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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第四章 「裏社会抗争」 編 第二幕 『激動の白』


211話 ー 220話




211話 「ジングラス侵食 後編」


 ファレアスティは、アンシュラオンを災厄と呼ぶ。

 もはや人間ではないと。あれは災厄そのものであると。


「災厄とは穏やかではありませんねぇ」

「では、言い換えるのならば『天災』です。すべてを破壊して荒らし回って、気が済んだら去っていくだけの存在です。その後のことはお構いなしに」

「なるほど。あなたにはそう見えているわけですね」

「極めて事実に近い表現だと思っています。彼は責任などまったく考えていません。自分が楽しむことと、それに付随する利益のことしか頭にないのです。そんな人間が益になるとは思えません。ただの害悪です」

「ふふふ、嫌ったものですねぇ。ですが、恵みをもたらすものは太陽だけではありません。大雨や嵐のような日々があってこそ余計なものが取り除かれ、新しい種が飛んできて芽吹くものです。太陽だけならば、あっという間に干上がってしまいます。この大地のようにね…」


 この大地は、ほとんど雨が降らない。年に数回降ればいいほうだろう。

 大災厄以前は雨も頻繁に降っていたようだが、それ以後は干上がってしまい、ただ乾燥した大地だけが広がっている。

 だからこそ水に余裕がないのだ。それはグラス・ギース周辺だけではなく、東側の多くの土地にいえることだ。

 乾燥した大地では人は生きていけない。地球でも多くの荒野が放置されているのは、人が生活するには適さないからだ。


「彼が雨風になってくれれば、たとえそれで家屋が壊れ、何千という人々が死のうが結果的には益になる。そうは思いませんか? 停滞して乾燥した大地に、これ以上の発展はないのです。必要なのは変化の力です」

「おっしゃりたいことは理解できます。しかし、危険です」

「あなたは不安なのですね、他の者たちと同じように…。それが普通の感性でしょうから仕方のないことですが」

「私の命はソブカ様のものです。お決めになったことに従うまでです」

「そうだとしても、感情はあなただけのもの。隠す必要はありませんよ」

「………」


 それに対してファレアスティが答えることはなかった。

 冷たい態度が他人を威圧してしまうが、秘書としては優秀であり、これだけの量の食糧を集められたのも彼女の手腕によるところが大きい。

 ただ、ソブカと唯一違う点は、ホワイトを危険視している点だろう。


(他人には彼が怖く映る。なぜ怖いのか…簡単ですねぇ。彼は【破壊者】だ。人間は自分が住んでいる場所に変化が起こることを怖がる生き物です。大型の嵐がやってきたら、家が壊れないか、何かを失わないかと怯える。それが動物の自然な感情というものです)


 ファレアスティは感情をあまり外に出さないが、その態度こそ感情豊かな証拠である。

 こうして話していても、彼女がホワイトを怖がっていることはすぐにわかる。

 怖い。怖いのだ。

 人間は、自分のテリトリーを侵す存在が怖い。だから排除しようとする。感情を消すことも、感情を必要以上に露わにすることも怖いからだ。


 それによって自分が変わってしまうことが―――怖い。


(結局、私を理解できるのは私自身と彼だけですか。似た者同士、お互いに孤独だということでしょう。といっても理解されたいとも思わないものですがねぇ)


 ソブカを理解できる人間は、おそらくアンシュラオンだけである。

 なぜならば、同じだからだ。両者共に闇を抱えている。破壊的で暴力的で、煮えたぎるような激情を宿している。

 それが武力だろうが精神力だろうが、強すぎる力を持つ者はいつだって孤独なのだ。そして、それを理解されたいとも思わない。ただ思うままに振る舞い、他者を蹂躙することを楽しむ。

 ソブカもまた、この地に必要な激動の力であった。皮肉なことにファレアスティが怖れるアンシュラオンと同じ破壊の使者として。




 キブカ商会のトラクターは、そのまま一般街の北にある倉庫区に向かう。アンシュラオンがハングラスの倉庫を襲った場所である。

 あの騒動の後、一時は物々しい雰囲気に包まれて出入りも制限されていたが、今では多少落ち着いている。倉庫区はこの都市の心臓部。危険でも使わないわけにはいかないのだ。

 ソブカも荷物を倉庫に入れ、流通させるまで管理するつもりでいた。しかし、しばらく進むと異変が起こる。


「…さて、来たようですよ」


 ソブカが視線を送った先には、一台のトラクターが道を塞ぐようにして停まっていた。

 自分たちのクルマを発見すると、そこからわらわらと強面の男たちが出てくる。彼らもまた変化を怖れている者たちである。


「いかがいたしましょう?」

「こちらからは手を出さないように。まずは相手の様子をうかがいます」

「はい」


 ソブカとファレアスティがクルマを降りると、男たちは威圧感を放ちながら近寄ってきた。


「キブカ商会だな。あんたが責任者か?」

「ええ、そうですよ。私が会長のソブカ・キブカランです。何の御用でしょうか?」

「あんたら、どこに行くつもりだ?」

「こちらが名乗ったのですから、そちらも名乗っていただきたいですねぇ」

「ふん、『ジン・メイ商会』のワッカンだ」

「ジン・メイ商会…たしか倉庫区の管理を行っている商会ですね」


 ジン・メイ商会は、ジングラス一派の都市内部における管理商会の一つである。

 ミッシュバル商会などが輸入した食料品を、都市内に流通させるまで倉庫で管理するのが仕事だ。

 倉庫区は非常に重要な区域なので、ザ・ハン警備商会のように防犯用に武装した者たちが配置されていることが多い。

 目の前のワッカンという男もその一人。都市内部においても武装し、傭兵のような格好をしている。

 ソブカはワッカンに見覚えはないが、こうした警備隊は常時外から人員を補充するものなので、ここ何年かで新しく入った人間なのかもしれない。ソブカの顔を知らないのが、その証拠だ。


「話を戻すぞ。どこに行くつもりだ?」

「どこと言われてもねぇ。この道の先は一つしかありません。荷物を倉庫に持っていくところです」

「持っていってどうする?」

「不思議なことを訊くものです。商品を保存しておくための場所が倉庫ではないのですかねぇ。そうでなければ倉庫の意味がありません」

「つまりは、売るってことか?」

「それを商品と呼ぶのですよ。あなたでもそれくらいはわかるでしょう?」

「んなっ…なめやがって! おうおう、誰に断って商売してんだ、おら!!」

「そうだ! ふざけんなよ、このやろう!」


 ソブカの言葉が引き金になったのか、他の男たちも喚き出す。

 まさにチンピラが恫喝するような態度だが、その声がソブカに恐怖を与えることはまったくない。

 同じ裏側の人間、マフィア同士である。特に修羅場を多く潜っているソブカに対し、恫喝は無意味だ。


「クルマを停めろ!! 荷物を降ろせ!」

「おっと、勝手に触らないでいただけますかねぇ。これは我々が必要だと判断して仕入れたものです。我々の財産ですから」

「それがどうした。中身は食料品だろう! しらばっくれても無駄だ! こっちは情報を得てんだぞ!」

「ええ、そうですよ。食料品です。それが何か?」

「み、認めやがったな!」

「事実ですからねぇ」


 ソブカはこともなげに認める。どうせ調べればわかることだ。隠す理由もない。

 だが、その開き直った態度がワッカンを刺激する。


「そっちの管轄とは違うはずだ! うちらのシマを荒らす気か! ああん!?」


 食料品は彼らの領域であり、大切な資金源である。それを侵されれば怒り狂うのは当然だ。

 しかし、こちらにも言い分はある。


「そのようなつもりはありません。ただ、現在のグラス・ギースは食糧が不足している状況だと聞いております。どの食料品も品薄で高騰しているとか」

「それがどうした! あんたらには関係ねぇ!」

「関係はありますねぇ。我々もこの都市に住む人間です。都市機能が正常に機能していないのならば、それに対して思うところはあります。逆にお訊ねしますが、なぜこのような事態になっているのですか?」

「うっ…あんたには関係ねぇ。それこそ、うちらの問題だ。責任はうちらが取る」

「なるほど、道理ですねぇ。我々があなた方に干渉する理由も権利もありません」

「そうだ。わかったなら…」

「ですが、人々が困っているのを見過ごすわけにはいきません。ここは私にとっても大切な街です。愛すべき故郷です。都市機能を維持するために尽力したいと思うのは、同じ街の人間としては当然でしょう?」

「あんたらの管轄は医療品だろう。ラングラスは医療品だけやっていればいいんだよ。こっちに関わるな!」

「やれやれ、人の話を聞かない人ですねぇ。あなたでは話になりません。もっと上の人を出していただけませんかねぇ」

「なにっ!!」


 ソブカのニヒルな笑い方は、時に人を不快にさせる。

 もともとソブカ自身に譲るつもりがないことは会話でわかるので、その挑発に相手は上手く誘導される。


「てめぇ!!」


 シュッ


 ワッカンが思わずソブカに掴みかかろうとした瞬間―――剣が突きつけられた。


 ファレアスティが剣を抜いてワッカンの首筋に押し付けたのだ。その動きに迷いはなく、正確に確実に男の首元に吸い付いている。


「うっ!!」

「迂闊に動かないほうがいい。この剣はよく切れる。お前の首が飛ぶぞ」

「てめぇ…抜いたな!! やるつもりか!?」

「小物が吠えるな!!!」

「っ!!」


 ファレアスティの凄みのある声が場に響いた。

 怒気というよりは、やはり凄みのある声と形容したほうが正しいだろう。彼女も裏社会に属する人間である。場合によっては人を殺すことも厭わない。

 そうした決意が凄みとなって周囲の者たちを制止させているのだ。しかも最初から殺気立っているので、ぱっと見ると手が付けられないヒステリックな女にさえ見える。

 事実、少しでも動けば首を切り裂くつもりでいた。

 それでもファレアスティの不満は収まらない。


「礼を失しているのはお前らのほうだ。たかだか平の組員の分際で、誰にそんな口を利いているのかわかっているのか? うちの組長に手を出して、ただで済むと思っているわけではあるまいな」

「くうっ…」

「それとも経済組だからと甘く見たのか? なめられたものだな。お前たちはソイドファミリーでも同じことをしたのか?」

「そ、それは…」


 ソイドファミリーは武闘派として有名である。もし彼らが相手だったならば、また違った態度になっていただろう。

 アンシュラオンに雑魚扱いされているビッグですら、ワッカンたちからすれば手に負えない獣である。しかもソイドダディーはもっと強い。そんな相手に掴みかかったら間違いなく殺される。


 つまりは、キブカ商会は【なめられている】のだ。


 ジングラスの上位序列にも入れないジン・メイ商会の小物が、ラングラス序列四位であるキブカ商会のソブカという組長に対して、この態度はあまりに非礼である。

 相手のシマを侵したという点以外は、ファレアスティの言葉は何ら間違っていない。ここでワッカンを切り捨てても正当性は証明されるだろう。


「おっと、揉め事かい」


 その様子をうかがっていた大剣を担いだ女性が、後ろのトラクターから降りてきた。サリータと一緒にいた大剣のお姉さん、ベ・ヴェル・ヘルティスだ。

 それと同時に、わらわらと武装したキブカ商会の構成員が降りてきた。その中には新たに雇った対人戦闘を得意とする傭兵もいる。その多くは仕入れついでに、ハピ・クジュネよりもさらに南で雇った者たちだ。

 遠くの外部で雇った人間は本質的には他人事なので、相手が誰であろうとも殺すことに躊躇いはない。裏スレイブとは違うが、こうした外部の抗争専門の傭兵もいるわけだ。


「揉め事なら、うちらの出番かねぇ」

「いえ、まだ揉めているわけではありませんよ。もう少しで揉めそうですけどね。ベ・ヴェルは先走らないようにしてください」

「はいよ。でも、うちらはいつでもいけるからね。遠慮なく声をかけてくれ」

「ふふ、頼もしいことですねぇ」

「いろいろしてもらったんだ。借りは返すよ」


 アンシュラオンの見立てでは、ベ・ヴェルの実力はサリータと大差ない。ならば戦力としては頼りない部類に入るはずだ。

 しかし彼女が持っている大剣は、アンシュラオンと一戦やりあった時とは違うものである。

 今は鞘に納められているが、ひとたび抜けば、そこに宿された術式によって従来の何倍もの戦力になってくれることだろう。

 彼女が着ている革鎧も普通のものではないし、他の構成員が装備している武器も防具も、そこらの武器屋で手に入るような代物ではない。


 これらはすべて―――術式武具。


 戦罪者が倉庫でザ・ハン警備商隊に苦戦したように、術具を装備するだけで戦闘力は何倍にもなる。

 ベ・ヴェルのように、まだ満足に戦気が使えない傭兵であっても、こうした術具を装備すれば簡単に強くなることができる。

 術式武具の提供も報酬の一部であり、満了後もこのまま彼女に与えられる契約になっている。この武具一式だけでも相当な額になるだろうが、さらに多額の金銭も与えられる。

 傭兵にとって報酬の大きさこそが自己の評価であり、存在意義である。その対価を支払うまで彼らは絶対に裏切らないだろう。それはどこか裏スレイブにも似ている。

 アンシュラオンは武で、ソブカは金で彼らを雇った。


 そう、明らかにキブカ商会は戦闘を想定している。


 最初からそうなっても仕方ないという態度で、この場にいるのだ。




212話 「プライリーラ・ジングラス 前編」


 ここでもホワイト商会が活動を開始した頃と同じ現象が起きる。

 相手は威圧や威嚇程度の気構えでくるが、キブカ商会は最初から戦いを想定してやってきている。このギャップ現象である。

 実のところ、これは相当なショックだ。

 よく文句を言っていた妻が静かになって安心していたら、実は不満を溜め込んでおり、いきなり凶行に及ぶくらい突然の出来事。

 これをやられるとまったく対応ができない。想定していないのだから当然だ。

 気がつくのは、いつもこの瞬間、喉元に刃を突きつけられている時である。


「お前たち…何を考えている……」

「言ったでしょう? 私たちはこの都市の人々のために尽力したいだけだと。ここにある食糧は都市には必要なもの。どうか受け入れてもらえませんかねぇ。まあ、どうしてもと言うのならば…しょうがないですけれど。大を生かすために小を殺さねばならないのは時代の常です」


 ソブカ自らが剣を抜く。やや細身のレイピアに似た剣であるが、表面にはうっすらと炎のような輝きが揺らめいている。

 ベ・ヴェルに渡した大剣も相当なものだが、この剣はさらに上位の逸品だ。


―――準魔剣、火聯《ひれん》


 ガンプドルフが持っている魔剣と同種のものである。これを手に入れるために相当な出費をしたものだが、強い力が与えてくれる安心感は別格だ。

 うっすら輝いている炎は錯覚ではなく、切りつけた相手を燃やす効果がある。切れ味自体も凄まじく、紙を置いただけで切れるほどだ。まあ、その前に炎の効果で燃えてしまうが。


 ただし同種ではあるが、同ランクではない。


 魔剣といってもランクがあり、同じカテゴリーに属すというだけで強さや能力にはかなりの違いがある。

 ガンプドルフが持っているものはSランクの超が付くほどの希少なものであり、世界的に見ても珍しいものだ。

 あの魔剣は伝説の刀匠である名工十師が一人、セレテューヌスが打ったものであり、彼の国では国宝に指定されている。どんなに金を積んでも買えるものではない。

 一方のソブカの剣は魔剣とは呼ばれているが、せいぜいがB級のものであり、『準魔剣』あるいは『模造魔剣』と呼ばれる低級品である。

 もちろん普通の武具とは比べ物にならない力を秘めているので、あくまで上位の魔剣と比べると貧弱というだけのこと。

 むしろガンプドルフの魔剣のように強すぎるがゆえのペナルティが存在しないので、逆に使いやすいくらいである。


(やはり良い剣です。アズ・アクスに無理を言った甲斐はありますねぇ)


 武闘派ではないので、ソブカ自身が戦うことは非常に少ない。せいぜい訓練のときくらいだ。

 しかし、良いものはわかる。どうせ使うのならば名刀や名剣のほうが気分が盛り上がるというものだろう。

 この剣は、アンシュラオンが使っている包丁と同じアズ・アクス製で、仕入れのついでに手に入れたものだ。

 倉庫に眠っていた非売品だったのだが、無理を言って譲ってもらったのだ。当然、大枚をはたいた。これ一本で普通の剣が何百本も買えるほどの値段だ。

 ただ、以前のアズ・アクスならば買うことはできなかっただろう。どうやら経営者が変わったようで、近年では営業方針に変化が起こっており、今までの職人気質から利益重視に舵を切ったようだ。

