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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第五章 「裏社会抗争」 編 第三幕 『獣と獣』


266話 ー 275話




266話 「ジングラス総裁からの招待状 前編」


 その日、荒野にはアンシュラオンとサナ、マタゾーと戦罪者五名の面々がいた。

 ここにいる目的は、ジングラスのトラクターを襲うためである。

 襲えば襲うほどジングラスは弱り、都市での影響力を失っていく。まだ本格的な食糧不足には陥っていないが、キブカ商会の手を借りねば間に合わなくなるのは必至である。

 そして、相手が屈するまでこれを続ける。

 これはジングラスに限ったことではない。ハングラスもそうだし、マングラスも同じだ。目的を達するまでひたすらやり続ける予定だ。

 しかしその日は、いつまで経ってもトラクターがやってくることはなかった。


「敵に勘付かれましたかな」


 手持ち無沙汰なのか、マタゾーが槍をくるくる回しながら話しかける。

 その槍先で軽く石を叩くと衝撃が内部で拡散し、サラサラとした砂になって崩れ落ちる。

 さきほどからその遊び(鍛練)を続けているせいか、周囲の岩場の一部が砂場になってしまっている。それだけの時間をここで持て余しているということだ。

 サナに至っては、座布団に腰を下ろしながら茶を飲むというまったりモードである。そんな彼女の髪の毛を撫でながらアンシュラオンも暇を潰している状態だ。


「何度も襲っているしな。そろそろ相手もやり方を変えてくるだろう。気付いたか? ここ数日、都市内部の連中がやたら静かだ。ちょっと前ならすぐに襲いかかってきたもんだが、オレたちを見ても遠巻きに監視するだけだ。まるで最初に戻ったかのようにな」

「そういえば随分と静かなものでござったな。てっきり弱腰になったものと思っておりましたぞ」

「派手に暴れすぎたこともあるが…次の段階に入った可能性が高いな。やつらの中で何か大きな動きがあったはずだ。そうでなければ辻褄が合わないしな。もしかしたら【制裁】の可能性もある」

「となると事務所が危険では? 全派閥が結託する可能性もありましょう」

「普通の制裁ならばそうかもしれないが、マフィアたちの雰囲気が妙にナイーブだ。上から手出しするなと言われたんだろうな。この【パターン】の場合、おそらく『ジングラス側が勝った』と考えるべきだ」

「例の四大会議というやつですな」

「そうだ。四つの派閥が話し合って都市の方向性を決める会議だ。制裁もそこで決議するそうだが、各勢力の思惑もあるだろう。足の引っ張り合いをするのはどの世界でも同じだな」

「ふむ、面倒なものでござるな。拙僧はもっとシンプルなほうが好みですぞ。闘争に言葉は必要なし。ただ殺すことに集中すれば道は簡単に開けましょうに」

「そんな都市だったらオレが動かずとも自滅するぞ。というか人間の生産性を完全否定だな」


 まったくもって不毛な世界である。もはや何も残らない。

 誰もが戦罪者のように純粋な闘争を求めるわけではない。大半の人間は普通に生きることを欲するものだ。

 かくいうアンシュラオンも最終的にはそのタイプ。基本はまったりとだらだら暮らすことを第一目標にしている。

 ただ、それでは刺激も何もない生活なので、今のような娯楽に興じることもあるというだけの話だ。

 それでまた金と安全が手に入れば、前にサナを手に入れた時にやったように、しばらく駄目人間生活を満喫するだろう。それに飽きたらまた何かをする。その繰り返しだ。

 人間なんて、そんなものである。


「ともあれ拙僧には細かいことはよくわかりませぬな。オヤジ殿にお任せするだけのこと」

「オレも全部の動きがわかっているわけじゃないけどな。だいたいはソブカの計画に沿っているだけだ。今のところはその通りになっているから、あいつはやっぱり優秀なやつさ」

「その御仁を随分と気に入っておられるようですな」

「昔の自分を見ているようで痛々しいだけさ」

「なるほど。写し身でござるか。しかしながら人の欲望は果てしなきもの。かの御仁も血に酔わねばよいでござるな。一時の誘惑がすべてを誤らせることもありましょう。特に本性が凶暴ならば、必ずいつかは表に出るものでござる。隠すことはできませぬ」

「お前が言うと説得力があるよ。さすが坊主だ」

「ただの経験談でござる」


 マタゾーは闇側の人間であるが、彼にもまともな時代はあったのだろう。少なくとも破門されるまでは僧侶として欲を抑える修行をしていたはずだ。

 だが、どこかの段階で誘惑に負けた。血の衝動を抑えきれなくなり、堕ちた。

 人間は一度堕ちれば自分ではなかなか戻れない。一度罪悪感を乗り越えると痛みを感じにくくなるものだ。

 ソブカがそうなる危険性は常にある。彼の中には【獣】が住んでいるのだから。

 獣が住んでいなければこんな計画など立てられないだろう。普通の人間からすれば、愛に反する行為、人を殺したり蹴落とすことは狂気の沙汰でしかない。

 アンシュラオンもかつて獣を宿していた。いや、今も宿している。無意識下の闘人を見てもわかるように激しい暴力的衝動がそれだ。

 ただ、一度経験しているからこそ抑えられる。前の人生で失敗した経験があるから、獣と付き合っていくことができる。

 それでも時々暴走しそうになるので、ソブカに至っては日々欲求との闘いが起こっているに違いない。その彼がいつ狂気に侵されても不思議ではないだろう。


(ソブカのことはあいつ自身に任せるしかない。もし狂ったら…それはそれで仕方ない。オレは自分の目的のために動くだけさ。最悪はサナと自分のスレイブだけを守ればいいからな。そこは気楽だ。さて、ここまで待って来ないとなると、やはりルートが変更されたか別の要素が加わったと見るべきだろうな)


 ここ数日、相手の対応に明らかな変化が起こっていた。

 襲撃しても相手は抵抗せず、さっさと逃げの一手を打つ。そのまま増援が来ることもなく終わりだ。

 これが続けて起きた時、次の段階に入ったことに気付いた。


 今日あえて外に出たのは、仕掛ける絶好の機会を献上するためだ。


 相手がその気ならば、何かしらの動きがあるはずだ。それを誘ったのだ。


(ソブカが想定していたパターンは、四つ。まずはマングラスを中心に全面攻撃に出てくる可能性。次にラングラスが中心となって攻めてくる可能性。領主および剣士のおっさんが関わってくる可能性。最後にプライリーラが主導権を握る可能性。多少の差異はあれど、大きな流れではこの四つのどれかだ)


 一番高い可能性が、マングラスが中心に行われる制裁であった。

 最大勢力かつ余力もあるので、制裁の中心を担うには頃合である。もし彼らが権力闘争に出れば、間違いなくリードしようとしてくるシチュエーションであった。

 動きがあることはいいことだ。敵が巣穴から出れば、そこに何かしらの痕跡が残るものである。それによってグマシカの居場所の手がかりも見つかるかもしれない。

 どんなに見事に隠れようと、何かが存在した形跡というのは完全に消し去ることはできないことを、アンシュラオンは魔獣との戦いの中で知っている。

 しかし都市内の状況を考えるに、少なくとも今はその可能性は潰えたようだ。


(オレとしてはこっちがよかったな。出てきてくれれば締め上げることもできたのに。ったく、用心深いにも程がある。で、ラングラスって可能性もあったが…やっぱり戦力不足なのかな。あるいはムーバってやつの弱腰が影響か? ソブカやスラウキンの話じゃ穏健派だっていうしな。まあ、ソイドファミリーをここで潰すと面倒だから出てこないほうがよかったけど)


 ソイドファミリーを残しているのは、しっかりとした計画があるからだ。

 ここで出てきた場合は仕方ない。次の派生パターンで修正すればいいとは思っていたが、結局は出てこなかったので最初の計画でいけばいいだろう。


(次の領主のパターンは、まずない。オレの【仕込み】が発動していれば可能性はあったが…どうやらまだらしい。剣士のおっさんはあれから行方知れずらしいし、出てくる可能性は低かった。ここで西側の人間が出てくるとややこしくなるからな。都市が落ち着くまでは、そのまま静かでいてほしいもんだ)


 マキとは揉めたが、基本的に領主軍は外からの侵略に対する抑止力なので、積極的には動かないだろうと予測はしていた。

 もともと領主は施政権を四大市民に委託している状況だ。そう簡単には出てこないだろう。

 仮にガンプドルフが出てきた場合は、「西側共犯説」をでっち上げて混乱させる計画もあったが、本当に刺激しすぎて戦争になったら困るのでやめておく。ソブカもそれは危険だと言っていた。

 アンシュラオンは最悪都市を捨てればいいが、グラス・ギースに住む人間にしてみれば、これ以上のリスクは冒せないのだろう。


 そして、最後の一つこそが―――ソブカの個人的な最有力候補であり、本命。


 可能性としてはさほど高くはなかったが、穴馬としては十分ありえるパターンであった。

 これが起こった場合、他の勢力が攻撃をやめるという話だったので、今回はそれに完全に当てはまる。


 それを証明するように、ついに動きがあった。



「オヤジー、クルマが来るぜ!!」


 高台になっている岩場で見張りをしていた戦罪者が、その存在の接近を探知する。


「どこのだ?」

「…羽馬の紋章、ジングラスだ! だが…トラクターじゃねえ。普通のクルマだぜ」

「乗っているやつはわかるか?」

「ちょっと遠くて見づらいが…一人っぽいな。男だ」


 この戦罪者は目が良いタイプの武人なので、まだ十キロ以上は先を走っているクルマの運転席が見える。

 そこにいたのは一人の男。


(男…か。プライリーラじゃないのは間違いないな。さて、どういうつもりかな。ソブカの話では、プライリーラが主導権を握った場合は戦獣乙女として動く時だと聞いている。それはつまり『オレと戦う』ということだ。それならば当人がやってくる可能性が極めて高いはずだが…)


 アンシュラオンもプライリーラが戦うつもりでやってくると思っていた。

 集団とは言わないが、せめて噂の魔獣たちを引き連れてくるものだと考えていた。

 それがクルマ一台、しかも一人だけとは予想外の展開である。

 周囲は見晴らしのいい荒野なので、地下に潜ってでもいない限りは伏兵などはいないだろう。ただ、アンシュラオンが波動円ですでに地下の安全も確認済みだ。


(ソブカの予想が外れたか。そりゃそうか。あいつもただの人間だ。優秀だが、すべてが見えるわけでもない。相手が想定外のことをやることもあるだろう。はは、それはそれで面白いじゃないか。相手が違う動きをするから面白いんだ。そうでないと余興の意味がないな。まあ、まだ偶然通りかかった可能性もある。ここは様子見だな。べつに男に会いたいわけじゃないしな)


「隠れるぞ。様子を見る」

「うすっ!」

「気配は消しておけよ。体温も岩に合わせろ」

「了解です!」


 アンシュラオンたちは岩陰に身を隠して気配を消す。

 戦気術の一つに【隠形《おんぎょう》】というものがある。生体磁気を意図的に抑えて完全に気配を消す技だ。

 体温調節も可能なので、熟練者となれば熱源感知やサーモグラフィーでも認識されなくなる。程度の差はあれど戦罪者でも使える技だ。

 字は違うが同じ読みで、術式でも【隠行術】というものがある。こちらは実際に視覚も誤魔化せる優れものであるが、かなり高度な術なので普通の術士ではまず使えないし、そこまでする必要はないだろう。

 岩場もかなり隆起しているので、これならば発見はまずされないはずだ。

 ちなみに隠形が使えないサナはアンシュラオンが周囲に凍気を展開させて覆い、周囲との温度差をなくしている。



 ブオオオ

 クルマが少しずつ接近してくる。



 ここはルートから少し外れているので、岩場に用事でもなければ絶対にやってこない場所である。

 こんな荒野のただの岩場。そんな場所に用がある者など普通はいない。鉱脈でもない、ただの岩なのだ。

 そのクルマも普通に通り過ぎようとしていた。



 が、その瞬間―――触れられた。



「ちっ…」


 アンシュラオンが舌打ちをする。


「手練れ…ですな」

「ああ、いきなり男に触られるなんて気持ち悪いが…相手を褒めるべきだろう。ちょっとなめていたかな」


 アンシュラオンが舌打ちしたのは単純に男に触れられたことが不快だったからだが、油断していたことに対する自分への苛立ちでもあった。

 クルマとの距離は五百メートル。

 この距離まで【触手】を伸ばせる者がいるとは思わなかったのだ。だが、油断は油断。落ち度は落ち度である。


「出るぞ。もう見つかった」


 アンシュラオンの号令で岩場を出ると、クルマもすでにこちらの方向に向かってきていた。



 プシューーー ドンッ


 クルマが岩場に到着し、止まる。

 少ししてからクルマのドアが開き、一人の男が出てくる。


 初老の男性で小奇麗な執事服に身を包んだ者、アーブスラットである。


 トコトコトコ ぺこり

 彼はアンシュラオンを見つけると迷うことなく近づき、優雅に一礼して見せた。

 戦罪者が臨戦態勢に入っているにもかかわらず、彼の行動に一切の淀みはなかった。



 そして―――その名を呼ぶ。



「【アンシュラオン】様、お迎えにあがりました」






267話 「ジングラス総裁からの招待状 後編」


 アーブスラットが放った言葉に、周囲の戦罪者も一瞬固まる。

 戦罪者には最初から自分がアンシュラオンだと名乗っているので、そのことについてはどうでもいい。

 彼らは強さ以外のものに興味を抱かないので、名前になど価値がないのだ。


 問題は敵側の存在がそれを知っていることだ。


 ただし、アンシュラオンは少し驚きながらも冷静に受け止める。


(本名がバレるのは仕方ない。ソブカだって知っていたくらいだしね。そりゃ目立つよな。デアンカ・ギースだって何も知らないで普通に倒しちゃったけど、あれって有名な魔獣だったみたいだしさ。少し派手にやりすぎたかな。姉ちゃんが若干怖いけど、ここまで目立ってもまったく反応がないってことは…もしかして違う地方に行っているのかな? 追うのをやめていてくれると嬉しいんだけど…病んでるからな、姉ちゃんも)


 仮面を被っているのは姉を警戒して本名を広めないためだ。

 が、さすがに限界があったようだ。ここまで目立つと隠すことは難しいだろう。

 それにあの姉のことだ。近くにいるのならばとっくに調べ上げて襲っているはずだ。それがないということは、もしかしたらこの北側の地方にはいないのかもしれない。

 それならそれでありがたいが、逆に怖い。

 もし全部を理解していて何もちょっかいを仕掛けないのならば、そっちのほうが不気味である。


(オレも姉ちゃんの思考だけはわからん…怖い…怖いよぉ。あの人がマジになったら逃げるしかないよぉ。強くて頭が良いのに狂ってるって最悪の条件じゃんか。うむ、そのためにも金は必要だ。今回の計画はぜひとも成功させねばな)


 姉はアンシュラオンが怯える唯一の存在である。見つかったら逃げの一手しかない。

 仮に逃げおおせても派手に動いたらまたバレるので、ひっそりと隠れて暮らすのにも金が必要となるだろう。

 見つかった件も含めて、少し緩んでいた気持ちを引き締める。



「そんなあなたは、どこのどちらさんかな?」

「失礼いたしました。わたくし、ジングラスグループ総裁であられるプライリーラ・ジングラス様の執事をやっておりますアーブスラットと申します」


(こいつがアーブスラットか。たしかプライリーラの執事兼護衛。ジングラス最強の武人だったな)


 基本プライリーラが前線に出ることはないので、実質的にはアーブスラットがジングラス最強ということになる。

 四大会議の護衛の場にいた者たちが各勢力の最強格と思えばいいだろう。

 すでにグランハムは死んでいるので、ソイドダディー、セイリュウ、アーブスラットが該当する。


「ちなみにオレは、ホワイト商会のホワイトだよ」

「はい。存じております」

「ふーん、全部承知の上か。でも、いきなり本名で呼ばれるのは気持ちいいものじゃないね」


 ハンドルネームが主体のSNS上の会話で、いきなり本名で呼ばれるようなものだ。

 それが親しい相手のうっかりならばいいが、好まない相手からの恣意的なものならば不快になって当然だろう。


「では、ホワイト様とお呼びいたしましょう。それでよろしいですかな?」

「そうだね。周りが混乱すると困るから、そっちで呼んでもらおうかな」

「かしこまりました」

「で、何の用? わざわざオレを捜していたんだ。それなりの用事でしょう?」

「はて、用があったのはあなた様のほうだと思いましたが? 私を待っていたのではないのですか? だいぶ離れた距離から視線を感じましたが」

「…待ってはいたけど男のほうじゃないな。じいさんと逢引きなんてお断りだね」

「それはそれは残念でございましたな。ご期待に添えないようで申し訳ございません」

「いや、期待には応えたと思うよ。その執事姿は仮面だってことがよくわかった」

「これが素顔でございます」

「とぼけるなよ。波動円を五百メートル以上展開していただろう。しかも触手状に変化させてな」

「ああ、その件ですか。その程度は執事のたしなみ、といったところではないでしょうか」


 アーブスラットが伸ばした波動円の距離は、およそ五百メートル。

 剣豪のガンプドルフが三百メートルだったことを考えれば、それがいかに優れたものかがわかるだろう。

 ただし、波動円は必ずしも球体状に変化させる必要はない。安全が確保できていれば一部を変形させて使うこともできる。

 たとえばアーブスラットの場合、視界が利く地上前方180度は無視し、地下と障害物に絞って探査すれば通常以上の距離に展開できる。


 それはまるで―――『触手』


 植物のツルのようなものがアーブスラットから無数に伸びて、岩場の裏側を探ったのだ。

 その代わり他の箇所が短くなるので一長一短ではあるものの、これだけ伸ばすことはなかなかできない。


「正直、少しイラっとしたね。完全に無防備だったからさ。男に触れられる気持ち悪さを思い出させてくれたよ。どうもありがとう」

「あなたでも警戒を怠ることがあるとは意外でした」

「そりゃ人間だからね。油断することはあるよ。それでも致命傷にはならない自信があるだけさ」

「なるほど。さすがでございますな」


(波動円の形状変化は高等技術だ。こいつ、強いな。間違いなく剣士のおっさんレベルだ。しかもあの距離で戦罪者の視線にも気付いていたとは…やるな)


