欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ


「欠番覇王の異世界スレイブサーガ」

作者  園島義船



□ 第四章 「裏社会抗争」 編 第二幕 『激動の白』


241話 ー 250話




241話 「おめぇ、それ絶対パチもん掴まされてるぜ!」


「よぉ、ゲロ吉。また吐けよ。ゲロゲロしろよー、ほーれ、ほーれ」


 ヒョーーン ガスッ ヒョーーン ガスッ


「いてて! 石を投げるな!」

「また吐いたら許してやるぞ。ほーれ」

「いたた! イジメじゃろうがそれは! イジメはいかんと習わなかったんかい!」

「オレはイジメ推奨派だ」

「なんてやつじゃ! 人間として終わっとる!」

「その代わり、苛められたやつには竹槍を持って夜襲する権利がある。さあ、こい!」

「どういうルール!?」


 アンシュラオンが考案する「戦国小学校」では、イジメが推奨されている。

 苛められた人間は復讐のために竹槍を持って突撃。対する苛めた側は拠点(家)で防衛作戦を展開。命を奪われなければ勝ちである。

 傍観している側が一番楽しいという嫌な学校だ。

 と、戯言はともかく、パミエルキに育てられたアンシュラオンは、むしろ「自分たち以外は家畜」と教えられているので、習った通りにするととんでもないことになる。

 まだ戦国小学校のほうがましに思えてくるから不思議だ。



「しかしまあ、本当にグランハムとは似ていないな。才能の欠片も感じないぞ」


 どう見てもゲロ吉は弱い。少しはやるのだろうが、ビッグより弱いのは間違いない。

 グランハムは相手が悪かっただけであり、実力的には都市内でトップクラスの武人である。それと比べるとお粗末なものだ。


「兄弟だからって似ているとは限らんわ!」

「はいはい、兄弟なのは認めてやるよ。世の中にはデコボコ兄弟もいるしな。それで、そのゲロ吉が何の用?」

「ゲロ吉はやめんかい!」

「死ね、ゲロ左衛門! ほーれ!」

「いてっ! もっと悪くなったじゃろうが!! わしの名前は…いててっ! やめんかい! 地味にイラつくわ!」

「ありがとう」

「なんで礼を言われたんじゃ!?」

「イラつかせるために投げたから、イラついてくれてありがとう」

「全文言われると、もっとイラつくわ!」


 特に名前を知る必要性を感じないので、再度石を投げて妨害。

 よって、名前はゲロ吉で固定される。


「名前なんてどうだっていい。わざわざこうしてオレに時間を取らせるんだ。それなりの用事だろうな?」

「この状態でふざけたことを言いおるのぉ! ここでお前らもおしまいじゃ!! 死にさらせや!!」

「何がお前をそこまで強気にさせるのかわからんが…もう半分以上は倒れたんじゃないのか? 毒でやられただろう?」

「うるさい! あれはうちの組のもんであって、雇った連中ではない! だから問題ないんじゃ!」

「その理論で大丈夫か?」


 ハンベエの毒で数十人が倒れている。毒耐性を施しても貫通するので長時間吸えば危ない。そろそろ死んだ頃だろう。

 この段階で敵の数は激減。三割程度になってしまっている。自信満々で襲ってきたわりには、なんともなさけない。


(うーん、こいつはあまり強そうじゃないが…一応武闘派なのかなぁ。グランハムの弟にしてはまったく張り合いがないし、完全にハズレだな)


 ハングラスの武闘派が弱いというより、グランハムたちが突出して強かっただけなのだろう。彼らならばソイドファミリーにも勝てたかもしれない。

 しかし、今は裏スレイブに頼っているくらいだ。最大戦力を失ったハングラスは、すでに自前で戦力を調達できないほど弱っているといえる。

 正直、期待はずれであった。


「もっとやってくれると思っていたが、これじゃ命日というか【縁日】だぞ。キャンプファイアーと狐のお面と牛の丸焼き(ゲロ吉焼き)だもんな。愉快なパーティーじゃないか」

「じゃかあしい! お前のせいで兄貴たちが死んで、こっちはガタガタなんじゃ! 簡単に兵隊が集まるもんかい! 外で雇うので精一杯なんじゃ!!」

「かなり簡単に内部情報を漏らしているが、大丈夫か?」

「どうせ死ぬんだ! 教えておいてやるわい!」

「やめろ! 死亡フラグだぞ!! ただでさえ雑魚なんだから、心配になるじゃないか!」

「そんな口が叩けるのも今のうちだ! 皆さん、お願いしやす!」


 狐面の男たちが、じりじりと間合いを詰めてくる。その動きに隙はない。


(暗殺者集団というだけあって少しはやりそうだな。だが、グランハムたちには及ばないか。ハングラスも急ぎすぎたな。かといってこれ以上待ってやる義理はないし、しょうがない。さくっと潰すか。あとはサナの強化に役立ってくれればいいや)


 正直、第一警備商隊と比べたら小粒感が否めない。個人個人では到底グランハムには及ばないだろうし、副将にいたメッターボルンにも及ばない可能性が高い。

 この段階でアンシュラオンの興味は消失。あとでお面を奪うくらいしか楽しみが思いつかない。


「ハンベエ、適当にやっていいぞ」

「了解です」

「馬鹿め! そいつの毒はもう使えまい! こっちの勝ちじゃ、ボケが!」

「やめろ! それ以上の雑魚臭を醸し出したら、ただじゃおかんぞ! お前はフラグを立てすぎだ!」


 さきほどから本気で死亡フラグを立ててくるから違う意味で怖ろしい。

 ゲロ吉はなかなか侮れない。新しいタイプの雑魚である。


「お前なぁ、兄貴があれだけ強くて負けたんだぞ。こいつらがグランハム以上に見えるのか? 無策にも程があるぞ」

「くーはははは! んなことは言われんでもわかっとるわい!」

「うわ、びっくりした! お前、変な笑い方するのな。きもっ」

「イジメじゃぞ、それ!!」

「オレは嘘は言えない主義なんだ。ごめんな。反省してる。デブでキモいなんて終わってるな、お前」

「謝罪ですらないぞ!? さらに抉っとる! ぐぬぬ、安心せいや! お前にはとっておきの相手を用意しとるわ!」

「おおっ、本当か! どんなやつだ! 見せろ! 早く出せ!!」

「ええい、少しは動揺しろ! まあいいだろう。はしゃいでいられるのも今のうちじゃ。先生、お願いします!」


 ゲロ吉が腰を折り、よくヤクザ系の邦画で見るような「お控えなすって」のポーズを取る。

 このポーズ、正式には「仁義を切る」と呼ばれるもので、昔の挨拶や素性確認に使われたものだという。

 中国の武術家にも似たような文化があるので、その業界の人間にだけ通じる挨拶のやり方がそれぞれにあるのだろう。


 そして、森から一人の初老の男が歩いてきた。


 背丈はアンシュラオンと同じ程度であるが、その容姿が驚きだ。

 髪の毛は三つ編み。いわゆる弁髪と呼ばれるもので、昔の中国やモンゴルなどでは一般的な髪型として親しまれていたものだ。

 日本だと漫画で中国拳法家を示す際によく使われるので、いろいろな漫画でお目にかかるだろう。代表例は、額に「中」の文字が刻まれたラーメンの人である。

 その初老の男も、まさにイメージ通り。本当に拳法着のようなものまで身にまとっている。


(ううむ、中国文化も入り込んでいるな。この世界はますますカオスだ。どこまでいってしまうのだろう…)


 と、アンシュラオンが転生者らしく文化の考察をしていると―――


「あいつがホワイトです。先生の力でさくっとお願いしやす!」

「うむ、任せるアル」

「―――ぶっ!!」


 不意打ちの―――「語尾にアル」


 期待を通り越して、やっちまった感すら醸し出していた。

 これには思わずアンシュラオンも吹き出す。


「ぶはははは! お前、それ絶対パチもんだぞ! 偽者を掴まされたな!! ゲラゲラゲラゲラ!」

「何が可笑しいアル!」

「やめろ! アルとか言うな!!! 腹が…腹が痛いじゃないか!! ゲラゲラゲラゲラッ!! アルはやめろよぉおお!! ひー、腹いてーーー!!」


 その格好も相まって偽者感が半端ない。

 今までのフラグといい、こんな人物を連れてくるあたり、ゲロ吉は笑いのセンスがあるのかもしれない。


「ゲロ吉、お前…面白いよ! わかった、わかったから。お前はお笑い担当として殺さないでおいてやろう! ひー、ひー、腹が引きつる…! もしやこれが狙いか!? やるな! たしかに笑い死にしそうだぞ!」

「くうう! どこまでも余裕をぶっこきおってからに! 先生は武術の達人なんじゃぞ!」

「ひーひー、そうだろうな。だって、拳法着を着てるし。拳法着…アル!! ぶはははは!!!」

「ちくしょう! あんなやつ、さっさとやっちまってください!」

「うむ、わかったアル」


 アル先生(勝手にそう名付けた)が、両手を後ろ手に回しながら近づいてくる。

 スススッーー

 歩く速度が速いながらも足音がまったくしない。まさに滑るように移動してきた。

 完璧な体重移動もそうだが、戦気を足裏に集中させて音を発しないようにしているのだ。アンシュラオンがやった命気をクッションにするのと同じ発想である。

 これ自体はそれほど難しい技ではない。戦気術を学ぶ過程で誰でもそれなりに使えるようになる。


 ただし、アル先生はそれを無意識でやっている。


 これが一番重要だ。

 意識せずともやれるレベルにまで達するには相当な鍛練が必要である。少なくとも武術の達人という触れ込みは偽りではないようだ。


(ほぉ、たしかに少しは強いやつを連れてきたようだな。だが、この程度の相手にオレが出る必要もないな。かといってサナじゃまだ無理だし…そうだ。少し違う形で遊んでやるか)


 ここでふと思いついたことがある。

 せっかくなのでそれで遊んでみることにした。


「まあ、待て。焦るなよ」

「なんじゃ? びびったんか? いまさら命乞いしても遅いぞ!」

「いやいや、奇遇だと思ってな。実はな、オレも『とある先生』を雇ったんだ。お前たちが来ると思って隠し玉を用意しているんだ。どうせなら助っ人同士で戦うってのも面白くないか?」

「な、なにぃ! 助っ人じゃと! 汚いぞ!! 正々堂々勝負しろ!」

「いきなり奇襲を仕掛けるやつの台詞かよ。それにお前だって連れてきただろうが」

「そ、そうだが…卑怯者め! その先生はどこにいる!?」

「うむ、呼んでくるから、ちょっと待ってろ」

「わかった、待ってやるわい! 早くせいや!」


 なぜか待ってくれるそうなので遠慮なく準備を始める。やはり空気が読めるやつだ。見所がある。


 アンシュラオンは馬車の後ろに隠れ、ポケット倉庫から「黒い布」と余っていた「全身鎧」を出す。

 全身鎧は第一警備商隊のメッターボルンが着ていたものだ。

 この鎧は術具らしいので直せば使えないかと思って剥ぎ取ったが、接着剤でくっつけたもののまったく直らず、仕方ないのでそのまま放置しておいたものである。

 逆になぜ直ると思ったのか問いただしたいくらいだ。一度術式が壊れたものが、たかが接着剤で直るわけがない。

 だが、使い道はある。

 アンシュラオンが相手から見えない位置に素材を積み重ね、そこに戦気を注入。


 すると、戦気が鎧の中に入り込み―――人型になる。


 あとは黒い布で隙間を隠せば、見た目は完全な鎧人間だ。


 そう、ルアンにも使った『鎧人形』である。


 彼に使った鎧は一般隊員のものだったが、こちらはメッターボルンのものなので二回り以上は大きい。

 さらに戦気で自由に大きさは変化できるので、実際のメッターボルンよりも大きくしてみた。


(うむ、これでいいだろう。まず見た目ではわからないだろうし、あいつの相手には十分だ。こいつの性能もチェックしたかったしな。本家の【アレ】は疲れるから、こっちで代用できれば便利だよな)


 分戦子の質を高めると「闘人操術」という奥義になり、さらに極めると「闘神操術」という【至高技】に進化する。

 奥義の中の奥義を至高技と呼び、最低でも因子レベルが6以上はないと使えないものばかりだ。しかも闘神操術は遠隔操作系しか修得できないので、至高技の中でもレアな技である。

 この段階にまで至ると自動操縦に切り替えることができ、命令を与えて放置すれば勝手に敵を倒してくれる。

 さらに特定の闘神を模することで、特殊な能力を付与することもできるので、威力の面でも相当な強さを誇る。

 が、アンシュラオンでも疲れる技なので普段は滅多に使わない。陽禅公の実分身に対抗するために仕方なく使う程度だ。

 それを使うと完全にオーバーキルなので、下界の雑魚相手には分戦子で生み出した鎧人形で十分だろう。

 ルアンでは相当な手加減をしたため、これがどれだけ有用かがまだわからない。どうせ戦うのならば実験をして有意義に過ごしたいものである。


「先生、お願いします」

「ウム、マカセロ(演:声音を低く変えたアンシュラオン)」

「な、なんだこいつ! どこから現れた! しかも…でかい!」


 巨大な鎧人形が、馬車の背後から突如出現。謎の鎧人間にゲロ吉もびっくりだ。


「この御方の名前はベンケイ先生だ。気をつけろ、天下一の乱暴者だぞ!」

「ウム、天下無双トハ、ワレノコトダ。ヒレフセ、愚民メ」

「な、なんだと! やたら尊大じゃぞ!?」

「ベンケイ先生は赤子の頃、学校の先生を張り手で倒して学級崩壊を起こさせたほどの猛者だ。ひれ伏せ! 命乞いをしろ!」

「赤子の頃!?」

「ちなみにベンケイ先生は、まだ三歳だ」

「どういうことなの!?」


 謎の情報にゲロ吉はパニックだ。見ていて楽しいやつである。


「気をつけるネ。こいつ、只者じゃないアルよ! 凄まじい戦気の波動を感じるアル! しかもそれを隠すだけの実力者ネ!!」

「ぶっ―――! やめろよ、そのしゃべり方! 吹くだろう!」


 こうして互いの先生同士の戦いが始まる。

 申し訳ないが、こっちは完全に遊びモードである。




242話 「サナちゃんが凄いことになってるぅぅううう! 前編」


 アンシュラオンがベンケイ先生を作っている間に、ハンベエと戦罪者たちは狐面御一行と戦闘を開始していた。

 敵の数は六。対するこちらは五。数としては一人足りないが、ほぼ五分である。

 ただし狐面たちはハンベエに三人、他の四人の戦罪者に三人と数を割り振ってきた。どうやら毒を使うハンベエを真っ先に倒したいらしい。

 ハンベエが試しに距離を取ると相手三人もしっかり付いてきた。やはり狙いはこちらのようだ。


(その判断は正しいですね。いざとなったら周囲を気にせずに使いますし)


 実際、ハンベエは味方のことなんて気にしていない。アンシュラオンから命令が出れば従うが、出るまでは自由にやるつもりだ。

 窮地に陥ったら、この場所でも躊躇なく毒を撒き散らすつもりでいた。

 ただ、こうまで接近されると毒を展開させる時間が必要となる。ひとまずこの場を凌がねばならない。


 先に動いたのは狐面。


 シュッシュッ

 中距離からの投擲攻撃を仕掛ける。投げたのは『十字手裏剣』に似た武器であった。

 たかが手裏剣と侮るなかれ。武人が投げる武器はコンクリートくらいは簡単に貫通する。それが三方から向かってくるのだ。普通の弾丸より大きいため、殺傷力は大型火器レベルだ。

 対するハンベエは手品のように何もない空間から鎖鎌を取り出し、手慣れた様子で鎖を振り回す。

 よくよく見ると術符が砕け散った痕跡があるので、空間格納術式を使って武器を取り出したのだろう。

 この術式は生み出す空間の大きさによって名称がころころ変わるため、術具屋では一畳から二畳程度の大きさのタイプを「押入れ君」やら「出し入れポン」「へそくり壺」という名称で売りに出している。

 一応コッペパンでは「押入れ君」で統一されているので、今後はそちらの名前で呼ぶことにする。(おじいちゃんは『出し入れポン』派)


 キンキンキンッ ボンッ


 手裏剣は鎖に当たって弾かれるが、直後―――爆発。

 細かい破片をばら撒きながら霧散する。いくつかはハンベエにも当たったが、仮面を被っているのですべて弾く。

 どうやら手裏剣には大納魔射津のような爆破系のジュエルが搭載されているようで、刺さった箇所を爆破するという凶悪な武器のようだ。

 ただし、本物の大納魔射津よりは威力が低い。爆発の規模は二割以下といったところ。本家は一発一発がそこそこ高価なので、手裏剣に搭載しているのは安価な代用品だろう。

 だが、手裏剣自体もかなりの威力のうえ、爆破まで加われば人体に致命的なダメージを与えるには十分だ。

 これが心臓付近にでも当たれば、HPの少ないハンベエは厳しい状況に追い込まれる。


(やれやれ、相手は全員が暗殺者タイプですか。速いのは面倒ですよね)


 周囲を三人の狐面が飛び回っている。その動きは非常に素早く、夜の闇に紛れながら撹乱してくる。

 ハンベエも防御ではなく攻撃で迎撃したいところだが、連携の取れた素早い動きを捉えきれない。

 彼らはすべて暗殺者タイプ。

 暗殺集団だからといって武人のタイプまで合わせる必要はないが、誰もが素早い動きをしていることから全員が暗殺者タイプと見ていいだろう。

 アンシュラオンが暗殺者タイプのファテロナに圧勝したため、あまり強いイメージはないかもしれないが、動きを捉えられないというのは非常に怖ろしいことだ。

 一発一発は対処できても、それが死角から雨のように襲ってくれば危険である。特に連携を取られると危険が倍増する。

 ハンベエもカテゴリーとしては暗殺者タイプだが、素早さよりも特殊スキルのほうに特化しているので、単純なスピード勝負では分が悪い。


(さて、どうしましょうかね。この様子を見ると吸気系の毒にはかなりの耐性がありそうです。暗殺者ですから、毒には人一倍警戒しているということですか。…だとすると、直接送り込むタイプで勝負するしかありませんね)


