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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第五章 「裏社会抗争」 編 第三幕 『獣と獣』


276話 ー 285話




276話 「アーブスラットの思案」


「リーラ様、あれでよろしかったのですか?」


 アーブスラットが、ドレスを脱ぎ捨てていつものスーツ姿になったプライリーラに話しかける。

 すでにアンシュラオンたちは船を降りており、この場にいるのは二人だけだ。

 都市付近までクルマで送ると言ったのだが、「妹の修練にちょうどいいから」と、それを断って荒野に消えていった。

 ジングラス側も他の組織との接触の可能性があるので、当人がそう言うのならば受け入れるほうが得策であった。

 すでに日は落ちている。警戒区域に近いこのエリアには、第三階級の討滅級クラスの危険な魔獣も徘徊する時刻である。

 普通のハンターならば、仕方のない野営を除いて絶対に都市外には出ないだろう。

 が、ホワイトハンターである彼には、そんな常識は通じない。むしろ好都合と意気揚々と出て行ってしまった。

 そんな自由な姿に、憧れと同時に一抹の不安を感じたのだ。


「よいも悪いも相手が断ったのだから仕方ないだろう。あれしか手は残されていなかったよ」

「これもソブカ様の手の内かもしれません。最初から彼はこちらと手を組むつもりはなかったのではないでしょうか。情報だけ訊き出すのが目的だった可能性もあります」

「どうだろうな。断るまではそれなりに悪くない手応えだった。ただ、グマシカ氏の情報を聞いてから様子が変わったな。マングラスが手ごわいのは知っているが、そこまで怖れるものだろうか?」

「何時も慎重な者ほど怖ろしいものです。彼はあれだけの力を持ちながら、けっして慢心しない。常に警戒しながら動いている。それだけ自分の弱さを知っているのでしょうな」

「あのホワイト氏が? 何を怖れるというのだ?」

「あの口ぶりからすると、彼は自分より上の存在を知っているのでしょう。あるいはその存在に何かしらのトラウマを植え付けられた結果、あのようになっている可能性もあります。スレイブを求めるのはその捌け口と思われます」

「ふむ、反動…か。自分がやられたから他人にもそうする、というのは往々にしてよくあることだ。あまりよいことではないが…それもまた人間かな。それ以上に、あのホワイト氏にそれだけのことができる者がいるのが怖ろしいがね」


 アンシュラオンの中には、パミエルキへの恐怖が刻み込まれている。

 明らかに弱い相手やデアンカ・ギース程度には余裕は崩さないが、それ以上の相手になると慎重になるものだ。

 つまりアンシュラオンは、「グマシカたちを四大悪獣以上の脅威と定義した」ということだ。


 そしてプライリーラは、そのグマシカに対抗できないと判断された。


 たしかにマングラスは甘い相手ではない。それは知っている。それでも覚悟を決めて戦うつもりでいたのだから、プライリーラのショックは大きい。

 しかもアンシュラオンは、自分をソブカよりも下と断じたのだ。その点が一番不愉快である。


(私がソブカ氏に劣るとは思えない。もちろん悪巧みでは彼には及ばないが…武人としての実力に問題はないはずだ。ならば私を選ぶべきではないのか? …やはり軍という言葉を危惧したのだろうか? それともそれ以外の要素か? …わからない。なぜ彼は私を選ばなかったのだ)


 選ばれない、というのはつらいものである。

 オーディションであれ交渉であれ、相手に選択権がある状況でそうなれば、どんな人間でも多少なりに傷つくものだ。

 強がっていても、やはりショックはショックである。それが【乙女】ならば、なおさらだろう。

 プライリーラもまた複雑な要素の集合体である。

 凶暴な獣でありながら総裁としての責任感があり、アイドルとしての正義感と倫理感があり、それでいながら乙女の純粋さを持っている。

 否定された部分はその一部なのだろうが、全体として力不足と判断されたことには違いない。

 そこで少しばかり自信が揺らぐ。


「爺、私は間違っているか? 今回の策は失敗だったか?」

「いえ、そんなことはありません。ジングラスの総裁として、やれることはすべてやっております」

「父上ならばどうしただろう? もっと上手くやっただろうか?」

「むしろログラス様ならば、打てる手はもっと弱かったでしょう。戦獣乙女という戦略もリーラ様だからこそ可能だったもの。そうでなければマングラス側に好きにやられていたでしょうな。マングラス主導の制裁が決まり、我々は蚊帳の外であったと思われます。ただのやられ損、というわけですな」

「では、なぜこうなる? 打った手がよくても負ければ意味はない」

「僭越ながら申し上げれば、【状況が異常】なのではないでしょうか」

「…? どういうことだ?」

「私がこの都市に来て四十年近くになりますが、記憶している限り、ホワイトハンターが滞在したことはありません。また、ここまで都市内が荒れたこともありません。少なくとも単独の勢力にここまで圧迫されたことはないでしょう。さらにグマシカ様が全面に出てきたこともございません。ましてやデアンカ・ギースが都市の近くに出没し、それが倒されるなど…異常中の異常ではないでしょうか。西側の接触もその一つです。今までグラス・ギースに目を付ける者はいても、いずれも魔獣が理由になって頓挫しているはずです」

「…言われてみれば、その通りだね。時代が急速に動き出している。それはグラス・ギースに限ったことではない。南の入植が進んで勢力図が塗り変わろうとしている。当然ホワイト氏自体も異端ではあるが、全体的に起こっている異常事態の中の一つというわけだな。個別に見るのではなく全体で見るべき、か」

「いつまでも災厄の再来だけに目を奪われているわけにはまいりません。外部の変化に目を向けない限り、グラス・ギースに未来はありません。一番の敵は魔獣ではなく、いつの時代も人間でございます」

「四大悪獣だけでも手一杯だというのに、内部もこんなありさまだ。そのうえ外の変化にも対応しなくてはならないか。あまりに困難な道程だな。だが、だからこそホワイト氏の力は必要だ。外部の人間だろうが有能な人材は積極的に取り入れねばなるまい。…この勝負、勝てると思うか?」

「あのような勝負を言い出したのです。勝算があってのことでしょう。慎重で狡猾な彼は負ける戦いはしません。これは断言できます」

「そうか。私では腕の一本すら取れないと…そこまで低評価をされたわけか。…さすがにショックだな。爺から見て、彼はどうだ?」

「凄まじい達人です。いえ、もはや達人を超えている可能性が高いでしょう。最低でも王竜《おうりゅう》級、あるいは魔戯《まぎ》級か…さらに超えるレベルかもしれません。本当にホワイトハンターなのか疑わしいほどです。最上位のゴールドハンターでないのが不思議でなりませんな」

「そこまでか…! 王竜級といえば、国家最強の筆頭騎士団長レベルだな。魔戯級はすでに人のレベルではない。そのような人材は聞いたこともないが…」

「そういった者たちは滅多に表には出てきません。国家にしても重要な人材ですから秘匿されていることが多いものです。ただ、ここは西側ほど人間の統治が進んでおりませんから、誰にも知られずに強者が存在していてもおかしくはありません。むろん、極めて稀なことですが…」


 第五階級の王竜級は、一般的な人間種が得られる最高の地位といわれているランクで、名立たる国家の最強の武人たちが該当する。

 第四階級の魔戯級ともなれば、すでに魔王城のマスター〈支配者〉たちとも渡り合える人間を超えた存在である。一部の限界を突破した武人だけが到達できる至高の領域だ。

 念のため補足しておくと、この世界に魔王はいるが西洋ファンタジーのような存在ではなく、サリータが言っていたように【人間の称号】の一つである。

 魔王城は魔王が統治する城で、世界の中心、世界地図の真ん中に存在する。地図でいえば、ロイゼン神聖王国の南にある島である。

 ただし、一応は城のような景観が存在するものの、内部は多次元によって構成されているので、無限の空間があるとされている。

 小さな城に見えても、下手をするとこの星以上の許容量を秘めているというわけである。


 魔王はそこで【マスター】と呼ばれる謎の存在を管理しているという。


 一説によれば、彼らはかつての神々の末裔ともいわれており、多くの者が人間を超える力を持っている。見た目も人間からすると奇怪なものばかりで、人によっては彼らを「鬼」やら「鬼神」と呼ぶ者たちもいる。

 といっても、見た目に反して意図的に悪さをするような者たちではない。むしろ人間よりも善性が強く、模範的で穏やかで、自然界の味方に近い存在だ。

 自然界の味方という点が重要で、人為的な大規模な自然破壊が起これば人間と対立することもあるようだが、好戦的なものは一部にすぎない。

 その強い力の大半も自然環境の維持に使われるので、人間の味方をすることも多く見受けられる。

 しかし、なぜ魔王が彼らを統治しているのかは最大の謎である。そして、なぜ人間が魔王の称号を得ているのかも謎である。

 三大権威の一つである魔王は、人外のマスターたちを管理する性質上、覇王や剣王以上に人間とは馴染みがないということだろう。住んでいる世界が違うのだから仕方がない。

 そんなマスターたちだが、人間すべてが善人ではないように、中には悪さをする者たちもいる。そういった者が外界に出没した際は大惨事となるので、各地の不吉な伝承の多くは彼らの狼藉によって生まれたものであるといわれている。


 その時、彼らを折伏《しゃくぶく》する者たちが、第四階級に位置する魔戯級以上の武人たちである。


 自発的に、あるいは魔王から要請を受けて強者が派遣され、密かに成敗するということが古来より行われてきた。

 そうした武闘者たちが歴史の表舞台に出ることは稀で、存在自体が知られないことも多い。世間一般では、王竜級を越える階級があることすら知らない者たちもいるくらいだ。

 知らなければそれでいい。知る必要もない。知らないところで世界の維持が行われているだけのことだ。


 ただ、中には有名な者もいる。それは目立ったというより、その人物自体が有名だったことが要因である。

 その者こそ、かつての覇王であるハウリング・ジル〈唸る戦鐘《せんしょう》〉。

 魔王の圧制(彼らにはそう映るのだろう)に不満を募らせ、反乱を企てた勢力が外界に出た際、単独で【鬼神軍】を壊滅させた恐るべき男である。

 この事件によって人々は改めて覇王の強さと怖ろしさを知るのである。同時に覇王への憧憬を強めることになったものだ。

 このように、世には常識を超えた武人がいる。いるが、普段は出てこないだけである。



「彼は魔獣と常に一緒だったと言っておりました。どこかはわかりませんが、そこで長年修練を積んだのでしょう。厳しい環境にあってこそ武人は強くなりますからな。世には好き好んでそうした環境に身を置く者がおります。真の武闘者とは、そういう人物を指すのでしょう。現覇王の陽禅公も表に出てこないのは、秘境で修練を続けているからという噂もあります。人嫌いとも聞きますな。まあ、陽禅公の場合は素行の悪さが有名で、あまり人里では歓迎されていなかったともいわれておりますが…」

「彼もその一人ということか。…ますます自信がなくなったな。都市しか知らない私では役に立たないというのか?」

「身内の贔屓目と言われると肩身が狭いものですが、リーラ様は王竜級に匹敵すると思っております」

「本当か? 下手な気遣いではないだろうね?」

「いえ、事実です。特に【彼女】と組み合わされば魔戯級に到達する可能性もあります。これはけっしてお世辞ではありません。そもそも強さには種類があります。特定の条件下で他を圧倒できるのならば、それは立派な強さでしょう」

「…そうだね。私たちは二人で一つだからね。扱いにくいが、それだけ合わさった時の力はすごいと思っているよ。ホワイト氏も地形条件を呑んでくれたから全力を出すことができるだろう。周りを気にせずに戦えることは大きいね」

「ですから、今回の勝負はけっして一方的に分が悪いわけではないのです。リーラ様はリーラ様で、ご自分の力をすべてぶつければよろしいでしょう」

「うむ、もはやそれしかできないのだから、遠慮なく全力を出させてもらうさ」

「それがよろしいでしょう。リーラ様自身の問題の解決にも役立ちます」

「それではなんだか、私が異常者や病人みたいではないか。ホワイト氏ほど病んではいないつもりだがね」

「はてさて、どっちもどっちといったところでしょうか。どちらも相当なものです」

「ふふ、酷いな。…しかし、ホワイト氏か、ああも簡単に言ってのけるとはな。犯罪行為を何とも思っていないようだ。私を犯す…犯す……かっ! ふふふ、くふふふ…獣が私を狙っているのか! アイドルの私に淫靡な視線を向ける輩もいたが…彼のものは格も桁も違う! あんな凶悪で下卑た獣が私の処女を奪いにくる…ふふふふ! 楽しみだな!」


 そう考えるだけで、身体が芯からゾクゾクッと震える。

 負ければ色欲たっぷりの獣に蹂躙されるだろう。逆に勝利条件を満たせば、あれだけのものを手に入れることができる。

 想像するだけでたまらない。自分の中の獣が喜んでいることがわかる。

 プライリーラも獣であり武人だ。本来は奪い合いが大好きなのだ。


「はー、はーー、我慢だ。我慢しないと…。毎日やっている自慰行為も対決まで禁止だな。鬱憤を溜めておかねば…全力で戦うために…激しくぶつかるために…! くううう! はあああ! はぁはぁ! ふふふ…ははははは!! くくくくっ! ひひひひっ!」


 目を見開き、わずかによだれも垂れている。巷で噂のアイドルとは思えない淫猥で狂った形相だ。

 それでも美しさは微塵も損なわれていない。これが本来の姿だからだ。


 それを見ながらアーブスラットは複雑な表情を浮かべる。


(ホワイトとの接触は、リーラ様にとってはどう転ぶか…。だが、どのみち長くはもたなかった。いつかは爆発していた。その時の反動が出る前に出会えたことは幸運だと捉えるべきか。だが、このままでは負けるかもしれない。それだけは避けねばなるまい)


 アーブスラットは当然ながらプライリーラの獣性には気付いていた。

 これだけの獣だ。いつか爆発すれば怖ろしい惨事を引き起こすだろう。災厄を防ぐための戦獣乙女が災厄自体になっては目も当てられない。

 なまじアイドルだからこそ世間の反動も大きくなるだろう。人気があったからこその『手の平返し』はよくあることだ。

 それよりは今のうちに爆発したほうがいい。その相手がいることは幸運である。

 しかし、負ければ戦獣乙女の権威とともに乙女まで失う。それを容認するほどアーブスラットは甘くはない。


「リーラ様、此度の戦いですが、私も参加させていただきます」

「なに? ホワイト氏とは私がやる予定だ。私の楽しみを奪…ではなく、爺まで加えればさすがに卑怯だろう」

「そのあたりはご心配なく、そちらの戦いに関与するつもりはありません」

「…どういうことだ? 何かやるつもりか?」

「いえ、単純に彼らに興味があるだけです。ですから、少しだけ文章にその旨を加えさせていただきたいのです」

「ふむ…爺には何か考えがあってのことだろう。私もそれにずっと助けられてきた。だが、本当にホワイト氏との戦いには手を出さないのだな?」

「お約束いたします。相手のほうから来たら反撃はいたしますが」

「それならばかまわないが…まあ、好きにすればいい。ホワイト氏自身が何でもやっていいと言ったのだ。そのあたりは任せるよ」

「ありがとうございます。では、書状は後ほど送っておきます」

「ああ、頼む。日程も場所も任せる。私は戦えればそれでいい…全力で…彼とね」

「かしこまりました」


 火照った心を鎮めるべく、プライリーラは静かに外を眺めていた。

 一方、アーブスラットは決意を新たにする。


(ホワイトの実力は想像以上だ。守護者込みでも、このままでは勝ち目は薄い。だが、唯一勝てる可能性があるとすれば…アレだけだ。危険な賭けだが、それしか方法はあるまい)


 アーブスラットの鋭い目は、アンシュラオンの【唯一の弱点】を見定めていた。




277話 「戦獣乙女、出陣」


 それから四日後。

 再び荒野にはアンシュラオンとサナがいた。

 その後ろには、前回とまったく同じくマタゾーと五人の戦罪者がいる。

 一行はアーブスラットと出会った荒野をさらに西に抜けていく。砂利や石、低木が並ぶ大地を抜け、起伏の激しい岩石地帯を過ぎると、次第に開けた地形が見えてくる。

 地平線が見えるほど何もない荒野だが、時折強い砂煙が舞うので遠くを見渡すことが難しい場所である。

 周囲に人間の気配はない。後ろから尾行する者もいない。都市を出て少しの間は感じた気配も、ここまでやってくればまったくなくなる。

 ここは完全にひと気のない荒野。

 本来ならば人が立ち入ることはない大自然の真っ只中である。魔獣の姿も見えないので、本当に荒れ果てた大地といえるだろう。



 そこでアンシュラオンたちは、しばし待つ。


「御指名とは腕が鳴りますな」


 マタゾーが興奮したように槍を回す。

 今日彼がこの場にいるのは、相手からの『指名』があったからだ。

 事務所に届いた決闘の申し出には、アンシュラオンとプライリーラの戦いのほかにマタゾーたちも連れてくるようにとの記載があったのだ。

 この戦いは形式的には、戦獣乙女がホワイト商会を外敵として認め、粛清するためのものとされている。

 その場合、アンシュラオンだけがプライリーラと戦うのは不自然だ。商会が発足してから、彼が単独で外に出ることはほとんどないからだ。

 先日接触したことが露見していれば、何らかの取り決めがあったと疑われる可能性もある。

 それを防ぐために、いつも通り普通に外に出るようにして、偶然遭遇して交戦するような形を取りたいという。

 当然ジングラス側は、他派閥に近日中にホワイト商会に攻撃を仕掛けると通達するが、あくまでアンシュラオン側は何も知らないという形にする、というわけだ。

 これを見た瞬間、アンシュラオンはアーブスラットの顔が脳裏に浮かんだ。


「プライリーラがこんなことをするとは思えない。おそらくは執事のじいさんの入れ知恵だろう。もっともらしい建前が書いてあるが、何か企んでいるのが見え見えだ」


 プライリーラは自分の力に自信を持っている。前回のやり取りでプライドを傷つけられた彼女は、是が非でも一騎討ちで勝負をつけたいと思っているはずだ。

 そこにあえてアーブスラットが介入するのならば、何らかの意図があってのことだろう。


「単純に考えて、乱戦のどさくさにプライリーラを援護するってところか。あのじいさんにとって、お前は状況を生み出すための餌にすぎないというわけだ」

「それでもかまわぬでござるよ。あれだけの武人と戦えるのならば本望でござろう」

「お前は気楽でいいな」

「オヤジ殿も楽しみではないのですかな? 噂の戦獣乙女ですぞ。できることならば代わりたいくらいでござる」

「お嬢様の相手をするのも疲れるもんだよ。なまじ力があるから面倒だ。猫と全力で遊ぶと疲れるだろう? それと同じさ。弄ぶならイタ嬢のほうが楽だな。プライリーラはともかく、じいさんのほうは何をしてくるかはわからないからな。警戒はしておけよ」

「心得ました」


(楽しみ…か。こういう勝負ってのはあまり経験がないし、プライリーラと戦うのは少しドキドキするかもな。勝ったらお楽しみタイムだしね。ただ、条件が条件だからな。今回は遊びすぎないように気をつけないとな)


