702話 「蜘蛛との決着 その7『泡沫の想い』」
戦艦側が脱出を開始し、グァルタたちと交戦している頃。
アンシュラオンとガンプドルフも女王蜘蛛との最後の戦いに臨んでいた。
さきほどの『闘魂注入』によって女王はやる気満々。準備は万端だ。
「アタッカーは任せたよ。オレは敵の妨害を担当する」
「了解した」
ここで二人の役割がはっきり決まる。
剣士かつ魔人機乗りで、聖剣を発動させたガンプドルフは生粋のアタッカーだ。攻撃バフ盛り盛りの状態である。
それに対して生身かつ防御寄りのアンシュラオンは、必然的にサポート役となる。
最初に仕掛けたのは、闘争本能が刺激されている女王蜘蛛。
全方位に砲弾をぶち込む!
ここは彼女の巣穴なので何をしてもいい。所かまわず蜘蛛砲弾を撃ち込んできた。
「景気がいいね。でも、そんなものは通用しない」
アンシュラオンが前に出ると、魔人機を覆い尽くすほどの水泥壁を生み出す。
砲弾は水泥壁に当たると失速し、水中で動きを止めていく。命気結晶を散りばめることで防御力を増した特別製のため貫通は許さない。
(クロスライルの銃弾とほぼ互角の威力だな。この場合、どっちを褒めればいいんだ?)
彼と違って時間操作はないのでタイミングは完璧に把握できる。その意味では楽だが、ノーリスクで全方位に撃ち続けられることを考えれば、女王もまた怖ろしい相手だろう。
しかし、すでに撃滅級魔獣を想定しているアンシュラオンには通じない。クロスライルに好きにやらせたのは彼の能力を見極めるためであり、女王蜘蛛に関してはその必要性はない。
砲弾を防いだならば今度は攻撃だ。間髪入れずゴールドナイトが突っ込む。
「ぬんっ!」
界気をまとったライトニングソードが、女王の身体を断ち切る。
が、さすがにサイズが違う。
女王は二百メートル以上の巨体。そのダメージは微々たるものである。『完全自己修復』のスキルもあって即座に回復される。
再び女王の全方位攻撃のお返し。砲弾がばら撒かれる。
こちらもアンシュラオンによって再度防がれるが、これを続けているとゴールドナイトのほうがもたない。
さきほどの一撃も、砲撃を気にして全力で斬り込めなかったことが威力低下の原因なのだ。
「砲台はオレが潰すから、おっさんは力を溜めておいて」
「任せる」
「モグマウス、戻ってこい」
まずは周囲に展開させていたモグマウスをすべて集め、エネルギーを回収。
いつもやっていることなのでわかっていたと思うが、万一のためにモグマウスを放っていたのだ。戦艦側にも最悪の場合にそなえて数匹は待機させている。
では、再びモグマウスを放つのかといえば、そうではない。
モグマウスの役割は、あくまで地中に潜って相手を索敵することである。そこらの魔獣ならば簡単に駆逐できるほど強いにもかかわらず戦闘要員ではないのだ。
(このレベルになるとモグマウスでは性能不足だ。もう一段階戦闘特化しないと駄目だな。じゃあ、あれにしておくか)
アンシュラオンが、命気を使って新しい下僕を生み出す。
その姿はモグラよりも大きく、鋭い爪と牙が生えた【虎】であった。
全体的に本物の虎よりシャープになっており、スタイリッシュなので豹っぽくも見え、背中には命気結晶で作ったウィング状の刃が付いているのが特徴だ。これは命気結晶が武器に使えることがわかったため、追加で加えた武装となる。
また、命気以外の気質で作れば、その影響を大きく受けることになる。たとえば火気でこれを作れば、触れただけで相手を燃やせる火の虎となるだろう。
ただし、その場合は命気結晶との相性が悪くなるので、基本はすべて命気で作るのが汎用性があって使いやすい。(回復用にも使える)
その虎に似た命気獣『命虎《めいこ》』を、五十頭ほど生み出す。
「命虎、あの蜘蛛の砲台を喰い散らかせ!」
「にゃーー!」
そして、なぜか鳴き声は可愛い猫である。
単純にアンシュラオンが猫好きなだけで深い意味はないが、可愛い声とは裏腹に大地を素早く駆け抜ける速度は、モグマウスを数段上回る!
命虎の群れが縦横無尽に襲いかかり、爪や牙、背中のウィングで女王の砲台を切り裂いていく。
互いの連携も完璧。必ず五頭一組で動き、高い場所へは一頭が踏み台になって仲間を上に押し上げたりもする連携プレーを見せる。
そして当然、攻撃力も高い。今回はウィングも装備させているので、思った以上の破壊力で女王のHPを削っていく。
だが、相手もそのままではいない。
命虎の攻撃時に、キキキンッと甲高い音が交じってきた。
見れば、女王の身体には光沢感が宿っている。『外殻鉱物化』のスキルだ。
これは食べた鉱石を体内で化合して、強固な鎧を構築するものである。蜘蛛は身体が脆い傾向にあるため、このスキルは弱点を補うことができる優れたスキルといえるだろう。
女王の反撃。全体攻撃を仕掛ける。
しかし、砲撃ではない。『支配糸』を高速で射出する。
この支配糸は、少しでも触れれば半物質体を経由して精神に介入し、一気に支配下に置くというものである。つまりは精神術式と同じだ。
サナのサンダーカジュミロンが咆哮によって精神を砕くのに対して、女王は糸を媒介に支配しようとしてくる。
「悪いね。それも通用しない」
防御はアンシュラオンの真骨頂。命虎たちが射線上に躍り出て、自らを盾とする。
彼らは命気そのものであるので糸を受けても精神に介入されることはない。それで防げないものはアンシュラオンも念糸を放出して相殺。
(前より感覚が鋭くなっている。精神系の魔獣の攻撃も脅威には思えない。さっきのジュエルのせいか?)
『影』によって無理やりやらされた術式解除のほうが何倍も難しかった。そのせいで感覚がブーストしているのか、精神特化の女王の精神攻撃すら難なく受け止める。
こうして攻撃を完全に防いでくれれば、今度はガンプドルフの真骨頂!
「はぁあああああああ!」
背中の翼が一層輝き、超加速!!
それはサナの動きすらスローモーションに感じられるほどの速度。
聖剣によって加速された一撃が、炸裂。
剣王技、雷王・轟界剣《ごうかいけん》。
因子レベル6で使える界気を利用した技で、ガンプドルフにとっては雷王・麒戎剣すら超える聖剣使用時限定の大技である。
アンシュラオンが時間を稼いでくれたので、剣には十分な界気が宿っていた。
女王はすでに外殻を強化していたが―――強引に断ち切る!!
ズシャーーーーッ ブシュウウウ
より鋭く集約された界気は、鉱物化した外殻をバターのように切り裂いた。
それによって女王の身体の三割が、ぱっくり割れる。
そこにアンシュラオンの追撃。水覇・螺旋逢衝《らせんほうしょう》を放つ。
グマシカが使ってきた技だが、当然ながらアンシュラオンも修得しているものだ。だが、グマシカのものとは威力そのものが違うし、何よりも遠隔操作ができる。
ガンプドルフが放った轟雷を巻き込むように包み込み、水雷の螺旋が女王の体内を蹂躙。内臓を破壊しながら焼く尽くす。
しかしながら女王のスキル『完全自己修復』によって、再び急速に傷が塞がっていく。
『自己修復』はデアンカ・ギースも持っていたが、その上位版なので再生も異様に早い。姉のパミエルキも持っている上級スキルなので厄介だ。
「アーシュラ!」
ここでアンシュラオンは、攻撃の圧力を高めるため『闘人アーシュラ』を生み出す。
アル先生に使った未完成の闘人ではない。巨大な剣《つるぎ》を持った筋骨隆々の完成された炎の戦士が、そこにいた。
闘人に武器を持たせる『武装闘人』という技で、鏡体と同じく闘人操術の奥義の一つである。
生み出されたアーシュラが、巨大な剣を振るう!
スバーーンッ!!
それによって女王蜘蛛の頭部が、真横に半分に切り裂かれた。
そこにガンプドルフの攻撃が続く。切り裂かれた頭部を、今度は縦に切り裂く。
これには女王蜘蛛もたまらない。
思わず後退する、ように見せかけて『奥の手』を発動。
―――部位自爆
自らの身体の一部を弾丸として使い、より強力な砲撃を加えるものだ。
当然身体が破損するので多用はできない。だからこその奥の手である。
だが、強い魔獣になればなるほど奥の手を持っていることをアンシュラオンは知っている。今までの蜘蛛の行動を把握していたこともあり、この動きを完全に読みきっている。
ガンプドルフに向かう砲弾はアーシュラに受けさせ、自身はすでに背後に回っていた。
「最後の削りをさせてもらうよ!」
右手で、水覇・硫槽波《りゅうそうは》。
左手で、水覇・渦鉋《うずかんな》。
右手の水覇・硫槽波で酸のダメージを与えて脆弱になったところを、左手の水覇・渦鉋で削りまくる。
蜘蛛の襲撃を受けた際もさりげなくやっていたが、アンシュラオンは両手で別々の技を使っている。
これは二つの技が自身の因子レベルを超えない範囲で発動が可能な、達人を超えた超人だけが使うことができる『同時発動』という高等技術だ。
双因剣が異質な技なのは二つの因子を同時起動するからであり、戦士因子内だけならば同時発動はそこまで難易度が高いわけではない。
しかしながら技を二つ同時に扱うからといって強いとは限らない。余裕なく放った二つの不安定な技より、万全で放つ一つの普通の技のほうが効果的なこともある。
ただし、ベテランのアンシュラオンが使えば、その効果は単純に二倍。
業務用の機器で大根がおろされるように、凄まじい速度で身体が削られていく。
その後も二人は、絶妙なコンビネーションで女王を圧倒。
女王の強さは四大悪獣を超えている。再生能力も高いため、そこらの軍隊ではまず勝つことは不可能だろう。
それをたった二人で圧しているのだ。事実ゴールドナイトは女王との戦いでは、ほぼ無傷である。
(なんて快適な戦いだ! こんな一体感は味わったことがない!)
ガンプドルフは、あまりの感動に心が奮えていた。
目の前の少年は自分が何をしたいのかわかっているかのように、阿吽の呼吸で動いてくれる。
攻撃をすれば、その意図と意味を的確に感じ取り、理に適った技で援護をしてくれる。
相手が反撃してくれば即座に防御陣を形成し、代わりに守ってくれるため、ひたすら攻撃に専念できる。
流れるような一体感と連携合体攻撃が、次々と繰り出される。こんなことは魔剣士同士でも滅多に味わえない共鳴現象である。
それをこの少年は何の打ち合わせもなくやってのけるのだ。戦いの感覚だけで合わせてきてくれる。こんなに心地好いことはないだろう。
そして、その気持ちはアンシュラオンも同じ。
(面白い。これは面白いぞ! おっさんがオレの動きについてくる! こんなことは初めてだ! 姉ちゃんやゼブ兄とも違う。オレと力が近いから呼吸が合うんだ)
下界に降りてから自分より強い相手に出会ったことはない。それは今でも変わらない。
しかし、自分に近い実力を有する者が、ようやくにして現れた。
聖剣と魔人機という希少な武器を使ってようやく対等だが、それでもまったくかまわない。同じことを考え、同じように動ける相棒がいることは、こんなにも快適なのだと知る。
姉やゼブラエスでも同じことができるだろうが、今度は逆にアンシュラオンが足手まといになってしまう。それでは姉たちの実力を殺してしまう。
それが、このコンビならば生かし合うことができる。
雷の攻撃と水のサポートの相性も抜群だ。相乗効果で何倍にも力を発揮できる最高の組み合わせであった。
「おっさん、決めるぞ!」
「応!」
アンシュラオンが爆発集気。
ガンプドルフも聖剣の力を集中させている。
その間の防御は命虎に任せ、必殺の一撃のタイミングを合わせる。
まずは闘人アーシュラが玉砕の一撃。
剣を女王に突き刺しつつ、部位自爆に巻き込まれてボロボロになって消失する。
これでいい。闘人の役割は最初に突っ込んで、相手の隙を誘発することだ。闘人が強力であればあるほど無視することはできず、嫌でも対応するしかない。
次に本体であるアンシュラオンが突っ込み、技を放つ。
(『完全自己修復』が邪魔だ。倒すために破壊する必要があるな。あまり時間をかけたくない。少し強力な技でいくか)
アンシュラオンが、両手に【滅属性】のエネルギーを集める。
莫大な戦気のエネルギーを吸わせ、集め、集め、集め、超圧縮する。
その二つを―――合掌
融合しつつ反発し合う力が蠢き、空間が歪むほどの圧力を持つ球体が生まれる。
それをアーシュラが抉ったポイントに正確に―――叩き込む!
至高技、『豪覇《ごうは》・禁滅合掌烈波《きんめつがっしょうれっぱ》』。
超圧縮した滅属性のエネルギーを融合させ、急速膨張させることで敵を滅する因子レベル8の大技である。
これが至高技になっているのは、当然ながら非常に難しい技だからだ。
片手に集めた力だけを取り上げてみても、これをもう少し圧縮すれば覇王・滅忌濠狛掌になるほど強力な破壊力だ。そんなものを両手で扱う段階で、非常に繊細な戦気術の制御が必要になる。
インパクトの瞬間も難しい。あまりに強力なので少しでもタイミングがずれれば、自らの両腕を失う羽目になるだろう。
(豪覇系は怖いんだよな。だが、その分だけ威力が凄まじい。スキル破壊に関しても文句のつけようがない)
【豪覇】と呼ばれたかつての覇王は、滅属性のエキスパートとして敵を滅する技だけを練り上げた男として有名だ。
滅属性の力は、クロスライルやファテロナも使っていたが、まさに相手を滅するためだけに存在する波動である。彼ら程度であれだけ強いのだから、極めたらとんでもないことになるのは明白だ。
アンシュラオンの滅属性はまだ覚醒していないが、それでもこの威力。
女王が―――消失
叩き付けた箇所から直径四十メートルが、完全に消し飛んでしまった。
さらに烈波と名が付いているように技の余波が発生。
細かい粒子となった滅エネルギーが、女王の身体をズタボロにする。
この技で攻撃された箇所は『防御スキル全般』が破壊されるため、スキルによって再生することはない。治すには命気か術式による修復、あるいは再度のスキル構築が必要だ。
ゴポッ ゴポポッ
しかし、それでも女王が再生しようとする。
(スキルが破壊されているのになぜだ? 何がこいつに力を送っている? …あれか! あのジュエルだ!)
女王の身体の中央には、大きな【紫色のジュエル核】があった。
最深部にあった巨大ジュエルを女王が食べ、体内で再構築したエネルギー体と思っていいだろう。心臓と融合しているので、もはやあれが彼女の本体と言っても差し支えない。
「おっさん! あれを―――」
と叫ぶ必要はない。
すでにガンプドルフは剣に聖剣の力を集めて切りかかっていた。
その刀身は、まさに雷神の如く輝き、身震いするほどの力に満ちている。
紅蜘蛛を倒した時と同じく剣は溢れるエネルギーで肥大化しており、まさにスーパーロボットの必殺剣を彷彿させる。
「聖剣の一撃を―――くらええええええええええ!!」
閃光に近い雷光を―――【一閃】!!
ズバァアアアアアアアアアッ!!
ジュエル核に向かって、今必殺の雷神剣を叩き込む!!
聖剣にはBPを攻撃力に転化するスキルがある。ゴールドナイトのエネルギーに加え、ジュエル・モーターによって増幅されたガンプドルフのBPをすべて乗せているため、その攻撃力はSSSを突破。
「斬!!」
バキバキバキッ
ジュエルに亀裂が入り
バリィイイイインッ!!
完全に砕け散った。
その瞬間、ズォオオオオッと女王から何かが抜けていくのがわかった。
彼女にかけられた【古の契約】が終了したことを意味する【終焉の儀】。
前文明の超越者たちと交わした契約が、ここで断ち切れる。
女王の最期は、美しかった。
身体中から思念糸が放出され、彼女に託された想いが華のように開いて、泡沫のように少しずつ消えていく。
その中には、『彼女』との思い出もあった。
魔獣と人間が心を通わせることができることを証明した、たしかな絆。
それもまた歴史の大河の中に消えていく。すべての歴史は数多の生命の想いから生まれているのだ。
愛が、夢が、激しい情熱と闘争が世界を作っていく。
(この世界は強い者が勝つ。それが世の摂理だ。だが、お前の存在が無駄になることはない。その想いも力もオレが全部もらってやる。だから安心して死ね)
アンシュラオンは、その想いを吸収してまた強くなる。
ただの魔人ではない何かになっていく。
「少年!」
ゴールドナイトから降りてきたガンプドルフが、大きく手を振り上げる。
「おっさん」
自然と自分も手を振り上げる。
バッチィイーーーンッ!!
