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「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第一章 「白き魔人と黒き少女」 編


61話 ー 70話




61話 「アンシュラオンと魔剣士と」


(おっ、ちゃんと追ってきているな)


 アンシュラオンは、背後にガンプドルフが追ってくる気配を感じる。

 特に加減なく普通に移動しているのについてこられるのだから、相手の実力は間違いなく上級レベルにある。

 今はそれが少しだけ嬉しい。


「ひぃ、ひぃいいい!」

「暴れるなよ。落ちたら死ぬぞ」


 現在、左手にサナ、右手にイタ嬢を抱いている状態である。

 サナは大切に抱っこしているが、イタ嬢は担いでいる状態に近いので少し不安定だ。

 武人ではなさそうなので、四階の屋根から落ちたら大怪我は間違いない。死ぬ可能性もある。


「こんな場所を走るなんて!!」

「たかが屋根の上だ。跳ぶぞ」

「と、跳ぶ!? う、うひゃぁあ―――!!」


 アンシュラオンが屋根の端から跳躍。

 そのまま領主城外周の中ほどにまで飛び降り、駆けていく。

 一通り追っ払ったおかげで、衛士たちの姿は見られない。いたところで何もできないが、邪魔されるのは手間である。


(攻撃はしてこないか)


 背後から追いかけてくるガンプドルフは、特に攻撃を仕掛けることはない。

 イタ嬢に当たる可能性を考慮して、というよりは、単純にこちらの様子をうかがっているようだ。



 そのまま茂みまで走り抜け、一回のジャンプで領主城の城壁を飛び越え、上級街の森に到達。

 それからさらに、ひと気のない森の中央付近にまで走り―――そこで止まる。


「このあたりでいいかな」


 そこでサナとイタ嬢を降ろす。

 サナは相変わらずの様子だが、イタ嬢はかなり消耗していて声も出ないらしい。

 よほど心労がたたったのだろう。がっくりとうな垂れて、地面に膝をついていた。

 改めて見るとパジャマの下半分は破れているので、この現場を目撃されれば、かなり誤解を招きそうな光景ではある。

 が、今はイタ嬢のことにかまっている暇はない。


「そろそろ出てきなよ」


 声をかけると、木の陰からガンプドルフが現れる。


「規格外の速度だな。しかも二人を抱えながらか」

「こんなの空気みたいなものだよ。怪我をしないように気を遣うから、そういった面倒さはあるけどね」

「ここが君の目的地か?」

「そういうわけじゃないけど…悪くない場所かな」


(ここで止まったのは意図的か。…目的は何だ?)


 ガンプドルフは波動円を展開。周囲三百メートルの気配を探知。

 結果、周囲には誰もいないことがわかった。

 こうして常に周囲の警戒を怠らないのは優れた武人の証明である。


「やっぱりやるね。それだけ伸ばせれば一級品だ」

「君には劣るな。千メートル以上も軽々と伸ばせる武人は初めて見た」

「そう? 姉ちゃんなんて軽く五千メートルはいけるけどね」

「…それはそれは、たいしたご婦人だ」


 正直、冗談だと思いたい。そんな存在は聞いたこともない。

 もしいたとすれば本物の化け物である。


「ここには我々以外は誰もいないようだ。…君の名前を訊いてもいいかな」

「正義の白仮面」

「少女を人質に取るのが正義か?」

「悪を滅するのが正義だよ。犠牲を払ってもね」

「そういう考え方もあるか。私は好きではないがな」

「騎士道ってやつかな。残念。オレには関係ないね。オレはオレの正義だけを貫く」

「では、なぜここまで私を【誘導】したのか、その真意を訊きたいな」


 アンシュラオンは意図的にガンプドルフを誘導した。

 もし本気で逃げようと思えば、二人を抱えたままでも簡単に逃げ切れただろう。肉体能力ではアンシュラオンのほうが上なのは、すでに対峙した時には理解していたからだ。

 こうして二人が一緒にいるのは、アンシュラオンがそう望んだからにほかならない。

 アンシュラオンとて余計な面倒は嫌っていたはずである。そうであるのならば、突然心変わりしたのはなぜなのか。

 その理由は簡単。


 ガンプドルフに興味を抱いたからだ。


「不思議に思ってさ。それだけ強いのに、どうしてあんな領主におべっかを使うの?」

「それが政治というものだよ、少年」

「そうかな? オレはずっと思っていたんだ。それが政治なのかどうかってね。政治ってのは優れた人間が行うべきだ。愚鈍な不純物は必要ない」

「それは領主のことか?」

「それ以外にいるの? まあ、この子もそうだけどね」

「ひぅっ!」


 アンシュラオンが再びイタ嬢の頭を握る。


「待て。その子には手を出さないでくれ」

「スレイブにしようと思ったんだけど…あんたが買う?」

「それでもかまわない。いくら欲しい? 一億か、二億か? 損害分に加えて慰謝料も払おう」

「ずいぶんと執着するんだね。領主への手土産になるから、かな? 恩を売れるからね。価値があるなら連れてきてよかったよ」

「…そこまで読んで動いていたのか。どこまで知っているのだ?」

「何も知らないよ。ただ、あの会話を聞いていれば最低限の事情は察することができる。西側の人間なら入植か魔獣狩りか…。そうでないとしても、何かしらのやり取りがある関係なんだろうね。それだけわかれば十分だよ」

「たしかに領主とは多少の関わりがある。それで、君は何が目的だ?」

「オレ個人の目的は、最初に言った通りだよ。この子を取り戻すのが目的。次に制裁を加えること。それだけかな」

「すでに君は目的の物を手に入れた。領主にだって損害は出た。それで納得はしてくれないのか?」

「領主が損害だと思わなければ意味がないよ。スレイブを殺したって、あいつは痛くない。だからこいつを奪った。大切なものを奪われた痛みを教えないとね。つまりは教育ってやつさ」

「少年、それだけの力を持つのだ。大人になってはくれないか。人が生きるうえで妥協は必要だ。相手に譲るときも人生にはある。おべっかを使っても相手を動かせるようにならねば、争いはなくならない」

「心理学くらい知っているよ。自尊心を満足させてやれば、人の心だってそれなりに操れる。ただ、面倒なだけ。オレはもう世辞や媚を売って生きるのは嫌なんだ。うんざりしたし、飽きたからね。これからは好きに生きる。誰の指図も受けない」

「大人のような口ぶりだな。本当に少年か?」

「それなりに経験をしているからね」

「では、そうと知りながら、あえて騒動を起こしたのか?」

「そのつもりはないけど、それならそれでもいいと思った。殺したくはないけど、殺してもいいと思った。落とし前に犠牲は付き物だ」

「マフィアのようなことを言う」

「でも、大事だろう? 落とし前は」

「領主は強引なやり方だったようだ。…不快にさせたなら謝ろう」

「あんたに謝られてもね…。でも、あんたにしかできないことがあるよ」


 アンシュラオンは笑う。

 ここは、そのために用意した舞台。


「あんた、強いね。オレと戦おうよ」

「それなりに自信はある。しかし、私闘はしない」

「こいつが賞品なら私闘じゃないんじゃないの?」


 ずいっとイタ嬢を持ち上げる。


「いたたたた! 首が、首が伸びますわ!!」

「お前は【物】だ。おとなしくしていろ」


 サナともども二人を戦気で覆い、強烈な戦気壁を形成。外界と遮断する。

 そこにさらに命気を注入。


「ごぼごぼごぼっ、なんですの、これは! お、溺れるぅ!」

「それは命気だ。飲んでも問題ない。確認済みだから安心しろ」


 命気は極限にまで薄めているので、水と大気の中間のような感覚である。それが肺に入り込んでも問題はない。

 むしろ、傷んだ細胞を修復してくれる便利なものなのだ。


(そう、水気は危険だけど、命気はまったく問題ないんだよな)


 領主城内で女の子を診察したあたりから気がついていたが、命気はまったく人間に害を与えない気質なのである。

 もともと【羊水】とも呼ばれる気質なので、健康にこそなれ害にはならない。摂取しすぎた場合の検証はしていないが、アンシュラオンが長年毎日のように使っていても問題ないので、それも大丈夫だろう。

 命気を入れたのは緩衝材の役目をさせるためだ。もし二人が触れても怪我をしないようにと、外部から破壊されないようにである。


「命気…まさか、あの命気か? 水の最上位属性を使えるとは!」


 ガンプドルフも初めて見た気質である。何か特殊なアイテムを使えば可能だろうが、生身で扱える武人はそうはいない。


「さあ、イタ嬢が賞品なら文句はないだろう。まだ身体が熱くてさ。魔獣だけじゃ物足りなかったんだ」


(やはりこの少年が、あの魔獣を…)


 それならばすべてが納得できるとも思えた。目の前の少年から感じる波動は圧倒的。魔獣が可愛く思えるほどだ。

 そしてアンシュラオンの身体は、まだ少し疼いていた。

 久々の戦いによって覚醒した闘争本能が、酒を飲んで少し酔ったときのような、非常に心地よい気持ちを与えてくれる。

 本来ならば、これから身体が温まってもっと楽しい気分になっていくのだ。だが、デアンカ・ギースは、その前に死んでしまった。

 物足りないのだ。

 まだまだ足りない。

 サナを取り戻して少しは落ち着いたが、領主が煽ったおかげで血に飢えた一面が顔を覗かせてしまった。

 今のアンシュラオンには、ガンプドルフがデザートのように思えてならない。食後の軽い楽しみであり、火照った身体を冷やしてくれる存在に。


「あんたを波動円で感じた時から、面白そうだと思っていたんだよ」

「そのために私を呼んだか…」

「そういうことだね。あんたに恨みはないよ。ただ、このまま帰ってもつまらない。ムカついたまま気持ちを晴らさないでおくのは、健康のためにもよくないからね」

「どうしても退いてはくれないか」

「領主の土下座は? 誠意ある謝罪は?」

「それは難しそうだ」

「そう。あいつが落とし前をつけないなら、これもしょうがない。言っておくけど、やる気のない戦いをしたらイタ嬢は殺すよ」

「まったく、その綺麗な声で悪魔のような台詞を言うものだ。恐ろしいよ」


 ガンプドルフは、腰にあった【ロングソード】を抜いた。

 魔剣ではなく、予備として持っている剣だ。


(あの剣を抜かない? 何かありそうだな)


 アンシュラオンは、その段階で腰の剣が怪しいことに気がつく。

 装飾も普通のものとは違うので明らかに特殊装備だ。それをいきなり使わないということは、それだけの理由がある証拠である。


(使えないのか制限があるのか、それとも奥の手か。それはそれで楽しみだな。今回は情報公開を使わないでおこう。今後のためにもね)


 ガンプドルフには情報公開を使わない。

 最近はけっこう使っているスキルだが、このスキルに頼りすぎるのも危険である。

 使えない日が来るかもしれないし、通じない相手もいるかもしれない。そういうときのために日頃から慣れておく必要がある。

 ガンプドルフは、そういった練習台に選ばれたのだ。


(火怨山では戦うことが日常だった。今にして思えば、武人としては最高の環境だったんだな。闘争本能を満たしながら修練もできる。そりゃ強くなるわけだよ。だが、ここは平穏すぎる。たまには刺激も欲しくなるよ)


 そんな極めて自分勝手な都合であるが、こうして対峙するとワクワクしてくる。

 領主城で倒した敵など、敵の範疇に入らない。あんなものは遊びでしかない。

 しかし、目の前の相手は本物の武人だ。

 身内以外の初めての武人。その意味でも楽しめそうである。




62話 「ガンプドルフの実力 前編」


「ルールを決めようか。バトルフィールドは、直径三百メートルの範囲。あんたの波動円の距離内だ。それと広域技は極力禁止しよう。ここは都市の中だからね。関係ない人間に迷惑がかかると悪いだろう」

「周囲のことは考えてくれるのだな。安心したよ」

「何もしていない人間を殺すほど悪趣味じゃないよ。どう、それでいい?」

「了解した」


 ガンプドルフが波動円を展開。周囲三百メートルを覆う。それが今回のフィールドである。

 この森もそれなりに広いので、この範囲内ならば多少激しく戦っても外に影響は与えないだろう。

 多少憩いの場が削れる程度。この都市が滅ぶことに比べれば微々たる損害である。


 ガンプドルフは、アンシュラオンを観察。

 無造作に立っているが隙がない。自然体で構え、どのような状況にも対応できるようにしているのだ。


(私を前にしても、まったく緊張していない。それだけ己の実力に自負があるのだ。むしろ私のほうが緊張しているな。…このようなことはいつ以来だったか)


 ガンプドルフほどの剣士を前にすれば、多くの武人は緊張するものだ。実力の高い人間でさえ、ある程度の緊迫感を滲み出すもの。

 それがまったくない。

 かといって油断しているわけでもない。いかなる攻撃であっても耐え切れる自信、それだけの戦いを経験してきた自負が漲っている。

 しかもアンシュラオンは無手。ファテロナの時のように武器は持っていない。

 これこそ相手の実力を認めている証である。生半可な剣士としてではなく、生粋の戦士として戦う気構えを見せている。

 それに―――熱くなる。


(面白い。私も久しく真剣勝負からは遠ざかっている。熱くならないと言えば嘘になろう。武人として受けて立つ!)


