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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第四章 「裏社会抗争」 編 第二幕 『激動の白』


201話 ー 210話




201話 「医師連合、スラウキンとの交渉 中編」


「素晴らしい…なんと素晴らしい力でしょうか。欲しい、欲しい…ぜひ欲しい」

「あげられるものならあげるんだけど…で、命気については何かわかった?」

「さほど大きなことはわかりませんでした。古文書類はもちろん、南に来ている西側大陸の医者の先生にも話を聞きに行ったのですが、下手をすると話すら信じてもらえないくらいでした。あなたのお力は、西側の医療技術すら凌駕しておられる。これは驚異的なことです!」

「ふむ…となると使い手そのものが少ないんだな。この様子だと畑違いだね。医者に聞いても意味がないかも」

「世間でも医術とは認識されていないようですね。その代わり民間医療の伝承としてはいくつか記述が残っておりました。たいていのものは山に住んでいた仙人がたまに下山してきて怪しげな術で治した等々、眉唾物の創作物ですが…」

「へぇ、そっちのほうが近いかもね。どんな感じ?」

「その一つに水のようなものを使う伝承がありました。たしかにホワイト先生がやられているように治療に使ったり、結晶化させて素材としてもちいることもあると…」

「ん? ちょっと待って…結晶化? 何それ?」

「はい。そのように書いてありました。用途は不明ですが…」

「ふーん、結晶化ねぇ…」


(結晶化なんてできるのか? 何のために? ちょっとやってみようかな。…固めて固めて凝固させて、もっともっと凝縮して…圧縮して……あっ、できた)


 アンシュラオンが命気を凝縮していくと―――水晶のようなものが生まれた。

 普段は凝固させるところまでしかやったことがないが、さらに固めて固めて、鉱物を生み出すイメージで強力に圧縮してみると結晶化が起こった。

 圧縮するのでサイズは放出した命気の百分の一以下、小さな米粒大の宝石のようなものとして手に残っている。

 それはまさに生命の結晶。キラキラと輝いており、エネルギーに満ちている。


「うおおおおお!!! な、なんという輝き!! 素晴らしい!! さ、触ってもよろしいですか? うほっ、硬い! 液体が凝固したのですか!? いやもう、これは鉱物そのものですよ! それでこれは何に使うのですか!?」


 この現象にスラウキンも驚愕と興奮。顔を真っ赤にして迫ってきた。

 かなり目が血走っているので怖い。


「い、いや、オレも知らないんだけど…。初めてやったし」

「なるほどなるほど、先生でも初めてとは…! 興奮しますねぇ! ぜひとも写真に収めて東部学会で発表したいものですよ!! け、研究させてください! お願いします!」

「スラウキンさん、お、落ち着こう。こんなのいくらでもあげるからさ」

「本当ですか!! はい、はい! 落ち着きますよ!!! ふーーふーーー!」


 むしろ興奮した気がしないでもない。

 スラウキンは一見すれば真面目だが、こと自分が興味あるものには激しい情熱と執着を見せる。マニアやオタク、変態といった種類の人間に多く見られるタイプだ。食いつく様子がラブヘイアを彷彿とさせる。

 だからこそ彼は最初の接触でアンシュラオンに傾倒した。彼個人としては命気の研究ができるだけで満足なようで、即座に協力を誓っている。


(ふむ…結晶化か。考えたこともなかったな。用途は不明だが…スラウキンに調べさせた意味はあったようだ)


 アンシュラオンは命気を使えるが、使えるだけで実体はよくわかっていない。特に害もないので、スラウキンに調査を一任したというわけだ。

 また、命気のことが論理的に示されれば理事会を納得させることもできる。そういう意図があってのことだ。



「結晶化は真実でしたか。こうなると伝承のほうが真実味がありますね」


 しばらく命気水晶を観察していたスラウキンが、ようやく冷静になって話を続ける。


「何か他の記述はあった?」

「水を飲んだ人間が回復したり、超常的な力を得たという記述があります」

「飲むことはできるよ。実際にオレたちも飲んでいるしね。回復は…するんだろうね、たぶん。治療に使っているくらいだし。あまりそういう意図で飲んだことはないけど。というか、次のは何? 塔のてっぺんにある水?」


 某有名漫画でそんな感じの水があったのを思い出す。半分は劇薬だった気もするが。


「詳細は不明です。飲むと仙人の力を継承できるという逸話もありましたが…やはり創作でしょうね。そんな便利なものがあるとは思えません」

「力の継承…か」


 ぼけっと座っているサナをちらりと見る。彼女など毎日ガブガブ飲んでいるものだ。


(サナに変わった様子はないよな? 飲んだだけで強くなるわけないしな。安全を確認した時に何度も調べたんだ。問題はないはずだ)


 サナが飲み水として命気を要求し始めた頃、患者や犬などで実験して安全性を確かめたものだ。それはもう狂ったように飲ませて確認した。

 が、結果は何も変わらない。情報公開を何度も使って確認したので間違いないはずだ。

 サナもルアンに勝てるほど強くはなっているが、どう考えても常人の域である。普通に賦気の効果であろう。


「命気については、今のところこれが精一杯です。本格的に研究をすれば何かわかると思いますが…」

「理事会はそれで納得したの?」

「…申し訳ありません。残念ながら根拠が足りず、先生の加盟は認められませんでした」

「オレとしては、まったくもってそんなことはどうでもいいんだけどね。医師連合に入りたいわけじゃないし。協力してもらえれば十分だ」

「私としては先生に入っていただけるのが一番ですが…」

「そうなると命気の研究を独占できないよ?」

「なるほど。では、入らないでください」


 即答である。そう言われるとちょっと傷つく。


(べつにオレのことを認めなくても、医療麻薬の普及と支持だけしてくれればいいのに…医者のプライドは面倒くさいな)


 アンシュラオンが医師連合に対して求めているのは、当然ながら「医療分野での互恵関係」である。

 彼らはクーデターのことは知らない。知る必要もないので教えていない。そんな危険は冒せない。

 あくまで全面的な協力とバックアップを取引材料として、彼らを抱き込みたいだけである。そのためにソブカにも一筆書いてもらったのだ。

 が、嫉妬か狭量かは知らないが、理事会はホワイトを医者として認めるかどうかで争っている。くだらないとは思うのだが、同じ医者かどうか、仲間かどうか、同じ土俵かどうかでしか判断ができないらしい。

 いくらスラウキン個人がアンシュラオンに傾倒していても、医師連合全体の協力がなければ意味がない。そのためにいろいろと動いているのだ。


「でも、ここに来たってことは違う方法があるってことでしょう? それを聞かせてよ」

「その通りです。たしかに先生自体は認められませんでしたが、その効果については嫌でも認めるしかありません。そこで、現在医師連合が抱えている問題に助力を願えればと思います」

「へぇ、そっちできたか。興味深いね。茶でも飲みながらゆっくり聞こうか」


 アンシュラオンがティーポットに命気を注ぎ、それを火気で加熱。そこに茶葉を入れると紅茶があっという間に完成。


「せっかくだ。結晶化を試してみようかな」


 命気を結晶化させてティーカップを造り、そこに茶を注ぐ。

 特に結晶が熱くなることもなく、漏れもしない。普通に容器として使えるようだ。


「うーん、便利だ。これは使えるかもしれないな。太陽の下だと反射して眩しいからちょっと嫌だけど」

「贅沢な悩みですね…羨ましい」


 その様子をスラウキンが興味深そうに凝視していた。アンシュラオンにとっては普通でも、彼にとっては今まで見たことがない新しい世界なのだろう。

 注がれた命気水を舐めるように飲んでみたり、手に垂らして匂いを嗅いだり、研究者らしい探究心に満ちた行動が印象的だ。


「…もくもく、ごくごく」


 一方のサナは一心不乱に茶菓子を食べ、当たり前のように命気水をガブ飲みしている。

 彼女はスラウキンにまったく興味がないのか、特に何も反応を示していない。シャイナやサリータには反応していたので、このあたりも好みがはっきりしているようだ。


「で、問題って? グラス・ギースの医療レベルの話?」

「それも難題中の難題ですが、個別の案件で申し上げますと特殊な症例の患者が二名おられます。お恥ずかしい話ですが我々の技術ではどうにもなりません」

「それを治せと? それで理事会は納得するって?」

「はい。それは間違いありません。証文を取り付けてあります」

「なるほどねぇ。簡単な話だけど…」


(理事会のやつらはオレが気に入らないはずだ。そのわりに提示した条件が簡単すぎる。となると…厄介事かな)


 たかだか二名の治療など、下手をすれば即日で終わるものだ。

 それをわざわざ提示するとなると明らかに通常の案件でないことがわかる。つまりは厄介事だ。


 そして、アンシュラオンの予感は的中する。


「患者は誰?」

「本来ならば守秘義務がありますが…致し方ありません。お一人目は、領主夫人であられるキャロアニーセ様。症状は、筋組織の急速な萎縮による著しい運動障害です。現在では、ほぼ寝たきりになっておられます」

「領主夫人!? あいつに妻がいたの!?」

「おや、ご存知ありませんでしたか」

「そういえば前に愛妻家という話を聞いたような…本当にいたんだ。脳内妻かと思っていたよ。どこでさらってきたの?」

「いえいえ、きちんとした恋愛結婚らしいですよ」

「夫人は…容姿的にはどうなの?」

「お美しい方ですよ。ご息女のベルロアナ様は母親似ですね」

「イタ嬢は顔だけならば一級品だ。…そんな美人があれと恋愛!? …恐ろしいことだ。狂気の沙汰としか思えない。どうしよう。震えが止まらない…」


 あの領主が恋愛などと、これほど奇妙なことが起こっていたとは世界は不思議で一杯だ。

 ただ、ビッグとリンダのような美女と野獣の例もある。人間の遺伝子は自分とは違うものを求めるのだろう。

 と、そのことは置いておき、病状である。


「筋肉の萎縮か…たまに聞くね」

「夫人は武人なので日常生活はなんとか行えておりますが、病状は進行する一方です。先生ならば治せるでしょうか?」

「さぁ、やってみないことにはね。細胞復元で治るのであれば大丈夫だと思うけど。命気って細胞系に強いし。ただ、領主夫人となると厄介だな。領主城には行きたくないし…車椅子で連れ出すことはできる?」

「城内は車椅子で移動しておられますが、基本的には室内からは出られません。夫人の容態を心配なさっておられる領主が外に出さないように命令しているそうです」

「しょうがないな。野獣に起こった唯一の奇跡だ。大事にするのは理解できる。ふむ、治療と言っても…駄目か。どっちにしろ領主に気取られる。まだ領主と接触したくはないしな。こっちは病状よりも接触することのほうが大変そうだ。スラウキンさんは会えるの?」

「はい。私と数名の医者は定期的に診察を行っておりますので、自由に領主城に入って会うことができます」

「うーん、だったらそっちの路線でなんとかするしかないか。最悪は忍び込むって方法もあるしね」


(と言ったものの、あんな場所に二度は行きたくないよな。サナも連れていくのは嫌だし。なんとか行かないで済ます方法を模索したいな)


 安全性という意味では問題ないが、不快という意味では好んで行きたいとは思わない場所だ。

 ただ、領主に不満はあっても夫人に罪はない。美人ならば助けてもいいとは考えている。


「で、もう一人は?」

「次の患者は、あまり公にはできない人物でして…もしかしたら難しい対応になるかもしれません」

「今回はしょうがない。誰であっても覚悟はしているから、教えてよ」

「そうですか。では申し上げますが…」


 スラウキンは少しばかり迷いながら、結局その名前を口にする。





―――「ツーバ・ラングラス様です」





(なるほど、そうきたか…。こりゃ一本取られたな。これは考えてなかった)


 これにはアンシュラオンも少しだけ苦笑いである。

 まさか自分がこれから蹴落とそうとしてる一派の長の話が出るとは、人生はなんとも皮肉なものである。




202話 「医師連合、スラウキンとの交渉 後編」


 アンシュラオンは、スラウキンをじっと見つめる。その顔には、多少恐縮したような様子が見て取れた。

 間違いなくスラウキンはこちらの不穏な動きに気付いている。ツーバの名前を出す際に言い淀んだのが証拠だ。


(スラウキンは頭の良い男だ。ソブカの書状やオレの動きでクーデターには薄々気付いているだろう。だが、研究者タイプのこいつが命気を捨ててまで理事会に味方するとも思えない)


 ホワイトというぽっと出の医師が、ソイドファミリーの意向を無視して医療麻薬の話を持ってくる段階で、なかなか胡散臭い話である。

 最初の接触がビッグの紹介ならばともかく、ソブカの書状であることも違和感がある。

 当然、最近の悪名も知っているので、少し頭の良い者ならば怪しい動きに気付くはずだ。特に医師連合というラングラスの派閥内にいるのだ。組内の状況はアンシュラオンよりも詳しい。

 だが、スラウキンは命気に相当な執着を示している。今までの彼の言動に偽りはないだろう。

 ある程度の状況を知っていながらアンシュラオンに組しているので、この表情は不思議ではない。

 問題は理事会の提案のほうだ。


(スラウキンがわざわざ情報を提供するわけがない。確証があるわけでもないし、メリットも存在しない。では、違う場所から計画が漏れたか? オレ以外に知っているとなれば、ソブカかファレアスティさんくらいだ。…彼らも命がかかっている以上、そう簡単に漏れるとは思えない。ならば理事会が独自で勘付いた? 可能性はあるが…だとしてもこれは出来すぎだな。それをオレに教える理由がない。単純に考えて自分たちが所属する派閥のトップの許可が欲しいとか、そういったものだと思いたいが…)


 理事会に計画のことは教えていない。だからこそ多少肝を冷やしたが、これは考えすぎだろう。

 彼らとしては単純にトップからのお墨付きが欲しいと思っているにすぎない。得体の知れないホワイトなる医者よりも、長年付き合いのあるラングラスを重視するのは当然の判断だ。

 ラングラスが決めたことならば自分たちが判断ミスをしても責任を回避できる、という算段もあるのだろう。

 難病を治療してやればツーバに恩を売ることもできる。どちらにしても悪い話ではない。


(医者ってやつは賢しいもんだな。ひとまずもう少し詳しい状況を訊くか)


「ツーバ・ラングラスか。名前は知っているよ。たしか医師連合やソイド商会、キブカ商会が属している派閥のトップだよね? ソイドビッグの曽祖父だったかな?」

「その通りです。現在は半分隠居なさっておられますが、いまだラングラス本家の長です」

「医師連合はツーバに頭が上がらないの?」

「そういうわけではありませんが長年の付き合いがあります。古参の方々は年代も近いものですし、仲が良かった人もおられます」

「老人連中同士で癒着があるってことね」

「そのようです。我々の世代はそこまで繋がりがあるわけではありませんが、理事会の大半が古参である以上、むげにもできません」


 同じ医療関係なので癒着があるのは当然のことだ。

 ソイドファミリーの医療麻薬とて、言ってしまえばラングラスから仕入れているようなものだろう。値段は売り手が自由に決められる。他の医療機器もそうだ。

 そうなるとツーバの発言力は大きい。彼が指示したことに安易に逆らうことはできない。


(逆に言えば、ツーバを何とかすれば医師連合は何も言えないってことだな)


 そのあたりは計画とは矛盾しない。やることは一緒だ。

 ただし、この後のスラウキンとの会話によって予想だにしないことが判明する。


「それで症状は? 老齢でほとんど外には出ないって話しか知らないけど…」

「老齢…ですか」

「あれ? 違った? たしか九十歳くらいとか聞いたよ」

「ああ、いえ、すみません。年齢はそうなのですが…病状と関係することでして。ううむ、これが奇妙な話なのですが…その、信じてもらえるかどうか…」

「そんなに言い淀むことなの?」


 スラウキンにしては珍しく言いづらそうだ。ツーバの名前を出した時以上に口篭っている。

 ただ、言わねば話が先に進まないので、意を決したように白状する。





「実は―――【若返っている】のです」





「…へ? …若返る?」


 スラウキンが本当に奇妙なことを言い出した。

 思わずアンシュラオンも素っ頓狂な声を出す。


「言っている意味がよくわからないけど…そのままの意味?」

「不可思議なことですが、そのままの意味です。現在の肉体年齢は、およそ五十歳程度にまで戻っておられます」

「ビッグは、そんなことは言ってなかったけど?」

「そうでしょうね。ここ何年かは顔を隠してカーテン越しに話していたはずですから。まさか若返るなど思わないでしょう。もし感染する病気だと厄介ですので、私たちがそう助言しております。本当は面会もしないほうがいいのかもしれませんが…」

「若返るのならいいんじゃない? 不老不死とか若返りは人類の夢でしょう?」


 生命の本質たる霊の概念を知ると不老不死の無意味さがよくわかるが、多くの場合、地上においてそれは永遠の夢とされている。


「生き延びさせるのが医療の目的ですから、一つの目標ではあります。それが体現されていれば偉大なことですが…若返るごとに衰弱していくのです。肉体が若返るのに意識のほうが衰弱していきます。結局、寝たきりとなるのです。現在では、もう話すこともできない状況に陥っています」

