欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第四章 「裏社会抗争」 編 第二幕 『激動の白』


261話 ー 265話




261話 「五英雄の秘宝」


「ホワイトが…医者だからだ」

「医者? それがどうして理由になるんだ?」

「…父さんは病気なんだ。もうずっと目を覚ましていない」

「病気…か。もう高齢だからしょうがないが…オヤジはそんなに悪いのか?」

「悪い? ああ、そうか。そうだな。悪いのかどうかは…よくわからない」

「どういう意味だ? 病気なんだから悪いんじゃないのか?」

「いや、いいんだ。そこは問題じゃない。ともかく難病らしくて普通の医者では駄目だった。だからホワイトは殺せない。彼ならば治せるかもしれないから…」


 ムーバたちの動きが遅いのはツーバの『奇病』が原因であった。

 この段階では、アンシュラオンとスラウキンの会話をムーバは知らない。密かに交換条件が出されているとは夢にも思っていないだろう。

 ならばムーバがホワイト医師の力を当てにすることも頷ける。

 ラングラスに被害が出ていない以上、こちらからホワイト商会と揉める理由がなかったのだ。かといって積極的に接触すれば怪しまれるだけだ。

 ムーバの優柔不断さが随所に悪い方向に出たのは間違いない。それによって他派閥の疑心を深めたのは彼のミスである。

 病気が発現した段階でラングラス一派内にだけでも通達して、何かしらの助力を得るべきだった。それならば違う方法も見つけられたかもしれない。

 しかしながら医師連合でも駄目だった案件である。器具だけを扱う他の商会が手助けできるとは思えなかったし、内部で動揺が広がることも避けたかったのだろう。

 ムーバは、自分にリーダーとしての資質がないことはわかっていた。ツーバの代理はできても、それ以上のことはできない。

 父親が作り上げた権勢を少しでも維持することが、彼にとっての責任感だったのだ。新しいことができない以上、徐々に磨り減るしかないが、大きなマイナスがないように気を配ってきた。


 それが彼の限界。才覚の無さを責めるのはさすがにかわいそうだ。


 また、内部に公表すれば、ムーバの妹であるミバリを嫁にもらったイニジャーンの発言力が増していくだろう。

 そして、ソブカにも気を許せない。

 キブカ商会はラングラスの稼ぎ頭なので感謝はしているが、ムーバは昔からソブカが苦手だった。

 心が弱い人間は、強い人間を見抜くことができる。ソブカの中にある「獣」の存在に気付き、彼にだけは弱みを見せたくなかったのだ。

 ムーバとしては自分の娘を嫁にしたソイドダディーに跡目を継いでもらいたい気持ちもある。もとよりそちらが本家筋なので心配する必要はないのだが、権力闘争に絶対はない。

 ソブカのような異物がいる以上、迂闊には動けなかった。そうやって揺れている間に時間だけが経過していく。


 よって、傍観という結果になる。



「そういえばホワイトは名医だったな。やつの凶暴性だけに目が向いていて、その点をすっかり忘れていた」


 ゼイシルにとってアンシュラオンは害悪以外の何物でもない。

 医者という言葉は何度も出てきたが、名医という概念がすっぽり抜けていた面はある。


「しかし、ムーバ殿。無礼で失礼極まりないが、あえて言わせていただく。ツーバ殿のご病気には同情するが、かなりのご高齢だ。いつ亡くなられてもおかしくはない。ただ、幸いなことに血族には恵まれている。あなたもいるし、あなたの妹君もおられる。さらにソイドダディーの奥方はあなたの娘であり、本家筋の二人のご子息までおられる。正直、私が独身であることを考えれば、あなたがたは随分と子宝に恵まれていると思いますが…」


 少々言いづらそうだが、はっきりと事実を伝える。

 さすがにその先の「だからツーバ殿が死んでも問題ないのでは?」は自重しておいたが、言いたいことは伝わっただろう。

 そこには若干の羨望の眼差しがあったことをプライリーラは見逃さない。なにせ自分も同じ問題を抱えている「同士」なのだ。


(たしかにラングラスは恵まれているな。分家筋を含めてかなりの『ストック』がある。一方、ゼイシル氏に子供はいない。この段階でハングラスの本家筋の危機だ。ジングラスの本家筋も私一人だし…うむ、お互いにかなり危ない状況だな)


 現在のところハングラスの直系は、ゼイシルと年老いた父親だけとなっている。

 昔からゼイシルは真面目な男なので、基本的に商売一筋で生きてきたようだ。逆に言えば、それだけグラス・ギースの経済を維持するのは大変なのだろう。

 そして、気付けば独身。

 彼は奥手なところがある男性で、遊びで子供を作るようなことはしない。それはそれで素晴らしいが、血を残すという意味では厄介だ。

 プライリーラの父親のログラスも母親一筋の男だったので、子供は彼女一人。もしゼイシルとプライリーラの二人に何かあれば一大事だ。


(私は女だから仕方ないが、男だったらもっと子供をバンバン作ればいいのに…と、それは少し倫理感としては問題かな。どちらにせよ仮に本家筋がいなくなれば、分家筋で激しい継承争いが起こるだろう。それだけでグラス・ギースが揺れそうだ)


 子供がいないのは問題だが、作りすぎても権力闘争の種を蒔くことになるので、それもまた問題となる。

 本家がいなくなれば、次の当主候補に挙がるのは当然ながら分家である。分家とはいえ血に優劣はないので、彼らが本家筋になることに違和感はない。

 ただ、かつてグラス・ギースではそうした権力闘争で疲弊した歴史があるため、現在では本家と分家の役割は厳格に決められている。


 分家は―――【本家のストック】


 これが彼らに課せられた使命である。

 もし本家に何かあった際の代理、替え玉、予備。そうした役割だ。

 そのストック同士で闘争が行われ、勝ち上がった者が本家筋になる。まさに血の道である。

 これを防ぐためには本家筋が絶えないことが重要だ。一人でもいいから子を残すこと。これもまた本家の責務なのである。


 グラス・マンサーにとって血筋は重要だ。どんな無知蒙昧の出来損ないとて、その血を持っているだけで価値がある。

 彼ら四大市民と領主は、この未開の大地に都市を築いた偉大なる【五英雄の血脈】なのだ。

 デアンカ・ギースのような魔獣がうようよしている土地に都市を築くことがいかに難しいかは、外に出たハンターたちの末路を知れば簡単にうかがい知れるだろう。

 この都市に住む人間にとって五英雄の存在は拠り所であり、秩序を維持するためにも必須のものなのだ。だからプライリーラも子を成すことにこだわる。


(ソブカ氏は分家に対して強い劣等感と怒りを覚えている。そこでツーバ氏の病を公表すれば何をするかわからない。…まあ、これもソイドビッグたちがあまり有能でないからかもしれないな。どうして逆でなかったのだろうね。なんとも皮肉な話だよ)


 ムーバとしては、しっかりと着実に本家筋を維持したいわけだ。

 ただ、ソイドダディー自体が成り上がりで現在の地位に就いたため、周囲からの受けは良くない。また、その子供のソイドビッグも残念ながら卓越した人物ではない。

 なんとか道筋を立てたい。できればツーバが明確に意思表示を行い、場をまとめてから逝ってほしい。

 強烈な個性と力でリーダーとして君臨してきたツーバの言葉ならば周囲も従う。気弱なムーバがそう考えるのも無理はない。

 なるほど、こうして考えるとムーバの優柔不断は「慎重」とも言い換えることができる。

 事実ソブカは動いている。野心がなければアンシュラオンの誘いには乗らないので、何かきっかけを待っていたのだろう。ムーバの予感は正しかったわけだ。


 ただし、その言い訳をしたところでゼイシルは面白くないだろう。さすがのムーバも、これを素直に言うことはなかった。

 その代わり、もう一つの問題を明らかにする。


「ゼイシルさんのおっしゃることも、ごもっともです。うちは子宝には恵まれています。ただ…今はまだ父を失うわけにはいかないのです」

「理由を伺ってもいいだろうか? まあ、当主を失いたくない気持ちはわかりますが…」

「それだけではないのです。実は…【家宝】の場所がわからないのです」

「むっ、家宝? もしや…【五大秘宝】のことですかな?」

「はい。場所を知っているのは父だけなのです。どこにあるのかもわからず…」

「ツーバ殿が病気がちならば、普通は早めに継承しておくものではないでしょうか? 少なくとも場所くらいは教えておいても不思議ではない」

「え、ええ…しかし、父は自分がこうと決めたらテコでも動かない人でして…。何か考えがあったのかもしれません。もしかしたら私が不甲斐ないせいかもしれませんが…」

「ふむ…」


(なるほど、家宝か。これは血筋と同じくらい重大な問題だな)