 狐面たちには、ゲロ吉のように気持ち悪くなって吐くようなそぶりは見受けられない。

 彼らもさきほど放った毒煙の中にいたはずなので、多少吸っているのは間違いない。それでもほとんど弱っていないということは、普通の毒耐性以上の対策を練っているということだ。


(あのお面が怪しいですね。あれは術具ですかね)


 あからさまに怪しいお面である。特別な意味がないのならば、実際に有用な効果があるから被っていると見るべきだろう。

 もしかしたら吸気系の毒を無効化できるのかもしれない。そういった術具も存在する。


 キンキンキンッ ボンボンボンッ

 キンキンキンッ ボンボンボンッ


 結果的に打開策がなく、ひたすら迎撃という防戦状態が続く。

 これがヤキチやマサゴロウならば突っ込むだろうが、ハンベエは単体で前面に出て戦うタイプの武人ではない。中衛あるいは後衛で毒による攻撃で支援するほうが向いている。

 こうして相手が毒対策を練ってきた以上、前に出て直接攻撃で強力な毒を送り込むしかない。だが、そうなれば自身もダメージを受けるのは必至だろう。そこで躊躇が生まれている。

 相手が苦しむ姿を見るのは好きだが、自分が傷つくのは嫌なタイプなのだ。そこはアンシュラオンに似ている。


(ゴリ押しは得意ではないんですよね。せめて一瞬だけでも隙が欲しいところですが…)


 シュッ シュッシュッ

 そう考えていると、次に放たれた幾多の手裏剣がハンベエの手前三メートルあたりに刺さり、爆発。周囲に土を撒き散らす。

 どうやらこれは最初から目隠しが目的であるようだ。土で視界が少しばかり塞がった瞬間に、他の二人が間合いを詰めて突っ込んできていた。

 ハンベエが防戦で手一杯と見て、一気に攻勢に出たのだ。これには覚悟を決めるしかない。


(仕方ありませんね。多少手傷を負ってもいいので、まず一人倒しますか)


 シュンッ

 ハンベエがそう決めて鎖鎌を振り回そうとした瞬間である。

 一本の弓矢が右から向かってきていた狐面に襲いかかる。

 狐面は回避。突然の攻撃でも咄嗟の反応でよける。このあたりはさすがスピードに長けた暗殺者である。


 が、弓矢が眼前を通り過ぎようとした瞬間―――爆発。


「っ!!?」


 よけようと軽く後退したところに激しい衝撃が顔に襲いかかり、そのままバック転するように吹き飛ばされる。

 目の前で大きな爆発が起きたのだ。さすがの暗殺者も対応ができず、爆風をもろに受けてしまう。

 バゴンッ

 不運にも、吹っ飛んだ先には大きめの石があり、思いきり後頭部を強打。


「っ…っ……がくっ」


 そして、そのまま意識を失った。

 被っているのは『お面』なので、後頭部は保護されていない。それもまた不運であった。


「っ!」


 予想だにしない攻撃に狐面たちの連携が崩れ、傾きかけていた流れが一気に止まる。

 たった一発の攻撃で場の空気が変わる。これこそ戦いの妙である。



(これは…黒姫嬢ですか)


「………」


 ハンベエが視界の隅にサナを発見。その手に持っているのは、彼女が愛用している変哲もないクロスボウである。


 しかしながら―――【矢】が違う。


 これは矢の尖端が大納魔射津になっている特別仕様のもので、原理としては敵が使っている爆発手裏剣と同じである。

 ただし、こちらは時間で起爆するので無理に当てる必要はない。最初の設定通りに、何もしなければ五秒後には自動的に爆発するようになっている。

 本家の術具なので威力もかなりのもので、特撮ヒーロー物の爆発くらいに範囲も広い。

 結果は見ての通り。回避されても周囲一帯を巻き込んでダメージを与えることに成功する。

 しかしながら本当に怖ろしいのはそこではない。武器の問題ではないのだ。


(敵の標的が私だとわかっているとはいえ、これだけの動きを見切るとは怖ろしいですね。オヤジさんに隠れていますが、実のところ『天才』なのではないかと疑ってしまいますよ)


 経験豊かなハンベエでさえ最近のサナの行動には目を見張る。

 特に相手の隙を見つけ出す能力に関しては、現状でも優れた武人の領域にあるだろう。今も相手が直線的な動きをした瞬間に狙い撃ちである。見事なものだ。

 さらに怖ろしいのは、敵の動きを五秒前には予測していたことである。

 もちろん爆発の時間になったらとりあえず撃っておけばいいのだが、そうすると今度は敵の狙いがサナ本人にも向くことになるのでリスクが高い。やはり待っていたと見るべきだろう。

 藪の中でひっそりと身を隠し、じっとこの瞬間が来るのを待っていたのだ。まだ年端もいかない少女が、である。

 そもそもサナが裏スレイブと一緒に行動しているほうが異常だ。そこに違和感がないほど馴染んでしまっている。


(いやはや、末恐ろしい。大人になったらどんな人物になるのか、今から楽しみでなりませんねぇ。まあ、その頃には私はとっくに死んでいますけどね。こんな逸材が見られただけでもよしとしましょうか。そんな素晴らしい素材を殺せないのが残念ですが…)


 最後に危ない性癖を吐露しつつ、機を逃すまいと再度向かってきたもう一人の狐面に対して鎖鎌を放つ。

 シュッ ゴロゴロ

 相手は転がるように鎌を回避して、そのままの勢いでこちらに向かってくる。

 ハンベエは鎖を引っ張り鎌の軌道を変化させて追撃。

 相手はそれも回避。すでに予測していたのだろう。余裕をもってかわすが―――


 鎌が―――さらに軌道変化。


 ブーーーンッ ザクッ


「っ!!」


 鎌の尖端の一部が、狐面の肩を抉った。

 ハンベエの遠隔操作である。今度は鎌にまとわせた剣気を利用することで強引に軌道を変えたのだ。

 これは完全に狐面のミス。凡ミスである。かわせた攻撃と言わざるをえない。

 よくよく注意して観察すれば、最初の毒煙玉の時点でハンベエが遠隔操作系ということはわかったはずだし、彼らもそれがわからないほど未熟ではない。注意はしていたはずだ。

 それでも無警戒だったのは、焦っていたからだ。

 自分たちの間合いで有利に攻撃しようとしていたところを邪魔され、半ば力押しで攻めてしまったことで普段の冷静さがなくなったのだ。これもサナによってもたらされた効果の一つである。


 当たったのは刃先の一部。これ自体はたいしたダメージではない。

 だが、ハンベエにとってはこれで十分。狙い通りである。


「ぐっ…! うう!」


 突如狐面の動きが鈍りだし、ハンベエにあと数歩のところで完全に身体が動かなくなってしまった。

 即効性の毒が一瞬で身体に回ったのだ。吸気系の煙と異なり、直接注入する毒は非常に効果が高い。

 まず刃が突き刺さった肩の感覚がなくなり、ほぼ同時に顔の感覚が失われる。この段階で自分に起こった異変を悟るだろう。

 それによって視界が奪われ、脳も侵食され、冷静に物事を考えることができなくなる。痛みは感じずとも理解が及ばなくなるのだ。

 フラフラ バタッ

 そして、脳の情報が伝わらなくなった足がもつれ、ついに転倒。そのままビクビクと痙攣して意識を失う。


「ふふふ、私の毒は軽く触れただけで死亡確定ですよ。あなたに毒耐性があってよかった。普通ならば即死に近いですから、少しは楽しめますよ」


 そのままハンベエは残り一人の処理に向かう。

 彼の技量を考えれば、一対一ならば苦戦はしないだろう。相手は離れても鎖鎌を警戒しないといけないし、毒はかすればいいので接近しても非常に危険である。

 改めて生物にとって毒がいかに怖ろしいかを再認識する戦いであった。




(ハンベエは問題ないようだな。他の連中も…まあ、なんとかなるだろう)


 その様子をアンシュラオンが見つめていた。いつの間にかサナの隣にいる。

 ハンベエ以外の戦罪者たちも最初は苦戦していたが、だんだんとスピードにも慣れて対応ができるようになってきた。

 基本的にホワイト商会の裏スレイブは力づくのゴリ押し戦法なので、自分たちもかなりダメージを負うが、最終的には敵を倒してるという状況になるだろう。

 命気で回復できるアンシュラオンがいるからこその特攻戦術である。効果はグランハムたちとの戦いで見た通りだ。

 傷ついても傷ついても何度も向かってくるのだから、相手としてはたまったものではない。


「サナ、よかったぞ。タイミングもばっちりだった」

「…こくり」


 そして、サナを褒める。

 爆発矢は初めて使ったのでドキドキだったが、上手くやれてひと安心である。


(五秒後に爆発だしな。緊張して思わず撃ち損じたら、それだけでゲームオーバーになりかねない。だが、さすがサナだ。至って普通に発射していたな)


 サナに緊張という言葉はないのだろう。淡々と処理する機械のようだ。

 ただ、当たり前だが彼女も人間。思わず力が入ってしまうときもあれば、ミスを犯すこともある。

 さきほどの攻撃も当人は当てるつもりで放ったのだ。たまたま相手がバックして避けたため、結果的にああなったにすぎない。

 もし相手が気絶しなかったらサナに向かってきたかもしれない。そう思うと、まだまだ危なっかしいところはある。


(まあ、オレが一緒ならば問題ないな。さて、ベンケイ先生も…うん、大丈夫だな。あっちはあっちでやらせておいて、こっちはサナの教育に集中するか)


 現在、生み出したベンケイ先生はアル先生と戦っている。

 こうしてサナの面倒をみつつも遠隔操作で戦っているので、巷で流行りの「ながら戦闘」をしている状態だ。

 分身と違って分戦子の扱いには慣れており、波動円で常時動きを把握できているので問題はない。

 こうして「つまらない戦い」に付き合っているのも、サナがいるからだ。彼女の成長こそが最大の楽しみなので雑魚戦も非常に楽しめている。

 今回は爆発矢のテストを兼ねてだったが、見事期待に応えたサナに興奮を隠し切れない。


 そこで思う。


(…そういえば、久しくサナの能力を見ていなかったな。今はどんな感じになっているんだ? もっと小まめに見ないといけないんだが…数字ってのはあまり当てにならないしな)


 事実、こうして武器を上手く使えば、明らかに実力が劣るサナでも暗殺者相手に戦うことができる。

 数字だけ突出した選手が勝つとは限らない。人間は生命体である。そこには見えない何かが存在していることを忘れてはいけない。


(といっても数字は大切だ。確認しておこう)


 と、自分で思ったことを半ば全否定しつつ、サナのデータを確認してみた。




243話 「サナちゃんが凄いことになってるぅぅううう! 後編」


 アンシュラオンは情報公開を発動。

 サナを見てみる。


―――――――――――――――――――――――
名前 :サナ・パム

レベル:8/60
HP :210/210
BP :80/80

統率:F   体力:F
知力:F   精神:F
魔力:F   攻撃:F
魅力:B   防御:F
工作:F   命中:F
隠密:F   回避:F

【覚醒値】
戦士:0/3 剣士:0/3 術士:0/3

☆総合:評価外

異名:白き魔人に愛された意思無き闇の少女
種族:人間
属性:闇
異能:トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉、観察眼、天才、早熟、即死無効
―――――――――――――――――――――――


(おっ、増えてる増えてる。HPとBPが上がっているじゃないか! これは素晴らしいぞ!!)


 まず目を見張るのがHPの多さである。地味にサリータに迫る勢いなのがすごい。

 これだけあればナイフで刺された程度で行動不能にはならないだろう。下級魔獣の攻撃にも一発や二発は耐えられる。これはありがたい。

 BPの量も80ある。剣衝のような基本技で消費BPが2〜5、虎破などで10〜15といった感じなので、下位技ならば数回は楽に使える量がある。

 これもサリータに迫る数値だし、レベルが8であることを考えれば悪くない上昇率だ。


(レベルが8か。うむ、しっかりと上がっているな。そういえば、荒野に出たときに魔獣を倒したよな。ワイルダーインパスはともかく、ヤドイガニは普通の武人でも難しい相手だ。それを倒したのは大きかったかな。最近はそこそこ戦闘に参加させているし、そこで戦った相手はすべて格上だ。やっぱり強い相手と戦わせる意味は大きいな)


 グランハムのような一線級の武人とも出会わせているので、間接的ながら得た経験値はかなりのものなのだろう。

 この短期間に、これだけのレベルアップは素晴らしいことだ。

 もちろんレベルが1だったので、RPGよろしく最初は簡単に上がるものである。今までの経験でいえば、30くらいまでならばすぐに到達できる。

 討滅級魔獣を単独で撃破すれば、一気にレベル1からレベル20くらいには上がるだろう。それだけ初級の人間が得るものは大きいわけだ。

 それが50に近づく頃には、かなり上がりにくくなっていく。アンシュラオンがラーバンサーを褒めたのは、あのレベルに到達するのに尋常ならざる努力が必須だと知っていたからだ。

 とはいえ完全に一般人であったサナが、すでにレベル8というのは劇的な変化といってもいいだろう。ルアンが敵わないわけである。

 ホテルで調べたデータを思えば、ルアン戦はまったくフェアではなかったようだ。現状の戦闘力には明確な差がある。

 公正というのは完全な嘘情報であった。ルアン、涙目である。


(あの時はそんなに大差があるようには見えなかったが…まあいいか。オレからすると誤差の範囲内だ。あいつが弱いのが悪いんだ。…しかし能力値は『F』のままか。元の能力が低いせいなのかな。あまり上がりはいいとは言えないか。そこが課題だな)


 これだけレベルが上がっても能力がFのままだ。

 元の能力値がわからないので判断に困るが、仮に上昇値が『10』あれば、レベルが10上がれば『+100』になり、結果的に「E」にはなっているはずだ。

 となると、サナの各能力の上昇値が10未満である可能性が極めて高い。想定していたことではあるものの実際に見ると少しだけショックだ。

 サナには強くなってもらいたい。できれば自分に次ぐレベルにまでなってもらいたい。そういう欲求があるからこそショックなのだ。

 期待が高すぎるのが悪いのでサナはまったく悪くない。そもそも上昇値が10以上など、武人の中でも素養に優れた一部の者しか該当しない。一般人なのだからこんなものだろう。


(しょうがない。可愛い女の子なんだ。単純な能力上昇に過度な期待はやめよう。そっちは薬物や術具に任せればいいんだ。そうだよ。べつに腕力が強いだけが武人の強さじゃない。それだったらゼブ兄最強になっちゃうじゃん。あんなムキムキだって師匠にはボコられていたし、強さにはいろいろなタイプがある。うん、そうだ! サナにはサナの長所があるんだよ! そっちを少しずつ伸ばしてあげるほうがいいだろう。まだレベル上限も先だし、限界まで上げてやろう)


 これは仕方ない。人間それぞれ向き不向きがあるものだ。

 生物全般にいえるが、女性は筋力に劣る傾向にあるものだ。サナも多分に漏れず、腕力型ではなかったということだろう。

 それはいい。それは問題ない。

 ないのだが…


(…何かおかしいところがある気がする。うん、やっぱりおかしいよな。ちょっと現実を見るか)


 最初に見た時から少し違和感を感じていたので、ようやくそこに向き合うことにする。

 それを一つ一つ、これから見ていこう。



 まずは―――レベル



(サナってこんなレベル上限だったかな…? 60もあったか? あんまり覚えてないが…こんなに高くなかったような気がするぞ。20か30か、そこらへんだった気がする)


 いい加減な性格かつ常時ポジティブなので、昔のことはすっかり忘れてしまうのがアンシュラオンという男だ。

 サナを見て、「あっ、一般人だわ、これ」と思ったので、その印象だけが刷り込まれて他の情報が頭に残っていないのだ。

 あの時は自分だけの可愛い女の子が欲しかっただけなので、それ以外の要素はあまり重要ではなかったわけだ。

 ただ、さすがに60もあれば印象に残るはずなので、ここにまず違和感を覚える。



 次に―――因子



(何度見ても…これは見間違いじゃないよな)


 サナの武人の覚醒因子が―――すべて『0/3』になっている。

 見間違いかと思って何度か見直したが、どう見ても『3』である。間違いない!

