序話 「欠番覇王」
【覇王】
武人という存在が生まれてから、常に覇王は存在してきた。その強さに人々は憧れ、敬愛し、怖れ、崇めるからだ。
覇王であることは、強さの証である。
強さそのものは、それだけで多くの人々を惹きつける。
単身で強さを求め続け、最強の武人になった者もいる。一国の王になった者もいる。商人になって成功した者もいる。
あるいは、全世界をまとめた【大陸王】のように、本当に世界を統一してしまった者もいる。
どのような悪行を成した覇王であれ、その名は必ず遺《のこ》る。善行を施しても、何もしなくても、存在そのものが伝説となる。
覇王とは、そういう存在なのだ。
ただし、例外もある。
ごくごく稀にだが、【欠番】が生じることがある。
歴史に名を遺すことに、何らかの不都合な理由が生じた場合。または、当人がひたすらに覇王であることを隠していた場合。もしくは、単純に空白の時代に存在した覇王等々、どうしても欠番が生じることがある。
人々から称賛される偉業を成したにもかかわらず、名が遺らないのは、名誉を求める人間ならば苦痛でしかないだろう。
それでも自分を消せる者がいれば、まさに自己犠牲の鑑であり、真に尊敬される人物であるといえる。
まさに英雄であり、完全なる王である証明を、自らの行動で成したのだ。立派である。
―――そう、立派であればよかったのに
この人物も、そんな高潔な理由で欠番になったのならば、まだ救われた。
しかし、この男が欠番になった理由は、そういった類のものではない。
なぜ、そんなことがわかるのか、と思っただろう。
欠番なのだから、資料が残っていないはずなのだ。
ならば、我々に遺された口承の一つを、ここに示そう。
ある男が、山奥で修行していた。覇王になるための鍛錬である。そして、ようやくにして修練が終わり、免許皆伝となった。
「さあ、これからどうする? 何をしても自由じゃ。おぬしの好きにせよ」
そう師匠から言われた男は、しばし考えたあと、こう答えた。
それはもう満面の笑みで―――
「はい、これからは、【従順な女の子たち】と一緒に、好きなだけイチャラブ生活を送りたいと思います!!!」
そして、彼は欠番覇王になった。
この物語は、欠番覇王となった一人の少年による、ギャグがあり、シリアスがあり、まったくどうでもよく、無価値で、不道徳で、非倫理的で、それでいながら何かの足しにはなるかもしれない、そんなお話である。
しかし、彼には一つだけ大きな問題があった。
そう、【姉という存在】が、彼のすべてを狂わせていくのだ。
1話 「姉ちゃんという存在」
「オレはもう、姉ちゃんからの支配は受けない!!」
アンシュラオンは、目の前にいる女性、パミエルキに叫ぶ。
「なんだい、やぶからぼうに」
「ずっと思ってたんだ!! これはおかしいよ! なんで実姉なんだよ! せめて義姉とかの設定じゃないのかよ! だからこうなったんだ! 設定ミスだ! 断固抗議する!」
「何の話をしているんだい。アーシュは、たまによくわからないことを言うねぇ」
「大切な話だよ! オレの人生にとって、とっても大事な話をしているんだ! 姉ちゃんとオレにとっての未来の話だよ!」
「お姉ちゃんとアーシュの未来は、ずっと一緒にいることでしょう? ああ、大丈夫。ちゃんと二人だけの場所を探すから。無人島がいい? そこなら、誰もいない場所で二人きりよ」
「それがおかしいんだよ! 毎日毎日べったりじゃないか! 歩くときも、話すときも、お風呂入るときも、トイレだって!」
「そりゃ姉弟なんだから当然じゃないの。こんなにそっくりなんだもの」
真っ白でふわふわとした長い髪の毛に、真っ赤な瞳。
こう言うと、どこか白兎の可愛さを表現しているように思えるが、女性の瞳は鋭く尖っており、白兎どころか凶悪な白虎を彷彿させる威圧感を放っている。
きめ細やかな白い肌、自己主張が激しすぎる非常に豊かな胸、引き締まったボディラインは、多くの男性を一瞬で虜にしてしまうほど魅力的。
いつも濡れているような真っ赤な唇、端正な鼻筋もまた、神が女性を完璧な存在として造ろうとしたかのように美しい。
もしこんな女性と出会えたら。
こんな女性と愛し合えたら。
そう思う男は多いだろう。
―――が、【実姉】であれば話は違う!!
アンシュラオンの肌も髪の毛も、姉とまったく同じふわふわの白。瞳も同じ赤。
唯一違うのは、目尻が姉よりも少し下がっているので、柔らかい印象を与えることくらいだろう。
それを除けば二人はそっくりであり、アンシュラオンもまた美の結晶と呼べる容姿をしている。
そして、姉はそれ(弟)を愛している。
愛らしい弟を抱き寄せ、とてもとても甘く優しい声でささやく。
「いい、あーくん? お姉ちゃんとあーくんは、この世に二人しかいない存在なの。たった二人だけの人類なの」
「いろいろと考えたんだけどさ、やっぱりそれはちょっと無理があるんじゃ…常識的に考えてさ…」
「そんなことないの。本当なの。生き残った女は、お姉ちゃんだけなの。だったら、あーくんはどうするの? あーくんが愛する女は、私だけでしょう? 私しかいないんだから、当然だよね。あーくんが昔、お姉ちゃんに言ったこと、覚えてる?」
「…姉ちゃんと結婚する」
「あーーん、そうそう。それよぉお! あーくんは、偉いねえ。その続きは?」
「…姉ちゃんと子供を作る」
「はぁああ! そうよ。そう。お姉ちゃんと子供を作って、一緒に暮らして、一緒に暮らして、一緒に暮らすの。死ぬまで…ね」
「あのさ、もっと外を見るべきなんじゃないのかなぁ、って最近思うんだけど…」
「なんで?」
「な、なんでと言われると…自信ないけど」
「ほら、見てみなさい。ここに外なんてないのよ。あったとしても、あーくんが知っている通り、山と森しかないの」
(たしかに、何にもないけど…山しか見えない)
見渡す限りの山、山、山、山、山、山、山、山。この世に山脈以外のものがないのではないかと思えるほど、連綿と山が続いている。
ここは世界最高の霊峰の一つ、火怨山(かおんざん)の頂上付近。
この火怨山は標高二万メートル以上であるため、雲すら眼下におさめ、空気も薄いので一般人が登山できるような場所ではない。
さらに、下の階層には凶悪な魔獣が跋扈(ばっこ)しており、最低でも名崙(めいろん)級の実力者でなければ、即座に彼らの餌になってしまうだろう。
それでもあくまで、餌にならない、というレベルにすぎない。
王竜(おうりゅう)級の武人であっても秒殺されるような上級魔獣がひしめいており、ゲームのラストダンジョンのように、出会う魔獣は伝説でしか耳にしない存在ばかり。
仮にそれらを乗り越えても、中層以上には結界も張ってあるので、ここに入ることすら難しい。いや、不可能だろうか。
(オレもかなり走り回った記憶があるけど、先が見えないんだよな。ずっと山しかない…。海はかすかに見えたけど、人の気配はなさそうだ。でも、本当に世界は山だけなのか? この【世界】は、本当にそうなのか!?)
「じゃあ、師匠とゼブ兄(にぃ)は?」
「あれは…たまたま生き残った人類よ」
「たまたま、あの二人が?」
「そうよ。たまたま生き残ったの。だから強いのよ」
「あれも男でしょ? 姉ちゃんと結婚でき…」
「できるわけないでしょう!!!!」
「ひっ!」
「あんなものが! あんなものたちが、アーシュの代わりになるわけないでしょう!!! わたしの可愛い、かわいいあーくんの!! この真っ白で愛らしい、あーくんの代わりになんて!!! それともあーくんは、私があいつらと結婚したほうがいいと思ってる? ねえ、思ってる!? そうなの!?」
「…いや…そうは……言ってないけど……」
「はぁはぁはぁ!! ああ、そうね。…殺しても、いいか。邪魔なら、殺しても…アーシュと私だけいれば、人類は生き残るもの…ね」
「え? えっ!? 姉ちゃん、落ち着こう!! ほら、深呼吸して!! ちゃんと吸って!!」
「ふーーー、すーーーーーー! ふーーーーー!!」
弟の髪の毛を吸う。
たっぷり吸う。
「はぁーーはー。アーシュのおかげで落ち着いたわ。やっぱり、これに限るわね」
(猫吸いなの!? オレって、猫なの!?)
それはまるで、可愛い猫に吸い付く姿。
可愛くて可愛くて、自然とそうしてしまうのだ。
「ほらぁ、お姉ちゃんのこと好きでしょう。あーくんも吸って?」
「吸えって言われても…って、どうして胸を出すの!?」
「あーくんの大好きな、お姉ちゃんのおっぱいじゃないの」
「好きだよ! すごく好きだけどね! まだ昼間だし!」
「昔は、一日中吸っていたじゃないの」
「ぐおおおおおおお! 過去の自分を殴ってやりたい!!」
吸ってました。
「それはその、姉ちゃんが…好きだったから」
「好き、だった?」
「ちがっ!? 今も好きだよ! 綺麗だし、エロいし、可愛いところもあるし、オレのこと愛してくれるし、すごくすごく好きなんだ! でもさ、やっぱり姉弟だから…」
「姉弟だから、なぁに?」
「うっ、うう…柔らかい……」
パミエルキが、豊満な胸をアンシュラオンの顔に押し付ける。
抵抗したいが、その柔らかさに抵抗できない。
ちくしょう、男なんてこんなもんだよ!
(ほんと、どうしてこの人が姉なんだ? 姉じゃなかったら、すごく好みなのに…!! 本当に結婚してもいいくらいなのに! いや、姉がいいって言ったのはオレなんだけど、ここまでハードとは思わなかった!!)
「そ、そうだ。今日は違うことしようよ。ねっ、そうしよう」
「お姉ちゃんと遊びたいのね。いいわよ」
「ほっ…」
「じゃあ、アーシュがお姉ちゃんと同じってことを、じっくり教え込んであげるわ」
「えっ? それって…―――うわああああ!」
ポイッ。
アンシュラオンを、火怨山の頂上から投げ捨てる。
ポイッという擬音であるが、それはもう剛速球。軽く投げたはずなのに、遠投をしたかのように何キロも飛んでいく。
「落ちる落ちる落ちるっぅううう!」
アンシュラオンは何千メートルか落下し、崖に当たり、転がり、さらにトゲトゲの岩にぶつかり、それらを破壊しながらようやく止まる。
「あたたた! すりむいた!」
「そんなの、すぐに治るでしょう?」
そして、投げた当人がすでに目の前にいた。
(瞬間移動かよ!! おかしいだろう! どんな速度で走ってきたんだ、この人は!?)
投げられた人間より早く到達するなど、人間ではない。いや、本当に人間かどうか怪しいと思える時すらある。
「アーシュ。さあ、お姉ちゃんと遊びましょう。全力でいいのよ。全力でぶつかっても、お姉ちゃんはびくともしないから。そして、あなたが特別であることを教えてあげる。その身にも、心にも、たっぷりと…ね。ふふ、あはははは!!」
「ひぃいい!!」
2話 「災厄の魔人」
第一級、撃滅級魔獣。
魔獣の中でも、一つの都市を軽々壊滅させるだけの戦闘力を持った、つまるところ一個師団の騎士団以上に相当する、普通の武人では近寄ることも困難な存在がいる。
それを、ワンパンチ。
発する超重力波動ですら、彼女の歩みを乱すことはできず、悠然と相手に近寄り、ぶん殴った。
バズーカでも傷つかないであろう鱗を破壊し、筋肉をズタズタにし、骨を砕き、内臓をぐちゃぐちゃにした。
そして―――消滅。
拳圧から発せられる巨大な戦気(せんき)が衝撃波となり、粉々になった。その場には、最初からそんなものはいなかったと思えるほど、綺麗さっぱり消失である。
「こら、アーシュ! 逃げるんじゃない!」
「無理無理無理!! つーか姉ちゃん、いつから人間をやめたんだよ! グラビガーロン〈たゆたいし超重力の虚龍〉をワンパンじゃねえか!」
グラビガーロン〈たゆたいし超重力の虚龍〉。
巨龍種と呼ばれる、魔獣の中で最強レベルの種族である。
捕食以外では攻撃しない温厚な魔獣だが、近寄るだけで超重力であらゆるものを潰していくので、こうした頑強な岩場にしか生息できない。
何度か人界に出没した際は、歩いただけで都市を壊滅させたという。核爆発にも耐えられる防御性能を持っているので、誰も止められないのだ。
が、姉のパミエルキの前では無力でしかない。
「おかしいって!! オレだって簡単に倒せないのに! やっぱりオレと姉ちゃんは違うって!」
「あれくらい普通よ。師匠だってやるじゃないの!」
「同じ強さになってどうするんだ! 師匠は覇王だろう! 最強の武人って聞いたぞ!!!」
アンシュラオンと姉のパミエルキの師匠、陽禅公(ようぜんこう)。現在の覇王であり、最強の武人であると称される豪傑である。
といっても、すでに年老いてしわくちゃなので、好々爺といった感じの温和な人物である。
それでも覇王。
実力は飛び抜けていて、当然アンシュラオンが勝てる相手ではない。しかし、姉のパミエルキは、もはやそのレベルに達しているのではないかと、アンシュラオンは疑っていた。
それからも盾にする魔獣をことごとく一撃で倒し、アンシュラオンが逃げた場所には、まったく関係のない哀れな魔獣たちの死骸で溢れかえっている。
(撃滅級魔獣って、最強の魔獣たちじゃないのか!? 盾にすらならない!!)
