693話 「聖剣発動 その1『アーティフィシャル・アイデンティティー』」
「ケサセリアが一人で行ってしまったぞ! どうすればよいのだ!?」
「…わかりませぬ。しかし、今は近寄らないほうがよろしいでしょう」
「それはわかるが…どう考えてもまともではないぞ…」
「………」
(動けぬ…なんというプレッシャーなのだ。あれはもう『ヒト』ではない)
突如として魔人化したサリータに彼らが戸惑うのは当然のことだ。
その圧力はあまりに異様で、熟練した武人であるバルドロスさえ近寄れない。
だが、これはチャンスでもある。
「彼女を追いましょう。道を切り開いてくれるのならば助かります。まずは上に登らねばなりません」
「…そ、そうだな。それが優先か。魔石は回復したのか?」
「大丈夫です。いけます」
「よし、追いかけるぞ!」
二人は少し距離を取ってサリータを追いかける。
彼女は道がわかっているかのようにトンネルを突き進んでいくので、こちらも迷うことはない。
ただ、その途上でいくつかの大きな地震が発生。ビシビシと岩盤に亀裂が入る音が所々で聴こえる。
「だ、大丈夫なのか? 崩れたりしないだろうな!?」
「そう簡単に落盤するような地盤ではありませぬが…また裂ける可能性もあります」
「これは聖剣長をさらった、あの大きな蜘蛛のせいなのか?」
「あれが赤い蜘蛛の親玉だとすれば、そうかもしれませぬな。やつらは穴を掘るために強靭な顎をしております。あの大きさならば硬い岩盤も易々と砕けるでしょう」
「とんだ災難続きだ。東大陸に来てからろくなことがない。こんな場所で人間が生きていけるのか?」
「ここまで来てしまった以上、閣下を信じるしかありませんな。どのみち一蓮托生です」
「…そうだな。むっ、見ろ! 大きな穴があるぞ!」
リッタスたちは、やや大きめの裂け目を発見。
その周囲には、カーネジルたちの死骸が多数転がっていた。
「これは…ケサセリアの仕業か?」
「…それもあるでしょうが、死骸は軽く見積もっても数百はあります。いくら今の彼女でもこの数を相手にするのは困難かと思われます」
「たしかに数が多すぎるな。しかも、かなり風化している死骸もある。…ん? この死骸、やたら黒いような…」
リッタスが折れた剣でカーネジルの死骸を叩いてみると、まるで金属を叩いたような甲高い音が響いた。
何度かそれを繰り返してみるが、身体中のどの部位も完全に硬質化していた。
「なんだこれは? 固まっているぞ。ガチガチだ」
「ふむ、思えば蜘蛛以外の生物を見ておりませんな。生物の死骸は腐るものですから、それを食べる別の魔獣がいてもおかしくはないのですが…」
「荒野で散々見てきたあれだな。即座に鳥やら蛆虫やらが湧いてすごいものだった。それがいないとなると…もしかしてこいつら、死ぬと金属になるのか?」
「それが本当ならば、なかなか奇妙で合理的です。その死骸を同じ蜘蛛が食べることもできますし、何千年も土の中にいれば、それ自体が岩盤になっていく可能性もありますな」
「ともすれば、このあたりの【鉄鉱床は蜘蛛で出来ている】かもしれない、ということか…? うぇ、さっき少しかじってしまったぞ!」
「死ねば、所詮はただの鉄。何も変わりませぬ」
「まさに合理的な考えだな。そうでなければ荒野では生き残れないか」
リッタスたちが見つけた場所は、もともと死んだカーネジルを埋葬していた穴が地割れによって大きく裂けたもののようだ。
そのためすでに死んだ個体までもが、こうして地下の空間に放り出されたというわけだ。
しかしこれがあること自体、より最深部に近い穴だという証だ。
「ケサセリアはどうした?」
「どうやら上に登ったようですぞ。壁の所々に手足を突き刺したような穴があいております」
「上がまったく見えない。いったい何百メートルあるのだ? ここを自力で…か。ケサセリア…どうしてしまったのだ。まるで別人だぞ」
「………」
(あの気配、あの少女に似ている…)
直接戦ったバルドロスだからこそ、サリータの波動がサナの空虚な強さと同質だと理解できた。
中身が無いのに、なぜか強い。そんなちぐはぐさを感じさせる異質な力だ。
そして、それを与えたのはアンシュラオンである。
(とてつもなく怖ろしい感覚。我らとは根本的に異なる力。だが、それこそが世界の根幹に繋がるためのヒントになるのかもしれぬ。普通にやっていては弱者は生き残れぬ)
怖ろしいものから目を逸らすことは簡単だ。嫌なものは見なければいいし、関係なく細々と暮らすこともできる。
しかし、放っていても裏側では確実に何かが進行しており、気づいた時にはすでに手遅れになる。それで国を失った者としては二度と失敗はしたくない。
(目を逸らしてはならぬ。ここに【勝機】がある!)
「殿下、我らも参りましょう!」
「任せるぞ、守護騎士!」
「心得ました!」
サリータが魔人の騎士ならば、バルドロスも守護騎士。どんなことをしても守りたいものがある。
魔石を発動。
大地を圧縮して足場を生み出し、どんどん固めて伸ばしていく。
途中にいた蜘蛛たちはすべてサリータが倒しているので、敵と遭遇する心配はない。それだけでも彼らにとってはありがたかった。
∞†∞†∞
ドガガガガガガガガガガッ
硬い金属が岩肌にこすれる音が響く。
あまりに大きな物体がぶつかっているため、まるでビル破壊の工事現場のようにうるさい。
この音は巨大な紅蜘蛛が、ゴールドナイトを引っ張り回していることによって発生しているものだ。
術式で狂ったせいなのか、あるいは狩りをする際の習慣なのか、獲物を岩盤にこすり付けて弱らせようとしているのかもしれない。
〈背部ユニットの損傷率10%を突破。肩装甲、損傷率8%。上腕関節部にイエローシグナル。現状維持の場合、あと三十五秒で破損します〉
「背部ユニットにエネルギーチャージ! 雷光砲をフルパワーで発射だ! 振りほどく!」
〈雷光孔雀砲、外部圧力によって展開不可〉
「強引に放射できないのか!」
〈逆流率28%以上。確実に破損します。現状では修理の見込みがありません。別の提案を求めます〉
「ならば代わりにエネルギーを体表電磁フィールドに回せ。何秒持つ? 展開後のエネルギー残量はいくつだ?」
〈電磁フィールド展開。残り展開時間780秒。解放後の予測エネルギー残量42%。破損率軽減。凌げそうです〉
「まずは各パーツの破損を防ぐ。防御主体でいくぞ。ミーゼイア、打開策はあるか?」
〈敵対象の目的が不明。魔獣との戦闘記録が少数のため提案が困難です〉
「こちらの捕食が目的だと仮定するが、どうだ?」
〈それはとても嫌です。魔人機のパーツは、生物が食するのに向いていないと思われますが?〉
「相手は魔獣だ。我々の価値基準は通用しない。金色の珍しい獲物だと思われているかもしれないぞ」
〈それは非常に困ります。たしかにさきほど肩に噛み付かれ、太陽光吸収装甲タイルを一部奪われました〉
「味見というやつだな。よほどお前が美味かったのだろう。災難だったな」
〈その言い分に対して異議を申し上げます。あなたがこのような場所に連れてくるからです。ナイトシリーズは同機種との戦いを想定して造られました。魔獣との対戦は想定外です。違法使用で魔人機労働組合に訴えたいところです〉
「WGのか? こんな荒野にまで来てくれるのならば逆に嬉しいがな。だが、その前に喰われたら意味がないぞ。方法は何でもいい。脱出はできそうか?」
〈無傷での脱出は不可能と判断します。致し方ありません。背部ユニットと一部装甲の強制パージによる離脱を提案します。問題はその後の戦闘です。この狭い空間はこちらに不利と判断します。この体格差で機動力を生かせず戦うのは無謀です〉
「その通りだな。近くに広い空間があったら教えろ。そこで仕掛けるぞ。周囲のモニタリングを怠るな」
〈ソナーの使用は敵を集めることになると推測しますが?〉
「この状態だ。敵が増えたところであまり変わらない。それよりは戦艦側の負担を減らすことを優先する」
〈了解。ソナーによるモニタリング開始。敵対象、変化なし。このタイプの蜘蛛は電波には反応しない可能性があります〉
「習性が違うのか? それとも役割が異なるのか? どちらにせよ万一の場合、中枢機能の保護を最優先しろ。こんな穴倉に閉じ込められたら発掘されるのは千年は先だぞ。そうなりたくなければお前も気張れよ」
〈了解。あなたも最善を尽くしてください。壊れてオーバーホールは御免です〉
「風呂に入るようなものではないのか?」
〈とんでもない! 意識を奪われたうえに空き巣に入られる気分です。わかりますか? 尊厳が傷つくのです。ついこの前やったばかりなのですから、続けてもう一度は絶対に嫌です〉
「わかった、わかった。努力するから少し集中してくれ」
〈こちらは常に最善を尽くしております。足りないのはあなたの注意力です。そもそもこうなったのも足元への注意を怠ったからです。ソナーが使えないのですから、あなたが感知すべきでした〉
「わかった。私が悪かった」
(やれやれ、文句の多いやつだ。しかし、最悪ではないが最低の状態だな、これは)
ガンプドルフは、ゴールドナイトのコックピットで四苦八苦していた。
今話していたのは魔人機に搭載されている【AI〈アーティフィシャル・アイデンティティー〉】と呼ばれる機能である。
地球でいうAIは、アーティフィシャル・インテリジェンスの略で、一般的に『人工知能』と訳されているものだ。昨今では言語や映像を自動的に判別して評価を下すことにも使われる。
こちらの世界においてもだいたいの役割は同じで、魔人機操縦の際のアシストも兼ねている。が、大きく異なるのが『アイデンティティー』の部分で、【人工自我】あるいは【人工意識】【人工個性】と訳される。
魔人機のオリジナルである神機には、核となるテラジュエルが搭載されており、そこには『意思』が存在する。野良神機が勝手に動くのも、彼ら一体一体に意識があるからにほかならない。
レプリカの魔人機もそれを模し、各機体に『人格』が存在する。
つまりはある程度は勝手に動いてくれる機械を目指しているわけだ。理由は簡単。そのほうが優れているからだ。
さまざまな実験の結果、搭乗者と機体のAIの能力が合わさったほうが、どちらか一方よりも数倍近い数値が出ることが確認されている。
当然ながらこの技術は機体の体験によって情報が蓄積されていくシステムのため、『情報が少ない若い機体』、『経験豊かな古い機体』が存在することが面白いところだ。
後者の場合は、自らの体調不良(破損やメンテナンス不足)を率先して訴える機体もあるという。反対に若い機体の場合は人間と同じく、無謀な提案をしてくることもあるので経験豊かな搭乗者が望ましいとされる。
乗り手によっては意見を言われるのがうるさい、といった場合もあるため、意図的に機械音声にしたり文字表示のみにしたりとカスタマイズは可能だ。
ゴールドミーゼイアの場合は、まだ若い部類の機体だが、ルシアとの戦争を含めて戦闘経験値は高いので、熟練したガンプドルフが乗れば戦闘力はかなりのものである。
また、ずっとコックピットにいると暇なので、普通の人格のままの設定で使っていた。文句が多いが、あれも愛嬌といえるだろう。
ただしすでにミーゼイアが述べた通り、魔獣との交戦記録が少ないため、効果的な脱出方法の提案は少ない。
(それも仕方がない。私自身も魔獣との経験が少ないし、こんな蜘蛛が考えることなどわかるわけがない。さっさと脱出したいが、何よりも捕まった体勢が悪すぎるな)
紅蜘蛛は予想通り、巨大な蜘蛛であった。
体長はおよそ百三十メートル。女王蜘蛛と比べると小柄だが、顎周りはより発達しており、触肢も鋭くパワーが強い。このことから地下にいる赤蜘蛛のボスと考えたほうがよさそうだ。
その紅蜘蛛の触肢が、やや下背後からがっしりと両腕ごと機体を掴んでいるので、まったく身動きが取れない。雷光砲も背部ユニットが展開できないため、このまま放射するのは危険であった。
強引に振りほどこうと何度ももがいたが、そうするたびに紅蜘蛛が岩盤に叩きつけたり、こすり付けたまま移動したりを繰り返すのだ。
それによって岩盤が大きく破損し、サリータとリッタスが地割れに落ちるといった災難まで発生している。
(このままではエネルギーを消耗するだけだ。壊れるのを怖れて作戦が失敗しては意味がない。勝負に出るしかないか)
〈およそ二百メートル先に広い空間を発見〉
「了解した。そのタイミングで仕掛ける」
蜘蛛がゴールドナイトを引きずり、大きな空間に出た。
余計なものは一切無い地味な空間だが、紅蜘蛛が動き回るには十分なスペースがある。
おそらくここが『彼』の巣穴だと思われた。
(なんだか独り暮らし用のアパートを思い出すな)
上の女王蜘蛛は、戦艦すら簡単に置けるほどの巨大な空間に鎮座し、下々の蜘蛛たちに世話をされる立場なのに対し、こちらの雄蜘蛛だと思われる紅蜘蛛は、ひっそりとしたこじんまりとした空間に独りで暮らす。
魔獣とはいえ、あまりの男女差に世知辛いものを感じてしまう。
「だが、こちらも目的があるのだ! 遠慮はしない! 強制パージ!」
〈了解。パージ開始〉
背部ユニットが外れると同時に、光を放射して蜘蛛を怯ます。
こちらは攻撃用の雷ではなく、単純な目くらまし用の強い光である。
そうして潜り抜けるように触肢から外れ、ようやくゴールドナイトが解放された。
「まったく、よくもやってくれた。肩が凝ったじゃないか」
「………」
「おっと、それは喰わないでくれよ!」
紅蜘蛛が背部ユニットをかじろうとしたので、ライトニングソードで斬りつける。
蜘蛛は触肢でガード。雷刃を受け止めた。
「やはり雷撃が通じないのか?」
〈脚を含めた体表が硬質化しているようです。そのまま地面に流されています〉
「直接体内に送り込まないと駄目か。ならば!」
ここは広い空間。ゴールドナイトの機動力が生かせる。
素早い直線の動きで接近、斬撃を繰り出す。
それを蜘蛛は軽々とガードするが、ゴールドナイトはその場で打ち合うことなく即座に離脱。
こうやって何度か一撃離脱戦法を取りながら間合いを見切り、少しずつ相手の懐に入っていく。
(いけるぞ! 触肢の動きは速いが所詮は蜘蛛だ)
魔獣は剣術を知らない。アンシュラオンがカーエッジ・スパイダーを倒した時のようにフェイントを交えれば剣を当てることは容易だ。
そうして寸前で角度を変え、腹に剣を突き刺そうとした時だ。
―――爆発
なぜか空中で破裂音が聴こえ、衝撃で吹き飛ばされる。
「なんだ!? 何が起きた!?」」
〈敵対象周辺に何か展開されています〉
「見えないぞ?」
〈こちらで把握しています。視覚モニターで可視化します〉
「これは糸か? いつの間に張り巡らせたのだ? たまたまか?」
〈偶然ではありません。こちらの動きを予測されました。敵対象の評価値を再計算。最低でも殲滅級魔獣と想定。かなりの戦闘経験値を有していると推測します〉
「それなりに長生きしている、ということか」
ガンプドルフは蜘蛛の生態など知る由もないが、この紅蜘蛛は女王蜘蛛と一緒に産まれた『古代蜘蛛』なので、すでに一万年以上は生きている計算になる。
彼の役割は『女王の繁殖相手』兼『護衛役』。
何十年かに一度だけ地下から呼ばれ、女王に精子を与えると、それ以後はまた呼ばれるまで地下暮らしという哀しい生活を送っている。
ただの生殖相手でしかないことに哀愁を感じさせるものの、それが自然界での雄の役割。特段不思議なものではない。
戦艦の格納庫に大きな卵が二つあったと思うが、あの一つは女王とセットで産まれる紅蜘蛛のものだったというわけだ。
694話 「聖剣発動 その2『精霊憑依』」
〈現在地、把握。835メートル上方に巨大な空間を確認。最深部の第十五階層と判断します〉
「随分と地下まで引っ張られてきたな。だが、目的地がこの真上ならば話は早い。こいつを倒して少年たちと合流するぞ」
〈途上にいる蜘蛛たちがソナーに反応しません。提供された波動データと74%のパターン照合率を確認。術式発動確率88%以上。すでにイレギュラーな状態に陥っていると推測します〉
「少年に任せれば大丈夫だ。問題はないさ」
〈あなたの行動原理に多少の疑問が残ります。なぜ初対面の人間に対して、そこまでの信頼が置けるのでしょうか? あなたも一時期、人間不信に陥っていたと記憶しております〉
「それはもう過去だ。言葉ではない。ハートで感じろ。お前にも心があるだろう?」
〈現状では理解不能です〉
「頭の固いやつだな。まあいい。ここまで来たのだ。もう考えることはやめた。面倒なことはメーネザーに任せて、私は戦うことで道を切り開く!」
ゴールドナイトが素早く左右に動きながら蜘蛛を牽制。
そこから鋭い斬撃を繰り出すが、紅蜘蛛の触肢が薙ぎ払われる。
この巨体だ。触肢の幅もゴールドナイトの胴回りと同じくらい太い。一撃でも直撃すれば相当なダメージを負うだろう。
ゴールドナイトは跳躍。剣でガードしながら器用に空中に逃げる。
そこに『爆破糸』。
これは糸を破裂させて衝撃波を生み出すもののようで、火薬等は使っていないが魔人機でさえ吹き飛ばす威力だ。そこらの魔獣ならば衝撃でバラバラになるレベルである。
それを周囲に多数展開できるだけでなく、さらに『迷彩化』させることも可能らしい。完全に透明にはならないが周囲の光を反射するので、知らなければ見極めるのは難しい厄介な代物だ。
だが、魔人機に搭載されている複数のソナーが糸を探知。ばっちり見えていた。
「糸は任せる!」
〈了解〉
ミーゼイア(AI)が胸に付いてる副砲のガトリングガンを発射。的確に命中させて誘爆させる。
AIの優れているところは火気管制システムを代理で管理してくれる点だ。自分の判断で小火器を使ってくれるため、搭乗者は機体制御(身体の動き)だけに集中できる。
「もらった!」
ガンプドルフが再び腹を狙って剛斬を繰り出す。
蜘蛛は他の脚を使ってガード。
こちらの脚も硬質化しているため非常に強固であるも、刃が中ほどまで食い込む。
その状態でライトニングソードのエネルギーを解放。雷を体内に流す。
「どうだ!?」
〈効いていません。脚は内部まで完全に硬質化している可能性があります〉
「だが、刃は通る。このままいくぞ!」
ガンプドルフはあえて無理に突っ込まず、触肢以外の脚にダメージを与える戦法を選択。
叩く、叩く、叩く!
同じ脚を狙って何度も刃を叩き付けていくことで、少しずつ相手の動きを鈍らせることが狙いだ。
実際、それは効果的。
脚が―――折れる
バキンンッと弾けた音がして脚の一本がへし折れ、蜘蛛の動きが一瞬だけ鈍くなった。
そこに渾身の一撃が炸裂。ズバッと腹を切り裂く。
(浅い! 大きさが違いすぎるか!)