 五つの家、五英雄の血脈には「五大秘宝」と呼ばれる「家宝」が存在する。

 これは初代五英雄が使っていた道具の数々で、その卓越した能力も相まって相当な希少価値を持つものだ。

 たとえばジングラスには、初代ジングラス(都市ができる前は違う名前だったらしい)が使っていた武具が伝わっている。


 そう、これこそプライリーラが普段着ている『暴風の戦乙女シリーズ』である。


 性能が高いことはもちろん、これを着ていることがジングラス本家の証でありステータスとなる。

 多くの人々の羨望も集めるので、この都市の秩序維持にも役立つだろう。彼女が普段から外出時に身につけるのは、そういった意味合いもある。

 都市のアイドルという肩書きには不本意だが、それによって人々が安堵するのならば受け入れるのも四大市民としての責務であろう。

 武具ではないが、「魔獣を使役する能力」または「魔獣を手懐ける方法」もまた秘宝の一つに挙げられる。

 同時に「守護者」と呼ばれる存在の継承も戦獣乙女になるには必須のものだ。

 このように純粋なアイテムだけではなく、古くから伝わっている手法や秘術も対象にされている。

 どれも貴重なものであるが、魔獣を使役する能力だけで凄まじい価値を持っているだろう。この魔獣だらけの土地では、これほど有用な能力もない。


 これと同価値の秘宝が他の四家にも伝わっている。それが五大秘宝である。


 プライリーラのように公にされている秘宝のほうが少ないので、実際に各家がどのようなものを継承しているかはわからない。秘密にすることで、お互いを牽制する意味合いがある。

 ただ、伝説を追えば少しは推察することもできるだろう。


(ラングラスは薬師の家系だ。…おそらくは何かしらの薬物類か、あるいは医学知識に準ずるものの可能性が高いな)


 ソブカが持ってきた強化薬『凛倣過』は家宝ではないものの、秘宝を参考にして作られた「量産薬」かもしれない。

 こういうものはだいたいオリジナルで強力なものを作っておいて、薄めながら一般人に対応できるように調整するものである。

 薬の中には覚醒限界を上げるものも存在するので、たかが薬と馬鹿にできない。使い方によっては下手な武具よりもよほど危険だ。


(そういえば『不死の伝説』もあったな。…うちの秘宝を思えば、本当にあってもおかしくはない。…怖ろしいものだ。そこまでしなければ、この大地を開拓できなかったというわけか)


 プライリーラは実際にジングラスの守護者と契約しているので、その力の強さもよく知っている。

 ラングラスの秘宝も放置していたら危険な代物の可能性がある。誰かがしっかり管理すべきだろう。


「他の家のことに口を出すことはできないが…それは困りましたな。秘宝は四大市民にとって最重要のもの。このままツーバ殿が死去されるとラングラスの家宝が失われるかもしれない。…これは都市にとっても大打撃だ」


 分家の役割が決まっているように、直系の役割とは「子供を成すこと」と「秘宝を管理すること」、この二つに要約されているのだ。

 怒り心頭だったゼイシルが一考するほどの価値がある。


「え、ええ…ご理解いただけて何よりです」


 ゼイシルの同意を引き出せてムーバは少しだけ安堵する。

 ただ、だからといって問題が解決するわけでもない。


 そこでまた、この老人が動く。


「ふぅむ、だったらのぉ、そのホワイトっちゅー医者に頼んでみればええんじゃないのかの? 困っとるから助けてくれないか、とか言ってのぉ」

「な、なんと! そ、それは…いくらグマシカ老とはいえ、あまりに無謀ですぞ!」

「そうなのかの? 会ってみれば、実際はええやつかもしれないぞい。何事もやってみにゃーとのぉ。人は金か誠意、どちらかで動くもんよ。もし金が駄目でも、ちょこーと頭を下げてみればいいんじゃないかの?」

「馬鹿な! そんな人間ならば、なぜハングラスがここまで被害を受けるのですか! ありえない! やつらは盗賊と一緒だ! 話し合いなんてできるわけがない! それに頭を下げるなどと…!! それ以上の屈辱はありませんぞ!」

「し、しかしですよ、ホワイトの力は有益だと思います。なんとか利用できないでしょうか…」

「ムーバ殿、やはりその件は諦めてもらうしかありません。秘宝は大事ですが、この都市内部にある可能性は極めて高い。【事】が終わったあとにゆっくり探してはどうですかな?」

「この広い都市をですか!? このような謎の場所まであるのですよ! 到底無理です!」

「しかしこれ以上、あの男を野放しにはしておけませんぞ。…いい機会です。ここで私は宣言しよう」


(この流れも…まずいな)


 プライリーラの悪い予感は当たる。



 直後―――ゼイシルが宣言



「私、ゼイシル・ハングラスは、ホワイト商会に対して【制裁】を提言いたします!!」




262話 「グマシカの思惑」


「せ、制裁…ですか。それはまた…大事ですな」

「そうじゃのう。ちと性急すぎるかもしれんのぉ」

「なぜですか? やつらは再三の出頭要請にも応じておりません。それどころか襲撃を続けています。これこそ都市に対する重大な反逆! いや、そもそもどこの勢力にも属していない以上、都市の商会ではない! そんな輩に遠慮は必要ありません!」

「しかし、制裁となりますと…身内にも動揺が広がりますし…」

「現在の情勢下で広がるのは、むしろ【安堵】ですよ。多くの者たちは制裁を求めております。ここで動かずして何が四大市民でしょうか! 今こそ我々はグラス・マンサーとしての責務を果たすべきです! ぜひ、ご一考いただきたい!」

「ううむ…」

「ふーむ、制裁か…」


(流れは止められなかったか…)


 グマシカの発言によって、場は一気に制裁の流れに入ってしまった。

 その当人はムーバと一緒に思案げな表情を浮かべているが、これはすべて彼が作った流れである。


(個人的には制裁は止めたかったが、提案してしまった以上は後には引けないだろう。ゼイシル氏はまんまと乗せられたという感じだが…ふむ、彼はやり手の商人だ。そこまで愚鈍かな?)


 プライリーラがゼイシルの表情を覗き見ると、彼は案外落ち着いていた。

 たしかに怒りは内包しているようだが、最初の時のように感情に任せて放った言葉ではないようだ。


(なるほど。ゼイシル氏は最初から制裁案を出すつもりでやってきたか。となれば、今のやりとりはラングラス側の意見を封じ込めるためにグマシカ氏を利用した形ともいえるな)


 あの流れだと、ラングラスの秘宝を見つけるために制裁を見送らねばならない可能性もあった。

 だがゼイシルにとっては、発端となったラングラス側の事情で右往左往するのは納得できないことだ。

 ハングラス側は最初から制裁を想定して動いている。そうでもしないと派閥内部を抑えられないのだろう。

 ゲロ吉のように肉親を殺されて激怒している者たちも多い。小さな都市では必然的に周囲は親類ばかりとなるので、アンシュラオンが殺した中には多くのハングラス系列の血縁者がいたと思われる。

 構成員一人ひとりに家族がいる。彼らの哀しみと怒りは相当なものだろう。制裁はやらねばならないのだ。

 ただ、後々のことを考えればあまり角が立つことはしたくない。そこでグマシカの【助け舟】に乗っかる形にしたのだ。

 一時的ではあるが、怒ったふりをして場を自分の方向に引き寄せた。このあたりはさすが商人だろうか。


(我々にしてみればラングラスの秘宝はなくてもいい。いや、無いほうがいい。切り札がなければ必要以上に怖れることもないからね)


 四大市民として秘宝は重要だが、最悪は自分たちの秘宝さえ管理できていればいいのだ。

 むしろ他の派閥の秘宝がないほうがやりやすい。

 もしプライリーラに武具と魔獣、守護者がいなかったら、この若さでこれほどの発言力は得られなかっただろう。

 窮地に陥っていたとはいえ切り札がないことをムーバは証明してしまった。そこは痛手である。


(しかし、なぜツーバ氏は秘宝を隠しているのだ? 誰かに狙われていると思ったからか? それとも時期尚早と考えたからか? たしかにムーバ氏を見ていると託すのは不安になるが…それでも本家筋だ。いつかは託さねばならないはず。そのあたりが気になるな)



「あのぉ、ホワイトはどうなるのでしょうか?」

「当然、抹殺対象ということになりますな」

「なんとか生かして捕まえるという手はないでしょうか?」

「可能ならばそうしますが…最終的には殺さねば収まりはつかないでしょう」

「そ、そうですか…。できれば…捕まえる方向でお願いしたいものですが…」


 ムーバはゼイシルに押され、すでに制裁側に傾いているようだ。

 ラングラス側の言い分は、彼ら自身の過失によるところが大きい。強く反論もできないのだろう。


「一ついいだろうか」

「なんだろうか、プライリーラ嬢。まさか制裁に反対とは言わないだろうね。ジングラスだって多くの被害を受けている。黙っていては沽券に関わるはずだが?」

「制裁に関して反対するつもりはないよ。しかし、条件が整わねば動けない」

「その条件とは?」

「ホワイト氏は強力な武人のようだ。グランハム率いる第一警備商隊が全滅したこともそうだし、先日の報復に関しても失敗している。かなりの戦力を投入したが結果はこの通りだ。それをどうやって仕留めるつもりだろうか?」