「アーシュ、向かってきなさい!」
パミエルキが覇王技、修殺(しゅさつ)を放った。
戦気と拳圧を一緒に繰り出す基本の技だ。
―――それが、山を砕く
「嘘だろうっ!! 死んじゃう! あんなのくらったら死んじゃう!」
「大丈夫よ。アーシュは死なないから」
「げっ!」
パミエルキは凄まじい速度で前に回り込むと、蹴りを放った。
アンシュラオンのガード―――を打ち破る。
「ひぃいいい!!」
「ほぉら!! 撃滅級魔獣でも殺せる一撃を、あなたは受けるのよ!!!」
「違う、違う! 折れたから!! 今ので折れたから! ガード破れて、ボキッて音がしたから!!」
「治しなさい、すぐに。そうじゃないと、またいくわよ!」
「どうせ治してもくるじゃないかぁあああああ!」
「アーシュが可愛いからねぇええええええええええ!」
「可愛くなくていいよ!!!」
アンシュラオンは、水の最上位属性である命気(めいき)を展開。急速に折れた腕が治っていく。
姉の暴力(愛情表現)から助かるためだけに会得した、とても貴重な技の一つである。これがなかったら、もう何度も死んでいるに違いない。
(ただオレに甘いだけの姉ならば、我慢できたんだ! でも、愛情表現が過激すぎる!! 金属バットで殴って愛情表現する姉なんて、怖いだけだろうが!!)
可愛いから、つい苛めたくなる。これが普通の関係ならば、まだ許せる。最後はイチャイチャする関係になってハッピーエンドだろう。
が、命にかかわるとなれば話は違う。
(愛情表現で山を吹き飛ばす姉がどこにいるんだ! あっ、ここにいるや。って、ちがーう! ああ、またやった!! 自然破壊も甚だしいぞ! まったく、本当に師匠を超えたんじゃないだろうな。ちょっと調べてみよう)
アンシュラオンが、ひっそりと【能力】を使う。
すると、姉のデータが出てきた。
―――――――――――――――――――――――
名前 :パミエルキ
レベル:255/255
HP :99999/99999
BP :9999/9999
統率:SSS 体力: SSS
知力:SSS 精神: SSS
魔力:SSS 攻撃: SSS
魅力:SSS 防御: SSS
工作:SSS 命中: SSS
隠密:SSS 回避: SSS
【覚醒値】
戦士:10/10 剣士:10/10 術士:10/10
☆総合:第一階級 神狼(しんろう)級 魔人
異名:災厄の魔人
種族:人間
属性:光、闇、無、月、臨、命、圧、界、時、虚、実、滅
異能:デルタ・ブライト〈完全なる光〉、災厄招来、災厄障壁、災厄の加護、災厄魔人化、情報保存、情報復元、対(つい)属性修得、最上位属性限界突破、全属性攻撃無効化、物理反射、銃反射、術吸収、即死無効、毒吸収、精神支配、全種精神耐性、二十四時間無敵化、完全自己修復、完全自動充填、一騎当億、弟への愛情MAX、弟と結婚、弟の子を産みたい、弟とずっと一緒、弟と自分以外は死んでもいい
―――――――――――――――――――――――
(嘘だろっ!? 本当に人間やめたのかよ!!)
能力数値は、SSS、SS、S、AA、A、B、C、D、E、Fの十段階評価で、Dもあれば立派な一人前といわれるレベルにある。
Cは相当の熟練者、Bもあれば、その道の達人レベル。Aなら、もう国を代表して誇れるレベル。
それ以上となると、もはや使い手を見つけるのが困難になり、Sまで到達した日には、歴史に名を残す英雄だと思ったほうがいい。
それが、オールSSS(トリプルエス)。
師匠の陽禅公でさえ、そこには到達していない。つまり姉は、すでに師匠を超えていることになる。強くて当然だ。
しかも、覚醒値が半端ないことになっている。
これらは武人の資質を示すもので、常人は0である。1でもあれば武人認定されるほどの覚醒値であり、騎士団なら正規騎士として重用されるだろう。
2あれば、相当な達人。3もあれば、そこらの軍隊では太刀打ちできないレベルだ。
それもまた、オール10。
通常、武人の資質は、どれか一つに限定される。戦士なら、戦士に特化するのが普通だ。
もちろん、例外もある。ハイブリッドと呼ばれる存在は、戦士と術士、剣士と術士といった二つの因子を持つことができるし、モザイクに至っては、戦士と剣士を両立することもできる。
が、すべて10はおかしい。
その正体は、彼女の異能スキルであるデルタ・ブライト〈完全なる光〉が関係している。
このスキルは、全部の覚醒値が最大値まで解放されるというもの。
否。それは逆説的である。全部の覚醒値の制限を取っ払った人間だけが、このスキルを獲得するのだ。
弟であるアンシュラオンも持っているスキルだが、覚醒値は遠く及ばない。
あくまで制限を取っ払い、最大値を10にするだけのスキルで、覚醒させるのは自分の努力次第だからだ。
(しかも、【災厄の魔人】ってなんだ!? こんなの前はなかったぞ! いつの間にか最上位属性も全部そろえているし、それ以外のスキルもやべえ! 称号も、すでに人間を超えて【魔人】になってるぅうううう!)
この人がラスボスだったら、勇者レベル99でも秒殺するだろう。まあ、勇者などいないのだが。それにレベルの上限は255だ。
それ以外のスキルも、何から説明すればよいのか迷うほど、正直危険だ。
(後半のスキルは、見なかったことにしよう。何もなかった。何もなかったんだ! オレは何も知らない!)
そして、アンシュラオンは諦めた。
「姉ちゃん、好き! 大好き! もう遊びはいいから、戻ろうよ!」
「せっかく楽しくなってきたのに…」
「姉ちゃんをぎゅってしたいから、ねっ!? いいでしょ!?」
「あーくんったら…可愛い。私も大好きよ。ちゅっ」
アンシュラオンの髪の毛にされた、その口付けは、まるで悪魔の唇にすら感じられる。
(くそっ…逆らえない。逆らったら殺される。いや、違う。オレ以外のものが犠牲になっちまう。あの魔獣たちのように…)
何の関係もない魔獣たちが犠牲になった。
べつに魔獣に対して同情するというわけではないが、まったく無意味な殺戮を平然とこなせるのが姉という存在である。
それはまるで、蟻の行列に熱湯をかけて殺すようなもの。
その行為に意味はない。たまたまいたから、というだけの理由。
そして、それができてしまう圧倒的な力を持つ存在である。
(姉ちゃん…こんないい女なのに…。神様ってやつは残酷なもんだなぁ…)
この人(姉)には、ひたすら従順でなくてはならない。
命令されれば「イエッサー」以外は言わない。マッサージを強要されれば、そのスタイルの良さを賛美しながら奉仕に勤しむ。鍛錬になれば、ひたすら生存だけを望んで、相手のストレスが解消されるまで防御に徹するのだ。
そして、そういった日々が、彼の中に大きな【トラウマ】を作ってしまうのだった。
その極めつけは、次の日から起こることになる。
恐怖の「姉のあまあま一週間」が始まるのだ。
3話 「姉のあまあま一週間 朝編」
「あーくん、あーくん♪」
姉の声が聴こえる。
とても甘く、愛情以外の感情がまるでないような、ただただ甘い声である。
「ねぇ、あーくん。あーくん。んふふ、あーくん♪」
その吐息が、アンシュラオンの顔にかかる。
唇が頬を伝い、その女性の体温が、とてもとても身近に感じる。
ちらりと視線をずらすと、その豊満な胸が目に映る。
ただ大きいだけではない。重力に負け、温めた餅のようにべったりと柔らかく形を変え、ベッドに押し付けられている。
それが―――顔に押し付けられる
「ううっ」
「んふふ。きゃは、あーくん、くすぐったいよぉ♪」
「いや、でも…、呼吸が……呼吸しないと…」
「だーめ。だーめ♪ お姉ちゃん以外を見たら、だぁ〜め♪」
さらにぎゅっと抱きしめられ、その二つの餅によってアンシュラオンの顔がサンドイッチ状態になる。サンドイッチなのか、サンドウィッチなのかという議論など、こうなってはもうどうでもいい。
現在、弟のアンシュラオンと姉のパミエルキは、【裸】で同じベッドの上にいる。これは普通のこと。いつも一緒に寝ているからだ。
ただし、いつもとは違うことがある。
本日は、一年を通じて唯一のまとまった休みなのだ。
基本は常に修行しているわけだが、アンシュラオンが来てからは年に一度、一週間の休みが設けられるようになった。当然、パミエルキの要望である。
この日は、「あーくんの日」と名付けられている。
勝手に姉がそう言っているだけだが、彼女にとっては重要な日なのである。
―――そう、弟と一週間、ひたすら【愛し合う期間】なのだ。
誰の了承もない。少なくともアンシュラオンが了承した記憶はないので、勝手に愛される日、といったほうが正確だろう。
そして、この期間、パミエルキは「あまあまモード」に入る。
修行中は、どちらかというと強い姉という立場を示しているが、この期間だけは子供の頃と同じく、あまあまになるのである。
「ちゅっ、ちゅっ、んふふ。可愛い。可愛い。可愛い。あーくん、可愛いねぇ〜。髪の毛もふわふわだねぇ〜。頬もすべすべだねぇ〜。ぺろぺろ、ちゅっ」
自分と同じ白くふわふわの髪の毛を、撫で、頬を舐め、身体を密着させる。
それに対し、アンシュラオンは完全にマグロである。冷凍マグロといってもよい。
「んっ…んっ」
「んー、なぁに? 起きるのぉ?」
「う、うん。ちょっと喉が渇いたかなって…」
嘘である。
そんなことはまったくないが、ずっとこのままというわけにもいかないだろう。放っておけば、夜までこうしている可能性すらある。それはさすがに困る。
と、こうして方便で逃げようとするのだが、簡単に逃がしてくれるほど姉は甘くない。
「じゃあ、お姉ちゃんがお口を湿らせてあげるね」
「んむっ―――!!」
「んっ、んっ…んちゅっ」
アンシュラオンの唇に、彼女の唇が重なる。
さらに舌が侵入。
ねっとりと絡みつき、ついでに唾液を供給してくる。
「んーーー、んーーー!」
しっかりと顎を固定されているので、抵抗はできない。ただ口を開き、姉の舌を受け入れ、注がれる唾液を飲むしかない。
たっぷりと、たっぷりと注がれる。
それが十五分、続いた。
「どう? 潤ったでしょう?」
「……潤い…ました。すごく。いろいろと」
「うふふ、嬉しい。あーくん、あーくん♪ 可愛いね〜」
口を拭いたりはしない。べつに肉体的要素に関して、姉に不満はこれっぽっちもない。汚いとも思わない。
アンシュラオンは、姉が好きだ。姉という属性は大好きだ。だからある種、これはご褒美のようなものである。
その証拠に、今しがたのディープキスと、むにゅり、という柔らかい感触に、彼の下半身はしっかりと反応している。
「お姉ちゃん、あーくんのこと、大好きよぉ」
そう言いながら、太ももを大きくなった下腹部に擦り付けてくる。
ぞわり、という感触がアンシュラオンを襲った。
(ちょっ! 気持ちいい!! やめて! そんなに柔らかい足で、すりつけないでぇええ! まずい! 姉ちゃんと身体の相性が良すぎる!! 触れただけで、オレのマイボーイが爆発しそうだよ!!)
姉の言うことは正しい。正直、これほど合う人がいるのだろうかと思えるほど、すべてに関して相性が良いのだ。
容姿も似ているのならば、感覚や感度も似ている。こうしたいと思うときに、そのようにしてくれる共感も抜群だ。
今ここでそうしてほしいと思ったことを、相手がしてくれる。それは幸せなことであろう。うっかり、その甘い誘惑に乗りたくなってしまう。
が、これは罠だ。激しい罠だ。
これに乗ってしまうと、永遠に姉に支配され、逃げ出せなくなる予感がびんびんしていた。
幼い頃は、姉のこうした行為に疑問は抱かなかった。喜々として「お姉ちゃん、大好き」と言っていたほどである。
「あっ、あっ、姉ちゃん、それ以上は…!」
「なぁに? どこがいいの? おっぱいのほうがいい?」
(ちくしょうううううう! そんなことされたら、一発で終わりだ!! 我慢なんてできるわけがない! そしたら、それをきっかけにずっと…! くそおおおお!)
