腹筋を固めながら呼吸することに似ているだろうか。これも練気が上手くないとできない芸当だ。


 そして、練り上げた戦気を解放。


 アーブスラットの両手に強力な戦気が満ちる。


「はぁあああああああ!!」


 指を伸ばし、受身をするように両手を前方に軽く構え、命気足と打ち合う。



―――叩く

 掌底を使って命気足を打ち砕く。


―――斬る

 手刀を使って命気足を切り裂く。


―――貫く

 貫手を使って命気足を貫く。



 ドンドンドンドンドンドンッ

 叩く、叩く、叩く、叩く、叩く、叩く!

 ズバズバズバズバズバズバッ

 斬る、斬る、斬る、斬る、斬る、斬る!

 ザクザクザクザクザクザクッ

 貫く、貫く、貫く、貫く、貫く、貫く!


 六本の命気足に対応するように、あらゆる角度に向かって、あらゆる攻撃と防御を繰り返す。

 奥義、風域活殺千手《ふういきかっさつせんじゅ》。

 因子レベル5で使うことができる覇王技の奥義の一つで、掌底、手刀、貫手の三つを自在に操って攻撃する技である。

 風の名が付いているように手には風気を宿しており、攻撃の速度が非常に速いうえ、打撃、斬撃、刺突の三つの属性を持っているので、あらゆる状況に対応することができる。


 命気足の叩くような動きには、貫手で対応。貫いて動きを止める。

 薙ぐような攻撃には手刀で切り払う。

 突くような攻撃には、掌底で潰す。


 優れた武人がアーブスラットを見れば、周囲を覆う独自のフィールドを形成していることがわかるだろう。

 アンシュラオンも六本足のデアンカ・ギースに対して似たようなことをしたが、あの時に使った六面迎舞は防御用の技であり、特定の技というよりは【武技】なので単純なテクニックである。

 一方の風域活殺千手はれっきとした覇王技であり、攻防一体の技だ。

 一定の範囲内にいる者に対して、攻撃も防御も同時に行うところに特徴がある。つまるところ自動迎撃の命気足と同じ系統の技となる。

 同じような技を使い、スピードも威力も両者は互角。


 されど、命気足が―――破壊。


 グチャッ ボシュッ

 すでに千を超える打ち合いを果たした足の一つが、限界に達して自壊した。これで残りは五本だ。

 これは時間制限ではなく、単純にアーブスラットが力づくで打倒したのだ。攻撃を防御すれば、それだけ磨耗していくのは当然のことだ。

 さらにアーブスラットの攻撃の質が高まったので、凄まじい勢いで命気足が削られていく。

 一本ずつどころか全部がまとめて小さく細くなっていくのがわかる。




(まずい。このままでは負ける)


 槍を構えたまま、マタゾーは肝を冷やしていた。

 どちらが優勢かは少し腕の立つ人間ならばわかるものだ。明らかにアーブスラットのほうが強い。

 パワー、スピード、技量、戦気の質、経験値、どれもが命気足付きのサナを凌駕している。

 そんなことは最初からわかっていたこと。サナのワガママで始まった戦いなのだから、これもまた受け入れるしかない。


 しかし、結果はいつだって残酷だ。


 マタゾーも人間の生死を数多く見てきたが、そこには奇跡など何一つ存在しないと断言できる。

 単純な原因と結果、強い者が勝って弱い者が死ぬという現実を、まざまざと見せつけられるのだ。

 そうした事実を知るからこそ裏スレイブは力だけを求める。力を信じ、力を愛し、力を信奉するのだ。


 今この場で最上位なのは、文句なくアーブスラット。彼が生殺与奪の権利を持っていることになる。


 幸いながらアーブスラットはサナを殺すつもりはないようだが、それも交渉次第でどうなるかわからない。

 アンシュラオンが対抗策としてプライリーラを人質にした場合、互いの人質だけが死ぬという最悪のシナリオだって存在するのだ。


(なんとかせねば…せめて逃げる時間を作らねば…。この命を捨てて一瞬の時間を作るしか道は……ん? 黒姫殿? 今何を…)


 バシュッ

 マタゾーの目の前の地面に命気足が叩きつけられた。

 端から見れば、弾かれた足が偶然そこに当たったように見えるだろう。

 しかしながらひたすら両者を注視していたマタゾーには、それが偶然には思えなかった。

 サナは視線をアーブスラットから離していない。もし少しでも外せば、それによって勘付かれるおそれがある。

 だからこれは、マタゾーに向けた秘密のメッセージだ。


(何を求めておられる? この状況では特攻するしか方法はないが…いや、黒姫殿のことだ。それならば最初から拙僧を犠牲にしているはず。そうしないのならば、何かしら考えがあるに違いないが…)


 いろいろと考えてみるが―――わからない。


 マタゾーは他の荒々しい裏スレイブからすれば、そこそこ静かな部類に入るが、戦いのことしか考えていない狂人であることには変わらない。

 はっきり言って、他の裏スレイブ同様に【頭が悪い】。

 ハンベエのような知性派ならばともかく、槍のことしか知らない破戒僧である。頭が切れるサナの考えなどわかるわけがない。

 ただ、こうして考えていれば、一つだけ悟ることもある。


(…駄目だ。わからぬ。どのみち拙僧にできるのは槍を突くことだけ。ならば…そうすればよかろう!!)


 悟ったことは、自分が槍を突くしか能がない【大馬鹿】だということだけ。

 ならば、そうしてやればいい!!

 自分ができる最強の一撃を、自分を軽んじている老執事にぶっ刺してやればいいだけだ!!!

 さすが僧侶である。悟った内容がぶっ飛んでいる。

 ちなみに彼がゴーストライターを務めた「ザ・ハッピー」は、密かに売り上げ300部を突破しているそうだ。

 そこにも「人生は槍を突くことなり」と書かれている。まったくもって役に立たない人生訓だが、今この瞬間だけは少しばかり役に立つだろう。




「ぬんっ!!! はぁああああああ!」


 マタゾーが爆発集気。

 ボボボボッ バチバチバチィイイイッ!

 身体が光になったように輝き、矢槍雷よりも数倍以上強い『雷気』が槍にまとわりついていく。

 触れただけで魔獣でさえ感電死する威力だが、これでもまだ準備段階である。


(この忙しい時に…坊主ならば寺にでも引っ込んでいればいいものを!)


 その雷気の強さを感じては、さすがのアーブスラットも無視はできない。

 サナの命気足を削りきるまでもう少し。あと少し。だが、そこからが長いのは何をやっていても同じだ。

 あとちょっと、もう少しで、という時に感じる焦りだけは、こうして長年戦い続けてもなくなることはない。

 アンシュラオンの命気と戦っているのだ。それも当然である。

 アル先生が闘人相手に負けたように、自動制御とはいえアンシュラオンの戦気は異様な強さである。

 それと真剣勝負をしているのだから、アーブスラットの精神的疲労も蓄積するというものだ。

 そこにきて、まさに横槍が入ろうとしている。鬱陶しさや忌々しさを感じるのが自然な感情だろう。


 だが、これは殺し合い。容赦のない純粋な戦いだ。


 いかなる手段を使っても相手を倒す。目的を達する。一人に対して何人を仕向けても、いかなる道具や術を使っても勝つ必要がある。

 最後に立っていた者こそが勝者となるのが、この世界の絶対のルールだ。

 だからこそアーブスラットも手段は選ばない。


 ガンッ! バキャッ!! ごろんっ


 命気足と打ち合いながら右足の踵を地面に強く叩きつけると、靴底から大納魔射津のカプセルが出てきた。

 靴に何かを隠すのは定番であるが、爆発物を隠すのはなかなかに勇気がいることだ。

 バシッ コーンッ コーンッ ごろごろ

 その大納魔射津を器用に足で蹴って起動させ、マタゾーのもとに放り投げる。

 こうした練習も日々積み重ねるのが武人の嗜みである。

 サッカー選手が普段はやらないようなリフティングで遊ぶようなものだが、アーブスラットがそれをやっていると思うと少し滑稽に思える。

 ただ、一流の武人ほど、そうした小さなことを怠らないものである。この土壇場で正確に動作ができたのも、積み上げたものがあるからだ。


(回避するか臆して切っ先が少しでもぶれれば、その瞬間にとどめの一撃を放つ! こうなれば多少のダメージは受け入れる!)


 この一撃で倒せるとは思っていないが、相手を少しでも怯ませることができれば十分である。

 マタゾーとの距離は十数メートルは開いている。一旦下がってくれれば槍が届く間合いに入るまでに準備ができるし、近寄ってくるのならば練気が中途半端になり、さして怖れるものではなくなる。

 そして、その瞬間に放出系の技で仕留める予定だ。

 それを打ち合いながらやるのは至難で、どうしても命気足の攻撃を一発はくらう羽目になるが、結果を得るためには受け入れるべき損害であろう。

 さらに念には念を入れて、戦いながら位置を少しずつずらし、サナがマタゾーの壁になるように入れ替える。

 こうしたプレッシャーの与え方も老練である。極限の状況下では、ちょっとしたことが明暗を分けるものだ。



 コロンコロンッ


 大納魔射津がマタゾーの足下に転がっていく。

 しかし、マタゾーは無視。

 ひたすら練気に集中。サナと位置が入れ替わったことにも気付いていないのか、目を閉じて力を溜めている。

 彼は自分の身よりも相手を倒すことだけに集中しているのだ。まさに鉄砲玉である裏スレイブの鑑であろう。

 同時にアーブスラットには、その姿勢が非常に苛立たしく思える。


(狂人め…どこまでも邪魔をするか…)


 裏スレイブが好まれないのは、何の責任も取らず己の享楽に興じるからだ。

 特に守るものがある人間からすれば、そんな人間を好きになる理由は皆無である。


(いいだろう、やってみろ! だが、直撃を受ければ、まともな一撃は打てまい!)


 マタゾーの身体は命気で回復しつつあるが、万全には程遠い。

 今は攻撃に集中しており、防御の戦気もほとんどまとっていない。この状態で大納魔射津が爆発すれば命に関わるだろう。

 それでもマタゾーは限界まで練気を続ける。生半可な一撃では通じないことを知っているからだ。

 命をかけた一撃でなければ、この老執事には通じないのだ!!


 バチバチバチッ!!

 バチッ、バチッ、ババババババババババババッ!!!


 槍先一点にすべての雷気が集中する。これを打ち出せば、マタゾーの最大の攻撃である剣王技、雷槍人卦の完成だ。

 だが、それを放つ直前に―――リミット。



 ドドドバーーーーーンッ!!



 大納魔射津が爆発。

 まったく防御をしていないマタゾーの足下から、激しい爆炎が上がった。

 皮膚を弾き飛ばし、肉を焼き、骨が削れる。衝撃で瞼ごと目も大きく抉れ、耳も吹っ飛ぶ。


 この瞬間―――意識を失った。


 ダメージが限界を突破したのだ。肉体が死を覚悟して神経を遮断する。


 それでも、槍は手放さない。


 肉が削がれた足は大地にしがみつき、ボロボロの手はがっしりと槍を掴み、長年の修練で積み重ねた動作が誰の命令もなく動き出す。

 否。

 それはやはり【意思】である。

 彼の意思は、ただ槍という一点に集中しており、他の部分はどうでもよかったのだ。

 意識を失いつつあっても生じる強靭な意思が雷気を維持し、日に五十万回以上も突いた動きを忠実に再現する。



 ただし、それは普段の突くという動作ではなく―――【投げる】。



 閃光が―――疾《はし》った。



 この状態、この間合いでは、槍を突き出しても当たらない。

 万全なら走って間合いを詰めることもできるが、今はそれもできない。

 それを無意識で理解しているマタゾーは、手元から右手で押し出すように槍を投げる。


 ギュルルウッ バチィイイッ ドヒュンッ


 軽く押し込んで放っただけで、槍は急激に加速しながら一直線に標的に向かっていく。

 放槍・雷槍人卦。雷槍人卦の槍投げバージョンであるが、極限まで溜め込んだ雷気が爆発して加速させるので、威力そのものは変わらない。



 槍がアーブスラットに迫る。



(最後までやりきるとは…見事だ! しかし、やはり甘かったな。軌道がずれている。あの爆発の中では当然だ)


 最後は結局、アーブスラットの思惑通り。

 マタゾーが放った一撃は爆発による衝撃と、壁にしたサナを避けたために軌道がかなりずれ込んでしまった。

 このままではまた肩を掠める程度が精一杯だ。


(勝った! このまま一気にいく!)


 アーブスラットがサナに集中する。今は時間が何よりも大切だ。

 だから彼の行動を責めることはできない。

 アンシュラオンという強大な敵がいるのだ。サナを捕まえても、さらに彼と対峙するという最大の挑戦が待ち受けている。

 一刻も早く事を成し遂げ、気持ちをそちらに持っていきたいと思ったのは、けっして責めることはできないだろう。

 なぜならば人間は大きなストレスに苛まれると、楽になろうとする心理が働くものだからだ。

 それが日々鍛練を積んでいるアーブスラットでも同じだというのは、多少ながら親近感が湧くものだ。


 だからそう、これは決勝戦を前にした一流スター選手が、思わず準決勝で不覚を取ることに似ている。



 ボンッ ニョロロロッ ニュギュウッ



 軌道がずれた槍を―――命気足が【取り込む】。




「なっ…にっ……」


 一本、足りなかった。

 マタゾーの雷気に意識を取られ、サナが一本だけ命気足を地中に潜ませていることに彼は気付かなかったのだ。

 その命気足が突如地面から出現し、マタゾーの槍と合体。

 まさに取り込むように吸収すると、一気に軌道を変更。



 ズババチイィイイイイイイイイ!!



 『槍足』がアーブスラットの脇腹に刺さり―――貫通。




289話 「見捨てる選択 前編」


 ズブブブッ ブシャッーー!!


