21話 「グラス・ギースに到着!」
「それじゃ、ここでお別れだね」
「ああ。おかげでいい経験をさせてもらったぜ」
「こっちもね」
「それより、いいのか? お前だって金は必要だろう」
「そんなこと気にしないでよ。クルマ代には程遠いんだし」
「しかし、さすがに気が引けるな。壊れたのはボウズのせいじゃないし…」
「困ったときは助けるのが当たり前。けっこう気に入っているんだ、そのルール。そのうち返してくれればいいよ。儲けたときにでもさ。商売をまたやるには元手が必要でしょう? 全然足りないだろうけど、ハピ・クジュネへの足代にはなるよ」
「…わかった。今は受け取っておく。何倍にもして返してやるよ」
「楽しみにしておく」
「じゃあ、元気でな。お前も目的のものが手に入るといいな」
「ああ、ダビアも気をつけてね。今度はちゃんと安全なルートで戻ってね」
「おう。また会おうぜ!」
「バイバーイ! 楽しかったよ!」
そう言って、ダビアと別れる。
クルマが壊れてしまったので、途中の集落までは一緒に歩いてきたのだ。歩くといっても、基本はアンシュラオンがダビアを担いで移動していた。
さすがにおっさんを担ぐのは嫌なので、木を削って大きめの板を作り、そこに乗せて持ち上げる形を取っていた。日よけにもなったので、アンシュラオンとしてはそんなに悪い案ではなかった。
ただ、集落に着いた頃には、ダビアはものすごい日焼けをしていた。出会った時の数倍は真っ黒になっていたが、仕方ないだろう。
(もともと日焼けをしていたし、かまわないよね。文句も言わなかったし。それにしても予定より時間がかかったな)
再び戦艦と出会ったら面倒なので、わざわざ安全な正規のルートに戻って移動をしたせいで遅れてしまった。
アンシュラオンはいいが、やはりダビアがいたので気を遣ったのだ。
ただ、思ったより楽しかった。おっさんとの二人旅は初めてだったものの、相手も大人なので面倒をみる必要はなく、気ままにいろいろな会話をして楽しんだ。
それもまた旅の醍醐味であろう。地球の時とは違ってゲームもスマホもないので、逆に会話を楽しむというシンプルな楽しさがあって新鮮だった。
そして、ロリコンから手に入れた有り金を全部あげてしまった。
その金でダビアは馬車を買い、グラス・ギースまでやってきたのだ。余った金もクルマの代金として全部あげた。
(どうせ、あの臭い林檎で手に入れた金だしね。たいして苦労したわけじゃない。それに比べて、ダビアは本当に不幸な事故だったよ。オレと出会わなければ大丈夫だったかもしれないし、武人じゃないみたいだから普通に歩くのも大変だろうし…これくらいはしないとね。男は細かいことは気にしないもんさ)
アンシュラオンはさっぱりとした性格なので、いちいちそんなことは気にしない。昔から金に執着はなかったし、あげたものは忘れる主義だ。
それに、この自由な大地に来てから気持ちが大きくなった気がする。
ここは、そういう気持ちにさせるところなのだ。
「あれが、グラス・ギース。三重の壁に囲まれた【城塞都市】か」
ダビアと分かれ、西に進路を取って一時間。
この道を通る人々が目指す場所は、たった一つ。
城塞都市グラス・ギースである。
視界にはすでに、荒野に広がる【壁】が見える。ただただ壁が隙間なく敷かれ、巨大な防壁を生み出している。
城塞都市、城郭都市とも呼ばれるもので、周囲を城壁で囲った都市のことである。グラス・ギースは、その城塞都市なのだ。
(壁は…丸い配置なのかな? 三国志とか好きだったから城壁は中国のイメージがあるけど、こっちは欧州っぽい雰囲気だな。やっぱり基本は中世なのかな?)
中国の都市は四角い城壁が多いが、こちらは円状に壁が構築された都市のようだ。
壁の高さは五十メートルにも達し、一般のビルでいえば十五階に相当するだろうか。なかなか壮観である。
この世界では、この時代に限らず多くの都市はこのような構造になっている。
これは当然、防衛のためだ。
(ダビアが言うには、このあたりの都市は対人間よりも【魔獣対策】で壁を造っているらしい。人間よりも魔獣が多い地域みたいだし、それも当然かな。それにしても、あんな大きな壁をよく建てたもんだ。人間ってすごいな)
アンシュラオンのような一般人は、すでに出来上がったものを見るばかりであるが、実際にこれを作った人がいると思うと尊敬の念が湧いてくる。
まず、正確に円状に配置するだけでも相当な手間がかかるはずだ。計算する人、指揮する人、積み上げる人、みんな尊敬の対象である。
(いいね、ワクワクしてきた。初めての本格的な都市だもんね。さあ、見せてもらおうじゃないか、その実力とやらを!)
アンシュラオンが最初に入ったのは、第三城壁と呼ばれる一番外側の壁、その南側にある【南門】である。
そこは城壁の内部に入るための巨大な門があった。
城壁が大きいので門の大きさも巨大。高さ二十メートルはありそうな門が、すっぽりと城壁にはめられている。
門も城壁と同じく岩のようなもので出来ているので、開け閉めだけでも相当大変そうだ。
―――が、門は開放されている。
特に何のチェックもなく、次々と人々が入っていく。
(特に規制はないのか? 無用心…ってわけでもなさそうか。ちゃんと門番の衛士たちはいるな)
周囲には、やや無骨な革鎧を着込んだ男たちがいる。腕章があるので、おそらくこの都市の衛兵なのだろう。
腰に剣を差している者もいるが、大半の衛士の武装は【銃】だ。
地球の軍隊がよく持っているアサルトライフルではなく、もっと木製の猟銃のようなデザインである。実際、魔獣用の銃なのかもしれない。
(あれだけの戦艦があるんだ。この世界にも銃はあってしかるべきだね。まあ、アマゾンの原住民だって普通に持っているくらいだし、そんなに珍しいものじゃないか)
よくテレビで見る原住民とて、性能には大きな差はあれど銃を一般的に使用する。戦艦の砲撃の威力を見たアンシュラオンには、あまり驚きはない。
(それに比べ、周囲には馬車があり人力車があり、着ているものも持ち物もバラバラ。実にカオスだ。文化の坩堝(るつぼ)って感じだな)
洋服を着ている者もいれば、中東の民族服のような者もおり、日本の着物に似たものを着ている人間もいる。なんと多様な文化だろうか。
一番は、それを見てなんとも思わない者たち。
それを当たり前のように受け入れているので、綺麗とかセンスがないとかは思っても、存在自体を否定しない。
(人種という概念がないと、文化まで受け入れられるものか。ただ、思想の違いは駄目らしいから、食べ物とかではそういった問題も起こりそうだけどね)
周囲を見回せば、どこを見ても多様な文化がある。
ただし、一つだけ変わらないことがある。それは、どの様式でも共通して発生しているものだ。
(うん、そうだ。これを見て確信したよ。やっぱりこの世界は少しおかしい)
この光景を見て、アンシュラオンの違和感がより明確になっていく。
それは―――文化が軍事力に特化していること
(鉄缶がうんたら言っている地域に、普通に戦艦が走っている。それは西側の文明だから別としても、木製とはいえ銃が普通に存在している。銃弾の材料はまだわからないけど、柔らかいということはないはずだ。すべてがちぐはぐだ。そうでありながら暴力性が非常に高い。すべての発想が攻撃に対して向けられているからだ)
文明力のほぼすべてが、相手を倒すことに集中している。
中世程度の生活様式に対して、攻撃に関しては銃を普通に使う異常さ。
人々の意識もそちらに向いているので、武器に比べて普通の日用品などへの技術の普及と発展が遅れているように思える。
それは武人という存在も同じである。肉体能力的には、もはやスーパーマンと同じ。その活用方法も、アンシュラオンが知っている限りは戦闘に特化している。
(魔獣と隣り合わせで生きている人間ゆえの文化か。争いが絶えない世界ゆえか。それとも女神様が言うように、この星の若さから来るものか。どっちにしろ退屈はしないで済みそうかな。さあ、まずは中に入ろうか)
アンシュラオンは、人々と一緒に門を通り過ぎる。
第三城壁の内部は、まるで再び外に出たのかと見まごうばかりの荒野が広がっていた。
(外とあまり変わりないじゃないか。城壁内なのに、ほとんど整備されていないな。どういうことだ?)
そこは、外より多少まし、という程度の場所。
外と違うものがあるとすれば、たまに見かける畑のようなもの、そして【砦】だろうか。
乱立した砦が城壁内部にランダムに配置されている。そこには鎧も着ないでだらけている衛士たちの姿も見受けられるので、兵舎も一緒にあるのだろう。
「ねえ、あの砦って何のためにあるの?」
アンシュラオンは、目の前を歩いていたおっさんに話しかけてみた。
商人風の壮年の男で、馬車はないようだが大きな荷物を担いでいる。
「治安維持のためだろう? ほら、兵士がいるじゃないか」
「治安は悪いの?」
「この都市は良いほうさ。だからこうして、みんなやってくるんだ」
「おじさんはどこから来たの?」
「南からだね。こっちのほうが治安がいいと聞いてやってきたんだ」
「敵っているの? 兵士さんは守ってくれる?」
情報を引き出すため、できるだけあどけない子供を演じる。
その様子におっさんだけではなく、周囲の大人たちも顔をほころばせる。あざとい悪魔の笑顔である。
「そうだな。このあたりは魔獣が多いけど、守ってくれるさ」
「南には大きな戦う船があるって聞いたけど…それは大丈夫?」
「戦艦のことかな? はは、大丈夫さ。ここには来ないと思うよ。それにあの砦は、戦艦対策のためでもあるからね。ほら、南門の周囲に密集しているだろう? ああやって入ってこれないようにしているんだ」
「へー、そうなんだ。すごいね! でも、この城壁は壊されたりしないかな? 壊れなくても、大砲とかを撃たれたら飛び越えちゃうでしょ?」
「これだけの都市なんだから、城壁の上には防御結界があるんじゃないかな。所々に塔みたいなのがあるだろう? あそこに仕掛けがあるんだよ」
「それって丈夫なの? 壊れない?」
「空を飛ぶ魔獣も入れないんだ。戦艦の砲撃だって防げるさ。だから安心だよ」
「そっか…。ありがとう、おじさん! 安心したよ」
「東門までは、まだまだ長いからね。無理せず行くんだよ」
「うん!」
(なるほど、一応戦艦を意識して配置してあるということか。こうして見ると深い堀もけっこうあるし、南で入植が始まってから増設したのかもしれないな)
仮に防御結界とやらが戦艦の砲撃を防げる場合、戦艦は突撃するしかなくなる。そうなれば砦は生きる。
砦があるだけで戦艦の移動を阻害できるし、防衛拠点にもなる。近くを通った時に飛び移って白兵戦に持ち込むこともできるだろう。
大型のバリスタも見受けられるから、戦艦の装甲を貫けるかは不明だが、それなりの防衛兵器も充実しているように思える。
これらの情報から、城塞都市グラス・ギースは最低限の防衛力を有する存在であることがうかがえる。
また、そうでなければ、とっくの昔に滅びていたに違いない。こうして今も残っていることこそ最大の根拠である。
(ここの領主が戦艦を持っていない可能性は高くなったな。戦艦を運用するのに不向きな構造だしね)
当然、全部を見たわけではないので断定はできないが、戦艦を運用するようには造られていないように思える。敵の戦艦を阻害できるということは、自分の戦艦も動きにくくなるからだ。
地下基地があるのならば別だが、今のところそういったものは見受けられない。もし戦艦を所有しているのならば、外に置いておくしかないだろう。
が、外に戦艦は見られない。
(この前のやつは、こことは関係ないのかな? でも、そっちのほうがよほどきな臭いけどね。違う勢力の、それも軍隊が近くにいるってわけだし。いつ争いになってもおかしくないよね。そのあたりも注意が必要かな)
アンシュラオンを襲った連中が、どこの軍隊かは重要な問題である。
いきなり攻撃を仕掛けてくるような相手だ。姿は見られていないと思うが、さらなる警戒が必要になる。
「しかしまあ、広いな。城壁内部とは思えないや」
目立つので、この人ごみを走るわけにもいかず、アンシュラオンは流れる人々と一緒に東門まで歩くことになる。
その距離、実に三十キロ以上の行程。
さっきのおっさんたちと合わせて歩いたので、結局夜は一緒に野営することになった。
「まぁまぁまぁ、飲んで飲んで」
「おいおい、そんなに飲めないよ」
「まぁまぁまぁ、本当はいけるんでしょ? 遠慮しないでさ、ぐいっといこうよ! 今日は無礼講でしょ?」
「無礼講たって、この酒はうちの商品なんだが…」
「まぁまぁまぁ、楽しもうよ。着いた記念にさ」
「もういい、わかった! こうなったら全部飲み干してやる! ほら、お前も飲め」
「そうこなくちゃ! じゃあ、いただき…」
「こら、子供にお酒を出すんじゃないよ! それに全部飲んだらぶっ飛ばすからね!」
「げぇ、かあちゃん、ごめんよ!!」
「…ちぇっ、オレはジュースか…」
などなど、それなりに楽しかった。
22話 「門番のお姉さん」
一晩野営し、ようやく東門に到着。
視界は荒野から一転し、東門は周囲を森に囲まれたような場所にあり、道なりに進むと第二城壁に組み込まれた二階建ての楼門が見えてくる。
楼門は少しせり出ており、それを土台に櫓(やぐら)のようなものが設置されている。敵が来た場合、そこから銃撃して迎撃するのだろう。
門自体は南門よりだいぶ小さくなっているので、馬車程度ならば軽く入れるが、大きな輸送船などは入れないようになっている。
商人の何人かはここで小さな馬車に乗り換え、商品を積み替えている光景が見受けられた。
また、門自体の守りも強固となっている。
衛士の数もだいぶ増えたし、並んでいる列の合間にも監視の目が光っている。本来はそれが普通なのであり、南門の警備が緩いことのほうがおかしいのだが。
そして、ここでようやく入国審査が行われるようになった。
まずは身分証有りの人間と、無しの人間で分かれる。
「身分証って何?」
昨晩、一緒に宴を楽しんだ商人のおっさんに訊いてみる。
「市民権を持っている人に配られるカードとかさ。俺は持ってないけどね」
「オレもないや」
「じゃあ、一緒にあっちだな」
(そういや、ダビアから市民権がうんたらってのは聞いたな。有るやつと無いやつ、ってことか。オレは持ってないから、あっちか)
アンシュラオンもそのままおっさんと列に並ぶ。
だが、その商人のおっさんともすぐに別れることになる。アンシュラオンが男の衛士に止められたからだ。
「お前はこっちだ」
「オレ? どうして?」
「そういう決まりなんだ」
「決まりって…大雑把だな。理由を述べよ、五文字以内で」
「五文字!? 短すぎる!!」
「俺は言えるよ。『い・や・だ・か・ら』。はい!」
「はい、じゃない! ちくしょう、見事に五文字に収めやがって!」
「悔しかったら言ってみなよ」
「ええと、『き・ま・り・だ・か・ら』。ああ、くそっ、入らない!」
「はは、残念だね。それじゃ、また」
「待て待て!! 駄目だって!」
「なんで?」
「そうなっているんだから仕方ないんだ! さあ、あっちだ!」
「うっ、持病のしゃくが…」
「おい、大丈夫か?」
「むさいおっさんが近づくと発病するんだ。だからおっさんこそ、向こうに行ってよ」
「どんな持病だ!? そこら中におっさんはいるだろうが!」
「おっさんは特別むさいんだ。自覚してよ」
「こいつは…!」
「助けて! 子供が襲われてるよ!!」
「お、おい、やめろ!」
アンシュラオンの声で、周囲から衛士に厳しい視線が向けられた。その中に「変態よ」「ロリコンだわ」「ショタコンめ」といった文言も並ぶ。
「お前のせいで評価が下がったじゃないか!」
「事実だろう」
「くそっ! 子供だからって…」
「おいおい、あまり逆らわないほうがいいぞ」
見かねた商人のおっさんが口添え。
「えー、どうして?」
「普通、逆らわないだろう?」
「だって、ムカついたから」
「入りたいなら、おとなしくしていたほうがいい」
「そうだけどさ…ちぇっ」
アンシュラオンだって逆らうつもりはなかったが、単純に男の言うことに従うのが嫌だっただけである。
(なんだよ。ムカつくな。いきなりこの街が嫌いになったよ。やっぱり男は駄目だな)
「しょうがないなぁ。それじゃ、バイバイ。またね」
「ああ、気をつけてな」
商人のおっさんと別れて違う道を進んでいくと、また前で何か揉めている。
どうやらアンシュラオンの前に【選別】された若い男のようである。
「なんだよ! 前はこんなのなかったぞ!」
「今回から始まったんだ」
「おい、何をするんだ! やめろ!」
「痛くないから、じっとしていろ」
(何やってんだ? ケツでも掘られたか?)