「くうううう!! ご、ご飯にしようよ! ご飯食べたいな!!」
「じゃあ、ご飯にしましょうか。うふふ」
食卓には、アンシュラオンが作った料理が並んでいる。
どれも平凡な料理だが、火怨山で採れた植物や穀物、希少な鳥の肉などを使っているので味は良い。自己流だが、自分でも美味しいとは思う。
それだけならば、何の変哲もない世間一般の食卓なのだが、他の家庭にはきっとないであろう珍しい光景が一つある。
「やだやだぁ、お姉ちゃん、あーくんが食べさせてくれないと、食べられなーい」
「はいはい、あーんして」
「あーん。んふふ。もっと〜」
「はいはい」
雛鳥に餌をやるように、姉に食べ物を運んでいく。
弟大好きな姉は、毎回これを要求してくるのだ。今日に限ったことではない。程度の違いはあれど、毎日やっていることだ。
ただ、あまあまモードの場合は、もっと強烈になる。
「あーくんにも食べさせてあげるね。ほら、あーんってして」
「あーん…―――んぐっ! んっんっー!」
「んっ、んっ」
今度は姉が、あーんした弟に食べさせるのだが、それが【口移し】である。
しかも、姉が咀嚼(そしゃく)したものを飲み込むだけという、リアルで高度な雛鳥プレイが発生する。
「んっ…ごくり」
「おいしい?」
「おいしい…です。姉ちゃんの味が…する」
「うふふ、どんな味?」
「刺激的で…甘いです」
「お姉ちゃんの味、飽きないでしょう?」
「…はい。喉元が…すごいです」
けっして不快ではない。むしろ、この姉は糖度たっぷりの果物で出来ているのではないかと思えるほど、触れ合うだけで妙な甘さを感じさせる。
肌を舐めても、甘い。唾液すら、甘い。
ただ、【粘着質】なので、なんとなく口や喉に残って後味が悪い。
そのうえ、この行為は対面で行われているわけではない。大きな椅子に、二人が密着して座っているのである。腰はしっかりとホールドされ、逃げることは許されない。
逃げるなんて、そんな恐ろしいことはできない。
あまあまモードでは何があっても怒らない代わりに、笑顔で強制力を発揮してくるのだ。そして、そのほうが怖いことを過去の経験で知っている。
その食事は、八十分という長い時間続いた。
4話 「姉のあまあま一週間、夜編」
「甘い…口の中が、甘い。姉ちゃんの味が取れない…」
口の中には、姉の甘い味が残っている。
いくら唾液を分泌しても、飲み物を飲んでも取れない。姉そのものが、すでに身体に染み付いているかのように。
「はぁ…空が綺麗だ」
アンシュラオンは口実を並べ立て、なんとか三十分だけ時間をもらう。
標高二万メートルから見る景色は綺麗だ。まあ、ほぼ雲しか見えないが。
「オレ、耐えられるかなぁ…」
美人である。綺麗である。スタイルもいい。弟には甘いので、何ら問題はない。他人が見れば羨ましがるかもしれない。
だが、【重い】。
愛が重い。重すぎる。
いろいろなものが重く、ねっとりと絡み付いてくる。最初はよかったが、年を重ねるごとに、徐々にその異常性が強まっていった気がする。
「はぁ…」
「アンシュラオン、どうした?」
そんなアンシュラオンに、通りがかった男性が声をかける。
わざわざ顔を上げて、誰かを確認する必要もない。ここにいる若い男性は、自分以外には一人しかいない。
「ゼブ兄(にぃ)…」
「なんだか死にそうだな。まだ昼だぞ」
「オレは望んでいない! 鳥になりたかった!!」
「会話をしようぜ!? 何の話だ!?」
投げられたボールを、思いきり崖から投げ捨てるアンシュラオン。他愛もない会話をする元気など、今の彼には残っていないのだ。
「人生、いろいろあるさ。そういうときもある」
青年の名は、ゼブラエス。
金茶の髪に、精悍な顔つき。ボディビルダーのように胸板が厚く盛り上がり、その逞しさを思う存分アピールしているが、その筋肉は常に実戦で鍛えたものであり、紛い物などではけっしてない。
アンシュラオンとは六歳の差があり、面倒見もよいので、頼りになる兄貴分として、よく相談に乗ってくれる。
パミエルキのことも姉弟子としてよく知っているので、この苦労を唯一分かち合える仲間と認識していた。
「ゼブ兄、死にたい」
「早まるな。どうせパミエルキがらみだろう」
「そうなんだ…。今日から、あの日なんだよ…」
「あの日って何だ?」
「あれだよ、あれ。あーくんの日だよ!! 自分で自分のことを『あーくん』って言わないといけない気持ちがわかる!? オレはもう大人なのに!!」
「そうだな…。アンシュラオンがここに来て、もうだいぶ経つからな」
「ここに十三年いるんだ。十三年間、姉ちゃんとべったりさ。家にいたときからそうだったけど、だんだんと激しくなっていくよ」
「あいつからすれば、まだ可愛い弟なんだろう。お前だってここに来た当初は、あいつの愛情を普通に受け入れていたじゃないか」
「今は愛が重いんだよ!! 重すぎるんだ!」
「愛されて文句を言うとは贅沢者だな。ははは」
「笑い事じゃないから!? 本気だからね!! ゼブ兄、よかったら代わってあげるよ。貴重な女性だよ! 人類で唯一生き残った、たった一人しかいない女性だよ!!」
「さすがに遠慮……ん? その話…あいつがしたのか?」
「その話って?」
「その、人類で唯一とか…いう話だ」
「そうだよ。世の中に女は、姉ちゃんしかいないんだって。だからオレと結婚して、子供を作るんだって」
「…そう……か。そうだな、うん。それならしょうがないな。そういうことならな。それじゃ、オレは行くところがあるから…」
「…待って」
よそよそしく出て行こうとするゼブラエスを、止める。
「ねえ、それって本当なの?」
「それ…とは?」
「誤魔化さないでよ! 姉ちゃんがした話のことだよ! この世は、本当に山と森だけなの!? 女は姉ちゃんだけなの!? そんなのおかしいよね! ありえないよね!? だって、そもそもおかしいよ。師匠が最強の覇王って段階で、この四人の中だけで最強って話になっちゃうじゃん! 全人類が四人だけなんて、ありえないでしょう!!」
「…気がついたか」
「気がつくわ!!! 誰だって気がつくよ!」
「だが、昔のお前は全然気がつかなかったぞ」
「それは…子供だったし、姉ちゃんがいればいいかな、って思っていたから…。あんな綺麗で可愛い姉ちゃんができて、本当に嬉しかったんだ。キスもしてくれるし、身体も触らせてくれるし、オレが喜ぶことは何でもしてくれた。それに夢中で気がつかなかった。あまりに気持ちよくて…姉ちゃん以外はいらないって思ってたから」
「…うん、お前も相当病んでるな」
弟もかなりのものである。
あの姉にして、この弟あり。
「オレからはなんとも言えん。師匠に訊いてみろ」
「いつもそうやって誤魔化すじゃん! 真実が知りたいんだ!」
「知ってどうする? あいつを説得できるのか?」
「そもそもどうにかできるの、あの人? この前なんて、撃滅級魔獣を絶滅させかねない勢いで殺していたよ」
「年々強くなるな、あいつは。オレや師匠でも、太刀打ちできないレベルにある」
「ゼブ兄、助けて」
「すまん。オレは忙しい」
「忙しいってなにさ。ゼブ兄も、一週間休みでしょう? 見捨てないで!!」
「本当に忙しいのだ。オレにもやるべきことがある」
「オレのは、やるべきことじゃないのに!! 師匠はどこに行ったのさ!?」
「野暮用らしい」
「くそおおおお! 逃げたなぁあ!」
ちなみに師匠の陽禅公は、この一週間の間、どこかに出かけて不在である。
ゆえに、彼女を止められるとすれば、この男しかいないのだ。
「やるべきことって何さ?」
「天空竜の話は知っているか?」
「えーっと、世界中の空を飛び回っている六匹の竜、だっけ?」
アンシュラオンは、師匠に聞いた話を思い出す。
ここでは一応、座学のようなことも行っており、そうした会話をすることがあるのだ。
天空竜もその一つ。世界中の空を飛び回っており、人間を監視しているという謎の存在だ。一説では、古の時代の兵器という話や、女神の使者などという話もあるが、どれもはっきりしない。
ただ、彼らに目をつけられたら、それはもう恐ろしいことになるという。一晩で国がなくなった、という逸話もあるくらいだ。
「で、それが何?」
「どうやら今晩、このあたりを巡回するようなのだ」
「えっ? そうなの!?」
「うむ、師匠の話では二十年に一度、この火怨山の頂上に止まるそうだ。そして、今日あたり来そうなのだ」
「だ、大丈夫なの!? そんなヤバイのが来て?」
「何もしなければ大丈夫だそうだ。彼らは温和で、けっして好戦的ではない」
「なんだ…よかった」
一瞬、姉を排除してくれないかとも思ったが、姉なら倒してしまいそうで怖い。
それに、そこまで嫌っているわけではない。死んでほしいなどとは、夢にも思わない。
ただちょっとだけ、もうちょっとだけ普通であってほしいだけだ。今のままでは、ただの変態であるから。
「だから今夜、ちょっくら行ってくる!」
「竜見学か…。姉ちゃんと離れられるなら オレも行きたいよ…」
「駄目だ、駄目だ。あれは、オレ一人で倒す!」
「……え? 倒すの? 見るんじゃなくて?」
「見てどうする」
「記念になるかなって」
「倒したほうが記念になるぞ」
「あれ? その竜って、空から人間を監視しているって言ったよね…。オレたちだけを監視するってのも変だし、普段近寄らないのはおかしい…」
「じゃあ、またな」
「待って!!! いるんだろう!! この世には他の人間もいるんだろう! ゼブ兄、たまに下山するじゃん! 真実を教えてよ!!」
「…オレが竜を倒せたら教えてやる」
「死亡フラグみたいなこと言わないでよ! ちゃんと帰ってきてよ!? 死んでもいいから、真実だけは書き留めておいて!」
「パミエルキみたいなこと言うなよ。まったくお前ら、ほんとそっくりだな」
「それはオレに対する最大の侮辱だよ。ちゃんと戻ってきてね。ゼブ兄がいなくなると、姉ちゃんが増長するから」
「わかった、わかった。ちゃんと戻るさ。今日は本気でいくからな。楽しみでしょうがない」
その顔は、キラキラと少年のように輝いていた。本気で挑むつもりのようだ。
(なんか…駄目かもしれない。まずオレが今晩、生きて戻れるかわからないし…)
「それじゃ、またな!!」
「…うん、お互いに生きていたら、またね」
そう言って別れたゼブラエスは、この日の夜には戻ってこなかった。
一週間後、五千キロくらい吹き飛ばされたゼブラエスが、ボロボロなのに素晴らしい笑顔で戻ってきた。
もう手の付けようがないほど、脳筋が進行しているらしい。この人も駄目だ。ここには、ろくなやつがいない。
そして、この段階で決定した。
―――姉と二人きりの一週間、ということが
「ほら、あーくん。洗ってぇ〜。お姉ちゃんを、きれい、きれいしてー」
姉が、身体の洗浄を所望している。自分で洗うのならば問題ないが、弟に洗わさせようとしている。
「じゃ、じゃあ、いくよ。ごしごし」
「あはぁっ、もっと、もっと〜」
「こ、こう?」
首筋、背中を洗い、肩から手首もしっかりと洗う。泡がすごいので、もう全部がもこもこである。
そして、後ろを洗い終えれば、次は【前】である。
「じゃあ、次はここ。こ〜〜こ。うふふ」
弟の前に、姉の身体が露わになる。
相変わらず大きな胸はもちろん、濡れた髪の毛が艶っぽく、タオルも何もかけていない裸体は、女神かのように美しい。
そんな姉が示したところは、まずは胸。
「ほ〜ら、触って。いっぱい触ってぇ〜〜。お姉ちゃんの、ここ、好きでしょう?」
(そりゃ好きに決まってるけどさ。姉ちゃんのは形が良くて大きくて、餅みたいに柔らかいんだよな)
好きである。とても大好きである。
だが、さすがに恥ずかしいので、顔が赤くなる。赤くなったところで、許してもらえるわけもないのだが。
ゆっくりと胸にスポンジを押し当てると、ぷにゅっ、と形の良い乳房が崩れる。
「ふふ、ふふ。くすぐったーい」
「じゃあ、やめようか…?」
「だ〜〜め。だめだめ。もっと強くぅ。あーくんの手で、もっと触って」
「は、はい…!」
「ふふふ、もっと大きく強く揉んで」
「もーーみ、もーーみ! もみもみもみもみ!」
おっぱい大好きである。大好きであるが、堂々と姉の胸を手で揉むというのは、問題があるのではないだろうか。もはや洗うという用語すら捨て、普通に揉んでとか言ってるし。
だが、揉まねばならない。
ああ、いいだろう。喜んで揉もう!
「んー、んふっ、あー、気持ちいい」
「はぁはぁ…はぁはぁ」
「あはっ、あーくんも楽しそう」
(楽しくなんて…、楽しくなんて…!! ちくしょう!! なんて楽しいんだ!! 姉ちゃんの胸なのに、こんなに楽しいなんて! これが男の性なのか!!)
