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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第一章 「白き魔人と黒き少女」 編


11話 ー 20話




11話 「初めての接触」


「いらっしゃいませ。今日もいろいろと仕入れてきましたよ」

 その言葉で、やはりこのテントが行商のものであることがわかった。

 売っているものは食料と日用雑貨が中心であり、人々が楽しそうに買い物をしていることから、ここが平和な場所であることもわかる。


(いきなり殺し合いにならなくてよかった。なら、安心していろいろと見てみるかな)


 目に映るすべてが、アンシュラオンに新しい情報を与えてくれる。


(周囲は森で、見た感じでは大規模な耕作をしている様子はない。みんな買っているし、野菜は貴重なのかな? この村に生産品があるとすれば、狩猟で仕入れた肉の加工品とか、森で採れる植物とかか? もしくは、何かしらの特産品があるのかもしれないな。おっと、このフライパンは鉄かな? あっちの斧は、もうちょっと硬そうだな。ちゃんと鉄鋼技術はあるみたいだ)


 火怨山で使っていたフライパンなどの道具は、すべて魔獣の素材によって作られていた。魔獣の中には、鉄よりも硬い金属質の皮膚を持つものもいるので、それを加工していたのだ。

 もちろん、素手で。

 火が必要ならば、戦気を化合して火気を生み出せばいい。おかげで火属性は苦手なのだが、調理のために火気だけは使えるようになった。

 姉などは、火気の最上位属性である臨気を軽々扱い、破壊を楽しんでいた。実に恐ろしい。その力を平和利用しようとは思わないのだろうか。

 一方、アンシュラオンは基本的に温和なので、得意とするのは水である。

 単に生存のことを考え、回復効果のある水の最上位属性である命気を覚えたかったにすぎないのだが。

 話は戻り、それなりに普通に鉄鋼技術は使われているようであり、質も高い。

 そう思った理由は、手に取ってみた包丁にある。


(これは、すごいな。手打ちだな。たぶん、ちゃんと人が打ってる)


 特に知識はないが、包丁の切れ味がなんとなくわかる。見た瞬間に、包丁の質がわかるのだ。

 そして、これは良いものだ。

 大量生産品だとプレスで造ることもあるが、鍛造(たんぞう)で造られたものは、やはり違う。包丁一つ一つに、職人の気概を感じるほどに美しく、強い。


(これくらいの包丁なら、硬めの魔獣の皮も切れるな。皮焼きは、よく姉ちゃんにも作っていたよな。パリパリで美味しいんだけど、オレの場合は姉ちゃんの咀嚼物だからドロドロだったよな。せっかく辛くしても、姉ちゃんの唾液で甘くなるという……。今となれば懐かしい思い出だけどね)


「あの…」

「………」

「ええと、その。気に入りました?」

「…え? オレ!?」

「はい。包丁をずっと見ていましたから、気に入ったのかなと」


 一瞬、誰に話しかけているのかわからなかったが、どうやら自分のようだ。姉の咀嚼物の思い出が強烈すぎて、自分がいた場所をすっかりと忘れていた。

 売り子の少女が、笑顔でこちらを見つめている。

 深い紫色の髪の毛の可愛い女の子だ。やはりまだ幼さが残っている。


(包丁をずっと見ていたら、危ないやつだよな)


「いやその、良いものだなと思いまして」

「わかりますか? ちゃんと工房から仕入れたものなんですよ!」

「工房?」

「はい。アズ・アクスっていう工房製で、有名な職人さんの手作りなんです。本当は高いんですけど、お安く仕入れさせてもらってます。もともとは武器の工房なんですが、包丁も作り始めていて…その試作品なんです」

「なるほど…だからか」


 持ってみると、妙に手に馴染むのがわかる。

 これは、剣士の因子が道具(武具)の質を自動的に判断するからだ。

 因子の高い者が持てば、それがどれだけ優秀なものかがすぐにわかる。無意識のうちに【剣気】を流してみて、その伝導率を計測するのだ。

 今、アンシュラオンも無意識のうちにそれを行っている。


「どうですか? 質を考えればお安いと思いますが…」

「そうですね……あっ」

「え?」

「いえいえ、何でもないです!」


 ここで二つのことに気がつく。


(あれ? オレ、普通にしゃべってるな)


 一つは、言語が通じること。何の違和感もなく普通にしゃべっている。

 周囲の声を拾ってみてもわかることだが、多少のイントネーションの違いはあれ、日常会話は普通に交わしている。

 このことから、初めてのコミュニケーションでも問題がないことがわかった。これは朗報だ。

 しかし、もう一つは悲報である。


―――お金が無い


(そうだ。金なんて持ってないよな。山では金は使わないし)


 山では自給自足が基本である。必要なものは自分で見つけ、手に入れ、加工する。それもまた修練である。


(金…か。買えないけど、物価くらいは見ておくか。大根みたいなのは、一本5ゴールド。フライパンは80ゴールド。よくわからんが、1ゴールド=10円でいいか? 大根が五十円、フライパンが八百円、まあこんなもんだろう)


 あくまで日本の状況に合わせて考えれば、感覚的にそれくらいだろう。ここでは細かい物価のことはわからないので、自分に合わせて考えることにする。

 鉄が貴重ならば、もっと高い値段になるはずなので、これだけ安いとなれば鉄鋼技術もかなり進んでいるのかもしれない。

 そして、面倒なのでこれ以後、基本的には【円表示】にする。

 恒例の仕様である。


(包丁は、一万円。工房製以外のものは千円くらいからあるが、これと比べると質は相当落ちるな。…と、それより金だ)


 ここに経済という概念がある以上、まずは金を手に入れねばならない。

 むしろ金で解決できるのならば、それに越したことはない。奪い取ることなく物資を得ることができるからだ。

 物騒に聞こえるが、火怨山では常にそうである。「君の皮膚、ちょうだい」と言って魔獣に襲いかかるのだから。


(ぶっちゃけ、ずっと自給自足だったから、今後そこまで困ることはないと思うけど…欲しいものもある。そう、たとえばあれだ)


 目の前には【地図】が売っている。

 一番安いもので、値段は五百円。


(地図は欲しいな。ここがどこかわからないのが一番困る。あれだけは欲しいが…金がない。窃盗や強盗は極力避けたいし…。ならば、まっとうな方法で金を手に入れるしかない)


 では、どうやって手に入れるか、である。

 それには一つ、心当たりがあった。


(たまにゼブ兄が、師匠に命じられて下山することがあった。しつこく問い詰めたら、たしか魔獣の素材を売って、山で手に入らない日用品などを買う、と言っていた)

 陽禅公の自宅には、街で売っているような娯楽品もあったので、弟子には厳しく自分に甘い師匠であった。

 本当はもっと大量のアダルト雑誌もあったのだが、パミエルキがアンシュラオンに発見されないように、即座に燃やしていた。

 師匠は泣いたが、パミエルキには逆らえず、そっと枕を涙で濡らしていたようだ。どちらが師匠かわからない。


(オレが正当な手段で金を得られるとすれば、これしかない。訊いてみよう!)


「ところで、魔獣の素材なんかは…買い取ったりはしています?」

「はい、あちらでやっていますよ」


 普通にいけた。

 アンシュラオンは、まさに一世一代の賭けともいえる覚悟で言ったのだが、実にあっさりとした答えである。

 少女はテントの隣、やや大きい広場に設置された違うテントを指差す。

 そこでは男たちが獣やらを持ち込んで、解体作業を行っていた。


(やったー! 助かったー!! 自由になっていきなり犯罪者は嫌だったからな。よかった!)


「ありがとうございます!」

「いえいえ、どういたしまして」

「そういえば、その宝石…」

「え?」


 アンシュラオンは、少女の首のチョーカーにかけられた緑の宝石を見つめる。

 最初に見た時から、ずっと気になっていたものだ。


(いや、いきなり訊くのは失礼かな。この歳の子が付けていても、そんなにおかしいってわけじゃないし。気になるけど、今はいいや)


「あっ、やっぱりなんでもないです。いろいろとありがとう、可愛いお嬢さん。素材を売ったら、また来ますよ」

「はい、お待ちしていま…って、ぷっ、ふふ」

「え? な、何かおかしなこと言いました?」

「いえ、あなたも若かったので、ちょっと可笑しかっただけですよ」

「あっ、ああ…そうですか。そうです…ね……たしかに。オレって何歳に見えます?」

「うーん、十二歳か十三歳くらい? 私と同じくらいですかね? 違います?」

「…まあ、そんなところです。はは、ははは…」


(やっぱりそう見えるかぁ。そりゃそうだよな)


 自分の見た目はまだ少年のものだ。この容姿でお嬢さんとは、さすがにおかしいか。

 それに、話し方も丁寧すぎる。

 初めての接触で緊張し、ついつい大人の対応になってしまったが、これくらいの年齢ならば、もっと気軽に話したほうがいいかもしれない。


(合計すれば、八十近いんだよな。精神年齢的には)


 この世界に来てから、最低でも二十年以上は経っているはずだ。正確な日数は数えていないのでわからないが、少なくとも成人にはなっているだろう。

 それに加え、死んだのは五十代後半だったので、合計すればそれくらいになるだろうか。

 さらに霊界での日々を加えれば何百年にもなるが、あそこは時間の感覚が地上とは違うので別とする。


(年金もらう前に死んじまったしな。ああ、なんかもう懐かしい。というか、もうあまり思い出せないな…。まるで霞がかかったようで……かろうじて知識はあるんだけど、思い出や感情がついてこない)


 従来、再生を行うと記憶は潜在意識の中に格納され、思い出せなくなる。

 それは、そのほうがよいからだ。

 仮に以前の人生で殺人を行って、それを贖罪する新しい人生であった場合、記憶があると弊害が出るだろう。

 母親も、かつて殺人犯であった赤子を愛せるかと問われると、なかなか感情的には難しくなる。だからこそ、これは慈悲なのである。


 一方のアンシュラオンには、過去の記憶がある。前の人生の記憶が、一応ながら存在している。

 ただそれも、この世界に生まれてから相当希薄になっている。こちらの体験が鮮烈すぎたからだ。

 不思議なことに転生というのは新鮮なもので、新しい身体になれば精神構造も変わるのか、少年時代のようなドキドキを今も感じている。

 こうして初めての場所、初めての接触には特に心躍る。


(姉ちゃんとの初めての時なんて、ものすごい興奮したしな。恥ずかしい記憶だが、身体が若返るってのはこういうことなんだよな)


 歳を取れば、大学生くらいの女性でも子供にしか見えない。

 それがさらに下になれば、もう恋愛感情や性欲などは湧かないが、今の身体になってからは、そういったことも歳相応に反応するようだ。

 目の前の少女は、異性としてもなかなか可愛いと思えるし。


「よし、魔獣の素材を売って金を手に入れようか」




12話 「初めての素材売りという天啓」


 それから改めて、隣の解体施設に向かう。

 そこには一人の男性がいた。

 歳は二十代後半くらいだろうか。作業着を着た普通の人間だ。特に違和感もプレッシャーも感じない。


「ねえ、おっさん。素材売りたいんだけど」

「おお、そうか。じゃあ、出してみな」


 いきなりおっさん呼ばわりである。

 少女に対する時と明らかに対応が違う。男と仲良くするつもりはないので、べつにいいのだ。

 それに男も、さして気にしていないようである。そういう子供にも慣れているのだろう。


(逃げるのに必死だったけど、ちょこっとは集めていたんだよね。これも習慣かな)


 火怨山の麓から逃げていた時、戦うしかない状況の場合に限って、魔獣を狩っていた。そこで手に入れた素材がある。

 ただ、量は少ない。剥ぎ取れたのは最低限である。

 あまり狩りすぎても、それを目印に姉が追ってくる可能性があったので、わざと殺してから別のルートに行ったりと偽装工作もしていたのである。いちいち剥ぎ取るような余裕はない。


(うーん、どれがいいかな?)