「それじゃ意味がないね。何百億という金が手に入ったのに意識不明じゃ意味がないのと一緒だ。で、それは病気なの?」

「おそらく…としか言いようがありません。肉体には異常がないのです」

「それすらもわからないか。ふむ…困ったな」

「治せますか?」

「それこそわからないな。ただ、武人の世界だと理論的には若返りってのはあるんだよ。老化ってのは結局、生体磁気の欠乏によって起こることだしね。消費以上に補充してやれば老化はしない」


 実際、アンシュラオンもすでにその段階に至っている。練気による生体磁気の補充によって消費を上回り、肉体は全盛期を維持し続ける。

 この理論でいくと、「老いる=生体磁気の欠乏」であるので、「老化しない=生体磁気の適量補充」となり、「若返り=生体磁気の過剰摂取」である。

 ただし通常は、細胞の劣化や分裂回数に限界があるので老化は不可避だ。人間は造られた目的上、どうしても老化する必要がある。

 地上世界は、あくまで物的体験の場にすぎないからだ。生命の本質は霊、心の世界にこそある。


 が、例外もある。


 ここに【命気】の要素が加わると話が変わってくる。

 命気は細胞復元を可能にする気質なので、欠乏時に劣化した細胞を再生させることができる。命気を定期的に使ってクリーニングすれば、事実上の不老を体現することができるだろう。

 ただ、それは何もしなかった場合。実際に大きな戦闘などを何回もやって疲弊すれば、その限りではない。

 しかもそれはアンシュラオンのような超人だけに許された領域である。一般人には到底不可能なことだ。

 となれば、成長がひどく遅いのならばともかく、九十歳が五十歳に若返ることは明らかに異常である。


「遺伝子の欠損という可能性もあるけど、普通に考えれば、ツーバはおそらく何かしらの異常事態によって生体磁気を過剰に摂取しているんだと思うよ。当人が寝たきりなのにそうなるってことは、やっぱり外的要因なのかな…」

「意図的に他人を若返らせることはできるのですか?」

「戦気術に賦気ってのがあるけど、あれを極限まで行えば不可能じゃない。でも、たぶんその前に死ぬね。自分とは違う生体磁気なんだから、相性が少しでも違えば詰まって死ぬ。他人の血液が入るようなもんだし。あとはオレの知らない術とかかなぁ。この世界のことをすべて知っているわけじゃないし、場合によっては肉体そのものが造り替えられている可能性もあるし…」

「なるほど…これはもう医者の範疇を超えておりますね」

「だね。呪術なのか細胞の突然変異なのかはわからないけど、スラウキンさんたちの領分じゃなさそうだ。これをオレに持ってきたのは正しい判断だったのかもしれないね。医者としては、だけど。さて、どうしょうか…」


(なんだかおかしなことになってきたな。ツーバがそんなことになっていようとは…予想外のことばかりが続くもんだ)


 アンシュラオンは、ソイドマミーを捕まえてツーバと交渉しようと考えていた。ただそれだけだ。ツーバ当人のことはまったく意識していなかった。

 しかし、話すことも困難になっているとなると交渉すらできない。脳死という意味で意識があるのかさえ疑わしい。病状を聞く限り、かなりの厄介事だ。治るかどうかも未知数だ。

 最悪はツーバを諦めて力づくでラングラスを乗っ取ればいいのだろうが、そうすると医師連合がついてこない。

 堅物兼俗物の老人連中を排除するのはいいが、医者の数自体が減ってしまうし、無駄に怖れられて他の医者と距離が生まれるかもしれない。

 スラウキンも西側の医者と接触したと言っていたが、医者という存在はグラス・ギースだけにとどまるものではない。カテゴリーとして独立しているのだ。

 強引な手法は命取り。その噂が広まれば、思わぬところで足をすくわれる可能性もある。

 そして、医師連合がついてこない(あるいは機能不全になる)と医療麻薬の普及もままならず、シャイナやホロロの願望も満たせないし、自分も利益が少なくなる。混乱も増す。

 結局、依頼は受けるしかないのだろう。成否はともかくこのまま放置しておけば、必ずあとでしっぺ返しがやってくるような気がしてならない。


(あくまで勘だけど、これは大きなターニングポイントかもしれないな。今までの人生において、こうした面倒なことを放置して失敗してきたことは数知れずだ。これだけの異常がラングラスのトップに起こっているんだ。何かしら原因がある。そしてそれは、この都市にも大きな影響を及ぼしているはずだ)


 グラス・マンサーの一角が、こんなことになっている。それをおかしいと思わないほうがおかしい。

 前の人生でも、こうした違和感の重要性は学んでいる。ここで労を惜しんではいけない。アンシュラオンの直感がそう言っている。


「形はどうあれ、治せばいいんだね?」

「お願いできますか?」

「やるさ。なんとかするよ」

「ありがとうございます。そして誠に申し訳ないのですが、治療は極秘裏にお願いいたします」

「そりゃ当然だね。それでこそ、そっちにメリットが出る」

「…お恥ずかしい話です。本当はそのようなことで争っている場合ではないと思うのです。医療の進化こそが重要のはず。それを面子などで穢すほうがおかしいのですが…」

「スラウキンさんは立派な医者だね。ほんと尊敬するよ。オレも真似事をちょこっとやってみたけど、長く続ける自信なんてないなぁ。あんな患者たちと話すだけで気持ち悪いし。それを我慢しているだけでも尊敬もんだ」

「先生は正直ですね」

「本物の医者じゃないしね。でも、あんたは医者だ。本物のね」

「医療にすべてを捧げてきました。だからこそ…許せない。医療の価値を認めない人間も…すぐに医者を見放す者も」


 スラウキンは怒りを感じていた。

 彼もまた医療を担当するラングラスの立場に疑念を抱いていた人間の一人だ。最下位であることに納得していない。

 多くの人々は、食糧や道具などの目先のことばかりに目がいき、医療の可能性を追求しようとはしていない。生きていくだけで精一杯だからだ。

 だから医療技術は発展しないし、発展しないから患者も諦める。麻薬に頼り、生活が乱れ、根源的な解決を図れなくなる。完全なる負のスパイラルに陥る。

 そして、そんな中でも必死に努力してきた医者たちを簡単に見放し、ホワイトに乗り換える患者にも怒りを感じている。

 スラウキンも医師連合の人間だ。医者の気持ちはよくわかる。心の中には、多少ながらホワイト医師に対する反発もあるだろう。


 だが、新しいものを受け入れられない者は―――淘汰される。


 それが自然の法則である。スラウキンは、そこまで愚かではない。


「すみません。少し感情的になってしまいました。医者である以上、患者の幸せを願うべきなのに…」

「いやいや、あんなクズどものことなんて気にする必要ないよ。そもそも勝手にそっちの縄張りを荒らしたのはこっちだ。本来はオレが頭を下げるべきなんだろうけど…こういう性格でね。頭を下げるくらいなら死んだほうがましだ。だからお互いにビジネスでいこうよ」

「…わかりました」

「オレに味方する以上、それに見合うだけのメリットを与えるつもりだよ。希少な薬剤などの医薬品はもちろん、命気の研究が進めば医療にだって役立つだろうしね」

「ありがたいことです。…このティーカップももらってよろしいですか?」

「欲しいならどうぞ」


 さっそく命気の研究をやる気満々である。


「そっちの条件は呑む。これで仮契約ってことでいいかな? たぶん、今すぐの治療はできないと思う。身分が身分だけに二人ともタイミングを見計らう必要があるしね」

「問題ありません。両者がご存命の間に何とかしていただければ大丈夫です。私個人は、いつでも何でもご協力いたします」

「ありがとう。助かるよ」



 こうして課題は出来たものの、スラウキンとの交渉は無事まとまった。

 個人とはいえ組織の代表である彼を引き入れた意味は、かなり大きいだろう。




203話 「ハングラス倉庫、襲撃」


 一般街の北側には倉庫区が広がっている。(地図で暗くなっている一帯)

 上級街にも倉庫区はあるが、一般街のものはそこから送られてきたものを一時的にストックしておく場所であり、ここから一般街以下の店に直接商品が届く仕組みになっている。

 また、都市の入り口である東門にも近いため、外から輸入してきたものもこちらに格納される。上級街の工場に運ぶ材料や素材も多くはここに仕舞われている。

 その何百という大小さまざまな倉庫の中でもひときわ目立つのが、黄色い塗装をした巨大な倉庫。

 他の倉庫の三倍以上はありそうな大きな倉庫が、見る者を圧倒するようにそびえ立っている姿は、なかなかに壮観である。


 倉庫は全部で十五。


 衣類や建築資材はもちろん、サンドシェーカー、吸水玉、石鹸、化粧品などから、ランプ、水筒、メガネ、ベッド用品などの生活必需品がずらりと並んでいる。

 この倉庫が一つでも失われれば、都市内部に暮らす住民に大きな損害が生まれるのは間違いない。

 サンドシェーカーがなくなればトイレの処理にも困るし、石鹸がなくなれば汚れを落とすことも大変になる。包丁一つないだけで料理さえできない。燃料薪がなければ火を起こすことも難しい。


 言ってしまえばこの場所こそが、都市機能を維持する【心臓部】である。


 どの倉庫の物品も、都市で生活するためには必要なものばかりだ。

 しかし、どうしてもその中から一つしか選べないと言われたら、管理者は泣く泣く【ソレ】を選ぶに違いない。

 それは、この社会にとってどうしても必要なもの。

 新しい衣類がないと困るが、古着を集めればなんとか生きていける。サンドシェーカーがないと困るが、紙を使ったり、あるいは自分で砂を熱して殺菌すれば、まだなんとか対応できなくはない。

 メガネも捨てがたいが、なくても生きてはいける。ベッド用品もそうだし、石鹸も泣きながら我慢しよう。

 しかしながら、これだけは無いと困るのだ。

 この都市だけではなく、この世界の文明を支えているすべての根源。これがなければ何一つ成り立たないという、とてもとても重要なものがある。



―――ジュエル



 この魔石がなければ、この世界では何もできない。

 クルマを動かすことも銃を撃つことも、街に灯をともすことも、もっと言ってしまえば結界を生み出すこともできないので、一見すれば立派に見える城壁自体が無駄になってしまう。

 地球でたとえるならば、電気がないのと同義である。

 テレビ、パソコン、携帯端末、電子レンジ、その他あらゆるものが使えないことになる。冬になれば凍死さえ覚悟する状況に追い込まれるかもしれない。

 それはこの世界も同じ。ジュエルがなければ何もできないのだ。術者がいちいち術符を書いたとしても間に合わないに違いない。

 この都市が城塞都市として成り立つにも、この世界が世界足りうるためにも、術式を付与できるジュエルという媒体だけは死守しなければならない。




 すでに周囲が暗くなった闇夜の中、その大切なジュエルが管理されている倉庫に、とある集団が近寄っていた。

 全員が仮面を被った者たちで、死臭と血の臭いが混じったような、明らかに異様な気配を身にまとっている無法者たちである。

 人数は十人。アンシュラオンとサナに加え、幹部格ではヤキチとマサゴロウ、マタゾーが帯同している。ハンベエと他の戦罪者は陽動を兼ねて他の場所を襲撃する予定だ。


「ここが【ハングラスの倉庫】か。でかいな。まさに金持ちって感じだ」


 アンシュラオンは、大きな黄色の倉庫を見上げる。

 外観は、よく地球の港などで見かける倉庫に似ており、おそらく内部も似たような造りであろう。

 このグラス・ギースにおいて、ここまでの倉庫が必要になること自体が脅威である。しかも倉庫はこれだけではないのだ。細々としたものは他にもあるし、上級街にも大きな倉庫を持っている。

 まさに金持ち。豪商と呼ぶに相応しい。これと比べると成功しているキブカ商会でさえ小粒に見えてくる。


 この倉庫の持ち主は―――北のハングラス。


 グラス・マンサーの一人、四大市民であるゼイシル・ハングラスが当主を務めるハングラス一派は、主に生活雑貨一般を担当している。

 生活雑貨と大雑把に言うと安っぽいイメージがあるが、その範囲は広い。

 生活に必須のジュエルは当然のこと、コッペパンで売っているような術具、バランバランで売っている武具類なども仕入れている。

 軍事力を担当とするのは領主のディングラス家だが、そこで扱う武器などはハングラス経由で仕入れているのだ。それだけで影響力の強さがわかるというものだろう。


(ふむ、こうして考えるとラングラスって担当している分野が弱めだよな。昔は価値があったのかもしれないけどな…落ちぶれるとこれだけの差が生まれるか)


 人材のマングラス、食糧のジングラス、物資のハングラス。他の三勢力と比べると医療のラングラスは若干弱いように思える。

 しかし、かつての医者は女神の御使いとも呼ばれるほどの存在であり、魔獣との戦いが常であった荒野においては必須の存在だったのだ。

 地球の宗教の始祖にもヒーラーがいたように、その絶大な霊的医療の効果に、知識がない人間には奇跡を起こしているように思えたことだろう。

 実際、五英雄の一人であるラングラスには、死者すら蘇らせたという逸話が残っている。そのあたりは眉唾物であるが、仮にアンシュラオンの命気のようなものが使えれば、あながち嘘とも言えない。


(それがジュエル技術の発展と城壁によって衰退か。ラングラスの立場が今から急上昇することは不可能に近い。ならば、やることは簡単だ。他の勢力から力を奪えばいい)


 一番簡単な成長の方法は、すでに力を持っている者から奪うことである。

 金が欲しいのならば金を持っている人間から奪うか、支配すればいい。医療を発展させたいのならば、奪った力を使って研究進化を続ければいい。

 ここはフロンティア。それはすべて純然たる力によって行われる。


 今日のターゲットは、ハングラスの倉庫。


 都市の心臓部をそっくりそのまま頂戴するという、今までの作戦の中でもっとも大規模なものだ。


(この作戦終了後、おそらく一気に警戒レベルが上昇するな。今まで以上の完全なる敵対行為だしな。くくく、楽しくなりそうだよ)


「行くぞ。オレについてこい」

「うす」


 今回はアンシュラオンが先頭を歩く。その理由は、これがただの倉庫ではないからだ。

 アンシュラオンの目には、倉庫の周囲に薄い赤い膜が張られているうように見え、さらに入り口にはもう一つ別の結界が施されているようだ。


―――【割符(わりふ)結界】


 普通に通ろうとすると結界に阻害されるが、特定の術式を付与したジュエルなどの媒体を持っていると、それが鍵となって結界の術式と合致して素通りできるタイプのものだ。

 言ってしまえば鍵付きの結界のようなものだろう。当然ながら倉庫を管理する人間は、その鍵を持って出入りしている。

 しかしアンシュラオンは、わざわざ鍵を手に入れる必要はない。


 バリンッ



 結界に触れただけで―――破壊。



 この程度の術式では魔人の歩みを止めることはできない。

 しかしながら、ここはハングラスの縄張り。それに対する防護策も練られていた。


 ピーーーピーーーピピピピピ!

 ピーーーピーーーピピピピピ!

 ピーーーピーーーピピピピピ!


