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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第三章 「裏社会抗争」 編 第一幕 『始動』


134話 ー 143話




134話 「普通という名の少女 後編」


(従順なのはよいことだ。余計な面倒がなくていい。しかし、オレもおかしくなったのかな。あまりに従順すぎるとつまらないと思ってしまうな。…いやいや、これでいいんだ。自重しよう)


 ドSなので、リンダのように調教して征服するのが好きだが、最初から従順なほうが楽に決まっているのだ。

 少し思考回路がおかしくなりかけたが、彼女の対応は白スレイブとして模範的な姿である。

 そして、おそらくは【異名】も関係している。


(『求められるままに生きる少女』…か。素直な子は誰からでも好かれるからな。軋轢を起こさないほうが得策だ。これも処世術。立派だよ)


 サナにもたびたび言っているように、力がないのならば媚を売って従ったほうが得策だ。

 愛想笑いをして、お世辞を言って、そつなく会話して、少女らしく振舞う。

 よほど危険な人間でない限り、たったそれだけで身の安全は保障されるだろう。シャイナとは正反対の女の子だ。

 普通はそうしなければ生きてはいけないのだ。シャイナが甘えているにすぎない。


「そうそう、君に一つ訊きたいことがあったんだ。君は心の中で会話ができるかな? つまりテレパシーや念話というものなんだが…心当たりはあるかい?」

「っ…」


 少女は今までで一番驚いた顔をした。

 それがすべての答えである。


「なるほど。あるんだね」

「そ、その…それは……どうして…?」

「驚く必要も隠す必要もないよ。オレは、そういうことがわかる体質なんだ。だから君がその力を持っていることは知っている。ただ、その程度がよくわからない。どれくらいのことができるのかが知りたいんだ。ぜひとも教えてくれないかな?」

「………」


 それっきりセノアは黙ってしまった。さきほどまでの愛想のよさが嘘のようである。

 しかし、それは抵抗というより困惑と焦りのほうが大きいようだ。しきりに両手をこすり合わせるような仕草をして、心を落ち着かせようとしている。


(なんだ? そんなに変なことを言ったか?)


 アンシュラオンにとってみれば普通の質問である。何が悪かったのか理解できない。


「どうしたの? 言いたくない?」

「…いえ、その……そんなに使えるものでは…」

「使用制限があるの? 精度が低いの? 大丈夫、心配しないで。それによって君の待遇が変わることはないから。むしろ良くなることを約束しよう」


 能力があるほうがいいに決まっている。使える能力ならば等級が上がることもあるのだ。待遇が良くなるのは間違いない。

 しかし、モヒカンの資料には、念話についてはまったく書かれていない。


(モヒカンが知らないってことは、彼女自身が申告していないってことだ。どういう理由でそうしているのかが知りたいな。今の感じからすると、たいしたことがないって意味かな? でも、どことなく忌避感みたいなものが感じられるな)


 もし自分が優れた力を持っていたら、それをアピールしたほうが得策だ。

 昔の日本人的な感覚のようにあえて言わないとか、リスクを避けるために隠している可能性もあるので、そのあたりの事情はそれぞれ違うだろうが、何ができるのかは知っておきたいところだ。

 ただ、セノアからは力を隠したいようなそぶりが見受けられるので、もしかしたら力に対する「恐れ」のようなものがあるのかもしれない。


(力を持たないやつらからすれば、能力があることは脅威だからな。差別の大半は、能力がないやつの嫉妬や恐怖から生まれる。セノアも、そうしたことを恐れているのか?)


 この歳でスキルが発動しているということは、念話は生まれ持っての能力かもしれない。弱い人間たちの標的にされた可能性もある。

 それこそアンシュラオンがもっとも嫌うものである。黙ってはいられない。

 差別が嫌いなのではなく、力がないやつが嫌いなのだ。力のないやつは、黙って従っていればいいと思っているからだ。要するに無能が嫌いなのである。


「オレは君を差別することは絶対にない。なにせオレ自身が規格外でね。いつも他人から『最低』だの『鬼畜』だのとボロクソに言われているくらいだよ。ああ、良い意味でね」


 良い意味と言えば何でもよくなると思ってはいけない。


「セノア、力を怖れる必要なんて何もないんだ。力は使うためにある【道具】だ。道具は使わなければ意味がないだろう? しまっておいても錆付いて邪魔になるだけだ。使ってこそ意味がある。オレは常にそうしてきた。だから力と金を持っているんだ」

「………」

「頑なだね。なら、もし君を脅かしているやつがいるなら、オレが殺してあげるよ。それでスッキリするかい? 町や村ぐるみで君を差別するやつらがいたら、その地域ごと滅ぼしてあげよう。相手が誰だって大丈夫だよ。さあ、言ってごらん。誰が邪魔なんだい? 君への報酬として始末してあげるよ」

「えっ!?」

「さあ、遠慮なくどうぞ」

「えとっ…え!?」


 セノアはアンシュラオンが言っている意味がわからず、思わず周囲を見渡す。無意識のうちに助けを探していたのかもしれない。

 しかし、その白い美少年の背後に見えたモヒカンは、冷や汗を流しながら震えていた。

 彼がこの館の主人であることはセノアも知っている。偉そうに世話係に命令していたからだ。その彼があれほどまでに怯えた目をしているのは初めて見た。

 本能が告げる。

 少年が言っていることは、事実であると。本気であると。


「い、いえ、あの…本当にその……そんなことじゃ!!」

「大丈夫。君を守るよ。オレは自分のものは大切にする主義だからね」


 影武者にしようとしているのに守るというのは変だが、こう言ったほうが女性は安心するだろう。

 当然、本心だ。女の子であり自分の所有物ならば、できる限り守るのは支配者の義務である。

 とアンシュラオンは思っているだけだが、セノアの心情は焦りに満ちていた。


(なにか…噛み合ってない……このままじゃ…危ない)


 『恭順姿勢』スキルを持つセノアは、ここで曖昧にしておくと危険なことを察知する。自分よりは多少年上であろう少年が、明らかに館の主人よりも偉そうにしていることが不安に拍車をかけた。

 【自分以外の身の危険】を感じ、セノアがようやく口を開く。


「だ、大丈夫です…。差別されては…いない…です」

「そうなの? まあ、いきなり言われても信じられないよね。でも、本当なんだよ。君にもぜひ、力を力として使う楽しさを教えてあげたいな」


 ニヤリと笑う少年が、少しだけ怖ろしく見えた。とてもとても楽しそうだったから。

 実際、力を使うのはとても楽しいことだ。力を持つ人間を潰すのも楽しいが、持たない人間を潰すのも快感である。特に自分が強いと勘違いしている虫を潰すのは、なかなかに楽しめる。

 それはたとえば、カブトムシの角を折ったり、蜂の羽をむしったり、カマキリの鎌を切り落としてやるような行為だ。

 今まで自慢だったものを失った時、唯一の武器を失った時に見せる絶望の顔が、たまらなく素晴らしいのだ。

 虫は所詮、虫でしかないことを悟るだろう。力なき無能な者は、そうした虫でしかない。

 しかし、セノアは違う。才能がある。力を得る資格を持っている。虐げる側に立てるのだ。彼女にもぜひ、その楽しさを教えてあげたいものである。


(かわいそうに。この子はまだ力の使い方を知らない。ならば、オレが導いてやらないとな)


「さあ、君の力を教えてくれ。差別されていないのならば隠す理由もないだろう?」

「は、はい。…あの、実は…【妹】としかできなくて……ごめんなさい」

「妹がいるの? その子となら会話ができるの? 他人とはできないの?」

「はい。他人とはできないです。妹だけ…です」

「つまりは妹も同じ能力を持っているってことだね? 二人でセットということか」

「はい」

「妹はどこにいるの?」

「…はぐれてしまって。今どこにいるのかは…」

「…そっか。悪いことを訊いちゃったね」

「い、いえ、いつも話していますから」

「あっ、そうなんだ。じゃあ、無事なんだね。どこにいるかわからないの? もしよかったら保護してあげるよ」

「それが…安全な場所みたいなんですけど…よくわからないらしくて…」

「念話が可能な距離は?」

「測ったことは…ないです。いつも通じるので…」

「それでお互いの位置はわからないの?」

「普通に頭の中で会話する感じなので…位置までは…」


(うーん、これは難しいな。仮に電話のようなものならば、実質距離なんて関係なく届いてしまうし…。となると妹に訊くしかないよな)


「妹に今いる場所を訊いてみた?」

「はい。でも…それもよくわからないらしくて……」

「妹は何歳?」

「八歳になります」

「微妙な年齢だな。その歳じゃ、わからなくてもしょうがないかなぁ」


 地球時代の自分の八歳の頃を思い出すと、そんなにまともな受け答えをしていたという記憶がない。家の住所すら曖昧だったような気がする。

 となれば、妹を責めるわけにもいかないだろう。


(ううむ、せっかくの念話があまり意味のないものになってしまったな。妹さえ取り戻せば、これはすごい武器になると思うんだけどな)


 ハローワークに送受信が可能なパソコンみたいなものがあるので、西側には技術自体はあるに違いない。

 しかし今のところ、この都市では電話を見かけていない。

 せいぜい呼び出しのコールくらいだ。ナースコールのように、押すと離れた場所に設置されたジュエルが光るので、それを見て駆けつけるといった具合である。

 ホテルではこれを使っているが電話そのものはない。

 それを考えると姉妹だけとはいえ、互いにやり取りができるのは素晴らしいことだ。しかも声に出さないでいいなんて最高すぎる。ぜひ欲しい能力である。

 が、今は姉妹が離れているので、その力はお預けだ。残念だが仕方ない。


「とりあえず無事なんだね?」

「はい。それは大丈夫みたいです。食事ももらっているみたいです」

「妹の件は、こちらでも探してみるよ。君の念話もあるから、協力してもらえればそんなに難しい話じゃないと思う」

「で、でも…そこまでしてもらうわけには…自分だけでも引き取ってくださるのなら…それだけですごいことです」

「健気なまでに慎ましいね。じゃあ、交換条件はどうだろう。オレは君の妹を見つけて助けてあげよう。だから君はオレに心から尽くすんだ。嘘偽りなく、オレのために働いてほしいな。もちろん待遇は保証するよ。妹と一緒に不自由なく過ごさせてあげる。それでどうかな? 悪い話じゃないだろう?」

「は、はい。どうぞよろしくお願いいたします!」


 その時のセノアの顔は、ようやく愛想笑いから本来の笑みに近い形になっていた。

 普通に考えても、肥え太ったゲスの豚野郎に買われるよりは何千倍もましな結果だろう。それは当人も理解しているに違いない。

 しかも妹を交渉材料にしたのは、正しい選択だったようだ。

 本当は条件を必要としないから白スレイブなのだが、セノア自身に期待しているのは従順さである。そのために報酬を与えるのは意味あることだ。


(うむ、これは正しいことだ。力で脅しても反抗心を植え付けるだけになってしまう。敵ならそれでもいいが、近くに置く子にはメリットを与えないとな)


 それから再びセノアの資料に目を通す。妹の手がかりがあるかもしれないからだ。


(グラス・ギース外周で保護。両親は旅の途中で魔獣と遭遇して死亡。妹もそのときにはぐれた…か。襲ったのが魔獣でよかった、と言うのはかわいそうかな。でも、人さらいだったら大変だったしね。って、こいつも人さらいみたいなもんか)


 スレイブ商人のモヒカンを見る。どこからどう見ても悪人の面構えである。

 どのように子供をかどわかしているのか不明だが、どうせ甘い言葉で誘って連れてくるに違いない。

 子供だけで生きていくのはつらい世界だ。こうして誰かに保護されるしか彼女たちの生きる道はない。

 白スレイブになれたことだけでも幸せだろうか。


(いや、違うな。オレのスレイブになれることは、人生において最高の幸せなんだ。それを証明してやらねばな)


「一つだけ約束しよう。君はこれから【勝ち組】になる。オレのものになるということは、他人の上に立つことを意味する。そこにいるモヒカンだって君は足蹴にすることができる。今までの恨みを晴らせばいい。好きなだけ殴っていいんだぞ」

「勘弁してくださいっすよー!」

「うるさい。黙っていろ」

「いたっ!」


 資料を投げつけてやった。


「こんなふうにね。オレは人間の上に立つ男だ。その支配下に入ることは、一般の人間の上に立つことを意味する。だから君は幸せだ」

「は、はい…」

「今はまだ意味がわからないだろうけど、才能も開花させてあげよう。そうだ。君を最高に美しくしてあげるからね。そのすべてを成長させて…くくく。いやー、楽しみだな」

「っ…」


 あくどい笑い方に思わずセノアが怯える。その顔だけ見れば完全にモヒカン以上の悪人である。


「詳しい話は後でしよう。またすぐ来るよ。ああ、君にやらせるのは酷いことじゃないから安心してね。ちょっと髪の毛の色は変わるかもしれないけれど…そこは我慢してほしいな。そういえば女性ならウィッグでもいいか。それも後で考えよう」

「は、はい。お待ちしております。ご主人様」

「いい響きだ」


 影武者、一人ゲットである。




135話 「灯台下暗しって、このことだよね」


 次は七歳〜十一歳のスペースに向かう。

 ここはサナがいた場所なので、よく覚えていた。


「さて、次はサナの影武者のほうか…。肌は…いいか。長袖でも着せておけば見えないしな。あとは黒髪の子がいれば一番だが、ウィッグがあればこだわることもない。まずは好きな子を見つけるか」


 この年頃の子が一番多く、全員で十六人もいた。

 アンシュラオンもサナを選んだように、これくらいの子のほうが制御しやすいのだ。まだ自分で何もできず、精神的にも未成熟。大人の欲望に逆らいたくても逆らうことはできない時分だ。

 普通に強要すれば敵愾心を植えつけてしまうが、保護という名目で過剰に甘やかしていれば抵抗も少なく済む。

 白スレイブは、実によく出来たシステムだと改めて感心するものだ。


(オレのほうの準備が整えば、もっと大勢のスレイブを手にしてもいいんだが…まだそこまでの余裕はないな。ただ、サナのことも考えると近い年代の子がいるのはメリットになる。しかし、影武者だと場合によっては失う可能性もあるのか…それはそれで複雑だな)


 今アンシュラオンがいるのは裏の世界なのだ。危険なことはさせないつもりだが、最悪の場合は命を失う可能性がある。

 そう思うと少しばかり心苦しいものだ。男ならいくら死んでもいいが、女の子を無駄に犠牲にしたくはない。

 かといって男は嫌なので女の子しか選択肢はない。そのうえで何を最優先にすべきかといえば、やはりサナである。


(サナ以外の命は軽いな…。オレの妹なんだから他人より価値があるのは当然だ。そのために他者は身を投げ出さねばならない。わかってはいるが、世の中は厳しいもんだなぁ…)


 アンシュラオンが勝手に作った掟だが、強き者が生き残るのが自然の習わしである。

 魔人に愛された少女が、普通の人間より上なのは仕方がない。それが摂理なのだ。




 情報公開を使用して、見て回る。


 その大半は―――平凡なる一般人。


(こっちも一般人ばかりか…。そうだよな。優れた人間ってのは少ないよな。そんなにありふれていたら、この都市だってもっと発展しているよな)


 これもまた厳しい現実である。一般人のほうが多いから一般人なのだ。

 ここで言う一般人は、秀でた能力を持っていない人間のことである。

 アンシュラオンは将来性を重視するので、まず第一にレベルとスキル、次に覚醒限界の高さ、最後に能力値を見ている。

 今の能力値は、あまり意味がない。大切なのは成長力と可能性である。種類は武芸でも事務でも何でもよい。人より何かが優れていればいい。

 子供なのだから、これからを楽しみにしたい。そして、可能性があればあるほどワクワクする。それこそが育成ゲームの醍醐味であろう。


(やっぱり育成したいもんな。最初から限界が見えているのはつまらない。それを踏まえて見てはいるけど、その選択肢すらないか…。みんな同じだもんな。一度でいいから『嬉しい悩み』ってのを味わってみたいもんだ)


 よくスポーツの代表選考で見かけるが、優れた選手が多すぎて選びきれないのは、やはり贅沢だと知る。寂れた場所では夢物語だ。

 こうなるとセノアは貴重な人材であることが判明。となれば、彼女がコンビを組んでも不快に思わないような【人間性】で選ぶという手もある。


(普通の子が好きな相手って誰だ? こればかりは好みだからな。おしゃべりな子だとうるさいし、静かな子だとお互いに黙ってしまうし…黙るのはいいんだが…空気が悪くなりそうだ。ううむ、わからん。最悪はセノアに選ばせるか…)


