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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第十一章 「スレイブ・ギアス」 編


623話 ー 630話




623話 「僕は『トイレ』を作りました」


 アンシュラオンが人差し指に意識を集中すると、黄色い色彩が集まっていく。


 そこに指向性を与え―――放つ


 発せられた『雷』が真っ直ぐに飛んでいき、的に命中。

 木で出来た丸い的が焼け焦げ炭化すると同時に、背後にあった岩に十センチ幅の穴があいた。見事貫通である。

 続いて掌を上に向け、三十センチ大の水玉を二つ練り上げる。

 それを放出すると、二つの水玉は交差するように進んでいき、最後に挟み込むように的に命中。焼け焦げた的を破壊。

 今度は間髪入れずに左手で風を集めて、圧縮して放つ。

 放たれた風圧は的に当たり、すべてを粉々に破砕しながら吹き飛ばす。

 最初に放ったものは『雷貫惇《らいかんとん》』。

 グラス・ギースで手に入る術符の中では最高レベルのもので、よくお世話になっているものだ。

 次に放ったのは因子レベル2で使える『水連球』。より威力を増した水玉を二つ生み出して同時に当てる術である。

 最後のものも同じ因子レベル2の『風圧波』。圧縮した風を叩きつける攻撃術式であるが、たまに瓦礫撤去にも使われる便利な術だ。

 このほかに火の術式も扱えるが、ここは大樹内なので控えておく。


(因子レベル2程度の術ならば、もう問題はないな。目を瞑っていても使えそうだ)


 一般的な価値観では、因子レベル2の術式が扱えれば一人前の術者と認識されるので、現段階でもその域には達しているし、そもそも四つの属性を操れる段階で特別な存在といえる。

 普通は当人の属性に関わるもの、一種類か二種類の属性しか操れないことを考えれば、こうして多様な術を扱える術士は極めて少ない。

 これもデルタ・ブライト〈完全なる光〉の力である。すべての因子、すべての属性を操れる『可能性』を持っているのだ。

 ただし、アンシュラオンの術士因子は5あるため、まだまだ序の口。初歩を身に付けただけにすぎない。


(戦気のほうが扱いに慣れているから、威力としては不満な点もあるが…術には術の良さがある。なにせこの水は【飲める】からな)


 戦気を使って発した『水気』と、術式で生み出した『水玉』は何が違うのか。

 その最大の違いは、後者が【自然物】である点だ。

 法則に干渉して『自然現象』を引き起こすのが術式なので、実際に本物の水を生み出しているのである。

 攻撃に使う術式に関しては特殊な加工を施すこともあるが、水玉といったものは大気中の水分を吸い出して作っているため、そのまま飲んでも問題はない。

 そして、まず最初にアンシュラオンが『錬成』したのも、この水の術式である。


 ちょうどこれから錬成の練習をするので、その過程を見てみよう。

 まずは袋の中にある『空《から》ジュエル』を取り出す。

 工業用に研磨された以外は、何も手が加えられていない普通の石だ。

 試しに『鑑定』すると、こうなる。


―――――――――――――――――――――――
名前 :空ジュエル(E)

種類 :鉱物
希少度:E
評価 :E

概要 :研磨だけされた空のEランクジュエル媒体。

効果 :なし


【詳細】

耐久 :E/E
魔力 :E/E
伝導率:E/E
属性 :無
適合型:汎用
硬度 :E

備考 :錬成可能
―――――――――――――――――――――――


 アンシュラオンの網膜に、空ジュエルのデータが映し出される。

 鑑定の術式は因子レベル1でも可能であり、その有用性から真っ先に習得したものであった。

 今までは鑑定屋に持ち込むか術符を使わねばならなかったが、いつでも物質の情報を見られるのはありがたいものである。

 そして、これによってまた大きな変化が起きていた。


(術士の因子が目覚めたことで、オレの『情報公開』もレベルアップしたようだ。物質のデータも表示されるようになったのは便利だよな)


 もともと『情報公開』は、物質のデータも参照できるものだったのだろう。それが封印の影響で完全に効果を発揮していなかったようだ。

 鑑定を覚えたあと、エメラーダに言われて情報公開を使ったら、その上位である『完全鑑定』と同等の力が付与されていたのだ。

 まだ上位の術者に本気で妨害されるとすべてを見通せないが、術士の能力を鍛えることで徐々に対抗できるようになるという。

 その意味でも術の勉強をすることには価値があった。

 話を錬成に戻すが、今見たものはギリギリ媒体として使える程度の安い空ジュエルでしかない。

 これくらいならば工業用媒体として商会では簡単に手に入る。


 だが、これからやることで価値は十倍以上に跳ね上がる。


 アンシュラオンが空ジュエルを掴みながら、水の術式を展開。

 ここで発動はさせない。あくまで式を展開させるだけだ。

 わかりやすくいえば、方程式だけ作っておいて最後の「イコール」を付けずに残しておくようなものだろうか。

 それをジュエルの表面に焼き付けるように刻むと、石の色が少しずつ水色に変化していった。

 これで錬成終了。水のジュエルが完成する。

 非常に簡単な工程に見えるものの、特殊な能力がなければできない専門作業である。

 アンシュラオンも最初の数回は、手袋に似た専用の錬成補助具を使って感覚を覚えたものだ。(普通は何千回とやらねば習得はできないので、数回で覚えられるのが才能の差だろう)

 また、刻む術式の種類によっても錬成までの時間はだいぶ変わっていくし、【プロテクト】をかけるかどうかでも違いが出る。

 もし専用の術式コードを使えば、同じコードを持つ者しか見ることはできなくなり、何を刻んだかを隠蔽することが可能となるわけだ。

 こうすることで販売業者は悪用を防ぐことができ、術士も技術漏洩を防ぐことができる。

 術式は危険なので、こうした防犯対策を何重にも施さねばならない『ルール』があるのだ。これもダマスカスにある国際ジュエル協会が定めたものである。

 ただし、そこらで売られている低レベル燃料ジュエルに関しては、読解コードが一般公開されており、その限りではない。

 生活必需品にプロテクトをかけすぎると逆に使いにくい、というわけだ。

 こうやって公開することで各地域にいる術士がメンテナンス可能となり、職にありつけるようになる。

 術を絶えさせないためにも必要な措置であるし、定職に就ければ金にも困らず、術の悪用も防ぐことができるという観点からだろう。

 アンシュラオンも今回は単なる水ジュエルの錬成なので、一般コードを使って術式を刻んでいる。

 そして、錬成後のデータがこちら。

―――――――――――――――――――――――
名前 :水ジュエル(D)

種類 :ジュエル
希少度:D
評価 :D

概要 :水の術式が刻まれた燃料ジュエル。

効果 :なし


【詳細】

耐久 :E/E
魔力 :E/E
伝導率:E/E
属性 :水
適合型:汎用
硬度 :E

備考 :錬成強化可能
―――――――――――――――――――――――

 さきほどはEランクの空ジュエルだったものが、一段階上昇してDランクに変化している。

 水の術式を刻んだことで属性も『水』に変わっていることがわかるだろう。

 ジュエルの評価は、鉱物の素材と込められた術式によって変化するらしい。

 適合型が『汎用』のものは何にでも使える反面、どれも効果が平均的になるデメリットもあるので、まさに一般大衆向けといえるだろう。

 しかしながら素材がこんな安物のジュエルであっても、アンシュラオンが手を加えればDになることが重要だ。

 この一段階の上昇は、世間では極めて大きな差として扱われる。戦闘能力と同じで、EとDの間、DとCの間には天と地の開きがあるのだ。

 そして、実際に錬成をやってみて、その難しさも知る。


(錬成は『情報術式』と『元素術式』の二つを扱えないとできない【複合術式】だ。錬金術師の数が少ない理由がわかるよ。術士自体が多くないから、さらに稀少で貴重なんだよな。エメラーダが隠れているのも狙われるからだ。こんな優れた技術を持っていたら当然だね)


 術式には大きく分けて二種類の分野が存在する。


 それが『情報術式』と『元素術式』である。


 ファンタジー要素を入れてわかりやすくいえば、前者が人工的な魔法で、後者が精霊魔法のようなものだ。

 情報術式は、『核剛金』や『原常環』のように物質の数値を変更追加して、強化・弱体させることができる。

 城壁の防護結界も情報術式によって形成されているし、回復系の『若癒』の術符なども肉体の遺伝子データを参照して補修を行っている。

 数値をいじるためか情報術式は数式で表されることが多く、アンシュラオンのような感覚重視の人間には若干ハードルが高い分野だ。(パミエルキは得意としている)


 一方、属性を伴うものの大半は『元素術式』と呼ばれ、必ず精霊の力を借りていることが特徴となる。

 最初に実演した『雷貫惇』や『水連球』などは、大量の原始精霊によって生み出されているわけだ。

 そもそも元素自体はあらゆるものの構成要素になっているため、戦気術を含めたすべてが元素術式ではあるのだが、とりわけその傾向が強いものを区別して呼んでいる。


 その元素術式の最大の長短は、【周囲の環境条件に左右されること】である。


 プライリーラがなぜ荒野を選んだかといえば、そこが一番風の精霊の加護を得られる場所だったからにほかならない。

 水の術式にしても、何もないところから生み出すわけではなく、違うところから元素を吸い出して水として具現化させている。

 よって、あまりやりすぎると周囲が乾燥して、喉がカラカラになるデメリットもあるし、湿気が少なければ水が生まれない可能性もある。

 アンシュラオンの場合は自ら命気を生み出せるため、そこから水分を吸い出すことも可能だが、今は普通の浄化されていない農業用水を媒体にしている。

 海水を蒸発させて真水にするのと原理は変わらない。術式で水分だけを吸収することで綺麗な水が生まれる。

 こういうことができるからこそ、類は友を呼ぶのごとく、自分の周りには水の精霊が集まるのだろう。

 原始精霊自体には思考力がほぼないため、感覚や嗜好で集まる性質があり、それに適した素養を持っていれば善悪かかわらず力を借りることが可能だ。

 そして元素術式の多くは『紋様』で表れることが多いため、色彩の世界との相性は抜群である。


 この両者を駆使して『錬成』を行うわけだが、その真髄こそ【数字と紋様の合体】にある。


 錬成したジュエルを術士因子で見ると、数式と紋様が綺麗に交差合体した『図形』が生まれているのがわかるだろう。

 もし剣と魔法の世界が好きならば、魔方陣と呼び替えてもかまわない。

 男女と同じく、情報術式と元素術式は二つで一つ。陰と陽の関係にあると思われる。

 アンシュラオンもこれに気付いた瞬間、一気に術の理解が深まったものだ。

 ちょっとした気付き、あるいはコツが技術の習熟には重要なのである。

 こうして今では低レベルの錬成ならば、簡単に扱うことができるようになった。


(慣れてしまえば刻む作業はそう難しくはないよね。ほぼ単純作業だ。まあ、それが簡単にできないから術士には需要があるんだけど、技術があればボロい商売だ。錬金術とはよく言ったものだよ)


 インターネットの接続設定も、業者に頼むと五千円や一万円といった料金を取られる場合があるが、自分でやれば当然無料である。

 実際は簡単な作業ではあっても、知識と技術がない人にとっては未知の存在なのだ。

 壊れるのが怖くてパソコンのカバーを開くのも嫌な人もいるだろう。だからこそ商売が成立する。

 空のジュエル一つは、ランクに応じて数十円から数百円で買えるが、水の燃料ジュエルともなれば最低でも十倍以上の価値になる。

 黙々と大量生産すれば、それだけで暮らしていける額が稼げるに違いない。


(今までは『破壊』でしか利益を生み出せなかった。魔獣を倒したりマフィアにちょっかいをかけたりとかね。でも、術があれば自力での商売も可能だな。こんなもん、やる気になればいくらでも作れるしね。まあ、術を学ぶために莫大な負債を背負ったから、これだけじゃ採算が取れないんだよな…)



 その調子で数十個のジュエルの錬成が終了。


「よし、これで千個終わったな。エメラーダに言われた課題はクリア、と。…で、どうするかな、これ。こんなにあっても仕方ないけど、多すぎて売るにも売れないし…」


 なぜこんなことをしているかといえば、エメラーダに千本ノックならぬ『千回錬成』を命じられたからだ。

 空のジュエルの代金は、例の請求書に含まれているので良心的といえばそうなのだが、作り終えたあとのことは考えていなかったようだ。

 その結果、目の前には膨大な数の水やら風やらのジュエルが存在する。

 火は料理、風と雷はトロッコに使えるとしても、問題は水である。

 普通に飲み水として使えばよいのだが、これ一つで軽く百リットル以上はあるので使い切れないし、それならば無料で命気水を作ればよく、あえて浪費するのはもったいない。

 かといって、そのまま格安で売ってしまうと水の相場が大幅に下落する。グラス・ギースにおいて真水は貴重なのである。

 では、高くして売ればよいと思われるかもしれないが、そうすればまた派閥争いに巻き込まれて面倒なことになる。

 まだハングラスと交渉していない状況で、無駄な諍いは起こしたくないものだ。


(ジュエルは鉱物だから、磨耗しなければ長期保存は可能らしい。小さいし軽いからホロロさんたちが使うには悪くないけど、どうせまた増えるしな。備蓄以外で何か有効な活用方法はないものか……ん? あれはサリータか? そういえば隣で鍛錬していたな)


 どうしようかと考えていたところ、廊下でサリータを発見。

 彼女は隣の訓練場で戦気の鍛錬をしていたようだ。サナがここまでレベルアップしたので、そろそろ使えるようになってもらいたいのが本音だ。

 それはともかくとして、サリータが歩いていくその後ろを、自分もそのままぼーっと付いていく。

 理由はない。ただ頭の中で考え事をしていたので、身体が勝手に動いただけだ。

 そしてサリータが、小部屋の前で止まった。

 なんてことはない。ただの化粧室、トイレである。

 この白樹の館は、基本的に男性向けには造られていない。女性が過ごしやすい環境を意識して、すべてが女性向けになっている。

 トイレも同じく女性専用になっており、不足がないように十分配慮しているつもりだ。


(トイレ…か。人間である以上、トイレくらいはするよな。優れた武人ならば肉体操作で燃やせるから、最悪行かなくてもなんとかなるが、サリータなら行ってもいいよな。…トイレ。ふむ、トイレか。そういえば、彼女たちはどうやって用を足しているんだっけ? 最近はサナも自分でやらせることが多いから、久しく『手伝って』いないな)


 がちゃっ

 サリータが化粧室の扉を開き、中に入る。

 バタン

 扉を閉じる。

 ここまではたいしたことではない。ごくごく当たり前のことだ。

 だが、扉を閉じた部屋の中に『人影は二つ』あった。


 そして、サリータがズボンを下げて用を足そうとした時―――



「―――えっ!?」



 一緒にトイレに入ってきたアンシュラオンと―――目が合う



「………」

「………」


 しばし無言で見つめ合う二人。

 アンシュラオンも無言なので、沈黙が場を支配した。


「あの…」

「ああ、気にするな。ちょっと様子を見たいだけだ。それとも手伝ったほうがいいか?」

「て、手伝う…ですか!? そ、その…な、何を?」

「決まっているだろう。女性のトイレを手伝うのは男の役目だ。遠慮することはないぞ。サナにはいつもしていることだ。でも今回は独りの場合に、どんな感じでやっているのか見てみたいかな。よし、いつも通りにやってくれ! じー!」

「…は、はい」


(こ、これは何かの修行なのだろうか!? それとも、そういうプレイなのだろうか!? ううう、は、恥ずかしい)


 サナにはいつもしていることでも、マフィアとの抗争が忙しくて他の女性への世話はあまりしていなかったため、まだそういった耐性がないようである。(耐性があるのも嫌だが)

 サリータは訳がわからない様子であったが、主人かつ師の命令であれば従うしかない。

 顔を赤らめながらも用を足す。

 一方、その様子をじっと見つめるアンシュラオン。

 自分は自分のトイレがあるため(あまり使っていないが)、こうして女性専用トイレを改めて見る機会がなかったことに気付く。


(トイレについては間取りだけ整えて、あとはホロロさんたちに任せていたが、方式としてはホテルと一緒か。小さいのをするときは、砕いた『吸水石』を使うのだったな)


「…ふぅ」

「終わりか?」

「は、はい。お、終わりました」

「大きいほうはしないのか?」

「えっ!?」

「ぜひ、そっちも見てみたい。出るか?」

「そそそっ…それは…っっ!! 師匠、さすがにそれは…!」

「べつに汚いものじゃないだろう。人間の生理現象だ。大丈夫。オレは気にしないぞ。ちゃんと尻も拭いてやるから安心しろ」

「うううううっ―――!! うわーーーーーーんっ!! それだけはご勘弁をぉおおおおおお!」


 ダダダダダダッ バタンッ!

 さすがに限界に達したのか、サリータは逃げるように出ていってしまった。

 戦いになれば根性を見せる彼女も、トイレのお世話には耐えきれなかったようだ。

 つるっ ドスンッ

 しかも慌てて出ていったため、バランスを崩して廊下でひっくり返った音も響いた。


「ん? 何をそんなに恥ずかしがっているんだ? まあいいや、あとでホロロさんにでも見せてもらおうかな」


 アンシュラオンにとって女性の世話は極めて一般的なことであり、性的な趣向は一切ないことを銘記しておこう。単純に姉にそう仕込まれているだけだ。

 ということで、大きいほうはホロロに見せてもらうことにした。

 彼女に関してはホテルでお世話をしたこともあるので、まったく動じることなく快諾してくれた。

 主人の願いならば、トイレの大きいほうも躊躇せずに見せる。これぞメイドの鑑である。

 そのおかげでいろいろと課題が見えてくる。



(トイレ―――か! そうか、トイレか!! そうだ、トイレだ!!!)



 この瞬間、何かを閃いてしまった。

 そして、これがのちに大きな話題となることを、この段階では知る由もなかった。




 その後、全員を集めてアンシュラオンはこう宣言。




「【トイレ】だ! オレは【トイレ】を作るぞ!!」




 その言葉の意味を理解できず、誰もが首を傾げる。

 いきなり興奮した様子で「トイレ! トイレ!」と叫ばれたら、誰だって困惑するに違いない。当然の反応だ。

 ここで本来なら女性陣から質問が飛び出るはずだが、情熱に溢れたアンシュラオンから逆に質問が飛んでくる。


「セノア、君はトイレについて不満はないのか!?」

「ふ、不満ですか?」

「そうだ! 不自由な点はないか? あるなら遠慮なく言ってごらん」

「ええと…特にはありません。むしろ快適ではないかと…。これほど充実したトイレは見たことがなかったですし…」

「なるほど。たしかにうちは高級ホテルと同じ造りをしている。この都市の中でも上等だといえるだろうな。では、野外ではどうしている?」

「え!? そ、それは……」

「恥ずかしがることはない。大切なことなんだ。ちゃんと教えてくれ!!」

「う、うう…そ、その……つ、つちを……」

「なんだい? もっとはっきり!!」

「つ、土を掘って……うううう……そ、そこに…」

「用を足したあとは? 何で拭く?」

「す、砂が……多いと………」

「綺麗な砂が無いときは? 水か? 葉っぱか? 布か? 紙か? 何で拭いているんだ!! どれも無いときは!?」

「あうううう!!」


 告発します! セクハラです!!

 まだ十二歳のセノアにトイレ事情について迫る様は、セクハラ、変質者という言葉しか思い浮かばない。

 だがアンシュラオンは、至って真面目に訊いているのだから困ったものだ。

 その溢れんばかりのトイレへの情熱は、誰にも止められない!


「トイレは毎日使うものだ。であれば、便利で清潔であったほうがいい! そう思ったきっかけはいくつかあるが、一番は『臭い』だな。これはうちの話ではなく、都市全体での話だ。君たちは感じないか? ホロロさんはどう思う? 生まれた時からこの都市に住んでいるんだよね」

「上級街はまだ清潔ですが、下級街が近くなると臭いが気になることもございます。その主な悪臭の発生源がトイレなのは間違いありません」

「だろうね。オレが知った限りでは、下級街あたりでは満足にトイレの掃除もされていないし、回収業者の出入りも少ないようだ。そんな状況では衛生面でも影響が出てくるはずだ。今まで疫病が流行ったことはなかったの?」

「たまに不衛生な地域で流行り病が出ることはありましたが、ある程度すると自然に治まっていました。その時になると『水』が支給されたような気がいたします。今にして思えば、あれは何かしらの薬だったのかもしれません」

「水…か。領主が出すわけがないから、おそらくは疫病が蔓延しないようにマングラスが手を打つんだろうね。都市の発展規模のわりに病気が少ない理由がそれかな? といっても、やつらが動く範囲は都市内部に限っている。移民街のほうはどうだろう?」

「そちらの情報はほとんど入ってきませんが、疫病が発生する危険性はありそうですね。悪質な回収業者だと、第三城壁内部に糞尿を捨てることもあります」

「そりゃ環境が良いわけがないよね。疫病うんたらは本来、領主が気にする問題なんだけど…ともあれ都市のトイレ事情が劣悪な以上、街中での臭いの問題が発生する。一応は自分が暮らしている都市だからな。臭いのは御免こうむる。そのためにトイレを開発しようと思っているのさ」

「商売として、でしょうか?」

「どうせやるなら金になるほうがいいよね。いきなり作るのがトイレなのもどうかと思うけど、幸いにも練習で作ったジュエルがたくさん余っている。その使い道になれば一石二鳥だ。まずは自分たち用に作ってみて、上手くいったら販売もしてみたいかな」

「素晴らしいアイデアです。今まで手が付けられていない分野ですし、競合相手も少ないですね」

「トイレはどの派閥? 雑貨だからハングラス?」

「吸水玉や砂はそうかもしれませんが、女性向けのトイレ用品はラングラスのリレア商会が担当しているようです」

「ああ、あそこか。じゃあ、大丈夫そうかな。ソブカにも手を出すなと言ってあるしね」


 ラングラス一派の女組長である、ストレアが管理している商会である。

 下克上でソブカに粛清されたラングラスの幹部連中であるが、彼女に関してだけは手を出さないように事前に通達しておいたのだ。

 当然、女性を第一に考えるアンシュラオンの意向があるからだ。

 彼女自身ソブカに逆らうことはなかったため、現在はおとなしく通常営業を続けているそうだ。

 むしろ投資が増えて商品が充実しているとも聞く。何かトイレ製作に必要なものがあれば、そこで手に入るに違いない。

 汚物の回収業者に関しては、土地関連ということで領主のディングラスになっているが、実質はハローワークに丸投げしているという。

 自分がやりたくない汚いものだけ民営化するのはさすが領主だが、それだけ派閥を気にしないで踏み込める業種でもある。


「セノアは? それでいいかな?」

「ええと…今よりもトイレが綺麗になるってことですよね? はい、良いと思います」

「最初の商品がトイレであることに抵抗はない?」

「はい。困っている人も多そうです。私も旅をしていた頃は大変でしたし…安全で清潔な場所が増えるのは、女性にとっても助かります」

「じゃあサナたちも、そういうことでいいかな?」

「…こくり」


 ホロロとセノアの意見に、サナたちも頷いている。(小百合は出勤中)

 基本サナやホロロは自分の意見に逆らわないので、ここでは『普通の少女』であるセノアの意見が重要となる。

 ここ最近、彼女の意見を聞いていることには、そうした意味があるわけだ。より一般大衆の意見に近いからである。


(とりあえず試作品を開発してみるか。本当にできるかどうかわからないしね。ええと、地球のトイレってどんな仕組みだったかな? 封印解除のおかげで頭がすっきりしたから、前のことをよく思い出せるようになったんだよね)


 トイレを最初から自作するつもりはない。

 こちらには元日本人という強みがある。

 日本は「ものづくり」の国。「ザ・日本製」こそ至高であるから、そこから知識と技術を拝借すればよいのだ。




 こうしてアンシュラオンは、錬成修練の過程で生み出したジュエルを使い、さまざまな道具の開発に入った。

 最初に作ったのは、ドライヤー。

 高級ホテルには風を出す道具もあるが、温風を出すものはなかったので試しに作ってみたのだ。

 機構は簡単。弱めの火のジュエルで温度を上げた風を噴出するだけだ。

 最初は調整を誤って火が出てしまったものの、出力を下げ、さらにジュエル周りを魔獣の金属素材で覆うことで事故を防ぐことにした。

 出力調整はトロッコでの経験が生き、そこまで大きな失敗はなく完成に至る。

 実際に使ってみてもらった感想は上々。髪の毛がふんわりすると好評であった。

 開発を続けること、さらに数日。

 努力が実り、ようやくトイレの試作品が完成することになった。


「ついに出来たぞ! 名前は『流してうっふん』だ!」


 うっふんには、複数の意味がある。

 「鬱憤を流してもらう」、「うっ、ふん!」、「ウッフン」等、トイレとして相応しいものを選んでみた。

 が、数秒後に冷静になる。


「…いや、さすがに変か。最近熱中しすぎて、ちょっと頭が変になっているのかもしれないな。たまに変な名前で売り出される商品があるけど、あれってがんばりすぎておかしくなった結果なんだろうな」


 ごくごくたまに「よくこの名前でOKが出たな」という商品名を見かけることがある。

 普通だったら確実にボツになるであろう名前を、してやったりの顔で堂々と売り出す人々には尊敬の念を感じてやまない。

 自分も危うく同じ道を歩むところだったので、今後も気をつけていこう。


「おーい、出来たぞー! ちょっと来てくれー!」


 サリータたちを館の外に呼び寄せると、誰もが興味津々といった様子でやってきた。


「見ろ、新しいトイレだ!! なんと美しい曲線美! 惚れ惚れする! トイレメーカーの気持ちがわかったよ! トイレは芸術品だ!」


 自分が真剣になって作ったものは、どれも愛らしいものだ。

 それがトイレでも愛情は何ら変わらない。


「これがトイレ…ですか?」

「すごい大きいですね…」


 サリータとセノアの目の前には、縦横五メートルはありそうな大きな箱状の物体があった。

 この街にあるトイレとはまったく趣が違うので、一目見ただけでは用途がわからないのは当然だろう。


「おっと、オレとしたことが興奮していて中を見せるのを忘れていたな。すまんすまん。商品として売り出すことも想定しているから、持ち運びができる箱型にしてみたんだ。まあ、それ以外にも理由はあるけど、まずは中を見てくれ」


 箱に設置されているステップを上り、中央やや上にある扉を開ける。

 その中は、ゆったりとした広いスペースがあり、後部に便器が設置されていた。


「これは座るタイプなのですね」

「そこに気付くとは、さすがホロロさん! 丸パクリ…じゃなくて、偉大なる先人の叡智を借りて、これが最適だと判断したんだ」


 ホロロが最初に気付いた点は、便器の形状だ。

 グラス・ギースの便器は、砂や水で拭くことを考慮して『和式』に近い形状をしている。昔よくあった「汲み取り式便所」に近いだろうか。

 下に溜める性質上、砂があるとはいえ、やはり臭いの元になってしまう。

 一方のこちらは、現代日本でもよく見かける『洋式』かつ『水洗式』のものだ。

 便座は男性でも使いやすいように少し前を空けたタイプであるが、男性は男性で公衆トイレのように専用の小便器を作りたいとも考えている。


「細かく説明する前に、まず使ってもらおうかな。初めて入った人の反応も見たいしね。みんな、尿意や便意は感じているな?」


 アンシュラオンの問いに全員が頷く。

 トイレのテストなのだから、肝心のものが出ないと実験にならない。

 女性陣には事前に排出用に調整した命気水を飲ませ、尿意や便意を我慢してもらっている。

 そのため若干顔に赤みが差している者もいるが、そっちの分野に興奮するほど変態ではないので省略しよう(それなら最初から描写しなければよいのだが)


「じゃあ、セノア。入ってごらん」

「え? わ、私ですか?」

「どうせ全員に入ってもらうんだ。誰が最初に入っても同じだよ」

「…は、はい。わ、わかりました」


 最初に選んだのは、これまた普通の少女であるセノア。

 サナは予測不可能だし、ホロロは頭が良すぎるし、ラノアとサリータでは不器用すぎる。

 やはり彼女をトップバッターにするのが最適だろう。


「き、緊張します」

「大丈夫だよ。中に説明用の張り紙もあるからね。仮にこれが普及した場合、みんな使うのは初めてなんだ。条件は一緒さ」

「そ、そうですよね。これはその…商品の実験なんですよね」

「うむうむ、そうだよ。みんなのためになるし、お金になるかもしれない。サンドシェーカーを補充する人は汚い人じゃないだろう? みんな仕事でやっているし、役立つためにがんばっているんだ。それと同じだよ」

「わ、わかりました! 私もがんばります!」

「よし、いい子だ! お一人様、ご案内!!」


 セノアをトイレに投入して、バタンと扉を閉める。

 あとは中に入った彼女次第だ。




(お仕事。これはお仕事なんだ。がんばらないと)


 中に入ったセノアは、緊張気味に周囲を見回す。

 五メートルという広さの空間は、改めて見ると相当ゆったりしていた。

 今まで感じていた圧迫感はまるでない。


(あれ? この匂いは…? いい香りがする)


 最初に感じたのは、強めの花の香り。

 外から見たときは気付かなかったが、部屋の壁は花屋かと思えるほどの美しい花々で彩られていた。

 そこから多様な香りがするので、不快な臭いはまったくしない。

 石床もしっかりと研磨されており、つるりとした光沢の大理石に近い質感だ。

 水洗いもしやすく、滑りにくい絶妙の加減に仕上げているところに職人の熱い想いを感じる。


(鏡もあるし、手を洗う場所もある。ホテルのお風呂みたい)


 壁には洗面台が設置されており、化粧直しもできるスペースが確保されている。

 良い香り、清潔な空間、手を洗える場所。

 こうしたものが安心感を与え、女性に一歩を踏み出す勇気を与えるのだ。


「じゃ、じゃあ、とりあえず便器まで―――わっ!」


 ピュララララーーー

 便器に向かおうとした瞬間、今度は音楽が流れた。

 フルートに似た音色のクラシック調の曲だ。


「っ!? だ、誰かいるの!?」


 個室内で人に会うなどトラウマものであるが、もちろん誰もいない。

 これはエメラーダが所有していた音楽ジュエルをコピーしたもので、人が入ったら流れるように設定したものだ。

 術式もデータである以上、複製自体はそう難しいものではない。

 ジュエルに刻まれた術式を解読し、丸写しして空のジュエルにコピーすればよいだけだ。

 もちろん少しでもミスがあれば発動しないので、完璧に解読する必要がある。

 この技術を身に付けると鍵開けや封印の解除、相手が使っている術式コードの解析ができるようになり、事前に危機を察知できるようになるらしい。


「だ、大丈夫…よね?」


 しばらく曲が流れた頃、人がいないことを理解する。

 トイレに入るだけで心臓がバクバクするとは、なんとも奇妙な体験だ。


「ええと、便器―――わっ!」


 ウィーーンッ ガコン

 セノアが便器に近づくと、今度は蓋が自動的に開いた。

 音楽が鳴ったときのセンサー同様、これも術式を使ったものだが、停滞反応発動と違って術式ではこういうことが簡単にできるからありがたい。

 ただし、それを便器に使った者はいなかったため、目の付け所はさすがといえる。


「す、座ればいいのよね?」


 意を決して便器に座ってみる。

 が、ここでも衝撃。


「きゃっ!! あ、温かい!?」


 ホット便座(暖房便座)搭載!!