 そのせいで組織内でいろいろと揉め事が起きているらしいが、ソブカにとっては良い物が手に入れば問題ない。思えば非常に良い時期に訪問できたものである。これも天運だろうか。

 ちなみにファレアスティの剣もそこで手に入れたものであり、彼女のものは水の力が宿っている。そのせいか刀身はうっすらと水色だ。


 こうしてソブカたちは万全の準備を整えていた。

 そんな相手に無警戒のワッカンたちが勝てるわけがない。


「さあ、どうします?」

「くそっ…本気か?」

「そう見えないのならば、あなた方はずいぶんと鈍っていますねぇ」

「ふざけるなよ…! こんなもんでびびるかよ!」

「そうですか。ならば仕方ないですね」


 その言葉を受けて、ファレアスティの剣を持つ手に力が入る。

 たしかに彼女はこの戦いに乗り気ではない。だが、すでに土俵に上がってしまった以上、やらなければやられるのだ。

 その様子を見守っていたベ・ヴェルたちも戦闘態勢に入る。このまま衝突すれば、まず間違いなくキブカ商会が勝つだろう。


 そして、ファレアスティの目が覚悟を決め、鋭く冷たくなった瞬間だった。





―――「待て!!」




 美しくも凛々しい、力強い声が響き渡る。


 ドッゴーーーーンッ


 続いて何か重いものが大地に突き刺さった。

 それは両陣営の中心、ちょうどファレアスティとワッカンの近くに激突。一瞬大地が揺れ、中心部にいた二人は衝撃に身構えなければならないほどであった。

 改めて激突したものを見ると、白く重厚なものが太陽の光を受けて白銀に輝いている。


 それは―――巨大な槍。


 長さ三メートルを超える【ランス】や【馬上槍】と呼ばれるものが飛んできた。

 持ち手の周囲は大きく膨れ上がっており、そこは盾と同じような扱い方ができるので、盾槍と呼んでもよいものだろう。何より槍自体が大きいので大型魔獣とでも戦えそうである。

 ブスブスッ

 かなり強い力で投げつけられたのだろう。あまりの威力に大地が焼け焦げ、煙が出ていることがわかる。


「この槍は…」


 ファレアスティが、迷いなく上空を見上げる。


 それが飛んできたのは頭上。


 正面から投げても真上からは突き刺さらないので、必然的に上から向かってきたことになる。

 しかもこの速度を考えれば、下にいる人間が上に向かって放り投げたのではなく、上から直接投げつけたと考えたほうが自然であろう。


 そして、ファレアスティの視線の先には―――女性の姿。


 一人の女性が【宙に浮いていた】。


 逆光で姿はよく見えないが、太陽の輝きを受けて白く輝く髪。並の傭兵では扱えないような大きなランス。そもそも人間が空中に浮いている奇異な光景。

 これらを統合すれば目の前の人物の正体など一人しかいない。


(ようやく出てきましたね…待っていましたよ)


 ソブカがその姿を見て、薄く笑う。

 彼女を見る視線は珍しく熱っぽく、その登場を待ちわびていたことがわかる。

 ただし、その場にいた全員が視線を向けていたので、その真意は悟られなかった。なぜならば誰もが驚きと羨望の眼差しを向けていたからだ。



 その視線を受けながら、女性は大地に降りてきた。まるで風に舞うかのように、ふわりと降り立つ。

 こちらに向かって歩くたびに石畳がコンコンと甲高い音を立てるのは、全身に鎧を着ているからだ。

 全身鎧というには所々が開いた構造になっており、特に胸元はかなり開いているので、どこぞの美少女ゲームに出てきそうな露出度の高い鎧である。

 が、特に肩や足には大きな装甲が見受けられるので、鎧としての機能は最低限果たしているといえる。

 ただ、普通の鎧と違うのは全体的に流線的なデザインをしていることと、それが単に身を守るためだけの防具ではないことだろうか。

 『暴風の戦乙女』と呼ばれる武具であり、今浮いていたのも鎧の特殊能力である。


 これを着られる人間は現在のところ―――ただ一人。


「両者ともに、そこまで! 都市内部でのこれ以上の諍いは認められない!」


 声は非常に可憐ながら、さきほどと同じく力ある言葉が響いた。

 とてもよく耳に残る余韻があり、言葉がずしっと心に引っかかる。普段からも誰かに指示を出している者の声であり、人々の上に立つ資質を持つ人間特有のものだ。

 よくよく見ると、さきほどは全部が白く見えた長い髪の毛も、頭頂部から徐々に緑色にグラデーションしていることがわかった。

 なんとも不思議な色合いだ。

 清い純白でありながらも緑の若々しい活力を感じさせ、強さと優しさ、偽りと真実、儚さと強靭さを併せ持ったような独特な印象を他人に与える。

 その場にいたすべての人間が、彼女だけに集中している。目が離せない。惹き付けられる。



 そう、この女性こそ―――



「お久しぶりですね。プライリーラ・ジングラス様」


 ソブカが女性の名を呼ぶ。

 プライリーラ・ジングラス。ジングラスの名を完全に受け継ぐ現役グラス・マンサーの一人である。

 ソブカのような分家などではなく、文字通りにジングラス本家の頂点に立つジングラスファミリーの頭目、【総裁】だ。

 そして、『ブランシー・リーラ〈純潔の白常盤〉』と呼ばれる都市のアイドルでもある。


 そのプライリーラは、ソブカを見つけるとまっすぐに近寄ってきた。


「ソブカ氏か。久しいな。いつ以来だろう」

「あなたの総裁襲名記念パーティー以来ですから、二年ぶりかと思いますよ」

「そうか。もうそんなに経つのだね。ふむ…」

「何か?」

「いや、君は変わらないと思ってね。その癖毛も前に見た時のままだ」

「そうですか? これでも気を遣っているのですが…」

「むぅ、いかんな。それでは私の【婿】にはなれないぞ。私はよくても周りが認めない」


 プライリーラは、気安げにソブカの髪の毛を引っ張る。

 一瞬ファレアスティが何かを言いたそうにしたが、場の空気を読んで黙っていた。


「プライリーラ様、お互いに子供ではないのです。そういうことはやめてくれますかねぇ」

「恥ずかしがることはない。君と私は幼馴染ではないか。それに『様』などつけないでくれ。気持ち悪い」

「そういうわけにはいきません。あなたは…ジングラスのトップですから。それにしても、さらにお美しくなられましたね」

「どうせ世辞だろう? 私が一番嫌いなものだ」

「事実なんですけどねぇ」

「信じてもらえないのは普段の行いが悪いせいだろうね」

「耳が痛いことですねぇ。しかし、人々は常々あなたのことを噂しておりますよ。この都市の【女神】だと」

「それこそ世迷言だ。多くの者は私の顔など見たこともあるまい。だから噂は嫌いなのだ」


 プライリーラのソブカを見る目には、敵意といったものはない。

 ソブカもグラス・マンサーの分家筋にあたる存在。彼女がジングラスの総裁になったパーティーに参加するくらいの地位と面識はある。

 彼女にとってソブカは少し遠い親戚くらいの感覚である。一緒に会社経営をやっている者の同世代の子供、といったところだろうか。

 それが近いのか遠いのかは難しい感覚だが、形式上の人口が十万人にも満たない都市においては、かなり身近な存在ともいえる。


「まあ、君の言うことも事実だ。女神かどうかはともかく、今はジングラスのトップとしてここにいる。まずは用事を済ませないとね」


 プライリーラは、さきほど放り投げたランスを手に取る。かなりの重量があるのだろうが、軽々と片手で持ち上げた。

 巨大な馬上槍は、すらっとした体躯の彼女が持つと異様に大きく見えるが、流線的な鎧を着ているせいか、ばっちりと似合っている。

 よくよく見ると、デザインがかなり似ている。

 この鎧と槍を含めて『暴風の戦乙女』なのだ。いわゆるセット装備と呼ばれる武具である。同時に使うことで最大の効果を発揮するものだ。


「爺《じい》、頼む」

「はっ」


 プライリーラが無造作に槍を後ろに放り投げると、いつの間に現れたのか、初老の男性が槍を受け取った。

 白髪にモノクル〈片眼鏡〉に執事服と、まさに「ザ・執事」を体現したかのような男性で、プライリーラの気品と相まってか、こちらも非常にマッチしていて違和感がない。

 ただし、その槍を軽々と受け取ったことに加え、誰にも気配を感じさせなかったことを考えると思わず背筋が冷たくなる。

 プライリーラの膂力が並外れていることは見た瞬間わかるし、老執事の佇まいも明らかに普通ではない。


 両者ともに―――武人。


 それもかなりの腕前であることがわかる。

 その姿を見た時から、ベ・ヴェルや傭兵たちの間にも緊張感が走っていた。

 今にも始まろうかとしていた戦闘の熱が冷めていく。二人のあまりの圧力に警戒しているのだ。

 たった一撃。プライリーラが放った槍一本で、この場が掌握されてしまった。


(さすがはジングラスの【最大戦力】ですかねぇ。まともに戦うのは分が悪いようです。やはり術具による付け焼刃程度では、彼女たちには勝てませんか)


 ジングラスにも目の前のジン・メイ商会のような武闘派はいるが、食料品の搬送護衛や管理が主な仕事のため、戦闘特化という意味での武闘派は少ない。

 しかし、彼らが勢力を維持するためには武力も必要だ。いざとなれば力こそが物を言うことも知っている。


 そして彼らが保有する最高の力こそ、目の前の女性と執事である。


 プライリーラは生まれながらに武人の血が覚醒していたし、老執事のアーブスラットも武芸の達人という話だ。

 アーブスラットは領主軍にいるマキの師匠としても有名で、年老いて体力に不安は残るが、短時間での実力は間違いなくマキを上回るだろう達人だ。

 実力としては、魔剣を使わないガンプドルフに匹敵すると思われる。

 若い頃に外から流れてきた武芸者だった彼をプライリーラの祖父が受け入れ、それ以来はずっとジングラスの戦闘隊長を務めてきた強者だ。

 いくらソブカたちが術具で強化しているとはいえ、明らかに素の実力が違いすぎる。この二人と真正面から戦えば負ける確率のほうが遥かに高いだろう。それを知っているから気勢が削がれたのだ。


 フランクな対応をしながらも、さすがジングラスの長である。


 さきほどの槍の一撃は―――示すため。


 どちらの実力が上かをはっきりさせるための示威行為であった。




213話 「プライリーラ・ジングラス 後編」


「どうやら双方とも落ち着いたようだね。最近はごたごたが多くて困ったものだよ。私まで出る羽目になろうとはね…」


 槍をアーブスラットに渡すと、プライリーラは再びソブカに向かう。


「ふむ…」


 それから縦に長く続いているキブカ商会のトラクターと道を塞いでいるトラクターを見る。

 もしプライリーラが来ていなかったら、ここで争いが勃発していただろう。間違いなく死者が出る戦いになっていたはずだ。


「さて、状況を説明してもらえると助かるな。いったいなぜこのようなことになっているのかな。都市内部での諍いは禁止のはずだ。特に我々の間ではね。そういう取り決めだろう?」

「あちらの方々が通してくれなかったものでしてね。致し方のない措置でした」

「お頭! キブカ商会のやつらが縄張りを…!」

「こら、何度言ったらわかるんだ。私は総裁だ。いつまでも田舎都市のギャング気分では困る。ここに来たのならば、あくまで商会として振る舞ってほしいな。君もジングラスグループの一員なのだからね」

「うっ、す、すみません…」


 プライリーラに睨まれ、ワッカンは萎縮する。

 さすがに自分たちの組織のトップに直接睨まれては、威勢のよかった強面男も形無しである。


「ジングラスも戦力を強化しているようですねぇ。都市の外から来た者も多いようです」

「彼はそこまで新参ではないが、まだこの都市に来てから日が浅いのは事実だ。君の素性を知らない人間も多くなった。失礼があったのならば謝ろう」

「いえいえ、お互い様です。それにあなたに謝ってもらうと、こちらのほうの立場が悪くなりますからねぇ。あなたはジングラスで、私はキブカランですから」

「そういう物言いは好きじゃないな。どちらが正しいかが重要だ。道理や正義とはそういうものだろう?」

「それが通じる場所ではないはずです。多くの人間は立場でしか物を考えられない。アイドルのあなたと揉めたとなると、どのみちこちらが悪者になります」

「私はアイドルなどというものになったつもりはないが…」

「それは他者が決めるものです。少なくともあなたはジングラスグループの総裁だ。立場は明確にするべきでしょう。ここは私が謝りましょう。そのほうが丸く収まるはずです」

「…そう…だな」


 少しだけプライリーラの顔に影が差し、目を閉じる。

 だが、それも再び目を開ける頃にはなくなっていた。ジングラスの長として動く以上、私情を挟むわけにはいかないのだ。それでは示しがつかない。

 まずは格下のソブカが格上のプライリーラに謝罪する。今回の騒動が起きたこと自体の詫びだ。

 ただし、それは表面上のこと。重要なのは、その原因である。


「それで、揉めた原因は何かな?」

「総裁、やつらが勝手にうちらのシマを荒らしたんです。あそこにあるのが証拠です!」


 ワッカンが顔を真っ赤にして、「ほら、そこ! そこ!」といったジェスチャーでキブカ商会のトラクターを指差す。

 その姿はまるで親に言いつける子供を彷彿させ、仲間なのに失笑する者たちもいた。

 が、これは仕方がない。

 立場からすれば、子会社の平のサラリーマンが親会社の会長に話しかけるようなものである。それだけプライリーラの権限が強いということだ。彼だっていつもの余裕はないだろう。

 ただ、プライリーラはそんなワッカンの姿を笑うことはない。ただ黙って話を聞いている。そこからも彼女の聡明で温和な人柄が読み取れるようだ。


「やはり積荷…か。ソブカ氏、確認したいのだが、運んでいるものは何だ?」

「食料品です」

「…なるほど。理由を訊いてもいいだろうか?」

「都市の食料品が不足していると聞いております。その援助のために持ってきました」

「そんな言い訳が通じるかよ!」

「ね? ああいう感じなんですよ」

「なんだと!! どっちが悪いと思ってんだ!」


 ワッカンが喚き、ソブカが肩を竦める。その人を舐めた態度にさらにワッカンは激怒するという構図が続く。

 その悪循環にプライリーラが溜息をつく。


「ふぅ、相変わらず君は他人を逆撫でするのが好きだな。そんな態度できたら誰だって怒るものだよ」

「そうですか? 私は普通に話しているだけなんですけどねぇ」

「自覚がある分だけ、たちが悪い。いつからそんなにひねくれたんだい?」

「もともとこういう性格ですからね」

「そうだったかな…。昔はもっと真っ直ぐな男だった気がしたけどね」

「人は成長するものですよ」

「それが成長だと胸を張れればいいのだが…」


 昔からソブカを知っているので、プライリーラは複雑な心境だ。

 本心から言えば、こんなことで揉めたくはない。しかし、自分はジングラスの総裁である。毅然とした対応が必要だろう。


「それが揉めていた理由で間違いないね?」

「そのようですねぇ」

「そんなやつら、さっさと制裁してくださいよ!!」

「君も落ち着きなさい。野次を飛ばしても物事は解決しない」

「で、ですけど…明らかにこいつら意図的ですよ」

「だろうね。当人もそう言っている。しかし、グラス・マンサーの上位組織を簡単に制裁などはできない。それには四大会議での議決が必要だ。その前に平和的な方法を探るべきだろう。ラングラスの長と話をつけないといけないからね。そのうえでどうしても必要ならば制裁が行われる。時間がかかるんだ」

「で、でも…それじゃ…」

「いいかい、この都市内部にはちゃんとしたルールがある。制裁もまたルールだ。勝手に発動などできないんだ。私たちは狭い世界で暮らしている。できるだけ話し合いで解決すべきだ。それはわかってくれるね?」

「………」

「君たちの怒りはもっともだ。それだけちゃんと仕事をしてくれている証拠だろう。その気持ちは私が受け取ろう。だから今は任せてくれないかな?」

「…わかりました。お任せいたします」

「うん、任されたよ。ありがとう」


 プライリーラの真摯な眼差しにワッカンも黙るしかない。

 だが、怒りや不満を溜め込んでいる様子はなかった。むしろ尊敬と敬愛の感情を抱いているようだ。


(さすがプライリーラですねぇ。だから人気がある。ただ、彼女の場合は無意識でやっているのが怖いところですが。さすが『人たらし』です)