 アーブスラットはにこやかに笑っているが、鋭い目はアンシュラオンと周囲を監視している。

 おそらくこれが彼の日常。武人として常に臨戦態勢状態。


 つまり―――武闘者。


 執事然としているが中身は完全なる武闘者であり生粋の武人である。その面皮の下には、凄まじき修練と鍛練を経て熟成された武闘者の顔がある。

 あまりに静かで気付かない者もいるだろうが、アンシュラオンとマタゾーは確実にその圧力を受けていた。


 おそらくは―――ガンプドルフ級の相手。


 ただ、彼は当時魔剣を使っていなかったので、その状態で匹敵する存在という注釈が必要である。

 それでも一線級の武人であることには変わらない。アンシュラオンも刺激されて思わず疼きそうになる。


(ははは、いいじゃないか。執事のじいさんが強いってのは、ゲームでもよくあるテンプレだ。これは面白くなってきた)


 古来より執事のじいさんは強いのが相場だ。アーブスラットも多分に漏れず、そうした部類なのだろう。

 いきなり触れられた時はラブヘイアのトラウマを思い出して不愉快だったが、こうして改めて見ると実に興味深い。


「あんたがオレとやるってこと? それでもいいよ。なかなか楽しめそうだ」

「オヤジ殿、ここはぜひ拙僧に」

「ふん、坊主は欲深いな。しょうがない。じゃんけんで…」

「お待ちください。本日参ったのは違う理由です。わが主、プライリーラ・ジングラス様より伝言を預かっております」

「へぇ、回りくどいことをするね。内容は?」

「ジングラス総裁であられるプライリーラ様が、ぜひともあなた様をお茶会にご招待したいとのことです」

「お茶会…ね。『戦獣乙女として』ではなくて?」

「ジングラス総裁として、です。少なくとも今は」

「いつやるの?」

「すでに用意はできております。こちらはいつでも歓迎いたします」


(プライリーラから話がある、か。しかも総裁として、ね。…そこそこ興味深いな。どのみち会うことにはなるし、一度じっくり会ってもいいかな。やっぱり生で会わないと印象ってのはわからないもんだ。いいチャンスかもな)


「じゃあ、今行くよ。あっ、妹も一緒ね。そうじゃないと行かないよ」

「もちろん大丈夫です。プライリーラ様は子供もお好きですから」

「マタゾー、お前たちは帰っていいぞ。オレが戻るまですべての敵対行動を中止して事務所で待機していろ。自衛のみ戦闘を許可すると他の連中にも伝えておけ」

「心得ました」


 マタゾーは受けた命令を忠実にこなし、さっさと戻っていく。

 その後ろ姿にアンシュラオンを案じるものは一切ない。その強さに絶対の信頼を置いているからだろう。


 アーブスラットもその様子を見て感嘆する。


「よく馴らされておりますな」

「スレイブだからね。そういうもんでしょ? スレイブってのは」

「おっしゃる通りです。ですが扱うのが人間である以上、すべてを思い通りにすることは難しいものです。ましてやギアス無しで言うことを聞かせるのは至難かと。特にああいった手合いは特殊な信念を持っておりますからな」


(マタゾーにギアスがないのを見破ったか。この短時間でよく観察しているもんだ)


 アーブスラットもサナ同様、観察眼を持っている可能性がある。

 ただ、サナが純粋にそのままを受け入れるものに対して、彼は疑いによって相手の弱点を見抜こうとする。実に油断できない男である。


「では、参りましょう。ご案内いたします」





 ブオオオッ

 アンシュラオンとサナを乗せたクルマが、荒野を移動している。

 他の人間はいないことから、アーブスラットも武に自信があることがうかがえる。あるいは自分を捨て駒にしてもいいと思っているのかもしれない。

 どちらにせよ今は戦うつもりがないので、お互いにリラックスしている状態だ。


「…ふぅ」


 アンシュラオンは仮面を脱ぐ。サナの仮面も取ってあげた。

 それにはアーブスラットも若干大きく反応をした。さすがに意外だったのだろう。


「素顔を晒してもよいのですか?」

「仮面を被るのも疲れるからね。好きで被っているわけじゃないよ」

「特定の思想がおありなのかと思っておりました」

「そこまで変態じゃないね。そうだな…ノリかな。雰囲気作りだね。最初は違う目的で被ったけど、今じゃ注目される立場だ。それならパフォーマンスも必要さ。こっちのほうが見ているほうも面白いでしょう? 顔がわからないほうが逆に気になるだろうしね」

「他人を楽しませるために、ということですか。思ったよりエンターテイナーですな」

「つまらない世界から来たからね。楽しまないと損だ。オレはここで好きにやるつもりだよ」

「羨ましいほど自由ですな」

「まあね。あんたらはそうはいかないってことも知ってるから同情しているくらいさ。あっ、そうそう、聞いたよ。アーブスラットさんはマキさんの師匠なんだって? 彼女の戦いを見たけど、なかなかよかったね。どういう縁なの?」

「キシィルナ嬢がこの都市にやってきた幼い頃に、数年ばかり基礎を教えただけです。当時はキャロアニーセ様がよく子供たちに塾を開いておりました。その催しのついでに素養ある子を見定めることもしていたわけです。ジングラスも都市への貢献の一環として私を派遣することもありました。プライリーラ様も同年代に触れる機会が必要でしたので」

「なるほど。領主軍にスカウトするためか」

「領主様にはそういう意図もあったようですが、キャロアニーセ様は普通に子供たちを想ってやっていたと思います。特に女性への護身術指導にはご熱心で、女児にも金的攻撃を教えておりました」

「それは…痛いな。肉体操作ができなければ悶絶だ。キャロアニーセって人は、どれくらい強いの?」

「かなりの腕前だったと記憶しております。今のキシィルナ嬢に匹敵する強さでしょう」

「女性で強い武人はどれくらいいるの?」

「さて…キャロアニーセ様やキシィルナ嬢が特別なだけで総数は少ないはずです」

「ふーん、やっぱり強い女性はレアだな。なおさらマキさんが欲しくなったよ」

「彼女が気に入ったのですか?」

「うん、嫁にするつもり。綺麗だし巨乳だし強いし、性格も面白いしね。何でも信じちゃうところとか可愛いし。あれは素なのかな…うーむ、素なんだろうな。当人も楽しんでいるようだからいいけどね」


 商店街でマキと別れた際も『悲劇のヒロイン』を楽しんでいるようだった。

 当人に自覚はないようだが、それでも楽しければ問題はないだろう。


「結婚という話ですが、身を固めるおつもりなのですか?」

「それとはちょっと違うかな。オレの国では一夫多妻制が当たり前だからさ。妻の中の一人って意味だよ。ただ、近親婚も当たり前にあるから一番の妻はこの子だけどね。これも【王族の義務】ってやつさ」

「…それは面白い話ですな」

「国はもうないけどね」


 平然と嘘をつく。このあたりもいつも通りだ。


「グラス・ギースにはどのような目的でいらっしゃったのですか?」

「最初に来た一番大きな都市だったから。それだけさ」

「では、特にこだわりはないと?」

「そうだな…今は少しばかり愛着はあるかな。でも、場所というよりは【人】かな。ここはいろいろと便利な場所だしね」

「…なるほど」


 アーブスラットは、アンシュラオンが無意識にサナの髪の毛を撫でたことを見逃さない。


(この少女の詳しい情報は出てこなかったが、領主城の事件前後の状況を考えれば白スレイブの可能性が高い。やはり【人的資源】が目的か。リーラ様の見立ては正しかったのかもしれないが…人柄はどうだろうか。急に気安く話し始めたことをどう捉えるべきか。演技というよりは…やはりこういう性格。短気だがカラッとした陽気さも持っている。人間としてはわかりやすい部類ではあるが…)


 アーブスラットはこの会話中、ずっとアンシュラオンを観察していた。

 こうして生で観察できることは非常にありがたい。しかも仮面すら脱いでいる。顔から得られる情報はとても多いのだ。

 スレイブに執着していることから、情報通り支配欲が強い人間のようである。

 今まで出会った人間の中では領主がもっとも近しいだろうか。彼もまた家族以外はスレイブしか信用していない節がある。

 ただ、どこか投げやりな感じというか、「楽しければいい。飽きたらそれまで」といった無責任な印象も受ける。

 その反面、黒い少女を大事にしていることから、気に入ったものはとことん愛するタイプのようだ。

 享楽的で即物的でありながら人情味もある。相思相愛となれば、これほど信頼できる相手もいないだろう。

 同じ系統でも、ころころと意見を変えるタイプよりは十分人間として理解しやすい。


 問題は、プライリーラとの相性だ。


(なんとなくリーラ様にも似ている要素がある人物だ。かといって似ているからいいというわけではない。そのあたりが吉と出るか凶と出るか…。どのみちやるしかない。もう少し観察して情報を集めておこう)



 こうしてアンシュラオンはプライリーラの招待状を受け取った。


 向かう方向は南西。

 どんどんと都市から離れていく。




268話 「ジングラスの武装商船へ」


「格好いいクルマだね」

「クルマにご興味がおありですかな?」

「昔は全然乗らなかったし、今なら少しは乗ってみたいとも思うかな。こういう感じのクルマもいい」


 アーブスラットのことが気になってクルマにまで気が回らなかったが、ジングラスの公用車だけあってなかなか高級感がある。

 地球に頭の部分が少しジープに似ているハマーリムジンという車があるが、それにやや似た形状をしている。

 色は白で清潔感があり、エメラルドと金で描かれた羽馬の紋章が美しく映える。

 ダビアのクルマもそうだったが内装もキャンピングカーのようになっており、この荒野で何日も車内で過ごせるだけの設備が整っているようだ。

 都市間が千キロ以上離れることもざらなので、このあたりは商用だろうが一般用だろうが変わらない。


「これも西側から買ったの?」

「はい。型落ちしたものや壊れたものを格安で仕入れ、それをリストアして売る商会が南の都市にあります」


(日本でいうと廃棄回収品がアジアや中東に渡るようなもんだな。実際、まだまだ使えるものも多いんだろうし…これも東側では大きな商売になりそうだ)


 金を出してまで捨てた廃品が転売されていると知ると微妙な心境になるが、リサイクルという意味では悪いものではない。

 それに技術が未成熟な東側にとっては先進国が多い西側の技術を奪うチャンスでもある。


「クルマの解析をして、こっちで生産できるようにならないかな? グラス・ギースでも造れない?」

「ジュエルの制御が多少大変そうですが、原理としてはさほど難しいものではありません。可能ではありましょう。ただ、グラス・ギース周辺となると鉄鋼技術が発達していませんので、まずはそこからになりそうです」

「グラス・ギースでは製鉄はやってないの?」

「そのようですね。基本的には輸入でまかなっております」

「たしかに面倒なのはわかるけどさ…がんばればできそうだよね。質はともかく砂鉄と木炭があれば何とかなるし」

「私はそちらの方面には詳しくありませんが、そうなのでしょうか?」

「オレも専門家じゃないけど原理くらいは覚えているかな。やったことはないから試さないとわからないけどさ。グラス・ギース周辺には砂鉄くらい山ほどありそうなんだけど…どうなんだろう」


 日本も「たたら製鉄法」というものがあり、六世紀頃にはすでに製鉄が始まっていたという話もある。

 それを思えばグラス・ギースだけでなく東側の技術は遅れているだろう。

 ただこれもこの世界にはジュエル文化が存在し、なおかつ人間の能力がかなり高いので、鉄という存在の利用価値がだいぶ下がっていることも普及しない大きな要因である。

 武人の拳一発で鉄壁くらい簡単に破壊できてしまうのだ。建築にしても、今の石と木材をジュエルで強化する方法で十分間に合う。


(でも、西側のクルマはやっぱり金属を使っているんだよな。石や木材を強化してあれほど強くなるんだったら、金属を強化すればさらに強くなるはずだ。剣だって石製だったら剣気で強化しても切れ味は鈍るだろうし。うーん、やっぱり【必要性】という問題かな。切羽詰っていないから緊急のものではないんだろう。難しい問題だ)


 ないならなくてもいい、というのは共感できるフレーズだ。

 ただ食べるだけならば高価な食器がなくてもいいし、ただ飲むだけならば紙コップだっていい。その要素を求めるだけの必要と余裕がないのだ。


「…ふむ」


 一人でうんうん唸っているアンシュラオンをアーブスラットが珍しそうな目で見ていた。

 ホワイト商会といえば無法者として有名だ。彼らは敵には容赦しないし数多くの人間を殺傷している。

 そこから連想するのは盗賊や山賊といった略奪者のイメージだ。その暴れん坊と今のイメージが重ならないのである。


「博識でございますな。商売に対する意欲まであるとは少々意外です」

「あまり口を出したくはないけどグラス・ギースが遅れているからね。もっとこうすればいいのに、と思うことはあるさ」

「それならば、ご自分でやるのも手かもしれません。せっかく商会があるのですから」

「自分でやるのは面倒なんだよね。それこそ輸入でいいかって思っちゃうし」

「なるほど…では、ジングラスグループの力をお使いになるのはどうでしょう?」

「ジングラスって食糧担当でしょう?」

「新しく商会を作る手助けはできましょう。物流に関しても援助は可能です」

「それで他の派閥は何も言わないの?」

「さて、前例があまりないことですからな。なんとも言えません。が、前例がないということは対処の仕様もないということです。近年では新しい事業を始める者もめっきり減りました。雇用が増えるのならば望まれるでしょうな。…ただ、マングラスの査察をどうするかが問題となります」

「ふーん、今回の話もそのあたりが関係していそうだね」

「これは迂闊でしたな。この話はここまでにいたしましょう。主人の話題を掠め取るなど執事としてはあるまじきことです」


(と言いながら、これも計算ずくって感じはするな。ある程度探るように言われているのかもしれないし。…プライリーラはどういうつもりかな。オレと戦いたくないって雰囲気は執事のじいさんからも感じるけどね)


 アーブスラットは一切油断していないが、敵意を剥き出しにしているわけでもない。

 考えてみれば、アンシュラオンがジングラスと争う理由はない。ソブカの計画に乗ったからこそ派生した事態である。

 そこをどう捉えるかが今後の分かれ道となるだろう。


「で、都市から離れているようだけど…どこまで行くの? 太陽の方角からすると南西かな?」

「今回のことは我々だけの秘密です。都市とは距離を取る必要があります」

「さっき追っ手が消えたのは、そっちが処理したのかな?」

「…お気付きでしたか」

「そりゃね。あんな油断はもうしないさ」


 実はここに移動してくる間、ずっと後をつけている者がいた。

 戦獣乙女に一時的に全権が委ねられたとはいえ、彼女がジングラス総裁であることには変わりない。密偵を送り込むのは当然のことだ。

 が―――消えた。

 何キロも背後から数人がつけていたようだが、それが一人ひとりと消えていった。


「このあたりは魔獣も多いですからな。油断すれば人間など簡単に食われてしまいます。ここまで来たのはそのためです」


(まだ距離はあるが、もう少し行けば警戒区域か。ヤドイガニどころか、それ以上の魔獣も頻繁に出る場所らしい。武人であっても油断できない場所だな。ただ、こうも都合よく追っ手が消えるとは思えない。普通に考えればこいつらが消したんだろうが…探知できなかったな)


 追っ手が消えたのは間違いないものの、どのように消えたのかがわからない。

 アンシュラオンは探知型の武人ではない。あくまで戦闘型なので何かを探したりするのは得意ではないのだ。

 技量が高いので一般の探知型武人のようなこともできるが、そっちが専門の者には遠く及ばないだろう。


(波動円の距離はオレのほうが上だが、探すほうはこのじいさんのほうが上かもしれないな。ガチの戦闘になれば問題ないが、ジングラスにはいろいろと『面白いもの』もいるらしい。搦め手には注意が必要だな)





 グラス・ギースから南西におよそ百五十キロ進んだ地点には、相変わらず荒野が広がっていた。

 所々に森はあるが、基本的には荒れ果てた大地が広がっているだけだ。


 ただ、その場所にはひときわ大きな【船】があった。


 船体の長さは二百メートル、幅は五十メートル程度。普通のクルマよりも遙かに巨大で、明らかに人を運ぶものだけでないことがわかる。

 この世界の戦艦は最大で二千メートル以上もあり、ガンプドルフの巡洋艦にしても全長五百メートル以上はあるので、これでも小型の部類に入る。

 その形は、やはり帆船型と呼ぶべきものだろう。マストに帆を掲げた大型帆船が地上を走っている姿は、なかなかに壮観である。

 バチバチバチッ

 時々帆が光輝き、何かの力場が周囲に展開されているのが見える。


「あの光ってるのは何?」

「あれで周囲に結界を張っているのです。遠くから視認されにくくする特殊フィールドです。同時に弱い魔獣を近寄らせないためのものにもなります」

「ああ、戦艦にもあったやつか。あれって戦艦なの?」

「登録上は【輸送船】となっております。商船というやつです」

「あの砲台は撃てるんでしょう?」

「もちろんです。そこにこだわるのならば武装商船とも言えましょうが、大型魔獣を倒すためのものというよりは威嚇して退けるためのものです」

「へぇ、それでも面白いよ! あれでドンパチやったら楽しそうだな! 戦艦と戦えるの?」

「小型の巡洋艦ならば少しはやれると思いますが…軍用ではありませんから分が悪いでしょう。特に防御面では戦艦のほうが強固です」

「ほー、へー! 一応は戦えるんだ。いいね、素晴らしい!」

「…やたらと楽しそうですな」

「そりゃね。こういうものには憧れるもんさ」


 主砲一門に加えて副砲をいくつか装備していることからも、最低限の戦闘力を有していることは間違いない。

 それを見た途端、アンシュラオンの目が輝く。前に戦艦を見た時もそうだが、男たるものロボットや戦艦には目がないのだ。


「あれも買ったの? 輸送船は何度か見たけど、あんなの見たことないや」

「何代も前の当主様が持っていた年代物を改造したものです。さすがにどこで入手したかまではわかりませぬが、ルートは西側でしょうな。移住してきた人間が乗ってきた可能性もあります」