目の前の男が何やら喚いている。だが結局、言われるがままに腕を差し出す。
そこに、何かリングのようなものがはめられた。
「ほら、行っていいぞ」
「ちっ、面倒くさい」
「じゃあ、次」
(オレの番か…。だが、あれは何だ? 何か変な感じがしたな)
アンシュラオンはリングに違和感を感じた。変なものならばあまり付けたくない。
が、ここで揉めるわけにもいかない。逆らっても面倒なだけだと、今さっき知ったからだ。
(まあ、いいか。嫌だったら外せばいいし。でも、野郎相手に触られるのは我慢ならん。おっと、あれは…)
いかつい衛士の隣に、赤い髪の毛のお姉さんがいる。
二十代後半だろうか。まだ若くスタイルも良い女性だ。鎧は周りと大差ない造りだが、武器を持っていない代わりに、両腕に鈍(にび)色の篭手(こて)をはめていた。
(…武人かな? 隣の衛士よりは確実に強いな。いや、問題はそこじゃない。お姉さんであるということだ!)
実は、ここでようやくアンシュラオンは「お姉さん」に出会ったのだ。パミエルキ以外に出会う初の年上女性である。
むろん、お姉さんを通り越している御方々には出会っているが、残念ながら彼女たちは除外させてもらう。
姉好きの自分としては、対応してもらうのならば、ぜひともあっちがいいに決まっている。もうおっさんには飽きているし。
よって、即決。
「じゃあ、そこの小僧…」
「お姉さん、怖い!!」
「きゃっ、な、なに?」
男を素通りして、隣のお姉さんに抱きつく。鎧越しであるが、大きな胸に顔をうずめる。
(あー、久々の乳だー。幸せだなー)
「あらあら、ふふふ。どうしたの?」
女性はいきなり抱きつかれたので驚いたが、アンシュラオンが(見た目は)可愛い子供だとわかると顔を緩ませた。
「おい、何をしている。早くこっちに…」
「あの人、怖い! 助けて! 顔がすごく悪い! きっと悪人だよ! 捕まえて!」
「顔が悪い!? 悪人!?」
「大丈夫よ。顔は悪くても、そんなに悪い人じゃないわ。…たぶん」
「ええ!? ひでえよ!」
男の衛士は、お姉さんに顔が悪いと言われてショックを受けていた。
うむ、ざまあみろ。
もちろん彼にはまったく恨みはない。単に男だったことを悔やんでいただきたい。
「お姉さん、ここで何するの? 怖いよ」
「大丈夫よ。ちょっとこれをはめるだけ」
「何これ?」
「うーん、悪さできないようにするやつ、かな」
「…? どういうこと? 心がわかるの?」
「ふふ、そんなことはできないわ。でも、武人の力をちょっと封じ込めることができるのよ。あなた、武人でしょ?」
「なにそれ、知らない(嘘)」
「あら、知らないのね」
「入り口でこっちに行けって言われただけだよ。…僕、何か違うの? 変なの?」
「そんなことないわ。人より生体磁気が多いだけよ。それはとても強い証拠なのよ。良いことなの」
(あいつが持っていたのは、生体磁気を感知するアイテムだったのか。だからオレはこっちか)
入り口にいた衛士は、蓄音機のような形の道具を持っていた。今の話を聞く限り、それが生体磁気の量を調べるものらしい。
ただし、詳しい情報まではわからず、あくまで一定量以上の生体磁気を発している人間を感知するだけだと思われる。
ちなみに「生体磁気が多い人間 = 武人」ではない。
多ければ多いほど活力に溢れているので、肉体的には有利になるが、武人の因子が覚醒していなくても生体磁気が多い人間はいる。
一方、生まれながら生体磁気が少ない武人もいるので、ここでは単純に「体力」「精神」の値を重視して選別しているのだろう。
もともと特殊な能力を見抜くのは一般的に不可能なので、少しでも強そうなやつに対する抑止として選別が行われているようだ。
「君は大丈夫そうだけど、決まりだから付けさせてね」
「付けると悪さできないの?」
「悪さする元気がなくなる…かな。ほら、無駄に元気があるから余計なことに力を使っちゃうのよ。わかるかな?」
「あっ、わかるよ。昔、隣に住んでいたおじさんがそうだったもん」
「そうなの?」
「うん、おじさんの家ね、時々子供が増えるんだ」
「あら、そうなの。…たしかに元気ね」
「うん。でもね、同じ年齢の子がよそからやってくるんだ。弟のはずなのに年上ってあるのかな? そのたびに隣のおばさんが怒って家を出て行くんだけど…どうしてだろう? 家族が増えたら楽しいはずなのにね。おじさんに訊いてみたら、元気が有り余っているからつい悪さしちまう、だって。それと同じかな?」
「あ、ああ…そっち…ね。そ、そう…ね。そうならないように…これは必要なのよ」
「子供が増えるのは悪いこと?」
「それはその…子供が増えるのは良いことよ。でも、そのおじさんがちょっと悪い人なのね。そういう人が暴れないように、このリングが必要なの。…わ、わかってくれる?」
「う〜ん、よくわからないけど…お姉さんが付けてくれるなら我慢する」
「よかった。いい子ね。じゃあ、じっとして」
「ぎゅってしてて」
「ふふ、はいはい」
お姉さんは、抱きしめて頭を優しく撫でながら付けてくれた。子供のフリ作戦は大成功である。
(くくく、今のオレは可愛い子供なのだ。容姿がいいのはすでに確認済みだからな。せいぜい利用するか)
まあ、そのせいで姉に溺愛されるわけなので、収支はどっこいどっこいかもしれないが。
「これ、外してくれるの?」
「ええ、街を出るときにね」
「そっか。じゃあ、またお姉さんにしてもらいたいな。あの人、怖いし。ずっと睨んでるよ」
「あの人は左遷させるから安心していいわよ」
「ええ!?」
「そんな顔じゃ、子供が怯えるでしょう? 砦の配置に戻すわ」
「そりゃないよ! ここのほうが楽なのに…。それに子供なんて滅多に…」
「ほらほら、邪魔邪魔。さっさとあっちに行きなさい。あとで辞令は出しておくから」
「くそ…俺の顔は生まれつきなのに…」
強面のおっさん衛士は排除されてしまった。
どうやらお姉さんのほうが立場は上らしい。
(いやー、よかったよかった。これで出入りも快適になるから、少しは街が好きになれそうだ。それにしても、こんなのがあるんだな。対抗術式かな…?)
左腕に付けたリングが黄色く輝いている。今のところ異常はないが、生体磁気を抑制するものらしいので、力を発動させると何かあるのかもしれない。
(まあ、街で暴れることもないだろうけど…。こんなものを作る技術もあるのか。さて、ようやく街のお出ましだぞ!)
門を抜ければ街があるはずだ。
ようやくグラス・ギース、その中核エリアに到着である。
23話 「お姉さんに愛される宿命を背負った少年」
まず足を運んだのが、門を出ると最初に見える街、【一般街】と呼ばれる区域。
一般街という名前の通り、一般的な都市に必要な施設のある区域である。そこは今まで見た村とは違い、明らかに進んだ文明がある場所だった。
形だけみれば西洋の街並みに似ているが、至る所にジュエルを使った機器が存在し、街灯にもジュエルがはめこまれているようだ。
ジュエルは術式を使っているようなので、魔法文明といってもよいのかもしれない。
ただ、すべてが便利というわけでもない。
(あれは井戸かな? 一杯五十円? もしかして水は有料なのか?)