 やたらと耳に響く甲高い笛のような音が鳴り、周囲に侵入者がやってきたことを教える。


 ザッザッザッ

 その音を聴きつけ、即座に周囲の倉庫から警備隊がやってきた。


 その数は、およそ五十人。


 無手の者は少なく、ほとんどの者が何かしらの武器を携帯している。剣や盾、斧、銃火器に加えて全身鎧を着ている者もかなりいる。まさに完全装備といった様相だ。

 警備隊は、瞬く間にホワイトたちを包囲。完全に一帯を封鎖する。


「へぇ、けっこうな数じゃないか。手際もいい。最初から用意していたって感じだな」


 警報が鳴ってから駆けつけるまでの速度、数、配置。すべてが最初から用意されていたような状況である。

 まるで最初からホワイト商会が、ここにやってくることがわかっていたように。



 包囲が完了し、一人の男が前に出てきた。

 隣にいた全身鎧の男と比べると遥かに軽装で、目ぼしい武器は腰に下げた赤い鞭くらいなものであるが、明らかに他と違う威圧感を放っている。

 おそらくこの男が敵のボス格であろう。


「私はザ・ハン警備商会の第一警備隊を任されているグランハムである。不法侵入の現行犯でお前たちを拘束する」


 ザ・ハン警備商会。ハングラス一派が運営している警備専門の組織である。

 以前、喫茶店でファレアスティが言っていたハングラスの警備商会とは、まさにこのザ・ハン警備商会のことだ。

 自分たちの荷物は自分たちで守る、という流儀から組織された商会で、西側から流れてきた腕利きの騎士や傭兵たちをスカウトして構成されているので、実際にかなりの戦闘力を有する組織だ。


 彼らこそ、事実上の【ハングラス最高戦力】。


 特に第一警備商隊は、各商隊の中から選りすぐったエリートたちで構成されているという。

 隊長をしているグランハムという男も見ただけで相当な腕前であることがわかるし、彼の周囲にいる者たちもかなりの腕前だ。その実力は戦罪者にも劣らないだろう。


 まさにアンシュラオンの希望通り。


(ハングラスも案外本気で向かってきてくれたな。情報を流した価値がある。これは楽しめそうだ)


 当然これはファレアスティに要請したものであり、自ら情報を流して集めさせた戦力だ。

 どうやら場所が場所だけに相手もかなり神経質になっているようで、いきなり最高戦力をぶつけるという手段に出た。

 これは極めて正しい判断だろう。ゼイシル・ハングラスの人間性が透けて見えるようだ。


(ゼイシルは生粋の商売人と聞いている。自分の荷物を奪われることほど不快なことはあるまい。ジングラスの一件で不安になったようだな。正しい認識をするのは実に結構なことだ)


 すでに周囲は包囲されている。

 普通は逃げ場がなくて慌てるところだが、アンシュラオンはイタズラが見つかった子供のように笑った。


「おや、これはわざわざどうも。毎日倉庫の警備、ご苦労様です。でも、いきなり拘束は酷いなぁ。事情くらい聞いてくれてもいいんじゃないですかね? 知らないで間違って入ることもあるだろうしね」

「では問うが、このような時分にこのような場所に何用かな?」

「たまたま夜分に散歩をしたい気分でしてね。それくらいはいいでしょう? 散歩をする権利くらいはあると思いますが? なにせ運動不足でして、昼間の運動だけでは足りないんですよねぇ」

「だとしても貴殿らがここを訪れる理由はないと思われるが? 上級街を本拠にする者がなぜここに参られたのか、納得のいく説明をしていただきたいものだな」

「グランハムさん…でしたか? ずいぶんとうちに詳しいようですね。もしかして、我々がここに来ることが最初からわかっていたんじゃないですかね? 用意もいいですし」

「問うているのはこちらだ。速やかに返答願いたい」

「いやー、お堅いもんですなぁ、立派立派。うちも護衛業ですけど、あんたらみたいに真面目に仕事なんてしたことないですしね。なぁ、おい。お前たちも、あのお兄さんを見習ったらどうだ?」

「オヤジぃ、そりゃ酷いぜぇ。おらぁたちだってよぉ、一生懸命励んでいるじゃねえですかぁ」

「そーそー、毎日忙しいですぜ。殺人に強盗に恐喝、みかじめ料だって請求しに行ってるじゃねえですか。あっ、こないだは現金輸送車も襲ったっけか? あれは楽しかったなぁ。必死に泣き叫んで命乞いしてよぉ」

「ああ、あれかぁ。まぁな、俺らは勤勉で優しいからよぉ、ちゃんと家族も同じところに送ってやったよなぁ。ほんと勤勉だよなぁ、俺たちぁよぉ!」

「ぎゃはははは! まったく、この都市は最高だぜ。金が使いきれないで困る! なくなったらまた奪えばいいんだからよ! 自給自足ってのはこのことかぁ? たまんねぇな!」


 げらげらげら、とアンシュラオンの後ろにいる連中が笑う。

 その下品な笑い声に、グランハムは心底不快そう顔を歪める。怒気からか、すでに周囲に戦気が放出されている。


「ホワイト商会(仮)(仮)(仮)(仮)(仮)(仮)め!! いろいろと好き勝手にやっているようだが、それも今日までだ! ここでお前たちを成敗する! というか、仮は一つにせんか!!!」

「そんなこと言われてもねぇ。マングラスがちょっかいを出してくるんだからしょうがない。べつにホワイト商会だけでいいじゃん。真面目なやつだなぁ。それより、そんな早口でよく噛まないで言えたね」

「うるさい! これ以上、この都市での狼藉は許さん! ここでお前たちを排除する! もはや遠慮はいらん! 叩き潰す!」

「ははは、なんだよ。最初からそう言えばいいじゃないか。腕に自信があるんだろう? 文句があるなら、さっさとかかってこいよ。たっぷり相手をしてやる」

「ふん、本性を現したな!! 総員、攻撃準備!!」


 グランハムが手を挙げると、周囲の隊員が武具を構える。

 最初から生きて帰すつもりなどないのだ。




204話 「ザ・ハン警備商隊との激闘 前編」


「攻撃開始!! ホワイト商会を殲滅しろ!」


 グランハムの掛け声とともに、一斉に敵が攻撃を仕掛けてきた。

 まず起こったのが銃撃。包囲した状態、四方八方から銃弾が飛んでくる。

 これはいつも通りの展開である。たいていの相手はまず銃撃を仕掛けてくるし、戦術としても飛び道具を使うのは定石だ。

 アンシュラオンに向かってきたものは戦気による防御ですべて破砕。跡形も残らず消え去る。

 しかし他の場所では、いつもと違うことが起きる。


 一発の弾丸が戦罪者に当たると―――爆発。


「ぎゃっ!」


 そのまま吹っ飛ばされて、ごろごろ転がる。


「ちくしょう、なんだぁ!? 防御したぞ! くそっ!」


 戦罪者は、肩付近が焼け焦げている。

 戦気で防御したはずだが、それが完全に機能していない。


(ほぉ、当たった瞬間に爆発したのか? 威力は大納魔射津ほどじゃないが、そこそこダメージは受けたようだな。普通の銃弾ではないようだが…火か? それとも爆破か? 何かしらのジュエルを飛ばしている可能性が高いな)


 これは『爆炎弾』と呼ばれる特殊銃弾で、弾頭尖端にジュエルが埋め込まれており、当たると術式が展開して爆炎を生み出すものだ。

 半分は術式に該当するものなので、仮に耐銃壁の術符を使っていても、弾丸そのものは防げても爆炎までは防げない術式弾である。

 戦罪者も戦気で防いだが、爆炎部分が戦気防御を貫通したというわけだ。これを防ぐには三倍防御の法則で、威力の三倍にあたる戦気を張らねばならない。


「なめてんじゃねえぞ!! こんなもん、防げないと思うのかよ!!」


 戦罪者はさらに戦気を放出して防御する。


 バンバンバンッ ブシューー


 銃弾を弾き、爆炎も届かない。戦罪者のレベルも高いので、これくらいは防ぐことができる。

 しかし、それだけ多くの戦気を消耗していることになる。相手もそれを見越しているのか、防がれても構わず弾丸を撃ち続ける。

 中には爆炎だけではなく、雷のようなものまで見えた。こちらは『雷撃弾』と呼ばれるもので、当たった瞬間に雷撃が迸りスタンガンのように衝撃を与えるものだ。

 雷属性の攻撃は直撃すると身体が感電して動けなくなるので、雷気を放出して無効化できるマタゾー以外は、回避か完全防御が望ましい。


 しかも相手の攻撃はこれにとどまらない。


 特殊弾と一緒に降り注いだのは―――術符。


 サナも使った水刃砲やら風鎌牙などの術が吹き荒れ、間合いを詰めようとしていた戦罪者たちを攻撃。

 まず風鎌牙を使って相手の動きを制限し、的確に水刃砲で射抜いていく。

 ズシャーー ボトッ


「ぐっ! 腕が!」


 戦罪者の一人が腕を切り落とされる。術は防御無視なので直撃を受ければ仕方のないことだ。

 だが、HPと体力が高めの荒くれ者集団に対してこれだけの威力を出すのだから、サナが使った時と同じ符とは思えない差を感じる。


(術符の使い方に慣れているな。当たり前のように相性を考えて放ってくる。しかも魔力が高いのだろう。威力もサナの数倍以上だ)


 サナは子供かつ一般レベルなので、ヤドイガニの足を切り落とすのが精一杯だったが、大人が使えばこうなるということだ。

 相手は熟練した戦闘集団。魔力の値も高いと思われる。そして、そういった者に優先して術符を与えているはずだ。

 この威力ならば、エジルジャガー程度は一撃で倒せるかもしれない。集団で一斉攻撃すれば大物だって倒せるだけの実力はあるだろう。


 ザ・ハン警備商会は、強い。


 何より今までの相手と違って対人戦闘にも慣れている。ハングラス最強戦力の名は伊達ではないらしい。


(遠距離からの術式弾と術符での攻撃を雨のように放ち続ける。なるほど、これならば肉体能力の高い戦罪者たちでも簡単には近づけない。考えたものだな)


 術は防御を貫通するので、ひたすら遠距離から使うだけでも相当な効果が見込める。

 体力はあるが頭が悪く、ただひたすら突っ込むことしかできない戦罪者たちに対するには、実に有効な戦術である。

 ただ、こちらに合わせたというよりは、遠距離の攻撃で終わるのならば誰だってやりたい戦術である。この攻撃を維持できることが脅威なのだ。


(この物量作戦を惜しげもなく続けられるのは、さすが物資のハングラスか。あの術式弾だって一発一発は相当な額だろう。術符だって十万だぞ。問屋だから卸値だとしても高級品であることには違いない。銃もどうやら衛士たちが使っているものよりも上等らしいな。南から仕入れているのか?)


 銃も衛士たちが使っているものよりは上等なようで、三発はリロードなく連続発射している。それを前列と後列が交互に撃つ二段撃ちで断続的に発射しているため、銃弾の雨が止むことはない。

 弾丸と術符の合計使用金額は、すでに軽く二千万は超えているだろう。現在のところまったく勢いが収まらないので、このままではいくらに達するのかわからない。

 ハングラスは物流を操るグラス・マンサーである。何億使おうが何十億になろうが問題ないのだろう。それだけ稼いでいるし、仮にホワイト商会を倒せばジングラスやマングラスに対する貸しになる。

 何よりラングラスに大きな貸しを作ることになり、結果的には後々大きな収益となって返ってくるのだ。これも投資だと思えば問題はない。



(ふむ、今のところは押され気味かな。さすがに防御無視の攻撃を続けられると厳しいだろうな。この雨のような弾丸の中だ。どうしても一発や二発はもらってしまうしな。…が、これくらいならば問題はないだろう)


 現在、ザ・ハン警備商会が圧倒的に有利な状況である。

 それでもアンシュラオンに動揺はない。これも想定内であり、何事にも例外や規格外は存在するものだ。


「ぬぉおおおお!!」


 その銃弾の雨の中を突っ切った者がいた。顔を大きな両手で防御しながら、その体躯に似合わない恐ろしい速さで突っ込んでいく。


「一人抜けてきたぞ! 術符で排除しろ!」

「ぬるい、ぬるい!」


 風鎌牙が吹き荒れようが、水刃砲が突き刺さろうが、完全に無視。


 そのままマサゴロウが術符の猛攻を―――突破。


 なんてことはない。単純にHPと体力が高いので、全部受けきったにすぎない。強力な武人にとって、この程度の銃弾や術符は脅威にはならないのだ。


 そして、敵と接触。


「死ね!」


 マサゴロウの張り手。その大きな手から放たれる一撃は、普通の人間ならば一発で粉々になる威力を秘めている。


 その一撃が―――直撃。


 ブーーンッ ボッゴーンッ


 敵の隊員が持っていた盾ごと吹き飛ばし、倉庫の壁にぶち当てた。

 盾がひしゃげるほどの威力で思いきり叩きつけられたので、そのまま即死もありえるパターンだ。


「…なんだぁ?」


 が、手に違和感。

 当たりはしたが、妙な感触が残っている。殺した時に感じる爽快感のようなものではなく、鈍い感覚だけがあった。

 マサゴロウが訝しげな表情で今殴った相手を見つめると、隊員が―――立ち上がる。


「…つっ、なんて馬鹿力だ…! 金属の盾が壊れちまったぞ!」

「無事か?」

「まだやれる。代わりの盾を出してくれ! 俺じゃ防ぐだけで精一杯だ!」


 多少のダメージは受けているようだが、まだ足腰はぴんぴんしており、すっと立ち上がった。

 マサゴロウの一撃は間違いなく直撃したはずだ。たしかに相手も戦気で防御しているが、今までの戦果を考えれば、まさに信じられない光景である。


「化け物の相手はほどほどにしておけ! 術符隊! 惜しむなよ、どんどん押し返せ!」

「…ちっ、雑魚が。群れやがる」


 マサゴロウに術攻撃が一斉に集まり、さすがに一時後退を余儀なくされる。再び戦線は元に戻った。



 その異変は、違う場所でも起きていた。



「おらぁあああ!!」


 ズバッ!

 ヤキチの一撃が敵を切り裂く。いつもなら鎧ごと切れる一撃であるが―――切れない。

 表面が損壊しているものの致命傷には程遠い。



「ぬんっ!」


 ガギィインッ

 マタゾーが放った槍が敵の鎧を―――貫かない。

 一点に特化した槍技ならば簡単に鎧など貫くはずなのだが、今回ばかりは貫けなかった。

 突かれた隊員は衝撃でダメージは受けているものの、一撃でノックアウトとまではいかない。


 これは明らかに異常事態。おかしい現象である。


 幹部クラスが奮戦して包囲網を突破したいところだが、相手がそうさせてくれない。

 これらの現象の答えは、極めて簡単。


―――術具


 である。

 ハングラスがもっとも得意とするものは、ジュエルであり、術具。

 彼らはその重要性をよく知っており、もっとも品質の良い物を警備隊の人間には惜しまずに提供しているのだ。

 マサゴロウの攻撃を防いだ盾も鎧も物理耐性が付与されているし、一定以下のダメージを無効化する障壁を展開しているものもある。そこに身代わり人形などの即死無効の術具も加え、生存率を高めている。

 いくらマサゴロウたちが強いとはいえ、相手の力量も高く、さらに高級な武具や術具まで用意されれば苦戦は必至だ。


 特に隊長のグランハムは別格。


「小物は消えろ!!」


 グランハムが赤い鞭を振り払うと、まるで生きているかのように動き、一撃で二人の戦罪者を吹き飛ばす。

 その際、明らかに普通とは違う衝撃波が発生しているので、おそらくはあれも術具に違いない。


「ぐあっ…!!」


 ドバンッ ズシャーーッ

 鞭の直撃を受けた戦罪者の腹が吹き飛んで、血と臓物の一部がこぼれ出ていた。凄まじい威力である。

 ちょうどアンシュラオンの足元に転がってきたので治療してやる。

 命気を放出すると即座に腹の傷が治っていった。一部の内臓は完全に修復していないが、応急処置としては問題ないだろう。


「なさけないぞ。もっと気合を入れろ」

「す、すいやせん、オヤジぃ!」

「ほら、もう一度行ってこい。欲しいものは力で奪い取れ」

「おうっ!!」


 そう言って突っ込んでいくが、またグランハムにやられている。

 何も考えずに再び力押しをする戦罪者も相当な頭の悪さであるが、これは純粋に相手の実力を褒めるべきだろう。


(あの男、言うだけはあるな。被弾しない中衛に下がって鞭で味方を援護している。攻撃タイプのサポーターだな)


 あの赤い鞭の射程は長く、戦気の放出も利用して数十メートルの射程を持っているようだ。

 攻撃力は見た通り。戦罪者の防御の戦気すら簡単に穿つので、中衛からでも十分な攻撃が可能である。

 さらにグランハムは軽装であるが、その身軽さを利用して戦場の至る所に顔を出しては包囲網を維持している。


(攻撃力、技量、素早さ、統率力、どれも高いレベルにある。この都市でも最高レベルに近い実力を持っているようだな。単体ではマキさんとファテロナさんの中間といった感じかな。ただ、統率も高いから部隊指揮ではこいつのほうが数段上だ)


 タイプこそ違えど、彼もまたマキやファテロナ級の武人であろう。しかも指揮官としてはグランハムのほうが明らかに上である。

 こちらの幹部連中が包囲網を突破できないのは当然だ。単純な力押しだけでは、待ち伏せかつ五倍の戦力を持っている相手のほうが勝るのは自明の理である。

 そして、彼らの戦力はグランハムだけではない。


「強い武人には各部隊長があたれ!! モズはヤキチ、メッターボルンはマサゴロウ、ウォナーはマタゾーを押さえろ!」


 グランハムの命令で、ヤキチの前に双剣を持った男、マサゴロウの前に斧を持った男、マタゾーの前に両盾を持った男が立ち塞がる。

 彼らは第二、第三、第四警備隊の隊長を務めている者たちで、三人ともグランハムと同じく強力な武人である。



「こんなひょろいやつで、おらぁに勝てるかよ!!」


 ヤキチが暗衝波を放ち、黒い刃の波動がモズに迫る。


「っ!」


 モズは剣衝で迎撃。両手の刃を振り払い、十字となった剣衝が暗衝波と激突し、相殺。一撃の攻撃力に劣る双剣の弱さをカバーした十字剣衝の技は見事である。

 しかし、ヤキチの狙いは別のところにある。


 周囲が暗闇に包まれ視界が黒に染まる。


 そこから急速に変化する刃による必殺のパターン。アンシュラオンにも使ったヤキチの得意技の卑転である。初見でこれをかわすことは非常に難しい。


(死ねや、こらぁあああ!!)