「さすがジングラスだ。金がある」


 グラス・ギースにやってくる商人の多くはトラクターを使うが、より多くの荷物を運ぶために大きい輸送船を使う者もいる。

 ただ、都市の規模が小さいので使う商会もさほど多くはなく、アンシュラオンがルートの監視を始めてからも数度しか見かけていない。

 その中には、あのように武装しているものはなかった。大きさも半分あればいいほうだ。

 当然武装していれば魔獣や盗賊団に対しても優勢になれるが、それだけならば傭兵を雇ったほうが安くなる。

 ルートの安全は確保されているので、そこまでする必要性はあまりないのだ。


 しかし、力を示すためならば別だ。


 いかなる相手にも武力をもって対抗する意思を示すために、あのように武装することはあるだろう。


 そして、船体には羽馬の紋章が輝く。


 かつてのグラス・タウンを生み出した五英雄の一人。その末裔が乗っている証拠である。



 ドゥウウウウウウ ゴゴゴゴゴッ


 巨大な物体を浮き上がらせるために相当な数のジュエルエンジンを使っているのだろう。非常に重々しい音を響かせて輸送船が速度を落とす。

 砂煙が舞う中、搬送用ハッチが開いた。


「中に入ります」


 速度を合わせながらハッチにクルマが入っていく。

 こうして無事商船と合流が完了。



 輸送船であることを証明するように、船の中は大きな倉庫状の空間になっていた。

 特に大きな物が積まれているわけではないので、空間自体はかなりの広さに感じられる。

 倉庫の色はクリームイエローで統一されて、軽やかさと柔らかさを感じさせつつ、床はブラウンで落ち着きのある趣きとなっている。

 外側の白い色合いも相まって、非常に美しい船ということができるだろう。少し倉庫を改造すれば豪華客船にだってなれるに違いない。


 ブオオッ プシュッー

 ガチャッ

 その一角にクルマが停まり、アーブスラットがクルマの扉を開けてくれる。


(メイドもいいが執事ってのもいいもんだな。ブルジョワ気分になれる。性欲が衰えたじいさんなら害も少ないだろうし、そのうち欲しい気はするな)


 ジジイは嫌いではないし、戦闘ができる人物ならなおさら良いに違いない。そう考えるとアーブスラットは貴重な存在にも思える。


「おや? 思ったよりいい匂いだね。…花の香り?」


 サナと一緒に降り、周囲を見回していると、ふと外とは違う香りを感じた。

 少し甘くて優しい匂いだ。


「はい。プライリーラ様がお好きな白い花の香りを焚いております。今回だけではなく毎回そうです」

「良い気遣いだね。こういうところは女性だな」

「それでは主人のもとにご案内いたします」

「うん、よろしく」


(最初はちょっと驚いたけど、ここまでの印象は悪くないかな。ソブカのところと違って全体的に気品があるし、イタ嬢より本物の【お嬢様】の雰囲気がする。領主よりもよっぽど権力者らしいな)


 生まれも見た目も話し方もそれなりに上品なのに、イタ嬢には気品がまったく感じられないのが残念である。

 それよりジングラスのほうが、よほど清純な雰囲気を醸し出している。

 ソブカのところも商人色が強く、上品さはあまりなかったので、こうした雰囲気を味わうのは前の人生を含めて初めてである。

 思わずきょろきょろと周囲を見回してしまう。


(中を見て回りたいが、一応は招かれた立場だ。おとなしくしておくか)


 ここはジングラスの本拠地の一つ。アウェーである。


 とりあえず見学は自重し、おとなしくしようと振り返った時―――




「おお、よく来てくれたな!」



 そこにはドレス姿のプライリーラがいた。




269話 「アンシュラオンとプライリーラ」


「おお、君がホワイト氏か!」


 ダダダダッ

 プライリーラはアンシュラオンを見つけると、猛ダッシュで近寄ってきた。

 それから顔をぐいっと近づける。身長はプライリーラのほうが高いので、少し屈む感じだ。

 彼女からも倉庫内と同じ花の香りが漂ってきた。さらに強めの匂いなので原液に近い香水を使っているのかもしれない。

 女性の柔らかい匂いと混じり合って微妙に官能的なものにすら感じられる。実にいい香りだ。


「なんだ、仮面を被っていると聞いたからどんな顔かと思えば、凄まじいほどの美少年ではないか! 待ちわびたぞ! さあ、行こう! じゃあ、行こう! 今すぐ行こう!」


 がしっ ぐいぐいっ

 プライリーラがアンシュラオンの「頭」を抱きかかえるようにして、ぐいぐいと引っ張る。

 見方によってはヘッドロックである。なぜかその状態で移動させようとする。


(うむ、柔らかい)


 ぷにゅんっ ぷにゅんっ

 普通ならば困惑しそうなものだが、アンシュラオンはしっかりとプライリーラの胸をチェックしていた。

 顔に感じる柔らかさは十分でありながら、押した以上にしっかりとした弾力をもって返してくる。


 ピキューンッ


―――逸材の予感


 アンシュラオンの特殊能力が発動する。この胸はいいものだ。

 ならば揉みたい。なればこそ揉まねばならない。こんな匂いまで嗅がされたら我慢なんてできない。

 これはむしろ誘っているのではないか。そうだ。そうに違いない。これはもう揉むしかない!


「こほん。リーラ様、はしたないですぞ」

「むっ! そうか?」

「乙女がそう簡単に殿方に触れるものではありません」


 だが、ここでアーブスラットの邪魔が入る。

 まったくもって余計なことをしてくれるものだ。すかさずアンシュラオンがフォローに入る。


「あっ、おかまいなく」

「駄目でございます」


 却下された。

 ほぼ被せるように言ってきたので、最初からお見通しだったのかもしれない。

 マキが巨乳だから欲しいとか言ったのが悪かったのだろうか。完全に警戒されている。


「ふむ、それもそうか…。失礼をしたな」


(ちぃいいいっ! 神は死んだ!! なぜこの至福の瞬間を邪魔するんだ!! むさ苦しい世の中における唯一の安らぎが消えていく!! 嫌だ! オレはずっと乳に埋もれているんだ!)


 が、現実は厳しい。

 プライリーラは残念そうに、アンシュラオンも泣く泣くその状態から解除される。

 頭に残った胸の感触が実に名残惜しい。



「わざわざこのようなところまで…。お部屋でお待ちいただければ、お連れしたのですが」

「待つのは苦手なんだ。こうソワソワしては身が入らない。それだったら自分から出迎えに行ったほうが早い。もったいぶるのは嫌いだしね。それにせっかくドレスなんてものまで着ているんだ。少しは見せて回らないと損というものだ。まったく、世の中の淑女はよくこんなものを着るものだね。ヒラヒラしていて恥ずかしいよ」


 プライリーラはドレスを着ていた。

 当人はヒラヒラが気になっているようだが、実際はあまりヒラヒラしていないスレンダーラインのものだ。

 色合いはジングラスの紋章にも使われている白と緑と金を基調としており、全体的に清楚かつ豪華なイメージを受ける。

 ただ着慣れていないのか、動くたびにわっさわっさする部分を引っ張ったりしていて、あまり落ち着きがない。

 いつもは鎧か、商談で外に行く際は女性用のスーツを着るので、こうしたものは好きではないのだろう。


(そのヒラヒラがいいんだけどな)


 ロリータファッションが好きなアンシュラオンは、ヒラヒラこそ神だと信じている。

 この神は子供と大人の区別なく女性すべてに微笑む素晴らしい女神だ。おっぱいの神よりも平等かもしれない。

 さすがに成人女性にロリータは痛いので、個人的には今のドレスはとても似合っていると思う。


「仕方ありませんな。ですが、ご挨拶くらいはしっかりしたほうがよろしいかと」

「おお、そうだな。申し遅れた。私がジングラス総裁、プライリーラ・ジングラスだ。今日はよく来てくれた。心から歓迎しよう」


 本当に嬉しいのか、表情はずっと笑顔だ。

 ここ最近は情勢が厳しかったので険しい顔をすることが多かったが、花は元気よく咲いている時が一番美しい。

 今の顔こそ、世間で噂される絶世の美女たる『ブランシー・リーラ〈純潔の白常盤〉』そのものなのだろう。

 その輝きに初めて会うアンシュラオンも素直に綺麗だと思った。


(美人って話だったけど…本当にそうだな。ホロロさんも相当な美人だけど、プライリーラはさらに上かな。どちらかというと姉ちゃんに少し寄せた感じか。雰囲気というかオーラというか…そういった存在感があるな)


 ホロロも美人だが、やはり彼女はメイドなので「下々」感が出ている。

 一方のプライリーラは明らかに高級感が違う。外面も内面も数段上の輝きを秘めている。

 庶民感覚でたとえれば、数千円と数万円の商品の違いである。

 数千円のスピーカーでも最低限の機能は果たせるが、やはり数万円のものを買ったほうが音は段違いに良い。求められるスペックが違うので部品の段階から差が出る。

 それと同じく「やっぱり高いもんは違うなー」といった雰囲気をプライリーラから感じる。存在そのものが異彩を放っているのだ。

 おそらく街を歩いていても、彼女だけがくっきりと浮かび上がるように見えるだろう。

 以前アンシュラオンが存在感を「モブ」と「メインキャラ」でたとえたが、これが正真正銘「メインキャラ」のエネルギーなのだと実感させる。

 姉には及ばないが、プライリーラが価値ある存在であることを示していた。


 ただし、それは相手も同じである。


 さっきからずっとアンシュラオンを見ては、「ほぉ!」とか「素晴らしい!」とか言っている。きっと同じような印象を受けたのだろう。

 彼女にしてみても「コレ」は初めて見る存在だ。

 顔の造詣からしても女神に愛されたかのような美しいもので、言葉で形容するのが傲慢にさえ思えてくる。



 お互いに観察を終えた後、改めて自己紹介に入る。


「オレはホワイト。こっちは黒姫ね」

「ホワイトという名は、ホワイトハンターから取ったのかな?」

「いや、単に髪の毛の色からだよ」

「そうか。それならば私も半分はホワイト、ホワイトハーフだね」


 プライリーラは自身の髪の毛を軽く引っ張る。

 頭頂部から肩口まで白くて、そこからグラデーションで腰下まで薄緑に変わっていくという珍しい髪色だ。

 さらさらと流れる髪はとても柔らかく、この乾燥した大地で唯一潤いを感じさせるものであった。

 それに負けじとアンシュラオンは、サナの髪の毛を軽く引っ張ってみせる。もちろん、この行動に意味はない。

 が、二人の髪の毛の色合いも白黒に近いものがあるので、両者が並ぶと非常に映えることがわかった。


(サナに匹敵する美しさだな。これはすごい。現状ではプライリーラのほうが上かもしれん。だが、まだまだサナには可能性がある。負けてはいない。将来は間違いなく美人になるのがわかっているしね)


 サナが将来美人になることはわかっているので、プライリーラともどもグラス・ギースの名物になる可能性を感じさせた。

 その時までグラス・ギースにいれば、であるが。


「本名を知っているみたいだけど、オレのことはどこまで調べたの?」

「こうして会うのは初めてだ。だから、ほんのわずかなことだけだよ。君がホワイトハンターでデアンカ・ギースを倒したことくらいだろうか。あとは領主城の一件かな。それも領主が隠すから全部を知っているわけではないがね」


(そんなもんか。まあ、ネットがあるわけでもないしな。細かい情報はわからないよね)


 地球だってネットが普及するまでは未知のものが多かった。今のようにカメラ付き携帯端末を誰もが持っている時代ではない。

 自然現象を怪奇現象と間違えたり、各地の犯罪事件も明るみに出ないまま闇に葬られたことも多々あるだろう。それによって不可解な伝承が作られたりもしたが、実際は情報不足による憶測と誤解が原因だ。

 グラス・ギースが閉鎖的な城塞都市だからこそ、田舎のように噂は広まりやすいのだろうが、噂の特質上、尾ひれが付きやすいものだ。

 その中から真実の情報を得ることは極めて難しいだろう。密偵はいてもノーマークだった存在はどうしようもない。

 プライリーラが知っている情報など、自分からすれば些細なものだ。

 ただ、それは都市に来たばかりのアンシュラオンも同じである。


「なるほどね。オレも君のことをほとんど知らないな。都市の偶像ってことくらいかな」

「ふふふ、偶像か。たしかにそのようなものだろう。多くの者たちは私自身を見ているわけではないからね。好き勝手にあれこれ夢想するものさ」

「それは理解できるな。あいつらは勝手に期待するくせに、不満が生まれれば即座に他人に責任転嫁するクズどもだ」

「なかなか言うものだね。そこまで言ってくれると、むしろ痛快だよ。立場上そこまでは言えないが同意見だ。我々は気が合うようだ」

「早合点しないほうがいいと思うよ。オレと君は敵同士だからね」

「それは手厳しいな。女性が好きだと聞いていたから、もっと優しくしてくれると思っていたよ」

「優しいよ。おっぱいを触らせてくれたらすごく優しくなる」

「おや、そんなものでいいのか? では、どうぞ」

「オレたちは今日から友達だ!!!」


 プライリーラが胸を突き出したので遠慮なく揉みにいく。

 この男に遠慮などはない。初対面だろうがなんだろうが揉む。とりあえず揉む。揉ませてくれるのならば揉まないと損だ。


 が、その手が胸にかかりそうになった瞬間―――


 ズバッ


―――刃が振り下ろされる。


 反射的にアンシュラオンは手をどけると、その場所に一ミリの狂いもなく戦気の刃が下りてきた。


 ドガガッ!


 戦刃が床に当たり、破壊。表面の木板だけでなく、下にあった金属板も大きく抉っていく。

 見ると、アーブスラットが戦刃を放出して二人の間を分けていた。


(ちっ、また邪魔が入ったか! しかし、武具を使わずにこの威力か。このじいさんは戦士タイプかな? 思った通り、いい腕をしてやがる)


 何気ない戦刃であっても質を見れば実力がわかる。

 非常に洗練されたやや青が強い赤紫に近い戦気で、その年老いた見た目に似合わないほどの強い威力が宿っている。

 彼がその気になれば、戦刃でこの船を切り刻むことができるかもしれない。


「リーラ様、お客人をこのような場所に留めるのは、ホストとしては失格ですぞ」

「そうだったな。では、案内しよう」


 それに対してプライリーラはまったく無反応である。普通、もうちょっと反応しそうなものだが完全スルーだ。

 もしかしたら、これが彼女たちの日常なのかもしれない。お嬢様を害悪から老執事が守るという構図が出来上がっているようだ。

 ただ、説明がないとこちらはびっくりするものだ。慣れとは怖いものである。


「案内は彼女たちに任せましょう。リーラ様は一度奥の部屋へ」

「ん? 彼女たち? …そうだった。忘れていたな。遅かったので置いてきてしまったのだ」

「お嬢様、お待ちください…はぁはぁ!」


 ちょうどその時、メイドが二人ばかり駆け寄ってきた。年齢はプライリーラより少し上くらいだろうか。

 プライリーラの早足に対し、彼女たちは全力で走ってきたのだろう。それでもプライリーラのほうが早いという不条理に、なんともいえない複雑な表情を浮かべていた。

 遠くにアーブスラットのクルマが見えたので、いきなり部屋を飛び出してここに向かったのだ。目的地も言わずに自分たちより速く歩くので、面倒をみるほうとしては迷惑極まりない。

 ただ、その顔には嫌なものは何一つない。プライリーラが見つかってよかった、という安堵感だけが浮かんでいる。


「メイドにも慕われているんだね」

「そう見えるのならば嬉しいものだ。我々は家族のようなものだからね」

「家族…か。悪くない言葉だ」

「申し訳ないが、彼女たちの案内で先に部屋で待っていてくれ。ちょっと準備をしてくる」

「作戦会議?」

「お茶の準備だよ。私が淹れるんだ。楽しみにしておいてくれ。当然、情報も仕入れるがね」

「当人の目の前で言ったら意味がないんじゃないの?」

「君は頭が良さそうだからコソコソするのは逆効果だと思ってね。そういうのは嫌いだろう?」

「そうだけど…どうしてそう思った?」

「私が嫌いだからさ。君も同じだと思っただけだよ。お茶の他に何か必要かな?」

「この子はお菓子が好きだからね。何かあればお願いしようかな」

「お安い御用だ。ではまた」


 そう言って、プライリーラはアーブスラットと一緒に通路に消えていった。



「サナ、彼女はどうだ?」

「…こくり」

「そうか。好きか。まあ、嫌いになる理由はないよな」


 サナが頷く。この頷き方は「好き」という意味だ。

 シャイナやサリータのように触れたり引っ張るまではしないが、サナから見ても良い印象を受けるらしい。

 今までの事例からすれば、サナはどちらかというと「駄目でどうしようもない人間」を好むようである。助けたい欲求でもあるのかもしれない。

 その点、プライリーラは明らかに自立した女性だ。サナの助けがなくても自分で生きていけるだけの力がある。そこの差だろう。


「ホワイト様、ご案内いたします」

「うん、ありがとう。むにっ」

「あひっ!」


 至って真面目な顔で胸を揉む。

 さっきプライリーラの胸を揉めなかった反動が自然に出てしまった。無意識だから怖い。


「な、何を…」

「あっ、ごめんね! 城にいた仲が良かったメイドを思い出してさ。…【彼女が生きていた頃】は、よくこうやって胸を触らしてくれたんだ。君はすごく彼女に似ていたからつい…懐かしくて…本当にごめんよ。本当にいい子だったからさ…ぐす」

「あっ…そ、そうでしたか。それなら…仕方ないですね。ほぉ…綺麗な目…」


 潤んだアンシュラオンの赤い瞳が、まるで水の中で輝く美しい宝石のようで思わず惹き付けられる。

 心がふわっとしてきて、言葉がすっと胸に入ってきて、頭がぼうっとしてくる。彼のためならば何でもしてあげたくなる。

 メイドは年上だったので、アンシュラオンの魅了効果が発揮されたのだ。


「私でよろしければ…いくらでも揉んでください」

「うん、ありがとう! じゃあ、さっそく…」

「こほん、ホワイト様。戯れはそのへんにしていただきましょうか」

「あっ、まだいたの?」


 アーブスラットがまだいた。しかも背後からこっそり観察していたようだ。

 一度外に出たふりをして相手を油断させ、ひっそりと監視する。

 アンシュラオンもよくやる手だが、やられるとは思わなかった。なかなか侮れない老人だ。


「やり方が汚いなー」

「あなた様が危険なことは承知しておりますので。いつも見ておりますぞ」

「やれやれ、じいさんに見つめられる日が来るとはな…。そんな嫌な経験は師匠だけで十分だったのに」


 おっぱいはお預けである。残念!




