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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第一章 「白き魔人と黒き少女」 編


71話 ー 81話




71話 「小百合さんと一緒に通勤」


「小百合さん、朝だよ」

「う、うーん…」

「もう六時過ぎだよ。大丈夫?」

 
 ベッドで寝ている小百合を優しく起こす。

 何度か軽く揺すっていると、ようやく小百合の目が開く。だが、その目はとろーんとしている。


「アンシュラオン…様? んんっ、あれ…? わたし、どうしてここに…。あれ? パジャマ?」

「うん、オレが着させたんだ。お風呂上りだったみたいだから、風邪引いちゃうと困るし」

「んー…。そうだ、たしか…マッサージを受けて…んふっ!」

「小百合さん、大丈夫?」

「んふっ…んっ…、だ、大丈夫……あはっ、ですぅ…」


 動くたびに小百合の身体に電流が走る。


 それは―――快楽。


(はぁはぁ、この快感はいったい…。ああ、そうだわ。寝る前にアンシュラオン様からマッサージを受けて、私は何度も…。ああ、まだ身体が痺れているみたい)


 まさに夢のような時間。

 【女】にとって最高の時間があるとすれば、それがまさにあのマッサージだと思わせるほど、何度も快楽を味わわせてくれた。

 おかげでパジャマに触れるだけで快感を得るほど、肌が活性化している。まるで十代の敏感な年頃に戻ったようだ。


「はぁはぁ…アンシュラオン様……」

「ん? なに?」

「好きっ!」


 がばっとアンシュラオンに抱きつき―――再び電流。


「あはぁああ! いい、最高! もう離れられない!! あなたの好きにして!!」

「え? あの…小百合さん? ちょっと状況が…」

「あはっ! そこに触れたらぁああ! あはーーーんっ!!」


注意:抱きつかれたので背中に触れただけです。






「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」


 朝食時、小百合から謝られた。


「問題ないよ。小百合さんの可愛い一面が見られて楽しかったし」

「うう、アンシュラオン様の意地悪。そんな人…そんな人……大好きです!」


 いつでも心に正直なお姉さん、小百合。

 その顔はすっきりしていて、今までの寝不足も疲労も、欲求不満さえも一気に抜けたようだ。

 命気マッサージ店を開けば、連日女性で一杯になりそうだ。もちろんお姉さん限定だが。


「こうして妹もお世話になっているし、小百合さんには大感謝だよ。サナ、美味しい?」

「…ぱくぱく、こくり」


 隣では、サナがパンをかじっている。食パンに似たものに柑橘系のジャムを塗ったもので、地球にあるものによく似ている。

 その様子にアンシュラオンもひと安心である。


(よかった。まったく問題ないみたいだな。むしろ元気になった気がするぞ)


 小百合を起こした後、サナも目を覚ました。

 突然むくりと起き上がり、それからお目々がパッチリである。

 朝食の準備をしている小百合をじっと見つめる姿は、餌を待っている猫のようで愛らしかった。

 小百合もその姿に「か、可愛いです!」と何度も嘆息したものだ。


(魅力が高いから人目を引くんだろうな。イタ嬢だってサナの魅力に気がついたから買ったんだろうし。その意味では、あいつはなかなか見る目がある)


 サナがどういった経緯でスレイブになったのかはわからない。

 ただ、この魅力のおかげでいろいろな人に助けられて生きてこられたのだろう。

 イタ嬢が黙っていれば可愛いように、無駄にしゃべらないからこそ愛らしさが倍増する。まさにおとなしい猫である。

 ただし、新しく発見した側面もある。


(サナは案外、はっきりしているな)


 こうしてみると、サナはかなりはっきりした性格をしているようだ。

 寝るときはがっつり眠り、こうして食べる時は、普段の無表情が嘘のようにバクバク食べている。

 小さな口なので一回一回の量は少ないが、もくもくと一心不乱に食べている。その姿は可愛く、どこか小気味よい。

 そう、遠慮がないのだ。恥ずかしがることもないし臆することもない。

 ただただ目の前の食事に集中している。実にはっきりした態度だ。


(ぐだぐだした性格よりも、よっぽどいいな。またサナが好きになったよ)


 そんな意外な側面を見つつ、料理も堪能する。

 メニューは朝食らしく、パンとジャム、目玉焼き、サラダ、それとスープまで付いている。


(こうしてちゃんとした料理を食べるのって初めてかな? ダビアと一緒に来たときは、ほとんど保存食だったしね)


 いざ改めて思うと、この旅で料理をちゃんと食べるのは初めてだ。

 ダビアと一緒の時は、半分緊急事態だったので満足な食事はなく、せいぜい集落に寄った時の鳥の丸焼きくらいなもの。あとは乾物などの保存食がメインだ。

 アンシュラオンも料理はできるが、独りだと面倒に感じてあまりやらないものである。

 捕まえた魔獣で多少ダビアに料理を作ったりもしたが、適当に調味料をぶっかけて焼いただけのものばかりだった。

 これが姉ならば、下ごしらえして丁寧に仕上げるが、男に対してはそんなものである。

 だから小百合の料理には興味があるし、作ってもらうなんて滅多になかったこと。貴重な体験である。


(味もあまり地球と変わらないな。こういった料理は、この地域独特のものなのか? それとも一般的なものかな? そのあたりもよくわからないな。まあ、訊いてみるのが一番早いか)


 ただ、直接「この料理って一般的なの?」と訊くのはおかしな感じがするので、出身地を訊いてみる。

 それがわかれば料理のこともわかるだろう。小百合の出身には興味があったのでちょうどいい。


「ねえ、小百合さんって、もともとこのあたりに住んでいたの?」

「地の人間ではありませんね。私は幼い頃に両親と西側からやってきたんです。両親もハローワークの職員でして、新しく東に支部を作るために移住してきたんです。今勤めている人たちは、だいたいそういった感じの人ですね」


(ダビアと同じってことか。でも、政治犯とは関係ないみたいだし、単純に仕事で来たって感じだな)


 小百合から感じる雰囲気が、明らかにダビアとは違う。

 ダビアは何かこう、反骨心のような明らかに強い意思をもって人生を歩んでいる感じだが、小百合からはそこまで強いものを感じない。

 人生において激しい労苦を味わうと、人間の顔つきも変わってくるものである。ダビアにはそれがあり、小百合にはない。

 悪く言えば流される人生だろうが、良く言えば尖った部分がないので、とても柔らかく感じる。女性ならば後者のほうがよいに決まっている。


「西側って文明が発達しているって聞いたけど、食事とかもそうなの?」

「それは場所によりますね。隣接している国でも風習は違いますし、東側とあまり大差ない国もあったりします。私がいた国はレマール王国と呼ばれる中規模国家だったので、それなりに発展はしていましたね」

「レマールの食事ってどんなの? ここにあるのと同じ感じ?」

「そういう人もいましたが、あそこはお米が多かった気がします。幼い記憶ですが、ごはんに味噌汁が定番だったような…。たしか納豆もありましたね。あっ、納豆というのは…」

「それって完全に日本じゃん!!」

「へ? ニホン?」

「あっ、いやいや、ごめんごめん。つい興奮しちゃってね。納豆は知ってるよ」

「おお、それは素晴らしいです! このあたりでは作っていないので、たまに懐かしくなります」

「そのレマールって国をもっと教えてよ」

「ご興味がありますか? ただ、教えるといってもそこまで特徴がある国ではないですよ。水が豊かな国で、国色は水色ですね。国旗も水色の地に竜が描かれたものですし。あとは剣術が盛んですね。ダマスカスも古流剣術で有名ですがレマールにも多くの剣豪がいて、みなさん刀を愛用しています」

「刀…サムライソードってやつ?」

「それもご存知ですか。ええ、そうです。このあたりでは刀はあまりないですけどね。どうやら扱いが難しいとかで…」

「もしかして着物とか着てる?」

「はい。着ている人は多いですね。私も昔は着物を着ておりましたよ」

「その国の人たちって、髪の毛の色は黒系が多い?」

「私のような、ですか? どちらかといえば水色が多いですね。血統遺伝のあるレマール王家は、全員が水色の髪の毛をしています。真っ黒もいますが、さほどではないですね。水色から赤黒の間、少し濃い紫色が一番多いかもしれません」


(やっぱり人種は多様なんだな。しかし、水色や紫頭で着物に刀か。完全なるサムライかぶれの外国人じゃないか。観光地にいそうだよな)


 江戸村でコスプレをする外国人を想像してしまった。


「しかし、アンシュラオン様は博識ですね」

「たまたまだよ。オレが住んでいた国も似たような文化だったからさ」

「それはまた素晴らしいです! 私との相性もばっちりというわけですね!」


 そうして笑う顔は、どことなく日本を思い出させる。


(小百合さんが日本人の系譜というよりは、そのレマールって国が日本に似ているのかもしれない。これは興味深いな。ただ、日本は飽きているから行きたいとは思わないけどね)


 そんなことを考えていると、サナが食べ終わる。


「サナ、美味しかったか?」

「…こくり」

「ああ、ちょっとこぼれてるな。お兄ちゃんが拭いてあげるからな。ふきふき」

「………」

「サナ、小百合さんに『ご飯、ありがとうございました』って言うんだぞ」

「………」

「『ごちそうさま』は?」

「………」


 サナはじっとアンシュラオンを見るだけである。


「うーん、しゃべるのは無理か。小百合さん、ごめんね。妹はあまり声が出ないんだ」

「お気になさらずに! まったく気にしておりませんから! それより朝から素晴らしいものを見せてもらいました。ああ、素敵なお二人ですね…うっとり」


 アンシュラオンもサナも美形なので、二人が並ぶだけで絵画のような美しさを醸し出すのだ。

 小百合にそういった趣味はないが、そんな彼女でも見惚れるくらいに素晴らしい光景であった。






 それから出勤の時間となり、三人は外に出る。

 アンシュラオンもハローワークに用事があるので、一緒に行くことにした。


「小百合さんはどうやって職場まで行くの? 馬車とか?」


 グラス・ギースなどの大きな都市では、移動は馬車が基本である。

 アンシュラオンも見かけたが、大通りには定期的に各区間を馬車が走っており、バスの感覚で利用されている。

 場所が近ければ歩いても行けるが、ここからハローワークまでは五十キロくらいある。歩くのは無理なので、何かしらの交通手段を使う必要があった。


「馬車で通う同僚もいますが、私は使っていませんね。時間がかかりすぎますし」


 馬車もそんなに速度が出るわけではないので、三時間以上揺られて通勤する人もいるようだ。

 しかし、それだと時間がかかりすぎるし、いざというときに困る。


 そのため、小百合はこれを使っている。


 家に併設されているガレージを開けると、そこには黒く輝く物体があった。

 それを見て、アンシュラオンが思わず叫ぶ。


「あっ!! バイクだ!!」


 それは【バイク】。

 まさに日本で見かけるようなもので、しっかりとまたがって乗る大型のものである。

 ただ、車輪はないので、ダビアのクルマと同じく風の力で浮かして走るものだと思われる。


「私はこれで通勤しています。これならば一時間もかかりませんし、うっかり寝坊しても大丈夫なのです」

「へー、すごいや。サイドカーもあるんだね」

「残念ながら今までは誰も乗せる機会はありませんでしたが…ついにこの日がやってきました!! さあ、お乗りください!! サナ様と一緒に!」

「サナ、お兄ちゃんと一緒に乗ろうな」

「…こくり」


 アンシュラオンがサナを抱っこしてサイドカーに乗る。

 サイドカーは大人一人用だが、二人とも大きくはないので二人乗っても問題なかった。


「これは…これは記念すべき日です! ぜひ写真に収めたいです!」

「あっ、写真はごめん」

「はうーー! 残念です!」


 とても残念そうにうなだれる。

 かわいそうだが、これには理由がある。


(小百合さんには申し訳ないけど、あまり顔を晒したくないんだよね。また領主とかにちょっかいをかけられると嫌だし、何かの拍子でサナの顔が流出したら困るんだよ)


 アンシュラオンは顔を隠していたが、サナを連れていれば一目でバレるだろう。

 そういったリスクも考えて、あまり目立つ行為は控えたいと考えていた。これも幸せに暮らすためである。


「では、行きましょう!」

「おおっ、浮いた!!」


 バイクは浮き、まさに風に乗るように重みを感じさせずに加速していく。

 便利ではあるが、地球のバイクに慣れていると振動がないので物足りないかもしれない。

 人間は不思議なもので、不便がゆえに愛着を感じるものなのだろう。それもまた人が持つ愛嬌の一つである。


(このバイクも西側の伝手で買ったんだろうな。昨日のおっさんにしてもダビアにしても、オレはけっこう西側の人間と縁があるみたいだ。意図しているわけじゃないんだけどね…)




 三人はバイクで出発。馬車を軽々と追い越しながらハローワークに向かう。

 この都市は案外しっかりしていて、馬車と人が通る道はちゃんと分かれているので、多少飛ばしても大丈夫である。

 これは円滑な輸送を考えてのことであり、こうでもしないと都市内部で物流が滞ってしまうことがある。

 特に東門から上級街に行くまでが大変なので、この間に時間をかけると、いざという場合に食糧不足になる可能性があるのだ。それを防ぐためである。

 領主城や上級街のためのシステムではあるものの、道だけを見れば、なかなか考えて設計されているようだ。


 そして、八時前にはしっかりとハローワークに到着したのであった。




72話 「サナとハローワーク」


「それでは着替えてきますので、ロビーのほうでお待ちください」

「うん、わかったよ」


 無事ハローワークに着き、小百合さんが裏側の駐車スペースにバイクを止めに行く。

 バイクでの移動は初めてだったので楽しかったと素直に思える。

 小百合との仲も縮まったので、結果的にはすべてオールOKである。

 それからサナを見る。


「サナ、似合っているな」


 現在、サナの格好は着物である。

 江戸というよりは大正時代の着物のイメージに近いだろうか。小百合が小さな頃に着ていたものが残っていたので借りたのだ。

 サナは寝巻き姿だったので、それ以外の服を持っていなかった。その意味においても小百合の家に行ったことは幸いであった。


「小百合さん、いい人だな」

「…こくり」

「いい人にはちゃんと報いないといけないぞ。せめてお辞儀くらいはしような」

「…こくり」

「その代わり、悪いやつには遠慮しちゃいけない。徹底的に叩き潰すんだぞ」

「…こくり」


(うんうん、教育は大事だ。しっかりとオレがこの子を一人前にしないとな。そのために日々いろいろなことを教えてやろう)


 サナが何を言っても頷くのをいいことに、アンシュラオンは自分色に染めようと考えていた。


 アンシュラオンの考え方、価値観に染まる。


 これをイタ嬢やガンプドルフが聞いたら、おそらく顔が青ざめるに違いない。いったいどんな将来が待ち受けているのか心配になる。




 それからサナと手をつないで、ミスター・ハローの前に行く。


「ハロー、ハロー」

「…じー」

「ハロー、ハロー」

「…じー」

「ハロー、ハロー」

「…じー」


 サナがミスター・ハローを凝視している。

 初めて見るのならば誰もが驚くだろうから、サナの行動はとても自然である。

 が、ひたすら凝視を続ける。


「ハロー、ハロー」

「…じー」

「ハロー、ハロー」

「…じー」

「ハロー、ハロー」

「…じー」


(不毛だ。とても不毛な戦いだ)


 ミスター・ハローも譲らないし、サナも譲らない。両者の間で何かの戦いが起きているのは間違いないが、まったくもって無価値なものである。

 されど、ミスター・ハローのお辞儀は素晴らしいので、サナにとっては教育材料の一つだ。


「サナ、お辞儀はああやってするんだぞ」

「…こくり」

「教えてもらったミスター・ハローにお礼をしないとな」

「…こくり。ごそごそ」


 すると何を思ったのか、サナが袖から飴を取り出した。

 小百合からもらった飴で、たんきり飴というやつだ。大きな寺のある場所では、飴を切っている店がけっこうあるので、お参りに行く途中によく見かけるかもしれない。


 それを―――投げた。


 お辞儀をして、ちょうど頭を上げる瞬間のタイミングで、ミスター・ハローの顔に向かって飴を投げつける。


 ミスター・ハロー、危ない!!