楽しい。すごく楽しい。これがずっと続けば、もしかしたら本当に幸せだったのかもしれない。
ずっと続けば…よかったのに。
「じゃあ、今度は…ここね」
そして、足を開く姉。
恥じらいという言葉はない。むしろ、喜々として開く。
「は、はい…喜んで」
「一つ一つ、丁寧にね」
「何年やってると思ってるのさ」
「ふふ、そうね。あーくん、上手だもんね。お姉ちゃん、すぐにイッちゃう」
「お風呂場で欲情しないでよ。まったく」
「でも、あーくんのも大きくなってるよ」
(ちくしょーーーーー! 身体が正直すぎる!!)
その後、およそ九十分、姉の身体をひたすら磨くのであった。
いろいろなところを、それはもう丹念に。
―――そうして、極めつけがやってくる
その夜、ベッドの上では、当然ながら二人が裸でいた。
アンシュラオンが怖れている、最大の恒例行事が行われるのだ。
それは、【一週間ぶっ続け】
情欲の権化のように、まさに入れたまま離れることが一切許されないという、もしかしたら天国かもしれない本当の地獄が始まるのだ。
パミエルキが、じりじりと迫る。
逃げられない獲物をいたぶるように。
「さあ、あーくん。今日から一週間、楽しみましょうね〜〜。お姉ちゃん、ずっと楽しみだったのよ。待ちきれなくて待ちきれなくて、思わず魔獣を殺しまくっちゃった♪」
「どんな心境なの!? 理解できないよ! お、オレは! オレはもう十分楽しんだよ! もういいじゃんか! それにエッチなら毎日してるんだし…わざわざぶっ続けじゃなくても…」
「初めての時は、あんなに嬉しそうだったのにぃ? 夢中だったのにぃ? 一週間、離してくれなかったのにぃ?」
「そ、それは、そうだったけど…。あの時は初めてで嬉しくて、お姉ちゃんがあまりに気持ちよかったから…」
「んふふ、可愛い。あーくん、お姉ちゃんのこと、大好きだもんね」
「好きだよ! すごく好きだよ! オレにとっちゃ女神だよ! だからさ、たまには健全な姉弟でいようよ!」
「健全よ。あーくんの…アレがぁ…お姉ちゃんの中でぇ、ぷるぷるって、どぶどぶって、ばしゃばしゃって弾けるのがぁ、とっても健全なのよぉ!」
「あうっ!!」
がばっとアンシュラオンに襲いかかる姉。
「ど、どこがぁ! あひっ! あっ、駄目! 姉ちゃん、あっ!!」
「あーくんの、可愛い。もうお姉ちゃん、我慢できないからぁー、ここにぃ…入れちゃうね」
「あああ! 駄目駄目駄目! 入る…ああ! ちょっ! なんでこんなに柔らかいんだよ!!!!」
「あははははは! もう離れちゃ駄目よ。離さないから…ね」
「いやぁあああああ! らめぇえええええええええええええええ!」
「で、出ちゃうからぁ〜〜〜〜〜〜!」
「あはぁあ! お姉ちゃんも最高よおおおお!」
「あふんーーーーー!」
それから一週間、朝昼晩合わせて120回出したとさ。
めでたし、めでたし。
5話 「姉と弟は、シテいいの?」
「師匠、【近親相姦】って、許されるんですか?」
「いきなり、何を言うのかな?」
亀仙人みたいな禿頭(とくとう)と髭の老人、陽禅公(ようぜんこう)が穏やかな声で答える。
声音は優しいが、そんな声でいつも無茶振りをするという、姉とは違う意味で恐ろしい人だ。歴代最強とも呼ばれる現役覇王として、世界で一番強い武人という話だ。
が、当人いわく、今では姉のほうが強いらしい。
アンシュラオンは、そのことに言いたいことは山ほどあるが、事実なので受け入れるしかない。姉が強すぎるのだろう。
「一週間で120回したんですよ。信じられます!?」
「いきなりカミングアウトされてもね。ジジイには刺激が強いよ。というか、君の体力にも驚きだよ」
「オレだって、出したくて出したわけじゃないです。そりゃ最初はよかったけど…半分超えてからはつらかったです。姉ちゃん、底なしだし」
「ところで、それが本題?」
「そうそう!! 姉と弟がその…スルのって、いいんですか? そういうのって、何かしら問題があるのかなって…。ほらその、よく言いません? 生まれてくる子供がその…いろいろあるとか。倫理面でもそうですけど」
近親相姦。
そう、血の近しい者同士が交わることである。遺伝子上、あまり好ましくはないもので、場合によっては少し困ったことになる。
それゆえに、法律で近親間の婚姻を禁じている国は多いが、日本でも(同意、互いに好意がある場合の)性交自体は禁止されていないなど、なかなか難しい問題となっている。
ただこれも、【この世界ではどうなのか】、という確認が必要だ。
そこでアンシュラオンは、驚愕の事実を知る。
「べつに、いいんじゃない? よくやってるよ」
「どうして!!! 許されざることですよ!! 背徳的だ! 認めちゃいけない! 弟が姉に搾取されるなんて、あっちゃ駄目だ! オレは人権保護を主張します!!」
「人権ねぇ…」
日本人の感覚ではそうだ。
だが―――
「そういうところもあるけど、武人は例外だね。武人ってのは、血を濃くするのが仕事みたいなところがあるから、王族とか血統遺伝を持つ者は、血を遺すための近親婚は珍しくないね」
場合によっては推奨されている、という事実。
武人の血は、貴重である。古来より伝わる【偉大なる者】の因子を遺すためならば、近親間での行為は正当化される。いや、それが正しいのである。
しかも武人は遺伝子が強いので、病気の子が生まれることは、そもそもあまりないのだ。
もちろん、血が合わないことで、あまりよくない結果になることも多いが、それならばまた作ればよいだけのことだ。その希少な血に比べれば、微々たることである。
「なんて破廉恥な!! 不道徳です! 非倫理的です!! オレは子供を守りたい! 明日の人類を守りたい!」
「そんなこと言われてもねぇ。そういうシステムだし。たまにならいいんじゃないの?」
「この一週間だけじゃない! 隙を見せれば襲われ、搾られ、搾取されているんですよ! 文字通り、白いものを! オレの体液を! 昆虫だったら死んでますよ!」
「うーん、二人の問題だしね。でも、楽しんでない?」
「楽しいですよ! 姉ちゃんは、美人ですからね! でも、愛が重いんですよ!! 鉄球並みに重い! こんなの、こんなの、オレの望みじゃなかった!! もっとこう、穏やかで優しくて、ちょっと恥じらいもありながら、エッチな感じの姉がよかった!!」
「うーん? 今とあまり変わらないような…。パミちゃんは優しいじゃないか、君には」
「オレには…ですね。たしかに。それってあれですか、オレが犠牲になればみんな平和、みたいなやつですか?」
「うん」
「否定しろ、ジジイいいいいいい!!!」
「キレる若者だね。首を絞めないでほしいよ。一応師匠じゃよ、わし」
もうすでにパミエルキと立場が逆転しているが、一応師匠である。
「それに、その話で確信しましたよ。外にはもっと広い世界があるって」
「パミちゃんは、何て?」
「人類は絶滅して、残っているのはこの四人。その内、女は自分一人だと言っています。だからオレと結婚すると」
「…そう」
「………」
「………」
「会話が止まってる!! なんで止まるんですか!」
「いや、パミちゃんが言うなら、そうかもね」
「絶対嘘だ! 隠しているに決まっている! オレ、女神様に会いましたもん! そんなこと言ってなかった!!」
「おや、会ったのかい? どっちに?」
「どっち?」
「うん。二人いるから」
「えっと、すごい優しくて、お母さんみたいな人です。あっ、お母さんといっても、若い感じの…。胸は大きいです」
「最後の重要?」
「個人的には。小さいのも嫌いではないですけど、姉は大きいほうがいいかなと。ああもちろん、小さな姉もグッドですけど! 両方大好物です!」
「力説されてもねぇ。わし、そっちの趣味ないし」
「そろそろ教えてくださいよ。いるんでしょ? オレ、師匠の部屋でエロ本見つけましたもん」
「過去の遺物だよ。捨てられなくてね」
「師匠ならわかるでしょう? 自分でやるほうがいいときもあるって。たまには独りになりたいときもあるって。お願いしますよ…ほんと。気が休まらないんですよ。身体ももたない」
「うーん、しょうがないねぇ」
陽禅公が、ぼそっと語り出す。
「わしが子供の頃だから何百年も昔だけど、たしかに【災厄】ってのがあったのは事実だよ。それで世界中に大きな損害が出てね」
「人類が絶滅した?」
「いんや、全然。いっぱいおるよ、八十億くらいいるし」
「姉ちゃんの嘘が雑すぎる!! やっぱり…。ちくしょう、嘘じゃねえか…」
「このへんにいないってのは事実じゃよ。実際、この火怨山にはおらんしな」
「この山全部?」
「そうじゃな。めっちゃ先まで誰もおらん。魔獣だけよ」
「その先には?」
「いる」
「よっしゃ!! 希望が出てきた!!! そこに行けば、女がいるんですよね!? 見た目が姉ちゃんみたいな人も!」
「それって結局、パミちゃんが好きってことじゃないの?」
「そこは勘弁してください。オレは自由が欲しいんですよ」
「でも、パミちゃんは絶対追いかけるよ。それだけならいいけど、邪魔するものは全部殺すだろうし」
「…ですよねぇ。姉ちゃん、何なんですか? 師匠より強いですよね」
「そうねぇ。何なんだろうね」
「いやあんた、覇王でしょ? 知らないんですか?」
「覇王だって、ただのジジイだもの。あんなの知らんよ」
「オレって、素質的にはどうなんですか!? 世辞はいりません! 本音でお願いします!!!」
「前も言ったけど、パミちゃんと同じくらいの資質はあるよ。さすが姉弟だねぇ」
「差が広がっていくばかりなんですが…歳の差なんてレベルじゃないですよ」
パミエルキは八歳年上の姉であるから、その分だけ差があるのは知っている。
だが、女性である。成長期とはいえ、男である自分が、まったく歯が立たないってのはおかしい。
「もう少ししたら、何とかなるかな?」とか思っていた頃が恥ずかしい。いつの間にか、姉のステータスはカンスト状態である。追いつくどころか、どんどん離されていく。
「オレ、このまま死ぬのかなぁ」
「いいじゃないの。快楽に溺れて死ぬってのも幸せだよ」
「年長者の発言じゃない!? ゼブ兄も戦闘馬鹿だし、ここにまともな人っていないんですか!?」
「人の生き方はそれぞれだからねぇ」
「そのせいで犠牲になる人間がいるってことも、忘れないでください!」
相手は逃がすつもりはなく、一生このまま抱きしめておくつもりだ。これでは一生搾取され、家畜のように生きるしかなくなる。
姉に支配されたい属性があることは知っている。強気の姉に萌えることもあるだろう。それがデレたりすれば、もう最高なのだろう。
この一週間のようにデレモードに入れば、それはそれで楽しい。否定しない。否定はしないが、実際に自由を奪われてみると、案外厳しいことに気がついた。
このままでは、死ぬ。精神的に、人間的に死んでしまう。
やはり、人間は自由を求める生き物だと知ったのだ。
「オレに自由はないんですか!? 自由、それはなんて甘美な響き!!」
「自由は大変だよ。だからわし、ここにいるし」
「このニートがぁ!! そんな姿勢で、厳しい社会を生きていけると思ってんのかぁああ!」
「いやだから、わし、師匠よ? 首を絞めないで」
「それでもいいんです! 乞食になろうが、飢えようが、なんとかしてみせます!」
もし何の当てもなければ迷うところだが、ここでの修行によって鍛えられている。森に行って食べ物を探すこともできるし、魔獣や魔鳥だって自分で狩れる。
毎日、姉の料理を作っているのだ。料理の腕だって問題ない。
そうだ。何の問題があろうか!!
いや、何もないのだ!!
「じゃあ、修行が終わったら出て行けばいいんじゃない?」
「え!? いいんですか!?」
「まあ、免許皆伝になったらね。最初からそういう話だったけど…聞いてない?」
「初耳だ!!」
耳が飛び出そうなほど、驚いた。パミエルキからは、一言もそんな話は聞いていない。
これは隠していたというより、最初から論外といった感じで、記憶から排除した可能性すらある。
「いいお姉さんじゃない。君が心配なんだね」
「そんな愛はいらない! 姉の咀嚼した食べ物が主食の人生なんて、オレは無理ですよ!! 一緒にお風呂はいいけど…。それと一日数回なら…」
最後に若干本音が出たが、それ以外の要素がちょっと無理である。どんなに美人で好みであっても、耐えられないことはあるのだ。
「じゃ、修行がんばって。その日が来たら、自由にすればいいよ」
「うおお、うおお! やってやる! オレはやってやるぞおおお! 姉ちゃんの支配から、脱却してやるぞおおおおおおお!!」
そうして日々、修行に励むのであった。
当然その間は、姉に搾取され続け、修行と夜の仕事で痩せ細る姿に、魔獣にすら同情されたという哀しい話が残っている。
6話 「免許皆伝、姉からの逃走」
それから五年後。
「やったーーーーーー!! 終わったぁあああ!!」
この日、ようやく少年は免許皆伝になった。長くつらい日々の終焉である。
思えば、大変な五年間だった。姉の相手はもちろん、修行そのものが厳しくなっていったのだ。
撃滅級魔獣退治などは当たり前で、場合によっては戦気(せんき)すら使わないで倒せやら、無理難題を吹っかけられた。
それがどれだけ恐ろしいことか、武人の常識を知らない者にはわからないだろう。戦術核を生身で受け止めろ、と言われたほうが、まだ簡単にさえ思える。
そして、最後の試練。
免許皆伝の証として与えられたものが、野良神機(しんき)との戦い。
適合者を失って徘徊している神機のことで、放っておくと強大な力を勝手に使って、神話や伝承の元ネタになったりする。
所属する界域によって強さはまちまちだが、それを生身で倒すというのが最後の試練。
(地獄だった。三ヶ月かかった…)
唯一の情けとして、一年以内に倒せばよいという慈悲がかけられているので、毎日少しずつ相手の体力を削って、今日なんとか折伏(しゃくぶく)させたのだ。
その間、何度死にそうになったか。思い出すだけで涙が出てくる。
「アーシュ、時間かかりすぎ」
そんな厳しい言葉が隣から発せられても、アンシュラオンは気にしない。
この化け物(姉)と比べられても、悔しくもなんともない。まだ自分が人間であったのだと教えてくれるので、むしろありがたいくらいだ。
(あんなのを一時間で倒すやつなんて、人間じゃない!!)