 重要なことは、「すべての因子が」という点だ。


(術士因子が3ってのはセノアと同じだ。もしかしてサナの因子も3を0と見間違えたのか? …いやいや、それはないだろう。いくら適当に見ていたとはいえ気付かないはずがない。というか、この段階で相当な逸材だろう)


 3という数字はやはり素晴らしいものがある。3あれば武人としては一流のレベルに到達できる。

 しかもそれが三つの分野に渡っていれば、もはや脅威の逸材である。おそらく何か『奥義』の一つくらいは修得できるので、不意打ちでガンプドルフに致命傷を負わせることすら夢ではない。

 階級でいえば、マキやファテロナと同じ第七階級の達験級か、それを超える名崙級に到達できる可能性を宿している。

 それほどの逸材なのだ。サナと出会った時に気付かないはずがない。もしわかっていたら狂喜乱舞だったはずだ。



 次に―――スキル



(スキルもおかしい。サナにスキルは一つもなかったはずだ。スッカラカンだった記憶があるしな。まあ、持っているスキル自体はそう珍しいものではない。『天才』はゼブ兄も持っていたからいいとして、『観察眼』や『早熟』も名前通りだろう。それはいいんだ。だが、『トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉』って何だ? こんなの見たことも聞いたこともないぞ)


 まず目に入るのが、先頭に表示されている『トリオブスキュリティ〈深遠なる無限の闇〉』の文字。

 火怨山でもさまざまな魔獣のデータを見てきたが、このようなスキルに出会ったことはない。

 人間と魔獣であるから相違はあるにせよ、この雰囲気は明らかに『ユニークスキル』である。

 ユニークスキルは、必ず最初に表記されるという特徴があるのでわかりやすいのだ。


(韻としては、オレの『デルタ・ブライト〈完全なる光〉』に似ている響きだな。しかも闇となると…反対の性質ということか? いや、勝手に判断するのは危険か。危ないスキルだったら困るが…ユニークスキルにマイナスのものはないはずだ。仮に何かしらマイナスがあっても、違う箇所が劇的に向上するから結果的にはプラスになる。ううむ、もしかしたら何かしら有益なスキルなのかもしれないが…まったくわからん)


 情報公開ではスキルの詳細が表示されないので、これ以上の推測は難しい。

 今のところは、そういうスキルがあるということしかわからない。

 怖くなったので、自分のデータも見てみた。


―――――――――――――――――――――――
名前 :アンシュラオン

レベル:122/255
HP :8300/8300
BP :2230/2230

統率:F        体力: S
知力:C        精神: SSS
魔力:S        攻撃: AA
魅力:A(※SSS)  防御: SS
工作:C        命中: S
隠密:A        回避: S

※姉に対してのみ、魅了効果発動

【覚醒値】
戦士:8/10 剣士:6/10 術士:5/10

☆総合:第三階級 聖璽《せいじ》級 戦士

異名:転生災難者
種族:人間
属性:光、火、水、凍、命、王
異能:デルタ・ブライト〈完全なる光〉、女神盟約、情報公開、記憶継承、対属性修得、物理耐性、銃耐性、術耐性、即死無効、毒無効、精神耐性、扇動者、年下殺し(恋愛)、妹過保護習性、姉の愛情独り占め
―――――――――――――――――――――――


(さすがにレベルは上がっていないな。弱い相手と戦っても経験値がほとんど入らないんだろう。レベル100以降はさらに上がりにくくなるしな。異名も変わっていないし、せいぜいスキルが増えたくらいか。…って、『扇動者』かよ。人聞きが悪いな)


 言葉巧みに人々を争いと混乱に招き入れる者、すなわち『扇動者』である。

 誰が決めているのか謎だが、実に的を射ているスキル名だ。感服するしかない。

 あとは『年下殺し(恋愛)』と『妹過保護習性』が増えている。

 前者は年下に対してもそれなりの魅了効果を発揮するものであり、シャイナと長く付き合っていたせいで身についたものかもしれない。

 後者は見たままだ。サナへの対応を見ている限り、過保護以外の何物でもない。

 ユニークスキルが最初に表示されるのに対し、最後に表示されるのは基本的に「マイナススキル」なので、災難のほうが多いのだろう。ちょっと残念である。


(こうして見ると、やはりスキルは増えるものらしい。となれば、サナのスキルもレベルが上がったことによって覚えたものなのかな。あるいは何かがきっかけになった?)


 いろいろと考えてみるが、この世界で出会った人間の数はやはり少ないし、スキルに関してはデータも十分ではない。安易な結論は危険である。

 唯一間違いないのは、成長によってスキルが増える可能性があるということだ。一般人でも成長すれば、何かしら特殊なスキルを得る可能性がある。これはルアンにも朗報だ。



 最後に―――異名



(『白き魔人に愛された意思無き闇の少女』…か。白き魔人ってのはオレのことだよな? 姉ちゃんが魔人だったから、オレも同じ魔人のカテゴリーに入るのは変じゃないか。あとは『闇』が加わっているな。サナの属性にも闇属性が追加されているし…この関係かな?)


 闇はヤキチも持っている属性であり、アンシュラオンが持っている『光』同様、比較的レアなものだ。

 闇といってもファンタジーでよくあるようなダークという意味ではなく、単純に性質を示すものなので悪いものではない。

 なにせ闇を司る『闇の女神様』は、この世界で一番慈悲深い存在である。闇を崇拝しても何らおかしくはない。

 植物の種が土の闇の中で芽吹きを待つように、闇はすべてのものを優しく包むのだ。闇は女性の子宮、すなわち物質性を示すものであり、光と相まって霊に進化を促すのである。

 よって、サナの闇属性は歓迎すべきものだ。他人とは違うレアな技を覚えてくれることだろう。


(まったくわからん。なぜこうなったのか理解に苦しむ。単純なレベル上昇だけでこうなるものなのか? いやいや、そんな簡単なら苦労などない。うむ…可能性としては【命気】あたりが怪しいか。そういえばスラウキンが何か言っていたな。仙人の力を受け継ぐとかなんとか。だが、他の人間にはほとんど効果がなかったぞ。あれをどう説明する? もしそうなら患者の中に強いやつが生まれてもおかしくはないはずだ。しかし、そんな気配はない。サナだけ特別だったと言うのは簡単だが…あまりに都合がよすぎる。何かしらの要素があるはずだが…)


 可能性はいくらか考えられる。しかしながら、すべては可能性でしかない。

 わからない。まったくわからない。




 が、まずは一言。







「サナちゃんが凄いことになってるぅううううううううう!!」







 感動の雄たけびである。


 ここでようやく馬鹿兄は、溺愛する妹の異変に気付くのであった。




244話 「サナちゃんの接近戦実験をしよう 前編」


「何か知らないけど、すごいことになってるじゃないか! どういうこと!? サナちゃんが天才だってこと!? うん、そうだ! 絶対そうだよ!! すごいぞ、サナ! お前は天才だ!!!」

「…こくり」

「ひゃっほーーー! 育て甲斐のあるやつめ。すりすりすりすり! かーいいのー、かーいいのー!」

「………」


 ズリズリズリズリッ

 興奮したアンシュラオンが頬ずりするが、お互いに仮面なので金属がこすれるような音しかしない。


(よくわからんが、サナに才能が芽生えたのならば最高の展開だ。そもそもこの戦いを始めた一つの動機も、サナにいろいろなことを教えるためだ。最初は感情面ばかりを考えていたが、こうなれば話は違う。もっともっと積極的に戦闘に参加させて才能を引き出してやろう。くくく、戦士の覚醒限界も3あるしな。どんな技を教えようかなー。オレと一緒に『ダブル雷神掌!』とかやったら格好いいだろうなぁ〜!)


 3もあれば、一般的な覇王技はたいてい覚えられる。アンシュラオンがよく使う雷神掌や風神掌も覚えることが可能だ。

 これはまさに「サナ、あれをやるぞ!」「うん、お兄ちゃん! ダブルゥーーー」「ライトニングフィンガー!」とかいう合体技が可能なのではないだろうか。

 一人の敵に二人がかりで攻撃する卑劣な技だが、愛の前ではすべてが正当化される。「愛のラブラブダブル雷神掌!」なども候補に挙がる。

 これは実に素晴らしい。ぜひやりたい。そんな願望が実現するとあれば、俄然やる気が湧いてくる。

 一瞬、討滅級魔獣を倒させて一気にレベルアップを〜などと考えたが、慌てて思いとどまる。


(待て待て待て。焦っちゃいかん。期待で胸がバクバクしてるが、焦ってサナを壊したら元も子もない。時間をかけてゆっくりと育てよう。成長率を見ても肉体能力はさほど高くない可能性があるから、やっぱり武器を使った戦いが得意なのかな? それはそれで合体攻撃に支障はないよな)


 あくまで合体攻撃にこだわる兄。まだ「オレたちの下半身を合体させて〜」とか言い出さないから、頭はまともだ。


(因子の限界が上がったとしても、今はまだ『0』だ。0と言ったら0だ。この段階では一般人と変わりない。ならば、やることは一つだ。強い敵と戦わせて因子を覚醒させてやればいい。ただし、あくまでサナに見合う相手だ。サナよりも少しだけ強い相手と戦わせるのが無難だろう。そうだな…何かないか…)


 サナは大切な妹なので、じっくり育てると決めたはずだ。ここは慎重に事を進めたい。

 何か手頃な相手はいないかと思い、周囲を見回したその時である。

 
 さきほど爆発で吹っ飛ばされて昏倒していた狐面が、むくりと立ち上がった。


 頭を振りながら意識を覚醒させ、再び戦線に復帰しようとしている。

 それを見て、アンシュラオンがニヤリと笑った。


「おー、おー、いい実験台がいるじゃないか。あの程度の雑魚ならちょうどいいかもしれんな。これはぜひとも捕獲しよう」


 今回の標的に選ばれたのは、自分たちを襲ってきた馬鹿な連中の一人。彼らは雇われただけなので責任はさほどないが、こちらにたてついた以上、実験台にしても何ら問題はないだろう。

 そもそもサナのためならば誰であっても犠牲にするので、結局のところ誰でもいいのだが。


 アンシュラオンが一瞬で間合いを詰め、狐面の背後に出現すると、軽く手刀を放つ。

 ズバッ ゴトッ


 鋭く放たれた一撃によって―――腕が落ちる。


 狐面の肩口から右腕が切り離され、地面に落ちた。

 ブシャーー

 それと同時に切り口から血液が大量に迸る。


「っ!!」


 突然腕を失い、驚いた狐面が自分の肩口を見る。

 気付いたら腕がなくなっているというのは、実に猟奇的で嫌なものだ。まさに悪夢でしかない。

 が、悪夢はこれから始まるのだ。

 すでにアンシュラオンが狐面の首を背後から掴んでおり、身動きが取れなくなっていた。完全に硬直する。


「よしよし、捕獲完了だ。ふむ、利き腕は落としたが…一応本職の暗殺者だしな。さすがにまだサナには厳しいか。じゃあ、もう一ついっておくか」


 さきほどの戦いで右腕が利き腕なのはわかっていたので、それを取り除く。

 だが、それだけではまだ足りない可能性があるため、今度は左足に手刀の一撃。

 ズバッ ブシャッーー

 左足の太ももから大量出血。ただし、切断まではしない。あまり弱体化しすぎても実験台にはならないからだ。

 狐面は必死に筋肉を操作して傷を塞ごうとするが、アンシュラオンが傷口周辺を凍結させているので一向に塞がらない。

 残念なことに腕も一本になっている。押さえられるのは、右肩か左足の一箇所。しかも今は身体が動かないので結局どうしようもなく、ボタボタと血が流れ続けるのを見つめるしかない。

 さすがの暗殺者も、これにはパニックに陥る。


「っ! っ!!」

「いいか、よく聞け。これからあの子供と戦え。制限時間は、お前が死ぬまでだ。その出血では長くはもたないぞ。全力で戦えよ」


 そう言って狐面をサナに向かって放り投げると同時に、周囲に戦気壁を展開させる。

 戦気壁はドーム状に広がり、二人を外界から隔離する空間が生まれた。これで一対一の環境が整ったわけだ。


(本当は周囲の環境を利用した戦いをさせたいが、逃げ場があると相手の気が削がれる可能性がある。まずはこれで様子を見よう)


 武人の本領は「あらゆるものを使って勝つ」ことにある。

 武器や道具にとどまらず周囲の環境も存分に利用すべきだ。木一つだって立派な盾にもなる。それを生かしてこその戦いだ。

 だが、まずはサナの基本性能を再確認したい。すべてはそれからである。


「サナ、そいつを殺せ。ただし、今回は接近戦を主軸にすること。できるだけ近い距離を意識して戦ってみろ。やり方に制限は設けない。自分でやりたいようにやってみればいい」

「…こくり」


 サナはモズから奪った双剣、『蛇双ニビルヘイス』を取り出して装備。彼女が装備すると普通の長剣を二本持っているように映る。

 鑑定してみた結果、この双剣には『切れ味強化』の術式がかかっていた。通常の半分の力で十分斬れるので、腕力の弱いサナには向いている武器だ。

 特に装備制限などはなく、普通に扱えるようだったのでそのまま渡してある。


(サナは剣士タイプの可能性がある。剣を持たせるのは悪い選択ではないだろう。あとは剣士の中でどのタイプかだな。盾を使うタイプなのか剣だけで立ち回るタイプなのか、あるいは格闘もいけるタイプなのか、そのあたりも見極めたいところだ)


 剣士にもそれぞれ特徴があり、剣だけを自在に操って戦う軽装タイプと、剣と盾を使う準装タイプ、重装で大型武器を振り回すタイプなどがいる。

 中には戦士ではないかと疑うほど格闘戦が得意な者もいる。「戦士型剣士」と呼ばれる存在だが、そういった者は戦士の覚醒レベルも高いので、サナにもその可能性は残っている。

 どれもそれぞれ長短があり、どれが強いというものはない。その見極めも重要である。


「ふー、ふー! っ!!」


 バシュッ

 様子をうかがっていた狐面が戦気壁に触れた瞬間、足先が消失。自らの行動でいきなりダメージを負うという失態を犯す。


「逃げようとしても無駄だ。お前程度では抜けられない。放っておけば失血死するし、どのみち戦う以外に生き残る道はないぞ」

「………」


 くるり

 戦気に触れたことでアンシュラオンの実力を理解したのか、狐面はサナに向き合った。

 伊達に暗殺者などやっていない。もうこちらに勝てないことはわかっただろう。

 それでも死ぬ瞬間まで戦い続けるのが武人である。目の前に敵がいるのならば戦うしかない。

 黙っていても死ぬのならば、最期まで戦い続けるだろう。その意味では実験台に最適だ。


 これで準備は整った。


(今回のテーマは、サナの身体能力の測定だ。遠距離武器を使っての戦いはずっと見てきたからな。だいたいのことはわかった。今度は接近戦での戦いが見たいな。ルアンのような素人ではなく、強い相手に何ができるかが見たい)


 サナには身の安全のために遠距離から相手を攻撃する術を教えてきた。それは見事成功し、それなりの成果を挙げている。

 さきほどのように術具を上手く扱えば、武人相手でも対応は可能だろう。

 だがしかし、武器が尽きればどうなるのか? 道具がなければどうなるのか?

 いつだって準備万端で戦えるわけではない。スナイパーライフルで狙撃ばかりできれば一番だろうが、いきなり敵の伏兵に襲われて格闘戦になることもある。

 そういった場合に対応できないと死ぬしかない。今さっき『過保護』スキルを見たこともあり、このままではいけないとも思ったわけだ。


(剣士や術士はともかく、戦士の因子レベルを上げるには痛めつけるしかない。極限まで身体を酷使して戦い続けるしかないんだ。サナが傷つけられるところを見るのはつらいが、これも修行だ。我慢しよう)


 サリータにも教えたように、武人が強くなるにはひたすら死地に赴くしかない。そこで限界を超えて生き延びてこそ成長が見込める。

 今のアンシュラオンのように弱い敵とばかり戦っても、一ミリたりとも成長は見込めない。常に強い相手と戦ってこそ価値がある。


 幸いなことに、ここはサナにとって最高の【餌場】である。


 彼女より地力に勝る相手は山ほどいる。こうやって襲いかかってくる連中と戦っていれば、対人戦闘の経験もたくさん積めるのだ。

 その最初の相手が、あの狐面である。

 一応データを確認してみる。


―――――――――――――――――――――――
名前 :黒狐《くろこ》N6

レベル:29/40
HP :110/420
BP :75/130

統率:D   体力: E
知力:E   精神: E
魔力:E   攻撃: E
魅力:F   防御: F
工作:D   命中: D
隠密:D   回避: D

【覚醒値】
戦士:0/0 剣士:1/1 術士:0/0

☆総合:第九階級 中鳴級 暗殺者

異名:黒狐面の暗殺者
種族:人間
属性:
異能:集団行動、暗殺、低級投擲術、毒耐性、即死耐性
―――――――――――――――――――――――


(取り立てて強いというわけではない。一般的な暗殺者タイプの性能だな。ファテロナさんが上忍だとすれば、こいつはそこらに出てくる下忍ってところか。ただ、サナにしてみれば強敵になる。普通にやれば勝てる相手ではない。傷を負わせたことでどれだけ弱ったかが鍵だな)


 アンシュラオンからすれば雑魚だが、サナからすれば強い相手だ。

 その相手にサナがどれだけやれるかが見物である。




 最初に動いたのは―――サナ。


 腰から術符を取り出し、発動。

 風鎌牙が前方の大地に叩きつけられ、吹き飛ばされた土やら砂やらが周囲に舞った。一瞬で視界が塞がれる。

 いまだ状況が呑み込めていない狐面にとって、この目隠しはかなり有効である。それに乗じて襲いかかる算段だろう。

 実はこれ、狐面がさきほどハンベエに対してやった行動である。それを丸パクリしたのだ。


(良いものはすぐに真似をする。これも一つの才能だな。サナが持っている『観察眼』スキルも影響していそうだ)


 彼女の資質の中に『真似』というものがある。

 某ゲームでも『真似る』というスキルは強力だったので、それがそのまま使えるのならば有効な技になるだろう。


(やはりサナは頭がいい。ルアンのように感情だけで飛びかかったりしないからな。相手が手負いであっても油断はしないか。…だが、今回は相手が違う。今までのような一般人ではないぞ)


 アンシュラオンの目には、サナが回り込んで狐面を攻撃しようとしている姿が見えていた。

 常人ではまったく見えない砂埃の中でも、武人ならば見ることができる。

 狐面の男もお面を被っているくらいだ。目潰しという意味での効果はほとんどないし、常にそうしていると考えると視覚だけに頼っていないことがうかがえる。

 そして直後、アンシュラオンの見立てが正しいことが立証される。

 サナが蛇双を構えて低い体勢から斬りかかろうとした瞬間、狐面が向きを変え、完全にサナを補足した。


(波動円じゃないな。…『聴力』か)


 狐面は波動円を使っていないようだ。波動円を使えば理論的には全方位をカバーできるが、けっして万能ではない。

 周囲に展開するのが苦手な武人もいるし、薄く伸ばして広げるだけで力を消費してしまう。感知が遅ければ、逆にもたついて危なくなる場面だってあるだろう。

 波動円を使い続けることにはデメリットもあり、割り切って戦闘中は切る武人もいる。敵に援軍がいないことさえ確定すれば、それでも問題はない。それ以上に強ければいいのだ。