 火のジュエルも使っており、トイレに人が入った瞬間には便座の加熱が始まる仕様なのだ!!!

 この地域の平均気温は高いほうだが、夜にもなれば冷え込むものだ。

 特に女性は身体を冷やしてはならない。当然の配慮である!!


(うううっ、今のショックで急にしたくなってきちゃったよ…。は、恥ずかしいけど、お仕事だから…)


 セノアは下着を下ろし、用を終える。


 ゴボゴボゴボッ ジャー


 すると、自動的に水が流れていったではないか。

 ちらっと便器の中を覗き見ると、もう出したものはなくなっていた。

 健康状態の確認として見る習慣がある人も多いらしいが、見たくて見る人は少ないだろう。

 よって、自動で流れる仕組みが導入されていた。


「…ふぅ、終わったらどうすれば―――ひゃぁああああ!!」


 ウィーンッ ブシャーーッ

 セノアの尻に、いきなりの水圧!!


「あっ! あああっ!! うううう―――はっ!」


 シャーーシャーーーッ

 水は十秒以上放たれ、尻の汚れを綺麗に洗い流す。

 みなさんご存知、ウォシュレットである。

 水圧はボタンで好きに調整できるが、それだけで尻周りを綺麗にするために、デフォルトではやや強めの設定にされている。

 しかも前と後ろに当たるように前後に動くため、なんともいえない感覚が襲ってくる。

 そのせいでセノアはしばらく動けなかった。あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤になる。


「最後は…これで拭くのかしら? あっ、柔らかい」


 それから最後に、絹のように柔らかい紙で拭いて仕上げる。

 ウォシュレットで大部分は洗浄されるため、拭いた紙に汚れが付くことはなかった。(足りなければ何度でも水が出る)

 便器の隣にある箱に使用済みの紙を入れると、そのまま流されていった。

 こちらはサニタリーボックス(汚物入れ)も兼ねており、固形物の処理もできるようになっている高性能っぷりである。


「お、終わった……」


 セノアは立ち上がり、ゆっくりと洗面台に向かう。

 洗面台には手洗い用の水(蛇口)と石鹸があり、最後はハンドドライヤーで乾燥させる仕組みまで導入されていた。

 それらを四苦八苦しながら、説明書き通りにこなしていく。

 ここまでトイレに時間をかけたことはなかったが、そこに不快感は一切ない。


(なんだろう、この爽快感。嫌な臭いも全然しないし、満たされる感じがする。もっといたいと思うなんて…ここはトイレなんだから、おかしいよね)


 これが下級街にある公衆トイレならば、衛生面や安全面を考えて即座に立ち去りたいと思うものだが、アンシュラオン製のトイレは幸福感に満ちていた。

 広い空間も落ち着けるし、なぜか外に出たくなくなるのだ。



 結局、セノアがトイレから出てきたのは、入ってから十五分以上経ってのことだった。


「お、終わり…ました」

「セノア、無事だったか!?」

「さ、サリータさん、わ、私……ううう」

「どうした!? そんなに顔を赤くして、いったい何があったんだ!?」

「うううう、わ、私、恥ずかしい! あんなに…あんなに…! でも、気持ちよくて…うう―――がくっ」

「セノアあぁあああああ!」


 セノアが、もたれかかるように倒れこむ。

 がしかし、その顔はどこか満足感と幸福感に満ちていた。


「し、師匠、あれは本当にトイレなのですか!? どうしてセノアはこんなふうに…」

「サリータ、お前も入ってみればいい」

「そ、それは…!」

「何を怖れる? 挑戦しない人間に未来はない。あそこに行けば人生が変わるぞ。お前も女性なんだ。幸せになってもいいんだぞ?」

「…ごくり」


 サリータだけではなく、女性全員の視線がトイレに集まる。

 これは普通のトイレではない。

 アンシュラオンが女性を想い、女性のために全力で開発したものだ。



 そこには―――【愛】がある!!



 こうして全員が試すまでに、およそ二時間以上の時間を費やした。

 で、実際の感想だが


 ホロロいわく「アンシュラオン様に愛されているような幸せな時間」

 セノアいわく「癖になりそうで怖いです」

 ラノアいわく「なんか楽しかった」

 サリータいわく「女に生まれてよかった」

 サナいわく「…こくり」


 とのことだ。


「素晴らしい!! 大成功じゃないか!!! うおおおおお!! やってやるぞおおおお! オレがトイレに革命を起こしてやる!! この都市から悪臭を消してやるからなぁあああああああ!!」


 この男、ただ者ではない。トイレにかける情熱が違いすぎる。

 そうです。僕が、僕こそがトイレを作った人間なんです!!!



 僕はトイレを作りました!!!



 今、新たな伝説が始まった。




624話 「『トイレの一般公開実験』と『思わぬ再会』」


「アンシュラオン様、この下の部分はどうなっているのでしょう?」

「気になるよね。では、少し中を見てみようか」


 トイレ自体は上部にあり、下およそ三メートルは土台であるが、それにしても大きすぎる。

 ガコンと板を外すと、中には複数のタンクや配管が見えた。


「まずは水だが、吸水玉と水のジュエルの両方を使っている。吸水玉は三つ、ジュエルのほうは五つ常備してあるから、水を多く使っても最低五十回は使用できる計算だ。そして、用を足してからボタンを押すと勝手に流してくれる。ボタンを押さずとも、ブツを感知すれば一定時間後には流れる仕組みだ」

「自動で流れるのはすごいですね」

「うっかり流さない人もけっこう多いから、その対策でもあるね。難しいのは感知するセンサー類だけで、やっていること自体は単純なんだよ。このあたりは遠隔操作が得意なオレだからこそ、術の制御も得意なのかもしれないけどね」


 要するに「スイッチ」と同じだ。

 いくつかの条件を定めて、それらが合致する際に自動的に開放するように設定すればよいだけだ。

 が、これもやはり一般の術者には難しいことである。

 単純に排便すれば起動する、ということならば可能かもしれないが、出し終わりまで待つ条件まで設定するのは高等技術だ。

 便座自体がセンサーの役割も果たしており、座った人間の体温や動きも察知して、最適な時間をその場で計算するのだから相当なものといえる。

 ただそれ以前に、トイレに対してそこまでやろうと思えることが偉大であることを忘れてはならない。

 百円ショップに並ぶアイデア商品も、機構自体はたいしたことなくても、それを思いつくことがすごいのだ。


「面白いのはここからだよ。流れた汚水は下のタンクに溜められて、そこで『浄化処理』を行う。本来は微生物を使うが、さすがに今は特定できなかったから『命気水』で代用することにした」


 タンクは合計四つあり、一つ一つの槽で浄化処理を行う段階式になっている。

 そこで最初に活躍するのが、命気水。

 命気は浄化の力が極めて強く、汚物を入れれば一瞬で分解除去してしまうレベルにあり、悪臭も完全に防ぐことができる優れものだ。

 この命気を使うところがミソで、他人には簡単に真似できないブラックボックスにもなる。


「ただし、オレの手を離れた命気水は完全なる性能を発揮しないから、これだけでは全部を取り除けないんだ。ただの汚れた水ならともかく、やはり排泄物だからね。紙もリレア商会から仕入れた婦人用の最高級品を使っているが、そこまで水に溶けやすいわけではない。そのため途中で複数の浄水路を設けて順次濾過しつつ、最終的には電気分解で浄水処理を行って、出てきた『スカム』を取り出す仕組みとなっている」

「スカムとは何でしょうか?」

「ああ、なんというか…不純物を集めたもの、かな。濾過すると水以外のものが排出されて『スポンジ』みたいに固まるんだ。これで水と要らないものに分けられるのさ。それはここに溜まる」


 箱の一番下にある引き出しを開くと、そこに白い塊のようなものが溜まっていた。

 たしかにスポンジのようなもので、小さな穴が無数にあいたチーズにも似ている。


「これがみんなのブツの成れの果てだ。セノアのものもここにあるぞ」

「―――っ!?」

「冗談だよ。君のはまだ分解している途中だろうし、これは実験でやったときのものだ。ああ、オレのじゃないぞ。家畜用の糞を実験用にもらってきたんだ」

「ううう…」

「ごめんごめん、からかうつもりはなかったんだ。でも、ここまで浄化除去されれば人体に有害ではないし、みんなには汚いっていう概念を捨ててほしいんだ。オレの国では糞尿を畑の肥やしにも使っていたくらいだから、すべてのものは自然の中で循環しているのさ。これも何かと混ぜれば肥料もしくは飼料になるかもしれないよ」


 このスカムも、もともとは食材の一部だったものだ。

 栄養素は人体に吸収されてほぼないが、何重にも洗浄されているので汚くはない。

 もし今後家畜を養うことがあれば、飼料のかさ増しに使えるかもしれないのだ。

 すべてを無駄にしない。これも日本人が大切にしてきた美徳である。


「水がなくなった場合はどうなるのでしょう。その間は使用禁止になってしまうのですか?」

「いい質問だね。浄化された水は専用の吸水玉によって吸収され、予備の流水としても使えるんだ。飲むには適さないけど、グラス・ギースで売っている水と大差ないレベルにまでなっているはずだよ」

「では、半永久的に使えるというわけですか?」

「それが理想だけど、残念ながら何事にも耐久値があってね。水の放出、濾過、放電等々、合計で十個近いジュエルを使っている。命気水の浄化力も使うたびに弱まってくるから、それらの定期的な交換が必要だし、便器も自動洗浄機能が付いているけど衛生面を考えれば、やはり人の手による掃除は不可欠だ。配管も石を強引に加工したもので、術式で補強はしたが水への耐久度が心配だ。一万回くらいで交換が必要になると試算しているかな」


 仮に白樹の館にいる七人が一日八回前後行くとして、約六十回とする。

 その場合、百六十日前後で消耗品の交換が必要となり、衛生環境を保つには『年間二回の交換が必要』だ。

 消耗品に限らず、他の部品の耐久年度も未知数である。いつどんなふうに壊れるのか今のところは想像がつかない。


「本当に普及させるとしたら数十年単位の実験データが必要かな。壊れることを前提にして使うのならいいんだろうけどね」

「たとえそうでも、これは画期的な発明だと思われます。年二回の交換で済むのならば十分経済的です。このようなものは世界中を見回しても存在していないのではないでしょうか」

「うーん、どうだろうね。西側の文明レベルがわからないから、あまりおおっぴらには自慢できないかな。この知識もオレが独自で考えたわけじゃないし、誰かが先にやっていてもおかしくないよ」

「お世辞ではなく、本当にすごいとは思うのですが…」

「そう言ってもらえるだけ嬉しいよ。ありがとう、ホロロさん」


(完全にT○T○のパクリだからね。今まで転生した日本人が作っている可能性もあるよね。とはいえ、ひとまず実験は成功かな。あとはコストの問題があるけど、自前でジュエルが用意できるのは強みだ。岩だって自分で拾って加工するんだから、時間さえあればいくらでも生産できるぞ)


 アンシュラオンは地球の技術を知っているので、自分がたいしたことをしたとは思っていない。

 されど、実はここに大革命が起きていた。


 今ここに【東大陸初の水洗トイレ】が誕生したのである。


 地下遺跡の中には失われた文明のトイレもあるにはあるが、すでに『リセット』されているので、もはや残骸でしかない。

 やはりこの瞬間こそが、荒野となった東大陸で初のトイレ誕生と考えるべきだろう。

 しかも西側ですら満足に実現していない汚水浄化処理システムを、単独で搭載している超技術の塊が彗星の如く出現してしまったわけだ。

 もっとも優れている点は、一般の人間にもメンテナンスが可能なことだ。

 術式が発達した世界なので、たいていのことは術でなんとかなるのだが、逆にいえば術の専門職でなければ物事に対応できないことも意味する。

 それがジュエルの交換、専用の命気水の補充だけで済むのならば、雇われた人間でも簡単に作業が行えるのだ。これこそ普及にもっとも大切な要素といえる。

 たしかに地球から多くの技術がこの世界に持ち込まれているものの、その多くは銃や戦艦等の『闘争』に向けられている。

 闘うことに特化した反面、それ以外の生活レベルの進化が遅れているのが現状なのだ。

 トイレならば、なおさらのこと。

 この分野に地球技術を使おうとした異邦人は、ほぼいなかったのであった。(生存競争に必死で、その余裕がなかった)

 のちに東大陸に生まれる大国シェイク・エターナルが超国家になりえたのも、彼が遺した数多くの技術があってこそだということを、後世の歴史家たちは思い知るはずだ。

 そして、そのきっかけは北部の寂れた都市から始まるのである。




 一度作ってしまえば、二回目は簡単なものだ。

 予備の部品を組み立てて、瞬く間に新たに四台ものトイレ箱を作ってしまう。

 最初に作ったものは引き続き白樹の館で使い、もう一つは城壁内の事務所に置く。

 では、残り三つはどうするのかといえば―――


「それじゃ、さっそく置いてくるかな」

「なぁ、本当にいいのか?」


 実験の翌日、トイレを載せた荷車(大きな石の板)を引くアンシュラオンに、トットが話しかける。


「まだ言っているのか。しつこいやつだな」

「だって、こんなにすごいトイレなんだ。上級街の人たちに売れば大儲けできるって」

「浅ましいやつめ。ウォシュレットであえいでいたくせに」

「あ、あれは…いきなりで驚いただけだ! けっして気持ちよかったわけじゃないからな!!」


 と、当人は言っているが怪しいものである。

 もっと詳細なデータが欲しいという理由で、新しく組み立てた試作トイレをルセーナ牧場でも使ってもらったのだ。

 評価は上々。階段にさえ気をつければ、子供でも安全に扱えるとわかったことは大きい。

 本当は男に試させるのは嫌だったものの、すごい視線を感じたので仕方なくトットにも使わせた結果、こいつは【一時間も出てこなかった】のである。

 大切な水を何に使っていたのか問い詰めたいが、気持ち悪いのでやめておいたほどだ。

 こんなことになった以上、トイレをここに置いておくわけにはいかない。即座にボッシュートである。

 それを恨みがましく付きまとい、こうして邪魔しようとしているわけである。


「お前の汚らしい欲望のために作ったわけじゃないぞ。ちゃんとみんなに使ってもらうために作ったんだ。これはもう汚れてしまったから『一般公開』に回す」

「汚いとか言うなよおおお! だったらハングラスに売り込めばいいじゃないか!」

「こういうときだけ頭が回るやつだな。いずれはそうする。だが、現状で売り込んだところで交渉は上手くいかないだろう」

「なんでだ? 出来たばかりの商会だからか?」

「それもある。大企業が、金のない研究者や一般人からアイデアを安く買い叩くのは、非常によくあることだ。何の実績もないアーパム商会が行っても同じ結果になるだけだ。せっかくの技術だから安く売るわけにはいかない」

「でもさ、結局は同じなんじゃないのか? おいらはそんなにこの都市のことは詳しくないけど、地下にいたときから『馴れ合い』っぽいのは感じてたぞ。結果を出しても都市内部で売るのなら、どうせ口裏を合わされちまうよ」

「ほぉ、意外と周りを見ているな」

「実際に体験しているからね」

「お前の言うことも理解している。この都市内部の談合の習慣は簡単には直らないし、崩すこともできないだろう。力づくなら可能性もあるが、オレはもうホワイトじゃないから、そこまでやるつもりはない。ならば、もっと単純な手を使うだけだ。これはそのための布石でもあるんだ」

「よくわからないけど……余ったらここにも置いてくれよ」

「それが本音だな。ルセーナさんにはお世話になったから、そのうち作って持ってくる予定ではあるが、お前が使ったらまた汚れるだろうが」

「ちゃんと綺麗にするから!! なっ!? いいだろう!? お願いだよぉおおおお!」

「わかった、わかった。だからあまり近づくな!」

「ほんとだな!? 約束だぞ!!!」

「必死すぎて気持ち悪い! わかったから離れろ!」


 怖ろしい執念である。

 関わりたくないので、いつかトット専用のトイレを作ってやったほうが身の安全につながるのかもしれない。

 トイレの話に戻るが、この三台は『無料で一般公開』する予定である。

 アーパム商会の名前は入っているが、売り物ではない。

 まずは無料で一般人に使ってもらい、その評判を広めようとしているわけだ。

 もちろん慈善事業ではないので『目的』がある。



 では、さっそくトイレを置きに行こう!!



「まずはあそこに置こう」


 最初にアンシュラオンがやってきたのは、南門。

 外からやってくる人々が最初に訪れる場所であり、必ず人目に止まるところといえば、やはりここしかない。

 おもむろにトイレを持ち上げ、門の内側にある兵士詰め所の隣に置く。


「え? 何してんの? 何それ?」


 すると人々を誘導していた若い衛士が気付き、おもむろにやってきた。

 いきなりこんなものを置かれたら驚くに決まっている。


「ああ、これ? トイレなんだ」

「トイレ? こんなにでかいのに?」

「高性能トイレだからね。誰でも無料で使っていいから、ここに置いてもいいかな? できれば数週間は置いておきたいんだけど」

「あとで回収に来るのか?」

「うん、部品の消耗具合も見たいしね。大丈夫かな?」

「それならまあ、いいんじゃないか。トイレなんだろう? あって困るものじゃないしな」

「許可とかいらない?」

「どうせ何もない場所だし、文句も言われないだろう。気にするなって」

「じゃあ、置いておくね。よかったらお兄さんも使ってよ。でも、入ってくる一般人が優先ね。それから女性が最優先。これは譲れないよ」

「男は駄目なのか?」

「駄目じゃないけど、男は専用のを作る予定だからね。これはあくまで女性のことを考えて作ってある特別性さ」

「へー、珍しいな」

「だから変なやつがイタズラしないように、たまに気を遣ってくれないかな。依頼料は、これで足りる?」


 アンシュラオンが、そっと札束を握らせる。


「おお、こんなに悪いな。だが、仕事もあるから、ずっと見張ってはいられないぞ」

「それで十分だよ。それじゃ、よろしくね」

「おう、気をつけてな」


 そう言うとアンシュラオンは、トイレを引きずってまた行ってしまった。

 その様子を見て、もう一人の衛士がやってくる。


「おい、今のは何だ?」

「さあ? トイレ屋じゃないのか? これ、トイレだってよ」

「トイレ? こんなに大きいのが?」

「そうらしいな。無料だから使ってもいいってさ」

「はー、奇妙なことをするやつもいるもんだね。どれ、ちょっと入ってみるか」

「女性が優先とか言っていたぞ」

「あくまで優先だろう? 今は誰も使っていないんだ。男でもいいだろう」

「それもそうだが…」

「よし、入るか」


 トントントン ガコン


 男の衛士が階段を途中まで上ったとき―――突如、真っ平ら


 階段すべてが斜めに折りたたまれ、滑り台と化す。


「どわわわわ!!」


 ズサーーーーーッ ごろんっ

 そのまま見事に地面に転がる。まさにドリフのワンシーンを見ているようだ。


「な、なんだぁ?」

「はははははは!! 何やってんだよ」

「わ、笑うなよ! …しかし、本当にトイレか!? 新手のドッキリじゃないのか?」

「かもしれないが、面白いから置いておこうぜ。誰か引っかかるかもしれないしな」

「そりゃいい。入ってくる連中に使わせてみよう。俺だけ滑ったのは納得がいかないしな」


 それから衛士たちは、城壁内部に入ってくる者たちに次々とトイレを宣伝していった。

 「これは良いトイレだ。ぜひ使ってくれ」と。

 害意があるわけではなく単純にドッキリくらいのノリだ。暇な衛士たちの中では、これくらいのことはよくあることだろう。

 そして、話を聞いた一人の中年女性がトイレに向かう。

 その様子をじっと見守る衛士二人。


「なぁ、落ちるかな?」

「女性はちょっとかわいそうだな。俺のかあちゃんくらいの年齢だし…怪我をしないように滑ったら止めてあげようぜ」

「でもよ、あれってトイレなんだろう?」

「そう聞いているな。金ももらったし、嘘じゃないと思いたいが…」


 トントントンッ ガチャ

 二人がそう話している間に、女性はすたすた歩いて上り、普通にドアを開けて入っていってしまった。

 さすが中年女性ともなると肝が据わっているようだ。

 初めて見たものに何の躊躇もなく入るのは、ある意味ですごい。

 だが、普通に入ったこと自体に驚愕の二人。


「あれ!? 落ちなかったぞ? どうなってんだ?」

「え? なんでだ?」


 そうこうして疑問を抱きながら見守ること二十分。

 ようやく女性が出てきた。

 そして、一言。


「あんなの…何十年ぶりかねぇ」


 恍惚とした表情を浮かべて、何事もなく歩いていってしまう。


「どういうこと?」

「何があったんだ?」

「き、気になる…! ちょっくら、もう一度行ってみる!」

「お、俺にも見せろよ!」


 ドンドンドン


 がこっ、ズサーーー



「なんでだーーーーー!!!?」



 ちなみに一般公開用のトイレの階段には『重量制限』が設けられていた。

 一定以上の負荷がかかると階段が沈んで、こうやってずり落ちる仕組みである。

 衛士は革鎧等の装備を付けているので、重量的にはややオーバーだろうか。

 制限を設けると男性並みに体重がある女性も使えないが、まだ試作品であり、便座へのダメージを減らすための措置でもあるので諦めてもらうしかない。


「おい、面白そうなことをやってるぞ」

「なんだなんだ? トイレだって?」

「女性優先って書いてあるじゃない。そんなものがあるのね」


 そして、こうして衛士が身体を張って盛り上げたためか、もしくは恍惚とした様子が女性たちの興味をそそったのか、利用者は日に日に増えていったという。


 続いてアンシュラオンは、二つ目のトイレを東門に設置。

 ここはマキが見張ってくれるというので好意に甘えることにする。

 最後の三つ目は、ハローワークの裏手にある駐車場に設置。

 まだ準備が整っていないので都市内部には置きたくなかったが、「みなさんだけ毎日いつでも使えてずるい!」と、小百合からの猛烈な抗議と要望があったためだ。

 ハローワークは独立した組織なので、このあたりはまだギリギリセーフだろう。

 こちらも小百合が上司に強烈な威圧を浴びせたため、特に何も言われることはなかった。

 この二つのトイレに関しても日々利用者が増え続け、評判が上がっていく。

 ハローワークにはいつも以上の人がやってきて繁盛し、東門もわざわざ街から外に出てトイレに行く人が増え、青劉隊が迷惑そうな顔をしていたという。


「よし、これでいい。あとは待つだけだな」


 しばらくトイレは放置だ。

 そのうち成果が向こうからやってくるだろう。





 白樹の館に引っ越してから、なにもトイレの開発ばかりしていたわけではない。

 その合間にも鍛錬はしっかりと行っている。

 グラス・ギースから東に二百キロ移動した荒野に、アンシュラオンがいた。

 以前ヤドイガニと遭遇した場所から、さらに進んだ先にある岩山である。

 ここならば人が滅多にやってくることもなく修練に専念できる。

 そのアンシュラオンの目の前には、レイオン。


「ぬんっ!!」


 レイオンが拳を振るう。

 相変わらずの大きな体躯から放たれる強烈な一撃だ。

 だが、アンシュラオンは平然と前に出ると、最小限の動きでかわして懐に入る。

 そこに掌底。

 静かに放たれた掌が腹に押し当てられた瞬間―――激震

 落雷に打たれたかのように、レイオンが吐血しながら崩れ落ちる。

 だが、それで攻撃はやまない。ぐらついて下りてきた顔面を蹴り上げる。

 躊躇なく振り抜かれた蹴りが鼻を潰し、頭蓋を砕き、脳にまでダメージを与える。


「ごぼっ…」


 ドスンッ

 巨体が倒れ、びくびくと痙攣。

 どう見ても致命傷である。即刻ドクターストップだ。

 と誰もが思うが、アンシュラオンは攻撃を続行。

 倒れたレイオンを蹴り飛ばし、岩に叩きつける。

 今度は新しく覚えた水連球を展開。

 ただしその数は、膨大。

 二つ、四つ、八つと水が分かれてどんどん増えていき、最後は十六個にまで増えた。

 それらが次々とレイオンに向かっていき、直撃。

 たかが水と侮ることなかれ。水玉一発一発が大きく弾けるため、衝撃は相当なものだ。その証拠に背後の岩が粉々に吹き飛んでいる。

 これによってレイオンの肉体に深刻なダメージが蓄積される。

 だが、死なない。


「―――フゥウウ、フゥウウウウウウッ!!」


 まさに死の淵まで追い詰められた獣が目を覚ますごとく、彼の体内から溢れんばかりの敵意が満ちていく。

 感じるものは、殺意。

 ただただ生きるものへの憎しみが満ちていき、肉体が内側から弾ける。

 バリバリバリッ モリモリモリッ

 『血』が瞬時に新しい肉体を生み出し、身体そのものを変質させていく。

 出来上がったのは、明らかに人間のものとは異なる肉体。

 筋肉の付き方も違うし、何よりも体表にはいくつかの『赤い鱗』が生まれていた。


「ウウウウッ!! ウオオオオオオッ!」


 目の瞳孔が蛇のように縦長に変化したレイオンが、再びアンシュラオンに挑む。

 スピードもパワーも先ほどとは段違い。真っ直ぐ迫っていく。

 アンシュラオンは、因子レベル2で使える火の術式『熱爆球』で対応。

 同じ因子レベル2で扱える火鞭膨が広域を焼き払うのに対し、こちらは単体向けの術式で、ファンタジーでいうところのファイアボールに近い術だ。

 こちらもアンシュラオンが使うと威力はかなり高くなり、水連球と同じく数も膨大となる。

 いくつもの熱爆球が次々とレイオンに直撃し、爆発。身体を激しく焼いていく。

 が、レイオンも今までとは違う。肉体の強度で耐えながら強引に突っ込んでいく。

 そして今度は大きな手を使って、アンシュラオンに掴みかかる。

 もともとこの男は掴み技も多様するスタイルなので、強化された肉体ならば脅威はさらに増すのだろう。

 しかしながら、当たらなければどうということはない。

 たやすく見切られてかわされると、逆に手首を掴まれ固定され、右肘に強烈な膝蹴りを入れられる。

 ミシィイイイッ

 いつもならば折れていたのだろうが、頑強な肉体はそれに耐えきった。


「ウオオオオッ!」


 レイオンは腕を捨てて、そのまま覆いかぶさろうとする。

 体格で圧倒しているからこその戦術だ。

 が、これはアンシュラオンの想定内。

 流れる動きですっと体勢を入れ替えられると、無防備な膝関節に強烈な一撃を加えられる。

 それでバランスが崩れたところを―――滅多打ち

 殴られ、極められ、砕かれ、貫かれ、叩き潰される。

 鱗も破壊され、身体がボロボロになり、無残な姿を晒していく。



 およそ二十分の間、それが続けられ、ついにストップ。



「ここまでだ。これ以上やっても意味がない」

「ま、まだまだ…」

「意味がないと言っただろう。先日対戦したときから何も変わっていないからな。はっきり言うぞ。今のままなら『龍化』しないほうが、まだましだ。肉体能力に頼る戦い方だけならまだしも、お前は感情に囚われすぎている。攻撃が単調になって怖さがまったくない。せっかくの身体能力が台無しだ」