 ガンプドルフの魂の奥底から闘争本能が噴き出してくる。強い敵と戦って自己を高めたいという欲求が溢れ出る。

 これこそ武人。戦うために生まれてきた存在。

 武人としてまみえた以上、全力を尽くすのが礼節である。


 まず仕掛けたのは、ガンプドルフ。


 一気に間合いを詰めて剣を一閃。凄まじい速度の横薙ぎが襲う。

 アンシュラオンはそれを屈んで回避。左腕で剣を下から弾いて反撃の構え。

 だが、即座にガンプドルフの回し蹴りが飛んできた。それを右腕でガードしながら同時に反撃の蹴りを放つ。

 轟音を放ちながら飛んできた蹴りを身体を捻って回避するも、激しい衝撃波がガンプドルフを吹っ飛ばす。

 されど、防御の戦気を張ってガード。ダメージはない。

 木を足場にして跳躍し、軽く着地してみせる。


(戦気の質が違うね。雑魚とは別格だ)


 アンシュラオンは、笑う。

 アンシュラオンが腹を抉った領主の騎士は、戦気に触れただけで手が砕けていた。

 だが、ガンプドルフの戦気は非常に上質で硬い。軽く触れた程度では簡単に相殺されてしまう。

 しかも体術もかなりのレベルである。普通、剣士はあまり蹴りを放ってこない。それよりも剣の扱いを重視したほうが効率が良いからだ。

 それでも身体のバランスを考え、牽制であれ蹴りまで使うのは好感が持てる。

 むろん普通の武人であれば、ガンプドルフの回し蹴り一発で気絶しているだろうから、あれはあれで立派な攻撃手段であるが。


「まだまだ軽いね。もっと出せるでしょう?」

「様子見の必要はない、ということだな」

「そんな余裕はないと思うけどね」


 アンシュラオンの掌から戦気の塊が放射される。

 戦気弾である。拳圧と一緒に放てば修殺になるが、モーションを必要とせず撃ち出すこともできる。

 普通の戦士がこれをあまり使わないのは、放出系の能力が高くなければ武器としてはイマイチだからだ。

 しかし、アンシュラオンは全因子を持っているので、戦弾一つでも砲弾並みのパワーを持っている。

 直撃すれば、人間どころか建造物程度は簡単に粉々になるだろう。


 それをガンプドルフは―――よけない。


「はああ!!」


 真正面から切り裂き、二つに割れた戦気弾は両側の木に衝突して爆散。木々を吹き飛ばしながら消失していく。

 剣気をまとった剣は、やはり強い。

 これこそ剣士にとって最強の武器であることを証明する。


(オレの戦気弾を斬るか。なるほど、これが本物の剣士ってわけだな。これと比べると、ラブヘイアなんて未熟も未熟だ)


 目の前の剣士が発する剣気は、実に濃厚で力強く、ただのロングソードが名刀にでもなったかのような輝きを放っている。

 剣気と一言でいっても、当然ながら当人の気質によって大きな差が生まれる。ガンプドルフの剣気は、若干黄色を帯びた赤といった色合いのものであり、見る者に美すら感じさせる段階に至っている。

 紛れもなく達人レベル。いや、それを超えた懐の深さを感じる。彼ならば、ファテロナでさえ軽くあしらえるだろう。


 ただ、感嘆しているのはガンプドルフも同じである。


(凄まじい一撃だ。たしかに様子見をしている余裕はない。だが、これは好都合。こうして相手から、まみえる場を提供してくれたのだ。余計なリスクなく、相手の強さと人間性を確認できる)


 魔獣の狩場で見た痕跡はショックであった。単純に恐ろしいと思ったし、危険だと感じていた。それは正体が不明だからだ。

 人間は、正体がわからないものを必要以上に怖れる。しかし、知識によって正体が判明すれば冷静に対応が可能となる。

 そうやって数々の自然現象を解明し、人は成長してきた。ならばこれも同じ。

 アンシュラオンと戦うことで憂いを晴らせるチャンスである。


「本気でいかせてもらう!」


 ガンプドルフは、針状になった細かい無数の剣気を周囲十メートルに展開する。


 戦技結界術、張針円(ちょうしんえん)である。


 剣王技に分類される結界術の一つで、針状になった剣気が範囲内に入った敵を自動的に迎撃するオートカウンターの技だ。

 針は剣気で生まれているので鋭く強く、鎧で身を包んだ対象であっても穴だらけにする凶悪な結界術である。

 これを展開しつつ、アンシュラオンに向かって突進。そこから高速の剣を振るう。

 アンシュラオンは迷うことなく前進。ガンプドルフの結界内に侵入。それと同時に張針円が一斉に襲いかかる。


 それを―――すべて回避。


 数百という細かい針が襲っているのに、それを紙一重ですべてよける。

 当たりそうなものは叩き落しながらも、流れるような動きでかわしていく。


(この間合いで全部よけるか!)


 ガンプドルフは驚愕。

 たしかに張針円の迎撃機能は直進的で読みやすいが、普通は数本程度はくらうものである。

 そのために細くして、当たりやすくしているのだ。それをすべて見切るのは尋常ではない。

 ただ、その正体をガンプドルフは見破っていた。


(【無限抱擁】か。しかもなんという洗練された気質なのだ。…美しくすらある)


 アンシュラオンの周囲にも、ガンプドルフのような結界が張り巡らされていた。

 しかし、それは相手を攻撃するためのものではなく、周囲の状況を素早く感知するためのもの。

 戦技結界術、無限抱擁。周囲を濃厚な戦気で満たし、範囲内のあらゆるものを完全に感知する技である。

 波動円の上位版の技であるが、薄く伸ばすのではなく濃密な質量を周囲に展開させることで【水場】のようなものを生み出し、さらに感度を上げたものである。

 どんなに小さなものでも、結界に触れれば触覚ですべてが理解できるので、形状、速度、角度が一瞬で把握できる。

 それによって三百六十度、どこから何が来ようが即座に対応が可能となる。もちろん、かわすだけの体術がなくては意味がない。

 しかもアンシュラオンのものは水の属性で作ったものなので、実に美しい水色をしている。穢れなく清らかで、所々が白く輝いている。

 まるで清流が固まって生まれた宝石のようだ。生命力と純粋さに溢れ、それだけで一つの芸術品である。


「ならば、これはどうだ!」


 ガンプドルフが雷衝・五閃を放つ。五つに分かれた雷の刃が、地面を這って襲いかかってきた。

 雷衝はラブヘイアが使っていた風衝の雷属性版である。

 それを五つも同時に放てるのだから、剣士としていかに優れているかがわかる。


(雷衝か。オレの水系とは相性が良すぎるんだよな。しかも地面を這わせるとは、嫌な使い方をする)


 水と雷は相性が良すぎる。両者は結びつき融合する性質を持っているので、無限抱擁での迎撃は難しいと判断。

 アンシュラオンは、跳躍して回避。


 が、ガンプドルフは追撃。


 上空に逃げたアンシュラオンに対して、さらに高く跳躍し、剣気を雷気に変えて力を溜める。

 そのまま集めた雷気を振り下ろすと、落雷のような一撃が発生。放たれた一撃が真下に向かって、強烈な一撃となって降り注ぐ。

 剣王技、剣雷震(けんらいしん)。集めた剣気と雷気を一緒に放出して、真下に叩き落す技である。

 剣衝のように斬るのではなく、質量を生かして叩きつけるので、打撃に近い圧力を与えることができる技だ。

 さすがに上空では攻撃をよけることはできず、アンシュラオンも攻撃を受けるしかない。


 落雷―――激震。


 爆音を上げ、森の中に雷が落ちた。

 街で馬鹿騒ぎしている連中がその音を聴いたかはわからないが、もし聴いてもお祭りの余興だと思って、どんちゃん騒ぎを続けることだろう。

 それほどまでに響き渡る一撃。剣士の因子レベル3の技であるが、使い手の能力が高ければ一撃必殺の技ともなる。

 その威力は絶大で、地面に直撃した瞬間に大地はもちろん、周囲の木々も焼け焦げるほどの威力。


 大地に激しい雷の跡を残して、技が終了。ガンプドルフも着地する。


(手応えはあったが…)


 ガンプドルフの手には、しっかりと直撃した感触が残っている。あれをかわすことは、いかに少年でも難しいだろう。

 倒したとは思わない。多少手傷を与えられればと思って見たが―――平然と立っていた。

 マントが焦げて消失してしまっているが、服や仮面にはまったく傷がない。

 思わず、汗が滲む。


(これだけの威力の技でも無傷なのか! 防いだ? いや、違う。流したのだ!!!)


 気がつけば無限抱擁が消えている。展開した結界を放棄し、その質量を使って雷撃の一撃を水と一緒に流して防いだのだ。

 相性が良い水と雷だからこそできる芸当だ。水に雷を吸収させ、そのまま地面に流した。アース線と同じ要領である。

 そう言えば簡単に聞こえるが、今まさに強力な攻撃を受けようとしている中で、そこまで冷静に対応することは至難の業である。

 特に剣士の攻撃力は高いので、アンシュラオンとてダメージを負うはず。それを怖れずに対応する精神力に驚嘆を隠せない。


(この少年、やはり強い! 只者ではないどころではない。超一流の武人だ。ルシアの雪騎将すら超えるぞ!)


 ガンプドルフが怖れる相手は少ない。

 せいぜい西側で勢力を拡大している大国、ルシア帝国の天帝直属の騎士である雪騎将くらいだ。

 あるいはニアージュ王国の百軍将と呼ばれる、制圧戦専門の強力な武人たち。

 彼らと比べてもアンシュラオンは遜色がない。それどころか彼らでさえ、ガンプドルフの一撃ではダメージを受けるはず。

 それを無傷で防ぐ段階で、すでに超越している。




63話 「ガンプドルフの実力 中編」


(底が見えぬな。どうする? やれるのか? これ以上の戦いは、生死をかけたものにならないか? そもそも私は生き残れるのか?)


 そうガンプドルフが思っている間に、アンシュラオンはすでに跳んでいた。

 一瞬で懐に入り込むと、ガンプドルフに蹴りを見舞って、吹っ飛ばす。

 ガンプドルフは木に叩きつけられる。

 ただし、回転して受身を取っていたので足から着地し、その反動を利用して跳躍。反撃を開始。


(迷っている余裕はない! 今は戦わねば死ぬ!)


 再び一気に間合いを詰めると、剣撃によるラッシュを仕掛ける。

 肩、腹、足、首、あらゆるところに鋭い一撃を繰り出していく。


 それをアンシュラオンは素手で打ち払う。


 戦気術、【戦硬気(せんこうき)】。戦気を硬く物質化させる技で、剣気でこれを行えば、以前アンシュラオンが使っていたような剣硬気になる。

 さきほど張針円の針を叩き落した際も、手を戦硬気でガードしていた。

 ただし現在は、戦刃によって手の戦気を刃状に変化させて、それをさらに硬質化させている状況である。

 ガンプドルフが一本の剣だとすれば、今のアンシュラオンは両手に小さな剣を持った双剣スタイルである。


 この場合、やはり後者のほうが速い。


 徐々にアンシュラオンの攻撃がかするようになり、ガンプドルフのコートがズタボロになっていく。


(剣士の間合いで打ち合うとは! それだけ自信があるのか!)


 アンシュラオンは、平然とガンプドルフの間合いに入ってくる。そのたびに強烈な一撃を見舞うのだが、それを戦刃でいなしていく。

 その動きは舞っているかのように美麗で、まったく無駄がない。すべて紙一重で見切っている。だからこそ、そのまま反撃に移行できるのだ。

 剣気を操る剣士は攻撃力が高い傾向にある。

 普通は打ち合うことはせず、体術でかわしながら間合いを詰めるものだ。

 こうして無造作に接近できるのも、アンシュラオンの肉体能力と戦気の質が高いのと、圧倒的な【戦闘経験値】によるものである。


(なんだこの圧力は! この歳でどうして、ここまでの戦闘経験値を持っているのだ! いったいどれだけ戦ってきたというのだ!)


 熟練の剣士であるガンプドルフが、その深みに恐怖すら覚える。

 目の前の少年から感じるのは、激戦の波動。

 常時戦場に身を置いてきた者だけが放つ【修羅】の波動である。

 戦うことが自然であり、相手を滅することが当然の世界で暮らしている、完全なる戦闘マシーンの圧力。

 まさに武人の闘争本能の結晶とも呼べる、実に実に美しい存在であった。


(このような! このような人材が、こんなところに!! ―――っ!)


 ガンプドルフの注意が一瞬逸れた瞬間、アンシュラオンの戦気の形状が変化。

 巨大な鉤爪状に変化した戦気が、ガンプドルフを切り裂く。

 覇王技、蒸滅禽爪(じょうめつきんそう)。

 戦刃を鉤爪状の刃に変化させて切り裂く技である。しかも爪は酸性を帯びているので、触れたものを溶かしていく。


 ガンプドルフのコートが千切れ、腹に―――激痛。


 灼けつくような痛みが襲い、酸が体内に侵入してくる。

 それを練気によって修復しつつ、ガンプドルフは一旦後退。

 しかし、アンシュラオンは追撃。

 両手を鉤爪に変化させて、素早い攻撃を繰り出してくる。


(防御で手一杯だ! フルプレートならば耐えられるが、この状況では…!)