 ソブカは、プライリーラのことを『天然の人たらし』と称する。

 この態度は計算してやっているわけではない。アンシュラオンのように狡猾に先を読んで動いているわけではない。

 これが素なのだ。

 ワッカンなど本当に下っ端にすぎないが、そんな相手でもしっかりと受け止めて対応する。だから信頼されて人気が出る。

 たしかに都市のアイドルになったのは出自や容姿、強さが大きな影響を与えたのは事実だろう。それでも彼女は自らの態度でその資格があることを示している。

 その様子を見ている者たちが自然と惹き付けられる。好意を抱く。まさにカリスマであり人気者であり、そのうえ人格者だ。文句のつけようもない。


 ワッカンが落ち着くのを見計らい、改めてプライリーラがソブカに向かう。


「しかし、だからといって何もしないわけではないよ。食料品は我々の領分だ。これもルールでしっかりと定められている。言わずともわかっているね」

「…ええ、もちろん」

「君たちが武装している点も気になる。まるで最初からそうするつもりだったようだ」

「それは誤解です。彼らには道中の警備を担当してもらったまでです」

「ここは都市内部だが?」

「遠足は帰るまでが遠足。搬送は倉庫に入れるまでが搬送です。現に襲われそうなところを助けられました」

「なるほど、道理だね。君の口先も変わっていないようで安心したよ。それで、ここで彼らと衝突が起こってもかまわないと思ったのかな?」

「荷物を守るためです。それも致し方ないとは思いましたよ。都市内部でも財産を守るための自衛は許可されているはずですしね」

「我々と争う覚悟があるということかい?」

「それも事実の一端でしょう。そう捉えることもできます」

「………」


 プライリーラが、じっとソブカの目を見つめる。

 ソブカもまた、プライリーラの目を見つめる。

 静かな対峙ではあるが、二人とも組織のトップに立つ者だ。その間には言いようもしれない強い圧力がある。


 しばし見つめあい、プライリーラのほうから目を離す。


「ふむ、どうやら簡単に済みそうな話ではないようだね。ソブカ氏、我々と一緒に来てもらえるだろうか。ゆっくり話し合おう」

「ええ、もちろん喜んで」

「ソブカ様!」


 その軽い返事にファレアスティが声を荒げる。

 縄張りを侵されたジングラスからの直接の招待である。そこに危険がないとは思えない。


「行かないほうがよろしいかと」

「彼女は話し合いを求めています。何か問題が起これば、まずは互いに話し合って決めるものです。とても簡単なことではありませんか」

「危険です。何をされるかわかったものではありません」

「それは酷い言われようだね。私がソブカ氏に危害を加えるとでも思うのかな?」

「可能性はゼロではありません」

「可能性が百の事象など、この世界にはないと思うよ。すべてはいつだって不確定だ。だから我々は百に近づける努力を続ける。これもその一つにすぎない」

「答えが明瞭ではありません。保証してください」

「保証と言われてもな…信頼してくれとしか言えないな」

「信頼できません」

「やれやれ…君も昔から変わらないな。ソブカ氏のことになると、まるで番犬…いや、狂犬だ」


 プライリーラはファレアスティのことも知っている。

 彼女は幼い頃からソブカの近くにいたし、ソブカのことになると前々から過剰なほどに噛み付いてくる。


(さすがの私でも理由はわかるがね…。同じ女だ、気持ちはわかる。女性は常々何かを、誰かを愛したいと思うものだから)


 ファレアスティは認めないだろうが、彼女がソブカに対して愛情を抱いているのは間違いない。

 それが男女のものか、あるいは違う感情によるものかはわからないが、強い執着を見せているのは確かだ。

 彼女が赤子の頃にソブカの父親に南で拾われてきてから、ソブカとはずっと一緒に育ってきた。姉のような感情があってもおかしくはない。


「狂犬でもかまいません。それが護衛の役割ですから」

「誰に対しても姿勢が変わらないのは好意的だがね。あまり騒ぎを大きくすると、そちらの危険が増すことになるかもしれないよ」

「脅しですか?」

「私はそういった可能性を低くしたいだけなんだ。…それとも君たちはここで戦いたいのかな? キブカ商会はいつから武闘派になったんだい?」

「自衛のためならば致し方ありません」

「冷静になりたまえ。我々が争っても得にはならないはずだ」

「それはそちらの言い分です」

「心配なら君もついてくればいい。そちらは護衛を何人つけてもかまわない。それでいいだろう?」

「では、そうさせていただきます」


 ファレアスティは相も変わらずに冷たい視線をプライリーラに向ける。

 周囲の人間は、いつプライリーラが怒り出すかとヒヤヒヤしているものだが、そんなことはお構いなしである。

 そして、そのフォローをするのは、いつもソブカの役目だ。


「プライリーラ様、申し訳ありません。ファレアスティが失礼をいたしました。この空気で少し過敏になっておりましてね」

「問題ないさ。私も会話を楽しんでいるよ。ベルロアナ嬢ではないが私も友達は少ないのでね。こういう付き合いも悪くない」

「彼女を友達だと思ってくださるのですね」

「この業界に年齢が近い女性は少ない。そう思っては迷惑だろうか?」

「いえ、ありがたいことです」

「それでは行こうか。ああ、荷物は倉庫に搬入してかまわないよ。私が許可しよう」

「よろしいのですか?」

「持ってきたものを無駄にすることはないだろう? 事情はだいたい察している。まずは現実を受け入れよう」

「さすがですね。器が違う」

「やめてくれ。私は一人の武人であるほうが気楽なんだよ。なかなか状況がそれを許してはくれないがね…。では、この場にいる者たちは一度解散してくれ。結果は追って通達する」

「みなさん、くれぐれも武力衝突などは起こさないようにしてください。双方の立場がありますからねぇ」


 こうして戦いは回避された。

 ソブカたちに絡んでいた連中も、プライリーラに言われれば矛を収めるしかない。

 しかしながら根本的な問題は解決されていないし、プライリーラはこれから起こることを何も知らないのだ。

 その証拠に、ジン・メイ商会の人間が苛立ちを隠さないのに対して、キブカ商会の人間は落ち着いていた。

 すでに覚悟を決めているからである。その違いが如実に表れるのは、もう少し先のことだ。




214話 「プライリーラと馬車と思い出と」


 ソブカたちは馬車に乗り、中級街に向かう。

 そこにプライリーラが暮らす館があるのだ。


 グラス・マンサーかつ四大市民である各派閥の長は、暗殺などを防ぐために居場所を特定しないことが多い。

 ツーバも上級街にラングラスの本邸があるが、実際にはどこにいるかわからない。その時会えたとしても、三十分後には違う場所に移動していることもある。

 ツーバの場合は病人かつ意識不明とのことなので、息子のムーバが定期的に移動させているのだろう。スラウキンも会うたびに場所が違うと言っていた。

 ゼイシル・ハングラスは商売上、外に出ることも多いグラス・マンサーであるが、それでも情報統制に細心の注意を払っているようだ。

 一番用心深いのがグマシカ・マングラス。彼の居場所は誰も知らない。手がかりもない。

 アンシュラオンも独自に探っているが、いまだに尻尾も掴めない状態だ。

 会議にすら代理を立てているくらいなので、もう死んでいるのではないかという噂もある。あるいは本当に存在するのか疑う声すらある。


 そんな三者に比べ、プライリーラは実にオープンである。


 ジングラスの本邸は上級街にあるが、彼女は中級街の別邸に暮らしている。

 そのことは有名であり、近くの住人に訊けば簡単に教えてくれるので特に隠されてもいない。



「まだ別邸で暮らしているのですか?」

「子供の頃からいるから、あそこのほうが落ち着くんだよ」


 ソブカが問うと、プライリーラが軽く身体を伸ばしながら笑う。

 現在はあの大きな鎧は脱いでおりインナーだけになっている。鎧を着て馬車に乗れないこともないが、狭くなるし座り心地が悪いのであっさりと脱ぐ。

 その無防備な姿に逆に心配になるくらいだ。


「防犯は大丈夫なのですか? 襲われでもしたら…」

「おや、案じてくれるのかな?」

「あなたに何かあれば都市の人間が困りますからねぇ。心配はします。都市外の人間に狙われる可能性もあるでしょうし」

「…君はまったく女心というものを理解しないね。そこも変わっていない。減点だな。マイナス20点だ」

「それは手厳しい。では、今の私は80点ですか?」

「いいや、昨年の私の誕生日に何もしなかったから、すでにマイナス250点くらいにはなっている」

「…知らないところでけっこう減点されていますね。贈り物はしたと思いましたが?」

「あれはプレゼントではなく【貢物】だよ。キブカ商会名義だったじゃないか。実に形式的で気分を害したものだ。君自身が送らねば意味がないのだ。丁寧に真心を込めてね」

「物は物でしょう?」

「まったくけしからんね、君は。ファレアスティが苦労するわけだ」

「そうですか? 私のほうがフォローしている気がしますが…」

「それは会長としての当然の責務だ。それ以上に女性は男性を支えているものだよ。それに気付かないとは…また減点だ」

「厳しいですね…いったい何点まで下がることやら。減点の際はせめて通知が欲しいものです」

「こういうものは言われずとも自分で気にするものだよ。それも減点だな」

「困りましたね…」

「まあ、真面目な話をすれば、この都市に私を害するほどの相手はいないよ。仮に今、君が襲いかかっても私に触れることもできないだろうしね」

「でしょうねぇ」

「なんだか残念そうだね。そんなに私に触りたいのかい? うむ、いいだろう。特別に触らせてあげよう。ほら? どうぞ」


 なぜか胸を張り出す。そこに触れという意味かもしれないが罠としか思えない。


「淑女でしょう? はしたないですよ」

「だらしないな。それでも男かね」

「それで触るのならば、ただの変態です」


 たぶん、アンシュラオンならば即座に触る。というか揉む。あの男に遠慮という言葉はないのだ。

 ちなみにプライリーラの胸はそこそこ大きい。ホロロより若干小さいくらいなので、女性としては十分な大きさであろう。


(たしかに隙はないですねぇ。…また強くなったかもしれません)


 プライリーラは、こうしている間も常に周囲に気を配っている。

 彼女の言う通り、仮に自分が全力で斬りかかったとしても、かすり傷一つ負わせられるか怪しいものである。

 それは警戒しているのではなく、日常の彼女の姿。

 ジングラスグループの総裁という身分なので、可能性はかなり低くても常時暗殺の危険性はあるのだ。

 それ以前に彼女が生粋の武人であることも大きい。アンシュラオンを見ればわかるように、これが普通の状態だ。

 武人たるもの、常時臨戦態勢であれ。これこそ一流の武人の心構えである。

 プライリーラは幼い頃からアーブスラットに鍛えられているので、もともとあった才能をかなり開花させている。昔からやっていることなので、こうした臨戦態勢も苦ではない。

 感覚としては、肥満体型の人間が痩せて見えるように普段からお腹を引っ込めて何年も生活していたら、意識しないでもそれをやれるようになっていた、というものに近いだろうか。何事も習慣である。

 それでも危険はあるのだろうが、彼女は一つの信念を持って別邸に住んでいる。


「中級街からのほうが街がよく見えるからね。上級街にいては見えないものも見える。君だって同じだろう? 一般街に住んでいる。よりよく街を見るためだ」

「私はそのほうが都合がいいからです。商売のためですよ」

「そうだったね。君は建前でしか物を語れない人間だった。そういうことにしておくよ」

「………」


(プライリーラ…ですか。敵でなければ…あるいは違った未来もあったかもしれませんが…残念ですね)


 ジングラスという存在はソブカにとって邪魔である。商売上、競合することもあるので昔から組織としての折り合いは悪い。

 だが、お互いに知らない顔ではないし、彼女自身を憎んでいるわけでもない。

 憎んでいるのは、彼女の立場と身分だ。

 それゆえに複雑な感情を抱く。ソブカの目的を果たすためには彼女も排除しなくてはならないからだ。




 ガタゴト ガタゴト

 馬車は一般街を抜け、下級街に入る。

 往来する人間の数も増えたので、彼らが美しい羽馬の紋章が入った馬車に気付くと、そのたびに好奇の視線や噂声、あるいは歓声などが聴こえてくる。


「相変わらず人気ですねぇ。羨ましい」

「それは嘘だな。羨ましいなどと思ってはいないだろう?」

「バレましたか。ですが、人気があるのは事実ですよ」

「べつに人気が欲しいわけじゃないがね。粗茶だが、どうぞ」


 プライリーラが茶を淹れ終わり、馬車内に設置されたテーブルに紅茶が並べられる。粗茶というには高級すぎる茶葉なので、香りはかなり豊かである。


「…ふむ」


 だがそれを見て、なぜか淹れた当人が神妙な顔つきになっている。


「どうしたのですか?」


 それが気になってソブカが訊ねる。

 一瞬こちらの感情を読み取られたのではないかと、この男にしては珍しく焦ったからだ。

 だが、プライリーラはまったくそんなことに気づかず、顔を上げる。


「ああ、いや…茶を淹れることも久しいと思ってね。相変わらず上手くは淹れられないものだな。父上に言われて嫌々覚えたものだが、結局好きになれないまま終わったよ。こういうときは役に立つがね」

「あなたに淹れてもらえる紅茶というのは、実に貴重です。それだけでも価値があるものです」

「それはいけないな、ソブカ氏。茶の価値は茶そのものにあるべきだ。淹れた人間にあるべきではない」

「あなたらしい考え方ですね」

「間違っているか?」

「いいえ、あなたは正しい。ですが大半の人間は、その器にばかり目が向くものです。何を淹れたかではなく『どこの誰が淹れたか』、そちらが重要なのです。あなたの武具がそうであるようにね」

「痛いところを突くね。安茶でもジングラスの総裁が淹れたものならば価値がある、か。無体なものだよ」

「それも有名税のようなものです」

「税金ならばしっかりと払っているよ。追徴されるにしては理由があまりに残酷だ。生まれ持ったものはどうしようもない」

「…そうですね」


(ジングラスの総裁ではなく、プライリーラが淹れた茶、といったほうが正しいですがね)


 世間では強い男性も好まれるが、やはり可憐な女性を好むものである。

 ジングラスグループの総裁よりも、美しく凛々しい女性アイドルのほうが価値があるに違いない。

 だが、それについては当人には言わないでおく。言ったところで彼女がさらに神妙な顔つきになるだけだろうから。



「父上も紅茶が好きな人だった。懐かしいな」

「ログラス様…ですか。おおらかな人でしたねぇ。私にも優しかったのは覚えています」

「私にはまだ信じられないんだ。父上があんなことになるなんて…」

「逸材でしたからね。惜しい人物を亡くしたものです」

「ああ、それはそうなんだろうが…いや、今する話ではなかったな」

「…? 何かあったのですか?」

「うむ……」

「そう悩まれると気になりますねぇ」

「そう…だな…ううむ…」


 しばらくプライリーラは迷っていたが、踏ん切りがついたのか話し始める。

 それは少々意外な話であった。


「…ソブカ氏ならば問題ないだろう。君が関わっているとも思えないしな」

「どういう意味ですか?」

「父上の死は事故死となっている。それは知っているね?」

「ええ、都市の外での事故だと聞いておりますよ。詳しい話は知りませんがねぇ」


 ログラス・ジングラスはプライリーラの父親であり、先代のジングラス総裁である。

 その手腕はかなりのもので、当時は三位だったジングラスの勢力をマングラスに匹敵させるまでに引き上げた敏腕経営者だ。

 今思うと三位だったのは意外だが、女系一族であったジングラス家に久しく女子が生まれず、象徴となるべき存在がいないまま低迷していたという。

 それゆえにプライリーラが生まれた時は、まさにお祭り騒ぎだったと聞いている。

 当然、ログラスは娘を溺愛した。ついでに同年代のソブカやビッグなどにも優しかったので、もともと子供好きだったのだろう。

 ソブカも彼のことは好きだった。自分の父親以上に尊敬の念を抱いたものである。


 そんな彼が亡くなったのが、三年前。


 他の都市との商談の帰りに事故に遭い、死亡。その一年後に娘のプライリーラが総裁になった。

 というのが世間一般の認識である。が、真実は違う。


「父上はこの都市内部、本邸で死んだのだ。事故はあとから捏造したものだよ」

「…それは…少しショックな事実ですね。しかし、死因を隠蔽するとなると何かしら問題があったということです。…もしかして暗殺ですか?」

「そうだったらよかったのだが…いや、この発言もおかしいな。おそらくは病死だとは思うのだが…」

「歯切れが悪いですよ。何があったのですか?」

「私もわからないのだ。気付いたら父上が死んでいた。賊が侵入した形跡はないし、内部の犯行でもないようだった。父上に殺される理由などなかったからね」


 グラス・マンサーは互いが利益を得るようになっている。ジングラスの食糧によって都市が潤えば、それだけ人口も増えてマングラスは儲かり、それに伴ってハングラスやラングラスにも益が出る。

