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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第四章 「裏社会抗争」 編 第二幕 『激動の白』


251話 ー 260話




251話 「パニックナイト〈狂乱の夜〉 後編」


「て、てめぇ…ホワイト! よくもやりやがったな!」

「思ったより頑丈だな。そのあたりは兄貴に似ているよ。しかし、やはりゼイシルの居場所を知らなかったか。下部組織の組長じゃそんなもんか。あーあ、グランハムを殺さなきゃよかったよ。でもさ、しょうがないよな。普通に雑魚として出てきたからさ。そんな重要なキャラだったなんてわからないって」

「先生だけでなく兄貴までコケにしおって! もう許さんわ!」

「最初から許してほしいなんて言ってないけどな。それより自分たちの状況を理解したほうがいいぞ。お前たちは報復をしくじった。そうなれば次はどうなると思う? 今度はこっちの番というわけだ」

「最初に仕掛けたんは、そっちじゃろうが!」

「無駄な議論だな。自然界において選別と淘汰は常時行われるものだ。今グラス・マンサーが力を持っていることも強いからだ。この大地を力によって開拓した結果だ。結局、強い者が最後に勝つんだよ。そして、そのほうがいいんだ。それくらい認識しろ」

「ここに来たのがお前の運の尽きじゃ! やっちまえ!」

「やれやれ、人の話を聞かないのはお互い様だが、相変わらず根拠のない自信だな。その点は敬服するよ」


 なぜこんな強気なのか不明だ。さすがゲロ吉。雑魚臭が半端ない。


 バタンッ ザザザザッ


 ゲロ吉の声にドアから八人の武装した組員が入ってきた。明らかに準備をしていたことを見ると、最初からこちらを怪しんでいたことがうかがえる。

 あんな鎧が堂々とやってきたら怪しむのが普通だ。何も疑わないゲロ吉がおかしい。下部組織とはいえ、よく組長をやっていられるものである。


(雑魚だな。あまりに雑魚すぎる。が、サナにはこれくらいでいい)


 鎧は分戦子で動かしている人形なので、ここに来たのはアンシュラオンとサナのみ。

 この組より強くて大きな組織は山ほどあるが、なぜわざわざアンシュラオンがここに来たのかといえば、「サナの練習」にちょうどいいからだ。

 昨日の夜襲を見て、一般戦闘員の質はキブカ商会と大差ないとわかった。さすがに狐面のような専門職では分が悪いので、これくらいの雑魚がサナの練習台にはベストだろう。

 まずは場数を踏ませる。これも大事なことだ。


「サナ、何人か引き出すから確実に倒していけよ。屋内戦闘にも慣れるチャンスだぞ。こういう場所では障害物を上手く使うんだ」

「…こくり」

「お面は大丈夫か?」

「…こくり」


 自分もサナも、今夜は仮面ではなく狐面を被っている。単純に変装のためだが、風通しも良く仮面より快適だ。

 その後、鑑定で調べた結果がこれである。


―――――――――――――――――――――――
名前 :黒狐神《くろきつねがみ》のお面

種類 :お面
希少度:D
評価 :D

概要 :黒狐神をかたどったお面。被った者に黒き災いから身を守る加護を与えるという。本体自体は割れやすいので注意。白狐面(女性用)とセットで婚姻の儀にも使われる。

効果 :防御E、暗闇耐性、毒煙無効


【詳細】

耐久 :E/E
魔力 :E/E
伝導率:F/F
属性 :闇
適合型:精神
硬度 :E

備考 :
―――――――――――――――――――――――


 さりげなく道具のデータ初公開である。

 鑑定には二種類あり、詳細が載っていない簡易鑑定と、このように詳細まで表示される完全鑑定の二種類がある。

 簡易鑑定の術符は売っているが、完全鑑定を行うためには『鑑定』スキルを持った人間か、高度な解析の術を扱うしかないので、基本的には鑑定屋に持っていくほうが信頼性が高い。

 これも鑑定屋に調べさせたものである。結果、問題はなし。そのまま使うことができる。

 数値に関しても情報公開のデータと同じく「SSS]が最高値なので、「E〜F」が普通にありふれたもので、「D」ならば少しだけ珍しいもの、という解釈でいいだろう。

 効果の『防御E』は、そのまま装備した部位の防御力にプラス補正が入る、という意味だ。お面なので、顔の部分だけ防御が100〜199上昇する、というわけだ。

 ただ、『耐久』の値がなくなれば壊れてしまうのが最大のデメリットだろうか。これは武具全般にいえることである。


(ふむ、結婚式にも使われるくらいだ。案外縁起が良いものかもしれないな。効果もなかなかいいし、ちょっと目立つことだけを除けば悪いものではないな)


 被ってみると意外と視界も塞がれず、スキルも良い。彼らが毒を防いだ理由も、このお面の力で間違いないだろう。

 ただ、さすがにこれを被って外を歩く勇気はない。これならば自分の仮面のほうがましだ。



「行け、ベンケイ先生」


 アンシュラオンの制御下でベンケイ先生が動き出す。

 手始めに目の前にいた組員たちにダブルラリアット。


 グルングルンッ ドガドガドガッ!


「ぎゃーーー!」


 ただ両手を広げて体当たりではなく、格闘ゲームのキャラのように回転を加えてみる。

 それによって四人の組員が巻き添えになり、弾き飛ばされて動かなくなる。二人は首が折れていたので死んだものと思われる。


(おっ、これけっこう面白いな。次は違うのでやってみるか)


 思えば格闘ゲームを久しくやっていない。自分自身がその中に入ったようなことばかりやっているので、プロレス技というものをあまり意識しなかった。


 ぜひ試してみたいと思い、近くにいた組員を掴み―――背後に投げる。


 いわゆるバックドロップであるが、身体を固定して逃げられなくしつつ、遠慮なく頭から落下させる。


 ドガンッ ボギイイッ


「ぶぎゃっ!?」


 馬鹿力で強引に持ち上げられ、さらに頭から叩きつけられた組員は首を骨折。


 それだけにとどまらず―――


 ドゴーンッ!! ぐちゃっ!


 床すら粉砕して上半身の大部分を骨折して、死亡。

 頭がもう見えないほど埋まっているので、ほぼ即死だろう。


 あまりに綺麗に決まったので―――快感。


 非常に爽快な気分を味わえることに気付く。雑魚は雑魚なりに倒しても楽しいというわけだ。


「おおお、やべえーー! 超楽しい!! プロレス技ってすごいのな! おい、どんどん出せ! オレに楽しい時間を提供しろ!」

「な、なんちゅーやつじゃ!! 投げるときは頭から落とさないようにと習わなかったんかい!」

「柔道の授業かよ。ずっと疑問だったが、お前はいったい誰に習っているんだ?」


 なぜか教養のあるゲロ吉。見た目とのギャップが酷い。


「次はキン肉バスターを試して…っと、そうだった。これじゃ黒姫の練習にならないな。お前とお前はあっちだ」

「ぐえっ!」


 ぐいっ ポイポイッ


 適当な組員を掴み、サナのほうに投げ飛ばす。

 そこには―――


「…ぎゅっ」


 蛇双を構えたサナが待っていた。

 放り投げられて体勢が崩れた相手を迎え撃つ。


「うおっ!」


 それに気付いた組員は持っていた棍棒でガードするが、もう遅い。

 ザクッ

 万全の態勢で待ち構えていたサナの蛇双が、腹に突き刺さる。


「ぐえっ!!」

「…ぽいっ、ぎゅっ」


 革鎧を貫いて刺さった蛇双を、あっさりと手放す。

 相手が覆い被さってきていたし、抜いている暇に身動きが取れなくなると判断したのだろう。即座に一本を捨てる。

 そして、もう一本を前屈みになった組員の顔面に向かって振り抜いた。


 ズバッ ぶしゃっ


「ぎゃーーーー!! 目がぁあああ!」


 横に振り抜いた一撃は目を切り裂く。左目だけはかすかに直撃を免れたが、大きく抉れているので目を開けられる状態ではないだろう。

 普通の人間は行動の大半を視覚に頼っている。戦技結界術が使えない組員は、ほぼ無力化されたと考えていいはずだ。


「ちくしょう! やりやがったな!」


 もう一人の組員がサナに向かっていく。

 が、サナは目を斬られて悶えている相手の後ろ側に隠れる。


「くそっ、おい、どけ!」

「目がぁああ! 目がぁああああ!」

「…すたた、ずぶっ」

「ぎゃっ!!」


 二人がもたついている間に、低い態勢から組員の足に蛇双を突き刺した。

 今度は手を離さず、刺さったまま切り下ろす。


 ザクザクッ ごりごりっ


「ぎゃああああ! 足がぁああ!」


 体重をかけて下ろした蛇双は、骨に沿って肉を削ぎ落とす。

 さすが『切れ味強化』がかかっている蛇双だ。戦気で防御しているわけでもないので、サナの力でも簡単に切り裂くことができる。


「…ぽいっ、かちゃかちゃ」


 今度はその蛇双を捨て、【銃】を取り出した。

 パスパスッ

 乾いた音を立てて銃を発射。弾丸は二発とも組員の胸に命中。


「ごぶっ…この…やろう……」

「…どん」


 パスパスッ パスパスッ


「ごごっ…ぶはっ」


 さらに続けて四発。

 その銃弾が胸と喉に命中し、ごぼっと血を吐いて組員は倒れた。


(おっ、普通に使っているな。やはり銃は銃で楽だな)


 サナに渡したのは、ホロロに渡したものと同じリボルバー型のライフルだ。

 今夜のために急造したが、問題なく使えているようで何よりである。

 サナは銃を撃ち終わると、それもまた無造作に捨て、目が潰れたほうの相手にとどめを刺している。

 彼女は武器に対する愛着があまりないので、こうして次々と武器を変えて戦うほうが合っているようだ。

 ただ、それは逆に一つの武器に特化していないことを意味するので、そのうち何かしらの鍛練が必要になるだろうか。


(とはいえ、オレも剣士は専門外だしな。そもそもオレ自身がもっと剣を使ったほうがいいんだよね。意識して使わないとすぐに忘れちゃうしな…)


 元が戦士なので、剣を使うより素手のほうが簡単に思える。

 それもまた剣を使わねばならないような強敵がいないせいでもある。

 目の前ではベンケイ先生によって危険なプロレス技実験が行われている。この程度で破壊されるような相手だ。それも仕方ない。



「く、くそっ! 好き勝手やりおって!!」

「突然のドラゴンスクリューッ!」


 ボキボキボキッ


「ぎゃーーーー! 足がーーー!」


 油断していたゲロ吉に、いきなりのドラゴンスクリューが炸裂。

 ゲロ吉は足を押さえて悶絶する。よくよく見ると膝元から足が捻じ曲がっていた。これは痛い。


「あれ? 折れたの?」

「そんなんされたら折れるわ!!」

「おかしいな。プロレスだと折れていなかったんだが…最後まで足を持っていたからかな? いやー、めんごめんご」

「全然誠意が見えてこないぞい!!」

「ニヤニヤ、ねえ、痛い? 痛いの? もう一本いってみる? がしがしっ」

「いったーーー!! 折ったうえに蹴りおるとは、なんてやつじゃ!! 悪魔のようなやつじゃな!!」

「なあ、もっと出せよ。もう組員はいないのか?」

「何だと! …って、うえええ! もう全滅しとる!!!」


 気が付くと、武装した組員はすでに全滅している。増援部隊も完全にノックアウト。プロレス技の犠牲になっていた。

 ほぼ奇襲に近い形だったので相手の準備も整っておらず、さらに本職の戦闘要員でなければこんなものだろう。


「わ、わしも殺すんかい! いいじゃろう! さっさとこいや!」

「ゲロ吉は貴重なお笑い要因だから生かしておいてやるよ。どうせゼイシルの居場所も知らないような小物だしな」

「な、なめおってからに! こんなことをして、ただで済むと思っているんかい!」

「うん、済んでないよね。おたくらがさ。ぎゅううう」

「ぎゃーーーー! 足を踏むな!!!」

「んじゃ、ゼイシルさんによろしく。いつでも襲ってきていいからね。ただ、次は本人が出てきてくれると嬉しいな。鬼ごっこも疲れるからさ」

「オヤジは戦闘専門じゃねえ! 出てくるわけがなかろう!」

「そういえば商人が本職だったっけ? じゃあ、しょうがないな。黒姫、帰ろうか」

「…こくり」


 アンシュラオンとサナは出口に向かって歩き出す。

 トコトコトコ ぴたっ

 が、途中で止まる。


「な、何じゃ? まだ何か用かい!!」

「いや、お前じゃない。黒姫、わかるか? これが殺気だ。どんなに相手を油断させても殺気を出したら気付かれる。常に注意して周囲の様子を探るんだ。いつも後ろには気を配っておくんだぞ」

「…こくり」

「どこかわかるかい?」

「…じー」


 サナが後ろを振り返り、壁の一点を凝視する。

 黒い壁なので一見するとよく見えないが―――【穴】がある。

 そこから銃口がこちらに向けられていた。


「ちっ!!」


 パスンッ

 その視線に気付いた男、若頭のザメスが銃を発射。

 慌てて撃ったので狙いが定まらず、銃弾はアンシュラオンを逸れてサナに向かう。

 サナは音が鳴った瞬間には反射的に顔を背けていた。

 ガジュンッ

 銃弾はサナのお面を掠って逸れ、倒れたテーブルに突き刺さる。

 お面には大きな傷ができていた。もし生身だったら頬が傷ついていたかもしれない。やはり顔の保護は重要である。


「悪い反応じゃないが、まだ遅かったな。胴体を狙われたらよけられなかったかもしれない。次は気をつけるんだよ」

「…こくり」

「やられたら次はどうする?」

「…こくり、ごそごそ」


 サナが水刃砲の術符を取り出すと、術が発動。


 鋭い水流が壁に向かっていき―――貫通。


 ズシャーーー ザクッ


「ごぼっ…ごふっ…くぞっ…こんなところ…ぶばっ」


 ごとり

 上半身を切り落とされたザメスが崩れ落ち、そのまま死亡。


(ふー、ちょっと危なかったけど、なんとか回避はできたか。サナにもしっかりと防御を学ばせてやりたいし、多少危なくてもどんどん体験させるようにしないとな)


 アンシュラオンは当然、ザメスの行動に気付いていた。

 ただし、サナに経験を与えるために泳がせていたのだ。結果は見ての通り。良い体験になった。

 狐面の戦いで改めて思ったが防御は最重要である。傷つかねば何度だってやり直せる。

 それで消極的になっては困るが、大怪我をして動けなくなるよりましだ。武器をそろえれば挽回のチャンスもあるので、攻撃と同時に防御面も強化しなければならない。


「んじゃ、またな。今夜は忙しいんだ。これから何軒も回らないといけないからな」

「なんじゃと! どういうことじゃ!」

「ははは、焦るなよ。明日になればわかるさ」



 アンシュラオンとサナは、今度こそ出ていった。

 組長だけ生き残っても組織としての実体はなくなる。これでハン・スザン商会も終わりだろう。

 ただ、下部組織を潰してもあまり意味がないし、これは序の口。今夜はさらに数多くの組を回って叩き潰す予定である。

 今頃、戦罪者たちが各組、ラングラス一派以外の組織を一斉に襲撃しているはずだ。

 ヤキチやマサゴロウ、マタゾーたちは正面から堂々と、ハンベエは不意打ちで毒を投げ込めばその段階で終わりだ。

 電撃作戦なのだから対応できる組は少ないだろう。少ない戦力でも十分こなせる。


(次はマングラスの組にでも行ってみるかな。オレの狙いはあくまでマングラスだしね。あっと、そうそう、最初に出会ったあいつにも挨拶しないとな。今晩は楽しくなりそうだよ)


 グラス・ギースの夜に狂乱が舞い降りる。


 所々で火の手が上がり、多くの組員が死んでいく。

 こうして今夜だけで、十八もの組が潰されることになるのであった。




252話 「道化の配役 前編」


 下級街にある、とある雑居ビルの一室。

 そこでは白髪の男と、彼よりも二十以上は年下であろう男が言い争っていた。


「あいつらのことは放っておけ」

「そんな! 黙っていろっていうんですかい! うちらのシマですよ! あれからもちょっかいは続いている。これ以上は無理ですよ!」

「本来ならば黙ってはいねえ。やつらは他のシマも荒らしている。【制裁】は間違いない」

「なら、どうして!」

「だからこそだ。うちらが独断で動いて事態を混乱させることはない。先に手を出したほうが負けだ」

「オジキ、そいつはあまりに弱気じゃないですかい! うちらはなめられたら終わりですよ!」

「じゃあ、お前はやつらに勝てるのか? ハングラスの第一警備商隊すら壊滅させたやつらだぞ。あれがどれだけ強かったか知っているだろう?」

「それは…でも、うちらの人材を使えばやれなくはないでしょう」

「その人材ってのは誰のものだ? お前のもんじゃねえ。オヤジのもんだ。俺らが勝手に使うわけにはいかねえよ」

「うっ…」

「お前の気持ちはわかっている。だが、今は動くべき時じゃねぇんだ」


 白髪の男が年下の男、ワカマツに苦渋の顔を見せる。


 白髪の男の名前は、ジャグ・モザート。モザート協会の【会長】である。


 ここはモザート協会の事務所。最初にホワイト商会が標的にした風俗店を管理していたマングラス一派の人材管理商会である。

 彼らが管理しているのは風俗店だけではない。下級街(主に下層区)にある店で働く人間は、すべてモザート協会の管理下に置かれている。

 スレイブだけは違う商会の管轄だが、それ以外の労働者は彼らに給金の一部を支払って働く許可を得ている。

 それらは天引きされているので、明細書をよく見ていないと気付かないこともあるが、しっかりと「労働許可金」の項目で引かれているはずだ。

 この都市では、あらゆるものが四大市民を経由することになっている。それによってグラス・マンサーの誰もが儲けられる仕組みが出来ているのだ。


 だが、そこに【異物】が侵入してきた。


 わざわざ説明するまでもない。ホワイト商会のことである。

 ホワイトはもっとも単純な暴力という手段をもちいて、次々と火種を撒いている。


「うちらは生粋の武闘派組織じゃねえ。人材管理が仕事の商会だ。多少の荒事には慣れているが軍隊じゃない」


 その最初の火種となったモザート協会としては非常に腹立たしいが、かといって対抗できるだけの力があるわけではない。

 モザート協会は中小規模の組織で、構成員はソイドファミリーの倍である六十人ほど。完全武闘派ではないので戦闘力は多少落ちるが、荒事にも強い組織として有名だ。

 それでも間違いなくホワイト商会には勝てない。モザート協会のような組織は干渉したくてもできないのだ。

 だがそれは、逆にこう言うこともできる。


「単独で動いても意味はない。この意味がわかるだろう?」

「他の派閥と連動して動くってわけですかい?」

「上ではそういう話も出ているそうだ。まあ、まだ提案の段階らしいがな」

「そいつはすげぇ。くくく、それならばホワイトのやつだって終わりだ。勝てるわけがねぇ」


 この都市の全派閥から選りすぐりの武人を集めてぶつければ、ホワイトたちがいくら強くても対応できないだろう。

 暴力自慢の彼らが、より強い暴力によって潰れるさまは見ていて楽しいに違いない。ワカマツは頭の中でそれを想像して、少しばかり溜飲を下げる。

 アンシュラオンの本当の強さを知っていれば、思わず笑ってしまうような会話だが、これが普通の認識である。

 仮にプライリーラやアーブスラット、(生きていた頃の)グランハムたち、それとマングラスが抱える武人の人材たちが加われば、二十人にも満たない小さな商会など簡単に潰せるはずなのだ。