「自分ではどうにもできない…。殺意が溢れ出て…自我が保てなくなる」

「オレもお前に説教できる立場じゃないが、それをどうにかしないとまともに戦えないぞ。まずは肉体を自由に扱えないと始まらないからな」

「だが、セイリュウたちは自我を失わないのだろう?」

「そのようだな。おそらく最初から因子を受け入れるために改造されているか、そういった資質があるから媒体に選ばれたのだろう。あっちも紛い物だが、お前よりは『上質な紛い物』だということだ」


 こうして定期的に時間を見て、約束通りレイオンを鍛えていた。

 彼はコウリュウから『龍の血』を受けたことで、ピンチに陥ると『半人半龍』へと変質する強力な能力を得たが、いまだに龍の因子の影響が強くて苦労している。

 もともと【災厄魔獣】であった『皇龍』は、人間への強い敵意を植え付けられているため、龍化してしまうと精神が憎しみに乗っ取られてしまい、身体の制御が上手くいかなくなるのだ。

 単純に強化されるため、それだけで倒せる相手ならばよいが、アンシュラオンのように優れた武人には隙だらけに映り、自慢のパワーもまったく怖くない。

 サナとセクトアンク戦でも如実に示されたが、人間の長所はその『知性』にある。

 知性を失った獣は、案外対処しやすいのだ。


「くっ…! ただでさえ敵の力を借りねばならないのに…この体たらくか!!」

「それだけじゃないぞ。先日も言ったが、お前の戦い方は自己流すぎる。地下闘技場でプロレスに慣れてしまったこともあるが、そもそも戦いの基本ができていない。それがコウリュウとの最大の差だな」

「素の実力でも負けているということか?」

「ああ、実際に戦ったからわかるが、やつは優れた【武術】を身に付けている。いいか、武術というものは『弱者が強くなるための最良の手段』だ。その土台の上に魔獣の因子が加わるから強いんだ」

「たしかに…素の状態でも俺は負けている。やつはどこで武術を学んだんだ?」

「噂通り、最初は本当に大陸からやってきたのかもしれないな。アル先生もそうだったが、あそこはどうやら『拳法』が伝わっているようだから、なかなかに厄介だぞ。オレの国じゃ拳法は最強候補だったからな」

「では、俺もそれを学べば…」

「同じことをしても勝ち目などないぞ。やつが何百年も鍛錬しているとすれば、一朝一夕で差が埋まるわけがないだろうに。それこそ相手の猿真似。なさけない負け犬根性だと思わないのか?」

「っ!! だ、だったらどうすればいい!! どうすれば勝てる!!」

「レイオン、そろそろ勝つことは諦めろ」

「なっ!?」

「お前では勝てない。それは間違いない事実だ」

「ば、馬鹿なことを言うな!! これだけの屈辱を味わって諦めろというのか!!」

「少なくともお前が求めている戦い、一対一での勝負でセイリュウに勝てる可能性はゼロに等しい」

「ゼロでないのならば…」

「それこそ馬鹿を言うな。セロでないと挑んで本当に倒せた者が、いったいどれだけいる。もし勝てたのならば、事前の情報が間違っていただけにすぎない。だが、今回は違う。より確実性の高い情報に基づいて出した答えだ」

「…このまま黙っていろというのか」

「勘違いするな。戦うことを放棄しろとは言っていない。お前の『勝利の定義』を変えろと言っているんだ」

「どういう意味だ?」

「私怨を優先して独りで戦い続けるか、それとも『対マングラスチーム』で戦うか。それを決断する時期だってことだ」

「チームだと?」

「やつにとってお前は虫けらに等しい存在だ。一騎討ちを望んだとしても相手が受ける理由がない。その前に青劉隊の面子が立ち塞がるだろうさ。結局、一対多数の不利な戦いになるだけだ。青劉隊を甘く見るなよ。オレにとっては雑魚でも、お前からすれば強敵ぞろいだぞ。一応はオレが選んだ戦罪者たちと刺し違えるくらいの力は持っているからな。そして独りで戦うのならば、オレにもお前を助ける理由がなくなる」

「………」

「さあ、決断しろ。面倒くさいから、これが最初で最後だ。どちらを選んでも稽古はつけてやるから安心しろ。ただ、ちゃんとお前にとって『勝利とは何か』を考えてから決めるんだ」

「………」


 レイオンは、しばらく考えていた。

 自分とは何か、セイリュウとは何か、マングラスとは何か。

 さまざまなものが頭に浮かび、苦悩しながら記憶と感情が交錯する。


「アンシュラオン、一つ訊きたい。お前にとって戦いとは何だ?」

「生きるための手段だ」

「迷いがないな…。武人としての誇りはないのか?」

「一回や二回の勝ち負けで何を騒ぐ。結果的に生き延びれば勝ちだ。姉ちゃんたちに何度も殺されそうになってるからな。そんなプライドはないね」

「お前のほうが、よほど負け犬根性じゃないか」

「価値観の相違だよ。戦いは楽しむが、死ぬために戦うわけじゃない。それに、オレには守らねばならないものが出来た。サナやホロロさんたちを守らねばならない。今のオレの夢は、サナたちを強くして安心して暮らせる場所を作ることだ」

「不思議な男だな。それだけの力がありながら、求めるものが見合っていない」

「大きなお世話だ。オレがどう生きるかは自分で決める」

「………」


 レイオンはアンシュラオンの答えを聞いて、自分の中に狭量なプライドがあることに気付く。

 小さな人間ほど、大きなプライドを持つものだ。

 実力がないからこそ世を知らず、小さなことにいちいち反応して騒ぎ立てる。

 強者が弱者を潰すことなど日常的なこと。セイリュウからすれば、自分などはその程度の存在なのだと。


「チームで戦った場合、セイリュウはどうする?」

「倒すことになるだろうが状況がわからない以上、編成はわからない。少なくともグマシカと傀儡士が最優先の標的となる」

「グマシカが狙われればセイリュウは守るだろう。…俺に露払いは務まるか?」

「それはお前次第だ。だが、見込みはある。敵の数も多いし、戦力はいくらでも必要だからな」

「…わかった。認める。俺は…あまりに弱い。お前の提案に乗る。だが、やつらを野放しにはしない。必ずケリはつける。どんな形であろうともな。そうでないと永遠に落ちついて眠れない」

「そうか。ならば、教えられることは全部教えてやる。オレの師匠もどうやら大陸出身らしいからな。源流は同じ拳法に行き着くはずだ。ただし、普通にやっても勝ち目はない。かなり荒っぽくやるから覚悟しろ」

「望むところだ」


 アンシュラオンも今では自己流だが、基礎は陽禅公から叩き込まれている。

 もちろん丁寧に型を教えることはしない。徹底的にボコることで、それを打開するにはどうするかを考えさせ、より効率的な動きを学ばせるのだ。

 それが少しできるようになったら、魔獣の群れに放り投げる。

 生き延びて戻ってきたら、またボコる。これの繰り返しだ。

 レイオンも同じように(術の実験台にしつつ)ボコりながら、少しずつ基礎を学ばせていく。

 ただ、これだけでは勝てないので、命気による治療と賦気による強化も行う。

 まずは『龍化』を制御するために血の融合を促す必要があるからだ。これができないと話にならない。

 この治療によって多少の症状の緩和は見て取れた。

 だが、まだ足りない。融合を促す決定的な要素が足りない。

 アンシュラオンの力だけでは、さすがに種の融合までは成し遂げることは至難であった。


(どうしても最後の一押しが足りないな。何か融合を促すものがあればいいが…これも魔石で代用できるのかな? だが、石自体がないしな…なかなか難しいね)


 サナのように魔石が仲介すれば、魔獣の力を操ることも可能かもしれないが、すでに血が混ざったレイオンでは効果は未知数だ。

 そもそも普通は龍の血を受ければ死んでしまう可能性が高い。こうして生き延びて半龍になれるだけでも特殊な事例だと思うべきだろう。

 これ以上はどうしようもないため、ひとまずレイオンについては保留である。



 その前にアンシュラオンには、頭を悩ませる問題がいくつもあった。


(やれやれ、荒野での移動は大変だな。分散しなければいけないのはつらい)


 一番問題なのは、【移動】。

 今回はレイオンとの修練なので特に気を配る必要はないが、その分だけ都市にいる面々の防備が薄くなる。

 大所帯になってしまったので、修練のたびにホロロたち全員をいちいち荒野に連れ出すわけにもいかず、白樹の館で留守番させることになる。

 こうなると、いざというときに戦える人材はサナだけだ。

 術式を学んだことで最低限の結界と、護衛用のモグマウスを配備しているとはいえ、やはり彼女たちだけを残しておくのは心配だ。


(解決方法はいくつかある。まずは館の戦力強化だ。早めにマキさんを家に呼びたいよな。彼女がいれば多少は安心だ。あとは移動方法の改善かな。リリカナさんの馬車は都市内部専用にしたほうがいいから、荒野用の別の移動手段が欲しい。できればみんなで移動できる大きなものだ)


 マキはそのうち呼び寄せるとして、移動手段が問題だ。

 リリカナの馬車は荒野に出る仕様にはなっていない。あくまで都市内部の移動に適したものになっている。

 そのため現在は、事務所から下級街および一般街への買い出しが主な利用手段となっていた。


(事務所側の安全も確保しないといけない。拠点が広がったのは良いことだが、それだけ手間が増えたことも意味する。さて、どうしたものかな…)


 思案に暮れながら南門までやってくる。

 トイレは相変わらず盛況なようで、物珍しさから多くの人が見学に来ていた。

 そんな様子を眺めながら門の中に入ったときである。

 ふと『真っ赤なクルマ』が目に入った。

 馬車の中に一つだけクルマがあるのは、なかなか違和感があるせいだろうか。すぐに目に付いた。

 そして、そこにいたのは―――



「あれ? ダビア?」



 クルマから降りて小休止していたのは、ダビアだった。

 たまに名前が出てくるが、忘れているかもしれないのでおさらいしておくと、初めてグラス・ギースに来る前に出会った輸送業者のおっさんだ。

 不運にも戦艦に出会いクルマを破壊されたのだが、アンシュラオンがいたおかげで命拾いしたのである。

 彼とはグラス・ギースに着いてすぐ別れたので、それ以来の再会だ。


「ん? おお、ボウズか!! 久しぶりだな!」


 その視線に気付いたのか、ダビアも手を上げて応える。


「本当に久しぶりだね。元気だった?」

「おぅ、しぶといのが売りでな。ピンピンしてるさ」

「そのクルマ、ダビアの?」

「ああ、新しく買ったんだ! どうだ、いいだろう!」

「真っ赤なスポーツカーじゃん! カッコイイなー!」

「そうだろう、そうだろう。これを買うために、わざわざ南の入植地にまで行ってきたんだからな。いやー、大変だったぜ」

「やっぱりクルマって、このへんじゃ売ってないんだね」

「もともと西側のもんだからな。グレート・ガーデンからのルートが東にもあるようだが、大きな山脈を越えなければならないから面倒だ。それなら入植地のほうが楽だぜ。規制も緩いから横流しする連中もいるしな」

「それって密輸じゃない?」

「まだそういうルールがないんだ。罪自体が存在しないからセーフだ」

「相変わらずダビアのアウトローな感じが好きだよ。さすがは犯罪者」

「だから犯罪者じゃねえよ。せめて政治犯って言ってくれ!」

「ふーん、そっか。これ、ダビアのなんだね」

「ああ、特別に入ってきたのを優先で売ってもらったんだ。最新式みたいだな」

「そっか、そっか。良い物なんだね。じー」


 アンシュラオンが真っ赤なクルマを凝視する。

 その視線は、『獲物』を見つけた狩人のものであった。


「ねえ、これちょうだい」

「は?」

「このクルマ、ちょうだい」

「ははは、冗談だろう?」

「これ欲しいな」

「…本気で言ってる?」

「うん」

「いやいやいや!! まだ初乗りよ? これを買うのにどれだけ手間がかかったか!」

「輸送船なら違うのがあるじゃん。わざわざ目立つ色じゃなくていいでしょ」

「クルマは半分趣味なんだ。目立つほうがカッコイイだろう?」

「運送業でしょう? また狙われたらどうするの?」

「それはその…あれだ。今度は正規ルートを通れば少しは安全だ」

「それで採算が取れるの? 稼ぎが減ったら困るよね。オレは狙われても平気だけど、ダビアは嫌だよね。だからオレにちょうだい」

「ちょっと待てって! さすがにそれは……また入植地に潜り込むのも大変なんだぜ?」

「その旅費、オレが出したやつだよね?」

「うっ!!」

「べつにいいんだけどさ。恩を返してほしくてあげた金じゃないしね。でも、元手があったからダビアは仕事を再開できて、このクルマを買えたんだよね?」

「う、うむ……その節は世話になったな」

「オレがいなかったら命も失っていたよね?」

「まあ…そうだな」

「クルマ、欲しいなぁ」


 これは冗談抜きで本気で狙っている。

 冷静に考えれば戦艦に砲撃されたのは、アンシュラオンがうっかり相手の術式に干渉してしまったせいなのだが、そこはあえてスルーである。

 とはいえ客観的に見ても、命を救ってもらったうえに路銀までもらったのだ。恩人といえなくもない。

 じーっとサナのごとく見つめるものだから、ついにダビアも折れる。


「ったく、しょうがねえな。そんなに欲しいならやるよ」

「やったー! クルマ、ゲットだ!!」

「ボウズにはかなわねぇな。というか、スレイブはどうなったんだ? あれからどうなった?」

「ちゃんと手に入れたよ。現在進行形で増えてる最中。だから移動手段が欲しかったんだ」

「金に困っているのか?」

「困ってはいないよ。やばい人に借金で脅されてはいるけど、一応毎月の収入はあるからね。ついでに商会も作ったから商売も始めるつもりさ」

「それならクルマくらい自分で買えるだろう。商会ならローンでもいけるぞ」

「このクルマがいいんだよ。ダビアが使っているなら信頼できる」

「そう言われると、ますます断れないな。まあ、お前さんに礼を言いたくてやってきた面もあるからな。元気でやっているなら何よりだ」

「ちゃんとお金は払うよ。これ、いくらだったの?」

「千五百万だ。前のクルマの三倍だな」

「じゃあ、三千万払うよ」

「そりゃ、さすがにボりすぎだ。一千万でいい。借りた金の分もあるしな」

「あげたお金って、せいぜい五十万くらいじゃなかった?」

「商売は元手が重要だ。利子を含めれば安いくらいだぜ。一千万あれば、余裕でほかのクルマが買えるから気にするな」

「そっか。それなら素直に受け取っておくよ。ありがとう!」

「ああ、そうしておけ。ほらよ」


 そう言って笑いながら鍵を放り投げる。

 あれだけ大切にしていたクルマを清々しくあっさりと渡す。

 これも荒野の男の特徴だ。明日をも知れない人生なのだから、基本的に物事に頓着しないのである。


「やっぱりダビアは面白いな」

「ボウズこそ、すっかり慣れた感じだな。俺がいろいろ教えてやっていた頃が懐かしいぜ」

「まだまだ知らないことばかりだよ。それでも楽しみながら生きているつもり」

「見ればわかるさ。楽しそうにしてやがる。で、商会を作ったと言っていたが業務内容は何だ?」

「ジュエルの管理販売を予定しているけど、なぜかあれが出来たよ」

「ん? なんだあれ?」

「トイレ」

「トイレ? あれが?」

「あとで入ってみなよ。水洗式の自動浄化システム付きだよ」

「水洗式だと? 西側でもそんなに普及していないぞ。東大陸じゃ聞いたこともないが…それに浄化システム?」

「汚染水をその場で濾過して再利用できるんだ」

「そいつはすごいな。いったいどうやって…」

「積もる話は、またあとでしよう。いつまでグラス・ギースにいるの?」

「今回は休暇も兼ねているから、少し長めにいる予定だな」

「それはよかった。またいろいろ話そうよ。商売の話も聞きたいしね」

「おう、何でも訊いてくれ」

「せっかくだ。このままクルマでオレの家まで案内するよ」


 アンシュラオンは赤いクルマに乗り込み、中を見回す。

 操縦席は以前乗った輸送船とほぼ同じで、簡単に運転できそうだ。

 運送業を営むだけあり内部も広く、かなりのスペースがある。

 これならば七人どころか十人以上の人間が快適に移動できるだろう。


(またダビアと出会えるなんて、人の縁は不思議なものだね。クルマも手に入ったし、楽しくなってきたぞ!!)


 荒野の移動手段を確保である。

 これでまた活動の幅が広がるに違いない。





625話 「ジュエル探索 その1『出発準備』」


 アンシュラオンはクルマを運転し、ダビアを連れて南門から白樹の館に向かう。

 試運転するにはちょうどよい距離だ。


「輸送船より動きが軽いね。スイスイ進むよ。大きさのせいかな?」

「軽いほうがジュエルへの負担は少ないが、その分だけ積載量が少ないからトントンだろうな。というか輸送船を運転したことがあるのか?」

「前にちょっとね。三十分もしないうちに壊したけど」

「そいつは災難だな。荒野じゃよくあることさ。気にするな」

「ダビアが言うと説得力があるね。それでダビアは、今まで何してたの?」

「南のほうで他の商売人の手伝いをしていたんだ。運送が本業だが肝心のクルマがなかったんで、金が貯まるまで副業としてバイトしてたって感じだな」

「南はどう? こっちより安全?」

「コネを持っていれば多少はな。だが、どこも似たようなものだ。特に入植地の境目は危ないぞ。けっこうドンパチやっているからな」

「それでもクルマが抜けられるくらいの穴はあるんだね」

「荒野は広い。全部に壁を打ち立てているわけじゃないからな。防ごうとしても、どだい無理な話さ。どこにでも抜け道はあるもんだ」

「そりゃそうだね。この都市にも移民がけっこう来ているみたいだし、移動するだけなら通れる場所も多そうだ」

「移民…か。また増えるかもな」

「何か知ってるの? 南から来るのかな?」

「南も荒れているが、今回の話は東のゴウマ・ヴィーレだ。どうやら崩壊したらしいぞ」

「崩壊? ゴウマ・ヴィーレってどこかで聞いた……あっ、ミャンメイがいた【国】だっけ?」

「規模はそんなに大きくはなかったな。この都市の倍くらいだったはずだ。だが、小さいながらもしっかりと国家を形成していたんだ。王も良識がある人物で期待はしていたが…駄目だったみたいだ」

「期待していたってことは、ダビアは国家があったほうがいいって考えているのかな?」

「自治領区じゃ何をするにも限界がある。最低でも、それら都市群をまとめる大きな枠組みは必要だろうさ」

「そうなれば、もう国家と同じだね。で、その国はなんで崩壊したの?」

「いくつかの国に攻められたらしい。王城は陥落。街にも大きな被害が出ているようだ」

「オレの記憶だと、攻められないような防護壁があったみたいだけど? 山だっけ?」

「『白亜の刃山壁《じんさんへき》』だな。天然の渓谷に手を加えた最大級の要害だ。だが、どんな立派な防壁も【裏切り者】がいたら意味がない。中から扉が開いてしまえば終わりだ」

「離間の計か。城砦破りの定石だね」

「戸締りと一緒だ。どんなに防御を固めても、本気でこじ開けようとすれば何とかなっちまう。所詮は人間のやることだからな。完璧はないさ」

「難民の状況は?」

「ゴウマ・ヴィーレの残存軍がゲリラ戦を仕掛けているそうだが、どのみち住民が暮らせる状況じゃない。半分は脱出したようだ」

「三十万人の半分だと『約十五万人』か。今のグラス・ギースに匹敵する人数だね。でも、あまりに数が多すぎる。普通に考えれば、それだけの人間を受け入れる場所があるとは到底思えないな」

「だろうな。実際、どこの都市も受け入れる余裕はないはずだ。追い払われて終わりだろう」

「それがグラス・ギースにも来るの?」

「普通ならば不可能だな。グラス・ギースは『孤立した都市』だ。その理由は、周囲の荒野に強力な魔獣が多数いることが原因だ。そして東には大きな森と広大な荒野が広がっていて、おおよそ難民が通れるルートじゃない。ベテランのハンターでも絶対に近づかない危険な地だ」

「うーん、ヤドイガニとかも東側にいたな。その先にはもっと強い魔獣もいそうだね。それが天然の防波堤になっているのか。なら問題はないね。野垂れ死んで終わりだ」

「うむ…そうだとは思うが…」

「何か気になることでも? ダビアが自分で不可能だって言ったんだよ」

「そうなんだが…多少気になることがある。それこそ普通に考えて、そんな大勢の難民が無事脱出できるのかと疑問に思えるんだ。相当前から準備をしていなければ、なかなか都市を脱出なんて難しいぞ」

「…たしかにね。仮住まいならともかく、国なら愛着もあるだろうし財産もある。簡単に逃げるなんてできないかも。崩壊したのはいつの話?」

「一ヶ月くらい前だな。それでもまだ難民団は維持されているようだ」

「どこに逃げてもいいかわからない状況で一ヶ月か。一般人が大半なら食事や衛生環境の問題もあるし、そもそもストレスから揉め事が起きて混乱するよね。だいたい分裂するか、数を減らしていくもんだ。維持されているのは奇跡的だよ」

「それができたとなれば、事前に策を練っていたか、それが瞬時にできるくらいの【傑出した人物】が率いているか、だ」

「難民を率いる優秀なリーダーがいるってこと?」

「そう考えるのが妥当だ。あそこは優秀な世継ぎがいたから最初はそっちだと思っていたが…どうやら王子は混乱の中で死んでしまったらしい。やはり別人かな。どちらにせよ優れた人物なのは間違いない」

「武人なの?」

「厳しい荒野を移動しているのだから、その可能性はありそうだ」

「だからこっちまで来るかもって? 今までの話を聞いている限り、さすがに無理じゃないかな。いくら独りが強くても難民全員を守れるほどじゃないよ。仮にオレが十五万人を率いるなら、半分生き残れば大成功だと考えるしね。明らかに危険だとわかるなら違うルートを選ぶし、最初から西には行かないよ」

「…うむ、そうだな。さすがにここには来ないか」

「でもさ、ダビアが少しでもそう思ったってことは、そのリーダーは本当に優秀なんだね。どんなやつなの?」

「あくまで未確認の情報だが、その人物は『ブルー』と呼ばれているらしい。文句も言わずに十五万の人間がついていくんだ。相当なリーダーシップがあるんだろうな」

「人が生きるには金と食料がいる。資産家とかじゃないと無理だよね」

「そうだな。それなりに資産があるか、あるいは商人たちとのコネクションがないと維持は不可能だろう。その点が俺が王子だと推測した根拠だが…」

「死んだ話自体が確定していないから、まだわからないね。逃げるためにそう思わせることもあるだろうし、フェイクかも」

「その通りだ。王族ならば商人たちが助ける理由にはなる。あとは今言ったように武人の可能性が高いということ。まあ、わかっている情報はこれだけだ」

「ふーん、東も大変だね。それにしてもブルーか。そのまま『青』という意味でいいのかな?」

「青い装束を身にまとっているから、そう呼ばれているようだな。そういえば、この都市にも『ホワイト』がいたそうだが、何か知っているか?」

「ああ、ホワイトね。なんかもう死んだみたいだよ」

「…そうか。優秀な医者と聞いていたから興味があったんだけどな。それは残念だ。実は最近、南でも『レッド』という名前の人物の噂を聞いて、何か関連性があるかと思って気になっていたのさ」

「いやいや、戦隊物じゃないんだから。まさかイエローやピンクはいないよね? グリーンまで出てきたらどうするのさ」

「さすがにそれは聞いたことがないな」

「そういう名前を付けるやつはさ、単に考えるのが面倒くさいだけじゃないの? 適当に色の名前にしておけば周りも覚えやすいしね。レッドなら、赤い髪の毛でもしているのかな? 武器や防具が赤とかさ。そんなもんさ」