「ねえ、あの水は有料なの?」
「そうだよ。あそこにお金を入れると鎖が外れるから、自分で持ってきた容器に入れるんだ」
「へー、そうなんだ。このあたりは水ってないの? 少し行けば森とかあるでしょ?」
「そこまでが危険だからね。ああいう井戸か、商人が持ってくる水が一番安全な水だよ。この都市の内部にも湖…というか貯水池があるけど、あれはまだ浄化していないから飲まないほうがいい。お腹を壊してしまうからね」
「なるほどー。ありがとう!」
近くにいたおっさんに訊いてみたが、やはり有料だった。
綺麗なものは飲み水として売りに出され、それ以外は煮沸して生活用水に使っているようである。
(水が制限されるのってきついよね。日本は水がたくさんあったけど…ここでは水も一つの資源か。これをもらっておいてよかったな)
アンシュラオンは水色の丸い石を取り出す。ダビアがお礼として一個くれたものだ。
これは【吸水石】といって、五センチ大の球体をしているが、これ一個で水を五十リットルは吸うらしい。そのわりに重さは変わらないという優れもので、水の輸送に大いに役立つ代物だ。
業務用なので、なかなか一般人に手に入るものではない。その響きが、ちょっと心をくすぐる。
ただ、水を放出する時は小出しにできないので、それだけが唯一の弱点だという。
ちなみに、どれだけ水が入っているかは色合いでわかる。水が入ると下から徐々に鮮やかな水色になっていく。
今はほとんど入っていないので、全体がくすんだ水灰色のような色合いだ。ダビアとの旅で全部使ってしまったのだから仕方がない。
(水はしばらく必要ないかな。それより目的のものだ)
しばらく一般街をふらふらしてみたが、スレイブ商人というのは見つけられなかった。
(たしかにスレイブは一般的じゃないしね。それなら次だな。ええと次は…下級街? なんだか下町の匂いがする名前じゃないか。そういうところならありそうだよね)
次に見えた街からは、少しばかり違う空気が流れている。
下町の匂いというべきか、人々の生活の匂いが広がっている。欲求や勢いのようなものが感じられるのだ。
ここならば期待できる。
「よし、スレイブ商人を探そう!」
「…酷い目にあった」
アンシュラオンはぐったりとうなだれて、路地裏の壁に寄りかかる。
「裏街はやばいな。猛獣だらけだ」
アンシュラオンは、スレイブの店があるとすれば裏通りだと思って入ったのだが、そこは魔窟であった。
まず、いきなり水商売系のお姉さんに拉致された。
歩いていたら、いきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
そこから逃げ出し歩いていると、違う女性にいきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
そこから逃げ出し歩いていると、違う女性にいきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
そこから逃げ出し歩いていると、違う女性にいきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
そこから逃げ出し歩いていると、違う女性にいきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
そこから逃げ出し歩いていると、違う女性にいきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
そこから逃げ出し歩いていると、違う女性にいきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
そこから逃げ出し歩いていると、違う女性にいきなり路地裏に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と胸を押し付けられる。
「昼間だぞ!? なんだこれ!? ここいらの女性は全員発情期なのか!?」
商売系の女性ならまだしも、普通にしか見えない女性も襲ってくる。
その様子に、さすがに恐怖した。まるで見境のない獣である。
「まったく…まともなやつはいないのか」
「………」
「…何か用?」
「あの…ちょっと来て」
そこには一人の少女がいた。さきほどの女性たちと比べれば、まだまだ幼い蕾といったところだろうか。
その少女が、こちらに向かって手招きしている。
(しょうがないな…女の子が呼んでいるんだ。行かないわけにはいかないよね)
仕方なくアンシュラオンが行くと、少女は手を握って引っ張る。
「なんだい? どうしたの?」
「あのね、お母さんが大変なの…」
「え? お母さん?」
「うん、だからね…来て」
「金もないし、何ができるとも思えないけど…」
「大丈夫。…ここに入って」
「いや、だからね…オレじゃ…」
一軒のボロ屋に入ったアンシュラオンは、それを見た。
ベッドに横たわった―――裸の成人女性を。
少女の言うことを聞いてやってきたら、いきなり家に連れ込まれ、「お姉さんといいことしようか」と知らない女性に胸を押し付けられる。
「だかぁらぁああああ!! どうなってんだよぉおおおおお!」
アンシュラオンは慌てて逃げ出すと、安全であろう表通りにまでやってきた。
さすがに表通りは平和であり、そういった女性たちは見受けられない。
(なんだこの街? そういう街なの!? そういうの専門の街なの!? グラス・ギースって、エロ街とかいう意味じゃないよな!?)
恐るべき遭遇率に驚く暇もない。出会った女性のほぼ百パーセントが襲ってくる。しかも、少女を使ってすら落とそうとしてくる。
自分が有名人ならばわかる。権力者かお金持ちならばわかる。
が、ただの一般人である。
(馬鹿な。たしかにオレは可愛いかもしれんが、そんな魅力なんて―――って、魅力?)
そこでアンシュラオンは魅力の存在を思い出す。
そして、周囲を歩く人間を片っ端から情報公開で調べていく。
結果、ほぼすべての人間が「E」か「F]であった。
(オレの魅力は、A。もしかしてAって貴重なのか? Aだから、そんなに女性を惹きつけるのか!? 馬鹿な。女性限定なんて、そんな説明はなかったぞ。それ以外にスキルだって持っていないし…)
だが、考えられるのはそれしかない。
もしかしたら魅力が下位の人間に対して、A以上の人間は何かしらの効果を発揮するのかもしれない。
実際、ロリコンやダビアもかなり友好的だった。単に好いやつだと思っていたが、それが魅力の効果だったらどうだろう。
それに村の人間の注意も引いていた。可能性は高い。
(そういえばゼブ兄が街にいくと、なぜか人がたくさん集まってくるとか言っていたな。あの人の魅力はSSS。なら、やっぱりそれが原因か? でも、女性限定なんて言ってなかったよな。待てよ、オレを襲った女性はみんな…大人だった。オレより年上のお姉さんだ。…まさか)
アンシュラオンを襲った女性はすべて「大人の女性」である。
ここで一つの仮説に思い至る。
(オレのステータスにある『姉に対してのみ、魅了効果発動』とか、スキルにある『姉の愛情独り占め』というのは、他の女性に対しても通じるのでは? たしかに普通に考えれば姉弟の姉だが、『お姉さん』とも読み取れるわけだしな…)
アンシュラオンは自分のことを可愛いとは思っているが、それだけでお姉さんたちがあんなに好意的になるだろうか。
さっきの門番のお姉さんも、初めて出会った子供の言いなりになって同僚を左遷していた。
もともと嫌いなやつだったという線もあるが、普通そんなことはしないだろう。
もしこれらのスキルが「お姉さんタイプの女性が、ついつい守りたくなってしまう、ついつい愛情を注ぎたくなってしまう」スキルだとすれば辻褄が合う。
それに加えて、絹のような白くふわふわとした髪の毛、宝石のような赤い瞳。
日焼けにも負けない白い肌。筋肉質だけど華奢な身体。まだ声変わりしていないボーイソプラノの声。
そのどれもが、お姉さんの心を激しくくすぐるのだ。
そう、アンシュラオンは、生まれながらにお姉さんに愛され補正を持っている人間なのである。
当然、彼自身がそう願ったせいでもあるが。
(嬉しい悩みだけど、裏路地で生きていける自信がない! ほんと、スレイブ店ってどこだよ、まったく―――って、ええ!? あれか!?)
疲れきった顔でふと大通りを見つめると、そこの看板に「スレイブ、入荷しています」の文字が、おおっぴらに書かれてあった。
まったく普通に書いて置いてある。
「普通に大通りかよ!! いいのか、あれ!? ねえ、いいの!?」
アンシュラオンは完全にロリコンの説明を忘れていた。
勝手に「スレイブ = アダルト」と思っていたが、半分は職業案内も兼ねているので、表通りにあってもまったく問題ないのだ。
ともかく、目的の場所は見つかった!!
「よしっ!! 気を取り直して行くぞ!!」
暗い気持ちが一転、明るく弾むような足取りで店に向かうのであった。
24話 「スレイブ商館とモヒカン」
「らっしゃいっす!」
店に入ると、ラーメン屋のような掛け声を受けた。
一瞬、店を間違えたと思って看板を見たが、ちゃんとスレイブ商会加入店と書いてある。
店の名前は、八百人(やおじん)。
入り口だけ見れば少し洒落たレストランである。もし看板がなければわからなかったに違いない。
「ねえ、ここスレイブ屋?」
「ええ、そうっす!」
「うっ、暑苦しい。どうしてモヒカンなの?」
「趣味っす。カッコイイっす」
「世紀末なら似合っただろうけどね…」
身なりは良いが、なぜかモヒカンだ。
「八百人って、どういう意味?」
「ああ、よく聞かれるっすね。創業者が、ここに来れば八百人のスレイブに出会える、って意味で付けたらしいっす」
「今、何人いるの?」
「ええと、今は……ちにん、っす」
「もう一回言って。聴こえなかった」
「えっと、その…………八人……っす」
「詐欺じゃん」
「今は、っす! 一昨日、工事用にって大量の発注があって、ほとんど出してしまったっす!!」
「同じじゃん。表の看板は嘘ってことでしょう?」
「それはその…見栄えってものがあるっす。あの看板を設置したのは四日前っすから、その時にいたことには間違いないっす」
「汚いやり方だな。まあいいよ。で、残っているのはどんなの? 売れ残りなら安くしてくれるんだろうね」
「いきなり買い叩かれそうっす。どうして強気っすか?」
「なんとなくオレがこの前殺したトカゲに似てたから」
「恐ろしく凶暴な人が来たっす。怖いっす」
「ほら、リストとかないの? 見せてよ」
「あるっす。ここっす」
アンシュラオンが急かすと店員は名簿を持ってきた。
そこには名前や性別、技能を含めたスレイブの等級と値段が記されていた。
同時に細かい使役条件も書かれている。
それはいい。そんなことはいい。問題は一つだ。
「…男ばかりだ」
「そりゃ、労働者は男が多いっすから」
「女はいないの?」
「女性もいるっすが…ところでどんなものをお望みっすか? ご要望があれば受けるっす」
「ラブスレイブ」
「…あの、何歳っすか?」
「二十は超えているよ。何か問題あるの?」
「いや、ないっす。特に制限はないっすけど…」
「はっきり言えって。こっちは客だぞ。なんだこの店は! 茶も出さないのか! 女将を呼べ!!」
「突然の激怒っす。茶は出すっす」
「まったく、しつけのなっていないモヒカンだ」
「そして突然横柄になったっす。もうモヒカン呼ばわりっす」
「お前の名前なんかに興味ないからな。それで、ラブスレイブは?」
「その、ラブスレイブのほうは違う店に置いてあって…」
「裏通りか?」
「ええ、まあ。知ってるっすか?」
「ラブスレイブはいきなり男を襲うのか?」
「へ? なんすかそれ。そんなことはないっすけど…何かあったっすか?」
(じゃあ、あれはやっぱり単純にオレが襲われただけか。…そのほうが怖いけど)
むしろ普通の一般女性が襲ってくるほうが怖い。何も信じられなくなる。
「なんでもない。たいていそういうものだしな。だが、ラブスレイブを扱うということは、当然そっち系の店も経営しているんだろう?」
「それは否定できないっす。それを含めてのラブスレイブっすから」
「下種の発想だな。そんなに女の上に立ちたいのか!! このクズどもが!」
「お客さんは、どうしてラブスレイブが欲しいっすか?」
「オレに絶対服従の可愛い女の子を、情欲のまま好きにしたいだけだ」
「…もう一度いいっすか?」
「オレに絶対服従の可愛い女の子を、情欲のまま好きにしたいだけだ」
「…自分の耳が遠くなったかもしれないっす。聞き間違いっすか?」
「オレに絶対服従の可愛い女の子を、情欲のまま好きにしたいだけだ」
三度聞いても同じだった。
「あの…自分らと何が違うっすか?」
「何か悪いのか? オレは客だぞ! どうしようが自由だ!」
「恐ろしい横暴さっす。それに女の子のほうから、そうしたいと言うからやっているっす。斡旋っす」
「女の子がここで生きていくには、それしか道がないのか?」
「そんなことないっす。ちゃんとした普通の女スレイブだっているっす。手に職がなくても店のお手伝いとかできるっす」
「じゃあ、自分で望んでいるということか…」
(しかし、ロリコン妻のような女の子もいる。好きでやっているわけではない子もいるだろう。つらい話だな。…まあ、それはそれとしてだ。もう少し情報が必要かもしれないな。焦って安物を買っても失敗するだけだし)
物事には順序がある。
買う前にスレイブというものを理解しなくてはならないだろう。そのためにはいろいろと知るべきだ。
「ちょっと確認するが、スレイブの中で性的なことがOKな子がラブスレイブ、で合ってるか?」
「合っているっすね。付け加えれば、むしろ【性的なことに特化】しているスレイブをそう呼ぶっす」
「たとえば、ラブスレイブの子に料理とかをさせるのは、あり?」
「契約内容にそうしたものがあれば問題ないっす」
「じゃあ、普通のスレイブに性的なことをするのは?」
「契約内容に沿っていれば問題ないっす」
「…それって、ラブもノーマルも同じじゃないか?」
「見も蓋もないっすが事実っす。実際、お客さんの言うように線引きが曖昧っす。だから意図的にラブスレイブで登録して、雇用後に言いくるめて料理で尽くす子もいるっす」
哀しいかな、ラブスレイブのほうが人気がある。
男でも女でも同じだが、自分の欲求を満たしたいと思う者は多いものだ。
だから最初に需要が多いラブスレイブで登録しておきつつ、それ以外の契約内容も抱き合わせておき、最終的に上手く渡り歩くのだ。
契約には反していないので問題はない。女性はしたたかである。
「逆はあるのか? 普通のスレイブで登録しておいて、実はエロもOKとか?」
「あるっすね。契約内容次第っすけど」
「その契約内容ってさ、曖昧なものも多いんじゃないの?」
「そこも線引きは難しいっす。うちらがやっているのは斡旋であって、その後は基本的に当人と雇用者の問題っすからね。それ以上のことは言えないっす」
「スレイブは嫌だったら逃げられるの?」
「貸し出しの場合は、一応便宜的に所有権がうちにあるっすから、最悪の場合は引き取れるっす。壊したら損害賠償も請求するっす」
(なるほど。やはり物扱いか。ロリコンの言っていた通りだな。だがレンタルの場合、スレイブ商たちは自分の利益を守るために女の子も守るようだ。それは少し安心だな。これも情報通りか)
貸し出しでもほぼ所有権は相手にあるのだが、人権保護のために救済措置は存在している。実際は店の利益を守るためであっても、そう言っておいたほうが耳障りもよいだろう。
そして、これがスレイブ商会加入店、というわけである。表のマークは正規優良店の証なのだ。
違法な店だと、そういったことが無視されることもあり社会問題にもなっているが、この店は正規店なのでそういうことはない。
ここまではロリコンの情報通りである。
だが、抜け道もある。
「レンタルはそうっす。ただ買取だと…そこはグレーっす。相手に所有権が完全に渡ってしまうっすから、こっちはどうにもできないっす」
「グレーというか真っ黒じゃないか。そこが抜け道か。外道め」
「えと…お客さん…っすよね?」
「客だよ。スレイブを買って好きに楽しむんだ」
「おかしいっす。なぜかこっちだけ責められてるっす」
「オレは客だからいいんだ。で、レンタルと買取だと、どれくらいの値段の差があるんだ?」
「三倍から十倍っすね。商品によって差があるっすが、結局は買取がありがたいっす」
「そりゃ当然だな。じゃあ買取を前提に選ぼう。好きにしたいし、後で揉めても困る」
「お客さんも外道っす」
「何とでも言え。オレには夢があるんだ。といってもな…ここのスレイブには、ろくなやつがいないな」
男しかいないので、能力があろうが階級が高かろうが、そもそも論外である。
「ラススレイブは女が多いのか?」
「七割が女性っすね」
「男が三割もいるのか? 案外多いな」
「上級街のマダムに人気っす。その中にはシーメールも含まれるっすから、そっち系の需要もあるっす」
「ニューハーフか。人の趣味はそれぞれだしな。ううむ、やっぱりラブスレイブか…。素直になるべきかな」
(だが、単に性欲処理というのはつまらない。そもそも武人は、闘争本能で性欲をある程度処理できる。ならばオレが求めているのは、もっとこう…大きな枠組みだ。そう、愛に関わるものだ!)