 だからこそ誰もが制裁を怖れて馬鹿なことはしない。四つの勢力は常にお互いを監視しているのである。

 誰かが逸脱すれば、他のメンバーが止める。そうやってグラス・ギースは平穏を【生み出してきた】のだ。けっして何もせずに安定してきたわけではない。


「だが、簡単にはいかねぇ。考えてもみろ。俺らは今まで別々に行動してきたんだ。利権もそれぞれ違うし、それだけ他のやつらと関わりが薄いってことを意味している。折衝に時間がかかるんだよ。そこはオヤジに任せるしかない。要するに四大会議次第ってことだな」

「次の会議は例年通りですかい? それで間に合いますかね?」

「これ以上の被害があれば臨時で開かれる可能性もあるだろうさ。俺らのような下っ端は、おとなしく待っているのが賢明だ。ごねてオヤジの機嫌を損ねる必要もない」

「なるほど…わかりやした。うちらは準備だけ進めておきます」

「ああ、そうしてくれ」



(だが、オヤジは簡単には動かないだろうな。先に動いたほうが不利だし、あの慎重な人が動くわけがない)


 ワカマツにそう言いながら、モザート自身はグマシカが動かないと思っていた。

 グマシカ・マングラスは極めて慎重な男だ。それは普段の私生活からも同じで、モザートでさえ重要な会議以外ではまず会えないほどである。

 近年では欠席することも多くなり、ここ十数年は見かけてもいない。同じマングラス一派とはいえ、生きているのか疑ったことさえあるくらいだ。

 とりあえず生きていると仮定して、そんな彼がどうやって情報を得ているのかといえば、当然ながら各地にいる人材を使って、ということになる。

 それに関しても秘匿性はかなりのものだ。

 各地区にいる連絡員は、次に伝言を伝える者の場所しか知らない。それがひたすら続き、最後は側近の【最高幹部】二名に行き着くが、それ以上は追跡できなくなる。


 二人の名は、セイリュウとコウリュウ。


 『マングラスの双龍』という異名で呼ばれるマングラス最強の武人であり、グマシカの警備を担当している強者二人組だ。

 二人は双子なので見た目はほとんど同じ。青い服を着ているのがセイリュウで、黄色い服を着ているのがコウリュウといった見分け方しかできない。

 最終的に情報を受けたその二人がグマシカに伝える仕組みになっているため、他の人間が直接会うことはできないようになっている。

 グマシカも謎が多い人物だが、その二人もなかなかミステリアスだ。

 なぜならばその二人は、何十年もグラス・ギースでグマシカの護衛をしており、すでに六十歳近いモザートが子供の頃から容姿が変わっていない。

 おそらく武人の血が強くて老化が抑えられているのだろうが、モザートからすればグマシカともども畏怖の対象でもある。


 彼ら二人はただの連絡係ではなく、マングラス内部における【制裁役】でもあるのだ。


 何度か興味本位で彼らを追った者がいたが、そのすべては後日死体として発見されることになる。さらに見せしめなのか、かなり凄惨な殺され方をされるのが常だ。

 モザートも一度、裏道に晒された蛆が湧いた頭部を見てからは、その映像が今でも忘れられなくなってしまった。トラウマでしかない。

 味方であっても容赦なく殺すのだ。無理に調べるような者は次第にいなくなる。

 しかしながら、重要なところはそこではない。


 べつにグマシカと会えなくてもいいのだ。会う必要性がないともいえる。


 たとえば官僚制度がしっかりしている日本で一時的に政権が空白になっても、国民生活は維持される。地盤がしっかりしているから簡単に崩れないのだ。

 それと同じく、グラス・マンサー当人がいなくてもマングラスとしての機能は滞りなく維持されている。

 すでにモザート協会を含む各組間でネットワークが構築されており、人の流れさえ追えれば自動的に管理できるようになっている。

 家を借りるときでも働くときでも、マングラス一派の許可が必要になってくるので、どうしても知られるのだ。

 ジングラスの食糧がなければ大勢が飢え死ぬが、マングラス自体が何もしなくても何も起きない。黙っていても勝手に人が動き、勝手に金が入る仕組みだからだ。


 これこそ人材を管理しているマングラスの最大の強みである。


 よって、グマシカは自分の時間を好きに過ごしていればいい。それだけで金と人が手に入る。アンシュラオンが羨むのも当然である。

 そして、そんな彼がホワイト商会のことを知らないわけがない。セイリュウとコウリュウはすでに知っているので、情報は確実に伝わっているはずだ。


 だが、何も通達はない。


 制裁や共闘の話もモザートのような組長クラスが勝手に言っているだけで、最高幹部の二人からは何も言ってこない。ただ傍観しているだけである。

 その段階で、グマシカにやる気がまったく感じられない。


(ホワイト商会は凶暴な獣だが、その牙はまだ喉元に迫ってはいない。ここで苛立って動いたら、それこそ割に合わないことになる。どうせ違う派閥同士で仲良くなんてやれないんだ。オヤジが動くわけがない。まあ、俺にはオヤジの考えなんてわからないけどな…あの人はよくわからん)


 モザートの印象だと、グマシカは穏やかな老人である。

 どんな問題が起こっても笑っているような人物なので、世間が言うような「妖怪ジジイ」とはかけ離れているような気がする。

 同時に浮世離れした雰囲気もあるので、もしかしたら俗事に興味がない可能性もある。要するに「よくわからない人物」なのだ。

 最高幹部の二人が許可を出せば提案は通るので、それで間に合ってきた。だから疑問を抱いたこともない。

 そもそも最高幹部の二人は、モザートたちに命令しない。あれをやれとかこれをやれとは、まったく言わないのだ。ただ好きなようにさせている。

 上納金だけを納めればあとは自由なので、マングラス一派はトップの介入なしで動いている珍しい組織でもあるのだ。

 ただ唯一、時々人材を工面するように通達されることがあり、モザート協会は年に十数人程度の人間を送っている。それ以外は特に何も言われたことはない。

 人材も武人というわけではなく、一般人の老若男女問わずにいろいろなので、いったい何に使っているのかは不明だ。もしかしたらグマシカの個人的嗜好のために使われるのかもしれないが、それに触れるほどモザートは愚かではない。


(うちは他の派閥とは違う。何かわからねぇが、何かが違うんだ。だが、ワカマツたちに説明しても、この感覚は理解できないだろうな…。そう考えている俺もわからないくらいだ。どのみちオヤジから動くことはないから、こうやってなんとか引き止めるしかないが…そろそろヤバそうだな)


 そうした上の事情を下の人間が理解できるとは限らない。ワカマツのように実際に出会って脅された者の中には、今すぐにでも動きたいという感情が植えつけられている。

 モザートのような各組の組長は、それを抑えるのに手一杯である。それだけホワイトたちの暴れっぷりが目に余るということだが。


 二人はしばらく黙っていたが、その沈黙がワカマツに考える時間を与えたようで、こう切り出してきた。


「ところでオジキ、今回のことはラングラス一派の差し金って話がありますが…どう思います?」

「ソイド商会とつながっている、という話か?」

「そうです。やつらとホワイト商会の間で金のやり取りがあるのは間違いない事実です。すでに確認は取ってあります。麻薬と医者だ。頷ける話ですよ」

「だが、ソイドダディーのやつも寝耳に水だって話じゃねぇか。俺も一度会ったが、嘘を言っているようには見えなかったぜ」

「オジキはそれで済ましたんですかい!?」

「当人がそう言っているんだ。しょうがねえ」

「『はい、そうですか』で終わらすんですかい。もしやつらが結託しているのなら、話はまた変わってきますよ!」


(やれやれ、ホワイトのことで頭が一杯らしいな)


 ワカマツは最初の騒動以来、ずっとホワイトに腹を立ててきた。

 筋者がなめられたら終わり。その矜持を持って生きてきた彼にとって、それは絶対のルールであり、もっとも大切なものだったのだ。


「あっちは【筋】を通していないでしょう! それを認めるんですか! 新しい組を始めるには、どこかの勢力に属さないといけないはず! あんな無法者を放っておくなんて許されませんよ!」


 何より、筋を通していない。

 若い頃から筋を叩き込まれてきた男ゆえに、そこがもっとも許せないことのようだ。当然、それはモザートも理解している。

 しかし、ワカマツ以上に裏の世界で過ごしてきたモザートは、ここにこそ今回の危うさが潜んでいるように思えてならない。


(筋者…か。最初から筋がないやつには通じない理屈だな。俺たちは筋が一番だと考えているが、実際の世の中はそうじゃないところも多い。いきなり道端で魔獣と遭遇して殺されるんだ。そこに筋なんて何もねえよ。ホワイトってやつからはそんな臭いがしやがる。獣に筋を説いても無駄だ)


 モザートのこの見立ては正しい。

 その業界での常識は、そこでしか通用しないものだ。それを押し付けても上手くいく可能性は低い。

 相手は魔獣。そう思って対応しなければならない。

 あくまで勘であるが、彼は自らを何度も救ってきた勘を信じる大切さを知っていた。ただし、それを目の前の若頭に言ったところで納得はしないだろう。


「ずいぶんと熱くなっているじゃねえか。本当にどうした?」


 ワカマツはたしかにカッとしやすい性格だが、損得がわかる男のはずだ。それがここまで話しても噛み付くとは、正直言って意外である。

 これが同格ならばまだしも、自分のオジキであるモザートに対してまでそうだとすれば、かなりの重症だ。

 その問いに対して、ワカマツが一瞬震えた。

 だが、それを抑え込んで、少しだけ俯いて答える。


「…なんでもねえですよ。ただ…あいつ……あいつの目が……」


 ワカマツが最後に見たホワイトの目。

 仮面に隠れてよく見えなかったが、闇の中で赤く光った双眸は、あまりにも人間離れしていた。


 それを見た時から、彼の中には一つの【感情】が芽生えていたのだ。


 だがしかし、それを認めるわけにはいかない。それこそ彼の矜持に反することなのだから。


(ふざけるなよ。俺があんなやつらにびびるもんか! オジキは歳を取って丸くなっちまった。だが、俺はなめられたまま終わらねえ。若い連中を連れて、やつらの事務所に殴り込みだ!! 俺が動かせる人材の範囲内なら文句はないはずだ。やってやるさ。こっちから仕掛けてやる!)


 ワカマツは知らない。

 それこそが弱い犬の証明だと。認めるのが怖くて相手に挑むしかない「かませ犬」でしかないと。

 しかし後々のことを思えば、ワカマツこそがもっとも「正常な判断力」を有していたことがわかる。

 それが恐怖からもたらされたものとはいえ、そうすべきだったのかもしれない。短絡的でも、ラングラス一派に対して強硬策に出ておけばよかったのだ。


 だが、もう遅い。




―――ガシャンッ




「ん? なんだ?」


 モザートが遠くで何かが割れる音を聴く。それはちょうど彼の真下から聴こえてきた。




253話 「道化の配役 中編」


 彼らがいる場所は雑居ビルの五階。

 その下ということは、ここより下の階であるということ。そこで何かが割れる音が響いた。

 マンションでも上の階の音はよく聴こえるが、下の階からはあまり聴こえないものだ。となれば、よほど大きな音が鳴ったのだろう。

 ツボのような上品なものは飾っていないので、割れるとすればせいぜい窓ガラス程度。

 普通に生きていればガラスはなかなか割れない。ならば、この音は「人為的」なものだと思われる。


「何かあったのか?」

「どうせ若い連中が騒いでいるんでしょう。おい、注意してこい」

「おっす!」


 ワカマツの命令で、直属のチンピラが下の階に下りていく。

 ホワイト商会とひと悶着あった時にもいた丸刈りの男だ。彼はワカマツ周辺の雑用も担当している。


「ちっ、少しくらいじっとしていられねぇのか。これだから若いやつはよ…」


(ほんと、これならスレイブのほうが楽かもしれねぇな)


 モザート協会はスレイブ以外が担当なので、構成員も普通の人間を使っている。

 それはそれでメリットもあるのだが、最近の若い連中は保障がどうだの最低賃金がどうだのと言い出すので、今では構成員を集めることにも苦労しているのが実情だ。

 死んだら死んだで面倒なことも多いため、それならばいっそのことスレイブにしてしまうほうが楽かもしれない。


(ここ数年はスレイブの『入り』も好調らしいしな。外からの人間が増えたせいだろう)


 ソブカも言っていたが、日々外から多くの人々がやってくるため人口は増加の一途を辿っている。

 しかし、人は増えても仕事は増えない。多くの産業が行き詰っているからだ。そうなると人手は余っているのにワカマツたちの利益にならない、という最悪の状況が生まれる。

 一方、スレイブは増加傾向にある。それだけ需要があるということだ。

 最悪は住居と食事だけ提供すれば働く者もいるくらいだ。一般の労働者よりも気楽に使えるのが要因だろう。特に『貧困街』に行くしか道がない人間は、困窮を怖れてスレイブになる傾向にある。

 モザート協会と同じエリアかつスレイブ担当の「ラギャット商会」は、こうした事情によって業績を伸ばしているようだ。


(スレイブが人気とは、世も末だ。だが、まっとうにやっていても利益にはならない。そろそろ何かしないとな)


 眉毛じいさんも言っていたが、彼らの中ではスレイブへの印象はあまり良くない。

 金は失っても自分は失わない。そういった矜持のある者にとっては、スレイブになるということは「意思の放棄」に見えるからだろう。

 よって、スレイブは日雇い労働者よりも下と捉える者が多く、アンシュラオンはもちろんスレイブを積極的に使う領主などは珍しい存在といえる。

 ただ、使えるものならば使いたい。そのほうが儲かるのならば一枚噛みたいものである。


「オジキ、うちらも外に出たほうがいいんじゃないですかね。外に出た連中はだいたい成功していますし、中は手詰まりですよ」

「こっちが扱うのは人間だからな。他の輸出品のようにはいかんだろう」

「それならスレイブを増やせばいいんです。あれなら問題はないでしょう? 買い手も多いはずだ」

「外に出れば諍いも増える。他の都市だって似たような状況だ。内部は苦しい。迂闊に刺激したら戦争になっちまう」

「どっちにしても城壁内じゃもう限界ですよ。同じ餌場で食い合いですからね。これじゃ息苦しいだけです」

「…たしかにな。新しい事業を起こすやつも少なくなった。昔はもっと活気があったもんだが…」


 周囲は魔獣に囲まれており、人間が壁の中で暮らす生活に未来があるわけがない。

 外も中も手詰まり。それが彼らにとっての現状だ。



 ガチャッ



 その時、ドアが開いた。

 そこからさきほどのチンピラの顔が覗く。


「ん? 帰ってくるのが早いな。どうした、若いやつらは静かになったのか?」

「………」

「おい、何を黙ってやがる。…ん? 何か頭に赤いものが…」


 トロリ ポタッ

 チンピラの頭から何かが流れて、床に落ちた。

 ボトッ ボトッ ボトボトボトッ


 それは―――血。


 かなりの量の血が頭から流れている。

 彼らにとって怪我は日常的なものであるが、室内でこれほど出血する事態は珍しい。

 さすがのワカマツも、ぎょっと目を見開く。


「お、おい、血が出てるぞ! だ、大丈夫か!? 喧嘩でもやらかしたか?」

「………」


 丸刈りの男は答えない。

 ワカマツたちが呆然とそれを見ている間にも、傷口は少しずつ開いていく。


 バキバキッ グチャグチャッ メキメキ

 バキバキッ グチャグチャッ メキメキ

 バキバキッ グチャグチャッ メキメキ



 めきょめきょと彼の身体が割れ―――



 どさっ ばしゃーーー



―――血を噴き出しながら倒れる



 完全に真っ二つになった頭をこちらに見せつけてから、どさっと倒れた。

 調べるまでもなくチンピラは死んでいた。完全に完璧に。誰がどう見ても死んでいる。


「こ、こりゃ…いったい!! っ!! な、なんだぁ!!」


 突然のチンピラの死に驚いているワカマツの目に、さらに訝しげなものが映り込む。


 ギリギリッ バンッ


 姿を見せたのは、ドアを破壊して中に入ってきた大男。


 どすんどすん ゴリゴリッ


 あまりの大きさのため、歩くたびに天井に頭がこすれて抉れていく。

 それなりに広い室内だが、この大男にとってはかなり手狭に感じられることだろう。サイズの規格そのものが違う。

 そして、ワカマツはその男に見覚えがあった。


「なっ!! て、てめぇは!! あの時の!!」


 バクンバクンッ

 自分の心臓が激しく鼓動する音が聴こえる。

 忘れるわけがない。あの日からずっと思い出しては悔しい思いをしてきたのだ。

 会いたいとは思っていた。復讐したいとは考えていた。ただ、それが今であることは想定外。

 啖呵を切ろうにも、意外すぎて動けない。


 そうこうしている間に――― 【本命】がやってきた。


「やぁ、久しぶりだね。その顔、覚えているよ」

「っ!?」


 チンピラの頭を割った大男、マサゴロウを押しのけて黒い少女とともに一人の少年が入ってくる。

 なぜか狐のお面を被っているが見間違えるわけがない。ワカマツの心の棘になっているホワイトと呼ばれる人物である。

 その憎き顔(お面だが)を見た瞬間、心の奥底から怒りが溢れ出してきた。それが力となり、声になる。


「ぐうううっ! ほ、ホワイトォッォォオオオオ!! 貴様、なんでここにいる!!!」

「そんなに大声を出さなくても聴こえるさ。ええと、ワカマツ…だったかな。元気そうで何よりだ。ところであんたは野球でもしているのかな?」

「な、何を…! やきゅう?」

「いやいや、なんとなく野球で成功しそうな名前だと思ってさ。まあ、こっちに野球があるかは知らないけど」


 ちなみに東大陸には野球は存在しないが、アンシュラオンが流行らせて百年後には多くの野球チームができたことは、また違うお話である。



「それじゃ、お邪魔するよ」


 激しく困惑するワカマツをよそに、スタスタとアンシュラオンが中に入ってくる。

 同時にマサゴロウが巨体で入り口を塞いだので、ワカマツたちは閉じ込められる形になった。

 ここから逃げるには窓から飛び降りるしかないだろうが、彼らが無事で済むかはわからない。


「ホワイト、貴様!! 何の用だ!! いや、こんなことをして無事で済むと思ってやがるのか!! 今度こそは殺すぞ!!」

「あれ? しばらく会わないうちに凶暴になってるね。ここじゃ力の流儀は通用しないって、あんた自身で言わなかったっけ? まあ、ここ以外の世間じゃ、ばっちり通じているみたいだけどね」