270話 「オレもこんな船が欲しいな。おっぱい船団を作りたい(妄想)」


 アンシュラオンとサナはメイドに連れられて、いくつかの通路とエレベーターを通り、商船の中にある客間に到着。

 金の装飾が施された立派な扉を開け、中に通される。


「こちらでお待ちください。通路におりますので、何か御用があればお申し付けくださいませ」

「うん、ありがとう」


 バタン

 メイドが出て行き、部屋にはサナと二人きりになる。

 周囲を見回すと窓ガラスがあったので近寄ってみた。


(へぇ、高いな。ホテルの部屋みたいだ)


 ここは甲板の上部の競りあがった場所に作られているので、外の景色がよく見えた。

 高さはかなりもので、ホテルの二十階くらいに匹敵するだろうか。ホテル・グラスハイランドにいるような気分になる。

 ただ、ゆっくりではあるが商船は動いているため気分がまったく違う。

 都市内部のように城壁に囲まれた場所ではなく、広々とした荒野を走っているのだ。その光景は圧巻である。


「サナ、すごいな。動いているぞ」

「…こくり、じー」


 サナもじっと窓から外を見つめている。彼女にとっても初めての経験に違いない。


(うおお、これこそファンタジーの世界だよな!! 一度でいいから乗ってみたかったんだ! もうちょっと高く浮き上がればいいんだけど…あまり高いと規制に引っかかるんだろうな。ちょっと物足りないが地上船というだけでも価値がある)


 広い荒野を地上船で移動する。まさにゲームの世界のようでドキドキ感が止まらない。クルマの運転より遙かに興奮する。

 思わず窓に張り付いて子供のようにじっと外を眺める。ずっと見ていても飽きないものだ。


「オレもこんな船が欲しいな。これで荒野を旅すれば最高に楽しいはずだ。そうだ、小百合さんが三億もあれば輸送船が買えるとか言っていたな。この船はいくらかな…もっと高いんだろうな。二十億くらいあればなんとかなるかな? いくらかまとまった金が手に入ったら船でも買って外に出たいな…この自由の大地を自由に走り回ってさ…いいよなぁ、憧れるなぁ」


 サナやホロロ、サリータたちを連れて新しい場所を目指す。

 それもまた人生というものだろう。昔憧れた旅人を現実のものにすることができる。

 しかも金があれば苦労せず悠々自適に旅ができるのだ。ただのプー太郎とは違う。ここが大きな違いだ。

 むさ苦しい男とも出会わないで済むし、自分が好きな女とだけずっといられる素晴らしい船である。


(スレイブ船…そうだ、スレイブ船だ! オレと女だけの楽園が詰まった船だ! ぐへへ…最高じゃないか! これならいつでも自由に移動できるし、いざというときも簡単に逃げられる。だって、船自体が家なんだもんな! 素晴らしいじゃないか!)


 妄想はどんどん加速していく。

 黄金の船にスレイブの女性たちを乗せ、毎日風呂に入っておっぱいを揉みながら荒野を眺めて暮らす。

 魔獣と出会ったら倒して素材を手に入れ、たまに立ち寄った街で換金して豪遊する。

 その時にさらにスレイブを手に入れ、街に飽きたらまた旅立つ。その繰り返しだ。

 新しい場所を旅して回るので旅自体に飽きることはないだろう。もし飽きたらどこかに居を構えて、飽きたらまた旅に出ればいい。

 どのみち自由だ。金があれば何でも好きにできるのだ。

 こんな素晴らしい生活があるだろうか。いや、無い!


「ぐへへ、いいおっぱいだ…これはたまらんなぁ…こっちにもおっぱい、あっちにもおっぱい、どこにでもおっぱいだ! 全部オレのもんだ! 全部吸うぞ! 触るぞ! ぐひゃひゃひゃ! おーお、こっちは柔らかいのぉ、こっちはぶよぶよしておるのぉ。乳だ! 乳をもっと持ってこい!」

「こほん、今度はいったい何のお話ですかな」

「ぶはっ! げぇええええ!? いつの間にそこに!?」


 いつの間にかアーブスラットが部屋の中にいた。

 下卑た笑いをするアンシュラオンをすごく冷たい目で見ている。監視というより心底呆れた目である。


「あんたにはまたやられたな。いいだろう、認めてやろう! あんたは優れた忍者だ! オレが褒めるなんて、なかなかないぞ! ありがたく称賛を受け取れ! そうだ、『乳大臣』の称号をやろう。特別だぞ」

「…今の状態ならば誰でも忍び寄れたと思いますがね。普通にノックして入ってきましたぞ。というより忍者ではありませんし、そんな卑猥な称号もいりません」

「なんだって!? 馬鹿な! 嘘だ! 乳大臣の称号を拒否するとは!」

「そちらでしたか。なぜ欲しいと思ったのですか?」

「男なら憧れると思って…。まあ、名前だけで乳が触れるわけでもないから、単に恥辱に塗れる以外に用途はないんだが…」

「なるほど、ただの嫌がらせですな。丁重にお断りさせていただきます」


 断られた。当然である。


「本当にノックをしたのか? 聴こえなかったぞ」

「嘘ではありません。あまりに熱中して気付かなかったのでは? よだれも出ておりますし」

「ぬっ! そういえばラブヘイアにやられた時も考え込んでいた時だった! オレは本気で考えている間は無防備になるんだな…。だが、後悔はしない! オレは幸せだった!」


 おっぱいだらけの妄想は素晴らしかった。あれこそ自分が求める正しい世界だ。

 その確信を抱けたことが最大の収穫である。今の道を自信を持って歩もうと思う。


「いろいろな意味で怖ろしいですな、あなた様は。欲望の権化ですな」

「男ならおっぱいを愛して何が悪い! オレはおっぱいを味わうために人生の八割を費やしているんだからな!」

「残り二割は何なのですか?」

「女性のそれ以外のところを愛するためだ!」


 女性が十割である。

 できれば「姉の」と入れたいところだが、今は我慢しておく。


 そんな欲望丸出しのアンシュラオンは隙だらけに見えるが、アーブスラットは警戒を解いていなかった。


 その理由は―――足下にある。


(隙だらけだと思ったら…何か仕掛けてあるな。かなり見えづらいが…戦気の痕跡がある。罠…トラップだな)


 よくよく目を凝らすと、アンシュラオンの背後の床に戦気の乱れが少しだけ見受けられる。

 おそらくは罠。自分たちに一定以上の速度で襲いかかるものがあれば自動的に反応するタイプのものだろう。


(戦気を使っているのだから術ではない。技か。となれば『停滞反応発動』? 遠隔操作系の奥義の一つだが…一応は動いているはずなのに、まるで止まっているように乱れがない。なんという戦気のコントロール技術なのだ…この段階で常識を逸脱している)


 『停止』ではなくあえて『停滞』という言葉を使ってあるように、仕掛けた技はゆっくりとだが発動している。

 それが一定の条件下で本来の速度に戻るだけの話である。


 しかしながら、ここまで発動を停滞させることは達人でも不可能に近い。


 実戦で使うのならばさらに難しく、せいぜい『時間差攻撃』として利用するくらいしかできないだろう。

 それをトラップのように配置して使うこと自体が異常。術式ならば可能だが、これは『技』なのである。

 技は発動した瞬間から終わりに向かって動いている。その間はずっと制御下で意識的に留めておかねばならないのだ。

 完全制御するための精神力、コントロール技術、維持するための持久力、どれをとってもずば抜けている。明らかに普通ではない。

 それをさらに妄想で夢中になっている間も維持し続ける。もう身体に馴染んで無意識下でも制御できるのだろう。それが一番すごいことだ。


(偽装も完璧だ。一見すれば絨毯と区別がつかない。私のように怪しんで見なければ発見は困難だろう。知らずに襲っていたら…串刺しか爆散か。どちらにせよ防ぐことは難しかっただろう。…いろいろな顔を持つ怖ろしい男だ。残忍になることもあれば無邪気にはしゃぐこともある。不用意かと思えば慎重で用心深い。どの側面を信じればいいのか…難しいものだな)


 アンシュラオンの性格はそれなりに理解したが、いくつかの要素が極端かつ突然出てくるので実態を掴みにくい。

 それも仕方ない。この男はすべて「そのときの気分」で生きているのだ。

 それがポンポンと切り替わるので無理に把握しようとすれば呑まれるだけだろう。




 コンコンッ ガチャッ


 そうこうしていると扉からプライリーラとメイドが入ってきた。手にはお茶用具が乗ったワゴンがある。


「ん? 爺は何を難しい顔をしているのだ? ホワイト氏は変な顔になっているぞ」


 プライリーラは、室内の変な空気に首を傾げる。


「おっぱいのことを考えていたんだ」

「おっぱい? これのことかね?」


 むにゅんっ

 ドレスからわずかに見える大きく豊かな胸を、恥じらいもなく両手で寄せる。


「くっ、ちくしょう! いい胸じゃないか! やるな! 君にも『乳姫』の称号をやろう!」

「何の話かはよくわからないが…とりあえずもらっておこう」


 受け取ってもらえた。ちょっと嬉しい。


「触りたい、触りたい! くそっ! 手が疼く! 顔が疼く!」


 おっぱい博士の血が騒いで仕方がない!

 査定したい! 評価したい! あの様子だとかなりの高評価が期待できそうだ。

 しかし、アーブスラットが警戒しているし、これはプライリーラの罠でもあるだろう。

 お嬢様の胸の価値は、そこらのキャバ嬢とは比べ物にならないのだ。ひと揉み数百万単位の対価を支払うことになるに違いない。

 なんてボロい商売だ。付いているものは同じなのに、やり方が汚い。


「我慢。今は我慢だ! すーーはーー、すーーーはーーっ!」

「………」

「ふーー! 生き返る! 癒しだね!」


 サナ吸いで乱れた心を取り戻す。やはりサナは最高だ。

 しかし、他人の前ではやらないほうがいいと思う。かなりの変質的行為だ。

 アーブスラットもさらに引いていた。




 馬鹿な展開ですっかりと場が和んでしまった。

 そのおかげか予想していた以上にすんなりとお茶会が始まることになる。

 メイドは部屋から離れ、アーブスラットを含めた四人だけが場に残る。ここで重要な話し合いが行われるという証拠だ。


「まずはゆっくりと茶でも楽しんでくれ。茶菓子もあるからご自由にどうぞ」

「…じー」


 プライリーラが茶を淹れ始めると同時に、サナの視線が茶菓子に注がれる。

 そのサナは、少しだけ嬉しそうにしている。

 普段からサナには不自由をさせていないが、むさ苦しい男たちの中で飲む茶と女性同伴の柔らかい場で飲む茶は、まったくの別物に違いない。

 ファレアスティと違って敵意もないので、彼女にとっては心地よい空間なのだろう。


(サナが楽しんでくれれば、オレとしてはそれだけで価値があるな。さて、シャイナがいないからオレが毒見をするか)


 すぐに食べたそうにしているサナを軽く制止つつ、アンシュラオンがクッキーを一口食べる。


(うん、毒は入っていないな。招いた客に毒を盛るわけもないか。それでも確認はしておかないといけないよな。油断は禁物だ。味は…美味いな。デリケートな味がするから、かなり高い菓子だということはわかるが…それ以上はわからん。こんなもんはバターと砂糖を入れればだいたい同じ味になるんじゃないか? お菓子はわからんな。オレは金のほうが好きだし)


 自分の味覚なんてこんなものである。とりあえず毒は入っていないので問題はないだろう。

 しかし「シャイナ=毒見役」という認識が固まりつつあることが怖ろしい。

 これくらいしか役に立たないので仕方ないが。


「黒姫、食べていいぞ」

「…こくり」

「君は用心深いんだね」


 その様子を見ていたプライリーラが素直な感想を語る。


「そう? 普通じゃないかな。君にそのつもりはなくても他の誰かが何か入れるかもしれない」

「…ふむ、そこには思い至らなかったな。たしかにその可能性はゼロじゃない。ないとは思いたいがね」

「ゼロじゃない以上、注意は必要だ。人間は信用できない生き物だからね」

「誰かを信頼したことはあるのだろう?」

「あるけど相手によるね。君だって痛い目に遭ったことくらいはあるでしょう?」

「うむ…そうだな。商売でも期待通りにならなかったことはけっこうあるね。ただ、それもまたこちらが過度に期待した結果なのかもしれない」

「それで済むのは、やっぱりお嬢様だからじゃないかな。一般人なら取り返しがつかないことも世の中には多いしね。それだけ君が富と権力によって守られているということだ」

「ふむ、思えばそうかもしれないね。見かけによらず、なかなか人生経験が豊かなようだ」

「一応、君より年上だからね」

「おお、そうなのか? それはまた興味深い。と、お茶が入ったよ。粗茶だが、どうぞ」

「黒姫、紅茶だぞ」

「…こくり」

「おや? 毒見はいいのかね?」

「たまには信頼してもいいかなと思ってね。女の子だけの特別だけど」

「ふふ、この私を女の子扱いしてくれるとは嬉しいものだ」


 プライリーラが淹れてくれた茶を飲む。

 ソブカが飲んだ茶と同じものなので、粗茶というにはかなり高級なものである。



「で、オレをここに呼んだからには、言いたいことがいろいろとあるんじゃないの?」


 サナが茶菓子をあらかた食べ終え、茶でまったりし始めたので、ここからようやく大人の話が始まる。

 プライリーラはカップを置き、軽く腕を組んでからこちらを見る。


「まずはジングラスへの印象を聞かせてほしいな。我々はホワイト氏にとってどう映る?」

「漠然とした質問だね。オレはグラス・ギースに来てから間もないから、ジングラスという存在を意識したのはつい最近だ。印象というほどのものはまだないかな」

「何でもいいよ。少し触れてみて思ったことでいい。直感でかまわない」

「うーん、そうだな…あえて言えば『綺麗な集団』かな」

「そう言われたのは初めてだな。どういう意味だろう?」

「ここに来るまでに見たものに関して、すべてが洗練されている印象だ。使っている色が白が基調だからかもしれないけど、中身にも同じような印象を受けるかな。当主のプライリーラはもちろん、執事のじいさんやメイド、トラクターの末端ドライバーに関してまで教育が行き届いている。脅しても裏切らないやつはジングラスだけだしね」


 何度かジングラスのトラクターを襲っているが、ドライバーが屈したことはない。

 弱腰や逃げ腰にはなってもプライリーラを裏切ろうとする者は一人もいないのだ。


 これは本当に珍しいことだ。


 シミトテッカーを筆頭に寝返ろうとする者は意外と多くいる。

 誰だって自分の命が惜しいし、多大な利益が手に入るのならば裏切ることに躊躇はない。それが人間というものだろう。

 躊躇したとしても、寝返ったことへの報復を怖れることが原因だ。そこをフォローしてやれば、わが身可愛さに裏切る者はいるのだ。

 もちろんジングラスも寝返った者がいればケジメはつけるだろうが、プライリーラがいる限りは裏切らない。そんな印象を受ける。




271話 「君の中の獣 前編」


「それがプライリーラ、君のカリスマだとすればたいしたものだ」

「ジングラスに勤める者の中には、初代当主の時代から付き従ってくれている家系もある。直近でも最低二世代は続いているはずだ。そのせいだろうね。食糧支援などを契機に新しい家族が増えることもある。我々はそうやって数を増やしてきたんだ」