パミエルキは、野良神機と出会ったその日に倒してしまった。
彼女が対峙したのは、竜界出身の巨大な機体。その巨体を、パミエルキは圧倒したのだ。アンシュラオンにも理解できないような謎の攻撃で動きを封じ、スキルを封じ、あとはボコるだけであった。
その光景を見て、「なんだ、たいしたことないじゃん」と思ってしまった自分が恥ずかしい。切腹したいほどだ。
その愚かさに気がついたのは、アンシュラオンが獣界出身の神機と戦った時。「姉ちゃんのより遥かに小さいから、たぶん弱いよね」とか思ったのだが、初日はフルボッコにされた。
そんなの当たり前である。相手はロボットなのである。古代文明が造ったであろう巨人を、生身でどうこうするほうがおかしい。
「ちくしょう! なんだ、これ! 反則じゃねえか!」などとぼやきながら、改めて姉の恐ろしさを知ったのである。やはり人間をやめてしまわれたようである。
ともあれ、終わったのだ。これで免許皆伝だ。
ということは―――
「師匠、オレって自由だよね!!」
「うん、そうだねぇ」
「やった!! ここから離れられる!!! オレは自由だぁああああああああああ! いやっふうううううううううううう!!」
「離れる? 何から? どこから? 誰から?」
「うっ! しまった! 声が出た!!」
不思議かつ不機嫌そうな声が、隣から聴こえてきた。
もちろん、姉のパミエルキである。
「まさか、独りでどこかに行くつもりじゃないでしょうね」
「ううっ、そ、それが悪いのかよ! オレだって独り立ちしたいんだ!」
「立つのはここだけでいいのよ!」
「あうっ!! そこはらめぇえ! って、いいじゃないか! オレだって世界を見てみたい!!」
「駄目よ」
「駄目!? 即答すぎる!」
「外の世界なんてないの。アーシュは、いつだってお姉ちゃんと一緒よ」
「嫌だ!!! オレは姉ちゃんとは一緒にいない!!」
「………」
「………」
「………」
「あの、姉ちゃん…?」
姉が無言だ。だからこそ、怖い。
そして、ビキリ、と空気が割れたような音がした。ガラスに映った景色が割れるように、空間に亀裂が入ったのだ。
「ひっ!!」
「あーくん、あーくん? ねえ、あーくん。あーくんは、お姉ちゃんと一緒にいるよね? ずっと一緒だもんね。そうよ。あーくんが、お姉ちゃんと一緒じゃないなんて、おかしいものね。そんな世界だったら、いらないものね」
バキバキバキッ、とさらに割れていく。
何か嫌な予感がする。
(なんだ、これ!? どんな現象だ!? どこまでいってんだ、この人は!!)
その割れた空間が、未来の自分の姿のように思え、アンシュラオンは凍りつく。いっそ本当に凍り付いてくれれば、どれだけ楽になれたか。
「いいわ、あーくん。本気で私のものにしてあげる。もうずっと一緒。離れられないくらい、毎日繋がって、誰もいない場所で、ずっと繋がって…」
「姉ちゃん、落ち着いて!!!」
「おい、パミエルキ。それくらいにしておけ。ブラコンもそこまでいくと病気だぞ」
「さすがゼブ兄、オレの救世主! もっと言ってやってよ!」
「病気? 病気ですって? あんたには関係ないでしょう。ねえ、あーくん? あーくんだって、お姉ちゃんとずっと一緒がいいって言ってたもんねぇ。お姉ちゃん、大好き、ずっと一緒だって…さあああああああああああああああああああ!!!」
パミエルキの周囲に禍々しいオーラが展開される。
それは戦気ではない。
それよりも、もっともっと危ないものだ。
「ゼブ兄、何あれ!?」
「まずい…。あれはまずい」
あのゼブラエスが汗を掻いている。
天竜にすら笑顔で挑むあの男が、びびっている。
「ゼブ兄なら、なんとかなるでしょう!? ねえっ!」
「…無理だ」
「無理!? なんでさ!」
「あれは駄目なんだ。あれをやられるとオレもまずい。こうなったら言葉で説得するしかない」
「そんな!? あなたから暴力を取ったら何が残るの!?」
「どんな評価だ! …ま、まずはアプローチしてみよう」
ゼブラエスが、猛獣に近づくようにおそるおそる近寄る。
「な、なあ、アンシュラオンだって、もう一人前の男だ。自由を与えてやってもいいと思うのだが…」
「駄目よ」
「…そう…か。駄目…か。アンシュラオン、駄目らしい」
「いきなり負けてどうするのさ!! 正義が悪に負けちゃだめええ!」
「そ、そうだな。なあ、こいつにはこいつの自由ってやつがな…」
「そうそう、人権があるんだよ」
「そんなもの、ないわよ」
「ない…らしいぞ」
「おかしいよ!! 言いなりになっちゃ駄目よ!!」
「この子は私のものよ!! 所有物なの! だから、どうするかも私の自由なの!!」
(えーーーー!? 言いきった!?)
姉の恐るべき発言に、弟は驚愕を隠せない。
姉の家畜として生きてきたつもりだが、当人にもその自覚があったとは!! はっきりと所有物と言うところが、さらに怖い。
「ゼブ兄、がんばって! ここが踏ん張り時だよ!」
「それはあまりにも…哀れではないか? その、家畜にも感情というものがあるのだ」
(オレって、家畜扱いかよ!!)
なんだか、寂しい。
「あーー、うるさい! うるさい! うるさい!!!! ゼブラエス―――潰すわよ!!」
「…だ、そうだ。アンシュラオン、諦めろ」
「いつもの脳筋はどうしたんだよ! あらがおうよ! ファイトだよ! ブレイブだよ!」
「勝てる気がしない…」
「そんな馬鹿な…」
(そういや、ゼブ兄の能力って、今はどんなんだっけ?)
アンシュラオンが、【能力】を使用。
―――――――――――――――――――――――
名前 :ゼブラエス
レベル:200/255
HP :78000/78000
BP :7200/7200
統率:SS 体力: SSS
知力:C 精神: SSS
魔力:SSS 攻撃: SSS
魅力:SSS 防御: SSS
工作:C 命中: SSS
隠密:A 回避: S
【覚醒値】
戦士:10/10 剣士:0/0 術士:0/0
☆総合:第一階級 神狼級 戦士
異名:空天の覇者
種族:人間
属性:光、火、炎、臨、雷、帯、界、空、天、王
異能:天才、一時飛行跳躍、跳躍時無敵、死闘鍛錬最大強化、超強化復活、物理無効、銃無効、術耐性、即死無効、毒無効、全種精神耐性、自己修復、自動充填、一騎当万
―――――――――――――――――――――――
(つえええええええ!! 化け物かよ! でも、姉ちゃんには負けるかーーー!)
パミエルキには劣るが、間違いなく世界最強レベルの武人に違いない。
現段階で、師匠ともほぼ互角以上に戦えるのだから、その強さは推して知るべしである。
だが、釈然としないこともある。
(姉ちゃんの知力ってSSSなのに、どうしてこんなに頭が悪いんだ! 倫理観とかは反映されないのか!?)
弟に対する執着心が異常である。
普通、それだけ頭が良ければ、もっと合理的な考えができるはずなのに。これはあれだろうか。頭が良いけど頭がおかしい、というやつなのだろうか。
「話、話だけでも…お願いだよ、姉ちゃん!」
「…何かやりたいことでもあるの? 私より大切な何かが? そんなもの、ないと思うけどねぇ」
少しは落ち着いたように見せつつ、まったく怒りが収まっていない姉が、弟に問う。
青筋を隠さないから恐ろしい。
「うん、やりたいことは、もう決まっているんだ」
「うんうん。好きにすればいいと思うよ。君はもう、自由なんだからさ。この試練に耐えた君には、その権利があるからねぇ」
「師匠…!! ありがとうございます!!」
「それで、何がしたいのかな?」
さすが師匠。姉とは人間としての器が違う。
人間の偉大さは強さではなく、心の広さなのだと思い知る瞬間である。
だから、遠慮なく申し出る。
後世の口承に残る、あの【迷言】が。
「はい、これからは、【従順な女の子たち】と一緒に、好きなだけイチャラブ生活を送りたいと思います!!!」
―――バリンッ
何かが割れた。間違いない。目の前の空間が破壊されたのだ。
それをやった人物など、すぐに特定できる。
「アーシュぅうううううううううううううううううううううウウウウうウウウウううウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!」
「ひぃーーーーーーーーー!! ぐえっ!!」
逃げようとしたアンシュラオンを、禍々しい力が引き寄せる。もがいても、あがいても、どうしようもできない。
「なんだこれ!?」
「それが災厄障壁よ。あんたじゃ、どうやっても抜けられないわ」
「げっ、竜神機を倒したやつか! 反則だ!!」
「ふんっ、それより―――」
パミエルキが、アンシュラオンの胸倉を掴み、強引に自分の胸に押しつける。
「や、柔らかい!」とか思ってしまう自分が恥ずかしい。切腹したい。
「いつも言っているでしょう。この世には、女はお姉ちゃんしかいないのよ。外の世界なんて、ないの。だから、ずっとお姉ちゃんといればいいのよ」
「嘘だ!! オレは知っている! 外には、女がいっぱいいるって!」
「…誰に聞いたの? 嘘に決まっているじゃない。ねえ、師匠、ゼブラエス? 女は私一人よね?」
そもそもアンシュラオンたちの母親がいる以上、嘘に決まっている。
が、目がまったく笑っていない。逆らえば、死ぬ。
「わしは…知らんのぉ。ジジイじゃからな」
「そう…だな。パミエルキがそう言うなら、そうかもしれん」
「ゼブ兄!! そりゃないよ! 外には、もっと従順な女性がいるって教えてくれたじゃないか!!」
「馬鹿!! こっちを巻き込むな!!」
「師匠だって、外には何十億も女がいるって言ってたよ!」
「わし、師匠だよね? 師匠、殺す気?」
「こうなったら、みんな巻き添えにしてやる!!」
「オレは、オレはぁあああ!! 【奴隷】になんて、なってたまるかぁああああああああ――――――――――!!」
その瞬間、アンシュラオンが光り輝いた。
同時に、災厄障壁をすり抜ける。
それには、パミエルキも驚愕。
「なっ、どうやって!! 竜神機でも抜けられないのに!」
「姉ちゃんには言うもんか!!」
「待ちなさい!! お姉ちゃんと一緒にいなさい!!」
「絶対に断る!!」
「アーシュぅううううううううううううううう! 止まれ!!」
「ぐあっ!! 本気で撃ってきた!?」
背後から、炎の塊のようなものがマシンガンのように降り注ぐ。
火の最上位属性を使った臨気(りんき)弾だ。当たった地面が爆発し、マグマのように融解してしまっている。
だが、それを水の最上位属性である命気(めいき)で障壁を張り、なんとか攻撃を防ぐ。
一応、これでも「あの姉」の弟である。これくらいのことはできる。
「ちっ! 威力を上げるわ! 最上位属性限界突破!!」
臨気が、もはや光のようなものに変質していく。
それだけで周囲の大気が震え、ビリビリとアンシュラオンの肌が痛むほどだ。
「ちょっ、なにそれ!? そんなの知らない!!」
「これなら命気でも防げないわよ。丸焦げにしても魔王技で修復すればいいものねぇえええ!」
「やめてぇえええ!! 無理だから! これ以上は、無理だから! それが弟に対する発言かよ!」
「じゃあ、止まりなさい!!」
「いやだぁあああああああああああああああ!」
少年は脱走するように逃げ出す。
崖から飛び降り、眼下に広がる大きな森の中に逃げ込み、熟練したゲリラのように、気配や痕跡を消しながら消えていった。
忍者顔負けの逃げっぷりである。
「逃げ足だけは速いんだから!」
パミエルキはそう言うが、逃げる力を養ったのは姉当人である。
そもそもまったく脱走する必要性もなく、堂々と自由になれるはずだったのだ。追い詰めた姉が悪い。
「こうなったら、全力で―――」
「ここいら一帯が吹き飛ぶから、やめてくれ。火怨山が噴火するぞ」
「邪魔するんじゃないわよ! どうなろうとかまわないわ!」
「かなりの距離まで被害が出る。遠く離れた人里にだってな」
「それがどうしたの!」
「べつにいいじゃないか。少し離れるくらいだろうに」
「ふざけるんじゃないわよ。あの子はね、あたしにとって唯一の男なの。身体も、因子も、心も、魂も―――精子すらも! 私の、もの、なの!!! 諦めてたまるものか!!」
パミエルキは、アンシュラオンを追っていく。
ゼブラエスも陽禅公も、それを眺めることしかできない。
「やはりこうなりましたね」
「そうだねぇ。そうなるよねぇ」
「数時間後には、戻ってくることになりそうです。アンシュラオンも哀れなことです」
「それはどうだろう。案外、面白いことになるかもよ」
「師匠は、可能性があると? パミエルキ相手に逃げられるとは思いませんが…」