ゴールドナイトの剣の長さがおよそ六メートルなのに対し、相手はもはや建物レベルの大きさだ。この程度では雷を放出しても、軽く痙攣するくらいの効果しかない。
しかも傷口は即座に塞がり、あっという間に元通りになっていく。折れた足も少しずつ戻っていくのがわかった。
〈自己修復機能だと推定。あと二十秒での復元を予測〉
「こちらにはそんな便利なものは無いというのに、まったくもって羨ましいことだ」
〈それは魔人機に対する批判だと受け止めますが?〉
「太陽光充電があるだけお前は優れているだろう」
〈それしか取り柄がないように聴こえます。訂正を求めます〉
「勝ったらいくらでも訂正してやるさ」
そんなことを話している間に、紅蜘蛛がゆらりと動くと素早く真上に跳躍。
壁に張り付いてこちらを凝視している。
「あの巨体で軽々と登るのか。厄介だぞ」
〈敵対象、周囲に糸を展開〉
「また爆発する糸か?」
〈通常の移動用糸だと判断。しかし、行動パターンに変化が見られます。警戒してください〉
「シールドを出す。様子を見るぞ」
〈左腕部、シールド展開〉
ゴールドナイトの基本兵装は、ロングソードと背部ユニットの雷光孔雀砲、それと格納式の小型盾である。
ガンプドルフが強敵相手に戦うときと同じように、右手に剣、左手に盾を持つスタイルだ。
さきほど放ったような副砲はあるもののあくまで牽制用なので、メイン遠距離武装の雷光孔雀砲が無い今は、剣と盾を使った通常の戦い方に徹するしかない。
そうして蜘蛛の動きを注視していると、おもむろに紅蜘蛛が岩盤に顎を打ち付けて咀嚼を始めた。
一見すれば食事のようにも見えるが、普段は自分の巣穴近くの岩盤は食べないので、これは明らかに違う行動。
―――ショットガン
蜘蛛の背部から管が出現すると、今しがた食べた岩盤を放射。
おそらく爆破糸を破裂させる原理を使って撃ち出していると思われる。すでに大型の蜘蛛が同じような砲台を持っていたため、それ自体に驚きはない。
が、速度と威力が桁違い。
ドガガガガガガガッドドドンッ!!
最低でも五十センチ大の弾丸が、雨あられのように高速で降り注ぐ。
ゴールドナイトは両手でガードしながら必死に下がるが、よけた足元の岩盤が大きく抉れるのが見えた。まともにくらえば装甲がひしゃげる威力だ。二発も受ければ小破は間違いない。
そんな危ないものを次々と撃ってくるから、たまったものではなかった。
「冗談ではない! 盾が壊れる! まともに受けられるか!」
〈大型戦艦に搭載されている258ミリ機関砲に匹敵します。回避は不可能と判断。緊急電磁シールド展開〉
当然ながらすべてをかわすことは物理的に不可能。同様に迎撃も難しい。
致し方なく防護フィールドを展開して石の銃弾を防ぐ。
(少年の発想は正しかったのだな。岩ならばそこらじゅうに山ほどある)
アンシュラオンが石を弾丸にしたことは、極めて合理的で経済的だったことが判明。このように高速で射出すれば威力も十分で、なおかつ無料でどこにでもあるので残弾を気にする必要はない。
だが、相手にそれをやられると最悪の気分だ。
〈電磁シールド展開時間、残り85秒。エネルギー残量37%〉
「このままでは消耗戦だ。エネルギー切れになる」
〈背部ユニットの回収を提案。バックパックのエネルギーを使用すれば、まだ多少もちます〉
「それだけでは駄目だ。…致し方ない。【聖剣】を使用する」
〈女王蜘蛛の存在が確認されていますが? 敵対象と同等以上の魔獣と推測。倒しきれるかわかりません〉
「お前だってこんなところで埋もれたくはあるまい? ここからは速攻だ。一気に勝負を決める。少年と合流すればなんとかなる。信じろ」
〈了解。提案を支持します。背部ユニット回収後、聖剣使用モードに移行〉
「雷剄の力、聖剣の資質! シャクティマズ・グラズム〈雷範の結合者〉」
ガンプドルフが魔石を発動。
アンシュラオンと戦った時のように右手に雷妖王の力が満ちる。
それに伴い、ライトニングソードの雷の力が増幅されて肥大化する。魔石の力を魔人機のオーラジュエル・モーターが吸収して力に還元しているのだ。
ゴールドナイトが前に出る。
そこにショットガンの嵐。さすが経験豊かな魔獣だ。安全な場所から的確に相手を弱らせようとしてくる。
それを盾と電磁シールドで防ぎつつ、大きな岩は剣で切り裂いて強引に突破。
目指すはパージした背部ユニットだ。
〈背部ユニットまで48メートル〉
弾丸を回避しながら進むので速度は遅くなったが、着実に接近。
そうして目前にまで迫った時である。
―――爆発
ババババンッと周囲で大きな破裂音が響き、衝撃波が襲う。
〈爆破糸が多数展開〉
「かまうな! 強引に突破する!」
背部ユニットの周囲に爆破糸が大量に設置されていた。最初にこちらが固執していたのを見て、大事なものであると理解したようだ。あえて囮として利用したらしい。
だが、怯んでいる暇はない。被弾を覚悟で突っ込む。
〈敵対象、接近〉
そこに紅蜘蛛が狙いをつけて天井から降りてきた。
百三十メートル以上の巨体だ。そんなものが真上から落下するなど、まさにビルの崩落に巻き込まれるようなものである。
本来ならば回避に専念すべきだが、背部ユニットが巻き添えになる可能性があるため、ここも強行突破。
「飛び込む! 回収は任せる!」
ゴールドナイトは速度を落とさないまま、剣と盾を真上に向けた仰向け状態で、滑り込むように飛び込む。
そこに紅蜘蛛が落下。大きな顎が迫る。
ゴールドナイトは盾で防御。するが、その大きな顎と重さで盾が砕かれる。
だが、剣も同時に突き出していたことで蜘蛛の口に突き刺さる。そこで雷撃放射。体内に直接雷撃を放ったことによって蜘蛛が動きを止めた。
ちなみにゴールドナイトの剣はリッタスの家宝のような安物ではないので、蜘蛛に噛まれたとしても簡単には砕けない。そこは安心してほしい。
そして、その間に離脱。
〈背部ユニット、確保。接続します〉
しかもユニット接続用のマニピュレーターを使って、AIのミーゼイアが背部ユニットを奪取していた。まさに阿吽の呼吸である。
これこそ一緒に戦う醍醐味。独りではできないことも二人ならば可能という魔人機の設計思想そのものだ。
この背部ユニットは、雷光孔雀砲を発射する装置でありつつ、エネルギーパックとしても利用できる優れものだ。
だだし、もっとも重要な役割は別にある。
なぜリスクがあるのに背部ユニットを回収したかといえば、聖剣の力を最大限引き出すために必要だったからだ。
〈聖剣モードに移行。背部ユニット最大展開。聖剣用オプションパーツ『シャクティマズブレイド』装着〉
孔雀の羽の如くユニットが広がり、その一部が外れると剣を覆うように合体。ロングソードよりも少しだけ大きなブレイドになる。
「さて、いくか」
ガンプドルフが一呼吸置き、聖剣を抜く。
聖剣を抜くためには魔石の発動が必要だ。雷妖王の手がある状態でしか抜けないため、うっかり抜けるといった事故は起きない。
金色の鞘から抜かれた刀身も、やはり金色。
すべてが金で染まった怪しい武器だが、れっきとした聖剣である。
だが、魔剣と呼ばれる所以がこれだ。
「聖剣よ、わが祈りに応えよ!!」
ガンプドルフが剣の柄に頭を―――叩きつける!!
それはもう激しく。何度も何度も。
当然、そんなことをすれば額から出血するが、それでいいのだ。
聖剣が光輝き、激しい雷光を発する。サナが放つ雷とは比べ物にならない、衝撃に近い【閃光】だ。
その雷光が形を変え、徐々に人型になっていった。
その人型の存在は、輝きが強すぎて細部までは見えないが、フードを被った中性的な美しい容姿をしていた。
ただし、背中からは四枚の翼が生えており、それぞれが強烈な雷に覆われて帯電していることがわかる。
右手には美麗な錫杖《しゃくじょう》、左手には銅鐸を持ち、それらもまた雷の力によって激しく発光している。
剣人格―――雷妖王シャクティマ
出現した『精霊王』は、ガンプドルフを後ろから抱きかかえるように耳元で囁く。
―――〈嬉しいね、ガンプドルフ。思ったより早い呼び出しに感涙しているところだよ〉
「誠に遺憾だが、お前の力を借りたい」
―――〈おやおや、こんな蜘蛛一匹も倒せないのかい? 古い蜘蛛のようだが、そこまでの相手じゃないだろう? 焦っているのかな?〉
「相手を侮るつもりはない。かなりの強敵だ。しかも時間がない。頼む、力を貸してくれ!」
ガンプドルフが再び聖剣に額を打ち付ける。そのたびに出血するが、その目は真剣そのものである。
なぜ彼が聖剣を使うのを嫌がるかといえば、こうした『儀式』が必要だからだ。
といっても、べつに聖剣を使うためにそんなことをする必要はない。すべての聖剣でこんな儀式があったら嫌すぎる。
であれば、これは【雷妖王の趣味】だ!
―――〈アハハハ! 惨めだねぇ! なさけないねぇ! そんなに力が欲しいのか! 這いずって、ひざまずいて、いつもそんなことをして、みっともない! 恥を知らないのかい!? アハハハハハッ!!〉
その姿を見て、シャクティマが悶える。
こんなおっさんの惨めな姿を見て楽しむとは、彼も相当の変態である。
「人間は弱い生き物だ。どんなに修練してもたどり着ける領域は、たかが知れている。ならば、恥も外聞も気にしない! 何をしても力を手に入れる! それが私の生き方だ!」
―――〈はぁはぁ、いいねぇ! いいよ、ガンプドルフ! お前の怒り、憎しみ、哀しみ、そのすべてが私を楽しませてくれる! ああ、イイ! これが人間だよ! 『母』が私に与えてくれなかった脆さと弱さだ! オカアサァアアアアアーーーーンッ!! ステキ!〉
若干ファテロナチックなヤバイ言動が見られるが、もともとシャクティマはこんな感じの変わり者だ。だからこそ『精霊王』という最上位格の精霊が人間に力を貸すのである。
―――〈さぁ、一つになろう! 私と一つになろう! そんな哀れでかわいそうなお前に、雷妖王シャクティマ様が【憑依】してあげる。私にその激しく燃えるような感情を味わわせてくれ!〉
ズブウウウッ!
シャクティマが両手をガンプドルフの背中に突き刺すと、押し開くように広げる。
そして、その中に彼が―――入った!
「うううっ!! ぐううううっ―――オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
痛みすら超えた激しい衝撃が全身を貫く。
ガンプドルフの髪の毛が、もともと逆立っているにも関わらず、もっともっと逆立っていく。
魔石を使った時は右手だけが雷化していたが、腕そのもの、胸、腹、足、頭に至るまですべてが雷に覆われていく。
しかも雷の質は―――『界気《かいき》』
雷の最上位属性だ。
聖剣を発動させた状態では界気放出が通常になる。それだけでも恐ろしい能力といえるだろう。
「フゥウウッ…ぐうううっ! おおおおおおお!」
自分が自分でなくなる感覚。雷妖王そのものになっていく実感。
事実、彼は雷妖王に近づいていた。容姿も雷妖王のものがブレンドされ、若干ながらスマートな面持ちになっている。
これを―――【精霊憑依】と呼ぶ
よく巷でも『憑依』という言葉を聞くと思うが、自分の身体に他者の意識または霊体が入り込むことを指す用語である。
それを強制的に行うことを一般的に憑依と呼ぶことが多いため、悪いイメージを抱くかもしれないが、実際は地上の人間も同じメカニズムで動いている。一般人も自分の霊体を使って自分の肉体を操っているのであり、それを一時的に他者に貸し与えるだけのことだ。
そして精霊憑依とは名前通り、憑依の精霊バージョンのことである。
基本的に人間に憑依できるのは人間だけ、という法則があるのだが、段階を経れば親和性の高い精霊種も憑依が可能となる。
ただし、現在では精霊自体が人間に嫌悪感を抱いているため、シンクロできる人間は非常に稀といえるだろう。それゆえに聖剣の価値は高いのだ。
また、こうした現象は主に『精霊界出身の神機』と『適合者』の間で起こることが多い。
有名な事例では、小百合の母国であるレマール王国の象徴機、精霊界・聖霊階級の『ハイレントセイレーン〈雨まといし水竜の恵み〉』も水の精霊の加護を大きく受けており、搭乗者とシンクロ(精霊憑依)することで力を発揮するタイプである。
695話 「聖剣発動 その3『界気の力』」
「相変わらず…刺激的だな。何度やっても慣れることはないか」
精霊憑依、完了。
ガンプドルフの全身が雷妖王と合体したため強く光り輝いている。
もしコックピットが専用の絶縁体で覆われていなければ、即座にショートして魔人機がお陀仏になっていることだろう。
「待たせたな。シャクティマの癖が強いから、いつも手間取る」
〈問題ありません。こちらも不思議な光景にいつも驚かされています〉
「ここからは全力だ! ミーゼイア、フルパワー解放!」
ガンプドルフが聖剣をコックピット内部にある専用の『鍵穴』にぶち込む!!
このゴールドナイトが特殊なのは、聖剣専用に造られた機体であることだ。雷の聖剣の力を吸収し、力に変える機構が組み込まれている。
魔人機それぞれには特定の目的があり、聖剣王国に与えられた魔人機は聖剣を使うことが前提に設計されていた。それだけ聖剣が珍しく、WGから見ても興味深い代物であることがうかがえる。
〈シャクティマズ・グラズム適合確認。バンシャム・グラムシャクトからエネルギー供給開始。還元率35…48…53…余剰エネルギーの排熱放電開始。エネルギー残量上昇、41…43…45…〉
力が注がれるごとに展開された翼が光り輝いていく。
翼が光り輝くのは聖剣が常に界気を放出するため、吸収しきれない分を常時放出しないと機体が焼け焦げてしまうからだ。
仕様上のものとはいえ、まさに輝く『光の翼』。
シャクティマに生えていた四枚の翼を再現したかのように神々しい姿として君臨する。
〈蜘蛛型魔獣、再起動。再生機能は健在です〉
そうしている間にも蜘蛛が立ち直り、触肢を上げて威嚇していた。
さきほどまでは獲物の一種としか見ていなかったようだが、今は外部からの侵入者として判断したようで、より強い敵愾心を感じる。
「やる気になったようだな。しかし、今までと一緒だと思うなよ。今の私は少々凶暴だぞ!」
ゴールドナイトが突っ込む。
翼からエネルギーを放出しているため、その加速力は通常の三倍を誇っている。
さらに雷の残滓が大気中に残ることで輝く軌跡が、流星の如く美しい。
一瞬で蜘蛛の懐に入り込むと、剣一閃。
蜘蛛は触肢でガード。
さきほどまでならば簡単にガードされたが―――
「うおおおおおおおお!」
ズズズズズッ!
強引に蜘蛛を―――圧す!
百三十メートルもある大きな蜘蛛が、たった十二メートル程度の存在に力ずくで叩き伏せられたのだ。
続けてゴールドナイトの斬撃。
斬る、斬る、斬る!
ガンプドルフには珍しい荒々しい剣を何度も叩きつける。
以前彼自身も述べていたが、雷妖王と合体すると影響を受けて好戦的な性格になるようだ。相手を叩き潰すことが悦びに変わっていく。
「断て、界気の刃よ!」
剣が触肢に食い込むと、界気の力が迸る!
ズズズッ ドンッ!!
そして直径五メートル以上もある蜘蛛の触肢を―――両断!
「…ッ!」
蜘蛛はそれに驚いたのか糸を使って跳躍。
天井に逃げてからのショットガン戦法に戻る。
〈界気シールド『雷妖王の銅鐸』展開〉
しかし、降り注ぐ弾丸のすべてを展開した帯気の壁で弾く。
『雷妖王の銅鐸』は、合体する前に彼が左手に持っていたものだが、こちらは強力な防御結界を張る能力があり、それを模倣したものだ。
仕組みとしては翼から放出された『界気』を『帯気』の性質を使ってとどめることで、一時的なシールドとして使用している。
最上位属性は下位の属性すべてを支配する、という法則を利用したものだ。
アンシュラオンも『命気』を『凍気』に自由に変化させたりしているので、水が雷に変わっただけと思えばいいだろう。
では、命気があらゆる生命の源、あるいは進化の力になるのに対し、界気にはどんな力があるのだろうか。
「逃がさん。雷光砲で撃ち落とす!」
〈了解。背部ユニットにエネルギーチャージ。『ネーパリック・プログラム』、ローディング開始。チャージ率、30…40…50…〉
光の翼に界気の力が集まっていく。
それと同時に背部ユニットが大きく持ち上がり、翼の先を相手に向ける。
「逆流させて焦がすなよ!」
〈その心配は杞憂です。エネルギーチャージ完了。照準セット、ロックオン〉
「いくぞ! 雷光孔雀砲―――フォルテッシモ!」
翼から凄まじい閃光、圧縮された界気が放出される。
蜘蛛は多数の防御糸を展開していたが、それを簡単に焼き切り、牽制用に放った岩のショットガンも蒸発させ―――
―――貫く!