「ふむ、そうかもな。これだけ離れているんだ。関連性がある確率のほうが低いか」

「それにしても、やたら詳しいね。驚いたよ。どうやって仕入れるの?」

「この業界、情報が命でもあるからな。同業者同士でしょっちゅう情報交換をしているのさ。やばい情報や貴重なものならば高く売れるものもあるんだ。俺の仕事の半分は、そういったものだな」

「なるほどね。情報も立派な『商品』だよね」


 などと気軽に流してみたが、これらの会話でダビアの『素性』が判明する。


(ダビアの本業は『情報屋』だ。だからわざわざ辺境の北部の都市、それもさらに人がやってこない北にいたんだ。今回来たのも何かを嗅ぎつけてのことだろう。思い当たることが多すぎて特定は難しいかな…)


 火怨山からグラス・ギースまでの間には、あまり発展していない集落しかなかった。

 特産品も木材や森で採れる食材くらいしかなく、せいぜいたまに手に入る稀少な薬草くらいが関の山だ。

 そんな辺鄙な場所にクルマを持っているような運送業者が、あえてやってくる必要はないのだ。それがずっと疑問だった。

 だが、情報が商品ならば話は変わってくる。

 北は未開の地であり、火怨山にも近いことから情報が少ないため、『情報が無いという情報』を持ち帰るだけでも価値があるはずだ。

 となれば、気になるのは『あのこと』だ。


「ねぇ、あの『戦艦』の話も売ったの?」

「いや、あれに関してはまだ誰にも言っていない。国章がないうえに、いきなり攻撃してくるような危ない連中だ。恨まれたら嫌だし、まだあまり詳しい情報がないんだ」

「そっか。なら、あれに関してはオレに任せてくれないかな」

「…何か掴んだのか?」

「少しね。任せてくれたら見返りは生まれるかもしれない。損にはならないと約束するよ」

「うむ…かまわないが、大丈夫か?」

「大丈夫、大丈夫。任せてよ。オレの強さは知ってるよね?」

「ボウズがそう言うなら好きにしてくれ。俺の手には余るものだからな」

「仮定の話だけど、もし北側に別の西側国家が入植する場合、問題が出る?」

「…国によるな」

「西側から移住してくるような国だから、どれも似たような事情じゃない?」

「トラブルを持ち込む連中は嫌われる。どんな理由で移住するのかも重要なのさ。移住する『目的』もな」

「南に入植した西側の国はどうなの? 何が目的?」

「多くは資源目的だ。『人的資源』も含めてだけどな」

「どこもやることは同じだね。まあ、この案件についてはオレに預けてよ。少なくともダビア個人に関しては利益になるはずだよ」

「俺はいつだって個人だぞ?」

「表向きはそういうことにしておくよ」


(ダビアはすっとぼけているけど、これだけ情報を集めているんだ。どう考えても個人じゃない。規模はわからないけど、裏に何かしらの【組織】がいるよね。明らかに『ネットワーク』を構築しているもんな)


 そう思ったきっかけは、彼が調べている案件が「やばそうなもの」が多いことと、特定の傾向性に基づいていること。

 あくまで彼の情報が正しいという前提だが、たかが一介の運送業者にしてはあまりに情報が細かく、なおかつ正確だ。

 そして、彼が『政治犯』であったことも重要だ。

 下山直後に出会った人物だったので当時はあまり意識しなかったが、こうやって周囲の様子がわかってくれば対比が可能となり、彼がより異質な存在であることがよくわかる。


「用心のために聞いておくけど、『救済者』じゃないよね?」

「やつらを知っているのか?」

「こっちも独自の情報網を持っているからね」

「………」

「心配いらないよ。ここに来た連中は撃退したから」

「ボウズがやったのか?」

「うーん、半分正解」

「うむ…ボウズの実力は実際にこの目で見たから、嘘じゃないんだろうな。しかし、やつらが北部にまで来ているとは油断していた」

「なかなかの手練れだったよ。南ではあれが一般的な強さなの?」

「とんでもない! やつらは極めて危険な連中だ。入植地にも平然と入っていって駐屯軍と揉めるからな。それで誰も拘束されずに戻ってくる。それだけで異常さ」

「あまり好いてはいない物言いだね」

「はっきり言えば犯罪者どもだからな」

「それ、ダビアが言う台詞?」

「俺の犯罪なんて、かわいいもんさ。だが、やつらのやり方は本当に危ない。民間人にも平気で被害を出す連中だからな。といっても、ああいう連中がいるおかげで、入植を抑えることができているのも事実だ」

「ふーん、ダビアは西側の味方じゃないんだ」

「追い出された身だからな。味方をする理由はない」

「じゃあ、誰の味方?」

「そこまで訊くなって。ただ、この大地を静かに暮らしたいと思っている人たちの味方だ。もともと住んでいた人たちを追い出してまで、俺はここに住みたくはない」

「なるほどね。だいたいわかったよ」

「…やれやれ、ボウズの前だとしゃべりすぎちまう」

「いいじゃん。どうせオレは流れ者。どこにも属していないし、漏洩することはないよ」

「だといいがな…」


 ダビアが所属する具体的な組織名はわからないが、ひとまずどの立場に属するのかはわかった。

 東大陸に存在する思想は、大きなもので『四つ』ある。

 一つは西側の入植を支持する考え。西側諸国当事者であり、現地人の中でもその支援を目的とする者たちである。

 ある意味では、グラス・ギースもこちら側の考えだ。DBDと取引をして都市を強くしようと考えている。

 二つ目は、それに反対する者たち。

 古くから東大陸に住んでいる原住人や、西側から追放されて東側に居を構えた者たちは西側の入植に抵抗している。

 自分たちを追放した連中に恨みもあるし、しがらみを嫌って逃げてきたのだから、また西側と関わることを拒否するのは当然の心境だ。

 三つ目は、独自に国家を生み出そうとする者たち。

 救済者たちのように独自に戦力を集め、周囲を力によってまとめ上げ、西側に対抗する国家を作ろうという考えだ。

 これは救済者だけにとどまらず、そう考えている都市または組織も多いかもしれない。

 ただし、今のところはどの勢力も決定的な力を持たず、テロ活動をするのが精一杯のようだ。

 四つ目は、すでに存在している東側国家(ここよりさらに東側)が、今は空白地帯となっている東大陸の西方地帯を制圧し、西側に対抗しようという考えだ。

 三つ目と四つ目は似ているようで、だいぶ意味合いが違ってくるので注意が必要である。

 そしてダビアだが、おそらく二つ目か三つ目、またはその中間の組織に属していると思われた。


(西側の侵略には抵抗しつつ、場合によっては自立も視野に入れている。救済者の存在を苦々しく思いながらも、自分たちの害にならなければ役立つと考えているのが根拠だ。ただ、ダビアの様子から察するに、独自の戦力は持っていない可能性が高いな。あっても救済者を抑えるだけの力は到底なさそうだ。情報収集が専門って感じがするよ)


 まだ実態は不明だが、雰囲気から武闘派ではないと直感する。

 であれば、そんな彼がここに来たということは、それなりに『当て』があってのことだろう。


「オレに何か用があった?」

「元気でいるか知りたかっただけさ」

「またまたー、ちょっとは期待したでしょう? オレがいたらいいなーとは思っていたはずだよ」

「…初めて会った時から思っていたが、いろいろと鋭いな」

「オレもダビアを基準に考えていたから、都市に馬鹿なやつらが多くてびっくりしたよ。考えてみれば普通のことだけどね。頭の良い人間なんて、そうそういないもんだ。で、何か用?」

「様子を見に来たのは本当だ。いれば嬉しく思える」

「オレも南の情報は欲しかったところだよ。この都市内部だとオレの行動には制限があるけど、他の場所ならば何も制約はない。ダビアとなら【組んでもいい】よ」

「まだ何も言っていないぞ?」

「今すぐの話じゃなくても、そのうち手が必要になるんじゃないかな。最後に物を言うのは、いつだって軍事力だからね。戦艦にも対抗できる武人の力は誰だって欲しいはずさ。今なら格安だよ?」

「まいったな…」

「やばい宗教組織じゃなければ、オレは気にしないかな。まあ、言えないことも多いだろうから、話す気になったら教えてよ。まずはオレの家を見てもらいたいしね」


 そうしてアンシュラオンは、ダビアを白樹の館に案内。

 ただでさえ大樹を改造した珍しい家のうえに、美人のメイドたちが出迎えたのでかなり驚いたようだ。(ちょっとスレイブが欲しくなったとか)

 その晩はダビアと一緒に酒を酌み交わし、会話を楽しんだ。

 こうして他人、それも男を館に案内することは、アンシュラオンにとっては最上級のもてなしといえる。

 単純に彼の気質が好きなこともあるが、優秀な情報屋であることも決め手だ。


(この都市にもしがらみが増えてきた。いつでも移動できるようにしておくべきだな。その点でもダビアと組むことにはメリットがある)


 グラス・ギースには派閥争いに加えて、エメラーダとの契約がある。

 それら自体は有益であっても、金と技術の両方を得る代わりに『自由』を失うのが精神的につらい。

 ダビアとの関係を維持していれば、万一南に移住することになってもスムーズに事が運べるだろう。





 翌日。



「それじゃ、行ってくる。家にある食材は自由に使っていいからね」

「いや…あの、俺一人なんだけど?」

「まさか寂しいとか言わないよね?」

「そんなボーイじゃねえよ。俺なんかに留守を任せていいのかって話さ」

「ははは、盗ろうとしたって何もないよ。せいぜい小百合さんが持ってきた美術品くらいで、あとは安物の燃料ジュエルしかないしね。盗られてもまったく惜しいものじゃない。それ以前にダビアを信用しているから大丈夫さ」

「そこまで信用されるとプレッシャーだな」

「ただ、オレもあまり人に自慢できる生活を送っていたわけじゃないから、一応警護も頼む予定でいるよ。結界も張っておくし、外に変な連中が来ても館の中にいれば大丈夫だと思う」

「せっかくの珍しい家だ。ゆっくりさせてもらうさ。屋上からなら人の流れも見られるから、そのあたりは心配するな。伊達に運び屋をやってない。自分でなんとかするさ」

「それなら安心だ」

「…こくり。ぐっ」

「はは、サナもダビアのことを気に入ったみたいだ。ますます安心だね」


 アンシュラオン自身もそうだが、サナもダビアを気に入ったようである。

 彼女には人の善悪を見る目がある。というよりは、自己に害を与えない人間を本能的に見抜く力がある。

 今までどうやって暮らしていたのかわからないが、その能力があったからこそ独りでも無事だったのだろう。(モヒカンも商品を大切にするという意味では庇護者だ)


「で、どこまで行くんだ?」

「鉱山を見つけたいけど、簡単に見つかるようなものじゃないからね。あまり期待しないで、まだ行ったことのない場所を重点に探してみるよ。まあ、ほとんど行ったことがない場所なんだけどさ」

「北部の情報は俺も持っていないからな…役に立てずにすまん」

「しょうがないよ。ほぼ全域が警戒区域になっているし、人が立ち入るようにはできていないみたいだ。でも、その分だけ旨みもあるってことだよね」

「たしかにな。もし大きな鉱山を発見できれば、それだけで大金持ちだ」

「オレは質もこだわりたいから、できれば良質な金属が出る場所のほうがいいな」

「贅沢を言ってやがるな。まあ、気をつけて行ってこい。メイドさんたちにもよろしくな」

「もしかしたら長旅になるかもしれないから、その間はよろしくね。せっかく来てくれたのに急ぐようで悪いね」

「気にするな。ゆっくり朗報を待たせてもらうさ。俺にも旨みがありそうだしな」


 もし鉱山を発見した際は、その輸送をダビアに頼むことも考えている。

 こちらは信頼できる業者が欲しいし、彼自身もアンシュラオンと接点を欲しがっている。金も手に入るのでお互いにメリットがある話だ。


(さぁ、行くぞ。オレが求めているものを必ず手に入れるからな!)


 大人数で移動できる手段(クルマ)を得た今、もう迷うことはない。




 ついに一家総出で『スレイブ・ギアス』を探す旅に出るのだ!!




 旅といっても、今回は軽く周囲を見て回ることを目的としており、遠出をする予定はない。

 まずはクルマの試運転と同時にサナたちの鍛錬を行いつつ、ギアスに使えそうなジュエル媒体の発見と確保が最大の目的となる。

 前者二つはすぐ達成できるが、問題は後者のジュエル媒体だ。


(スレイブ・ギアスの媒体として適しているのは、適合型が『精神』であること。最悪汎用型でもいいが、それは一般用のスレイブに回して、ホロロさんたちにはできる限り良いものが欲しい。サナと同レベルのものがあれば一番だけど…さすがに難しいかな。火怨山方面に行く手もあるが、せっかくだからいろいろ足を伸ばしてみよう)


 サナのジュエルは火怨山の麓の森で手に入れたものなので、あの付近ならばレアな魔獣もいると思われる。

 が、すでに知っている場所だし、これだけ広大な荒野が広がっているのだ。まだ見ぬ地を探すのがロマンであろう。


 移動を開始。


 都市を出立する前にハローワークに向かうことにする。

 が、小百合に会いに行くわけではない。

 なにせ彼女は―――


「イェイ! イェーーイ!! レッツゴー!」


 すでにハイテンションでクルマに乗っているからだ。

 しかもいざというときに備え、自身のバイクまでクルマに固定して持ってきている念の入れようだ。

 この探索計画は以前から話していたものだが、昨日急に前倒しになったものである。

 それにもかかわらず、それを聞いた小百合は真夜中に上司の家を訪れ、眠そうにしていた彼に二週間の休暇を強引に承認させたのだ。(最大一ヶ月の自動延長付き)

 話を聞いたからには、居ても立ってもいられない! といわんばかりの行動である。

 それに若干の不安を覚える。


(小百合さん、大丈夫かなぁ。このまま職場の空気を乱して、ハローワークを辞める計画じゃないだろうな。専業主婦に憧れる女性の意欲は怖いよ)


 男女平等と謳われる昨今、女性の社会進出や企業内出世が盛んになっているが、実際の女性へのアンケートでは「専業主婦になりたい」が九割近くに及んでいる。

 女性は子孫を残すために、いつだって安定した生活を送りたいのだ。

 仕事で疲れ果てて家に戻るより、家にずっといて子育てしたいのが本音であろう。それが高給取りの夫ならばなお良し、である。

 『家制度』のあるレマールから来た小百合がそう思うのは悪いことではないし、自分の妻の一人として大切にしたいと考えているが、いきなり気持ちが解放されたせいか暴走気味なのは間違いない。


(ホロロさんは…大丈夫かな? 気分を害してないかな?)


 ちらりとホロロのほうを見る。

 もう一人の妻候補である彼女との関係が一番気になるところであるが―――


「………」


 ホロロは特に気にした様子はなく、黙って座っている。

 車内は広く、各々が十分離れて座ることも可能だが、小百合との距離は比較的近く、特段の違和感は感じない。

 シャイナに対しては厳しかった彼女も、小百合には思うところはないようだ。

 形式的にはホロロは三番目の妻の扱いなので、二番目の妻である小百合に敬意を払っているのかもしれない。

 ただし、女性は知らない間にストレスを溜め込むものだ。静かなときこそ要注意である。


(旅の間にまた風呂パーティーをやらないと駄目だな。うん、そうしよう。ぜひ、そうしよう)


 困ったときは風呂! これしかない!

 お互いにわだかまりがあっても一緒に風呂に入り、ついでに快感も味わえば仲良くなるに違いないのだ。

 久々にマイボーイの出番が来るかもしれない。準備しておこう。



 と、馬鹿なことを考えているうちに東門に到着。

 クルマは東門にある駐車場に停めておき、サナを護衛としてクルマに残し、自分だけでハローワークに行く。(マキも近くにいるので安心)

 道中は特に何事もなく、ハローワークにたどり着く。

 思えば小百合がいないハローワークに行くのは初めてである。


「ええと…いつものところでいいのかな?」


 中に入って見回すと、いつも小百合がいる受付の場所に、目の下にクマが出来た中年男性が座っていた。

 ブサイクでもイケメンでもない普通の男性といったところだ。ただ、あまり元気がないので暗い印象を受ける。


「あの、アーパム商会の者だけど…」

「お話は伺っております。警備の募集の件でよろしいでしょうか?」

「急な話だったけど、応募はあったかな?」

「はい。朝一番で募集を出したところ、三件ほどございました」

「へー、三件も。そんなにあったんだ。うちは出来たばかりだから、一つも来ないんじゃないかと心配してたよ」

「現在は都市内部も落ち着いている状況ですし、手が余っているハンターや傭兵団も多いです。しがらみが少ない新しい商会を好む方々もおられますね」

「そっか。あまり大きくて古いと派閥の影響力も強いしね。…ところでおじさんは、小百合さんの上司さん?」

「はい、クニダチと申します。よろしくお願いいたします」

「なんかごめんね。小百合さんが、いろいろ迷惑をかけて…」

「いえ、女性が多い職場ですから、こういうことも慣れています。ただ、ミナミノさんは今までまったくそういうそぶりがなかったので、若干驚いてはおります。西側から来たお嬢さんというイメージが強くて…」

「女性は誰でも心の中に獣を飼っているからね…油断大敵だよ。クニダチさんも苦労するね」

「ほんと、そうですね…」


 クニダチは、沈んだ顔で頷く。

 彼女が言っていたような脂ぎった中年男性のイメージではなく、どちらかといえば「疲れきってやつれた中間管理職」という感じだ。

 上からは命令され、部下の女性たちからは陰口を叩かれる。まったくもって良いことがない人生の見本だ。さすがに哀れである。

 とはいえ、いつまでも同情していても仕方ないので、話を先に進めよう。


「それで、応募してきた三件は?」

「こちらとなります」

「ほぉ、傭兵団が二つにハンター隊が一つか。うーん、どれがいいかな…」

「よぉ、『兄弟』じゃねえか!!」

「え?」


 突然自分を『兄弟』と呼ぶ声がしたので、驚いて後ろを向くと、筋骨隆々の体格の良い男性がいた。


「俺だよ、俺! ずっと礼を言いたくて、また会いたいと思っていたんだぜ!」

「あっ、あのときの…!」


 その人物の顔には見覚えがある。

 前にデアンカ・ギースを倒した時、余った懸賞金一億円を『お大尽《だいじん》』として振舞った傭兵だ。


「おー、おー! 覚えていてくれたか! 嬉しいぜ!! 本当に久しぶりじゃねえか。今まで何やってたんだ」

「うん、トイレを作ってた」

「トイレぇ!?」

「ハローワークの裏にもあるでしょ。あれを作ったのはオレだよ」

「おいおいおい、デアンカ・ギースを倒した英雄がトイレ作りだって!? なんだってまたトイレなんかを?」

「オレは街の生活、特に女性の生活を豊かにしたいんだ。そのためならトイレだって作るよ」

「じゃあ、アーパム商会ってのはまさか…」

「オレの商会だね」

「おおお! そうかそうか!! 知らなかったとはいえ、こいつは奇遇だな!! ならよ、ぜひとも俺らを雇ってくれよ! あの時の恩を返すぜ!! ほら、そこに載ってるはずだぜ」

「ええと、どれかな…?」

「アンシュラオン様、彼は【黒鮭《こっかい》傭兵団】のゲイル隊長です」

「そういや、ちゃんと挨拶をしていなかったな。俺は黒鮭《こっかい》傭兵団のゲイル・メンス。ゲイルって呼んでくれや!」

「黒鮭? 鮭《さけ》なの?」


 最初に出会った際も少し気になったが、ゲイルが着ている鎧には鮭と思わしきマークが刻まれている。

 龍やら馬やら動物系の紋章は見たことがあるが、魚を描いたものは珍しいので気になっていたものだ。

 どうやらその問いには慣れているらしく、ゲイルは黒鮭を撫でながら胸を張る。


「俺の故郷はハピ・クジュネの近くにある漁村でな、そこでは真っ黒な鮭が獲れるんだ。味も良くて量も獲れる村の名物品だ。今では故郷とは離れちまったが、俺のルーツはそこだからよ。忘れないようにと思って傭兵団のマークにしてみたのさ」

「いい名前だね。そういう愛郷心は、すごくいいと思う」

「おうよ、ありがとよ!」

「それにしてもゲイルは強そうだね」

「そりゃ十五人の傭兵を養ってんだ。少しは腕に覚えがあるぜ」

「けっこう多いね。その人たちの腕前はどんなもん?」

「俺は数よりも質を重視している。どいつも俺と同じか、少し弱い程度だな」

「それはすごい。優秀じゃないか」

「兄弟ほどじゃねえよ。デアンカ・ギースを倒すことがどれだけすごいか、俺らにはよくわかる」

「ほとんどはラブヘイアがやったのさ」

「嘘はいけねぇな。あいつの実力は知っているぜ。たしかに強いが、到底太刀打ちできるレベルじゃねえ。そもそも普通の人間には絶対に不可能だからよ。俺の目はごまかせないぜ」


―――――――――――――――――――――――
名前 :ゲイル・メンス

レベル:38/50
HP :780/780
BP :180/180

統率:D   体力: D
知力:F   精神: E
魔力:E   攻撃: D
魅力:D   防御: D
工作:F   命中: E
隠密:E   回避: E

【覚醒値】
戦士:1/2 剣士:0/0 術士:0/0

☆総合:第八階級 上堵《じょうど》級 戦士

異名:黒鮭傭兵団の熟練リーダー
種族:人間
属性:水
異能:漁師の心意気、護衛、部隊士気上昇、チームワーク、水耐性
―――――――――――――――――――――――


(ゲイルは戦士か。そのおかげでHPも高いし、耐久力もありそうだ。何よりも指揮官タイプだから、そこが評価されているっぽいな。しかもサリータと同じく『護衛』スキルまである。これは使えるな)


 ラブヘイア(旧)は強いが、あくまで個人の範疇だ。

 一方のゲイルは単独でこれだけの力を持ちつつ、部下の傭兵を扱うことに長けている。

 統率も高くスキルも複数あるので、部下に補正が付くのも魅力的だ。

 そして資料に目を通すと、思いがけない情報も手に入る。


「え? 黒鮭傭兵団は『黒爪級』なの? たしかブラックハンターって、討滅級まで倒せるんだよね?」

「あくまで傭兵団全体での話さ。倒せるといっても下位の討滅級までだしな。それに俺らはハピ・クジュネの登録なんだよ。まあ、ハローワーク自体が至る所にあるから、登録都市なんてあまり関係ないけどな」

「そういうことか。それならどうしてグラス・ギースにいるの?」

「俺らは『渡り狼』のような生活をしているからな。この都市に戻ってくるのも久々だ。あのあと大きな仕事が入ってな。今まではそっちをやっていたんだ」

「それでまた新しい仕事を探していたってことか。うん、いいね。ぜひ雇いたいよ」

「任せてくれ! 金は前にもらった分があるから無料でもいいぜ」

「それはいけない。しっかりと払うよ。金が手に入るからこそ、やる気も出るだろうしね。あれはあくまでお大尽さ。もし気にするようなら仕事で励んでくれればいいよ」

「そうか。わかった。俺らもプロだ。万全の体制でやらせてもらうぜ!!」

「それは頼もしいね。それじゃ、さっそく契約しようか。クニダチさん、契約書をお願いね」

「はい、こちらとなります」


 こうして黒鮭傭兵団と契約。

 依頼内容は、白樹の館と事務所および、ルセーナ牧場周辺の警備だ。

 十五人いるので分散が可能だし、それぞれがやり手ならば安心できる。

 また、ダビア同様にゲイルも久しく都市にはいなかったので、ホワイト商会の一件に関しては中立でクリーンであることも選んだ理由だ。

 もともとハピ・クジュネ周辺で活動を開始した傭兵団なので、グラス・ギースに深く関わっていないことは好材料である。

 留守中もこれで安心だ。青劉隊等の特殊な存在ならばともかく、普通の人間はわざわざ傭兵団を敵に回してまでちょっかいを出さないだろう。

 あんなムキムキの連中に守ってもらえるのは、安心感があって実によいものだ。




「それじゃ、荒野に出発だーーーーー!!」




 こうしてスレイブ・ギアスを作るために、心置きなく荒野に旅立つのであった。




626話 「ジュエル探索 その2『修練と遭遇戦』」


 アンシュラオン一向は南門を出て、しばらく交通ルートを使って南側に移動。

 ある程度進んだところで西側に舵を切る。

 ここから先は、道無き道。

 いつ死んでもわからない『警戒区域』と呼ばれるゾーンだ。

 そこでクルマを一度止める。


「サナとサリータは外に出るんだ」


 サナとサリータをクルマから降ろし、自分も降りる。

 今回の旅の目的の中には、彼女たちの鍛錬が含まれている。それはすでに始まっていた。


「オレたち三人は、ここからは走っていくぞ。いつも言っているが、体力がなければ長時間戦うことはできない。継戦能力こそが生存への第一歩だぞ」

「はい、師匠!! がんばります!」

「サナも賦気はなしで、自分だけの力で走っていくんだ。魔石は使っちゃ駄目だぞ。基礎体力を高めるのが目的だからな」

「…こくり」

「それじゃホロロさん、代わりに運転よろしくね」

「かしこまりました」

「セノアも運転の仕方をよく見ておくんだ。緊急時は君が運転することもあるかもしれないからね」

「は、はい。わかりました」


(クルマの運転も楽しみたいが、オレには必須じゃないしね。いざというときにホロロさんたちが使えたほうがいいだろう)


「目標は、ここから西にある『魔獣の狩場』だ。たしか五百キロくらいだったから、鍛錬するのにもちょうどいい距離だろう。そこを拠点にしたいと思っているけど、現在の魔獣の狩場ってどうなっているんだろう? 小百合さん、知ってる?」

「最近は遠出をするハンターも減ってしまいまして、依然として不明のままですね。アンシュラオン様がデアンカ・ギースを倒してからは、記録上では誰も行っていないはずです」

「ハローワークの地図に載っているのは、ギリギリ魔獣の狩場の端っこまでだ。それ以外は未探索ってことでいいのかな?」

「公式にハローワークが把握している部分は、その地図の通りです。地元の商会が独自に調べたルート等は載っておりません」

「そっか。ジングラスの商船とかも警戒区域に入っていたし、公にされていないルートもいくつかありそうだ。念のため確認するけど、魔獣の狩場はグラス・ギースの領地じゃないんだよね?」

「はい。グラス・ギースの自治権は、あくまで都市のある周辺一帯となっておりますし、境界線が設けられているわけではないですから、荒野の明確な領有権は存在していません」

「その『領有権』を主張するには、どうすればいいのかな? 国際法とかあるの?」

「ハローワークへの登記と『実効支配』がなされていることが前提条件となります。そのうえで他国との条約を締結する等、一応の形式は存在しますね。ただし東側大陸では国家と呼べる組織が非常に少ないため。公的ルールが機能しているかは不明な状況です」

「つまりは実力で確保して守れれば、そこは自分の領土にしていいってことかな?」

「特に規定はありませんので、その通りだと思います。グラス・ギースも誰かの許可を得て生まれたものではないみたいですから、千年近い事実上の支配によって都市として認知されているだけにすぎません」

「シンプルでいいね。まあ、どこの世も仕組みは同じってことだ」


 そもそも論として、その土地は誰のものか、という話題である。

 現在の地球では【国家】がある程度は確立されてきたが、それでも曖昧な部分は多く、常時揉めている状態だ。

 領土問題などが最たる例だろうし、日本とて統一されたのは戦国時代末期から江戸時代にまで遡らねばならない。

 それ以上遡っても意味がない話になるので、結局のところは『制圧した者が管理できるか』が問題となってくる。

 より強い力、実力行使によって維持できれば、そこは自分の土地なのである。


(理屈は単純だが、そうなると課題が出てくるよね。持ち帰れるようなものはいいけど、鉱山を発見した場合は届出と同時に管理が必要となる。魔獣が跋扈する荒野なら誰かに取られる可能性は少ないだろうけど、ルートが確立されたらどうなるかわからない。相変わらず、こちらの弱点は変わってないな)


 自身の最大の弱点である『人数の少なさ』は極めて重大な問題だ。

 そこを一般スレイブで補いたいのだが、そのスレイブを管理するための体制が整っていない。

 だからこそソブカとつるんだり、他の勢力と協力関係を築いているが、さすがに荒野にまで影響力を及ぼせる者は多くはない。

 仮にハングラスと手を組んでも同じことだ。彼ら自身に自衛能力が乏しいのでは話にならない。

 自分たちが現地に滞在して管理すれば簡単だが、生活するには不便な場所だからこそ誰も近寄らないのである。

 商会として活動するのならば、どうしても都市に住んでいたほうが便利となる。


(なかなか前途多難だな。だが、それも楽しみの一つだ。今やれることを続けるしかない)




 アンシュラオンたちは『魔獣の狩場』に向けて出立。

 まずはクルマについて少し述べておこう。

 アンシュラオンは『スポーツカー』と称したが、地球で見かけるような洗練されたデザインではなく、あくまで一般の輸送船と比べればフォルムが綺麗という意味だ。

 大きさも全長二十メートルはあるので、小型の輸送船と呼んだほうがしっくりくる。

 ただし、さすが最新式(西側では型落ちの新古車)なので、馬力と速度はクルマ全体の中でもかなり高いほうである。

 クルマの内部は、ダビアが単独で旅をするために用意したソファーや家具も設置されているため、大きなキャンピングカーをイメージするとわかりやすい。キッチンもあるので、ここで調理も可能である。

 そうした備品部分を除くと居住空間はおよそ六割といったところだが、こちらも天井までの高さがそこそこあるため、そこまで狭い印象はない。

 各人が思い思いのクッションやぬいぐるみを置いても、七人が生活するのに十分なスペースがあるといえる。

 また、特に説明はしていなかったが、クルマで引っ張った荷台にはトイレの予備の部品(素材)も載せているため、アンシュラオンは走りながらトイレを組み立てるという曲芸を披露してもいた。

 運転は非常に簡単なので、最初はホロロにあえて蛇行運転などをさせて慣れさせておき、直線移動になってからはセノアにもやらせてみたりした。

 加速も減速も手元で可能であり、座椅子を調整すればセノアでも問題なく運転できるようである。


「フレー、フレー、サリータさん! ガンバですよ!」

「はい! がんばります!」

「サナ様もがんばってくださいね! はちみつレモンを用意しておきますよ!」

「…こくり! ぐっ!」


 最初は普通に乗っていた小百合は、現在はバイクでサナたちと併走している。

 その姿はまるで、陸上選手の隣で自転車に乗った監督が鼓舞しているようだ。


(いつも思うけど、あれってイラっとしないのかな?)