 面倒がり屋なので、だんだんと丸投げしたくなってきた。しかし、スレイブ自体は大好きなので、見ているだけでも楽しいものである。



 そんなことを考えながら、いつしか一人の少女の部屋の前に来ていた。

 何気なく覗き込むと、中にはクマのヌイグルミを抱きしめて笑っている愛らしい子がいる。

 その笑っている顔に、思わず頬が緩むのを感じた。実に自然に笑っているからだ。


(いい笑顔だ。屈託のない笑顔というやつかな? まだ幼いみたいだし、自分の境遇を理解していないのかもしれない。でも、そのほうが幸せだよな。そのまま良い相手に買われれば、幸せな人生が待っていることだし)


 サナとは違う意味で、元白スレイブであることに悩まないで済むだろう。それは両者にとって幸せに違いない。

 そこでふと思い出す。


(あれ? この子って前に見たな。そうだ。サナを見に来た時に見かけた子だ。売れ残っていたんだな)


 サナを見かける前に、一度見ていた子であることを思い出す。

 その際は白スレイブの生活環境のことばかり考えていたので、あまり気にしなかったが、あのクマのヌイグルミが印象に残っていたのだ。

 白スレイブは値段も高く秘匿性も高いので、そんなにしょっちゅう売れるものではない。

 アンシュラオンや領主、どこぞの豪商のような限られた人間しか手に入れることはできない。売れ残っていてもおかしくはない。

 それはけっして、彼女に魅力がないというわけではないのだ。


(二回も会うとは縁があるのかな…ちょっと見てみようか)


―――――――――――――――――――――――
名前 :ラノア・ロゼ

レベル:1/50
HP :30/30
BP :10/10

統率:F   体力:F
知力:F   精神:F
魔力:F   攻撃:F
魅力:C   防御:F
工作:F   命中:F
隠密:F   回避:F

【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:0/0 術士:0/4

☆総合:評価外

異名:ヌイグルミ大好き、純真無垢少女
種族:人間
属性:雷
異能:念話、無垢
―――――――――――――――――――――――


「そうだよな。能力のある子なんて、そんなに滅多にいるわけ……」


 そう言って進もうとしてからの―――




「イターーーーーーー!!!」




 ノリツッコミ。

 通路にアンシュラオンの大声が響き渡る。




「どわっ、びっくりしたっす!」


 いきなりアンシュラオンが叫んだので、モヒカンが驚いて転んだ。

 モヒカンが転ぼうが骨折しようがどうでもいい。今はそんな場合ではない。


 何度も何度も情報を見る。

 だが、そこに書かれていることが変わることはない。

 いろいろと言いたいことはあれど、今はただただ驚くしかない。


「嘘…だろう? こんなことってあるのか!? 冗談だろう!?」

「いったい何っすか? 急に大声を出して…いたた」

「夢じゃないのか!? そうだ。つねってみよう!」

「いたたたーーーーー! 頬がちぎれるっす!!!」

「夢じゃないのか…!! なあ、夢じゃないのか!」

「本当に痛いっす!! 死ぬっすーーーー!」


 モヒカンの痛がりようは本物だ。ならば夢ではないのだろう。


「おいモヒカン、この子は何だ!!」

「うう…痛いっす…」

「おい、こらっ! ばしっ」

「いたーーー!」

「質問に答えろ。この子だ、この子! この子は誰だ!!」

「え!? こ、この子っすか? ラーちゃんっす」

「ラーちゃん? 真実の姿を映す鏡のことか?」

「へ? 何のことっすか?」


 モヒカンが鏡の名前みたいなことを言い出したので、思わずつっこんでしまったが、この男が知っているわけがない。少し落ち着こう。


「資料を見せろ!」

「こ、これが資料っす」

「うむ…たしかにそう書いてあるな。ラーちゃんが名前なのか?」

「はいっす。名前を訊いたらそう答えたので、そのまま書いてあるっす。名前は買い主がまた新しく付けるので、特に不便はないっす」

「まあ、そうだろうが…それよりこの子は、さっきの子の妹じゃないのか?」

「どういうことっすか?」

「さっきのセノアって子の妹じゃないのか、と訊いているんだ。苗字が同じ…いや、もっと大切な共通点があるじゃないか」


 スキルにしっかりと『念話』の文字がある。名前はたまたま同じという可能性があるが、この単語が加わるだけで揺るぎない証拠が生まれる。

 もはや疑うまでもない。

 ラーちゃんことラノアは、セノアの妹である。


「何のことを言っているかわからないっすが……旦那は術士の因子があるっすから、もしかして何か違うものが見えているっすか?」


 モヒカンは本当に困惑した顔で、そう答えるしかなかった。

 その様子を見て、なんとなく状況を理解する。


(情報公開が見えるのはオレだけだ。モヒカンが知らないのは無理もない。この世界で相手の能力を調べる術は、今のところほかにないようだし…仕方ないか。だが、同じ建造物にいながら、どうして気づかないんだ? もしかして…)


「モヒカン、この子はいつ保護した?」

「四ヶ月くらい前っすかね? 外を一人で歩いていたところを南門の衛士に保護されたっす。それで身寄りがないんで、うちが引き取ったっす」

「やり方がえぐいな。衛士が人身売買したら終わりだろう」

「しょうがないっす。衛士の役目は治安維持っす。育児じゃないっす。これも役割っす」

「ということは領主もグルか。ますます腐っているな」


 警察が人身売買組織とつながっているようなものである。それだけを見れば最悪だ。

 しかし、モヒカンが言うように衛士の役割は治安維持。この都市を守ることである。

 よって、保護された子供はしばらくは預かるが、身寄りがなければ違う場所に移さねばならない。

 かといって信頼できない人間に子供を預けるわけにもいかず、結局のところ待遇が一番良いスレイブ館に引き取られることになる。

 ただし、それは向こうの言い分であり、実態は領主と結託しているマングラス一派による「人さらい」である。


(マングラスめ、好き勝手やりやがって。ここでの収益があいつらの手に渡ると思うと苛立たしいものだ。オレのものに手を出したことを後悔させてやろう)


 アンシュラオンがスレイブを手にできたのは、彼らが人さらいをしたおかげである。

 正直、順序が逆なのだが、全部が自分のものだと思っているアンシュラオンには通じない。完全な逆恨みだ。


「で、セノアとこの子は会ったことがないのか?」

「うちは年齢でエリアを分けているっすからね。別々に管理するっす。変に結託されたら困るっすから、基本的にはスレイブ同士は会わせないっす」

「セノアが来たのが最近…。なるほど、そういうことか」


 答えは実に簡単。二人は別々に保護されたのだ。

 まずはラノアが保護され、次にセノアが保護される。同じ場所に連れてこられたものの二人が出会うことはないので、お互いにどこにいるかわからない。

 仮に通路を通っても、年齢が違うので部屋も違い、たまたま見かけることもない。

 二人は念話を持っていながら、ラノアは要領を得ないので結局どこにいるかわからず、セノアはひたすら心配を続けることになる。

 唯一わかっているのは、そこが安全だということ。食事がちゃんと出るということ。不便はないということ。

 なるほど。たしかにここにいれば安全だ。買い手が付くまでは、だが。


(奇妙なすれ違いというか、灯台下暗しというか…事実は小説より奇なり、か。しかしまあ、考えてみれば絶対にない話じゃない。親が死んでから子供の足で移動してきたのならば、その行動範囲は必然的に限定される。誰かに連れ去られない限りは大きく離れることはないだろう)


 もともと都市や集落の数が少なく互いに距離が離れているので、グラス・ギース周辺ではぐれたとすれば、結局やってくるところはグラス・ギースなのだ。

 善意の保護にせよ悪意の監禁にせよ、そう離れることはない。人間にとっては都市内部が一番安全だからだ。

 そして二人は、善とも悪とも知れない不可思議な場所に連れてこられた。


 スレイブとは、ある種の【賭け】に似ている。


 買い取った人間に自分の人生を託す。そいつが失敗すれば、自分も悲惨な目に遭うが、成功すれば自分も成功できる。

 もし買い手の人物が人間すら超えた存在だったならば、彼女たちは予想もしない強大な力を得ることになるのだ。


 そう、彼女たちは―――賭けに勝った。


「オレに買われるとは強運だと思わないか?」

「そうっすね。それは間違いないっす。で、この子にするっすか?」

「ああ、さっそく会おう」


 セノアの時と同じく、術式を解いて中に入る。


(姉妹なのに容姿が違うか。この世界はややこしいな。だから簡単に姉妹だとわからないんだよな)


 ラノアは若草色の髪の毛に金の目をしている。容姿だけ見れば、まったくセノアと似ていない。

 ただ、顔の雰囲気はなんとなく似ている。目や鼻のあたりは、そうと知ったからか、かなり似ているように思えた。




136話 「ロゼ姉妹 前編」


「ラノアちゃん、初めまして」

「…んー?」

「オレの名前はアンシュラオンって言うんだ。よろしくね」

「あん…しゅら…おー?」

「はは、それだと馬の名前みたいだな。それもカッコイイけどね」


 白馬のアンシュラオー。いそうである。

 ちなみに性格は、横暴で凶暴で自分勝手で、到底人間が飼い慣らせるようなものではない。

 仮に競走馬にしたら、まずレース前に有力馬を闇討ちして欠場させ、悠々と優勝するだろう。そしていつしか人間すら操るようになる実に怖ろしい馬だ。


「ねえ、こんなところにいてもつまらないでしょう。オレと一緒に来ない? 何でも好きなものを買ってあげるよ。白馬の王子様が君を連れ出してあげよう」

「…んー」

「どうかな? それとも、あっちのモヒカン馬がいい?」

「あっちは…くさそう」

「臭そう!? ショックっす!」


 モヒカンは大ダメージである。子供は残酷だ。真実ばかりを述べる。


「…んーと、えーと」


 ラノアは、ヌイグルミを抱きしめながら考えている。

 その顔には警戒というものはなく、アンシュラオンを怖れているそぶりはない。ただ普通に「どうしようかなー」という感じだ。


「何か欲しいものはない?」

「んー。ねー、なにかほしい? んーと、お水がほしいの?」


 そう言うと、ラノアは水筒のようなものから水を出して、ヌイグルミの口にどばどば投入。

 水が染みるのを超えて、ごぼごぼ口から溢れているが、投入をやめない。


「そのお人形さん、お友達かな?」

「うん。クマゾウっていうのー」

「クマゾウか。可愛い名前だね」

「んふふ、そーなのー」

「クマゾウ、苦しくないかな? お水、一杯飲んでるね」

「んー、大丈夫。いつもこれくらいのむから」

「ははは、そうなんだ。かなりのスパルタだね」


(どうやら年齢以上に幼い可能性があるな。精神年齢は四歳前後くらいか?)


 八歳ということだが見た目はそれ以上に幼く、精神年齢も同様に幼いようだ。

 正直、全体的な印象もあいまって四歳児程度に見える。このあたりは個人差があるので難しいところだ。


(イタ嬢も自分のヌイグルミに名前を付けていたが、この子なら痛くはないな。まだ許容範囲だ。やはりあいつは痛いな)


 ラノアがヌイグルミとお友達ごっこをやっていても、まったく違和感がないどころか、とてもよく似合っている。クマゾウは瀕死だが。

 個人的に幼い感じも庇護欲が刺激されて嫌いではない。無垢なこともあってか、彼女の言動は不快ではなかった。


「他に欲しいものはないかな? 君自身が欲しいものとか」

「んー」

「外に出たくはない? ここより楽しいことがたくさんあると思うよ」

「んー」


 反応が芳しくない。この部屋が快適なのが悪い方向に出ている可能性もある。

 それ以前にアンシュラオンもかなり怪しい。


(欲しいものをあげるから一緒に行こうなんて、完全に子供を誘拐する時の台詞だしな。かといって、ほかに常套句があるわけでもないし…と、常套句か。そういえばもう一つの常套句があったな)


「お姉ちゃんに会わせてあげるよ。だから一緒に行こう」


 家族をダシにするのは誘拐の常套句でもある。これが一緒に住んでいれば、事故に遭ったとかいう台詞も有効だ。

 その場でいきなり言われるとパニックになり、意外と従ってしまうものだ。怪しいと思っても「本当だったらどうしよう」という心理が働く。

 普段から気をつけていないと対応は難しい。頭が真っ白になって思考力が奪われるからだ。

 そして、それはラノアも同じ。


「ねーね…会う?」

「そうだよ。セノアっていうんだよね? それならばオレの友達だよ」

「んー…でも…」

「もしかして、お姉ちゃんに何か言われている?」

「うん」


(なるほど。そういうことか。念話ができるんだもんな。オレでも身の安全が保障されているなら『そこでじっとしていなさい』とか言うかもしれないな)


「そうだ。お姉ちゃんに直接訊いてみたら? それなら安心でしょう?」

「…うん。きく」


 ここでそう提案すると、ラノアは頷く。

 これは当然、念話のテストをするためだが、ラノアが無警戒のために予想以上に上手く話が進んだ。


(この子は、念話がおかしいことには気がついていないようだ。ごくごく当たり前にあるものだと思っている。これは好都合だ。セノアは念話に関して積極的ではなかったし、わざと情報を隠すかもしれない。今のうちに確認しておくほうがいいだろう)


 セノアが能力を隠しておきたいのは、利用されることを知っているからだろう。

 今の文明レベルを考えれば、彼女たちの能力は相当の価値を有している。もし発覚すれば、強引に奪い取ろうとする人間さえ出てくるに違いない。

 憶測でしかないが、前に何かあったのだろう。差別でないにしても、それがセノアを慎重にさせているのだと思われる。

 だが、アンシュラオンが管理するのならば問題はない。手を出そうとするやつらがいれば、世にも怖ろしい制裁が待っているのだから。



 ラノアが念話を開始。


「いまね、しらないひとがきてね…。ん。そう。ん」


(知らない人は…ちょっと傷つくな)


 よく「あの人が」とか「知らないおじさんが」とかいう台詞があるが、実際に言われると心がちょっと痛む。あどけないからこそ遠慮がない。

 せめて「カッコイイお兄ちゃんが」とか言ってほしかった。が、願望はあっけなく潰される。


(しかし、声に出さないといけないのか? セノアは心の中でできると言っていたが…)


「んー、ん」

「んー、わかんない」

「んー、んー」


 声に出したり出さなかったり、そのあたりは無意識にやっているのだろう。ただ、通話できているのは間違いないようだ。


(うーむ、どんな会話をしているのか気になるな…)


 目の前にいるのにヒソヒソ話をされている気分だ。実際にそうなのだが、やはり気になる。


(なんとか聴けないかな?)


 何気なく意識して耳をそばだてると―――


〈知らない人についていったら、駄目なんだよ〉

〈んー〉

〈わかってるの? 危ないんだよ? 何を言われても、そこから出ちゃ駄目だよ〉

〈んー、わかった〉

〈ほんと…もう嫌だよ。早く帰りたい…でも、もう家もないし…〉

〈ねーね、かなしいの?〉

〈…私はいいんだよ。でも、ラノアがつらいのは嫌〉

〈んー、だいじょうぶ。げんきだよ〉

〈そういう元気じゃなくて…。でも、本当に危ないからね。ついて行ったら駄目だよ〉


(…あれ? なんか聴こえる…ぞ?)


 これがもし幻聴でなければであるが、なんとなく聴こえる気がする。

 だが、なぜ聴こえるのかは謎だ。


(もしかして因子レベルが関係しているのか? オレのほうが高いから? 待てよ、これはアレなんじゃないのか? 【暗号化】されていないとか、そういったものなんじゃないか?)


 テレパシーは結局のところ、意念を飛ばしているだけだ。

 たとえば、近くにいる相手が考えていることがわかったり、虫の知らせのようになんとなく悟ることも同じ仕組みである。

 霊体が霊体と接する際は、言語も使うが、基本はテレパシーなのだ。だから相手が外国人でも対話が可能となる。


 ならば―――【傍受】も可能。


 前にパミエルキに聞いたことがあるが、術式にも暗号化が存在するらしい。

 アンシュラオンが使う『停滞反応発動』のように、トラップとして使う場合、技の存在自体は巧妙に隠されている。

 もちろん優れた武人ならば、かすかな戦気の痕跡から見破ることはできるが、これも一種の暗号化である。隠蔽して見えにくくしているのだ。

 戦気自体を隠すのは非常に難しいが、工夫次第でいろいろとやるのが戦いの醍醐味である。

 それと同じく、術式も相手に悟られないように隠蔽できるものであり、発見されても暗号化していれば解除が難しくなる。

 古来から呪いと呼ばれるものの大半が、そうした暗号化された術式によるものである。解呪とは、つまるところ解読および無効化なのである。

 この『念話』はスキルだが、事象はすべて術式であるともいえるわけなので、その法則が適用されても不思議ではない。


(ふむ、これも術式というわけか。二人は術士の素養があるのだから不思議ではない。二人の間に何かしらの術式回線が存在していて、意識しなくても使えるってことだ。今はまだ無防備だが、暗号化のやり方を覚えれば傍受はしにくくなるはずだ。これはすごい! どちらにしても使えるぞ!!)