「ラブとは愛!!!」
「どわっ!? びっくりしたっす!」
「ラブとは愛だ。愛とは、ただの性欲ではない。わかるか? モヒカン」
「へ? あっ、わ、わかるっす」
「嘘をつくなーー!! ガスッ!」
「ぶはっ! なぜか殴られたっす!!」
「お前のようなモヒカンに愛がわかるのか?」
「モヒカンは関係ないと思うっすが…」
「オレが求めているのは、ラブだ。だが、性欲だけと割り切ってしまっては価値が薄れる。もっとこう、自由な翼をはためかせるものはないのか? そう、全部がオレの好きにできるみたいな、そういうやつだ!」
「急に要求が大きくなったっす。アジから鯛に変わったレベルっす」
「金に糸目はつけん。オレの言うことを何でも聞くスレイブ、そう、自由に契約ってやつが設定できるやつはいないのか?」
「………」
「どうした? いるのかいないのか、はっきりしろ」
モヒカンはしばし考えた後、こう提案した。
「お客さん、もしよかったら裏に行くっすか?」
「風俗店か? 商売女で満足する男だとでも思ったか? やろうと思えば女には困らないんだ。嫌でも歩いているだけで襲われるレベルだからな…残念なことに」
「はっきり言うっすね。しかも自慢っす。いや、そっちではなく、もっと【特殊なもの】が置いてある場所っす。外道のお客さんなら、一見(いっけん)さんでも見せてもいいかなと」
「ほほぉ、面白い。オレを満足させられるものだろうな?」
「へへ、それはもう。期待してくださいっす」
「くく、悪い顔しやがってこの野郎、このモヒカンめ」
「いえいえ、外道のお客さんにはかなわないっす。では、こちらへどうぞっす」
25話 「求めしもの、それは白スレイブ」
なぜか意気投合し、モヒカンの案内で裏口から出る。
そこは両側の建物によって、完全に外からは見えない死角道になっていた。明らかに違法の臭いがする。
それもまた、アンシュラオンをワクワクさせる。
「いいな、この感じ。オレが住んでいた街の裏道を思い出させる」
「どんな街っすか?」
「小学生が歩いている表通りのすぐ裏に、風俗店が羅列していた街だ。あの荒んだ空気はたまらんよ。…まあ、行政の一斉撤去にあって大半が潰れちまったけどな。ニュースにもなったし」
「それは不運っすね」
「まったくだ。あの薄汚れた空気が良かったんだが…綺麗好きのお偉いさんにはわからないらしい。対外的には潰れて当然だとも思うけどな」
あの街並みは今でも思い出す。
不思議なことに小学生の頃はまったく気がつかなかったので、それなりに住み分けができていたのだろう。
裏の人間は表通りには出てこない。そのルールがあったからこそ容認されていた空間である。
ここにはそうした懐かしい匂いがあるのだ。今なお、現役で。
「それにしてもお客さんほどの美形なら、さっき言っていたように普通にモテると思うっすけどね。何が不満っすか?」
「オレはモテたいんじゃない。従順な子を支配したいんだ」
「歪みすぎっす。さすがっす」
「お前の中で、オレはいったいどんな人間になっているんだよ」
「美形お子様超外道っす」
「お前も遠慮がないな。まあ、べつにいいけどさ。自分が歪んでいるってことを否定はしないよ。オレはきっと自分以外を信じちゃいないんだ。それは昔からさ。だからスレイブがいいんだ。完全に自分の支配下にあるものしか信じないし、愛せないんだ。完全支配下にあるものは裏切らないし逆らわないからな」
「素晴らしいと思うっす。その通りっす」
「そう思うなら、お前も十分狂ってるよ」
「好きでこんな商売やっている身っすからね。似たようなものっすよ。でも、そんなお客さんだからこそ、ここにある商品には満足してもらえると思うっす」
「ふっ、楽しみだ」
建物に覆われた小道を、裏通り側に向かって五十メートルほど進むと、一軒の建物があった。
よくもこんな大きな建物があったものだと思うほど、そこは周囲のごちゃごちゃした建物に囲まれて外からは見えない状態になっている。
建物は木造で見た目もさきほどの店に似ているが、シックな色合いの木が使われていて、表のものよりも高級感がある。扉や窓の造りも、より繊細で煌びやかだ。
おそらく常連だけを招く特別な店なのだろう。
(ここまで上手く運ぶとは…これも魅力か?)
話が上手くいくことに驚くが、これも魅力の効果かもしれない。
この魅力値というものは人を引き寄せたり、あるいは協力を取り付けたりする力も指している。
たとえば【王】や指導者などは、例外もあるが総じて魅力が高い。
人々を導く特別な人間にそなわっている人徳であり、吸引力である。自然と人は魅力ある人間に寄ってくるのだ。
そして、その人間に協力したくなる。不思議なものだが、それを魅力と呼ぶ。
(特に異名はないけど、オレも【王】の属性があるんだよな。ゼブ兄にもあるし…。あっ、姉ちゃんにはなかったかな? ううむ、この属性も謎だ。スキルや属性には、まだまだよくわからないものが多いな…)
「どうぞっす」
「うむ」
モヒカンが扉を開けると、中は少し薄暗くも落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
クラブや少し高い居酒屋のようにわざと照明を暗くしている感じで、それがさらに期待を膨らませる。
(こういう暗い空間っていいよな。なんだか自分が悪いことをしている気分になって…ドキドキする。それ以外にも、こういう店の場合は利点が多そうだな)
暗いほうが人間は親密度が増すというし、女性の肌が綺麗に見えやすいという話もある。
簡単な例を挙げれば、少し暗めの照明で鏡を見るとそこそこ綺麗に見えるが、美容院などの明るい場所で見ると、思った以上に肌が汚くてびっくりすることがある。
後者が真実なのだが、わざわざ汚い顔を見て絶望することもないだろう。
それならば照明を少し落として、自分の顔に満足する日々のほうがよい。どうせ見た目は変わらないのだから。
(ただ、そこで騙されないようにしないとな。魅力はあくまで魅力。真実を見極めるのは、いつだってオレ自身の目だ。油断はしないように気をつけよう)
「この人は特別っす。今後も失礼がないようにするっすよ」
「はっ」
入り口の見張りに声をかけて中に入る。
見張りは傭兵風の男で、見た目はそこそこ強そうだ。
そしてその手には、銃があった。衛士が持っていたものと同じような木製銃である。
「銃…か。衛士も持っていたが、銃は一般的なのか?」
「そんなことはないっすね。まだまだ数は少ないっす。それにグラス・ギースでは、一般人の銃の所有は禁止されているっす。持ち込みも禁止で、東門のところで回収していたはずっす」
「そうなのか? オレは別の入り口だったから気づかなかったな」
「そのリング…お客さん、武人っすか?」
「まあな。今回から始まったようなことを言っていたが…何があった?」
「三ヶ月くらい前、街で酔って暴れた武人がいたっす。その時は制圧したんで問題なかったっすが、領主が怒って錬金術師に抑制リングを作らせたとか聞いているっす」
「ほお、この街には武人を制圧できるだけの力があるのか」
「武人といってもピンキリっすからね。ただ、あの時はけっこう暴れたんで苦戦して、結局門番の女衛士が倒したっす」
「女衛士…あのお姉さんかな? 赤い髪の」
「そうっす。門番っすけど、たぶん領主の親衛隊より強いっすね」
「さすが門を守っているだけはあるか。ますます好きになったよ。それより、お前たちは銃を持っていてもいいのか?」
「商会なら登録をすれば持っても大丈夫っす。商品を守るのも商会の義務っすからね。ただ、おおっぴらに持っているとお客さんを威圧するっすから、こうして見えないところで武装しているっす」
「逃げ出そうとするスレイブを撃つためでもあるだろう?」
「誤解しないでほしいっす。ここにあるのは【上物】っす。まあ、実際に見たほうが早いっすね。…着いたっすよ」
中は少し迷路のようになっており、いくつかの扉を経てようやく目的の場所にたどり着く。
そこは広い大きな部屋で、展示場といってもよいほどの大きさがある。
真ん中に通路があり、その両脇にいくつもの個室が並んでいるという構成だ。部屋は木と岩を使った上品な造りで、見るだけでもなかなか趣がある。
その個室には―――スレイブがいた。
男女のスレイブが、それぞれ扉のない個室でゆったりとくつろいでいる。そこに鎖といった野蛮なものはない。
「鎖で繋がれているわけではないんだな」
「勘弁してくださいっす。うちは優良正規店っすからね」
「こんな裏店を作っておいてよく言うな。…まあ、鎖で縛るのも悪くないがな」
「思った以上に鬼畜っす」
「鎖は支配の象徴だし、そそるものはある。が、ないならそれでもいい」
「プレイ用のものならあるっす」
「必要になったら借りるさ。むろんオレが求めているものは、鎖などで縛らなくても言うことを聞くやつだけどな」
これまた勝手な思い込みで首輪に鎖かと思っていたが、まったくそんなことはなかった。
それも当然。どう見ても、ここにいるのは【高級スレイブの類】だ。そんなことをすれば価値を下げるだけである。
「ああ、そうっす。扉はないっすが、部屋の入り口には…」
「術式で見えなくしているんだな。声も聴こえていないようだ」
「わかるっすか?」
「この前、見たからね。あっちのほうが凄かったけど」
この術式は、あの戦艦が使っていた術式に似ている。
肉眼では見えない蜘蛛の巣のようなものが、本来扉がある場所に張り巡らされて視認を邪魔しているのだ。
それを可能にしているのは、個室のネームプレートに付けられているジュエルだろう。そこから力が発せられているのがわかる。
ただ、戦艦のものは軍事用だったせいか、これよりも複雑な構造をしていたようだ。こちらはあくまで一般用なのだろう。
「すごいっす。術士の素質があるっすか?」
「たいしたことはない。…で、こいつらは? ずいぶんと若いようだが」
そこにいたのは、誰もが若い男女のスレイブ。はっきり言えば【子供のスレイブ】だ。
本当に若い子ならば幼稚園生くらいから、成長していても中学生くらいが精一杯といったところ。
この世界の容姿と年齢の基準がわからないものの、おそらくアンシュラオンの見立て通りだと思われる。
「いろいろと訳ありのスレイブっす。身寄りがなかったり保護されたり、自分で契約を付けられない【白スレイブ】たちっす」
通常のスレイブは自分で契約内容を作ることができる。子供であっても保護者や保証人がいれば、自分の契約書を生み出せる。
が、身寄りがなく保護されたり、自分で書く能力がなければ当然契約書は作れず、スレイブにはなれない。
本来はそうだ。
しかしそれに対しても裏道があり、また違った需要が存在する。
それはつまり―――
「売り手ではなく買い手側が自由に契約を作れる、ということだな? どんな命令でも聞くように。だから白だ」
「その通りっす! さすがっす!」
「なるほど、これは…面白い。いや、素晴らしい! 素晴らしいぞ、モヒカン! これこそオレが求めていたものだ!!」
「お客さんなら、やっぱりそう言ってくれると思ったっす。嬉しいっす」
いわゆる白ロムなどと同じ意味で、契約情報が記録されていないものを指しているのだろう。
いまだ何の穢れもない、まっさらな無垢なスレイブ。
これこそアンシュラオンが求めていた【物】である。
「これは劣等スレイブということなのか? 自分の意思すら尊重されないんだろう?」
「それも白ってことっす。等級も買い手の権限によって決められるっす。個人の意思については、うちは尊重しているほうっすよ」
「うちは…か。それだけでも運がいいか」
「実際に運がいいっす。多くは金持ちが養子として連れていくっすからね。正規の手続きじゃないんで、そのほうが都合がいいっす。子供がいない家庭が単純に跡取りにしたり、あるいは遺産相続用の隠し子にでっち上げたり、たまに子供の影武者にするってのもあるっすが、概ね裕福な人生を送るっす」
「使い道は道楽だけではないか。こうなったら素性もくそもないから、スレイブですらなくなる、か」
過去の情報がないので、そのまま本当の子供として処理される。
そうなれば、もはやスレイブと本物の区別はない。そこに利用価値があるのだ。
(なかなかどうして裏側も、きな臭い世界じゃないか。これでこその自由な世界、フロンティアだ。ますます面白くなってきたな)
制度自体に文句を言うつもりはない。ここの生まれでもないし、彼らには彼らの文化があるのだろう。
アンシュラオンも地球においてそこまで綺麗だったわけではない。人間の裏側もよく知っている。知っているからこそ、それをすべて受け入れるわけではない。
(すべてはオレの自由。その中から気に入ったものだけを吸い取ればいいのだからな。せいぜい利用させてもらおうじゃないか)
「では、見せてもらうとしようか、自慢の白スレイブとやらを」
26話 「サナ・パム 前編」
「ここには何人くらいいるんだ?」
「今は三十八人っすね。最大で八十人まで入れるっす」
(ふむ、多いのか少ないのかわからないな。自信満々に言っているところをみると、この規模の都市ならばそれなりに多いほうなのだろう。優良正規店という話だしな)