それはまさに雷光がすべてを切り裂く光景であった。
紅蜘蛛の硬質化した脚さえ破壊し、体表を焼き尽くし、肉や内臓を引き裂いた。
この巨大蜘蛛が雷光砲の一撃で、見るも無残な有様に成り果てる。実に怖ろしいパワーである。
なぜならば『界気』の力とは、【分断する力】だからだ。
下位属性の『雷』は、放出する力。上位属性の『帯気』は、力を持ったままとどまる力であったが、最上位属性の『帯気』は引き裂く力であった。
防御に使えば相手の攻撃を分断し、こちらに届く前に分けてしまう。
攻撃に利用すれば、相手の防御ごと強引に引き裂いてしまう。
アンシュラオンの性格診断において、雷属性の人間は人懐っこく他人を引きつける力を持つといわれるが、その最上位属性はまったくの正反対であることは興味深い。
「相変わらず凄いな、フルパワーは!」
〈出力対比、115%。『通常版のフォルテッシモ』に勝ちました〉
「なんだ、お前にも対抗心があったのだな」
〈厳然たる事実を述べたまでです。このデータはWGに送られ、後継機にフィードバックされるでしょう〉
「今度は【本家】ではなく、お前を参考にして造れとでも言ってやるか。それも悪くない。といっても、【本当の本家】は違う神機なのだろうがな」
〈ゴールドナイトのオリジナル神機は機密事項なので不明。比べるのは不可能です〉
「ともあれ、ハイテッシモには勝ったのだ。それで満足しよう」
東大陸(荒野エリアではない全体部)のちょうど真ん中に「ガーネリア帝国」という古い国が存在し、そこにも金色の機体であるハイテッシモが存在する。
ただし、そちらは同じゴールドナイトの中でも『ネーパリック〈祝福された奇跡〉』と呼ばれる特殊な機体で、すでにナイトの名を外されている超高性能機である。
ミーゼイアの型番は「99-092」であり、九十二番目に製造された後期製造機体であるため、すでに存在していたハイテッシモの機構を参考にしたともいわれている。
もともとハイテッシモの量産機開発も目的で、悪く言ってしまえば、あらゆる面でスペックを落とした下位互換機といえる。
が、聖剣という特殊なキーアイテムを併用すれば、その能力は本家と同等以上にまで引き上げることが可能となるのだ。そこは誇っていい。
しかし、デメリットもある。
〈雷光孔雀砲、オーバーヒート。再チャージは300秒後になります。エネルギー残量、28%。聖剣から再度エネルギー還元開始〉
(これは大きな欠点だと思うが…言ったら怒られるから指摘はしないでおくか)
本家の威力は超えたが、聖剣の力が強すぎることもあって連発はできない。しかも燃費も悪いときている二重苦だ。
ほんの少し強いが単発しか使えないミーゼイアと、安定した威力で数発以上は保証されているハイテッシモ。どちらが良いかは一概には言えない難しい問題である。
どちらにせよ、まだ勝負はついていない。
焼け焦げた身体を引きずりながらも蜘蛛が動き出す。
〈蜘蛛の再生を確認〉
「なんて生命力だ。これが魔獣のしぶとさか。しかし、ここで決める!」
ゴールドナイトが弱っている蜘蛛の頭部に剣を突き刺す!
剣にも界気をまとっており―――分断!
頭を切り裂き、大きな眼を一つ破壊。
「このまま体内に界気を流してやる!」
激しい力の奔流が紅蜘蛛を内部から切り裂く。
さすが聖剣である。その力も段違いだ。
しかし、これで仕留めたかと思ったが、紅蜘蛛が激しく暴れ出した。
鋏角でゴールドナイトに噛み付くと、そのまま壁に叩きつける。
「ぐっ…まだ死なないのか!」
ドガンドガン! ドガンドガンッ!
火事場の馬鹿力とでもいえばいいのか、聖剣で出力が上がっているゴールドナイトでさえ振り回される。
こうして岩盤に何度も叩きつけられ、そのたびに光の翼から界気も放出されるものだから、ついに壁が破壊されて一部崩落を開始。
「このままでは生き埋めだぞ!」
〈壁の奥に空洞を発見。真上に続いています〉
「なぜこんなところに空間がある?」
〈不明ですが、そこへの退避を提案します〉
「今は逃げ込むしかないか。ブースターで加速して振り切る!」
翼のエネルギーを移動力に回し、ブースターに点火。
噛まれていた腹回りが少し抉れてしまったものの、紅蜘蛛の顎から逃げることに成功。岩盤に隠れるように存在していた穴に逃げ込む。
が、紅蜘蛛も追ってくる。それも鬼気迫る勢いで。
「気のせいか…怒っていないか?」
〈魔獣の精神は理解不能ですが、明らかに興奮している様子はうかがえます〉
実はこの穴は、紅蜘蛛が女王蜘蛛との生殖の際に使うものだ。
いわゆる『愛の道』とも呼べる場所なので、そこに他者が入り込んだことに激高していると思われた。
だが、そんなことを知らないガンプドルフたちは、異様に猛る紅蜘蛛に気圧され、ついに追いつかれる。
下から体当たりされ、ガンガン押されてどんどん上昇していく。
「この蜘蛛、止まらないぞ!」
〈すでに頭部を破壊しています。脳神経が破壊され、身体の制御が利かない可能性があります。つまりは暴走です〉
「これは厄介……いや、このまま押し上げてくれるなら好都合か。エネルギーの節約になる」
〈最深部まで350メートル〉
「上に出たら仕掛ける。準備をしておけ!」
〈了解〉
∞†∞†∞
「お、終わった!!」
ちょうどその頃、アンシュラオンが術式の解除を終えていた。
巨大ジュエルから禍々しい紫の光が消え、今はぼんやりとした淡い白い光を放っている。
かかった時間は、およそ983秒であった。
(1200秒やるだと? 偉そうに言いやがって。いったい何者だ? あいつも地球の記憶を持っていたな…しかし、普通の転生者って感じじゃない。クロスライルとはまったく違うぞ)
一般的に転生者は『異邦人』とも呼ばれ、単一の精神を持って再生を果たす。
しかしあの影は、明らかにそれとは違う。複数の意思が交錯した不思議な存在であった。
(インディビジュアリティー…か。普段は知覚できない霊的意識の本質だったな。オレもそこまでは到達していないから詳しくは知らないが、あいつは何が言いたかったんだ?)
霊の本質はあまり一般人には知れ渡っていない。その理由は、はっきり言えば「わからない」からだ。
たとえば死んで肉体を捨てれば、すぐに全部がわかるものではない。霊的意識のすべてを知るには、そこから何千年、何万年、あるいは何億年以上もかかるといわれている。
少なくともアンシュラオンが霊界で修行したのは数百年程度。その先にある巨大な意識体のことまでは知る由もない。
(【オレが転生前のオレではない】ということは理解している。転生ってのはややこしい手順が必要らしいからな。だが、そんなものは誰だって一緒だ。『オレに混ざった者』が誰であれ、オレの生き方が変わることはない。いつだってオレはオレだ)
アンシュラオンの中には、強い意思があった。
力や能力は誰かから貸し与えられたものかもしれないが、魂の本質だけは変わらない。いつだって自分は自分だ。
それはいいのだが、だからこそ謎の影の存在は気になる。
(あいつはむかつくやつだったが、『術の天才』だったのは間違いない。久々に冷や汗を掻いた。まだ慣れていない科目のテストを受けていた気分だよ。エメラーダに出会っていなければ本当に危なかった)
仮に術式を学ばず大地に出ていればどうなったか。想像するだけで怖ろしい。
他人のことは言えないので影の性格はいいとしても、才能だけはピカイチ。エメラーダはもちろん、姉すら超える才能を持っているかもしれない。そうでなければ、このような巨大な術式を自由自在に操れはしないはずだ。
そんな術式を制御できたことは、少しだけ嬉しい。ひとまず崩壊だけは防ぐことができたので、これで爆発といったことはまずありえないだろう。
がしかし、現状は何も変わっていなかった。
魔獣たちの目は依然として赤い光を宿したまま、憎悪の感情を向けていた。
(元栓は止めたが、一度発動した術式までは時間経過でしか解除できない。こいつらはもう駄目だな)
この術式は、発動している間だけ効果を発揮するものではない。あくまで上書きを繰り返すものであり、一回発動しただけでも精神を一定期間奪われる。
人間が近くにいない通常の状態ならば、術式は潜んでいるだけなので精神に負担をかけないが、こうして対象が目の前にいると解除はほぼ不可能だ。
女王蜘蛛の抵抗も少しずつ弱まっている。彼女が暴走するのも時間の問題である。
そう思って戦艦のほうを見ると、甲板で旗を振っている者がいた。ゼイヴァーである。
(無事到着したのか、さすがだな)
アンシュラオンも、それに応えるように手を軽く振る。お互いに準備ができていることを示すサインである。
そして、このタイミングでサナたちも最深部に到着。
前衛の騎士たちはボロボロ。今にも倒れそうな様子を見れば、彼らがいかに勇敢に戦ったかがわかる。きっとサナたちを命がけで守ってくれたのだろう。
「マルズレン隊は救助を急げ! デュークス隊は援護だ! まだ魔獣たちには攻撃するなよ! 向かってきた相手だけ排除だ!」
「よっしゃ、行ってくらぁ!」
「任務了解」
戦艦からデュークスたちが出てきて、彼らを迎え入れていた。
これで戦艦側の準備はほぼ整った。サナたちのクルマも戦艦にいつでも格納できるだろう。
「………」
まだかなり距離があるが、サナと視線が合う。
彼女はラノアを見つけると走り出そうとしたものの、突然思いとどまったように止まった。
あれだけラノア救出に固執していたのだから、それだけの理由があったのだ。
動け―――ない
今、ここでは奇妙な時間の空白が生まれていた。
戦艦はいまだ女王蜘蛛に張り付かれており、まだ脱出できない状態にある。
アンシュラオンが群がる魔獣たちを倒してもいいのだが、それに刺激されて女王がどう動くかわからない。それで戦艦を潰されたら今までの苦労が台無しだ。
かといって、まだ巣穴内部には多くの蜘蛛が残っており、ぐずぐずしていたら敵の増援がやってくる可能性もある。
さまざまな思惑が渦巻く中、その不穏な空気を感じ取ったからこそ動けないのだ。
696話 「蜘蛛との決着 その1『パニックスタート』」
(何かきっかけが欲しい。この状況を打開する何かが。…あれ? サリータはどこに行ったんだ? いないぞ?)
ずっと術式解除に手を焼いていたので、周囲の状況を把握する余裕がなかったが、ここにきてサリータがいないことに気づく。
(まさか何かあったのか? サリータ…どこだ。どこにいる?)
アンシュラオンが命気の波動を追跡。もう蜘蛛に探知されることを気にする必要はないので全力で周囲を探す。
その反応はすぐに見つかった。まだ多少遠いが猛スピードでこちらに向かっている。
(なんだこの速度は? クルマにでも乗っているのか? …いや、違うな。走っているんだ。だが、彼女の能力を超えている気もするが―――って、また何か近づいてくるぞ!)
それはサリータのことではない。
すごい勢いで『下から上に』向かってくる存在がいた。
地面から―――ゴールドナイト!
ドゴーーーーーーンッ! バラバラバラッ
地面を豪快にぶち抜き、ガンプドルフが最深部に突入してきた。
どうやら集めた機材を置いていた山の下に紅蜘蛛の巣穴と繋がる道があったようだ。本当に数十年から数百年に一度しか会わないことと、普段からゴミを放り込んでいたために入り口は閉じられていたらしい。
そこから飛び出たものだから大量の機材やらゴミやら破片が、そこらじゅうに飛び散る。
(おっさんの魔人機か。いないと思ったら変なところから登場するな。しかもオマケ付きとはね)
当然ながら、ゴールドナイトに続いて紅蜘蛛も這い出てきた。
紅蜘蛛はすでに暴走状態にあり、出た瞬間から暴れまわって周囲の魔獣たちを薙ぎ払い始めた。
おそらく防衛本能だけが過剰に刺激された状態なのだろう。まさに見境なく蜘蛛も鬼怒獣も蹴散らす。
これによって、場はカオス。混沌の極みに陥った。
魔獣たちも混乱(混線)状態に陥り、所々で同士討ちに近い現象すら起きている。最悪なことに戦艦にも魔獣たちが向かい始める。
ここまできたら、もう言葉はいらない。
残された道は―――【決行】のみ!
多少強引でも戦艦脱出に向けて動くしかない。
最初に動いたのはアンシュラオン。
ラノアを抱きかかえると跳躍し、魔獣たちを踏み台にしながら移動を開始。
素早くサナに近づくとラノアを放り投げる。普通に投げたら危ないが、命気で包んでいるので落ちても大丈夫にしてある。
サナはナイスキャッチ。大事そうに持ち上げる。
「サナ! ラノアを頼むぞ! お前は戦艦と一緒に行動しろ!」
「…こくり!」
サナはラノアと一緒にクルマに向かって走っていく。
魔獣たちもラノアに釣られて群がってくるが、すでに外に出ていたデュークスとマルズレンたちが応援に駆けつける。
「小さな女の子に群がるとは悪趣味だな! 魔獣にもロリコンなんているのか?」
「子供のほうが肉が柔らかいからじゃないか?」
「怖いこと言うなよ! この蜘蛛は肉食じゃないんだろう?」
「鬼のほうは知らん。食べそうな顔はしている」
「それなら気張らないとな! おらぁ!」
デュークスが大剣を振るって蜘蛛を薙ぎ払う。マルズレンも細かく素早い動きから的確に魔獣を潰していく。
サナはそんな彼らにお礼を言うこともなく、すたこらさっさとクルマに到達。ラノアをクルマにいる小百合に手渡す。
「ラノアちゃん、確保です! 確保しました!」
刑事ドラマのワンシーンかのごとく、小百合が興奮して叫ぶ。
正直に言えば、サナとサリータ以外の彼女たちがこの戦いで果たした役割は大きくはない。戦力としても不十分で、ただ居ただけといわれても仕方ない。
がしかし、こうやって自分たちの手でラノアを助けたという事実が大切なのだ。仲間としての絆がより一層強くなるし、自信がつくに違いない。
「ラノア! 無事!?」
「うん、だいじょぶ」
「よかった…! 本当に心配したんだからね!」
セノアとラノアがついに再会を果たす。これはこれで感動の場面だが、今は緊急事態だ。そんなことをしている暇はない。
すぐにホロロが急かす。
「クルマを戦艦に入れてもらいましょう。それで脱出します」
「サリータさんがまだ来ていません! 置いていっちゃうんですか!?」
「ここは危険です。我々が残っていても邪魔になるだけです。ラノアを守るために彼女はがんばったのです。その気持ちを無駄にするわけにはいきません」
「………」
「セノアさん、サリータさんは必ず戻ってきますよ! 信じましょう! だってほら、感じませんか? 私たちってもうみんな、心の奥底で一つになってきているんですよ。サリータさんは無事ですって!」
「…は、はい。私も…そう思っていますけど…」
「まずは安全な場所に行ってから考えましょう。行きますよ!」
サナが護衛に入りながら小百合がクルマを戦艦の近くまで移動させると、第二格納庫が開いた。
「『魔人甲冑』を出せ!! 未完成でもいい! 使ってみせろ!」
そこには『小さな魔人機』とでも呼べそうな機械が並んでいた。
魔人甲冑、通称『魔人アーマー(MA)』である。
かなり前のことであるが、戦艦で移動してきたガンプドルフたちが荒野に出た際、魔人機と一緒に運び出していたものだ。
この時代の魔人甲冑はMGを小型化した甲冑兵器であり、一般的な大きさは三〜四メートル弱といったものが多い。(のちにより小型化されてパワードスーツ状に進化するが、今はまだ大きい鎧に近い)
DBD製のものはまだまだ開発途上にあり、反応速度や運動性に問題があるものの搭載されている武装は重装甲兵より強力だ。
六機の魔人甲冑が出撃。前に出て壁となって魔獣の攻撃を受け止める。
「お嬢さんたちはこちらへ!」
「お願いします!」
誘導されて戦艦にクルマが入った。これでとりあえず彼女たちは安全であろうか。
それより問題なのが紅蜘蛛と女王蜘蛛である。この大きな蜘蛛がいるからこそ作戦が難しくなっているのだ。
ガンプドルフも錯乱した紅蜘蛛に手を焼いていた。弱っているからこそ魔獣の本能が刺激されて動きが激しいのだ。
「あの赤い蜘蛛を倒すだけの戦闘を行った場合、残りエネルギーはどれくらいになる?」
〈雷光砲をフルパワーで使うと仮定するとエネルギー残量は20%を切ります。バンシャム・グラムシャクトからのエネルギー供給効率も下がっています。節約してもあと二回が限界です。剣での攻撃を推奨します〉
「接近戦か。あれだけ暴れていると無傷とはいかんな。エネルギーもギリギリだ」
聖剣は強い。その爆発力は相当なものだ。
しかしながら、やはり問題はエネルギーである。今も雷妖王から強いエネルギーが供給されているものの、その大半は翼から放出されているので「だだ漏れ」状態であるといえる。
かといって無理にとどめてしまえば、それを維持するために強い負荷がかかり、あまりのパワーに耐えきれず自爆してしまう。今の技術では完全に制御は不可能なのだ。
雷妖王に身体を貸しているガンプドルフも、毎秒細胞にダメージを負っているため限界が近い。
ただし、今は独りではない。
〈術式回線が接続されました。受信しますか?〉
「少年か! 頼む」
「やぁ、おっさん。それが聖剣を使った状態なんだね。カッコイイじゃないか。いいなぁ、スーパーロボットみたいだ。憧れるよ」
アンシュラオンが念糸を伸ばし、ミーゼイアに接続。
この作戦が開始される前にミーゼイアとの間で回線構築作業を行っており、専用の術式回線を作っておいたのだ。
AIが精神術式の波動を感知したのも、その際にアンシュラオンから精神術式特有の波動パターンを提供されたからだ。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、こちらもかなり消耗している。どうする? 赤いほうの蜘蛛からやるか? それとも先に女王に仕掛けるか? 私と君なら同時にやれるかもしれんが…迷っているところだ」
「どうせなら利用しようよ」
「利用?」
「もともとオレたちの作戦は漁夫の利だ。あの巨大ジュエルのせいで予定が狂ったけど、使えるものは使ったほうがいい。すでに騎士たちにも死者が出ているみたいだし、損害は少なくまとめたい」
「それはそうだが、どうするつもりだ?」
「あいつはおっさんに狙いをつけているみたいだから、そのまま女王のところまで誘導してみてよ」
「大丈夫なのか? 興奮した女王が暴れてナージェイミアが壊れないか?」
「最悪にそなえてオレの闘人を回すよ。でも、大丈夫だと思う。ほら、見てごらん」
アンシュラオンに言われて女王蜘蛛に視線を向けると、彼女は触肢を上げて威嚇のポーズを取っていた。
最初はゴールドナイトに対してだと思ったが、どうやら違うようだ。彼女の視線は紅蜘蛛を追っている。
「赤い蜘蛛に威嚇しているのか? なぜだ? 同じ蜘蛛だから仲間ではないのか?」
「そのあたりは詳しく調べないとわからないけど、別々に暮らしていたことがヒントかもね。いつも一緒にいるタイプじゃないのかも。それ以前にさ、どんな魔獣でも産卵期の雌って凶暴なんだ。相手が誰であれ、あんな大きなものが近づいてきたら反応するに決まっているよ」
女王蜘蛛は今までずっと余裕をかましていた。事実、彼女を脅かす存在はいなかったからだ。
だが、術式の影響を受けて知性が失われつつある今、その防衛本能だけが昂ぶっている状態である。そこに普段は地下にいる紅蜘蛛が出てきたとなれば、気持ちが荒ぶるのも当然だろう。
「戦艦は大丈夫。オレが守るよ」
「わかった。やってみよう。ミーゼイアもいいな?」
〈これ以上の損害は作戦後にも影響を与えます。提案を支持。勝算はあると推測します〉
「三人が同じ気持ちとは心強いな! では、いくぞ!」
ゴールドナイトは紅蜘蛛の前に出ると、光の翼の出力を上げて注意を引く。
「どうした? やられたままか? お前をズタボロにしたのは私だぞ! ほら、どうした。かかってこい!」
「………」
紅蜘蛛が、残った眼でぎろりとゴールドナイトを捕捉。
術式の影響もあるのだろうが、ここはやはり雄。やられたらやり返すといった激しい怒りの感情を向けてきた。
ゴールドナイトを猛追する。
「そうだ。いいぞ! ついてこい!」
ゴールドナイトは軽く攻撃を与えて刺激しながら、少しずつ戦艦のほうに誘導していく。
そして、女王蜘蛛の間合いに入るギリギリのタイミングで離脱。
誰もがどうなるかと注視していたところ、ついに女王が動いた。
ガゴンッと脚を戦艦から離すと、大地に着地。
威嚇のポーズのまま待ち構え、間合いに入ってきた紅蜘蛛に―――体当たり!