「ぐふっ…」


 マタゾーの雷槍を取り込んだ命気足が、アーブスラットの腹に突き刺さり、貫通。

 その動きは、まさに高速フォーク。

 上を通ると思っていたものが急激に落下してくるのだ。四本の命気足と打ち合っていた人間に対応できるわけがない。

 アーブスラットはマキと同系統の武人で、スピードや手数で相手を圧倒する代わりに、素の防御力には難があるタイプだ。

 命気足の一撃でさえ、当たり所が悪ければ致命傷にもなりうる。そこにマタゾーの槍が加われば、防御の戦気などあってないようなものだ。


 しかも、この技には恐ろしい追加効果がある。


 アンシュラオンの時にはかわされてしまったので発揮されなかったが、雷槍人卦には『人間特効』という効果がある。

 この『人間』は『飛行』の説明時にもあったが、ステータスに表示される【種族】のことである。

 この種族にはステータスには表示されない各補正値が設定されている。飛行ならば、飛び道具以外の攻撃を半減させるという強力なものだ。

 それだけ見れば飛行が圧倒的有利なのだが、メリットがあればデメリットが存在するのが世の常、平等というものだろう。

 飛行種は非常に強力である一方、それを駆逐するための専用武具も存在する。

 鳥型魔獣を専門に狩るハンターなどはそうした『特効武具』を装備し、普通ならば非常に厄介な飛行する魔獣を簡単に屠っていく。飛行が仇になったパターンだ。


 特効は単純に【ダメージが二倍】になるという最悪のものであり、これと同じく『人間特効』は、人間に対して強い力を発揮する。




「ぐううっ―――がはっ!!」


 存在そのものを否定されたような衝撃に全身が強張る。これが種族特効である。

 この技は攻撃補正二倍なので、それが二倍にされて、もともとの攻撃力の四倍の力を発揮することになる。

 それが防御無視で突き刺さるのだから、雷槍人卦がいったいどれだけ凶悪な技かがわかるだろう。

 唯一の安心材料としては人間特効の技はそう多くなく、人だけを殺めてきた者しか修得はできない傾向にあることだろうか。

 裏スレイブが怖れられるのは対人戦闘に特化しており、多くの者が人間特効の技を持っているからである。人間を殺すためだけに技を磨いているので、殺人技の体得に向いているのだ。

 あとはマスター〈支配者〉たちが人間特効の技を多く使うので、人間が対峙する際は注意が必要だ。

 『即死無効』すら貫通する禁忌の術もあり、彼らが怖れられている要因の一つにもなっている。


 一方、魔獣ばかりを相手にしていたアンシュラオンは、実はほとんど『人間特効』の技を持っていない。

 姉に散々「他の人類は絶滅している」と言われてきたのだから、これも仕方ない。(陽禅公もそのあたりを考慮してあまり教えていない。バレたらパミエルキにボコられるから)

 その代わり魔獣の高体力や特殊能力に対応できるように、多様な技や単純に大ダメージを与える技を多く修得している。


 というわけで、種族特効は純粋に「ヤバい」。

 それを受けたのだから、アーブスラットは計四倍の大ダメージだ。

 と思いきや、悪いことが起こる際は、さらに悪いことが起こるものである。


 種族特効に加えて、ここにサナの【策】が追加される。


 というよりは、彼女は種族特効が追加されているとは知らなかったので、単純にこちらが目的だったといえる。

 水は雷を吸着する性質を持つ。命気は最上位属性なので、いくら雷であっても下位属性ならば簡単に通さないのだが、意図的に吸収することならば簡単にできる。

 こうなると、命気足の属性は「命(水)+雷」という複合属性になる。

 これがどういう結果をもたらすかといえば―――


 バチバチバチバババババババッ!!


「っ―――!!」


 アーブスラットの中と外で雷が激しく暴れる。皮膚や筋肉だけではなく、貫かれた箇所の血や内臓も焼かれていく。


 雷が―――【風と反発】する。


 アーブスラットが風域活殺千手を展開しているということは、彼は風属性を身にまとっている状態である。

 そこに属性反発が起きると、ダメージが1.5倍される。

 この『種族特効』と『属性反発』は別のカテゴリーなので重複し、まず種族特効の二倍が入り、それが1.5倍されるので、結果として【三倍ダメージ】ということになる。

 そして雷槍人卦が攻撃補正二倍なので、最終的に【合計六倍ダメージ】が入るという、もはや絶望的な損害を受けることになったのだ。



(しくじった…完全に……これはまずい……深刻で致命的なダメージだ…。手癖が悪いどころではない。凶悪だ…凄まじいほどにな…)


 アーブスラットは想定外の大ダメージに困惑する。

 一番脆いと思われた少女は、ネズミではなく凶悪な獣だったということだ。甘く見た自分が悪い。


 しかし、死んではいない。


 全身を雷気に焼かれてもまだ生きている。単純にHPの残量がギリギリ残っているのだ。

 体力そのものは高いほうではないが、アーブスラットのHP成長率が高いため、レベルをマックスまで上げている彼には余裕がある。

 サナが強引に軌道変更をしたから、その分だけ勢いが削がれたのも幸いした。もし自身のHPが四千を上回っていなかったら死んでいた可能性がある。

 それで命拾い。かろうじて助かる。


 シュンシュンッ シュンシュンッ


 そこにサナの追撃。相手が死ぬまで攻撃を続けろというアンシュラオンの言葉を忠実に実行する。


「ぬおおおおおおおおお!!」


 アーブスラットの戦気が爆発。

 刺さった槍を切り落とし、さらに緊急回避。命気足からの攻撃を逃れる。

 サナはさらに追撃。命気足が執拗に襲いかかるが、それを血反吐を吐き、後退しながらも捌いていく。

 致命的なダメージを受けても動きは止めない。あえて神経を操作して痛みを自身に与えることで意識をはっきり保つ。

 掠める掠める掠める。だが、当たらない。

 極限の状況で感覚が鋭敏になっていく。武人としての本能が覚醒していく。


 そして―――笑う。


「ふふふ…ははははは!! まさかこのような者たちに不覚を取るとは!! 何があなたがたをそうさせるのか…! しかしだからこそ…闘いは面白い!!!」


 アーブスラットの血も高ぶってくる。

 グラス・ギースにやってきてからは、これほどの真剣勝負をする機会は減っていた。その中でプライリーラ同様、彼も欲求不満を感じていたのだ。


(あまり使いたくはなかったが…出し惜しみはできない)


 ごぽごぽっ ごぽっ

 アーブスラットの身体が、少しずつ黒く変色していく。最初は心臓部分から始まり、それが広がっていき、顔、手、足と全身に行き渡る。

 それと同時に身体の修復が始まった。

 槍で貫かれた箇所、雷気で焼かれた箇所が、黒い組織で満たされていく。それが傷口を埋めていくのだ。


「…しゅ」


 アーブスラットの足が止まったところを見逃すはずがない。サナは命気足で攻撃。

 バゴンッバゴンッ!

 アーブスラットはよけなかった。反撃もしない。

 ドコドコドコッ ズバズバズバッ ブスブスブスッ!!

 命気足が殴り、切り裂き、突き刺す。

 これはさきほどアーブスラットがやった風域活殺千手をサナがコピーしたのだ。命気足でのアレンジバージョンだが、やっていることは同じである。

 やられたことはやり返す。これもアンシュラオンから教わった大切な人生訓だ。

 だが、やはりアーブスラットはよけない。

 上半身、頭と心臓を重点的にガードして、あとは命気足の攻撃をその場で受け続ける。

 攻撃を受け続けるたびに、当然ながら腕が傷つき、腹が引き裂かれ、足がズタズタになるが、やや遅れて黒い組織が修復を開始するので、結果的にはさほどダメージは与えていない。


「…??」


 サナは不思議そうに、その黒い組織を観察していた。

 攻撃しても攻撃しても倒せないことに違和感を感じているのだろう。



(そうだ。もっと攻撃すればいい。練気ができない以上、それが借り物である以上、エネルギーは必ず尽きる。だが、こちらは自分で補充ができるのだ)


 アーブスラットは練気も行い、エネルギーを補充。そのつど黒い組織は劇的に増え続けていく。


(しかし、まさか『美癌門《びがんもん》』を使うことになろうとは…。ホワイト相手に余力を残そうとしたことが失敗だったか…)


 アーブスラットのユニークスキル『美癌門《びがんもん》』。

 身体中の細胞を真っ黒なガン細胞に変化させ、その増殖する力で肉体を強制的に修復するものだ。

 その効果はパミエルキが持っている『完全自己修復』と同じく、一定時間で三割回復という驚異的なものだ。見る見る間に怪我が治っていく。

 しかも効果はそれだけではない。

 物理耐性、術耐性、毒耐性等々の全耐性を与え、『貫通無効』の防御力二倍効果もある超強力なスキルである。

 耐性は常時付与していくので、破壊されてもすぐに復活する優れものだ。

 これだけ聞けば非常に有用なスキルだが、上手い話には必ず裏がある。


 これを使っている間―――アーブスラットは『技が使えない』。


 細胞が異常な状況にあるので、戦気を外部に放出できなくなるのだ。

 戦気で自身の肉体を強化することはできるが、それを相手に直接送り込む発勁や、遠距離攻撃の修殺などの放出技は扱えなくなる。

 攻撃も純粋な肉弾戦のみになるため、戦士にとっては難しい戦いを強いられることになる。

 強靭な耐久性と回復力をもって強引に突破する場合には使えるが、自己修復はあくまで段階的な回復である。

 強力な一撃あるいは断続的に強い攻撃を受ければ回復が間に合わず、あっという間に死んでしまう。剣士を相手にする場合は逆に危険である。


 そしてさらにデメリットがある。


 細胞を強制的にいじるので、その間は細胞の寿命(テロメア)が減っていくという最大のマイナス要素がある。

 陽禅公が三百年以上生きているように、武人が長寿なのは肉体操作によって細胞の調整や復元ができるからである。

 しかし、磨り減ったものはどうしようもない。それを復元させることができるのは一部の魔王技だけだ。それができない普通の武人は、単純に寿命が減ることになる。

 そう、アーブスラットのユニークスキルは、【寿命の前借り】によって成り立つのだ。

 使いすぎは命の減少を招く。それもまた強さを求めた者の代償であろうか。


 これを使った段階でアーブスラットは不本意ながら【持久戦】に切り替えた。


 自ら率先して打ち破ることを諦め、サナの自滅を待った。

 そして、それは唐突に起こる。


 ボロッボロッ ぐちゃっぐちゃっ



 サナの命気足が―――崩壊。



 最初に崩れ落ちたように、ずるずるぐちゃっと地面に落ちて消えていく。ついに命気のエネルギーが底を尽いたのだ。

 トットット

 サナは即座に走り出して、アーブスラットと距離を取る。

 アーブスラットにとっては、待ちに待った瞬間である。しかし、彼の足取りもまた重かった。


(ようやく…か。随分と痛めつけてくれたものだな。身体中ボロボロだよ。…まるで泥の中を歩いているようだ)


 ガードしている間に命気足で散々攻撃を受けたのだ。足もズタボロで回復には時間がかかるし、槍足のダメージがあまりに大きい。即座に回復できるようなものではない。

 それでも必死に追いかける。

 身体中が真っ黒な老人に追いかけられる少女。これだけ見ると完全にホラーであるが、当人は至って真面目だ。


「やべぇぞ! 姐さんを守れ!!」

「うおおお! どけ、この触手野郎が!!」

「マタゾーのやつ! 負けてんじゃねえぞ! 使えねぇ坊主だぜ!!」


 その状況に気がついた戦罪者たちが、アーブスラットに殺到する。

 クラゲ騎士にまとわりつかれ、刺されながらも触手ごと引っ張ってくる。

 サナを守ることは彼らの至上命題である。どんな犠牲を払おうとも守らねばならない命令なのだ。


「まったく…戦罪者というものは…しぶといですな…」


 アーブスラットはポケット倉庫から『火鞭膨』の術符を取り出し、発動。

 火炎が鞭のように襲いかかり、戦罪者を薙ぎ払う。それにクラゲ騎士も巻き込まれたが、そんなことはもう気にしている余裕はない。


「なんじゃ、こんなもん!!」

「痛くも痒くもねぇぞ! こらぁあ!」

「ちくしょう、あっちぃいい!! このジジイ! ふざけんなよ!」


 火鞭膨をくらっても、めげることなく突っかかってくる。その勢いは凄まじく、身体が焼け焦げても気にしたそぶりはない。


(くっ、魔力も落ちている。今の私では止められぬか…)


 ダメージが大きくなれば、当然ながら各種ステータスが落ちる。アーブスラットの魔力値も激減しており、本来の威力が発揮されていない。

 美癌門を使っている間は外への魔力放出も抑えられるので、術符を使うことにも制限が生まれる。強力なスキルゆえのデメリットである。


 それによって彼らは、二人の間に割り込むことに成功。


「死ねや!!」

「甘く見られたものですな。このコンディションでも…はぁはぁ…あなたたち程度には負けませんよ」


 アーブスラットは重くなった身体で迎撃。

 向かってきた一人目の剣をかわし、腹にボディブローを叩き込む。次に向かってきた男は懐に入り込んでの掌底で吹っ飛ばす。三人目の男は、勢いそのままに身体を入れ替えて蹴り飛ばす。

 さらに二人が向かってきたので雷貫惇の術符で攻撃。こちらも簡単には近寄らせない。

 戦罪者もそれなりに強いが、この老執事はさらに圧倒的だ。重傷の身でも普通の戦罪者には十分対応できる。


「ちっ、死に損ないがよ!」

「はぁはぁ…邪魔をしないでもらいましょうか…」


 アーブスラットが『火痰煩《かたんはん》』の術符を取り出し、サナに向ける。


「てめ、このやろう!! 姐さんを狙うんじゃねえ!」


 ドガッ

 それを体当たりでガード。が、術符は発動。

 ボボオオオッ

 戦罪者の一人が炎に包まれた。


「うおおおおおお! なめんな、こらぁあああ!」


 戦罪者は燃えても怯まない。必死にアーブスラットにまとわりついて妨害する。


「姐さん、行ってください!!!! 俺らが盾になります!!!」




290話 「見捨てる選択 後編」


 戦罪者がアーブスラットに立ち塞がる。

 美癌門は防御重視のスキルなため、戦罪者に致命傷を負わせることはできない。技の一つでも使えれば一発で撃破できるだろうから、なんとももどかしいものだ。

 こうなると【道具】を使うしかない。

 シュルルッ

 アーブスラットはポケット倉庫からチェーンマインを取り出し、火痰煩で燃えている戦罪者に巻きつける。

 今は戦気を放出できないので着火は自らジュエルを砕いて行う。


 バリンッ パンパンパンパンパンッ!


 マタゾーにやった時と同じような乾いた音が響き、爆発。

 小さいが連続した爆発が戦罪者を破壊していく。肉が焼け、破砕されて削げ落ちる。

 それを手動着火したアーブスラットの指も吹っ飛ぶが、黒い組織がまとわりついて指を再生させていく。

 そんなアーブスラットに、今度は背中から違う戦罪者が剣で切りかかる。


(ぐっ…身体が重い! 避けきれんか!)