 と思った人は、まだ甘い。

 飴が顔に当たる瞬間、口を開けて飴をキャッチ。そのまま何事もなかったかのようにお辞儀を繰り返す。飴を舐めながら。


「…じー」


 サナはそれをじっと見つめていた。どことなく満足げな様子がうかがえたので、どうやら飴をあげたかったらしい。

 だが、あげ方にちょっと問題があった。


「サナ、飴をあげたかったのか?」

「…こくり」

「物を渡すときは、ゆっくり手渡しをするんだ。こんなふうにな」


 飴を持って、サナに差し出す。

 サナはしばらく眺めたあと、ゆっくりと手に取った。


「そうだ。物はこうやって渡すんだ」

「…こくり」

「よし、いい子だな。じゃあ、そろそろ中に入ろうか。ミスター・ハロー、今回もいい勉強になったよ」


 中に入るアンシュラオンたちを見送るミスター・ハローは、誇らしげにお辞儀をした。




 ロビーには、まだあまり人がいなかった。

 人が少ないほうが何事も騒ぎになりにくいので、それはそれでアンシュラオンにとっては助かるものだ。


「アンシュラオン様、こちらですー!」


 小百合が手を振って出迎えてくれた。もう完全にアンシュラオンに虜のようだ。


「人が少ないね。朝ってこんなもん?」

「いつもはもっと多いですね。今日が少ないのです。さきほど同僚に聞いたのですが、昨日のアンシュラオン様の一件で、多くの傭兵がまだ酔い潰れて寝ているという話です」

「あの一億のこと?」

「はい、そうです。かなり盛り上がっていましたからね。あんなグラス・ギースは初めて見ました」


(サナのことですっかり忘れていたな。まあ、楽しんでくれたのならばいいか)


 それから窓口に行き、改めて用事を済ます。


「お金を下ろしたいんだよね。もうなくてさ」

「かしこまりました。その前に素材の代金はどういたしましょう?」

「あっ、そうだった! 魔獣の素材もあったんだ。いくらになったの?」

「原石が五千万、その他の素材が三千万、合計で八千万円となっております」

「税金は?」

「すでに引いた額がそれです。アンシュラオン様は中級市民なので、優遇措置として25%の税率で済みます」


 アンシュラオンが75、都市への税金が25。

 ハローワークはその税金から手数料を取っているので、アンシュラオンの取り分が減ることはない。


「た、高いね。原石ってそんなにするんだ」

「原石の大きさもそうですが、今回のものはとりわけ希少性が高いのです。ジュエル商にも問い合わせていますが、ああいうタイプのものはあまり見かけないようです。流通するジュエルは地層から取り出されるものが多いですからね」

「そうなんだ。地層からのほうが多いの?」

「そちらのほうが一般的ですね。魔獣が心臓を結晶化させるのは、最低でも討滅級以上なので、このあたりのハンターでは太刀打ちできません。だから数が少ないのです」

「たしかにラブヘイアでも無理だしね。それも当然か。で、それだけ高いってことは、かなり良いものなの?」

「特殊な強い力が込められているらしいのです。さすが四大悪獣の原石でしょうか。普通とは違うようです」


(原石か。これから必要になりそうだな)


 スレイブにはジュエルが必要だ。

 しかも普通のものは非常に脆くて弱いので、アンシュラオンはいまいち信用できていない。


(緑のジュエルでは駄目だ。それ以外でもっと強いものが必要となる。デアンカ・ギースの心臓は使えるのか?)


 こちらのほうが強いのならば、サナのジュエルに使ってもいい。

 が、強いという意味が違った。


「それって精神術式にも使えるの? たとえばスレイブ・ギアスとかに」

「鑑定人が言うには【攻撃強化系】のようです」

「攻撃強化系? ジュエルにも種類があるんだね」

「はい。それぞれに適したタイプがあり、攻撃強化系の力を帯びたものは武器などに使われます。一方、アンシュラオン様がおっしゃったスレイブ・ギアスは精神系なので、相性はあまりよろしくないと思います」

「系統の違うものを使ったらどうなるの?」

「無理に使うと、混線して暴走することもあるようです」

「そっか…残念だな」


(攻撃術式が付与されていたというより、あの魔獣がそういうやつだった、ということかな?)


 地層で発掘されるジュエルと違い、魔獣系のジュエルには、その魔獣の本質が反映されることが多い。

 デアンカ・ギースは非常に獰猛な魔獣である。物理攻撃に優れ、パワーで圧倒するタイプの獣なので、その性質が心臓の原石にも影響を与えているようだ。

 そういったものは攻撃系、主に武器などに使用するのが好ましいとされているので、ギアスには向いていない。


「武器などに植え込むには最上級のものらしいのですが…いかがいたします?」

「うーん、特にお金に困っているわけでもないし、無理に売ることもないかな。原石はもらって、残りの三千万円だけ換金することってできる?」

「もちろん可能です!」

「じゃあ、そうしてもらえるかな」

「かしこまりました! すぐにご用意いたします!」


 小百合は喜々として作業に入る。

 アンシュラオンの偉業に携われることが嬉しいのかもしれない。受付嬢にとっては、それが生きがいなのだろう。

 その証拠に、他の受付のお姉さんもこちらの様子をうかがっている。ホワイトハンターであり、デアンカ・ギースを倒したアンシュラオンは有名人なのだ。

 ただ、当人はそんなことは気にせず、お金やサナのことばかり考えていた。


(お金を下ろす必要がなくてよかった。一億円の貯蓄があると思うと心にも余裕ができるな。今はもう所帯持ちだからさ、へへへ)


 サナがいると思うだけで、顔がにやけてしまう。

 サナは隣でおとなしく待っている。手は握ったままなので安心だ。


(原石が使えないのは残念だけど、サナ用に何か作ってあげようかな。でも、武器か…。う〜ん、今はあまり必要ないかな。作ってもどうせサナには使えないだろうしね。それにしても、やっぱり領主を殺さなくてよかったな)


 領主を殺していれば都市は混乱に陥っていたに違いない。それを思えば、あの程度で済ましたのは正しい判断であっただろう。

 ただ、領主城に行ったことは後悔していないが、いまさらながら興奮すると暴力的になることを痛感する。


(たまに凶暴になるのは姉ちゃんの悪影響だな。あの人、気に入らないことがあるとすぐに暴力に訴えるし。オレだから平気だけど、人間や魔獣だったら即死だよ)


 たまたま身近にいた人間が強すぎた結果、殴った程度では死ななかったのも加減ができない要因なのかもしれない。

 最強と名高い陽禅公、災厄の魔人パミエルキ、後の空天覇王ゼブラエス。周りがあまりにも突出しすぎていたせいだ。

 それに比べて、今手を握っている少女は、なんと弱いことか。


(サナは、弱い。何かあったら死んでしまう。オレが守らないとな)



「アンシュラオン様、こちらが代金となります」


 小百合が札束入りの紙袋を持ってきた。何度見てもミスター・ハローの絵が素敵である。


「ありがとう。助かるよ」

「原石のほうはどういたしましょう? かなり大きいものですが…」

「ああ、そうだったね。五メートルくらいあったかな? 持って歩くには邪魔だよね…。素材置き場って借りられないかな?」

「しばらくは大丈夫ですが、あまり長期間は難しいかもしれません。他のハンターの皆様もおられますし…」

「そっか。どこかの貸し倉庫でも借りようかな」

「アンシュラオン様は、【ポケット倉庫】はご存知ですか?」

「ポケット倉庫? 何それ?」

「正式名称は【空間格納術】と呼ばれる術式なのですが、無機物ならばどんな大きさでも自由に格納できるものがあるのです。取り出すときも好きなものだけを取り出せます。それでいながら本体はポケットサイズという便利なアイテムです」

「え? そんなのあるの!?」

「はい。ゴーレムを使われる無操術者の標準装備として、西側ではかなり一般的なものです」


 よく術者がゴーレムを突然出すことがあるが、あれは一瞬で生み出しているのではなく、すでに作って空間に待機させていたものを取り出しただけである。

 格納スペースは術式によって広さが違うが、一般的なものでも二十メートル四方は確保できるので、物置としてかなり重宝されている。


 ただし、マイナスの側面もある。


「便利なものですが、術式が封印されている結界内では使用できないことがあります。公の機密機関とか、そういった特殊な場所では使えませんのでご注意ください」

「そりゃそうだよね。凶器とか爆弾を持ち込めるようになっちゃうし、テロし放題だ」

「もう一つの欠点は、東大陸ではまだ本格的に普及がなされておらず、かなり値が張るのです」

「いくらくらい?」

「そうですね…。使い捨ての符なら一枚数十万円、術式が付与されたアイテムならば、最低数百万円以上はするかもしれません」

「安い! 買った!!!」


 ブルジョワのアンシュラオンならば、その程度はたいした額ではない。即決である。


「ここで買えるの?」

「こちらでは扱っていないのですが、街の道具屋で売っています。術具専門のお店もありますから、そちらでお買い求めください」

「買う買う。あっ、そうだ。サナの服も買わないと」

「それなら同じ通りに衣料品店がありますね。一般街なので、このすぐ近くです」


 その後、小百合に詳しい場所を教えてもらう。


「よし、サナ。買い物に行こうな」

「…こくり」


 サナと一緒に買い物である。楽しみだ。




73話 「サナと買い物 前編」


 ハローワークを出て南側に進むと、大きな通りが見えてくる。

 いわゆる商店街であり、アンシュラオンも何度か通ったことがある道だ。

 しかし、その際はスレイブのことしか頭になかったので、周りを見る余裕などはまったくなかった。

 こうして心を落ち着けて見ると、思った以上にいろいろな店が並んでいるようだ。


「ゆっくり見て回ろうな」

「…こくり」


 急ぐことはないので一つ一つの店を見て回る。高価な店は中に出入りするタイプが多いが、安いものは露店形式のものも多い。

 ここは一般街なので名前の通りに、ごくごくありふれた一般的な必需品を取り扱っている。それでもアンシュラオンには初めて見るものばかりで新鮮だ。


(生活雑貨はロリコンの店で見たからだいたい知っていたつもりだが、やはり都市になると扱っているものも多少違うな)


 ロリコン夫妻は馬車での移動なので、あくまで持ち運びに適したものを主に扱っていたが、ここではその心配はないので大きなものも売っている。

 大人の身長以上もある大きな水瓶があったり、建築用の木材が売っていたり、薬の材料なども売っており、それらを求めて午前中にもかかわらず人がそこそこいる。

 唯一、食料品店だけはスカスカで、在庫が乏しい状況になっているようだ。その理由は、アンシュラオンがばら撒いた金なのだろう。


(食糧事情に影響が出なければいいけどな…。たかが一億円だと思っていたが、閉鎖された都市ではけっこうなダメージだったのかもしれないな)

 某漫画で一晩で五十億くらい使った話があったので、それくらいならと思っての安易な行動だったが、やはり流通が整っている国と普通の城壁都市では事情が違うらしい。

 ただその分だけ経済が潤ったのは事実で、他の集落やハピ・クジュネからの輸入も増えるかもしれない。



 アンシュラオンはサナを連れていろいろな場所を見て回る。


「サナ、何か気になるものはあるか? 何でも買ってあげるぞ」

「………」


 サナは相変わらずの無表情で周囲をきょろきょろしている。


(おっ、物珍しそうにしているな。少しずつサナの感情がわかってきたかもしれないぞ)


 サナの表情はあまり変化しないが、多少ながら仕草に違いがあることに気がつく。

 今も初めて見る光景に少しだけそわそわしているのがわかる。本当にわずかな反応だが、それでも最初に会った時よりはましであろう。


(イタ嬢ともカードゲームができるくらいだ。ちゃんと周囲のことを理解しているのかもしれないな。ただ、それを出力する能力がないのかな? さっきの飴の件にしても、コミュニケーションの経験が少ないんだろうな)


 理由はわからないが『相手に飴をあげよう』という意思を発したことは大いなる進歩だ。

 ただし、その手法がわからないので、いきなり投げつけるという行動に出たのだろう。発する意思の強さと身体的活動の強さが見合っていない状況だ。

 自閉症という可能性があるものの、教えれば理解して実践できるので、やはり極端なコミュニケーション不足による限定的な発達障害なのかもしれない。


(なら、いろいろな人と会わせて刺激と経験を与えるのが一番かな。その意味じゃオレと一緒だな。オレもまだこの世界のことをよく知らないし、一緒に楽しめばいいんだ。なんだ、簡単じゃないか)

 ということで、たまたま目の前にあった生活雑貨系の露店を出しているおっちゃんに話しかけてみる。


「おっちゃん、これ何?」


 アンシュラオンが、銀色の箱を指差す。


「これか? 聞いて驚くな。魔獣が踏んでも壊れない弁当箱だ」


 どこかで聞いたことのあるフレーズで、弁当箱をアピールしてきた。


「本当に壊れないの?」

「もちろんだ。嘘だと思うなら乗ってみな」

「サナ、乗ってごらん」

「………」


 サナをひょいっと乗せるが、たしかに弁当箱は壊れない。


「蹴ってごらん」

「…こくり」


 ガスガスガスッ

 それでも弁当箱は壊れない。


「荒い、荒い!? 扱いが荒い!」

「壊れないって言ったじゃん」

「そりゃまあ、お嬢ちゃんみたいな子の蹴りじゃビクともしないけどな! どうだ、すごいだろう!」

「これって金属?」

「魔獣の素材で作ったんだ。鎧にも使われる貴重なものだぞ。一個千円だ。どうだ、買うか?」

「壊れない弁当箱って需要があるの?」

「もちろんだ! うっかり魔獣に体当たりされても妻の作った愛妻弁当を守れるんだぞ! 肋骨は折っても弁当は折っちゃいけねえ。後が怖いからな。二度と作ってくれないどころか、他の面で大きな軋轢が生まれる。それが原因で離婚にもなるしな」

「夫婦生活は厳しいんだね。離婚者が絶えない理由がわかったよ」

「夫婦仲まで守る弁当。それがこれだ。単純に身を守る道具にもなるしな」


 弁当箱で身を守る時代が到来。斬新な世界である。


「うーん、本当に壊れないのかな?」

「疑り深いやつだな。ハンマーで叩いても壊れないんだ。こんな頑丈な弁当箱はよそにないぞ」

「本当? 試していい?」

「おう、もちろんだ!!」

「じゃあ、遠慮なく」

「まったく、最近の若いやつらは疑り深くてしょうがねえ。ハンマーでも斧でも持ってきやがれ! 傷一つつかないぜ!」


 この時店主は、大工で使う小型の木槌などを想定していたと思われる。

 だが、アンシュラオンの脳裏に浮かんだものは、たった一つ。

 革袋からハンマーを取り出す。



 鉄で出来た―――大きなハンマーを。



「え? え? なにそれ?」

「うん、ハンマー」

「ハンマー? ハンマーなの? それが?」


 どう見てもハンマー。

 紛れもなくハンマー。

 これはハンマーである。


「よーし。じゃあ、いくよー」

「え? ちょっ!? 待って!!」

「壊れないんだよね?」

「そ、そりゃ壊れないって謳っているが、物事には限度ってもんが…」

「壊れないんでしょ?」

「こ、壊れない……はずだ」


 だんだん弱気になる。

 だが、強気だろうが弱気だろうが、この男に遠慮という言葉は存在しない。


「せえのっ―――」

「いやーーー! やっぱり待ってぇえーーー!」




 ブゥウウンッ ドッゴーーーーーンッ!!




 ハンマーが弁当箱に直撃。アンシュラオンの圧倒的なパワーも加わって地面にめり込む。

 ブスブスと大地が熱を帯びるほどの高温を発し、周囲が煙に包まれた。

 ハンマーを戻し、地面にぴったりと接着している弁当箱を見る。


「ほんとだ、壊れていないね」

「どこが!? すごくぺったんこだけど!? ねえ、すごく平べったいけど!!」


 とても薄い弁当箱がある。壊れてはいない。ぺったんこになっただけだ。

 現在の深さは数ミリ程度なので、うっすーい煎餅くらいならば入れることができるだろう。


「いやー、いいものを見せてもらったよ。じゃあね」

「買わないの!? ここまでしたのに!? ひかやしなの!?」

「ここまでって何のこと? オレには立派な弁当箱の姿にしか見えないな。うん、立派だ。投げれば楽しいかもしれないし、これは売れるよ! それじゃまたね!」


 サナと一緒にすたすた店を離れる。

 店主の嗚咽が後ろから聴こえるが、アンシュラオンは悪いことはしてない。言葉通りハンマーで試しただけだ。

 ただそれが少し大きく、たまたま鉄であったにすぎない。言葉とは怖いものである。


「いいか、サナ。何事も買う前にちゃんと調べないといけないぞ。相手は常に騙そうとするからな。言葉には気をつけるんだよ」

「…こくり」






「さぁーさぁー、お立会い! ここにあるのはどんな傷でも治す傷薬! ほら、お兄さんお姉さん見てってよ! この何でも切れる包丁で、ずばっずばっとね。見なよ、野菜だって綺麗に切れたこの包丁。これで今度はあっしの腕をずばっと。おっと、いてぇ! でも安心!! この傷薬があればあっという間に傷が治るって寸法さ! ちょいちょいっとね! ほら、傷が消えた! 見たかい、この効能! 最高だね!」


 男が軟膏を傷口に塗ると、あっという間に赤い線が消えていく。

 その光景に集まった観客は声を上げる。


「おお、傷口が消えたぞ」

「ほんと、すごいわね!」


(なんだ今の? 傷が消えたのか?)