 自分は必死に走っているのに、のうのうと自転車に乗っている姿を見たら普通は苛立ちそうなものなのだが、サリータは何も気にせずに走っている。

 もしあれが体育会系の常識なのだとしたら、いくら信頼関係があるといっても、それはそれで狂った世界である。

 そして予想通りというべきか、最初にへばったのもサリータだった。

 三十キロ走ったあたりで徐々にスピードが落ちてくる。


「はぁはぁ…!」

「サリータ、もうへばったのか? 鍛錬を怠けていたな!」

「そ、そんなことは…」

「口答えはいらん! 走れ! 走りまくれ! 手を抜くなよ!!」

「はい、師匠!!」


 尻を叩いて発破をかけるが、フルマラソンで全力疾走するほうに無理がある。

 五十キロに至った頃には、足が痙攣を始めているのが見えた。

 そろそろ限界だろうか。


「よし、一度休憩だ」

「はぁはぁはぁ!! はぁぁはぁ!!」

「…こくり、ふー、ふー」

「つらかったら倒れていいぞ」

「た、耐えてみせ―――あっ」


 こらえたものの、サリータの膝ががくんと落ちる。

 こればかりは意思の力ではどうしようもない。単純に体力と筋肉の限界だ。


「サナ様…足手まといになって申し訳ありません…」

「…ぽんぽん」

「こんな私を慰めてくれるとは、なんてお優しい! あまり疲れてもおられないようですし、サナ様はすごいです!」

「…こくり。ぐっ!」


 一方のサナは多少疲れがあるものの、軽いジョギングをした程度といった様相だ。今も柔軟をして筋肉をほぐしている。

 フルマラソンの選手も試合では真剣勝負なので、三十キロ近くでバテる光景をよくテレビで見かけるが、実際の練習では六十キロや百キロ近く走ることも珍しくないらしい。

 普段の軽い鍛錬程度ならば、サナはこれくらいは簡単にこなせることがわかった。

 それもこれも戦士因子が覚醒したおかげだ。因子とは、それほど重要な存在なのである。

 サナはいい。順調に育っている。

 問題はサリータだ。


(久々にサリータのデータでも見てみるか)


―――――――――――――――――――――――
名前 :サリータ・ケサセリア

レベル:22/50
HP :280/280
BP :100/100

統率:E   体力: E
知力:E   精神: E
魔力:F   攻撃: F
魅力:E   防御: E
工作:E   命中: F
隠密:E   回避: F

【覚醒値】
戦士:0/1 剣士:0/1 術士:0/0

☆総合:第十階級 下扇《かせん》級 戦士

異名:サリータン・ハスキー
種族:人間
属性:
異能:忠誠心、熱血、護衛、低級盾技術、物理耐性、体育会系
―――――――――――――――――――――――

(うーむ、レベルは少し上がっているが、やはり弱い。だが、これは彼女を育てなかったオレの責任だ。しばらくサナの強化に集中していたからな…疎かになっていたようだ)


 出会った頃から比べると、サリータのレベルは4上昇している。

 しかしながら成長率が極めて悪く、能力値にはほぼ変化がない。せいぜい体力が一段階上昇して『FからE』になったことくらいだろう。

 あとは『忠誠心』スキルが増えたことと、異名が変わった程度だ。

 後者に関しては褒められたものかはわからないので、はっきり言って成長は皆無といえる。

 いくら才能の違いがあるとはいえ、サナとの落差に驚愕する。


(サナの急成長は、サナ個人の資質によるものなのか? その可能性も高いが、それだけで終わらせたらオレの計画が頓挫してしまうかもしれない。今回はサリータ強化も課題だな。よし、そろそろ試してみるか)


「サリータ、お前にも賦気を施す。身体の力を抜け」

「は、はい…! …はぁはぁ」


 アンシュラオンがサリータの背中に手を当てて、生体磁気を放出。

 たしかに今現在は弱いが、賦気を使って慣らせば成長に変化が訪れるかもしれない。まだ希望はあるのだ。


「少しずつ入れていくぞ。…どうだ?」

「あっ…なんだか熱いです」

「違和感はないか?」

「今のところは大丈夫です」

「では、もう少し強めにいくぞ」

「うっ…うううっ……うくううううっ」


(まだ引っかかりが多くて、入れるたびに明らかに負荷がかかっているみたいだな。やはりサナよりは劣るか。とはいえ副作用はなさそうだ。これも普段から接触しているおかげかな?)


 サリータの胸や股間を事あるごとに触れるのは、これの布石だったのである。

 …

 ……

 ………


 うむ、嘘だ。

 結果的にそうなったにすぎず、あれは単なるセクハラだ。


「こんなものかな。また様子を見てやっていこう」

「あ、ありがとう…ございます。はぁはぁ…!」

「常に呼吸を意識するんだ。休んでいる間も修練だぞ」

「はい! がんばります!」


 こういう素直なところは彼女の長所だ。ぜひ強くしてあげたいものである。



 そして、サリータを休ませている間に、もう一つの課題に挑戦してみることにする。

 こちらも今回の合宿において非常に重要なものとなる。


「セノア、ラノア、こっちにおいで。サナもだよ」

「は、はい! ただいま参ります!」

「あーい」

「…こくり」


 ロゼ姉妹とサナを外に呼び寄せる。

 そこでポケット倉庫からボードを取り出し、彼女たちに見せてみた。


「これは何に見えるかな?」

「ええと…」

「深く考える必要はない。特に賞罰の無い普通の質問だよ。何に見えるのか、見たままを答えればいいんだ」

「は、はい。んと…」

「んー」


 ロゼ姉妹は、じっとボードに描かれた絵を見ている。

 そうして五秒ほど考えたあと―――


「人…ですかね?」

「山!!」

「―――え?」

「山!」

「え? 山? 人の横顔に見えるけど…」

「じゃあ、次の絵だ。これは何に見える?」

「動物のような…馬でしょうか?」

「川!!」

「―――え!?」

「川!」

「か、川? どこを見ればそんなふうに…え?」

「じゃあ、次の絵だ。これは何に見える?」

「こ、今度こそ…人の……」

「パン!!」

「パン!? 食べ物のパン?」

「うん、パン!!」

「―――ええええ!? ら、ラーちゃん、本当にそう見えるの!?」

「うん」

「え? ええ? 私の目、おかしいのかな?」

「ははは、いいんだ。二人とも間違っていない。なにせこれは『だまし絵』だからね」


 アンシュラオンが見せた絵は、いわゆる『だまし絵』や『トリックアート』と呼ばれるもので、見方によっては複数の答えが存在する意地悪なものだ。

 ただし、これはただの『だまし絵』ではない。

 試しに小百合に見せてみると―――


「お二人とも何を言っているんですか? 汚れみたいなものはありますが、人にも山にも見えませんけど…」

「え? どうなっているんですか!?」

「小百合さんには術士の資質がないから、そもそも見えないんだよ。術の本がそうであるように、この絵も素養がなければ最初から見えないもの、つまりは『テスト用』の教材の一つだね。今はオレが場に意図的に干渉して見えやすくしているけど、ここまでの差が出るのはすごいね」

「そ、そうだったのですね。でも、どうして見え方が違うのですか?」

「山だもん。川だもん」

「うんうん、そうだね。ラノアも正解なんだぞ。この見え方の違いにも意味があるんだ。そうだな…セノアは『情報術式』に向いていて、ラノアは『元素術式』に向いているのかもしれないね」


 同じものを見ているので、問題は見ている当人の違いである。

 普通のだまし絵ならば、先入観や趣向や嗜好、あるいは脳の状態に左右されるだろうが、この術士用のだまし絵は『適性を検査』することができる。

 セノアは細部に『視点が合う』ため、より細かい情報から人だと思ったが、ラノアは全体に『ピントを合わせて』山だと判断している。

 その結果、セノアは情報術式、ラノアは元素術式により高い適性があることがわかった。


「サナは何に見える? 指で触ってごらん」

「…ぐにぐに」

「ラノアと同じか。じゃあ、サナも元素術式に向いているのかもしれないな」


 サナは術士の因子がすでに1あるため、より鮮明に見えていることだろう。

 そして彼女もラノア同様、元素術式に向いていることがわかった。

 ただし一般の戦士や剣士の術士因子は、属性攻撃に関係する要素でしかないため、直接術を扱えるかはまだわからない。

 言い方は悪いが、今回の件ではサナはオマケで、本命はロゼ姉妹である。

 その意図に薄々気付いたセノアが、うかがうように訊ねる。


「あの、ご主人様。もしかしてこれは…」

「うん、セノアとラノアには【術士】になってもらうのさ」

「えええええええええええ!?」

「そんなに驚くことかい?」

「だ、だって、術士ってその…すごく頭が良くないと駄目なんですよね? わ、私は文字もまだ上手く書けませんし…」

「ん? 誰がそんなこと言ったの? 文字の上手さなんて、まったく関係ないよ?」

「そ、それは…そういうものかと。よく噂で聞きますし」

「やれやれ、自分を過大評価するどこぞの無能が、そんなことを言い出すから誤解されるんだよな。はっきり言って、術士に頭の良し悪しは関係ないよ。因子適性と演算能力と集中力、それからインスピレーションが重要だ」


 たとえば知能に問題がある障害者の中にも、暗算が得意な人がいるだろう。

 術も同じで、どう扱うかの判断に頭の良し悪しは必要でも、事象を引き起こすこと自体には知的能力は必須ではないのだ。


「君たちには資質がある。だからこそサリータより序列が上なんだよ」

「わ、私に術士の才能があるんですか?」

「ある!! 君ならやれる!!」

「ひゃっ」


 普通は肩を叩いて励ますが、胸を触って励ますNewスタイル!!

 ありがとうございます!


「ラノアだって、こういうことしたいだろう?」

「わっ、まん丸のお水! すごーい、やりたーい!」

「そうだろう、そうだろう。そのうち教えてあげるから、楽しみにしておくんだぞ」

「やったー!」


 もう一つの課題。

 それはロゼ姉妹の術士の資質を開花させることにあった。

 自衛の意味合いもあるし、彼女たちが役に立っていることを自覚させるためにも有用なことだ。


(エメラーダからは、基礎までは教えていいって言われてるからな。しかし、予想通りの結果になったよな。几帳面なセノアは細かい計算に向いていそうだし、天才肌のラノアはオレと同じ感覚重視みたいだ。サナもそっち側かな。まあ、姉妹で別々のほうがお互いに強みがあっていいよね)




 こうしてサナとサリータが走っている間、ロゼ姉妹は術を学ぶことになった。

 資質があっても最初のきっかけがないと難しいため、エメラーダがアンシュラオンにやったように、二人に対しても専用回線を作ることにする。

 こうすることで専用の術式コードを共有しつつ、眠っている術士因子に直接刺激を与えていくことが可能となる。

 言ってしまえば、原理は賦気と同じ。自分の力を分け与えて一時的に強化するのである。


 まず最初にやらせたのは、アンシュラオンが作った水玉への『干渉』。


 二人の前に水玉を作り、術式に干渉できる回線を与えて好きにやらせてみる。

 術に慣れさせるための行為であり、何の情報もない二人がどうするのかを見物したかったのも理由だ。

 二人はじっと水玉を見つめたり、指で触れてみたりと興味津々であった。

 姉妹が仲良く目の前の課題に取り組んでいる姿は、とても微笑ましい。

 それだけで場の空気が良くなり、こっちも楽しくなる。

 そうして十数分くらい経った時だっただろうか。変化が起こった。


「くるくる…くるくる」

「わっ!? ラーちゃん、すごい! どうやったの? 玉が回ってるよ!?」

「んー、くるくる回す…だけ?」

「えええええ!? そんなのできないよー!」

「こうして…こう」

「がーん! 私、負けてる!?」


 最初に水玉を動かしたのはラノアのほうだった。明らかに自分の意思で回転させている。

 一方のセノアの前にある水玉には、直接的な変化がなかった。


「わ、私…やっぱり才能がないのかな…」

「色が変わっています」

「…え? 色?」

「ええ、色です。ラノアのものに比べて、あなたのほうが青いように見受けられます」

「色……あっ、ほんとだ」


 ホロロに指摘されて二つの玉を見比べると、たしかにセノアのほうが青みがかっているように見える。

 普通の水は無色透明ではあるものの、それだけだと見づらいので意図的に青くしているのだが、それがさらに深い青になっているのだ。

 アンシュラオンもそれを見て、思わず笑みを浮かべる。


「水分子に干渉して性質に変化を与えているんだ。だから見え方が違うんだよ」

「これは…良いことなのですか?」

「もちろんだ!! 立派な術式干渉だ!! やはり君には資質があるぞ!!」

「わ、私にも…できた。ホロロさん、ありがとうございます」

「私は何もしていません。あなたの才能です」

「で、ですが…その…」

「あなたはもっと自信を持ちなさい。いえ、あなた自身に自信がなくてもよいのです。しかし、ご主人様をもっと信じなさい。アンシュラオン様ができるとおっしゃったのです。ならば、それを信じるのです」

「…は、はい!」


 セノアは、自分の手をぎゅっと握り締めた。

 謙虚さは彼女の長所だが自分を抑えつける弱点にもなる。それを克服すれば、彼女はさらに輝くだろう。


「ラノアもすごいぞ! がんばってるな! なでなでなで!!」

「えへへ…やったー!」


(ホテル脱出の時も敵の居場所を探知したようだし、ラノアは『遠隔操作』の資質があるかもな。セノアは『状態変化』が得意か。いい感じだ)


 操作系の能力は、文字通り物体や思念を自由に動かす力だ。この有用性は、アンシュラオンの遠隔操作を見ていれば一目瞭然だ。

 もう一つの状態変化は、術の性質に変化を加えられるものだ。

 真水を硫酸に変えたり、味を変化させることができたりするので、用途は多様といえる。


 今日の大きな出来事は、これくらいだろうか。

 少しずつ日が暮れてきたため、野外でキャンプを張ることにした。

 夜はホロロと小百合が料理を振る舞い、疲れきったサリータを癒す。

 革鎧を着込み、なおかつ大盾を背負いながら百五十キロ以上走ったのだから、疲れて当然だろう。今はぐったりと横になっている。

 サナを含めた子供たち三人は、食後も元気にトランプを楽しんでいた。

 このトランプの絵柄も術式で描かれているため、遊ぶだけで術士の目が養われる優れものだ。

 今後能力が開花すれば透視や相手の思念を追えるようにもなるため、今から慣らしておけば将来が楽しみである。

 この分野に関しては、サナがなかなかの力量を見せている。教えたババ抜きで圧勝していた。

 それに対抗して姉妹は『念話』を使って共謀するも、すでに術士因子が1覚醒しているサナにはなんとなくわかるのか、互角の戦いを演じていたようだ。

 また、サナに関しては小百合から新情報が手に入る。


「サナ様ですが、教えれば教えるほど覚えていくんですよね。声が出せないだけで内容は全部理解しているようです。私が子供の頃に使っていたレマール小学校の教材は、すべてクリアしてしまったようです。今はダマスカスで採用されている中学生用のものを使っていますが、あまりに成長が早くて教材が足りない状態です。はっきり言って、サナ様は【天才】です」




「うおおおおおお! オレのサナちゃんは最高だぁあああああああああああああああ」




 と、アンシュラオンが荒野に向かって叫んだのは言うまでもない。

 すでに『早熟』で『天才』であることはわかっていたが、このスキルは戦闘だけにとどまらないようである。

 もとより吸収率が尋常ではないため、知識に関しても見たもの聞いたものすべてを覚えているようだ。

 問題はアウトプット、出力の点に難があることだろう。

 一応文字は書けるのだが、自分から書こうとはしないので筆談はできない。

 同様に模写はできても、想像して絵を描くことはできないのだ。


(うーむ、とりあえず吸収しているのならば無駄にはならないだろう。いつか表現する時が来るだろうから、じっくりゆっくり育てていこう。ああ、かわいいなぁ。本当にこの子は最高だ)


 教えれば教えた分だけ強く、賢くなっていくのだ。教える側からすれば楽しいに決まっている。

 その点は小百合も同様らしく、サナやセノアたちに嬉々として勉強を教えていた。



 それからの二日間は、特に変わったことはなかった。

 魔獣と遭遇したら撃退していくくらいだろうか。

 魔獣の素材も持てそうならば剥ぎ取ることにしている。こちらはハローワークに提出することでポイントが貯まるので、ランクを上げるためにも必要な作業である。

 今回の旅はアーパム商会の活動であり、その警護に傭兵団である『白の27』が護衛任務に就く扱いになっていることも重要だ。

 ちなみにサリータのハンターランクは、ギリギリ『レッドハンター』である。

 というのも、色が完全に赤になりきらないレベルで止まっているため、合格にしていいのかどうか迷う状況なのだが、とりあえず変化があったのでレッドハンターの扱いになっている状態だ。

 それゆえに、こうして魔獣の素材を定期的に提供することで、ハンターとしての立場を確立させる目的がある。

 サナは実力的には魔石抜きでブルーハンターの域に到達しているものの、こちらも実績が足りないので評価を上げていく必要があった。

 彼女の場合は、最初にノンカラーと診断されてしまったことが災いしている。

 これほどの急成長は異例であり、再申請しても偽造と思われてしまう可能性があるため、実績によってランクを上げるのが無難と判断したのだ。

 もし上手くランクを上げることができれば、『白の27』もゲイルの黒鮭《こっかい》傭兵団と同様に、チーム全体でブラックハンターの扱いになることも可能だ。

 あくまで自前の傭兵団とはいえ、ランクが上がれば知名度も増し、さまざまな交渉で優位に立つことができる。

 セノアとラノアも引き続き術の修練を続けている。大きな成長はないが、少しずつ慣れていっているようで嬉しい限りだ。

 ホロロは運転に集中しつつ、術具の『兆視暗眼奇《ちょうしあんがんき》』を使い、周辺の監視を続けていた。


 こうして一向は、三日かけて無事に魔獣の狩場にまで到達。


 熟練ハンターでも三日くらいはかけるらしいので、女子供の集団だと思えば十分合格点だろう。

 肝心の魔獣の狩場だが、デアンカ・ギースが出現した影響か、周辺にはまったく魔獣の姿は見られなかった。

 岩山にいたエジルジャガーたちもいなくなり、彼らを餌にしていたハブスモーキーたちも同様にいなくなった。

 こういう寂しい現状を見ると、食物連鎖は生態系を維持するうえで、もっとも重要なものだと思い知る。

 魔獣たちの楽園であったこの場所は、すでに死んだのだ。

 この情報自体は小百合からも聞いていたので、特に驚きはなかった。



 異変が起きたのは、それから少し進んだ先、狩場の真ん中あたりだ。



 クルマと併走していたアンシュラオンは、おもむろに水筒を取り出すと口を付けて飲み始めた。

 なんてことはない。ただの水分補給である。

 しかし、普段から彼を見ている人間ならば、そこに大きな違和感を抱いたことだろう。

 命気を自由に生み出せるアンシュラオンは、いちいち飲み物を摂取する必要はない。直接体内に補充すればよいのだ。

 それを知る周囲の面々は、アンシュラオンに意識を向ける。

 なぜならばこれは、事前に決めておいた【シグナル】であった。


―――〈みんな、そのまま普通に移動しながら聞いてくれ。顔は前を向いたままでいい〉


 飲みながらしゃべる、という腹話術真っ青な技を披露。

 今はロゼ姉妹と繋がっている状態なので、『念話』に近い事象も発現可能なのだが、あえて原始的な方法を選んだことには意味がある。


―――〈サナ、気付いたか? 気付いていなかったら左手で髪の毛を触れ〉


「…こくり。さわ」


 サナは走りながら、髪の毛を軽くかき上げる。

 女性ならば特に不自然ではない仕草である。


―――〈ホロロさんは?〉


 ホロロも同様に髪の毛に軽く触れる。

 それによって、誰もがこの状態に気付いていないことがわかった。


―――〈右前方、七キロ先の岩場に五人。左前方にも五キロ先に三人いる。魔獣じゃない。『人間』だ。すでに捕捉されている。目がいいやつがいるぞ〉


 アンシュラオンの波動円の有効距離は、およそ千メートル。

 最大で二千メートル近くまで伸ばせるが、そこまでやると精度がガタ落ちになるため、通常は五百メートル圏内で使っている。

 ということで、現在は『視覚』で相手を確認しているわけだが、ただでさえ目が良いことに加え、術士の因子が解放されたことで『磁場』のようなものが『視える』のだ。

 法則を色彩で視認しているため、赤あるいはオレンジに近い光が、岩場からこちらに向かって伸びているのがはっきりと視える。

 セノアたちに術を教えているのも、これを学ばせるためである。


(敵意まではいかない『警戒』といったところだな。しかし、こんな場所に人間か。あからさまに怪しいな)


 警戒区域に人間がいる以上、普通の輩とは思えない。

 山賊や盗賊の類ではない。賊であれば、より人が通る場所を選ぶだろう。商船を狙うにしても、もっと東に行くべきだ。

 しかしながらハンターの可能性も低い。ラブヘイアほどの実力者でも、普段は魔獣の狩場に深く入り込むことはしなかったのだ。

 何よりも彼らは、「向こう側」からこちらを見つめている。

 仮に都市から来た者たちならば、西側を警戒するのが一般的だ。だが彼らは、西側に向かう存在に対して警戒感を示している。

 これは怪しい。

 人が立ち入らない警戒区域は正真正銘の無法地帯だ。

 ここで見逃すと、あとから災いになって降りかかる可能性がある。


―――〈相手の正体が何であれ、制圧しておいたほうがよさそうだ。こちらが優位に立ってから尋問すればいいからな。よし、オレが合図を出したら、サナは魔石を使って左側の三人を倒せ。詳しい場所は走りながら教える。ホロロさんは岩陰にクルマを移動させて待機。サリータはクルマの護衛に付け。セノアたちも武装はしておくんだぞ〉


 その言葉にサリータの表情が硬くなるが、気を引き締めて、ぐっと大盾を握る。

 セノアも多少緊張しながらも銃を用意。小百合もクルマの中にあった銃を手に取る。

 小百合に関しては未知数だが、レマールは剣術の国でもあり、女であっても最低限の護身術は学ぶらしいし、ハローワークでも発砲訓練はあるようなので銃に抵抗はないようだ。


 一向は気付かないふりをして、しばらくそのまま移動を続ける。



 そして、アンシュラオンが不意に水筒を放り投げた瞬間―――



 ブオオオオオッ


 ホロロがハンドルを切って、クルマが急旋回。

 砂煙を上げながら、大きな岩場の隙間に突っ込む。

 サリータもクルマに掴まり、一緒に岩陰に移動。護衛に入る。

 その瞬間にはサナが魔石を発動させ、雷光の速度で走っていた。

 当然アンシュラオンもサナと同じ速度で駆け出している。


(みんな、悪くない動きだ。だんだんとさまになってきたじゃないか)


 アンシュラオンの統率の能力が低いことを思えば、これは女性たち自身の意識の高さによるものだ。

 自分の身は自分で守る『防衛意識』を徹底的に教えている成果であろう。ホテルでの恐怖は、彼女たちをより一層強くしたのだ。

 アンシュラオンたちは見事なチームワークで、先手を取った。

 相手も異変に気付いたらしく、若干動揺した気配が広がっていた。

 だが、彼らは即座に撤退を開始。岩場から遠ざかっていく。


「撤退の判断が早いな。かなり場慣れしている。サナ、深追いはするなよ。常に退路を確保しながら戦うんだ」

「…こくり」

「逃がしはしない。不安要素は排除する」


 二人は、さらに加速。

 サナが雷光ならば、アンシュラオンは疾風と呼ぶべきか。

 軽やかに凄まじい速度で彼女と併走している。


「あっちに岩山が見えるな。あそこから南西に向かって逃げている。相手の生死は問わない。やれるだけやってみな。ただし、危なくなったらすぐに逃げること。わかったな?」

「…こくり」

「よし、行け」


 サナは途中で左に曲がり、左側にいる三人に向かっていった。

 すでに鉄陣羽織を装備し、刀を抜いて臨戦態勢だ。やる気満々である。

 その逞しい姿に、一緒に戦える嬉しさを感じて感動する。


(ああ、オレと一緒に荒野を走れるくらいになったんだなぁ。お兄ちゃんは嬉しいよ。涙が出そうだ。あの子は初級卒業試験はクリアしているし、あっちは任せても大丈夫だろう)


