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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第二章 「ホワイト先生と太陽の子犬」 編


82話 ー 91話




82話 「ホワイト先生の優雅な暮らし」


 サナを手に入れた日から一ヶ月の時が経った。

 グラス・ギース自体に大きな動きはまったくなく、いつもと同じ平和な時間が過ぎていく。

 新しい発展がない代わりに、静かで細々とした生活が続くのが、この都市の特徴である。

 周囲を強力な魔獣に囲まれたこの地方では、人間が進出できる土地はなく、現状維持が精一杯なのだ。これも仕方のないことである。

 しかし人々は、一ヶ月前のことをふと思い出しては「ああ、あの時は楽しかった」と懐かしむ。

 そう、あの瞬間だけは、街全体が若さを取り戻したように活気付いていた。

 若者は歳相当に馬鹿騒ぎし、中年も久々に熱気を取り戻し、老人も新しい余興に渇いた心が潤った。


 それを演出した張本人―――アンシュラオン。


 彼にその気はまったくなかったのだろうが、単なる気まぐれが街全体をお祭り騒ぎに導いた。

 もともと規格外な人間なので、やること成すこと全部が破天荒で、その規模も大きくなる。

 古いものをあっさりと捨て去り、壊し、踏みつけて自分の都合よく改変してしまう姿は、横暴だが活気に満ちている。

 この年老いた都市において、彼の活力は珍しく、とても貴重なものである。

 人々は、あの楽しい日がまたやってくることを期待したが―――



 一ヶ月経っても何も起こらず、それどころか彼の姿を見た者はいなかった。



 そもそも彼がグラス・ギースに滞在していた時間は短く、立ち寄った場所もスレイブ館とハローワーク程度。

 実際に姿を見た人間もごくごく少数なので、「アンシュラオン万歳 = ビールおかわり」といった風習と噂ばかりが一人歩きしていく。

 そのため当然ながら一切の消息が掴めず、まったく音沙汰もない。そのせいで一時期、彼はこの都市を去ったのではないかと噂されることもあった。

 事実、彼は下級街や一般街に姿を見せることはなかった。


 そう、アンシュラオンという名前の人物は。


 しかしながら、彼が都市からいなくなったわけではない。

 では、どこにいたのかといえば―――



―――高級ホテル



 グラス・ギースの第一城壁の中にある上級街。その一角には富裕層だけが泊まれる宿泊施設がある。

 マキから教えてもらった【ホテル街】である。

 通常のビジネスホテル風のものもあるが、多くはリゾート地を意識したような高級ホテルが居並んでいるエリアである。

 城壁内部なので海は見えないものの、特別に作られた池は大きく、見ようによっては海と錯覚するかもしれない造りになっている。

 これでヤシの木でも生えていれば、まさにリゾート気分を満喫できるだろう。


 そのホテル街で一番高いホテル―――ホテル・グラスハイランド〈都市で一番高い場所〉


 このホテルもリゾートを意識した造りであるが、名前の通り、このグラス・ギースで一番高い建造物である。

 もともと第一城壁内部が一番高い台地となっており、そこにホテルを建てたので必然的に高い場所になる。

 領主城よりも高い建造物を建てることは権威の関係上、好ましくないと思うかもしれないが、ホテルが大きい分には、障壁が破られた場合に砲撃を防ぐ盾になるので許容されているらしい。

 加えて、外国の貴族などが泊まる際、地方領主より格が上の王族が来る可能性もある。そうした場合の、ちっぽけな自尊心を満足させるためにも有用であるようだ。

 そして、そのちっぽけな自尊心を満喫している人物が、グラスハイランドの最上階にいた。



 その人物の名は―――ホワイト。



 ミスター・ホワイト、あるいはホワイト先生と呼ばれる【医者】である。

 その名前の由来はとても簡単で、彼の白い髪の毛や、いつも着ている白い服などから容易に想像できるし、当人もわかりやすいと思っている。

 ホワイトは、グラス・ギースで一番高いホテルであるグラスハイランドの最上階、二十五階にある一番値段の高い部屋を借りている人物である。


「今日もいい天気だなー」


 ホワイトは今、屋上にいた。

 屋上にはプールが設置されており、最上階を借りている客だけが利用できるVIPエリアとなっている。

 そこにはバーもあるので、夜に街を一望しながら優雅な時間を過ごすこともできる。

 ただし最上階にある八部屋は、ホワイトなる人物がすべて借り切っているので、このプールを利用できるのは現在では彼しかいない。

 いや、もう一人。彼の隣にいる黒い少女、通称「黒姫」だけが利用できる。


 もう面倒なのでぶっちゃけると―――当然ながらアンシュラオンとサナの二人のことである。


 アンシュラオンはサナにジュエルを付けた後、上級街のホテルに向かった。そこでホワイトという偽名を使ったのだ。

 騒動を起こした領主城に近い上級街に行く以上、あまり目立ちたくはなかったのだ。また、アンシュラオンという名前がどこかで漏れているかもしれないので用心のためである。

 高級ホテルは、お忍びでやってくる人間が多い手前、客に対して詮索をしないことがルールになっている。

 少年と少女だけが泊まりに来ようが、金を持っていれば何も言われず大歓迎されるのだ。

 しかも一気に最上階全部を借り切ったほどの金持ちならば、何を詮索する必要があろうか。逆に、一日でも長く泊まっていてほしいと思うものであろう。

 そして一ヶ月の間、彼と彼女はここで優雅な生活を満喫しているというわけである。


 彼は今、どんな生活をしているのか?


 自分の人生を楽しむためならば手段を選ばない男である。

 そんな人間が真面目に暮らすわけもないが、せっかくなので、それをこれから少しずつお見せしようと思う。


「サナ、いつもの体操をしような」

「…こくり」


 サナは頷き、アンシュラオンと一緒に『ラジオ体操』を始める。

 これは毎朝欠かさずやっていることだ。

 おや、意外に真面目じゃないかと思った人は、この男のことをまだ甘く見ている。

 しばらくは普通のラジオ体操のように身体を動かしていたが、突如両手を天に掲げ―――発射。

 両手に集めた戦気を上空に放出。


 ドーン シュルルルルッ



 上空高くに舞い上がり、放物線を描いて―――領主城に命中。



 城の四階に当たり、一部が吹っ飛んだ。


「いやー、爽快爽快!! 今日も気分がいいなー! サナはどうだ?」

「…こくり」

「そうかそうか。サナもいい気分か! いやー、やめられないな、こいつは! 毎朝の楽しみだよ!」


 毎朝、アンシュラオンは領主城に戦気弾をお見舞いしている。

 最初は領主城を見るたびに、領主の傲慢な振る舞いを思い出してイラついていたのだが、思いきってこれをやり始めてから、あまりの爽快感に癖になってしまったのだ。

 今では領主城を見るたびに清々しい気持ちになるほどだ。


「おっ、慌ててる、慌ててる。あはははは!! 見ろよ、サナ。人が蟻のようだ! 毎日やっているんだから、そろそろ慣れればいいのにな! はははははは!」


 その爆音に衛士たちが慌てている。

 アンシュラオンはそう言うが、実際にやられる側としてはたまったものではない。

 しかも遠隔操作でカーブをかけたり、螺旋を描きながら毎回当てる場所を変えるので、相手は防ぎようがない。

 一回、結界のようなものが張られたことがあったが、それをあっさり破壊してからは相手も諦めたようで、特に対策はしてこなかった。

 おそらく事情を察したガンプドルフあたりが、「もう受け入れるしかない」とか言ったのかもしれない。

 もはや毎朝の災害として認識されており、「今日も降ってきた!!」とうろたえることしかできないのが現状だ。


 ちなみに今日狙ったのは、イタ嬢の部屋の前の通路である。

 ここを潰したためイタ嬢はすぐに移動することができず、朝食にありつくのが一時間遅れることになる。

 ただ、これはアンシュラオンだけが原因ではない。

 助けようと思えばすぐに助けられたはずだが、その役目を果たすはずのファテロナが、孤立したイタ嬢を眺めながら一時間悶えていたのだ。

 侍従長が助けないのだから、他の侍女が助けるわけにもいかない。


「はぁはぁ、お嬢様! ナイス困惑顔です!」

「ファテロナ、何をしているの!? 早く助けなさい!」

「嫌です!! ぐへへへ!! さあ、泣き叫べ!」

「ファテロナの馬鹿ぁぁぁあーーーー!」


 というやり取りが今日も聴こえてくるようだ。実に平和である。


「さて、オレたちも部屋に戻って朝食にしようか」

「…こくり」






 部屋の前の通路に戻ると、ちょうど一人の女性が朝食を持ってくるところだった。


「これはホワイト様、黒姫様、おはようございます」

「うん、おはよう。ホロロさんは今日も綺麗だね」

「うふふ、ありがとうございます」


 ホロロは、手を頬に当てて笑顔を浮かべる。

 ホロロ・マクーン。アンシュラオンがこのホテルで部屋を借りた時、従業員の中から自ら選んだ【メイド】である。

 当然ながら女性であり、マキや小百合と同じくらいの年齢帯の美人のお姉さんである。髪の毛は濃い目の紫、目は黄色の虹彩を放っている。

 マキが凛々しい、小百合が可愛いとすれば、ホロロは艶っぽいお姉さんだ。歩いているだけでも、ついつい見惚れてしまう色気を放っている。

 だからというわけではないが、アンシュラオンが―――ホロロの尻を触る。


「うん、今日もいい触り心地だ」

「あんっ、ホワイト様ったら…黒姫様も見ておられますよ」

「大丈夫、大丈夫。この子はそんなつまらないことにこだわる子じゃないから。モミモミモミ。あー、癒されるなー。この内側もいいんだよな」

「あっ! そこは!」


 尻から股間に手を回して太もも側に侵入し、その感触を堪能。

 柔らかくて温かくて、実に楽しい時間を味わう。


 セクハラである。


 完全に完璧にセクハラであるが、ホロロはじっと耐えている。べつに泣き寝入りをしているわけではない。


 その顔は―――とろんと緩んでいた。


 顔を紅潮させて興奮する表情は演技ではない。声を押し殺しながらも嬉しそうにしている。


(オレのお姉さん殺しは絶好調だな)


 今日も自分のお姉さんに対する魅了効果を確認。ホロロも年上なので、当然ながら魅了効果が発揮されているのだ。

 それからしばらく尻を堪能したあと、下着にチップの一万円を挟む。


「ホワイト様、はぁはぁ…お望みなら、いつでもお相手いたします…。今すぐにでも…はぁはぁ」

「ありがとう。そのときはまた頼むよ」

「もう、そう言ってなかなか呼んでくれないんですから…意地悪な御人です」

「こう見えても忙しいからね。そうそう、お母さんの調子はどう?」

「おかげさまで元気になりました。先生には本当に感謝しております」


 アンシュラオンがホワイト医師を名乗っているのは伊達ではない。しっかりと治療も行っているのだ。

 医療知識などないので病名は適当に言うしかないが、命気を使えばある程度の病気ならば回復できる。

 特に細胞系に強く、ガン細胞くらいならば一瞬で破壊・再生が可能である。

 ホロロの母親もガンで寝込んでおり、ろくな治療もせずに他の医者からは余命数ヶ月と言われていたらしい。

 グラス・ギースは大きめの都市とはいえ、あくまで城塞都市の域を出ていない。まだまだ文化的にレベルは低く、医療も万全とは言いがたい。

 ろくな設備もないので高度な診察もできず、こうした末期患者は麻薬で痛みを誤魔化しながら死んでいくしかない状況である。


 それをアンシュラオンが、一瞬で治療。


 それからホロロは完全にアンシュラオンに魅了されてしまった、というわけだ。


「このような高額なチップまで毎日いただいて…この感謝の気持ちをどうお伝えすればよいか…」

「いいって、いいって。いつも違うところで返してもらっているからね。これからもよろしくね」

「…はい。あなたのためならば」


 股間を堪能するだけではない。それ以外の面でもホロロには世話になっているので、実に使える女性である。

 今では信頼できる貴重な人材の一人、言ってしまえば「スレイブ候補」であろうか。

 アンシュラオンのスレイブは、まだサナ一人であるが、次にスレイブにする人材の目星を付けている段階である。

 ホロロは見た目や体格、技能、献身性を考えれば十分合格といえる。


(こうなるとホロロさんも嫁候補かな。といっても、その前にマキさんと小百合さんだな)


 アンシュラオンには、マキと小百合という二人の嫁がいる。順番としてはそっちからやらないと、あとで揉められても困る。


(側室の序列はしっかりしとかないとな。やっぱり声をかけた順、マキさん、小百合さん、ホロロさんかなぁ)


 アンシュラオンは案外、こうしたところはしっかりするのである。

 昔の経験から、上下関係はちゃんとしておかないと、家庭だろうが組織だろうが崩壊してしまうことを知っているからである。

 もちろん、その状況を簡単に受け入れられないから揉めるのだが、今のアンシュラオンには魅了効果があり、その言葉はほぼ絶対だ。

 年上は魅了し、それ以外はギアスで縛る。そうすれば秩序は絶対的に保たれるのだ。

 アンシュラオンが、サナが一番だと言えば一番だし、マキが二番だと言えば二番となる。その点では非常に便利な世界である。

 江戸時代にも魅了とギアスがあれば、大奥も和やかな場所になっていただろう。


「…じー」

「おっと、考えている暇はなかった。まずはご飯を食べようね」


 サナの視線がさきほどから朝食に釘付けなので、まずは彼女のお腹を満たしてやらねばならないだろう。

 主人たるもの、女性のお腹を満たすのは最低限かつ最優先の義務であるのだから。




83話 「ホワイト先生のただれた生活の一部」


 屋上での準備運動と、ホロロの股間を楽しむという朝の日課を終えたアンシュラオンたちは、部屋に戻り朝食をとる。

 朝食は高級ホテルの性質上、多少高価になってしまうこともあるが、できるだけ一般の食生活に合わせてくれとお願いしている。


 その理由は、グラス・ギースの生活習慣を理解するためである。


 生活習慣というものは、その地域に流通する物資によって形成される。その土地の気候、風土によって特産が決まり、他地域との貿易の度合いによって多様性が生まれる。

 日本の食生活が欧米化したのも他の文化が入ってきたからであり、同時にそれが実現可能な物資の流通が始まったからである。

 その国、地域の特色はさまざまなものに表れるが、如実に見てとれるのが食生活である。

 何がよく食べられ、何を食べないか。なぜ食べないのか。無いから食べないのか、それとも風土的な問題か、思想的な問題か、単に知らないだけか。

 毎日違うものを食べていれば、それだけ流通がある証拠であるし、他の文化を受け入れる多様性と寛容さを持っていることを示すだろう。

 このように、食事を見ればその国のことがよくわかるものなのだ。


 アンシュラオンにとって、この大地は未知の土地。何をやるにも生活事情を知らねばならない。

 スレイブを得るにしても地元の人間から選ぶだろうから、その管理にも多大な影響を及ぼす問題である。


 では、グラス・ギースの食事はどのようなものか。


 まず、主食は二種類ある。

 ライ麦パンのようなものとタイ米のようなもので、パンを「タムタモ」、米を「ランスン」と呼ぶ。

 基本的にはぱさついているので、パンはスープに浸して食べたり、米は炒めたりするのが一般的だ。

 これらの原料は、七割を輸入、三割を自前でまかなっているようだ。砦のある第三城壁内部は土地が余っているので、そこで耕作を行っている。

 これは、もともと耕作をしていた場所が、災厄時に魔獣の被害に遭ったために城壁を新たに建造した、と言ったほうが正しい。

 よって、農家などは第三城壁内部に家を建てて暮らしている。アンシュラオンがグラス・ギースにやってきた時にちらほら見た家屋の大半が、こうした農家の家である。

 また、公募で選ばれて砦に配属されている衛士は、大半を農家として過ごしているようだ。

 戦国時代にあった「農兵」というやつである。平時は農業に勤しみ、いざ戦いになったら兵士にもなるのだ。

 グラス・ギースではハンターが外の魔獣を狩るので、基本的に衛士の仕事は壁内部の治安維持となる。それでも数が余るので、農業をやらせているようだ。

 自給自足という意味合いもあるが、それだけ職がないのである。新しい商売が起こらないと雇用も生まれず、最終的にあって損はない食糧に人手が回るのだろう。


 魚介類は、海から遠いグラス・ギースでは貴重品である。

 グラス・ギース内部にも森や川があり、多少の魚は住んでいるが食用にするには数が少ないのが現状だ。

 大半は、ここから南東に行った港湾都市であるハピ・クジュネから輸入しており、距離があるため新鮮なものは少なく、主に乾物類が中心となっている。

 その他、周辺の集落や街から仕入れられるものを除くと、グラス・ギースの食糧自給率は四割弱といったところだろうか。

 不作になれば一気に収穫も減るので、流通が滞れば飢餓が発生する可能性もある。


(食糧は大切だ。オレはどうにでもなるが、サナにはちゃんとした食事が必要になる。スレイブが増えれば、それだけ養ってやらないといけないし、この都市の物資が枯渇してもらっては困る)