 普段使っている戦闘用の鎧ならば、なんとか防ぎながら攻撃に転じることができるが、現在は軽装備である。

 それは言い訳にはできない。

 武人とは、常に戦いのことを想定して動くべきなのだ。それを怠ったガンプドルフが悪い。

 ただし、何の考えもなくそうしていたわけではない。

 重装備で領主と会談などできないし、相手国などの公の場では装備を預けることもある。その場合、どうしても軽装になってしまう。

 よって、その弱点を補うための手段も、ガンプドルフほどの武人ならば当然講じているはずだ。


 突如、ガンプドルフの身体が光に包まれる。


 戦気が収束し、物質化し―――鎧が生まれた。



「へぇ、鎧気術(がいきじゅつ)か。あるのは知っていたけど、初めて見たな」


 戦気を鎧気に変化させ、物質化させる技である。

 戦気で生み出しているのでいつでも出し入れが可能で、壊れても即座に修復ができる。さらに特殊な能力を付与したものが多いのが特徴だ。

 ガンプドルフのものは金色に輝く鎧であり、周囲にバリバリと放電していることから、雷気を変質させて生み出したものだと思われる。


(なんか某漫画を思い出すな。黄金の鎧ってのはカッコイイもんだ)


 若干の憧れを抱いて鎧を見つめる。正直、ちょっと欲しい。



「いくぞ、少年! ここからが勝負だ!」



 ガンプドルフは突っ込む。

 アンシュラオンの攻撃能力を見てもなおそうすることから、ガンプドルフの戦闘スタイルがだいたいわかってきた。


(こいつは攻撃系の剣士だ。たぶん、鎧を着てからが本領なんだろう)


 武人には、攻撃型、バランス型、防御型の大きく分けて三種類のタイプが存在する。

 アンシュラオンは防御寄りのバランス型で、デアンカ・ギースと戦った時のようにまずは防御を優先し、体力を温存しながら相手の隙をうかがうタイプである。

 ゼブラエスもバランスタイプ。攻防に隙がなく、バランスよく何でもできる強みがある。

 彼の場合はやや攻撃寄りで、その恵まれた肉体を前面に押し出し、手数を出しながらあらゆる状況に対応するタイプである。

 防御型はひらすら防御しつつ、仲間を守ったり、特殊な能力でカウンターを仕掛けるタイプが多い。

 陽禅公が防御型であり、実分身などを使ってのらりくらりと防ぎつつ、じわじわと相手を消耗させるいやらしい戦法を得意としていたものだ。


 一方の攻撃型の特徴は、【ひたすら攻撃】である。


 ただただ攻撃に集中し、相手を圧倒し続ける。攻撃こそ最大の防御を体現したかのような存在、それが攻撃型である。

 パミエルキがこのタイプなので、アンシュラオンはその恐ろしさをよく知っている。

 しかもガンプドルフは剣士。ただでさえ強力な剣気を攻撃だけに使うことによって―――


「ぬんっ!」


 雷鳴斬(らいめいざん)。雷衝を剣にとどめて放つ剣技。相手を感電させる力を持つ。

 因子レベル1の技だが、ガンプドルフが使えば凄まじい威力になる。

 アンシュラオンはバックステップで回避。

 避けた場所が雷撃で爆ぜ、完全に消滅する。


「はあ!」


 続けて雷隆川(らいりゅうせん)。三叉に分かれた雷気が叩きつけられるように襲う。

 どんな魔獣でも雷に耐性がなければ、この一撃で麻痺するほどの強力な技である。普通の魔獣ならば即死であろう。

 アンシュラオンはそれも回避。注意深く技を見てから堅実にかわしていく。

 しかし、雷気はとどまり続け、周囲に激しい雷場を発生。

 雷に晒された足が―――止まる。


(雷系の技が多いな。しかもこの威力だ。雷属性を持っているのは間違いない)


 戦気でガードしているが、雷撃の威力が強くて足が痺れる。

 技にはそれぞれ属性があるが、使い手がそれに対応する属性を持っていれば威力は倍増する。

 アンシュラオンが水を得意とするように、ガンプドルフは雷を得意としているようだ。


「おおおお! 雷よ! 奔れ!!」


 さらに極め付けで大きな雷系の技が繰り出される。

 雷王(らいおう)・麒戎剣(きじゅうけん)。

 落雷のような爆音を上げて剣に雷気が集まり、それによって生まれる雷獣の残滓が、力を溜めているだけで大気を切り裂いていく。

 剣士因子5かつ、雷属性を持つ者にしか使えない【奥義】である。

 速度、威力ともに上位の技と比べても遜色がなく、中位技とはいえ単体での威力は最高位に匹敵する。


(これを人間相手に使うことになるとは…! だが、それだけの相手だ!)


 これは相手が武人であっても使うのを躊躇うような技である。

 よほどの強敵、全身全霊をもって倒さねばならない相手にしか使わないと決めているもので、最後に使ったのはルシアの雪騎将に対してである。

 その際、見事敵を討ち取っている。

 強力な武人であっても、直撃すればこの一撃には耐えられない。それだけの必殺剣である。

 ただし、技が発動するまでに多少の時間がかかる。そこをアンシュラオンは逃さない。


「羅刹!!」


 貫手の高速の一撃を腹に打ち込む。

 威力、速度、ともに相当なものであり、ガンプドルフはこれをかわせない。

 だが、彼には最初からかわすつもりなどはない。


―――雷撃のカウンター


 アンシュラオンが攻撃した直後、鎧が輝き出し、雷撃のカウンターを見舞う。

 雷鵺(らいや)公の鎧と呼ばれる、黄金の鎧の特殊能力である。

 攻撃を仕掛けてきた者に対して雷撃で反撃しつつ動きを封じ、そこに大技を叩き込む。

 張針円を使っていたことからも、これがガンプドルフの基本戦術であることがわかる。

 攻撃型の短所である防御を結界術や特殊鎧に任せ、自身は常に攻撃だけを選択し続ける。

 完全なる攻撃型、それがガンプドルフの戦闘スタイルであった。


(さすがにこれは動けまい!! 技の直後で硬直も解けていない!)


 雷撃を受けたアンシュラオンは感電。

 羅刹を放ったので動作は完了しており、そこに一瞬の硬直が発生している。

 完全にガンプドルフの間合い。


「もらった!!」


 そこをガンプドルフは逃さない。

 雷神の如き速度で、剣撃がアンシュラオンに襲いかかる。

 これはよけられない。かろうじて左腕を上げてガードするのが精一杯。


 剣が―――左腕を切り裂く。




64話 「ガンプドルフの実力 後編」


 防御の戦気を貫通し、破壊し、砕いていく。

 水気を発生させて雷撃を大地に流しているが、追いつかない。鮮血が舞い、雷撃が肉を焼いていく。


 剣は骨にまで到達し―――砕く。


 アンシュラオンの左腕の骨が折れた。

 デアンカ・ギースの攻撃でさえ防いでいた腕が、折れる。

 それだけガンプドルフの攻撃力が高い証拠であり、この一撃があればあの魔獣を倒せる可能性すら秘めている実力者である。


 だが、ガンプドルフの眼が見開く。


 勝利の気配を感じ取って喜びを宿してよいはずの眼が、驚愕して、ただ一点を凝視していた。


(まさか…これは…)


 ガンプドルフが見ていたのは―――リング。

 アンシュラオンの左手にはめられている、生体磁気を抑制する腕輪である。

 領主の娘と少年に気を取られていて、まったく気がつかなかった。ただのアクセサリーだと思っていた。


 それが―――爆散、消滅。


 ガンプドルフの攻撃によってダメージを負ったのもあるだろう。

 しかし、これは別の理由。


 その時、ぼそっと呟いた声が聴こえた。


「楽しいね。やっぱり人間と魔獣は違う。…殺すのは惜しいかな」


 ぞわり、と毛が逆立ったのを感じた。

 有利なはずなのに、なぜか感じる悪寒。

 少年から発せられた、残忍で凶悪で、純粋なまでの殺意に身体が震えたのだ。


 その予感は的中。


 アンシュラオンから溢れ出る戦気が、濁流となって世界を覆いつくす。


(なんだ、この圧倒的な戦気は!!!)


 リングが爆散したのは、アンシュラオンが本当の戦気を解き放ったからだ。

 リングの効果で半減されていてもホワイトハンターの力を持つアンシュラオンが、本来の戦気を解き放った。

 それは、輝く白い力。赤白い戦気が身体を覆い、強化していく。

 アンシュラオンが手を伸ばす。


 右手でガンプドルフの剣を―――破壊。


 剣圧と雷気によって強烈な一撃となっている剣を、破壊。

 それは技が発動されたから。


「覇王・滅忌濠狛掌(めっきごうはくしょう)」


 そのまま掌が胸にあてがわれた瞬間、ガンプドルフは―――自ら跳んだ。

 交通事故にでも遭ったかのように、三十メートルほど吹っ飛ぶガンプドルフ。だが、これはアンシュラオンの攻撃によるものではない。

 自ら発した攻撃の余波をあえて受け、自分から背後に跳んだのだ。

 激しい衝撃によって鎧に亀裂が入った。それは内部にまで行き渡り、吐血。


「ぐっ…ふっ……」


 自分の技をくらうのだ。それほど惨めなことはない。

 だが、この判断に後悔はない。もしあのままだったら、自分は死んでいただろう。

 ガンプドルフは自身の折れた剣を見つめた後、さきほどまで自分がいた場所を見て確信した。


 完全に―――消失


 範囲こそ直径三メートル程度だが、その空間には何も存在しなかった。

 いまだに激しい力の痕跡が残っており、大気すらも存在を許されないかのように空間が歪み、周囲の物質を吸収し続けていた。

 覇王・滅忌濠狛掌。

 戦士の因子レベル6で修得が可能な技で、圧倒的な力で効果範囲を完全に抉り取って消失させる覇王技である。

 範囲を限定するからこそ殺傷力は高く、あらゆる対象物を圧砕し、握り潰し、壊滅させる。

 これに抵抗するには、単純にそれ以上の力をぶつけるしかない。だが、おそらくガンプドルフにはそれはできなかっただろう。

 剣が、その証拠。あのままとどまっていれば、自分がああなっていたのだ。

 長年の戦いによって蓄積された戦闘経験値が、自分を救った。


(まさか現状で出せる最高の技ですら通じないとは…。しかもリングをはめたまま、【ハンデ】を背負って戦っていたというのか。ここまで実力差があると、本気を出させたのは幸か不幸か…)


 アンシュラオンから発せられる戦気は、今までのものとはレベルが違う。次元が違う。

 正直、勝ち目というものがまるで見えない。

 こちらはほぼ全力であるが、相手はまだまだ余力がある。下手をすれば半分の力も出していないだろう。

 このままでは絶対に勝てないどころか、生き残ることも難しい。

 そう、【現状のまま】では。


(抜くか? それしかないか?)


 自身の腰にある金色の剣、【魔剣】と呼ばれる存在に手をかける。

 あまり使いたくはないが、これを使えば万に一つも可能性が生まれる。これはそれだけのものだからだ。

 ただし、代償もある。


(しばらく【彼女】に手を焼きそうだが…致し方がない。今は領主の娘を守るほうが先決だ)


 そう決意を固めた時、事態は一変した。


「はははは!! あはははははははは!!」


 少年が笑い出した。それはもう、楽しくてしょうがないという声で。

 ガンプドルフは一瞬、心臓が止まりそうになったが平静を装う。これも長年の経験によるものだ。


「いいね、楽しいよ! あんた、そこらの武人じゃ相手にならないほど強いよ。腕を折られるとは思わなかった。さっきの技、姉ちゃんの軽い蹴りくらいの威力はあるよ」

「それは…褒め言葉と捉えていいのかな?」

「最高の褒め言葉だよ。前は折られるくらい当たり前だったけど、今じゃそうそうないからね。この痛みも懐かしいし、新しい刺激でビクビクしているよ」


 アンシュラオンの左腕がビクビクしている。

 それも当然、感電しているのだ。ビクビクしてもおかしくないだろう。

 ただ、彼にとってはそれも新しい刺激に思える。


「新しい場所に来てよかった。こんなに楽しい気持ちになるなんてね」

「お役に立てて光栄だ。しかし、君は強すぎる。おそらく奥の手を使っても勝てないな」

「へえ、奥の手があるの? 見てみたいな」

「そうならないことを心の底から祈っている。君も私も無事では済まないだろうからね」

「それって脅し?」

「まさか。君相手に脅しなど無意味だよ。これは希望的観測だ」


 ガンプドルフが魔剣に手をかける。

 アンシュラオンが攻撃態勢に入れば、躊躇なく抜く、という意思表示だ。


(普通の剣じゃなさそうだ。何か特殊な能力があると思っていいな。どうしようかな)


 左手を命気で治しながら、サナ・パムを見る。

 イタ嬢とは対照的に、サナは極めて冷静にじっとこちらを見ている。


「うん、これでいいや」


 アンシュラオンの中で、一つの区切りがついた。


「今日はここまでにするよ。それなりに満足したからね」

「…いいのか? まだ途中だぞ?」

「これ以上やると殺しちゃうかもしれない。あんたは殺すには惜しいよ。もっとこう、ちゃんとした理由があればいいけどさ、領主の代理としては、あんたは上玉すぎる。この戦いには見合わないな」


 ガンプドルフは、しばらくアンシュラオンを注視する。

 その言葉が本当かどうかを見定めているのだ。


(本気…か)


 そこには、軽く運動をして汗を流した人間の姿があった。適度に満足し、力が抜けている姿。これ以上やってもいいが、今日はまあいいだろう、といった充足感を得ている状態。

 それを確認し、ガンプドルフは魔剣の柄から手を離した。


「わかった。私にはもともと戦う理由はないから助かる。…確認しておくが、領主にはもう手は出さないでくれるか?」

「あっちからちょっかいをかけなければ興味ないな。でも、しつこかったら殺すよ」

「こちらから言い含めておく。それは問題ない」

「あんたが責任を負ってくれるならいいけどさ」

「約束しよう。それで、娘さんは返してもらえるのかな?」

「ああ、そうだったね」


 バリンと戦気壁が割れ、イタ嬢が解放される。


(この少年、戦気壁と命気を維持しながら戦っていたのか…。どれだけ恐ろしいのだ)