 闇の中、下から振り上げるように強引に刃が押し上げられていく。

 その変則的な軌道で迫る刃が―――


 スカッ


―――空を斬った。


「なにっ!」


 モズは夜よりも深い闇の中でも動揺せずに、同じく身体を回転させて回避すると、そのままの状態で双剣を振り払った。

 まるでプロペラのように回転した双剣の刃がヤキチの腹をかすめ―――切り裂く。

 ズバッ じわり

 巻いていたサラシに、じわりと血が滲んだ。


 ヤキチは一旦下がり、モズを睨みつける。


「てめぇ!! やってくれるじゃねぇかあああああ!」

「………」


 ヤキチは激怒するが、相手は冷静に様子をうかがっている。

 手練れである彼に手傷を負わせるほどの相手だ。ヤキチも簡単には突っ込めない。そのままこう着状態に陥る。

 その様子をアンシュラオンも興味深そうに観察していた。


(ヤキチの暗衝波は、オレでも視覚が封じられるものだ。それを普通にかわすとなると…あのゴーグルが怪しいか。というかヤキチは何か着ろよな。裸だから斬られて当然だぞ)


 モズは完全に目を覆う大きなゴーグルをはめているが、あれはファッションではなく、何かしら目を保護あるいは強化する術具だと思われる。

 さらに範囲は狭いながらも、モズの周囲には無限抱擁に近い戦技結界術が展開されているので、もともとがかなりの腕前の武人なのだろう。

 しかも自分から無闇に仕掛けない防御型。あの双剣は攻撃にも使うが、どんな攻撃にも即座に対応できる速度を重視して選んだようである。奇襲や変則技で先手を取り続けるヤキチには、多少やりにくいタイプの敵であろう。

 それ以前の問題として、ヤキチは防御が苦手うんぬんの前に何か着たほうがいいだろう。戦気の防御を貫くほどの腕前の武人が相手だと、サラシではまったく意味を成さない。

 が、鎧を着てしまうと彼の速度と気概が削がれてしまうので、これまた難儀なものである。




205話 「ザ・ハン警備商隊との激闘 後編」


 バッゴンッ ドッゴンッ!!

 マサゴロウとメッターボルンと呼ばれた男の間で、激しい戦闘が繰り広げられている。

 メッターボルンは重装甲の全身鎧を着ており、最初グランハムの隣にいたことからも一目で実力者だとわかっていた武人だ。

 マサゴロウほどではないが巨漢で、大きな斧を振り回して互角に戦っている。


「ふんっ」


 マサゴロウの拳が迫る。張り手ではなく最初から相手を破壊しようとする拳の一撃だ。


「ぬんっ!」


 だが、メッターボルンが斧を構えると、そこから突風が噴出。一瞬だけマサゴロウの動きが止まる。

 そこに―――反撃の一撃。

 振りかぶった重い一撃が肩に打ち込まれる。

 この一撃にも戦気、しかも剣気による強化が行われているため防御の戦気を貫通。メキメキと刃が抉り込む。

 が、それに動じず、マサゴロウは戦気掌を繰り出してメッターボルンを弾く。吹っ飛ばすほどには至らず、数メートルほど後退させるにとどまった。

 すかさずメッターボルンの反撃。今度は斧の尖端に風を集めて放出すると、風鎌牙のようにカマイタチ状になりマサゴロウに激突。

 咄嗟に顔を庇ったが、腕には細かい傷が大量に生まれていた。


「…小細工ばかりをする」

「それも武人の強さであろう。貴様らのような裏スレイブは、ここで消えるがいい」

「やってみろ」


 バッゴンッ ドッゴンッ!!

 それからもメッターボルンは風斧を使った攻撃を繰り返し、マサゴロウと互角に打ち合っている。

 超接近戦を挑みたいマサゴロウに対し、風で接近を防いだりよろけさせたりして、少し離れた間合いから攻撃を繰り返す。

 これによって少しずつマサゴロウのHPを削ろうという算段だろう。あれがメッターボルンの得意とする距離だということだ。


(あの風…風気じゃないな。あの斧も術具か。それと鎧も挙動が少し気になるな。あれも術具かもしれんな)


 メッターボルンには風気を練っている様子がない。同時に他の戦気も一緒に扱っていることから、斧自体に込められた特殊能力なのだろう。

 さらに全身鎧も時々赤く光ることがあるので怪しい。何かしらの力、おそらくは腕力強化などの効果を与えていると思われる。そうでなければマサゴロウと打ち合うなど難しいだろう。

 基本が剣士タイプと思われるメッターボルンは、術式武具という手段によって自身の身体能力をカバーしている。これもまた武人の一つの選択肢である。



 一方、マタゾーも同様に、ウォナーと呼ばれた両手に盾を持っている男を攻めあぐねている。

 相手は完全に防御優先の盾役。攻撃を仕掛けず、ひたすら防御だけに回っている―――と思ったが、違うらしい。

 ウォナーが持っているのはバックラータイプのやや小型の盾で、それを使いながらマタゾーに接近戦を仕掛けていた。

 その距離は、まさにゼロ距離に等しい。盾を押し出しながら突撃し、槍の間合いを殺そうとしている。

 マタゾーは、華麗な槍捌きで石突を使って迎撃。石球がウォナーの顔面に迫る。

 だが、ウォナーが盾を絶妙な角度で潜り込ませ、下から石突を弾く。

 マタゾーは突進を受け流しながら後退するが、相手もその間に接近してくるため必殺の一撃を入れる間が作れない。

 実力としてはマタゾーのほうが上だろうが、その間も周囲から銃弾や術符によって猛攻を受けているので、なかなか攻撃に転じることができない。

 彼の防御力はさほど高くはない。術符の攻撃を受けると致命傷になりかねず、慎重な対応を続けるしかない。


(へぇ、周囲の援護があるとはいえ、マタゾーの間合いを消すとはやるな。あの盾は攻防一体の突撃を仕掛けるためか。なかなか面白い戦い方をする)


 ウォナーの盾は、攻撃のためにあるようだ。

 サリータの大盾とは違うので視界は確保され、行動の邪魔にもならない。その反面防御力は落ちるが、見事な身のこなしでカバーしている。

 さらにウォナーは、戦気の防御とは別に盾から放出した剣気の膜で覆われており、攻防において利用している。

 原理としては『剣気壁』と呼ばれるものであるが、盾を使って放出しているので性質が若干異なる。

 剣王技、戦盾(いくさたて)。

 盾技の一つで、身体の周囲に攻撃にも防御にも使える剣気のフィールドを生み出すものだ。

 剣気はもともと攻撃的な気質なので、触れたものを破砕する性質を持っている。それを利用した技である。



(なかなか便利そうな技だな。今度サリータにも覚えさせよう。って、まずは戦気を覚えないと駄目か。まだまだ先になりそうだな。しかし、完全にこちらの動きを封じにきたようだ。回復が間に合わなくなってきたか)


 この間にグランハムが戦罪者の数を減らしていく。アンシュラオンも定期的に回復をしているが、今のところ状況に変化はない。

 何よりも相手がこちらの情報を得ていることが大きい。ヤキチたちの名前を知っていたことからも、裏スレイブの情報が漏れたのは間違いないだろう。

 戦い方をある程度知っていれば対策も練りやすい。この布陣は明らかに計算して配置してある。


(狭い世界だ。それも仕方ない。スレイブ商はマングラスの管轄だし、情報くらいは調べられるよな。モヒカンはともかく、あっちの地下の店のほうはオレの管理下にないしな。いいね、これでこそ戦いだ。面白いよ)


 苦戦はしているが、戦罪者も今まで以上に生き生きとしている。

 戦いの中でしか生きられない駄目人間が求めるのは、こうした激しい戦いなのだ。わざわざ強い相手を呼び寄せた価値がある。


「だが、これではゲームが進まないな。メジャーリーグの延長戦じゃないんだ。そんなに長く観ているわけにもいかないだろう。少し手助けしてやろうか」


 アンシュラオンが手に戦気を集め、拳圧と一緒に弾き出す。

 覇王技、修殺。これに回転を加えると修殺・旋となる。デアンカ・ギースにも使った技だ。

 あの時は相手の防御力が高くてたいしたダメージにはならなかったが、これを人間相手に使うとどうなるかが、この直後にわかる。

 放たれた拳圧は一気に数メートルの大きさになり、石畳を抉りながらドリルのように敵に向かっていく。


 その回転に巻き込まれた敵三名が―――爆散。


 そんな存在など最初からいなかったといわんばかりに、一瞬で掻き消えてしまった。地面に残った激しい暴虐の痕跡がなければ、何が起こったのかさえわからなかったに違いない。


「ひっ!! な、なんだ…今のは!?」

「た、盾を…盾を前に―――ひぎゃっぶっ」


 次に放った修殺・旋で、さらに二人が粉々に砕け散った。

 物理耐性がかかっている盾? それがいったい何になるのだろうか。

 身代わり人形の即死無効? そんなものは強大な攻撃の前に意味はない。

 物理耐性で威力を半減させたところで、それ以上の力が加われば死ぬ。即死無効も一撃死系統の攻撃には有用だが、最大HPを遥かに上回るダメージを受ければ庇いきれない。


 そもそもの規模が違う。


 虫が盾を構えたところで、人間が踏みつければ潰れるのと同じ。まったく意味を成さない。

 そう、この均衡はあくまでアンシュラオンが作っているもの。意図的に操作してそうしているものだ。

 蟻と蟻の戦いを見ている人間が、ちょっとどちらかに味方して、熱湯をかけてやれば簡単に一方の勢力は全滅するだろう。絶対観測者のその時の気分、さじ加減によって生まれている状況にすぎない。


「ほらほら、相手が浮き足立っているぞ。さっさと打開してこい」

「うす、オヤジ!」

「まったく、使えないクズどもだ。ちょっと強い相手が現れたら、このざまか。気張れ、気張れ、腕が落ちても足がなくなっても気にするな。その前に相手を殺せ」

「うす!!」


 アンシュラオンの言葉で、戦罪者たちが突貫を開始。

 オヤジの命令は絶対である。まさに腕が落ちようが足が潰されようが、おかまいなしに突っ込んでいく。


「な、なんだ、こいつら!! 死ぬのが怖くないのか!!」

「てめぇが先に死ねやぁあああ!!」

「ぐああ! この狂人どもが!!」

「おらおらおらおらおらおらっ!!」

「がっ、ぎゃっ、ぎゃ!!」


 相手ともつれ合い、反撃されながらもひたすら頭を殴りつけ、殴りつけ、殴りつけ、動かなくなるまで攻撃を続ける。

 他の敵に銃で撃たれるが、それでも怯まない。さらに撃った相手に向かっていき、鬼の形相で攻撃を開始。

 その姿に、さすがの相手も怯む。


「ははは、いいぞ、いいぞ。それでこそ裏スレイブだ。後のことなんて気にするな。オレがいくらでも治してやる」


 戦罪者たちに命気がまとわりつき、徐々に傷が回復していく。

 この命気の遠隔同時操作が極めて厄介。いくら撃っても傷つけても、半ば即死に近いダメージを与えても回復していく。

 そのせいで、ただでさえ凶暴な戦罪者が玉砕覚悟で突っ込んでくるのだ。受ける側はたまったものではない。

 


「ホワイトを狙え!! あいつを倒すんだ!」

「くそっ! ただの医者じゃねえのか! またあの攻撃がくるぞ! 接近して倒せ!」


 相手もアンシュラオンの脅威に気付く。

 今まで戦闘の大半を戦罪者に任せていたので、アンシュラオンに対しての評価に多大なる勘違いが発生していたようだ。

 修殺の攻撃も危険だし、何よりも命気がある限り永遠に戦罪者が向かってくることになる。まず倒すべきは回復役のホワイトであると悟ったわけだ。

 それによって攻撃対象がアンシュラオンとサナに変更され、包囲を崩してまで敵が雪崩れ込んできた。


「おいおい、あまり簡単に包囲を解くなよ。お前たちの優位性がなくなるぞ。ったく、少しやられたくらいで慌てやがって。こうなったらちょうどいい。あれを試しておくか。黒姫、やってごらん」

「…こくり」


 アンシュラオンは、サナを前に立たせる。

 サナはクロスボウを構え、向かってきた敵に発射。


「こんなもん!」


 当然、警備商隊の隊員にそんなものは通じない。あっさりと破壊される。


 そして、一気に間合いを詰めてくる。


 このままではサナが危ない。彼女自身は賦気で強化されているとはいえ一般人のレベルなのだ。

 だが、アンシュラオンが何の策もなく彼女を危険に晒すわけがない。


 敵の隊員がサナに敵意を持って近寄ろうとした瞬間―――


 シュバ ボトッ


「…はへ?」


 視界が急に反転し、落下。

 真上が地面になったと思った次の瞬間には、空を見上げていた。


「あ…れ? なんで…おれ……あっ―――」


 ブツンっとブラウン管のテレビが壊れた時のような音が聴こえ、意識を失う。

 彼はそのまま二度と目覚めることはなかった。

 ブシャーー

 直後、首を失った胴体から大量の出血が起こった。周囲が一気に血に染まる。


「気をつけろ! 何かやってきたぞ!!」

「ちぃいいっ!! こいつも化け物なのか!?」


 サナの周囲にぽっかりとスペースが生まれる。迂闊に踏み込めば、自分も同じようになってしまうだろう。


「銃で撃て!」


 バスバスバスバスバスッ

 攻撃を銃に変更し、十メートルという距離からの一斉射撃がサナに降りかかる。


 直後、サナの背中からニョロニョロと何か細長いものが出てきて―――迎撃。


 ババババババババッ

 空中に放たれた銃弾がすべて破砕。完全に消失した。

 そこでようやく、さきほど起こったことが理解できる。


 それは―――水足。


 サナの背中から水色のタコ足のようなものが八本生えており、うねうねと周囲で蠢いている。

 それが最初に飛びかかってきた隊員の首を刎ね、銃弾を叩き落したのだ。


「うむ、上手く発動したようだな。自動制御だから少し怖かったが、ちゃんと使えるようで安心したよ」


 これはサナを守るために彼女の背中に這わせておいた命気の攻撃態勢である。

 彼女に害を及ぼすものが接近した際、停滞反応発動を使って自動的に発動するように設定してある。

 サリータを試した際にもサナに設置しておいたものだが、あの時は発動する機会がなかったので今回試してみたというわけだ。


「自動防御用の四本以外は自分の意思でも操れるはずだ。やってごらん」

「…こくり」


 命気タコ足が、ぶわっと相手を威嚇するように鎌首をもたげると、直後に急加速して敵の隊員に襲いかかる。

 ブスブスブスッ


「がはっ!!」

「ぎゃっ!」


 一気に間合いを伸ばしたタコ足が、隊員二人を串刺しにする。これも鎧などまったく意味を成さない。


「水を飛ばすこともできるぞ」

「…こくり」


 今度はタコ足の尖端を相手に向け、発射。

 弾丸となった水滴が無数に散らばり、相手の集団にぶつかっていく。

 バンバンバンッ


「ぎゃーー!」


 その水滴も鎧を簡単に穿ち、当たった隊員が衝撃で宙に浮かぶほどの威力を持っている。一瞬で穴だらけになった隊員は、そのまま死亡。


(さすが攻撃形態だな。この程度の相手ならば問題ないか。だが、普段はなかなか使えないのが欠点かな。サナを守るほうが優先だし)


 サナが次々とタコ足を操って敵を蹴散らしていく。

 その光景は爽快だが、普段は滅多にこの状態にはならない。サナの生存を最優先にしているため、負傷した際の治療に大半の力を残しておくからだ。

 しかし、これは非常に高度な技である。アンシュラオン自身もあまり気付いていないが、遠隔操作の極みとも呼べるほどのことをさらりとやっているのだ。

 彼にしてみれば「姉や師匠のほうがえげつない」と思っているので、どれだけ凄いことかをあまり理解していない。

 その実験台にされる相手が、あまりに哀れである。


(ひとまず実験は成功だな。これでサナと距離を置いても少しは安心だ。稼働時間に難があるが…その間に合流すればいいしな。と、面倒そうなのが来たか)


「離れろ! そいつは私がやる!!! お前たちは戦罪者を攻撃しろ!」


 状況の変化に対応するため、グランハムがやってきた。

 あのレベルとなると命気タコ足でも簡単な相手ではない。アンシュラオンが相手をしたほうが早いだろう。




206話 「率いる者の資格 前編」


「ホワイト、貴様は私が倒す!」

「ええと、…グランハムだったっけ? ずいぶんとがんばっているようだね。どうもご苦労様」

「お前こそ、ずいぶんと余裕だな」

「実際に余裕だからね。オレにとっては、べつに裏スレイブを失っても痛くもかゆくもない。本当に必要ならまた補充すればいいだけだ。そのためのスレイブだからね。つまり、あんたらがやっていることは無駄なのさ」


 男のスレイブなど、いくら失っても問題はない。それが裏スレイブのような駄目人間ならばなおさらだ。またモヒカンに命令して集めさせればいい。

 よって、グランハムたちがやっていることは、すべて無駄である。無意味で無価値なのだ。


「まるで遊び半分だな。こんなことを続けて楽しいのか!」

「楽しいなぁ。とても楽しいよ。これも全部【劇】の一部だからね」

「劇だと?」

「君たちは役者だ。オレが用意した舞台で踊り狂う愉快な人形だ。こんな城壁内部で細々と暮らしてもつまらないだろう? せっかく楽しい劇場を用意してやったんだ。もっと楽しんでくれよ。一緒に遊ぼうぜ」

「…どうやら本物の狂人のようだな。お前に従っているスレイブが哀れに思うぞ」

「ん? なんで?」

「自分たちを捨て駒にするような者に誰が敬意を抱く! お前にリーダーの資格はない!!」

「ははは、まるで学校の先生のような台詞だな。まあ、たしかにオレにリーダーの資格はないだろうな。自分でもやりたいと思わないし。…ただ、あんたは勘違いをしているようだな」

「何をだ?」

「言葉で言ってもあんたは信じないだろうからね。実際に見せてやるよ。さあ、かかってこいよ。遊んでやる」

「そのふざけた態度も、ここで終わりだ! お前の失敗は我々ハングラス一派を狙ったことだ。ここで死ね!」


 グランハムは右手で鞭を構える。同時に左手には術符を持っていた。

 しかし、威勢の良い言葉とは対照的に、いきなりは攻撃しない。慎重にこちらの間合いを見定めようとしている。


(さすがにこのレベルになると警戒を怠らないな。オレやサナが子供でも、まったく油断していない)


 グランハムは常に自信を持ち堂々としている。その自負は実力に起因したものだ。

 豊かな才能に見合っただけの地位と褒賞を与えられ、思うままに力を振るえる環境にいる。まさに選ばれたエリートである。

 だからこそ、仮面の少年の底知れぬ圧力を感じている。


(なんだこの不気味さは! 踏み込めん…!)