 暗殺者や忍者の中には耳が良い武人も多い。この男もその一人であり、サナの動きはすべて音によって察知していた。


 狐面は左手で小剣を抜いて迎撃。やや大振りに振り抜く。

 サナはその場で立ち止まり、防御。左手の蛇双を盾にする。

 この蛇双ニビルヘイスという双剣は、柄のほかにもう一つ取っ手が付いており、トンファーのように腕に沿って構えることができるようになっている。

 サナはあらかじめ左手の剣を逆手に構えていたので、咄嗟に防御用として活用することにした。

 小剣を左手の蛇双でガード。ガキィイインッという音を立てて火花が散る。

 上手く防御したように見えたが、ここで【二つの差】が生じる。


 まず、負傷しているとはいえ相手が成人男性であったこと。


 体格はすらっとした長身だが、大人として平均的な筋量はあるだろう。データを見ても、少なくともサナよりは腕力がある。


 さらにそこに―――戦気が加わる。


 アンシュラオンがサリータに説いていたように、戦気の有る無しは武人にとって生命線だ。身にまとうだけで攻防能力が劇的に向上する。


 よって―――弾かれる。


 ガキィンッ


 サナの腕が大きく上に跳ね上がった。なんとか踏ん張って剣は離さなかったが、左腹ががら空きである。

 そこにすかさず蹴りが放たれる。

 ドガッ

 がら空きの左腹に蹴りをくらい、サナが吹っ飛ぶ。

 そのまま地面に倒れるが、飛ばされた勢いを利用して転がりながら立ち上がった。


「………」


 サナに痛がるそぶりはない。黙って蛇双を構えている。

 が、その動きにわずかながらの鈍さが見受けられた。左腕を上げる速度が、右腕よりも若干重い。


(相手は本職の武人だ。やはりこうなったか)


 戦気を扱えない人間がなぜ不利なのかが、これで実証された。

 同じ攻撃でもまったく質が違う。軽い一発が致命傷にもなりえるのだ。

 さらにルアンに教えた「小柄な人間は小回りで勝負しろ」というやり方も、相手が暗殺者タイプだと少々厳しくなる。


 狐面は強い。


 サナにとっては、実に有意義なテストになりそうだ。




245話 「サナちゃんの接近戦実験をしよう 後編」


(サナは攻撃を受けても痛がらないな。普段からあまり自己表現をしない子だが…もしかして痛覚がないのか? いやいや、さすがにそれはないだろう。単純に痛みを痛みとして認識していないのかもしれないな)


 常人には必ず痛みが付きまとう。これが一番厄介で、痛いからこそ身動きが取れなくなってしまうことが多い。

 逆に痛覚さえ消せれば、人間は怪我を負ってもある程度まで行動することができる。痛みがなければ楽なのに、と思った人は大勢いるだろう。

 しかし、生まれつき痛覚がない子供などは骨折したことにも気付かず、成人するまでに何十回も足を折ったりして足自体が変形してしまうことがある。

 当人も知らない間に骨折するのだから仕方ないのだが、痛覚にはそれなりの意味があるということだ。意味があるからこそ人間に与えられている。

 サナがどうなっているのか実際はわからないが、痛覚がないとは思えない。単に【表現の仕方がわからない】のだろう。


(折れてはいないだろうが最低でも重度の打撲。ヒビくらいは入ったかもしれない。弱った相手でなければ危なかったな)


 相手は全力ではない。

 アンシュラオンに太ももを斬られているため、蹴った左足からは大きな出血が見られ、サナの服にも血痕が残っているくらいだ。

 半分くらいの力で押すように蹴った、というのが実情だろう。本気で殺すための一撃ではないのが幸いした。

 さらに軸足のつま先と右腕もなくなったために動き自体が悪い。そのわずかな狂いによって攻撃の瞬間にズレが発生し、衝撃が少しだけ逸れたのだ。

 こうした幾多の幸運が加わり、なんとか耐えることができた。現状ではこれだけの差が両者にあるということだ。



「ふー、ふー」


 この一回の交戦の直後、狐面が発していた戦気が減少する。

 まったくなくなったわけではないものの量的には半分以下になった。これは弱ったのではなく【回復】に専念するためだ。


(サナが弱いと知って生体磁気の大半を回復に回したな。それでも十分勝てると踏んだのだろう。ごくごく当然の判断だ)


 大きなダメージを負っている狐面は、このままだと時間経過だけで死んでしまう。出血が止められないので、どんどん血を失うことになるからだ。

 武人にとって血は重要だ。因子の情報は血液に刻まれているので、因子の覚醒とは血の覚醒と言い換えてもいいくらいである。

 そのためよほどの生命の危機以外は、武人同士の輸血は禁止されている。迂闊に他人の血を入れるとショック死する可能性があるからだ。

 となれば、失った分は新しく生み出して補うしかない。今の狐面は必死に体内で血液を生産している状態である。それによって戦気が半減しているわけだ。


 その代わりに一度小剣をしまうと、今度は手裏剣を取り出した。


 接近戦をしろと言われたのはサナだけである。彼にとってはそんな縛りはどうでもいいこと。相手を倒すためにあらゆることをするだけだ。

 狐面が手裏剣を投げる。

 利き腕を失ったが『低級投擲術』を持っているくらいだ。投げるのはお手の物である。

 シュンシュンッ

 手裏剣は見事にサナに向かっていく。


 サナは横にかわして回避。手裏剣は後方に逸れていく。


 しかし―――曲がる。


 急速に減速して落下した手裏剣は、サナの背後の土に突き刺さり―――爆発。

 細かい土石が舞い、サナの背中に激突。爆発の勢いと撒き散らされた土によって動きが制限される。


(遠隔操作ではない。ただの回転。カーブだな。最初からドライブ回転をかけていたんだ)


 これは単なるカーブ。変化球である。

 よけられてもいいように最初から回転をかけていたのだ。手裏剣には爆弾が仕掛けられているので、こうした使い方もある。

 最初にサナがやったもののお返しであり、もっと上手い使い方だ。ちょっとした意趣返しかもしれない。

 余裕があれば回転を見切り、相手の行動を読むこともできるが、今のサナでは回避だけで精一杯。回転を見るほどの余力はなかった。


 それからも狐面は、手裏剣を投げ続ける。

 シュシュッ ボンボンッ

 サナは必死に手裏剣をよける。かわす、かわす、かわす。

 投擲攻撃をよけるのは、なかなか難しいし怖いものだ。それを実践できているだけでも素晴らしい。

 ただし、これはあまり良い傾向ではない。


(サナ、気をつけろ。間合いを測られているぞ。武人同士の戦いでは常に相手の間合いを測りながら戦うんだ。そのままだと危ないからな)


 戦闘中は相手の動き、スピード、技量、パワー、あらゆるものを測りながら戦うのがセオリーだ。

 一発で倒せればそれに越したことはないが、実力が拮抗しているとそうはいかない。下手をすると三日三晩戦い続けるという長い戦いになることもある。

 しかし、すでに多大なダメージを負っている狐面には余力がない。放っておけば死ぬので、どうしても短期決戦を挑むしかない。これはそのための準備行動である。


 そして、データを取り終え―――狐面が駆ける。


 その動きは本来の速度に近い素早いものだった。

 行動の大半を回復に割いた甲斐があり、わずかな時間だけでも本気で動けるようにしてきたのだ。

 ボクサーが最後の力を振り絞って、最終ラウンドに全力ラッシュを仕掛けるのと同じである。

 走りながら、片手で器用に手裏剣を三つ投げる。

 シュンシュンッ ボンボンボンッ

 サナは下がって回避。手裏剣自体は当たらなかったのでダメージはない。

 しかしながら、これは相手を攻撃するためのものではない。動きを制限するためのものだ。


 回避するだけで精一杯で、バランスが崩れたサナに突進。


 直線と曲線が交ざった複雑な動きで接近すると、小剣を抜いて切りかかる。

 サナはガードの姿勢。

 さきほどの一撃の威力を見たせいだろう。双剣を完全に防御に回して両手でガードをする。

 刃が激突。


 ガキン ガキンッ!


 金属が激突する音が響く。

 戦気があるので威力は狐面のほうが上。攻撃が当たるたびにサナの身体が浮き上がる。

 そのたびに少しずつ後退を余儀なくされ、じりじりと下がっていくことになる。


(これくらいのラッシュでも押されるとなると、サナの身体能力は高いとはいえないな。やはり数値通りといったところか。まあ、これでも粘っているほうかな。きっと『天才』スキルが影響しているのだろう)


 『天才』スキルは自分より強い相手と対した際、全能力値が二割増しになるという強力なスキルだ。

 仮に現状のサナの能力値が90だとしても、二割増しの108になれば能力的には「F」から「E]になる。もし1000ならば1200になるので、これは大きな違いだ。

 そのスキルがあってもサナのほうが劣勢である。ルアン相手に見せた体術がまったく出せていない。

 これは単純に狐面のほうが強いのだ。暗殺稼業をするくらいである。戦闘経験値もそれなりに高いのだろうし、最低限の技量もある。

 残念ではあるが、現状ではすべての面で狐面が上回っているとしかいいようがない。


(まだ戦気が使えないのだから仕方ない。使えれば互角にはなっていたかな? 本格的な対人戦闘も初めてに近いし、そのあたりも差し引かないといけないな。うーむ、圧勝するのは無理だな。辛勝でもいいから倒してほしいが…どうだろうな)


 心情的にはサナに勝ってもらいたいが、現状では予想は難しい。

 因子が覚醒していない状態では形勢逆転の技も出せないので、ますます難しくなる。

 と、アンシュラオンが少し落胆した時である。


 サナが蛇双を持ち直し―――回転した。


 ズバッズバッ

 虚を突かれたのだろう。不意のカウンターに狐面の胸元に傷が生まれた。ほんのわずかだが出血も見られる。

 それからもサナは相手の攻撃に対して、絶妙な間合いでカウンターを入れていく。

 かすり傷程度だが、少しずつ相手を削りながら後退するスタイルで応戦していた。


 これは―――モズの戦い方。


 ヤキチと戦っていた蛇双の元の持ち主。彼が得意としたのは小刻みなカウンター戦術である。

 それをサナがコピーするかのように完璧に再現したのだ。

 モズの実力は、おそらく狐面よりも上。そんな彼が編み出した技は蛇双との相性も良く、ぴったりとはまる。

 それによって少しだけサナが挽回を始めた。


(おっ、あの動きは、あの時のゴーグル男のものか。いや、驚いたな。真似というより、まんま【コピー】だ。ルアンの時もそうだったし、間違いなくサナの才能の一つだな)


 真似すら超えた相手の技をコピーする技術。

 因子レベルがないので技までは真似できないが、単なる戦技、テクニック、動きならば完コピが可能なようだ。

 驚くべきことは、サナは練習したわけではなく、一度見ただけでそれができるということ。

 これはれっきとした才覚。見て覚える能力が極めて高いことを示している。


(教えたらそのまま覚えるってことだ。これは素晴らしいな。技の習得にはもってこいの才能だ。…天才や! サナちゃんはマジもんの天才やで!!!)


 技を習得するまで数多くの反復を要するものだ。この点に関しては武人も常人と大差ない。

 決められた型や戦気の形状変化を完璧にこなさないと技が発動しないこともある。もしコピーできるのならば、これほど楽なものはないだろう。

 教える側も、教えれば教えるだけ覚えるのだから面白いに違いない。

 しかし、コピーというものには一つだけ弱点があった。

 スカスカッ


 サナの攻撃が―――空振り。


 いい感じで応戦していたのだが、回転攻撃を放った時にうっかり空振りをしてしまった。

 相手がよけたといえばそうであるが、これはまさかのミステイクである。


(サナちゃんの腕が短かったーーーー!!)


 そう、モズの技はモズの体格や能力に応じて編み出されたものである。

 それをサナが真似すれば、どうしても誤差や差異が生まれてしまう。体格そのものが違うので、わずかに剣が届かなかったのだ。

 これが完コピの最大の弱点である。威力にも違いが生まれるので期待した通りの結果にはならない。

 サナにはまだ自分流に改良することはできないようだ。そのために時間を割いて努力することを知らない。


「…? っ!!」


 空振りをしたサナに対して一番びっくりしたのが狐面だろう。

 だが、気を取り直して反撃の一発。鋭い一撃がサナを襲う。


 サナはガード―――するも弾かれる。


 そこにさらに追撃。

 サナは避けるが、連撃が―――顔面にヒット。

 ブーンッ バキィインッ

 激しい衝撃を頭に受けてサナが吹っ飛び、そのまま地面に叩きつけられた。

 すごい音がしたのでサナを見ると、仮面に大きな亀裂が入っている。


 バリンッ ボロボロッ


 仮面が割れて、剥がれていく。

 元は鎧の兜なので防御力は高く、成人男性が鉄のハンマーを思いきり振っても、凹みはすれど割れはしない。

 それがバキバキに壊される一撃だ。どれだけの威力があったかはすぐにわかる。


 狐面は追撃。倒れているサナに対して、一気にトドメを刺しに来た。覆い被さるように小剣を突き立てる。

 ガキィッ ザクッ

 サナは必死に回避。仮面を上手く剣に当てて逸らした。が、それによって仮面が大きく抉れ、サナの愛らしい顔が露わになった。

 その額には血が滲んでいる。
 
 ドロリ

 額から顎へと、浅黒く美しい肌の上を赤い筋が伝う。

 脳震盪も起こしているのか、目も少しだけ泳いでいた。焦点が定まっていない。これは最大のチャンスだ。相手が逃すはずがない。

 そして、狐面がさらに攻撃を加えようとした瞬間―――



―――ゾワッ



「っ!?!?」


 狐面が、一瞬凍りついたように動きを止めた。

 止まったのは彼だけではない。この場にいたすべての人間、残りの狐面やハンベエ、戦罪者すら動きを止めていた。

 その全員から脂汗が滲む。まるでギロチンにかけられた死刑囚のように、その場にいた誰もが死を覚悟したほどだ。


 その根源は―――アンシュラオン。


 サナの血を見たアンシュラオンが、怒りを抑えきれずに殺気を放出してしまったのだ。

 その殺気は凄まじく、受ける者の心臓にざっくり突き刺さり身動きを封じる。これぞ魔人の怒り。殺気。触れてはいけないもの。

 彼の所有物に手を出した人間が等しく受ける残酷な罰である。


(…ふぅうう。おっと、危ない危ない。思わず殺したくなってしまった。これは鍛練だからいいんだ。我慢だ、我慢。だが、あの野郎…オレのサナに傷を付けやがって…八つ裂きにしても物足りないな。いやいや、違う。我慢しろって。ふぅううう、深呼吸だ)


 スーーーーハーーーー

 アンシュラオンの呼吸とともに殺気が収まり、ようやく全員が金縛りから解放される。

 自分で仕掛けた鍛練でキレるというご法度を侵すあたり、さすが独占欲が強い男である。

 そして、この一瞬の隙がサナにチャンスを与える。

 サナは這いずって立ち上がり仮面を脱ぐと、それを狐面に被せた。


 ガポッ ぐるん


 仮面を回転させて裏側で視界を完全に塞ぐ。

 狐面は視覚だけに頼っているわけではないので効果はないように思えるが、この仮面を被せたことで聴力を少しばかり抑える効果がもたらされた。

 サナはまったく意図していないものだったが、こうした幸運もまた生き残るためには必要な要素だ。


「っ!!」


 攻撃されるのならばいざ知らず、謎の行動をされたので狐面は一瞬パニックに陥る。

 アンシュラオンの殺気を受けたことで頭が真っ白になっていたことも災いし、二秒という致命的な時間をサナに与えてしまう。


 その間に―――切り裂く。


 ブシャッ

 狐面が武器を持っている左手首を切り裂く。切断まではいかなかったが、小剣を持つ手から握力が低下する。

 続いて唯一無事だった右足に蛇双を突き刺した。

 ブシャッーーー

 戦気で防御されていたが、サナが全体重をかけたことによって、彼女の腕力でも右足に深く突き刺すことができた。

 これによって狐面は軸足を失い、立つことができなくなる。

 ただ、狐面もただではやられない。右足の筋肉を凝縮させて蛇双を抜けなくさせる。相手の武器を封じるつもりだろう。

 蛇双を失ったサナは、すかさず狐面の首元に蹴りを放つ。迷いない蹴りが襲いかかる。

 狐面はその音を聴覚で捉えていたものの、腕を切られ、足も刺されている状態では完全に回避できない。

 さらに仮面を被せられたことで、上手く首をカバーできず―――ヒット。


 メキィイイッ


「ごぶっ…」


 渾身の蹴りが喉に突き刺さり、思わず狐面が悶絶する。

 肉体操作で痛みを消していても、身体の違和感は消すことができない。呼吸が止まれば練気もできなくなる。

 このあたりもラーバンサー戦を彷彿とさせる。サナは常にアンシュラオンの戦いを見ているのだ。その経験が生きる。


 こうなれば、あとは一方的。


 サナは相手から小剣を奪うと右胸に突き刺した。

 本当は心臓を狙いたいが、右腕のない安全な右側から攻めたのだ。このあたりも慎重である。

 小剣は刺さったままにしておき、次はポケット倉庫からメイスを取り出す。

 サイズとしては一メートル程度の、いわゆる棍棒に近い形状をしている。

 これも警備商隊が持っていた術具の一つで、『軽量化』『反動軽減』『硬質化』などの術式がかけられているため、子供のサナでも思いきり振り回すことができる。


 それを―――フルスイング。


 バッゴーーーーンッ


 まったく躊躇なく、全力のフルスイングで仮面ごと狐面の顔面を叩く。


 バッゴンッ バッゴンッ バッゴンッ

 バッゴンッ バッゴンッ バッゴンッ

 バッゴンッ バッゴンッ バッゴンッ


 仮面の形が変わり、ボロボロと破壊されていってもお構いなしに攻撃を続ける。

 相手が倒れてもやめない。執拗に頭を狙ってメイスを振り続ける。

 アンシュラオンに言われた通り、心臓と脳を潰そうとしているのだ。迂闊に心臓を狙うより、こうして無防備な頭を狙ったほうが安全という判断からだろう。


 バッゴンッ バッゴンッ バッゴンッ

 バッゴンッ バッゴンッ バッゴンッ

 バッゴンッ バッゴンッ バッゴンッ


 その攻撃がどれくらい続いただろう。

 五十回くらい殴ったあとにアンシュラオンが止める。


「サナ、もう死んでいる。お前の勝ちだ」


 割れた仮面の中からは血が流れ出ている。その身体に力はまったく入っていない。


 狐面は、すでに事切れていた。


 サナの勝利である。




246話 「サナの震え」


「ふーーー、ふーーー!」


 荒い息を吐きながらサナがメイスを下ろす。

 狐面が動くことはない。彼女が殺したからだ。もう安心していいだろう。

 しかし、ぎゅっと握り締めて、まだ離そうとしない。力が入ったままだ。

 彼女にとっても厳しい戦いだったのだろう。汗を掻いた顔は紅潮して真っ赤で、荒い呼吸もそのまま。いまだ軽い興奮状態にあることがわかる。

 アンシュラオンは、無駄に刺激をしないようにゆっくりと近づくと、激闘を終えた彼女を労わるように優しく肩に触れた。


「サナ、大変だったか?」

「ふーふー、…こくり」

「強かったか?」

「ふーふー、…こくり」

「そうか。…もう終わったぞ。武器を放して大丈夫だ」

「…こくり、ふーふー」


 サナは頷くが、メイスは握られたままだ。

 自分では放そうとしているのに指が上手く動かないのだ。

 『反動軽減』仕様とはいえ、少女が大人の武人を殴り殺すにはかなりの衝撃があったはずだ。強く握り締めすぎていたため痺れて動かないのだろう。


「大丈夫だ。お兄ちゃんが取ってあげるな」


 アンシュラオンはメイスを掴み、サナの指を一本一本剥がしてやる。

 その指は少しばかり強張っていて力が残っていたが、それ以上傷つかないように優しくどけてやる。

 するりとメイスは抜ける。


 ブルブル ブルブル


 だが、サナの手はまだ震えていた。


「サナ、怖いのか?」

「…ふるふる」

「手が痛いのか?」

「…ふるふる」


(罪悪感で震えているわけではないようだ。怖いという感情もない。だが、身体は緊張状態のままか)