 アンシュラオンは遠隔操作で戦気壁と命気を維持しつつ、ガンプドルフの凶悪な攻撃に対応していたのだ。

 それだけ余裕があった証拠である。戦いが続かなくてよかったと、思わず冷や汗が流れる。


「景品はあんたのものだ。よかったね。せいぜい領主からふんだくってやりなよ」

「そうさせてもらう。が、取引は対等であるべきだ。欲張りはしない」

「真面目なやつだなー。オレの希望としては、あんたが領主を殺して、代わりにこの都市を管理してくれたほうが好都合なんだけどな」

「悪いがそれはできない。誰かの場所を奪ってまで繁栄するつもりはない」

「そう? 甘いんだね。あんたがいた場所はどうか知らないけど、こっちじゃ苦労するかもよ。力だけが正義の世界だからね」

「そうかもしれん。だが、人には誇りと矜持が必要だ」

「それがないやつも多い。領主とかね」

「ずいぶんと嫌ったものだな。彼の性格を思えば気持ちもわかるが、一つの方向からではすべては見えないぞ。彼はけっして悪者ではない。為政者として優れた面も多い」

「だろうね。でも、領主とオレが一緒に歩む必要はないし、相手を理解する必要もない。オレがそうしたいと思えば別だけど、そんなことがあるのかな?」


 グラス・ギースが今まで生き残ってこられたのは、紛れもなくディングラス一族のおかげである。

 たしかに出会いは最悪だったが、為政者として最低限の力量がなくては都市は維持できないだろう。

 当然、アンシュラオンもそれは理解している。理解したうえで、それでいいのだ。


「ずいぶんと自由な考え方をする」

「それは自分でも思うよ。今までの反動ってやつかな。うん、そうだね。【前の人生】からの反動かもしれないな。それはオレの問題だからしょうがない」

「不思議な言い方をするな」

「そういう人生を送ってきたからね。…じゃあ、今日はこれでおしまいだね。それでいいかな?」

「願ったり叶ったりだ」


 ガンプドルフが鎧を解除。その途端、激しい疲労が襲う。


(何度も死んだ気分だ。今は解放感しかないな)


 戦場に出ても、これほど疲れることはないかもしれない。

 それほど目の前の少年は強かった。実際、死んでいた可能性もあるのだから、安堵するのは自然なことだろう。



 しかし、すべてが円満に終わると思ったその時、再びそれをかき回す者がいた。




「お待ちなさい!!」




 頭を押さえながら、イタ嬢が立ち上がった。





65話 「王気、それは妹に贈る想花 前編」


「お待ちなさい!!!」


 イタ嬢が立ち上がって、アンシュラオンを睨む。

 最初はいきなりのことにショックだったようだが、少しずつ場に慣れて状況を把握したようである。

 その目には、まだ輝きが残っている。


「まったく、まだそんな元気があったとはな。話はついた。おとなしく倒れていろ」

「いいえ、まだです!」

「お嬢様、お願いですからこれ以上、事を荒立てないでください。もう終わったのです」


 ガンプドルフも説得を開始。

 この戦闘自体がガンプドルフには無駄なものである。そのすべての元凶は領主側にあるのだ。

 当然、アンシュラオンという予期できない相手がいたことは不運だが、事を荒立てたのは間違いなく領主であり、この少女である。

 これ以上の面倒は御免。それが本音であった。


「…終わった? これで終わりだなんて、わたくしは納得いたしません! 結局、あの子を渡すことになるのではありませんか!」

「どうしてそこまでこだわるのです。ただのスレイブではありませんか」

「あの子はスレイブではありません! わたくしの友達、大切な『ト・モ・ダ・チ』です! だから見捨てないのです!」


 彼女にとってスレイブは友達であり、連れ去ろうとしているのはアンシュラオンのほうである。

 それを見過ごすことは、結局見捨てることと同義なのだ。


「立派なお考えですが、それでも終わったのです。周りを見てください。状況はおわかりですか?」


 周囲の木々は、戦闘によってかなり破壊されている。いかに両者の戦いが激しかったかを物語っているようだ。

 イタ嬢であっても、これが何を意味するかは理解できる。ガンプドルフが自分を守ってくれたということも。


「友達を見捨てろというの?」

「そうは申しませんが、お父上も心配なさっておられます。まずはお戻りになられるのが得策かと思われます」

「たしかにそうね。お父様には心配をかけてしまった…」

「そうでしょうとも。彼は、あなたのことをとても大切にしています。ですから何よりも、あなたが無事であることが重要なのです。あなたとて今回のことでおわかりでしょう。一番大切なものは命なのです。まずはご自身の身を案ずるべきです」

「…それは理解しているわ」


 イタ嬢が頭をさすりながら呟く。

 死をリアルに感じるのは、これが生まれて初めてのことだ。領主の娘である自分に、誰も危害を加えることはないと思っていた。


 だが、違った。


 目の前には領主という地位、その娘という立場すら気にしない者がいる。

 その存在は、ただ暴力を頼りにすべてを解決しようとしている。残念ながら、自分にはそれにあらがう物理的な力はない。

 されど、これで終わりにはできない。ここで諦めてしまっては、今まで自分がやってきたことが無駄になるからだ。


(イタ嬢のおもりまでするとは、あいつも大変だな)


 アンシュラオンは、言葉巧みに何とか終わらせようとするガンプドルフに、昔の自分を見て同情の念を覚える。

 この世で一番面倒なことは、他人のおもりである。それが可愛い子供ならまだしも、場合によっては自分よりも立場や年齢が上の人間でも対応しなくてはならない。


(ああいうのってストレス溜まるから、あいつはいつかハゲるな。その前に胃がやられるかもしれないけど。…とと、イタ嬢のやつがめっちゃ睨んでいるな。どんだけ不満があるんだよ。生き延びただけでも十分とは思えないのかね)


 ガンプドルフの心配をしていると、イタ嬢の視線がこちらに突き刺さる。

 あまり関わりたくないが、そう言って聞くような相手でもない。


「しつこいね。まだ用事があるのか?」

「当然です。あの子は渡しませんわ!」

「前提が違うな。最初からお前のものではない。何度言ったら理解するんだ。そこを認めない限りはずっと平行線だぞ」

「…いいでしょう。認めましょう。あなたが予約していたものを私が横取りしました」

「いまさらという感じだが…まあいい。それで、謝罪でもしてくれるのか?」

「いいえ、謝罪はいたしませんわ」

「お嬢様!」


 ガンプドルフが慌てて諌めようとするが、アンシュラオンが手で制する。

 そこには殺意はなかった。

 すでに闘争本能が満たされていることと、彼女たちがそういう存在であることを知っているからだ。


「まあ、そうだろうな。お前たちに期待することは何もない。このおっさんに免じて見逃してやるから、さっさと消えろ」

「ずいぶんと上から目線ですのね。それを嫌ってわたくしをさらった人だとは思えません」

「実際に上だからな。上ではないやつが使うから上から目線なんだ。確実に上の人間が使うことは正しいことだ。こんなふうにな」

「―――うっ!」


 身体を締め付けるような強い圧力がイタ嬢を襲う。

 これは何かをしているわけではない。殺気を出しているわけでもない。ただ少し強めの眼力でイタ嬢を見ただけだ。

 それだけでイタ嬢は硬直。


(なんて目をしているの!? これが同じ人間だというのですか!? 力では絶対に敵わない。まるで魔獣ですわ)


 生物としての力が違いすぎる。

 たとえばデアンカ・ギースのような魔獣に見られただけで、気持ちの弱い人間ならば卒倒してしまうだろう。

 それと同じく、そもそもの存在が違うのだ。

 生まれもって最高の資質をもった人間以上の何か。魔人の系譜に連なる少年は、眼力からして普通の人間とは違う。


 これこそ真なる上から目線。


 アンシュラオンは、いつでも彼女を殺せる。領主城ですら破壊できる上位者が、自分よりも遥かに下のつまらない生き物を見る時の目である。


(でも、まだ終われない。わたくしとてディングラスの娘。ここで簡単に引き下がったらお父様に迷惑がかかりますわ。そして、友達は絶対に見捨てない。最後の最後までわたくしは闘います!)


 何度も心を叱咤しながら、イタ嬢は少しずつ自分を取り戻す。

 アンシュラオンの冷たい視線に晒されながら、いまだこうして自我を保っていられるのは、当人の意思が強いのか鈍感だからか。

 だからこそ、アンシュラオンもじっと待つ。


 そして、およそ十秒の時を経て言葉が紡がれる。


「まだ…です。まだ……真意を訊いていない」

「真意? お前に語ることは何もないぞ」

「違いますわ。あなたにではありません」

「ん? では、誰だ?」

「それは―――」


 そのアンシュラオンの疑問に対し、イタ嬢は思いがけない相手を指差す。


 まだ地面にじっと座ったままの―――



「あの子です!」



 黒き髪が、周囲の闇に溶け込んでしまいそうなほど美しい少女。

 首に緑のスレイブ・ギアス〈主従の鎖〉をかけ、自分の意思があるかもわからない『意思無き少女』。

 そんな彼女にイタ嬢が求めたのは、何よりも大切な【当人の意思】であった。


「わたくしたちは、まだ当人の意思を確認しておりません。あの子がどちらの場所にいたいのか、実際に訊いてみるべきでしょう」

「はぁ? お前な、精神制御をしている子に意見を訊いてどうする。どう訊いたって、お前の都合の悪いことは言わないに決まっているだろうが」

「そうかもしれません。ですが、当人の意思こそ一番大切です」

「お前がそれを言うか? 冗談にしても、さすがに呆れるぞ」

「冗談で申しているのではありません。わたくしは友達として、あの子が不幸になるのを見過ごすわけにはまいりません」

「オレが手に入れることが不幸か?」

「その可能性もあります。だって、あなたは変態ですもの。この子に何をするかわかったものではありませんわ。顔を舐めたことが証拠です!」

「オレがどうしようが自由だ。それが白スレイブだろう。お前だって、同じように好き勝手やっている。友達とそうでないかの違いだ」

「ですがあなたは、わたくしのようにあの子を人形にはしないと言いました。なら、どうするのですか? 何にするのですか? その返答いかんによっては、彼女が不幸になることも大いにありえますわ!」



 その様子をガンプドルフは緊張感をもって眺めていた。


(この状況でまだ食ってかかるとは…見ているだけでも心臓に悪いな。頼むから騒動にならないでくれよ)


 次に戦闘になれば、もはや血みどろの戦いになるは必至。どうなるにせよ自分は死ぬだろう。

 イタ嬢がそれを理解しているのかといえば、当然していないに決まっている。そんなことを考えているわけもない。

 ただし、ガンプドルフが心配するようなことは起こらない。

 なぜならば、その言葉はアンシュラオンにとっても【面白い】ものだったから。



(何にする…か)


 改めて問われると、サナ・パムという少女をどうするかは決めていない。

 行為や処遇ではなく、その【存在】をどうするか、である。

 そんなことは手に入れてから考えようと思っていたので、邪魔されたおかげですっかりと忘れてしまっていた。


(オレはスレイブを欲している。自分の思い通りになる存在だからだ。今にして思えば、それも姉ちゃんの反動なんだろうな。オレは姉ちゃんの代わりに心を埋める何かを探しているんだ)


 イタ嬢を見て、それを強く思う。

 ガンプドルフも言ったが、人は環境によって性格が変わってしまうことがある。その体験、圧力が大きなストレスとなって、いつしか爆発するように反対のものを求めるようになる。


 それこそが進化。


 人間の進化とは、そのようにして行われるものだ。

 大きなうねりと圧力の中に晒され、人の霊は自分に足りないものを常に探していく。アンシュラオンにとってそれは姉であり、姉を失った今、違うものに移っていく。

 それがスレイブ。


 では、スレイブをどう位置づけるか。


 イタ嬢は、スレイブを人形にした。思い通りになる友達という名の人形に。心の穴を埋める存在として利用した。

 それはアンシュラオンとて同じ。少女がスレイブであることは間違いない。

 しかし、本当にそうなのか、という疑問も存在していた。


(オレにとっちゃスレイブも人間も変わらない。イタ嬢だって、売り飛ばせばスレイブだったんだ。ならば、スレイブと人間の区別なんてたいしたことはない。何よりもこの子は、スレイブという単純な枠組みでは収まらない。そう、この子はオレの中でもっと大きなものになったんだ。今ならばそれが実感できる)


 こうして奪われた結果、彼女に対する愛着はさらに強まっていった。

 ただの愛玩動物ではなく、それ以上の、もっともっと自分の中でも重要な存在になっていることがわかる。

 それを思えば、こうした苦難があったことは歓迎すべきことである。

 アンシュラオンが、【それ】に気がつくきっかけになったのだから。


「オレの答えを聞いたら納得するのか?」

「納得するかどうかは、あなたの返答次第ですわ」

「お前が納得するかどうかは、オレにとってまったく関係ないが…まあいいだろう。教えてやろう」


 イタ嬢が、ごくりと唾を飲み込んだ。

 もしここで卑猥な発言が出たらどうしよう、などとも思いながら、自分なりに覚悟を決める。

 彼女にとって、スレイブとは友達のことである。あるいはファテロナのようなメイドや護衛の騎士くらい。

 それ以外の用途はまったく思いつかない。だからこそ緊張する。


 ならば、アンシュラオンはスレイブをどうするのか。


 あの少女をどうするのか。


「それはな」

「それは…?」

「そう、この子は―――」



 そこで、前から考えていたことを口にする。

 それは単なる思い付きでありながら、彼がずっと心の中に抱えていたものの一つ。



 言葉を―――放つ



 初めて彼女を見た時から感じていたこと。


 自分が求めていた何かを埋める存在の名を。






「オレの【妹】だ!!」






 はっきりと力強く、それでいて柔らかい響きをもった言葉。


 それは―――妹。


(そう、そうだ。この子は、オレの妹だ。べつに姉が駄目だったから妹ってわけじゃない。それじゃあまりにも節操がないからな。ただ、オレは子供も嫌いじゃない。妹も大好きなんだ)