「サナ、面白そうだから見ていこうか」

「…こくり」


 なんだか賑わっているのでアンシュラオンも参加することにする。

 さっそく傷薬を売っているお兄さんに話しかけた。


「ねえ、それってどんな傷でも治せるの?」

「おう、その通りだ! どんな切り傷でも大丈夫! 塗ればあっという間に治るのさ!」

「試していい?」

「おう、この包丁であっしの腕を切ってくれ! 下の刃を軽く押し当てる感じでな!」

「へー、本当なんだね。じゃあ遠慮なく」


(へっへっへ、その包丁に刃はないんだ。塗ってある食紅で赤い線がつくだけさ)


 ガマの油売りでよくあるやり方である。

 尖端は切れるが下の部分に刃はないので、そこに塗料を塗って切れたように見せる。

 それから軟膏を塗ってかき消してしまえば、さも傷が消えたように見えるというわけだ。

 そのカラクリがあるので、男はアンシュラオンの行動を余裕を持って見ている。


 そして、アンシュラオンが包丁を押し当て―――


「いっせのーせっ!」


 ざくっ、ぐしゃっ、ブシャーーーー!



「ギャッーーーーーー!!」



 アンシュラオンが包丁を押し込むと、男の腕の中にまでめり込み、裂けた。大量の血が噴き出す。

 刃があってもなくても関係ない。ただの馬鹿力で押し込めばこうなる。


「軽く!? 軽くって言っただろう!?」

「軽く押したよ?」

「いや、そんな場合じゃない! い、医者!! 医者を!!!」

「この薬で治るんでしょ? はい、塗り塗り」

「いたたたたた!!! イタイイタイ!! 薬が体内に侵入してる!!」

「そういうものだからね。でも、まだ血が出てるな。量が足りないのかな?」


 ごそっと手にこんもり乗るほど大量に取って、どばっと塗り込む。

 アンシュラオンの握力でぐいぐいと体内に押し入れると、血が止まった。

 怪我が治ったというより、血が出るスペースがなくなった、といったほうが正確だろうが。


「おお! すごいぞ! あんな傷まで治った!! 買うぞ!」

「本当ね! すごい薬だわ! 私も買うわ!」

「いて、いてて! まいどあり!! いてて! この傷薬があれば、どんな怪我でも大丈夫!! いてて!! 大丈夫!!」


 その光景に周囲の観客も大騒ぎで買い注文が殺到している。

 男も腕を押さえながら笑顔を繕っていた。


「サナ、面白かったな」

「…こくり」

「また来ような」

「もう来ないでくれよ!!」


 最後に店主の心の叫びが聴こえた気がするが、やはり気のせいだろう。


 その後、アンシュラオンが通る場所では必ず店主の叫び声が響くことで有名になり、彼が通るたびに店じまいを始める露店も多かったという。




74話 「サナと買い物 後編」


 サナの教育をしながらさらに進むと、次はアクセサリーを売っている露店があった。


「ここにも寄ろうな」

「…こくり」


 サナと一緒にアクセサリーを見る。

 これだけならば妹のために立ち寄った光景に見えるだろう。だが、実はアンシュラオンにも用がある店である。


(スレイブ・ギアスをはめるものが欲しいな)


 サナに付けるギアス用のアクセサリーが欲しいのである。

 多くのスレイブは標準の首輪、チョーカーなどにジュエルをぶら下げている。

 あれでは一目見てスレイブだとわかるし、男も女も同じように付けているので面白みがまったくない。

 サナもスレイブには違いないが、すでにアンシュラオンの妹になったのである。それはもうスレイブを超えた存在だ。


(もともと白スレイブは、秘密裏に跡取りにされる用途にも使われる。その意味で、すでにサナはスレイブじゃない。オレの妹になったんだ。ただ、ジュエルを付けることは保険にもなる)


 今のところサナは、アンシュラオンに逆らう様子はない。可愛がるだけならば、このままでも問題はなさそうだ。

 しかしながら野良猫がそうであるように、首輪をしていないと連れさられる危険性がある。それが善意か悪意かはともかく、身分を証明する必要があるのだ。

 仮にあのままイタ嬢のスレイブになっていれば、それだけで身分証明となり、周りの人間は不用意に手を出さなくなるだろう。

 手を出せば、領主の娘という地位と権力に対して喧嘩を売ることになる。それが抑止力になるのだ。

 サナにギアスを付ければ、アンシュラオンの所有物であることを外部に示すことになる。サナに手を出せば即座にアンシュラオンが敵になる。

 これは表の人間にではなく、モヒカンのような裏の人間に対しての圧力である。

 裏の業界ではすでに情報が出回っているだろうから、デアンカ・ギースの一件も含めて、そんな危険な人間を敵に回す者はごくごく少数である。

 また、強いジュエルを付けておけば探知もしやすくなる。さらわれても追跡して救出も容易になるだろう。

 その意味を含めてギアスは必要なのだ。サナを守るため、誰かに奪われないために。


(しかし、あからさまにスレイブ用のものを付けるのは嫌だ。サナは特別だから、特別なものでないといけない。女の子だし、おしゃれもしたいだろうしな)


 守るためにギアスは付けるが、あくまでファッションにもこだわりたいし、普通のスレイブだと思われるのも嫌なのだ。

 そこで何かないかを探しているというわけだ。


(腕輪や足輪もいいけど、万一手足が切れたら取れちゃうし…あまり取れないところがいいな。…そうするとやっぱり首か。スレイブ・ギアスも多少は考えられているんだな)


 一番安全な場所が首付近。ここに何かあれば人間としては致命的なので、必然的にダメージを避けようと身体が勝手に動く。

 ちゃんとした意味があって首になっているわけだ。


(首にしてもせめて違うものがあれば…)


「…じー」

「サナ? 何か欲しいのがあったか?」

「…じー」


 サナが何かをじっと見ている。


 それは【ペンダント】。


 紐に吊るされているのは、中央に穴があいた形状の銀色のペンダントトップ。素材は何かはわからないが、それなりに頑丈そうだ。

 穴にジュエルをはめこめば、かなり綺麗なペンダントになるだろう。銀色もサナの肌の色によく似合う。


(これはちょうどいいかもしれないな。ただ、強度という点に関しては弱いが…サナが見ているってことは気に入ったということだろう。こういったものは好みが大切だ。ひとまずこれをキープしておこうか)


「おじさん、これちょうだい」

「おう、いいもんを見つけたな。そいつは掘り出しもんだぞ」

「良い物なの? 金属だから?」

「それもあるが、どっかの遺跡から見つかったもんらしいんだ。だから文字通り、掘り出しもんだ。がははは!」

「遺跡なんてあるの?」

「おうよ。このあたりにはゴロゴロあるぞ。西側よりも東側のほうが遺跡は多いからな。トレジャーハンターとかがお宝を見つけてくるんだわ。まあ、考古学の先生とかも見つけるけど、あっちは自分で管理しちまうからな。両者の争奪戦ってわけだ」

「へー、発掘品なんだね」

「実際のところはトップの部分だけがそうだ。紐はこっちが勝手につけたんだよ。見つけた時には壊れていたみたいでな。真ん中にも、もしかしたらジュエルがはまっていたんじゃないかって話だが…ないものはしょうがないよな」

「じゃあ、もともとジュエルをはめるタイプだったんだね。これは都合がいいや。いくら?」

「そいつは三千円だな」

「よし、買った!」

「まいどあり!」


(アクセサリーと思えば適当な値段かな?)


 物価はまだよくわかっていないが、まったく問題ない値段なので購入を決める。


(これだけだと不安だな。一応、他のものも買ってみるか)


 それからサナに似合いそうなブレスレットや指輪なども買い、その店を後にした。






「そうそう、サナの服を買おうな。下着もないんだよな」


 少し歩くと、今度は服の店が並んでいた。

 サナの服は優先度が高い買い物だ。一番高いのは下着だろうか。まったく替えがないので早めに買わねばならない。

 店の中から女性物を専門に扱うところを選ぶ。やはり男性より女性のほうが服に興味があるらしく、店も多くあるようだ。

 大きめなテントのような店舗に入って周囲を見回すと、子供用のものもそれなりに置いているようだった。


「おや、いらっしゃい」


 出てきたのは、多少お年を召したご婦人…正直に言うと還暦は過ぎているだろうと思われる女性である。

 さすが服の店をやっているだけあって、それなりに小奇麗な格好をしていた。


「この子の服を適当に見繕ってよ」

「あらま、可愛い子だわね。こんな綺麗な子はあまり見たことないわ」

「そうでしょうとも。オレの妹だからね! 当然だよ!」

「あらま、あんたも可愛い顔をしているね。こりゃ、気合を入れないとね」

「気合入れてよろしく! 下着もないから、十着くらいちょうだい!」

「はいはい、任せてちょうだいな」


 営業トークだろうが、サナを褒められて嬉しくないわけがない。アンシュラオンは気分良く服を見て回る。

 何もしなくても普段着は店主が選んでくれるだろうから、自分が見るものはお出かけ用とか、そういった特別なものである。

 今まで子供服売り場に行ったことなどないので、目新しいものばかりで少し気分が高揚してくる。

 自分の服を選ぶのとはまったく違う楽しい体験だ。


(サナは何でも似合いそうだけどな。今の着物なんて日本人っぽくてすごくいいけど…借り物だし、それだけというわけにもいかない。ほかにもいろいろと買おうっと)


 そうして子供服を見ていくわけだが、なぜかふらふらと一つの場所に吸い寄せられていた。


 そこは―――フリフリ系の服がある場所。


 可愛い服、特にフリルが付いたような少女らしい服がある。もっと限定してしまえば【ロリータ服】がある場所である。

 グラス・ギースの衣料店には、けっこうこうした衣装が存在している。その理由は、イタ嬢の趣味だからである。

 サナが着ていた寝巻きにしてもフリルが付いていたし、ベルロアナは可愛い系の服が大好きなのである。

 それに影響を受けて全体的に増加傾向にあるのだ。


(どうしてオレはこんな場所に…!! だ、駄目だ! 身体が言うことを聞かない!! 手が、手が伸びる!!!)


 そして、白いフリルの服を手に取った。スカートもヒラヒラがたくさん付いており、アンシュラオンの心の奥底をくすぐってくる。


「サナ、これなんかどうだ?」

「………」


 サナの上から合わせてみる。

 するとそこには、とろけそうなほど可愛い子がいた。かつて夢見たフリフリ姿である。

 地球時代の休日、外を出歩くと必ず親子連れに出会った。その時、誰の趣味なのかロリータ服を着ている子供をよく見かけた。

 それが可愛くて、自分に娘ができたらぜひ着させようと画策していたものだが、結局夢半ばで終わった哀しい経験がある。

 その反動が―――爆発!


「か、可愛い!! 凶悪なまでの可愛さだ!! サナは天使なのか、それとも悪魔なのか!! くううぉおおお!! 可愛すぎる!! これは買うぞ! 絶対買うぞ!!!」


 領主がスレイブをメイドにしたり、イタ嬢が友達にすることを散々罵倒していた男なのだが、すでにそんなことはすっかり忘れている。

 すでにサナの意見を聞いていないのが、その証拠。

 自分の趣味でロリータ服を大量に買い漁っている謎の少年の姿は、端から見るとかなり怪しい。

 顔が女の子のように可愛いのでまだ許されるが、これがおっさんだったら即逮捕レベルである。






「はぁ、幸せ…」


 結局、サナの服を二十着以上買ってしまった。

 ちなみに十五着はロリータ服であるので、ほぼアンシュラオンが選んだものだ。

 だが、そこに後悔はまったくない。


(この充実感は何だ? これをサナに着せることを想像すると…オレはもう感動と興奮で倒れてしまいそうだ。ああ、最高だ! サナちゃん、超可愛い!!)


 徐々にラブヘイア大先生側の人間になりつつあることを、彼はまだ知らない。

 変態とばかり接していると、自分も同じようになっていくよい見本である。


「…じー」


 そんなアンシュラオンをサナはじっと見つめていた。

 妹への愛情が爆発している兄を見て、彼女が何を思ったのかはわからない。




75話 「術具屋コッペパンで、いろいろ買おう 前編」


 近くにあった喫茶店で、サナにジュースを与えて少し休憩した後、再び移動を開始。

 そこで気がつく。


「やばい、かさばってる…」


 アンシュラオンの左手はサナと手をつないでいるが、右手にはさきほど買った品々以外にも大きな革袋を引きずっている。

 この中身はといえば、領主城で手に入れたハンマーやら斧やら、玉やら符やら宝珠やら、貴重なものからどうでもいいものまでごちゃごちゃ入っている。

 もともと整理整頓が苦手なので、自分の物入れだと思うと綺麗に整理する気にもなれず、ごっちゃに投げ入れているカオスな袋である。


(こうなると住む場所を本格的に考えないといけないな。サナのこともあるし、いつまでも放浪人生とはいかないぞ。こんなものを常時持って歩くのも御免だしな)


 これも盲点である。スレイブのことに夢中で、サナと暮らす場所をまったく考えていなかったのだ。

 こうして現実的に物がかさばり始めてから、ようやくそのことに気がつくあたり、アンシュラオンの性格をよく指し示している。

 要するに行き当たりばったりである。感情が赴くままに生きているので当然の結果だ。

 だが、このほうが面白いことも事実。計算された人生なんて楽しくもなんともない。破天荒だから面白い人生になる。

 とはいえ、この手荷物の量は問題なので、さっさと改善すべきだろう。


「ますはポケット倉庫の入手が先だ。たしかこっちだよな?」




 そうして大通りを歩いていくと、そこそこ立派な店を発見した。

 看板には「術具屋コッペパン 符もあります」の文字。


「おっ、ここだ。小百合さんから聞いた店だ」


 その店は露店ではなく、ちゃんとした店舗だ。ショーウィンドウもあり、いろいろな術具が値段とともに並べられている。


 その値段は―――桁が違う。


 最低でも十万円以上はするものばかりで、百万を超えるものも珍しくはない。さすが術具である。

 術具は一回限りの符や巻物と違い、継続して術式を使えるアイテムの総称である。

 術者でない人間でも術式が発動できるので、その価値を考えれば高いのは当然だろう。


(このガラスにも盗難防止用の術式がかかっているな。これは期待できそうだ)


「サナ、入ろう」

「…じー、さわさわ」

「ん? どうしたの? おっ、それ、気に入ったのか?」

「…こくり」


 サナの首には、さきほど買ったペンダントがかけられている。かなり気に入ったようで、さっきからそれを見たり触ったりしていた。


(サナがこんなに気に入ったなら、これを媒体にしてやりたいな。ただ、このままだと弱いからそこがネックだよな。この店に何かないかな?)