 改めて距離や精度を測らねばならないが、この二人は強力な武器になる。

 連絡とは、いつの時代、どの世界においても最重要のものだ。突入のタイミングの合図にも使えるし、忍び込ませて情報を盗むこともできる。

 仮に電話が発明されたとしても、声を出さないで使えるのならば需要がなくなるわけではない。むしろ高まるだろう。通信機器を使わなければ疑われることもない。無実の証明も簡単だ。

 可能性は無限。

 思わず笑みがこぼれるが、同時に不安も渦巻く。


(この二人は貴重な人材だ。影武者にしておくには惜しいぞ。しかし、これ以上増やすのは正直しんどい。今のオレには無理だ。ならば死んでもいいとかではなく、ちゃんと保護の対象にしないと駄目だな)


 最初は影武者について「身代わりなんだから、最悪は死んでもいいかな」くらいに考えていたが、この能力を知った今、そんな勿体ないことはできない。

 ただし、保護対象の人員を増やすのは想定外なので、これ以上の手間はアンシュラオンの許容量をオーバーしてしまうだろう。

 今は裏社会のやり取りで忙しいのだ。屈強な武人を手に入れるのならばともかく、弱い人間は非常に困る。シャイナ一人でも困っているのに。

 ともかく、今は彼女たちを引き入れることを優先する。


「ホロロさん、さっきの子を連れてきてもらえる? 妹のことは秘密でね。ああ、念話はしたままでいいよ。たぶん、あの子は何も言わないと思うけど、そのあたりはつっこまないで、ただ連れてくるだけでいいから」

「かしこまりました」


 ラノアが話し込んでいる間に、ホロロに頼んでセノアを連れてきてもらう。



 二分後、少し顔が強張っているセノアがホロロに連れられてやってきた。

 まだラノアのことは話していないが、念話で妹の緊急事態を知っているので、気が気でないのだろう。心情は理解できる。


「やあ、セノア。来てくれてありがとう」

「は、はい」


 この位置からでは、セノアにラノアは見えない。

 それを確認してからラノアを見ると、まだ話し込んでいるようだ。


(やはりセノアは念話について慎重だな。それだけオレがまだ信頼されていない、ということか。会ったばかりなのだから当然か。ギアスがないなら、これも仕方ない。しかし、力に対しての恐れが強すぎるな。これはこの子の問題ではなく、弱い人間が多いこの地方に問題があるんだ)


 人間が弱くなったからこそ、たかが念話ごときで大騒ぎする。

 武人と同じく、あまりになさけない現状である。闘争のない世界に進化はないことが証明されたようなものだ。


 そして、ネタばらしのお時間である。

 強張っているセノアに対して、怯えさせないように優しく話しかける。


「君の念話は、しゃべりながらでも使えるみたいだね。実に素晴らしいよ」

「…え?」

「だいたい予想通りの性能だ。あとは距離かな。それと暗号化も学んだほうがいいが…これは術士として覚醒してからだね。オレもそっちの分野は素人だから、一緒に学べれば一番だと思っている」

「え? あの…何を…?」


 セノアは、どう言っていいのかわからないという顔で、アンシュラオンを見つめる。

 警戒というより、ただただ困惑して訳がわからないといった表情である。


「セノア、君が警戒する理由はわかるよ。君が見ている世界は、きっと綺麗ではないのだろう。汚くて醜くて、死んでしまいたくなるように絶望に満ちているのかもしれない。オレも昔は、早く死にたいとばかり思っていたからね」


 当然、地球時代の話である。

 あの頃はすべてがつまらなくて、毎日「いつ死んでもいい」と思っていた。もっと言えば、「早く死にたい」とも思っていたものだ。

 それがこんな世界で、しかも力のない少女ならば、どれほど切実だろうか。


 セノアは普通の少女。


 普通だからこそ、そう思うに違いないのだ。普通の人間が生きるのに、この世界も社会も優しくはないのだから。


「でも、さっきも言ったように君は幸運を掴んだ。もう弱者の側ではないんだよ。とまあ、オレがいくら言ってもまだ理解はできないだろう。だから実際のメリットを与えようと思う」


 そう言って部屋の中に入り、話し込んでいるラノアを抱っこして、そのまま外にまで持ってくる。

 念話をしていると熱中するのか、ラノアはまったく抵抗しなかった。抱かれていることにも気がついていないかもしれない。


(無用心だよな。簡単に捕まるわけだ)


 子供なんてそんなものだろう。日本社会とて、今ようやく防犯意識が浸透してきたが、一昔前なんてちょろいものだったはずだ。

 そのちょろい荷物を、セノアに渡す。


「お嬢さん、約束のものをお届けしますよ」

「っ―――!」


 ラノアを見たセノアが、驚愕のあまり目を見開く。

 実にいいリアクションだ。芸人だってここまで最高の反応はできないだろう。リアルだからだ。本当の真実だからだ。


「先に言っておくけど、誤解はしないでほしいな。オレは知らなかったんだ。たまたまもう一人必要だったから、人材を探していた途中で見つけたんだからね」

「っ…あっ……あ…あっ……」

「まあまあ、落ち着いて。モヒカン、この子たちを休憩室に連れていくぞ。落ち着くまでゆっくりさせよう」

「了解したっす」

「ホロロさん、少し面倒をみてあげてくれるかな。女性がいたほうが安心すると思うし、どうせ二人はホロロさんに任せるつもりだからさ」

「かしこまりました。しっかりと教育いたします」

「あっ、いや…メイドにしなくてもいいんだけど…。まあいいか。任せるよ」

「お任せください!」


 こうしてセノアとラノアのロゼ姉妹は、見事再会を果たすことになる。

 たった一つの建造物の中でのドラマだったが、当人たちにとっては世界を揺るがす大事件だったはずだ。

 自分の人生の価値は、いつだって自分が決める。セノアにとって妹が大事ならば、無事取り戻したことには価値がある。


 今はゆっくりと幸運を噛み締めるといいだろう。

 彼女たちはまだ知らないのだから。

 自分たちを拾った男が、どれほど強大な力を持つかを。




137話 「ロゼ姉妹 後編」


「モヒカン、白髪のウィッグはあるか? それと黒髪ロングのやつもだ」

「両方あるっす」

「用意がいいな。さすがスレイブ館か」

「白髪ウィッグは、旦那と出会ってから用意したっす。こんなこともあろうかと黒髪のを脱色して作ったっす」


 モヒカンは得意げに白いウィッグを持ってくる。まさにアンシュラオンの髪型を模したものだ。

 「こんなこともあろうかと思って」は、一度は言ってみたい台詞だ。

 ただし、それを期待して何かを用意しているときに限って、そういった事態が発生しないのが世の常だが。


「今の服はセノアたちに着させるから、オレたちが着る代わりの服を頼む。何でもいい」

「前に使った白いのがあるっすが…」

「あれは目立つ。普通に黒っぽいのでいい。あとは身体をすっぽり覆えるような外套もな」

「それだと完全に暗殺者っすよ?」

「闇に紛れるには一番効率がいいんだから仕方ない」

「了解したっす」


 アンシュラオンとサナは今着ている服を脱いで、代わりに用意された衣装に着替える。

 以前とは違って黒くて地味な服だ。サナもロリータ服ではなく、普通のシャツと長ズボンの服装になる。


「ズボンも似合うな…可愛いぞ、サナ!! 見せて、もっと見せて!」

「…こくり」


 一回転するサナを観賞。


「あぁ…やっぱりサナちゃんが一番可愛いなぁ。最高だよ」

「幸せそうで何よりっす。売っている側っすが、旦那にもらわれてよかったと心底思うっすよ」

「そうだろう、そうだろう。オレだけがサナを幸せにできるからな」


 モヒカンの言葉に嘘はない。

 ペットショップと同じく、商品とはいえ情が湧くものだ。できれば幸せになってもらいたいとは思うものである。

 イタ嬢のところにいても衣食住には困らなかっただろうが、一生部屋の中で飼い殺しになっていたかもしれない。

 成長すればまた事情も変わってくるだろうから、最悪は【飽きられたイタ嬢】に売られる可能性もある。

 声が出ない少女ならば好都合と、虐待して楽しむ者たちもいる。それを考えれば、アンシュラオンに買われたことは幸せだろう。

 そして、もう二人ばかり、その幸せな少女が増えることになる。




「お待たせいたしました」


 ホロロがやってきた。その背後には二人の少女が付き従っている。


「やぁ、待ってたよ。落ち着いた?」

「まだ十分ではありませんが、話ができるくらいには」


 あれから一時間あまり、二人にはゆっくりとしてもらっていた。

 常時念話で話していたので特段話すことはないようだが、実際に会えるとなると嬉しさは何倍にもなる。

 その証拠にセノアは、しっかりとラノアの手を握っていた。


「おー、いいね。これはいい。完璧じゃないか。オレもサナと常時手をつないでいるからね。さまになっているよ。まあ、姉妹だから当然だけどね。手間が省けて何よりじゃないか」


 見ず知らずの二人に「兄妹ごっこ」をさせるより、本物の姉妹のほうが、より自然に振舞うことができるだろう。

 これは思った以上にお買い得であった。

 ちなみに二人合わせての金額は千二百万円。セノアが五百、ラノアが七百万である。

 小さい子供のほうが高いので、これは妥当な金額だろう。ただし、もし念話の存在が明るみに出ていれば、この十倍になっていたかもしれないほどの人材だ。


(サナともども、オレはついているな。いやいや、これも実力か。情報公開を持っていなかったらわからなかったし、自分の功績だよな。うむ、やはりオレ自身のおかげだな)


「さて、君たちには…ん? セノア、どうした? まだ顔色が悪いようだが?」

「あっ…い、いえ。そんなことは…ないです…ございません!」

「なんだ? 妙に硬いぞ。まだ警戒されているのか? まあ、知らない人だからな…オレは…。どうせ知らない人だしな…子供に警戒されるのはショックだなぁ……」


 さっきのラノアの台詞が、若干まだ心に突き刺さっていたりする。

 よく心配して声をかけたら犯罪者扱いされて少女に逃げられた、という話を聞くが、その気持ちがよくわかる。

 子供の一言は残酷だ。すごい痛い。


「おにーたん、すごいひと?」


 そのラノアが、突然アンシュラオンに質問してきた。知らない人からおにーたんに格上げだ。すごく嬉しい。


「改めて訊かれると言葉に困るが…そうだ。オレは偉人だ」


 まったく言葉に困っていない。


「こ、こら、ラーちゃん。失礼でしょう!」

「だってー、おばちゃんがすごいひとだって…」

「ひっ! ほ、ホロロさんでしょう!」

「………」

「ご、ごめんなさい! あっ、申し訳ありません! ど、どうかお許しを…」


 ホロロは、おばちゃんと言われてもまったく動じない。

 ただ、セノアにはその様子が怒っているように見えたのか、必死で謝る。


「ホロロさん、二人の様子が変だけど…何か言った?」

「ホワイト様の偉大さを少々述べただけです」

「そ、そうなんだ。なんか誤解されている気がするけど…詳しくは訊かないほうがいいかな…」


 明らかにホロロに何かを吹き込まれたとしか思えない反応だ。

 あらゆる病を治す名医であり、ホテルの最上階を借り切る金持ちであり、自分の正義を成すために人質ビジネスまがいの悪逆非道も辞さない偉大なる人物。

 うん、よくわからないし、子供が聞いたら「ただの怖い人」である。

 とりあえず子供ながらに、金持ちの段階で怒らせたらまずいという発想はあるのだろう。自分の雇い主なのだから、セノアの対応は極めて普通のものである。

 が、アンシュラオンは普通の金持ちではない。二人を卑しめて楽しむ趣味はない。


「セノア、そんなに畏まらなくてもいいよ。オレはたしかにすごい男だけどさ、君たち二人はオレのものになったんだ。そうだな。うーん、何だろうな……あえて言うなら…ううむ…」


 サナは愛情をたっぷり注いで育てる妹であり、特別な存在だ。

 では、彼女たちは何になるのかと問われると、ちょっと返答に困る。何も考えていないからだ。


(お前たちは影武者だ! とか直接言うのはかわいそうだしな。それだと悪い意味に捉えるかもしれないし…。この子たちの年齢を考えると『サナの友達』のほうがしっくりくるが、正直ちょっと合わない気はするな)


 いつかサナにも友達を作ろうと考えているが、それは【相応しい存在】でなければならない。サナの傍に置くだけの価値がある人材がいいだろう。

 二人の能力は代えがたいものだが、サナと釣り合うとは思えない。

 イタ嬢のように軽々しく友達とか言って、わざわざサナの価値を下げるのも愚かである。

 よって、これに落ち着く。


「君たちは【メイド】として、オレやこの子の周りの世話をするんだ。そう、そこのお姉さんのようにな。どうだ、それならば怖くないだろう?」

「は、はい! そ、粗相がないように…気をつけます」

「まだまだ硬いなぁ。ほら、もっとリラックスして」

「あっ…!」

「ちょっとじっとしててね」

「あっ…んっ……」


 セノアの肩に手を置きつつ、身体の様子もチェックしておく。

 脇の下や胸、お腹周りなどを触ってサイズを確かめる。


「ううっ…ぁっ…」

「大丈夫。サイズを見ているだけだから。知っているかもしれないけど医者でもあるんだ。安心していいよ」

「は、はい」


 実際、その手付きにいやらしい点はない。実に清廉なものである。

 子供は嫌いではないが、普段からサナで堪能しているので、あえてセノアで楽しもうという感情は起きない。

 それはセノアにもわかっているのだろう。顔を赤らめながらも、じっと我慢している。


(患者とかなら少しは楽しんだりするけど…自分のものだとわかっていると、案外そんな気分にはならないもんだな…)


 患者にセクハラするのは趣味である。ただし、あくまで患者だからいいのだ。軽くちょっかいを出して楽しむ感じである。

 一方、すでに自分のものであるセノアは、どちらかというと【入手した可愛い有用な人材】というイメージが強い。役に立ってくれればそれで十分だ。

 なので淡々と調べていく。


(女の子だから全体的に柔らかいけど、骨格もオレに近いかな。胸は…うん、ほぼ無いな。女の子は後からいくらでも成長するから、このあたりは様子見かな。今は無いほうがありがたいけど)


 セノアの胸は、とてもとても小さい。ぶっちゃけ、あるのかないのかわからないほどだ。

 まだ小学六年生だと思えば、それも不思議ではない。高校生あたりから一気に成長する子もいるのだ。未来に期待しよう。

 それに彼女に求めているのは、そういった性的な面ではない。


「うん、大丈夫そうだね。セノア、君に最初の仕事を与えよう。もう少し経ったら、オレの代わりに馬車でホテルにまで戻ること。戻ったあとはホテルの部屋で休んでいるといい。ルームサービスも好きに取っていいからね。そのあたりはホロロさんに一任するから、わからないことがあったら彼女に訊くこと。ただし部屋からは出ないように。これは君たちの身の安全のためだよ」

「は、はい。い、妹は…?」

「ラノアには、オレの妹…サナの代わりになってもらう。つまりは君たちは基本的に一緒だ。約束通りだろう?」

「は、はい」

「なに、心配することはない。オレは有名人だからね。どこに行っても目立ってしまうんだ。それだと外で遊ぶこともできない。だから少しばかり、オレの代理で馬車に乗ってもらいたいだけなんだ。それが最初の仕事だ。わかったかい?」

「わ、わかりました。あっ、かしこまりました…!」

「はは、無理に面倒な言葉を使わなくてもいいよ。子供は子供らしくが一番だ。ただ、オレの代理をしている間はしゃべらないように。ラノアちゃんもね。念話があるから不自由はしないでしょう?」