 アンシュラオンは、白い革袋に手を入れる。この革袋も逃げながら作ったものだ。

 寝ていた白サイのような魔獣から硬い乾燥した皮膚を拝借し、偶然通りがかった巨大なネズミからは、すれ違いざまにヒゲを頂戴した。

 その手腕は、もはや天才スリ師に近い。相手が気がつく前に必要なものだけを奪い取るのだ。

 皮とヒゲを使い、紐付き革袋の完成である。


 ごそごそと探していると、硬質的な感触があった。

 それを出す。


「これはどう? けっこうなものだと思うけど」


 アンシュラオンが持っていたのは、透き通った青い石。掌よりも少し大きいサイズだ。


「これは…ん? 何の塊だ?」

「魔獣の中にはさ、心臓が鉱物のやつもいるんだよね」


 普通の魔獣の心臓は本当の臓器だが、第三級の討滅級魔獣以上になると、なぜか心臓が鉱物になる現象が確認されている。

 ちなみに魔獣のランクは八つ。

 強い順に―――


・第一級 撃滅級魔獣:都市すら簡単に破壊する獣
・第二級 殲滅級魔獣:軍隊でさえ討伐が難しい獣
・第三級 討滅級魔獣:通常の人間では対応できない獣
・第四級 根絶級魔獣:街に近寄った場合、根絶すべき危険な獣
・第五級 抹殺級魔獣:抹殺対象にすべき獣
・第六級 駆除級魔獣:駆除対象の獣
・第七級 益外級魔獣:益にならない獣、害獣
・第八級 無害級魔獣:無害なもの、家畜化可能種


 となっている。

 このさらに上位に、国すら滅ぼすという天災級魔獣というものがあるが、それはまず出現しないのでランク付けされていない。ちなみに、ゼブラエスが戦った天竜がそれに該当する。

 火怨山は、頂上に近づけば近づくほど魔獣が強くなっていく。アンシュラオンが住んでいた近くでは、第一級の撃滅級魔獣も普通にいた。普通に出会うのが第二級の殲滅級魔獣、たまに第一級の撃滅級魔獣といった割合だ。

 むしろ、第三級の討滅級魔獣以下は滅多に見かけない。おそらく上位の魔獣にびびって、テリトリーには近寄らないのだろう。

 アンシュラオンが倒したのは、そうした上位魔獣から逃げ、山の麓の森一帯で暮らしている討滅級魔獣。革袋の素材の魔獣も、それに該当する。

 アンシュラオンからすれば、可愛い動物程度にしか見えないが、普通の人間ではまず太刀打ちできない存在である。


「それで、どう? 値段は?」

「魔獣のものなんだよな? こんなの初めて見たが…」

「絶対に間違いないよ。狼みたいなやつだった」

「狼? ああいうやつか?」


 男は、近くに置いてあった獣の死骸を指差す。そこには、中型犬くらいの大きさの狼がいた。ガルドッグという種類で、第六級の駆除級魔獣だ。

 近隣で家畜などが襲われるので、駆除対象になっている魔獣である。

 戦闘力は、さほど高くはない。危険ではあるが、そこらのクワでも使えば大人でもなんとかなるだろう。相手が群れでなければ。

 だが、アンシュラオンが倒したのは、それとは違う。


「もっと大きかったよ。あれの三倍以上はあったかな?」

「三倍? 本当か!?」

「雰囲気は少し似ているけど、青かったし毛が帯電してたから、たぶん違う種類」

「そんなの聞いたことないが…本当に本当か? 嘘じゃないよな?」

「嘘だと思うなら連れてこようか? ここから五百キロくらい先の森の中に何匹かいたから、一匹くらいは簡単に連れてこられるよ」

「い、いや、遠慮しておこう…本当だったら嫌だし」

「だから、本当だって。疑り深いなぁ」


 が、やはり対応は難しい。


「すまん、ちょっと値段はわからない。悪いが、うちでは買い取れないな…」

「やっぱり、こんなもんじゃ値段はつかないの?」

「少なくとも、うちじゃ判断できないってことだ」

「そっか、残念。じゃあ、いらねーや。えーい!」


 まるで小石を拾った気まぐれな子供のように投げ捨てる。


「おいっ! 捨てるなよ!!」

「だって、値段つかないんでしょう?」

「いやいや、見た感じはジュエルの原石っぽいから、そういう店なら買い取るかもしれないぞ」

「そうなの? じゃあ、持っておこうかな。捨てるときは、欲しがる人の前がいいもんね。並ばせてから捨てれば、奪い合う姿を眺められるし」

「お前、案外性格悪いな」

「おっさんの姿に、昔を思い出してね…」


(カードのキラキラでよくやったなぁ。懐かしい思い出だ)


 小学生時代にカードが流行った時、大量のキラキラを持っていた。もう要らないからと言ったら同級生が欲しがったので、校庭に並ばせて三階からばら撒く、という余興をやったことがある。


(結果は悲惨だったな。醜い奪い合いだった…。あれで人というものを知った気がするな)


「宴会の余興にお勧めだよ。無礼講だと言いながら、部長とヒラの間に落として様子を見て楽しむんだ」

「どんな荒んだ宴会だよ。そんなの嫌すぎる!」

「それをツマミにして飲む酒は美味いよ」

「気まずすぎて酒が喉を通らないって。それより、他にないのか?」

「あとは、これくらいかな」


 革袋から、「金の林檎」のようなものを取り出す。キラキラと輝いた謎の物体である。

 樹木系の魔獣が頭から吊り下げていたので、なんとなく引きちぎったのだ。直後、魔獣は死んでしまったので、後味は悪かったが。


「見た目は金色だけど、臭いが変なんだよね。臭いが移ったら嫌だし、おっさんに引き取ってもらおうかな」

「おい、本人の目の前で言うなよ。買いにくいだろうが」

「だって、本当に臭うんだよね。ほら」

「ん? どれどれ……ん? ん? これはまさか……おお、うおおおおっ!」

「ほら、やっぱり臭かったでしょう?」

「い、いや、そうじゃなくて…」

「どうしたの? おっさんも人生で嫌なことでもあったの? わかる。わかるよ。オレも姉ちゃんといろいろあってさ…。世の中、うまくいかないよなぁ」

「違う!! これはあれじゃねえか!? 【聖樹(せいじゅ)の万薬】じゃないか!?」

「何それ? 林檎の種類?」

「名称で少しは推測しろよ! 薬の原材料だ」

「どう見ても林檎じゃん」

「これを煎じるんだ。それが万能薬の元になるんだよ」


 聖樹の万薬。

 あらゆる病、特に伝染性の熱病や感染症に対して、ほぼ完璧に治癒させるという幻の妙薬である。

 これは林檎に見えるが、中身は抗生物質の塊のようなもの。あらゆる侵入物に対して攻撃を仕掛け、中和させる力を持っている。

 聖檎樹(せいごんじゅ)と呼ばれる樹木系魔獣が、数百年かけて生み出す希少なものである。

 そこには彼らの生命力のすべてが詰まっているので、もぎ取ると死んでしまう。アンシュラオンがたまたま取ったものが、それであった。

 樹海の奥深くにいるので、普通はなかなかお目にかかれない魔獣だ。


「ふーん。そうなんだ」

「反応薄いな!? これ、すごいぞ! 普通に数百万はするぞ!」

「これが? 本当に?」

「単純にそのまま使ってもいいし、他の薬に混ぜることで効果を増幅させる効果もあるから、薬師にとっては重宝するんだ。最近、値が上がっていてな。なかなか手に入らないって話だ」

「じゃあ、買い取って。二百万でいいよ」

「お前、さっきいらないって…」

「この林檎、すごくいいと思っていたんだ。やっぱり金色っていいよね。品格があるっていうかさ」

「さっき、臭いって…」

「今にして思えば、あれが高貴な香りってやつだったんだね。高い酒だって、味がわからないやつには良い匂いじゃないもんね。だからほら、金よこせ。金を出せ。さっさと出せ」

「いきなり強気だな!?」

「ほら、欲しいんでしょ? どうせもっと高値で売るんだろうから、早く出しなよ」

「それは…そうだが…。ううむ、買い取りたいところだが…手持ちがな…」

「有り金全部でいいよ。財布ごと全部出せ。小銭も一円残らずな。お守りの五円玉も出せよ」

「それはそれで鬼だな。ここにあるのは六十万ちょいだが…他に何か…。ああ、妻はやれんぞ! 絶対にだ!」

「妻? 何言ってるのさ。オレがそんな鬼畜に見える?」

「ばら撒いて楽しむようなやつだからな」

「それは忘れてよ。でも、妻を奪うなんて寝取りゲーじゃあるまいし…って、妻がいるの?」

「ああ、いるぞ」

「脳内じゃなくて?」

「なんで信じないんだ!? さっきお前も話していただろう? あの子だよ」


 男は向こう側のテントを指差す。

 そこで働いている、中学生くらいの少女を。


「おっさん、犯罪だぞ。歳の差を考えろって」

「愛に歳の差なんて関係ないだろう?」

「限度はある。恥を知れ」

「あれ? 初対面だよな? そのわりに厳しいような…」

「まあ、べつにいいけどさ。だからといって、オレが奪うわけじゃ…」

「スレイブでも俺の嫁だ。渡さんからな」

「だから嫁なんて……スレイブ? スレイブって何?」

「スレイブはスレイブだが…知らないのか?」

「知らないな。何それ?」

「まあ、なんつーか、あれだ。お金を出して手に入れるというか、そういう感じの…」

「犯罪の臭いがするけど大丈夫か?」

「お前なぁ…。これはちゃんとした制度なんだぞ」

「そこんとこ詳しくお願い」


 スレイブ。

 契約を交わすことで、主人のあらゆる命令に従う存在。

 契約には【精神術式】を使うため、当人の意思では逆らえない。


「それって、奴隷ってこと?」

「語弊があるが……だがまあ、うん、そう言われると困るが…似たようなものだ。いやぁ、俺にはもったいない嫁さんでさぁ…」

「このロリコンがぁああああああああああああ!!」

「ええええええ!?」

「満足か!? あんな少女をたらしこんで! 命令して! 支配して!! 毎晩卑猥な命令をして楽しみやがって!!! どんなブルジョワだ、貴様は!!!」

「ぐぇええ、苦しいぃ!」


 簡単な説明を聞いたアンシュラオンが、突如激怒。襟首を締め上げ、男を詰問する。

 姉の奴隷であった自分にとって、そうした支配は忌み嫌うもの。自意識過剰になっている今の彼には、他人事ではない。

 つまり、勝手な八つ当たりである。


「違うって…。誤解だ…」

「何が誤解だ! ああ? 何でも言うことを聞くんだろう!? なんて羨まし……じゃなくて、許さん!」

「それはそうだが…。彼女は、三等スレイブで、ちゃんとしたスレイブなんだ…!」

「ちゃんとした奴隷ってなんだ!? 奴隷はあれだろう! 毎日、イヤらしいことをして楽しむもんだろう!?」

「それこそ偏見じゃないか!? そりゃまあ、ラブスレイブもいるが……俺はまっとうな人間だから普通のスレイブを…」

「ラブスレイブ!! 何だそれは!? その響きは!! 教えろ! どこで手に入れた!? どこにある!? どうやるんだ!?」

「その前に…手を放して…」


(スレイブ? なんだその響きは!? 何かぐっとくるものがある! しかもラブだと!? ラブが付くものは正義のはずだ。何か、何かあるぞ、これは!!)