 術の中には補助術式というものがあり、対象の能力を上げるものが存在する。

 魔力防護壁を生み出したり、筋力を強化したり、視力を上げたりと、戦闘において有利になる術がかなりある。

 それは戦闘にとどまらず、物の修復や変形など、生活全般に多様に広がっている術式も含まれる。

 戦闘が苦手な術士は、そういった生活術式を商売にしており、訪れる人たちに直接提供したり、あるいは符を書いて売ったりしている。

 術具に関しては錬金術師でないと作れないので、言ってしまえば術士の中で『錬成』スキルを持っている者を錬金術師と呼ぶのである。

 ここは、そんな特殊な符やアイテムを売っている店なのだ。


 そんな術具屋ならば何かしらあるだろうと、期待を込めて中に入る。


 カラン カラン


 扉を開けて中に入ると、台の上にたくさんのアイテムが並んでいた。

 同じようなものはあまりなく、丸いものがあったと思ったら四角いものもあり、やたら長細い棒のようなものもあり、人形みたいなものもあるという、統一感がまるでない世界が広がっている。

 術具は大量生産品以外は、基本的に一点物になってしまうので、こうした状況になるのも仕方がないことである。

 どことなく展示即売会のような雰囲気があり、これはこれで楽しめる様相であった。


「すみませーん」

「はーい、いらっしゃいませー」


 アンシュラオンの声に応えたのは、若い女性の声。

 茶色の髪をリボンで結わいた可愛い子が出てきた。お姉さんといった年齢ではなく、まだ十代後半くらいだろうか。


(可愛いけど、お姉さんじゃないから絡みはいいや)


 小百合の肌を堪能したばかりなので、無理に絡む必要はないと判断。飢えていない時は極めて冷静な判断を下す男である。

 結局のところ、年上か年下かがはっきりしているほうが好みなのだ。

 よって、可愛いだけではアンシュラオンは満たされない。イタ嬢に惹かれなかったのも、それも一つの要因である。

 と、そんな戯言はどうでもいいので、さっさと目的を果たす。


「ポケット倉庫ってある?」

「えと、ポケット倉庫は…ちょっと待ってくださいね!」


 女の子はバタバタと店の奥に走っていった。


「おじいちゃーん、ポケット倉庫ってどこだっけー?」

「あー、どこだったかのぉ…あっちだったか…こっちだったか…。ところでのぉ、飯はまだかのぉ」

「さっき食べたばかりでしょ! それよりポケット倉庫は!?」

「あー、ばあさんが昔、どこかに置いてのぉ。食っちまった」

「食っちまった!? 絶対嘘だよ! もっとちゃんと考えて!」

「あー、すまんすまん。それはポケットせんべいだったかのぉ。ポケットに入れるとのぉ、分裂するんじゃ。こうなぁ、叩くとなぁ、一個が二つになったりしてのぉ…」

「どうでもいいよ!? 割れただけじゃん! それよりポケット倉庫だよ!」

「おうおう、ポケットかのぉ…。わしのポケットは開いとるのぉ…」

「それは社会の窓だよ!!」


(ちゃんとつっこんでるな)


 コントのような内容が聴こえてくる。しかも女の子はどうでもいいと言いつつ、きちんとつっこんでいるのが微笑ましい。

 代替わりしたばかりなのかもしれない。おじいちゃんはボケて引退といったところか。


 そしていくつかのやり取りが終わった後、女の子が走ってきた。


「はぁはぁ! すみません! こちらです!」

「急いでいないから大丈夫だよ」

「えっと、ポケット倉庫は…あった。これだ。えと、どれくらいのものをお探しですか?」

「何個かあるの?」

「在庫は三つですね。大が一つ、中が二つあります。小はちょっと品切れでして…」


 女の子が「がま口財布」のようなものを取り出す。赤いのが一つ、白いのが二つである。


「それがポケット倉庫なの? 財布みたいだね」

「ですよねー。私も最初はびっくりしました。でも、この中に何でも入っちゃうんですよ」

「その赤いのはどれくらい入るの?」

「大はたしか…八十メートル四方の空間があったはずです。高さは十メートルくらいですかね?」

「無機物なら入るんだよね? 死んだ生物は入るの?」

「えと、どうだったかな…。ちょっと訊いてきます!!」


 バタバタバタ


「おじいちゃーん、ポケット倉庫って死んだ生物も入るの?」

「あー、何かのー?」

「死んだ生物!!!」

「おっそろしいことを言うのぉ。そんなら、わしが今食っとるわ」

「それは煮干でしょ! そうじゃなくて、ポケット倉庫が食べるやつ!」

「あー? ポケット倉庫が食べる? ポケット倉庫は入れるものであって、食べたりせんぞ」

「どうしてこんなときだけ普通の回答なの!?」

「ほーれ、わしの社会の窓には死んだ魚も入るぞー」

「突然の狂気の沙汰だよ!? そうじゃなくて!!」


 それから再びやり取りが続いて、また戻ってきた。


 バタバタバタ


「丸ごとってのは駄目みたいなんですが、牙とか爪とか部分的な素材なら大丈夫みたいです」

「なるほど。素材認定された状態ならOKってことか。なかなか面白い仕様だな」

「他に何か質問とかあります?」

「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」

「はー、よかったー」


(訊きたいことはあるけど、この子に質問したら駄目だな。またこのやり取りを聞かされそうだ)


 楽しいには楽しいが、毎回このコントが発生すると思うと気が引ける。


「じゃあ、三つちょうだい」

「え!? 三つ全部ですか?」

「うん。いくら?」

「え、えと…三つで…千五百万円ですけど…だ、大丈夫ですか? 大が七百万円で、中が四百万円なんですけど…」


 女の子が恐る恐る訊いてきた。

 たしかに額は大きいが、術具ならばそんなもんだろうということで、アンシュラオンは特に高いとは思えない。

 その値段で、この斧やらハンマーやらとおさらばできるのならば、もっと払ってもいいくらいだ。


「今すぐキャッシュで払うよ」


 紙袋からドサドサと札束を積み上げる。


「はへ!? お、お札がたくさん!! すごいたくさん! 社長ですか!?」


 たしかにやり手の社長は、よく現金を持ち歩いていたものだ。懐かしい時代である。


「術具屋なんだから、お金くらい見慣れているでしょう?」

「い、いえ、最近はその不景気でして…あまりお客さんはいないんです」

「そうなの?」

「そうなんです。おじいちゃんが店主の頃はもっと売れていたみたいですけど、今はあまり…」

「術具は魔獣と戦う際にも便利だと思うけどね。戦闘用のものだってあるでしょ?」

「その魔獣と戦うことがあまりないんです。私も魔獣って見たことないですし」

「え? 本当?」

「ずっとこの中で暮らしていますから…」


 この都市でずっと暮らしている人間は、わざわざ外に出ることは少ないので、結果的に魔獣すら見たことがない者が大勢いるらしい。

 特に城壁内で生まれた子供などが、それに該当する。この子もその一人のようだ。


「術具の補充はどうしてるの?」

「街の錬金術師さんに頼んだり、たまに外から来た商人さんから仕入れますね。符は定期的におじいちゃんが作ってますけど、最近はボケてきたんで街の符術屋さんから仕入れてます」

「全部城壁の中で済むんだね。それじゃ外に出なくてもいいか」


 すっかり忘れていたが、外は危険なのである。

 アンシュラオンだからこそ気軽に散歩できるが、一般人は命がけで移動する。傭兵なしで動くことは自殺行為だ。

 グラス・ギースは比較的大きな都市なので、その中だけで十分間に合ってしまうのだろう。


「衛士とかは買いに来ないの? あいつらは魔獣と戦ったりするよね?」

「あまり来ないですね。あっ、でも、あの人はよく来てくれます」

「あの人って?」

「えと、衛士さんなんですけど、普通の人とは違って―――」


 ガチャッ

 その時、扉を開けて客が入ってきた。


(なんだ。案外客は来るじゃないか)



 そう思って振り返ると―――



「あれ? アンシュラオン君?」

「あっ、マキさん!」


 そこに現れたのは、マキ・キシィルナ。

 言わずもがな、グラス・ギースの東門を守る凄腕の女性衛士である。




76話 「術具屋コッペパンで、いろいろ買おう 後編」


「マキお姉ちゃんだ!! ぎゅっーー!」


 さきほどとは違い、マッハで抱きつくアンシュラオン。
 

「あらあら、相変わらずなのね! うふふ、ナデナデ」

「久しぶりだから、たっぷりと匂いを嗅いでおかないと!」

「昨日会ったじゃない」

「十二時間以上も会ってなかったんだよ。十分長い時間だよ!」

「うふふ、そうね。私も嬉しいわ」

「…じー」

「あら? その子は?」


 サナがマキをじっと見ていた。


「あっ、そうだ。この子はサナ。オレの妹なんだ!!」

「あら、妹さんなの? とても可愛い子ね〜」

「ほら、サナ。マキさんだぞ。挨拶して」

「…じー」

「ほら、ぎゅっとすればいいんだよ。やってごらん」

「…ぎゅっ」

「あらぁ! 可愛い!!」


 サナがマキに抱きつく。そのあまりの可愛さに身悶える。


「でしょーー! 可愛いでしょ!!! すごく可愛いんだよ!」

「ほんと可愛いぃー! お人形さんみたいね! ぎゅっ!」

「…むぎゅっ」


 されるがままに抱きつかれるサナ。それもまた可愛い。


「はぁ、幸せだわ。こんな可愛い兄妹なんて、この世に存在していいのかしら。まさに女神様の奇跡だわ。ところで親御さんは? 一緒じゃないの?」


 門番のマキらしく、そのことに気がつく。

 『母性本能』スキルを持っているので、思わず世話を焼きたくなるのだろう。

 だが、その言葉を聞いた瞬間、アンシュラオンの表情が曇る。


「実は…今は二人きりなんだ。両親は生きているのかもわからないし、昔は姉ちゃんもいたんだけど…不幸な出来事があってさ」

「そうなの…かわいそうに。お姉さんまでなくすなんて…」


 嘘ではない。本当に不幸な出来事があって別れたのだ。正しくはないが間違っていない。


「でも、今はマキさんがいるから寂しくないよ。なっ、サナ」

「…こくり」


 その光景にマキの母性本能が―――爆発。


「ううっ!!! かわいそうに!! 大丈夫よ、私が守ってあげるからね! 私を本当のお姉さんだと思っていいのよ!」

「ありがとう! マキお姉ちゃん!」

「はぁあ! 満たされる! 私の本能が満たされるわぁあ!」


 三人が抱きついて涙を流す。


「あ、あの…ポケット倉庫は……」


 それに置いてけぼりをくらう女の子。突然の状況に対応できていないようだ。


「あっ、そうだった。もらうよ。三つともちょうだい!」

「は、はい。ありがとうございましたー!! 大儲けだーー!」


 客の前で大儲けだとか言ってしまうあたり、最近は当たりが少なかったことがうかがえる。

 その様子にマキも興味津々である。


「あら、ポケット倉庫を買ったの? すごく高かったでしょう?」

「必要経費ってやつかな。魔獣を倒した報奨金もけっこう出たからね」

「それは羨ましいわねー。私は安月給だから、ポケット倉庫なんて夢のまた夢よ。せいぜい符が精一杯かな」

「マキさんなら魔獣くらい簡単に狩れるでしょう? 根絶級くらいは軽く倒してお金稼ぎができそうだけど…」

「衛士だと狩っても報奨金が出ないのよー」

「ええ!? そうなの!? なんてセコい規則なんだ!!」

「私もそう思うけどね、これもお仕事だから」


 衛士は公務員扱いなので仕方がない。そのわりに安月給なので割に合わない職業だ。


「どうして衛士になったの? ハンターのほうが儲かりそうだけど」

「街の人々を守りたいからかな。困っている人を見ると放っておけないし、みんなの平和な暮らしを守りたかったのよ。みんなの笑顔が報酬ね。それで十分だわ」

「うっ、眩しい!」


 マキのあまりに立派な理由に、アンシュラオンの闇の心がダメージを受ける。

 スレイブを好き勝手したいという理由でがんばっている自分とは比べられない崇高な理由だ。


(さすがマキさんだな。みんな真面目ですごいな。オレには無理だよ)


 本来ならば見習うところだが、自分には無理とわかっているので早々に諦める。


「そういえば、ここには符もあるんだよね」

「ええ、私はそれを買いにくるのよ。この篭手の強化とかに使うの」

「マキさんは、よく来てくれるんですよ」


 ポケット倉庫を袋に入れた女の子が戻ってくる。

 どうやら常連というのはマキのことだったようだ。


「昨日ちょっと強く殴りすぎたせいか、篭手の調子が悪くてね。【核剛金(かくごうきん)】の符を一枚もらうわ」

「はい! いつもありがとうございます!」


(ラブヘイアをボコった時のか。けっこう本気で殴ったんだな)


 ラブヘイアが思ったより頑丈で、篭手が少し緩んでしまったようである。

 その調整が終わり、最後の仕上げとして符で強化しに来たらしい。

 変態はどんなときでも他人に迷惑をかけるものである。困ったものだ。


「核剛金って? 初めて聞くけど」

「物質を強化する術式なの。それをかけておくと、とっても丈夫になるのよ。前もかけておいたんだけど、もうけっこう昔だからね。そろそろ調整し直す時期だったってことね」

「どんなものでも強くなるの? 金属じゃなくても?」

「何でも大丈夫じゃないかしら。人体には効かないらしいから、それ以外なら使えるわ」

「このペンダントでも?」


 アンシュラオンがサナのペンダントを指差す。


「もちろん大丈夫よ。こういったものなら、それ全体にかかるはずだもの。簡単には切れないし、すごく壊れにくくなるでしょうね」


(こ、これは使えるぞ!! 来て大正解だ!!)


 核剛金は、原子をより強力に結合させることで、物質自体を強固にする術式である。

 これを使えば紐だろうが強固なものになり、剣でも簡単には切れなくなる。ワイヤーカッターを使っても相当な時間がかかるだろう。

 もとよりスレイブ・ギアスは簡単には外れないように出来ているので、さらに符で強化すれば戦闘中でも切れないに違いない。


「それちょうだい!」

「は、はい。わかりました! やった! 今日は当たり日だ!」

「そのペンダントを強化したいの?」

「うん。これで完成じゃないんだ。これにジュエルを入れて加工する予定。妹へのプレゼントなんだよ」

「あら、素敵ね! もしお金に余裕があれば、【原常環(げんじょうかん)】の符もお勧めよ。少しの傷なら自動で修復してくれるの」


 原常環は、解析したデータを保存しておくことで、軽くヒビが入ったものくらいならば即座に修復してくれる術式だ。

 無機物版の『自己修復』スキルのようなもので、よく名刀などにかけられている修復術式の簡易版である。

 何回か修復すると効果が切れるので、再度かけ直す必要はあれど、核剛金との相性は抜群だ。


「そんなのもあるんだ。最高だね! 両方買うよ!」

「すごい財力ね。一枚五十万だから、私は一つ買うのが精一杯よ」

「教えてくれたお礼にマキさんの分も支払うよ。あの変態のせいなら、オレの責任でもあるし」

「そんな、悪いわよ」

「マキさん!!」

「えっ!?」

「結婚するんだから遠慮はなしだよ。どうしても気になるなら…」

「あんっ」


 アンシュラオンががばっと抱きつき、乳を堪能する。

 やはり小百合より大きい。素晴らしい胸だ。


「これが代金だからいいんだよ! ぎゅっ、ぎゅっ」

「うふふ、くすぐったいわ。あはは、うふふっ」

「オレのものだ! 誰にも渡さないからね!!!」


 そんなやり取りを堪能しつつ、見事に目的のものをゲットである。






「うわっ、すごっ! がんがん吸い込む!」


 外に出たアンシュラオンは、さっそくポケット倉庫を使ってみる。

 まずは白い中型の倉庫を使ってみたのだが、あのがま口から、いとも簡単に大きな斧を吸い込んでしまった。

 ハンマーも軽々吸い込み、あっという間に全部なくなってしまう。


「これ、ちゃんと取り出せるのかな?」

「大丈夫よ。リストが浮かぶはずだから」

「あっ、本当だ。じゃあ、試しに玉を…っと」


 がま口からリストが放射され、その中から物理玉を選択。すると、ぬるっとがま口から玉が出てきた。

 吸い込む時は一瞬なのに、出るときはぬるっと出る。謎の仕様である。


(これで解放されたな。あー、何も持たないってのは楽でいいや)


 ポケット倉庫は、まだ中が二つある。よほど大きなものはともかく、普通の雑貨ならば気にせず放り込んで大丈夫だろう。

 マキもさっそく符術を使い、篭手を強化していた。術士しか見えない数式が浮かび、吸い込まれていく。

 次の瞬間、符が散り散りになって消失してしまった。一回限りの使い捨てだからだ。

 これで五十万とは、付術師の仕事はボロいものである。術士が家に引きこもる理由がわかった気がした。


「マキさんは今日、非番なの?」

「午前中はね。午後からは少し用事があるのよ」

「ちぇっ、お茶でもしようと思ったのにな。用事って? 仕事?」

「えっと、それは…」

「まさか男と会うの!? 駄目だよ! 許されないよ!!」

「でも私、まだ君と結婚していないし…」

「今すぐしよう!! ぎゅっ!! マキさんはオレのものだ! この腕輪が証拠だよ!」


 たまたま余っていたアクセサリーの一つをマキの右手に装着。

 これでよし。これでもうマキは『予約済み』となった。


「あーん、また君にやられちゃった〜。私、君のものにされちゃうのねぇ〜」

「そうだよ! ここにジュエルをはめれば、マキさんも完全にオレのものだからね! ほら、用事って何? ちゃんと教えてよ!」

「うーん、機密なんだけど君になら言ってもいいかな。昨晩、ちょっと領主城のほうで何かあったみたいで、私も一回行くことになったのよ」

「何かって?」

「詳しいことはわからないの。ただ、警備態勢を見直すとか何とか言っていたわね。お客さんも来ているみたいだから、そのあたりが関係しているのかしら」

「それって、マキさんが領主の親衛隊に入る、とかじゃないよね?」

「あはは、それはないわねー。そうなれば出世だけど、領主様はスレイブしか近くに置かない御方だからね」

「油断しちゃ駄目だよ! もしあいつがスレイブになれとか迫ってきたら、金玉を潰していいからね!! 陰毛をヒゲに移植してやってもいいからね!! いや、目に植えてもいい! 眼球に刺すんだよ! ともかく絶対頷いたら駄目だからね! もし何かあったらすぐオレに教えてね!」

「え、ええ、わかったわ」


 ものすごい剣幕にマキが若干引き気味になったが、念入りに釘を刺しておく。


(領主のやつ、ちょっと身の危険があったからってビビリやがって。マキさんに何かあったら、ただじゃおかないぞ! ファテロナさんやあの剣士のおっさんがいるんだから、それで我慢しておけよな!! エロオヤジめ!!)