「…はい。大丈夫です」

「多少心苦しいけど、セノアには少し髪を切ってもらうことになる。今のままだとウィッグより長いからね。ホロロさん、調整をお願いね」

「かしこまりました。ではセノア、こちらに。髪を切りましょう」

「はい」


 指示を受けたホロロは、セノアの髪の毛を切っていく。

 女の子にとって髪の毛は命だとも言うが、そんなことはお構いなしに容赦なく切る。

 アンシュラオンの命令は絶対なのだ。「切るけど大丈夫?」などと言った緩衝材もまったくない。

 ホロロは意図的にそうした立場を取っているのだろう。自分が厳しく接すれば、アンシュラオンの気遣いが際立つことになる。

 これもまた主人を高めるためのメイドの嗜みである。


「あっ、そうだった。ついでに健康診断をしておこう。ラノアちゃん、少しじっとしていてね」

「んー? なにー?」

「大丈夫。痛いことじゃないからさ」


 アンシュラオンは命気を発動。粘着性のないサラサラの気質にしたため、服に触れても濡れないバージョンである。

 命気がラノアの全身を覆い、健康状態をチェックしていく。


「っ!?」

「ホワイト様に任せなさい」


 その様子に髪の毛を切られているセノアは驚いたが、ホロロが肩に手を置いたので動けなかったようだ。

 たしかに何も知らない素人から見れば、一瞬で青い粘膜に包まれるのは異様な光景でしかない。


「外傷は特になし。中は…と。うーん、異常はないね。極めて健康体だ。はい、終わりだよ」

「ふにゃ?」


 命気が引くと、ラノアがきょとんとした顔で首を傾げていた。その仕草はなかなか愛らしい。


「さて、そっちは終わったかな?」

「はい。このような感じになりましたが、いかがでしょう?」

「うん、ショートカットも可愛いね」

「…あ、ありがとうございます」

「じゃあ、お風呂ついでにそのままでいいや」

「きゃっ」


 次はセノアを命気で包む。

 切られた細かい髪の毛がついているが、それも一緒に命気で巻き込む。こうした不純物は、身体の汚れと一緒に蒸発させればいいだけだ。


「外傷はなし…と。中は…ふむ。ちょっと胃腸が弱っている。ストレスだね。イタ嬢のところのスレイブと同じかな。おい、モヒカン、もっと女の子たちの待遇を良くしろ。これじゃかわいそうだろう」

「そんなこと言われても…現状で手一杯っす」

「なさけないやつめ。オレがもう少しこの街で権力を手にしたら、このあたりの土地を買い占めてスレイブ館は大改築だな。もっと広くして、女の子たちが快適に過ごせるようにしよう」


 ちなみに男のことには触れていない。

 男は現状でも十分である。むしろそっちを狭くして、女の子のほうを充実させようとも考えているくらいだ。


 そうこうしている間に、セノアの治療が完了。


「これでよし。身体も綺麗にしたし、さっぱりしただろう」

「…は、はい。…す、すごい…です」

「これも君が怖がっている力だよ。どうだい? 力は便利だろう?」

「はい」

「いい返事だ。力ある者は特別だ。オレと一緒にいれば、君はこれからもっとすごいことを体験するだろう。楽しみにしていてくれ。それじゃ、着てみて」


 二人にウィッグと服を着せる。

 セノアは思った通りにぴったり。ラノアは体格で選んだわけではないので多少合わないところはありそうだが、サナは背が小さいのでサイズに大きな差はないようだ。


「おおっ、この段階でもなかなかいいじゃないか。知らない人間が見たらわからないな。じゃあ、仮面も被ってみて」


 セノアはこわごわと、ラノアは何の躊躇いもなく仮面を被る。


 その姿は―――ホワイトと黒姫。


「おおおおお! 思ったより似ているぞ! というか見た目だけだったら完璧だな!! ホロロさん、どうかな?」

「良いと思います。中身の神々しさまで求めるのは不可能ですから、このあたりが限界かと思われます」

「うん、まあ…そうだね。二人には極力優しくしてあげてね。まだ慣れていないしさ」

「かしこまりました」


 若干心配になるが、こう言っておけば自分の責任にはならないので大丈夫だろう。

 これでひとまず準備完了である。


(さて、準備は整った。【やつ】に会いに行くとしようか)




138話 「接触、キブカ商会 前編」


 二十二時を過ぎた頃、スレイブ館から白い馬車が上級街に戻っていく。

 この頃になると人々は家に戻っているので、灯りのある酒場と街道以外は、ほぼ完全に真っ暗な世界が広がっていた。

 馬車の中には、ホロロと仮面を被らせたロゼ姉妹が乗っている。ラノアはかなり眠そうだったが、ホテルの中に入るまで我慢してもらえればいいだろう。

 セノアの体格的におんぶもできるので、そのあたりは心配しないでよさそうだ。


(【監視】も馬車を追って消えたか。周囲は…問題ないな)


 アンシュラオンが周囲を波動円で探知すると、何人かの人影が馬車を追っていくのがわかった。

 白い馬車は目立つ。事情を知っていれば、それだけでホワイトが乗っていると誰もが思うだろう。


 事実、監視していた気配が一緒に消えていく。


 これは歓楽街に入った頃からずっと続いていたものだ。

 ソイドファミリーのものもあるが他の組織の目も光っている。有名になればなるほど監視の目が増えるものである。

 おそらくソイドファミリーと接触したことは、裏業界ではある程度知られているのだろう。あれだけ大々的にやれば当然である。


(この都市を取り仕切っているのは、大きく分けて五つの勢力。領主とラングラス一派はその五つの中の二つにすぎない。他の勢力にとっては、その動向も気になるんだろう)


 ラングラス一派は、あくまで医療関係をメインに取り仕切っているだけだ。領主は別と考えても、あと三つの別勢力が存在することになる。

 その三つとは、スレイブ館などの人材を管理している南のマングラス一派。食糧や水を管理している西のジングラス一派。ジュエルや一般生活用品、建築資材などを管理する北のハングラス一派である。


 領主のディングラス、ラングラス、マングラス、ジングラス、ハングラス。この五つがグラス・ギースの元締めたちだ。


 たとえばパックンドックンなどの酒場は、食料品を扱う手前ジングラスに依存しており、誰かを雇う際にはマングラスを経由することになる。

 術具屋のコッペパンは、人材は家族経営なので必要ないが、術具はハングラスの流通網を利用しなければいけない。

 唯一ハローワークだけは独立した機関であるが、備品を仕入れるにはどこかの勢力と関わらねばならないだろう。


 その三つの勢力は、ホワイトの名前をすでに知っている。領主も、彼自体は知らなくてもそのうち知ることになるだろうし、衛士たちには知れ渡っているだろう。

 その噂のホワイト医師が同じ分野のラングラスと接触するのは自然だとしても、有名で有能な人材に密偵の一人や二人を付けるのは自然なことだ。

 ただし他の組織の密偵が、ホテル内に侵入するなどのリスクは負わないはずなので、影武者でも十分誤魔化せるはずだ。

 実際、馬車を追って監視も消えたのだから、外出時に限っているものだと思われる。

 あとはロゼ姉妹がホテルにいるだけで監視の目はそちらに集中することになり、こちらは自由に動けるというものだ。


 そして今日、【とある男】と会う約束がある。


 急いで影武者を用意したのはそのためだ。今後のことを考えると極めて重要な相手である。


「サナ、少し速く移動するときもあるから、しっかり掴まっているんだぞ」

「…こくり」


 スレイブ館の裏口からサナを抱えて、すっと屋根の上に移動する。

 今は仮面を被っていないが、代わりに二人とも黒い外套を羽織っており、闇に紛れてしまえば顔は完全に見えない状況だ。

 常時周囲を波動円で警戒しながら、素早く静かに、一切の音を立てずに屋根を移動していく。

 それは軋みの音一つ感じさせない完璧な体重移動。猫でさえ、これほど静かに動くことはできないだろう。

 普通に動いても達人を遥かに超える技量を持つが、さらに命気で足裏を覆えばクッションになって、まったく音が生じないのだ。命気様様である。




 下級街を越えて、一般街へ。

 地図を見るとわかるが、スレイブ館から東に向かって移動すると、一般街との間に大きな湖がある。

 これはアンシュラオンが初めて都市に入った時、親切なおっさんに教えてもらった貯水池の一つであり、このあたりの貴重な水源にもなっている。

 浄化されていないので飲み水にするには煮沸する必要があるが、このままでも生活用水として利用されるものだ。


 その直径三キロ程度の湖のほとり、一般街寄りの場所に、一つの大きな屋敷が見える。


 一般街の裏側にあるので、表通りしか通らないと存在自体に気づかない人間もいるだろうが、こうして対岸から見ればそれなりに立派な館である。見た瞬間、金持ちの家であることがわかるだろう。

 今回の目的地が、あそこである。


(あれが【キブカ商会】の本拠地か。なかなか大きいな。しかしまあ、ソイド商会がなぜか倉庫なのに、あいつらは館か。…そもそもソイド商会のほうがおかしいんだよな。なんで倉庫だ? そのほうが管理がしやすいからかな)


 ソイド商会は、扱っているものが麻薬であるため、あまり目立つ場所には置けないという最大のマイナス要素がある。

 また、上級街の工場で生産しているので、近場に目立たない物件が少なかったこともあるのだろう。

 生活環境にさえ目を瞑れば、地理的にも倉庫で暮らすことが一番である。そう思うと、彼らは自ら汚れ役を引き受けていることがよくわかる。

 一方、キブカ商会は一般的な医薬品を取り扱っているので、人目を気にする必要はない。

 彼らの店も一般街にあるので、当然ながら本拠地も近い場所にある。それだけの話だろう。

 しかし、館が立派なのにはそれなりの理由がある。


(キブカ商会は、ラングラス一派で一番の稼ぎ頭だと聞く。接触しておいて損はないな)


 ラングラス一派の序列上、イニジャーンが率いるイイシ商会がトップという話だが、実際に一番稼いでいるのはキブカ商会である。

 現在のところ、売り上げはダントツ。ソイド商会の軽く二倍以上はあるようだ。ラングラスが現在の勢力を保っていられるのはキブカ商会の力も大きいという。

 彼らは外との取引も多く、積極的に輸出もしている。最北端の寂れた都市だが、その分だけ貴重な薬草がよく採れる。

 たとえばアンシュラオンが前に手に入れた「聖樹の万薬」などは、相当高値で外に売れる。

 ロリコンは数百万と言っていたが、それはキブカ商会などへの卸値であり、実際の値段はもっと高い。

 特に熱病が流行っている地域に売り込めば、軽く数千万にはなるだろう。庶民はともかく、金持ちは自分のための金を惜しまない。そうやって上手く商売しているのだ。

 しかしながら、外とのコネクションを持つのは難しいものだ。それだけの商才が必要となる。


 それをこなしているのが―――ソブカ・キブカラン。


 キブカ商会の組長であり、ビッグに聞いたところ、彼とは同い年の二十四歳らしい。

 各組織にはラングラスの血がそれぞれ混じっているので、彼らは親戚のようなものだ。ビッグとソブカも、幼い頃は一緒に遊んだことがあるらしい。

 近年では互いに組織を任せられることもあり、しかもソブカは組長になったことから頻繁に会うことはないが、互いのことはよく知っている間柄だ。

 その伝手で、すでに相手側には連絡がいっているはずだ。


(よしよし、ちゃんと指示通りになっているな)


 まだ距離はあるが、館の周囲は―――護衛だらけ。

 銃や武器を持った人間が、館の周囲を常時監視している。外周をざっと見ただけでも、二十人はいる。

 これは【予定通り】。

 ソブカには、こう言ってある。



―――「挨拶に行くから最大限の警戒態勢で出迎えろ。殺す気でかまわない」



 と。


 ちゃんと今日という日時も指定して、彼らが最大限の防衛力を発揮できるように配慮してある。

 情報はしっかりと伝わっているようで、ここからでも館が緊張感に包まれていることがわかった。

 これが現在のソブカ商会の最大自衛力、ということだ。


「よし、行こう」


 アンシュラオンは湖を迂回して、近くの森に身を潜めながら接近を開始。

 時には視野が開けた場所に出ながらも、見張りにはまったく気づかれることはなかった。

 完全に気配を殺したアンシュラオンを探知することは至難の業である。

 波動円を展開しているので、彼らの視線がわかるからだ。視線がこちらに向いた瞬間に身を潜めれば、闇に紛れた二人を発見することは難しい。




 そうして館の近くまで接近。

 物陰に潜みながら、周囲の様子をうかがう。


(さて、どうしようかな。話し合いに行くんだから護衛を殺す必要はない。軽く気絶させるくらいでいいだろう。むしろキブカ商会の財産だから、殺さないようにしないとな)


 前方十数メートルには、銃を持った構成員が四人ほどいる。

 四人が別々の方向を向いており、一瞬たりとも油断はしていない。


(なかなか練度が高いな。一般人にしては悪くない)


 彼らは懸命に監視をしている。一見すれば隙はない。だが、それはあくまで一般人のレベルでだ。


 刹那―――四人が倒れた。


 気がつくとアンシュラオンはすでに処理を開始しており、四人を物陰に引っ張り込んでいる。

 やったことは至って簡単。接近して当て身をくらわせただけだ。しかし、それがあまりに速かったので誰にも見えなかったにすぎない。

 こちらに向いていた一人の視線、眼球がこちらを捉えて脳で情報を処理するよりも早く接近し、手刀で気絶させる。

 それができるのならば、他の三人の処理は簡単。

 最初に叩いた相手の身体が、ぐらりと揺れた頃には、四人とも完全に気を失っていた。


(うーん、レベル的にはソイドファミリーより低いな。あっちは武闘派だというし…個の質は向こうが上か)


 ソイドファミリーの中級構成員と比べれば、この相手はかなり弱い。多少腕の立つ一般人程度だろう。

 そもそもソイド商会は武闘派であり、構成員のほぼすべてをハンター崩れなどで構成している。強くて当然だ。

 キブカ商会はあくまで商会の側面が強く、有事の際は後ろに下がっていることが多い組織である。比べるのはかわいそうだろう。

 しかし、最大限の警戒をしろと言った以上、ちゃんとした相手を用意しているはずだ。




 アンシュラオンとサナは、邪魔になった最低限の構成員を気絶させ、館の裏口に到着。

 裏口とはいえ目の前には重厚な扉がある。金持ちは裏口でも金をかけるのだ。このあたりにも、こだわりを感じさせる。


(当然、鍵はかかっているんだろうが…さっきのやつらは鍵を持っていなかった。そうなると怪しいな)


 もし出入り口として使っているのならば、鍵を持っていてもおかしくはない。それがないということは、最初から開けることを想定していない可能性がある。

 ならば屋根をつたって移動するという手もあるが、挑まれたような気がしたので扉を開けることにした。

 だが、普通には開けない。鍵を壊す前に隙間から命気を侵入させる。

 するとドアの上部になにやら四角い箱状の感触があった。


 命気を凍気に変化させ―――凍結。


 それが完全に凍ったことを確認すると、鍵を壊してドアを開ける。


(アラームだな。領主城より警備は厳重だ。街中にあるせいか防犯意識は高いらしい。まあ、マフィアの本拠地に泥棒に入るやつも少ないだろうけど、警備を怠らないのはよいことだ)


 おそらく防犯用のブザーである。知らずに開けたら、領主城でイタ嬢がやったようにアラームが鳴り響いていたことだろう。

 機器が固定された部位がやや古くなっていたので、今回改めて設置したというより、常時こうした備えは怠っていないと思われる。

 それは館の雰囲気からしてもわかることだ。

 ピリピリしていて張りがあり、力強さと警戒心と慎重さが複雑に絡まった気配。たとえるならば【やり手】の匂いがする。

 新進気鋭の新人デザイナーのような、業績トップの若手営業マンのような、あるいは新分野を開拓した若社長のような、実に若々しい活力に満ちている。

 ソブカという男から発せられる気質は、まさにそういったもの。これはソイドファミリーにはなかったものだ。


(ソブカ・キブカラン…か。豚君とは違うようだ。注意が必要かもしれないな)


