673話 「戦艦の痕跡」
戦いを終えた部隊は、早めに休息を取ることにした。
武具の損耗が思ったより激しく、その修繕に時間がかかるからである。
兵士だけではなく騎士にも疲労が出ており、改めて荒野の厳しさを感じさせる。
その中でアンシュラオンだけは元気一杯に魔獣の死骸を漁り、使えそうな部位を吟味していたものだ。
夜になり、焚き火の前で手に入れた素材を広げる。
まず、ドドサウルス〈八角小竜〉の大きな八本の角。あれは硬度もそこそこあり、黒光りして見栄えもよいので、それ単体でも象牙に近い需要がありそうだ。
心臓のほうは『防御』属性の魔石。防具に加工しやすい性質である。
ガリムリプス〈首長牙小竜〉は牙が大きく鋭いので、そのままナイフにできるかもしれない。火炎ブレスも使えたので体内には火袋もあった。
心臓は『攻撃』属性の魔石。武器に加工しやすい性質である。
ガモーフサウルス〈尾呈拳鳥竜〉は、やはり大きな尻尾が特徴的だ。掌のように開くこともでき、物を自由に掴める構造になっているのも面白い。
といっても、これ単体では特段何かに使えるわけではない。せいぜい振り回してハンマーに使える程度だが、さすがに騎士団で使うことはないだろう。
心臓は『物質』属性。家屋の補強等々、物質の強化に向いている性質だ。
(微妙だなぁ…。うん、微妙だ。どれもスレイブ・ギアスには使えない。最悪はスレイブ館で使っているような『汎用』タイプでもいいんだけど、もっと質が良いものがいいよな。あとは魔獣の雰囲気や性質が適しているかどうかも重要かもしれない…)
最大の目的はギアスなので薄々予想はしていたが、見事にどれも不適合である。
「小百合さん、この素材を持っていけば傭兵団のランク上がるかな?」
「ハローワークの検査端末で調べましたが、どれも強い魔獣です。角ならば三体分もあれば上がるはずです。個人でも倒しておりますので、パーティーメンバー各自にポイントも加算されますね」
「じゃあ、サナとサリータがブルーハンターになれるくらいに調整してもらっていいかな? ブルーハンターも減っているみたいだし、それくらいなら大丈夫だよね」
ラブヘイアは都市を去ったし、ライアジンズのメンバーもハンターとしての仕事はない。
こうして考えるとだいぶブルーハンターも減っている。それを補填する形ならば、さほど目立たないだろう。
「了解しました! これだけあればアンシュラオン様もゴールドハンターになれるかもしれませんが、どうしますか?」
「んー、オレはべつにいいや。さすがに目立つだろうしね」
「そうですか…。グラス・ギース初のゴールドハンターなのですが…」
「そんな貴重なものを、あの領主のために捧げたくないからね」
「なるほど、それもそうですね。初めてを捧げる相手は大事ですもんね」
ハンターとして生計を立てているわけではないので、あまり意識はしないが、これによって「白の27」はブラックハンター級傭兵団に昇格する。
パーティー全体として第三級の討滅級魔獣までは討伐可能、という意味だ。
また、アンシュラオンとサリータだけで多くのドドサウルスを倒しているため、これにデアンカ・ギース討伐分のポイントを加算すれば、アンシュラオンがゴールドハンターになることも可能である。
(ゴールドハンターねぇ…イタ嬢っぽくて嫌なんだよな。肩書きだけ良くなっても面倒なことが増えるだけだ。少なくともグラス・ギースではやめておこう)
すっかり忘れそうになっていたが、イタ嬢の金玉《きんぎょく》祭が近づいている。それで彼女も十五歳になるようだ。
金玉祭などという国辱ものの名前と一緒に祝われたら、死ぬに死にきれない。今回はやめておく。
多くの人間はより高い地位や身分、肩書きを求めるが、実際に手に入れてみると思った以上に嫌なことが多いものだ。わだかまりやしがらみはもちろん、嫉妬で邪魔をする者が増えるのは面倒で仕方ない。
(ゴールドハンターは、ハローワーク誘致の際のカードの一つとして残しておこう。そのほうが高く売れそうだしね)
「…ばしゃばしゃっ」
「あっ、サナ様!」
「…もみもみ、ぐいぐい」
「サナ様…く、くすぐったいです…あはは!」
「…ぎゅっ」
「サナ様をお守りできるようにがんばります。もう少し待っていてくださいね!」
「…こくり」
アンシュラオンの背後では、命気風呂に入ったサナとサリータがじゃれあっていた。
サリータが強くなっていることが嬉しいのだろう。あの決闘の日から、ずっとべったりである。
武人同士は、惹かれ合う。
親和力の法則によって、知らずのうちに似た者同士が集まる傾向にあり、結び付きも強くなっていくものだ。
サナが強くなり、それを感じられるくらいにサリータが成長する。それによって触れ合う相手のことが前よりも理解できるようになり、それが楽しくてまた一緒にいたくなる好循環だ。
それを微笑ましく眺めていたアンシュラオンが、立ち上がる。
「ちょっとおっさんと話してくるよ。先に寝てていいからね」
「はい! わかりました!」
その後、セノアとラノアは食事の片づけと翌朝の仕込み、ホロロはクルマの掃除と整備、小百合は魔獣素材の計算等々、各々の役割を果たしてくれた。
サナとサリータは、交代で夜番をして警戒を怠らない。
アンシュラオンのチームはチームで、上手く回りつつあるようだ。
本営の焚き火前でガンプドルフを発見。
来るのがわかっていたのか、彼一人である。
「少年、今日は助かった」
「いいって。たいした敵じゃなかったしね」
「兵士たちが見違えるようだ。ようやく肝が据わったな」
「ああやって死を意識させるのが一番早い。誰だってその瞬間になれば抵抗するもんだ。それが生物の保存本能ってやつだからね」
「ふっ、それができる君がすごいのだ」
「逆におっさんがすごいと思うけどね。オレには騎士たちの統率なんてできないし、兵士あたりが気楽でいい」
アンシュラオンも自然にガンプドルフの前に座る。
この両者がいるだけで周囲には安心感と同時に、張りのある緊張感も漂う。
強者同士だけが放つことができる独特のオーラがあるのだ。こうなると誰も近寄ることはできない。
「ほかに被害はなかった?」
「人的被害以外はなかったようだ。物資も無事だ」
「オレたちからすれば雑魚とはいえ、西方ではいつもこんな感じ?」
「そうだ。今日は少ないほうだった。この先の危険エリアに入れば魔獣はどんどん強くなる。数も増える」
「調査が進まないわけだよね。でも、戦艦にはこれくらいの相手を排除できるだけの力があったんでしょ? それが消えたとなれば、そろそろ注意しながら進んだほうがいいね」
「十分警戒はしておこう。後方はどうする? 騎士の部隊を少し回すか?」
「後ろは兵士たちだけでいいよ。前方のほうが強い敵が来る可能性が高いし、今日みたいに追加で来た相手をオレたちが排除する形のほうがいいだろうね。それより気になることがあるんだ」
「気になること?」
「普通、魔獣は自分たちの生活を一番にする。生物なんだから当然だね。敵と戦うのは狩りか防衛のためだけだ。群れ全体の防衛のためならば命を捨てる魔獣もいるけど、あの魔獣たちは群れそのものすら犠牲にしようとしていた。そんなことはありえないよね?」
「…なるほど。多くの魔獣を見てきた少年の言葉ならば説得力があるな。それで、何が言いたい? 何か気付いたのではないのか?」
「あの魔獣たちは―――【操られていた】んだ」
「なっ…魔獣が? そんなことが可能なのか?」
「昼間、あるラインを超えた瞬間から、大地に術式が展開されているのが見えたんだ。間違いない。あれは精神術式だよ。前に姉ちゃんが翼竜を支配した時、あんな感じになったんだよね。グラス・ギースのジングラスにも魔獣を支配する秘術があるし、人間だろうが魔獣だろうが精神がある以上は関係ないさ」
「では、それもスレイブ・ギアスなのか?」
「スレイブ・ギアスは基本、同意のもとでかけられる。その場合は、あんな血走った目にはならない。もっと強い強制力のある術式の可能性が高いね」
「しかし我々が調べた結果、西方の魔獣はどれもあんな感じだった。これだけの量の魔獣を支配できる者がいるのか?」
「そこなんだよね…。超広域術式なのは間違いないけど、それこそ誰にそんなことができるのか、って問題が付きまとう」
「よもや君の姉ではないだろうな?」
「うーん、断言はできないけど、まずありえないね。あの人はオレと似ていて、自分に興味がないことは一切やらないからね。やるにしても、あんな弱い魔獣をけしかけるなんてしないよ。撃滅級魔獣を連れてくるならわかるけどさ」
「…な、なるほど。君の姉でなくてよかった」
「だからオレの予想としては、やっぱり前文明関連じゃないかなと思うんだ。思えばジングラスが魔獣を支配していたのも、辿っていけば前文明の技術に行き着くのかもしれない。おっさんの話だと魔獣も支配していたそうだからね」
「その術式がいまだに残っていると?」
「たぶんだけどね。ただ、それだけじゃ整合性が取れない部分が出てくるんだ。文明はもう滅びているんだし、守るものだってない。もしかしたら財宝を守れとか命令されている可能性もあるけど、無差別に人間を襲う術式なんて危険すぎるよ。それ以前に魔獣にだって世代交代はある。すべての種や個体が例外なく命令に従うとも思えないしね」
「多少違和感はあるが、少なくとも魔獣が凶暴なのは『人為的』だと言いたいのだな。そして、君はそれを危険視している。特に術式をかけた者が気になるようだな」
「そういうこと。で、もう一つ付け加えるのならば、これがある限り土地の開拓はかなり厳しいってことだね」
「…たしかにな。まさかそのようなものが仕掛けられているとは…」
「なんてね。逆だよ。人為的なら壊すこともできるはずだ。もし魔獣たちがおとなしくなればどうなる? 危険は残るけど開拓自体はだいぶ楽にできるようになるよね」
「っ…! 少年、君ってやつは!! なんて朗報を持ってくるのだ! 頬ずりしたいくらいだ!」
「それはガチで拒否する」
ガチで!
「まあ、あまり期待を持たせたくはないけどね。術式が高度すぎて展開している中心部がよくわからないんだ。これだけの大きな術式だ。単体で起動しているとは思えないんだよね。そのあたりをもっと詳しく調べる必要がある」
「それでも朗報は朗報だ。希望が見えてきたではないか」
「希望は無いよりあったほうがいい、か。そうだね。そう思うことにしようか。これからは移動しながらオレも術式を探ってみるよ。明日はいつ出発?」
「夜明け前には準備を始める。それまではゆっくりしてくれ」
「オレが見張ろうか?」
「問題ない。そんなやわな鍛え方はしていないさ」
「わかった。任せるよ」
∞†∞†∞
キャンプを出立してから一週間が経過。
途中で何度も魔獣と交戦があったせいで、進む距離は日に日に短くなっていった。
ガンプドルフが言ったように、西に進めば進むほど魔獣たちは強くなり、なおかつ強烈な殺意を向けるようになっていく。
こちらから接近を控えていても相手側から突っかけてくるのだから困ったものだ。少しでも人間の気配がしたら目の色を変えて攻撃してくる。
こうなれば総力戦である。兵士たちも果敢に立ち向かった。
相変わらずアンシュラオンに神風特攻をさせられながらも、彼らは懸命に生き延びていた。
回復術式があるから遠慮なく突っ込めるんだろう? と思われるかもしれないが、受ける痛みは変わらない。つらいのは同じだ。
その中で何度も突っ込める気持ちの強さを得たことが、彼らを急速に成長させていく。
今では全体的なレベルも上がり、出立前より精強になったはずだ。顔つきが全然違う。闘争心だけならば騎士に引けを取らないだろう。
当然、アンシュラオンもサリータを引き連れて戦っていた。
何事も反復だ。実戦で何度も繰り返させることで感覚を覚えさせていく。それと同時に、さまざまな状況を与えて柔軟性も養う。
今まではボムハンマーだけだったが、単発式爆破銃も使わせたり、場面場面で最適な行動を取れるようにする。これも反復である。
その結果、サリータの練度も少しずつ上がっていく。
サナと日々鍛錬していることもあり、戦気を出すこと自体は問題なくできるようになった。剣気も十分使えるレベルだ。
が、まだまだサナの動きに完全についていけない。
アンシュラオンとは連携できていたが、あれは合わせる側に高い技術と余裕があったからだ。今のサナでは自分の動きをするだけが精一杯で、サリータを気遣う余力がない。
もしそれをやってしまうと速度や体勢が崩れて、サナの強みが失われるどころか、命の危険さえ生まれてしまう。
よって、こちらも反復あるのみ。魔獣の強さを見極めて、サナたちで対応可能と判断したら二人を出撃させて反復練習をさせる。
戦気術自体、何年も何十年も修練を続けなければいけないし、先は長い。彼女たちの成長は始まったばかりなのだ。
そうして進むこと、二日。
「全隊、止まれ」
ガンプドルフの命令で、荒野の中央で一行が止まる。
ここは地図でいうところの『白黒』の色が付けられていた場所。ひときわ強力な魔獣が出現するポイントである。
警戒しつつしばらく待っていると、偵察部隊が戻ってくるが、その数は増えていた。
ついに先行して偵察に出ていた部隊と合流を果たしたのだ。
「閣下、ご無事で」
「お前たちこそ、よくぞ無事だった。何かわかったか?」
「はい。この先に交戦した形跡があります。戦艦の砲撃と思わしき痕跡も見つけました」
「やはりここを通過したようだな。どちらに向かっている?」
「多少航路は複雑ですが、最終的には西に進路を向けているようです」
「西の森、か。こちらも予定通りだが…」
「おっさん、何かわかった?」
アンシュラオンもここで合流。
後ろの安全も確認してきたので問題はない。
「ここが戦艦と最後に連絡が取れた場所になる。我々が目指していた最初のポイントだ。痕跡も見つかっている」
「周囲五キロ圏内に戦艦は見えないね。戦艦は五百メートルくらいはあったよね。そんな大きなものなら目立つはずなんだけどな…。痕跡から辿れるかな?」
「簡単には見つからないだろうが、粘り強くやっていくしかないな」
戦艦の追跡が難しいのは、昨日まであった痕跡が今日には消えていることが多いからだ。
今まで倒した魔獣たちも、残った部位は次の日にはなくなっている。地中にいる虫型魔獣や、鳥型魔獣たちが綺麗に食べてしまうのだ。骨さえも食われて何もなくなる。
この荒野は、まさに大自然の食物連鎖によって構築されている。そんな中で戦艦の痕跡を見つけた偵察部隊が、いかに優秀かがわかるだろう。
「ここから先の単独行動は危険だ。先行した部隊を吸収して、一丸となって進んでいく。進路は西だ。少年もしばらく前にいてくれ。君の探知能力に頼ることになるかもしれない」
「わかった。やってみるよ」
そう言うとモグマウスを大量に生み出す。
見慣れない人間には奇妙な存在なので、ガンプドルフ以外の騎士たちは興味深そうに眺めている。
(命気で作っているのか? 操作系なのは知っていたが器用なものだな)
ガンプドルフも気配を感じたことはあるが、実際に見るのは初めてだ。驚きはしないものの、不思議な形状のほうに興味を惹かれているようであった。
「すでに周囲にはこいつを展開しているけど、さらに先にまで向かわせてみる。ここからはかなりやばそうだしね」
「ああ、頼む。では、出発だ!」
捜索隊は慎重に進む。
なるべく音を立てずに静かに移動したため、その日はそのまま夜になった。
進んだ距離は十キロ程度と寂しいものだが、以前ゼイヴァーが言っていたように百メートル進むのにも苦労する場所だ。
このあたりはまだ事前に調査が済んでいるものの、状況が状況のために慎重になることは悪いことではない。
そして、その翌日。
戦艦の残骸を発見。
一瞬だけ場の空気が凍りついたが、詳しく調べた結果、戦艦が連れていた輸送船の残骸であることがわかった。
おそらく魔獣との交戦で大破したのだろう。この場合は、乗り捨てた、といったほうが正しいかもしれない。
明らかに戦艦とはサイズが異なるので見た瞬間に違うとわかるのだが、誰もが最悪の事態を頭に入れているために一瞬でも騙されるのだ。
しかし、明らかに近づいている。
一向は、さらに歩を進めた。
674話 「先行、アンシュラオン隊」
「このままじゃ埒が明かない。オレが先行して戦艦を見つけるよ」
翌日、アンシュラオンがそう提案する。
いくら慎重さが求められる荒野とはいえ、このままのペースでいくと戦艦発見まで何ヶ月かかるかわからないからだ。
(こっちは二百人もいるんだ。食料や弾薬にだって限りがある。補給がない状態で何週間も経てば撤退を迫られる。今の状況だと二度目の探索はかなり難しい。ここで決めないとな)
もともとアンシュラオンは長旅を想定してやってきたわけではない。せいぜい一ヶ月といった程度の準備しかないのだ。
それに加えて、ガンプドルフたちも相当無理をしている。
この数でここまで来られたのは、DBDの騎士の強さとアンシュラオンの援助があってこそである。本来ならば、この程度の装備と物資で来る場所ではない。それこそ戦艦を使って移動すべきだ。
言ってしまえば、アメリカの広大な荒野で車が故障したようなものである。人の足で移動するだけでも途方もない時間がかかるし、目的地がわからないのならば、なおさら危険だ。
「オレならば魔獣が出ても対処できるし、いざとなれば逃げることもできる。単独行動は得意なんだ」
「ふむ、たしかにな。少年に任せたほうが得策か」
ここでタイプの違う英雄が二人いるメリットが生まれる。
ガンプドルフは指揮能力が優れているので、部隊を率いることに長けているが、一方で単独行動や探索はさほど得意ではない。
それに対しアンシュラオンには、魔境とも呼ばれる火怨山で生活していた実績がある。
しかも姉と一緒でない時は単独行動ばかりしていたので、むしろ団体行動が苦手なのだ。
タイプが違うからこそ、互いの短所を補い合うことができる。こういうところも両者の仲が良い一つの要因といえた。
「ただ、オレは地形や魔獣のことは把握できても、どれが戦艦の痕跡かまではわからない。補佐役として偵察部隊から足の速いやつと目の良いやつ、探知能力に優れたやつの三人を厳選して、オレと一緒に先行してもらいたいんだけど、いいかな? もちろん安全は保証するよ」
「わかった。すぐに準備させよう」
ガンプドルフは快諾。即座に命令を発する。
メンバーは要望通り、足の速いケーソン、目の良いジェフリー、探知能力の高いオージャンが偵察部隊の中から選出された。
三人とも騎士として最低限の戦闘力は持っているが、万一のためにモグマウスを二匹ずつ護衛として付けることにした。
「それじゃ、行ってくる。できるだけ早く見つけて戻ってくるよ」
「期待して待っている」
「それまで、なんとか耐えてね。サナを頼むよ」
「ああ、わかった」
アンシュラオンが、あえてそう言ったことには理由があった。
今回サナたちはここで留守番であるが、この荒野で移動をやめることにもリスクがある。
どうやらこの大地にかかっている術式には、人間の位置を探知する作用もあるようだった。
それが周囲の魔獣を自然と引き付けてしまう要因にもなっている。だから多少離れていようが魔獣たちが強引に向かってくるわけだ。
当然、移動すればしたで違う魔獣の生息域に触れる可能性が高まるが、止まっていても複数の魔獣に襲撃されるという最悪の場所である。
どちらを選んでもつらいが、今回は単独で素早く移動できるアンシュラオンたちよりも、二百人で止まっているガンプドルフのほうが危険度が高いに違いない。
だが、連戦で消耗している彼らには、とどまって耐えるほうがまだ楽だろう。
兵士もだいぶ仕上がってきたので、部隊指揮能力の高いガンプドルフがいれば生存率は高まる。このまま撤退よりは遥かにましという判断からだ。
最低限の準備だけして、アンシュラオン隊が出立。
すでにここは強力魔獣が跋扈する地域だ。安全な場所は一つもないと思ったほうがいい。
まずは殺風景な荒野を進む。
所々にある山も富士山より高く、険しい岩場もたくさんある。そうかと思えば崖になっている場所もあり油断はできない。
その中で戦艦が進んだと思われる地形を探していく。
「ジェフリーは周囲の観測。オージャンは障害物の裏や地下の探知。ケーソンは最後尾で後方の安全確認。何かあればガンプドルフのところまで走ってもらうぞ」
「了解」
「オレは魔獣の探知を主に行う。これだけの場所だ。空にも注意が必要だろうからな」
目の良いジェフリーは、観測をしつつ戦艦の痕跡を探す。
探知能力が高いオージャンは、波動円を展開しながら目では見えない場所を探る。
ケーソンの足の速さは今は生かせないが、大量の魔獣が出た場合は一人だけ先に離脱させることもあるだろう。また、通常時はマッピングをやらせるので意外と重要な役割である。
三人とも優秀な人材であり、役割を明確にしてやれば、その能力を十二分に発揮してくれた。
四人は、荒野をずんずん進む。
その移動速度はかなりのもので、あっという間に四十キロは移動していた。
何よりもアンシュラオンがいるのが大きい。彼がいれば魔獣を気にする必要がないのだ。
周囲に放ったモグマウスは、魔獣を見つけたら先制攻撃を仕掛けて食い散らかすので、突然襲撃された魔獣はパニックに陥って逃げていく。
得体の知れない何かにいきなり襲われれば、たいていの生物は逃げ惑うに違いない。戦う理由がないからだ。
モグマウス自体は命気で作られているため、一応は人間が作ったものではあるのだが、人間そのものではない。ここが重要だ。
魔獣の対応を見る限り、モグマウスが術式の対象になっていないことがわかる。あれ単体では彼らの『人間憎悪』を刺激しないのだ。
試しに人型の闘人アーシュラも作って攻撃させてみたが、反応は同じだった。
(ふむ、人間の身体の形に反応しているわけではないようだな。武人の戦気に反応しているわけでもない。魂や精神といったものを見分けているのか?)