強烈なハイタッチ。
身長差はあったが、両者の気持ちが一つになった心地よいものであった。
英雄二人並び立てば、できぬことは無し。
そこに王がいれば、国すら興る。
これが荒野開拓の新なる一歩。戦艦救出作戦がついに終わりを迎えたのであった。
703話 「ジ・オウン〈大我の中の自我〉」
戦艦が亀裂から地上に出てくる。
アンシュラオンも女王蜘蛛を倒し、まもなく地上にやってくるだろう。
こうして大空洞での戦いは終わるわけだが、今回のことがどんな意味を持つのか、彼らにはまだわかっていない。
その証拠に、一部始終を空から見ていた者がいることに気づいていなかった。
〈やっぱり蜘蛛ごときじゃ彼らを止められなかったみたいだね。所詮は過去に取り残された異物だもの。仕方ないね〉
人の形をした真っ黒な『影』がいた。
最深部にあった巨大ジュエルに付与されていた大地の術式を解除する際、術式の核の前で出会い、アンシュラオンに管理を丸投げした者。
サリータに記憶の欠片を見られ、回収するついでに魔人因子を刺激した者。
いきなり出現したため、その正体についてはまったくの謎。何の説明もないが、そもそも出会ったばかりの者の正体などすぐにわかるわけがない。
しかし、アンシュラオンが警戒していた通り、この影は普通の存在ではなかった。
〈魔人因子だけならばいいけど、【真理】にまで接触してしまったんだね。まいったな…〉
影は少しだけ困っていた。
ここでの出来事はあらゆるイレギュラー、想定外の中で起きたことだからだ。
原因の一つは、サナ。
〈イレギュラーはいつだって起こるものだけど、真理はまずいよ。それにしても、あの女の子は何なんだろう? ただの【欠けた者】ならば『ウロボロスの環』の底辺に山ほどいるけどね。『再生』の際にミスがあったのか、あるいは意図的に作られた? さすがにそれはないと思いたいけど、やりかねないなぁ。三千年前に前例があるからね〉
影は、サナが出会った黒い意思を『真理』と呼んだ。
互いに正体不明の存在であるが、影にとって真理は厄介な代物のように聞こえる。怖れてはいないが制御できない危ないもの、といった認識だろうか。
〈あの子については保留かな。【黒狼】が肩入れしたところで、たかがあの程度だ。特段対処する必要もないだろう〉
影にとってみれば、サナが魔人因子を少し操れるからといって微々たるもの。グァルタには最凶最悪でも、より大きな存在からすれば瑣末な問題だ。
『黒狼の眷属』が若干ながら援助していることは気になるものの、管轄が違うので関与することではない。
ただ、アンシュラオンに関しては予定通りだ。
出会う瞬間までは意識しなかったが、それは自分が影だから。彼という存在のことは『本体』が熟知している。
〈あれがアンシュラオン、『願い』から生まれた存在か。接触するなら教えておいてほしかったものだけど、それも使い走りのつらいところだね。彼は良い。とても良いね。好きになっちゃいそうだ。彼はきっと楽しいことをしてくれるに違いない。これからに期待だね。おっと、そろそろ本体に戻らないと〉
影の周辺の空間が歪むと、生み出された穴の中にすっと溶け込む。
その中は、まさに無限の刻が流れる世界。
上には現在、下には過去、左には未来、右には仮定。天は無窮で、地は永遠。
上がって下って、曲がって沈んで、また上昇する。
すでに起きた事象と、今後起こるであろうあらゆる可能性が入り混じった『記憶の黄昏』が、地平線に浮かぶ太陽の如く煌いていく。
人の記憶。魔獣の記憶。物の記憶。大地の記憶。星の記憶。
あらゆる記憶が世界を構築し、さきほど死んだ女王蜘蛛の泡沫もその一つとして吸収されていく。
影は無限の可能性を感覚で理解しながら、大きな流れに乗って『本流』へと戻る。
そして『大河』を構成する一つの要素として、自身の体験と記憶を還元する。
影は一つではない。常時一定数の影が世界中から集まって情報と記憶を大河に還元しては、また分かれて旅立っていくことを繰り返す。
ただし、今回は重要な情報がもたらされたために、中央に大きな自我が生まれる。
自我は不規則な光の集合体であり、意識の煌きであり、記憶の瞬きである。
その輝きが求められるままの形となり、一つの個性として生まれ出でた。
「そうか。予定通りにアンシュラオンが来たんだね。ボクも会いたかったな。でも、影はボクでもあるから出会ったことと同じかな? ふふ、彼はボクを好きになってくれたかな? そうだといいな。だって、同じ記憶を持つ者同士。好きにならないわけがないよね」
そこには十代半ばの【女の子】がいた。
艶やかな黒い髪と黒い瞳を携えた美少女だが、若干の幼さを残しているので中学生くらいの印象を受ける。
着ているものは黒いローブ。ステレオタイプの中世の魔法使いをイメージしてもらうとわかりやすいだろうか。
ただ、それもまた意図的にやっていること。何もない場所に存在を生み出す時、必ず『観測者』が必要となるからだ。わかりやすさそのものが他者にとって認識を容易にする。
たとえば漫画を読んでいる時、読んだ地点で登場している人物や場所は確定していても、まだ読み進めていないところの状況はわからない。仮にそこに新しい登場人物や場所がすでに作者によって描かれていても、読んでいない人間にとっては存在しないと同じである。
観測されないものは存在しえない。そこに存在すること自体ができない。
よくミステリーやSF作品で『シュレーディンガーの猫』について取り上げられるが、この影の場合もそれに似ている。
影の集合体を『視る』者がいてこそ、影は影として存在しうるという、謎々のような不思議な存在がこの少女なのである。
だが、れっきとした生命体、意思ある存在なのだ。
「グレドガンガシフ〈絶対不死の岩城〉、いるかい?」
「はっ、御身の傍に」
少女の影から、二十メートルはあろうかという巨大な『六本腕の異形』が出現した。
異形の姿は、いくつもの岩を重ねたようにゴツゴツしており、腕が生えていなければまさに『岩城』と呼ぶに相応しい剛健ないでたちだ。
彼もまた名によって体《たい》を与えられた者。少女が観測することで存在を許された者である。
「少し世界を見て回ろうと思う。付き合ってもらえるかな」
「御意。御心のままに」
「どこがいいかな。まずは西大陸からぐるっと回ろうか」
少女が意識を向けるだけで空間の一部が歪曲。移動用のワームホールを生み出す。
そこに飛び込むと、一気に世界が変化。やや薄暗い場所に出た。
眼下には星が見え、稲妻のように大気が発光しているのがわかる。それらすべてが生命活動であることは、物理的な視野しか持たない地上の人間には理解できないだろう。
数多の精霊たちの活動が星の運行を助け、その中には強大な自然現象を操る『神々』もいた。『自然神』あるいは『高級自然霊』と呼ばれる者たちであり、日本神話で語られる八百万の神々に近い存在である。
さらにもっと細かく見ていけば、そこにはいくつもの世界と階層が存在し、それぞれの進化レベルに応じた生命たちが暮らしていた。
いわゆる『霊界』と呼ばれるものだが、この星では『愛の園《その》』と呼ばれており、その最上階には女神マリスもいる。
「女神マリスの輝き。霊的太陽の光は今日も健在だ。特に問題はないようだね。では、次に女神マグリアーナの世界を覗こうか」
そう言いながら下降し、星の大気圏に突入。
「ホルスエンジュ〈大深空の赤翼〉、おいで」
少女が影から新たな存在を召還。
小さな蛇の集合体に翼が生えた巨大な異形が出現し、少女とグレドガンガシフを乗せて、ゆっくりと大気を滑走する。
そのまま西大陸の上空に到着。
高高度から覗く大陸の景色はとても美しいが、中身は地獄絵図のようなもの。西大陸では文化や技術が発展するが、いつも争いが絶えない。
人間の憎しみと怒りが常に怒号とともに響き渡り、互いに殺し合い、奪い合っている。それを地獄と言わずに何と呼ぶのだろうか。
少女は、そんな人間たちに無機質な視線を向ける。哀れみのような侮蔑のような、それでいて愛くるしい複雑な感情が含まれていた。
「グレドガンガシフ、人とは不思議なものだと思わないか。愛し合えるのにもかかわらず、いつも争ってばかりだ。あまりに無計画で非効率的で不道徳。ボクはなぜ絶対神が『人という霊』を生み出したのか、いまだに理解できない。道理はわかるけどね」
「人とは可能性の塊。御身も人だと理解しております」
「たしかにボクも人だ。人でなければキミたちを支配することはできないからね。それもまた神が決めたこと。母神の御意思だ。でも、それも皮肉じゃないか。もうここに母はいない。そんなルールに縛られる必要はないのかもしれないね」
「矮小な身では理解することも困難です。お許しください」
「いや、君に知識を求めているわけじゃない。いいんだ。ただの独り言さ。でも、こういうときは『追放者』のような弾けた連中がいたほうが面白いことを言ってくれそうだね」
「ご冗談を。あのような不良どもを御身に近づけるわけにはまいりません」
「わかっているよ。あーあ、お役所仕事もつまらないものだ」
「この大陸はどうされるおつもりですか?」
「特にボクたちが関わる必要はなさそうだ。ただ、北の国が大きくなるとは予想しているよ。世界を牛耳るほどの大国家になるだろうね」
「かつてもそのようなことがございました。しかし、すぐに潰れたと記憶しております」
「そりゃキミたちの時間の概念は彼らとは違うからね。千年なんて一瞬だと思えてしまえるほうが、人間からすれば異端だよ。地上とボクたちの世界は時間の流れも違う。彼らからすれば長い時間なんだ」
「そのようなものですか。難しいものです」
「ただ、警戒は怠らないようにしよう。技術レベルはまだ低いけど、バン・ブック〈写されざる者〉は扱い方によっては危険だ。また変に力を付けられと厄介だからね」
「御意」
「次は少し遠いから跳ぶよ」
一通り西大陸を見回ると、今度は海を越えて『世界の果て』にまで跳ぶ。
ガンプドルフが見せてくれた地図、その外側には『世界の果て』と呼ばれる謎の亀裂が存在しているといわれているが、それは実在した。
水平線の向こうまで広がる巨大な亀裂に、海水が吸い込まれる異様な光景が広がっている。
少女は亀裂の状態を確認。
「ボクから視ると問題ないように思えるけど、キミはどうかな?」
「問題ございません。呑まれた者も内部の海流にしっかりと転移しているようです」
「ここもね、さっさと解放したほうがいいとは思うんだけどね。いつまでも区切っていたら窮屈じゃないかな? 星は丸いんだよ? 繋がっていないとおかしいじゃないか」
「【外界】は、人間の手に負えるものではないかと。それこそ彼らにとっての地獄でありましょう。我らが引き続き管理するほうが安全と存じます」
「まだ時期が早いか。こっちも人材不足だから人の力が使えれば楽なんだけどね。まあ、それを決めるのはボクじゃない。女神の判断を待とう」
少女はさして興味もなさそうに立ち去ると、今度は南大陸を巡る。
南大陸の大半は島が多いだけで、ほぼ未開の土地といった様相だ。東大陸と大差はない発展状況である。
だが、こんな場所にも優れた文明が生まれたことがあった。
その中心部は、小さな島国。
「『約束の地』か。懐かしいね。あの時はボクも、ようやく本物の人類の進化が訪れるのかと期待したものさ」
「反乱鎮圧のことですか?」
「ボクらにとってはね。でも、彼らからすれば『聖戦』だったんだよ。物事は視点を変えれば、その数だけの事実が存在する。それでも真実は一つなんだけどね。おっと、『監視者』のお出ましだ」
少女が島の上空を飛ぶ巨大な竜を視認する。
天空竜、天竜とも呼ばれる『天災級魔獣』で、世界の六つのエリアを見回っている六体の『監視者』のうちの一体である。
「やぁ、お勤めご苦労様」
「………」
少女の言葉に反応することもなく、天竜ジグラルエルは去っていった。
彼の身体は透き通っているので、まるで大気に溶け込むように遠ざかり、消えていく。
「ふふ、相変わらず無愛想な子だよね」
「常々思っていますが、あれは危険ではないのですか? 稀にメイガス〈代行者〉との衝突も確認されておりますし、制御が利かなくなれば我らも手に負えません」
「さぁね。ボクの管理下にあるわけじゃないし、何かあっても関係ないさ。ボクにしてみれば天竜より、ここのほうが怖いけどね。また聖戦はこりごりだ。キミだって嫌だろう?」
「御意。強硬派の中には潰したほうがよいという声もあります」
「勘違いしちゃいけない。ボクたちの役割は【人類の進化】を促すことだ。とりあえず『真理』や『VALS』と接触しなければいいさ。やろうと思ってもできないだろうけどね。封印は…うん、大丈夫そうだね。じゃあ、次に行こう」
少女はそれ以外の大陸も軽く見回りながら、最後に東大陸西部にやってくる。
この西部は、北から南まで広大な荒野が広がる場所である。
その中で少女が特にお気に入りなのは、北部西方。
火怨山からグラス・ギースを含み、さらに東部まで含んだ大きな一帯である。他のどこよりも荒廃し、人が暮らすにはとても厳しい場所であった。
だからこそ耕し甲斐がある。
「なかなかいいじゃないか。種子も芽吹きつつある。東も南もそんなに悪くない。グレドガンガシフ、キミには『産声』が聴こえるかい?」
「産声ですか?」
「そうだよ。いずれここに【巨大な国家】が生まれる予定なんだ。その流れが着実に生まれつつあるってことさ」
「人間の世界のことはよくわかりません。また潰れるものに価値があるのでしょうか」
「そろそろキミも『夢』を見ることを覚えないといけないね。ボクたちだってこの世界の一部なんだから。『お客さん気分』でいたら取り残されてしまうよ」
「申し訳ありません。尽力いたしましょう」
「キミは良くも悪くも真面目だね。そんなところも嫌いじゃないけどさ。さて、今日はとても大事な用があるんだ。さっそく向かおう」
少女がアンシュラオンが蜘蛛と戦った大空洞をさらに超え、西方の中心地に向かう。
普通の人間は空を飛べないため、西方の詳細な地形はまったくわからないが、少女が真上から俯瞰すると見事な『超巨大結界』が形成されていた。
さまざまな異常気象も同様に何者も立ち入らせないためのもの。結界を構成する大切な要素の一つだ。
「今日、ここの『呪詛結界』の一つが消えたんだ。作った時のことを覚えているかい?」
「メイガス総動員で、六百五十五個の核を使って生み出したと記憶しております。なかなかに苦労しました」
「長くて古いものだから、五個や十個くらいの欠損はドット欠けのようなものだ。さしたる問題じゃない。でも、いい機会だ。そろそろ本格的に結界を解除しようかなと思っているのさ。女神からも許可は出ているよ」
「慎重な女神にしては珍しいことです。その一つがそれほど重要だったのでしょうか?」
「それが人の手によって成されたことが重要なんだ。そして、『災厄の魔人』の手によって成されたことがもっとも大切だ。まあ、お膳立てしたのはボクでもあるんだけどね」
「………」
「ふふ、気に障ったかな? キミの立派な身体もまだ治っていないからね。やはり魔人の力は怖いものさ」
「いまだ理解しかねます。それこそ、あのような存在が必要なのでしょうか」
「人の無限の可能性を破壊に向けると、ああいうこともできるということさ。温厚なボクたちには理解しにくいけどね。それもまた可能性の一つだってことだね。さて、キミを連れてきたのは『煉獄への道』を作ってもらうためなんだ。お願いできるかな。ボクが開いてもいいけど目立つからね」
「御意」
グレドガンガシフの六本の腕、それぞれに植えられたジュエルが輝き、空中を掴んだ。
景色に変わりはなく、風も普通に吹いている。魔獣たちが飛び回っている姿も確認できる。一見すれば何も起きてはいないように思えた。
がしかし、その深奥では凄まじい術式の演算処理が行われている。
現在のアンシュラオンでは感知すらできないほどの超巨大結界の『管理者用コード』が発動し、煉獄への道が開かれようとしているのだ。
作業は完了。
一人分だけ入れる通路が完成する。
「完了しました」
「ご苦労様。キミはここで待っててね。大丈夫だと思うけど、もし入ろうとする者がいたら排除していいよ」
「御身の思うがままに」
少女が中に入ると、グレドガンガシフが入り口を塞ぐように立つ。
誰もここには来ないだろうが、もし来たとしても彼によってあらゆる障害が排除されるだろう。彼の『絶対不死』を打ち砕くことが出来る者は、この世で数えるほどしかいないのだから。
その彼にちょっとした不幸があったとすれば、少し前に『災厄の魔人』と出会ってしまったことだけだ。
今でも岩の身体には大きな傷跡が残っており、防御には絶対の自負があったがゆえに、あの時の屈辱は忘れていない。
だからこそ闘争に満ちた世界を憂う。
(災厄の魔人。【ジ・オウン〈大我の中の自我〉】のお気に入りのようだが、ただの悪鬼にしか思えぬ。それもまた我の浅慮ゆえなのかもしれぬが…人の世はあまりに混沌としている。哀れなほどにな)
ジ・オウン〈大我の中の自我〉。
それこそ少女を観測する際に使う記号ではあるが、名前であって名前ではない。
そうとしか言いようがないから、そう呼ぶしかないのである。
704話 「虚構の夢、超大国イーアウェパス」
少女はいくつもの空間を超えて、無限の過去と未来を垣間見る。
それらはことごとく幻であるが、起こったことと起こるかもしれない可能性が重なった無限の世界であり、絡み合う記憶の粒子が万華鏡のように美しく輝いていた。
儚く散っては流れる『泡沫の夢』をいくつも堪能しながら、最後に少女がたどり着いた場所は、その中でもっとも奥深くに沈んだ世界。
至る所に最高級のジュエルを惜しみなく使った【巨大な大都市】が見える。
中央にある巨大なタワー状の城を中心に、十六の通りが外側に向かって広がっており、それぞれがグラス・ギースより何倍も大きな都市として機能している。
それ自体も凄いのだが、この都市の最大の特徴は『空中に浮かんでいる』ことだろうか。
支柱や橋で大地と接地している部分もあるが、ほぼ完全に浮いているといって問題ないだろう。大地にはいくつもの巨大なジュエルが配置されて光っているので、おそらくは術式を使っていると思われる。
大都市のさらに上空では数多くの飛行型魔獣が飛んでいた。どうやら魔獣を支配し、配送や交通機関として使っているようだ。