「プライリーラ嬢は自信がないのかね? いつもの勇猛さはどこにいったのだ?」

「私は蛮勇を尊ぶつもりはない。戦場では一つのミスが命取りになるからね。実際に戦う身となれば慎重にもなるさ。武人ではないあなたにはわからないことだろうが…」

「後方支援も重要だと思うがね。物資がなければ兵は戦えない」

「だが、死ぬのは我々だ。怖くはないが誰だって無駄死には嫌だろう。それに私はジングラスの当主だ。簡単に捨てられる命ではないよ」

「…それで、何が言いたいのだね?」

「これが制裁だというのならば【利害調整】が必要だということさ。我々が制裁を滅多に行わない理由は二つ。一つは苛烈で危険だから。もう一つが、どの派閥がどれだけ負担を被るのか調整が難しいから。特に後者は重要だ」


 実際のところ全派閥による制裁は、利害関係の調整が難しくてなかなか発動できない。

 どんな行事でもそうだが、誰がどれだけ何を負担するのか。担保や保証はあるのか。あるいは善意や責任感から奉仕するのか。こうしたことが問題となる。

 特に戦いが関係する以上、必ず死人は出る。相手が強いことがわかっているのならば、なおさらだ。


「私が提言したことだ。ハングラス側が全額を請け負う」

「なるほど、それは安心だ。だが、人員はどうする? ただの傭兵では無理だろう。かなり強力な武人が必要だ。簡単に用意できるとは思えないな」

「それは…」


 金はあるが人はいないハングラスである。現在のところ自前で用意することは不可能に近いだろう。

 アル先生のような達人を何人も用意するのは手間隙の観点からも難しいことである。

 そこらに手軽に転がっているわけではないのだ。東や南に遠出して、ようやく一人か二人見つかる程度だろう。ここが辺境都市であることもマイナスだ。好き好んで来る者も少ない。

 本当は都市最強格のプライリーラを頼りたいところだが、事前に「当主」という予防線を張られたので言い出しにくい。


 それを見越してか、待っていたように老人が口を開く。


「それなら、うちが出そうかの」

「グマシカ老、よろしいのですか?」

「わしらはマングラス、人を動かすのが仕事じゃーての。のぉ、セイリュウ、いくらか【無償】で出してもいいかぁ?」

「私とコウリュウはグマシカ様の護衛がありますので無理ですが、それ以外の者ならば問題ありません。すべては御身のもの。ご自由にお使いください」

「ほんなら、人は問題ないっちゅーわけじゃな」

「し、しかし、ホワイトはかなり強力な相手ですぞ。いくらグマシカ様とはいえ…」


 あまりの気軽さにムーバが汗を掻きながら訊ねる。


「あー、そのあたり、どうかの?」

「マングラスには優れた武人もいます。ご所望ならば、すぐにでもご用意いたしましょう」

「そ、そんなに簡単にできるものなのですか? そ、その…セイリュウ殿以外にもそのような者が?」

「もちろんでございます。有事の際に備えて戦力は保持しております。すべては都市の安定のため。喜んで尽力いたしましょう」

「ということじゃーの。これで問題解決じゃ」


 しわくちゃの顔を歪ませて、にんまりと笑う。

 その表情は人のよさそうな老人に見えるが、プライリーラは戦慄しか覚えない。



(これが目的か。『妖怪ジジイ』の本領発揮というわけだ。まったくもって最悪だな)


 グマシカの目的は、これを機会にさらにマングラスの支配を強めることだと確信する。

 ハングラスがマングラスの力を借りてホワイトを倒しても、その功績のほぼすべてはマングラス側が手にするだろう。

 マングラスは人材の豊富さをアピールすることになり、人と暴力という実質的な支配力をさらに強固にする。

 すでに人材を失ったハングラスも補強を図るだろうが、それまではマングラスに頼るしかなくなり、非常に弱い立場に追いやられるはずだ。

 四者しかいない会議において、誰か一人でも味方に引き入れれば半数の力を得ることになる。


「ううむ…」


 それを知っているゼイシルも、実に悩ましい表情を浮かべていた。

 こういうときに商人は弱い。物や金は暴力によって簡単に奪われる。すべては人によって動かされていると思い知る瞬間である。

 もう割り切ってマングラスになびくか。だが、それもまた四大市民として受け入れがたい。マングラスの舎弟になるのはプライドが許さない。

 かといって代案を出せるわけでもなく、ひたすら思考のループに陥る。


「ほぉ、マングラスはすごいですなぁ…」


 ムーバはこの調子だ。

 この人物は誰かがリーダーシップを発揮すると、それになびいてしまう習性があるようだ。

 強すぎる父親の下で育つと、それに反発するか受け入れるか、その二者しか生まれないのだろう。残念ながら彼は後者である。

 この様子を見る限り、ツーバが秘宝を彼に渡さなかった理由も頷ける。他者に利用されるよりは行方知れずのほうがましだろう。

 ムーバがマングラス側に立てば、最悪は「プライリーラVS他の三勢力」という構図になるかもしれない。最悪を超えて絶望しか浮かばない。



(ここいらで限界かな。ジングラスとしても、これ以上のマングラスの支配力増強を許すわけにはいかない。ここでハングラスを奪われたら挽回は難しい。少なくとも私の代では不可能だ)


 ただでさえグマシカは表に出てこない人物であり、そのうえ狡猾である。

 穴倉に閉じこもってミスを犯さず権威を維持し、こうして揺れた際は弱った相手に手を差し伸べて恩を売る。

 そこで力を蓄え、また穴倉にこもる。こうなれば誰も手出しはできなくなる。


(しかもさきほどのセイリュウ氏の発言も気になる。この都市で最高レベルのグランハムを倒したホワイト氏は脅威のはずだ。彼がマングラスを重点的に襲っていたら危なかったのではないか? それなのにあの余裕…よほど腕に自信があるのか? それとも都市内部での被害は最初から想定内なのか? 有事の際に備えて戦力を保持している…か。考え方によっては危ないな)


 プライリーラもマングラスの戦力をすべて把握しているわけではない。だからセイリュウの言葉は気になる。

 まるで都市に混乱が起こるのを待っていたような言い方でもある。もしそうならば、「権力を強化する機会」を常時うかがっているのだろう。

 普段彼らがどこにいるのかも知らないのだ。この都市のどこかに、あるいは別の場所に【基地】のようなものがあり、そこに大量の兵力を隠し持っている可能性も浮かんできた。

 そして、都市内部で何かあれば自前の兵力をもって鎮圧および制圧し、権力を強めていく。それが彼らのやり方なのかもしれない。


 これは―――危ない。


(グラス・ギースが平和だと思って慢心していたかもしれない。ジングラスの戦力は、私とアーブスラットと魔獣たち。よほどのことがなければ守護者は都市内部では使えないから、万一都市内で何かあったらまずい。さすがにマングラスが強硬な手段で都市内を制圧することはないと思うが…グマシカ氏の人柄が危うい。見た目は笑顔だが、中に冷たいものを宿している気がするな)


 ソブカの獣が熱を帯びた『狂気』に属するものだとすれば、グマシカから感じられるのは『冷徹』といった冷たいものである。

 どちらも危険だが、自分の意思で淡々と相手を滅することができる後者のほうが、生物としては危うい。

 前者は抑えきれない欲求で暴走するから同情できるが、後者は自然界にとっての脅威になりうる。

 アンシュラオンもどちらかといえば冷たいタイプだが、彼にはまだ「人への愛」「興を楽しむ」といった人間らしい感情があるので、上手く中和されて今の人格に収まっている。

 それがまったく見受けられないグマシカのものは、さらに危険だ。長く権威を手にした者だけが放つ怖さがある。

 おそらくそれが必要ならば大量殺戮でも簡単にやってしまう。そういった類の雰囲気を感じるのだ。

 プライリーラの本能がグマシカを拒絶している。本性を出した老人に警戒感が止まらない。まるで大型魔獣と対峙しているような気分だ。

 この老人を放置はできない。どのような手段をもちいても妨害する必要があるだろう。


(さて、どうする。制裁が決定的である以上、手をこまねいているわけにはいかない。やはり勝負に出るしかないか。上手くいけば状況をすべてひっくり返せるが…)



 プライリーラが危機感を抱いて思案していると―――



「その仕事、うちにやらせてもらえませんか?」



 ソイドダディーが名乗り出た。




263話 「プライリーラの打開策」


「ソイドダディー、それはどういう意味かね?」


 思考の沼にはまっていたゼイシルが、意外そうにソイドダディーを見る。

 グマシカの戦略のことで頭が一杯で、すっかり彼のことを忘れていたというのが本音だ。


「弁明をさせていただけたら疑心を晴らすとお約束しました。その話はまだ終わっておりません」

「…それは興味深い。どのような話かね」

「すでに親父さんが言ったように、うちらは数多くのミスを犯しています。汚名を返上し、皆様方の疑念を晴らすには自らの手で片をつけるしかありません」

「それはつまりソイド商会がホワイト商会と戦うという意味か?」

「戦うのは自分だけで十分です。そもそもこれは自分が蒔いた種ですから、それが筋ってもんでしょう」

「勝てるのか? うちのグランハムもやられたのだぞ」

「勝ちます。命をかけて成し遂げます。それでこそ潔白を証明できるはずです」


(意外なところから声が上がったものだ。たしかに身の潔白を証明するには一番の方法だが…ソイド氏か。武人としては優れたものだと思うが…グランハムと比べるとどうかな。闘技大会があるわけでもないし、そのあたりは不確定だ。彼がどこまでやれるかは賭けになるか)