ドゴオオオオオオオッ―――ンッ!
それはもう遠慮のない『ぶちかまし』だった。大きさでは女王蜘蛛のほうが上なので、紅蜘蛛をあっさりと吹っ飛ばす。
しかもそれで終わらない。
触肢を何度も薙ぎ払い、紅蜘蛛を滅多打ち。
そのたびに空洞内部が大きく揺れ、地震に似た衝撃が周囲を襲う。
「ここまでとは…!」
「ははははっ! やったね! あいつ、殴られてやんの!」
そう笑うアンシュラオンだったが、次の光景を見て哀れみを覚えることになる。
紅蜘蛛が許しを請うように『生殖器』を出すが、そんなものは関係ないといわんばかりに殴られ続ける。
その光景は、この場にいた多くの男性に強い哀愁を感じさせた。
「同じ男の身としては世知辛いな…」
「…そうだね。世の中、実際は女性のほうが強いからね…」
DBDも王室の真実を知れば、女性優位社会であることがわかる。ガンプドルフも裏ではいろいろと苦労しているのだろう。紅蜘蛛に若干の同情心を抱いた。
が、これは戦い。生存闘争だ。
直後、戦艦から―――砲撃!!
主砲から発射された大型徹甲弾が、女王の胴体に直撃。大きく穿つ。
「続けて、三連射撃!!! 主砲、撃てぇえええええ!!」
ドンドンドンッッ!!
メーネザーの命令によって発射された砲撃が、女王に次々と浴びせられていく。
この時代の戦争の主力は戦艦であり、【巨艦巨砲主義】が全盛期であった。
だからこそルシアも大型戦艦を造ることに躍起となり、それに伴って主砲も大型になっていく傾向にある。
巡洋艦ナージェイミアに搭載されている八十八センチ三連砲が放つ強烈な一撃は、大型魔獣といえども直撃すれば、ただでは済まない。(大型戦艦ともなれば、二メートル砲以上となる)
今回は生身の味方も展開しているため爆発力を抑えた『ただの硬い砲弾』だが、この口径だと威力がえげつない。
貫く、穿つ、叩き潰す。
突き刺さった部位、その周囲十メートルがめくり上がり、筋肉と神経を破壊していく。
後ろから撃たれたので、まったくの無防備。これは女王も痛い。
しかし、やはり女王。この程度で倒すことは不可能だった。ダメージもまだ軽微であるし、即座に再生を開始している。
だが、時間は稼げる。
「高炉サブエンジン、出力全開! 全システムを復旧開始! メインジュエル・モーター起動後、急速全速離脱!」
ナージェイミアのサブエンジンが点火。四基のジュエル・モーターが急速起動され、戦艦にエネルギーが供給される。
このジュエル・モーターは魔人機に搭載されているものとは少し違い、戦気による増幅等はできないが単純にでかい。そのため出力も普通のクルマとは段違いである。
爆風にも似た強烈な風が噴き出し、戦艦が浮き上がっていく。
「メインエンジン点火まで、あと九十秒!」
「動ける騎士は戦艦防衛のために全員出撃! 敵を近寄らせるな!」
ゼイヴァー率いる遊撃隊も含め、全騎士たちが行動開始。音に刺激されて群がってきた魔獣たちを迎撃する。
「おっさん、今だ! 弱っているほうを先に倒して!」
「了解した! 勝負を決めさせてもらう!」
聖剣の力が、ゴールドナイトのライトニングソードに集中して肥大化。身体よりも巨大な雷剣となる。
「これが聖剣の力だ! 一刀両断!」
その一撃は、まさにすべてを分断する一撃!
女王蜘蛛に殴られて瀕死になっていた紅蜘蛛を切り裂くと同時に、体内で界気が荒れ狂う。
溢れる、溢れる、溢れる!!!
雷様が―――溢れ出る!!!!
ボシャーーーーーーーンッ!!
水っぽい湿った音とともに紅蜘蛛が粉々に砕け散った。
ガンプドルフは地下に向かって力を放出したため、横に広がることはなかったが、それでも蜘蛛は木っ端微塵。
これを地表で制御せずに叩きつけていたら、最低でも周囲一キロに影響が出ていたに違いない。
以前ガンプドルフが覇王流星掌の痕跡を見て、これくらいならば自分でもできると言っていたが、聖剣の力を使えばたしかに同様のことが可能であるのだ。
(へぇ、おっさんもやるな。あれが魔剣士の本気か。こいつはいいものを見た。魔人機も使えそうだし、いつかサナにプレゼントしたいね)
アンシュラオンはクシャマーベの車輪盾を展開し、その余波から戦艦を守っていた。この男がいるからこそガンプドルフも全力を出せるのだ。
そして、メインエンジンが点火。
戦艦が向きを変え、出口に向かって動き出す。
混乱から始まった作戦決行であったが、ついに目的の一つを達成するに至ったのだ。
697話 「蜘蛛との決着 その2『白い魔人化』」
戦艦が第十五階層の入り口に向かって移動を開始。
メインエンジンに点火したばかりなので、まだまだ速度は遅い。
「騎士は戦艦を護衛しつつ、順次乗り込んで離脱だ! 無理をするなよ! 置いていかれるぞ!」
ガンプドルフが殿を務めながら部隊の指揮を執る。
〈戦艦ナージェイミアとアンカー接続。予備バッテリーから充電開始〉
「これでしばらくもつか」
ゴールドナイトも消耗が激しいため戦艦の最後部と結合し、引っ張られる形で退却を開始。
「閣下、ご無事でしたか」
「メーネザーか。お前も無事で何よりだ」
「状況を報告します」
ここで戦艦側の状況がガンプドルフに伝わる。予想通りではあったが運が悪いとしか言えない内容だ。
ひとまずピンチは脱したものの、これで安全とは言いきれないのがつらいところだ。まだ魔獣たちが山のように残っており、群がるように戦艦に集まってくる。これだけ人間がいれば彼らの憎悪も強く刺激されるのだろう。
戦艦は副砲や機関砲を発射して対応するが、やはり数が多い。気づけば前からも魔獣がやってきて、一般街の売り子たちのごとく周囲を埋め尽くす。
「数が多すぎる! こんなにいたか!?」
「前の階層からもやってきているのだろう。バーゲンセールだな」
「こっちは安売りしてねぇよ! さっさと戻ろうぜ!」
デュークスとマルズレンたちも撤退を余儀なくされ、魔人甲冑も撤退を開始。
ほぼすべての騎士たちが戦艦の外壁に掴まると同時に、ジュエル・モーターが回転率を上げる。
「出力を上げろ! 蹴散らすぞ!」
メーネザーが強引に突破を試みる。
多くの魔獣はジュエル・モーターから噴き出る爆風で飛ばされるが、一部の蜘蛛たちは糸を張り巡らせて耐えているようだ。
ひとまず魔獣たちの動きは止めたので、そのまま戦艦は第十四階層との通路を移動する。
ただし、ここで脱出の難しさが露呈。
戦艦の速度は全速ならば時速百キロ以上は出るのだが、この巣穴は各階層の間に細い通路があり、ジグザグに曲がっていることもあって移動には細かい制御が必要になる。
それによってスピードが出しきれないのが一番の問題点だ。場所によっては時速三十キロも出せないところもある。
また、巣穴は最深部に向かえば向かうほど地下に傾いているため、行くときは勢いのままに下っていけばいいが、帰りはずっと坂道という地獄の行程となっていた。
といっても、その動きの遅さで助かった者もいる。
「ナージェイミアが動いているのか!?」
ここでリッタスとバルドロスが合流。
彼らが登ってきた亀裂は、十四階層と十五階層の間にできたものだったようだ。ちょうどよいタイミングで戦艦が通りがかる。
「ケサセリアはどうした? いないぞ?」
「殿下、急がないと巣穴に取り残されますぞ!」
「くっ、今は仕方ないか!」
「殿下! バルドロス様!」
「おお、エノス! お前も無事だったか! お互いに悪運が強いな」
「心配しましたよ! 早く乗ってください!」
リッタスたちを捜すため注意深く周囲を観察していたエノスが発見してくれた。二人は戦艦と併走しつつ、戦艦にしがみつく。
ゆっくり走っている電車に飛び乗る光景を発展途上国ではよく見かけるが、あれと同じ感覚だろうか。
「サナ様、こちらです!」
「…こくり」
他の騎士と一緒に戦っていたサナも戦艦の外壁に張り付き、ホロロの誘導で中に入ろうと登っていく。
しかしながら飛び移るのは人間だけではない。戦艦がスピードを緩めたタイミングで蜘蛛や鬼怒獣たちも乗り移ろうとしてくる。
そして最悪なことに、一頭の鬼怒獣がサナの足にしがみつく。
「っ…!」
「サナ様! 大丈夫ですか!」
「…こくり!」
サナは魔石を解放して感電させ、さらに刀で何度も斬りつけるが、鬼怒獣はまさに鬼の形相で掴んで離さない。
その握力はさすがのもの。サナの足が次第に内出血で紫色になっていく。
「…ふー、ふー」
息が上がっていることから、彼女もかなり消耗していることがわかる。魔石の輝きも全力の三割程度にまで落ち込んでいた。
特にガンプドルフが抜けてからの戦いが激しかったのだ。サリータもいない最悪の状況で、よくここまでもったと褒めるべきかもしれない。
「誰か! サナ様を助けてください!」
「私が参ります! 未練がましく女性にしがみつくとは許せぬ!」
ホロロが叫ぶと、イケメンしか許されない発言をしながらゼイヴァーがやってきた。
槍を使って宙を駆け、鬼怒獣の背後を取る。
「成敗!」
狙いをつけて―――槍一閃
正確無比な一撃が鬼怒獣の心臓を貫く。
が、まだ死なない。魔獣の目は赤く鋭いままである。
「なんという生命力だ!」
これはゼイヴァーが悪いのではない。彼の一撃は強力で致命的だった。
しかし戦艦の外壁という足場の悪さに加え、サナがいたため衝撃を抑えた一撃だったのが悔やまれる。
「もう一度だ!」
「ゼイヴァー様、後ろに蜘蛛が!」
「っ!」
そんなゼイヴァーの背後にカーエッジ・スパイダー。一匹ならばともかく、二匹、三匹と壁から跳んできて斬糸を放り投げてくる。
「ぐっ、こんなときに!」
ゼイヴァーは応戦するが、アンシュラオンの斬撃すら弾くような敵だ。三匹も相手となれば彼も自分の身を守ることで精一杯となる。
「ホロロさん、狙撃はできませんか!?」
「もう弾が…」
「すぐにもらってきます! 弾を! ライフルの弾をください! 早く! バズーカでもいいですから! 何でもいいから早く出してください!」
「わ、わかりました!」
小百合が近くにいた騎士の胸倉を掴んで急かす姿が見える。
この騎士が戦えばいいと思うかもしれないが、メーネザーが言っていた「百五十人の騎士が動ける」の言葉には、「非戦闘員以外で」という意味が含まれている。
戦艦には総勢三百人の騎士がいても、そのうち百名以下は戦闘以外の整備士や砲手、または鍛冶師であり、直接戦うことはない。
現在は死傷者を除いた戦闘要員が、ほぼすべて外に出ているため、中に残っているのはそういった非戦闘員ばかりなのだ。彼らが向かっていっても鬼怒獣ほどの強力な魔獣に対抗するすべがない。
その間にも攻防は続いており、鬼怒獣は強靭な腕を振り回す。
サナは必死にガードするが、受けた右腕がどんどん腫れていくのがわかる。彼女の耐久力では防御すらままならない。
「サナ様! 誰か、誰かいませんか!」
ホロロの声も虚しく響く。
他の騎士たちも必死で余裕がまったくない。
「ウ゛オ゛オ゛オ゛!」
「…!」
鬼怒獣の大きな腕がサナに迫る。
サナはもう右手が上がらない。ダメージが蓄積して、だらりと垂れ下がっている。
「サナ様ぁああああああああああ!」
ホロロがハッチから飛び降りて、身体ごとサナを庇おうと身を乗り出した瞬間であった。
『黒い盾』が飛んできて―――ブシャッ!!
鬼怒獣の腕を吹き飛ばした。
「ウ゛オ゛!?」
突然腕が無くなって困惑する鬼怒獣だが、彼の災難はこれで終わらない。
「ウオオオオオオオオ!」
鬼怒獣よりも強く激しく吼えながら、猛烈な勢いで戦艦の外壁を登ってきた『黒い者』が鬼怒獣の顔面を殴りつける。
殴られた頭が、ボンッと破裂。
ものすごい生命力でいまだに身体はビクビクと動いていたが、脳という命令系統を失ったため、サナから手を離して下に落ちていった。
そして、その黒い者はサナを抱きかかえて一気に甲板にまで駆け上がると、静かに床に下ろした。
「フーー、フーーーーッ!!」
そこにいたのは、サリータ。
身体全身から黒いオーラを放ち、赤い目をした『魔人化した彼女』の姿であった。
「サナ……様……! はぁはぁ! サナ…さな……さま」
「…じー」
「あぐっ……ぐううっ……ああぁああああ!」
サリータの身体はボロボロの状態であった。
魔人化した彼女の能力はかなり高かったものの、あれだけの蜘蛛、しかもカーネジルたちと戦えば傷つくのは当然だ。
それを強引に黒いオーラが修復するが、そのたびに激しい痛みを感じて、のた打ち回る。
「サリータ、これはいったい…!」
「サリータさん!? どうしたんですか!?」
そこにホロロと大量の薬莢箱を抱えた小百合がやってきた。小百合に至っては本当にバズーカまで肩から下げているから怖ろしい。
しかし、そこで再会したサリータの違和感に言葉を失う。
明らかに異常。危険。暴走状態。それでも魔獣以外に危害を加えないのは、サナを守るという強い意思によって動いているからだ。
ドーーーンッ! グラグラグラッ
その時、戦艦が大きく揺れる。
「閣下、女王蜘蛛が追尾してきています」
メーネザーからガンプドルフに通信が入る。
「こちらも視認している。しつこいな」
「狙いは格納庫にある卵だと思われますが、破棄しますか? 止まるかもしれません」
「いや、そのままでいい。現状でのブロック廃棄は騎士たちの安全に関わるし、追ってきてくれるのならば逆にありがたい。どのみちこの場所を制圧するためには女王を倒す必要がある。正直、彼女とは仲良くなれそうもないからな。ならば、こちらの都合の良い場所で仕掛けて倒すほうがいいだろう。少年の考えはどうだ?」
「そうだね。女王はすでに術式に汚染されている。時間経過で戻るかもしれないけど、おっさんたちと魔獣がわかりあえるはずもない。倒すほうが安全だと思うよ。第八階層で迎え撃とう。あそこは出入り口は狭いけど中は広かったはずだ。戦艦は逃がして通路を塞ぎ、オレとおっさんで倒そう」
「わかった。メーネザー、まだヒヤヒヤさせるが頼むぞ」
「了解しました。相手の砲撃にはどう対処いたしますか?」
「引き続きオレが守るよ。クシャマーベ、車輪盾を全力展開だ」
クシャマーベから数多くの車輪が生まれ、戦艦の後部に展開される。
そこに―――砲弾の嵐!
なぜ戦艦が揺れたのかといえば、さきほどから女王蜘蛛が砲撃を行っているからだ。
女王から糸が放出されると、周囲にいた蜘蛛に張り付いて―――【吸収合体】
外殻に取り込まれて彼女の一部となる。その中には大型蜘蛛も多数おり、身体の至る所から『砲台』が出てきて全方位射撃を繰り返す。
撃ち出されるものは砲弾用の小型蜘蛛だったり、あるいは糸を固めて強化したものであったり、紅蜘蛛同様に岩だったりもする。
それは今しがた自分に撃たれた戦艦の砲撃に匹敵。
ドドドドドドンッ!! グラグラ
大地を揺るがす衝撃が巣穴の中で轟く。女王の砲撃に少しでも触れた鬼怒獣は、それだけで粉々に砕けた。
「私も信用してはおりますが、万一のために物理障壁を展開させておきます」
メーネザーも安全のために戦艦に搭載されている術式防御フィールドを展開。万一の被弾にそなえる。
が、そのほぼすべてはクシャマーベの車輪盾によって防がれているので問題はない。
「慎重な人だね。聞いていた通りだ」
「だからこそ信頼できる。それよりも、こんな闘人まで扱えるとは驚いたぞ。さすがだな」
「アルゴリズムの構築に手間がかかるし不便な点もあるけど、勝手に動いてくれるから楽だよ。まあ、簡単には突破されないから安心してよ」
「反撃はしたほうがいいか?」
「周囲に蜘蛛がいる限り無駄かな。また吸収されるだけだね。予定通り、第八階層で閉じ込めて潰したほうがいい。さて、サリータが戻ってきたみたいだ。少しここを任せるよ」
「了解した。といっても、やることは特になさそうだがな」
アンシュラオンは防御をクシャマーベに任せ、サリータがいる甲板に移動。
そこで変わり果てた彼女の姿を見ることになる。
この男からしても、その姿は異常。しかも【半裸】だ。
鎧は砕けているし、盾もない。武器すらない。あまり大きくは言えないが、アンダーシャツが破れて片方の乳房が普通に露出しているではないか。
いつもの彼女なら少しは恥じらいを見せるはずだが、まったくそんなそぶりも見せない。
「サリータ、無事か?」
「はぁはぁ……ハイ………ハイ……」
サリータに声をかけると返事はする。だが、どう見ても自分で制御できていない状態である。
改めて彼女に触れて内部を探る。肉体面もそうだが、特にその根幹を術式によってスキャンしてみる。
すると、予想通りに怪しい痕跡を発見。
(変な『精神の痕跡』が残っているな。…この感覚は覚えがあるぞ。さっきまで嫌というほど戦っていたしな。となると、あの『影』の仕業か? いろいろとやってくれるもんだよ。とはいえ、サリータには『その兆候』がたしかにあった。よりにもよって、ここで発現してしまったか)
アンシュラオンは、サリータの『魔人化』については少し前から予想していた。
そもそも魔人化したラブヘイアを見ているし、エメラーダからも因子の伝染については教えられていた。【本物の魔人】の影響を受けた人間は『魔人因子』が刺激され、その下僕になっていく現象のことだ。
サリータに関しても戦気が使えるようになった時から急速に『魔人因子』が目覚める気配があった。だから日々チェックを怠らなかったのだが、まさかのこのタイミングで覚醒だ。
ただし、サナとは状況が違うのが気になる。
(サナはこれだけオレの近くにいながら、あんな現象には陥っていない。一番最初に出会って一番多く接しているのだから、サナこそがそうなるべきじゃないのか? それとも感情の強さに影響されるのか? あるいはサナのスキルの影響か? ううむ、わからないな)
サナの場合は、すでに黒雷狼という存在が生まれているため、もしかしたらそちらのほうに吸われた可能性がなくもないが、順番としては彼女のほうが先に魔人化するのが筋だろう。
逆に言えば、それだけサリータがアンシュラオンの魂と感応してしまったことを物語ってもいる。
当然、このままでは問題だ。活を入れる必要があるだろう。
「サリータ、歯を食いしばれ!!」
「はぁはぁ……は?」
「歯だ! 歯を食いしばれ!!」
「は…歯……」
サリータが言われるがままに歯を強く噛んだ。
それを見計らって、アンシュラオンの平手が―――『尻』を打つ!