「ふざけやがって! ここがどこだかわかってんのか! うちの事務所だ!! 何人いると思ってやがる! お前たちなんざ、あっという間にバラバラだ!!」

「へー、そうなんだ。マサゴロウ、何人いたっけ?」

「覚えていやせん。五人殺したところで数えるのをやめましたが…わらわらと群れていた気がします」

「という話だけど…ここって何人いるの? これくらいの相手なら最低三百人は用意してもらわないとね。この子の分がなくなっちゃうよ」


 サナの黒い服には赤黒い染みが多々見受けられる。これは彼女のものではなく、当然ながら「返り血」だろう。

 ここに来るまでにいくつも組を潰したので、いろいろなところで付いた血である。彼女も今夜だけで、すでに二十人以上は殺している。

 が、まだ足りない。このレベルならば最低百人は【生贄】に欲しいところだ。

 それだけ殺せば少しは慣れるはずなので、むしろそこからがスタートである。質が悪いのならば数で補うという考え方だ。それもまた悪くはない。


「なっ!! なぁ!! し、下のやつらはどうした!! なんで来ない!?」

「話聞いてた? だから、殺したよ。嘘だと思うなら見に行ってみなよ。死んでるから」

「うそ…だろう? お前ら、いつここに来た!!」

「んー、何分前だ? 五分くらい?」

「それくらいです」

「これでも遊びながらゆっくり来たんだよ。単独でのタイムアタックなら一秒を切る自信があるし」

「ば、馬鹿な……」


 モザート協会には六十人の人間がいる。休みや外に出ている者もいるので全員ではないが、ビル内に四十人はいるはずだ。

 いくら奇襲とはいえ、それをたかが五分で全滅させるなど、ありえない。あってはいけない。


「そうか! お前ら、大人数で来やがったな! 卑怯なやつらだ!!」

「中に入ったのは、オレとこの子を入れて五人だぞ」

「ご、五人…!?」


 違う組を襲っていたマサゴロウと戦罪者一人と合流したので、ベンケイ先生を入れて計五人となっている。

 正直、過剰戦力である。ベンケイ先生だけでも誰も止められないので、相手がかわいそうになるレベルだ。

 だが、あまりの弱さと脆さにアンシュラオンも肩を竦める。


「いやぁ…さすがにショックだな。あんたら弱すぎだよ。一応その筋の人間なんだろう? ソイドファミリーのチンピラより弱いって、どういうことさ。なさけないなぁ」

「ソイドファミリー! お前たちの裏には、やっぱりやつらがいるのか!」

「んー、どうかな」

「てめぇらと金のつながりがあるだろうが!」

「ああ、そういえばそうだね。ソイドビッグとはそれなりに仲良くやっているよ」

「否定はしないんだな!?」

「しょうがないよね。事実なんだし。で、それが何か?」

「何かじゃねえ! お前らもあいつらも絶対に殺す!!」

「あっ、そう。おや、もしかしてそちらは…組長さんかな?」


 アンシュラオンがワカマツを無視して、モザートに目を向ける。


「ええ、モザート協会の会長をしております、ジャグ・モザートと申します。どうぞお見知りおきください」

「ホワイト商会のホワイトです。よろしく」


 さすが組を一つ預かる人間だ。モザートはこの状況でも落ち着いている。

 だが当然、こんなことを認めるわけがない。


「ホワイトさん、お噂は伺っておりますが、これは少々やりすぎじゃないですかね」

「そうかな? 喧嘩を売られたら殺す。当然だと思うけど」

「うちは揉めたつもりはありませんよ。…ここは狭い場所だ。お互いに殺しあっていれば、あっという間に人が住めない街になる。昔みたいにドンパチやる時代じゃないんですよ」

「ははは、腑抜けてるなぁ。それは壁の中に引っ込んでいる、あんたらだけの流儀だろう? だが、外は違う。何も変わっていない。魔獣だらけのフロンティアだ」

「…フロンティア…ですか。懐かしい響きだ」


 今では久しく聞かなくなった言葉である。

 壁に守られ、いつしかそのことを忘れてしまった。外のことはハンターに任せて自分たちが中に閉じこもった日から。

 しかし、実態は何一つ変わっていない。力ある者がすべてを支配する法則は、今も昔もこれからも同じである。


「中で安穏と暮らしているあんたらは弱くなったんだ。だからこうも外部からやってきた【ウィルス】に簡単にやられる。風邪と一緒だね。抵抗力がないんだ」

「なるほど、面白いたとえです。まったくもっておっしゃる通りだ。それで、どうなさるんですか? 殺しますか? どうやら実力差は歴然のようだ。一捻りでしょうな、私などは」


 モザートも若い頃は、剣を振り回して血を降らせたような男だ。だからこそ目の前の侵入者たちが桁違いであることがわかる。

 マサゴロウは見ただけで危険だ。簡単に殺されるだろう。だが、もっと危険なのは小さな白スーツの少年である。

 お面の隙間からかすかに見えた瞳にモザートは震える。


(なんてぇ目をしてやがるよぉ。獣は獣でも…こいつはヤバイ。ワカマツが怯えるわけだな)


 モザートも組長という立場上、覚悟はできているが、自然と身体が身震いする。

 それはあまりに目の前の少年が人間離れしているからだろう。身にまとう気配は魔獣そのもの。

 しかもただの魔獣ではない。まるでデアンカ・ギースに出会ったように、戦おうという気概すらなくなるほどだ。格が違いすぎる。


「殺そうかと思ったけど、やめておくよ。あんたは使えそうだ。優秀な人材を殺すのは惜しいからね。生かしておいてやる」

「ホワイト、貴様!! オジキになんて口を!! ころっ―――ぐばっ!」

「まったく学んでいないな。オヤジを呼び捨てにするとは…そろそろ死ぬか?」

「がっ! ぐっ! はな…ぜっ……がはっ!!」


 アンシュラオンに詰め寄ったワカマツが、マサゴロウに捕まる。

 大きな手で首を絞められ、そのまま宙吊りになった。この男の腕力ならば簡単に首を折ることもできるだろう。


「ごごっっげぼっ……」

「マサゴロウ、放っておけ。ただの雑魚だ」

「そういうやつを殺すのも面白ぇって、オヤジも言っていたんじゃ?」

「こいつはそれにも値しないクズだ。捨てておけ」

「ふっ、クズで命拾いしたな」


 ポイッ ドガッ

 近くにあった机に投げ捨てられ、身体を強打する。


「がっ!! げほげほっ! がほっ!! でべぇ…覚えて…おげっ! ころず…がらなぁ!」


 喉がやられてしまったのだろう。しわがれた声で叫ぶ。

 その声にはさまざまな感情が宿されていた。怒り、怨嗟、憎しみ、それから恐怖。

 しかし、それだけで相手を殺すことはできない。実際の力がなければ、この世界では人は死なない。


「お前には一生できないよ」


 アンシュラオンが懐から二本、ナイフを取り出し―――投げる。


 シュッ カチンッ


 まっすぐ投げられたナイフ同士が途中でぶつかり、二つに分かれ―――


 ブスブスッ


 ワカマツの両足に突き刺さる。

 遠隔操作で操ったものなので狙いは正確。見事二本は太ももに根元まで刺さっていた。




254話 「道化の配役 後編」


「ぐあっ!!!」


 ワカマツの足にナイフが突き刺さる。


「くううっ…そおおっ!! やりやがった…なぁ! ホワイト!!」


 突然の攻撃と痛みに驚き、思わず足に触れようとするが―――


「ぼんっ」


 アンシュラオンの声と同時に―――爆発。


 ナイフにまとわせた戦気が爆発し、両足が吹っ飛ぶ。

 ついでに押さえようとしていた手も焼け焦げ、その際に指も何本か吹っ飛んだ。


「がっ!! あじがぁああぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!! てがぁがああぁあああああああああああああああああ!!」


 さすがにその事態は想定していなかったのだろう。

 絶叫とともに血を撒き散らしながら転げ回る。


「どうした? オレを殺すんじゃないのか?」

「ぐうううあぁああああ! ぁぁぁああ!」


 ワカマツは涙を流しながら悶え苦しみ、アンシュラオンを見る余裕もなかった。

 太ももの根元部分から下は、もう完全に失われている。ぐちゃぐちゃになった肉と骨が剥き出しになっているので、痛いのは当然だ。

 彼は武人のレベルにまで到達していないので、筋肉操作で止血することもできない。グラス・ギースの医療技術を考えれば、このままではすぐに失血死するだろう。

 さらに爆発した位置を考えると、男にとって絶対に失ってはいけないモノにまでダメージが及んだ可能性が高い。最悪である。

 だが、殺しはしない。


「そんなに痛いのか? ならば治してやろう」


 アンシュラオンは命気を放出して傷口を塞いでいく。

 ただし再生はさせないので、傷は治っても足と一部の指は失われたままとなる。

 手足を失った障害者のように、怪我の部分だけがつるんと丸みを帯びた皮膚で覆われる形で終わらせる。

 もとより命気は破損や欠損箇所の修復には向いていない。無理ではないが、ここまで粉々になると治療は面倒である。これで十分だろう。

 また、これでこそ意味がある。


「代償はもらったよ。オレにたてついた罰だと思え。お前は今後一生車椅子で過ごしな」

「ぐぞぐぞぐぞぐぞおごおごごあああああ!! ほわおいいととお!!」

「叫んだって足は増えないぞ。ははは、まるで芋虫みたいじゃないか。力の流儀を否定した者に相応しい姿だ。お似合いだよ。で、どうだ? 今の気分は? ええ、おい? ぐにっ」

「ぐやあああああ!」


 ギュウウウッ

 指が半分になった手を踏んでやる。ワカマツはジタバタするが、足がないので、もがくことしかできない。

 その姿は、まさに芋虫。何の抵抗もできない虫けらである。


「いやー、これでお前も弱者のお仲間入りだな。マフィアの世界は保障や介護保険はどうなっている? ちゃんと世話をしてくれるのか?」

「ほわほわ…ほわい…とおお!! よくもよくもよくもぉおおおお!! コケにぃいい! お、おれをぉおおコケけえええええにいいいいいい!! こけにいぃいいいい!」

「あん? 何を言っているのかよくわからないぞ。口は無事なんだから、もっとちゃんとしゃべれよ。じゃあ、オマケでこっちもやってやるか」


 ボッ メラメラメラ

 ワカマツの頭が―――燃える。

 アンシュラオンが火気を使って髪の毛を燃やしたのだ。毛が燃える嫌な臭いが立ち込める。


「ぎゃああああああああああああああああああああああ!! あづあづあづううううううううう!」

「はははは! 焼き芋虫だな。ほらほら、早く消さないと大火傷だぞ」

「がうあああああ!! ああああ!!」


 ゴロゴロゴロゴロッ ガンガンガンッ

 ワカマツはいろいろなところに頭をぶつけ、必死に火を消そうとする。

 その際に切ったのか、頭からは出血も見られた。


 ドンドンドンッ ガンガンガンッ

 ドンドンドンッ ガンガンガンッ

 ドンドンドンッ ガンガンガンッ


 そして、ようやく火を消し終えた後には、半ば炭化して黒焦げになった頭皮が残った。

 髪の毛は、ほぼ焼失。

 よく漫画で見るような、頭が燃えた人みたいな状態になってしまっている。


「あああーーーー! よくもよくも!! よぐもぉおおおおお!! ホワイトォオオオオオオ!! おまえは…ごろっ…ごろっ、ごろじてええええ! おばええおえおおおごろじでええええ―――がくっ」


 壮絶な表情を見せながら、ワカマツが気絶。

 火傷の痛みというよりショックと怒りのほうが大きかったようだ。激しい精神の高ぶりで意識を失ったのだろう。

 目を見開き、口を大きく開け、現世を憎む悪鬼のような顔つきになっている。人間の憎悪とは、いかに凄まじいかを思い知る姿だ。

 人間の可能性は上に向くこともあるが、下に向かうこともある。

 最高の愛を示す女神になることもできれば、このように負の感情に囚われて鬼になることもできるのだ。

 彼が目覚めた時、最初は夢だったのかと思うかもしれないが、その足を見て大きな衝撃を受けるだろう。


 そして、ジワジワと心が蝕まれていく。激しい、とても激しい感情に。


 それが後悔なのか怒りなのか、それ以外の感情なのかは当人にしかわからない。


 それからアンシュラオンは、モザートに向く。


「一応訊いておくけど、グマシカの居場所って知らないよね?」

「知ってどうされます?」

「ずいぶんと良いご身分みたいだからね。その財産を分けてもらおうと思っただけさ」

「うちらは人を商売道具にしています。そう簡単に奪えるようなものではないと思いますがね」

「そうだね。人間ってのは面倒だからね。でも、オレが欲しいのはスレイブだ。それだけ奪えればいいかな」

「スレイブ…ですか。ご自分の王国でも作られますか?」

「あんたらはスレイブをずいぶんと低く見ているようだね。まあ、それも自由だけどね。ただ、気に入らない相手は遠慮なく潰させてもらうよ。もう一度訊くけど、グマシカはどこにいる?」

「知りません。本当です。私のような下っ端では、到底オヤジの居場所なんて知れるわけがない。そのあたりはもうご存知なのでは?」

「…そっか。やっぱり普通に捜しても見つからないようだね。何か抜け穴がありそうだな…」


 ここに来る前、マングラス一派の組を二つ潰している。

 その中にはスレイブを担当するラギャット商会も含まれていた。モヒカンの八百人もそこにみかじめ料を払っているので、前々から存在は知っていた商会だ。

 そこの組長も問い詰めたが、グマシカの居場所についてはまったく知らなかった。

 こうなると普通の方法では見つからない気がしてきた。やはり裏側から攻めるしかないようだ。レブファトに期待しよう。


 そんなアンシュラオンの様子をモザートは静かに注視していた。


(知能のある魔獣ほど怖ろしいものはいない。人間の狡猾さと魔獣の強さを持っていれば、それはもう化け物だ)


 彼らにとっての一番の脅威は魔獣なので、モザートもアンシュラオンを魔獣にたとえる。

 だが、その魔獣がグマシカを捜していることに妙な引っ掛かりを感じてならない。


「ホワイトさん、オヤジには近寄らないほうがいいですよ」

「どうして? 勝てないと思った?」

「いえ、どうでしょう。いくらあの二人が強くても、あなたならやれそうな気がしますよ。ただね、なんというか…『会わないほうがいいんじゃないか』…と、そう思っただけです」

「ん? 不思議な言い回しをするね。どういうこと?」


 今までの組長は誰もそんなことを言わなかったので、ふと興味を惹かれる。


「根拠なんてありません。ただの勘です。勘ですから、それが『誰にとっての不幸』かもわからない。ただなんとなくそう思っただけです」

「…なるほど、勘か。気をつけたほうがいいかもね」

「馬鹿にしないんですね」

「勘ってのは直感だ。理屈も大事だけど、そっちのほうが人間にとっては一番重要なものだと思うよ。最後は結局インスピレーションだからね」


 どんなにデータが揃っても、最終的にどうするかは「印象」「感覚」「直感」といったもので決めるしかない。

 その中でも印象や感覚は先入観に囚われがちなので間違えることも多いが、直感だけは前触れもなく突如として正解を導き出すことがある。

 しかもたいていの場合、すでに根拠となるものを得ていることが多い。

 それが言葉にできないものなので勘という言葉に頼るしかないが、どこかの段階で「結論」になった瞬間、直感となって示されるようになる。

 だから直感こそ、もっとも信用できるものなのだ。

 アンシュラオンがサナを選んだのも、シャイナやサリータを選んだのも感覚や感性、直感といったものが大きなウェイトを占めている。

 そして、モザートは長年の経験を大事にして生き延びてきたタイプの人間だ。

 その彼が忠告するのだから、何かしら気になっていることがあるのだろう。だが、問い詰めたところで当人は口にしない。口にできないのだ。あくまで感覚だから。

 そういった忠告は素直に聞いたほうがいい、というのが前世からの教訓である。

 もちろん会わないわけにはいかないので、気をつける程度のことしかできないのだが、注意してしすぎることはないので心に留めておく。



「それじゃモザートさん、挨拶もそこそこで申し訳ないけど、オレたちは帰るよ。まだ今晩中に襲わないといけない事務所がいくつもあるんだ」


 倒れたワカマツを足でどけながら、アンシュラオンは部屋の入り口に戻っていく。


「ホワイトさん、ここまでやったらもう止められないですよ。あなたは今までギリギリのラインで止まっていた。だからこっちも本格的には動かなかった。だが、事務所を襲ったらもう終わりだ。制裁は間違いなく起こります。マングラスだけじゃない。他の派閥も加わります」

「そうだろうね。ぜひそうしてほしいよ」

「…それが狙いですか。正直、私には正気とは思えませんよ。それとも老いましたかね」

「人間には限界がある。分を知るのは悪いことじゃない。あんたという人間は自分の器を知り、そこで満足している。それだけのことじゃないかな」

「では、あなたはどこまでいけば満足なさるんですか?」

「ははは、あんたらは大げさに考えすぎだなぁ。こんな小さな都市だから大きく見えるけど、この東大陸全体から見れば小さな事件でしょう? 都市が滅亡するなんて珍しくもないって話だからね。それと比べればたいしたことじゃないさ。こんなものは遊びと同じだよ。だからあんたも楽しめばいいのさ」


 そう言って、アンシュラオンたちは出て行った。

 ゲロ吉と同じく、残ったのは組長であるモザートだけ。あとはかろうじてワカマツが生きているくらいだろう。

 マフィアの下部組織の組長は、そのさらに上の組織の構成員なので、これがマングラスに致命的なダメージを与えるわけではない。

 しかし、戦いの火蓋が切られたのは間違いない。ここまでやったのだ。もう話し合いでどうにかなるレベルではない。


 ただ、アンシュラオンを直で見たモザートは、そこに奇妙な「期待感」を感じてもいた。


 自分の組をここまで壊された人間ならば激怒は必至だろうが、なぜかそうした感情が湧いてこない。

 今自分の目の前で倒れているワカマツとは、まったく真逆のことを考えている。


(フロンティア…か。久々に聴いたな。俺が若い頃、親父の世代は口癖のように言っていた。そうだ。ここはフロンティアだ。この大地に生きる者ならば【夢】を見なくては生きているとは言えない。腑抜けたのは…俺らのほうか)