 ソイドダディーは、この場にいることからもラングラス最強の武人だと考えていい。

 若い頃はストリートファイトや魔獣退治に明け暮れていたものだ。その実力は間違いなく都市内部でも上位クラスだろう。

 ただ、グランハムと比べるとどうかと問われると、なかなか難しい質問である。一対一ならば良い勝負になるだろうが、最終的にどうなるかはやってみないとわからない。

 つまりはそのグランハムがやられた以上、ソイドダディーでは難しいと考えるのが妥当だ。

 しかも一人である。これはかなり厳しい。


(彼が一人でやると言ったのは、使える人材が自分一人しかいないからだ。それはそうだ。ラングラスは人を治すのが仕事であり、壊す力を集めているわけではない。こればかりは役割の違いだな)


 ラングラス自体が薬師の家系である以上、そこまで戦力強化に執着しているわけではない。

 現状でラングラスの武闘派といえば、まず最初にソイドファミリーの名が挙がるくらいだ。キブカ商会を見ればわかるように、彼ら以上の戦力を持つ組織がないことを示している。

 ソイドダディーから感じられる波動は、主に責任感や使命感といったもの。もうこれ以外に方法はないと覚悟を決めた者の顔をしている。


 おそらく―――死ぬ覚悟だ。


(同じ武人の身としては相打ち覚悟も肯定したいところだが、失敗されると困るな。ラングラスの潔白は証明されるだろうが、もっと悪い方向に流れが向く。あの老人が笑うだけだ)


 その話を聞いてもグマシカに変化はない。黙って成り行きを見守っている。「どうせ無理」と知っているからだ。

 マングラスの情報網はかなりのものだろう。ソブカが知っていることを彼が知らないとは思えない。

 ホワイトの正体がホワイトハンターのアンシュラオンであることも知っているに違いない。

 というよりは、人を管理するマングラスがハローワークに出入りする面子を知らないわけがないのだ。とっくに気付いているはずだ。

 知っていて、この余裕である。その自信の背景に何があるのかが非常に気になる。


「うむ…申し出はありがたいが…ううむ」


 ゼイシルもプライリーラ同様に難しい顔をしている。

 もし自分が認めて失敗すれば「じゃあ、次はこっちが好きにやらせてもらうからね」という話になってしまう。

 それで全部マングラスが片付けてしまったら、最初の条件よりも悪い方向に傾く。そのリスクはあまりに大きい。

 せっかく違う方向から打開策が出たものの微妙に押しが足りないので、期待外れとわずかな希望の狭間で揺れることになる。

 そのせいで逆にさっきより深い思考の沼にはまることになるとは、なんとも不運な男である。



「そ、ソイド、何を言い出すんだ! お前がやる必要はない!」


 一方、突然身内のダディーがそんなことを言い出したので、ムーバは大慌てである。

 それでもダディーの覚悟は揺らがない。もう決めたことだと突っぱねる。


「親父さん、これしかねえよ。俺が片をつける。それで全部仕舞いだ」

「せっかくグマシカ様がお力を貸してくださるのだ。そのまま受ければいいではないか! 外からはいろいろ言われるが、お前は立派な跡取りになる。ここで何かあったらどうする!」

「ビッグとリトルがいる。あいつらはまだ若くて馬鹿ばっかりしているだろうが、いつかは大人になる。最近じゃ少し顔つきも変わってきやがった。子供ってやつは知らないうちに大人になっていきやがるな。もう俺がいなくても大丈夫だ」

「馬鹿を言うもんじゃない! うちにはまだお前が必要だ。お前がいるから今までなんとかやってこられて…」

「オヤジはそれで納得するのか?」

「え? …父さん?」

「オヤジは何よりも面子を大事にする人だ。もし元気だったら、どんなに危険でも自分から動いていたはずだ。今はラングラスの危機なんだ。ここで命を張らないと、うちらはもう終わりだ。誰かがやらないといけない。俺一人の命で済むなら安いもんだ」

「…父さんなら…たしかにそうする。だが、もう…父さんは駄目かもしれん。そのためにお前が犠牲になる必要なんてないんだ…」

「諦めちゃいけねぇよ。まだ何も終わってないんだ。俺が全部やる。死ぬ覚悟でやれば死なないことだってあるさ。俺が勝ってホワイトを連れてくれば、オヤジだって助かるかもしれない。だから大丈夫だ。頼むよ、親父さん。俺も一人の親としてやれることをやりてぇんだ…わかるだろう?」

「ソイド…」


(ビッグが悪いんじゃねえ。運がなかったんだ。初めて触れたもんがたまたま劇薬だった、それだけのことさ。だが、それで終わらせるわけにはいかない。親馬鹿かもしれないが、あいつのために道を作ってやらねぇとな。これは全部俺の責任だ)


 ソイドダディーは複雑な心境だった。

 なにせ息子のビッグに初めて任せた外の仕事だったのだ。これが終わってリンダと結婚し、次期組長としてのステップを着実に歩んでいく。そういうストーリーだった。


 それが―――なんという災難。


 今やホワイトという名前は、グラス・ギースを脅かす巨大な腫れ物になってしまった。それに息子が関わってしまったことは周知の事実である。

 親として、これほどつらいことはない。できれば代わってやりたいが、済んだことはもうどうしようもない。

 それもこれも自分が甘かったからだ。ホワイトという人物をよく知らずに任せてしまった。もっと注意深く調べてから託すべきだった。

 日に日に憔悴していく息子を見て、毎日が後悔の連続である。それは今までの子供の育て方にまで及ぶ。


(へっ、俺は子育てってのが苦手だからな。よくポカをやらかす。本当は厳しく接して強くしてやるべきだったのに…俺の甘さがあいつを弱くしちまった。そうさ、全部俺が悪かった。だから…俺がホワイトを殺す。道連れでもいい。それであいつの未来が開けるのならば…それでいい。あいつは出来るやつだ。絶対に大成する器だ)


 親の贔屓目と言われても仕方ないが、ダディーはビッグに期待していた。期待していたがゆえに傷つかないように甘くしてしまったのだ。

 だが、子供はいつか大人になる。この経験を経てさらに成長するだろう。そうなれば自分を超える逸材になると信じている。


(俺はここまでだ。これ以上にはなれない。だが、ラングラスはこれからもずっと続いていく。守らないといけないんだ。なぁ、オヤジ。これでいいよな? あんたに拾われた命だ。ラングラスのために使うぜ)


 ソイドダディーも、今までの流れを見ていてマングラス側の姿勢には危険を感じていた。

 同時に長い付き合いなのでムーバの気持ちもわかる。

 他人から見ればムーバは完全にグマシカの腰巾着のようになっているが、彼は彼なりにラングラスを存続させようと必死なのだ。

 彼は弱い人間だ。それは仕方ない。が、弱者は弱者なりに強者に付くことで身内を生き延びさせようとしている。

 家族を守るために上役に媚を売るのは大切なことだ。プライドが高いだけの無能より、よほど処世術に長けた人物だといえる。

 が、ツーバはそれを望まないだろう。

 仮に自分が死んでもラングラスの誇りだけは守ろうとするに違いない。



(頃合…だな。ソイド氏が作ってくれた【間】を無駄にはできない。私は私のやるべきことをしよう)


 ソイドダディーを見て、プライリーラの覚悟は決まる。

 彼が命をかけた以上、自分もかけねばならないだろう。


 バンッ!


 プライリーラが、机を強く叩きながら勢いよく席から立ち上がる。


「諸君、聞いてもらいたい!!!」

「…っ! プライリーラ嬢?」


 今までと違う力強い声に、ゼイシルがはっと彼女を見上げる。


「っ…」

「…む?」


 それはムーバとグマシカたちも同じで、全員の視線が一斉に注がれた。

 一瞬、誰もがプライリーラに呑まれる。それだけの力が声に宿っていたからだ。

 ソイドダディーが作った空白の時間の中、各々が感情と思考の中に埋没していた一瞬を狙ったのである。

 熟考している時に大声で話しかけられると、誰でも「えっ!? なにっ!?」とびっくりするものだ。そして、知らずのうちに周囲の情報を得るために『受け』になる。

 プライリーラは、これを待っていた。


 ついに―――場を掌握。


 流れを引き寄せる。


(ソイド氏には感謝しよう。前の流れだったならば、この隙は作れなかった。だが、今は【私の間合い】だ。このまま一気に押しきる)


 十分注目が集まったのを見計らい、プライリーラが【今日ここにやってきた目的】を公表する。


「最初に言っておこう。今日私がここに来たのは『制裁』のためではない」

「…どういうことだね? 君は制裁に反対ではないと言っていたはずだ」

「その通りだ。『ジングラスの総裁として』は反対ではない。グラス・マンサーとして都市の安定のために尽力しよう。だが、私にはもっと大切な使命が存在する!」




「これより私は―――【戦獣乙女】として動く! 来い! 暴風の戦乙女!!」



 プライリーラがポケット倉庫から【鎧】を取り出し、装着。


 キラキラキラーンッ ガシャンガシャンッ!!