「アンシュラオンは特別な子だ。当人は、その本当の意味を理解していないようだけどねぇ。闇の女神様と出会える人間なんて、そうそういない。そんなの【宿命の螺旋】に囚われた人間だけだ。それこそ時代を変えてしまうような、ね」
「アンシュラオンが…女神と…」
「まっ、君やパミエルキも特別だ。さて、わしはちょっと行くけど、君はどうする?」
「お供しますよ。どうせもう暇ですから」
「そうだね。もう全員、自由だからねぇ」
(さて、【後継者】は誰にしようかなぁ。パミちゃんは受けないだろうし、ゼブラエスは…つまらないからなぁ。だったら【彼】のほうが面白いかもねぇ)
陽禅公は、アンシュラオンが消えた方角を見つめる。
この世でもっとも恐ろしい女に守られながら、愛玩奴隷となって生きるか、または混沌とした世界の不条理に呑まれながらも、困難の中に自由を見つけるか。
どちらが幸せかは、まだわからない。
どうせ、どちらも地獄。
どう転んでも、普通の人生などありえない。
ここで修行した者が、一般人と同じ生き方など、できるはずがないのだ。
そのうえで彼は、自由を選んだ。
奴隷にはならない、自分だけの生き方を。
7話 「転生者アンシュラオン」
「はぁはぁ…撒いたか?」
びくびくと周囲を見回しながら、アンシュラオンは無事を確認する。
しばらく気配を殺し、何度も何度も振り返りながら、ようやくにして外の世界に出ることができた。
野良神機退治で、山の外縁部に出ていたことが幸いしたようだ。火怨山の中心地だったら、こうはいかなかっただろう。
「はぁぁ、疲れたな…。そういえば神機と戦って、その後に姉ちゃんにも追われたから相当疲れてるっぽい」
自分が相当に疲れていることを知り、ここいらで休むことにした。
呼吸を整え、【練気】を行う。
「ふぅうう…」
呼吸とともに、周囲から力が集まるのを感じた。
練気は一般的な戦気術の一つで、体力や生体磁気の回復によく使われるものだが、アンシュラオンほどになれば、その量もかなりのものである。急速に身体が癒えていくのがわかる。
それから汗を拭うために服を脱いで、森の中にあった小川で身体を拭く。浄化とかも気にせず、ごくごくと水も飲む。
彼は【武人】なので、寄生虫などがいても何の問題もない。そんなやわな存在ではないからだ。
「はぁ…ようやく自由になれた。最初はなー、けっこう勝ち組だと思ったんだけどなぁ」
赤子の頃、目を開けたら、それはもう可愛い女の子が出迎えてくれた。
八歳年上のパミエルキである。
今と同じく目は鋭かったが、子供の頃はもう少し優しかった気がする。
それが成長するにつれて、徐々に独占欲が強まっていく。抱きつき、ひと時も離れなくなり、キスが口同士になり、身体も触れ合うようになり、そのまま恋人のようになった。
(あの時は幸せだった。まだ身体が馴染んでいなかったから、感度が高くて凄かったもんな、いろいろと。若い頃ってのは、あんなにすごい感度だったんだな。…まあ、今もたいして変わってないけどさ)
水に映る自分の顔は、まったく変わらない。二十歳をだいぶ前に過ぎたはずだが、いまだ子供のままのような容姿だった。
それは身体も同じ。姉と一週間で120回もしてしまうほど、若々しい肉体を保っていた。それ自体が異常だが。
「武人…か。やっぱり普通の人間とは基礎能力が違うよな。そういえば、オレはどれくらい強くなったんだ?」
アンシュラオンは、自分のデータを開いた。
―――――――――――――――――――――――
名前 :アンシュラオン
レベル:122/255
HP :8300/8300
BP :2230/2230
統率:F 体力: S
知力:C 精神: SSS
魔力:S 攻撃: AA
魅力:A(※SSS) 防御: SS
工作:C 命中: S
隠密:A 回避: S
※姉に対してのみ、魅了効果発動
【覚醒値】
戦士:8/10 剣士:6/10 術士:5/10
☆総合:第三階級 聖璽(せいじ)級 戦士
異名:転生災難者
種族:人間
属性:光、火、水、凍、命、王
異能:デルタ・ブライト〈完全なる光〉、女神盟約、情報公開、記憶継承、対属性修得、物理耐性、銃耐性、術耐性、即死無効、毒無効、精神耐性、姉の愛情独り占め
―――――――――――――――――――――――
「やはり…消えていない」
まず最初に見るのは、姉に関する項目である。
―――姉に対してのみ、魅了効果発動
―――姉の愛情独り占め
の部分だ。
自分でも薄々気がついていたが、外見的特長は姉に似ているので、それなりの美男子であると思う。姉を可愛い男にすれば、こんな感じになるだろうか。
そのおかげか元の魅力はAと、なかなかの高評価である。
容姿だって立派な魅力のはずだ。正直、自分には内面的魅力などないと思うので、容姿が大半を占めているに違いない。
「ここで告白しよう。オレは姉好きだ」
知ってた。
パミエルキが好き、という意味ではなく、姉という存在に憧れていた。エロゲーだって姉ものは大好きだし、「姉がいるなんて最高じゃないか!」と思っていた。
だから、女神様に「姉をください!」と言ったのだ。
そして、姉を手に入れた。美人で、巨乳で、(昔は)優しくて、自分のことが大好きな姉。
「だがしかし! どうしてこうなった!!」
この項目は、女神様がつけてくれたものに違いない。それはいい。ただ、相手が問題だったのだ。そして、どうしてこうなったのだろう。
不満は、もう一つある。
「姉と、きゃっきゃうふふ、の甘い生活が待っているはずだったのに、修行三昧じゃないか!! もうボロボロだよ!」
なぜか日々、修行三昧になっていた。最初は加減されていたが、徐々に激しいものとなり、魔獣と戦う日々を強いられていたのだ。
魔獣はまだいい。問題は姉である。
姉属性の一つに、弟をいじめる、というものがある。愛情表現であり、可愛いからこそ厳しくするというやつだ。
それが、激しい。
折れたのは腕ばかりではない。文字通り、身体の一部を粉々に吹っ飛ばされたこともある。それでも武人の肉体は強靭で、後遺症すらまったく残らない。
これはパミエルキがS級魔王技を使えることが大きい。回復(復元)術式によって、傷痕も残さずに完全に癒してしまうのだ。ただそのせいか、愛情表現もかなり激しくなっていく。
「見た目はいいんだ…見た目は。だが、愛が重すぎる。重いんだよ」
『姉の愛情独り占め』スキルのせいか、その愛がすべて自分に降りかかる。待ち望んでいたことなのに、何か違う。
「女神様のような人がよかったんだけどなぁ…」
アンシュラオンを転生させてくれた女神様。闇の女神、マグリアーナ様。この星、【死と炎の星】に転生する際、面倒をみてくれた女性である。
優しくて、穏やかで、美人で、胸も大きい。姉属性としては最強だろう。場合によっては、母属性になりそうなくらいの母性を持っている。
そう、アンシュラオンは、この星の人間ではない。
―――他の星からやってきた霊魂である
この星の人間の多くは、宇宙のことはよく知らないらしい。他の星に人間が暮らしているなど、思いもしないという話だ。
そこまで文化レベルが発達していない、というよりは、女神様いわく「この星はまだ若い」とのこと。
もともといた星の守護神(母神)がいなくなり、人類の霊が星の代行者に昇格して運営しているらしい。
本来、人間の霊が微生物を管理するにも、最低でも数万年の進化は必要となる。それが人類を含めた支配種を管理するには、通常は何億年という経験が必要なのだが、それを飛ばして一気に管理とは珍しい状況だ。
それも、この星が若く、特殊な状況だからという話である。
ただそれは、アンシュラオンが元いた「地球」と呼ばれる星でも、若いという意味では同じことである。
あの星でも人々は宇宙を観察しては、「人類がいるのは地球だけ」と言う程度の認識でしかない。
もちろん、物的に見れば正しい。たしかに、同じ【次元】にはいない。地球人の物的振動数のレベルで見れば、どの星も死の星であろう。
だが、霊的に見れば、この【宇宙は人間だらけ】である。
物的な生活を経て進化する霊―――それが人間。肉体という要素は、惑星の大気状況によって違うので、まとっている身体が肉である必要はない。振動数が違えば、霧や液体の身体になることもあるわけだ。
よって、火星にも人間はいるし、木星にも太陽にもいる。
そうした事情を知ったのも、アンシュラオンが死んでからだ。
死んだ後、いわゆる霊界と呼ばれる場所に行き、そこで教育を受けたから知っているにすぎない。
人は霊である以上、死なない。霊は不滅の存在であり、人間の本来の意識であるからだ。であるからには―――
「【転生】しないといけないんだよなぁ…」
人間の霊は、幾度かの転生を繰り返し、霊魂として成長していく。そう、物的体験を経ながら。
霊の世界も、地上と違う粒子で構成されているだけで、ある意味ではより高度な物質であるともいえるが、肉体をまとって生活することで、人は多くの体験を得るらしい。
その回数は、普通の人ならば三回か四回程度で終わるという。それだけ生活すれば、人間としてある程度成長できるからだ。
それで足りないならしばらく霊界で暮らし、また新しい能力が必要になったら再生すればよい。べつに転生は強制ではない。
何にせよ、霊という世界が主体であり、地上は体験の場。
これが重要だ。
これを知ると、なぜ地上で才能の差が生まれるのかがわかる。霊の熟練度が違うからである。
ある人は、その才能を霊として蓄えていた人で、その人生ではさらに才能を開花させるために生まれる。そうすると、生まれながらの天才となる。
霊のスタートラインが違うからだ。ある人は一回目でも、ある人は何回目かの人生かもしれない。天才とは、ただそれだけにすぎない。
その才能に相応しい肉体も選べる。自分で親を選ぶというのは、まさにこのことである。自分の人生に相応しい身体すら、そうやって生まれる。
そしてアンシュラオンも死後、しばらく霊界(幽界)で勉強したり、修行したりしていたのだが、「そろそろまた行くかい?」などと指導霊のおじいさんに言われ、「マジっすか!? もう!?」という感じで、転生する運びとなった。
アンシュラオンは、前の人生でつまらない日常を送っていたので、もう二度とこりごりだと思ったのだが、違う星に転生できると知って、やる気が出た。
そう、霊魂の再生は、惑星間でも可能である。
地球でも、他の星から再生してくる人もいる。魂というのは、常に自分に合う世界を探しているから、そういうこともある。
アンシュラオンはどうせなら、自分が意味ある人生を送れる世界がよいと思った。
意味ある世界 = 姉といちゃつく世界
である。
何かが違う気もするが、母性に飢えていたのかもしれない。それに加えて、やはり一度でいいから、強い自分になってみたいと願った。
自分が活躍できて、楽しめて、それでいて人の役に立つ。実に素晴らしいじゃないか、というわけである。
「ああ、いいよ。じゃあ、そういう感じで神庁の神様に頼んでみるよ」
と簡単にOKが出たので、「マジ楽しみっす!!」と答えたのだが…
「自力でがんばるのか…。そうだよな。成長ってのは、自分でがんばるから意味があるんだよな。うう、がんばったよ。修行はつらかったよ」
この星の女神様は転生の際、いろいろと配慮してくれた。
まず、デルタ・ブライト〈完全なる光〉というスキルは、この世界でアンシュラオンとパミエルキしか持っていない、実に特別なものである。
効果は、すべての因子の覚醒限界を最大にすること。これによって戦士と剣士の力を持ち、術も使えるという最強の存在になれる。
ただし、姉も持っていたという罠である。
推測でしかないが、このスキルを得るために、わざわざパミエルキと姉弟になったと思われる。おそらく血統遺伝なのだろう。
しかも、パミエルキは、アンシュラオンが求めた通りの姉人材。美人で優しくて、巨乳でイチャラブ。一石二鳥である。
その他、いろいろと優遇してもらった。この【情報公開】スキルもそうだ。これがあれば、こうして非公開のデータを公開することができる。
アンシュラオンにしか見えないので、まさに相手の秘密が見えてしまうという、ある意味で最強のスキルである。これがあれば、危険を事前に察知できるだろう。姉の恐ろしさを知った時のように。
しかし、こうなってから改めて思う。
「人生、うまい話ばかりじゃないよなぁ」
こうして、アンシュラオンの新しい人生は始まる。
8話 「能力値詳細」
情報公開で表示される能力値について。
―――統率:F
統率は、部隊指揮を執る際に必要なスキルだ。数値が高いと部下に能力補正がかかる。人を使わなければ、あまり意味はない。
「統率が低いのは、姉ちゃんの奴隷だったからだな」
姉の言うことをひたすら聞いていたので、この数値が伸びなかったと思われる。
Fは当然、最低値。