 ガキィインッ ぶしゃっ

 アーブスラットの背中が斬られ、黒い血液が噴き出す。

 美癌門で強化していても剣の一撃をまともに受ければダメージは通る。


「よっしゃ! そのまま抑えておけよ!!」


 ブワワッ

 三人目の戦罪者が剣に黒いオーラをまとわせる。


「くたばれや、ジジイ!!」

「ぬんっ!!」


 アーブスラットは剣撃に合わせて拳を放つ。

 ザクッ バキィイイッ

 両者の攻撃は同時にヒット。アーブスラットの拳が戦罪者の胸骨を砕くが、剣もしっかりと当たっていた。

 これはただの斬撃ではない。剣から漆黒のオーラがアーブスラットの体内に注がれた瞬間、引きつるような激しい拒否反応が起こる。


(ぬぐっ!! くっ…『特効』か…! だから戦罪者は嫌いなのだ…)


 殺人剣・黒叉《こくしゃ》。淀んだ剣気によって『人間特効』を付与した【邪剣】の一つである。

 攻撃力自体は普通の剣気強化と大差ないが、人間特効を加えただけでダメージは二倍になるので、対人戦闘ではかなり有用な技だ。

 マタゾーの雷槍人卦は奥義に近い剣王技なので知っている者も多いが、こちらの邪剣は普通の道場では教えていない裏の技である。

 こうした邪剣はあまりに危険なので、人間同士の戦いに利用されないように各道場の師範が秘匿しており、漏洩した場合は修得者を殺すこともあるくらいだ。

 しかし剣技である以上、どうしても漏洩は避けられない。裏スレイブたちのような裏社会の人間には公然と伝わっているものだ。


 特効によってアーブスラットに二倍のダメージ。


 しかし美癌門を使っているので物理耐性も付与されており、致命的な一撃にはならない。


「おら、まだまだいくぜ!!」

「その執念を、ぜひとも違う分野で生かしてもらいたいものですな」

「うるせえ! 適材適所だろうが! 俺らは人を殺すのが大好きなんだよ!!」

「やれやれ、一生わかり合うことはなさそうですね」

「てめぇも同類だろうが! すかしやがってよ! ゲスい正体がバレバレだぜ!」

「ふん、堕落しただけのお前たちにはわからぬよ!」


 バキィイッ ズガシャッ!!!

 またもや両者の攻撃がヒット。互いにダメージを与え合う。

 防御などしないし、できない。ひたすら相手を倒すために攻撃を続ける。



 それはまさに―――死闘。



 互いに余裕はないため、死に物狂いで戦っている。

 アーブスラットは道具や術具を使って、戦罪者は己の誇りである殺人技を使って、互いを滅するために争う。


「…じー」


 その光景をサナはじっと見ていた。これは彼女にとって初めての経験であった。

 アンシュラオンが苦戦したことはないので死闘を見たことはない。しかも裏スレイブとはいえ仲間と呼べる存在が、ここまで追い詰められることも初めて。

 その時、サナが何を感じていたのかはわからない。

 ただ、その一瞬を見逃さないようにと、ひたすら見ている。


―――彼らは【燃えて】いた。


 戦罪者の戦気が異様に燃えている。クラゲ騎士と戦っていた時よりも猛々しく、熱くなっている。



「姐さん、今のうちです!」


 戦罪者の一人がサナをガードしながら、アーブスラットと距離を取っていく。

 そして、しばらく進んだ時、そっと離れた。


「姐さん。俺ら、ここで死にますわ。その間に逃げてください」

「…?」

「悔しいが、あのジジイは強ぇ。俺たちが総出でも負けるかもしれねぇし、自爆覚悟で何かやってきたらヤバいんです。姐さんを巻き込むわけにはいかないんですよ」

「…ふるふる、ぐっ!」


 サナは拳をぐっと握って、自分も戦うアピールをする。

 それを見た戦罪者は、少しだけ笑いながら首を振る。


「気持ちは嬉しいっすが、俺らは裏スレイブです。死ぬことが目的で生きているんです。他の連中からすりゃ、頭のおかしいやつってことなんでしょうが…俺らにとって命なんて軽いもんなんです。大切なことは、それを燃焼させるってことなんですわ。ああ、頭が悪いから何て言っていいのかわからないんですが…【激しく生きたい】んですよ。どうせ死ぬなら激しく燃えて死にたいんです」


 戦罪者は普通の人間からすれば、皆が言っているように狂人である。

 だが、彼らにも矜持がある。どうせいつか死ぬ人生ならば、とびっきりに熱く燃えて死にたいと。

 そして、それを誰かのために使いたいと願っている。これこそ彼らにとって自分の価値を最大限に高める行為なのだ。

 誰だって自分を役立ててから死にたいと思うものだ。その命が一番輝く場所を探している。それが裏スレイブである。


「クズみたいな生き方しかできねえですが、姐さんのためなら喜んで死にますよ」

「…ふるふる、どんどんっ」


 サナは戦罪者の胸を叩く。

 その姿はまるで、自分の中にある何かの感情を吐き出そうとしているようであった。

 それが上手く出せないので、もどかしくて地団駄を踏んでいるのだ。

 だが、サナの気持ちは十分伝わる。


「はは、姐さんは優しいっすね。そういうのを見て、俺らも少しは人間らしさってのを思い出した気がしますよ。だからこそオヤジには姐さんが必要です。そう…オヤジはすげぇ人だ。あんなぶっ飛んだ人なら、いつかもっとでけぇ花火を上げてくれる。オヤジ本人にはあまりそういう気はないみたいですが、わかるんすよ。いつかやるってね。そういう星に生まれた人は、必ずそうなるんです。でも、姐さんがいないと…オヤジは…ただの怖ぇ人になっちまう。俺らなんかより、もっともっとやべえものになっちまうんです」


 アンシュラオンの存在は、戦罪者にも畏怖と恐怖を与えている。魔人因子が覚醒していなくても上位者が発する波動を感じているのだ。

 サナがいるからこそ、アンシュラオンは人としてかろうじて生きていける。

 安全だった日本でも満足できない男だ。むしろ安全で平和だったからこそ、彼の中にある破壊衝動が激しく燃え上がっている。彼の本質は破壊と混乱なのだ。

 もしサナに何かあったら、きっとすべてを破壊する。

 戦罪者がいくら喜んで人殺しを生業にしているとはいえ、人類を絶滅させようとは思っていない。種としての防衛本能がサナを守るように呼びかけるのだ。


「それにあのジジイは、まだ何か隠してやがるっぽいです。わかるんすよ。俺らもあいつも【同属】だ。平気で人を殺すし、勝つためなら何でもやる。ここじゃそれが当たり前なんです。そうしないと生きていけないですからね」


 アーブスラットの本質もアンシュラオンと同じ。それはつまり戦罪者たちと同じ世界の住人だということだ。

 もともと武闘者とは、【殺法家】のことである。

 武術や武道と名が付いているだけで、人を殺すことを追求することは戦罪者と一緒だ。いかに相手を効率良く殺すかを日々探求し続ける狂人たちである。

 加えて、ここはフロンティア。未開の大地。

 地球でいえば中東やアフリカの紛争地域にいるようなもの。いや、魔獣がいるのだからもっと酷い場所である。殺して奪うのが当然とされている世界だ。

 また、そうでなければいけない。富を得るためだけではなく、単純に生きて仲間や家族を守るためには殺すしかない。

 そんな中で生きるからこそ、人は強く逞しくなっていく。一見すれば残酷だが、これもまた進化の一つの在り方である。

 だからこそ鋭敏になっていく。

 まだアーブスラットは何かを狙っている。その悪意がサナに向けられていることを感じているのだ。


「大丈夫です。時間は稼ぎます」

「………」

「姐さん! 頼んますよ!! 俺らに意地を通させてください!! ここからが裏スレイブの本領っすよ!」

「………」



 しばし考えた後、サナは一つの決断を下す。





 彼らを―――見捨てる選択を。





「…ぐい」

「え? くれるんすか?」

「…こくり」

「ありがてぇ。もらっておきますよ。今まで生きてきて、こんなに嬉しい贈り物はないですよ。お守りにさせてもらいます」


 サナが若癒の術符を戦罪者に手渡す。これもアンシュラオンから万一のためにと与えられていたものだ。

 本当はサナにこそ必要なものだが、子供の気持ちを受け取らないわけにはいかないだろう。

 そういう意味も含めて、サナという存在は戦罪者にとって価値あるものだったのだ。

 女神は偉大である。荒くれ者たちの中にそっと一輪の花を与え、愛する気持ちを教えるのだ。


 くるり トットット


 それから走り去る。その間、彼女は一度も振り返らなかった。

 一度そうと決めたらやりきる。それが彼女の脆さであり強さなのかもしれない。


「そうだ、行ってくだせぇ。逃げて逃げて、逃げてくだせぇ! そいつもまた姐さんにとって重要な仕事ですぜ。それじゃ、いっちょやるか!! 最期の花道、華麗に飾ってやるぜ!!」


 ボオオオオオオッ


 戦罪者が―――死ぬ覚悟を決めた。


 マキに畏怖すら感じさせた戦罪者の覚悟である。それがこの場で発動したのだ。

 それはまさに『オーバーロード《血の沸騰》』である。その覚悟が因子を強制的に引き出し、最後の炎として力を覚醒させる。

 この男だけではなく、五人全員が真っ赤に燃えている。燃焼している。



 それにアーブスラットは愕然とする。


(なんだ、この者たちは!? 裏スレイブが、なぜこのような! オーバーロードは守るために使う技だ! これではまるで【騎士団】ではないか! …ならず者どもが騎士団気取りとはな。これも彼女が引き起こしたことか…。なんという厄介な存在なのだ。リーラ様を敵に回すとこうなるのか…)


 プライリーラが都市のアイドルならば、サナは確実に戦罪者たちのアイドルであった。

 象徴を守るためならば人は恐るべき力を発揮する。幻影や偶像であっても、人の心が力になる世界ならば現実的な脅威になるのだ。


 こうしてアーブスラットは思わぬ苦戦を受けることになる。

 殴っても殴っても彼らは倒れない。意思の力が身体を支えている。

 彼らも激しく攻撃してくるので回復してもプラマイゼロになる。サナを追える状況ではない。

 いっそのこと美癌門を解除しようかとも考えたが、今解いても反動が出るため、このままの状況で打開するしかないだろう。

 しかしながらアーブスラットにも再び運が回ってくる。



 サナが―――【逃げてくれた】から。



(逃げた…か。そうか。それならば好都合。この状況ならば不自然には見えまい。なにせ実際に取り逃がしているのだからな)


 アーブスラットは遠ざかるサナを見ながら自虐的に笑う。

 この結果は望んだものではなかった。単に少女の知恵と裏スレイブの命をかけた行動に防がれただけである。

 ただ、本当にすべてを捨てる覚悟があれば、なんとかサナを捕らえることはできるだろう。だがそれではアンシュラオンと対峙した際に絶望的な状況になる。

 万全な状況でも圧倒的に不利なのだ。少しでも力は残しておきたい。最悪はプライリーラを連れて逃げるくらいの力は。

 だからまだ余力を残しつつサナが逃げたことは、本当に好都合である。


 アーブスラットは、戦罪者の攻撃をガードしつつ口元を隠し、【魔獣笛】を吹く。


―――ーーーーーーーーーーーーーー


 音は出ない。人間には聴こえない音だからだ。

 しかし、その音でクラゲ騎士は動かない。

 火鞭膨の炎で大部分の水分を失った彼らはしばらく休息が必要だし、多少動いていた個体も力を覚醒させた戦罪者に叩きのめされてしまった。

 再生にはそれなりの時間がかかるだろう。彼らはもう戦力にはならない。

 だからこれはクラゲ騎士に向けたものではないのだ。かといって守護者に向けたものでもない。


(こうなったことは想定外だが、それもまた闘いの妙味というもの。だからこそ何事にも【保険】はかけておくものだ。最後の一手はこちらが打たせてもらう。あとはやつらに任せるか…)





 トットット トットット


 サナは振り返らずに走り続ける。

 遠くでは大型のハリケーンが複数発生しており、あらゆるものを巻き上げていた。

 そこの視界はほぼゼロ。何が起きているのかはわからないが、アンシュラオンが戦っているのは間違いないだろう。

 もちろん、そちらに向かって走ったりはしない。

 あれに巻き込まれれば今のサナでは数秒ももたない。即座に細切れだ。


 トットット トットット

 トットット トットット

 トットット トットット


 よって、そこから離れるように移動する。

 アンシュラオンに賦気を施されて身体能力が上がっているサナは、あっという間に五キロほどの距離を移動していた。

 周囲は平坦な大地から、所々に岩が転がっている岩石地帯へと変わっていく。

 戦場に向かう前に通った場所だ。この先はそうした起伏の激しい岩場が数多く広がっている。

 ここならば身を隠すのには最適な場所だろう。サナは岩陰に潜み、じっとすることにした。

 アンシュラオンならば波動円で必ず見つけてくれるはずだ。それまで待つことしかできない。


「…はぁはぁ」


 少し経つと、身体が急に重くなった気がした。

 汗が流れてきたので仮面を外す。

 命気足に守られていたとはいえ、あれだけの武人と戦っていたのだ。知らずのうちに疲労は溜まっている。


「………」


 サナの中には何もない。

 今さっき見捨てた戦罪者に対しても、良心の呵責のようなものは感じない。必要な分だけ必要な措置を取っただけだ。

 ただ、それを判断するまでがアンシュラオンより【猶予期間が長い】というだけにすぎない。

 これが戦罪者でなくても、仮にシャイナやサリータであっても必要があれば見捨てるだろう。

 そう教えられているし、身体は勝手にそう動く。普通の人間のように感傷というものがないのだ。

 ただただ結果だけを求めて動くようになっている。それが肉体にそなわっている保存本能というものだ。


「…? …さわさわ」


 胸を触る。まだ成長途上なので目立った突起はないが、そこに違和感を感じたからだ。

 何か自分でもわからないものが、そこで動いてる。

 ロマンなき言葉で言えば心臓の鼓動でしかないが、単なる疲れとは違う動きのように感じられる。

 だから触り続けるが、それもしばらく経ったら収まったのでやめた。


「………」


 独り。サナは独りだ。

 過去も覚えていない。彼女に思い出そうという【意思】がないからだ。

 だから両親や、あるいは幼馴染のような存在がいたとしても、彼女が思い出すことはない。


 彼女は、ただただ独りでそこにいる。


 言いつけ通り、助けが来るまでじっとしている。



 ピタ ピタ



 しかし―――そんな彼女を狙う存在が近づいていた。





291話 「真・人馬一体 前編」


 ギロードが真の力を発揮。

 竜巻がさらに巨大で強靭になり数も増えていき、計四つのトルネードとハリケーンが吹き荒れる超危険地帯に変貌する。

 発生した風の力があまりに強いため、地面から風が噴出しているようにさえ見える。もはや地形そのものが大きく変わっていく。


「ヒヒヒィイイイイインッ!!」


 ギロードはプライリーラを乗せたまま、空を楽しそうに飛びまわっていた。

 ドラゴンワンドホーゼリア〈両腕風龍馬〉の生息地は、常にこのような竜巻が発生している地域であり、人も魔獣も滅多に近寄らない秘境にある。

 彼らはこの風に乗って自由に空を移動し、餌となる葉が生えている巨大な大樹を駆け上って暮らしている。

 それゆえに、この環境はまさに最高。最適。最良。彼女がもっとも力を発揮できる場である。

 ギロードが最初に行ったのは、フィールド全体を自分好みに変えてしまうという大仕事であった。


(フィールド変容型か。この規模になると竜巻を消すのは無理だな。素直にここで戦うほうがよさそうだ)