 うっかり腕一本を折られたら勝負が決まってしまう。ガンプドルフ戦のように享楽だけを求めると痛い目に遭いそうだ。

 かといって、やりすぎるとジングラスの力を削ぎすぎる結果になるかもしれない。

 ソブカにとってはそちらのほうがいいだろうが、せっかく根回しをしたのだ。ここでプライリーラを完全に潰すのは惜しい。そのあたりの按配が難しい。



「オヤジぃ、来るぜ」


 見張りの戦罪者が、遠くから何かがやってくるのを発見。

 砂煙のせいで見づらいが、少しずつ形が見えてきた。

 一般のクルマよりも大きく、帆船ほど大きくもない通常タイプの輸送船であろうか。色は白。武装はない。

 それでも五十メートルはあるものなので、運送で使うトラクターよりは立派である。小百合が言っていたのはこのサイズのものだろう。これだけでも三億円はするはずだ。


 ブオオオッ ぷしゅっー


 輸送船が止まり、しばらくするとハッチが開く。

 通常ならばそこから荷物が運び出されるのだろうが、当然ながら荷物は出てこない。


 が―――人が出てくるわけでもなかった。


 ドスドスッ ドスドスッ


 輸送船からは、遠くからでも重量感がわかる力強い足取りで【妙なもの】が出てきた。

 それはゆっくりとハッチを自らの意思で下り、大地に降り立つ。


「なんだ…ありゃぁ?」


 見張りの戦罪者が思わずそう呟くほど、それは『おかしいもの』だった。

 しかしながら、形状としてはさほどおかしいものではない。

 たとえば普段見慣れない気持ち悪い虫を発見した時や、あるいは珍妙な形の深海魚を見た時のほうが、よほど驚きの声をあげるだろう。

 だから、彼が驚いたのは形状の話ではないのだ。


 それはやはり―――【馬】だろう。


 多少背のあたりが荷を背負っているように出っ張っているが、まず間違いなく馬と呼んでよいシルエットをしている。

 グラス・ギースでは馬車が主な交通手段のため、馬を見て驚く人間はいない。外が魔獣だらけなのだから、たかが馬で驚いていたら生きてなどいけないに違いない。

 しかし、妙だ。

 この位置から見ると、馬と比べて輸送船がやたら小さく感じる。ただの馬小屋程度にしか見えなくなってくるほどだ。


―――大きい


 おそらく体長は十三メートルを超えている。体高も七メートル以上はあるだろうか。

 二階建ての一軒家のサイズだと思えば、その大きさもわかりやすいか。隣の輸送船が普通より小さく見えて当然だ。

 本来の馬体は首を除いて正方形に近い形状をしているので、一般的な馬よりも身体が長いといえるだろう。

 ただし、男が驚いたのはそこでもない。

 大きさはたしかに目を見張るような巨馬だが、大型魔獣と比べればそこまで巨大とはいえない。デアンカ・ギースの巨体を思えば、かなり小粒に映る。

 アンシュラオンが遭遇した根絶級魔獣のハブスモーキー〈砂喰鳥賊〉が、体長二十メートルはあったので、それと比べても小さいサイズだ。

 しかし、その馬はとても妙である。一目見た瞬間からおかしいことがわかる。


 馬の全身は―――【包帯】で巻かれていた。


 目に至るまですべての部位が白いもので巻かれているので、見ようによっては【馬のミイラ】にさえ思える。

 こんなものを見れば誰だって包帯に目が向いてしまう。アンシュラオンも首を傾げながら、不思議そうに眺めていた。


(なんだあれは? ただの包帯じゃないよな? …何かうっすらと光っているのが見える。この輝きはグラス・ギースの城壁にあった『結界』に似てるな。…もしかして、あれ全部が術符なのか?)


 術士の因子があるアンシュラオンには、包帯がわずかに輝いているのが見える。

 どんな効果があるのかはわからないが、何かしらの術式が付与されているのは間違いない。



「よしよし、いい子だ。さあ、行こう」


 さらに驚くべきことに、その馬には一人の女性が乗っていた。

 巨馬の背には鞍のようなものが設置されている。馬が大きすぎるために、またがるタイプではなく、その上に立つ仕様のものだ。

 地球にもチャリオットという戦闘馬車があるが、その御者台に少し似ているだろうか。優雅にまたがってとはいかないが、それ自体もかなり立派な造りになっている。

 乗っているのは、白と緑のグラデーションという珍しい髪をした、ジングラス総裁、プライリーラ・ジングラス。

 否、今の彼女は総裁ではないのだろう。

 白い全身鎧と馬上槍を手に持ち、巨馬の上に乗る姿は、まさに戦場で武勇を轟かす『戦獣乙女』と呼ぶに相応しい姿をしている。

 初代ジングラスを実際に見た者は現在に残っていないが、この姿を見れば、かつての英雄がいかに凛々しかったかがわかるだろう。


 ドスッ ドスドスッ


 巨馬がゆっくりと動き出し、首を回しながら周囲の状況を確かめるように歩いてくる。

 目まで覆われているので少し心配になるが、足取りに不安なものはなく、まっすぐに向かってきた。

 その隣には、彼女の執事であるアーブスラットの姿が見えた。彼もいつも通り、黒い執事服に白い手袋、それと愛用のモノクルといった様相である。

 その佇まいはこの距離からでも隙がなく、絶えず周囲を警戒していることがわかる。

 そこまではいつも通り。巨馬を除けば、いつもの彼らだろう。

 ただ、そのさらに後ろにも鎧を来た者たちが並んで歩いていた。その数は、こちらの戦罪者の数に合わせたように五人いる。


(ん? あの鎧の連中…動きがおかしいな)


 戦闘経験が豊富なアンシュラオンは、その動き方に違和感を覚える。明らかに人間の動きではない。

 アーブスラットが引き連れているのが怪しいので調べてみる。


―――――――――――――――――――――――
名前 :ホスモルサルファ〈多着刺水母〉

レベル:38/40
HP :540/540
BP :150/150

統率:A   体力: E
知力:D   精神: D
魔力:E   攻撃: E
魅力:F   防御: D
工作:E   命中: E
隠密:E   回避: E

☆総合: 第五級 抹殺級魔獣

異名:増え増えボーンのクラゲ
種族:魔獣
属性:水、毒
異能:増殖、群体融合、麻痺針、擬態、水吸収、物理耐性、銃耐性、即死耐性、自己修復
―――――――――――――――――――――――


(ほぉ、あれも魔獣ってことか。ソブカからは聞いていたが、すごいもんだ。魔獣ってこんなに簡単に手懐けられるんだな)


 あれが噂のジングラスの魔獣らしい。

 巨馬と比べると迫力で遙かに劣るが、魔獣を引き連れて歩いていること自体が異端であり脅威である。

 あれが荒野の魔獣と出会ったらどんな戦闘になるか、実際に見てみたい衝動に駆られる。


(水母…ってのはクラゲか。くっ、子供の頃に膝を刺された記憶が蘇るな。あれは最悪の痛みだった。『麻痺針』ってのがあるから、きっとあいつらも刺すんだろうな。それに『水吸収』スキルか。火怨山でもたまにいたが、あれはけっこう面倒だな。まさかオレ対策じゃないだろうな?)


 『水吸収』スキルを持っているので、水流波動を含む水系の技はすべて吸収されてしまうはずだ。

 あえて水系の技で倒すには、接近して水覇・波紋掌を使うしかないだろう。ただ、クラゲに発勁が効くかは試したことがないのでわからない。

 水を得意とするアンシュラオンには地味に厄介であるし、地球時代に海に行って膝を刺されて悶絶した記憶が蘇る。クラゲは好きじゃない。トラウマである。

 ここが水中だったら嫌悪感を感じてしまうところだが、まだ地上かつ鎧に入っているので、そこまで不快ではないのが幸いだ。

 倒すとしたら水系は諦め、潔く裂火掌などの火系の技を使ったほうが効率的だろう。


(あの巨馬といい、ジングラスが魔獣を手懐けられるってのは本当らしいな。しまったな。これを交渉材料にすればよかったかもしれない。…だが、プライリーラも捨てがたいし…難しい選択だったな。欲ってやつは業が深いもんだ)


「お前ら、あの後ろの騎士も中身は魔獣だ。一体一体はあまり強くないが、やや面倒なスキルを持っているようだ。物理耐性があるから気をつけろ。それと水系の技は一切通じないからな。そこは頭に入れておけ」

「うす、オヤジ」

「それ以上に厄介なのが、あのじいさんだ。マタゾーも油断するな。あいつから目を離すなよ」

「承知」

「黒姫、おいで」

「…こくり」

「何があるかわからないから賦気を施しておく。いいか、お兄ちゃんとは少し離れるかもしれないが、今回は無理に戦闘に参加しなくてもいいからな。危なくなったら、あいつらを踏み台にして逃げろ。わかったな?」

「…こくり」


 クラゲ騎士を引き連れるアーブスラットを見て違和感を覚えたため、サナに賦気を施しておくことにした。

 ジュオオオッ

 サナに生体磁気が注入される。

 以前よりもスムーズに生体磁気が入ったのを確認し、前にやらなかったことも少しだけやってみる。


(生体磁気を入れれば身体能力だけが向上する。それだけでもかなりの恩恵だが…アーブスラットが怪しい。オレはあいつを信用していないからな。戦気も少し注入しておこうか)


 生体磁気だけでも、以前荒野を走ったような体力を手にすることができる。ただ、所詮はそれだけにすぎない。

 一方、より攻撃的な戦気そのものを注入すると、生体磁気とは比べ物にならないほどのパワーを得ることができる。

 しかし、前にも言ったように危険が付きまとうので、よほどの場合にしかやらないものだ。

 サナの場合、賦気を何度かやって身体に馴染んだこともあり、大丈夫だと判断。

 ほんのわずか、ほんの一滴、プールに色素を一滴落とすくらいの感覚で戦気を注入する。

 ジュオッ


「…っ」


 するとサナが―――びくんと跳ねる。


 大きく目を見開き、アンシュラオンを見た。こんな反応は珍しい。それだけ刺激的だったのだろう。

 アンシュラオンの戦気は、一般の武人とは比べ物にならないほど高純度だ。一滴とはいえ相当な力を持っている。


「わかるか? これがお兄ちゃんの戦気だ」

「…きょろきょろ」

「外じゃない。力は内側にあるんだ。すべての源は魂にある。愛も勇気も欲望も戦気も、魂という炎から湧き出るんだ。それが燃え上がって肉体を表現しているにすぎない。今、オレの一部がお前の中に入った。とてもとても小さいが、これでいつだってサナと一緒だ」


 アンシュラオンの手が、サナのペンダントに触れる。

 彼女との絆であり、彼女との繋がりを示すものだ。これがある限り、自分とはけっして離れない。

 身体が離れたとしても心は常に一緒だ。


「これがお前を守ってくれるだろう。命気も常にあるから心配するな。あとは自分の判断で動けばいい。やれるな? お兄ちゃんを信じられるか?」

「…こくり」

「よし、ならばオレもサナを信じよう」


 サナの手をぎゅっと握る。

 すべてはこの温もりのために存在する。この戦いも彼女の糧になるだろう。



 こうして戦獣乙女との戦いが始まる。




278話 「人馬一体 前編」


 サナへの賦気が終わると、プライリーラがかなりの距離まで近寄っていた。

 そして、鞍上から凛々しい声でアンシュラオンに話しかける。


「待たせたな、ホワイト氏」

「それが守護者ってやつ? グルグル巻きだけど大丈夫?」

「問題ない。強いかどうかは戦ってみればわかるだろう」

「なるほど。それは楽しみだね」

「相変わらずの余裕だな。さすがは四大悪獣を倒すほどの実力者だ。こちらも油断はしないことにするさ」

「そうしたほうがいいね。全力でくるといい。遊んであげるよ」

「まだ私を女の子扱いかね?」

「女の子は何をしていても女の子さ。馬に乗って槍を振り回しても中身は変わらない」

「…そうか。それでこそ私が見込んだ男だ。約束は覚えているね?」

「当然だよ。オレの腕一本でも取ったら君に従おう。もしくは、その槍でオレを貫けたらね。そっちが負けた時の条件も覚えているよね?」

「むろんだ。その時は好きにするといい。しかし、いろいろと考えてみたが、それだけでは見合わないな。君の代償が大きすぎる」

「そう? これでもかなりオッズは高めだよ。プライリーラがオレに勝つって意味でね。正直、万馬券だ。オレだったら勝負は避けるね」

「言うね。だが、私にもプライドがある。何か他に欲しいものはないかね? なに、遠慮するな。社長が部下にボーナスを支払うようなものだ。これからずっとそうなるだろうからね。今のうちから慣れておくといい」

「ははは、勝つ意欲があるなら賭けを提案した甲斐もあるよ。うーん、欲しいものねえ…」


 いきなり言われても何も浮かばないが、ふとプライリーラが乗ってきた輸送船が目に入る。


「あの輸送船…もらおうかな」

「あんなものでいいのか? てっきり先日の船を要求すると思っていたよ」

「おっと、その選択肢もあったか。ただ、あれは大きすぎる。まだそんなにスレイブもいないし、ちょっと持て余すかな。維持費もかかりそうだしね」

「たしかに経費はかかるね。では、あの輸送船も君に提供しよう」

「気前良く出すなんて、やっぱりジングラスは金持ちだ」

「今からでも乗り換えていいよ」

「一度言ったことは曲げないよ。勝負ってのはそういうもんだ。オレはもう賭けた。あとは結果を信じて待つだけだ」

「いいだろう。私も自分を信じることにしよう。こちらの準備はできた。そちらはどうだ?」

「こっちも大丈夫だよ」

「一度あちらに戻って距離を取る。合図を出してからが勝負開始だ」

「そう。わかった」


 ドスドスドスッ

 プライリーラは巨馬を連れて再び距離を取る。


(甘いな。そういうところが駄目なのさ。問答無用でオレに襲いかかってくればよかったのに。そんな君だからマングラスの相手は任せられないんだ)


 アンシュラオンが逆の立場ならば、迷うことなく不意打ちをしていただろう。もしくは期日も無視して、いきなり事務所を攻撃してもよかった。

 当然、人数だってこだわる必要はない。守護者がいるとはいえ、一騎討ちにすることも無意味だ。


 プライリーラは―――甘い。


 当人には誇りがあるのだろうが、そこに執着している限りは絶対に勝てない。

 それを知っているアンシュラオンは、彼女に対して一種の「庇護欲」のようなものを感じていた。穢れない白いものを守りたいという気持ちだ。

 同時に支配欲も刺激される。

 そんな彼女を喰らったのならば、少しは欲求不満も解消できそうだという期待もある。


(プライリーラ、君の中のプライドのすべてを破壊してあげよう。戦獣乙女という存在すらオレが消し去るよ。ソブカに喰われる前にね。しかしあの馬…まさか【見えない】とはな)


―――――――――――――――――――――――
名前 :ギロード

レベル:???/???
HP :???/???
BP :???/???

統率:?   体力: ?
知力:?   精神: ?
魔力:?   攻撃: ?
魅力:?   防御: ?
工作:?   命中: ?
隠密:?   回避: ?

☆総合: ?

異名:ジングラスの守護者
種族:魔獣
属性:?
異能:?
―――――――――――――――――――――――


 アンシュラオンが情報公開を使用したが、見えたデータはこれである。


(一応魔獣なのは間違いないみたいだな。だが、名前と異名、種族以外は見えない。情報公開ってのは【現状でのデータ】を参照するから、あの包帯を巻いた状態がこれってことかな? やっぱりあれは何かしらの『封印』なのかもしれないな。外部から情報を守るためか、あるいは力を封じるためか…どちらにしても今は見えないな。初めてだから勉強になったよ)


 ここで『情報公開』の欠点が一つ明らかになる。

 全身鎧や、ラーバンサーのように普通の布くらいでは無理だろうが、何か強い術式がかかった物で外見を覆えば【情報を隠蔽】することができるらしい。

 このスキルは、『視認した生物のデータ』を参照するものだ。データというのが何かが問題になるが、ひとまず使用者が『その瞬間に観測した一時的な状態』を指すものだと思われる。

 あの包帯が封印術式だとすれば、それによって力を封じられている状況を観測していることになるが、それが情報公開で定義できる情報(あるいは信号)にまで至らないのだろう。

 要するに、文字化けや電波障害のようなものだ。

 ロゼ姉妹の『念話』も何らかの思念の回線を使って対話していたが、観測者と対象者の間には何かしらのやり取りがあるのだろう。それが阻害されている状況といえる。

 これによってこのスキルが【術式の系統】に属するものであることがわかる。鑑定と同じく術式スキルの一つなのだ。だから同等の手段で防ぐことができる。


(あの状態の魔獣のデータは観測できないってことか。まあいいや。『情報公開』はオマケみたいなもんだし、見れなくても問題ない。欠点があっても…いや、逆にこれはいいのかもしれない。見られない状態にあれば、相手が何かしらの手段で正体を隠している可能性があるってことだ。それを逆手に取ればいいだろう)


「守護者の力は未知数だ。お前たちもオレから少し距離を取れ」

「うすっ!」

「じゃあな、黒姫。少し離れるが、あとは自分で考えるんだぞ。これも修練だ」

「…こくり」

「すごく寂しいと思うけど、がんばるんだぞ」

「…こくり」

「すごくすごく寂しいと思うけど、泣いたりしちゃ駄目だぞ」

「…こくり」

「本当に絶対に寂しいはずだけど、これも大事な修行なんだ。だから我慢するんだぞ。わかったか?」

「…こくり」

「超絶に無限に寂しいだろうが…」

「オヤジ殿、そろそろ行かれては?」

「くっ!! 足が、足が動かない!!」


 全然離れない。残念ながら、名残惜しいのは当人だけである。


(サナを信じよう。愛するからこそ信じるんだ。サナならば大丈夫だ)


「よし、行ってくる。お前たちは死んでも黒姫を守れよ」


 と思いつつ、ちゃんと保険はかけておく。裏スレイブを犠牲にすれば、逃げる時間くらいは稼げるだろう。



 ようやく妹離れしたアンシュラオンは単独で移動し、十分な距離を確保する。

 ざっと二キロといったところだろうか。ここからならばサナたちの様子も見えるし、すぐに駆けつけることが可能だ。

 当然サナとはできるだけ離れたくないのだから、これだけ距離を取ったことには理由がある。


(プライリーラは都市周辺での戦いを避けた。単純に守護者が機密だから見せたくないのは事実だろうが、それ以上の何かがあると思うべきだ。オレの近くにいたら、逆にサナが危険かもしれない。これくらいは離れたほうがいいだろう)


 プライリーラが出した条件は、二つ。

 守護者と一緒に戦うこと。「被害を出したくないから」誰もいない荒野で戦うこと。この二点だ。

 そして、彼女が選んだのが、この地形。障害物のない平らな荒野である。

 この場所こそ彼女たちが最大の力を発揮できる条件なのだろう。




 プライリーラは一度輸送船の近くにまで戻る。

 それからアーブスラットに釘を刺す。


「爺、本当に手出しは無用だぞ」

「もちろんです」

「…私の可愛いクラゲちゃん(ホスモルサルファ)まで持ち出して、本当に何を考えている?」

「周囲に監視している者はおりませんが体裁は必要です。館から動かすだけで、他派閥はホワイト商会と戦うために連れていったと理解するでしょう。館の警備はご心配なく。連れてきたのは五体のみ。ほんの一部です。仮に滅びても館にある分裂体からすぐに再生できます」

「それはわかっているが…心配だな。こういうときの爺は何かをしでかす」

「おや、すでにしでかしているのはリーラ様だと思われますが。後に引けなくなって少し後悔しているのでは?」

「後悔などしない。…したくない。だから私はギロードとともに駆けるさ。今だけは獣に戻る」

「ならば執事として、私は自分の責務を果たすといたしましょう。リーラ様と共に戦います。あちらの戦罪者たちはお任せください。彼らはジングラスの構成員を殺しました。その報いくらいは受けさせてもいいでしょう」

「あの槍使いの僧も相当な腕だ。もう歳なのだから気をつけてな」

「まだまだ組手ならばリーラ様にも負けませぬ。ご心配なく」

「ふっ、そうだったな。では、参ろう」



 パーーーンッ


 プライリーラが手綱を大きくしならせ、音を出す。




「わが名はプライリーラ・ジングラス! グラス・ギースの戦獣乙女なり!! ホワイト氏! いざ尋常に勝負!!」




 ドスドスッ ドスドスドスッ!