バッシーーーーーンッ!
「あひゃぁあああああああああ!!」
歯を食いしばれと言いつつ尻を打つ、安定のお約束スタイルだ。
実際、身長差があるので尻のほうが叩きやすいので仕方がない。
「もう一度だ!」
バッシーーーーーンッ!
「いぎぃいいいいいいいっ!!」
「なんだ、この尻は! だらしない尻め!! オレの目が届かないところで顔も知らない誰かにやられおって! お前もシャイナと大差ないぞ! この馬鹿犬が!」
バッシーーーーーンッ!
「アォオオオーーーーーンッ!」
「おい、尻が熱いぞ! こんなところで発情したのか、はしたない犬め! もう一度だ!」
バッシーーーーーンッ!
「あはあぁああああっ!」
なぜかアンシュラオンがサリータの尻を何度も叩く。何の説明もないので周囲は唖然としている。
しかし、熱い。
叩かれるたびに何か強いエネルギーが内部に注入されるようだ。身体を超えて魂の奥底にまで響く圧倒的なパワーで、サリータが打ち震える。
「いくぞおおお!! これが最後だ!」
そして、渾身の―――【一撃】!
バッシイイイイイイイイイイイイイイイインッ!
「ああああああああああああ―――っっ!!!! イッくううウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!」
ついに衝撃が感覚を通り越し、魂が絶頂を迎えた。
もう言葉で表現することはできない。女性が物的に感じるオーガズムのレベルを遥かに超越している。
がくがくとサリータが痙攣し、口から泡を吹く。
「あひっ…はひっ……ひぅっ!」
「気をしっかり持て! お前は誰だ!」
「あっ……あんしゅら…おん……さまの…」
「もっとはっきり! お前は誰だ!」
「アンシュラオン様の忠実な犬であります!」
「では、お前の役割は何だ!」
「サナ様をお守りすることです!」
「そんなざまで守れるのか!」
「申し訳ありません!」
「謝っている暇があったら、気合を入れんかぁあああああ!!」
「はいぃいいいいいいいい―――あはっ!」
最後はついでに股間に手を突っ込むサービス付きだ。
そのせいではないだろうが、ジュオオオオッと黒いオーラが【白い光】に侵食されていく。
オセロでひっくり返るように一瞬ですべてが白に染まった。もともと白い肌がさらに白くなり、赤黒い目も完全に真っ赤に染まる。
それはさきほど魔人化した姿よりも、気高く美しい『白い魔人化』した姿であった。
今ならばわかる。アンシュラオンが傍にいる感覚。彼が常に自分に力を与えている実感が、そこにあった。
(はぁはぁ、わ、私はどうなっていたのだ!? いつの間にここに!? だ、だが…熱い! 身体が熱い! あの時の熱さとはまるで別物だ!)
黒いオーラは排他的で無機質な力だったが、アンシュラオンが放つ白いオーラは同じ痛みでも『活力』があった。
盛り上がり、成長し、駆け抜けていく爽快感が『快楽』となって魂が打ち震える。気持ちいい、心地好い、夢見心地。アンシュラオンが与える力は、(女性にとっては)どれも素晴らしいものなのだ。
「アンシュラオン様…その、私は……あなたの記憶を…」
「サリータ、ほかの一切の思念に囚われるな。お前はオレとサナだけを見ていればいい。他人の思惑に利用されるな。オレはここにいる。お前たちと一緒にいる。わかったな!」
「は、はい!」
「オレはオレだ。ほかの誰でもない!」
(あの記憶で見た人とは…違う。そうだ。この人は強くて温かい。とても熱い人で…愛のある人なのだ! それがこの御方の『本質』だ!)
記憶の欠片で見た、あの壮絶な人生。嘆き、苦しみ、血反吐を撒き散らすような強烈な憎悪と怒り。
アンシュラオンにも同じような性質はあるが、すでにそこを超えているように思える。愛がある。情熱がある。少なくとも女性に関しては熱量が半端ない。
「サリータ、ここは任せる。サナを守れ。オレは女王蜘蛛を叩く」
「はい! お任せください!」
アンシュラオンを見送る瞳はいまだ赤いが、そこにはしっかりとした理性が宿っていた。
(私はもう迷わない。悪だろうが関係ない! アンシュラオン様とともに生きる!)
もう誰に何を言われても動じることはない。心の奥底から白い少年の愛を受けているし、自分も愛している。
愛と愛が結び付けば、それはもう無敵だ!
「サリータさん! 待っていましたよ!」
「小百合先輩、遅くなりました!」
「なんてみっともない姿ですか! 早く着替えなさい! まったく、この鎧は…重すぎです! こんなものしかありませんでしたが、このハンマーも持っていきなさい!」
「ホロロ先輩、申し訳ありません! すぐに着替えます!」
いつの間にかホロロが鎧を持ってきていた。近くにいた騎士が裸になっているので強引に奪ったものだと思われるが、今回ばかりは災難だったと諦めてもらうしかないだろう。
そして、主と向かい合う。
「サナ様…!」
「…こくり」
視線が合う。言葉がなくても伝わる。
サナは今、自分の手元にあるべきものが戻ってきたと感じている。喜んでいる。実感している。熱く燃えているのだ!
698話 「蜘蛛との決着 その3『魔獣に闘争心を与える馬鹿』」
ナージェイミアは、追走する女王蜘蛛の攻撃を防ぎながら第八階層まで到達。
この階層は最深部に匹敵する大きさがありながらも、なぜか通路が狭い構造になっている。女王蜘蛛が獲物を担いでギリギリ通れる幅しかない。
それが今は好都合。最後の作戦が決行される。
「メーネザー、お前たちは第二階層にいる残りの部隊と合流し、一旦地上まで脱出しろ。私と少年は女王蜘蛛を倒してから脱出する」
「クシャマーベは護衛に残しておくけど、オレが近くにいないと細かい指示はできないから過信はしないでね」
「了解しました。御武運を」
メーネザーは何か言いたそうだったが、命令を受諾。ガンプドルフを残していくのが不安だったのかもしれない。
しかし戦艦救出のためにここまでの犠牲を払ったのだ。無理に残って万一沈められでもしたら、すべてが台無しとなる。それよりは『英雄二人』を信じたほうがよいという判断に至る。
戦艦は第八階層から第七階層への通路に向かう。女王蜘蛛もそれを追って第八階層に入ってくる。
そのタイミングでアンシュラオンが動いた。
ぴょんと戦艦から飛び降りると爆発集気。
「鬼ごっこはここまでだ」
膨大な戦気をまとった拳を大地に叩き付ける。
大地に放たれた戦気の波が移動するごとに地盤を巻き込み、さらに大きな波となって襲いかかった。
その波によって女王の足元の地盤が崩れると同時に、大地がいくつも隆起して女王を貫く。それはまるで地面から出現した土竜が獲物に喰らいつくようだった。
覇王技、『極竜《ごくりゅう》・覇王土倒撃《はおうどとうげき》』。
因子レベル6で使える技で、因子レベル3の覇王土倒撃の上位版である。覇王土倒撃はソイドビッグ鍛錬の際にも使ったが、この極竜・覇王土倒撃はそれを攻撃特化させたもので、大型魔獣であっても動きを止めることが可能な強力な技だ。
当然、これだけで女王倒すことはできない。あくまで足止めが目的である。
「おっさん、界気を借りるよ」
アンシュラオンが両手から大量の命気を放出すると、ゴールドナイトの翼の界気を巻き込んで広がっていく。
それをさきほど戦艦が出て行った通路の入り口に張り付けた。見た目は大きなスライム状の液体がへばりついているだけだが、その内部には界気が走っているため強く光輝いていた。
「少年、これは?」
「最上位属性を組み合わせた『合体戦技』だよ。やったことない?」
「聖剣を使う時は、だいたい単独で戦うことが多い。経験はないな」
「じゃあ、覚えておくといいよ。これが水と雷の最上位結界戦技『雷水命界《らいすいめいかい》』さ」
属性同士に相性があることはすでに述べているが、長い闘争の歴史の中で、それらを応用した合体技も開発されている。
たとえば下位属性の雷気と水気を組み合わせた高等戦技結界術『雷水命鳴《らいすいめいめい》』という技があり、単独で水泥壁を展開するよりも数段上の力を発揮する。
それを最上位属性でやったものが『雷水命界《らいすいめいかい》』であり、界気が命気と絡み合うことで強力な『網』を生み出すことができる。
「合体戦技はよく兄弟子とやったもんだよ。残念ながら姉ちゃんは火が得意だったから、オレとの相性はよくなかったけどね」
「君たちにとって最上位属性は日常的なのだな。怖ろしい世界だ」
「おっさんだって界気を使えるならすごいもんだよ。一応逃げられないように向こう側にも設置しておこうか。また鬼ごっこは勘弁だしね」
遠隔操作によって反対側の通路も雷水命界で封鎖。
これで第八階層に残っているのは、アンシュラオンとガンプドルフと女王蜘蛛、それと周囲にいる蜘蛛たちだけとなった。
女王蜘蛛は覇王土倒撃から復帰。再び糸を放ち、蜘蛛たちを次々と取り込んでいった。
「見れば見るほど不思議な生態の魔獣だな」
「群れ全体で一つの魔獣と考えたほうがよさそうだね。でも閉じ込めたから、もう援軍は来ないはずだよ。地面から来たら諦めるしかないけどね」
アンシュラオンの言う通り、両側の通路にいた蜘蛛たちが第八階層に来ようとしても、雷水命界に触れた瞬間に粉々に吹き飛ぶ。
命気が粘着するうえに、それ自体が界気の強大なエネルギーを秘めたものだ。普通の蜘蛛程度では、どうあがいても突破は不可能である。
「………」
女王蜘蛛が、アンシュラオンたちを凝視。
その眼はすでに憎悪に汚染されており、強い興奮状態にあるようだ。
「全力で来い。そのうえで叩き潰してやる。それがせめてものお前への供養だ」
アンシュラオンが意図的に『殺意』を放つ。
何十万といった魔獣を殺してきた男が放つ気質は、魔獣を刺激するには最適だ。
その波動を受けた女王が―――奮える!!
ドクンドクンと心臓が鼓動すると同時に、彼女の大きな身体も揺れていき、気持ちが高ぶっていく。
自然界の魔獣に『生存本能』はあっても『闘争本能』は存在しない。闘争を生き甲斐にするのは霊を持つ人間だけだ。
しかし、霊は他者に力を伝播させる力を持っている。オーラを分け与え、強化する性質を持っている。
アンシュラオンが持つ激しい闘争本能は、かつて人間と深く関わった女王蜘蛛を闘争の渦の中に引きずり込む。
「ッッッ!!」
女王蜘蛛の八十を超える目が真っ赤に輝き、身体からドス黒いオーラが噴き出る。サリータが魔人化した時に出ていたものに似た、排他的で攻撃性の高いものだ。
これこそが大地にかけられた呪詛そのもの。あの影が生み出した『負の精神術式』の正体である。
大地にしみ込んだ数多くの血、その怨嗟を利用して魔獣たちを縛る鎖だ。鎖で縛った魔獣は人間と同じく全力を出せない。力は意思によって生まれるからだ。
「お前の怒りをすべて吐き出せ! 他人に支配される怒りを思い出せ! お前の戦う理由をオレに見せ付けてみろ!!」
魔獣に話しかけたところで、その意図が伝わるわけではない。しかも虫型の魔獣ならば、なおさらだろう。
だが、この男の熱量が、白い力が第八階層全体に広がり、強烈な輝きを放つ。
その輝きは黒いオーラに襲いかかり、瞬く間に『白』に転化させるだけではなく、真っ赤に燃え上がっていく。中に侵食していく。
ドガンドガンドガンッ! ドガンドガンドガンッ!
高まり荒ぶる気持ちのはけ口を探すように、女王蜘蛛が大地を脚で叩く。中に芽生えた『感情』をどう表現したらいいのかわからないのだ。
されど、答えは目の前にある。
「オレは―――ここだぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
アンシュラオンが戦気を解放。
凄まじい圧力で身体が浮き上がる。
「さあ、ぶつかってこい! どんとこい! こないなら、こっちからいくぞ!」
アンシュラオンが女王蜘蛛に突っ込み―――体当たり!
女王の頭部に身体ごとぶつかっていった。
さすがに体格に大きな差があるため、それだけでどうにかなるものではないが、いきなりのことに女王蜘蛛がたじろぐ。
「どうした? やられたらやり返せ! それでも『超越者の守護者』か!? お前らが不甲斐ないから負けたんじゃないのか!? あんな影みたいな連中に負けて悔しくないのかあああああああああ!!」
「ッ!!」
続けてアンシュラオンの拳が女王蜘蛛の顎にヒット。
無防備なところを受けたため、硬い顎にビシビシとヒビが入る。
「こい、こい、こい! どうした、こいよ!」
煽る。煽る。煽る。
プロレスラーが観客を盛り上がるために客席にアピールするかのように、両手を広げて女王蜘蛛を煽っていく。当然ながらここに客はいないので、煽っているのは女王当人である。
それに刺激されたのか、女王蜘蛛が触肢を薙ぎ払う。
アンシュラオンはガード。少し圧されたが、真正面から受け止める。
「どうした、こんなものか!」
アンシュラオンが女王の身体の下に潜り込むと、蹴りが炸裂。女王蜘蛛の巨体が衝撃で浮く。
そこからの蹴りの連打。
ドドドドドドドッ!!
蹴る、蹴る、蹴る!
風龍馬やクロスライルにも使った赤覇《せきは》・昇陽連脚《しょうようれんきゃく》だ。相手を空中に蹴り上げる繋ぎ技である。
今までの相手と比べると大きさが段違いなので、そこまで高く蹴り上げることはできなかったが、その代わりに拳に集めた戦気で―――ぶん殴る!!
集められた戦気は激突の瞬間に大きく膨らみ、激しい衝撃となって巨大な女王蜘蛛を吹き飛ばす。
女王は壁に激突。衝撃で壁が崩れる。
「まだまだまだ!」
アンシュラオンは戦気で巨大化した拳で何度も殴りつける。そのたびに女王が右に左に吹っ飛ばされていく。
赤覇・巨進圧闘拳《きょしんあっとうけん》。
ご大層な名前が付いているが、実際は拳に集めた戦気を肥大化させて殴るだけの脳筋技だ。とはいえ制御が難しいので、技になるためには戦士の因子レベルが5は必要になる。
名前から想像できる通り、アンシュラオンにはあまり似合わない戦い方であり、彼自身も人生の中で数回使ったかどうかの技だ。どちらかといえば姉やゼブラエスに向いている技といえる。
しかも拳が当たった部位にはダメージを与えているが、女王蜘蛛には『完全自己修復』スキルがあるため即座に傷は治っていく。
デアンカ・ギースしかり、もともと大型魔獣に体術は効きにくい傾向にある。明らかにこの攻撃は効果的ではなかった。
では、どうしてこんな技を使ったかといえば、やはり女王を煽るため。
何度も何度も殴っていくうちにアンシュラオンの『闘争心』が彼女に伝わっていく。赤い目も憎しみを帯びたものではなく、怒りのものに変わっていく。
そして、ついにぶち切れ―――殴る!
ブーーーーン! ドゴーーーンッ!
大きな触肢が持ち上がると、まるで台風でもやってきたかのような轟音を撒き散らしながら、アンシュラオンをぶっ飛ばす!!
アンシュラオンはガードしたが、あまりの威力に飛ばされて壁に激突。中にめり込む。
「少年!」
「大丈夫。これくらいは問題ないよ」
アンシュラオンは壁から這い出ると、女王蜘蛛を見て笑う。
「いい面構えになったじゃないか。どうせ戦うならそっちのほうがいい」
気づけば女王蜘蛛からは、あの黒いオーラが完全に消えていた。
代わりに白い蒸気のようなものが噴き出ている。
「少年、何をしたのだ」
「殴りながら精神に介入して術式を堰き止めたんだ。今のあいつは術式から解放されている状態だよ」
「では、術式を解除できたのか?」
「いや、そんな簡単にはいかないさ。本当に一時的な誤魔化しにすぎない。オレがやったのは術式の一部改変で、憎しみじゃなくて『闘争心』を与えるようにすり替えただけだ」
精神とは潜在意識の一部であるため案外単純な側面がある。
感情の発露は一つずつ行われ、怒ることと笑うことは同時にはできないようになっている。これを利用して、違う感情を強く与えることで負の感情を抑えることができる。
たとえば鬱病の患者にひたすら肉体労働をさせると、それ以外のことを考えられなくなり自然と病が治っていくことがあるが、アンシュラオンがやったことも同じことだ。
煽って煽って怒りに意識を集中させておいて、その間に術式に干渉。憎しみという感情を闘争心にすり替えたのだ。だからあえてこんな物理系の大技を使っていたわけだ。
ただし、これは一時的なこと。問題の解決ではない。ガンプドルフも困惑した表情を浮かべる。
「それに何か違いがあるのか?」
「倒すことには変わりない。結果だけを見れば同じさ。でも、それじゃつまらないだろう? なんでもかんでも『あの影』の思い通りになるのは癪だからね。こっちはこっちの土俵でやらせてもらうよ」
アンシュラオンとガンプドルフの両者にはさまざまな違いがあるが、その最たるものが『武闘者』であるかどうかだ。
アンシュラオン当人が否定していても、やはり闘争を好む武闘者である。闘うこと自体に意味を見いだし、楽しむ戦闘狂なのだ。
その気質を分け与えられた女王は、やる気満々!