 魔獣の中には周囲の環境そのものを変化させて、自分に有利(快適)な空間を率先して生み出す種がいる。

 たとえば火山の溶岩の中で泳ぐ魚系魔獣の中には、体内に蓄えていた溶岩を吐き出して周囲を文字通りの火の海に変えるものがいるし、森で暮らす魔獣には植物の種や苗を常時持ち歩き、急速生長させて砂漠に森を生み出すこともある。

 こうしたタイプの魔獣は、迷惑な側面があるものの環境改善などに利用できるので、良い付き合い方をすれば不毛の大地に緑を運ぶことも可能だ。

 ただ、両腕風龍馬の場合は竜巻の力が強すぎるので、風力発電をするにもなかなか難しいに違いない。この環境下では普通の人間は生きていけないだろうし、風車も壊れてしまう。

 そして、この規模となると、アンシュラオンでも竜巻を破壊するのは無理だ。

 明らかに彼女たちは風の精霊を味方につけている。仮に一度散らしても、すぐに復活してしまうはずだ。


(精霊…か。師匠からは教えてもらったけど、あまり意識したことはないかな。属性戦気は合成元素だしな。あれが本当の精霊に愛された人間ってことか)


 精霊も自我がない原始精霊から、人間と同じく進化する霊である上位精霊やら妖精のような存在まで多種多様だ。

 その中でプライリーラの味方をしているのは風の元素精霊。もともとはギロードを守護していた精霊なのだろうが、今は完全にプライリーラにも味方している。

 彼女の髪の毛の色や戦気が緑がかっているのも、風の強い影響力を受けているからだろう。

 つまりこの場は、完全に彼女たちのホームだ。

 本来ならば敵の得意な場で戦うのは愚かであるが、実力差を考えれば、それくらいのハンデは必要だろう。



「自由! 私たちは自由だ!! 熱い! 身体が熱い! この猛りをすべてぶつけさせてもらうぞ!! 駆けろ、ギロード!!」


 プライリーラが手綱を引っ張り、ギロードを加速させる。


 上空を旋回していた腕馬が―――空中から地面に向かって急降下!!


 これまた音速を超えた勢いで突っ込んできた。戦闘機がブーストしながら地面に目掛けて加速するようなものである。

 アンシュラオンが空を見上げると、もう視界がぐちゃぐちゃであった。どれが空なのか竜巻なのか、もはや見分けがつかない。

 そんなところに今までは地上を走っていたものが、急に空から落下するように突っ込んでくる。

 平面から立体的に。これだけで難易度が相当上がる。

 二次元が三次元になれば奥行きと高さが生まれ、普段平面で暮らしている人間の平衡感覚が完全に狂う。

 普通ならば避けられない一撃だ。見上げた瞬間には激突死するだろう。


 が、アンシュラオンの赤い目は、しっかりとギロードを捉えていた。


 軌道変更して加速するまで、そのすべての挙動がはっきりと見える。

 この男も五キロ先の隠れた戦艦を見つけるくらいのことは平然とやってのける化け物だ。とりわけ目が良いタイプではないが、肉体の質があまりに良すぎるのでそれくらいは可能だ。

 それに加えて、ぶわっと身体の周囲に戦気の膜が広がる。全方位の攻撃に対応できる戦技結界術の無限抱擁である。

 だが、それで終わらない。

 無限抱擁の球体の外側が割れ、蕾から花びらが咲き乱れるように美しい波紋が周囲に広がっていく。

 戦技結界術、奥義『花苞円《かほうまどか》』。

 自身の周囲を無限抱擁で覆い、そのさらに上から波動円を展開させる複合技である。

 波動円は球体ではなく、花びらのようにふんわりと広がるので、まるで悟りを開いた仏陀がハスの花の上に座しているような光景が思い浮かぶ。

 長距離の探知・調査能力はアーブスラットのほうが上だろうが、こと戦闘においてアンシュラオンは突出している。戦技結界術では自分のほうが上である。


 リーン リーン


 波動円の花びら同士が触れあって共鳴していく。不思議なことに、この暴風の爆音の中でも音は静かに広がっていく。

 花苞円の特色は、普通は触覚だけに頼る波動円や無限抱擁と違って、聴覚も使って相手の位置や攻撃を把握できる点である。


 ヒューーーーンッ スカッ


 これによってギロードの位置と角度、速度を完全に把握したアンシュラオンは、大地を強めに蹴って空中からの突撃を回避成功する。

 跳躍している間も身体がぐらぐらと揺れる。戦気でガードしているのでダメージは受けないが、竜巻が強力すぎて姿勢制御が難しい。


(大丈夫か? ぶつかるぞ?)


 そんな自分よりも危なそうなのがギロードである。

 いくら龍種とはいえ、この速度で地面に衝突すれば相当な衝撃だろう。

 と思っていたのだが―――


 バシッ!!


 激突する瞬間、ギロードの両腕が伸びて大地を掴む。


 ギチギチギチッ バーーーーンッ!!


 腕がまるでスプリングのように軋んで全質量を押さえ込み、今度はその勢いを倍増させて大地を跳ねて突っ込んできた。


「おお、すげえ!」


 予想外の動きに思わずアンシュラオンも叫んでしまったが、これが本来の彼らの動作である。

 馬に腕が生えるのはなかなか想像しがたい光景であるが、手があるだけで一気に行動の選択肢が増える。

 人間が犬や猫などを見て「手がなくて不便そうだ」と思うものだが、それがすべて改善されるのだ。

 だから、こんなこともできる。


「とと!!」


 その高速突撃をアンシュラオンは緊急回避でよけるが、かわしたアンシュラオンをギロードの腕が補足する。

 ブワッ!!

 またもやバネのように伸びた拳がアンシュラオンに迫った。

 いくらこの男でも、これはかわせない。戦技結界術は感知するものであって防ぐものではない。


 拳が―――直撃。


 ドッゴーーーンッ!! ドガガガッ!

 宙を浮かんでいたアンシュラオンが吹っ飛ばされ、大地に叩きつけられる前に竜巻に激突。

 竜巻は風の刃が吹き荒れる領域なので、触れただけでもダメージは受ける。これが場を支配する怖ろしさである。

 アンシュラオンはそのまま巻き上げられて上昇していく。



「追撃だ! ギロード! こんなもので倒せる相手ではないぞ!!」


 風の加護が強まったプライリーラが、飛ばされた位置を正確に観測。

 再び上昇したギロードと一緒に追うと、彼の様子がよく見えた。

 アンシュラオンは両手でしっかりとクロスアームブロックを生み出し、絶対防御の構えをしていた。殴られたダメージはなさそうだ。

 竜巻のダメージも防御の戦気を厚くしているので、こちらもノーダメージである。


(やはりな。そうだと思ったよ。しかし、あの小さな身体のどこにあんな力があるのだ!! 信じられない! ゾクゾクするよ!! なぜ君はダメージを受けないんだ!! こんな存在、異常すぎる!! 私は知らない! 知らないよ!! だから知りたくなるんだ!!)


「アンシュラオンンンンンン!!!」


 ギロードから飛び出したプライリーラが、喜々として竜巻の中に突っ込んでいき、アンシュラオンに一瞬で追いつく。


「もっと君を教えてくれ!! 知りたいんだ!! アンシュラオンという存在をね!! もっともっとだ!!」

「そうか。なら、向かってくるといいよ」

「ああ、そうさせてもらうよ!!!」


 相手を知りたいのならば普通は訊ねるだろう。会話によるコミュニケーションを行うはずだ。

 しかし、武人のものは違う。獣はこうやって相手を知るのだ。

 プライリーラがランスを振るう。乱暴に、夢中に、猛々しく!!


 ブーーンッ バキィイインッ


 竜巻の影響下にいるアンシュラオンはかわせない。

 上から叩きつけるように振るったランスがヒット。大地に飛ばされていく。


「ギロード!」

「ヒヒィイイイインッ!!」


 それを下で待ち構えていたギロードが迎え撃つ。


 ギチギチと腕が引き絞られると―――拳のラッシュ!!


 ドドドドドドドッ ドガドガドガドガドガッ!!

 アンシュラオンの身長以上もある大きな拳が、凄まじい速度で叩きつけられる。

 ガリガリガリガリッ

 しかもアンシュラオンの背後の竜巻が急速回転して、リングのロープ際のように後退することを阻む。

 この竜巻は何もしなければ自由気ままに動くのだが、ギロードが生み出しているので操作も可能になっているわけだ。


 ドガドガドガドガドガッ!!

 ドガドガドガドガドガッ!!

 ドガドガドガドガドガッ!!


 その場で滅多打ち。数百という拳が注がれる。

 揺れる揺れる。ぐらぐらとアンシュラオンが揺れている。

 だが、ガードは崩していない。ブロックを作ったまま耐えている。


(やれやれ、よもや馬に殴られる日が来ようとは…さすがに予想はしていなかったな。この世界では『馬に殴られて死んでしまえ』という諺を作らないと真実じゃないよな)


 アンシュラオンは完全にガードを固めて防御の態勢である。

 なぜならば、そうしなければダメージを受けてしまうからだ。

 ギロードの拳は風によって加速しているので威力も上がっている。一撃一撃はさほどでもないが、こうして連続して攻撃を受けると防御の戦気を貫く可能性がある。

 背後の竜巻も地味に面倒だ。動きが制限されるし、これ単体でも継続ダメージが入ってくるので気が抜けない。

 現在の状況は、けっして演技でやっているわけではない。省エネモードのアンシュラオンの出力だと、こうなってしまうのだ。

 今までこの状態のアンシュラオンに攻撃を当てていたのはガンプドルフのみ。二人合わせれば、間違いなく彼と同レベルの力を発揮しているといえる。

 逆に考えると、省エネモードのアンシュラオンは王竜級程度のレベルになるということだろうか。今まではそれでも楽勝だったにすぎない。

 しかし、ただやられているわけではない。


(移動や攻撃は速いけど…威力そのものはいまいちだな。やっぱり速度型かな。殴られっぱなしってのも嫌だし、そろそろ反撃といくか)


 今までガードしていたのは相手の出方を見るためだ。

 デアンカ・ギースでの戦いもそうだったが、強い相手に対しては防御を固め、まずは様子をうかがうのがアンシュラオンの基本戦略である。

 痛みは制御できるが、だからといってダメージを負うのが好きというわけではない。損害は受けないに越したことはないだろう。

 この戦いは最初から条件付きのハンデ戦である。腕一本や大量出血ができない常態では慎重になるものだ。

 ギロードの腕はかなり厄介ではある。が、それだけで自分の防御を貫くことはできないことがわかった。

 この聖獣は攻撃力が高くないことが最大の弱点だろう。これでは四大悪獣に決定打を与えることはできない。

 彼女たちが四大悪獣を積極的に倒しに行かないのは、そういった理由があるからだろう。



(今度は耐久力を見るか。一発ぶん殴ってみて…って、ええええ!? なんだあれ!?)


 そう思ってアンシュラオンが拳で殴ろうとした瞬間、わが目を疑った。

 なぜならばギロードの手には、五メートルを超える長さの【剣】が握られていたからだ。

 地中から見つかる古代の青銅の剣のような形状をしていて、なかなか趣があるのだが問題はそこではない。

 魔獣が武器を使うこと自体が稀だし、いつ取り出したのかわからなかったからだ。

 アンシュラオンが困惑している間に、ギロードが剣を思いきり振り払う。

 ズバーーー!!

 巨大な剣が高速で襲いかかる。


「このっ! びっくりするだろうが!」


 ガキィインッ

 アンシュラオンは戦刃を生み出し、切り払う。


 だが、その剣に戦刃が衝突した瞬間―――弾けた。


 ドバババッ ブスブスブスブスッ

 鋭く細かい剣の破片が身体に突き刺さる。スーツが破れ、身体にまで到達した。


(ちっ、貫通属性か? 戦気を抜けてきたな)


 戦気には密度が存在し、実のところすべての空間が炎で埋められているわけではない。

 アル先生の蹴透圧は相手の戦気と同調させて一時的に無効化する技だったが、今回起こった現象は、あまりに細かい粒子状のものだったので戦気を【すり抜けた】のだ。

 ダメージ自体はさしたるものではない。軽く針に刺された程度のことだ。

 だが、面倒な攻撃であるのは事実だ。目を狙われると嫌なので、アンシュラオンは戦気の密度を上げて対策を練る。

 これは強い武人だからできることであり、普通のレベルならば戦気が役立たない状況に追い込まれるだろう。極めて厄介な技だ。


 シュルルル がしっ

 そして、気付けば再びギロードが剣を握っていた。

 否。よく見ると尖端が大きめの円錐状になっているので、【刺突槍】と形容するのが適切だろうか。

 ブンッ!!