 この時、モザートは気付いた。

 マングラスの中に取り込まれて機械的に生きてきた自分が、いかに小さな存在であったかを。

 循環する優れたシステムに『生かされてきた』ため、自分で生きることを忘れてしまっていた。

 何かをするにも上にお伺いを立て、許可が下りたら実行する。そんなことを繰り返しているうちに自分を見失っていた。


(俺たちはまるで『人形』だ。自分で考えることを忘れていた。…だが、俺の器ではこれが限界。これ以上は無理だ。…だが、あの男ならば…)


 制裁が起こることを楽しんでいるようなそぶりすら見受けられる。

 そこにあるのは自己の強さへの矜持なのか、あるいは狡猾さなのか、それ以外の何かか。

 どちらにせよ、良くも悪くも期待感を抱かせる男であったのは間違いない。あの男は何かをしでかす。そう思えてならない。





(やれやれ、またハズレか。まあいい。サナの養分にはなったしな)


 外に出たアンシュラオンは、汚れたサナを綺麗にしていた。

 (お面だが)その顔はとても嬉しそうだ。返り血を浴びたサナが成長していくのが嬉しいのだろう。

 殺せば殺しただけ強くなる。それもまた陽禅流の教えだ。


「…オヤジ、【アレ】は殺したほうがよかったんじゃ?」


 アンシュラオンにマサゴロウが話しかける。


「あの男のことか?」

「…おれにはわかる。あいつは…害悪になる」

「それは裏スレイブの直感ってやつかな」

「そんなところです」


 長いこと裏の世界にいたマサゴロウは、直感的にワカマツが危ないとわかったのだろう。

 殺せる時に殺すことはとても大事だ。それによって安全を確保できるので躊躇ってはいけない。アンシュラオンも常々そうしてきたつもりだ。

 しかし、「危険を欲する」のならば話は別だ。


「それでいいんだよ。大きなステージには【道化】も必要だ。あいつがその役どころになってくれるのならば、それでいい。他にも種は蒔いたし、どれか一つだけでも実ってくれれば御の字さ」

「…オヤジは怖いな」

「そうか? こんなに優しいやつはいないと思うけどな。だって、オレが支配したほうが(男以外は)みんな幸せになるしな。なぁ、黒姫。お前もそう思うだろう?」

「…こくり」

「そうかそうか。それじゃ、次行くか。次もたっぷり血を吸わせてやるからな」



 その後もホワイト商会の襲撃は続き、次々と組が滅んでいく。


 彼らは、一線を越えた。


 表に出ていた兵隊を殺すならばまだしも、その巣穴に直接乗り込んできたのだ。こうなれば相手も必死に反撃するしかない。


 裏社会の抗争が、ここからさらに激化していく。




255話 「商店街でドンパチするよ」


 ホワイト商会が引き起こした「パニックナイト〈狂乱の夜〉」から三日が経った。

 あの夜だけで、ラングラスを除く各派閥の下部組織が12組、中規模組織の6組が潰された。

 上位組織に大きな被害はなかったものの、それはたまたま主戦場が下部組織の多い一般街から下級街だっただけのこと。これが上級街にまで波及してくればどうなるかわからない。


 グラス・ギースでは【制裁】と呼ばれる『私刑制度』が存在する。


 どこかの派閥の組織、あるいは特定の商会が秩序を大きく乱す行動を取った場合、他のすべての集団によって暴行または処刑(追放含む)が行われる制度である。

 日本でも昔はよくあった「村八分」といった絶縁、隔離制度も私刑の一種で、それによって異物を排除するのは一般的に行われることだ。

 悪く言えば「排除」であり「イジメ」でもあるのだが、腐った枝を放置しておけば樹木全体が腐ってしまう。排除も仕方がない。

 たとえば会社に働かない社員や不正を行う者がいれば、解雇処分にするのが妥当であろう。そうしなければ機能不全に陥って会社全体が壊れてしまう。

 さらに社会全体の秩序を考えれば、その後に訴追を行って損害の回復にあたるべきである。住民が平穏な生活を送るためにも必要な措置だろう。


 ただし、制裁は身内にも必要以上の恐怖を与えることになるので、四大市民の会議によって決められることになっている。

 こうなれば近々「四大会議」が行われるだろう。それは間違いない。


 しかし、それを待ちきれない者もいる。


 またいつホワイト商会が襲ってくるかもしれないのだ。悠長に待っていることなどできない。

 各組は自発的に自衛力を強化する方向に動き出し、「ホワイト商会を見つけたら問答無用で攻撃する」という指針を打ち出す。

 これも本来は勝手な振る舞いになるが、ソブカも言っていたように商会の自衛行為は認められている。その拡大解釈として発案したものだ。

 唯一の妥協点として、領主のお膝元の上級街にある事務所襲撃はせず、あくまで第二城壁内部で発見した場合に限るという条件を出すことで、これらの行為はグラス・マンサーからも黙認されることになる。


 だが、これによって被害はさらに拡大することになった。




 パシュパシュッ ドスドス

 パシュパシュッ ドスドス


 その日、グラス・ギースの一般街の表通りから一本裏側に入った裏通りで、聴き慣れない音が響く。

 空気が吹き出すような音と鈍い衝突音。どちらも一般人には馴染みがない音ばかりだ。

 しかし、そうした軽い音のわりに、起こっていることは実に目を疑うような惨劇。


「いつまで逃げてんだぁ、このやろうがぁ!!」


 パシュパシュッ


 ホワイト商会のヤキチが、逃げていく男たちを後ろから銃で撃っていた。

 最初は相手から仕掛けてきた戦いだったが、銃を奪って反撃を開始したら呆気なく逃げたので、今は追っているところだ。

 相手の素性は、もちろんマフィア。派閥はわからないが、どこかの武闘派組織だと思われる。


「ま、待て!! ここは戦闘禁止区域だぞ!!」


 男は手を振り、周囲に人がいることをアピールする。

 最初に戦っていたのは下級街の下層部だった。あのあたりは危ない店も多いので、いざこざは日常茶飯事だが、現在は一般街の表通りに近いエリアだ。

 一般の買い物客も多いし通行人だっている。流れ弾に当たれば死んでしまう危険性すらあった。


 よって、戦闘禁止。


 当然ながらグラス・ギース内部では、戦闘禁止区域での争いはご法度だ。

 プライリーラがソブカたちを止めたのも、こうした規定があり、なおかつ違反者には制裁が科せられる可能性があるからだ。

 この男もそうした決まりを知っているからこそ、この場所に逃げてきた。そうすれば停戦できると信じて。

 が、所詮はこの都市で暮らす人間の発想である。筋者でもルールに縛られているからこそ失念していた。


 無法者とは、法を守らないからこそ無法者なのだということを。



「それがどうしたよぉお! 死ねや!!」


 パシュパシュッ ドガドガッ

 ヤキチは迷わず発砲。撃った弾が近くの家の壁に当たって穴があいた。


「くっ、本当に撃ちやがった!!」

「当たりめぇだ! タマの獲り合いだからなぁ!!」」


 スカスカッ

 再び銃を撃とうとすると、空気が漏れる音だけで弾が出ない。弾切れである。


「使えねぇなぁ、こいつは! ったく、東側の銃はポンコツばかりだぜ!」


 ヤキチは西側から来たので、二発撃つごとにリロードしなければいけないグラス・ギース製の銃の不便さをよく知っていた。

 ただ、そもそもヤキチは銃の扱いが苦手である。良い銃でも当たらなかっただろう。

 ぽいっと銃を投げ捨て、いつものポン刀に手をかける。


「やっぱりこっちじゃねえとなぁ!! おら、待てやぁあ!!」

「ちくしょう!! ルールくらい守れ!!」

「なめてんのかぁよ! おらぁたちは天下のホワイト組! 無法者に法を説くんじゃねぇえ!! 馬鹿かぁ、てめぇはよぉ!」

「く、くそがぁあああ! ちくしょう!」


 草履なのにやたら速いヤキチが近くにまで迫る。

 男はナイフを持って抵抗しようとするが―――


「遅ぇえ!」


 ザク ブシャッー


「ぎゃっーーー!」


 ヤキチのポン刀が男を肩から切り裂き、そのままの勢いで真っ二つにする。

 どちゃっと血に塗れた身体が石畳に崩れ落ち、絶命。


「へっ、たいしたことねぇな。口ばっかりじゃねえかぁ」


 バシュパシュッ ドスッ


「いてっ」


 倒した死体を足蹴にして愉悦に浸っていたヤキチに、遠くから発砲があり、身体に一発の銃弾が突き刺さる。

 弾丸は腹に命中しており、サラシから血が滲んでいるのがわかった。

 が、戦気で身体をガードしているヤキチに対しては、所詮その程度にすぎない。皮と脂肪と、軽く筋肉を傷つける程度のダメージである。

 銃の威力が普通よりも多少弱いことと、遠くからの銃撃という条件下では、防御力の弱いヤキチでさえ倒すことは困難だ。

 しかも、ヤキチたちは自分たちの怪我を怖れる必要がない。

 ジュワァッと湯気のようなものが傷口から湧き上がり、急速にその傷を癒していく。


「ヤキチ、一人も逃すなよ」


 ヤキチの後ろから黒い少女を連れた白い少年が歩いてきた。

 二人とも仮面を被っているので顔は見えないが、存在感と圧迫感が桁違い。誰よりも危険な雰囲気を醸し出していた。


「表通りにも逃げたぞ。見せしめに両断しておけ」

「へい、オヤジぃ。わかってまさぁ」


 アンシュラオンの言葉を受けて、ヤキチは喜々として走っていった。その目は輝き、希望に燃えている。

 そう書くと青春物語のようにも思えるが、ポン刀を持って逃げた構成員を追う姿は、通行人からすれば悪鬼羅刹の類と何ら変わらない。

 事実、走る害悪となっている。


「おら、邪魔だ! どけっ!」

「ひぎっ!」


 ヤキチは曲がり角でカップルの男性を蹴り飛ばしてドリフトをかけ、速度を緩めずに表通りへの道を走っていく。

 あの先はここよりももっと人通りが多い場所なので、彼が暴れるだけで相当な迷惑になるに違いない。


 そして、害悪なのはヤキチだけではない。


「ぎゃーーー!」


 ヒューーーンッ ドガシャッ!!


 今度は違う方向から別の男が飛ばされてきて、建物の中に転がっていく光景が見えた。

 マサゴロウが違う組の構成員を追いかけてここまでやってきたのだ。

 気がつくと、そこら中で所構わず抗争が勃発しており、下級街だろうが一般街だろうが、表通りだろうが裏通りだろうが関係なく被害が出ているようだ。

 通行人も巻き込まれる事態になっているが、もはや誰にも止められる状況ではない。

 ヤクザ映画のように街中で抗争が起きているのだ。いったい誰に止められようか。



 ヒューーンッ ゴスッ


「ぐぎゃっ」

「…ん?」


 人が飛んでくるのは慣れているが、今度はさきほど投げ込まれた家屋から投げ返されてきたので、ふと目を向ける。

 するとそこは、自分がよく知っている店であった。


「ったく、昼間っから何事だ。店が壊れちまうだろうが!」


 そこから出てきたのは、大きな身体をしたハゲの男。武器屋「バランバラン」の店主であった。

 いきなり男が店に飛び込んできたので、邪魔だから放り出したのだろう。あの身体は伊達ではないようだ。なかなかのパワーである。


「よっ、おっちゃん。元気にしてた?」

「ん…? お前は…んん? なんかその仮面、見たことあるな…」

「オレだよ、オレ、わかる?」

「んむむ……」


 店主はしばらく怪訝そうに仮面を見ていたが、突如脳裏に【あの顔】が思い浮かぶ。


「って、小僧じゃねえか!!」

「おっ、さすがおっちゃんだ。よくわかったね」

「そりゃお前、そんな特徴的な仮面があればすぐにわかるだろうさ。白くなっているが自分が売ったものは忘れねぇよ。わかんねえやつがいたら、それはほんまもんの馬鹿ってやつだ」


(なるほど。やっぱりイタ嬢は頭が悪いんだな)


 店主でもわかるのだ。イタ嬢がおかしいことが証明された。

 あれだけの目に遭っていて気付かないとは、逆に器が大きいのかもしれないが。


「それにしても、こいつはどういう状況だ? どうやらお前も関わっているみたいだが…」

「前にオレが言っていたことを覚えている?」

「もしかして…ドンパチが始まるってやつか?」

「そうそう、それそれ」

「こいつは驚いた。本当に起こるなんてな…」


 店主は改めて裏通りの状況を眺める。

 すでに危険を察知した住人は逃げているので、巻き込まれて倒れている人間以外に人通りはまったくない。

 長年ここで商売をやっているが、こんなことは実に久しぶりである。


「どうりで客が来ないと思ったぜ。なんだこの営業妨害はよ!」

「それっていつものことじゃないの?」

「かー、相変わらずだなぁ。仮面を被っても何も変わりゃしねえ」

「まあ、被っただけだしね。それよりせっかくだ。銃をもらおうかな。ここにあるんだよね?」

「あるけどよ、商会証明書はあるのか? それがないとさすがに売れないぞ」

「ああ、大丈夫。ちゃんとあるよ。はい、これ」

「ホワイト商会(仮×22)? この数字は何だ?」

「長くなったからね。省略しただけ。普通にホワイト商会だけでいいよ」

「ホワイト商会…そういえば、この前来たやつらが話していたな。まさか小僧のところだとは思わなかったが…」

「おっちゃんも知っているんだ?」

「最近、ちょっとずつ客が増えてきてな。その大半がマフィア連中だったんで訊いてみたんだよ。そうしたら誰もが『ホワイト商会を倒すため』とか言っていたぞ」

「なら、売り上げが上がったことに感謝してもらわないとね。荒れたほうが武器屋としては儲かるでしょ?」

「感謝したいところではあるんだが…大丈夫か、これ?」


 それが外の荒野での話ならば大歓迎だが、店舗の目の前で起こっているとなれば話は別だ。

 都市内部かつ、こんな真昼間から人通りの多い場所で戦いが起きるようになったら、前に店主が言っていたように末期である。まったく未来が見えない。

 だが、逆の見方もできる。


「大丈夫かどうかは都市の生命力の問題だろうね」

「生命力?」

「そう、生きる力、活力だね。この都市は老人かもしれないけど、老人だって元気にがんばっている人はいるもんだ。この刺激に反応するだけの底力があるかどうかだよ」

「うーんと…それはつまりだ、老い先短い寝たきりのやつを強引に叩き起こして、走らせるみたいな感じか?」

「そんな感じかな」

「そんなことさせたら死ぬんじゃないか?」

「もしそうなったら仕方ないよ。どのみち家が潰れそうになったらどんな言い訳も通じない。死ぬ前に走って逃げるしかないんだからね。今起こるか後で起こるかの違いだけだよ。どうせ起こるなら少しでも若い頃のほうがいいでしょう? そのほうが生き残る可能性も高まるし」


 サナや自分のスレイブのために都市の安全性は確保したいが、この程度で揺れるようならば安易に信じるのは危険だろう。

 普通に生きていても騒動に巻き込まれるので、アンシュラオンは事前に自分の敵を排除しているだけなのだ。

 家に出たゴキブリを追い回して、床をドタドタ走っているだけにすぎない。

 もし仮にこれで潰れるようならば、そもそも家屋そのものが弱っていた証だ。いつ台風が来るかもしれないのに、そんな家に悠長には過ごしていられない。

 逆にまだがんばれるだけの力があるなら、それはそれで結構なことだ。引き続き住んでもいいだろう。

 ただしそれならば、なおさらゴキブリは排除しなければならない。どのみち抗争は不可避である。


「うーむ、起こっちまったものはしょうがないな」

「いいの? 街が滅茶苦茶になるかもよ?」

「今回の原因はよくわからんが、昔はこうした争いもそこそこあったもんだ。城壁内部にいると鬱憤が溜まるからな。適度に発散させないといけない。そもそも喧嘩が駄目なんて思うほうがおかしい。どっちが上かをはっきりさせないと争いってのはなくならないしな」

「はは、その通りだね。おっちゃんとは気が合いそうだ」


 武器屋の店主をやっているせいか、彼の考え方も非常にはっきりしているようだ。そのあたりは好感が持てる。


 同時に、その考えの中には【住人の総意】も垣間見えた。


 上下関係がはっきりしないから諍いが起こる。ならばそのあたりをはっきりさせて、さっさと治安を回復してくれ、というものだ。

 普通に暮らしている人間にとって、裏側の利権などどうだっていいことだ。彼らは日々の生活を送り、それなりに幸せな人生を得られれば十分なのである。それ以上は望んでいない。

 となれば、争いを否定して鬱憤を溜め続けるより、損害が少ない段階で白黒はっきりさせたほうがいい。

 もちろん本心としては誰もが「喧嘩は外でやってくれよ!」という心境だろうが、城壁で覆われているのだから仕方がない。それも城塞都市で暮らすための知恵と受容なのだろう。



「ほら、銃だ」

「サンキュー」


 店主がカウンターの下にあった銃を一丁、放り投げる。

 衛士たちが使っている銃と同じで、二発装填タイプの木製銃である。

 アンシュラオンとしては不満が残る低品質のものだが、サナやホロロに渡した改造銃は数が少ない。

 こうして戦いが頻繁に勃発するとなると、いくらか多めに予備を手に入れたほうがいいだろう。もうホワイト商会は悪事が知れ渡っているので、武器屋で買っても問題はないはずだ。


「何丁いる?」

「今は一丁でいいや。あとでまた発注するよ。弾だけたくさん頂戴」

「おうよ。どう言えばいいのかわからんが、がんばれよ」

「余所者だけど応援してくれるの?」

「んなもん関係ねえよ。俺たちだって最初は外から来たもんだからな。どんどん外から血を入れないと衰退しちまうってもんさ」

「それもそうだね。サンキュー、がんばるよ」




 銃を持ってサナと一緒に外に出る。

 思えば地球時代に本物の銃を持ったことがなかったので、なんとなく肩に担いでみたりして気分を出してみる。


(銃か。昔は憧れたもんだが、今になってみれば貧弱な武器だよな。弾丸を直接投げたほうが強そうだ。…さて、あいつらはもう敵を始末したかな?)



 そう思って曲がり角に向かって歩いていくと―――


 ドヒューンッ バゴンッ!!