 ソイドファミリーは、まさに一般的なマフィアという感覚であった。だからこそ行動も読みやすい。

 ソイドビッグなど、まさにその典型。実にこちらの思惑通りに動いてくれたものだ。それゆえに簡単に落とすことができた。

 しかし、ソブカも同じであるとは限らない。いや、おそらくはまったく違う存在だろう。

 武力ではアンシュラオンが負けるはずもないが、それ以外の要素では相手のほうが上かもしれない。そこで警戒レベルを一つ上げる。


「会うのが楽しみだな」


 アンシュラオンは、さらに内部へと進んだ。




139話 「接触、キブカ商会 中編」


 館は、いわゆる洋館というものに近い造りである。

 所々に岩と木を使っているのは他の建築様式と同じだが、領主城のように気品があり、やはり金持ちの家という印象を受ける。


 裏口から入ったアンシュラオンは、サナと手をつなぎながらゆっくりと通路を歩く。

 夜はまだ長い。そんなに焦る必要はないだろう。

 ただ、こうして歩いていても油断はしない。見張りがいないような場所には、必ずトラップが仕掛けられているからだ。

 床や壁に貼られた術符が、調度品に隠れて配置してある。術の因子がなければ、その存在に気がつくことは難しかっただろう。


 しかし、それが見えるアンシュラオンには意味がない。


 効果が発動される範囲までわかるので、それを避けるように移動する。

 どうしても避けられないようなものは、アラームのようなものでなければ、設置された箇所ごとくりぬいてから術式を破壊するようなこともした。

 さすがに室内に強力な符は設置しないので、どれも威力が限定的なものばかりである。これも凍らせてから処理すれば、ほとんど外に影響を与えずに自壊していった。


(さて、ソブカはどこかな)


 近くにあった無人の部屋に侵入して、改めて波動円を展開。

 今度は誰にでも反応する対人センサーというより、領主城でやったように特定の人物を探すタイプのやり方だ。

 キーワードは、若い男。

 急速に伸ばされた波動円が館をすっぽりと覆うと、内部の様子もさらにはっきりとわかってきた。


(屋内には三十人弱ってところか。動き回っているのが見張りだな。こいつらは無視でいいか。…で、それ以外に若い男は何人かいるが……動いていないやつは…と。上の階にいるやつがそうかな? やっぱりリーダーってのは上の階にいるもんだしな)


 最上階の三階の奥、窓側の部屋に四人の気配があり、その中の一人が若い男であるようだ。

 その部屋の前にも男らしき者たちがいるが、きっと護衛だろう。

 普通はそれだけの情報ではソブカかどうかわからないが、なんとなくそうだろうという確信があった。


(風格っていうのかな。オーラの雰囲気が他人とは違う。ボスって感じだ。窓側の部屋なら外から行ってもよかったが…それだとコソ泥みたいだからな。普通に中を歩いていくか)


 この勝負は、あくまでアンシュラオンが仕掛けたものだ。ならば堂々とドアから入って、通路を歩いていくべきだろう。




 部屋を出て、奥への通路を進む。

 上に向かう階段の前に何人か見張りがいたので、これもあっさりと気絶させておいた。

 わざわざ記述するまでもないほどのいつもの出来事だ。


(しかし、弱い。こいつらの弱さはどうにかならないのか。やっぱりあれだな。せっかく魔獣がいるのに積極的に戦わないからだな。もっと戦えばレベルも上がると思うんだが…)


 レベル制度である以上、少なくともその限界までは強くなれる可能性があるということだ。

 限界まで上げて、それに納得するのならば仕方ないが、最大レベルの半分にも至っていない者たちが多すぎる。

 一般人ならばともかく、こういう職種の人間ならば、もっと鍛えたほうがよいに決まっている。


(それだけ抗争が少ないのかもしれないな。つまらん世界で生きているもんだ。…おっと、少しは面白いやつらがいるかな?)


 三階に上がると、雰囲気が少し変わった。

 階段を上がった通路を右に曲がった先に、三人ばかり今までとは毛色の違う者たちがいる。


 それは―――武人。


 見なくてもわかる。波動円がしっかりと相手の力量を見極めているからだ。

 そして、同時に相手も波動円を使っていた。アンシュラオンには程遠いが、半径三十メートルは伸ばしている。

 百メートル以上伸ばせれば達人の領域であるが、三十メートルでもそれなりの使い手だ。銃弾や弓などの攻撃ならば、三十メートル手前で感知できれば回避は十分可能である。


(さっき感知した護衛の三人だな。どうやらオレの波動円には気づいていないようだし…わざわざ姿を晒すまでもないか。相手が雑魚なら戦う価値もない。オレが相手をする価値があるかどうかを試してやろう)


 相手の波動円ギリギリの距離、まだこちらが探知されていない場所に立ち、掌を向ける。


 そこから―――水気を放出。


 濁流のように水気が噴き出すと、一気に加速して通路を走り、曲がり角に至った瞬間に直角に曲がる。

 そして、その先にいた三人に攻撃を開始。

 相手も波動円によって水気の存在には気がついたが、もう遅い。これは遠隔操作系の武人にしかできない芸当なので、完全に想定外の攻撃である。

 しかも、単純にスピードが速い。

 彼らが気がついた瞬間には、水気は三人の中心部に到着していた。一般人に弾丸が見えてもかわせないのと同じく、気がついてもどうにもできない速度なのだ。

 そう、つまるところそれだけの実力差がある。彼らが武人であり一般人に対して脅威であるように、自分は彼ら【一般の武人】にとって最大の脅威となる、さらに上位の武人である証拠だ。

 アンシュラオンがもしその気だったならば、この一瞬で三人を殺すことも容易だったに違いない。

 しかしながら水気は相手を直接攻撃せず、足元の床にぶつかると同時に周囲を覆い、球体の【水の牢獄】を生み出す。


 覇王技、水泥牢(すいでいろう)。


 水気を一定の範囲内に放出し、対象者を閉じ込める技である。

 この技は周囲を覆っている部分だけを凝固させ、中を液体状の水気で満たすものだ。閉じ込められた者は当然ながら呼吸ができないし、水気の圧力に晒されることになる。

 また、水気はそれだけで攻撃的な気質なので、何もしなくても身体は焼けていく。水を吸い込めば内部からも焼かれるだろう。

 リンダにやったのは、これの簡易版。今やっているものが本来の威力と形である。

 この水を全部凝固させると、アンシュラオンが前に戦艦の砲撃を防ぐ際に使った『水泥壁』という防御技になるが、水泥牢は相手を拘束する技である。


 三人は―――牢獄に囚われる。


「がぼっ!??!?」

「っ―――!??!」


 【二人】は突然のことに驚き、パニックに陥る。

 たしかに技量的には武人、それもおそらくレッドハンタークラスとはいえ、アンシュラオンの水泥牢に囚われたら何もできない。

 まず何より、あまりの速さに何が起こったのかすら理解できていないだろう。

 気がついたら水の中、という非日常の光景に包まれるのだ。パニックになるのが当然である。


(あまりやりすぎると死ぬな。軽く圧力を強めて気絶させるか)


 水泥牢の圧力を強める。


 一気に水圧が増し―――気絶。


 何の抵抗もなくなり、二人がだらんと力を抜く。これだけですでに戦闘不能である。

 水泥牢を解除すると、二人がバタバタと床に倒れた。わかってはいたが、まったくもって拍子抜けである。

 されど、少し意外なことがあった。


(おっ、一人は意識があるな。それどころか…これは面白い)


 アンシュラオンが笑いながら、ゆっくりと通路を歩き、曲がり角に到達。

 そこから、さきほど水泥牢を展開させた場所を見ると、一人の男らしき存在がいた。

 他の二人が倒れているのに比べ、しっかりと立っている。


 しかも―――【無傷】


 アンシュラオンの攻撃を受けて無傷。このようなことは今までなかった。だからこそ興味がそそられた。


「面白いやつがいるじゃないか。オレがなぜ面白いと思うのか、わかるか? お前がたいして強くないのに、なぜかオレの攻撃を防いだからだ。興味が湧くってもんだろう?」

「………」


 その男は、じっとアンシュラオンを見つめていた。

 アンシュラオン自身も黒い外套に身を包んだ状態なので怪しいが、相手の男はもっと怪しい。


「なんだその格好? 趣味なのか?」


 男は、いくつかの色の違う布を縫い合わせたような奇抜な覆面を被っており、身体全体をすっぽり覆う異様な服に身を包んでいる。

 こちらの服も複数の布を縫い合わせた不思議なものだが、それ以上に形が不思議。

 その服は、まるで【拘束服】。

 刑務所で見るような、両袖が前でつながった拘束服のようなものを着込んでおり、手や肌どころか身体の体表が何一つ外に出ていない異様な姿をしている。

 仮面を被っていた自分も相当なものだと思っていたが、世の中には上には上がいるものだ。見た目からして、かなりイッている。

 中が見えないので性別は確かではないが、身長や体格、覆面の輪郭からして男だろう。


 その男はアンシュラオンの言葉には応えず、黙って臨戦態勢を取っていた。


「まっ、アニメや漫画みたいに語り合うってのは、普通はないからな。当然の反応だ」


 ソブカには「敵襲の可能性がある」としか教えられていないはずだ。相手はこちらを本物の敵だと認識している。

 そんな相手に向かって自らの素性を話し合いながら戦うなど、まずありえないことだ。これが極めて自然な対応である。

 ただ、疑問点は解決されていない。


(こいつの実力は、さほど高くはない。ビッグよりは強そうだが、少なくともオレの攻撃を防げるレベルにあるとは思えないな。となれば…防御技かスキルか)


 最近はすぐに見てしまうとつまらないので、どうしても見なければいけない要人以外は、何の情報もなく戦うようにしている。

 能力がわからないということは自然なことであり、ワクワクするものだ。これも、より楽しく戦うための手段であり、ハンデだ。


「来ないのか? いくらでも相手をしてやるぞ。さあ、楽しもうぜ」

「………」

「いい練気だ。豚君に見せてやりたいくらいだ」


 相手は動かない。こちらの様子をうかがっている。

 ただし戦気は展開しており、なかなかに滑らかである。練気が上手い証拠だ。ビッグと比べれば遥かに熟練した相手といえる。

 それは動かないことからもわかる。さきほどの攻撃を見て、相手のレベルが自分より上であることを悟ったのだろう。この場合、迂闊に動くのは危険すぎる。

 ただし、相手は完全に待ちの姿勢。まったく動かない。


(亀のようにまったく動かないな。これは慎重ではなく…そういうタイプか)


 あの奇抜な容姿からも、相手が防御型の武人である可能性が高い。能力を見せないために服で身体を隠すのは、防御型に多い傾向にある。

 陽禅公も、長い袖で手元を隠すような道着を着ている。単純な方法だが、小細工をするには案外有効な手段である。

 この敵も手を隠しているので、何かしらのギミックがあると思われる。覆面は、そうしたことを悟られにくくするための小道具である可能性も高い。直感ではなく、慎重に考えて戦うスタイルだ。

 こうした相手の場合、自ら積極的に動くタイプではないので、こちらから攻撃を仕掛けるまでは微動だにしないだろう。

 逆に言えば、カウンター技として何かを持っていることを意味している。


「いいだろう。こちらから攻撃してやろう」


 再びアンシュラオンが水気を発射。

 水気を放って叩きつける【水流波動】という技だ。何の捻りもないネーミングだが、それ以外言いようがないのも事実。因子レベル1の基礎技である。

 だが、アンシュラオンがやれば激流となり、建物そのものを破壊することも可能な威力を持つ。


 水流が相手に一気に襲いかかり―――激突。


 反応できなかったのかもしれないが、相手はそれをよけなかった。そのまま直撃を受ける。

 本来ならば、これだけでノックアウトである。多少手加減はしているので死にはしないが、意識を刈り取るくらいはできるだろう。


 そのはずだったのだが―――無傷。


 アンシュラオンの攻撃を受けてもダメージを受けない。


 しかも衝突した水流が―――霧散。


 まさに霧のように弾けて消えてしまった。

 これは実に面白い現象だ。興味深い。


(防御技を展開した様子はなかった。戦気で防いだわけでもない。他に動作は見られなかったし、オレの目を誤魔化せるほど素早く動けるはずもないから…何か特殊な手段を使っているのだろう。くくく、面白いじゃないか。楽しくなってきた)


 魔獣の中には特殊な能力を持つ者がいるので、アンシュラオンの攻撃が弾かれることもあるが、地上の人間相手では初めての体験である。

 俄然やる気が出てきたというものだ。




140話 「接触、キブカ商会 後編」


(この世界の連中は変態ほど面白い能力を持っているな。いや、変態だからこそ他人とは違う方向性を求める。だから面白いのか)


 普通の武人が普通に鍛えても、結局平均的な意味での普通にしかならない。その場合、自分より少しでも強い敵と遭遇すると死亡確定である。

 日本人が平均を求めるようになって安定はしたが弱体化したように、現在の武人の世界がそれに該当する。

 その成れの果てが、今通路に倒れている二人である。それなりに有能なのだろうが、それは一般の価値観の中だけでしか必要とされない。そんなものには興味がない。

 それよりは変態でも特殊なほうが使い道がある。

 仮に財産や人間性のすべてを失っても、勝てる可能性が1%でも上がるのならば、喜び勇んで変態になるべきだろう。それば武人としては完璧に正しい選択である。


「お前はオレと戦う資格がある。遊んでやるよ」

「………」


 男は相変わらず動かない。どうやら防御に絶対の自信があるようだ。

 気になったのは、やはりあの服。


「その服は特殊な防具か? それとも防御の術符でも展開しているのか? だが、術式は見えないし…ここまで完全に弾くのは異常だな。それともオレが知らないだけかな。たしかに術具に関しては知らないことも多いし…。ならば、少し実験をしよう。何度耐えられるかな?」


 再び水流波動を放ち、濁流が襲いかかる。

 男はよけない。


 ドドドバッーー バシャッ


 さきほどより威力を強めたのだが、結果は同じく霧散。


(カラクリがわからん。…ここまで異様な状況だとスキルの可能性が高い。オレの『女神盟約』だってよくわからないスキルだし、まだまだ知らないスキルが世の中にあってしかるべきだ。検証が必要だな)


 さらに攻撃を続行。少しの異変も見逃さないと男の挙動を注視する。


 ドドドバッーー バシャッ


 三発目―――無傷。


 ドドドバッーー バシャッ


 四発目―――無傷。



 これで合計、四回の攻撃、水泥牢を含めれば五回の攻撃を防いだことになる。

 どれもビッグ程度ならば一撃で気絶の威力である。それを五回防げるだけでも素晴らしい力だ。

 だが、次に異変が起こる。



 ドドドバッーー バシャッ


 五発目―――揺らぐ。



「ぐっ…!」


 男が初めて動揺した。

 水気を全部弾けず、不意のパンチをくらったボクサーのように身体を揺らす。


「八割くらいは霧にできたようだが、二割くらいは入ったな。ふむ、水気を分解する技だったのか? だが、それが突然できなくなったということは…回数制限というよりはBP不足かな?」


 もしこの能力が回数制限ならば、最後の一回だとしても完全に防げただろう。

 しかし、部分的にいきなり防げなくなったのならば、その分だけ何かを消費していたことになる。

 それがアイテムかBPかどうかは不明だが、戦気が若干明滅して揺らいでいるので、使用したのはBPの可能性が高い。

 BPは戦気の使用にも必要な数値であるので、完全にゼロになると放出ができなくなる。


「ふー、ふー」

「せっかくの覆面だが、表情が丸わかりだな。限界を超えたか? これだけ防げただけでも見事だがな」


 覆面からでも必死に練気をしている様子がうかがえた。どうやらBPを回復させようとしているようだ。

 だが、完全に隙が生まれてしまっている。男にとっても予想外の展開なのだろう。

 おそらくもう一発二発、水気を撃ち込めば倒れるだろう。防げなければダメージは深刻になるはずだ。

 しかし、簡単に倒すのは惜しい。


(このまま倒すのは簡単だが…他の技が防げるのかどうか、もう少し実験したいな)


 しばし男が回復するのを待つ。

 相手も警戒したまま動かない。正確には動けないのだが、視線はまだ死んでいない。闘争心は消えていないのだ。


(絶体絶命に見えるが、こいつにはまだ余裕がある。得意な攻撃を残している証拠だ。はは、いいじゃないか。オレを前にしても逃げないなんてな。探してみれば、けっこう面白い連中もいるようだ。これなら裏スレイブのほうも期待できそうかな?)