 今度はそれを投げつけてきた。ソニックブームを発し、音速で向かってくる。


「今度は槍か。まったくもって攻撃のバリエーションが多彩だね。悪くないよ」


 ガキィンッ ドドドドドッーンッ

 戦硬気で固めた手でいなして逸らすと、そのまま大地に激突して大きな穴を穿った。

 直後、槍が消える。

 まるで幻だったかのように何もなく消えてしまった。ただ、大地は抉れたままなので、けっして見間違いというわけではない。


(なるほど。あれが『風物質化』というスキルか。仕組みはよくわからないけど、風を固めて作っているんだな)


 ギュルルッ

 再び見ると、またもやギロードの腕に新しい槍が生成されようとしていた。

 周囲の風が集まって槍の形状をかたちづくると、それが物質化。長さ四メートルはありそうな投擲槍が生まれている。ご丁寧なことに、今度は避けにくいように三叉になっている。

 アンシュラオンの見立て通り、これは『風物質化』スキルである。

 今アンシュラオンがやった戦硬気と同じく、風を物質化させることで武器にする能力だ。その威力は見ての通り。本物の物質と何ら変わらない。

 風で生み出しているので自在に形が変えられるのも利点だ。細かくして粒子状にすることもできるし、近接武器の剣にしたり投擲槍にしたりと変幻自在である。


 そして、最大のメリットは、これが【武器】であるということ。


 今受けた感じからすると明らかに拳の時よりも攻撃力が上がっている。『風物質化』で作った武器は、データ上は実際の武器扱いとなり攻撃力が上乗せされるようだ。


(なるほど。手がある魔獣には、こうして武器を装備させることもできるのか。こいつの場合は自分で作っているけど、最初から強い武器を装備させれば人間同様に強くなるよな)


 今まで魔獣に武器を装備させる発想がなかったので驚きだ。思えばそういうゲームもあったが、地球の感覚としては魔獣は獰猛なライオンや虎のようなものだ。

 その肉食獣にわざわざ武具を用意するという考えが浮かばないのは仕方ない。虎は鍛練などしなくても強いのだ。武器を使うのは肉体が脆弱な人間だけである。

 が、その獰猛な虎に腕が生え、剣や銃を使い出したらどうなるか。もっと強くなるのは間違いない。


(これは面白いな。オレも魔獣が支配できるようになったら、いろいろと装備させてみたいもんだ。魔獣軍団…か。いいね。憧れる)




292話 「真・人馬一体 後編」


 ギロードは次々と槍を生み出すと―――投げつける。


 そのまま突き刺すために向かってくるものもあれば、途中で拡散して細かい粒子になって攻撃してくるものもある。

 それをよけたり弾いたりしながら対応していると、死角からプライリーラが襲いかかってきた。


「はぁあああああああ!」


 プライリーラの風王・嵐暴扇羽。嵐気で加速したランスを激しく振り回して攻撃してくる。

 それをアンシュラオンはいなす。ここまでは前と一緒だ。


 しかしながら本来の動きを取り戻しつつある彼女は―――そこから【伸び】がある。


 地位や体裁、血筋といった古いものを守ろうと縮こまっていた腕が、限界を超えることを怖れずに全力で叩きつけられる。


(怖れるな!! 怖がるな!! 私は自分自身を表現する!!)


 プライリーラの頭の中が真っ白になっていく。余計なことは考えず、目の前の瞬間だけに集中する。

 人間は力を出すとき、身体が壊れないように自然とセーブしてしまうものだ。それは武人も同じ。規模が違うだけだ。

 リミッターが解除され、動きが鋭くなっていく。猛々しくなっていく。一撃一撃に「これで相手を仕留める」という気概が宿っていく。


 相手を制圧するものから―――殺すものへ。


 自分の中にある暴力性を解放しようとする。

 ブンブンッ ジュジュッ!!

 ランスがアンシュラオンの戦気を掠め始め、防御の戦気を破砕する音が聴こえる。

 野球でも「伸びのある直球」という言葉があるが、それは戦いにおいても存在するものだ。

 よけたつもりでも、そこからひと伸びする。見た目と実際に放たれた一撃の間に誤差が生まれるわけだ。

 これはいいものである。徐々にタイミングが合っていく。


「うおおおおおおおおおおおおお!!」


 獣が咆える。

 全身全霊をかけて肉体能力のすべてを使い、心の奥底から自由になったことを喜び、躍動させる。

 伸び伸びと振り回した一撃が、ついにアンシュラオンを捉えた。

 ドッガーーーーーンッ!!! ミシミシィッ

 アンシュラオンは腕でガードするも、その一撃は骨にまで響くものだった。

 力が乗っていて非常に素晴らしい一撃である。たぶんビッグ程度ならば、これであっさりと死ぬだろう。

 ブシュブシュッ

 さらに嵐気による衝撃波が襲いかかり、アンシュラオンの肌を切り裂き、血がわずかに流れる。

 さすが上位属性だ。普通の嵐気とは威力が違う。



「いい動きだ。伸び伸びとしている。それが本来の君の姿なんだね」

「はぁはぁ…! まだだ!! まだ伸びる!! 私は君に届く!! 届かせる!!」

「オレが言うのもなんだけど、まだけっこうあるよ」

「それでも駆け抜ける!!」

「いいね。その顔。もっともっと刺激したくなる。じゃあ、これからはこっちも攻撃するよ。はっ!」


 アンシュラオンの反撃。遠慮なくプライリーラの胸に掌底を打ち込む。


「っ―――! うおおおおおおおおおお!」


 だが、プライリーラは下がるのではなく、前に出た。

 そして相打ち覚悟の一撃!!

 アンシュラオンの攻撃は風の防御を突き破ったが、その一瞬の間にプライリーラも左拳を突き出していた。

 バギャッ!!

 プライリーラの拳がアンシュラオンの顔面にヒット。こちらもミシミシと骨に染み入るよい拳である。

 もともとプライリーラは戦士タイプなので肉体が頑強である。拳も立派な武器となる。

 初代ジングラスから受け継いだ槍にこだわらず、自分が持てる武器をすべて使う。まだぎこちないが少しずつ呪縛を打ち破っている証拠だ。

 ただ、アンシュラオンのほうが強い。

 プライリーラはまだ殴るだけで精一杯だが、こちらは鍛練に鍛練を重ねた武闘者である。その一撃は、苛烈にして強烈。

 ギュルルッ バーーーーンッ ドドドドンッ


「―――っ!!」


 アンシュラオンの裂火掌。火気が爆発し、プライリーラが吹き飛ばされる。

 ビッグが放ったものとは規模も威力もまったく違う。

 大納魔射津の数倍はあろうかという巨大な爆発とともに、周囲の風まで燃え上がって竜巻にも引火。炎の渦が生まれて大地を焼き尽くす。

 水が雷を吸着するように風は火を吸い込んでしまう性質がある。大納魔射津を見ればわかるが、この組み合わせが一番危険だ。

 しかもアンシュラオンは火気があまり得意ではない。その彼が放ってもこれだけの力を発揮するのだ。

 巨大な火気が風によって拡散し、至る所で誘爆が発生。さらに環境は悪化していく。



「ヒヒィイインッ!!」


 炎に包まれて吹っ飛んだプライリーラと入れ替わるように、ギロードが剣を持って突っ込んできた。

 普通ならばプライリーラを案じて助けに入るところだが、ギロードはプライリーラがこの程度でやられるとは思っていない。


 そこには―――強固な信頼関係がある。


 プライリーラが生まれた時からずっと一緒にいるのだ。ギロードからしても彼女は家族。妹のような存在に感じているはずだ。

 だからこそ彼女の勝ちたい、届きたいという想いを体現するために攻撃を優先したのだ。

 そのタイミングは最初とは比べ物にならないほど息が合っており、躍動的で美しかった。これが本当の人馬一体の動きなのだろう。

 両者が全力を出しながら互いの弱点をカバーし合う。補強し合う。そんな関係が眩しくさえ見える。


(信頼…か。オレには縁遠い言葉だけど、君たちを見ていると羨ましく感じるな。それができるのならば一番いいだろうね。だが、重要なことは【力】の有無だ。いくら信頼関係があっても力がなければ意味がない)


 反撃モードに入ったアンシュラオンは、彼女たちの友情を見て感動するほど甘くない。

 ドゴッ!! ドドドドドドドオオオッ

 アンシュラオンが大地を殴りつけると巨大な亀裂が入り、そこから大量の土砂が噴き出してきた。

 覇王技、覇王土流煤《はおうどりゅうばい》。大地を崩して敵を呑み込む覇王土倒撃と同系統の技で、こちらは地上に土石流を噴き上げさせて攻撃する技だ。

 その勢いは凄まじく、土砂すべてが散弾のように勢いよく飛び出てくる。戦気が混ざっているため威力も実際の弾丸以上に強い。

 もしここに人がいれば、土に穿たれて穴だらけになって死ぬ、という珍しい光景が見られるだろう。

 ただ、ギロードにも風の防御膜が張られているので、これだけでは十分なダメージにはならない。

 事実その多くは風に吹き飛ばされて、せいぜい腹に多少の傷を付けた程度である。

 しかしながら、アンシュラオンの狙いは直接ダメージではない。

 土を大量に巻き上げることで相手の動きを封じ、なおかつ自身に対する周囲からの暴風の干渉を防ぐためである。


「殴られたら殴り返さないとな!」


 竜巻の影響を受けなければ、一瞬の速度では対等以上になれる。

 覇王土流煤で土砂に呑まれ、動きが鈍ったギロードの眼前に一気に移動。

 そして、顔面を思いきりぶん殴る!!

 バッッキャァァ!!


「ブルルッ!?! ッッッ?!?」


 殴られたギロードは、ブンブンブンッと両腕を回しながらダメージ以上に激しく狼狽する。

 技を使ったわけではないので、今入ったダメージは千にも満たないだろうが、実際の数字以上に怯んでいる。


 それも当然。狙ったのは「鼻っ面」である。


 馬に限らず動物を相手にする際は、真っ先に鼻を狙うといい。あんなに突き出しているのだ。狙いやすいし、人間同様に弱点であることも多い。

 熊に襲われた際に鼻を殴ったら撃退に成功した、という話もある。鼻は柔らかいうえに神経が多く集まっているので、打撃が有効な部位なのだ。

 さらに四足動物の場合、口呼吸ができないので鼻は生命線である。

 実際に風龍馬がどこで呼吸をしているのか不明だが、さすがに鼻があるのだから鼻呼吸はしているだろう。


 そして、鼻をぶん殴られたギロードの風の防護膜が、明らかに弱くなった。


 武人が呼吸で練気をするように、息をするとは重要なことなのだ。なぜならば呼吸によって生命素(エネルギー)の多くを補給しているからだ。

 水は数日飲まなくても生きていけるが、呼吸は数分できなければ死に至ることからも、その重要性がわかるだろう。



 アンシュラオンは、怯んだギロードに追撃。


 ドドドッ ドゴドゴドゴッ!!


 再び顔面に覇王技、三震孟圧の二連続コンボを叩き込む。

 グランハムにやった時は『物理無効』によって効かなかったので、せっかくなのでやってみた感じだ。

 ただの拳の三連撃に見えるが、殴った瞬間に戦気を振動させて打ち出しているので、通常以上のダメージが入る。

 これを二回連続、六発を瞬時に放つと、覇王技「六震圧硝《ろくしんあっしょう》」という技になるので、アンシュラオンが使ったのはこちらの技となる。

 特に新しい効果が付属するわけではないが、単純にそれだけ難しい技になるので、因子レベルは一つ上がって3のカテゴリーに入っている。

 このあたりは麻雀の役に少し似ているのが面白い。

 覇王技の多くに発勁や中国拳法の動きが取り入れられているので、名付けもそうしたものから汲み取った可能性もある。

 あるいは虎破などは空手の動きに似ており、投げ技も柔道や合気道の動きが入っているので、これらを作ったのは元日本人なのかもしれない。


 ドドドドドドッ ブチャッ!

 ギロードの顔に六震圧硝が炸裂。咄嗟に羽腕で防いだが、拳の衝撃は防御を貫いて届いた。


「ブルルッ!! フーーフーーー!」


 アンシュラオンを睨みつける顔は歪み、目の一つが潰れたように腫れている。

 鼻の片側も半分塞がった状態なので呼吸も苦しそうだ。防いだ腕も攻撃の威力で鱗が剥がれている。

 致命傷ではないが確実にダメージが蓄積しているようだ。


「ギロードオォオオオオオオオオオ!!」


 そこにプライリーラが上空からやってくる。鎧の一部が焼け焦げているので、さきほどの裂火掌がいかに強力だったかわかるだろう。


「貫くぅううううううううう!!」


 プライリーラがランスに全力の剣気を集めて突撃。

 これも最初にやった攻撃だが、覚悟と質がまったく違う。集まった剣気が嵐気渦になり、ランスを中心に巨大なドリル状に変化した。

 ギュルルルルルッ

 ドリルが急速回転。大気を貫きながらまっすぐに向かってくる。

 その幅は二十メートルはあるので、普通に回避してもダメージを受けるだろう。さすが大型魔獣用の武器、いや、【兵器】である。

 剣王技にこれに似た技はある。風王・螺旋濫突《らせんらんとつ》という突き技の一つで、風気や嵐気を螺旋状にして回転させて貫く技だ。

 ただ、突撃に使うというよりはその場で突く技なので、これはプライリーラのアレンジであろう。

 『暴風の戦乙女』というユニーク武具を装備できる彼女だけの技だ。

 そして、その姿に武具に頼ろうという意思はまったく感じない。持てる力をすべて使って相手を倒そうという迫力だけを感じる。


(いいよ、プライリーラ。今の君は美しい。だから全力で受け止めよう)


 アンシュラオンは―――よけない。

 両手を広げると、手から戦気の爪が伸びた。

 ガンプドルフ戦でも使った覇王技の蒸滅禽爪《じょうめつきんそう》のダブル発動である。


 プライリーラの突撃を両手の鉤爪で―――受け止める。


 ガリガリガリガリガリガリガリッ!!!!

 バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!!


 嵐気と戦気が激しく衝突し、磨耗していく音が響く。

 受け止めた衝撃に大地が耐えきれず、そのまま地面に抉り込みながら攻防は続く。

 その余波は両者に及び、プライリーラの身体に細かな傷が生まれて出血が見られる。アンシュラオンのほうもピピピッと頬に風傷が入っていく。


「駆け抜ける!! 君に届けえぇえええええええええ!!」


 プライリーラが渾身の力で押していく。持てる力をすべて風力に変換して突撃を敢行する。

 さらに―――加速。

 その場でアフターバースト。背中にジェットエンジンのような巨大な風の力が顕現する。

 それはまるで翼のように広がり、彼女を押していく。




「ウウウウウォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」




 『暴走せし暴風の獣』が咆える。

 彼女が生まれながらに宿していた凶暴な存在で、いつだって心の奥底で欲求不満を嘆いていた。

 だが、今は檻から解き放たれ、初めて産声を上げている。

 自分自身という存在を知覚し、喜び、求めている。もっともっと叫びたいと。もっともっと喰らいたいと。

 彼女が見つけたものは、極上の肉。この世のものとは思えないほど美しく、それでいて強い最高のものだ。

 それを喰らえば、きっともっと強くなれる。

 喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい、喰らいたい。


―――喰らいたい!!!!!