 天から光が差し込んだ気がした。

 この瞬間から、彼の宿命が動き出す。




13話 「ロリコン先生のスレイブ講座 前編」


 スレイブ。

 奴隷という意味合いでもあるが、一般的に想像する【悪い意味での奴隷制度】とは多少違う側面がある。


 まず、彼らには【等級】が存在する。

 これは、スレイブの社会的身分を示すもので、六段階存在する。


優等スレイブ:最上級のスレイブ。司令官や総督など、支配者階層。
一等スレイブ:上流階級の奴隷。一般市民よりも上に位置する。
二等スレイブ:中流階級。選挙制度がある場合、投票権がある。
三等スレイブ:市民権のあるスレイブ。一部の参政権が認められる。
四等スレイブ:労働者階層。一般労働者。一般的なスレイブ。
劣等スレイブ:それ以下の存在。従来の悪い意味での奴隷。


 最下層の劣等スレイブは、たしかに悪い意味での奴隷制度を象徴するように、場合によっては消耗品扱いされ、劣悪な環境下に置かれることもある。

 が、殺せば殺人罪が適用される場所が多い。

 当然、守られないこともあるが、それはスレイブでない人間だって同じである。その意味では両者に違いはない。


「先生! 奥さんは三等スレイブということですが、普通とは違うんですか?」

「うむ、そうだ。三等以上は、一般市民と大差ない扱いになる。申請が通れば下級市民権を得ることもできるんだ。俺も下級市民の資格を持っているから、スレイブという縛りはあるが同格ってことだな」

「権利が守られている、ということですね! 素晴らしいと思います!」

「そうだろう、そうだろう。だから結婚しても大丈夫なんだ」

「質問です! 結婚に年齢制限はないんですか!?」

「……ない…な」

「間があった! ロリコン、間があったよ、今!」

「ロリコンじゃない! 愛の勝利だ! それに今の俺は先生だぞ。しっかり聞きなさい」

「はい、失礼しました!!!!」


 ここは魔獣解体用の広場、その空きスペース。

 そこではいつの間にか、正座で講義を聞いているアンシュラオンがいた。

 ものすごい食いつきである。人生において、一度たりとも本気で物事を聞いたことなどなかった彼が、今回ばかりは真剣に話に耳を傾けている。


 ロリコンの妻は【三等スレイブ】という地位にある。

 街での市民権があり、生活上は一般市民とほぼ同じである。一部の参政権から除外されるなど完全に同じではないが、一般的に三等以上になれば、もう普通の人間と大差ない。

 スレイブの中でもっとも数が多いのが、四等の労働者階級のスレイブだ。

 彼らは都市間を自由に移動する放浪タイプの労働者であり、ごくごく一般的な被雇用者たちであるといえる。

 基本的に定住しないので、契約は期間限定の【レンタル】という扱いになり、それが終わればまた違う都市に移動する。日本でいえば、不法滞在している外国人労働者のようなものだろうか。

 契約者に気に入られたり、住居を得ることができれば、三等スレイブになることもできる。そうなれば日雇いだけではなく、普通に就職も可能である。

 二等以上になれば、その数はかなり少なくなるが、いないわけではない。

 たとえば貴族や、政府や軍の高官などに雇われる者は、必然的に身分が一般人より高くなる。そうしないと難易度が高い仕事ができないからだ。


「優等スレイブなんているんですね!?」

「俺も話にしか聞いたことないが、そういうスレイブもいるらしい。南では、将軍をやっている者もいるというな。そういったスレイブは、持ち主が国王とか最高司令官とか、地位の高い人間と契約している者だろう。その場合、そこらの領主より地位が高くなるな」

「なるほど! つまりスレイブの本質とは、【資産】である、ということですか?」

「いい着眼点だ。その通り。一般人とスレイブの最大の違いはそこにある。一般的にスレイブは、【所有物】として扱われているんだ。だから取引に使われることがある。動産扱いだね」

「しょ、所有物!? そんなのいいんですか、先生!? 人間ですよ! 倫理的にどうなんですか!?」

「もちろん対外的には嫌う者もいるが、彼らの多くは自ら望んでスレイブになるんだ。なら、問題ないだろう?」

「そ、そんな!? どうしてですか! マゾなんですか!? 支配されたい欲求女子ですか!? わかります!! 大好物です!」

「なんで女子限定なんだ!? 男だっているだろうに。まあいい。これはいわゆる【自己アピール】だ。自分の有能さをアピールして就職先を紹介してもらうのと同じだよ。通常の雇用契約を、より濃密にしたのがスレイブ制度の根幹だ」


 戦争や紛争によって、敵対する勢力の民間人を捕まえ、強制的にスレイブにすることもある。そうした場合は劣等スレイブにされ、玩具にされることがあるのは致し方のない事実だ。

 だが、そうした中でも有能な人材にはしっかりとした値が付き、恵まれた境遇で暮らせることが多い。

 なにせ、人材不足。

 それがどんな社会であろうと、人材は常に不足する。社会全体が優れていても、それに見合うだけの人材を育成するのは至難だし、劣った社会でも一般人並みの教養を持つ者は同じく貴重である。

 また、経済的に困窮した場合、手っ取り早く身の安全を図ることができる。

 悪く言えば身売りではあるのだが、不当な暴力によって搾取されるよりは、強い力を持つ人間に保護してもらったほうが安全だ。

 少なくともスレイブ専門の商人が保護している間は安全だし、嫌な相手ならば契約が成立しないこともある。スレイブ商にとっても大切な商品なので、粗末には扱わないからだ。

 どれくらい選り好みできるかは事前契約次第だが、基本的に自己の意思は尊重される。自分の人生は自分で決めることができるのだ。

 それが能力の高い人間ならば、さらに重要視される。嫌々働いても、人間は力を発揮しないからだ。


 よって、スレイブには等級同様、個人の能力に応じてランクがある。

 これも、六つのランクが存在する。


上級スレイブ:希少性が高い存在。世界に数百人程度。
一級スレイブ:付加価値のあるスレイブ。武人や特殊技能など。
二級スレイブ:健康で容姿や体格に優れたもの。より高度な知識や教養がある者。
三級スレイブ:一般的な教養を持ち、計算などができるもの。
四級スレイブ:三級より劣るもの。
下級スレイブ:さして役に立たない資源とされている存在。


 となっている。

 ロリコンの妻は計算ができ、売り子などの能力があるので三級に属し、等級と合わせて「三等三級スレイブ」と呼ばれる。

 一般市民階級であり、一般的な教養を持つ人材。

 という意味である。

 このランクとなると、労働者としては十分立派で、信用ある商会の店員として雇われることもある。当然その場合、ちゃんとした労働契約が結ばれる。


「ロリ子ちゃんとは、どこで知り合ったんですか?」

「ロリ子ちゃんはやめろって!! 犯罪臭がするだろうが!」

「でも、ロリコンなんですよね? わかります」

「何が!? 何がわかるの!? 顔!? 顔がそうなの!?」

「先生のこと、よくニュースで見ました。先生ならいつかやると思っていました」

「ただの犯罪者じゃねーか!? 捕まった時に出るやつだろう!?」

「それで、どこで出会ったんですか?」

「俺がまだ街で商売をやっていた時、問屋で働いていてさ…。一目惚れだったんだよなぁ。それでさ、へへ、譲ってもらったんだ。けっこう吹っかけられたから、それはもう値が張ったんだぜ。それでも欲しかったから、がんばってさ…。なんつーの? 給料の三倍ってやつ? いやー、がんばったねぇー」

「このロリコンがあぁああああ! やっぱり強引じゃねーか!!!」

「ちがっ、ちがうっ! ちゃんと意思を確認したから!? 両想いだから!」

「本当か? 怪しいもんだな」

「信じろって。それに彼女も外の世界が見たいって話でな。じゃあ、一緒に行商でもやろうかって今に至っている」

「それで、先生はどうやって結婚したんですか!? 詳しくどうぞ!」

「変わり身早いな。詳しくもなにも、スレイブとは普通に結婚できるんだ。市民権のある三等スレイブだと、もう一般人と大差ないからな。本当はもう少し時間を置いてからと思ったんだけど、体裁があるしな」

「つまるところ、猛る情欲を抑えきれなかったというわけですね! 早くむしゃぶり尽くしたいと!!」

「お前にとって、俺は野獣なのか!?」

「その気持ち、わかります。オレもむしゃぶりつきたい。だから本音でどうぞ!」

「誤解を招く発言はやめろって。…そう言われると完全否定はできんが、それだけならば彼女じゃなくてもいいんだから、そこは忘れるなよ」


 当然ながらスレイブではなくても、娼館で働く一般女性もいる。情欲だけならば、そこで満たすこともできるのだ。

 また、普通に結婚したいならば一般市民だってかまわない。あえてスレイブである必要性はない。


「それにスレイブと結婚ってのは、やっぱり世間体がよくないこともあるからな。あまり公言したくはないもんだ」

「だから過剰反応したんですね。言い訳が先に出たと」

「どんだけ心を抉ってくるんだ、お前は!?」

「ところで先生、ふと気になったんですが、奥さんの首にあった宝石って…もしかして術式がかかってます?」

「おっ、よく気がついたな。そうだ。あれが【スレイブ・ギアス〈主従の制約〉】だ」




14話 「ロリコン先生のスレイブ講座 後編」


 アンシュラオンが少女を見たとき、最初に目に入ったのが緑色の小さな宝石であった。

 なぜ気になったかといえば、明らかに術式とわかる波動が出ていたからだ。

 術士の因子がある者は、術式を感知できる。因子のレベルによって感知できるものは異なるが、アンシュラオンの術士因子は5。術はまだ使えずとも、たいていの術式ならば解読することが可能だ。

 解読の結果、精神術式の一種だとはわかっていたが、それが何のものかまではわからなかった。それが、男の説明ですべてを理解できた。


「あの精神術式で、逆らえないようにしているのですね!?」

「そうだな。契約に逸脱するような行為や、犯罪行為ができないようになっているんだ。便利だろう?」

「人権侵害じゃないんですか!?」

「そこにこだわるね、お前さんは」

「いえ、そこが解決できれば、あとはもう情欲の赴くままにウハウハの予定なんで!」

「正直すぎる!! 少しはオブラートに包んでくれ」

「正直者であることが取り柄なんで! それで、続きは?」

「何百年か前、スレイブ階級の人間が反乱とか大きな事件を起こしてね。それから安全装置として付けられるようになった、っていう話だったかな」


 単に契約に違反してしまった、という話ならばよかったのだが、最初から契約を破るつもりで入り込み、中からクーデターをするという事件が起こった。

 それ以来、契約遵守のために、こうしたものが認められるようになった。当然、自らの意思でつけるので人権侵害ではない。


(見た感じ、かなり粗雑なんだよな。あれで制限できるとすれば、反抗意識を持たせにくくする、っていう程度かな)


 精神術式にも多様な種類と、強弱のレベルが存在する。

 アンシュラオンが見る限り、ロリコン妻にかかっている術式はあまり強いものではない。

 せいぜいが、「〜しようと思わない」程度の軽いものだろう。完全なる強制力を持つ凶悪な精神術式とは異なる。


(たぶんオレにはまったく通じないだろうけど、一般人ならばあの程度で十分ってことか。そういや、姉ちゃんは竜を簡単に支配していたけど、あれを人間にかけたら精神が壊れそうだな。そういう意味合いもあって、軽いものになっているのかもしれないな。そのあたりは専門領域だし、おいおい調べていこう)


 それより、である。


「先生、ラブスレイブとは!? やはり、アレですか!?」

「まあ、アレだな。そういう目的のためのものだ」

「何でもしていいんですか!?」

「それも相手によるというか、どういった条件で売りに出されているかが重要だ。ちゃんと確認しないと、後で台無しになることもある」

「ふむふむ、メモメモ!」


 左腕に火気を使って「ラブスレイブ」と大きな焼き文字を入れていく。

 その異様な執念にロリコンは戦慄した。

 絶対に忘れないという気概が見えたからだ。この小さな身体のどこに、これだけの情念が宿っているのだろうか。恐ろしい少年だ、と。


「なるほど、なるほど、だいたいわかりました!」

「そうか。納得してくれてよかったよ」

「先生、オレでも買えますか!?」

「え? あ、ああ。もちろん買えると思うが…。年齢制限は特に無いな。それと場所によって、いろいろと条件があることもある。たとえば市民権が必要な都市もあるから、そこは確認したほうがいい。辺境に行けばいくほど緩和されるが、それだけヤバイ代物もあるってことだから注意しろよ」

「ためになります! それで、いくらですか!? 何円なんですか!?」

「顔が近い! やる気がありすぎる!?」

「従順な女の子なんですよね!? それって、逆らわないんですよね!? 逆らっちゃ駄目なんですよね!?」

「契約でそうなっていれば、だけどな」

「エッチなこともしていいんですよね!?」

「ラブスレイブだったらな。普通のスレイブでも、そういった条項がある者もいるから、そういうのならば…」

「買います!! どこで買うんですか!!!」


(これだ! オレが求めていたものは、これだったんだ!!)


 この時、アンシュラオンは気がついてしまった。

 自分の目的は、姉とは違う従順な女の子とイチャラブしたい、というもの。

「なら、スレイブでいいんじゃね? 逆らわないし、何でも言うこと聞くし。金で済むのならば、こんな素晴らしいものはない!!」

 と。


 最低の発想である。人間としてどうかと思う。

 だが、そういう仕組みがあるのならば利用しない手はないだろう。もし嫌なら、やめてしまえばいいのだから、まずは気軽に利用してみればいいだろう。

 そう、何事も試してみなければならない。それが人生経験であり、社会勉強というものだろう。

 何が悪いというのだ。うん、悪くない。むしろ素晴らしい!!