 人間に一番必要なものは食糧である。

 本当に困っている時に食事を恵んでくれる者がいれば、どんな悪党だって幾ばくかの恩義を感じるものだろう。

 その積み重ねで人が集まり、今のジングラスグループが生まれていった。

 ライフラインに携わる者は仕事に誇りを持つ者が多い。自己が社会から必要とされていると実感するからだ。

 古参の者、新参の者とそれぞれいるが、誰もがグループ全体のために自分の力を尽くそうとしている。

 それに加えて、しっかりとした【象徴】が存在することも大きい。人々が一つの方向に迷いなく向かっているので安心感と連帯感が生まれるのだ。

 これは他の派閥には見られない傾向である。素直に称賛すべきだろう。



「オレに印象を訊いてどうするの? そんなことのために呼んだわけじゃないでしょう?」

「せっかちだな。もう少し語り合ってもいいじゃないか」

「美人と話すのは疲れるんだよ。自分の物だと気楽だけどね」

「嬉しいが…困ったな。ふむ、自分の物…か。そういえばホワイト氏はスレイブが好きだと聞いた。理由を訊いてもいいだろうか?」

「オレを束縛しないし裏切らないから」

「なかなかハードな理由だね。そのあたりが君の人間不信に関わっているのかな?」

「自覚はあるよ。ただ、簡単に直るようなものじゃないだろうね。同時に不用意に直さないほうがいい。いくら文明が進化しても人間の本質は昔から変わらないからね。だからスレイブが一番安心だ。君が家族を周りに置いて安心感を得るように、オレも安心できるものを周囲に置くことでリラックスできる。普通のことでしょう?」

「スレイブがホワイト氏にとっての安らぎということか。身の回りを好きなもので固めるのは心理的にもプラスに働く。あとは当人の嗜好の問題か」

「そういうことだね」

「しかし、君は他人と一緒に動くこともあるだろう。たとえば『仕事仲間』とかと一緒にね」

「商会のメンバーは、オレたち以外は全員裏スレイブだよ」

「ホワイト商会は的確に派閥組織だけを狙い撃ちしている。その情報はどこから得たのかな?」

「裏側の人間には特有の臭いがある。それを辿ってかな。あとは締め上げて吐かせたこともあるよ。人が住んでいるエリアはさほど多くないし、見つけるのはそう難しくないかな」

「ハングラスを重点的に狙った理由は?」

「金を持っていそうだったからね」

「倉庫の場所はどうやって特定したんだい?」

「なんだか尋問みたいだね。答える義理はないと思うよ」

「隠しても仕方ないからはっきり言うが、ホワイト氏がソブカ氏と結託していることは知っているよ。君たちの関係は仕事仲間ではないのかな? それとも君が主導権を握っているのか?」

「何のこと? 残念ながらそんな人物のことは知らないな」

「ふふ、用心深いな」


 推理小説ならば「そんな男は知らない」とか口を滑らして、「どうして男と知っているんですか!」と問い詰められるパターンだ。

 とはいえラングラス一派のソイドファミリーと接触しているのだから、キブカ商会の情報を知っていてもおかしくはない。が、一応念のためである。


「ホワイト氏、私は君と信頼関係を築きたいと思っている。だからお互いに本音で語らないか」

「腹を割って話すのは悪いことじゃないけど、それで上手くいった経験はないな。人間は仮面を被るくらいがちょうどいいと思うよ。さっきも言ったけど、仮にそうするとしても相手は選ぶね」

「ソブカ氏はよくても私は駄目なのかい?」

「初めて会ったんだ。すぐに信頼はできない」

「つれないな。私には興味を抱かないのか?」

「興味はあるよ。正直なところ、すごく魅力的だ。佇まいを見ても優れた武人であることはわかるし、容姿もいいし、胸もそこそこ大きい。匂いもいいし、少し若いけどいい女だ。でも君は―――スレイブじゃない。オレにとって女は二種類しかいない。スレイブかそうじゃないか。それだけだよ」

「本当にスレイブが好きなんだね」

「逆に嫌いな人間がいることが驚きだよ。オレからすれば、こんなに素晴らしいものはないんだけどね。まあ、スレイブが好きなお嬢様のほうが少ないか。…約一名いるけど」


 イタ嬢が持つ闇はアンシュラオンが持つものと同じである。

 同属嫌悪とでもいうのだろうか。可愛い顔をしていても好きになれないのは、そういう要素があるからだ。

 一方、プライリーラは生まれも育ちも完全なお嬢様である。

 性格的にも大きく外れてはいない。力も金もある。容姿もいい。これだけ見ればもう完璧だ。


 だがしかし、スレイブではない。


 そこは大きな違いである。

 アンシュラオンはスレイブしか愛さない。いや、愛せない。

 他人を信用していないので所有物以外を愛せないのだ。病気であるし異常である。が、この世界では誰からも文句は言われない。

 ここは自由の大地。どう生きようが自分の勝手なのだ。


「たしかにスレイブというものには縁が薄いが…それが決定的な対立の要因にはならないだろう? 趣味の問題だ」

「趣味の問題は案外重要だよ。人間関係なんて結局は趣味が合うかどうかだからね。でも、そっちの好意は伝わってくるかな。そのあたりの理由と目的を話してくれないと距離は縮まらないんじゃないかな」

「その通りだね。信頼してほしいのならば、まずは自分から打ち明ける。私が常々言っていることだ。それでは率直に言うが―――」




「ホワイト氏、私と手を組まないか?」




 プライリーラがアンシュラオンの目を真正面から見据える。

 アンシュラオンの赤い瞳と、プライリーラの金の瞳が静かに交わる。

 もしここに絵描きがいれば、思わず描くことをやめてその光景に魅入るに違いない。それだけ両者はあまりに幻想的で存在感がある。



 しばし見詰め合い、アンシュラオンから目を逸らす。


「わざわざこんな場所にまで呼んだんだ。そういう話だとは思っていたよ」

「君が欲しい。存在を知った時からずっとそう思っていたんだ」

「理由は…訊くまでもないか。オレの力が欲しいってことでいい?」

「そうだ。ホワイト氏の力はあまりに魅力的だ。我々がずっと怖れていた四大悪獣の一体を倒したのだ。その実力は尊敬に値する」

「その力をジングラスのために役立てろって? 気持ちはわかるけどね」

「提供できるものがあるのは良いことだ。商売の基本であり、互いが互いを支えあう理由にもなる」

「そのあたりは商人らしい考えだね」

「力を対価にして動くのは嫌いか?」

「雇われの傭兵じゃないしね。他人に命令されるのは好きじゃないな。そもそもそれが嫌で出てきたようなものだし。だからオレは自分を束縛するものを許さない」

「でも、ハンターにはなったのだろう?」

「ハンターはあくまで自己責任だからいいんだよ。あれは取引だからね。どうしようと好きにできる。それにまとまった金が入ったから、あれ以来はやっていないし…あの時はたまたま金が必要だったにすぎないよ」

「なるほど…君という人間が少しわかってきたよ。スレイブにこだわる理由もね」

「そういう詮索も好きじゃないかな。他人に理解されようとも思っていないし」

「ふふ、そう邪険にしないでくれ。偉そうに言うつもりはないが、そういう人間ほど他人を求めることがある」

「どうしてわかるの?」

「私がそうだからさ」

「似たものアピールされるのもあまり好きじゃないな」

「だが、アピールをしなければ目にも留まらないのだろう? なにせ私はスレイブではない。それ以上の存在価値を提示しないといけないからね」

「それはそうだけどね。まあ、美人ならいいか。男ならうざくて気色悪いだけだけど」

「ふふ、美人でよかったよ」


(そこまで悪い気はしないな。居酒屋で女の子から迫ってくる感じに似ているかも。シャイナのような構ってアピールよりはましか。思えばシャイナとプライリーラは二歳しか違わないんだな。そのわりに全然違う。比べるほうがプライリーラに悪いけどね)


 プライリーラは自分の力に対する自信が漲っている。自負があるからこそ言葉の一つ一つにも力が宿るのだ。

 世の中には受身の女性もいれば、積極的に話を振って近寄ってくる者もいる。プライリーラは後者だろう。

 普通は男のほうから積極的に仕掛けるものなので、女性に不自由していないアンシュラオンでも悪い気分ではない。

 ただ、一般的にそうした場合は、女性側に下心があるので注意が必要だ。



(やはりプライリーラの話は、そっち方面か。さて、どうしたものかな…。現状ではわからないことも多いし、もう少し話を聞いてから考えるかな)


 せっかくここまで来たのだ。まずは相手の真意を確かめておくべきだろう。

 しばらくプライリーラと対話を続けることにする。


「私たちの関係はパートナーだ。どちらが上でも下でもない。そこは強調しておきたい。それならいいだろう?」

「最低限のラインとしてはね。ただ、そのラインを提示できるのはオレの譲歩があってこそだよ。対等である必要性がないからね」

「おや、意外と値切るね」

「君たちが対等に相応しいか、それだけのメリットがあるのか。そこが重要だ。オレはべつにジングラスとやりあってもいいんだ。そっちから話し合いを持ちかけてくるのならば、それに見合うだけのものがないと乗れないよ」

「うむ、道理だね。ならば私は自分の有用性を君に示さねばならないな。たとえばそうだな…そうそう、アーブスラットから車中での話を聞いたよ。ホワイト氏は力だけの男ではないようだ。物事を進める頭脳を持っている。製鉄にも前向きだそうじゃないか」

「素人知識にすぎないよ。西側じゃかなり進んだ技術があるんだ。それと比べれば、そこまで評価には値しないものだね」

「たしかにそうかもしれない。西側の先進国の技術は凄まじい。しかしながら東側で生産体制が整っていない以上、質の悪い鉄でも貴重な資源だ。それを生み出せるのならば多くの利益が出る。他にもアイデアがあるのではないだろうか?」

「アイデアはあるけど、実現可能かはわからないな。…いや、ジュエル文明があるなら…あるいは空想的なものも実現可能かも。この船だって数十センチとはいえ空を浮いているからね。オレからすれば珍しいものだ」


 日本にある物ならばすぐにアイデア(丸パクリ)が出るし、仮にアニメやゲームでしか見ない空想のものでもジュエルと術式を使えば再現可能かもしれない。


(グラス・ギースは未開発の都市だ。まだまだ発展する余地はある。にわか知識でも使えそうなものは多いよな。…ふむ、そうなるといろいろと不満を感じるところもあるな。銃もついつい改造しちゃったし、鉄以外にもまだまだ改良改善できるものがあるはずだ)


 この二十数年ですっかりとこの世界には慣れたが、原始的な火怨山から抜け出したおかげか、かつての日本での生活様式を思い出すことがある。

 それと比べるとグラス・ギースでの生活は過ごしづらい面もある。都市内部での移動距離も長くて不便だ。電車があればいいなーと思うこともある。

 当然そのまま使うわけにはいかないが、この世界なりにアレンジすればいいだけだ。地球時代に蓄えた雑学も役立つに違いない。


 つまりは、そこに【商機】がある。


「アーブスラットも言ったようだが、ジングラスグループは君を全面的に支援できる。面倒な部分はこちらが受け持ち、ホワイト氏はアイデアだけを出してくれればいい。我々は良いパートナーになると思うよ」

「金になるってことだよね?」

「そうだ。商売もいいものだよ。安全に金を稼ぐことができる」


(個人のアイデアマンが企業と提携するようなものか。生産は全部丸投げできるし、交渉次第ではマージンも削れるかもしれない。悪い提案ではないけど…いつからそうなった? オレは商人をやるつもりはないんだけどな…。だが、たしかに安全に金を稼ぐ方法の一つではある)


 正規の商売による儲けがあれば、わざわざ危険なことをしなくてもいい。

 多少刺激は足りなくなるが誰も敵を作らず、正当な報酬を堂々と自由に使うことができる。

 さらにジングラスが面倒なことをやってくれるのだ。これほど楽なことはないだろう。

 それだけ見れば魅力的な提案ともいえる。


「どうだろう。私たちはソブカ氏よりも有用ではないかな? キブカ商会はやり手だが、商人としてのランクも規模もジングラスが上だ。我々と手を組むメリットは多いと思うよ」

「だからそんな人間は知らないって」

「おや、人間とは言っていないぞ」

「いやいや、それは無理があるから」

「そちらだって言い逃れするには無理があるのではないかな。伊達にソブカ氏とは幼馴染ではないよ。彼がどんな人間かは君より熟知しているつもりだ」


 そう言われるとアンシュラオンもどうしようもない。

 プライリーラはすでに確信を抱いているし、実際に本当のことである。


「ほかに気付いたやつはいるの?」

「認めるのだね?」

「そういうのは面倒だからいいよ。あまりしつこいなら帰るよ」

「わかったわかった。待ってくれ。…そうだな、彼のことを知らなくても頭が回る者ならば気付く可能性はあると思う。この都市で四大市民の利権に食い込もうとする行為はご法度だからね。裏があると思っている者はそれなりにいるかもしれない。ただ、確証はないからね。表立って言いふらすことはないだろう。それよりはソイドファミリーのほうが疑われている」

「それならまだ安心かな。餌を撒いた価値はあったってことだ」

「一つの組織を囮にするとは大胆なことをするね。ソイド氏は相当思い詰めていたよ」

「会ったの? ダディーのほうだよね? 情報を漏らしたの?」

「そんなことはしないよ。メリットがないからね」

「そうなんだ。よかったよ。思い詰める方向なら、なおさら安心かな」

「ふふ、酷い男だな、君は」

「この事実を知っていて教えないほうも大概だと思うよ」

「仕方ない。私もソブカ氏に死んでもらっては困るからね。それよりはソイド氏を犠牲にしたほうがましだろう」


 なかなかえぐい発言である。

 プライリーラは優先順位をしっかりつけられる人物のようだ。そこは好感が持てる。




272話 「君の中の獣 後編」


「こう聞いていると、ソブカに特別な感情があるように思えるけど?」

「ああ、あるよ。一応、貴重な【婿候補】だからね」


 プライリーラはニヤリと笑うと、懐から一枚の紙を取り出した。

 わざわざドレスに仕込んでおくのだ。最初から見せるつもりで用意していたのだろう。


「彼と『ホワイト商会を止めたら、プライリーラ・ジングラスとソブカ・キブカランは結婚する』という約束を交わしている。これが証文だ」

「結婚!? あいつが! そんな約束をしたの?」

「驚いたかい? 読んでみたまえ。しっかりと書いてあるだろう?」


 アンシュラオンはじっと証文を見つめる。


 読むごとに顔がにやけたものに変化していき―――大笑い。


「ぶはははは!! こりゃ面白い!! あいつが結婚!! しかも精子の提供って…!! ひーーー! おもしれーー! 負けたい! 負けてやりたい! あいつがドナドナになる顔が見たくなる!」


 哀れなソブカは荷台に入れられてプライリーラに持ち去られ、精子を搾り取られるのだ。

 こんな面白いことはないだろう。その時の能面のような顔を想像しただけで笑えてくる。

 まさに夢の終わり。死んだ魚のような目をしているに違いない。


「ひー、楽しい! しかしまあ、結婚ねぇ。あいつも随分と無茶をしたもんだよ」

「これが今回の話にもつながるわけだ。この証文には【穴】がある。気付いたかね?」

「…ふむ。そうだな…『止める』という点が怪しい。普通なら『倒す』だよね。あるいは殺す、捕縛するといった具体的な文言が並ぶはずだ。が、それがない。これだとどうとでも解釈できる。注釈もないしね。さすがに同名トリックは厳しいし…これくらいしかないかな」

「すごいな。すぐにわかるのだね」

「言葉のトリックは好きだからね」


 日本語は「あれ」とか「これ」という代名詞をよく使い、同じ結果を示すのにも言い回しはたくさんある。

 だから契約書では、あんな細かい条項がうだうだと並ぶのである。本来ならば「こっちがあれをやるから代金をくれ」の一言で済むはずだが、文章にするとよくわからなくてあとで困るから詳細に記すのだ。

 しかし、それでも曖昧に設定されている項目はあるものだ。

 民法の不法行為のように、「よくわからないものは、とりあえず不法行為に入れて処理しよう」と、人間生活のすべてを言葉で定義することは非常に難しい。

 逆に詳細にしすぎると「じゃあ、注意事項に具体名が書いていないから、それ以外のものはいいんですね?」とかいうアメリカ的な問題が出てくる。だからわざと曖昧にしておく必要がある。

 ただ、曖昧は曖昧なので、それを利用して至る所にトラップを仕掛けることができる。

 アンシュラオンは文系だったので、大学での討論も罠を仕掛けて揚げ足を取ることに熱中したものだ。相手の弱みに付け込む楽しさをそこで知ったわけである。

 だからこそ相手に付け込まれないように常に慎重に行動するのだ。特に契約の際にはいつも以上に気をつける。


 そして、プライリーラもトラップを仕掛けた。


 アンシュラオンのように悪質ではないが、多様な解釈ができるものである。


「止めるってことは、戦わなくてもいいって意味なんでしょう? どんな手段を使っても結果的に騒動が収まればいいわけだ」

「その通り。ホワイト氏が破壊行動をやめてくれれば、それで済む話だ」

「それでソブカはプライリーラのもの、か。なかなか策士だね」

「私の案ではないがね。アーブスラットと事前に打ち合わせて決めたことだ」


 ソブカが食糧を仕入れていると聞いた時から、アーブスラットとジングラスの一部の者たちはキブカ商会を疑っていた。

 もしソブカが何かを仕掛けてきた際は、どうとでも解釈できる文言にするようにと言われていたのだ。


「じいさんは汚いな」

「危険な獣には注意をするものです。それが人間の知恵ですから」


 アーブスラットもソブカとは長い付き合いだ。彼に宿る危うさには気付いていただろう。



「それでオレを懐柔しようってことか。オレの武力も手に入り、ソブカも手に入る。君の丸勝ちだね」

「私と君はパートナーだ。両者は対等のつもりだよ。そのために納得するだけのメリットを与えたい」

「となると、ソブカが負け組か」

「そうなるね。しかし、賭け事とは本来そういうものだろう。彼だって勝負を仕掛けた以上、こうなる可能性はあった。私だって危ない博打をしている。お互いに勝つか負けるかの瀬戸際で競っているのだ。手段を選ぶ余裕はないよ」

「たしかにね。それには完全に同意だ」


(ソブカがプライリーラを知っているように、プライリーラもソブカを知っているな。動かすことには成功したようだが…この行動は予測できなかったか?)