そうした普通の魔獣以外にも、大都市の外には大型の魔獣の姿も見受けられ、竜型、獣型、虫型、巨人型、多種多様な魔獣たちが跋扈している。
彼らは人間の敵ではない。大都市防衛のために配置されている『兵器』である。
どう見ても撃滅級魔獣であろう強力な個体もいるが、意思なき人形のように静かに命令を聞き、極めて従順な姿勢を見せている。
大都市の防衛には機械兵器も使われており、砲台やら戦艦やらがあるのは今と同じだが、目を見張るほどの大量の『魔人機』が配備されていた。
いや、よく見ればそれは魔人機ではない。【神機】だ。
人界の兵士階級の神機が数多く見られるが、騎士階級の神機も多数おり、その上の女王階級、王階級の姿も少数ながらいるようだ。獣界、竜界、精霊界と珍しいタイプの神機も確認することができた。
さらに彼らが持っている武具も異常。そのどれもが『聖剣』や『魔剣』、あるいはそれに匹敵する装備を整えているのだ。
ガンプドルフのゴールドナイト一機だけ見ても、あれだけの力だ。それが何千、何万と存在するのならば、本当に世界の覇者になれるかもしれないと思うだろう。
その認識は正しい。
かつて世界を席巻し、支配した国があった。
今、少女が見ている大都市こそ、超大国イーアウェパスの首都―――
イェテルノース・アジテーラ・ウェパス〈我、永劫に神を超えたりし〉
あらゆる富、あらゆる技術、あらゆる力が集まる世界の中心地なのだ。
「ここも変わらないなぁ」
少女はそう呟きながら地面に降り立つと、楽しそうに都市を歩いて回る。
都市は異様な賑わいを見せており、物に溢れて人々が享楽の日々を送っていた。
昼間から酒を飲んで酩酊する者、暴飲暴食で腹が膨れた者、性的な刺激を求める者、高価な衣類や宝石を追い求める者、暴力衝動を発散させるために奴隷を買って痛めつける者、何もしない者、馬鹿にする者、無意味な知識をひけらかして無知をさらけ出す者。自殺する者。
取り上げればキリがないほど、そこは人間の欲望で塗れていた。
通り過ぎる者の中には身体半分が魔獣のような者、あるいは傀儡士が操っていた機械人形に似た何かも平然と歩いている。
誰もが特に反応していないことから、ここでは珍しくもない光景なのだろう。
そんな中、酔った男が少女にぶつか―――らない
すっと両者の身体が何事もなくすれ違い、男は不思議そうに首を傾げながらも、またふらふらと歩いていった。
少女もまた何事もなかったように都市を進んでいく。
そして都市の最上部であり、最奥にある巨大なタワー型の城にやってきた。
見た目は螺旋を意識した曲がりくねった奇抜なデザインで、どこぞの前衛芸術家が作ったようにさえ思える。しかし豪華絢爛なのは間違いなく、圧倒的な存在感をもって君臨していた。
もっとも重要なことは、その城すべてが『オリハルコン〈黄金の羊〉』で出来ていることだ。
オリハルコンはよく伝説上の金属としてファンタジーに出てくるが、この世界では『半有機的物質』と呼ばれるもので、名前の通り有機的な側面と無機的な側面を併せ持った非常に希少な金属だ。
超一流の錬金術師が、何百年もかけて数十キロしか作れないといわれているものであるため、このような巨大な城を造るには、いったい何百万人の錬金術師が必要になったのだろうか。
だが、オリハルコンにはそれだけの価値があった。
この金属を介して発する波長は、地上の物質だけにとどまらず、幽的次元を超えて霊的次元にまで干渉することができる。
それを正しく扱えれば霊界との素晴らしい関係が築けたかもしれないが、この都市の実情を見れば、それが真逆の目的のために使われたことがわかるだろう。
「やぁ、久しぶり。いきなり来て悪いね」
城の入り口には、一人の女性が立っていた。
ジ・オウンが彼女に向かって親しげに手を振る。どうやら旧知の仲のようだ。
見た目はまさにアンシュラオンが好みそうな三十代の妖艶な女性で、整った顔立ちに潤んだ瞳、豊満な胸、肉厚な太もも、どれもが高得点を獲得しそうな絶世の美女である。
それが普通の人間と違うのは、黒い翼と角、尻尾がそなわっていることだろう。我々がイメージするサキュバス、または女性悪魔に似ている。
だが、紳士諸兄の皆様方が鼻の下を伸ばしていられるのも、そこまでだ。
彼女の背後には青黒く巨大な鬼の顔と、いかつい腕が浮かんでおり、地獄の閻魔様のようにこちらを睨んで威圧していた。
これも彼女を構成する要素の一つであり、身体の一部と思ってかまわない。もし迂闊に近寄ればどうなるのか、いちいち語るまでもないだろう。
「これは珍しい。あなたが来るとは、いつ以来でしょうか」
「いつだったかな。ここをキミに任せて以来だから、ええと…一万年くらいは経ってる?」
「13586年ぶりとなります」
「もうそんなになるのか。長いね」
「いえいえ、まるで昨日のことのようですわ。ここは快適すぎて『刻』の流れを忘れてしまいますもの」
「キミにとってここは楽園だったね。きっと楽しい毎日だったのだろう。いいなぁ、ボクは馬車馬のように働いていたのに」
「では、代わりますか?」
「遠慮しておくよ。こんな場所にいたら頭がおかしくなりそうだ。キミは欲望に塗れた街の人々を見ていて飽きないのかい?」
「あれこそが人間の本質であり醍醐味。可愛いものですわよ。私たちには知りえない欲求ですものね」
「趣味もそれぞれってことだね。うーん、まいったな。楽しんでいるところ申し訳ないけど、キミの楽しみを奪うことになるかもしれない」
「封印を解除されるおつもりなのですね」
「もう全部わかっているなら話は早いね。で、どうだろう? キミの意見が聞きたいな」
「そういう【契約】でしたから問題はございません。しかし、『煉獄』を解除すると地上に相当な余波が生まれますよ。煉獄はただの封印ではありませんもの」
「解くといってもすべてを解くわけじゃない。まずは呪詛結界を解除して、それから様子を見ながら順次段階を経てやるつもりさ」
「それでも呪詛が外部に解き放たれることになりますわ。あれは封印しつつ有効活用するものであったはずでしょう?」
「うん、そうなるね。ボクたちが呪詛を管理し、一定のルートで巡らしていたから外には出なかったけど、それをなくすってことは無秩序になるってことだ。ガス管からガスが漏れ出すようなものかな」
「それを知りながら解くとは、やはりお人が悪い」
「人間側が求めたことだもの。ボクらは彼らの意思を尊重するのが仕事だ。どうせ個別に解除していっても、いずれは同じことが起きるしね。それなら暴発する前に解放したほうが安全だろう」
「ジ・オウン、何か良いことでもありましたか?」
「そう見えるかい?」
「今のあなたはとても『人間』らしく見えますわ。それに、すごく楽しそう」
「ふふふ、だって楽しいんだもの。『彼』と一緒の時間軸にいられるのが幸せでたまらないんだよ」
「私の知らないところで面白いことが始まっているようですね。ずるいですわ。私に煉獄を押し付けてあなたばかり楽しんで」
「大丈夫だよ。キミもいずれ出会うことになるはずさ。まだだいぶ先にはなりそうだけどね。そのときはよろしく頼むよ」
「それは楽しみです。呪詛はかまわぬとして『魔神結界』はどうなされます?」
「あれはそのままでいいや。彼ら自身が自らの力で打ち払うことに意味がある」
「了承いたしました。ジ・オウンの御心のままに。では、中にどうぞ」
巨大な門が開き、少女は促されるままに城の中に入る。
まずはさまざまな種族のメイドや執事、騎士たちが出迎える。彼らの中には獣の耳や尻尾が生えた亜人種も含まれていた。
アンシュラオンならば「猫耳モエー」とか言いそうだが、ジ・オウンは彼らをこう呼んだ。
「『欠けた者』を集めるとは、趣味がいいね」
「ふふ、ありがとうございます」
「ちょっとした皮肉だったんだけどなぁ」
「案外、気に入っておりますのよ。見てください。このまったく無意味で無価値なものを。どうやったらこんなものを生み出せるのか、まともな神経ならば理解することはできませんわ。でも、それがいいのです」
美女が廊下を指し示す。
城の中は外よりもさらに豪華で、至る所に絵画や像といった美術品が並べられ、豊かさをこれでもかと見せ付けている。
しかしながら、そのどれもが上辺だけ。見てくれのものである。
外見だけを着飾り、中身はまるでない。外からの評判だけを気にして、その内面をまったく省みない者が好みそうな『殻』である。
美女たちは幸いながらというべきか、まともな神経をしているので、どうあがいてもこんなものを作ることもできなければ、生み出すことさえ不可能だ。
しかし、だからこそ愛しいと言う。やはり彼女も変わり者である。
そこから先は長いので割愛するが、『美女の趣味』を半ば強制的に見せられ、少女が若干辟易しながらたどり着いたのは―――『玉座の間』だった。
巨大なホールの周囲を同じく巨大な異形な石像が居並び、その中央に玉座が存在した。
そこは光だけで作られたかのように真っ白で、天井から常に力が降り注ぐ【超常の頂】であった。
玉座には、一人の異形が座っていた。
頭部は、女性の顔も半分残っているが、もう半分には羽の生えた仮面が引っ付き、長い髪の毛は夕焼け色に燃え盛っている。
胴体は、いくつものジュエルが付いた服は着ているものの、魔獣かと思わしき逞しい身体であり、皮膚は白く硬質化している。
手足は、機械化されていてすでに人間のものではない。数も増えており、手は四本、脚は六本ある。
そして彼女の背後には、身体よりも大きな真っ赤なジュエルが取り付けられており、太陽の如く強烈な放射熱を周囲に撒き散らしている。
〈ううっ……ァァァ……腹……ヘッタ〉
その女の異形は、目の前に置かれた大量のジュエルに手を突っ込むと、口に放り込んでいく。
だが、食べてはいるものの力は漏れ続け、一向に食欲を満たすことはできない。
〈ハラ……へった……ハラハラハラハラ……ハラヘェエエッタアアアアア!!〉
それに苛立ったのか、ジュエルが積まれた容器を蹴り飛ばす。まるで癇癪を起こした子供と一緒だ。
女の異形の声は美しかったが、それもまた見栄えだけ。そう奏でるように造られた声帯から発せられただけのものにすぎなかった。
〈イタイイタイイタイ……クルシイクルシイ……どうして……満たされない! どうして! どうして!〉
女の異形がどんなに暴れようと、どんなに苦しもうと、近くにいた従者であろう異形を殴り飛ばしても、のた打ち回っても、空虚さは何一つ変化がない。
求めても求めても与えられない。得ることができない。
だからもっと求める。求め続ける。奪って奪って奪い尽くしても求める。
それでも何も変わらないから、また悶えて求め続ける。
食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、物欲、権勢欲、自己承認欲、地上の人間が求めるすべての欲を満たす道具が集まっているにもかかわらず、女の異形は何も得ることができない。
そんな彼女の前にジ・オウンが立つ。
すると女の異形は頭を抱え、怯えを伴った怒りをぶつけてきた。
〈ウウッ…ァァアッ! ジ・オウン!! 貴様…貴様ぁぁあ! 悪魔め! アクマ! アクマぁあああ! 死ね死ねシネェェエエエ!〉
「いやいや、いきなり誹謗中傷はおかしいよね? それが久しぶりに会う人に言う台詞かい?」
〈カエセ…! 余の……力を返せ! 夢を返せ!!〉
「夢って、キミがやっていた欲望を満たす行為のこと? それは依然としてここにあるじゃないか。巨万の富、豪華な城、美味しい食べ物、豊かな物品、キミを超常の者と称える者たち。いったい何の不満があるのかな?」
〈クルシイ……ハラがへった…! イタイ…! 快楽を得たい…! コロし…たい! ナマケタイ! ァアァァアッ! 栄華の道を…返せ!!〉
「ははは、それが栄華なの? 馬鹿丸出しだね。キミはここでいったい何を学んだんだい? これだけの時間がありながら何も変わっていない。だからここは【地獄】なんだよ。せっかく煉獄の試練を与えてあげたのに、もったいないことをしたね」
ジ・オウンは異形に侮蔑の視線を向ける。
この異形がこうなったのは、すべて自業自得である。そのうえで更生の道を与えたのだが、当然ながらそれを理解することもできなかった。
「地獄はこれだから困るね。こんな連中ばかりだ」
「簡単に更生できるようならば、最初からこうなってはおりませんもの」
「身も蓋もない話さ。いつまでも虚像に囚われて反省することがない。こんな煉獄が幾多もあると思うと、さすがのボクも少し考えてしまうよ。一万年以上も地獄にいるのに何も学べないとはね。困ったものさ」
「それもまた人間の可能性でありましょう?」
「皮肉のつもり?」
「それが愛ですもの。解放に伴い、『超常王』はどうなされます?」
「そうだね。このまま煉獄にいても反省はしないだろうし、やっぱり魂の解体処分がいいんだろうけど…ふふ、どうせなら再利用したいよね。どんなゴミでもさ、使える部分ってのはあるものだ。魂の核を剥き出しにしてもらえる?」
「わかりました。ラ・ゴウ〈魂を刻む罪鬼〉、やりなさい」
背後の鬼、ラ・ゴウ〈魂を刻む罪鬼〉がのそっと動き出すと、異形の身体がずるずると美女の影から這い出てきた。
顔は般若の如く、身体は光沢を帯びた大量の機械の集合体で、背中にはノコギリや斧、槍、金槌、ペンチといったさまざまな道具や武具を背負っている。
〈ひ、ヒィイイイッ! や、やめろおおお! ヤメロオオオオオ!!〉
超常王は、ラ・ゴウと呼ばれた鬼を見て恐れおののく。
どちらも異形なのでわかりにくいが、どうやらラ・ゴウのほうが彼女よりも何倍も怖ろしい存在のようだ。
必死に抵抗するが、あっさりと鬼の大きな手が超常王を掴むと、手足を引きちぎって頭と胴体だけにする。
それは虫を捕まえて手足だけをもぎ取る光景に似ていた。それほど圧倒的な差がそこにはあったのだろう。
それからいくつもの武器で突き刺したり、叩いたり、抉ったりする。そこに躊躇はまったくなく、ガンガンゴリゴリ作業は進められた。
〈ギャアアアアアア!! イタイタイタイタイタイタイタタタッタッタタア!!〉
見た目の美しさとは正反対の醜い叫び声を上げる。さきほどまでの美しい声は作り物なので、こちらが本来の彼女の声質である。
魂は嘘をつかない。何も隠すことができず本質だけを示す。
ただ、やたら作業が長引いているのは気のせいではないだろう。その様子を見ていた美女の顔はにやけており、悦に浸っていることがわかる。
心の底からその叫び声を愉しんでいるのだ。
「悪趣味だね」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。でも、こういった存在への対処は痛みが一番効率的でしょう?」
「まあ、ボクも地獄を作るから否定はしないけど、痛みと虚構が強すぎて自我すら失いかねない魂が多いんだ。しかしまあ、かつて地上を席巻した女王とは思えないほど醜いね。中身はただの俗物だよ」
「ジ・オウンは少し変わられましたね。昔は一緒に喜んでくださったのに。人としての記憶が増えたせいですか?」
「そうかもしれないね。いくつもの人としての記憶を受け取ったせいで、ボクはより人間に近づいているのだろう。『この身体の持ち主』の記憶も影響しているかもしれない」
〈タ、タスケ……テ! ―――!! タスケ…ッテ〉
超常王が、ジ・オウンに手を伸ばす。
ただし、助けを請う相手は違っていた。
「いまさら『娘』に助けを求めるのかい? さすがに都合が良すぎるとは思うけどね。そもそもキミが彼女を利用したのが始まりだ。自分の娘を改造して依代にした報いだね」
ジ・オウンが手をかざすと、玉座の間にヒビが入り、崩れ落ちていく。
超常王の身体にくっ付いていた太陽のジュエルは床の下まで繋がっており、それを辿っていくと植物の根に包まれた球体が存在した。
その中にいたのはジ・オウン―――と【同じ顔の少女】
彼女は完全にジュエルと一体化しており、呼吸もしなければ瞬きすることもない。
が、それでも生きている。
「キミたちは禁忌に手を出した。あらゆる霊的法則を軽視し、自分勝手に振舞った。だから罰が与えられたのに、その意味さえも理解せずに『泡沫の夢』の中でいまだにこんなことを続けている。哀れを通り越して馬鹿としか言いようがないね。だから、キミに相応しい新しい罰を与えよう」
〈ヤメロ…ヤメロオオオ! アクマめ! また壊すノカア!〉
「もうとっくに壊れているんだよ」
突如、大都市が真っ赤に染まった。
敵の襲来を告げる警報が鳴り響き、結界が張られ、迎撃態勢が取られる。
地上では超大国イーアウェパスの下僕たちが果敢に戦っているが、押し寄せる尖兵たちに苦戦しているようだ。
都市を襲う尖兵たちの多くは下位の異形たちだが、人間も交じっている。超大国の弾圧から逃げ延びて力を蓄えたレジスタンスだ。中には神機に乗っている者もいる。
空からも数多くの尖兵たちが押し寄せ、対空兵器による犠牲者を出しながらも、次々と大都市に取り付いて破壊していく。
その中にはグレドガンガシフ〈絶対不死の岩城〉の姿もあった。彼の『本体』は五百メートルを超える巨大な岩城であり、六本腕を使って巨龍種たちを駆逐している。
飛び交う超火力の砲弾、術式、レーザーが入り乱れ、双方に多大な犠牲が出ているのがわかる。
それ以外にも数多くの異形が参戦したため、まさに怪獣大合戦かのごとき様相を呈していた。
超大国イーアウェパスと襲撃者の戦いは、何百年にも及んだ。
戦いが長引いた最大の要因は、彼らが霊的科学技術を使って自らの身体を改造したことが挙げられる。超常王の異形は最初からではなく、後天的な因子改造によって得たものなのだ。
その際たるものが、ジ・オウンそっくりの少女。
蜘蛛の記憶で見た少女の面影を残した彼女から呪詛の力が注がれ、『魔神』と化した兵士たちが激しい抵抗を見せている。それが厄介なのだ。
しかし、幹部級の美女たちが出現してからは一気に戦局が変わった。
今までとは段違いの戦力が投入され、隕石が降り注いで防護結界を破壊。大地でも強力な機体による殲滅戦が行われて、大都市の兵器はほぼすべてが壊滅。
それと同時に『ギアス』が解除され、解放された魔獣や人々が反乱を起こして内部は大混乱に陥る。
もう終わりだ。誰がどう見ても長くはない。