 何かが飛んできて、少し離れた場所の街灯にぶつかり、そのままへし折ってしまった。


 飛んできたものは、人間。


 そこにはヤキチが転がっていた。




256話 「マキとの戦い 前編」


(あれはヤキチか? どうして吹っ飛んできたんだ? 交通事故…なわけないしな)


 飛んできたのは、ヤキチだった。

 威勢よく表通りに向かったはずだが、なぜか逆に勢いよく吹っ飛んできた。

 彼ならば馬車に轢かれても逆に吹っ飛ばすだろうし、あの歳でいまさら反抗期もないだろう。謎の行動である。


「いてて…あのアマ…! やってくれるじゃねえか!!」


 ヤキチは立ち上がり、再びポン刀を持って駆けていく。

 この角度では何があったのかわからないが、何事かが起こったのだろう。


(なんだか面白そうなことをしているな。ちょっと見に行くか)


 アンシュラオンがサナを連れてゆっくりと現場に歩いていくと、またもやヤキチが吹っ飛んできた。

 ヒューーンッ ゴロゴロゴロッ

 今度は障害物にぶつからずに反対の通りに飛んでいく。右から左の視界に消え去っていく姿がゲームみたいで滑稽だ。

 どうやら何者かと交戦しているようだ。そのたびに吹っ飛ばされているらしい。


(ヤキチを吹っ飛ばせるやつなんて、この街にはそうそういない。となれば相手は簡単に想像がつくな)


 アンシュラオンが手に入れた戦罪者の中でトップ4の実力を持つヤキチを吹っ飛ばすのだ。只者であるわけがない。

 ヤキチが言っていた「アマ(女性)」かつ「彼を倒せるほど強い」という二つの条件に該当する人間は、アンシュラオンが知る限り二人しかいない。

 一人はファテロナ。言わずと知れたイタ嬢の侍従長兼護衛である。彼女ならばヤキチに勝てるだろう。

 しかし、このような荒っぽい戦い方はしないし、できない。戦った感想からいえばスピード型のようなので、腕力そのものは強いとはいえない。

 場所も一般街であり、上級街からはかなり遠い。わざわざこんな場所で遭遇するとは思えなかった。

 そうなれば、もう答えは一人しかいない。


 その女性が、暴れていた他の戦罪者の前に立ち塞がる。


「あなたたち、ここで何をやっているの! どれだけ人様の迷惑になっているかわからない?」

「なんだてめぇは!! さっきからよぉ! うぜぇんだよ!!」

「その言葉遣いは何! いい歳してこんなところでブラブラして! 反省して真面目に働きなさい!」

「うるせぇ! ぶち殺し―――ぶぎゃっ!」


 グシャッ ドッゴーン

 女性の拳が戦罪者の腹に入り、面白いように吹っ飛んでいく。まさにピンポン玉だ。



「まったく、どうなっているのよ。こんな場所でいきなり戦いを始めて…これだから浮浪者は困るわ」



 パンパンと手をはたきながら歩いてきたのは―――マキ・キシィルナ。



 東門の門番であり、有事の際は街の治安維持にも駆り出される女性衛士である。

 被害が一般人にまで及んだため、誰かが呼びに行ったのかもしれない。前も衛士たちがマキを呼ぼうとしたことがあったので、手に負えない案件は彼女に回されるのだろう。

 ただ、マキにとっては職務外の雑用である。ただでさえ安月給なのに助っ人をしても給金が上がるわけでもなく、まったく割に合わない。

 さらに門を離れている間は仕事が溜まっていくので、彼女にとっては災難でしかない。それゆえにかなり不機嫌そうだ。


(やっぱりマキさんか。この都市でヤキチたちをあしらえる女性がいるとすれば、普段は出てこないプライリーラを除けば彼女だけだもんな。うん、さすがに強い。あれでも手加減しているんだよな。本気で殴ったら身体が砕けちゃうんだろうし)


 それからも他の戦罪者を殴り、蹴り、放り投げるなどして次々と吹っ飛ばしていく。しかし、それでもかなり手加減しているのだ。

 データ上のマキの攻撃力はB、500以上である。戦気を放出せずともヤドイガニの装甲すら穿つことができる強力な武人だ。

 そんな彼女が本気で殴ったら、そのあまりの威力に人間の身体のほうがもたないだろう。それは耐久力の低いヤキチでも同じである。


「ちくしょうっ…この野郎!!」


 再びヤキチが向かっていく。あの気概だけはたいしたものだ。


「野郎って…私は女なんだけど。この場合、女郎なのかしらね?」

「ふざけてる暇はねぇぜ! すぐに殺してやるからよぉ!」


 ヤキチのポン刀が赤黒く染まる。戦気を放出し、本気の戦闘モードに入ったのだ。相変わらず不健康な禍々しい色をしている。


「…抜いたわね。それなら本気で潰してもいいのよね?」


 ポン刀は最初から抜いていたのだが、武人にとっては「戦気を出すこと=戦闘態勢」なので、そのことを言っている。

 マキも挑発をまともに受けるところを見ると、不機嫌だったこともあり普段よりも好戦的になっているようだ。

 やはりアンシュラオンに対する姿勢のほうがおかしいのであって、これが彼女の男性に対する通常の態度らしい。魅了とは怖ろしいものである。


「たりめぇだ、こらぁ!! スカしてんじゃねぇぞ!!!」

「ほんと、弱いやつほどよく吠えるものね。いいわ、潰してあげる」


 そして、マキも戦気を放出。瞬時に身体全体が真っ赤に染まる。


(ほぉ、美しい)


 その光景に思わずアンシュラオンが嘆息する。

 戦気の基本色は闘争心を形にしたような赤なのだが、オーラでもあるので人によって色合いは異なる。

 たとえばアンシュラオンは赤みがかった【白】で、幻想的かつ超常的な雰囲気を醸し出す。パミエルキも赤が強めだが似たような感じだ。

 魔人というこの世に二人しかいない特殊な存在のため、この色をしているのは彼らだけである。色そのものが他者との違いを如実に示しているわけだ。

 ゼブラエスならば赤みのある青白い戦気で、ちょうどガスコンロの炎に似ている。戦気の出力が強すぎて赤を通り越してしまうのだ。彼の生命力が果てしなく強い証拠だろう。

 ガンプドルフは強めの黄色が混じっており、雷属性を持つ彼の人情味を滲ませつつも、剣豪の深みと鋭さを感じさせるものに仕上がっている。

 このように戦気には、当人の性格や気質が如実に出る。精神的な要素と肉体的な要素の化合物だからだ。


 これがマキの場合―――真っ赤。


 ただの真っ赤ではなく、鮮やかさがあり【紅】の色合いを帯びたもので、見る者を惹き付ける魅力がある。

 目の前のヤキチの安っぽい色合いと比べれば、まさに気高さがそのまま形になったような戦気である。

 さらに練気の質も悪くない。高純度の戦気を短時間で練り上げている。よく鍛練している証だ。


(さすがマキさん、オレの嫁だ。それに比べてヤキチのやつ、また悪い癖が出ているぞ。どうせ勝てないくせにすぐに突っかかる。というかオレはマキさんと戦うなと言っておいたはずだが、あの様子だともう忘れてるな。ほんと、頭が悪いやつらだ)


 実力は明らかにヤキチのほうが下である。それでも威勢よく突っかかるのは、自分に向かってきた時と同じ理由だろう。

 おそらく最初の頃に言った「東門の女衛士とは戦うな」という言葉も忘れているに違いない。

 所詮は狂犬。頭が悪いのだ。


(さて、どうしようかな。放っておくとヤキチが死ぬかもしれないが…もうちょっと見ておきたい気もするな。実戦でのマキさんの実力も確認しておきたいし、もう衛士隊と揉めてもいいかな)


 データはデータ。それだけですべてが測れるわけではない。

 サリータ同様、実戦での強さを知っておいたほうがいいだろう。そのほうがあとあと楽になる。

 すでに街中で襲われるレベルにまで事態が悪化している。領主軍と揉めるのも時間の問題であった。

 そう判断して、しばらくは静観することにした。




「うらあああ!」


 ヤキチが突っ込む。相変わらず防御を気にしない戦い方だ。

 彼の最大の長所は、ただひたすらに攻撃していくこと。典型的な攻撃型の剣士である。その攻撃力を生かして圧倒するのだ。

 もし最初の一撃が入れば、そのままの流れで相手を細切れにすることもできるのだろう。

 がしかし、それが通じるのも格下か同程度の敵に対してのみ。


 バキャンッ


 石畳が強引に叩き割られる音がしたと同時に、マキが一瞬でヤキチの懐に入り込んでいた。


「んなっ!?」


 その出足の速度にヤキチが驚愕する。

 今の音は、マキが加速した際に大地のほうが耐え切れなくて破壊されたものである。脚の力も相当強いことを示している。

 さらに恐るべきは、その胆力。

 攻撃型の剣士がいざ攻撃を仕掛けている最中に自分から飛び込む。まるでアンシュラオンがガンプドルフにやったように、まったく怖れることなく飛び込んだのだ。

 ただアンシュラオンと違って、彼女は防御に絶対の自信があったわけではない。ヤキチの一撃を完全に防げるとは思っていない。


 なればこそ―――先制。


 受け手に回ることが不利だと判断したからこそ、自ら突っ込む。


(ヤキチは乱打戦には強いが、動きには無駄が多い。今も大雑把に攻撃を仕掛けた。だが、マキさんの動きは無駄がない。当然、結果は見えているよな)


 互いに突っ込めば、ロスなく立ち回ったほうが先に到達するのは道理である。

 まだ刀を振り下ろそうと掲げているヤキチに対し、すでにマキの拳は放たれていた。


「ほぁた!!」


 ドゴッ

 マキの拳がヤキチの胸に直撃。メキメキと胸骨が軋む音が聴こえる。

 だが、それで終わらない。彼の身体が浮き上がった瞬間、さらに速度が上がる。


「うららららららららららら!!!」


 高速の拳撃が何発も繰り出される。

 常人からすれば何も見えないし、武人が見ても手がいくつもあるように見えるほどの速度だ。


 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!


 これが格闘ゲームならば、恐るべきヒット数が表示されるだろう。それだけの連続拳打が、ヤキチの顔面、肩、胸、腹に叩き込まれる。


「ごふっ…」


 ヤキチの体力が一気に削られ、ついに拳撃から解放された彼の身体が―――吹っ飛ぶ。

 ヒューン ドンッッ!!

 再び飛ばされて壁にぶち当たるが、今度は起き上がってこられない。それだけのダメージを受けたのだ。


「ふん、一昨日来なさい!!」

「おお、女衛士さんが勝ったぞ!!」

「キシィルナさん、すげーーー!」


 悪漢を倒して悠然と立つその姿は、まさに女傑と呼ぶに相応しい。周囲の衛士や一般人からも一斉に声援が飛ぶ。

 普段は門番なので出番が少ないだけであり、これだけの実力と魅力をそなえる女性も珍しいだろう。

 この都市にはプライリーラというアイドルがいるが、もし彼女がいなければマキがアイドルになっていたかもしれない。


(へぇ、速いね。あの攻撃力であの速度となると、ヤキチではさばけないだろう。同じ攻撃型ならば、パワーとスピードのあるほうが勝つからね。速度はアル先生のほうが上だろうが、威力では断然マキさんが上だな。さっきの踏み込みを見てもそれがわかる。拳の強さは踏み込みにも比例するからね)


 ヤキチの誤算は、マキも攻撃型であったことだろう。そして戦士であったことだ。

 攻撃型の特徴は、ただただ攻撃。相手よりも早く、何よりも速く攻撃することだ。マキはそれを実践したまでだ。

 勝負を分けたのは身体能力の差。

 身体も強靭で素早い剣士もいるが、それは特殊な事例として、基本的には運動能力は戦士のほうが上だ。単純な踏み込みの速度では身体能力が高いほうが有利である。

 しかもマキは腕力と速度に優れた【武闘家タイプ】の武人のようだ。勢いよく飛び出して加速し、真っ直ぐ一点を貫く攻撃は脅威である。

 中国拳法などでも攻撃の際は踏み込みを重視する。踏み込んだ足で大地を叩き割るつもりでいけ、と言われるくらいだ。加速しただけで石畳が割れるのだから、どれだけの威力があるかは簡単に想像できる。

 そんな強い攻撃をあの速度で叩き込まれたら、ヤキチの体力ではもたない。これは当然の結果。地力の差である。



 こうしてマキはヤキチを退けた。

 が、この場にいる戦罪者は彼だけではない。


「でも、こんなに強い武人が暴れているなんて、いったい何が―――っ!」


 次の瞬間、背後に気配を感じた。

 マキは振り向くことをせず、身体を前方に回転させながら後方に蹴りを放つ。

 バキッ!

 その蹴りが、彼女の背後にいた大男に当たる。


「…効かねぇな」


 だがその大男、マサゴロウはたいしたダメージを受けていない。


「なにこいつ!? こんなやつまでいるの!?」


 自身の蹴りがあまりダメージを与えていないことに驚く。まるで一般人が岩を蹴ったような感触が足に残っていた。

 だが、それも仕方ない。マサゴロウの耐久力は、そこそこ本気のアンシュラオンの攻撃を受けても即死しないレベルにあるのだ。

 マキが強いとはいえアンシュラオンには及ばない。逃げながら放った蹴りでは彼に通用しない。


(次はマサゴロウか。なかなかいい組み合わせだな。攻撃力が高いけれど打たれ弱い剣士は倒せた。では、耐久力の高い戦士が来たらどうするかな?)


 ヤキチは打たれ弱かったので対応できたが、マサゴロウは違う。

 懐に入れば先に攻撃するのは彼女だろう。しかしその間に捕まれば、あの男には引き裂きがあるのだ。

 いくらマキでもダメージは受けるに違いない。彼女は攻撃型なので防御は「C」と低い。最悪は身体が割れるかもしれない。

 が、こと戦いにおいてアンシュラオンは冷徹な男である。マキの適性を見るためにも、ここはぜひ戦わせてみたいと思う。


(最悪はオレが治療すればいい。死ぬことはない。それに身内に入れた場合、彼女には重要な役目を任せることも多くなるだろう。強い敵と戦うこともあるかもしれない。それならばマサゴロウ程度には勝ってもらいたいな。さて、どうするかな。普通なら慎重に―――)


 と思っている間に、マキは突っ込んでいた。

 さきほどと同じように速い踏み込みで懐に入ると、連打が始まる。


「うららららら!!」


 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!

 ヤキチにやったような高速の拳打が決まる。しっかりと腰を入れて回転させているので威力も高い。

 それによってマサゴロウの身体が揺れるが、ヤキチのように浮き上がることはない。こちらもさすがの耐久力だ。


「…掴めば勝つ」


 マサゴロウは殴られながらも腕を伸ばす。まさにアンシュラオンが予想した通りの展開である。

 マキが初見の相手の能力を知っているわけもない。だからマサゴロウの握力を知らないのも当然だ。

 こうなると接近したことが裏目に出るおそれもあった。




257話 「マキとの戦い 後編」


(っ!! この手…危ない!)


 武人の直感が危険を察したのだろう。マキは即座に相手の最大の武器が手だと判断する。

 なにせマサゴロウの手は誰が見ても異様に大きい。それが迫ってくれば警戒するのは当然である。

 慎重な人間ならば、ここで一度引く。アンシュラオンでも自分と同レベルの敵ならばそうするだろう。

 まずは相手の能力を見極めることが重要だ。それでこそ安全が確保される。攻めるのはそれからでもいい。


 だが、マキは退―――かない。


 瞬時に身を捻って手をかわすと、さらに接近。

 マサゴロウの膝に足を乗せ、足場にして跳躍。


「はいぃいい!!」


 バキィッ

 そこから強烈な回し蹴りが顔面にヒット。乾いた打撃音が響く。

 されど常人ならば一発で首が消し飛ぶような一撃でも、マサゴロウにとっては軽い打撲にもならない。

 平然と立ちながら、さらにマキを掴もうと手を伸ばしてきた。


「なんて体力なの!? でも、何度も攻撃すれば!!」


 そこからマキの流れるような攻撃が続く。

 再び顔面に膝蹴りと拳のラッシュを叩き込み、捕まえようとする手をバック宙で回避して着地。

 降りた瞬間にはすでに攻撃を開始していた。


 連打連打連打。

 ドガドガドガドガドガドガッ

 連撃連撃連撃。

 バキバキバキバキバキバキッ


 打撃音は何度も起こるが、マサゴロウの動きはまったく鈍らない。

 防御力とHPが高いので、さすがのマキでも削りきれないのだ。加えて『物理耐性』を持っているため、通常攻撃で倒すのは至難の業だ。

 拳一発で吹っ飛ばしたのはアンシュラオンだからこそであり、普通の武人ならば中型魔獣並みの体力を持っているマサゴロウは非常に手ごわい相手である。

 このままでは自分の体力ばかりが減っていく。やはりマキも女性だ。体力自体はさして高くはない。持久戦となれば負ける可能性もあった。


(埒が明かないわ。ちょっと本気を出すしかないわね)


「はぁああああ!」


 ボォオオオオオオッ

 練気。真っ赤な戦気が一気に増大する。


 これは―――技の態勢。


 アンシュラオンが覇王流星掌を使った際に「溜め」を行ったが、大きな技を使う際には『爆発集気』と呼ばれる練気術が使われる。

 戦気を集中的に一気に練り上げることで、通常の二倍近い出力を出すことができる技だ。

 ただし効果は一回の技だけしか持続せず、溜める間は動けないというデメリットがある。RPGゲームでよくある「力を溜めて攻撃」に近い効果と思えばいいだろう。

 1ターン犠牲にして力を溜める代わりに、二倍の威力になった技を叩き込むわけだ。

 これが通常技ならば意味はないが、攻撃二倍補正の技を使えば効果は四倍にもなる。名前通り、爆発力を高めるものなのだ。

 もちろん戦気術をある程度使いこなさないと修得できないものなので、マキが第七階級の達験級であることを示す行動ともいえた。


「ちっ…間に合わん」


 本来ここでマサゴロウは、相手に力を溜めさせないために攻撃をするべきだった。

 しかし、相手の練気が速くて妨害が間に合わない。アンシュラオンも指摘していたが、彼自身の「攻撃の遅さ」が致命的であった。

 逆にマキは数手のやり取りでそれを見抜き、相手が妨害できないと踏んで勝負に出たのだろう。そういった戦闘経験値も非常に高いことがうかがえる。

 どちらにせよ、これでマキの勝ちだ。


「死んだらごめんなさいね! はああああああ!」



 火を―――噴く。



 まさにエンジンに火が入ったように、攻撃の質が変わった。


 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!


 高速の拳撃までは一緒だ。だが、当たってからが違う。


 拳が当たった箇所が―――爆発。


 目の前で大納魔射津が大量に爆発したような激しい衝撃と炎が発生。まさに爆発が起こったのである。

 それは一発ではない。当たった拳のすべてに発生している。

 覇王技、紅蓮裂火拳《ぐれんれっかけん》。

 拳に宿した火気を打撃と一緒に爆発させる因子レベル3の技で、ビッグにも教えた裂火掌の打撃バージョンであり、しかも連続で叩き込む大技の一つである。

 一つ一つが裂火掌以上の攻撃力を持っているので、全打ヒットすれば相当なダメージ量になるだろう。

 打撃は防御力に影響されるが、一部の爆破ダメージは防御を貫通するのも大きな特徴である。


「あたたたたた!! うらああ!」


 ドガドガドガドガドガドガドガドガッッ!!