移動しながら術式を観察。
魔獣の中にも二足歩行するものは多いので、それだけで判別は行わないはずだ。
であれば、違う方法。おそらくは人間の霊体あたりを感知しているのだろう。
以前も述べたが、魔獣と人間の最大の違いは霊体の存在である。大雑把に言えば幽体も霊体も同じ要素なのだが、振動数や構成する成分が違うので、その差異を探知条件に組み込めば選定することは難しくない。
(だが、それだけ精密な術式を組み込める段階で規格外だ。今のオレにはできないしな。やはり前文明の技術を使っているのかな。よくよく見ると妙な癖がある。現代と『文法』が違うみたいだ)
同じ日本語でも現代と江戸時代とは違うだろうし、百年前の文章でさえ漢字が多くて読むのが難しいくらいだ。
それは術式にも当てはまり、同じ意味を表現するのにも、使う人間や時代によって違いが生まれることがある。
これはエメラーダが使う術式が、少し独特だったので気づいたことでもある。彼女の実年齢は不明だが、その術式体系は数千年は前のものなのだろう。全体的に古めかしさがあった。
そして、この術式にも似たような癖がある。それがあったからこそ前文明の関与を疑っている。
(うーん、ガンプドルフにはああ言ったけど、これは大きな課題だよな。どうやって術式を解除すればいいんだろう。やっぱり核がどこかにあるはずなんだよな。それをこの広い荒野から見つけるなんて―――)
と思っていた時だ。
世界が、青白く光った。
まるでトンネルから出た瞬間のような眩しさが、眼前に広がる。
(これは…まさか―――術式が消えている!?)
「アンシュラオン殿、どうされました?」
「いや、なんでもない。遠隔操作で周囲を探っていただけだよ」
「なるほど。あの小動物のような媒体ですか。あれ一体で我々の戦闘力よりも高いとは…少々自信を失います」
「それぞれに長所がある。そう気にしなくていいさ。それよりほかに気づいたことはないか?」
「今のところはありませんが…何かありましたか?」
「訊いてみただけだよ。他意はない」
「そうでしたか。覇王に連なる方と一緒に仕事をする日が来るとは、いささか緊張しております」
「そんなにたいしたものじゃないさ。気楽にやってくれ。ただし、注意は怠るなよ」
「はっ、もちろんです!」
後方を走っていたケーソンが、アンシュラオンの感情の変化に気づく。
速度を落としたわけではないので、こうした違いに気づけるからこそ偵察部隊に入れるのだろう。
しかし、そんな彼らもこの異変には気づかない。
アンシュラオンは何事もなかったように振る舞いながら、注意深く周囲を探る。
(さっきのラインからこちら側は術式が消えている。だが、右側ではまた術式が展開されている。間違いない―――【穴】ができているんだ!)
結界を生み出す際、単体の大きな『核』だけで構成するものと、複数の核で構成する二種類のやり方が存在する。
特にこうした広域に展開する術式の場合は、広ければ広いほど単一の核だけで補うには莫大な出力が必要になるので、普通はコストと効率を考えて後者を採用する。
今回も後者のやり方だ。一つの術式の核だけではなく、いくつもの核を使って、それぞれの地域を管理していると思われる。
仮にその一つが失われても一部が欠損するだけで済むが、どうしても穴が生まれてしまう。それを長所と見るか短所と見るかは、目的と費用対効果次第であろうか。
しかし、油断はできない。何か目的があるのかもしれないからだ。
(なぜ術式がないんだ? ここだけ最初から設置していなかったのか? もしくは何かのトラブルか? どちらにせよ、これは好機だ。この空白地帯を調べれば、術式について何かわかるかもしれない)
「戦艦の痕跡を発見しました!」
(とと、一番の目的を忘れちゃいけないな。戦艦が先だ)
ここで目の良いジェフリーが戦艦の痕跡を発見。戦艦の砲撃で崩したと思われる山の一部を見つけた。
戦艦も基本は宙に浮いているのだが、質量がありすぎて高度には限界がある。最大出力でも、せいぜい三十メートルがいいところだろう。
そうなるとそのままでは進めない地形が生まれる。特に山といったものは最大の障害となるが、戦艦が優れているのは、こうして通り道を自ら生み出して進むことができる点だ。
今回の戦艦の任務には『交通ルートの確立』も含まれているので、ある程度の整地もしながら進んでいたのだろう。そのことがはっきりとわかる大きな痕跡といえる。
「少し北西にずれているな」
「南側のルートは険しい地形もありましたので、こちらを選んだと思われます」
「痕跡を追うぞ。先導を頼む」
「はっ!」
その痕跡を辿れば楽勝かと思いきや、魔獣と交戦した形跡があったり、あるいはまったく関係のない魔獣同士が戦った跡もあるため、これがなかなかに手間取る。
(まずいな。今日中には無理か?)
走るペースは衰えていないのだが、戦艦のルートが途中から北西に切り替わっているため予想以上に時間がかかっていた。
さきほどジェフリーが言ったように、消失地点から西に直進すると起伏が激しい地形が多いため、戦艦が通るには不都合なのだ。
最低でも戦艦が通れる場所でないと、幾多の輸送船が交通するルートにはならない。そういった基準で道を選んでいるところも、この探索を難しくさせていた。
これは致し方ない。アンシュラオンも長期戦を覚悟する。
がしかし、ここでも異変が起きる。
七十キロほど進んだ地点で―――
「な、なんだこれは…」
―――【谷】を発見
対岸まで幅およそ四キロ、それを切り裂くように長さ七キロに渡って谷、より正確に述べれば【亀裂】のようなものが生まれていた。
「谷…か?」
アンシュラオンも谷の様子をうかがう。
かなり深く、日光が届いていないために中は真っ暗だが、アンシュラオンの目は谷底を見通す。
(だいたい千五百メートルといったところか。けっこう深いな。だが、どうして驚いているんだ?)
アンシュラオンはともかく、ジェフリーの反応が気になったので訊いてみる。
「なぁ、この谷…というか亀裂か? これがどうした?」
「っ…申し訳ありません。つい呆然としてしまいました。実は…以前の調査では、こんなものはなかったのです」
「ん? 二年くらい前のやつだっけ?」
「はい。私が担当していたわけではありませんが、このあたりはギリギリ以前に探索したポイントと被ります。ですが、このような大きな穴はありませんでした」
「見落とす…ような大きさじゃないな。こんなものがあれば地図に描くか」
「その通りです。最低でも戦艦がはまって動けなくなるような谷間には、注意の意味も含めて描くはずです」
「では、この二年の間に新しく出来たものか。となると、かなり怪しいな。念入りに調べてみるか」
「はっ!」
四人は調査を開始。まずはこの穴の周辺を調べる。
そして、数分後には明らかなる異変をオージャンが見つけてきた。
「戦艦の軌跡です! 間違いありません!」
「いつも思うが、どうやって調べるんだ?」
「戦艦に搭載されたジュエル・モーターには、それぞれ特徴的な波長パターンがあるのです。たとえば移動の際に風を生み出しますが、その風によって出来た地形の変化、一緒に噴出した粒子を観測することによって戦艦の種類までわかります。荒野では消えることも多いのですが、ここでははっきりと残っていました」
「なるほど、オレは西側の技術には疎いから助かるよ。で、どこに向かったんだ?」
「戦艦の波長パターンと、地面への干渉具合からすると―――」
オージャンが躊躇いながら亀裂に視線を向ける。
「まさか…こんなあからさまな亀裂に落ちるか? オレも戦艦と遭遇したけど、かなり目の良い観測士がいたはずだぞ。五キロ先の標的に命中させるほどだった」
「はい、戦艦には優秀な人材がそろっています。普通ならば、まず落ちることはありえません。しかし、不測の事態が起これば可能性はあります」
「不測の事態…か」
「アンシュラオン殿、こちらに何かあります」
「…ん? これは…何だ?」
ケーソンが怪しげな物体を発見。
半壊しているので何かはわからないが、大きなセミの抜け殻にも見える。
「魔獣が脱皮した抜け殻かな。ほら、だいぶ壊れているけど、ここをくっつけると魔獣っぽいだろう?」
「脱皮などするのですか?」
「そりゃ生物だからな。そういう種類もいるさ。このあたりにいるのかもしれないな。どれくらいある?」
「破片のようなものばかりですが、そういうものを含めたら相当数ありますね」
「抜け殻も魔獣の餌になるからな。残っていただけすごいか」
「関連があると思ってよいのでしょうか?」
「今のところはわからないけど、無いとは言いきれないね。交戦の跡はあった?」
「こちらも断定はできませんが、弾痕のようなものもあります。可能性は高そうです」
「うーん、普通に考えると戦艦が魔獣と交戦したんだろうけど…ここじゃ死体も死骸も残らないからなぁ…」
(戦艦の痕跡に魔獣の気配。怪しいな。しかし、谷底には何もなかったが…)
「仮に落ちた場合、戦艦はどうする?」
「当然、脱出を試みるでしょう。これくらいの谷の場合ならば、砲撃で破壊して道を作ります」
「砲撃した様子はあるか?」
「…いえ、ざっと周囲を見回しましたが、少なくとも上層においては砲撃の痕跡はありません」
「だが、亀裂に向かって移動しているのは事実か。いいだろう、ここで話していても時間の無駄だ。オレは少し下を見てくるから、お前たちはここで待っていろ。いいか、単独行動はするなよ」
「あっ! 輝光長!」
アンシュラオンが躊躇なく亀裂に飛び降りる。
谷底までは千五百メートルくらいはあるが、まったく気にした様子はない。
もちろんそのまま落ちるつもりはなく、途中で命気を放出して壁面に張り付き、音も立てずにするすると降りていった。
そのあまりに手馴れている様子に、騎士たちも驚きの表情である。
「…なんて御人だ。まだ調査も終わってないのに。怖くないのか?」
「我々とは価値観が違いすぎる。強さも閣下に匹敵するのだ。今は任せよう」
三人は、ただただアンシュラオンを見送るしかなかった。
675話 「亀裂に潜むもの」
「よっと」
アンシュラオンが亀裂の底に到着。
特段何事もなく、あっけないほど簡単に降り立つことができたが、あくまで火怨山の大自然に慣れているからこその芸当だ。
普通に調査する場合は何が待ち受けているかもわからないため、安全確保にかなりの時間を要するものである。
しかも底は完全なる暗闇。亀裂があまりに深く、中層から下層に関しては太陽の光はほとんど入ってこない。それだけでも危険な場所といえた。
だが、目が極めて良く、暗視能力も高いアンシュラオンには丸見えだ。今は術士の目も持っているため明かりを生み出す必要さえない。
改めて周囲を見回す。
地層は全体的に岩盤であり、土や粘土質のものは少ないようだった。
(見た感じ、自然に地割れが発生するような場所じゃないよな。大地震があったならばともかく、こんなものがいきなり生まれるのはおかしい。常識的に考えれば調査班の見落としの可能性を考えるけど、この荒野は普通じゃない。ここで何か起こった可能性は高いと思ったほうがよさそうだ)
アンシュラオンは一度、亀裂の南端にまで移動。
モグマウスを使って上層まで調べてみたが、表面的には異変はなかった。
しかしながら優れた武人だからこそわかることがある。
(ここが一番強く壊れているな。おそらくだが、南側から力が加わって北側に通り抜けたんだ。力も地下からではなく『地上部から』押し込まれている。少なくとも自然発生したものじゃない)
何か強い力が真上から突き刺さり、北側に抜けていった痕跡が残っている。
地震のようにプレートがずれて引き起こされたものとは明らかに異なる。
気になったので、もう少し調べてみる。
(技とかじゃない。力ずくで叩きつけて引き裂いた感じだ。人間の可能性もなくはないけど、こうなると魔獣のほうが確率は高いだろう。しかし、これだけの亀裂を生み出せる魔獣ならば最低でも『撃滅級魔獣』だ。この近くにいるのか?)
魔獣の強さは、ある一定のラインまでは【大きさに比例する】傾向にある。
技を使わない彼らは、特殊なスキルを除けば、その肉体能力が最大の武器であることが多いからだ。
ただし、それも撃滅級魔獣の途中までだ。それ以上になると大きさはあまり関係なくなる。なぜならば肉体能力が『カンスト』してしまい、スキルの重要性がより高まるからだ。
では、この亀裂を生み出した魔獣は、いったいどんな存在だろうか。
(この亀裂をほぼ一撃で生み出していることから、身体の大きさは数百メートル以上はあるだろう。下手をすると千メートル以上かもしれない。巨大な腕、あるいは爪か尻尾みたいなものもありそうだ。…そうなると戦艦とサイズ的には遜色ない。狙われたら一発で撃沈だろうな)
最悪、すでに戦艦が砕け散って存在していない可能性もある。
餌と間違われて捕食されれば残骸すら残らないだろう。
(いや、落ち着け。それだけの魔獣がいるのならば、もっと痕跡があっていいはずだ。移動しただけでも跡が残る。だが、上にはそんなものはなかった。亀裂が生み出した時にはいたかもしれないが、戦艦が通った時にいたとは限らない。もっとよく調べよう)
調査班を信じるのならば、この亀裂が生まれたのは二年間のどこかのタイミングだ。周囲の風化具合から見ても、昨日や今日に出来たとは思えない。
アンシュラオンは、今度は南から北に向かって移動。
その間もモグマウスと波動円を使って周辺を探知。あまり距離は伸ばさず、精度を上げてしっかりと調べる。
すると、すぐに明確な痕跡を発見。
(上から下にかけて大きく削られた部分がある。新しい痕跡だ。けっこう長いな)
その岩盤の傷は、上から下に大きく長く付いていた。
軽く触ってみたが、ここの岩盤はかなり硬い。となれば、それ以上に硬いものが押し付けられたと考えてよい。
そして一番重要な点は、この傷がかなり新しいものであることだ。本当につい最近といった様相である。
残念ながら、これ自体が戦艦が落ちた可能性を示唆していた。
(岩盤に傷が残るということは、勢いよく飛び出して落ちたってわけじゃないようだ。落ちることがわかっていて抵抗した、ってところか。もし落ちた場合、今のところ可能性は二つだ。一つは地上で危険があって亀裂に逃げるしかなかった。もう一つは、抵抗したが引きずり込まれた場合だ)
だが、この考えにはいくつかの矛盾点も存在する。
(落ちないように風を噴射しているのに、どうして砲撃の痕跡がない? 普通に落ちた場合なら砲撃で脱出するはずだ。もし何かに捕縛された場合でも抵抗して射撃くらいはするだろう。それがまったくないのは不自然だ)
地上部では魔獣と交戦した形跡はあるが、亀裂に入ってから抵抗した様子がまったくない。そこが不可思議である。
アンシュラオンが疑問に思いながらさらに進むと、ふと湿った匂いがした。
(このあたりに『湿気』を感じる。地層も完全に乾いていない。雨が降った様子はないし、もしかして…)
アンシュラオンは、試しにモグマウスを地下に潜らせる。
百メートル、二百メートルと進むごとに湿り気は増していくように感じられた。
(間違いない。【地下水脈】がある)
この荒野で水場は、ほぼ存在しない。
リッタスもサリータとの会話で述べていたが、何より雨自体があまり降らないので、ひたすら乾燥した地域が多いのだ。
だからこそ魔獣の狩場や、時々見かける大きな湖は貴重なのである。あそこにも地下水脈があると思っていいだろう。
では、雨が降らないのになぜ水脈があるかといえば、大きな枠組みで考えれば、火怨山から水が流れ出ているからだ。
(より高い場所にある火怨山からこの荒野に水脈が流れ込むのは道理だな。ああ、師匠に水汲みに行かされたのが懐かしい。あのジジイ、とんだ鬼畜だったな)
火怨山は全高二万メートルを超える巨大な山脈であり、天候の変化も激しく、雨もよく降るために水源としての機能も十分だ。(アンシュラオンが暮らしていた頂上付近は雲の上なので降らない)
かなり初期の話で語られたが、アンシュラオンも修行がてらに地下水脈に水汲みに行かされたことがある。そこで大量の撃滅級水棲魔獣と遭遇し、命からがら逃げ帰ったのは懐かしい思い出だ。
ともあれ、荒野において水脈の存在は貴重だ。ガンプドルフたちも西森を基点にして、食人森にある湖を制圧したいと考えていたくらいである。
もしここに水があるとすれば、まさに吉報といえるだろう。
(だから戦艦が調べに入ったのか? その可能性はある。荒野で水を発見したら調べないわけがない。だが、もう一つの危険性を忘れてはならない。水がある場所には魔獣もいる)
魔獣の狩場に魔獣が集まっていたように、荒野の魔獣だって水は必要である。逆にいないほうがおかしい。
喜び勇んで油断したところに魔獣と鉢合わせたことも十分考えられる。
そして、亀裂の北端にまで到着すると―――【巨大な穴】を発見
上からだと暗闇と岩盤が邪魔をして見えなかったが、地下に向かって斜めに穴があいていた。
(…でかい。入り口だけでも三百メートル以上あるぞ。しかも深そうだ)
そこらの洞窟を想像してはいけない。もはや大空洞と呼んで差し支えない『奈落』が、そこにはあった。
火怨山にもこういう場所はあったので驚きはしないが、これだけ大きければ戦艦が入ることも可能である。
戦艦の長さは五百メートルと大きいが、幅約百メートル、高さ約七十メートルの長方形をしている。なんとなくアイスバーを想像してもらえると形が想像できるだろうか。
(亀裂に落ちた戦艦が、ここに入った。…そりゃ可能といえば可能だが、わざわざそんな危険を冒すか? だが、痕跡がある以上はそう考えるのが妥当か。少し波動円で探ってみよう)
アンシュラオンが入り口から波動円を展開。
この男の波動円の粒子はかなり細かく、これに気づいた人間は、今のところガンプドルフとアーブスラットだけだ。
そこらの鈍感な魔獣程度ならば絶対に気づくことはない。
そう思っていたのだが―――ぴくんっ
(っ…! なんだ、今の感覚は? まさか【逆探知】された?)