 ソブカはたしかにプライリーラを引っ張り出すことに成功はした。

 ただし、もしかしたら逆効果になったかもしれない。下手に刺激すれば、眠っていたものを起こしてしまうリスクも潜んでいるのだ。

 プライリーラはこれを利用して、さらにジングラスの力を増そうと考えている。ついでに自分の問題も解決させてしまおうという「したたかさ」も持ち合わせている。

 こうなるとソブカが一気に劣勢に追い込まれる。


(プライリーラは思った以上にしっかりしていた、ということか。しかし、ソブカがそれに気付かないとは思わないな。馴染みが根拠だっていうなら、あいつだってプライリーラのことをもっとよく知っているはずだ。こうなることも可能性としては理解していたはず。…これも火遊びか?)


 一見すればソブカのミスに思えるが、アンシュラオンには彼がその程度の男には見えなかった。

 彼が宿す炎は、けっして小さくはない。周囲のものをすべて喰らいつくし、燃やし尽くすような危険なものだ。

 となれば、これもサリータの一件と同様に彼の遊びの可能性がある。「流れ」や「ツキ」が自分にあるのか試しているのだ。


 あるいは【アンシュラオンを試している】のかもしれない。


 こうなることを漠然とでも予想していれば、最終選択権は必ずアンシュラオンに委ねられることになる。

 ソブカに接触したのはアンシュラオンからだ。彼に受諾以外の選択肢がなかったとはいえ、野心を託すからには勝算があってのことだろう。


 ソブカはアンシュラオンが自分を選ぶと確信している。


 普通に考えると分が悪い賭けに思える。アンシュラオンが女好きであることは彼も知っている。プライリーラを選んでも、まったくおかしくはない。

 それでも賭けに勝つ自信があるということだ。ただの運任せではない何かを感じる。


(あいつもまだオレにすべての事情を話しているわけではない。オレだってあいつに秘密にしていることはある。前世の情報とかもそうだしな。そこに何かの根拠があるのかもしれない)


 ここからは―――選択の時間。


 アンシュラオンが、ソブカとプライリーラ、どちらを選ぶかの問題となる。



「君の要求は理解したよ。つまりはソブカを裏切れってことだ」

「裏切りは嫌かな?」

「こう見えても義理堅い男でね。先約は優先したいんだよね。そのほうが裏切られたときに遠慮なく殺せるし、殺さずとも優位に立てる。オレは無駄は嫌いだから、そのままスレイブにするけど」


 たとえばモヒカンがそれに該当する。

 彼はアンシュラオンを侮り、約束を違えてイタ嬢にサナを譲ってしまった。その代償が今の状況だ。

 勝ち組になったといえなくもないが、アンシュラオンには二度と逆らえないようになったことは計算外だろう。


「ただ、あいつは誰かに従うようなやつじゃないから死ぬしかないけど、その前にいろいろと役立ってから死んでもらうよ。それだけやるんだから、せめてオレからは約束を違えないってことさ。過失で失敗したやつを一方的に責めるってのは快感だしね」

「怖いことを言うものだね」

「今度はそっちのことが知りたいな。そうじゃないと比較ができないでしょう? プライリーラのことを教えてよ」

「私か? たいした人生ではないさ。ただジングラスに生まれて戦獣乙女になり、父親が死んだから総裁も引き継いだ。それだけのことさ。世間知らずな面があるのは承知しているが、商売をやっていれば少しはわかってくる。足りない部分はアーブスラットが補ってくれるからね」

「なるほど、お嬢様らしいね。…乙女ってことは処女なの?」

「そうだよ。名に偽りはなし、さ」

「ほぉ…処女か」


 その言葉にアンシュラオンが少し興味を抱いたことをプライリーラは見逃さない。


「ふふん、清らかな生娘なんだよ。どうだい、さらに価値が出ただろう?」

「うん、出たね。処女はいいもんだ」


 たしかに「処女は面倒くさい」という一般論も存在するが、アンシュラオンからすれば他人の手垢がついていない女性は価値がある。自分色に染める楽しみがあるのだ。


「ところで処女じゃないと戦獣乙女にはなれないの?」

「そんなことはない。単に相手がいなかっただけだよ。立場上、簡単に関係はもてないからね」

「ふーん、性欲は強そうだけどね。よく今まで我慢できたね。毎日オナニーしてるの? それで足りる?」

「…いきなり攻めてくるね。というか攻めすぎじゃないかね?」

「女はそこそこ見てきているし経験もある。だからわかるんだ。君から出るオーラは【相手を喰らう】ものだ。本当は飢えているんじゃないの?」


 アンシュラオンは肉体オーラで相手を判断するので、その人間がどういったタイプかがうっすらとわかる。

 さらに前世の経験も含めて女性をいくらか見てきたため、そういったことも感覚で少しばかりわかるのだ。


 やはり―――男女。


 こうして面と向かい合えば、知らずのうちにお互いを【オスとメス】で意識する。

 結婚すれば落ち着くが、未婚の男女というものは生物的、性的に臨戦態勢にあるものだ。

 アンシュラオンがプライリーラを魅力的に感じるように、プライリーラもアンシュラオンを魅力的に感じている。

 心はもちろん肉体が激しく反応している。【生殖本能】が相手を求めるのだ。

 ただし、両者のソレは互いに喰らうもの。

 相手を支配し、奪い、吸収する要素を伴ったものだ。


「プライリーラ、君はまるでケダモノだ。性に飢えて発情しているメスだよ。それがジングラスという、まるで動物園の檻の中に入れられて欲求不満になっている。本当は喰らって喰らって喰らい尽くしたいと思っているのにね」


 アンシュラオンの赤い瞳が―――お嬢様の正体を見破る。


 相手の本質を見破る力を持った目だ。情報公開を使わずとも簡単にわかる。

 プライリーラは最初は驚いた表情をしていたが、次第に歓喜の顔へと変わっていく。



 そして、獣が―――正体を現す。



「ふふ…ふふふ! 見たな! 私の中にいる…【獣】を!!!」


 瞳孔が鋭く細くなっていく。

 その目はまさに肉食獣のもの。相手を狩り、一方的に喰らう存在。

 お嬢様という皮を被った獰猛なケダモノが、彼女の中には眠っている。

 だが、その目を見てもアンシュラオンは動じない。


「何年も魔獣と一緒に暮らしてきたからね。獣臭には敏感なんだ。ソブカの中にあった獣もすぐにわかったよ」


 第一階級の撃滅級魔獣と嫌でも一緒にいたアンシュラオンにとって、プライリーラの獣性などたいしたものではない。

 火怨山では獣臭いのが普通だ。すべてのものが弱肉強食の生存競争の中にいる。


「人間なんてものは誰だって獣の側面を持っているものだ。それが強いか弱いかの話さ。そしてプライリーラ、君は強いタイプだ。だから性欲も強い」

「自然界の法則から見れば、弱い者ほど強くなるのでは?」

「それは数の問題だよ。弱いから多く産むだけだ。オレが言っているのは性欲、言い換えれば破壊を伴った衝動かな。弱い草食動物が温和なように、強い獣ほど奪う欲求が強いんだ。その点で君はだいぶ苦労しているようだね。権力者の子供に生まれるのも考え物だな」

「…私の中には獣がいる。そして獣は獣を理解する。ホワイト氏、君の中にも獣がいるね。それも、とびっきりの大きな獣が!」

「ああ、そうだよ。だから君はオレが羨ましく見えているはずだ。本能の赴くままに生きているオレをね。といっても、こんな好き勝手に生きたのは最近になってからだけどさ」


 姉と一緒にいた頃も、『実姉とイチャラブしたい』という願望は叶っていたので難しいところだが、支配欲求を満足させているのはグラス・ギースに来てからだ。

 姉という檻から解き放たれたアンシュラオンは、自由に好きなことをする。

 幼女が欲しければ白スレイブを買い、交尾したくなれば女性をはべらし、殺したくなれば魔獣やマフィアを殺す。

 まさに自然の動物のように好き勝手に生きている。それは快楽以外の何物でもない。

 人間の本質たる霊から見れば獣性を抑えることが進化であるが、武人にとっては違う。肉体の強さを求めるのならば、地上世界にある欲求はとても大事なものとなる。

 喰らい、奪う。

 そのたびに武人は強くなっていく。肉体が活性化して獣となっていく。


 だから―――羨ましい。


 プライリーラがアンシュラオンのことを知った時、最初に芽生えたのがその感情だ。

 どんなに真面目ぶっても、美貌や正論で人々の羨望を勝ち取っても、心は満たされないまま。立場上、自分を騙しながら生きていくしかない。




273話 「選択と答え 前編」


「つらいよな。人間社会にいると猫を被らないといけないからさ。本当は暴れたいんじゃないのか? すべてを壊したい欲求が胸の中にあるはずだ」

「待て…ホワイト氏! それ以上は…刺激しないでくれ!」

「苦しいのか? こんな大きな胸をしていればそうだろうね。もみもみ」

「あっ…くふっ!!」


 アンシュラオンがプライリーラの胸を揉む。

 それなりに大きな胸なので、少年の手の平では持て余すほどだ。


(やはり素晴らしい胸だ。…うーむ、ホロロさんとシャイナのいいとこ取りといったところだ。総合評価で4以上は堅いな。それに肌の質もいい。お嬢様で生活環境が良いのと、武人として因子が覚醒していることが要因だろう。因子によって肉体が活性化しているんだ。こうなると武人の『因子覚醒率=肉体の質の良さ』説が信憑性を帯びてきたな)


 柔らかくありながらもずっしりと重みがあり、ちょうどよい感じに膨らんだ餅のように弾力がある。

 胸の形もふっくらしており、まるで大福のようだ。いくらでも揉んでいたくなる。

 ここで一つの説を提唱したい。


 「武人の女性はすごく気持ちいいんじゃないか説」である。


 マキの胸も素晴らしかったし、プライリーラの胸も良かった。

 こうなると肉体全体の張り艶も良いだろうから、あんなことやこんなことをすると一般人よりも気持ちいいと思われる。


(姉ちゃんがあんなに気持ちよかったことにも説明がつく。全部の因子が完全に覚醒しているんだもんな。肉体が完全な状態になっているってことだ。気持ちいいに決まっている)


 一般人であるホロロやシャイナと、最低限の武人であるサリータの間にも多少の差異があった。

 アンシュラオンが武人だからかもしれないが、肉体が活性化している者は、同じく肉体が活性化している異性でないと満足できない可能性もある。

 お風呂場での一件のように手加減しながら交わるのは、なかなかにしんどいものだ。

 支配欲求を満たすという意味であれはあれでよいが、本気で交わるには同等の相手が望ましいのだろう。


(こう考えるとプライリーラはいい素材だよな。ただでさえ女性の武人は少ないのに、これだけ覚醒している者は珍しい。この都市ではダントツかもしれないな)


 プライリーラの覚醒因子は、戦士が5、剣士が2である。

 マキが3であることを思えば、戦士因子がこれだけ覚醒していれば相当なものだ。すべてが一般人とは違うに決まっている。

 ちなみに今回はアーブスラットの邪魔は入らなかった。内容が内容ゆえに流れに任せたと思われる。

 ソブカの獣にも気付くくらいだ。自分の主人であるプライリーラの獣性にも気付いていただろう。

 その解決あるいは制御に何かプラスになるのならば、多少のことには目を瞑るというスタンスかもしれない。

 同じ獣であるアンシュラオンとの接触は、マイナスになるおそれもありながら、一方で反面教師になる可能性もある。その点で我慢していると思われた。


「じゃあ、もうちょっと触ろうかな」

「くふっ、そこは…っ!」

「こほん」


 が、調子に乗って股間に手を伸ばしたらアーブスラットから威嚇が飛んできた。

 残念。惜しい。ぜひもっと触りたかった。


「はぁはぁ…さりげなく淑女の股間にまで手を伸ばすとは…怖ろしいな、ホワイト氏は」

「ごめんごめん、癖で」

「癖になるほど触っていたのか! たしかに女好きらしいね…はぁはぁ」

「でも、気持ちよかったでしょ?」

「…くっ、それは認めよう。テクニシャンだな。だが、それ以上やられたら…収まりがつかなくなっていたところだよ」

「オレは総裁なんてやつより、そっちの顔のほうが好きだけどね」


 プライリーラの顔はすでに真っ赤になっており、呼吸も荒い。

 今の愛撫で興奮したというより、自分の中にある獣性が表に出ないように抑えていて苦しいのだろう。


(そりゃ苦しいよな。欲求の制御なんて修行僧でもしんどいくらいだ。オレも前の人生で瞑想や自己統御をやっていたが…加齢による減衰がなければ無理だっただろうし)


 武人は肉体が活性化されるので、その意味においては性欲も常人より強く長く続くことになる。

 肉体制御と闘争本能による発散があるので性欲も制御が可能だが、心の奥底にある欲求となるとなかなか難しい。

 もともと「好き者」の人間は、どんなに修行しても好きなまま、ということだ。自分の好みは簡単に変えられないし、変えるべきでもない。

 彼女の中には性への強い欲求と武人の破壊衝動が眠っている。武人の因子が強く覚醒していれば仕方がないことだ。


 しかもプライリーラは普段から必要以上に抑制をしている。


 立場上、上品に振る舞っていないといけないし、戦うことに対して制限が設けられている。ましてや喰らうような行為などできない。

 弾けたい欲求と、それではいけないという理性の闘いで精神はかなり磨耗しているに違いない。


 つまりは―――欲求不満だ。


 一時期のシャイナや小百合に近い状況であるが、戦獣乙女ともなれば規模が違う。苦しみも何十倍だろう。


「ふぅ…ふぅ」

「そうやって抑えるのが癖になっているね。だから変に肩肘が張ったようになっているんだ。オフィスで慣れない管理職をやっている女性役員とかにありがちな状況だね。ジングラスのトップだから責任感を抱くのは仕方ないけど、ストレスの捌け口を設けないとどこかで爆発しちゃうよ」

「君は整体師かね? よくわかるものだ」

「女性に関してはそうだよ。あっ、そうだ。マッサージをしてあげようか? オレのは好評なんだ。常人なら数秒でイッちゃうけど、プライリーラなら数分はもつかも」


 ワキワキと手を動かす。実に卑猥な動きだ。

 それを見たプライリーラの下半身が危険を感じる。


「ま、待て…それをやられたら…駄目だ! 絶対に漏らす!」

「こんな美人が漏らすなんて…ちょっとそそるな。一瞬だけど、ぐっときちゃったよ。ぐへへ!」

「こほん。それ以上はご自重ください。さすがに黙ってはいられませんぞ」

「ちぇっ、ちょっとした冗談じゃないか。まあ、半分本気だったけど」


 アーブスラットの目が少しマジになったのでやめた。

 戦っても負けないだろうが、命がけの武人というのは怖ろしいものだ。飢えてもいないのに安易な勝負はしないのが幸せに生きる秘訣である。



 それから時間をかけてプライリーラが復活。



 しばらくは疼きが残るだろうが、普段から抑えている癖がついているので短時間で収まる。

 ただし、あくまで抑えているだけ。欲求不満は募る一方だ。


「もう大丈夫?」

「ああ、問題ない。…話を戻してもいいだろうか? 改めて提案するが、我々と手を組もう。ホワイト氏はジングラスグループの財力と労力を使えるし、我々はホワイト氏の力を当てにできる。悪くない関係だと思うが?」

「オレがソブカを裏切って、君に明け渡せば契約完了か。ただ、言った通り、オレは他人の命令を聞くのが嫌いだ。いくら取引でも迷うな」

「ソブカ氏とはどういう契約をしているのだね?」

「厳密な取り決めをしているわけじゃないよ。オレはあいつを利用するし、あいつもオレを利用する。そういう関係さ。だから互いに教えていないこともある。最悪どちらかが本当に危なくなったら切る選択肢もあるしね」

「敵の敵は味方のような関係だね。シビアだ」

「そんなもんさ。だが、そのほうが気楽だ」

「ホワイト氏の性格ならば、その形態のほうが合うのかもしれないな。しかし、それではこちらが不安だ」

「ジングラスは比較的まともな商会だからね。それも当然だね」

「一つ訊くが、仮に都市が外敵に襲われたらホワイト氏は助けてくれるのかな? たとえば四大悪獣のうちのどれかがやってきたら、迎撃する気はあるかね?」

「そういえば四大悪獣だもんね。あと三体いるんだっけ?」

「君が倒したデアンカ・ギース〈草原悪獣の象蚯蚓《ゾウミミズ》〉の他に、ゼゼント・ギース〈火山悪獣の食蟻虎《アリクイトラ》〉、バッデル・ギース〈雷谷悪獣の大猩亀《オオザルカメ》〉、ラメナン・ギース〈雪海悪獣の豹蜻蛉《ヒョウトンボ》〉、この三体だ」