 アンシュラオンが優雅に暮らせるのも、都市が安定してこそである。

 都市が安定すれば領主も安定することになるので若干不快だが、サナのためだと思えば気にならない。

 ただ、今すぐに食糧が枯渇する可能性は低いだろう。今のところ流通は滞っていないし、定期的に輸入できているようだ。

 しかも、グラス・ギースには特産物もある。


 それは―――【魔獣】


 魔獣が多いということは、魔獣という資源を持っていることになるのだ。

 魔獣の中には食用のものも存在しているので、単純に食肉として利用もできるし、珍しい素材が手に入れば売ることもできる。

 北には広大な大森林が存在し、普通サイズの森なら近くにもたくさんあるので、ブシル村に限らず、他の開拓村からも常時森の恵みが届けられている。

 グラス・ギースは都市拠点として、北側の集落に援助を施す代わりに、魔獣の肉や素材を提供させているので、それらは自国の売り上げになっていく。

 集落側にしても単独で暮らすことは不可能なため、流通の基盤であるグラス・ギースと提携するのは悪い話ではない。

 こうして両者が共存することで、厳しい環境の大地においても細々と暮らすことができているのである。

 今日の朝食も魔獣の肉がメインであり、それに野菜スープ付きの米のランスンを主食に選んでいる。飲み物は、果物のジュースである。


「サナちゃん、あーん」

「…ぱく。もぐもぐ。ごくん」


 野菜スープをサナに食べさせてあげる。もぐもぐと口一杯に芋を頬張り、ごっくんと飲み干す。

 その姿に感激。


「ん〜〜、可愛い〜〜!!! サナは可愛いなー。次はお兄ちゃんにも、お兄ちゃんにも!」

「…ひょい」


 今度はサナがスプーンでよそい、アンシュラオンに食べさせる。


「あ〜〜ん、ぱくっ。美味しい。でも、サナちゃんのほうが美味しいな。ぺろっ」

「………」


 アンシュラオンが頬を舐めるも、サナは特に表情を変えない。


「はい、あーん」

「…ぱく。もぐもぐ。ごっくん」

「お兄ちゃんにもちょうだい」

「…ひょい」

「ぱくっ。美味しいなー。サナはもっと美味しいけどね! ぺろん!」

「………」


 時たまキスらしき愛撫を交えながら、食べさせっこをしている。


 そう、これが日常の食事風景。


 朝食に限らない。夜もだいたいこんな感じである。サナとホテルに来た日から、これが一ヶ月間ずっと続いているのだ。

 しかし、ホワイト先生の行動はこれにとどまらない。誰も邪魔しないので、毎日好き勝手暮らしているのである。




 朝食が終わり、少し落ち着くと何をするのか。


 そう、【着替え抱っこ】のお時間である。


 覚えているだろうか、サナのために買ったロリータ服のことを。


「サナ、サナ! これ着よう!! これがいい!」


 サナの肌の色とは正反対の、白いロリータ服を着させる。サナは自分で着ようとしないので、アンシュラオンが着させてあげる。

 これがまた楽しい。


(姉ちゃんの着替えも楽しかったけど、小さい子はまた違うなー。可愛いよ!! サナちゃん、最高!)


 姉の場合は豊満な身体を堪能しながら、その色っぽさを楽しんでいたものだが、サナの場合は単純に可愛さ爆発である。しかもそれが憧れのロリータ服ならば、もう最高の気分だ。

 着せ終えたサナを、惚けた顔でじっくりと観察。

 いろいろな角度から見たり、服の上から触ってみたりして感触も楽しむ。


 すべてが―――ふわふわ。


 子供特有の柔らかい身体は、大人の女性とはまた違う楽しみを与えてくれる。それが自分のものだと思うと、さらに興奮と感動は増す。


「サナ、おいで、おいで! 膝においで!!」

「…こくり」


 サナがベッドに腰掛けるアンシュラオンの膝に座る。柔らかくて温かいものが膝の上に乗る感触も最高である。


「あーん、可愛いーーー! すりすりすり! ナデナデナデ! サナは最高に可愛いねぇ〜」


 サナを抱きしめながら、ベッドにごろごろ転がる。

 ベッドは、高価な装飾が施されたキングサイズかつ、ピンクの天蓋付きのお姫様ベッドである。

 サナの身体は小さく、アンシュラオンもまだ子供といった背丈なので、二人が抱き合っていてもベッドにはまだまだ余裕がある。


「すーはー、すーはー。ああ、いい匂いだー」


 サナをぎゅっと抱きしめ、その匂いを堪能する。猫吸いならぬ、サナ吸いである。

 サナの匂いは、柑橘系のような爽やかなものというよりは、深みがあって落ち着くものである。甘くて軽い葉巻のような、癖がないのにコクがあって豊かな味わいを与えてくれる。


「あ〜、可愛いね。可愛いね。綺麗な髪の毛だね〜。ちゅっちゅっ」

「………」

「んふふ、なーに? ぎゅっ」


 サナが動くと、アンシュラオンもさらに抱きつく。

 髪の毛に口付けをして、優しく撫で、骨盤あたりをぎゅっと抱きしめて固定する。サナもまた無表情でそれに従っている。


 ホテルのベッドの上で男女がすること。


 それを聞くと、いろいろなことを想像するだろう。

 しかしこの一ヶ月、アンシュラオンはただただこうしているだけである。ただ抱きつき、撫で、愛で続ける。それだけを繰り返す。

 匂いを嗅ぎ、抱きしめ、恍惚とする。

 実際、やっていることはラブヘイアとあまり変わらないが、当人はそのことに気がついていないし、けっして認めようとはしないだろう。


「サナちゃん、『にーに』って言ってみて。にーに! お兄ちゃんって意味だよ」

「………」

「まだ駄目か〜。でも、可愛いねぇ〜」

「…じー」


 サナは、じっとアンシュラオンを見つめるだけである。反論もしないし主張もあまりしない。

 そう、この光景はまさに飼い主が猫を溺愛するものと同じである。

 もともとアンシュラオンは、サナをこうして可愛がるつもりであったので、無事願いが成就したといえるだろう。今が人生において一番幸せだと思えるほど充実している。


「それじゃ、またお着替えしようか」

「…こくり」


 再びサナを着替えさせ―――悶絶。


「うひょおお! 可愛い!! サナは何を着ても可愛いよ! かーいい、かーいい!」


 そしてまたベッドでごろごろし、抱きしめながら匂いを堪能する。

 これが午前中の彼の日課。昼食までだらだらとサナを抱きしめ続けるのである。




―――戦慄




 モヒカンが見たら、背筋が凍るような戦慄を覚えたことだろう。

 一泊、およそ二十万円のスイートルームで、彼は日々この行為に耽っている。誰もが汗水流して働いている中、悠々自適な生活をしているのだ。

 これを非難するのはたやすいが、彼の行動によってグラス・ギースが潤っていることも事実である。

 このホテル街は、アンシュラオンがやってくるまで閑散としており、近年では常時赤字経営となっている【お荷物事業】であった。

 当然、生活が苦しい地元の人間はまず使わないし、せいぜい一ヶ月前の馬鹿騒ぎで、金を持て余した何名かがお泊りしに来たくらいである。

 それも仕方ない。ここは本来、外国から来たブルジョワが泊まるホテルだからだ。値段も外の人間向けに設定されている。

 しかし、南での入植が本格的に始まり、治安の悪化もあるせいか、今は外国からの来客も少ない状況である。

 これには領主も頭を悩ませており、いろいろと誘致を行っているものの、たいした成果は挙がっていなかった。


 そんなところにやってきたのが―――謎の少年と少女。


 やたらと羽振りがよく、しかも一ヶ月の間、部屋からあまり出ないという奇行から、従業員の間ではどこぞの【王子と姫】なのではないかとの噂もあるくらいである。

 だが、お付きもいないのは不自然なので、一部の若い女性は駆け落ちした若い貴族説を唱えている。

 そう勝手に勘違いしてか、アンシュラオンに対しては、ホロロ以外の従業員の態度も非常に恭しいものとなっている。

 男の従業員に対しても餌付け(買収)はしっかりとしているので、このホテルでアンシュラオンを悪く言う人間は一人もいない。

 彼は、このホテルに繁栄をもたらす唯一の客なのだから当然である。



 そして、昼食を食べ終えると、おもむろに服を脱ぐ。


「じゃあ、お風呂に入ろうねー」


 次はお風呂の時間だ。




84話 「サナのお風呂とトイレのお世話」


 アンシュラオンはある種、他人から見れば猟奇的ともいえる生活をしている。


 実はこれ、パミエルキがアンシュラオンにしていたことと、ほぼ同じである。


 咀嚼して食べさせることはしないが、サナにやっていることは同じ【軟禁】だ。

 ただ、当人がそれに気がついていない。

 姉と同じことをしているなどとは夢にも思っていない。それが恐ろしい。

 虐待された子供は虐待する親になるというのは、実際のところは迷信である。されど、それしか知らない者であれば、それが普通だと思ってしまうのも事実である

 アンシュラオンにとって、この世界は新しい世界。しかも赤子から再生したため、今の彼の大半はこの世界に来てから構成されたものだ。

 子供は周囲の影響を大きく受ける。

 それが親であり、親代わりである姉だったならば、いったいどれだけ強い影響力を持つだろう。


 よって彼は、【支配】することしか知らない。


 支配され続けたことで、誰かを支配する愛しか知らないのだ。

 これはもともと彼が、そういった人物であったことも大きい。前の人生でも、今とあまり変わりなかったのだ。

 さすがに軟禁はしないが、支配的な欲求を常に持っていたのである。


 だから、お風呂も一緒。


「お風呂に入ろうね〜」

「…こくり」

「はい。万歳してー」


 万歳したサナのロリータ服を脱がしてあげる。

 冷静に考えれば、服の着せ替えもイタ嬢がやっていたことと大差ないが、アンシュラオンは「自分はイタ嬢とは違う」と思っている。このあたりもさすがである。


「こっちも脱ぎ脱ぎしようね」


 当然、下着も脱がしてあげる。

 一応述べておくが、この時のアンシュラオンにやましい気持ちはない。

 単に世話をしているだけなのだ。彼にとって女性の下着を脱がすのは当たり前のこと。奉仕の一つである。


 なぜならば、姉がそう教えたから。


 姉が「それが世間の常識なの」と言い、二十年近く弟にやらせていたので、アンシュラオンにとっては普通のことなのだ。

 奉仕をする彼は、ほぼ無我の境地にある。ただ女性に尽くすための存在になりきっている。これも訓練の賜物である。


 そして、全裸にしたサナと一緒にシャワーを浴びる。

 このホテルは高級ホテルということもあり、水が有料のグラス・ギースであっても水は使いたい放題である。

 とはいえ一定量以上は有料なのだが、面倒なのですでに諸経費として数千万を渡しているので、ホテル側は何も言わない。事実上の使いたい放題である。


「きれいきれいしようねー」


 その言葉に反応し、サナはアンシュラオンが洗いやすいように自ら手を上げる。

 その姿には「慣れ」が見受けられた。完全に慣れている。慣れてしまった。

 サナは習慣として身につけたことは忘れないし、状況を察して自ら率先して行うこともある。このお風呂の仕草も一ヶ月の間に完全に定着してしまった癖である。

 髪の毛も大切なところも、前も後ろも、全部洗う。それからサナもアンシュラオンを洗うので、兄妹が普通にお風呂に入っているだけの光景だ。

 ちなみにお風呂に入っているときも、ペンダントは外していない。原常環の術式は錆や劣化などにも効果を発揮するので、水に濡れたくらいではまったく影響がない。


「じゃあ、お風呂を張ろうな」


 水は使いたい放題だが、お風呂に張る水にはこだわる。


 それは―――命気風呂。


 命気をたっぷりと湯船に張り、少し温めて適温にする。二人が入ると、ぬるっとした独特のぬめりが肌に触れる。

 命気風呂は身体の汚れを分解し、傷みをすべて修復してくれるので、一家に一台あると便利である。

 といっても今現在、命気風呂を使っているのは世界中でアンシュラオンのみなので、これこそ最高級の贅沢なのかもしれない。(正確にいえば、パミエルキも使用しているので二人)


(サナってなんか、命気を気に入ったんだよな。事あるごとに命気を要求してくるしな。まあ、簡単に出せるからいいけどさ)