 すべての想いを乗せて、自分自身をぶつけていく。

 まさに暴風の獣となったプライリーラが、アンシュラオンを喰らおうとしていた。


 だがしかし、表に出たばかりの獣は知らない。


 この世界には自分よりももっと強大な獣がおり、弱い獣はより強い獣に喰われるという弱肉強食のルールがあることを。

 彼女が喰らいたいのならば、彼もまた喰らいたいのだ。


 ゴゴゴゴゴゴッ ブワッ


 アンシュラオンの戦気の質が―――変わった。


 低因子モードでは隠れて見えなかったもの。この世でもっとも凶悪な獣が、表に出る。






「ウオオオオオオオオオオオオオオオオぉォオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」





「っ!!」


 その咆哮に、暴風の獣が戦慄した。

 鳥肌が立つ。背筋が凍る。存在そのものが違うのだと悟る。獣は獣ゆえに自分よりも強いものがわかるのだ。


 バリバリバリバリッ! ガシッ!!


 鉤爪が嵐気をあっさりと破砕し、ランスをがっしりと握り締め―――


 ガリガリガリガリガリガリッ!!


「っ!!! 槍が!!! 初代様の槍が!! ―――削れるッッ!!?」


 プライリーラの槍が強烈な力によって抉れていく。まるでカキ氷を作るかのように、伝説の武器と称された白い馬上槍が短くなっていく。


「馬鹿な!! ありえない!! こんなことが!!」

「こんな軟弱な武器が、本物の武人に通じるものか!! オオオオオオ!」

「っ―――!!」


 バギャンッ!!

 尖端を―――へし折る。

 それによって槍は三分の二ほどの長さになってしまった。


「はっ!!」


 動揺して動きが止まったプライリーラに対して、アンシュラオンの蹴りが炸裂。

 バギャッ ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!

 凄まじい衝撃が突き抜け、プライリーラは地中から数百メートル吹き飛び、気付けば上空に身を晒していた。

 ごぼっと口から血が吐き出される。


「がはっ…ごほっ!! っ!! くう…鎧にも…ヒビが…!! なんだ…これは…これが本当の…君の力か…。なんてなんて…綺麗で…怖いんだ…ああ、怖い…怖いな……こんな化け物……いるんだなぁ…本当に……」


 地上に上がってきたアンシュラオンは本来の戦気を解放しており、赤白いオーラに包まれていた。


 その姿は今まで見た何よりも美しく―――怖ろしい。


 普通の人間が巨大な魔獣を見た時のように、純粋な畏怖と恐怖の感情が湧き上がってくる。

 考えずとも一目でわかる。この獣は、自分よりも強いと。それが生物が持つ生存本能であり、防衛本能である。

 プライリーラの目の前にいるのは、四大悪獣など相手にもならない怖ろしい獣であった。




293話 「試練に臨む娘を想うパパの如き葛藤 前編」


(たいしたもんだよ。低出力モードじゃ防げなかったからね。それだけプライリーラが強かった証拠だ。他の都市にどれくらい強いやつがいるか知らないけど、これだけやれれば都市防衛くらいはできるんだろうな。ただ、所詮は平地のレベルだね。火怨山の中腹部では生き残れないな)


 アンシュラオンからすれば、プライリーラの獣は「可愛い猫」のようなものだ。

 たしかに肉食獣の面影はあるが、本物の生存競争の中で頂点に君臨する獣と比べれば、脆弱で人間に媚びた愛玩動物でしかない。

 これが平地での最高レベルだとすれば、さして怖れるものではないだろう。マキと同じく、べつに百人や千人いても問題ない。

 結局のところ、突出した存在を止められるのは数ではないのだ。数が有効なのは、ある程度の常識の範囲内で収まっている場合のみである。

 第三階級の聖璽《せいじ》級レベルともなれば、マスター〈支配者〉を打ち滅ぼせる程の力を持っている。


 そう、それはもはや【神の領域】なのだ。


 普通の人間が到達できるレベルを遙かに超越している。


(さて、倒すのは簡単だけど…どうしようかな。もう少し遊んでもいいけど…)


 プライリーラはダメージを負ってふらつきながらも、姿勢制御をして空に浮かんでいる。

 最初はてこずった空への対処だが、あくまで低出力での状態で対応すればの話だ。現状ならば撃ち落とすのはたやすい。

 とはいえ血が滾《たぎ》ってきたところなので、もう少し戦いを楽しみたい気持ちはある。

 なにせ全力解放モードを使うのは久しぶりのことだ。

 デアンカ・ギースやグランハムのとどめにちょっと使ったが、アンシュラオンにとってはこの状態が普通である。

 それではあまりに差がありすぎるので、普段は目立たないように隠しているにすぎない。

 だが、やはり力を隠すのは疲れるものだ。たまには暴れたいときもある。殺さないように気をつければ、あと少しくらいは楽しめるだろう。


 そんなアンシュラオンであったが―――ここで【異変】が起きた。




(―――っ! …サナ? この感覚は…命気が発動しているのか!?)


 この時、サナの異変に気付いた。

 アンシュラオンの遠隔操作範囲はかなり広いので、この距離でも命気が発動したことをはっきりと感じることができた。

 しかも普通の命気の発動ではなく、攻撃形態の命気足である。


(まさかサナが大怪我を!? 嘘だろ、おい! 緊急事態やで!! こんなことをしている場合じゃ……って、いやいや、待て待て、落ち着け。もしサナが怪我をしたのならば普通の命気が発動しているはずだ。だが、今発動しているのはタコ足のほうだ。誤作動の可能性はゼロに近い。オレがそんなへまをするわけがない。…となればサナが意図的に攻撃形態を発動させたのか? 一応、サナの任意のタイミングで発動できるように設定したが…)


 一瞬慌てたものの、冷静になって状況を考える。

 逆に考えれば、命気が発動している間はサナの安全は絶対的に保証されているのだ。まだ十分時間はある。


(命気足か…。ひとまずサナが自分の意思で起動させたのは間違いないな。ただ、稼動時間に難があるんだよな。もし簡単に使えるようならホロロさんやシャイナに付けているしな。近くにいて定期的にエネルギーを補充しないといけないし…あくまで時間稼ぎ用だな)


 命気タコ足は第一警備商隊との戦いで実験に成功したので、その後に多少の改良を加え、サナが自由に出し入れできるようにはしてある。

 特に「使うな」とは指示していないので、彼女が使うべきと判断したのならば問題はない。

 あるいは彼女の身に物理的な危険が迫った場合も自動起動する。回復しても、またダメージを受けては意味がないからだ。

 回復しつつ相手を倒す。または退けるための防衛装置である。切り札に近いので、これが発動しているとなると状況はかなり切迫していると考えるべきだろう。


(サナが命気足を使っている状況…か。考えられるのはアーブスラットだ。あのじいさん、やっぱり狙ってやがったな。オレの可愛いサナちゃんを狙うとは…許せんな!!)


 自分の可愛い妹が狙われたのだ。激しい怒りを感じて当然である。

 本当ならば今すぐにでも駆けつけて、アーブスラットをフルボッコにしてやりたい気分だ。

 しかしながら、アンシュラオンはそれをぐっと堪える。


 なぜならば―――これはすでに想定していたことなのだ。


 アンシュラオンは帆船に行った日のことを思い出す。

 あの時の老執事の視線は敵に対するものであり、こちらの弱点を探す狡猾な魔獣に似ていた。

 そして、彼の目はしきりにサナに向けられていた。最初はロリコンかと疑ったものだが、そうではないと確信した段階で相手の意図を見抜いていた。

 帆船の客間であえて隙を見せたのも、相手がどういう視線を投げつけるかをうかがってのことだ。

 予想通り、アーブスラットは非常に敵対的だった。

 プライリーラを守るために敏感になっていたのだろう。いつもの老練な彼にしては珍しく、言葉には出さなかったものの多くの感情を見せていたものだ。

 それを見逃すほどアンシュラオンは甘くない。この男の人間不信は相当なものだ。完全なる好意以外は受け入れないのだ。


(あんなにこっちを観察していたら、サナに注目しているのはバレバレだよな。あいつがサナを狙うのは想定の範囲内だ。だって、普通に考えたらおかしいよな。いつも一緒だし、サナだけ異様に弱いしさ)


 サナを連れて歩く以上、彼女が狙われる可能性は常時付きまとう。今まで狙われなかったのがおかしいくらいだ。

 だからアーブスラットに対しては、狙ってくれたことに対して安堵感すら抱いていた。


(アーブスラットがサナを狙ったのは、あいつが【正常な思考】を持っていたからだ。ようやく普通の人間に出会えたって感じだな。ほんと、あの都市の人間は甘ちゃんばかりだしね。危機感ってものが足りないんだよな。まあ、今回はあえてそうなるように誘ったんだけどさ)


 アンシュラオンが戦いの前、プライリーラに「何をやってもいい」と言ったが、あれは彼女に言ったのではなく遠回しにアーブスラットに言ったのだ。

 あの老執事のことだ。こんな負けを前提とした提案をそのまま受け入れるわけがない。

 彼が自分と同属であることはわかっていたので、そのまま放置すると何をするかわからない危険性があった。

 戦力差は理解しているはずなので、こちらを直接狙うことはないにしても、情報をマングラスにリークされると厄介だ。

 グマシカたちの警戒レベルが上がってしまうし、一緒にいるサナはともかく、サリータたちホテル組に影響が出る可能性があった。

 だからあえてあのような発言をして、アーブスラットの注意をこちらに引き付けたのだ。


 万一にも勝てるかもしれない、という希望を抱かせるために。


 人間はまったく勝ち目がないと自暴自棄になったり予想外の行動に出るが、多少なりとも勝ち目があれば無謀な行動は慎むものだ。

 なぜならばアンシュラオンにとってサナが急所であるように、アーブスラットにとってはプライリーラが急所になりえるからだ。

 彼のすべてはプライリーラに注がれている。迂闊にこちらを刺激して、プライリーラが危険に晒されることになれば本末転倒であろう。


(執事のじいさんは、マタゾーと同じく生粋の武闘者だ。猫を被って冷静な人間を装っているが、いったいどれだけ殺してきたんだろうな。裏スレイブだと言われても不思議じゃない。放つオーラが違いすぎるしな。今までの相手が普通のヤクザだとすれば、あいつは殺し屋、始末屋だ。本当ならかなり厄介な相手なんだが…プライリーラに感化されすぎて実力を発揮できていない。あいつにとってはプライリーラそのものが【枷】なんだ)


 アーブスラットの本質はアンシュラオンやソブカ、グマシカたちに近いが、プライリーラによって大部分を縛られてる。

 今回サナを狙ったにしても、あくまでプライリーラの決闘を邪魔しない範囲で行っていることが証拠だ。

 彼は執事であることを誇りに感じており、主人のやり方が甘いとは思っていても、それに大きく反することはしないと誓っているのだ。

 わかりやすく言ってしまえば、孫に甘い祖父のような気持ちなのだろう。彼女が赤子の頃から世話をしているのだから、そういう気持ちになるのは自然なことだ。

 プライリーラの面子を汚したくはないし、嫌われたくもない。だから裏側の手も最小限に留めているわけだ。

 もしアンシュラオンが逆の立場ならば、マングラスを使うかはわからないが、少なくとも決闘外でサナを襲わせただろう。

 あるいは、やりやすいホテル側を襲うか。人質は多いほうが有利になるはずだ。多ければ多いほど、見せしめに何人か殺す余裕が生まれる。


 それができなかったアーブスラットは、甘い。プライリーラによって甘くされてしまった。


 だからアーブスラットが裏側の人間だと知っていても、ジングラスにマングラスの相手をさせるわけにはいかない。

 弱い人間が正義感を振りかざしたとて、強い悪の前には簡単に駆逐されてしまうからだ。はっきり言って足手まといの邪魔でしかない。

 よって、アーブスラットがサナを狙うのは想定内である。

 相手だって、こちらが警戒していることは気付いているだろう。だから勝負を急いでいるのだ。



 さて、ここで一つ視点を変える必要がある。

 今回のことを想定内のアンシュラオンが、なぜそれを許しているのか、という理由についてだ。


(命気の発動位置は変わっていない…か。サナは逃げていない。自分から仕掛けたということは、アーブスラット相手でも多少はやれる算段があるということだ。だが、あの子がいくら天才だとしても経験が浅いことは事実だ。最終的に必ず劣勢に追い込まれるだろう。これも経験になると思って配置したわけだが…大丈夫かな? サナちゃん、やる気ありすぎじゃないか?)