 さきほどと同様、巨馬がゆっくり動き出す。

 少しずつ加速するも、速度はせいぜい六十キロほどか。図体は大きいが、これではただの駄馬だ。

 しかし、ジングラスが保有する『秘宝』が、この程度であるはずがない。


「戦獣乙女が命じる! 封印術『壱式』解除!」


 ギチギチギチッ バチンッ!!

 きつく絞められた包帯のような術符の一部が輝き、弾け飛ぶ。


 弾けたのは、四足の部分。


 それによって白い馬脚が露わになる。

 ただし、その足は【鱗】のようなもので覆われており、全体的に緑がかった光沢が見える。毛で覆われた普通の馬とは明らかに違う。


 直後―――周囲に巨大な砂嵐が発生。


 まるで突風が起きたかのように砂が舞い上がり、一瞬にして視界が悪くなる。

 衝撃はさらに広がり続け、サナたちの場所まで砂埃が襲いかかってきた。

 これは攻撃を仕掛けたのではない。ただ単に足の封印術式を解除しただけだ。

 それだけで力の余波が周辺を薙ぎ払い、砂嵐を発生させたにすぎない。


「風をまといし白き脚よ! 駆けよ! 疾風となりて敵を屠れ!!」


 プライリーラが馬上槍、長さ三メートルはあるランスを頭上に掲げる。

 ドドドッ ドドドドッ ドドドドドドドッ

 その合図で、足の封印が解除された巨馬が軽快に走り始め、さらに加速を開始。

 すると馬体の周り、脚回りに風が生まれ、この巨体が軽々と浮き上がるのがわかった。


 そこからの―――急加速。


 そこに段階というものはない。一気に時速三百キロという速度に到達してアンシュラオンに向かってくる。

 さっきまでの鈍い動きとは段違いだ。その落差に驚いて、普通の相手ならば逃げ惑うかもしれない。

 しかもあれだけの巨馬が高速で突っ込んでくるのだ。

 地球にある大型ダンプカーの二倍の大きさの物体が、三百キロで突っ込んでくると思えば、その迫力がいかに凄まじいかがわかる。

 が、アンシュラオンは黙ってそれを見ていた。眼前に迫っても動揺したそぶりはない。


 そして―――回避。


 当たる直前、大地を蹴って横に大きくかわす。

 隣を通り過ぎていった巨馬の風圧で、髪の毛がばっさばっさと揺れるが、ただそれだけだ。ダメージはない。


「やれやれ、戦気でガードしないと服が汚れるな。白スーツはもうやめようかな。かといって赤スーツは芸人みたいで恥ずかしいし…」


 パンパンとスーツを叩き、砂を叩き落とす。

 この男にとって、これくらいの速度はなんてことはない。巨体の圧力にさえ気をつければ、目を瞑っていてもよけられるだろう。


「おお!! よけた!! よけたな、ホワイト氏!」


 通り過ぎたプライリーラが楽しそうに笑う。


「そりゃよけるよ。当たる意味がないしね。こんなノロマな動きに当たるやつはいないさ」

「いいぞ、いいぞ、ホワイト氏!! ギロード! ギアを上げろ! もう一度だ!」


 プライリーラが手綱を引き、方向転換。

 あの手綱も相当な長さと荒縄並みの太さがあるので、常人ならば踏ん張ることも難しいだろうが、プライリーラの腕力ならば軽々と引き絞れる。

 巨馬は再び風を発生させて百八十度に急旋回。

 ギュルルルッ クルッ

 普通の馬ならば大きく回り込まねばならないが、守護者は違う。あの風のおかげで、まったく速度を緩めることなく転進することが可能なのだ。


(やっぱりあの術符は【封印系】だったようだな。脚が露わになってからは動きが段違いだ。どうやら守護者ってのは風を操る魔獣らしい。たしかプライリーラの武具も『暴風の戦乙女』とかいったか。お互いに風か。…この様子だと、まだまだ速度は上がるな)


 風属性の特徴は、何よりも速度である。

 今の突進が挨拶代わりでありウォーミングアップなのはすぐにわかったので、これからが本番だろう。

 しかも巨馬は、まだ多くの術符によって力が制限されている。

 一部を解放しただけでこの力である。全部を解放したらどうなるのかは想像するまでもない。

 ああして隠すくらいだ。かなり強力な魔獣なのだろう。


(思えば馬型の魔獣は初めてだ。火怨山では見かけなかったな。…なるほど、この地形を選んだ理由がわかったよ。崖を駆け上るような山鹿ならばともかく、速度重視の馬ならば足場がしっかりしているほうがいい。平らなら、なおさらいいしね)


 アンシュラオンの見立て通り、巨馬はどんどん―――加速。


 次に突っ込んできた時には、一気に時速六百キロに到達。

 周囲にさらなる砂煙を巻き上げながら突っ込んできた。

 シュッ

 が、これもアンシュラオンはあっさりと回避。


(風で少し揺れるが、この程度ならば問題ないな)


 体表を軽く戦気でガードしているので、さほど風の影響は受けないで済む。

 この程度の速度ならば避けること自体は難しくはない。


「ははは!! またかわしたな!!」

「一度お嬢様の乗馬の練習に付き合ってみたかったんだ。でも、あんまりノロいと反撃しちゃうよ」


 アンシュラオンが過ぎ去ったプライリーラに向かって、掌を向ける。


―――発射


 ドドドドドドンッ

 まるでアサルトライフルの速射のように、アンシュラオンが連続して戦弾を放出した。

 ガンプドルフに、あるいは領主城に撃ち込んでいた戦弾である。それを一気に六発ほど発射。


 戦弾は巨馬の速度を一気に超え、プライリーラの背後に迫る。


 プライリーラは進路を少しずらして回避しようとするが、追尾するように曲がって追いかけてきた。


(爺が言っていたように遠隔操作系か。速度を上げれば逃げ切ることも可能だが、そのような戦いは望まぬ! 正面から叩く!! それでこそ戦士よ!)



「ギロード!! 回転だ!!」


 プライリーラは即座に巨馬を回転させ、戦弾を迎え撃つ。


「はぁああああああ!!」


 ランスから剣気が放出され、元の長さの三メートルから十メートルまで刀身が伸びていく。

 アンシュラオンもよく使う剣硬気である。十メートルまで伸ばせれば、十分達人の領域だ。

 プライリーラは手綱を左手で持ちながら、右手でランスを振り回す。


 ブーンッ バシィイインッ ボンボンボンッ


 まったく力負けせず、三発の戦弾を薙ぎ払って破壊した。




279話 「人馬一体 中編」


(へぇ、やるな。一気に三発も迎撃するとは。あれ一発でそこらの武人は即死だしな)


 連射性能を重視したため、一発一発の威力としてはそこまで強くはない。ガンプドルフも剣で斬ったので、これくらいならば特に驚くに値しないだろう。

 が、三発同時に切り払うのは、なかなかすごいことだ。

 遠隔操作で動いている戦弾の軌道を見切り、線の動きで捉えた。あの速度でそれをやるのは難しい。

 それが普通の状態ならばまだしも、馬を操りながら切り払うのは相当な業だ。まさに乗馬しながら戦う騎馬武者や中世の騎士を彷彿させる。

 実際、馬に乗りながら戦うのは非常に難しいものである。

 戦国時代でも騎馬武者は、追い討ち時に投入するなど限定的な使い方をしていたようなので、これもまた規格外の武人と魔獣の組み合わせだからできることだ。


 ただし、さすがに六発は多かった。


 彼女が捌き切れなかった戦弾三発が―――巨馬に直撃。


 ボンボンボンッ

 爆発を起こしながら肩口に命中。巨馬がわずかに揺れる。

 しかし、アンシュラオンの戦弾を受けても軽くよろけた程度である。すぐに風によって体勢は戻り、平然と立っている。

 プライリーラもさして気にした様子もない。最初から問題ないとわかっていたようだ。


「この程度じゃ通じないか。ご自慢の守護者だけのことはある」


 今の攻撃によるダメージは、ほとんどないだろう。

 それどころか攻撃を受けた箇所の術符が吹き飛び、さらに封印が解除される。

 肩口の体表も露わになり、そこから足と同じような緑がかった白い鱗が見えていた。



 彼女たちは―――強い。



 明らかに今まで戦った相手よりもランクが上である。



―――――――――――――――――――――――
名前 :プライリーラ・ジングラス

レベル:58/125
HP :3450/3450
BP :1270/1270

統率:C   体力: A
知力:D   精神: B
魔力:B   攻撃: B
魅力:A   防御: B
工作:E   命中: C
隠密:F   回避: C

【覚醒値】
戦士:5/8 剣士:2/5 術士:0/0

☆総合:第五階級 王竜級 戦士

異名:戦獣乙女、ブランシー・リーラ〈純潔の白常盤〉
種族:人間
属性:風、嵐、滅
異能:戦獣乙女、アイドル 、人馬一体、魔獣支配、空中戦闘技術、集団統率、中級槍術、騎士道精神、乙女心、変身願望、暴走せし暴風の獣
―――――――――――――――――――――――


 交渉が必要な要人と会う際は、その相手が本物かを確認するために情報を見る必要がある。

 プライリーラに対しても最初の面会で使っていたので、能力はすでにわかっていたことだ。

 ただ、改めて見ても優れた才覚を感じる。


(強いな…王竜級か。第五階級は初めて見たよ。スキルも強力なものが多いし、それを含めての評価っぽいな。しかも、これでもまだ成長途上というのがすごい。才能の塊というのはこういうことを言うんだな)


 現状でもプライリーラの能力は上級武人の域にあるが、これでもまだレベル限界には程遠い。

 因子の限界値も高いので、完全に覚醒したら歴史に名を残す逸材になるだろう。

 もちろんレベル50を超えてからが本番であり、因子も最大まで上げるためには地獄のような日々を過ごす必要がある。

 少なくとも街で暮らしていては不可能だろう。レベル100の限界を突破するためにも特殊な鍛練が不可欠である。

 アンシュラオンとて、あれだけ修練しても戦士因子は8で止まっている。そこからがなかなか上昇しないのだ。いかにハードルが高いかがわかる。

 しかし、彼女の本領は単体での戦闘ではない。この性能でもまだ「パーツ」にすぎないのだ。


 プライリーラは、守護者の巨馬と一緒に戦ってこそ真なる実力を発揮する【コンビタイプ】である。


 それゆえに、スキルもそれを想定したものになっている。

 『戦獣乙女』は守護者と一緒にいると能力補正がかかるもので、人馬一体は巨馬を自在に操るものだろう。

 『アイドル』はソブカも持っていた『カリスマ』の異性強化タイプであり、男性に対して魅力に補正がかかる効果がある。(同性にもかかるが、補正率がカリスマより少し下がる)

 『集団統率』も持っていることから、他の魔獣を操っても優れた力を発揮するだろう。単体ではなく、巨馬と他の魔獣たちで相手を蹴散らす存在。それが軍にも匹敵する戦獣乙女である。

 たしかにジングラス最高戦力と呼ばれても不思議ではない実力を持っている。十分都市を代表してよい実力だ。


(強い。…強いが、だからこそ君を野放しにはできない。オレは才能がある女性が大好きだから、そんな原石を誰かに渡すなんて嫌なのさ。これでもグマシカたちには勝てない。君に『騎士道精神』がある限りね)


 これだけの才覚をもってしても、まだマングラスと対峙するには不合格である。その評価は変わらない。

 仮に『騎士道精神』が『邪道精神』だったら即座にOKなのだが、それでは彼女の美しさが半減してしまうに違いない。ままならないものである。



「っっっ!!」


 攻撃された巨馬が、アンシュラオンを睨む。

 包帯で目は見えないはずだが、こちらを認識しているようだ。おそらく風の流れで周囲の状況を認識できるのだろう。

 ドガッ ドガドガドガッ ガシガシガシッ

 それから苛立ったように前足で大地を小突く。

 これは攻撃されたことに怒ったのではなく、守護者もまたアンシュラオンを強者と認めた証であった。


「なんだギロード、お前も我慢できないのか? そうだ。ホワイト氏は強いぞ! 今まで戦った誰よりも強い!」

「グウウウッ…ゥウウウウウウ…」


 魔獣の本能がアンシュラオンを激しく警戒する。今の攻撃もまだまだ様子見だとわかるのだろう。


「ならば、さらに力を出すぞ! 戦獣乙女が命じる! 封印術『弐式』解除!!」


 バリバリバリッ

 肩から腰にかけての術符が吹き飛び、第二の封印が解除される。


 ブオオオオオオオオオオオオオッ


 それによって周囲の風が一気に強まり、ついに竜巻が発生。

 大地にも螺旋状の激しい傷痕が生まれ、弱い地盤が強引に土ごと持ち上げられて空に巻き上がっていく。

 土も石も、岩でさえも、その力にはあらがえない。

 気付けば視界はすでに半ば潰れており、十メートル先もよく見えないほどの【大嵐】が生まれていた。

 ツブテが強風に乗ってアンシュラオンにも襲いかかるが、戦気によってガード。消失する。

 普通の人間ならば風を受けただけで切り刻まれ、竜巻の中に入れば高速で襲いかかるツブテによってぐちゃぐちゃになって死ぬだろう。


 プライリーラが守護者を【災害】と言った意味が、ここに込められている。


 この魔獣が都市内部で力を解放したら、あたり一帯の建物や人間を簡単に巻き込んでしまうだろう。それだけで都市は壊滅的なダメージを受ける。

 守護者を見た者が残っていないことも、これが理由だ。全力で訓練すると周囲が壊滅的なダメージを受けるので、覗いていた人間がいれば巻き添えをくらって死ぬ。

 また、この巨馬の特性上、素早い動きを生かすには広い地形のほうがいい。障害物があれば、敵がそこに隠れたり飛び乗る足場になったりするので、性能を完全に発揮できない。

 それを含めて、プライリーラはここを選択したのだ。


(広域破壊型の魔獣か? 周囲を巻き込むタイプだな。火怨山でもたまにいたな…ああいう迷惑なやつ)


 姉が一撃で倒していた撃滅級魔獣の『グラビガーロン〈たゆたいし超重力の虚龍〉』も、生理現象で周囲一帯に重力波を形成するので、当人が意識せずとも周りを破壊してしまう迷惑な魔獣である。

 火怨山のような人がいない場所だから問題ないものの、彼らが人里に現れたら終わりなので、人間からすれば『災害魔獣』と呼ぶべき存在であろうか。

 ジングラスの守護者もそのタイプのようで、この竜巻の規模からすれば広域破壊型だと思っていいだろう。

 もしこの魔獣が敵だったならば、四大悪獣に一匹追加されて五大悪獣になっていたかもしれない。それだけ危険な存在であろう。



「いくぞ、ギロード! 駆け抜けろ!」


 力を解放した巨馬が、竜巻をまといながら突っ込んできた。

 ボンッ!!


 速度の質が―――変わった。


 今までとは明らかに異なる音が発生し、一瞬で巨馬がアンシュラオンのもとにまで到達する。

 その背後には、音速の壁を超えた証拠であるソニックブームが発生していた。

 円形状の煙のようなものが生まれたと同時に、周囲に衝撃波が奔る。


 ブオオオオッ ドドドドドドッ ドバーーーーンッ


 巨馬はただ走っているだけだ。それだけで周囲の物は、綺麗に消え去っていく。

 この状態で戦場を駆け抜けるだけで、普通の軍隊ならば壊滅しかねないだろう。歩兵部隊など簡単に巻き上げられ、空中で分解されてしまうに違いない。

 しかし、アンシュラオンにとっては、これくらいの速度は日常的なもの。規模は大きいが弾丸をかわすのと大差はない。

 再び跳躍して回避。


 ドッバーーーンッ


 音が遅れてやってくるほどの突撃を、あっさりとかわす。

 直撃すればわからないが、衝撃波も戦気のガードを打ち破るほどではない。


 その光景にプライリーラは―――震える。


「すごい、すごい! これをかわせるなんて!! 君は本当にすごいな!!! 興奮してきたぞ!! もっともっと! もっと速くいくぞ!!」


 再度転進したプライリーラが、巨馬とともに突っ込んでくる。

 その動きは、お嬢様の乗馬のように品性がありながらも、荒々しい戦場の気配をまとっており、見る者を夢中にさせるだろう。

 今回も音速を超えたソニックブームで、アンシュラオンに襲いかかる。


 アンシュラオンは回避。


 巨馬は再び転進して突撃。アンシュラオンは回避。
 巨馬は再び転進して突撃。アンシュラオンは回避。
 巨馬は再び転進して突撃。アンシュラオンは回避。
 巨馬は再び転進して突撃。アンシュラオンは回避。
 巨馬は再び転進して突撃。アンシュラオンは回避。
 巨馬は再び転進して突撃。アンシュラオンは回避。


 速度はさらに増し、転進も淀みなくスムーズに行われるようになっていく。

 風の力が強まったおかげか、もはや転進と呼ぶよりピンボールゲームのように、一気に角度を変えて跳ね返るように突っ込んでくるようになった。

 それでもアンシュラオンには当たらない。直線的な動きなので読みやすいのだ。

 しかし、プライリーラはそれも承知の上。ひたすら加速させる。


「はははは!!! そうだ、もっと飛ばせ!! もっともっとだ!! 私に風を感じさせてくれ! いや、風になるんだ! このまま貫け!!」


 スピード中毒者のような危ない言葉を発し、さらにさらに速度が上がっていく。

 あれでよく目が回らないものだと感心するが、フィギュアスケートの選手も三半規管が強くなっているためスピンで目を回さないらしいので、それもまた戦獣乙女の資質なのかもしれない。



「どうしたの? そんなもの? これじゃ永遠に当たらないよ」


 アンシュラオンが、手をくいくいと動かして挑発する。この速度では言葉がもう届かないので、すれ違いざまにジェスチャーで余裕を見せ付けたのだ。

 それを見て、プライリーラが笑う。


「ははは! 退屈かね!? では、そろそろ人馬一体の力をお見せしよう!! ここからが我々の本領だ!」



 本当の意味で―――『準備運動』が終わる。



 守護者が突っ込んでくる。アンシュラオンは回避。

 ここまでは前回と同じだ。

 しかしアンシュラオンが回避する寸前、プライリーラが手綱を離して馬上から飛び降りた。

 この竜巻の中に身を投じたのだ。

 常人ならば、当然ながら自殺行為。こんなことをしたら一瞬で上空に巻き上げられるか、身体が引き裂かれて死んでしまうだろう。

 フワリッ ブワッ

 だがプライリーラは、その暴風の中でもまったく影響を受けていない。

 それどころか風の中を泳ぐように空を飛び、アンシュラオンに向かってくる。


(むっ、空を飛んでいるのか? 噂では聞いていたが…本当に飛べるんだな。あの鎧から何か出ている。あれは…【風】か? だが、風気じゃないな。本物の風だ)


 術士の因子があるアンシュラオンには、鎧から風が粒子になって飛び出ているのが見えた。それは風気ではなく、正真正銘の『風』である。

 戦気と神の粒子の化合物である風気は、風の性質を帯びてはいるが戦気であることに違いはない。

 重要な点は、それを使って飛ぶことはできないことだ。

 仮にいくらアンシュラオンが風気を練ったところで、それを集めて浮遊はできないのだ。短時間なら浮かぶかもしれないが、それは単なる力の爆発によるものだ。

 一方、プライリーラのものは【自然現象】ゆえに、鳥のように自由に空を飛ぶことができる。

 落下もしないし速度が緩まることがない。上昇下降、加速減速も自由自在だ。


(ふふ、驚いているようだね。この武具は【精霊武具】なのだよ。だから女神の制約を受けないで済む。しかもギロードと共にいれば、風の加護はさらに強まるのだ! ここは私の独壇場だよ!)