どのような国でもいつかは消え去る。蛮行の報いは受けねばならない。
〈コワレル! 余の…クニが! 余の楽園が!〉
「違うね。これは地獄だよ。それに気づかないから終わりを迎えたんだ。さぁ、アレが出てくるよ」
〈ハァハァハァハァハァ!! ヘビ……ヘビがぁあああああ!! イヤダァアアアアアアア!!〉
最後に生まれ出でたるは、黒い蛇。
空中に十字の印をもって浮かび、断罪の刻を与える裁定者であった。
こうして超大国は―――滅びた
生き残った者は散り散りに逃げたが、あっけなく捕縛されて魂ごと封じられるか、罪が軽い者は『記憶』を奪われて放逐された。
こうした事後処理は極めて大変で、破壊された大地を修復するためには長い時間を要した。
〈ギャァァアアアアアア!〉
バリンッ ビシビシッ ぐりん
夢の終わりを迎えた超常王の身体も破壊され、大きな核だけが取り出される。
「それをどうされるのですか?」
「彼女には人間として、もう一度生きてもらうことにしよう。最低の形でね」
「あらあら、『受肉の罰』ですか。かわいそうに。ですが更生が目的ではないのでしょう?」
「ふふ、当然さ。この魂はもう駄目だ。どのみち破壊するしかないけど、その前に役立ってもらうとしよう。もう用は済んだ。壊していいよ」
「わかりました。名残惜しいですが、さすがにもうお腹一杯ですわね」
その美女、【ゼロラカンシャ〈刻の煉獄を統べる者〉】によって、この場に生まれていたすべての階層が破壊され、囚われていた魂がすべて解き放たれた。
多数は『ウロボロスの環』に戻っていったが、いまだ数多くの呪詛が大地には残っている。
元の次元に戻ったジ・オウンとゼロラカンシャが、グレドガンガシフと合流。
「お待たせ。終わったよ。異常はなかったようだね」
「御意。万事抜かりなく。呪詛結界の核はいかがいたしましょう」
「そのままでいいよ。使い古しのものだし、再利用されても問題はない。仮にまた惨事が起きようとも、災厄の魔人が自分で後始末してくれるさ。彼にはいい練習になるはずだ」
「御意」
「それじゃ、ボクは帰ろうかな」
「ジ・オウン、肝心なことを忘れておりますよ」
さりげなく帰ろうとするジ・オウンを、ゼロラカンシャが止める。
「あなたが管理している彼女の本体はどうされます? 私に黙って運び込んだ『玩具』もどうされるのですか?」
「あちゃー、気づいていたんだね」
「私が煉獄にいると思って悪さするなんて、本当に素敵な【魔王】様だこと」
「ゼロラカンシャ、煉獄を終わらせたばかりで悪いけど、引き続きここの統治を任せるよ。統治といっても特別な指令はない。キミがやりたいようにやってかまわない。その二つも自由にするといい」
「いいのですか? 遊んでしまいますよ」
「キミに対抗できないようじゃ、アンシュラオンもそれまでだってことだよ」
「良い名前。それが想い人の名なのですわね。私も好きになってよろしいですか?」
「怖いなぁ。盗らないでくれよ」
「それは保証できませんわね。うふふ」
「では、ボクはこれで戻るよ。これでも魔王だ。仕事は山積みさ」
魔王。
覇王、剣王と同じく世界三大権威の一人。理を統べる王。
世界最強の術者であり、人類の進化を見守る者であり、マスター〈支配者〉たちの王という側面を持つ彼女ならば、この巨大な術式結界を生み出すことも難しくはない。
「アンシュラオン、キミが本当の力に目覚めた時に、あの時の約束を果たそう。しばらくは緩やかに暮らすといい。それもまたキミの望みなのだからね。ただ、ボクのことは忘れないでほしいな。ボクの初めてを奪うのはキミって決めているんだからね」
ジ・オウンが再び『記憶の黄昏』に消えていく。
アンシュラオンが彼女と出会うのは、まだ先のことになるだろう。
705話 「激戦の事後処理 その1」
朝から始まった戦艦救出作戦は、太陽が真上からやや傾きを見せた頃に終わった。
これが夜ならばそのまま寝たいところだったが、まだ明るいのでそんな気分でもなく、生き残った者たちはただただ疲労で座り込んでいた。
毎日あれだけの訓練をしている者たちが、この短時間でここまで疲れきっているのだ。それだけの激戦だったといえるだろう。
亀裂から出たアンシュラオンとガンプドルフは、すでに地上にいる戦艦部隊と合流を果たす。
「メーネザー、よくぞ無事に脱出してくれた!」
「はっ、閣下もご無事で何よりであります!」
「ナージェイミアはどうだ?」
「脱出の際の戦闘で損傷した箇所もありますが、通常運行は可能となっております」
「なんとか上手くいったか。詳細報告は落ち着いてからでかまわないが、死傷者の特定は最優先で頼む。できるだけ遺品も回収したいからな」
「了解しました」
蜘蛛との遭遇および今回の戦闘で、戦艦側では十八名が死亡。ガンプドルフ側の死者は十四人。蜘蛛での奇襲で死んだ者たちを加えると、二十三名。
合計で四十一名が死亡となる。
負傷者はアンシュラオンもいるので時間をかければ全員治せるが、すでに死んだ者についてはどうしようもない。人員の補充が難しいDBDにとっては手痛い被害だろう。
だが、本来ならば半数の二百五十人以上の犠牲を想定していたのだ。これだけのハプニングで死者がたったこれだけであることは、逆に奇跡的。軍事的には大成功である。
その立役者は、当然あの男。
「あの御仁が、アンシュラオン殿ですね」
メーネザーがアンシュラオンを見る。
誰もが疲れている中、彼だけはピンピンしており、女性たちとの再会を喜んでいた。
彼女たちの安全確認が終わると、今度は鬼怒獣の死骸をこねくり回してもいる。どうやら使える部位がないか調査しているようだ。
アンシュラオンにとってこの程度の戦いは普通。日常茶飯事でやっていたことなので疲労はまったくなかった。せいぜい軽いジョギング程度のものだろう。やはり規格外だ。
「不謹慎な物言いになるが、少年を見ていると真面目にやっているのが馬鹿らしく思えてくるな。良い意味で犠牲を嘆く気持ちが湧いてこない」
「おっしゃりたいことは理解できます。物の価値観がだいぶ異なるようですね。我々も戦争でだいぶ鍛えられたと思っていましたが、まだまだ若輩者だったようです」
戦争では文字通り、万の屍を踏み越えてきたが、アンシュラオンはその何百倍も踏み越えていると思われる。
だから死生観そのものが違うし、殺すことも殺されることも当然の権利として受け入れている。
むしろ死を愛しているかのように優しく抱きしめる姿は、生物を超越しているようにさえ思えた。
「しかし、それこそまさに英雄の器。いや、【王の器】でしょうか。閣下が気に入られるのも当然かと」
「私は今日のことで確信した。彼こそ聖剣王国を救う太陽だとな。異論はあるか?」
「これだけの成果を見せられれば異論などありません。騎士たちも彼のことは尊敬し、畏怖するでしょう。ただし共闘する場合は、指揮系統を分ける必要があるようです」
「好き勝手やらせたほうがいい、ということだろう?」
「ええ、あまりに規格外です。あの女性たちも侮るわけにはいかないようです。侮った結果がこれです」
そう言って、メーネザーは破壊された甲板に視線を向ける。
「これは…また随分と派手にやったな」
「あの黒い少女がやったものです。魔獣を倒すためとはいえ危ういところでした」
「サナの仕業だというのか? …末恐ろしいものだな」
戦艦自体は無事だが、サナの黒雷によって外装の損傷が激しい。それが攻撃によるものならばまだしも、彼女はまとった黒雷を制御しようとしただけなのだ。それでこの被害である。
強いがゆえに、アンシュラオンともども扱いにくい側面があるのは事実だ。出会ったばかりのメーネザーも、いきなり身をもって味わうことになったが、付き合う前に理解できたことは幸運だろうか。
そこに当人のアンシュラオンがやってくる。
「おっさん、『掃討戦』のことなんだけど、少し待ってくれるかな。ここの蜘蛛を全部殺したくないんだよね」
「蜘蛛は敵だろう? しかも術式の影響で凶暴になっているはずだ。放っておけば亀裂から出てきて、また襲われてしまうぞ」
脱出したとはいえ倒したのはあくまで一部であり、大空洞内部にはいまだ多くの蜘蛛が残っている。正確な数はわからないが、カーモスイットだけでも五万以上はいるだろう。
どのみち水場の調査もあるので、DBD隊はしばらくここに滞在する必要がある。そうなるとやはり蜘蛛が怖い。できれば完全に倒してしまうのが一番なので、順次掃討戦を展開する予定だったのだ。
「女王がいなくなった蜘蛛は、完全に統制を失っていた。戻る時はほとんど襲ってこなかったでしょ? きっと混乱しているんだと思うよ。今すぐの危険はないはずだ」
「たしかにな。しかし、奇襲された側としては放っておくのは怖いぞ」
「それについてはオレが対応するよ。このまま亀裂を命気で塞いでおけば出てこられないからね。試したいこともあるし、オレに任せてくれないかな」
「何をするつもりだ?」
「一番奥に大きなジュエルがあったよね。あれを利用できないかなって考えているんだ。今までは人間に敵意を持たせるように作られていたけど、オレが女王にやったように違う感情にすり替えることができるかもしれない」
「逆に人間側に好意を持たせる、ということか?」
「そこまでは難しくても、落ち着かせることはできると思うんだ。もう少し解析してみないとわからないけど、やってみる価値はあるよね。もしそれが駄目でも試したいことがあるんだよ」
「ふむ、何か考えがあるようだな。私はかまわないが、ミーゼイアにはすぐに迎えに行くと言ってしまったぞ。あいつはAIのくせに、なかなか根に持つやつだ。遅れると何を言われるかわからん」
実はゴールドナイトは、エネルギー切れとオーバーヒートで機能を停止して大空洞内部に放置されている。
あの時ガンプドルフが外に出てきたのは、べつにハイタッチをするためだけではない。単純に機体がもう動かなかったのだ。
そのため仕方なく置いてきたのだが、「蜘蛛に喰われたら祟る」「絶対に喰われるから置いていくな」と散々文句を言われたので、すぐに迎えに行くからという条件で渋々残ってもらったというわけだ。
戻る際にアンシュラオンの命気球で包み、さらに命虎を五頭ほど護衛に付けているので安全だが、ミーゼイア自身は不満に思っているだろう。
文句を言う機械兵器。それが魔人機なのである。
「魔人機はオレがトラクターを持っていって引っ張ってくるよ。今から行けばそう時間はかからないさ」
「今すぐに亀裂に入るのか? 元気すぎるだろうに。私などフラフラだぞ」
「だからおっさんはここに残って、戦艦の指揮を執ってほしいんだ。まだ明るいし、他の魔獣だってこのあたりにはいる。安全には気を遣うべきだよ。オレは単独で動いたほうが気楽だから何も問題はない。どうかな?」
「少年がそれでよいのならば任せる。目的はギアス用のジュエル回収なのだろう?」
「バレたか。最深部はいつ陥没するかわからないし、早めに地盤の補強を行いたいんだよね。巨大ジュエルはもちろん、女王や大きな赤い蜘蛛の死骸も調べて使えるものは取り出しておきたいのさ。あれは絶対役立つっていう確信があるんだ」
「それならば逆にお願いしよう。我々も地盤の調査がしたいからな。だが、女性たちの傍にいないでいいのか?」
「サリータが寝込んでいてサナも付きっきりだから、今のところは放っておいてもよさそうだね。それに女性ってのは輪を作って群れるもんさ。もうチームワークが出来ているから大丈夫だよ。そんで、男は稼いで女性に貢ぐものだ。稼ぎがないと怒られちゃうよ。それじゃ、さっそく行ってくるね。いやー、楽しみだなー!」
アンシュラオンは死にそうな顔をしている騎士たちを尻目に、意気揚々と再び大空洞に入っていった。
まるでお宝探しに行く探検家、あるいは盗掘屋だ。目が輝いている。
「安全確保でも…いたしますか」
「そうだな。私も少年が作ってくれた風呂にでも入るとしよう。このまま倒れては指揮も執れないからな」
アンシュラオンを見ていると休む暇さえ惜しくなる。
嘆く時間などない。常に前に進み続けた先に成功と繁栄があるのだ。
∞†∞†∞
四日後。
DBD隊は、引き続き亀裂にとどまって調査を続けていた。
この間にさまざまなことが判明したので順次報告していくとしよう。
まずは意識が戻ったサリータを全裸の状態にして、隅々までチェックする。
「し、師匠!! く、くすぐったいです!」
「我慢しろ。いろいろと調べているんだ」
「は、はい……うひぃっ!」
「おっと、すまん。ついつい股に手がいってしまった。ここは大丈夫か? 中は無事か? あぁん?」
「ぶ、無事です! うふううううっ!」
「ふーむ、大丈夫そうだな。脳や臓器は無事。神経も筋肉にも異常はない。病気もないし精神干渉の痕跡も消えている。むしろ健康体だな」
サリータの身体に異常はなかった。まったくの健康体だ。
ただし、今までとは明らかに異なっている点がある。
―――――――――――――――――――――――
名前 :サリータ・ケサセリア
レベル:40/99
HP :1580/1580
BP :630/630
統率:D 体力: C
知力:E 精神: D
魔力:E 攻撃: E
魅力:D 防御: C
工作:E 命中: E
隠密:E 回避: F
【覚醒値】
戦士:3/5 剣士:2/5 術士:0/0
☆総合:第七階級 達験《たつげん》級 戦士
異名:サナ・パムの戦友
種族:人間
属性:火
異能:炎の体育会系、絶対忠誠心、熱血、護衛、身代わり、中級盾技術、物理耐性、即死無効、黒姫の騎士、白き魔人の騎士
―――――――――――――――――――――――
「サリータ…」
「は、はい、なんでしょう!」
「がんばったな…本当に」
「し、師匠! 泣いておられるのですか!! そ、そんなに泣かれたら…うう、じ、自分も……うぉおおーーーーんっ!!」
これを見た時の衝撃は今でも忘れられない。
感動して、思わず涙が溢れるほどであった。
(こんな不器用な子をよくぞここまで…本当にすごいよ。オレってすごい。よく見限らなかったよな。がんばったぞ、オレ)
違った。自分の努力に対して泣いていた。
(しかし、これはもう疑いの余地がないよな。薄々どころか、もう間違いない。オレと深く関わった人間は性能が強化されるんだ。もっと言えば【普通の人間じゃなくなる】のかもしれないな。どう考えてもあの時のサリータは『魔人種』になっていたからね)
エメラーダとの話で、魔人因子は(例外を除き)誰にでもあることがわかっている。
問題は、その覚醒率だ。
常人がどんなにがんばっても、どんな薬物を摂取しても、この因子が覚醒する確率はゼロに等しい。仮に覚醒しても微々たるものだろう。
一方で本物の魔人であるアンシュラオンに接すると、その覚醒率は跳ね上がる。
実際に触れて賦気を施されたり、命気や体液が体内に入ったりとさまざまな要素が考えられるが、最大の要因は―――【愛されるかどうか】
使い捨ての戦罪者は黒いオーラが出て強化はされたが、あそこで殺されなくても自壊して死んでいたはずだ。あれはオーバーロード〈血の沸騰〉と同じなので、因子の限界を超えて強化された人間は、いずれ死ぬ運命にある。
がしかし、サリータに後遺症はない。それどころか力を増したまま元に戻っている。
(人間自体、すべての因子が解放されることを想定しているようだから、理論上は誰しもが『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』を持っていることになる。ただ、これも魔人因子と同じく使いこなすことが難しいようだ。その両方を持っているオレの影響を受けるとこうなるってことかな? まあ、あの『影』が一枚噛んでいるところが怪しいけどな…)
ともあれ、サナですでに実証されていたので、サリータが強くなることは想定していたことだ。強くなって損をすることはない。大いにありがたいものだ。
ステータスは順当に強化されているのでいいとして、やはりスキルに目が移る。
追加された『黒姫の騎士』は、サナと一緒に行動すると能力が向上するスキルだろう。
最後の『白き魔人の騎士』は、あの白く魔人化した姿のことだろうか。ただ、こちらも多少の予想はつく。
(要するにラブヘイアみたいな感じってことなのかな。一時的にオレや姉ちゃんの力が流れて、ああいった状態になる現象だろう。まあ、姉ちゃんがあいつを愛することは五億パーセントありえないから、捨て駒は確定だけどね。あんなやつにサリータが負けるもんか。絶対にあの変態より強くしてやるからな)
「サリータ、これからも頼むぞ」
「はい! がんばります!」
サリータの返事にも、今までの気合だけとは違う『自信』がわずかに含まれていた。
まったく自信がなかった彼女だからこそ、慢心の恐れはまだないだろう。ここは素直に自信にしてほしいものである。
能力値だけを見れば、マキと大差ないレベルにまで至っているのが成長の証である。多少劣った面も見られるが、もともとサリータは防御型の武人であり、重装備を身に付けられることも重要な相違点だ。
これによってアンシュラオンにも希望が見える。
(サリータでもこれだ。才能がなさそうな女性でも鍛えれば強くなれるんだ! オレの計画がさらに捗るぞ!)
女性の武人は弱いという風潮こそが、一番の懸念材料だったのだ。その解決の糸口が見えたのだから、それはもう大喜びだ。
使い捨てのスレイブの男たちもそれなりに鍛えれば、DBDの兵士役くらいにはなるだろう。魔人の兵、なかなかに興味深い「商品」だ。戦力補充を切望するDBDには高く売れるに違いない。
だが、勝者に与えられる褒美は、こんなものにとどまらない。
706話 「激戦の事後処理 その2『可愛いサナ』」
サリータとくれば、次はサナの番だ。
ただ、一目見た時から何か違和感があった。
いや馬鹿なそんな!
まったくもって―――
「か、可愛い!!」
もう出会って半年以上は経過しているので、今ではだいぶ見慣れた彼女だが、今はやたら可愛く見える。
出会ってすぐに一目惚れしたくらいだ。もともと顔の造りも好みだし、美しい黒髪に浅黒い肌、柔らかい身体、身長も低いので申し分ない。
しかし、そういった外見では表せない魅力もひしひしと伝わってくる。心底から愛情が溢れ、「可愛い」と思えるのだ。
ありえないくらい可愛い。怖ろしいほど可愛い。おかしいほど可愛い。その全部がとにかく可愛い!