 自分の嫁の一人があの領主のところに行くと思うと最低の気分になる。

 どのみちマキが加わったところでアンシュラオンには勝てないのだから、そのあたりを認識してもらいたいものである。

 もし最悪のことになったら、さらってでもマキを奪還しようと誓うのであった。


「そういえば、マキさんはどこに住んでいるの?」

「前は下級街の宿に住んでいたけど、衛士になってからはずっと東門の宿舎かな。一応、東門を出た先の砦に部屋があるけど、女は私一人だからね。すぐに出ちゃったわ」

「それはいい判断だね! 男なんて信用できないよ! マキさんは綺麗だから気をつけないと」


 マキのストーカー衛士を思い出す。ああいうやつがいると思うと、門の宿舎も危険かもしれない。


「君の宿は大丈夫? 今はどこにいるの?」

「それが、まだ決まっていないんだよね。昨日は知り合いのところに泊めてもらったけど、今日はさすがに探さないといけないし…」

「そうなの…。妹さんもいるから、ちゃんとしたところがいいわね。それなら下級街はやめておいたほうがいいわ。あそこは正直、あまり良い宿はないからね」


 マキの言葉には実体験の重みがある。武人の彼女でもそう思うのだから、子供が住むには向いていないのだろう。


「それ以外にも宿はあるの? この一般街とかには?」

「ここにも宿はあるけれど、長期間の滞在には向いていないかな。商人とかビジネスマンが利用する短期宿だからね。グラス・ギースには、どれくらいいるつもりかしら?」

「まだしばらくいると思うよ。マキさんもいるしね」

「うふふ、嬉しいわ。そうなると、やっぱり上級街のホテルかしら。…値段が高いのがネックだけどね」

「中級街にはないの?」

「あそこは一戸建て専門の区域なのよね。この街の重要機関の職員が多いわ」

「じゃあ、上級街のホテルでいいかな。今日行っても空いてるかな?」

「大丈夫だと思うわ。あそこは基本的に空いているし」

「そんなんでいいの? 経営は大丈夫なのかな?」

「最近は貴族の外遊もないし、上級街は暇なんじゃないかしら」


(そういえば、かなりガランとした感じだったな。もともと住んでいる人間も少ないしな)


 上級街は、外から来たブルジョワな人間を相手にする場所なので、あまり中の住民は利用しないらしい。

 今はホテル街も閑散としているという話である。


「そっか。一度行ってみるよ。ありがとう!」

「それじゃ、私は行くわ。また会いましょう」

「うん、気をつけてね!!」


 今日の宿の目処は立った。サナが一緒ならば、安宿という選択肢はない。

 多少高くても上級街でかまわないだろう。


(さて、これで準備は整った。次はついにあそこに行こう)




77話 「サナと馬車」


 それからハローワークで小百合に軽く挨拶をしてから、裏の素材置き場でデアンカ・ギースの原石を回収。

 それもすっぽりとポケット倉庫に入ったので、便利この上ないアイテムである。

 慣れてきたら種類別に整理する必要があるが、今はとりあえず中サイズのポケット倉庫で間に合いそうだ。


(この原石はギアスには使えないが、これだけ大きければかなりの量になる。そのうち使うこともあるだろう)


 武器には適合するらしいので、また機会があれば使おうと思っているが、しばらくは倉庫の中で眠っていてもらおう。




 そして、アンシュラオンが向かったのは、ハローワークの近くにある馬車乗り場。

 さすがに昨晩のように街中を走っていくのは問題があるので、サナのために馬車を借りて向かうことにしたのだ。

 馬車乗り場は壁に囲まれた大きな倉庫の中にあり、その背後には馬を預かる厩舎も併設されている。

 壁には「馬車組合公認」という看板が掲げられ、その隣に馬車の番号と持ち主の名前が記されていた。

 グラス・ギースでは、衛士たちのような領主軍以外に公の機関は存在していない。

 ほぼすべての業務をハローワークなどの民間に委託しており、馬車も民間の組織が運営している。

 組織といっても個人事業主の集まりであるので、基本的には個人対個人の契約で物事が進められていく。

 この馬車組合も同じで、共同スペースは同じ馬車業の人間で管理するが、それ以外は個人の自由というシステムになっているようだ。

 よって、料金も各馬車でまちまちである。


(領主の手抜きシステムに見えるが、実際のところ悪い案じゃないな。経済の活性化は常に民間によって行われるからな。それに加えて金も税金で自動的に手に入る。あの領主が儲かると思うと腹立たしいが、胴元の特権だな)


 さすがに全行政機能をハローワークに丸投げはどうかとも思うが、荒れ果てた地方の領主があれこれやるよりも、全世界的に知名度がある大組織を誘致したほうが楽なのは事実である。

 都市を脅かす存在以外に対しては、領主は基本的に何もしない。経済は民間任せ。これがグラス・ギースの基本理念だ。

 黙っていても税金は手に入るので、実にあこぎな商売である。宝くじを買うより、売る立場になったほうが儲かるのは当然だろう。



 それから案内板に従って移動すると、倉庫の中に数台の馬車が停まっていた。そのどれもがかなりの大きさである。


(地球の馬とは少し違うな。かなり太くて逞しい)


 馬車を引く馬は、競馬などで走るサラブレッドとは違い、もっと強靭な肉体をしていて大きい。

 人を乗せたソリを引っ張る「ばんえい競馬」というものが地球にあるが、あれに使われる重量級のばんえい馬に似ている。

 他に違う点があるとすれば、ツノがあるくらいだろうか。それ以外は馬と呼んで差し支えない外見をしている。

 前から見るとかなりの迫力だが、馬の目は穏やかで人に十分慣れていることがわかった。


「ねえ、この馬車って好きなところに連れていってくれるの?」


 アンシュラオンが、御者だと思われる若いあんちゃんに声をかける。


「ああ、もちろんだ。指定してくれれば、街中ならどこでも行くよ」

「区間を走っている馬車とは少し違うね」

「あれは定期馬車だからな。こっちは指定馬車だ」


(バスとタクシーの違いかな?)


 アンシュラオンの想像通り、指定馬車はタクシーのようなものだ。どこにでも連れていってくれる代わりに少しばかり値が張る。


「下級街の『八百人』って店までお願いできる?」

「了解だ! 任せてくれ!」

「いくら?」

「五百円だな」

「けっこう安いね」

「そうか? そう思ってくれるなら嬉しいが、定期馬車だと百円もしないから高いほうだけどな。速度はどうする?」

「どういう意味?」

「こういう馬車は観光用にも使っているから、そうした要望にも応えているんだ。速くすることもできるが、定期馬車ほどは速度は出ないな」


 このタイプの馬は、スピードよりもパワーに長けている種である。

 実際この馬車の定員は十人なので、多くの人を安定した速度で運ぶことを目的としているのだろう。

 つまりは観光用というわけである。


(焦ることもない。ゆっくりと楽しむか)


「ゆっくりでいいかな。そのあたりは任せるよ。はい、千円」

「五百円のお釣りだな。待ってろ」

「細かいのはいいよ。釣り銭は邪魔になるし。そのまま取っておいてよ」

「おっ、さてはお前ブルジョワだな。なら、ありがたくもらっておくぜ! じゃあ、乗ってくれ」


 この世界にチップの習慣があるのかは知らないが、お釣りはいらないので五百円はあげる。

 受け取ってくれたので、観光用の馬車においては普通にあることなのかもしれない。また一つ勉強になった。


「サナ、乗ろう。手を出して」

「…こくり」


 アンシュラオンが先に乗って、サナを引っ張ってあげる。ちゃんと手を差し出してくれるので、なんだか嬉しくなる。


「それじゃ、出しますよー」


 そして、出発。

 馬の筋肉が収縮を始め、大きな馬車がゆっくり強く動き出す。

 少しずつ流れていく街の光景を見つめながら、アンシュラオンは思いに耽る。


(平和だな。それがこの都市の日常なんだろう。昨晩の騒動が嘘のようだよ)


 領主城に忍び込んだのは昨晩のことだが、すでにかなり昔のことに感じる。

 それはおそらく、サナがいるから。

 サナを手に入れる前と手に入れた後では、その充足感は天地ほどの差がある。世界が完全に変わってしまったかのように、すべてが輝いて見えるほどだ。


「…じー」


 そのサナは、流れる景色とそこに暮らす人々をじっと見ていた。

 このあたりは一般街なので、普通に働いている人が多い地域だ。汗水流して働く人々を見て何を感じているのだろう。

 同時に、昼間から働きもしていない兄を見て何を思っているのだろうか。


(まあ、人間の人生なんてそれぞれだ。地球にいた頃も、オレはずっと自由人だったからな。今とあまり変わらない)


 社会が変わる中でいつしか働き方も変わっていく。それにつれて評価基準も変わっていくものだ。

 それでも変わらないものは金。労働の対価となるもの。

 この世界でも金が意味を持つのならば、金持ちのアンシュラオンは優雅に馬車でスレイブ館に向かってよいのである。

 少なくともここは人間の社会。金が通じる世界。火怨山のような武だけが幅を利かせる世界ではないのだから、よりいっそう平和に感じるのだろう。




 時間をかけて、ゆっくりと街を見物しながら進む。

 一般街から下級街に移ると景観がだいぶ変わるが、その変化を見ているのも楽しいものだ。

 ここでようやく半分の道程といった頃、少し変わったことが起きた。


「お菓子あるよ」

「軽食もあるよ」

「甘い果実はどうだい?」


(ん? もしかしてオレたちに言っているのか?)


 馬車が下級街の通りに入った瞬間、カゴを持った女性たちが群がってきた。

 スピードを落としたのでおかしいと思っていたら、観光移動用の馬車は下級街の売り子たちと業務提携をしているようだ。

 彼女たちの売り上げの一部が馬車組合に入り、それによって馬を養う費用を捻出する仕組みである。


「ほらほら、美味しいよ! そこのカッコイイお兄さん、一つどうだい?」

「可愛らしいお嬢ちゃんも、お一つどうだい?」


 カゴの中に商品を入れて掲げ、歩きながら馬車の上に向けてアピールしてくる。お菓子や肉や野菜を挟んだパン、食べやすいようにカットした果実もある。

 子供二人が馬車に優雅に乗っている姿から、どこぞのお坊ちゃんとお嬢ちゃんだと思われている可能性がある。

 事実、金はあるので彼女たちの目は確かであるが。


「サナ、何か食べるか?」

「…じー」


 視線が明らかに一点に集中している。欲しいらしい。

 サナはしゃべらないので目で物を訴えてくる。よくよく観察していれば、何が欲しいかはすぐにわかるようになる。


「じゃあ、そのお菓子ちょうだい」

「まいどありー!」


 少し太ったご婦人が、クッキーがたくさん入った袋を差し出す。値段は二百円だ。

 クッキーの相場を考えれば高いが、観光地と同じく値段が割り増しになっているようである。

 だが、ブルジョワにとっては、はした金だ。


「千円でいいかな。お釣りはいらないよ」

「っ!! ありがとう! 嬉しいよ!! それじゃ、もう一個持っていきな!」


 御者のあんちゃんもそうだが、こういうときに遠慮しないのは逆に素敵である。あげたほうも気分がいい。

 が、その行為が周囲の熱を煽ってしまった。


「こっちのお菓子は美味しいよ!!」

「こっちも最高だよ!!」

「いや、ちょっと…そんなにたくさんは…」

「生活がかかっているんだよ! 買っておくれよ!!」

「息子が死にそうなんだ!」

「旦那が行方不明で!!」

「足がかゆくて!!」

「心が哀しくて!!」

「尻が割れて!」


 最後はもう意味がわからない理由で、ガンガン押し付けてくる。

 もはや問答無用で馬車の中に投げ入れるので、完全に押し売りである。


「わかった。わかったよ。買うからさ!」

「本当かい!! 金! 金をくれ!!」


(とんでもないパワーだ。デアンカ・ギースより強いんじゃないのか?)


 アンシュラオンが根負けするくらいに、おばさんパワーは凄まじい。

 正直、その執念は四大悪獣すら上回るのではないかと思えるほど活力に満ちている。生活がかかっている女性は逞しいものだ。

 しかし、このままでは埒が明かない。押し売りスパイラルに呑み込まれ、馬車の速度もさらに落ちている。

 御者のあんちゃんもさすがにまずいと思って打開しようとしているが、当たり屋のように前に立ち塞がって妨害してくるおばちゃんもいる。もはや暴徒である。


 こうなったら奥の手しかない。



「必殺! 紙幣ばら撒きの術!! とおおっ! さあ、好きなだけ拾うがいい!!」

「っ! お金だよ! お金が舞ってる!」

「これは私のもんだよ!!」

「誰にも渡すもんか!!」

「どきな! 全部私のもんだ!!」


 ロリコンにも語っていた『ばら撒き』攻撃が炸裂し、馬車の背後で醜い争いが勃発する。

 もはや視線は完全に金に移っており、馬車を追いかける者はいなかった。


「ふっ、やはりこの技は人を獣に変えてしまうな。人間の欲とは醜いものだ…」

「もくもく」

「サナは金銭欲よりも食欲か。女性は正直でいいな」


 さっそくサナはクッキーを食べていた。小さなお口でハムスターのようにかじっている。可愛い。

 そして、あっという間に全部たいらげてしまった。


(もしかしてサナは、けっこう食いしん坊なのかな? 太らせないように気をつけないとな)


 地球時代の友人が「女性は皮下脂肪が多いものだ」という理論で嫁を放置していたら、力士のような姿になってしまった恐ろしい過去がある。

 毎日一緒にいると見慣れるので、その異変に気がつきにくくなるのだ。罠である。

 アンシュラオンも、ついついサナを甘やかしてしまいそうなので注意が必要だ。




 そして、ついに目的の場所に到着。


 そこは―――スレイブ館「八百人」。


 相変わらずレストランのような見た目だが、店の前の看板には「現在営業中止」の文字が追加されていた。

 アンシュラオンが店内を壊したので、まだ営業は再開されていないらしい。


 それを見て―――清々しい気分になる。


(うん、まったく罪悪感を感じないな。これくらいで済ませたオレは、なんて優しいんだろう。今回、相当な損害が出たんだ。あいつにはこれからも死ぬ気で役立ってもらわないとな)


 馬車を降りて、ゆっくりと店に向かった。




78話 「サナとモヒカン 前編」


 店の扉に手をかけ、力を入れる。

 ガチャッ

 営業停止中ではあるが、鍵はかかっておらず開いていたので遠慮なく入る。

 どの道アンシュラオンは鍵がかかっていても壊して入るので、結果は同じであるが。


「モヒカン、いるか」

「あっ!! 旦那!!」


 あのあと最低限の補修はしたらしく、板が打ち付けられており、一応床というものがある。

 そこに目の下にクマを作ったモヒカンがいた。なぜか正座だ。


「どうして正座だ?」

「正座しないほうがいいなら…いたっ!」

「オレの前で足を崩すとはいい度胸だ」

「酷いっす!? じゃあ、なんで言ったっすか!?」

「言えば足を崩すと思ったからだ。崩したら石を投げてやろうと狙っていた」

「暴君より横暴っす!?」


 これに意味はない。単純にモヒカンに追加制裁を加えただけである。


「旦那、心配したっすよ! どうなったっすか!?」

「その前にこれもやろう」

「ひっ!」

「安心しろ。石じゃない」


 ドサドサと大量のお菓子を床に置く。押し売りされて困っていたブツである。


「何すか、これ?」

「見てわかるだろう。お菓子だ」

「それは見ればわかるっすが、意味がわからないっす!!」

「意味がわからないか? ならば、覚えておけ。これからオレが菓子を置いたら全部食え」

「はぁ、わかったっす」

「尻からな」

「尻から!?」

「承諾したんだから約束は守れよ」


 最後まで話を聞かずに承諾すると酷い目に遭うという、よい教訓である。

 それからサナを見せる。


「ほら、サナもいるぞ。万事上手くいったということだ」

「…じー」


 サナはじっとお菓子を見ていた。

 まだ欲しそうだが、さすがにカロリーが気になるのであげないでおく。


「それより領主はどうなったっすか! 朝から大変だったっすよ!」

「その様子だと、領主城で何かあったことは伝わっているようだな」

「はいっす。急に衛士たちが領主城に集まり始めて、裏の業界ではけっこうな騒ぎになっているっす」

「詳細までは知らないらしいな。…情報が広がるのが遅い。領主が口止めしたか? まあ、恥を晒すだけだからな」


 昨晩の出来事は、領主にとっては汚点である。たった一人の少年に好き勝手されたのだから立場がないだろう。隠すのも当然である。

 だが、人の口に戸は立てられないもの。そのうち嫌でも詳細は出回るだろう。


「今までどうしていたっすか? 逃げて隠れていたっすか?」

「馬鹿を言うな。オレが逃げるわけがない。ハローワークでお近づきになったお姉さんの家に泊まっていたんだ。サナの服もそこで借りた」

「…そんな! 自分がどんだけ心配したか! 徹夜で待っていたっすのに、女の家に泊まっていたなんて酷いっす!」

「冷静に考えてみろ。苦労して取り戻した後、わざわざお前に会いたいと思うか? 正直、ありえない選択だ。そんな暑苦しい顔を見たいわけがない。モヒカンより女性を選ぶのは当然だろうが」