 最初は普通の水を使っていたが、サナの反応があまりよくなく、命気にしたら喜んだことが誕生のきっかけである。

 サナは命気をとても気に入ってしまったようだ。普通の水は飲みたがらなくても、命気を注入してあげるとちゅーちゅー飲み出す。

 どうやらガンプドルフとの戦いの際、命気で保護したあたりから【味】が気に入ってしまったようだ。

 命気は水と同じく無味無臭である。試しにアンシュラオンも舐めてみたが、味の違いはあまりわからなかった。

 しかし、生命のエネルギーが宿っているので、その観点からすれば栄養たっぷりであるし、もし水に【濃度】があるとすれば、それも相当なレベルで濃いのだと思われる。

 サナにとっては何かしら価値がある味なのかもしれない。彼女が気に入ったのならば、あげることには問題ないと考えているので、求められるだけ与えている状況である。

 アンシュラオンにとって、サナに好かれるということは大切なことなので、領主がイタ嬢に甘いように、嫌われたくないのでご機嫌を取っているようなものである。

 この意味でも領主のことはまったく責められないのだが、当然ながら「領主とは違う」と思っている。

 ただし、これがサナの人生に大きな影響を与えることをアンシュラオンはまだ知らない。


「いやー、幸せってこういうことを言うんだよなぁ〜。サナちゃん、気持ちいい?」

「…こくり。ぶくぶくー」


 サナが顔の下半分を命気湯に埋め、ぶくぶくしている。相当気に入っている証である。


「幸せだなぁ〜」


 アンシュラオンとサナが幸せなのだから、それでよいのだろう。

 こうしてお風呂を一緒に入るのは当たり前。すでに兄妹であり家族なのだから自然なことなのだ。




 そして、これでは終わらない。




―――トイレのお世話もする




 のである。


 他人が見れば、それはもう変質的行為。通報されても仕方のないレベルであるが、これも彼にとっては当然のお世話。


 女性(姉)の世話は、全部男(弟)がやる。


 そう教え込まれているからだ。

 サナが尿意を催すとアンシュラオンの肩を叩く。すると抱っこしてトイレまで連れていき、座らせ、下着を下ろして用を足させる。

 当然、その間はずっと見ている。この時にもやましい気持ちはない。

 アンシュラオンは(そういったタイプの)変態ではないので、少女のトイレを見て喜ぶ性癖はまったくない。

 単純に生理現象として見ているので何も感じないのだ。これもペットの糞尿の世話と同じである。いちいち何かを感じるわけがない。


 また、こうしてトイレに触れたことで、グラス・ギースのトイレ事情にも多少詳しくなった。

 まずこのあたりの地域には、上下水道設備がない。

 水道自体はこの世界には存在しているものの、配備されているのは西側の先進国ばかりであるため、水に乏しい東側は湾岸地域や大国を除けば、水道設備はあまり見られない。

 その代わり、ここでもアイテムやジュエルが役立っている。

 たとえば小さいほうならば、吸水石を細かく砕いたものが割安で売っており、それを散りばめることで尿を吸収する仕組みがある。

 定期的に取替えが必要であるものの、表面を軽く水で洗えば衛生面に問題はない。

 大きいほうをするときは、もう一つの専用トイレを使う。

 一般の家庭では、サンドシェーカーという砂状のアイテムを使い、猫のトイレのように排泄物を砂で包み、固める。

 それもまた処理する手間はあるが、ホテルでは消臭のために香りの強い花も置いているので、慣れてしまえばそこまで気になるものではない。

 ちなみに尻を綺麗にする手段は三つある。

 一つは水を使う方法。多少高くても綺麗に洗いたい人は水を常備する。二つ目は、熱された綺麗な砂を使う方法。殺菌されているので衛生上の問題はない。

 最後は日本でもよくある紙で拭く方法。ただ、紙自体の質はあまりよくないので、乱雑に拭くとダメージを負ってしまうこともある。

 アンシュラオンたちは、これまた命気で拭くので問題はない。

 水属性の修行をしている人が見たら、「あの伝説の最上位属性を尻拭きに使うなんて!」と、泣くかもしれないほどの安売り状況だ。



 そうした事情はさておき、この一ヶ月のアンシュラオンの自堕落っぷりは恐ろしい。

 彼にとっては修行のない火怨山の日常を再現しているだけだが、他人が見たら戦慄するに違いない。


 されど、もっと恐ろしいのは―――サナが慣れ始めていること。


 この状況に置かれれば、嫌でも慣れる。誰でも慣れてしまう。

 しかもサナは、けっして知能がないわけではない。言っていることは全部理解している節がある。

 アンシュラオンが「このときはこうしろ」と言えば、お風呂のやり方やトイレの合図のように、しっかりと学んでいる。


 それが―――怖い。


 サナは今、アンシュラオンの王気に触れたことで、生まれて初めて意識が強く顕現している状態にある。

 つまりは感受性の強い生まれたての子供と同じ。

 アンシュラオンの親代わりがパミエルキであったように、サナにとってはアンシュラオンが親代わりである。

 子供の吸収力は高い。このまま成長してしまえば、アンシュラオンの思想をたっぷりと吸った女性が生まれるだろう。

 将来、どんな人間になってしまうのか、見ている側としては心配でならない。

 ただ、当のアンシュラオンはあまり心配していない。


(サナはもっともっと美人になる。あの映像はきっと、オレの願望を強く反映したものだったのかもしれない。可愛い感じを残しながら美人になっていた。いいぞ、素晴らしい! あとはサナを強くして兄妹でハンターってもいいよな)


 契約時、映像で見たサナは美人だった。小百合のように可愛さを残した美人である。

 これはお互いに日本人風の顔立ちが影響しているのだろう。童顔だから成長しても可愛さを感じさせるのだ。


 あとは、【力】。


 あらゆるワガママを押し貫くための武力をいかにして与えるか。これは難問だが、当てがないわけではない。


(サナに才能はないかもしれないけど、師匠に聞いた話では才能を上げる武具やアイテムもあるって話だ。伝説級の武具を集めて、守護獣とかを大量に集めれば防衛力としてはそこそこになるかな。まあ、少しずつ集めていくか)


 アイテムの中には、因子の覚醒限界を上げるものが存在する。

 【覚醒タイプ】のジュエルなどがそれに該当し、潜在能力を一時的に上昇させることができる恐ろしいものである。

 あとは伝説級の武具。特殊な能力が付与された剣や鎧、あるいはアイテム。そうしたものを持てば、サナであっても強い力を持つことができる。


(そういえば、あの剣士のおっさんも怪しい剣を持っていたな。強い力を宿した聖剣とか魔剣とかがあるって聞いたことあるし…ああいう武器があればサナも安全かな? あの映像では、サナも刀を持っていた。ということは、実は剣士としての見込みがあるのかもしれない。数値上では0でも、鍛えればそこそこ強くなるやつもいるしな)


 因子は技を使うために必要な能力なので、あればよいに越したことはないが、なくても剣技の技量を上げることはできる。

 才能がなくても努力で強くなる人間がいるのは、これが理由である。

 戦士の因子はさりげなく重要だが、これこそアイテムで補完すればよい話である。そもそも剣士は肉体的にはあまり強くないので、装備で補うのが一般的だ。

 あとは、それ以外の要素。たとえば守護獣。守護獣というのは、文字通り守護する獣のことだ。

 魔獣と呼ばれるものは、人間にとって害を成す存在を指す。一方、聖獣と呼ばれる存在もおり、彼らは古くから人間と多くの接点を持ち、守護する側の存在となっている。

 単純に好意から一族の守り神になったり、取引して守ってもらったり、あるいは使役している場合もあるが、どちらにせよ強力な存在である。

 そうしたものを集めれば、素の力が弱くてもなんとかなる。


(まあ、おいおい考えていけばいいか。さて、そろそろ出よう)


 次はアンシュラオンの新しい仕事を紹介しよう。




85話 「ホワイト先生のお仕事」


 風呂から上がると、二人は着替えを始める。

 今日は、外でやることがあるのだ。


「と、そうそう。これを忘れないように」


 アンシュラオンは、お出かけ用の白い仮面を被り、サナには黒い仮面を被せる。

 もう二度とコスプレなんてしない! と思っていたものだが、案外あっさりとまたやることになったりする。

 仮面は前に使っていたものとは違い、フルフェイス状のものだ。何かを食べる時だけ、かぱっと口のところだけが開く構造になっている。

 もともとは何かの魔獣素材で作られた鎧の頭部だったのだが、余計なものを取り払ったらバイクのヘルメットみたいになってしまったので、それに多少手を加えて使っている状態だ。

 あとは蒸れないように送風ジュエルを取り付け、アンシュラオンのものだけ白く塗装したら完成である。

 最初はいびつだったが、この一ヶ月少しずつ手を加えたおかげで、それなりに見られるものになったという自信がある。


(何かあったときのために、念には念を入れて予防策を講じたほうがいいだろう)


 あくまで今の自分はホワイトなのである。外に出る際は顔を隠すべきだろう。




「ホワイト様、お出かけですか?」

「うん、【仕事】に行ってくる」


 ホテルのカウンターでホロロに出会う。

 彼女はアンシュラオン専用メイドとして常に控えているので、すべての用事は彼女を通じて行われる。こうして出るときも必ず会う決まりである。


「い、行ってらっしゃいませ!」


 ホロロの隣にいた若い女の子の従業員が頭を下げる。

 その頭の下げ方もホロロと比べると初々しく、まだ経験が足りないことがすぐにわかった。おそらく入って日が浅い新人従業員なのだろう。

 実際にその通りで、彼女は二週間前にホテルに就職したばかりの新人である。

 このご時勢で新しい人間を入れる余裕はあまりないように思えるが、アンシュラオンによって毎日収益があるホテル側が、より充実したサービスを提供するために雇ったと思えば不自然ではない。

 たまに豪勢な食事を要求したりするので、そういった際の手伝いには使えるだろう。


「えっと、何度か会ったよね」


 アンシュラオンは彼女と何度かホテル内で会ったことがあった。軽くすれ違う程度だが、一応面識はあるので気軽に声をかける。


「名前を訊いてもいいかな?」

「は、はい! ミチルと申します! 入ったばかりですが、どうぞよろしくお願いいたします!」

「ミチル?」

「っ! な、何か私の名前に問題でもありまひっ、ありましたでしょうか!?」

「………」

「あぅっ…あうう……」


 ミチルが緊張して噛んだのは、アンシュラオンがじっと見ていたからだ。今もまだ見ている。

 人間の感覚とは鋭いもので、こうして仮面を被っていても視線がわかるのだ。


 アンシュラオンは、ミチルを見ている。


 その間、彼女は小柄な身体を縮込ませていた。


「…ふむ」


 それから少しだけ視線を横にずらしてホロロを見てから、再びミチルに視線を戻す。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

「は、はい!!」

「それともオレが見境なく人を襲うように見える? 仮面を被っているようなやつは信用できないかな?」

「い、いえ、そんな!!」

「ははは、冗談だよ。ちょっと知り合いの名前に似ていたからさ。昔を思い出しただけだよ」

「そ、そうですか…よ、よかったです」


 彼女が緊張するのも無理はない。なにせ他の従業員にとってみれば、ホワイトなる人物はあまりに謎に包まれているのだ。

 ホテル内においては最上階から出ることはないし、その対応はすべてホロロが管理している。ベッドメイキングまで全部彼女がやっているので、他の者が付け入る隙がない。

 ホロロは大変だと思うが、これも余計な情報を表に出さないためである。

 しかしながら、外に出るときも仮面を被るなどして過剰にガードしているので、それが逆に他人の興味をそそってしまうというマイナス面も存在する。

 人間、隠されているとむしろ気になるもの。今や上級街において、ホワイトなる人物の噂を聞かない日はない。

 ミチルもまた、そういった話をよく聞いているはずだし、実際に会うとなればさらに緊張するだろう。極めて自然な反応に思える。


 アンシュラオンは、再び玄関口に歩を進める。

 それに合わせてホロロも付いてきた。


「馬車はいかがいたしましょう?」


 アンシュラオンとサナの邪魔にならないように誘導してくれる姿は、さすがに熟練した業であると感じさせる。

 ミチルが未熟であるせいか、それがより際立って感じられた。


「馬車はいいや。ゆっくりと散歩しながら行くよ。夜になったら戻ると思うから夕食はお願いね。ああ、そうそう。帰ったら話があるから部屋で話そうか」

「かしこまりました。楽しみにしております」

「それじゃ、行ってくるよ」

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 ホロロの綺麗で洗練されたお辞儀を見ながら、外に出る。






 アンシュラオンはホテルを出ると、西に向かって歩いていく。

 さすが上級街。通路はしっかりと綺麗な石畳で舗装されており、中級街と比べても歩きやすい。

 ただしその間、特に人と出会うことはなかった。


(相変わらず閑散としているな。住民がゾンビになった映画みたいだよ)


 アメリカのパンデミック映画のように、住民が謎のウィルスに汚染されてゾンビになり、廃墟と化した街並みを彷彿とさせる。

 特にこのあたりは住宅街ではないので、ある程度進んでしまうと外観は簡素になり、遠くに城壁が広がっている野原しか見えなくなる。

 実に不思議で奇妙であるが、城壁都市なのだから仕方ない。逆にホテル街だけでも景観がよいことを感謝すべきかもしれない。


 それから三キロほど移動。

 歩くペースはサナに合わせているので遅いが、しっかりとサナにも歩かせる。サナも特に疲れた様子を見せず、トコトコと歩いていた。


(サナも鍛えてあげないとな。まずはゆっくりと体力作りだな。戦士であれ剣士であれ、それが術士であっても体力は重要だ。すべての基礎は体力にある)


 どんなに強くても持久力がなければすぐに倒れてしまう。逆に体力があれば生き延びる力となる。

 体力は何においても重要なのである。

 サナが何に向いているかわからないが、こうやって少しずつ鍛えていくつもりでいた。

 しかし、こうして普通に歩いているあたり、サナは意外と体力があるような気がする。


(けっこう歩いた日もあったけど、一度も疲れたことがなかったな。それとも表情に出ないだけか? 取り戻した時もいきなり倒れたし、サナは顔に出ないから判断が難しいな。逆にポーカーフェイスは戦闘では有利なんだが…)


 表情を変えないクールビューティーも魅力的である。それも育成の選択肢の一つになるだろう。

 そもそも感情剥き出しというのはサナにはありえない雰囲気なので、選択肢はおのずと限られるが。


 そんなことを考えていると遠くに上級街の街並みが見えてきた。

 この先は商業街がある地域で、もっとも人が多くいる場所である。

 上級街全体が閑散としていても、局所的には人は集まっているものだ。その筆頭が商業街に買い物にやってくる人々である。

 中級街から来る人間もいれば、外からやってくる人々もいるので、常時それなりに賑わっている場所ではある。


 ただし、アンシュラオンの目的地はそこではない。


 そんな賑わう商業街から少し離れた郊外にある野原に、ぽつんと小さな建物があった。

 大きさも人が六人も入れば狭いと思えるほどのもので、掘っ立て小屋と呼ぶのが相応しいものである。

 それも仕方ない。何の建築知識もないアンシュラオンが、そこらに余っていた木材を適当に組み上げただけのものだからだ。

 こんな家に住みたいと思う人間はいない。アンシュラオンも、自分で建てたにしてもあまりに酷いと思える出来である。


 しかしながら、そこに長蛇の列があった。


 まったくひと気がなかった道程が嘘のように、そこだけやたらと人が集まっている。

 その数は三百人はいるだろうか。上級市民の数が約千人なので、その三割程度の人数がいることになる。

 当然、いるのは上級市民だけではない。彼らの中には、かろうじて服と呼べるようなものを着ている者もおり、裕福な上級市民とは明らかに違う人間も交じっていることが一目でわかる。

 されど、どんな人間であれ、ここにやってくる者たちの目的は同じだ。


「あっ、先生が来たぞ!」

「ホワイト先生ーー!」

「お待ちしておりましたーー!」

「きゃー、ホワイト様よー!」

「カッコイイーー!」

「黒姫様もカワイイー!」


 人々がアンシュラオンたちを発見した途端、あちらこちらから声が上がる。

 その声は老若男女から上げられ、しかも後半は黄色い声も交じっている有様だ。仮面を被っているのでカッコイイとかはわからないはずなのに、いつしかそういう声も増えていった。

 完全に噂だけが先行している印象だ。彼らの大半は貴族説を信じているのだろう。迷惑な話である。


(今日も人が多いな。時間がかかりそうだ)