 バンバンバンバンバンバンバンバンッッ!!


 連打と爆発が同時に起こり、視界が完全に赤に染まっていく。

 凄まじい戦気の放出に周囲の温度が一気に上昇。石畳も焼け焦げ、溶解していく熱量が発生している。


「…ぐっ!」


 その激しい攻撃には、マサゴロウも後退するしかない。HPも少しずつ削られてきているようだ。

 もはや手も足も出ないとは、このこと。攻撃の隙がなく、ひたすら受けるしかない状況に陥っている。

 『現状で』マサゴロウの勝ちはゼロに等しい。このまま押し切られて終わりだろう。



(なるほど、とことん攻撃か。見事だよ)


 マキの戦い方は、サリータとはまったく真逆の見事なまでの攻撃特化であった。

 ヤキチのような自分と同じ攻撃特化の相手には、それを上回る攻撃で。マサゴロウのような防御型の相手にも、それを上回る攻撃で。

 ただただひたすら攻撃して相手を倒しきる。それがマキの戦い方である。

 同じ攻撃型のヤキチとの違いは、それがストレートな動きであること。無駄なくスピードと力を最短で出し切っている。まさに彼女の真っ直ぐな性格を示しているようで、見ていて心地よい。

 アンシュラオンから見れば穴がないわけではないが、裏スレイブをこれだけ圧倒できれば十分合格だろう。

 能力値はデータ通り、「印象値」はさらに上、といったところだろうか。実際は能力以上の強さを感じるので満足である。


(それにマキさんは、まだ力を温存している。ユニークスキルも発動していないみたいだしな。まだまだ手加減しているってことか。将来有望な嫁ということでいいかな。さて、そろそろ終わりにしようか。あいつらが【本気】になっちまう)


 ドバンッ!!!

 アンシュラオンが持っていた銃を発射。銃弾はマキとマサゴロウに向かっていく。


「っ―――!?」


 マキがそれに気づいたのは、弾丸が自身にかなり接近してからだ。

 アンシュラオンの戦気をまとった弾丸は速度も凄まじく、通常の弾丸の三倍以上になっている。

 普通にやっていたら回避が間に合わない。


(なにこれ!? 死んじゃう!!!)


 マキは緊急回避を選択。自分の攻撃の威力で後方に吹っ飛ぶ。

 自身の技によって軽く肌が焼けたが、これによって回避が成功した。

 ガチンッ ボスッ

 弾丸はマキの篭手を掠めつつ―――マサゴロウの腹を撃ち抜く。


(なんて威力!! これが弾丸のパワーなの!?!)


 自分の紅蓮裂火拳でもマサゴロウの身体は破損にまで至っていない。

 その彼の肉体をいとも簡単に貫くのだ。どれだけの威力があるかはすぐにわかるだろう。

 自身の篭手も核剛金の術符で強化しているのに、それを簡単に抉っていくなど信じられない。


 弾丸はマサゴロウを貫き、さらに背後にあった家を貫通しながらさらに加速。


 ヒューーーンッ ドガガガガガガガガガガッ

 ガリガリガリガリ ボンッ


 最後には四キロ以上先の第一城壁にぶち当たって、壁内部を数百メートル破壊したところで自壊。あまりの衝撃に弾丸が耐えられなかったのだ。

 普通の銃弾にこんな威力はない。こんな飛距離もない。あまりに常識外れな一撃である。戦気がいかに強力な兵器かが実証された一例だ。

 マキは慌てて後ろを振り返って撃った者を捜す。視界にいないことが恐怖でしかないからだ。


「だ、誰…!? こんなことができるなんて…ありえない!! 誰なの!! 誰が撃ったの!」

「お楽しみのところ申し訳ないけど、そろそろお開きにしよう。お姉さんも、それでいいかな?」

「えっ…」


 仮面によって多少くぐもっているが、聞き覚えのある声にマキが弾けたように視線を向ける。

 そして、歩いてきた少年に目を見開く。


「え? あれ? …この声…でも…え!?」

「ヤキチ、マサゴロウ。生きているな?」


 戸惑っているマキを無視して二人に話しかけると、ゆっくりと立ち上がる。


「…当然だぁ…オヤジぃ」

「…問題…ない」

「なっ、まだ動けるなんて!? もうやめなさい!! これ以上やってどうするのよ! 死ぬ気なの!?」

「オヤジぃ、いつでも命張れるぜ!!! おれらぁよぉおお!」

「…おれもだ。…敵は殺す」


 ゾワゾワッ ゾワゾワッ

 瀕死のヤキチから、ダメージを負ったマサゴロウから、赤黒いオーラが立ち上がる。それはどんどん大きくなっていって彼らの身体に力を与える。


(なに…これ…。なんなの、この強い戦気は!! さっきとまったく違う!)


 今しがた圧倒した相手である。正直、何度やっても勝てるだろう。

 しかし、今の二人から発せられた戦気は、さきほどとはまったくの別物である。

 赤黒さはさらに禍々しくなっており、刺々しさは周囲を巻き込んで滅ぼしかねないほど凶悪。そして、何よりも重厚で濃密。


 なぜならば―――死を覚悟したから。


 彼らは裏スレイブ。死ぬために生きているような存在。その本性が目覚めたのだ。

 裏スレイブは元来が【鉄砲玉】である。使い捨ての道具だ。

 死を覚悟すれば、もう止められない。命尽きるまで戦い続ける殺戮マシンとなる。


 これは気迫の問題である。


 戦気が精神エネルギーである以上、命をかけて突撃してくる者にはそれなりの気質が宿るものだ。

 まさに特攻部隊。それを相手にするほうは、いったいどれだけの恐怖を覚えるのか。それはマキでも例外ではない。

 今やればどちらが勝つかはわからない。自身も死を賭して戦わねば生き残れないだろう。それだけの圧力である。


「そんな…どうして…! こんなに簡単に命を捨てられるの!? 正気じゃないわ!」

「くそアマがぁ。てめぇにはわからねぇよ」

「…ああ、お前を殺しておれも死ぬ。それだけのことだ」

「なんなの…あなたたちは…」

「やめておけ。ここはお前たちが死ぬステージじゃない。今日はここまでだ。帰るぞ」

「…わかった」

「…ああ」


 アンシュラオンの声を聴くと、戦気は一気に収まった。

 二人はのろのろと動きだし、歩き出したアンシュラオンの左右に付く。血がぼたぼた流れているが、まったく気にした様子もない。

 それはまさに異常な光景であった。

 二人はもちろん、それをまったく気にしない少年が特に異質である。


「ま、待って! あなたはもしかして…!!」

「オレはホワイト。ただの通りすがりだよ」

「で、でも、その声…その身体は…それにその黒い女の子も…」


 さすがマキである。もうこちらの正体に気付いているようだ。

 これでイタ嬢が「真性の痛いやつ」ということが確定。普通はわかるものなのだ。おそらく小百合もすぐにわかるだろう。


「こんなところで出会わなければ、余計なことを知らなくて済んだかもしれないね。でも、出会ってしまった。ならばこれも運命かな」

「じゃ、じゃあ、やっぱり君は…。でも、どうして!? なんでこんなことになっているの!?」

「それは話せない。話すわけにはいかないんだよ…」

「っ…!」


 その時、仮面の少年から哀しみが伝わってきた。マキとこうして敵対する関係になったことを嘆いているのだ。

 しかし、それでも彼には貫かねばならない『道』がある。背中はそう語っている。


「どうして…どうしてこんなことに…酷いわ。あまりに酷い…」

「マキさん、しょうがないんだよ。これが…運命だから」

「そんな! 私と君は…一緒に……一緒になるって…言った……から…私は…」

「哀しいね。いつだって人生ってのは上手くいかないもんだよ。そして、皮肉なもんだ。こんなに大好きなのに…戦わないといけないなんて」

「嘘よ、嘘…! 信じないわ、こんなの…嫌よ!」

「…じゃあね」

「待って、待ってよ!! おかしいわ、こんなの! どうして君が…そんなことを!」

「マキさんは、この都市を見たことがある?」

「え? …ええ、もちろん。毎日見ているわ。それが仕事だもの」

「なら、どうしてオレがこんなことをしているかわかるはずだよ」

「…え?」

「オレが撃ったもの。それが答えさ。これ以上は言えないんだ。ごめんね。…それじゃ」



 ホワイトという名前の少年は去っていく。

 黒い少女と手をつなぎ、倒れた戦罪者たちを治しながら下級街のほうに消えていった。



「………」


 マキはしばらく呆然としていた。

 彼は間違いなく自分が知っている少年と少女だ。しかしながら、その理由がわからない。

 マキもマフィアの間で不穏な動きがあることは知っている。だが、それとアンシュラオンが結びつかないのだ。


「…撃ったもの?」


 ふと最後に少年が残した言葉を思い出す。

 彼は何を撃っただろう。

 銃弾はこちらに向かってきたが、自分を狙ったわけではないようだった。では、マサゴロウと呼ばれた大男だろうか。

 いや、そんなはずはない。あの勝負は自分の勝ちだったはずだ。助けたわけでもないだろう。


 ではその後、弾丸はどこに行ったのか。



 目で―――追う。



 そこには大きな壁があった。


「第一…城壁? なんであんな場所を撃ったの?」


 弾丸は第一城壁に突き刺さっていた。その内部を大きく抉るように。

 そして、少年が去った方角を思い出す。

 彼は下級街へと向かった。あの先はきっと下層部だろう。そこには大勢の労働者が住んでいる。

 領主の施政下では捨て置かれている場所で、けっして裕福ではない場所だ。かつてマキも暮らしていたことがあるが、治安も悪く住み心地はお世辞にも良くはない。


 では、銃弾が突き刺さった先の場所はどうだろう。


 あの壁、第一城壁の中は上級街。この都市でもっとも裕福な人間たちが暮らす場所だ。

 すべてが贅沢をしているわけではないが、下級街の下層部とはそもそも比べられない。そこに銃を撃ち込むということは、【反逆の意思】を示すようなものである。

 だが、それだけではなぜ彼がグラス・ギースという都市に対して反逆するのかがわからない。

 そこでもう一つの手がかりがある。


 ホワイトという名前である。


 東門で警備をやっていると、外から来た人間に「ホワイト先生はどこにおられるのか?」という質問を受けることがある。

 マキはよく知らないので逆に訊くと「無料で治してくれる高名な医者がいると聞いてやってきた」と言うではないか。

 さらに訊くと、その人物は弱い人々を中心に活動しているらしい。金持ちからは金を取るが、弱者からは取らない奇特な医者だと。取ったとしても分け隔てなく小額であると。

 もし「ホワイト=アンシュラオン」という図式が完成するのならば―――

 そこでマキは、はっとする。


「アンシュラオン君…あなたはまさか…。でも、それしか考えられない。君は…まさか……そうなのね。弱い人々のために…その手を汚すというの?」


 彼は「都市を見たことがあるか?」と言った。

 領主軍に入ってからのマキは、毎日都市にいる。が、都市を見ていない。

 見ているのは門の外ばかり。自分の仕事は外部から敵が入らないように見張ることだけ。

 それは素晴らしい仕事だが、中で何が起こり、どうなっているのかは知らないのだ。いや、見て見ぬふりをしているにすぎない。

 下級街にはあんなに困った人が大勢いるのに、貧困街と呼ばれる場所の存在もうっすら知っているのに、領主軍だからといって手助けすることもせずに、ただ門の外を見ているだけ。


 だから、すれ違ったのだろう。


 愛しい彼と、彼の求めるものが見えなかったから。


「アンシュラオン君…私、どうすればいいの?」


 マキは、がくっと膝をついてうな垂れた。

 結婚を誓った相手とのまさかの対立に打ちひしがれている。しかも正しいのは、向こうのほう。自分が領主軍にいる限り、彼とは相容れないのだ。

 前に「領主軍なんて辞めるわ」とも言ったが、それが簡単でないこともわかっている。

 愛と正義と責務の前にマキは苦しむこととなるのであった。

 ここにシャイナがいれば、「大きな誤解です!! あの人はそんな人じゃありません!!!」と言えるのだろうが、残念ながら彼女の思い込みを正す者はどこにもいなかった。




258話 「四大会議 前編」


 グラス・ギースには、【四大会議】というものがある。

 都市の方向性を決める重要な会議であり、マングラス、ジングラス、ハングラス、ラングラスのグラス・マンサーの中でも「四大市民」と呼ばれるトップ4が集まって行われるものだ。

 これは一年程度を目安に開催されることが多いが、行われる年もあれば行われない年もあるなど実際は不定期である。

 会議が行われた後に特に通達はないものの、各勢力から新しい指針が発表されるため、一般構成員たちはそれをもって「ああ、会議があったのか」と知ることができる。それに対して特に不満はない。

 所詮、自分たちには関係ないトップ同士の会談だ。そこで何があろうと口を挟める身分でもない。ただ示された指針に従って動けばいいのだ。

 しかし、今回の会議には多くの者たちが注目していた。そこで必ず何かが起こると知っていたからだ。




 ウィイーーン

 目の前の扉が開き、彼女はその部屋に入る。


(ふむ、何度来ても不思議な場所だね)


 その女性、プライリーラの目に映るのは、直径二百メートルほどのドーム状の空間であった。

 床は美しい幾何学的な紋様が浮かんだ大理石のようなものに見えるが、どこにも切れ目がない。

 波動円で探ってみても内部は隙間のない単一の物質によって構成されていることがわかる。

 その硬度から考えても、コンクリートのように液体状のものを固めて作られたわけではないのだろう。一つの巨大な石を磨いて、その上に部屋が造られたような印象だ。

 それは壁も同じだ。完璧な円形に沿って継ぎ目なく張られており、一ミリの狂いもなく床から天井にまで伸びて、高さ二十メートルというドームを形成している。

 天井に目を向ければ、ひし形の大きなジュエルが眩い光を発していた。その光量は多く、まるでここが太陽に晒された地上であるかのように錯覚するほどだ。


 再び視線を前に戻すと、ドーム状の部屋の中央には円形のテーブルと『五つの椅子』が用意されている。


 プライリーラはそこに向かうが、進路は一つしか存在しない。彼女が目指すのは自分に与えられた椅子だけである。

 なぜならば、この部屋は巨大な場所に見えて、実は「一本道」なのである。

 こう言うと不思議な感覚がするが、彼女が入ってきた扉から椅子には真っ直ぐな道だけが用意されており、他のスペースに移動することはできない。

 そこには透明の強固な壁があり、それ以上進めなくなっているからだ。

 この透明の壁はプライリーラが本気で殴ってもビクともしない素材で作られている。実際、一度試したことがあるので間違いない。

 雰囲気からすると何かしらの術式がかけられているようで、『物理無効』のように物理攻撃を完全に遮断する仕組みになっているようだ。


 プライリーラが素直に道なりに歩くと、それに合わせて「シャンシャン」といった鈴のような音が響き、突如として花が咲き乱れる。

 大理石があった床にいきなり緑の大地が生まれ、真っ白な花が咲き、風に揺れている。

 いきなり植物が生まれるわけがないので「ホログラム」であろうが、どこからか吹いてくる風に乗って香りまで感じるので、上部の光も相まって現実の野原かと思ってしまうほどだ。


(なんと不可思議な光景だ。ここはどこなのだろうね。少なくとも地上ではなさそうだが…では、地下かな? もしそうだとしても誰がここを管理しているのだろうか。この床もそうだが、さきほど入ってきた扉も明らかに現代のグラス・ギースの技術を凌駕している。過去の遺物と言われれば納得するしかないが…)


 プライリーラが入ってきた扉は「自動扉」である。

 アンシュラオンがいる高級ホテルのエレベーターなど、一部で自動扉も使われているが、木製のチャチな造りである。正直、玩具のようなものだ。

 しかし、ここの扉は何の軋みもなく自然に開くうえに、壁同様にプライリーラが壊せない強固な素材で作られている。違う技術体系にあるのは明らかだ。

 頭上で光を発している『磨かれたジュエル』も巨大で、完成段階でデアンカ・ギースの心臓よりも大きいことから、原石はその数倍の大きさであったことがうかがえる。

 それだけの原石を地下から発掘、あるいは同程度の心臓を持つ魔獣を倒すことがいかに難しいかを彼女は知っている。

 おそらく高位の撃滅級魔獣の心臓をほぼ一撃で正確にくり貫かないと、この質のジュエルは手に入らない。

 事実、覇王流星掌で倒したデアンカ・ギースの心臓はボロボロになっていた。相手も必死に抵抗するので、心臓だけを一撃でくり貫くのは神業に等しい。

 このジュエルを売りに出せれば、小規模国家の一つや二つは軽く買えるほどの財力を得ることができるだろう。

 足元のホログラムの技術にしても異様すぎる。西側文明にもこのような技術は存在しないはずだ。


(千年前はこれほどの技術が栄えていたというのだろうか? だが、いくら大災厄が起こったとはいえ、たかだか千年でこれほど『荒廃』するものかな? ならば、前文明の遺産? そのほうがしっくりくるが…ではなぜ、それがここにあり、我々が利用しているかがわからないな)


 プライリーラも、この空間については何も知らない。

 知っているのは、ここが千年前にこの都市を築いた初代の【五英雄】たちが遺したものであるということと、代々ジングラス当主がこの道に至る場所を管理していること。

 そして、その『鍵』を自分が所有していることくらいだ。

 しかもその鍵とは「血」であり「因子」なので、特段隠す必要もない。ここに入る前に自動的に検査され、ジングラスの血筋の人間だけが入れるようになっている。


 その後、ここに『転移』するのだ。


 転移そのものはプライリーラも何度か経験しており、術の中にもそうしたものがあるとは知っているが、改めて考えると凄まじい技術である。

 問題はそれをグラス・マンサーが使っていることだ。これほどの技術があれば、もっとこの都市は栄えていてもおかしくはない。

 だが知っての通り、現在のグラス・ギースはお世辞にも優れた都市とはいえない。文化レベルは西側には遠く及ばず、東側でも中型都市以下といったところだろう。

 そうでありながら、自分がここにいる。そのことに強烈な違和感を感じてならないのだ。



「リーラ様、いかがなされました? ご気分が優れませんか?」


 後ろから執事のアーブスラットの声がする。

 ここに入れるのは当主だけとなっているが、一緒に入ってくれば同時転移が可能であるので、一人だけ選んで帯同させることが許されている。

 これによって誰が一番当主の信頼を受けているかがわかるため、選ばれる側としてはそれだけで名誉となる。

 プライリーラが選ぶのは当然ながらアーブスラット。赤子の頃から自分を守ってくれていたのだ。もはや家族も同然である。

 そんな信頼できる彼に向かって、プライリーラは笑顔を浮かべる。


「いや、不思議な場所だと思ってね。ここに来たのは三回目だが、いまだに慣れないよ」

「それは同感です。私もログラス様のお付きで何回も来ておりますが、この雰囲気には慣れません」

「ここは何だと思う? 都市とは明らかに違う場所だと思うのだが」

「さて、面妖な場所であることはわかりますが…それ以上のことはわかりませぬな。四大会議以外では訪れることもありませんので」

「ふむ、爺でも知らないか…」


 プライリーラの元に【召集状】が届いたのは昨日のことだ。そこには四大会議を行う旨が書かれていた。

 差出人の名前はない。これもいつも通りだ。だが、やはり違和感は残る。


(『召集』とは、上位者が下位の存在に対して送るものだ。では、いったい誰がこれを送っているのだろう? 領主名義ならば頷けるのだが…仮にも私はジングラスのトップだ。その立場の人間に対して『命令』ができる者がこの都市にいるのだろうか?)