「サナちゃんっ!! かわいいぃいいいいいいいいいいいいいい!」
と叫び、抱きついたのは言うまでもない。
「可愛いねぇ、可愛いねぇ。すりすりすりすり」
「…ぎゅ」
「あぁーん、お兄ちゃんをぎゅっとしてくれるの? 嬉しいなぁ!」
「………」
相変わらずサナの表現は乏しいものの、抱きつくアンシュラオンの服を握っているので、彼女も嫌がってはいないことがわかる。
(なんだ? なんでサナがこんなに可愛く見えるんだ? 出会った頃から美少女でオレ好みだったのは間違いないが…ああ、やっぱりサナが一番なんだよな。うん、そうだ。サナが一番だ)
「サナ、話には聞いたけど『黒い雷』が出たのか?」
「…こくり」
「あの時の黒い雷狼の力が出たんだろうが…大丈夫か? 身体に異常はないか? 魔石は無事か?」
「…こくり」
サナも全裸にしてチェックしてみたが、サリータ同様に異常なし。完全なる健康体である。
「気のせいか、肌がさらに綺麗にきめ細かくなったような…ぷにぷに、ぷにぷに。すごい! 手が気持ちいいぞ! お尻も可愛いなぁ。ねぇ、お兄ちゃんにも尻尾見せて! 見せて!」
「………」
「耳は!? 猫耳は!? ねぇ、ネコミミは!?」
「………」
「うぉーーーん! なんでオレはあの時にいなかったんだぁああああああ!! 女王蜘蛛なんて後回しでよかったのに!! うおおおおおおおおお!」
サリータから話を聞いた時は狂喜乱舞したものだが、一方でその場にいられなかったことが心底悔やまれる。
彼女も意図してその状態になれるわけではないため、次はいつ見られるのか不明だ。仕方ないのでサナの可愛いお尻を撫で回すしかないが、その姿は完全に変質者である。
ちなみにネコミミではなく犬耳だ。いや、狼耳だろうか? まあ、どちらでも可愛いことには変わりない。
若干しょんぼりしながらサナに『情報公開』を使用すると―――
―――――――――――――――――――――――
名前 :サナ・パム
レベル:42/125
HP :990/990
BP :400/400
統率:D 体力:D
知力:D 精神:D
魔力:D 攻撃:D
魅力:A 防御:E
工作:D 命中:C
隠密:D 回避:D
【覚醒値】
戦士:3/7 剣士:4/7 術士:2/7
☆総合:第六階級 名崙《めいろん》級 剣士
異名:白き魔人に愛された意思無き闇の少女
種族:人間
属性:雷、闇
異能:トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉、エル・ジュエラー、観察眼、天才、早熟、黒雷強化(未完)、即死無効、闇に咲く麗しき黒花、黒き魔人の姫
―――――――――――――――――――――――
「サナちゃんは、どこに向かってるのぉおおおおおおおおおおお!!?」
サナもしっかりと強化されてました。
HPの低さは子供ゆえに仕方ない面があるが、能力は全体的に向上し、因子レベルも上昇している。限界値も5から7に上がっていた。
もう統率に至っては、兄が足元にも及ばないレベルに高くなっている。魔石でさらに+1されるため、実質Cだ。永遠に追いつけないかもしれない。
その結果、第七階級をすっ飛ばして第六階級にランクアップ。
名崙《めいろん》級はアーブスラットと同格だが、能力的には彼のほうが数段上なのだから、プライリーラのようにスキルの特殊性も評価されているのだろう。魔石込みでの評価といえる。
(今までの流れの通り、バランス良く向上している感じだな。ここで止まっていれば器用貧乏と呼ばれるかもしれないが、まだまだ発展途上だ。このまま全体的に高くなれば相当な武人になるかもしれないぞ)
武人の特徴は数字だけでは測れないものもあり、特にサナはスピードに関しては現段階でも高いレベルにある。魔石が加われば一流の武人にも匹敵する。
もし仮にすべての因子が最大値の7になれば、もはや『超人』の仲間入りも夢ではない。魔戯級以上になれる可能性がある。
そして、サナにも『黒き魔人の姫』のスキルが追加されていることに注目だ。
実際に見ていないのでなんともいえないが、サリータを凌ぐ成長っぷりなのだから何かしらあったのだろう。ともあれ「姫」であることは重要だ。響きが良すぎる。
(サリータが騎士ならサナは姫か。こんなに可愛いんだもんなぁ! 姫は当然だよな! ほんと可愛いよ!)
サナを抱きしめ、その温もりに酔いしれる。
ただ、やはり彼女は『黒』のままだ。
(なんでサナは『白』じゃないんだろうな。もういいや。考えるのが面倒くさい。強くなったなら、それでいいじゃないか。うん、そうだよな。すごいすごい、サナちゃんはすごいよ。それでいいんだ)
「サナちゃんはオレの可愛い妹だもんな!! 強くていいんだよ!! ちゅっちゅっ」
「…むぎゅ」
「鬼獣のボスも倒したんだって? いいね、いいね! すごいぞ、サナ!」
「…こくり! ぐっ!」
「可愛いぃいいいい!」
手をぐっと握り締めるポーズも可愛い。全部が可愛い。可愛いのは正義だ。
ということで、万事解決である。
思えば、あれだけの数の蜘蛛や鬼怒獣と戦ったのだ。レベルが上がらないほうがおかしい。しかもグァルタを討ち取ってもいる。大金星であった。
ここで少し補足すると、戦闘経験はすでにサナのほうがサリータより上だが、両者のレベルはほぼ同じになっている。
このことからレベルアップに必要な経験値は、「この魔獣を何匹倒す」という単純なものではなく、各人それぞれによって定められていることがわかる。
もっとも大切なことは、同じレベルアップでも結果に違いが出ることだ。
たとえば下位の魔獣を何千匹も倒してレベル四十になるのと、強い魔獣と死に物狂いに戦って四十になるのでは、成長度合いがまったく違うのは自然なことだろう。
それだけ死力を尽くしたのであり、生と死の狭間で因子が刺激されて、さらに力を引き出す結果になる。同じレベルであってもサナのほうが、ぎゅっと経験が濃縮されているということだ。
そして、アンシュラオンがサナに対して今まで以上の魅力を感じているのは、彼女が『魔人に近づいた』からである。
人間が哺乳類に愛情を感じるのは、それが霊的に近しい存在だからだ。犬や猫といったペットになればもっと愛情を抱き、逆に遠ざかって鳥や爬虫類、魚類になっていけば薄れていく。
それと同じように魔人因子が覚醒すればするほどアンシュラオンは親しみが湧き、サナがもっともっと可愛くなる。そうしてさらに愛情を注げば、またサナが魔人に近づき、もっともっと好きになる。これが永遠に繰り返される。
なんとも怖ろしいことが着実に行われているわけだが、その危うさと凄さにまったく気づかないアンシュラオンも大概である。
だが、これでいい。
意思すらなかった彼女が世界を見返してやるためには、これくらいのことがなければいけない。
話は変わって、この四日間で得られた新情報をお伝えしよう。
まずは亀裂内部の調査の話だ。
蜘蛛との決戦があった日、アンシュラオンは再び大空洞内部に入った。
生き残った蜘蛛の様子を探ると凶暴性はかなり抑えられており、人間が目の前にいるからといってすぐに襲ってくることはなかった。
これは女王討伐の帰路でも同じだったので、『統率者に従う』という彼らの習性が色濃く出ているといえる。
(女王が死んだ影響は大きかったな。もともと虫型だから感情が強いわけでもない。いくら憎しみを植えつけられていても、統率者がいないと積極的には動かないんだ。良くも悪くも眷属ってことだ)
次にアンシュラオンは第八階層に行き、女王蜘蛛の死骸から素材を集める。
激しい戦いだったが身体が大きかったこともあって、いくつか良質な素材を手に入れることができた。
その中でまっさきに狙っていたものが『心臓』だ。
ガンプドルフがとどめを刺した時に狙った心臓は、あの巨大ジュエルを噛み砕いて彼女の中で再生成されたものであり、似ているが違う石として生まれ変わっていた。
(精神系の魔獣が体内で再生成したジュエルは、もちろん『精神適合』したジュエルに決まっている。汚染もない。確実にギアスに使える!)
情報公開で見た限り、超良質な精神媒体として扱えることがわかった。
ガンプドルフの攻撃によって半分は消し飛んだが、サナと同じ魔石のサイズにしても千人分は軽く用意できる量が残っている。
ついにギアスに向いたジュエルを見つけたのだ! こんなに嬉しいことはない。
だが、それも当然。今のアンシュラオンに裏の事情はわからないが、あの巨大ジュエルは魔獣や人間を管理するために超大国が設置したものであり、それを魔王たちが奪って封印に再利用したものだ。
オリハルコンさえ大量に持っていた超大国が最初から精神制御用に作ったのだから、それが精神に向いているのは自然なことだ。
ただ、女王蜘蛛を倒さねば入手は不可能だったため、やはり討伐が正しい選択だったのだろう。あくまでこちら側からすれば、だが。
(素晴らしい。まだ実験は必要だが、最低でも千人にギアスをかけられるってことだ。これは重要人物に使うものとして大切に使おう。さて、次は『眼』だ)
続いてアンシュラオンは、女王の『眼』を探す。
襲撃を受けたあと、アンシュラオンは蜘蛛の皮を被っていたわけだが、その間に蜘蛛の身体の構造や部位に関して調査を行った。
結果、蜘蛛は心臓よりも眼に力が集まるらしく、死後は眼が結晶化することがわかった。(心臓も結晶化するが眼ほど重要ではない)
惜しくも下位のカーモスイットの場合は『汎用型』だったが、スレイブ館で使っている緑の汎用ジュエルよりも数段上の質を誇っている。
なぜ汎用型なのかといえば、さまざまな形態に脱皮進化するからだと思われる。進化した蜘蛛に関してはこれから調べるが、その中に精神型があればなおありがたい。
アンシュラオンが蜘蛛を全部殺したくない、と言ったことは、そのことも影響しているというわけだ。
そして、女王蜘蛛の眼であるが、しっかりと結晶化して残っていた。
(綺麗な白い魔石だ。なんだろうな。とても落ち着く色合いだよ。うん、純粋なラノアにぴったりだ)
女王蜘蛛はラノアを守ろうとしていた。ならば、彼女にこそ相応しい魔石となるだろう。
このままだとサイズが大きいが、マザーに頼んで力を凝縮してもらえば問題はない。
あとは使える部位、綺麗に残っている脚や外装の一部を頂戴して終了だ。こちらはまだ何に使うか未定だが、ラノア用の装備に加工するのもいいかもしれない。
次は最深部に向かい、地盤の補強を行う。
地盤は紅蜘蛛撃破の際にだいぶ壊されているため、命気結晶で崩れないように固める。
そのついでに紅蜘蛛の死骸を漁り、女王同様に結晶化した眼と素材を手に入れた。
(赤い魔石か。こっちは力強くて慎ましい感じかな。女王よりは少し劣るけど殲滅級の魔獣の力が集まっているんだ。悪くはない。セノアに似合うかな?)
白い女王蜘蛛のジュエルに紅蜘蛛の赤いジュエル。
まさに紅白で縁起もよいし、姉妹であれば悪くない選択肢であろう。特にセノアは物理的な力に対する怯えがあるので、力を与えることで克服させる狙いもある。
最後に、巨大ジュエルと対する。
「ううむ…」
しばらくアンシュラオンは、巨大ジュエルに触れたり眺めたり、生き残っていた蜘蛛の様子を観察したり、落ち着かない態度でいた。
その理由は―――
(前と違う気がする。あれからまだ二時間も経っていないはずだが…オレがいない間に何かあったのか?)
あの時は『接触が悪くて停止していた』のであり、術式そのものは動いていたわけだ。しかし今は術式そのものが停止している。
言っている意味が理解しづらいと思うが、アンシュラオンが行ったのはスイッチをオフにする操作であり、術式そのものには触れていないのだ。
それがなぜか術式自体に必要な『管理コード』が一部取り除かれているため、仮にスイッチをオンにしても起動しない状態にされていた。
(こんなことができるのは、この術式を作ったやつだけだ。とすると、あの『影』がまた動いたと考えるべきだろうな。そういうタイマーを仕掛けていたのかもしれない。全面的に管理を諦めたのか?)
この管理コードは以前も少し述べたが、術式を作る際に管理者だけが設定できるルールのようなもので、それぞれ専用のコードがあるからこそ簡単にコピーしたり改変ができないようにされている。
それが丸々無くなったということは管理者が術式を放棄したことを意味した。
こちらもすでに魔王が煉獄を破棄し、呪詛結界を解除したことで起きた現象だ。あれだけのことがアンシュラオンが往復する間に起こっていたことこそ、両者の世界における『刻の流れ』の違いを感じさせる。
しかし、そのおかげでガンプドルフにはああ言ったものの、実はあまり自信がなかった案が急速に現実味を帯びたのである。
(この状況はオレにとって好都合だ。代わりに自前の管理コードを埋め込んでしまえば、オレの好きなように改変することができる。ただ、やっぱり術式が大きすぎるからもう少し調整は必要だろうな。ひとまずこの亀裂内部を安定させてみるか)
なぜアンシュラオンが四日後にサナたちを調べたのか。この術式の調整に四日間かかったからである。
結果、成功。
完全制御はまだ難しかったが、大空洞内部において魔獣が人間に敵対しない程度には改変できた。
逆に他の魔獣が侵入してくれば蜘蛛も対応するため、巨大ジュエルがあるからこそ人間にとって安全な場所になった。まさにオセロがひっくり返ったのだ。
そうして地盤調査を行えるようになると、改めてこの地盤が鉄鉱床であることが判明し、リッタスの証言もあって地下の調査も進められているところだ。
まだ調査中なので断定はできないが、都市の一つや二つは軽く建造できそうな量があるそうだ。すべてに鉄を使う必要がないので、グラス・ギース程度ならば十以上は造れるに違いない。
そこで妙案。
大空洞内部はいくつもの広いエリアによって構成されている。その大きさは、もはや巨大な軍事基地レベルに等しいものだ。
蜘蛛が落ち着いたこともあり、【戦艦の隠し場所】にしてはどうか、との案が出る。
「心情的には複雑だが、使えるものは使う」
というのがガンプドルフの答えだ。
部下が死んだ場所でもあるので好きになれないのは当然だろうが、安全かつ膨大な鉄が採掘できるとあれば、もはや私情を挟む余地はない。
この場にとどまり、調査と発掘を続けたほうが入植に役立つと判断されたのだ。
アンシュラオンはギアス用のジュエルを入手し、ガンプドルフは大量の鉄資源を得た。
これこそ両者両得。互いにとって物的にも最高の結果となった。
707話 「魔獣ファーム計画」
さらに調査を続けることで、蜘蛛の生態についても多少わかってきた。
まずは一番懸念されていた『電波』に関してだ。
なぜ彼らが電波に反応していたのかまでは、いまだわかっていないが、いくつか考察することはできる。
一番ありえそうな原因は、彼らが常時使っている思念糸にはいくつかの周波数が存在し、それに引っかかると反応するというもの。連絡用、警戒用、戦闘用、それぞれ何種類か存在するはずだ。
その証拠に戦艦が襲われたのは、長距離通信のために強い電波を発した時だった。それ以前にも細かい無線は使っていたのに反応していないのだから、それが警戒網に引っかかった可能性は高い。
また、超越者を保護する観点においても、特定の電波あるいは思念を発する人間を確保する習性が『与えられた』と考えられる。
とにもかくにも、この習性は重要だ。
もし彼らが依然として電波に反応するようならば共存は難しい。ここを軍事拠点として利用する際も頻繁に通信を行うだろうから、いちいち反応されていたらたまったものではない。
しかしながら実験として小さな電波を発信したところ、わずかに興味を示して近寄ってきたものの、それ以上の反応はしなかった。
特に対応する必要性がないと判断すると、すぐに戻っていく。その一匹が他の蜘蛛に情報を伝達することで群れ全体として情報を共有するので、ぞろぞろと集まってくることもなかった。
襲撃の時のように相手を殺してでも持ち帰る、といった激しい衝動が完全に消えている。(あの時は騎士に攻撃されたので防衛本能が刺激されていたことも大きな要因である)
これに関しては、魔獣に詳しいアンシュラオンの言葉が正しいだろう。
「前は女王蜘蛛が命令を出していたからだと思うよ。もう死んだから忘れたんじゃない?」
そんなにすぐ忘れるのかと言いたいところだが、これは蜘蛛だ。虫だ。忘れていたとしても不思議ではない。
戦艦を襲ったのも女王が繁殖期だったからであり、苗床に相応しいものを探せという命令が出されていたからだろう。今回の騒動は、さまざまな不運が重なった結果であるといえる。
その女王が死んで統率者が消えた今、彼らは『待機状態』にある。そこに新しい巨大ジュエルを使った術式によって精神制御が施されたことにより、さらに安全性が高まった。
こうして蜘蛛が無力化されたことで、アンシュラオンがとんでもないことを言い出す。
「おっさん、オレが提出した【ファーム計画】のことなんだけど、もう書類は見た?」
山積みになった報告書を確認していたガンプドルフが、ものすごく嫌そうな顔をした。
満面の笑みのアンシュラオンとは対照的だ。
「なにさ、今にも死にそうな顔をして。で、読んだの?」
「読んだからこんな顔になっているのだ」
「よかった。読んでくれたんだね。感想は?」
「さすがに無茶があると思うのだが…考え直しては…」
「駄目駄目。これは譲れないよ。試してもいないのに諦めるなんて、おっさんらしくないじゃないか」
「しかしな、さすがにこれは問題があるのではないか? そもそもそんなことが可能なのか?」
「だから試すんじゃないか。オレの目的はスレイブ・ギアスの『量産』だ。今回の作戦のおかげで媒体が大量に手に入ったとはいえ、こんなもんじゃ全然足りない。大事なことは生産し続けることなんだよ!」
「それはわかるが…まさか【蜘蛛を養殖する】など普通は思いつかないぞ」
そうなのだ。アンシュラオンが思いついた方法とは、蜘蛛を養殖する『ファーム計画』であった。
ファームは牧場という意味なので、まさに『家畜』にするのである。それによって安定的にギアス用のジュエルを手に入れるのだ。
この旅のアンシュラオンの目的は、スレイブ・ギアスに使えるジュエルの確保にある。
その目的は一応達した。女王蜘蛛の心臓は高品質で、最低でも千人分のジュエルは確保している。
また、通常のカーモスイットの眼も汎用型とはいえ十分優れた媒体といえる。逆に汎用型だからこそ一般的なスレイブ・ギアスとして使いやすいのだ。
なぜスレイブ商のジュエルが汎用型なのか前から疑問だったのだが、一般人の大半はそこまで精神が強くないので専門のジュエルである必要がないことと、質が良すぎて精神感応波が強すぎると精神が傷つく恐れがあることがわかってきた。
ホロロたちはアンシュラオンの支配下にあるので、その精神は一般人とは比べ物にならないほどタフだが、使い捨ての男や労働者、一般戦闘員、ラブスレイブ程度ならばカーモスイットでも上等の部類に入る。