こちらが探知しようとしたのに、逆に探知されたような違和感。
それを証明するように、奈落の中から気配が急激に増えていく。
ゴソゴソゴソゴソッ ゾロロッ
そして、数匹の魔獣が姿を現した。
姿は蜘蛛。タランチュラに近い形状をしている。大きさは体長三メートル程度で、高さは成人男性の胸くらい。
人から見れば大きな蜘蛛なので怖いが、魔獣としてはあまり脅威は感じない。
だが、問題は【数】だった。
ゴソゴソゴソゴソッ ゾロロッ
ゴソゴソゴソゴソッ ゾロロッ
ゴソゴソゴソゴソッ ゾロロッ
次々と穴から蜘蛛が這い出てきて、その数は十秒たらずで百匹を超えた。
地面だけではなく岩壁にも張り付き、こちらを凝視している。
―――――――――――――――――――――――
名前 :カーモスイット・スパイダー〈石喰蜘蛛〉
レベル:42/50
HP :690/690
BP :150/150
統率:D 体力: D
知力:F 精神: E
魔力:F 攻撃: E
魅力:F 防御: E
工作:D 命中: D
隠密:D 回避: D
☆総合: 第四級 根絶級魔獣
異名:悪食石喰い蜘蛛
種族:魔獣
属性:土、岩
異能:集団行動、脱皮再生、脱皮進化、糸放出、思念糸、鉱物喰らい
―――――――――――――――――――――――
(蜘蛛型の魔獣か。あまり強くはないな。兵士でも十分対応できるレベルだ)
アンシュラオンは蜘蛛を観察。
この程度の魔獣ならばたいした問題ではない。道中で出会ったガリムリプスのほうが、よほど危険な魔獣であろう。
しかし、こうして対峙していても一向に襲ってくる気配がなかった。
(やはり『人間憎悪』がない。こいつらは大地の術式に囚われていないんだ)
もっとも興味を惹いたのが、その部分だ。
ガリムリプスやドドサウルスは、文字通り目の色を変えて攻撃してきたが、彼らにそんな様子は微塵も感じられない。
虫だから哺乳類とは違う可能性も残ってはいるものの、ステータス上に『人間憎悪』がない段階でほぼ確定である。
(上にあった抜け殻に似ている。同一の種類と思っていいだろう。この亀裂の一帯はこいつらの縄張りなのかもしれない。もっと調べたいが…どちらにせよ一時後退だな。『探知型』となれば厄介だからな)
入り口でこれだ。中にはもっと大量の蜘蛛がいると思っていいだろう。その数も問題だが、彼らが『探知型』であることも問題だった。
彼らのスキルに『思念糸』というものがあるが、これはアンシュラオンが使っている術糸と同種の代物だ。肉眼では見えない糸を空間に張り巡らせて、周囲の状況を常時監視していると思われた。
その精度はアンシュラオンの波動円にも気づくレベルだ。こちらが探知しようと波動円、あるいは念糸を展開すれば、逆に敵を集めてしまう可能性がある。
アンシュラオンほどの力があれば強引に突破も可能、と誰もが思うだろう。しかしながら先が見通せない以上は無理をすべきではない。
(利益が出ないのに戦っても意味がない。弱いからと侮って痛い目に遭ったことはいくらでもある。蚊に刺されたって人間は不快なんだ。それを知っていて、わざわざ藪に突っ込むのは馬鹿でしかない)
これも長年の魔獣狩りの経験で得た教訓である。簡単に見えそうな場所ほど罠があるものだ。
アンシュラオンはそれ以上の探査を諦める。刺激しないようにそっと場を離れ、静かに壁を登っていく。
その間、蜘蛛は動かなかった。こちらをじっと観察しているようだが、追ってはこない。
相手側にも戦う理由がないのだ。ならば、こうして互いに離れるのが一番であった。自然の多くは、こうした不干渉によって成り立っている。
「お戻りになられたぞ!」
「輝光長! ご無事で!」
地上に戻ると、三人が駆け寄ってきた。
「お待たせ。そっちはどう? 変わりはない?」
「はい。魔獣とは出会っておりません。引き続き周辺の調査を進めておりました。輝光長のほうはどうでしたか?」
「地下に巨大な空洞があって、そこに蜘蛛型の魔獣が大量にいる。さっき見た抜け殻のやつだと思う」
「なんと…! では、ここはやつらの巣穴なのですか?」
「だろうね。もっと調べてみたいけど、オレだけの判断じゃどうにもできない。下手に刺激して連中と戦争になるのは面倒だ」
「戦艦はどうでした?」
「痕跡はあったけど、まだ五分五分だね。もしやつらと関係している場合、かなり危険な調査になる。その意味でもガンプドルフの判断が必要になるんだ。一度戻って報告しよう」
「了解です」
アンシュラオン隊は、一旦本隊に戻ることにした。
実際にどうするかはガンプドルフとの相談次第だが、アンシュラオンには一つの予感があった。
(たぶん、死闘になるだろうな)
長年危険と隣り合わせで生きてきた男の本能が、ここに戦艦がいることを告げていた。
676話 「蜘蛛の脅威 その1『数の暴力』」
アンシュラオンが本隊に戻ったのは、その日の夕刻だった。
翌日から移動を開始し、強行軍で亀裂にまで到着。
ある程度無理ができたのは、このエリアには人間憎悪の術式がないと知っているからだ。魔獣を過度に警戒する必要性がないため、一気に移動速度を上げることができたのだ。
そして、日が暮れる頃には亀裂に到着。
ガンプドルフたちも周辺を調べ、実際に亀裂の様子をうかがう。
「状況はどうだ?」
「半径二十キロ圏内に魔獣の姿は見えません。亀裂内部の様子はわかりませんが、報告にあった蜘蛛型魔獣は外には出ていないようです」
「わかった。そのまま警戒を続けろ。それ以外の部隊は休息を取ってかまわない」
「はっ!」
今のところ大きな動きはない。
が、それ自体がこの荒野では貴重である。
魔獣に積極的に襲われないというだけで人間にはありがたい。警戒しつつも安心して休める。
「少年はどう思う?」
ガンプドルフが亀裂を見下ろしながらアンシュラオンに訊ねる。
魔獣がいると知ったせいもあるが、実に薄気味悪い場所に見える。彼もできることならば、ここに入りたくないと思っているだろう。
しかし、それを打ち砕くようにアンシュラオンが明言する。
「オレはここに戦艦がいると思う」
「昨日はそこまで断定していなかったはずだが?」
「ずっと否定しようとしてきたけど、調べれば調べるほど状況証拠がそろっていく。あとは勘だね。そんな予感がする」
「少年の勘ならば信じる価値はあるな」
「所詮は勘だけどね。でも、一番最悪なのは見逃すことだ。ただでさえ時間がかなり経過している。手遅れになったら全部終わるからね」
「その口ぶりだと、まだナージェイミアが無事のように聞こえるな」
「どのみち何かあれば、もうとっくに壊されているよ。残骸からでも使えるものは回収しておきたいよね。せめて炉が残っていればいいんだけど」
「そこは無事だと言ってほしかった。胃が痛くなる」
「胃潰瘍になっても治してあげるよ」
「原因が取り除かれない限りは何度でも出来る。気休めにもならんな」
「気休めになるかはわからないけど、戦艦がまだ無事である可能性と根拠はあるよ。もし蜘蛛型魔獣と交戦したことが落ちた原因ならば、底に残骸があってもいいはずだよね。でも、それがない」
「自ら亀裂内部に入った…という可能性もなくはないが、魔獣が残っている段階でその線は消えるか」
「副官のメーネザーって人は優秀なんだよね?」
「ああ、私生活では間が抜けているところもあるが、軍人としては優れた男だ。特に先を読む能力に長けている」
「そこまで優秀な人が、亀裂に落ちて何の対処もしないとは思えない。やっぱり一度内部の調査が必要だね。どうせ水場があるんだ。調査はしたいでしょ?」
「当然だな。さすがに見過ごすには惜しい。ここで水源を確保できれば、我々の計画は大幅に進む。しかも魔獣が凶暴ではない場所なのだ。絶対に手に入れたい」
その次の言葉には、「たとえ蜘蛛と戦っても」が続くはずだ。
DBDはもうあとがない。何を犠牲にしても勝利を勝ち取るしか生きる道がないのだ。
(まずは戦艦を確保しないと何もできない。この亀裂が出来た理由も気になるし、調べるのは確定だな)
戦闘は避けたい。だが、調査はしたい。
相変わらずの板挟みであるが、今回ばかりはより具体的な痕跡が出てきた以上、選択肢は一つしかない。
「少数精鋭で奥を探るか? それならばリスクも少ないはずだ」
「敵の数が不明な以上、そっちのほうが危ないかも」
「蜘蛛型魔獣は弱いのだろう?」
「たしかにオレが見た個体は弱い。でも、考えてもみなよ。群れ全体がすべて同種であるとは限らない。この隊だっておっさんみたいな強者もいれば、兵士みたいな弱者もいる。それは相手も同じなんだ。ここが巣ならばなおさらだね」
「では、もっと強い個体がいると?」
「そう考えたほうがいい。オレとおっさんが行けば全滅はないと思うけど、それでも絶対じゃない。それで消耗したところに地上で他の魔獣に襲われれば、手痛い損害をこうむる可能性もある。分断されて後衛が壊滅ってこともありえるよ」
「少年ほどの武人でも、そこまで慎重になるか」
「魔獣を侮らないほうがいい。やつらは何をするかわからない。特に虫は行動原理が読めないこともあるしね。それにサナたちの安全も確保しないといけない。おっさんだってそうでしょう。オレたちだけ生き残っても意味がないんだ」
「…その通りだ。ここで終わりではないからな」
全力で挑まねば未来はないが、そこですべてを使ってしまっても未来はない。
まるでスポーツ大会のトーナメントだ。どれだけ余力を残して勝つかが求められる。しかもスポーツと違い、命のやり取りは一回限り。失敗は許されない。
だが、打開策がないわけではない。
「ねぇ、数日待てる?」
「何か策でもあるのか?」
「策ってほどじゃないけど、この周辺の『生態系を確認』したいんだよね」
「ん? それに意味があるのか?」
「当然さ。生物というのは必ず周囲の環境と適応しているもんだ。単体で存在できるのは科学技術が発達した人間くらいなものだね。で、生態系が存在している以上、【敵対者】もいる」
「天敵というやつか?」
「仮にそこまでの相手はいないにせよ、縄張り争いをする魔獣は絶対にいるはずなんだ。それを利用すればいい」
「もしや【魔獣同士を戦わせる】のか?」
「そのほうが効率的だよね。こっちは常時、物資不足なんだ。損害はできるだけ少なくしたい。それなら違う誰かに代わりに戦ってもらえば楽でいいよね。その混乱に乗じて中を調べるんだ」
「すごいことを考えるな。そのような発想はしたことがなかった」
「自然で暮らしていれば、魔獣同士の戦いなんてよく見かけるよ。寄生型の魔獣なんかは、その間に巣に侵入して幼体に卵を産み付けるとかあるしね。したたかでないと生きていけないのさ」
アンシュラオンも火怨山にいた頃は、魔獣の巣穴に水を流して溺死させたり、地盤を砕いて生き埋めにしたりしたものだ。
魔獣は強いが、苦手なものにはとことん弱い傾向にもあるため、いかに弱点を見極めるかも重要なのだ。
「今回は戦艦の様子がわからないから、一番穏便な手でいってみるよ」
「妙案ではあるが、そう上手くいくものなのか?」
「大丈夫、大丈夫。そのあたりは任せてよ。これでも超絶ベテランなんだ。誰かと誰かを争わせることは得意だからね!」
まったくもって自慢にはなっていないが、グラス・ギースではこの男のせいで内乱が起きているので、この言葉は信頼できる。さすが『扇動者』である。
「わかった。君に任せよう。それができるのならば断る理由もないからな」
「それ以前に、まだ戦艦からの連絡はないの? もし近くにいるなら連絡を送ってくるはずだよね。中にいるのが確定なら、いろいろと細かい作戦も練れるからね」
「常に受信できる状態にはしてあるが、まだ無い。やはりできない状況にあると思っていたほうがいいだろう。現在、こちらからも送信できる機器を設置中だ。普通の通信機以上の強い電波を飛ばすことができる。もし通信機が壊れていても、騎士が持っている無線機に引っかかるかもしれない」
「うーん、強力な電波送信機か…大丈夫かな?」
「何か心配事があるのか?」
「あの魔獣に出会った時さ、やたらと感度が良かったんだよね。オレの波動円にも気づいたしね」
「魔獣が波動円に気づくものなのか?」
「感覚が人間より鋭敏な連中も多い。特に探知型の魔獣は人間を遥かに超える能力を持っているもんだよ。ただ、ああいうタイプって自分からは滅多に動かないんだ。オレが近づいても動かなかったし、罠や網を作っておいて、そこに引っかかったら獲物を捕まえにいくんだと思う。見た目も蜘蛛だしね」
「そうなると、ますます無策での突入は危険か。通信機に反応が出ればいいが…」
「………」
(…なんだ? 何か見落としているような気がする)
不意に漠然とした不安が広がった。
一気に情報が増えたせいもあるのだろうが、この時のアンシュラオンは、今自分が述べたことの『矛盾と違和感』に感づいていなかった。
亀裂を生み出した魔獣や、大地の術式のことに意識が奪われていたせいだろう。
だから、今回の『奇襲』を予期できなかった。
グラグラグラッ
地面が大きく動いた。
揺れは次第に大きくなっていき、隊の輸送船が傾くほどであった。
「地震…か?」
ガンプドルフがそう思うのも無理はない。
火怨山が活火山であり、大災厄の時も噴火で地震が起きている。火怨山が近いこのエリアでは地震はあまり珍しいことではない。(グラス・ギースでは遺跡由来の地震もあるが)
だがしかし、今回は違う。
ゾゾゾゾゾッ ゾゾゾゾゾゾッ
薄闇の中、亀裂から『大量の蜘蛛』が這い出してきた。
その数は百や二百では済まなかった。見る見る間に数が増え、一千、二千、三千という蜘蛛に覆われる。
一面が、蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛!!
黒い絨毯が敷かれるように大地を席巻した。
「な…んだと……何が…」
あまりに突然のことにガンプドルフでさえ、目が点になっていた。
この時になってアンシュラオンは、自身のミスに気づく。
(しまった! もし蜘蛛が待ち伏せ型ならば、巣穴外の地上に交戦の跡が残っているのはおかしい! 探知型だからといって動いてこないとは限らないんだ!)
なぜ、戦艦が地上で蜘蛛と戦ったのか。
できるだけ戦いを避けたい彼らが、こんな大量の蜘蛛と戦う理由などはない。あるとすれば相手からけしかけてきた場合だ。
「おっさん、ヤバイぞ! 急いで隊を下げさせろ!! 夜戦になったら不利だ!」
「全部隊、撤収準備だ! 急げ!! 主力部隊は殿を務めて被害を防げ!!」
ガンプドルフが隊に命令。即座に撤退準備が進められる。
だが、完全に不意をつかれてしまったため、すべての行動が後手に回る。
もっとも痛かったのは、すでに多くの隊は休息に入っており、迎撃態勢が万全ではなかったことだ。
アンシュラオンの情報で魔獣が凶暴ではないことを知っているため、ここは安全だと思い込んでしまったのだ。
事実安全なのだが、それでも荒野だ。荒野に人間が安心できる場所などはない。
「この蜘蛛が!!」
一番最初に対応したのは偵察部隊の騎士だった。必然的に近い場所にいたので応戦するしかなかった。
一匹一匹は弱く、彼らの攻撃で簡単に潰れる程度の魔獣だ。
だが、数が違いすぎる。
「と、止まれ! とまれとま―――うぁああああっ!!」
まるで波のように群がってくる蜘蛛、カーモスイット・スパイダー〈石喰蜘蛛〉たちに一気に呑み込まれる。
蜘蛛は騎士など見向きもせず、淡々と突き進むが、何千という魔獣に踏まれるのだ。ただで済むはずもない。
「撤収! 撤収だ! 警報を鳴らせ!!」
兵士たちも警報を鳴らし、休んでいる者たちを叩き起こす。
そのあたりは訓練で慣れており、すぐさま撤収の準備が進められていた。
時間を稼ぐため、主力の騎士たちも果敢に応戦する。
「隊列を組め!! こちらも陣形を整えれば対応できるぞ!!」
剣で斬れば簡単に死ぬ。銃で撃てば動かなくなる。砲をぶっ放せば、吹っ飛ぶ。
蜘蛛の圧力に対しても、こちらが集団で大盾を構えれば少しは抑えることができる。
やはりDBDの騎士は強い。厄介なのは数だけ。
と、誰もがそう思っていた。
「何か出てきたぞ! で、でかい!」
亀裂からのそりと、二十メートル以上の塊が出てきた。大型のクルマ、または小型の輸送船くらいの大きさだ。
それも―――蜘蛛
大きな蜘蛛が、ぎらっと三つ目を光らせてこちらを捕捉する。
「あの大きな相手は私が受け持つ!! 他の者はここで時間を稼げ!!」
ゼイヴァーが蜘蛛を蹴散らしながら大蜘蛛に接近。
槍を使って空中で蜘蛛を串刺しにしながらも、連続跳躍して移動する。
地上にいれば圧力で呑み込まれてしまうので、こうやって空中移動すれば安全だ。彼だからこそできる芸当といえた。
しかし、ここで予想していなかったことが起こる。
大型蜘蛛の背中の穴に、小さな蜘蛛が群がって入り込む。
同属の虫が体内に入るとは実に奇妙な行動であり、昆虫学者ならしばらく見つめているほどに面白い光景であろう。
が、入った理由は凶悪。
大型蜘蛛の背から長い管《くだ》らしきものが伸び、狙いを定めると―――ボンッ!
管から放出された『何か』が超高速で飛んできた。
「っ…!!」
空中を跳躍していたゼイヴァーは、咄嗟に身体をよじって緊急回避。
チッと鎧を掠めたものの、よけることには成功する。だが、その代わりに後方にいた輸送船に直撃。激しい衝撃とともに船体の装甲に大きな窪みを作る。
ただし、脅威はそれだけにとどまらない。
これが怖ろしいのは、それが【生きている】ことだ。
もぞ モゾモゾゾッ
船体に埋まった砲弾、もとい小蜘蛛のカーモスイットが動き出し、ガンガンと船体を叩き始めた。
彼らの表面は最初に見た個体よりも金属質に輝いており、かなり硬そうだ。どうやら砲弾専用の小型蜘蛛もいることが判明する。
「あの魔獣、自らの仲間を砲弾にしているのか…!! 早く止めねば!!」
ゼイヴァーがそれに気づいた時には、すでに遅かった。
ボンボンボンボンッ!!
次々と蜘蛛砲弾が射出され、輸送船だけではなく騎士や兵士の隊列に突っ込んでいく。
「ぐあっ!!!」
「隊列を崩すな!! 踏ん張っ―――がはっ!!」
その威力は本物の砲弾と大差ない威力だ。質量がある分、むしろ破壊力は増しており、直撃を受けた重装甲兵が鎧を破壊されながら吹っ飛ぶ光景が見える。
何度も言っているが、問題は敵の数。ということは砲弾の数も膨大ということを意味する。
幸いなことに砲台は一つしかない―――と思ってはいけない。
ゾゾゾッ ゾゾゾッ
亀裂から一匹、五匹、十匹と、次々と大蜘蛛が這い上がってくるではないか。
どうやら小さな蜘蛛が壁に張り付き足場となり、ベルトコンベアのように動くことで上まで運んでいるようだ。
その連携たるや、もはや軍隊すら簡単に凌駕するものであった。
「くっ! 近寄れない!!」
蜘蛛砲撃があまりに激しすぎて、ゼイヴァーも回避だけで精一杯。
この威力だ。一撃でも直撃すれば彼も戦闘不能に陥るかもしれない。よけるしか方法がないのだ。
状況は悪化し続ける。蜘蛛も増え続ける。
「ぬおおおおおっ!!」
ガンプドルフが雷王・帯迅烈波《たいじんれっぱ》で直線上の敵を薙ぎ払う。
アンシュラオンも広域技の烈迫断掌《れっぱくだんしょう》と水覇・硫槽波《りゅうそうは》を両腕で同時に放つという、本気モードの達人芸で応戦。
蜘蛛が弱いこともあり攻撃は効いているが、いかんせん数が多い。増援も止まらないため、まったく敵の勢いが弱まらないのだ。
「多すぎだろう。何匹いるんだ!」
さすがのアンシュラオンも、この数には辟易する。
水覇・天惨雨《てんさんう》で酸の雨を降らせても衰えない。
多いとは思っていたが予想を上回る物量だ。下手をすれば、すでに五千以上の蜘蛛が地上に出現しているかもしれない。
だが、これでも一部なのだ。展開した波動円による探知では、亀裂内だけでもこの数倍の反応があった。
(最低でも【三万】はいるぞ! この数はまずい!)
三万 対 二百。
30000と200。
アンシュラオンでも手を焼く数の暴力が、そこにはあった。
677話 「蜘蛛の脅威 その2『脱皮進化』」
敵の数は、三万。
その凄まじい物量に部隊が呑み込まれようとしていた。
いかなる『数の暴力』を打ち砕いてきたアンシュラオンでさえ、この規模が相手では簡単にはいかない。
「少年、撤退してくれ! これは防げそうもない! 聖剣を使う!」
「駄目だよ。まだ大空洞の中に敵戦力が残っているはずだ。それを全部倒せるとは思えない」
ガンプドルフの聖剣はそのデータを見た限り、非常に強力だ。
だが、シャクティマズ・グラズム〈雷範の結合者〉と実際に触れ合ってみて、その性質が『短期決戦』であることがわかった。
アンシュラオンを超えるレベルの攻撃力を生み出せるだろうが、数の多さとは相性が悪い。おそらく半分も倒せないままで力尽きる。
「ここが勝負所じゃない。今は戦力を温存するべきだ」
「だが、このまま消耗すれば、攻撃にも転じられないぞ!」
「単独での集団戦闘はオレのほうが得意だ。ここは何とかするから、おっさんは部隊の立て直しを頼む」
アンシュラオンから大量のモグマウスが出現。
周囲にいたカーモスイットたちを一瞬で八つ裂きにする。
だが、まだ足りない。全然足りない。
(しょうがない、全力展開だ。自動モードになっていない技はすべて解除されるが、この場を凌ぐほうが先だ)
アンシュラオンは、ほぼすべての力をモグマウスに注ぎ込む。
これによって約五百体が操作可能となるが、その代わりに他に仕掛けたものは、ホロロたちの緊急回復用命気だけになってしまう。
ただしグラス・ギースの白樹の館等の防犯設備は、時間制限のない術式に切り替えているため、そこまでのデメリットはないはずだ。それよりもここでの犠牲が増えるほうが問題であろう。
「三百匹はおっさんたちを援護! 百匹は敵陣を切り裂いて分断しろ! 残り百匹はオレと一緒に中央突破だ!」
「チュキッ!!」
これによって一時的に状況は好転。
巨大な群れをモグマウスが猛烈な勢いで掻き分けていく。それと同時にアンシュラオンが蜘蛛を倒しながら走り抜け、大型蜘蛛に一気に接近。
命気刀を生み出し、伸ばした全力の剣硬気で周囲数百メートルを薙ぎ払う。
ズバッ! ブシャババババババッ
汚れた窓を薬剤付きの雑巾で拭いた時ように、その部分だけが完全に切り抜かれ、蜘蛛の体液や部位があちらこちらに舞い飛ぶ。
この攻撃に対しては大型蜘蛛も普通の蜘蛛と同じ。真横に真っ二つに切断される。
それでもまだ手が足りないので、両手で命気刀を構えて二刀流からの―――不知火・空連美。
ガンプドルフは止めたのでその場で回り続けたが、もともとはこういう密集した戦場でこそ真価を発揮する技だ。
蜘蛛を次々と切り裂き、敵陣に穴をあけていく。
アンシュラオンの場合はサナと違い、遠隔操作したモグマウスや闘人などがカバーに入ってくれるので、遠慮なく大技を使っていくことができるのだ。一人で大多数の魔獣と戦ってきたからこそ身に付いた戦い方だ。
「見事だ、少年! これならば時間が稼げる! よし、後衛の撤退を急がせろ! 騎士は周囲に壁を作って防衛に専念だ! 無理に突っ込むなよ!」
ガンプドルフも敵の圧力が弱まったので、多少ながら余裕が出てきたようだ。
騎士たちを再編成し、モグマウスが取りこぼした相手を確実に迎撃、撃破していく。
「これならばいける!」
ゼイヴァーも、その機動力をいかんなく発揮。大蜘蛛の砲台を潰して回る。遠距離砲撃がなくなるだけでだいぶ楽になるだろう。
アンシュラオンも全力を出しているだけあり、撤退は十分可能だと思えた。
だが、ここで簡単にいかないのが荒野の怖ろしさだ。
蜘蛛の脅威は数だけではない。もう一つ重要な【特性】があった。
「なんだ…これ?」
撤退準備を急いでいた兵士が、大きな『繭』のようなものを発見する。
よくよく見れば、それは蜘蛛の形をしていた。さきほど倒した蜘蛛が、いつの間にかこんな姿になっていたのだ。
「蜘蛛が死ぬとこんなふうになるのか?」
「おい、そんなの放っておけ。急ぐぞ!」
「ああ、わかった。でも、なんか動いてるような―――」
シュンッ ブスッ
「あ…れ? なんだ……これ……ごぼっ」
突然繭が割れ、そこから出てきたのは、やはり蜘蛛である。
が、今まで焦げ茶色だった体表が禍々しい黒に変色し、鋏角《きょうかく》も大きく肥大化している。
触肢は鋭く長くなり、まるで槍のように変化。今兵士を突き刺しているのも、その【槍脚】である。
―――――――――――――――――――――――
名前 :カーバラモ・スパイダー〈石喰戦闘蜘蛛〉
レベル:60/70
HP :1300/1300
BP :380/380
統率:B 体力: C
知力:E 精神: E
魔力:D 攻撃: C
魅力:F 防御: D
工作:C 命中: C
隠密:D 回避: D
☆総合: 第三級 討滅級魔獣
異名:石喰い兵士蜘蛛
種族:魔獣
属性:土、岩、毒
異能:集団行動、毒液放射、脱皮再生、脱皮進化、糸放出、思念糸、鉱物喰らい
―――――――――――――――――――――――
―――【進化】
彼らは脱皮することで再生と進化を繰り返すことができた。
それはアンシュラオンたちが倒した蜘蛛でも同様。即死しなかった蜘蛛が次々と再生し、カーバラモに進化して襲いかかってくる。
データを見たところ、この蜘蛛こそが本物の『戦闘兵士』であるようだ。全体的にステータスが攻撃寄りに向上している。
それに加えて凶暴性が増しており、今までは無視していた騎士たちにも積極的に攻撃を開始していく。
(そりゃ『情報公開』で見ていたからスキルは知っているさ。だからこそおっさんに忠告したんだ。でも、速度がおかしい! 進化なんてそんなに簡単にできるか!)