「ビバっ!! 素晴らしい!」

「どわっ、びっくりした!? まだ答えてないぞ!?」

「あっ、そうだった。どこですか!? どこでぇえええええ!」

「ぐえっ! だから首を…絞めないでくれ。大きな街とか、スレイブ商がいる場所ならどこでも…」

「どこだ! 近隣なら、どこにいる!?」

「そこらの集落にもいるかもしれんが……最初なら大きい店がいい。大きい店は信用もあるから、初めての客にも親切だ。そうだな…南東にグラス・ギースっていう大きな街がある。そこなら多くのスレイブがいるはずだ。もともと俺もそこで働いていたからな」

「グラス・ギースですね! メモメモ! じゅうう」


 また焼き付ける。

 それにロリコンは再び戦慄した。


「先生! ありがとうございます!!」

「う、うむ。感謝したいのはこちらのほうだ。あんな凄いものを六十万で売ってくれるのだから…」

「スレイブって、いくらですか?」

「ピンキリだな。三級にもなれば、百万以上は…」

「やっぱり、違うところで売ります!!」

「心変わりが早すぎる!? 売ってくれ!! 教えたじゃないか!!」

「ええい、放せ! オレにはスレイブが必要なんだ! こんなはした金で売れるか!! このロリコンが!!」

「わかった。わかった! あそこの雑貨でいいなら、いくつかやるから! それでどうだ! 俺とあんたの仲じゃないか!」

「…ちっ、しけてやがるな。全部渡すとか言えよ」

「どうせ持てないだろうに。それに、どさくさで嫁さんまで持っていかれたら困る」

「信用ねえな。オレは他人のものには興味ないんだけどな…」


 交渉成立である。

 よくよく考えれば、もともといらないものだし、歩いている時に拾った程度のものなので、この値段で売れるのならばボロ儲けである。





「楽しそうでしたね」

「あんなロリコンと一緒にされたくないけどね」

「はは…。あの人も久々に楽しそうでした」

「いくつか好きなものを持っていっていいって言われたけど…大丈夫?」

「はい、大丈夫です。お好きなものをどうぞ」


 再び日用雑貨テントに戻ったアンシュラオンは、少女の旦那さんをロリコン呼ばわりしつつ、いくつか品物を物色する。

 あのロリコンに対しては遠慮しないが、この子の生活もかかっている。なので、最低限のものだけを選ぶ。

 当然、最初に選ぶのは地図。それから野菜や芋などの食材とフライパン、それとあの良さげな包丁を一本もらっていくことにした。


「それじゃ、このリュックもどうぞ。一緒に入れておきますね」

「ありがとう。助かるよ。…で、あのロリコン、夜は激しいの?」

「えっ? その…それは…あはは」

「サイズは大丈夫? 入るの? それともロリコンのが小さいの? ねぇねぇ、何分でイクの? あいつ、早漏でしょ? ねえねえ、どうなの? 満足してるの?」

「えっと、その…あの……それは……」


 セクハラである。特に理由はない。


「おい、俺の嫁にちょっかい出すなよ!」


 遠くからロリコンの抗議の声が飛ぶが、無視である。


「変態的行為を強要されたら、これを使うんだよ」


 そう言って、包丁を指差す。

 男など、いざというときはそれで切ってしまえば、おとなしくなるものだ。その時はニューハーフ協会を紹介してやろうと思うのであった。もちろん、伝手などないが。

 ただ一つ、訊いてみたいことがあった。


「…なんでスレイブになったの?」

「私の家、子沢山で。口減らしのために自分からなったんです。このあたりは、そんなに豊かではないですし…」

「そうなんだ…ごめん」

「いいんですよ。今は幸せですから」

「そっか。じゃあ、またいつかどこかで。ロリコンにもよろしくね」


 スレイブでも幸せになれる。

 それを知って、少しだけ安堵した。




「よっしゃ! それじゃ! オレは行くよ! 絶対にスレイブ(従順で可愛い女の子)を手に入れるぞおおおおおおおお!!」




 新たな目標を得て、アンシュラオンは旅立った。




15話 「道中にて」


 アンシュラオンは現在、グラス・ギースという都市に向かっていた。ブシル村から南東にある、この辺り一帯をまとめる中心都市である。

 最初は浮かれていて気がつかなかったが、ようやくにして一つのことに気がついた。

「…くそ、意外と遠いな。何キロあるんだよ」

 そうして、地図を開く。

<i310189|16509>

 これを見れば、普通はすぐに気がつく。

 ブシル村からグラス・ギースが、いかに遠いかを。

 まず、火怨山である。この地図だと大雑把であるが、一目見た瞬間に巨大であることがわかるだろう。

 アンシュラオンが逃げてブシル村に着いた距離を考えると、周囲の森を加えれば、おそらく直径一万キロという巨大な山脈群である。

 地球一周が約四万キロらしいので、すでにこの段階で地球の四分の一はある計算になる。これほど巨大なものだとは思っていなかった。


「どうりで見渡す限り山だったわけだ。よくこんな場所に十何年もいたな。それにこの星自体も地球の数倍はありそうだ。火怨山だけでこれなんだから、世界は相当広いな…」


 去り際に軽く聞いてみたが、ブシル村は開拓村であるらしい。

 本当は、その先の火怨山側の森を開拓したいわけだが、一気に魔獣が強くなるので、あれ以上は進めなくなって仕方なく放置されている村だという。

 森にはアンシュラオンが手に入れたような希少な薬などもあるので、一応の需要はあり、最低限の村としては機能しているらしいが、あれ以上の発展はまず考えられないという。

 ロリコンたちはグラス・ギースなどから仕入れた物資を、この近くの集落に運ぶことを生業としているらしい。

 かなり距離のある旅となるが、グラス・ギースから支援もされるらしいので、それほど悪くないものだという。


(新婚旅行気分なんだろうな。そういう人生も憧れるな。…でも、火怨山に近づくのは危ないよな。あの森だって、もう少し行ったらロリコンたちじゃ対抗できない魔獣がたくさんいるし…。仮にロリコンたちが一般的な人間だとすると、軍隊レベルでも厳しいかもしれないな)


 いまだこの世界の人間の戦闘力がわからないが、村にいた人間は、下から三番目の駆除級魔獣に対抗するのが精一杯のようだ。わかりやすく言えば、野犬や狼程度の敵に苦慮するわけだ。

 それは弱いわけではない。地球の一般人だって、野生動物と簡単に戦うことはできないだろう。銃があっても群れで来られたら死ぬ可能性も高くなる。

 しかも相手は攻撃的。階級の高い魔獣は基本的に逃げることをしないので、仲間の屍を踏み越えて殺そうとしてくる。戦いに慣れていなければ恐慌状態になるかもしれない。

 あの先の森には、最低でも第四級の根絶級以上の魔獣がぞろぞろいる。一般人なら兵器クラスの武器がないと難しいだろう。開拓が中止されたのも納得である。


「それより、また二千キロくらいあるんだが…」


 地図の位置が正しければという条件付きだが、自分が火怨山から逃げた距離と比べても、ブシル村からグラス・ギースは同じくらいありそうだ。

 とりあえず南東に行けばいいと思っていたので、詳しい話を聞かなかったのが悪かった。

 というより、頭の中がスレイブ一色だったので、せっかくの助言もまったく聞かず、「オレの薔薇色ライフの始まりだぜ! いやっふー!」としか考えていなかったのだ。

 なんたる愚かさ。自分で自分を責めてやりたいくらいだ。

 さらにロリコン妻が「もっと詳細な高い値段の地図を…」というのを「オレはこれで十分!」とか格好付けて、大雑把なものを貰ったのも一つの要因だろう。

 なんとこの一番安い地図、道すら載っていない。小学生が思い出しながら適当に描いたレベルである。


(ただでもらうのって気が引けるしさ。遠慮しちゃうよな。それに、オレはもともと説明書とか地図とか好きじゃないんだ。だいたいの場所がわかれば自分で好きにやるさ)


 思えば、たかだか二千キロである。

 本気で走れば二日か三日で踏破できるだろう。ただし、それをやるにはリスクが伴う。


(姉ちゃん、追ってこないよな? 大丈夫だよな?)


 残念ながら、いまだ姉の影に怯えているのだ。

 あの姉が、自分を放っておくとは思えない。彼女が本気になれば逃げきる自信はない。特に、この見通しの良い平地では。

 なので、極力身を隠せそうな場所を選びながら、隠密能力を使って移動する予定だ。その場合、また二週間くらいかかってしまいそうだが仕方ない。


「それもいいかー。初めての外を楽しもうぜ!」


 見るもの、聴くもの、感じるもの、すべてが新鮮だ。何もない殺風景な平地でも美しく見える。それは心が解放された証拠なのだろう。



 途中、いくつかの集落のようなものがあったが、ブシル村同様、あまり栄えてはいなかった。特に用事もないので、軽く見て回ったあとは移動を再開する。(スレイブ商もいなかった)