 驚いているアンシュラオンを見て、プライリーラはほくそ笑む。

 『暴風の戦乙女』は武具単体でも優れているが、もっとも価値ある点は【精霊の加護】を受けているところだ。

 人間が駄目でも鳥や虫が空を飛ぶことが許されているように、大自然の精霊の守護や加護があれば法則に違反することはない。

 これは精霊界出身の神機と同じだと思えばわかりやすい。彼らも精霊の力を借りているので、加護を受けた属性を自由に扱うことができる。

 魔王城のマスターが空を飛べるのも、これと同じ理由だ。自然を守護する彼らには規制はかからない。

 そもそも女神の空への規制が始まったのは、旧文明の人間が空を飛ぶ戦闘兵器を生み出し、自然を破壊したからである。

 文明が破壊されるほどの戦いが起こった結果、人類が滅びては困るということで、致し方なく規制を施したというわけだ。

 人類が未熟ゆえに起こった特別措置である。だからこの法則は、人間と人間が造った物だけに作用するように設定されている。


 しかし、例外も存在する。


 自然界を守護する精霊に「この人間ならば大丈夫」と認められた存在ならば空を飛ぶこともできる。

 初代ジングラスも守護者たる風の魔獣を従えたことで、彼らの生息域にある特殊な浮遊鉱石の入手に成功。

 それを錬金術で加工して強固にし、さらに風の精霊と契約して作ったのがこの鎧と槍である。

 ある意味で、この武具すべてが上質の風のジュエルで作られているようなものだ。そこに風の精霊の加護が発動して無尽蔵の動力になっている。

 稼動制限などはあるが、鎧の各所からバーニアのように風が噴き出ることで飛行移動が可能になる特殊な武具である。



「空は私の世界だ!! 誰にも負けない!!」


 これを使ってプライリーラは、守護者が作り出した風の中を飛んでいく。

 そして、回避したばかりのアンシュラオンを捕捉。


「うおおおおおおおおお!」


 プライリーラが突進。

 獲物を見つけた大空を飛ぶ猛禽類のように、ランスを下に向けて急降下していく。

 ランスは斬るものではない。突くものだ。切っ先を中心にして大気を貫き、それさえ加速の力となって襲いかかってくる。

 ブゥウウウウンッ ボンッ

 彼女の背中にも音速を超えたソニックブームが発生。人間大の弾丸として突っ込んできた。




280話 「人馬一体  後編」


 回避したばかりのアンシュラオンは動けない。

 そこに空からプライリーラの急襲。

 普通ならば、このまま受けるしかない。音速以上の速度で突っ込んでくる相手の直撃を受ければ、いかにアンシュラオンとて無傷とはいかない。

 それでもこの男は慌てない。

 たゆまぬ修練の末に到達した感性が、自然とその動きをする。頭で考える必要もなく、ただ感覚に身を任せればいい。

 魔戯級以上の武人がどうして怖れられるのか。人類の希望になりえるのかを、この男が証明する。


「はっ!」


 バーンッ

 アンシュラオンは左手で発気。掌で戦気を爆発させ、それによって一メートル半だけ身体を右側に移動させる。


 それは絶妙の距離と刹那のタイミング。


 ランスの切っ先が肩先一センチを通り過ぎ、衝撃波が防御の戦気と触れあい、磨耗し、反発した一瞬の間合い。


 そこで―――入れ替わる。


 くるんっ

 プライリーラが発した風によって押し出されるように、上下が反転した。


「っ!!」


 獲物であるはずのアンシュラオンが、自分の背後にいる。真上にいる。

 その時に感じたプライリーラの恐怖はいかほどのものだったか。まさに狩る者と狩られる者が逆転した瞬間である。


 すでに加速して止められないプライリーラに―――蹴り。


 ドゴッ!

 プライリーラはよけられない。蹴りは上から被せるように背中にヒット。

 加速しているところにさらに力が加わり、そのまま地上に激突しそうになる。


「ぐうううっ!!! うおおおおお!! 舞い上がれ!!」


 ドゴッ ドガドガドガッ ガリガリガリガリッ

 ランスが大地を抉り、身体半分が土に埋まりながらも低空飛行を続ける。

 ブオオオッ ブワッ

 そこからの上昇。ギリギリで大地への正面激突を避け、再び空に舞い上がっていく。

 その顔には、ひやりとした汗が滲んでいた。


(この一撃をかわすのか!!? 回避した直後だぞ! 緊急回避を移動手段に使うとは…! …いや、もっと怖ろしいのは【予測力】と【決断力】だ。一瞬で私の速度を見切り、自分の行動を決めたのだ! しかも初見だ…知っているわけがない! ならば、それを感覚だけでやってのけた…初めて見る技をこうも簡単に…! なんという懐の深さだ!)


 見てから考えては遅い。一流の武人同士の戦いでは、常に相手の行動を予測しなければならない。

 相手だけではない。自分の力量を完全に把握し、どのタイミングでどう動けば一致するのかを分析する必要もある。

 アンシュラオンは、それがほぼ完璧である。自分の動きを完全に熟知している。

 しかもプライリーラの攻撃を見るのは初めてだ。それにもかかわらず反撃を合わせてくることが一番怖ろしい。

 この領域に達すると、頭で考える必要はほとんどない。空気の流れが、世界の振動が感覚で理解できる。それも凄まじい修練の結果に自然と身についたものだ。

 今回は命拾い。あと少しでもまともに入っていれば、そのまま大地に激突して自分の力で大ダメージを負っていた可能性もある。


「あははははははは!! すごいぞ、ホワイト氏!! 熱い、熱い! どんどん私の身体が熱くなっていく!!」


 プライリーラは喜々としながら空を駆けていく。楽しくてしょうがないという様子だ。



 それを見送りながら、アンシュラオンは計算に微調整を加えていた。


(思ったより少し速かったな。あの馬が作り出した風の分だけ流れたってことか…微調整が必要だね。こうくるから…この感じでドンッと。うん、次は捉えられるかな)


 今回は相手が一人ではないので、その分だけずれが生じたようだ。初見なのだから仕方ないだろう。

 だが、それもすでに調整した。新しい何かをやってこない限り対応は可能だ。

 それより問題は、相手が空を飛んでいることである。


(空を飛ぶやつは面倒だな。打撃系のダメージが半減される。鳥型魔獣と戦っている気分だ)


 プライリーラが大地に激突しなかったのは、衝撃の大部分が宙に逃げてしまったからだ。このアドバンテージは思った以上に大きい。

 あの鎧を装備して浮遊状態になると、種族に『飛行』が追加される。スキルではなく【種族扱い】になる点が重要だ。

 なぜ種族扱いなのかは不明だが、おそらく人間だけに規制がかかっていることに起因しているのだろう。データ上はそうなっているのだから仕方ない。

 飛行の種族特性は、【同じ飛行を持たない種族からの飛び道具以外のダメージを半減】するという非常に厄介なものである。


 そして、種族特性なので【スキル破壊ができない】。


 つまりは永続的に各種耐性スキルが付与されているようなものだ。

 物理的に空を飛ぶ器官あるいは防具を破壊すれば効果は失われるが、それまでは何があっても常時発動しているわけだ。

 さらにここに本来の各種耐性スキルがあれば効果は重複するので、ダメージは四分の一になる。

 それだけ空を飛ぶことは有利であり、接近戦を主体とする武人には圧倒的不利となる。

 アンシュラオンも鳥型魔獣とはよく戦ったので、その特性を熟知していた。単純に攻撃が届きにくいし面倒なのだ。

 地球の戦いにおいても戦争の主役が戦艦から戦闘機や爆撃機になったように、空を飛ぶメリットはかなり大きい。だからこそ女神が規制をかける必要があったのだろう。


(あそこまで大空を飛ばれると追撃するのが難しい。ゼブ兄なら【空を跳べる】から追えるけど、オレには難しいな)


 ゼブラエスが持つスキル『一時飛行跳躍』は、空中に足場を生み出して自在に跳び回るものなので、鳥型魔獣であっても簡単に狩っていたものだ。

 彼の異名「空天の覇者」も、そこから付けられたものに違いない。空中戦ではパミエルキ以上の性能を発揮する化け物だ。

 当然、アンシュラオンにそんなスキルはないので、地上から何とかするしかない。

 が、対処法がないわけではない。


(音速程度なら低空飛行した時に動きを読めば捉えられるけど…撃ち落とすほうが早いな。戦弾の威力を高めにして強めにホーミングを追加して…と。戦闘機だって誘導ミサイルで落ちるからな。それと同じ要領だ。見てろ。当ててやるぞ)


 再びアンシュラオンは戦弾の発射態勢に移るが―――背後から巨馬が迫ってきていた。

 そう、相手は独りではないのだ。常に人馬一体の攻撃を仕掛けてくる。


「おっと、また速くなったな! よっこいせ!」


 ブゥウウウウウウウウウンッ ドババババッ

 手に戦気を集めて壁として、いなすようにギリギリで回避。すっかり忘れて空を見ていたので、少し危なかった。

 よって、戦弾は発射できない。

 馬を見送った瞬間には、すでにプライリーラは再攻撃の態勢を整えていた。


「はああああああ!」


 今度は直接向かってはこず、ランスに戦気を圧縮している。

 戦気は剣気になり、ランスの尖端に集約された力が―――解き放たれる。

 ドンッ!

 丸い弾丸状になった剣気が放射された。

 剣王技、剣衝波。剣圧と一緒に剣気を飛ばす剣衝と違って、圧縮した剣気をそのまま丸ごと放出する技だ。

 そうすると剣でも打撃系の衝撃技として使うことができる。相手を押し出したり圧殺したり、斬撃とは違う効果が生まれる。


 その剣衝波が―――空中から飛来。


 空からの攻撃に人間は慣れていないので、それだけでも脅威である。

 だが、鳥型魔獣との戦闘経験が豊富なアンシュラオンは動揺することなく、拳衝を放って迎撃。


 両者の力が激突し、爆発。


 暴風の中がさらに掻き乱される。

 この程度の攻撃は可愛いものだ。倒したらゴールドハンターになれるという撃滅級魔獣の黄金鷹翼〈常明せし金色の鷹翼〉ならば、空中から山すら穿つレーザーを雨のように撃ってくる。

 逆に言えば、そうした経験のない武人相手ならば驚異的な強さを発揮するのだろう。


「はぁああああ! まだまだああああ!」


 ドンドンッ ドンドンッ

 プライリーラが剣衝波を連発。大きなランスを軽々と振り回し、次々と空中から遠距離攻撃を仕掛ける。

 アンシュラオンはよけたり迎撃したりと、的確にすべて相殺していく。これだけならば何ら問題はない。

 しかしながら、その間も地上では巨馬が突進を続けており、執拗にこちらを付け狙ってくる。

 プライリーラが剣衝波を使っている目的は、空から【爆撃】を行うことによってアンシュラオンの動きを制限するためである。

 剣衝波が相殺あるいは地面に衝突すると、衝撃波が発生して周囲に影響を与える。これは斬撃にはない特徴だ。

 それによって、ただでさえ竜巻の影響で動きにくい戦場がさらに動きにくくなり、本命である巨馬の攻撃が当たりやすくなる。今回は守護者をサポートするのが彼女の役割だ。


 その間合いが―――絶妙。


 一人と一体、プライリーラは巨馬を人扱いするのであえて二人と呼ぶが、二人の呼吸はぴったり合い、アンシュラオンが迎撃しようとするたびに突進が繰り返される。

 そのため強い攻撃をなかなか仕掛けられないでいる。単体では簡単に対処できる相手でも、それが二つになれば脅威になる。

 まさに人馬一体の攻撃。

 彼女たちは二人で一つなのだ。



「最高だな、ホワイト氏! 私は今、すごくいい気持ちだ! こんなに心地よい時間はないぞ!」


 プライリーラが飛びながらアンシュラオンと併走する。

 その顔は興奮に満ち満ちていた。わざわざ降りてきたのは、どうしてもこの感情を伝えたかったのだろう。

 むろん、アンシュラオンもそこで攻撃を仕掛けるほど野暮ではない。彼女の笑顔を楽しむ余裕すらある。


「楽しそうだね、プライリーラ」

「ああ、楽しいよ! だって、君は強いからね! 全力を出せる!」

「全力? 攻撃にも遠慮が見られるし、まだまだ全力ではないだろう。もしかして君は、本気を出したことがないんじゃないのかな? まだお嬢様の皮を被っているの? 全然足りないね。これじゃオレのほうは満足しないよ」

「その余裕が憎らしいよ! 君の仮面を剥ぎ取って、あの美しい顔を見せてもらおうか! 私の物になる、あの美しい顔をね!」

「ははは、同感だね。オレはプライリーラの本当の顔が見たいよ。オレが処女を奪うに相応しい獣の顔をね」

「ならば、剥ぎ取ってみればいい! そのためにはギロードを止める必要があるがね!」

「じゃあ、そうさせてもらうよ。よく見てな」


 プライリーラは再び上昇し、剣衝波を撃ってくる。

 アンシュラオンは迎撃しながらも、今度はその場から動かない。



 そこに巨馬の突進が迫る!



 だが、まだ動かない。そのままじっと待っている。


(なんだ? まさか受け止める気なのか!? いくらホワイト氏でも無事では済まないはずだぞ!)


 この突進の威力は見た目以上に凄まじい。これがグラス・ギースに直撃したら、最低でも三キロはある城壁の半分以上は砕け散るだろう。

 まさに大型兵器に等しい威力があるのだ。さすがに正面から受け止めるのはアンシュラオンでも危険すぎる。

 当然、馬と抱き合うつもりがないこの男は、そんなことはしない。


 プライリーラが見つめる中、巨馬がアンシュラオンにぶつかると思った次の瞬間―――ボンッ。


 足下が爆発し、もはや建造物といっても差し支えないほどの巨体を誇る守護者が、空中を一回転、二回転、三回転と回っている。


「おっ、よく回るな。スピードを出している時には事故に気をつけないといけないぞ。大怪我をしちゃうからね…って、もう包帯を巻いているか。準備が良すぎるのも考えものだな」


 クルクルクルッ ドォッォオオオオオオンッ!!


 回転していた巨馬が【墜落】。


 その衝撃で、隕石でも落下したかのように大きなクレーターが生まれた。


「ギロード! 何が―――っ! まさか…トラップか!!」


 ふとアーブスラットから聞いた話を思い出す。

 アンシュラオンが仕掛けた床のトラップ、停滞反応発動のことを。

 慌てて爆発した箇所を見ると、巨馬が跳ねたあたりの大地が円形状に消失していた。あの場所に【地雷】を仕込んでいたのだ。

 巨馬は微妙に浮きながら突っ込んでいるので厳密には地雷では意味がないが、その上を高速で飛来するものに反応するようにすればいい。

 しかも手動制御でいつでも起動できるので、任意のタイミングで爆発させることもできる。

 アンシュラオンは回避しながら地雷を仕込んでいたのだ。それは一個だけではない。

 巨馬の速度、爆発の威力、タイミングをすべて計算し、落下場所さえ予測できれば―――


 ドンドンッ ボボボボボンッ!!


 守護者が墜落した場所で、再び激しい爆発が起こった。その衝撃でまた巨馬が宙を舞う。

 アンシュラオンの手の平で弄ばれるように、くるくると回っている。すべてこの男の計算通りである。


「ギロード! 地上から離れろ! 空中に飛べ!」

「おっと、それは困るな」

「なっ!」


 視線を守護者に向けている隙に、いつの間にかアンシュラオンが目の前にいた。

 空を飛んだわけではない。『跳んだ』だけだ。

 プライリーラがいるのは地上五十メートル程度。それくらいならば垂直跳びで十分届く距離だ。

 不意をつかれたプライリーラは驚きで硬直している。よけられる状態ではない。まさかここまでジャンプするとは思わなかったのだろう。

 今まであえてジャンプして攻撃しなかったのは、相手に自分の間合いを教えないためである。これも駆け引きの一つだ。


「ちぃっ!!」


 プライリーラはランスを引いてガード。


 直後―――アンシュラオンの拳が炸裂。


 ドゴーーーンッ

 思いきり振り抜いた一撃がプライリーラに直撃し、吹っ飛ばされる。

 そして、そのまま宙を浮かんでいた守護者と激突。

 ヒューンッ ドンッ!! グルグルグルッ

 ぶつかった両者は、一緒にきりもみ状で地上に落ちていく。


「忘れもんだよ」


 ドドドドドドドッ ドンドンドンドンッ

 そこに戦弾を連射。

 今までのお返しとばかりに地上に向かって、二メートル大になった戦弾の雨が降り注ぐ。

 撃つ撃つ撃つ 撃つ撃つ撃つ

 ドンドンドンドンッ ドカンドカンドカンッ

 撃つ撃つ撃つ 撃つ撃つ撃つ

 ドンドンドンドンッ ドカンドカンドカンッ

 戦弾の威力が大きくないにしても、これだけの数を撃ち込めばダメージは蓄積する。

 それがアンシュラオンが放つものならば、なおさらだ。そこらの討滅級魔獣程度ならば、すでにバラバラになっていることだろう。


 ドンドンドンドンッ ドカンドカンドカンッ
 ドンドンドンドンッ ドカンドカンドカンッ
 ドンドンドンドンッ ドカンドカンドカンッ


 それでもさらに撃ち続ける。

 視界が土煙で完全に見えなくなっても、撃ち続ける。


 それがしばらく続いたあと―――爆ぜた。



「ああああああああああああ!」


 ドッバーーーーーーンッ

 大量の戦気の放出によって、一気に視界が開けていく。

 漂っていた土煙も一瞬で吹き飛ばされ、そこにいたプライリーラの姿がはっきりと映し出された。



 プライリーラは―――無事だった。



 鎧が光り輝き、周囲に風の防護フィールドを形成。薄緑色の球体が彼女を守っている。

 守護者も覆い被さるように彼女の上に立って壁となり、戦弾の大半を防いでいたようだ。


「はぁはぁはぁ!! ふふふ、この鎧の防御機能まで使うことになるなんて…! さすがだよ! さすがホワイト氏だ!! ギロードもありがとう。助かった!」

「プシュルルル」


 アンシュラオンの戦弾を受け止めた体力もすごいが、魔獣が人間を守るというのは初めて見たので驚きだ。


(魔獣…いや、もはや【聖獣】と呼ぶべきだな。契約によって人間側についた魔獣は、もう人に仇なす存在ではないということか。あれだけの防具と聖獣を持っているんだ。それだけでジングラスはたいしたもんだ。サナにもあれくらいの武具と守護獣を与えてやりたいな)


 プライリーラは防具と聖獣の力で、アンシュラオンの攻撃を防いだ。

 何を使おうとも、それは力である。武具や道具を含めての実力だ。




281話 「プライリーラの枷 前編」


「いくぞ、ホワイト氏!!」


 今度はプライリーラは空に浮かばず、地上戦を挑む。

 空と地上とのコンビネーションが通じなかったのだ。そこで違いを生み出そうと考えたのだろう。

 プシュプシュッ

 鎧の背中側のバーニアを調整し、アンシュラオンに向けると―――点火。

 ボボボボッ ドーーーンッ

 溜め込んだ風の力が解放され、離陸するジェット機のようにエンジンを吹かしながら突っ込んでいった。


「はあああああああ!!」


 ブンブンブンッ!