アンシュラオンも文句を言うが、実際に起こっていることは受け入れねばならない。
たしかに地球の蜘蛛でも、脚がなくなっても脱皮で再生できる能力を持っている種類がいる。
がしかし、あまりに早い。
繭状になってから、およそ三十秒たらずで再生と進化を成し遂げている。これは明らかに異常である。再生はともかく進化するスピードがおかしいのだ。
そして、当然ながら大型の蜘蛛にも同じことが起きていた。
さらに大きく巨大となり、砲台管も二門になって再登場である。
「穴に落ちてろ!」
アンシュラオンが蹴りを入れて谷底に落とそうとするが、重い。
全力の一撃でも蹴落とせないほど、大型蜘蛛の体力が高くなっている。それを支えている蜘蛛たちも煩わしい。
「ちっ! 死ね!」
命気刀で真っ二つに切り裂き、大蜘蛛は今度こそ絶命する。が、その間に他の個体からの砲撃を許すことになる。
ボボボボンッ
倍の数になった蜘蛛砲弾が、次々とDBD隊に襲いかかる。
モグマウスが盾になって防いだものもあるのだが、すべてには対処できない。味方であるはずの蜘蛛さえ巻き込みながら砲弾が炸裂する。
目的のためならば躊躇なく味方すら犠牲にする。アンシュラオンもよく他者を使い捨てにするが、虫の場合は最初から無駄な感情がないのだから、その何倍も怖ろしい。
こうして蜘蛛の第二の特性、『脱皮進化』によって戦況は巻き返されてしまう。
(くそっ、守るものがあるのは厄介だな。オレだけだったら独りで距離を取って、ちまちまと攻撃していれば最終的には倒せるんだが…何か方法はないか? 覇王流星掌でもぶち込むか? …いや、聖剣と同じく今ここでやっても効果は微妙だ。もし戦艦が亀裂の先にあった場合、そこにまで被害が及ぶ可能性がある)
ここで迷いが生じる。
戦艦を優先して大技を封印するか、あるいはDBD隊を救うために『戦艦が助かる可能性』を犠牲にするか。
こうした事態になるとガンプドルフの苦悩がよくわかる。どちらかを生かすためにどちらかを犠牲にしなければならない究極の二択だ。
しかしながら、そんな二択すらアンシュラオンは拒否。
(違う。無理に選択肢を二つにする必要はない。慌てるな。クールになれ。いつだってそうしてきたはずだ。考えた先に必ず未来がある)
逃避はせず、あくまで思考をフル回転させる。
どう考えてもおかしいからだ。
(オレが油断したのは事実だが、あまりに唐突すぎる。やつらがいきなり襲いかかってきた理由があるはずだ。そうでなけば亀裂の調査の段階で襲われなかったのはおかしい)
あの時、蜘蛛はこちらを攻撃しなかった。
これだけの戦力差があるのだから、もっと早く攻撃を仕掛けてきてもよかったが、彼らは注視するだけにとどめた。それが一気に動き出したことには違和感しかない。
アンシュラオンは地面に剣を刺し、剣硬気を放出して上昇。一度上空から状況を確認してみる。
(まるで雪崩だな。この中で後退を続けられるのは、さすがガンプドルフだ)
ガンプドルフの指揮の下、隊は着実に後退しているが、そこにほぼ全方位から蜘蛛が群がっている状況が見える。
蟻が獲物を襲っている光景に近いだろうか。極めて怖ろしく、おぞましい光景といえる。
しかし、こうして俯瞰して戦況を見ると、明らかに相手が密集している場所があることに気づく。
(なんであそこにだけ敵が集中しているんだ?)
輸送船のやや前、一台のトラクターにやたらと攻撃が集中しているように思えるのだ。彼らの攻撃は、そのトラクター、輸送船の順番に苛烈になっているようだった。
「おい! あそこには何がある!」
アンシュラオンが急降下して、必死に逃げている一人の兵士に詰め寄る。
「へっ!?」
「あそこには何がある! あの中央のトラクターだ!」
「あそこ……? は……は、はい! たしか【通信設備】があったはずです!」
「通信設備? 戦艦と連絡を取るための機器か?」
「はい! 高出力の電波を放射するため、テストを行っていたはずです!」
「通信機を狙っている? なぜだ?」
「わ、わかりません!」
「お前に訊いてなどいない! さっさと逃げろ! 死にたいのか!」
「は、はいぃいい!」
自分で呼び止めておいて相変わらずの横暴ぶりだが、貴重な情報を手に入れることに成功する。
(通信設備だと?)
ついさきほどガンプドルフと話していた、戦艦との連絡を取るための【大型通信機】である。
原理的にはゼイヴァーが持っていた通信機と同じだが、規模が違う。これならば数百キロ以上は軽く越えて交信が可能だろう。戦艦に搭載されているものも、これの上位版といえるものだ。
しかしながら、この技術はDBDだけが持っているものではない。
他国の戦艦や高感度受信機などに引っかかる可能性があるため、使用の際は十分注意する必要がある。戦艦が常時連絡を行わなかったのは、まさにそのためだ。
今回は戦艦側と連絡を取る最後の手段としてキャンプから持ってきており、ガンプドルフもこれに一縷の望みを託したわけだが、なぜか蜘蛛はそれを狙っていた。
(間違いない。やつらが急に動いた理由は、通信機の電波が原因だ。オレの波動円にも気づく敏感な蜘蛛だ。強力な電波に刺激されてしまったのかもしれない。…だが、壊すような群がり方じゃない気がする)
これだけの数だ。壊すだけならば簡単だろう。それこそ蜘蛛砲弾を撃ち込めば一発だ。
しかし、群がった蜘蛛たちは通信機器の周囲を覆って、むしろ守るようなそぶりを見せている。
それから下に潜り込み、持ち上げようとしていた。強引にではなく、極めて静かに丁重に。
(なんだあの行動は? もしかして【持ち去ろうとしている】のか? ん? あれは―――)
その時、別のトラクターの荷台が動き出し、横から縦にスライドするように持ち上がった。
そこにあったのは、黄金色に輝く人型の機械兵器だった。
そう、ガンプドルフには聖剣以外にも武器がある。それが魔人機だ。
「魔人機を出したのか。ちょうどいい!」
アンシュラオンは魔人機の肩に跳躍。
ガンガンと装甲を叩きながら状況を伝える。
「ガンプドルフ、聴こえるか? あの通信機器を谷底に落としてくれ!」
「少年、あまり強く叩くな。響く」
「中に衝撃が伝わっているの?」
「今、私の神経はオーラジュエル・モーターを介して機械と繋がっているのだ。少年の重みも感じるぞ」
魔人機、それもナイトシリーズのような『オーバーギア』には、ハイリンク型デバイスが搭載されている。
これは肉体(脊髄)と精神を機械と結合させるものであり、機体を肉体と同じように動かすためのリンクシステムだ。
よって、アンシュラオンがガンガン叩く衝撃どころか、実際に肩に鈍い痛みすら感じるのである。
デメリットがありそうなシステムではあるが、だからこそ自由自在に動かすことができる。また、優れた武人ならば痛みを消すこともできるので、そのあたりの心配はない。
「それで、どういった事情だ?」
「蜘蛛は通信機の電波に強く反応している。あれを亀裂に落とせば、相手の注意をそっちに向かわせることができるはずだ」
「君が言っていた探知型の魔獣の習性か?」
「そうだね。高出力の電波を出すものを獲物か何かと勘違いしているんだろう。あるいはそれを集める習性があるのかもしれない。所詮は虫だ。刺激で動いているにすぎないよ」
「わかった。魔獣にくれてやるのは惜しいが、今は安全確保を優先する」
「そのほうが得策だね。それと無線機器を使った連絡も控えたほうがいい。また刺激する可能性がある」
「了解した。徹底させよう」
「援護する?」
「必要ない。君は女性たちのところに向かってくれてかまわない。あとは私がやる」
「わかった。任せるよ」
ガンプドルフの愛機、ゴールドナイト99-092、ゴールドミーゼイア〈黄金の研篝矢《けんこうや》〉が動き出す。
ドスンッ ぐちゃっ
一歩踏み出すだけで、下にいた蜘蛛をたやすく踏み潰した。
その感触がガンプドルフにまで伝わるのが、魔人機の面白いところだ。
「武装選択。ライトニングソードと低出力雷光砲。周りの騎士は退避しろ! ミーゼイアを出す!」
ミーゼイアの主力武装の一つであるライトニングソードを装備し、軽く薙ぎ払った。
それだけでアンシュラオンがやった剣硬気と同じく、何百という蜘蛛を切り裂き、焼き殺す。
この武器は文字通り、高圧電流をまとっている特殊武装である。剣撃と同時に激しい雷を放出することで周囲の蜘蛛も一瞬で焼け焦げる。
「まさか通信機とはな。完全に盲点だった」
敵を蹴散らしたミーゼイアが、通信機のトラクターを確保。力ずくで引っ張って移動を開始。
予想通り、そのトラクターに大量の蜘蛛が群がってきた。
「魔獣め、魔人機を侮るなよ!」
それに対して、ミーゼイアは『雷光砲』を使用。
バックパックが展開され、孔雀のように背部が扇状に広がると―――
―――雷光が迸る!
バババババッと輝く細かい粒子が拡散して放射され、それぞれが着弾した地点で爆発。まるで高速で降り注いだクラスター爆弾である。
雷光砲―――正式名称『雷光孔雀砲』は、対MG戦闘においては敵の足を封じる牽制武器として使え、それ以外では『対人兵器』としても有用な武器となる。
魔人機の設計思想は対人を想定していないものの、それはあくまで形式上、表向きのことだ。実際は戦争の道具として、人を殺すための優れた兵器が搭載されている。
これこそ人類が生み出した大量殺戮兵器。それが投入されたのならば小型の魔獣では相手にならない。
次々と蜘蛛が排除され、亀裂への道が開いていく。
だが、その前に大型蜘蛛が立ち塞がる。ミーゼイアに向けて蜘蛛砲弾を発射。
「遅い!!」
ここで魔人機の性能の高さを見せつける。
この兵器の優秀な点は、搭乗者の力量によって機体性能が格段に上昇することだ。
これだけ大きな機械であるにもかかわらず俊敏に動き、蜘蛛砲弾をソードで薙ぎ払った。蜘蛛砲弾は爆散。一瞬で消滅する。
そのまま高速で突っ込み、ソード一閃!
斬られた大型蜘蛛は真っ二つになりながら、さらに雷撃によって爆散。
その後、ガンプドルフがトラクターを亀裂に放り投げると、それを追うように波が引き、蜘蛛たちが亀裂に戻っていく。やはり目的はあの通信機だったようだ。
678話 「蜘蛛の脅威 その3『ラノア拉致』」
(おー、すごい強いじゃんか! 豪語するだけのことはあるね。あんなものがあれば最初から使えばいいのに…って、エネルギーに問題があるんだっけ)
魔人機が蜘蛛を蹴散らす様子を見て、アンシュラオンも感嘆する。
実際に本家の野良神機と戦ったことがあるので、だいたいの強さは予想していたが、ガンプドルフが優れた武人であるがゆえに想像以上といえる。
仮に自分が戦う場合、生身ではかなり厳しい相手となるだろう。普段とは違った戦い方をする必要がありそうだ。
思えば免許皆伝の試験が野良神機の撃破だったのは、こういった事態を想定してのことなのだろう。さすが覇王。当たり前のように生身で魔人機を倒すことを考えている。
だが機械である以上、エネルギーの問題は常に付きまとう。ゴールドナイトだからこそ日光で充電できるが、普通の魔人機ではそうはいかない。その日光にしても、戦っている間は充電できないという制約もある。
また、壊れたときも問題だ。この荒野ではWGへの修理依頼も簡単にはいかない。自力で直せるのは外部装甲程度であり、動かなくなったら捨てるに捨てられない邪魔なゴミと化す。
そういった事情を考慮すると、聖剣同様に使いにくい道具であるといえる。
(とはいえ、強力な兵器であるのは間違いない。あっちはおっさんに任せておけばいいか。ふむ、まだこっちには蜘蛛が残っているな)
通信機を追いかけているので大波は引いたが、まだ多くの蜘蛛が輸送船に群がっていた。
輸送船を狙う理由は、搭載されている無線機の電波が影響を与えていると思われるが、トラクター自体には目もくれないことから、何かしら違う目的があるのかもしれない。
(トラクターと輸送船の違いは…単純に大きさかな? 蜘蛛が使うとは思えないし、もしかして食べるのか?)
カーモスイット・スパイダー〈石喰蜘蛛〉は、文字通り『石を食べる蜘蛛』と考えていいだろう。実際にスキルに『鉱物喰らい』があるため、ここは確定だ。
であれば、金属を食べる習慣があるはずだ。彼らが輸送船を狙うのは食料の確保の意味もあるのかもしれない。
(だが、トラクターだって食べられるだろうに。どうして輸送船だけを狙う? それ以前に、あの程度の金属量ではこの数は養えない。ほかに主食があるはずだ。食べる以外の目的があるのか? …おっ、サナたちも戦っているな。だいぶ圧されているみたいだ)
当然これだけ激しい戦いが起これば、サナたちも出撃していた。
クルマに群がる蜘蛛をサナが切り裂く!
今は魔石を全開にしているため雷撃も同時に叩き込み、蜘蛛を倒すことに成功するが、次から次へと敵がやってくるので休む暇がない。
アンシュラオンがすでに弱点を見せつけたように、この数相手では機動性を完全に生かしきれないのもつらい。徐々に動くスペースがなくなり、圧し込まれていく様子が見える。
「ぐっ!! なんて数だ!!」
サリータもクルマの外で、盾とボムハンマーを使って迎撃していた。
爆破杭はとっくに残弾を使い切り、攻撃力で貢献はできていないが、決死に拡盾も使ってクルマを守っている。
しかし、やはり数が多い。
潰しても潰しても次々と群がってくる蜘蛛に対し、ひたすら耐えるしかないので防戦一方だ。
「サリータ! 耐えなさい! あなたが抜かれたら終わりですよ」
「はいっ!!」
「もうっ、なんなんですかー! この蜘蛛!! なんでこっちに来るんですか!?」
ホロロと小百合もキャノン砲と散弾砲を使って迎撃するも、これまた数が多くて対応に苦慮している。
そして残弾が無くなり、ホロロはアサルトライフル、小百合はハンドガンで対応。だが、それもすぐに弾切れが起きる。
「ホロロさんはクルマの中に入ってください。私はまだ刀がありますから!」
「小百合様、ご無理をなさらず!」
「大丈夫です! 援護くらいはできます!」
こんなときでも小百合の声は明るい。アンシュラオンを信じていることが、ひしひしと伝わってくる。
彼女たちは、まったく希望を失っていない。それこそが力となる。
だがしかし、それでも徐々に歪《ひず》みが生まれていくのは致し方がなかった。
(まるでサナ様を援護しきれていない! これだけ近い距離にいるのにタイミングが―――合わない!)
サリータ自身は、まだ戦気を出せるようになったばかり。使い慣れているわけではない。それがサナとの連携にわずかばかりの差を生じさせていた。ほんの少しとはいえ、それが次第に大きな差になっていく。
そして、倒し損ねたカーモスイットが黒いカーバラモへと進化し、サリータに襲いかかる。
シュシュンッ
槍脚が迫る。
完全に前に集中していたサリータは、真横からの攻撃に気づかなかった。
槍脚が拡盾を貫通したところで、対術式二重防護輪が発動。『無限盾』が展開され、槍脚の衝撃を和らげる。
が、それを貫通して鎧にまで到達。肩に激しい衝撃が襲う。
「ぐっ! 横からも…!」
「…しゅっ!」
そこにサナが援護に入り、カーバラモを切り裂く。
守る側が守られる側になってしまう。これが今のサリータの現状だ。
いくら戦気を使って強くなっても、相手も強くなれば状況は変わらない。
「サナ様、ありがとうござ―――っ!」
サナの背後に、もう一匹のカーバラモが迫っているのが見えた。
槍脚で背中に狙いを付けて、突き刺そうとする。
「サナ様!!!」
盾では間に合わない。身体ごとサナにぶつかるように庇い、代わりに攻撃を受ける。
今回は無防備に身体を晒したため、無限盾だけでは攻撃を防ぎきれなかった。
槍脚はサリータの腹を貫通。臓器が潰れ、鈍い痛みと同時に血が滲む。
彼女が盾になったおかげでサナへの攻撃は逸らすことができたものの、カーバラモはそのまま押し込んで、サリータがクルマに激突。
ドーーーンッ メキメキィイッ
「がはっ…!」
サリータが槍脚に縫い付けられ、動けなくなる。
クルマも大きな衝撃を受けて横転。屋根にいた小百合が放り出された。
「きゃああっ!! よっと、受身!! いたっ!! 蜘蛛の死骸に当たった!!!」
華麗に受身を取ったと思いきや、蜘蛛の死骸にぶつかるという災難が発生。
事前に強化されていた制服によって衝撃は防がれたが、まだ彼女たちの災難は去っていない。
「ラノアを離して!!」
パンパンッ
クルマの中からセノアの叫び声と銃声が響く。
サリータがぶつかった衝撃でクルマの扉が破損し、そこから別のカーバラモが侵入していたのだ。
長い脚を使って引っかけたのは―――ラノア
蜘蛛は夢太郎を抱きしめているラノアを引きずり出そうとしていた。
それを必死に止めようとセノアが発砲を続けるが、魔獣の体力のほうが上のため、たいしたダメージには至っていない。
「このっ!!」
妹を助けようとするセノアは、魔力ブースターを使用。
魔力弾の連射で攻撃。
だが、こちらもまだ彼女の能力では討滅級魔獣には対抗できない。軽い損傷を与えるにとどまる。
「…しゅっ!!」
サナが駆けつけ、蜘蛛を貫く。
ただ、ラノアが邪魔で雷撃が使えず、動きを完全に止めることはできなかった。
そこに蜘蛛の反撃。槍脚が振り払われ、サナを襲う。
サナは素手の片手で防御するしかない。腕輪の力で無限盾が発動し、衝撃の大半を受け止めるが、カーバラモの一撃は無限盾を破壊して激突。
サナが車外に吹き飛ばされる。
「…っ…っ……」
サナが昏倒。すぐさま立ち上がったものの、目の焦点が合っておらず、足もふらついている。
陣羽織に物理耐性があるからこの程度で済んだが、カーバラモの攻撃力はCだ。万全の態勢で受けねばサナの防御力では心もとない。
「サナ…様!!」
サリータも助けようとするが、カーバラモと組み合っていて動けない。
ステータスに表示されていたが、カーバラモの鋏角《きょうかく》には神経毒があり、これが体内に入ったら麻痺して動けなくなる。
多くの兵士たちもこれにやられ、今現在は戦闘不能に陥っているようだ。
サリータはまだ噛まれていないものの、油断すればすぐさま同じようになってしまうだろう。
その間にサナに刺されたカーバラモは、ラノアをクルマの外に引きずり出していた。
「ううっ…やだ…!」
ラノアはまだ子供だ。普段は物怖じしない性格とはいえ、魔獣の迫力に気圧されて満足に抵抗できない。
「ラノアちゃんを放してください!!」
小百合も駆けつけて護身刀で斬りつけるが、そんな攻撃など意味はないと言わんばかりに蜘蛛は無視。ラノアを抱えて離さない。
ホロロも何とかしようと術式ダガーで脚を切りつけるも、当然ながら少しばかり傷を付けるのが精一杯だ。
この状況で蜘蛛と戦えるのは、サナとサリータだけ。
サリータはこの通り、動けない。サナも立ち直りつつあるが、他の蜘蛛に囲まれて身動きが取れない状態に陥る。
そんな中、ラノアと蜘蛛が見つめ合う。
「………」
「………」
互いに動かない。ただ見つめ合うだけだ。
―――〈ラノア! 無事!?〉
―――〈ねーね?〉
―――〈大丈夫、今行くわ! 爆発矢で吹き飛ばすから頭を引っ込めて!〉
セノアが『念話』でラノアに叫ぶ。
最近は一緒にいることも多いので、こんな近い距離で使うことは滅多にない。危険が迫ったために、ついつい本能的に使ってしまったのだろう。
だがしかし、それが『きっかけ』となる。
カーバラモは三つ目をぎょろぎょろ回転させると、突如として高速で走り去る。
「ラノア! 待って、ラノアを連れていかないで!」
「セノアさん、違う蜘蛛が!!」
「あっ!」
小百合の声で振り返ると、そこには違う個体がいた。
今度はセノアを抱えて連れていこうと服を引っ張る。その拍子に爆発矢を落としてしまった。
小百合が刀で妨害しようとするが、彼女だけではもうどうしようもない。
「うおおおおおおおおお!!」
その時、サリータが組み合っていた蜘蛛の口に右腕を突っ込む。
握っていた大納魔射津が―――爆発
衝撃で蜘蛛の顔面が吹っ飛んだ。
その隙に離脱し、セノアを掴んでいた蜘蛛に体当たり。寸前でセノアを助ける。
「サリータさん、その腕…!」
「セノア、離れるなよ!」
彼女の右手は爆発の衝撃で吹っ飛んでいた。指が千切れ飛び、激しい裂傷と火傷を負っているため、もうハンマーは握れない状態だ。
それでもサリータは左腕で盾を構え、円拡盾《えんかくたて》を使用。
サナや小百合ごとクルマを覆うように防御陣を生み出す。
「はぁはぁ…せめて……セノアだけは…!」
蜘蛛はいまだにセノアに向かって群がってくる。
それを命がけで守るサリータだが、彼女の能力ではこのあたりが限界。
カーバラモが強引に入り込もうとしたところで―――ズブウウウッ!