「変な名前のやつらばかりだね。またデアンカ・ギースのようにキモいのかな?」

「彼らの生態は謎に包まれていてね。正直なところ、その容姿も完全にはわかっていない。なにせグラス・ギースが襲われたのは三百年以上も前だ。情報が少ないのは仕方ない。わかっているのは名前と簡単な特徴だけだよ。あとは大雑把な生息域かな。やつらは東西南北それぞれの地に散っているようだね。デアンカ・ギースは西に生息していた悪獣だよ。ただ、魔獣の狩場にいきなり出現したように、それもまた目安にすぎないがね。実際の居場所はよくわからないんだ」

「情報が少ないわりにラブヘイアはデアンカ・ギースをすぐに見抜いたけど?」

「ブルーハンターのラブヘイアか? 彼はハンター暦が長いから危険に対して敏感なはずだ。遭遇してもすぐに逃げられるように資料をよく読んでいたのだろう。悪獣の大きさが五十メートル以上あることはわかっているから、だいたいの想像はつくはずだ。それにやつらの生体磁気の情報は記録されて残っている。特定のパターンを記録しておけば、それと同じ波長を感じた際に光るジュエルもある。ハンター証のジュエルがそうだ。四大悪獣が近づくと点滅する警戒色になると聞いている」

「そうなんだ。いちいち見ながら戦っているわけじゃないし…すっかり忘れていたな」


 アンシュラオンのハンター証は、ポケット倉庫に投げ入れられて完全にお蔵入りになっている。

 あの当時も革袋に入れたまま放置だったので、そんな機能のことはまったく知らなかった。

 小百合もまさかデアンカ・ギースを倒すとは思っていなかっただろう。教える必要性を感じなかったに違いない。(待合室の『今日からあなたもハンター』という指南パンフレットには書いてあるが、ラブヘイアに邪魔されて途中で読むのをやめていた)

 そもそも普通のハンターなら、あんなどでかい魔獣が出現したら逃げるに決まっているのだ。


「でもさ、どこにいるかもよくわからないなら襲ってくる可能性だって低いんじゃないの? 名前からすると…火山と谷と海にいるんだろうし。住んでいる場所はバラバラじゃない?」

「それが災厄時は四体同時に襲ってきたのだ。そう思うと、いつ何があるかわからない。もしかしたらグラス・ギースには彼らを惹き付ける何かがあるのかもしれないし、定期的に人間を捕食する習性がある可能性も捨てきれない」

「海のやつも来たの? 陸に上がれるの?」

「トンボとあるだろう? 文献では空を飛んできたらしい」

「ミミズの地中、トンボの空、あとの二匹は地上かな? 猿は城壁くらい軽々登りそうだし…虎は名前からして凶悪そうだ。どっちにしてもヤバイね。倒せないんだったら逃げ場なんてないじゃん」

「その通りだ。君がミミズを駆除してくれたから助かっている。さすがの私も地中で戦うことは難しいからね。だが、空中なら何とかなる。むしろ得意だ。さて、質問を戻すが、やつらがもしやってきたら…君はどうする?」

「あの程度の魔獣に逃げる理由はないかな。かといって戦う理由もないし…わからないな。そのときの気分で決めるよ。金がなかったら倒すかも。懸賞金が出るし、素材もちょっと興味がある。それ以外だと、もしオレの物に手を出したら確実に殺すけどね。単純にムカつくし」

「ふむ…難しいな」

「言っておくけど、オレを制御しようと思わないほうがいいよ。自分にだって制御できないんだ。他人がどうこうできるわけもないさ」

「自分のことはよくわかっているのだね。ただ、金が出るのならば戦う可能性はあるのだね?」

「女を養うにも金がかかるしね。今回の騒動の発端も金が原因さ」

「君は清々しいほどシンプルだね。盗賊だってもう少し詭弁を弄するものだ。ならば、その金についてはジングラスが追加で報奨金を出そう。ハローワークとは別にだ」

「まあ、それならそれでいいんだけどさ、一つ気になっていることがあるんだよね」

「何かな?」

「なんかそういう方向で話を進めようとしているけど、そもそもジングラスがそんなことをやっていいの? 四大会議はどうなったの? オレに対して制裁案が出されたと思っていたけどね。それがいきなりこうだから、ちょっと予想外って感じだよ」

「そこまで知っているか」

「あれだけ派手にやったからね。ゼイシルってやつにはかなり恨まれているはずだけど…」

「そうだね。相当怒っていたね。ハングラス側は最初から制裁案を出すつもりで動いていたようだ。そうでもしないと組織の結束が瓦解しかねないからだろう」

「それってジングラスもそうじゃない? オレも一人殺している。プライリーラは怒ってないの?」

「…うむ、総裁としては割り切れない思いもある。彼も家族の一人だからね。しかし私とゼイシル氏には決定的に違う面が存在する。それは私が『武人』だということだ。武人である以上、純粋な力がどれだけ価値があるかを理解しているつもりだ」

「一人程度ならば、オレとの取引のほうが上ってことだね。当然の計算だけど、他の面々はそれで納得するのかな?」

「この大地では毎年多くの人が魔獣や食糧、衛生面の問題で亡くなっている。それこそ四大悪獣が来れば一瞬で数万の人間が犠牲になるだろう。それと比べれば微々たる犠牲…と言いたいが、不思議なことに人間は人間に対して恨みを抱くもののようだ。ゼイシル氏を見ていると特にそう思う。それでもジングラス全体の利益を考えて動くのが総裁の責務だ。納得させるさ」

「ふーん、それができるならいいけどね。うーん、どうしようかなー」

「まだ押しが足りないようだね。ならば、もう一つ情報を提供しよう。四大会議にはグマシカ氏も参加していたよ」

「代理じゃなくて?」

「当人だ。それは間違いない」

「…へぇ、穴倉から出てきたってことか」

「少しは興味が湧いたようで何よりだ。君の狙いはマングラスだ。違うかな?」




274話 「選択と答え 後編」


「どうしてそう思うの?」

「今までの情報を精査しただけさ。スレイブに対する情熱が決め手かな」

「否定はしないけど…それが取引とどう影響するの?」

「実際に会ってみてグマシカ氏が危険な存在だと確信した。だから彼を追い詰めるためにも私と手を組まないか? これならば十分なメリットになるはずだ」

「こっちがソブカを裏切る代わりに、そっちはグマシカを裏切るってことか。面白い話だね。でも、同じ四大市民でしょ? 裏切っていいの? オレがマングラスの力を奪ったら力が強くなりすぎるかもよ」

「グマシカ氏は都市の害悪になる可能性がある。いや、すでになっているのだろう。彼がいる限り現状は変わらない。もうお歳だ。そろそろご老人には退出していただこうと思っている。それにホワイト氏が求めるのはスレイブなのだろう? それで商売をやるつもりかな?」

「その予定はないね。みかじめ料は徴収するけど、基本的には趣味の範疇だよ。欲しい子がいればもらって、残りカスはスレイブ商会のモヒカンにでも任せるさ。ただ単にオレの上に誰かいるのがムカつくだけだね。自分の金で好き勝手やっているやつがいると思うと吐き気がする」


 注釈:自分が他人の金を使って好き勝手することはかまわない


「運営は商人に任せるということか。ならば問題はないよ。マングラスの力はそれだけではない。スレイブ以外の人材も数多くいるからね。バランスは崩れるが、強くなりすぎたマングラスの力が削がれて均衡化するだけにすぎない。それはむしろ正常化と呼ぶべきだ」

「言い忘れがない? その代わりにジングラスがトップになるんでしょう?」

「ふふ、そうだ。しかし、より清純なものが力を手に入れることは都市の浄化にもつながる。少なくともグマシカ氏よりはましだと自負しているよ」


(対外的には温和な対応をするプライリーラがそこまで言うか。となると、よほどの危機感を感じたんだろうな。グマシカか…オレが知っている情報は些細なものだ。実際に会った人間に話を訊くのが一番だな)


「グマシカはどんなやつだった? 詳細を教えてよ」

「わかった。信頼の証として四大会議の内容を教えよう。悪用しないことを祈るよ」

「これってすでに悪巧みじゃないの?」

「ああ…なるほど。たしかにそうだね。それは失念していた。人間は誰しも自分が正義だと思うものだ。そこは戒めねばな」



 プライリーラはアンシュラオンに会議の詳細を伝える。

 すべてを伝えたわけではないが、グマシカの発言と意図の大部分は教えたつもりだ。

 アンシュラオンは興味深そうにそれを聞いていた。今までで一番真剣な顔である。

 普段からこれくらい真面目に生きてほしいものだ。




「―――というわけだ。私が危険視する理由に納得してくれただろうか?」

「ふーむ…妖怪ジジイって話は本当みたいだね。それにしても軍か…戦力的にはどれくらいなんだろう」

「そこはまったくわからない。こちらの推測も交じっているし、本当は持っていない可能性もある」

「四大市民同士って、互いの戦力を把握しているわけじゃないんだ?」

「都市内部で活動している組織はおのずとわかるが…それ以外となると難しいな」

「ジングラスは外部の都市に戦力を温存していたりはしないの?」

「普段護衛に雇っている傭兵団とは縁があるが、それくらいだね。さすがに隠し持つということは経費の問題でも大変だ」

「ふと疑問に思ったんだけど、この船って普段はどこに置いてあるの? 都市内部じゃないよね? 見た感じ、あの都市は戦艦クラスが入れないように造られているみたいだし、こんな船があったらすぐにわかるからね」

「この船は遠出をする際に使っているものだが、どこに置いてあるかはさすがに企業秘密だね。港と航行ルートは商人にとって命のようなものだ。簡単には教えられない。ただ、君が都市内部で見なかったのは当然だ。都市外であることは認めねばならないね」

「これだけの船が停泊するスペースがあるってことは、人間ならそこそこの数を確保できるってことだ。マングラスもそうした場所を一つか二つは持っていると思ったほうがいいね」

「だが、船と人間では性質が大きく異なる。生活が必要な人間を維持するのは思った以上に大変だと思うが…」

「裏スレイブだってこれだけいるんだ。極秘で部隊を編成することは難しくない。財力があれば養うことだってできるしね。それにギアスが付けられれば『奴隷化』できる。おとなしく待機させることも可能のはずだ。だからスレイブは便利なんだよ。ただ、ギアスが付けられるレベルなら、たいした戦力にはならないかもね」

「セイリュウ氏は自信がありそうだったよ。ホワイトハンターにも対抗できると思っているのだろうね。そのあたりが不気味だ」

「うーむ」

「おや? もしかして不安になったかい? デアンカ・ギースを倒したホワイト氏ならば怖れることもないだろう?」

「買いかぶりだね。もちろんオレは武に自信があるけど、積極的に軍隊とやりあおうと思っているわけじゃない」

「DBDの魔剣士と事を構えただろう? 彼らと諍いになるとは思わなかったのかい? 一応は残党だが、れっきとした軍隊だよ」

「ああ、剣士のおっさんのことだっけ? そういえばモヒカンが何か言っていたな…。まあ、そっちの事情はどうでもいいよ。ヤバくなったら都市を捨てるという選択肢もあるし」

「それは困るな。ここまでやったのならば責任は取ってほしいものだ」

「オレに恨みがあるならオレを狙えばいいだけのことだ。そうしたら返り討ちにして責任は取るよ。オレはあくまで個人だから、それ以上はどのみち無理だ。…と、おっさんの話は少し脱線しているから戻すけど、マングラスの件については『きな臭くなったな』と思っただけさ」

「きな臭いとは?」

「そうだな…都市という枠組みになれば、どこでも複雑な事情を抱えているのは理解できるよ。この大地にとって一つの都市の価値は小規模国家に匹敵するからね。何事にも表があれば裏もあるもんだ。ただ、思ったよりグラス・ギースは裏が多そうだ。そして闇が深そうだ」

「マングラスが軍隊を保持している点だろうか?」

「うーん、一部の勢力がクーデター用、あるいは治安維持用に兵力を持つのはよくあることだ。普通の国家における国王と領主の関係だってそうだしね。それは不思議じゃない。むしろ国に何かあった場合に備えるのは自然なことだ。特に領主が頼りない場合はね」

「実際に領主に会ったのだったね。言いたいことは理解できるよ。それで、どのあたりが気になるのかね?」

「最初は単純なマフィア同士の権力闘争かと思っていたけど、もっとこう…古い何かが影響を及ぼしている気がする。たとえば【血】かな。あるいは【慣習】。いや、それだけじゃないな…上手く言えないけど、過去に根付いた何かを感じるな。四大悪獣だって過去からのものだし、グラス・マンサーだってそうだよ。この時代に発生した問題じゃない」

「グラス・ギースは比較的歴史のある都市だ。他の都市は数年から数十年で潰れることもあるが、ここは魔獣が壁となって他の勢力からの侵入を防いでいる。一時は滅亡の危機に瀕したとはいえ千年の歴史を持つ都市も珍しい。過去があるのは当然のことだろう」

「それだけしがらみもあるってことか。何にせよマングラス側は怪しいね。プライリーラがそう感じたのならば、素直に直感を信頼すべきだろう。オレの感じる『きな臭さ』もそれに近いものだからさ」

「私の感覚を信用してもらえるのだね。嬉しいよ。マングラスへの認識は同じだということだね。ならばホワイト氏、私と一緒にグマシカ氏を抑えないか? 君が不安を感じているのならば協力したほうが得だと思うがね」

「………」

「君とジングラスが合わされば怖いものはない。悪い話ではないと思うが、どうだろう?」


(ソブカを売ればプライリーラとジングラスが手に入る。ジングラスはキブカ商会よりも規模が大きくて信頼もできる。プライリーラ自身も美人だ。四大市民の力が手に入るのは大きい。ソブカが結婚すれば、ラングラス側にも干渉できるようになるし、結果的に医師連合との約束も果たせるか。一方でソブカの計画に乗って進めば、さらなる不確定な闘争が待ち受けている。その際はプライリーラを打倒しなくてはいけない。自由に好き勝手できる範囲は広がるが安定性は欠くな。さて、オレはどちらを選ぶか…何を求めるか。ここが重要な分かれ道だな)


 提案に対してアンシュラオンは、しばし考える。

 プライリーラが四大会議の情報をもたらしたことで、自分の中にあるデータが更新され、再計算されていく。




 そして―――結論。




 この瞬間、アンシュラオンは一つの選択をした。


 人生とは選択の連続である。嫌でも選択しなければいけないこともあれば、積極的に選択して未来を切り開くこともできる。

 どんなに良さそうな選択をしても結果が伴わないことだってある。それによって人生を台無しにして苦悩することもあるだろう。

 それでも人間は選択を強いられる。逆に言えば、選択できるチャンスが与えられたということだ。

 失敗する可能性があるのだからチャンスと思えないかもしれないが、停滞を防ぐためには常に選択し続けるしかない。

 それが世界のルール、法則というものだ。


 そして、アンシュラオンは選んだ。


 極めて重要な選択にもかかわらず思考はクリアで、決めた後もまったく後悔がない。それだけ明確な判断基準があったということだ。



 アンシュラオンはプライリーラを見つめ―――




「プライリーラ、君は手を引いたほうがいいかもしれない。ジングラスはこの一件には関わらず静観することを勧めるよ。だから君とは組めない」




 衝撃の一言を放つ。


 当然その言葉を受けてプライリーラは―――目を丸くする。

 アンシュラオンの真意がわからないというように、思わず首を振った。


 絶句、とはこういうことだろう。


 しばらく言葉が出ず、どうしていいのかわからない様子だった。

 それが少しずつ回復してきて、ようやく口を開く。


「…驚いた。本当に驚いたよ。これほど驚いたことは人生の中でも数えるほどだ。しかし、どうしてその結論になるのだろうか? これはまったく想像していなかったよ。ぜひ理由を訊かせてくれないか?」


 その声はわずかにかすれていて、まだ動揺が続いていることがうかがえた。

 プライリーラにとって、この提案はアンシュラオン側にかなり譲歩したものになっている。

 本来ならば武力行使をもって排除するという流れだったのだ。多少の疑念はあれど他派閥もそう考えているはずだ。


 それを逆手にとっての一世一代の大博打。プライリーラも相当な意気込みをもって挑んだはずだ。


 賭け事とは、勝つか負けるかの二択によって成立する。

 それゆえに勝ったときの利益が大きくなる。当然負けることも覚悟しているが、その際は仕方ない。その中で最後までやりきるしかないだろう。

 だからポーカーでいうところの「コール」や「レイズ」はあっても、フォールド〈辞退〉があるとは思っていなかった。



―――「勝負そのものを降りろ」



 アンシュラオンはそう言ったのだ。驚くのは当たり前である。


「言っただろう、きな臭いって。マングラスからはそういう臭いがする。裏側のさらにまた裏の腐った臭いだ。あいつらはオレと【同類】かもしれない」

「ホワイト氏と同類? どういう意味だね?」

「汚いことを平然とやる連中ってことさ。ジングラスと正反対に真っ黒なんだ。それは君も感じたことじゃないのかな? だから警戒しているんだろう?」

「もちろんそうだ。ただ、そこで手を引くという話になるのがわからないな」

「油断すると痛い目に遭うかもしれないよ。リスクがメリットを上回るのならばやらないほうがいい。オッズが二倍なのに全財産をかけるのは危ない選択だ。たしかに可能性はあるが、あくまで可能性だ。飛べば全部を失う。困窮していてやるしかないのならばともかく、安定しているのに無理をすることはないさ」

「ホワイト氏は、マングラスにそこまでの評価をしているのか? 理由は何だ?」

「オレたちが互いを獣だとわかるように、同類はすぐにわかるんだよ。グマシカは明らかにヤバイ。生粋の裏側の人間だ。真っ黒だ。そんな危ない裏の連中は、同類の裏の連中に任せたほうがいい。オレは最初からそっちの準備をしているから予定通りだけど、プライリーラが手を汚す必要はないし、関わらないほうが得策だ」