 修殺を見た瞬間、只者でないことはすぐにわかった。何の術具も使わずにあれだけの力を放てるのだ。それだけで脅威である。

 もしかしたら仮面に何かしらの力があるのかもしれないが、だからといって結果が変わるわけでもない。

 グランハムの本能が危険を告げる。皮肉であるが、これこそ優れた武人の証明であった。


「あれ? 来ないの? じゃあ、こっちからいくよ」


 アンシュラオンは相変わらず無造作に敵の間合いに入っていく。

 そこは鞭の射程距離。一撃で戦罪者を倒すほどの攻撃が飛び交う領域。


「くっ!」


 グランハムはその胆力に気圧され、思わず術符を発動させていた。

 まるで怯えた新兵が敵の出現に驚いて、思わず発砲してしまったかのように偶発的な起動であった。

 術符が粉々になると同時に術式が完成。大きな稲妻がまっすぐに走り抜ける。


 魔王技、雷貫惇《らいかんとん》。


 術士因子2で扱える術式で、雷が直線上を貫くというマタゾーが使う矢槍雷と似たような効果を持った術である。

 ただ、矢槍雷が戦気で生み出したものに対し、こちらは術式なので、防ぐには単純に肉体能力で耐えるか、術の威力に対して三倍の威力の戦気で防ぐしかない。

 雷貫惇は一枚二十万以上はする術符であり、この都市で買えるものの中では最強レベルである。


 その雷貫惇が―――爆ぜる。


 バチィイイイインッ


 雷がアンシュラオンに衝突。凄まじい爆音を響かせて霧散する。

 術の影響で周囲が焼け焦げているが、立っているアンシュラオンは無傷である。


「むっ!! 戦気で防いだのか!! 雷貫惇をいともたやすく防ぐとは…!」

「魔力もそこそこ高いようだな。いい威力だったよ。やっぱり術式は怖いな」


 雷貫惇は魔力補正二倍の術なので、魔力が高い者が使えば相当な威力を発揮する。

 グランハムもそれなりに魔力が高いので威力は大きい。ただし、それは通常の武人の範囲内だ。特に問題なく防ぐことができる。

 仮に雷貫惇を魔力SSSの姉が使っていたらアンシュラオンの身体を貫通していた可能性もあるが、到底そこには及ばない。


「ほら、どうした。その鞭を使ってみせろ」

「言われずとも!!」


 下がって間合いを確保したグランハムが、赤鞭を周囲に振るう。


 バチンッ ブオオッ!

 バチンッ ブオオッ!


 鞭が空中で激しい唸りを上げながら不規則な動きをしている。

 鞭特有の空気を叩いている音であるが、鞭自体にかけられた術式によって衝撃波を生み出しながら、自らの意思で軌道を操っているのだ。

 この鞭は『断罪演軌《だんざいえんき》の赤鞭《せきべん》』と呼ばれる術式武具の一つで、打撃と同時に衝撃波を発生させることができるものだ。

 衝撃波の威力は使い手の技量や戦気の質によって上昇していく。周囲一帯への攻撃はもちろん、単体への連続攻撃も可能にする強力な術具だ。


 その不規則に動く赤鞭が襲いかかる。


 バチンッ バチンッ バチンッ

 空中で三回軌道を変化させ、死角からアンシュラオンの背部を狙う。

 尖端からも衝撃波が発せられているので、その威力は通常の鞭を遥かに凌駕するだろう。

 だが、すでにアンシュラオンは死角からの攻撃を見切っている。

 周囲を『無限抱擁』で覆っているので、どこから攻撃が来てもすぐにわかるのだ。


 正面をグランハムに向けたまま、手首だけを使って拳を軽く背後に振り―――迎撃。


 バァアーーーンッ!

 衝撃波同士がぶつかったような破裂音がして、迫っていた鞭が吹き飛ぶ。


「ちぃいっ!!」


 バァアーーーンッ!
 バァアーーーンッ!
 バァアーーーンッ!
 バァアーーーンッ!


 何度も攻撃を仕掛けるが、鞭は途中ですべて迎撃される。

 鞭自体も衝撃波を発生させているが、アンシュラオンもまた拳を振ることで拳圧の衝撃波、拳衝を生み出しているのだ。

 その威力は互角。まったくの五分で相殺している。

 アンシュラオンが鞭の威力を完全に見切っており、それに迎撃の威力を合わせているからにほかならない。

 これもまた作られた拮抗であった。


(なんという技量だ!! 信じられない!! 完全に見切られている!)


 グランハムは、目の前で起こっていることが理解できないほど未熟ではない。

 鞭は当然ながら戦気で強化してあり、それに加えて衝撃波で追撃しているのだが、それがまったく通じない。

 自分は術具を使っているのだ。それでいて相殺される。この段階で実力差が相当にあることを示していた。


(ホワイト…! これがホワイトの実力なのか! ―――っ!)


 気がつくと、すでにアンシュラオンが目の前に立っていた。

 鞭を引く瞬間を狙われたので、今から回避する余裕はない。


「くっ!」


 グランハムは、咄嗟に防御。

 しかし、アンシュラオンの手元が動いたと思った瞬間―――宙に浮いていた。

 拳撃のラッシュである。すでに見えないレベルで放たれた超高速のラッシュが、グランハムを襲っていたのだ。


 バァアアーーーーンッ


 常人には音が一回しか聴こえなかっただろうが、この間に二十発の拳がグランハムに注がれていた。

 ガードの上からおかまいなしに殴りつけられ、そのたびにメキメキィッと腕が今にも泣きそうな音を発する。


「ぐおおおっ!!」


 グランハムは、殴られた衝撃と自身の戦気を爆発させた勢いを利用して、後方に跳躍。

 ガンプドルフもやった緊急回避である。これも戦気術をそこそこ使いこなさないとできない芸当なので、彼の技量の高さを思い知る場面だ。


「がはっ…ごほごほっ!」


 痺れた腕を回復させようと練気を発する。拳の衝撃で肺が上手く動かなかったが、必死に気を練って回復させる。


(危なかった…! この装備でなければ腕をへし折られていた!)


 グランハムが着ている黒い服も術具で、物理、銃、術の三つの耐性がかかっている『反靭強装《はんじんきょうそう》の術衣』と呼ばれるものだ。

 それを着ていても激しい衝撃に襲われる。そのことが恐ろしい。


「へぇ、本当に軽いジャブだけど、これで倒れないなんてさすがに強いね」

「貴様…! なぶるつもりか!!」

「おっ、自分の状況が少しはわかってきたようだな。ただ、少し違うな。オレがあんな攻撃を仕掛けたのは、なぜだと思う?」

「なぜ…?」

「腰を見てみろよ」

「腰…っ! くっ、貴様!」

「やられたらやり返すのが流儀でな。今度はお前がくらえ」


 アンシュラオンの手には、グランハムが腰にかけていたポーチが握られていた。

 わざわざラッシュを仕掛けたのは目眩ましの意味もあったわけだ。


 そこから雷貫惇の術符を取り出し―――発動。


 お返しとばかりに、激しい稲妻が真っ直ぐにグランハムに注がれる。


「ぬっ!!」


 まだ回復しきっていない身体を強引に動かし、雷貫惇の術式を回避。身体のすぐ近くを激しい雷が通り過ぎる。

 が、完全にはよけられない。ブスブスと軽く服が焦げているのがわかった。対術効果があってもまったく関係ない威力に背筋が凍る。

 避けた雷貫惇はそのまま真っ直ぐに突き進み、倉庫の一つを破壊。何かに引火したのか、倉庫から火が上がっていた。

 しかも、奥にあった倉庫のほうも明るくなっている。おそらく倉庫をいくつか貫いたのだ。それらの倉庫にも結界があったというのに、そんなものは完全に無視だ。


(私の三倍以上の威力…これが同じ符の力なのか…信じられん!! 上級術士以上の強さだ!)


 グランハムは、そこそこ自分の実力に自信があった。

 剣士としての技量と魔力の素養を持つ、いわゆる『魔法剣士』、こちらの世界では『術符剣士』と呼ばれるタイプの武人で、両方をそつなくこなすことで今の地位を得てきた。

 技量で自分に勝てる相手はそうそういない。魔力も平均的な術士以上。術符を使えば戦場での活躍は間違いなかった。


 されど、目の前の白い少年と比べれば、まったくの【器用貧乏】。


 何一つ秀でたところがない。目を見張るものがない。可も不可もない存在。

 その事実を突きつけられ、大きなショックを受ける。


「その服も術具か? 軽い服に救われたな。それより重い鎧ならば回避も間に合わなかっただろうし」

「ぐうう、ホワイト…! それだけの力を持ちながら!! なぜ正しい道に使わない!!」

「誰かにも言われた台詞だな、それ。だが、善悪の概念など人それぞれだろう。お前の正義を勝手に押し付けるなよ。まったく、ルアンといいお前といい、これだから偽善者は困る」

「秩序を破壊して得られるものなどない!」

「くくく、はは…あははははは!! 浅い、浅い。足りないよ、グランハム。だからお前は弱いんだ。少しは強いからルアンよりましだけど、お前があいつの未来だと思うと寒気すら覚えるな。教育が間に合ってよかったよ」


 今までの言動を見るに、この男はリーダーとしても優れた資質を持っているのだろう。

 統率の能力値は部下の能力全般に補正効果を与えるので、高ければ高いほど部隊が強くなっていく。警備商隊が強いのは、率いるグランハムの統率が高いからでもある。

 そして、性格も真面目。誰かを贔屓したりせず、皆を理念と実行力でまとめる理想的なリーダーなのだろう。

 彼に従う部下たちに迷いはなく、信頼されていることが簡単にわかる。まるで学校に一人はいる生徒会長タイプのようだ。


 一方のアンシュラオンは、まさに正反対。


 統率はFの最低値なので、率いる戦罪者にプラス補正どころかマイナス補正を与えている可能性すらある。

 無能な指揮官に率いられた部隊が弱くなるのと一緒だ。玉砕上等の神風特攻を命令するあたり、まさにその極みなのだろう。

 さらに部下を思いやることもなく、クズだのゴミだのと罵るような男。実際にゴミのように扱っているので、正直と言えば正直なのかもしれない。

 このことから普通の人間がアンシュラオンに従う理由が一切見当たらない。必要性がない。従いたいとも思わない。


 だが、互角。


 そんな惨状でも戦罪者たちは数の不利を乗り越え、グランハム率いる警備商隊と互角に戦っているのだ。

 このことをどう説明するのか?


「グランハム、お前の勘違いを教えてやろう。お前が求めるリーダー像は間違っていない。それもまた一つの形だろう。だが、生命ってものは思った以上に深い存在でな。星の進化、生命の進化という巨大なうねりの中では、ただそれだけでは回らない。時には激動の力が必要になることがある」


 歴史を見ると、なぜか誰もが軽蔑するような者がリーダーになり、混乱と混沌を呼ぶことがある。

 されど人々は彼らを熱狂的に出迎え、改革と変革を求めてきた。歴史を知っていても、飽きることなく何度も起こっていく事実だ。

 人々は後から「あれは愚かな選択だった」と反省をするが、もう一つの側面を見逃してはならない。

 絶対神が管理する宇宙において、すべてのことには意味がある。人々が嫌う側面にこそ真実がある。


「リーダーに必要なものは、【力】だ。男性的側面であるエネルギーだ。そいつがどんなにクズで最低のやつでも、物事を動かすエネルギーこそが重要なのさ。真面目だけど実力のないやつ、周りを動かすエネルギーがないやつがリーダーになっても、得られる利益はたかが知れているだろう? 今のお前のようにな。それよりは力のあるやつのほうがいいんだよ」


 停滞したものを吹き飛ばすだけのパワー。爆発的エネルギー。

 「あいつは人間としては最低だが、何か面白いことをやりそうだ」と思えるような期待感。ワクワク感。腹の底から熱くなるような衝動。

 人々はそれを求めるのだ。


 それこそ進化に至る変化を求める、人間という存在の真なる渇望である。




207話 「率いる者の資格 後編」



「ホワイトぉおお!! 貴様の好きにはさせん!!」


 グランハムが赤鞭を連打。

 バァアーーーンッ!
 バァアーーーンッ!
 バァアーーーンッ!

 鞭は唸りを上げ衝撃波を発するが、それがすべて簡単に迎撃される。


 それどころか―――掴む。


 複雑で速い鞭の軌道を読んだアンシュラオンが、鞭の先端をがっしりと掴んでいた。


「なっ!」

「焦りで単調になってきたな。こんなノロい動きだと簡単に捕まるぞ」


 ぐいっと鞭を引っ張る。


「ぬう―――ぉおおっ!!?」


 メキメキッ バゴンッ

 グランハムは足に戦気を展開して踏ん張って耐えたが、あまりの腕力に地面ごと抉り取られる。

 そして、一気にアンシュラオンの間合いにまで引き寄せられ、上段蹴りが顔に襲いかかる。


「くっ! 防御を!」


 グランハムは咄嗟にガード。懸命に頭を守る。

 さきほどの軽いジャブであの威力だ。蹴りの威力など想像したくもない。彼が大げさにガードしたのは頷ける話だ。


 が―――フェイント。


 アンシュラオンの蹴りが上段から下段へと変化し、足払いのようにグランハムの足を引っかけ、一回転。

 側転でもしたように身体が空中で回転し、再び同じ箇所に回ってきた頭に―――上段回し蹴り。

 演舞ような華麗な蹴りが、グランハムの側頭部に命中。


「っ―――!!」


 落雷でも受けたかのように視界が完全に真っ白になる。

 そのままガードの上から蹴ってもよかったのだが、あまりに隙だらけだったので身体が勝手に反応してしまったのだ。おかげでクリーンヒット。完全なる無防備で受けてしまった。

 予想通り、見た目が少年であるのが詐欺に思えるほど、その威力は絶大。

 あまりの威力に二回、三回、四回と身体が空中で回転しながら、激しい勢いで吹っ飛んでいき、近くに積まれていた土嚢に命中。


 ドドドドオッ ボゴンッ!!