 ジングラスの好調を妬む者がいても、結局は自分の利益になるのだから殺す理由にはならない。


「となると怨恨か、あるいは都市外部の勢力の仕業かもしれません。ですが、襲われた形跡がないのならば前提が違うのかもしれませんねぇ。病死だと思った理由は何ですか?」

「うむ…信じてもらえるかはわからないが…父上は―――若返っていたのだ」

「それはまた…奇妙にも程がありますが…」

「だろうね。誰だってそう思う。私も実際に見なければ信じなかっただろう。だが、その時の年齢は三十歳くらいまで若返っていた。自分の父親だからね。見間違えるわけもない」

「では、それが原因で死んだと?」

「死因はショック死か何かだろうと思う。急激に老化する病気もあるというが、急激に若返っても身体には良くないのだろう。自然の理とは相反することだからね。法則に反した罰とでもいうべきか…」

「検死はしたのですよね?」

「ああ、前の医師連合の代表がね。極秘と念を押したので、知っている人間はその人物くらいなものだろう。その彼も、もういないがね」


 スラウキンの前の代表である。その人物はその後、誰にも語らず行方知れずになったので消息は不明だ。

 それゆえにスラウキンは、この事実を知らない。知っていればまた違う仮説を立てられたかもしれないが。


「それから一年、私は原因を探った。総裁になるのが遅れたのは、それが理由だ。今も時間があれば探っているが…すべてが謎のままだ。奇病と言われればそれまでなのだがね…」

「そうでしたか…さすがに衝撃的な内容でした。しかし、それをなぜ私に? 医療関係のラングラス一派だからですか? 何か手がかりがあると…」

「理由はないさ。過去は過去。起こったことは、いまさらどうにもならない。茶を淹れて思い出しただけだよ。今となれば、こういう話ができる相手も少なくなったのかもしれない。君がいてくれて私は嬉しいと思う。それだけのことなんだ」

「………」

「迷惑だったかい?」

「…いえ、あなたに信頼されているのは嬉しいことですよ」

「そうか。ならばよかった」


 そう言って無邪気に笑う。その顔は子供の頃と大差ないように見えた。


(やはりたちが悪いですねぇ、この人は。私などよりもよほど…)



 ガタゴト ガタゴト


 馬車は向かう。プライリーラの別邸に。




215話 「ファレアスティと馬車と想いと」


「やれやれ、呑気なもんだ。こんなんでいいのかね。よっこらしょっと、ふぃ〜」

「ベ・ヴェル、行儀が悪いですよ」

「こんなに広いんだ。足を伸ばしたっていいだろう?」

「他家の馬車です。礼節は必要です」

「傭兵に行儀や礼節を求められても困るさ。求められるのならば強さがいい。それこそが傭兵の流儀だよ」


 ソブカとプライリーラが乗った馬車の後方には、もう一台の馬車が随伴している。

 こちらにはベ・ヴェルとファレアスティ、そして老執事のアーブスラットが乗っていた。


「それで揉められても困ります。こちらは護衛が二人しかいないのですから」

「それを決めたのはソブカだよ」

「そうですが…不満です」

「かといって全員を連れてくるわけにはいかないしねぇ。しょうがないさ」


 結局、帯同したのはファレアスティとベ・ヴェルだけとなった。明らかに護衛としては数が少ない。

 最初はプライリーラの提案通り、ファレアスティは全員を連れていこうとした。言質を取ったので遠慮なくそうしたのだ。

 が、ソブカに止められた。

 ファレアスティは執拗に粘ったが許可は下りなかった。

 冷静に考えれば当然である。こんな街中を武装したキブカ商会の面々が通れば、他の勢力にも問題が波及しかねない。

 キブカ商会は武闘派ではないので無駄に敵を増やせば対応できなくなり、組自体が潰れる可能性すらある。

 ただでさえ今はホワイト商会が暴れて大変なのだ。下手に目をつけられれば危ない。

 ということで、最終的にこの二人となったわけである。


「お茶を淹れました。粗茶ですが、どうぞお召し上がりください」


 アーブスラットが紅茶を淹れる。

 さすが執事というだけあり、その腕前はプライリーラ以上だ。室内に豊かな紅茶の香りが漂う。

 ただし、本来ならば安らぐ空間になるはずの室内は、微妙な緊張感に支配されていた。

 その原因は目の前の老執事であり、護衛が二人になった最大の理由も彼の存在ゆえである。


「しかしまあ強いね、じいさん。かろうじて強いということしかわからないよ」

「さようでございますか。ならば修練が足りぬということです。あなたはまだお若い。武人の世界では生娘のようなものですな」

「へぇ、ずいぶんと言ってくれるねぇ」


 ベ・ヴェルが対面に座っているアーブスラットを睨む。

 しかし、アーブスラットは涼しい顔をして威圧を受け流す。気にも留めない。差がありすぎて留める必要性がないのだ。


「ちなみに訊いてみるけど、あんたならあたしたちを何分で倒せる?」

「…何分? ご冗談を。六十秒も必要ありません」

「二人じゃないよ。キブカ商会全員をさ」

「承知しております。ですが、答えは同じです」

「…ったく、嘘じゃないから何も言い返せないよ。せっかく意気込んでやってきたのにねぇ。これじゃまた役立たずだ」


 そう、アーブスラットが強すぎるがゆえに護衛が何人でも意味がないのである。

 二人いようが十人いようが、五十人いようが同じ。アーブスラットが本気になれば六十秒ももたない。

 だからソブカは二人にしておいたのだ。ベ・ヴェルを選んだのはファレアスティに対する保険である。

 同じ女性であることと、仮にファレアスティが暴走しても止めるだけの力量を持っていることで選ばれた。

 けっしてジングラスと戦うための戦力ではない。そのことがわかるからベ・ヴェルも不満なのだろう。


「どうすればそんなに強くなれるんだい?」

「そうですな。この声が出せるくらい戦えば…でしょうか」


 アーブスラットの低く強い声。そこには武闘者に共通した不思議な韻があった。

 戦いのためだけに強い声を数多く発してきた者は、自然と独特の声帯に変化していく。

 格闘技を始めればそれに適した筋肉になるように、『戦いに適した声質』と言うのは妙だが、事実そうなるのだ。

 アンシュラオンの声が強く遠くまで響くのも、そうした影響があるのかもしれない。常に戦い、勝ってきた人間の声だ。


「良い武具をお持ちだ。しかし、少なくとも武器に頼っている間は私に勝つことは無理でしょう」

「武器も力だろう?」

「使いこなす実力がなければ、クズジュエル程度の価値しかありません」

「ははっ! あんた以外に言われたら怒っていたところだけど、事実ならばしょうがないね。そんなに強いってことは、何かあったらあんたがあたしたちを守ってくれるってわけだ」

「そうなります。お客人に怪我をさせたとなれば、リーラ様の名と羽馬の紋章に傷が付きます。お守りいたしますよ」

「そうかい。それは安心だ」

「ですが、あなた方が敵になる場合は遠慮なく叩き潰させていただきます」

「それは楽しみだよ。まあ、今のところ万に一つも勝ち目がないのは事実だね。おとなしくしているさ」

「そのほうが身のためですな」

「癪だねぇ。もっと強くなりたいねぇ」


 どうあがいても現状の戦力では、プライリーラとアーブスラットには勝てない。

 それならば無駄なことはするべきではないだろう。家紋付きの馬車に乗っていれば害される可能性はないのだから。

 それもまたプライリーラの意思表示。

 示威行動を行いながら、一方でこうした待遇をするということは、彼女のソブカへの気遣いが強く感じられる。

 そこには明らかな【好意】が存在するのだ。



(プライリーラ様は気付いておられない。気付くわけもない…か。幼馴染のソブカ様が自分を害そうとしているなど考えるわけがない。それが普通の感覚だ。私とて、そんなことはしたくないが…)


 ベ・ヴェルとアーブスラットが話しているのを横目で見ながら、ファレアスティは静かにこれからのことを考えていた。

 考えるのは当然、【計画】のことだ。


(これでプライリーラ様を…ジングラスのトップを引きずり出した。ここまでは順調な流れ。リスクを負った価値はある)


 プライリーラの居場所は誰もが知っているが、彼女が表側に出ることはあまりない。

 商談のためにお忍びで外に行くことも多く、いろいろと飛び回って何ヶ月も戻らないことがあるので、隠れてはいないのだが他のグラス・マンサー同様に見つけにくいのは事実。

 ソブカと会うのも二年ぶりというくらいだ。ジングラスの総裁とは、それくらい忙しい立場なのだろう。

 また、領主軍とは違う意味で都市を守るというジングラスの【お役目】があるので、外敵以外に彼女が力を振るうことはまずありえない。内部の抗争に対しては不干渉の立場を貫く。


 しかし、ホワイトがジングラスの供給ラインを潰していけば、いつか必ずプライリーラが出てくる。出てくるしかなくなる。


 仮に一回の輸入で五千人分の食糧を仕入れるとして、それが潰されれば6%以上の人間が飢えることになる。

 もちろん備蓄はあるのですぐに影響は出ないが、それが何回も起これば着実にダメージを与えることになるだろう。

 特に最近は一気に襲撃の頻度が高くなったので、無視できない段階にまで達していると思われる。

 ジングラス一派がピリピリするのは当たり前だ。さきほどの男たちを見ても相当怒り狂っていることがわかる。

 だが、都市の外で潰されているので簡単には対応できず、しかも護衛を増やしてもまったくの無意味という現実。金をかければかけるほど無駄になるという最悪の悪循環に陥っている。


 その事態に、ようやくプライリーラが動いた。


 供給量の低下が都市全体に影響を及ぼすレベルにまで至り、彼女も重い腰を上げたのだ。アンシュラオンが名刺を渡したことも大きかっただろう。あれは明らかな挑戦状である。

 彼女の理知的な性格上、普段は安易に乗らないだろうが、この点に関してはハンベエがドライバーを殺したことが奏功し、事態が一変した。

 死人が出た以上、プライリーラが出ないわけにはいかない。ジングラスそのものの沽券に関わるからだ。


 そして、それに合わせてキブカ商会が目立った動きをする。


 外部からの買い付けに関しては、ジングラス側にもわかるようにおおっぴらにやったのだ。輸送もゆっくりと目立つようにやってきた。

 だからこそジングラスは、キブカ商会が都市にたどり着く前に情報を得ていたというわけだ。しかも旧知の仲のソブカが動いているのだから、プライリーラの個人的感情も利用できる。

 すべて計画通り。アンシュラオンとソブカの思惑通りである。


(あとはソブカ様次第。彼女を上手く誘導できるかどうか…。しかし、この老人もいる。警戒は怠らないほうがいい)


 アーブスラットは、静かでいながらもしっかりとファレアスティたちを監視している。少しでもおかしな動きをすれば取り押さえられるだろう。

 この老人は、ただの執事ではない。むしろ執事の姿は擬態であり、本職は武闘者である。

 その彼に見られていると思うと寿命が縮む思いだが、幸か不幸か、今は自分の仏頂面に助けられている。

 いつもこんな感じの顔なので、緊張で強張っていてもあまり周囲からは不審がられないのだ。

 それと比べてプライリーラは笑顔でいることも多く、人受けがよくて誰からも好かれている。

 あの天然の性格も自分とは正反対だ。自然と人を惹き付ける魅力がある。同じ女性として、そこに若干の羨望や嫉妬がないわけではない。


(女としては彼女に勝てるところは一つもない。でも、私はソブカ様の傍にいる。それだけで十分だ)


 女性としての魅力は間違いなく負けているが、魅力があるからといって求めるものが手に入るとは限らない。

 その意味では、自分は幸せなのだ。今はそれだけでいいだろう。


「時にファレアスティ嬢」

「………」

「ファレアスティ嬢、聴こえているかな?」

「…はひっ!? えっ!? 私!?」


 と、そんなことを考えていると、突然アーブスラットに話しかけられた。

 まったく予想していなかったので変な声を出してしまう。


「こ、こほん。何でしょう?」


 慌てて取り繕うが、あまりに珍しい態度だったのかベ・ヴェルがじっと顔を見つめる。


「あんた、顔が赤いよ? 何か変なことでも考えていたのかい? そりゃまあ、若い女だってそういう気分になることはあるさ。突然悶々とすることも…」

「うるさい。あなたは黙っていなさい」

「なんだい、いきなり噛み付かないでほしいねぇ」

「失礼。考え事をされておられましたかな」

「いえ、問題ありません。それで、何でしょう? これ以上、謝罪をするつもりはありませんよ。キブカ商会もラングラスの上位組織です。いくらジングラスのトップだからといって…」

「いえ、そういうお話ではありません。事実、私もリーラ様も序列などに興味はありません。もしそれにこだわるのならば、このような柔軟な対応はしておりません。さきほどの場で即座に潰しております」


 アーブスラットもまた武を愛する男である。考え方はアンシュラオンやマタゾーに近い強硬策を好む。

 もしプライリーラがいなければ、彼は遠慮なくキブカ商会の面々を叩きのめしたことだろう。半分以上は見せしめに殺して。

 だが、プライリーラの執事兼補佐役である以上、彼女の意思が最優先される。彼女が望まない限りは、そういった武力行使はやらないし、できない。


「…では、他に何か?」

「正直に申し上げて、どうされるおつもりなのですか?」

「何がでしょう?」


 ファレアスティも一瞬、計画のことかと思ってドギマギした。奇しくも同じ瞬間、ソブカが前の馬車でまったく同じ状態になっていたりもする。

 が、次に老執事から発せられた言葉は、意外なものであった。


「いつソブカ様と結婚されるおつもりなのですか?」

「ぶっ―――っ!?」

「どわっ!」


 驚いたファレアスティが茶を吹き出し、隣にいたベ・ヴェルにかかる。


「ごほっごほっ、何をいきなり…! 冗談にしても程度というものがありますよ。もはやこれはセクハラです!」

「冗談ではありません。残念ながらリーラ様は、ソブカ様に好意を抱いているご様子。他人事ではないのです」

「それは…プライリーラ様のご自由でしょう。私は関係ありません」

「そういうわけにもまいりません。そのせいで婚期を逃し続けております。リーラ様もすでに二十二になられました。早くご結婚なされて子を成さねば、ジングラスの血が途絶えてしまいます。極めて重要なことなのです」

「ですから、そこでなぜ私が出てくるのですか」

「この朴念仁でもそれくらいはわかりますよ。ソブカ様が落ち着いてくだされば、リーラ様も相手探しに本腰を入れるでしょう。女性としての幸せにも憧れがあるようですので、ぜひ幸せになってもらいたいのです」

「つまりあなたは私やソブカ様の意思はどうでもよく、プライリーラ様のためだけに結婚しろとおっしゃるわけですね?」

「その通りです」

「………」


 微妙な空気が流れる。

 当然、それに耐えられないのは無関係なベ・ヴェルである。まったくもって、いい迷惑だ。


「なんだか面倒な話になってきたねぇ。それならファレアスティが、さっさとソブカと結婚すればいいんじゃないのかい? それで終わりだ」

「何を馬鹿なことを!! ソブカ様はラングラスの血筋です。私などが…」

「じゃあ、プライリーラがソブカと結婚すればいいんじゃないのかい? それで終わりだろう?」

「それは駄目です!」

「ええええええ!?」

「プライリーラ様はジングラスの長。やはり身分が違います。ですから駄目です」

「…そ、そうかい。あたしはべつにどっちでもいいんだけどね…」

「そう思うなら口を慎みなさい。下手に首を突っ込むと火傷どころじゃ済まないですよ」

「…へいへい。失礼しましたよ」

「まったくです!」


(これは長引きそうですな…。女性という生き物も面倒なものです。子を成せるのならば、何人とでも結婚すればいいとは思いますが…そんなことを言ったら私もただでは済まなさそうです)


 アーブスラット個人としては一夫多妻制でもいいとは考えている。ジングラスは女系なので『一妻多夫制』となるが、地球でもそこまで珍しいものではない。家の存続システムとしてはそれなりに見受けられるものだ。

 が、それはあくまで他人から見た状況であり価値観。当人たちが納得するわけではない。

 その後のファレアスティの不機嫌っぷりは凄まじく、さすがのアーブスラットもこれ以上は話を続けられなかった。

 気まずい空気が流れる中、馬車はプライリーラの別邸に向かうのであった。




216話 「戦獣乙女たる所以 前編」


 そうして二台の馬車は、奇妙な緊張感に包まれながら中級街の邸宅に到着する。

 小百合の社宅よりは南にあるエリアで、多少下級街寄りの場所だ。当然、上級街に近づいたほうが治安は良いのだが、彼女の館にそんな心配は要らないだろう。


 ガラガラガラガラ


 馬車が門に近づくと、自動的に開いた。

 よくよく見ると門には全身鎧を着込んだ騎士然とした者が数名立っており、馬車の到来に合わせて開閉作業をするらしい。


「さすが金持ちは違うね。門番が着ている鎧も高そうだ」


 館もそれなりに大きく、周辺の住宅とはまるで造りが違う。

 日本でも稀にあるが、下町の住宅街に突如広い欧米風の大きな邸宅が現れたような変な錯覚を覚える。

 ガチャガチャッ ガチャッ バッターンッ

 馬車が通り、門番が門を閉める。多少荒い閉め方をしたが、それ以外に不審な点はない。


(…ん? なんだか動きが妙じゃないか?)