 彼女には人を殺す罪悪感は存在しない。武者震いという感情さえもない。

 情報公開で見た通り、彼女はまだ『意思無き少女』のままなのだ。悪く言えば、アンシュラオンの命令を素直に聞く人形だ。

 言われた通りに動き、教えたようにやる。クロスボウの扱い方もそうやって学んだし、何人か殺したこともある。

 今しがたの戦いも自分の教えを忠実に守っていた。慎重に安全に効果的に相手を倒そうとした。

 ただこれも、彼女が殺したくて殺したわけではないことも事実だ。言われたからそうした。それだけのことだろう。


(人形…か。イタ嬢にも言われたな。だが、オレはサナを一人の人間として立派に育ててやる。それがサナとの契約だからな)


「ほら、お兄ちゃんを握っていな。ここならいくら握っても大丈夫だぞ」


 サナの震える手を自分の胸に持ってくると―――ぎゅっと掴む。


 ぎゅっ、ぎゅうぅううう


 まるで武器を握るかのように思いきり全力で握ってきた。白いスーツがしわくちゃになる。


「ふー、ふー、ふーーー」


 それでもサナの興奮はまだ収まらない。

 今まで安全な場所から殺してきた者が、今度は命の危険がある接近戦で戦ったのだ。それも自分よりも強い相手に。

 ならば、これは当然。

 当人が自覚していなくても身体は命の危険を感じて強張っているのだ。それを彼女が認識していないだけである。

 もしこれが普通の人間ならば、へたり込んで泣いたり叫んだり、何かしらの大きなアクションをするところだが、彼女の場合はそれができない。


(ああ、サナ。かわいそうに…こんなに怯えて。だが、お前はまだ怯えるということを知らない。それが震えだということも知らないんだ。そんな体験をさせてあげるためにオレがいるんだよ)


 彼女の目元が光っている。涙がうっすらと滲んでいる。

 しかしこれは、身体が興奮状態で開きっぱなしの目を乾燥させないためであり、目に入った土を体外に流し出すための『反射反応』にすぎない。


 それは『人間としての涙』ではないのだ。


 本当ならば、サナには幸せだけを味わってほしい。何不自由なく過ごしてほしい。

 誰もが愛する者にそう願ってやまないだろう。

 だが、幸せとは苦労しないことではないし、何も感じないことではない。

 寒さの中に凍えること、熱さの中に焼かれること、痛みの中に悶えること。人間が嫌がるものすべての中に幸せが宿っている。

 なぜならば何も感じないということは、何も知らない『人形』のままだからだ。


 それよりは―――痛いほうがいい。


 まだ痛みに悶えて苦しむほうが人間らしい。

 そもそもそこまでして人間になる意味があるのか、という疑問も生まれるが、人間の霊が生まれた瞬間から進化を義務付けられている。

 どうせ進化するしかないのならば、彼女の人生を自分の手で導いてやりたい。それがアンシュラオンの願いである。

 そこに彼女の本当の幸せがあるような気がするからだ。


「サナ、世界はお前の知らないことで満ちている。お兄ちゃんだって知らないこともいっぱいある。それを知りたいと願うか? だが、知るということは楽しいことばかりではないんだ。苦しいこともあるし、知らなかったほうが良いと思えることもある。人間としての感情が高まれば高まるほど、それは苦痛になっていくものだ。それでも知りたいか?」

「…ふー、ふー、ぎゅっ」


 サナは答えない。ただ握るだけ。

 だが、彼女には握るだけの力がある。それは生きている証だ。

 生を与えられた以上、彼女には死ぬまで生きる義務がある。少なくとも地上で生をまっとうする責務がある。意思があろうとなかろうと、それだけは変わらない事実だ。

 ただ、その中で生きていくためには多くを知らねばならない。そして、強くあらねばならない。

 痛みを受けても、さらに前に進まねばならない。


「世の中は残酷で汚くて愚かなもので埋まっている。埋め尽くされている。そこで生きるってことは大変なことだ。何かを知るためには、まずは生き延びねばならない。そのために戦うんだ。戦い続けるしかない。サナが幸せになるためには、まずは強くあらねばならない。それはわかるか?」

「…こくり」

「弱い者がどうなるかを見てきただろう? サナにはそうなってほしくないんだ。サナのことが大好きだから幸せになってほしいんだ。この戦いも幸せを得るための手段なんだ。これもわかってくれるか?」

「…こくり」

「…サナを戦わせたお兄ちゃんを許してくれるか? お前に痛みを与えたオレを許してくれるか?」

「…こくり、ぎゅっ」

「そうか。ありがとう、サナ。それがまだ本当の意思じゃなくてもオレは嬉しいよ。大丈夫。オレが守るから。どんなつらい状況でもサナがサナらしく生きられるような場所を作るからな。そして、お前を強くするから。信じてくれ」


 ぎゅぅうう

 サナを少しだけ強く抱きしめる。

 愛しい気持ちを込めて、優しく優しく、それでいて愛が抑えられないように強く。


「ふーー、ふーー……ふぅ…ふぅ…」


 そうするとサナの呼吸が安定してきた。

 安心したのかもしれないし、単に時間経過で心拍数が戻っただけかもしれない。

 ただ、手だけはずっとそのまま。ぎゅっと握られたままだ。それが嬉しくて、何度もサナを抱きしめる。


 すりすり すりすり


「あっ…」

「…すりすり」

「サナ…?」


 ここで思わぬことが起こった。


 サナが―――自分から頭をすり寄せてきた。


 すりすり すりすり

 アンシュラオンの胸元にサナが頭をすり寄せている。まるで親を求める小動物の子供のように。

 思えば、サナが自分からすり寄ってくるなど初めてかもしれない。

 いつも自分のほうから触ったり嗅いだりしているので、サナのほうから来た記憶がまったくない。


 それが―――すりすり。


 ブルルルッ


 思わず身体が震える。

 こんなことがあっていいのだろうか。まさに奇跡。まさに感動。思わず泣きそうになるほど嬉しい。

 その反応があまりに可愛くて、自分が仮面なのがもどかしくて、脱いで投げ捨てる。

 愛しいサナに顔をすり付けるためならば、素顔を晒すことに抵抗はまったくない。この瞬間を逃すことこそ罪である。


「ああ、サナ…可愛いサナ…オレのサナ」


 すりすり すりすり

 甘えてくるラノアも可愛かったが、やはりサナは別格。その香りも感触も、心に宿る愛情も桁違いだ。

 世界の中心にサナがいる。それだけで自分の心は満たされるのだ。


 ザラザラッ

 髪の毛に触れると、手に土が付いた。

 見ると美しい黒髪は土に汚れている。さきほどホテルのお風呂に入ったばかりだったので、余計にもったいなく思えてくる。

 しかし、それは彼女が自らの力で勝ち取った勲章でもあるのだ。それを否定することはできない。


「きれいきれいしような」


 サナを抱きしめながら汚れた身体を命気で綺麗にしてあげる。出血や打撲も治したので、これですっかり元通りである。

 だが、心の中にはしこりが残ったままだ。


(強くなるにはこうするしかないが、やはり心苦しいな。サナが痛めつけられるのを見るだけで怒りが湧きあがってくる。危うくオレが殺しそうだったよ)


 この戦いを仕組んだのはアンシュラオン自身である。

 最大の被害者は狐面の男なのだが、そんなことは粉微塵も思わない。自分にとってサナを痛めつける人間は、すべて抹殺対象なのである。

 その狐面の男も死んでしまったので、怒りをぶつける場所がない。それがまたイラつくわけだ。

 そしてその怒りは、これまたまったく関係ないアル先生へと向かうわけだが、ひとまずサナの総括をしておくべきだろう。



(さて、実験は終わった。サナが勝つには勝ったが、いろいろと課題が残る戦いだったのは事実だな。オレがうっかり介入してしまったがゆえに把握できないところもあったし…。まあ、最終的にはサナが勝っていたのは間違いないだろうがな)


 アンシュラオンがサナを抱きながら、最初に彼女が立っていたあたりに向かい、地面に手を伸ばす。

 ごそごそ ひょい


 土を掻き分け、そこから出てきたのは―――大納魔射津。


 土の中には、カプセルに入った大納魔射津があった。軽く指を入れるだけで簡単に取ることができたので、浅い部分に埋まっていたことがわかる。

 これはサナが風鎌牙を使って土を巻き上げた際、相手に向かう前に仕込んだものだ。

 あの行動の本当の目的は、これを隠すためであった。

 サナが劣勢に陥ったのは間違いない。あの後退も誘いではない。ただし、万一自分が追い詰められた場合に備えて、ここに大納魔射津を置いておいたのだ。

 もしアンシュラオンの介入がなければ、このあたりまで引き寄せて起爆しようとしていたはずだ。

 わざわざ設置したのは、あれだけの相手だと目の前で準備をしていたら対応される危険性があったことと、それ以前の問題として取り出す暇さえ与えてもらえないからだろう。

 サナは相手が強いことは理解していたのだ。だからこそ準備を怠らなかった。

 相手が引っかかっていたかはやってみないとわからないが、自爆であっても相手を巻き添えにすることはできただろう。

 サナには命気が張り付いているので死ぬことはない。どのみち相手は死んでいたはずだ。

 最終手段ではあるが、接近して起爆すれば条件に反していないし、アンシュラオンの命令だけを愚直に聞いているだけでは生き残れないこともある。

 監督から「ドリブルをするな」と言われても、それをただ守っているだけでは一流になれないのと同じだ。それを無視しても結果を出すことのほうが重要である。


 このことから一つのことがわかる。


(感情は乏しくても、サナには間違いなく先を読む思考力がある。何度か戦いを見てきたが、サナは【知略派】だな。うちの裏スレイブどものように力だけに頼ることはまずない。これは悪くない方向だ。どんなに強くなっても頭を使わないと勝てない戦いってのはよくある。今後が楽しみだな)


 ワイルダーインパスやヤドイガニの戦いからも垣間見えていたが、サナはしっかりと物事を考えて動いている。

 これもアンシュラオンが日々戦いの話をしていたからだろう。そのすべてを糧としているのだ。

 これはぜひ、このまま育ってもらいたい。未来が楽しみだ。

 一方、身体能力的には課題が残る。


(子供だから仕方ないが、この程度の相手に力負けするようでは問題だな。やはりサナは腕力で押すタイプではないんだ。レベルが上がって技を覚えればいろいろとできるが、間違いなく武器は必要なタイプだろう。剣士の覚醒限界も3だし、剣士ならば武器の質と剣気で攻撃力をカバーできる)


 もし相手が万全な状態、あるいは戦士系だったら捻じ伏せられていた可能性が高い。

 そんなサナの貧弱なパワーを考えれば、腕力を無理に鍛える必要はない。武器を使う中で自然に筋肉を付けるほうが自然な動きができるはずだ。

 攻撃力は武器の性能と剣気による補正、技の習得によって補えばいいのだ。重要なのはテクニックと知略。サナの長所を生かすべきだろう。

 あとはアンシュラオンが本格的に体術と覇王技を教えて、万一無手になった場合でも対応できるようにしていけばいい。技さえ覚えれば、素手でもかなり強くはなれる。


(逆に今の何も教えていない状況でこれだけやれたんだ。それってすごくないか? おお、そうだよ! いきなり放り込んでここまでやれたんだ! ただの女の子がだぞ! これはすごい! やはりサナは天才だ!! オレと同じとはいかないが、まだまだ可能性はあるじゃないか!)


「サナ、お前には才能がある! これからお兄ちゃんが本格的に鍛えてやるからな。大丈夫。もっともっと強くなるぞ! お兄ちゃんと合体攻撃だってできるはずだ!」

「…こくり、ぎゅっ」

「おお、サナもやりたいか? よし、ガンガン教えてやるからな! 楽しみにしておくんだぞ!」


 まだ「愛のラブラブダブル雷神掌」の夢は捨てていない。必ずやれるはずだ。


(自由を得るためには力が必要だ。それをオレは知っている。世界中のすべての災いから自分を守るために、それを打ち破る力が必要なんだ。オレはサナを守る。サナが自分で自分を守れる力を得るまで、鍛え抜くぞ!)


 そして、これからさらに数多くの生贄が捧げられることになる。

 主にマフィア連中が涙を流すことになるだろうが、それは致し方のない犠牲だ。喜んで犠牲になってもらおう。

 そのたびにサナがすり寄ってくれるのならば、さらに素晴らしい。この感動をまた味わいたいと思うのであった。




247話 「怒れる闘人 前編」


 サナが狐面と戦いを始めようとしていた頃、ベンケイ先生とアル先生も戦っていた。


 準備が整った二人は真正面から激突。


 まずはベンケイ先生が強引に掴みにかかる。

 まさに体格を生かした力任せの攻撃だ。この大きな腕に掴まれれば、アル先生など簡単に引き裂かれてしまうだろう。

 ここでアル先生は―――下がらない。

 むしろ加速して相手の懐に飛び込むと、後ろ手にしていた拳を抜く。


「あーたたたたたたたたたたたっ!!」


 ドガドガドガドガドガッ

 ドガドガドガドガドガッ

 ドガドガドガドガドガッ


 アル先生の高速拳。

 もはや視認することができないほどの速さでベンケイ先生の腹をぶん殴る。

 当然ながら拳には戦気をまとっている。サナと狐面との戦いを見てもわかるように戦気の存在はかなり重要だ。

 しかもアル先生の戦気は、さすが外部からの助っ人と言わんばかりに洗練されている。威力も狐面の比ではない。一発で鉄板一メートルは軽くぶち破る。

 それがこの一瞬で二十発。常人ならばこれだけで即死だろう。


「………」


 が、そのすべてが直撃するも、ベンケイ先生にダメージはない。よろけもしない。

 鎧の外にまで展開されている戦気によって、すべて弾く。


 次はベンケイ先生の反撃。

 シュシュッ ボンボンッ

 その大きな体躯に似合わない目の覚めるようなジャブが繰り出される。

 軽く放たれたにもかかわらず、爆発したのような音を発して周囲の空気が爆ぜる。それによって生じた衝撃波で大地が大きく抉れるほどだ。

 アル先生は、ゆらゆらと揺れる動きで回避。豪腕高速の二連打を難なくよける。

 『地弄足《ちろうそく》』と呼ばれる足技の一つで、膝と足首を上手く使って上体を揺らし、相手の攻撃をいなす戦技である。

 衝撃波も戦気を見事に操作して受け流す。こちらもノーダメージだ。

 そのままアル先生は下がらずに跳躍。放たれた相手の腕に片足を絡めながら、顔面に蹴り。

 バキィイッ ゴギッ


 ベンケイ先生の顔に蹴りがクリーンヒット。首ががくんと曲がる。


 小柄な体格を生かした見事な体術である。サナと違って実力が高く、このレベルの戦いでも小回りが利く戦いができる。

 足にも強力な戦気を展開しているため、これほどの大男でも首が折れるほどの威力だ。

 ぐい ガコンッ

 がしかし、ベンケイ先生は軽く首を傾げるような動作で兜の位置を直しただけ。ダメージを受けた様子はない。

 続いて、お返しとばかりにベンケイ先生の前蹴り。


 アル先生は上空に回避するも―――足が伸びる。


 ベンケイ先生の膝が可動域を超えて、足が折れたかのようにがくんと反対側に曲がる。


「っ!」


 これにはアル先生も対応ができず、足が胸元をかすめる。ザクッと服が裂け、胸に軽く傷が付く。


 それを見て、アル先生は鎧を蹴って一度後退。距離を取る。


(今の攻撃、完全に関節を無視した動きネ。よもや『軟体拳』の使い手アルか?)