空から降ってきたアンシュラオンが命気刀を突き刺した。
「大丈夫か、セノア、サリータ」
「し、師匠…申し訳ありません…」
「お前は自分の役割を果たした。十分だ」
「ご主人様! ラノアが!!」
「わかっている。その前にこいつらだ」
剣硬気を伸ばして数匹を串刺しにすると、そのまま横薙ぎにして周囲一帯の蜘蛛を駆逐する。
再生されては厄介なので熱爆球で焼いて、しっかりとどめを刺しておく。
「オレはラノアを追う。サナはここを守れ」
「…ふるふる」
「ラノアは大丈夫だ。ミャンメイの時のようなヘマはしない。信じろ」
「………」
「すでにモグマウスを護衛に付けてある。ラノアは無事だ」
「…こくり」
助けに行きたかったようだが、なんとか説得する。
正直言って、今のサナのレベルでは荷が重い相手だ。ここで待つのが最善策である。
(そうだ。ミャンメイの時のように失敗はしない。だが、またもや不思議な行動を取ってくれる。敵の目的を見極めないと、この戦いはただの消耗戦になってしまうな)
アンシュラオンはラノアを連れていった蜘蛛を追跡。
大部分の蜘蛛は谷底に落とされた通信機を追って、亀裂の中に戻っていた。
残っていた蜘蛛たちも騎士たちによって駆逐され、次第に数を減らしている。輸送船のほうもモグマウスを援護に回したので大丈夫だろう。
その一方で、ラノアを抱えている蜘蛛の周囲には他の個体が集まり、まるで壁を作るように強固に守っている。
目的地は当然ながら亀裂内部。おそらく通信機と同じく持ち去るつもりだろうが、その様子に激しい違和感を覚える。
(なぜラノアを連れ去ろうとしている? さすがに食べるためではないだろう。そもそも消化器官が違うからな。それ以外だと儀式くらいしか思いつかないが、魔獣が宗教的儀式を行うとも思えない。これも違うだろう)
草食動物が発酵のための専門の胃腸を持っているように、この蜘蛛も鉱物をエネルギーに換える特殊な酵素を持っているはずだ。
無理やり肉を食べることも可能だろうが、異常発酵で死んでしまうこともあるので、あえて食べる理由は存在しない。
この蜘蛛の主食は、間違いなく鉱物だ。例外はあるかもしれないが、ひとまずそこを信じて考えてみる。
(では、なぜさらう? しかもあんなに大事そうに抱えて。セノアも狙ったことから一つの仮説は立てられる。ほぼ間違いなく『念話』が要因だ)
彼らは通信機器を狙った。しかも壊すのではなく、【持ち去ろう】としていることが重要だ。
現に谷底に落ちた通信機器も、トラクターごと穴の中に運ばれていったようだ。何に使うのかはわからないが、彼らには電波を出すものを集める習性があるようだ。
それは『念話』にも当てはまる。
ロゼ姉妹には念話の専用回線が存在し、今回みたいに無意識で使ってしまうことがある。しかも無線タイプなので、術糸を繋いで行わないと周囲に漏れてしまう。
最悪なことに蜘蛛は、その波動を感知できる。
アンシュラオンの波動円すら探知できるのだ。二人の粗い念話を探知するのは容易であろう。加えてラノアには念糸の練習をさせており、今も夢太郎に繋いだままの状態である。
彼らからすればもっとも探知しやすい人間といえる。だからこそクルマに蜘蛛が殺到したのだ。
(人間を狙う理由はまだわからないが、今回の一件で戦艦が持ち去られた可能性がぐっと高まった。戦艦が通信を控えている理由も、おそらくはこれが原因だ。壊れていなければ、だがな)
蜘蛛の特性を考えると、今までのことにすべて辻褄が合う。
なぜ戦艦の通信が途絶えたのか。なぜ戦艦が消えたのか。その理由は今回とまったく一緒だ。
この蜘蛛にとっては戦艦は非常に興味深い代物だろう。あんな大きな蜘蛛も運べるのだ。何千と兵隊を派遣すれば戦艦だって運べるに違いない。
ただし、あくまで仮説。
まだ確定的ではなく、そんな推測にすべてを賭けるほどギャンブラーではない。
(現状でもっとも被害を少なくしつつ、戦艦の存在を確認する方法が一つだけある。これをやるとセノアは怒るよな。怒られるんだろうな…嫌われちゃうかな。でも、このままではリスクが高すぎる。くそっ、しょうがない…覚悟を決めるか)
かなり迷ったが、致し方なく決断する。
その決断とは、ラノアに『仕掛け』を施し、そのまま亀裂の穴に連れ去られるのを傍観することだ。
自分の物に手を出した相手に対して、徹底的に報復するこの男からすれば、まずありえない行動といえる。
なればこそ、そこにはアンシュラオンなりの考えがあるわけだ。
こうしてラノアは、蜘蛛たちに拉致されることになってしまうのであった。
679話 「ラノアの目」
「うわぁああああああああああああああんっ!!!」
「す、すまない! 本当にすまない!!」
「ラノアが…私の妹がぁああああ! ラノアぁあああああああ!」
「き、君の妹は無事だ。それは保証しよう」
「どうしてそんなことが言えるんですか!!」
「そ、それは…だ、大丈夫だ。少年が守ってくれている…はずだ」
「はず!?」
「絶対に守っているから安心してくれ!」
「今はですよね!! 今後も無事である保証はあるんですか!!」
「大丈夫! きっと大丈夫だ!」
「きっと?」
「い、いや、絶対大丈夫だ!!」
「絶対って、そんな保証がどこにあるんですか!?」
「それは…その…たぶん大丈夫だ…」
「たぶん!? うわぁああああぁぁぁんっ! ラノアぁああああ!」
「ぜ、絶対だ! た、頼むから泣き止んでくれ…」
新たに張った軍用コテージの中で、セノアがガンプドルフに食ってかかっていた。
見ての通りDBDの軍部のトップの一人が、たかがメイドにたじたじだ。こういうときは立場や身分などは関係ない。鬼気迫るセノアの迫力のほうが勝っている。
なぜこんなことになっているかといえば、当然ながらアンシュラオンが『生贄』として連れてきたからだ。
「少年、どうすればいいのだ?」
「謝ればいいんだよ。ひたすら誠意を尽くして」
「まったく聞く耳を持ってもらえないのだが?」
「そりゃ女性は感情で動くからね。論理的な話が通じるわけがない。セノアが泣き疲れるまで、ひたすらサンドバッグになるしかないよ」
「それはわかったが、なぜ私がこんな目に遭うのだ?」
「戦艦を助けるためなら何でもするって言ったじゃんか。どっちが大切なの?」
「そ、それはそうだが…これは……拷問だぞ」
自分が怒られたくないのでガンプドルフを連れてきたのだ。
説明まで彼にやらせたので、セノアの哀しみと怒りはすべてガンプドルフに向いていた。
すべて計画通りである!
だが、そんなアンシュラオンも他人事ではない。
「…ぎゅっ」
「………」
「…ぎゅっ」
「………」
「…悪かったよ。大丈夫だから。な? お兄ちゃんを信じてくれ」
「…じー」
戻ってからサナがずっと自分の裾を掴んでいるのだ。
甘えているわけではない。抗議の視線で見つめてくるので、とても居心地が悪い。
(助けに行きたいところを止めたのに、あえて見逃したからな。サナが怒るのも当然だ。…嫌われたくないなぁ。こんな可愛い子に嫌われたら、お兄ちゃんはもう生きていけないよ!)
結局アンシュラオンも、サナの機嫌を直すために平身低頭して謝るしかなかった。
そもそもこの男が考えた作戦なので、責任逃れをするほうがおかしいのだ。
セノアが泣き疲れた頃を見計らい、改めて説明する。
「まず、ラノアは絶対に無事だ。これはオレが保証する。やつらに連れ去られる時に『守護者』を忍び込ませておいたからね」
「守護者…ですか?」
「現状オレが使える中で、もっとも優れた防御力を持った『闘人』だ。ラノアに危機が迫ったら必ずそれが守ってくれるし、傷を負っても命気で回復するようにしてある。そもそもあの蜘蛛が何匹いようがダメージを与えることはできないよ」
モグマウス三百匹分の力を与えたので、アンシュラオンの力の半分以上の戦闘力を持っている。
しかもそのすべてを防御に振った『防御型闘人』であり、仮に攻撃力がS以上でもダメージを与えることはできないだろう。
「そいつがいる限り、ラノアは安全だ。セノア、信じてくれるか?」
「…はい」
「で、どうしてオレがわざわざこんな真似をしたかといえば、大空洞の内部を探るためだ。彼女には『目』になってもらおうと思ってね」
「目? どういうことですか?」
「実際に試したほうが早いだろう。今、ラノアと通信が繋がっている。話してみるかい?」
「え!? 本当ですか!?」
「おっと、『念話』は使っちゃ駄目だぞ。こっちの専用回線を使うんだ。念糸でオレの回線に繋いでごらん」
「わ、わかりました。えと、魔力ブースターを出して…と」
「いいぞ、繋がった。話しかけてごらん」
アンシュラオンを介して、セノアが回線に接触。
恐る恐る話しかけると―――
―――〈ラノア、聴こえる?〉
―――〈ねーね?〉
―――〈ラノア!! うう、よかったぁ……無事なのね。今どこにいるの!? どうしているの!?〉
―――〈んー、暗いとこにいる〉
―――〈あの亀裂の中にいるのね。周りは!? あの蜘蛛は!?〉
―――〈くも、いるよ〉
―――〈数は?〉
―――〈いっぱい〉
―――〈何もされてないのね!? 本当に大丈夫?〉
―――〈んー、だいじょぶ。大きなくもさんいるから〉
―――〈大きな蜘蛛? それって逆に危ないんじゃ…〉
―――〈だいじょぶ。んー、えらいひと? だから〉
―――〈蜘蛛だから人じゃないでしょ…って、どういうこと? どうしてわかるの?〉
―――〈おはなしした〉
―――〈え!? 蜘蛛と話したの? 言葉がわかるの!?〉
―――〈んー、ねーねといっしょ〉
―――〈私と?〉
―――〈セノア、『念話』ってことさ〉
なかなか話が進まないので、ここでアンシュラオンが参加する。
アンシュラオンの回線であるため、内線のように三人での会話も可能なのだ。
―――〈そ、そっか。念話なら魔獣と…話せるんですか?〉
―――〈試したことがないからわからないな。ラノア、どうだい?〉
―――〈んー、なんとなくわかる。糸だすと、むこうもだすよ〉
―――〈相手は虫型魔獣だ。人間とは思考回路が違うし、脳神経にも違いがある。普通に会話は難しいだろうが、敵意があるかどうかくらいはわかるだろう〉
―――〈よかった……ラノアが無事なら…。でも、どうしてラノアを狙ったんですか?〉
―――〈今ラノアが述べたように、蜘蛛には『思念糸』というスキルがある。やつらはそれを使って連携をしているんだ。だから同じ『念話』が使えるセノアやラノアが狙われた可能性が高い。連れ去った具体的な理由まではまだわからないけど、少なくとも殺すつもりはないようだ〉
―――〈そんな……念話が仇になるなんて…こんな能力、いらないのに…〉
―――〈そう悲観することもない。それによってオレたちは重要な情報を手に入れることができた。ラノア、戦艦が見えるかい? 黒くて大きい塊だ〉
―――〈うん、みえる〉
―――〈え!? 戦艦!?〉
―――〈戦艦の様子は?〉
―――〈なんか赤くひかってる〉
―――〈ちょっと待ってくれ。今、視神経を共有する。よし、全体的に暗いけどなんとか見えるな。ほら、あれが戦艦だよ〉
アンシュラオンも視神経を共有することで、ラノアが見ている光景をそのまま見ることができる。それを思念で投射し、セノアにも見せることが可能だ。
これはグマシカが人形を使ってアンシュラオンを監視していた技術、【傀儡《くぐつ》の術】の一つで、精神術式の一種である。
もともとはエメラーダが持っていた技術を傀儡士が盗み、そこから広がったものだが、今では巡り巡ってアンシュラオンも使うことができた。
(やっぱり便利な術だよな。ラノアは精神構造も単純かつ従順だ。子供の精神が乗っ取りやすいのは白スレイブと条件が一緒だな)
傀儡の術はかなり難しいほうだが、今回はラノアが協力的なのでかなりやりやすい。グマシカが人形を使っているのも、相手からの抵抗がないからだろう。
そして、彼女の目から戦艦の姿を捉えることができた。これこそがラノアを送り込んだ最大の目的なので、見事達成できたといえるだろう。
(多少傷ついているようだが、目立った大きな損壊はないな。あの赤い光は溶鉱炉の熱かな? ということは戦艦が生きているってことだ。代償を支払っただけの価値はあったな)
―――〈ラノア、オレがあげたバッグは持っているかい? お菓子や水はあるかな?〉
―――〈うん、いっぱいあるよ〉
―――〈お腹が空いたら、いくらでも食べていいからね。トイレもその場でしても大丈夫だ。命気で吸収分解するから下着や服が汚れないようにしてある。オレが助けに行くまで、しばらくそこで我慢してくれるかい?〉
―――〈わかったー〉
―――〈ラーちゃん、お姉ちゃんも絶対に助けに行くからね! 待っててね〉
―――〈うん、まってる〉
通話終了。
「アンシュラオン様、ラノアちゃんは大丈夫なんですよね?」
心配そうに小百合が覗き込んでいたが、話の内容がわからないのでやきもきしていたようだ。
セノアをぎゅっと抱きしめながら訊いてくる。
「大丈夫だよ、小百合さん。オレが自分のメイドを危険な目に遭わすわけがない。今回ばかりは絶対に大丈夫だ」
「ですよねー! 小百合はわかっていましたよ!!」
「改めて言うけど、ラノアには最強クラスの守護者による護衛と命気による保護と、今やったように専用回線で常時通話が可能な状態にしてある。今回の念糸は、より綿密に精密に作ってあるんだ。しっかりと警戒網を縫うように配置しているから蜘蛛を刺激することもない」
普通に展開しては感知されるため、極小の糸を生み出し、まさに蜘蛛の巣を縫うように忍ばせている。
いざ何かに触れそうになったら即座に地面の中に隠れられるように、常に神経を張っている徹底ぶりだ。
これだけでも相当な精神力を使うが、それだけ本気モードだということだ。
「サナ、これで許してくれるか?」
「…こくり」
サナが頷く。その目には自分が助け出すという意欲が見て取れる。
普段の彼女は強い感情を出さないが、こうした身内に関する事柄には、異様に強い執念とやる気を見せる時がある。
(べつにそれが目的じゃなかったけど、サナの感情を引き出すためにも良い経験になるかもしれないな。ミャンメイの時には失敗したし…トラウマの払拭になってくれればありがたい)
「師匠、自分も…今度こそ役立ってみせます!」
横になっていたサリータも、いつの間にかサナの隣に来ていた。
彼女の失われた右手は術式で復元したが、疲労が激しいので命気風呂に入れていたのだ。
「まあ、焦るな。今回の作戦は慎重に進める必要がある。準備に最低でも数日はかかるんだ。そうだよね、おっさん?」
「ああ、作戦を練って動かねば同じ過ちを犯す。こちらも犠牲が出たからな。騎士が四人、兵士が五人死んだ。作戦前に今一度、士気も上げねばならない。君たちには申し訳ないが多少の時間は必要だ」
「…そうですか」
サリータも一緒に訓練していた相手である。少なからずショックを受けたようだ。
しかし、彼女自身もアンシュラオンがいなければ、同じ結果になっていたかもしれないのだ。いや、きっとなっていただろう。それだけでも十分恵まれている。
「その間、しっかりと休んで準備をしておけばいい。爆破杭やキャノン砲弾もたくさん作らないといけないしな。納得したか?」
「…はい」
「それじゃ、オレはおっさんと少し話してくる」
アンシュラオンとガンプドルフが外に出る。
さきほどは女性たちがいたため控えていたが、ここからはかなり厳しい話が続く。
「今回はオレの油断だったよ」
「君だけのせいではない。こちらも油断していたし、そもそも誰にも予期できなかったことだ。これだけの犠牲で済んだだけ奇跡的だ」
「士気は大丈夫?」
「犠牲には慣れている。ナージェイミアがいるとわかれば、やる気も出るだろう。それより戦艦は無事なのか?」
「見た感じではね。炉にも火が入っているようだし、生き残っているのは間違いないよ。たしか高炉はサブエンジンでもあるんだよね?」
「そうだ。本格的な戦闘は難しくても移動くらいはできるはずだ」
「それなら助け出せる可能性も一気に上がるね。蜘蛛さえどうにかできれば、自力で出てくることもできるだろうしね」
「だが、どうして戦艦を狙う? 君のメイドを狙う理由は何だ?」
「うーん、魔獣の習性だからね。オレもなんとも言えないな。でも、戦艦を狙った理由はだいたい予想はついたよ。たぶん―――【巣篭もり】じゃない?」
「巣篭もり? 巣穴に篭もることか?」
「そうだね。じゃあ、巣篭もりの目的は?」
「繁殖…か?」
「正解。さっきラノアの目で見たけど、【女王】らしき個体がいた。大きさは二百メートル以上はあると思っていいね」
「…巨大だな。それが親玉か」
「最低でも殲滅級、もしかしたら撃滅級かもしれない。ラノア経由じゃオレの能力は使えないから、実際に見るしかないね。しかもこの様子だと、蜘蛛の総数は十万はいくかもしれない。オレの推測が正しければ、今も絶賛繁殖中だろうしね。放っておけば際限なく増え続けるよ」
「考えたくもない事態だな。ということは、戦艦はなんだ? 暖房器具か?」
「ははは、そうかもしれないね。もっと正確に言えば『苗床《なえどこ》』かな。そこに卵を産み付けるのさ。高炉があって適度な温度があるし、やつらの食料は鉱物だ。産んだあとは子蜘蛛が戦艦を食べて一石二鳥ってわけさ」
「それこそ最悪だな。食われる前に助け出さねばならない」
「そこは安心していいよ。産み付けてすぐ生まれるわけじゃないだろうしね。ただ、やつらの進化の早さが気になる。あれは異常だよ。やっぱり何かあると思ったほうがいい」