 まったく関係ない話だが、アンシュラオンは姉の次に妹物が好きである。地球で好きだったエロゲーなども、姉を堪能したら次は妹で癒されていたものだ。

 姉と妹というダブル属性を同時に押し込んでくるゲームも、当然ながらまったく問題ない。すべてよし! である。


 アンシュラオンが欲しているものは友達ではなく、自分の心の奥底に絡み付いてくる、もっともっと濃密なもの。

 それは、サナの愛らしい小さな姿も相まって、やはり【妹】と呼ぶに相応しいだろう。




66話 「王気、それは妹に贈る想花 中編」


「うん、いい響きだ。妹…! 素晴らしいな!」

「いもう…と?」

「ああ、そうだ。妹だ。この子はオレの妹だ!!」


 アンシュラオンは自分の答えに納得どころか感動さえしているが、困ったのはイタ嬢である。

 いくら白スレイブがいかなる情報も刷り込めるとはいえ、まったく予期していなかった答えである。

 激しく困惑して、最初にこんなことを訊いてしまうほどに。


「その子は、あなたの妹…なのですか?」

「ああ、妹だ」

「血縁者という意味で?」

「は? そんなわけ…あっ、そうか」


 アンシュラオンは一瞬、「そんなわけないだろう」と言いそうになったが、これもまた人種の認識がない世界ゆえの勘違いだ。

 普通、肌の色や髪の毛の色で人種を判断するが、多様な因子があるので親子が一緒とは限らない。それゆえに見ただけでわかる親子のほうが少ないのだ。

 イタ嬢とて、父親のアニルとは髪の毛の色が違う。

 イタ嬢は濃い目の金髪だが、父親は黒に近かった。もしかしたら母親が金髪の可能性もあるが、それ自体にあまり意味はない世界である。

 だから言い直す。


「サナは他人だ。でも、今から妹にする」

「スレイブに情報として『妹』を刷り込む、ということですか?」

「そうなるな」

「それは、わたくしのやっていることと何が違うのですか?」

「オレはこの子を人形にはしない。妹として愛する。それが最大の違いだ」

「意思を尊重するということですか?」

「だが、オレの所有物だ!!! 絶対服従だ!」

「どっちなの!? あなたが理解できない! 意味がわからないですわ!!」

「オレだってお前が理解できないよ、イタ嬢様」

「イタ嬢様って呼ぶな!! わたくしは、ベルロアナ・ディングラスですわよ!」

「そうか、ベルロアナイタ嬢様か」

「交ざってる!! わかりにくくなってますわ!!」


 これでは「ベルロアナイタ」という名前かと勘違いされそうだ。


「どうやら納得はしていないようだな」


 仕方なくアンシュラオンはイタ嬢を見る。

 その表情は、あからさまに納得していないことを示していた。


「当然でしょう。あんな説明で納得すると思っていらっしゃったの?」

「ほんと、しつこいな。黙っていればまだ可愛いのに」

「わたくしが可愛いのは当然のことです」

「それだけ言えればたいしたもんだよ。で、この子に直接主人を選ばせるっていう条件を呑まない限り、お前は永遠に納得しないんだろうな」

「ええ、頑固ですもの」

「執着心が強いだけだろう」

「あなただって、たかがスレイブにこだわりすぎですわ!」

「オレにはこの子が必要なんだ」

「わたくしにだって!」


 どうやら引き下がる気は、まったくないらしい。ワガママというより頑固である。

 サナを買ったときも、こんな感じで粘ったのだろう。地位と権力を持つ以上、モヒカンでは相手にできそうもない。


(しょうがないな。オレも白黒つけないと気が済まない性格だし、ここははっきりと片をつけてやろう。余計な悪感情で邪魔されるのは面倒だ。まだしばらくこの都市にいるつもりだからな)


「いいだろう。その勝負を受ける」

「ほ、本当ですか? 最後にまた力づくで引っぺがすのは無しですわよ!」

「そんなことはしない。もしオレが勝ったら潔く引き下がれよ。二度とこの件に関しては文句を言うな。邪魔もするな」

「あなたこそ! わたくしが勝ったら、二度とちょっかいを出さないでください!」

「わかった。お互いに納得する。それでいいな?」

「当然です。それこそ書類に捺印したってよいくらいですわ」

「では、勝負の方法を決めるぞ。あの子から十メートル離れて、お互いに呼びかける。それであの子が自分のところに来れば勝ちだ」

「わかりましたわ」

「それじゃ、お前はあっちだ。オレは反対側に行く」

「いいえ、わたくしがあっちで、あなたが反対側ですわ」

「なぜだ?」

「何か罠があったら困りますから」

「ふん、困ったお嬢様だな。お好きにどうぞ」


(もしオレが本当に罠を仕掛けるなら、むしろ逆にするがな。罠なんてないけどさ)


 イタ嬢の性格を知っていれば、罠にはめることは簡単そうだ。面白いほど予想通りに動くから。

 といっても、罠などないのでどちらでも一緒だ。


 まだ地面に座っているサナから、互いに十メートルほどの距離を取る。


「それじゃ、いつでもいいぞ」

「あなたには負けませんわ!」

「オレも負けるつもりはないがな」


 こうして勝負は始まった。

 その様子にイタ嬢は、ほくそ笑む。


(くくく、主人であるわたくしが負けるわけがありません。呼べば必ずやってきますもの! 勝負に持ち込んだわたくしの勝利ですわ!)


 ベルロアナが呼べば、サナはやってくる。スレイブ・ギアスが精神に作用するものだから逆らえないのだ。

 誰がどう考えても、この勝負は明らかにイタ嬢に有利である。

 だからこそガンプドルフも不安を抱く。


(少年、どういうつもりだ? また何かをやるつもりなのか? スレイブ・ギアスに逆らうことは難しいはずだぞ)


 精神ジュエルを専用の機械なしで外すことは危険。それがわかっているアンシュラオンは、サナのギアスを外すことができない。

 しかし、目の前の少年が、そんなことを忘れているわけがない。だからこそ余計に不安なのだ。




 そして、二人の呼び合いが始まった。



 最初に仕掛けるのは、当然イタ嬢。


「クロメ、こっちよ! 来なさい!」

「おい、クロミだろう」

「うっ、ちょっと間違えただけよ! 今日会ったばかりですもの! しょうがないわ!」

「オレだって先日会ったばかりだ」

「それでどうして、そのふてぶてしい態度と自信なのですか!?」

「あれはオレのものだからだ」

「クロミ! あっちに行ったら毎日変態的なプレイを強要されるわよ! 貞操の危機よ!! だからこっちに来なさい! ここなら安全よ!!」


(酷い言われようだな)


 パンティーを頭に被り、サナの顔を舐めたりすれば、誰だって危ない人だと思うだろう。

 客観的に見れば、イタ嬢の発言はすべて正しい。


「ねえ、あなたは奴隷になりたいの!? そんなわけありませんよね? なら、わたくしとお友達になりましょう!? ねえ! あなたもなりたいでしょう!? このベルロアナのお友達に!」


 その言葉に、サナが一瞬ビクッと動いた。

 おそらく『ベルロアナ』『友達』というのがキーワードになっているようだ。

 ただ、一瞬動いただけで、サナはそれ以上は動かない。じっとイタ嬢を見ているだけだ。


(ほぉ、やはりスレイブはキーワードで支配するようだな。犬なんかが長い命令に対応しづらいのと同じだろう。簡単な言葉で刺激を与える方式なのかもしれないな)


 精神術式は難しい術である。長い命令を与えることもできるが、それだけ長い式になって両者ともに負担が大きい。

 あの緑のジュエルも品質があまり良くないらしいので、もともとそこまで高度な命令は組み込めないのだろうと思われる。

 また、領主城内部での他のスレイブの様子から、その人間の理解力によって結果も変わってくることがわかった。

 この場合、サナが『友達』という言葉をあまり理解していない可能性が高い。

 友達を知らなければ、友達になるという意味もわからず、説明しない限りはキーワードが意味を成さない。これもギアスの穴である。


 それと同時に【意思が無い】から。


 彼女は単純に、キーワードを感知すると流れる電流に反応したにすぎない。だから、それ以上何もしないのだ。

 自ら行く、という意思を発しないと、人間は歩くこともできない。その証拠をまざまざと見せ付けている。



(あの少女の希薄さは、ジュエルの影響ではないのか…?)


 ガンプドルフも、その様子を見守っている。

 少女がぼ〜っとしているのは、スレイブだからだと思っていた。その首につけた精神術式が、彼女の思考を奪っているのだと思っていた。

 だが、違った。

 少女は、最初からイタ嬢の声など耳にも入っていないというように、まったく反応しない。その姿は、あまりに病的である。


(病気? 精神的ショック? それとも脳の損傷か? 何かしら原因があるはずだが…。それより彼が苛立たないかが怖いな)


 ガンプドルフにとっては少年のことのほうが心配である。

 早くこんな馬鹿げた余興は終わってほしい。それだけを切に願っていた。



 そんな中、アンシュラオンは平然としている。

 べつに自信があるわけではない。こうなることがわかっていたからだ。


(意思無き少女。意思の無い存在。まるで人形そのものだ。たしかにオレはスレイブが欲しい。自分の思い通りになるものが欲しい。だが、【ドール】が欲しいとは思わない)


 ドールをドールとして理解して趣味にするのならば、それはまったく問題ないことだ。単に嗜好の問題である。

 しかしながら、意思ある存在をドールにすること、逆に意思無き者をドール代わりにすることは意味がない。

 そんなものは、虚しいだけだ。

 そんな寂しい人生は、一回だけで十分である。



 アンシュラオンとは対照的にイタ嬢は必死に話しかけ、その成果が―――出る。



「クロミ、おいで!!」

「っ…」

「え? 動いた? そ、そうよ!! そう! もっとおいで!」


 その時、たまたま発したイタ嬢のシンプルな言葉が、少女の精神に働きかける。

 これはスレイブ館で何度も時間をかけて教え込まれた言葉だからだ。

 「おいで」「戻れ」「ご飯」「トイレ」などなど、非常に簡単な単語は理解できるし、そう言えば命令には従うのだ。


 少女が―――立った。


 そして、一歩、前に出る―――イタ嬢に向かって。


「おいで、おいで!」


 また一歩、前に出る。

 その姿は、まるで人形に語りかけるかのよう。

 命令を与えて、それをただ受け取った人形が、その行動に沿うために動いているだけの光景。


(哀れとは言わない。それがスレイブだし、スレイブの主としての気構えだ。お前はある意味、立派なスレイブ使いだよ)


 アンシュラオンは、イタ嬢を褒める。

 なぜならばスレイブとは、本来はそういった存在だからだ。自分の物であり道具であり資産。

 それが勝手に動いては困る。だからギアスを付けて管理する。住む場所や服、食事を与え、養ってあげる。自分の財産だから。

 友達だろうと妹だろうと関係ない。契約によって結ばれた二つの要素が合致して動くだけだ。

 両者にとって幸せな契約ならば、それが一番に決まっている。買い主は満足し、スレイブは安定を得る。立場こそ違うが、完璧な互助関係である。

 イタ嬢は、それを見事に実践しているだけだ。

 中にはファテロナのように、スレイブでありながら自由に過ごし、その強さから特権を与えられる存在もいる。

 荒野で苦しんで生活するよりは、よほど立派な生活であり、成功者とも呼べるだろう。

 スレイブの扱いという点に関して、イタ嬢に何の落ち度もない。だから褒めるのだ。


 また一歩、少女が動く。


 サナの身長は低いので、まだ十数歩の猶予はあるが、このままではイタ嬢の手に渡るのは明白。


 それでも―――動かない。


 アンシュラオンは、じっとその様子をうかがっている。まだ一度たりとも話しかけていない。


(何のつもりか知りませんが、この勝負はわたくしの勝ちですわね。あなたに最初から勝ち目などないのですわ!)