 軟体拳とは、身体の関節を外して攻撃する武術の一つである。肘や手首の関節を外して鞭のように扱うことができるので、非常に間合いが測りにくい。

 当然、ベンケイ先生の中身は無人であるので、単に鎧の可動域を無視した動きをしただけだ。ルアンの時では守っていた制限を解除しただけである。

 たったそれだけが非常に怖ろしい。間合いが掴みにくいだけで回避が難しくなるからだ。

 ただし、初見でそれに対応するのだから、アル先生もまた強者であることを示していた。


「せ、先生! 大丈夫ですかい!」

「問題ないネ。それよりもっと下がっているヨロシ。アナタ巻き添えにしても責任取れないアル」

「わ、わかりやした!」


 ゲロ吉は素直に下がる。

 最初の交戦を見た瞬間、自分の手には到底負えないと思ったのだろう。賢明な判断だ。

 それがわかる程度には強いということだ。本当の素人ならば頭に「?」を浮かべながら呆然としていただろう。

 グランハムの弟なだけあり、最低限の強さの基準くらいは知っているらしい。


(あの体格であの速度。これは凄い使い手ネ。戦気の質も、今まで見たことがないくらいに滑らかヨ。あの拳をくらったらワタシでも危ないネ)


 アル先生はベンケイ先生を観察。

 あの大きさで自分に匹敵する速度を出すのだ。間違いなく強い相手だ。

 戦気の質も非常に上質なので、ジャブが直撃していたら危なかっただろう。受けるのではなく、回避を選択して正解だったようだ。軟体拳も使うようなので、さらなる警戒が必要となる。

 しかし、若干気になる点もあった。


(強い。強いアル。…ただ、反応に若干の鈍さがあるネ。鎧を着ているせいアルか? でも、これだけの戦気アル。そもそも鎧を着る必要性があるとは思えないネ。ちょっと不思議な感じがするヨ。さっきの動きもぎこちないところがあったアルし…)


 アル先生も「語尾がアル」という致命的なお笑い要素があるものの、人生のほぼすべてを武術に捧げた武人である。

 生まれはここよりもさらに東の地、『大陸』と呼ばれる独自の文化が発達している国の出身である。

 元中国人の転生者が作った国なので、中国系の思想がより多く取り込まれており、中国拳法や陰陽術のようなものがかなり発展している。

 実は陽禅公の出身国であり、陽禅流の中に拳法風の動きが多いのはそのためだ。そこに魔獣との戦いを想定した動きを取り入れ、最強の武術として確立している。

 もともと武芸のレベルが高い国なので、その出身であるアル先生の実力も高い。ハングラスが大枚をはたいて連れてくる価値がある武闘者だ。

 その彼の目に、ベンケイ先生なる存在はとても不可思議なものに映っていた。

 ただ、分戦子とは思っていない。彼も分戦子は知っているが、このレベルで動かせるとは思わないからだ。さらにアンシュラオンが外皮部分を命気で保護しているので、中を探知できなくしているせいでもある。


(まあ、いいアル。これだけの相手と出会えるなんて嬉しいネ。久々に本気を出すアルよ!)


 ボウッ ギュルルルッ

 アル先生が両手を広げると掌に戦気の球体が生まれ、急速に回転を始める。


「ううっ! なんて風圧じゃい!」


 余波は離れて見ているゲロ吉にすら及び、その肥満体が宙に浮きそうになるほどだ。

 周囲の木々も巨大台風に襲われたように、ぐわんぐわん大きく揺れている。それだけ戦気の威力と回転が強いのだ。


(潰しにこないネ? …ならば、そのまま撃たせてもらうヨ!)


 普通これだけ溜めがある技ならば、それをさせまいと迎撃するものだが、まったく反応しない。


 ならば遠慮なく―――放出。


 回転して竜巻状になった戦気が大地を抉りながらベンケイ先生に襲いかかる。

 これだけだとアンシュラオンがやった修殺・旋に似ているが、放出された戦気はそのまま消えずに残って攻撃し続ける。

 覇王技、赤覇《せきは》・竜旋掌《りゅうせんしょう》。

 因子レベル3の技で、掌から発した戦気を回転させて、そのまま相手を破砕する技である。

 イメージとしては、フードプロセッサーやミキサーの回転する刃を想像するとわかりやすい。高速で回転する戦気の刃に巻き込まれれば、そこらの魔獣など簡単に細切れである。

 さらにこれを両手で行うと、赤覇・双竜旋掌という因子レベル4の技に昇華する。当然、威力は倍増だ。

 つまりアル先生は、因子レベル4の技を使えるだけの猛者というわけだ。


 ブオオオオオオッ


 左右から巨大な戦気の激流が襲いかかった。


 ベンケイ先生は両手を伸ばして―――受ける。


 ガリガリガリッ

 戦気と戦気が激突する激しい音が響き渡る。

 受け止めはしたが竜旋掌の威力はかなりのもので、ベンケイ先生の両手は防御で精一杯だ。

 これも下位の討滅級魔獣程度ならば大ダメージを受ける一撃なので、受け止められるベンケイ先生がすごいのである。


「このままいくヨ!!」


 当然、それで終わらない。両手で竜旋掌を維持しつつ、アル先生が間合いを詰める。

 そして一気に接近すると、足の裏を押し当てるように蹴りを放った。

 ボシュンッ

 蹴りは見事に膝にヒット。同時に、気の抜けた炭酸ボトルを開けた時のような音がする。


(これでどうネ! 戦気を貫いてしまえば、どんな戦質でも意味がないアルよ!)


 アル先生の蹴りは、【戦気を貫いていた】。

 鎧の周囲に展開された戦気は上質で、普通の打撃技では到底打ち破ることはできない。

 マタゾーがやったように一点に集中して突破する方法もあるが、それができるのは『一点の極み』を体得した彼だからこそだ。

 しかも全エネルギーを注入して、ようやく貫けるような代物。マタゾーがそうだったように、それで倒せねば直後に反撃を受けて倒されてしまうだろう。

 アル先生もやろうと思えば、マタゾーとは違う「連打」によってそれができるかもしれないが、最終的には彼と同じ運命を辿るだろう。

 自分の立場は、野球やサッカーでいうところの「助っ人外国人」なので、マタゾーのように我欲だけで冒険するわけにはいかない。

 助っ人ならば助っ人らしく、しっかりと結果を出さねばならないのだ。


 そこで選んだ技が、覇王技『蹴透圧《しゅうとうあつ》』。

 発勁の内当ての一種で、人体の内部に直接ダメージを与える技である。


 最大の特徴は―――『戦気貫通』効果。


 自分の戦気を押し当てるように発し、振動させ、相手の戦気と中和させる。それによって一瞬だけ戦気を無効化するのである。

 戦気がなければ防御力は激減するので、防御の戦気が強い相手には非常に有効な技である。

 水覇・波紋掌と原理はほぼ同じなのだが、こちらは力を内部で振動させるのではなく、相手の背後に打ち出すように放つ。相手の戦気ごと押し出すイメージである。

 普通の発勁よりは威力が小さいが、隙がなく確実にダメージを与えることができる。


(手応えあったアル! 鎧さえ貫いて内部にダメージを与えるネ! まだまだ続けるアルよ!)


 ドンドンドンッ

 続けて股間、腹、胸にも蹴透圧を繰り出す。

 発勁を足でやるという曲芸じみたことをやっているので、実はかなり難易度が高い技である。これも大陸直伝の長い拳法の歴史があってこそであろうか。

 「語尾がアル」は伊達ではない。


 だが、ここで一つだけ誤算があった。


 もし本当に中身があれば、打たれた場所が押し出されるように破壊される怖ろしい技なのだが、ベンケイ先生こと鎧人形の中身は戦気である。戦気で作られたのだから戦気しか入っていない。


 そして、蹴透圧が戦気を貫通するのならば―――すり抜ける。


 アル先生が放った攻撃のすべてが、まずは鎧の上の戦気をすり抜ける。次に鎧をすり抜け中に展開されるのだが、中身も戦気のためにそのまま背中まで突き抜ける。

 そしてまた鎧の上の戦気をすり抜け、空中に放出されて霧散。

 結局、無傷。

 これは仕方ない。非常にがんばってくれたアル先生には申し訳ないが、戦気なのだからどうしてもすり抜けてしまうのだ。

 力の大半が身体の中心部に集まるように調整しているので、せいぜい鎧が少し変形した程度。ダメージを与える以前の問題だ。

 シュゥウウウ

 竜旋掌の発動も終わり、ベンケイ先生は何事もなかったように立っている。これにはさすがの先生も驚愕だ。



「そ、そんな…こんなことが…! ワタシの技がどれも通じないなんて…」


 赤覇・双竜旋掌は因子レベル4の大技である。満を持して出した必殺技だ。

 それを簡単に両手だけで押さえ込み、蹴透圧さえ突き抜けてしまう。これでは手の打ちようがない。

 アル先生は歴史ある大陸で修行したかもしれないが、そこの出身であり、それどころか覇王にすらなった陽禅公にとっては児戯に等しいものだ。

 その弟子であるアンシュラオンに通じるわけがない。アル先生が悪いのではなく、あまりに相手が悪かったのだ。


 さらにもう一つ、哀しいお知らせがある。



―――ゾワリ



「ひっ!! 何アルか!?」


 ゾワッ ゾワゾワゾワッ!!

 突如、アル先生の背筋が凍りつく。

 まるで撃滅級魔獣と遭遇したような絶対的な圧力が周囲を多い尽くす。それはゲロ吉も感じたようで、石像になったかのように硬直している。


 そう、ちょうどこの瞬間、サナが傷つけられたことでアンシュラオンが「キレた」。


 それだけならばよかったのだが、操縦者がキレたことでベンケイ先生もそれに反応する。

 戦気は闘争本能の顕現なので、アンシュラオンの殺意がすでに展開されている戦気に反映されるのだ。

 戦気の質が一気に変わり、殺気と呼ぶにも生温い強大なオーラが噴き出していた。


 ゴゴゴゴゴゴッ バキバキバキッ


 凄まじい戦気が放出され、鎧そのものが内部から破壊されていく。

 そして、行き場を失ったアンシュラオンの怒りが、この場に『表現』された。




「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」




 戦気が―――咆える。


 髪の毛はボウボウと燃えるように立ち上がり、両拳は激しい暴力衝動に晒されて鋭くも頑強に肥大化し、目は怒りに満ちて真っ赤に燃えている。

 修羅。

 もはやそう呼ぶに相応しい形相の戦気の『闘人』が、圧倒的な存在感とともに出現した。




248話 「怒れる闘人 後編」


「な、なんじゃありゃぁ!! 化け物みたいなやつが出てきたぞ! あ、あれがやつの本体かい!」


 ゲロ吉がそのあまりに異様な姿を見て、腰を抜かす。

 ただこうして近くにいるだけでも肌が焼けるように痛い。それだけの戦気を噴き出しているのだ。


「そうアル…か。だから効かなかったネ」

「せ、先生! 何か知っているんですかい!?」

「あれは『闘人《とうじん》』ネ。簡単に言えば戦気で作った人形アル。ワタシの技が効かないのは当然ヨ。だって、最初から全部が戦気だったアル」

「戦気の人形? あ、あれが…ですかい?」

「闘人操術、そういう術があるヨ。アレを操っているやつが他にいるということネ」


 ここでアル先生もカラクリに気がつく。これだけはっきり見せられれば気付くのが普通だ。


 戦気術奥義、『闘人《とうじん》操術』。


 分戦子の上位技で、より多くの戦気を凝縮して作られた『闘人』と呼ばれる傀儡を生み出す技だ。

 闘人は名前の通り、戦うための存在である。その存在意義は闘争のためだけにある。主人とともに、あるいは主人の代理で戦うのが彼らの使命だ。

 たとえば生身の格闘は苦手だが戦気量が多い人間などが使うと効果的である。

 戦気の消費は膨大なものとなるが、肉体そのものが傷つくリスクはゼロにすることができる。これは実に大きな恩恵だ。

 また、使い手によっては何百メートルも先まで行動が可能となるので、先行させて罠や伏兵をあぶり出したり、使い捨ての尖兵として使うこともできる。

 アンシュラオンは後者の囮としてよく使っていたものだ。

 撃滅級魔獣の正面から闘人でちょっかいを出し、自身は背後から強烈な一撃を与えるために力を溜める等の使い方ができる。

 あるいは陽禅公の実分身というチートスキルに対抗するため、闘人を複数生み出して、彼らがやられているうちに本体を狙うなどといったこともしていた。

 実のところ火怨山では、アンシュラオンは「人間の中で一番下(弱い)」という扱いなので、地味に有用なスキルではある。魔獣含めて攻撃力が高すぎるので、一撃でももらうと相当危ない状態になるからだ。


 次に、闘人そのものの説明だ。

 闘人は操者によってさまざまな形態をとるが、意図的に操作しなければ基本的には人型になることが多い。

 陽禅公は鳥型の闘人(闘鳥)を作って空を飛んだりもするが、目の前に顕現した存在は無意識下で創造されたものなので人型をしている。


 顕現した闘人の名前は「アーシュラ」。


 アンシュラオンが闘人操術を使った際、何も指定していない場合に出る【初期型闘人】である。

 その姿は、大人体型になったアンシュラオンにやや似ている。なぜならばこれは「理想の体型」をイメージして作られたものだからだ。

 彼自身は自分の少年のような容姿も気に入っているが、前の人生では成人男性でもあったわけで、そうした力強さに憧れないわけではない。

 特に武人として理想体型のゼブラエスを間近で見ているため、「オレもあれくらいになれたらなー」と漠然に思っていた姿が忠実に再現されている。

 そして闘人は戦気で生み出すため、荒々しい姿をしていることが多い。この闘人アーシュラもまた炎をまとったような、ファンタジーでよく見かける「炎の人型精霊」を彷彿させる姿をしている。

 ただし、現在はそれがより顕著な状態。より荒々しく、より猛々しい姿になっている。

 闘人は操縦者の特性を色濃く反映するので、この姿も現在のアンシュラオンの心情をよりよく表現した形態になったのだ。


 つまりは―――怒っている。


 サナが傷つけられたことへの怒りが表面化し、激情となって顕現しているのだ。

 だからこそ周囲に恐怖を撒き散らし、ゲロ吉が腰を抜かす結果になる。誰だって激怒している人間には近寄りたくないものだ。存在そのものに恐怖を感じる。



(まさか闘人操術にお目にかかるとは思わなかったアル。老師の方々にも使い手はいるアルが…ここまでのものは見たことがないヨ)


 さすが大陸四千年の武術の歴史。技自体に驚くことはない。

 武芸に秀でた大陸でも、特に『十二老師』と呼ばれる上級拳士たちは誰もが超が付くほどの達人である。その中には闘人操術の使い手もいる。

 しかし、目の前の闘人の存在感は、アル先生が今まで見た中でも一二を争うものだ。十二老師の一人が操る闘人にも匹敵する。


(信じられないネ。こんなものがこの辺境の地にいる。それを扱う者がいるアル。この感覚…まず勝ち目はないネ。でも、雇われた以上は仕方ないアル。見捨てるわけにもいかないネ)


 後方の森には、顔だけひょっこり出して硬直しているゲロ吉がいる。雇い主の彼を見捨てることはできない。

 さらに大陸出身の武闘者が雇い主を捨てて逃げたりすれば、同門に迷惑がかかる。若手の拳法家は各地に趣き、修練がてらに傭兵をやることも多いので、その妨げになるだろう。

 そして、武人としても終わる。


(武人とは厄介な生き物アル。こんなときでも…ワクワクしているヨ。ハハハ、ワタシも狂人ネ。死ぬまで戦うしかない大馬鹿ヨ)


「せ、先生…」

「任せるアル。相手が闘人とわかれば戦い方変えるヨ!!」


 アル先生は両手に戦気を集中させ、再び回転。

 ギュルルルッ

 凄まじい暴風が再びゲロ吉を襲うが、今度は放出しない。手に宿したまま一気に間合いを詰める。


(まだ闘人は動いていないアル。あのタイミングでのいきなりの豹変を見るに、突発的な変化と考えるべきネ。まだ完全に支配下にないアル。狙うなら今しかないネ!!)


 闘人アーシュラは、まだ黙って立っている。何もしていない。

 アル先生の見立て通り、アンシュラオンの殺気を受けて強制進化したものの、本体がサナに夢中でそれどころではないので一時的にリンクが切れているところだ。

 この段階では、アンシュラオンはアーシュラのことを忘れている。それほどサナが大事だということだ。

 ならば、この瞬間しかない。今しか倒す機会はないのだ。


 接近したアル先生が両手を振り抜く。


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


 放ったのは再び高速拳。しかし、前回やったような普通の打撃ではない。

 手を覆った戦気を使って、相手の表面を削るように攻撃している。そのたびにアーシュラの戦気が少しずつ消失していく。

 覇王技、戦岩削《せんがんさく》。

 手に集めた戦気で、相手を削り取る技である。わかりやすくいえば、戦気を大根おろしを作る「おろし金」状に変化させ、ガリガリと削っていくものだ。

 名前を見ればわかるように岩を削ったりする際に使われる技で、戦闘では相手の武具を削る際にもたまに使われる。

 因子レベル2もあれば使える技なので、さきほどの二つの技よりは下位にあたる。

 当然、これを選択したことには意味があった。


(最初の状態でも打撃はほぼ通じなかったアル。中身がないし、ワタシのパワーじゃ掻き消すのは不可能ネ。ならば、削り取っていくしかないヨ!)


 闘人は戦気の塊。人間と違って臓器や筋肉があるわけではないので、打撃はなかなか通じにくい。

 圧倒的なパワーで打ち消すならばともかく、本来がスピードテクニック型のアル先生では難しい。

 となれば、方法は一つ。こうして削ることで相手を弱体化、できれば行動不能にしたい。戦気の塊なのだから、戦気がなくなれば消失するのは間違いない。

 たかが戦岩削と侮ることなかれ。


 アル先生の高速拳でやれば―――確実に削れる。


 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 アンシュラオンの戦気とはいえ、こうした無防備状態ならば削ることはできた。

 それもアル先生の「連打」があるからだ。彼は連打でひたすら手数を出すタイプなので、ここが生命線だ。

 その高速拳と戦岩削の相性はよく、どんどん削っていく。


 削る削る削る。

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ

 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。
 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。
 削る削る削る。削る削る削る。削る削る削る。

 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ
 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ
 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ
 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ
 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ
 ドガドガドガドガ バリバリバリバリッ


(まだか! まだアルか!! まだ削りきれないアルか!!)