 土嚢を破壊しながら倉庫の壁に激突し、めり込む。

 この倉庫も核剛金の術符で強化してあるのだが、それでも関係なくめり込み、蜘蛛の巣のような大きな亀裂が入った。


「ぐっ…ふっ…! くそっ…回復を…」


 激しい目眩に襲われながらも、懐から符を取り出し、発動。

 緑色の術式が展開され、グランハムの傷と体力を癒していく。

 『若癒《じゃくゆ》』の術符。

 初歩的な回復術式であり、術士資質があれば因子レベル1から使えるものだ。

 ただ、回復できる量と速度には限度があり、軽い切り傷くらいならば即座に塞がるが、これほどのダメージは一瞬では回復できない。


 続けて二枚目の符を発動。光で出来た植物のツルのようなものが生まれ、身体の中に入っていく。

 『発芽光《はつがこう》』の術符。

 回復量は少ないが長い時間発動しているため、断続的にHPを回復してくれる便利な術式である。

 回復系の術符は何かあったときのために懐に入れておく。そういう用心深さも熟練した武人の証明である。


「くうう…首が折れなかったのは…幸いか…」


 耐力壁の術式も展開していたため、普通の蹴りならば威力は半減される。

 だが、半減されてもこのダメージだ。一気にHPの半分はもっていかれただろう。もし術式がかかっていなかったら、一撃で戦闘不能に近い状態に陥っていたに違いない。


「けっこう本気で蹴ったんだけどな。これだけの一撃でも倒れなかったのはマサゴロウ以来だ。やるね」


 特に加減はしていない。強いと知っていたので、本気の本気ではないが思うままに足を振り抜いたのだ。それでも生きているのはグランハムが強いからだ。

 ただし今放ったのは、ただの蹴りである。『技』であれば死んでいた可能性は高い。

 それはグランハムも知っているため、忌々しげにアンシュラオンを睨みつける。


「化け物…め。その姿は擬態か! 中身が第一級の撃滅級魔獣だと言われても信じるぞ…」

「あの程度と一緒にしないでほしいな。だが、ふむ…なるほど。たしかに容姿については何も考えていなかったからな。自分で選んだわけじゃない。この姿は、強いて言えば女神様からの贈り物かな?」

「戯言を…貴様などが…女神に愛されてたまるか…」

「ははは、気持ちはわかるが、どんな人間にもそれぞれ役割が与えられているらしいぞ。オレにはオレの役割があるってことだな。それくらいは認めてくれよ。オレだけ仲間外れは寂しいじゃないか」

「ならば、お前の役目は破壊と混乱だな…。白い悪魔め、このまま終わると思うなよ」

「まったく、どうしてもオレを悪者にしたいらしいな。では、そんなお前に現実を見せてやろう」


 アンシュラオンがすっ〜〜〜〜と息を吸い込み、肺に溜め、


 一気に―――吐き出す。




「遊びは終わりだ!!! 一気に潰せぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」




 ビィイイイイイインッという空気が張り裂けたような大声が響き渡る。


 初めてサナに呼びかけた時と同じように、その大声は周囲一帯どころか倉庫区全域に響き渡ったことだろう。


 それにびっくりしたのか、しばし場が静止。

 味方だけではなく、敵側の銃弾や術符の攻撃すらやんでいた。アンシュラオンの声が場を制したのだ。


「ヤキチ、マサゴロウ、マタゾー、いつまで雑魚と遊んでいる!! 代理とはいえオレのスレイブならば、その程度の雑魚はさっさと血祭りに上げろ!!」


 熱い、熱い、熱い声が全身を駆け巡る。

 身体が燃えるようだ。熱い。苦しい。吐き出したい。

 何かをしていないと気が済まない。動いていないと気持ち悪い。


 停滞していた場が―――動き出す。


 掃除もされない路地裏のゴミが強風で一気に飛ばされていくように、引きこもりの家が燃えて外に出るしかなくなったように、信頼されていた企業の不祥事が判明して社会で大問題になるように、止まっていたもの、隠されていたものが力づくで表に出ていく。


 それこそエネルギー。


 やむにやまれぬ衝動。そうしないと我慢できなくなる感情、激情。

 女神の愛は実に大きく多様だ。人間が考えるような優しさだけで出来ているわけではない。

 座禅を組んでいる人間の体内で細胞が活発に動いているように、この世界を構成するのはまずエネルギー。血液を運ぶ心臓が急速に鼓動していく。


 熱い血潮が体内を駆け巡る。

 焦がす、灼く、燃え盛る。無限に、咆えるように、猛るように!



「へへ…へへへ。そうこなくちゃなぁ…!!」


 ヤキチの身体の中から力が湧き上がってくる。

 当然ながら自分をゴミのように扱うアンシュラオンに対し、敬意など払っていない。自分自身もそんなことは気にしていない。しようとも思わない。

 そんなご丁寧な人生など生きたいとも思っていない。

 自分が求めているのは、強さ。そのエネルギー。燃え盛る火焔のような力!!!


「てめぇみたいな雑魚によぉ、かまっていられるかってんだよぉおおおおお!!」


 ヤキチがモズに向かって突進。乱雑に剣を振り回す。

 特にフェイントもない愚直な攻撃なので、モズは双剣を使いながら慎重に回避。

 シュンッ サクッ サクッ

 そして、その間に少しずつヤキチの身体にダメージを与えていく。待ちの姿勢で小刻みにカウンター。それがモズの戦い方である。


「へっ、だろうなぁ。おめぇはそういうやつだからなぁ」


 これまでの手合わせで相手のことはよくわかっていた。

 だから―――こうする。


「だったらよぉ、これはどうだぁああ!!」


 剣を振るい、モズがよける。そこに再びカウンター。

 しかし、そうくるだろうと予測していたヤキチは、モズの小剣が向かってきたタイミングに合わせて―――自分から突っ込む。

 カウンターにきた相手に自ら身体を預けるように突っかかる。そうなればどうなるのか?


 ブスリ


 ヤキチの腹に小剣が突き刺さる。ルアンではないが、ずっぷりと根元まで突き刺さった。

 しかも小剣はダガーより長いので、そのまま背中にまで貫通する。


「っ…!」


 だが、驚いたのはモズのほう。

 いきなり相手がそんなことをするとは思わなかったので、意外な結果に戸惑ってしまった。


「さぁ、これで仲良く『どつき合い』だなぁ」

「くっ…!」


 モズは小剣を離そうとするが、ヤキチのほうが速い。

 相手の手首を掴み固定すると―――頭突き。

 ベキベキィッと音を立ててモズの口、前歯がへし折れる。


「ぐっ!? がはっ」

「どうしたぁ? おらぁの頭のほうが硬いらしいなぁ!! 遠慮するなよ。たっぷりくらえ!!」


 ドンッ メキィッ ドンッ バキィッ

 嫌な音を立ててモズの顔面が変形していく。このまま続ければ確実に戦闘不能になるだろう。

 ただ、モズも優れた武人。咄嗟に彼が取った行動は、自分の腕を切り離すことだった。左腕の小剣で自らの右手を切り落とし、その場を離れようとする。


「真正面の勝負から逃げてんじゃねえよ。ちまちまとよ、てめぇはうぜぇえんだぁあああ!」

「っ…」


 その瞬間、ヤキチが握っていた手を離す。

 いざ自分の右手を切ろうとしていたモズは勢いを殺すことができず、一瞬だけ無防備になる。

 そこに、ヤキチのポン刀が一閃。

 モズの身体を一刀両断。肩から反対側の腹にかけて真っ二つに切り裂く。


 ゴトッ ベチャッ


 モズの分かれた身体が地面に落ちる。


「へっ、手間取らせるんじゃねぇよ! この雑魚がよぉおおおお!! こちとら後ろにあんな怪物がいるんでぇ! 怖いものなんてあるかよ! おっしゃぁああああ!」


 ポン刀を振り払って血を吹き飛ばし、ヤキチが勝利の雄たけびを上げる。





「はは…ははは。そうだ。強い。あれは、強い」


 マサゴロウの身体も熱くなっていく。

 そう、あれはそういうものなのだ。あれは人間ではない何か。自分を使い潰し、それでも何も思わない尊大な存在だ。

 だが、強い。凄まじく強い。自分にはそれだけで十分である。


「ちい、グランハム…! あのままでは…」

「どちらを見ている。お前はおれが殺す」

「お前の相手をしている暇はない!」


 メッターボルンが劣勢のグランハムを助けようと、全力の風でマサゴロウを弾こうとする。

 これが実に厄介。今まで散々苦しめられてきたものだ。

 だが、この程度の風に苦戦していたら、横暴なボスが何を言い出すかわからない。そう、たかだかこんな風程度に。


「風ごとき…で!!」


 まさに暴風と呼べる突風。

 台風のニュース映像で見るように、看板やら自転車すら飛び交うような剛圧に対し―――


 マサゴロウは手を広げ―――風を握り潰す。


 バフォッ バフォッ バフォッ バフォッ
 バフォッ バフォッ バフォッ バフォッ

 右手で握り潰す。左手で握り潰す。右手で握り潰す。左手で握り潰す。右手で握り潰す。左手で握り潰す。右手で握り潰す。左手で握り潰す。右手で握り潰す。左手で握り潰す。右手で握り潰す。左手で握り潰す。右手で握り潰す。左手で握り潰す。右手で握り潰す。左手で握り潰す。

 まさに空気が抜けるような独特な音を発し、マサゴロウが風そのものを破壊しながら迫ってきた。掌圧で空間そのものを抉り取っているのだ。

 その光景は、まさに異常。ありえないおかしな光景である。


「な、何を…やっている!!!」

「関係…ない。すべて…潰す!!」

「なんだこいつは…!! ぐっ! 離せ!」


 風を破壊してやってきたマサゴロウの手が、ようやく到達。メッターボルンが持っていた風斧を握る。

 握ってしまえばこっちのもの。強引に引っ張る。


「ぐううっ…おおおおお!!」


 この男と引っ張り合いなど無意味なこと。力づくで手繰り寄せられる。

 グランハム同様、むしろ踏ん張ったことで自分の体勢が崩れ、無防備な身体を晒してしまった。


「…死ね」


 そこにマサゴロウの虎破。巨体を引き絞って放たれた一撃が、メッターボルンの顔面に衝突。

 メキィイイィイという金属が軋む音が響き、鎧の兜の部分が完全に陥没する。

 さらにマサゴロウは鎧の両肩を握り、力を込める。


 バキッバキンッ ブシャッーーーー


 その両手に引き裂けぬものなし。金属が割られ、身体が割られ、二つに分かれていく。


 ゴトッ ベチャッ


 鎧ごと真っ二つにされたメッターボルンが、地面に崩れ落ちる。


「…弱い。あれとは…比べられん」


 手に残った肉片を、ぽいっと投げ捨てる。マサゴロウの勝利である。





「オヤジ殿は飽きてきたか」


 その熱はマタゾーにも流れ込んできた。彼の熱、彼の感情、彼の意思が伝わってくる。

 アンシュラオンは飽きやすい。自分勝手で他人のことなど考えていない。グランハムの底が見え、サナの実験も済んだので、もうどうでもよくなったのだろう。

 だらだらと引き延ばすのは観ている側としては退屈だ。勝負をつけろと言ったのは、ただそれだけの理由である。

 まったくもって不条理。彼の性格を好きになる人間など、シャイナのような世話焼き人間くらいなものだろう。

 だが、どこか人を引き寄せる。その強さが、熱さが、自分のような破戒僧すら受け入れる。


「貴殿の実力は見せてもらった。だが、拙僧とやり合うには物足りぬな。そろそろ仕舞いにいたそう」


 マタゾーはウォナーの突進を待ち構え、石突を繰り出す。

 それをウォナーは盾で上に弾く。ここまでは前と一緒だ。

 だが、そのまま盾に押し付けた石突を足場にして、マタゾーは上空に跳躍。


「貴殿は前や横には速く、拙僧でもなかなか間合いを作れぬ。ならば、上に作ればよいだけのこと」


 ウォナーは強い武人だった。ゼロ距離を維持する身体能力、盾の練度も見事。が、物足りない。あの白き魔人と比べれば、存在さえ認められないほどに矮小。


 跳躍したマタゾーの槍が解き放たれる。


 十分に間合いを作って放たれた一撃が迫り、ウォナーは咄嗟に盾で防御。

 だが、たかだかバックラー程度で完璧に放たれた『一点の極み』を防げるわけがない。


 突き破り―――串刺し。


 盾を貫き、ぶっすりと腕ごと胴体を突き抜ける。


「むんっ!」


 バチバチバチッ ボンッ

 その状態で体内に雷気を放出。軽い爆発のような音がウォナーから聴こえてきた。


 ドサッ ブスブスッ


 体内を焼かれたウォナーが絶命。そのまま二度と動くことはなかった。


「人外の闇を知らぬ貴殿らにはわかるまいよ。わが主の深みはな」


 本気を出したマタゾーの勝利である。



 アンシュラオンの声一つで、戦況は一気に変化。

 これこそが資格。率いる者の器の違いであった。




208話 「決着、グランハム戦 前編」


「やれやれ、怠け者どもが。最初から全力を出していれば簡単に倒せたものを。綺麗に勝とうとしすぎだ。というかヤキチのやつ、自分は仮面なんだから頭が硬いのは当然だろうに」

「ば、馬鹿な…こんなことが…」


 グランハムの目の前で、三人の武人があっという間に倒される。

 術具や周囲の援護があれば対等に戦えるだけの技量があったはずだ。そう計算していた。

 だが、それは覆される。あっという間に。一瞬に。


「どうだ、理解したか? 実際にやってみたほうがお前にはわかりやすいだろう。これが力の差だ」


 勝敗を分けたものは―――率いる者の器の差。


 グランハムは優秀だったが、それだけだった。歯車の一つにはなれたかもしれないが、歴史を動かすような大きなものではなかった。

 アンシュラオンという世界にとっての異端児と比べて、彼はあまりに小さかった。ただそれだけのことだ。

 恥じ入ることはない。落ち込むことはない。人類の99%以上が同属に該当するのだから。


「それで、どうする? 無条件降伏して、倉庫の荷物を全部渡すなら許してやらなくもないけど? ああ、あんたらの武装も全部もらおうかな。なかなか珍しいみたいだし」

「笑止! 屈しはしない! 私はお前に負けられぬのだ!」

「まだ自分の正義に固執するのか?」

「当然だ!!」

「あっ、そう。もう飽きたし、さっさと死んでもらおうかな」


 アンシュラオンが横に伸ばした右手に巨大な戦気が集まっていく。

 それはどんどん大きくなり、身長を超える二メートル大になると、急速に回転を始める。

 覇王技、旋回拳《せんかいけん》。

 このまま放てば修殺・旋になるのだが、それを直接当てることもできる。力を集約するため、その際の威力は二倍以上だ。

 因子レベル1で使える基本技にも等しいものだが、アンシュラオンが使うと恐るべき技となる。

 こうして手に宿しているだけで、回転する戦気の余波で周囲の地面が抉れていく。グランハムも戦気で防御していなければ、近くにいるだけで裂傷を負ってしまうだろう。


(たかだか旋回拳がこの圧力か…もはや認めるしかあるまい。この男は、ありえないほどの実力者だ。こんな辺境にいてよい武人ではない。それこそ一国の代表となって当然の戦士なのだ)


 もはや疑いの余地はない。相手の実力を完全に認めるしかない。

 しかし、ここで屈することだけは認められない。それを認めてしまえば、自分がここにいる意味がないからだ。


(勝てぬ! 絶対に勝てぬ! だが、意地は通す!)


「死ね」


 アンシュラオンが一瞬で懐に潜り込み、右手に宿した凄まじい戦気と一緒に拳を放つ。


―――激突


 一気に圧力が解放され、回転する戦気があらゆるものをズタズタに引き裂いていく。

 これも特に加減なく普通に振り抜いた拳なので、耐力壁や術具の効果があっても関係ない。

 グランハムの実力では、間違いなく死亡。粉々に砕け散って跡形も残らないに違いない。


 技が終了。


 技の威力を証明するように、その場には修殺・旋が何発も集中してぶつかったような大きな衝撃の跡が残っていた。

 石畳は完全に破壊され、地面が何メートルにも渡って削られている。


 だが―――グランハムはいた。


 何事もなかったように立っている。


「あれ? なんでだ?」


 拳はしっかりとグランハムに命中していたのに、まるで彼だけ取り残されたように無傷だ。


(おかしいな。何があった? こいつ程度なら、これで死ぬはずなんだけど…)


 発したはずの原因に対して、その結果が合わないことに思わず驚く。


「おおおおおお!」

「おっと」


 グランハムが蹴りを放ってきたので、腕でガード。

 こちらはしっかりと重みを感じるが、さして強い攻撃ではないので普通にガードができる。

 そして反撃の一発。相手が足を引き戻す前に拳を叩き込む。


(まあいいか。これで殺そう)


 アンシュラオンの拳が閃光となり、凄まじい勢いで繰り出された。

 覇王技、三震孟圧《さんしんもうあつ》。

 因子レベル2の技で、拳による高速の三連打を浴びせる技だ。当たった瞬間に戦気を爆発させているので、高威力の衝撃波も一緒にお見舞いする猛打である。

 ただの蹴りだけで半分のダメージを負ったグランハムならば、間違いなく死亡確定の技だ。

 ドガドガドガッ!