 アーブスラットとの戦いで逃げる訓練もしている。セクトアンクが教えてくれた戦術眼も加われば、まず後れを取ることはないはずだ。

 がしかし、人数では相手のほうが上だ。油断は禁物である。


 アンシュラオンは岩場に駆け上がり、自身の標的を猛追。


 魔獣の狩場はギアナ高地のような大自然であるが、自分にとってはこちらのほうがホームグラウンドだ。

 火怨山の険しい岩山を思えば、こんなものは子供が公園で遊ぶプリン山と大差はない。


 悪路をまったく気にせず、一気に距離を詰める。


 すると、その現状を察したのか、五人のうち二人が移動をやめて迎撃態勢に入り、三人は引き続き遠ざかっていく。

 どうやら二人が足止めをするようだ。

 距離をさらに縮めると、相手から仕掛けてきた。

 地形が有利な上方から鋭い斬撃が飛んでくる。

 バチバチと大気に弾ける光が見えたことから、おそらく『雷衝』である。

 それが途中で二つに分かれて、雷衝・二閃となった。

 サナの雷撃を見てもわかるように、雷衝の特徴は『不規則さ』にある。

 雷の性質上、空中に放つと大気中の最適なルートを算出して、自然法則の範囲内で不規則に動きながら移動する。

 それを強引に剣衝で押し出しているのだから、さらに動きが読めない攻撃となるのだ。

 しかもそれが二つ、二閃であれば牽制にはもってこいの技となる。

 が、アンシュラオンは一切進路を変えず、修殺・旋で迎撃。

 勢いよく放たれた螺旋状の修殺は、まさに竜巻。

 雷衝を呑み込み、あっさりと破砕しながら相手がいる岩場に激突。


 ドーーーーンッ がらがらがらっ


 激しい衝撃とともに岩山に大きな穴が穿たれ、大量の落石が発生した。

 相手はすでに離れていたため、それに巻き添えになることはなかったが、これで完全に追いつくことに成功。



 両者が―――対峙



 目の前には、フルプレートの重鎧を着込んだ壮年の男が二人いた。

 一人は反りのある長剣。もう一人は大盾を装備している。

 剣は日本刀よりはシミターに近い形状をしているだろうか。突きよりも切り裂くことに重点を置いたものに見える。

 盾は大きく非常にがっしりとしていて分厚く、亀の甲羅に似た形状をしている。

 なかなか変わった装備が目に付くが、問題は得物よりも彼らの『目に宿る光』であった。

 肝が据わったものであり、一歩も進ませないという強い気概を感じる。

 これには見覚えがある。

 死ぬ覚悟のある者の目だ。


(ただの時間稼ぎじゃない。『捨てがまり』か。そこまでの覚悟があるとは、ますます怪しいよな)


 戦国武将である島津が用いた『捨てがまり』は、残った少数が死ぬ気で戦い、将が逃げる時間を稼ぐ玉砕撤退戦術であることで有名だ。

 目の前の相手もまた、それだけの覚悟を背負っているらしい。


「面白い。やってみろ」


 ここでアンシュラオンは気合を入れ直す。こうした連中を甘く見ると痛い目に遭うことを知っているからだ。

 先に動いたのは盾を持っている男。


 盾から―――砲撃


 やたら大きいと思っていたら仕込み盾だったようだ。榴弾が発射される。

 アンシュラオンは、飛び退いて回避。

 直後着弾し、今いた場所が粉々に吹っ飛ぶ。なかなかの威力だ。

 今度は剣士が向かってきて、死に体のアンシュラオンに長剣を振り抜く。

 研ぎ澄まされて迷いのない連携は、まさにコンビネーションアタックと呼ぶに相応しい。

 普通の武人ならば、これをかわすのは難しいだろう。

 しかしながら、アンシュラオンも臨戦態勢。

 地面に着地した瞬間に衝撃を与えて、足場そのものを破壊。


 ドゴンッ!! ガラガラガラッ!


 足場全体が大きく崩れたことで、剣士の刃が大きく乱れた。さすがにこれは予想していなかったようである。

 一方のアンシュラオンは命気で足場を作り、万全の体制。

 剣撃をかわすと、カウンターで剣士の顎に掌底を繰り出す。

 咄嗟に剣士は打点をずらそうとするものの、アンシュラオンは細身に見えても中身は豪腕だ。

 強引に押しきる。


 ガゴンッッ!!


 剣士の首が九十度に曲がり、衝撃が突き抜ける。

 最悪は脊椎骨折。良くて脳震盪だろう。

 圧倒的なパワーで剣士の意識を奪い去った。


 と思われたが、目から光が消え―――ない!


「―――ぎろり」


 意思の力が気絶を拒み、横薙ぎの反撃を放つ。

 こちらも雷が宿った一撃で、因子レベル2で扱える『雷隼斬《らいしゅんざん》』という技だ。

 威力はそこまで高くはないが、死角から素早く襲いかかる鋭さが特徴で、命中に補正がかかる優秀な剣技である。

 意識が飛びそうになりながらも放てることを思えば、相当鍛錬を重ねた一撃であることがうかがえた。

 が、すでに懐に入っているアンシュラオンには、怖いものではない。

 身体を縮込ませ、空中で回転しながら手で剣を抑えつつ、即頭部を蹴り上げる。

 その蹴りも凄まじいが、水気で剣に宿った雷を逃がしていることも見逃せない。

 初見でありながらも完全に技を見切っている証拠だ。


「―――っ!!」


 まともにくらったら、もう耐えられない。

 ぶつんと意識が切れ、剣士は崩れ落ちる。

 されど、敵は二人いる。

 すでに大盾の男はこちらに向かって駆けており―――全力のぶちかまし!

 剣士ごと盾で叩きつけ、アンシュラオンを崖から突き落とそうとする。


(味方ごとか。やるじゃないか。だが、こいつを足場にすればいいだけだ)


 アンシュラオンは、意識を失った剣士を蹴って回避しようとするが―――


 がしっ!!


 剣士の手が、アンシュラオンの足を掴んだ。


(意識は奪ったはずだが、しぶといやつだ)


 その目には、強い意思の光。まだ死なないという強靭な決意が見て取れる。

 アンシュラオンは強引に振りほどこうとするが、剣士の腕力はさらに強まっており、抱きつくようにして玉砕を仕掛けてきた。

 死を覚悟している武人は強い。致し方なく落下を許してしまう。


「注意していたつもりだが、予想以上に意思が強いな。甘く見た非礼を詫びよう」

 
 ここで改めて自己の甘さを反省したアンシュラオンが、本来の戦気を解放。

 そのあまりの衝撃で、掴んでいた手が霧散。剣士の男も吹き飛んで岩壁にめり込む。

 アンシュラオンは戦気を爆発させて空中跳躍。

 動けない剣士の男に向かって、正拳を叩き込む。


 ド―――ゴンッ!!


「―――ごぶっ!!」


 拳の衝撃は背後に突き抜け、岩山全体にビシビシと大きな亀裂が入った。

 本気の一撃の前に、さすがの剣士の男も吐血して意識を失う。


 剣士を倒したアンシュラオンは、再度崖を駆け上り、大盾の男と対峙。


 男は驚きもしない様子で、じっとこちらを睨みつけている。仲間ごと突き落とす段階で覚悟は決まっているのだろう。


(ついつい武術で倒しちゃったけど、今後は術を多用しないとな。オレも修行しないと示しがつかないよね)


 せっかくなので今回の旅では、自身にも『できるだけ術で戦う』という制約を設けていた。

 格闘技術は超人級である一方、術に関してはまだまだ素人である。それを埋めるために、よほど緊急でない限りは術を使おうと思っていたのだ。

 謎の相手とぶつかること自体は緊急事態であるが、切迫しているわけではないため術を選択。

 アンシュラオンは、水刃砲の術式を発動。

 切れ味抜群の水圧が、盾の男に向かっていく。

 男は盾を構えて防御の姿勢。


 ブシャーーーッ ガキンガキンッ


 盾が少しずつ削れていくものの、男は術に耐える。

 精神が『SSS』かつ魔力『S』のアンシュラオンが放つ水刃砲は、一般術者が扱う水刃砲の五倍以上の力は秘めているだろう。

 しかも防御貫通であることを考えれば、正面から防ぐことは相当至難だ。

 それをやってのける男が、かなりの実力者なのは明白である。

 ただし、それだけでは片づけられない違和感も感じていた。


(こいつらは強い。しかし、何か普通の武人とは違うものを感じる。この感覚はまさか…)


 対峙した二人は比較的強い部類であると思われるが、初見で感じた実力よりも明らかにオーバースペックの印象を受ける。そうでなければ落下を許すような失態は犯さない。

 アンシュラオンには、この現象に見覚えがあった。

 剣士もそうだが、途中から力が急激に増しているのだ。これは意思の力だけでは説明できない要素である。


「まあいい。あとで考えるか。お前には術の練習に付き合ってもらおう」


 アンシュラオンが再び水刃砲を放つ。

 今度は相手から少し離れた方向に飛んでいったので、当然ながら当たらない。

 がしかし、相手を少し通り過ぎた瞬間、直角に曲がる。

 シュパッ!

 鋭く曲がった水の刃は、男の左腕に直撃。


「―――ぐっ!」


 ぼとんっ つつっ

 腕をばっさりと切り落とし、断面から迸る血液が地面を赤く染める。

 今回試したのは、術の遠隔操作。カスタマイズして動きを変化させる実験だ。

 完全に予想外の攻撃に、男はまったく対応できなかったので成功といえる。

 ただし、課題も出た。


「うーむ、水刃砲を強引に曲げると威力が半減するな」


 本来の威力ならば、貫通して身体を真っ二つにしていたはずだ。

 これは仕方ない。真っ直ぐに突き進む強い圧力が売りなのだから、それを押し殺してしまえば威力は数段落ちる。

 だが、盾の男はこれを見て顔を歪めた。

 そう。今この瞬間、彼の勝ちがなくなったどころか、引き分けすら不可能になったことを意味したのだ。


「どこまで耐えられるかな?」


 アンシュラオンは、右手で水連球、左手に熱爆球を生み出し―――放つ。

 そのすべてが空中で動きを自在に変化させ、真正面から真横から、背後から襲いかかってくる。

 がんばって盾で防いでも、水の衝撃でよろけたところに背後から火が爆発して身体を焼くのだから、たまったものではない。

 しかも、相変わらず数が膨大。

 次々と生み出される水や火が間断なく激突し、相反する力が衝突することで属性反発を呼び、さらなるダメージとなって男を追い詰める。


「ぐっ…はぁはぁ…!! ぐぬうう!」


 数秒後には、見るも無残にボロボロになってしまった。身体にはいくつもの欠損が生まれ、重度の火傷の痕が痛々しい。

 鎧や盾もほぼ半壊し、身を守る用途としては使い物にならなくなっていた。

 周囲の岩肌も、溶解したり切り刻まれたりとすごい有様である。

 低級術式であっても惜しみなく連続して放てば、これだけの破壊力を持つことを証明したのだ。


「まだやるか?」

「………」


 男の目からは意思の光が消えない。

 武人の誇りだけではなく、何かを背負っている者たちに共通する輝きである。

 それはアンシュラオンの祖国の武人を彷彿とさせる。


「サムライのごとく、散るか。だが、勝負は勝たないと意味がないぞ」


 アンシュラオンの右手に、にゅるりと大量の水が這いずると、それが【二匹の蛇】に変化する。

 右手を突き出すと同時に、放たれた二匹の蛇が絡み合いながら襲いかかる。

 術士因子レベル4で使える『流連水蛇《りゅうれんすいじゃ》』と呼ばれる術式だ。

 現在のアンシュラオンは、因子レベル2までの術ならば百パーセント、3までならば比較的安定して扱える。

 その上である因子レベル4の術式は、たまに揺らぎが生じることがあるが、一応は使えるといった状況だ。

 よって、今回の攻撃は『実験』であり、慣らしだ。

 実戦で使ってこそ術も磨かれるというもの。その的として最適な相手と判断したのだ。

 二匹の水蛇が、のたうち回るように地面を抉りながら男に迫る。

 どう考えても避けることは不可能かつ、くらえばお陀仏の一撃だった。

 それでも男は逃げない。ここで死ぬ覚悟であった。



 だが、その時である。



 術と男の間に躍り出る者がいた。


 黒い戦闘服に身を包んだ人物が、水蛇に向かって槍を放つ。

 槍は一本槍ではなく、三叉槍《さんさそう》、あるいはトライデントに酷似したものだ。

 ブスッ!!

 槍は水蛇に突き刺さり、地面に縫い付ける。

 それと同時に周囲に結界が生まれ、二匹の水蛇を閉じ込めてしまった。

 ジタバタと水蛇は激しく暴れるが、槍が輝くたびに結界が強化され、最後には消失してしまう。


(あーあ、今のオレが使える最高レベルの術式なんだけどな。まあ、これもしょうがない)


 流連水蛇自体は破壊力よりも、相手に与えるデバフ効果のほうが重要だ。まとわりついた水蛇で動きを制限することで、次の攻撃を当てやすくするために使われることが多い。

 それよりアンシュラオンが生み出した術を霧散させたことが驚異的といえる。

 それだけで新たに出てきた人物が、盾の男よりも数段上の実力者であることがわかるだろう。

 戦闘服の男は、突き刺さった槍を引き抜くと、こちらを振り返る。


 矛先をこちらに向ければ敵とみなしたが―――



「お待ちください! 我々はあなたの敵ではありません!」



 槍を地面に置き、両手を上げた。




627話 「ジュエル探索 その3『老兵と少女と』」


 アンシュラオンが敵と接触している間、サナも敵を追走していた。

 追っていた三人も二手に別れ、二人は離脱して一人が待ち伏せる方式を採択。

 戦場は、魔獣の狩場の草原地帯を抜けた先にある森林地帯。

 周囲には巨石がごろごろと転がるような、アンシュラオンが戦っていた岩場と森が合体した一般人にはとても立ち入れない難所である。


―――遭遇


 木々を突き抜けた先、少し開けた岩場で相手と接触する。

 視界に映ったのは、長い白髪と豊かな白ヒゲをたくわえた老人だった。

 齢は七十過ぎだろうか。高齢化社会になった日本ではよく見られる年代の男性だ。

 ただしその肉体はいまだ衰えを知らず、大きく逞しく整っており、佇まいからして勇壮な武人であることがわかる。

 アンシュラオンが遭遇した戦闘服の男と同じタイプのプロテクター、SF系のアニメで出てきそうなパワードスーツに身を包んでいるため、同一の集団であることは間違いない。

 唯一異なる点としては武器の類は持っておらず、両手に手甲を装備していることくらいだろうか。

 マキの篭手は保護のためだったが、こちらは戦闘用のグローブに近く、より重厚な造りとなっていることがうかがえる。


「子供…?」


 老兵はサナを視界に捉えた瞬間、怪訝な表情を浮かべる。

 こんな場所で十歳そこらの少女と遭遇したら、誰でも同じ反応を浮かべるに違いない。

 それが歴戦の勇士であっても同じこと。いや、歳を重ねたからこそ情に厚くなり、子供に対する愛情はさらに深くなったのだろう。

 だからこそ、ほんの一瞬だけ隙を晒してしまう。

 しかし、対するサナは迷いなく行動。

 突然スピードを上げて老兵に突っ込む。

 実は事前に速度を落としており、ここで見せたのは全力の疾走だ。

 老兵は波動円を使って探知していたので、初撃の刀はかろうじて手甲で防いだものの―――


 続けて放たれた雷爪が―――貫く!!


 バチーーーンッ!


「ぬぐっ!!」


 雷爪は背中を抉り、内部に雷撃を放った。


(物理耐性があるスーツを貫くか! しかも格闘戦の動きもいい。してやられたわい!!)


 完全に油断していたわけではないが、予想以上にサナの動きが良かった。

 弾かれるとわかった瞬間に相手の後方に滑り込み、ジュンユウ戦で学んだ的確な攻撃によって急所を抉る。

 緩急をつけたトップスピードからの変則攻撃は、初手では防ぐことは困難。

 加えて、剣士の動きから突如として戦士の動きに変わったとなれば、よほど実力差がなければ対応は不可能である。

 もしプロテクターがなければ心臓を貫かれ、致命傷になっていたかもしれない強烈な一撃であった。

 しかも感電のオマケつき。

 老兵も神経を戦気で保護したものの、衝撃の強さで身体が一瞬痺れる。

 そこをサナは見逃さない。雷光の速度で刀を振るう。


「やらせん!!」


 老兵はガードの構え。

 痺れた身体を強引に突き動かし、迎撃の姿勢に移行。

 それを見たサナは刀を引き、後ろに跳び退く。

 ただでは退かない。離れ際に大納魔射津をばら撒いていた。


「ぬんっ!!」


 老兵も素早く対応。

 地面を破壊して陥没させ、大納魔射津を地中に落とし込む。

 即座に爆発物だと見抜く眼力と、一撃で大きな穴をあけるだけの膂力を見るだけで、彼が只者ではないことがわかる。

 サナは再び攻撃を仕掛ける。

 今度は上段から打ち下ろす、全力の一撃。

 爆破物への対応を迫られた老兵は防御するしかない。手甲で刀を受け止める。

 サナが魔石で強化されているとはいえ、同じ武人が相手では腕力の差が出るものだ。

 ガギンッ!!

 老兵はがっしりと刀を受け止める。まったく力負けしていない。

 体格の良さから戦士タイプと見てよいだろう。単純なパワー勝負では不利である。

 しかし、そんなことも気にせず、サナはひたすら刀を打ち付けていく。


 ガンガンガンガンッ!


 本来の刀の動きを無視した強引な斬り方なので、たいしたダメージはない。

 が、その乱撃によって老兵も動けない。

 それでいい。これが狙いだ。


―――爆発


 地中の大納魔射津が爆発し、地面が急速に盛り上がる。

 それ自体は老兵にダメージを与えることはなかったが、足場が一気に盛り上がり、二人は宙に舞う羽目になった。

 ここで両者に差が生まれる。

 すでにサナは術符を取り出して風鎌牙を放っていた。

 カマイタチが老兵に襲いかかり、細かな切り傷を与えていく。


(術符も扱うとはな。器用かつ、素早く迷いがない動きは見事。だが、まだまだ子供。力も技も非力よ)


 サナの魔力値は、魔石で強化されても「B]だ。

 これはこれで十分高い水準だが、老兵は明らかに熟練した武人であった。

 プロテクター自体にも『術耐性』が付与されているうえに、両手に戦気を集めて防御の態勢は完璧。ほぼ完全に防ぎきる。

 いつでも反撃できるのだが、こうして老兵が防御主体で動くのは、おそらく『時間稼ぎ』のためだろう。

 先に逃げた二人がより安全な場所に行き着くまでは、同じように立ち回るはずだ。


 ただし、それを継続できれば、であるが。


 すでに両者の間には差が生まれた、と述べた。



 その意味は―――空中に散らばったジュエル



 サナは風鎌牙の直後、ほぼ同時にもう一つの術符である雷貫惇を展開していた。

 雷貫惇は、老兵の周囲に散らばったジュエルを貫き―――誘爆


 パパパパパパンッ


 ジュエルが一斉に弾け、老兵を閃光と衝撃が襲う。

 最初の風鎌牙は、敵にダメージを与えるためのものではない。このジュエルを宙にばら撒くのが目的だったのだ。

 ただし、大納魔射津とは異なるのでダメージは軽微であるし、所詮は目くらましにすぎない。

 老兵もダメージは受けていないが、その瞬間だけは目を保護するために視界を腕で覆った。


 一秒後、腕を離したときには―――いない


 その間に着地したサナは、全力で老兵から離れていった。

 これらの行動は、老兵から一秒という時間を稼ぐためのものだったことがわかる。

 サナはその貴重な時間を『移動』のために使ったのだ。

 アンシュラオンから「危なくなったら逃げろ」と言われているので、逃げたのだろうか。

 否。

 彼女の目的は別にある。


(しまった! 追われたか!!)


 サナが逃げた方角は、先に逃がした二人の進行方向と同じ。

 老兵の戦い方が時間稼ぎだと気付いた彼女は、逃げた側の相手を標的にしたのだ。

 あの速度を考えれば、こうしている間もぐんぐんと差を縮めているに違いない。

 さすがに慌てた老兵は全速力でサナを追う。




(くっ、森が濃い! 未開の地ゆえか)


 岩場を抜け、鬱蒼とした森の中へと入っていく。

 森のほうが身を隠しやすいと思っての判断が、こうして追いかける側になると逆効果となる。

 文字上では「森」やら「岩場」「荒野」と表現しているだけだが、その規模は地球人の想像を数倍は上回る。

 森は異様に広く深く濃く、植物も巨大で好き放題に伸び、人の侵入を完全に拒んでいる。

 それも当然。人智を超える魔獣を受け入れるために、同様に人知を超える大自然が存在しているのだ。もともと人が来る場所ではない。

 こんな場所では老兵が全力で移動するにしても制限がかかり、なかなか前に進めない。

 多少の苛立ちを感じながら、必死に追う。


 ヒュンッ


「―――っ!」


 直径二メートル以上はある大きなツタを持ち上げた時、何かが飛んできた。

 咄嗟にそれを片手で打ち払うが―――爆発


 ドーーーーンッ!


 至近距離で大納魔射津が爆発。爆発矢である。

 老兵は衝撃で飛ばされ、樹に叩きつけられる。

 パスパスッ ボンボンッ

 続いて火炎弾による銃撃。

 しっかりと狙いをつけた銃撃は、老兵の脚に命中。

 プロテクターのおかげで衝撃は緩和されており、老兵は強引に前に出ようとするが、今度は足元に術符。

 水流波によって身体を持ち上げられたところに、待ち伏せていたサナが突っ込んできた。

 横薙ぎの一閃。


 ガギイィイイイイィイッ ボゴンッ


 死に体で全力の一撃を受けたため、プロテクターでも防ぎきれず破損。裂傷と打撲を負う。

 なんとか空中で体勢を立て直して着地するも、すでにサナは離れており、中距離から術符や爆発矢がどんどん飛んできた。

 探索合宿に出たばかりなので在庫は大量で豊富。

 強敵とみなした老兵に対して惜しみなく物量で攻めていく。

 仕舞いには『煙玉』すら放り投げ、周囲が赤や黄色といった派手な色の煙に包まれていった。

 これも『強烈な刺激臭』が付いたもので、老兵の呼吸を妨げる地味な効果があるし、深い緑が生い茂る森では派手な色は目印になる。


 サナは身を隠しながら攻撃と移動を繰り返し、少しずつ老兵にダメージを与えていった。

 彼女は逃げたのではない。まともに戦っては不利と判断し、老兵をこの場所に誘い込んだのだ。

 たしかに魔石を使っても未成熟な少女にすぎない。まだまだ素人だ。

 されど彼女は戦い方にこだわらない。矜持もなく流儀もない。戦いに勝つために最適な手法を瞬時に選び取る。

 足元に水流波を仕掛ける技を見てもわかるが、これらもセクトアンクから学んだ戦術である。

 もちろん、これに面食らったのは老兵だ。


(…この少女は何者だ? 森の守り神か?)


 いきなり現れた黒い美少女が、猛烈な勢いで自分たちを排除しようとしてくる。

 この森に住む妖精か何かと言われたほうが、まだしっくりくるだろう。いまだ困惑から抜け出せないでいる。

 しかしながら、彼も生半可な覚悟でここに来たわけではない。


(甘く見たのはこちらの失策だが、子供が戦場に出ることなど珍しくはない。ためらうな! 活を入れねば、やられるのはこちらよ!! 我らはもう二度と負けることは許されぬのだ!!)



「はぁああああああああああ!!」



 ゴゴゴゴッ!! ズズズズズッ!


 老兵から膨大な戦気が溢れると、そのすべてが両手に吸収される。

 その瞬間、両手が【肥大化】。

 手甲をぶち破り、パンパンに膨れ上がった。


「ぬんっ!!」


 老兵がその両手を大地に叩きつける。


 グラグラグラ


 サナの足元が、揺れた。

 最初は軽い地震程度の揺れだったが、次第に大きくなっていき―――


 グラグラグラ!!

 グラグラグラ!!!

 ぐるん!!


 ついには世界が斜めになる。

 大きな樹や植物、岩に至るまですべてのものが六十度以上傾いている。

 目眩を感じたわけでも、ましてや錯覚でもない。


 実際に―――【地面が持ち上がっている】


 老兵の両手が、力づくで大地そのものを剥ぎ取り、サナごと持ち上げているのだ。

 問題は、その範囲。

 周囲の物体そのものにまったく変化がないことから、おそらくは百メートル以上の大地を切り取っている可能性がある。

 それだけを見ても恐るべき腕力であるものの、普通ならば握った部分だけが引き千切れて終わるはずだ。

 広範囲に植物の根が張り巡らされていない限り、このようなことはアンシュラオンでも不可能である。

 であれば、【違う力】が働いているのだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 老兵は、大地ごとサナを投げ飛ばす。

 たとえるならば、学校の校庭そのものが浮き上がり、放り投げられるようなものだ。

 さすがにこれにはサナは対応できず、一緒に飛ばされるしかなかった。



 ドーーーーーーーーーンッ!!!



 剥ぎ取られた大地は、激突と同時に粉々に砕け散り、大破壊を呼ぶ。

 地面が砕け、木々は倒れ、すべてが土石流となってサナも流されていく。


「…ふるふる」


 サナは必死に這いずり、そこから脱出しようとするが―――


 ドヒュンッ


 そこに十メートル以上はある巨大な物体が飛んできた。


「―――っ!!」


 サナは回避を諦めて防御。身体を丸める。


 ドガーーーンッ バラバラッ


 よくよく見れば、それは土や小石が固まった『土塊《どかい》』だったようで、サナに激突すると砕け散ってしまった。

 がしかし、衝撃は尋常ではない。

 砕け散ったことが逆に防御を難しくし、吹き飛ばされたうえに、全身にショットガンを受けたようなダメージを負う。


「…むくり」


 サナはなんとか立ち上がるが、再び土塊。


 ドガーーーンッ バラバラッ

 ドガーーーンッ バラバラッ


 容赦なく次々と投げつけられてくる。

 サナは小柄で素早いのが長所でもあるのだが、そんなことはお構いなしに巨大な土塊が襲ってくるので回避が難しい。直撃を免れるのがやっとだ。

 そして、その間に間合いを詰めた老兵が拳を放つ。

 まだサナはダメージから回復できていない。


 肥大化した手が、即頭部を―――直撃


 ゴーーンッ!