 イタ嬢からは、アンシュラオンが勝負を諦めたように見える。

 もしかしたら飽きたのかもしれないし、取り戻してみただけで満足したという可能性もある。

 さすがのイタ嬢もそこまで命知らずではないので、あとで一億は返すつもりだ。彼に対して損害を与えなければ、少しは納得するだろう。


 一歩。また一歩。


 クロミと呼ばれる少女が近寄ってくる。


「ああ、わたくしの友達になるのよ! あなたはわたくしと一緒に生活して、何不自由ない生活を送るの! それが一番幸せなのよ! だからわたくしの言うことを聞きなさい! 友達になりなさい!!」


 それらの言葉は、少女には届いていないだろう。それはイタ嬢も理解している。

 だが、人間にとって重要なのは自分自身である。その事象や現象の真実ではなく、自分にとってどう利益が生まれるかが大切なのだ。

 ベルロアナにとって、サナの気持ちなどは必要ではない。それが友達ではなくてもかまわない。

 傍にいて、一緒にいて、友達と言ってくれるなら誰でもよいのだ。


 彼女の中の闇が―――噴出。


 領主の娘として隔離された空間で暮らし、どうやっても外の子供たちとは相容れなかった孤独と寂しさが滲み出る。

 だって、しょうがないから。こうしたほうが早いし楽だから。

 それしか方法がないから。

 ずっと自分に言い聞かせてきた言葉は、いつしか自分の心の中に【怨念】のようにこびりついてしまった。

 それを正当化するだけの権力があったことが、彼女の人生を狂わせる。



「わたくしを見て!! わたくしに触って!! クロミ!!」



 その必死な声が、一直線に注がれる。




67話 「王気、それは妹に贈る想花 後編」


 アンシュラオンは、ベルロアナが発した闇を見つめる。

 意識が具現化するとは、まさにこのこと。彼女の情念があまりに強いために、戦気と同じく実体化しているのだ。

 この星の大気は意思が実体化しやすい性質を持つので、地球以上に精神が具現化するのである。


 イタ嬢の名前の通りに、痛々しく、哀れで、それでいて強い。


 ベルロアナは、もともと性格の強い人間なのだろう。それは【意思】が強いということ。

 彼女の中にこびりついた強い意思が、世界を夜よりも暗い闇で包んでいく。


(それがお前の闇か。鏡とは怖いものだな。お前はまったくオレと同じ闇を持っている。姿かたちこそ違うが、ほとんど同じものだ。それは簡単には消えない。転生しても消えなかったからな)


 ベルロアナの姿は、アンシュラオンが抱える闇と同じもの。

 自分の心の中にあるどうしても拭いきれなかった大きな闇が、スレイブを求める動機になるのだ。

 ベルロアナは欲する。欲している。欲し続けている。


 だが一生、満たされることはないだろう。


 その力がどんなに強くても、ただそれだけでは人の心は満たされない。

 自分だけの独りよがりでは、相手を支配することはできないし、ましてや友達になることは絶対にできない。


(ベルロアナ・ディングラス。お前は、かつてのもう一人のオレだよ。オレもかつては同じ闇の中にあった。だからお前を否定しない。ここで出会ったのも女神様の気まぐれかな。だとすれば、痛いことをするもんだけどね)


 アンシュラオンはイタ嬢に同情の念を抱きながら、ゆっくりと目を瞑る。

 意識を黒い少女、サナに集中させ、その内面に触れるように心を広げる。


 その中は―――深遠。


 ただただ深い真っ黒な世界だけがあった。ドス黒いものではない。

 もっと綺麗で純粋な―――言ってしまえば『無』である。


(何もない。お前には本当に何もないのか?)


 何度探っても少女の中は真っ黒である。何も見えない世界が広がっている。

 どんなに意識を発しても、すべて飲み込まれてしまうようだ。そこに限度というものがない。


 なぜならば、存在しないから。


 無から有は絶対に発生しない。無は、無であり続ける。

 なぜサナ・パムという少女が、このような状況なのかは理解できない。知る由もない。


 だから―――受け入れた。


(そうか。ならば、それでいい。お前は真っ白どころか真っ黒なんだな。それでもかまわない。お兄ちゃんが、お前に生きる力を与えてやる。だから―――)







「―――サナ!」








―――光がこぼれた





 声が光となって放出され、世界を包む。



 その光は、透明ではない。

 強く、強く、ただ強く、白でありながら赤で、情熱的でありながら静かで、儚くありながら現実的で、確かにそこにある力であり―――光。

 光は、光として、光であり、燃えるように輝く。

 そうあれと願い、そうであることを祈り、そうなると知る。

 心が、心だけが、心しか、存在しえない。

 すべての実であり、すべての有であり、すべての欲求の根幹であるもの。



 目を瞑りながら―――叫ぶ!




「サナ!!! オレを見ろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」





「―――――――――っ!!!」






 その声は周囲一帯だけではなく、おそらく壁さえ貫いて、領主城にさえ届いたかもしれない大音量である。


「うっ、な、なんて大声…!!!」

「こ、これは…! これほどの…」


 イタ嬢やガンプドルフが思わず耳を塞ぐほど、強烈で痛いもの。


 触れるだけで、痛い。

 求めるだけで、痛い。

 感じるだけで、痛い。


 それは単に音量が大きかったから痛かったのではない。

 アンシュラオンの心の痛みを乗せたものだったから。

 求める気持ちを体現したものだったから。

 その【意思】を示したから。




 意思は痛みとなり―――奔った。




 黒い世界が白で埋められ、初めてサナがアンシュラオンを見る。


 緑の瞳が、エメラルドの瞳が、たしかに動いた。

 それは痛みによる反射だったのかもしれない。だが、はっきりと見たのがわかった。


 点と点が線となり、線と線が繋がり―――閃となる。


「サナ。お前は、サナ・パムだ!! クロメでもクロミでもない! サナ・パム!! それがお前の名だ!! わかるな! わかるはずだ!! オレだけは、オレだけが、お前を知ることができる!!!」


「サナ!! オレと来い!! オレの妹になれ!! だが、強要はしない!! お前が選ぶんだ!! 来い、ここに来い!! さあ、来い!! 来るんだ!! 来ないと連れていくぞ!!」


 強要しないと言いながら、来いと言う。

 来ないと連れていく、と言う。

 ワガママで自己中心的で、自分と自分の所有物以外に興味がない少年。

 粗暴であざとく、暴力すら使うことを厭わない人間。


 だが―――【意思】がある。


 白と赤に包まれた強い、とても強い意思が黒を包んでいく。


「お前に意思が無いというのならば、それでかまわない!! オレがお前に生きる意味を与えてやる!! お前に喜びを与えてやる! お前に怒りを与えてやる! お前に楽しさを教えてやる! お前に哀しみを教えてやる!! お前の中を、オレという存在で満たしてやる!!!」


 喜びを知らないというのならば、教えてやる。

 怒りを知らないというのならば、教えてやる。

 楽しさを知らないというのならば、教えてやる。

 哀しみを知らないというのならば、教えてやる。

 痛みを知らないというのならば、教えてやる。



 そして―――




「お前に―――【愛】を教えてやる!!」





 人生が愛であることを教えてやる。

 世界が愛であることを教えてやる。

 人が愛であることを教えてやる。

 霊が愛であることを教えてやる。


 すべてが、すべてのものが、ありとあらゆるものが、愛によって生まれ、愛によって育まれ、愛によって循環していることを教えてやる。


「オレが、オレだけが! お前を愛することができる!!!」





「サナ―――来い!!!」






 求める。求め続ける。

 君が、欲しいと言うから。

 あなたが、欲しいと言ったから。

 あの日、あの時、欲しいと願ってくれたから。


 わたしは行くのです。


 その白くて、赤くて、燃えるようなものに惹かれて。

 それはきっと、わたしの中にある虚無を埋めて、埋め尽くして、叩き壊して、満たして、すべてを支配してくれるとわかったから。

 あなたが、あなたの白の力だけが、黒と調和すると知ったから。



 一歩―――歩く。



 もう一歩―――よろけながら歩く。



 それはまるで赤子が初めて歩くように、たどたどしく頼りなく、怖くなるような運び。

 それでも、確かな一歩。

 その動作を三十秒という時間かけて行い、その時間が永遠にすら感じるほど長く感じられ、そこにたどり着く。


 初めて発した。

 初めて求めた。

 それが何なのかわからなくて、ただただ眩しくて、初めて触れるのが怖いと思えた。

 でも、大きくて優しくて、強くて怖くて、泣きながら怒っているその人は、暗闇の中で唯一の光だったから。



 初めて―――手を伸ばす。



 アンシュラオンが、ゆっくりと目を開けた。

 手に残る、温もりを感じたから。


 そこには、サナがいた。


 初めて意思を示した【妹】がいた。


 妹を、優しく抱きとめる。



「サナ、今日からオレの妹だ」

「…こくり」


 言葉はない。ただ頷くだけ。

 しかし、その目はアンシュラオンを見ていた。ずっと見ていた。



 そして―――スレイブ・ギアスが粉々に砕ける。



 アンシュラオンの光に晒され、その醜い正体がバレてしまった魔女のように、一瞬で存在をかき消されてしまった。



 それは、もう一つの終焉を意味していた。



 言葉は光となって、周囲の闇をすべて切り裂いた。

 ベルロアナの闇が一瞬で消えていく。消されていく。

 かつては同じ闇を抱いていた少年が、それを食い破るように白い力ですべてを潰し、満たしていく。

 その中央にいたはずのベルロアナが、呆然とへたりこむ。


「…そんな……ことが……起こるなんて……。こんなことが…こんなことが……」


 さすがの彼女も、今起こったことの意味がわかったのだ。

 アンシュラオンの光は、頭で考えずとも理解できるものだった。彼の感情、気持ち、情愛のすべてが込められていたからだ。

 触れただけで、自分が小さな存在に思えてならなかった。

 しかも白い光は、そんな自分でさえ満たそうとする。満たしてくれる。

 優しくて温かくて、心が愛に満たされるから。


 涙が―――流れた。


「うう…ううう……! 所詮、偽物だった…! 全部壊れてしまった。こんなもの、何も意味がなかった…。ファテロナの言う通りよ。あなたの言う通りよ。全部…偽りだったもの…」


 とめどなく涙がこぼれ続ける。

 怒りも憎しみもなく、空虚なものだけがあった。必死になって集めてきたものが、全部ゴミクズだった時の気分。


「わたくしは……全部、独りよがりで……なんて惨めな……」


 その愛の大きさと光に比べたら、自分が求めたものがいかに惨めかを示される。

 全部、虚像だった。幻だった。意味がないものだった。

 ベルロアナが、がくっと力なく崩れる。

 ここまで完全な敗北を味わったのだ。簡単には立ち直れないだろう。




 サナを抱き上げるアンシュラオンが輝いている。

 その光は、戦気でもなく、単なる生体磁気でもない。


 これは、これは―――


「【王気(おうき)】…か」


 ガンプドルフが、その言葉を紡いだ。



―――王気



 【王】だけが発することができる最強のエネルギー。宇宙を生み出した力であり、星を運行しているパワーであり、太陽が太陽であるための輝き、その熱量。


「あの少年、王の器か! ふははは、このようなところに王がいる! 我々が求め続けた王が、こんなところにいるとは!! こんなに可笑しいことはないぞ!! はははははは!!」


 ガンプドルフは可笑しくてたまらない。

 子供たちの茶番に付き合っていたら、そこから黄金が出てきたのだ。それも金銀財宝の山。一国どころか、世界すら動かしてしまえる巨万の富である。


 王は、ただの称号ではない。


 人を導き、道を示す存在。迷える人間のために舞い降りた力そのもの。女神の愛に匹敵する人類の道標なのだ。

 何千という類魂(るいこん)を導く、霊の中心となる存在。

 それはいつか一つになり、宇宙を駆け、新たな光となる存在。

 人の可能性であり、人の未来であり、人が霊だからこそ到達しえる究極の光を束ねる存在。

 女神が与えた無限の因子を体現する者であり、弱き人々の希望。


「動く、時代は動くぞ! 我らの道に光が見えたのだ!! 同胞よ、喜べ! 東から日は昇るのだ!!」


 当然、この地にとっての救世主にもなりえる存在である。むしろフロンティアが狭く感じるくらいの大きな器だ。

 ガンプドルフにとっても、アンシュラオンと出会えたことは僥倖(ぎょうこう)としか言いようがない。

 黒き少女を抱きしめている白き少年こそが、この大地を新しい世界に導く最高の王になるという確信が生まれたのだ。

 こうして関われたことを、今は女神に感謝してもいる。もし味方に引き込めれば、ガンプドルフの目的も大いに達成できるだろう。

 しかし、まだ懸念もある。


(だが、危うい。まだ危うい。スレイブ一人にあれだけの執着を見せる。何事も大切にするのはよいことだが、それが彼を壊さねばよいが…)


 もし王が道を誤れば、それだけ被害は大きくなる。だからこそガンプドルフは、ますます少年から目が離せなくなるだろう。

 いや、彼だけではない。すべての人間が、アンシュラオンという少年に釘付けになるのだ。

 文字通り、世界が彼中心に動くことになる。それだけの光を放っているから。

 光は多くの者を寄せ付ける。清らかなものも、醜いものも、害虫でさえも。光が光ゆえに、数多くのものが彼に群がってくるだろう。



 だが、少年は歩むことを決めた。



 姉の呪縛から逃げ出し、閉鎖された火怨山から出て、初めて世界を見た。

 その世界が少年にどう映ったのかはわからない。だが、自由だと思った。

 この世界は本当の自由だと。


(ああ、満たされる。オレは、サナと一緒に新しい世界を見るんだ。自由に生きるんだ!)


 少年が初めて手に入れた『自分だけのもの』。

 それを大事そうに抱えて、彼は歩み出す。自分と正反対の色をした【黒き少女】と一緒に。



「さあ、一緒に行こう」

「…こくり」


 サナが頷く。

 ここから【彼と彼女の物語】は始まる。




68話 「そうだ、小百合さんの家に行こう! 前編」


(よし、これですべて終わった。あとは自由だ!)