 相手の胸の形が変わるくらいには削れている。それが数十センチとはいえ、あのアンシュラオンの戦気を削っているのだ。

 アル先生は間違いなく強い。まさに武芸の達人、助っ人外国人に相応しい。

 しかし、目の前の闘人を生み出したものは、この世でもっとも怖ろしい【魔人】である。

 その彼がただの闘人を生み出すわけがないのだ。


 ギロリ


 アーシュラの視線が、アル先生を睨む。

 その目には明確な【意思】が宿っていた。明らかに敵意が交じった視線だ。

 遠隔操作系を極めると、停滞反応発動のように特定の条件下で発動するトラップを作ることができる。

 それは戦気で作られた闘人も同じ。作った際に何かしらの条件、思考アルゴリズムを与えておけばそれに即した行動を自動で行う。

 アーシュラに搭載されているのは、「自分を攻撃する者を排除せよ」というもの。いわゆる自己防衛システムである。

 今回は特に指定したわけではないが、そうやって作るのは当然のことなので、これまた無意識のうちにそう作ってしまっている。


 その防衛システム、あるいは防衛本能が―――発動。



「ウッォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」



 再び咆える。戦気の波動が周囲に迸り、大地も木々も一瞬で消失していく。


「しまった! 動き出したアルか!! でも、こうなればもう攻めるしかないネ!!」


 アル先生は戦気の奔流に呑まれながらも、足にも戦岩削を展開して両手両足を使ってひたすら削る。

 いまさら逃げる時間もない。必死に削り続ける。

 だが哀しいかな。

 ガシッ

 すでに起動してしまったアーシュラは、軽々と蹴りを受け止め、掴み―――無造作に叩きつける。


 ドッガーーーーーーンッ!!


 足を持ったまま、ただただ力任せにアル先生を地面に叩きつける。それ自身を棒切れか何かに見立てて、何度も大地に叩きつける。


 ドッガーーーーーーンッ!!
 ドッガーーーーーーンッ!!
 ドッガーーーーーーンッ!!


 二回、三回、四回と繰り返す。

 そこに躊躇は一切ない。ただただ純然なまでに暴力を暴力として使う存在がいるだけだ。

 メキメキッ

 その凄まじいパワーにアル先生の身体が軋む。すべての戦気を防御に回していても、一撃一撃が致命的で深刻なダメージを与えていく。


「ウッォオオオオオオ!!! ウッォオオオオオオ!!! ウッォオオオオオオ!!!」


(なんて…暴力性ネ!! 作った人間は…相当ヤバイやつアル! 内側にどれだけの激情を隠しているアルか!!)


 闘人は生み出した者の本質を的確に示す鏡である。

 勘違いしてはいけないのは、どれもがこんな凶暴な闘人ではないということ。同じ自己防衛システムが組み込まれていても、中には静かに対応する存在もいる。

 だが、アーシュラは完全に暴力的衝動の塊。その目は怒りに満ち溢れ、すべてを破壊することしか考えていない。

 なるほど、たしかに囮に向いている。こんな激情を叩きつけられたら、魔獣など簡単に刺激できてしまうだろう。


 ドッガーーーーーーンッ!!
 ドッガーーーーーーンッ!!
 ドッガーーーーーーンッ!!


(手が離れない…アル! 仕方ない…ネ!!)


 なんとか手を外そうとしているが、アーシュラのパワーが強すぎてまったく離れない。

 このまま何度も叩きつけられれば死んでしまう。そこで、決断。


 アル先生が自ら―――足を切り離す。


 ズバッ

 掴まれた左足を自ら戦刃で切断。太ももからバッサリと切り離した。無事逃げ出すことに成功する。


「せ、先生! あ、足が!」

「問題…はあるけど、大丈夫ネ」


 アル先生は肉体操作で出血を止めると、欠損部分から戦気を放出。

 それを戦硬気で固めて足の代わりにする。これで両足で立つことができ、バランスも崩れない。

 「義体術」と呼ばれる戦気術の技で、戦気を義足代わりにするものだ。これで武器を持つこともできるので便利である。

 このあたりが狐面とアル先生の実力差ともいえる。

 サナと戦った狐面も腕を失ったが、そのままだった。単純に義体術が使えなかっただけであるが、戦気を腕や足代わりにする以上、それだけ消耗が激しくなる。

 さらに戦気を正確に制御するだけの戦気術の腕前も必要だ。戦気の総量と正しく制御する技術。両方なければ扱えない技である。


 しかし、あくまで義足。


 バランスが崩れないというだけで、実際の肉体とは大きく違う。



 これで―――勝ち目がなくなった。



(ハハハ、勝ち目なんて最初からないネ。わかっていたことヨ。ワタシ、ここで死ぬアルか)


 アル先生ほどになれば、どれくらいの実力差があるかなんてすぐにわかる。

 最初から勝ち目などなかった戦いだ。それを改めて自覚しただけにすぎない。


「アナタ、逃げるヨロシ。ここはワタシだけで十分ネ」

「で、ですが…先生!」

「吉報を待って事務所で待っているアル。大丈夫。なんとかするヨ」

「…わしだって、この道を歩いてきた人間ですわ。わかりますよ。…先生、あんたは…」

「大丈夫ネ。大丈夫。あとは任せるネ。雇い主死なせたら、ちょっと困るアルよ。ワタシだって拳法家。誇りあるヨ」

「先生…くっ! わかりやした! 事務所で待っていやす! わしは信じていますぜ!!」


 ゲロ吉にはわかった。アル先生は死ぬ気だと。背中がそう語っている。

 しかし、そこには彼の誇りや矜持というものが浮かんでいる。人生を武人として生きた者の意地が宿っている。

 誰がいったい止めることができようか。誰が邪魔できようか!

 自分にできることは、ただ信じて待つだけである。




249話 「アル先生の覚悟」


「グゥウウウ」


 威嚇のような声を発し、アーシュラはアル先生を睨む。どうやら完全に敵だとみなしたようだ。

 ただし、敵という言葉は正しくないだろう。

 その目に宿る怒りの中には、自分よりも下位の存在を侮蔑するような光が宿っている。

 闘人からすれば、アル先生など子犬に等しい。子犬が軽く噛み付いたくらいである。

 普通の状態の人間ならば、それを許容できるだけの精神状態を維持しているものだ。「子犬だから仕方ない」「可愛いものじゃないか」と。

 しかし、もともと激怒して制御が利かない人間にそれをしたらどうなるか。


 子犬であっても―――ぶん殴る。


 全力で。思い知らせるように。その犬とはまったく関係ない事情で怒っていたにもかかわらず。

 理不尽な怒りをぶつける!



「オオオオオオオオオオオオオ!!!」



 アーシュラが駆ける。

 闘人が放出する戦気で周囲のものを破壊しながら、アル先生に直進してくる。

 そこからの拳。豪腕が唸りを上げながら迫ってきた。

 アル先生は地弄足で身体を揺らし、回避を試みる。


 それを軽く―――いなせない。


 咄嗟に腕を使ってガード。

 メキョメキョッ ぶしゃっ

 嫌な破壊音を発しながら、アル先生の腕が大きく抉れる。


(ぐっ!! このパワーでこのスピードアルか! さすがにいなせないネ!)


 地弄足は足技なので義足であることも影響したのだろうが、明らかに相手のパワーとスピードが桁違い。

 最初の鎧人形とは質が明らかに異なる。むしろ受けてみてわかる。

 あの鎧は、ボクシンググローブであったと。

 一見すれば金属の塊なので武器にも思えるが、あくまで本物の凶器を覆うための保護器具であったのだ。

 それがなくなり抜き身となった拳は、もはやそれだけで必殺技。荒々しい戦気そのものが、すべて武器。


「オオオオオオッ!」

「くっ! ガードを…」


 アーシュラが再び拳を放ってきたので、アル先生はダメージ覚悟のガード。

 一撃でもくらえば致命傷だ。かなり早い段階でガードの構えを取ったことは、誰にも責められないだろう。


 が―――振り抜かない。


 拳は途中で止まると、直後真下から強烈な蹴りが飛んできて、アル先生の腹を思いきり蹴っぱぐる。


 ドゴッーーーーー!


 一瞬、腹がなくなってしまったかのような衝撃が突き抜けるも、そこは大陸四千年の歴史。

 攻撃の威力に逆らうことなく回転してダメージを軽減させ、衝撃の大半を逃がす。

 それでも腹には痛覚を消していてもわかるほどの違和感が残っている。胃が破裂したか小腸がズタズタに破壊されたのだろう。


(フェイント…アルか…。まさか闘人がこんな動きをするとは…想定外ネ)


 仮に操者が近くにいれば、操られているのでフェイントだってするだろう。

 しかしながら、目の前の闘人は明らかに自己防衛システムで動いている。それがフェイントを使うなど想像もしなかった。

 となれば、思考アルゴリズムに「強者との戦いの記録」あるいは想定が刻まれているのだろう。

 つまりこの闘人は、常時フェイントを使わねばいけないほどの相手と戦ってきたのだ。そうしなければ戦えないような知的生命体と。


(とんでもないネ。これ以上の化け物がいるっていうアルか…。困ったネ、ほんと。ワタシが見てきた頂上なんて、所詮は小山だったってことヨ。世の中は広いアル)


 思わず笑いたくなる。何が大陸四千年の歴史か。

 この世界はもっと大きく古いのだ。もっともっと強大な存在がいてもおかしくはない。

 この闘人も、その一人。自動操縦だけでこれだけ強いのだ。おそらく操者はこの何倍も強いだろう。

 対峙した瞬間から、もう自分の死は確定している。



 あとは、【どう死ぬか】だけだ。



「だったら、もういいネ。全部出して終わるだけヨ! 武闘者として最期まで戦うだけアル!」


 ババババッ

 アル先生が印を結び、いざという時のために溜めていた気を解放する。

 この印に特に意味はない。間違って開かないように当人が勝手に決めた「鍵」であれば、なんでもいいのだ。

 ゴゴゴゴッ!!

 アル先生の戦気が一気に増大。火山の噴火のように噴き上がる。


 秘技、『匪封門《ひふうもん》・丹柱穴《たんちゅうけつ》』。


 大陸に伝わる秘技の一つで、身体中のすべての力を開放して一時的に強化状態にする技である。これを使えば自己の戦気を数倍にすることもできる。

 ただし、普段は外に流すような「悪い気」まで体内にとどめるため、身体に悪影響が残ってしまうというデメリットもある。

 最悪、死に至る可能性も否定はできない。それだけの技だ。


 これは一般的に『オーバーロード〈血の沸騰〉』と呼ばれる【禁じ手】に属する禁術と考えればいいだろう。


 オーバーロードとは、従来すべての人間に宿されている「無限の因子」から、強制的に因子を読み込んで能力を数倍にも数十倍にも引き上げる技だ。

 そもそも武人とは、人間すべてに宿されている「母神の無限因子」をある程度解放した存在を指す。

 その意味では、誰であっても因子の覚醒限界を10にする可能性を宿している。一般人だってそうだ。それを強制的に引き上げるわけである。

 が、血の沸騰と呼ばれているように、それをやると血液因子が暴走して下手をすると数秒で死に至る。武人が扱えば数分から数十分はもつが、一度でも使えば必ず死ぬという非常に危険な技だ。


 では、『匪封門《ひふうもん》・丹柱穴《たんちゅうけつ》』と何が違うのかといえば、オーバーロードは元来が「母の因子」であるという点だ。

 母の因子、つまりは母性本能の開花、何か大切なものを守る時にしか使えないという『制約』が存在するので、血の沸騰を意図的に使うのはなかなか難しい。

 これが防衛側の人間に多く見られる現象である点が、それを証明している。

 たとえば大国に攻められた小国が、異様な粘りで何年も持ちこたえるなどの現象は、多くの騎士が血の沸騰を発動させることに起因している。

 まさに自爆技。神風特攻。自国を守るために死を覚悟してでも相手を殺しにかかるので、大国は苦労するわけだ。

 ガンプドルフの母国、DBDがルシア帝国らの侵攻を防げたのも、騎士たちが血の沸騰を果たしたからである。

 一方この秘技の場合は、血の沸騰のような制限なく誰でも発動できるメリットがある。

 ただし、アル先生のように幼い頃から戦気術を学び、悪い気質すら体内に蓄えておくという日々の努力が必要なので、それなりの腕前の拳士でないと使えないものである。


 使えば、まず死ぬであろう禁じ手。それを使ったのだ。


 とはいえ、もう死ぬ覚悟を決めた彼にとっては、それもどうでもいいこと。

 ただ自分の全力を出して死ぬことしか考えていない。なぜならば、それが武人だからだ。


「いくネ!!」


 アル先生が決死の突貫を仕掛ける。

 アーシュラはそれを堂々と迎え撃つ。


 両者が激突。再び乱打戦となる。


 アーシュラの凄まじい拳の攻撃に対して、アル先生は自分のスタンスを崩さない。

 ひたすら連打で対抗。秘技で強化した身体が悲鳴を上げても、戦岩削で相手を削っていく。


 ドガドガドガドガッ バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!

 メキメキッ ぶちゃっ


 両者の拳は互いにヒットする。

 アーシュラは自身のダメージなど気にしないのでそのまま受け、まったく無造作に拳を繰り出す。

 それを致命傷にならない程度にかわして反撃するアル先生。

 闘人の攻撃の三割はヒットしている。強化した戦気でもあっさりと貫通し、肌や筋肉を破壊してくる恐るべき攻撃を受けながらも、紙一重でよけて攻撃を続ける。


 削る削る削る 削る削る削る

 ドガドガドガドガッ バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!

 抉られる抉られる抉られる 抉られる抉られる抉られる

 メキメキッ ぶちゃっ メキメキッ ぶちゃっ


 その攻防はどれだけ続いただろう。武人の戦いは音速を超えるため、常人には数秒にも満たなかったかもしれない。

 その間に幾多も打ち合い、削り、抉られを繰り返し、最終的にどうなっただろう。


 答えは明白。明瞭。簡潔。



 アル先生が―――膝をつく。



「ぐっ…はっ……」


 身体中から血を噴き出し、力なく崩れる。


(当然の結果ネ。わかっていたことヨ)


 闘人はダメージを受けても戦気が減るだけだ。多少身体を構成する要素が減るにすぎない。

 一方の人間は生身にダメージが蓄積する。すでに足をやられているアル先生が持久戦を挑めるわけがない。

 秘技による生体磁気の汚染も進んでおり、じわじわと動きが鈍っていき、最終的にはこちらが先に参ってしまう。

 なんて簡単な話。子供だって理解できる。


(それでも、それでも…最期までは!!)



「グオオオオッ!!」


 アーシュラがとどめを刺そうと拳を振り上げた瞬間―――アル先生が飛び込む。

 もう自分の足では到底ダッシュはできない。それでも一足の間合いならば詰められる。最後の最後で死んだふりをして相手を引き付けていたのだ。

 そして、最後の技を放つ。


 覇王技、羅刹でアーシュラの体内に手を突っ込むと、そこから裂火掌の構えに入る。


 いわゆる「キャンセル技」と呼ばれるものであり、発動した技の硬直を防ぐ高等テクニックの一つだ。

 アンシュラオンがガンプドルフに羅刹を使った時のように、普通は技発動後の硬直が発生する。

 その硬直は完全な無防備になるため技を使う際は気をつけねばならない。

 が、キャンセル技を使えば、これを無視して次の技に入れる。当然、こちらのほうが有利である。

 しかしながら、そのような技があれば誰だってやっている。それをしないことには理由がある。


 ブチブチブチッ


 突然技を変更したので、アル先生の筋肉が断裂。

 そう、キャンセル技をすれば自身の肉体に過大な負荷をかけ、前の技の反動が襲いかかってくる。

 いかにダメージを抑えるかが重要な武人の戦いでは致命傷になりえるのだ。

 ただし、これが最後の一撃ならば問題はない。最後の技さえ発動させればいい。


 手を体内に入れてからの―――裂火掌。


 戦気の塊である体内に手を入れた段階で、重度の火傷を負っていたが、無視。

 そのまま自分の手ごと裂火掌を発動。


 ドバーーーーーンッ


 体内で裂火掌を放てば、粉々に吹き飛ぶ。それが生物ならば身体の中は滅茶苦茶だろう。

 闘人にとって最大の弱点は、戦気を自分で再統合できないことだ。もし腕を切り離せば、自分ではくっつけることができない。

 離れた部位は闘人としての定義を失い、消失する。これも無駄な戦気を浪費するというデメリットの一つである。

 アル先生が唯一勝てる方法があるとすれば、闘人を上下に分断する、あるいは四肢を切り離すしかない。

 これが残された最後の一撃。これで身体が分かれてくれれば、おそらく下半身部分は消失するはずだ。


「グルルルウウウウッ」


 アーシュラが激しい怒りの目をもってアル先生を睨む。



―――五体満足の姿で



 内部で爆発した裂火掌は、自身の腕を完全に破壊したものの、闘人は五体満足の状態であった。

 依然としてこちらを睨んで立っている。


「…まあ、そうなるネ」


 アル先生に落胆はない。

 戦気の質が違いすぎるのだ。自分の決死の一撃も、腹に少しばかりの穴をあけた程度。

 それが限界。言ってしまえば「才能の限界」であった。

 時には才能の無さを恨むこともあったが、自分はここまで来られた。それだけの努力はした。


 だから、もう十分だろう。



「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」



 闘人が怒りの―――ラッシュ。



 もうそれをよける気力も体力も、彼には残されていなかった。



「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!」


 ドガドガドガドガドガドガッ ドガドガドガドガドガドガッ
 ドガドガドガドガドガドガッ ドガドガドガドガドガドガッ
 ドガドガドガドガドガドガッ ドガドガドガドガドガドガッ
 ドガドガドガドガドガドガッ ドガドガドガドガドガドガッ
 ドガドガドガドガドガドガッ ドガドガドガドガドガドガッ
 ドガドガドガドガドガドガッ ドガドガドガドガドガドガッ
 ドガドガドガドガドガドガッ ドガドガドガドガドガドガッ


 アル先生の身体のすべて、顔以外のすべての箇所を凄まじき拳が襲う。

 バキグチャ ドゴメチャ グジャバギギャッ!!