 ナックルを叩きつけるのではなく、小指側の腹の部分、拳法でいうところの「拳輪」と呼ばれている部分をぶつける。

 すでに手が肥大化しているため、もはやハンマーと同じ。

 サナの脳が揺れると同時に、身体ごと吹き飛び、木々の中に転がっていく。

 もともと耐久力に劣るサナにとって、この攻撃はかなり痛い。強烈な一撃であった。

 ただし、簡単にはやられない。


 バチィイインッ! ビリビリビリッ


「ぐっ!! 自動迎撃タイプ…か!」


 老兵の身体に雷撃。

 魔石の『雷迎撃』によってカウンターをくらい、身体が痺れる。



「…っ……っ…」


 その隙にサナは立ち上がりダメージの回復を図るも、まだふらついている。

 ギリギリ脳震盪は免れたが、頭と首にかなりの損傷を受けてしまったようだ。

 今の老兵のパワーは龍化したレイオンに匹敵する。そんな力で殴られれば、こうなって当然だ。

 できればこのまま回復に専念したいところであるも、老兵も今までとは違った。

 すぐに身体の自由を取り戻し、サナが転がった方角に狙いをつける。


「近寄るのは危険らしい。ならば、このまま距離を取って戦うまで!」


 再び地面に手を押し付け、大地ごと抉り取って固めると、思いきり投げつけてきた。

 投擲された大きな土塊は木々を薙ぎ倒し、サナに向かっていく。


 ドガーーーンッ バラバラッ

 ドガーーーンッ バラバラッ


 サナは必死に回避。

 雷光の速度で紙一重でかわしていくが、砕けた土塊の破片が身体に当たって傷が増えていく有様だ。

 これはまずい。

 なにせ土や石など、この場所には無限と呼べるくらいあるのだ。サナが倒れるまでこの攻撃は止まらないだろう。

 そして、驚異的な粘りを見せるサナを観察していた老兵が、【大きな事実】に気付く。


(あの少女の力…まさかとは思ったが、やはり『ジュエリスト』か。【ジュエリスト同士】は惹き合うものとはよくいうが、こんな辺境の地で出会うとは奇遇を通り越して奇妙よ)


 老兵の両手には輝く『黄土色のジュエル』が埋め込まれていた。



―――ジェメッカ・ジンカイト〈土宿の一擲《いってき》〉



 両手の腕力を著しく上昇させ、触れたものを圧縮して投げつける能力。

 引き付ける強さと範囲は己の能力と意思によって決定できるので、大地を持ち上げたことを思えば、こんな土塊くらいはいくらでも生み出すことができる。

 単純に腕力強化が行われるため、打撃戦での戦闘力も倍増するのも強みだ。

 力が増すことは防御も増すことを意味し、サナとは違った意味で攻防一体の戦い方が可能となる。

 似ている。

 とても似ている。

 雰囲気が、感覚が、同じ。



 なぜならば同様に―――【魔石】



 一気に老兵が強くなった原因は、素の能力以外の要素。


 サナと同じ【ジュエリストの力】があってこそなのである。




628話 「ジュエル探索 その4『敗残の記憶』」


 老兵は土塊を投げ続け、サナは必死に回避する。

 一度だけ爆発矢で迎撃を試みたこともあるが、当たった部分をわずかばかり壊しただけで、ほとんど効果はなかった。

 迂闊に反撃して回避が遅れれば、それこそ致命的だ。ひたすらよけるしかない。

 いつの間にか追う側が追われる側になっている不思議。

 サナから仕掛けた戦いであることを思えば、なんとも奇妙な光景だ。


(ふむ、どうやら擬態ではない本物の子供のようだ。それであれだけ魔石の力を引き出せるとは、天才かよほど相性が良いのか。出会った場所が違えば、わかりあえる道もあったやもしれぬが…致し方ない)


 老兵側も攻撃を仕掛けられたうえに、ここまで手の内を見られたら、そのまま帰すわけにもいかない。

 最低でも戦闘不能にして尋問。最悪は殺してしまうかもしれない。

 もっと弱ければ手加減もできるが、なまじ強いがゆえに加減は難しい。

 老兵は武人としての覚悟を決める。

 そうして土塊を投げ続け、サナを追い込んでいた時である。


 ふと、周囲に【気配】を感じた。


 明らかにこちらを敵視している視線だ。

 波動円の範囲外でも、これほどあからさまな敵意に気付かないはずはない。

 一瞬少女の仲間かと思ったが―――


「ジジジッ…ジジジジッ」


 そこには奇怪な生物がいた。

 大きさは人間の子供くらいだが、見た目が完全に【虫】。コオロギやキリギリスに近い形状をしているだろうか。

 脚は六本あり、四本脚で立っているので前脚一対は、手のように大きく進化している。

 口には鋭く頑強な顎。目は大きな複眼。

 背中には翅《はね》があり、それがこすれてジジジという『威嚇音』を発している。

 虫嫌いの人間が見たら卒倒しそうな異形であるが、彼らからすれば人間のほうが異形で異質だ。

 なぜならば、ここは彼らの居住区であり、そこに勝手に入り込んで荒らしているのは人間のほうなのである。


 ジジジジジジジジジッ!

 ジジジジジジジジジッ!

 ジジジジジジジジジッ!


 羽音は増え続け、周囲に数百に及ぶ虫型魔獣、グーリロック〈朽森掃食虫〉が集まってきた。

 しかも集まってきたのは戦闘用の『兵隊』だ。

 群れのために自分たちより大きな魔獣すら打ち倒し、あっという間に細切れにしてしまう恐るべき兵士である。

 むろん外敵排除のためならば、命を惜しまず向かってくるだろう。


(こうも騒げば当然か! 関わらぬほうが身のためよ)


 老兵自身はこれまでほとんど魔獣を見たことがなく、虫型魔獣に遭遇した経験はさらに少ないが、刺激すれば危ういことだけは馬鹿でもわかる。

 そっとその場を離れようとするが―――


 ブーンッ ブシャッ


 老兵の視界の奥で、一匹のグーリロックの首が飛んだ。

 頭がなくなったくらいではすぐには死なず、胴体部分だけがワサワサと動いている姿が不気味だ。

 だが、それより不気味に見えたのは、刀を持ったサナ。

 彼女は切り落とした頭の触角を掴むと、これ見よがしに無造作に違う個体に投げつけた。

 さらに数匹を切り倒し、そそくさと森の奥に消えていった。

 訳がわからず呆然と立ち尽くす老兵だったが、一つだけ確信したことがある。



(誘い―――込まれた!!)



 闇雲に逃げていたのではない。

 意図的に魔獣がいる場所に老兵をおびき出したのだ。

 普通の人間に魔獣を探知することは難しいが、獣の『嗅覚』を持ってすれば造作もないことだ。

 この付近にはいくつものグーリロックの巣があり、すべて合わせると万に近い個体が棲んでいる。兵隊虫も相当数いるはずだ。

 そこに老兵が土塊を投げ込んだものだから、グーリロックが警戒するのも当然。


 そして仲間が殺されたとなれば―――怒るのも当然!!


 ジーーーーーーーーーーッ!!
 ジーーーーーーーーーーッ!!
 ジーーーーーーーーーーッ!!


 数百の羽音が重なったものだから、大気が振動するほどの爆音となる!

 この瞬間、グーリロックの敵は『人間という種』になった。

 老兵が「私は関係ない」と言ったところで通用するわけがない。そもそもそんな知性もないだろう。

 敵は敵。外敵に区別など存在しない。

 グーリロックが一斉に襲いかかってくる。


「くっ!! 戦う理由などないというに、まこと不毛なことよ!」


 老兵は自衛のために致し方なく応戦。

 拳で破壊し、薙ぎ払い、吹き飛ばすが、その数が膨大。


 ドドドドッ ガリガリガリッ!


 一度に数匹倒しても、その倍の数が雪崩のように次々と襲いかかり、四肢を噛み千切ろうとしてくる。

 彼ら一匹一匹は比較的小さいものの、地球のワニ程度ならば簡単に噛み千切ることができる。

 さすがに戦気を放出しているので、一撃でどうにかなるものではないが、虫型魔獣が持つ無機質な殺意に動揺を隠せない。

 このあたりは対人特化の傭兵と、魔獣専門のハンターとの違いに似ている。

 人間と魔獣とでは存在そのものが違うため、対処方法がまったく異なるのだ。

 種の違いによって老兵はグーリロックに苦戦。数で押し込まれ、少しずつ小さなダメージを負っていくことになる。


(このままではまずい! 強引に突破させてもらう!)


 魔石の力で、大地ごと持ち上げて振りほどくしかない。


 そう思って、虫たちに覆われながら手を大地に置くが―――頭上に気配


 木々を伝って移動してきたサナが、剣先を向けて上から落ちてきた。

 ただ落ちてきたのではなく、しっかりと枝を蹴って勢いをつけてからの『突撃』だ。


 ガジイイイッ ズブブッッ!


 予備で持ってきていたショートソードが、老兵の肩に突き刺さる。

 安物だったせいか衝撃で剣はバキンと折れてしまったが、刃はしっかりと肩に残った。

 ここも老兵が大地に手を押し付け、無防備になる瞬間を狙っていたのだ。


「はぁあ!!」


 ドゴンッ!!

 老兵はサナを蹴り飛ばして反撃。

 足元にいた虫を挟んだので威力は軽減したが、子供にとってはきつい一発。

 サナは骨に亀裂が入った左胸を押さえながらも、木にへばりついて距離を取る。


「…じー」

「っ!!」


 その時にちらっとこちらを見た彼女の視線に戦慄。


 観察―――している


 こちらがどれだけ弱ったかを見定めているのだ。

 その瞳の輝きは、周囲にいる虫たちよりも無機質で、なおかつ慎重で冷徹だった。


(この状況で勝とうとしているのか!? 明らかに力はわしのほうが上! それでもまだ勝つために力を尽くそうというのか!? こんな虫たちすら利用して!? そこまでして、あの子は何のために戦うのか!?)


 少女は何かに縛られたりはしない。勝つためならば何でも利用する。

 その姿があまりにいびつで違和感がありながらも、なぜか美しくさえ感じられる。

 だが、なぜ勝つのか。なぜ戦うかの疑念が老兵の脳裏に強く渦巻いた。

 それは彼を縛る『敗残の記憶』。


(我らは戦って…戦い続け……敗れた? 負けた、屈した? 不毛、無意味、無駄!?)


 どんなに正義が自己にあれ、悪の前に屈することがある。

 かつて老兵も戦い、必死にあらがい、そして敗れた。

 その屈辱、苦しみ、憎しみ、怒り、空虚は忘れることはできない。

 老兵には戦う理由が必要だった。だから【過去】にすがるしかない。


(…否、否、否!! 負けてなどいない! 負けられないのだ!! 何があっても負けられぬ!!)



「おおおおおおおおっ!」



 老兵が力を振り絞って戦気を放出し、周囲のグーリロックを蹴散らす。

 大きくなった手で殺し、殺し、殺し尽くす。

 だが、虫が潰れるたびに無性に心が痛む。張り裂けそうになる。

 サナの迷いのない目を見たせいだろう。戦いの最中なのに過去の映像ばかりが浮かんでくる。

 仕方がない。彼はハンターでも荒野の住人でもないのだ。

 では、彼は何なのか。

 彼は―――



「百光長《ひゃくこうちょう》!! どこだ! どこにいる!?」



 迷いの中にあった老兵の耳に『声』が飛び込んできた。

 明らかに虫の声とは違う【同種】の存在のものだ。

 声がした方向を振り返ると、そこには二人の男がいた。

 どちらも鎧を着込んでいるが、老兵と比べてまだまだ若い。二十歳かそこらだろうか。


「なっ…! なぜここに!! お逃げくださいと申し上げたはず!!」

「百光長を置いて逃げることはできん! 仲間を見捨てるつもりはない!!」

「あなたとわしの命など比べるまでもない! お逃げください!」

「ええい、老体なら黙って若い私に任せておけ! このような虫など!!」


 朽葉《くちば》色の髪の毛をした青年が、果敢にも片手剣でグーリロックに切りかかる。

 ブーン ガンッ

 されど剣は、あっさりと弾かれた。

 グーリロックの皮膚は硬質化しているため非常に硬い。

 特に兵隊虫は戦闘用に進化しているので、銃弾でも簡単には貫けないだろう。


「…え? か、かたい? ―――ぶはっ!?」


 弾かれて驚いている間に、グーリロックが前脚で青年をぶっ叩く。

 子供の背丈から繰り出されるちょうどよい角度の一発が、顎をかち上げた。

 ふらふら ばたん


「う…うう……わたしを…おいて……はや…く逃げ……がくっ」


 それだけで青年は気絶。

 何やらカッコイイ台詞を吐こうとしたようだが、たった一撃でノックアウトは恥ずかしい。


「ええい、どけ!!」


 青年を叩いたグーリロックは、老兵の一撃で粉々に吹き飛んだ。

 これを見ると、老兵が強いのか青年が弱いのか迷うところだが、おそらくは両方だろう。

 その証拠に老兵は、もう一人の青年に激怒していた。


「なぜ連れてきた!! こうなることはわかっていただろう!」

「も、申し訳ありません!! どうあっても戻ろうとするので…護衛として離れるわけにもいかず!」

「言い訳はいい! 早く連れて逃げ―――」


 その時、老兵は最悪なものを見た。

 木の枝に掴まった少女の全身から凄まじい光が発していたからだ。

 バチバチバチッ バチバチバチッ

 雷が大きく広がると【獣】の姿へと変わっていく。



―――「ヴヴヴヴヴヴッ!!!」



 生まれたのは【青き狼】。

 ダメージを負って追い詰められた結果、魔石の制御が甘くなり、サナを守るために青雷狼が出現。

 彼女の目に、強く激しい野性が宿った。

 それと同時に『アレの発動準備』に入り、雷が一気に膨張する。


(まずい。これは…まずい)


 老兵は、今までとは比較にならない危機感を抱く。

 周りにいるグーリロックなどお話にならないレベルで、目の前の少女は危険であった。


「逃げろ!! 今すぐに逃げるぞ!!」

「は、はい!! う、うわっ!! 虫がまとわりついて…!」

「振りほどけ!! このままでは―――」


 虫には知性がないせいか、あるいは巣が近いゆえに逃げる選択肢がないのか、どちらにせよグーリロックたちは戦いをやめない。

 老兵たち人間に対して決死の攻撃を仕掛けてくる。

 その姿は皮肉にも、かつて老兵がやろうとしたことと同じ。

 同族を守るために命すら顧みない行動だった。


 そこに―――吼える




「ヴヴヴヴヴッ―――バオオオーーーーーーンッ!!!」




 『サンダー・マインドショックボイス』。

 格好良く表示するならば、T・MSVだ。

 今のところサナが持つ中で最大級のスキルかつ、その範囲の広さを思い知るだろう。



 雷の咆哮が―――薙ぎ払う!!!



 ババババババババッ!! ボボボボンッ!!!


 精神感応波を伴った雷が放射状に疾《はし》ると、雷に触れた虫たちが次々に爆発霧散していく。

 電子レンジでゆで卵が爆発する光景を思い浮かべれば、どんな状況かがわかるだろうか。

 虫程度では存在することも許されない威力の衝撃波なのだ。

 これを人間が受ければ、はたしてどうなるのか。


「死なぬ!! ここでは死なぬ!!」


 老兵が全戦気を両腕に集めて防御の態勢。

 後ろにいる二人を守るために自身を盾とする。


 衝撃波は一瞬で到達し―――激震!!


「ぐおおおおおおおおお!」


 思わず声が漏れてしまうほどの衝撃。

 身体を焼きながらも、さらに精神の奥深くまで貫く攻撃性に思考が飛ぶ。

 もし魔石で強化していなければ、虫同様に爆発していたかもしれない。


 バチッ バチバチバチッ


 衝撃が突き抜けたあとに残ったのは、かつて虫だったものの残骸と、老兵たち三人の姿だけ。

 老兵はかろうじて意識を取り留めたが―――


「っ…っっ……ごぼぼぼ」


 ばたん

 そのうちの一人、老兵に叱責されていた青年は白目を剥き、泡を吹いて倒れた。

 老兵が盾になって大半の衝撃を防いだにもかかわらず、かすかに触れただけでこの始末だ。


「すー、すー」


 唯一幸いなことは、最初にやってきた青年は無事なことだろうか。

 すでに倒れていたせいか影響が少なく、静かな寝息を立てて幸せそうにしている。

 この青年のせいで戻る羽目になり、とばっちりをくらった護衛の彼には深く同情してしまうが、今はそんなことを考えている暇はない。


「ぐう…うううっ……これほど……とは!」


 老兵が、膝をつく。

 ダメージをすべて身代わりで受けたのだ。これで済んだほうが驚異的といえる。

 されど、まだ苦難は去っていない。

 雷狼化したサナが、とどめを刺しに向かってきた。

 目に明確な殺意。手加減するつもりはまったくなさそうだ。


「わが命、ここで捨てる!! せめて道連れよ!」


 老兵が魔石の力をすべて解放。

 大地に手をつけると大量の土砂が噴き上がり、自身とサナを呑み込んでしまう。

 それを圧縮して固めて巨大な【土塊牢】を生み出した。

 完全に密閉したので、長時間いれば武人であっても窒息してしまうはずだ。

 もちろん老兵自身も例外ではない。死して相手も殺す自爆技である。



「負けぬ、負けぬ!! 我らは、負け―――」



 バチバチッ バゴーーーーーンッ!!!


 しかし、哀しいかな。

 どんなに決死の覚悟を決めても、それを上回る力の前には無力。

 彼女の魔石は、魔人が生み出した『最愛の証』。

 その偏向的で変質的で異常な愛情がもたらす力は、そこらの魔石とは規格が違うのだ。

 凄まじい雷撃が、あっさりと内部から土塊牢を破壊。

 無防備になった老兵に雷爪を突き立てようと向かってくる。


(ここで果てる…のか。このような場所で…! 我らは何のために……!! 無念!!)


 老兵が死を覚悟した時だった。



「―――っ!!!?」



 ゾワ ゾゾゾッ!!

 サナの全身の毛、髪の毛から産毛までもが一斉に逆立ち、それに合わせて雷までもが真上に放たれた。

 そして、飛び跳ねるように真後ろに後退。


 シュンッ


 直後、サナがいた場所に真上から巨大な『線』が降ってきた。

 線は『閃』となり、大地にめり込むと、そのまま大地そのものを切り裂いて、切り裂いて、切り裂いて―――


 ズパン!!


 ずる ずるるるるっ ゴゴゴゴッ


 ドゴーーーーーーンッ


 切り裂かれた岩場、およそ幅五十メートルの足場が少しずつズレていき、崖から落ちて粉々になった。

 断面図のように岩場の内部が見えたが、その中には巣があり、グーリロックの幼虫たちが見える。

 彼らが決死に戦っていたのは巣を守るためであった。


「…フーー、フーーーーッ!!」


 サナは呼吸を荒げ、閃光が飛んできた場所を睨み付ける。

 そこに猛烈な勢いで草木を薙ぎながらやってきた者がいた。



「バルドロス百光長!! 無事か!!」



 その場に現れたのは、煤けた深い金髪、梅幸茶《ばいこうちゃ》色の髪をした壮年の男。

 手にはロングソード。腰には金色の剣を差している。

 彼の姿を見た老兵は、心の底から安堵した。

 自身が助かることを喜んだのではない。少なくとも二人の命が救われたことを確信したのだ。


「…じー、スタタタタッ」


 サナはその人物を見ると、一目散に逃げ出していった。

 老兵が魔石を使っても一切逃げるそぶりを見せなかった彼女が、最初から戦うことを放棄したのだ。

 岩場を軽々切り裂いたのだ。今のサナにかなう相手ではない。





「助かりましたぞ。このような事態になり、誠に申し訳ない」

「………」


 敵が逃げたことを確認し、老兵が男に礼を述べる。

 だが、男はじっとサナが消えた方角を見つめ、何か考えるそぶりをしていた。


「どうされたか?」

「い、いや、なんでもない。それより無事でよかった。救援要請を受けたときは驚いたものだ。まさか東で異変が起きるとはな。ずっと西に注意が向いていた。こちらこそすまない」

「すべては我らの油断が原因です。閣下が謝られることはありませんぞ」

「しかし、貴殿がこれほど苦戦するとはな。相手は何者だ?」

「わかりませぬ。いきなり襲撃されました。されど、我らと同じ『ジュエリスト』であることは間違いありませぬな」

「ジュエリスト…? 本当なのか?」

「この老体の惨めな姿を見れば疑いようもありますまい。あんな子供に好き放題やられました。面目次第もない」

「そ、そうか。そう…なのか。詳しい話は戻ってから聞かせてくれ。まずはそこの若造…ではなく『殿下』を安全な場所に連れていかねばな。私が背負おう」

「いえ、お守りは我らの役目。最後まで任務を全うさせていただきたい。慣れておりますでな」

「あなたがそう言うのならば、お任せしよう」

「それにしても東の地は怖ろしいものですな。多少のブランクがあるとはいえ、いささか自信を失いました」

「あまり気を落とさないようにしてくれ。あれは【例外】かもしれんからな…」

「さきほどから様子が変ですな。何かご存知か?」

「うむ……」


 男は何かを言おうとしたが、あまりに混乱していて結局何も言葉が浮かばなかった。

 しかし、目で見たことだけは脳がしっかりと理解していた。


(今の少女は…まさか……いや、見間違えるわけがない。あの時の『スレイブ』だ。となれば、近くに【彼】がいるはずだ。これは僥倖か、あるいは災難か。できれば前者であってほしいがな)


 その男、ガンプドルフは、ただただサナが消えていった方角を見つめていた。




629話 「ジュエル探索 その5『キャンプへ』」


 男は槍を置いて、こちらに両手を向けた。

 一応この世界においても無抵抗を意味するため、某アニメのように白旗をあげて全面戦争に突入することはない。

 ただし武人である以上、無手でも油断できないのが難しいところだ。

 だが槍の男は、これ以上ないほどの証拠を与えてくれた。


「アンシュラオン様とお見受けいたしますが、いかがでしょう?」


 こちらの名前、しかもホワイトではない本名を出してきた。

 思えばデアンカ・ギースを倒した段階で、名前が知れ渡るのは仕方ない。むしろホワイトと呼ばれるよりはましだろう。


「どこかで会ったっけ? 覚えはないな。これだけの武人ならば忘れることはないと思うけどね」

「こうしてお会いするのは初めてです」

「グラス・ギースの関係者?」

「いえ、私自身はその都市に行ったことはありませんが、けっして戦ってはいけないと申し付けられております」

「じゃあ、どこの誰?」

「………」

「教えてはくれないのかな?」

「…申し訳ありません」

「誰かわからないんじゃ、そっちを信用することはできないよね?」

「そう…ですね。しかし、私たちに敵対する意思がないのは間違いありません。どうか見逃していただきたいのです。お互いに戦う理由はないはずです」

「いきなり視線をぶつけられたよ」

「周辺を警戒中でありまして…失礼があったなら申し訳ありません」


 ガンを飛ばされたからぶん殴っただけ。オレは悪くない理論だ。

 まるでチンピラと同レベルの言いがかりだが、槍の男は自分を知っているようで、ただただ平謝りする。

 悪評を聞かされていることもありそうだが、単純に対峙した瞬間にこちらの実力がわかるほど、この男は強い。


(いい腕だ。生半可な実力じゃ、オレの術式を壊すことはできない。こいつから出ている雰囲気は明らかに一般人じゃないよな。マフィアの連中とも全然違う。もっと訓練された印象を受ける)


 槍の男から感じる気配は、グラス・ギースのマフィアたちとはまったく異なるものだった。

 この感覚をわざわざ言葉にする必要はない。

 たとえば『武芸者』と『軍人』を見た際、誰もが一目で違うと感じるだろう。

 仮に能力的には同じであっても、後者には『守る意識』が雰囲気として滲み出る。

 長剣の男も盾の男も、そうした「死しても守る」という気概があった。自己を犠牲にしても他者、それも大勢を守りたいという欲求が見て取れるのだ。

 こうした志は普通の武人には見られないものだ。マフィアが家族を守るために戦うこととも異なっている。

 となれば、答えは一つだ。


「剣士のおっさんは元気?」

「は?」

「え? 違った? あのおっさんの関係者じゃないの? ほら、領主城で戦ったおっさんだよ。腰に金色の剣を差しているやつ」

「…あ、ああ。…まあ、たしかに壮齢ではありますが……一応その、それなりの立場の御方なので…その呼び方はちょっと…」

「あのおっさん、そんなに偉かったの? たしかに強そうだったよね。強者の風格があったよ。うん、あれはすごかった。きっと偉大な剣士に違いない!」

「ですよね!! なにせあの御方は、誰もが憧れる『一振り』なのです!! 我々の誇りそのものといえましょう!!」

「へぇー! 何かすごいことをやったの? 教えて教えて!!」

「何かどころではありません! あの過酷な戦いを生き残っただけではなく、敵艦に乗り込んで敵将を討ち取り、撤退にまで追い込んだのです! あの大艦隊を前に突撃した決断力と勇気に、国民がどれだけ救われたか…!」

「うんうん、それでそれで? 敵将は強かったの?」

「それはもう! 誰もが怖れる雪の国の猛将でしたよ! 相手は側近を含めて数人いましたが、単独で蹴散らしたのです! さすが…さすがです!! 正義は常に『聖剣』の名の下にあらねばならないのです!! 偉大なる聖剣に忠誠を!!」

「お、なにそれ? 格好いいポーズだね。教えてよ」

「これは聖剣を称えるポーズなのです。左手は盾を意識して前に持ってきて、右手は頭の前に持ってきます。手首を自分のほうに向けて…そうそう、そんな感じです!」

「いいね。どこで習ったの?」

「もちろん騎士の叙任式―――あっ」


 槍の男の目の前には、にやにやした顔のアンシュラオン。

 ここで彼は誘導尋問に引っかかったことを知る。

 腕は立つようだが、まだ二十代後半といった血気盛んな年齢のためか、もしくは『英雄』への憧れが強いのか、あまりにも簡単に乗ってくれた。

 がっくりとうな垂れる槍の男の肩を、ぽんぽんと叩く。


「落ち込むことはないよ。というかお兄さんが答えなくても、見ればすぐにわかるしね。そんな戦闘服、こっちじゃまだ普及していないよ。軍隊なのはバレバレだ」

「…緊急事態でしたので致し方なく戦闘服を身に付けましたが…迂闊でした」

「それで、剣士のおっさんの部下ってことでいい?」

「はい。アンドリュー・ゼイヴァーと申します。遊撃隊長を任されております」

「おっさんは近くにいるの?」

「はっ、一報を聞きつけて向かっているはずです」

「へぇ、動きが早いな。連絡用の通信機とかあるのかな?」

「はい」

「ちょっと見せて」

「え? あ…どうぞ」

「それじゃ失礼して、ぱかっと」

「えーーーー!?」


 ゼイヴァーから借りた無線機を遠慮なく分解する。

 見せて?からの分解まで、まったく躊躇がない。自分の物は自分の物、相手の物も自分の物理論だ。


(見た目は卵みたいだ。割った中にはジュエルがある。これは…割符結界に使われている技術と同じか。二つの同種のジュエルを作って、その間でだけ干渉ができるようにしているんだ。簡易なものだが、それゆえに範囲は広そうだ)


 今の自分には、刻まれている術式が見える。

 原理は割符結界と同じ。同種の素材が引き合って共鳴する現象を利用して、特定のシグナルを伝えるものだ。

 さすがに会話までできるかはわからないが、「危険」「安全」といった簡単な暗号を伝えることは可能だろう。


(くくく、プロテクトが甘いな。エメラーダのものに比べたら小学生のドリル程度だ。ふむふむ、なるほどなるほど。これを改良すれば通話も可能かもしれないぞ。ロゼ姉妹の念話の強化にも使えそうだ。うまうまだな)


「よし、覚えた。はい、返すよ」

「ほっ、よかった」


 ゼイヴァー、安心してはいけない!!