 アンシュラオンは手を軽く上げて応えながら、歓声に喜ぶよりも人数の多さにげんなりする。


 ここは―――「ホワイト診察所」。


 謎の名医ホワイト先生が患者を診るための【仕事場】である。

 ホテルに行った時、場当たり的に「私は医者です」と言ってしまったので、仕方なく嘘を真実にさせるために作った診察所である。

 【診療所】としなかったのは、あくまで診察をする場所だからだ。

 所詮偽物の医者なので治せない病も多くある。そのため、ここはあくまで診察をする場所であり治す場所ではない、という意味を込めて名付けたものだ。

 だが、命気の力は凄まじく、案外どんな病気でも治してしまうので、あっという間に噂は広まって人々も増えていった次第である。

 それには当人もびっくりだ。


(なんだよ、命気って。便利すぎるじゃないか。この調子だと他の最上位属性にもとんでもない力が眠ってそうだな。姉ちゃんの臨気とかも攻撃以外に使えるんじゃないのか? 火力発電とかできそうだよな)


 水の最上位属性だけが便利ということはないだろう。他の火、風、雷、それぞれに何かしら有用性がありそうである。

 しかし、姉はきっと攻撃にしか使わないだろう。うん、間違いない。


「はい、ちょっと通りますよー。あー、触らないでくださいねー」


 アンシュラオンが通ろうとすると、力士に触る観客の如く、人々が手を伸ばしてくる。

 その中の一つの手がサナに触れようとしたので―――


「はい。汚い手で触れないでくださいね。ボキンッ!」

「ぎゃー! 腕がーーー!」


 あっさりと叩き折る。

 安心してほしい。アンシュラオンが腕を折った人物は男だ。


(どさくさに紛れて可愛いサナに触ろうとするとは、なんたるやつらだ。せめてムサい男は診察禁止とかにすればよかったよ)


 最初はこんなに人が来るとは思っていなかったので、何の条件もなく始めてしまったのが災いしている。

 しかし、そんなアンシュラオンにも癒しが存在する。


「あっ、先生。おはようございます!」


 人々を掻き分けながら小さな診察所に到着すると、白いナース服に身を包んだ金髪の女性が出迎えてくれた。

 金髪に碧眼なので、日本人が一般的にイメージする外人に近い特徴だ。

 ただ、この世界の人間はアニメ調に見えるのであまり違和感がないし、周りも多種多様なので目立ちもしない。

 可愛く明るい感じの女の子であり、今年で二十歳になったばかりだというバリバリの「若い子」である。


(元気がありすぎるのも苦手なんだよなぁ。心がおじさんにもなると、そういうのって苦手になるし…)


「うむ、シャイナ君、おはよう。モミモミ」

「きゃっ!」


 と思いつつ、当然のごとく胸を揉む。

 これはもう条件反射なので仕方がない。


「相変わらず柔らかいな。マキさんよりも柔らかさでは上か? この生乳モンスターめ」

「いきなり揉んでおいて、なんて発言ですか!?」

「褒め言葉だ」

「セクハラですよ!」

「それも褒め言葉だ。モミモミ」

「きゃっ!」


 人の話を聞かない先生は問答無用で乳を揉む。医者がセクハラをするのは当然なのだ。


(うむ、若いとはいえやっぱり女性が一番だ。シャイナを雇ってよかったな)


 シャイナは三週間前に雇った女性で、主に人員整理をやってもらっている。

 初日にホロロの母親を癒してから話が広まり、さらに患者を癒し続けたら一週間でやたら人が来るようになったので雇ったのだ。

 ナース服はアンシュラオンが個人的趣味で着させているものだが、シャイナ自身にも『看護』スキルがあるので嘘ではない。

 『看護』スキルは、単純に治療効果が増幅するので使えるスキルである。医者でなくても、薬師かヒーラーあたりで十分やっていけるかもしれない。


「今日も人が多いね。二日に一回にしたのに減るどころか増えてるよ」

「先生のような名医に診ていただけるのならば当然ですよ」

「名医…ねぇ」


(自分で始めたんだから、いまさら面倒くさいから嫌とは言えないよな。…しょうがない。この惨状も受け入れるか)


 どのみちホテル暮らしは暇である。

 飽きるまではやってみようかと思ってがんばることにした。




86話 「ホワイト先生の診察 母と娘編」


「それじゃ、順番に入れて」

「はい。最初の方、どうぞー」

「し、失礼します」


 シャイナに誘導され、子供連れの母親が入ってきた。

 子供はサナよりも小さな五歳くらいの女の子。母親もまだ若く、三十路にはなっていない年頃だろう。

 肌に艶があり、まだまだ現役…というより、アンシュラオンにとってはお姉さん枠のストライクゾーンである。


 それを確認した瞬間、アンシュラオンの顔が優しくなる。


 女性には笑顔。これが信条だ。


「なるほど、胸の大きさに悩んでいると。わかります! モミモミ!」

「あっ!」


 いきなり母親の胸を揉む。


「けしからん胸ですな! 許されませんよ、これは!」

「あっ、その…私ではなく…あっ!!」

「先生!! セクハラですよ!」

「これは触診だ!!」

「ええ!?」


 言い切る。その迫力にシャイナもびっくりだ。


「…じー」

「ん? 違うって? なんだ、お母さんのほうじゃないのか」


 サナがじっと子供のほうを見ていた。その視線を追うと、女の子は少し気だるそうに身体をふらふらさせている。

 どうやら異常があるのは女の子のほうらしい。


「…じー」

「そこまで言うならしょうがないな。真面目にやるよ」

「最初から真面目にやってください! って、いつも思いますが、それでよく妹さんと意思疎通できますね」

「当然だ。兄妹だからな」


 最近になってアンシュラオンは、サナの言いたいことをさらに理解できるようになっている。これも長く一緒にいるおかげだろう。

 そのサナは子供を見ている。そちらに関心があるということだ。

 ならばアンシュラオンも女の子の相手をするべきだろう。


「はい、今日はどうしたのかなー」

「んー」

「どこか痛いのかな?」

「んー、わからない」

「そっか。わからないかー。でも、先生に任せておけば大丈夫だからね」


 女の子の頭を撫で、それから母親を見る。


「それで、どのような状態ですか?」

「あの、娘がここ最近、ずっと身体の調子が悪くて…たまに寝込んだりしてしまって…原因はわからないのですが…すごくつらそうなときがあって…」

「なるほど。では、本格的に診察をしましょうか。まずは服を脱いでくださいね。あっ、シャイナはちゃんと外をガードしててね」

「はい! 任せてください!」


 女性の患者が裸になる都合上、周囲から見られては困るので、しっかりとカーテンを閉めてガードする。

 以前、覗こうとした男がいたので、目に大量の砂利を投げつけて追い返したことがあった。そういう輩を防ぐためである。

 その男は後日、患者としてやってきたので、目薬と偽ってトウガラシをすり潰した液体を与えておいた。ぜひ反省していただきたい。

 ちなみにそいつの治療費は五万円である。


「ほら、脱ごうねー。脱げるかな?」

「…うん」

「あっ、お母さんも脱いでください」

「え!? 私もですか!?」

「ええ、何か関係があるかもしれませんし」

「そ、そうですか。わかりました…」

「下着もですよ」

「は、はい!」


 母親も服を脱がせる。

 それを見てシャイナは思った。


(絶対嘘だ…)


 いったい何が関係あるというのだろう。嘘に決まっている。

 患者の不安な精神状態を利用したセクハラである。

 だが、診察をするのは本当なので、シャイナはぐっと我慢する。


「それじゃ、二人とも横になってくださいね」


 部屋のわりにベッドだけは良い物にしてあるので、二人が楽々横たわる。

 むしろこのベッドのせいで部屋が狭くなった気がするが、大切なものなので仕方ない。

 それから命気を放出して触診を開始。女の子はお腹だが、お母さんは再び思いきり胸を揉む。


「ふむふむ、うむうむ。もみもみ」

「んっ…んふっ」

「なるほどなるほど、もみもみ」

「くっ…ふぅうんっ……」

「お母さん、我慢してください。娘さんのためですよ」

「は、はい! すみません! 声が出ちゃって」

「いいことです。健康である証拠です」


 だったら胸を揉むのをやめてもいいのに、手の動きは止めない。

 そして、そのまま診察を継続。


(うーん、あれ? んん?)


 アンシュラオンの手が、女の子のお腹から少しずつ下に下がっていく。

 下腹部へと至り、さらに下に向かう。

 断っておくが、これはそういった目的からではない。命気の振動に異変があるからだ。

 しかし、わざわざ断らないといけないほどアンシュラオンに信用がないのは困りものである。普段の行いが悪すぎる


「ねえ、このあたり、痛い?」

「…うん」

「そっか。なるほど」


 アンシュラオンが女の子の太ももを触ると、少し嫌そうな顔をする。そこに鈍い痛みが走ったからだ。

 それで確信。


(オレは医療に詳しくはないが…骨が少し変だ。おそらく骨肉腫というやつだな)


 簡単に言ってしまえば、骨に出来るガン細胞のことである。子供にも多く見られるガンであるが、最近では治癒率も高いらしい。

 どうやら調子が悪い原因はこれのようだが、他の可能性もあるので全身を調べてみる。

 命気が身体の隅々まで染み渡り、状態をチェック。このあたりの手際は、領主城でやった時よりも数段腕が上がっている。

 医者になってからは必須のスキルになってしまったので、知らずのうちに命気の扱い方もレベルアップしているのだ。

 今ではどんな病気でもすぐに見つけてしまえるようになった。もはや達人の腕前である。


(これ以外は大丈夫そうだね。ただ、お母さんはちょっと子宮にダメージが残っているな。出産の後遺症かな? 完全に治っていないから、こっちも治しておこうか)


 アンシュラオンが命気に命令を発すると、自動的に修復を開始。

 骨に染み渡り、ガン細胞や変形した骨を壊しながら再生し、DNAに沿った設計図通りに治していく。

 この命気の性質があるからこそ、アンシュラオンのような偽物の医者でも医療行為ができるわけである。もう万能すぎて手放せない属性だ。

 むしろ、これこそが本来の使い方なのかもしれない。


 そして―――完治。


 ものの一分程度で綺麗さっぱり治ってしまった。


「はい。治療が終わりましたよ。もう大丈夫です」

「も、もうですか!?」

「はい。お子さんは足に病気がありましたが治しておきました。よかったですね。放っておけば危険でしたよ。お母さんは身体の調子を整えておいたので、夜のほうもばっちりのはずです。ぜひもう一人、元気なお子さんを産んでください。できれば可愛い女の子を産んでくださいね」

「あ、ありがとうございます!! ほら、先生にお礼を言って!」

「せんせい、ありがとー」

「はい、どういたしましてー」


 女の子は、まだ自分の身体がどうなったのかは理解していないだろうが、最初に来た時より明らかに動きがよくなっていた。


「あ、あの、治療費のほうですが…おいくらに?」


 お母さんが恐る恐る訊く。

 あまり裕福ではないのだろう。着ているものも上等ではない。心配になるのは当然だ。

 だが、そんな彼女にアンシュラオンは笑いかける。


「いえいえ、そんなのはいりませんよ」

「え? で、ですが…」

「もう報酬はいただきましたから。私はもう満足です」

「しかし、それではあまりにも…」

「あー、本当に大丈夫ですよ。この人、すっかり満足していますから」

「おい、シャイナ。勝手に人の心を判断するな。満足していなかったらどうする」

「満足したって言ったじゃないですか。お金もたくさん持っていますから、気にしないでください」

「ぶわっ、私たちの幸せが報酬だなんて、なんて素晴らしい御方でしょう! さすがホワイト先生です!」

「うん、まあ…そうなんだけどね…」


(ちっ、シャイナのやつ、勝手に決めやがって! ここはあれだろう。一度謙遜しておいて『そんなに言うなら…』とか言って最後にもう一回胸を揉むパターンだろう!)


 申し訳ないが、何を言っているかよくわからない。

 だが、満足したのは事実だ。

 単純に女の子の笑顔を見るのは気持ちいいし、個人的にも楽しめたからだ。


(お母さんの胸はなかなか楽しめた。女の子のお腹や太ももも触れたから、これはこれでいいかな。毎日サナで楽しんでいるけど、こうして違う刺激を得ると、ますますサナを楽しめるから最高だよね)


 サナは素晴らしい。極上のステーキであり、最高級ワインである。

 が、たまには安酒も飲みたくなるし、駄菓子も食べたくなる。これはそういう欲求を満たすための行為だ。

 毎日豪華な食事では飽きてしまうが、こうしてたまに安物の味を思い出せば、さらに最高級品の価値を再認識するというわけだ。


「ありがとうございました! ありがとうございました!」


 そんなこととは夢にも思わず、何度も感謝しながら親子は出ていった。

 結果的に彼女たちが助かったのだから問題ないだろう。




87話 「ホワイト先生の診察 男性編」


「じゃあ、次の方」

「いたた…いたた…」

「どうしました?」

「腕が…腕が痛くて…何もできないんでさぁ」


 今度は筋骨隆々のおっさんが入ってきた。上腕あたりを押さえて痛そうにしている。


(なんだ、男か。やる気出ないな。適当に対応するか)


「じゃあ、そこの床に座ってください」

「は、はい」


 ベッドではなく、硬い木の床に座らせる。

 あのベッドは女性専用である。まだ幼い男の子ならいざ知らず、おっさんを乗せることなど絶対にできない。床で十分だろう。

 これだけ筋肉があるのだから問題ないはずだ。


(これは一応、話を聞くパターンかしら?)


 それを見ていたシャイナは、今までの経験からそう予測する。

 患者が男の場合、「門前払い」「診察をしない」「一応診察はするが治療はしない」「治療もする」、という四つのパターンがある。

 どうやら男全部を嫌っているわけではないようだが、なかなか見分けるのが難しい。


(この人は労働者系かしら? けっこうそういう人には対応するのよね)


 ロリコンやダビアもそうだが、社会構造の下層で働いている男性に対しては、それなりにアンシュラオンは柔和な対応をする。

 一方、権力者や中流階級、幸せそうな男に対しては厳しい態度に出ることがある。

 これは単純にアンシュラオンが地球時代、あまり裕福でなかったことが原因でもある。もともと反社会的な精神を持っているので、権力者は嫌悪しているのだろう。

 また、「病気でも、それ以外は幸せなんだろう?」的なひがみもあるので、そのセンサーに引っかかるとアウトである。

 幸いながら目の前の男性は、アンシュラオンにとっては「汚い労働者」としか見えていないようなので、こうして診察の段階にまで至ったのだ。

 だが、まだ安心はできない。


(女性以外は、見返りがないと治療しないのよね…)


 若干の軽蔑の表情を浮かべながら、シャイナが仮面を被った医者を見る。

 胡散臭い。雇ってもらった自分でもそう思う。

 自分はもちろん、さっきの母親に対しても意味不明な理由でセクハラをしたし、その中身はやましい気持ちで一杯に違いないのだ。

 しかし、実際にあらゆる病を治す名医だ。命を救うので、同じ読みでも「命医」と呼んでもよいほどだろう。

 彼はどんな病気でも治してしまう。普通の医者が発見すらできない身体の奥深くにある小さな腫瘍でさえ見つけ出し、一分もかからず消し去ってしまうのだ。

 その神業治療は重い病にとどまらない。彼にかかれば身体中の毒素をすべて抜くことも可能なのだ。

 一度アルコール中毒の男がやってきたが、細胞のすべてを洗浄して一瞬で治してしまった。

 当然治せるのは身体的なものだけなので、その後に彼がまた飲めば同じなのだが、身体を一度正常な状態に戻すことができるのだ。


(だったらどうして…。いや、今は仕事に集中しないと。私だって看護士志望なんだから)


 シャイナは看護の勉強をしている。医者になるかはまだわからないが、人の命を助けるような人間になりたいと思っている。

 だからこそ、この名医と呼ばれるホワイトのところに来たのだが、正直すべてが規格外で学ぶものが何もない。


(なんであんな簡単に…。この人は、本当に何者なんだろう?)