 しかしベ・ヴェルは、その騎士の動きが不自然であることに気がつく。

 いつも人間を見ている彼女は人体の構造にも詳しい。今動いた者と自分の中の知識が噛み合わない違和感を感じていた。


「どうしました?」


 その様子を察し、ファレアスティが声をかける。


「あいつ、少し動きが変だね。怪我でもしているのかい? でも、それにしては周りの連中も同じだ…」


 動くたびに鎧がガシャガシャ動くし、歩き方もブリキの玩具のように不自然な動きだ。

 最初は怪我をしているのかとも思ったが、門番全員が同じように動くことから、その可能性は低いだろう。

 よって、ますますベ・ヴェルの疑問は深まる。


「まさか集団で変な薬でもやっているわけじゃないだろうしね…。ラングラスじゃあるまいし」

「ベ・ヴェル、それは偏見ですよ。ラングラスが医療担当とはいえ薬の乱用などしておりません。医薬品の管理は万全です。乱用があるとしても個人の問題であって組織の問題ではありません」

「へいへい、口が滑ったよ。悪かったね」

「口が滑るということは、心の中ではそう思っていたということですね。なるほど。本心が聞けてよかったです」

「八つ当たりはやめてくれよ。あんたがさっさと結婚すればいいだけの話なんだからさ」

「その話はやめなさい!!」


 火に油である。

 ベ・ヴェルはサリータとは対照的に陽気なタイプなので、ついつい軽口を叩く癖があるようだ。


「で、あれは何なんだい? ジングラスの構成員か何かかい? それとも傭兵?」

「そういえば、あなたは知りませんでしたね。ここにはジングラスが保有する【最大戦力】が存在します。あれもその一つです」

「あの騎士がかい? とてもそうは見えないけどね…」

「実際に見ればわかります。…嫌でも見せられるでしょうし」

「…?」



 馬車が停まり、最初に執事のアーブスラットが降り、前の馬車の扉を開く。

 プライリーラ、ソブカと降りてきて、それから再び後ろの馬車に戻ってきたアーブスラットが扉を開き、ファレアスティとベ・ヴェルが降りてきた。

 こういうところも序列を感じさせる一幕である。

 防犯のことを考えれば上の人間は後から出るほうがよいのかもしれないが、プライリーラにその必要はない。堂々とした態度で降りてきた。

 それに合わせて敷地内にいたであろう、さきほど見た騎士と同じような鎧を着た者たちが集まりだした。

 ジングラス当主の出迎えなので、それ自体におかしなところはない。


 おかしいのは、やはり騎士たち。


 依然としてガシャガシャしており、まったく落ち着きがない。


「ふむ、久しぶりだと全然駄目だね。列が乱れている」


 プライリーラはその光景を見て、溜息をつく。

 どうやら彼らの行動は、彼女が思い描くものではなかったらしい。


「も、申し訳ありません! しつけが足りませんでした!」


 騎士と一緒に出迎えに出てきた若い男、おそらくは使用人の一人が頭を下げる。

 年齢は二十代半ばといったところだろうか。見た目がぱっとしないので、謝る姿と相まってなんだか出来の悪い使用人に見える。

 しかし、さすがはプライリーラ。

 アンシュラオンならば激怒するところだが、彼女はその程度で相手を罵倒したりはしない。むしろ優しく受け入れる。


「いや、いいんだ。忙しくて放っておいたのは私のほうだからね。それより【餌】をもらえるかな」

「は、はい! かしこまりました!」


 使用人が優しさに触れ、改めてプライリーラへの忠義を強めつつ、玄関と庭の間に設置された物置に向かう。

 その使用人、名前はハウーロというが、彼はジュエルを取り出して物置の鍵を解除する。


(割符結界? わざわざそんなものを物置に設置するのかい? 金持ちってのは変なところに金を使うね)


 ベ・ヴェルはその様子を不思議そうに見つめていた。

 たかが物置に倉庫区で使うような割符結界を使うなど、明らかに金の無駄遣いである。

 それとも金持ちの成金趣味らしく、黄金のホウキでも使っているのだろうか。だとすれば結界も頷ける。


 が、ハウーロが取り出したのは、【バケツ】のようなもの。


 この位置ではよく見えないが、その中に何か入っているようだ。バケツを持って再び戻ってくる。


(んん? 何をやっているんだい? さっきから変なことをするね)


 プライリーラが使用人からバケツを受け取っている様子を、ベ・ヴェルが首を傾げながら観察していた。

 当然、その視線には彼女も気付いている。


(ふふふ、気になっているようだね)


 プライリーラは、それを意図的に見せていた。

 特にベ・ヴェルは初めてこの館にやってくるので、興味津々でこちらの様子をうかがっている。それが楽しくて、ついついこれをやってしまうのだ。

 一方、すでに事情を知っているソブカとファレアスティは、なんとも微妙な表情を浮かべながら様子を見守っていた。


「ほらほら、まっすぐに並ぶんだ。はいはい、こっちだぞ」


 パンパン ガシャガシャッ

 パンパン ガシャガシャッ

 パンパン ガシャガシャッ


 手を叩くたびに騎士たちも列を正そうとするが、なかなか上手くはいかない。

 それでもプライリーラは何度もそれを繰り返していく。そのたびに列は少しずつ綺麗になっていった。


(なんだか…変な光景だね。まるで子供じゃないか)


 ベ・ヴェルが想像したのは、【子供】たちの群れ。

 彼らはいつだって自由で好き勝手なので、大人が何かを命令しても簡単には聞いてくれない。聞いたとしても完璧には程遠い出来になる。子供なので当然だ。

 だが、目の前の騎士たちはかなりの大柄で、身長も二メートル以上はあろうかという者たちである。

 あれが子供であるはずがないので、ギャップがものすごいのだ。そこに違和感がある。


 そして、数分かけてようやく列が完成した。


「よしよし、よくできたね。オヤツをあげよう」


 ガタッ!

 ガタッ ガタッ ガタッ ガタッ
 ガタッ ガタッ ガタッ ガタッ


 その言葉に騎士たちが一斉にざわつく。せっかく作られた列も大きく乱れてしまった。


(なんだってんだい、オヤツぐらいで…。大人がオヤツをもらって嬉しいのか? それともやっぱり薬か?)


 大人ならば薬のほうが嬉しいかもしれない。それはそれで怖い話だが。


「しょうがないな、君たちは。まあいいだろう。では、投げるからちゃんと受け取るんだぞ」


 引き続き訳もわからずにその光景を見ていると、プライリーラがバケツの中から【骨付き肉】を取り出した。

 大きさは地球の一般家庭で並ぶようなフライドチキンくらいなので、さして大きいとは思わない。二本指でも軽々持てる程度だ。

 だが、そんなものをわざわざ結界で守っていることは、あまりに常軌を逸している。意味がわからない。

 ヒョーーーイッ パシュッ

 プライリーラが肉を投げると、目の前の騎士の兜のあたりで―――消える。


(…ん? なんだ? 今何が起こった?)


 あまりの速さにベ・ヴェルの目にはよく見えなかったが、投げられた肉がなくなったのは間違いない。

 となれば騎士が受け取ったのだろう。が、手はまったく動いていない。鎧の音もしなかったので高速で動いたということもない。

 だが、肉だけはしっかりと消えており、フルフェイスの兜の中からポリポリという音が聴こえてくる。その騎士が食べているのは間違いないようだ。


「順番に投げるぞ。ほーれ!」


 ヒョーーーイッ パシュッ

 ヒョーーーイッ パシュッ

 ヒョーーーイッ パシュッ


 プライリーラが順番に肉を投げていくと、そのたびに兜の前で消えていく。

 ベ・ヴェルが非常に不審な視線を送っていると、遠くに投げた肉が若干ずれた。

 投げる際に滑って手元が狂ったのかと思ったが、プライリーラが笑っていたので、わざとそうしたものであることがわかった。

 その意図を計り兼ねていたところ、突如それは起きる。



 騎士の兜の隙間から―――【触手】が伸びた。



 それは見事にずれた肉をキャッチして、恐るべき速度で再び兜の中に戻っていく。

 それから他の騎士と同じく、ポリポリと骨ごと肉を咀嚼するような音が響いた。


「っ…っ!??」


 ベ・ヴェルは自分の目が信じられないというように何度もそれを見つめるが、起こったことは変わらない。

 今見たものは現実なのだ。


「なっ、なっ…何が……今何を……何か変なものが…」

「ふふふ、驚いているようだね。愉快愉快」


 プライリーラがベ・ヴェルの驚きの表情に満足する。その顔はイタズラが成功した子供のようだ。

 それが彼女の美貌と相まって、なんとも言えない魅力を放っていた。見ているのが男性だったならば、思わず見惚れたことだろう。

 だが、女性かつそんなことは気にしないベ・ヴェルにとっては騎士が気になる。


「な、なんだい…あれは!? さっきから何をしているのさ!」

「うむ、もっともな疑問だね。あれは私の【ペット】だ」

「ぺ、ペット? あの騎士がか?」

「ふむ、騎士か。たしかに騎士なんだろうけどね。私からすれば『犬』に近い感覚だよ。ほら、こっちに来なさい」


 プライリーラが一人の騎士を呼び寄せる。

 その騎士は、また餌がもらえるのかと小走りでやってきた。相変わらず関節を無視したような不思議な走り方である。

 プライリーラの前に来ると、止まる。


「兜を取って」

「…ギギッ」

「…へ?」


 騎士が変な声を出したことに驚くが、その直後にさらに驚愕の光景がベ・ヴェルの目に映った。


 騎士の顔が―――無い。


 その兜の下には何もなかった。

 より正確に述べれば、人間の顔をしたものは存在しなかった。


 あったのは―――触手。


 さきほどベ・ヴェルが見た触手だ。ただしデアンカ・ギースのように一本一本が大きいものではなく、クラゲのように細いものが何十本もウネウネと出ている。


「っ!? っ!!?」

「そんなに驚いてくれるとは嬉しいな。せっかくだ。全部見せてあげなさい」


 ベ・ヴェルがあまりに驚いていることに気をよくしたのか、プライリーラがそんなことを言い出す。

 すると、触手の部分が徐々にせり上がり、何かの塊が頭部に現れた。


 ゴボゴボ ゴボゴボ ゴボゴボ


 配水管が詰まるような音をさせながら、鎧から何かが出てくると同時に兜がカランと地面に落ちた。

 そしてようやく、すべてが露わになる。

 ゴボゴボ ズルンッ ボチャッ


「ひっ!!」


 その音に、思わずベ・ヴェルが下がる。

 それも仕方がない。出てきたものを見れば、誰だってそうするだろう。



 出てきたのは―――大きな『イソギンチャク』のようなもの。



 見た目によっては大きなナメクジに大量の触手がついた、なんとなくイソギンチャク的なもの、と形容するしかない。

 ウネウネしており、ウニウニしており、ぐちゃっとしていて、ぬるっとしたものだ。


「ひっ、ひっ、ひっ…」

「ベ・ヴェル…?」


 ファレアスティが彼女の異変に気付く。

 いつも自分の強さに執着し、なめられまいと強気な態度を崩さない彼女の顔が、どんどん引きつったものになっていく。


「ひっ、ひううう、ひうううう!」



 身体中からブツブツが浮かび上がり―――限界。




「きぃややあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」




 プライリーラの私邸から、絶叫が響き渡った。


 この声は周辺の住宅や道路にも届いたが、このあたりに住んでいる人間にとっては珍しいものではない。

 プライリーラが常時いた頃は、毎日のように誰かしらの悲鳴が上がったものだ。


「またプライリーラ様のお屋敷からか…」


 誰もがそう受け流し、今日も至って平和な日常が続いていたという。




217話 「戦獣乙女たる所以 後編」


「はーーーはーーー!! ひーーー!!」

「ベ・ヴェル、まだ治まらないのですか?」


 ファレアスティが隣で肌をさすっているベ・ヴェルを、じとっと見ている。

 その視線は労わりというよりは、どちらかといえば訝しがるもの。「こいつ、なんでこんなになってんの?」みたいな感じである。

 だが、当人にしてみれば一大事のようだ。


「だ、だって、しょうがないだろう!! あ、あんなものを見たら…ひいいい!!」

「意外ですね。あなたにも弱点があったとは」

「当然だよ! よくあんなものを見ても平気だな!?! あれだぞ! あんな得体の知れないグチャグチャしたものが動いていたんだぞ!!! ひ、ひいっ! 気色悪い!」

「グロテスクな魔獣だっているでしょう。珍しくはありませんよ」

「いるのと大丈夫なのとは違うだろう!! 子供の頃にああいうやつに刺されてからトラウマになって…あああああ! 思い出しただけで…うううう!! 死んじゃう!」

「もう館の中なのですから静かにしてください」

「相変わらず冷たい女だね、お前さんは!」

「ええ、理解できませんから。見た目という意味では怖くないですし」


 現在、彼女たちがいるのは館の内部。あの後、中に通されたのだ。

 ベ・ヴェルは中に通されてからも、さきほど見たものが忘れられずに鳥肌を立てているというわけだ。


(たしかに気持ちはわかるけれど…これで傭兵が務まってきたのかしら)


 彼女の気持ちはわかるが、虫系や海系魔獣の中にはあのような気持ち悪いものもいる。

 その多くは環境に適応するためにそうなっているので、あの触手だって必要だからそなわっているものだ。好き好んで付けているわけではない。

 いくら気持ち悪いからといって、いちいち怖がっていたら戦えないと思うのだが、人が潜在的にゴキブリを怖がるのと同じく、ベ・ヴェルにとって【アレ】はそういったものなのだろう。


 そんなベ・ヴェルは放っておき、ファレアスティは周囲を観察する。


(相変わらず閑散とした館です)


 自分がいるのは館の中の一室で、客間の一つだ。かなり大きな部屋なので何十人も集まってパーティーができそうなくらい広い。

 が、ここにいるのは自分とベ・ヴェルとアーブスラットに加えて、ルイペナと呼ばれた若い女性の使用人が一人だけだ。

 そこそこ館を歩いたが、その間に見かけた使用人は数人程度。玄関で出会ったハウーロを入れても、たいした数ではないだろう。

 しかも使用人自体は弱い。ファレアスティでも十分勝てるレベルである。


(使用人たちは武人ではない。警備としては相当脆弱。襲おうと思えば襲える。でも、あの老人一人がいるだけでご破算になるでしょうね。それ以前に、この館にいる者は誰一人として彼女を裏切らない。それが一番厄介です)