 この鎧はさすが秘宝というだけあって、光り輝くと同時に装着が完了するという謎の仕様だ。

 残念ながら魔法少女のように一旦裸になってから装着する仕様ではないが、見た目やパフォーマンスという意味合いでも映える代物である。インパクトは抜群だ。

 そして、気分も盛り上がる。これを着ると別人になったような気になるのだ。


 戦獣乙女になった彼女は―――美しい。


 そこには人を惹き付ける魅力、カリスマがある。自分の中に眠っていた獣が目を覚ますかのように、声も今までと違って生き生きしており、全身に力が漲ってくる。

 そうした【変身】の衝撃が、さらに場を彼女のものにする。


「ぷ、プライリーラ嬢…な、何をしている…のだ?」

「見てわかるだろう。私は今から戦獣乙女だ」

「…それはわかるが…なぜ今…それを着る必要が?」

「そんなことはどうでもいい!」

「なっ!?」


 ゼイシルの的確な疑問をバッサリ切り捨てる。けっして恥ずかしいからではない!

 たしかにいきなり変身を試みるのはかなりの勇気が必要だったが、これも仕方ない措置なのだ。けっして趣味ではない。


「制裁の話は一時凍結してもらう。これは戦獣乙女からの要求だ」

「…凍結? だが、それでは…」

「ゼイシル氏が言ったように、ホワイト商会はどこの勢力にも属していない。ならば制裁そのものが発生しようがない。なぜならば制裁はあくまで『内部組織への排除措置』だからだ。それを外部の勢力に当てはめることはできない」

「…ほぉ…なるほどのぉ。そうきたか」


 グマシカは、この段階でプライリーラが何を言いたいのか理解したようだ。

 興味深そうに黙って「そのショー」を見ている。


 プライリーラは―――宣言。


「私はここにホワイト商会の打倒を宣言する。はっきりさせておくが、戦獣乙女が戦う相手はあくまで『外部勢力』だ。よって、内部の勢力は一切手出し無用に願いたい。ハングラス、マングラス、ラングラスは、彼への干渉を控えてもらう」


 この宣言で、ようやくゼイシルの思考が復活。驚きの表情でプライリーラを見る。


「打倒…だと? 単身でやるというのか!? しかし、あなたはさきほどジングラスの当主であることを明確にして、戦うことを嫌がっていたように見えたが…」

「言っただろう? 今の私は戦獣乙女だと。戦獣乙女の使命は都市を外敵から守ることだ。そのためならば命をかけることも厭わない。それこそジングラス当主の責務なのだからね」

「つまり、ホワイト商会を正式に【脅威】と認めるわけかね?」

「そうだ。この力は【災厄】と戦うためにある。私は彼を災厄の一部として認識することにした。ゼイシル氏、これが一番の方法だと思うが、あなたはどう考える?」

「それは…だが……うむ…」


 ゼイシルは、ちらりとグマシカを見る。

 このまま制裁の流れになれば、どう考えてもマングラスに頼るしかなくなる。都市としてはいいが、グラス・マンサー同士の権力闘争としては厳しい局面だ。

 だが、ホワイト商会を脅威とみなし、戦獣乙女が使命に基づいて対処するのならば、そもそも制裁自体が発生しない。


 戦獣乙女の使命は、また来《きた》るであろう【災厄】から都市を守ることだ。


 グラス・ギースにとって、災厄とは滅びそのもの。この世でもっとも忌むべきものである。

 都市を城壁で覆ったことも再び災いが降りかかるのではないかという恐怖からだ。だから必死に閉じこもって隠れているのだ。

 しかし、それだけでは前と同じ轍を踏むだけだ。ただ守るだけでは災いから身を守れないことを知っている。


 だからこその―――アイドル。


 プライリーラがアイドルなのは、単に見た目がいいからではない。それだけならばマキだってけっして劣らない。

 力があるからだ。守護者がいるからだ。人々は自分たちを守る存在に期待と信頼を寄せるから、彼女はアイドルなのだ。


 そのために戦獣乙女にはグラス・マンサーを超越した【特権】が与えられている。


 彼女が災厄の到来を宣言し、それに対処する際は四大市民すら超える権限を得る。有事の際は強い者の言葉が最優先というわけだ。

 そして戦獣乙女がこの事態に対処してしまえば、問題は大方解決することになるだろう。少なくともマングラスの権力拡大は防ぐことができる。


「そ、その…プライリーラ殿は、勝てるのですか? あのホワイトに…」

「ムーバ氏の疑問も当然だな。もし私が総裁のままであったならば勝てなかったかもしれない。しかし、戦獣乙女ならば話は違うのだよ。【守護者】が使えるからね」

「っ!! しゅ、守護者とは…ジングラスの秘宝の一つ!? ほ、本気ですか!?」

「当然だ。災厄に立ち向かう力なのだ。今使わなくてどうするのだね」


 ジングラス総裁として戦うのならば、プライリーラはこの鎧とクラゲ騎士くらいしか使えない。

 それではグランハムを殺したアンシュラオンに対抗することはできない。

 だが、相手を外敵に指定すれば遠慮なく守護者を使うことができる。これで戦力面は完全にカバーが可能だ。普通の敵ならば明らかに過剰戦力にすらなる。


 これこそプライリーラにしかできない一発逆転のシナリオ、打開策であった。




264話 「四大会議 終了」


「しかしプライリーラ嬢、さすがに災厄という扱いは過剰ではないのかな? やつらは凶悪だが、そこまでのものだとは思わないが…」

「そ、そうですな。安易にそう定義するのはどうかと…むしろ制裁以上に不安を与えかねませんし…」


 ゼイシルとムーバがプライリーラの打開策に難色を示す。その理由は簡単だ。


(何もかんでも災厄という名目を打ち立てて勝手に動かれると厄介だからな。今はいいが、そういった慣習ができるのを怖れてのことだろう)


 プライリーラがやったことは「言葉遊び」であり、所詮解釈の問題にすぎない。

 今までは戦獣乙女に関して、内部の争いには参加しない等の非常に厳しい制限があった。だからアンシュラオンが暴れていても彼女は傍観するしかなかったのだ。

 対処するにしても、あくまでジングラス総裁としてしか動けない。そうなると今度は当主としての責任があるので迂闊に前線に出られないのだ。なんとももどかしい限りである。

 だが、この提案を認める場合、今後は都市に損害を与えるのならばグレーゾーンの存在でも戦獣乙女が出動できることになる。

 今回を特例にしても前例を作ってしまえば、またいつか同じことが起こるだろう。


 そして、何度も続けば【慣習】になっていく。


 たとえば、ここに集まって会議を開くのも古くからの慣習だ。戦獣乙女やグラス・マンサー自体が慣習そのものといえる。

 慣習は作った世代だけならばまだしも、時代が経過すればするほど効果を発揮する厄介なものだ。新しい世代ほど過去の慣習に倣おうとするものだからだ。

 特に戦獣乙女は武力を背景にするものだから、より一層の注意が必要となる。常態化することはプライリーラを神格化することにもつながり、領主がいるグラス・ギースにおいてはあまりよろしくない結果になるだろう。

 マングラスも危険だが、彼らからすれば魔獣や守護者を操るジングラスも同じように怖ろしい存在なのだ。慎重になるのも頷ける。


「では、グマシカ氏から兵を借りて倒すのかな? 諸兄らがそれでよいのならば、ジングラスの総裁として私も従うことにしよう。まだ若輩の身だ。経験豊かなあなた方の意見を尊重したいと思う。私としても無駄にリスクを負う必要はないからね。他人がやってくれるのならば、これほど楽なものはない。まあ、タダより高いものはないとも言うがね」

「ぬうう…それは……」


 前門の虎を免れても、後門には狡猾な狼が待ち受けている。

 どちらを選んでも苦悩するに違いない。


「それ以前に、マングラスの武人で彼らを倒せればいいが…どうだろうね」

「プライリーラ嬢は、やつらにそこまでの評価をしているのか?」

「マングラス側の戦力がわからないからね。詳細な情報を得るまでは評価は難しい」

「たしかにそうだが…少し過敏ではないか?」

「そうかな。これでも過小評価かもしれない。私が【災厄】と言ったことは誇張ではないよ。相手は【殲滅級以上の魔獣】だと考えたほうがいい。デアンカ・ギースを倒せるくらいの戦力を用意すべきだ。それができないのならば安易に手を出さないほうが賢明だろうね」