「君が気になっているのは術式のことか?」
「何でもそれと関連付けるのはよくないと思っているけど、関係がないとも思えない。オレはラノアを助け出さないといけないから、そのついでに調査もしたいと思っている」
「ふむ、何かが魔獣側に影響を与えている…か。ますます油断はできんな」
「正直ラノアの安全を確保するだけで精一杯で、オレに余力はない。おっさんたちへの援護もだいぶ減ることになる。作戦があってもかなり苦戦すると思う」
「もとより覚悟の上だ。君が気にすることではないさ。本来ならば私が相打ち覚悟で戦わねばならないところだったのだ。十分助かっている」
「そう言ってもらえると、こっちも助かるよ」
(オレは犠牲は気にしない。死んでもやらねばならないことはあるし、死んでこそ役立つやつらもいる。だが、無駄な犠牲が出たことは反省点だ)
アンシュラオンも迎撃の対応で忙しく、兵士たちを守る余裕がなかった。
優先順位は当然サナたちが上なので仕方ないが、戦力が減ったことは素直に痛手である。
(そういえばダビアの話だと、ブルーってやつは十万人以上を率いていて犠牲者を出していないらしいな。しかもそいつらは難民だ。本当にそんなやつがいたら神様だよ。オレだってこの有様だもんな。どうせ美化された情報が伝わっているんだろうさ。そもそもこことは魔獣のレベルが違うだろうしな)
ふとダビアの話を思い出すが、そんなことはありえないことがここで証明される。
集団で動けば必ず犠牲は出るのだ。それを受け入れてこその戦いである。
「それより【工事】はできそう?」
「問題ない。すでに取りかかっている。連中の特性がわかれば対処もできるからな」
工事とは、文字通りの土木工事だ。
戦艦が内部にあるとわかったため、即座に具体的な救出プランが練られた。
まずは戦艦を脱出させるための『道』が必要だ。ひとまず高炉が生きているようなので動くと仮定し、亀裂から出るための通路を作っている。
亀裂に道を作るとなれば、ひたすら掘り崩すしかない。反対側の南端部分を人力で削り、斜度角三十度の坂道を作る計画だ。
すでに何人かが試しに土木作業を行っているが、蜘蛛からの反応はまるでない。完全無視である。
(あの蜘蛛は最初から人を狙っていたわけではない。邪魔したから排除しようとしただけだ。だからあれだけ激しい戦闘をしたのにもかかわらず、反対側で人間が工事をしていても無反応なんだ。ただし、目的や自衛のためならば誰であろうと攻撃する性質があることがわかったのは大きい)
感情豊かな人間側からすると、さっきまで殺し合いをしていたのに、すぱっと割り切れることが理解できないかもしれない。
がしかし、相手は虫型魔獣だ。ラノアと交信できる知能と感受性はあっても、感情で動くことはない。愛やら憎しみとは無関係なのだ。
そのあたりにかなりの温度差があるわけだ。これが普通の人間には理解できないので、魔獣専門のハンターという職業に需要がある。
(リスクがあるからこそ、手に入れるものも大きくなるんだ。久々に面白くなってきたじゃないか。ラノアも助けて戦艦も無事に取り戻す。そのうえで蜘蛛も倒す。それでこその勝利だ)
攻撃を受けたのならば、今度は反撃する番である。
680話 「戦艦の視点」
アンシュラオンたちが戦艦救出作戦に向けて慌しく動き出している頃。
大空洞の最奥に捕らわれた戦艦内でも同様に動きがあった。
「報告します。蜘蛛たちが戻ってきたようです」
偵察に出ていた騎士がブリッジに戻ってくる。
偵察とはいっても外は蜘蛛で一杯なので、せいぜい艦橋から様子をうかがうことしかできない。
しかも現在はセンサー類のほぼすべてを切っているため、目視に頼るしかない状況である。
「蜘蛛の様子は?」
「少し数が減ったようですが、その分だけ色が変わった蜘蛛がまた増えたようです。しかし、色が変わった個体はあまり長生きはしないようです。おおよそ一週間で動かなくなって埋められていきます」
「形態変化は身体に強い負荷を与えるということか。攻撃し続ければ撃退も可能ではあるが、この数が相手では現実的には難しいな。それにしても、やつらに『埋葬』の習慣があることが驚きではある」
「やはり一定の知能はあるようですね」
「とはいえ交渉ができる相手でもない。最悪の相手なのは間違いないな。【孵化《ふか》】の状況はどうなっている?」
「輸送船のほうでは、すでに子蜘蛛が産まれて装甲の一部を食べているようです。格納庫についてはまだ動きはありません」
「おおよそ二週間で孵化か。輸送船は諦める。けっして刺激せず、引き続き監視を続けろ」
「はっ!」
「………」
報告を受けて静かに目を閉じるのは、この戦艦を預かるメーネザー千光長である。
彼はガンプドルフの副官として、長年艦隊を支えてきたベテラン将官だ。
※千光長は少佐から大佐くらいを指す。アンシュラオンの輝光長は准将〜大将。聖剣長は元帥〜。
(連中と遭遇してから二週間以上が経った。騎士たちも不安から徐々に疲れが見え始めている。幸いながら食料に問題はないが、希望が見えない状況はまずい。しかし、このようなことになるとは…さすがに想像はできなかったな)
あの日、戦艦は大きな亀裂を発見した。
事前調査とは異なる地形を訝しみ、メーネザーも亀裂の調査に乗り出す。そこでアンシュラオン同様に水場の可能性を見出し、その一報を聞いた騎士たちも大いに喜んだ。
そして、狩場キャンプに連絡を取ろうと大型無線機を調整中、地震が起きたと思ったら亀裂から大量の蜘蛛が這い出てきて交戦する羽目になった。
もともとメーネザーの任務には、戦艦を使ってこの周囲一帯の敵を排除することも含まれている。蜘蛛の出現自体には驚かなかった。
戦艦は順調に蜘蛛を排除していったが、ここで予想していないことが起きる。
ガンプドルフ隊もてこずった【蜘蛛の進化】だ。
仕留め損ねればどんどん強くなる蜘蛛に、さすがの戦艦も苦戦する。砲撃だけでは対応できなくなり、騎士も総出で対応するしかなくなった。
消耗戦を恐れたメーネザーが撤退を考え始めた時、運悪くさらに大型の蜘蛛が出現。
それは二十メートル級の砲台蜘蛛ではなく、全長が二百メートル以上もある巨大な【白い女王蜘蛛】であった。
女王蜘蛛は素早い動きで戦艦の真横に張り付く。最初は砲撃などを繰り返し、なんとか引き?がそうとしたが、女王蜘蛛の攻撃が激しくなるだけで状況は改善されなかった。
何よりも戦艦の真上や真横は死角になっており、主砲では狙えない位置にある。副砲ではあまりダメージを与えられず、撃つだけ無駄であった。
ここで決断。
抵抗を続ければ続けるほど艦へのダメージが蓄積され、より絶望的になると予想したメーネザーは、しばらく様子を見ることにする。
アンシュラオンがやったように、相手の目的を見極めようとしたのだ。
このあたりの判断から彼が優れた指揮官であることがわかるだろう。ただ闇雲に攻撃を繰り返すことは誰にでもできるが、こうした博打にも近い決断は極めて難しいものだ。
結果、それが奏功した。
女王蜘蛛はそれ以上の攻撃は仕掛けてこなかったが、その代償に戦艦が亀裂に引きずり込まれてしまう。
一度落ちたら戦艦は簡単には戻れない。このあたりは普通のクルマと同じで、地球でも崖に落ちた車の回収には大掛かりな人手が必要になるものだ。
その後はどんどん穴の置くまで引っ張られていき、ひときわ大きな空間にたどり着くと、本格的に巨大蜘蛛に抱きかかえられた。
(最初の数日はひどくタフな時間だった。この艦にいるのは経験ある騎士たちだが、魔獣相手では勝手が違う。異形の存在であるだけで恐怖が湧くだろう。よく耐えてくれたものだ)
ここは敵の巣穴である。そんな場所に放り込まれたら多くの人間はパニックに陥るはずだ。
敵は魔獣。話し合いもできず、何よりも価値観を共有できない。それが非常に怖ろしいのだ。何を考えているのかわからないことが、この世で一番怖ろしいと知る瞬間である。
その恐怖に耐えながら辛抱強く観察を続けたおかげで、いろいろなことがわかってきた。
(やつらはなぜか通信に対して敏感だ。こちらが救難信号を出そうとしただけで船体に群がってきた。高出力の電波を出すのは危険すぎる。近距離無線通話すら危ない)
戦艦が狙われたのは、定期連絡のために強い電波を発したからにほかならない。
荒野の先に進めば進むほど強い電波を放つ必要性があり、それが蜘蛛に感知される結果になったのだと思われる。
それに気づいてからは、致し方なく全センサーを切るしかなかった。だからこそ、このような状況下でも救難信号を送ることはできなかったのだ。
そして、彼らの目的もわかっている。
(戦艦を捕らえた目的が【産卵】であることは間違いない。おかげで格納庫をブロックごと廃棄することになってしまった)
アンシュラオンが推測したように目的は―――産卵
しばらくしてから女王蜘蛛は、戦艦内部に脚を突っ込んできた。それはなかなかに強烈で、獲物の一部を解体するかのように強引に開けようとしてくる。
このままでは破壊されると思ったメーネザーは、あえて格納庫を解放することで、女王の卵を受け入れる措置を取った。
この作戦も成功。女王蜘蛛は卵を産み付けると満足したのか、おとなしくなった。
当然、厄介な同居人を得ることになってしまったが、今のところ卵が孵化する気配がないのが地獄に仏であろうか。
(どうやら戦艦に産んだ卵は、輸送船に産んだものとは違うらしい。形も大きさも違う大きな二つの卵…もしや『新たな女王』の卵なのか?)
輸送船から出てきたのは、通常のカーモスイットたちである。それがしばらくすると脱皮し、大きな砲台タイプや弾丸となる小型の蜘蛛等々、多用なタイプに変化していくようだ。
また、脱皮には二種類あることもわかっている。
通常の脱皮は一週間程度かかるが、相手の攻撃を受けて脱皮する場合は非常に早い速度で形態変化が起こる。
これは敵の攻撃に対する防衛反応であり、そこで脱皮した個体は戦闘力が増大する代わりに、寿命が極めて短くなる傾向にあるようだ。
最終的には、群れは通常のカーモスイットで構成されるようになるので、あの形態が彼らにとって通常の状態なのだと思われる。寿命も特に短いといった様子はない。
ただし、それはあくまで通常の蜘蛛の場合だ。女王は明らかに他の蜘蛛とはサイズが違う。虫によく見られるように女王は特別な存在なのだろう。
わざわざ戦艦に二つだけ植えつけたことを考えると、その卵は特殊なものと思ったほうがよさそうだ。
(運が良かったのは、やつらの食料が鉱石だったことだ。これこそが今まで我々が生き延びてこられた最大の要因だな。だが、なぜあえて戦艦に産み付ける? 餌は豊富にあるように思えるが…)
蜘蛛の食料が鉱物であることは、すぐにわかった。
なぜならば女王は一日に一度、この広間の中央にある【巨大ジュエル】に向かっていき、ガリガリとかじっている光景が見られるからだ。
他の蜘蛛も自由気ままに岩盤にかじりついたりしており、今までそれ以外のものを食べている様子は確認されないため、主食が鉱物なのは間違いない。
(なぜこんな場所に、あんな巨大なジュエルがあるのかはわからない。あれは明らかに人工的なものだ。天然の原石があのようにカッティングはされない。であれば、誰かしらが作ったものなのはわかるが…まさか、本当に前文明の遺跡の一部なのだろうか?)
ガンプドルフと一緒に東大陸に関する文献を調べていた時、たしかにそういった内容の文書がいくつか発見された。
ただ、そのどれもがあまり有名ではない歴史学者のものであったため、学会でもまともに相手にされていない怪しいものばかりだった。
メーネザー自身もあまり信じてはいないほうだったが、こうしたものを見てしまえば信じたくもなる。
問題はそれが今、自分たちに対して悪い方向に作用していることだ。
あのジュエルを食べるたびに【蜘蛛が大きくなっていく】のがわかるからだ。
女王に関してはあれが限界の大きさのようだが、魔獣に専門外のメーネザーでも発せられる圧力が増していくのがわかる。同様に産み付けられる卵の数も増えていく。
このままでは間違いなく、ここが戦艦の墓場になるだろう。
そこでメーネザーは『妙案』を思いつく。
戦艦は壁に密着しているため、そこから岩盤を砕いて入手。溶鉱炉で製錬した純度を上げた金属を周囲にばら撒く。
すると、蜘蛛がやってきて食べ始めた。
女王も気になったのか、それらの金属を食べ始める。
まさかの―――【餌付け】
巡洋艦ナージェイミアには高炉が搭載されている。もともとは長期間戦闘を続けるための拠点としての意味合いが強いが、まさかこんな形で役立つとは思ってもいなかった。
これによって得られたものが、二つある。
一つは戦艦の外に人間が出ても敵意を向けられなくなったこと。
最初はやはり警戒されていたのでまったく外に出られなかったが、餌付けしてからは戦艦の一部として認識されるようになった。
偵察もかなり楽になったものの、一度衝突があれば最悪全滅の可能性もあるため、基本的に外に出るのは鉱物の発掘だけにとどめている。
もう一つは女王の腹を満たすことで、中央のジュエルをかじる量を減らすことにも成功した。
どうやら女王も同じ味だけでは飽きるようで、こちらが出す金属も食べてくれるのは嬉しい誤算である。
ただし、全部が上手くはいかない。
(おかげで我々は『鉱夫』に戻ることになってしまった。一日の大半を発掘と製錬に費やしている。これではまさに食事係だ。脱出の目処も立たない)
安全は確保できたが、脱出の準備はまるで進んでいない。
しかし、絶望もしていない。
(必ず閣下が来てくれる。ここを探し出すのは至難だが、我々の航行ルートは予測できるはずだ)
メーネザーがなぜこんな持久戦を選んだかといえば、ガンプドルフが来ることを確信しているからだ。そのために部隊を二つに分けているのだ。いつか来ることは間違いない。
ただし、ここで多大な犠牲が出れば、DBDの命運が潰えることも間違いない事実だ。
(閣下が聖剣を使ってくだされば、この蜘蛛もなんとかなるだろう。だが、必ず混戦になる。そうなれば我々も無事では済まない。半分生き残れば良いほうか…)
メーネザーの想定では、最低でも半分の人命が失われると予想している。キャンプの人数と合わせて三百人以上は死ぬだろう。
彼の異名は、【先読みのメーネザー】。
その類稀な『予見能力』によって相手の手を読みきることに長けた武人だ。だが同時に、先が見えるからこそ最悪の未来も映し出してしまう。
現状では良くて半数死亡。悪くて八割が死亡する最悪の状況といえた。そこから挽回するのは至難の業だ。
(何度シミュレートしても戦略的敗北しか見えない。今のままでは絶対に再興は不可能だ。やはり駄目なのか…)
さすがのメーネザーにも陰鬱に近い感情が芽生えていた時である。
ついにその瞬間がやってきた。
「報告します! 蜘蛛が運んできたものの中に、わが軍のトラクターがありました! 第一中継キャンプのものと思われます!」
「…わかった。総員、戦闘準備を開始。蜘蛛に悟られずに、ゆっくりと時間をかけて準備をするんだ。やつらへの『供物』も忘れるな。何事もない日々を装え。閣下が突入してきたのと同時に全戦力を投入して蜘蛛を撃破する」
「は、はい! ついに脱出の時が来たのですね!」
「…そうだな」
この報告によって周囲は色めき立つ。
唯一最悪を知っているメーネザーを除いて。
しかし、その十数分後に奇妙な報告が入る。
「報告します! に、人間が…運ばれてきました!」
「人間? どういうことだ? 騎士か?」
「そ、それが……メイド服を着た少女がその……連れられてきました」
「………」
「本当です! 見間違いではありません! 今朝もしっかりと洗顔して目薬も差しました!」
「疑っているわけではないが…信じられないな」
それを『疑う』と人は言う。
「実際に見ていただいたほうが早いかと。目視できる距離におります!」
「…本当なのか?」
メーネザーも半信半疑で艦内を移動。
外が見られる甲板近くにまで来て、さすがの彼も目を丸くする。
たしかにメイド服の少女がいるのだ。双眼鏡でも見たので間違いない。
(馬鹿な……やつら、人間まで捕まえるのか!? まずい。それでは脱出がさらに難しくなる! …待て、落ち着け。そんな緊迫した状況ならば、なぜあの少女はお菓子を食べているのだ?)
捕まったメイド、ラノアはバッグからお菓子を取り出し、もぐもぐと食べだした。
周囲の蜘蛛に対してまったく恐れを抱いていないどころか、餌付けできないか試してもいる。(蜘蛛は食べてくれなかったが)
その様子はなんとも浮世離れしており、現実感がまるでない。
(閣下が近くにいる。メイドがいても不思議では……いや、不思議だが、いない可能性がないわけでもない可能性がわずかながら多少はある可能性がなきにしもあらずなのは気のせいではないと思いたい)
絶対動揺している。
もしガンプドルフがメイドを侍《はべ》らせるようになったら、それこそもうDBDは終わりかもしれないのだ。精神がどうしても受け入れることを拒む。
が、とりあえずメイドという単語だけは呑み込み、現状の把握に努める。
(しかし、なぜあの少女は無事なのだ? そもそもなぜ捕まえてきた? 女王がジュエルの近くに置いているのも不自然だ。あの場所は女王しか基本的には立ち入らなかった場所なのに、そんなところにどうして人間を置く?)