 この別邸はプライリーラの私邸となっているので、警備を考えるのならばもっと人がいるべきである。使用人も武術の心得がある人間を選ぶべきだろう。

 しかし、プライリーラはそうした人選はしない。

 すべての使用人は代々ジングラスに仕えている者たちで、ルイペナやハウーロといった若い世代も、親がジングラスの使用人だった者しかいない。

 プライリーラ当人が強く、護衛はアーブスラット一人いれば過剰戦力なので、強い人間を集める理由がないのだ。

 それよりは【信頼】を一番大切にしている。【家族】といったものが生み出す一体感を重視しているのだ。

 そのおかげで彼女の周囲にいる人間は、誰もがプライリーラと強い絆で繋がっている。彼女自身の魅力や人柄もあるので普通の家族以上の絆を有する。

 それこそが一番の安全だと知っているのだ。

 彼らは何を犠牲にしてもプライリーラを守ろうとするだろう。懐柔や買収は効かないし、誘拐による脅迫も効かない。

 裏の人間が得意とする技能がまったく通じない。これは実に厄介なことだ。


 そして、もっと厄介なものがこの館にはいる。


「さっきのクラゲみたいなやつ…兵隊なのかい?」

「ええ、そうです。彼女が飼っている【魔獣ペット】です」


 あの騎士の中身は―――魔獣。


 細い触手を何本も持ったイソギンチャクのような軟体魔獣で、あれが鎧の中に入って動かしている。

 魔獣の名前は、『ホスモルサルファ〈多着刺水母〉』。文字通りクラゲの一種であるが、地球にいるものとは違って陸上で生活している。

 触手には毒棘があり、刺さった相手を痺れさせて捕食する。獲物は丸呑みされて体内で溶かすのだが、大きい場合は細かい歯がついた口にあたる部位で噛み砕くこともある。

 単体でもそれなりに強いが凶暴ではないので、レッドハンターでも対応できる第五級の抹殺級魔獣に指定されている。

 しかし、この魔獣の怖いところは【増殖】するところだ。

 一定の栄養分があれば無性生殖で数を増やすので、餌をあげて良質な場所で育てると大量に発生する。

 この数が数百にもなれば、第三級の討滅級魔獣扱いにもなるという危険な魔獣である。


 これだけでも危険だが、ホスモルサルファはさらに厄介な能力を持つ。それが【群体融合】だ。


 あの騎士の中にはいくつものホスモルサルファがくっついて存在しており、一つの生命体として活動している。身体の一部をくっつけ、栄養素を分け合って暮らしているのだ。

 欠損があっても増殖して再融合することが可能で、非常に生命力が強い魔獣として有名だ。

 彼らが増殖した際には一気に焼き払うなどしない限り、討伐はかなり難しいだろう。

 プライリーラが鎧の中に入れているのは世間体を考えてのことだ。知らない人間からすれば、ベ・ヴェルがそうであったように人間に見える。


 それを知らないで館に忍び込もうものならば―――彼らの餌となる。


 事実、何度かそういう事件があった。

 空き巣に入ろうとした者や、外部の勢力が情報を得るために忍び込んだ忍者が、もれなくクラゲ騎士の餌食になっている。


「とんでもないものを飼っているねぇ。正気とは思えない。この都市では魔獣を飼う習慣でもあるのかい?」

「フォーナドッグを筆頭に、ほかにも家畜化された魔獣はいるでしょう? 魔獣は有益な資源でもありますから」

「そりゃそうだけど…あれはレベルが違うんじゃないのかい? ちょっと普通じゃないさ」


 魔獣の最低位は、第八級の無害級魔獣である。この階級の魔獣は家畜化が可能な種族も多く、魔獣が多いグラス・ギース周辺では大切な資源になっている。

 この程度の魔獣に関しては他の地域でも普通に家畜化されているので、さほど珍しくはないだろう。場所によってはワイルダーインパスの近縁種が家畜化されて労働力になっているところもある。

 ただ、プライリーラが飼っている魔獣は毛色がかなり異なる。ベ・ヴェルもいろいろな都市を見てきたが、あのようなものを見るのは初めてだった。


「その意見には賛同しましょう。彼女が特別なのです。そして、それこそがジングラスの恐ろしさ。私がここに『最大戦力がある』と言った意味がわかったはずです」

「つまりプライリーラは、あのクラゲ騎士を自由に操れるってのかい?」

「あなたも見たように飼い主には服従しています」

「犬とか猫ならわかるけど、あんなクラゲと意思疎通ができるとは思えないけど…」

「それにも賛同ですが、事実なのですから仕方ありません。ジングラスの秘術の中には特定の魔獣を飼い慣らすものがあるといいます。おそらく何かしらの薬などによるものでしょうが…」

「薬の担当は、あんたらラングラスだろう。何か知らないのかい?」

「ラングラスがすべての薬を知っているわけではありません。それに薬の原料は何だと思いますか? 鉱物や菌類も使いますが、大半が植物です。そして人間の食糧の大半も植物です」

「もしかして仕入れの担当はジングラスなのかい?」

「そこが問題なのです。我々ラングラスは薬に使用する材料の仕入れを担当していますが、本来医薬品に使用する植物でもジングラスが食糧と言い張れば競合が発生します。鉱物になればハングラスの担当です」


 グラス・マンサーの権益というものは複雑に絡み合っており、簡単に裏切れない仕組みが生まれている。

 ジングラスがラングラスに近いのは、さまざまな食料品を扱う点だ。

 当然その中には植物などもあり、薬に使えそうなものはラングラスに回されるが、そこでさまざまな諍いやトラブルが起こる可能性があるのだ。

 ソブカがジングラスを目障りと思うのも当然である。ジングラスがいなければ作れない薬品もあるので、もし争えば輸入に頼るしかなくなってしまう。

 一番困るのはその流通過程で、ジングラスが薬の知識を得る点である。

 原料は秘密にされているが、仕入れがわかれば推測することが可能だ。仮にそこで原料を値上げすればラングラスの権益にも影響が出てくる。

 一方のラングラスも医療拒否などで抵抗すればいいが、病人に薬が必須というわけではないのがつらいところだ。

 この力関係がある限り、ラングラスはジングラスに勝つことはできない。それを打開しようにも現状では太刀打ちできない。


「クラゲ騎士は緩慢な動きに見えたかもしれませんが、敵と認識した場合は機敏になります。戦闘になったらあなたでも勝てないでしょうね。仮に鎧を打ち砕いても、その中にはあれが何十匹もいるのですから。数匹倒してもすぐに再生しますし」

「ひ、ひっ! 嫌なことを言うんじゃないよ! また鳥肌が…!」

「見た目はともかく強力な【兵器】です。私たちが知る限りでも鎧に入った存在が三十体以上はいますし、彼女たちはさらに【大型の魔獣】も飼っています」

「あんなのが、まだいるってのかい!?」

「さすがに軟体魔獣はあれだけだと思いますが、大型魔獣は戦闘力が極めて高いです。羽馬の紋章を見たでしょう? …あれは【ジングラスの守護者】を暗示しているのです」

「羽馬…つまり馬型の魔獣かい?」

「そう聞いています。私も実際に見たことはありませんから噂の域を出ませんが、他に魔獣を飼育しているのは間違いありません。ジングラスは武闘派組織が少ない派閥ですが、それらを含めればけっして他のグラス・マンサーには劣りません。いえ、あるいは戦闘力はトップかもしれませんね。だからこそ彼女は【戦獣乙女】と呼ばれるのです」


 個人でも強力な武人であるプライリーラとアーブスラットに加え、クラゲ騎士に守護者の馬型魔獣、さらに他の大型魔獣たち。


 それらの魔獣を操り戦場を駆ける戦乙女―――すなわち【戦獣乙女】。


 あの二人だけでも強力なのに魔獣まで加われば非常に厄介である。

 初代ジングラスは、その力を使って英雄になった。魔獣に怯える人々を魔獣で救う勇ましい姿は、まさに人々のアイドルになるに相応しい存在である。

 その英雄の武具を身につけ魔獣を操るプライリーラは、まさに初代の生き写し。都市内部で人気が出て当然である。


「なるほどねぇ。たしかに降参だわ」

「思い違いをしてもらいたくありませんが、ラングラスとてジングラスに劣っているわけではありません。すべての力を結集できれば勝ち目もあります。集まれば…ですが」


 ラングラスは医者の系統なので秘薬や秘術も多く、ソイドファミリーなどの武闘派を軸にすれば戦闘力も確保できるだろう。

 しかも伝説通りならば初代ラングラスは死者すら蘇生できたという。倒れるたびに仲間を蘇生させ、何度も強力な魔獣に挑んだという逸話がある。

 所詮伝説にすぎないが、何かしらの薬を使って擬似的な不死の集団が作れるのならば圧倒的に有利だ。消耗戦に持ち込めれば勝機もある。

 しかし当然ながら、ラングラス全体が一つにまとまらねば前提条件すらクリアできない。長い時間をかけて腐敗してきた組織に一致団結は望めないだろう。


「結局、待つことしかできないってことだねぇ」


 ベ・ヴェルは、この部屋の奥にある扉に視線を移す。

 この先にある重役専用の応接室の中には、プライリーラとソブカだけが入っている。

 本当はファレアスティも入りたかったのだが、トップ同士の大切な話し合いということで「二人きり」ということになった。


「若い男女が二人きり…ねぇ」

「何が言いたいのですか?」

「いやいや、べつに。ソブカだって男だしね。『あの坊や』みたいに欲望に正直じゃないにしても、若い男ってのはどうしようもない欲求を持っているもんだ。さっきのあんたみたいにムラムラすれば、中で何があっても…いたっ!?」

「やめなさい。刺しますよ」

「刺してから言うんじゃないよ!! 怖い女だね!」


 自信の表れなのか、ファレアスティたちは武器の携帯も認められている。それだけ力の差があることを示してもいるのだ。

 ソブカの性格上、中で色恋沙汰が発生するとは思わないが、相手が武力に訴えたら終わりである。

 プライリーラの性格を考えれば、それもまた低い確率であるも、彼女自身が言ったように絶対はない。そこが心配である。

 何よりファレアスティはプライリーラを【女として】信用していない。

 女は強い生き物であり、獣だ。自分の欲望に一番正直なのは男ではなく女のほうなのだ。だから信用しない。できるわけがない。


(ソブカ様、どうかご無事で…)


 今のファレアスティにはソブカの無事を祈るしかない。それが歯がゆい。




218話 「女、それは野獣の如く 前編」


 ソブカとプライリーラは応接室にいた。

 隣の大部屋にはファレアスティたちがいるが、防音対策もしっかりしているため音はまったく聴こえない。

 部屋の四隅にはジュエルがはめられた観葉植物があり、それが結界の役割を果たしているのだ。仮にどんちゃん騒ぎをしていても、ほとんど聴こえないだろう。

 同時に『術式封じ』もかかっているので低位の術式を起動することもできない。この中では術符はもちろん、ポケット倉庫なども使えない。

 プライリーラの鎧もポケット倉庫にしまわれてあるので、ある意味においてはチャンスではあるが、素で強い彼女に勝てる要素はソブカには何一つない。


「まあ、かけたまえ」

「ジングラスのトップの館にいると思うと緊張しますねぇ。足が震えそうです」

「見たところ君の足はしっかりしているけどね」

「いえいえ、こう見えても臆病でしてね。本当は震えているのです」

「面倒な男だね。素直にさっさと座ればいいじゃないか。子供の頃はよく来ていたんだ。知らない家でもないだろう」

「そうですね。では、失礼します」


 プライリーラに促され、ソブカはようやく座る。


「では、改めて茶を振る舞ってあげよう。それとも酒がいいかな?」

「まだ昼ですからね。お茶にしておきましょう」

「わかった。任せておきたまえ」



 プライリーラが茶を淹れ、茶菓子も用意してから二人がテーブルで対面する。


「君の部下を驚かせてしまったようだね。あの子たちの自慢がしたかったんだ。申し訳ない」

「ああ、ベ・ヴェルのことですか」

「ああいう反応をしてくれる人間は貴重でね。近年では珍しくなった。昔はみんなもっと驚いてくれたのに…」


 飼い主はいつだって自分のペットを自慢したいものだ。珍しいものを集めている者ならば特にその傾向が強い。

 プライリーラも多分に漏れず、そういった傾向がある。初めて来る人間には必ずあれを見せるので、今回の犠牲者がたまたまベ・ヴェルだっただけにすぎない。

 ただ最近は、周囲の人々が慣れてしまったので反応が希薄だ。その意味で彼女の反応は実に素晴らしかった。


「彼女は災難でしたが傭兵としては勉強になったことでしょう。魔獣を手懐ける技術があるなんて思いもしなかったでしょうしねぇ」

「私からすれば普通なのだが…そうだな。普通はそんなことはしないものだね」

「そろそろ仕組みを教えてくださいませんかねぇ?」

「ソブカ氏は油断ならない男だね。それだけは教えられないな。まあ、教えたとしても真似は難しいと思う。何事も代償を支払わねばならないからね」

「それは興味深い。何を失ったのですか?」

「さて、なんだろうね。おかげで普通の感性ではなくなった気がするよ。さきほどの女性が羨ましかったくらいだ」

「おや? それは昔からでは? 子供の頃からあなたが泣いたところなど見たこともない」

「酷いな。これでも女性だよ。寂しくて人知れず夜な夜な泣いているものだ。それを隠しているから意味があるんだよ」

「これは失礼いたしました。あなたの強さが目立ってしまい、どうしてもそうした面を失念してしまいますねぇ」

「君のお目がねにはかなわない、ということだね」

「武人としては十分すぎるくらいに認めていますよ」

「だが、女性としては興味の対象外なのだろう?」

「女性としても十分魅力的です」

「相変わらず世辞ばかりだね、君は」

「本心ですよ。私だって男ですからね。女性の良し悪しくらいはわかります」


 プライリーラは、女性として見ても十分優れた女性だ。

 顔立ちは洗練された美人であるし、プロポーションも良い。普段は鎧を着ているのであまり目立たないが胸も大きい。

 特徴的な髪の色もあり、そこには神秘性すら感じられる。さらに強いとなれば、都市のアイドル的存在になるのも頷ける。

 二十二歳という若さもあり、見合い相手の選択肢は多いだろう。この段階で彼女の将来は約束されている。


「それだけ美しいのです。貰い手は多いでしょうね。さて、相手は誰でしょうか…。そういえばマングラスのところに坊やがいましたね。多少歳の差が生まれますが身分は問題ありません。お互いにとって有益な結婚になりそうです。他の都市とは…ジングラスに関しては難しいかもしれませんしねぇ」


 クイット・マングラス。グマシカ・マングラスの孫であり、まだ年齢は十歳かそこらと聞いている。

 マングラスならばジングラスに相応しい家柄だ。身分はまったく問題ない。およそ十二年の歳の差ではあるが、あと五年もすればそれなりにお似合いになるはずだ。

 また、城塞都市になってからはあまりないが、他の都市との間で婚姻が結ばれることも珍しくはない。

 身分が高い者同士の場合は友好条約の助けにもなる。いわゆる政略結婚であるが、弱肉強食の世界において、その価値は計り知れないだろう。互いに助け合うことの恩恵は大きい。

 ただし、ジングラスは魔獣を操る秘術を持つなど機密情報も多いので、他都市との縁組は今まで事例がない。


「しかしまあ、妻となる女性を南から連れてきた領主の事例もあります。ジングラスは女系ですし、他の都市に有能な人材がいれば連れてきても文句は言われないでしょう。ハピ・クジュネの領主もそろそろ代替わりで、息子はお見合い相手を探していると……おや? どうしました?」


 ソブカが視線をプライリーラに戻すと、彼女は少しだけ不機嫌そうにしていた。

 さきほどは機嫌が良さそうだったので、いきなりの変化に戸惑う。


「ソブカ氏、私に魅力があると言いながら、他の男を結婚相手に推薦するとはどういう了見かね」

「一般論を述べたまでですが…お気に障りましたか?」

「ああ、障ったね。マングラスの子供になんて興味はないよ。他の都市もまっぴら御免だね」

「なぜですか? 身分的には申し分ないはずですが?」

「君は結婚を身分で決めるのかい?」

「組織をまとめる以上、仕方のないことでもあります」

「言いたいことはわかるよ。私もジングラス総裁だ。だが、女性は心で結婚を決める。身分ではない。感情であり感性であり、愛情だ」

「…はぁ、愛情ですかぁ。なんとも曖昧な基準ですねぇ」

「気のない台詞を吐くものだ。やはり君はマイナス380点だね」


 再び知らない間にすごく減点されてる。


 しかしこの直後、そんなマイナスの点数など吹っ飛ぶような発言が生まれる。


 プライリーラがソブカをギラリとした目つきで見つめ―――




「ところでソブカ氏、私と【結婚】しよう」




 何か言ってきた。

 すごいことを言ったような気がする。


「………」


 しばし時が流れる。

 その間、ソブカは静かに茶を飲み、茶菓子をかじる。

 それから少し肩をほぐし、外の景色を軽く眺めて心を静めてから、改めてプライリーラを見た。


「…もう一度いいですか?」

「ところでソブカ氏、私と【結婚】しよう」

「聞き間違いですかね? 私と結婚と聴こえましたが」

「間違ってはいないよ。そう言ったんだ」

「『ところで』と『結婚』がつながらないような気がしますが…」

「ああ、そうかもしれないな。ならば言い直そう。じゃあ、結婚しよう」

「あまり変わっていないように思えます。むしろおかしい」

「そんなことはないさ。『ところで』と『じゃあ』はまったく違うはずだ」

「論点がずれてきましたねぇ。…真意を訊いてもよろしいですか?」

「真意も何もない。若い男女が密室に二人きりだ。自然な成り行きだろう」

「若い男女である前に、ジングラス総裁とキブカ商会長です」

「君ともあろうものが形式を気にするのか? らしくないな。いいかい、この誘いに対して君が述べられるのは『はい』か『イエス』か『OK』のみだ」


 全部肯定である。とんでもないパワハラだ。


「プライリーラ、落ち着いてください」

「落ち着く? 落ち着いていられると思うのかい? 私はもう二十二歳だ。結婚適齢期は過ぎているんだよ。誰のせいだと思っているのかな?」

「あなた…ではなく、何でしょうねぇ」


 ものすごく睨まれたので、「あなたのせい」とは言わないでおく。


「他にいい男がいないのだ。年齢が近くて実力があり、好ましいと思える相手を探すのは非常に難しい。今のところ君が最有力候補に挙がっている。幼馴染補正もある」

「補正と言われましても…幼馴染ならばソイドビッグもおりますよ」

「ソイドビッグ? ああ、あの『はなたれ』だね。懐かしいな。男のくせになよなよしていたから、よく殴ったものだよ」


 プライリーラはソイドビッグとも知り合いだ。ソブカと三人で遊んだこともある。

 そもそもビッグのほうがラングラスの本家筋であり、うっかり忘れそうになるがソブカより身分が上である。プライリーラと付き合うことになんら問題はない。

 ただ、彼は意外と引っ込み思案な性格で臆病だったので、活発な彼女によく殴られたり投げ飛ばされたりしたものだ。おかげでビッグはプライリーラが苦手になってしまった。

 それ以後は、頭が切れて胆力もあるソブカがプライリーラの相手をすることが多くなり、すっかり馴染みになってしまったというわけだ。


(ビッグがおとなしい婚約者を選んだ原因は、間違いなくプライリーラでしょうねぇ)