 あまりに謎すぎて、どこから詮索すればいいのかもわからないほどだ。

 そんなホワイト医師ことアンシュラオンは、男と話を続ける。


「その腕、どうされました?」

「いやー、原因がわからなくてなぁ。一ヶ月くらい前から痛くなっちまってさ。困っていたんでさぁ。おいら、大工でね。商売上がったりですよ」

「ほぉ、大工ですか。なるほど、なるほど」


 大工と聞いて、アンシュラオンの表情が変わる。


(あっ、この声音は悪いことを考えている時のものだわ)


 シャイナは直感した。これは食いつく、と。

 仮面を被っているので表情は見えないが、この声音の感じは興味を抱いた証拠である。しかも「利用できる」と思った時のもの。

 彼女はホワイト医師のことをつぶさに観察していたので、わずかな差異も見分けられるようになったのだ。

 そしてその通り、アンシュラオンはこんなことを考えていた。


(大工か。大工なら、この小屋を作り直せるんじゃないのか? おっさんだから適当にあしらおうと思ったが、これは使えるかもしれないな。どちらにせよ大工とつながりを持つのは悪いことではない)


 誰だって快適な場所で暮らしたいと思うもの。

 いくらアンシュラオンとて、さすがにこの小屋には嫌気が差してきたところだ。もっといい小屋がいい。

 それに今後のことを考えれば、大工と知り合うのは悪い話ではない。そのうち自分の家を建てるかもしれないのだ。

 その時にまた使えると思い、治療することにした。


「それは大変だ。すぐに治してあげましょう」

「ああ、でも、先生。実はあまり金がなくて…。名医だって聞いたから…その…きっと高いんだろうなぁ」

「なるほど、お金がないのですか。でも、あなたはここに来た。可能性があることを知っているからだ」


 男の身なりはあまりよくない。労働者階級なので、裕福でないのは自然なことだ。

 だが、期待もしている。

 彼らがわざわざ長い距離を移動してここまでやってきたのは、ホワイト医師の噂を聞いたからだ。

 多少は悪い噂もあるが、女性から話を聞けば、それはもう神様のような人に聞こえるだろう。

 普通なら医者にかかるだけで、かなりの大金がかかる。それをほぼ無料で治療してくれるのだ。期待しないほうが嘘である。

 この男も、わずかな希望にすがってやってきたのだ。そんなことは態度を見ればすぐにわかることだ。


「ちなみに、あなたは腕の良い大工ですか?」

「そりゃぁもう、ガキの頃から何十年もやってるからなぁ。自信はあるさぁ」

「ならばあなたにもわかるはずだ。仕事は金のためだけにあるわけじゃない。誰かの役に立つためにあるのです」

「うん、その通りだ。おいらだって、この仕事に誇りを持っている。自分が建てた家で新しい家族が生まれる日なんて、もう最高の気分だぁな。がんばってよかったぁって思う。そんときゃ金のことなんて考えてねぇよ」

「そう、その通りです。私も同じことです。あなたを助けることは、きっと大勢の人々の幸せを生むことにつながるはずなのです。助けた人がまた誰かを助け、それが広がって社会がよくなる。素晴らしいことです。ですから、お金などいりませんよ。これはお金なんかで計算できるようなことじゃない。ぜひ治させてください」

「せ、先生…本気なのかぁ?」

「はい。私の目を見てください。嘘はついていませんよ」


 仮面で目が見えないが、何一つ嘘は言っていない。目的は金ではないからだ。


「うう、先生…ありがてぇ。どうか、たのんまさぁ。おいらは腕がなくちゃ生きていけねぇ。このお礼は必ずするからぁよぉ、どうかたのんますぅ!」

「ええ、私に任せてください」


 その言葉に、ニヤリと笑うアンシュラオン。

 獲物が罠にかかった瞬間の猟師の顔である。


(自分から言い出すとは扱いやすい男だ。まあ、どんな患者でも財産以上の医療費を請求すれば、こう言うしかないけどね。くくく、ちょろいもんだ)


「では、始めましょう。腕を見せてください」


 おっさんの腕に命気触診を開始。

 始めて数秒で、すぐに原因を特定。


(普通に骨折しているな。治りかけているけど、破片が神経に刺さっているのかな? それで痛いんだろう)


 原因は簡単。骨折した際に剥離した破片が突き刺さっているのだ。

 おそらく仕事中に骨折したが、そのまま放置していたのだろう。折れた箇所も若干変形しており、違和感が残っているはずだ。


(こんなもん一瞬だ。剥離した骨を溶かして、神経を修復して、折れた箇所の骨を整形してっと…)


 命気が即座に腕を修復。完治である。


「はい。終わりましたよ」

「え? もう!?」

「動かしてみてください。痛みはないはずです」

「ほ、本当だ! い、痛みが消えた!! 痛くねえ!」

「よかったですね。これからもお仕事をがんばってください。みんなのために」

「先生! いつでも呼んでくだせぇよ! うちの若い衆も連れてきて、どんな家でもすぐに建てちまいまさぁ!」

「ああ、ありがとう。とても助かります」

「うちは下級街に店があるんでさぁ。本当にいつでも呼んでくだせぇ! 恩を受けたら絶対返す! それが下町の男だぁな!」


 そう言って、男は自分の店の場所を教えて帰っていった。


「うむ、予定通りに事が進んだな」

「やっぱりまた打算でしたか」

「治してやったんだ。それくらい当然だろう? 金以外でも受け付けているんだから、十分良心的だと言える。いや、もはや仏や神に等しい慈悲だ。オレは素晴らしい!」

「自分で言ったら価値が半減ですよ!」

「いちいちつっかかるな、お前は。乳を出せ! 揉んでやる!! それが雇う条件だったはずだ!!!」

「きゃっーー! 嘘つかないでください! そんな約束していませんよ!」


 バコンッ

 覗き撃退用の木の棒で殴られた。酷い。痛くはないがショックだ。

 ただ、収穫もあった。この棒は威力に問題があるとわかったので、今度釘バットにしようと思った。毒を塗るのも面白い。


「あのな、お前には簡単に見えるかもしれないが、この治療も疲れるんだぞ」

「そうなんですか?」

「これは普通のものとはまったくの別物だからな。それ自体を維持するのは問題ないが、相手に合わせるのはなかなか大変だ」


 命気は戦気が昇華したものなので、それ自体はアンシュラオンの精神エネルギーの一部である。

 自分のオーラを相手に合わせるのは、なかなか難しい。相性もあるし、相手の属性によっては反発することもある。

 それを誰にでも適応させるために、毎回相手に合わせて微調整を行っているのだ。そのうえで病気を治療するのだから高等技術のオンパレードである。


「本当ならば治らない病気も多い。それだけでも感謝してもらいたいもんだな。そもそも病気の大半は自業自得でなることが多い」

「…そう……ですね」

「それじゃ、次を入れてくれ。さくさくいくぞ」

「…はい」




88話 「ホワイト先生の診察 ジジイ編」


 それからアンシュラオンは淡々と治療をこなす。

 明らかに裕福そうな女性からは多少もらうが、女性は基本的に無料である。もちろん、おばあちゃんも無料。

 女性に対しては、とことん公正を貫く男なのだ。

 一方で男は基本一万円。気に入らないやつだと二万〜三万となったりするが、この都市の平均月収が四万円程度らしいので、そこそこの額であろう。

 今や獣医とて手術代を十何万と平気で取るのだから、それくらいの値段だと思えばわかりやすい。

 一般の病院で普通に手術することを思えば破格であるので、慈善といってもよい料金設定である。かなり良心的だ。

 が、たまにこういう患者もやってくる。


「なんだ、名医というから来てみれば、こんな子供が医者なのか? それに仮面を被っているとは…胡散臭いやつじゃな」


 入ってそうそう、そんなことを言う老人がいた。


(むっ、失礼なジジイだ。これは制裁対象だな)


 アンシュラオンはイラっとしたが、実際のところ正論でしかない。

 この老人、実に的確な判断力と慧眼を持っている聡明な人物としか言いようがない。何一つ間違っていない。

 だが、どんなに的確な正論であり、それが老人であっても【報復】は忘れない。


「じゃあ、座ってください。この【剣山の椅子】に」

「剣山に!? こんなのに座ったら怪我をするじゃろうが!」


 制裁用として、木製釘を打ち付けたお手製剣山椅子を指差す。座ったら確実に尻とイチモツが危険なことになる。


「嫌なら帰れ。二度と来るなジジイ! この眉毛ボーボーのジジイめ! どこの総理だ、お前は!」

「客に対してその態度!?」

「オレは医者様だぞ。どうするかもオレの自由だ。違うか? あん?」

「くっ、たしかにその通りじゃな」

「どうする? 座るの? 座らないの? 座らないなら帰れ。オレはまったく問題ないよ」

「あっ、この人、本気です」


 シャイナがそれが真実であることを告げる。そういう男なのだから仕方ない。


「ぐぬぬっ! しょうがない! 正座じゃ!!」


 意外にもがんばる。しかも正座だ。

 男なのでイチモツを守ろうと防衛本能が働いたのかもしれない。

 が、ざくっと足に針が突き刺さる。いい音だ。何度聴いても惚れ惚れとする。


「おお、がんばりますね。足から血が出ていますよ」

「今の若いもんじゃあるまいし、耐えてみせるわい!! どうじゃ、文句なかろう!」

「では、お訊ねしますが…」

「うむ」

「足を怪我するためにわざわざ医者に来たんですか? 頭悪いですね」

「お前が乗れと言ったんじゃろうが!?」


 医者に来て怪我をするという最悪のパターン。

 よく片方の足を骨折して入院するも、入院中に転んでもう片方の足を骨折することが意外と多いらしい。

 高齢者の皆様はぜひとも気をつけてもらいたいものである。

 ただし、今回に限っては明らかに人災であるが。


「それで、どこが痛いの? 帰ってもいいよ。面倒だからさ。どうしてもって言うなら治療費は一千万円ね」

「やる気ないのに法外な値段じゃぞ!?」

「じゃあ、三千万でいいや」

「高くなっとる!?」


 お約束。


「嫌なら帰っていいよ」

「ぐう! 足元を見おって!」

「可愛い女の子のお孫さんがいるなら、代わりにその子の身柄でもいいけど。ああ、処女限定ね」

「もっと酷くなったぞ!? 犯罪組織か!?」

「うち、ブラックなんで。嫌なら帰れ!!」


 しっしと手を払う。

 だが、老人は諦めない。


「わしはまだ死ねん! 治してくれれば金は払う!」

「三千万?」

「もう少し安くはならんか!! 最初の一千万はどうなったんじゃ!」

「しょうがない。一千万でいいよ」

「五百万でどうじゃ!」

「シャイナ、お茶入れて。おっと、手が滑った」

「あっつーーーー! 何するんじゃ! 顔がーー!」

「嫌がらせして帰ってもらおうと思って。一千万だと言っただろう」

「ここは九百万とか言うのがセオリーじゃろうが!!」

「値切りは面倒だからしないよ。一千万あるいは、それに見合う何かだね。ジジイなんだから財産くらいあるでしょ? なんとか工面しなよ」

「…金以外のものでもいいのか?」

「物によるね」

「わしは上級街で酒場を経営しておる。そこの永久会員権でどうじゃ?」

「なんだ。酒場全部じゃないのか」

「経営するのは面倒じゃぞ。じゃが、永久会員ならば、好きな時に来て好きなだけ遊べる」

「…なるほど、それは楽だな。飲み放題? 食べ放題? ずっと?」

「うむ」

「…女の子はいるの?」

「おるよ」

「スナックのおばさんじゃないだろうね」

「馬鹿を言うな。ピチピチのギャルじゃ」

「ギャルってまた古い言葉を…。触ってもいい? お触りOK?」

「当然じゃ。任せておけ」

「おじいさんって改めて見るといい人だね。実はこれ、治療するかどうかの試練だったんだよ。クリアおめでとう。あなたの心はとても綺麗です」

「それよりまずは剣山をどけてくれぃ!! 足が死ぬ!!」

「あっ、そうだった」


 血塗れになった足を抜いてやり治療もしてやった。


「それじゃ、先に契約書ね。『永久会員権が嘘だったら、お店と土地を全部譲渡します。足が血塗れのジジイより』と」

「お前さん、鬼畜じゃな」

「ありがとう。嬉しいよ」

「それって褒め言葉なんですか?」


 シャイナの疑問も、もっともである。だが、この業界では褒め言葉。


 それから本格的に治療を開始。

 直接触るのは嫌なので、離れた距離から命気で診察する。


「うん、なるほど」

「わかったか?」

「じいさん、死にそうだね。今すぐにでも詰まりそうな脳血管が多数に、心臓に大動脈瘤まであるじゃん。放っておいたら、一年ももたないかもね。普通の手術をするにしても血管を止めたら脳梗塞くらいは普通に起こりそうだし。まあ、この場所じゃそんな高度な手術もできないだろうけど」

「そうか…。やはりな」

「知ってたの?」

「薄々はな。他の医者のところにも行ったが、どうにもできないと言われてしもうた。ここが最後の望みだったんじゃ…」


 すでに軽く詰まっている血管もあるので、当人も違和感を感じていたのかもしれない。

 また、大動脈瘤は一部が骨にまで当たるほど肥大化しているので、妙な圧迫感があるだろう。


「それで、治せるのか?」

「もう治したよ」

「早すぎる!! わしのエピソードは!? ねえ、苦悩のエピソードは!?」

「早くて文句を言われる筋合いはないし、じいさんのお涙頂戴エピソードなんていらないよ。歳を取ったら、人間誰だってどこかしら痛いもんだ。そういうのを受け入れて生きていくのが人生だしね」