 ゆっくりと周囲を観察して楽しみながら移動したので、今日はあまり進まなかった。

 急ぐ旅ではない。

 本来、人生は楽しいものなのだ。





 その夜、アンシュラオンは、途中で見つけた森に潜伏していた。

 地図は非常に大雑把なので、荒野に見える場所でも森は普通にある。地図上の森は、あくまで「大森林」レベルのものだと考えたほうがいいことがわかった。

 火気で火を起こし、もらった野菜などをフライパンで炒めて食べる。ちなみに少量の油ももらっている。


 その味は―――薄い。


「調味料を忘れていた…」


 調味料は神である。塩コショウがあれば、なんとか生きていけるくらいに貴重だ。

 アンシュラオンが地球で独り暮らしをしていた時も、「塩コショウ」は最強の調味料であった。あと、鶏ガラとか。

 今までは逃げるだけの生活だったが、これからは【楽しむための生活】である。今後はそういったことにも気を配っていきたいところだ。


「味付け魔獣がいればな…」


 そんな名前の魔獣はいないが、魔獣の中には塩分を多く持つものや、体表に調味料に使える素材(粉など)をまとっているようなものがいる。

 調味料がない火怨山では、なかなかに貴重な存在であり、アンシュラオンも味付け魔獣として重宝していた。

 だが、このあたりの魔獣は火怨山とはまったく違う。通り過ぎるのは普通の動物といってもよいバッファローとか、兎とか、鹿とか、そんなもんである。

 たまに肉食動物も出るが、アンシュラオンには襲ってこない。もとより、自分たちより速く歩く謎の存在を見てしまっては、敵だと認識しないのも頷けるものだ。

 また、アンシュラオンも彼らを食料とは見ていない。あまりに弱すぎて殺す気にもなれないし、地球上の動物に似ているものには馴染みがあって、若干の親近感もある。

 食べるものは、できる限り「美味しそうに見えるもの」を選んでいる。それもまた強固な身体を持つ武人ゆえの、餓死しないという余裕からくるものだ。


「じゃあ、こいつを試してみるか」


 よって、食料は主に森の恵みである【樹木系魔獣】である。

 魔獣といっても、全部が襲ってくるわけではないし、そもそも動かないものもいる。

 今アンシュラオンが持っている「キノコ」も、その一つ。

 森の中で群生していたキノコで、大きさはやたらでかい。ドラム缶大のエリンギのような姿をしており、無害かつ普通の植物と変わりはない。

 たまに近くに止まった鳥などを食べるが、食虫植物と同じく、通常は土中の養分だけで生きることができる。

 火怨山にも似た種類のキノコが生えており、よく食べたものである。なぜか醤油で味付けしたような味がするので調味料代わりとなる。

 ただそれは、火怨山でのキノコ。ここの味はわからない。


 が、イン。


 とりあえずフライパンで炒めてみる。火が通ったところで味見をしてみると、どことなく塩っぽい。


「うん。こいつは塩キノコだ。使えそうだな」


 また勝手に名前を付けるが、わかりやすいネーミングなのは事実である。塩キノコ。決まりである。

 軽く食事を済ませたあと、さっそく包丁を握ってみる。さきほど調理にも使ったものだが、一つ試したいことがあったのだ。


「師匠のところにあった剣とは違うけど、いけるかな?」


 アンシュラオンが包丁に【剣気(けんき)】を宿す。

 すると、包丁が赤く輝いた。

 剣気とは、剣士の因子で発する戦気のことである。より攻撃的な戦気であるが、刀などの媒体がないと発動できないというデメリットがある。

 一方、剣気は通常の戦気よりも鋭利で強く、五割り増しの力を発揮する。戦士よりも肉体能力に劣る剣士が強いのは、ひとえにこの剣気のおかげである。

 それゆえに剣士は、剣を手放してはいけない。激しく弱体化するからだ。戦士であるアンシュラオンにとってはあまり関係ないが、武器として使えるかを試したのだ。

 包丁でも、れっきとした武器である。特にこの包丁は伝導率もそこそこあり、普通に拳で殴るより強い力を発揮できるだろう。

 そして、伸ばす。

 包丁から剣気が五メートルほど伸び、赤光の剣となる。これも剣気を放出して作ったもの、剣王技、剣硬気(けんこうき)である。

 それを軽く近くにあった岩に振るうと、音もなく岩が真っ二つになる。

 威力は問題ない。が―――


「やっぱり、これじゃ使えないよな。師匠には剣士の素質もあると言われたけど、まだまだ実戦じゃ無理だな」


 異能のデルタ・ブライト〈完全なる光〉は、すべての因子を完璧に使えるというチートスキルだ。

 普通、戦士タイプの人間は剣士の因子があっても、それに対するマイナス補正が加わる。仮に二つが10であっても、剣士の因子は実質5〜6程度だと思ったほうがいい。

 が、デルタ・ブライトは違う。

 剣士の因子が10あれば、生粋の剣士のように10の力で剣を扱える。

 実際、姉は剣も自由自在に使える。普段は使わないだけで、使おうと思えば剣聖並みに使えるのだ。実に恐ろしい。

 ということは、アンシュラオンも同じように使えるはずなのだが、どうにも馴染まない。刃物を振り回すこと自体に、忌避感があるのかもしれないが。


「でも、剣が使えるのはメリットだよな…。剣気を使えば遠距離でも有利になるし…。使っていかないと馴染まないから、今度戦う機会があったら使ってみようかな」


 それから改めて包丁を見る。


「包丁なのに伝導率がいいな。アズ・アクス工房、名前は…V・F。イニシャルか?」


 包丁に刻まれた銘は、V・F。

 イニシャルだと思うが、それ以上のことはわからない。わかるのは、腕が良い職人ということくらいだ。


「行けば剣とか作ってくれるのかな…。とりあえず、そこらで売っているものでも武器の代用にはなる。これがわかっただけでも収穫だな」


 そしてアンシュラオンは、火を消してから木の上に移動すると、静かに横になる。

 寝ているのに気配はなく、身動きもしないので静かである。こうした基礎的な隠形術は、師匠の修練においては必須のものだ。

 修練中は、探知能力に優れた撃滅級魔獣を出し抜いて生存しなければならない。まだ弱い頃は、死にそうになったこともある。

 そのたびにパミエルキが助けてくれたが、今はもういない。


「姉ちゃん…か。もう少しまともだったらな…こんなことにはならなかったのに…」


 いつもなら姉と一緒に寝ている頃である。

 その温もりがないのが、少しだけ寂しかった。




16話 「水気実験」


 この日の朝、ふと思った。


「水気(すいき)って…飲めるのか?」


 水気とは、火気と同じく戦気を化合して生み出すものである。水属性の攻撃を使うときに変換するもので、その際に水が出る。

 たとえば、こう。


「水流剣!!」


 アンシュラオンが包丁を使って剣王技、水流剣を放つ。剣気は水気を帯び、鮮やかな軌道を描きながら水飛沫が舞う。

 イメージ的には、ウォーターカッターのようなものだろうか。もともとの剣気の性質は完全には失われないので、物理的な切れ味は維持しているバージョンともいえる。

 水に弱い相手に有効なのはもちろん、その水の流れに乗ることで、非常に鋭い攻撃を繰り出すことができる。

 優雅で流れるような一撃は、回避が非常に難しいものとなるので、命中率が飛躍的に上昇する。確実に当てたいときなどにもよく使用される技だ。


 で、問題は【水】の部分だ。

 はたしてこれは飲めるのか?

 という疑問が湧き上がった。

 しばらくひたすら乾燥地帯が続き、村もなく、水場らしいものもなかった。たまに見かけるものも、虫がたかった濁ったもので、近場の動物が飲みに来るようなもの。

 浄水器のようなものがあれば飲めるだろうが、普通の人間ならば、あまり飲まないほうがよいものに違いない。武人のアンシュラオンとて、あまり飲みたいとは思わないものだ。

 武人は、肉体的に進化を果たした存在である。その覚醒率によって大きな差はあるが、毎日の食べ物の摂取は必須ではない。

 たとえば、こう。


「ふぅううう! すーーーはーーー!」


 練気。

 自身の体内を活性化させ、気を練る。それは生体磁気へと変化し、肉体機能を維持するためのエネルギーとなる。これを溜めることで老化すら防げる。

 だが、これだけでは十分ではない。それ以外の要素を周囲から吸収する。

 それを【神の粒子】と呼ぶ。

 神の粒子は、普遍的流動体として全宇宙に瀰漫(びまん)している、あらゆるエネルギーの根源的要素である。

 この星の大気も、大地も、水や電気さえも、これが形を変えたものだといわれている。これを利用することで武人は戦気を生み出す。

 そう、戦気こそ、あらゆるものの根源的要素。それを戦闘に特化させたもの。

 生体磁気と神の粒子の化合物であり、武人の意思、精神エネルギーによって物質化した力。さらにそれを水状に変化させたのが、水気。

 見た目は透明で、まさに水そのものである。


「これ、飲めるのかな?」


 アンシュラオンは、身体に飛び散った水を指ですくう。

 これを飲もうとしたことは一度もない。そんなことを考える必要がなかった。なぜならば、これは攻撃のためにあり、敵を倒す道具としか思わなかったからだ。

 また、火怨山には多くの地下水源が存在するので、水には困らなかった。

 アンシュラオンも一度、師匠の命令で地下に潜って水を汲んできたことがある。地下深くにある洞窟の水がどうしても欲しいというので、仕方なく行ってきたのだ。

 そこは魔獣の巣窟でもあり、いつもならば出会わない水系の魔獣も大量におり、命からがら水を汲んできたものだ。

 が、苦労して戻ったときには、師匠は自ら設置した地下水源直通のホースで水浴びをしており、ボロボロのアンシュラオンを見てこう言ったものだ。

「やあ、おかえり。水でも浴びる?」

 あの時、アンシュラオンは陽禅公の人柄を知った。


「あの爺さんを信じちゃいけない」


 と。

 源泉もあるので、たまに撃滅級魔獣と一緒に温泉に入る、ということもする。べつに常に魔獣を狩っているわけではなく、温和な連中とは共存もしていた。

 もちろん魔獣側が、アンシュラオンたちを人間と認識していなかった可能性も高い。「ヤバイやつらだから、戦わないようにしよう」と思っていたのかもしれない。


 話は戻って、水である。

 今は水不足の状況なので、水の確保は大切な問題である。もし水気が飲めれば問題は解決するだろう。

 試しに一滴舐めてみる。


「…なんか、ピリッとするな。何だこれ? 妙に刺激的だな」


 昔、口の中で弾けるお菓子が流行ったことがある。パチパチして、ちょっと痛いくらいの刺激のものだ。あれに似ている。

 水が、あれに似ている、という事実。


「うん、問題だな。これは飲み物には向かない。飲んで痛い水なんて、さすがに勘弁だ」


 それはまるで海水を飲むようなものである。飲めなくはないが、後から何か害がありそうで怖い。


(だが、この問題はもうちょっと調べてみたいな。今まであまり考えたことのなかったテーマだし、何かしらで実験できれば…。誰かに飲ませてみるとか…。いや、それで何かあったら怖いから、そこらの動物か何かで…おや? あれは…)


 ふと、トカゲのような生き物が通りかかった。

 大きさはワニ程度なのでトカゲかどうかは怪しいが、一応トカゲっぽいフォルムである。似ているのはコモドオオトカゲだろうか。


「ちょうどいい。お前を実験に使おう。ほら、口を開けてみろ」


 それを捕まえ、顎を固定して口を開かせる。


(そういえば子供の頃、トカゲに蟻を食べさせようとして似たことしたな…。結局食べなかったけど)


 そんなどうでもいいことを思い出しながら、試しに口の中に一滴入れてみた。



―――爆発



「ええええ!?」


 一滴水気を飲んだトカゲが、爆発。

 腹が割け、ビクビクと痙攣していたトカゲはすぐに絶命。無残な光景である。

 そんなつもりではなかったアンシュラオンも、ショックを受ける。


「すまん! まさかこんなことになるとは…。オレは飲んじまったけど…自分のだからいいのか? それとも、単純に耐久力の差か? どちらにせよ、こいつには悪かったな…」


 正解は、後者。

 武人が生み出した属性戦気は、自分に対しても効果を発揮するので、トカゲが飲んだものと同じ影響を受ける。

 単純にアンシュラオンが頑丈だっただけにすぎない。


「やっぱり、もともと戦気ってのは戦闘のためにあるもんだから、飲むのはやめておこう。とりあえず封印だな。…暗殺のとき以外は」


 その後、自分の身体は水気で洗えることが判明。身体にかかっても大丈夫なのだからと思って試したが、見事成功である。

 ただ、水気で服を洗おうとしたら穴が開いた。硫酸につけたかのように溶け始め、慌てて引き出したもののボロボロになった。最悪である。

 そこで一つ、思い出す。


「あっ、服ももらったんだっけ? まあ、まだしばらくは荒野だろうし、ボロボロのままでいいや」


 一張羅だと言うと、ロリコン妻が餞別に服をくれたのだ。子供用だったのが少し気になるが、カンフーの道着に似た白い上下の服である。

 今着ているアンシュラオンの服も修行用の道着なので、元のデザインを参考にしてくれたのだろう。

 あのロリコン、いい嫁を見つけたものである。羨ましい。

 その後、朝食のサボテンステーキを食べ、また独り歩きだした。




17話 「クルマに乗ったよ」


 そうして気ままに百キロ近く移動したときである。

 もうすぐ夕方という時、アンシュラオンは何かを発見した。

 近づくにつれて徐々に形がはっきりしてきて、そこでようやく何かわかった。


「車…なのか?」


 それは、荒野を走る車のようなもの。二十メートル超の長箱状のものが高速で、およそ時速七十キロ程度で移動している。

 しばらく観察してみたが、生物の特徴である気質が感じられなかったので、あれは機械で間違いないだろう。

 そして、中には生物の波動が一つだけある。それをもって乗り物、車と判断したのだ。

 ただし、地球に一般的にある普通の車ではない。

 見た目はトラックに似ているが―――


「あれって、浮いてるよな? ホバークラフトか?」


 車と思わしきものは、地表から八十センチくらいを浮いて進んでいる。車輪を回転させているものとは、だいぶ印象が違う。

 興味が湧いたアンシュラオンは、近寄ってみることにした。

 車の速度と合わせ、併走するように近づいていく。サイドガラスは透明だったので、そこから運転手の姿が見えた。


(おっさんだ。ロリコンよりは間違いなく年上だな)


 またおっさんである。この世界のおっさん率が高いのが若干気になるが、中にはロリコン妻のような女の子もいるので、そのあたりは割り切ろうと思う。

 アンシュラオンは、クルマのサイドドアをノックする。


「もしもーし、コンコンッ。開けてよー。…ん? 気づかないのかな? じゃあ、もうちょっと強く…」


 一回では反応がなかったので、ちょっと強めにノックする。



 ガンガンガンッ―――ボコッ!