 この男はすでに技術を盗んでいるぞ!!

 と警告する者はいないので、あっさりと通信技術を奪い取ることに成功。


「そういえば何を警戒してたの? このあたりに人なんてやってこないでしょ?」

「まだギリギリ立ち入れるラインのようで、意外にもやってくるのです。主に盗賊団や人売りなどの無法者たちですが、そういった連中が根城を作っている場合があります」

「あー、そっか。魔獣がいなくなったからか。今までの怖い印象もあるし、隠れるならこんな最適な場所もないよね。見つけたら倒すの?」

「規模によりますが、訓練がてらに打ち倒すこともあります。我々の存在を表に出すわけにはいきません。先に場所を確保したのは我々ですから」

「早い者勝ちだしね。当然だ。それだけ強ければ盗賊団なんて敵じゃないでしょ?」

「私も若輩者ですし、より経験の浅い者もおります。良い鍛錬になっているようです」

「それはいいけど、あんたたちって領主の味方だよね? オレ、領主嫌いなんだ。思い出すだけでムカつくよ」

「わ、我々はあの都市の利権に関わるつもりは一切ありません。単なる友好協定を結んだだけであり、領主殿とはいえ肩入れすることはありえません」

「本当? そのわりには領主の言うことを聞いていたような感じだったよ?」

「まだいろいろと交渉中でして…心証を損ねないようにとの判断かと…」

「衛士隊に武器を提供してるよね? 思いきり肩入れしてるじゃん」

「物々交換のようなもので…我々も最低限の資源は必要ですし…あくまで売買契約にすぎません」

「都市に行ったことはないと言っていたよね。普段はどうしているの? ずっと荒野?」

「はい。キャンプは作っておりますので不自由はありません」

「でも、グラス・ギースとは協定を結びたいんだね。その資源、何に使うの?」

「キャンプを大きくするために…です」

「そんなに必要? もっと大きくしたいってことは、人数もそれなりなんだよね? それともまだ人が増える予定でもあるの?」

「…そ、その…それは…」

「そもそもさ、こんな場所で何をしているのかな? 何もない荒野に『軍隊』がいるなんて、どう考えても普通じゃないよね」

「我々は軍隊ではありません。し、私兵のようなもので…」

「誰かに雇われているってこと?」

「そ、そうなり…ますね」

「へー、今時の私兵は戦艦も持っているんだ。すごいね!」

「っ!! な、なぜそれを…!?」

「オレ、その戦艦にクルマを壊されちゃったんだよね」

「えっ!?」

「偶然近くに居合わせただけなのに、いきなり砲撃されてさ。それって人間としてどうなのかなと思うよね。…その戦艦、お兄さんたちのだよね?」

「わ、私は当時、乗艦していたわけではありませんので、それはなんとも……もしかしたら、違うものかもしれませんし…」

「見せて」

「は?」

「戦艦、見せてよ。そうすれば同じものかどうかわかるよね? オレは目が良いから細部までしっかりと覚えているんだよね。あっ、そうそう。国章までしっかりと削ってたなぁ。削り具合まで覚えているから安心してね」

「………」

「ほら、戦艦見せてよ。身の潔白を証明したいでしょ?」

「………」


 槍の男から大量の汗がダラダラと流れているのがわかる。

 このあたりで戦艦を持っている組織など、いったいどれだけあるのか。

 『武装商船』と【戦艦】は、まったく別物だ。戦闘力が段違いである。

 しかも国章を削っていることまで知られているのだ。間違いなく同一のものである。

 だが、詐欺師はそんな男に優しい声をかける。


「ははは、冗談だよ。冗談。そんな偶然あるわけないよね。驚いた? ね、驚いた?」

「…っ……は、はいっ!? …は、はは。そ、そうですよ! そんな偶然あるわけないですよね! はは…ははは。や、やだな。びっくりしましたよ…はは」

「地形データ、ちょうだい」

「…へ?」

「このあたりまで哨戒しているなら、かなり広い範囲の詳細データを持っているはずだよね。それ、ちょうだい?」

「そ、それはさすがに…最重要機密情報ですので…」

「あーあ、オレのクルマ、高かったんだよなーーーー! すごく気に入っていたんだけどなぁ。どう落とし前つけてくれるのかなぁ。ああ、痛い!! 心が痛い!! あの時の悔しさを思い出すと激しく心が痛む!!! そいつらを見つけ出して慰謝料をたくさんもらわないとなぁ!!」

「っ…!!」

「地形データ、くれるよね? くれないなら、どうなっても知らないよ。うっ、また痛み出した!! これも加算しなきゃな!! 黙っていたら、どんどん増えていくよ?」

「うう……」


 さきほどのことも含め、脅し方が完全にチンピラである。

 「オレの心の痛みは一億円だ!! 賠償しろ!」などと言って、暴力を背景に闇金に借金をさせるくらいたちが悪い。

 やばいやつに目を付けられたものである。この男に関わったら不幸になる説はいまだ健在だ。


「若いお兄さんに言ってもしょうがないか。権限のある上司に会わせてくれればいいよ。それくらいならいいでしょ?」

「…わ、わかりました。善処します」

「交渉成立だね。それならオレも誠意くらいは見せてあげようかな」


 そう言って崖に向かって飛び降りると、途中で埋まって気絶している長剣の男を拾ってきて、同じくズタボロになって倒れている盾の男の隣に寝かせる。

 両者ともに重体。完全に戦闘不能状況である。

 特に欠損が多いのが問題で、これでは傷が塞がっても戦力にならない可能性があった。

 だが、こういう状況を待っていたのだ。


(いい実験台ができた。一度試してみたかったんだよ)


 まずは両名を命気で包み込む。ここまでは以前までの治療と変わらない。

 だが、命気では欠損まで治すのは非常に難しく、他人の場合は少しの再生でも数時間かかることもあった。(ビッグやルアンたちを見ればわかるだろう)

 また、古傷に至っては治る可能性はかなり低い。これも弱点の一つだ。

 今回も欠損が多く、また数時間かかるかと思いきや―――


 ジュィイインッ


 アンシュラオンが欠損した部分に触れると、まるで植物が成長するように急速に再生を始めた。

 剣士の失われた手も見事に再生を果たす。

 これには槍の男も驚愕の眼差しである。


「これは…!?」

「【回復術式】だよ。軍人なら知ってるよね?」

「知ってはおりますが…こんなに早く再生するとは。あなたは術士なのですか? 戦士と伺っておりましたが…」

「術士でもある、が正解かな。専門外だから練習しているところなんだ。実験台にして悪いけど、今から連れ帰って治療するよりはいいよね?」

「そ、そうです…ね。今は治療も難しい状況ですし…助かります。それにしても、なんと見事な…。これほどの術の使い手は本国でもそうはおりません」

「オレなんてまだまださ。よし、特に異常はないな。成功だ」


 アンシュラオンがやったのは【回復術式】、または【復元術式】と呼ばれるものである。

 実は、この系統の術式は一種類しか存在しない。

 なぜならば元のデータを解析して復元するのだから、やり方はすべて一緒なのだ。せいぜい無機物と有機物で、元となる素材が異なることくらいだろうか。

 その代わり、術士のレベルに応じて回復の度合いが著しく変化するのが特徴だ。

 たとえば今まで出てきた回復術式では『若癒』が挙げられると思うが、あれは傷口を塞いだり等、本来持っている自然治癒能力を少しだけ手助けする程度の力しかない。

 それをいくつ重ねたとしても、アンシュラオンがやったように腕の欠損を治すことなど、まず不可能だ。

 そして一般に出回っている回復術式は、若癒が最高のものとされている。

 どうしてそうなのかといえば、回復術式には【危険が伴う】からである。


(回復術式と呼んでいるが、実際は『情報術式』だ。ということは、いかに情報を【正確に解析するか】が重要となる。もしこれを誤ってしまうと細胞が異常増殖してガン細胞になってしまう。そうなれば自壊して逆効果だ)


 若癒の術符も使い手の遺伝子データを参照し、細胞の増殖を行っているわけだが、自動スキャンでは限界が存在する。

 もし最初の測定を誤ってしまえば、細胞の異常増殖によって死亡するかもしれないのだ。そんなリスクを背負うわけにはいかないだろう。

 また、欠損を回復させるためには、質量となるエネルギーが必要だ。

 普通の術式の場合は当人の細胞分裂によってまかなうので、その分だけ寿命が磨り減ってしまう最大のデメリットもある。

 されど腕を失って長生きするより、腕のある快適な人生のほうが良いと思う者が大半だろう。特に武人なら誰もがそう思うに違いない。

 そして、この点においてもアンシュラオンは明らかに優位に立っていた。


(命気を使えば細胞分裂のエネルギーを捻出できるから、寿命が減ることはない。まあ、命気を生み出したオレの寿命が減るかもしれないが、今のところ問題はないし…大丈夫だろう。二十歳過ぎているのに全然老けないしね。クロスライルが言っていたように肉体の質が違うんだろうな)


 命気と組み合わせることで無敵の回復術式の完成となる。

 ただし、これも完璧ではない。

 仮に頭部を吹っ飛ばされた人間がおり、絶命していたらまず蘇生は不可能だ。

 その点、姉が使った復元術式は異次元レベルのものだった。死んだはずのラブヘイアが完璧な状態で復元されたのだ。周囲の物質も含めてである。

 そこまでいけば、まさに神の領域。まだまだ届かない。

 ともあれ、命気最大の弱点だった欠損の修復が可能となったことは朗報だ。何か事故があっても女性たちが苦しまないで済む。


「それじゃ、そのキャンプとやらへの案内を頼もうかな。その前にホロロさんたちと合流だね。ちょっと寄り道するよ」


 アンシュラオンと槍の男は、まだ意識が戻らない二人をそれぞれ抱えながら、一度ホロロのところに戻ったのであった。




630話 「驚愕のゼイヴァー」


 アンシュラオンは、ひょいひょいとまるで猿のように身軽に大自然を闊歩する。

 何の躊躇もなく崖を下りるし、渓谷があってもたやすく飛び越える。

 しかも片手に盾の男を抱えて、である。

 ちなみに男に触れるのは嫌なので、命気水槽を作ってその中に押し入れて引きずっている。


(すごい。閣下が評価なされるのも頷ける。騎士ではないせいもあるだろうが、動きが独特だ。淀みなく清廉で、まるで水が重力に逆らって上昇しているかのようだ。…強い。凄まじく強い。戦えば万に一つも勝ち目はなかっただろう)


 ゼイヴァーは、その動きに感嘆の念しか浮かばない。

 歩く姿、立つ姿、走る姿、跳ねる姿、すべてが芸術品だ。

 ただし、ゼイヴァーもアンシュラオンの動きに遜色なく付いてくる。

 多少もたつくところはあるが脚力には自信があるようだ。


「ゼイヴァーさんはどれくらいの立場なの? 階級って言えばいいかな?」


 暇なので、ゼイヴァーに話しかけてみる。

 この世界に慣れたとはいえ、知っている地域はグラス・ギースと他人から聞いた周辺情報だけだ。

 もっと広い世界に少なからず興味があるのは事実である。


「私は百光長の位を授かっております。一般的な軍属階級でいえば、中尉か大尉くらいでしょうか」

「同じくらいの階級の人はどれくらいいるの? みんな同レベルの武人?」

「得手不得手がありますので一概にはいえませんが、わが軍団は実力のみで位を授かります。現在こちら側に来ている百光長は五人。経験を除いた純粋な戦闘力では、ほぼ同程度だと思われます」

「その上の階級もあるんだよね?」

「千光長、輝光長と続きまして、軍部最高位に『聖剣長』がおられます。あなたがご存知の閣下は、聖剣長の座におられます」

「ふーん、あのおっさん、そんなに偉いんだね。キャンプには何人くらいいるの?」

「およそ二百人です。ただ、大半は新兵なので戦力としては末端となります」

「訊いておいてなんだけど、オレにそんな機密を教えちゃっていいの?」

「閣下からは口止めされておりません。出会ったら敬意を払い、丁重に対応するように命令を受けております」

「うーん、どういうつもりなのかな? まだ一回しか会っていないんだけどね。それで、ここから西方ってどんな感じ? ハローワークの地図は真っ赤で何もわからないんだよね」

「…過酷な地です。思っていたよりも、ずっと。ひたすら厳しい大自然が続いております。祖国も山が多い地域でしたので慣れていると思いましたが、規模がまったく違いました」

「戦った二人も、起伏のある場所での戦闘には若干不慣れな印象は受けたよ。軽く地盤を壊しただけで、大きくよろけたしね」

「お恥ずかしい限りです。長年平坦な場所での戦いが多かったものでして、対応できない者もおります」

「戦艦同士で戦うなら仕方ないか。でも、ゼイヴァーさんは大丈夫そうだ」

「遊撃が任務ですから局地戦を得意としております。これくらいならば問題ありません」

「適材適所がしっかりできているのは良い軍隊の証拠だ」

「ありがとうございます。ですが、【魔獣】には苦戦しております」

「多い?」

「はい。至る所に各種多様なものが千単位で存在しております。どう行動するのか予測できないことも多く、百メートル進むのにも苦慮する有様です。うっかり巣をつついてしまった際には撤退を余儀なくされます」

「人間相手と魔獣はまったく違う。慣れていないとつらいね。オレはどっちかというと魔獣相手のほうが楽だけどね。やつらは良くも悪くも本能的だ。食べる、寝る、生殖する、それだけが行動原理だ。行動は読みやすいよ」

「ぜひご教授いただきたいものです」

「何度か巣穴に放り込んでもみくちゃにされれば、誰でも慣れるんじゃない?」

「…一度目で死ぬのでは?」

「それで死んだら、その程度ってことさ。ははは。いいじゃないか。ストレートでシンプルだ。荒野も山も、力を欲している。そこに人間が求める権威や権力を求めるものじゃない。唯一の権威があるとすれば、それこそ純粋なる力なんだ。魔獣との闘争を素直に楽しめばいいのさ。ここはそういう面白い場所だよ」


 その言葉は、とても自然に紡がれた。

 皮肉でもなく諭すわけでもない。ただあるがままに、爽やかな風のように発せられた真理だ。

 一方で、とても厳しい現実から目を逸らさず、真っ直ぐに見据える芯の強さも感じさせる。


「…なるほど。閣下のおっしゃる言葉の意味が、少しだけ理解できたような気がします」

「何て言われているのか心配だな」

「好意的な内容ですよ」

「だといいけどね」


 ガンプドルフは、ゼイヴァーたちにこう語った。


「彼は【野性の太陽】の如き少年だ。その言葉も姿も眩しく輝いていて、夜の中にあっても誰一人として見失うことはないだろう。彼の中には強大な強さと危うさ、そして厳しさと甘さがある。あれは間違いなく【珠玉の聖剣】だ。ただし、【最凶の魔剣】になる可能性も秘めている。絶対に敵にしてはならない。太陽は東から昇る!! 何を犠牲にしても味方に引き入れるのだ!!」


 これだけ見れば、もう完全に「首ったけ」。

 アンシュラオンという人物に惚れ込んでやまないのだ。

 しかし今のところ、そう思っているのはガンプドルフだけである。


(彼が我々の救世主になりえるのかどうか、しっかりと見定めねば。祖国の命運がかかっているのだから博打は打てない)


 ゼイヴァーも実際にアンシュラオンに会うのは初めてだ。

 まだガンプドルフほど入れ込めないのは当然であった。





 アンシュラオンたちは、ホロロたちと分かれた場所にまで戻ってきた。

 初めて見る地形でも迷わず戻ってこられたのは、所々に目印を付けておいたからだ。

 素人にはわからずとも、自分が駆けた場所には意図的に癖を付けてある。こうした工夫も大自然で生きるための技術といえる。


(うん、いい隠れ場所だ。ホロロさんもよく周りが見えているな)


 そしてホロロが隠れた場所も、周囲から見れば単なる岩場にしか見えない。

 あの緊迫して選択肢が少ない状況でも、しっかりと正しい判断ができるのが彼女の長所だ。

 それができるのも『信仰』があるからだろう。

 主人に対する絶対的な忠誠心は、もはや信仰と同格である。


「サリータ、オレだ。出てきていいぞ」


 アンシュラオンが声を出すと、岩場の奥で気配が揺らいだのがわかった。

 周囲を警戒しながら、まずは大盾がにょろっと岩場から出て、それからサリータがそっと顔を出した。

 その仕草が巣穴に隠れた小動物に似ていて、思わず吹き出しそうになる。


「師匠! よかった!!」


 サリータは、アンシュラオンの顔を見てようやく安堵した表情を浮かべた。

 彼女も不安を感じていたのだろう。たしかに一人で他の女性四人を守るのは難しい任務である。

 そのあたりは単純に戦力不足を痛感するものだ。


「なさけない声を出すな。お客さんに笑われるぞ」

「お客…?」


 サリータはようやくアンシュラオンが引っ張っている盾の男に気付き、それからさらに背後にいるゼイヴァーに気付いた。


「師匠、彼らは誰ですか?」

「オレが追っていた連中だ。ああ、安心しろ。もう敵じゃない」

「大丈夫なのですか? その…何やら武装しておりますが」

「荒野に出るんだ。これくらいの装備があってもいいだろう。しかし、もっと違うところにも気付けないと駄目だぞ」

「え?」


 ゼイヴァーの戦闘服は、明らかに軍事用の特殊なものだ。

 見た目的には、某有名RGPゲームの竜騎士に近い形状をしており、身体にフィットしながらも頑強な造りで、攻防力をしっかりと上げてくれる優秀な装備だ。

 槍も持っているため、まさにそのものが具現化したようで格好いい。


―――――――――――――――――――――――
名前 :エナジーブラッククリスタルスーツ(軽装)

種類 :鎧
希少度:B
評価 :A

概要 :上質なクリスタルを錬成強化して生み出された鎧。主に軍隊で使用されるもので、高い防御力と耐性を持つ指揮官用装備。見た目より軽くて丈夫だがコストが高く、生産数は少ない。

効果 :魔力+1、体力+1、防御C+1.5倍、物理耐性、銃耐性、術耐性
必要値:魔力C、体力C、精神C


【詳細】

耐久 :A/A
魔力 :B/B
伝導率:A/A
属性 :無
適合型:物質
硬度 :A

備考 :
―――――――――――――――――――――――


(相当優れた防具だな。このあたりじゃ見ないわけだ。しかもこれ自体がジュエルで出来ている。つまりは魔石と同じだ。これはすごいぞ)


 サナはペンダントに魔石を付けているが、彼らは武具そのものが魔石になっている。

 彼が持っている槍も同様の造りで、特殊な能力が付与されていると思われる。

 この鎧を装備するだけで、魔力と体力が一段階上がり、素の防御力もCは確約されるのだから装備とは重要なものだと思い知る。

 また、「+1.5倍」という数字は、戦気によって強化できる最大倍率を示しており、仮にCが最低値の300だとした場合でも「防御450」が確保できることを意味する。

 防具の優れたところは、これが装備単体での防御力であることだ。

 当たり前の話だが、当人の肉体は別の防御力と耐久力があるため、鎧が壊れるまでは鎧自身が攻撃を受け止めてくれるのだ。

 壊れても新しいものに交換すれば、再び耐久値が復活するのもメリットであろう。

 ただし、強い武具には装備するための『条件』が設定されている。それが【必要値】だ。

 この鎧に関しては、魔力、体力、精神がC以上でないと装備ができないらしい。優れた道具は優れた能力がなければ使いこなせないのは道理であろうか。


(うむ、装備を含めればアーブスラットにも対抗できそうだ。おそらく経験の差でアーブスラットが勝つだろうが、このレベルの武人が五人いるならば、グラス・ギースの連中では対抗できないな。プライリーラの馬がいれば別だが…あれは街では使えないし、もう殺しちゃったしな)


 控えめに言ってもDBDの戦力は、グラス・ギースを上回っている。

 グマシカたちは別にしても、表面上の戦力では彼らと対等に渡り合うのは難しいだろう。

 領主がガンプドルフたちの軍事力を当てにする気持ちはわかる。

 だが、彼らの目的は違うところにあるのは間違いない。久しくグラス・ギースに関わってこなかったのが、その証拠である。


「アンシュラオン様、お帰りなさいませ」


 ホロロも状況を察し、表に出て主を出迎える。


「うん、今戻ったよ。小百合さんとセノアとラノアも無事かな? 魔獣とかは大丈夫だった?」

「はい。こちらは問題ありません」

「それはよかった。…ん? どうしたの?」

「………」

「ゼイヴァーさん?」

「―――っ!? こ、これは失礼。つい呆けておりました」

「呆ける? なんで?」

「い、いえ……女性ばかりだな、と」

「ああ、なるほどね。サリータはともかく、荒野にメイドがいるのは奇妙だよね」

「え、ええ…まあ」

「おっと、サナも戻ってきたみたいだな」


 アンシュラオンの目が、遠くから走ってくるサナを捉える。

 彼女は道を覚えていたわけではないだろうが、嗅覚によってだいたいの場所がわかるのだろう。

 これも荒野では便利な能力である。今後哨戒させるときは魔石を使わせたほうがよいかもしれない。


 サナが合流。


 見た瞬間にてこずったことがわかるほど、鎧もボロボロで髪の毛も土まみれになっていた。

 顔にも切り傷が多数あり、目も土が入ったのか少し損傷しているものの、一番大きなダメージは右胸だろう。

 骨にヒビが入っているので右腕の動きがかなり悪い。頭と首も少し心配だ。


「おー、けっこうやられたな。相手は三人がかりだったか?」

「…ぴん」


 サナは人差し指で、相手が一人だと教える。

 最近は頷くだけではなく、こうして少しジェスチャーを使うことを覚えたので、声は出ないが会話している感覚があって楽しいものだ。


「一人か。今のサナをこれだけ苦しめるとなれば、それなりの武人だな。あっちにもゼイヴァーさんくらいの相手がいたの?」

「おそらくはバルドロス百光長でしょう。一度退役なさいましたが、このたび軍属復帰した歴戦の勇士であります」

「百光長はサナと同格以上って感じか。こっちも装備を整えれば勝てるか?」

「…こくり」

「いい返事だ。今度新しい武具を見繕ってやるからな。そのときリベンジだな。ははは」

「………」


 その会話を聞いて、ゼイヴァーはまじまじとサナを見つめる。

 彼女の様子を見れば、ただ負けて逃げたのではないことは一目瞭然。優れた武人は、受けた傷からどのような戦いがあったかを推測できるのだ。

 バルドロスは同じ百光長ではあるが、戦闘経験値はゼイヴァーを数段上回る。ジュエリストとしても高い適性を持っている。

 その相手に互角の戦いを演じた。こんな子供が、だ。


 それだけでも驚愕に値するが、彼にとってさらに驚愕することが起こった。


 アンシュラオンがサナの治療を始める。

 最初は頭の様子を見ていたが、その治療が終わると次に衣服を脱がせ―――胸を触る

 何の遠慮もない。少し膨らみかけた少女の胸を、手の平で包み込むように何度も触っている。

 モミモミ モミモミ


「―――っ!! な、なにを!」

「へ? 何って…治療だけど?」

「あ、ああ…そうでしたね。あなたは術士で回復術式が使えましたね。…治療。あくまで治療ですよね」

「うーむ、カウンター気味に重い攻撃を受けたんだな。ふむ、モミモミ。危なかったな、モミモミ。次は気をつけるんだぞ、モミモミ」

「い、いや、それにしても触りすぎでは…!? むう、これも治療の範疇なのか…だがしかし…いいのか!?」

「あのさ、さっきからブツブツと何を言ってるの? もしかしてロリコンなの?」

「ぶっ!? な、何をおっしゃるのか!?」

「だって、少女の裸を凝視するなんて、はっきり言って変態だよ? サナが可愛くて魅力的なのは仕方ないけど、変な気を起こしたら殺すからね」

「い、いえ、けっしてそういうわけではなく……単純に女性なのですから、もっと丁重に扱わねばと思いまして…」

「じゃあ、丁重に扱おう。ぺろん」


 手で触るだけではなく、愛らしい胸を舐めてみる。

 うん、美味だ。サナ特有の深い甘味を感じる。

 ただし、ちゃんと口から出した命気を滲ませているので、れっきとした治療である。

 が、ゼイヴァーは目が飛び出んばかりに驚愕する。


「ええええええ!? な、舐めたのですか!?」

「サナはオレの妹だよ? 舐めて何が悪いの? うん、こうやって舐めて治すのもいいな」

「い、妹…ですか。な、なるほど……いもうと……」

「ところで、キャンプには女性もいるの?」

「いえ、女性はおりません」

「性欲処理のほうはどうしてるの? まさか男同士…」

「いえいえいえいえ!! そんなことは絶対ありえませんから!!」

「本当に大丈夫だろうね? 嘘だったら即座に交渉決裂だよ。これ以上、ゲイの知り合いを増やしたくないんだ。そこは信じるからね。頼むよ?」


 トットが大量生産されているキャンプなど、まさに地獄。

 その場合は滅ぼすしかない。百害あって一利なし。徹底的に焼却処分である。

 だが、ここは重要な問題なので、もっと話を訊いてみる。


「強い武人じゃないと性欲は完全に抑えきれないよね。スレイブとか使ってるの?」

「スレイブ…契約奴隷ですか? 東大陸にはまだそのような劣悪な文化が残っているようですが、我々は統制された部隊です。死ぬほど鍛錬すれば性欲など抱く暇はありません!」

「本当?」

「もちろんです!」

「ホロロさん、ちょっと来て」

「はい」

「股を開いて」

「はい」

「スカートの裾を上げて」

「はい」


 ホロロが言われた通りにスカートの裾を上げると、パンティストッキングが丸見えになる。

 余談だが、これもリレア商会から仕入れた最高級品で、グラス・ギースで買える一番良い物である。


 その股間に―――手をぐいっと押し込む


「んふっ」


 ホロロは我慢したが、主人に触られる悦びに思わず声を出してしまった。

 そう、悦びだ。

 彼女にとって神であるアンシュラオンに触れられることは【ご褒美】なのである。


「そのまま動かないでね。ぐにぐに、モミモミ」

「んふっ…ふっ……ふー、ふー」

「次は一番弱いところを差し出して」

「はい。どうぞご堪能くださいませ」

「さわさわ」

「あ―――はっ!」

「ぐいぐいぐい、くりくりくり」

「くうう…くふぅううう。ふーーー、ふふぅん」


 自ら腰を手に押し当て、弱いところを好きなだけ触らせる。

 これぞメイド。

 アンシュラオンが求めた何でも言うことを聞くスレイブと同等の存在である。

 当然ながら、こんな場所で何かをするつもりはない。特段性欲を感じたわけでもない。

 目的はゼイヴァーに見せ付けるためだ。

 その効果は覿面。


「………」


 よほどショックだったのか、彼は口をあんぐり開けて硬直していた。

 たしかに彼自身は欲情していないようだが、それはそれで若干の不安を感じさせる。


(最初にホロロさんたちを見て様子が変だったのは、女慣れしていないからっぽいな。もしくは単純にフェミニスト気取りか? というか本当にキャンプのほうは大丈夫かな? だんだん不安になってきたぞ。まあ、とりあえず行ってみるかな。地形データが手に入れば探索もはかどるだろうさ)


 その後、ホロロを軽く達せさせたのち、アンシュラオン一向はDBDのキャンプに移動するのであった。

 その間もずっとゼイヴァーは困惑していたが、逆に今までどう生きてきたのか問いただしたいくらいだ。





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