奴隷根性丸出し。一番忌み嫌う項目である。
―――知力:C
転生スキルとして前世からの記憶継承があるので、一般高学歴者のDより、ちょっとだけ上にいることになる。妥当な数字だろう。
術者にとっては、理解力にも関わるのでかなり重要。これによって扱える術式の数が変わってくるといわれている。
話術なども、これに該当するようだ。
―――魔力:S
魔力というのは単純に術の力にも関係するが、武人などの場合は、持っている潜在能力をどれだけ出力できるかを示す。戦気の場合も、実際の出力量を示している。
この数値が低いと、どんなに才能があっても実際に使えない。中身はたっぷりあっても、入り口が狭いと出ないのと一緒だ。
同時に、敵からの攻撃に対しての抵抗力も示す。
出力=防御、でもあるからだ。
これはS。かなり上等なレベルにある。
―――魅力:A(※SSS)
魅力は、単純に人を引き寄せるという意味でもあるが、たとえば言うことを聞かせやすくなるとか、人を扱う際にも影響するらしい。
統率は指揮する際の能力の底上げで、魅力の高さによって効率的に扱える人数が決まる、といった具合のようだ。
そして、姉に対しては魅了効果が常時発揮され、現在に至っている。
―――工作:C
特殊な工作、罠を仕掛けたり、あるいは解除したり、それ以外の細かいことをやるときの能力全般だ。料理や図工も、ここに関連する。
Cならば、けっこう器用な部類であろう。
「姉ちゃんの料理も、ずっと作ってたからなぁ…」
―――隠密:A
文字通り、隠密行動などの能力。隠れる能力である。
Aもあれば一流の忍者レベルだ。森に隠れることも容易だろう。姉から逃げるには必須スキルである。
発見スキルでもあるので、姉のSSSを思うと若干心もとない。
―――体力:S
これも文字通り、体力であり、耐久力を示す。当然HPの要素にも関わっており、高いとHPも多い傾向にあるようだ。
ただ、アンシュラオンのHPがパミエルキたちと比べて相当低いのだから、別の要素があるのかもしれない。
「不公平だ!」
仕様です。
あとは単純にスタミナ、継戦能力を示している。これもSなので、かなり持久力は高い。
―――精神:SSS
魔力の総量や、戦気を生み出す際の生体磁気の量。さすが、あの姉にしてこの弟あり、である。
ここだけは負けていない。ここで負けたら、すべての価値を失ってしまう。負けないでよかった。
これが多くても魔力が低ければ、実際に扱えるパワーは小さい。一方、精神が少なくて魔力が高い場合は、実際にはかなりの力が操れるので強い。ただ当然、すぐにガス欠になる。
精神耐性にも関わる要素で、敵の精神的な攻撃に対する抵抗力を示している。
あれほどの姉の執着に耐えられたのも、ひとえにこれが高かったからであろう。
―――攻撃:AA
攻撃力、そのままである。AAもあれば、対人戦闘では十分だとは思う。
ただこのあたりは、師匠と姉、ゼブラエスという凶悪な存在の中では一番弱かったため、やはりあまり自信がない。
―――防御:SS
防御力。防御技術を含めた防御性能全般である。これが高いとHPの減りが少なくなる。
攻撃に対し、これが順当に伸びたのは、やはり姉の影響だろう。これがなければ、とっくに死んでいたはずだ。
ありがとう、防御。
―――命中:S
命中率。目の良さや、物を捉える能力。実際のスピードや経験も加味される値らしい。
Sもあれば、まあ大丈夫だろう。
飛んでいる蝿くらい、目を瞑っていても簡単に捕まえられるし、音速で飛ぶ魔鳥も捕らえることが可能である。
―――回避:S
回避力。避ける能力だ。これも実際のスピードだけではなく、経験や技術も加味される値らしい。
Sなので素早いはずだ。少なくとも、姉の攻撃を何度かかわせるレベルにある。…あれが手加減でなければ。
そして、覚醒値はこうなっている。
戦士:8/10 剣士:6/10 術士:5/10
基本は、戦士だ。そう育てられたからというのもあるし、肉体が資本だったせいもある。
剣士は、武器や道具を扱う能力なので、素質を見抜いた師匠によって、武器の練習も多少させてもらっていた。日々の調理で使った、鍋の扱いで上達したとは思いたくない。
術は、瞑想などの鍛錬をやっていたら、自然と上がっていった。ただ、師匠が戦士なので教えられるわけもなく、術自体はあまり使えない。あくまで素養値である。
通常、戦士タイプの人間の場合、他の因子には【マイナス補正】がかかる。
たとえば、剣士が6あっても、実際には本職の3にも及ばないことがある。術士も同じだ。だからこそ自分のタイプを把握するのは重要なのである。
また、実際に使えるのは、すべての因子を合わせて10までである。戦士を8までフルに活用すれば、剣士は2までしか使えない。因子が強ければいい、というわけではない。
しかし、アンシュラオンには『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』というチートスキルが存在する。
姉のパミエルキを見ている限り、【使える因子数に制限が無い】可能性が高い。
つまり、戦士も剣士も術士も同時に10までという常識を打ち破り、【オール30】まで同時に使える、というわけである。
当然、【マイナス補正】もない。戦士としても剣士としても超一流なのだ。
あの姉の強さは、そこから来ているのだろう。戦士としてほぼ完璧である陽禅公やゼブラエスでさえ勝てないのは、それが大きな理由だ。
卑怯すぎる。汚いやり方だ。まあ、アンシュラオンもそうなので、姉のことは言えないのだが。
それ以外は、なんとなく見た通りのものである。
ちなみにパミエルキの災厄障壁を解除したのは、特殊スキルの「女神盟約」によってであろう。
女神様との盟約で、自分の使命に関わることに関して、特例を受けられる加護系スキルだ。
実際の中身はよくわからず、本当にそうだったのかは微妙だ。が、姉に捕まることは、自分にとってよくなかったことだと判断されたのか、力が発揮されたらしい。
まさに神頼みだが、寺や神社で売っているお守りより、遥かに使えるのは間違いない。
以上、能力説明でした。
「実際に使ってみないと、よくわからないな。所詮、数字だしな。一概に信用しきれないところもある」
これらは、所詮数字である。仮に同じSであっても、覚醒状況や覚えている技、素質によってだいぶ結果は異なるらしい。
なぜわかるかって?
実際に、姉の攻撃がおかしいからである。
たぶん、SSSと表示されていても、それはもう【測定不能】なのであって、厳密な数字にすれば相当な差があるに違いないのだ。当てにしすぎると痛い目に遭うのは経験済みである。
よって、あまりアンシュラオンは情報公開を使っていない。
「さて、これからどうするか。ここがどこかも、よくわからないし。外の世界の様子はまるで知らないもんな」
初めて外に出るので、何もかもがわからないことだらけだ。
正直なところ、この世界のこともあまり知らない。そんな暇もなく、ひたすら修行をしていたから。
それは最初の目的である、強くなるため。
「師匠のことも想定しての姉選択だったんだろうけど…。人生ってのは、いつだって世知辛い」
師匠のこと、姉のこと、ゼブラエスのこと、すべて女神様の手の平の上である。
こちらの要望は聞いてもらったので文句は言えないが、すべてに意味があるのが恐ろしい。
だが! それはもういい!
「オレは自由だぁああああああああ!!」
自由になった。
少なくとも自分で考えて生きていける。
今後のことは、これから考えればよいのだ。
そして、目的もある。
【従順な女の子たち】と一緒に、好きなだけイチャラブ生活を送る。
これである。最初の文言が重要だ。
姉とは違う―――従順な女の子!!
これが加わるだけで、すべての意味が変わる。
(そうだ。そうだったんだ! そこが欠けていたんだ! 姉にも恥じらいは必要だよ! 『お姉ちゃん、オレもう…!』『あっ、駄目! お姉ちゃんにエッチなことしちゃ駄目なんだよ。でも、あーくんがどうしてもって言うなら…ちょっとくらい』『やったー、ぺろぺろぺろ』『あー、それはらめぇえええ』みたいなのが欲しかったんだ!)
現実 = がばっ、ずぶっ、どくっ 『あー! 許して姉ちゃん!』
これが毎日続けば悪夢である。
(もうそれはしょうがない。違う女の人で願望を満たせばいいのだ!)
「オレは、絶対に幸せになってみせるからなぁあああああ!!」
9話 「初めての一般人観察」
アンシュラオンは、まず最初にひたすら遠ざかった。
当然、姉に見つからないためである。あの姉に距離など関係ない。下手をしたら次元すら超えそうだ。
今はできなくても、そのうちできるようになっている可能性は否定できない。なにせ、あの姉だから。
二週間かけて移動した結果、距離的には二千キロくらいはいったはずだ。北海道から九州まで、直線で通っていけば、それくらいの距離になる。
徒歩かつ、姉に見つからないように隠密行動をしながら移動し、さらに魔獣を排除しながら来たので、いくらアンシュラオンでもこれくらいが限界であった。
このあたりは山ばかりで、道らしい道は存在しない。そのおかげで隠れられたし、食料や水にも困らなかった。
もともと武人であるアンシュラオンは、二週間程度食べなくても大丈夫なのだが、気分的には食べておきたいものである。
「そういえば、来たときは竜に乗ってきたよな…。だから、このあたりのことは、よく知らないんだよな」
どうやらこのあたりは、火怨山を中心に多くの山が連なっている巨大な山脈地帯のようである。
火怨山に連れられてきたときは、空を飛んで山の中腹まで来たので、地理については何も知らない状態である。
しかも、パミエルキに抱きついていたので、周りはあまり見ていない。当時のアンシュラオンは、姉にしか興味がなかったのである。
本当は、ここに来ることも修行の一つなのだが、まだ幼いアンシュラオンのことを心配したパミエルキが、ごねたのである。
竜を捕らえて手懐け(支配し)、乗り物にして堂々と規則を破って入り込んだのだ。
彼女の才能によって不問とされたが、あらゆるものより弟を優先する姿勢は、実に恐ろしい。
「この世界だと、たしか人間は飛べなかったよな? 飛行機はなかったはずだ…」
聞いた話でしかないが、この世界に飛行機は存在しないようだ。
師匠いわく、かつてはそういう文明もあったが、人間の争いが激化したため女神が規制を施し、一定以上の揚力を受けられないようになったという。
なので、空を飛べるのは自然の生物に限定される。その意味では不便だが、姉が飛べないというのはありがたいことである。
そして、いつまでも姉に怯えてはいられない。ここから自分の人生を始めなければいけない。そうすべきである。
では、新しい人生を送るにあたって、何をすべきか。
そう、最初にしなければならないことは、たった一つだ!
「まず人間が見たい! できれば、女の人を!」
実のところ、パミエルキしか女性を見たことがない。
幼い頃より、「女は自分だけ。あーくんは私と結婚すればいい。するしかない」と言い張っていたので、他の女性に会わせてもらえなかった。
自分の家庭事情も不明である。産んでくれた母はいるはずなのだが、その前後の記憶が曖昧なのだ。覚えているのは、自分を見つめ、抱いてくれた姉の姿である。
そのときは、姉が天使に見えた。「あーくん、あーくん、私の宝物」とか言っていた気がする。あの頃が懐かしい。
まさか、人造人間やらホムンクルスという落ちはないと思いたい。データにも、ちゃんと人間って出ているし。そこは信じさせてほしい。
(まあ、べつに人間じゃなくてもいいけどね。こだわりはないし)
それより自分の目的のほうが大切である。
「もし本当に女性がいなかったらヤバイな。いや、女神様がいたんだから、いるはずだ! 師匠やゼブ兄だって、いるって言っていたしね!!」
そんな当たり前のことすら疑念に思うほど、姉の呪縛は強く、深い。
が、やはり実際に見ないと不安なので、まずはセオリー通りに街を探そうと決意する。
また三日ほど南下していくと、徐々に森が切り開かれていき、整備はあまりされていないが最低限の道らしきものが見えるようになった。
「これは期待できる!」
興奮に顔を赤らませながら歩いていくと、ようやく集落らしきものが見えてきた。
「やった、街だ!! あそこなら人がたくさん―――って、街?」
そこで、あることに気がつく。
こんな当たり前のことを、どうして忘れていたのか。
その事実とは―――
「オレ、この世界のこと何も知らない…。人も文化も言葉さえも…何もかもだ」
生まれてからずっと姉に管理され、外の世界を知らないで生きてきた。
今にして思えば、あれは【軟禁】ではなかっただろうか?