「お前さん、妙に達観しておるの」

「それなりに生きているからね。それより会員権を忘れないでね」

「うむ、わかった。好きなときに店に来るといい。店の場所はこの名刺に書いてある」

「よっしゃ! 行くよ!! 特別待遇をよろしく!」

「任せておけ。恩には報いるぞ。来るときはいつでも連絡するといい。連絡馬車で伝えてくれれば用意して待っておるよ」

「うんうん。人助けはするもんだなぁ」


 最初から要求をするのは人助けではない。




 ただ、誰もが老人のように治療を受けられるわけではない。

 相手の態度が悪かったり、金がなかったり、面倒だとこうなる。


「で、俺の症状は何なんだ?」

「あなたはコミュニケーション障害を患っています。毎日街で土下座をすれば治ります」

「頭が痛いんだが…それで治るのか?」

「脳腫瘍っぽいのがありますが、大切なのは心を清めることです。一日土下座千回です。忘れないようにしてください」

「では、次の方」

「先生、腕が…」

「なるほど。もう腕なんていらないと。ぼきんっ」

「ぎゃーーーー! 腕がーーー!」

「はい。これでもう思い煩う必要はありませんね。次の方、どうぞ」

「先生、尻が…」

「焼いた木でも突っ込めば治りますよ。ぶすっ」

「ぎゃーーー!」

「はい、次の方」

「うう、昨日から胸が…」

「恋患いですね。諦めましょう。結婚している場合は離婚してください。もう無理です。はい、次の方」


 飽きたのか、最後のほうは適当に終わらせていく。

 このあたりがいまいち評判が上がらない点だろう。






「ふー、今日もがんばったなー」


 こうして治療を終えたら、いつの間にか日が落ちようとしている時間だった。

 命気の放出をこれだけ続けられるのもアンシュラオンだからこそだ。火怨山での鍛練が生きている。

 ただ、やはり他人を相手にする疲労感はあるものだ。それだけ多くの違うエネルギーに触れるのだから、そういった精神的な疲れはある。

 そして、ずっと座って見ていたサナを気遣う。


「退屈じゃなかったか?」

「…ふるふる」

「楽しかったか?」

「…こくり」

「そうか、そうか」


 サナはずっと見ていただけであったが、この場所にいれば多くの人と触れ合うことができるのは間違いない。

 実際、その手には飴玉があった。患者のおばあさんがくれたのだ。

 そういう付き合いがサナの人格を豊かにしてくれることをアンシュラオンは知っている。


(オレは正直、良くも悪くもまともな人間じゃないからな。普通の人間に触れることも大切だよな。サナにはオレとは違う人生を歩んでほしいしさ)


 アンシュラオンも、自分が歪んでいることを知っている。

 パミエルキの影響はあるが、実際のところ姉とは似た者同士なのだ。あまりに合いすぎるから困るのであって、男と女の違い以外、本質はかなり似通っている。

 しかし、サナは普通の女の子だ。少なくともパミエルキとは違う。

 姉と同じようにならないように、これでも多少は気を遣っているのである。


 それから目の前に置かれている札束に目を向ける。

 中には硬貨も多く交じっているが、それなりの額があった。今日の売り上げである。


「今日は…四百万ちょいか。悪くないかな」


 今日は外からやってきた商人の治療もしたので、そこでふんだくった四百万で一気に潤った。

 暴利を貪ったわけではない。相手は末期ガンが治って感謝していたし、他の場所なら軽く数千万になっていただろうから安いものだろう。

 そのおかげで、その後の患者の治療費も安くできたので、全体的には十分満足すべき日だったといえる。


 アンシュラオンがホテルで豪遊できているのも、こうした収入があるからだ。


 もちろん口座にはまだ一億があるが、それを崩さないで生活できるのは素晴らしいことだ。

 最上階の部屋を借り続けるにも一日百万近くは必要となるので、これくらいの収益がないと困るのだ。

 最上階は全部が最高級というわけではなく、アンシュラオンとサナが生活している部屋が高く、他の部屋は各々十数万の部屋である。

 一気に全部を借りているので多少の割引が発生して、合計で百万となっている。

 ただし、諸経費もかかるので、毎日百万以上の収入がないと安心はできない。


(最悪は魔獣を狩ればいいけど、サナがいると大変だしな。しばらくは医者でいいか)


 領主城での一件があったので、サナからは一瞬たりとも目を離さない。常時傍にいる。

 その代わり、どこに行くにも連れていかねばならないので、魔獣狩りとなるといろいろと大変だ。

 その点、医者は座っていればいいだけだし、サナの人生勉強にもなって大金も手に入る。一石二鳥…いや、女性にも触れるので一石三鳥であろうか。


「シャイナ、今日の賃金だよ。お疲れ様」


 シャイナに五万円を渡す。

 四百万に比べれば安い金額だが、平均月収を考えれば高額である。日本でいえば、五時間程度で二十万以上を稼ぐようなものだ。

 しかも女性が健全な仕事をして、である。

 多くの女性が身を売るスレイブや性的な仕事をして稼いでいることを思えば、今は二日に一度程度の診察であっても十分な稼ぎだといえるだろう。


「ありがとうございます! でも、こんなにもらっていいんですか?」

「いいっていいって。金なんてすぐに手に入るしね。医者は一度なると儲かりすぎてやめられないってのは本当みたいだし」

「先生って何者なんですか?」

「ん? ただの医者だよ。それ以上でもそれ以下でもない、ね」

「…そうですか。気になるなぁ」


 シャイナも噂話が気になっているのだろう。謎の名医、ホワイト先生に興味を抱かない人間は少ない。


「そうか。気になるか…」


 そんなシャイナをアンシュラオンは、じっと見ていた。

 仮面で隠されているので目の色はわからないが、彼女を見ていることだけは間違いない。


「オレもお前のことが気になるな」

「え!? そ、そうですか?」

「よくよく考えれば歓迎会も開いていないし、親睦を深めるということをしていなかった。ここでもやるだろう? その職場の人間同士で軽く飲み食いして仲良くなるってやつをさ」

「え、ええ、はい。たまに…」

「せっかく酒場経営のじいさんと知り合えたんだ。明日あたり行ってみようと思う。シャイナも来るか?」

「え!? いいんですか!?」


 アンシュラオンの意外な申し出にシャイナのほうが戸惑ってしまう。


(今までまったくそんな気配はなかったのに…どうしてかしら。私には興味がないと思っていたけど…)


 胸を揉むなどのセクハラはするが、それ以上はあまり入ってこなかった男である。

 そもそもこのホワイトなる人物はガードが固い。仮面からもわかるように慎重で用心深い性格をしている。

 そんな彼が誘うのだから、喜びよりも心配や不安のほうが増すのは自然な感情だろう。


「遠慮するな。ただの親睦会だ」

「わ、わかりました。ぜひご一緒させてください」

「そうするといい。タダ飯、タダ酒だからな。あいつの店が潰れそうになるほど楽しんでやろう」


 普通、少しは遠慮するものであるが、この男にそんな心得などはない。

 タダはタダ、そう割り切る男なのだ。


(この人のことが少しでもわかるかもしれない…)


 そんな期待を秘め、シャイナは覚悟を決めた。

 しかし、その決断が自分の運命を大きく狂わせてしまうことを、彼女はまだ知らない。




89話 「眉毛じいさんの酒場でハッスルタイム」


 馬車に乗って、サナとシャイナを連れて酒場に行く。


 目的地は―――上級街の歓楽街。


 上級街の歓楽街は上品な店が多いので、これから行く酒場も高級店だと思われる。

 ただし、やはり人はあまりおらず、よく言えば静かだが、どことなく寂しい雰囲気を醸し出していた。


(せっかくいい店が並んでいるのに…勿体ない。領主の計画は破綻しているっぽいな。壁なんて壊せばいいのに)


 第一城壁がすべてを阻害しているのは間違いない。まさに壁となっている。

 何よりも距離という制約が大きい。ちょっと飲みに行くだけで数十キロ移動するなんて、地球のような電車や車社会ならばともかく、馬車では厳しいの一言だ。

 しかも厳重な門を越えねばならないので、そうした手間もかかる。いちいち身分証を提示しなければならないのだ。

 仮にこの壁がなくなれば、多くの人が上級街にやってくるに違いない。


 ちなみに今のアンシュラオンの身分は中級市民ではなく、外部からやってきた旅行客という立場になっている。

 上級街のホテルに滞在している間は、ホテルが身分を証明してくれる仕組みなので、ずっと上級街にいても問題はない。仮の身分証も発行してもらっているので安心だ。

 金を落としていく外客に対して、このグラス・ギースは寛容になる。実に現金なものである。


(今はまだ仮面暮らしでいいかな。不便だけど、このほうが気楽だ)


 今の自分はホワイトである。サナも黒姫だ。

 仮にアンシュラオンが、もともとの中級市民として実名で医者になれば、その功績であっという間に上級市民になれるだろう。何も恥じることはない。

 しかし、それはメリット以上のデメリットを呼び込むことになる。

 有名になればなるほど多くの人間の目に触れることになり、狙われる機会も増えるだろう。

 だが、仮の身分証ならば、もし何か騒動があってもレッドカードにはならない。そういった気軽さが気に入っていた。


「へー、はー、おー」


 アンシュラオンの前方から、妙な声が聴こえてくる。

 シャイナが外の景色を覗きながら呻いている声だ。


「何やってんだ?」

「い、いや、なんだか珍しくて。綺麗だなーと」

「上級街で働いているんだ。珍しくもないだろう」

「そんなことはないですよ。あくまで労働者で来ているのであって、市民じゃないですから」

「お前は下級市民じゃないのか?」

「労働者用のパスで入っています。ハローワークで発行してくれるんです」


(小百合さんの話では、この都市に住む人間の半数は市民証を持っていない。外部から人も常時入ってくるし、実際はもっと大勢いるんだろうな)


 シャイナもその一人。下級市民ですらない人間である。

 しかし、それでは働く際に不便が多いので、ハローワークでは「一時労働証明」という身分証明書を発行しており、それで仮に身分を証明しているのである。

 上級街は労働証明書があれば入れるので、シャイナもそうやって入っているのだろう。

 ただし、普通の市民とは違うので制限は多い。立ち入れない区域もあるし、宿以外の滞在時間も限定される。あくまで労働者なのだ。


「労働者だって街の見学くらいするだろう」

「なんか気後れしちゃって…。こうしてちゃんと見るのは初めてなんです。やっぱり表は綺麗だな…」

「そこそこ金を渡しているはずだが…それで遊ばないのか? 上級街でもそれなりに楽しめるはずだぞ」


 シャイナには毎回五万円を渡している。最初のほうは毎日診察所を開いていたので、すでに百万円以上にはなっているはずだ。日本円なら約五百万円に匹敵する。

 それくらいあれば、上級街でも普通に生活することができる額である。少なくとも店を回ってショッピングくらいはできるだろう。

 だが、シャイナは答えづらそうに視線を外す。


「それはその…いろいろとありまして…」

「駄目な男に貢いでいるのか? それとも乳をさらに大きくするために貯蓄か? どちらも虚しいな」

「人を何だと思っているんですか!? 違いますよ!」

「違うのか? じゃあ、何だ?」

「あっ…うん……それは……」


 シャイナは再び口篭る。どうやら言いにくい理由のようだ。


(若い女が金を使わない理由か。男でないなら借金くらいしか思いつかないな)


 単なる貯蓄という発想はないのだろうか。


「ところで黒姫ちゃんも一緒に連れていくんですか? 大人のお店ですよ? 教育上、よくないですって」

「知識は多いほうがいい。どんな知識も役立つ」

「でも、小さな女の子ですよ? 絶対によくないですって」

「オレがお前の生活環境に干渉しないのと同じで、お前にそれを言われる筋合いはないぞ。オレにはオレの考えがある」

「そうですけど…悪影響がありますよ。やっぱり」

「まるで実体験があるような言い方だな。身に覚えでもあるのか?」

「普通に考えればそうなります」

「残念だったな。この子は普通じゃない。特別なんだ。常識で縛ろうとすれば小さな枠組みで終わってしまうぞ。お前とは器が違う」

「はっきり言われた!?」

「この子は、お前たちの頂点に君臨する女になる。今から楽しみだ」

「…私はすごく心配ですよ」






 そして、歓楽街の中央に来た時、馬車が止まる。どうやら着いたようだ。


(高級酒場『パックンドックン』。…ネーミングには問題があるが、見た目は悪くない)


 ジジイのネーミングセンスに若干の不安を覚えたが、店の外観は派手ではなく落ち着いた雰囲気で、なかなか好感が持てる。

 これならば中も期待できそうだ。


「おお、待っておったぞ! さあ、入れ!」


 馬車を降りると、約束通りにじいさんが待っていた。


「連れが二人いるけど、いい?」

「そんな細かいことは気にするでない。さあ、入れ、入れ! がはははは!」

「それじゃ、遠慮なく」


 じいさんは、気前よく二人も入れてくれる。前に会った時よりも明るい印象だ。

 おそらく初対面の時は病気のこともありストレスが溜まっていたのだろう。今は完治したので元気一杯で、気持ちも前向きのようだ。


(地球でもそうだったけど、年寄りってのは基本的に口が悪いんだよな。昔はコミュニケーションの本とかも売っていなかっただろうし、勉強する機会がなかったにすぎない。ただ、それさえ気にしなければ、それなりにいいやつも多いんだよな)


 昔は今のように自己啓発本や心理学本、コミュニケーション本などは充実していなかっただろうから、老人といえば口が悪い人が多かった気がする。

 ただ、根が悪い人間はそうそういないもので、単純に言葉遣いを知らないか、アンシュラオンのように人生の末期になって、敬語を使うのが馬鹿らしくなった場合もあるだろう。

 仕事で気を遣ってばかりいた人間ほど、その反動が出るものである。それを理解してやらねばならない。

 仮にあの時に老人を見放していれば、この機会も失われたことになるので、その意味では助けて正解だったと言える。




 それから中に入る。

 スレイブ館の裏店のような少し薄暗い室内ではあるが、やはり普通の店なので多少の活気が見受けられた。客も何人かいるようだ。


「中も悪くないね」

「当然じゃ。わしの店だからな。ほれ、客が来たぞ。もてなさんか」

「はーい♪ いらっしゃいませー」


 五人の若い女性が出てきて、アンシュラオンたちを奥のテーブルに案内する。

 思ったより若い子だったので安心した。これで全員おばさんだったら涙も出ないほど枯れてしまうだろう。


「全員、若い子だね」

「そうじゃな。二十前後かの」

「個人的には三十前後が好みだ」

「若いわりにマニアックじゃな!?」

「三十はまだまだ若いと思うけどね。で、彼女たちは上級街の子?」

「いや、多くは下級街から連れてきた子らじゃ。職にあぶれている若い子が多いからの。そもそも上級街は人が少ない。若い子は少ないんじゃ」


(彼女たちもシャイナと同じ労働者か。大変そうだな)


 上級街の人口が千人だとすれば、その中では若い女性というだけで貴重な存在となる。

 それにこだわってしまえば雇うのが大変なので、見た目の良い若い女性を下町から連れてきているのだろう。

 労働者という意味ではシャイナと同じだ。多少若いが、どれも可愛い子なので厳選されていることがうかがえる。


 そして、首にはジュエルが―――無い。


「スレイブじゃないみたいだね。スレイブは使わないの?」

「下級街ではどうか知らんが、上級街ではまず使わないの。イメージってのがあるからの」

「スレイブも労働者も同じって聞いたけど?」

「似ているが厳密には違うのぉ。労働者はあくまで従業員じゃが、スレイブになると【動産】になる。それはそれで面倒なのじゃ」


 スレイブはスレイブで、実際は扱いにくいものである。

 所有者はスレイブの管理に責任を負うので、客に粗相をした場合など、問題が起きればいちいち対処せねばならない。体調管理も大変で、使えなくなったときの処理も面倒である。