「あっ」

「どあっ―――!!」


 強めにノックしたので、サイドドアが凹んでしまった。交通事故にあったような大きな凹みが生まれている。

 運転席は左でも右でもなく中央だったので、幸いながら運転手にダメージはない。

 そもそも車のサイズが大きいので、片方に寄る必要がないのかもしれない。


「おいおい、なんだぁ!? どうなった!? なんで凹んだんだ!?」

「やあ、おっさん。ここ凹んでいるよ」

「え? マジかよ! この前、修理したばかりだぜ! あっ、ほんとだ! 今の衝撃か?」

「魔獣が当たったんじゃないの? 今、あっちに逃げていったやつがいたよ(嘘)」

「またかよ! ロードアルジャか!? 迷惑なやつらだぜ!」


 ロードアルジャというのは、このあたりの荒野に出る魔獣である。ラクダのような姿をしているが、やたら速く走り、最高時速は百キロ近い。

 雄限定だが速く走るものにぶつかる習性があり、ここを通る車がよく被害に遭っている。彼らにとっては、速さこそが男性的な強さの象徴なのだろう。

 速度を落とせば攻撃はしてこないので、第七級の益外級魔獣として認識されている。

 ちなみに食肉としても利用される魔獣であり、背中のコブは脂身なのでいろいろな用途がある。


「ねぇ、これって車?」

「車…ああ、クルマだ」

「戦車って意味?」

「どんだけマニアックなんだよ。クルマはクルマだ」

「クルマっていったら、当然アレでしょ? モンスターと戦うやつでしょう? 犬とか連れて」

「知識が偏りすぎてる!! そりゃ武装するやつもいるが、俺のは付いてないぞ」

「これ、浮いてるね。どうなってんの? どんな仕組み?」

「あ? クルマってのは浮くもんだぜ。浮かないクルマは、クルマじゃねえ」

「そうなんだ。全部浮くの?」

「全部ってわけじゃないが、だいたい浮くな。あまりに路面が悪い場所は、逆に浮かないほうがいいからタイヤとかキャタピラとかが多いらしいぜ」

「へー、そうなんだ。面白そう。乗っていい?」

「荷台なら空いてるが……てっ!! ええ!? お前、走って!? ええ!? 走ってんの!? この速さで!? 何なの、お前!?」

「孤高の陸上選手なんだ」

「こんな荒野で孤高すぎるだろう!?」

「孤独に耐えてこそのアスリートだよ。さっきうっかり友達のトカゲを殺したアスリートだよ。だから孤独なんだ」

「意味がわからない!」


 ようやく男は事態に気がつき、時速七十キロで併走しているアンシュラオンに驚きの視線を向ける。


「楽そうだから乗せて。荷台でいいよ。いくら?」

「金なんているか。乗ってけよ。困っているやつがいたら助ける。乗りたいやつがいたら乗せる。それが荒野を走るクルマの流儀ってもんさ」

「あんた、いいおっさんだね」

「おっさんじゃねえ。ダビアだ」

「オレはアンシュラオン。よろしく」

「おう、よろしくな、ボウズ」


 アンシュラオンは荷台に飛び乗る。

 荷台にはいくつかの積荷があったが、ほとんど空であった。


「何か運んでいたの?」

「ああ、ここいらは辺鄙なところだからな。運搬で飯食ってる」

「馬車じゃないんだ」

「そりゃお前、馬がかわいそうだろう。さすがにこの距離じゃ、馬が先にへばっちまう」

「ロリコンは馬車で移動していたけど」

「ロリコン!? 誰だそれ? 犯罪者か?」

「犯罪者予備軍かな。まあ、いいやつだけどね」

「どっちかわからないが…。まあ、このあたりじゃ馬車のほうが一般的だな。俺も大変だと思うから、あまり鉢合わせないルートで移動しているんだ。クルマに馬が怯えるかもしれないからな」

「そういえば、このあたりって馬車とかいないね」

「こっちは正規のルートじゃないからな。安全なルートはもっと東だ。あっちは迂回して回るルートなんだが、それだと時間がかかるからな」

「運送業なら早いほうがいいもんね。なるほどね」

「お前さんは、どうしてこっち側に?」

「なんとなく広々としていたから」

「はは、気持ちのいい答えだな」

「こっちに来てよかったよ。クルマにも出会えたし」


 アンシュラオンは、改めて【クルマ】を見る。


(う〜ん、中世とか思っていたけど、案外そうでもないなぁ…)


 ブシル村を含め、アンシュラオンが見てきた村というものは、あまり発展しているようには見えなかった。まさに田舎の村々であり、文明レベルも低いように思えた。

 が、こうしてハイテクのクルマがある以上、ただのんびりとした世界というわけでもなさそうだ。工業革命とかもあったのかもしれない。


「さっきの続きだけど、どうやって浮いてるの?」

「メカニックじゃないから詳しいことは知らんが、ジュエル・モーターで風を生み出しているらしいぜ」

「ジュエル・モーターって?」

「知らないのか? まあ、田舎じゃまだ普及していない場所もあるからな。ジュエルを使ったエンジンだな。ジュエルは知ってるよな?」

「こういうやつ?」

「ああ、そうそう。そういうやつだ。それを磨いたり術式を付与すれば、ジュエルの完成だ」


 革袋から、ロリコンに買い取ってもらえなかった青い原石を取り出す。どうやら、これがジュエルで問題ないようだ。


(じゃあ、ロリコン妻のやつもそうか…)


 スレイブ・ギアス〈主従の制約〉もまた、ジュエルに術式を施して制約を課している。

 このことから、ジュエルが【媒体】としての役割を果たしていることがわかる。術式を一般生活レベルで保存、活用するために生まれた技術なのだろう。

 言ってしまえば、このクルマという存在も、術で浮いているようなものだ。

 モーターを回すエネルギー源なのか、あるいは浮かせている力そのものを発生させているのか。どちらにせよ、この世界で独自に発展した技術なのは間違いない。


「このクルマ、高いの?」

「わかるか? 俺の愛車だからな。そりゃ高いぜ」

「二億円くらい?」

「はは、そこまではいかねえよ。改造費込みで、五百万はしたな」

「そんなもんか」

「そんなもんかって、お前な…」

「褒め言葉だよ。これだけいいクルマが、それなら安い」

「おっ、そうか。わかるやつにはわかるんだよなぁ〜」


 ダビアは自分のクルマが褒められて嬉しそうだが、アンシュラオンは複雑な表情をしていた。


(鉄鋼技術があるってレベルじゃないな、これは。地球以上の文明力だ)


 アンシュラオンはクルマの素材を確かめながら、そう確信する。

 少なくともこのクルマは、かなり硬い素材で造られている。しかも、軽そうだ。

 カーボンファイバーに近い素材だろうか。それを普通に使っていることから技術レベルはかなり高い。


 これが五百万円。


 性能の詳細は不明ではあるものの、これが五百万円ならば安い。日本なら大型トラック一台で、一千万から二千万くらいは軽くするものだ。当然、ホバー機能などはない。


「で、ボウズは、こんな荒野で何してんだ?」

「うーん、家出中」

「あー、むず痒いねぇ。思春期か」

「姉ちゃんに貞操を奪われて、ショックで逃げ出したんだ。首に鎖をつけられて、毎日可愛がられる生活に嫌気が差してね」

「それは……意外と重い理由だな」

「そうでもないけどね。最初は楽しかったし」

「楽しかったのかよ! それはそれで問題だな」

「ともかく、今は気楽な独り旅だよ。自由気ままな人生さ」

「どこまで行く予定だ?」

「一応、グラス・ギースまで」

「そうか。じゃあ、送ってやるよ」

「いいの?」

「どうせ通り道だ。俺はそのさらに先の都市に行く予定なんだ」

「もしかして、ハピ・クジュネって街?」

「そうだ。馬車と違って、このクルマならそんなに時間はかからない。それに馬車の連中と同じ物を運んでも利益にはならないだろう? ハピ・クジュネの海産物なら、このあたりじゃ珍しくて高値が付く」

「このあたりは荒野ばかりだしね。たしかに海産物は喜ばれるかも」

「だから気にするなって。運ぶのには慣れているしな」

「ダビアは、いい人だね」

「はは、お前はどうだ? 良い人か? 悪い人か?」

「さあ。良くも悪くもないよ。たぶんね」

「なら、安心だ」


 ダビアは、髭を撫でながら笑った。

 日焼けした逞しい身体は「ザ・労働者」と呼ぶに相応しく、この荒野がよく似合うナイスガイだ。



 しばらく空を見上げながら、ふと思う。


(人と出会うって、面白いもんだな)


 地球にいた頃は、他人との関わりは多いとはいえなかった。あまり好きな社会でもなかったし、生きていくだけで精一杯だった。

 おそらく、多くの人間がそう感じていたのだろう。妙な息苦しさが常にあり、心に余裕などなかった。それと比べれば、今は楽しいのだと思える。


 すべてが知らない世界。

 出会うすべてが新鮮である。




18話 「人種の区別がないんだって」


 一度ダビアがトイレ休憩に降りた以外は、クルマはそのまま走り続けていた。

 日が落ち、夜になると、空に星が輝き出す。

 赤や青、黄、緑、さまざまな色が輝く空は、まさに芸術の一言であった。


「大丈夫か? 外は寒くないか?」

「平気だよ。空が綺麗だから」

「空の海か。もう見慣れちまったな」

「空の海…綺麗な言葉だね」

「そうだな。名付けたやつは詩人か何かだろうさ。ここの空は気に入ったか?」

「自由な空はいつだって気持ちいいよ」

「自由か。いい言葉だ。ここはいつだって自由だ。自由だった…かな」

「どういう意味?」


 アンシュラオンが、視線を空から運転席に移す。


「ボウズはどこから来た? このあたりの出身か?」

「遠い…すごく遠いところから来たよ。この世界のことを何も知らない、ずっと遠いところから」

「遠いっていうと、もっと東か?」

「極東。その島国」

「島国か。グレート・ガーデン〈偉大なる箱庭〉じゃないよな。あそこなら情報は手に入るから…もっと違う島国か?」

「そう。誰も知らない島国だよ。だから、ここのことも何も知らない。オレは無知なんだ。飼われていたからね」

「…そうか。思い出させて悪かったな」

「同情するなら金を…じゃなくて、知識をくれ。知識は金より偉大だからね」

「その歳でそれを言うかよ。…ほらよ」


 ダビアが、荷台に缶のようなものを投げ入れる。どうやら缶コーヒーのようだ。

 飲んでみると、昔飲んでいたものよりも渋い味がした。非常にビターだが目は覚めるだろう。


(スチール? 鉄の合金かな? ちょっと手作り感があってデコボコなところもあるけど、これが造れるのはすごいな)


「鉄缶まであるんだね」

「クルマに乗ってんだぞ。それくらいで驚くなよ」

「それもそうか。この缶、工場とかで造るの?」

「ハピ・クジュネに鉄工所があってな。そこで造った試作品だな。まだ本格的に流通しているというわけじゃない。個人的に仕入れたもんだ。だから中身のコーヒーは自作さ」

「水筒みたいなもんなんだね。…味が渋いけど大丈夫?」

「ははは、心配するな。腐ったわけじゃない。単純に俺の好みだよ」


(海沿いだから鉄鋼技術も発展しやすいんだな。工場も多そうだ。なら…もしかして…)


「ねえ、そこにアズ・アクス工房ってある?」

「おお、知ってるのか?」

「うん、近くの集落でそこの包丁を買ったからね」

「そうか。あそこは良い物を作るからな。そうだ。アズ・アクスはハピ・クジュネにあるぞ。なかなか大きな鍛冶屋だな。優秀な鍛冶師も多かったはずだ」

「包丁以外もあるの?」

「うーん、むしろ包丁を造っていたことが驚きだな。アクスって名前が付いてるだろう? もともとは斧や剣が主流だったんだが…時代が変わったのか、はては経営者が変わったのか…」

「商売していればいろいろあるよね。特注で打ってくれたりする?」

「もちろんだ。値は張るがな」

「そっか。そのうち行ってみるよ」

「一応言っておくが、あまり南には行くなよ」

「南って、グラス・ギースには行くよ」

「もっともっと南だ。ハピ・クジュネまでならばいいが、そのさらに海を越えてからの南だ。そのあたりは危険だから気をつけろ」

「南…か」


 月(だと思われる)明かりの下、地図を広げる。

<i310189|16509>

 たしかに南には海がある。途中までしかないので【湾】というべきだろうか。

 ダビアが言っているのは、そのさらに下の区域だろう。それ以降は、この地図には載っていない。

 あくまで主要都市しか載っておらず、近隣の村々も省いているので完璧には程遠い。


「南に何があるのさ」

「南のほうでは最近、西側の連中が幅を利かせている。まあ、かくいう俺も西側から来たんだけどな」

「西側って何?」

「そこからかよ」

「田舎者だからね。ずっと山で暮らしていたんだ。島国の山さ」

「そりゃ仕方ないか。西側ってのはな…」


 この世界には、大きく分けて四つの大陸がある。

 一つは、西側大陸。文明の中心地であり、いわゆる先進国が集まっている大陸だ。このクルマも西側製なので、技術力の大半はそこから輸出されてきている。

 もう一つは、この東側大陸。いまだ発展途上にある国が多く、広大な未開の土地が広がっている。国にも満たない自治領区も相当数に上るので、治安が悪い場所も多い。

 残るは、南西、南東大陸。そこは東側より未開の場所も多いが、古い国家群が多くあり、ある意味においては西側国家より歴史はある。ただし、技術レベルも経済も、西側にはとっくの昔に抜かれている。


「三十年くらい前からか。ここから南の区域で西側からの積極的な【入植】が始まっているんだ。もともと何千年も前から、東側には西側から移住してくる者たちがいたんだが…今回はその規模が違うらしい。本格的な入植だ」