 サナを抱えながら、再び上級街の第一城壁を駆け上がる。

 そのまま一度壊した結界を抜けて、来た時と同じ場所に着地。


「はー、ようやく脱げるよ」


 茂みに隠してあったバッグを取り出し、ようやくにしてコスプレ衣装から普段の道着に着替えることができた。

 ガンプドルフとの戦いでボロボロになったので、再びこの格好をすることはないだろう。自分でもしたいとは思わないし。


「…じー」

「…ん? 何? ああ、そうか。仮面をしていたからオレとわからなかったか? そうだ、オレがお兄ちゃんだぞ」


 サナが顔を見つめていると思ったら、今まではずっと仮面をつけていたことに気がつく。

 仮面を外し、サナの顔に自分の顔を近づける。かなり近い距離なので、細かいところまではっきりと見えるはずだ。


「ほら、好きなだけ見ていいよ。よく覚えるんだぞ」

「………」


 サナは、しばらくアンシュラオンの顔を凝視していた。

 その顔は相変わらずの無表情で、何を考えているかはわからない。もしかしたら何も考えていないのかもしれない。


(うーん、心が読めないな。普通の人間なら雰囲気で気持ちがわかるもんだが、サナは普通とは違うみたいだ。こりゃ、慣れるまでは苦労しそうだな)


 人間にはオーラがあるので、それに接触すれば雰囲気から相手の気持ちを察することができる。

 が、サナの場合は少し特殊なようで、こうして近くにいても考えていることを読むことができない。

 これも彼女の特異性なのかもしれない。だが、それもまたよし。


(普通ってのは平均ってことだ。普通じゃないならば、何かほかの面が特別に優れているってこと。なら、絶対に後者のほうが面白いし価値がある。素晴らしいことじゃないか)


 この世で一番つまらないのが普通であること。他の誰かと同じであること。

 サナの輝きは明らかに違う。ならば、それを思う存分楽しめばよい。誇ればいい。

 もともと生半可な個性では、魔人の系譜であるアンシュラオンと釣り合うわけもない。あの時に見た黒い世界こそ自分には相応しい。

 そう考えると、ますますサナのことが大好きになってくる。


(やっぱり可愛いな。もう食べちゃいたいくらい可愛い)


 こうして近くで見ると、やはりサナは可愛い。このまま大きくなれば美人になるのは間違いないし、そのまま可愛い系の女の子に育っても面白い。


(最高の素材を手に入れるってのは、こういうことかな。うん、ドキドキするな。どうやって育てようかな)


 最高の原石を手に入れた時に感じる興奮と不安が入り混じった感覚。

 上手く扱えれば最高の結果を導くが、失敗すれば伸び悩む。それは素材が悪いのではなく扱う自分の問題。そういった類のプレッシャーを感じるのだ。


 それがまた新鮮。


 勿体なくてそのまま使わないという人もいるくらい、こうしたものはいつだって人を惑わせる。

 その間、サナはじっとアンシュラオンを見ていた。さすがに気になったので、自分を覚えているか訊いてみる。


「オレのことを覚えている? 一度会ったよね?」

「…こくり」


 言葉はしゃべらないものの、こうして意思表示はしてくれる。その仕草も愛らしい。


「そうか、そうか。サナは記憶力がいいなー。いい子、いい子」


 サナをナデナデすると、可愛い頭がぐるぐる動く。


「あー、可愛いなー、可愛いなー」

「………」


 あまりに可愛いので、そのまま撫で続ける。

 撫でる 撫でる 撫でる
 撫でる 撫でる 撫でる
 撫でる 撫でる 撫でる

 触るたびに黒い髪の毛の柔らかい感触が手に感じられて、うっとりとしながら撫で続ける。

 これが自分のものになったという高揚感、恍惚感に酔いしれ、ひたすら撫で続ける。

 それを十秒間続けたあと―――


 サナの頭がさらにぐるぐる動き、そのまま―――だらんとした。


 首だけががくっと前に傾き、突然動かなくなった。

 それに驚いたのはアンシュラオン。


「え? さ、サナ!? 大丈夫か?」


 サナは、がくんと首を垂れたまま動かない。


「え? ええ!? まさか首が折れたとかじゃないだろうな!? た、大変だ! どうしよう!! ど、どうすればいいんだ!? な、何をすれば!? そ、そうだ! 治療だ!! 命気をありったけ注入するんだ!」


 大量の命気を放出してサナを包み込む。その量は膨大で、もはや水槽の中の魚のような状況だ。

 命気がサナのあらゆる場所を癒していく。

 座り込んだ時に出来た細かいかすり傷、歩いた時にすり減った足の裏の皮膚、目に見えない小さなダメージなど、ありとあらゆる場所を再生修復させていく。

 身体の中にも入り、洗浄から浄化まで、これでもかと至る所を修復する。


「はぁはぁ、どうだ! どんな毒だって浄化できるし、どんな怪我だって治せるんだぞ! 火怨山の魔獣のどんな能力だって、これ一つで耐えてきたんだ! 姉ちゃんだっててこずる命気水槽は無敵だ!」


 アンシュラオンの命気の再生力は、あの災厄の魔人たるパミエルキでさえ手を焼くほど。水に特化した自身の真骨頂とも呼ぶべき力だ。


 が、目覚めない。


 力なく命気の水槽でたゆたうサナの姿に―――パニック。


「あわわわわ!! ど、どうしよう! いきなりサナが大変なことになっちゃったぞ!! 命気で治らないなら病気!? 何かのウィルスか!? 医者! 医者に見せるべきか!? だが、こんな街の医者じゃ信用できん! ぶ、ブラック! ブラックでジャックな先生はいないのか!!! 金ならいくらでも払うぞ!!!」


 その姿は、初めて自分の子供が病気になった父親そのもの。

 愛情をたっぷり注いでいる大切な子が、突然倒れて動かなくなる。愛情が強すぎるがゆえに、その思考はどんどんおかしい方向に流れていく。


「な、何かないのか! 何か治すアイテムは!! ゆ、指輪! そういえば指輪を拾った! これに祈れば何か起こるのか!?」


 アンシュラオンは、拾ったアイテム【母の指輪】を天に掲げて祈った。

 だが、何も起こらない。


「使えない指輪めえええええ!! 消えろーーーーー!!!」


 全力投球で遠投。指輪は遥か遠くへ飛んでいった。

 実はイタ嬢の七騎士の一人の大切なものであり、落として困っていたアイテムである。フラグは回収されなかったので大切な理由までは語られないが、ぜひ安心してほしい。

 この遠投で指輪は領主城にまで届き、返還することに成功している。ただし、見事野グソに命中してしまったので、彼がそれを見つけた時には違う意味で涙を流すかもしれないが。


「ほかには何かないか…何か!! あっ、鍵があるぞ! これで心の扉をオープン―――なんてできるかあぁあああ!」


 バキンッ

 【休憩室の鍵】をへし折った。

 領主城にはスレイブたちの休憩室があり、これはそこの鍵である。その中には彼らの荷物があり、もしかしたら特殊なアイテムをゲットできたかもしれないが、それはもう終わった話。

 新しく発生した事実は一つ。

 休憩室の鍵が失われたことで、しばらく誰もそこには入れず、多くのスレイブが困ったというだけのこと。

 以上である。


(もしやスレイブ・ギアスが砕けたことが影響しているのか? 精神術式がかかった状態で壊れたからな。その可能性はありえるが…たいした術式じゃなかったように見えたぞ。それともサナにとっては悪影響を与えるものだったのか? くそっ、姉ちゃんに反対されても術を覚えておけばよかった!! どうしよう。どうすれば…)



 そうしてしばらく混乱していたが、最後に一つ閃いたことがあった。


「そうだ、小百合さんの家に行こう!!」


 まるで古都に旅行に行く際に使われそうな言葉を残し、サナを抱っこしながら全速力で走る。

 たしか小百合の家は、この近くのはずだ。西門からさして離れた位置ではない。

 べつに小百合に会ったからといって、彼女は医者ではないのでまったく意味はないが、とりあえず知り合いに会って落ち着きたいという心理状況だったのだろう。

 この街で出会った中で、戦闘を除けばもっとも頼りになりそうなお姉さんは、彼女しかいない。

 どのみち女性&お姉さんに限定した段階で、マキか小百合しかいないので完全なる趣味である。


(待っていろよ。お兄ちゃんがすぐに助けてやるからな!)


 アンシュラオンは小百合の家に急ぐ。




69話 「そうだ、小百合さんの家に行こう! 後編」


 中級街の大通りでは、まだ多くの人間がお祭り騒ぎをしていた。

 下級街よりも上等な居酒屋やバーも多いので、この地域は少し落ち着いた雰囲気なのが特徴である。

 飲んでいる客も少し裕福そうで、服もそれなりに見られるものを着ている。ただ、そんな彼らでさえ、突如降ってきた金には等しく酔いしれるもの。

 アンシュラオンが撒いた金、言い換えればタダ酒をたっぷり頂戴して、街全体が酔っているような雰囲気を醸し出していた。

 もっとシンプルに言えば、酒臭い。

 そこに下級街から流れてきた駄目人間っぽい輩も加わって騒いでいるので、グラス・ギース内部は相当なカオス状態になっていた。

 そんな中をアンシュラオンは全力で駆け抜ける。あまりに速いので周囲の人間はまったく気がつかない。

 が、通り過ぎたあとに発生する衝撃波によって、水商売のお姉さんのスカートが舞い上がり、おっさんのカツラがふっ飛び、ついでに調子に乗って屋根から飛び降りた若者が、マットからずれて足を折り、それが余興として大爆笑となっていることなど、今のアンシュラオンにとってはどうでもいいのだ。


(サナ、サナ! 今助けるからな!! お兄ちゃんが守ってやるからな!)





 サナを大切に抱えて、中級街の住宅が居並ぶエリアにまで到着。

 そこに並ぶ住宅も下級街とは違い、いわゆる普通の一般住宅が並んでいる。ボロ屋は一軒もない。

 ここに住める段階で、小百合が街の中でもそれなりの地位にいることがわかる。

 地図を見ながら、いくつか家の表札を確認していくと、五軒目に「ミナミノ」を発見。

 小百合の家は一軒家で、庭付きの綺麗な家である。建築様式的には、ハローワークに似た石と木の造りであり、見ているだけで心が和む良い家だ。

 周囲の家々も同じような造りなので、もしかしたら社宅なのかもしれない。

 アンシュラオンは、さっそくチャイムを連打。

 ピンポーン ピンポーン ピンポーン
 ピンポーン ピンポーン ピンポーン
 ピンポーン ピンポーン ピンポーン


「小百合さん、小百合さん、小百合さーーーん!」


 小学生の頃以来である、外から呼ぶという荒業も繰り出しながら、必死に小百合の名前を呼ぶ。

 時計がないので時間はわからないが、現時刻はすでに夜の十二時に迫るものだと思われる。こんな時間に迷惑だと思うが、今は彼女しか頼れる人がいない。

 アンシュラオンの声が届いたのか、ガチャッと扉が開いて小百合が出てくる。


「はーい、どちら様……」

「小百合さん、オレだよ! アンシュラオンだよ!」

「ええ!? アンシュラオン様!!! や、やだ! こんな格好でどうしましょう! まだ心の準備が…! いえ、逆にこれは好都合!! ここで既成事実を作って結婚に…」


 その姿は―――バスローブ。

 就寝前の風呂にでも入っていたのだろう。濡れた髪は艶やかで、少し火照った身体も非常に色っぽい。

 だが、それにかまっている余裕はない。とても残念であるが。うん、とても残念だが。


「小百合さん、そんな場合じゃないんだよ! 大変なんだ!」

「そんな場合って、大切なことですよーー! これ以上婚期が延びたらどうするんですかー! 今すぐ結婚してださい!!」

「それはそうだけど…い、今はそっちじゃなくて、その、大変なんだよ! こ、この子が、この子が動かなくなって…!!」

「アンシュラオン様の【この子】が動かない!? それは一大事です!! 家族計画にも多大なる影響が出ます!! 子供は二人は欲しいです!」

「ちょっ!? そっちのこの子じゃなくて、本当にこの子のことなんだ!! ちなみにオレの息子は元気だよ!!」

「あ、あらやだ! 違うのですか!?」

「この黒髪の子だから!」


 パニックになったのは、アンシュラオンを見た小百合も同様だったらしい。

 そして、ようやくサナに気がつく。


「あ、あああ!! その子はどうされたのですか!?」

「いきなり動かなくなったんだ! 原因がわからないんだよ!」

「大変です! は、早く中へ!!」

「う、うん! ありがとう!!」


 急いで家に入り、リビングにまで駆け込む。

 そこのソファーにサナを下ろすと、小百合のバスローブを引っ張りながら懇願する。


「小百合さん、サナを助けて!」

「さ、サナ様ですね! わかりました! こう見えて多少の救命措置の心得があります。ハローワークの職員たるもの、いかなる事態にも対応しなければなりません。お任せください!」

「あ、ありがとう! 本当にありがとう!!」


(さすが小百合さんだ!! ここに来てよかった!!)