 それを考えれば、下級街で職にあぶれている普通の女の子を雇ったほうがいいだろう。

 彼女たちはあくまで労働者であり、自分の人生と生活には自分で責任を負う。彼女たちには自由があるのだ。


「スレイブになる子ってのは、どういう子が多いの?」

「そうじゃな…。うちの店からもそういった子は出たが、急な大金が必要になってやむにやまれぬ場合か、あるいは楽をしたいと思う子が多かったかの」

「そっか。自分の人生を売り渡すってことは、それだけ楽になれるしね」


 簡単に言えば、他人が用意したレールに乗っかるお気楽人生である。

 自分で考える必要はなく言われたことに従事していればいいので、それが楽だと思える人間も多くいるだろう。

 また、普通の労働者よりも待遇が良いこともあるわけで、下手に働くより多くの金と自由を手に入れられる場合もあるのだ。

 スレイブになるということは、自分のすべてを捧げる代わりに相手の人生に投資する、ということなのだろう。

 主人が成功すれば、自分も成功する。失敗すれば死ぬか売られる。まさに人生をかけたギャンブルである。


「スレイブはスレイブ専門の店がある。まあ、西側から来る人間にはそっちのほうが受ける場合もあるそうじゃが、わしにそっちの趣味はないのぉ」

「あー、オレもそうかな。自分のスレイブを他人に触られるなんて嫌だしね。それなら労働者のほうがいいか。勉強になったよ」


 また一つ勉強になった。

 自分の大切なもの(スレイブ)は極力手元に置き、それ以外は死んでもいいようなどうでもいい労働者を道具として使う。

 実際はスレイブこそが道具なのだが、アンシュラオンの考えは世間一般とは違う。スレイブはあくまで自分の所有物だから大切にしなくてはならないのだ。


「そうそう、会員証を渡しておこう。これを持ってくれば、いつでも自由に店を楽しめるぞい」

「ありがとう! 眉毛ジジイ!」

「はっはっは。まったく口が悪い小僧じゃな!! 見事、見事! 実力が伴えば清々しいものよ」


 病気を治したこともあるが、アンシュラオンの自由奔放な態度が気に入ったらしい。

 たしかにこんな横暴な少年はあまり見かけない。希少である。希少でなくては社会が成り立たなくなる。


「それじゃ、楽しませてもらおうかな」


 それからアンシュラオンは、隣に座った茶髪のグラマラスな女の子に声をかける。

 牛の乳のようにかなりの巨乳である。


「君、名前は」

「ニャンプルでーす♪」


(…すぐに源氏名だとわかるな。日本でもここでも同じか)


 その名前の雰囲気からして、明らかに源氏名だとわかるから面白い。

 そして、それを知ったアンシュラオンはこう思った。


(普通ならばここでトークを楽しむところだが、せっかく永久会員権をもらったんだし、女の子も源氏名を使うような店だ。ならば、楽しまなければ損だ!! 遠慮はいらぬ!)


「ニャンプルちゃん、ここに座りなさい」

「えー、そこってー、お膝ですよー」

「さあ、乗るんだ。早く! カモンっ!」

「もう、しょうがないなー」


 アンシュラオンの膝に女の子が座る。なんというかバイクに乗る際、軽く腰をかけるような座り方である。

 当然―――それは認められない。


「もっとがばっと! 両足を広げて!! こっちを向いて、またがるように!!」

「あーん、お客さんのエッチ〜」

「ほら、早く! 乗らないと尻を引っぱたくぞ!」

「はーい、これでいいですかー?」

「よしよし、いいぞ。ほら、腰を振るんだ。股間と股間が合わさるようにな!」

「あっ、ああ! そんなことしたら駄目ですよぉ〜」

「駄目なのか? 眉毛ジジイ!? オレはお前を救った神だぞ! 神の言うことは絶対のはずだ!」

「そういう店ではないんじゃが…仕方ない。多少のことは我慢してやってくれ。あとでボーナスを出そう」

「はーい、それなら大丈夫でーす!」

「よしきた! ふんふんふんっ! いい尻だ!! ふんふんふんっ!」

「あっ、あっ、あっ! 激しいですぅ〜!」


 女の子に腰を振らせながら、尻や乳を堪能する。いわゆる「おっぱいパブ」などにある、ハッスルタイムと呼ばれるものである。

 多少のお触りは容認されるものの、この店はそういったピンク店ではないので本当は駄目だが、命の恩人であることを笠に着て、完全に店を私物化するつもりである。


「いやー、楽しいなー」


 アンシュラオンはハッスルを楽しむ。実に楽しそうだ。




90話 「ホワイト先生は、暴力がお好き」


 ハッスルタイムを楽しんでいるアンシュラオンが、ふと隣を見て一言。


「シャイナ、どうした? お前もやりたいか?」

「どうしてその結論に至ったんですか!?」

「だって、すごく見てたから。やりたいのかなぁ〜って。遠慮するな。この店はもうオレのもんだ」


 その言葉に一瞬、眉毛ジジイが「え? そうだっけ?」みたいな顔をしたが、気にしないことにする。


「いやあの…私は女の子なんですが…。それにこういうお店には初めて来るので…どうしたらいいか…」


 アンシュラオンの奇行に呆然としていたシャイナが、肩身を狭そうにして端っこで縮こまっていただけである。

 さきほどの視線は軽蔑のものであるが、その程度で動じるような男ではない。


(そっか。女が女の店に来ても楽しくないよな。そこは失念していたな)


 当然ながら、女性はあまりこういう店には来ないだろう。行くならホストクラブだ。

 シャイナはけっこう純朴なイメージがあるので、事実初めてなのだろう。その言葉に偽りはなさそうだ。


「姉ちゃんたち、連れの子らには適当に話し相手になってやってくれ。この子はシャイナで、黒髪の子はオレの妹の黒姫だ。妹はあまりしゃべらないから、カードゲームとかがいいかな。妹にはジュースと普通の食べ物もよろしくね」

「はーい♪ わかりましたー。シャイナちゃん、ほらほら一杯やろうよ」

「あっ、いや、お酒は…その…」

「お堅いこと言わないでさ。飲んでみれば楽しいから」

「ああ、そんなに入れたら…」

「一気! 一気!!」

「えええ!? 一気飲み!? そんなの危なっ―――んぐっ! んーー!」

「あははは! キャピットがシャイナちゃんの唇を奪ったー! もっとやれー!」


 シャイナが女の子に囲まれて、酒を強引に勧められている。

 しかもアンシュラオンの派手な行動に触発されたのか、少しおかしなテンションになっているようだ。

 女の子同士でキスをして楽しんでいる姿は微笑ましい。


「はーい、黒姫ちゃんはお姉ちゃんたちと遊ぼうねー」

「わー、仮面を被っているんだね。楽しそうだねー」

「…こくり」


 サナも他の二人の女の子とゲームを始めた。トークが売りの女性たちなので、子供相手でもしっかりと接客してくれるので安心だ。


「ならオレは、ニャンプル攻略といくか! ふんふんふんっ!!」

「あっ、あっ、あっ! そこはらめぇえーーー!」


(いやー、楽しいなー。来てよかったよ)


 ホワイト先生のハッスルダンスは続くのであった。






「もう…だめぇ……イキすぎて……死んじゃう……」

「うん、やっぱり敏感だな。しょうがない。胸を揉んでおこう」


 とどめとばかりに巨乳を揉む。相変わらずの鬼畜である。


(うーん、大きいのはいいけど、大きすぎるのも考えものだな。全体が太くなってしまう)


 ニャンプルは巨乳だが、全体的にふっくらしている。

 その点、マキは胸は大きいものの身体は引き締まっており、あれこそ本当の巨乳なのかもしれない。

 母性を求める男性も多く、こういった女性も特定の層に大人気なので悪いわけではない。

 ただ、アンシュラオンがスレイブにするのならば、もう少しバランスが取れているほうがいいとも考えていた。

 こんな時でもスレイブ構想を欠かさない真面目なアンシュラオンであった。

 結局のところ、理想の女性である『姉』という存在に照らし合わせて採点しているので、どんな女性でも彼女以外は満点にならないのが虚しいところだが。


「はぁはぁ…先生……もう限界……」


 隣では、すでに何杯も酒を飲まされてへたっているシャイナがいた。

 顔も真っ赤で目も虚ろ。完全に酔っている。


「なんだシャイナ、夜はこれからだぞ。がぶがぶがぶっ。うむ、酒の味だ」


 アンシュラオンはストレートで酒を飲んでいるが、まったく酔わない。

 いや、酔えないのだ。


(盲点だったな。武人の身体が強すぎてまったく酔わないぞ…。永遠にシラフなのか…)


 脳が麻痺する現象を酔いと呼ぶが、アルコール自体は【毒】である。

 分解されない有害物質が体内に蓄積することで、目眩や吐き気などが起こるのであるが、『毒無効』を持っているアンシュラオンにはまったく効かない。

 脳への麻痺もまったく起こらず、単純に味だけを楽しむものとなってしまっている。

 が、そうした代謝機能を持たない一般人のシャイナは、あっという間に毒に汚染されてダウンしているわけだ。


「こんなの…何が楽しいんですかぁ…ひっく」

「うーん、何が楽しいのか…か。改めて問われると困るな。強いて言えば、こんなふうに好き勝手することだな。モミモミ」

「あうっ!」


 酔ってぐだぐだになったシャイナの胸を揉む。

 なぜ揉むのかと言われれば、そこに胸があるから。そこに山があるから登るのだ。


「オレは好き勝手に生きることが大好きだ。誰の命令も受けない。オレが全部決めるから意味がある。それが楽しいんだ」

「先生は…ずっと好き勝手してるじゃないですかぁ…治療中も…ずっと…」

「オレは医者だからな」

「医者ってもっとこう…真面目で…愛想が良くて……人を助けるためにがんばる人のことでしょぉ〜?」

「医者は病気を治療する存在であり、人を助けるための存在ではない。それは結果にすぎない」

「でも、人を助けることは……楽しくないですかぁ?」

「そうだな。人間の本質は愛だ。神という存在が生命を個性として分割したのは、互いに助け合うためだ。それに異論はないさ。よく出来たシステムだ。だが、そうであったとしてもオレは好きに生きる。人助けになったとしたら、それこそ単なるオマケの結果だ」

「…そう…ですか」

「どうしてそんなに気になる? オレにそんなに興味があるのか?」

「それは……」

「お前は時々、オレを見ているな。仮面が珍しいか?」

「………」


 シャイナは、酔ってとろんとした目を仮面に向ける。

 誰だって仮面を被っていれば怪しく見えるものだろう。加えてアンシュラオンは目立つ男だ。興味を抱かないほうがおかしい。


「先生は…どうして……」




「なんだ、この店は! 女のサービスが悪いぞ! 兄貴が退屈されているだろうが! どうしてくれるんじゃ!」




 シャイナが何かを言おうとした瞬間、店の入り口のほうから男の怒鳴り声が聴こえてきた。


「何の騒ぎじゃ?」

「あっ、オーナー。あっちのお客さんを普通に接客していたんですけど、こっちもハッスルしろって言われたので、断ったら怒り出して…」


 どうやらアンシュラオンが過剰なサービスを受けていたのを見て、自分たちもと思ったのだろう。

 だが、あくまで特別な人間に対する特別なサービスなのであって、ここはそういう店ではない。

 つまりは、アンシュラオンが元凶である。


「しょうがない。わしが行って…」

「待てよ、じいさん。オレが行こう。どうやらオレが元凶のようだし、そっちが筋だろう」

「大丈夫かの? 相手はかなり酔っておるぞ」

「荒事には慣れているさ。任せてくれ。この店の永久会員として、びしっと決めてくるつもりだ」

「先生…だ、大丈夫ですか?」

「シャイナはここで待っていろ。すぐ終わる」

「…はい」


 何も知らないとは恐ろしいことである。

 シャイナが心配している相手は、この世で二番目に敵に回してはいけない人間なのだ。(一番はパミエルキ)




 アンシュラオンは、怒鳴っている客のところに行く。

 そこでは女の子に絡んでいる男たちが二人いた。ガラの悪そうな男たちで、上級市民というイメージにそぐわない格好をしている。どう見てもチンピラだ。


(なるほど、そういうことか)


 アンシュラオンは男たちを何度か見て、改めて納得する。

 やはりこれは自分の【客】であるようだ。ならば遠慮はいらないだろう。


「おい、お前ら」

「あ? なんだぁ? 何見てんだ、コラァ! いてこますぞ、ガキが!」

「さっきから気になっていたが…お前ら、臭いんだよ。さっさと外に出て、その汚い尻を砂利で磨くんだな。血が出るほどにな」

「なんじゃと、このガキゃぁあ!!」

「兄貴、こいつ、あっちのテーブルで好き勝手していたやつですぜ」

「ん? ああ、そうじゃ。こいつじゃ!! おい、店員! こいつだけよくて、どうしてこっちは駄目なんじゃ! おかしいじゃろうが!!」

「おい、女の子に迷惑をかけるな」


 ブンッ ガスッ


「いってぇええーーーー!」


 近くにあったコースターを投げつける。軽いものだが、アンシュラオンが投げると石と変わらない。

 兄貴分だと思われるパンチパーマのグラサン男の額に命中し、思いきり赤くなっている。血も出ているようだ。ざまあみろ。


「兄貴に何さらすんじゃ! 死にたいんか、ワレ!」

「お前たちの選択肢は二つだ。有り金全部置いて逃げて血が出るまで尻を砂利で拭くか、有り金全部置いてボコられるか、どちらか選べ」


 どっちも身と有り金を失うシステム。


「なんじゃと、この仮面野郎が! 何様じゃ!」

「オレ様だ!! ここはオレ様の店だ!!」


 その言葉に、眉毛ジジイが「え? そうだっけ?」とまた首を傾げたが、気にしないことにする。


「ふざけやがって! 返り討ちじゃ!」

「くくく、そうか。それは楽しみだ。ぜひ楽しませてくれ」


 ニヤリとアンシュラオンが笑う。

 最近、あまり血を見ていなかったので退屈していたのだ。殺害衝動がアンシュラオンの中を駆け巡る。

 ただ、ハッスルダンスで多少満足していたこともあってか、少しは冷静に物事を考えた。


(この店でバラしたら掃除が大変だ。せっかく永久会員になったんだから、少し抑え目にしておくか。それに、こいつらが何を考えているかまだわからん。殺しはやめて半殺しにするか。…それならこれかな)


 アンシュラオンがテーブルにあったカクテルを握ると、中の液体を男たちに投げつける。

 それはいわゆる、よく荒れた場面で見られる水をぶっかける的なシーンである。


「へっ、そんなものが何に―――」


 男たちも、たかだか飲み物が怖いわけがない。せいぜい濡れる程度だと思って油断していた。

 しかし、前に芸人が水滴を強くぶっかけあって肌を真っ赤にさせていた番組があったが、高速で放たれる水は非常に痛いものなのである。


 それをアンシュラオンがやれば―――弾丸と化す。


 ショットガンのように扇形に飛び散った水滴は、凄まじい勢いで男たちに襲いかかり―――激突。


「ぎゃーーーーー!!」

「いってぇええええええ!!」


 当たった箇所の皮膚はもちろん、肉まで抉れていく。

 手加減したので大きな出血箇所はないが、これは痛い。見ている絡まれていた女の子が、その結果に唖然として声も出ないほどだ。


 だが、それを楽しそうに見つめるのは、当然ながらドSのアンシュラオンである。


 こんなに楽しいことはない、という満面の笑顔で男たちを見ていた。仮面なので彼らにはわからないが、それは逆に幸いだったかもしれない。

 人を傷つけて楽しむやつが敵だと知れば、さらに自分たちの未来に絶望してしまうだろうから。


「まだまだいくぞ! ほーれ!」

「ぎゃーーーーーー!! マジ死ぬ!!」

「ほらほら、どうした。目を守らないと潰れるぞ!」

「くっ、目はやらせん!」

「からの―――股間!!!」



 ドバババババッ



 グッチャーーーー ボンッ(玉の破裂音)