当然そういった下々の人間のほうが多いわけで、もっともっと数が欲しいのが本音だ。
死んだカーモスイットから眼の結晶を回収はしているものの、取れる数は一匹につき一つだけだ。眼は三つあるのだから三個欲しいものだが、力が凝縮する都合上そうはいかない。
そこで考え出したのが、今回のファーム計画というわけだ。
「いいアイデアだと思わない?」
「すごいとは思うが魔獣だぞ? 危険ではないのか?」
「一般人だって食用の家畜を飼育するし、番犬として動物を使うでしょ? 普通の人間は弱いから最下位魔獣しか飼えないけど、騎士団は強いからもっと強い魔獣を使役してもおかしくはないよね」
「ううむ、一理あるが…我々が管理するのだろう?」
「オレは常時いるわけじゃないし、おっさんたちがここを拠点にするんだから、そうなるね」
「…そうか」
ガンプドルフが思わずうつむく。ものすごく嫌そうだ。
ただでさえ魔獣に免疫がないうえに、蜘蛛との戦いで犠牲者も出ている。嫌がるのが普通である。
が、アンシュラオンは猛烈にプッシュ。
「やれるって! 戦艦が中にいた時も餌付けしてたって聞いたよ! 適当に余ったクズ鉄でも食わせておけばいいんだし、面倒なら放っておけば勝手に食べるから大丈夫だって! 管理にそんなに手間はかからないよ!」
「少年のスレイブにかける情熱はすごいな…」
「おっさんがここに国を作りたい気持ちと同じさ。これだけは譲れないってやつだね。最初は少数でいいんだ。十匹とか二十匹とか、それくらいでさ。ね、いいでしょ?」
「わかった。わかった。君の好きにすればいい」
「やった! 楽しくなってきたぞ!」
アンシュラオンのことだ。絶対に諦めることはないし、断っても自分単独で勝手に始めてしまうだろう。
それよりはDBD側で管理したほうがまだ安全である。それによってアンシュラオンとの協力関係を維持できることもメリットになる。
しかし、問題がないわけではない。
「ただ、君も言ったように彼らは集団で動く。【新しい女王】次第では破綻してしまうかもしれないぞ」
「わかってるって。失敗しても文句は言わないよ」
現在いる蜘蛛はストックとして管理し、必要になったらジュエルにすることは決めている。
しかし女王が死んだ今、いずれは枯渇してしまうだろう。女でなければ子供が産めないのは人間と同じだ。
数の暴力に徹底的にやられた側としては納得しづらいが、女王がいたからこその数の力なのだ。
そう、この養殖においてもっとも重要な存在は『女王』である。
そしてガンプドルフが述べた通り、すでに【新女王】は存在していた。
「格納庫の様子を見てきたけど、孵化まではまだかかりそうだね」
「あのままで大丈夫なのか? 中で死んでいるといったことは?」
「オレが調べた結果、ちゃんと中で育っているようだよ。二匹とも順調だ。おっさんたちには悪いけど、あの格納庫はこっちがもらうってことでいいかな?」
「それは問題ない。もともと廃棄したものであるし、鉄資源はあるから必要なら新しく作ればいいだけだ。それはいいが、新女王をどうやって従えるつもりだ?」
戦艦の格納庫に産み付けられた、ひときわ大きな二つの卵を覚えているだろうか。
あれは新女王と、そのつがいとなる新紅蜘蛛の卵である。命気を浸透させて調べたので間違いない。
カーモスイットたちは女王の統率の下で動く本能を持っているし、増やすためにも女王と紅蜘蛛は必要不可欠な存在だ。利用しない手はないだろう。
ここで問題となるのは、どうやって新女王を手懐けるかである。
「いろいろと魔獣を支配する方法を実験中なんだ。一応小型の魔獣には、脳にジュエルを埋め込んで支配する方法は成功しているよ」
「では、女王にもそうするつもりか?」
「貴重な存在だからこの方法は怖いね。失敗したら全部が壊れちゃう。だから女王とは『契約』を行うつもりでいる」
「魔獣と契約? それができれば一番だろうが、可能なのか?」
「普通ならば難しいだろうけど、あの女王には『超越者の守護者』っていうスキルがあったんだ。どうやら前文明の人間と契約を交わしていたみたいだね。だったら、オレもそうしようかなって」
「超越者! まさか本当に実在したのか!?」
「あくまで相手の情報を見た限りではね。あの女王はすごい古い蜘蛛で、前文明から長生きしていたと考えるべきだ」
「そんなに長く生きていたわりには、代替わりが遅いのだな」
「そういう種なのか、あるいは今まで術式で支配されていたから産めなかったのか。そのあたりはまだわからないね。ただ、誰かと契約していたのは間違いないよ。総合的に判断して超越者だと思う」
「では、ここは前文明の遺跡なのか?」
「うーん、どうだろう。そう考えるのは早計かな」
「しかし、これだけの鉄資源が眠っていたのだ。守っていたのではないのか?」
「おっさんから聞いた前文明の技術体系からすると、鉄はさほど重要な資源には思えないな。やっぱりたまたま餌場として適していただけなのかもしれないね。ただ、あいつらが【利用】されていたのは間違いない。ここに人間を近づけさせたくないやつがいるんだ」
「それは君が言っていた『影』のことか?」
「そう、あいつだ。女王蜘蛛が巨大ジュエルの近くにいたことは偶然じゃない。意図的に配置されていたんだ。少なくともあいつは、オレたちが先に進むことを簡単には容認しないだろう。性格も悪いし厄介なやつだよ」
「君がそこまで言うほどの相手か。いったい何者なのだ? もしや超越者の生き残りか?」
「あいつ自身が否定していたし、女王蜘蛛の記憶で見た人物とは明らかに雰囲気が違う。異なる存在と考えるべきだ。しかもあの口調からすると単独じゃないね。手下か仲間がいるはずだよ。それも相当な力を持った連中がね」
「それがこの先にいる可能性があるのか。正体不明の相手との戦いはできれば避けたいがな…」
「それだけじゃないよ。この荒野にはあの巨大ジュエルみたいなものが何百とあるに違いない。そして、そこには最低でも女王蜘蛛と同レベルの魔獣が陣取っている可能性が高い。だからオレたちがここから先に進むためには万全の準備が必要になる」
「あの女王蜘蛛と同等…いや、下手をしたらそれ以上か。たしかに準備は必要だな。我々は蜘蛛との戦いだけでもこのありさまだ。戦力が絶対的に足りていない」
「おっさんの仲間、他の聖剣長が合流すれば戦力になるよね?」
「皆が万全の状態ならばな。しかし、移住がどれだけの規模になるのかはまだわからない。魔人機も持ち出せるかわからないからな。こちらから期待させるようなことは言えぬのだ。すまんな」
「それはしょうがないよ。その前にいろいろと継承問題で揉めそうだもんね。やっぱり独自に戦力を拡充する方向でいくしかない。だからファームは必要だね。それによって兵力が増やせるなら積極的に試すべきだよ!」
「少年、全部わかって言っているだろう?」
「そりゃそうさ。命をかけているからね!」
結局、ファームの重要性を説きたかっただけである。
しかし実際のところDBDの戦力は少なすぎる。荒野では下の上程度のグァルタにさえ苦戦していたのだ。サナがいなければ危なかっただろう。
今後はもっと上の魔獣も出てくるだろうし、四大悪獣だっていまだに三体も残っている。戦力の拡充は必須なのだ。
「正直、まだまだ戦力が足りないよね。オレやおっさんがどんなにがんばっても、やっぱり二人じゃ限界がある。今回は上手くいったけど、下手をすれば兵力が大きく減る危険性もあった。まずここを拠点にして確実な道筋を作ったほうがいい。今はこれ以上進まないほうがいいってことだね」
「それは同感だ。騎士の中には今回の成功で盛り上がっている者もいるが、実情はかなり厳しい。今は手に入った資源を有効活用するのが先だろう。あとは補給路が確保できれば、それなりに形になる」
「魔獣の狩場キャンプからここまでを優先して開拓すべきだね。それと同時に少しずつ周囲を探って、行動域を広げていくべきだ。大丈夫。一歩ずつ進めばいい。確実に勝ち続けることが重要だよ」
「そうだな。勝たねば意味がない。勝ったのだな…我々は」
ガンプドルフも部下を嗜めつつ、久々の勝利の味を噛み締めていた。今まで苦労しただけ甘美に違いない。
勝った者がすべてを得る。それがこの世界のルールだ。
ここにある鉱物資源だけでも、ガンプドルフの目的の一割は達成されたことになる。まだまだ先は長いが、目的が大きいゆえに一歩一歩進むことが肝要であろう。
「ところで資源のことなんだけど、うちの商会にも一枚噛ませてくれないかな?」
「アーパム商会か?」
「おっさんたちはグラス・ギースに警戒されているよね。あまりおおっぴらにやると摩擦が生まれるはずだ。べつにあいつらにどう思われてもいいけど、DBDの情報が他国に流れるリスクが生まれる。その点、オレが間に入れば安全だ。何も気にする必要はない」
「なるほど。それならば資源も売りに出せるか」
大量の資源があっても、今のところは自分たちのためにしか使えない。それでは宝の持ち腐れだ。
そこでアーパム商会の出番である。
もともと鉱山を発掘して鉱物資源を管理するために作った商会だ。DBDにとってもありがたい申し出だろうし、アーパム商会も儲かる。こちらも両者両得であろう。
「それはいいが、今度は君が目立つことになるぞ。グラス・ギースでは利権構造が確立されていると聞く。他の勢力が黙ってはいないだろう」
「実はその準備も済ませてあるんだ。実際の折衝は戻ってから行うけど、成功は間違いなしだよ。まあ、オレはもう散々目立っているし、いまさらって感じかな。ただ、今回はちゃんと筋を通すつもりだから安心していいよ。何があってもオレが責任を持つよ」
「君がよいのならばかまわない。我々は一日でも早く人が住める場所を作りたいだけだ。そのためならば利権の一つや二つくらいには目を瞑ろう」
「さすが聖剣長。器が大きいね」
(鉄資源は北部では珍しいみたいだ。資源だけならば買い叩かれるおそれもあったけど、おっさんたちの技術で加工すれば相当な儲けになるな。くくく、本格的に事業拡大が見えてきたぞ)
すっかり忘れそうになるが商会活動もしているのだ。
せっかくがんばったのだから、ここはしっかりと噛ませてもらうとする。
708話 「精霊王との対話 その1」
魔獣ファーム計画についてはガンプドルフから了承を得た。
この計画には女王が必要不可欠なため、まずは新個体が孵化するのを待つしかない。
その後に女王の繁殖期や出産ペースを見極めないといけないし、契約自体が成功するかはわからない。最低でも数年から数十年、あるいはもっと長い期間が必要になるだろう。
だからこそ面白い。
(難しいけど、やり甲斐はある。試す価値も十分あるな。上手くいけばプライリーラがやっていたように戦力にすることもできるかもしれない。オレの支配は人間だけにとどまらないって証明してやる)
サナに相応しい国を作るためには多様な人材と戦力が必要になる。魔獣も使えるのならば使いたい。
そしてさらにいえば、目の前にいる『アレ』のような存在も味方にしたいところだ。
「それが雷妖王シャクティマだよね?」
「気づいてしまったか…」
「そりゃ気づくよ。あの時からずっといるじゃん」
ガンプドルフの背後には雷妖王が立っていた。
若干透けてはいるものの半物質化しているらしく、物に触れることもできる。どうやら常に雷を放出しているわけではなく、自分の意思で完全に制御して止めることもできるようだ。
このシャクティマだが、ガンプドルフがゴールドナイトを降りて『精霊憑依』を解除した時からずっと後ろに立っていた。見た目も奇抜で背も高いので某漫画の死神のように目立つ。
まるでストーカーだが契約で縛られており、そもそも剣から遠くに離れることができないのだ。せいぜいガンプドルフから二メートルくらいが限界だろう。
ただし当人が意図的に物質化しない限りは、術者の目が無いと見ることができない。当然声も聴こえないので周囲が困ることはない。
困る人間はガンプドルフ当人か、ロゼ姉妹のように術士として覚醒している者たちであろうか。セノアに至ってはシャクティマを見た瞬間に凍りついていたものだ。
(そりゃ、こんなのがいたら怖いよな。小百合さんたちが見えないことも怖さを助長させているんだろうし)
―――〈怖いとは失礼だね。お前のほうこそ、よほど危険な存在であろう?〉
シャクティマが上から覗き見るようにアンシュラオンに視線を向ける。
「あっ、聴こえてた? 心まで読めるんだね」
―――〈隠す気がないのならね。術式と同じさ〉
「ねぇ、シャクティマと話をしてもいい?」
「私に止める権限はない。一度顕現した以上、シャクティマは自分の意思で何でもできる。そういう契約だからな」
「なかなか面白い契約だね。具体的にはどこまでできるの? 人殺しもできる?」
〈人間は物騒なことを言うものだ〉
「あれ? 実体化した?」
〈せっかく物質世界に来たのだ。このほうが気分が盛り上がって楽しいものだよ〉
「どういう原理? ああ、そうか。おっさんの生体磁気を使っているのか」
〈そうだよ。ガンプドルフの幽体を利用している。擬似的な肉体というわけだ〉
シャクティマが物質化。これによって声帯が生まれ、音を使っての会話が可能となった。
原理としては、高位術者が使う【複体〈ダブル〉】と同じだ。
複体とは、肉体と霊体を融合させている『半物質体』を多めに使用して生み出した仮の肉体のことである。術者でなくても無意識に生み出すことがあるため、一般的に生霊と呼ばれているのはだいたいこれである。
シャクティマの場合、エネルギー源は当然ガンプドルフであり、こうしている今も彼から生体磁気を吸収している。
聖剣を通じて力を貸す代わりに、今度はシャクティマが物質世界に顕現できる条件を整える。それが両者の契約なのだ。
物質化したシャクティマは会話が楽しいのか、今までよりも饒舌に話し出す。
〈さきほどの質問だが、私に特別な制限はない。やろうと思えば人殺しもできる。が、やる必要もないことはしないな。無意味であるし、むしろマイナスだ〉
「仲間が襲われていても?」
〈聖剣の所有者であるガンプドルフに生命の危機が迫れば、できる範囲で力は貸す。あとは依代の剣が破壊されそうならば力は使う。が、それ以外の人間が襲われていたとしても人の世での出来事。関与はしないよ〉
「もしオレがあんたに攻撃を仕掛けたら?」
〈当然対応はするが、所詮は仮初の身体だ。本体がここにあるわけではないから徒労に終わるであろう。その分だけガンプドルフが痩せ細るだけだ〉
「けっこうちゃんと質問には答えてくれるんだね」
〈私は人間が好きだからな。人間と話すことは嫌いではないよ〉
「シャクティマは変わり者の『精霊王』なのだ。普通はここまで協力的ではないぞ。精霊は基本的に人間が嫌いだと聞くしな」
〈変わり者だからこそお前に力を貸してやっているのだよ。たまには感謝してほしいものだ〉
「そうしたいが……距離がな」
シャクティマは、ガンプドルフに覆い被さるように密着している。
近い。近すぎる。恋人ならばともかく、この距離はしんどい。
「この状態っていつまで続くの?」
〈私はセレテューヌスとの契約により、力を貸した分だけ地上に半物質化できるようになっている。今回使った量だと…そうだな。二十日といったところか〉
「あれで二十日か。おっさんが使いたがらないわけだ。だって、トイレや食事のときも一緒だし、寝るときも一緒なんでしょ?」
「…そうだ」
「おっさんが独身の理由って、絶対にこれと関係あるよね」
〈私のことは気にするな。好きな相手を見つけるといいよ。ぜひ生殖に関してもじっくり観察させてほしいね。人間の交配には興味があるのだよ〉
「だってさ、おっさん」
「…つらい」
うっかり本音が漏れる。心底嫌そうだ。
聖剣長は、家族を人質に取られないためという理由で独身を貫く者が多いが、実際はこうして各精霊たちに付きまとわれて、そんな余裕がないのが真実なのかもしれない。
いくら精霊とはいえ夜の営みをガン見されるのは厳しい。その気持ちは痛いほどわかる。
「他の聖剣の精霊王もこんな感じに一緒にいるの?」
「それぞれに性格があるからな。顕現できる条件が整っても外に出てこない者もいるようだ。光や闇はその傾向が強いらしい。羨ましいな…」
〈あの二人は真面目で根暗なだけだ。あいつらと付き合うほうが息苦しいと思うがね〉
「もっといろいろ質問していい? 精霊に興味あるんだ。オレはあまり見たことないからさ」
〈かまわない。人間との対話は私にとっても有益で興味深い〉
「シャクティマって男なの? 女なの?」
〈面白いことを言うね。人間と違って精霊に大きな男女の違いは存在しない。子供とは私たちにとって『分霊』であるから、その意味においては女しかいないともいえる。ただし陰陽の傾向性によって男性的なものと女性的なものは存在する。力と英知、どちらに偏っているかは見た目でわかることもあるだろう〉
「なるほどね。シャクティマが少し男性っぽいのは、雷の性質が力に偏っているせいか。じゃあ、生殖活動はしないの?」
〈生殖活動はする。与えられた本能だからね。今述べたように基本的には単体で生み出すが、両者が互いに力を与え合い、一つの個性を生み出すことも往々にしてある。それが人間にとっての生殖に近く、両者に強い快楽が伴うのも同じだ。愛がある場所に快楽が存在する。それこそが神の英知だと私は思うね〉
「自分の因子を与え合う自己放棄の愛ってやつだね。精霊にとって神とは何? どんな存在?」
〈お前たちと同じだ。絶対神は無限であり、不可侵であり、不可逆のもの。つまりは『よくわからないもの』だ〉
「ははは、はっきり言うね」
〈精霊といっても人間と大差はない。宇宙の秘密を知っているわけではないからね。仮に知っていると豪語する者がいたら、それは確実に嘘であり偽りだ。断言するが、少なくともこの星では絶対神の知識は手に入らない〉
「やっぱりもっと上の世界じゃないと駄目か。まあ、無理に知りたいわけじゃないけどね。この星の人間は女神様から生まれたらしいけど、精霊もそうなの?」
〈違う。女神はあくまで人間の母であり、一方で我らの母は同じく偉大なる者の一人である『桜御子《さくらみこ》』だ。かつての【原神《げんしん》】の一人といわれている〉
「原神?」
〈星の創成期、母なる星神より生まれ出でた『真なる神』の一人のことだ。その因子を使って生み出されたのが我々精霊となる。より正しく述べれば、私を生み出したのは桜御子の子の、さらに何代もあとの御子だね。だが、誰しも源流は同じ因子に行き着く。その意味で人間とは兄弟姉妹であるといえよう〉
「それぞれ担当が違うってことだね。精霊も人間みたいに成長するの?」
〈当然だね。しかし、より自由な人間のほうが伸びしろがあると思うよ。それゆえに人間は精霊より愚かであり、賢くもある。見ていて飽きない理由がそれだね〉
「ディーバってよく聞くけど、高級精霊って意味で合ってる?」
〈人間が使う上位の精霊の総称のようだ。その意味では私もその中に含まれるのだろう〉