実はラノアがいるのは、あの巨大なジュエルの近くだ。
ジュエルが発光しているため視界も比較的確保でき、周囲の様子がよく見える。そのためアンシュラオンとの通話でも詳しく状況を話せたのだ。
そのジュエルの近くに台座、おそらくは『玉座』のようなものがあり、そこにラノアが座らされている。特に拘束されている様子はない。
気になるのは、その玉座が『人間サイズ』である点だ。
女王が鎮座するのならば、もっと遥かに巨大なものが必要だろうし、そもそも蜘蛛が椅子に座る理由がない。
(少なくとも食料にするために連れてきたわけではないようだが…わからない。情報が足りない)
結局メーネザーには、ラノアの状況を理解することはできなかった。
しかしながら、なぜか不安にはならない。むしろあれこそが、この最大のピンチを脱出する最善の方法にすら感じてくるのだ。
彼のその予感は、当たる。
それから三日後―――異変が起きた
多くの蜘蛛が慌しく動き出し、外に出て行くのが見えた。
いつもの彼らならば多少数は減らすが、それでも平然と戻ってくるのが普通だ。
だが、蜘蛛が戻ってきた時、そこにいたのは―――【鬼】の群れ
毛むくじゃらの大きな【鬼獣】の群れが、蜘蛛と戦っていたのである。
681話 「巣穴攻略戦、開始」
戦艦救出準備を始めて三日後、太陽が昇った朝。
これから突入作戦を行おうとしているにもかかわらず、亀裂の底には人っ子一人いなかった。
どこにいるのかといえば、DBD隊は亀裂の地上部からかなり離れた岩陰に身を潜めていた。
そして、そこには一匹の蜘蛛、もとい『蜘蛛の毛皮』を被ったアンシュラオンもいた。
それだけでも異様ないでたちではあるが、その手に持っている『もの』がとても気になる。
「少年、それは…?」
「うん、かっぱらってきたんだ」
「かっぱらった……それをか?」
「いやー、けっこう苦労して探したんだよね。なかなか手頃なのがいなくてさ。でも、あっちの山脈のほうでようやく使えそうなものを見つけたんだ。それがこれさ」
アンシュラオンが手に持っているのは、両手にすっぽり収まるくらいの大きさの存在。なにかモコモコしていて、もじゃもじゃしている毛の塊だ。
さきほどからピーピー泣いているので、それが生物であることがわかる。
ただし、毛の隙間から見える顔は―――【鬼面】
頭からは小さな角が生え、目は飛び出んばかりに大きく、口からも大きな牙が生えている。
明らかに人間とは異なる種であることがわかる形相だ。日本の「なまはげ」に近い容貌といえばわかりやすいだろうか。
だがもちろん、ただの赤子ではない。
「こいつは『鬼獣《きじゅう》』の【ボスの子供】らしいんだ。成体はかなり大きいから、たぶん産まれたばかりなんじゃないかな」
「これが君の言っていた蜘蛛に対抗できる魔獣なのか?」
「そうだよ。候補はいくつかあったんだ。蜘蛛を襲う蜂っぽいのもいたにはいたけど、卵を産み付けるタイプの魔獣って単独行動が多いんだよね。あんな大量の蜘蛛には対応できないから、結局正攻法の好戦的なファイターを選んでみたよ」
遡ること二日前、ありったけの石弾と爆破杭を作り終えたアンシュラオンは、「作戦開始までには戻る」と言って姿を消した。
当初から提案していた通り、蜘蛛に対抗できる魔獣を探しに行ったのだ。
このあたりは大地の術式の影響を受けていないとはいえ、魔獣そのものは大量に存在する。その種類は豊富で、虫型、獣型、鳥型、人型、異形型等々、まさに火怨山並みのラインナップである。
その中から最終的に選んだのが、この『鬼獣』というわけだ。
魔獣の中には『鬼』と呼ばれる系統が存在し、デアンカ・ギースを含む四大悪獣にも種族の中に『鬼』が含まれていることから、独立したものだと思われる。
代表的な存在がこの『鬼獣族』で、大型魔獣と比べると体躯は小さいが、物理的な耐久力とパワーに優れることで有名だ。
また、より人に近い『鬼人族』も鬼の一種だが、彼らは魔獣ではなく『亜人』の扱いになっており、人との間に子供が生まれることもある。が、かなりの希少種のために滅多に見かけないレアな存在である。
そのため一般的に鬼といえば、この鬼獣のほうを思い浮かべる者が大半だろう。
「頼んでおいた通信機の準備は?」
「できているぞ。あれだ」
ガンプドルフが指差した先には『囮用の通信機』があった。
以前のような長距離用ではないので小型だが、それでも二メートル以上のサイズはある。
(昔のコンポとか、やたら大きかったよな。技術が発展するまでは何でも大きいのが相場か。このあたりはまだまだ技術発展の余地はありそうだ。だが、今回はこのほうがいい)
アンシュラオンはトコトコと通信機にところまで歩いていく。
この段階で、やりたいことはだいたいわかった。おそらくあの赤子を通信機と一緒に置いて蜘蛛をおびき出すのだろう。
そこまでは誰だってわかる。
がしかし、その直後のことまでは予測できなかった。
「よっと」
赤子を―――ブスッと通信機に突き刺す
ちょうどいい感じにアンテナが伸びていたので、身体を串刺しにしたのだ。
当然アンテナが折れたらまずいため、そこは命気結晶で補強している。
「ビギャアアアアアーーーーーッ!!」
「よしよし、いい子だ。もっと泣け。泣き叫べ」
「…しょ、少年……何を……」
「鬼獣たちをやる気にさせる必要がある。いろいろ試したけど、このやり方が一番効率がいいのさ」
そもそも魔獣は生存のみを目的として生きている。食べる、寝る、育つ、繁殖するといったシンプルなことにしか興味がない。
魔獣同士で争うこともあるが、誰もが死にたくないので多くは殺し合いに発展しないのだ。これが人間と魔獣の最大の相違点である。
だったら争う理由を作ってやればいい。
「それじゃ、これを使って鬼獣の群れを連れてくるよ。いい? すぐに突入したら駄目だよ。鬼獣の群れが全部中に入って、入り口の安全を確保してから入るんだ。オレが先行して鬼たちを女王のところまで誘導するからさ」
「わかった。こちらはすでに準備万端だ」
「ただ、実際に入ってみないと状況がわからないし、けっこうシビアな勝負になるはずだ。戦艦とは連絡が取れないから、タイミングが合うかどうかだね」
「メーネザーのことだ。私が近くにいることには気づいているはずだ。ナージェイミアが無事ならば絶対にこちらに合わせて動く」
「自信があるんだね」
「当然だ。我々はいつだってこんな厳しい状況の中で戦ってきた。今回だってそうだ。絶対に成功させてみせる」
ガンプドルフたちは、この準備の間に死ぬ覚悟を決めていた。無駄死にするためではない。勝つために必要とあれば犠牲になる覚悟だ。
すでに準備は万端。彼らのことは気にする必要はないだろう。こうなった彼らは強いのだ。
最後にアンシュラオンは、サナたちと対面。
「オレたちもクルマで突っ込んで作戦に参加だ。戦艦を奪取し、そのまま乗り込んで一気に外に脱出する」
今回の突入作戦には、一部の人員を除いてほぼ全員が参加することになっていた。
これはキャンプでの人選と同じ方式であり、より作戦の成功率を高めるためにできるだけ戦力を投入する、というものだ。
安全策を選んで戦力を小出しにすればするほど、何度もやり直さねばならず、結果的にマイナスになることが多い。それよりは全力で一点突破するほうが勝率も効率も良かったりする。
また、こんな鬼獣のような強い魔獣が周囲に山ほどいるのだ。それならば最大戦力である戦艦と合流して一緒になって出たほうが安全である。
どちらもリスクがあるのならば、近くにいたほうが守りやすいという側面もあるので、こちらを採択することにした。
いや、こんな理由付けはいらない。
サナたちはすでに、やる気満々の瞳でアンシュラオンを見つめていた。ラノアを救出するという目的があるのだから参加しないわけがないのだ。
「サナ、サリータ、今回こそ【本番】だ。本番で勝てばすべてがひっくり返る。勝者になれる。この瞬間にすべてをかけろ!」
「…こくり」
「はい!」
「オレは先行してラノア保護に向かう。お前たちはクルマを守りながら、焦らずに状況を見極めて戦え。場合によってはクルマに固執しなくていい。大事なことは全体で勝つことだ。当然、身内は誰も死なないで勝つ。道具は道具。捨てるときは潔く捨てるんだ」
「…ぐっ!」
「サリータ、サナを任せたぞ。この戦いはお前がいかに踏ん張るかが要だ。気合を入れろよ。お前ならやれる! 自信を持て!」
「はい!!」
「よし、作戦開始だ!」
∞†∞†∞
アンシュラオンは赤子付きの通信機を持ったまま、荒野を駆け抜けて南西に移動。
そのまま三十キロほど走ったところで強い獣臭を感じる。
見ると、そこにはおよそ八十頭の【鬼獣の群れ】が存在していた。
(いいのを連れてきたな。完全に戦闘モードじゃないか)
―――――――――――――――――――――――
名前 :ナムタムオーガ〈鬼怒獣〉
レベル:95/99
HP :9600/9600
BP :1540/1540
統率:C 体力: AA
知力:F 精神: B
魔力:E 攻撃: B
魅力:E 防御: B
工作:F 命中: D
隠密:F 回避: E
☆総合: 第三級 討滅級魔獣
異名:山の怒れる鬼獣
種族:魔獣、鬼
属性:火、風、岩
異能:激怒、オーガファイター、乱撃、岩石投擲、親衛隊、物理耐性、家族想い
―――――――――――――――――――――――
見た目は、まさに鬼の顔をした二足歩行のゴリラだ。
身長はゆうに四メートルはあり、誰が見ても一目で強いとわかる魔獣であるし、実際にかなりの強さを誇っている。
すでに説明した通り、鬼獣は耐久力に優れる傾向にあり、体力が「AA]とこのレベル帯では抜きん出ているのが特徴だ。
毛で見えないものの肉体はムッキムキ。地下のジングラス派閥にいたレプラゴッコ〈草食鰐猿〉など、これと比べたら虚弱に映るはずだ。
それが群れで、しかも怒りの形相で歩いているのだから怖すぎる光景である。
当然、彼らはさらわれたボスの子供を捜しにやってきた捜索部隊だ。『親衛隊』というスキルがあることから、群れの中でもかなりの精鋭たちであろう。
その中には、ボスそのものもいる。
―――――――――――――――――――――――
名前 :ナムタムオーガ・グァルタ〈鬼怒天獣〉
レベル:120/130
HP :16600/16600
BP :3680/3680
統率:B 体力: S
知力:D 精神: AA
魔力:D 攻撃: A
魅力:C 防御: A
工作:D 命中: B
隠密:F 回避: C
☆総合: 第三級 討滅級魔獣
異名:暴虐の鬼怒天獣
種族:魔獣、鬼
属性:炎、嵐、岩
異能:統率者、突然変異体、怒髪天、オーガファイター、爆弾岩投擲、炎嵐招来、暴虐乱撃、物理耐性、銃耐性、術耐性、即死無効、家族想い、二十四時間絶対群れ守るマン
―――――――――――――――――――――――
他の個体よりも赤黒く、体格も顔の怖さも五割増の明らかに別格の存在がいた。
彼こそ鬼怒獣たちのボスであり、身長も魔人機の半分、六メートルもある巨躯である。
一番の特徴は、頭部の毛だろう。普通に歩くと地面に垂れるほど長い。だが今は、その髪の毛も肩くらいまで逆立っていた。
どうやらそれが彼の怒りメーターを示すものらしく、かなり殺気立った様子で周囲をぎょろぎょろと見回している。
(いいね、良い意味でギリギリ討滅級ってところか。なかなか強いぞ。劣化版コウリュウくらいの強さだ。群れの連中もいるから実に心強い。数が少ないのが多少気がかりだけど、勝ちすぎても困る。お互いに削りあってもらって、消耗させたところで漁夫の利をいただく。それが魔獣狩りのセオリーだ)
ハンターは武闘者ではないし、魔獣の保護者でもない。
あらゆる道具を使い、犠牲を少なくし、最小限の労力で最大限の結果を得るために動くものだ。
アンシュラオンは火怨山でも常にそうしていた。不利な戦いに挑むのは、あくまでどうしても避けられないときだけである。普通はこうやって姑息な手段を使うのだ。
そう考えると、アンシュラオンにとってハンターは天職であるように思える。生まれ持っての魔獣を狩る者なのだ。
「おーい、こっちだ! こっち!! ここにいるぞ! さあ、泣け!! お前の親父が助けにきたぞ!」
「ビーーービーーーッ!!」
蜘蛛の皮を被ったアンシュラオンが群れの前に飛び出て、赤子の身体をぐりぐりと動かして傷口を広げる。
この幼体が将来はあんな化け物になるとは怖ろしいものだが、今はまだ赤子。無力な存在である。
赤子にできることは、泣くことだけ。
「―――っ!!! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
赤子を発見した親衛隊たちが野太い声を発する。
威嚇であり、発見を報告するためのものだ。
その声を聴いたボスこと、ナムタムオーガ・グァルタは―――
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」
大地が震えんばかりの怒りの声を発した。
そして頭部の毛が完全に逆立ち、真っ赤な炎に包まれる。
グァルタのスキル『怒髪天』だ。怒りが最高潮に達した際、BPの消費が二倍になる代わりに、攻撃と防御に高い補正が入る強力なスキルである。
「ほーら、こっちだ。こいこい!」
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」
泣き叫ぶ子供を見せびらかしながら、ナムタムオーガの群れを亀裂に誘導する。
彼らはエジルジャガー同様に『家族想い』でもあり、絶対に仲間を見捨てることはしない。一人殺されたら、その百倍の数を殺すまで戦い続ける復讐タイプの魔獣だ。
それがボスの子供ならば、群れの存続に関わるため怒りはマックス!
なおさら猛烈な勢いで追ってくる。
この魔獣は見た目に似合わずかなり速い。時速百五十キロくらいは軽々出ているため亀裂がどんどん近づいてくる。
アンシュラオンも付かず離れずの距離で誘導。
そして、亀裂が見え始めた頃―――スイッチオン
通信機の電源を入れる。
この通信機は短距離ではあるが、意図的に強い電波を出すように設定してある。
こんなものを彼らが見逃すはずがない。
目論見通り、蜘蛛が出現。
亀裂を登って、大量のカーモスイットたちがやってきた。
「そら、くれてやる!!」
そこに向かって、赤子が刺さった通信機を投げつける。
カーモスイットはナイスキャッチ。触肢で受け止めた。
「びーーーびぃいいいいいいっ!!」
「………」
カーモスイットは、まったく赤子には反応を示さない。
明らかにおかしい状況であるにもかかわらず、彼らはそれを異常だと感じないのだ。
このことからカーモスイットは聴覚ではなく、触覚によって物事を判断していることがわかる。
普通の触覚器官も多少はあるだろうが、『念糸』とほぼ同じ構造の『思念糸』によって互いにやり取りをしているのだ。
そんな彼らにとってみれば、赤子よりも通信機の電波のほうが特別な存在に映っていることだろう。
そして赤子を受け取った蜘蛛が、即座に亀裂の底に降りて持ち帰ろうとする。
「行け! くいつけ! お前たちの跡取りが奪われたぞ! 取り返せ!」
アンシュラオンが蜘蛛の格好をしていたことも、見た目と臭いを相手に覚えさせ、敵であることを強く認識させるためだ。
それは見事に―――成功
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」
一部始終を見ていた鬼怒獣たちは怒り狂う!
他の個体も『激怒』スキルが発生し、ボスのグァルタほどではないが、毛を逆立てて突進していく。
凄まじい速度で鬼怒獣が迫り、撤退する蜘蛛の尻に飛びかかった。
ドン グチャッ!
力任せに殴りかかり、易々とカーモスイットを叩き潰す。
彼らの攻撃手段は殴打がメインのようだが、素の攻撃力はBだ。ヤドイガニの装甲すら破壊することが可能である。つまりはマキと同等の攻撃力を持っていることになる。
スキルの『オーガファイター』も近接戦闘を行う際に補正が入るため、現在ではAに近い状態になっているだろう。そこに『激怒』が加わってパワーアップすれば、もはや技を使うマキにも匹敵する。
そう、ここにはマキが八十人いる。耐久力を含めれば、それ以上の脅威であろうか。
そんな猛獣たちに襲われ、カーモスイットたちは次々と打ち倒されていく。
だが、忘れてはいけない。彼らには『脱皮進化』がある。
胴体だけ潰されてギリギリ生き延びたもの、半身を破壊されてビクビクしていたものさえ、そのスキルによって黒い個体のカーバラモに進化するのである。
ただし、こちらもそれを見越して強い魔獣を連れてきている。
カーバラモたちも―――蹂躙!!
多少強くなった程度では、ナムタムオーガの突進を止めることは不可能だ。
鬼怒獣たちは怒りに任せて突っ込み、蜘蛛の群れごと押し込んで次々と谷底にダイブしていく。
ヒューーーンッ どさどさ ぶちゃーーっ!!
蜘蛛を押し潰しながら、鬼怒獣が谷底に到達。
命綱無しのバンジージャンプを決めてみせる。(綱が無いものは単なるジャンプである)
彼ら自身の身体も強靭であるし、蜘蛛がクッションになっているのでダメージはほぼない。
(怒りで我を忘れているせいもあって豪快だな。ボスは頭が少しは回りそうだが、他の個体は完全ガチムチ系か…)
実際のボディビルダーなどは頭が良く知性的な人が多い。そうでないと栄養管理ができず、見事な身体に仕上がらないからだ。
だが、魔獣は生まれ持った因子そのもので強くなれる。虎は鍛錬しないでも虎。頭が悪くてもムキムキになるのだ。
砲台蜘蛛も出てきたようだが、ナムタムオーガに囲まれて攻撃され、あっという間に肉塊になってしまった。
そんな状況でも鬼怒獣の赤子を巣穴に連れ去ろうとするのが虫型魔獣のすごいところだ。まったく何も考えず目的だけを達しようとする。
そして、それを追いかけて大空洞の中に入る鬼怒獣たち。ここまでは計画通りだ。
682話 「大空洞、第一階層制圧戦」
鬼怒獣が大空洞に殴り込みをかけ、入り口周辺の蜘蛛たちをほぼ全滅させる。
単体でもかなり強力な魔獣なので、これだけの群れともなれば凄まじい殲滅力である。
(このままいけそうだな。オレもそろそろ中に入るか)
スゥと、アンシュラオンの気配が完全に消える。
アーブスラットと接触した際にも使用した戦気術の『隠形《おんぎょう》』である。これにアンシュラオンの優れた移動術が加われば、そこらの魔獣では探知は不可能だ。
鬼怒獣の赤子をさらった時も、これを使っていたからまったく気づかれなかったのだ。(追わせるために意図的に痕跡は残した)
一方、思念糸を使うカーモスイットに対しては、これがあまり効かない。もともと探知型の魔獣であり、波動円すら見破るほど敏感である。即座に気づかれるだろう。
しかし、今は極度の混乱状況だ。鬼怒獣が暴れまわっているので隠密行動も可能なはずだ。
(オレはラノアとの回線を辿れば、迷わず最深部にまで到着できるが、問題は突入するおっさんたちのほうだ。失敗すれば【犠牲】が出るな)
この作戦の肝は『漁夫の利』にある。
あくまで魔獣たちの同士討ちを狙うことに意味があるので、もし突入部隊が魔獣たちとの戦いに巻き込まれて三つ巴になってしまうと、まさに最悪の状況になる。
それを回避するためには突入するタイミングがすべてだ。サナの安否にも関わるため、ここはガンプドルフを信じるしかない。
(おっさん、あとは任せるぞ)
ラノア救出のため、アンシュラオンが先行して大空洞に突入。
∞†∞†∞
亀裂地上部、DBD隊。
(すごいことになっているな)
ガンプドルフが術具の双眼鏡を使い、遠くから状況を確認する。
ここからでは角度的に亀裂の底は見えないが、鬼怒獣が蜘蛛たちごと谷底に落ちていったのは見えた。
もし自分たちが単独で突入していたと思うと身震いする。あんな乱戦になっていたら間違いなく半数以上の死者が出ていただろう。
(少年が味方であったことを女神に感謝しよう。チャンスが訪れたのだ。絶対に勝ち取る)
「安全確認は?」
「問題ありません! 周囲に他の魔獣は確認されておりません!」
「偵察部隊はここに残り、引き続き哨戒を続けろ。もし魔獣を発見したら注意を引いて遠ざけるのだ。絶対に亀裂に近寄らせるなよ」
「はっ!」
「いくぞ! 突入部隊は亀裂の底に降りる!」
ガンプドルフたちはトレーラーと輸送船を含む、ほぼ全戦力を連れて巣穴とは反対の南側の坂から底に下りていく。突貫工事で作った坂だが、もともとの地盤が強いので戦艦が通っても問題ないだろう。
すでに亀裂の底に残っている魔獣はいない。
ボスのグァルタの怒りは凄まじいらしく、徹底的に破壊し尽くしていったために蜘蛛たちは完全に沈黙している。残っているのは蜘蛛の死骸やら脱皮の抜け殻だけだ。
それでもしっかりと周囲を警戒しつつ、巣穴の前に到着。
「遊撃隊はいつでも行けます」
ゼイヴァーたち遊撃隊、およそ二十人が完全武装で準備を終える。
誰もが精鋭ぞろいであり、今回の作戦においてキーマンとなる部隊だ。
「少年がラノアを使って調べた巣穴の見取り図はあるが、実際どうなっているのかまではわからん。細心の注意を払いつつ最速で戦艦に向かえ。可能ならばメーネザーたちと合流し、状況の説明と脱出の援護を頼む」
「了解しました」
「すまんな。一番危険な任務を任せることになる」
「それが私の役割です。この身が砕けようともかまいません。必ず任務を果たしてみせます」
「私が行くまで耐えてくれ。どんな状況でも必ず助ける」
「はっ!」
ラノアをあえて拉致させたのは、戦艦の確認だけではなく、巣穴の構造を調べる目的もあった。
それによって戦艦までの道のりはわかっている。ただしそれは蜘蛛が通った最短ルートであり、それ以外のルートがある可能性も否定できず、油断はできない。
当然ながら先行する部隊が一番危険であり、ゼイヴァーであっても死ぬ危険性は十分ある。だが、それもすべて承知の上だ。
「我々主力部隊は魔獣たちと交戦しつつ、遊撃隊の援護だ。鬼獣が残っていた場合も安全のために討伐する。強敵だぞ。侮るなよ!」
「はっ!」
「トレーラー、突入用意!」
続いてやってきたのは、キャンプにあったトレーラー。
まず最初に突入させるのは人間ではない。DP1よりさらに強力な『DP2』という爆弾を大量に積載したトレーラーである。
蜘蛛の数は、予想されているだけで十万だ。
鬼怒獣の目的は赤子奪還なので、どんどん奥に入っていくと思われる。その際にどうしても取りこぼしがあるだろう。
そして、巣穴攻略のためには後方の安全確保が必須である。そのために最初の大きなエリアである『第一階層』を完全制圧する必要があった。そこを起点にして奥にまで攻め込むのだ。
ただし、これはまさにタイミングが命。
鬼怒獣の位置次第では彼らにだけダメージを与えてしまい、肝心の蜘蛛が生き残る状況になってしまう。それでは意味がない。
両者が入り乱れ、均等に配置されてから爆破しなければ効果は不十分となる。
また、下手に爆発させて落盤が起こり、入り口が閉じられる可能性は避けねばならない。そのあたりは戦艦の砲撃やガンプドルフたちの攻撃によって壊せるが、迅速に脱出する必要があるため、できれば防ぎたい事故である。
「慌てるなよ。合図を出すまで待機だ」
「了解しました」
ガンプドルフが合図を出すタイミングを計る。
この合図によって相手側にもこちらの存在が明るみになる以上、ミスは許されない。慎重に巣穴をうかがう。
(久々に奮えてきたな。こんなときでも私はドキドキしている。そうだ。すべては少年と出会ったからだ。彼がここにやってきた時から、私の心はひどく高ぶっている。我々は戦争で負けたが、その心までは死んでいないのだ!)
国を出てから感じていた湿っぽさ、通夜っぽさは、ガンプドルフの中にはもう存在していない。
国の命運をかけた作戦だというのに、妙なワクワクが心の底から湧き上がってくるようだ。
それを呼び覚ましたのは―――アンシュラオン
あの少年といると荒野は絶望ではなくなる。無限の可能性を秘めた魅力ある土地に見えてくる。
何かがある。何かが眠っている。だったら見つけて奪ってしまえばいい。そんな子供のような冒険心が刺激されるのだ。
(感じろ。時勢を感じ取れ。すべての流れの中にある活力を見い出せ)
ガンプドルフは目を瞑る。
自分の波動円では内部まで届かないし、そもそも蜘蛛に探知されるため、すべてを勘に頼る必要がある。
今は昼間。太陽が昇り、ジリジリと大地を焦がす音さえ聴こえてくるようだ。
一秒一秒がとても長く感じる。
(大気の揺らぎ。力の流れ。皮膚に感じる戦いの気配。感じろ。最適なタイミングを)
神経が研ぎ澄まされると世界が静止したように感じられる。
巣穴の内部でさまざまな感情が交錯し、激突し、バチバチと弾けている様子が浮かんでくる。
息を、止める。
身体全体、皮膚全体で戦況を感じ取る。
今、蜘蛛は鬼怒獣に押されている。いきなり出現した謎の魔獣に対して、まだパニック状態にある。
しかし、徐々に新しい進化個体も生まれてきており、その数の差もあって若干の均衡が生まれつつある。
そこに爆炎。爆風。
ボスのグァルタが持つ『炎嵐招来』スキルが発動。周囲を焼き尽くす。ボスが先陣を切ることで再び鬼怒獣が盛り返し、攻勢を強めていく。
蜘蛛は赤子付き通信機を奥へと運ぶ。
なぜか蜘蛛は獲物を巣穴の一番奥、女王がいるエリアまで持っていく習性があるようだ。
鬼怒獣の前衛、およそ半数は、それを追ってさらに深部に突入していく。
残った半数は、大量の蜘蛛に囲まれて応戦中。
これはイメージだ。あくまで、なんとなく感じた気配だ。
しかし、ルシアとの戦争によって培った司令官が感じた【勝機】だ。
(見えた! 今、命をかける!)
―――決断
「トレーラー、突入!」
その合図と共に、トレーラーが一気に加速!!
後部に取り付けられた術式反発式ブースターに点火。
シュウウウウッ ドンッ!!
圧縮された力が一気に解き放たれ、一直線に突っ込んでいく。
巣穴から三百メートル先までは、ほぼ曲がり角のない一本道であることはわかっている。その先に目的の第一階層が存在していた。
イメージが正しければ、今その空間で魔獣たちの戦いが起きているはずである。
トレーラーは蜘蛛の死骸を蹴散らしながら直進し、壁に車体を打ちつけながらも止まらない!