ガチンガチンッと顎を鳴らし、触肢を持ち上げて万全の戦闘態勢に入る。憎しみに囚われていないため周囲もはっきり見えており、さきほどよりも手ごわい相手となっているだろう。
ああ、馬鹿だ。大馬鹿だ。意味がわからない。
しかし、それもまたアンシュラオンの性質であり、魅力の一つ。リアリストでありながらロマンチストで、合理的でありながら無計画な快楽主義者でもある。
今、そうしたいからそうしただけ。それだけのこと。
「いくよ、おっさん。ここからが本番だ。女王を倒して全部を奪うよ!」
「まったく、君と一緒にいると今までの人生が何だったのかと問いたくなる。いいだろう、とことん付き合おう」
∞†∞†∞
アンシュラオンたちと女王蜘蛛との最終決戦が始まっていた頃、巡洋艦ナージェイミアは脱出のために上の階層に向かっていた。
完全に制圧したのは第二階層までだ。それ以外の階層には蜘蛛たちが残っているので安全ではない。騎士たちも甲板や外壁で魔獣たちと戦っていた。
「このままいけそうだな」
デュークスが甲板の上から周囲を見回す。
たしかに蜘蛛は厄介な相手であるが、女王や紅蜘蛛のような大型種や、カーエッジ等の進化個体が少なければ戦艦の戦力でも十分対応可能な相手だ。
そうでなければガンプドルフも戦艦の単独行動を許さないだろう。やはり戦艦は現時点で最強戦力の一つなのである。
「そうだといいがな。いつだって上手い話には裏があるものだ」
楽観視するデュークスに対して、マルズレンは慎重に周囲を注視していた。
「おいおい、やめろよ。本当に何かあったらどうするんだ」
「それは我々が選べるものではなかろう。物事の本質は不条理だからな」
「不条理か…」
デュークスもその言葉は否定できない。
もし世の中が不条理でなければ、そもそも自分たちはこんな場所にはいない。戦争にだって負けていないだろう。
そして、これが振りだったわけではないが、その不条理は彼らに牙を向く。
ドカン!と爆発音が聴こえると、唸るような振動が甲板を襲った。
それは一度ではない。次々と同じような爆発音がするたびに甲板が揺れる。
「なんだ!? どうした?」
「あそこだ。火が上がっている」
戦艦の真ん中あたりから火の手が上がっていた。
火は次第に大きくなり、渦巻く火炎へと変貌。周囲を焼き尽くしていく。
「魔獣だ! 魔獣が乗り込んできたぞ!」
炎の周囲にいた騎士たちの叫び声が聴こえた。かなり切羽詰っているようだ。
「また蜘蛛か?」
「蜘蛛にこんな力はあるまい。行けばわかる」
火の手の方角に二人が向かうと、そこには―――
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」
烈火の如く怒り狂っていたナムタムオーガ・グァルタがいた。
その手には『例の通信機』を抱えているが、肝心の赤子は『頭部がなかった』。
最深部であれだけのゴタゴタがあったのだ。女王蜘蛛と紅蜘蛛の争いか、あるいは戦艦の砲撃の時か。いずれにせよ、どこかのタイミングで巻き込まれたのだろう。残念ながらもう息絶えている。
「オ゛オ゛ブ゛オ゛ブ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」
泣き叫ぶグァルタは、怒りと哀しみ、それ以上に強い憎しみに支配されていた。
今の彼は術式効果半分、本来の精神半分といった複雑な状況下にあると思われる。そうでなければ亡骸を抱えて泣き叫ぶことはしないだろう。
が、どちらにせよ憎しみに染まった目の色は変わらない。その怒りを人間にぶつける!
甲板に乗り込んだグァルタが豪腕を振り回し、手当たり次第に破壊を開始。止めようとした騎士たちもあっけなく吹き飛ばされる。
「あんなでかいの、どこから来たんだ? 第八階層は封鎖したんだよな?」
「そんなことは知らん。底にへばりついていたか、地下から迂回した可能性もある。それより甲板を壊されるだけでも最悪だ。潰すぞ」
マルズレンがグァルタに接近。素早い動きで相手の死角に回り込み、鋭い双剣の一撃で腕を突き刺す。
狙ったのは肩の付け根。豪腕が武器なのは見てすぐわかるため、相手の最大の特徴を奪おうとしたのだ。こんな混乱の中でも極めて冷静な判断である。
がしかし、人間ならば急所の一つであっても魔獣もそうとは限らない。
鬼怒獣の筋繊維、腱は極めて頑強で、そこらの鋼で造られたワイヤーロープなど及びもしないほどの強度を誇るため、あっさりと刃を受け止める。
「なにっ!」
マルズレンは対人戦闘は優れているが魔獣との戦闘経験は少ない。DBD騎士全般にいえることだが、ここでその弱点が出てしまう。
無防備なところに反撃の一撃。
「オ゛オ゛オ゛!」
グァルタの振り払った拳がマルズレンの顔面に直撃。吹き飛ばされ、甲板を転がる。
「マルズレン!」
「ごぼっ……くそっ……馬鹿力…め。だから脳筋は…嫌いなんだ」
マルズレンの左頬は砕け、眼窩底《がんかてい》も骨折していた。彼も軽装ではあったが頭部は兜で覆っており、防御の戦気も出していたが、それをあっさりと貫通するパワーであった。
頭部を殴られたために足がふらつく。速さが売りのマルズレンにとっては致命的だ。
「てめぇ、よくもやりやがったな!」
お返しとばかりに、デュークスが大剣でグァルタを斬りつける。
グァルタは腕で剣を弾く。鬼怒天獣は皮膚も鋼鉄並みに硬いのだ。
ただしデュークスも大剣を軽々振り回す腕力の持ち主だ。圧し負けずに攻防が繰り広げられる。
「俺はマルズレンほどヤワじゃねえぜ!」
デュークスがグァルタの攻撃をいなすと、剣先が背中の床にまで触れるほど大きく振り上げ、一気に振り下ろす!
剣王技、剣断一擲《けんだんいってき》。
剣気を集中させた刃を渾身の力で放つ剛斬の上位技だ。特段属性は付与されていないが、因子レベル3で使える技の中では『物理耐性破壊』効果もある強力な技である。
その一撃はグァルタの肌を切り裂き、筋肉にまで到達する。
がしかし、やはり硬い。刃は骨に当たったところで止まってしまう。
「かってぇ! なんだこりゃ―――ぐぁぁああ!」
動きが止まったところにグァルタの左手から爆炎が噴き出し、デュークスを丸呑みにした。グァルタの『炎嵐招来』スキルである。
この炎は術式の一種でもあるため防御を貫通してダメージが入る。彼の全身鎧も数秒も経たずに真っ黒に焼け焦げてしまった。
そこにグァルタのパンチが迫る。
グァルタの身長は六メートル近くもあり、真上から叩きつけるようにデュークスの頭部にヒット。バゴンッと鈍くも甲高い音がして、デュークスの兜が破壊された。
「てめぇ……やってくれる…じゃねえか」
デュークスは頭から血を流しているものの、かろうじて踏みとどまる。グァルタの一撃に耐えるとは、さすが百光長である。
が、続けて放たれた蹴りには対応できず、鬼の強靭な足裏が腹に直撃。衝撃で鎧が壊れて吹っ飛び、マルズレンと同様に甲板に転がる羽目になる。
「げほっ…ごぼっ! なんてパワーだ…!」
「脳筋のくせに簡単にやられるな…馬鹿が」
「うるせぇ……お前だってフラフラだろうが。ちくしょう、なんだあいつは。普通のやつじゃないぞ」
「見ればわかる。しかもお怒りのようだ」
怒髪天を衝く、の言葉通り、グァルタの怒りは最高潮。その頭部の毛も見事に逆立っていた。
こうなった彼は敵を殲滅するまで止まらない。
699話 「蜘蛛との決着 その4『姫と騎士のあるべき形』」
グァルタの登場によって戦艦側に激震が走る。
戦艦は強力な兵器だが最大の能力は砲撃である。その武器を生かすためには距離が必要だ。
そのため戦場では戦艦を止めるために歩兵を送り込み、内部を制圧する昔ながらの手法が取られていた。リッタスたちが乗っていた駆逐艇もそのために造られたものだ。
そして今回乗り込んできたのは、身の丈六メートルもあろうかという大きな魔獣。こんなものに好き勝手暴れられたら、いくら戦艦とて大きなダメージを受けてしまう。
「囲んで削れ!」
相手は一頭。甲板の上に集まった騎士たちが武器を持って全方位から攻撃を開始する。
しかし、どの攻撃もグァルタの防御を貫けない。
鬼怒獣自体に『物理耐性』があり、近接戦闘でのダメージが半減されるし、グァルタの素の防御が「A」ということもあって普通の武器では歯が立たない。
このあたりは数値の厳しさが露骨に出ているといえる。石で木を叩けば、脆い木のほうが抉れるだろう。金槌で石を叩けば、脆い石のほうが壊れるだろう。では、鉄と鉄がぶつかればどうなるか。互いに硬いのだから一気に砕くのが難しくなるはずだ。
グァルタの皮膚、筋肉、骨の硬さは、剣気で強化した鋼鉄の武器と同等かそれ以上だということだ。技の倍率効果を使ってギリギリダメージを与えられるレベルになる。
しかし不用意に近づけば、豪腕を振るわれて反撃される。身体が大きい分だけ攻撃範囲も広く、回避はかなり困難である。盾で防ぐことも無理だ。
近接が駄目ならば銃火器での対応はどうかといえば、今度は口径が小さすぎて分厚い筋肉で止められ、大型のバズーカを使っても効果は薄い。
そうして手をこまねいていると、今度は相手から積極的に攻撃してくる。こちらは防衛側なので対応するしかなく、それによってまた被害が増える悪循環であった。
「魔獣ってのは、こんなに強いかよ!」
「これでは見通しが甘かったと言われても反論はできないな」
復帰したデュークスとマルズレンも戦闘に参加するが、負傷して動きが鈍いこともあってか状況はあまり変わらない。
ここまで苦戦する最大の要因は、DBD騎士が魔獣戦闘に慣れていないことを差し引いても、単純にグァルタが強すぎることだ。
もともと女王蜘蛛の注意を引くために用意した駒だ。殲滅級魔獣を相手にするのだから弱くては話にならない。アンシュラオンから見ればまずまずの駒でも、一般の武人からすれば出会ったら即死級の怪物である。
通常の鬼怒獣ならば騎士たちが数で攻めれば倒せるが、グァルタはその一歩先の領域にいる。なにせ彼は『突然変異体』であり、種として歴代最強レベルにまで到達した変り種なのだ。
ステータスも優秀で攻撃と防御に隙がない。スキルも凶悪で攻撃倍率を上げるものが多く、騎士たちの鎧すら一撃で破壊することができる。HPも多くて耐久力も高い。
こんな化け物が山ほどいるのだから、西方開拓が今まで進まなかったことは誰しも納得であろう。
だが、彼らも諦めるわけにはいかない。
グァルタの背後から大柄な男が突っ込んできて、抱きつくように体当たりを仕掛ける。
「わしが押さえる! その間に攻撃を集中させよ!」
「バルドロス百光長!」
「貴殿らも騎士であろう! 意地を見せよ!」
やってきたのはバルドロス。
こんな緊急事態にのんびりしていられるわけもない。その大きな体躯を生かしてグァルタの動きを拘束する。
そこに真上から人影。槍を構えたゼイヴァーである。
「もらった!」
ゼイヴァーは体重を乗せた渾身の一撃を突き出す。
さきほど鬼怒獣の心臓を貫いた実績がある彼の一撃には期待が持てる。攻撃力自体はデュークスと同程度だろうが、断ち切る大剣とは違って一点に力を集中できる槍は、鬼怒獣には効果的なのだろう。
しかし、どんな攻撃も当たらねば意味はない。
グァルタの『怒髪天』が動くと、槍ごとゼイヴァーに絡みつき―――床に叩きつける。
バゴーーーンッ!! ビシッ!
「…がはっ!」
衝撃で甲板に亀裂が入る。
軍用艦なのでクルマ素材よりも強い金属を使っているが、それがひしゃげて裂けるほどのパワーであった。ゼイヴァーも苦悶の表情を浮かべて倒れ込む。
「ぐぬっ…! 力負け…するか!」
奇襲が失敗すれば、今度はバルドロスが危険に晒される。
グァルタの大きな手がバルドロスの腕を掴み、引き剥がす。バルドロスは抵抗したが、それを許さない強い力で引っ張り―――握り潰す!
ぐしゃっと嫌な音がして、バルドロスの太い腕が破裂。筋肉が断裂して血管が千切れ、腕先の感覚がなくなった。
どんなに屈強でも、それは人間の範疇でのことだ。魔獣の肉体は造られた素材がまったく異なる。悔しいが、魔石の力が弱まったバルドロスでは限界があった。
「てめぇえええ!」
「無策で突っ込むな! 馬鹿が!」
「馬鹿でけっこう! 味方がやられて黙っていられるかよ!」
「くそっ、これだから火の連中は!」
バルドロスがやられたのを見てデュークスの頭に血が上る。
火の艦隊は聖剣長であるアラージャが男勝りかつ、短気で喧嘩っ早いという性格をしていることもあり、その影響を受けて部下たちも似た性質の者たちが集まっている。
それはそれで仲間想いであるし、激怒は力になるのだからよいのだが、同じ馬鹿でもアンシュラオンが許されているのは、それだけ強いからである。力で劣った者が激怒したところで結末は変わらない。
グァルタの手から炎が噴き出すとデュークスを呑み込む。
「ぐっ! またこれか! 汚ぇぞ!」
DBD隊も武器や銃火器を使っているのだからまったく卑怯ではないが、そう言いたくもなるほど強烈な炎だった。
火達磨になったデュークスが根性だけで突っ込むが、再びぶん殴られて吹っ飛ぶ。
今度はガードした腕がひん曲がっていた。防御をぶち抜いて骨を砕いたのだ。
「くそ…が! 百光長が…なめられて…たまるか……」
再び立ち上がろうとするが、鎧が壊れているため炎が中まで入り込み、身体中に重度の火傷を負っていた。また同じ攻撃を受けたら今度こそ死んでしまうかもしれない。
(百光長が四人いて太刀打ちできぬとは…閣下との力の差を思い知る)
バルドロスも、この現状にはショックを受けているようだ。
百光長は階級でいえば部隊長レベルではあるが、ゼイヴァーを見ればわかるように武人の質は良い。デュークスやマルズレンもグラス・ギースの上位の武人と並び立つ者たちだろう。
それが四人がかりでグァルタ一頭に負けているのだ。彼らの自信喪失も頷ける。
だが、こうした事態が起こっていることには明確な理由が存在している。
すでに述べたが、軍隊においてはすべてにおいて平均化された力が求められ、一般的な武器や銃火器を扱う能力が評価される。年々弱くなっている武人たちが効率的に強くなれる手段が用意されているのだ。
ただし、その一方で特化した力が失われつつあるため、こうした単純に強い相手が出てくると攻撃が通用せず、一気に劣勢に追い込まれる傾向にある。
なぜ聖剣が重宝され、軍部の最高司令官の扱いを受けているかといえば、特化型の存在がこの時代においては稀有であり、戦で勝ち抜くためには必要不可欠だからだ。
残念ながらその聖剣を持っているガンプドルフは、女王蜘蛛との戦いに臨んでいる。今ここにはいない。
「他の者は援護せよ。わしがやつを艦から引きずり落とす」
「バルドロス百光長、それではあなたが…!」
「まともに戦って勝てぬのならば、それしか方法はあるまい。その間に艦を逃がす! ここまできて失敗は許されぬ! 命をかけよ!」
「…了解しました」
すでに騎士からも犠牲が出ている。これだけの戦いが犠牲なしで終わるわけがない。それを知っているゼイヴァーも頷くしかなかった。
「攻撃を集中させろ! 百光長が仕掛けるための隙を作れ!」
「おおおおおお!」
ここで騎士たちがグァルタに『特攻』を仕掛ける。
各々が持っている最大の技を防御無視で叩きつければ、グァルタといえども多少なりともダメージを負わせることができる。
ただし、その代償は反撃による瀕死のダメージ。
次々と吹き飛ばされる騎士たちは、もう戦闘継続が不可能なほどの痛手を負う。まさに特攻。DBD騎士たちが戦争で何度も繰り返した恐るべき戦法だ。
その執念によってグァルタに一瞬の隙が生まれ、バルドロスが突っ込む。
「ぬおおおおおおおおっ!」
下から突き上げる全力のぶちかまし。
相撲のぶつかり合いのようにグァルタの足が床を滑り、甲板の端まで押し込むことに成功する。
ズズズズッ ピタッ
しかしながら、そこから前に進まない。魔獣の強い足腰で耐える。
「オ゛オ゛オ゛オ゛!」
グァルタの反撃。
両腕を振り回し、何度もバルドロスの身体を打ち付ける。無造作で乱雑だが強烈な攻撃を受け、筋肉が断裂し、背骨が折れる。
「引かぬぞ! わしは引かぬ!」
バルドロスは決死の覚悟で耐え、殴られても殴られても踏みとどまる。
「百光長!」
そこにゼイヴァーが飛び込み、槍で攻撃。今度はグァルタの目を狙う。
(目ならば貫ける!)
皮膚が硬い魔獣との戦いにおいて、狙うのはだいたい目だ。ここが一番柔らかいからである。その着眼点は悪くなかった。当たれば実際に貫けていただろう。
がしかし、グァルタはただの筋肉馬鹿の魔獣ではない。
バルドロスを持ち上げ―――盾にする
「なっ―――!」
ゼイヴァーは瞬時に槍を引くが、グァルタはバルドロスを投げつけてきた。
空中では回避が難しく、激突。
大きな身体のバルドロスが、まるで弾丸のような速度で向かってきたため、その衝撃も相当なもの。激突し、床に落下したゼイヴァーが昏倒する。
「ぬぐううっ…落とすこともできぬか…!」
「バルドロス! 大丈夫か!」
倒れたバルドロスをリッタスが救助。ゼイヴァーも他の騎士たちに引っ張られていったが、いまだ意識が朦朧としているようだ。
「殿下…申し訳ありませぬ…。こうなれば…逃げるしか手はありません」
「せっかくナージェイミアを奪還したのだ。おめおめと逃げられるか!」
「しかし、このままでは…」
「私がやってやる! ほら、こっちだ! 私が相手になってやるぞ!」
折れた家宝は捨てたのか、新しい剣を持って参上したリッタスが、グァルタを牽制する。
しかし、グァルタから見れば雑魚が喚いているようにしか見えない。いちいち動くのも面倒なのか左手を向けた。
「まずい! 炎がくるぞ!」
二度も炎で焼かれたデュークスが叫ぶ。
よほどトラウマなのだろう。その声はかなり切羽詰っていた。
「炎―――だと!?」
まったく予期していなかった攻撃に反応が遅れ、棒立ちになったところにグァルタの左手から炎嵐が出現。
火は大きな炎の竜巻となって甲板を席巻。リッタスごと周囲を焼き尽くそうとする。
誰もが彼の死を覚悟した瞬間だった。
「フフフ」
真上に世にも美しい氷の麗人が現れると、車輪盾から噴き出した氷が炎を凍結させた。その氷はグァルタまで巻き込んで全身を凍らせる。
「これは…!?」
「どけ!」
「っ!」
「うおおおおおおおおお!」
リッタスの後ろから、盾を構えたサリータが走ってきた。
そして、グァルタを―――ドゴーーーーンッ!
吹っ飛ばす!
グァルタは甲板の壁にぶつかったものの、当たりがあまりに強かったために、そのまま飛ばされて外壁にまで落ちていく。
いくら凍って動けなかったとはいえ、今までの彼女とは比べ物にならないパワーである。
「ケサセリア! その姿は…!」
サリータの肌はアンシュラオンのように白く、赤い目は強く輝いていた。リッタスはあの時、艦の内部で休んでいたため事情は知らないらしい。
「今はそんなことはどうでもいい! また来るぞ!」
ガシッと毛むくじゃらの手が甲板にかかり、グァルタが登ってきた。こんなもので彼がどうなるものではない。
だが次の瞬間、それを見計らったように刀一閃。
素早く走り抜けてきたサナが『怒髪天』を斬る!