 サナが狙われることを渋々承認したのは、彼女に【経験を積ませる】ためだ。

 手に入れた当初の一般人の状態ならば絶対に許さなかったが、今の彼女は武人としての資質を多分に宿している。

 因子レベルの覚醒限界が3もあるのだ。これは素晴らしい数値だ。最低でもマックスにはしたい。


 だが、因子レベルを上げるためには―――【死闘】が必要となる。


 武人の因子は、危険な状態になればなるほど活性化して潜在能力を引き出す。

 これは普通の人間の才能と同じだ。やればやるほど、必死になればなるほど未開発の部分が開拓されていくのだ。

 怠惰に過ごす一年など、必死にやった一週間にも及ばない。本気で叫んだ一日に追いつくことも一生ない。

 傷ついて傷ついて、生死の境をさまよって、それでも勝ち続けた者だけが強くなっていく法則になっている。


 で、サナについていえば、こうした経験がまったくないわけだ。

 狐面との戦いでは危ない場面に追い込まれたが、あれでもまったく因子は覚醒していない。

 つまるところ、武人にとってあの程度の危機はピンチでもなんでもない、ということなのだ。なんとも厳しい世界である。

 また、ステータスにおいても問題点が顕著に表れている。

 ご存知の通り、ステータスはレベル制ではあるのだが、実はここにもデメリットが存在する。


 今までの経験上、成長率は―――【一定ではない】。


 サナのレベルが上がってもステータス上昇が芳しくないのは、ほとんど苦戦をしていないからだろう。

 安全な後ろから、ちまちま攻撃しているだけでは強くはなれない。スキル修得という面では大きな収穫があったが、肝心の地の強さが上昇していない。

 一方、レベル自体は一定の経験値で上昇していく。小百合のように事務をするだけで上がっていくので、事務であろうが戦闘であろうが一緒くたに同じ経験値扱いになるわけだ。

 そして、限界に達するとそれ以上は上がらない。スキル獲得はありそうだが、基本的にステータス上昇は打ち止めとなる。


 そこで【差】が生まれてしまう。


 同じ才能、同じレベルでも、より死闘を経験したほうが上昇するのは疑いの余地がない事実だ。

 これはアンシュラオンとゼブラエスの関係でも見られる現象である。

 アンシュラオンの才能は、格闘の天才であるゼブラエスより上だ。パミエルキと同じなのだから間違いない。

 しかしながらステータス面では、かなりの差が生まれている。特にHPの差が顕著であろうか。

 彼は七万越えなのに、自分は万にも届いていないのだ。体格の違いだけでは説明できない圧倒的な差である。

 積極的に死闘を好んで自分を強化するゼブラエスに対し、アンシュラオンは極力楽をして勝ちたい頭脳派(疲れたくない派)である。

 それによって成長が遅れているのだ。パミエルキと同じ才能ならば、あの怪物にもう少しは近づいていてしかるべきだろう。そうでないとおかしい。

 アンシュラオンは地上最強の因子を持っているので、それでもこれだけ強くなれるわけだが、これが元一般人のサナとなると厳しくなる。


(サナは弱い。才能はあるが…元が弱すぎるんだ。強くするためには少しでも強い相手と対峙させる必要がある。アーブスラットはサナを殺さないだろう。人質にしないと意味がないしな。こんな良い相手がいるか? あれだけ強いのに相手を殺さない甘い敵なんて、普通はなかなかいないぞ。他に探すとすればゼブ兄くらいしか思いつかないな)


 アーブスラットが、「アンシュラオンはプライリーラを殺さないだろう」と思っているように、これまたアンシュラオンも同じように考えている。

 仮にサナを人質に取られても、適当にプライリーラと交換すればいいだろう。あるいは全力で殺しにいってもいいし、どうとでもできる。


 アーブスラットの狙いは、この【提案を無効】にすることだ。


 痛み分けで引き分けという体裁をとって、プライリーラの処女を守ることが目的だ。それと同時に、できれば損害を減らしたいと考えているのだろう。

 今回の提案に乗り気なのはプライリーラであって、アーブスラットではない。本当は止めたかったに違いない。

 しかしながらプライリーラの意向には大きく反対はできない。彼女の獣性という問題点も知っているし、すでに戦獣乙女として動き出しているからだ。

 それでも勝てないと知っているのだから、さっさと終わらせてしまいたいのが本音だろう。


 アンシュラオンから見れば、アーブスラットは【被害者】でしかない。


 まさに執事。ワガママな主人の面倒と後始末を請け負っているのだ。

 それもまた彼にとっては幸せであり、今まではアーブスラットが裏の仕事をすることで通用してきたのだろうが、今回は相手が悪いので必死になっているというわけだ。




294話 「試練に臨む娘を想うパパの如き葛藤 中編」


(主人がワガママで甘いと困るよな。それでも守らないといけないんだろうし…って、サナも似たようなものか。シャイナやサリータを拾ったりするしな。まあでも…子供の自主性は大切にしたいし…せっかく自分からやり出したことなのに、上からあれこれ言うとやる気を失くすだろうし…ただでさえサナは意思が希薄なんだし…ううむ…しょうがないかなぁ…)


 結局、アンシュラオンもサナには甘いのだ。むしろ甘甘である。

 彼女が何をやろうとも自分からやり出しただけで価値がある。特にサナの場合は、その気持ちを他人よりも大切にしてあげねばならない。

 それゆえにサナが自ら命気足を展開したのならば、これは好都合でもある。彼女も着実に成長している証だろう。

 ただし、不安要素もそこそこあるのが気がかりだ。


(ここからサナの様子が見えないのはつらいな。ったく、フィールド変容型と知っていたら別の対策もあったんだが…厄介だよな)


 一つ目の予想外は、守護者である。

 ギロードの強さも少し予想以上だったが、フィールド変容型であることは明らかに想定外であった。

 ここまで周囲の状況がわからなくなるとは思わなかったのだ。命気の状態が感知できるので最低限の情報はわかるが、あくまで最低限でしかない。

 見えないというのは心理的にしんどい。サナが心配でしょうがない。


 二つ目は、アーブスラットが思ったより強いことだ。

 サナが命気足を発動させたということは、マタゾーが防ぎきれず、サナへの接近を許したことになる。

 たしかに能力的に見てもアーブスラットのほうが数段上だ。死闘経験値はマタゾーもかなりものだが、元の才能が違うのでこればかりは仕方ない。戦っても負けるのは想定済みである。

 が、あまりに展開が早すぎる。こちらが保有する裏スレイブ最強格のマタゾーでも抑えられないのは痛い。

 裏スレイブを盾にすれば少しはもつだろうと考えていたが、このあたりも怪しくなってくる。


(いざというときに使えなくてどうする。役立たずめ。もう少しがんばれよな。まあ、本当にヤバくなったら、あいつらが死んで時間を稼げばいい。最初から『サナのために死ね』って命令してあるしな。裏スレイブは死ぬ覚悟を決めてからが本番だ。そのあたりは信用してもいいか)


 三つ目は予想外というより、アーブスラットがどのような手を打ってくるかの問題が残っている。

 いくつかシミュレートしてみたが、ジングラスの情報を全部知っているわけではないので予測が難しいのだ。


(もしオレが逆の立場ならどうする? 力づくでやれれば一番だが、それで駄目なら…そりゃまあ【援軍】だよな。オレは何でもしていいと言ったんだし、人数を合わせてくる必要はない。逃がした場合に備えて伏兵をどこかに置いておくのは戦術の基本だ)


 アンシュラオンが大好きな戦国時代や三国時代にしても、伏兵を使った戦術は必ず使われている。

 現代戦においても部隊の配置は重要であるし、空が封鎖されているこの世界においては、地形の把握はことさら大切になってくる。

 問題は、どこにどれだけの兵力を配置するかだ。

 アーブスラットは決闘の体裁を維持したいので、プライリーラが見える範囲に配置する可能性は極めて低い。

 そうなると候補も絞られてくる。


(地中でないのならば…来る前に通った低木地帯や岩石地帯あたりか? あそこなら伏兵はいくらでも忍ばせておけるよな。ただ、オレが波動円で広範囲を探った時には何もいなかったんだよな。魔獣にも満たない小さな弱い生物くらいでさ。とはいえ荒野は広い。オレの探せる範囲では心もとないな…。それとも輸送船あたりであとからやってくるとかか? サナくらいなら普通の傭兵クラスでなんとかなると思うが…はたして執事のじいさんが、その連中を信用するかな?)


 アーブスラットの計画では、「戦獣乙女の権威を落とさない」という点も重要な要素であろう。

 もともと他派閥には通知をしているので、両者が戦ったことはすぐに知れ渡るだろう。傭兵を使うにせよジングラス傘下の組を使うにせよ、この情報もいつか漏れる。

 戦獣乙女は、その【神話性】に大きな価値がある。偶像の大半は、大げさな逸話や誇大表現の偉業が言い伝えられることで生まれるものだ。

 プライリーラもそれと同じで、当人の強さもあるのだが、やはり初代ジングラスの威光によってアイドルになっているといえる。

 もしそれが、裏ではこんなことをやっている、とささやかれ始めたら、彼女のアイドルとしての立場は即座に失墜するだろう。

 それだけでもプライリーラには恥になるし、ジングラスグループにも大打撃だ。せっかく築いてきたものが崩れることになる。

 プライリーラは腹芸も少しはできるが、基本的には正々堂々を誇りにしている。そんな恥辱に塗れた評価を受けては都市にはもういられないだろう。

 それ以前にアーブスラットが他人を簡単に信用するとも思えない。自分ほどでないにしても、彼もまたかなりの人間不信のはずだ。

 そうでなければ、あれほど他人を怪しんで観察はできない。


(何よりもジングラスの戦力は、この二人自身と【魔獣】だとソブカから聞いている。それが本当だとすると、保有している戦力が守護者とクラゲだけであるはずがない。まだ何か持っていると考えるべきだろう。そう、ずっと気になっていたんだよ。あの日、どうやって追跡者たちを排除したかをね)


 アンシュラオンにはずっと気になっていることがある。

 それは帆船に行く途中、追跡してきた密偵たちをジングラスがどうやって始末したか、である。

 波動円を後方に展開して探ったが、伏兵の存在は何も感じなかった。そうであるのに突然密偵の気配が消えていったのだ。

 自分が完璧とは思っていない。波動円の精度も一般のレベルよりは上だが、専門としている者と比べると相当落ちる。陽禅公と比べると児戯にも等しいと自覚している。

 重要なことは、現在の自分の能力では感知できない何かがいる、という一点だ。


(もしそれが何らかの魔獣の仕業ならば…『姿を隠せる能力』かな? いや、オレの波動円の接触すら誤魔化したんだ。『存在そのものを隠蔽できるスキル』があるのかもしれない。これは…危ないな。というか超ヤバイな。人間にせよ魔獣にせよ、これだけで十分な価値がある。こんな便利な存在がいるのならば絶対に配置しているはずだ。伏兵としては完璧だしな)


 魔獣という確証はない。アーブスラットと同じく裏側の仕事をする人間がまだいるのかもしれない。

 密偵を排除するくらいだ。最低限の戦闘能力は持っているだろう。どちらにしても危険である。

 サナがこのまま命気足で戦い続けても、アーブスラットに勝てる確率は宝くじで一等が当たるより低い。他の戦罪者の奮闘があって、ギリギリ逃げおおせるくらいが精一杯だろう。

 だが、配当は美味しい。サナが得る戦闘経験値は相当なものになるはずだ。

 サナがどう思っているのかはわからないが、自分が近くにいると緊張感が足りなくなる。いつでも助けてもらえるという安心感が、人を弱くするのだ。

 だからこそ距離を取らねばならない。



 だがしかし―――心配で胸が張り裂けそうだ。



 理屈では理解しているのだが、感情が追いつかない。サナが心配で心配でたまらない。


(サナの危険とどう照らし合わせるかだよな…くそっ! ああああああ!! 心配だ!! もしサナが危険な目に遭ったら…オレは…オレは!!! 傷は癒せるから死んでも一分くらいまでなら軽々蘇生させる自信はあるが…サナがそんなことになるなんて…想像するだけでつらい!! しかし成長もさせたい! こんな貴重な状況なんて、なかなかないんだぞ! くっそ!! オレはどうすればいいんだ!!)



「ブルルッ!!」


 そんな時である。

 プライリーラがダメージを受けて復讐心に燃えるギロードが、アンシュラオンに爆走してきた。

 この思考は高速で行われたので、実際の時間では数秒も経過していない。当然、まだ戦闘は継続中である。


 ギロードの音速突撃が、サナのことで激しく葛藤しているアンシュラオンに―――直撃。


 ドゴオオオオオオッ!!

 余所見して歩いていた通行人が、巨大ダンプカーに衝突されたように完全に直撃である。


 ドガガガガガガガッ!! ガリガリガリッ!


 アンシュラオンが大地に叩きつけられながら、何百メートルも押されていく。

 続けてギロードの拳のラッシュ。

 ドガドガドガドガドガドガッ!!

 一撃の威力に勝る剣より手数を選んで攻撃してきた。アンシュラオンをプライリーラから遠ざけようという意図だろうか。

 相変わらず風で加速された何百という拳が降り注ぐ。それもすべてヒットしている。


 だが、その光景は少しばかり奇妙であった。


 アンシュラオンは腕組みをしながら、依然として立っている。その状態で地面にめり込みながら押されているのだ。

 普通に直撃を受ければ吹っ飛んだりバラバラになったり、最低でも地面に身体を激突させながら転がっていくものだが、この男の姿勢はまったく崩れていない。

 まるで彫像がクルマに押されているような光景だ。違和感がバリバリである。

 地面のほうが衝撃に耐えきれずに抉れているだけであって、アンシュラオンにダメージが入っていないのだ。


 そして赤い瞳が、ぎろっとギロードを見つめる。


 けっして駄洒落ではない。本当に不機嫌といった様子で睨んだのだ。


「…おい、人様が考え事をしている時に…なんだこれは? オレが、このオレが、大切なサナちゃんのことを考えている時に…なんだ? あぁ? どういうつもりなんだよ。なぁ、おい。お前はいったい何なんだ?」


 がしっ

 ギロードの拳を受けとめ、指の一本を掴むと―――


「親から教育を受けていないのか? 時と場所をわきまえろってよ!!!!」


 ボキィイイッ ぶしゃっ

 手首の返しだけで簡単にへし折り、そのままもぎ取る。


「ブヒヒヒッ!!?」

「はーはー!! ムカついてきたな。オレがどれだけサナを愛しているのか、お前は知っているのか? なあ、おい!! 知っているのか!!?」

「ヒヒイイイッ!!」


 慌てたギロードが再度拳を放つ。だが、今度はそれに合わせるようにアンシュラオンも拳を引き絞った。


 両者の拳が衝突し―――砕ける。


 バギャァァァアアアアアア!

 メキメキメキメキッ ぐっしゃぁああああ!


「―――ッッイイイインッ!?!?!?」


 砕けたのは、当然ながらギロードの拳である。

 アンシュラオンの十倍以上もあるような巨大な拳が、こんな小さなものにぶつかったくらいでバキバキにへし折れ、その衝撃で爆散する。

 その威力と衝撃にギロードは混乱に陥る。

 残った三つの目が血走って、ぎょろぎょろと動いている。混乱と恐怖に襲われた者に見られる症状だ。

 彼女は魔獣ゆえに人間よりも本能が強い。だからこそアンシュラオンの中にある巨大な獣の強さを感じるのだ。


 そして、なぜかその獣は怒っている。


 なぜ急に怒り出したのかまったく不明だ。心の中の葛藤なので、ギロードにそんな事情がわかるわけがない。

 だが、怒りは身近なものにぶつけられるのが相場である。


「お前…なんだそのツラ? オレがこんなに悩んでいるのに、ぬぼっとしやがって! とぼけてんのか? なぁ、馬鹿にしてんのか!! てめぇ、馬面だからって何しても許されるってわけじゃねえぞおおおおおおお!!!」


 ドガシャッ!! バキバキッ

 アンシュラオンがギロードの顔面をぶん殴る。身長差が半端ないので、顎先をアッパーカットである。

 だが、本当に半端ないのは、その威力だ。

 ギロードの顔が跳ね上がり、前歯が歯茎ごとへし折れ、吹っ飛んだ。


「ヒーーヒーーーー」


 そのせいで満足にいななくこともできず、空気が漏れるような音になってしまった。

 それがさらにアンシュラオンを不快にさせる。極めて理不尽かつ負の螺旋だ。


「ああああああ! オレがどれだけ愛情を注いで大切にしているのか、わかるのか!! あの愛らしい顔に、ぷっくらして柔らかい頬に、あの綺麗で吸い込まれるような黒髪に、あのきめ細やかな肌に…少しでも少しでも少しでも少しでも!!! 傷がつくたびにオレがどれだけ苛立っているのか、てめぇみたいな馬面にわかるのかよぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 アンシュラオンが残った片方の腕を掴み―――

 ブーーーーンッ

 強引に引っ張って地面に叩きつける。

 ギロードは風を生み出してクッションにしようとするが、そんなものは最初からなかったと言わんばかりに―――激突!!