 何が哀しくてモヒカンのことを心配せねばならないのだろう。

 こいつのことなど、どうだっていいのだ。


「どうせお前が心配していたのは自分の身だろう? まあ、そんなことはいい。ここじゃ椅子もない。裏の店に案内しろ。そこで全部話してやる。茶も出せよ。値段が一番高いやつだぞ」

「は、はいっす。相変わらず態度が異様に大きいっす!」

「言っておくが、オレはもう客ではない。お前たちの支配者だ。すべての財産をオレのためだけに使え。逆らったらどうなるかわかるな? お前たちをスレイブにして強制的に使役してやるぞ。オレにとって男は虫けら以下だから普通の生活が送れると思うなよ。最初の仕事はそうだな…くくく。お前たちの汚い尻を変態どもに安く売ってやろう。せいぜい楽しんでこい! それが嫌なら従え!」

「うう、とんでもない状況になったっす…」

「自業自得だ。命があるだけましだと思え」


 そもそもこの事態は、モヒカンが領主の圧力に負けたせいでもある。同情する必要はない。


(多少遠回りしたが、ようやく本来の路線に戻ったな。あとはサナのギアスについて詰めるだけだ)


 感慨深げにアンシュラオンは裏の店に行く。

 最初と違うのは、手に感じるサナの体温があること。

 このためだけにがんばってきたのだ。最後の詰めはしくじるわけにはいかない。




 裏の店に入り、椅子と茶を用意させる。

 サナも茶をすすりながら、少し高い椅子に足をぶらぶらさせていた。

 それがもう、とてつもなく可愛い。


「サナは可愛いなぁ。ナデナデナデ!」

「………」


 サナは、されるがままにナデナデされている。

 当人も嫌がっているわけではない。その証拠にサナの手は、アンシュラオンの服を握っていた。


「驚いたっす。こんなに懐くなんて一度もなかったっす」


 モヒカンが驚愕しながら、おかわりの茶を持ってくる。

 彼が管理していた頃は、サナは何の反応も示すことはなかった。敵意や哀しみすらもなく、まさにただの人形であった。

 それが一日経ってみたら、わずかながらであるが人間味を取り戻しているのだ。彼からすれば奇跡としか言いようがない。


「お前たちの愛情が薄いからだ。これが愛だ。人徳の力だ」

「はぁ、そうっすか。愛は偉大っすね」

「ようやくお前にもわかるようになったようだな。中途半端なモヒカンのくせに」

「そうなったのは旦那が引っ張ったからっす」

「ちなみに抜いたお前の髪は、よくわからないストーカー男に渡してきたぞ」

「怖すぎっす!? いったい誰っすか!?」

「知らん。ストーカーであることだけは確かだ。これも罰だと思って受け入れろ」

「一昨日あたりから罰ばかり受けている気がするっす…」

「まあ、モヒカンだからな」


 モヒカン = ひでぶ


「しかし、やっぱり領主と揉めたっすね」


 モヒカンが呆れたように言う。

 すでにモヒカンには事の顛末を話している。こういった男には正直に全部話したほうがよいのだ。巻き込めば逃げられなくなるからだ。


「やっぱりとは、どういう意味だ」

「最初から喧嘩腰だったっす」

「そりゃお前、自分のものを奪われたら誰だってそうするだろう」

「そうっすけど、自分だったら我慢するっす」

「それもお前の生き方だが、オレは違う。やられたらやり返す。相手の財産と生命が尽きるまでな」

「恐ろしい報復思想っす!」

「オレにとっては普通だと思うのだが…、お前たちは平和でいいな。それじゃ外の世界では生きていけないぞ」

「旦那はどこから来たっすか!? 恐ろしいっす」


 火怨山では相手を殺すまで戦いは終わらないし、一部の魔獣を除いて相手も死ぬまで殺しにくる。

 完全に相手を破壊し尽くすまでが戦い。家に帰るまでが遠足と同じことである。


(それを思えば、今回はオレも少し甘かったな。詰めはしっかりしないと後でツケを払うことになる。殺すときは最後まで殺しきらないといけない。だがまあ、結果的には悪い終わり方ではなかった。領主などいつでもどうにでもできるし、あの剣士のおっさんに貸しを作ったのは大きい。あとで利用できるかもしれないしな)


 もしガンプドルフがいなければ領主は死んでいただろう。そして、イタ嬢は楽しいスレイブ人生が始まっていたところだ。

 それを考えればガンプドルフの働きは相当なものであった。それに見合うだけの見返りを得られたかはわからないが、今後の領主とのやり取りでも大きなプラス材料になるに違いない。

 それを与えたのはアンシュラオン。

 見逃してやった、という貸しも与えることができたので、これはなかなか悪くない結果である。

 しかもイタ嬢は領主城に行けば、いつでも捕獲可能なので、いくらでも貸しを作ることができる。良い狩場を見つけたと思えば収支は釣り合うだろう。


「ところでイタ嬢のやつに、お前が情報を漏らしたことを言ってしまったが大丈夫か?」

「大丈夫じゃないっす。これから何が起こるのか怖いっす」

「オレのスレイブ確保計画に支障が出るようなら言えばいい。そのときは領主城ごと消してやる。せっかくの狩場が消えてしまうが、楽しい人生設計を邪魔されるのは一番イラつくからな」

「ま、待ってくださいっす! どうか殺すのだけは…!」

「殺すのは勿体ないから、スレイブにして強制労働させるか? お前らしい発想だな。それでもいいぞ」

「違うっす! もっとこう平和的にできないっすか?」

「そろそろ覚悟を決めろ。オレを取るか領主を取るか、二者択一だ」

「できれば両方の間をうろうろしたいっす」

「まったく…。それもまた商人らしいか」


 モヒカンのことは大丈夫だろう。領主にとってもスレイブは貴重な人材である。干してしまえば自分が困る。

 新しいスレイブ商と新しい絆を作るより、すでに慣れているモヒカンを使い続けたほうが楽だ。

 多少信用が揺らいだかもしれないが、アンシュラオンの力を見ている領主ならば納得するだろう。これは事故みたいなものだ、と。


「サナも手に入ったし、無理に事を荒立てることもない。この都市内部では穏便に動いてやる。安心しろ」

「本当っすか?」

「本当だよねー、サナちゃん」

「…こくり」

「ほら、サナもそう言っているだろう。可愛い、可愛い」


 アンシュラオンが再び、緩みきった顔でサナを撫でる。

 柔らかい頬も、ぷにぷにしてみる。


「し、幸せだ…。超絶に可愛いな。オレのものだぞ。オレのものだ。ふふふ…」


(やっぱり変質者っぽいっす)


 まだアンシュラオンが少年の姿だからいいが、少女を触りながら、にやけて「オレのものだ」とか言っているのは危ない人である。


 しかし、それ以上にモヒカンには気になることがある。

 じっとサナの首元を見るが、そこにジュエルは存在しなかった。代わりにアンシュラオンが買ったペンダントだけがある。


「精神ジュエルっすが、なんで壊れたっすか? 普通は専用の機器じゃないと壊せないどころか、外すのも無理なはずっす」

「オレは何もしていないぞ。勝手に壊れたんだ」

「そんなことはありえないっすが…」

「壊れたものは仕方ない。そもそも品質が悪いんだ」

「酷いっす。うちの商品はどれも最高品質っす! あのジュエルだって希少なもので、白スレイブの品質にも自信があるっす!」

「あー、わかった。わかった。お前の店の質が高いのは認める。サナがいたんだからな。それ以外の子もみんな可愛いよ」

「ご理解していただけて嬉しい限りっす」


 モヒカンが笑う。やはり自分の店の商品には愛着があるらしい。


「いきなり外したら精神に影響が出るのだろう? サナは大丈夫なのか?」

「うーん、それも人それぞれっすからね。どれくらい干渉されていたかにもよるっすし…素人じゃわからないっすね。ただ、その子に関しては良い方向に出たんじゃないっすかね?」

「…たしかにな」


 今日もずっとサナを観察していたが特段の変化はなかった。頷いたりぎゅっと握ったりする仕草が増えたので、むしろ感情が豊かになったようにすら思える。

 サナの精神は、どうも普通の人間とは違うようだ。あの黒い深遠が、たかだか軽度の精神術式で壊れるとは思えない。

 今のところ問題はないし、あったとしてもどうしようもないので、この問題は気にしないことにする。


「それよりギアスだ。確認するが、何でも好きに制約をつけられるんだな?」

「そうっす。白スレイブだけの特権っす」

「イタ嬢の様子を見る限り、キーワードで縛っていたようだが?」

「よく気がついたっすね。その通りっす。いくつかのキーワードをキーにして術式を発動させるっす。イタ嬢様の場合は、『友達』『仲良し』『服従』『共同生活』とか、そういったものを設定するっす」

「ただし、効果は当人の理解力に応じて変化する、だろう?」

「…そこまで気がつくとはすごいっす。もはやプロっす」

「それくらい見ていればわかる。やはりそこまで万能ではないか」

「所詮、機械っすからね」


 モヒカンも、そこは割り切ってやっているようだ。

 ファテロナを見ていればわかるが、ギアスがなくても契約すればスレイブなのだ。両人の意思があれば問題ない。

 そもそもギアスも、内容があまりに不当なものであり、当人が『本当に無理』と思えば効かないこともあるらしい。


(そういえば、イタ嬢との友達付き合いが無理で売られたスレイブもいる、と衛士たちが話していたな。ジュエルに込められるものなんて、所詮はそんなものか。しかし、やらないよりはよさそうだな)


 やるとすれば、『アンシュラオンの妹』といったものだろうか。一応、他の精神術式に抵抗するために『絶対服従』も入れておく予定だ。

 すでに精神術式にかかっていれば、他人からの支配系の精神攻撃に抵抗することができる。操られないようにするためにも有用なことなのだ。




79話 「サナとモヒカン 後編」


「ところでファテロナというお姉さんに会ったが、自分でスレイブ・ギアスを外していたぞ。あれの対策はあるのか?」

「あの人は特別っす。一応やってみたっすが、うちのジュエルじゃ無理だったっす」

「お前のところは最高品質なんじゃないのか?」

「あくまで一般で出回るものの中ではっす。規格外には対応していないっす」

「お前の悪い癖だ。すぐに見栄を張ろうとしやがる。それじゃ結局、たいして高品質じゃないってことだろうが」

「そうとも言うっす。でも、特殊な人より普通の人のほうが遥かに多いっす。どっちを優先するかといえば、やっぱり大多数の人っすよ」


 スレイブは一般人のほうが遥かに多い。コスト的に見ても、どちらを優先するかは明白である。

 緑のジュエルはたしかに特殊な人間には効かないが、一般人にとっては十分立派なものなのである。


(無感情のサナでさえイタ嬢の言葉に従おうとした。そのことからモヒカンのジュエルでも大丈夫なのは間違いないが…)


 精神の能力値は戦気量のほかに、術式に対する耐性判定もある。これが低いと精神系や能力低下系の術式にかかりやすくなる。

 スレイブの一人である忠犬ペーグの精神はD、一方のファテロナはCだった。ギアスが効く境目がこのあたりのようだ。

 サナはFなので、この問題はクリアしている。

 しかし、アンシュラオンはモヒカンをあまり信用していない。この男は使えるやつだが、話を鵜呑みにすると痛い目に遭うのは経験済みだ。

 よって、当初の予定通り、自前で用意することにする。


「ジュエルはこちらで用意する。お前の店にケチをつけたくはないが、あんなに簡単に壊れたら困るからな」

「壊れたのは事実っす。それで問題ないっす」

「使うジュエルってのは何でもいいのか?」

「ジュエルは術式を維持して強化するものっすから、それができれば何でもいいみたいっす。ただ、すでに特殊な効果が付与されているものだと使えないこともあるっす。ちゃんと精神に適合するジュエルでないと駄目らしいっす」


(嘘は言っていないようだな)


 アンシュラオンは、わざと知らない口ぶりでモヒカンを試す。特に嘘は言っていないようなので、とりあえず合格だろう。

 しかし、すでにデアンカ・ギースの原石は使えないことが鑑定で立証されている。

 それ以前に、イメージというのも大切だ。あのゾウミミズがサナに合うかといえば、まったく合わないと断言できる。

 あれが合うのはマッチョなスキンヘッド男くらいだろう。それ以外はピンとこない。


(…では、他に何かあったか? サナに合うような魔獣、その原石か。今まで会った中でそんなやつがいたか?)


 今まで出会った魔獣はいろいろいるが、第三級の討滅級以上に加え、火怨山以外という条件があるとかなり限定される。


(サナに似合うとすれば、綺麗な黒髪に合わせて考えたほうがいいな。白か黒…いや、それだと色が同じすぎて映えないか。緑は目の色と同じだし…、残った色は青とか黄色とかそっち系か? そんな色の魔獣はいたか? 青くて黄色い…)




〈―――青かったし毛が帯電してたから、たぶん違う種類―――〉




 自分が言ったかつての言葉が頭の中で響く。

 脳裏に、青と黄色の閃光が走った。その魔獣を見た時の印象である。


(あっ、そうだった。あれがあったな)


 それを確かめるように革袋に手を突っ込むと、そこには硬質な感触があった。


(まさか今まで失念しているとは…。よほどオレにとって価値がないものだったんだな。一度は捨てようとしたくらいだし…。駄目でもともと。とりあえず出してみるか)


「これは使えるか?」

「これは……青い原石っすか?」


 そう、ロリコンに買い取ってもらえなかった【青い原石】である。

 ジュエル自体にあまり興味がなかったので、完全に忘れていたものだ。

 忘れていたので腰の革袋に入れっぱなしであり、ポケット倉庫にすら入れていなかったという実に乱雑に扱われていたものである。

 斧とかハンマーとかを入れている大きな革袋のほうが邪魔だったので、そちらに意識が向いていたのだ。

 今現在、デアンカ・ギース以外となると原石はこれしか持っていない。これが駄目ならば、また新しく狩りに行くしかない状況だ。


「…じー」


 その原石をサナが凝視している。興味を示しているようだ。


「サナ、気に入ったか?」

「…こくり。じー、つんつん」


 どうやらサナも気に入ったらしい。見るだけではなく、指先でつついたりしている。

 こうしたジュエルにも相性があり、気に入るということは大切な要素である。

 どんなに高級で高品質でも、当人が気に入らなければ一銭の価値もないのと同じだ。


「旦那、これはどこで? かなり珍しいものだと思うっすが…」

「この街に来る前に狩った青い狼みたいなやつの心臓だ。討滅級魔獣だったと思うが…初めて見たのでよくわからん」

「討滅級魔獣! すごいっす! こんな大きな原石、初めて見たっす」

「そうか? 普通だろう? 山にいた頃は、こんなの珍しくもなんともなかったぞ。むしろ投石用に使っていたくらいだ」

「恐ろしいほどのブルジョワっす。札束で尻を拭くレベルっす」


 衛士を思い出させる台詞である。

 そんな汚い話題はすぐに忘れ、再び青い石について思いを馳せる。


(そう、あの魔獣は綺麗だった。今思えば、なんとなく気品があってキラキラしていて、女性っぽいイメージがあった。あれならサナに似合うかもしれないな)


 秒殺したせいでよく見てはいなかったものの、帯電した体毛が非常に美しかったことだけは覚えていた。

 サナの黒髪とエメラルドの瞳に対して、このブルーの色はよく映えるに違いない。そう考えれば、ますます似合うように思えてくるから不思議だ。

 サナの神秘的な美しさを引き出すには悪くない。


「で、使えるのか?」

「わからないっす。ちょっと時間をもらえるっすか。今から提携先の加工店に持ち込んでみるっす」

「加工できそうなら、そのまま完成させてくれてかまわない。早く付けてあげたいからな。このペンダントに合うようにカットできるか?」

「これはなかなか趣きのあるペンダントっすね。なるほど、そのためのものだったっすか」

「うむ、今日サナと買い物をしていて見つけたんだ。べつにチョーカーでなければいけないわけでもないのだろう?」

「そうっす。何でも大丈夫っす」

「そのわりにスレイブはみんな同じだな。どうしてだ?」

「うーん、言われるまであまり意識しなかったっすね。最初に決められた通りのままでやってきたっす」

「お前たちには美意識はないのか。せっかくこんなに美しいんだ。自分のものなら、もっと美しくしたいと思うのが当然だろうに」

「スレイブをそんなふうに見る旦那が少し変わっているっす。スレイブはスレイブ。自分らにとったら単なる労働力っす。そりゃラブスレイブなら着飾ることはするっすが…スレイブの証であるギアスまで気にしないっす」