ズバッ ボトーーンッ
グァルタの体毛は、それ自体が非常に硬くて重い。床に落ちた時には一瞬床が揺れたくらいだった。
「オ゛ハ゛!?」
これにはグァルタ当人も驚いたことだろう。空気が抜けたような変な声を出して慌てふためく。
そう、この『怒髪天』というスキルは、まさに頭部の髪の毛があってこそ成立するスキルなのである。毛がなければ怒髪天とは呼ばないからだ。
たったそれだけで―――攻撃力ダウン
明らかに意気消沈したグァルタから圧力が減った。
ちなみに鬼怒獣にとって頭付近の体毛はセックスアピールでもあり、いかに濃く長いかで男らしさが決まる重要なパーツである。それを奪われて男としての尊厳が傷つけられたのかもしれない。(べつに知りたくもなかったが)
ともあれ、あれだけ手が付けられなかったグァルタの動きが止まる。
「なんと! このようなことが起きるのか!? 信じられぬ!」
驚いたのはバルドロスだけではない。それを見ていた騎士の誰もが驚く。
今まで騎士たちは身体ばかりを狙っていた。それが魔獣本体なので当然だが、そもそも【髪の毛を狙う発想力】がなかったのだ。観察眼が足りなかった。気づけなかった。
ただ相手を倒すことだけに慣れており、細かい視野や視点、新しい考え方が湧き上がらなかった。それこそが彼らの限界を示してもいた。
しかし、軍人以外にもさまざまな相手と戦っているサナは、相手の弱点を見抜く力が養われている。正攻法にこだわる必要性もなく、何をやってもいい。それこそが発想の柔軟性に繋がっているのだろう。
「サナ様!」
「…こくり!」
サナが残り少ない魔石の力を解放。
雷光となって走り、グァルタに高速の斬撃を叩き込む。
「ク゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」
グァルタは激怒。髪の毛を斬られたこともあってか攻撃対象をサナに定め、手当たり次第に両腕を振り回す。
サナは目立つので敵の標的になりやすい。アンシュラオンが言った通りである。
だが、そこにサリータが猛ダッシュで突っ込み、攻撃を防御。
ガァァアンッ!!
強い音を立てて豪腕が盾にぶつかる。普通ならばここで盾が砕け、サリータも吹っ飛ぶはずだが―――
盾は砕け―――ないいいいいいい!!
足は床を踏みしめ、強い腕力で盾を押し出し、攻撃のポイントをしっかりと見定めて完全に防御している。押されてもびくともしない。
グァルタは攻撃を防がれてムキになったのか、執拗に腕を振るう。
次第にその動きは高速になっていき、豪腕が無秩序に暴風のように叩きつけられた。防御を捨てる代わりに攻撃力を五割増しにするスキル『暴虐乱撃』だ。
これがあるから魔獣は怖い。彼らは戦気を使えない代わりに強力なスキルを持っている。
しかし、踏ん張る!
何度叩かれても盾は壊れない。勇気も退かない。彼女は負けない!
「自分はもう二度と押し負けない! あの御方からもらった力を思い知れぇえええええええ!」
それどころかサリータの身体から白い力が噴き出し、グァルタを圧倒。
至近距離から体当たりをかまし、この巨体が揺らぐ。
そこにサナが雷の刃で―――左目を切り裂く!
「オ゛フ゛―――オ゛オ゛!?!」
左目が潰れたグァルタがパニックになって暴れる。
その腕が攻撃直後のサナに向かうが、すでにサリータが防御の態勢。がっしりと防ぎ、サナはノーダメージ。
守られて自由になったサナは、その才能を遺憾なく発揮。
さきほどまでの戦いをじっくり観察していたため、グァルタの弱点を集中的に狙って着実に戦闘力を削っていく。
残りの目を狙うと見せかけて体毛を斬ったり、術符を使ったり、銃を使ったりと翻弄する。
当然グァルタはさらに激怒するが、彼女を完全にサポートするサリータが、すべての攻撃を防いでいた。
目が―――合う
身体も意識も一つになって、サナと完全に同化して動く。
(わかる! わかるぞ! サナ様の狙いが見える! 意識が繋がっているようだ!)
サナの狙いがわかる。サナもサリータの動きが見える。両者が互いの動きを感覚で理解できるため、まさに阿吽の呼吸で攻撃と防御が流れるように続いていた。
サナはいっさい手加減していない。今持てるすべての力で戦っている。それにサリータが完全に対応できているのだ。
それはもちろん、彼女が『魔人化』している状態だからだ。
黒いオーラではなく、アンシュラオンが昇華した白い力によって、魔人化したまま意識を保っている。自殺願望もなく、滅びる気などさらさらない。至って普通の状態の理性のまま肉体だけが活性化していた。
アンシュラオンに愛された女性が、なぜ貴重なのか。なぜ彼は時間をかけて女性たちを育てているのか。
戦罪者のような使い捨ての道具ではない彼女たちは、アンシュラオンとより深く繋がることで『魔人の側近』へと昇格していくからだ。彼の影響力をもっとも体現できる存在へとなっていくからだ。
だから「たかがこの程度の魔獣」に打ち負けることなど、ありえない!
今、ようやくにして【形】が完成。
姫と騎士のあるべき理想の姿が示されようとしていた。
700話 「蜘蛛との決着 その5『魔人の姫』」
グァルタの身体から炎の嵐が吹き上がる。
さきほどからずっと騎士たちを困らせていた『炎嵐招来』スキルだが、それはあっさりとクシャマーベによって防がれて、すぐに鎮火される。
それを見たデュークスが「どうして俺のときは消してくれなかったんだ?」とぼやいていたが、クシャマーベは戦艦自体に害を成す攻撃を防御する命令が優先されていることと、基本的にサナやラノアたちを守るように設定されていることが大きな要因である。
戦艦内部にまで侵入すれば本格的に対応するだろうが、現在は『炎嵐招来』スキルだけに狙いを定めて防御していると思われる。
すでに女王蜘蛛と戦うアンシュラオンのほうに力が還元されているため、クシャマーベが持っている力はあくまで防衛用のものと割り切ったほうがよさそうだ。
だが、それで十分。戦艦にはこの二人がいる。
「…ぐっ!」
「はい、サナ様!!」
「…ちら」
「はい、サナ様!!」
「…っ!」
「はい、サナ様!!」
サナが思ったことがそのままダイレクトに伝わるため、サリータは迷うことなくカバーに入ることができる。
サナの刀が振るわれるたびに雷が走り、サリータがダッシュするたびに地鳴りが起きる。ジグザクに直線的に、上下左右に縦横無尽に動き続ける。
その見事な連携プレーにグァルタが何もできない。攻撃するタイミングが見つけられないのだ。
なぜだろう。二人が出会った時を思い出してならない。
ハローワークで偶然に再会した時、サナは彼女を引っ張り回した。まるで近い将来、彼女が自分を守る【騎士】になることがわかっていたように。
サナがこんなに強くなるなど、あの時は誰も知らなかった。サリータがこんなに強くなることも誰も知らないはずだった。
ならば、それは運命や宿命と呼ばれるものだったのかもしれない。魂が求め、魂が応えた。そういった『意思』が動いていたのだろう。
「はぁああああっ!」
そして、今のサリータは盾を攻撃にも使える。
グァルタが防戦一方になって反撃できないとわかると、懐に入り込み盾で腹をかち上げる。力強く押された一撃で巨体が宙に浮き上がった。
バルドロスでも持ち上げることができなかった重さだ。いかに彼女の腕力が増強されているかがわかるだろう。
これを見逃すほどサナは甘くない。
サリータを踏み台にして跳躍し、横薙ぎの一閃!!
すでに体当たりでダメージを受けている腹を狙い、切り裂く。雷をまとっているため感電の追加ダメージのオマケ付きである。
グァルタは鬼獣特有の強靭さを持つとはいえ、やはり生物だ。普通の雷程度ならば分厚い脂肪と筋肉によって防がれてしまうが、剣撃と一緒に叩き込むことで傷口から内部に雷を流すことができる。それによって直接神経にダメージを与えることで動きを抑えるのだ。
こうした技や技術を持つ者は軍隊には少なく、専用の特殊武器を使わねばならない。現在のDBD隊は寄せ集めの軍なので特殊部隊を編成する余裕はなく、こうした相手に対応できないのは致し方ない。だからこそサナたちの戦いが際立つ。
しかし、敵はグァルタだけではない。
サナが着地すると同時に、次々と甲板の上に蜘蛛が落ちてきた。
忘れてはいけない。戦艦は常に地上を目指して動いており、次の階層に移動しようとしている。そこにはまだ蜘蛛たちが残っているのだ。
「蜘蛛を近づけさせるな! 彼女たちだけを戦わせては騎士の面子が立たん!」
軍隊はけっして役立たずではない。極めて強力な部隊である。
それを証明するように、百光長の中で唯一まだ戦えるマルズレンが中心となって、落ちてきたカーモスイットやカーバラモたちを駆逐していく。
こうした通常兵装が通用する相手には、彼らは比類なき力を発揮する。普段の訓練で培った技術と体力を使って間断なく殲滅行動を取れるのだ。
すべては相性の問題。サナたちは大量の敵と消耗戦を展開するのは苦手でも、特殊な個体を一点集中で討伐することに長けているということだ。
ただし、すべてが上手くはいかない。
刀に―――亀裂!
ビシッとサナの水刃命気刀に小さな亀裂が入った。亀裂は斬るごとに少しずつ広がっていき、ついに折れてしまった。
ここまでの戦いで思った以上に負担がかかってしまったようだ。リッタスの家宝の剣すらあっけなく失われたことを思えば、この戦いがいかに激しいものであるかがうかがえる。
また、アンシュラオンが命気で補強したとはいえ、所詮は銘無き刀。地下闘技場の片隅でひっそりと余生を過ごしていた老人のようなものだ。
老体に鞭打って、こんな激しい戦いにまでついてきてくれたのだ。そう思えば感謝しかないだろう。今までサナを守ってくれてありがとう。そんな言葉すら浮かぶ。
が、やはりメイン武装である刀を失えば攻撃力はダウン。仕方なく予備のロングソードに切り替えるが、思ったように攻撃が通らなくなる。
なぜ今までグァルタにダメージが通っていたのかといえば、錬成強化した術式武具だったからだ。水刃の術式の力で防御無視ダメージを与えていたからこそ、その切り口に雷を流すことで対応ができていた。
それがなくなれば、グァルタも息を吹き返す。
「オ゛オ゛―――O゛O゛O゛O゛O゛O゛O゛!」
文字にできないほどの奇声、あるいは気勢を発しながら反撃開始。強力な乱撃を繰り出す。
サリータがカバー。攻撃をすべて受け止める。彼女のほうは戦艦側にあった新しい盾なので損耗は少なく、まだまだ耐えられるようだった。
「サナ様、大丈夫ですか!?」
「…こくり。ふー、ふー!」
サナはサリータの背後に隠れてやり過ごす。
しかし、息が荒い。顔も汗びっしょりで、体力の限界が来たのは疑いの余地もない。魔石も輝きが弱く、かろうじて発光しているだけとなる。
戦況が有利だったのは、サナがグァルタを翻弄していたからだ。その彼女が動きを止めれば戦場すべての流れが逆になる。
他の魔獣たちの攻撃も苛烈になり、ついに騎士たちの防衛線を突破してサナたちに殺到し始める。
「お前らが触れてよい御方ではない!」
サリータから巨大な戦気が噴き上がり、それが火炎へと変化。円拡盾によって全方位をガードしつつ、広がった力でサナも覆うように守る。
拡盾には炎の力が宿っているため、そこに触れた蜘蛛たちは燃え上がって真っ黒に炭化していく。
円拡盾の属性強化版、『火円拡盾《かえんかくたて》』。因子レベル2で使える技である。
魔人化したことでサリータの力が引き出された結果だろう。もともと『炎の体育会系』というスキルを持っているため、彼女自身は火属性の資質があったと思われる。それが開花したのだ。
サリータは、前からグァルタ、他方向から蜘蛛に攻撃されながらも、サナを必死に守る。
(命をかけてサナ様を守る! その気持ちが自分を強くする!)
サリータの魂が燃えていく。自分が今まで求めてきた充実感が、今ここに満ちているからだ。
その心の波動は、アンシュラオンの霊を通じてサナにも伝わる。
「…ふーー、ふーーー、ふーーー!」
サナの魔石が光り、青い狼が出現。
魔石の制御が甘くなると彼女を守るために出現したことは、これまでも何度かあった。
だが、今回は少し様子が違う。
青雷狼が―――サナと融合を開始
サナを守るように身体を丸めて抱きしめると、狼の形が崩れて体表にまとわりつく。
頭を覆う雷は耳と牙が生えたように尖り、身体を覆う雷は逆立つ毛を表現したかのように伸び、両手足は爪がそなわっているかのように鋭く変化。
身体を覆う雷自体は同じだが、その形態が『鎧』になったのだ。狼の外見を残しているので『雷狼化』と呼んでも差し支えないかもしれない。
この『雷狼化』は新しく芽生えた能力ではなく、サナのステータスの魔石の項目にも同じものがあったため、そのスキルが使えるほどシンクロ率が高まったと考えるべきだろう。
思えば最初にサナが魔石を発動させた時も、黒雷狼が鎧のように身体にまとわりついていた。おそらくはあれが本来の形態なのだと思われる。
ただし、まだそこまで密度は高くはないため、半透明の雷の鎧に包まれているように見える。
「…ふー、ふーーー!」
雷狼化したサナが駆ける。
まさに獣が駆けるごとく四足に近い体勢でグァルタに接近すると、手にまとわりついた鉤爪、雷爪で切りかかる。
ズバッ バチーーーンッ
雷爪は相変わらずの威力でグァルタの皮膚を切り裂くと、内部に雷撃をお見舞いした。こちらは以前と変わらない威力だが、雷が反物質化しているため強度が上がっており、剣先に近い使い勝手になっている。
グァルタが腕を振るって反撃。しかしサナは、その腕にしがみつくように回転して回避。お返しとばかりに蹴りで腕を切り裂く。
足のほうにも両手と同じように雷爪が装備されているため、蹴りでも高い攻撃力を維持できるのが強みだ。
さらに攻撃力はもちろん防御力も上がっている。グァルタの攻撃をあえてギリギリで受け、強烈なカウンター!
雷爪はグァルタの筋肉すら抉り、傷口から紫色の血液が噴き出す。十分な威力だ。
サナはここから猛攻を開始。
殴り、蹴り、抉り、ひたすら切り刻む。
サリータとの連携もばっちりで、刀の攻撃が雷爪に変わっただけで再び流れを引き寄せていく。
しかし、より身近な存在となったサリータだけは、サナの現状に気がついていた。
(このままでは駄目だ! サナ様の『命気』が切れてしまう!)
魔石のエネルギーはすでに切れていた。ならば、この力はどこから出しているのだろうか。
それは当然ながら『命気』。
アンシュラオンがサナの生命維持のために用意していた高純度のエネルギーを吸収して動力にしているのである。
他の魔獣からエネルギーを吸収する手段もあるが、命気が上等すぎて舌が肥えているし、効率を考えても一番優れた力なのだ。致し方ない選択肢といえる。
だが、それももう尽きようとしていた。雷狼化は強い力だが、それだけエネルギーも使ってしまう。
そして―――からっぽ
「………」
完全にサナが停止。
目も虚ろで身体中からも力が抜け、立っているのがやっとの状態に陥る。
サリータがガードしているからこそ無事だが、ここで攻撃を受けたら命すら危うい。
唯一の幸いは、雷狼化した際の猛攻でグァルタもダメージを負っていることだ。クシャマーベの援護もあって反撃はそこまで苛烈ではなかったが、サナは動かないままである。
「サナ様! サナ様、ご無事ですか!」
「………」
サリータの呼びかけにも応えない。まさにすっからかんになる。
だが、生物としての生存本能は生きることを求める。生きる意味を求める。
―――「サナ」
自分をサナと呼んでくれる人が、それを教えてくれると言った。
一緒に寝て、触れてもらって、愛されて、毎日毎日彼という力を注がれて、黒い少女の中には確実に『意思』が宿りつつあった。
「…はぁはぁ…はぁはぁ…」
ぼんやりと目の前の状況を見つめる。
サリータが自分の代わりに戦っている。自分が見つけた騎士が、信じた騎士が、期待通りに守ってくれている。
熱い意思が伝わってくる。彼女は自分と違って真っ直ぐに意思を表現することで力を発揮しているから、よりわかりやすい存在だ。
少女も、戦いたいと欲した。
自己のためだけではなく、自分の周りにいる自分に感情を与えてくれる人たちを守りたいと思った。
それは紛れもなく意思。戦おうとする理由。
―――力が、欲しい
少女は探す。戦うための力を探す。
刀は折れた。もう使えない。
魔石は力を失った。狼は眠ろうとしている。もう使えない。
それ以外の武器は有効打にならない。もう使えない。
探す、探す、探す、何かないかと探し続ける。
「…じー」
その目が、目の前にいるサリータを捉える。
彼女がここまで戦えているのは、溢れ出ている白い力があるからだ。それを吸収すべきか? 否。それは自分には合わない。
彼が与えてくれる『白』は自分の『黒』を照らすが、対照的であるからこそ価値がある。自分が白に染まっては価値がなくなる。
より彼に愛されるためにはどうすればいいのか。
もっと強くなるためにはどうすればいいのか。
彼が求める強さを得るためには何を使えばいいのか。
「…?」
ふと、思った。
あの白い光はどこから来ているのだろうか、と。
最初はドス黒いものだった力が、彼の力によって昇華されて白い力となった。そうであるのならば大本は黒いものだ。
では、そのさらに前、ドス黒いものは何から生まれたのだろうか?
子供が「なんで?」「どうして?」を繰り返し、仕舞いには「どうして人は生まれてくるの?」「なんでこの世界があるの?」という問いに親が困るように、あの黒いオーラの源は何だろうと単純に考える。
だから実際に【辿って】みた。
彼がくれた力は、この少女の中に宿っている。吸収している。それを直接辿ってみれば力の源泉にたどり着くはずだ。
奥に、奥に、奥に潜る。
黒い力は、どうやら一つの『メビウスの輪』から出ているようだった。おそらくは彼が力を出すときに回転させている『因子』がこれだ。
これならば自分も使えるのではないか?
そう思った少女は、その輪を回し始める。最初はゆっくりと、少し勢いがついてからは思いきって回す。
回る、周る、廻る!
少女の中で因子が廻っていく。
ゾワリ
少女の身体から黒い力が溢れ出た。
感情の力が乏しいからだろうか。目の前の銀髪の女性のようなドス黒いオーラにはならなかった。ただただ黒い力が湧き出てくる。
なるほど、たしかに強い力だ。彼ほどではないが自分もまたこれを扱えることがわかった。
「…?」
しかし、ここで少女はさらに疑問に思う。
では、この因子は何から出来ているのだろうか?
どんな原理で力を引き出しているのだろうか?
その源泉は何なのだろうか?