 ドッゴーーーーーンッ!!


 メキメキと骨が軋む音がする。この巨馬であってもまったく抵抗できない。赤子が大人に腕を引っ張られるように簡単に投げられる。




295話 「試練に臨む娘を想うパパの如き葛藤 後編」


「サナちゃんはな、ほんっとうに可愛いんだ!! オレの言うことは何でも聞くし、素直な子なんだよ!!! そうでいながら時々不思議なこともするから楽しいし、シャイナみたいな馬鹿犬を拾う優しい心も持っている!! ああ、そのサナちゃんを狙うなんて…この馬面があああああああああああ!!」


 ブーーーーンッ ドッゴーーーーーーンッ!!!


「あの化け物の姉ちゃんと違って、ただの女の子なんだぞ!! 何の力もない小さな可愛い女の子なんだ!!! それがこんな戦いに巻き込まれて…どんなに心細い思いをしているのか…わかるか!?!!! なぁ、わかるのかよ!!!」


 ブーーーーンッ ドッゴーーーーーーンッ!!!


「なんだこの世界は!! なんでこんなシステムにした!!! オレが手に入れた可愛い女の子は苦労しなくても強くなるようにしろよ!!! ちくしょう!!! いったい誰が悪いんだ!! そうだ、お前たちが悪いんだ!!! ふざけるなよぉおおおお!!! この馬面があああああああああああああ!!!」


 ブーーーーンッ ドッゴーーーーーーンッ!!!

 ブーーーーンッ ドッゴーーーーーーンッ!!!

 ブーーーーンッ ドッゴーーーーーーンッ!!!

 ブーーーーンッ ドッゴーーーーーーンッ!!!


 バキバキッ メキメキッ ボッキンッ



「ぶるっ…るる……」


 アンシュラオンは何かを口走りながら、何度も何度もギロードを叩きつける。

 そのせいで周囲の地形が完全に変わるほど滅茶苦茶になり、ギロード自身も背骨を骨折するなど大ダメージを受けている。

 ちなみにさっきから「馬面」を連呼しているが、馬なのだから当然である。むしろ馬が馬面でなければ、それは馬ではない。

 サナを巻き込んだのも自分だし、心細い想いをさせているのも自分である。あまつさえ死闘を経験させようと画策までしているのも、この男だ。

 だが、そんな理屈やツッコミが通用するような男ではない。

 サナに対する愛情と、強くしてやりたい欲求の狭間で激しく葛藤し、そのやり場のない感情を八つ当たりでぶつけているだけだ。(注:サナは一言も『強くなりたい』とは言っていない)

 そこにたまたま馬面のギロードが突っ込んできただけだ。運が悪いにも程がある。



「くっ、ギロード!!」


 プライリーラが折れた槍を構えて突っ込んできた。まだ戦う気力が残っているあたりはさすがである。


「今は忙しいんだ!! 邪魔をするな!!!」


 ドンッ


「っ!!!!」


 アンシュラオンが空にいるプライリーラに戦弾を発射する。


 だが、その規模が―――桁違い。


 まるでレーザーのような凄まじい閃光が、すぐ脇を通り過ぎていった。

 ジュウウウッ

 直撃はしていない。軽く槍を掠めただけだ。

 しかし戦弾に掠った槍がドロリと溶けている。それにとどまらず、近くにいただけでブスブスと皮膚が焼け焦げた。


 ドバンッ!! ブワッ!!!


 さらにその一撃を受けたであろう竜巻の一つがあっさりと吹き飛び、霧散。久々に【青空】が見えた。

 大空には雲が一つもない。アンシュラオンの一撃によって雲まですべて吹っ飛んでしまったのだ。

 その証拠に離れた場所を見ると、戦弾が当たった部分だけ雲が蒸発し、ドーナツ状に穿たれているのがわかった。

 プライリーラは愕然。


(な、なんだ…これは…何が起きて…いるのだ…!! 槍が…溶けた。それならば鎧だって溶ける…。直撃を受けたら……死んで…いた? この私が…戦獣乙女の私が…か? たった一発で…死ぬ? ははは、なんだそれは。何の価値も意味もない称号じゃないか…。何が都市を守るだ。こんなのを受けたら…都市なんて簡単に消し飛ぶよ)


 その戦弾は怒りのままに放った一撃だったので、威力も本気で撃ってしまったものだった。

 もし当たっていたら、プライリーラがどんな手段を使おうとも瀕死以上の損害を受けていたに違いない。

 イラッとして何かを殴る際にも、かろうじて理性が働く時があるだろう。思わず誰かを殴りそうになって慌てて物に怒りの対象を変更するように。

 それと同じくアンシュラオンも当てたい衝動を我慢しつつ、なんとか逸らしたから命拾いしたのだ。

 今のアンシュラオンは、プライリーラたちにかまっている余裕はない。

 心の中はサナで一杯だ。


「あああああああ!!! サナちゃん!! お兄ちゃんを許してくれええええええええええええ!! これはサナのためなんだよ!! 本当なんだ! でも、でも、心が痛い!!! あああああ!!! くおおおおおおおお!! オレのサナちゃんがぁあああああ!!」


 ドゴーーン!!! ドゴーーン!!! ドゴーーン!!!

 グラグラグラッ グラグラッ

 アンシュラオンが喚きながら大地を殴るたびに地震が発生し、大きな亀裂が生まれては土砂が噴き上がっていく。

 それはまさに天変地異であり、災厄の如し。

 この状態のアンシュラオンには誰も近寄れず、そのまま時間が過ぎることになる。



 そんなアンシュラオンが我に返ったのが、サナの命気が尽きた瞬間である。

 それによって少しばかり冷静になる。


(はっ!! サナ!! ついに命気が尽きたか! …いや、まだ全部は消えていない。体内に蓄積している分は残している。このあたりはさすがだな。…距離を取った…逃げている? 正しい選択だな。勝ち目なんてないから逃げるしかないだろう。アーブスラットは…どうなった? サナが順調に逃げているから…追えていないか。ダメージもあるんだろうが…こちらもあえて追わなかったんだろうな)


 この様子から逆にアンシュラオンは、アーブスラットが伏兵を配置していると確信した。

 これは単に考えただけではなく、【戦場の空気感】がそれを教えている。

 何事もそうだが長く一つのことに携わると、全体的な流れや傾向、感覚がわかるようになる。

 たとえば絵を長く描いていると、単純な細部ではなく全体を把握するようになる。その絵から発せられる感性や感覚といった、言葉で表すことが難しい雰囲気や力を感じられるようになるわけだ。

 戦いの場に長くいたアンシュラオンは、相手の意図や目的を肌で感じられるまでになっている。特に魔獣は人語を話せる種が少ないので、雰囲気で物事を察する能力が高まっているのだ。

 アーブスラットの意識は、まだサナを追っている。油断はできない状況だ。


(このままいくと命気を失ったサナは格好の標的だ。まだ術具はあるものの、伏兵以前に偶然遭遇した魔獣にやられる可能性すらある。『オレの我慢の限界』まではサナに経験を与えてやりたいが、もちろん他人任せにはしない。他人など信じたら馬鹿を見るだけだからな。サナはオレが守る)


 アーブスラットがサナを殺さない確信はあっても、他人が関与する段階で信用ができない。

 何事にも万一があるものだし、他人に任せたものは基本的に失敗すると思っていたほうが安全である。

 もし何かの手違いでサナが死んだりすれば悔やんでも悔やみきれない。そんなミスは犯さない。


 ボボッ

 アンシュラオンが戦気を集中させると、大地にテニスボールくらいの小さな球体が生まれた。


(何匹くらい必要か? 五匹くらいいればいいかな?)


 ボボボボッ ぐにぐに

 さらに四個を追加で作成すると、戦気の塊が姿を変え始める。

 頭が生まれ、手足が伸び、奇妙な姿の生物が生まれた。

 顔はネズミやモグラに似ており、両手足には鉤爪がついているが、戦気で生まれているので色は白の単色で、蝋細工で作られた人形のようにも見える。


 これは闘人操術で生み出した『モグマウス』と呼ばれるものである。


 なんとなくモグラとネズミに似ていることから、アンシュラオンが勝手に命名した『オリジナル闘人』である。

 闘人操術の優れているところは、その【自由度】だ。形状と思考アルゴリズムを自由にカスタマイズすることで、当人だけのオリジナル闘人を生み出すことができる。

 闘人という名前だが、人である必要性はない。形など何でもかまわない。単に人型のほうがイメージがしやすいだけにすぎない。

 アル先生の時に使った闘人アーシュラは直接戦闘用の闘人であるが、今回生み出したモグマウスは調査・探知用の闘人で、撃滅級魔獣だらけの危険な火怨山では主に偵察用に使っていたものだ。

 そのせいか身体はハムスターのように小さく、特別な戦闘能力は持っていない。噛み付いたり引っ掻いたりはできるが、それだけだ。

 しかしながら高因子モードのアンシュラオンが作ったものである。戦気の質が違いすぎるので必然的に高い戦闘力を有することになっている。

 この一匹だけでも討滅級魔獣と渡り合えるくらいの力はあるだろう。それが五匹なので、下手をすると殲滅級魔獣すら喰い散らかす力があるかもしれない。

 だが、これでも不安だ。


(じいさんがどんな手を用意しているかわからない。あと百匹…いや、三百匹は必要だな。これならば撃滅級魔獣とだってやりあえる)


 ボボボボボボオボボボオボオボボボッ!! ボコボコボコボコッ!!

 アンシュラオンの周囲が大量のモグマウスで埋め尽くされていく。気が付けば、その数は四百匹にまで到達していた。


(オレの同時操作限界数が五百ちょいだから…少し作りすぎたか? だが、サナのためだ。これくらいは必要だろう)


 当然ながら遠隔操作する闘人の数が増えれば増えるほど操者の負担は大きくなる。切り離した戦気の分だけ本体の出力が減ってしまうが、これくらいは問題ないと判断する。

 サナに何かあることだけは絶対に許せないのだ。しかし、やはりやりすぎている感は否めない。

 もしこれだけの数のモグマウスに襲われれば、都市一つが丸々破壊されるくらいの力は宿しているだろう。それでも心配になるのは、この男が異様なまでに心配性だからだ。

 そして、一体だけ特別に少し大きく作った闘人に命令を下す。

 このモグマウスはヘルメットとツルハシを装備しているという特別製で、他の個体よりも高い能力と高度なアルゴリズムを組み込んである。これがモグマウス隊の隊長というわけだ。

 しかもこの個体には命気も組み込んであるので、万一の場合にサナを回復する役割も果たす。


「お前たちは地中に隠れてサナを守れ。ただし、ギリギリになるまで様子を見ろ。サナの生体磁気が三割以下になったら即座に救出だ。あるいは顔に酷いダメージを負った際も即座に助けて治療しろ。邪魔をするものはすべて排除だ。皆殺しにしろ!! 行け!」

「チュキッ!!」


 モグマウス隊長は、ツルハシを掲げて敬礼する。

 何も言わないと気持ち悪いので、闘人を作る際は声帯も一応作っている。

 闘人アーシュラが叫んでいたのはそのせいだが、べつに声を作る必要性はない。これも単なる趣味の領分である。


 ザッザッザッザッ!


 モグマウスたちは土を掘り、地中に入っていく。手足をモグラの形状にしているのは地中の敵にも対応するためであり、こうして隠れて移動することができるようにするためだ。

 彼らはサナの中に残ったわずかな命気の波動を追跡していき、そのスピードは地中でありながら時速二百キロに達する。

 そして、アンシュラオンから受けた命令を忠実に実行。

 移動の最中、出会ったすべてのものを破壊しながら安全を確保していく。

 この付近は地上部分がかなり荒れ果てているので、強い陸上魔獣以外の多くの生物は地中で暮らしている。


 それがモグマウスと出会い―――虐殺される。


 アルマジロに似た動物が地中の巣穴にいたところ、突如出現したモグマウスに威嚇―――する前に鉤爪で両断される。

 ザクッ ブシャッ!!

 さらに皆殺しにしろという命令を受けているので、その巣穴にいた幼体を見つけ―――

 ザクザクザクッ!!

 殺戮。容赦なく細切れにする。


「チュキッ!!(クリア!)」


 先行したモグマウスが突入部隊さながらにクリアリングを行い、安全確認後に後続のモグマウス呼び、次々と地中を制圧していく。

 これは軍隊好きのアンシュラオンが、制圧物のドキュメンタリーを見て触発された記憶を思い出し、思考アルゴリズムに組み込んだものだ。

 特に意味はない。趣味である。だが、それは軍隊アリさながらに凶悪である。

 一匹程度ならば被害は少なかったのだろうが、大量のモグマウスが部隊別に分かれてそれぞれ違うルートを通っているので、そこに引っかかった生物がすべて殺されていく。

 アンシュラオンの頭の中にはサナのことしかない。他の生物の生活など知ったことではないのだ。

 これらの結果はモグマウス隊長から随時信号が送られてくるので、自動制御にしていても進行状況がわかる。


 そして、サナを発見、捕捉して追尾開始。


 今後は地中から彼女を見守ることになる。


 それを確認して、アンシュラオンは深い安堵の息を吐く。


(ふぅ、これで一応は安心かな。何かあってもモグマウスが助けるだろう。サナ、がんばるんだぞ。大丈夫だ。サナならできる。サナ…サナ……サナァアアアアア!! うう、サナに会いたいよぉお!!)


 今すぐ会いに行きたい気持ちをぐっと堪える。今自分が行けば彼女の成長を阻害してしまうだろう。

 しかし、彼女はアンシュラオンの助けも待っているはずだ。それを知りながらこんなことをしなければならないことに、激しい焦燥と胸の痛みを感じている。

 何度も言うが、かわいそうなことにそのフラストレーションは、プライリーラたちにぶつけられることになるのだ。

 この男に関わると誰もが不幸になることだけは間違いない。




前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。