 モヒカンたちにとって、スレイブはそこまで特別なものではない。日常のありふれた光景の一部だ。

 たとえば日常的に使うスコップに対して、「どうしてスコップを美しくしようと思わないんだ?」と言われているようなものである。

 スコップはスコップであり、その機能が優れていれば他の部分はあまり気にしないものである。

 むしろ、一目でスコップとわからないほうが問題に感じられるだろう。そのあたりの感覚の違いが如実に表れたやり取りである。


(なんだか凝り固まっているな。マニュアル人間じゃあるまいし、同じことばかりやっていてもつまらないだろうに。まあ、オレは好きにやるからいいけどさ)


 地球でも、形式に囚われる人々は大勢いたものだ。いわゆるマニュアル人間、ステレオタイプである。

 それが何かを考えずに、昔からの慣習ばかり重視する者たち。自分で考えない癖がついているので、与えられたままそれを維持することだけに執着するのだ。

 それはそれで良いシステムを維持させる場合には重要だが、新しい概念を生み出すデザイナーやプランナーなどには不向きである。

 モヒカンはあくまで店を管理する存在。ただスレイブの売り上げだけを求めていたので、そこまで気が回らなかったのだろう。

 「スレイブとはこういうものだ」という先入観が、新しいものを拒んでいた。


 そして、アンシュラオンほどスレイブに執着する人間が少なかった、ということも挙げられる。


 スレイブは道具にすぎない。ロリコンがスレイブを嫁にして少し恥ずかしそうにしていたように、スレイブを道具以外に使うことに対して、違和感や偏見があるのは間違いない。


(しかし、逆にこれは面白い。オレがスレイブの価値観を変えてやろうじゃないか。オレのスレイブがこいつらを足蹴にする光景は、想像するだけで楽しそうだ)


 アンシュラオンのスレイブになる存在は、当然ながら一般人よりも価値ある者たちだ。

 ならば、そのスレイブが今度は一般人を支配するのは自然な流れでもある。


 アンシュラオン > サナ >>>> スレイブ >>>>>>>>>>>>> モヒカンたち一般人 >> 領主・イタ嬢


 この弱肉強食、食物連鎖のピラミッドは絶対である。

 アンシュラオンから見れば、普通の人間もスレイブも同じ。あとは自分のものかどうか、の違いである。

 ただ、肝心のアンシュラオンの上に、姉がいる可能性があるのが若干気がかりではあるが。

 食物連鎖とは実に怖いものである。自分が上ならばいいが、下になった瞬間に地獄が始まる。


「とりあえず試してみてくれ。サナ、ペンダントを渡していいか?」

「…こくり」


 お気に入りのペンダントだが、あっさりと渡す。スレイブ・ギアスがなくても従順である。


「お前の汚い手垢を付けるなよ。布で包むか手袋で触れ」

「了解っす。では、行ってくるっす。できるだけ急ぐっす!」


 モヒカンに原石とペンダントを渡すと、そのまま店を飛び出ていった。

 すでにアンシュラオンの性格を知ったモヒカンは、特に文句を言うこともない。

 逆らわずに服従する。これがアンシュラオンに対するもっとも有効な手段だと理解しているからだ。

 さすがは商人。スレイブを求める人間が支配欲が強いことを知っている。その意味でも、案外やり手なのかもしれない。


(サナのジュエルはこれでいい。駄目ならまた探せばいいしな。しかしまあ、一晩で二億円も使うことになろうとは…どんな生活だよ)


 こうしてモヒカンがアンシュラオンに尽くすのも、「金の匂い」がするからだろう。

 実際に一億を軽く持ってきた少年ならば、誰でも嗅覚が働くものである。こいつは金になる、と。

 最後にガンプドルフと別れた時も、やたらこちらのことを気にかけていた。あれも何かしらの魂胆があるからだろう。

 裏の人間は利益で動く。モヒカンの潔い変わり身は、ある意味で清々しいものだ。

 表の人間も利益で動くが、常に建前を盾にして本音を隠すので面倒だ。それよりは裏の人間のほうが力に実直なので使いやすい。


(金はまた稼げばいいか。魔獣なら山ほどいるし、ここならブルジョワ生活を続けることも夢じゃないな)


 地球時代に、ちまちまと貯蓄していたのが馬鹿らしくなる。

 金とはこのように入り、このように消えていくものなのだろう。


 モヒカンが帰ってくるまで、サナとゆっくり過ごすことにした。




80話 「サナと契約 前編『青き輝きのジュエル』」


「旦那、加工が終わったっす」

「思ったより早かったな」


 サナに早めの夕食を食べさせ、まったりしていた午後七時過ぎ、モヒカンが戻ってきた。

 その手には、クッション箱に入った青く輝く美しいジュエルがあった。


「加工はそんなに早くできるのか? 急いで粗悪品になっても意味がないぞ」

「そこは大丈夫っす。一番腕の良い職人に任せたっすから問題ないっす。単純に最優先でやらせただけっす。職人もかなりやる気だったっすから、仕上がり具合には自信があるっす」


 モヒカンも「急がなくていいから良いものにしてくれ」と頼んだのだが、その原石のあまりの見事さに職人が魅了され、他の仕事を放り出して夢中になってしまったのだ。

 職人も芸術家である。その燃え滾るリビドーを爆発させ、一世一代の大仕事と言わしめるほど実に見事な出来栄えとなっている。

 ペンダントともぴったり。まさに職人芸だ。


「そうか。それなら安心だな。お前にしては張り切ったもんだ」

「そりゃもう、今後ともよろしくされたいっすからね」

「商売っ気を出しやがって。まあ、オレに従う限りはお前にも利益を与えてやるから安心しろ」

「ありがとうございますっす! 期待するっす!」


 そのモヒカンの欲望に塗れたにやけ顔は、人によっては嫌悪感を抱くかもしれないが、逆に信頼できるものだ。

 アンシュラオンにも一つの矜持がある。

 それは、どんな相手だろうが支配下に治めたならば利益を与える、ことである。


(人間は利益がなければ動かない。ただの暴力だけでは限界がある。それを前の人生で知ったからな)


 アンシュラオンが抱くある種の人間不信は、数々の失敗体験によって生まれたものである。

 だが、そのおかげで大切な教訓を得ることができた。人を動かすのは利益であると。それに例外はないと。

 その利益は金だけではない。その人間の自尊心だったり自意識の拡充であり、承認欲求と呼ばれるものであり、金では買えないものも当然含まれる。

 人間は誰しも他人あるいは神から認められたいという願望を持っている。これを抱かない者はおらず、むしろ人間はこのためだけに生きているともいえる。

 たとえば無私無欲はこの世界にありえない。なぜならば、いかなる無私の善行とて、霊はその先に未来と進化があることを知っているからだ。

 善行をしたという自己満足があり、正しいことをしたのだという正義感があり、社会に貢献したのだという充足感があり、自己犠牲を果たしたことによる陶酔がある。


 それすなわち―――【快楽】。


 人間は快楽を常に求めている。

 安定した収入、幸せな家庭を求めるのも、心の安息と快楽を得たいからである。

 そうした、その人間にとって居心地のよい地位や場所を提供することも、円滑に支配するうえで大切な要素の一つだ。

 モヒカンは単純に金だろうが、働きを認めてやることも彼の欲求を満たすことにつながるはずだ。それによってさらに役立ってくれるだろう。

 支配の対価に、その人間の欲望を満足させる。それはある種、もっとも対等な関係でもある。


「それで、そのジュエルは使えるのか?」


 デアンカ・ギースの例があるので少し心配だったのだ。これで使えないとか言われたら、さすがのアンシュラオンもショックである。

 だが、モヒカンは笑う。


「大丈夫っす。むしろ、凄いものだったっす! これが鑑定書っす!」


 モヒカンがジュエルの鑑定書を渡してくる。

 ジュエルに限らず、物品の価値を証明する際には鑑定が必須である。

 この世界においても鑑定は非常に重要な要素であり、このグラス・ギースにも鑑定屋があるほどだ。

 むしろ鑑定をしていないジュエルは怪しくて使えないというのが、この世界における常識らしい。


(なんだ、店に行けば誰でも利用できるのか。それならオレも最初からそうすればよかったよ。といっても、そこまで調べたいものではなかったから、どうせ放置だっただろうけどね)


 それから渡された鑑定書を見る。


「なになに? サンダーカジュミロン〈帯電せし青き雷狼の凪〉? それがあの魔獣の名前か?」

「そうらしいっす。調べてもらったっすが、かなりの希少種らしいっすね」

「あの程度の狼が…か」

「図鑑を見ても名前しかわからないそうっす。現物を見た人間はいないとかいう話っす」

「火怨山の麓の森にいたやつだからな。たしかにこのあたりでは希少かもしれないな」


 アンシュラオンが倒した魔獣は、サンダーカジュミロン〈帯電せし青き雷狼の凪〉という、狼型の希少魔獣であった。

 第五級の抹殺級魔獣にガルドックの上位種であるカミロンという狼がいるが、そのさらに上位となる存在である第四級の根絶級魔獣であるカジュミロンの、そのまたさらに上位の希少種である。

 このサンダーカジュミロンは第三級の討滅級魔獣に該当するが、希少性を考えれば第二級の殲滅級魔獣にも相当するという。

 このランク付けは、ただの強さだけを示しているのではない。希少性や有用性なども考慮されているから、弱くても上位指定になることがある。

 サンダーカジュミロン〈帯電せし青き雷狼の凪〉が得意とするのは、雷による攻防能力と、雷をまとった咆哮による精神衝撃波。

 感電させながら相手の精神もズタズタにする危険な魔獣である。不意打ちとはいえ、それを秒殺したアンシュラオンがおかしい。

 当然、そんな魔獣がこの付近にいるわけもないので、その原石ともなれば最上級の逸品であることだけは間違いないようだ。

 それを加工して作ったのが、この青いジュエルである。


「しかし、図鑑にも載っていないのに、よく魔獣の名前がわかるな」

「鑑定は術式っすから、使うとデータが自動的に紙に書き出されるらしいっす。そこに魔獣の名前が載っていたそうっす」

「ほぉ、それは興味深いな」


(物の情報を読み取る術なのか。とすれば、オレの情報公開に似ているな)


 アンシュラオンの情報公開は人間のデータを読み取り、鑑定は物のデータを読み取るものなのだろう。

 こうなると人間のデータを読み取る術式もどこかにありそうだ。


(読み取れるのがオレだけじゃない可能性は十二分にありえる。…ある程度気をつけないとな。まあ、読まれたところで何も変わらないけどさ。お互いに情報を知っていればイーブンだし)


 相手が読むならこっちも読む。マイナスにはならない。

 ただ、相手が密かに情報を取得していると遅れを取るので、そこだけは注意が必要だろうか。


「鑑定書には『雷の属性』とあるな。ジュエルにも属性があるんだな」

「発掘された地層の影響を受けるっすね。魔獣の場合は、その魔獣の属性が宿るみたいっす。用途と合致していると効果が倍増するっす」

「ギアスは何の属性が合うんだ?」

「そこまでは知らないっす。うちが使っているのは【汎用無属性タイプ】っすから」

「誰にでも合うようにってことか。それもまた道理だな。この青い石の適応タイプは…『精神』。こちらのほうがギアスに特化しているのは間違いないな」


 傾向としては、物理攻撃に特化している魔獣が『攻撃』、装甲の厚い魔獣が『防御』、術式などの攻撃を仕掛けるものが『魔力』と、それぞれ特性に応じてタイプも変化する。

 サンダーカジュミロンは精神攻撃を仕掛けるタイプの魔獣ゆえに、原石の適合タイプも精神。まさにスレイブ・ギアスにはぴったりである。

 また、このどれにも属さないものを『汎用』と呼び、何にでも使えるタイプもある。

 が、使いやすい反面やはり器用貧乏なので、どれかに特化したものより品質は落ちるらしい。


(属性に関してはあまり関係なさそうだな。重要なのは精神タイプかどうかだ。これだけ綺麗なのだから大丈夫だろう)


 アンシュラオンから見ても、なかなか美しい宝石である。

 非常に純粋で清らかで、サナにとてもよく似合う色合いだ。雰囲気も良い。


「加工屋は、これほどのものをスレイブに使うのは勿体ないと言っていたっす。売れば相当な額に…数十億は軽いと…」

「欲を出すな。それはサナへの【プレゼント】なんだ。欲しければまた違うのを取ってきてやるから諦めろ。それより準備をしろ。今からやるぞ」

「了解っす。それじゃ、さっそく機械にセットするっす」


 モヒカンが、術式を付与する機器を持ってきた。

 何かの液体が入った透明な筒が付いた箱状のもので、見た目は簡素だが高度な術式が付与されていることがわかった。


(これは思っていたよりすごいな。結界の術式レベルだぞ)


 城壁の上にあった術式も相当なものだったが、この機器もかなり高位のものである。作った人間は紛れもなく天才に違いない。

 しかし、用途が用途なので、それが善人であるかは疑わしいところだ。


(一度改めて解析してみないと何か仕込まれていたら怖いな。とはいえ、すでに確立された技術のようだから安定性は高そうだ。今はそのまま使ってみるか。しかしまあ、なんとも無造作に扱うものだ。無知とは怖いな)


 モヒカンは何気なく使っているので、その危険性にはまったく気がついていない。

 この世で一番幸せなのは金持ちや成功者ではなく、無知なのではないかと思える瞬間である。何も知らないとは平和なことだ。

 そんなアンシュラオンの思いをよそに、モヒカンは加工した青いジュエルを筒の中に入れる。

 液体に重みがあるのか、ジュエルは真ん中あたりで浮いていた。


「その液体は何だ?」

「術の効果を高める触媒っす」

「原料は何だ?」

「錬金術師から仕入れるっすが、中身は知らないっす。名前はたしか…『思念液』とか言うっす」

「錬金術師…リングを作ったやつか。腕は良さそうだが、どうにも胡散臭いな。変なことはしていないだろうな」

「術式自体、自分たちからすれば全部胡散臭いもんっすよ。疑い出したらきりがないっす。使えるものは使うっす」

「たしかに合理的な考えではあるが…。ところで一度付けたギアスは解除できるのか? イタ嬢のものが残っていたらどうする?」

「表向きには、ジュエルを外せばギアスは解除される、ということになっているっす。でも実は、ジュエルがなくなっても、しばらくその影響は受けるっす」

「精神に痕跡が残るんだな。理由はわかる」


 精神構造は、意識して作られるものである。

 たとえば英才教育のように、子供の頃から同じことを繰り返していると、潜在意識にその痕跡が刻まれて特定の構造が生まれる。それによって無意識に熟練した動作をすることができるようになる。

 言語や思想もこれと同じである。同じことをずっと考えていると、いつでも頭の中にそのことばかりが浮かんでしまい、自然と同じ考え方をしてしまうようになる。

 宗教家や思想家、経済学者などが、何があってもその理論に基づいた考え方をする理由がこれだ。頭の中にすでに独自の思考回路が生まれているので、新しい考え方ができなくなることが多い。

 精神術式はそうした新しい精神構造を刻み込むものなので、一度その構造が生まれてしまうとジュエルがなくなっても、しばらくはその影響が残る。

 その人間の意思が弱ければ、精神構造は残り続け、あるいは自ら強化してしまい、死ぬまで影響下に置かれることもある。

 精神術式とは怖いものなのだ。


(だが、サナがギアスをかけられていた期間は、たかだか半日。半日で素人がベテランにならないように、その程度ではまったく影響はないと思っていいな。それに、ベルロアナ程度の闇ではオレには勝てん)


 実際、アンシュラオンの光はベルロアナの闇を切り裂いている。

 あの光景は、つまるところ「精神世界での優劣」を示している。

 ベルロアナがかけた精神的圧力よりも、アンシュラオンの精神エネルギーのほうが圧倒的に強力であり、より上位のものだったのだ。

 それから判断しても、仮に影響が残っていてもアンシュラオンならば上書きはたやすいと思われる。

 粉々に砕き、消失させ、そこに新しいギアスを植え付けるのだ。もはや誰も立ち入れない領域である。

 逆にアンシュラオンがかけたギアスを誰かが外すのは、ほぼ不可能であることも示している。


「ふむ、その件は大丈夫だろう。それで、どうやる?」

「触媒用の術式が刻まれた緑のジュエルをここにはめて、あとは旦那がここに手を置いて、スレイブになる子はそっちに手を置くっす。それから契約内容を強く念じるっす」

「念じるだけか?」

「そうっすね。簡単っす。錬金術師が言うには、この液体が思念を術式に変換して刻み込むらしいっす」

「だから思念液か」


 使うものは、機械、思念液、触媒となるジュエル、それと刻み込むジュエルである。

 契約者の意識が思念液で増幅・変換され、触媒のジュエルに刻まれた精神術式を介し、新しいジュエルに刻み込まれる。そういう仕組みだ。


「では、さっそくやるか。オレはこっち、サナはこっちだ。ほら、手を置いてごらん」

「…こくり」


 アンシュラオンが、手型の形にくぼんだ場所に手を乗せ、その反対側にサナが手を乗せる。

 ちなみに腕がなくても、どこかしらが軽く触れていれば問題ない。多少離れていても大丈夫だ。そもそも精神は肉体にあるのではなく、霊体のオーラに格納されているからだ。

 ただ、手を乗せたほうが一般的には集中しやすい。それだけのことである。


(念じる。イメージを。サナとオレの関係を)


 アンシュラオンはイメージを膨らませ、強く、強く念じた。

 想像するのは、サナと一緒にいる自分。兄としての自分。妹としてのサナ。

 あの時、約束した誓いを思い出す。

 意思無き少女を自分の意思で埋めること。



 喜びを教えてあげること  ――― 笑っているサナの顔

 楽しさを教えてあげること ――― はしゃいでいるサナの顔

 怒りを教えてあげること  ――― 怒っているサナの顔

 痛みを教えてあげること  ――― 苦しそうなサナの顔



 最初はぼやけていたものが、少しずつ具体的な形になっていく。映像になっていく。事象になっていく。


(サナ、サナをどうしたい? 妹として愛したい。オレの本当の妹のように接したい。本物の妹よりも、もっともっと深く、オレの心の奥底まで埋めるような存在に! そして、オレもまたサナを埋められるような存在に!!)