「ジングラスとて裏側のことは知っている。組織を運営するためには、そういうことも必要だからね」

「もう少し補足しようか。マングラスが黒いという意味は、単に卑怯という意味だけじゃない。ヤバイことに手を染めているかもしれない、ってことさ」

「それは軍のことではないのか? 領主にバレると問題だ」

「少しニュアンスが違うな。あいつらは軍を持っていることを君たちに示唆した。そんな連中が領主を怖れるわけがない。これが何を意味しているかわかる?」

「…何が言いたいのかな?」

「あくまで勘だけど、グマシカたちはグラス・ギースの【根幹】にいるような気がする。きっと君が知らない何かをやつらは知っているんだろう。グマシカやセイリュウってやつの言い回しは、何も知らないやつらを馬鹿にする態度だ。オレがよくやるからわかるんだ。だから同類だよ」


 たとえばアンシュラオンがビッグを相手にするようなものだ。

 「こいつ、何も知らない馬鹿だなぁ」と最初から下に見ているから、態度にもそれが出て相手をイラつかせる。

 また、圧倒的に力の差があるゆえに、わざと情報を教えて困惑させたり脅かしたりして反応を見て楽しんだりもする。

 明らかに優位に立っていることを知っているからだ。そういった余裕でもある。


 そして、そういった者は極めて性格が悪くて残忍だ。


 良家のお嬢さんが迂闊に手を出せば危険である。アンシュラオンはそう考えたわけだ。

 そんな悪党どもの相手こそ自分が相応しい。毒は、さらに強い毒によって吸収淘汰するしかない。




275話 「その者、獣にして鬼畜、鬼畜、鬼畜なりけり!」


「不満そうな顔だね」

「…当然だろう。ここまで来て勝負を降りろと言われる気持ちもわかってもらいたいものだ」

「たしかに悔しいだろうね。でも、リスクが高い勝負はしないほうがいい。プライリーラも危惧していたじゃないか。グマシカの目的はジングラスを動かすことかもしれないって」

「ああ、その可能性はあるだろう。今回に限ってグマシカ氏が出てきたことも気になる。そこに何か目的があったはずだからね。戦獣乙女とホワイト氏をぶつけることが目的だったならば、半分は達成されたわけだ。すでに後には引けなくなっているからね」


(オレのことが気になったという可能性はある。巣穴の近くが騒がしいから、穴倉からひょっこり顔を出すのに似ているかな。だがやはり余裕を感じるな。オレを怖れている様子はない。となれば『餌場のチェック』と考えたほうが自然か。プライリーラの予想通り、これを機に勢力の増強を画策したのかもしれないな。問題は、その余裕の源泉だな)


「あいつらは何か…そうだな。軍事の側面で切り札になるものを持っているはずだ。それはきっと他の勢力すべてを相手にしても乗り切れるだけのものなんだろうね。そうじゃないと危ない橋を渡る理由もないし。そんなやつらを追い詰めるのはいいけど、相手が苛立って強硬手段に出ると危ない。強い魔獣は必ず『奥の手』を持っているもんだ。最後の最後に自爆覚悟で何かやらかすおそれもある。そこで君が危険に晒されるかもしれない。そうなればジングラスが崩れてしまう。オレが言いたいのはそういうことさ」

「忠告はありがたいが、私には戦獣乙女としての力がある。マングラスが何を仕掛けようと負けるつもりはないよ」

「それが油断だよ。相手だってそれは知っている。いや、オレの何倍も何十倍もよく知っている。だからこそ何らかの対応ができるはずなんだ。君を相手にしても余裕を崩さないのが証拠だ。だが、オレならばまだ手の内は知られていない。相手が警戒する前に一気に巣穴に潜りこんで仕留めることができる。悪いことは言わない。オレとソブカに任せておいたほうがいい」

「むっ、私が駄目で、なぜソブカ氏はいいのだ? 明らかに私のほうが彼よりも上回っているはずだよ」


 プライリーラの声に若干の苛立ちが表れている。

 彼女にとって戦獣乙女は、誇りであると同時に拠り所だ。それを否定されたかのように思えて感情的になっているのだろう。

 常に冷静に見えるプライリーラも、まだ二十二歳と若い。完璧な人間など存在しないし、どんな聖人君子でも時には感情を乱すことがある。

 長い人生から見れば二十代など子供と大差ない。それでもこれだけ自制が利くのだから、彼女は優れた人間なのだろう。今後に期待が持てる逸材だ。

 だからこそアンシュラオンは、彼女の誇りをばっさりと切る。


「もちろん表向きの武力ではソブカは君には敵わない。しかし、そっち方面はオレがカバーできる。あいつに求めているのは違う力だ。あいつの中の獣はマングラス側に通じる黒いものがある。同類なんだから汚いやり口にも対応できるはずだ。だが、最初に言ったようにジングラスは綺麗すぎる。うわべだけの力では本当の悪には勝てないよ」

「聞き捨てならないな、ホワイト氏。戦獣乙女の力は本物だ。うわべだけのものではない」

「プライリーラ、君はまだ本物の力を知らない。本物の恐怖を知らない。それが言えるのは真なる力を持った者だけだよ。どんな悪よりも強く、どんな凶悪な存在よりも残虐な存在だけだ。悪を倒すのは正義じゃない。悪よりも強い悪だ。そして、強い悪すら凌駕する究極の力がある」

「それを君は知っているというのかね?」

「ああ、知っているよ。【アレ】に勝るものはこの世にないって確信したしね」


 「アレ=姉」。

 パミエルキの恐ろしさは知っていたつもりだが、下界に降りてさらに痛感した。

 アレ以上の存在はいないのだ。どうりで覇王である陽禅公が手も足も出ないわけだ。

 グラス・ギースでは災厄とも呼ばれて怖れられているアンシュラオンとて、彼女の前では奴隷にすぎない。それと比べればグマシカなど、まだまだ真っ白の部類に入るだろう。

 彼女は正義や悪すら超越した究極の存在だ。そして、自分もまたその系譜にある。


「オレは君のことが気に入った。ただの正義感ぶったお嬢様だったら問答無用で潰していたけど、ここまで動くなんてなかなか見所があるじゃないか。その中に眠る獣も可愛いものだよ。ここで潰すのは惜しくなったんだ」

「ふふ…ははは! 私を可愛いというのかね! この獣を! 私自身でも抑えるのが大変な凶暴な獣だよ!」

「オレから見れば盛りがついた猫みたいなものだ。どんなに凶暴でも猫は猫だ。猫好きのオレからすれば何でも可愛いさ。ソブカは君を排除してジングラスの利権に食い込む算段のようだけど、気に入ったからオレが守ってあげるね。今回のことからは手を引いてじっと亀のように引きこもっていれば、情勢が変化してもジングラスの力は残るだろうから、ソブカだって簡単には手出しできなくなる。そのあたりは譲歩するようにソブカに言っておくよ。だから安心していいよ」


 アンシュラオンはこう言っている。


 「勝てない勝負はするな」=「ジングラスでは力不足だ。可愛い子猫が危ないことはするな。大人のことは大人に任せておきなさい」


 と。

 当然、それを聞いたプライリーラは不機嫌になる。


「ホワイト氏、わかっているのか? これは私に対する挑戦だよ?」

「そう捉えてもいいよ。ただ、君としては安っぽい挑戦を受けるつもりはないんだろう?」

「…それはそうだ。私は戦獣乙女であり、ジングラス総裁だからね。不用意な行動は取れない。しかし、博打は打ってしまった。もう後戻りはできない。私には君を手に入れる選択肢しかないんだよ」

「手を組まないとは言っていない。今はまだ組めないんだ。オレとソブカが目的を達するまで我慢してほしい。そこでプライリーラは不満を抱くかもしれないけど大損するわけじゃない。むしろ巻き込まれないだけでも大きなプラスだよ。悪いことは言わない。じっとしているべきだ」

「それは無理だ。すでに動き出してしまった。我々は結果を出さないといけないんだ」

「案外頑固だね。オレが言うのもなんだけど、もっと妥協点を探ってもいいんじゃない?」

「総裁としての立場がある。戦獣乙女としても侮られるのは避けねばならない。わかるだろう?」

「そうしないと他の派閥を納得させられない、か。戦獣乙女として大見得を切ったからには仕方ないね。そこも含めてグマシカの策だとしたら面倒だ。まあ、オレとしてはあいつらがそこまで考えているとは思わないな。単に弄んで煽ったら勝手に盛り上がってくれた、というところじゃないかな」

「そうだとしたら随分と無秩序だね」

「そんなもんだよ。つまりそれだけやつらにとっては、グラス・ギースの内部はどうでもいいってことさ。だから悪党なんだ」

「どんな推測をしたところで事実は変わらない。我々が君と接触したことは、じきにバレるだろう。それまでに結果を出さねばならない」

「どうあっても引けない…か。組織ってのはやっぱり面倒くさいなぁ」


 ここでアンシュラオンと交渉している段階で、プライリーラにとっても危険な賭けである。

 これが明るみになっただけでも彼女の立場は危うくなるだろう。


(プライリーラとしては、戦う前に説得あるいは威圧したらオレが屈した、という図式に持っていきたいんだろう。多少苦しいが、結果が伴えば相手も納得はするか。ただ、ここまで恨みを買っているとなると…それだけじゃ済まないよな。オレとしてはリスクが増えるし、変な着地をしてグマシカが巣穴に戻ったら元も子もない。『終わらせるためのシナリオ』も用意しているが…ここで使うのは早い。この段階で使うと想定していた利益が手に入らないで終わってしまう。ならばどうするか…プライリーラには変なプライドが残っているな。そのあたりが邪魔だな…)


 いろいろと考えてみるが、自分は納得しても相手が納得しないものばかりだ。

 その根幹が『戦獣乙女』というものに起因しているのは間違いない。


 ならば―――荒療治が必要であろう。



「それならオレと【賭け】をしないか?」

「賭け? どのようなものだい?」

「プライリーラは、どのみち戦獣乙女として出陣する必要がある。それが八百長でも何でも、君は自分の力を見せ付けなくてはいけない。話し合いで片がついたと説明しても、それだけでゼイシルたちが納得するとも思えないからね。むしろそのほうが八百長臭い。最初から仕込まれていたと思われる」


 プライリーラはすでに戦獣乙女として啖呵を切っている。

 それを信頼して他の派閥は彼女にすべてを任せたのだ。ならば一度は戦わねば相手側の収まりもつかないだろう。


「だからオレと勝負するんだ」

「八百長試合ということか?」

「いや、君は本気でオレを倒しにくるんだ。そのうえでオレが君に敗北をプレゼントしよう。戦獣乙女という幻想を打ち砕いてあげるよ。そうでもしないと君も納得できないだろう。かといってソブカの思惑通りに殺すこともしない。それはもったいない。負けたあとはひっそりと隠れるといい。どうだい、簡単だろう? これならば本来のストーリーでありながら君を守ることもできる。一石二鳥だ」

「…言うね。少しドキッとしたよ」

「恋ってこと? はは、それでこそ乙女だよ。ただ、賭けと言ったように、ここに両者の運命をベットしようじゃないか。君がオレに力を認めさせたら、あるいはオレに一度でも致命傷を与えることができたら君の軍門に下ろう。その際はパートナーでなくていい。君のスレイブになったつもりで働こうじゃないか」

「………」

「安心しなよ。言葉のトリックはない。心配なら具体的に言うけど、オレに力を認めさせるってのは『これならばマングラスと相対しても大丈夫』だと思わせるくらいの迫力があることであり、致命傷ってのはそうだな…オレが大量出血を一度でもしたら、ってことでいいかな。前者は曖昧だけど後者ははっきりとしている。それを基準にしてもいいよ」

「あまりに下に見られたものだね。それで私が納得するとでも?」

「四大悪獣程度に怯えている君たちなら、それくらいのハンデは必要じゃないかな。嫌ならべつにいいけど、オレが有利になるだけだよ?」

「…大量出血の基準は?」

「うーん、ドバッと出るくらいかな? もしくは骨の数本くらいでもいいけど」

「何本だい?」

「やれやれ、急にやる気になったね」

「非常に不愉快ではあるが、勝てる確率が上がるのならば受け入れよう。私は多くのものを背負っている。自分から不利を背負う必要はないからね」

「いい心構えだね。そのほうがいいよ。じゃあ、腕なら一本、肋骨なら二本かな。それくらいなら剣士のおっさんと同じレベルだって認めてあげるよ。まあ、求められる力は裏側のものなんだけど、単純な能力不足だと困るからね。そこはオマケだ」

「ホワイト氏、私の力は特定の状況下で最大限発揮される。一対一では…」

「もしかして噂の『守護者』ってやつ? いいよ、何を使っても何人で来ても。執事のじいさんも一緒でかまわないし」

「さすがにそれは私のプライドが許さない。君と戦うのは私と…もう一人だ。そして、周囲に被害が出ないように誰もいない荒野で戦いたい」

「なんでもいいよ。どんな手を使ってもいい。だって、それが強さってことだからね。マングラスはそういう連中だよ。きっとね。仮に表側の力だけでそれに対抗するなら、せめてオレくらいの実力は必要になる。君にそれがあるかどうかを見せてくれ」

「もう一つ確認しておこう。もし君が勝ったら何を望むのだ? 賭けというからには要求があるはずだ。まさか、私が今回のことから手を引くだけが条件ではあるまい?」

「うん、そうだね。それじゃつまらないよね。だからオレが勝ったら―――」






―――「君を犯すよ」






「…へ?」

「お嬢様だからわからない? 君と【セックス】するってことさ。強引にね。嫌がっても力づくで押さえ込んで無理やりやる。暴れたら殴ってでもおとなしくさせてから、ゆっくりと処女を奪う。それで君の中の獣を屈服させてあげよう。女性…もとい獣をおとなしくさせるにはこれが一番だからね」

「り、理由を訊いても…いいかな?」

「理由? そうだな…この賭けを思いついたのは、『単純にプライリーラとセックスしたい』と思ったからだ。その口実にちょうどよかったんだ」


 『女性は因子が覚醒していたほうが気持ちいい説』を思い至った時から、プライリーラと交尾したいと思った。

 これは頭で考えたのではない。本能がそうしたいと思ったのだ。今までの欲求不満をぶつけるチャンスでもある。


「だって、君がどこかでマングラスに負けたら処女を失うかもしれない。そんなのもったいないって思ってね。ああ、もちろんプライリーラが気に入ったから、危険から遠ざけてあげようと思ったことは事実だよ。それは本気の気持ちだ。ただ、本能ってのはそういうもんだろう? あれこれ考えるものじゃない。奪いたいから奪うだけだよ」

「………」


 とんでもない発言が飛び出た。

 何の躊躇もないが、言っていることは相当危ないものだ。シャイナがいたら確実に怒られる。


「け、獣だな…君は! 処女の私を犯すというのか!?」

「うん。だって、美味しそうだし」

「ソブカ氏と結婚すると知ってもか!? 嫁入り前の乙女だぞ!?」

「そういえばそうだったね。まあ、処女じゃなくても結婚はできるよ。オレが興味があるのはそこだから、結婚とは別の問題だね。それにどうせオレには勝てないし、結婚は無効になる。ほら、何も問題はないだろう?」

「な、なんて倫理感のない発言だ! き、君はそれでいいのかね!?」

「オレはやりたいことをやりたいようにする。君とセックスすると決めたら実行するよ。力づくでもね」

「ふふ…ふふふっ!! ふはははははははははははは!!! あはははははははははは!!! すごい、凄いぞ!! これがホワイト氏か!! これがデアンカ・ギースを屠った男か!!! なんて男だ!! す、素晴らしい! 私の想像を遙かに超えている!! 君は鬼畜だな!!! ケダモノだな! とことん自分本位だ!!」

「ありがとう。最高の褒め言葉だ」

「熱い、身体が熱い!! ドキドキする! ワクワクする! こんなことは生まれて初めてだ!! はーーーはーーーー!! 興奮が止まらない!!! 止まらないんだ!!!」


 バリンッ

 思わず握ったカップが壊れる。

 バキバキッ

 ふらついた足を支えようとテーブルに手をかけたら、壊れる。


 熱い、熱い、熱い。燃える、燃える、燃える!


 身体が熱くなる。芯から火照ったように熱くなる!!

 自然と戦気が噴き出し、この喜びを表現する。


「犯されると聞いて興奮するなんて、プライリーラは真性の変態だな」

「はははは! 君にそれを言われるとはね!! いいよ、やろう!! 私に勝てたら私を喰らえばいい! いくらでも子宮に精液を注ぎたまえ!! だが、私が勝ったら君を喰らう!!! 私のものだけにするぞ!! その力を私のためだけに使ってもらう! 今後一生だ!!」

「ああ、いいよ。くだらないトリックはいらない。男と女の約束だ。絶対に守るさ。いつやる? 今でもいいよ」

「日程は改めて連絡しよう。なに、そんなに時間はかからないさ。それまで我慢できないからね。…はぁはぁ、たまらないよ! こんな…こんな日が来るとは思わなかった!!」

「いいよ、プライリーラ。それだ。その顔こそ君に相応しい。オレは女性がありのままの姿で輝ける世界を作りたい。君もそれに加えてあげよう」


 プライリーラの中の獣が活性化していく。

 アンシュラオンという、もう一人の獣に刺激されて解放されていく。


 それこそ戦獣乙女の本来の姿。


 彼女が獣だからこそ魔獣たちも従うのだ。

 同属だと。これは同じものだと本能が感じるからだ。




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