「それは…あまりに難題だ。ハードルが高すぎはしないだろうか?」

「それくらいでないと災厄は乗り越えられない。グマシカ氏もそうは思わないだろうか?」

「そうじゃのぉ…まだあいつらは三体おるでな。そいつらに対抗できないと、どのみち都市は守れんちゅーことじゃな」


 ホワイト商会の脅威が去ろうとも、残りの四大悪獣は依然として存在する。あんな化け物がまだ三体もいるのだ。

 もし彼らが何かの気まぐれ、あるいは気候変動等で都市に近づけば、また災厄の再来が起きるかもしれない。

 ホワイトへの評価はともかく、この都市には最低でもそれくらいの戦力が必要だということだ。


「あっ…」

「どうしたのだ、ムーバ氏」

「少し前にホワイトハンターが加入したと聞いておりますが…あれは頼れないのでしょうか? たしかホワイトハンターというのは殲滅級以上の魔獣を倒せるハンターのランクでしたな。その人物の助力を得られれば災厄も防げるのでは? おお、そうだ。デアンカ・ギースを倒したのも、その人物との話ですしな! これは期待が持てますな!」


 ここでムーバが、さも「名案を思いついた」という顔で言い放つ。

 その彼に対し、他の三人は奇妙な顔をする。「こいつ、本気で言っているのか?」という顔だ。


(ムーバ氏は底知れないな。本気で気付いていないとすれば、もしかしたら一番怖ろしいのは彼かもしれん。…ともかく、これで確定だな。ゼイシル氏もグマシカ氏も、ホワイト氏の正体には気付いている。問題は、マングラス側がそれでもなんとかなると思っている点か)


 殲滅級以上、デアンカ・ギースという単語は、ホワイトハンターを暗示するものである。


 この段階でプライリーラは、相手が「アンシュラオン」であることを提示したのだ。


 敵が凄まじい実力者であることをアピールして自分の意見を通りやすくしつつ、マングラス側の様子をうかがうためにだ。

 が、それを聞いてもグマシカに変化はない。彼に対抗する手段があることを示している。


(ホワイトハンターに対抗する手段か。早い話、単純にホワイトハンター級の武人がいればいいわけだ。それも対人戦闘に特化した者を。…やはりセイリュウ氏あたりが怪しいか)


 セイリュウが非公式のホワイトハンターならば、仮に同じホワイトハンターが相手でも大きな不利にはならない。

 しかもセイリュウがその実力だとすれば、双子のコウリュウもそうだと思ったほうがいいだろう。ならばその自信も頷ける。

 しかしながら二人は護衛に徹すると公言している。彼ら以外にも戦力を保持している可能性が極めて高い。


「ちなみにじゃが、お嬢ちゃんは倒せる自信があるのかの?」

「なければ宣言はしないさ」

「ほっほ、なるほどなるほど。若いもんはええのぉ。力と自信が漲っておってのぉ。わしも見習わにゃーとのぉ。わしはどっちでもえーよ。お嬢ちゃんがやりたいというなら、やってみればいいさ」

「そちらの戦力を具体的に教えていただければ、私も納得するかもしれないよ。人生の先達者がどのような手を打っているのか、ぜひ伺いたいものだ」

「うーん、どうじゃったかのぉ。そういうもんは全部任せてあるからの…セイリュウ、どうじゃったかな?」

「ご心配には及びません。お任せいただければ、万事抜かりなく処理してみせましょう」

「たいした自信だな、セイリュウ氏」

「いえいえ、我々は単に数が多いだけです。質では戦獣乙女様に到底及びません」

「それはあなたに匹敵する武人が相当数いる、という意味かな?」

「ご想像にお任せいたします。主からお預かりしているものですから、安易に口には出せません」

「では、主に伺おうか」

「はてさて、俗事のことはよくわからんのぉ…」


 絶対嘘である。主も部下もこの調子では、永遠に真実は出てこないだろう。


(ちょっと任せてみたい気もするな。それで相手側の戦力を知ることも一つの手だが…こちらにしても手を見せすぎている。口惜しいが、これ以上は引き出すカードがない)


 本来ならば力を公開すべきではないので、彼らのほうが正しい対処だといえるだろう。

 ただ、こうでもしなければ流れはマングラスのものであった。プライリーラとしてもリスクを負うのは致し方ないところだ。


「それでゼイシル氏、どうするのかな? 私に任せてもらってかまわないだろうか?」

「もしプライリーラ嬢の言葉が正しいのならば、この状況ではそれしか方法がないと思える。一番確実で安全な方法だ。くどいようだが再度確認させてもらう。殲滅級以上の魔獣相手にも対応できるのだね?」

「できる。複数同時は無理だが、相手が一体ならば最低でも撃退は可能だ。痛めつければ相手は逃げ出す可能性も高いからね。そこは安心してほしい。ただ、ホワイト氏が死をも厭わない狂人だった場合は相打ちになるかもしれない。リスクはある。が、今持っている情報ではその可能性はゼロに近い。おそらくは大丈夫だろう」

「…そうか。ならば仕方ないな」


 この段階でゼイシルも、薄々気付いていた事実を受け入れることにした。

 相手はホワイトハンターであるという事実を。

 ゼイシルとて馬鹿ではない。ハングラスには密偵もいるので彼らに相手側の素性を調べさせるだろう。そこである程度の情報は掴んでいるはずだ。

 それを公言しないのはハローワークとの関係がこじれるのを憂慮してのことだ。

 相手は世界的な機関である。この辺境都市が正常に機能しているのも彼らの援助があってこそだ。この関係を崩すわけにはいかない。

 もとよりハローワークはあくまで斡旋を行うだけなので、仮に登録した傭兵やハンターが犯罪行為を行っても責任は負わない。なればこそあえてハンターであることを強調する必要もない。

 あくまで相手はホワイト商会。アンシュラオンとは別の存在だ。そのほうが都合がいいのだ。


「ただし、ジングラスだけに大きな負担がかかることは変わらない。それでいいのかね? あまりメリットがあるようには思えないが…損害を受けてから苦情を出されても困るのだがね」

「こちらにも事情がある。仕方ない出費だ」

「ほぉ、どのような事情かな?」

「婚期に関わることだ。明言は避けたいものだね」

「婚期…!? まさか結婚するのか?」

「おや、意外かな? 私はすでに二十二歳だ。もう結婚していてもおかしくはないだろう?」

「そ、それはそうだな。そうか…結婚か…」

「なんだゼイシル氏、私のことが気になっていたのか? お互いに独身同士だ。お似合いと言われればそうかもしれないね」

「ば、馬鹿を言うものではない! 父親と娘くらいの歳の差があろう!」

「そんなことにこだわっていると永遠に結婚できないよ。まあ、すでにこの歳まで結婚を逃している私が言うことではないがね」


(ゼイシル氏か…当主同士だから無理だろうが、時代が時代ならそういう可能性もあるにはあったな。真面目すぎる点が困りものだが悪い男ではない。むしろ経済的な観点からは完璧な人物ともいえる。…ただ、精力が弱いかもしれないな…)


 プライリーラとゼイシルの結婚。それはそれで面白そうではある。

 少なくとも安定した収入は約束してくれるだろうし、面倒でやりたくもない事務処理も全部やってくれるのだ。旦那としては最高である。

 ただし、自分が一番求めているのは「活力」や「精力」といったもの。やはり「子作り」を重視したいものである。

 自分が武人ということもあり、その点だけは若干不安だ。それはソブカも同じであるが、若いので大丈夫だと思いたい。


「ムーバ氏もそれでいいかな?」

「…それはその…プライリーラ殿がそれでよろしければ…グマシカ様もそうおっしゃっておられますし…」

「ならば問題はないね」



 流れはプライリーラに傾きつつある。

 だが、それに不満を抱く者もいる。


「お待ちください。うちがやる話はどうなったんでしょう?」


 ソイドダディーが口を挟む。

 いきなり場を奪われたので、怒りを表に出すことはないが不満は感じているだろう。


「残念だが、聞いていた通りだ。私が対処することになるだろう」

「うちは禊《みそぎ》も許されないってことですか」

「ホワイト氏が外敵となったからには内部勢力は行動を控えてもらう。そう言ったはずだよ」

「せめて自分も参加させてください」

「それは駄目だ」

「なぜでしょう?」

「守護者を見せるわけにはいかない。一応あれは秘宝扱いなんでね、できるだけ秘匿しておきたいんだ。それに、今まで見た人間がいないのは不思議だと思わないか?」

「…? 何の話です?」

「いくら秘宝とはいえ守護者というご大層な名前の代物だ。噂話ではなく実際に見た人間がいてもいいとは思わないかい? 見えないのに守護者だなんて、まるで詐欺みたいじゃないか」


 守護者の噂は多くの者が知っている。ジングラスの末端ドライバーでさえ知っているくらいだ。

 だが、その姿を見た者はいない。

 プライリーラの発言から、人目のつかない場所で訓練しているようだが、それにしても一人くらいは見ていてもいいはずだ。しかし、そういった者もいない。


「もしかして…いないのですか?」

「いるよ。ただ、守護者を見た人間は、まず間違いなく死ぬだけさ」

「…殺したって意味でしょうか?」

「ははは、さすがにそこまで残酷ではないさ。べつに見られたってかまわない。だが、『見せられない』んだ。そして、近寄れない。私以外の人間が【彼女】を見ることはできないのさ」