 この大きなランスを棒切れか何かのように振り回す。

 突かないのは、最初に突撃を回避されたことが要因だろう。威力が大きい反面、命中率が下がるのと、かわされたときの隙が大きくなるのが最大のデメリットである。

 どうやらこのランスは対魔獣用に作られているようだ。未開の大地を開拓した初代ジングラスの敵は人間ではなく、もっぱら大型魔獣だったに違いない。

 一ミリ単位で動きを修正してくる超一流の武人が相手では、馬上槍では少し分が悪い。そのため攻撃範囲が大きくなる薙ぎ系の技に切り替えたのだ。


 だからといって、攻撃力が低下するわけではない。


 ブーンッ バゴンッ

 ランスが掠めた地面が、粉々になって吹き飛ぶ。

 この武器は、そのまま殴っても恐るべき威力の鈍器になる。大型魔獣の横っ面を簡単に破壊することもできるのだ。

 大型魔獣も倒せるということは、そこらの武人程度では受けるだけで即死である。この地面のように簡単に爆散してしまう。

 しかし、アンシュラオンは上体を軽く動かしながら、それらの攻撃をすべて回避。難なく避ける。


「まだまだまだまだ!!!」


 プライリーラの攻撃速度はさらに上昇していく。

 ブオオオオオオッ ブンブンブンッ

 ランスを振るたびに、凄まじい戦気の衝撃が風に乗って襲いかかってくる。

 剣王技、風王・廻風扇《かいふうせん》。風気を宿した武具を振り回すことで、前方に乱撃と同時に衝撃波を生み出す因子レベル2の技だ。

 風気によって回転速度も上がっているので、一度巻き込まれると何十発も攻撃を受ける羽目になる連続攻撃である。

 アンシュラオンは周囲に水気のフィールドを生み出して衝撃波を防ぎつつ、手を戦硬気で覆って迫りくる猛撃をすべていなす。

 ブンブンブンッ ヌルヌルヌルッ

 風と水が衝突すると、そこに反発は生まれない。かといって雷のように水に吸着することもない。ただお互いに絡み合い、時にはすれ違うだけだ。

 風が強ければ水は荒れ、激しく波打つこともあれど、今は完全に水が上回っている。


 それはまるで、のどかな田舎の澄んだ清流の上で、少女が戯れる姿に似ている。


 プライリーラの攻撃はすべてアンシュラオンの水によって受け止められ、彼女が怪我をしないように流されていく。

 その感触に思わずプライリーラの頬が赤くなる。


(なんだこれは! こんなに誘《いざな》われて…まるで乙女ではないか!! 優しく抱かれて…恥ずかしがるとは!!)


 川辺で棒を振って遊ぶ少女を、大自然の川が見守っている。

 彼女が戯れに草を切ろうとも虫を潰そうとも、大河は彼女を許すだろう。この大きな存在の前では、プライリーラはただの乙女となる。

 そのことに赤面したのだ。


「出し惜しみなどしない!! してはいけない!! はああああああ!」


 その羞恥心を隠すように、さらに発気。

 プライリーラの風気が【嵐気《らんき》】へと変化していく。



(ほぉ、風気の上位戦気か。それを使えるだけでもたいしたものだな)


 風の上位属性である嵐気は、文字通りの嵐に近い現象を引き起こす。

 さきほどは守護者が竜巻を発生させていたが、今度はプライリーラ自身が竜巻になっていく。そこに戦気が交じるので、触れるだけで大きなダメージを受けてしまうだろう。

 言ってしまえば、覇王技の旋回拳が常時周囲で発生しているようなものだ。荒れ狂う戦気の嵐が、立っているだけで周りを破壊していく。

 その状態で再び風王・廻風扇を放つ。

 同じ技だが、嵐気をまとえば威力は倍増。まったく違う技となる。

 剣王技、風王・嵐暴扇羽《らんぼうせんば》。

 繰り出す嵐気の攻撃があまりに激しく、弾ける大気が舞い散る羽のように見えることから名付けられた技だ。

 これを編み出した剣王は、扇でそれをやったというから武術とは怖ろしいものだ。

 ただし、この技は因子レベルが4の技である。剣士因子が2のプライリーラには、本来は使えない技のはずだ。


(オレの情報公開が間違っているとは思えない。素の状態のプライリーラの因子レベルに変化はない。…となれば、普通に考えて武具が怪しい。暴風という名が付いているくらいだ。風系の因子レベルを上げる効果があるのかもしれないな)


 アイテムや武具の中には、使っている間だけ因子レベルを上げるものが存在する。いわゆる『覚醒武具』というものだ。

 この『暴風の戦乙女』もその系統に属し、装備する者の剣士の因子レベルを+2するという効果がある。

 ただ、使えるのは風系の技のみとなっているので、状況に応じた技が使えるようになるわけでもないし、技は自らの修練で覚えねばならない。そこは同じである。


 しかしながらプライリーラにとって、この武具は恩寵でしかない。


 ブゥーーーンッ ドガシャッ! ボンッ!ボンッ!ボンッ!

 プライリーラの一撃で次々と大地が吹き飛ぶ。威力もさらに上がっているようだ。

 技自体の威力もあるが、当人の腕力が相当強いのだ。これは戦士因子の力である。


(現状でプライリーラの戦士因子は5ある。それをすべて肉体強化にだけ使っているんだ。通常の因子の最大同時使用数は10までだから、戦士因子の5と剣士因子の4を同時に使っても支障はない。戦士の頑強さと剣士の攻撃力を両立させているってわけだ。この威力にも納得だな)


 プライリーラは、『剣士型戦士』という枠組みに入る武人だろう。

 基本的に肉体だけで戦うアンシュラオンとは違い、武器を使う戦士のことだ。

 攻撃力が低いサリータのような防御型の戦士や、あるいはマキのような防御に不安が残る攻撃型の戦士が、こうしたタイプになることが多い。

 かといって大型の盾や全身鎧を身にまとうと動きが鈍るので、スピードだけを求める武人にはマイナスにもなる。

 また、仮に戦士因子を10発動させる場合、他の因子の発動ができないので剣王技が使えなくなり、武具を使わないほうが強いことも多い。

 ゼブラエスなどの生粋の戦士は、もともと剣士因子を持たないことが多いので基本は無手である。その代わり、肉体自体が伝説の武器になるほど強化が進むというわけだ。


 プライリーラの場合、能力値を見る限りはバランス型戦士だと思われる。

 体力があり、攻防にマイナス要素がなく、スピードもある。穴がない非常に高いレベルでまとまった武人であるといえるだろう。


 一方、バランスの良さは【決め手】がないことを意味する。


 何をしても一定の数字は残せるが、一芸に秀でる相手には後れを取る。現に攻撃力と瞬発力だけならば、階級が二つ下のマキのほうが上だろう。

 マキが自己の弱点を思いきりの良さと攻撃特化によって補うように、プライリーラは装備の性能で補っているというわけだ。

 しかも武具が『覚醒武具+精霊武具』という超一級品なので、攻撃力は武具の上乗せ分にすべて任せてしまって、自身は肉体強化にだけ集中するスタイルだ。

 結果、攻防ともに高いレベルを維持することができる。戦士因子5、剣士因子4という合計9の因子を使っているので強いのも当然だ。

 これはまさに王竜級のレベル。各国に数えるほどしかいない国家最高峰の力だ。

 さすが良家のお嬢様。生まれ持った血の才能と伝統、金の力をすべて使って強くなっている。


 が、それでも―――当たらない。


(なぜだ! なぜ当たらない!! 私は全力を出しているはずだ! すべての力を開放しているのに…なぜ!!)


 アンシュラオンは何事もないように静かに受け流していく。

 この男は、まだ仮面を被ったままだ。この被り物に特別な力がない以上、まだ本気にもなっていないことを示している。

 現にアンシュラオンは、戦士因子4だけを使って戦っている。まだ因子を抑えた省エネモードなのだ。

 一方のプライリーラは合計9。それにもかかわらず、互角以上。

 これは単純に性能の違いである。

 因子の覚醒率が同じでも同じ強さになるわけではない。アンシュラオンの戦士因子1とプライリーラの戦士因子1は、同列ではないのだ。

 もともと規格外の資質と肉体を持っているアンシュラオンの因子は、そこらの戦士を遙かに凌駕する。

 現在発動している因子が4であっても、一般の戦士の倍、おそらくは8に匹敵する性能を誇っているわけだ。

 そこに肉体性能の違いが追加されれば、プライリーラの攻撃が当たるはずがない。

 ただし、ここにもう一つの要素があることを忘れてはいけない。才能以外の決定的な違いがあるのだ。



(うーん、技は切れるけど…動きが野暮ったい。洗練されていないな)


 一見すれば凄まじい攻撃に見えるのだが、細かく見れば動きには多くの隙があり、いくらでも反撃のチャンスがある。

 あまりに隙があるので、逆に攻撃するのが躊躇われるのだ。だからプライリーラにしてみれば、優しく撫でられているような気持ちになる。

 実は、マキもこれと同じ欠点を持っている。

 彼女の突進と勢いは素晴らしかったが、アンシュラオンならばカウンターを簡単に合わせられただろう。

 そこには勢いだけでは超えられない【武術の壁】がある。


(武術とは、人が編み出した究極の力の一つだ。多くの先人が血反吐を吐いて人の可能性を引き出した偉大なる功績だ。プライリーラはそれが自分のものになっていない。素質は剣士のおっさんに匹敵するけど、練度はまったく違うな)


 ガンプドルフはアンシュラオンに攻撃を当てていた。あの当時も今と同じことをしていたので、わざと攻撃をくらっていたわけではない。

 しかも下手をすればアンシュラオンに致命傷を与えていた可能性もある。今思えば、それがいかにすごいかがわかるだろう。

 彼は剣士としての激しい修練を積んでおり、武術を剣豪の領域にまで伸ばした男である。魔剣士の名は伊達ではない。

 その剣技はヤキチのような自己流ではなく、しっかりとした基礎と実戦による強化によって洗練されていた。だから強いのだ。


(プライリーラも、たぶん執事のじいさんが師匠なんだろうけど…さすがに才能がありすぎて対応しきれないか。優れた武闘者が優れた師匠であるとは限らない。オレ自身がそうだからね)


 アーブスラットはマキの師匠にもなった実力者だ。そこに疑いの余地はない。

 しかし、自分以上の才能を持つプライリーラを教えることは荷が重かった。マキに基礎しか教えていないと言っていたように、彼自身は生粋の師範タイプではないのだろう。

 アンシュラオンも、いまだにサリータに戦気を覚えさせられないでいるので、師匠としては最低レベルだと自覚している。

 そのためアーブスラットの苦悩も手に取るようにわかった。こんなところで気持ちが通じるとは思わぬ展開である。

 ただ、師匠だけが悪いわけではないのだ。


(武術の質は仕方ない。こればかりはめぐり合いの要素もある。オレだって師匠と出会っていなければ、ここまで伸びなかっただろうしね。が、問題はそれ以前にある。そもそも彼女は全力じゃない。いや、【全力を出せない】んだ。当人は力を出しているつもりでも無意識のうちに身体がブレーキをかけている。弱い相手とばかりつるんでいたら当然だ。感覚も身体も、その劣悪な環境に慣れてしまったんだな。なんてもったいないんだ!)


 グラス・ギースの武人レベルの中で、彼女は突出している。才能値を見ても間違いなくナンバーワンだろう。

 しかし、人間性の低い者たちと一緒にいると自分まで低いレベルに合わせてしまうように、それに見合った場所にいないと、どんどん人間は退化していってしまうものだ。

 超一流のアスリートは、同等の人間が集まる超一流のリーグで研鑽を積むべきである。そうでないと弛んでしまう。緩んでしまう。弛緩してしまう。

 現在のグラス・ギースにいる限り、彼女がそれ以上に才能を開花させることはないのだろう。まさに宝の持ち腐れである。

 そして、もう一つ気になることがある。


(聖獣の封印は解かないのか? 見た感じ、あと一個っぽいが…まだ躊躇っているのかな? ふむ、やはりプライリーラには【怯え】が見受けられる。力を出すのを怖がっているようだな)


 弾けた術符の面積を見る限り、封印は残り一つ。頭部から背中にかけての部分だけだろう。

 だが、プライリーラはまだそれを解かない。



 いわく―――「ジングラス総裁としての責任が」

 いわく―――「戦獣乙女の威信が」

 いわく―――「この都市のために」



 いろいろなものが彼女を縛り付けている。それらが重石となって、あるいは理性の一つとなって獣になることを拒んでいる。

 たとえば休みの日を全力で楽しみたい時でも、仕事のことが気になって思わず憂鬱になるように、その時にがむしゃらにすべてを出し切れないのだ。

 必死にランスを振るう彼女は、まるで悶えるように、苦しがっているようにすら見える。


(やっぱり根が真面目なんだよな。オレみたいな、いい加減な人間じゃない。まあ、そうじゃないと困るけどさ。リーダーとして責任があるやつは大変だな。しかし、このままではすべてが中途半端だ。それでは意味がない。オレが欲しいのは本当の君の叫びなんだよ。そうじゃないと美味しくないんだ。食べる価値がない。…いいだろうプライリーラ、君の【枷】を壊してやろう。悪いが、オレは甘いやり方は嫌いでな。ちょっと痛いのは覚悟しろよ)



 スッスッスッ

 アンシュラオンは無造作にプライリーラに歩み寄る。

 本当にまったく構えない。まるで自然体で歩いてくる。

 軽々と技をかいくぐって至近距離まで接近し―――


「っ!」


 ゴンッ ズザザザッ!

 プライリーラが躊躇した瞬間、アンシュラオンの拳がプライリーラの胸元にヒットしていた。

 だが、その前に風の防護フィールドが発動。拳の威力を軽減したおかげで、軽く吹っ飛ばされるだけで済む。


「はぁっ!! あ、危なかった!!」

「いい防具だね。でも、それがあるから君は弱くなる。いざとなれば守ってもらえると思っているから判断力が鈍くなるんだよ。今だって本気を出せば回避できたはずだ」

「そんなつもりはない! これはこういう防具だから…」

「ならば、その間に打ち込まないと意味がない。アーブスラットから習わなかった? 武具に頼るなって。君はまだ本当の意味で武器を使いこなしていない。頼っているだけだ」

「頼っているつもりなど―――ぐっ!」


 ブオッ

 アンシュラオンが蹴りを放つふりをした瞬間、プライリーラが空を飛ぼうとした。


「ほら、また逃げようとしたね」

「くそっ! 私は―――つっ!」

「警戒が緩んでいるよ」


 話している隙にアンシュラオンが接近し―――掌底。

 ドゴッ ブゥウウウンッ

 今度も風のフィールドが防いだが、もしそれがなければ致命傷になっていただろう。


「君の中には獣がいる。しかし、お嬢様の皮がどうしても剥けない。囚われているからだ。身分に立場に体裁に。その武具の性能にね。考えてもみなよ。そんなもの、獣とは正反対のものばかりだろう? どうして自分をさらけ出せないんだ?」

「私には責任があるんだ…! 戦獣乙女として戦うからには負けるわけにはいかない!」

「矛盾だね。戦獣乙女は獣だから価値がある。獣だから魔獣と一緒に戦える。それなのに君は獣になりきれない。だからオレは君を選ばなかった」

「っ!! 獣になるさ!! なって、君を喰らう! 認めさせる!」

「オレに認めてもらいたいなんて、可愛いことを言うね。そんなことを言われたらドキドキしちゃうじゃないか。でも、それは無理だ。君にはできない」

「できる!! ギロード!! 私とともに駆けろ!」


 守護者が再び―――アンシュラオンに接近。


 プライリーラが戦っているため周囲を回るように走っていたが、劣勢の彼女に加勢するべくアンシュラオンに突撃してきた。




282話 「プライリーラの枷 後編」


 プライリーラを守るように守護者が突っ込んでくる。


(そうだね。そうくると思ったよ。まだ気付いていないのならば、しょうがない。恵まれすぎていると足りないものには気付かないんだ。オレだって姉ちゃんがいなかったら危なかったよ)


 アンシュラオンには、パミエルキという強大な存在が常に上にいる。

 姉が与えるものが単なる愛情だけならば駄目になっていたかもしれないが、過度の暴力的愛情表現によって毎回命の危険を感じていたものだ。

 そのおかげで慢心というものを抱くことがなかった。

 あるのは恐怖と劣等感と奴隷根性である。だからこそ抜け出そうと修行にも熱が入ったし、必死にもなれた。

 しかしプライリーラは、生まれてからあらゆるものを与えられ、守られてきた。



―――守護者



 その名前が象徴しているように、彼女のすべては守られていたのだ。

 獣として生まれながら過剰に庇護されればどうなるか。

 本来ならば激しい生存競争に晒され、まさに命をかけて生存技術を学ぶべき幼体が保護されるようなことになれば、どうなってしまうのか。

 牙を抜かれ、爪が丸みを帯び、餌が欲しいときには猫撫で声を出すようになる。

 他人の顔色を見て自分を曲げるようになる。「いい子」を演じて獣性を隠すようになる。



 そんなものは―――ただの【家畜】だ。




 ブオオオオオッ シュッ

 アンシュラオンは横に跳躍して突進を回避。


 しかし、巨馬は―――そこから蹴り。


 頭の良い聖獣だ。何度も回避されたことでこちらの動きを読み、あえて回避をさせて蹴りの間合いに引き込んだのだ。

 馬に蹴られて死んでしまえ、という言葉もあるが、馬の脚力というのは怖ろしいものだ。顔に当たれば人間など簡単に死んでしまう。

 その凄まじい後ろ足が、風で加速されて衝撃波とともに襲ってきた。

 アンシュラオンはよけられない。


 バギャァァッ


 強烈な打撃音を残してアンシュラオンにヒット。彼女たちの攻撃が初めて当たった瞬間である。


(当たった!! ギロードの蹴りは輸送船をひっくり返すほどの力がある! さすがのホワイト氏も、これならばダメージはあるはずだ!)