進む、進む、進む!
トレーラーが進む!!
その先には、まさにイメージ通りの光景!!
蜘蛛と鬼怒獣が戦っている最後尾に―――激突!!
ドーーーーーンッ!!! ボンボンボンッ!
爆風が次々と周囲の魔獣を巻き込んでいく。
蜘蛛はあまり身体が強固ではないため、近くにいた個体はバラバラになって消滅。少し離れていた場所にいた個体も、脚や身体の一部が吹っ飛ぶ。
鬼怒獣に関しては数匹が巻き込まれたが、もともと肉体強度が段違いのために軽く火傷した程度で済む。
だが、続いて二台目。
進化しようと脱皮態勢に入った蜘蛛が、二度目の爆発で完全に吹っ飛ぶ。
鬼怒獣も一撃目は耐えたが、二回目にして身体が破損する個体も見られた。
「遠慮するな! すべて使い切れ!」
続いて三度目。四度目。
絶妙なタイミングで時間をずらし、連続して突っ込む爆破トラクターの前には、彼らも対抗は難しい。
次々と内部で爆発が起き、場は混沌としていく。
そうして計八台、残っていたすべてのトラクターを使い切る。
「重装甲部隊、突入!」
ここでガンプドルフを先頭にして、主力部隊の重装甲兵たちが突入。
中は暗く、おおよそ人間が戦うには不向きな場所であるが、移動しながら照明弾を撃って内部を照らし、後続が灯りを設置することで対応。
その間もガンプドルフたちは走り続け、爆発現場に到着。
予想通り、爆破によって大部分の魔獣は吹き飛び、息絶えていた。かろうじて生き残った蜘蛛も、繭状態から進化するためには三十秒という時間を要する。
そんな隙をこの男が与えるはずがない。
「残存兵力を一気に蹴散らせ! この場を制圧する!」
「おおおおおおおお!」
屈強な騎士たちが、圧倒的な攻撃力と制圧力を駆使して魔獣を一掃していく。
(完全に機先を制した! これならばいける!)
戦いにおいて奇襲は極めて大きな効果を持っている。特に相手が状況を理解できない程度の魔獣ならば、効果は抜群。
いきなりやってきた人間に対して動揺を隠せない様子が伝わってくる。しかもこの人間たちは戦うことに特化した軍人だ。
蜘蛛を蹴散らし、鬼怒獣も叩き潰す。
ナムタムオーガは強い種族だが、すでに爆破で体力の半分以上を削っており、最大の武器である腕を失った個体もいる。
鍛えられた騎士が数人で囲めば、倒すことはそう難しくはない。これも奇襲が成功した効果である。
何の関係もない鬼怒獣にとってはとばっちりだが、蜘蛛に一度やられた奇襲をやり返す快感はあったはずだ。騎士たちもやる気に満ち満ちていた。
その結果、面白いように『掃討』が進んでいく。
だが、魔獣を侮ってはならない。
大量の蜘蛛が、無数にあいた『横穴』から這い出てきた。敵の増援である。
アンシュラオンが調べたのは、だいたいの間取りであって、こうした横穴の存在までは把握できないのだ。
また、鬼怒獣も蜘蛛を最優先の敵としているが、仲間を殺されたために人間も敵だと認識。随所で懸念されていた三つ巴のような状況が発生する。
これは致し方ない。敵対者同士、どうしても避けられない戦いもある。
ナムタムオーガの乱撃。ところかまわず腕を振り回し、周囲のすべてを破壊する。その一撃は、武人が振るう大型ハンマーに匹敵。
盾を構えた重装甲兵すら―――吹き飛ばす!!
「ぐっ! 怯むな! 押せ押せ押せ!!」
「後ろから援護だ!! けっして退くな!!!」
ここで彼らの普段の訓練が生きていく。吹き飛ばされた騎士を後続の仲間二人がカバーし、支え、押し、強引に立ち上がらせる。
それから今度は三人がかりで突撃していく。
何度弾かれても諦めず、前だけを見て突っ込む。これこそ重装甲兵の模範的な戦い方である。
そうして粘り強く戦っていれば勝機も出てくる。
「どけ! 蹴散らす!!」
ガンプドルフが、雷刃一閃。
凄まじい雷の一撃が魔獣の群れに直撃し、大きな穴をあける。
空間はかなり広いとはいえ、外よりは狭い。群れもより密集しているので与えたダメージは甚大だ。
「今だ! ゼイヴァー、行け!!」
「お先に失礼いたします! 遊撃隊、続け!!」
その刹那の瞬間を見逃さず、ゼイヴァーたちが駆け抜けていく。
彼らの目的は戦艦奪取。その任務達成のためならばガンプドルフさえ囮に使う。これが軍人の動き。訓練によって鍛えられ、死する覚悟すら決めた者たちの戦い方だ。
数分後―――第一階層、制圧完了
「兵士たちは蜘蛛にとどめを刺していけ! 生き残っていると厄介だぞ!」
「はっ!」
「ミーゼイアのトラクターを入れろ! 魔人機を出す! ここを基点にして一気に進むぞ!」
入念に蜘蛛を排除してから輸送船を招き入れ、素早く臨時キャンプを張る。
ここからどんどん弾薬や爆弾を供給し、全戦力で圧し込んでいくのだ。まさに総力戦である。
683話 「大空洞、白き英雄の道筋」
ガンプドルフが第一階層を制圧した頃、蜘蛛の皮を被ったアンシュラオンは、大空洞内部の壁を忍者のように走っていた。
隠形で気配を完全に殺し、蜘蛛の思念糸が『視える』自分にとっては、慎重に動けば監視網の突破は難しくはない。
しかも現在は、大混乱のさなか。
この状態では蜘蛛たちの連絡網は完全に『混線』し、味方同士の連携も上手くいっていないようだ。
(ラノアの視点では、まだ女王蜘蛛は動いていない。巣穴にこれだけの敵が入っていることは、糸を使えば簡単にわかるはずだ。それでも動かないのはなぜだ? 虫型だからあまり危機感がないのかな?)
たしかに虫型魔獣は意外と無防備なところがある。巣穴に敵が入り込んでも、人間から見ると緩慢な対応をしているように映ることが多い。
単純に知能が足りていないせいもあるだろうが、巣穴に緊急時の脱出口を作っている種族もあまり見かけないので、そのあたりは彼らの欠点といえるだろう。
(だが、ここの蜘蛛は完全な統率の下で動いているはずだ。やはりこの状況は女王の『無関心』によって生まれているのかもしれない。つまり、この程度はまだ危機的状況ではない、ということだ)
ラノアとの対応を見る限り、女王の知能はそこそこ高い。少なくとも卵を守るために防衛を強化することくらいはするはずだ。
それをしていないのは余裕の表れなのだろうか。あるいは当人が最大戦力である以上、卵から離れたくないだけなのかもしれない。
どのみち他の蜘蛛は女王の手駒にすぎない。いくら死んでもまた産めばよいので消耗戦だけは避ける必要がある。
(まあいい。どうせ戦艦から女王を引き剥がす必要があるし、ラノアがいるから『第十五階層』には行くしかない。着いてから考えればいいさ)
アンシュラオンが作った地図には、入り口の第一階層から女王のいる第十五階層までが描かれている。
構造としては【蟻の巣】に近いだろうか。
随所に階層と名付けた千〜二千メートル四方の巨大な空間が存在し、それをやや細めの通路で繋いでいる構図だ。
通路も細めとはいえ軽く幅三百メートル以上はあるため、最低でも女王が獲物を抱えて通れるサイズにしているのだろう。
予想以上に巨大な巣穴である。あの亀裂はあくまで入り口にすぎず、地下に巨大な空間が広がっていたというわけだ。
ただ、驚くべきことではない。荒野に生息する魔獣の多くは基本的に地下に巣穴を作っている。この厳しい環境下では、鬼怒獣のように地表で堂々と暮らすほうが珍しいのである。
アンシュラオンは、そのまま駆け抜けて第六階層に突入。
ナムタムオーガ・グァルタ〈鬼怒天獣〉は見えない。怖ろしい突進力で、まだまだ先行しているようだ。
(オレが選んだとはいえ、たいした魔獣だ。ボス単独でも絶対に取り返すつもりでいるな)
ボスが先陣を切って突っ込んでいくものだから、取り残された部下の親衛隊をちらほらを見かける。
それでも鬼怒獣は群れで生活する魔獣だ。群れの存続を第一に考えているからこそ、残されたオーガたちは恨みもせず淡々と戦っていた。
逆に取り残された鬼怒獣がいるからこそ、長い混沌とした列が出来て、それによって蜘蛛の連絡網の遮断ができているのだ。
ゼイヴァーたち遊撃部隊もあとから来るはずなので、この均衡が長引いたほうが人間側にはありがたい。
(あまり早く到着しても相手を警戒させるだけだ。できればボスが突入した瞬間を狙いたいな)
グァルタが戦艦のエリアに突入したと同時に侵入し、混乱に乗じてラノアを助け出す予定だ。場合によっては赤子を再び確保し、グァルタと女王蜘蛛を戦わせたいとも考えていた。
しかしながら、すべてが計画通りとはいかない。ここで悪い予感が当たる。
蜘蛛がさらに―――進化
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名前 :カーネジル・スパイダー〈石喰戦闘強蜘蛛〉
レベル:99/99
HP :3800/3800
BP :680/680
統率:B 体力: B
知力:E 精神: D
魔力:D 攻撃: B
魅力:F 防御: C
工作:C 命中: C
隠密:D 回避: C
☆総合: 第三級 討滅級魔獣
異名:石喰い強兵士蜘蛛
種族:魔獣
属性:土、岩、毒
異能:集団行動、毒液放射、脱皮再生、脱皮進化、糸放出、思念糸、鉱物喰らい
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第七階層を過ぎ、ちょうど巣穴の中盤に差しかかった頃、蜘蛛の進化に変化が見られた。
今までの蜘蛛はカーバラモで終わっていたが、この層にいる蜘蛛たちはカーバラモの上位種へと変化を遂げていたのだ。
身体はカーバラモより一回り以上大きくなり、触肢も鋭く大きく、槍というよりはランスと呼ぶに相応しい立派な造りになっている。
黒い身体に白い縞模様が特徴的なので、ついついヤブ蚊を思い出してしまうかもしれない。
(HPも攻撃力もワンランク上がっているか。かなり厄介になってきたな。やっぱりこの進化はおかしいって。これで『雑兵』だしね)
この能力自体は、さほど脅威ではない。
が、これで雑魚。使い捨ての雑兵なのである。それが一番怖ろしい。
(これだけで【一国の軍隊】に匹敵する。進化スキルを考慮すれば、DBDとほぼ同等の軍事力を持っていることになるな。そこらの小国ならば対抗すらできないだろう。唯一の幸運は、やつらが電波以外にはあまり反応しないことだ。これが獰猛な魔獣だったらやばかったよ)
十万といえば軍隊でもかなりの戦力だ。軍備を拡充していたDBDにおいても魔剣士二人分の二個艦隊に匹敵する。
当然ながら人間と魔獣なので数だけで測れないものはあるが、逆に言えばDBDの兵士よりも確実に強いため、軍隊より強い可能性もあるだろう。
だが同時に、この進化には一つの法則があることがわかった。
(どうやら最初は絶対にカーモスイットから始まるらしい。それが順番に進化していく仕組みのようだ。つまりカーモスイットからいきなりカーネジルにはなれない。必ず進化の順を追わねばならないんだ。まあ、それくらいの縛りがないと反則だよな)
ここはメーネザーと同様の見解となる。
基本的にカーモスイットとして生まれ、防衛本能が刺激されるとカーバラモになる。そしてカーバラモが生き残れば、条件次第でカーネジルになる。
カーバラモからカーネジルになる条件は不明だが、同じカーモスイットの中にも個体差や種類の違いがあるのかもしれない。
この程度の接触では、蜘蛛の生態を完全には把握しきれないのは仕方がない。
それを証明するように、隠密活動中のアンシュラオンに何かが飛んできた。
シュン ガキンッ
戦刃で叩き切ってノーダメージ。
アンシュラオンだからこそ軽く防げたが、一般の武人ならば真っ二つになっていただろう。
「やれやれ、また新しい種類か」
気づけば、アンシュラオンと一緒に壁を併走する蜘蛛がいた。
波動円を展開できないので探知が遅れたが、この超人相手にここまで接近できる段階で危険な存在だとわかる。
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名前 :カーエッジ・スパイダー〈石喰暗殺蜘蛛〉
レベル:99/99
HP :2700/2700
BP :520/520
統率:D 体力: D
知力:D 精神: D
魔力:C 攻撃: B
魅力:E 防御: D
工作:A 命中: A
隠密:A 回避: A
☆総合: 第三級 討滅級魔獣
異名:石喰い暗殺蜘蛛
種族:魔獣
属性:土、岩
異能:単独行動、擬態看破、探知、暗殺、斬糸、糸罠、糸放出、思念糸、鉱物喰らい
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大きさはカーモスイットより小さいが、触肢は鎌状に変化しており、顔も全体的に細長くなっていてカマキリを彷彿させる。
アンシュラオンに追いついて併走していることから、単独での素早い隠密行動に長けた能力を持っているようだ。しかも『暗殺』スキルを持っているので、武人でいうところの暗殺者タイプであろうか。
そして、ここであることに気づく。
(スキルから【進化が消えている】。なるほど、特化型になるともう進化ができなくなるんだな。それがその方向性における最終形態か)
必然的に進化には限界がある。これがカーモスイットとしての種の限界値、いわば才能の限界といえる。
これだけ急激に進化すれば身体にも相当な負担がかかると思っていい。おそらく寿命も他の個体より短いはずだ。
だが、彼らは兵隊。その場で最大限の効果を発揮すれば十分なのだ。
カーエッジは脚から糸を放出。それを巧みに操り、こちらに放ってくる。
糸には鋭い輝き。避けた場所がすぱっと切り裂かれた。
(鉱物を食べているんだ。この『斬糸』も鋼鉄の剣と変わらない硬度なんだろうな)
さきほどアンシュラオンが切り払ったものは、カーエッジが操る『斬糸《ざんし》』であった。これもカーモスイットにはないスキルである。
カーエッジは執拗に斬糸を出して攻撃してくる。完全にマークされてしまったようだ。
「すでに発見されたなら、もう遠慮することはないな。ちょうどよかった。こんな汚い皮を被るのにも嫌気が差していたんだ。そろそろ強引に突破させてもらおうか」
アンシュラオンは蜘蛛の皮を投げ捨て、命気刀を生み出す。
併走しながら接近し、刀を振る。
カーエッジは鎌で迎撃。剣撃を弾く。
続けてアンシュラオンが連撃を繰り出す。これにもカーエッジは対応。
カカカカカンと甲高い音が響き、高速の剣撃をすべてガードする。
「オレの剣撃を受けるとは、なかなかに速いな。だが、お前なんて敵じゃない」
弾かれた刀が壁に当たった瞬間に軌道を変え、滑り込むように蜘蛛の真下に移動。
再び壁に当てて強引に軌道変化させ、真上に切り上げる。
不規則に動く刃にまったく対応できず、ズバッとカーエッジは真っ二つ。肉塊となって落ちていく。
「魔獣も案外素直だな。そりゃ反射神経だけで生きているようなものだ。斬り合いの技術があるわけじゃない。それが人間との差だよ」
これもまた急激な進化を遂げた欠点の一つだ。素の能力が高く反応自体は素早くても、戦闘経験値が足りないためにフェイントに対応できないのだ。
一方の人間は身体能力で劣るが、その代わりに技術を磨き上げて対抗する。それを伝えていくことで種全体として強くなっていくわけだ。
だが、蜘蛛の脅威は単体での強さではなく、数にこそある。わらわらとカーエッジが集まってきて、アンシュラオンの邪魔をする。
(オレに敵視が集まれば、それだけ他の連中がやりやすくなる。これ自体は助かるかな。まあ、総数が多すぎるから焼け石に水かもしれないけどね)
アンシュラオンはカーエッジを一匹ずつ倒しながら、そのまま一気に第八階層まで突き進む。
その後ろを追いかけるのが、先行したゼイヴァー隊。
彼らはできるだけ戦闘を避け、一直線に戦艦に向かっていたので、今現在は第五階層にまで進んでいた。
常時壁を走ることはできずとも、槍や道具を使って空中を移動することはできる。アンシュラオンには及ばないが、さすが遊撃部隊といった機動力でぐんぐん進んでいた。
(あまりに広大な地下空洞だ。ようやく目が慣れてきたが、見れば見るほどおぞましい。ここは人が来る場所ではない)
ゼイヴァーほどの武人からしても、そこはまさに異質な空間だった。
至る所に蜘蛛がはびこり、蠢いている。これだけ攻撃されても蜘蛛の総数はまだ一割も減っていないに違いない。
(人間同士の戦いとは明らかに違う。これが魔境の戦い。そして、それに動じないアンシュラオン殿が一番怖ろしい)
独りで平然と巣穴に侵入できる胆力がすごい。それだけ武に自信があるのだろうが、もはや人間の常識を超えているように思えた。
アンシュラオンが慣れているのは、やはり経験の差だろう。べつに転生前から虫に耐性があったわけではない。火怨山での自然との共生が、あまりに激しすぎたのだ。
虫や動物が嫌いな人間でも、触り続ければ慣れていく。ゴキブリだって駆除業者の仕事に就けば、首筋を這っていても「くすぐったいな」くらいにしか思わないものだ。
(今後この大地でやっていくためには、これを当たり前にするしかない。…ああ、そうだ。私はまだ死ぬつもりはないのだ。仇をとるまでは死ねない。しかし、ああいう生き方もあるのだな)
ゼイヴァーにも死ねない理由がある。当然ながら家族を殺したルシアへの復讐だ。
が、アンシュラオンを見ていると、そんな気持ちが少しだけ揺れ動く。
復讐心を忘れてはいけないが、かといって自分は今ここで生きている。生きているのならば日々を楽しんでもよいのではないかとも思える。
そんなことを考えた自分が可笑しくて、珍しくゼイヴァーが『普通に』笑う。
(不謹慎で怠惰な考えだ。そんなことで女性の安全が確保できるわけが……いや、できるのかもしれない。あの人ならば、それさえも成し遂げてしまえそうだ。覇王の弟子という肩書きではない。彼そのものから光が溢れているからだ。閣下が惹かれた太陽の光…か)
アンシュラオンがこの先にいると思えば、こんな暗闇の中を突っ走っていても不安はなかった。それは他の騎士たちも同じで、前に前に躊躇なく足を踏み出している。
ただ、彼らはアンシュラオンとは違う。
ゼイヴァーがひらけた空間に跳躍した瞬間、何かに引っかかった気がした。本当に軽く、まさに蜘蛛の巣に顔が触れた時のような違和感だ。
それは―――警報
次の瞬間、横穴から大量の蜘蛛が湧き出てきた。
「しまった! 見えない糸か!」
思念糸で出来た探知用のトラップである。
これは術士の資質がないと簡単には見えないので、純粋な剣士のゼイヴァーでは見破ることは難しい。
「相手にするな! 振り払って進め!」
ゼイヴァーたちは蜘蛛の攻撃を受けながらも足を止めない。
ここで交戦状態に入ってしまったら一瞬で囲まれてしまう。そうなれば消耗戦になるし、仮に生き延びたとしても戦艦の援護ができなくなる。
持ってきた衝撃爆弾のDP1を投げつけながら、必死に逃げる。
しかし、ここは相手のホームタウンだ。
その先の通路では、警報を聞きつけた蜘蛛がすでに待ち伏せていた。
(くっ! ここまでか! 応戦するしかない!)
鬼怒獣が暴れまわったのはいいのだが、その分だけカーバラモが増えたことを意味する。
目の前の蜘蛛たちの中にもカーバラモが混ざっており、現状の戦力で突破するにはやや難しい状況だ。
ゼイヴァーが犠牲を覚悟した瞬間―――
ブシャーーッ ズザザザザザッ!
地面から水が噴出し、蜘蛛たちを串刺しにする。
それだけにとどまらず、一瞬にして凍結させてから―――爆散
少なくとも五十匹はいた眼前の蜘蛛たちを、一瞬で蹴散らした。
(これは…アンシュラオン殿の技か!)
相手がトラップを仕掛けているのならば、こちらもトラップで対抗すればいい。
アンシュラオンは移動しながら敵の警報を見つけるたびに、逆にカウンタートラップを仕掛けていた。
この罠がすごいのは、ゼイヴァー隊の動きに合わせて発動していることだ。
サナとの対戦や普段の鍛錬から技量や癖を見極め、移動する場所と距離を推測。もっともゼイヴァーが通りそうな箇所に集中して設置されていた。
ラノア救出で忙しいから十分な援護はできない、と事前に言っていたが、こんな粋な計らいをするのだ。まだまだ余裕がある証拠である。
そこに技量よりも何倍も優れた器の広さを感じさせる。
(もはや勝ち負けや優劣を超えている。私の狭量な考えなど、あの人の大きさには到底及ばない。やはりあの御仁は【英雄】だ。見えるぞ! 白き英雄が通った道筋が!)
蜘蛛が思念糸を使うのならば、武人同士は戦気を通じて意思疎通を行う。
アンシュラオンが仕掛けたトラップの残滓が煌く方向に、最善の道があると教えてくれる。
「我々には白き英雄が味方にいるぞ! 怖れるな! 一気に突っ込め!」
「おおおおお!」
ゼイヴァー隊も士気を上げ、アンシュラオンを追うように深部に入っていく。
蜘蛛たちとの戦いは、まだ始まったばかり。ここからが正念場である。
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