「頭が悪いんでよくわかりませんが…つまりは足手まといってことですか?」

「そういうことだね。君が悪いんじゃない。『そういうもの』なんだと捉えてほしい。普通の人間からすれば、あれは災害のようなものだからね。災厄から身を守るものが災害とは、これまた皮肉なのかもしれないがね。…これ以上の説明はできない。納得してくれとは言わないが、今は受け入れて任せてほしい」

「…わかりました。ご武運を祈っております」


 内心はかなり悔しいだろう。その顔には、ありありと落胆の色が浮かんでいた。

 たとえるならば切腹を途中で止められた武士のような顔であろうか。心底悔しそうだ。


(戦いたいのに戦えない気持ちは理解できる。武人にとって戦うことは自己表現だ。彼も相当ストレスが溜まっているのだろうから、いっそのこと一気に爆発したかったのだろう。だが、死なれると困る。これ以上ラングラスが弱ってもグマシカ氏の思う壺だ。耐えてもらうしかないな)



 その後、ホワイト商会以外の細かい話し合いをしてから会議は終了した。

 一番の難題がこのことだったので、他の問題は軽く流す程度であった。




 こうして―――決定。



 ひとまずプライリーラが対処することが正式に決まる。




265話 「プライリーラの思惑」


 ツカツカツカ


 プライリーラは鎧を着たまま、アーブスラットと来た道を戻っていた。

 その顔には安堵感よりも緊張感のほうが強く浮かんでいた。会議のやり取りが彼女の神経をかなりすり減らしたことは間違いないようだ。

 そして、これからのことを考えると気が滅入る。


「…ふぅ」

「随分と危ない賭けをなさいましたな」


 それまで一度も口を開かなかったアーブスラットが、プライリーラの溜息と同時に声をかける。

 会議中は執事という立場に徹していたので、後ろから主を見守ることしかできなかったが、何度もヒヤヒヤしたものである。思わず口を挟みたくなる衝動に駆られたものだ。

 それだけ危うい橋を渡っていたのであり、それは彼女自身も重々承知していた。


「しょうがない。こうでもしなければ、あの老人の好きにされていた。苦肉の策だよ」

「ブラフだった可能性もあります。あまり鵜呑みになさらないほうがよろしいかと。マングラスは【妖術師】の家系でもありますので」

「妖術師…か。たしかにそんな感じだったよ。何が本気かよくわからなかった」


 初代マングラスは言葉巧みに人々を動かし、都市に多くの人間を連れてきたことで有名だ。

 どの世界、どの時代にも弁が立つ者は有用である。たとえば叩き売り一つにしても、言葉という「魔術」を使って普段なら売れ残る商品を見事完売させる者がいる。

 政治家でも妙に口が達者な者がいるし、詐欺師ならばなおさら重要になる資質だ。彼らの言葉一つで戦争が起こってしまうことを考えれば、言葉がいかに重要であるかがわかるだろう。

 昔の人々は、自分の思い通りに人を操る初代マングラスを「妖術師」と呼んだ。実際、術式にも長けていたというので術士だったのだろう。

 グマシカは、そんな英雄の系譜なのだ。相手をするにはかなりの精神力が必要となる。


「しかし、すべてを偽りだと断じるのは早計だろう。相手がホワイトハンターだと知っていても自信満々だった。普通に考えれば、そんなことはありえない。この都市にホワイトハンターと同レベルの武人はいないからね。何かしらの策があるのだろう」

「ホワイトハンターですか。たしかに戦獣乙女になったリーラ様以外に対応は難しいでしょうな」

「そう皮肉を言わないでくれ。正直、相当盛ったと自分でも反省はしているよ。私たちでもデアンカ・ギースの相手はかなりきついだろう。実際に戦ったらどうなるかはわからない。しかし、こちらが自信満々で断言しなければゼイシル氏は納得しないだろうし、ムーバ氏だって不安に思っただろう。ソイド氏ならば、なおさらだ。前例が少ないのが幸いしたね」


 実際にプライリーラの代になってから戦獣乙女が出動したことはない。

 彼女自身の力は幼い頃から顕著だったため他の派閥の者たちもよく知っているが、守護者を伴った戦獣乙女がどれほどのものかは誰も知らない。

 ジングラスは女系の一族だが、ここ何代も女性が生まれなかったので、今生きている者たちは戦獣乙女の戦いを知らないのだ。せいぜい伝承を知っている程度だろう。

 「初代ジングラスである戦獣乙女は風まとう鎧で身を包み、大いなる羽馬に乗って戦場を駆け、幾多の魔獣とともに敵を撃ち滅ぼした英雄である。都市に災いある時は戦獣乙女とともに立ち向かうべし」。

 と、この程度の記録しか残っていない。他にも伝記はあるが、たいていが創作物と思われるものだ。信頼性は低い。

 それでも災厄を怖れている者たちからすれば、戦獣乙女の存在は唯一の打開策である。すがりたくなる気持ちもわかる。

 同時にプライリーラには一つの疑問もあった。これは幼少時から抱いていた漠然としたものだ。


(たしかに【あの子】と一緒に戦えば私は強くなる。暴風の戦乙女も強力な武具だ。…しかし、気になることもある。なぜ戦獣乙女は、『災厄を防げなかった』のだろう)


 災厄が起こったのは三百年以上前、正確に言えば三百三十年前だといわれている。

 公にはされていないが、その当時にも戦獣乙女がいたとジングラスの記録には残っている。家系図を見ても女性が当主だったので間違いないだろう。


 しかし―――災厄は防げなかった。


 漆黒の雲が天を覆い、竜巻が吹き荒れ雷が落ち、火怨山が噴火し、大地は割れた。

 その時に突如出現したデアンカ・ギースを含む四大悪獣によって人々は蹂躙され、この一帯はボロボロになってしまった。

 かつて緑溢れる大地だった場所の大半が荒れ果てた荒野となり、大量の魔獣が住む魔境になったという。

 祖先の五英雄がせっかく開拓した場所が、七日間で絶望の大地に変貌したのだ。この地の人間にとっては最悪としか言いようがない。


(だが、自然災害の天災は仕方ないにせよ、魔獣の対応はできなかったのだろうか? それとも当時は一気に四体の悪獣が突然やってきたのだろうか? それならば仕方ない。戦獣乙女になってみればわかるが、所詮個人の力などたかが知れているものだ。せいぜい一体を撃退するのが精一杯だろう。この理論でいけば、最低でも戦獣乙女と同レベルの武人が、あと最低三人は必要となる。簡単な話ではないだろう)


 ジングラス以外に前線で戦える家としては、薬師のラングラス、商人のハングラスを除いた、領主のディングラス、人材のマングラスくらいだろう。

 それぞれ一体を防いでも、もう一体が暴れまわったら手に負えない。背後から襲われてしまえば均衡していた防衛網も一気に瓦解する。それならば当時のグラス・タウンが崩壊した理由もわかる。

 しかも残念なことに、その危機的な状況は今日に至ってもまったく変わっていない。


(仮にグマシカ氏が四大悪獣に対抗する手段を持っていたとしても、三体同時とはいかないだろう。せいぜい一体と思うべきだ。そして、もう一体は私が対応する。…だが、もう一体は? 領主では無理だろう。他の派閥でもそうだ。唯一の希望はDBDの魔剣士だが、西側の人間を当てにするのは危険だ。彼らは自分たちの事情で動くだろう。最悪は敵になってもおかしくはない。だからこそ【最後のピース】が必要なのだ)


「爺、リスクを負ってまで私がなぜこうしたのか、その理由はわかっているか?」

「ホワイトを【勧誘】なさるおつもりですね」

「さすがだ。私の考えをよく理解してくれている。その通り、彼を味方に引き入れたい」


 プライリーラがわざわざここまでやったことには意味がある。



―――アンシュラオンが欲しい



 その一点だけを目的に動いていた。今までのすべての行動が、ここに集約されている。


 アンシュラオンはホワイトハンターであり、デアンカ・ギースを倒すような猛者だ。彼が加われば、これほど心強いことはないだろう。

 ソブカの行動で彼らの関係に薄々気付いていたこともそうだが、その前からプライリーラはアンシュラオンに目を付けていた。

 これは特別なことではない。四大悪獣を倒したことは、グラス・マンサーにとっても衝撃だったのだ。

 なにせ災厄を象徴する魔獣である。彼らを倒す者こそ、この都市では真なる英雄だ。戦獣乙女たるプライリーラが関心を抱かないわけがない。

 これが女ならば嫉妬も感じたかもしれないが、相手が男となれば俄然興味も湧くというものだ。


 そしてその思いは、今日の会議でさらに強くなった。


 彼の確保が、より緊急性を帯びてきたのだ。それだけ切羽詰った状況だと認識したわけである。

 だからこそプライリーラは、切り札ともいえる守護者を簡単に引き合いに出した。



「もしかしたら私の行動はグマシカ氏の計略の内だったのかもしれない。相手はこちらがカードを切るのを待っていた可能性はある。が、それ以上にグマシカ氏は危険だ。それは間違いない。マングラスは戦力を隠し持っていると思って動いたほうがいいだろう。そのほうがリスクは少ない」