 いつぞやの訓練時、守護者の機嫌が悪かったこともあり、一度制御を誤って輸送船を蹴ってしまったことがある。

 鋼鉄の装甲がひしゃげ、あの大きな乗り物が一回転半して大地に叩きつけられるほどだ。巨馬の一撃がいかに強いかを物語っている。

 それがまともに入ったのだ。打撃音からしてもダメージは与えたはずである。


 ボトリッ ゴロゴロッ


 大地にアンシュラオンの仮面が転がる。

 戦気で身体を覆っていたので、この仮面が転がるということは、それを貫いた証拠であった。



(ホワイト氏はどこだ!? どこまで飛ばされた?)


 プライリーラが吹っ飛ばされたはずのアンシュラオンを捜す。

 砂埃で視界が覆われているので、当たったあとにどうなったかまではわからなかったのだ。

 きょろきょろ きょろきょろ

 必死に目で探す。パソコンのごちゃごちゃのフォルダから、一つのファイルを探すかのように必死だ。


(いない!? どこに行ったのだ!? まさか消し飛んだわけでもないだろうに…)


 この砂嵐では波動円の精度も低くなるのでアンシュラオンの場所がわからない。

 もともとプライリーラは波動円が得意ではなく、探知の大部分を風に任せている。

 浮遊すれば風の加護で相手の位置もわかるのだが、そこに集中している間に狙われたら危険だ。

 風の防護フィールドを使うには当然ながら風の力が必要だ。飛んでいる間は出力に風の力を使うので、その分だけ防御が甘くなる欠点もある。

 今は地上で様子をうかがうほうが賢明だろう。



 そんなプライリーラが異変に気付いたのは―――【音】がしてからだった。



 ドゴゴオオオオオオオオオオオオンッ!



 まるで唸りのような音と地響きが自身の身体を揺らした時、ようやく視線がそちらに向く。

 向いた先にいるのは、愛馬たる守護者。


 その巨馬が―――ひっくり返っていた。


 脚を上にして、大地に背がついている状態で倒れている。四足動物ならば完全に死に体である。

 守護者が自分の意思でそうなるわけがない。


 その脚には、アンシュラオンの姿があった。


「あれ? 玉がない。こいつ、メスだったのか?」


 ここで初めてアンシュラオンは、守護者が「メス」であったことを知る。

 べつに知りたい情報ではなかったのでどうでもいいが、オスに蹴られたと思うとムカつくので、これを知ったおかげで不快感は多少ながら減っていた。

 同じ動物でも、どうせならメスのほうがいい。それくらい男女差別を徹底しているのがアンシュラオンという男である。



 プライリーラが慌てて守護者の救援に向かう。

 それを待っているかのように、アンシュラオンは追撃しないでいた。


「なっ! 何をしたのだ! ギロードが倒れるとは!」

「何って、【投げ】だよ。蹴ってきたからね。足を取っただけさ。ほらよっと」


 プライリーラが到着してから、ようやく極めていた巨馬の足首から手を放す。その気ならば足を折ることもできただろう。


「まあ、ちょっと掠って仮面が吹っ飛んだけどね。いい蹴りをしている。さすが馬だ。それは褒めてあげるよ」

「投げ!? まさかそんな!!」

「不思議なことじゃないだろう? 投げ技も立派な武術の一つだ」


(信じられない! 投げ技があることは知っているが、武人同士の戦いの基本は打撃だ。あの高速戦闘で攻撃を見切って投げに入るなど、本来は自殺行為に等しい! しかもギロードの蹴りだぞ! 普通は反応すらできないはずなのに…)


 アンシュラオンは後ろ蹴りのインパクトをわずかにずらし、衝撃を受け流しつつ足を取り、そのままひっくり返した。

 覇王技、覇天・驚道地《きょうどうち》。腕でも足でもいいのだが、相手の部位を掴んで投げる技である。

 これがわざわざ覇王技になっているのは、戦気を使うからだ。

 通常の柔道や合気道は柔《やわら》の技術を使って投げるが、この技は戦気の流れで強引に相手をひっくり返すものである。

 自分は敵の部位を力づくで引っ張りつつ、戦気を使って相手の逆側にも力を加える。今回の場合は後ろ足を掴みつつ、前足を戦気の流れで強引に払った感じだ。

 柔を全否定する外人のパワー柔道みたいなものだが、それができるのもアンシュラオンの腕力と戦気が強いからである。

 実際、倒れれば死に体となるので非常に凶悪な技であるし、本来は倒した直後に急所に打撃を与えて完了するものだ。


 しかもプライリーラが驚いたように、これを高速戦闘中に行った。それが一番の脅威である。


 武人の戦闘はあまりに速すぎるので、一般的な攻防には直接的な打撃あるいは斬撃が使われる。

 掴み技や関節技はあるものの、実質的な投げ技というのは非常に少ない。単純に難しいからだ。

 やるとしても一般的な柔道のように、懐に潜りこんで相手を掴んで投げるくらいなものだ。攻撃してきた部位を掴んで投げること自体が異常である。

 たとえばボクサーの高速ジャブに合わせて、腕を取って一本背負いで投げるようなもの。そんなことは、まさに達人にしかできないことだ。

 ただでさえ顔に当たれば致命傷なのだ。それに臆することなくカウンターを合わせるだけでも至難である。

 仮面が飛んだのは、それだけギリギリの間合いで勝負をしたという証だった。

 高速の蹴りにタイミングを合わせるには身を危険に晒す必要がある。そのリスクに打ち勝ったからこその結果だ。


 そして、この慎重な男がわざわざこんなことをしたのだ。

 そこには意味がある。





「プライリーラぁああああああああああああああああああああああ!!」





「―――っ!!」



 突如、アンシュラオンが大声を張り上げる。


 ビィイイイイイイインッ


 いまだ暴風が吹き荒れ、周囲の音にも相当な雑音が入って聴こえにくくなっているにもかかわらず、その声はすべてを貫いて響き渡った。

 プライリーラも思わず硬直。

 ザッザッザッ

 それからアンシュラオンは、真っ直ぐ彼女のもとに歩いてくる。

 がしっ!

 そして顔を両手で掴んで、互いの顔と顔が向かい合う。


「オレの顔を見ろ!!!」

「っ…」

「何が見える!!」

「な、なに…が……?」

「頬だ!! オレの頬に何が見える!!」

「…き、傷…? かすかに…傷が…」


 アンシュラオンの頬には、こすったような傷痕があった。

 衝撃で仮面が吹き飛ばされた際に出来たものだ。さしてダメージはない。こんなものは、この強靭な身体ならばすぐに治ってしまう。

 だが、それが言いたいわけではない。


「そうだ。傷だ!! いくらメスとはいえ、馬なんぞに蹴られて付いた傷だ! これがどう見える? 君にはどう見えるんだ!!」

「それは…」


「この馬鹿が!! 目を覚ませぇええええええええええええええ!!!」


「えっ―――」


 バチィイイイイイイインッ!!!



 アンシュラオンが―――平手打ち。



 自動で発動したプライリーラの風の防護フィールドを簡単に突破し、彼女の頬をぶっ叩く!!


「っ…ぁっ……」


 それにはプライリーラも呆然。いきなり殴られたのだ。当然の反応である。

 しかも「どのように見える?」と訊かれたから答えようとしたのに、なぜか罵倒されて殴られるという珍事が発生。


「オレの傷が美しくないのか!!! 戦いで付いた傷が愛しくないのか!! この馬鹿が!! どんだけ甘やかされている!!!」


 ブーーーーンッ バチィイイインッ


「っ!!?!?」


 さらにアンシュラオンは平手打ちを敢行。

 再び風の防護フィールドを貫通して、プライリーラの頬をぶっ叩く!


「オレは君を信じていたのに!! なんだ、このざまは!!! 武具や守護者にばかり頼って、自分は綺麗なままか!! なぜ傷つくことを怖れる!! 綺麗だからか! 自分が綺麗なままいたいからか! この馬鹿がぁあああああああ!」


 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ



「これは罰じゃない! 罪でもない! オレの勝手だ!! だからオレは君を殴るんだ!!! わかれ! 理解しろ!! これは愛なのだと!!」


 平手打ちは続く。続く、続く、続く。

 彼女の頬が真っ赤になっても、さらに続けられる。

 それによってプライリーラは、ますます困惑。状況に思考がついていっていないのだ。

 アンシュラオンから説明は一切ない。訳もわからない状況でビンタが繰り返されるだけだ。

 何やら「愛」を語っているようだが、さっぱり意味がわからない。

 昨今あれこれと生温い現状が続いているので、体罰を美化したいだけなのかもしれないが、そんなことはプライリーラにわかるわけがないので、頭の中にはひたすら「?」が浮かぶ。



 これはいわゆる「勝手に盛り上がって、ついつい先走ってしまう熱血教師現象」である。



 自分に言いたいことがあるから相手の言い分もろくに聞かず、勢いのまま場を進めてしまうのだ。

 昔の熱血ドラマによくありがちな展開である。アンシュラオンが地球で見ていた「学校戦争」というドラマにあった展開に似ている。

 なぜ殴るのか理由が明確に説明されず、とりあえず殴って涙を流すという、おもしろ珍現象場面である。

 簡単に言えば、アンシュラオンはプライリーラの答えなんて聞く気はなかった。

 結局は自分が言いたいことを言う。ただそれだけである。(しかも伝わっていない)



 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ



「まだか!! まだ君はそのままでいるつもりか!!!!」

「っ…!」

「オレに振り向いてもらいたいなら、もっと見せろ!! 君のすべてを見せてみろ!!! 股をさらけ出せ!!! 脱いでみせろ!!! そんな度胸があるのならば、先生に見せてみなさい!!! 愛液を垂れ流して誘惑してみせるんだ!! このメス馬が!! なんてイヤらしい!! けしからん、もっとやれ!!」


 だんだん主張が怪しくなってきた。趣味の領分に入りつつある。


「…がげんに……」


 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ


「それまでオレは殴ることをやめない!! やめないからな!!! これは愛なんだからな!!」

「いいかげんに―――」


 頬が熱い。叩かれて腫れているのだから当然だ。


 だが、それ以上に―――沸々と。


 それを超えて―――ボウボウと。


 心の中で何かが燃え上がってくるのを感じる。

 眠っていたものが叩かれ、強引に起こされる。

 寝ぼけていたところをさらに叩かれ、イラっとする。

 あまりに馬鹿馬鹿しく、あまりに自分勝手な行動に対して、純粋に、純粋なまでに、気ままに、猛烈に、ただただ何かが圧倒的に上昇していく。


 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ

 ブーーーーンッ バチィイイインッ


 ボッ、ボボボボボッ ボボボボボッ!!!

 ドックンドックンドクドクドクドクドクドクッ!


 叩かれるごとに感じる鼓動。

 心臓のもっと奥底、目に見えない魂の奥底、霊から与えられた生命力というもののすべてが宿る世界に、一匹の獣がいる。


 獣は生まれてからずっと縛られて、眠ることを強要されてきた。


 生まれながらに武人であった彼女には、敵と呼べる存在がいなかった。

 ジングラスの後継者であり、若くして戦獣乙女になってしまったため対等に触れ合う存在などいなかったのだ。

 唯一ソブカだけは自分を怖がったり特別扱いなどはしなかったが、武人という意味では到底対等にはなれない。

 ましてや守護者を使った戦いなど挑めば、全力ではない音速突撃だけでも都市を破壊できてしまう。

 持っている力があれば、使いたいと思うのが人間の心情である。

 だが、使えない。使ってはいけないと言われていた。人前で本気を出してはいけないと。


 獣は―――ずっと叫んでいた。



「もどかしい、もどかしい、もどかしい、もどかしい!!! なぜ私は全力で戦えないのだ!! なぜ喰らってはいけないのだ!! どうして、どうして、どうして、どうしてぇええええええええええ!!」



 心の叫びが、咆哮となって天に轟く。

 それは少女の頃の鬱屈した感情から始まり、成長するにつれて倦怠のような感覚に変化していった。

 真綿で首を絞められるような緩慢で退屈な日々に呑まれていった。


 武人の血が泣いていた。


 戦いたい。全力を出したい。思う存分暴れたい。返り血に塗れたい。

 激しい闘争本能が満たされない結果、毎日欲求不満だ。強力な理性で抑えてきたが、苦しくないわけがない。

 ただ我慢していただけだ。


 その二十年分の溜まっていたものが―――噴き出す。




「いいかげんに―――しろぉおおおおぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」




 叫ぶ、轟く、嘆く、喜ぶ、弾け飛ぶ!!!



「このぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「…え?」


 膝をついていたプライリーラが、立ち上がるとともに拳を繰り出す。


 ドゴッォオオオオオオオオオオオ!!!


 調子に乗って平手打ちのモーションに入っていたアンシュラオンの顎に―――直撃。


「ぶおっ!!」


 完全に油断していたアンシュラオンが、ぐらつく。

 ふらふら どすん

 そのまま軽い目眩がして後ろに数歩後退し、どすっと倒れた。




283話 「やぁ、初めまして」


 完全無防備なところに渾身の一撃が決まれば、いくらアンシュラオンとて倒れることはある。

 油断しすぎ。調子に乗りすぎである。


 それをよそにプライリーラは、自分自身を抱きしめるようにして身悶えていた。


「ぁぁあ…ああ…ううう……うぅぅううう!」


 思いきり筋肉を動かした時の感覚。

 準備運動が終わって、身体が馴染んで、全力で走った時の感覚。


 なんて、なんて―――




「んんんんんーーーーーー!! 気持ちぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」




 頬を赤くしたプライリーラが、ブルブルと震える。

 身体が喜んでいる。動いていることに、動いてよいことに感動している。

 久々に全力を出したため今のパンチで筋肉が少し断裂したが、それさえも楽しい。

 活性化した肉体が傷を修復していく感触も最高だ。


 どくんどくん どくんどくん どくんどくん


 熱い血潮が血管を巡り、全身が燃える。辛いものを食べた時のように身体がポカポカしていく。


「はぁはぁ…殴る、殴るとは…こんなに気持ちいいのか!! それがホワイト氏ならば、これほどまでに…快感とは!!」


 散々子供扱いされていたので、こうして拳が決まった気分は最高である。

 見てみるといい。アンシュラオンがあんな間抜け面をして尻餅をついている。これが快感と言わずに、なんと言うのか!

 これはもちろん彼女自身の素直な気持ちだったのだろうが、もしそれを見ていた者がいれば、多くの者が彼女の言葉に賛同しただろう。

 この男は、たまには殴られたほうがいいのだ。

 いつも好き勝手やっているのだから何の同情もできないし、当然だと思う。もっと痛みを味わえとさえ思うだろう。特にビッグが見ればそう思うはずだ。

 ただし、それができたのもプライリーラが優れた武人だったからだ。

 彼女の実力があれば、省エネモードのアンシュラオンを殴ることくらいはできるはずである。


 つまりは今の彼女は―――本来想定された出力を発揮しているということ。


 ようやく、ようやくにして心と身体が一致し始めた。


 そして、【栓】が―――抜ける。



「うぐっ…!! うううっ…うぷっ…おええええ!」


 ボオオオオオオオオオオオ ドボドボッ ゴポッ

 プライリーラからドロッとした濃い緑色の戦気が湧き上がる。

 今までも若干緑がかっていた戦気であったが、今出ているのはまるでスライムのようなネバネバした粘着質のものだ。

 それはとどまることなく溢れ出し、零れ落ちた地面を溶かしながらも、彼女の身体から出続けていく。

 それと同時に吐き気を感じ、嘔吐。


「げほげほっ…はぁっ! あはぁっ! はぁあっ!!」

「あたた…まさか殴られるとは思わなかったな。でも、上手くいったようだ」


 ふらつきから復帰したアンシュラオンが、ヘドロのような戦気を見て、にやりと笑う。


「随分と溜まっていたようだね。それはいわゆる【膿】や【痰《たん》】のようなものだ。しばらく使っていなかったから生体磁気が固まってしまっていたんだ。出せばすっきりするよ」

「はっ、はっ、はっ!!! こ、こんな…はっはっ!! ううううっ!! がはっ!」

「まだ苦しいだろう。いきなり出したから身体が対応できていないんだ。馴染むまでには少し時間がかかるね。といっても、君ほどの武人ならば数分もあれば対応できるだろう。もともと君の中にあった本当の力なんだからさ」


 このヘドロは今プライリーラが吐いているように、身体にとって悪いものを吐き出す自然な代謝である。

 粘膜が汚れやゴミ、ウィルスを吸着して鼻水となって出るように、こびりついたものを外に出しているにすぎない。

 ただ、二十年の汚れはかなり酷かったようだ。ここまで溜まっていたのならば【病気】になるのも当然だ。

 そして、それを吐き出せば【健康】になることも道理である。

 粘ついた濃緑の濁った戦気が外に出ていくごとに、プライリーラの戦気がさらに大きく力強く、逞しくなっていく。

 浄化されていく。濾過されていく。澄んでいく。猛っていく。燃え盛っていく。


 不純物がない―――美しい緑の輝きに満ちていく。


「プライリーラ、今の君はいい顔をしているよ」

「げほげほっ…こんなゲロ塗れの女が…か? はは、都市の人間には見せられないな…これでもアイドルなんだよ?」

「それがどうしたんだい? 本当の君を知って幻滅するような連中なら、さっさと切り捨てて見捨てればいい。気取ってお嬢様ぶっているほうが君らしくない。さっきまでの君より何倍も綺麗だ。オレはこっちのほうが好きだね」


 ゲロ吉も驚きの発言だ。男女差別ここに極まれり、である。

 しかし、プライリーラが出したものが醜いわけがない。これを美しいと思えない者は、この場に立つ資格などないのだ。



「あの平手打ちと言葉は…わざとかい?」

「当然だよ。演技に決まっているじゃないか。オレがいつもあんな卑猥な発言をするわけがないよ」


 これは絶対に嘘である。

 単純に自分の中で盛り上がっただけだ。偽りなき本性であると断言したい。


 しかしながら、それ以上にこの男は―――【王】である。


 当人がどう思っていても王なのだ。鬼畜はやめられても、王であることはやめられない。生まれ持っての才覚だからだ。

 熱い感情と生命力から溢れ出た霊の光、【王気】がビンタとともに叩き込まれ、彼女を束縛から解き放ったのだ。

 何をやっても人を惹き付ける。人を目覚めさせる。動機が何であれ、それが王という存在である。


「活を入れようと思ったのは事実だね。このまま食べても美味しそうじゃないしね。どうせ食べるなら極上の肉のほうがいいだろう? 叩いて柔らかくしないとさ」

「…ふふ…ふはははは!!! 君って男は…ホワイト氏…いや、アンシュラオン!! 君はとんでもない男だな!!! はっきり言って、君みたいなやつは見たことがない!!! 本当に見たことがないよ!!!!」

「そりゃ、オレが【本当の君】と会うのは初めてだからね。やあ、初めまして。オレの名前はアンシュラオンだ」

「ふふっ…そうだな。初めましてだ。私はプライリーラ…。ただのプライリーラだよ。ジングラスも何も関係ない。総裁でもないし、戦獣乙女でもないのかもしれない。ただの乙女であり、ただの一匹の獣だ」

「いいね。そんな女だからこそ奪う価値があるよ。おっと、お馬さんも限界かな」


 ひっくり返った守護者が、激しく動いている。

 ドンドンッ!!! ドンドンッ!!!