「入植…植民地ってやつ? 原住民と揉めそうだね」

「おっ、頭がいいな。つまるところ、そういうことだな。現地人との争いも激化している」

「…争いも? それ以外もあるってこと?」

「ほんと、頭がいいな。そうだ。原住民の問題よりも【西側同士の争い】のほうがやばい。今じゃ、六か七の国が土地を奪い合っている状況だ。それに原住民の勢力もあるから、かなり泥沼って話だな」


(なるほど、この違和感はそこから来るのか。どうりでいろんな人がいたわけだ)


 村にいた人間の多様性。技術レベルのちぐはぐさ。そのすべてが、そこから来ているのだろう。

 ただ、それにしても馴染みすぎている気もする。違う人種が、そうも簡単に一緒に生活できるだろうか。


「ねえ、人種差別とかあるの?」

「人種…? なんだ、人種って?」

「え? いや、あの…肌の色とか髪の毛とかさ、人それぞれにいろいろな違いがあるじゃん」

「それがどうした?」

「それで…何か争いとか起こらないの? 一つの色とかを優遇したりとか…」

「…? べつに色なんてどうだっていいだろう?」

「うん、まさにその通りなんだけど…ないの?」

「悪い。言っている意味がよくわからん」


(え? 人種差別ってないの? というか、人種の単語自体が通じていないような気がするけど)


 ダビアは、そもそも人種という概念すら認識していないようである。地球では大きな問題だったので、それが通じないと少しびっくりする。

 それからダビアは少し考え、アンシュラオンが求めているであろう答えを、多少ながら教えてくれる。


「ボウズの島では、そういうことがあったのか?」

「そうだね…。あったかな。やっぱり」

「うーん、変わったところだな。ここじゃ色で区別することはないぞ。そもそも人間は一種類しかいない。区別しようもないしな」

「一つって?」

「俺たちは女神様の子だからな。それ以外は存在しないさ」

「女神様って、美人でボインのあのお姉さん?」

「いや、ボインかどうかは知らんよ!? まあ、俺たち全員の母親だから胸はあってもいいかもしれんが…。いや、だが…彫像とかではボインじゃないこともあるな。…あれは光の女神様だからか?」

「なるほど、光の女神様はボインじゃない」

「お前、あまりそういうこと言うなよ。人類で一番進化している偉大な御方だぞ。女性なんだろうが、さすがにそういう見方はできん。それに光の女神様には白狼様という伴侶がいらっしゃる。どちらも雲の上の人だがな」

「ボインの闇の女神様は?」

「あの御方も伴侶がいるそうだが…慈悲深い母のイメージのほうが強いな。何より実際に子供を産んでいるのは闇の女神様らしいし…一番身近には感じるな」

「たしかに母親属性だったもんね。惜しいなぁ」

「だから、そういう見方をするなって」


(師匠に聞いてはいたけど…本当にそうなんだな。すべては女神の子…か。そういうの、いいな。地球も同じなんだろうけど…それに気づくのはまだ先かな)


 この世界の人間にとって、人種というものは存在しない。

 なぜならば、すべてが【女神の子】だからだ。

 本来、霊には一つとか二つの概念は存在しない。全宇宙のものすべてが一つの霊である。

 それが体験を得るために分離して、各々がそれぞれ独立しているが、それでも大きな目で見れば一つである。

 それと同じくこの星のすべての霊は、本霊たる女神から生まれた存在。女神自身でもあり、女神の子らであり、そこに何の区別も存在しない。

 アンシュラオンもこの世界に転生する際、女神の霊から媒体を授けられているので、女神の子の一人であるといえる。

 そして、女神の因子は【無限】。

 親の髪の毛が黒でも、子供が白ということは大いにありえる。それが当たり前の世界だから、人々は何も思わないのだ。


「じゃあ、この世界に色の差別はないの?」

「一部の国家では純血種を尊ぶ傾向にあるが、それは順序が逆だ。力のある血統遺伝の因子を持つからその色になる。だから結果的にそういった色を優遇する、という感じだな。差別というより区別かもしれん」

「実力主義ってことだね」

「そうだな。それに対して不満はあまりない。お前だってそう思うだろう?」

「実力があればね。じゃあ、何で争うの?」

「争いの火種は、主に【考え方】だ」

「思想や制度ってこと? イデオロギーの対立はどこにでもあるか…」

「難しい言葉を知ってやがるな。お前、実はインテリだな」

「人種は知らないのに、インテリは知ってるのかよ!」

「なんだよ、いきなり。まあ、最初の原因はそれだな。次に経済格差や資産の管理方法ってやつかな。当然それ以外にもあるが、基本の考え方の違いがもっとも厄介だ」

「宗教とかは?」

「もちろんあるが…宗教も思想だからな」

「ということは、国同士が争う理由は、主に思想、次に経済、資源分配方法ってところか」

「そうなるな。それで揉めている」

「でもさ、生まれる国を選べるわけじゃないし、人それぞれに考え方はいろいろあるでしょ。違う考えの国に生まれたらどうするの? というか、そもそも統一なんてできないでしょう」

「そりゃそうだな。だから俺みたいなやつは、こうして東側にいる」

「移民?」

「移民…か。こうして馴染んできたってことは、そうかもしれん。が、どっちかといえば【逃亡】かもしれんがな。俺、あっちじゃ犯罪者だし」


 西側の人間が、東側に来る理由には二つある。

 一つは、国策の入植計画に従って東側に移住してくる人間。これは原住民からすれば、移民と思ってもかまわないだろう。

 もう一つは、ダビアのような【犯罪者】たちが逃げてくる場合である。


「姦淫でもやったのかよ。いたいけな幼女に何をした!」

「人を何だと思ってやがる! べつに何もしちゃいない。だから言っただろう。争う理由は、思想の違いだって」

「ダビアって政治犯だったんだね。強制労働とかしたの?」

「そこまで酷くない国だったよ。政治犯ってほどのものでもない。ただ、追放という形は容認したけどな。ここには俺みたいなやつらがたくさんいる」

「何が気に入らなかったの?」

「…思想ってのは厄介だ。どんな良い考え方でも、時間が経てば硬直化してくる。腐ってしまったものを大切に抱えていれば、他の物も腐ってしまう。…そういうことだ」

「思想の硬直化…社会の末期現象か。オレのいた社会と同じだね。…革命は起こった?」

「俺がいなくなった後に起こったかもしれんが、俺は争いは御免だったから逃げてきたんだ。ここは見ての通り不便な場所だが、自由だ。自由があればどこでも人は暮らしていける」

「自由、いいね。ロマンがある響きだ。何歳になってもロマンには惹かれるよ」

「ははは。お前も反社会的な思想を持っていそうだ」

「オレを縛る社会なら反抗したっていいさ。気概を失うよりはいい」

「若いのに、見込みがありやがる」


(西側からの亡命者…。いいね。フロンティア精神があってさ。だからワクワクするのかな)


 新しい場所に来れば、人はあらゆるものと闘うしかなくなる。守るべきものはなく、失うものもない。だからこそ正面だけを見つめることができる。

 ダビアのような人間から感じる、【自由の匂い】。

 自分たちで何かをやってやろうという気構え。

 そこからたなびく風が、アンシュラオンには心地よい。まさにここは、すべてが自由なのだ。


「じゃあ、オレも気兼ねなく、たくさんのスレイブを手に入れられるね」

「おいおい、あんなのが欲しいのか? 人手が必要か? 何か事業でもするのか?」

「ううん、趣味で」

「趣味で!? …なかなかヘビーな趣味だな」

「人の趣味は自由だろう? スレイブになるのだって、それを買うのだって」

「そりゃそうだな。ただ…いや、いいか」

「なんだよ、気になるじゃん。言ってよ」

「うむ…。お前なら頭もいいから言ってもいいか。最近、争いが激化しているせいか、劣等スレイブが増えているらしい」

「劣等って、一番下の身分のスレイブだよね。ほぼ奴隷だって聞いたけど」

「ああ、西側じゃああいうのは認めていないんだが、こっちにはルールはまだないからな。特に争いに負けて捕まった原住民が、劣等スレイブにされているという話も聞く。能力があればまだ階級も上がるからいいんだが、そうでなければ…な」


 西側の入植地も人材は不足している。捕まえた戦闘員をそのまま利用することもある。

 能力がある彼らは、二級以上のスレイブになって待遇も悪くないだろうが、それ以外の一般人は違う。

 特に子供などは、一番下の下級スレイブにされてしまうこともある。そして、中にはルールを守らない輩もいる。


「自由とルール…か。難しい問題だね」

「偉そうに何かを言うつもりはないさ。ただ、そういう事情もあるから気をつけろよ。たまにスレイブ狩りをやっているクズ連中もいる。お前さんは相当見た目がいいから、狙われるかもしれないぞ」

「え? オレが? やめてくれよ」

「鏡を見ろ。お前みたいな容姿は、あまり見たことがない。はっきり言って目立つぞ」

「知らなかった…。じゃあ、村の連中が見てたのって、そういうことか!?」


 完全に珍獣である。

 たしかに容姿が珍しければ希少価値もあるので、狙われるかもしれない。そこは気をつけねばならないだろう。


(目立つってことは、姉ちゃんにも見つかるってことだしな。気をつけよう)



 そう思いながら、たまたま視線を荒野に向けた時である。




―――大地が動いた





19話 「遭遇、戦艦の脅威 前編」


(…今、動いた? 大地が動いている?)

 クルマも移動しているので気がつくのに遅れたが、何かがかなりの速さで移動しているのがわかった。

 それは最初、大地が動いているように見えたが、目を凝らして見るとまったく別のものであることがわかる。

 距離は、およそ五キロの地点。


(クルマ? …いや、違うな。フォルムも違うし、もっとでかいぞ)


 この距離なので、小さなものが動いているようにしか見えないが、アンシュラオンの目はその姿をはっきり捉えていた。


 それは―――戦艦。


 現在の地球で使われている空母とは違う、昔の戦争で使っていたような「大和」とか「金剛」とかいわれそうなタイプの戦艦である。

 それが、陸を走っている。


(戦艦! 戦艦が走ってる! しかも陸だ!! すげえええ!)


 その光景に、心がときめくのを感じた。

 やはり男たるもの、戦艦には憧れるものである。

 興奮冷めやらぬ様子でアンシュラオンはダビアに問いかける。


「ねえ、あれって戦艦?」

「戦艦だぁ?」

「あそこだよ、あそこ! ここからだいぶ先だけどさ! ほら、すっげー! 本当に走ってるや!」

「んっ…ちょっと待て」


 ダビアは双眼鏡を取り出して、アンシュラオンが指した方角を見る。

 暗くてよく見えないが、何かが小さく動いているのは間違いない。


「まったく気がつかなかったな…」

「距離があるからね。しょうがないよ」

「本当に戦艦…なのか? なぜ、こんな場所に…」

「戦艦って、ここらでよく見られるものなの?」

「そんなことはない。南側の入植地にはあるが……ここでは初めて見た」

「あれは個人で所有できるもの?」

「そういう金持ちもいるとは聞くが…船の種類によるな」

「やたらでかい主砲が二門。副砲もけっこうある」

「見えるのか?」

「ああ、はっきりと。やる気が違うしね」


 目を強化すれば、多少遠くても見える。これは誰でもできることではなく、目の質が良くなければできない。

 目が良いことはメリットしかないので、アンシュラオンもこちらの系統を鍛えていた。そうしなければ姉の攻撃を見切ることは不可能であるから。


「民間が持てるのは輸送船が中心だ。武装はあっても、そこまで大きなものはあまり聞かないな。大きな武装組織とかなら持っている可能性もあるが…このあたりにいるとは思えない。それに主砲が二門あるのは完全に軍事用だ。その規模だと巡洋艦クラスだろう。普通の組織が持てるものじゃない」

「じゃあ、軍隊ってことかな。ここの国のかな」

「ここは自由自治区だ。領主はいても国とは規模が違う。グラス・ギースとハピ・クジュネの領主が、戦艦を持っているとは噂でも聞いたことがない」

「秘密裏に持っていたとかは?」

「ないとは言えない。西側との交渉で手に入れたり、自分たちで製造することもありえる。ただ、現在のハピ・クジュネの造船技術では、戦艦レベルのものが造れるとは思えないぞ」

「鉄缶を試作しているくらいだしね」

「輸送船は商人も持っているが…戦艦か。やはり【国家】の可能性が高いな」


 この時代には国際連盟は存在しない。よって、国家というものを誰が決めるかも定まっていない。

 中規模以上の国家ならば、自分で名乗って国境線を武力によって維持できるが、それ以外の小さな国や地域はその限りではない。

 たとえば、この東側大陸のような場所には、一部を除いて今まで明確な国家は存在していなかった。

 存在しているのは、古くからその土地に暮らしていた原住民たちが独自に築いた自治区、集落、集団といったもの。いわゆる豪族という存在であり、彼らによって多様な自由自治区が形成されているのが現状である。