「たしかにそうですな。あの言動を真に受けるのならば、都市内部の組織や人材はどうでもよいと思っている節があります。ホワイト商会が暴れていても無関心だったのは、そのせいでしょう」

「彼がなぜ都市内部の組織を好きにさせているのか、これではっきりしたね」

「はい。おそらくは人目に付かない場所で【軍隊】を作っている可能性があります。内部の者は【撒き餌】でしょうな」


 内部でマングラスに攻撃を仕掛ける者がいれば、それを見定めてから改めて外部に用意してある軍を使って、それを撃ち滅ぼす。

 マングラスにとっては、それでまったく問題ない。犠牲が出れば、また増やせばいいだけだ。人は勝手に増えていく便利な資源なのだから。

 同時にそれによって他派閥に犠牲が出るのならば、それこそ彼らにとっては最高の展開だ。そこでまた権力を強化できる。

 実に最低でイヤらしいやり口だが、安全で効率的でリスクが少ない見事な方法でもある。

 ただ、マイナス要素もある。


「軍は領主たるディングラスだけの特権だ。強い権限だからこそ対価として『大市民の権利』を放棄している。これが明るみになれば明確な盟約違反だろう。いくらグマシカ氏とて言い訳はできない」

「残念ながら、素直に言い訳をするような御仁ではなさそうですな。むしろ妖術師らしく言葉巧みに弁明してくれたほうがましに思えます」

「…そうだ。それが怖い。万一の場合、何を犠牲にしても彼は今の地位を守ろうとするだろう。それこそ内部から都市を破壊してもね。彼の雰囲気からは、そういった危険性を感じた。彼らは暴力の重要性をよく知っているよ」

「ですが、ホワイトも都市を攻撃しております。そこはどうお考えですか? はたして引き入れることができますかな」

「毒は毒で制する…というのは陳腐かな。ホワイト氏の本当の狙いはマングラスではないかと思うんだ。彼がスレイブ商とつるんでいるのは周知の事実だ。まだ推測の域を出ないが、そっちの利権を狙っていてもおかしくはない。そこで共通の敵が存在することになる。相容れる要素はあるはずだ」

「では、ハングラスを狙ったのは、やはりソブカ様の計略ですか。まあ、もとより信用などしておりませんでしたが」

「ふふ、爺は厳しいな。だから彼は面白いのに」

「火遊びは危険ですぞ。必ず怪我をします」

「私としてはそれくらいがちょうどいいんだが…肝に銘じておこう。で、ハングラスを狙ったのはこちらの目を欺くためか、それとも単純に利権が目的か。彼のことだ。両方目的ということもありえる。我々ジングラスまで狙ったことは気に障るが、それは倍にして返してもらえばいい。大事なことはホワイト氏を引き入れることだ。そうすればソブカ氏が何を考えていても無効化できる。武器を取り上げてしまえば丸裸だからね。あとは煮るも焼くも好きにできる」


 プライリーラは―――あざとい。


 伊達にジングラスの総裁をやっているわけではない。

 ソブカの話を受けたのも、アンシュラオンさえ抑えてしまえば無力になることを知っていたからだ。

 彼女は普通の女性ではない。ただの正義感に満ちた乙女ではない。その中に【獣】を宿しているのだ。

 それはソブカの獣ほど狂気に満たされてはいないが、狩りで獲物を殺すことを躊躇しないくらいには強い欲望を宿している。


 上手くいけば―――総取り。


 アンシュラオンもソブカも得て、戦獣乙女の制限も解除され、ジングラスはトップに躍り出るだろう。

 武力と金の両方を充実させるのだ。マングラスが相手でも怖れる必要はなくなる。さらに子作りにも励める最高の勝ちパターンだ。

 だが、この策には一つだけ穴がある。


(もしホワイト氏を引き入れられなかったら…完全なる悪手だ。ジングラスは相当なダメージを負い、最悪はすべてを失う結果になるかもしれない。あまりギャンブルはしたくないのだが…この状況では覚悟を決めるしかないか)


 ハイリターンには必ずハイリスクが付きまとうものだ。成功すれば笑い、失敗すれば泣く。

 今回のことも、ただのギャンブルでしかない。

 しかし、黙っていてもグマシカが存在する以上、この都市内部で強い権限を得ることはできない。プライリーラが目指す改革はけっして進まない。

 それどころか彼がいるだけで、喉元にナイフを突きつけられているようで安心しない日々を過ごすことになる。



「一か八か、ですか。難しい綱渡りになりそうですな…」


 それを知っているアーブスラットも渋い顔をする。

 しかし、道は前にしか続いていない。歩み続けるしかないのだ。


「少なくとも我々はチャンスを手にした。問題は相手が乗ってくるかどうかだが…最悪のことも考えておいたほうがいいかもしれない。【彼女】の準備はしておいてくれ」

「かしこまりました」

「ところで帰り際だが、やたらとグマシカ氏を見ていたようだが…何か気になったのか?」


 帰り際、プライリーラが扉を抜けても、なかなかアーブスラットが入ってこないので不思議に思ったものだ。

 武人が本業とはいえ、執事という職業を愛している彼には珍しいことだった。

 振り返ると、彼はマングラス側の通路をじっと見つめていた。その先にいたのはグマシカである。

 だから彼女は、アーブスラットもグマシカを気にしているのだとばかり思っていた。


 が―――違う。


「私が見ていたのはセイリュウ殿です。たしかにグマシカ様も気になりますが、どうにも彼が気になりまして…」

「ああ、彼か。あの自信が妙に気になるな。それだけの腕前だということかな。一度手合わせしたいものだよ。あの余裕ぶった顔を思い切りぶん殴ったら、さぞかし痛快だろうね」

「…ふむ」

「ん? どうした? 言っておくが冗談だよ。レディーだからね。そんなはしたないことはしないさ。まあ、思ったのは事実だが」

「ああ、いえ、それはかまわないのです」


 かまわないらしい。

 アーブスラットもセイリュウの自信ありげな顔にムカついていたのかもしれない。完全肯定である。

 と、それはともかくだ。


 アーブスラットには一つ気になることがあった。


「少々気になったのです。なぜ彼は『グマシカ様よりも先に出た』のかと」

「…どういうことだい?」

「普通、護衛ならば主人の後方を守るはずです。私もリーラ様が通路に入るまで、扉の前でずっと後方を警戒しておりました。しかし、彼は会議が終わると真っ先に扉から出ていった。その後にグマシカ様が付いていく形になったのです」

「単純に会議場が安全だからではないのか? あの透明の壁があれば警戒の必要はないだろう」

「リーラ様がそう思うのは問題ありません。しかし、護衛ならば違います。常に主人を守るために周囲を警戒すべきです。私が言いたいのはそういうことです」

「ふむ…なるほど。私はいつも守られる側だったからな。そういったことまで考えたことはなかったな…。たしかに言われてみれば不思議だね」


 アーブスラットが気になったのは、セイリュウの『護衛としては失格であろう行動』である。

 たとえば車のドアを開ける際でも、護衛者は周囲を見回しながら安全を確保し、それから要人を行かせるものだ。

 だが、セイリュウは振り返りもせずにスタスタと歩いて行ってしまった。それが執事であるアーブスラットには強い違和感として映ったのだ。


 ただの違和感。


 彼が執事だからこそ感じたもので、普通ならば無視してもいいはずの話題である。

 しかし、プライリーラはこの違和感を無視できない。


(些細なことだ。ほんの小さな手違いかもしれない。だが、爺の観察眼を侮ってはいけない。私が子供の頃にお菓子をひっそり食べた時も、一ミリにも満たない食べカスを見つけて言い当てたし、隠したはずの秘密の日記帳もいつの間にか誤字脱字を直されていた。黙ってこっそり出かけた時も、なぜか爺が先に着いていたりした。それはもう怖ろしいほどに相手を観察しているのだ。それを侮るわけにはいかないな)


 アーブスラットには何一つ秘密にできない。常時他人を監視している目がある限り、どんな些細な違和感も見抜いてしまうのだ。

 それがあるからこそプライリーラは、今まで安全に暮らしてこられたのである。ついこの前雇ったならばともかく、二十年以上の付き合いがある彼の言葉ならば重みが違う。


(まだ我々はマングラスのことをよく知らないのかもしれない。グマシカ氏もそうだが、セイリュウ氏の動向にも気を配ったほうがよさそうだ。穴倉から出てきた今こそが、彼らに迫るチャンスかもしれないな。なおさら今回のことで失敗はできなくなったよ)



 こうして舞台は、アンシュラオンとプライリーラの演目へと移っていく。





前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。