「オレの周りにも精霊がいるみたいだけど、見える?」
〈いるな。原始精霊たちだ。私たちから生まれ使役される存在だよ。意識はなく無意識で動き、似た性質同士が集まる傾向にある。お前は水と風が多いようだね〉
「高級精霊が人間の前に出てくるなんて、かなりレアだよね。今まで見たことなかったし」
〈ガンプドルフが言ったように今の精霊は人間を嫌っている。その理由はいくつかあるが、この荒野自体がその理由を雄弁に物語っているね。心当たりはあるだろう?〉
「散々自然を壊しているからね。それも仕方ないか」
「少年、気のせいか普通にしゃべっている気がするのだが…」
「え? 会話していいんだよね?」
「そうではない。知識のことだ。それも錬金術師から教わったのか?」
「これは自前の知識だよ。ただ、知らないことも多いから補足しているだけ」
「どこでそんな知識を得たのだ?」
〈ガンプドルフ、この者は『異邦人』だよ〉
「異邦人?」
〈お前たちにわかりやすいように言えば、『女神が選んだ存在』だ。女神の地上での代行者と呼んでもよいのかもしれない〉
「へぇ、そこまでわかるんだね。すごいや」
「うーむ、たしかに少年は不思議な存在だ。そう言ってくれたほうが素直に納得できるか」
〈時折このような者たちが現れる。それもまた『宿命の螺旋』によるものだ〉
「ねえ、海の女神様もそんなことを言っていた気がするけど、宿命の螺旋って何?」
〈この星は少し特殊な成り立ちをしていてね、維持していくためにさまざまな枷がはめられているのさ。その中でより強い強制力をもったものが『宿命』であり、それらが螺旋によって構成されているらしい〉
「『らしい』ってことは、シャクティマにもよくわからないってこと?」
〈その通りだ。知らないものは知らない。それだけのことだよ〉
「ところで『精霊王』って、王の一人だよね? 偉いんでしょ?」
〈私は『雷の元素領域』を管理している王だから、偉いといえば偉いのかもしれないね。だが、人間社会のような傲慢な振る舞いはしないよ。単純な力量に見合った役割にすぎない〉
「シャクティマより上の存在はいる?」
〈もちろんいるが、地上に干渉できるのは私までがギリギリだ。それ以上の存在は『愛の園』、女神たちがいる高級神霊界におられるから会うことは難しい。いわば私は彼らの手足であり、中間管理職のようなものだね。だが、それは人間も同じだろう〉
「精霊の世界ってどうなっているの? たしか絶対階級社会なんだよね?」
〈こちらの世界も人の世と変わらない。短気な者、我慢強い者、真面目な者、怠け者、さまざまな者がいる。が、お前が言ったように階級は絶対であり、『基本的に』同属で殺し合う者はいない。争う理由がないからな。それぞれが役割を果たして生きている〉
「普段は何をしているの?」
〈自然界における雷の事象を管理している。多くは生み出した原始的眷族によって自動的に行われているから、基本的にはメンテナンスや人材管理、供給量の打ち合わせが主たる仕事だ。余った時間は修行や探索に使っているよ〉
「精霊王も修行や探索をするんだね」
〈今、お前とこうやって話していることもその一つさ。地上という世界を知るために探検しているようなものだろう? 常に未知の世界を知ることが『真理』に至る道といえる〉
「精霊が目指す先はどこなの?」
〈逆に問うが、人間が目指す先はどこなのだ?〉
「さすがにわからないや。女神様なら知ってるかな?」
〈それと同じだ。精霊の始祖に聞かねばわからないし、桜御子も知っているかはわからない。だが、進化は止まらない。そう生み出されているからね。それにしてもアンシュラオン、お前は面白い男だね。ガンプドルフは知識がないから、こういった会話はできないのだよ〉
「少年と違って無知で悪かったな」
〈だが、私は馬鹿で愚直な人間が好きだ。見ていて飽きないからね。ガンプドルフのような人間はあまりいない。その意味で面白いよ〉
「…それではただの遊び道具だろうに」
「ははは、いいコンビじゃないか。お似合いだよ」
精霊王との対話は、とても面白い。
シャクティマのような上位の高級精霊たちは地球でも『ディーバ』と呼ばれ、主に自然界の発展の仕事に就く者たちを指しているが、こうして話していると人間と変わらない存在であることがわかるだろう。
彼らも人間同様に仕事をして、娯楽を味わい、知的生命体として成長していくように作られた存在なのだ。
せっかくなので、もう少し切り込んでみよう。
「ねぇ、聖剣になった経緯を教えてくれるかな? 気になっていたんだよね」
〈だいぶ前のことだがね、私が仕事を終えて休息していた時、セレテューヌスと名乗る人間の娘から交信があったのだよ。聖剣を作るので守護者になってくれないか、とな〉
「ということは、セレテューヌスの能力は『交信』なのかな? たしかに任意の精霊を呼び出せないと上手く作れないからね」
〈精霊に直接呼びかける能力は希少だ。人間がいうところの『シャーマン』が近いかもしれないね。だがあの娘は、そんな生易しい者ではない。わが眷属を誘拐し、脅してきた〉
「え? 脅されたの? セレテューヌスに?」
〈そうだよ。この雷の精霊王を、たかが人間の小娘がね。いや、あの時は驚いた。我々にとって他者を害するということ自体が珍しい。そのうえ脅迫されたのは初めてだったから刺激的だった〉
笑顔で「守護者になってくれませんか?」と言いながら、誘拐した眷族にナイフを突きつける。(実際はナイフではないが)
まさにサイコパスのような人物。それがセレテューヌスであった。
ちなみにその脅された眷族は、トールガイアの剣に力を与えることを条件に解放されている。
709話 「精霊王との対話 その2『セレテューヌス』」
シャクティマはセレテューヌスに脅されていたことが判明。
こうなるといろいろ事情が怪しくなってくる。
「おっさん、どういうこと?」
「いや…その……まあ、人格と能力は関係ないからな、うん」
どうやら知っていたようだ。
それなりに長い付き合いだろうし、シャクティマに憑依されることで感情を共有するので、もしかしたら記憶に関しても同じようなことが起きるのかもしれない。
「こうやって力を貸しているってことは、脅しに屈したの?」
〈屈したというより、個人的に興味が湧いたから力を貸しているね〉
「普通は脅されたら怒るよね」
〈今思えばそういう感情もあったかもしれないが、どちらかというと『驚き』が優先していたよ。すでに述べたが、精霊は基本的に他者を害する意識を持たない。誘拐ともなれば滅多に起きないことだ。だから最初はどうしてよいのかわからないほどだったさ〉
「精霊の誘拐…か。精霊は捕まえられるものなの?」
〈もちろん可能だ。人間とは存在している次元が少しばかり違う程度にすぎない。条件を整えればできるし、外法の中には精霊を強制的に使役する方法もある〉
「捕まった精霊の階級や強さは?」
〈下位精霊を統括する中位精霊の一人だ。人間の組織でいえば、小さな下請け会社の社長のようなものだろうね。彼は嵐の日に雷を発するために出勤していたところを連れ去られたようだ。その雷に打たれれば、このあたりにいる魔獣ならば一撃だろうから、お前たちにとってみれば強い精霊といえるだろう〉
「なかなか俗的な言い回しをするんだね」
〈もう千年以上も人間の世界を勉強しているよ。慣れるのが自然さ〉
「でも、こうなるとセレテューヌスの力は『交信』だけじゃないよね。精霊を捕縛する能力もあるに違いない。それとも複数犯だった?」
〈そこまではわからない。ただ、セレテューヌスは秘密裏に剣を作っていたようだから、いたとしても少数だろうよ。他の者と競い合っていたようだからな〉
「共犯者がいた可能性もあるか。どっちにしろ聖剣は生まれ、シャクティマは協力したんだね。他の聖剣の精霊王も同じように脅迫されたのかな?」
〈どうやら違うらしい。あの娘が利口で狡猾なところは、相手によって対応を変えるところだろうね。捕まえた精霊からそれぞれの王の特徴を訊き出していたようだ。私が変わり者だと知って、このような手段を取ったのだろう〉
まず最初に一番落としやすい『光の精霊王』に対して愛と正義と慈悲を説き、常に毅然とした態度で助力を得ることに成功。
次に『火の精霊王』に対して、火の力を強くするための火種を提供しつつ、光の精霊王が背後にいることを仄めかして味方に引き入れる。
次は変わり者の『雷の精霊王』を狙って中位精霊を誘拐。脅迫という手段で興味を引かせる。
この段階では他の精霊王はセレテューヌスの存在に気づいていないか、あるいはまだ信用していない状況にあったのだが、少なくとも三属性の精霊王が彼女に関して肯定的な立場を示していることは明白な状況であった。
今度はそれを利用して『風の精霊王』と交渉を行う。風は創造を司り、新しいものを好むので、こんな突飛なことをやっている人間は見ていて面白いに違いない。
その後は、シャクティマいわく根暗な『闇の精霊王』に圧力をかけつつ、『水の精霊王』との知的な会話を重ねることで信頼を得て、最終的にすべての属性の精霊王の力を借りることに成功した。
ここで重要なのは、すべての精霊王がセレテューヌスの言葉を鵜呑みにしてはいないことだ。
精霊王は馬鹿ではない。傾向性は違うものの高い知力と洞察力を有し、相手の本質を見抜く力に長けている。彼女の思惑や演技に関しても理解したうえで力を貸すことにしたのだ。
それだけセレテューヌスに魅力があったことがわかる。あるいは精霊側にとってもメリットがあり、都合が良かったのかもしれない。
「なんだかとんでもない話だね。オレでもそんなことは簡単にできないよ」
〈だからあの娘は面白いのだよ。よほど聖剣を作ることに躍起になっていたのだろうね〉
「そのわりに聖剣ってそこまで有名じゃなかったよね。ルシアとの戦争が始まるまでは評価されていなかったみたいだし、今まで使う機会はなかったの?」
〈最初は『初代剣聖』への贈呈品にしようとしていたようだが、かの御仁はあまり欲がないうえに剣自体の美しさや高潔さを好む傾向にあった。仕方なく途中で諦めたようだよ。それよりはもっと【高く売れる】ところを探していたようだね〉
「え? 売るつもりだったの?」
〈それはそうだろう。あの娘の目的は名声と金儲けだからね。名声に関しても金儲けの手段にしか考えていなかったようだった。常に周りを馬鹿と見下していたからね〉
「おっさん」
「………じ、人格と能力には……か、関係が…」
「もうそれしか言わないじゃん。オレも他人のことは言えないから、まあいいけどさ。でも、ずっと聖剣はDBDにあるよね。どうして?」
〈単純にあの国の権力者が一番評価したからだろう。金はもちろん、『王』にするとまで確約したのだ。セレテューヌスも大きな枠組みの中で『上の下』に評価されるより、小さな枠組みで一番上になることを欲したと思うよ。小さくても王だ。自尊心を満たすには悪くはないだろう。そのおかげで『名工十師』とも呼ばれるようになったからね〉
セレテューヌスの鍛冶師としての才能は極めて高かったが、やり方が邪法や外法の類のために、生み出すものは『魔剣』ばかりであった。
本物の聖剣ならば対価など要求されず、ただただ強い力だけを扱うことが可能なのだ。もし仮に本物の聖剣を大量に生み出していた超大国ならば、そもそもシャクティマを支配して問答無用に使役していただろう。
この段階でセレテューヌスの能力が超大国には劣ることが判明している。これは仕方ないにしても、魔剣では表の世界で評価を得ることは難しい。どんなにがんばっても世界ランクで五十位以内が精一杯だ。
であれば、小さな国のトップであるほうがいい。
(これは学校や企業、スポーツ、どの分野でも同じだな。競合相手が多ければ多いほど評価されにくいが、小さな場所に行けばトップになれる。どっちがいいかはその人それぞれの価値観次第だけどね)
アメリカに渡れば、日本では珍しい剛速球を投げる者などマイナーリーグに掃いて捨てるほどいる。ならば国内にとどまっていたほうが安泰、と考える者もいるだろう。
学校にしても同じで、偏差値の高い学校で真ん中にいるより、低めの学校でトップにいるほうが楽しいかもしれない。
自分を磨くためには厳しい環境に行くほうがいいが、そこは当人の価値観だ。どれがいいとは一概にはいえない。
ただ、セレテューヌスの目的は名声と金らしいので、迷うことなくDBDを選択したようだ。
結果、彼女は(秘密裏だが)王の座と、莫大な金と対外的な評価を手に入れる。
一方のDBDは、当時はただの鉱物資源国家だったが、聖剣という目玉商品が生まれることによって多くの鍛冶師が来訪するようになり、自国での武具の生産と輸出が可能になった。
これはアンシュラオンがDBDと組む理由と同じで、単純に資源を売るよりも加工して売ったほうが儲かるからだ。すべてが自前でできるのならば安上がりで済む。
こうした事業展開による利益を使い、ロビー活動を強めたDBDによってセレテューヌスを名工十師にすることに成功。さらに国内に人を集めることに繋がったという。
「しかしまあ、名工十師の称号も当てにならないね。金で買えちゃうんだもんな」
〈人間の世界では往々にしてあることだろう。だが、精霊王の力は強い。戦闘に関してあの娘が作る剣はとても有能だと思うよ。美的センスはなかったようだがね〉
「たしかにその剣のデザインは成金趣味だよね…。ずっと前から疑問だった答えが出たよ」
話を聞く限り、剣のデザインにはセレテューヌスの性格がそのまま出ているともいえる。そのあたりも評価が下がっている原因かもしれない。
しかし、戦いにおいて見た目はまったく関係ない。相手を殺す力が強いものこそが好まれる。その意味で彼女が作った剣は非常に優れたものであった。
「セレテューヌスのほかに精霊王の力を使った武具はあるの?」
〈もちろん存在している。ただし、こうして精霊を地上に具現化させるものは滅多に存在しない。貴重なものだよ〉
「いろいろわかったよ。ありがとう。聖剣についての話はこれくらいにしておこうか。おっさんが死にそうだし」
「………」
さきほどからガンプドルフが死にそうな顔をしている。
実際に聖剣を手に入れてからシャクティマにいろいろ聞かされ、今まで抱いていた夢や希望を打ち砕かれたのだろうが、それでも幼少期からずっと憧れを抱いてきたものだ。
やはり聖剣は綺麗なものであってほしかった、というのが本音だろう。
と、聖剣に関してはひとまずこれでいい。
本当にアンシュラオンが訊きたかったことは別にある。
「さて、精霊王シャクティマ。長生きしているあんたに、今回のことに関して意見を訊きたいんだけど、いいかな?」
〈最初に言っておく。私には剣の守護者の前に、雷の精霊王としての『制約』が存在している。すべての疑問には答えられない〉
「守秘義務ってやつ?」
〈そうだ。上からの命令で絶対的な拘束力を持つ。それは人間が想像しているより遥かに厳しいものだよ。語りたくても語れない制限がある〉
「わかった。答えられる範囲でかまわない。じゃあ、まずは『大地の術式』に関して知っていることを教えてほしい」
〈それは正式には『呪詛結界』と呼ばれているものだ〉
「へぇ、やっぱり知っているんだね。でも、おっさんは知らなかったようだけど?」
〈ガンプドルフは薄情者でね。東大陸に来てから聖剣をまともに使ってくれなかった。だから私が顕現できずに教えることはできなかったのさ。といっても、訊かれない限りは教えるつもりはなかったけどね〉
「その理由は?」
〈言ったところで絶望しか与えないだろう? さすがの私でもそこまで惨《むご》いことはできないね〉
「呪詛結界の存在を知っていたなら東大陸に来る前に止めなかったの?」
〈私に人間の意思を止める権限はないよ〉
「明らかにおっさんにとっては不利だとは思うんだけど? それは聖剣の損失にも繋がるんじゃない?」
〈たとえ死への道であっても人間の自由意志には干渉できない。間違える権利があるからこそ、成長する権利も与えられているからね〉
「パートナーのわりには冷たいんだね。それが精霊王の制約ならば仕方ないのかな。じゃあ、この結界を作ったのは誰?」
〈それには答えられない〉
「あの『影』の正体については?」
〈それにも答えられない〉
「それは知らないという意味で?」
〈それにも答えられない〉
「ノーコメントか。でも、それって半分答えを出しているよね。シャクティマは知っているけど制約があるから答えられないんだね」
〈さぁ、それにも答えられないね〉
シャクティマは、知らないことは知らないとはっきり明言するタイプだ。
であれば、もし知らないのならば素直にそう言うのだから、答えられないという発言自体が答えになっている。
ただし、シャクティマもそれは理解しているようで、どことなく笑っているようにさえ見えた。
(これはシャクティマからのメッセージだな。上手く訊き出せってことだ)
「呪詛結界は何のために存在するの?」
〈そもそも結界とは何だと思う?〉
「もし封じているのならば『封印』と呼ぶよね。結界と呼ぶ場合は、外からの侵入を防ぐために作るものだ。それを操っていたのが『影』だ。影には仲間がいると思う?」
〈仲間が数という意味ならば、相当数いるだろう。しかし、お前が思うような敵対者という意味での数は多くはない。そもそも呪詛結界の中に立ち入れる者自体が少ないからね〉
「つまりは、いても少数だけど相当てごわいってことか。最低でもあの影と同レベルかな。で、呪詛の定義は?」
〈生物が発する思念の力の一種かつ、憎悪といったマイナスの方向性に基づく力の総称だ。呪詛には二種類ある。磁場と重なり合って記録され、保存される過去のもの。もう一つは現在進行形で吐き出されているものだ〉
「この大地の呪詛結界は前者? 後者?」
〈両方だが、『今は』主に前者だろう〉
「それをエネルギーにした結界が、呪詛結界なんだね。そうなるとこの土地には呪詛が渦巻いていることになる。こんなに荒廃しているんだから過去の陰惨な歴史が影響している可能性はあるけど…でも、両方か。もしかして呪詛を吐き出す存在がまだいるのかな?」
〈生物は生きている限り、何かしらの呪詛を吐き出すものさ。より高度な知的生命体であるほど、その傾向性が強い。私に言えることは、いまだ大地からは呪詛が消えていないということだけだね。そして、放置していても消えるものではない。むしろ増え続ける。だから厄介なのさ〉
「呪詛を全部消すことは可能?」
〈可能か不可能かと問われれば、可能だ〉
「たぶんそれって長い時間がかかるよね。短期間で消すことはできる?」
〈場合と方法によっては。ただし、その分だけより強いエネルギーを使うだろう〉
「可能なのはありがたいね。呪詛結界に変化が生じた理由については? 何かあったの?」
〈知らないよ。だが、物事の結果には必ず原因が存在する。何かはあったのだろうし、もし今後も必要ならば捨てはしないものだ〉
「意図的に破棄した可能性が高いか。それによる影響はある?」