 精神的に落ち着いたのを感じて、少しだけほっとする。

 いくらアンシュラオンが強かろうと、他人のことまではどうにもできない。特にサナは女の子であり、自分とはまた違う側面も多い。


(子供ってのは怖いな。小さなうちはよく病気になるけど、その時の親の気持ちがわかるもんだ。経験がないと半端じゃなく動揺する。…これからはもっと落ち着かないと)


 水疱瘡(みずぼうそう)やおたふく風邪など、子供の頃はいろいろな病気になったものである。

 その際には親に世話になったと、今になってしみじみ思う。

 今アンシュラオンが感じているものも、昔味わえなかったもの。つまりは新しい体験である。

 ヒヤヒヤしたが、それがまた彼を一つ成長させるのだろう。


「では、失礼します」


 小百合がサナを調べる。

 瞳孔を調べたり脈を取ったり、口の中を開けたりいろいろとやっている。ハローワークで研修でも受けたのだろう。キビキビと的確に診察していく。

 ハローワークに限らず大きな組織では、こうした研修を課していることが多く、特に東大陸のような未発達文化圏に赴く職員は、必ずこうした知識を身につけている。

 さすがに医者には敵わないが、異常があるかどうかくらいはわかる。


「こ、これはまさか…!」


 その小百合の目が驚愕で見開く。信じられないものを見た、という目である。

 それにアンシュラオンも慌てる。


「何かわかったの!? もしかして病気!? お金ならいくらでも用意するから助けて!!」

「あ、アンシュラオン様、よく聞いてくださいね」

「う、うん」

「いいですか。とても大切なことを言いますよ」

「ごくり」


 居ても立ってもいられないという様相で、若干目が泳いでいるアンシュラオンに対して、小百合が重要な事実を告げる。


「サナ様は…」

「サナは…?」


「実はサナ様は……」




 ゆっくりと呼吸を正し、アンシュラオンの顔を見据え―――









「―――寝ています」









「へ? …今、なんて?」

「寝ています」

「ネテ…イル? 新しい病気の名前?」

「落ち着いてください。寝ている、です」

「寝て…る?」

「はい。寝ておられます。ぐっすりと」

「寝てるの? サナが? 寝てる…?」


 アンシュラオンが目をぱちくりさせて何度も反芻する。

 聞き間違いでなければ、【寝ている】と聴こえた気がする。

 それを追認するように小百合が改めて事実を述べた。


「はい、寝ています。しかも爆睡です。ここまで深い眠りに入るなんて普通はないですね。見てください。揺すっても起きませんし、お鼻を触っても反応しません。こんなに熟睡する子なんて、そうざらにはいませんよ」

「病気じゃないの? だって、こんなにぐっすり寝るなんて異常だよ?」

「たしかに危険な場合や病気の兆候の可能性はありますが、特に【医療ハンド】に反応がないので大きな病気ではありません」


 小百合は、ハローワークで支給されている医療ハンドというアイテムをはめている。

 よく医者が手術で使うゴム手袋のような見た目で、手首のあたりにジュエルが付いているものだ。

 これは病気があるとジュエルが光って教えてくれるもので、大きな病気にしか反応しないという弱点はあるが、ハローワークが健康診断代わりに各員に支給しているA級アイテムであるので、信頼性はとても高い。

 これが反応しないということは、あまり心配するような事態ではないということ。



 つまり、サナは―――寝ていた。



 冷静に考えれば、とても当たり前のことである。夜も更けてきたので子供はとっくに寝る時間なのだ。

 今日はたまたまイタ嬢がサナを手に入れてハイテンションだったため、いつもより寝る時間が遅かっただけで、普段ならばベッドの中である。

 そうした強い眠気と巻き込まれた疲労もあり、ついに限界に達したサナは突如、睡眠モードに入ったのである。


「サナは…寝方も普通じゃなかったのか…」


 その寝方も普通ではない。

 立ったまま寝るというツワモノであった。




70話 「小百合、最高のエクスタシーの巻」


 サナを二階にある小百合のベッドに寝かす。

 持ち上げている間も目覚めることなく、気持ちよさそうに爆睡していた。


(なんだ、寝ていただけか。びっくりしたな。武人は二日や三日くらい簡単に徹夜できるから、そういうこともすっかり忘れていたよ。サナは普通の女の子なんだ。そこを忘れないようにしないとな)


 一般人の肉体は弱い。面倒くさいと思えるほど管理が必要で、ご飯もしっかり食べないと元気が出ないほどだ。

 武人のように闘争本能さえあれば何とでもなる、といったような便利な存在ではないのだ。


(これからは気をつけないとな。でも、無事でよかったよ。…寝顔も可愛いなぁ)


 すやすやと寝ているサナを見つめる。それだけでまた幸せが込み上げてきた。

 それを見ていた小百合が、少し様子をうかがうように訊ねる。


「アンシュラオン様、その…差し支えなければでよろしいのですが、その子はいったい…? お知り合いですか?」

「おっと、そうだった。こんな夜中にいきなり押しかけてごめんね」

「いえ、いつでも来てくださいと言ったので、本当にいつでも大丈夫です!! 私も嬉しかったですから!」


 小百合は嬉しそうに笑う。

 その顔はまったく迷惑そうに感じていない。とても明るい笑顔である。


(小百合さんの家に来てよかったな。やっぱりお姉さんと一緒だと和むよ)


 改めてここに来て正解だったと知る。

 領主城では特に苦戦はしていないが、精神的に焦っていた面もある。

 おっさん連中はムサいし、女の子はいてもイタ嬢関連だしで、正直心が荒むばかりであった。

 それを小百合の笑顔が癒してくれるようだ。さすがアンシュラオンの嫁の一人である。


「この子はオレの【妹】だよ」

「妹…さんですか?」

「ハローワークを出た後に合流したんだ。今日、この街に着いたばかりでさ、どうやら疲れが出ちゃったみたい」

「そうなのですか! 可愛い妹さんですね! …ああ、こんな可愛い子が私の義妹になるのですね!」


 すでに結婚することが前提。


「今日はぜひ、うちに泊まっていってくださいね!」

「それはありがたいけど…いいの?」

「もちろんです! 大歓迎ですよ!」

「小百合さん、明日の仕事は? もう今日になったかな? 大丈夫?」

「ええ、八時までに行けば大丈夫です。いつもは朝六時起きですね」


(今が午前一時前…。五時間もないじゃないか)


 本当ならば、もう寝ている時間なのだろう。

 アンシュラオンたちを受け入れたせいで、さらに睡眠時間は削られるに違いない。

 それを考えると少し申し訳なく思えてくる。


「睡眠時間は足りてる?」

「そうですね…。最近はちょっと不足しているかもしれません。でも、まだまだ『若い』ので大丈夫です!!」


 若干、若いの部分を強調した。

 たしかにバスローブから見える肌は、さすがに十代の頃とまではいかないが、まだまだ張りがある。

 ただ、二十歳を超えると一気に身体は弱ってくるもの。あまり無理をさせられない。


「そうだ。お礼にマッサージをするよ!」

「マッサージですか!?」

「そうそう、特殊なオイルを使うんだけど、それがもうすごい効くんだ! 一気に身体が若返っちゃうくらいにね!!」

「そ、それはなんと魅力的な!! ぜ、ぜひお願いします!」

「任せてよ!! じゃあ、裸になって」

「はい!」


 そう言って、まったく躊躇せずにバスローブを投げ捨てる。

 清々しいまでに潔い。なんだか小百合がまた好きになった気がする。


(案外、マキさんのほうが恥ずかしがりやかもしれないなー。普段はがさつで強気な女性のほうが、いざってときは恥らうものだからね。そのギャップがいいんだけど)


「隣のベッド、使っていい?」

「もちろんです」

「独り暮らしだよね? どうして二つあるの?」

「…ハローワークの社宅には必ず二つあるのです。夫婦で暮らすのが前提だとか。…憎らしい限りです。何度捨てようと思ったことか…燃やしてやりたいです」


 そんな理由だった。

 便利ではあるが、孤独な人の心をさらに追い込む危険な設備らしい。




 ベッドにシーツを敷いて横たわらせて、小百合のマッサージを開始。

 まずは手にたっぷりの命気を生成。粘度はまさにローションである。


「じゃあ、背中からかな」

「は、はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」

「小百合さんはとっても素晴らしい人だよ。だから、たくさん気持ちよくしてあげるね。はい、べちゃー」

「あはんっ!! あっ、申し訳ありません! 妹さんが起きてしまいますね」

「うーん、大丈夫そうだけどね…」


 サナはまったく反応しない。

 まだ怖いので波動円で常時チェックしているが、身体情報に異常はまったくない。ただ寝ているだけである。

 よほど疲れていたのか、それとも単純に深く眠る体質なのか。どちらにせよこの様子では、何をされても起きないかもしれない。

 今は何もできないので、小百合に集中する。


「続きをやるよ。ぬりぬりぬりー」

「はぁあ!! あはんっ!」

「おっ、いい声! やっぱり大人の女性は違うなー」


 領主城にいた若い子とはまったく違う、成熟している女性の声である。


(ああ、これだよ、これ。こうして大人の女性の肌に触るのも姉ちゃん以来、一ヶ月以上ぶりだよ。やっぱり奉仕はたまらないな!)


 この街に来たときに大人の女性には出会ったが、実際にこうして触れ合うのとは違うものだ。

 しかもアンシュラオンは、女性に対して奉仕をすることで満足感を得ることができる。

 長年、姉に尽くしてきたので、もはやそれが当たり前になっているのだ。それゆえかマッサージも自然と熱を帯びてくる。


「燃えてきたよ。ガンガンいくからね。ぎゅっ、ぎゅっ、肩が凝ってるね。腰もけっこう傷んでいるみたい。座りっぱなしの事務作業だもんね。しょうがないけど、女の人は腰も大事にしないとね。ほーれ、たっぷり命気を吸ってー」


 にゅるにゅる、ずるずるずるー


「あっ、アンシュラオン様! い、いけません! そんなにしたら…あはあ! あんっ、あんっ!! あはああ! 背中が…腰がぁあ! あはんっ!」

「感度もいいね。それにもっと声を出していいよ。声を出してくれると、やるほうも楽しいしね」

「で、ですが、サナ様が…隣に…あはっ! んー、んーーー、んーーーー! ら、らめっ、んーーー!」

「なんか逆にエロくなったね」


 律儀にもサナを気にして声を我慢する。

 が、その姿が逆にエロい。男の嗜虐心を刺激する姿である。


「どこまで我慢できるかな。足をモミモミ、太ももをモミモミ、お尻をぬるぬる、ぐちゅぐちゅっ」

「んふっ!!! んっ! んんんっ!! ぷあっ!!」

「次は表側。ころーん」

「あはっ! そ、そっちは!」

「やっぱり小百合さんのオッパイはいい形をしているね。すごく綺麗だよ」


 サイズとしては中ぐらいといった感じで、Dカップくらいだろうか。

 姉が大きすぎるのであって、一般人ならばこれくらいでも大きいほうだろう。触ると少し手からこぼれるくらいで、実にちょうどよい大きさだ。


「はぁはぁ、そんな…私、見られてる。アンシュラオン様に…見られてる…!!」


 小百合も見られて興奮しているようだ。

 やはりお姉さんに対してアンシュラオンはほぼ無敵である。

 ファテロナのように他の対象に異様な執着を見せなければ、お姉さんには常時魅了効果が発動するのだろう。


 小百合の肌がさらに紅潮し、息遣いも荒くなっていく。


 それを―――もみもみ。


「んはぁあーーっ!!」


 敏感になった乳房を熟練の技で優しく揉んでいく。

 姉に教わった技術を侮ってはいけない。少し触るだけで身体中に快感が走るのだ。もうハンドパワーと呼んでもいいレベルである。


「もーみ、もーみ。うーん、ちょっと硬めかな。普段から自分で揉んでる?」

「い、いえ…んはっ! あまり時間がなくて…あはあ!!」

「そうだよね、忙しいもんね。でも、やっぱり美容は大切だよ。小百合さんは綺麗なんだから、ちゃんとケアしないと勿体ない。まあ、任せてよ。オレはこの道二十年に迫るプロだから」


 ここまでアンシュラオンは、少しばかり手加減をしていた。

 領主城のスレイブの娘たちが、ものの十秒足らずで達してしまった経験を踏まえて、威力をだいぶ抑えていたのだ。

 それに小百合は一般人なので、どれくらいやっていいかで迷っていた。

 だが、それも終わった。これからは本気である。


「次は、命気振動いっきまーす」

「め、めいき振動…? ふぁっ―――!!?!?!?」


 ヌルヌルヌル ブルブルブルブルブル
 ヌルヌルヌル ブルブルブルブルブル
 ヌルヌルヌル ブルブルブルブルブル
 ヌルヌルヌル ブルブルブルブルブル
 ヌルヌルヌル ブルブルブルブルブル


 命気を高速振動させ、身体に浸透させつつマッサージ。

 毛穴から侵入した命気がお肌のお手入れを行い、さらに傷んだ細胞を修復しつつ快感を与えるという、まさに至高のマッサージ。

 姉はこれを数時間やってもまったく平気なのだが、一般人にやるとこうなる。



―――絶頂



「あはぁあ、声が、声が…出ちゃうぅううう! 駄目なのに! こんなに出したら、妹さんが…起きちゃうぅうう! でも、我慢できない! わ、わたし、私…!! あはあああ―――――――――!!」


 ビクビクビクビクッ ビクビクビクビクッ
 ビクビクビクビクッ ビクビクビクビクッ
 ビクビクビクビクッ ビクビクビクビクッ


注意:マッサージです



「あっ、イッちゃった。やっぱり大人の女性でも駄目なんだな。うーん、これは健康なんだろうか。それとも不健康なんだろうか。…難しい問題だな」


 小百合は激しく痙攣し、達する。

 その達し方もいきなり最高の絶頂がやってくるので、普通の段階を経るものとはだいぶ違うものだ。それを考えると身体に悪いのかもしれない。

 が、そんなことを気にするアンシュラオンではない。


「ついでだ。徹底的に小百合さんを綺麗にしておこう。オレの嫁だしね」


 ガクガク身体を震わせてる小百合に、さらに追い討ちのように命気でマッサージを続ける。

 助けてもらった恩は快楽で返す。これがアンシュラオン流のお姉さん限定の恩返しである。


 その後三十分間、小百合は人生で初めての最高のエクスタシーをたっぷりと体験したそうな。


 めでたし、めでたし。




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