 ビッグがリンダと婚約していることはソブカも知っている。

 リンダの性格はプライリーラとは正反対だ。きっと過去のトラウマが影響しているのだろう。哀れなものである。


「当然、彼は論外だ。というか枠外にも入らない。私の中では存在すらしていないぞ」

「さすがに存在くらい認めてあげてください。泣きますよ」

「あれのことはどうでもいい。そうだな…うむ。君は性格が捻じ曲がっているようだが、それは私が直せばいいことだ。それ以外のところはまったく問題ない」

「一番肝心な問題が残っていると思いますけどねぇ。もっと気にするポイントがあるはずです」

「…なるほど、たしかに」


 プライリーラが、ソブカを見る。


 その―――【股間】を。


 そして、恥じらいも何もなく訊いてきた。


「ソブカ氏、君の【精力】はどうなのだ? ちゃんと役立つのだろうね?」

「…プライリーラ、冗談はやめてください」

「冗談!? 冗談などではないよ! 男にとって精力は大事だ! 子を成すためには精子が必要だからね!! 私の子宮に仕込むためには元気な精子が必要なのだ! とても大事なことだよ! わかるかね、ソブカ氏!」

「…え、ええ、まあ…原理的には」

「原理的!? いかんな、君は。もっとこう野獣のような衝動は覚えないのか? 私を見て襲いたいとは思わないのか? この胸を好き勝手したいとか思わないのかね!! 私の中に情欲をドクドク解き放ちたいとは思わないのか!? それでこそ男だろう!」

「あなたこそ乙女でしょう? はしたないですよ」

「乙女だから困っているんじゃないか!!」


 プライリーラは『戦獣乙女』である。乙女なのだから処女だ。そうでなければ詐欺である。


「戦獣乙女を維持するためには処女である必要性があるのでは? よく言うじゃないですか。乙女は獣に好かれやすいとか。それを考慮しての乙女なのでは?」

「いや、まったく関係ないね。魔獣を操ることは父上でも可能だ。性別は関係ないし、ましてや処女かどうかなど関係ない。あんなものは人間が勝手に作った迷信だよ。だから結婚しよう。安心して私に精液を注いでくれたまえ」

「…なるほど」

「私は知っているよ。その『なるほど』は、男が困った時に使う台詞だとね」


 グルメリポーターが料理が不味い時に使う名台詞が「なるほど」である。

 言葉に窮したときにはぜひ使っていただきたい。


 使用例:「金を返せ!!」「…なるほど」

 使用例:「子供ができちゃった」「…なるほど」

 使用例:「そろそろ働けよ!」「…なるほど」



「私としてもジングラス本家の責務はある。子供は産まねばならない。だから子種をくれ」

「その『だから』の意味がやはりわからないのですが…」

「いいかい、私は焦っているのだ。父上が急死して予定が狂ってしまった。花嫁修業をする時間が総裁の職務になってしまったんだ。これは由々しき事態だ。忙しくて恋をする暇もない」

「そうですか…それには同情しますが…私でなくてもよいと思いますよ」

「君はそんなに私が嫌いなのかい? …なるほど、ファレアスティか。君は彼女のほうがいいんだね」

「彼女はただの秘書です」

「秘書!? やりたい放題じゃないか! このケダモノ!! あっちの穴のほうが好みか!」

「乙女が穴とか言わないでください」


 もはやオッサンの発想である。あるいはアンシュラオンの発想である。


「プライリーラ、もっと落ち着きましょう」

「君は『メス』の本能を侮っているようだね。その執念を知らない。私は戦獣乙女だよ。獣のような乙女ということだ。いざとなれば君と力づくで交尾をしよう。なんなら今襲ってもいいんだよ。完全防音の部屋に二人きりだしね」

「それはその…やめてほしいですねぇ。私にも意思というものが…」

「必要ないよ。君は情欲のままに精子を出せばいいだけだ。感情と欲求だけで行動すればいい」

「いや、しかしさすがにそれは…」

「そうか、わかった。前の女が気になるというのだね。ならばファレアスティを妾にしよう。それなら何の問題もなく結婚成立だ。三人で仲良くやろう。この好き者め! 思う存分楽しむといいさ!」


(駄目です。話がまったく通じないですねぇ…本気で貞操の危機を感じます)


 結婚適齢期を逃し『オス』に飢えている獣乙女が、密かに婿候補に入れていたソブカと出会い【興奮】している。


 ベ・ヴェルが適当に言った言葉がまさかの的中。


 密室という環境が彼女の本能を刺激したようで、その姿はまさに野獣。魔獣と長く付き合っていると影響を受けるのだろうか。実に怖ろしい。




219話 「女、それは野獣の如く 後編」


「プライリーラ、今の話はもちろん冗談…」

「ではないから安心したまえ」

「…ですよねぇ」


(これは困りましたね。まさかここまで思い詰めているとは…回答を誤ると危険かもしれません)


 アイドルという立場と見た目の可憐さによって誤解されているが、その中身は「肉食系」である。

 自然界でもオスよりメスのほうが強いことが多い。ライオンだって狩りをするのはメスである。プライリーラはまさにその典型的な例かもしれない。

 本来は女性のほうが貞操を気にするものだが、今回の場合は自分が気にしないといけない事態に陥っている。


(彼女も仮面を被っている、ということですか。ストレスが溜まるのはわかりますがねぇ)


 ワッカンとのやり取りのようにジングラス総裁として気を遣う場面も多い。言いたいことがあっても我慢し、できるだけ協調を保つように心がける。

 それも彼女の温和な一面なのだが、もともと肉食系のプライリーラにとっては実にストレスが溜まるだろう。

 彼女の主戦場は「戦場」である。戦獣乙女なのだから戦いでこそ輝くべき存在なのだ。

 しかし今は外部との戦いもなく、言ってしまえば【暇】。闘争本能を満たすことができなくなる。そうなると今度は生殖本能のほうに気が向く。

 つまり今の彼女は「盛りがついた」状態である。その証拠に目がやたら鋭い。獲物を見つけた肉食動物そのものである。


「ちなみに私と結婚すれば魔獣の手懐け方もわかるぞ」

「それは魅力的ですね」

「だろう? とはいえ、これはたいした問題ではない。大事なことは私と君が愛し合い、子を成し、幸せな家庭を築くということだ。ついでにファレアスティもいるので君が性欲を持て余しても問題ない」

「あなたに全部吸われそうな気がしますがねぇ」

「なさけないな。若い男だろう。女の一人や二人くらい満足させてみたまえ」

「性欲や精力は人それぞれですよ。若いからといって強いわけではありません」

「不能ではないのだろう?」

「そうだと言ったら見逃してくれます?」

「ジングラスの総力を結集して、あらゆる手段で立たせてみせる。任せておきたまえ」

「…なるほど」


 もう何も言えなくなってきた。殿下の宝刀『なるほど』を何度も使う羽目になっている。

 なんとか諦めてもらうしかないが、その方法がいまいち見いだせない。頭の切れるソブカであっても、こちらの方面はあまり得意ではないのだ。


「まったく、さっきからの態度はなんだ。これほどの美女が誘っているのだから受けるのが筋だろう」

「そうは言われましてもねぇ。即決できる問題ではないでしょう」

「私が言っているのは当人の意思の問題だ。君がよいと思えば、素直に首を縦に振ればいいのだよ」

「ううん…」


 縦とも横とも取れるように動かす。これも必殺「なんとなく曖昧にかわす」戦法である。


「男たるもの、首はしっかり伸ばす」

「うぐっ」


 グギッ

 が、プライリーラには通じない。首を固定された。


「あなたの腕力だと首が折れかねません。優しくしてください」

「そんなことはどうでもいいよ。で、何が不満なんだい? 君にとっても悪い話じゃないはずだ。我々が組めば、より大きな発展が見込める。ジングラスとラングラスは相性がいいはずだよ。たしかに競合するところはあるが、求めるものが同じだということでもあるからね」

「そうですね。ジングラスとラングラスが手を組めばマングラスを凌ぐ最大勢力になります。それは間違いないでしょう。しかし、私はラングラスの分家筋。そんな権限はありませんから、結局はキブカ商会がジングラスに吸収されることになるでしょう」

「それの何が駄目なのかな? 君と私が組むことに変わりはない」

「駄目に決まっているでしょう。尻に敷かれすぎです。むしろ圧殺されている。それ以前に本家筋が認めるとは思いませんけどねぇ。うちは稼ぎ頭ですし」

「そこはこちらでなんとかしよう。『結納金』を割り増しにするさ」


 結納金は主に男性が女性に対して準備費用として送るものだが、グラス・ギースの慣習では「上位組織」が「下位組織」を買い取るときに使われる言葉だ。

 たとえば今回の場合、ジングラス本家がラングラスの分家をもらい受ける形になるので、その補償金という扱いとなる。

 ラングラスの稼ぎ頭であるキブカ商会を買い取るのだから相当な額になるだろうが、ジングラスの財力を考えれば払えない額ではない。プライリーラの個人資産で何とかなる可能性もある。

 それよりは優秀なオスの確保のほうが重要である。そこにプライリーラの本気度がうかがえる。


「君が勧める本家筋同士の結婚よりは、よほどハードルが低いだろう? 本家筋は結託を防ぐために婚姻には複雑なルールがある。だが、分家の君ならば問題ない。身分にこだわる君の理屈にも沿うと思うがね」

「私はラングラスにそれなりの愛着がありましてね。簡単に見捨てるというのは…」

「では、子供をたくさん作って、その中の逞しい男子をラングラスに送り込めばいい。我々がバックアップしよう。君は分家筋とはいえ血筋的にはラングラス本家とそう変わりはない。ジングラスと強力につながっている子供がいれば、ラングラス側も無視はできなくなる」

「…ずいぶんと危険な発想をしますね。規定には本家への不干渉のルールがあったはずですよ。ある意味でラングラスへの侵略です」

「その垣根を取っ払おうというんじゃないか。君だって常々、この都市の在り方には不満を抱いてきたはずだ。そんな改革左派の君に反対されるとは思わなかったな」

「私が言うのとあなたが言うのでは責任の重さが違います。誰かに聞かれたら大事ですよ」

「ここには私と君しかいない。問題はないさ」

「やれやれ、私が敵だったらどうするのですか?」

「おや、そうなのかい? なら、遠慮なく子種をいただくとするよ。強引にね。敵なら無理やりでもいいだろう?」

「それでは獣ですよ」

「そうさ。男も女も本質的には獣だよ。私は食糧を担当するジングラスであり、より原始的な魔獣と近しい存在だからね。その本質は獣なんだ。戦獣乙女だからね」


 ジングラスが食糧と魔獣を支配するのは自然な流れなのかもしれない。もともとそういった野生的な人間だからこそ選ばれたのだ。

 動物にとって最重要なのは『食事』と『生殖』である。ジングラスは、その二つをもっとも大切にしている。

 そして、その考え方は『誰かさん』に似ていた。


(発想自体はホワイトさんそのものですね。女性版のホワイトさん、といったところですか。ただ、プライリーラのやり方では時間がかかりすぎる。それでは…間に合いませんね)


 プライリーラは武人であるせいか、考え方はかなりアンシュラオン寄りである。

 だからこそソブカにこだわるのかもしれない。自分とは違うタイプでありながらも本質が同じ存在だからだ。

 人間はタイプが違う存在も求めるが、まず最初に求めるのは同類である。彼女は本能でそれを知っているのだ。惹かれて当然だろう。

 もう一つ重要なことは、プライリーラはソブカほどではないにしても【各派閥の統合】を視野に入れている。

 彼女も都市の閉塞感を危惧しており、その打開策を考えていることがうかがえる発言だ。

 しかし、そのやり方は多少汚い面はあれど「正攻法」に近い。そのあたりに彼女の潔癖さが見て取れる。

 たしかに同じ獣同士だが自分やアンシュラオンとは違う。おそらく彼女が選ぶ方法では、時間的な意味で都市がもたない。すでに限界は近いのだ。


 そして、都市の限界の前に彼女の我慢の限界がやってくる。


「そうか。なるほど。これだけつれないということは、本当に私に興味がないということだね。わかったよ。納得した。君が私に冷たいのは単に趣味じゃないからなんだね。とても簡単な話だ。なるほど、素晴らしいよ」


 プライリーラは、ぷいっと顔を背ける。

 彼女はアイドルという立場には興味がないが、女性としてのプライドはそこそこ高い。これだけの美貌を持っていれば当然である。

 そうであるにもかかわらずソブカはまったく乗ってこない。彼女には怒る権利がある。


「わかったぞ。君は男が好きなんだな。この変態が!!」

「突然のいわれなき中傷はやめてください。違いますよ」

「どうだろうな。私やファレアスティにも手を出していないなんて普通はありえない。そう考えるのが妥当だ」

「へそを曲げたのですか? あなたらしくもない。まるで子供ですよ」

「子供も大人も関係ないさ。誰が何をもって『私らしい』と決めるのだろうね。私は私以外の何者でもなく、昔から何も変わっていない。ずっと『可愛いリーラ』のままさ」

「それを自分で言うのはどうかと思いますが…子供は大人になるものですよ」

「君までそんなことを言う。…大人になって何を得たのだろうか。社会常識か? 地位か? 金か? どちらにせよ価値がないものだね。そんなものは何一つ望んでいなかった。君はそう思ったことはないのか?」

「っ……」


 その言葉にソブカは一瞬驚くが、プライリーラも他意があって訊いたわけではないだろう。

 彼女も望んでジングラスになったわけではない。自分同様、生まれた時からそうだったのだ。


(プライリーラ、あなたは子供の頃から変わっていない。子供のまま大人になってしまったのですね。…いや、それは私も同じかもしれません。所詮人間の本質など変わらないのですから)


 人間は日々成長していく生き物だが、その根幹の部分にはどうしても変えられないものが存在する。

 魂の奥底に刻まれた傾向性といったもの。その本質。本性の部分だ。

 ソブカは、自分の胸の中が焼けるような痛みを覚えた。


 そこに―――【獣】がいるから。


 心の奥底には自分でも手に負えない野獣がいる。


 プライリーラがソブカを欲するように―――ソブカの中の獣もプライリーラを欲していた。


(まだだ。まだ燃えるな。今ではない。ああ、なんてことを思うのでしょうかねぇ。プライリーラを見て、こんなことを思うなんて…)


 無防備な姿のプライリーラを見て、思わず【情欲】が込み上げる。

 だがそれは彼女が言うような「オスとメスの関係」ではない。

 多くの男性ならば、その美しい容姿と豊かな身体に欲情や劣情を抱くのだろうが、ソブカが抱くのは―――血に染まる彼女。


 ソブカの剣で斬られて首から血を流しているプライリーラ。


 その目は淀んでおり、もう二度と自分に話しかけることはない。ただの屍になった『可愛かったリーラ』の姿だ。

 そんな彼女の前で自分は笑っているのだ。愉悦と快楽にのたうち回り、最高に楽しそうに笑っている。


 まさに血に飢えた獣。


 彼の中にある、束縛され、すべてに怒り狂っている化け物である。その獣は破壊だけを欲していた。

 獣は、自分を支配するものを許さない。プライリーラの申し出は好意的だが、あくまで上から彼を支配するものである。束縛するものである。自分を奪おうとするものである。

 それが許せない。それが誰であろうと何であろうと、獣は激しい暴力性をもって立ち向かうだろう。


 そう、ソブカの仮面の下にあるのは、何よりも怖ろしい怪物である。


(ああ、彼女をここで殺せたら…それはどれだけ甘美なことか。しかし、釘を刺されていますからね。そんなことはできませんし、そもそも不可能なこと。これを見越してのことならば、やはりあの人は怖ろしいですねぇ)