 道路に背中をこすり付ける猫のように、必死に背を大地に叩きつけていた。

 かゆいかゆい、きついきつい、こんな服なんて着たくない。ありのままの自分でいたい。

 いったい誰がこんなものを押し付けたんだ。いったい誰が私をそんなものにしたんだ。

 これは本当の自分じゃない!! 自分になりたい!!!

 巨馬は必死に訴える。悶える。苦しむ。


「ああ、ギロード…すまなかった。お前も本当の姿になりたかったのだな。それを私が押さえつけてしまった。怖かったから…力を出すのが怖かったんだ。私たちはすべてを破壊してしまう。それが怖くて…だが、お前も本当の姿を取り戻していいんだ。私たちがどんな姿になろうが、彼はきっと驚かない。きっと哀しまない。それどころか喜んでくれるんだよ」


 プライリーラが守護者に触れる。


「プライリーラが命じる。封印術『参式』解除」


 ギチギチギチッ バチィイイイイイイイインッ!!!


 巨馬を縛り付けていたものがすべて破壊された。

 守護者の背中が露わになり、そこに二つの白い塊が見えた。



「ヒヒヒヒヒイィイイイイイイイイイイイイインッ!!!」



 メキメキメキッ バーーーーーンッ!!!


 その塊が―――ついに解放!!


 圧縮されていた塊は一気に拡大し、伸びる、伸びる、伸びる。

 そしてそのままブリッジをするように、自身の身体を一気に大地から押し上げ宙に舞い上がり、いとも簡単に立ち上がる。

 その姿は、今までの守護者のイメージとはまったく異なっていた。


(あれは…ペガサスか?)


 まず目に付いたのが、白い塊が伸びたものであろう。

 それは一見すれば羽のように広がっているので、よく神話や伝承で見るようなペガサスを彷彿とさせる。

 ジングラスの紋章が「羽馬」をかたどっていたことからも、それは薄々想像していたものだ。


 だが、それは翼ではなかった。


 そもそも守護者は自ら風を生み出して音速で飛ぶことができる。

 アンシュラオンとの戦いでは地面を這うような低空飛行だったが、プライリーラの口ぶりからすると大空も飛べるのだろう。

 だから、わざわざ羽というものは必要ないのだ。

 ならば、あれは何か。


 メキメキッ メキメキッ ググッ!!


 しばらく見ていると、アンシュラオンにもそれが何かわかった。明らかな変容が起こったからだ。


(違う…翼じゃない。あれは…【腕】だ)


 その馬には―――【腕】が生えていた。


 ちょうど背中の両側から、人間のように一対二本の太く白い腕が生えている。それがまとまった状態だと、あの白い塊になるのだろう。

 伸ばされた腕の尖端にはしっかりと手が付いており、人間と同じく五本の指があった。

 手は大きく、ショベルカーのように部位が目立つ。

 それこそが自分なのだと。これがなくて何が自分なのか、と激しく自己主張しているようだ。

 ペガサスに翼がなければただの馬のように、彼女にとっては腕があってこその自分なのだろう。

 ぎょろり

 露わになった顔には四つの瞳、普通の馬と同じく横に二つの目、それに加えて額の前方に二つの目があり、そのすべてがアンシュラオンを見つめていた。

 さらに力の解放とともに額の中央にはツノが生えており、ユニコーンのような清純さも感じられた。

 ユニコーンとペガサスを合体させて翼を腕にした感じ、といえばわかりやすいだろうか。

 異形にも見えるが、そこから発せられる波動は間違いなく「聖」と呼ぶに相応しいものであった。



「改めて紹介しよう。この子が我々の守護者…いや、私の一番の親友たるギロードだ。種族の正式名称は『ドラゴンワンドホーゼリア〈両腕風龍馬〉』という」


 第三階級に位置する討滅級魔獣、ドラゴンワンドホーゼリア〈両腕風龍馬〉。

 名前の通りドラゴンの仲間である【龍種】である。

 最強の魔獣がグラビガーロン〈たゆたいし超重力の虚龍〉が属する【巨龍種】と呼ばれる種族なので、その親戚のようなものだろうか。

 一言で龍種といっても数多くの種族がいるので、それだけで強いわけではない。
中には名前負けしている種族だっている。


 しかし、【風龍】の血統は伊達ではない。


 風を自在に操り、嵐を起こして災害すら意図的に引き起こすことができる。

 音速移動が当たり前の種族でもあるので、天竜などの一部の特異な存在を除けば、長い距離を走るという意味で龍種の中では一番速い存在であろう。

 討滅級にはなっているが、実質的には殲滅級に該当してよい能力を誇っている。


 最大の特徴は、見てわかるように【腕】。


 これは翼が退化したもので、長い年月の間に使われないことで硬質化し、いつしか腕のようになったといわれている。

 腕は自分の意思で動かすことができるので、訓練すれば尖端を人間の手のように自在に操ることもできる。

 ドラゴンワンドホーゼリアは、これによって四足動物の最大の弱点をカバーすることに成功している。

 今見たように、ひっくり返っても自らの腕で復帰できるし、ギロードのように訓練した個体ならば、トランプでピラミッドを作るような精密な動きも可能だ。

 腕のある風を操る龍馬。それが守護者の正体である。


―――――――――――――――――――――――
名前  :ギロード・ドラゴンワンドホーゼリア〈両腕風龍馬〉

レベル:110/120
HP :17500/17500
BP :3840/3840

統率:D   体力: B
知力:B   精神: B
魔力:B   攻撃: B
魅力:B   防御: C
工作:C   命中: A
隠密:E   回避: S

☆総合: 第三級 討滅級魔獣

異名:ジングラスの守護者
種族:魔獣
属性:音、夢、風、嵐
異能:戦乙女との絆、風龍の加護、風物質化、音速突撃、竜巻招来、脚力倍加、風反射、即死無効、自動充填
―――――――――――――――――――――――


(おっ、よかった。今度は見られるな。ステータスもそこそこ高いし、回避がSか。この素早さならば納得だな。このレベルだと普通のハンターじゃ対峙するのも難しい強い魔獣だ。身体能力で勝負するというより、スキルや速度を売りにしているって感じかな)


 大きさも強さもデアンカ・ギースには及ばないものの、グラス・ギース周辺ではまずお目にかかれないほどの強力な個体だ。

 おそらく普通のホワイトハンターならば、まず一対一では勝てない相手だろう。

 多くのハンターはペアやチームで動くので、相当なレベルの武人が数名いないと対応はできないに違いない。



「ギロード!」


 プライリーラは跳躍し、ギロードの鞍に乗る。

 その姿は最初に見たはずなのに、今ではまったく違うもののように見えた。

 すべてが輝いている。力に満ち溢れている。まだ自信はないが、それでも自分自身を必死に表現しようとしている。

 これが自分なのだと。これこそが本来の姿なのだと。

 その目は希望に燃えていた。


「アンシュラオン、改めて勝負を申し込む!! 受けてくれるな?」

「ああ、いいよ。今の君たちならば、その資格がある。でも、条件は同じだよ。勝ったら君を奪う」

「もちろんだ。私は一矢報いてみせるさ。そして、君を手に入れる」

「それは楽しみだ」


 二人は笑う。

 武人は戦いながら互いを理解しあう生き物だ。殺し合いの中でしか会話ができない哀しい存在でもある。

 しかし、両者の間に悲壮はなく、圧倒的な【熱量】しかない。

 ここからがアンシュラオンとプライリーラの本当の戦いの始まりである。




284話 「アーブスラットの狙い 前編」


 アンシュラオンがプライリーラと戦っている間、戦罪者たちはクラゲ騎士たちと戦っていた。


「うおりゃあああ、死ねや!!」


 ズガシャッ

 戦罪者の剣がクラゲ騎士の鎧に抉り込む。

 彼らは荒々しい連中だが戦いの技能自体はかなり高い。単独なら並のハンター以上の実力を持っている。

 唯一の弱点は、連携がいまいちなところ。

 第一警備商隊との戦闘のように熟練した傭兵団や騎士団との戦いになれば、その粗を突かれて劣勢に陥ることがある。

 いくら強くてもアンシュラオンほど突出しているわけではないので、一度崩れれば脆いものだ。

 だが、目の前のクラゲ騎士たちもまったく統制が取れていないようで、ほとんどまともな対応をしてこない。

 こちらが打ち込んでも、モゾモゾと奇妙な動きをするばかりだ。


「よし、このままぶっ殺して…」


 にょろにょろ

 このまま押し切ろうと、戦罪者がさらに剣を食い込ませようとした瞬間、鎧の隙間から紐状の何かが飛び出てきた。


「な、なんだぁ!? 気色悪ぃいっ!!」


 それはホスモルサルファ〈多着刺水母〉の触手。

 彼らの本体はクラゲとイソギンチャクの合いの子ような姿をしており、その細かい触手は相手を捕まえる武器にもなる。


 無数の触手が―――襲いかかる。


 剣を呑み込み、そのまま腕に絡みついた。

 そして、刺す。

 ブスブスブスッ


「いってぇえ! チクチクしやがる!!」


 皮膚に焼けるような痛みが走り、触手が体内に入ってくる。

 肉体強化している戦罪者の皮膚すら貫くのだ。かなりの強さである。

 痛みは消すこともできるが不快感は残る。苛立った戦罪者は即座に反撃。


「てめぇ、このやろう!! ふざけんじゃねぇえ!」


 ボッ ジュウウッ

 戦気を放出。まとわり付いた触手が焼け焦げ、剣に引っ付いた触手も燃える。


「おらっ!」


 ドゴッ ばたん

 そのまま前蹴りでクラゲ騎士を攻撃すると、簡単に倒れた。

 がしかし、ボコンボコンと鎧の中で何かが蠢いている音がし、ぐねぐねとした奇妙な動きをしながら再び立ち上がってくる。


「なんだこいつら! 一匹一匹は弱いってのによ! 全然死なねえじゃねえか!!」

「こっちもだ! どうなってやがる!」

「ちっ、腕がビリビリしやがる。なんなんだよ、くそが!」


 刺された腕が痺れて上手く動かない。クラゲ騎士が持っている『麻痺針』である。

 今は一箇所だからよかったが、身体中をこれで刺されたら動けなくなるかもしれない。油断は禁物だ。


 正直なところ、クラゲ騎士一体一体はたいした強さではない。動きも鈍いし、戦罪者のレベルならば対処は十分可能である。

 しかし、彼らはクラゲ騎士にてこずっていた。

 戦気は使ってこないので鎧自体が強化されることはないが、そもそもかなり良質な鎧かつ、核剛金や原常環の術式で強化されているため、単純に硬くて貫くのもやっとだ。

 そのうえ『物理耐性』を持っているので通常攻撃のダメージが半減され、『自己修復』スキルによって受けた傷は徐々に回復していく。

 損傷が大きくなると今度は『増殖』を行い、自身のクローンを生み出そうとするので、これまた厄介だ。


 その繁殖力は―――脅威的。


 戦罪者は鎧に隠れて見えないだろうが、内部では映像を早送りにするように、見る見るうちに増えていくのだ。群れになったら階級が上がるという話も頷ける。

 これでわかるようにクラゲ騎士の最大の特徴は、何よりも【耐久性】である。

 館の警備時も、仮に強い相手が出てきても時間を稼ぐことを目的にしている。

 都市内ならば、時間さえ稼げれば誰かしらが対応する。プライリーラやアーブスラットがいなくても、ジングラスの警備隊や衛士が来るまで持ちこたえればいい、というスタンスで配備されているのだ。


 こうして戦闘が始まってからずっと膠着状態が続いていた。


 アンシュラオンとプライリーラの戦いのような派手さはまったくなく、ひたすら泥仕合が繰り返されている。

 これでは完全に持久戦となり、最終的に人間側のほうが不利になるだろう。


 ブシャーーー ズバッ


 そんな時、彼らの後方から【水】が飛んできた。

 強烈なウォーターカッターがクラゲ騎士に直撃。鎧の一部を貫通して内部に浸透する。

 ゴポゴポッ ガタガタッ

 それを受けてクラゲ騎士が興奮。『水吸収』スキルがあるので、今放った攻撃力のすべてを吸収したのだ。

 いくら陸上クラゲとはいえ、この乾燥した環境下では体内の水分が減っていく。水が彼らにとってのエネルギーでもあるので、これはありがたい。

 これによってHPも回復。興奮して喜ぶのは当然のことだ。


「なんだぁ? …水? 誰がやったんだ?」


 戦罪者が後ろを見ると、そこには水刃砲の術符を放ったサナの姿があった。


「姐さん? 水は効かないってオヤジが…」

「…こくり、がちゃっ」


 サナは頷きながら今度は銃を構え、水を吸収したクラゲ騎士に向かって発砲。

 銃弾は、水を吸収して上機嫌なクラゲ騎士に―――直撃。

 バスッ ボンッ ボオオオオッ

 今しがた水刃砲で開いた鎧の隙間から侵入し、本体に命中すると同時に激しい炎を噴き出した。


「ッッッ?!?」


 突然身体が燃えたクラゲ騎士は、ガチャガチャと激しく鎧を動かしながら悶える。

 ガクンガクンと激しく動いて消火を試みるが―――

 ジュウウッ

 炎は消えない。内部でホスモルサルファを焼いていく。

 身を守るはずの鎧も炎を閉じ込めているので、どんどん被害が広がっていく。これは想定外の事態だ。


 普通の火ならば水に当たると消えるが、サナが撃ったのは爆炎弾である。

 たとえば油火災に水を入れると一気に肥大化して拡散するように、術式で発生させた火は水と反発して大きな力を生み出す。

 これがいわゆる『属性反発』と呼ばれるものだ。

 光と闇を含めた六つの基本属性においては、それぞれ対になるものが存在し、光と闇、火と水、風と雷がこれに該当する。

 通常の自然現象とは違い、術式や技によってこの属性を生み出すと、この対になる属性同士が反発するのだ。

 対等の力同士がぶつかっても相殺はされず、互いに1.5倍になって跳ね返ってくるという現象が起こる。

 これを防ぐためには三倍近い出力差が必要だが、クラゲ騎士にそれは不可能なこと。現在は爆炎弾の威力だけが1.5倍され、鎧の中で暴れまわっている状態であった。


 サナは再び水刃砲を取り出すと、他のクラゲ騎士にも同じように吸収させてから、続けて爆炎弾で銃撃という行動を繰り返す。

 ブシャーーー ゴポゴポッ ガタガタッ

 バスッ ボンッ ボオオオオッ


「…びっ!」


 攻撃を受けて一気に動きが鈍ったクラゲ騎士に向かって、サナが指をさす。

 最初、それが何かわからなかった戦罪者だが、はっと我に返る。


「あ? …え? ああ、攻撃しろってことですかい?」

「…こくり」

「おっ、よく見りゃ、かなり弱ってんじゃねえか! よっしゃ、一気に潰してやるぜ!」

「さすが姐さんだ!! 俺らと違って学がある! やっちまえ!!」


 炎で身体が焼け爛れたクラゲ騎士たちは、触手も焼かれて再生に時間がかかっている。

 これによって接近しても戦罪者が圧倒的有利となった。一斉に襲いかかり戦況がこちら側に向いていく。


 その光景を傍目に見ていたマタゾーが、思わず唸る。


(水刃砲を使うのは相手に水を吸収させて属性反発を強めるためと、相手を興奮させて動きを鈍らせ、射撃を当てやすくするためか。魔獣程度の知能ならば、その意図は見抜けまいな。いや、そこらの武人でもこれは思いつかない。…さすがオヤジ殿の寵愛を受けた姫よ。考えることが違うでござるな)


 経験豊富な戦罪者でさえ、いざ戦闘になると「この相手には水を使わなければいいんだな」とだけ思うのに、サナはあえて逆のことをやった。

 アンシュラオンが『水吸収』を指摘した意味をちゃんと理解している。


 いや―――理解しすぎている。


 普通の少女に、こんなことができるだろうか。いくら武人の少女であっても、これほど幼ければ戦い自体を怖がるかもしれないし、パニックに陥るものだ。

 サナに恐怖の感情がないゆえに的確に状況を観察し、適切な行動が取れるのだろう。

 戦闘センスの塊であり、アンシュラオンが施した【英才教育】が、いかに怖ろしいものがかわかる瞬間である。

 パミエルキがアンシュラオンにそうしたように、自分が持っている戦闘技術をこの少女に移植しているのだ。

 今後の成長が実に楽しみでありながら、それを見ている【凡夫】からすれば末怖ろしい限りである。


 だが、まだ幼体。サナはまだ子供だ。


 アンシュラオンのように場を劇的に変化させることはできず、多少盛り返したものの、いまだにクラゲ騎士の耐久力を押し通すには至らない。


「おぬしらは足止めをしていればよい。こちらが終わったら加勢に向かう」

「んだよ、マタゾー! 偉そうに言っている場合か! そっちだってヤバいだろうが!」

「さっさと倒して加勢に来やがれ! このクソ坊主がよ!」

「ぬしら、口が悪いと地獄に落ちるぞ」

「てめぇはもう落ちてんだろうが! なに説教垂れてんだ! 死ね! ハゲ!!」

「やれやれ、餓鬼に説法をしても無駄でござったな」


 一応はヤキチ、マサゴロウ、マタゾー、ハンベエの四人が幹部扱いになって、分散する際は各班のリーダーになるものの、戦罪者同士に上下関係はないので基本的にいつもこんな感じである。

 アンシュラオンの下において、スレイブはスレイブ。そこに差はないのだ。



(しかし、さっさと倒せか。気軽に言ってくれるものよ。これほどの相手とめぐり合えるのは幸運であるが…)


 マタゾーの前には、アーブスラットがいる。

 見た目は静かな老紳士であるが、そこから放たれている圧力は危険な魔獣を相手にしているかのようだ。

 さきほどから両者は動かない。

 正確には動けない。両者ともに実力がわかるからだ。

 マタゾーがアーブスラットの実力がわかるように、老執事も破戒僧の力がわかるのだ。

 しかしながら、その均衡を先に崩したのはアーブスラットであった。


「どうしました? 来ないのですか?」

「それは貴殿も同じでござろう」

「たしかに。ですが、リーラ様が楽しんでおられるご様子なので、私もそれに倣っているにすぎません。すぐに倒してしまってはつまらないですからな」

「それが執事というものでござるか。拙僧にはわからぬ考えであるが…我らなど物の数ではない、とでも言いたげよな」

「そう聞こえたのならば仕方ありませんな。事実は事実。曲げるわけにはまいりません」

「言ってくれるものよ」


 これがハッタリなのか本気なのかは、わからない。

 しかし、このまま時間だけが経過していくのも問題だろう。


(主人に倣う…か)


 ふとアーブスラットが言った言葉が心に留まった。

 アーブスラットの主人がプライリーラならば、マタゾーの主人はアンシュラオンである。

 ならば、それに倣うのも一興。

 あの暴力の権化のような存在に、倣ってしまえばいいのだ!!

 ただ相手を殺すために槍を突けばいい!!