 強く強く、強く思う。

 もっと強く もっと強く もっと強く
 もっと強く もっと強く もっと強く
 もっと強く もっと強く もっと強く

 サナに対する愛情をこれでもかと注ぎ込み、固め、圧縮し、燃やしていく。

 上昇し、下降し、うねり、回転し、ひしゃげるように想いが絡まった瞬間、不思議な現象が起こった。


 アンシュラオンの身体が輝きを帯び、室内を白い光で包んだ。



 その中に―――幻影を見る。



(サナ…? サナ…なのか?)



 それはサナの姿。

 ただし、サナは今の姿とは違う。

 もっと大きくなって背も伸びており、すっかりと大人びた雰囲気を醸し出している。


 しかし、黒い着物はズタボロで、手に持った黒く美しい刀も真っ二つに折れていた。


 場所は暗くてわからないが、周囲が赤く燃えていることがわかる。

 建物は崩れ、大地は割れ、木々は燃え、天は裂け、人々は倒れ、世界が哭(な)いている。


 空に輝く二つの禍々しい星が激しく衝突して、世界を破壊していく。

 そして両者が砕け、絡み合いながら堕ちていく。


 天が終焉を告げ、世界が割れていく。


 それは終末、まるで【災厄】が再来したかのような壮絶な光景である。



 サナは何かに立ち向かおうとしていた。折れた刀を構えて、戦おうとしていた。



 だが、それを一人の女性が止める。必死に何かを訴え、サナを引きずっていく。

 抵抗するが、すでに力尽きていたのだろう。がくっと倒れて、女性に抱かれながら引っ張られていく。



 そのサナは―――泣いていた。






81話 「サナと契約 後編『サナを守る愛の光となって』」


 ただ泣くのではない。泣きじゃくって慟哭している。嘆いている。

 手を大地に叩きつけて叫んでいる。

 刀を投げ捨て、喚いている。こんなものが何の役に立つのかと。

 希望は失われた。消えてしまった。

 すべては終わったのだと泣いている。


(泣いて…いる? サナが?)


 今のアンシュラオンには、まったく想像できない状況だ。

 あの無表情のサナが、こんなにも感情豊かに叫び、泣いているなどイメージの範疇を超えている。まるで他人を見ているかのような印象である。

 しかし、サナなのは間違いない。


 なぜならば胸には―――ペンダントがあるから。


 特徴的な銀色のペンダントの中に青く輝くジュエルが見えた。それは紛れもなく、今目の前にあるもの。

 ジュエルに大きなヒビが入っており、明滅も弱々しいが、ペンダントは一緒に買ったものだ。見間違えるはずがない。

 ならば、あれはサナなのだ。間違いなくサナなのだ。

 サナ・パムと呼ばれた少女であり、これからアンシュラオンの妹になる女性なのだ。

 そのサナが泣いている。心の奥底から泣いている。その光景は、見る者の心を激しく打ちつけるものであった。



 アンシュラオンも思わず―――涙を流す。



 サナの気持ちが伝わってきたから。こんなにも克明に伝わってきたから。

 失ってしまったものの大切さに気がついて、心が張り裂けんばかりに痛むから。

 そう、それこそが哀しみ。


(サナ、どうした? 哀しいのか? そう、そうだ。それが哀しみだぞ。人はな、哀しい時に泣くんだ。自分の存在すべてを吐き出して泣くんだ。今まで必死でやってきたことがあるから泣くんだ。幸せだったから泣くんだ)


 哀しみを知らない人間は強くはなれない。

 どんな力を持っていても本物にはなれない。


 失ったから―――それが幸せだったと気がつく。


 何気ない日常の大切さを思い知る。だからこそ日々を懸命に生きるようになる。激しく強く、それでいて優しく、世の無常さえも達観できる人生を送れるようになる。

 アンシュラオンもまた、過去の人生で多くの哀しみを体験し、そのたびに強くなってきた。

 初めてペットが死んだ日、親が死んだ日、誰かが死んだ日、寂しくて泣いた。失ったのだと泣いた。

 哀しみは等しく痛いもの。痛いからこそ魂が目覚める。

 哀しみのない人生は人生とは呼べない。痛みを生み出した神は偉大である。痛みこそが人を人間にするのだから。

 だが、サナにとっては初めての哀しみなのだろう。激しい痛みにのた打ち回る。嗚咽を漏らして苦しむ。

 助けてくれた女性を罵倒してまで、残ると言い出す。

 その女性もまた哀しそうな顔をしていた。泣いていた。涙は涙を呼び、世界に波紋を生み出す。



 その日、世界は―――泣いていたのだ。



 誰かを強く愛すれば、反動も大きくなる。

 それが美しい世界であったからこそ、失った痛みも激しいものとなる。

 サナにとって、そこは幸せの世界だったのだろう。だから失ったことが哀しいのだ。痛いのだ。

 だが、アンシュラオンは嬉しかった。


(ああ、サナ。お前はいつか本当の哀しみを知るまでになるんだな。オレは…それが嬉しいよ)


 それは約束を果たすことになるから。サナに感情を与えてあげたことになるから。

 アンシュラオンの中に温かいものが満ちていく。


 それは―――愛。


 サナに対する愛情、サナを守るための力、使い方を間違えればただの暴力になるものであるが、愛にもなる力。

 愛が、愛が溢れて、愛がこぼれて、光となる。

 光はサナを包み、抱きしめる。

 愛が、抱きしめる。その傷ついた背中を、折れた翼を癒すように。



 サナが―――振り向いた。



 美しい顔を驚きに変えて、こちらを見ている。

 もう失くしたと思っていたものが存在すると気がついて、さらなる衝撃を受けている。


(サナ、オレはいつだってお前と一緒だ。それをここで約束しよう。いや、【契約】しよう。オレとサナはすべてを分かち合い、すべてを共有し、愛し合う存在になるのだと誓おう。サナ、お前はそれでいいか?)


 サナは叫ぶ。


「―――に!! ―――から!!!! ―――を――す―から!!」


 何かを叫ぶ。

 途切れ途切れで何を言っているのかはわからない。ただ、それが愛の言葉であることはわかる。

 愛は、愛を引き寄せる。

 愛が、愛を守る。サナを守る。


 光に包まれたサナは、再び立ち上がって歩き出す。逆に女性を引っ張って進み出す。


 哀しみの中に―――決意を秘めて。


 砕け散った世界の中で、それは唯一の輝き。アンシュラオンとサナの愛が、世界の希望となっていくのがわかった。

 倒れた人々が、その光に向かって歩いていく。集まっていく。それがさらに大きな光になって、激動の大地を生み出していく。


 まるで―――サーガ〈叙事譚〉


 一つの歴史であり、一つの神話を描いた物語のように、燃え上がり、語られ、広がっていく。

 サナはその中心にいるのだ。


(ああ、サナ。オレのサナ。立派になって…オレは、オレは…)


 そのことに満足すると―――





 光が―――収束。





 媒介である緑のジュエルが砕け、液体の中にあった青いジュエルが激しく輝く。

 発光を続けるごとに少しずつ液体が減っていく。

 そして液体が空になった時、青いジュエルがころんと転がった。


 それと同時に映像も消える。


 まるですべてが夢幻だったかのように、周囲の光景が戻っていく。あの壮絶な世界から、いつもの日常がある世界へと変質していく。


「サナ…!?」

「…?」


 アンシュラオンが、隣にいるサナを見る。

 まだ幼いサナは、あどけない目で自分を見つめている。愛らしく可愛いサナのままだ。

 その姿が、さきほど見た美しい少女と重なる。やはり両者ともサナである。


(あの映像は何だ? 明らかに普通ではなかった…。だが、サナであることは間違いない。あの美しい黒髪とエメラルドの瞳は間違えようもない。ペンダントも同じだった。あの様子から察するに、まだ何年も先の姿だろうが…)


 映像のサナは、どう若く見ても十代中ごろから後半であった。

 今が十歳程度なので、最低でも六年か七年以上は先の姿であると思われる。


(それにあの姿、何かと戦っていたのか? …駄目だ。記憶が曖昧でよく覚えていない)


 徐々にその映像も記憶から消えうせていく。唯一覚えているのは、サナの泣き顔だけである。

 しかし、その顔には強い決意が宿っていた。そうまでして求めるものがサナに出来たということだ。


 だから、決めた。


「サナ、何があってもお兄ちゃんが守ってあげるからな。ずっとずっと一緒だ」

「…こくり」

「はは、サナは可愛いな。お前はこれからもっともっと美人になるぞ。それは保証できる。そして、大切なものもできる。笑うこともできるし、泣くこともできる。友達だってできるだろう。その環境をお兄ちゃんが作ってやる。そのうち戦い方も教えてやるからな。大切なものを守れるように強くしてあげるぞ」

「…こくり」

「よし、決まりだ! 一緒に歩もう!」


 サナを抱きしめる。その温もりを忘れないように、ぎゅっとする。

 この少女に【人生】を与えてあげようと思った。

 人が生きると書いて、人生と読む。

 一緒に歩いて、一緒に生きる。彼女とともに人生を歩みたいと願った。


(オレのすべてをサナにあげよう。オレが経験してきたことも、オレの力も、すべてサナを守るために使おう)


 それは初めてアンシュラオンが抱いた【本物の自己犠牲】の心だったのかもしれない。

 親が子供に感じる無償の愛。自分を犠牲にしても守りたいと願う純粋な霊の光である。


 世界は今、輝きを得たのだ。


 アンシュラオンとサナという、二つの輝きを生み出した。

 その光が、この大地を大きく変えていくことをまだ誰も知らない。当人たちでさえも。

 今はそれでいい。今はアンシュラオンが一方的に与える関係でいいのだ。その欠片が少しずつ積もって、本当の愛の結晶になっていくのだから。



 それから青いジュエルを拾う。


「これで完成か?」

「そうっす。ただ…、こんなの初めて見たっす」

「お前も見たのか?」

「そりゃ当然、見たっす。普通はちょっと減るくらいっすが…全部なくなったっす。これ、高いっすよ」

「何の話をしている?」

「へ? だから、その液体のことっす」

「液体がどうした?」

「いやだから、普通はちょっと減るだけっすが、なぜか全部なくなったっす」

「そんなことはどうでもいいだろう。それより映像を見たのか?」

「映像? 何のことっすか?」

「術式を展開すると映像を見る仕組みなのか?」

「?? そんな仕組みはないっすが…どういうことっすか?」

「それはこっちが訊きたいが…」


(モヒカンは見ていない? では、オレだけが見たのか…。ただの幻かオレの妄想が飛躍したか、どちらにせよ普通ではないようだな。まあ、すでにオレ自身が規格外のようだから、そういったことも起こるのかもしれん)


 細かいことを考えていてもしょうがない。

 見えたものは見えたのであり、モヒカンは見えなかった。それだけだ。

 しかし、感動に打ち震えていた自分とモヒカンの対比が酷い。一方は愛に感動しているのに、この男は金の心配をしているとは。


 それよりジュエルである。

 青いジュエルの中には、まるで放電が起こったかのような太く黄色い螺旋の筋が何本も入り、それが重厚な高級感を醸し出している。

 見るからに力のありそうなジュエルが完成していた。


「ルチルクォーツみたいだな。なかなか美しい」

「ペンダントにはめるっす。すでに接着専用の術式は発動しているっすから、押し込むだけでいいっす」


 アンシュラオンがジュエルをペンダントに押し込むと、まるでジュエルに意思があるかのように融合を始め、結合していく。


「これは便利だな。だが、まだこれでは弱い。強化しておこう」


 このままだと耐久性に問題があるので、二枚の符を取り出した。術具屋で買った核剛金と原常環の符である。

 符を起動。ペンダントが輝き、いくつもの術式記号が展開される。

 術式とは数式のようなもので、事象を制御する情報である。それを書き換えたり追加したりすることで実際の現象として顕現させるのだ。

 二つの強化術式によって、ペンダントは相当な強度を得ることになった。普通に使っていれば、まず破壊されることはないだろう。

 アンシュラオンが全力で攻撃すればわからないが、それに匹敵する事態はまず起こらないはずだ。


(術か…あまり興味がなかったけど術士の因子もあるんだよな。そのうち真面目に覚えてみようかな)


「ほら、サナ。お兄ちゃんからのプレゼントだ」


 出来上がったペンダントを、サナにかけてあげる。

 首にかけた瞬間、一回だけ青いジュエルが強く輝いた。まるでアンシュラオンの願いを聞き入れたかのように、サナを守る結界の如く雷が走ったのだ。

 モヒカンは驚いたが、アンシュラオンは驚かない。願いを託したジュエルなのだ。それくらいでないと困る。


「気に入ったかい?」

「…こくり。さわさわ。じー」


 サナは頷き、何度も触って、それから青いジュエルを凝視する。

 言葉は発しないが、そこには強い興味と興奮が感じられる。

 自分の愛を受け取ってくれたような気持ちになって、アンシュラオンも歓喜。


「これでよし! 正式にオレのものだ! うおおおぉおおお! やったぞぉおおおおおお!!!」


 この瞬間を待ちわびたのだ。感動ものである。

 本当に苦労した。がんばった。それゆえの達成感がある。


「それで、具体的にどんな契約にしたっすか?」

「べつに普通だ。兄と妹の正しい関係だよ」

「そうっすか。てっきり、もっとえぐいやつになるかと思ったっす」

「えぐいって具体的に何だ?」

「そりゃ、あんなことやこんなこと…」

「なんだ、それは?」

「もっとエロいことかと…」

「お前が何を考えているかは知らないが、オレは健全な関係を望んでいるぞ」

「そうっすか…案外まともっすね」


 と思ったモヒカンは、まだ甘い。

 この直後、このアンシュラオンという存在が、どれだけ歪んでいるかを知ることになる。


 サナを抱き上げ、愛しそうに言う。




「サナ、お兄ちゃんと結婚して―――子供を作ろうな!!」




「ぶっ!?」

「なんだ、汚いやつめ。サナにかかったらどうする」

「おかしいっす! 今、健全な関係って言ったっす!」

「健全だろうが。これが普通の兄と妹の関係だ。無知なやつめ」

「え? そうっす…か?」

「そうだよねー、サナちゃん」

「…こくり」

「そっかー、サナちゃんも嬉しいかー。でも、もう少し大きくなってからだねぇー。楽しみだねー。それまでいっぱいお世話するからねー」


 アンシュラオンにとって姉は恋愛の対象である。よって妹も同じ。

 もし姉が普通の性格だったならば幸せな家庭を築いていただろうから、今度は妹と同じことをするのは当然の運びである。


(恐ろしい人っす。完全に壊れてるっす。いろいろな意味で敵に回しちゃいけない人っす)


 モヒカンは改めて恐怖を感じる。

 ここまで歪んだ人間は滅多にいない。正直、イタ嬢のやっていたことが可愛く思えるほどだ。



 そしてこの後、アンシュラオンは非常に怠惰な一ヶ月を過ごすことになる。





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