 目の前の男がこうして隙を晒しているのは、まだ奥の手が残っているからだろう。本当につらそうではあるが、その場合に備えて対策を練っていることがうかがえる。

 こうして見ると、なかなか面白い素材が転がっているものだ。

 ただし、それは主に裏側。

 表には見えないところにこそ面白いものがあるものだ。表面の世界しか知らず、それがすべてだと思っている人間には一生理解できない世界が存在する。

 この男も、そうした中で自分を磨き続けてきた武人なのであろう。これだけの実力差を感じていても、けっして逃げようとはしない。

 そこに戦いの悦びがあるからだ。


「そこそこ回復したな。ならばオレに見せてみろ。お前の強さを」


 念のためサナに戦気壁で防御膜を生み出してから、アンシュラオンが近寄っていく。

 男はようやくその時が来たかと、一歩一歩こちらの動きを観察していた。

 そして、アンシュラオンは無造作に敵の間合いに侵入。

 距離は、およそ三メートル。


 突如―――男の服が破けた。


 露出に目覚めたわけではない。拘束服の継ぎはぎがほつれ、無数に分かれた布が襲いかかってきたのだ。

 それはまるでタコの足が一斉に襲いかかってくる様子に似ていた。

 自在に動く布がアンシュラオンを捕捉しようとする。

 アンシュラオンは注意深く見ていたので、すぐさまその仕組みを理解した。


(それぞれの布を【戦糸(せんし)】で縫い付けていたのか。器用なやつだ。それを使って服を操っているんだな。しかも布地も戦気で強化している)


 戦糸とは、戦気を極限にまで細めて糸状にする戦気術の一つである。これを戦硬気として物質化させれば、まさに糸そのものとして扱うことができる。

 そして、戦糸を操る技を戦糸術と呼ぶ。

 普通の糸と違うのは、それを自在に動かせる点だ。これは遠隔操作ではなく、アンシュラオンが戦気を体表上で自在に動かすのと同じなので、これ以上伸ばせば別だが、服を動かすだけならば特別な素養は必要ない。

 この男は、戦糸を使って服を自在に操っている。そして、布地にも鋭利な刃が付いており、それも戦気で強化してあった。

 相手を捕縛しながら切り刻む。それがこの男の戦い方なのだろう。あるいは刃は、敵に食い込ませるのが目的なのかもしれない。

 まだ手元は隠れているので暗器を持っている可能性もある。捕縛したらそれで攻撃を開始するはずだ。


「遠距離攻撃を能力で防ぎつつ、相手が接近してきたら捕縛して仕留める。悪くない戦い方だ。では、これは防げるか?」


 布が自分に触れる前に、アンシュラオンが男の胸を蹴る。

 万一あの能力が発動し、防がれる可能性も考慮したが―――直撃。


「ごほっ―――!?」


 まるで雷撃のような衝撃とともに、男は後方に吹っ飛んだ。

 アンシュラオンがやったのは、ただの前蹴り。軽く戦気で強化したが単なる蹴りであり、格闘技にすぎない。

 わざとくらった様子はない。単純に速すぎたので対応できなかっただけだろう。


(普通に入った? 感触におかしなところはない。…どうやら戦気を消す技じゃないみたいだ。それだったら相当ヤバイ技だけどな)


 師匠の戦闘講座で、戦気を無力化する術もあるとは聞いているので、それこそ武人にとっては一番厄介な技である。

 戦気を発することができなければ技が使えないどころか、攻防能力が一気に下がってしまう。

 アンシュラオンのように元の肉体自体が強ければ別であるが、普通の武人ならば、銃弾でもそれなりの脅威になってしまうだろう。

 しかし、相手の能力は戦気の無力化ではないようだ。


「こいつはどうだ」


 相手が吹っ飛んでいる間に修殺を放つ。かなり手加減をしたものなので、それ自体で死ぬことはないだろう。


「っ!!」


 男はその気配を察知。


 激突する瞬間―――修殺が掻き消えた。


 こちらも霧散という言葉が相応しいように、周囲に霧状になって消えてしまった。


「ふー、ふーー!」

「面白い能力だな。遠距離技限定か? しかし、直接攻撃は防げないらしい」


 男はなんとか着地をしたが、胸は陥没していて呼吸が荒い。

 手加減していなければ、この一発で死んでいただろう。とはいえ能力は健在であるようだ。


「次は近距離での技はどうだ?」


 気がつくと、すでにアンシュラオンは相手の懐に入っていた。


「っ―――!」


 男は慌てて布を操作して捕縛しようとしてくるが、もう遅い。遅すぎる。


「加減が難しいから死んだらごめんな。―――風神掌!」


 アンシュラオンの掌が、腹に触れると同時に強烈な圧力が生まれ、男がひしゃげた。

 まるで身体の中に竜巻が発生したような衝撃に、身体全体が不規則に歪む。


 覇王技、風神掌。


 雷神掌と対になる技であり、雷ではなく風属性をまとった一撃である。

 雷神掌を修得してしまうと反対ルートにある風神掌は覚えられないのだが、アンシュラオンが持つ『対属性修得』スキルによって両方覚えることができる。

 雷神掌が相手の体内に雷を流して感電させるものに対し、風神掌は風をまとったものであり、対象の内部に風の圧力を解放させてズタズタに引き裂く技だ。

 バゴンッバゴンッと、男が宙に浮いた状態でダメージを受けている。

 今、男の身体の中では爆風が吹き荒れ、臓器や筋肉がバラバラになっていることだろう。その圧力で浮いているのだ。


「ごふっ―――ば、馬鹿……な…」


 男はそう言い残すと―――吐血して倒れた。

 しばらく見ていたが、起き上がってくる様子はない。完全に気を失ったようだ。


「今の感覚…多少威力が軽減されたな。接近戦でも技を使うと、戦気かどうかは関係なく弱体化されるのか?」


 本来の威力を発揮していれば死んでいた可能性も高い。

 アンシュラオンの風神掌が決まっていれば、こんなものでは済まない。粉々に吹っ飛んでいたことだろう。

 当然、完全に入ってもそうならないように気をつけたが、それでもこれだけにとどまっているのは、男の能力が発動したからだろう。


「さて、倒したことだし詳細を確認するか」


―――――――――――――――――――――――
名前 :ラーバンサー

レベル:45/50
HP :40/850
BP :10/400

統率:F   体力: E
知力:D   精神: E
魔力:D   攻撃: F
魅力:F   防御: C
工作:C   命中: D
隠密:F   回避: F

【覚醒値】
戦士:1/1 剣士:0/0 術士:0/0

☆総合:第八階級 上堵級 戦士

異名:拘束マニアの覆面男
種族:人間
属性:水
異能:沈着冷静、低級技無効化、高等拘束技術、人見知り、孤独感
―――――――――――――――――――――――


「『低級技無効化』だと? そんなスキルがあるのか。水泥牢も水流波動も因子レベルは低い。だから防げたのか?」


 まず目についたのが、このスキル。『低級技無効化』はその名の通り、低級の技を無効化できるレアスキルだと思われる。

 水泥牢と風神掌は因子レベル2の技、修殺と水流波動はぶつけるだけなので1の技だ。アンシュラオンが使うから恐るべき力を発揮するが、どちらも低級の範囲に入る。

 セノアの時にも言ったが、一般的に因子レベル3もあれば十分なので、そこまでが低級技に入ると考えられる。

 こうなるとガンプドルフの剣雷震も防げるので、かなり有用なスキルだ。


(遠距離、近接にかかわらず技は全部無効化するのか? 予想はしていたが…すごいな)


 その効果は絶大。遠近かかわらずに完全に無効化していたようだ。

 何度も攻撃したら無効化できなくなったようなので、BPを消費するバリアタイプだと思われる。

 間髪入れずに攻撃を続ければ理論上は打開できるが、仮に自分が持っていたらチート級のスキルになっていただろう。


(レベルが高いわりにHPや能力は低いか。才能はないが、かなり努力したんだろうな。変態みたいだが嫌いじゃないタイプだ)


 レベルが上限近くまで上がっているが、因子や能力値は低いままである。

 つまりは【才能がない】のだ。成長率が悪い。

 正直、ビッグのほうが何倍も才能があるだろう。同じレベルに達すれば、両者の能力値の差は歴然のものとなっているに違いない。

 ただし、武人の強さは才能だけに囚われるものではない。才能がなくても、この男なりに努力して戦ってきたのだろう。

 結局、反撃の要であろう『高等拘束技術』とやらも見ることはできなかったが、スキル名からしても厄介なものに違いない。


 これはもう単純に相手が悪すぎた。


 武人としての力量が違いすぎるので、その術に捕らわれる前に倒してしまった。

 若干捕まっていたらどうなっていたのか気になるが、男に抱きつかれる趣味はないので仕方ない。

 逆に言えば、アンシュラオンでなければ危険な敵であった。敵を捕らえれば情報も訊きだせる。護衛としては文句なしで一流だろう。


「こういうスキルもあるんだな。勉強になったし、少しは楽しませてもらったよ。やっぱり武に真摯なやつってのは好感が持てる」


 アンシュラオンは敵を褒め称える。

 この男はレベルを上限近くまで上げていた。そして、身の程を知った戦いを諦めなかった。

 こうなれば男だろうが変態だろうが関係ない。その努力と生きざまを称賛するのだ。


「じゃあ、行くかな」


 ソブカがいると思われる部屋は、もう目の前である。

 これだけ音を立てれば、相手も気がついているだろう。




141話 「大剣と大盾のお姉さん」


 ガチャッ

 特に無警戒で扉を開けると、二十畳程度の部屋があった。

 どうやら執務室のようで、窓際には大きな机があり、壁の本棚にはさまざまな書物が並んでいる。

 この都市にやってきて、これだけの本を見るのは初めてかもしれない。単に自分が読書をあまりしていないだけかもしれないが、少なくともここの部屋主は勤勉なことがうかがえる。


 その机の椅子に一人の若い男が座っていた。


 白茶のふんわりとした髪の毛と整った顔立ちは、それだけ見れば女性が憧れるような貴公子に見えなくもない。

 ただし、おそらく女性がその青い目を見たら好奇心よりも―――


―――怖い


 と思うだろう。

 猛禽類のような鋭い瞳が常に何かを狙っているように思わせる。単なる鋭さからではなく、その中に秘められた【何か】を感じるからだ。


(間違いない。ソブカ・キブカランだ。いい面構えをしている。だが、まだ邪魔がいるようだな)


 ソブカの隣に一人、その前に二人の人物がいる。

 三人とも女性で、隣にいる女性はメガネをかけた秘書風の女性。しかし、雰囲気がやたら落ち着いており、腰に剣を帯びているところ見ると武人かもしれない。

 その前方にいる二人は、見るからに戦闘タイプといった様相だ。


 一人は盾を持った長身の女性で、シルバーグレイの銀髪を短くまとめている。肩や足に魔獣素材の防具をはめているので、明らかに傭兵といった見た目である。

 特筆すべきは【盾】。

 こちらも魔獣素材なのだろうか。金属のように鈍く光る大きな四角い盾を左手に持っている。身体全体を覆うほどに大きいので、魔獣の攻撃でも防げそうだ。

 右手には先端が膨れた打撃棒、いわゆるメイスと呼ばれる武器を持っていた。総合して見るに、相手を殺すというより、制圧して対象者を守ることに特化した武装のようだ。


 もう一人はベージュの長めの髪に褐色肌の女性で、こちらは両手剣と呼べそうな大剣を持っている。防具は最低限しか付けていないので戦闘攻撃タイプと思われる。

 盾の女性と違うのは、剣の女性のほうが体格ががっしりしており、女ウォーリアーと呼ぶのに相応しい姿であることだろうか。

 その容姿から、アマゾネスやアマゾーンと呼ばれる女部族の戦士を彷彿させる。

 それでもやはり女性なので、露出した筋肉は男性のそれと比べてしなやかで美しいラインを保っていた。

 ちなみに年齢は、どちらもアンシュラオンより年上に感じられるお姉さんたちである。


(褐色肌は…サナとは違うな。もっと濃い色だ。ただ、日焼けかもしれないし…同じってわけじゃないよな)


 褐色肌の人間も見かけるが、たいていは日焼けだったりするので肩透かしをくらうことがある。

 べつにサナの同郷の人間を探しているわけではないが、なんとなく褐色肌に目を向けてしまうのは仕方ないことだろう。


 大剣の女性が、ちらりとソブカを見る。

 それは確認の意味を込めたものだったのだろう。「小さいのが来たけど、攻撃していいのか?」といった具合の。

 しかし直後、それと正反対の行動を取って、いきなり飛び出していた者がいた。

 盾の女性である。

 彼女は大剣の女性が確認のために視線を動かした瞬間には、シールドを構えてまっすぐに突っ込んできていた。


(へぇ、いいな。思いきりは悪くない)


 これはサインプレーではない。アンシュラオンの気を逸らして攻撃するトリックプレーではない。

 自分が部屋に入ってきた瞬間から、飛び出すタイミングを計っていたのだろう。単純に盾の女性が最初からこうするつもりだったにすぎない。

 盾の女性は最初からアンシュラオンしか見ていなかった。

 そう思ったのは、彼女の踏み込みに迷いがなかったからだ。彼女がソブカに何と言われているのかは知らないが、そこに【強い意思】を感じた。


 だから―――受け止める。


 サナを真後ろにした状態なので、もとより避けるつもりはないが、その突進を片手で受け止めた。


「っ―――!!」


 アンシュラオンはまったくその場から動かず、手だけを突き出した。

 それと盾が衝突した結果、完全なる静止状態が生まれる。

 力と力がぶつかれば、より強いほうが勝つという当たり前の事象が発生するからだ。

 ミシミシ

 骨が軋む音がする。彼女が突進したエネルギーが全部跳ね返り、自分自身を圧迫しているのだ。

 それだけ迷いなくぶつかってきたのだろう。見た目に騙されずに全力で来たことには好感が持てる。

 ただ、盾によって少年の姿が完全に見えなかったことで、それをまったく予期できなかったことが想定外。無防備にすべての力を受けてしまった。


 角度が悪く、肩の骨が外れる―――前にアンシュラオンは次の行動。


「ほいっと」

「あっ!!」


 ぴったりと手の平を密着させたまま盾を回転させると、女性も回転して床に叩きつけられる。

 手の平と盾を命気で接着させているので、こうなったら腕力が強い者が好きにできるのだ。

 しかもそのままだと頭がぶつかって怪我をしてしまうので、軽く引っ張って背中から落としてやる。


「かはっ―――!」


 叩きつけられた衝撃で呼吸が止まり、女性の思考が一瞬止まった。

 その瞬間に盾を奪い取る。


「やっ、綺麗な顔をしているね。まるでアニメのロシア人みたいだ」


 女性と、目と目が合う。

 顔立ちとしては、非常にすらっとした端正な顔である。その銀髪と相まって、アニメで出てきそうな銀髪ロシア人を彷彿とさせる。

 身長も高いので、個人的にはスーツを着せて楽しみたい男装の麗人風の美人である。


「はぁああああ!!」


 しかし、ゆっくりと見ている暇はない。大剣の女性がすでに迫っていたからだ。

 女性の戦い方は、思っていた通りに非常にシンプル。

 大きな剣を振りかぶって、叩きつけるだけ。まさに男がやりそうな豪快な攻撃スタイルである。

 体格の良い彼女が大きな大剣を振るうには、この部屋はかなり狭いように思える。逆にいえば狭いのでよける場所がなく、力と力の勝負に持ち込めるエリアなのかもしれない。


 その剣が―――盾と衝突。


 アンシュラオンは盾で剣をガード。片手で完全に剣の勢いを受け止めている。

 ギシギシと大剣の女性の骨も軋むが、最初から想定していたことと、彼女自身の骨格が頑強なのか、その衝撃にも耐え切ったようだ。


「へー、盾も面白いな。そういえば剣王技に【盾技】ってのがあるんだよな」


 アンシュラオンは、初めて使った盾に興味を覚える。

 剣士の因子は、武装全般に関わるものなので盾も含まれており、剣王技の中には盾技というものがあると聞いたことがある。

 剣技に比べて防御に特化しており、広域に防御陣を展開できる技もあるので集団戦闘においても重宝されるらしい。

 盾の女性のようにシールドアタックとしても使えるため、なかなか優れた武装であるといえる。


「まだまだいくよ!!!」


 アンシュラオンが盾に感心していた間に、剣の女性が再び攻撃態勢に入っていた。

 曲芸のように盾を蹴って着地すると、低い体勢から斬り上げてきた。

 その剣を再び盾で受ける。今度も力負けせず、完全に防御する。

 しかし受けた瞬間には女性はすでに次の動作に入っており、連続して大剣を振るってくる。


 ギンギンッ ガンガンッ
 ギンギンッ ガンガンッ
 ギンギンッ ガンガンッ


 盾が剣を弾く音が響く。

 盾の女性が立ち上ってメイスを構えるも、そのあまりの猛攻に割ってはいる隙がない。


「へぇ、お姉さんも面白いね。なるほど、同じ女性でも姉ちゃんとは全然戦い方が違うな」


 男性のやり方と違うのは、筋力で力任せに振るうのではなく、身体全体のしなやかさを利用して攻撃している点。

 それゆえに攻撃に多少の時間はかかるが、一撃一撃が非常に鋭く重い。もし常人が盾を持っていたら、盾ごと吹き飛ばされていただろう。

 ちなみにパミエルキも剣を使うが、彼女の場合はもはや男とも女とも違う。質量など無視したようにすべてを切り裂くので、あれは例外だと思ったほうがいいだろう。


「はああ!」

「ほいっと」

「っ―――!」


 再び剣と盾がぶつかった瞬間、少し強めに押してみた。

 今までとは明らかに違う強さに女性の剣が押され、彼女の肩に刃が食い込む。今度ばかりは受けきれないようで、肌がぷつりと切れて血が流れるのがわかった。

 このままだと大怪我をしてしまうので、アンシュラオンが女性の足を自分の足で引っかける。


「きゃっ!」


 足をかけられた女性は、意外にも可愛い声を出して転倒。おかげで剣は肩を抉る前に離れた。


「怪我がないようで何よりだよ。それじゃ、これも没収かな」


 盾に食い込んだ剣を持つと、大盾に大剣を持つ少年の完成だ。

 なんだか小学生がチャンバラをしているような格好になってしまったが、そのまま二人を威圧するように見せ付ける。

 二人の女性は得物を失い、ほぼ戦闘継続は不可能な状態になっている。

 それでもソブカを守ろうと、盾のお姉さんはメイス、大剣のお姉さんは予備武装であろうショートソードで身構えているものの、すでに勝ち目がないことは理解しているだろう。

 はっきり言ったらかわいそうだが、さっき戦ったラーバンサーより数段以上劣る相手だ。お姉さんという最大の長所以外、さして面白みのない戦いなので興味があまり湧かない。

 ならばと、もう一人のお姉さんに期待する。


「そっちのお姉さんはどうする? 勝負する? 何か面白い能力を持ってくれていると楽しめそうなんだけど…どうかな?」


 迫ってくるチャンバラ少年に対抗しようと、メガネの女性が剣に手をかけようとして、制される。


 ソブカが立ち上がり―――空気が変わった。


「三人とも、もう終わりです。申し訳ないですが、全員外に出ていてもらえますか。大事な話がありますからね。ああ、心配はご無用です。身の危険はありませんから」

「キブカラン様…これは? どういうことなのですか!?」

「【余興】は終わったということです。あなたたちはよくやってくれました。私は満足していますよ。では、出ていってください。あなたたちがいると彼も話しづらいでしょうからね」