あの頃のアンシュラオンは、姉という存在に気を奪われ、何も考えていなかった。
幼児だったので知能や思考力もだいぶ低下していたし、家には庭もあり、姉と一緒に遊んだりもしていたが、ただそれだけ。
他の家族はもちろん、使用人もいないしペットもいない。せいぜい植物くらいで、生物として存在するのは姉と自分のみ、という現状。
必要なものは全部姉が用意してくれた。今でこそアンシュラオンが世話をしているが、それは甘えであって、そもそも姉は家事や炊事だって何でもできるスーパーウーマンである。
幼いアンシュラオンは、「この子が、オレの姉として成長していくんだなぁ」と、美しい容姿にうっとりとして、日々成長していくのを楽しみにしていたくらいだ。
どんどん大きくなる胸。それに挟まれ、恍惚とする自分。
快楽と怠惰の中で、ただでさえ少ない思考力が奪われていく。
そして、すべての疑問は意識の底に消えていった。
馬鹿である。愚かである。
自分でもそう思うが、今考えてもあれは仕方なかった。
こんな可愛い子とイチャラブできると思えば、それはもうウハウハになるはずだ。その時はまだ本性を知らなかったので、どうしようもないことだ。
本もあったので退屈はしなかった。それも今思えば、戦闘の本だった気がする。姉の頭の中には、相手を滅することしかないのだろうか。
おかげで戦いの知識に関しては、多少ながら理解したわけだが、文化的な要素はいっさいわからない。言語すら、どうなっているのかも知らないのだ。
会話に関しては、まったく意識していないで大丈夫だった。普通に姉の言葉を理解できたので、実に便利なものである。
もともとこの世界の人間はオーラを使える者が多い。オーラ同士は引き合い、情報を交換する性質をもっているので、相手が意図的に阻害しない限り、傍にいればなんとなく気持ちがわかるものだ。
戦気ならば、それがより顕著になる。
だから、戦っている相手の気持ちが、なんとなくわかるのである。よりシンクロすれば、精神すら同調できるらしい。そうしたものが、コミュニケーションの手助けになっているのだろう。
とはいえ、他の人間のことはわからない。
初めての外出は、あの火怨山に直行した日だ。ゼブラエスと師匠が、生まれて初めて会った他人、という扱いになる。
それ以外の人間を本当に知らないのだ。
「あれ? 相当危なくないか、これ?」
未知の文明と初めて接触するようなものだ。何も知らない状況で接触するなど、そんな危険なことはない。
ジェスチャーの一つでさえ、文化が違えば意味も異なる。まず第一に、このあたりの人間と意思疎通できるのかも不安だ。実際、ここはどこだ状態であるし。
「少し様子を見るか? 誰かが通るのを待って、話しかけてみるとか…。いや、相手が危険な存在だったら困るし…」
まずは身の安全を図りたいものである。姉が最強だと思い込んでいるが、本当にそうかはわからない。
ゼブラエスだって強いが、あれが世間の常識という可能性もある。師匠が覇王だとは聞いているが、そもそもその情報は本当だろうか。
「本当は、自称覇王だったんだよぉ」とか言い出しても、人を食ったような性格のあの老人ならば、十分ありえる話だ。
「相手の強さがわかればなぁ…―――って、あるじゃないか! 情報公開が!」
普段あまり使わない能力なので、すっかり忘れていたが、とても便利なスキルを持っていることに気がつく。
これはもちろん、モンスターにも有効な力だ。戦う前にまず調べるべきだと思うのは、当然のことだろう。
が、陽禅公に鍛えられたアンシュラオンは、対峙すれば相手の実力くらいはわかるので、あまりこの能力を使ったことはなかった。
そう言いながら野良神機にボコられたのは懐かしい記憶だが、あれは例外として、同じ生物ならば発せられる気質で強さがだいたいわかるのだ。
「今までで一番やばかったのは、姉ちゃん。次に師匠、ゼブ兄の順。それ以外の魔獣は、あれと比べれば可愛いもんだったな」
もっとも身の危険を感じるのがもっとも身近な人物である、というのは不幸な話だ。火怨山の魔獣も、陽禅公やゼブラエスと比べれば、ペットショップの子犬にしか見えないレベルである。
ただ、今は本当に独りなので慎重に行動したほうがよいだろう。これからはちゃんと調べる癖をつけようと思う。
「方針は決まった。隠れながら、最初に見たやつを調べる。後のことは、それからまた考えればいい」
それから二十分ほど、周囲の森に身を隠し、誰かが通り過ぎるのを待つ。
そうすると、一人の男が歩いてきた。
普通にリュックを背負った男で、これから森に行くようである。ちょうどよいので、その男をターゲットにする。
(情報公開の射程は、視界に入る距離なら全部だよな。たしか)
条件はよくわからないが、視界に入れば使えるはずだ。
そして、発動。
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名前 :ギョスト・ウーバー
レベル:3/20
HP :50/50
BP :0/0
統率:F 体力: F
知力:F 精神: F
魔力:F 攻撃: F
魅力:F 防御: F
工作:F 命中: F
隠密:E 回避: F
【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:0/0 術士:0/0
☆総合:評価外
異名:孤独な猟師
種族:人間
属性:
異能:人間不信
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「……え…と。ん? んん?」
アンシュラオンは、表示されたデータを見つめる。それはもう、何度も見る。
が、何度見ても結果は変わらない。ならば、これが正確な情報なのだろう。
そうしている間に、ギョスト・ウーバーなる人物は森の中に入っていってしまった。こちらの気配には、まるで気がつく様子はない。
しばらく考え、この結論に行き着く。
「あれはまさか……」
―――「【一般人】……なのか」
ただの人である。
それ以外、もう何も言いようがない。しかも、何一つ秀でたところがないであろう成人男性である。データの空欄っぷりが酷い。
「つーか、人間不信かよ! いきなり荒んでやがる!」
と、これだけでは参考にならないので、またしばらく様子をうかがってみた。その後、四人程度の人間が通ったが、全部同じような結果であった。
数値は、ほぼFである。
Fが最低なのは知っていたが、こんなに並ぶのは初めて見た気がする。そこらの魔獣の子供でさえ、Fなんて数値はあまり見たことがない。
まあ、自分の統率もFなので、他人のことは言えないのだが。
「Sに見慣れたせいかなぁ。姉ちゃんなんて、子供の頃からSしかなかったし。ひとまず、このあたりの人間のレベルはかなり低いらしいな。うんまあ、何があっても大丈夫だろう。SSSの姉ちゃんからでも逃げられるんだ。なんとかなるさ」
アンシュラオンは、覚悟を決める。
こんなところで、びびってはいられないのである。
勇気を持って、集落に歩を進めた。
10話 「初めての村」
アンシュラオンは集落の入り口らしき場所に立ち、近くにあった立て札を見る。
そこには、「ブシル村」と書いてある。
(文字は本と同じだな)
アンシュラオンが軟禁されていた家にあった本と同じ文字である。といっても、ほぼ日本語と同じというか、アンシュラオンには特に苦もなく普通に読める。
(今まで疑問に思ったこともなかったけど、普通に漢字なんだよな。それとも脳内でオレが漢字に変換しているのか? 謎は深まるばかりだが…まあいいか。読めればいいし)
村の周囲を整地したのか見通しも悪くないので、途中からは一般人と同じく歩いてやってきた。そのほうが怪しくないだろう。
入り口には門は存在せず、誰もいなかったので何のチェックもなしに入れた。そのあたりは無用心に感じるところもある。
中に入り、村を見回す。
そこは東南アジアにありそうな村の光景。土の大地の上に家屋がまばらに建ち、多少ながら人々が行き交う姿が見られる。
(集落…というには、ちょっと違うかな? 住んでいるというか、この場所に人が集まっているような感じかな? ただ、それにしては妙な活気のようなものもあるけど…。ん? あれは?)
村の半ばあたりに、あまり家庭用には見えない馬車が止まっていた。幌(ほろ)付きで、他に置かれているものよりも少し立派だ。
その隣には、まとめられた物資が置かれている。木箱に入っているので中身は見えないが、開いた箱から飛び出ているものは金属の棒だろうか。
しばらくそれを見つめていると、一人の少女が棒を取り出し、テントのようなものを作っていった。
あれだ。運動会や屋台で組み立てるような、少し大型のものである。
少女は慣れた手つきでテントを組み立てると、荷馬車から取り出した物品を台に並べていく。野菜やら果物やら、フライパンやら包丁やら、あるいは全然系統が違う本のようなものまで並べる。
その光景につられて、周囲から人が集まっていった。
そこには、少女以外の【女性】もいた。なんと、半分は女性だ。
(いた!! 女性だ!! 本当にいたんだ…感動だ!! オレはついにやったぞおおおおおおお!)
生まれて初めて、姉以外の女性を見た。その感動は計り知れない。
これはまるで、初めて人類が火を使い出したに近い、偉大なる進化の第一歩である。
(人類は絶滅していなかった!! 女は姉ちゃんだけじゃなかった!! それを証明したんだ!!! でも―――)
本当は小躍りしたい気分であったが、なぜか急速にその気持ちが萎えていく。
その原因の一つは、皆々様方がお歳を召されていたせいもあろうか。すでに女性を失っている人も何人かおられる。
そして、もう一つ。
姉が美人すぎたこと。
(まさかこれも、姉ちゃんに慣れたせいか? …それも当然か。姉ちゃん…好みだったんだよなぁ…。姉ちゃんのインパクトの強さと比べると、嬉しいには嬉しいけど、普通の女性じゃ何も感じないな。せいぜい、あそこの少女くらいかな。姉ちゃんに比べると相当劣るけどね)
とはいえ、偉大なる一歩には違いない。すべてはこれからである。
改めて、その集まりの中心である少女を観察する。
(やっぱり行商人ってやつかな。それにしては幼いけど)
少女の見た目は、せいぜい中学生くらいだろう。もっと若いかもしれない。
少女が働く光景など、日本以外ではさして珍しいものではないので、そこは特に意外ではない。
通りかかる人々の服装や周囲の雰囲気から、文化レベルは発展途上国程度だと思われる。
ただ、思った以上に服装はバラバラ。
良く言えば多様だが、悪く言えば統一感がまるでない。
(しかも全員、髪の毛の色が違うな…。肌の色も微妙に違うし、目の色も違う。どうなってんだ?)
これもまた、気になったポイントである。
データ収集のために観察した人間を含めて、まだ二十人も見ていないが、この段階で髪の毛の色も肌の色も、目の色でさえも微妙に違う。
中には微妙どころか、赤や青など、まったく違う者もいる。パンクな若者の集会ならばわかるが、歳を取った人間でも同じである。
そうでありながら、その様相に各人が意識しているようでもない。完全に見慣れている「いつもの光景」といった様子だ。
(わからん。全然わからん。サーカスか? それとも髪の毛を染めることが流行っているのか? もし違うなら、いったいどれだけの人種がいるんだ? あまりに違いすぎて、傾向性もまったく掴めない…。しかし、今にして思えば、師匠もゼブ兄も違ったな。サンプルが少なすぎて、まったくおかしいとは思わなかったが…)
師匠が禿頭なので、そこも意識できなかった要因である。仮に陽禅公の頭が赤とかだったら、さすがに気になっていただろう。
ゼブラエスは金茶なので、この段階で髪の毛の色は、アンシュラオンとパミエルキの白と彼の金茶だけになる。比較対象が二つだけならば、さすがに人種まで意識できない。
そうした事情があるので、今までの人生で初めて人種というものを意識したわけである。
(うーむ、珍しい光景だ。ここが特別なのか、あるいは他もそうなのか…。実に興味深い問題だな。…ん? なんだ? ものすごい視線を感じるが…)
視線を感じる。
周囲の視線が、少しずつアンシュラオンに集まっているのだ。
一人や二人ならばよいが、テントの前に集まった人たちも、物品そっちのけで自分を見つめていた。その視線は、自分が放っていたものと同じ。
そう、観察の視線である。
(そりゃ、見慣れないやつが、黙ってじっと見ていれば気になるか。パンダじゃあるまいし、オレもじっと見られるのは嫌だな。さあ、そろそろオレもあそこに行ってみるか)
ということで、見物客を装って自分も行ってみることにする。
その間も、人々の視線はたびたびアンシュラオンに集中していたが、次第にそれも収まっていく。
ただ、一部の子供たちだけは、本当にパンダを見るような目で見つめ、どこか興奮したように何かを話し合っているのが気になるが。
「見て、あの人、お姉ちゃんに貞操を奪われた人だよ」
「でも、最初は喜んでいた人だよ」
「お姉ちゃんが追ってるよ。ほら、逃げなくていいの?」
「どうせ逃げられないのにね。くすくす」
(やめろ、やめてくれ! オレを追い詰めないでくれ!)
というのは、【被害妄想】である。
現在の神経過敏なアンシュラオンには、他人のひそひそ話が、すべて自分のことを話しているように感じる。完全に自意識過剰である。
大多数の人間は、基本的に自分のことで精一杯なので、本当の意味で他人を見る余裕などはない。
ただし、アンシュラオンのことを話している、という点に関しては正しい。
一人の幼女が顔を紅潮させ、ぼ〜っと見つめる。
そして、誰にも聴こえない声で呟いた。
「綺麗な髪。宝石みたいな目。天使…さん?」
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