「参る!!」


 マタゾーの槍が唸り、三つになって襲いかかる。アンシュラオンにも使った三蛇勢《さんじゃせい》という技だ。

 ただでさえ速い槍の一撃が三つになるのだから、受ける側としては非常に大変である。

 それをアーブスラットは、軽いステップを踏んでいなす。

 身体を掠めそうな一撃は、しっかりと手を使って受け流した。当然、腕には防御の戦気を展開しており、軽く触れたくらいでダメージを受けることはない。


 トントンッ ザッ


 それから後方に跳躍。

 マタゾーの攻撃範囲の外に移動し、難なく攻撃を退けた。

 槍はアーブスラットから三十センチは前で止まっている。ある程度の槍の間合いは推測していたが、安全のために余分に跳んだのだ。

 アンシュラオンはギロードの後ろ蹴りに対して紙一重でカウンターを放ったが、普通はそんなことはしないものだ。

 誰もがあの男ほど頑強ではない。安全策を選択するのならば、これくらいは大きくよけるものである。

 ただし、それで終わる老執事ではない。


 今度はアーブスラットの反撃。

 軽くジャブを繰り出すと、拳衝が発生。

 拳衝は修殺になる前の拳の衝撃波なので、威力そのものはそこまで大きくはない。せいぜい鎧を着た人間を吹き飛ばし、防具を破損させる程度だろう。

 それはアーブスラットも重々承知の上。もとより威力よりも手数と速度を重視したものである。

 放たれたジャブから、細かい数多くの拳圧が高速で飛んでくる。

 シュッシュッ バシバシバシッ

 マタゾーもサイドステップで回避しつつ、いくつかは槍で切り払う。その間も切っ先は常に相手に向けて牽制を怠らない。


 再びマタゾーの攻撃。

 今度は槍を払うようにして、尖端の刃を使って十字を描くように二回剣衝を放つ。

 剣王技、十文剣衝《じゅうもんけんしょう》。剣衝を二回、縦横に十字に放つことで強度と威力を上げた一撃だ。

 因子レベル1の基礎技であるが、きっかりと十字に放つのは難しい。

 一度目の剣衝と二度目の剣衝をほぼ同時に放たねばならないし、技の発動の速度も重要となるので、なかなか難しい技である。

 されどマタゾーのものは非常に綺麗な十文字をしていた。技量の高さが成せる業である。


 十文剣衝が迫る。

 アーブスラットは、今度はよけない。

 すっと重心に体重を乗せ、ストレートパンチを放ち―――破壊。

 バリンッ

 まるでガラスが壊れたような音を発し、剣衝が消失した。


「ふむ…まあ、こんなものでしょうな」


 回避も可能だったが、あえて破壊して攻撃の威力を測定したようだ。

 結果は想定の範囲内といったところだろうか。あえて砕くまでもないが、大げさに回避するほどでもないと判断。

 次からはこうした行動はせず、できるだけ適切な間合いを維持しながら拳衝で反撃をしてきた。

 それをマタゾーが捌きながら、いつしか両者は元の間合いに戻っていた。



(やはり強い。強化した十文剣衝を軽々と破壊するとは…。身のこなしも拙僧より上となれば、いきなり勝負を仕掛けるわけにもいかぬか)


 互いが牽制しつつ様子を見る。

 これがしばしの間、繰り返されることになる。




285話 「アーブスラットの狙い 後編」


 戦士と剣士が戦う場合、たいていはこうした状況になる。

 懐に飛び込んで身体能力と手数で押したい戦士を、攻撃力の高い得物を使って牽制する剣士。まさに典型的な図式である。


 戦士は極力接近したいものだ。覇王技は放出系よりも打撃や当て身、発勁で力を発揮する攻撃が多い。

 拳が届く超近距離のほうが身体能力の高さを発揮しやすいので、当然の欲求といえるだろう。

 一方の剣士は、自身が持つ攻撃力を最大限生かしたいと考えるのが普通だ。

 剣気を使えば武器の攻撃力も倍増するので、直撃すれば耐久力に長ける戦士でも危うい。

 また、剣硬気を含む放出系の多い剣王技を使えば、距離が開いても十分ダメージを与えることができる。

 やや遠めの近距離から中距離が彼らのテリトリーである。接近されると一気に不利になるので、相手を近づけないように細心の注意を払うものだ。

 こうして互いが牽制しあう状況になるのは、相性を考えれば必然である。

 ガンプドルフも驚いていたが、アンシュラオンのように堂々と剣の間合いに入って剣王技を正面から受けるなど、本来は愚の骨頂。逆に言えば、それだけ実力に差があったことを示している。

 それと比べて、今回は実力は拮抗している。互いに簡単には飛び込めない。


 だが、これもまたアーブスラットの狙いであった。


 彼は意図的に戦いを長引かせている。




(さて、戦況はどうか…)


 アーブスラットは、マタゾーと戦いながら周囲の状況をうかがっていた。

 近場はもちろん、遠くで戦っているプライリーラとアンシュラオンの戦いも、さりげなく監視している。

 この段階ではまだ守護者の封印はすべて解除されていないが、ここから見ていても実力差はかなり開いているように見えた。


(リーラ様ほどの才能があっても対応はできないか。やはり魔戯級以上と考えたほうがいいだろう。普通に戦って勝てる相手ではない)


 これで勝負が決まらないのは、アンシュラオンが遊んでいるからだ。

 そのうち本気になれば簡単に決着がついてしまう。そうなればジングラスとしては相当な打撃を受けるのは間違いない。


 どちらにせよ、この勝負は―――負け戦。


 アーブスラットは、戦う前からそのことに気付いていた。

 アンシュラオンの性格を考察すれば簡単にわかる。彼は負ける戦いをするような人間ではない。常に自分が利益を得るために最善の行動を取るのだ。

 今回はプライリーラが気に入ったから、あえてこのような勝負を持ちかけたが、もし当主が男だったら何の感傷もなく排除していただろう。


(あのような条件を出したのだ。リーラ様を殺すことはしないはずだ。しかし、それはただ生かされているというだけであって、やつの思い通りに事が進むことには変わりがない。グラス・ギースを私物化するのはかまわないが、ジングラスを私物化されることだけは阻止せねばならない)


 アーブスラットにとって、ジングラスは大切な存在だ。

 外から来た流れの武闘者である自分を、先々代の当主が拾ってくれ、そのまま先代のログラス、当代のプライリーラからも厚い信任を受けている。

 もはや自分にとって家族であり、居場所そのものなのだ。そんな大切な場所を下劣な存在から守るのが自分の責務である。

 アンシュラオンは魅力ある男ではあるが、正直なところ人の上に立つような人物ではない。場を動かす力はあるが、それだけだ。

 まさに天変地異に等しいものであり、激動によって人々の目を覚まさせるが、それ以上のことはしない存在だ。

 掻き回すだけ掻き回し、あとの責任は取らないだろう。そんな存在にプライリーラを任せるわけにはいかない。


(手段を選んでいる余裕はない。狙うべきは、たった一つ。やつの【急所】だ)


 アーブスラットの意識が、敵側の後方にいる「サナの足元」に向けられる。


 サナの位置を確認しつつも、彼女自身ではなく、あくまで足元である。

 もし直接見てしまえば、おそらくアンシュラオンはこちらに攻撃を仕掛けてくるだろう。

 恐ろしいことにあれだけの魔獣と戦っていながら、アンシュラオンの意識はアーブスラットにも向けられている。

 たびたびこちらに向かって意図的に視線を投げつけてくるので、思わずひやっとするものだ。

 アーブスラットがアンシュラオンを信用していないように、相手もまた自分を一瞬たりとも信用していない。

 互いに優れた武闘者である。こういうところも似たもの同士であった。

 彼から向けられる視線は間違いなく攻撃的なものだ。プライリーラとの交戦中でも躊躇うことなくこちらに向かってくるだろう。

 そうなれば混戦になるどころか、唯一の勝機すらなくなってしまう。

 だからこそ周囲を探るふりをしながら意識を特定しない、という高等技術を使っている。

 目の焦点を正面に合わせつつ、視界内の他の部分を見るようなものだ。訓練するとできるようになるが、それの気配察知バージョンである。


(あの男は、自分の物に対して強い執着心を抱いている。他にもスレイブはいるようだが、特にあの黒姫という少女には並々ならぬ深い愛情を向けているようだ。それがペットに対するものであれ、世の中には血の繋がった家族よりもペットのほうが好きという者もいる。彼女だけは常時連れ回しているのだ。おそらくはすべてに優先するだろう)


 そう、アーブスラットの狙いは、ただ一つ。


―――サナ


 である。


 わざわざこんな茶番を仕掛けたのも、すべてはあの黒い少女を捕縛するためだ。


 もっとはっきり言ってしまえば―――【人質】である。


 クルマで彼らを帆船に案内した時から、アーブスラットはずっとアンシュラオンの弱点を探っていた。

 だが、どこから見ても彼個人に弱点が見つからない。それどころか観察すればするほど危機感が増すばかりだ。

 どんな卑怯な手段をもちいても彼に勝つ未来が見えない。

 実際に都市最強の戦力であろう守護者を使っても、あの状況である。都市中の武人が総出で向かっても返り討ちになる可能性が高い。

 そもそも四大悪獣のデアンカ・ギースを倒し、剣豪と怖れられるDBDの魔剣士まで難なく撃退するのだ。強いに決まっている。

 むしろそれだけの力を持ちながら、あえてこんな回りくどいことをしていることのほうが不思議である。

 となれば、もはや人質を取るしか方法はない。

 プライリーラを見ていると忘れそうになるが、ジングラスも立派なマフィアである。人質を取ることはさほど珍しい手ではない。


(リーラ様は不本意だろうが、あの少女を人質に取ることができれば多少の交渉材料にはなる。あるいは逆効果になるやもしれぬが…このままではどのみちホワイトが好き勝手やることには変わらない。リーラ様をお守りするためにも、あの少女は必要だ)


 人質を取られたとき、つまりは追い詰められたときにこそ人間の本性が出る。

 動揺したり怯えたり、あるいは激しい怒りを覚えたり、もしくは最初から愛着がなければ冷徹に見捨てることもあるだろう。

 そこでアンシュラオンがどう反応するかは、実際にやってみないとわからない。

 彼が激高してさらなる実力行使に出る危険性もあるが、その際は【マングラス側と組む】という選択肢もあるし、最悪は都市を離れる必要もあるだろう。

 アーブスラットにしてみれば、ジングラス以外のものはどうでもいい。そのあたりもアンシュラオンとは考え方が似ている。


(すべてはこの場を乗り切ってからだ。まずは彼女を捕縛してから考えればいい。こちらにもカードがなければ勝負にはならない。…しかしあの少女、見れば見るほど面白い素材だ。それを知っての寵愛となれば、ホワイトもなかなか見所があるが…)


 サナは相変わらず援護射撃をしながら、実力はあるが頭が悪くて統率が取れない戦罪者をリードしている。

 マキやプライリーラの才能を見いだしたアーブスラットが見ても、その姿は将来への期待を抱かせるものだ。

 ここで殺すのは惜しいし、できれば後遺症などはなしで捕縛したいものである。



 そうしてしばらく様子をうかがっていると、好機が訪れた。

 ブオオオオオッ ギュルル ドーーーーンッ!

 風の質が明らかに変わり、突風によって運ばれてきた大量の砂埃で、急激に視界が悪くなったのだ。


(守護者が本来の力を発揮したか。ここがチャンスだ)


 ギロードが真の姿を見せたことで風の勢いが明らかに強くなった。竜巻の規模が大型ハリケーンとなり、周囲一帯を完全に巻き上げながら破壊していく。

 アンシュラオンがいくら目が良くても、この暴風の中では遠くは見通せないはずだ。

 これもアーブスラットの狙い通りである。場を長引かせたのは、これを待っていたからだ。


(油断はしない。やるのならば一気にやりきる必要がある。だが、槍使いが邪魔だな。まずはこの男を封じるか)


 トーーーンッ トーーーンッ

 まるでボクサーがタイミングを測るように、その場で少し大きく跳ね始める。

 アーブスラットの気配が変わったことを察したマタゾーも、さらに強い警戒態勢に入る。相手が突っ込んできた場合に備えて、槍をぐっと構えた。

 アーブスラットのほうが身体能力は上である。近づかれないように身構えるのは自然なことだろう。


 しかし次の瞬間、前に来ると思われたアーブスラットが後ろに下がった。


 カラン ガラガラガラッ

 コロン ゴロゴロッ コロンッ

 それと同時に何かが転がる音がした。しかも大量に。


「むっ―――!!」


 それはマタゾーも見覚えがあるものであった。


―――大納魔射津


 術具をよく使うようになったアンシュラオンたちには、すでにお馴染みのものだ。

 狐面が使ったような類似品もあるが、アーブスラットが転がしたのは純正品の本物だ。金があるジングラスにとっては、こんなものはいくらでも用意できる。

 その威力は防御無視のかなり強力なものである。ヤドイガニでさえ、岩の中に入れれば一発でお陀仏するような代物だ。

 それが、おそらくは十二個以上。

 これが一気に爆発すれば、中心地にいた者は間違いなく致命傷を受けるだろう。


 気付いたマタゾーが下がろうとするが―――アーブスラットが突っ込む。


 後退すると見せかけて、一気に間合いを詰めてきた。


(後ろではなく前に…か! 不覚! 釣られるとは!)


 まさかマタゾーも、アーブスラットが大納魔射津の中に飛び込むとは思わなかったのだ。

 しかし、特別な処理がされていなければ、起爆までには「五秒」という時間がある。

 撒いた当人はそれを知っていても、撒かれた側とすれば大納魔射津の威力のほうに気が向いてしまい、思わず失念するものである。

 これは武器であると同時に虚を生み出すための動作でもあった。その一瞬を狙って飛び込んできたのだ。


 シュッ!

 対応が遅れたマタゾーは必死に槍を放つが、すでに下がった一撃。

 槍は前に突き出してこそ真価を発揮するものである。下がりながら放った一撃は雑魚相手ならば意味はあるが、老執事ほどの達人からすれば怖れるまでもない。

 左手一本で槍をいなしながら、一瞬でマタゾーの懐に飛び込む。

 そこから高速ジャブ。

 ドガドガッ

 鋭い攻撃が仮面に当たる。防御の戦気を集中させたので、そこまでダメージはないが、頭を揺らされたことは大きなマイナスだ。

 ぐわんぐわんっ

 一瞬、マタゾーの視界が歪む。ぐらぐらと揺れる世界では老執事がはっきり見えない。

 これも距離感を惑わすためのもので、命中率を下げることが目的の攻撃だ。


 まずは相手の攻撃力を無力化させる。これも戦士が剣士を相手にする際のセオリーだ。


 どんな武器も当たらねば意味がない。それを熟知した武人の攻撃である。

 それでも鍛練を重ねてきたマタゾーの身体は、自分の意思にかかわらず動き出す。反射的に再び槍を引いて、相手を貫こうとする。

 しかしながら接近された段階では、圧倒的に剣士のほうが不利だ。特に槍は一定以上の間合いが必要である。

 アーブスラットは、その間合いを消すようにさらに密着。

 そこからのボディブロー。

 ドスンッ! メキャッァア!


「ぐふっ…」


 今度は軽い一撃ではなく、体重を乗せた強烈な一発が腹に叩き込まれる。

 鎖帷子入りの袈裟を着ているが、これは斬撃には強いものの打撃にはあまり強度はない。突き抜ける衝撃にマタゾーも思わず悶絶。

 その間にアーブスラットは、マタゾーの槍を奪おうと柄に手をかける。

 剣士は武器がないと剣気を放出できない。剣気が強すぎるがゆえに、甘んじて受け入れねばならない欠点だ。

 逆に無手の利点は、いかなる場合においても臆することなく柔軟に動ける点である。

 鍛練すればするほど強固になっていく肉体を、アーブスラットは自在に操っていた。


(なんという迷いのない動きよ。まさに武闘者。拙僧と同じ道を歩む猛者! なればこそ…負けぬ!)


 バチッ バチィイイイイッ

 マタゾーは槍に雷気を流し込む。

 彼は槍の手並みは一級品だが、身体能力に優れたタイプではないので、こうして手練れの戦士に接近されることはある。

 ここまでは仕方ない。だが、近づかれれば雷によって相手を攻撃することもできるのだ。

 『雷槍のマタゾー』の異名は伊達ではない。知らない相手がくらえば、まさに黒焦げ。第一警備商隊のウォナーを焼き殺したような強烈な雷気が奔った。


 雷気はアーブスラットを焼き焦がす―――はずだった。


 バチバチッ ブシュウウッ

 だがしかし、雷気は彼の手から―――地面へと流れる。


(まさか…水気!! 抜かった! こちらの情報はすでに筒抜けか)


 アーブスラットの手には【水気】が展開されていた。

 それが地面まで伸びており、アースと同じ役割を果たしている。アンシュラオンがたびたびやっている芸当であるが、何も彼だけの専売特許ではない。

 少しばかり属性についての知識がある者ならば、それを戦闘に生かすのは自然なことだ。

 惜しむらくは、『雷槍のマタゾー』の異名がすでに知れ渡ってしまったことだろうか。

 武人が滅多に本気を出さないのは、自分の手の内を知られないためである。もし知られてしまえば、こうして対策を練られてしまうのだ。

 それを自分よりも上の相手にやられれば、こうなるのも仕方がない。


 しゅっ バキィイイッ

 アーブスラットの蹴りが、マタゾーの左腕に命中。メキメキと骨が軋む音が体内で響く。最低でもヒビは入ったはずだ。

 今のアーブスラットは速度重視のために技を出していないが、肉体自体の攻撃力が極めて高い。


 なにせ彼の攻撃の数値は「A」である。


 アンシュラオンが「AA]なので、それに準ずる強さだと思えば、いかに攻撃力が高いかがわかるだろう。

 ただの拳一発が、普通の武人の技に匹敵する威力だ。このまま近距離でラッシュを受ければ、数秒も経たないうちにボロボロにされてしまうに違いない。


「この程度で拙僧の槍への熱意は止められぬ!」


 マタゾーは、それでも攻撃を選択した。

 掴まれていた槍を強引に引いて、ダメージ覚悟で放とうとする。その執念はさすがである。


 が、アーブスラットの狙いは―――そこではない。


 シュルルッ

 マタゾーの槍に何かが絡みついていた。おそらく掴んでいた時に仕掛けたのだろう。


 それは―――【糸】


 非常に細く、肉眼では見えないような糸が槍に絡み付いていた。

 武器を絡め取るだけが目的ではない。その糸には小さなジュエルがいくつも巻き付いていたのだ。


 アーブスラットが糸に戦気を流すと―――爆発。


 バンバンバンバンバンバンバンバンバン

 まるで爆竹のような連続した乾いた音が響き、次々と小型ジュエルが爆発していく。その様子は、まるでロボットアニメのチェーンマインのようだ。

 マタゾーは槍を守るために戦気でガードするが、近距離で爆発したジュエルの威力を完全には防ぐことができない。

 左手に火傷と裂傷を負いながら、指が何本か吹っ飛んだ。

 左腕の骨にヒビが入り、指まで吹っ飛ぶ。左手は槍を支える大切な部位だ。この段階でマタゾーの攻撃力は半減したといえる。


 そして、さらにとどめ。


 アーブスラットは爆発の寸前に糸を切り離してマタゾーの背後に抜けており、見事に位置を入れ替えていた。

 その不安定な体勢にもかかわらず、見事な体術で反転して回転蹴りを放つ。

 ドゴッ

 アーブスラットの蹴りによって背中を押されたマタゾーが、前につんのめって数歩前進を強いられる。

 そこは大納魔射津が大量に転がった地点。


 その瞬間にきっかり五秒が経過し―――爆発



 ドドドドドドオドドドドドオドドドドオドドンッ



 激しい爆音を響かせ、大地とマタゾーが爆炎に包まれた。




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