 盾の女性がソブカ・キブカランに問いかけるが、それに答える気はないようで退出を命じる。


「二人とも、行きますよ。ソブカ様の御命令です」


 それを後押ししたのが、隣にいたメガネの女性。どうやらこの女性はすべてを知っていたようだ。

 そのことからこの女性が、ソブカの側近であることがうかがえる。少なくとも二人よりは格上のようだ。


「これは…どうなっているんだ?」

「ふん、言葉通りの余興だってことだよ。金持ちがやることはよくわからないね」

「余興…これがか?」


 盾の女性はまだ状況を理解していないようだが、大剣の女性は事情を察したらしい。

 笑いながらアンシュラオンのもとにやってくる。


「ところで剣は返してもらえるのかい? 可愛いお坊ちゃん」

「お姉さんの胸に顔をうずめてもいいならね」

「こんな筋肉だらけの胸が気持ちいいかどうかは知らないよ?」

「女性の胸は、すべて美しいものだよ。オレはお姉さんみたいなタイプも好きだけどね」

「そんなことを言われるのは久しぶりだよ。子供の頃以来だ」

「最近の男は軟弱だからね。見る目がないんだよ」

「ははは、変な子だね。それじゃ、いくらでも触りな」

「うーん、本当はそうしたいけどね…男が近くにいると萎えるから、やっぱり今度にしておくよ。はい、剣」


 女性に剣を返す。


「…強いね、坊や」

「まあね。はい、お姉さんも盾を返すよ」

「あ、ああ…」


 それから盾の女性にも盾を返した。


 その時、ふと視線を感じる。


 盾の女性がアンシュラオンをじっと見ていたのだ。


「…なに?」

「い、いや…なんでもない…です」

「美人のお姉さんとなら何時間だって見つめあえるよ。でも、今は出ていったほうがいいかも。あいつ、けっこうヤバそうだし」

「…は、はい」


 そこにあったのは敵意ではなく、ソブカと同じく興味。

 ただ、彼ほど強烈なものではなく、自分を負かした相手への尊敬の眼差しに似たものが宿っていた。

 それと同時に、悔しさ。

 負けた自分への怒りで、拳をぎゅっと握り締めているのがありありとわかった。

 そこに少年という要素が加わったことで、困惑に拍車をかけているのだろう。なぜか敬語になっているし。


「負け負け。行くよ、サリータ」

「…ああ」


 出ていく時も、盾の女性はアンシュラオンを見ていた。モテる男はつらいものだ。

 一方の大剣の女性はサバサバした性格なのか、それ以後はアンシュラオンを見ることもなく行ってしまった。

 まさに剣と盾。まったく違う反応であるが、それはそれで心地よいものであった。

 ただ、後ろにサナがいたことには驚いていたようである。少女というハンデを背負って圧倒したのだ。驚くのも当然だろうか。


 そして、室内にはアンシュラオンとサナ、ソブカという三人だけになった。


 ソブカが言ったように、今までのは余興。

 ここからが本番である。




142話 「ソブカという男 前編」


 出ていった三人が遠ざかっていくのを波動円で感知し、改めてソブカを見る

 相手もそれで理解したのか、ゆっくり近寄ってきた。

 特に警戒をするどころか身体の力を抜いてリラックスしているようだ。


(たいした胆力だ。殺そうと思えば今すぐにも殺せるんだけどな)


 ビッグに仲介は頼んだが、あくまで二人は初対面である。何があってもおかしくはない。

 アンシュラオンの強さは今見た通り。その気になれば、一秒もかからずに殺すことが可能だ。

 それを知っていながら…否、知っているからこそ力を抜いているのだろう。いかなる抵抗も無駄であるから。

 それでも一般人ならば足くらいは震えるものだ。相当場慣れしている証拠である。


 そして、ソブカの第一声は、さらに彼の有能さを示すことになる。


「初めまして、ホワイトさん。いえ、ホワイトハンターのアンシュラオンさんと言ったほうがよろしいでしょうか?」

「へぇ、知っているんだ」


 それを知っているのならば、わざわざ顔を隠す必要はない。

 外套のフードをめくり、素顔を出す。が、その目は少しばかり警戒の色を帯びていた。

 それを見て取ったソブカは、笑いながら両手を上げ、敵意がないことを示す。


「せっかくお越しくださったのです。多少のもてなしはいたしますよ。どうぞ、おかけください」


 ソブカの机の横には、客をもてなすための酒や軽食に加え、サナ用だと思われるジュースや菓子類まで置いてあった。

 さきほどの護衛二人はそれを見て、さぞかし不思議に思ったに違いない。自分たちに警護を命じておきながら、どうしてそんなものを用意しているのか、と。

 だからこそ大剣の女性は、ああもあっさり出ていったのだろう。ソブカに危機感がなかったからだ。


 アンシュラオンたちは用意された椅子に座る。サナのフードも取ってあげた。

 ソブカはホストでもやっていたのではないかと思うほど手際よく用意していき、机の上にはあっという間に軽い晩餐が生まれる。

 その間を利用して、ソブカを観察。

 体格は、ややほっそりした青年のもので中肉中背。かといってまったく武の心得がないかといえば、足運びがそれを否定している。


(覆面男には多少劣るが、さっきのお姉さんたちより強そうだな)


 アンシュラオンの見立てでは、さきほどの護衛二人よりも強いと判断する。

 情報公開を見れば詳細はわかるだろうが、感覚だけでもそれがわかる強さだ。


「思ったより強いんだね」

「私ですか? ええまあ、こういう職業ですからねぇ。鍛えなければ死んでしまいます」

「それでも鍛えていないやつらが多かったようだけど?」

「みたいですね。ですが、私は人の心を操ることはできません。各人がそれで満足していれば、それでよいのでしょう」

「危機感がないな」

「かもしれませんね。お酒はワインでよろしいですか?」

「それでいいよ」

「では、失礼いたします。そちらのお嬢さんはジュースにしておきましょう」

「それで、どうやって調べたの?」


 あらかた用意が整ったのを見計らって、アンシュラオンが問いただす。


「ヒントをくれたのは、あなたのほうです。この数日、考える時間をくださったのでしょう?」

「まあ、そうだけどね。それで簡単に突き止めるんだ。少し驚いたよ」

「私のほうが驚いていますよ。どうして誰も気づかないのか。デアンカ・ギースを倒した英雄を見過ごすなんて、普通はありえないことです」

「英雄ってほどじゃないと思うよ。たいして強くはなかったし」

「それはそれは、実に頼もしいですねぇ。本物の英雄にしか口に出せない言葉です。しかし、それこそがこの都市の弱点なのかもしれません」

「どういう意味?」

「ここは城塞都市ならではの隔絶された世界だということです。城壁は恩恵をもたらしますが、住んでいる人間を完全に分けてしまう。第二城壁では当然の知識も上級街では通用しない。逆もまたしかりです。閉鎖された小さな世界なのです」


 おそらく第二城壁内部において、アンシュラオンの名前を知らない人間はいないだろう。

 時間が経って多少廃れたかもしれないが、この都市唯一のホワイトハンターであり、人々に金を振舞ったブルジョワの一人である。

 詳細を知らなくても名前は知っている、という人間は多いに違いない。


 しかし、それとホワイト医師を一緒には考えない。


 ホワイトの噂はここにも届いているが、上級街にいる人間だと思ってしまっているので、それはあくまで【他人事】。自分たちには関係ないものとして考える。だからこんな簡単な推理もできないのだ。


「見えないのです。見えなければ本質はわからず、人は噂に踊らされて先入観だけを信じてしまう。医者は医者であり、ハンターはハンターと区別してしまう。それが同一で複雑に絡まった一つの個体としては見ない。人々を責めているわけではありません。単に人間とはそういうものですから」


 人間は、複雑な要素を併せ持った存在である。

 仕事場での自分も、家族内での自分も、一人でいる自分も、それぞれが異なった存在でありながら一つである。

 しかし、人間の視野は狭く、一つの側面しか見ることはできない。だから勝手に他人のことを決め付けて判断してしまう。


 ホワイトハンターのアンシュラオンは、きっと屈強な大人の戦士に違いない、と。


 デアンカ・ギース討伐の話が流れるにつれて想像は膨らみ、一方でアンシュラオンが姿を消したことで真実はわからなくなる。

 少し調べればわかるようなことでも、きっとそうだろうという「思い込み」が先行して、それだけで満足してしまう。

 しかし、目の前の男はそれに惑わされなかった。ごくごく自然に考え、ごくごく普通の答えにたどり着いた。誰も気づかず、それでいて誰もが納得してしまう答えに。


「つまりあんたは、自分は俗物とは違うと言いたいわけだ」

「ふふ、そうかもしれません。人は誰だって特別になりたいと思うものですからねぇ。ただ、そうなると私も俗物だということですが…それを認めたくない自分もいます。それこそ小物の考えですけどね」

「先入観に囚われなかっただけでも十分特別だ。第一城壁がなければ、この都市はもっと栄えると思うよ。オレもそれはずっと思ってきたことだ。あんな壁、殲滅級魔獣ならば簡単に壊せるしね」

「気が合いますね」

「どうかな。まだ出会ったばかりだ。わかり合うには早すぎるね」

「でも、親しみは感じているのでは?」

「男に? 冗談でも嫌だな」

「私は感じますよ。あなたの目には同種のものを感じます」


 ソブカは、笑いながらアンシュラオンを見る。

 その目の奥に不気味に光る何か。それはたしかにアンシュラオンにも宿っているものだ。


「…ねえ、本当にビッグと親戚なの?」

「ソイドビッグですか? そうですね。私の曽祖母がオヤジさん…ビッグの曽祖父であるツーバ様の妹なんです」

「けっこう身近なんだね。そのわりに似ていないなぁ」

「ははは。向こうはダディーさんの血が強いですからねぇ。それにラングラスで力を継ぐのは一人だけです。だから曾祖母は、血を遺すためだけに嫁に出されたんですよ。まあ、私が生まれる前に死んでしまったので、顔も知らない人なんですけどねぇ…」


 ソブカは思うところがあるのか、ふと目を細める。

 ただし、アンシュラオンが訊きたかったのは見た目の話ではない。


(この男、本当に豚君と同い年か? まるで違うな。何よりも【中身】が違う。あいつが豚なら…こいつは何だ? 狐…か? それも鋭い牙を持った狩る側の存在だ。豚君のような家畜とは違うな)


 アンシュラオンは、ソブカを狐と称した。

 体格ではビッグに劣るが、その中から発せられる気質は彼よりも凶悪だ。

 正直、比べ物にならない。比べたらソブカがかわいそうだ。それくらいの差がある。

 アンシュラオンは他人を動物にたとえることが多いが、目の前の狐は野生のものであり、けっして人が飼い慣らせるような存在ではないだろう。

 家畜を食い荒らし、場合によっては人間すら殺す危ない狐。きっとこの男ならば、頭の悪い人間を自分のテリトリーにおびき出し、一人ずつ殺すくらいはやってのけるに違いない。


 この男の中には―――【闇】がある。


 その瞳の奥底に眠るのは、昏(くら)いものだ。

 アンシュラオンもまた闇を持つ人間であるから、正直に言えば親しみを感じないわけではない。ただなんとなく、それを認めるのが嫌だったにすぎない。

 それもまたすでにソブカが言った「小物の証」なので、相手には全部わかっていることだろう。実に侮れない男だ。


「しかし、少々驚きました。こうもあっさりと突破されるとは、さすがホワイトハンターですね」

「こっちも訊きたいけど、まさかこれが本気じゃないよね? オレが本気だったら、館の外から十秒以内にあんたを殺せたよ」

「手厳しいですねぇ。ですが、これもまた限界というものがあります。ここは都市の内部ですし、一般街に属する場所です。武装するにも一定の制限があるのです。よそに迷惑がかかってしまいますからね」

「それで殺されたら意味がないでしょ?」

「その通りです。…羨ましいほどに力に実直ですね」

「本来それは、おたくらが得意とするもののはずなんだけどね。正直、拍子抜けしているよ。ビッグも弱いし、この都市のハンターもたいしたことなかった。もちろん、ここの警備の連中もだけど」

「そう言われると困ってしまいます。あなたが規格外なのですよ。デアンカ・ギースを倒せる人間がいるとは、さすがの私も思いもしませんでした。比べられると厳しいものです」

「館にいた連中は子飼い? あの覆面の変態も?」

「意外ですね。女性のほうを気にすると思っていましたよ。だからわざわざ女性を選んで、ここに配置したのですが」

「単純にあの男のほうが強かったからね。それに面白いスキルを持っていた。興味深いやつだ」


 アンシュラオンが一番気になったのが、あの覆面の拘束服男。

 自分だからこそ簡単に倒したが、普通の武人と普通に戦えば、実は意外と強いのではないかという確信はあった。

 特にあのスキルはかなりレアっぽい。女ならば、ちょっと欲しいと思ったかもしれない人材である。


「彼だけは違いますね。彼はうちの父親の代から雇っている身内の者です。気に入ってくださったのならば嬉しいものですねぇ」

「じゃあ、さっきのお姉さんたちは違うの?」

「ええ、あの二人は先日雇った者たちです。メガネの彼女は、私の秘書ですけれどね」

「ふーん、そうなんだ。で、あれより強いやつってのはいなかったの?」

「またまた手厳しいですねぇ。そういった人材は貴重なのですよ。うちではあれくらいが手一杯でしょうか」

「人間の社会は生温いな。そんなんじゃすぐに殺されるよ? 自衛力が足りないんじゃないの?」

「ふふっ、歯がゆいですか?」

「まあね。…あんたもそう思っているみたいだけど?」

「ええ、否定はしませんよ。あなたが来ると聞いて、私はとてもドキドキしましたからねぇ。本当にここに来てくれた時は抱きつきたい気分でした」

「…ちょっと待て。お前も変態じゃないよな?」

「少なくともノーマルの性癖だと思います。単なる感動という意味ですよ」


 最近は変態ばかりと出会っているので、ここは確認しておくべきだろう。

 ただ、アンシュラオンも他人から見れば変態の一人なので、あまり他人のことは言えないのだが。

 ともかくマフィアが厳戒態勢を敷いていても、アンシュラオンを止めるどころか傷一つ負わせるのは不可能だということがわかった。それにソブカは感動しているのだろう。


「私だって男です。強さに憧れることはあります。その中でも、あなたはさらに特別です」

「まあ、オレが特別だってのは認めるよ。どうやら人間社会じゃ、オレに匹敵する武人はほとんどいないみたいだしね」

「その強さがありながら、あなたは医者もやっておられる。見事なものです。なぜ医者に?」

「あんなのは真似事だよ。格闘技の経験者が接骨治療に通じているのと同じで、それなりの使い手なら似たようなことができるさ。始めた動機も気まぐれだしね。…それより、そろそろ本題に入ろうよ」