子供の問いと同じく、さらにさらに疑問に感じたままに潜り続ける。
遺伝子の配列、潜在意識、さまざまな秘匿されている情報を超え、その意識はついに三次元を超えて四次元を突破。さらに上がっていく。
昇る、昇る、潜る、潜る。
両者は違う言葉であるが同じ意味だった。
実はこの時、サナの術士の因子が急速に動き出し、『ダイブ』に近い状態を生み出していたのだ。
それは無意識だったからこそ奇跡的に成功し、いつもならば絶対に立ち入れない領域に触れることができた。
そこで彼女は視た。
黒い、黒い―――『意思』を
それは自分の黒とは違い、すべてを吐き出す『何か』であった。
その何かは世界のいくつかのポイントと繋がっているようだった。そこに向けて力を放出し続けている。
それは何であるか、という問いには答えられない。それ自体が知らないことは理解できないからだ。
サナはこの瞬間、【禁忌】に触れた。
それだけは知ってはいけなかった。理解してはいけなかった。
だからこそ黒いものはサナを視た。視るために自我を生み出すことになった。
〈魔人因子を辿ってここまで来たか〉
独りの男が立っていた。外見はどうでもいい。それに意味はないからだ。
重要なことは、その黒い意思がサナと接触を試みたことだ。普段はそんなことはしない。資格ある者が『真理に則って』干渉してくれば、それに応えるだけの存在である。
それが形を成した。それにこそ意味がある。
「………」
〈意思無き者。虚ろなる者。欠けた魂の末路。【失敗作】の成れの果てが迷い込んだようだな〉
「………」
〈よかろう、資格を与えよう。誰であれ、ここに至った者には『求める権利』がある〉
「………」
〈汝は何を欲する?〉
「………」
―――あの人と一緒に
それはとても小さいものだったが、黒い少女にとっては心に芽生えた大切な『意思の欠片』だ。
少女が意思を発したことで―――応える
「求めるのならば与えよう」
男の姿が消える。すでに必要なくなったので消失したのだ。
代わりに黒い大きな存在がサナと接触し、そこに回線を生み出す。
より彼と繋がるように。
より魔人と繋がるように。
より彼の愛に応えられるように。
「―――っ!!」
サナの意識が戻ると、突如として魔石が黒い輝きを発する。
廻る、廻る、因子が廻り続け、力を与え続ける。
バチンッ バチンンッ!!
だが、それは同時に雷でもあった。眠りにつきそうだった青い狼が、その波動に包まれて黒い雷を帯びる。
それは黒い雷の狼、【黒雷狼】の姿。
マザーによって封じられた黒雷狼が再びサナの前に姿を現した。しかし、以前のような凶暴な状態ではない。手当たり次第に周囲を破壊する化け物ではなかった。
大きさは前より小さくなっており、力と圧力が何十倍にも増加しているだけで、見た目は青雷狼と大差はない。
黒雷狼は黒い少女の前にかしずくと、静かに頭を差し出し、完全に服従する姿勢を示す。
姫が―――『黒き守護者』に触れる
すると狼の形が崩れ、黒い力が身体に絡みついて全身を覆う。
これはさきほども見た雷狼化と同じ現象であったが、力の源泉が違った。
「―――っっ!! っっっっっ!!」
声にならない声が響いた。
サナは口を開きながらも何かを訴える。当然声は出ていないが、身体の奥底、魂の奥底から湧き上がる強い感情を叫ばずにはいられない!
瞳が―――赤に染まる!
身体から力が溢れ出てくる。疲れもまったく感じなくなる。存在そのものが変わっていく感覚が全身を貫いた。
サリータ程度でさえ『魔人化』したのだ。ならばアンシュラオンが考えていたように、一番愛されているサナが魔人化しないとは限らない。
その兆候はすでにあった。初めて魔石が発動したローダ・リザラヴァンとの戦いをアンシュラオンは見ていないから知らないだけだ。
だから、ここでサナに魔人の力が宿ってもおかしくはない。
廻る、廻る、もう一つの因子が廻る。
サナのユニークスキルである『トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉』が廻る。
バチバチバチッ ジュウウウウ
「………」
『黒雷』が収束し、サナが『黒雷狼化』を果たす。
趣はさきほどの雷狼化に若干似ているが、全体的にパーツはすっきりとしており、サナの愛らしい顔はしっかりと見ることができる。
黒い狼の耳、両手足の黒い鉤爪、普段着ているロリータ服に似た胴体の形状を含め、アンシュラオンの願望「オレが考えたサナちゃんの可愛い最強装備!」が具現化したようなデザインとなっている。
サリータが『魔人の騎士』ならば、サナは『魔人の姫』と呼ぶに相応しい姿だ。
ついでに尻尾も付いているが、身体全体に黒雷をまとっているために触ると非常に危険だ。絶対アンシュラオンは触るだろうから感電するに決まっている。
まあ、その当人がいないので、それ以前の問題ではあるのだが。
なぜこうなったかといえば、アンシュラオンの意思が反映された形になったからにほかならない。
サナにとって、それが【愛のすべて】。
アンシュラオンの愛が魔人の力と合体したからこそ、この魔人の姫が生まれたのである。
701話 「蜘蛛との決着 その6『姫の意思、黒雷の剣』」
魔人の姫―――爆誕!
サナが『魔人化』を果たし、黒雷狼の力を得て【魔人の姫】へと昇華される。
その存在感は圧倒的で、この場にいる魔獣を含めたあらゆる生物が、姫の出現によって動きを止めてしまう。
動けない。目を合わせることもできない。触れるなんてとんでもない!
その者が『上位者』であることがわかってしまうため、ひれ伏すことしかできないのだ。
「サナ様! ご無事なのですね!?」
「…こくり」
「な、なんという力の波動! これがサナ様の本当の御姿! 自分は今、猛烈に感動しております!」
唯一話しかけられるのは、同じ魔人の眷属であるサリータのみ。
彼女は地下闘技場にはいなかったため黒雷狼を見るのは初めてだが、感覚でサナが自分より上の魔人であることが瞬時にわかる。彼女こそ自分が守るべき存在、仕えるべき姫だと実感できる。
だが、両者の魔人化した工程が明らかに異なる。
サリータの場合は『影』によって因子を操作され、半ば強制的に覚醒したのだが、その姿は戦罪者たちと同じ黒いオーラに包まれていただけだった。
はっきり言えば暴走状態であり、もしアンシュラオンによって白い力に昇華されねば、そのまま力尽きていた可能性がある。
一方のサナは魔人因子の最奥、その『源泉』に接触したことで覚醒を果たし、しかも自分なりにアレンジすることに成功していた。
魔人因子も回転を続け、およそ『二十パーセントが稼動状態』に入ったまま安定している。暴走して自壊するようなことは起きていないことから、似ているようで起こったことはまったく違うのである。
これは彼女のユニークスキルの能力だと思われた。
外部の力で起動してはいるが、機構自体はすでに彼女の中で構築されていたと考えるべきだ。アンシュラオンとの深い繋がりの中で魔人化への準備が着々と進められていたのだろう。
また、わかりやすくすべての事象を『魔人化』と呼んでいるが、魔人因子の覚醒率によって形態や状態、その価値が大きく異なる。
たとえば戦罪者の場合でも1%未満、おそらく0.5%以下だろう。サリータも三パーセント程度にすぎないはずだ。それ以上はどうしても肉体がもたず、崩壊の道を歩んでしまうからだ。
この世界で魔人因子を百パーセント覚醒できるのは、やはりアンシュラオンとパミエルキの二人だけである。彼らだけが『真の魔人』である資質を持っている。
そのうえで二十パーセントという数字は驚異的。
サリータとの格の違いをまざまざと見せ付けることになった。やはりサナは別格。愛され方が半端ないのである。
ここまで達すれば、もう『名有りの魔人』の一角と呼んでも差し支えない。
では、その魔人の姫の力はいかほどだろうか。
「………」
サナが手をかざすと黒い雷、黒雷が迸る!
バチバチバチッ ドドドドドドッンッ!!
黒雷は触れたものすべてを一瞬で消失させる。周囲にいた蜘蛛も即座に砕けて存在そのものが消失。
最初からそんなものはいなかった、といわんばかりに消し去ってしまうのだ。
近づいてきた黒雷を押しのけようとしたグァルタの手も、あっさりと消し飛ぶ。彼の防御力などまったく無視して消失させてしまうから怖ろしい。
このあたりは黒雷狼の力が、そのままサナ自身のものになったと思えばいい。ローダ・リザラヴァンを消し去り、地下闘技場の壁すらズタズタに引き裂く凄まじいエネルギーがサナに宿っている。
ただし黒雷は魔獣も薙ぎ倒すが、戦艦の甲板まで引き裂いていく。
呼びかけにしっかり応えているため、たしかにサナ自身は暴走していないが、単純に力が大きすぎて制御ができないのだ。散歩中の大型犬に振り回される少女の姿を思い浮かべるとイメージがしやすいだろうか。
そして、それに巻き込まれる側はたまったものではない。
「なんだ…何が起きている!」
「やばい…! 甲板がぶち抜かれるぞ!」
マルズレンとデュークスには何が起きているのかわからない。わかることといえば、このままでは戦艦自体が危ういということだ。
封印されていたのは制御ができないからであり、周りを巻き添えにしてしまうからだ。それが解き放たれれば大惨事は間違いない。
黒雷が暴れ回り、大空洞の天井すら破壊して落盤が起きつつある。このままでは生き埋めになる可能性も出てきた。
がしかし、サナも以前のサナではない。
「…ぐぐっ」
必死に黒雷を制御しようと試みる。
あまりに強すぎる力のために極めてわずかしか成功していないが、それでも多少ながら雷を軌道修正し、身体にとどめようと努力する。
「サナ様! アンシュラオン様を想ってください! そこに答えがあります!」
サリータが叫ぶ。彼女も心が繋がった状態なので、こちらのことが少しばかりわかるのだろう。
「………」
アンシュラオンのことを考えてみる。
自分を愛し、生き延びる方法を教えてくれて、守ってくれる存在。温かくて強くて大きな存在。
すると、雷が少しだけ収束を始めた。サナが意識を向けた場所に集まり始める。
ここでサナは気づいた。
この雷を制御するための力こそ『意思』であると。
あの黒い意思は、サナに向かって問うた。何を欲するか、と。
もしサナが何も発しなければ、あの存在も何もしなかっただろう。求めること自体が衝動であり、力の誘引であり、存在する意義だからだ。
根源は―――意思
この宇宙が生まれた時も、絶対神の意思がすべての発端になっているはずだ。意思こそ光であり、光こそ創造の力の源泉である。
しかし、意思無き少女に意思を求めるとは、なんと酷な事実なのだろう。
彼女が力を扱うためには『心』を宿さねばならない。ただの人形、欠けた存在では駄目なのだ。
想う。思う、おもう。
彼のことを考えるということ。意識を向けるということ。
それは興味を抱くことであり、何かしらの感情を発露させることだ。
―――彼と一緒に
その後に続く言葉、感情が何かはわからなかったが、少なくともサナ自身に今までとは違う気持ちが宿りつつあるのは事実だった。
「…っ……っ」
苦しい。
何かモヤモヤしたものが心の奥底に宿っているが、それをどう表現していいのかわからない。叫びたくても声が出ない欲求不満が、サナに焦燥感を与えていく。
焦燥感を抱くこと自体が彼女の大きな変化を告げていた。意思がなければ焦燥すら感じないものだ。
何か、何か、指針となるものが、目印になるものが、導くものがあれば。
この気持ちを代わりに表現してくれるものがあれば。
そう思った時、彼女に向かって何かが投げられた。
「『黒いの』、使え」
この『黒いの』は、『そこの黒い女の子』という意味だと思われる。おそらくサナが真っ黒だったからだろう。
しゅるるる ぱしっ
サナが投げられたものを掴み取る。
それは―――【剣】
サナが愛用している刀ではなかったが、がっしりとしたロングソードであった。しかし、ただのロングソードではない。
「…っ!」
力が吸われる。
持った瞬間から剣が掃除機になったように、サナから黒雷を吸収し始めたのだ。
吸う、吸う、吸う。
集まる、集まる、集まる。
剣が真っ黒に染まった時には、黒雷の放出が止まっていた。
黒雷狼化している部分は黒雷が満ちていても、余剰に暴れ出たりはしていない。すべて剣に吸われて集まっている。
「…じー」
サナが剣を投げた者、ハゲ頭に鉢巻、黄色いサングラスに加え、もっさりとした豊かな髭をたくわえた、なかなかに濃い容貌をした老人を見る。
年齢的にはバルドロスと同じか、それより少し年上にも見える。ただ、着ているものは作業着らしき軽装で、鎧は着ていないので騎士であるかは疑わしい。
その老人はサナの剣が黒くなったのを見て、にっと笑う。
「すげぇな。色が変わるのなんて初めて見たぜ。まあ、そいつは簡単に折れはしねぇから安心しな。じゃあな、さっさと終わらせてくれ。こっちは穴倉生活に退屈してんだからよ」
そう言うと老人は去っていった。
慌てて周囲の騎士たちが彼の護衛に付いていたので、やはり戦艦の関係者と見るべきだろうか。
しかし、今は力の制御のほうが重要だ。いろいろと確認してみる。
「…ぐいぐい」
手が動く。黒雷は迸らない。
「…くいくい」
足が動く。黒雷は迸らない。
「…ぶんぶん」
剣を振る。黒雷は迸るが、さきほどのように暴れたりはしない。
今のサナには扱いきれない分の黒雷を剣が吸ってくれるため、身体から重さが取れている。
これならば、いける。
「…ぎろり」
サナの赤い目が、改めてグァルタを捉える。
その殺気、その排他的かつ絶対的な圧力が、グァルタを貫く。
「―――ウ゛ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」
グァルタの叫びは、まるで悲鳴。泣き叫ぶ女子供のようだった。
黒雷狼という上位の存在と対峙したことで、魔獣としての生存本能が刺激されたのだ。対峙した瞬間から絶対に勝てないことを知っていた。
逃げたい、服従したい、戦いたくない!
しかし彼の憎悪と怒りが逃げることを許さない。群れの長であるちっぽけな誇りが、彼を破滅へと追い詰めている。なんとも哀れな姿だ。同情心しか湧かない。
グァルタは無駄だと理解していても『炎嵐招来』スキルを使用。暴走した力は自身すら燃やしながら周囲を破壊しようと広がっていく。
その姿は、ついさきほどまでのサナと同じ。力を扱いきれずに自滅する姿である。
サナがグァルタと違うのは、独りではないこと。仲間がいて、彼がいることだ。
アンシュラオンの愛によって支えられたサナは、前に進むことを決めた。
自分の意思で―――魔人となることを
サナが鎮火しようとやってきたクシャマーベに視線を向けると、闘人は静かに立ち止まり、その意図を汲み取ってひざまずく。
魔人に逆らった者は魔人の力によって排除しなければならない。罰を与えねばならない。死をもって詫びさせねばならない。
「…じっ」
サナが、サリータにアイコンタクト。
ここで勝負を決めるという合図を送る。
(わかる。サナ様の考えていることが―――わかる! ああああああ! これが【姫の御心】! ふ、ふるえるぅうううううう!)
自分がサナの支配下にいることを、ひしひしと感じる。
彼女の命令がダイレクトに脳神経に、魂に伝えられ、彼女の意思が自身の意思になっていく。
彼女は何も語らないし、自らアクションは起こさない。
だが、内部はこんなにも―――深い!!
あまりの深さにサリータは恐怖と感動を同時に味わい、今にも達しそうだ。若干マゾ気がある彼女ゆえに、絶対的な力の差が快感になっているのだろう。
姫に命じられれば、燃えない騎士はいない!
「お任せください! わが姫の道を切り開く! それが騎士たる自分の役目!」
サリータが爆炎の中に飛び込む。
炎は見事に盾の形に切り抜かれ、「どうぞお通りください」と言わんばかりに無風の道を生み出す。
そこを悠然と突き進み、当然のようにサリータを踏み台にして跳躍。
グァルタの首に剣を叩き込む!!
ガギンッ! グギギギギギッ!
グァルタは硬い。耐久も防御も今までの相手とは段違いの魔獣だ。さきほどまでのサナの攻撃力では一撃で切り倒すのは難しいはずだった。
しかし、黒い雷を吸収した刃は―――首を切り落とす!
ズパンッ!!!
研いだばかりの包丁で野菜を切るように、あっさりと刃が通り抜けた。
どすんと首が床に落ちるが、まだグァルタの身体は動いている。さすがの生命力だ。
続けてサナの三連続攻撃。
その剣撃は―――まさに落雷!
ズパンッ、ズパンッ、ズパンッ!
人々に瞬きする間も与えず、グァルタを真四角に切り落とす!
大地に落ちたグァルタの両腕と両足が黒雷に呑まれて消失していく。頭部も絶望の眼差しを向けたまま爆散。塵と化す。
最後に胴体部分だけが落下。そこだけは焼かれないで残った。心臓の魔石は【魔人の王】が楽しみにしているので、あえて残して倒したのだ。
「………」
剣から黒い雷が消え、サナの赤い瞳も元のエメラルドグリーンに戻る。
身体を覆っていた黒雷も薄くなっていき、最後に少しだけ黒雷狼の姿に戻ると、ペンダントの中に消えていった。
これにて成敗完了。
グァルタほどの魔獣でもまったく何もできず、ただただ公開処刑が行われただけだった。
しかし、それで当然。それが当たり前。これこそが魔人の力なのだ。
「サナ様…」
サリータがサナの前にひざまずく。
「…こくり。なでなで」
サナは労うようにサリータの頭を撫でる。
「あ、ありがとうございます。あ、あれ…おかしい…な。涙が…」
「…なでなで」
「ああ…サナ様。どうかこれからも、あなた様に仕えることをお許しください」
「…こくり」
そこにあったのは、安らぎと快楽。ただサナに撫でられているだけで、すべてが満たされるような充足感を得ることができた。
それこそサリータが求めていたもの。心から信頼できる主のために、迷いなく命をかけて戦う騎士の生きざまである。
サリータの身体が元に戻っていく。魔人の力がサナに吸われるように解除されていく。
今になって考えれば、彼女が魔人化したのはサナを魔人化させるための布石にさえ思えてくる。さまざまな因果が干渉し合い、絡まった結果であった。
そして―――倒れる
力を使い果たしたようにサナが倒れ込むところを、サリータが慌てて抱きしめる。
すでに身体は限界だったのだ。逆に子供でありながら、これだけの力を出せるほうが異常である。
「サナ様! サナ様を安全な……ところ…へ! うっ…!」
「おい、お前もフラフラじゃないか! 私が担ぐ!」
リッタスが近寄るが、それを手で制止。
「馬鹿を言うな。サナ様は自分がお守りする。医務室はどこだ?」
最後までサリータはサナを手放さなかった。
その後、小百合やホロロが駆け寄ってきても、その役目だけは誰にも渡さない。
サナを戦艦内の医務室へと運び、目覚めるまでひたすら近くで番犬のように守っていた。
そして、戦艦が地上に出て太陽の光を浴びた時、サナが目覚める。それを確認してからサリータは倒れた。
そのまま彼女は二日間眠り続けることになるが、その間はサナもずっと近くで見守っていた。
姫と騎士の絆はこの戦いで、魂の結び付きと呼べるほどに深まったといえるだろう。
こうして戦艦側の戦いは終わった。ナージェイミアを無事救出したのだ。
|