〈エネルギーを供給するパイプが壊れたと思えばいい。水道管が破裂したら、お前たちはどうなる?〉
「噴出して水浸し…か。それは困る。影の目的は何なのかな?」
〈さぁ、目的は知らないね。ただ、これまで以上に混沌とすることは覚悟しておいたほうがいいだろう。嫌なら早めに消すか、違うパイプを設置することだね。パイプの設置方法はすでに学んだはずだよ〉
「あの巨大ジュエルを利用しろってことだよね? 他のところも制圧して奪えってこと?」
〈今のお前たちにそれ以外の方法はないよ〉
「この大地には魔獣以外にも生物がいる? たとえば人間はいる?」
〈その質問には答えられない。しかし、土地は魔獣だけのものでもなく、人間だけのものでもない。精霊はどこにでもいるが物質界の土地を所有はしない〉
「超越者はもう存在していない?」
〈その質問には答えられない〉
「この大地で見つけたものは自由にしていい?」
〈朽ちた棒切れを拾って咎める者はいない。また、それを磨いて咎める者もいない。それを放置していた者を咎めるべきだろう〉
「蜘蛛についての印象は? 使役できると思う?」
〈ただの古い蜘蛛だ。それ以上でもそれ以下でもないさ。使役できるかどうかはやってみなければわからないが、すでに使役されていたのならば可能性はあるだろうね〉
「これからもあんな魔獣と遭遇すると思う?」
〈先に進むのならばね。鍵をかけずに家を留守にする者はいない。見張りを置かない砦も存在しない〉
「ここだけ呪詛結界が止まっていた理由は?」
〈知らないね〉
「この亀裂が生まれた原因については?」
〈知るはずもない。少なくとも雷の元素領域とは関係がないよ〉
(影については知っているみたいだけど、ここのことに関しては何も知らないみたいだな。まぁ、ずっと西側大陸にいたんだから当然か。違う角度で攻めてみようかな)
「ところでオレの姉ちゃんのことは知ってる?」
〈お前の姉など知らないよ〉
「『災厄の魔人』について知っていることはある?」
〈人間が作ったものだから、よくは知らないね。ただし、災厄の魔人も生物である以上、『宿命の螺旋』から逃れることはできないはずだよ〉
「宿命には人との出会いも含まれる?」
〈含まれてしかるべきだろう。お前にはすでに経験があるはずだよ。私がここにいることも宿命の一つだ〉
「女神様が言っていた『約束』って何だろう?」
〈知る由もない。女神と精霊は管轄が違うからね。女神は人を管理し、精霊は自然を管理するのが基本原則だ〉
「女神様はよく約束をするの?」
〈女神は無責任なことはしない。星の進化のための努力をし続ける。女神と約束した人間など今まで聞いたこともない〉
「そんな女神様と約束をしたというオレは、いったい何者だと思う?」
〈わからない。だから興味深い。強いて似ている者がいるとすれば、かつての『大陸王』だろうね。しかし、同一ではないし、単に傾向性が似ているだけだ。深読みはしないことだ〉
「『災厄の魔人』とよく誤解されるんだけど?」
〈人間には潜在的に魔人を見分ける力はあるが、上下関係を見極めることはできないようだね。そして『災厄の魔人』の概念に大きな誤解があるから間違える〉
「概念? その誤解とは?」
〈その質問には答えられない〉
「うーん、肝心なところは教えてくれないなぁ。じゃあ、災厄の魔人より強い存在はいる?」
〈いるね。災厄の魔人は人間にとって大きな脅威ではあるが、最悪の存在ではない〉
「たとえばどんな存在?」
〈人間でいえば『三大権威』と呼ばれる者たちだ。それ以外にも長い歴史の中ではちらほらいたようだ。どれも異端に近い力の持ち主だがね〉
「それなら姉ちゃんが最強というわけじゃないんだね。少し安心ではあるけど」
〈さて、それはどうだろう〉
「でも、今そう言ったよね?」
〈今まではそうだった。しかし、これからもそうとは限らない。未来は常に移ろうものだよ。何一つ決め付けることはできないさ〉
「オレの力って封じられてる?」
〈そのようだね。でも、女神が言った以上のことは知らないよ〉
「ここからさらに進む場合、今の戦力じゃ少ないよね? オレが力を引き出せば先に進める?」
〈可能性はあるが、一人では難しいだろうね。そもそもお前が求めているものは独りで手に入るものではないはずだよ〉
「なら、このままの方向性でいいのかな?」
〈見極めは間違っていない。が、足りないもののほうが多い。もっと多くの多様な力を得るべきだね〉
「聖剣がもっとあるなら楽なんだけど…ソフィア王女に対する印象は? 彼女は聖剣を作れると思う?」
〈面白そうな人間だが、聖剣が作れるかどうかはわからない。少なくとも鍛冶には適さないようには思えたよ〉
「もし聖剣を量産する場合、精霊王の数は足りる?」
〈精霊が管理する領域は広い。王と呼ばれる者もそれなりにいる。足りなくなることはないだろうし、最低でもセレテューヌスが作った剣以上のものでないと精霊王が宿ることは難しい。憂うだけ時間の無駄だろうね〉
「シャクティマは今後ともオレたちの味方?」
〈契約は絶対だ。ガンプドルフが生きていて、お前が協力する限りは敵にはならないだろう〉
「オレも他の精霊王と契約できる?」
〈………〉
「え? もしかして駄目?」
〈雷は雷の性質を持つ者を好む。火も風も水も同じさ。では、お前と同じ性質の者はどんな者だろうね。そういう意味の沈黙だよ〉
「なるほどね。少し気になるな。最後の質問だけど、シャクティマはオレに何を望む?」
〈女神がお前を選んだのならば、そこには意味がある。私はその過程を楽しませてもらうだけだよ。わからないから楽しい。未知だからこそ求めるのだからね〉
こうしてシャクティマとの対話は終了。
最後のあたりは簡単なインタビューになってしまったが、彼は常に淡々と答えており、その言葉に偽りは存在しないと思っていいはずだ。
(結局、知りたかったことは何もわからなかったな。でも、質問に答えなかったところは都合よく解釈してもよさそうだ。影の正体にしても秘匿されるレベルの相手なのはわかった。聖剣の経緯もわかったし、無料で手に入る情報としては上々かな。しかし、ソフィア王女は大丈夫なのかな? 若干不安だなぁ)
今回の最大の収穫は、セレテューヌスがどんな性格だったかを知ることができたことだろう。
聖剣を含めたDBD王室に関しては、まだまだ波乱が続きそうである。
710話 「聖槌ザンクルーシュ」
ガンガンガンッ!!
何かを強い力で叩く音が、部屋中に響き渡る。
室内は高温らしく、働く者たちは誰もが汗を流していた。
そこに大声が響き渡る。
「馬鹿野郎! こんなナマクラ、よく打てたな!! 作り方を忘れちまったのか? ああ!?」
「す、すみません、おやっさん!」
「謝って済むかよ! てめぇが失敗するのはいいが、これを使ったやつが死んだらどうする!! あいつらはタマ張ってんだよ! てめぇも死ぬ気でやれや! さっさとやり直してこい!」
「は、はい!」
「ふんっ」
怒鳴っていたのは老人。
どうやら彼はここで一番偉いらしく、部下である若者を叱っていたようだ。
その老人は、今しがた生まれた『ナマクラ』を鉄くずの上に放り投げる。
一度失敗したものは、もう駄目だ。溶かしても失敗の痕跡が残ってしまうため普通の資源として再利用するしかない。
「ったくよ、最近の若いやつらには誇りってもんがねぇ。命張らなきゃ、金属ってのは応えてくれねぇよ」
老人がハンマーを手に取り、転炉から流されて固まった鉄を、ぶっ叩く!
ゴーーンッ! ゴーーンッ!!
彼が鉄を叩くたびに不純物がさらに少なくなっていき、次第に色味が変わっていく。
それを納得いくまで繰り返すと、鉄は【鋼】へと変化。
「うーん…柔らけぇな。もう少し絞ってやらなきゃいかんか。待ってな。今、美人にしてやる」
老人が壷の中に入っていたジュエルをハンマーの窪みにはめ込んでから、再び叩く。
ゴーーンッ! ゴーーーンッ!
ジュエルが輝き、赤い粒子を放ちながら鋼の中に吸収される。
それによって色味がまた変わり、より『堅く』なっていくのだ。
「お前さんは何になりたい? 剣か? 剣なら小剣が似合いそうだ。斧だったらそうだな…思い切ってでかいのにしてみるか? 鎧? 鎧なら普通のプレートアーマーだな。まあ、焦るな。しっかりと見極めてやるからよ」
鋼と語りながら、老人は楽しそうにハンマーを振り続ける。
彼が触れたものは他のものとはまったく違う。同じ素材にもかかわらず、さきほどの青年が持ってきたナマクラとは本質的に違うものになるのだ。
なぜならば、彼こそ本物の【鍛冶師】。
DBDでも最上位の『聖槌《せいつい》』の称号を持つ者だ。
「おやっさん、やってるね」
「ん? おお、『白いの』か」
「今日も一杯やろうよ。いい酒を持ってきたんだ」
そこにやってきたのはアンシュラオン。
両手に酒瓶を持っての登場である。
ずかずかと工場《こうば》に入ってくるが、老人は咎めることはなかった。
そして隣に座ると、老人が打っていた鋼を見る。
「いい色合いだね。鉄が喜んでいる」
「はは、わかるか」
「オレは鍛冶のことは素人だけど、良いものはわかるよ」
「最近の若いやつはどうにも駄目だが、お前さんは見る目がある。何が違うんだろうな」
「彼らだってオレからすれば貴重な人材だ。あとは場数を踏めば良い鍛冶師になるよ」
「だといいがな」
「まあ、軽く一杯やろう。気分が乗ってくるはずだよ」
アンシュラオンがコップに酒をなみなみと注ぎ、渡す。
それを老人は一気に飲み干した。
「カァッ! いいな、焼け付くようだ! 酒はこれくらいでないとな!」
「気に入ってくれてよかったよ。こんな酒ならいくらでもあるからね」
「お前さんは、いいやつだ! 気に入ったぞ!」
「いやー、照れるなぁ」
この酒は、もうすっかり出番のない『眉毛じいさん』の店のものである。
都市内部はゴタゴタしていても彼の店は普通に上級街で営業しているので、出立前にいくらか仕入れてきたのだ。(仕入れ=強制的にもらってきた)
そしてなぜかアンシュラオンは、やたら年上のおっさんや老人と仲良くなれる資質がある。
もともと姉のような年上女性が好きなので、男も年上のほうが気楽に話せるのかもしれない。俗にいう「可愛がられる年下タイプ」であろうか。
電車内で若いきゃぴきゃぴした女より、中年のおっさんの近くのほうが安心するのと同じだ。(冤罪も怖れてのことだが)
というわけで戦艦を奪還した初日の対面で、すでに彼と仲良くなってしまった。アンシュラオンが白い容貌なので、『白いの』と呼ばれているくらいだ。
もちろんアンシュラオンも自分の目的のために接近したのだが、今ではすっかり老人を気に入っている。
優れた人間は、優れた人間を愛する。
両者ともにその道では達人である。分野は違えど、感覚と雰囲気だけでわかり合えるのだ。
(この人は本物の鍛冶師だ。本当の職人ってのは雰囲気でわかるんだよな。しかしまあ、おやっさんには本当に苦しめられたよ)
どういう意味かといえば、この人物こそガンプドルフの鎧や盾を作った【名工ザンクルーシュ】その人である。
キャンプで対戦した際のガンプドルフの台詞、「まだローンも終わっていないのだ」は軽いジョークではあったが、嘘ではなかったのである。
事実、盾や鎧の修理に赴いたガンプドルフが、使い方の荒さを指摘されて怒られていたものだ。
司令官かつ聖剣長でさえ、名工に対しては頭が上がらないのである。
(そりゃそうだ。武器や防具は命を支えるもの。少しでも良いものを使いたいのが本音だろう。しかもおやっさんは、今回の入植に関しての最重要人物でもある。丁重に扱わないといけないよな)
現在この戦艦にいる鍛冶師は、ザンクルーシュを含めて五人しかいない。
それだけでも問題なのにザンクルーシュ以外は、まだまだ駆け出しの鍛冶師なのだ。
駆け出しとはいえ、そこらの街ならば一流の鍛冶師を名乗れるくらいの実力はあるが、DBDは鍛冶にも力を入れているため競争が激しい。
地元で有名な選手でも全国大会に行くと埋もれてしまうようなものだ。普通の一流くらいならば、そこらじゅうにいるので評価されない。それほど厳しい世界である。
その中で『聖槌』にまで至るには、いったいどれだけの才能と努力が必要になるのだろう。この状況下で経験豊かなザンクルーシュの存在は極めて大きいといえる。
彼がいれば、これからの計画もすべてが順調。武器や防具も作りたい放題で、売りたい放題だ!
と思いたいのだが―――
「おやっさん、【腕】は大丈夫?」
「うむ、治ったには治ったが、まだ感覚が戻らん。神経の話ではない。鍛冶の感覚が戻らんのだ。長いこと使っていなかったからな」
「そっか。オレでもそこまではどうにもできないからね…ごめんね」
「白いのが謝ることはない。十分感謝しておるよ。片腕より遥かに楽だ」
初めて出会った時、ザンクルーシュは【隻腕】だった。
しかも利き腕の右腕が、上腕部からばっさりと切られてなくなっていたのだ。
今回の戦いで負傷したわけではない。これは戦時中の事故によるものだ。
ルシアとの戦争の末期、急ピッチで武具を生産していたのだが、若い鍛冶師が工場で事故を起こしてしまい爆発事故が起きた。
それによって吹き飛んだ鋼材が、ザンクルーシュの右腕をすっぱり切り落としてしまったのだ。
すぐさま治療が行われたが、数多くの者たちが病院に運び込まれていたため、ザンクルーシュ自らが断った。もっと重症の若者を治療してくれ、と。
聖槌ともなれば最優先で治療されるはずだが、彼も治らないことを悟っていたのだろう。それよりは若い命が一人でも助かることを願っていた。
それによって戦後、引退。
東大陸にやってこられたのは、すでに引退した身であり、利き腕が無いことがルシアにも知れ渡っていたからだ。
そうでなければ、これほど偉大な鍛冶師が国外に出ることは不可能だったはずだ。
(西側においても再生まで可能な術士は少ないんだな。一応戦艦にも再生用の医療術具があるが、完璧に治すのは難しいらしい。戦争で貴重な術士も数多く失ったと聞くしね。でも、そのおかげでおやっさんがここにいる。オレとしてはありがたいよ)
「『黒いの』はどうしている?」
「サナは元気にしているよ。あれから一度も黒雷は出していないね。自分で操れないみたいだ」
「そうか。あの時はおったまげたもんだ。『アレ』があってよかったな」
「そうそう、そのことも訊きたかったんだよね。あの剣って何なの? 貴重なものなの?」
「素材自体は貴重といえば貴重だが、もともとは力を扱いきれない武人の『練習用武器』だ」
サナが魔人化した際、黒雷の制御に苦しんでいたところに剣を放り投げた老人こそザンクルーシュであった。
あの剣を持っていたことに理由は特にない。箱ごと使えそうなものを持ってきていたので、たまたまそこに入っていたにすぎない。
ただし、ああいったときに感覚で必要なものがわかることも優れた人間の特徴である。彼はサナの恩人、いや、他の騎士たちが巻き添えになることを防いだ人物ともいえる。
サナもザンクルーシュが気に入ったようで、たまにここを見学に来ているようだ。ザンクルーシュも孫のようにサナを可愛がっているようだ。
「あの金属には一定以上の力を吸収する性質がある。雷だろうが炎だろうが、戦気だろうが関係なく吸い取る。だが、あそこまで真っ黒になるのは初めて見たぞ。とんでもない娘だ」
「オレの妹だからね。特別なのさ。で、あの剣はもらっていいの?」
「かまわん。扱うやつもいないし、たいしたもんじゃねえ」
「刀に加工はできる?」
「一度打ったもんを新しく加工するのは難しいもんだ。お前さんが調整したっていう刀も折れただろう? 『芯』が重要なんだ。わしらはな、その芯を作るために命の火花を散らすのさ」
「なるほど。じゃあ、刀にするためには新しく作る必要があるんだね。その鉱物は手に入る?」
「西側じゃそこまで珍しいもんじゃないが、東側ではどうかわからん。それに、あくまで力を使いこなすまでの安全装置にすぎん。切れ味など最初からあってないようなものだ。剣のままでもよかろう」
「それもそうか。危なくなったら持てばいいだけだしね。予備扱いでいいかな」
あの剣に特に名前はなかったので、ここで『吸収剣』と勝手に命名しておくことにする。
実際アンシュラオンが持っても特に反応せず、剣自体はそこらの店でも買えそうなランクCの品質である。サナの暴走を止める手段の一つとして考えておけばいいだろう。
「で、どう? 新しく手に入れた鉱物類は使えそう?」
「いい話と悪い話がある。どちらから聞く?」
「素直にいい話から聞いておくよ」
「まず、ここの地盤から採掘できる鉄には二種類ある。一つは不純物が多いもの。もう一つは磁気を帯びてはいるが純度が高いものだ。前者は建造物とかの鉄鋼資源に適しておる。後者は武具の製造に適しておるな」
「高炉で不純物は取り除けるんだよね?」
「鉄自体はそうだ。が、伝導率の差によって【鍛冶ジュエル】との相性がある」
「鍛冶ジュエルって、そのハンマーに取り付けるやつだよね」
「うむ。鉄鋼の種類によって使い分けておる。それによって足りないところを補いつつ、さらに長所を伸ばしてやることができる」
ザンクルーシュの仕事場には数多くの壷が並んでいる。それぞれに鍛冶ジュエルが入っており、扱う金属によって毎回使い分けるのだ。
鍛冶師の役割は、単純に鉄鋼を変形させることではない。
その鉱物に見合った鍛冶ジュエルを選び、強化変質させて、より武具に適したものにする職業なのである。
(同じ鍛冶でも地球と違うのは、この世界には術式がある点だ。触媒を用意しなくても酸化や還元がその場でできるのは強みだな。さらに新しい元素や気質を加えることで、鉱物自体を大きく変質させることができる。そして、高位の鍛冶師であるおやっさんが打ったものは、もう普通の鉄鋼のままではいられない。『ザンクルーシュが打った鉄』になるんだ)
単純に良い金属が手に入ったからといって、そのまま良い物になるわけではないのがポイントだ。逆に悪い金属だからといって、そのまま悪い物になるわけではない。
なぜならば、彼らもハンマーを叩きながら鉱物に【鍛気《たんき》】を吹き込んでいるのだ。
これは各鍛冶師特有の気質であり、戦気と同じく生体磁気を加工して生み出す各人固有の力だ。当然、鍛気が優れていればいるほど金属に与える影響は大きくなる。
同じ鉄を叩いても駆け出しの職人では鍛気が弱いため、大きな影響を与えることはできない。技術が未熟なこともあり『ナマクラ』になってしまう。
しかし、鍛気の質が良いザンクルーシュが叩けば、まるで金属が生きているかのように躍動し、優れた性質を帯びる。彼自身のオーラを吸収するからだ。
そうであるからこそ武具の詳細を見た際、名品に関しては作った鍛冶師の銘が刻まれるのである。
ガンプドルフの盾も鎧もザンクルーシュの気質が宿った、まさに魂の逸品といえるだろう。
そして名工ザンクルーシュこそ、アンシュラオンが求めていた人材なのだ。
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