「見て回るぞ」
「ご自由にどうぞっす」
アンシュラオンが、一つ一つの個室を見て回る。
個室の大きさは十畳ほどあり、生活する空間として不便はなさそうだ。必要な家具や娯楽品もある。
覗いた部屋の少女は、クマらしきヌイグルミを抱きしめていた。クマが好きなのはどの世界も共通らしい。机にはお菓子もある。
「物には不自由していないようだな」
「そこは気を遣っているっす。欲しい物はなんでも与えるっす」
「外には定期的に出しているのか?」
「出すときもあるっすが、基本的には室内っす。あっちにテラスがあるっすから、そこで日光浴とかできるっす」
「外に出たい欲求は湧かないのか?」
「そう思わないように、そこだけ術式で制御しているっす。彼らにとって部屋は快適な空間っす」
「快適な空間だと思い込まされている、の間違いだろう?」
「当人がそう思っているなら同じことっすよ」
「たしかに真理だな。…トイレはあるのか?」
「個室それぞれの奥にあるっす。ここからは見えないっすが、管理側は見えるようになっているっす」
「幼女のトイレを覗いて楽しいか? 変態め!!」
「激しい誤解っす。商品のトイレを見て興奮したら、本当に変態っす。自殺や自傷行為を防止するためっす」
「商品…か。そういった行為は精神術式でできないようにしているんじゃないのか?」
「あくまで予防のためっす。術式が効きにくい子もいるっすから、たまに事故があるっすよ」
(たしかにな。精神術式は強力な術式だが、精神の値が高かったり、オレみたいに精神耐性を持っている人間には効かないからな。こいつらは能力値が見えないから、ふとしたことで事故が起こる可能性はありそうだな)
普通の人間には能力値はわからない。
他は弱くても生まれながら精神の値が強い人間なら、精神術式にかかりにくい現象が起こる。
最初はかかっていても、後から耐性が身についたりすれば、突如解除されてパニックに陥ることもあるだろう。
(こいつらにとってみれば、これは商品だ。当人たちに違法という概念はない。…そりゃそうだ。そもそもこの東大陸の単なる一領地に、そこまでしっかりとした法律があるとも思えないしな。逆にこれだけ気を遣って管理してくれるなら、むしろありがたいってことか)
そして、気になっていたことを訊いてみる。
ロリコン妻を見たときから、ずっと気になっていたことの一つだ。
「契約の術式は、どうやって刻む?」
「専用の機械があるっす」
「そういうのは別の犯罪に悪用できるんじゃないのか?」
「一応、当人同士の意思が必要っす。強制はできないっす」
「白スレイブの場合は、それが空白の状態だからすり抜ける、か?」
「そうっす。なぜか詳しいっす」
「まあ、そういった裏側のことも少しは知っているからな。その機械は、どこかで売っているのか?」
「非売品っす。スレイブ商会本部から送られてくるっす。出所は知らないっすね。知る必要もないっすから」
「道具は使えればいいか。そういう考え方は嫌いじゃないけどな」
モヒカンは気軽にそう話してくれた。
だが、事はもっと重大で深刻である。
(モヒカンは術の素人だから意味がわかっていないようだが、精神術式を機械的に処理していることは見過ごせない。術が使えない人間でも使えるようにしているってことだしな。…これはなかなか後ろが真っ黒じゃないか。相当強力な術士がいると思っていい)
精神術式は危険なものなので、一般ではあまり教えていない。それがここまで広まっているのならば、誰かが意図的に流したものであることがわかる。
ジュエルに術式を封入する技術はすごいが、危険な術式まで一般人が使えるようになることはデメリットもある。
特にこうした裏側の組織が手にすると危険だろう。ヤクザやマフィアが簡単に構成員、鉄砲玉を作れることになる。
(今は安全装置があるが、おそらく強制的に術式をかける試作型も存在しているはずだ。そんなものが流出すれば、非常に恐ろしい事態になる。…まあ、オレには効かないからいいか)
そんなことを思いつつ、個室にいる少年少女たちを見ていると、またあることに気がつく。
(オレの思い違いじゃなかった。やっぱり、これは【アニメの世界】だ)
生まれた時から、ずっと気になっていた疑念がある。
それは、人がやたら可愛く見えること。
女性は可愛く綺麗で、男は逞しく格好よい。それはまるで二次元の理想化された世界のように。
もちろん実際に二次元ではない。間違いなく三次元の物質世界だ。そうでいながら、どこか地球人とは雰囲気が違う。
異世界、それも別の星なのだから当然だが、物質を構成する要素が違うのだろう。
見た目だけでいえば、すべてが綺麗に映る。
(どの子も恐ろしく可愛く見える。そんな趣味はないが、男の子でさえ可愛いな。アニメのキャラってのは、本来そういうもんだしな)
現実の世界ではゲイではなくても、二次元の世界でだけそういった趣味を持つ人もいる。
その世界はあくまで理想の世界であり、最後まで趣味で終わるからだ。
(現実感のなさは、ここから来ているのかもしれないな。それ以前に、オレがこの世界に本格的に触れたのは、ここ一ヶ月弱にすぎない。今までの世界は姉ちゃんだけだったし…あまり意識しなかった部分が表面化してきたんだろう)
そして、改めて姉の美しさを知るのである。
裏街で出会った女性は誰もが美しかったが、姉と比べれば無名の異性にすぎない。
アニメでいえば、モブとヒロインくらいの違いがある。
月とスッポンとは、まさにこのことなのだろう。存在感そのものが違う。
(駄目だ、駄目。姉ちゃんと比べるのは駄目だ。あれは例外だ。比べたら相手がかわいそうだ。あれと比べたら、永遠に他の人間なんて―――)
そう思い、ふと違う個室の中を見る。
そこには―――黒髪の少女がいた。
他の子たちが娯楽に興じている中、その子だけは一人、椅子に座ってうつむいている。
艶やかな黒い髪の毛、エメラルドのような深くも淡い緑の瞳。
そして、ただ一人だけの褐色の肌。
完全な黒ではない。かといって赤黒いわけでもない。
日本人の肌を少しだけ黒くしたようなその肌は、きめ細やかで滑らかで、こうして見るだけでも非常に魅力的に思えた。
目が惹き付けられて―――離れない。
(ああ、これは【一目惚れ】だ)
アンシュラオンはこの感覚を知っていた。とてもとても久しく感じていなかった感情である。
見た瞬間、目が離せなくなる。雷撃を受けたかのような衝撃が背筋に走る。
気になって気になって仕方がない。何度でも見てしまう。
それを一目惚れという。
(オレの経験上、一目惚れは結局上手くいかないことが多い。その多くは理想と現実のギャップから来るものだ。かつてのオレもそうだった。―――が、それはあくまで対等の場合だ。そして、社会に対して何の力もない場合だ)
一目惚れが上手くいかない理由はさまざまだが、多くは現実と理想の狭間で苦しむからだろう。
その多くは金銭的な問題や、相手との性格の不一致によるもの。
これは一目惚れでなくても普通に起こる現象であるが、それは対等な関係だからマイナスになる。
では、対等でなければ?
(たとえばペット。一目惚れをして手に入れたペットはどうだ? 人間と違って絶対に上手くいくだろう。それは人間側が圧倒的な支配力を持っているからだ。対等ではないからだ。相手の能力が人間より劣っているからだ。そして、スレイブとはそういう存在だ)
今のアンシュラオンには力がある。
これまでの旅で確認してきたが、この周辺にアンシュラオンと対等に戦える存在は皆無である。
たかだか犬っころに怯える人間ばかりなのだ。強大な魔獣を屠ってきたアンシュラオンに恐れるものはない。
つまり今の彼は、社会的にも人間としても上位の存在なのである。圧倒的に強者なのだ。
それから見れば、目の前の少女はペットと大差なかった。絶対に対等にはなりえない。
が、愛玩動物にはなれるのだ。
27話 「サナ・パム 後編」
(あの子にしよう)
アンシュラオンは即決。
一目惚れは買わないと永遠に後悔することを知っているからだ。
売り切れて後悔したことは一度や二度ではない。そして買ったときは必ず満たされると知っているから。
(どんな地雷でもクソゲーでも、自分で買うと最後までプレイしたりする。買った自分を否定したくないから良いところを見つけようとする。これが貰い物だとまったく逆になるけど…あの子の場合は大丈夫だろう。一目惚れなら外見は気に入ったということだし、惹かれる何かがあるということ。内面は最悪、後から調教すればいいしね)
「あの子にする」
「え? アレ…っすか?」
「アレだと? その反応、自分から何かあるって言っているようなもんだぞ」
「ああ、そうっすね…でも、お客さんに嘘はつけないっす」
「その心がけは立派だな」
「これでも本職っすからね」
「問題とは、処女ではないとかか?」
「それは大丈夫っす。確認済みっす。男はわからないっすけど、女は全部確認しているっす。…こだわるっすね」
「当然だ。重要な問題だ。他人の手垢がついたものには触りたくないからな。で、それより問題なことがあるのか?」
「その……【声】が、出ないんすよ」
「声が? 病気か?」
「わからないっす。医者は問題ないって言うんで、精神的なもんかと。あの娘は南で拾われてきた子なんで、その時に何かあったかもっす」
「南…か」
頭に浮かぶのは、ダビアの話。
入植者たちと原住民が争い、多くの原住民たちが敗北してスレイブにされているというものだ。
あるいは単に両親が死んで身寄りがなかったのかもしれない。どちらにせよ楽しい話ではない。
「声が出ないと駄目なのか?」
「目的によるっすが、値は下がるっすね。養子とかの場合は、っすが」
「買い手が付かなければ、どうなる?」
「成長するのを待って、ラブスレイブのほうに…」
「いくらだ?」
「え?」
「買取で、いくらだ」
「えーと、この子は…三百万っすね」
(これも高いのか安いのかわからないな。声が出ないので安くはなっているんだろうけど…。しかしまあ、あの臭い林檎一個と同じくらいの値段だと思えば安いか)
「会っていいか?」
「もちろんっす」
男が機器を操作し、扉の術式が解除される。
視認防止以外にも立ち入り禁止の術式があるらしい。逃げ出さないためと、客が勝手に触らないようにだろう。
まるでペットショップ。
来店した客に、お試しで手渡される動物。
そして動物は、自分が売り物であることを知らない。
「やあ、初めまして。オレはアンシュラオン」
驚かせないようにゆっくりと身体を現しつつ、精一杯の笑顔と優しい言葉で話しかける。
このスマイルならば、この街にいるお姉さんだったら、いちころだろう。
「………」
だが少女の表情は変わらない。
声がしたので一瞬だけ顔を向けたが、またうつむいてしまった。
そこに活力というものはなく、ただただ無気力しか見られない。
「君に危害を加えるつもりはないんだ。ただ、お友達になろうと思ってさ。お兄ちゃんに名前を教えてもらえるかな?」
「………」
「駄目かな?」
「………」
笑顔が通じない。
そもそもアンシュラオンのスキルは年上女性には圧倒的だが、年下に効果はない。
その後、何度かアプローチしたが、すべて無意味に終わった。異世界に来てから、このような反応をした存在は初めてである。
アンシュラオンは目立つので、誰もが目をつける。人間なら惹かれ、魔獣なら警戒する。どこにいても目立つ男なのである。
それをアウトオブ眼中(死語)
その新鮮な反応にさらに惹かれる。
(それにしても手ごわいね。オレみたいな美少年が話しかけたら、少しは反応しそうなもんだけど…。だが、それもいい。簡単になびかないのは猫みたいで大好きだ。それがデレたときは最高だしね)
犬も飼っていたが、次に飼った猫から完全猫派になってしまったアンシュラオンにとっては、猫のツンデレは大好物である。
どんな猫だって最初は警戒をする。でも、慣れてくれば甘えて無防備な姿を見せてくれる。それがまたよいのだ。
(とはいえ、このままでは埒が明かない。初対面の女の子に、いきなり使うのは嫌だが…仕方ないな)
アンシュラオンは、情報公開を使用。
―――――――――――――――――――――――
名前 :サナ・パム
レベル:1/20
HP :30/30
BP :0/0
統率:F 体力: F
知力:F 精神: F
魔力:F 攻撃: F
魅力:B 防御: F
工作:F 命中: F
隠密:F 回避: F
【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:0/0 術士:0/0
☆総合:評価外
異名:意思無き少女
種族:人間
属性:
異能:
―――――――――――――――――――――――
(サナ・パム。魅力がB以外は、完全なる一般人だな)
さすが美しい容姿をしているので、魅力はBだ。
まだ子供と呼べる年齢だからこの程度だが、どこか人を惹きつける魅力がある。
魅力B以上は、身内以外では初めて見た。アンシュラオンがAなので、それに匹敵する魅力である。
ただ、それ以外はすべてF。最低値だ。
(相変わらず大雑把だよな。子供だろうが大人だろうが、同じF判定だもんな)