 通常、会議を開く際は『招集』という文字が使われる。これには『対等の者同士』という意味合いがあるので、これが一般的な物言いといえる。

 だが、届くのは必ず【召集状】である。

 日本ではこれを使えるのは天皇のみとなっており、この世界においても意味合いは同じだ。その国あるいは都市のトップが下々の者に命令して集めるという意味で使われる。

 この文言を使う以上、誰かが命令して自分たちを集めたということになるが、差出人の名前がないので誰かはわからない。

 普通に考えれば領主なのだろうが、彼はそれなりに自尊心が強い男なので、領主という名をアピールしないのはおかしい。

 同時にグラス・ギースでは、「領主=最高権力者」ではない。

 彼もグラス・マンサーの一人であり、四大市民とは区切られているが、立場上はそう変わりはない。あくまで対外的な側面として領主という地位に就いているにすぎない。

 その彼が四大市民に対して尊大な口調で命令をするのは、いささか無理があるし腑に落ちない。仮に四大勢力が反発すれば、領主の地位も安泰ではないのだ。

 少し辛辣な言い方だが、プライリーラは領主のことを保身を最優先にする小心者だと思っている。普段の物言いはともかく、自ら破滅を選ぶような人間ではない。よって、差出人は彼ではないと考えていた。

 この点についてアーブスラットに訊いてみたが、彼もそれを意識したことがなかったそうだ。不思議そうに首を傾げていた。

 長年この都市にいる者ほど違和感を違和感として認識しないものらしい。



(まあいい。これがこの都市の慣習というのならば受け入れよう。今は目の前のことに集中すべきだろう。もう揃っているようだからね)


 視線の先では、すでに先着していた他の三名が椅子に座っていた。


 プライリーラはジングラスなので「西」の扉から入ってきた。よって、座るのは西側の椅子である。

 その西から見て左側、北側に座っているのは、髪をオールバックにまとめた四角メガネをかけた中年の男。

 ひょろっとした痩せ型で身なりも良いので、ぱっとみれば紳士然としたそこそこ格好の良い男性である。

 ただ、頬骨が浮かぶ顔にはぎょろっとした大きな目が付いており、いつも眉間にシワを寄せた表情を浮かべているので、せっかくの小奇麗さを活かしきれていない印象を受ける。


 彼はゼイシル・ハングラス。


 一般物資を担当するハングラスの現当主で、おそらく個人資産では第一位の「長者」と呼ぶに相応しい人物だろう。

 ちなみに独身である。もっと笑顔でいれば、もう少しは婦女子からの人気も出るだろうにとプライリーラは常々思っている。いろいろと惜しい男だ。


(今回は護衛がいないようだね。少し寂しくもあるかな)


 前年までは後ろにグランハムが控えていたものだが、残念ながら死んでしまったので、今回ゼイシルは一人で座っている。

 それはつまり彼の周囲には「武と忠節の側面で」信用が置ける者がいないことを示していた。

 ハングラスのダメージは思ったより大きいのだろう。彼は商人なので資源は何とでもなるが、特に人材面が枯渇していることがうかがえる。

 神経質でデリケートな性格であるため、いきなり代役として他人を信用することもできなかったのだろう。

 疑り深いことは慎重と言い換えることもできるが、こういうときは不便である。そんな彼が少しだけ哀れにさえ思えた。


 ゼイシルの左側にも一つ椅子がある。しかし、ここは常時空席だ。

 実は四大会議は、本来は「五大会議」と呼ばれており、ここに領主のディングラス家を加えた五つの勢力で話し合うことが初代よりの慣習であったという。

 だが、城塞都市になってからグラス・マンサーの利益配分が明確化され、領主は市政に関わらない「市政不干渉」を打ち出す代わりに、もっとも重要な不動産と軍事力を担当することになった。

 領主が都市の改革に積極的でない理由がこれだ。

 他の四大市民の利権を侵さないために干渉を控え、中立の立場で監視することで治安を維持してきたのだ。

 これによって領主は外部からの敵対勢力にだけ目を向けていればよく、なおかつ何もしないで普段の生活は安定するというメリットを得た。

 同時に新しい政策に着手しづらいというデメリットも受けたが、そこは四大会議で勝手にやってくれるので、違う見方をすればメリットであるともいえる。

 その契約に基づき領主のアニル・ディングラスは出席しておらず、現在は空席というわけだ。



 今度は正面を向く。西の正面なので東側だ。


(…普通にやってきたようだね。その胆力は見事だ)


 そこには少し小太りの初老の男性が、汗を掻きながら座っていた。

 ここは寒くも暑くもない温度調整がなされているので汗など掻きようがないが、彼が流している汗は違うものなのだろう。


 彼の名前は、ムーバ・ラングラス。


 現当主ツーバ・ラングラスの息子であり、病気がちな父親の代理にラングラスを治めている男だ。

 プライリーラはラングラスの事情には詳しくないので憶測で判断するのは危険だが、ムーバという男はあまりリーダーとして資質を感じない凡庸な男に見える。

 父親のツーバが豪胆さで皆を引っ張る「親分」といった性格だったのに対して、彼は静かに物事を進める補佐役が向いている調停タイプだろう。

 それゆえにプライリーラが褒めた人物は彼ではない。

 その人物は、ムーバの斜め後ろに控えている大男、護衛としてやってきたソイドダディーである。

 今回の騒動の渦中の人物の一人でもあるので、さきほどからずっとゼイシルにも睨まれているが、それに対してまったく動じていない。

 かといって睨み返すこともなく、ただただ静かに視線を受け入れている。自分の身分と立場を受け入れながらも、自己に自信がある者の振る舞いだ。


(…これはシロかな。もしこれで確信犯ならば相当な切れ者であり、一番怖ろしい相手ということになるが…その可能性は低そうだ)


 平気で嘘をつけるようになったら人間としておしまいだ。

 いや、そこまで人を騙せるようになるのならばたいしたものだ。アンシュラオンやソブカなどは、この「たいした輩」に該当するのだろう。

 息をするかのように平気で嘘をつくのだ。普通はそんなことはできないし、ソイドダディーもそれができるような性格ではないと思っている。

 この態度から、少なくともダディーは今回の騒動とは無関係そうだ。

 が、それで納得するほどゼイシルも甘くはない。この後、ひと悶着があるのは間違いない。



(それにしても…意外だな。まさか【あの御仁】がいるとは)


 今日一番プライリーラが驚いたことは、この部屋のことでもソイドダディーのことでもない。

 彼女から見て右側、西の右側なので南側。


 そこに一人の老人がいた。


 プライリーラが視線を向けると、ニコニコとした笑顔を返す好々爺である。

 見た目はかなりしわくちゃで背も小さく、尖った耳と緑色の肌が特徴的な老人だ。なるほど、たしかに亜人だと言われても不思議ではない容姿をしている。

 もし彼が西洋ファンタジーの世界に紛れ込んだら、ゴブリンだと間違われて攻撃されそうだ。

 その後ろ隣には、金刺繍で龍が装飾された青い武術服を着た美青年がいた。

 長い三つ編みの黒髪、端正な顔立ちは、それだけ見れば女性のようにさえ見えるが、身体は服の上からでも筋肉質なのがわかるほど盛り上がっており、日々鍛えていることがうかがえる。

 年齢は二十代半ばに見えるものの、それを信じてはいけない。

 プライリーラが子供の頃から、彼はそのままの姿なのだ。アーブスラットから聞いた話でも、何十年も前に彼がグラス・ギースにやってきた頃からあのままという謎の人物である。

 彼の名前はセイリュウ。マングラス最強の武人の一人だ。

 手合わせの経験はないため実力の程はわからないが、こうして立っているだけでも静かな圧力を感じるので只者ではないだろう。

 その彼を従えられる人物は一人しかいない。


 この老人こそ、グマシカ・マングラスである。


 アンシュラオンがずっと捜している人物であり、最大勢力であるマングラスのトップだ。




259話 「四大会議 中編」


(まさか出てくるとは思わなかったな。私がジングラス総裁になってからは初めてだ。それだけ今回の会議が大事だということだろうか?)


 今まで総裁として二回、子供の頃に父親に連れられて一度出席しているが、グマシカは会議に来なかった。

 会議に来ないことは褒められたものではないが、それによって大きな不利益を受けるわけではない。

 マングラス自体は都市の運営がどうあれ、人が住むだけで利益が生まれるので、「あとは好きにやっていい」という意思表示でもあるからだ。

 また、最大勢力であるマングラスに対して意図的に不利な政策を展開すれば、後々報復を受ける可能性がある。そんな馬鹿なことをする者はグラス・マンサーにはいない。

 よって、プライリーラが総裁として出席した際は、ハングラスとラングラスの両者と軽い都市運営の方向性について話し合っただけで終わったものだ。

 グマシカがわざわざ出てくるほどの議題もなかったので、いないのも仕方ないと思っていた。

 そんなグマシカが今回に限って出てくる。これだけでも異常事態だ。


(グマシカ氏が出てくるほどの切迫した事態というわけか。…いや、決め付けは危険だな。マングラス側の意図をしっかりと把握しないといけない。我々は身内ではあるが、都市内部の勢力図が変わりつつあるのは事実。仲良しごっこだけで生きているわけではないからね)


 ソブカが食糧輸入でジングラスと揉めた際、相手側に非常に強い拒否反応が出ていたことは記憶に新しい。

 たしかにグラス・マンサー同士で利益配分がなされているが、権力闘争はどこにでもあるものだ。

 誰だって自分が優位に立ちたいと思うものである。アンシュラオンほど支配欲が強い人間はそこまで多くはないが、組織を運営する者ならば主導権を握りたいと考える。


(総裁という立場は重荷だが、私もこの都市を少しでも良くしたいと思っている。他の面々だってそうだろう。あとは【やり方】の問題だが…正直、今の支配体制は好きではないな。領主とグマシカ氏のコンビでは変化がないし、過去の慣習ばかりが目立つ。彼がさらに支配力を強めるようなことだけは避けねばならないだろう)


 マングラスの力は強い。商会一つ新しく立ち上げるのにも、レブファトのような監査官のチェックが必要になる。これはとてつもない権力である。

 ジングラスとマングラスの間には、まだまだ大きな開きがある。現状でもそうなのだから、これ以上離されるわけにはいかないのだ。




「皆の衆、そろそろ四大会議を始めたいが、よろしいかな? 時間が惜しいからね」


 しばらく続いた沈黙を破ったのは、少し苛立った声のゼイシルである。

 この会議に進行役は存在しない。勢力間の実質的な序列は存在しても形式的には平等なのだ。何か議題を持っている人間が自由に発言することができる。

 ただ、近年ではゼイシルがその役どころに収まることが多かった。

 金にうるさくセコい面は多々見受けられるが、事務処理に長けていて論理的な思考で結論を出すので司会には適任であろう。

 一番の長所は、嘘をつかないこと。

 そこはさすが商人。信頼が命の世界で生きる者の資質だろうか。人間としては、ソブカなどよりも何倍も信頼できる人物である。


「…異論はないようだね。では、始めさせてもらう」


 そんな彼も今回だけは冷静さを失っているようだ。

 真っ先に敵意を向けたのは、当然ながらラングラスに対してであった。


「さっそくだがムーバ殿、よろしいかな?」

「は、はい。何でしょう?」

「私が何を言いたいか、すでにご理解されていると思うが、いかがかな? 何か心当たりはないだろうか? 他者から指摘されずとも、ご自分の胸に引っかかるものはないのですかな?」


 ゼイシルにしては棘のある言い方である。

 普段の彼ならば、こんな嫌味な言動はしない。それだけ腹に据えかねているということだろう。


「そ、それはその…なんと申しますかな。此度のことは誠に遺憾であり、当方としても不本意であると申しますか…今後二度とこのようなことがないように励む所存であります」


 いきなり敵意を向けられたムーバは焦ったのか、政治家のような弁明を始めた。

 その姿は、責任を押し付けられた政務報道官のようで滑稽である。


「まるで他人事のような言い方ですね。貴殿の言葉には我々に対する誠意がまるで見られないのですが、どういう腹積もりでいらっしゃるのですかな?」

「そ、そのようなことは…。我々に他意はまったくありません。ほ、本当です」

「なるほど。ならば改めて今回の一件について詳細を伺いたいものですな」

「詳細とおっしゃられても…こちらも詳しいことは何もわからず…」

「ムーバ殿、そんな言い訳は通じませんよ! 我々がどれだけ損害を受けたか、ご存知ですか? 知らないのならば教えて差し上げましょうか! すでにあなた方ラングラスの年間総売り上げに匹敵する額には到達していますぞ!」

「そ、そこまで…」

「ええ、そこまでいっているのですよ。まったくもって大赤字だ!」


 倉庫のジュエルの損失がかなり痛い。

 この世界では何をやるにもジュエルが必要とされる。地球でいえば、電力や化石燃料のすべてをジュエルでまかなっているようなものだ。

 アンシュラオンが奪ったジュエル総量は、年間消費量の四か月分。

 都市なので国家と比べると小さな消費量だが、それらを一手にハングラスという「個人商人」が支えていることを思うと非常に手痛い打撃である。


「我々がいかに苦労してジュエルを輸入しているかご存知ですかな? ただでさえ値が釣り上がっているのです。転売に転売を繰り返してようやく資金を作り、かろうじて利益を出しているのが現状です。損失分は在庫を切り崩して間に合わせておりますが、これは後々必ず響いてきます。よろしいですか、これは都市全体の問題なのですよ!」


 グラス・ギースの資源は乏しい。特にジュエル産業は壊滅的だ。

 いかんせん鉱脈がなければどうにもならない。それを調査しようにも魔獣が邪魔をする。では、魔獣ジュエルはどうかといえば、討滅級以上でないと心臓が結晶化しないので、これまた鉱脈探しより難しい。

 そうなると外部から仕入れるしかないが、情勢や交渉次第で値段が変動するのが常だ。近年は南地域の不安定化によって価格も上昇しつつある。

 さらにグラス・ギースは辺境都市なので、足元を見られれば一気に価格は釣り上がるに違いない。

 ゼイシルがぐっと我慢して備蓄を切り崩しているからよいものの、一気に輸入を増やそうものならば、何かあったと勘ぐられて値を釣り上げてくるかもしれない。


「私はグラス・マンサーとして、堅実に生きてきたつもりです。このような仕打ちを受ける道理も筋合いもないはずだ。そのあたりをどうお考えなのですか?」

「そ、それは…お気の毒に…。災難でしたな…」

「っ!!」


 タンッ

 その言葉に思わずゼイシルがテーブルを叩く。

 このテーブルの素材も謎の物質で出来ており、なおかつ彼自身が武人ではないこともあって非常に軽い音だけが響く結果となった。

 だが、音と内容が同じとは限らない。そこに宿った感情がどれほどのものかは、彼の表情を見ればすぐにわかる。



(やれやれ、最初から波乱だな。まるで噛み合っていない。壁がなかったら殴り合いになっているかもしれないよ)


 プライリーラは溜息を漏らしながら、椅子に深く座り直す。

 ムーバに他意はない。ただ当人が思ったことを言っただけだ。

 されど、思ったことを言ってよい立場でないことも認識するべきだ。仮にも相手が敵意を向けている場合は、特に注意すべきだろう。彼はそういったあたりの配慮が抜けている。


「ふーー、ふーー!! 物資などはどうでもいいのです。そんなもの、私の手腕があればどうとでもできる。ですが、失った部下は戻ってこない! 数少ない信頼できる部下を失った気持ちくらいは、あなたでもご理解できるはずでしょう! 今日私は一人でやってきた。好きでそうしたのではありませんよ!」

「………」


 この言葉には、さすがのムーバも黙る。

 が、黙ったら黙ったで貝のように閉じこもってしまうので話が進まなくなる。


(仕方ない。火中の栗は拾いたくないのだが…)


「ゼイシル氏、少し落ち着いたらどうだろうか。ムーバ氏だけを責めても何も始まらない」

「プライリーラ嬢、あなたはムーバ殿に味方するのか!!」

「敵味方で区別するのは危険なやり方ではないだろうか。物事にはいろいろな考え方があるものだ」

「そんな一般論を話しているのではない! 現実的な損害についての認識が不十分だと言っているのだ!」

「損害ならば我々も受けている。さすがにあなたほどではないが、こちらも都市の食糧事情に影響が出るほどの被害額だよ」

「では、貴殿もラングラスに責任を追及すべきだと考えているのではないか?」

「そのあたりがはっきりしなければ話が進まないと言いたいのだ。まだラングラスがどう関わっているのかは明確ではないからね」

「明確であろう! すでに議論の余地はない!」

「ゼイシル氏、ここはその議論をするための場所のはずだよ。議論なき結論は危険だ。特にグラス・ギースのような小さな都市ではね。我々四大市民の責務は、他の市民の代わりに最後まで話し合うことではないかな。今までそうやってきたと聞いているし、それは正しいと思うよ」

「追及はしないというのかね? 見逃すと!?」

「それは話を聞いてからで遅くはないだろう。だが、普段は一番冷静なはずのあなたがその調子では困る。そういうことを言いたかっただけだ。少なくとも私はあなたが被害者だと思っている。それに異論を挟むつもりはないし、加害者がはっきりしているのだから焦ることはないだろう。どうせ逃げも隠れもできない」

「………」

「私はグラス・マンサーとしてのあなたの功績を十分知っている。父上からも聞かされている。グランハムは私も認める実力者だった。…惜しい人物を亡くした。きっと私もアーブスラットを失ったら、怒りと哀しみでどうにかなってしまうだろう。あなたが冷静でないのは自然なことだ。ただ、そのうえで四大市民としての働きを期待したい。そう思うのは重荷だろうか?」