「そうですか? 私としては、もう少しゆっくりしてもよいのですが…何かご予定でも?」

「今後の予定があるのは、あんたのほうでしょう? こうして招き入れたってことは、こっちと組む気があるってことでいいかな?」


 アンシュラオンは、ここに遊びに来たわけではない。

 当然、手を組みに来たのだ。

 そのためのパフォーマンスであり、いわばセールスだ。


「オレの力は理解したはずだ。この力を使えば、いつだってラングラス一派を壊滅させることができる。それどころか領主たちだって排除できる。まあ、領主の一件はおっさんとの約束もあるから、自分からは殺さない予定だけどね。それも相手から攻撃させるように仕向ければいい」

「それは素晴らしい。実に素晴らしいですねぇ、ふふふっ」

「全然関係ないけど、けっこうイラつく笑い方をするね」

「こういう顔なもんでしてねぇ。よく他人からも言われるんですよ。お気に触ったのならば謝ります」

「いや、べつにいいさ。…鏡を見て不快に感じただけだ」


 アンシュラオンも、よく他人を馬鹿にしたように笑う。意識はしていないが相手を挑発して楽しんでいるのだろう。

 一方のソブカの場合は、どことなく皮肉っぽいというか、厭世(えんせい)感を漂わせた雰囲気が他人をイラつかせる。

 そのまま見れば男前であるが、そうした雰囲気がどことなく浮世離れした危うさを感じさせるのだろう。

 つまり、両者はかなり似ている。他人からすれば、あまりよくない意味で。


「お話は伺いましたよ。すごく興味があります。ただ、私も組を一つ預かっている身です。そう簡単には動けない事情があるのです」

「建前の話をしに来たんじゃない。あんたが協力しなくても、こっちは自分で動く手筈を整えているんだ。最悪、利益が減っても強引に奪い取ることはできる」


 アンシュラオンはソブカの協力を必須としていない。ここが重要だ。

 その気になれば力で奪い取ればいいだけのことなのだ。そのための準備をすでに進めている。裏スレイブも、そのための駒だ。




143話 「ソブカという男 中編」


 しかし、ソブカはアンシュラオンの心情をすぐに汲み取る。


「ですが、それをしたくはない。だからここにいらっしゃった。そうですね?」

「あんただって、オレを利用したいから受けたんだろう?」

「いえいえ、自衛のためかもしれません」

「気に入らないなぁ。いつから心に仮面を被るようになったのさ」

「ふふふ、はははは! それをあなたに言われるとは。一本取られましたかねぇ」


 ソブカはワイングラスを手に取って、一度アンシュラオンから視線を外す。


 そして、窓の外を見る。


 すでに真っ暗に染まった夜の中で、多少の街灯の輝きは見えるものの、ほぼ人々の活動は終わっている。

 もうこの都市は眠りについたのだ。静かにこんこんと眠り続けるだけ。


 そこで思い出すことがある。


「【あの夜】、私はここから街を見ていましてねぇ。何をしていたかと問われると難しいのですが、たぶん憂いていたのかもしれません。ここの都市の日常ってのは、いつもこんな感じですからね。まるで死人のように眠る。そしてまた朝がくれば起きる。ただそれだけの生活ですから、いつかは飽きてくるというものでしょう」


 あの日の夜もソブカはこうして外を見ていた。

 それは日課のようなものであり、彼にとっては特別な意味を持つ行為であった。

 しかし、あの夜だけはいつもと違うことが起きたのだ。


「火が……消えなかったんですよ。この街に灯った火が…ね。あなたが来たあの日だけは」


 アンシュラオンが金をばら撒いた日、グラス・ギースは一晩だけ眠らない街になった。

 日本だったならば、夜も明るいというのは悪い意味で捉えられる話かもしれないが、この都市では違う。


 この寂れた都市でそんなことが起きたのは―――初めてだったから。


 騒ごうと思えば騒げるのに、人々の多くは夜になると静かに家に戻る。堅実で慎ましいといえばそれまでだが、けっしてそれ以上にはならない世界。

 すべてが閉鎖された世界で、多くの人々が飽き、憂いて、息苦しさを感じていた時、それは起きた。

 朝方まで人々はお祭り騒ぎを続けていた。食糧事情なんて気にせず、飲んで食べて歌って、馬鹿みたいに騒いでいた。

 そこには笑顔があった。それは彼が初めて見た「活気」と呼べるものだった。


「感動したなぁ、あれは。こんなことがあるんだ〜って、子供みたいにはしゃいでしまいましたよ」

「その時の酒は美味かったか?」

「…ええ、とても」

「それはよかった。楽しんでくれたのならばな」

「それが目的だったのですか?」

「ちょっとしたお祝いだったんだ。この子を手に入れる日だったからね」

「…なるほど。それはたしかにめでたい日ですね」


 すでにソブカは、サナの情報も掴んでいる。

 しかし、それ以上は触れない。ビッグからも「絶対に触れてはいけない」と釘を刺されているからだ。

 魔人の逆鱗に触れれば、いかなる不条理だろうが死をもって償うしかなくなる。ソブカは直感的に、そうした危険を感じとれる男である。


「オレは無分別な狂人じゃない。喜びがあれば誰かと分かち合いたいと思える人間だ。初めて来た街だったから事情も知らなかったし、単なるご祝儀みたいなものだったんだ。それだけのことだよ」


 アンシュラオンにとっては何の目的もなくやった行為だ。

 強いて言えば敵を作らないためと、一緒にお祝いしてもらえればいいかな程度に思っていただけである。

 しかしそれはまるでバタフライ効果のように、知らずのうちに大きな影響を与えていた。


 一人の男の心に―――火を付けていたのだ。


「私には眩しく映ったものですよ。だって、生まれた時から全部が決まっているんですからねぇ。ラングラスの分家筋の血を受けて生まれて、父親の跡を継いで組長なんてことをやっていますが…所詮、その程度だ。【序列】の前では意味がない」

「組の序列か?」

「ええ、ご存知かもしれませんが、血の濃さである程度決まっているんですよ」


 ツーバ・ラングラスがトップなのは当たり前として、その次に息子のムーバ・ラングラスが、年老いたツーバの代わりに組織の取りまとめ役として存在している。

 その次が、ツーバの娘であり、ムーバの妹のミバリを嫁にもらったイイシ商会のイニジャーン。次にツーバの孫娘のマミーがいるソイドファミリーとなっている。

 ムーバにはマミー以外の子供がいないため、ソイドビッグとソイドリトルが本家筋という扱いだ。それもまたソイドファミリーがやっかみを受ける原因でもある。


「キブカ商会は何番目?」

「イイシ商会、ソイド商会、モゴナッツ商会の次ですね」

「それだと…下にはリレア商会ってところだけか? あとは医師連合だったかな?」

「医師連合は医者をまとめた独立した組織ですからね。売り上げが少なくても責められることはないので、彼らを別扱いとすれば、うちは実質的には下から二番目です」

「稼ぎは一番なんでしょう?」

「ええ。うちがトップですね」

「売り上げが一番なら発言力だってあるはずだ。序列は変わらないの?」

「昔は序列の変化もあったようなんですが…今は固定化されています」


 他の組織にも歴代ラングラスの血がそれぞれ入っているので、時代とともに序列にも多少の変化が起こるのが常だった。

 その時、もっとも近い血を持っている組が力を握る。あるいはそれを黙らせるほどの財力があればいい。だから今を耐え抜けば、いつしか上位になれる可能性は残っていた。

 しかし、ある時期からこれが、ある程度固定され始めた。


 この都市が―――城塞都市となった頃から。


 大災厄が起こり、この世界が壁で覆われた日から、力は一箇所に集まるようになった。

 人々の心が守りに入ってしまったのだろう。余計な混乱を招かないために、じっくりこつこつと力を蓄えるために序列は固定化された。

 一致団結、緊急時には結構なことである。

 だが、それは【末期】。硬質化が始まった瞬間であった。


「うちは売り上げがトップですが、それによって序列が変わることはないんですよ。今のやり方ではね」

「自分の成果がそのまま評価されないのが不満、ってのは普通の感情だね。やり手ならば特に」

「そう言っていただけると助かりますがね。この都市では、あまりいい考えじゃない。ここは小さな世界です。何かあれば必ず違う場所にも飛び火する。だから我慢するほうが賢いわけです。あくまで共存を考えれば、ですがねぇ」

「壁の外には出ないの? 外は自由だよ」

「それができれば楽なんですがねぇ。あなたのように魔獣を簡単に倒せるなら可能でしょうが…」

「他の都市に行くってのは?」

「そっちはそっちですでに派閥が作られているでしょうし、魔獣がいなければ今度は人間が敵になる。南は入植が始まっていますし、人間同士の戦いはこちらよりも遥かに多いですよ。…それにうちらは盃を交わしている間柄です。簡単に見捨てるわけにもいきません」

「血の繋がりに意味があると思ってる? あんただってわかっているはずだ。そんなものは肉体だけの問題にすぎない。いつかは壊れて消えるだけの無価値なものだ。大事なのは心だろう? 心が繋がっていないのならば血筋に価値はない。血の繋がった兄弟同士で殺しあうことなんて珍しくもないはずだ」

「…あなたは自由ですね。何にも囚われない」

「当然だね。オレは好き勝手に生きる。そう決めたんだから。邪魔するものは力で排除してもね」

「………」


 ソブカはしばし黙り、闇に染まった街を眺めていた。

 アンシュラオンは急かさず、ただ時間が経過していった。



 それから再び振り返り、アンシュラオンの目を見る。

 同時にアンシュラオンもソブカの目を見た。

 鋭いのに少し垂れているように見える不思議な目尻なので、睨んでいるのか笑っているのかもよくわからない。

 それがこの男の不思議なところなのだろう。本心を隠し続けて生きてきた男の目だ。

 しかし、それがほんの少しずつ変わっていく。


 本来持っている―――猛々しいものに。


「ホワイトさん、あなたは…どこまで欲するのですか?」

「難しい質問をするね。まるで白紙小切手のようだ。答えにくいな」

「これは申し訳ありません。あなたの望みをお訊ねしただけです」

「オレの望みなんて一般人のそれと大差ないさ。オレとこの子が好きに生きられるくらいの金があればいい。つまり、毎日遊んで暮らせるくらいの金がね。…な? 実に安易なものだろう?」


 事実、アンシュラオンが求めているのは金である。

 下世話な話になるが、自分が暴力を使わずに平和に暮らせるだけの金を所望している。自分はともかく、サナや他の女性にとってはそれが必要になるからだ。

 あくまで金を持つ者同士ならばという条件はあるものの、改めて考えると金銭は実に平和的なシステムである。

 金さえあれば、反発心なく相手は喜んで何でも差し出してくれるのだ。こんなに素晴らしいものはない。


「オレは金をもらう。それ以外のことは、あんたらで好きに分け合えばいい。序列だの派閥だの血筋だの誰が上に立つだの、まったく興味がないことだ。毎月それなりの大金を振り込んでくれればいい。そうだな、何億になるかは知らないけど、一つの大きな組を運営するくらいの金があればいいさ。それだけが望みだ」

「あなたならば、この都市全部を奪えるかもしれない。いや、奪えます。間違いなく」

「馬鹿どもの面倒をみろって言うの? そんな酔狂じゃないよ。悪いけど養うのは気に入った女性だけってことにしている。住民全体なんて絶対にお断りだね」

「ふふっ、同意はしますが、自分の好きにできるというのは魅力的です。私があなたならば、そうしているかもしれません」

「あんたは領主になりたいの?」

「…さぁ、どうでしょう。考えたこともありませんから」

「仮に領主を殺したら、あんたは領主になれる?」

「私がなりたいかは別として、周りは認めないでしょうねぇ。この都市の代表者たちには、代々役割が与えられてきましたから。領主のディングラスは軍事と不動産を担当していますが、その代償として都市を守る責任があります。それは分担と役割の問題です」

「でも、あいつはけっこう偉そうなことを言っていたけどね。自分が法律だ! くらいな感じだったよ」

「あなたにそんなことを言うとは…命知らずな人ですねぇ。それはさておき、基本的には領主に専制権がありまして、たいていのことならば独断で決められます。さすがに都市全体のこととなればグラス・マンサーの合議制で決められますが」

「ラングラスを含めた四大市民ってやつか。名前だけはご大層だけどね。グラス・マンサーの中にも序列はあるんでしょう?」

「基本的には同列ですが、実際のところはありますね。今のところラングラスは…一番下です」


 日本では医療は重要である。高齢化が進めば、単純な手術だけではなく、リハビリや通院も大切になってくるからだ。そのおかげで内科や整形外科などは常に盛況である。

 一方、グラス・ギースでも医療は重要であるが、生活環境があまりよくないために高齢化に至る前に人は死んでいく。

 魔獣もいるので、ある日突然死が訪れることも多く、医療の出番そのものがない時も多い。

 医療技術もなく、麻薬に頼って痛みを誤魔化すしかないのが現状。そんな世界では毎日生きるだけで精一杯であり、人々は医者にかかる余裕すらない。

 こうなると食料品や日用品などに消費は偏っていく。

 食糧を担当するジングラス、一般用品のハングラスが力をつけていくのは当然である。

 ただ、やはり人があってこその社会であるため、一番力を持っているのはマングラスである。人がいなければ社会は成り立たないように、人こそが最大の力なのである。


「領主とマングラス、この両者が最大勢力です。それからジングラスとハングラスが競っていて、うちは最下位となっています」

「落ち目ってことか…。オレとしてはあんたらの競争には興味ないけど、金に直結する問題だしな…」


 ソブカは、この中の一つのラングラスの血脈にある。

 現段階でも一般人よりは遥かに高い地位にいるが、所詮は本家から外れた分家であり、ラングラス自体が最下位に甘んじている。不満が溜まるのも当然だろう。


 だから単刀直入に訊く。



「ソブカ、お前は―――ラングラスになりたいのか?」



 ソブカ・キブカラン。ランの文字はあるが、ラングラスではない。名誉ある「グラス」の名は継げない。

 だから名前で呼ぶ。


「どういう意味でしょう?」

「お前がラングラスの主導権を握ればこの状況を打破できるか、と訊いているんだ」

「…それはわかりません」

「だが、不満なのだろう? もう隠すなよ。オレも本音で語るから、お前も本音で語れ。お前が求めるならば、オレがお前をラングラスにしてやる」

「理由を訊いても?」

「お前が優秀だからだ。少なくともここで終わるような男じゃないと思ったからだ。それにオレが大金をもらう対価をお前に与えないといけない。対等であってこその取引だろう?」

「私を服従させなくてよいのですか? ビッグのように」

「お前は服従しない。誰にもな」


 ビッグが服従していることは、誰も一言も漏らしていない。

 しかし、ビッグからの連絡の様子、それまでの状況を考察して、ソブカはその結論に至った。

 多少頭が回る者ならば気がつくに違いないが、マフィアの若頭が医者に屈するとは誰も思わないだろう。そういう先入観を排除できることが重要なのだ。


「それに気がつくやつだからこそ、誰にも屈しない。お前は自分が一番だと思っているからな。そんなやつを脅したところで力を発揮しないだろう」

「それはそれは…そこまで傲慢に見えますかねぇ?」

「見えるな。馬鹿どもに苛立つことは傲慢じゃない。当然の感情だ。お前はこっち側の人間だ。だから誘っている」

「まるで…悪魔の誘惑ですね」

「お前は待っていたはずだ。オレという力を。オレもまたお前を待っていたよ。面倒なことを引き受けてくれる頭の良い野心的な男をな。お前が求めているのは金じゃない。お互いに利益が競合しないんだ」


 両者は、求めるものがはっきりと噛み合う存在である。

 アンシュラオンは表舞台に出ることなく金を得るために、裏社会を牛耳る男が必要だった。頭が良く野心的で、優秀な人間が欲しかった。

 ソブカは、この現状を打開するための力が欲しかった。今のままではキブカ商会がいくらがんばっても、ラングラス内での地位は変わらず、肝心のラングラスさえも弱い。

 若いやり手の彼にとって、それは耐え難い苦痛に違いない。


 だから両者は―――【相思相愛】





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