筋力のある男性も、成長していない子供も、同じくF。
実際は、そこにはかなりの差があるはずだ。されど、Fである。
一つの数字の範囲が広すぎて、非常に大雑把で困る。
おそらくこの数値は武人を基準に作られたものなのだろう。だから一般人レベルの差異など感知できないのだ。
人間にとっては、バッタもカマキリも変わらないのと一緒だ。踏み潰してしまえば、そこに何の違いもない。
(それと、異名が『意思無き少女』…か。声が出ないことと関連がありそうな名だね)
異名も、本当の一般人ではなかなか見かけないものだ。完全モブには異名はまず存在せず、一般人の三割程度の割合でしか見かけない。
これがある人間は、良くも悪くも目立つということなのだろうか。
「…綺麗だ。なんて美しい」
相手が反応しないので、そのまま気にせず髪の毛を撫でる。手に吸い付く感触が実にたまらない。
年齢はまだ十歳かそこらだろう。まだまだ幼さが残った頬は少しふっくらして愛らしく、思わずつついてみたくなるほど柔らかそうだ。
顔立ちも日本人に似ている。艶やかな黒い髪の毛も美しく、日本の美を改めて思い出させてくれる。
アニメの世界でも外国人風の女性は綺麗に見えるが、日本人風のほうがやはり親しみを感じる。
特にここに来てから、まだそういった風貌の人間を見ていないので、かつての世界への望郷の念を感じさせてくれる。
そのすべてを総合的に見て、間違いなく(アンシュラオン目線で)超絶に可愛い最高の逸材と思える少女である。
加えて―――姉とは正反対。
この時のアンシュラオンは気がついていないが、その少女の容姿も性格も姉とは正反対であった。
白と黒、まったく違う両者でありながら、どちらもアンシュラオンを惹きつけるもの。
これが少しでも白に寄っていれば魅力を感じなかったかもしれないが、正反対だからこそ惹かれる。
遺伝子が、魂が、霊が、黒を求めるのだ。
「いつか君の声が聴きたいな」
「………」
「大丈夫。すべてオレに任せてくれ。君を完璧に育ててあげるよ。幸せだと思わせてあげよう。オレにはその力があるからね。…それじゃ、名残惜しいけどまたね」
部屋を出て、再び視認防止の術式が張られる。
こうなれば外の会話は聞かれないが、聞いたところで少女が反応を示すかは謎である。
だが、決断。
「三百万だな。納金はいつまでにすればいい?」
「予約してもらえれば、一週間以内なら」
「わかった。明日の夜までには持ってくる」
「それはありがたいっす…がっ! な、なんっすか?」
アンシュラオンがモヒカンの喉元に手をかけ、壁に押しやる。
その赤い瞳が冷徹に光った。
「金なんていくらだって用意してやる。だからいいか、それまで絶対に誰にも売るなよ。これはオレのものだ。一切のストレスも感じさせるな。丁重に扱え。それと、お前の汚い手では絶対に触るな。触るときは消毒をしてから手袋をはめろ。いいな? わかったか? 理解したか? 返事は?」
「わ、わかったっす…! 理解したっす!!」
「オレを甘く見るなよ。もしこの子に何かあったら殺すぞ。お前だけじゃない。ここにあるすべてを破壊してやる。皆殺しだ」
「うぐっ……わかった…っす…! だから…」
「ふんっ、理解したならいい」
モヒカンから手を離す。
「げほっ、げほっ。そのリング、全然効いてないっす!!」
「多少は効いているみたいだぞ。ちゃんと抑制されているようだしな。作ったやつはいい腕をしている」
「それでこれっすか!?」
「オレの有り余る意欲を甘く見るなってことだ。たぎった魂の炎は簡単には消えない」
「…お客さんの執着がすごすぎるっす。まだお金を払っていないのに強気すぎるっす」
「約束は守る。その気になればいくらでも金なんて用意できるからな」
「どこから来るっすか、その自信?」
「オレは目的は絶対に成し遂げる。どんな手段を使ってもな」
「暴力は勘弁してもらいたいっす」
「お前みたいな裏の連中はすぐに裏切るから、釘を刺しておいただけだ。こんな世界にいるんだ。死ぬ覚悟くらいできているだろうが、その確認のためだ。裏切ったら殺す。忘れるな」
「恐ろしい人が客になったもんっすよ…。いろんな人を見てきたっすが、相当イカれてるっす…」
「まともな人間が白スレイブなんて欲しがるか。じゃあな、明日の夜くらいにまた来る。ちゃんと用意して待っていろよ」
店を出たアンシュラオンは、燃えていた。
今まで感じたことのないエネルギーに満ちている。
(サナ・パム。絶対に手に入れる。あれはオレのものだ!!!)
これが、サナ・パムとの初めての出会い。
そして、すべての始まりである。
28話 「ハローワークに行って、ハンターになろう! 前編」
(金を作ろう。早急に)
今はまだ昼。猶予は一日以上ある。
金を持ってくると言った客を待たないわけがないだろうが、あまり待たせては不安にもなろう。
ただ、手付金を払ったわけでもないので、所詮口約束にすらならないものだ。
釘を刺しておいたが、見た目が幼いアンシュラオンのことをどれだけ信用したかもわからない。
(すぐに金を作るにはどうするか。…借金? それも面倒だし、信用がないのに借りられるわけがない。闇金から借りれば、下手をすればオレがスレイブになっちまう。まあ、そのときは武力で解決するからいいけど。どうせあいつらの金なんて、ろくな出所じゃないしな。それならいっそ積極的に闇金業者を襲って金を奪うか? 素早く殺せば証拠も残らないだろうし…。そのほうが社会のためにもなってオレも金が手に入る。名案じゃないか?)
まず一番良いのが、悪そうなやつらを締め上げて金を奪うこと。
貧乏な連中を相手にしてもしょうがないので、もともと金を扱っている業者が望ましい。殺してしまえば後腐れもないだろう。
アンシュラオンは平和主義者であるが、目的のためならば手段を選ばないところがある。
今はもう新しいものへの興味しかないので、こうした時、彼の倫理観は完全に崩壊する。
ちなみにこれは【姉の教育の賜物】である。
※アンシュラオンが三歳の時の会話
「あーくん、私がいないときに何か不足して困ったら、他の存在から殺して奪うのよ」
「えー、かわいそうだよー」
「そんなことないの。この世界のすべては私とあーくんの物なの。他の生物はそのために生まれてきたのだから、相手は喜んで死ぬのよ」
「そうなの?」
「ほら、この本を見て。絶滅したかつての人類は、動物のお肉を食べていたの。ここに『動物は食べられるために生まれてきた』って書いてあるでしょ? 彼らはそう思っていたの」
「ほんとだ」
「だからね、その絶滅した人類も、私たちのために生まれてきたの。私たちが『食べる』ためにね。だから喜んで死ぬのよ」
「お姉ちゃんが最後の女の人でしょ?」
「うん、そうね。女性は私一人ね。ただ、もしかしたら生き残っている男がいるかもしれないから、そのときは遠慮なく利用すればいいのよ。殺してもいいの。相手は泣いて喜ぶわ。『食べてくれてありがとう』って。だって、彼らは私たちに食べられるために生まれてきたのだもの。むしろ遠慮したらかわいそうよ。…わかった?」
「うん、わかった。お姉ちゃん大好き!」
「いい子ね、あーくん。あーくんは私だけを愛すればいいのよ。それ以外はゴミでクズだから、全部利用するのよ」
「はーい」
姉の強烈な魅力による洗脳と刷り込み、そしてアンシュラオンが前の人生で蓄えた知識が合わさり、無意識のうちにこうした発想が生まれるのである。
そう、あれは本気の発想である。
本気で最初は殺して奪ってもいいかと考えたのだ。
前の人生の知識で、悪という概念を知っているから躊躇いはない。悪なら殺しても問題ないだろう、と。
が、成長したアンシュラオンには、まだわずかばかりの倫理観も残っている。
(しかし、せっかく来た街だ。いきなり騒動を起こすのも嫌だよな。もう少し堪能したいし、あの子を手に入れてからものんびりしたいしね。バレた場合、街の衛士と戦闘になるかもしれない。それはいいけど…あのお姉さんと戦うのは嫌だな。せっかく好印象を与えたのに自分から潰すなんて、あまりに愚かしいことだ)
闇金から強奪する <<<<< お姉さんに嫌われたくない
個人的には血塗れの札束をモヒカンに渡したほうが、さきほどの脅しに対する相乗効果もあって良いとは思うが、お姉さんと揉めるのは避けたい。
(とすれば、一番無難なのは魔獣の素材を売ることだ。あの程度のもので数百万になるなら、それこそ楽な仕事だ。よし、優先順位を決めよう。強奪は最後の手段としてギリギリまで残しておいて、まずは魔獣を狩る。今日中に狩れなかったら少し考えよう)
こうして行動方針は決まった。
アンシュラオンは、外に出るために門に戻る。
そこで赤毛のお姉さんと再会。
「あら、もう出るの?」
「ちょっと用事があるんだ」
「用事って?」
「うん、魔獣を狩ろうかなって」
「ふふ、そうなの? お外にいるかなぁ? 危ないから、中にいたほうがいいんじゃないのかな?」
(オレの年上殺し、完璧に発動しているな)
アンシュラオンの髪の毛をナデナデする姿は、母性本能をくすぐられ、完全に心奪われた女性の姿である。
これなら、「オッパイ触らせて」くらいならば即座にOKが出そうだ。「お母さんが恋しい」とか言えば、その先も楽勝っぽい。
(怖い。自分の才能が怖い。しかし、人間は不思議だな。すぐに手に入ると思えば、あまり執着も湧かない。お姉さんは大好きだが、今はまだ欲しくないな。それよりはあの子が気になる。やはり苦労して手に入れてこその感動か。でも…」
「お姉さん!」
「きゃっ、うふふ、なーに?」
とりあえず抱きついて乳は楽しむ。今は乳だけ欲しい気分なのだ。
「お姉さん、好き」
「あーん、本当? 告白されちゃったー、どうしようー」
「ねえ、付き合っている人はいるの?」
「それがねー、いないのよ」
「今までずっと? 今だけ?」
「うーん、それは…」
「ねえねえ、教えてよー! 僕とお姉さんにとって大事な問題だよ!」
「う、うん、それじゃ仕方ないかな。…実は一人もいないの。昔から腕っ節が強かったから、意地悪する男の子は全部殴って倒しちゃった。今なら、あれが好意だったってわかるんだけどね…勿体なかったかな」
「そんなことないよ! そのおかげで今も清いままだもん! だからお姉さんは綺麗なんだよ!」
「本当? 嬉しい」
「じゃあ、僕のお嫁さんになってね。予約しておくから、今後も誰とも付き合っちゃ駄目だよ」
「えー、どうしようかなー」
「駄目なの! ぎゅっ」
「うふふ、わかったわ」
(よし、予約したぞ!! そのうちゲットしよう!!)
子供の皮を被った悪魔である。
「ところで外に魔獣はいないの?」
「いるけど、勝手に狩っちゃいけないのよ」
「え? そうなの? 知らなかった! 火怨山とかも駄目なの?」
「火怨山? ああいうところは管轄外だから大丈夫ね。それ以前に誰もあそこには行かないわ。制限があるのは、この周辺だけよ。グラス・ギースの領主様が管理している場所は、自衛以外の目的では狩っちゃいけない決まりなの」
(狩猟制限というやつかな。組合か何かありそうだ)
日本では、よく漁業権とかでニュースになる話題だ。
このあたりは火怨山とは違って、しっかりと管理されているらしい。
「領主様って、偉いの?」
「そうね。この都市を最初に造った人の子孫…、子供なのよ」
「この街って、どれくらい前に出来たの?」
「うーん、千年前からあるらしいけど、何百年か前に一度壊れて造り直したという話ね」
「壊れたの? 古かったから?」
「それが、【大災厄】ってのがあって、地震とかで街が壊れちゃったらしいの。ここだけじゃないわ。こっちの大陸のほとんどに被害が出たという話よ。火怨山も噴火しちゃって、本当に大変だったみたい」
(災厄…師匠が言っていたやつだ。あれは本当の話だったんだな。…それにしても嫌な言葉だ。姉ちゃんを思い出す)
真っ先に思い出すのは、なぜか『災厄の魔人』なる称号を得ていた姉。
さすがに一緒に成長してきたので数百年前の事象に関連性はないだろうが、あまり聞きたくない言葉だ。
「その時に異常発生した魔獣とかが暴れちゃってね。それを防ぐ拠点として、この都市も壁を増やしたと聞くわ。だから魔獣は危ないのよー。絶対に一人で行っちゃ駄目よ」
「ありがとう、お姉さん! 大人が一緒ならいいかな?」
「そうね…ちゃんとした大人ならいいかな。でも、さっき言った武人みたいな人じゃないと駄目よ。普通の人じゃ強い魔獣に勝てないからね」
「お姉さんは来てくれないの? 街ですごく強いって聞いたよ!」
「うう、そんなに誘惑しないで。私はここから離れられないから…ごめんね」
「そっか。しょうがないな…」
「その顔も可愛い…」
完全に無力な子供扱いになっているが、それならそれでいいだろう。
毎回お姉さんに抱きつくことができるのならば、それくらいは我慢しよう。
それに、年上の女性を味方にできるのは実に助かる。いろいろと助けてもらえて得である。
「その武人の大人の人って、どこにいるかな?」
「そういうことなら、あっちに専用の施設があるわよ」
(それはまさか! あれか? あれなのか!? ファンタジーで定番の―――)
冒険者ギルド!!!