 拳は見事に当たる。筋肉が破壊され、骨が砕け、爆散するほどの力が―――解放されない。


 拳は当たっているが、さきほどとまったく同じ結果となる。つまりは何も起きない。


「むっ! お前、何かやったな?」


 この結果には、さすがに疑問を感じざるをえない。こんな雑魚が、いきなり自分の攻撃を防ぐなどおかしい。


「離れろ!!」


 グランハムが持っていたダガーで切りかかる。

 これも術具のようで刀身が赤く輝いている。何かしらの強化術式がかかっているのだろう。

 が、遅い。


「瑛双空斬衝《えいそうくうざんしょう》!!」


 先にダガーを振ったグランハムより速く、カウンターで技を発動させる。

 覇王技、瑛双空斬衝。

 ガンプドルフ戦でもやったように両手に戦刃を生み出し、それを拳圧と一緒に放つ技である。

 剣士が放つ剣衝に似ているが、中身は別物。イメージとしては『円月輪』のようなものだろうか。生み出した戦刃ごと投げるので武器ごと投げるようなものだ。

 剣気を飛ばすだけの剣衝とは、そもそもの威力が違う。さらに当たると戦刃が回転し、相手に食い込みながら何度も追加ダメージを与える凶悪な技だ。


(これはどうだ? 因子レベル4の技だぞ)


 さきほどの三震孟圧が因子レベル2だったので、もしかしたらグランハムも『低級技無効』のスキルを使ったのかもしれないと勘繰ったのだ。

 よって、わざわざ強めの因子レベル4の技を放ったというわけだ。

 4からならば『中級技』になるし、さきほどの打撃と違って斬撃タイプなので結果が変わるかもしれないからだ。


 投げられた戦刃が―――直撃。


 アンシュラオンの技は速度重視でカスタマイズされているので、グランハムに見切ることは不可能に近い。

 完全に胴体に命中し、当たった戦刃が回転を始めて切り刻もうとする。


「無駄だ! 効かぬな!!」


 が―――無傷。


 何かの力に弾かれるように瑛双空斬衝が消滅。掻き消えてしまった。

 因子レベル4の瑛双空斬衝でもグランハムにダメージを与えることができなかった。これは異常な事態である。


 アンシュラオンは、一度下がってグランハムを観察。


「ほぉ、これでも駄目か。そこそこ強い技なんだが…何か面白いことをやったようだな。スキルか? 術か? 何をやった?」

「ふん、答える義理はない。お前がいくら強くてもダメージを与えられねば意味がないぞ」

「そうかな? あんたがオレより弱いことには変わらない。そっちの攻撃でこっちもダメージを受けないしね。その間に倉庫を漁ってもいいんだよ」

「その間中、嫌がらせをしてやるぞ!」

「おいおい、ずいぶんとやることがせこくなったな。オレを殺すんじゃなかったのか?」

「あくまで倉庫を守れればいい。それが仕事だ」


 明らかにトーンダウンしている。最初の威勢はどこに行ったのか。

 しかし、実際に技が弾かれたのは事実である。


(うーん、スキルか? 技か? 術か? 術具という線もあるな)


 おそらくグランハムは『奥の手』を使ったのだろう。強い武人は常に万一の事態に備えるものだ。

 情報公開で見てもいいが、すぐになぞなぞの答えを見るのはつまらない。見たい気持ちをぐっと我慢する。


「まあいいや。どうせカラクリがあるんだろう? それならそれで楽しませてもらおう。どこまで耐えられるか実験だな」

「くっ! さっさと諦めて帰れ!」

「馬鹿だなぁ。そんなに焦ったら自分から弱点があるって言っているようなものじゃないか。奇遇なことにオレも嫌がらせが大好きでね。あんたが嫌がることなら楽しくやらせてもらおう。他に今夜の予定はない。あんたが死ぬまで付き合ってやるよ」

「ちっ!! さっさと諦めればよいものを…」

「じゃあ、次はちょっと本気でいくぞ」

「本気…?」


 アンシュラオンが―――消える。


「っ!! なっ、どこ―――っ」


 ドバーーーンッ

 背中から爆音が聴こえたので振り向くと、そこには蹴りを放っていたアンシュラオンがいた。


「貴様、いつ―――」


 ドバーーーンッ

 今度は前から音が聴こえたので首を戻すと、いつの間にか前方にアンシュラオンがおり、すでに放たれた拳が腹に命中していた。

 これらの音は、彼の放った攻撃の余波で周囲の地面やら土嚢やら、倉庫の壁やらが吹っ飛ぶ音である。

 音が鳴ってから気がつくというパターン。

 それはつまり、気がつく前にグランハムが何度も死んでいることを意味する。


(これが…本気……か。今までのものすら手加減していたというのか!?!!!!)


 もはやショックを通り越して絶望しか浮かばない。

 動きが見えない。攻撃も見えない。何をしているのか、どこにいるのかもわからない。

 スピードの次元が違う。身のこなし、脚力のレベルが違いすぎる。

 そんなに素早いくせに威力も桁違い。彼が攻撃を仕掛けるたびに、余波だけで周囲一帯が破壊されていくのだ。


(信じられない強さだ…もし【コレ】が発動していなければ死んでいた。九回は死んでいた!!)


 自分が今助かっているのは、まさに奇跡と呼べる事象が起こっているからだ。

 最初の旋回拳で一回死亡。三震孟圧で三回死亡。瑛双空斬衝でも三回は死んでいた。この二回の攻撃でも、それぞれ死んでいたはずだ。

 もはや敵う相手ではない。触れられる相手でもない。


 しかし、彼には―――この【腕輪】がある。


(大丈夫だ。落ち着け。この腕輪があれば負けることはない。この男がいかに強くても、ダメージを受けなければ死なないのだ!!)


 グランハムの左手には赤い腕輪が光っている。

 【剛徹《ごうてつ》守護の腕輪】と呼ばれるもので、『物理無効』を付与する強力な術具である。

 『物理無効』は『物理耐性』に似ている言葉だが、その意味合いはまったく異なる。

 物理耐性は衝撃を半減させるのに対して、こちらは完全に『遮断』する。完全に攻撃自体を防いでしまうので衝撃すら伝わらないのだ。

 それによって、どんなに強い攻撃でもよろけることもない。現に今、おそらく討滅級魔獣程度ならば一撃で死ぬような攻撃をもらっても、まったくびくともしていない。

 これは当主であるゼイシル・ハングラスから直接もらったAランク術具であり、とても希少なものだ。

 真面目で勤勉なグランハムだからこそ与えられたもので、ゼイシルからの信任が厚い証拠である。



 その後、アンシュラオンは三十回攻撃を繰り返す。

 といっても、その時間はまさに一瞬。グランハムが見えない速度で通常攻撃を打ち込んでくる。

 どうやら実験という言葉は本気だったようで、強い技を打ち込むというより試すようにいろいろな攻撃をしてきた。

 それで命拾い。

 まったく生きた心地がしないが、攻撃はすべて遮断されているおかげでダメージはない。


(早く諦めろ! 諦めてくれ!! そうなれば私は負けない! 私は負けない、負けられない、負けられ―――ぐっ!)


 もはや念じるしかない状況だったグランハムの背中に、突如痛みが走った。


(馬鹿な!! まさか物理無効を突破したのか!?)


 これほどの攻撃ならば可能かもしれない、という迷いが一瞬だけよぎるが、それはありえないことだ。

 無効といったら無効なのだ。そこに例外はない。ならば、これはいったい何か。


 慌てて背中を振り向くと、そこには―――黒い少女がいた。


 その左手からは、ボロボロと術符が崩れている。サナが放った水刃砲がグランハムの背中に当たったのだ。

 『物理無効』は文字通りに物理攻撃のみを遮断する。当然ながら術は防がないので、威力の弱い術符の攻撃でも素通りするというわけだ。

 グランハムはアンシュラオンの攻撃だけに集中していて、サナの存在など忘れていた。そんな余裕はなかった。そこを突かれた。

 術符を受けてもあまりダメージを受けていないことからも、やはりグランハムは強い。

 だが、これは彼にとって致命的。


「ふーん、なるほどね。やっぱり『物理無効』か」

「っ!!」


 白い仮面の中からニヤリと笑うような愉快な声が聴こえ、グランハムが身震いする。

 まさに今、唯一の命綱が切れたのだ。




209話 「決着、グランハム戦 後編」


「っ! まさか知っているのか!?」

「そりゃ知っているさ。そんなに珍しいものじゃないしね。でも、正直驚いた。まさか『物理無効』を使えるようなやつがいるとはね。その力を持っている魔獣は討滅級でもまずいない。少なくとも殲滅級くらいじゃないと持っていないものだ」


 アンシュラオンは、このスキルを知っている。

 火怨山の魔獣の中にも『物理無効』を持っているものはいるし、上級魔獣になると何かしら厄介な力を持っているものだ。

 当然、そういった相手とも何度も戦ってきて、しっかりと打ち倒している。


(ゼブ兄とか普通に持ってるしね。姉ちゃんに至っては『物理反射』だし)


 ちなみにゼブラエスは『物理無効』をデフォルトで持っていた。つまり彼には通常攻撃は何一つ通じないというわけだ。

 たとえば目の前に魔獣がいても安眠が可能だ。通常攻撃しか使えないのならば、牙を突き立てても爪で引っかいても何も影響を受けない。衝撃もないので気付きもしないだろう。

 当人いわく「筋肉の勝利」であるが、卑怯にも程がある。おかげで彼と組手をする際は、常時技の使用を強いられる。

 しかし、ゼブラエスでさえまだまだ甘い。姉は『物理反射』である。

 原理はまったくわからないが、放った通常攻撃のダメージが自分に返ってくるのである。実に恐ろしい。

 そんな経験を積んでいる自分には『物理無効』は日常的に存在するものである。ただ、まさかグランハムが使うとは思わなかったので意外だったにすぎない。


「どうせ術具なんだろう? もし生まれ持ってのものならば常時発動しているはずだしな。…その腕輪かな?」

「なっ、どうしてそれを!?」

「何度もチラチラ見てるからさ。気付かないほうがおかしいよな。急に光ったし」


 いきなり腕輪が光れば、おかしいと思うのは当然だ。それ以前に当人の挙動が怪しいので少し観察すれば誰にでもわかるだろう。

 こうしてネタバレ。グランハムの命綱は完全に切れる。


「いやー、それにしてもあんたは役立ってくれたよ。あの子が術を使うために、わざわざオレが物理重視の攻撃を仕掛けていたことにも付き合ってくれたしね。この高速戦闘でも、あの子は隙を見つけることができた。実にありがたい練習台だ」

「…その言い草、わざとやっていたとでもいうのか!! 『物理無効』を最初から知っていたのか!?」

「通常の打撃と斬撃が通じなければ、その可能性が高いからね。普通はわかるよ。だから途中から前面に攻撃を集中させて背中をがら空きにしたんじゃないか。あの子が攻撃しやすいようにね」

「くっ…馬鹿な…全部わかっていて…」


 サナにはいつでも敵を攻撃していいと言ってある。それはグランハムとて例外ではない。

 アンシュラオン自身は一騎討ちにまったく興味がないので、むしろサナが積極的に参加してきてくれたことが嬉しいとさえ思っている。


(オレが引き付けたとはいえ、少なくともグランハムの動きを追うことはできた。あの子は【目】がいいんだろう。じっと観察する能力に長けている。素晴らしいことだよ)


 サナは常々じっと何かを見つめている。彼女の瞳は不思議な奥深さがあり、見るものの本質を浮き彫りにする。

 戦いにおいて観察は重要だ。じっとグランハムの動きを見つめ、緩慢になったところで一瞬の隙を見つけたのだろう。

 『物理無効』への依存による動きの停滞があってこそだが、このレベルの相手になかなかできることではない。実験に付き合ってくれたグランハムには感謝さまさまである。


「もうお前は完全に用済みだな。思った以上に役に立ったから、楽に殺してやるよ」

「やれるものならばやって―――」

「『物理無効』は、たしかに厄介だ。だけど、それを破壊することもできるんだぜ。さっき本気を見せてやると言ったから本当に見せてやるよ。特別だぞ?」


 アンシュラオンの戦気が一気に噴き上がる!!

 それは今まで使っていた戦気とはまったく違う、赤白く輝く膨大な戦気。


 ゴゴゴゴゴッ!!!


 地震のように大地が揺れ、大気が凍結したり蒸発したりを繰り返し、熱いのか寒いのかすらわからなくなる。

 存在そのものが変わっていく。内に宿した闇の中から真っ白な光が這い出てくる。

 それこそが本体。本性。その存在を言い表すもの。


「ああ…ぁ……」


 もはやグランハムには、それを見ていることしかできない。

 本来の戦気を解放したアンシュラオンの前には、デアンカ・ギースも敵ではない。その四大悪獣にすら怯えて暮らす彼らに、白き魔人を止められるわけがない。


「覇王・滅忌濠狛掌《めっきごうはくしょう》」


 間合いを詰めたアンシュラオンの掌が、グランハムの胸に当てられる。

 空間すら歪める強烈な戦気が凝縮し、あらゆるものを破壊し、抉り、消滅させる力となる。


 バシュンッ



 グランハムが―――消えた。



 掌の先の空間に【喰われて】しまったかのように、人間がまるまる一人消失してしまった。

 そこには何ら抵抗というものがない。CGの消しゴムツールを使ったように、そこだけ完全に何もなくなっていた。


 ボトボトッ


 何かが落ちる音がする。

 それは、彼の両腕。

 鞭を持っていた右手と腕輪がはめられていた左手だけを残し、それ以外の部分はこの世界から消えてしまった。


「安心しろよ、グランハム。お前の形見の鞭と腕輪は面白いからもらっておいてやるさ。お前の力はオレが使ってやろう。ありがたく思えよ。おっ、ダガーも落ちてるな。あれももらおうか。しかしまあ、『物理無効』が切り札とは…狭い世界だね」


 覇王・滅忌濠狛掌。ガンプドルフ相手にも使った技であるが、この技の特徴として水覇・波紋掌のように『防御スキル破壊』が挙げられる。

 『物理耐性』はもちろん『物理無効』だろうが関係なく破壊することができる。しかもこの技はあらゆる防御機能を破壊できるため、スキルで防ぐことは不可能である。

 姉でも直撃すればダメージを受けるだろう。むろん、隙が大きいので当てられればの話だが。

 因子レベル6以上の高度な技に関しては、たいていのものにこうした『防御スキル破壊』効果が付随していることが多い。

 その領域に至れば、『物理無効』程度は当たり前にある世界なので、破壊と修復を繰り返しながら戦うのが日常である。

 ただ、因子レベル5以上の技を使うには、アンシュラオンも本来の戦気を解放しなくてはいけない。それも普段、低位の技を多用する理由である。

 そんな危険な攻撃を受けたのだから、グランハム程度が生き残ることなどできるはずがない。当然の結果が訪れただけのことだ。




「ひ、ひぃいい!! 隊長たちがやられたぞ!」

「に、逃げろ! 逃げるんだ!!」


 グランハムたちの無残な死にざまを見て、生き残っていた隊員たちが逃げ出す。

 いくら訓練されている警備担当の武人だろうが、この中で一番強いグランハムが惨殺されれば、自分の哀れな未来の予測くらいは簡単につく。

 彼らが逃げたことは責められない。それが【怪物】を見た時の人間の自然な行動であるから。


「オヤジ、追うか?」


 両手が血塗れのマサゴロウがやってきた。


「生き証人が必要だ。放っておけ。こっちの目的は倉庫だしな。どうせ持ちきれないから、ジュエルを優先して運び出せ。あとは珍しいアイテムがあれば持っていくぞ」

「わかった」

「黒姫はこっちにおいで」

「…とことこ」

「オレと一緒に戦利品のゲットを楽しもうな」

「…こくり」


 マサゴロウたちが倉庫に入り、中から大量のジュエルを運んでいる間、アンシュラオンはグランハムから術具を奪う。


「いやー、これが一番楽しい瞬間だよな。いいねぇ、盗賊の気持ちがわかる」


 他人から物を奪うのは最高の気分だ。それが戦利品ならば、なおさら嬉しい。

 まず手にしたのは、赤鞭。『断罪演軌の赤鞭』と呼ばれる術具だ。軽く振ってみると、バチンッという良い音がした。


「うむ、普通に使えるな。ただ、使いこなすのは大変そうだ。何より鞭は趣味じゃないし…サナにも長いよな。これは保留だな。で、次は一番気になるこれだ」


 それから「剛徹守護の腕輪」を手に取る。


「壊れていないといいけど…と、これで起動できるか?」


 自分の腕に付けてから、発動するイメージを送り込む。

 すると腕輪が赤く光り、自分の周囲に何かの力が生まれたような気がした。とても薄いもので身体の表面に粘りつくような感覚である。

 おそらくこれが『物理無効』の効果なのだろう。無色透明なので、感覚がなければ自分でも気付かないくらいだ。

 試しに自分で自分を殴ってみると、さきほどと同じく何も起きなかった。


「これは使えるな。でも、ガンガン生体磁気を吸っている気がするんだが…」


 術具の中にはエネルギー源を術者から奪うものがある。これもそうしたもののようで、使っている間は身体の中から生体磁気、違う言い方をすればBPを吸っているようだ。

 グランハムがこれを使っている間、明らかに攻撃の質が落ちていた理由がわかった。彼ほどの使い手でも常時使い続けるには難しいものなのだ。

 だが、仮に少ししか使えないとしても、実に素晴らしい術具であることには変わりない。


(オレなら何時間発動していても問題ないけど…べつにいらないな。必要性がない。本当はサナに与えたいところだが、それよりはホロロさんあたりに渡したほうがいいかな? あっちのほうが心配だし)