 擬音では表現しきれない壮絶な破壊音とともに、一瞬にして身体が砕け散った。

 それはもう爆発事故。身体中に仕掛けられた爆弾が一気に破裂したように、身体が『炸裂』していく。


 どちゃっ


 殴られた衝撃で宙に浮かんでいたアル先生が落下。


 断末魔すら上げる暇もなく―――そのまま絶命する。



「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」



 闘人は怒りの雄たけびを上げ続けた。

 顔以外を殴ったのは、おそらくアンシュラオンの注意がサナの頭に向いていたからだろう。

 制御を失った闘人は、操者の意識が向いたところ以外を攻撃したのだ。

 よって、顔だけは綺麗で身体は滅茶苦茶という凄惨な処刑法になってしまった。


 そこにあったのは、圧倒的な暴力。

 積み重ねた努力をあっさりと踏みにじる純然たる力そのもの。

 その姿は、まさにアンシュラオンの奥底に眠っている激情を体現したものだった。


 これによって、決着。

 ハングラスの報復は、逆に無慈悲な逆ギレによって鎮圧されることになる。


 そして、報復のあとの報復、理不尽な弾圧が始まるのだ。




250話 「パニックナイト〈狂乱の夜〉 前編」


 ほどなくして、アンシュラオンとサナがその場に戻ってきた。ハンベエたちも一緒だ。

 そこにいたのは、制御を取り戻しておとなしくしている闘人アーシュラと、無残に死んでいるアル先生であった。


「この男、口調がお笑いのわりにはがんばったようだな。こいつにこれだけの傷を付けるなんて普通の武人にはできないことだ。あんた、よくやったよ」


 アル先生に敬意を表する。

 実力差はすでに理解していたにもかかわらず最後まで戦いきったのだ。見事な散り際である。


(しかし、勝手に反応するんだな。操るときは気をつけないと危ないか。まあ、『武装闘人』や『闘神《とうしん》』のほうでなくてよかったよ。あれだったら、このあたり一帯が吹き飛んでいた可能性もあるし)


 正直なところ暴走は想定外。もともと制御下でしか使ったことがない技だったので過信していた部分はある。

 それ以前に火怨山三人組の前には捨て駒にしかならないので、そこまで使い込んだ記憶はなく、完全に油断していた。

 今後は制御下から外さないように気をつけたほうが無難であろう。

 ただ、これもまだ不幸中の幸い。仮に『武装闘人』や最上位の『闘神』であったならば、この程度では済んでいないはずだ。


 闘人アーシュラは初期型闘人であり、さらに進化させると武装してより強力な闘人になる。それを『武装闘人』と呼んでいる。

 現在非武装のアーシュラが鎧やら武具を装備するのだ。闘人には因子タイプは存在しないので、武具を自由に装備させることができるのもメリットだ。

 武装闘人の戦闘力は初期型の数倍。フル武装ならば三倍以上は間違いない。その状態ならアル先生は初手で即死だっただろう。

 さらにあまり使うことはないが、闘神操術を使った闘神『阿修羅』という持ち駒もいる。

 アンシュラオンが「オレの名前って阿修羅に似てない? カッケーよな!」と、元日本人らしい中二病を発揮して生み出した闘神であり、さまざまな特殊能力も持っているので戦闘力も闘人の比ではない。

 ただ、最初は楽しかったのでよく使っていたが、やはり燃費効率が悪く、自分で戦ったほうが楽ということに気付いてからは、ほぼお蔵入りにされている『神』である。

 ちなみに独特の造詣に興味を覚えた陽禅公が詳細を訊いてきたので、中二病知識を教えたらあっさりとパクられ、「十二神将」を模した闘神を作って対抗してきた。

 勝負の結果は、陽禅公の圧勝。

 遠隔操作の腕前は師匠のほうが数段上なので、数の暴力でフルボッコにされて酷い目に遭った。その意味でもトラウマだ。

 弟子の技をあっさりとパクる。怖ろしいほど卑劣だが、それほど強さに貪欲でなければ覇王になどなれないのかもしれない。


「お前はもう消えてろ。ご苦労だったな」


 アンシュラオンが闘人を消す。

 消え方は、バシュンと一瞬で弾けるようにいなくなる。まるで幻のようだ。



「敵は全員逃げたか死んだようですね。これからどうします?」


 闘人を物珍しそうに見ていたハンベエが訊ねる。


「今夜はこれでいい。こいつらのおかげでハングラス側に力が残っていないことがわかった。もう襲撃はないだろう」

「けっこう派手にやりましたからねぇ。では、次はこっちの番ということですね」

「そうだな。あいつらも襲撃を仕掛けてきたんだ。襲われても文句はなかろう。明晩、予定通りに一斉に仕掛ける。お前たちは各自担当エリアに戻って準備を進めておけ。倒れた馬車はそのまま残しておけよ」

「了解しました」


 ハンベエと戦罪者は、すっと闇に消えていく。

 横倒しになった馬車をそのままにするのは、ここでいかにも両者に損害があったことを示すためだ。

 そのために半壊した仮面もいくつか置いておき、同時に毒で死んだやつの顔を破壊して見分けをつかなくさせる。

 これでホワイト商会にもダメージがあったと錯覚させることができる。所詮小細工だが、一日時間を稼げればいい。


 アンシュラオンはハングラスの襲撃を待っていた。


 これが一つのきっかけになることを知っていたからだ。

 プライリーラも言っていたように、他の派閥はハングラスの報復が終わるのを待っている状態だ。

 あわよくば、そこで終わってくれればいいとさえ思っている。自分たちはあまり関わりたくないのだ。彼らは諍いを欲していないのだから、誰だってそのほうがいいに決まっている。

 だが、そうはいかない。より多くの利益のために火種はさらに撒かねばならない。

 そのタイミングがここ。彼らが巣穴でじっとしているところを一斉襲撃である。それが明晩というわけだ。


「…じー、さわさわ」

「お面が気に入ったか?」

「…こくり」


 サナは今、お面を触っている。狐面が被っていたもので、当然命気で消毒済みのものだ。

 ハンベエたちが他の狐面を全滅させ、無事だったお面四つ(二つは割れた)を回収できた。

 詳細は鑑定屋で調べないとわからないが、アンシュラオンから見ても特に怪しい動作はないので、呪具といった怪しいものではないようだ。

 仮に呪具であってもアンシュラオンが触れば逆に支配下に置いてしまうので、精神汚染も形無しであるが。


「行くか、サナ。これからまだまだ燃え上がるぞ。そのすべてをお前に捧げよう。それを【喰らって】、もっともっと強くなるんだぞ」

「…こくり」

「と、リリカナさんを忘れていたな。あの人は戻してあげないと」


 その後、馬車で縮こまっていたリリカナを助け、白馬車でホテルにまで戻らせた。今夜はこれで終わりだ。






 時間は進み、翌晩。

 宵闇が広がり、街が静かに眠りに入ろうとしている頃、一般街の裏手にある事務所でゲロ吉が唸っていた。


「ううむ…」


 手に持っているのは、昨晩の戦いの報告書である。

 今朝方、組の者が現場を調査した結果をまとめたものだ。

 そこにはハングラス側の戦闘要員の多数が犠牲になったことと同時に、ホワイト商会側の被害も書かれていた。


(こっちの死者は二十八人、相手の損害は馬車二台と戦罪者四人…か。ホワイトの死体はなかったし、微妙なところじゃのう。オヤジには報告しづらいか)


 ゲロ吉の組(ゲロ吉が組長)は、「ハン・スザン商会」。同じ武闘派であるザ・ハン警備商会の下部組織に位置し、彼らの支援や、細々とした暴力系の仕事を担当する組である。

 戦闘力ではザ・ハン警備商会に相当劣るが、今回はグランハムの仇討ちという側面もあり、彼に任された経緯がある。

 だが、結果としては微妙。

 費用対効果という意味でも、正直割りに合わない被害が出ている。

 特に損害にうるさいオヤジことゼイシル・ハングラスに伝えるには、それなりの度胸が必要だろう。

 そして、もう一つ気になることがある。


(やはり先生は死んでしまったのかのぉ。死体は出てこなかったというし、黒狐の連中も行方知れず。あの後、いったいどうなったんじゃ…)


 調査では、アル先生と狐面の死体は出てこなかった。血痕は見つかっているが死体はないのだ。

 逃げおおせた組の連中も少なく、その後に何があったのかは誰にもわからない。そこで困惑しているというわけだ。


(先生のあの様子を考えるに、やられてしまったのかの…。あんな化け物に立ち向かうだけでも、それはそれで立派なことだと思うが…悔しいのぉ。先生には生きていてほしかったもんじゃ)


 わずかな付き合いだったが男を見せてくれた。さすが助っ人の先生である。

 大陸出身者は、こうして死に物狂いで結果を出すことで有名だ。だからこそ雇い手が増え、若手の拳法家の育成につながっていく。

 アル先生が死んだとしても無駄にはならないのだ。その勇姿は語り継がれることになるだろう。


(しゃあない。オヤジに報告じゃ。一応、ホワイトにもダメージは与えたはずじゃしな。なんとか勘弁してもらうしかないじゃろう)


 納得するかはともかく、ホワイト商会相手に被害は出せたのだ。グランハムでもできなかったことを思えば、これだけでも価値があることだ。

 そう思って立ち上がった時である。


 コンコン


 扉がノックされる。


「オジキ、俺です」

「ああ、ザメかい。入れ」


 扉を開けて入ってきたのは、ザメス・ゴン。

 ハン・スザン商会の若頭をやっている男で、ゲロ吉の一番の部下となる。その彼は、なんとも言えない表情を浮かべていた。


「なんじゃ、変な顔をしてからに。何があった?」

「それがその…今、来てまして…」

「ん? 誰がじゃ?」

「その…雇った連中なんですが…」

「雇った連中? まさか、先生方のことか!?」

「は、はぁ。た、たぶん」

「たぶんとはなんじゃ! おお、生きておったんじゃな! よかったのぉ! 下にいるんか?」

「へ、へい。ですが、その…」

「こうしちゃおれんわ! もてなしの用意じゃ!」

「あっ、オジキ!」


 ゲロ吉はザメスの言葉もよく聞かず、急いで階段を下りて応接室に向かう。

 その顔には興奮した様子がありありと浮かんでいた。


(先生が生きておった! ちゅーことは、死んだのはベンケイってやつのほうかい! こりゃ愉快じゃな! ホワイトのやつも、さぞ悔しがっているに違いない)


 アル先生の決死の覚悟が実ったのだろう。やはり最後は正義が勝つのである。



 ドンドンドンドンッ ガチャッ

 転がるように階段を降り、急いでドアを開ける。


「先生! よくご無事で―――げぇえぇえ!?」


 ゲロ吉が思わず硬直する。目を見開き、凝視せざるをえない。


 なぜならば、視線を向けた先にいたのは―――鎧。


 応接室の中には、なぜか全身鎧を着た何者かが座っていた。その隣には黒狐が二人いるが、鎧のほうが気になってしまって目に入らない。


「………」

「どうしたアル? 何かおかしいアルか?」


 呆然としているゲロ吉があまりに不自然だったのか、アル先生(鎧)が話しかける。

 その声に正気を取り戻し、ゲロ吉が跳ねるように姿勢を正した。


「あっ!? い、いえ…せ、先生…ですよね?」

「そうアル。ワタシ、アル先生あるヨ」

「は、はぁ…ですよね。しかしその…なんと言いますか…ずいぶんと変わられたような…」

「どこがアルか?」

「いえ、その……身体とか…急に大きくなっていやせんか? それにその鎧は…?」

「ああ、なるほど。驚くのも当然ネ。じゃあ、証拠見せるアル」


 すぽっと鎧の兜を脱ぐと、そこにはアル先生の顔があった。


「どうアル? これで信じたアルか?」

「え、ええ。疑ってすいやせん。…で、その御姿は?」

「戦いで身体を失ってしまったアル。だから敵の身体を奪ったね」

「そ、そんなことができるんですかい!?」

「これが証拠アル。すぽっ」

「ぎゃーーー! 首が、首が取れとる!!」


 なんと、アル先生の首が取れた。さも当たり前のように、自分ですぽっと持ち上げる。


「驚くことないヨ。中国…じゃなくて大陸四千年の歴史があれば、これくらいは簡単アル」

「そ、そうなんですかい…こりゃ驚きやした」

「わかったならヨロシ」

「それで先生、あのあとはどうなったんです?」

「うむ、あの闘人を倒し、ホワイトを追い詰めたネ。でも、身体が限界で動けなくなって、最後は逃げられたアルよ。すまんアル」

「いえいえ、十分な働きです! ありがとうございやす! これで兄貴も少しは報われます」

「そうアルか。なら、今日は金をもらいたいアル。金を使って身体を整備するネ。これ、大陸四千年の秘術ネ。金がかかるアル」

「あっ、こりゃ失礼。おい、先生に金を用意しろ!!」


 さまざまな契約があるが、傭兵稼業は成功報酬で金をもらうことが多い。

 アル先生のような、ある程度の実力者になれば前金で払うこともあるが、ラブヘイアがそうだったように後払いになることもざらだ。

 アル先生は組員がテーブルに並べた金を数え、そっと懐に入れた。


「うむ、たしかにもらったある。これでひと安心アルな」

「へい。先生のおかげでホワイトもしばらくは動けないでしょう。助かりやした」

「ところでゼイシルさん、今どこにいるアル?」

「へ? オヤジ…ですかい? オヤジに何か?」

「いやいや、ちょっと売り込みをしようかと思っただけアルよ。この街、気に入ったアル。用心棒として雇ってもらおうとしただけネ」

「なるほど。じゃあ、こっちから話を通しておきやす。オヤジは定期的に場所を変えるんで、わしも今どこにいるかはわからないんですよ。兄貴ならともかく、わし程度じゃせいぜい直轄の連絡係に会えるくらいでして」

「…そうアルか。なら、べつにいいアル」

「そうですか?」

「そうアル。だって、嘘アル」

「嘘? 何がです?」

「この首アル」


 アル先生は再びすぽっと首を抜くと、テーブルの上に置いた。

 仕掛けを聞かされていなければ誰もがびっくりする光景だ。こんなの怖すぎる。

 しかし、なぜ彼がこのような真似をするのかがわからず、ゲロ吉は首を傾げる。


「これが…何か?」

「この首、嘘アル」

「首が嘘…?」

「わからないアルか? やっぱりゲロ吉あるな」

「は? …え?」

「ハハハハハハハハハハ。ゲロ吉、愉快ネ! だから楽しいアルよ!! ほわたっ!!」


 アル先生が拳を―――自分の頭に叩きつける。


 バリンッ!! バラバラッ

 あっけなく頭が粉砕。粉々になる。

 ただし頭は凍っていたようで、シャーベット状の塊が周囲に飛び散ったくらいだ。テーブルそのものは汚れてはいない。


「ひぃいいいっ! せ、先生…何を!! 顔が! 顔が潰れちまいやしたよ!! オエエエエッ、グロっ!!」

「だから嘘アル」

「嘘って…偽物の首…ってことですかい? うぇっっぷっ」

「そう、【偽者】。ワタシ、偽者ネ。だから、今日でここも終わりアル」

「は? え?」

「ゲラゲラゲラゲラッ! まだわからないのかよ! ゲロ吉ぃいいい!! わっしょい! どがっ!」

「いたっ! 誰じゃ、後ろから蹴ったやつは!!!」

「オレだよ、オレ。まさかもう忘れたわけじゃないよな」


 ゲロ吉を後ろから蹴ったのは、狐面の男であった。

 アル先生に注意が向いていて気付かなかったが、その男はやけに身長が低かった。


「あれ? そんなに小さかったかの?」

「ほあたっ!」

「ぐえっ!! なに…すんじゃぁ…オエエエエエエ!! オロロロッ」

「ははは! 腹を軽く叩いただけで吐くなんて、やっぱりゲロ吉だな! さて、つまらん芝居も終わりだ」

「何を言って…」


 狐面の男が装束を脱ぐ。


 そこに現れたのは―――白スーツ。


 黒狐のお面に白スーツの男がそこにはいた。


「そのスーツ…は……まさか!」


 見間違えるわけもない。こんな白いスーツを恥ずかしげもなく堂々と着る人物など、今のグラス・ギースでは一人しかいない。

 そう、ホワイトことアンシュラオンその人である。

 アル先生の首を鎧人形にくっつけて芝居をしていたのだ。強いて言えば、単なる余興だ。意味はない。


「アル先生は死んだぜ。狐面のやつらもな。さすがにお前もわかっただろう?」

「なっななっ…!! まさかそんなことが…!!」

「オラッ!」

「がぼっ!!!」


 ボゴンッ ドカーーンッ

 アンシュラオンの声に連動して鎧人形が動き、ゲロ吉をぶん殴る。

 吹っ飛ばされたゲロ吉は壁に衝突。ぐらぐらと事務所が揺れた。



「さあ、お前たちが恐怖と混乱の中で踊り狂う『パニックナイト〈狂乱の夜〉』の始まりだ。手始めにこの組を潰させてもらおうかな」





前の話へ移動      次の話へ移動




欠番覇王の異世界スレイブサーガ トップページ




※無断使用・転載を禁じています。

※すべての権利は、作者である園島義船とぷるっと企画に属します。