 ソブカにはそれはできない。状況がそれを許さないし、何よりもアンシュラオンが許さない。


 初めて会った日、白き魔人の赤い目が―――自分の中の獣を見ていた。


 かつて同じ獣を飼っていた同属が忠告を残していった。

 感情のまま、欲情のままに力を解き放てば、その先にあるのはただの破滅である、と。

 一瞬の快楽に満足できるかもしれないが、何一つ手に入れられない人生。それをホワイトことアンシュラオンはよく知っていた。

 あれは一度そういった人生を歩んで後悔した人間の目である。そこには妙な説得力があった。それがソブカを押しとどめる。


(ホワイトさん、あなたは後悔したのですか? だから忠告したと? …それにしても不思議な人だ。もしあなたがいなければ私は行動しなかったかもしれない。それなのに、いざ行動すれば寸前で止められる。これほど酷なことはないでしょう。…が、これはこれで面白いですけどねぇ。それに【人間の私】は、きっと彼女を殺せないでしょう。少なからず愛情はありますからね)


 幼馴染を喜々として殺せるほど凶悪な存在になれば、どのみち自分は血に酔ってしまう。そうなれば破滅しかない。

 なれば、少なくとも今の段階では彼女を殺せない。アンシュラオンもソブカも、求めているのは殺しの快楽ではないのだ。そこを見誤らないようにすべきだろう。



 ソブカは迷いを断ち切るように、少しだけ意思を込めてプライリーラを見据える。


「私は欲しいものは自分で手に入れます。誰かに与えられるものに興味はありませんねぇ。もし結婚するとしても相手は自分で決めます」

「では、私のことが欲しくなれば自分自身で奪うというのかい?」

「そういうことです」

「ふふふ、君も獰猛なオスだったということか。これは面白い」

「それで納得してくれますか?」

「いいだろう。君の口からそれが聞けただけで十分だ。それに私は自信があるのだよ」

「自信?」

「君はきっと私のことが好きなんだと思うよ。性根が捻じ曲がっているから素直になれないだけさ」

「根拠は何ですか?」

「女の勘さ。それ以外には必要ないだろう」

「ふっ、あなたは昔から変わりませんね」

「君もな」


 二人が笑う。

 まるで子供の頃に戻ったように。

 しかし、この二人が心底笑いながらお互いを見たのは、この瞬間が最後となった。

 まったくもって人生とは残酷なものである。




220話 「ソブカとプライリーラの会談 前編」


「さて、本題も終わったことだし仕事の話に移ろうか」

「今のが本題だったのですか? 世間話では?」

「いいや、今のが本題だ」

「…そうですか」


 プライリーラにとっては生殖の話のほうが一番大事らしい。

 だが、そうした和気あいあいの「お話」もこれまでだ。

 これからはジングラス総裁とキブカ商会の会長という身分で対話をしなくてはならない。ソブカにとってはここからが本番である。



「単刀直入に訊くが、なぜあのような真似をしたのかな?」

「あのような真似、ですか。その口ぶりからすると、こちらが悪いことをしたような言い方ですね」

「違うのかい?」

「我々は正しい行いをしているという自負がありますからねぇ。もちろんすべての物事に絶対はありません。双方の価値観があり、言い分があり、見解の相違が生まれることは世の必定です。あなたはジングラスだ。ジングラス側の見解を支持するのは当然のことでしょう」

「もったいぶった言い方をするね。では、そちらの見解というものを聞かせてもらおうか」


 プライリーラから温かみが薄れ、代わりに少しばかりの緊張感を帯びた警戒心が滲み出る。

 この話題は実にデリケートで重要なものである。

 互いの派閥の利権が関わっており、何百という構成員だけではなく、何千何万という一般大衆の生活に直結する問題となるだろう。

 食糧を担当するジングラスの影響力は大きく、強い。そこに介入した以上、納得できる説明が必要となる。


「ジングラスの食糧供給率が下がっていることはご存知ですね」

「それを私に訊くことこそ、君が私に興味がない証拠だね。デリカシーの問題というべきかな」

「致し方ありません。お互いに立場がありますからねぇ。うやむやというわけにはまいりません」

「…供給率のことは当然知っている。その報を受けたからこそ戻ってきたのだ。本来ならば、まだ一ヶ月は戻らない予定だったのだからね」

「それは不運でしたね」

「どうかな。問題が起こったのは残念だが、早く露見したというのは朗報だよ。事態が悪化する前に対処できる」

「なるほど、たしかにそう考えることもできますね。さすがは『プライリーラ様』です」


(…様、か。やはり違和感しか覚えないが…それが大人になったということなのかな。寂しいものだがね)


 ソブカが様付けをすることで、これが互いの派閥間のやり取りであることを強調する。

 それに多少の寂しさを覚えながらも、プライリーラも総裁としての立場で会話を続ける。


「供給率が下がった。だから君は自分たちで仕入れを行った。これが言い分かな?」

「その通りです。あなたがおっしゃるように食糧は人間が生きるうえで必須のもの。欠かすわけにはまいりません」

「だからといって我々の分野に立ち入る権利があるとは思えないな。まずは打診を行うべきだろう。それが筋というものだ」

「打診は行いましたよ。しかし、必要ないの一点張りでした」

「私が留守の間は代理の人間が判断を下すが…当然の対応だね。まだ備蓄もある。他の派閥の力を借りる必要性は感じないな」

「そうでしょうか? 上級街や中級街、一般街などは問題ありませんが、下級街には少しずつ影響が出ています。特に下層部ですが」

「下層部の問題は今に始まったことではないだろう。あそこを改善しようとも不動産の利権を持つ領主が動かねば、我々は手出しはできないからね。それ以前にマングラスの下部組織も幅を利かせている場所だ。迂闊な干渉はできない」

「それを放置していれば手に負えなくなりますよ。すでに侵食は始まっているのです。少しでも『ほつれ』が生まれれば、そこからどんどん崩れていくものです。簡単に治安の悪化を招きます」

「手をこまねいているわけではないさ。経済を破綻させないレベルで援助も行っている。炊き出しだってやっているだろう」

「それが正しい都市の姿ではないでしょう。都市の北側エリアに【貧困街】が生まれつつあることは、あなたも知っているはずです」

「貧困街…下級街からあぶれた者たちが作っている街か」

「それだけではありません。他の都市から流れてきた者たちが行き場を失い、そちらに合流しているのです」


 地図で見ると、第二城壁内部の北側には何もない。せいぜい水源となっている湖がある程度だ。

 事実、そこには何もない。森と荒れ果てた大地があるだけだ。

 しかし、一般街および中級街からは距離があるので知らない住人もいるが、実はこの北側のエリアに【街】が存在している。

 街といっても下級街にすら及ばない質素なものだ。ただ家が並ぶだけで店らしい店も存在しない。

 家にしても、馬車を解体した際に出る廃材を流用したものが多く、しかも素人が作ったものなので、言ってしまえばアンシュラオンが自作した診察所と同じレベルのものである。

 このあたりは温暖な気候なので凍えることはないが、そんな家では大人はともかく子供が暮らすには適さないだろう。その子供も路上で生活する者が大半である。


 そんな惨状から、ここを知る者たちからは【貧困街】あるいは【移民街】と呼ばれている都市の暗部である。


 名前の通り、グラス・ギースに来たものの金がない、または事業で失敗した者たちが下級街すら追われ、最後に行き着く場所である。

 こうした人々は昔からいる住人ではなく、他の都市から来た者が大半である。よって移民街と呼ぶこともできるのである。

 この貧困街に対する領主のスタンスは基本的に下級街と同じ―――不干渉。

 衛士たちの巡回もないので必然的に環境は悪くなる一方だが、一番の問題は【人口増加】である。


「グラス・ギースの経済規模ならば、およそ十数万の人間を養うことができるでしょう。現在の人口は八万ですから、今のところは問題ありません。が、これはあくまで公式発表の数字です。実際にはすでにキャパシティーを超えた人間がこの都市にいるのです。それもここ数年で一気に膨れ上がりました。それだけ南の情勢に変化が生まれたのでしょうね」

「すでにそこまでになっていたのか。…知らなかったな」

「外にいることが多かったですからね。仕方ありません。それ以前に領主の政策に問題があるのでしょう。無害な人間ならば手当たり次第に入れてしまいますからね。入れた当初は無害でも、その後に悪化することを考慮していません」

「かといって見捨てるわけにもいかないだろう。南から逃げてくる者も多いとなると、ここで見捨てたら絶望しかないからね」


 グラス・ギースは最北端であり、【最後の都市】である。

 この先には何もない。それどころか魔獣の巣窟である火怨山しかなく、そこから出てくる魔獣によって人々の生活が脅かされているくらいだ。

 そんな中で人間が住める場所はグラス・ギースが最後。ここで見捨ててしまえば、まさに死しか残されていない。


 あるいは―――スレイブになるしかない。


 モヒカンが多くの白スレイブを持っている理由も、それが最大の要因となっている。もはや選択の余地がないのだ。



「そうか…なるほど。君がこの話をした理由がわかったよ。すでに供給量を大きく下回っているということだね。私が見ていたのは所詮、書類上のデータだったというわけだ」

「残念ながらそうなります」

「もう人数は調べたのかい?」

「東門のデータを集計すれば推測は可能です。増えたのは、おそらく五万人規模。都市の人口は合計で十三万程度になっていると思われます」

「十三万…か。厳しいね。現状では特にね」


 実質的に都市に十数万、おそらくは十三万弱の人間がいるとすれば、八万人を想定している供給率などあてにはできない。

 現段階で、とっくに許容量を超えてしまっているというわけだ。


「貧困街の人々の食糧事情はどうなっているのだ?」

「移民者同士のコミュニティが少しはあるようで、そこで互いに物資のやり取りをしているようです。あとはグラス・ギースの保護団体やハローワークが動いて援助を行っていますが、それだけの人数をまかなうことは不可能です。多くは残飯を漁ったりしているようですが…問題は不法行為でしょうね」

「ふむ、問題だな。窃盗や強盗などが増えれば治安の悪化は目に見えている。北と南で対立が深まる可能性もある」

「病気も問題です。衛生状態の悪化によって疫病でも発生すれば城塞都市にとっては最悪です」

「たしかにな。…最初に訊いておきたいのだが、君は移民を規制すべきだと思っているのか?」

「逆ですね。増やすべきでしょう。都市が生き残る最上の策は人を増やすことです。人間の力こそが、この世でもっとも強い。それをマングラスが証明しているはずです」


 マングラスは、四大市民の中で最初からずっとトップにいる派閥だ。その理由はソブカが言った通りである。

 あらゆる力は人間から生まれる。労働力、知識、アイデア、愛情、夢、希望といったものまで、すべてが人間の霊から発せられる【創造力】なのだ。

 よって、牛や馬がいくら増えても人間の代わりにはなれない。人間こそが最大の力である。だからマングラスは強い。


 そしてソブカは、移民を積極的に受け入れるべきという考えを持っている。


 地球では移民が問題になることが多い。当然それはこの世界でも同じことだ。

 言語は共通かつ人種にこだわらないので差別はないが、貧富の格差や思想の違いは問題となる。

 しかしながらグラス・ギースのような中小規模の都市が生き残るには、さらなる力の拡大が必要だ。しかも今が絶好機である。


「他の地域で侵略や紛争が勃発すれば、さらに多くの難民が押し寄せるでしょう。最近も南の騒動で多くの人々が北上を開始しています。ですが、それはチャンスなのです。彼らを保護し、力に変える。それによってグラス・ギースはさらなる発展を遂げます。ハピ・クジュネよりも大きくなり、豊かになり、最後の都市ではなく【希望の都市】になるのです。絶望の果てに来る都市ではなく、希望を求めてやってくるようになります。ここには衣食住と職があることをアピールすれば、いくらでも都市は強くなれるのです。また、強くあらねばなりません。我々には都市を守る責務があるのですから」

「………」

「…と、少し行き過ぎましたね。申し訳ありません」

「いや、かまわない。感動していただけだよ。君の中にこんな熱い情熱が燃えていようとは…少し意外だった。私の目に狂いはなかった。結婚しよう、ソブカ氏」

「その話は終わったはずですよ」

「ますます気に入ったよ。が、君は情熱だけで生きる男ではない。自信満々にそう言うからには具体的なビジョンがあるのだろう?」

「ええ、一応は。ただ、私の意見が採用されることはありませんからね。この都市の権力構造が変わらねば、グラス・ギースはいつまでも最後の都市のままでしょう」

「結婚すれば変えられる」

「…なるほど」


 もうこれ以上、「なるほど」を使わせないでほしいものだ。


「それはともかく、こちらはジングラスのテリトリーを侵すつもりはありません。単純に都市機能を維持するための行動だと理解してください」

「貧困街を含めれば食糧供給率は赤に近い状況だ。…理屈は通っている。だが、君たちがそれを行う動機は何だ? キブカ商会は慈善団体ではなかったはずだろう? それとも理想のためかな?」

「もちろん慈善ではありません。うちは経済組ですからね。商売を抜きに動くことはできないのです。これを機会に我々に食料品の流通の一部を任せてもらいたいと考えています。ジングラスが想定していない分だけでかまいません」

「一部…か。君の言い分からすれば、それは五万人近い分量にならないだろうか。それを一部と言えるのかは疑問だね。結局は我々のテリトリーへの侵害にあたるのではないかな?」

「それが気になるのでしたら、我々は無償で物資を提供いたします」

「慈善ではないと今言ったばかりだろう」

「これも投資の一部です。都市の混乱を避けるために形式的に売り物にする必要性はありますが、それを我々が行えば問題が生じます。ですので、もし無償が嫌ならば、その役割をジングラスが担ってもらっても結構です」

「君が仕入れたものを買い取れという意味かい?」

「そうであれば助かりますねぇ。しかし、品目はこちらが選んだものですし、そちらの事情もあります。できる限りでかまいませんよ。あくまで流通のお手伝いと思ってください。臨時のアルバイトみたいなものです」

「…ふむ」


 ソブカの言い分は一応筋が通っている。武力行使も都市を想ってのこと、と言い張ることも可能だ。

 しかし、プライリーラも伊達に総裁をやってはいない。ソブカが本心を語っていないことも理解していた。


(彼が都市のことを憂いているのは事実。子供の頃からそうだったからね。もともと真っ直ぐな心根の男だ。情熱があっても不思議ではない。だが…なにかこう…危険な香りがするな。彼がこのタイミングで動くことも気になる)


 それは理屈というよりも感性。直感に近いものであるが、女の勘はいつだって凄まじい。その奥にある不吉なものを感じ取る。

 このまま鵜呑みにはできないだろう。


「君がこのタイミングで動いた理由は何かな?」

「供給量の低下では満足してもらえませんか?」

「それは理解しているつもりだ。だが、ここまで大胆なことをするとは思わなかった。君は頭が切れる男だ。勝算のない戦いは絶対にしないはず。他に明確な理由があると思うのだがね」

「純粋な使命感では駄目ですかね」

「君の性格は知っているからね。話半分で聞いても多いくらいだ。本音を言ってほしいな」

「ですよねぇ。…強いて言えば、西側の入植の可能性です。すでに領主に接触しています」

「…噂のDBDの魔剣士だね。『ディスオルメン=バイジャ・オークスメントソード〈称えよ、祖を守護せし聖なる六振りの剣を〉』。通称『六奏聖剣王国』…だったか。王制っぽい名前だけど共和国らしいね」

「ルシア帝国などの侵攻を受けて王派閥は解体されたようですね。現在では傀儡政権の共和国となっています。その抵抗勢力の代表格が、あの魔剣士殿です。まあ、ほかにも魔剣士は五人いるようですが、行方知れずになっている者もいるようですから内情は不明ですねぇ。どちらにせよ厄介な火種ですよ。場合によっては本国から追っ手が差し向けられる可能性もあります」

「よく調べたね。西側の小国だろう?」

「死活問題になれば必死で調べるものです。変化を怖れて隠れていれば遅らせることはできますが、いつか起こることが確定している以上、逃れることはできません。今から動かねば間に合わないのです。いつ彼らの【移民船団】がやってくるかわかりません。その際、相手が強硬策を取ってくれば抵抗はできませんよ。魔剣士一人でさえ脅威なのです。それが数人いれば、彼らだけでグラス・ギースの全戦力を軽く上回ります」

「ふむ…道理だね。さすがの私も戦術級魔剣士数人とは戦えないな…。一人でもどうなるかわからないだろうしね。そもそもグラス・ギースに軍隊らしい軍隊はない。領主軍も素人が多いし、武人だらけの統率された本物の騎士団が相手では分が悪い」


 グラス・タウンがグラス・ギースになったように、望む望まないにかかわらず変化はやってくる。

 すでにガンプドルフたちが入植の準備を進めている以上、それが友好的であっても油断はできない。自ら動かねば手遅れになるだろう。

 そして、変化を受け入れないものは淘汰される。それが自然のシステムである。




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