「うっぎゃーーーーーーーー!!! 玉がーーーーー!!」

「ゲラゲラゲラゲラ!! 玉が潰れてやがるぜ、こいつ!! あはははははは!!! ほらほら、こいよ。オレを殴るんじゃないのか? なんだその歩き方は! オカマか、お前は! ゲラゲラゲラ! こいつは笑えるぜ!!」


 男は玉を潰されたショックで、泣きたいのか怒りたいのか、よくわからない表情を浮かべていた。

 その顔と、ふらふら歩く姿がツボだったのか、アンシュラオンは大笑いである。


「あ、兄貴ぃいい!」

「ほら、お前は目だ!!」


 弟分のグラサンをぶち破って、水が目に突き刺さる。ついでに飛散したグラサンの欠片も刺さる。ダブルショックだ。


「ぎゃーーー! 目がぁあーーー!」

「次はお前らの汚い尻の穴を広げて洗浄してやろう。尻から水を叩きつけて、口まで貫通させてやるぞ!! 何回目で貫通するかな? まあ、小腸とか突き破ってまっすぐ進むから、内臓はボロボロになるけどな」

「やめろ! 死んじまう!!!」

「ほぉ? そんなにヤワじゃないだろう? 腕に自信があったんじゃないのか? それとも想定外だったか?」

「お、お前…まさか」

「それ以前に、お前のようなクズは死んで当然だ!! くらえーい!」

「ぎゃっーーーーー! ―――がくっ!」


 この水攻撃で、男たちはついに失神。

 目も玉も潰れ、見るも無残な光景であるが、アンシュラオンは物足りない。


「なんだ、なさけないやつらめ。玉の一個や目の一つ、尻の穴一つで倒れおって。えーと、財布はどこかな……ちっ、しけてやがるぜ。たった一万ちょいか。こんなはした金で店に遊びに来るとは…田舎者だな、こいつら。これは慰謝料としてもらっておくからな。あとは簀巻(すま)きにして放り出そう」


 男二人をぐるぐると簀巻きにして、外に出て遠投。

 ヒューーーンッと軽快な音を立てながら空を飛んでいく。

 とりあえず領主城に向かって投げておいたので、運がよければ助けてもらえるだろう。落下で死ななければだが。

 すでに領主城のことをゴミ捨て場だと勘違いしている節があるが、それは気にしないでおく。


 処理が終わり、再びアンシュラオンがテーブルに戻ってきた。

 多少物足りないが、オカマ男の歩き方が笑えたので少しは満足したようだ。


「はい、終わったよ。これで気分よく飲み直せる」

「わー、ホワイトさんって強いのね!」

「ほんと、ほんと! すごーい!」

「そうだろう、そうだろう。ほら、膝に乗りなさい!」

「もう、エッチ〜〜!」

「ゲラゲラゲラ、愉快、愉快!! いいかい、何かあったらオレに言うんだぞ! またボコボコにしてやるからさ! 次は素行の悪い商人とかがいいな。たくさん金を持っていそうだからな!!」


(先生って…あんなに強かったんだ。でも、性格はやっぱり…最低。ほんと、先生って何なんだろう…)


 その光景を酔って揺れる視界の中に収めながら、シャイナの意識は闇に落ちていくのだった。




91話 「シャイナ、吠える 前編」


 それからまた一週間ほどの時間が過ぎた。

 その間、特に変わったことはなく、アンシュラオンもホテル暮らしと医者の生活を続けているだけである。


 極めて平和。


 それが今の状況を示す、もっとも適切な言葉であろう。

 妹になったサナと一緒に静かに暮らす。それこそアンシュラオンが望んでいたことでもある。

 付け加えれば、さらに大勢の「従順な」女性スレイブを手にすることも目的だが、サナという極上の逸品を手にしたのだから、今はまだお腹が一杯という感じである。

 アンシュラオンは一度気に入ったものは、どんなことがあっても愛でる主義だ。けっして見放すこともしないし、最後まで面倒をみる。

 大雑把で飽きやすい性格も、それはあくまで「どうでもいいもの」限定だ。サナは一目惚れで手に入れたので、今後何があっても飽きることはないだろう。

 その大切なサナを立派に育てるという目標もできたため、慌ててスレイブを集めることもない。このまましばらく静かに暮らすことも悪くない。

 なにせ今は、どんな病気でも治せるホワイト医師として、上級街のみならずグラス・ギース全域にも噂が広がりつつある有名な人物なのだ。

 黙っていても患者はやってくる。

 当人が面倒だと思っていても、金のためには働くしかないのだ。


「次の方、どうぞー」


 今日もシャイナが次の患者を呼び入れる。


「面倒くさいな…」


 ついつい本音が漏れてしまう。

 目的が金だけなので、仕事に対してまったく愛着がない。せいぜい女性にセクハラするくらいが楽しみで、それ以外は嫌々やっているのだ。

 普通、仕事は楽しくやるものである。金だけに囚われたら毎日がつまらないに決まっているが、本当に金だけが目的なので仕方ないことだ。


(おっと、いかん。口うるさいやつがいるからな…迂闊なことは言えん)


 こんなことを言ったら、絶対にシャイナの小言が炸裂するに違いないのだ。

 「最低」だの「人でなし」だの好き放題罵ってくるからたちが悪い。



 それに備え、身構えるが―――来ない。



 まるで肩透かしをくらったかのように、何も起こらない。


(ん? 来ないぞ…? 何かあったか?)


 いつもの小言が来ないので、アンシュラオンが怪訝そうにシャイナを観察する。


 見ると、彼女は外を見て動きを止めていた。


 何もしないで、ぼけっと突っ立っている。いつもキビキビ動く彼女にしては、あまりに珍しい光景である。


「どうした、シャイナ。生理か?」


 日本なら確実にアウトの台詞である。即刻セクハラとして訴えられるだろう。

 日本だけにとどまらず、シャイナならば必ず「セクハラですよ!」と怒るに違いない。それがわかっていてあえて言うのだから、アンシュラオンは性格が悪い。

 されど、そんな軽口にも反応しない。


「おい、どうした? 反応がないぞ? …むっ、これはチャンスだ。下も触っておこう」


 動かないシャイナをいいことに、アンシュラオンが股間に手を伸ばす。

 ぐいっと遠慮なく手を突き入れた瞬間―――


「って、何してんですかーーーーー!!」


 バコンッ!

 覗き撃退用のバットで殴られた。酷い。

 しかも改良済みの木製釘バットになっているので威力が増大している。一般人だったら大怪我だ。


「怪我をしたらどうする」

「そんな仮面を被っているんです。しないですよ」

「その言葉は何だ! オレは雇い主だぞ! つまりはお前の股間を触る権利があるということだ!!」

「全然関係ないじゃないですか! それだったら私にも自分を守る権利がありますよ!」

「そんなものはない!」

「ありますって!!!」

「ちっ、しぶとい。騙されなかったか」

「当たり前です! どういう理屈ですか!」


 基本的にアンシュラオンの理屈に理由はないので、それはもう理屈ではない。単なる欲望である。


「それで、どうした? また覗きか?」

「…い、いえ。違います」

「じゃあ、どうして突っ立っている?」

「な、何でもありません!」

「ん? まあいい。さっさと次のやつを入れてくれ。面倒くさいから早く終わらせたいんだ」

「…わかりました。次の方、どうぞ」


(面倒くさいって言っても反応しなかったな。珍しいこともあるもんだ。やっぱり生理だな)


 そんなことを思いつつ患者を待つと、女性に連れられて一人の男が入ってきた。

 それだけならばいつもと同じだが、その男は頬骨が浮き出るくらいに痩せこけており、明らかに普通ではない様子が見て取れる。

 そのぎょろっとした目でアンシュラオンを見て―――


「餅はよくて、どうしてコンニャクゼリーは駄目なんだ!!!」

「…は?」

「俺は言いたい! 美談を求めるクソどもの料理に、思いきりハチミツをぶっかけてやると!! 甘くしてやると!!」

「…え?」

「ファンタスティック! サンタはいる!!! たまに交通事故に遭う!!」



 この瞬間、アンシュラオン思った。



(これは危ないやつだ)


 時々街で大声で叫ぶやつがいるが、完全に危ない人の兆候である。

 さすがのアンシュラオンも、そういうタイプには近寄りたくないので距離を取っている。

 この横暴な人間でさえ近寄らないというのは、ある意味において最強の自衛力を有しているともいえるが。


「じゃあ、お帰りください」

「ま、待ってください! 違うんです!」


 男の代わりに随伴した四十代くらいの女性が口を開く。


「違くないです。もう駄目です。終了のゴングが聴こえました」

「先生、患者さんですよ! おかしいのは当然です!」

「その言い方もどうかと思うけどな」


 シャイナの発言もどうかと思うが、ここは診察所なので病気の人間がやってくる場所だ。

 たしかにおかしいのがスタンダードである。それはそれで嫌だが。

 仕方なく、本当に仕方なく対応することにする。


「この人をどうか助けてやってください!」

「明らかに異常な状態ですね。どうしました?」

「それはその…いろいろとありすぎて…何から言えばいいか…」

「その人、薬物中毒ですね」

「っ…」


 その言葉を出すと、女性は一瞬ビクっと身体を震わせた。どうやら当たりのようだ。


「大丈夫ですよ。うちはブラックなんでね。余計な詮索はしません」

「そ、そうですか。ありがとうございます!」

「しかし、けっこう末期ですね。挙動不審ってのは、まさにこのことですよ。完全な薬物中毒の症状ですね」


 この世界では薬物中毒になると、なぜかこうして叫ぶようになるらしい。普段不満に思っていることや気になっていることを遠慮なく言ってしまうのだ。

 いつもなら他者とのコミュニケーションを取るために自制心が働くのだが、それが薬で失われることによって、そうした言動になるのだと思われる。

 見ている分には面白いので見世物にはちょうどいいのだが、さすがに関係者の女性の前でそんな態度は取れない。自重することにした。


「実は…安い麻薬をやりすぎてしまって…今ではもう手が付けられないんです」

「ほぉ、安い麻薬…【コッコシ粉(こ)】ですか?」

「は、はい。ご存知でしたか…」

「最近、多いですからね。コッコシ粉、コーシン粉、このあたりの中毒者が増えています。もう見慣れました」


 アンシュラオンが珍しがらないのは、すでに何人も中毒患者を見てきたからだ。

 ここ一週間で八人くらいは治療しただろうか。すでに見慣れてしまった毎日の光景の一つにすぎない。

 麻薬の一つに、コッコシ粉というものがある。いわゆる普通の覚せい剤に近いものなのだが、いかんせん質が悪いので劣等麻薬として認定されている。

 非常に安く手に入り快楽成分も多く含まれているので、手軽に楽しめると評判だ。ただ、それだけ依存性も高く、一度はまると抜けられなくなる。

 その一つ上にランク付けされる三等麻薬の「コーシン粉」も、同じく中毒者が増えている薬物である。


(どこの世界にも麻薬なんてものはあるんだよな。まあ、医療環境が整っていないんだからしょうがないか)


 地球でも、満足な治療を受けられない地域に住んでいる者たちは、麻薬を医療薬代わりに使うことが多い。

 それがちゃんと調整して打つ医療麻薬ならば問題ないが、普通の麻薬だと中毒になって依存症になる。極めて当たり前のことだ。

 だが、彼らだけを責めることはできない。環境が悪すぎるのだ。

 このグラス・ギースにおいても麻薬は存在し、あまり問題視されてはいないが、確実に社会を蝕んできている。閉鎖された空間では、どうしてもこうした問題が発生してしまうのだろう。


 ちなみにアンシュラオンに普通の麻薬は効果がない。酒と同じく、代謝によって一瞬で正常化されてしまうからだ。

 武人ならば肉体の統御と精神操作で痛みを消すことができるので、鎮静剤そのものが必要ではない。

 ただ、まったく効かないというわけではなく、「アルビオン」という武人用に調合された麻薬、覚せい剤も存在する。

 しかしそれは、戦闘に使うものだ。

 意識を失いそうになるのを防ぐために使用するので、気付け薬としての意味合いが強く、痛みを消したり快楽を得るためのものではない。

 もともと武人にとっては戦闘こそが快楽なので、その必要もないわけだ。快楽が欲しいなら、そこらの生物、魔獣あたりを殺せばいいのだから。


「せ、先生! 治りますでしょうか!?」

「治りますよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ただし、私が治せるのは身体的なものだけです。この人の精神までは治せません。身体がすっきりしても、またやったら同じです。それは理解できますね?」

「…は、はい。わかっています」

「それに加えて、中毒症状を治す場合はすべての細胞を洗浄しますから、値段も高くなります」

「お、おいくらほどですか?」

「まっ、五十万円といったところでしょうか」

「そ、それは……」

「高いですか?」

「………」


 はっきり言えば毒の治療と同じであるが、ここまで汚染されていると全身を洗い流す必要がある。

 それを行うには【命気水槽】という技が必要だ。前にサナが倒れた時にやった完全洗浄である。

 これをやればいかなる怪我も病気も、中毒さえも治すことができる。


 が、面倒くさい。


(命気水槽は面倒なんだよな。時間かかるし疲れるし、あまりやりたくないな)


 好みの女性なら喜んでやったところだが、患者は男である。やる気が相当減退しているので正規料金の五十万を請求する。

 五倍で計算すれば、日本円では約二百五十万円。

 ブラックな医者に頼むのであれば安いほうだろうが、一般人が軽々出せるものではない。

 目の前の男女も裕福そうではないので、五十万は相当な大金に違いない。


「お金以外でもいいですけど…他に対価になりそうなものはお持ちですか? 家でも土地でもジュエルでも、相当するものならば何でもいいですよ」

「…申し訳ありません。たぶん、無理です」

「そうですか。金がないならしょうがないですね。金もない、物もない、麻薬に抵抗する精神力もない。どうしようもない男です。見捨てるのが一番でしょう。では診察は終わりです」

「せ、先生…どうか…どうか……」

「諦めてください。そのほうが楽になりますよ」


 アンシュラオンは診察を終える。自分にできることは何もないと判断したからだ。


(麻薬に溺れるとは…愚かなことだ。ここにはそんな知識もないのか? あんな領主が統治しているようじゃ危ういな。そのうち中毒者で溢れかえりそうだ。まあ、儲かるからいいか)


 中毒者が増えたところで、アンシュラオンにはあまり関係がない。この都市が荒んでいくが、そもそも領主が嫌いなのでどうなろうと知ったことではないのだ。

 自分とサナに関係がなければ極力関わりを持たない。それもまたアンシュラオンの判断である。


 女性はうな垂れて、外に出て行こうとする。

 アンシュラオンからすれば、さっさと見捨てればいいと思うのだが、それもまた相手の自由である。


 が、それを―――シャイナが止めた。



「先生、それはないんじゃないですか!?」






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