―――などではなかった。
「ハロー、ハロー」
「…あ、どうも。ハロー」
「ハロー、ハロー」
「…ハロー」
入り口の前でずっとハローと言っている人がいる。
ロボットかと疑うくらい、お辞儀をしながらハローを連呼している。
べつに相手をする必要はないのだが、元日本人である以上、お辞儀をされたら返すべきだろう。大切な礼節である。
そして、驚愕。
「まさか【ハローワーク】があるとは…。恐るべし、異世界」
まさかのハローワークである。
領主の政策かと思ったが、どうやらこの組織は独自のもので、全世界に支部を持っている仲介業者のようだ。
都市部ならばだいたい存在するので、世間でも謎が多い組織として話題に上っているという。
このハローワークは仕事の斡旋をするところは同じだが、同時に依頼を出す場所でもあるので、人材で迷ったらここに来ればたいていの用事は済んでしまう。
そのハローワークの施設を探すのは簡単。
必ず施設の前で「ハロー」と連呼する【ミスター・ハロー】がいるからだ。
雨の日も雪の日も、彼は仕事を休まない。
そのひたむきさに心打たれ、人々は勤労意欲を思い出すという。
(うう、なんて綺麗な眼差しだ。不純な目的で金を稼ごうとする穢れた心を遠慮なく抉ってきやがる。金とは、自分が汗水垂らして稼ぐもの。さすがだ、ミスター・ハロー。あんたには負けたよ。オレも真面目に稼ぐことにするさ。スレイブは買うけどね)
ミスター・ハローに最敬礼。敗北と敬愛の印である。
だがアンシュラオンには、毎日同じことを続けるような退屈な人生は送れない。
両者の道は交わることなく、颯爽と歩を進めた。
29話 「ハローワークに行って、ハンターになろう! 後編」
ハローワークはスレイブ館と同じく木製の造りで、ここが森ならば、のどかなログハウスかと思えるような外見である。
地球時代のニュースで、どこかの村がこういったログハウスを役場に使っていたのを見たが、感覚的にはそれに近いだろうか。
ただ、普通の建物より数倍大きく、それこそ学校かと思うほど巨大な三階建ての建造物であった。
(石畳にログハウスってのも、ちょっと違和感はあるんだけどね。基本は岩と木材を何かで固めて建物を造っているみたいだ。あの城壁も大きな岩を集めて固めているみたいだしね。コンクリートかな? まあ、コンクリートも古代ローマ時代からあったみたいだし、そこまで珍しいものではないけど…もう少し頑丈かな?)
この世界は術式ジュエル文化なので、所々に術式で補強している可能性もある。
ともかく軽い地震くらいでは崩れないようなので安心だ。
「よし、さっそく入ろう!」
室内も同じく木壁の落ち着いた雰囲気で、ハローワークというイメージはあまりない。
入ると大きなホールがあり、そこにさまざまな格好をした人間がいた。
武器を持っている者もいるので、おそらく傭兵なのかもしれない。それ以外にも一般人のような人間も大勢いる。
(左側は…待合室? 準備室なのかな? 受付は…あっちか?)
しばらく人々の流れを観察し、状況を整理する。
左側にも大きな部屋があり、何十人という人間が座ったり準備運動をしていたりする。
明らかに彼らは職員ではないだろう。待合室か何かだろうと思われる。
右手側の奥には五つの窓口があり、人々が入れ替わり立ち代り話しかけているので、おそらくあちらが受付だ。
(ここで多様な人間を見ているだけでも楽しいけど、時間がない。さっさと行こう)
空いていたので真ん中の受付に行くと、そこには黒い制服を着た美人のお姉さんがいた。
さすが全世界に支部がある組織。制服は銀行のそれに似ており、清潔感があって印象がよい。
受付のお姉さんは、アンシュラオンが来るのを見て笑顔を浮かべる。営業スマイルではない。好意的な視線だ。
大きな組織になればなるほど、子供相手でもしっかり対応してくれるものだ。それだけでハローワークへの信頼感が増す。
商売にとって受付役がいかに大切かを思い知る瞬間である。中身はボロボロでも、受付だけ良ければ少しは長生きできるに違いない。
(門のお姉さんの時みたいにいきなり抱きつきたいけど、窓が邪魔だな…。仕方ない。公共の場だし、ちょっと事務的に対応するか)
ちなみに門も公共の場である。
「あの、魔獣を狩りたいんですけど、許可が必要って聞いて…」
「はい。魔獣の討伐申請ですね。身分証はございますか?」
「ないんですけど…ないと駄目ですか?」
「いえ、身分によって取り分が変わる仕組みなのです。この都市の市民権があれば、取り分が20パーセント多くなります。それ以外に、公益ハンターなら別途優遇制度もございます」
「取り分ってことは、魔獣を狩ったら利益の何割かを納税するってことですか?」
「ええ、そうです。身分証がない一般ハンターですと、半額程度の納税義務がございます」
(半額か…。今の状況だと、ちょっと嫌だな。でも、仕方ないか。まっとうな生き方ってのはそういうもんだ)
半額の税金は多いように思えるが、市民権があれば納税額は三割になるので、それほど暴利ではない。
こうして優遇措置を採用しているということは、強いやつにはなるべく市民権を取らせて、自分の勢力に取り込みたいということだろうか。
ただ、もう一つ、気になる用語があった。
「ハンターって、何ですか?」
「魔獣を専門で狩る傭兵のことです。ここでは便宜上、魔獣討伐申請をなさる方全員をそう呼んでおります。たくさん狩って公益ハンターに認定されれば、どの都市の管轄内でも自由に魔獣が狩れます」
「へー、すごいですね。ハンターは僕でもなれますか?」
「年齢制限はございません。子供でも現役の傭兵はたくさんおられます。ご登録なさいますか?」
「登録って強制なんですか?」
「いえ、任意です。登録しないでやっている方もおられますが、登録すると施設の設備を使用できます。裏にある素材置き場とか解体室等ですね。それに身分証もお渡しできます」
「市民権とは別の身分証ですか?」
「はい。別扱いですね。ただ、それに匹敵する価値はあります。ハンターは都市の安全のために歓迎される傾向にあります。森と密接な関係にある都市などは生態系の管理もしておりますので、ハンター登録しないと入れないこともありますし、入って不便はありませんよ。登録は無料です」
「じゃあ、入りたいです。必要なものってありますか?」
「お名前と血液サンプルだけでけっこうです」
(血液サンプル。DNA検査とかか?)
その言葉には一瞬ドキっとする。
やましいことはないが、自分の遺伝子データを取られるのは、まだまだ抵抗があることだ。悪用されたら怖い、という思いもある。
そのアンシュラオンの顔を、採血に怖がっている子供、と捉えたお姉さんが優しく説明してくれた。
「大丈夫です。採血パッチを貼るだけですから。その色でハンターのランクを決めるのです」
お姉さんが、無色透明のパッチを見せる。
画鋲のような小さな針が付いているので、肌にぱちんと貼り付けることで血を採るもののようだ。
「色が変わるんですか?」
「はい。血液に触れると色が変わる仕組みなんです。これはハンターの皆様が安全に狩りをしていただくための措置です。自分の階級を知らないと大怪我しますからね」
(そっか。単純に弱い人を助けるためのシステムか。そりゃそうだね。武人でない人に危ない仕事を任せられないしね)
ハンターには六つの階級がある。
上から順に―――
第一階級 金翼(きんよく)級狩人 :その者、金色の翼を狩る者なり
第二階級 白牙(はくが)級狩人 :その者、白き牙を狩る者なり
第三階級 黒爪(こくそう)級狩人 :その者、黒き爪を狩る者なり
第四階級 青毛(せいもう)級狩人 :その者、青き毛を狩る者なり
第五階級 赤鱗(せきりん)級狩人 :その者、赤き鱗を狩る者なり
第六階級 無足(むそく)級狩人 :その者、無き足を狩る者なり
これは、それぞれのレベルに代表される魔獣を示しており、それを倒せるくらいの実力者である、ということだ。
無足(むそく)級は、足の無い芋虫のような魔獣を狩れる者、という意味だ。
芋虫といっても酸を吐く危険な駆除級魔獣に相当し、油断すれば成人男性でも簡単に死んでしまうほど危険である。
そう、このランクは、それぞれが駆除級以上の魔獣のランクに対応しており、金翼級は第一級魔獣の撃滅級魔獣を倒せるハンターに与えられる称号である。
第一階級の金色の翼とは、火怨山にも生息する『黄金鷹翼〈常明せし金色の鷹翼(おうよく)〉』のことだと思われる。
昼間に太陽光を吸収してエネルギーにし、夜になっても余熱で輝いているので実に美麗な魔鳥である。
何もしなければ温厚なので、アンシュラオンも餌で誘き出して夜間の蛍光灯代わりに使っていたものだ。
いざ戦闘になると周囲にレーザー光線を発して壊滅させるので、非常に強力な魔獣でもあるが、戦闘力だけでいえば撃滅級魔獣の最下層に位置する。
これを狩れるからといっても、ハンターの道程はまだまだ長いだろう。あくまで最低レベルという意味である。
「はい、ちょっとチクってしますよ」
「怖いけど、がんばるよ。お姉さん、手を触っててもいい?」
「いいですよ。うふふ」
完全に猫を被り、お姉さんのすべすべの手を堪能しつつパッチテストを受ける。
一滴の血がパッチに吸われ、少しずつ色を変える。
無色から、赤に、赤から青に。青から黒に。
黒から白に―――かすかに金色にはとどかないあたりで色は止まった。
(あれ? 止まったのかな? 色があるのかないのかよくわからないな…)
一瞬、無色のようにも見えたが、どうやらそれは白であったらしい。
その証拠に、目の前から絶叫が轟く。
「す、すごいです!! し、白までいくなんて!?」
「すごい…んですか?」
「はい! すごいです! 上から二番目です。…信じられない。この支部では百年以上ぶりですよ、たしか! 私も聞いただけなので詳細は定かではありませんが、実に大変なことです!」
「白…か。髪の毛と一緒だ」
なんとなく髪の毛の色で対応しているのではないかと思ったが、自分と同じ色ならば、それはそれでいいだろう。
「じゃあ、これでハンターの身分証を発行してもらえるんですね」
「はい、もちろん! こちらにお名前をどうぞ!!」
「えと、カタカナでいいのかな? アンシュラオン…っと」
よくよく考えてみれば、文字を書くのはこれが初めてであった。
少しドキドキしたが、お姉さんは問題なく受け取ってくれた。文字も普通に大丈夫のようだ。
「しかと承りました! アンシュラオン様の才能は相当なものです。がんばって金を目指してくださいね!」
(きん? かねのこと? このお姉さん、どうしてオレが金に困っていることを知っているんだ? エスパーか?)