「………」


 プライリーラが、じっとゼイシルを見つめる。

 その目に宿るのは、理解と共感である。


「…ふぅ」


 一度、ゼイシルが深呼吸。

 この部屋に漂う優しく甘い花の香りが鼻腔に広がり、心にわずかばかりの安心感を与えてくれる。


「…ふん。たしかに四大市民としての振る舞いではなかったな。少々感情的になってしまったようだ」

「怒りもまた人間の正常な感情だ。私は嫌いじゃないよ」

「…許すわけではない。そこは勘違いしないでほしい」


 そう言って、握った拳を放す。

 彼の怒りは相当なもので、手の平に爪の跡がはっきりと残るほどであった。それでもすんでのところで自身の制御に成功したようだ。


(ゼイシル氏は、グラス・マンサーとしてのプライドが強い御仁だ。そこを引き合いに出せば下がる可能性はあった。ただ、こんな小娘に言われて激高しないのはさすがだな)


 年下の小娘に指摘されて逆に怒る可能性もあったが、上手くいったようだ。

 ゼイシルは自分がハングラスの血族であることに誇りを持っている。現在のグラス・ギースの安定ぶりを思えば、それに見合う分だけの働きも貢献もしているといえるだろう。

 閉鎖空間である城塞都市である以上、内部の物資管理は非常に大切である。

 経済を回しながらも暴走しないように制御するのは並大抵のことではない。敏腕商人の彼がいなければ、到底やりくりはできなかっただろう。

 もともとハングラスは優秀な経済適性を持つ人材を輩出する家系であるが、無能が生まれないわけでもない。

 その意味で言えば、彼がこの時代に生まれていたのはグラス・ギースにとっては間違いなくプラス材料である。


 そして、彼が落ち着いた理由はもう一つある。


(前々から思っていたが、ここの香りがそうさせるのかもしれないな。うむ、いい匂いだ)


 プライリーラも感じているこの花の香り。何の花かは不明だが、これにはわずかながら感情を抑制させる効果があるように思える。

 この部屋を作った何者かは、互いが落ち着いて話し合える環境を目指していたのだろう。

 四者は顔を付き合わせつつ実際は透明の壁で触れられないことも、感情を落ち着けるための配慮だと思われる。

 ここで相手に届き効果を発するのは、唯一「言葉のみ」ということだ。あるいは態度や仕草もそうかもしれないが。



「あー、ゼイシルはんが言うとるのは…その、なんちゅったかの…ホワイトシチューとかそういうやつのことかな?」


 ここで今まで成り行きを見守っていたグマシカが動いた。

 重鎮の発言に、一斉に視線が集中する。


「グマシカ老、ホワイト商会です」

「そうそう、そのホワイトなんちゃらっちゅーやつじゃな。詳しゅーことは知らないでな。そのへん、教えてもらえんかの」

「マングラスにも被害は出ているはずです。ご存知ないのですか?」

「まー、聞いとるよ。ただのぉ、半分隠居してる身じゃしな。よーわからんところもあるわけじゃ。もしかしたら聞いたかもしれんが忘れてしもうたよ。すまんな。もう一度、この老いぼれに教えてもらえんかの」

「わかりました。ホワイト商会はラングラス一派の商会で…」

「ちょっとちょっと、それは誤解です。こちらとは無関係でありまして…」

「ムーバ殿、口を挟まないでいただこう!」

「ひぅっ、も、申し訳ありません…」


 それから軽くゼイシルがホワイト商会について説明する。

 その内容に特におかしなところはない。今までの経緯を「ハングラス側の視点から述べた」点以外は。

 彼らの言い分はとても簡潔だ。「突然、一方的に襲撃を受けた」、この言葉だけで事足りる。


(こうして聞くとハングラスは完全に被害者だな。事実そうなのだろうが…このことに若干の違和感も覚えるな。被害の甚大さから考えると意図的にハングラスを攻撃したような印象を受ける)


 ジングラスの被害もそれなりのものだが、死者数を考えればハングラスが圧倒的に被害を受けている。

 先日のパニックナイトで襲われたマフィアも、半分はハングラスの組織である。こうなると意図的だと考えるのが自然だ。


(ゼイシル氏の性格を知っていたから狙った…。あるいは一番狙いやすかった…。どちらもありえる。結果は見ての通りだし、食料品よりも一般物資のほうが都市に与えるダメージは少ない。なるほど、ソブカ氏が動くわけだ。これでホワイト氏とソブカ氏がつながっているのは、ほぼ確定か)


 最初から想定していた可能性ではあるが、こうして客観的に他人の意見を聞いてみれば、さして難しい話ではない。

 プライリーラは、ここでソブカの「クロ」を確信した。




260話 「四大会議 後編」


(ソブカ氏も都市の体制には不満を持っている。そこでホワイト氏を利用することを思いついたのかな。それとも逆か…。どちらにせよ都市の内情について入れ知恵をしているのは間違いないだろう。そうでなければハングラスを襲う理由がない。襲った組の場所も余所者には簡単には調べられないはずだ)


 アンシュラオンは簡単にマフィアの組を襲っているが、それもソブカからの情報提供があるからである。

 余所者が慣れない都市の派閥や内情まで知っているのはおかしなことだ。これも少し考えればわかることである。

 そして、ハングラスを重点的に攻めたのも、当然ながらソブカの立案だろう。

 この中で一番攻撃しやすく行動も読みやすい人物を狙ったのだ。


(ふふ、なかなかやるものだ。私の夫になるのならば、それくらいでなくてはいかんな。野心なき男などはつまらないものだしね。…だが、どこまでやるかはわからないな。彼は今まで大きな動きは起こさなかった。その彼がいきなり大胆な行動に出るのも不思議なものだ。このあたりは不確定なところも多い。今のところ確証もないし、誰かに話す道理もない。このまま黙っていたほうがよさそうだ)


 グラス・マンサーとしての責務を果たすのならば、ここでソブカのクロを公表すべきだろう。

 その場合はラングラスが窮地に陥るが、都市全体の秩序という意味合いでは正しい行為だ。犯罪行為を見て通報するのは「市民の義務」でもある。

 しかし、プライリーラは黙っていた。

 あくまで確信であって確証ではない。さきほどゼイシルを諌めたように、物証もない憶測で話すことは非常に危険である。

 ただし、彼女が黙っている最大の理由は別のところにある。




「というわけです。ご理解いただけましたかな?」

「なるほどなるほど、こりゃたしかに困ったもんだの。ゼイシルはんは、ほんに災難というしかないの」

「人為的なものである以上、ただの災いで終わらすつもりはありません。ラングラスには相応の報いを受けてもらいます」

「お、お待ちください。さきほど申し上げた通り、我々とは無関係なのです。グマシカ様、どうぞお話だけでも聞いていただけませんか」

「ムーバ殿、見苦しいにも程がありますぞ!」

「で、ですが、このままでは…」

「まぁまぁ、ゼイシルはん、話くらい聞いてやってもいいんじゃないかの。ほれ、お嬢ちゃんも言っておったじゃろう。それぞれの意見があるとな。何をするにせぇ、両者の話は聞かんとな」

「…グマシカ老がそうおっしゃるのならば…致し方ありませんな」

「ふぅ…助かった…」


(あまりいい流れではないな)


 ムーバがグマシカに泣きついたため、場の主導権が老人に流れつつあった。

 ゼイシルもマングラスのトップの意見をむげにはできない。ここは聞き入れるしかないだろう。

 彼のミスは最初に感情的になったことだ。言いたいことがあるのは悪いことではないが、しゃべることに夢中になりすぎると場の掌握ができなくなる。

 それによって自ら先導者としての機会を失ってしまった。主張はできても、最後はグマシカが収める形になると厄介だ。

 だが、それを引き寄せたのはグマシカ自身である。


(これほど明朗にしゃべるのだ。もうろくしているとは思えない。マングラスがこの一件に関して知らないわけがないし、さきほどの会話もボケたふりをして、この流れを作り出そうとしたのだろう。…食えない御仁だ)


 長年マングラスのトップにいるということは、海千山千のやり手の人材を取りまとめるということである。

 すでにマングラスは地盤を確固たるものにしているが、それだけでトップが務まるとも思えない。

 特に彼らは人間を管理するのだ。人心掌握術や腹芸もお手の物だろう。



 そして、再びゼイシルとムーバのやり取りが始まる。


「それでですな、我々ラングラスとしては、ホワイト商会というものを一派として数えておりません。あくまで独立した商会と思っていただけると助かります、はい」

「だから、彼らがやることとは無関係だと?」

「ええ、まあ、そういうわけです」

「その説明は何度も聞いておりますが、説得力がありませんな」

「じ、事実なのですから仕方ありません。なぁ、ソイド?」

「はい、嘘偽りはありません」

「ソイドダディー、君は黙っていたまえ。正直に申し上げて、君たちのことを強く疑っている。何を言われても疑いの気持ちしか湧かない。君だって家族を殺されたら相手の言い分なんて聞きたくもないだろう? それと同じだ」

「………」


 ソイドダディーは黙る。

 この場はあくまで四大市民の会議であり、彼は護衛でしかない。


「で、ですが、こちらの弁を信じてもらわない限り、どのような言葉も無意味になってしまいます…グマシカ様も話し合うようにと言われたことですし、ここはどうか…」

「ふん、話し合うのは結構。しかしながら、私にとって追及の場になることは同じです。そもそも今回の騒動は、ラングラス全体がグルなのではないですかな?」

「な、何をおっしゃいますか! 何を根拠に!」

「では、お訊ねするが、なぜホワイト商会はラングラスの組織を狙わないのですかな? ハングラスがこれほど被害を受けているのにもかかわらず、あなたがたは無傷だ。この矛盾をどう説明するのですか?」

「それは…わかりかねますな…なにせ無関係な組織ですから…」

「その言い訳が通用しないことは、最初のやり取りであなたも理解したでしょう。同じことを繰り返すのは無意味で何の利益も出しません。それ以外の明確な答えを知りたいものですね」

「………」

「答えられないのならば、私が申し上げましょうか。近年、ラングラスの業績は悪化の一途を辿っている。このままでは四大市民としての権威も発言権も失いかねない。だから他の派閥に損害を与えて足を引っ張ろうとした。そう考えるのが妥当です」

「そんな馬鹿な!! それこそ何の利益もないことではないですか! いくらゼイシルさんといえど、それはあまりに酷い暴論ですぞ!」

「ムキになるのが怪しく見えますな。余所者を使えば足がつかないと思ったのでは?」

「もしそれをやるのならば、まったく関係ない連中を雇いますよ! わざわざ足がつくようなことはいたしません!」

「詐欺師というものは、あえて自らに少しばかりの疑いを向けさせるものです。そのほうが疑われないですからね」

「言いがかりだ! 少しどころか完全に疑われてしまうではありませんか!」


(これは答えが出ないだろうな)


 この討論はプライリーラもソブカとしている。

 ソブカはその頭脳と機転から明瞭に答えて見せたが、どのみち答えは出ない論争だろう。言い訳はいくらでもできる。

 ただしハングラス側は被害者なので、ラングラスがシロとは絶対に思えない。どんな弁明だって裏があるように感じられるのだ。

 それだけゼイシルの怒りが強いということだ。彼自身もそうだし、彼が率いる何千という部下もそうだ。

 ここで「では、穏便に済ませましょうか」などと言ったら、彼のハングラス内部での立場が悪くなるだけだ。当人がどう思っていようが、立場上は簡単に矛を収められない状況である。

 四大市民の一角として、それだけは認められない。これもゼイシルのプライドを利用したソブカの策略であろう。


「………」


(私ならば、彼に話を訊くところだが…)


 プライリーラは黙っているソイドダディーを見る。

 彼は自分の立場を理解しているので口は挟まない。ここでゼイシルの感情をさらに逆撫ですれば、もう弁明すらできない状況になるからだ。

 ビッグと違い、彼は処世術も身につけている。組長になるということは責任を負うということ。彼自身が息子に語った言葉を体現しているのだ。

 ただ、せっかく出てきた当事者なのだ。当人から話を訊いたほうが合理的である。



(さて、どうするか。私は一度焼けた栗を拾っているし、ソブカ氏のことも気付いてしまっている。できれば目立ちたくはないが…)


「あんなぁ、やっぱり当人に訊いてみるのが一番じゃないかのぉ。そのな、ソイド君だったかのぉ。彼に訊くのが早いと思うんじゃが、どうかの?」


(やはり動くか。どうせ調べはついているのだろうが…私としてはありがたいな。こっちはラングラス側の情報が足りないし、彼が何を話すのか興味があるからね)


 ここで発言したのは、グマシカ。

 このことでプライリーラは確信。彼はもうろくなどしていない。

 それどころか、おそらくすべての情報を知っている。知っていながら場を動かしているのだ。

 どのような意図があるにせよ、非常に危険視すべき存在である。


「グマシカ老、なんとでも言い訳はできますぞ」

「でもなぁ、話をしたそうにしておるしのぉ。いちいち遠くに訊きに行くわけじゃなし、そこにおるんよ。なら、訊いてみるほうが楽じゃないかい?」

「それはそうですが…」

「失礼を承知で申し上げます。弁明の機会をいただければ、皆様方の疑心を晴らすことをお約束いたします」


 ここでソイドダディーが頭を下げる。

 二メートルを超える大男が身体を九十度以上曲げる姿は、なかなかに壮観である。

 ただ、プライリーラだけは正面から見ているので、ちょうどソフトモヒカンがもろに見える形となり、不謹慎ながら思わず笑いそうになってしまった。

 世紀末に出てきそうなマッチョモヒカンが礼儀正しくする姿が逆に面白かった、とは言い出せない。ここは自重する場面だろう。


 そして、グマシカが言った以上、ゼイシルも提案を受け入れるしかない。


「…いいだろう。発言を許可しよう。プライリーラ嬢もそれでいいかな?」

「問題ない。合理的だと思うよ」

「それでソイドダディー、名乗り出たのだから有益な情報を提供してくれると思っていいのかな?」

「うちは策を弄するような器用なことができる組じゃありません。それはゼイシルさんもご存知のはずです。だから真実をありのまま述べるしかありません」

「真実…ね。では、伺おうか」

「今回の一件は、たしかにうちが最初に接触したことが原因です」

「なるほど、それは認めるのだね」

「はい。結果としてハングラスの皆様方に損害を与えたことは大変申し訳なく思っております。マングラス、ジングラスの方々にも申し訳なく思っております」

「…ふむ」


 ゼイシルもまだ怒りは完全に収まっていないが、荒くれ者と名高いソイドダディーが二度も頭を下げたことで少しは落ち着く。

 グラス・マンサーに対する礼節を重視する男なので、礼儀正しさは武器になる。

 ただし、ゼイシルは損得勘定で動く男である。実際に有益な情報が出るまでは簡単に許すことはしないだろう。


「弁明をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「いいだろう。言ってみたまえ」

「我々が接触したのは、あくまで医者としてのホワイトです。その段階では、あの男がこのようなことをしでかすとは思っておりませんでした。麻薬の売り上げが減った原因を取り除こうとしただけのことです」

「それ以外のことは無関係だと?」

「信じてもらえるかはわかりませんが、うちが皆様方と揉める理由はありません。たしかにうちは麻薬なんていうケチな商売をしています。しかし、一度たりとも都市を裏切ろうと思ったことはありません。組自体も小さなものです。それが皆様方と争うなど、どう考えても勝ち目などありません」

「たしかにソイド商会が単体で動くとは思えない。それはいいだろう。だが、ラングラス側に被害が出ていないことはどう説明するのかね?」

「正直言ってわかりかねますが、やつは混乱を狙っていると思います。ラングラスに疑いをかけることで同士討ちを狙っているとしか思えません」


(これは…面白い)


 プライリーラはダディーの言葉に興味を惹かれる。

 この可能性を考えないわけではなかったが、改めてラングラス側から提示されると十分ありえる話である。


 逆に言えば、これが【ラングラス側の視点】である。


 少なくとも濡れ衣を着せられた当事者からは、今回の一件がそう映っているということだ。逆の立場に立ってみれば、なかなか説得力はある。


 そして、これも内情を知るソブカとの違いである。


 ソブカはアンシュラオンの目的が【金】だと知っているので、あのように答えた。人間、嘘をつく際はどうしても乱れが生じるものだ。それはソブカでも例外ではない。

 実情を知っているがゆえの具体的な話。ソイドダディーの見解がなければ見逃してしまうだろうが、これもまた彼がクロである一つの手がかりとなるだろう。


「同士討ちか。ラングラスが潔白であるのならば、その可能性は高いだろう」

「そうおっしゃっていただければありがたいです」

「ただ、ラングラス側だけが敵に回ったとして我々三勢力と戦えるとは思えない。そこはどう説明する?」

「我々ラングラスを潰すだけでも都市にはダメージが入ります」

「それでホワイトには何の利益があるのかな? そこが重要な側面だと思うがね」

「…申し訳ありませんが、それ以上は自分には…もともと頭が悪いもんで…。やつが街を乗っ取るくらいしか思いつきません」

「ふむ…ホワイトは外部からやってきた者という。その可能性もなくはないが…プライリーラ嬢はどう考える?」


 ここでゼイシルはプライリーラにも話を振り出す。

 話が感情論から離れたおかげで、ようやく普段の調子が出てきたということだろう。


「ソイド氏が嘘を言っているようには見えない。私は幼少期から彼との面識があるが、平気で嘘をつけるような人間ではないと思うよ。そのような人物ならば、もっと上手く立ち回っているはずだからね。ソイドファミリーは純粋な武闘派だ。少なくとも彼が何かを企んでいるとは思えない」

「…うむ、たしかに。ソイドファミリーが策を弄するなど聞いたこともないな」

「もしソイド氏の発言を信じるのならば、彼はシロだ。ただし個人的には、ラングラスの動きは鈍く感じられる。なぜそこまで他人行儀なのか、その理由が知りたい。正直、今の対応ならば疑われるのも仕方がない。積極的に弁明すべきだったし、対処するべきだった。なぜそれをしないのかは知りたいものだね」

「もっともな意見だ。ムーバ殿、その点に関して何か弁明はないのですかな? このままでは疑念の払拭は難しいと思われるが」

「そ、それはその…のっぴきならない理由と申しますか…異常現象による想定外の事態と申しますか…」

「…貴殿は何を言っているのだ?」


 何やらムーバの様子がおかしい。

 汗がさらに噴き出し、それを必死にハンカチで拭いている姿は怪しいの一言だ。

 堂々と自分の非を打ち明けたソイドダディーと比べると、なんとも小物感が滲んでいる。

 それによって周囲の目も厳しくなる。


「親父さん、ここで黙っていてもしょうがない。何か理由があるのならば教えてくれ。このままだとオヤジにも迷惑がかかる」

「だ、だが…これはその…身内だけの重要な問題というか…」

「ここが瀬戸際だ。誠意を見せるしかねえよ。筋を通さないと最悪の結果になっちまう」

「…うっ、わ、わかった…」


 ダディーに促され、仕方なくムーバが口を開く。

 ちなみにムーバはソイドマミーの実父なので、ダディーにとって「義父」にあたる。「親父さん」と言う際はムーバ、「オヤジ」と言う場合はツーバを指す。




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