 この火怨山があるエリアもそうで、明確な国家は存在せず、グラス・ギースにいる領主(豪族)が惰性支配しているにすぎない。

 特殊な事例もあるが、多くの自治区に軍隊と呼べるほどの戦闘集団は存在しない。彼らの主戦力は、自ら育成した構成員や金品で雇った傭兵たちであり、戦艦を持つほどの勢力は稀である。

 となれば、考えられるのは一つ。

 どこかの国家。それも西側の可能性が高い。


「このあたりにも入植って始まっているの?」

「その話も聞いたことはないな」

「じゃあ、南から来たのかな?」

「俺たちと併走して南に移動しているから…どうかな。国章は見えるか?」

「どのへん?」

「船体の目立つ場所にあるはずだが」


 正規軍ならば、国章を戦艦に刻んでいるはずである。

 が、それは見えない。

 それどころか―――


「見間違いじゃなければ、削られているような気がする。そこだけ色が微妙に新しいし、塗り潰したのかも」

「目がいいんだな。そういや、お前さんは武人か」

「わかるんだ」

「そうでなきゃ、クルマと同じ速度で走れるかよ」

「ダビアはできないの?」

「普通はできないと思うぞ。俺は孤高のランナーじゃないからな」

「孤高も悪くないけどね。武人ってどれくらいいるの? 全員じゃないんだ」

「そんなわけあるか。ギリギリ武人認定されるレベルのやつが人類全体の二割くらい。本当に強いやつは数パーセント程度だろうな」

「軍人は?」

「軍人なら、ほぼ武人だと思うが…国や組織によって違うだろうな。それもピンキリさ」

「あれが軍隊だったら、乗っているのは全員武人ってことだね」

「少なくとも、兵士や騎士になれる程度の練度と才覚はあるってことだ」


(軍隊が基本的に武人で構成されているなら、軍人と一般人の差は相当ありそうだな…)


 まだよくわかっていないことが多いが、村の人々の様子から、一般人と武人の戦闘力の差は相当あるらしい。

 仮に軍人が武人だらけならば、普通の人間が対抗できる相手ではないだろう。そのうえ装備や武装も違うはずだ。

 貴重な情報である。まずは、そこを頭に入れておく。


「襲ってくるかな?」

「襲う理由がないだろう。どこの国だろうが、俺はやましいことはしていない」

「ヤバイものとか運んでない?」

「それは…長くやっていれば潔白とはいえないが、軍隊を敵に回すほどのものは扱っていないぞ」

「それじゃ、相手のほうがやましければ? 国章を消すような戦艦がこんな夜中に移動しているなんて、きな臭くない?」

「…たしかにな。このあたりはすでに通常のルートとは違う。普段は魔獣くらいしか通らない荒野だ」


 もし知られて問題なければ、堂々と国章を晒しているだろう。それは身分証明であり、自己の正当性を主張するものだからだ。

 それを消している。

 ならば、知られたくない理由があるのだ。


「……ライトを消す」

「もう遅いかも。よけて。左に」

「なっ! よけろって言われても!!」

「早く」


 戦艦の副砲が動き、火花のようなものが散った。

 それは放物線すら描かず一直線に向かってくる。


―――爆発


 クルマの右側、およそ十メートルの地点に当たって爆炎が発生する。

 その衝撃でクルマが揺れた。飛んできた土でフロントガラスが真っ黒になる。


「うおお! なんだぁ!? 撃ってきたのか!?」

「ナイス反射神経。よけなければ直撃だったね。…それにしても命中率が高い。この距離を一発で合わせてくるなんて…この世界の戦艦もなかなかすごいな」

「乗っているやつも武人なんだ。目がいいんだろうさ!」

「なるほど。相手も同じか。次は加速して右に」

「そんなの急に!!」

「やらないと死ぬよ」


 クルマは急加速して回避運動。今度は五メートルの地点に爆発。

 さきほどより強い衝撃が起こり、クルマが回転しそうになるのをダビアが必死に抑える。


「まずいね。相手のほうが修正力が上だ。逃げたほうがいいかも」

「いや、すでに逃げているんだが…!」

「でも、相手は逃がしてくれない…か」


 次は副砲が三門、こちらに狙いをつけた。


(殺気だ。…本気で殺しにきてるな。あの威力なら迎撃してもいいけど…三発撃たれたら面倒かな。オレは大丈夫だけどダビアがな…。下手に迎撃して本気になられても困るし…。しょうがない、【捨てる】か)


 そして、三発の砲撃が発射。

 完全に捕捉した攻撃は、迷いなくクルマに向かって―――



―――直撃



 クルマは砲撃によって、粉々になって炎上。

 真っ暗な荒野に、小さな火が燃え続ける。

 まるで人の命が燃えるように、真っ赤に。




20話 「遭遇、戦艦の脅威 後編」


 クルマは沈黙。

 戦艦に攻撃されて無事である存在は、まずいない。当然の結果だ。

 それを確認した砲手が、司令室に連絡を入れる。


「目標、撃墜」


 その言葉は、人の命を奪ったという報告。何人乗っていたかはわからないが、殺したということだ。

 その報告を聞いた指揮官の男は、静かに目を瞑る。


「運が悪かったな。間が悪かった。…それも言い訳か。殺した者の台詞ではない」

「いえ、まさに運が悪いのです。仕方のないことです」


 隣にいる副官の男が答える。

 たしかに運が悪かったのだ。わざわざこのルートを走らなければ、鉢合わせることもなかったのだから。


「このルートは誰も使わないと聞いていたが?」

「情報では、そのはずです。民間人が使うものは、東に二百キロほど行った先のルートです。ここに一般人は近寄らないはずです」

「では、軍人か?」

「そのわりには一般車両のようでした。ただ、西側のクルマでしたので、他国の軍関係者かもしれませんが…」

「その場合は最悪だな。調査に来られると面倒だ」

「グラス・ギースやハピ・クジュネの領主が断るのでは?」

「それができればな。RBやニアージュあたりが出てくれば抵抗はできまい」

「やつらは南の地の入植で手一杯…だと思いたいですな」

「希望的観測で動かねばならないほど、我々には余裕がないということだ。…起こったことは仕方がない。しかし、本当に見えていたのか? 視認防壁があったのだろう?」

「そのはずですが…対象と接触した際、自壊したようです」

「自壊? そのようなことがあるのか? 俺は術式に詳しくないから細かいことは知らないが…あまり聞かないぞ。普通は損耗して効力が消えるとかではないのか?」

「はい、普通はありえませんが……ここに来るまでに劣化したのかもしれません」

「…そうか。長旅だったからな。だが、そうだとすれば防げた事故だぞ」

「申し訳ありません! 即座に見直します」

「そうしてくれ。これ以上のトラブルは御免だ。この戦力で大規模な戦闘は極力避けたい」


 この戦艦には、視認を防ぐための術式結界がかけられていた。視認を完全に防ぐものではなく、周囲と同化することで見えにくくするものである。

 ただし、わざわざ夜を選んで移動しているのだ。普通の人間がこの距離で視認することは不可能に近い。

 もし見えたのならば、相当目が良い人間に違いない。それだけで貴重な人材であるといえる。


「いい素質を持っていたのだろうが……惜しいものだ」


 その男、煤けた深い金髪、梅幸茶(ばいこうちゃ)の色合いの髪をした壮年の男が呟く。

 色合いは多様だが、金髪自体は西大陸に多い髪色である。この男もまた身体的特徴によって、自身が西側の人間であることを図らずとも主張していた。


「また誰かに発見されては困る。先を急ぐぞ。今はまだ、この艦を見られるわけにはいかない。早く隠さねばな」

「了解しました」


 そして、自身の腰にある剣を触りながら、深い闇に映った灯火を見つめた。


(どんな目的があろうと、その手段がいかようなものだろうと、犠牲は少ないほうがいい。だが、最初からこれか。結局、誰かを殺さずには我々は生きてはいけないのだ。ならば、これからいったいどれだけ殺すのか…。それも魔剣使いの宿命だということか。…因果なものだ。それでもここで生きていくしかない。希望を見つけるしかないのだ)






 戦艦が遠ざかっていく。

 それを感覚で把握しながら、さらに用心のために五分ほど、じっとする。

 その後、何も起こらないのを確認して顔を上げた。


「もう行ったよ。こっちへの敵意は消えたかな」

「なんだよ…いったい。どうなってんだ?」


 炎上したクルマから二百メートルくらい離れた場所に、アンシュラオンとダビアはいた。

 お互いに傷はない。傷はないが、クルマは完全に大破である。回収も不可能なほど粉々だ。


「ごめん。クルマは捨てるしかなかった」

「…それはいい。命あっての物種だからな。むしろ助けてくれてありがとうよ」

「拾ってもらった恩があるからね。当然だよ。ただ、もしかしたらオレのせいかも。あの戦艦を見ちゃったから攻撃された可能性があるんだ」

「見ちゃったって…相手はそんなことまでわかるのか?」

「うーん、あれって術式だったのかな? 妙に見えにくいから、コード式を壊しちゃったんだよね。たぶん、あれで気づかれて方向もバレたっぽい」


 戦艦を覆っていた蜘蛛の巣ようなもの。

 おそらく隠密系の術式だったのかもしれないが、見えにくいのでアンシュラオンが眼力で破壊してしまったのだ。

 術式に干渉して式を変更して自壊させる。簡単にいえば、数式の値を変更して式を成り立たせなくするのである。

 もちろん簡単にはできない。その術式を解除できるだけの術士の因子と実力が必要だ。因子が低い人間が強引にやれば、術式事故を起こす可能性すらある。

 それによって警戒した相手が、敵対反応をしたと考えるべきだろう。しかし、警告もなく戦艦がいきなり発砲したのだ。もとより危険な相手に違いない。

 それより、である。


「あー、いいなー。ワクワクする。やっぱり戦艦って、カッコイイ!」

「おいおい、冗談だろう。死ぬかと思ったぜ」

「助けたんだから、クルマが壊れたのはチャラね」

「あぁ…改めて考えると悔しいな! 俺のクルマがぁ…! ちくしょう! いったい、どこの馬鹿だ! 賠償請求してやるぞ!」

「そんなことしたら、もれなく銃弾のプレゼントが来るかもしれないよ」

「洒落にならねえよ! 泣き寝入りか!?」

「命があっただけよかったじゃん。物はまた買えるけど、命はそうはいかないしね」

「はぁ…しょうがねえな。運が悪かったな」

「まあ、次に出会ったらお返しくらいはしたいけどね。それに見合うだけの物は奪いたいよ」

「完全に強盗の発想だな」

「それも荒野のルールでしょ?」

「違いねえ」


 ダビアがこうしてクルマの心配をできるのも、アンシュラオンが助けたからである。

 クルマは大破したが、本当に二人は無傷であった。


「というか、よく間に合ったな。何をやったんだ?」

「一つは直前に修殺で迎撃して、二つ目は水泥壁(すいでいへき)で膜を張って防御して、三発目はクルマに当たった瞬間に凍らせて爆発を遅らせて、その間にクルマを壊してダビアを引っ張り出して、ここまで跳んだんだ」

「いや、おかしいだろう!? あの一瞬にどんだけやってんだ!?」

「そんなに速くなかったし問題ないよ。姉ちゃんの攻撃に比べれば、あんなの楽勝だよ」

「それはなんだ? お前のつらい家庭事情に同情すればいいのか? それとも感謝すればいいのか?」

「オレもわからないよ。今は感謝かな。ダビアも助かったしね」


 パミエルキの攻撃を防御していた自分にとって、あの程度の攻撃は生ぬるいの一言である。その点だけは姉に感謝したいものである。

 本当は偽装工作のために、着弾と同時に火気を発してクルマに火を付けたのだが、そこは言わないことにしておく。

 激しく燃えてもらわないと、相手が調べにくるかもしれないから仕方なかったのだ。


(にしても戦艦か! 燃えるな!! 相手を殺し、破壊するための兵器。最高だね! オレもいつか欲しいな)


 攻撃されたらさすがに怒りが湧くものだが、今のアンシュラオンは戦艦の格好良さに惹かれていた。

 ここは異世界。

 のどかでありながらも、身の危険が常にある未開の土地。


 それに心躍らせるのであった。




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