もはや頭の中が金で一杯のアンシュラオンにとっては、金翼が金(かね)にしか見えない。
金がもらえないのならば、どの階級でも同じである。
「あっ、それともう一人、大人のハンターを紹介して欲しいんですけど…」
「仕事の依頼ですね。公募ではなく、ハンター登録者からの斡旋という形でよろしいですか?」
「はい。その人への報酬は、狩った額の折半とかにしてもらえると嬉しいです。三十分以内に来られる人限定でお願いします」
「では、その条件で探してみましょう。少々お待ちください」
ハローワークの優れているところは、こうして一緒に仕事をする人間を探せるところだ。
その時に仕事がなくても、条件に適合すれば仕事を回してもらえる。
入り口の左手にあった部屋は、そういった者たちが待機する部屋だと思われた。
(便利だな。ここに来れば人材には困らないや。スレイブを基本として、それでも間に合わなければ利用するのもいいかな)
そう考えていると、お姉さんが候補を見つけてきてくれた。
「お待たせいたしました。三名おられますね。さきほどの条件以外にご希望はございますか?」
「一番強い人でお願いします」
「わかりました。では、この方になりますが…」
「エンヴィス・ラブヘイア、男、二十八歳。男…か。女性はいます?」
即答である。男と組むと思うだけで反吐が出る。
(ゼブ兄とかならいいけど、他の男はお断りだね)
唯一アンシュラオンが組んでいいと思うのが、兄弟子のゼブラエスである。当然、自分より強いということもあり絶大な信頼を置いている。
脳筋ではあるものの人間的にナイスガイである。
そこが重要だ。身内の中で誰か一人を選べと言われたら、迷わず彼を相棒に選ぶ。
正直、彼と出会わなかったら、アンシュラオンはもっと粗暴で危険な人間になっていただろう。
自分より強い男であり、姉のパミエルキとも渡り合える兄貴分がいたからこそ、アンシュラオンはまだ正常な倫理観を維持できていたのだ。
もし姉だけに育てられていれば、こんな日常的な会話すらできなかったかもしれない。
知らないところで世界を救った男。それがゼブラエスであった。
(あー、しまったな。ゼブ兄とくらいは連絡が取れるようにしておきたかったな。まあ、いきなりの脱走だったから仕方ない。って、姉ちゃんが暴れなければ、脱走する必要なんてなかったんだよな)
ただ、あの時を逃せばチャンスはなかっただろう。
仮に火怨山の頂上から逃げるとすると五千キロ以上を移動しないといけない。
勝手知ったる火怨山。姉にとってもホームである。逃げきる自信はない。
「あの、アンシュラオン様?」
「あっ、はい! 見つかりました?」
「申し訳ありません。空いておられるのは全員男性です。女性もおられますが、もともと数が少ないうえにアンシュラオン様のレベルとなりますと、足手まといかと…」
「そうですか…。女性なら全然足手まといでもいいんですけど……時間もないですしね。急いでいるので、その人で我慢します。とても、とても残念ですけど」
(くっそー、しょうがないな。今は目的を優先しよう。どうせお飾りだ。男でも女でも変わらないしね。それに男なら死んでもいいから気が楽だ)
「では、あちらの待合室でお待ちください。すぐに呼んできますね」
「はい! ありがとうございました!」
お姉さんにもらった白牙級狩人のカード――鋼鉄製で破損修復術式が込められたジュエルが植えられた――を持って待合室に行く。
その姿を見送り、ふとお姉さんは何か引っかかった。
それは、アンシュラオンの左腕に、きらりと光るリングを見た時。
(あれ? もしかして、あのリングを付けたまま検査しちゃった? あれって武人の力を抑制するやつじゃ…)
あのリングはヘブ・リング〈低次の腕輪〉といって、武人の力を半減させるものである。
仮に武人が街で暴れても被害が少なくなるようにと、領主が錬金術師に作らせて最近導入されたものだ。
この数十年後に開発されるリグ・ギアス〈怠惰の鎖〉の初期型といってもよい優れた代物である。
それを付けて測定すれば、いくら血液検査とはいえ影響を受ける。
あれは因子を調べるものではなく、血液内部に残された生体磁気の濃さを測定するものだからだ。
リングは常に生体磁気を吸収し続けるので、検査結果は最低でも【三段階は下】に出る。
(でも、白牙級って出たじゃない。そうよね。その上は一つしかないし、間違ってないわよね。うん、大丈夫。あれはただの腕輪よ。あの子が可愛くてついつい見逃したなんて、あるわけないわ)
お姉さんは、自分のミスを忘れることにした。
そんなものは最初からなかったのだ。
30話 「なぜあなたは髪の毛を愛するのか?」
(これでなんとかなりそうだ。べつに一人でもよかったけど、門番のお姉さんは味方につけておきたいし、あまり目立つのも嫌だしね。誰か一人つければ、そいつに注目がいくだろう)
アンシュラオンは待合室のソファーに座りながら、今後のことを考えていた。
(分け前は折半だから、最低でも六百万は稼ぐ必要がある。あの林檎もどきで何百万かだから、あれを二つ以上。できればもっと余裕は欲しいから、あれより強い魔獣を倒したほうがいいな。そうなると、もう少し奥に行く必要がありそうだ)
この地図は、身分証を手に入れれば誰でももらえるものであり、ハンター専用の待合室に普通に置いてあった。
役所や駅にあるパンフレットと同じ要領だ。ご自由にお取りください、というやつである。
これを見て、まず最初に思ったのが―――
(なんだこりゃ? ほとんど真っ赤じゃないか)
地図の下にあった説明によれば、この真っ赤な区域は【警戒区域】と呼ばれる場所で、人間が立ち入ることができない危険な場所を指しているらしい。
出現する魔獣が人間の手に余るので、地形調査すらままならないようだ。
定期的に調査団を派遣しているが、そのまま戻ってこないか、生き残った数人が息も絶え絶えに帰還するのが精一杯らしい。
(この黄色の線が安全な【交通ルート】だな。で、道に点在している青いのが【集落】。赤いのが【都市】か。ブシル村は最後の開拓地だから赤になっているのだろうが…それにしても酷いな。こうしてみると、この大地での人間の支配域が恐ろしいほどに狭い。魔獣討伐申請とかいっても、ほとんどグラス・ギースのごくごく周辺だな)
逆によくこれで生活できているものだと感心する。
魔獣の影に怯えながら、ひっそりと暮らしているのだろう。
(さて、これだけ赤いと逆に困るな。どのあたりを目指すべきか…)
このあたりの魔獣の強さは完全に把握していないが、今までの話から察するに、火怨山に近づくほど強くなるようだ。
(割が良いのは立証済みだが、火怨山にまで行く余裕はない。しかもレベルが高すぎると買い取ってもらえない可能性もある。往復の時間を考えると、できるだけ近場で狩ったほうがいいし…。あるいは男を置いて俺だけ全力で狩りに行ってもいいが…)
自分だけならば、本気を出せば短時間で遠くまで行ける。折半なのだから相手も文句は言わないだろう。
と考え、思いとどまる。
(いや、プライドが高いやつだったら駄目か。ここにいる連中はオレよりも数段以上下のやつらだ。能力がないやつほどそういう傾向にある。ごねられると面倒だ。だとすると、ある程度そいつを引き立てつつ狩らねばならない。…それこそ面倒だが仕方ない)
仕事に誇りを感じるのはよいことだが、それが対抗意識になることも多い。
良い意味でのものならば相乗効果があるが、逆に向かうと最悪だ。引っ張り合って得になることはない。
地球時代もそういうことはよくあった。ここも同じ人間がいる世界なので似たようなものだろう。
(一応、オレは子供扱いなんだから、それを逆手にとって丸め込むとか。うん、それはありだな)
「…くんかくんか」
(ああ、だが、男に子供のふりってのは面倒だ。愛想を振りまくだけでも虫唾が走るな)
「…くんくん」
(お姉さん相手なら楽しいけど、ガキのふりってのはどうにも…)
「…くんかくんか」
(―――っ!!)
その瞬間、アンシュラオンの背筋に悪寒が走った。
電流にも近いもので、姉に対するものよりも強力な衝撃。
それ自体が信じられないが、実際に身体を駆け巡る激しい嫌悪感が湧き上がる。
そして、気がつく。
「…なに…してる」
「…くんくん。ああ、素晴らしい。こんな素晴らしい匂いなんて、初めてで…」
「なに…してると…」
「ですから…この髪は素晴らしいと…くんかくんか」
男が、アンシュラオンの髪の毛を、その匂いを嗅いでいる。
男が、嗅いでいる。触りながら。
男が、嗅いでいる。触りながら。
男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。男が、嗅いでいる。触りながら。
「て、てめぇ――――――――――――――殺すっぅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!」
「このすばら―――ぐべっ!?」
アンシュラオンが拳を突き上げると男の顎にヒット。
そのままでは終わらない、さらに突き上げ押し上げる。
男の顔が跳ね上がり、押し出され、そのまま天井に突き刺さる。まるで首吊りのように、頭だけ天井に埋まってぶらぶらしている。
だが、アンシュラオンにとっては、そんなことはどうだっていい。
「ひぃいいいい!! ひいいいいい!! ブツブツがぁあ! 蕁麻疹(じんましん)がぁあああ!! 男に、男に触られたぁあああ!! これなら姉ちゃんのほうが何万倍もいい!! ひあぁああああああああ――――――――――!! 死ぬ、死ぬ!! 一分以内に女性を触らないと死ぬ!!」
昼時のハローワークで、絶叫が響いた。
「おい、変態。9:1な」
「折半とお聞きしましたが…」
「ふざけるなよ! 人の髪の毛にさ、触って…ひいい! 触っておいて、ただで済むと思ったのか! 女性以外は誰も触ったことがない、このオレの髪の毛に男が触って!!! 一割でももらえるだけありがたいと思え!!」
「それはもう謝罪いたしました。ですが、あなたが悪いのです。あなたの美しさが私を惹き付けた。それはもう罪ですよ。それに…触ったのではありません」
男が視線を下げ、アンシュラオンの髪の毛を見る。
「あれは、【髪の匂いを嗅いだ】のです」
「ひぃいいいいいいいっ!!! 変態だ!! マジもんの変態だ!! おまわりさーん! 変態がいますよ! た、逮捕してください!! いや、射殺してくださーい!!」
その言葉に戦慄。
この男は、いきなりアンシュラオンの髪の毛を嗅いだのである。
男が、男の髪の毛の匂いを嗅ぐ。そして恍惚な表情を浮かべる。
殺していい。
こんな生き物は殺してかまわない。改めて殺意が湧く。
が、殺したいほど嫌いなゴキブリであっても、関わること自体が不快である。
(オレは今、セクハラされた女性の気持ちがわかった!! 髪の毛を触るぐらいいいじゃないか、とか言う馬鹿がいたら、そいつをぶん殴って下の毛まで刈り取ってやりたい気分だ! とんでもない不快感だぞ!! うっ、吐きそう!)
今まで自意識過剰な女性は面倒くさいと思っていたが、とんでもない誤解である。
それくらい髪の毛を触られることは問題なのだ。特に、あんなやつに触られたならば。
アンシュラオンは、慌てて受付に戻る。
「お姉さん!! あいつ、おかしいよ!! いきなりオレの髪の毛を嗅いだんだ!! それで興奮して…へ、変態だよ! 早く逮捕…殺してくれ!! 殺していいなら、今すぐオレが殺すよ!!」
「ああ、またですか…」
「また!? またって!?」
「あの人、時々あのような変質的行為に走るのですよね…。おかげでみんな迷惑しています」
「ちょっ!? そんなやつ、さっさと登録抹消したほうがいいんじゃいの!? みんなのためだよ! いないほうがいいよ! 存在自体が公序良俗に反しているよ!」
「見境なくやるのでしたら問題なのですが…。たまにやる程度ですし、その分の働きもしますし…納税額もそれなりに多いので…そのご意見にはとても賛同しますが、なかなかそこまでは…」
「じゃあ、キャンセル! あいつ、キャンセルで!」
「今からですと、キャンセル料がかかってしまいますが…」
「そっちのミスじゃないの!? これ過失でしょう!? 瑕疵(かし)だよ! チェンジお願いします!」
「安心してください。腕は良いのです。腕だけは…」
「腕より人格が大事だよ!!」
その通りであるが、医者にとって最重要なのが医療の腕前であるように、傭兵やハンターにとっても腕が一番大切だ。
それと比べてしまえば多少の性格の問題には目を瞑る。
これもまた傭兵稼業におけるマナーの一つである。
それを教えられ、致し方なく戻る。
(なんか交通事故に遭った気分だ。こっちに何の過失もないのに、前方不注意だとか言われて責任を問われる気分だよ。最低だ。最悪だ。これならロリコンとかのほうがよかった。幼女好きの変態とかのほうがましだよ)
とんだ言われようである。
「じゃあ、9:1で決定な」
「せ、せめて3は欲しいのですが…美しいお嬢さん」
「ひぃいい!!! ふざけるな! オレは男だ!!」
「ああ、そうでしたね。でも、それであなたの美しさが変わるとも思えない。私にとっては女神にも等しい」
「やめろ!!! それ以上言ったら本当に叩き潰す!! いいな!」
「わかりました。ですが…」
「オレに逆らうな! わかったな!! 一切の口答えは許さん!!」
「わかりました。美しい人よ」
「っ…!」
人を積極的に殺したいと思ったのは初めてだ。
それも、単なる不快感から。
(落ち着け、オレ。ほんのちょっとの付き合いじゃないか。なぁ、大人だろう? オレは大人だろう? 昔だって嫌なことはたくさんあった。駄目なやつでも嫌いなやつでも、仕事で嫌々従ったこともある。そうだ。これは仕事だ。アフターファイブには自由になれる特権があるゴリゴリの仕事なんだ。それが終われば解放されるんだ)
金を手に入れて、サナを買う。
そう考えればサナが極上の酒に思えてくる。かつて味わった、つらい仕事を終えたあとのビールが最高だったように。
(我慢。我慢だ。常に良い方向に考えるんだ。こんな変態なら死んだっていいじゃないか。そうだよ。不慮の事故で死んだって誰も哀しまない。いや、むしろ感謝されるかもしれない。ふー、ふー、落ち着こう。大人だ、オレは大人だ。ビジネスだ。金のためだ。いいな、よし!)
直視する覚悟を決めるだけで二分費やした。
まさに時間の無駄である。
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