 サナはすでに戦闘に参加を始めているのでBPの枯渇は死に直結しかねない。それにアンシュラオンがいれば、命気もあるのでそうそう死の危険はないだろう。

 それよりは目の届かない場所にいるホロロたちが心配だ。ロゼ姉妹はまだBPが少ないので使えないが、ホロロならば五秒くらいは展開できるかもしれない。

 目の前に危険が迫ったとき、その五秒が命を救うものだ。これはあちら側に渡したほうがいいだろう。


「次はゴーグルか。…よかった。無事だな。ついでに双剣ももらっておこうか」


 モズからゴーグルと双剣を奪う。

 ゴーグルのほうを付けて起動してみると、まるで暗視ゴーグルのように周囲が明るく見えた。やはり視力強化の術式がかかっているようだ。

 これもアンシュラオンたちよりもホロロ側に有用なので、あちらに渡すことにする。

 双剣は普通の刃物だったため、あとで検分してから使い道を考えればいいだろう。サナに使わせてもいい。


「風斧もゲットだな。ちょっと柄が歪んでいるが…ぐいっと直して…うん、大丈夫そうだな」


 マサゴロウが強引に引っ張ったので多少歪んでいたが、軽く直しておいた。

 いざ振ってみると強風が噴き出る。


「おー、扇風機に使えそうだな。うむ、悪くないぞ! 鎧は…もう無理だな。サイズ的に誰も着られないし、べつにいいか」


 アンシュラオンにとってみれば扇風機だが、常人ならば簡単に吹っ飛ばされる威力だ。これを凝縮して放てば風鎌牙のように相手を切り刻むこともできるようだ。

 風斧はサリータにでもあげればいいだろう。これもBP消費で風が発生するタイプで何度も使えないが、彼女にとっては貴重な武器になるだろう。

 それ以外にも死んだ隊員の術具がいろいろと落ちているので、まとめて回収しておく。


「オヤジぃ、ジュエルを積み終わりましたぜ」

「質はどうだった?」

「そんなに良いもんじゃないみたいっすねぇ。一番いいので、これくらいです」


 戦罪者からジュエルをもらって確認する。


「うーむ、一般汎用タイプってやつかな? 何個か良さ気なのもあるが…やはりオレのスレイブに使うには安物すぎるな。明らかに高級感が足りない」


 もしかしたら上等なジュエルがあって、自分のスレイブ用に流用できないかと思っていたが、そう上手くはいかないようだ。

 全体的な質は悪くないが、アンシュラオンが求めるレベルには至っていない。それも仕方がない。討滅級クラスのジュエルなど、そうそう手に入るものではない。

 多くは癖のない鉱脈から掘り出したものなのだろう。実に変哲もない空ジュエルばかりである。


「お前たちは積荷を持って予定通りに引き上げろ」

「へい」


 略奪した物はキブカ商会に渡され、安全なルートで換金されることになるだろう。

 これもジングラス同様、相手は大損で、キブカ商会は大儲けである。

 といっても都市の生活に支障が出ては困るので、キブカ商会が輸入する形で物流を支えてやらねばならないが。

 そういった面倒なことはソブカに任せればいい。自分はこうして気に入ったものだけを選んで奪い、換金された金の一部をもらえればいいのだ。


「今回は黒姫も大活躍だな。あのレベルの相手に当てられたのはすごいぞ」

「…こくり」

「運動もしたし、そろそろ帰ろうな」



 サナと手をつないで倉庫区を後にする。

 まだ倉庫の一部は燃えており、闇の中に浮かぶ火だけがくっきりと浮かび上がっていた。

 まさにこれによって火は付けられたのだ。


(今回の一件で他の三派閥とは完全に敵対関係になった。それによってラングラスへの風当たりは強くなるだろう。三勢力連合とか作られると面倒かもな。…まあ、ソブカの話じゃ、そこまでまとまりのある連中ではないらしいから、それも難しいだろうが…ともかく争いが激化するのは間違いない)


 すでにマングラス、ジングラス、ハングラスと、ラングラス以外の三つの勢力と揉めることになっている。

 今までは全面対決を避けるように振る舞ってきた彼らも、ここまでやられたら黙ってはいないだろう。これからが本番である。


(ソブカ、しくじるなよ。まだ死なれると困るからな)


 そして、この仕事のパートナーに思いを馳せる。

 強引な暴力で何とかなるこちらに対して、あちらはいろいろと大変に違いない。




210話 「ジングラス侵食 前編」


 大量の荷物を載せた大型トラクターが、グラス・ギースの南門から次々と入っていく。

 それは一台や二台ではなく、十台、二十台と続いていた。

 トラクターを見慣れている衛士たちも、普段とは違う光景に少しばかり違和感を感じながら、門を過ぎ去る黒いトラクターの群れを見送る。

 それらは今日も外からグラス・ギースに入ろうとする人々の群れを追い越し、東門に集まっていった。


 その異様な光景に慌てて門番の衛士が駆け寄る。


「こ、これは…何事だ?」


 男の衛士は、こんな積荷が来ることは聞いていないので、この反応は当然のものだろう。

 ここ東門では、街に不審な人間が入り込まないように厳重にチェックしている。それは荷物も同じで、場合によっては商人であってもクルマから荷物を降ろしてチェックされ、改めて馬車に乗り換えるなどの措置が必要となる。

 城塞都市という性質上、外からの攻撃には強いが、中に入り込まれれば致命傷になりかねないからだ。

 だから、彼がトラクターに近寄ったのは職務をまっとうするためである。


「あー、もしもし…」


 ガチャッ

 衛士がドアをノックしようとする前に、クルマの扉は開いた。

 そこから出てきたのは、メガネをかけた一人の女性。ロイヤルブルーの髪をサイドアップにしたファレアスティである。


「あっ…えと…その…」


 衛士は彼女を前にして、しばし沈黙。

 それは彼女が妙齢の美人だったからではない。その視線が冷たかったからだ。まるで蛇に睨まれた蛙のように衛士は硬直していた。

 ファレアスティはそんな衛士を静かに見据えると、手に持っていたカードを渡す。


「キブカ商会です。荷物の搬入手続きをお願いいたします」

「あ…キブカ商会…さん?」

「はい。そうです。ご確認をお願いします」

「は、はい!」


 衛士は少しだけ怯みながら、そのカードを受け取る。


(何か…やたらと殺気立っているようだが…大丈夫か?)


 ファレアスティは男の衛士よりも年下であるし、彼もこの職に就いてからそこそこ経つので、そこまで気圧される理由はないはずなのだが、その凄みに思わず怯んでしまった。

 なぜか目の前の女性からは、殺気と呼んでもよいほどのやたら強い気が発せられていたからだ。


 そして、キブカ商会という名前。


 門番をやっている衛士の中で、キブカ商会がマフィアであることを知らない者はいない。

 内部での地位に不満はあれど、グラス・マンサーの一人であるラングラス一派の中で序列四位に位置する組織である。

 近年では業績も伸びており、外資で儲けた彼らがグラス・ギースで消費することによって、この都市の経済もかなり回っているという。

 そのキブカ商会が荷物を運ぶのは問題ない。


 問題なのは―――その【中身】である。


「中身は…食料品ですか?」


 商会の取引カードを手元のジュエルで照会すると、そこには食料品を示すマークが表示される。納入品の書類にも同じ記述があった。


「はい。そうです」

「その…消費する分には多いと思うのですが…何かパーティーでも?」

「いえ、商売品です」

「これ全部が、ですか?」

「そうです。これが全部そうです」

「十台以上はあるように見えるのですが…」

「合計で二十台です」

「は、はぁ…なるほど」


 そこには大量の食料品が積み込まれている。穀物や野菜はもちろん、魚介類などの珍しい乾物もハピ・クジュネから仕入れている。

 さらにもっと南の都市とも付き合いがあるので、そこからも物資が次々と送られてくる予定となっている。今回運ばれたものは、その一部にすぎない。


「あの…その…」


 書類を確認した衛士が、おずおずとファレアスティに視線を向ける。


「何か?」

「い、いえ、これはその…都市の中に入れるのですか?」

「それ以外に見えますか?」

「あ、ああ、そうですよね。だから運んできたんですよね、ははは。ですがその…大丈夫ですか?」

「特に危険な物はありません。よろしければ確認してくださって結構ですが?」

「あっ、いえいえ、キブカ商会さんの荷物ですからね。基本的にはノーチェックというのが習わしです。それはいいんですが、中身が…」

「食料品です」

「あ、はい。それはわかっていますが…」

「鮮度が重要なものも多いのです。早くしていただけますか」

「あ、はぁ…ですが…」


 ガチャ

 二人が門の前でやりあっていると、背後のトラクターのドアが開き、一人の男が降りてきた。

 その男は、笑顔を浮かべながらこちらに歩いてくる。


「時間がかかっているようですが、何かありましたか?」

「あっ、責任者の方ですか! …と、これは会長さんでしたか」

「はい。お話ならば私が伺いましょう」


 ファレアスティの冷たい視線に晒されて死にそうだった衛士が、これは助かったと笑顔を浮かべる青年のもとに向かう。

 普通の感性がある人間ならば誰だって、冷たい目をしている者よりも笑顔を浮かべている者を選ぶものである。それが本質的にはより凶暴な蛇であっても。


「申し訳ありませんねぇ。彼女は少々感情を出すのが苦手でして。お気に障りましたか?」

「そ、そんなことはありません。気にしないでください」

「それはよかった。毎日がんばってくださっている衛士さんたちに、余計なストレスは与えたくありませんからね。あっ、そうそう。ちょっと南のほうまで行ってきたので珍しい物も手に入れたのですよ。これ、お土産です。よかったらどうぞ」


 その青年、ソブカは一つの酒箱を持ってくる。よく日本酒が入っているような、軽く両手に収まるサイズの酒箱である。

 こうして一本一本包装されているタイプの酒は、この地域ではどれも高級品であるのが相場だ。見るからに高いとわかる。


「え? 私にですか? いえいえ、職務中なんで…」

「まぁまぁ、そう言わずに。ちょっとした心付けというやつです。それとこれも…」

「あっ、その…困りますよ」

「まぁまぁまぁ、どうぞどうぞ」


 困惑している衛士の懐に、すっと封筒を入れる。中身は見る必要もないだろう。間違いなく金である。


「責任はすべてこちらが取りますので、通していただけませんかねぇ?」

「そ、そうですか…。会長さんがそうおっしゃるなら、こちらには何も言う権利はありませんが…大丈夫ですか?」

「ええ、ええ。大丈夫ですよ。グラス・ギースの商会規約にちゃんとあるじゃないですか。持ち込んだ商品の責任は各商会が負うと。だから何も心配する必要はないのです。あなたが責められることはありませんから。私が保証しますよ」


 ソブカの声には、不思議なことに人を落ち着ける響きがあった。

 その独特の雰囲気に多少引っかかるところはあれど、とても甘く、人の心の中に入り込む魅力を持っている。

 それによって衛士は心から疑念を捨て去ることにした。どうせ自分には関係ないことなのだ。


「わかりました。どうぞお通りください。二番門からどうぞ」

「ありがとうございます」




 軽く会釈をして、ソブカは自分の秘書のもとに戻る。

 それから一緒にクルマに乗り、静かに二十台のトラクターが動き出す。

 搬入が進む中、ファレアスティが表情を変えずに文句を言う。


「衛士には、こちらに干渉する権利はないはずです。彼の行動は越権行為ではないでしょうか。おおかた賄賂が目的だったのでしょう。下種な男です」

「君は真面目すぎますねぇ。それは事実ですが、それだけでは世の中は回りませんよ。それに我々のほうこそ越権行為をしているわけですからね。誰だって心配になりますよ」


 衛士たち領主軍の仕事は治安維持である。ディングラスが担当するのは軍事と不動産であり、それを侵さない限りは彼らは余計な干渉は控えるのが慣習だ。

 商会規約にもあるように、グラス・ギースを本拠地にする商会に関して、特にグラス・マンサーに関連する商会に関しては、仕入れた荷物には触れないというルールがある。

 いくら領主のディングラス家とはいえ、他のグラス・マンサーの管轄には迂闊に干渉できないのだ。そうやって利益分配が形成されているわけである。

 たしかに衛士が渋ったのは越権行為かもしれない。しかし、物が物だけに、彼は真面目に職務を遂行しただけともいえる。

 なにせ食料品はジングラスの領分。それを他の派閥が侵すのだ。想像しただけで恐ろしいことである。


「もう少し気を抑えたほうがいいと思いますよ。そんなに殺気立っていたら誰だって身構えてしまいます。我々はまだ誰とも争っていないのですからね」

「…はい。申し訳ありません」

「気持ちはわかりますがねぇ。…で、【彼】の様子はどうですか?」

「彼とは…ホワイトのことでしょうか?」

「それ以外にはいないでしょう? 私がいない間、けっこう暴れていたそうじゃないですか。それで、どうなんです?」

「ジングラスのトラクターが十六台、飲食店が六軒、高級クラブが二軒、風俗店が三軒、工事関係の店が一軒。脅迫や強盗、現金強奪などの細かいものを挙げればもっとありますが…もっとも被害が大きいのが、先日ハングラスの倉庫が襲われた一件です。都市の消費量およそ四ヶ月分のジュエルが強奪されたようです。その中には希少な術具もあったと聞いております」

「ほぉ、それはそれは。さすがに大きくやりましたねぇ。ということはハングラス子飼いの警備商隊とも交戦したのですか?」

「はい。第一警備商隊は、ほぼ壊滅です。隊長のグランハム以下、大半の隊員が死亡しました」

「おー、素晴らしい! グランハムといえば、ハングラスの武闘派の中でも随一の武人です。そうですかそうですか、彼の勇姿をぜひ見たかったですねぇ、ははははは」


 まるで子供のように無邪気に笑う。それはもう心底楽しそうに。


「ゼイシルさんは、さぞかし激怒していることでしょう。損失にはひどく厳しい御仁ですし」

「そのようですね。報復のために新たに部隊を編成しているという話です」

「無駄なことをしますねぇ。勝てるとは思いませんが。まあ、面子もありますから当然でしょうか。他の勢力の動きはどうです?」

「マングラスは注視しつつ静観。ジングラスはルートを変えるなどの対応をしていますが、大きな動きはありません。領主のディングラスも、今のところは動いておりません」

「なるほど。まずは一番打撃を受けたハングラスの行動を待っている感じですか。ですが、そこでまた潰されれば、さらに動きにくいでしょうね。領主が動かないのはいつものことですが…DBDの魔剣士殿は?」

「現在、領主城にはいないようです。『魔獣の狩場』以西で何かやっているようですが…」

「ふむ…あちらはあちらで忙しいのでしょうね。噂が本当ならば、そのうち『入植』してくる可能性もあります。その前哨地を建造しているのかもしれません。どうやら戦艦も持っているという話ですからね」

「グラス・ギースを侵略するつもりでしょうか?」

「さて、どうでしょう。やろうと思えばできますが、彼らの祖国はすでに末期のようですし、どれだけの戦力が残っているかでしょう。一番困るのは、他の西側勢力がこの地に介入することです。そうなればDBDはもちろん、グラス・ギースも共倒れですね。ですが、今のところは領主に協力的な様子です。おそらくグラス・ギースを隠れ蓑にして、その間に態勢を整えるつもりでしょう。共生できれば両者の発展も見込めますが…」

「西側の連中など信用できません」

「…あなたならば、そう思うのは自然ですね。どのみち我々にはどうしようもないことです。彼らに関しては、グラス・ギース内部の抗争に介入があるかどうかが大きなポイントになりますねぇ」


 もしこの騒動にガンプドルフたちが介入してくれば、まさに泥沼になるだろう。

 その際、その気はなくても侵略に近いことをしなければならない状況になるかもしれない。それが一番怖いところだ。


 だが、今は―――ホワイトがいる。


「とはいえ、どうやら魔剣士殿はホワイトさんを怖れている様子。迂闊な介入はしてこないでしょうね。彼らとしても無駄に争って大打撃を受けるのは避けたいでしょうし」

「魔剣士が怖れるということは、それより凶悪だということです」

「心配性ですねぇ、あなたは。そんなに彼が怖いのですか?」

「怖い…ですか。たしかに」

「珍しいですね。そうはっきり言うのは」

「仕方ありません。あれは人間ではありませんから」

「ほぉ…では、何ですか?」


「あれは―――【災厄】です」





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